【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る5

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846北畠竜馬
明智光秀の横領も義昭の是には実行力がないから信長に綸旨・丹羽長秀ら4人の横領も信長に綸旨
そんで岐阜へ着けば「尾張に鷹狩に行った」じゃあ尾張に行くから馬を貸して→OK
→「やっぱ無理。信長公はすべての公事訴訟停止中。黄昏の時刻の今から出発しても無理」
「明後日未明には三河へ行くからどういう手段を取ろうが絶対無理」とか言って逃げ回ってるし。
結局、年末終わりまで岐阜で粘られて 仕方がなく信長が年末年始で岐阜に帰ってきたら
挨拶はしたものの返答はせず、翌日光秀や細川が信長の茶会に出席して何らかの意見をしたようで
夜に山科を光秀が尋ねてきて「うまくいかない」と言うのでそれを聞いた山科が光秀に賄賂として200疋贈ってるんだが。
金を払って取り直してもらおうとしたが返ってきたとの記述はないし。光秀や秀吉の横領が信長の意志なのは明らかだから。
>>女房奉書とか関係無いし
いや関係ある。幕府で調査して双方の言い分を聞くわけで義昭を無視して段階を飛ばすことはありえない。
どちらが悪いかの判断がついてないのは公家側の理由が「懸命の地」など曖昧な反論理由である可能性が高い。
ちょうど9月中旬の比叡山焼き討ち→松田秀雄・塙直政・島田秀満・明智光秀ら連名で
さかんに公武御用途賦課しまくって違反者は在所の没収というのを織田政権はやってる時期。
それで光秀や秀吉らは幕府の審議である女房奉書を出されてる。秀吉はそれを「まったく知らない」とシラをきって開き直ってるわけ。
天皇もこの段階だとまだ信長を名指しにして文句はつけず解決しようとしてるわけ。