織田信長は過大評価されすぎ11

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780人間七七四年
信長の長男は塙直政の妹を母として天文23年に生まれた信正であり
(直政がロクに実力も功績もないのに大和守護に抜擢されたりと厚遇されたのも信長嫡男の叔父という地位から)
塙直政が本願寺包囲中に討ち死にしたことを口実に塙一族から所領を没収し
指名手配をしたので、信正を存在しないことに公記は捏造。
実際は信長が生駒氏と寵愛しはじめた為、信忠を嫡子にするために塙は犠牲となったのだ。
(公記は光秀の妹が信長の寵愛を受けていたが天正9年8/7頃に死去したことも
わざと記さず光秀謀反の遠因まで隠蔽。光秀は直政のような末路を危惧して
多聞院を前にしての光秀は無比類力落也を隠さなかった)

光秀や原田らが失敗した大坂本願寺の動きを完璧に封じた佐久間の武功は織田随一の実力者で
逆に言うと畿内本軍を統括して総指揮が可能な人徳や能力が佐久間にしかなかった。
もし中核的な策源地たる摂津で佐久間が失敗していたら秀吉や光秀の丹波や播磨戦線は崩壊していた。
そもそも柴田のように謙信死後に御館の乱や新発田の乱で上杉が加賀なんて放置状態になったラッキーさで
首の皮一枚がぎりぎりつながったほどの無能と比べてみれば歴然。
つか柴田の場合は前田や佐々らに監視されていたほど駄目待遇でやはり佐久間が織田家No2なのは間違いない。