戦国ちょっといい話32

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話31
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329316941/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話31
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1335874012/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2012/05/03(木) 14:30:27.50 ID:AoHLAWHi
>>1 殿は天下人にあられまする
3人間七七四年:2012/05/03(木) 15:39:25.94 ID:FojyimHA
>>1
骨折り
4人間七七四年:2012/05/03(木) 21:55:45.46 ID:oICpoWP3
>>1
(^^)つ九十九茄子
5人間七七四年:2012/05/04(金) 00:16:26.67 ID:ecutkpXC
立花宗茂ちょっといい話 切腹(一命)立花家ヴァージョン(上)
ある日、御書院番頭立花左近将監奥州棚倉三万石の屋敷の門前にむさ苦しい浪人が座り込み
「ご門前を借りて切腹いたしたい。ついては介錯をお願いしたいのでお取次を」と言い出した。
門前を血で汚されるの厭う大名家から幾ばくかの銭をゆすり取る、近頃、流行りの切腹詐欺である。
「では、取り次ぎます故、暫時お待ち下さい。取り次ぐまでの間、どうぞ門内でお待ち下さい」
「お気づかいなく、ここにて待ち申す」
先ごろ、夜叉掃門こと井伊直孝の屋敷で、切腹詐欺の武士を屋敷内に誘い込み、かねて用意の
竹光で無理やり切腹させたという噂を知っているのか浪人は、梃子でも動かなかった。
「いかがいたします。門内にでも放り込みますか」古びた虚無僧の衣装を取り出してきた
十時摂津を見て宗茂は苦笑した。
「まあ、待て。我が家を選ぶとは奇特な仁もいるものだ。会って見るか」
門前に座り込む浪人の前に据えた床几に腰掛けると宗茂は言った。
「切腹されるとのこと。見上げたご覚悟だが、首はどちらに届ければ宜しいかな」
静かな物言いだが、西国無双の威圧感に押されたのか浪人は無言になった。
「父母に届ければ、貴殿の親不幸を告げなければならぬ。貴殿の妻子に届ければ、去り状もなく
寡婦や孤児となった妻子が泣くであろうな。独り身であれば、骸も首も門前に打ち捨て犬の餌にする
しかないが、いかがかな?」
「恐れ入りましてござりまする」
そう言うと浪人は、病の妻子を抱え、貧に迫られたあげく、幾ばくの銭を得るために切腹の一件を
思い立ったと白状した。
「左様か、摂津聞いたな」宗茂は片膝をついて控えていた十時摂津に声をかけると立ち上がった。
「すぐに仕る」
そう言うと十時摂津は浪人と話し始めた。



6人間七七四年:2012/05/04(金) 00:22:56.62 ID:ecutkpXC
立花宗茂ちょっといい話 切腹(一命)立花家ヴァージョン(下)
立花左近将監が、ご門前にて切腹いたしたいと騒ぎ立てた切腹詐欺の犬侍を召抱えたという噂を聞きこんだ
御書院番を務める三河依頼の旗本の一人が、まさか左様なことはござらんな。犬侍を雇い入れるなどお家の
恥ではと詰問した。
「恥とは、父母に孝養を尽くさんとした侍を召抱えたことですかな」
「理由はどうあれ、出来もせぬ切腹をすると騒ぐ武士など武士の風上におけぬのでは」
「当家にて、武士の風上におけぬとは、国法を破り、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶ者のこと。貧に
迫られ恥を忍んで手を尽くす者を武士の風上におけぬとは申さん」
「し、しかし、嘘偽りを申す侍を召し抱えるなど慮外千万では」
「武士の嘘を武略と申す。かの者の武略、いささか欠けておりますが、当家には義父道雪以来、他家にて、
ひけ者、臆病者、腰抜けと言われたものは我が家を訪うべし。いずれも万夫不当の勇士になさんという家訓が
ござる。それ故、召抱えたのでござる」
召抱えた経緯が経緯だけに、子孫のことを慮って某としか伝えられていないが、かの侍、大阪夏の陣にては、
大樹公ご本陣潰乱の際に立花勢の先鋒として大阪方を蹴散らし、遥か後年に起こりし島原の乱にては
十時摂津老と共に忠茂公の元にて戦いしとのこと。
切腹詐欺の侍を万夫不当の勇士にした立花宗茂のちょっといい話。
7人間七七四年:2012/05/04(金) 00:29:52.20 ID:5x56kq4o
さすが安心の立花家w
8人間七七四年:2012/05/04(金) 00:55:22.33 ID:GjrLGDA1
安心できるけど、熊と鍋のとこのクオリティーも捨てがたいなぁ〜
9人間七七四年:2012/05/04(金) 01:20:27.11 ID:VF6l2w5e
爽やかだわあ
10人間七七四年:2012/05/04(金) 01:42:55.26 ID:bFWA8BOo
>>5
棚倉時代の宗茂は一応赤館城が居城なんだけど、
ほとんど城は使わずに代官屋敷に住んでたらしいね。
11人間七七四年:2012/05/04(金) 07:52:13.70 ID:wghcEjFl
昌幸「・・・」
12人間七七四年:2012/05/04(金) 10:16:44.17 ID:Cfk/CK3Z
今の日本の教育、企業、ネット評論家たちに欠けているのは立花精神だなと思った
13人間七七四年:2012/05/04(金) 11:34:15.99 ID:aNsHdVpm
>>11
昌幸さんのは立花さんの定義なら武略だよね、しかもとびっきりの
ここで言う表裏比興との違いってなんだろう?いや、何となくは分かるんだけどね
ちょっと違うかもだけどざっくりだと、敵はなんぼ騙してもOK 、味方を出し抜くとこまではギリOK?
味方を蹴落として自分がってのはNG、みたいなとこだろうか

如水さんなんかも世間一般の腹黒い印象とは違って味方からは世話焼きの親切な
親戚の叔父さんみたいな感じで若手からは頼られてること多いよね
14人間七七四年:2012/05/04(金) 12:24:28.16 ID:G0qTHviX
よし、ハローワーク通いはもうやめた
柳川の御花に首吊り用の縄を持参して泊まりに行く
15人間七七四年:2012/05/04(金) 15:39:03.94 ID:ltLgkls+
鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ!
16人間七七四年:2012/05/04(金) 18:59:43.38 ID:A3nzwVtG
そしてお縄になった>>14であった
17人間七七四年:2012/05/04(金) 22:01:37.51 ID:vdikOVKF
 本阿弥光悦の姉の法秀は雁金屋という呉服屋を経営している尾形道柏のもとへ嫁いだ。
仲人の話では尾形家は裕福なところのように言ってたが、実際にはかなり貧しかった。
後でそれを知った法秀の父親の本阿弥光二は「あんな貧乏なところへ行った娘は内心
つらい思いをしているのではないか」と後悔していた。それに対し、光二の妻の妙秀は
「貧乏なのはつらいことではありません。それよりも富貴な者の場合、ケチで欲深なゆえに
金持ちになったのではないかと気になってしまいます。婿殿の父親は正直な親孝行者と
いう評判を伝え聞いていましたので、そういうところに心ひかれて尾形家に娘を嫁に
やりました。先祖が良い心の持ち主であることに勝る宝物はないからです。どうか、
娘の夫婦仲のことは心配なさらぬようお願いします」と言って夫を安心させた。
 最初は貧しかった尾形夫婦であったが、元々尾形道柏が小谷城主の浅井家の家臣だったことが
幸いして、浅井三姉妹の淀殿に気に入られて呉服御用をつとめるようになった。そして、
徳川の時代になってからは同じ浅井三姉妹の二代将軍正室お江の方のひいきとなって
雁金屋は大いに繁盛したので尾形道柏・法秀の夫婦は幸せに過ごせた。貧乏だからといって
心配は無用と判断した妙秀の言葉に間違いはなかったのだ。
18人間七七四年:2012/05/05(土) 04:25:21.03 ID:ouPvYpnT
妙秀さんのリサーチ能力の勝利w
いつの世でも事前調査が大事、という事か。ちがうか。
19人間七七四年:2012/05/05(土) 07:00:33.70 ID:aRyXgFAW
まあ幸せはともかく繁盛云々は取引先の盛衰次第
20人間七七四年:2012/05/05(土) 16:41:57.27 ID:10eihu1y
>>11
大丈夫、「当家では」と言ってるじゃないかw
しかし立花家はめんどくささが美談な方向に転がるから不思議だな。
21人間七七四年:2012/05/05(土) 16:44:30.36 ID:RTU3XfyR
>>19
ご利用は計画的に
22人間七七四年:2012/05/05(土) 16:58:25.39 ID:e4TvmKN6
地味に井伊直孝ヒドスw
23人間七七四年:2012/05/05(土) 18:37:13.46 ID:k5l/dyur
島津家に西野隆元という侍がいた。
島津家では名の知れた武辺者で前後朝鮮の役では大将首6つ、雑首23個を取る大功を立てた。島津兵は合戦になるとつねに保身の為に彼の後ろに群がった。

…が これだけの戦功を立てたにも関わらず西野は一向に出世せず足軽頭の補佐のような役に任じられるに留まった。

何故か? 彼は気に入らなければ上司を平然と怒鳴りつけ、島津義弘にさへ憎まれ口を叩くような男であった。
かの中馬と殴り合いの喧嘩をすることもしばしば、中馬でさえも彼を見かけると身を隠す有様となった。
だが義弘はこの男を愛してたらしく、領地を与えない代わりに大将兜や黄金造りの刀をしばしば与えた。

さて関ヶ原、 島津軍の決死の敵中突破が始まった!
西野は追い縋る敵を突き臥せ突き臥せ鬼神の働きを見せる! いや西野だけではない、島津軍全員が修羅となり群がる敵にキリを揉み込むように突き進んだ。
だが次第に数を減らす味方の中、島津軍は遂に捨て身の鉄砲陣をしいた。(狭道の両側に間隔を置いて一列に座り鉄砲を順に撃ちかけ撤退の時間を稼ぐ。当然鉄砲を撃ち終われば群がる敵に鯰斬りにされる)
中馬が鉄砲陣の最後尾に座らされた。

…が
西野が中馬を殴りとばした。「ここで早々死ぬとは臆病千万!義弘様を守って貴様は薩摩に帰れ!だがここからの道は死ぬより辛い。貴様にその度胸があるか!?」
中馬「……西野」
西野「朋よ、生きろ」
中馬が最後に見た西野の姿は最高の笑顔だった。

老いた中馬が一度だけ語った回想録である。

24人間七七四年:2012/05/05(土) 18:56:58.84 ID:k5l/dyur
なお、この話しには続きがある。
西野には家族はなく家名は途絶えた。
だが数年後、内縁の妻と男児が一人いることが分かった。
義弘は男児に家名を復させようとしたが、西野の妻はもう辛い思いをしたくないと涙ながらに辞退した。
義弘は母子を哀れみ名字帯刀を許し僅かながら田畑を与えた。
母は息子の武士の道を絶つために西野という性を改めた。



…時は経ち、幕末。
西野隆元の子孫、西郷隆盛は幕府を倒し先祖隆元の恨みを雪いだ。
25人間七七四年:2012/05/05(土) 19:34:44.79 ID:PavKPiIR
義弘「おいどんの隆元ーー!」
26人間七七四年:2012/05/05(土) 19:43:04.71 ID:1Uc/TOWO
さすが島津、ばねぇな!
しかし、末裔の隆盛どんが、薩摩武士の道を断つために西南戦争をおこすとは、
隆元どんの奥方が、極楽で喜んでいるだろうな。
27人間七七四年:2012/05/05(土) 19:44:03.31 ID:T5E/55L5
あれ、西郷隆盛の家って江戸時代になってから島津家に仕えた下級武士だったんじゃ……?
28人間七七四年:2012/05/05(土) 20:25:37.03 ID:1Uc/TOWO
>>27
西野→西郷(百姓)→下級武士として士官(家祖の教えを破る)→幕末西郷どんじゃね?
29人間七七四年:2012/05/05(土) 20:29:36.47 ID:6tTWmiMu
そういえば西郷隆盛の薩摩西郷氏は、徳川秀忠の母親も出した三河西郷氏の庶流、ということになってるらしいな。
30人間七七四年:2012/05/05(土) 21:26:02.35 ID:QhMfPhQs
"従三位"波多野秀治

明治維新が成った後、戦国大名への位階の追贈が一種のブームとなった。
勤皇の志を持った過去の偉人を称えるというのが一応の建前だが、実際には
維新に功のあった藩への慰労といった側面が強かったようである。

長州藩の先祖に当たる毛利元就や、言わずと知れた信長・秀吉に正一位が追贈され
島津義弘・長宗我部元親らには正三位が贈られた。
その他にも、近世に残った大名の祖先は大体がこの時期に追贈を受けている。

…だが、この戦前期官位追贈組の中に少し異質な人物が混じっている。
信長と戦った末に処刑された丹波の土蒙・波多野秀治だ。

お世辞にもメジャーとは言えない彼が従三位という公卿クラスの高位を
追贈された背景には、ある逸話がある。
31人間七七四年:2012/05/05(土) 21:26:34.10 ID:QhMfPhQs
永禄三年(1560)年、日本朝廷の困窮はいよいよ頂点に達していた。
三年前に践祚した正親町天皇の即位式も、資金不足により未だに行えていなかった。
京の都は応仁の乱以来すっかり荒れ果て、本来朝廷を庇護すべき畿内の権力者達は自分の権益
の為に争いを続けている有様。大内義隆のような物好き金持ちも今やおらず、
朝廷を顧みようとする者はもはや絶えてしまったかのように思われていた…

そんな折に朝廷に手を差し伸べたのが、三好氏と絶賛激闘中だった波多野秀治であった。
「任せてください、ちょっくら伝手を使って工面しますから!」
帝の威光が甚だしく軽んじられている現状に心を痛めた彼は、一門である宗高や
中国地方の覇者・毛利元就(!)と相談の上、共同で即位式の為の献金を行ったのだ。
それだけに留まらず、式の際には秀治自ら手勢を率いて警護役に加わったとの伝承もある。
ともかくも、この際の秀治の働きに感銘を受けた正親町天皇は秀治を正四位侍従に叙す事で
その働きに報いた。(同じく献金を行った元就は従四位下陸奥守を賜る)
件の大正期の従三位追贈も、この故事を踏まえたものであった。

この逸話は八上城跡の「波多野秀治公表忠碑」に記されたものであるそうだ。
昭和六年建立のこの石碑は当時の毛利家当主・毛利元昭氏による揮毫とのことで、
千言万語を尽くして秀治の壮挙を称えている。

目立たずも良い事をすれば神様、もとい帝様が覚えていてくれるという話。
32人間七七四年:2012/05/05(土) 21:29:55.90 ID:q4KaNZRn
事の真偽はともかく、西郷さんもこういう逸話がでる程の英雄ってことなんでしょ〜
33人間七七四年:2012/05/05(土) 21:59:40.27 ID:k5l/dyur
>>32
おそらく西郷さん自身、もしくは西郷さんの周囲が倒幕後に創作したのではないかな。
34人間七七四年:2012/05/05(土) 22:01:50.71 ID:k5l/dyur
>>31
浅井長政が確か大納言になってたよね。
35人間七七四年:2012/05/05(土) 22:08:23.65 ID:PavKPiIR
>>31
三好は金がなかったのか?
それとも幕府と朝廷の間に亀裂があったのか?
36人間七七四年:2012/05/05(土) 22:28:46.67 ID:0+M/1wQd
>>5-6
>貧に迫られ恥を忍んで手を尽くす者を武士の風上におけぬとは申さん

虚無僧に身を窶してまで尽くす家臣団がいるのも当然だなあ
道雪以来の教えが太平の世にも息衝いている素晴らしい話だ
37人間七七四年:2012/05/05(土) 22:30:09.45 ID:FYiwcwPF
>>31
この即位式の逸話だと、毛利元就が石見銀山が尼子に抑えられて苦しい時期だったのに献金したことばかりがクローズアップされるけど。
毛利家はきちんと波多野氏の功績を覚えてたんだな。
38人間七七四年:2012/05/05(土) 23:04:54.06 ID:/F/cV5qj
>>17
放蕩息子の光琳が後世に名を残すとは何たる皮肉。
39人間七七四年:2012/05/05(土) 23:14:48.71 ID:+4OqM/0k
>>5-6
安心と信頼の立花家だなぁ・・・やり方がスマートだわ
この人のエピソードにはあんまり血が流れないからいいわww
40人間七七四年:2012/05/05(土) 23:28:45.19 ID:MIvPuppZ
波多野さん意外とやるなあ。
てか生前既に正四位だったんだ。
41人間七七四年:2012/05/05(土) 23:36:00.27 ID:2hxvKHig
>>35
長慶も献金等は行ってるだろうが
どっちかというと金を撒く方向性が少し違うんじゃないかなと見てる
長慶生存時の三好政権(1550〜1562)の特徴として(長慶が飯盛山に居を移すまで)
畿内において一揆が発生していないっつう珍しい点がある(1550以前1562以後は割と目立つ)
長慶死後は再び一揆がポツポツ増えてくるから何処に金を使っていたのかが見えてくるよね
まあ地方にいる大名と当時の都にいた三好長慶では朝延に対する感覚の違いでしょう。
割とこの傾向は調べたら解るよね、伊東とか相良とかw

波多野秀治はこの時三好に服属してるから
正親町天皇の即位式には別段普通に参列していた筈
三好の子孫が残ってない事を・・・w
汚い、長州、流石汚い
まあ波多野秀治が努力した事は本当でしょうけど
42人間七七四年:2012/05/06(日) 01:42:16.55 ID:8qz04Afk
酒井忠次は主君である徳川家康が豊臣秀吉に臣従してからは、寺社の復興に尽力し、眼病を患うと
家督を嫡男の家次に譲り、秀吉からかねてより

「若者の師になって欲しい。」

と求められた為、京都の屋敷で隠居生活を送った。秀吉からはそれまでの武功を評価され、朝鮮出兵に
おける前線基地である肥前の名護屋城が完成した際の、場内に続く橋を初めて渡る役を諸大名を差し置いて
抜擢される栄誉を得ている。一方で家康に対する忠義心は全く衰えておらず、ある時、家康に対面すると

「目が見えないのでござる。久しく様子を伺えておりませんが、お元気ですか。」

とその手を押し頂いたという。そして、晩年は浄土宗への信仰に打ち込んだ忠次は、わずかな身内に
看取られながらその生涯を閉じたという。
43人間七七四年:2012/05/06(日) 08:37:08.53 ID:6tino4bc
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e122320936


関原軍記大成の古書、これってお宝なの?
44人間七七四年:2012/05/06(日) 10:25:19.24 ID:ti/Dx8FS
>>31
いやこれ一族の子孫が出世して長州閥に働きかけたんだと思う
子孫を残すことって大事ですね
45人間七七四年:2012/05/06(日) 17:56:27.37 ID:cTDmFpmn
会津蘆名の臣、金上遠江守盛備は「蘆名の執権」と称され
家中の政事、軍事を取り仕切った重臣であったが、
弓馬の道だけでなく会津出身の僧・岌州を通じて
細川幽斎と和歌のやりとりをする等、
一流の教養人としても知られていた。

盛備は生涯三度に渡り、主の名代として上洛しているが、
今回の逸話は天正十六(1588)年、三度目の上洛の時の事。
会津訛りを嘲った都人をその教養で逆にやりこめた話は
このスレでもすでにでも紹介されているが、
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html)
この逸話を聞いた後か、その前か、盛備と引見した関白秀吉

「その方、鄙にも稀な風雅の人と聞いているが…どうだ、この句に上句を接いでみよ。」


 「女も鎧を 着るとこそ聞け」

と下の句を詠んだ。盛備は寸刻思案すると恐れ入りながら


 「姫百合か とも草摺りに 花散りて」


と詠み上げた。
「女も鎧を〜」というのは、源義経の郎党・佐藤兄弟が戦死した後、
嘆き暮らしていたその母を慰めるため、兄弟の妻が二人の形見の甲冑を
身に着け、その雄姿を演じてみせたという故事に取材している。
盛備の郷里である陸奥国の英雄二人の逸話を秀吉は題材に取ったわけである。
(ただ佐藤兄弟の出身地信夫郡は(●Д・)の故地近くだったりするけど気にしないw)

草摺りは鎧の腰周りから膝上にかけてを守る、スカート状の部分であり、
野をゆき、足に摺った姫百合の花が散る様子と、二人の姫君がともに
草摺りを身に着けて舞う様子をかけたわけである。
このみごとな返歌に秀吉は天晴であると賞賛し、盛備に
帰国時の人夫伝馬の便宜はかる朱印状を下賜したという。

また盛備が上洛途中、近江の国で詠んだ一首が残っている。

 「雪ならば いくたび袖を払はまし しぐれを如何に 志賀の山越え」
  (雪ならば何度でも袖を払い落とせるが、袖に染み着く時雨は
   この志賀の山を越えるのにいったいどうやってしのごうか)

当時の蘆名家は伊達家の侵攻に加え、家臣団の対立により四分五裂しており、
外敵(雪)の侵攻ならば自分が何度でも追い払って見せようが、
払う事が出来ぬ家中の内紛(しぐれ)どう収めるべきかという、
盛備の苦衷を詠んだ歌と言われる。

蘆名家が摺上原の合戦で滅亡し、盛備がそれと運命を共にするはこの翌年の事である。





そんな金上さんのノブヤボでの教養値

ttp://hima.que.ne.jp/nobu/bushou/fuundata.cgi?keys2=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&IDn002=key&IDv002=%81%9B&print=25
ttp://hima.que.ne.jp/tenkasousei/tensoudata.cgi?up1=0&keys3%2C6=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&print=20

・・・。
46人間七七四年:2012/05/06(日) 18:03:47.27 ID:sJJIdEjv
あの訛りの逸話好きだったな

生き延びて豊臣政権でも活躍してくれればどっかの大名もホームシックにならずに済んだかも
47人間七七四年:2012/05/06(日) 18:48:43.75 ID:cH/2mGpz
>>46

「(前略)同じ奥羽の者でも、会津の金上入道などは、
都人の意地悪も当意即妙に切り返して、陪臣なのにリア充しちゃってます。
それに比べ、私なんて気の利いた返事すらできません。
ああ、はやく帰りたい・・・」
冗談はさておき、金上さんと北の爺様って似てる印象
同世代だし、御家騒動豪腕で収拾して、若い主君のかわりに年取っても骨折って・・・。

ただこっちは最後は滅亡しちゃったから、ノブヤボでの能力も、このスレでの知名度も差が開いちゃってるけど。
48人間七七四年:2012/05/06(日) 18:55:41.25 ID:gP7h//ue
個人的には運の無い直江兼続って印象だ>金上さん
49人間七七四年:2012/05/06(日) 19:00:03.69 ID:ABTB/mrn
下克上の代表者の一人として有名な斉藤道三。
その彼の最後は、皮肉にも息子に下克上されるというものだった。
娘婿である織田信長が、危機の道三の救援に向かったが間に合わず、信長は軍を引きながら美濃の国取りを決意する……というのはドラマとかでよく見るシーン。

が、実は信長軍は木曽川を超えて進軍しており、美濃勢と交戦していた。
道三を討って意気上がる相手と激突、この時期の信長は未だ弱小勢力だったこともあり大苦戦。
織田方の山口取手介・土方彦三郎らが討たれ、森可成が負傷。その上、道三がやられたとの報告が織田方にも入って負けは確定。
しかも織田軍の背後は退却の難しい川であり、全滅もありえた。

織田軍が引き始めたのを見ると、美濃勢はもちろん追撃。
川筋まで達して織田軍を捜し求めると……。

美濃兵その一「織田軍見つけた! ……ってあれ? 舟が一艘だけ残ってるぞ?」
美濃兵その二「あの程度蹴散らして、追い首じゃあ!」
美濃兵その三「ま、待て! 舟の上にいるのってまさか……」

ジャーン! ジャーン!
信長「わたしだよ」

美濃勢「げぇ! 信長!?」

なんとこの状況で織田信長は部下達を先に引かせ、僅かな供回りを付けただけで殿軍を務めたのだ。
しかも神経s……細かい所に気が回る信長、恐慌を起こしかける部下の武将達に
「後ろは川だ、まず足の遅い雑人や牛馬を後退させろ。それからお前が川を渡れ。しんがりは俺がやるから安心して逃げろ!」
と厳然と命じてから、戦地に残った。
突撃してこようとする美濃勢に、自ら鉄砲を撃ちかけて防ぐ信長。
総大将の殿軍という気迫に押されたのか、それとも奇策を警戒したのか美濃勢は追撃を中止、織田軍は無事尾張へ帰る事に成功したのだった。

若き日の信長、窮地の中で自ら部下を守るといういい話。
(ほぼ)一人殿軍なんて三国志の張飛じゃあるまいし……と思うが、信長公記にもしっかり書かれている実話です。
50人間七七四年:2012/05/06(日) 19:05:55.68 ID:O2BIk1Yn
>>47
北信愛も教養人だったそうだしね
51人間七七四年:2012/05/06(日) 19:05:58.92 ID:cH/2mGpz
>>48
確かに頑張れば頑張るほど
「あいつでしゃばり過ぎ、死ね」
となる当たりはそっくりだな

>>49
魔王様マジぱねぇっす
しかし義龍と戦ってたのは知らなかった
52人間七七四年:2012/05/06(日) 19:10:28.06 ID:cTDmFpmn
>>47>>48
主導した佐竹との養子縁組が結果論だけど
最後のトドメになっちゃったのは痛いと思う
まぁ、マーくんも信頼できんけどw

>>49
森パパ負傷ってあるけど指なくなっちゃったのはこの時だったのかな?
53人間七七四年:2012/05/06(日) 19:37:54.65 ID:RbYtzwEw
>>49
どの程度誇張されてるかはともかく、この頃の信長は大体いっつもそんな感じだよな

まあ、まだ国内に敵だらけの頃だし、美濃に連れ出せた兵力がそもそもどれくらいよ?と
総大将みずから〜とか言ってたらへそで茶が沸くような土豪の小競り合いみたいな規模で
時期的にも鉄砲数丁程度で十分相手ビビらせることが可能だったのもあるんじゃないかな
54人間七七四年:2012/05/06(日) 19:40:29.31 ID:3R2/wjPD
信長の多面性は……w
信長別人説、とか途中で入れ替わり説とか出てこないのが不思議なぐらい。
あ、小説とか漫画とかじゃあるっけ?
55人間七七四年:2012/05/06(日) 19:43:08.37 ID:DvhDKKov
>>49
安心どころか気が気じゃなくなるだろw
56人間七七四年:2012/05/06(日) 19:49:49.30 ID:/1w3OGxH
>>49
嘘くせえ(笑)
57人間七七四年:2012/05/06(日) 20:12:52.59 ID:QYwUWa8F
天庵様の本拠地が竜巻でズタズタになってしまった(´・ω・`)ショボーン
58人間七七四年:2012/05/06(日) 20:32:08.32 ID:79jgw/fA
滅びの兆しは、大豆の味噌汁に白き飯
かって小田原攻めの際、三河武士の大久保忠教たちから糠味噌汁を振舞われ、溜り醤油を足して
味を調えれば味良くならんと言って、吊し上げを食らった井伊直政の息子、夜叉掃門こと井伊直孝が
上野白井藩1万石の大名だった時、二代将軍秀忠の使いとして江戸から駿府に使いして大御所に
拝謁し、一連の報告を終えたあと大御所が尋ねた。
「何か面白き話でもあるか?」
「面白き話かどうかはともかく、近頃の小田原では、大豆の味噌汁が流行っております」
「ふむ・・・・・・大豆の味噌汁か。他には」
「城下の米が白くなりました」
「他には!」
「鯛の鱠と上方からのたまり醤油ももてはやされておりました」
「あいわかった。掃門、赤鰯に黒飯を忘れるなよ」
そういうと大御所は、井伊直孝との会見を終えた。
大久保忠隣没落の数年前の話である。
後年、井伊直孝は、「上に立つ者の心得は、兆しを捉えるの一事に尽きる。糠味噌が大豆味噌に
変わり、黒飯が白飯に、赤鰯が鯛の鱠に変わりしことに気づかぬようでは、家すら治められぬ。ましてや天下をや」
夜叉掃門こと井伊直孝のちょっと良い話

59人間七七四年:2012/05/06(日) 20:35:29.55 ID:5/oOgbWj
天庵様さえ御無事なら、立て直せます由
60人間七七四年:2012/05/06(日) 20:37:57.12 ID:cTDmFpmn
>>59
しかし天庵様自らが復興の陣頭指揮を取ってはならない
61人間七七四年:2012/05/06(日) 20:45:33.15 ID:N8jhByBL
もう小田さんは休ませてやれよ……最後には城取り戻せなかったんだし……。
62人間七七四年:2012/05/06(日) 21:23:32.57 ID:cTDmFpmn
>>58
因縁のたまり醤油w
ひこにゃん学習したな
それに比べて大久保さんェ…

黄ばんだ褌の三河武士精神もダレはじめていたのか?
63人間七七四年:2012/05/06(日) 22:59:06.48 ID:Qt2BuQow
>>62
ぱぱにゃんの溜り醤油の話ってまだ権現様の小姓やってた頃だから
小田原攻めの時ではないのでは?

しかし相変わらずひこにゃんは深い話をするな
64人間七七四年:2012/05/06(日) 23:09:05.56 ID:rOF6ksBV
というかひこにゃんは何で自分の領地でも江戸でもない小田原の食生活の話を報告したんだろう
小田原だけが奢侈に慣れていっていたのか?
65人間七七四年:2012/05/06(日) 23:20:13.71 ID:0Ofu/NYE
権現様の謎掛け論クオリティは晩年も健在か
66人間七七四年:2012/05/06(日) 23:55:03.00 ID:IFYPWXhY
>>64
江戸を出て小田原で休憩して箱根超えて駿府着いてだから、そこで知ったんじゃないの?
67人間七七四年:2012/05/07(月) 01:31:34.68 ID:JTAZzy4d
>>53
初期の頃は、一騎打ちで林通勝の弟を倒しているよ
68人間七七四年:2012/05/07(月) 09:30:01.64 ID:GSwfz9LS
豆味噌はまだ高級品だった時代だね
69人間七七四年:2012/05/07(月) 09:34:02.20 ID:E5PWroQU
三河武士なら焼味噌ぞ
70人間七七四年:2012/05/07(月) 14:22:40.04 ID:hIxx0Par
焼味噌とはなんと贅沢な・・・・
三河武士は普段の心構えがなっとらん!
71人間七七四年:2012/05/07(月) 14:53:54.21 ID:+JIFFMG9
金持ってないのが使わないと景気が悪くなるけどな。その点尾張様はわかっておられるようだが
72人間七七四年:2012/05/07(月) 22:30:50.33 ID:YaGV19S4
 九州柳川の大名である立花宗茂は関ヶ原の戦いの時、大坂の奉行たちの要請に応じて
西軍に味方するために兵を率いて大坂へ向かった。その途中、瀬戸内海を渡っている際に
徳川家康から派遣された使者に出会った。その使者が持っていた家康からの手紙には、
味方すれば勝利の暁には50万石を与える約束が書かれていた。
 それに対し、立花宗茂は「すでに大坂に味方することに決めました以上、武士として心を
変えるわけにはいけません」と答えて、きっぱりと断った。家康からの使者は手紙だけを置いて
立ち去って行った。
 あとになって宗茂は家臣らに向かって、「恥ずかしいことよ。50万石という文字を見た時、
ふと心が迷ったわ」と言って笑い、家康からの勧誘の手紙を引き裂いて海に投げ捨てた。
73人間七七四年:2012/05/07(月) 23:59:39.71 ID:FgflpsT4
まあ普通は迷いますわな
でも本当は迷わず断っただろと思ってしまうのは宗茂さんだからだろうか
74人間七七四年:2012/05/08(火) 00:01:39.27 ID:PnyWqUN4
>>71
戦国時代の質素倹約は合戦という大量消費があることが前提で行われていたのに、
江戸時代はそんな大量消費がないのにもかかわらず質素倹約求めちゃったからねい。
75人間七七四年:2012/05/08(火) 01:33:03.68 ID:IM1c643m
各藩の力を削ぐべく、参勤交代や普請で大名の大量消費ががが
76人間七七四年:2012/05/08(火) 05:42:58.89 ID:LSLmcgwL
>>75
そのへんは将軍の家臣として当然の義務であって、実際には大名の力を削ぐ云々は全く関係なかったりする。
天下普請に関しては忠義の証として、むしろ積極的に関わろうとしてた。
77人間七七四年:2012/05/08(火) 05:51:47.23 ID:e7BL6FWx
将軍の部下ではあろうが外様諸侯は家臣じゃないだろ
78人間七七四年:2012/05/08(火) 06:00:54.80 ID:LSLmcgwL
>>77
将軍から封土を保証されてるんだから大名は間違い無く将軍の家臣だよ。
鎌倉幕府で言うところの領土や身分の保証が「御恩」、それに対しての「奉公」が参勤や軍役や賦役。
79人間七七四年:2012/05/08(火) 07:09:44.74 ID:P9x4eQEs
中高生は黙ってろ
80人間七七四年:2012/05/08(火) 08:13:10.84 ID:m2f18XyL
いまさら徳川至上主義とか、頭がカラッポなのをひけらかしているとしか
81人間七七四年:2012/05/08(火) 08:43:20.73 ID:J4f35f6v
いったいどこが徳川至上主義なのやらw
82人間七七四年:2012/05/08(火) 09:32:47.72 ID:oqo/dZhf
大河ドラマ孕石元泰
子供時代に半年ぐらいつかってえんえんと家康いじめを繰り返す、最後は家康に復讐されて終わり
83人間七七四年:2012/05/08(火) 16:12:28.10 ID:T4k4tEgY
大河ドラマ毛利新助
桶狭間がクライマックス。
84人間七七四年:2012/05/08(火) 22:42:30.23 ID:5zHCxLXP
>>72
ドケチの家康のことだから50万石はありえないと判断
85人間七七四年:2012/05/08(火) 23:28:50.01 ID:Kamt77nI
俺が立花宗茂なら、契約書は公正証書で作成して、江戸城に抵当権を設定させて、前田利長と浅野幸長を連帯保証人に立てさせるな。
86人間七七四年:2012/05/09(水) 00:02:40.65 ID:uI48WYY3
>>72
もったいなかったなぁと部下の前で茶目っ気だしてみたんじゃないかな?
87人間七七四年:2012/05/09(水) 03:23:05.50 ID:BzN9+WuO
家名断絶フラグを華麗にスルーしたように見えなくも無い。雪の峠の佐竹とは異なり浪々したけど…
88人間七七四年:2012/05/09(水) 03:47:35.46 ID:JUnZnBAj
>>85
そしてひこにゃんに焼き捨てられる
89人間七七四年:2012/05/09(水) 04:45:43.84 ID:xNfowe9u
家康「家臣が勝手に言った事、わしは知らないよ。」
90人間七七四年:2012/05/09(水) 16:25:26.79 ID:6EgOUpkB
三河の一向宗門徒「俺らが受けた仕打ちを知っていれば……和睦したら『元のままにする』という約束だったのに、
『寺が建つ前の元のままにする』とか……」
91人間七七四年:2012/05/09(水) 17:41:35.61 ID:vpKfT8ky
外堀だけ埋める約束だったのに内堀まで。。
92人間七七四年:2012/05/09(水) 18:08:22.86 ID:6EgOUpkB
織田信長の盆踊り大会(○○○もあるよ!)

時は天文年間、まだ信長が弾正忠家さえまとめられない小勢力だった頃。
当時の尾張第一の商業都市・津島で盆踊り大会を主催した。
人気取りの意味合いが大きかったのだろうが、そこは若い頃から派手好きの信長、ただ盆踊りをやらせただけではない。
庶兄や実弟とも争っているのに時間を作り、家臣はもちろん自分自身も扮装し、津島へ繰り出して踊りを町衆に見せにいった。

滝川左近(一益)らは餓鬼を演じ、平手内膳(馬の事で信長と喧嘩した、政秀の息子)らは鬼に。
前野但馬(長康)・飯尾近江守(後、桶狭間合戦で討死)は弁慶となる。祝弥三郎(豊臣政権時代でも大名らの前で狂言を披露した)は鷺に、といった按配。
そして信長自身は……。

天女の格好になり、小鼓を打って女人踊りを踊った。
いわゆるオカマダンスである(違)。

津島の人達もノリノリだったらしく後日、清須に来て信長らにお礼の踊りを見せた(津島伝統の「くつわ踊り」だった、と言われる)。
これに喜んだ信長、やってきた者達一人一人に親しく声をかけ、直々に扇子で扇いだりお茶を振舞ったりと応対。
町衆は感涙して帰っていった。

この後、津島ではしばらく踊りが流行になったとか。
殺伐には事欠かない信長の人生にも、こんな一コマがあったというお話。

尚、くつわ踊りは現代になって少子化の影響とかで一時途絶えたが、今は復活したそうです。
93人間七七四年:2012/05/09(水) 19:52:02.25 ID:JUnZnBAj
近江八幡の赤コンニャクの由来もそんなのだったな
94人間七七四年:2012/05/09(水) 20:04:23.99 ID:atCq22oh
信長は生涯お祭り男だったんだな
95人間七七四年:2012/05/09(水) 21:03:44.73 ID:W7qqN85j
妙向尼、本願寺を救う。

森可成の正室は、出家名・妙向尼で知られる。彼女は、熱心な浄土真宗信徒だった。
が、ご存知の通り浄土真宗の本願寺は信長と長年に渡り戦争を続けた(俗に言う石山十年戦争)。
森可成とその長男・可隆の戦死にも本願寺の対織田攻撃が噛んでおり、妙向尼にとっては御家と信仰の狭間で苦しむ日々が続いた。
次男・長可は元気にヒャッハーし、三男・蘭丸らは信長に可愛がられているものの……。
さて、信長と本願寺の戦いは、最終的には信長優勢になり本願寺滅亡は明らかになりつつあった。
ここで本願寺は、織田家内の門徒(信長は、家臣らに浄土真宗信仰自体を禁じたりはしていなかった)を頼って講和を図ろうとした。
この時、信長に働きかけたうちの一人が妙向尼だったらしい。
そして天皇の勅命講和、という形で事態が落ち着くと決まった時、妙向尼は帰宅していた蘭丸に、

「信長様は今世の主君。法主様(顕如)は来世の救い主。どちらが勝とうと身の置き所がなかったのですが、よかった」

と安心した事を伝えた。
すると蘭丸は顔を曇らせ、信長がなおも本願寺を滅ぼす事を思案している、と伝えた。
実際、信長と本願寺は何度も和睦→破綻を繰り返しており、同じ事が繰り返され今度こそ本願寺が滅びる可能性は大いにあった。
まして本願寺側でも講和反対派が踏ん張っていたから、攻め潰す理由は十分あった。
蘭丸自身、自分の具足に『南無阿弥陀仏』と入れるほどの浄土真宗信徒であったから、つい母に苦衷を漏らしてしまったのだ。

驚いた妙向尼は、信長を訪ねて、

「どうしても本願寺を滅ぼすおつもりなら、命永らえても仕方ありませぬ。蘭丸・坊丸・力丸ら三人の子を仏敵とするよりも自害させ、この尼の浄土への供にしたいと思います」

と、一家心中をほのめかせて信長に哀訴した。
信長は困惑した。余人相手なら一蹴する所だが、森家は信長が尾張の小勢力時代から粉骨砕身した忠義の家。
そして妙向尼自身も、信長の仲介で可成に嫁いだといわれるほど親密な間柄。
しばらく苦悩した信長は、
「ええい! 三左(可成)の忠節と、そちの信心に免じて本願寺は助ける! これでよいな!」
と、森家には甘いよぶりを発揮。
本願寺は石山から退去を余儀なくされるものの、雑賀衆の内輪争いに巻き込まれた際には信長から護衛を出してもらったように、滅ぼされるどころか保護すら受ける事になる。
本願寺側も妙向尼に感謝したらしく、妙向尼に准如自らが賛を入れた画像を送り、没後の回忌は歴代の門主自らが主催し寺社全山を上げて行うようになったそうだ。
信仰を守った森家の母と、その恩を忘れなかった本願寺のいい話。

が、その後も森家には現世での阿弥陀の加護は薄かったのか、蘭丸・坊丸・力丸の三人は本能寺の変で討ち死に。長可もまた、小牧長久手で散った。
妙向尼はどんな思いで生きたのだろうか……?


……ちなみに信長が

「あれ? なんで一家心中を言った時に長可はスルーした?」

と、首を傾げたかは定かではない。
96人間七七四年:2012/05/09(水) 21:33:16.22 ID:MK/toSXB
初陣から仏敵必至な働きだからしょうがないw
97人間七七四年:2012/05/09(水) 23:11:22.28 ID:Rrm4pqmX
あれはもうどうしようもない、という諦めの境地
98人間七七四年:2012/05/09(水) 23:30:20.52 ID:atCq22oh
もう妙向尼が本願寺継いじゃえよ!
99人間七七四年:2012/05/09(水) 23:32:16.95 ID:/JnKtu7R
浄土の供に神の使いを食う(予定の)鬼とか嫌すぎるw
100人間七七四年:2012/05/10(木) 01:24:20.16 ID:IK7iPUbE
妙向尼 「鬼は、浄土へ連れて行けません」
101人間七七四年:2012/05/10(木) 01:34:56.17 ID:fQbniiOt
Only江戸ゴング浄土
102人間七七四年:2012/05/10(木) 08:42:51.03 ID:koE3i5hB
いい話だった
勉強にもなった
その上にオチまで付くとは
さすがに森家は奥方までも違うな
103人間七七四年:2012/05/10(木) 10:44:33.11 ID:VC8aRjED
104人間七七四年:2012/05/10(木) 11:55:57.71 ID:I0+y/t+d
>>101
ゴングは格闘技用かw
105人間七七四年:2012/05/10(木) 12:36:44.46 ID:RKBqTXJT
森パパと森ママは信長がくっつけたんか。
2人は信長にとって、現代でいうところの学生時代の友達みたいなものか?
森家に甘いのもその辺が大きいんじゃないか?
106人間七七四年:2012/05/10(木) 12:43:25.39 ID:tTSCUau7
マブダチ(利家談)の前田利家には厳しいけどな!
107人間七七四年:2012/05/10(木) 13:05:30.35 ID:SgjV00/7
伊勢長島でのヒャッハーについて母ちゃんはどう思ってたんだろう
108人間七七四年:2012/05/10(木) 17:13:15.19 ID:bDbkCrpp
>>106
信長と森パパ・森ママの間に爽やかないい思い出があるんだろう。
一年の夏休みに8人乗りのでかいレンタカーで海に行ったなぁ。あの頃は良かった。
とか。
109人間七七四年:2012/05/10(木) 17:22:31.05 ID:SCH7sk85
森家とかいうと悪い話にしか思えないw
110人間七七四年:2012/05/10(木) 17:50:42.51 ID:Zo7ZMLO+
そりゃ爽やかな美談とかには縁遠い家だし
111人間七七四年:2012/05/10(木) 18:55:36.03 ID:mrmLCgCG
女も曲者揃いだから困る
112人間七七四年:2012/05/10(木) 19:03:28.33 ID:bDbkCrpp
爽やかじゃん、忠政以外は。
スカッとしてる。
113人間七七四年:2012/05/10(木) 19:08:24.43 ID:qUoIeEx4
鬼武蔵が心中名簿からスルーされたのはもう森家を継いでいて、さすがに道連れすることはできなかったからだよ!
断じて伊勢長島27人SATSUGAI事件とかのせいじゃないって!
114人間七七四年:2012/05/11(金) 00:08:16.30 ID:VOl0fU0V
小田原征伐の軍議の時、豊臣秀吉と徳川家康が関東の図を見て共に話し合っていた。
その末席には真田昌幸がいた。

その折、秀吉は「安房もここに来て図を見よ。此度はお前に中山道の先鋒を言い付けるぞ」
と言ったので、昌幸は家康と同じ様に遇されたことを名誉に思った。

また別の時、秀吉は昌幸を呼び出し、
「家康のところに行ってこい。そんでもって詫びて仲良くしろ。強い者に従っておくと
よいことがあるものだぞ」と言って、富田左近を同伴させて家康の元に行かせた。

家康はかつての昌幸の反覆を憎んでいたが、秀吉の仲介なので断るわけにもいかず、
それなりにもてなして昌幸を帰した。

その後、家康は左近を呼び出し「安房のことはもう仕方がないが、
同じ様にして石川数正を連れて来るのだけは頼むから勘弁してくれよ」と言ったという。
115人間七七四年:2012/05/11(金) 03:50:37.17 ID:PzaBMMOR
押すなよ!押すなよ!絶対に押すなよ!?
116人間七七四年:2012/05/11(金) 06:44:01.31 ID:hGflx+co
家康「石川数正を連れて来るのだけは頼むから勘弁してくれよ(チラッ」
117人間七七四年:2012/05/11(金) 07:25:04.27 ID:FNcflTvp
家康「直政の機嫌が悪くなる事はしたくないからね」
118人間七七四年:2012/05/11(金) 17:11:51.86 ID:0o5kOBuT
オレには全くわからんw
つれて来て欲しいって話なのか、直政?のことを思ってのことなのか、単なる嫌いなだけか。
119人間七七四年:2012/05/11(金) 20:42:02.03 ID:0AKl6qAy
松永久秀「数正どのは謀反したわけでもないのに。三河殿は器がちと……」
120人間七七四年:2012/05/11(金) 20:52:03.67 ID:mDALuLx/
器でしたら御自分に平蜘蛛を括り付けておられるではないですか
121人間七七四年:2012/05/12(土) 02:28:50.65 ID:r2fWdkkf
家康は、義元は尊敬しているから墓参りするけど、秀吉は軽蔑しているから墓を壊した
122人間七七四年:2012/05/12(土) 03:38:14.87 ID:LyObmXKK
文禄の役にて、日本軍が占領した漢城に朝鮮の後ろ盾である明の援軍が迫っているという情報が入ると、
諸将は漢城を放棄して撤退するか否かで議論を重ねていたが、結論は出なかった。そんな中、小早川隆景は
何度軍議に参加するように求められても仮病を使って断り続けていた。何故か?

隆景曰く
「兵糧がある内にこの様な議論を行っても、皆は『例え石を食らってでも漢城に留まるべし!』
 と強がり、聞く耳を持たないだろう。」

考え、兵糧が尽きるのを待っていたのである。そして、頃合いを見て姿を現した隆景は、

「広い漢城を守るには兵が足りず、意地を張って留まり、飢え死にをしたり敵と刺し違えても無益だ。」

と説いて撤退を主張。兵糧が尽きつつある事を認識していた諸将がこれに賛成すると、

「ただ引き下がっては明の追撃はかわせまい。私が一戦交えるのでその間に撤退せよ。」

と語って明の迎撃に当たり、敵に数万の死者を出すほどの損害を与えて、諸将からも

「まるで摩利支天のようだ。」

と驚嘆されたという。 

「名将言行録」
123人間七七四年:2012/05/12(土) 08:05:16.72 ID:DzEURu8a
>>122
伊藤博文の演説(明治30年3月20日経済学協会にて)のほうが詳細だったので載せとく。

強い議論を云ふ人程、滅多に抵抗し難い議論はない、強い議論を唱ふる人程大手を振って歩ける議論はない。
しかしながら強い議論ほど又実行の出来難いものはない、依って私はここにちょっと歴史的の事を間に入れて、言葉を仮りて御話をしますが、

彼の豊臣公の朝鮮征伐の時、明の大軍が押し寄せて来た時に、平壌に居る所の我日本の兵は最早戦ひ疲れて居って、
到底兵数に対して見ても、亦糧食の数量に対して見ても、彼れの十分の二にも足らぬ、所が当事諸将の議論は
城を枕にして討死をすると云ふやうな甚だ強い議論である。
故に三奉行も大いに困って日々、軍議をするけれども唯一人退かうと云ふことを云ひ出す者がない。そこで小早川隆景は
思慮のあるものだから、あれを呼んで相談したら宜からうと云ふことに評議がなって、隆景を呼んだけれども
病気と云って出て来ない、なんでこの時隆景は出て行かぬかと云ふと、諸将が城を枕に討死すると云ふのは虚言である、虚喝である。
あれはただ、自分達が強いと云ふことを装ふて、誰れか弱い事を言ひ出すのを待って居るのである。
是れは今出て宥った所が仕方がない、そこで隆景は窃に病気に事寄せて糧食の数量等を調べて見た所、到底十日は支え難い、
所が諸将の議論は石を食ってやると、こう云ふことを言って居って、毎日軍議しても評議がまとまらぬから、隆景は巳むを得ず出て行って
諸将に会して、さて諸将の意見はどう云ふ御考であると云ふと、諸将は城を枕にして石を食っても討死する積りだと言ふ。
そこで隆景の言ふに、今、諸将が言はるるに、石を食っても戦はねばならぬと言はるるが、此隆景が率ゆる兵卒は石を食っては戦へませぬ
又あなた方はこの少数の兵を以て彼の大軍と戦ふと仰っしやるがただ骨をこの地に埋めるのみが日本国の為であるか承まはらん。
誰れも一言もないなら、然らば兵を退くより仕方がないぢやないかと隆景が言ふと、今まで強い事を言ふて居った先生達が
如何にも至極だと云って、石を食って死ぬると言うた先生達ちが其晩からコソコソ兵を退き出したから、隆景大いに憤って日く是れは驚入る
兵を退くには順序がござる。無暗に兵を退くことは出来ますまい、兵を退くにはどうしても、ここで一戦、敵を挫いて退かなければならぬ
唯このまま明兵に追まくられて退いてはならぬ。是非一戦して退かなければならぬ、その一戦に付ては隆景、御引請申さうと言った、諸将は実に驚いた。
さうして彼の碧蹄の戦において彼れは実に摩利支天の如き勢を振って、僅に少数の兵を以て明兵を敲き挫いて、兵を順次に引上げたと云ふ事がある。
124人間七七四年:2012/05/12(土) 09:18:17.83 ID:gcWAO0CT
そんな戦果も(多分)報告しなかった光成△
125人間七七四年:2012/05/12(土) 14:46:40.86 ID:GUZOASuA
詳細な方がいい訳ではないんだな
阿呆なワシには>>122の方がよいです
126人間七七四年:2012/05/12(土) 14:55:54.92 ID:zdmNt/27
これを引用すると言うあたりに伊藤の方向性が見えて面白い
127人間七七四年:2012/05/12(土) 16:37:16.62 ID:ElX5iuyX
>>120
家康殿の器は焼き味噌がはみ出るほどの器ですからな。
128人間七七四年:2012/05/12(土) 18:28:45.77 ID:CtL9kiUh
「名人」と「天下一」

ある道での素晴らしい人を讃える際、現代でも良く使われる言葉。
この二つ、織田信長が使い出したといわれている。

戦国大名の権化ともいうべき信長は、ある時は慈悲深くある時は冷酷無比、とかなり複雑な個性をもっていたが。
そのうちの一つに、褒めるの大好き! という面があった。
特に相撲達者が好きで、しばしば大会を開き成績の良い者は、苗字も持たない低い身分の者だろうと百石取りの家臣にしたり、という逸話が伝わっている。

名人という称号も、元は信長が本因坊算砂の囲碁の腕を褒めたのがはじまりとされている(真偽については論争あるが)。

さて、一方の天下一。
信長から、実際に天下一という称号を授かった家臣に道家清十郎・助十郎兄弟がいた。
彼らは尾張守山出身で、森可成の家臣もしくは寄騎という立場だった。
美濃・高野口合戦において、まだ同盟を結ぶ前の織田軍と武田軍が戦った際に先駆けを務め、首三つを取るなどの功名を挙げた。
その戦いぶりがよほど見事だったらしく、信長は道家兄弟の旗に直筆で「天下一之勇士也」と書き、褒美とした。
道家兄弟は、織田家中から名誉の武人と羨ましがられていたという(大田牛一の信長公記)。
が、この兄弟はその後、長く生きなかった。
森可成が、近江坂本において浅井朝倉の大軍を相手にし奮戦の末に討ち死にした時、これに殉じたのだ。

また、天下一の称号は職人などにも与えられ、賦役免除などの特権が伴った(秀吉も真似た)。
これにあやかろうとしたのか、例えば鏡作りの世界では製品に天下一、と彫り入れるのが流行。
しかし江戸幕府が天和二年(1682)に天下一の称号の使用を禁止し、以後は途絶えた。

なお信長の天下一、というのは何もその世界で唯一人、というほどの意味はなかった模様。
何しろ、道家兄弟からして二人とも天下一だったのだから。
江戸時代の創作色の強いほうの信長記だと「天下一を名乗るのが二人もいて、信長が残念に思う」事件なんかがあるが、このあたりの価値観の変化を想像すると面白いかもしれない。
129人間七七四年:2012/05/12(土) 20:45:19.04 ID:7q1WltS/
天下一がダメなら天下無双や天下無比ならいいよね。
130人間七七四年:2012/05/12(土) 21:21:52.54 ID:MQivP+YC
秀吉が加藤さん(地味)に「日本無双」の称号を与えようとして、
山中長俊に「いやあんた、前に宮部善祥坊にも『日本無双』の名前あげてたじゃん。『無双』なのにかぶっちゃダメでしょ!?」
と止められたなんて話もあったな
このスレで既出だったかどうかは覚えてないが
131人間七七四年:2012/05/12(土) 23:52:32.40 ID:ElX5iuyX
『天下に一つと無い逸品』という口上で
馬鹿な金持ちにガラクタを売り歩いた詐欺師がいたって話をどこかで聞いた事がある
132人間七七四年:2012/05/13(日) 01:34:48.53 ID:x5I5eniY
売僧稼業 うまー
133人間七七四年:2012/05/13(日) 04:36:29.42 ID:dvvFRb4i
ば…売僧
134人間七七四年:2012/05/13(日) 06:11:52.92 ID:4Pn8nYaC
>>132
一条戻橋の御準備整いましてございます
135人間七七四年:2012/05/13(日) 11:17:29.83 ID:ZJGf6pn7
>>132
遺掲用の書筆と茶室の準備が整うてございます
136人間七七四年:2012/05/13(日) 14:11:36.18 ID:dRsl4T5z
ゲヒ殿と三歳様がアップを始めました。
137人間七七四年:2012/05/13(日) 14:17:17.58 ID:VFI99hR7
>>130
東と西に分けて本多忠勝と立花宗茂に天下無双を授けた
無双の称号あげたがりのラスボスカワユス
138人間七七四年:2012/05/14(月) 20:37:36.65 ID:RY34mJAy
朝鮮役の頃、名古屋の陣中にて、徳川家の陣所から清水が湧き出てきた。
やがて他の陣所からも水を汲みに来るようになったので、小屋を建て
番人を置き、守らせるようになった。

その頃は水が乏しかったので、後には他家に汲ませないようになったのだが、
ある時、前田家の家人が番人の制止も聞かずに強引に水を汲み、悪口を
言い出したので喧嘩となり、両家3千人ばかりが睨みあって一触即発の
事態になった。

今にも斬り合いになるという時、本多忠勝と榊原康政が出て来てこれを制した。
忠勝は渋手拭で鉢巻をし、康政は上半身裸で汗をかきながら必死に止めた
ので、なんとか喧嘩を鎮めることができた。

この時、徳川家康は最初から様子を見ていたが特に何も言わず、後で康政が
前に出た時、「お前は我が陣の見廻りとしてはるばる秀忠より使わされて来た
から、なんぞもてなしでもできないかと思って一風変わった喧嘩をさせてみた。

さぞ慰労になったであろう」と笑った。この事が豊臣秀吉の耳に入ったので
程なくして前田利家は陣替を命じられたという。
139人間七七四年:2012/05/14(月) 20:42:06.04 ID:RY34mJAy
>>138
おっと間違っちまった
×名古屋の陣中 ○名護屋の陣中
140人間七七四年:2012/05/14(月) 20:59:28.24 ID:OI0JlE1r
分け合うという精神はないのか・・・
あさましい
141人間七七四年:2012/05/14(月) 21:00:40.89 ID:vR2IBErV
飲んだ奴を斬り分けあう
142人間七七四年:2012/05/14(月) 21:16:20.75 ID:ygMjvvfM
これって政宗が前田屋敷に銃口向けてた時の事件か
143人間七七四年:2012/05/14(月) 22:02:18.36 ID:c2+IsGGz
古文書を文字通り真っ二つに分け合った人がゲフンゲフン
144人間七七四年:2012/05/14(月) 22:14:55.18 ID:ZMQXl/IS
ところで
秀吉をラスボスって書いてるの見かけるけど何で?
145人間七七四年:2012/05/14(月) 22:33:37.18 ID:e1O6IPa7
>>138
忠勝は渋手拭で鉢巻をし、康政は上半身裸で汗をかきながら…って、
現代だったら、お祭の格好っぽいなと

まぁ、必死に止めようとしたんだけど
仮にその格好で、「祭りじゃ〜!」って煽っても違和感ないような
146人間七七四年:2012/05/14(月) 22:59:36.67 ID:a8TWsD+J
>>144
戦国最恐の存在だから
どんだけ不満があろうが死に掛けてようが皆秀吉怖いから大人しくしてる
死んだらごらんの有様だよ

まぁ実際苛烈に押さえ込まんと戦争しか知らない脳筋どもを抑えるのは不可能だったろうけどさ
147人間七七四年:2012/05/15(火) 00:00:49.59 ID:UqB63aff
>>138
前半部分は既出だな
148人間七七四年:2012/05/15(火) 07:03:44.81 ID:XHEg7ET1
秀吉が日本の勢力図を大幅に整理したその過程で
バンバンぶっ殺したのと、晩年の私情に任せてぶっ殺したのが
合わさって最凶に見える
149人間七七四年:2012/05/15(火) 07:52:48.91 ID:toPl3NFo
秀吉に気分次第で殺されたり嫁を寝取られるのと、
家康に工事でこき使われたり改易で素寒貧になるのとどっちがいいのやら
150人間七七四年:2012/05/15(火) 08:28:26.70 ID:GX1vLRxE
>>149
秀吉は工事や改易も凄いんだがw
151人間七七四年:2012/05/15(火) 09:36:02.91 ID:qbkSNs6r
身体が小さいのを気にして肖像画で服を大きく書かせたって話が可愛くて好きだけどな。
152人間七七四年:2012/05/15(火) 09:46:23.71 ID:Tds0PtVb
151は初期秀吉に言えば機嫌よく褒美くれる
末期秀吉に言えば小さいことをあてこすったか、と鼻と耳を削がれ晒される
153人間七七四年:2012/05/15(火) 09:47:23.05 ID:UA5bRMtf
清正やら高虎やらゴツイのが下に結構いるしなぁ
154人間七七四年:2012/05/15(火) 13:01:40.13 ID:c9fMoA5w
細川忠興は秀吉のことを本音ではどう思ってたんだろう?
たしか、豊臣が滅ぶ直前まで羽柴を名乗ってたんだよね。
お友達の森忠政は秀吉を嫌ってたくさいが。
155人間七七四年:2012/05/15(火) 14:58:58.87 ID:K+zHTblO
>>154
そういうのは個人的な思惑は関係ないんじゃないの?
秀忠の秀の字は秀吉からもらったものだけど
豊臣が滅んでも改名してない
156人間七七四年:2012/05/15(火) 15:05:50.73 ID:TCjpTIbs
秀忠も羽柴を与えられてるだろ
157人間七七四年:2012/05/15(火) 15:17:10.36 ID:fKti8Ocm
親父は義元死んだら速攻で改名したからな
158人間七七四年:2012/05/15(火) 18:53:20.32 ID:44DELS53
>>157
桶狭間で今川義元討ち死にが永禄3年(1560)5月19日

元康から「家康」への改名が、永禄6年(1563)7月6日

速攻どころか3年もかかってる。
159人間七七四年:2012/05/15(火) 19:04:52.22 ID:UqB63aff
>>157
その辺りは個人的な感情じゃなくて、政治的な面が大きいわな
160人間七七四年:2012/05/15(火) 19:21:04.77 ID:xiLWtHWq
日常会話では愛称や敬称なんか呼び合ってたから
今の自分の名前なんだっけ?とかあんま拘りなかったのかも。

信長やその家臣が秀吉のことをサル、ハリネズミと直接呼んだであろうか。
信長が家康を徳川殿なんて呼んでただろうか。明らかにおかしくネ。
161人間七七四年:2012/05/15(火) 20:37:05.04 ID:pz/nooaV
ハリネズミwwwwwwwwwww
162人間七七四年:2012/05/15(火) 20:43:24.98 ID:UA5bRMtf
ヒデヨシ・ザ・ヘッジホッグはまぁ置いといて…

元より諱で呼ぶ事は通常ないからな、伊達さんとこは別として
163人間七七四年:2012/05/15(火) 21:38:23.26 ID:o5/gVUqh
主君ってか主は、あんまり諱以外伝わってないようなのは理由があるのかな?
目上に対しては名で呼んだりしないから伝わらないんかね?

この辺の事情って、オレ全然知らないんだよな〜
164人間七七四年:2012/05/15(火) 21:45:15.30 ID:44DELS53
>>163
一応大名でもみんな仮名(例えば伊達政宗なら藤次郎)を持っているのだが、彼らは元服すると、ほぼ同時に
官位を得るので、公式文章などではその官位で個人認定し仮名が殆ど使われないのが、キミがそういうイメージを持つ
理由だと思われる。
165人間七七四年:2012/05/15(火) 21:56:10.95 ID:o5/gVUqh
なるほどね
ありがと〜
166人間七七四年:2012/05/15(火) 22:24:24.50 ID:OpyMxi7w
秀頼が幼名拾丸の後の仮名伝わらないのも
幼少から官職貰ってたからか
167人間七七四年:2012/05/15(火) 22:44:51.86 ID:m6Uvyr7Q
なるほどね。
会社で苗字ではなく「ぶちょー」って呼ぶみたいなものね。
168人間七七四年:2012/05/16(水) 00:16:34.02 ID:7YqHwoQr
※ただし政宗は除く
169人間七七四年:2012/05/16(水) 08:20:41.58 ID:56x76xGv
政宗の呼び名は本当に常識では考えられないんだよな。
芸能人やスポーツ選手が呼び捨てされるようなものかな。
170人間七七四年:2012/05/16(水) 10:59:41.22 ID:tCDWhJxW
主君でも微妙な家臣には役職で呼ぶとかいう。信頼関係ある家臣、子供、娘の結婚相手ぐらいだっけ?
171人間七七四年:2012/05/16(水) 13:54:35.10 ID:mYrrYxYr
毛利、小早川が村上水軍に出した書状で
まだ家臣化されてない頃でも、結構文中に武吉・元吉と当主の実名が出てくるんだよな
厳密な主従関係じゃないからこその親しみでもあったのかな?
172人間七七四年:2012/05/16(水) 16:38:33.62 ID:TYcBwZWl
1997年、アジア通貨危機で韓国は破産して、金大中大統領が経済の建て直しのため、韓流ドラマ、K-POP、韓国グルメという物を作り出しました。

歴史も伝統も何も無い土人に、なんちゃって文化を他国にごり押ししても嫌われるだけです。

VHSやDVDが普及した最大の要因が、男のエロへの欲求ですが、karaの腰振りダンスに興味を持つ日本の男はほとんどいませ〜〜〜〜んww

ちなみにkaraの腰振りダンスは、日本人向けのために開発されたものだそうです。

http://image.excite.co.jp/feed/news/Rocketnews24/Rocketnews24_209756.jpg

韓流スターの家族
173人間七七四年:2012/05/16(水) 18:00:34.44 ID:HQ8NOeyj
藤堂高虎は太閤秀吉在世の頃より徳川家に心を傾け、特に関ヶ原前後には
忠勤を尽くすこと多大であった。

それゆえに徳川家康も高虎の忠節に感じ、家中の者と同じように心を許して
何事も高虎と相談し、老後にはたびたび召して話し相手とした。

しかし、高虎も高齢になって眼が不自由になると「御前に参るのは恐れ多い」
とはばかるようになった。

そんな時に土井利勝がやって来て「わが君も御高齢になられ、
和泉殿と昔話をしなければとにかく退屈で仕方がない御様子です。

わが君は、眼の不自由は気にせずともよい。これまでのように訪ねて参れ。
もし歩くのもままならないのであれば、御座所近くまで輿を使ってもよい。

渡殿の曲がりくねったところも真直ぐに作り変えて、そなたが気軽に参れる
ようにしておいた、と仰せでした」と言った。

高虎は家康の厚遇に感じ入って老の涙を流し、また話を伴にするようになった。


家康の懇意に高虎涙する、という話。
まあこれの家康版なんだけどもね。(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2526.html)
174人間七七四年:2012/05/16(水) 22:17:27.14 ID:U6xTdw0j
あんまり厚遇されても他の人の妬みとか怖いよね…。

190cmの男の座高ってどれくらいだろ?
175人間七七四年:2012/05/16(水) 23:06:38.53 ID:8ZotLEGO
隆元「息子の手柄を奪ってやるなよ」
黒政「左様、左様」
景勝「・・・・・・・・・」
176人間七七四年:2012/05/17(木) 00:52:35.94 ID:Iis97YVy
そういえば、上杉家って、戦国以降は謙信、景勝、鷹山以外、名前が浮かぶ当主が出てこんなあ…。
177人間七七四年:2012/05/17(木) 00:54:15.66 ID:/A6mROiM
>>176
他ならほいほい出てくるの?
178人間七七四年:2012/05/17(木) 00:55:13.39 ID:JPFGQDs9
>>176
戦国前はよ
179人間七七四年:2012/05/17(木) 00:59:06.37 ID:w60yySQz
>>176
忠臣蔵に出てくる吉良の養子の人は?
180人間七七四年:2012/05/17(木) 01:11:33.86 ID:BikHuZ7P
長尾さん家じゃなくていいのね…
181人間七七四年:2012/05/17(木) 08:23:51.94 ID:p7O6uFST
>>177
徳川さんちなら割と出てくる。
182人間七七四年:2012/05/17(木) 08:53:36.62 ID:138/PK//
>>178
南北朝初期の上杉憲房、初代関東管領上杉憲顕、上杉禅秀の乱の上杉氏憲、足利学校を再興し、永享の乱の
一方の当事者に成った上杉憲実、

有名所はこのへんかなあ
183人間七七四年:2012/05/17(木) 10:05:33.43 ID:oIFailUf
>>181
比較の対象として将軍さんとか御三家とかをあげるのはどうなのかと…・
184人間七七四年:2012/05/17(木) 10:09:25.37 ID:xNLKz1d6
現役の幕府とその連枝が戦国以降に全然活躍した人でてこなかったらやばすぎるわw
185人間七七四年:2012/05/17(木) 12:19:21.63 ID:W+LkUxyg
戦国以降は徳川家以外でそんなに名の通った当主は必要ありません。
186人間七七四年:2012/05/17(木) 13:12:04.28 ID:knIqN4R0
景勝ってなんで上杉性許されてんの?
幕府に長尾に戻せよとか、嫌がらせされたりしなかったんだろうか
減封されて大大名でもないのに上杉って名乗らせたままなのが逆に嫌がらせだったりするのか?
187人間七七四年:2012/05/17(木) 13:36:31.36 ID:cZYMBaVc
188人間七七四年:2012/05/17(木) 16:53:15.29 ID:JPFGQDs9
>>186
山内じゃない他の上杉の動向じゃね?
189人間七七四年:2012/05/17(木) 18:20:38.34 ID:Zf7P3XVB
戦国時代の大砲は鉄の弾だったけど、いつ炸裂弾になったんでしょうか?
幕末はまだ鉄の弾だったけど、船にはすでに炸裂弾があったみたいですが。
入れ替わったのは函館戦争あたりでしょうか。
190人間七七四年:2012/05/17(木) 19:28:02.31 ID:BikHuZ7P
毛利だか雑賀の水軍が木津川口で焙烙火矢使ってたろ
191人間七七四年:2012/05/17(木) 22:00:38.94 ID:FwMP9RaF
毛利元就は日頃は謀略計策を練っていたが、暇さえあれば和歌を詠んでその道を楽しんでいた。
なぜ元就は和歌を詠むことを趣味にしていたのか?
その理由を元就はこう答えている。

「目に見えない鬼神をも従え、猛々しい武士の心をも慰めるのに和歌に勝るものはない。
和歌の道にまったく疎いのは血の通わぬ木石と同じで、ことにこの日本国は神の国である。
「大和歌」と書いて「ことのは」と読む。
神は言葉を人の心の種として、万の言葉をお創りになられた。
「和」とはすなわち穏やかな威光のことである。
互いに愛し合い仲良く暮らすのに和歌ほど役に立つものはない。
日本を「大和の国」というのは神の国だということを強調している為である。
神の国に生を受けながら和歌を詠まないのは、全ての神のおぼしめしに背いていると言っても過言ではない。
その神意に背いてどうしてこの神国で武家として神の加護を得られようものか!」

現代の 日本人には ちと耳の 痛い話で あるけれどもね
192人間七七四年:2012/05/17(木) 22:36:07.54 ID:BikHuZ7P
和歌の浦に 白波立ちて 沖つ風 寒き夕は 大和し思ほゆ

とか何とか幽斎様みたいなこと言ってみる
193人間七七四年:2012/05/18(金) 00:28:32.92 ID:a0Fre5ZW
>>189
江戸末期には球形炸裂弾の製造に幕府が成功してる。
つーか、陸上戦でも洋式装備なら炸裂弾は当たり前。
そこからさらに尖形弾が出てくるわけだけど。
アームストロング砲とかな。
逆に臼砲とかも運用されてるが。

会津若松城攻防戦で、不発弾を濡れ布団でくるんで処理しようとしてたら
暴発して死人が出た話とかあるじゃん。

194人間七七四年:2012/05/18(金) 04:00:54.74 ID:aZDdNjNb
悪い話スレの方が伸びてるじゃねーか
ラスボス成分の不足が原因だな
195人間七七四年:2012/05/18(金) 10:07:52.61 ID:oBHBdhvo
青葉祭り2年ぶり開催記念投下

忠臣の系譜 1/2

目玉ぶった切ったり焼きごて当てたり祝いの席で刀抜いたり子供殺すの止められたりと、
主君と濃すぎる絆を育んだ片倉小十郎景綱は1615年病没した。享年59歳であった。
忠臣として名高い景綱だが、一度出奔を図ったことがある。
梵天丸の守役となってしばらくしてからのことで、経緯ははっきりしないのだが
「こんな田舎でずっと最低賃金でとかありえねえ」というような事情らしい。
姉喜多に諭されて思いとどまった景綱は以後は幼い主を守り立てんと決意し、目玉ぶっ(ry)たりしながら
命懸け(息子のも)で伊達家に仕え、秀吉や家康からスカウトされても断りその生涯を政宗に捧げた。
己が半身ともいえる側近中の側近の死に政宗は大いに嘆きいり、三日間誰とも会わず食も断ったともいう。

景綱の没後も政宗の片倉家への信頼は些かも揺らぐことはなかった。
伊達家のホープとして早くから中央に出ていた二代目重綱は大阪の陣で獅子奮迅の活躍をし、
その武名はさる事情で→http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3145.html
参陣していない島津家久からも重綱△とほれ込まれるほど(金吾的意味ではなく)轟き、「伊達家の片倉」の名を不動のものとした。
幕府にも一目置かれ、美男子で男女問わずモテまくり、二周り年下の阿梅とはラブラブと
リア充全開の重綱は政宗の自慢の家臣であった。

1636年、死期を悟った政宗は最後の参勤の途につく。
重綱の居城白石に着いた頃にはすっかり弱っており、食事もろくにとれなくなっていた。
翌日、心配し町外れまで籠に付き添った重綱を政宗は励ました。
「明日にも天下に大事があればご先駆を承り、お前に先陣を務めさせ、成実に指揮をとらせ、
三人心を合わせれば、また一花咲かせられよう。留守の間、国の守りはお前に頼んだぞ。だが、」
死を予感してから初めての弱音が零れる。
「おそらくは、もう会えぬだろうな」
老いた主君の独眼から涙がこぼれ、鬼と呼ばれた男も声を上げて泣いた。

出立間際、政宗は見送りに出ていた重綱の嫡子三之助に自分の脇差をさしてやり、
「小十郎はいつも良い子を持つな。祖父や父に負けぬ立派な武士に育てよ」と頭をなでた。
この幼い少年が後の三代景長で、寛文事件の際には混乱した国元を見事に取り鎮め、伊達家の安泰に大きく貢献する。
初代景綱の小田原参陣のすすめ、二代重綱の大阪の陣での武功とともに讃えられる片倉家の三功である。

授かった脇差を握り締め旅立つ主を見送った三之助はおよそ一月後、物言わぬ棺を迎えることになる。
196人間七七四年:2012/05/18(金) 10:16:00.73 ID:oBHBdhvo
忠臣の系譜 2/2




そして三世紀の時が流れた。



1974年10月某日、仙台経ヶ峰は軽い興奮と緊張に包まれていた。
戦災で焼失した伊達政宗霊廟・瑞鳳殿を再建するため9月から開始された発掘作業は順調に進み、
ついにこの日政宗その人が眠る石室が開けられるのだ。
ゆっくりと重いふたが開かれ、閉ざされていた墓室に三世紀ぶりに日の光が差し込んでいく、
その光景を万感の面持ちで見つめる一人の男性の姿があった。
片倉家15代当主、片倉信光氏である。
氏は当時白石で長く病床にあり、一人で歩くのもやっとであったが、
「政宗公の石室が開かれるというのに、俺が行かないで誰が行くか」と心配する家族の反対を押し切り駆けつけたのだった。
かくして政宗は当代小十郎が見守る中、長い眠りから目覚めることになった。

ざわめきがやんだ。
皆が固唾を呑んで見守る中、時の流れにくすんだ頭骨が丁重に取り上げられ、秋の陽に鈍く光る。
伊達政宗と片倉小十郎、338年ぶりの再会だった。


信光氏は父の代から政宗を祀る青葉神社の宮司を務めており、氏の逝去後はご子息の16代当主が引き継いでいる。
杜の都が最も美しい5月、政宗の命日にあわせて行われる青葉祭りでは、
祭神の魂を乗せた神輿が様々な災害を越えて100万都市となった仙台の街を巡る。
御霊移しの儀式を行い、渡御に付き従うのが宮司の重要な役目である。
「儀式の時、政宗公が私に話しかけてくることもあるんですよ」
忠臣の子孫は笑う。
「我が家は伊達家あっての家です。片倉は政宗公のために武士となり、また神職に戻りました。
そして初代が政宗公に生涯お守りすると誓ったからこそ、私が今ここにいます。
私の中で政宗公は決して歴史上の人物ではなく、今も生きていて、朝に夕に対面しているお方です。」
初代との出会いから四世紀半、そう語る片倉家の末裔に政宗は今も守られている。


時を越えた、とある主君とその忠臣のお話。
197人間七七四年:2012/05/18(金) 12:31:49.91 ID:xnPBBy3t
政宗の話なのに目から汗がでるとは
198人間七七四年:2012/05/18(金) 12:38:05.40 ID:0FbzrTOt
政宗が神様とかw

と一瞬思ったが、よく考えると日本の神様大体あんな感じな気もする
199人間七七四年:2012/05/18(金) 14:29:54.02 ID:fFzwPPP/
天変地異を起こしても神
疫病流行らせても神
祟っても神
200人間七七四年:2012/05/18(金) 16:21:28.80 ID:dcECYIS2
むしろ大名ともなればだいたい神社に祀られてるよね。
201人間七七四年:2012/05/18(金) 16:23:12.64 ID:lvaNHymq
咳をしても一人
202人間七七四年:2012/05/18(金) 17:07:37.37 ID:78RGZVm7
さわらぬ政宗に以下略。
203人間七七四年:2012/05/18(金) 19:24:43.02 ID:svPpHKG6
>>191
どっかで見たことのある説明だと思ったら
「古今和歌集仮名序」を引用してるね
和歌の基本ということなのかな?
204人間七七四年:2012/05/18(金) 19:53:25.94 ID:MZuWqOss
>>195
二周り年下ならまだ男子を授からんでもないだろうに
早々に養子を貰われるとか阿梅さん哀れ
205人間七七四年:2012/05/18(金) 22:15:00.41 ID:cEGNVLiW
>二周り年下の阿梅とはラブラブ

夢見すぎじゃね?
まあ不仲ではなかっただろうが
206人間七七四年:2012/05/19(土) 01:33:04.39 ID:t3vmqEb3
↓と関連するエピソード。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5103.html

徳川家康暗殺疑惑によって配流された大野治長であったが、
関ヶ原の戦いでは許しを得て東軍として従軍した。

戦が始まり、治長は先陣に馳せて首級をあげたところ、
徳川家康は「匠作これへ」と言って、その武功を慰労し、

「もはや先手に進むに及ばず」と、板部岡江雪斎とともに
治長を本陣に留めた。

この時、首の主が誰なのか誰も知らなかったのだが、
後になって実は宇喜多家の高知七郎左衛門という者だと
いうことがわかった。

その事を知った家康は「それほど名のある者であったなら、
あの時、しかと見ておくべきであった」と言ったので、

「治長は首ひとつで二度も御賞詞を賜った」と人々は
みな羨んだという。
207人間七七四年:2012/05/19(土) 02:08:05.83 ID:opiH/Kk6
>>206
河内七郎右衛門と高知七郎左衛門って微妙に名前が変わってるんだな
208人間七七四年:2012/05/19(土) 04:06:23.87 ID:ut2qXt/1
>>154
細川忠興は信長Lovelyな人だよね。
信長の33回忌には何か寄進して50回忌には法要をしてその5年後
には高齢にもかかわらず炎天下の中、信長のお墓参りに行っている。
確か敷地内に菩提寺か供養等を建てたんじゃなかったっけ?
忠興はアレな話が多いからアレに思われるけど本質的には良い人だと思う。
信長との関わりはほんの数年だろうに。
209人間七七四年:2012/05/19(土) 08:41:55.24 ID:7AZz5kWM
織田も細川も日蓮宗だっけ?
210人間七七四年:2012/05/19(土) 09:55:09.35 ID:EgYXo03R
細川忠興て初陣直後に信長から直筆の感状賜ってるんだよなぁ。
現存してる数少ない直筆文書だっけか。
211人間七七四年:2012/05/19(土) 10:02:16.06 ID:JVYz1Rh4
>>207

河内と高知は同じ「こうち」と読めるけど
右衛門と左衛門では全く逆になってるねw
212人間七七四年:2012/05/19(土) 10:15:49.99 ID:po3u6E58
信長は臨済宗だったんじゃ?

じゃあ信長と宗教がらみでひとつ。

伊勢神宮といえば、現在でも日本の神社の代表格。ここには、一定期間で全ての社殿を造りなおす、遷宮という独特の行事がある。
が、南北朝から戦国時代にかけての乱世、その風習は廃れていた。
時の伊勢神宮の上部大夫は、遷宮を復活させたいと織田信長に援助を願い出た。天正十年の事である。
これを聞いて信長は上部大夫に会い、「費用はいかほど必要なのか?」と聞いた。
大夫は「千貫あれば、あとは勧進(寄付)でなんとかなると思います」と伝えると……。

信長「いや、それは甘い。一昨年に八幡宮を直したのだが。そのときも見積もりは三百貫程度だったんだが……。最終的には、千貫以上かかった」
上部大夫「は、はぁ」
信長「だから今回もその程度じゃ足りないだろう」
上部大夫「……」
信長「費用が不足して、民百姓の迷惑になるような事は、あってはならないだろう」

神社の行事で民百姓が困る、とは現代の感覚だとちょっと奇妙だが。これは造営で労力を負担する者達を心配したのか。
いずれにせよ信長は、気前よく三千貫という申し出の三倍の資金を提示した。
その上、必要があればさらに資金を出すと伝えたから、上部大夫は大喜びであった。

しかも信長は、息子の信忠にまで「岐阜城の鳥目銭の縄目を結び直す際、伊勢神宮の遷宮にまだ資金が必要なら分けてやれ」と命じている。
(当時は銭を縄でまとめていたため、縄が悪くなる度に取り替える必要があった)

「魔王」イメージと違い宗教に理解があり庶民の事にも気が回る信長、とても気前がいい話……。

なのだが、実は綺麗には終わらなかった。
そう、この年の六月に本能寺の変が起こり、信長は死んでしまうのだ。
結局、伊勢神宮の遷宮復活は、天正13年にまでずれ込んでようやく成った。

悪い話のほうがいいかもしれんが、流れという事で。
213人間七七四年:2012/05/19(土) 10:26:13.42 ID:RMf+1gf7
間が悪かった話…かねえ
214人間七七四年:2012/05/19(土) 10:50:20.76 ID:CxDgdK6J
信長さんは、宗教というよりも人の信心を利用して儲けてる連中が大嫌いだったんだろうな〜
215人間七七四年:2012/05/19(土) 11:38:38.68 ID:ut2qXt/1
信長の良い話が続いているけど本当に激しい落差のある多面性だよね。
若い頃の信さんの良い話を読むと魅力的ナ人だったんだよなと思う。
晩年の頃と変わらない短気で冷酷な所はあるんだろうけど、結構人の心のツボを
押えていて心酔する人間の気持ちもわかる。

信長はよく裏切られているけど、尾張時代の家臣が裏切らなかったのは
信長の苛烈な部分だけではなく「情」の部分も知ってたからかだろうか。

でも浅井の裏切りから変わっていくんだよな。。。。
216人間七七四年:2012/05/19(土) 11:59:08.40 ID:RMf+1gf7
こんなに苦しいなら愛などいらぬの方向に行ったのかね
退くし媚びるし省みるけどw
217人間七七四年:2012/05/19(土) 12:00:51.26 ID:gd14u5cN
>>215
爆弾正の扱いとか見ると
惚れた相手への入れ込みようとか相変わらずな気もするんだがw
218人間七七四年:2012/05/19(土) 12:13:37.31 ID:OosgR+uL
なんか筋は通ってる気がするんだよな
気がするだけかもしれんが
219人間七七四年:2012/05/19(土) 13:11:47.67 ID:lAYN7gI0
怠け者→氏ね
働き者→がんばれ
癖のある才人→甘い対応
森家→無条件許可
220人間七七四年:2012/05/19(土) 13:27:30.33 ID:puPzjtkv
信長本人が、働き者で多才だからな。周りが馬鹿か微妙に見えたのかもね。
四十歳過ぎの大大名が、三千ぽっちの兵の陣頭に立って一万五千余の敵に突撃して勝つ、とかいい年齢になってもはっちゃけてるし。
221人間七七四年:2012/05/19(土) 14:56:01.30 ID:Vc+OVCBR
・・・・本能寺の時まで「永遠の14歳(精神年齢)」だったのかもしれん。

まあそれぐらい大ばくち打た続けないと、だめなんだろうな。
222人間七七四年:2012/05/19(土) 15:44:04.86 ID:EgYXo03R
>>220
前田利常「周りが某に見えたですと!?」
223人間七七四年:2012/05/19(土) 15:54:37.52 ID:JywEgEYH
>>208
単に信長の信者なんじゃないの?
ファンが力石の葬儀するみたいな

嫁の親がやっちゃった事はどう思ってんだろう
224人間七七四年:2012/05/19(土) 17:49:18.47 ID:ut2qXt/1
>>216
聖帝サウザーやね。似てるかも。。。

>>217
信長は基本「ジジ専」だと思う。
斉藤道三、山科なんとか、松井夕閑等。。。。

>>223
嫁の親がやったからこそ余計に追悼の念が強いのかも。
確か細川家の史料で忠興は亡くなるまで度々光秀の謀反を
非難していたと書いていた。
225人間七七四年:2012/05/19(土) 17:57:55.54 ID:VTHxsqxo
最愛の嫁との蜜月にノアの洪水級の水注してくれたんだから
憎んでも憎み足りない舅御だろうな
226人間七七四年:2012/05/19(土) 17:59:29.57 ID:puPzjtkv
光秀「酷い! 天下の事は忠興に譲るつもりですよ、とまでお手紙出したのに!」
227人間七七四年:2012/05/19(土) 18:31:42.65 ID:eJMxvifx
天下はいらんから嫁とイチャイチャしながら数寄三昧で暮らしたいとか思ってそう
228人間七七四年:2012/05/19(土) 18:45:23.88 ID:ns8SFJ5+
>>227
全てを捨てて織田陣営から引くって出来なかったのかな
229人間七七四年:2012/05/19(土) 19:08:21.91 ID:qfnbPjTB
自分だって旧主の息子攻め殺したくせに偉そうに…
230人間七七四年:2012/05/19(土) 19:26:07.31 ID:wSvCP4n7
豊臣家恩顧一同「重税、海外出兵の負担、キレた粛清に耐えたことでもう猿への恩義は返した……」
231人間七七四年:2012/05/19(土) 19:37:08.02 ID:/Rz3P/nd
舅への怒りが10とするなら治部への怒りは1億くらい
忠隆さんとばっちりカワイソス(´・ω・`)
232人間七七四年:2012/05/19(土) 19:41:03.04 ID:hlWPHbkW
「主君の側近」というのは憂さ晴らし対象にしやすいポジションだしな。
主君その人にさからえば、どれだけアレだろうと謀反人とか逆臣とかいわれるが。
側近相手ならそんな心配もない。
233人間七七四年:2012/05/19(土) 20:05:31.92 ID:OosgR+uL
奸臣を排するっていうやつだから名目上は(今は亡き)主君のためだしね
234人間七七四年:2012/05/19(土) 20:26:51.46 ID:CPjsysWB
今や勝者家康なみに評価されている敗者三成
判官贔屓とはいえ、いい時代になったもんだ
235人間七七四年:2012/05/19(土) 20:31:57.77 ID:kKV8Kap2
>>234
その勝者の孫のおかげっつーか仕業じゃんw
236人間七七四年:2012/05/19(土) 20:50:04.84 ID:rqREZGot
小物潰したところで先祖の偉大さは引き立たないからな
237人間七七四年:2012/05/19(土) 21:26:29.80 ID:KuMb/F4O
>>234
放送席、放送席、TERUさんがただ今アップを始めたようです
おっと身内から必死に止められてます
「そうせい」
どうやら匙をなげられたようです
238人間七七四年:2012/05/19(土) 22:33:55.92 ID:XfJXiG6h
>>224
武井夕庵を忘れんな
239人間七七四年:2012/05/19(土) 22:48:10.93 ID:j4HPiVE6
林秀貞さんが何か言いたそうにそっちを見ています
240人間七七四年:2012/05/19(土) 23:26:53.58 ID:ut2qXt/1
>>238
あっ、そやった。ホントに信さんジジ好きだね。
241人間七七四年:2012/05/19(土) 23:28:56.23 ID:kuwym7X/
信長のジジコンの根っこは平手爺じゃね?
242人間七七四年:2012/05/19(土) 23:43:03.25 ID:oVCHqmsV
すごく腑に落ちた
243人間七七四年:2012/05/19(土) 23:59:54.14 ID:ut2qXt/1
>>241
ああ、なる。今日の殊勲賞だ!!!
244人間七七四年:2012/05/20(日) 01:00:44.06 ID:bYDcnGe2
宗滴のじっちゃんにも一方的に期待寄せられてたっけ
245人間七七四年:2012/05/20(日) 01:10:44.97 ID:50V2Y3sl
宗滴のじっちゃんの信長評というかあの逸話は本当にあった話なのかな?
子孫が捏造とかしたんじゃないかと疑ってみる。
何か出来過ぎな話だからさ。
246人間七七四年:2012/05/20(日) 01:33:17.38 ID:vr6+Vswy
>>245
「朝倉宗滴話記」自体が江戸時代の創作、という見方が今は主流。
247人間七七四年:2012/05/20(日) 02:07:21.38 ID:50V2Y3sl
>>246
おお!!ありがとう!!!
やっぱりそうか。
248人間七七四年:2012/05/20(日) 08:12:43.06 ID:X3RyHdBq
古事記もそうだけど、単なる写本ではなく推敲再編集出来るだけの教養時代背景があったのが江戸期だったのでは?  
249人間七七四年:2012/05/20(日) 08:59:12.59 ID:tXzS72Y3
>>248
て言うか教養人、武士とか貴族、が暇になって金銭的余裕が出来た。
平安時代にも貴族階級が暇で金持ちだったので、文芸ブームになった。
250人間七七四年:2012/05/20(日) 11:19:19.00 ID:dDiLE+Ij
ノブには線引きあるんだろうけど
坊主はどう思ってるんだろう?
251人間七七四年:2012/05/20(日) 13:23:56.67 ID:9ejhEOBU
信長の坊主への不信は、若い頃に「信秀の病気、祈祷で治す(キリッ」といった似非坊主に騙された事が根本かなあ?
だから素直に「金が無くて寺がやっていけないから、怪しいとわかっている坊主を泊めました」と自白した寺社は許した上に金もやっている。
252人間七七四年:2012/05/20(日) 13:34:36.64 ID:MI6AVIXI
叡山焼き討ちにしろ安土宗論にしろ、生臭坊主には厳しいな
253人間七七四年:2012/05/20(日) 13:51:26.65 ID:QPFmaYER
生臭っつーか、純粋に政治的な対立をしていた本願寺(Not一向宗)と
他宗派に対して攻撃的でトラブルのもとの法華宗不施受派だろ?
宗教が嫌いだから、ってくくりはおかしいと思う。
254人間七七四年:2012/05/20(日) 14:12:15.94 ID:50V2Y3sl
信長さんは潔癖なんだろ。
だから嘘くさ坊主が嫌い。
対立した宗教でも家臣が信仰するのは止めていないし。
255人間七七四年:2012/05/20(日) 15:14:14.07 ID:dDiLE+Ij
ああ、加熱消毒良くやるもんね。
256人間七七四年:2012/05/20(日) 15:23:11.06 ID:798dDKPV
汚物は消毒だー
257人間七七四年:2012/05/20(日) 15:31:52.60 ID:nhqIHFtx

本多正重は元々徳川家に仕えていたが出奔して
滝川一益、前田利家と仕官先を転々とし、一時期は蒲生氏郷のもとにいた。

ある時、氏郷が自分の兜にある二つ三つの銃疵を正重に見せたことがあった。

「あー、この御方の武辺も底が知れたな。
徳川の殿様だったら、こんなつまらないことを誇らしげに語ったりはしなかったぜ。

……よし、たとえ領地を貰えなくとも、懐かしき御方にまた仕えるとするか!」

そのように決意した正重は慶長元年には徳川家に帰参したという。


何だかんだ言ってお前家康が好きなだけなんじゃないのかと。
258人間七七四年:2012/05/20(日) 16:12:16.27 ID:GoSTjIYI
ほんとめんどくさい三河武士だなw

一方、家康は直政の傷を数えていた…
( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-779.html 参照)
259人間七七四年:2012/05/20(日) 16:22:31.68 ID:K8CaHQP1
>>255
信長はモヒカンだったんだなぁw
260人間七七四年:2012/05/20(日) 16:46:30.96 ID:gNbcvUdq
>>258
ワロタwww
しかし自分の兜の片手に余るほどしかない銃疵を誇らしげに語るのは小せえいう事だな
それにしてもそれを自慢げに語る氏郷に一方のこの現場を見せてやりたいw
261人間七七四年:2012/05/20(日) 16:58:48.61 ID:dDiLE+Ij
直政『殿っ…、その穴は銃痕で御座います……』
262人間七七四年:2012/05/20(日) 17:14:27.78 ID:xk6C+k6i
なぜ家康は直政の傷の詳細を知ってるんだろ?
めんどくさい三河武士たちは疑問に思わなかったのだろうか・・・

はいはい、無粋な問いですねw
263人間七七四年:2012/05/20(日) 17:15:11.72 ID:rx1tRJAk
 安芸佐伯郡に木全知矩(きまたとものり)という武将がいた。後に宗哺と名乗る。
毛利元就に従わなかったため城を包囲され攻められた。
すでに城中の兵糧が乏しくなっていたので、毛利側から降参を勧められたが
知矩は「先祖より受け継いできた城を容易く人に渡すわけにはいかない!」と言って
ますます服従しようとしなかった。
その後知矩が連歌に興味を持っていると元就は聞いたので
元就は歌を書き、それを矢文として城中に射入れさせるよう部下に伝えた。

『秋風に かたき木またの 落ち葉かな』

秋の木枯らしに勝てず木の股に引っかかってもうすぐ落ちてしまう葉のようではらはらします
(木全さん、もうすぐ落城するけどどうするの?)

やがて相手側からも矢文が射返されてきた。

『よせ来てしづむ 浦浪の月』

海岸に打ち寄せては沈んでいく波に映る月のように儚いものですね
(来るなら来てみろ!尽く撃沈してやんよ!)

元就は大いに感心して城の包囲を解き撤退し、その後しばらくして知矩に講和を要求させた。
知矩は「私の方から降参してしまえばこれ以上辱めは受けないだろう。この上は・・・」と言って
城を出で元就に降参しに行ったが、元就はこれを丁寧にもてなし大事な客のように扱ったとのことである。
264人間七七四年:2012/05/20(日) 19:17:27.86 ID:HsB3uCxE
大将が銃砲が届くところに出てくるのは問題なんだがな・・・先方100騎しとめると工場長がそこにいるだっけ?
265人間七七四年:2012/05/20(日) 19:31:31.19 ID:DHQe+AVh
信長「武辺たろうとする気概は立派だが、大将には大将の戦があると教えたのに……」
266人間七七四年:2012/05/20(日) 20:17:44.73 ID:shwInrdG
>>260
一方、鮭様の兜についている弾痕は誰がどうみてもヤバいw
267人間七七四年:2012/05/20(日) 20:19:04.41 ID:g0Xsl+xM
氏郷はその若い晩年に大大名になったけど織田時代はは城一つくらいだろ
矢玉避けて後方に居るような立場じゃないしなあ
秀吉に抜擢されていきなり10万石貰ったあとも変わらなかったのはあれだけど
天下人から目をかけられていただけに逸る気持ちもあったのかもしれないね
268人間七七四年:2012/05/20(日) 20:46:07.86 ID:0dp6Tndq
>>263
これぞ戦わずして勝つか!
269人間七七四年:2012/05/20(日) 20:53:58.93 ID:RZupEueK
大して功もないし譜代でもないのに信長の娘なんかもらっちゃったから
嫉み嫉みはかなりのものだったんだろうしそれに負けまいと気負ってたんじゃないだろうか
270人間七七四年:2012/05/20(日) 21:11:11.46 ID:idqZrqpj
>>269
譜代に娘やるか?
譜代にしたいからとか、縁固めして囲いこみたいから娘ってやるもんじゃないの?
271人間七七四年:2012/05/20(日) 21:17:34.88 ID:QPFmaYER
やるでしょ。代々縁組して硬い絆の一門衆を作るわけで。
武田の穴山家とか。 ダメなときはダメだけどな。
272人間七七四年:2012/05/20(日) 21:34:50.53 ID:MI6AVIXI
そういう時は姓を下賜してやればいいんだよ!
273人間七七四年:2012/05/20(日) 22:02:00.03 ID:RZupEueK
あといらなくなった中古女押し付けたりとかな
274人間七七四年:2012/05/20(日) 22:08:38.33 ID:pSZAnek9
嫁も中古、名前も中古にされた人はキレてもしょうがないよね
275人間七七四年:2012/05/20(日) 22:58:11.22 ID:50V2Y3sl
蒲生氏郷は信長の娘を側室に差し出しているんだよな、ちゃっかりと。
276人間七七四年:2012/05/20(日) 23:03:42.35 ID:p4gqCVmF
それはどっち側が望んだことか言うまでもないと思うが…
277人間七七四年:2012/05/21(月) 00:05:27.40 ID:DnWk8Q1w
おにいちゃんに養女を押し付けたたぬきはどういう心境だったんだろ?
278人間七七四年:2012/05/21(月) 00:50:27.54 ID:y+MGeZr2
>>276
そんなのわかんないさ。氏郷は良い意味での計算高さもあるし。
279人間七七四年:2012/05/21(月) 14:11:43.36 ID:p9A081Bo
元就の風流さを褒めてやれよ・・・・
280人間七七四年:2012/05/21(月) 17:26:06.97 ID:8mQGDBG4
小幡藤五郎昌忠は豊後守昌盛の子で、武田家が滅んだ後は徳川家に仕えた。

甲州新府で徳川と北条が対陣した頃、平原宮内という者の内通が
露見した。宮内は家康の前で刀を奪って暴れまわり、数人を負傷させた。

この時、昌忠も宮内を切ろうとして左手首を打ち落とされてしまった。
家康はその勇気を称えて父の本領を与え、昌忠に療養を命じた。

その後、昌忠は「もはや普通に暮らすこともままならない」
と暇乞いをしたのだが、家康は「左手がなくても右手で戦えるだろう。
辞めることはない」と今まで通りに昌忠を仕えさせていた。

さて、長久手の戦いの折、昌忠は二つの首級を家康に見せたが、
それとは別に二つの首級を持ち出した。

「これは家人が取った首です」昌忠がそう言うと家康は「家人の取った
首をわしに捧げるとは何事だ!」と咎め、昌忠は畏まって退出した。

後で家康が近臣に言うには
「昌忠は左手首がないからといって、自分の取った首が家人の力を
借りたわけではないと示そうとしたのだ。だから家人の取った首を別に
見せたのだろう。まったく甲州人というのは油断がならぬ」ということであった。
281人間七七四年:2012/05/21(月) 18:11:02.91 ID:q5JIzhr0
信虎「まったくだ。甲州人は主さえ追い出す不忠者揃い!」
282人間七七四年:2012/05/21(月) 18:12:43.37 ID:kLsAEgwC
めんどくさいのは好きなのに
言い訳っぽいというか理屈っぽいのはお嫌いなのね
283人間七七四年:2012/05/21(月) 18:31:11.21 ID:G0ccMxr+
これは、平原宮内が家康に対し、腹の探り合いを仕掛けてきたってことなんだろう。
つまり君主としての家康を試したんだよw
284人間七七四年:2012/05/21(月) 18:36:21.77 ID:/wnj2b/r
その家人を呼んで家康から直接声掛けてもらうイベント期待ただけだったりしてw

まあたぶんアピール感が丸出しでうざかったんだろうな
285人間七七四年:2012/05/21(月) 19:03:34.09 ID:ElkM6HVq
どうもルールが良く判らないんだけど、陪臣が取った首は取り損?
286人間七七四年:2012/05/21(月) 19:05:55.36 ID:qPufA+zI
>>285
陪臣のとった首を評価すんのは平原宮内自身だろ
287人間七七四年:2012/05/21(月) 19:06:39.13 ID:wvlNgy16
単純に考えたら陪臣の主が評価するんじゃね?
よっぽどの大物ならそこから直臣に取り立てられたりしてさ〜
取り損ってことはないと思う
288人間七七四年:2012/05/21(月) 19:07:35.38 ID:l6Ngzvy1
>>263
見たことあると思ったらこれだ。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1219.html
289人間七七四年:2012/05/21(月) 19:12:06.14 ID:y5dC9dIO
>>286
小幡さんの家臣がとった首を地獄で平原さんの霊が検分するのか
なんとも面妖な
290人間七七四年:2012/05/21(月) 19:34:11.09 ID:DTXN5B1b
陪臣でも鬼武蔵とか輝政の首挙げてたら家康に見せて検分してもらう運びになったろうけど
291人間七七四年:2012/05/21(月) 19:40:13.78 ID:t3XwTawh
>>263
ああなるほど「秋風」は「安芸勢」ってことなのか。
292人間七七四年:2012/05/22(火) 12:29:39.61 ID:6KNQfxU4
永禄11年、武田信玄は下條弾正に命じて酒井忠次に書簡を送り、
「これからは両家ともに仲良くしていきましょう」と伝えてきた。

その書には『卒啄』の2字が書かれていたのだが、誰一人として
その意味が分からなかった。

ちょうどその頃、伊勢の江南和尚が東国に向かう途中で岡崎にいたので
石川家成が字の意味を尋ねたところ江南は

「鳥の卵殻を破るにその時節あり。早ければ水になり。遅ければ腐る」
と答えた。この事を耳にした家康は

「すべて万事に時を失わざるをもって肝要とす。主将ならばこのことを
忘れてはいけない」と言った。
293人間七七四年:2012/05/22(火) 12:31:27.40 ID:AH8VRl2d
名探偵だな、その江南って和尚
294人間七七四年:2012/05/22(火) 12:43:34.04 ID:XfqFYeXL
禅語の教養があっただけだろ
295人間七七四年:2012/05/22(火) 12:45:38.46 ID:AH8VRl2d
今ググって禅の用語だと知った
296人間七七四年:2012/05/22(火) 13:37:58.32 ID:Sso/Rx7Y
三河者は一向宗ばっかだから仕方ないね(諦め)
297人間七七四年:2012/05/22(火) 13:43:39.80 ID:5gWc94pq
本多忠勝「三河者に文弱は不要! 政治なんぞ殿のやることを見ておれば自ずと分かるわ!」
298人間七七四年:2012/05/22(火) 13:49:23.19 ID:WA0wg0Ny
永禄11年っていつかと思えば武田が駿河に侵攻するあたりか。
299人間七七四年:2012/05/22(火) 16:08:44.14 ID:H/mT/ZGw
『卒啄』…? 寝起きの頭だと、豚キムチが何?って勝手に脳内変換した
300人間七七四年:2012/05/22(火) 20:48:26.14 ID:Tfjf9koH
松平家忠は禅宗だよ
301人間七七四年:2012/05/23(水) 01:41:00.32 ID:/YN7Pdcz
 宗竜寺江南和尚が、多久美作守殿や石田一鼎などの学問好きとあって学問の話をされたとき、
「おのおの方は、物知りで結構なことですな。しかし道を知るということは、一般の人間に劣っていなさる」と、言われたので、一鼎は、
「聖賢が示された道のほかにありますまい」と、反論した。そこで江南和尚は、
「物知りが道を知らないのは、東に行くつもりが西へ行っているというぐらいひどい。物を知れば知るほど道から遠ざかっている。
そのわけは、むかしの聖賢の言行を書物によって覚えたり、話に聞き覚えて見識高くなり、自分も聖賢と同等のように思って、
一般の人々を虫けらのように見下す。これでは道を知らないというほかない。
道というものは、自分の欠点を知るということだ。
つねに反省して悪いところをなおすために、一生、努力していこうというのが道である。
聖の字をヒジリと訓むのは、聖人は己れの非を知っているからである。
仏は、知非便捨(ちひべんしゃ、非を知ればただちにそれを捨てる)の四字をもって自分の道の完成を説かれている。
自分の心に気をつけていれば、一日の間に悪心の起こることは数えきれない。
自分をよしと思うことはできないはずである」
と、申されたので、一座の人々は、それより江南和尚を深く尊敬されるようになったという。

しかしながら、武士の生き方は違う。武士は、大高慢で、自分こそ日本無双の勇士と思っていなければ、武勇を天下にあらわすことはできない。
また武勇をあらわすのは、自慢高慢の気位である。

武士たるもの、このぐらいの矜持をもって事当たるべし。
という武士道とはなんぞや――という教え。

上に立つ人間がブレまくると、確かに下の人間はナニを信じて良いか、不安になって行動しなくなる。

広く情報を収集するときは江南和尚の意見に則り、最善は他にないかと自問自答し、
一度、判断を下したら、傲慢不遜なぐらい確固たる信念をもった方が良い。
毎回、毎回、意見がコロコロ変わると、何を信じて良いか分からなくなる。

良いにしろ悪いにしろ、こういった精神が日本を動かしてきたんだね。
302人間七七四年:2012/05/23(水) 02:05:45.44 ID:8VPEF3GF
「しかしながら…」以下が誰の語りなのか分からん
303人間七七四年:2012/05/23(水) 09:35:32.12 ID:Km8/nhFo
>>302
多久美作や石田一鼎が出てくるから、葉隠なんじゃない?
「しかしながら…」以降は山本常朝の意見かと。面倒だから確認してないけど。
304人間七七四年:2012/05/23(水) 09:52:35.63 ID:9oEk+iiM
坊主ごときが偉そうに念仏でも唱えておれば良いものを
305人間七七四年:2012/05/23(水) 10:04:41.66 ID:xKf8KqBx
>>304
一向宗門徒「やっぱ念仏ですよね^^」
306人間七七四年:2012/05/23(水) 12:01:52.28 ID:ij4YOfRu
納豆とか?
307人間七七四年:2012/05/23(水) 12:25:32.91 ID:wTb/UxoI
武士は坊主に形だけになっても戦争し、人を騙して奴隷売りさえするもの。
本願寺系の武士はもちろん、信玄、謙信あたりだってそうだし。
所詮は仏道から一番遠い生き物だし。
308人間七七四年:2012/05/23(水) 16:53:22.10 ID:HD3q1bcp
政宗は余計なことばかりするから、ドラマのネタに困らんね。最後失敗して反省するもまた別なことを考える。
309人間七七四年:2012/05/23(水) 17:05:21.06 ID:9oEk+iiM
>>305
                                   、_人_从_人__/
                                   _)
 ,..r;;:  (  人)  ) ,;`ー、          | ヽ丶       _) 消  門
 ヾゞ、  ゞ'´   '`´   `ヾ、     ─|─           _) 毒   徒
          -‐':、ゞ'``  ,l      / | ヽ            _) だ  は
ヾ、 ゞ;;.  ,r-、   `ヾ、    ヽ、                   _)  l
, rヾ    ,r!/r'ヽ    '`      \      _|_      _) っ
   _,,,.,ノ、_ ヽ,       `ゞ;;    ;:、    /|        `) !
,r‐'''" ,.r ,イ彡ミミヾ、      ``  ´;;i             V^V⌒W^Y⌒
__,.;;,ィ'´ ,:;;;;彳彡ミ;j`、        `i;:、      オ
;; ヾ、彡;;;ノリ;jjjjj;;;jr' i   . ノ;;:'' `゙`、 ``ー、                   ,ィ
彡冫;;il;;;ミ;;;;;y;レ  ,t'´           ,.、ー、  ゝ     ォ             i|l;
;'イ;;;'ヾ``ヽ、ィ;;i ,ri'´    ヽ ヾノ ,ry' il'Y゙r    ヽ、            ,j|l;;
j'´ '´ '´/ゞ';;::`´ヽ    ``´ー  ゙i ;;: ,r'      )  ,r、       ,rヾlir'ミ,
  / ,;:' '´/ ー≡;i{、      /ヾr'´  ,.   '`;;:、 〉ゝ  r-ー-、_ ,{i=i= }i、
ーr-、j ,! ,;',;'ィ;;:イ''``ゞ、_,、-‐'´ヽ:;/ 、 ``ヽ  ;:、 `' (´  `ゞ、;;;;'',,fi、,≡:;イ==、
,,:'  ``ゞ、,;;ゞ、 "´イ ,... `'彡 ,/´  `ヾ、ヾ   '    ー、  ii;j `i;;!'´ニil';;;;ゞr、_,r'ミ
'   ー‐─ ,rー'゙ー─-、_j;:r'´     ヾ,ゞ         、 ゞ,ミ;:l;;l  ,!  ,!,i;;'´¨/
;.   r-‐;;'"}            ``ヾ、  ノ       ,;;;: (i,;)))、,,:;!、__,:};!_,.、l
....   _,,,ィ、 i        'ヾ人  、}( /     ノ   ,r'i  r'"ヾ-‐i‐-:;イ, / ヾ
310人間七七四年:2012/05/23(水) 19:17:02.70 ID:FvYx0BWg
すげーな、このAA。
>>309作なのか。
拾い物だとしたら、それはそれでまた凄いw
311人間七七四年:2012/05/23(水) 19:37:49.00 ID:llgepiM8
信長「これこれ、門徒というだけで迫害してはいけないよ。焼き討ち・根切りにしていいのは敵対してきた坊主だけだ(キリッ」
312人間七七四年:2012/05/23(水) 22:22:44.22 ID:sHszg7bl
高野山の高野聖(半僧半俗で正式な坊さんじゃない人達)をぶっ殺しまくった癖に
高野山の正式な僧侶には手出ししてないのぶのぶさんチィーッス

まぁ出稼ぎ要員でもある高野聖がいなくなったから実質兵糧攻めしてるようなもんだけどね
313人間七七四年:2012/05/23(水) 23:26:48.97 ID:5VRpYLIq
手出ししようとする直前あたりで死んだからだそりゃ
314人間七七四年:2012/05/24(木) 00:30:52.68 ID:3WQ2Cwt1
大坂冬の陣の和議がなった後、大野治長と織田有楽斎が
茶臼山にやってきて祝賀を述べた折、徳川家康は本多正純を呼び、

「わしは修理のことを只の若造だと思っていたが、こたび
主将として諸軍を指揮する様は、武勇はもちろん、秀頼に対する
忠節も見事なものであった。正純よ、お前も修理にあやかるのだ」

と言って治長の肩衣を所望し、それを正純に着させた。
治長はこの時「冥加にかないました」と感じ入り、涙を流して退出した。

そして、有楽は御次の間にて衆人に向かい

「このたび御和議がととのったのは本当にめでたいことです。
これよりは入道も太平の恩化に浴し、生涯を楽しんで送りたいと
思います」と言って、茶を点てる真似をして帰っていった。
315人間七七四年:2012/05/24(木) 00:43:15.24 ID:fsKXrfLp
深そうな逸話だな。
有楽が構われず世代交代を察して退いたのか、豊臣の明日はないと思って保身に走ったのか。
316人間七七四年:2012/05/24(木) 00:53:33.47 ID:L1gtvlb6
茶を点てる……真似?
317人間七七四年:2012/05/24(木) 01:05:59.39 ID:CgcdmOmV
織田有楽斎は信忠を見捨てて(彼が余計な進言しなければ信忠は死なず
に済んで織田家の没落もなかったかもしれんし)、その後は秀吉の家臣
として屈辱を受ける事もありつつも大阪の陣以降まで生きているけど
豊臣家の滅亡をどう思ったんだろう。
織田家を蔑ろにした報いで「ザマー」と思ったか、それとも諸行無常というか、
姪の茶々と秀頼を哀れに思ったか。。。。
318人間七七四年:2012/05/24(木) 07:52:25.55 ID:Cr0urHIm
有楽だし、我が身の無事以外は何も考えてなさそう
319人間七七四年:2012/05/24(木) 11:19:38.54 ID:/zOIRHeb
有楽「良かった、今回も生き残ったぞ」
320人間七七四年:2012/05/24(木) 11:59:40.13 ID:SexZ0GL/
有楽みたいに実際の行動じゃなくていつの間にか立った無責任な噂で人間決められてたら、趣味の世界に逃げたがるのもわかる。
321人間七七四年:2012/05/24(木) 12:13:59.61 ID:MAQBFCeU
有楽殿は評判悪いなw
自分の能力をわきまえてうまく立ちまわってるだけなのに
322人間七七四年:2012/05/24(木) 12:20:14.71 ID:CgcdmOmV
>>320
あの例の有名な歌は嘘なんだ。
323人間七七四年:2012/05/24(木) 12:25:10.38 ID:J9GtnOfy
>>322
あー、フランク永井のやつね
324人間七七四年:2012/05/24(木) 12:26:36.80 ID:CnsFi+EX
うらく町で逢いましょう
325人間七七四年:2012/05/24(木) 12:45:34.52 ID:SexZ0GL/
>>322
後世の編纂物にしか存在しないし、他の脱出組は叩かれて無いからねえ。
326人間七七四年:2012/05/24(木) 15:25:52.56 ID:CgcdmOmV
へえ〜そうだったんだ。
327人間七七四年:2012/05/24(木) 19:33:55.69 ID:0QPsSeJ7
すごいな、フランク永井
328人間七七四年:2012/05/24(木) 21:09:27.81 ID:fPnXHy8x
有楽殿好きだけどな、俺
あの立ち回りはただの凡人に出来る芸ではないと思う
329人間七七四年:2012/05/24(木) 21:33:22.50 ID:Pp/t0YY9
明智惟任日向守光秀は元々は細川兵部大輔藤孝の足軽の者だった。
若いときは身分が低くまるで乞食のように貧しかったが
器量はまるで項羽のように強気で、いつも人にへつらうこともなく
ほんの少しの蓄えさえなくても「おれは大金持ちだ」などと胸を張るような男だった。

あるとき一組の足軽たちが集まり「これからは持ち回りで肴を振舞う『汁事』というのを始めてみよう。
食事を饗応できればいいのだが、肴を調達する銭さえ皆の収入ではどうにもならんのだから
食事は皆で持ち寄ればよい。汁は用意しよう。」と誰かが言い出すと、皆「それはいい。」と賛同した。
そして順番に、自分の生計で無理のない肴などを揃えて汁事を催していった。
光秀はそのときはまだ明智という名字も持っていなかったが
生まれつき活気が第一の者だったので、人より上座に座り魚の骨を噛み鳴らし
酒を大盃に何杯も飲んで、声高に話をし手や足まで動かして話し散らし
宴席のたびに自分一人だけあれこれと我儘に振舞った。
こうして人のところに行くのにも、米の一粒さえ持っていけなかった有様なので
ましてや人を招くことなどできるわけがない。

光秀は女房に向かって
「これこれこんなことがあって人のところに行ったときは酒や肴を好き勝手に飲み食いしているのに
自分のところに招くことができない、などと言えるわけがない。
だからといって、銭など一文も蓄えていないのだから饗応などできない。
こうなったら足に任せてどこかに行ってしまおうか、と思う。
どんなに貧しくとも人にもてなされておきながら自分は知らぬ顔をしていては、人に合わせる顔がない。
武器を取っても弓を引いても、仲間たちには勝るとも劣らないというのに
貧しさほどつらいものはない。」と、さも恐ろしげなその目から涙をはらはらとこぼした。
女房はこれを見て「ご安心なさいませ。私が何とかして饗膳を一通り出して見せましょう。」と言った。
光秀は「それではそなたに何もかも任せよう。万事よろしく頼んだぞ。」と言ったものの
女の身では饗応できるほどの手配などできるはずがないと思った。

さて、兼ねてから約束していた日になると光秀は仲間たちを連れてやってきた。
光秀の女房は酒を買い肴を揃えてもてなしたので、仲間たちは
「今日の会はこれほど酒の肴が十分あって、うまい酒や美味い料理が数々ある。
子供たちも出てきて一つ酒でも飲んでくれ。」などと言って、終夜代わる代わる酌をし
謡い舞って遊び戯れ、東方の空が白々と明けてゆくことにも気付かないほどだった。

光秀はこうしてもてなしを済ませたのだが、女房がどうやってこの肴を揃えてきたのかわからない。
世にも不思議に思っていたのだが、二、三日経って夫婦で共に浴室に入って女房の洗髪の様子を見ると
外側には髪があるとはいっても、内側はすべて切り落とされていた。
光秀は「これはどうしたことだ!」と尋ねると
女房は「あなたが『客を連れて来ても、もてなしようがない。
これからどこかへ行ってしまおうか。』などと仰るものですから
私はあなたの心中を察して、どうにかして饗応を成し遂げなければと思いました。
けれども困窮して鏡の一つも身の回りにありませんので、特別何かできるわけでもありません。
そこで思いついたのですが私の黒髪は人のよりも長いのです。
これを切ってかつらに仕立てて売り、この前の饗膳を取り揃えたのです。」と答えた。
光秀はこれを聞いて「なんと!そのようなことをしたのか!
晋の陶侃の母もそんなことをしたという。夫婦の仲とはいいながら
この思いやりにはどんなに報いても足りることがない!」と喜んだ。

その後、光秀は織田信長に見込まれ大出世して若いときとはうって変わって富栄えたので
女房に貧しかったときに髪を切って客をもてなしてくれた恩を返そうと思っていたが
その女房は間もなく亡くなってしまった。
その時、親族一同を呼び集めて
「女房が死んだときには夫は葬儀の行列に加わる風習はないとはいっても、私にはとある思いがある。
私が身分が低く貧しかったとき、こういうことがあったのだ。」と言って
あの時、女房が髪を切った話を語りだした。
「ここまで恩をこうむった妻なのだから、他の例に比べることなどできない。」と棺に手をかけ
涙を拭いながらその亡骸を送ったという。
330人間七七四年:2012/05/24(木) 21:37:28.69 ID:Tcsniuyu
月さびよ 明智が妻の 咄せむ
まだ出てなかったとは意外
331人間七七四年:2012/05/24(木) 23:21:18.55 ID:J9GtnOfy
芭蕉の俳諧て越前の称念寺で詠んだものだけど、それだと朝倉家に仕官してた訳だよなぁ。
多聞院日記とかだと細川家に仕えてた事になってるみたいだけど。
332人間七七四年:2012/05/25(金) 00:09:19.02 ID:UxgSlNXy
>>329-330
一応ガイ出だが、↑の逸話の方が詳しいね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-57.html
333人間七七四年:2012/05/25(金) 01:05:35.07 ID:sHh0Ay2n
荒木村重は幼名を十二郎といい、子供の時分より武芸全般にすぐれていた。
12才の時、十二郎は父の義村を碁盤の上に載せると、碁盤の小角を掴んで持ち上げ、

座敷の隅の柱を三度廻って元の位置に戻した。これを見た義村は喜んだが、十二郎は

「力だけで一体何の役に立つでしょうか。ですが乱世に生まれたのは幸いでした。
この時に乗じて暴徒を誅し、乱を平らげ、数国を領してこそ、この力も役に立つ
というものです」

と、大志を語ったので義村はますます喜んだという。


碁盤の上に親父を載せて歩き回る少年ってシュールな光景だなw
334人間七七四年:2012/05/25(金) 05:26:11.34 ID:h9cMAIjR
暑くもないのに碁盤を軽々と左手で持って涼しい顔で扇ぎながら
『いや〜羨ましい、うちわ、駄目ですよ、うちわ。
御家も安泰で左団扇でしょうなぁ』
とかいつもの調子で言ってそうな幽斉先生の姿が真っ先に頭に浮かんだ。
335人間七七四年:2012/05/25(金) 06:34:18.48 ID:e1BEw7/v
>>331
フロイスの日本史でもそう書いてあるね
朝倉家仕官はどうも眉唾っぽい

それにしても明智という名字はどこから来たんだろう?
頭脳明晰な者だから明智としたのかな?
336人間七七四年:2012/05/25(金) 06:42:22.63 ID:zgq/h6m7
>>335
美濃国明智庄からだよ。土岐源氏の一派で明智庄を領した明智氏の一族。
光秀に関しては美濃出身という説と、室町幕府の奉公衆として美濃を離れ代々京都に在住していた
京都明智氏の一人、という説がある。
337人間七七四年:2012/05/25(金) 12:13:32.82 ID:8SRSiLfy
土岐明智氏と縁も所縁もない説を云ってるのでは…      
338人間七七四年:2012/05/25(金) 16:00:29.56 ID:p5D31Ev7
道三の正室のお見の方の甥で
道三と側室の子の義龍との戦いである長良川の戦いで
明智氏は道三方に付いた少数派で落城させられ流浪したんじゃなかったっけ

名字が無いってのは謎だね
その当時はまだ明智という名字ではなかったという事なのかな?

遠山氏説があるけどそっち?
本家からも見捨てられたから捨てたとか?

それで京都明智の縁を辿って藤孝に仕えたとか?
339人間七七四年:2012/05/25(金) 16:11:40.90 ID:2ShhLbR3
出身地が明智だから、それを苗字にしたとか。
本来、苗字ももってない身分の出が出身地をもってくるのはあったようだし。
340人間七七四年:2012/05/25(金) 18:28:30.03 ID:IWf1NzEd
この逸話の光秀だと「カッコイイから!」という理由だけで苗字選んだ気がしないでもない。

それにしても光秀ダメ亭主すぎるだろwよく出世できたな。
妻の献身ぶりに感動して心入れ替えたのか?
341人間七七四年:2012/05/25(金) 19:52:34.24 ID:YzqO1Wj+
>>339
脇坂さんが代表格ですね。逆引きで脇坂が何処かは不明ですが。
342人間七七四年:2012/05/25(金) 19:59:38.59 ID:brP096xH
常識的に考えると主君の細川藤孝が知り合いの明智さんに頼んで光秀を養子に取ってもらったんだと思う。
343人間七七四年:2012/05/25(金) 20:03:53.23 ID:MU0CYmTt
えーと細川さんとこはたしか織部も自分とこの家臣だったって言って書いてるのなかったっけ

蒐集癖はガチ蒐集だけじゃなくこいつはうちの家臣だったんだ!というとこにまで及んでるのかもしれない
344人間七七四年:2012/05/26(土) 01:22:56.71 ID:cpQm8uh9
武州忍城にて、徳川家康が伊奈忠次に栗の実を与えてまかせたことがあった。

「しかし、この栗の実が実を結ぶほどに成長して、
その実を召し上がれるようになる頃には、わが君はどれ程の御長寿であろうか」

それから年月を経て栗の木は実を結ぶようになり、遂には家康の供御となったので
忠次は家康の思慮深さと目先の利益に捉われない心に感銘を受けた。

「昔、八、九十ほどの老人が木を植えるのを見て、近くにいた者が
『いま木を植えたところで、いつあなたの役に立つのか』と嘲笑ったところ、

老人が『お前のようなたわけ者を父や祖父にもったゆえ、一生木に難儀しておる』
と言ったとかいう話があったな。

やはり、何であろうと良いと思ったことは老いたとしてもやっておくべきなのだ」
と、家康は人々に語ったという。
345人間七七四年:2012/05/26(土) 01:47:01.33 ID:614OTgA2
秀吉「何であろうと良いと思ったことは老いたとしてもやっておくべきなのだ」
家康「何であろうと良いと思ったことは老いたとしてもやっておくべきなのだ」

同じ言葉でも言う人によって違う意味に見える
346人間七七四年:2012/05/26(土) 01:51:36.23 ID:qZsrnTT2
久秀「何であろうと良いと思っt(ry」
347人間七七四年:2012/05/26(土) 03:25:07.63 ID:UBUMVVuC
政宗「何であろうと良(ry」
348人間七七四年:2012/05/26(土) 05:02:57.79 ID:Lxrx7D9T
桃栗三年なんだから栗なんてすぐ出来るだろ
そこまで気の長い話ではないと思うが
349人間七七四年:2012/05/26(土) 05:15:14.17 ID:eh37+oC9
桃は知らんが栗は三年じゃ無理だった。
全然出来ないじゃんって実体験をしたw
まぁ実がつきだすとこれでもかってぐらい栗はできるが。
350人間七七四年:2012/05/26(土) 07:22:09.49 ID:sKwIjOoI
>>344
最後は結局長生き合戦だったからなw
351人間七七四年:2012/05/26(土) 07:59:34.70 ID:kx63QwwX
まぁそれも言葉遊びの一種だからな
鶴は千年亀は万年とか言うけどこれもね
352人間七七四年:2012/05/26(土) 08:46:30.45 ID:ekbOfMA9
戦国版「木を植えた男」か
353人間七七四年:2012/05/26(土) 11:20:10.03 ID:vIjjSfsx
そして、「鉢木」へと…
354人間七七四年:2012/05/26(土) 12:47:43.43 ID:3T6vzRtD
家康って身分の上下関わらず教訓を垂れたり教訓を聞いたり、
主従なのに三河武士と取っ組み合いしたり説教されたり、
そういう日々を送るのが疲れつつも楽しかったんだろうなあ

健康マニアであるだけでなくそういう性格も長寿の秘密というか
355人間七七四年:2012/05/26(土) 12:58:48.28 ID:F3cA9hHc
泳ぐ人とおにいちゃんが柚子を植えたようです
356人間七七四年:2012/05/26(土) 14:15:34.97 ID:yQDuAKDJ
徳川って家来ばっかり面倒臭いシリーズになってるけど
家康だって十二分に面倒臭くて仕えづらい殿様じゃね?
俺はやだこんな説教くさいオヤジw
357人間七七四年:2012/05/26(土) 15:02:19.65 ID:tRNa6csK
家康だって三河武士だぜ……!
358人間七七四年:2012/05/26(土) 16:16:02.28 ID:vIjjSfsx
家康さんは、
説教好きと駄洒落さえ我慢できれば常識人だから、
仕える身としては判り易いと思うんだよね

信長さんは、
絶えず精一杯やってればそれ相応のことはしてくれると思うが、
きっとこっちがすぐパンクする

ラスボスさんは、
あれ昔はこれでokだったのに、なんで??って感じ
若い頃ってか信長さんに首根っこ掴まれてる頃なら一番仕えやすいと思う
359人間七七四年:2012/05/26(土) 17:14:00.62 ID:ss5WYFTi
ラスボスさんは下から上まであらゆる経験と人並みはずれた洞察力のせいで
自分の前ではいつくばってる奴の、見なくてもいい腹の内まで見えて(→見えた気がして)
自家中毒起こしたのかなあ、とか
360人間七七四年:2012/05/26(土) 18:22:48.79 ID:UKXWFESc
どこの大名家のお勤めも大変そうだな
よし、ちょっと天庵様に仕えてくる
361人間七七四年:2012/05/26(土) 19:17:48.03 ID:vHtsye8Z
秀忠なんか行動理詰めなんだけど今の俺らから見てわかりやすい理屈であって
当時だと結構仕えにくかったんじゃないかと思う。

俺モヒカンにして森家に仕官してくるわ
362人間七七四年:2012/05/26(土) 20:10:51.13 ID:sW3z7VWp
俺はもう武士はあきらめて庭師かな
でもどうせ仕えるなら名門で美人の多い所がいいよね。細川家とか
363人間七七四年:2012/05/26(土) 20:20:53.24 ID:yukiQPwD
>>362
アイツの嫁はチラ見すんじゃねえぞ
364人間七七四年:2012/05/26(土) 20:31:25.45 ID:qZsrnTT2
おk、ガン見する!
365人間七七四年:2012/05/26(土) 20:42:52.27 ID:xeHdIEAl
あいつらのせいで庭師と門番はもう死亡フラグの塊にしか見えなくなってしまった
366人間七七四年:2012/05/26(土) 20:50:31.24 ID:45URy85P
昔、肥後の国の菊池氏は忠義に励んでいたので源範頼は虎月毛という馬を与えた。

時代が下り、大友義鎮が九州にその勢力を広げていた永禄の頃、
菊池氏は大友に服従することとなった。
その際、大友氏と婚姻を結び、代々の宝物と共にまだ存命していた虎月毛を贈った。
義鎮はこれを受け取り由来を聞くと、筑紫の国坂東寺村(福岡県八女郡)に田を与え、
人に飼育させることにした。馬は蒲殿(がまどの)の虎月毛と呼ばれた。

その村が秀吉の九州征伐の後に小早川秀包のものとなり、秀包も馬の由来を聞くと、
さらに田を増やして飼うことにした。
文禄の頃、この馬はとうとう、五百歳で死んでしまった。郡内の者たちは葬式の行列をし、
野に出て葬ったが、その葬儀には千人余りの人が出たという。
<南海治乱記より>

ちなみに、伊予市誌には、伊予の九門修理という人が、蒲冠者源範頼の家来で、
範頼の愛馬「虎月毛」を範頼の死後も大切に世話していたらしいという記述があるみたい。

これは源範頼が偽物を菊池氏贈ったのか、それとも菊池氏が由来を捏造して
大友氏に贈ったのか。或いは「虎月毛」が二頭いたのか・・・。

いずれにしても、千人も葬儀に参加したのは凄いよね、ということでいい話に。
367人間七七四年:2012/05/26(土) 21:07:01.08 ID:aUsmUUsb
江戸初期まで生きた常陸坊海尊といい、源平の人馬は稀に長生きだな
368人間七七四年:2012/05/26(土) 21:13:48.10 ID:qZsrnTT2
文禄で五百て事は範頼の元で既に…
369人間七七四年:2012/05/26(土) 21:49:54.21 ID:VlAD26ut
百段「馬がそんな長生きするわけないじゃん(笑)」
370人間七七四年:2012/05/27(日) 02:20:14.75 ID:0YaiAFBS
黒門の戦い〜立花有情剣1〜
肥後一揆の首謀者の一人、隈部親長、親泰親子を預っている立花宗茂のもとに関白秀吉より、
隈部一族処刑の上意を伝える使者が訪れた。
「なお、治部少様より、上様のご威光を満天下に知らしめるよう、黒田様のごとく抜かりなきよう
心がけられることが肝要との御言伝がございました」
 使者の言葉を聞いた由布雪下の顔色が暗くなった。豊前の城城井鎮房が中津城中で討ち取られ
族滅させられた顛末については、元大友家の家人たる城井一族に対する扱いが酷すぎると立花家中
でも密かに囁かれていたからである。
使者を下がらせた宗茂は、由布雪下に声をかけた。
「雪下、後で皆を呼べ」
 宗茂の顔を見返した由布雪下は、即座に答えた。
「十二人で宜しいかと」
「相応しきものは、それくらいか」
 しばらくして、十二人の侍が宗茂の前に集まった。
「隈部殿を討つことになった。皆には苦労をかけることになるが頼む」
 主君に大任を任されたことに感動した十時摂津が、思わず声を上げた。
「放し討ちですな」
「隈部殿は、節義の士である。摂津、念を押すまでもあるまい」
 宿老の小野和泉の一言で、十時摂津が黙りこむと由布雪下が一同に告げた。
「明日、二十七日に殿が隈部殿を城に招かれる。黒門の内にて討て」
 宗茂の「目通りしたいことがある」という呼び出しに応じ、柳川城下に蟄居していた隈部一族十二人が、
柳川城に入城し黒門を通って三の丸の広場に足を踏み入れると
十時摂津、十時伝右衛門、十時勘解由、池部龍右衛門、池部彦左衛門、新田掃部介、内田中兵衛
、安藤五郎右衛門、安東善右衛門、石松弥兵衛、森又右衛門そして原尻宮内の十二人の侍が待っていた。
「上様、御上意により、ご一同を討つことにあいなった。御覚悟召されよ」
「ありがたきこと、いざ参られよ!」
 十時摂津の口上に答えて、隈部親長が刀を抜いた瞬間、黒門の戦いが始まった。
371人間七七四年:2012/05/27(日) 02:22:09.29 ID:0YaiAFBS
黒門の戦い〜立花有情剣2〜
隈部親長以下十二人が黒門内にて放し討ちにより討ち取られたとの報せが領内に広がると
同時に、新領主である立花宗茂に対する反感は一挙に下火になり、やがて賞賛に変わっていった。
漢にふさわしい死に場所と名誉を与え、天下の大罪人たる隈部一族十二人を懇ろに弔う宗茂の姿を
見た地侍や農民は、肥後一揆の際に和二一族の助命に宗茂が奔走したという噂が真実だったことに
ようやく気がついたのだ。以降、宗茂の熱心な領内巡視と地侍や百姓たちと直に話しあって実情に
沿った政治を行う姿勢が相まって、柳川領民の宗茂への信頼は不動のものになった。
しかし、奉行衆、ことに親切心からの忠告を無視された石田三成の怒りは大きく、秀吉に拝謁するため
上京してきた宗茂の宿舎を尋ねると詰問した。
「天下の大逆人を斬罪や磔に処さなかった訳や如何に?」
「我が立花家には、三箇条の掟がござる。それに照らしあわせて処断したまでのこと」
「して、その三箇条とは!」
「国法に背き、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶものは斬、国法に背き、節義に欠けるものは切腹、
国法に背くものは放し討ちと決まっております。隈部殿は関白様の定めた掟に背き一揆を起こされたが、
その後は、柳川の城下にて蟄居され、武士として関白様の裁きを静かに待つ姿は、まさに節義の士そのもの
でござった。故に放し討ちにしたまでのこと。詳しき顛末は殿下に拝謁した折に申し上げまする」
「・・・・・・明日の拝謁は、空腹(からばら)で来られるが良い。それならば見苦しゅうなることもござるまい」
 そう、捨て台詞を発すると三成は席を立った。
 翌日、宗茂の口から隈部一族十二人を放し討ちにした顛末を聞いた秀吉は長嘆息した。
「あたら勇士を殺せと命じたのは余の不明であった。左近将監、そちの振る舞い見事であった」
「殿下の今のお言葉を聞けば隈部殿も成仏されるでしょう」
 そう答えると宗茂は秀吉の御前を下がって宿舎に帰っていった。

372人間七七四年:2012/05/27(日) 02:27:10.88 ID:jgpHnDOa
独特の価値観だな
373人間七七四年:2012/05/27(日) 02:41:41.94 ID:76NYTgGl
ちょっと詳しくなっている
374人間七七四年:2012/05/27(日) 02:44:02.67 ID:DTMYFCO5
     ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、
    /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
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  _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;⊥
  | '|.    /   、       |;/ ィ |
  | |    (    )       .ソ /ノj
  ヽ |    _,ニ ニ,,,,,_       ソ./
   `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     '' /
.   ',   :i゙''''''''''`l'  `    ,‐'"
    ヽ.   L__」      /
     ヽ.  -、、、、 '    /|
.     ハ        /  |、
    /|ヽヽ、___,,,,、 '    l ',
   ノ. | ヽ          / |`ー-、

375人間七七四年:2012/05/27(日) 02:57:35.24 ID:39odJBvd
>>374
あんたそう見えて一角の人物だったのか
376人間七七四年:2012/05/27(日) 03:37:21.79 ID:Bd6NtJGF
宗茂は創作と疑いたくなるほどキレイな逸話ばかりだな
377人間七七四年:2012/05/27(日) 07:25:45.47 ID:DPBGLc7h
俺も宗茂さんと同じの立花ら
こうも立っ花振る舞いが出来るかどうか…。
378人間七七四年:2012/05/27(日) 07:32:30.38 ID:MX8f0TKF
しみじみと、立花さんななんで西軍についたんだろう
379人間七七四年:2012/05/27(日) 08:10:38.14 ID:oWwOzHms
豊臣下では毛利軍に配属されてたからでは
小早川秀包とは義兄弟とかいうし
380人間七七四年:2012/05/27(日) 08:57:57.95 ID:QIifo4x/
>>376
宗茂は貧乏時代の逸話が好き。

治部少さんは気の毒だなぁ、いい人なのに。
それなりに器もあっただろうし、決して文弱な人では無かっただろうに。
381人間七七四年:2012/05/27(日) 10:33:57.08 ID:V2qK5kAH
まだ器の大きさを見せるころの秀吉だな
382人間七七四年:2012/05/27(日) 10:36:05.44 ID:uBUKIfLC
シロイチンボウって凄い名前だな…
383人間七七四年:2012/05/27(日) 11:46:17.95 ID:s1IJewuh
城井(きい)鎮房です

しかし、悪い話スレの
>486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 07:42:22.66 ID:srftelVj [1/2]
>>>481
>筑紫広門の自慢の娘で美人だったらしい
>ちなみに次女は黒田長政の側室になってて姉妹揃っての美人らしい

筑紫広門の娘は城井さんの娘のようにならなくてよかった
384人間七七四年:2012/05/27(日) 12:27:23.95 ID:H35UQNKk
>>374

                      O
                      |
                   ,. - ―┴‐-,、
                /―――‐ '´  ヽ
               /,rニ二!    /O7 ヽ
               ,! ヽOヽ    ヽ ̄/ i
               ! ヽ ̄/         |_
            <I´「|     /`ヽ      |」_I>
             ``| ヽ  / ー'`J ヽ  / |´
                 !  | |      ヽ  | |
              |   | r'⌒ヽ_/⌒ヽi、 | |
                 l   | |  ,rー ‐''^ヽ | | |
               ヽ  | ,レ-‐--、」 ,!   !
               ヽ  ヽ _ ノ⌒ー-'/   /
                ヽ_         /
                 |[口]ヽー――i'´
385人間七七四年:2012/05/27(日) 12:57:35.01 ID:0YaiAFBS
>>384
それ城井鎮房でしょうがw
386人間七七四年:2012/05/27(日) 13:27:33.62 ID:Z8WOMCHW
「・・・・・・明日の拝謁は無用にございまする。某これより空腹(からばら)にて上様に報告してまいります。」
 そう、台詞を発すると三成は席を立った。
こうだと参加者全員良い話なのに・・・
387人間七七四年:2012/05/27(日) 13:29:36.87 ID:ZRA3kXwr
まぁ逸話だから、史実的な正確さは……。
みっちーが割を食うのはもう定番というかw
388人間七七四年:2012/05/27(日) 14:59:47.12 ID:tHHJrGA/
宗茂は同じく肥後一揆の後始末で、内古閑鎮房(隈部親永の子)も処刑してるんだけど
この時も何故か数百人同士の合戦やって殺してるんだよな
389人間七七四年:2012/05/27(日) 18:34:43.98 ID:xV+PtFLq
城井「黒田様に城内に招かれたので参上したら一族みな討たれました」
隈部「立花様に城内に招かれたので参上したら一族みな討たれました」
390人間七七四年:2012/05/27(日) 20:25:57.90 ID:X0iYLInr
空腹って?
391人間七七四年:2012/05/27(日) 20:31:59.48 ID:vjPmjIAA
腹切ってもハラワタから糞漏れないようにしとけよって事
392人間七七四年:2012/05/27(日) 20:36:53.92 ID:M4Zzh9/j
騙し討ちされたと同じ人数で合戦した結果の討ち死にの違いじゃないかな?

騙し討ちに名誉もないが合戦の討ち死になら名誉があるって感じなのかな?昔の人間の考え方は
393人間七七四年:2012/05/27(日) 21:50:39.29 ID:Nc8cB/ua
さすがかっちょいいなぁ・・・このときってまだ20台前半でしょ・・・
394人間七七四年:2012/05/27(日) 21:56:38.69 ID:uVUlQ2Oz
一方的に殺されるのと、最期に正々堂々と戦える機会を与えられるのとは全く違うわな
395人間七七四年:2012/05/27(日) 23:11:02.30 ID:rwXP9Nbc
ヴァルハラに行けるしな
396人間七七四年:2012/05/27(日) 23:33:10.96 ID:oxTyzeHQ
これって多分隈部さんちも空気読むつか恩義に応えて斬り合いながらも切られにいってるよね。
隈部さんが意地になってガチで斬り合いになって終わってみたら十時摂津一人が仁王立ちとかだったら後味の悪い話、部下の命を粗末にした悪い話になっちゃうよね。

きっと隈部さんのいい話でもあるはずだ。



処刑されるのが鬼武蔵チームだったら大変な事に。
397人間七七四年:2012/05/28(月) 00:24:08.10 ID:2ZbtMtq4
>「放し討ちですな」
>「隈部殿は、節義の士である。摂津、念を押すまでもあるまい」

摂津って奴は四天王最弱とかそんな扱いなん?ww
398人間七七四年:2012/05/28(月) 00:56:15.97 ID:TJSZ+8zD
>>397
安東家忠  1515年 - 1599年 享年84歳
由布惟信  1527年 - 1612年 享年85歳
高野大膳  1540年 - 1621年 享年81歳
小野鎮幸  1546年 - 1609年 享年63歳
十時連貞  1556年 - 1644年 享年88歳

まあ、最年少ではある
399人間七七四年:2012/05/28(月) 01:06:38.74 ID:2ZbtMtq4
へー最年少だったか
摂津って宗茂のエピソードにはよく顔だしてたね
歳が近い分宗茂との距離もほかの家臣よりも近かったのかな
400人間七七四年:2012/05/28(月) 01:30:58.00 ID:X9Xw4V5Z
>398
「小野が六十三で死んだか」
「ヤツは四天王の中でも最弱よ」
401人間七七四年:2012/05/28(月) 02:39:15.46 ID:cvjlR2ei
>>398
立花家ってあちこちで前線で働いてるのに揃って長生きしてやがるwwすげえww十時摂津とか作品の主役張れるくらいの経験余裕でありそうだww
402人間七七四年:2012/05/28(月) 07:57:22.46 ID:dPzs0Wpd
>>398
えっ何これまさかここも五人そろって四天王とかいうノリなん?
403人間七七四年:2012/05/28(月) 08:20:50.50 ID:Xp6RQ36L
鎮房と広門の話か…
404人間七七四年:2012/05/28(月) 11:51:05.69 ID:M1VlDTUb
>>402
Wikiによると、安東没後に小野が新たに立花四天王に補充された模様。
十時はこの時すでに、40歳以上年上の安東と並んで四天王だったらしい。
405人間七七四年:2012/05/28(月) 14:18:00.37 ID:qkqExfqv
>>401
たしかに十時さんの小説があったら読みたいな

道雪の重臣の家に生まれて宗茂付きになって
九州征伐後の肥後国人一揆では水野勝成とコンビを組んで戦功をあげて
関が原の後、浪人の宗茂を虚無僧で日銭を稼いで支えて
暴漢を返り討ちにして宗茂が徳川家に仕えるきっかけを作って
太平の世になって柳川に帰ってきたと思ったら島原の乱勃発
忠茂の初陣をよく補佐しつつ、水野勝成と再会して
江戸に戻って宗茂の最後を看取ってからの死去

うん、十分濃い一生w
406人間七七四年:2012/05/28(月) 14:32:18.96 ID:C+Mrizap
宗茂と十時摂津って年齢的に政宗と小十郎みたいだな
こっちの方が長生きで武闘派だけど
407人間七七四年:2012/05/28(月) 15:24:02.09 ID:cvjlR2ei
年齢的にはそうだけど、役割的には小十郎ポジションは雪下のじっさまじゃね。

>>405
道雪最後の合戦にも参戦してたり、岩屋城の紹運を説得に行ったり、宗茂が立花家に来てからの主な出来事にはだいたい顔を出してるよな。
棚倉の切腹詐欺浪人の逸話にもきっちり名前出てたしww
408人間七七四年:2012/05/28(月) 21:02:38.60 ID:2ZbtMtq4
半世紀以上の付き合いで死に様も見取る、見事な仕えっぷりだな
虚無僧さん
409人間七七四年:2012/05/28(月) 21:20:56.05 ID:Xp6RQ36L
>>396
作法的なものってあるのかな、最後に死に場所を与えてくれた礼とかで
三合ほど打ち合ってから斬って貰うとかなんだろうか?

410人間七七四年:2012/05/28(月) 21:34:59.59 ID:cpJx2YiT
本気でやり合ったら死ぬ方が大暴れしそうだから暗黙のルールでもあるのかな
411人間七七四年:2012/05/28(月) 23:09:57.94 ID:zVnTGlmD
>>410
実際、本気でやりあってひどいことになった例が、このスレか悪い話スレかで出てきたような。
412人間七七四年:2012/05/28(月) 23:25:28.92 ID:fmCf3JMv
秀吉が目の前に居て、とかだったら死ぬ気で大暴れだろうけど
黒田家がどうしたの他の豪族はどうなったのの話が漏れ聞こえてくる中で死に場所を用意してくれた
ってなったらよっぽどの脳筋じゃなきゃ空気読みそう。

斬られた一人の相手は空気読まないタイプだったのかその一人が弱かったのか・・・
413人間七七四年:2012/05/29(火) 12:44:31.84 ID:1tKk/jiv
まぁ秀吉がわざわざ危険に身を晒すはずないしね。

……信長さんは、「俺を殺せると思うならやってみろ」と刺客団にわざわざ挨拶にいったけど。
魏○さんみたいにならなくてよかった。
414人間七七四年:2012/05/29(火) 12:47:43.52 ID:5BMCU1Bp
徳川家康が江戸に移った後、鷹狩をしていた時、後北条氏の頃より江戸に
住んでいた虚名の士が路の傍らに進み出て、自分の意見を書いた申文を捧げた。

家康は申文を見ても何も言わず、虚士は御前を憚らなかったために石出帯刀の
屋敷に拘束された。

それから日数を経て、「あいつはどうした」と虚士のことを尋ね、
まだ拘束していることが分かると家康は

「刑法を犯したわけでもないし長く投獄しておくのは不憫だ。早く出してやれ。
奴はわが治法の北条の時と違って良からぬところを数ヶ条書き連ねていたが、

ひとつとして使えるものがなかったゆえ、申文も捨て置いた。何ぞ一条でも
使えるものがあれば誉めてやろうと思ったのにな。たいしたことは書いてなかったわ」
と言って微笑んだという。
415人間七七四年:2012/05/29(火) 14:01:18.14 ID:N7u2j2nL
家康「ただのクレーマーか」
416人間七七四年:2012/05/29(火) 15:13:20.06 ID:xpbxDnR0
申文
・子がいても生活が困窮している父母を徳川が保護しろ
・仕えたくても仕えられない浪士に徳川が食い扶持を与えろ
・これらのものは税に限らず医療費諸々も免除しろ
417人間七七四年:2012/05/29(火) 15:46:59.63 ID:6YXcWTD7
申文
・秀次殿とのは距離を取ること
・これからは信州の上田城に関わる事がなきようお願い申し上げる
・決して毛利殿と島津殿をお許し召されるな。後の禍根となりましょう
・鐘を良く見ると道が開けます
・天麩羅の食べすぎにはご注意を
418人間七七四年:2012/05/29(火) 15:55:33.94 ID:vXd/ht5f
申文
・豊臣政権への上納金を廃止して民の税負担を軽減すること
・文句を言われたら秀吉に宣戦布告し江戸城に立て篭もること
・待ってれば今度こそ伊達が助けてくれるに違いない
419人間七七四年:2012/05/29(火) 19:00:00.17 ID:ieg61BS4
>今度こそ伊達が

この時点でアウトー!w
420人間七七四年:2012/05/29(火) 19:35:09.34 ID:52FoJMNS
武将や足軽の皆様、ご歓談中にお願いに上がりましたこと、
平にご容赦くださいませ。

韓国がアメリカに旧日本軍の従軍慰安婦碑を建てた問題で、
撤去の署名請願をしていますが、署名先の登録が英語のためと、日本のマスコミが
詳細を取り上げないのでなかなか知られておらず件数が伸びません。
2万5千人以上の署名があれば、設置先のアメリカはこの件について
アクションを取らなければいけないことになっているのでぜひご覧いただき
署名をお願いします。
ここで署名が集まらないと、日本人も慰安婦を認めているから署名が集まらないと
言われかねません。

http://wh.gov/yrR
CREATE ACCOUNTのボタンを押すと、アカウント作成の画面になります。そこで、
名前

メールアドレス
の3つを入力します。そのあと直下にある文字認証の枠内にある2つの英単語をスペースを挟んで2つタイプします。
作成のボタンを押すと、ホワイトハウスのサーバから登録したメルアドあてにメールが来ます。
そこにあるURLからホワイトハウスのページに飛び、ENTERキーを押します。
そこでパスワードを入れると、参加資格認証完了となります。
Sign This Petitionのボタンを押すと、請願に賛同したことになります。カウントを確認してください。
421人間七七四年:2012/05/29(火) 20:33:20.97 ID:5BMCU1Bp
>>414
虚名の士とか虚士とか書いたけど処士の間違いだったorz
ちょっと鬼武蔵に斬られてくる
422人間七七四年:2012/05/29(火) 21:20:45.45 ID:BD8hvufd
>>421
処士ってアレか、自宅警備員の事か。
423人間七七四年:2012/05/29(火) 22:28:46.31 ID:G4uMI+Gc
>>422
自宅守護
424人間七七四年:2012/05/29(火) 22:40:08.47 ID:wUdHqU8s
ヤってない女は処女。つまり処士は…
425人間七七四年:2012/05/29(火) 23:05:18.16 ID:KmHwbZEv
>411、ギリワン建築士「あんまり暴れるようなら畳で押さえつけて種子島でさくっとやればよろしい」
426人間七七四年:2012/05/30(水) 01:08:43.38 ID:Fa7YcEId
無礼な直訴をしても、笑って数日で許してやる、って武将少ないよなぁ。
その点家康さんはやっぱいい主君だったんだろうな。
427人間七七四年:2012/05/30(水) 01:20:16.55 ID:B6AbKxC5
>>424
なんだ、俺のことか
428人間七七四年:2012/05/30(水) 02:03:17.01 ID:lnrPfrHR
>>426
直江兼続が通りますよ、と。
429人間七七四年:2012/05/30(水) 03:13:53.01 ID:3G3BS/oc
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430人間七七四年:2012/05/30(水) 06:37:31.70 ID:4pMcy+Lb
天正元年(1572)2月上旬、三河の徳川家康より上杉謙信に新年の祝儀が賀せたれた。
これは家康が最初に使節を送って以来、両家の友好的交流が続いていた故である。
進物は備前の良工の打った太刀であった。この太刀は代々徳川家に伝わる名剣にて、その名を「徳用」と号し、
別して珍蔵していたものであるから、どうか管領(上杉謙信)にも大切にしてやってほしいと、懇ろに申しきた。
徳川の使者の介添えは葉山の別棟権現堂であった。

家康よりの口上には、

『先の冬、遠州三方ヶ原の合戦で武田信玄は勝利を得ました。あの時、もし攻撃を収めず
そのまま浜松城を攻めたのなら落城は疑い無い所だったのに、どのように考えたのか、すぐに人数を
引き上げてしまいました。この事は皆、家康には意外な事でした。』

謙信はこれを聞くと

「信玄が直ぐに将兵を指揮して浜松を攻めなかったのは、いささかもその落ち度ではない。
信玄はただ、家康の数年来の戦ぶりの覚悟を察しており、そこを気遣った故に、その軍勢を引き上げたのだ。
誠に深い謀略である。
また、信玄にそうさせた家康の手柄も莫大であるぞ。」

と家康を褒めた。


その頃、諸国の武士はこの時の信玄の戦ぶりを評して曰く、『信玄が切取るべき所を怠り、軍利を得ることが
出来なかったのは、信玄にとって大変残念なことであった。浜松を攻め落とすことが出来れば、たとえ家康を
打ち取れず引き上げさせたとしても、遠州はその過半が信玄の手に入っただろう。
そうなれば信玄の権威は隣国に聞こえ、織田家にも大変な恐怖を与えたはずなのに。』
などと沙汰していた。

「これは皆、ただ家康・信長の家運が強かった故、それだけである。」
謙信も内々にはそう思っていたのだが、彼はあえて家康の積年の軍功を評価し、また信玄の軍配にも、
それを貶めるようなことは言わなかったのである。

(上杉年譜)

上杉謙信、三方ヶ原を評する、というお話。
あいかわらず信玄に対してはツンデレな謙信公であった。
431人間七七四年:2012/05/30(水) 07:55:11.89 ID:qZktTfNb
>その名を「徳用」と号し

「業務用」に近しい意味に聞こえる
432人間七七四年:2012/05/30(水) 09:01:25.88 ID:90ZGZe4K
で?俺に差し出す養子の件はどうなった家康?by謙信
433人間七七四年:2012/05/30(水) 09:10:47.35 ID:ZS/nkMSh
悪い話539なら、信長の息子では
434人間七七四年:2012/05/30(水) 09:27:33.92 ID:vGDfoemF
謙信は気遣いのできる男なんだな
435人間七七四年:2012/05/30(水) 09:40:20.43 ID:70dAjU4q
違いのわかる男
436人間七七四年:2012/05/30(水) 09:43:59.04 ID:mPOgrTS2
謙信は信玄が織田家を攻撃したことについて「蜂の巣の前に手を出すようなものだ」っつってたけど
437人間七七四年:2012/05/30(水) 10:02:05.42 ID:FSQfMsv7
>>436
史実の謙信はね
438人間七七四年:2012/05/30(水) 10:12:01.61 ID:QvtA9jo7
ハチミツ美味しいですね わかります
439人間七七四年:2012/05/30(水) 10:23:11.67 ID:mSJk7u0D
肥前の熊さんが沖田畷に手を突っ込んだようです
440人間七七四年:2012/05/30(水) 10:26:32.74 ID:lsl626Da
武田が蜂の巣になると言うのに
441人間七七四年:2012/05/30(水) 10:37:38.99 ID:QvtA9jo7
織田がハチミツだろ? 蜂の巣をつついたように騒いでたし
442人間七七四年:2012/05/30(水) 10:43:54.83 ID:+QINUviB
蜂の巣になった織田のハチミツに俺より先に手を出すなんてうらやましいby謙信
443人間七七四年:2012/05/30(水) 10:46:09.10 ID:1ZkPe5Da
川中島あたりで両者とも蜂の子を
444人間七七四年:2012/05/30(水) 10:48:27.21 ID:+QINUviB
おい信長 俺に献上するといってた養子の件はどうなった?by謙信
445人間七七四年:2012/05/30(水) 10:54:14.73 ID:qZktTfNb
蜂の話題と聞いて、蜂須賀家がアップをはじめました
446人間七七四年:2012/05/30(水) 11:08:50.77 ID:yIZDtls/
信玄はプークマか。
447人間七七四年:2012/05/30(水) 11:12:10.00 ID:YRIj/+zL
信玄はどっちかというと熊先生
448人間七七四年:2012/05/30(水) 11:27:13.76 ID:+QINUviB
謙信との約束やぶるから手取り川でハチミツにされた織田
449人間七七四年:2012/05/30(水) 11:38:31.54 ID:ettDtYJt
養子の代わりに勝利をいただいていきますね
450人間七七四年:2012/05/30(水) 11:40:05.51 ID:7LTjskJZ
養子って人質だろ もはや隷属だな
上杉配下だろ織田w
451人間七七四年:2012/05/30(水) 12:08:12.32 ID:gJMVxTjb
北条氏も上杉配下になるのか
452人間七七四年:2012/05/30(水) 12:42:18.56 ID:LsbYjkIy
だから越相同盟破綻したんだろう?
453人間七七四年:2012/05/30(水) 12:59:35.14 ID:7LTjskJZ
北条と同レベルってこったな織田は
454人間七七四年:2012/05/30(水) 15:29:09.72 ID:3G3BS/oc
       ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、 書き込みのはやきこと風の如く
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (  他人と会話せざること林の如く
  /o O / l´ ノ      ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、  ●    ● ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  ネットで煽ること火の如く
 / ,イ   レ_   ( _●_) ミl~T--‐彡    /./
/ ̄ ̄l.  彡、   |∪|  ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、    部屋から動かざる事山の如し
彡:::::::::::l  ト、___ヽノ /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴
455人間七七四年:2012/05/30(水) 15:30:51.55 ID:tY97pDgT
FLASHで暴露記事です。やっぱり、あの姉も生活保護を受給していたというんだが、
「高校生の息子が卒業して働きはじめたので、今年4月から返上」だそうで、またしても4月ですw 
それまでは、母親、叔母、姉と、それぞれ別個に生活保護を貰っていたという事で、一族郎党こぞって生活保護という、まぁ、お約束ですねw
 典型的なナマポ貴族であり、ヤクザ以上に悪質なんだが、ヤクザは捕まえても吉本だと捕まえないんですか? 警察もここまでネタあがってるんだから、しっかり働けよ、こら!

456人間七七四年:2012/05/30(水) 15:46:45.81 ID:Tb7ZQmHg
逸話を逸話として楽しめず、ガチで○×アンチみたいな発言を繰り返すのは武田上洛スレでの捏造でお馴染みのあいつか。
457人間七七四年:2012/05/30(水) 15:56:31.49 ID:udvbJRl2
織田厨はところかまわず沸いて出るなぁ
458人間七七四年:2012/05/30(水) 17:38:43.77 ID:+9t1O/w2
織田軍が有岡城を攻めた時、四十歳ほどの武者が一番乗りと声を上げながら
堀を越えてきたものの、敵に取囲まれて万策尽きてしまった。

「某は先を争ってここに来たのだ。決して命を惜しんでなどいない。

だが某には七十歳の母がいる。明日も知れない身で某以外に養うことが
できる者もいない。この期に及んでもなお頭に掛かるのは母のことだけだ。

ここで某が討たれれば、老母は明日より飢えと寒さに苦しみ死んでしまう。
それはあまりにもうらめしいではありませんか。

どうか哀れとお思いなら私を逃がして下さい」

この時、荒木村重は武者の顔に溢れ出る孝心を感じ取った。

「なんと不憫なことであろうか。親を大切にする気持ちは誰でも同じだ。
早く帰って老母をいたわってやれ」

そう言うと村重は武者に金銭を与え、門外まで人を添えて送り返したという。
459人間七七四年:2012/05/30(水) 17:57:44.94 ID:b+z6tHCD
なんだその気の弱いコンビニ強盗みたいな奴は
460人間七七四年:2012/05/30(水) 18:03:38.76 ID:h3oCyGhs
これ全部言うまで手を出さなかった荒木の兵達も優しいな。
461人間七七四年:2012/05/30(水) 18:05:59.20 ID:cxMB0KuZ
スパルタ先生で鍛えればいいんじゃね?
戦国の教師っていうと道雪、小十郎さん、工場長、あと誰がいる?
462人間七七四年:2012/05/30(水) 18:40:55.42 ID:lnrPfrHR
>>458
生易しくてポロリとする話
略してナマポ
463人間七七四年:2012/05/30(水) 19:06:53.24 ID:4wxySj+S
>>459と合わせて
いい話というより笑える話になってしまった
464人間七七四年:2012/05/30(水) 19:36:13.01 ID:4pMcy+Lb
>>461
武田信玄が臆病な武士を合戦のど真ん中に縛り付けて放置して勇猛な武士にクラスチェンジさせた話がw
465人間七七四年:2012/05/30(水) 19:42:16.00 ID:7ngvSc1X
>>458
もし見逃してもらえなかったら
「今になって考えてみると、むちゃくちゃ甘い考えだったと深く反省しています」
と言おう
466人間七七四年:2012/05/30(水) 19:49:15.99 ID:ynBd7fdc
>>458
一番乗りっていうかもう完全に一人で突っ込みすぎて取り残されたんだろうな
荒木側ものんびりしてるしw
467人間七七四年:2012/05/30(水) 20:37:31.50 ID:TTevQghn
>>466
敵味方両方とも、あーあー飛び込んじゃったよwみたいな空気になってる情景が頭に浮かんだw
468人間七七四年:2012/05/30(水) 20:40:42.61 ID:IxCRiw0K
一番槍とか一番乗りが評価されるのは、その場に至れる勇敢さだけじゃなくて
その最も危険な状況から生きて帰って来れる戦術眼を含めてだもんね

森家のかがみんとか真田家の人々みたいな、やらかしたけど槍一本でナントカしてしまうような
一線を超越した人外もいるのはけどw
469人間七七四年:2012/05/30(水) 20:57:04.85 ID:tMjjgKC4
荒木村重が家族思いだったとは
470人間七七四年:2012/05/30(水) 21:23:35.15 ID:s9V48y5I
道糞にも五分の魂
471人間七七四年:2012/05/30(水) 22:09:28.99 ID:mPOgrTS2
自分の家族を助けろと言いたいw
472人間七七四年:2012/05/30(水) 22:44:40.95 ID:Ad9fRiWn
>>471
名物と書いてかぞくとルビをw
473人間七七四年:2012/05/30(水) 23:09:45.02 ID:/LShbl9X
武者「よっしゃ!!この金で愛人と遊ぶぜ!!(70過ぎの母なんていねーしw)」
474人間七七四年:2012/05/31(木) 01:33:31.29 ID:eZtfpDwh
>>458
何このコントwwww
475人間七七四年:2012/05/31(木) 03:55:56.55 ID:pdaf0yDI
>>464
馬場さんに酷い事されたからなぁ…
476人間七七四年:2012/05/31(木) 09:07:04.35 ID:iem/raIB
福島家に仕えていた吉村みたいだな。
関ヶ原前哨戦の岐阜城攻め。
477人間七七四年:2012/05/31(木) 09:32:25.88 ID:pD9SxEED
>>475
毛虫かw
478人間七七四年:2012/05/31(木) 11:13:32.00 ID:pdaf0yDI
『源氏が毛虫を怖がってなんとする』
みたいな事を馬場美濃さんなら言ってそうな気がする。
479人間七七四年:2012/05/31(木) 11:16:34.52 ID:rsI3kb8e
武田家の重臣って、長篠みたいに自分らの意見が通らないと自殺特攻決意するようなメンタリティの連中が多かったみたいだからな。
良くも悪くもそっち方面に偏っていそうだ。
480人間七七四年:2012/05/31(木) 11:24:16.38 ID:pdaf0yDI
馬場『宝物(ほうもつ)は消毒だーー!』
481人間七七四年:2012/05/31(木) 12:08:53.88 ID:or9PiUQ0
482人間七七四年:2012/05/31(木) 14:25:42.38 ID:7Y4wA2Ot
>>480
そこは「御物(ぎょぶつ)」と申せ
483人間七七四年:2012/05/31(木) 14:27:54.68 ID:h1Il56Xz
後世の評判を気にするのなら、「長男を排除してまで縁戚の弱り目につけこんで攻撃した」状況自体をまず食い止めるべきだろうな……。
484人間七七四年:2012/05/31(木) 18:45:52.16 ID:APfA2Ozj
弱り目なら桶狭間直後に攻め込むわな
485人間七七四年:2012/05/31(木) 19:17:32.03 ID:HyzBlwqe
かつて金貨は大判金と砂金ばかりが通用し大変不便であった。豊臣家の治世では国々より
様々な雑金が京に集められ、銀と引き換えるに当たって兌換する者はこれを査検するために
暇がなかったが、関東では金見役が設けられ後世の一両判のような大きさの金貨が通行していた。

徳川家康が関八州の主となった後、京の彫工後藤一族の庄三郎光次という者が仕えた。
光次は聡明にして才幹のある人物で、家康の寵愛なみなみならず、側近くに召し使われた。

ある時、家康が「わしが天下を統一した暁には、お前の望みを何でもかなえてやるぞ」と
言うと、光次は「私に望みはありません。ただ、いま世に通行する黄金は重大にして不便
ですから、これを四分にして新鋳すればいささかばかりの国益となりましょう」と言った。

この提案が家康の意にかない、天下統一後は小判金が作り出され、慶長十年に光次の建議
により小判金を四分にして一分判を鋳造したところ、天下の流通は軽便となり二百年余り後の
世になっても通貨が滞ることはなかった。
486人間七七四年:2012/06/01(金) 00:15:02.81 ID:ZmhCH8HP
高虎のこんな恩返し

浪々の身を山科の桜井林佐のもとに寄せていた藤堂与右衛門は、
どれだけムシの居所が悪かったのか、ある日、
無礼を働いた農民を斬ってしまった。
斬った方も斬られた方もそれぞれ言い分はあるだろうが、
それを見た農民たちは黙ってなかった。

蜂起した農民たちが右から左から与右衛門のまわりににじり寄り、
たちまち取り囲んだ。
「これはいかん!」
与右衛門はたまらず逃げ出し、桜井林佐の家に駆け込んだ。
手に手に武器を持った農民たちが大挙して後を追い、
桜井方に押し寄せると、ヤツを出せと迫った。

しかし、この与右衛門を居候させるほどの男である、
桜井林佐はなかなかの人物であった。
あらゆる方法で農民たちをなだめすかし、まとめ上げ、
納得ずくで退散させた。
与右衛門は、命拾いをしたのだ。


後年、津藩主になった藤堂与右衛門高虎は、
桜井林佐を5百石で召抱えようとした。
だが林佐はこれを辞退。
どうあってもこの恩に報いたいと言う高虎に、
「ならば我らの子孫が落ちぶれた時に、お救い願いたい」と林佐が応えると、
高虎は喜んで承諾した。
次代へ語り継がせていつまでも扶助するとの約束をし、
黒印を押した文書を手渡した。

後代の文化年間、林佐の子孫へ毎年白銀5枚を下賜したとの記録がある。
高虎の若気の至りも間違いなく語り継がれたようである。
                             (町年寄伊藤又五郎日誌)
487人間七七四年:2012/06/01(金) 00:38:05.33 ID:bF7OomjV
これはある意味高虎の悪い話でもあるなw
488人間七七四年:2012/06/01(金) 00:51:06.74 ID:XPBplObM
若気の至りで殺されたらたまらないけど、
恩義を忘れなかったことは、いい話かな。
489人間七七四年:2012/06/01(金) 00:54:27.68 ID:O+KsRu1y
>>485
そういや小判てどれも金座当主として光次の花押が刻印してあるんだよな
490人間七七四年:2012/06/01(金) 01:05:55.50 ID:Y4jH3miA
朝鮮出兵の前、秀吉が小早川隆景に渡海の為の造船を命じた。
豊前の彦山(現:英彦山)には楠の大木が沢山あるので、
これを切り出してきて大船を造れと言う。
隆景はさっそく彦山に行き、その旨を告げた。
この彦山、羽黒山や熊野大峰山と並ぶ修験道の山で、
天正9年に大友義統の軍勢に攻め込まれるまでは、
数多くの僧兵を有した一大勢力だった。
そんな山だったので、山の座主は色々理由を並べて木材伐り出しを拒否したのだが、
隆景が「関白殿下の仰せだ」と伝えると座主は納得し、
隆景を座主の坊にしばらく滞在することとなった。

さて、ある夜のこと。
外は秋雨が降っており、深山は寂寞たる風情であった。
隆景は一人灯りをともして心を澄まし、古詩を吟じていた。
すると風がさっと吹き、どこからともなく身の丈七尺はありそうな山伏が現れた。
頭巾をかぶり鈴懸を付け、数珠を持って隆景の前に座し、
大きな目を突き出して睨みつけてくる。
隆景は「これは何かありそうな山伏だ。
きっとこの彦山に棲むという豊前坊という大天狗に違いない」
と冷静に判断し、少しも騒がず、瞬きもせずに静かに山伏と睨み合った。
491人間七七四年:2012/06/01(金) 01:07:11.69 ID:Y4jH3miA
暫くして、山伏は話し出した。
「左金吾殿、この山の木は開基千百年の昔から一度も伐られたことがない。
これは人々が神仏を敬い慕うがゆえに守られてきたことだ。
それなのに、隆景が何の恐れもなく木を伐採し、舟具に用いるとはなんと奇怪なことか。
貴公は仁義の大道に尽力し、仏神に帰依の心も深い。
この末法の世には有り難い名将だと聞き及んでいたのに、
こんな悪逆無道のことをするとはいかなることか」
と声を荒げて言いつのった。

しかし隆景は答えた。

「これは貴公のような山伏の仰せとは思えない。
この彦山の樹木を、この隆景の私用の為に伐るのであらば、
そのようなそしりを受けもしよう。

しかしこれは関白殿下の御命であり、隆景はその奉行として罷り出でたのだ。
この山の木を伐らせるのに前例がないからと言って殿下の命に背くのであれば、
それは天下の下知に背くのと同じことだ。

“普天のもと、王土にあらずということなし”という。
秀吉は天子ではないが、畿内は天子の直轄地であり、そのほかは将軍の令を守るものだ。
天下の下知に背くのはいかなる道理があっても罷りならぬ。
ゆえにこの命に背くなどあってはならないことだ。
 
492人間七七四年:2012/06/01(金) 01:09:20.99 ID:Y4jH3miA
次に、この隆景のことを悪逆と言ったが、
山伏殿の方こそ自分勝手なことばかり言っているではないか。
役行者(修験道の開祖)以来、山伏の法には、
私利私欲を優先して世の法を破れとでも書いてあるのか。
もしそうなのであらば、山伏は邪魔外道の法で、正法のものではない。
正法は私欲を禁ずる。ならば樹木に執着し、縛られるとはいかなることか」

すると山伏は、
「“普天のもと、王土にあらずということなし”とはもっともなことだ。
貴公の科ではないというのも歴然だ。ではお暇申し上げる、さらばだ」
と言い残して、掻き消えるように姿を消した。

隆景が少しでも臆していれば、こんなふうに理詰めで天狗に相対出来ず危険なことになっていたに違いない。


この話には「小早川隆景と天狗山伏問答の事」とタイトルが付けられている。
あの叔父上、問答じゃなくて、どう見ても天狗を説教してるようにしか見えません。
493人間七七四年:2012/06/01(金) 01:11:42.19 ID:HcCfmW67
誰だよ、隆景さんを勇気が足りないとか評した猿は
494人間七七四年:2012/06/01(金) 01:43:18.73 ID:oqh1X04I
>>488
殺された農民と遺族は浮かばれない話だからちょっと微妙だけどなw
495人間七七四年:2012/06/01(金) 01:52:11.15 ID:5Asxeie0
鬼武蔵なら「これ幸い」とばかりに斬ってた
というわけで、隆景さんは勇気が足りないんですたぶん
496人間七七四年:2012/06/01(金) 01:56:07.24 ID:L/m9IHAJ
>>490
これ浮世絵なかった?
国芳か芳年か
497人間七七四年:2012/06/01(金) 02:14:23.29 ID:Y2ggbcaz
498人間七七四年:2012/06/01(金) 02:14:29.43 ID:O+KsRu1y
なんか似た様な話で幽斎様が歌詠んで坊主言いくるめた話なかったっけ?
499人間七七四年:2012/06/01(金) 03:44:19.94 ID:9LvqZDiA
>隆景が「関白殿下の仰せだ」と伝えると座主は納得し、…

>しかしこれは関白殿下の御命であり…

結局二人とも秀吉の名前出されてビビっただけだろw
500人間七七四年:2012/06/01(金) 04:19:19.06 ID:L/m9IHAJ
最初の座主は秀吉の名前出してきたから一応退いておこう
あとで怖そうなやつを隆景んとこ行かせて
恫喝か丸め込むか説得するかすれば材木出さなくていいかも!
…そう考えてた時期もありましたが、いざやってみたらあっさり相手に論破されて帰りました

、と読んだ
501人間七七四年:2012/06/01(金) 04:43:08.30 ID:dCFC8XPh
山伏「(関白の命令とか聞いてねーし…あの座主後で覚えてろよ!!)」
502人間七七四年:2012/06/01(金) 07:29:12.77 ID:ZSZ38JEh
やっぱりあの時代に殿下に逆らう輩は少ないんだな
503人間七七四年:2012/06/01(金) 08:20:46.35 ID:vp+u21JC
外国を攻めようって時になんなのこの会話w
504人間七七四年:2012/06/01(金) 09:31:34.72 ID:+srNOLeV
実際はこれくらい必死だったんじゃね?


     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人_人
   <´ 関白じゃ、関白殿下の仰せじゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__////
505人間七七四年:2012/06/01(金) 10:29:28.25 ID:4bIeu5sk
天狗がワシの意に背いておると?

山を焼き狩りたてい
506人間七七四年:2012/06/01(金) 11:15:32.23 ID:O+KsRu1y
            , ;,勹
           ノノ   `'ミ
          / y ,,,,,  ,,, ミ
         / 彡 `゚   ゚' l
         〃 彡  "二二つ
         |  彡   ~~~~ミ      はいはい、わしのせい わしのせい
     ,-‐― |ll  川| ll || ll|ミ―-、
   /     |ll        |   ヽ
  /       z W`丶ノW     ヽ
 /        \\   / /      |
/    天      \`i / /  狗   |
507人間七七四年:2012/06/01(金) 11:20:44.47 ID:6C1Tg7XK
>>499
オール殿下だね。
508人間七七四年:2012/06/01(金) 12:54:04.48 ID:twKtTH9W
平安時代あたりの大寺社の坊主なんて、天皇さえ恐れず文句言ったのに(その文句が正しいかはともかくw)……。
509人間七七四年:2012/06/01(金) 13:25:43.71 ID:ruAwSseb
関白「よし、じゃあ死ね」
510人間七七四年:2012/06/01(金) 14:59:00.51 ID:V3R0q1DF
まあどう考えても関白様>天狗だよな。
中ボスとラスボスくらいの差はある。
511人間七七四年:2012/06/01(金) 17:21:57.36 ID:WyGCBjnL
荒木村重は織田信長が讒言を信じ、自分を殺そうとしているのを察知した。
怖れを抱いた村重はついに叛乱を起こした。

羽柴秀吉は村重の叛意は讒言によるものと知り、信長に請うて説得のために有岡まで
やってきた。しかしどんなに秀吉が言葉を尽くして諌めても村重は耳を貸さなかった。

この時、河原林越後守が「秀吉を殺して信長の片腕を奪いましょう」と勧めてきた。

「お前の言う事はもっともだが、わしと秀吉はここ数年のあいだ断金の好みがあった。
だからこそ、秀吉はわが家の絶えることを悲しんでここまで説得に来たのだ。

秀吉はわしの心を知る者だ。だから『村重は義をもって絶対に自分を殺さない』と
信じてここに来たのだろう。懐に入った窮鳥を殺さないのが人の心だ。

それに、朋友を信じて諫言に来た者を殺すのは禽獣にも劣る振る舞いであろう。
秀吉を殺して負ける軍が勝つわけではない。帰して勝つ軍が負けるわけでもない」

村重は河原林の言葉に従わず、秀吉とにこやかに対面し酒肴をもって饗応した。
そして秀吉が帰る時には手を携えて玄関まで送り出して別れた。
512人間七七四年:2012/06/01(金) 17:24:48.16 ID:6oYruMbj
秀吉と官兵衛…何故差がついたのか…慢心、環境の違い
513人間七七四年:2012/06/01(金) 17:28:24.92 ID:P8kRno0x
村重さん謀反の原因って、陰徳記だと本願寺に兵糧を横流しした部下がいて、それが信長に知れそうだから先手を打ったとか……。
これが本当なら讒言でもなんでもなく、普通に利敵行為かばいじゃ。
514人間七七四年:2012/06/01(金) 17:29:41.71 ID:2ZaZyRhF
道糞さんて基本的にいい人だよね
515人間七七四年:2012/06/01(金) 17:33:10.22 ID:XPBplObM
断金の好みって、断金の交わりのことか?
516人間七七四年:2012/06/01(金) 17:48:29.53 ID:Nr+pNUOq
>>513
どうも村重謀反の実態としては、荒木勢が敗亡した後も領民の反織田活動が続いて、織田軍もその掃討を
続けざるを得ない状況だったところから、どうやら村重が主導したのではなく領民のほうが織田体制に
(多分その重税と軍役の負担から)反発して、それが抑えきれなくなって領主として領民に同調した、
という所らしい。
517人間七七四年:2012/06/01(金) 19:12:59.44 ID:B8ILllWQ
秀吉は官兵衛が捕まってから行ったのかな?
518人間七七四年:2012/06/01(金) 19:16:20.96 ID:Kuw0CXSQ
>>515

好み(よしみ)だからどう考えてもそれだろ
519人間七七四年:2012/06/01(金) 19:19:08.19 ID:qIdpJJEP
うわー、俺もこのみって読んでた…
恥ずかしいw
520人間七七四年:2012/06/01(金) 20:00:38.24 ID:6lmRnTgF
秀吉は信長に折檻されまくってたらしいから
仕方なく信長に従ってる仲間みたいに思えたのかも
521人間七七四年:2012/06/01(金) 20:10:48.21 ID:L+HLZcF3
荒木村重って、信長が天王寺合戦で大暴れした時に先鋒を命じられたのに断った事あったっけ。
あれ以外ぎくしゃくしたのかな……。
村重の武士の面目丸つぶれだろう(もっとも、信長以外だれがあんな無茶やってしかも勝てるねん、というレベルだが)。
もっとも信長は三度も村重に使者を出して慰留につとめているから、村重の一方的被害妄想だった可能性大だが。
522人間七七四年:2012/06/01(金) 20:13:38.10 ID:6lmRnTgF
>>521
信長は一回弟を暗殺してるからな
似た方法で暗殺されると思われても仕方ない
523人間七七四年:2012/06/01(金) 20:15:36.22 ID:YpObaqrI
約束破る男ですから信長は
524人間七七四年:2012/06/01(金) 20:27:40.98 ID:fcJnZBub
>>511
黒官ディスリすぎだろwww
525人間七七四年:2012/06/01(金) 20:33:38.84 ID:WNJPUpo0
こういうのを宋襄の仁っていうんだっけ。実力考えず謀反した奴が、相手の幹部潰すチャンス逃してどうするんだと。
それに黒田さんは……。
526人間七七四年:2012/06/01(金) 20:36:58.76 ID:2ZaZyRhF
黒田さんは黒田さんの主家の小寺さんにはめられたんじゃなかったっけ
527人間七七四年:2012/06/01(金) 20:44:13.68 ID:vp+u21JC
>>516
もともと国人・地侍の力が強いところだっただけで、体制や税は特に関係ないかと。
528人間七七四年:2012/06/01(金) 21:29:10.21 ID:8l2nlPTG
>>525
まあ秀吉が天下をとった後は堂々と茶人として生きられるようになったわけだし

調子に乗ったのかはっちゃけ過ぎて秀吉に怒られたりしてるが
529人間七七四年:2012/06/01(金) 21:35:46.60 ID:6C1Tg7XK
>>516
信徒が多い地域なだけじゃないの?
530人間七七四年:2012/06/01(金) 21:58:17.12 ID:ruAwSseb
信長「何?官兵衛が帰ってこない?奴も裏切ったか!息子を殺しておしまい!」
秀吉・半兵衛「アラホラサッサー!!」
531人間七七四年:2012/06/01(金) 22:01:17.95 ID:HcCfmW67
黒官はさらにこの会談のあとに自分が説得してみせる、って乗り込んだんじゃなかったっけ?

この人策士のわりにはお人よしだよね、敵はだませても味方を騙せないというか
532人間七七四年:2012/06/01(金) 23:51:44.07 ID:WinjFMig
>>531
黒官はおだてに弱いからなあ
533人間七七四年:2012/06/01(金) 23:55:30.18 ID:oC7BrIcs
つまり荒木村重を一時的にでも謀叛を思いとどまらせた
明智光秀は秀吉や黒官に勝っていると
順番の違いだろうけど
534人間七七四年:2012/06/02(土) 00:01:15.22 ID:8fZXJxex
むしろ秀吉は村重煽ってたりして
535人間七七四年:2012/06/02(土) 00:11:00.58 ID:5hI6Ld1I
それはゲヒヒ史観
536人間七七四年:2012/06/02(土) 06:15:27.29 ID:pG5mphBQ
>>531
黒官は村重に呼応しようとした主君の小寺政職を止めるために村重を説得しようとして
政職から黒官を殺すように伝えられていた村重により捉えられたとなっている

村重からしても呼応しようとしている政職を止めようとする黒官を
政職の元へ帰すという選択肢は無かったと

命を張ってきた黒官を哀れんだ村重のこれもいい話だと思う

その後の村重の逃亡と
城中に残された家臣の皆殺しさえ無ければなあ
537人間七七四年:2012/06/02(土) 06:33:55.03 ID:MavVg8yk
九州征伐のさなか、小倉で病死した吉川元春の後を継いだのは長男・吉川元長であった。
しかし、その元長も日向で病死してしまう。

元長には子が居なかったが、幸いにも弟が二人いた。
他家に養子に出ていた元春の次男・繁沢元氏と三男・吉川経言である。
吉川家の当主はこの二人から選ばれることになった。

秀吉はこの件に関しては隆景に任せると言う。
あとは隆景次第である。

このとき輝元は元氏を推した。
元氏も父・元春や兄・元長に負けず劣らずの将であるし、順番からいえば次男の元氏を推すのは妥当なところである。

輝元「そんなわけで元氏が良いと思うんだけど〜」

しかし、隆景の考えは違った。
538人間七七四年:2012/06/02(土) 06:41:56.74 ID:MavVg8yk
「吉川家は秀吉公からあまり良く思われていません。
そして我が兄・元春と元長は秀吉嫌いで、元氏も考えはそちらに近いです。
なので、大坂に人質に出したこともあり、秀吉公に気に入られている経言を当主にした方が良いでしょう。」

こうして三男の経言が吉川家を継ぐことになった。
秀吉のバックアップもあり、次男である元氏を差し置いて継いだことも特に問題とはならなかった。

経言は広家と名を改め、吉川家の当主・吉川広家としてその後も活躍したのはご存知の通りである。
539人間七七四年:2012/06/02(土) 07:28:13.53 ID:ufBBpix2
秀吉「隆景よ、分かってるな?」

隆景「ははー、お任せください。」

実際は↑こんな感じだったと予想
540人間七七四年:2012/06/02(土) 07:29:34.89 ID:Bg/PK326
元氏は養子に出しているんだから元春の手元に残っていた広家が後を継ぐのはわりと自然とは思うんだけど
てる様は相変わらずやんわりとながら自分の考え否定されちゃうんだな
541人間七七四年:2012/06/02(土) 08:24:48.42 ID:g4bm7aX/
>>539
黒官「殿下、私の広家に横恋慕はやめて頂けますか?」
三成「広家め!殿下の寵愛を受けるとは憎い奴!」
隆景「豊臣家ってほんとおもしれぇ」
542人間七七四年:2012/06/02(土) 09:33:33.46 ID:rruDBlyo
「輝元に任せる」じゃない時点で余り良い話に感じないw
543人間七七四年:2012/06/02(土) 10:21:37.32 ID:s545rIzc
輝元「どうせ最初から意見聞く気なんて無いお・・・」
544人間七七四年:2012/06/02(土) 10:32:55.62 ID:6vEISf0e
隆景「殴り足りなかったか?」
545人間七七四年:2012/06/02(土) 10:39:49.93 ID:TksAyadx
テル「顔はやめて下さい!家臣たちにバレちゃう!」
546人間七七四年:2012/06/02(土) 10:42:04.81 ID:IvlsXrMz
このスレ見てると輝元殿がダメ人間に見えてくる不思議
547人間七七四年:2012/06/02(土) 10:46:59.01 ID:fttVw7e4
明軍との戦いの際、ほかの部隊よりも出足の遅かった小早川隆景は、戦後に大谷吉継からその理由を尋ねられた。
隆景曰く、

「本当なら自分もすぐに攻めかかりたい気持ちであったが、敵がこちらの攻撃に備えている所を攻めても優位は得られぬであろうし、
 急いで隊列を乱せば甚大な被害を出しただろう。逆に少し間を置けば、敵は油断し、また隊列を整えて進軍する事で相手に心理的な
 圧力を加えられると考えた。」

と返答した。これを聞いた吉継から、

「その思慮深さが勝利をもたらしたのでしょう。」

と称賛されたが、

「いやいや、秀吉公に天のご加護があり、目に見えない力が働いたのだ。」

と謙遜したという。 小早川隆景のどこまでもそつのないお話し。

548人間七七四年:2012/06/02(土) 10:56:13.24 ID:g4bm7aX/
>>546
自分の意見より優れた意見があれば即採用する良将なのにね
549人間七七四年:2012/06/02(土) 11:48:58.09 ID:dAsJ+YkY
なんか隆景って秀吉ヨイショしまくる逸話多いように思えて、
社内での態度と社外への態度が全く違う営業マンのような印象
いつも威張ってる上司が仕事先でヘラヘラ笑う様子を見た時のなんとも言えない気持ちと言ったら…
550人間七七四年:2012/06/02(土) 11:52:36.68 ID:5MGCn4yW
隆景威張ってもいなくね。
ああ、甥御さんですか・・・
551人間七七四年:2012/06/02(土) 12:12:54.33 ID:qrkbmjlz
ヨイショしないと我が身が危ないじゃないか、ラスボス相手だもんw
それにラスボスのお陰、としておけば負けた場合は……。
552人間七七四年:2012/06/02(土) 13:44:29.13 ID:GNpPZ4JO
>>505
焼いたら木材が…
553人間七七四年:2012/06/02(土) 14:13:39.67 ID:idfsyFEB
加藤と小西以外にとっちゃ初めての異国の軍隊との戦、それも大明
いかに戦国時代の武士といっても緊張して当然だろう
554人間七七四年:2012/06/02(土) 14:45:40.44 ID:g4bm7aX/
>>549
毛利家中に対して威張ってる逸話なんてみたことないんだが?
アンチの妄想を真に受けたらいけないよ。
555人間七七四年:2012/06/02(土) 14:53:06.02 ID:bqD9BZM8
爺ちゃん、父ちゃん、叔父さんたちがチートすぎて目立てない輝元
556人間七七四年:2012/06/02(土) 14:54:38.49 ID:v8+oZMbi
悪いほうには目立っているじゃないか。人妻強奪とかw
557人間七七四年:2012/06/02(土) 14:57:12.50 ID:SSSANXhK
元就よりは低いけど、関が原で総大将だったから
知名度は隆元、元春、隆景よりあるかもしれない
558人間七七四年:2012/06/02(土) 15:05:47.73 ID:li/ViJbS
>>557
でも叔父さんの養子には・・・
559人間七七四年:2012/06/02(土) 15:22:50.03 ID:QpMFDHKz
>>557
関ヶ原駅に行ったことあるかい?
あそこにある看板には
西軍総大将の名前は無いんだぜ・・・
560人間七七四年:2012/06/02(土) 15:23:47.37 ID:z1bFs3jZ
まあ、現場にいないし・・・
561人間七七四年:2012/06/02(土) 15:29:58.11 ID:EZKnMWOB
なぜに行かなかったんだ・・・。
562人間七七四年:2012/06/02(土) 15:30:32.18 ID:AdJPmG9n
総大将だから
563人間七七四年:2012/06/02(土) 16:13:47.60 ID:5hI6Ld1I
人妻スキーの前に熟れた未亡人
こうなったらテコでも動かないだろ
叔父さんに殴られでもしなきゃ
564人間七七四年:2012/06/02(土) 16:17:47.10 ID:+400689x
秀忠「行きたくても行けない子だっているんだぞ!」
565人間七七四年:2012/06/02(土) 16:20:30.76 ID:425mIMAo
宗茂「まったくだ」
566人間七七四年:2012/06/02(土) 17:03:26.62 ID:U1wRzPJY
輝元「激務の自宅警備やってました。家康さんも江戸城で自宅警備やっていた仲間だったのに」
567人間七七四年:2012/06/02(土) 17:35:32.80 ID:DA2ZGLH8
輝元が真に覚醒するのは関ヶ原以降だしなあ
568人間七七四年:2012/06/02(土) 17:54:52.78 ID:oMnkiWMl
>>567
関が原の失態の原因になった家中バラバラを解消するためにも、
家中の大粛清行ったこと?
569人間七七四年:2012/06/02(土) 18:11:55.68 ID:fgtbmXqf
外敵には弱いが、内部の身内には容赦なし!
まさに平和な時代の人だよ。逆なら幕府に潰されている。
570人間七七四年:2012/06/02(土) 18:32:08.71 ID:pG5mphBQ
偉大な祖父はちゃんと見抜いていたんだな
571人間七七四年:2012/06/02(土) 19:46:15.79 ID:uhqgIVYi
鬼島津が前を通りますよ、と。
572人間七七四年:2012/06/02(土) 19:54:37.30 ID:U1wRzPJY
家久「ちっ 親父が帰ってきたか」
573人間七七四年:2012/06/02(土) 20:19:18.61 ID:U1wRzPJY
秀忠と輝元だったら、どっちの方が優秀?
574人間七七四年:2012/06/02(土) 20:20:41.75 ID:fgtbmXqf
そりゃ秀忠だろう。同じように戦でポカやって内治で力発揮した人材だが、秀忠のほうは当時の日本全土レベルで制度整えたりしているわけで。
575人間七七四年:2012/06/02(土) 20:21:07.97 ID:ZSDxCwfy
>>549
むしろ、ラスボスが隆景を好きすぐるエピが多いと思う
576人間七七四年:2012/06/02(土) 20:41:41.27 ID:idfsyFEB
>>574
それは徳川家継いだからってだけだろw
577人間七七四年:2012/06/02(土) 20:53:17.37 ID:xueOxAaY
>>576
じゃあ輝元が継いだらうまくやれたかっていう
578人間七七四年:2012/06/02(土) 20:57:37.33 ID:Bg/PK326
てる様は関が原の時にも東軍方の領国に派兵しまくって結構策謀も野望も強い人だと思うんだがなあ
でも自分は危険なところには行かないリスクは家臣に押し付ける、やばくなったら真っ先に逃げる
だから生き残ったんだろうけどリスク犯せないボンボンに天下は握れないよな
579人間七七四年:2012/06/02(土) 21:06:55.56 ID:idfsyFEB
>>577
家康路線を全否定とかしない限りほぼ同じだと思うよ?
まあそんな事しようと思っても周りが許さないだろうけど
580人間七七四年:2012/06/02(土) 21:09:37.01 ID:MqdqJvpA
秀忠は家康の路線をかなり大きく変えているんだが。制度づくりも組織づくりも秀忠からだし、
家康は天下を掌握したけど、全国政権としての江戸幕府という組織の初代は実質秀忠だよ。
581人間七七四年:2012/06/02(土) 21:20:11.29 ID:Bg/PK326
秀忠は結構強気な政策押し通したよね
徳川が強気に出れる要素を積み上げたのは全部家康だけど、その死後も強気で押し通したのは立派なことだと思うけど
582人間七七四年:2012/06/02(土) 21:42:03.73 ID:MqdqJvpA
あと秀忠は、家康よりも人徳があったっぽいんだなw
家康に従うのは嫌だけど秀忠に従うのならおk、みたいな大名は結構居たっぽい。
特に佐竹とか上杉とかはそんな感じ。細川忠興なんかも、家康にはたまにひねた態度をとるけど、
秀忠には素直に従ってるね。
583人間七七四年:2012/06/02(土) 21:44:03.47 ID:g4bm7aX/
輝元はなんだかんだ言っても人材登用能力はかなり優れている部類だから治世だけなら大丈夫でしょ
584人間七七四年:2012/06/02(土) 22:08:52.25 ID:D5sWnZOs
佐野道可とか、佐野道可とか、佐野道可とか
585人間七七四年:2012/06/02(土) 23:48:01.13 ID:+400689x
さぁのぉ、どぅかのぅ
586人間七七四年:2012/06/03(日) 00:05:21.00 ID:P4o9dyjQ
天正11年(1583)、賤ヶ岳の合戦の前に、羽柴秀吉は加藤虎ノ介清正に徒歩の士30人ほどを相添えて、
近江の国中の農商の富者に、1倍の利息を以って金銀米銭を借用した。
これによって集まった兵糧は、5万人に有り余るほどのもので、この合戦に参加した上下の者たちは皆、

「今までこれほどまで自由な軍陣は覚えがない」

と言っていたそうである。
(志士清談)
587人間七七四年:2012/06/03(日) 00:18:21.69 ID:Po7kbBIP
1倍の利息って…
588人間七七四年:2012/06/03(日) 00:23:30.41 ID:g/N1QPy7
>>587
借りた倍返すんだろ
589人間七七四年:2012/06/03(日) 00:24:56.60 ID:/tDGwPJx
TERUは二代目がある程度道筋を整理した後の三代目には向く気がする。
590人間七七四年:2012/06/03(日) 00:30:26.35 ID:CSQk4Jro
>>582
榊原康政も晩年の礼遇に腹を立てて、
病気に倒れた時の家康の見舞いの使者は追い返していたのに
秀忠の使者は正装できちんと応対してたからな

人をひきつける何かはあったんだろうな
591人間七七四年:2012/06/03(日) 00:30:48.49 ID:CSQk4Jro
×礼遇
○冷遇

礼遇に腹を立ててどうする・・・
592人間七七四年:2012/06/03(日) 00:33:49.34 ID:A7lvXcsM
よいのです
593人間七七四年:2012/06/03(日) 01:02:47.27 ID:G9rCyuKd
昔は1倍ってのは現状の倍を意味してたんじゃなかった?
594人間七七四年:2012/06/03(日) 01:25:18.11 ID:V8Uk2GfX
>>593
その名残りが「人一倍頑張る。」とかなんだっけ。>昔は
だとしたら秀吉は借りた物を3倍にして返すのか?
まあ状況が状況だしそれくらいやっても惜しくはないかも。
595人間七七四年:2012/06/03(日) 05:27:51.74 ID:F5dl0ptp
家禄を倍にするぞと言って引き抜いて
後から値引き交渉するのが秀吉流だからな…

まぁ馬鹿正直に約束守る人間じゃ天下にかすりもしないんだろうが
596人間七七四年:2012/06/03(日) 13:00:03.56 ID:dJ73p7nk
天正三年、宗麟のもとに信長から名馬が届いた。
宗麟は喜び、信濃黒と名付けて第一の馬として大切に扱った。

ある時、志賀親教は宗麟に拝謁して吉光の脇差をもらった帰りに厩を通りかか
った。そこに馬は二百疋はいたが、その中でも信濃黒は抜群であった。
どうしても信濃黒が欲しくなってしまった親教は、

「さっき、信濃黒を拝領した」

と嘘をつき、責任者がいないからと制止する厩番を振り切り、乗って宿舎へ
帰ってしまった。

戻ってきた厩の責任者はこれを聞いて驚愕、確認のため館へ走った。
近習たちに親教の詐称を確かめ、宗麟に報告した。
すると宗麟は爽やかに笑って言った。

「ちょうど今、脇差だけ与えて信濃黒を与えなかったことを悔やんでいたのだ」


人々は、寛容さで勇士を育てる名将の心だ、と感嘆した。




これ、宗麟のいい話でいいんだよな。
宗麟が志賀の勢力に屈した、親教の悪い話じゃないよな…
597人間七七四年:2012/06/03(日) 13:01:38.06 ID:87XLycsJ
いい話でいいじゃない。そーりんさんのほかの逸話がアレだからって、先入観はよくないよ!
598人間七七四年:2012/06/03(日) 13:07:36.76 ID:K2eLk1pE
宗麟さんは名君の片鱗見せるときと暴君の全容見せるときの差が激しいよなぁ
599人間七七四年:2012/06/03(日) 13:11:25.42 ID:AtroaGLf
プチラスボスな宗麟、秀吉と気が合うわけだ
600人間七七四年:2012/06/03(日) 13:31:27.66 ID:JJc7S4Nn
女好きだしな・・・道雪先生、折檻お願いします
601人間七七四年:2012/06/03(日) 13:33:06.18 ID:WSkcNH0Z
しなのくろ、でいいのか?読み方は
602人間七七四年:2012/06/03(日) 13:42:01.42 ID:6KWmle2h
志賀親教(親度)も女好きで宗教狂いみたいだし、
宗麟もシンパシー感じてたんじゃ?
603人間七七四年:2012/06/03(日) 14:58:15.60 ID:RnnRot/o
これはきれいな宗麟
604人間七七四年:2012/06/03(日) 16:09:29.32 ID:3ZxlzVtG
ちょっとケチな憶測になるかもしれないが

実際に宗麟が「脇差あげるだけだと物足りなかったかも」って考えてた所に馬パクられた話が来たから
「馬あげた事にすれば釣り合いがとれるうえに恩も売れてお得じゃん」って思ったのかも
605人間七七四年:2012/06/03(日) 16:15:23.34 ID:s6aLizjf
信長「いい話だ! よし長可は許しちゃお」
606人間七七四年:2012/06/03(日) 16:52:06.30 ID:G9rCyuKd
悪い話でも長可は許すくせに・・・
607人間七七四年:2012/06/03(日) 17:14:59.63 ID:bP9OqWak
宗麟の悪い話は、後世に作られたデマ
って書き込みを以前みたけど、どういう根拠だっけ?
608人間七七四年:2012/06/03(日) 18:27:08.07 ID:P4o9dyjQ
>>607
宗麟の悪行は主に、宗麟と敵対していた毛利系の記録に残されているものだから、ってやつだったかな?
まあ宗麟の悪行は別に毛利系の記録だけに残ってるわけじゃないけどねw
609人間七七四年:2012/06/03(日) 18:37:51.88 ID:x1Moj6SH
被害者が不明瞭な話が多くて、実際創作の悪行も多そうではあるがな
610人間七七四年:2012/06/03(日) 18:41:55.11 ID:LSsEfHgr
ぶっちゃけ、いい話悪い話のほとんどって後世の創作臭いしなw
611人間七七四年:2012/06/03(日) 18:42:56.21 ID:mwMqvhKs
大友から離れた自分達を正当化するために立花あたりがでっちあげたんだよ、たぶん
612人間七七四年:2012/06/03(日) 19:01:15.80 ID:K3Xn2Hyl
大友は没落してるからキリスト教の保護者で有名な宗麟の悪口は禁教政策を進める時に
使い易いネガキャン材料だったのもあるんじゃない?
バカボンの分もまとめた寺社の私怨もありそうだがw
613人間七七四年:2012/06/03(日) 19:45:57.33 ID:tkAnCWba
山本常朝
『相良市右衛門が書き残した教訓には最後に奥書があって、
「右のように色々と訓示を書いておいたが、
子々孫々になれば訓示を守る者などいなくなるだろうな。
なぜなら、ワシ自身が5歳のころから酒が大好きで、
大人になってからは大酒飲みになり、度々まわりの者から意見されたが、
結局最後まで聞き入れずに生きてきたからね。
だがしかし、意見をされたときだけは少しだけ控えてはいたのだ。
だからこのように、無駄だと思いながらも教訓を書き残したんだよ」
と書いてあった』
614人間七七四年:2012/06/03(日) 20:05:54.90 ID:CSQk4Jro
>>610
それは織り込んだ上での、スレですからw
615人間七七四年:2012/06/03(日) 23:10:53.74 ID:f+G+UuHf
龍造寺の家臣の相良さん?
しかし5歳の頃から大酒のみとかロシアかよww
616人間七七四年:2012/06/03(日) 23:16:15.74 ID:akaRBpzA
年寄りの教訓は自分がした失敗を繰り返してほしく無くて言ってるんだと、年寄りになってから気付いた
617人間七七四年:2012/06/03(日) 23:32:06.69 ID:Vhf+ar7x
>>616
押し付けがましいオッサンの説教は聞く気も失せるねw
相良さんくらい達観したオッサンの話には逆に耳を傾けたくなる
618人間七七四年:2012/06/04(月) 00:56:10.62 ID:+1huuNDL
年取る程茶目っ気の出てくる幽斎様とかの話は好きだなぁ
619人間七七四年:2012/06/04(月) 01:07:49.35 ID:KcdA8FjB
>>618
一方、細川忠興は年取っても相変わらずなんだよなぁ。
620人間七七四年:2012/06/04(月) 05:32:37.56 ID:0gE+8v0L
秀吉先生も年取るほどお茶目になっていったよね
621人間七七四年:2012/06/04(月) 08:40:36.36 ID:+hMpvnmk
>>620
壁に落書きしたら、ぷんすか怒ったり
ホント、滅茶苦茶お茶目
622人間七七四年:2012/06/04(月) 10:39:08.69 ID:78hiz6TG
それはお茶目というよりは、滅茶苦茶のほうじゃw
623人間七七四年:2012/06/04(月) 19:31:41.26 ID:LVftuGBI
天下人の茶目っ気は一族郎党即死レベルだから困るw
624人間七七四年:2012/06/04(月) 20:00:19.40 ID:7U+EHu3C
頼朝「身内を粛清して家を滅ぼすなんて馬鹿だね」
625人間七七四年:2012/06/04(月) 20:58:16.66 ID:fJ1xK4Pc
頼朝wwwwww








言われたくねぇwww
626人間七七四年:2012/06/04(月) 22:21:18.47 ID:yP6J9lht
秀吉 「君と余だ(キリッ」
627人間七七四年:2012/06/04(月) 22:37:07.67 ID:zsEaBLwX
太閤さまに言わせると日本の英雄は頼朝公と自分だけだからな
628人間七七四年:2012/06/04(月) 22:56:39.57 ID:X912+1N4
義朝「風呂場に千鳥の香炉があれば…」
629人間七七四年:2012/06/04(月) 23:06:32.87 ID:98g3iC7p
天正二年、一条康政(たぶん兼定を勘違い)は家臣たちによって追放されるこ
とになった。

館の門を出た康政は何を思ったか、門内に駆け戻った。
そして馬上のまま、日頃愛でていた藤のもとに向かい、鞭で藤の枝をすくい
上げながら、歌をささやきかけた。

植えおきし 池の藤なみ 心あらば 此の春ばかり 咲くな匂ふな



翌年、その藤は全く花を咲かせなかった。人々は奇怪なことだと騒いだ。
そこに蜷川新右衛門さんの子孫、道馮という者が、古今の例を引いて
「草木に心は無くとも、人が愛情をこめればそれに答えるものだ」
と解説した。
歌の通り、藤が花を咲かせなかったのはその年(此の春)だけで、次の年から
はまた美しい花を咲かせるようになった。

この藤は評判になり、のちにラスボスが掘り返して京に取り寄せ(一条に植え
られ)、天皇もご覧になったという。
630人間七七四年:2012/06/04(月) 23:12:52.00 ID:YuNHpP6P
>>627
頼朝って言ったって所詮は源氏の御曹司。
太閤様には適わないでしょ。
631人間七七四年:2012/06/04(月) 23:21:32.37 ID:BIQvwxYm
てなことを裏で言ってたから
大ファンの家康はストレスをためるのであった
632人間七七四年:2012/06/04(月) 23:25:02.52 ID:gg6hl+Nu
>>629
心あらば咲くな匂うなに対して心は無くとも答えるってなんだかもやもやする
633人間七七四年:2012/06/04(月) 23:32:01.99 ID:/FGGKZf4
>>629
愛情込めて咲くなと言うのはどうなのよ
634人間七七四年:2012/06/04(月) 23:34:02.85 ID:zsEaBLwX
>>632
本人がそー思うんだから仕方ねーよ
心ありと思うも、心なしと思うもさ
635人間七七四年:2012/06/04(月) 23:35:03.63 ID:laKVpQs2
なにそのチューリングテスト
636人間七七四年:2012/06/05(火) 00:12:24.40 ID:KNQuwp/P
>>629
最後の1行で悪い話に見えてきたwww
637人間七七四年:2012/06/05(火) 00:15:32.52 ID:btliQDcR
じゃぁ愛情いっぱいにドクダミを育ててみることにする。
そして葉をすくい上げながら「臭いまくれ」と…
638人間七七四年:2012/06/05(火) 00:54:34.39 ID:FpAXEG29
>>637
ラフレシアの方が効果的
639人間七七四年:2012/06/05(火) 01:04:38.75 ID:a/zcz1vK
>>638
日本の気候で育つのか?
640人間七七四年:2012/06/05(火) 08:00:21.45 ID:4lDpt7zb
人の手ではまだ栽培に成功してなかったと聞いた
641人間七七四年:2012/06/05(火) 08:50:16.85 ID:IGkpAKhq
>>637
薬マニアの権現様がアップをはじめました
642人間七七四年:2012/06/05(火) 17:40:11.93 ID:9AcVg/yD
>>641
最終的にはアレで天下取ったような物。
643人間七七四年:2012/06/05(火) 19:01:24.94 ID:yqckujSM
>>629
当前のごとくラスボスって書くなw
644人間七七四年:2012/06/05(火) 20:13:14.50 ID:k0o/CXny
戦国時代もいいけど大東亜戦争の戦士たちもたまらなくいい


神風特攻隊員たちの遺書 20歳前後
http://www.youtube.com/watch?v=_QOXodCXpTs
645人間七七四年:2012/06/05(火) 20:18:21.98 ID:6W4WTdHI
ラスボスなんて呼ばれ方、貫禄あっていいじゃん。
中にはタヌキとかDQNとか呼ばわりされる奴らもいるんだぜ……。
646人間七七四年:2012/06/05(火) 20:22:21.99 ID:btliQDcR
>>645
んじゃ殺生関白

………あれ!?
647人間七七四年:2012/06/05(火) 20:24:01.87 ID:4lDpt7zb
暴君(byフロイス)
地獄の竜(byオルガンティーノ)
648人間七七四年:2012/06/05(火) 21:13:14.76 ID:R7wkeaEj
地獄の竜?
やだ…かっこいい…
649人間七七四年:2012/06/05(火) 21:39:07.52 ID:jl3pSBY7
呼び方とは違うけど、
肥前の国主はカエサルに似たり も好きだ
650人間七七四年:2012/06/05(火) 21:51:44.14 ID:Pwo6aLZu
愛季さんの
斗星の北天に在るにさも似たり
も素敵
北斗七星に例えられるのに知名度が低い…
651人間七七四年:2012/06/05(火) 22:00:08.69 ID:rpzRh220
カエサル「俺は北極星のように不動だ!」
652人間七七四年:2012/06/05(火) 22:05:15.93 ID:btliQDcR
つまりハゲの女誑し、と。
653人間七七四年:2012/06/05(火) 22:50:30.99 ID:yqckujSM
カエサル「来た!見た!やられた!」
654人間七七四年:2012/06/05(火) 23:15:23.10 ID:JNIyiZ3u
カエサルに似たりつってもいい意味で言ってるわけじゃないしな
655人間七七四年:2012/06/05(火) 23:24:59.70 ID:Um/BARvg
神官の娘だからという理由でイザベルの名をいただいちゃった奈多さん。
656人間七七四年:2012/06/05(火) 23:28:21.10 ID:k0o/CXny
「命の使い方」〜日本人として知っておきたいこと〜
http://www.youtube.com/watch?v=5w5TC4ppsIE&feature=related
657人間七七四年:2012/06/06(水) 01:23:34.32 ID:UzVK6nTr
最近島津がご臨終した某ATCGの影響で家久(善)がめちゃくちゃ好きになったけど、案外逸話がないもんなんだな
それにしてもこのスレと某ATCGのおかげで有名武将以外も大分覚えることが出来たわ
658人間七七四年:2012/06/06(水) 07:48:56.75 ID:68mv78iA
鎮西のイェヒサー
659人間七七四年:2012/06/06(水) 09:10:42.42 ID:AhxnJkxL
>>658には鎮西八郎が矢を馳走してくれようぞ
660人間七七四年:2012/06/06(水) 09:28:46.26 ID:V2v8yD8A
ご馳走してもらったのに
腹一杯になるどころか
腹減ってしまった
661人間七七四年:2012/06/06(水) 09:29:35.34 ID:ImFNszV0
腹にデカ穴が開いたせいだな
662人間七七四年:2012/06/06(水) 09:42:17.55 ID:68mv78iA
わーい、鎮西八郎とお揃いだぁ〜!
663人間七七四年:2012/06/06(水) 11:22:41.05 ID:raMcOhDC
>658-662
備前中納言様が島でお待ちしております。
664人間七七四年:2012/06/07(木) 19:29:33.89 ID:5/LxKpeH
ラスボスの朱印状が見つかったよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120607-00000007-mai-soci

665人間七七四年:2012/06/07(木) 20:43:12.84 ID:TgGNrkKC
>朱印状には「よき所に蔵を作らせられ、諸人数(しょにんずう)に御兵糧下(ごひょうろうくだ)され候(そうろう)は、
>人夫召連(めしつ)れず早速に差(さ)し下され御成敗(ごせいばい)有(あ)るべしにて候」などと記されている。



中国大返しの時みたいだな
666人間七七四年:2012/06/07(木) 20:46:36.68 ID:oTTunJkj
もはや必勝パターンだったんだろう 大返し形式
667人間七七四年:2012/06/07(木) 21:13:35.72 ID:9+v56xMI
本能寺前後の秀吉は本当に運が良かったよな
あまりに出来すぎてるせいで秀吉陰謀説が気になって仕方がない
668人間七七四年:2012/06/07(木) 21:18:45.89 ID:USmx49PD
ただ、中国大返しは本当に必死の逃走劇だったらしいい。
あの宣伝好きの秀吉が、中国大返しに関しては一言も触れていない。
669人間七七四年:2012/06/07(木) 22:03:13.95 ID:Yg/rYBE+
>>665
同時代の欧州で行っていた「軍需品倉庫(magazine)」と同じだな
670人間七七四年:2012/06/07(木) 23:44:13.35 ID:hvK4QGSo
ラスボスのって聞くと、手淫嬢を想像してしまう
671人間七七四年:2012/06/08(金) 00:54:42.39 ID:7TRW7Yfe
もし陰謀だったとしても、必死に隠し通して逃げないと何されるかわからない位地だからねえ
672人間七七四年:2012/06/08(金) 06:11:45.55 ID:bDzxPwSe
>>667
秀吉は自らの陰謀をのちに暴露して鼻高々に自慢するタイプだからねえ
673人間七七四年:2012/06/08(金) 10:40:14.23 ID:9PVBe942
丹羽『比叡山に焼き討ちしたら織田本願寺関係に重大な危機が…』
674人間七七四年:2012/06/08(金) 17:27:10.34 ID:YuT8L9d0
>>672
織田政権関連者が多い豊臣政権で、
本能寺は自分が仕組みましたなんてまかり間違っても言えるわけ無いだろ
675人間七七四年:2012/06/08(金) 17:34:17.62 ID:UybD+u7K
秀吉黒幕説は今や漫画界で大流行だからな。
676人間七七四年:2012/06/08(金) 17:39:53.32 ID:aaz2brNL
アポロは月に行ってない!とオレの中では同じ位の扱いなんだけど、
ラスボス黒幕説ってのは皆さんアリと思ってるんかね?

まぁ、一般論ではラスボスが黒幕じゃなかったらどうなるんだって話なんだけどなwwww
677人間七七四年:2012/06/08(金) 17:40:35.59 ID:e5BUl1SE
不可解といえばすぐそばの丹羽さんの四国討伐軍を攻撃して足場を固めない明智さんはなんか変
かなりの軍勢を持ちながら謀反人の明智さんを攻撃しない丹羽さんもなんか変
なんかプロレスっぽい
678人間七七四年:2012/06/08(金) 17:48:14.69 ID:+/2KEYVq
兵隊さんがみんな逃げてしもうたんや
679人間七七四年:2012/06/08(金) 18:01:27.66 ID:YuT8L9d0
>>676
あまりにも軍を返すのが速すぎるって点と、
光秀が秀吉及び四国勢に対する警戒をほとんどしていない点、
あとは事後処理が巧み過ぎる点が引っかかる
光秀の単独犯でないなら、疑わしいのは秀吉・池田・丹羽ラインだと思う
少なくとも家康なんかよりは疑わしい

まあ、あくまでそう思うだけだけどね
680人間七七四年:2012/06/08(金) 18:01:36.30 ID:aaz2brNL
丹羽さん、大軍指揮は久しぶりだったし、やはり四人よりは一枚落ちるんじゃないかね〜
アレやってその後コレやっといてね^^と信長さんの指示あるとこでこそ生き生きする人なのかね
681人間七七四年:2012/06/08(金) 18:23:46.37 ID:NP9axdAm
明智の婿とは言え信長の甥即座に始末してるんだよなぁ
682人間七七四年:2012/06/08(金) 18:40:20.60 ID:eSxliGo+
指揮官は信孝で丹羽さんは補佐役じゃなかったっけ?
683人間七七四年:2012/06/08(金) 19:00:53.67 ID:2HL4Kj4A
>>676
秀吉黒幕説どころか今までに出ている主な黒幕説自体論破されまくって既に妄想レベルでしかないわけですが
684人間七七四年:2012/06/08(金) 19:06:31.54 ID:aaz2brNL
ラスボスがすべての根元であって黒幕なんですよ、普通の物語ではね
一般論って言い方が間違えだった
685人間七七四年:2012/06/08(金) 19:21:48.24 ID:2HL4Kj4A
>>684
軍記物ですらそんな説取り上げたものは一切ないのに?
どこが普通なのかわけがわかりません
686人間七七四年:2012/06/08(金) 19:26:00.07 ID:xzt0KjX6
人間、戦国時代題材に限らず陰謀論が好きだからな。
どっちかというと、複雑な現実の事件を許容しきれないようなのが、物事を単純化したがって作り上げる気配が濃いが。
687人間七七四年:2012/06/08(金) 20:25:28.90 ID:YuT8L9d0
神の見えざる手よりは、誰かの意志でって方がわかりやすからな
688人間七七四年:2012/06/08(金) 20:36:47.49 ID:MlH+Q7Ju
その時、歴史が動いたでは将軍が黒幕って言ってたぞ
光秀が上杉に送った文章に将軍の上洛の手伝い了承してくれて39って書いてあるのが根拠らしい
689人間七七四年:2012/06/08(金) 20:47:51.36 ID:gtWtF9qr
ほーっ、そんな説が有ったのか。
明智さんは決して馬鹿じゃないって思うんだけど、どうやって騙したんだろ。

やっぱりね、本能寺の変は「比叡山焼き討ち」と「天皇制廃止」が原因って言う、半村良の「産霊山秘録」が好き。
弱点は比叡山と本能寺の間に10年の月日が流れている点だよね。
690人間七七四年:2012/06/08(金) 20:52:32.92 ID:cwrkbFiB
イルミナティの仕業にしておけば一件落着にて候
691人間七七四年:2012/06/08(金) 20:53:13.29 ID:K37pyaa7
義昭と光秀とに密約があったのなら毛利も当然知っているはずだし
それこそ秀吉を逃してしまう訳が無いよねえ。

義昭から光秀に「味方してくれ!」「信長は悪魔だ!」みたいな手紙とかあったのかもしれないけど
どちらにせよ光秀の後付けじゃないのかな。
692人間七七四年:2012/06/08(金) 21:05:54.34 ID:NP9axdAm
義昭は手当たり次第にお手紙出してるから…
693人間七七四年:2012/06/08(金) 21:14:21.76 ID:cLr23Ipg
毛利さんに逐一報告してて狼少年状態か、寧ろコイツが云ってるから絶対にあり得ない状態かな?
(-_-#)コイツ屏風の陰に引き釣り込みてぇー!!的な  
694人間七七四年:2012/06/08(金) 21:18:33.57 ID:aaz2brNL
>>685
本能寺の変ではなく、一般の話ね
普通のおとぎ話やRPGの話やその他もろもろね

主人公の父親を殺したのも、王様をたぶらかしたのも、黒幕はラスボスですからっ!
695人間七七四年:2012/06/08(金) 21:26:56.53 ID:ZQrAUCEh
なんかずれてるってことだけはわかった
696人間七七四年:2012/06/08(金) 21:29:07.04 ID:MlH+Q7Ju
多分女なんだろう。
最近この板に増えてるらしいからな
697人間七七四年:2012/06/08(金) 21:30:18.36 ID:qpDKXcz+
>>690
イルミナティ設立は18世紀にて候
698人間七七四年:2012/06/08(金) 21:48:33.66 ID:SaT82AFp
ラスボス=秀吉として捉えてるんじゃなくて
本当に最後のボスとして捉えてるんでないの
699人間七七四年:2012/06/08(金) 22:03:23.44 ID:YuT8L9d0
何を言ってるのかがいまいちわからんな
700人間七七四年:2012/06/08(金) 22:18:40.53 ID:WiqG+YSD
>>697
意外と若い組織なのな
本能寺の黒幕はむしゃくしゃしてやった反省は少しだけしている説
701人間七七四年:2012/06/08(金) 22:34:52.36 ID:5VyRw5xG
本能寺は光秀の寝起きドッキリ失敗説
702人間七七四年:2012/06/08(金) 22:57:35.02 ID:lpC23Hm6
じゃあ俺はうっかり道間違えて京に入っちゃったからなりゆきでやっちゃった説
703人間七七四年:2012/06/08(金) 23:03:37.47 ID:YuT8L9d0
中国攻め頑張ろうの会を開こうと信長自ら早朝バーベキューの用意をしていたらうっかり火事になって逃げ遅れた説
光秀軍団は楽しみに本能寺行ったら跡形もなくなってて呆然
704人間七七四年:2012/06/08(金) 23:06:40.93 ID:r1A8ufP6
心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ 

明智光秀


この歌は後世の創作なのかな?
自作なら深い思いからの決行に思うんだけど
705人間七七四年:2012/06/08(金) 23:29:17.41 ID:T7mYcnqd
主君を殺して自分が乗っ取る!っていう完全無欠な謀反って滅多に無いよね
あるのは主君チェンジして傀儡にとか傀儡を追放するとか自立目指すとか
706人間七七四年:2012/06/08(金) 23:32:16.93 ID:NP9axdAm
かもの赤ちゃんがいっぱいうまれました、みにきてくだちい

みつひで
707人間七七四年:2012/06/08(金) 23:34:39.27 ID:sOBw0B2g
 天正十年、織田信長は羽柴秀吉を大将にして備中に攻め込ませ、ついに備中高松城を包囲した。
毛利輝元、吉川元春、小早川隆景は数万の軍を動員して備中高松城の支援に向かった。
織田信長の軍勢がまだまだ雲霞の如くこの戦場にさらに攻め下ってくるとの噂もあったので
毛利側では協議の末に備中・備後・伯耆の3ヶ国を信長に譲り渡して和睦を結ぶという結論を出し
秀吉の下に使者を遣わして、末長く織田・毛利両家の友好を取り付ける旨を何度も何度も交渉した。

 このような最中に、明智光秀に主君織田信長が討ち取られたという情報が秀吉の陣に入った。
秀吉はこの情報をを包み隠さず、毛利の使者に対して伝えた。
「我が殿信長は逆臣の手に掛かりお亡くなりになってしまった。
こうなってしまっても、なお毛利輝元はこの秀吉と友好を結ぶとお思いであろうか。
こんな思いもしない状況になれば、話が急に変わってもなんら不思議ではない。
そなたはすぐに帰ってこのことを伝え、主君輝元の考えをよく聞いてきてほしい。
その上でこちら側もこの交渉の返答することとしよう。」

 秀吉の陣から戻った使者よりこのような報告を受け、毛利輝元はすぐに参陣している諸将たちをを集めて協議をした。
ほとんどの者ははこのように意見した。
「当家は『織田』信長に対してだけ和睦を申し入れたのであって、『羽柴』秀吉に申し入れたわけではない。
信長が討ち死にしたことは当家にとっては幸運であり、まずは交渉を破棄して一旦本国に引き返し
これからの事の成り行きを見守るべきである。」

 これを聞いて小早川隆景は「私の意見は皆の者とは違う。」と言い、こう話し始めた。
「我が国の兵乱は百余年続き、天下の乱れもついに全国へと拡大したが
世の中が再び太平の世に戻るべき時期も近づきつつあるようにみえる。
この時節において、自然と天下の権勢を掌握し国内の乱を全て打ち払える人物とは誰であろうか?
近年の羽柴秀吉の行動を伝え聞くところによると、それはおそらくこの人物ではないのかと私は思う。
そうであれば、この度織田信長が死んだことは、秀吉にとっては一見わざわいのように見えても
実は天下が秀吉の下にに帰結するする時節がついに来たともとれる。
秀吉の振る舞い振りは、この場で多くを語る必要もあるまい。
なぜならば今、当家との和睦を成立させようとしている直前のこの時において、普通の者であれば何としても主君の死を隠して
和睦成立後にその事実を伝えようとするものだが、このように率直にそのまま申し述べてくるのは実に大胆不敵なものである。
当家が当初の講和の条件を取り下げて今ここで秀吉との交渉を決裂させたならば、後に禍根を残し
当家は最終的に秀吉によって攻め滅ぼされることになるであろう。
それよりも、このままこの和睦を成立させ、秀吉とともに当家の将来の繁栄を確実に約束するべきである。」

 輝元はこの隆景の意見を採用し、福原広俊を秀吉の陣に遣わして、織田信長の死を丁重に弔うともに
当初の予定通りこの和睦を変更する気はさらさらないことを伝え、輝元をはじめ毛利家諸将の起請文を送った。
秀吉は大いに喜んで「この友好は長く続き決して変わるものではないであろう。」と言って、同じく起請文を送り返した。
そうして秀吉は逆臣明智光秀を速やかに討つことを決断し、翌日備中から撤退し京都へと戻って行った。
このとき輝元は秀吉へ多くの武器などを贈り逆臣討伐の加勢をした。
 
 間もなく明智光秀は秀吉によって滅ぼされ、ついに天下が秀吉の下に帰結したことは
隆景の予測に少しも異なるところがなかったという。
708人間七七四年:2012/06/08(金) 23:41:12.61 ID:Bcq7TOx1
…もう本能寺は隆景が黒幕でいいんじゃないかな
709人間七七四年:2012/06/09(土) 01:06:42.56 ID:6GH/DRlv
隆景△な話なのに胡散臭く思えるのは
たぶん一連の陰謀説の流れのせいだな
710人間七七四年:2012/06/09(土) 01:27:33.96 ID:VOpkfCaf
黒田孝高 「解せぬ。」
711人間七七四年:2012/06/09(土) 12:33:39.23 ID:BUJee9gF
中国大返しの時も、関ヶ原も本家より両川の方が歴史に影響与えてるね(´・ω・`)
712人間七七四年:2012/06/09(土) 13:18:34.56 ID:eVT7GmrD
本多忠光は忠勝の孫で忠政の三男。大坂の役の時、十四歳の若年ゆえに
御供を許されなかったが強情に請うたので供奉を許され、首級まであげたので
徳川家康は大いに満足した。

「若年にも関わらず名を上げるとは天晴れ大将の器なり!
今日からは昔の勇将になぞらえて名を変えよ!」

「じゃあ弁慶がいいです」

「弁慶はたいしたことないなあ…イマイチ。
鎮西八郎為朝とか能登守教経とかのほうが絶対にいいぞ!よし今日からお前は能登だ!」

しかし通字の忠はさすがに変えられない。
家康は林道春に相応しい字を選ばせ、その日より忠光は能登守忠義と名を改めた。

本多忠義の(家康があまりひねった名前を考えなくて良かった、
あるいは本多弁慶にならなくて良かったという意味で)いい話。
713人間七七四年:2012/06/09(土) 14:00:38.76 ID:up0LpR8N
弁慶だと坊さんになっちまうぞw
714人間七七四年:2012/06/09(土) 14:12:16.46 ID:t6cEnj+3
>>712
やはり忠勝とは言えなかったのかな?
もし言っちゃったら神君含め非難轟々か?
それとも沼田から刺客が放たれる?
715人間七七四年:2012/06/09(土) 14:15:09.68 ID:LsTYsjOH
長可なんてどうかな? あるいは恒興。
権現さま、「池田父子や森武蔵に比べれば、関が原の西軍なんて軽い軽い」といったじゃないですかー(ただし出典は軍記物)
716人間七七四年:2012/06/09(土) 14:16:56.74 ID:DPP4Fy/i
跡継ぎでもなんでもないのに能登守か
もうけたな
まあこの頃は官位貰っても何にもならねーよって感じだろうけど
717人間七七四年:2012/06/09(土) 15:20:55.58 ID:FaXItRA/
正式に朝廷から貰ったわけじゃなくて、自称していいよということじゃ>官位
718人間七七四年:2012/06/09(土) 15:49:26.40 ID:6GH/DRlv
>能登守忠義と名を改めた
てっきり為朝や教経から一字もらうのかと思ったら
もらったのは官位の方か
719人間七七四年:2012/06/09(土) 15:54:45.76 ID:WWEFQ/HT
もし
権現様「よし、お前は弁慶にちなんで武蔵守だ!」
とかなって代々武蔵守を名乗っていたら、公方様に不敬だとか言われたんだろうか
720人間七七四年:2012/06/09(土) 18:49:03.91 ID:YBGDvquI
そういう場合は神君お墨付きとか言われて例外扱いだと思う。
721人間七七四年:2012/06/09(土) 19:43:57.31 ID:JOipi6Hi
ちょっと橋の番人切ってくるヒャッハー
722人間七七四年:2012/06/09(土) 20:19:28.27 ID:hjYTiFqa
上総介様のお墨付きは勘弁してください
723人間七七四年:2012/06/09(土) 20:26:48.89 ID:6c7EVCth
のぶさんと鬼武蔵コンビはほんま人気やでぇw
724人間七七四年:2012/06/09(土) 21:41:29.26 ID:j63P+lFk
はっ!
それが武蔵坊弁慶を却下した理由か!
725人間七七四年:2012/06/09(土) 23:41:46.10 ID:ePPgi0Mc
鬼武蔵が徳川家に誕生する恐怖
726人間七七四年:2012/06/10(日) 00:22:00.41 ID:S6cg7GP9
でしたら日向守でも…
727人間七七四年:2012/06/10(日) 10:59:10.05 ID:QXj+76pb
好きな官位を勝手に自称するのが珍しくもない一方で、
朝廷関係者に大金積んで正式な官位を貰うことに必死になってる大名も結構いるんだよな

当時の朝廷の権威ってあるのかないのかよくわからんのう
728人間七七四年:2012/06/10(日) 12:29:57.33 ID:+wQHPgqX
>>727
家来に勝手に官位与えてた大名が多かったよね
729人間七七四年:2012/06/10(日) 12:31:49.78 ID:eoB0eOFx
朝廷の定めた官位を与えるってのはある意味朝廷の権威を認めているってことじゃないだろうか。
730人間七七四年:2012/06/10(日) 13:19:10.45 ID:sr6E37Ab
じゃあ琉球守で
731人間七七四年:2012/06/10(日) 13:21:32.91 ID:ytfZdPaK
島津をはばかかって、薩摩守を自称する武士がほとんどいなかったとか。あれは実話なのかな?
732人間七七四年:2012/06/10(日) 13:24:50.65 ID:N0oham33
>>729
つ 亀井茲矩
733人間七七四年:2012/06/10(日) 13:32:13.29 ID:sr6E37Ab
>>731
江戸時代は知らんが戦国末期までは結構いるよね
734人間七七四年:2012/06/10(日) 14:07:22.27 ID:lNhak9Y0
柳川の立花さんのところは代々左近将監か飛騨守のどちらかを受領してるね
この家は代々この官位をもらうって言うのってあるんかな?
735人間七七四年:2012/06/10(日) 14:10:05.58 ID:s2t89jRa
九州の小弐さんの所は官位が家名だな
太宰少弐
736人間七七四年:2012/06/10(日) 14:24:18.07 ID:mZoOTMMr
官位といえば
山城守が斉藤道三、松永久秀、龍造寺隆信、直江兼続と凄い面子揃ってるけど
同じようにいろんな奴らが拝領した官位とかあるかね
737人間七七四年:2012/06/10(日) 14:56:03.87 ID:CX7wcsOz
左京大夫
738人間七七四年:2012/06/10(日) 15:31:52.16 ID:tpXPTFRR
>>736
左馬頭、右馬頭。唐名の典厩のほうが有名か
739人間七七四年:2012/06/10(日) 17:31:32.09 ID:tF4ceMFQ
弾正はいろんな椰子が名乗ってるな
740人間七七四年:2012/06/10(日) 17:40:27.66 ID:z6kcZuJ3
>>739
真田と高坂ははずしてくれ
741人間七七四年:2012/06/10(日) 18:36:21.85 ID:N0oham33
>>740
織田弾正忠とか松永弾正とか。馬寮とならんで弾正は
武官ってことで武家が自称することが多かった。

とはいえ、さすがに武官最高位の近衛大将とかを自称する輩はいなかった。
742人間七七四年:2012/06/10(日) 18:42:04.27 ID:p4oC35H6
鍋島志摩守(茂里)殿が鍋島安芸守(茂賢)殿へ、
京都の愛宕権現へ参詣したい意向を伝えたところ、
安芸守殿は、何のために参詣するのか?と志摩守殿からの使いの者に問うた。
使いの者は、愛宕は弓矢の神なので、武運の開けるよう参詣する考えであることを伝えた。
それを聞いた安芸守殿はお怒りになり、
「その必要はない。鍋島の先手を勤める者のすることではない。
もし敵方に愛宕権現が立ち現われたなら、愛宕権現を真っ二つに斬ることこそが先手の勤めだと心得よ」
と返答されたとのことだ

葉隠より
743人間七七四年:2012/06/10(日) 18:43:17.51 ID:eoB0eOFx
「宇宙大将軍」みたいな創作官位ってなかったのかな。
744人間七七四年:2012/06/10(日) 18:47:34.26 ID:+qL3BmMu
>>743
>>732の亀井琉球守とか
745人間七七四年:2012/06/10(日) 18:53:10.12 ID:Akcwjb4/
さすがに公卿を騙った人たちは居ないのかな
746人間七七四年:2012/06/10(日) 19:08:14.04 ID:1mkJiirX
>>745
つ 姉小路良頼・姉小路頼綱
747人間七七四年:2012/06/10(日) 19:12:01.27 ID:8vKJrdan
鎌倉公方がかなり早い時期に
勝手に官位を配り始めたんだっけか
748人間七七四年:2012/06/10(日) 19:20:18.73 ID:8ipu2Q6T
>>743
能島村上水軍の当主が時の天皇や足利将軍に
“上海大将軍”や“海内将軍”なる称号を与えられたとする書状がある(多分捏造)

他にも明・朝鮮との交易の際に
ハッタリかまして“海賊大将軍”を名乗った中小沿海領主は多い
749人間七七四年:2012/06/10(日) 19:32:30.02 ID:6lKD6UI7
やっぱり弾正は思いつくなw
時代劇だと何かと悪役が多い希ガス
750人間七七四年:2012/06/10(日) 19:36:59.95 ID:23jtAqy6
斎藤道三の養子?で「斎藤大納言」って人もいる
関白稙家の庶子だったようなので、名乗れたのかなあ
751人間七七四年:2012/06/10(日) 19:39:14.09 ID:br7amc8M
隼人正
752人間七七四年:2012/06/10(日) 19:39:53.07 ID:QB6fYG+M
公卿はそういう家ごとぱくるか本当に公卿かって感じやね
753人間七七四年:2012/06/10(日) 20:02:34.95 ID:H0sDzmK7
>>749
松永「いい人いますよ。拙者とか」
754人間七七四年:2012/06/10(日) 20:30:49.00 ID:lNhak9Y0
>>743
日本国大君は?
755人間七七四年:2012/06/10(日) 21:18:32.82 ID:XxQ5irld
>>741
近衛大将って
頼朝任官の経緯があって
公家では清華以上
武家では将軍か将軍世子クラスしか任官されない、
実質天下人だぞ

将軍以外では信長とかぐらい
そんなもの自称したら謀反扱いで即打ち首だわw
756人間七七四年:2012/06/10(日) 21:27:08.20 ID:XxQ5irld
しかし自称するなら
宇 宙 大 将 軍
くらいハッちゃけてほしいものだ
757人間七七四年:2012/06/10(日) 21:39:05.54 ID:YCk9mbPc
自称といえば、『官位風名乗り』である東百官には
采弥(うねね)、志津摩(しづま)、梅干(ほや)、波門(はもん)、亙(わたり)、なんて、よくわからないものも多いなw
758人間七七四年:2012/06/10(日) 21:45:08.26 ID:XYlQmAkQ
4位以上の官職を自称した人って居るのかな
江戸以降はいないと思うけど戦国期とかだとどうだろう
759人間七七四年:2012/06/10(日) 21:47:10.17 ID:6lKD6UI7
三位以上が天上人?
760人間七七四年:2012/06/10(日) 22:03:13.80 ID:I0V1tt87
上にも名前が出てるが自称中納言の姉小路良頼とか
自称大納言の姉小路頼綱とか
761人間七七四年:2012/06/10(日) 23:10:17.38 ID:lGSuuqRR
小物過ぎるw
その辺は農民の悪ふざけと変わらんから除外で
762人間七七四年:2012/06/10(日) 23:11:34.70 ID:36XMAZuC
殿上人は清涼殿への昇殿の許可を得た人ってことだから自称のしようが…
763人間七七四年:2012/06/10(日) 23:21:22.80 ID:XYlQmAkQ
そう言えば姉小路が居たな

>>761
でも姉小路は衰微の極だった朝廷に献金しまくって従3位まで貰ったんじゃなかった?
参議とかの官位なら正式に貰えただろうにさすがに中納言はなあ
764人間七七四年:2012/06/10(日) 23:35:22.54 ID:hDmhjXSw
姉小路は確かに大物とはいえんだろうけど
飛騨全域を収めた勢力だし馬鹿にできんでしょ
765人間七七四年:2012/06/11(月) 00:24:49.52 ID:XC6VAZ5J
江戸時代になって、避けられた三大官名といえば「武蔵守」「尾張守」「治部少輔」か。
もっとも前の二つはそれでも名乗った奴がいたらしいが。
766人間七七四年:2012/06/11(月) 00:49:25.90 ID:yBVerys5
織田上総守(笑)
767人間七七四年:2012/06/11(月) 01:19:03.94 ID:Ld6nMn2I
名乗ったやつがことごとく嫌な死にざまをした「上野介」もあるな
768人間七七四年:2012/06/11(月) 01:39:46.51 ID:5/uKxljZ
>>767
留守さんはそんなことないけど稀なのかな
769人間七七四年:2012/06/11(月) 01:58:18.22 ID:Qkcs/LyK
奥ゆかしく国司の掾を名乗った奴はいないのかな?
大掾さんは除く
770人間七七四年:2012/06/11(月) 02:17:54.65 ID:TVS7sBtZ
しからば拙者、自宅介の名乗りを御許し頂きたく…
771人間七七四年:2012/06/11(月) 02:43:33.60 ID:EHU2g/1R
姉小路は親父が参議で、息子が侍従か
いずれにしろ直頼じいさんがいなかったら、姉小路を継ぎました、なんて真似もできなかったろうなあ
772人間七七四年:2012/06/11(月) 02:52:50.78 ID:8TOHxwyQ
いわゆる八介ってなんかいいよね
773人間七七四年:2012/06/11(月) 08:08:43.16 ID:Yct92oJd
天正12年(1584)3月、沖田畷の戦いで龍造寺隆信が滅びると、大友軍は龍造寺領に対する攻勢を開始。
9月、大友方の戸次・高橋勢は筑後の西牟田、酒見、榎津等に放火、
続いて沖田畷で戦死した龍造寺家重臣・百武志摩守が守っていた蒲船津城に攻め寄せた。

この時、蒲船津城に籠っているのは百武志摩守の未亡人、圓久尼であった。
この圓久という女性は、女ながら比類の無い剛の者で、背は高く髪は長く、大力であり荒馬も乗りこなした。

過ぎる3月、夫志摩守が島原において戦死したことを知ると、鍋島信生(直茂)の命によって
女であっても志摩守の在世時と変わらずこの城を守っていた。女城主となっていたのである。

元より男子ではなかったので、累代の家人等を引き連れこの城に居たのだが、大友勢が襲来したと聞くと
大長刀を横たえ城の戸口にまで出て、味方の手のもの達を励まし頑強な防戦をした。

そうしているうちに龍造寺方である中野式部が榎木津要害より援軍に駆けつけ、圓久を助け共に戦った。
こういう状況になり、戸次・高橋の軍勢は蒲船津城攻略を諦め撤退。坂東寺へと撤退した。

女城主・圓久尼奮戦す。という逸話である。しかし九州は女性が、武勇的な意味でも強いですねw

(北肥戦誌)
774人間七七四年:2012/06/11(月) 12:23:20.02 ID:+nEuIEFn
龍造寺のゴッドマザーといい、立花や吉岡の奥様といい、九州は女傑がゴロゴロ居るな
775人間七七四年:2012/06/11(月) 12:52:41.24 ID:XwpMvjmu
立花道雪の甥っ子の奥さんもだな
776人間七七四年:2012/06/11(月) 13:51:46.56 ID:phYUZWBW
会社の先輩(女性)が佐賀出身だけど肝っ玉だよぉ
美人だけど30代半ば独身
777人間七七四年:2012/06/11(月) 14:58:22.07 ID:H8cTAdZF
K○MATSU「東国のか弱いわらわには信じられないわ。北条、徳川、上杉といった大大名を手玉にとった腹黒義父とKYな弟が来たらどうしましょう。もし戦で2人の息子が亡くなったら、生きていけない。
もうすぐ前田様の行列が来るから粗相しないようにしなきゃ。早く影の濃いだんな様帰って来て!」
778人間七七四年:2012/06/11(月) 15:54:07.83 ID:/HQ0Zeou
甲斐姫(´・ω・`)
779人間七七四年:2012/06/11(月) 16:12:09.99 ID:VTAkt8ao
井伊直虎「戦国時代にそんなすごい女性がいたなんて」
780人間七七四年:2012/06/11(月) 16:55:11.33 ID:72rQYYOL
妙心尼「女性はもっと慎ましくないといけませんね」
781人間七七四年:2012/06/11(月) 18:20:19.62 ID:y1SAnD1D
義姫「戦場に行くなんてもってのほかです」
782人間七七四年:2012/06/11(月) 18:44:46.99 ID:op4lxjPG
鶴姫「女性は家を治めて殿方を立ててあげませんとね」
783人間七七四年:2012/06/11(月) 19:29:21.96 ID:rXQmp6PN
WIKIでまーくんは藤次郎政宗って呼ぶことが多いとあるけど藤次郎と書かれてる書面ってあるのかなw
784人間七七四年:2012/06/11(月) 22:38:18.82 ID:rbuUpA5a
鶴姫は仕方ないだろw
785人間七七四年:2012/06/11(月) 22:42:37.81 ID:zNPg5ROD
>>777
本多忠勝「わしの若いころの女は天正、慶長の当今の武者どもより、よほど勇ましかったものだ」
786人間七七四年:2012/06/11(月) 22:50:30.04 ID:DKdyBPbx
>>777
伏字になってないんですよねえ・・・
787人間七七四年:2012/06/12(火) 06:24:06.31 ID:BvSY04jx
KOMA丁SU様
788人間七七四年:2012/06/12(火) 11:22:57.52 ID:ipP7HGLO
火の鳥異形編みたいに男として育てられた姫とか本当にいたんだろうな
789人間七七四年:2012/06/12(火) 11:36:28.28 ID:KG/gadC7
まあ今でも小さい子供にそういうことする頭おかしい親はいるからな
そこに跡取り問題とかが絡むと本気でやった奴もいそうだわな

血縁なんてどうでもいいからその辺から養子もらってくればいいじゃない
って常識からするとやる奴はよほどの変わりもんか特別な事情だろうけど
790人間七七四年:2012/06/12(火) 17:43:37.47 ID:1N7Mv/+l
○○○○『死にたいなら自分で死ねよと。』

当てはまりそうな武将ってだれだろ?
791人間七七四年:2012/06/12(火) 18:15:14.56 ID:d6o2gDSz
>>788
別に女として育てられたわけでもないのに、姫和子と悪口言われた男の子なら心あたりがw
792人間七七四年:2012/06/12(火) 18:15:24.57 ID:NJXxcfJj
ガラシャ
793人間七七四年:2012/06/12(火) 18:16:42.08 ID:KK/PPBms
キリシタンは言われる方やw
794人間七七四年:2012/06/12(火) 18:59:34.11 ID:dDc201Jd
○○○○「ヒャッハー」
795人間七七四年:2012/06/12(火) 20:56:28.51 ID:WQppCoo7
石田三成と佐和山城のお話

豊臣秀吉のもとで五奉行のひとりとして活躍した石田三成は、
1590年の10月に佐和山19万石を与えられ若くして名実ともに豊臣政権の実力者になった。

当時はちょうど奥州仕置が終わり、天下が豊臣家の手のうちに治まった頃。
実力ある大名に成長した三成もその身分に応じた城に住まわねばならない。
そこで彼は当時荒廃していたといわれている佐和山城に大きく手を入れ、山頂に五層(三層とする説もある)の立派な天守を構えた要害堅固な近世城郭を築いた。
その姿は滋賀県多賀町に伝わる「かんこ踊り」の歌に遺されているとおり、大変壮大なものだったそうだ。

※以下はその歌。

おれは都の者なれど 近江佐和山見物しよしよ 大手のかかりを眺むれば 金の御門に 八重の堀
先ずは見事なかかりかよかよ 御門をはいりてこの又かかりを眺むれば 八ツ棟造りに七見角
先ずは見事なかかりかよかよ うらの御門先出て 北を眺むれば すそは湖や見事見事 
よい城よ 見事な城よ 堀ほり上げて せきしょをうえて
せきしょに花が咲きしならば この堀ほりは花ざかり 花ざかり

それから10年後、石田三成は天下分け目の関ヶ原の合戦で大敗を喫した。
そして彼のいない佐和山城に小早川秀秋の軍をはじめとした東軍の軍勢が押し寄せてきた。
三成は豊臣政権の中枢に長くありながら、普段から質素倹約に努めていたことで有名だったので、
寄せ手の兵は「佐和山城の内部はきっと華やかで、金品も蓄えられているだろう」と思っていたそうだ。

しかし城に入ってみればそこは華やかな外観とはうって変わり、質素な風情だった。
住居の壁には上塗りが施されておらず、荒壁がむき出し、室内の多くは板張りのまま。
庭も地味なもので四季を彩るような樹木が植えられておらず、手水鉢も石そのもののような粗末さだった。

また、東軍に仕えた医師・板坂卜斎の手記には「佐和山には落城以後金銀は少しもなし、治部(三成)貯え申さず候由」と記録されている。
つまり三成は関ヶ原の戦いに挑む直前に、ほぼ全ての金品を西軍に投資していたのだ。

三成は生前、こう周囲に話していたそうだ。
「奉公人は主君より取る物を遣い合わせて残すべからず。残すは盗なり。遣い過して借銭するは愚人なり」
彼はこの言葉どおり最後まで奉公人として、主家豊臣家のために全てを尽くそうとしていたのだろうか。
796人間七七四年:2012/06/12(火) 21:00:00.45 ID:/CrEUxH9
市民の僕たる現代の公務員が予算をきちんと過不足なく消化するのと同じ精神ですね
797人間七七四年:2012/06/12(火) 21:05:58.15 ID:auTsToZb
それとはぜんぜん違うw
798人間七七四年:2012/06/12(火) 21:06:49.75 ID:lbAoxrH/
>>796
違うだろ。私財を蓄えて、使うのは市民の金ってのが公務員じゃないのか
799人間七七四年:2012/06/12(火) 21:16:56.78 ID:fs09v/N+
負けてしまえば質素倹約も水の泡だな
慢らぬ者も久しからず
800人間七七四年:2012/06/12(火) 21:23:26.59 ID:Tyt8pXd2
????????
801人間七七四年:2012/06/12(火) 21:33:47.80 ID:qCLfYI9h
へいくわいものって、傲慢って意味じゃなかったか
802人間七七四年:2012/06/12(火) 21:35:24.63 ID:Mn9zff8b
驕ってもダメ、驕らなくてもダメ、なら驕ったほうがよくね?
803人間七七四年:2012/06/12(火) 21:41:51.03 ID:fs09v/N+
>>802
身の程を知った上でなら、奢るのも奢らぬのも










自由だぁ〜
武士の道は奥が深く候
804人間七七四年:2012/06/12(火) 21:47:23.49 ID:YHyx6QR/
驕る平家はなんちゃらかんちゃらって結果論だよな。
805人間七七四年:2012/06/12(火) 21:50:50.25 ID:8TaqR9OO
>>804
ありゃ「栄者必衰」にかかってるから、「驕り高ぶるほど繁栄した平氏も、その繁栄は長くなかったよ」って事だよ。
806人間七七四年:2012/06/12(火) 21:55:01.20 ID:YHyx6QR/
>>805
えー、因果関係は無いって事か。
807人間七七四年:2012/06/12(火) 22:02:50.09 ID:qCLfYI9h
>>743で宇宙大将軍が出たから書くわけじゃないが、平家物語の冒頭、
秦の趙高、漢の王莽、梁の朱異(※異体字)、唐の禄山
朱異より侯景のほうが簒奪者らしいのに
808人間七七四年:2012/06/12(火) 22:04:18.53 ID:fs09v/N+
平家の驕りという因に、源氏という縁がより、滅亡の果が出た
809人間七七四年:2012/06/12(火) 22:19:02.29 ID:xBcrWkZA
三成は豊臣政権内であれだけの地位にいた人物で有名な武将でありながら
その割に現存する肖像画などかなり少ないよな負け組はやはり扱いがひどいんだな
810人間七七四年:2012/06/12(火) 22:33:46.91 ID:B/VYMa5e
肖像画なんかは子孫が絵師に依頼する場合が多いから…
家が途絶えるとね。
811人間七七四年:2012/06/12(火) 22:39:29.70 ID:zI2VpHGL
>>790
『死にたいなら殺してやろうか?』なら、たくさん該当者がいるな。
812人間七七四年:2012/06/12(火) 23:12:13.29 ID:WyJgNSwJ
>>790
「ボク、死にたいです・・・」なのか、
「死にてえけど自分じゃ死ねないから理由がほしいぜ」なのかによって答えはかわるだろ(笑)
前者なら立花さんや武田(弟)さんに相談。
後者なら森さんや水野さんに相談
813人間七七四年:2012/06/13(水) 02:21:56.94 ID:Lr80MS3J
そこは道雪さまか工場長に相談した方がいいかも
814人間七七四年:2012/06/13(水) 06:10:58.47 ID:osSbxBvC
????「ボク、死にt」
三歳「三十五人…と」
815人間七七四年:2012/06/13(水) 09:21:31.32 ID:Ccd6KQEO
浅野『乱心ニアラズ(`ω´)』

吉良・大石『…死にたいなら自分(一人)で死ねよと。』
816人間七七四年:2012/06/13(水) 09:27:43.29 ID:Ccd6KQEO
秀信『死に急がせるんなら自分が死ねよと。』
817人間七七四年:2012/06/13(水) 10:11:58.99 ID:Qgt8HK8n
死んだ方がマシな状態にしてやんよ!
818人間七七四年:2012/06/13(水) 11:08:56.87 ID:Bihy1NkQ
今川氏真「没落して世間から後ろ指さされながら生き続けるくらいなら死ぬ方を選ぶよね」
大友義統「家臣を無駄死にさせて自分は酒と女に浸ってる奴とか生きる価値ないだろ」
小田氏治「武士は負けたら基本切腹でいいと思う」
819人間七七四年:2012/06/13(水) 14:44:11.20 ID:ipu/9BSw
家康「負けて糞をもらすなどみっともない!」
820人間七七四年:2012/06/13(水) 14:48:41.47 ID:ipu/9BSw
長可「俺が死んだら、みんなが悲しむから生きねばならぬ。平和の為に!」
821人間七七四年:2012/06/13(水) 14:56:18.43 ID:ipu/9BSw
仙石「自分だけ逃げて助かろうなんてけしからん!」
信君「まったく!」
利家「本当に、そうだね。」
822人間七七四年:2012/06/13(水) 16:39:00.68 ID:m196pYE3
有楽「武士ならば生き恥をさらすくらいなら潔く自ら果てるべきである」
道薫「うむ、一族郎党を守るためならばこの素っ首一つで済むなら安いものよな」
右近「難事にあって逃げるなど男のすることではない」
823人間七七四年:2012/06/13(水) 17:58:13.69 ID:nQZMQ9jP
元就「息子達よ、一族の命運を賭けて必ずや天下を獲れ!」
隆元「神様、親父の命を差し上げますから私の寿命を伸ばしてください。」
輝元「言うことを聞かない叔父たちは折檻だー!」
824人間七七四年:2012/06/13(水) 18:13:34.49 ID:SUqaJwOx
>>823
元就がそう言い残して、隆元の寿命が元就並にあって、
輝元がそれくらい両川へ対して強気だった場合の毛利は見たい気がする
825人間七七四年:2012/06/13(水) 18:19:03.19 ID:IYHPGJK+
一般的には常識とされている、
 真実は一つだけ
 怒りは自然な感情
 戦争・テロは無くならない
 死刑には殺人の抑止力がある
 虐められる側にも虐めの原因がある
 自己チューな人間ほど自己愛が強い
などの間違いを解説ちう m9(`・ω・)ビシ
義務教育では教えない 感情自己責任論
826人間七七四年:2012/06/13(水) 18:25:31.10 ID:ipu/9BSw
官兵衛「天下など狙うでないぞ!」
又兵衛「大事な若殿だから早く助けなきゃ」
家臣団「今日も殿様褒めてあげよう!!」
827人間七七四年:2012/06/13(水) 18:30:49.98 ID:0GSMwxU+
秀吉「もう人が死ぬのは嫌だ… 戦の無い世の中を作ろう…」
828人間七七四年:2012/06/13(水) 18:40:50.20 ID:Lr80MS3J
(´・ω・`) 「人をだましちゃいけないよ!」
829人間七七四年:2012/06/13(水) 18:44:12.84 ID:ipu/9BSw
直家「正直が一番!」
830人間七七四年:2012/06/13(水) 18:53:53.33 ID:Ip47AwPS
まだ出ていないと思ってwikiから引っ張ってきました

その1 「秀康と相撲観戦」

秀康が家康と伏見城で相撲観戦していたとき、観客が熱狂して興奮状態になり騒ぎ始めた。
すると秀康は観客席から立ち上がって観客を睨みつけた。
その威厳に観客の誰もが驚き、騒ぎは一瞬で静まったと言われている。
この秀康の威厳には家康も驚き、『校合雑記』には「今日の見物ある中に、三河守(秀康)が威厳驚きたり」と述べたという。

その2 「秀康と阿国」

秀康は弟の秀忠が徳川氏の家督を継いだとき、伏見城代を務めていた。
出雲阿国一座を伏見城に招いて、阿国の歌舞伎を絶賛した後、
「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」
と、こう漏らしたと言う。


831人間七七四年:2012/06/13(水) 19:21:05.50 ID:f5zdBKFe
>>798
立花さんとこの小野さんみたいに溜め込んだ私財を震災復興に投じてくれるような公僕がいたらなあ
832人間七七四年:2012/06/13(水) 19:38:55.79 ID:Jpchgyg3
お前がいうなネタになる武将、ちょっと多すぎw
833人間七七四年:2012/06/13(水) 19:54:34.80 ID:ipu/9BSw
>>831
岡左内も
834人間七七四年:2012/06/13(水) 20:43:37.41 ID:osSbxBvC
「御安心召されよ、斯様な大事あらば我が内ヶ島家がいち早く馳せ参じお助け致しましょうぞ!」
835人間七七四年:2012/06/13(水) 20:47:42.46 ID:bJZSvTNS
>>823 824
タイミングがむずかしい
836人間七七四年:2012/06/14(木) 14:54:32.46 ID:Rt9IXDL3
>>831
さすが顕如はんや!!
見事なまでの絶対他力やで
837人間七七四年:2012/06/14(木) 15:04:09.86 ID:brE2UoFG
>>796
予算の半分は借銭じゃ…
やっぱ二公一民くらい税金取らなきゃやっていけないな
838人間七七四年:2012/06/14(木) 15:13:24.32 ID:DyN4XfxZ
ふと思ったんだか大阪は生活保護が貰いやすいと聞くが、
これって石山本願寺とかの文化的な名残なのかね?
別に現在の本願寺がどうとか言うつもりはないが
839人間七七四年:2012/06/14(木) 15:17:06.42 ID:oisUKiO8
>>790
立花家某家臣の親「死にたいなら自分で死ねよ。巻き込みやがって…」
840人間七七四年:2012/06/14(木) 17:02:14.75 ID:wKjrP46A
>>838
別にもらいやすいわけじゃない
ただ大阪の場合、申請者数が半端ないから受給者数も多いってこと
841人間七七四年:2012/06/14(木) 17:28:22.96 ID:Rt9IXDL3
>>840
いや、生活保護目当てで西成行く人がいると公務員から聞いたことあるぞ
842人間七七四年:2012/06/14(木) 18:53:40.69 ID:yAAWdolZ
慶長5年、7月。
石田三成が挙兵し畿内を順調に制圧していたころ、一路東海道を下る一向宗僧侶の一団があった。
彼らの目的は、前年の凶作により困窮した関東の門徒たちの見舞いである。
とはいうものの、勿論これは表向きの話。
その真の目的は、上方での変事の情報をいち早く江戸の家康に伝えることだった。
一団を率いているのは、かつての本願寺12代目法主、教如上人その人である。

石田三成は彼を何とか畿内から出すまいと様々な手管を使ったが、
教如は追手を振り切り畿内を脱出。同月中には江戸にて家康に謁見した。

もちろん親切心からこんな行動に出たのではない。
教如には、ある思惑があった。
それは、今回の大乱に乗じた自身の復権だ。
教如は先代法主顕如の長男であり、本来ならば今も法主の地位に就いている筈の男である。
しかし彼は秀吉の勘気を被り、わずか一年で弟の准如にその地位を譲らされたのだ。
それから七年の間鬱屈とした日々を過ごしていた教如であったが、この度石田三成が挙兵
するに及んで、次の天下人候補筆頭である家康に接近せんがため危険を冒して江戸まで
下向してきたのである。

教如は家康に西軍の情報を伝えると、こんな提案をした
「上様のご命令さえあれば、西国の全門徒達に決起を呼びかけ、西軍を撹乱してみせましょう」
そう、教如は天正年間以来久しく絶えていた全国規模の一向一揆を再び画策していたのだ。
さすがに本願寺きっての武闘派は言う事が違う。法主の座を退いたとはいえ未だ彼の影響力は
大きく、もし本当に一揆が蜂起すれば西軍の作戦行動に多大な支障をきたす事は明白だった。
843人間七七四年:2012/06/14(木) 18:58:49.37 ID:yAAWdolZ
だが、かつて三河一向一揆に散々苦しめられた経験のある家康の反応は芳しくなかった。
そもそも教如がもたらした情報は既に別筋から手に入れていた物であったし、この件で
本願寺に借りを作ってしまうのも面白くない。
結局の所、家康は礼として名馬を贈り尾張までの道中の安全を保障したものの、
教如の提案は受け入れなかった。


家康に恩を売ることこそ失敗した教如だったが、心証は大分よくなったようであり
家康は関ヶ原の戦いに勝利した後、教如を法主に再任させようとしていたようだ。
…が、一向宗門徒でもある家康の謀友・本多正信がこの人事に異を唱えた。
彼の献策により、教如は新たに設立された「東本願寺」の法主に任命された。
既存の本願寺は後に西本願寺と称される事となり、現在に至っても
統合は行われていない。
顕如時代の全盛期とは比にならないとはいえ、この時期にあっても本願寺は
依然として全国の門徒に強い影響力を持っていた。
その力を削ぐ為の、徳川氏らしい巧妙な政治的手法といえよう。

こうして本願寺は西本願寺(准如系)と東本願寺(教如系)に二分され力を失い、
徳川幕府の支配体制下に組み込まれていったのである。

…石山本願寺から顕如が退去してから20年、まだまだ血気盛んだった
教如上人(及び門徒達)と、佐渡さんの老獪な智恵の光る逸話である。

844人間七七四年:2012/06/14(木) 19:34:05.11 ID:Rt9IXDL3
今の政治家なら後先考えず喜んで受け入れるだろうな
国内最大門徒数を誇る一向衆を票田に出来るのだから(笑)
845人間七七四年:2012/06/14(木) 19:48:28.00 ID:34y5LReT
さすがサドの神
自身が一向宗でも容赦しないぜ
846人間七七四年:2012/06/14(木) 19:52:11.25 ID:9XcvV/+Y
「殿と喧嘩するぐらいなら、真宗やめて教義の似た浄土宗に変えるねー」というほど殿様大好き三河武士だぜ。
サドさんも本音じゃあ……。
847人間七七四年:2012/06/14(木) 19:56:36.44 ID:RwD1SLQO
三河一向一揆が泥沼化しなかったのは他の例を見ると本当に特別
848人間七七四年:2012/06/14(木) 19:57:48.97 ID:32WPZJIG
過激派の教如の脅しに屈したともとれるけどね
849人間七七四年:2012/06/14(木) 21:17:43.17 ID:DyN4XfxZ
>>848
馬一頭と道中の手配だぞ
オレには屈したとはとれなかった
850人間七七四年:2012/06/14(木) 22:31:05.65 ID:a0MWdKAv
>>849
その後の話じゃないか?
851人間七七四年:2012/06/15(金) 01:08:27.95 ID:sk5ZrSMQ
ところで前にhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6361.htmlで
仁科盛信が「盛信」とも名乗っていた、て話しがあったけど
矢沢頼綱が矢沢綱頼だったり、羽柴秀長が羽柴長秀だったり、
ひっくり返ることって結構あったのかな
明智光秀が信長の父に敬意を払って「ひでみつ」にしたり、
織田秀信が織田としての誇りを持って「信秀」にしたり、とか
852人間七七四年:2012/06/15(金) 01:49:58.92 ID:1UPVjj8U
>>850
本願寺の東西分裂が?
いまいちどこを脅しに屈したとしてるのかわからん
853人間七七四年:2012/06/15(金) 07:58:40.19 ID:6j4OqDWN
そういや下間頼廉の逸話って無いのかな
854人間七七四年:2012/06/15(金) 12:34:36.80 ID:gw1AihhO
西本願寺と東本願寺って、教義的な違いとかあるの?
855人間七七四年:2012/06/15(金) 12:51:09.17 ID:/1xyX+ed
大きな意味では違いは無いね

856人間七七四年:2012/06/15(金) 12:54:17.60 ID:EahfpsjA
>>853
・大坂之左右之大将
・90歳まで生きた
857人間七七四年:2012/06/15(金) 12:56:53.75 ID:KCve1iLF
本願寺って、信徒を地獄行きだと脅して戦争させたカルトっぽい所業について、今はどう捉えているの?
やっぱり信長とか敵対した大名が悪いんだー、というスタンス?
858人間七七四年:2012/06/15(金) 13:14:40.14 ID:BlKH1p3t
>>857
どう捉えてるかはわかんないけど、
長嶋や加賀の犠牲者についてなんのフォローも
していないと司馬遼が「街道を行く」で書いてたな。
司馬は真宗で先祖は別所氏の家来筋(三木の支城に籠城)
だからくるもんがあるんだろうな。
859人間七七四年:2012/06/15(金) 13:21:31.55 ID:wYrZcV96
まぁ俺たちだっていまさら朝鮮征伐の謝罪をニダとか言われても困るけどな
860人間七七四年:2012/06/15(金) 13:55:26.35 ID:5R8LzXTL
現代に生きててよかったよな
今の日本に挙兵する宗教団体ないからな
一番近いのがオウムかもしれんが
861人間七七四年:2012/06/15(金) 14:28:54.88 ID:1UPVjj8U
「退けば無間地獄 進めば往生極楽」
これただの士気上げるためのスローガンじゃないの?
なかには地獄を本気でビビって戦に参加した者もいるだろうが、
戦国時代とはいえ数万単位がこの言葉だけでは動かないよ
そもそも悪人正機の浄土真宗だぞ
我が身可愛さから仲間見捨てて時代と戦から逃げる悪人も、
嬉々として戦場で人間を殺せる悪人も、
南無阿弥陀仏と唱えれば阿弥陀の本願に乗じる事ができる・・・って教義だし
862人間七七四年:2012/06/15(金) 14:55:15.01 ID:vd04bz8n
>>860
平和ボケすぎ
現代でも日本国内で対戦車砲やらが押収されてるけどな
こんなもんヤクザ抗争で使わないだろってな武器がなぜか非正規にある現実
863人間七七四年:2012/06/15(金) 15:38:19.76 ID:BlKH1p3t
>>861
悪人正機は本願寺派的にはかなりやばい教義らしく
蓮如は事実上シカトしてたらしい。
864人間七七四年:2012/06/15(金) 18:26:31.89 ID:R2Dkm7GU
親鸞「どうしてこうなった!」
865人間七七四年:2012/06/15(金) 18:42:25.43 ID:AKdvX3dY
坊主の癖に子供なんか作るからだろ
866人間七七四年:2012/06/15(金) 18:46:41.69 ID:1UPVjj8U
>>865
真宗は「坊主だから○○するべき」の執着も捨ててるんだよ
良い風にとれば(笑)
867人間七七四年:2012/06/15(金) 18:47:26.97 ID:jP9ZX2OA
一休宗純「イカんのか?」
868人間七七四年:2012/06/15(金) 19:13:45.12 ID:xTKyEJ1G
立川流「問題ないよ!」
869人間七七四年:2012/06/15(金) 19:18:21.21 ID:1UPVjj8U
道元「他力を頼んでも無駄である(キリッ)」

とは言うが親鸞は認めてた
870人間七七四年:2012/06/15(金) 19:33:18.81 ID:JB7FaDTK
空海「あのさぁ・・・」
871人間七七四年:2012/06/15(金) 19:35:20.90 ID:xFMqs3e4
○×「神も仏も、前世来世もない……と、ノブナガさんがイッテマシタヨー。
でもキリスト教だけは本物デース」
872人間七七四年:2012/06/15(金) 19:39:14.97 ID:R4Uakz8/
細川忠興が酷過ぎる手段で買い戻した有明の茶入れだが、忠興隠居後は忠利に譲られた。
ある年領土の大飢饉で藩政の危機が迫った際忠利は決断した。

「あの茶入れを手放して飢饉対策の資金を作ろう」

かくて有明の茶入は黄金千八百枚で酒井忠勝の手に渡った。
あれほど執着した茶入にも関わらずそのことを知らされたご隠居の三斎忠興は惜しむ様子を全く見せず
忠利が茶の湯も上達せり、と一笑したのみであったという。
873人間七七四年:2012/06/15(金) 19:49:59.92 ID:77eXqtm+
道具に拘ってる間は本物じゃないって気付いたんだな
874人間七七四年:2012/06/15(金) 19:55:14.65 ID:umQyH1ka
100両→黄金1800枚は得してるのかな
875人間七七四年:2012/06/15(金) 20:53:22.24 ID:vd04bz8n
法然「教義、戒律に拘ってる間は本物じゃない」
876人間七七四年:2012/06/15(金) 20:55:17.17 ID:ABQG98mO
忠興「今度は、どんな手で取り返そうか」
877人間七七四年:2012/06/15(金) 21:22:24.42 ID:lTDbOiqW
政宗「俺に任してくれれば宗匠仕込みの解決法でなんとかしてやるぜ!」
878人間七七四年:2012/06/15(金) 21:24:49.85 ID:VYYIVd79
隆景「これだからDQNとの茶の湯は嫌なんだよ。」
879人間七七四年:2012/06/15(金) 21:25:51.21 ID:K4wWHKRj
忠興「文化財クラッシャー政宗なら、絶対叩き割るな」
880人間七七四年:2012/06/15(金) 21:36:01.07 ID:ABQG98mO
中馬「大事な文化財を壊すとはけしからん!!」
881人間七七四年:2012/06/15(金) 21:41:54.74 ID:ABQG98mO
割るなよ。絶対に割るなよ。
882人間七七四年:2012/06/15(金) 21:43:25.97 ID:lTDbOiqW
馬場信春「まったく重大な損失だ」
883人間七七四年:2012/06/15(金) 21:58:14.04 ID:ABQG98mO
爆弾正「茶の湯の道具を壊すとはけしからん!」
884人間七七四年:2012/06/15(金) 22:20:17.46 ID:InXLPFz0
織部「継げ、継げ、継ゲヒヒヒ」
885人間七七四年:2012/06/15(金) 22:28:30.20 ID:ABQG98mO
政宗さんが手にした宝物とその末路

・王義之の書(写し)→切断
・天目茶碗     →叩き割る
・正宗の刀     →切断(未遂)
・千利休の茶杓   →持ち主の前で折る
・千利休の花入   →家来が相撲とってて破壊
886人間七七四年:2012/06/15(金) 22:31:21.04 ID:K4wWHKRj
マサムネのマサムネはマサムネじゃなかったけど切断したから未遂じゃない気が
887人間七七四年:2012/06/15(金) 23:19:49.90 ID:jkSOzJsf
本当の名器は自分の為に使うのではなく家の為に使うもの、っていう事?
888人間七七四年:2012/06/16(土) 00:00:16.20 ID:ArvzwL98
>>872
>あれほど執着した茶入にも関わらずそのことを知らされたご隠居の三斎忠興は惜しむ様子を全く見せず
>忠利が茶の湯も上達せり、と一笑したのみであったという。

忠興(早めにすり替えておいて助かったぜ!(笑))
889人間七七四年:2012/06/16(土) 00:07:51.15 ID:kI71WzQf
忠宗「うちにも、いろいろ高価な物があるはずだから売ろう!」
890人間七七四年:2012/06/16(土) 01:53:34.33 ID:zZJ2CBf4
>>887
侘び数寄は価値などには拘らずに自然体が一番
891人間七七四年:2012/06/16(土) 02:10:29.86 ID:KFV2WIV2
無理したり見栄をはらなければ使い方は自由自在
892人間七七四年:2012/06/16(土) 02:22:54.14 ID:edAxyqWQ
本当の名刀は自分の為に使うのではなく家臣に対して使うもの
893人間七七四年:2012/06/16(土) 03:04:04.65 ID:kI71WzQf
忠興「その通り!」
894人間七七四年:2012/06/16(土) 06:14:23.78 ID:Ms4UScA0
いや家臣に対して与えるもの
895人間七七四年:2012/06/16(土) 06:58:21.78 ID:edAxyqWQ
正則「え、酒呑み競べて勝った方じゃなかったの?」
896人間七七四年:2012/06/16(土) 08:37:27.87 ID:Nfp8NyG6
 天文二十三年、毛利元就はそれまで手を組んでいた陶晴賢に反旗を翻し晴賢側の安芸の諸城を怒涛の勢いで攻略し始めた。
これに陶晴賢は船岡山の合戦などで高名を馳せていた宮川房長を派遣して元就討伐にあたらせた。
陶軍は各地で兵を募りながら膨れ上がり、その数は2万とも噂されるほどだった。
対する毛利軍はわずか3千余り。
対峙して元就はどうするべきかと作戦を練っているところに、敵方の様子を探らせていた斥候より一報が入る。
情報によると、今夜敵は秘かに軍を動かし兵を川岸に伏せ、明朝未明に合戦を仕掛けるやいなや
不意打ちをしようと目論んでいるとのことであった。

 そこで元就は福原貞俊、宍戸隆家の両将に「急ぎ川岸に向かい、敵の伏兵を逆に不意打ちして討ち取れ!」と命じた。
両将は直ちに現場へ急行したが、元就は現場の地の利に不安を覚え
秘かに後を付け川がよく見渡せる川岸手前の小高い丘から現場を見渡した。
空は曇り月明かりさえも届かずあたりは漆黒の闇で、もちろん敵味方ともに伏兵として行動しているので
人馬ともに音を立てずひっそりとして静かであった。
なので丘から見渡しても敵味方の動きは何も見えず、気配すらわらかない有様だった。

 ところが、突然に元就は両将へ伝令を送り「直ちに現場から急いで引き上げよ!」と命じた。
両将は命令通りすぐに戻ってきたが、突然の命令であったため不審に思い元就に理由を尋ねた。
これに元就はこう答えた。
「敵陣や伏兵のありそうなところは暗闇で何も見えず全くわからなかったが、ただ川には数多くの蛍火があった。
ところが、突然川下の方で蛍火が乱れ、やがて一つ残らず逃げ失せた。
これは敵軍が我々の行動に気付き、不意打ちをしようとして川下を秘かに渡っているに違いないと思ったので
直ちに兵を引き上げさせたのだ。」
翌日、現場を確認してみると確かに川下を敵兵が渡った形跡があったので家臣たちはこの元就の明察に感じ入ったという。

折敷畑合戦で毛利元就が宮川房長率いる陶軍を壊滅させる数日前の出来事であった。
897人間七七四年:2012/06/16(土) 14:21:32.39 ID:ygzQ02WT
源義家と大江匡房に因んだ創作
898人間七七四年:2012/06/16(土) 14:41:13.16 ID:2XxBulvc
祖先の兵法を知ってても不思議ではない
899人間七七四年:2012/06/16(土) 16:44:39.13 ID:KFV2WIV2
八幡太郎さんの故事を読んだ経験がホタルを見たときにピンと合わさったんだろうな。
それを即自分の戦術に用いるのは良将の知恵
似ているから創作だと決めつけてしまうのがオタ知識
900人間七七四年:2012/06/16(土) 17:49:44.21 ID:WyKotWyo
奇襲の情報はから相手方の罠だったんだろうなあ
それにしても蛍の動きを見ただけで相手の動きに気付くとはさすがに元就は戦上手だな
901人間七七四年:2012/06/16(土) 18:33:08.88 ID:XOpMWTmP
紀伊大納言徳川頼宣は小堀遠州に頼み石灯籠を造らせて江戸屋敷に置いていた。
二十年を経てこの石灯籠が評判となり時の大老酒井忠勝が一見したい、と申し入れてきたため、
喜んだ頼宣は庭師に命じて庭の模様替えを開始、忠勝を招待する準備を進めていた。

ところが・・・・完成した庭を見ると石灯籠がおかしい。

庭師「当世風じゃないから石灯籠の火袋広げて直しておきました」

台無しである。
普通なら後の祭り、庭師は斬った上で恥を忍んで酒井忠勝にありのままを告げる、となるところだが頼宣は一味違った。

庭師を大いに叱責はしたがその後やおら家臣を呼び、

「小堀遠州に頼んだ時に物は二つあるのがよいと思い、同じものをもう一つ作らせていたのだ。
確か苔をつけた風情のものもよいと思い紀州の別邸で雨ざらしとしていたはずだ、あれを取り寄せればよかろう」

と言いつけ昼夜兼行で取り寄せさせた。

紀州で風雨に打たれていた石灯籠の古色蒼然たる風情は江戸にあった物をはるかに凌ぎ大老酒井忠勝も絶賛、
頼宣は面目を施し家中の者も主の深慮に感服した。


南龍公のこんなこともあろうかと、が20年後に活きたお話
902人間七七四年:2012/06/16(土) 18:50:11.60 ID:edAxyqWQ
なお、その後の庭師の消息は杳として知れなかった…
903人間七七四年:2012/06/16(土) 18:52:28.35 ID:szB8cU31
忠興「こんなこともあろうかと庭師を二人雇っておいたのだ」
904人間七七四年:2012/06/16(土) 19:27:02.82 ID:uoqw/0Su
造ったものを勝手に手直しされたり雨さらしにされたり
小堀さんは悪く無いんだけど何故かそういうのが似合うイメージ
905人間七七四年:2012/06/16(土) 19:49:54.97 ID:ny/fqigN
美術品で今に合うよう手を加えるより最初の姿を維持しようって思想が優勢になるのはいつごろからなんだろうか
906人間七七四年:2012/06/16(土) 20:13:38.64 ID:Lkarqp1M
王政復古の大号令
907人間七七四年:2012/06/16(土) 21:24:10.88 ID:4u/Z/TAW
基本、中世にはオリジナリティなんて一顧だにされないからな。
説話も美術品もどんどんアップデートされてく。
908人間七七四年:2012/06/16(土) 22:54:19.35 ID:F7hrRrZD
学研新書『関ヶ原島津退き口』より感慨深かった話。

関ヶ原。島津が与した西軍敗退が決し、島津ステガマリが決行された。

騎乗した島津義弘を真ん中に2百人ばかりが退いているのを井伊直政が見かけ
「兵庫頭(義弘)と組み候はん」と、退却している義弘主従に猛然と攻め入ったところ、
約9メートル離れた所から島津家重臣の郎党だった柏木源藤に右腕を狙撃された(慶長記)

直政狙撃に関するもう一つの説(帖佐彦左衛門宗辰覚書)

石田三成が敗走して島津の陣所が東軍に囲まれた中で義弘の本陣60人が一所に集まり一合戦しようと決めている時に
直政が騎乗して押し寄せて来た。
敵の大将、井伊侍従殿が黒馬に大総を掛け、白糸威に小銀杏前立を付けた甲を着けて
長刀を抱えて片手を手綱にかけ、義弘様の御前近くまで迫り大声で
「どうして手間取っているっ!兵庫を打て!」と叫んだところ、源藤が進み出て来て狙撃した。

弾は鎧の右脇に当たったが頑丈だった為はね返り右腕に当たり苦痛のため落馬した。

―その後日談―

島津は直政を頼り、直政は戦後、家康と島津の和睦交渉に奔走する。
翌年3月には義久の上京を促し、
「何のお気遣い無用、秘密の約束や隠し事もありません」と自分が島津家の為に働く事を伝えている。
そして直政自身が島津の退き口を絶賛している。

そして直政を負傷させ前途を阻んでいた井伊勢が崩れたために義弘主従の窮地を救う大手柄を立てた
柏木源藤、当時22歳の若武者のその後…

大手柄の影響か義弘の隠居所である加治木に住み、義弘の直臣となって出仕したが
しかしその後は何故か不遇で町人になり子孫も断絶した。
関ヶ原から2年後、自らが狙撃した直政の死去を知ると悲嘆した。
鹿児島市内の南林寺に江戸中期に建立された源藤の供養塔があるが、その由緒書には
「弔死の志をもって黒染の法衣を身にまとい、廻国修行に郷関を出しが、また帰らず、
その終焉の地、果たして何処なるか、勇士の末路、憐れにもまた遺憾なり」とある。
909人間七七四年:2012/06/16(土) 22:58:16.83 ID:g6KWgoOd
庭師っていうからいつ血の雨が降るんだろうとハラハラしたw
910人間七七四年:2012/06/16(土) 23:30:40.83 ID:UuZIJ+MT
>>908
戦では命を奪い合い戦が終われば敵も味方も関係無しか
それにしても直政は男振りがいいな
911人間七七四年:2012/06/17(日) 07:37:37.91 ID:2O2EnOAv
「平八、>>910を討て」
912人間七七四年:2012/06/17(日) 07:56:54.00 ID:b9q6evXc
島津は領国の地理的に運がよかったのもあるな
丹波くらい近ければ普通に攻められただろうし
913人間七七四年:2012/06/17(日) 08:15:19.50 ID:H2CS2rcg
戦場で打った当時の敵が死んだことにより24歳で出家とは
しかも関ヶ原から2年経ってる
914人間七七四年:2012/06/17(日) 10:10:39.56 ID:I7L15ooP
至近距離から撃たれた鉄砲の弾を跳ね返す直政の鎧すごいな
915人間七七四年:2012/06/17(日) 11:07:31.55 ID:KBSkTb8t
平八郎は生身で跳ね返してたんでしょ?
916人間七七四年:2012/06/17(日) 13:04:57.04 ID:s0hhGPlQ
平八郎「当たらなければどうということはない」
917人間七七四年:2012/06/17(日) 13:13:56.28 ID:N/6T/trU
東郷ターンをしたのはそのためか
918人間七七四年:2012/06/17(日) 13:40:12.55 ID:ga2o/mTL
>>913
それだけ島津の中で和睦交渉に尽力してくれた
ひこにゃんパパの存在が大きくなってたということだろな
919人間七七四年:2012/06/17(日) 14:41:13.81 ID:om7lZnUG
休日中の官兵衛のもとに、家臣からいろいろな贈り物が届いた。
五百石の家臣が超高級のお酒を一樽届けてきた。
みんながそのことに感心していると、二千石の家臣が手作りの菜の惣菜を少々届けてきた。
みんな「二千石のくせにケチくさいヤツだな」と笑った。

すると官兵衛、
「小身のくせに酒一樽とは、身の程知らずの見栄っ張りじゃ。
それに引き換え手作り惣菜とは、真心を感じるのう」
と言った。

920人間七七四年:2012/06/17(日) 16:08:43.79 ID:yqAj0RtJ
>>919
一豊さん…(´・ω・`)
921人間七七四年:2012/06/17(日) 16:16:44.82 ID:ouFC4Z+h
>>920
馬は武氏にとっちゃ資本みたいなもんだからまた別じゃね。
酒は完全な嗜好品
922人間七七四年:2012/06/17(日) 17:08:59.24 ID:ZpjdZLiC
市松「燃料でござる」
923人間七七四年:2012/06/17(日) 17:18:21.88 ID:MD1w7Emq
>>842の続き話。
関ヶ原合戦の直前江戸で家康に謁見し後の復権に大きく近づいた
教如上人であったが、その帰路に待ち構えていたのは人生最大級の受難であった。

家康に尾張まで送ってもらうまでは良かった教如一行だが、その先の美濃は
まだ完全に西軍の支配下にある。
散々慰留しようとした教如に逃げられた挙句内部情報を家康に
漏らされてしまった石田三成は、はっきり言ってキレていた。
(西軍が実は内通者の宝庫であり自身の手紙ですら東軍に流出しまくりだとは
夢にも思っていない)三成の怒り様は相当なものだったようで、
教如の帰還を知るや否や兵を送り、なんとまあ教如を殺しにかかったのだ。

墨俣の渡し場で石田勢と遭遇した教如一行はたまらず近くにあった光顕寺に
避難し、上人は本堂の須弥壇(しゅみだん)の下に潜り込んで隠れてかろうじて
追手の目を晦ました。
教如はこの時死をも覚悟したらしく、手近にあった鏡板(現存する)に辞世の句を書きつけている。

散らさじと森辺の里に埋めばや 影は昔のままの江の月
924人間七七四年:2012/06/17(日) 17:19:11.58 ID:MD1w7Emq
ともあれ光顕寺ではかろうじて生き延びた教如上人だったが、まだまだ京への道は遠い。

ここで近郷の村・寺に教如の苦境が伝わると、無事に教如を帰すための
特別同盟が組織される事になった。
「土手組」(どろてぐみ)と呼ばれるこの集団は屈強な門徒八十二人からなる
精鋭部隊を組織して教如の護衛に付けると共に、道中の二十ヶ寺を拠点に提供した。

新たに彼らの助けを得て出発した教如一行は、西圓寺に入った。
ところがここでもすぐに石田方に所在が知れてしまい、またもや
寺に籠って戦いを繰り広げる事となってしまった。

「上人が危ない」
この情報を聞きつけた近郊の揖斐春日谷の住民たちは
急ぎ屈強な男衆二十七人を選り抜き西圓寺に向かわせたのだが、
こいつらの経歴がまた一段とすごい。

某右衛門「俺は石山本願寺に十年いたから、顕如様を見てるんだぜ」
某蔵「ふーん、俺は長い事長島に居たからよく知らねえなあ」
某右衛門「そういや長島じゃ大変な目にあったそうじゃないか」
某蔵「おうよ。信長が和議の約定を破った時はさすがにもうだめかと思ったぜ。
   ま、無我夢中で暴れてみたらいつの間にか織田家一門衆を大量に討ち取った上に
   脱出もできたんだけどな。いやあ人間、必死になりゃ何とかなるもんよ、がっはっは!」

…彼らは過去の一向一揆を肌で知っている猛者たちであり、身には襤褸(ぼろ)を纏って顔には鍋墨を塗り、
人とも鬼とも付かぬ異様の形相で得物を引っ提げて西圓寺に向かったという。
この時代至る所にいたであろうモンスターの一種である。
925人間七七四年:2012/06/17(日) 17:22:10.03 ID:MD1w7Emq
モンスター農民VS西軍の激戦が西圓寺で行われるなか、寺内では一計が案じられた。
西圓寺の住職の容貌が教如と似ている事を利用し、住職が「身代わり教如」となったのだ。
身代わり教如が東へ走る隙に、本物の教如は門徒に背負われ北へと逃げて行った。

身代わり教如は追手に追いつかれ死んでしまったが、本物の教如はひたすら逃げ回った。
身代わりの首を見て偽物である事に気づいた三成は激怒し、尚も百余り人の兵に追跡させる。
街道筋をくまなく押えられた教如は進退に窮まり、国見岳中腹の岩窟に身を隠した。
現在は教如岩とも呼ばれているこの岩窟で教如は数日間隠れ、村人たちの捧げる粗食で
かろうじて命をつないでいた。

まさしく踏んだり蹴ったりの教如であったが、九月十五日には三成が関ヶ原で敗北。
虎口を脱する事ができた教如は村で休養を取った後、国見峠から長浜を経由して京に帰還する。

一連の戦いで土手組の勇士八十二人のうち十九名は命を落としたが、彼らが命を懸けて
守り通したした上人は、後に再び法主として返り咲くことができた。
彼らには供養塔が、そして上人の身代わりとなった西圓寺住職には太鼓塔が建てられ、
現在でも祀られ続けているという。
926人間七七四年:2012/06/17(日) 17:36:24.62 ID:/y6VeIcN
誰か歌の意の解説お願いします
927人間七七四年:2012/06/17(日) 17:45:08.17 ID:/WaaTE0C
石山長島生き残りの一向門徒ってムチャクチャ強そうw
宗教信者ってより歴戦の傭兵みたいなものだったろうし
928人間七七四年:2012/06/17(日) 18:22:59.26 ID:ki6yvYI/
北斗の拳に出てくる南斗の中途半端な拳使う大男とかのイメージ
929人間七七四年:2012/06/17(日) 19:03:53.68 ID:LF71Jdc7
そう考えると
かのヒャッハー富田さんが700の兵で3万の一向宗を蹴散らしたのって相当やばい事だよな
正規兵と互角に戦ってるような連中を・・・
930人間七七四年:2012/06/17(日) 20:48:44.58 ID:7QCKMaGX
和睦破りの攻撃(恐らく後の信長の和睦破りはこの報復)とはいえ氏家ト全殺して、柴田勝家もやりかけた一揆勢のベテランだからなぁ……。
931人間七七四年:2012/06/17(日) 20:54:52.41 ID:MD1w7Emq
>>926
正しいという保証はありませんが…
川の上から照らす昔と変わらぬ月の光を、
方々に掻き消えてしまわないように森の辺りに埋めてしまいたい…
というのが直接的な解釈。
実はこの和歌が記された光顕寺周辺は森部と呼ばれている事から、
「森辺」と「森部」が掛っていると考えられます。
従って自分は、江の月の光が教如自身でありその自分がこの森部で散る(死ぬ)ことの
ないよう、須弥壇の下といわず地中までも潜り込みたい、という
切羽詰まった状況の描写の意味を込めているのかなと捉えています。
932人間七七四年:2012/06/17(日) 21:34:48.31 ID:/y6VeIcN
>>931
ありがとうございます

散らさないように森に埋めたのに、なんで影(江に浮かぶ月?)があるのかわかりませんw
仏教的な寓意が込められた歌なのですかね?
933人間七七四年:2012/06/17(日) 21:42:27.73 ID:JSQOw38f
井伊直政と柏木源藤の話が出ていたので。

関ヶ原にていよいよ勝敗は決し、西軍の島津勢もいよいよ退却を余儀なくされた。
このとき徳川家中随一の猛将、井伊直政は「我こそ義弘を討ち取り家康公の命に沿わん」と
赤備えを率いて猛然と追撃を開始した。
島津の槍衾を払い除けていよいよ義弘に肉薄せん、と言うときに彼を狙撃し落馬せしめたのは
島津家中の柏木源藤なるものであった。

『わが殿を落馬せしめるとはいったい何者だ!』
彼の名乗りを待つ井伊勢であったが源藤は沈黙したままであった。

彼は島津家重臣(川上四郎兵衛)の郎党であり、
直接名を名乗るのは憚られる身だったのである。

だが、敵方の大将を打ち倒しておいて名乗らないわけにも行かない。
そこで源藤、必死に考えた。
(いきなり「我こそは柏木源藤!」と名乗ったのでは主家に憚りがある…
 あ、そうか、自分が仕える主人の名前を明らかにした上で俺の名を名乗れば問題は無いな。
 「我こそは川上四郎兵衛が家臣、柏木源籐」よし、これでいこう!)

考えをまとめた源藤は大声で叫んだ
「我こそは川上シロンペロン家臣、柏木源トツ!」

…噛んじゃった。

残念ながら訂正は認められず、彼は復讐に燃える井伊勢から追いまくられ
先に槍衾を作っていた仲間たちと合流して戦場を落ち延びた。

その後、義弘の供をして薩摩まで無事に帰還した彼だが
徳川四天王の一人を落馬せしめる、と言う武功とともに
先の名乗りを噛んじゃった件も薩摩に広まり、今日まで郷土資料に記されているのである。
(ホントに書かれてます)
934人間七七四年:2012/06/17(日) 21:48:43.70 ID:mL/q+3ri
そら出家するわ
935人間七七四年:2012/06/17(日) 21:55:40.59 ID:wvINmDXU
揖斐から小谷をショートカットする国見峠を通った時に
確かに教如ゆかりのようなものがあったなあ
ちょっと道から外れてたから通り過ぎたけど

森辺は前田利家が織田家への帰参が叶う活躍をした森部の戦いの地だな
936人間七七四年:2012/06/17(日) 21:57:50.79 ID:LTcchILE
薩摩まで逃げ帰ったのってホントのとこは50数名と聞いたが
937人間七七四年:2012/06/17(日) 22:03:41.33 ID:CijZPTMV
坊さんが埋まるていうから信西かと思ったわ
938人間七七四年:2012/06/17(日) 22:13:28.19 ID:a/AFxfPF
死刑囚の在庫一掃
939人間七七四年:2012/06/17(日) 22:14:42.62 ID:a/AFxfPF
誤爆しました
面目ない
940人間七七四年:2012/06/17(日) 22:39:13.89 ID:MD1w7Emq
>>932
古語では「影」は「光」を意味します。
そのため「月の影」はそのまま月光を意味すると考えて差し支えないかと。
941人間七七四年:2012/06/18(月) 00:10:29.19 ID:h1Qqt6Oo
つか何でそんな無理して帰ろうとしてるんすか…ちょっと待ってりゃ良いものを。
本気で一揆やる気だったのか?うーん怖い怖い。
942人間七七四年:2012/06/18(月) 00:16:57.25 ID:MtlzuaqH
ちょっと待ってる間に西軍が勝っちゃったらもっとヤバいからじゃないか。
943人間七七四年:2012/06/18(月) 00:19:30.68 ID:W9oqS2v7
1日で終わるとは誰も思ってなかったんだろ。
944人間七七四年:2012/06/18(月) 00:41:48.77 ID:k3gaOi4f
関ヶ原って畿内の西軍効率悪くね?

小さな城に大軍差し向け過ぎだろ
必要最低限の兵を抑えで置いといて決戦の関ヶ原に集めればよかったのに
945人間七七四年:2012/06/18(月) 00:53:11.12 ID:iIEtuyIx
柏木もよく逃げて帰れたな
捨てかまり役の人が時間稼いでくれたのかね
946人間七七四年:2012/06/18(月) 01:00:40.21 ID:h1Qqt6Oo
やぱ一揆やる気満々?(そんな気はしたが…
三成に追い掛け回されてもしゃーないな。
947人間七七四年:2012/06/18(月) 06:34:07.32 ID:QOtqY31f
>>944
徳川なんて主力差し向けて遅参だぜ
948人間七七四年:2012/06/18(月) 06:58:15.29 ID:Y0N601T6
結果から逆算して見てはいかんがな。家康の動向を西軍は全く把握できていなかったのだから
西軍の対応はある意味しょうがない。

家康が赤坂に旗印を立てるまで行動を完全に隠匿しきったこと、小早川秀秋の寝返りのタイミングと同時に
決戦を決断したことが、家康の勝因であり「関ヶ原合戦」が起こった理由でもある。
949人間七七四年:2012/06/18(月) 11:30:13.90 ID:fmPJResn
西軍の元々の方針が大垣城を中心とした防衛ラインの構築だったろうから
畿内の東軍勢力排除にもたついてるわけにもいかんかったんじゃないかな
城攻めに差し向けても、総大将一門の両川を筆頭にあからさまにサボる奴らが
いたのも過剰ともとれる戦力投入の一因かもしれない
950人間七七四年:2012/06/18(月) 11:48:16.37 ID:DK6y6NDL
畿内の東軍って淀城ぐらいだろw
951人間七七四年:2012/06/18(月) 11:56:50.94 ID:CU3LTIO2
毛利が表に出ればいろいろ見所展開あっただろうに。
結局中途半端で長州に押し込められる憂き目にあう。
隆景とかどんなアドバイすしただろうか。

秀秋の裏切りは確証あったのかなぁ。若いし育った環境、背後関係とかあるし。
半々とまではいかなくても裏切らない可能性も少なからずあったと思うが。
952人間七七四年:2012/06/18(月) 11:59:55.21 ID:BpDD4Ukp
裏切りってのは西軍から見たらの話で
東軍には東軍でそっちに味方することを表明していたわけで
953人間七七四年:2012/06/18(月) 12:07:41.12 ID:CU3LTIO2
>>952
言葉のアヤはどうでもいいけど・・・。
西軍から見たら裏切り。
東軍から見たら秀秋は西軍を裏切る。
どっちにしろ対陣時に西軍側の将としていたんだから裏切りでおかしくないんじゃないのか?
954人間七七四年:2012/06/18(月) 12:24:37.20 ID:fmPJResn
秀秋は嫌々参加した伏見攻めの後は1万近くの兵抱えたままほとんど活動せず
本戦前日にいきなり西軍追い出して松尾山を奪取してるから、この時点で東軍に
ついたと見ることもできるらしいね。
西軍に完全に取り込まれないようにのらりくらりしつつ家康接近を掴んで動いた、と

そうすると本戦での行動は西軍から東軍への裏切りではなく、西軍優勢を見て
東軍から西軍へ寝返ろうか日和っちゃったということに・・・
955人間七七四年:2012/06/18(月) 12:28:20.16 ID:Xqk0xuYy
徳川家から派遣された戦目付がいなかったら福島に横槍入れてたのかね?w
956人間七七四年:2012/06/18(月) 12:52:11.75 ID:fzPe/Sjj
>>933
やばい
川上シロンペロンがツボに入りすぎて笑いが止まらない
957人間七七四年:2012/06/18(月) 13:06:29.25 ID:LZKOE3am
>>955
その可能性も無きにしもあらず
三成の関白を餌にした勧誘に揺らいでるし、その目は無いわけじゃないだろうな

ただやはり三成には遺恨はあるし、家康には恩義があるし、
よほど決定的な情勢にならない限り東軍よりなのは間違い無いかと
958人間七七四年:2012/06/18(月) 18:38:49.00 ID:+w+m8SL9
18歳だっけ
自分の決断で天下の流れが変わるってのはきつそうだな
959人間七七四年:2012/06/18(月) 19:45:52.12 ID:Zrv2zSK6
>>951
黒官とプロレス
960人間七七四年:2012/06/18(月) 20:34:38.46 ID:QNxDRloj
秀秋は領国遠いし、関が原の1年前までは越前に減封の話でごたついていたのに
関が原までよく15000も連れてこれたよなあ・・・
8000って話もあるみたいだけどそれでもたいしたものだ
相当な借金作って乗り込んでとしか思えないが、その状況で直前まで決断出来てなかったというのも凄い話だな
961人間七七四年:2012/06/18(月) 20:38:11.21 ID:PFeEQrnh
筒井順慶「俺、しっかり光秀から離れる決断したのに、後世で日和見主義者の代表扱い。訴訟も辞さない」
962人間七七四年:2012/06/18(月) 21:07:51.27 ID:NWUb05oB
西郷隆盛「世上の毀誉、軽きこと塵に似たり」

とは言うものの18歳が世間から叩かれまくったら普通は心折れるだろうな
大将とはいえ気の毒である
963人間七七四年:2012/06/18(月) 21:19:13.84 ID:Y0N601T6
秀秋が叩かれたのは秀秋が死んで小早川家が断絶して以降のことだよ。
同時代的には、関ヶ原のあとでも律儀で信用の置ける人、という評価だったらしい。
964人間七七四年:2012/06/18(月) 21:22:17.18 ID:NWUb05oB
そうなのか・・・
いつぞやの大河で東軍勢から後ろ指さされてる場面の印象が残ってる
965人間七七四年:2012/06/18(月) 21:24:41.66 ID:QNxDRloj
おれもそれは初耳だ
何の資料だろう
966人間七七四年:2012/06/18(月) 21:29:07.95 ID:k3gaOi4f
秀秋が死んだのって病気だったのかね?

西軍を裏切ったという負い目を感じて悩んで死んでしまったのかなあ
967人間七七四年:2012/06/18(月) 21:31:35.87 ID:EkTO/Res
たしか大道寺友山の落穂集に、家康と本多正信の会話でそんな描写があったような>秀秋
968人間七七四年:2012/06/18(月) 21:35:29.31 ID:ury9/pSv
超絶うろ覚えだけど、戸川家譜だか戸川記だかに戸川達安が領地が隣同士になった小早川秀秋と親交が深かったという話があって
>>963に近い評価が記されていた気がする
間違ってたらごめん

律儀者とまでいくかどうかは分からんが、少なくとも誰からも後ろ指さされるような立場では無かったのでは
969人間七七四年:2012/06/18(月) 21:36:53.93 ID:z6H0FNPt
>>966
負い目なのか、自分の下した判断を世間に叩かれ嫌になったか・・・
いろいろ考えられるな
970人間七七四年:2012/06/18(月) 21:38:43.61 ID:P7Y0aDgd
>>966
地元のお茶飲んだからだろうな
971人間七七四年:2012/06/18(月) 21:42:08.44 ID:EkTO/Res
そもそも同時代的に小早川秀秋が叩かれたり批判されていたとするような記録は、一切存在しない。
秀秋が批判されるように成ったのって、江戸中期くらいからじゃないか?
972人間七七四年:2012/06/18(月) 21:52:34.12 ID:NWUb05oB
儒教(というより朱子学)倫理に当てはめて忠臣だの不忠だの言いだすようになったのかな?
平家の時代からそういうのは言ってるしあって当然だけど、
朱子学者と国学者はやりすぎるからな
973人間七七四年:2012/06/18(月) 21:56:31.71 ID:EkTO/Res
関ヶ原のあとの、捕虜に成った三成との対面で叱りつけられた、って話も後世になって作られたものだね。
江戸初期くらいまでは軍記物でも、あのシーンに秀秋は出てこない。
974人間七七四年:2012/06/18(月) 21:58:38.95 ID:TOaqXHhj
東洋文庫版 姜ハン「看羊録」p143
大体、その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い。
舜首座(藤原惺窩)は、以前、金吾に書を教えたことがあったので、その人となりを非常に詳しく知っている、
ということである。

関が原以前の秀秋についての評だけど、もともとこれならよけいに陰口叩かれてたかも
しかし、後世秀秋がいろいろおとされるのは肖像画のせいもあるきがする
TERUくらい威厳のある肖像画なら評価が高くなった可能性が
975人間七七四年:2012/06/18(月) 22:00:22.85 ID:BpDD4Ukp
>>974
ぽやっとした坊ちゃん坊ちゃんしたのじゃなくて、それなりに武将っぽい肖像画も有った気がするが
976人間七七四年:2012/06/18(月) 22:05:11.84 ID:QNxDRloj
評価のあたりは記録に残り難いから難しいところはあるけど
松野重元が同時代人から忠義者と高く評されたことや小早川家の重臣が再仕官に時間がかかってるあたり
後ろ指を差される雰囲気はあったんじゃない?

裏切りの仕方はともかく数少ない豊臣家の血族だし加増された先が義兄の秀家の領地だしなあ
977人間七七四年:2012/06/18(月) 22:06:25.59 ID:P7Y0aDgd
>>974
つまり藤原惺窩のコメントがないとわからない
978人間七七四年:2012/06/18(月) 22:12:17.11 ID:TOaqXHhj
藤原惺窩のコメントが一行目だと思ったんだが
まあ親友の長嘯子先生と比べればたいていの若者がその評価になりそうだ
979人間七七四年:2012/06/18(月) 22:15:51.46 ID:TOaqXHhj
訂正2行目
980人間七七四年:2012/06/18(月) 22:20:19.93 ID:Duc6u6P4
>>960
逆にそんな過剰兵力抱えての乾坤一擲だから、
「確実に勝ち馬に乗りたい」って本人の意思と
「小早川がついたほうが圧倒的優位」って周囲の思考にずれが生じていくわけだw
981人間七七四年:2012/06/18(月) 22:43:27.89 ID:/S6ah8sC
政宗と家臣をスワッピングしたんだっけ?
982人間七七四年:2012/06/18(月) 22:51:02.58 ID:lHIvF4Ew
>>960
15000は過剰に見誤った石高から算出した兵力だよ。
983人間七七四年:2012/06/19(火) 02:01:31.78 ID:mEG9ezWZ
根回しも完璧にして密かに赤坂に突如現れ度肝は抜けたが、木曽路の天候不順で進発命令出す使者が遅刻して結果主力軍が間に合わなかった家康と
家康の考えが読めず諸城平定に兵を割いちゃった三成の不運が秀秋にのしかかっちゃった感じだな。
984人間七七四年:2012/06/19(火) 02:08:08.92 ID:IqUBLT3R
大戦のキャスティングボートを握れて戦功第一になれたんだから、
本来なら幸運のはずだが
985人間七七四年:2012/06/19(火) 02:19:56.46 ID:TGDRJFLC
姜も惺窩もコテコテの朱子学者だから同時代の評価とは言っても時代を先取り
というかむしろ後世の朱子学視点の評価の元になった可能性もあるよね
兄に劣るっちゅうても長兄の長嘯子は武将としては絵に描いたような無能やんけ、とか
惺窩の知ってる秀秋はそもそも何歳の時だ?とかそのままには受け取りにくい
986人間七七四年:2012/06/19(火) 02:30:46.87 ID:3jQBCe+M
秀忠「しゅ、主力が間に合わなかったんだからしょうがないよね!」
987人間七七四年
>>986
主力を温存()したまま一日で勝ちを取るあんたの親父は凄いよ
そりゃ天下取るさ