此度、発見された陣立て図 →
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120317-00000493-yom-soci.view-000 1614年の大坂冬の陣の布陣を描いた絵図が東京都内で見つかった。
豊臣家が滅びた大坂夏の陣(1615年)の絵図は江戸後期に写されたものが多く残るが、冬の陣図は珍しい。戦いの直後に描かれた可能性もあるという。
この絵図は縦37センチ、横27センチで、表題部分は欠けている。東京・神田の古書補修業者が古書を分解中、裏紙として使用されていたのを発見した。
徳川秀忠を示す「将軍様」、家康を示す「御所様」のほか、布陣する武将名と兵数、大坂城の堀の位置や、中之島や日本橋など地名が記されている。
また、豊臣側に、実際には徳川側で参戦した武将「杉原長房 4万人」との記述があり、誤記とみられる。
出版文化史に詳しい大東急記念文庫(東京)の村木敬子学芸員は、陣立ての描き方や紙の古び方などから、一枚刷りの「冬の陣図」としては、
「大坂城之図」(江戸東京博物館蔵)に次ぐ古さである可能性が高いと指摘。入手した安土堂書店の八木正自代表(大阪青山短大非常勤講師・日本文化史)は、
〈1〉速報用に絵を簡素に描写〈2〉紙を縦に使用――しているため、「瓦版」の先駆けのようなものと判断。「社会が少し落ち着いた江戸時代の攻城戦だったので、
市民は遠巻きに戦見物しており、戦況を知らせれば売れると思って刷ったのでは」と推測している。
ソース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120317-00000493-yom-soci