952 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 02:33:09.25 ID:9kM/NO3Z
>>948 信玄は江戸時代を通じて、
その治世が讃えられ神と崇拝されていたからね。
だから幕府の兵法として独占された。
尾張や紀州らは上杉軍学を以って対抗し、
紀州に至っては越後上杉流の軍学を担った宇佐美氏の子孫を称する大関左助を指南役にして家臣団を理論を応用させ編成してていた。
冷戦となったこの時代は武田上杉の軍学独占競争が水面下で起きていたのだった。
953 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 09:29:59.67 ID:sEj1eROg
信玄の甲斐での遺徳が幕府の潜在的仮想敵になっていたからね。
幕府は彼らを取り込み幕府の力にすることに懸命だった。
だからこそ武田旧臣を配下に加え、
甲斐や信濃の一部をも領地にしていた駿河大納言忠長に今信玄の風評がたつや、
織田信雄の孫娘と婚姻関係があろうが、
関係無く必死になって改易自刃に追い詰めた。
954 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 11:08:41.98 ID:cBwYMw5s
物は言いようだなw
955 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 11:53:22.60 ID:gvUsO7cu
信玄が育てあげた武田家臣団は徳川幕府を支える人材として重宝された。
家康が最も可愛がった武田信吉 武田万千代丸
常陸国水戸25万石に封ぜられ、旧穴山家臣を中心とする武田遺臣を付けられて武田氏を再興した。
慶長8年(1603年)9月11日、生来病弱であったらしく、わずか21歳で死去した。
徳川の先陣役譜代筆頭家 実は家康の隠し子? 大政参与 井伊直孝
1603年慶長8年頃? 井伊谷以来の井伊家の家臣は直勝に、武田氏の遺臣などは彦根藩の直孝に配属された
大久保長安 慶長18年(1613年)4月25日、卒中のために死去
武田信正 元和元年(1615年)に伊豆大島に配流され、同島の野増に居を構える。
今信玄と呼ばれ警戒された駿河大納言 徳川忠長
元和2年(1616年)甲府23万8000石を拝領し、甲府藩主となる。
のち信濃の小諸藩も併合されて領地に加えられた。藩主就任に際し、
朝倉宣正や郡内地方を治めていた鳥居成次ら附家老を中心とした家臣団が編成され、
のちに武田遺臣や大久保長安配下の代官衆らがこれに加えられた。
寛永元年(1624年)7月には駿河国と遠江国の一部(掛川藩領)を加増され、駿遠甲の計55万石を領有した。
956 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 13:52:13.90 ID:7zKnOgMe
上京に放火し、略奪脅迫虐殺をしていた信長に対して、
信玄は官軍として西上してたしな。
957 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 13:53:37.33 ID:IkK/S9Dh
官軍のお墨付き貰って負けて滅ぼされるとか弱すぎにも程があるだろw
戦国どころか日本で一番戦争が下手だったんだろうなw
958 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 14:46:18.18 ID:/jh2MSH1
だれかさんは朝廷チートもらったから信長は勝って当たり前いってたのになー
信玄さんにはチートも聞かなかったらしい
959 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 19:04:09.11 ID:QdRG67pW
>>958 信玄が病死して助かったな、
生きていたら信長は滅ぼされていたわな。
960 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 21:12:13.99 ID:/jh2MSH1
ちんぴらの決め台詞だな
「おぼえてろよ!」w
961 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 21:47:54.95 ID:rBgdgYbL
>>960 チンピラとは失礼な
甲斐源氏の末裔の加○美さんは立派に甲府でヤクザをしておられるぞ
962 :
人間七七四年:2014/01/09(木) 22:44:14.27 ID:IkK/S9Dh
>>959 そこで死ぬのが自己管理のできない無能者の特徴だろうが
大戦直前に首脳が死ぬとか無責任にもほどがある
健康管理もまともにできず冬場の野田城で凍えの垂れ死んだ無能が
生きていたところでまともに指揮もとれんわなw
最初から勝頼に家督を譲っていれば織田との戦争を続行できたのに
老害がいつまでも居座って家を潰した典型例だろ信玄はw
963 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 13:36:47.66 ID:3m73rMtf
天寿を全うした信玄
家臣にぶち殺されて、
別の家臣に家を乗っ取られた愚主信長。
964 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 16:02:49.77 ID:IUgBgzLr
>>962 信玄が途中で死ななければ信長に武田家が滅ぼされることもなかったからなぁ
家単位で考えれば信玄が武田を滅ぼしたといわれても全くおかしなことじゃないよね
信長は最後になって戦死したけど、織田信雄子孫の織田高長や織田有楽、信包の子孫
あと微妙だが信高信貞子孫もいるし、何より謀叛を起こした明智がすぐにくたばってくれたのがデカいよなぁ
織田と武田の家の行く末は、ひとえに信長の遺徳と信玄の遺徳の差だね
965 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 16:10:23.13 ID:hGFuAJIs
それは嫡男も一緒に殺されたから
でなかったら織田政権が今も続いてるよ
966 :
人間七七四年:2014/01/10(金) 16:13:41.30 ID:IUgBgzLr
>>965 いやあむしろ嫡男と当主が一緒になって亡くなったのに
家が滅亡せず存続した子孫達の努力を誉めるべきだよ
普通の家なら一門が殺されまくってもおかしくないし
そのまま滅亡だってありえたわけだしね
北条毛利上杉長宗我部、そして明智が敵の状態でよく残ったもんだ
967 :
人間七七四年:2014/01/11(土) 10:19:56.30 ID:j1O9coOV
信雄が秀吉や家康によって改易されてるじゃんwww
完全に浅井長政の娘の力に他力本願してただけで、何とか陣屋として残っただけ。
これが北条氏の場合は、
狭山陣屋の北条氏規系が代々つなげてはいても、
本貫地の小田原を失ったことで滅亡認定されているわけだが、
織田の本貫地尾張もしくは美濃を失っているにも関わらず、
織田は滅亡してないと涙目で虚勢を張って強弁してる織田ちょん。
968 :
人間七七四年:2014/01/11(土) 18:58:06.33 ID:kOYZvnrD
後北条が滅亡したといわれる所以は
北条五代の最後の当主である北条氏直の後を継いだ
北条氏規が大名にならないまま死亡したことで
狭山北条氏と小田原北条氏の間に連続性が絶たれたことが明確な理由なのもわからない菅沼w
事実織田に滅ぼされた武田家も血脈自体は勝頼の死後も存続しているにもかかわらず
勝頼の死後から大名に復帰することがなかったために「武田家は滅亡した」と日本の教科書でも書かれている有様
一方織田は領土は変わっても秀信と信雄が両方大名として存続し「大名になれないまま死んだ当主がいなかった」事実が
「織田は滅亡した」などと日本の教科書には書かれない大きな要因になっているのも知らないらしいw
969 :
人間七七四年:2014/01/11(土) 22:04:31.31 ID:rDXfwYWK
岐阜を領した信孝は織田に復姓したが、
それを殺し織田に印籠を渡した信雄は伊勢国司北畠氏のままだからwww
970 :
人間七七四年:2014/01/11(土) 22:43:52.81 ID:NYVI9zGH
>>968 そんな珍説は誰も唱えていない。
ただのお前の願望だろwww
そもそも信雄は秀信を廃し信孝を殺し、
織田を滅ぼした賊の張本人だろうが。
971 :
人間七七四年:2014/01/12(日) 10:05:56.72 ID:hrTxrxlt
>>948 大小切の税制は民草のための慈愛法として、
信玄信仰の根本になっていったので、
江戸時代を通じて、庶民は信玄を弔い、みなが金を出しあって葬儀していたからね。
幕府も不入の特権にして許していた。
だから大小切りは廃止出来なかった。
だからこそ幕府直轄領になっていた。
972 :
人間七七四年:2014/01/12(日) 17:59:22.01 ID:lGiTyJT3
973 :
人間七七四年:2014/01/12(日) 19:16:08.74 ID:WgEQMUWR
>>970 教科書に書かれていることをただありのままに述べただけだが?w
むしろ菅沼理論の「織田の本貫地尾張もしくは美濃を失っているにも関わらず」が
滅亡要因になるのだとしたら、徳川も上杉も浜松春日山を失っているから滅亡になるし
伊達や佐竹といった転封組は悉くお家滅亡じゃんw
滅亡した徳川がどうやって幕府を開いたというんだね菅沼君w
秀信を廃したのは最終的には家康だし
信雄は出家後は一貫して織田を名乗っているから一応織田家は継げてるわなw
織田高長系の台頭で北畠の血脈は完全消滅したし木造も織田秀信に鞍替えしてから行方不明だしな
974 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 12:32:44.96 ID:coVnNXhG
>>973 は?お前馬鹿なの?
伊達や佐竹や上杉や徳川がいつ改易されたんだ?はやく答えてみろよwww
北条と織田は改易して連続性が失われたじゃんwwwしかも結局、大名じゃなく陣屋www
陣屋だから極貧なのに参勤交代させられるより、
譜代高家の方がはるかにマシ。
信雄は出家した後に織田なんて名乗ってないしwww
つか北畠として官位をあげてもらってるから、
織田に戻ればリセットになるしなwww
975 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 15:51:00.97 ID:jBGP1rW+
>>974 お前日本語が読めてないなw
まあがんばれや
976 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 17:02:27.31 ID:OiMruiKk
>>974 苦し紛れの言い訳しなくていいのよ菅沼君w
日本の教科書では改易は「幕府(政体)の命令に逆らった」、「子供がいなくてお家断絶した」
ことによって領土や城を没収されることと明示されていて、滅亡とは全く異なる見解を出している。
事実、丹羽や立花みたいに改易されても元に戻る大名がいるし
改易と滅亡をごっちゃにしたら、滅亡していなくなったはずの大名家がなぜか元の位置で戻っているというわけわからんことになるしな
>>967ではそんなこと触れられてもいない。
しかも面白いことに自爆発言まで飛び出していて、菅沼は
「北畠として官位をあげてもらってるから、織田に戻ればリセットになる」
としているが、実際に信雄は秀吉の尽力で内大臣に就任してから、官位を全く授けてもらっておらず
その内大臣の官位も後に徳川家康が就任しており、明らかに官位がリセットされているw
つまり菅沼の理屈でいえば「北畠」の姓に信雄が固執する理由は全くなく、
事実織田信雄には主要な息子が3人(秀雄、信良、高長)いるが、このうち秀雄と信良は北畠の血を継いでいるにもかかわらず
双方とも北畠姓を生涯名乗らないまま亡くなっている有様w
977 :
人間七七四年:2014/01/13(月) 17:12:31.89 ID:OiMruiKk
あと昔から菅沼君はわざとなのかどうか知らんけど陣屋を物凄く勘違いしていて
基本的に陣屋は「大名の中でもランクが低い」というだけで大名ではあるんだよね
そしてもっと言えば信長子孫は早々に高家旗本にも就任しているっていう
まあ、伊豆大島から半世紀経っても許されず勝頼の死後100年以上経ってようやく
お情けの高家旗本(そのあとすぐに柳沢に文字通り乗っ取られるがw)になった
武田からすればそう思いたいんだろうなぁw
978 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 11:56:32.93 ID:qBrSEuxm
デタラメいうなw
陣屋が大名だとする一次史料は?
北畠信雄は出家させられから現職ではないだけで、
官職が前内大臣常真になってるだけでリセットされたわけじゃないわ。
隠居したり出家したら経歴や姓名がリセットになるなんてデタラメは聞いたことがない。
だいたい信孝と違い、信雄は織田に復姓なんて全くしていない。
そして嫡孫家の秀信が、
父の旧領岐阜を与えられ、
織田惣領家を継承して位階を受けている。
そして秀信は敗北し、
家康により改易され織田惣領嫡孫家は滅亡。
ここで織田家は二度目の滅亡。
北畠信雄は信長死後に、
後継者とされて岐阜にいた嫡孫の織田秀信を廃位し、
織田に復姓した信孝を殺し、
織田を一度、滅亡に追い込んだからね。
明らかに信雄は織田を滅亡させた張本人だし、
信雄が死ぬまで織田に復姓していないのは、
ずっと北畠本家を意味する御本所と呼ばれていることからもわかる。
一度も織田として遇されたことはない。
織田惣領嫡孫家は明らかに二度も連続性が失われ断絶している。
織田傍流が貧乏陣屋主となり悪政を続け民を搾取してただけ。
979 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 17:16:32.77 ID:Rl1xN13R
相変わらず嘘吐いてんなぁ
>陣屋が大名だとする一次史料は?
まず織田が陣屋だとする一次史料は?
織田は基本的に宇陀崩れと明和事件が起こるまで代々の当主は侍従の官位を授かっているが
これは譜代大名の本多家や奥平松平家と全くの同格。当然こいつらは陣屋じゃないわけだが
「陣屋」なんて普通の人が知らんような言葉を知ってるんだから当然、官位が重要な要素だってことも知ってるよな?
>官職が前内大臣常真になってるだけでリセットされたわけじゃないわ。
>一度も織田として遇されたことはない
残念だけど信雄は内大臣の官位を貰うに当たって「平信雄」の名乗りを使ってる。
北畠は村上源氏の出だから平氏を使って官位を貰うのはまずありえない。
そして信雄の実父である信長は「平信長」の名で官位を貰っている。兄貴の信忠もそう。
さらに時代が下ると「織田正二位尾張守内大臣平信雄」や「前内大臣平信雄入道常眞」と名乗り
北畠は影も形もなくなる。
「織田が滅んだ」って声高に叫びたいのは恐らく
>>977が原因だろうな
980 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 19:43:54.94 ID:A89N8OZQ
別に姓を変えても、
名前まで変わるわけじゃないんだなwこれがw
忌部なのにウソついて藤原→平に変えても名前までは変わらない。
単に朝廷の都合なだけ。
松平から徳川に変えた時のように名前を変える時は朝廷の認可が必要。
でも信雄は名前変更した形跡は無いんだな。
もちろん書状でも織田を名乗った事も、
宛名として織田と書かれた事すらない。
だから北畠大納言従二位、
もしくは従二位大納言平信雄とか書かれるわけだw
また江戸時代に織田が大名だったなんて一次史料も無い。
自称で国持ち大名に準じた扱いをうけたと主張してるだけで根拠ぜろ。
981 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 20:00:03.65 ID:CB6wLiDO
つかさ、徳川幕府が編纂した
武徳編年集成ですら、
信雄の位階位職記述をみると、
北畠信雄って書いてあって、
徳川幕府がすでに信雄を織田を継ぐ者と認定してないじゃんよ…
982 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 20:39:17.71 ID:ZgKPVtYX
>>980 村上源氏の名門で由緒正しい家の人間が
なぜか実親と全く同じ「平氏」の名乗りを使っている時点で
信雄の心がどこにあるか明白じゃんw
しかも信雄は北畠具教をはじめほとんどの北畠一門を殺しているし
本当に北畠に気持ちがあるなら「源信雄」と名乗って父親と姓を異にするはずじゃんw
当然信雄の子孫達も「北畠信良」や「北畠高長」と名乗るはずだがそんなこと一切していないし
北畠家の血を引く正室から生まれた秀雄が生涯「北畠秀雄」と名乗りをしなかった時点で
誰1人「北畠」ではなく「織田」の人間だと思い込んでいた証拠でしょ。
>また江戸時代に織田が大名だったなんて一次史料も無い。 自称で国持ち大名に準じた扱いをうけたと主張してるだけで根拠ぜろ
江戸時代は官位が身分によってきまってるからその主張は通らない
事実おまえの大好きなな武田家は徳川から来た養子以外全ての人間が織田の官位より下w
983 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 20:47:42.83 ID:ZgKPVtYX
>>981 100年以上経った後の史料で赤の他人の徳川がどう見てるかなんぞ全く意味ないじゃんw
当時生きていた信雄、ひいては周りの人間が信雄に対し「織田」に帰属意識があったか
それとも「北畠」として全うしていたかが重要なことじゃんよ
どこぞの家の当主みたいに、先祖伝来の通字を使わないとかだったら話は別なのかもしれんがw
984 :
人間七七四年:2014/01/14(火) 21:38:04.10 ID:/Bbi024z
義信を閉じ込めよ !
985 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 04:12:38.49 ID:K8BEM06W
こう見ると武田勝頼ってやっぱおかしいね
なんで武田勝頼は信の字を使わなかったんだろう・・・?
後世ですら武田当主で信の字使わなかった人物もいない、はずだけど
986 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 06:08:54.47 ID:SB9htqE6
よっぽど武田が嫌だったんだろw
信玄が死んでから10年近く
武田家の当主をやっていたのに
その間一切改名しないとかありえないw
藤田氏邦や吉川元春など
養子に出されても実家の通字を使用する
人間が多いご時世で、継いだ家に恩を感じ、
かつ本家に戻った後もそのまま継いだ家の名前を
使う人間は日本に数人いればいいレベル
信玄贔屓の人間が、やれ「信玄に遠慮した」だの
「勝頼は正式な当主じゃない」だの言い訳をするが
実際にはそんなことはなく、勝頼が武田を好ましく
思っていなかっただけの話。
むしろ武田に少しでも帰属意識があれば先祖代々続く
「信」の通字を使わないという愚は侵さないし
987 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 06:27:07.49 ID:WSXxlsV7
信の字は与えられるもんだろ
義信が死んだ後でも信玄は与えなかった
勝頼を疎んじたというより諏訪がそんだけ重要だったってことじゃねーの?
勝頼にしても親がくれなかった字を自分で付けるってのは何だか恥ずかしいだろ
988 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 07:22:40.29 ID:SB9htqE6
いや信玄の子供の中で義信以外は
皆養子に送られた経験があるが
その中でも信の通字を与えられていないのは
勝頼だけだし、父親の信玄の命令でと言うが、
信玄末子の信清は名前貰った時既に信玄は故人。
諏訪を重んじるというのなら、頼の字だけ継承させて
頼信とか、信頼とかでもいいわけで
その名乗りを使わなかったということは
勝頼が頑なに「信」の通字を使うことを拒否した
ことに他ならない。その家の当主が先祖伝来の通字を
使わない、ましてやよその家の通字を使うとか
異常にも程があるし、勝頼だけが「信」の字を
使ってないところや、一次史料での不透明さを見ると
最悪、諏訪勝頼は実は武田信玄の子供では
なかった可能性も浮上してくる。
989 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 07:38:54.85 ID:SB9htqE6
990 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 17:20:52.55 ID:TPombuGQ
徳川も藤原から源に変姓したりしてるし、
別に変姓は珍しいことじゃない。
秀吉も平から藤原に変えてるし。
>>982 源姓北畠から平姓北畠に変えただけだし。
平姓羽柴と同じ平姓に信雄が変えて、
秀吉の天下を窺うようなマネはせず、羽柴一族に連なる意志があっただけだろ。
そもそも織田に戻るメリット自体がまったくないし、
のちに豊臣姓羽柴氏と平姓羽柴氏を秀吉は使い分けて家格序列編成してるし。
その一環としか思えない。
>>983 むしろ8代将軍時代になってすら、織田家ではなく、北畠家と伝統的に認識し続けてきたってことだろ。
そして誰もそれを間違いだと訂正する者すらいなかったという。これは重いよ。
>>985 もlともと嫡男じゃなかったんだから信の名が付いてなかっただけだろ。諏訪の頼を付けて高遠の守備に付いてるんだしよアホか。
もし信の名に特別な感情がこもっていたら、息子に信勝なんて信の字をつけないだろ。
>>986 だから信勝と名付けて「信」を継承させてるだろアホw
>>987 なんで元服もすんだ勝頼に、わざわざ「信」を名乗らせる必要があんだよwww
>>988 で、「信」を拒否したとする一次史料は?
991 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 19:04:52.74 ID:SB9htqE6
息子の信勝に「信」の字がついてるから
勝頼は武田に気持ちがあったとのたまるバカw
武田信勝の元服は甲江和与の真っ最中に行われ
明らかに信長養女を母親に持つ信勝を
しかるべき地位につけることで織田との関係を
良好にしたいという外交政策の一環なんだから
信勝の「信」の字は明らかに信長を意識したものじゃんよw
本当に信玄以来の通字を考慮していたなら勝頼自身が
信頼に改名すればいいだけの話なのに勝頼は一切それをしてないからな
大体、勝頼の母親からして父親を信玄に攻め滅ぼされ(一説には兄貴も殺された)
しかも自分は信玄に囲われ憎き武田の子を産まされた諏訪氏なのに
武田を重んじていただの信玄最愛の側室だの夢物語にも程がある
敵将の娘に性的乱暴をくわえたい下種な信玄が
欲望に任せて強引に側室にさせたというのが実情で
事実武田家臣は諏訪氏の側室入りを反対してるわな
こんなドロドロ背景で生まれ父親である信玄に放置された勝頼が
諏訪氏から武田の恨みつらみを延々聞かされていても不思議じゃないし
信玄は息子に謀叛を企まれるまで義信を後継者と考えていたんだから
勝頼なんて当初はどうでもよかったんだろうな。
一次史料にも幼い勝頼は全く登場してないし
最悪武田に恨みを持っていた諏訪氏が信玄の子供と偽って
別の諏訪の子供を育てていた可能性すらある
とまれ、勝頼が生涯「信」の通字を名乗らなかったのは
幼いころから面倒見てくれた母親の諏訪氏に義理立てし、
幼いころは放置しまくりだった父親であろう信玄を憎んで
「俺は諏訪の人間なんだぞ」とアピールするためだったのは間違いない
992 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 19:45:35.85 ID:TPombuGQ
すげぇこじつけw
当時の武田は北条と開戦になったばかりとは言え、
背後の織田は別に脅威として認識してないから、
わざわざ媚びるつもりで「信」をつけるほど逼迫したした状況ですらない。
だいたい、信長から「信」の字を名乗るように贈られていないのだから
いきなり「信長の信を名につけたよ!」って報告にしても「へっ!?何の話!?」だろアホwwww
そもそも遠山氏の娘を信長が養女にして同盟を結んだ関係なんて
とっくに破棄されてるし、信長と血のつながりなんてねーだろ。
信虎や信玄と同じ意味合いで信勝と名付けただけに過ぎないわ。
もしそんな意味があるなら、さっさと家督を信勝に譲って刷新してるわな。
993 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 19:55:13.43 ID:oQuezNiu
>>990 北畠の歴代当主で信雄以外「平氏」を名乗った当主なんて誰1人存在しないじゃん
そもそも家格に乏しい羽柴や徳川と違って北畠は天皇子孫の村上源氏で、かつ
天皇から直々に姓を下賜された賜姓皇族なんだから。
そんな名門家が代々使っていた、それも天皇に下賜された姓を勝手に変えるとか
北畠をこれ以上ないほど愚弄しているし、そんな由緒正しい姓を変えた時点で
織田信雄の気持ちが織田にあったのは明白だろ。しかも北畠が先祖から受け継いできた具の通字を
変更して勝手に織田の通字である信を使っているからもう疑いようがない。
事実、後世の史料などでは例えば寛政重修諸家譜などはわざわざ「織田信雄」とまで明記しているし
中には北畠の歴代当主から織田信雄を省くという徹底ぶりを見せている史料もある。
しかも信雄自身、父親の信長や兄貴の信忠は祀っているのに北畠の具教具房は全く何もしていないという徹底ぶりだし
子孫の扱いを見ても織田家の人間として見られているのは間違いない
菅沼君にはそれが不都合なんだろうけどw
994 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 20:07:19.45 ID:TPombuGQ
お前、織田が藤原→平
徳川も藤原→源
秀吉も平→藤原
などと姓を変えてる事実を無視かよwww
そんなものにやたら固執するのは儒教キチガイの半島人のお前だけだwww
しかも当時の秀吉は武家家格や武家官位や羽柴名のプレゼントによる
序列再編に着手し始めていたからね。
だいたい織田は秀信が継承するんだから、信雄は関係ない。
だから北畠当主として、御本所と呼びわけされていたんだし。
995 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 20:09:09.48 ID:uOesagrU
>>992 へっ?信虎や信玄と同じ意味合いで使うなら
信勝の元服を急がせずとも勝頼が信頼など
名乗ればよかったんじゃんよw
しかも勝頼はその後人質にしていた
信長の息子をタダで返却するなど
完全に信長に媚びまくってて
明らかに織田と融和路線歩みまくってるのに
織田と縁のある信勝を10歳かそこらで
無理やり元服させようとするのは
織田との友好関係を見込んでのことに
決まってるじゃんw
血の繋がりはなくても養女から
生まれていたことには変わりないし
元々勝頼自身が信玄の生前から織田と
関係を持つことが多かったんだから
脱信玄路線を掲げるのはむしろ織田との
外交を考えれば当然の成り行きだもんな
しかも武田信勝でわかるように
勝頼は自らの「勝」の字を逆に武田の
通字にしようと考えていて
実在は怪しいものの武田勝親を見れば
それがより顕著にわかり信玄が庶子にすら
「信」の字をつけまくっていたのを勝頼は否定し
逆に勝頼から新たな武田の通字を作ろうとする
気概すら見える。本人が「信」の通字を使わなかったのも
全て信玄以前の体制を否定するのが目的としか思えない
996 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 20:22:15.96 ID:uOesagrU
>>993 天皇から姓を与えられる皇族子孫と
織田羽柴徳川みたいなそこらへんの
豪族武士を一緒に考えるのは
アホとしか言いようがないよなw
まあ信雄がどうのって言ってるのは
勝頼が武田を乗っ取ったとする
純然たる事実から目を背けるために
やっていることだから気にしなくて
いいんじゃねーのw
なんせ勝頼は信玄の遺体も杜撰に扱って
土屋の屋敷に放置していたくらいだもんな
自称武田子孫が集まる武田家旧温会でも
信玄「公」と呼ばれる信玄に対し
勝頼は「公」の字をつけられず
しかも勝頼が後継者になったのは
兄貴が不幸なことになった偶然だと
余計なことまでいちいち書いてるし
内心勝頼は武田の人間じゃないと
疑惑の目で見ているんだろうな
まあ武田通字の「信」の字を
与えられないところを見ると
信玄自身も半ば勝頼を疑っていたとすら
見えるが死にかけのボケ老人となった
信玄にとっては勝頼が自分の子供だと
思い込むしかなく勝頼に土下座するような
気持ちで武田の家督を譲ったんだろう
しかしそうまでして武田の家督を譲ったのに
武田の通字や慣習を否定されて
側室の諏訪氏やその影響を受けた勝頼に
死に際に反旗を翻された信玄は
いささか哀れですらある
997 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 20:26:26.73 ID:VPAUmUr4
a
998 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 20:27:02.58 ID:VPAUmUr4
i
999 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 21:06:21.77 ID:VPAUmUr4
u
1000 :
人間七七四年:2014/01/15(水) 21:08:06.41 ID:VPAUmUr4
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1001 :
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