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人間七七四年:
さて基礎史料を掲示しておこう。鎌倉時代後期以降の人身売買は最低価格が2貫文だったと磯貝氏が指摘してる。
実際、借金苦から子供を売る習慣を宣教師があり得ないと驚いているが、2貫文で売れるなら止むを得ず売り、
残された家族を養うのも止むを得ないかも(2貫文はあくまで鎌倉時代後期最低価格であり2貫以上ということである)
またキリスト教徒同士では敗者であっても同じ教徒を奴隷に出来ない代わりに
イスラム教信者は異教ゆえ奴隷にできるため、奴隷狩りが戦の目的となる場合もある。
日本人は宗教による差別が存在しない代わりに日本人同胞を奴隷にできる一方、そのまま養子にしたり、
奴隷が得た物は奴隷の所有物に見做されるなど恩情的奴隷制度であった。
しかし九州南部を中心に奴隷収容施設を造るなど倭寇文化圏は残虐な扱いを奴隷にしていたり、
しばしば奴隷獲得のために戦を惹き起こしている。 まったく蛮族と言う他はない。
人身ん売買を批判されたポルトガル商人は「酷い扱いを受ける日本人や朝鮮人奴隷を買うことで、
待遇をよくしてやった」とうそぶく始末で開き直ることができたのは、
恩情的奴隷制度の無い島津を代表とする九州倭寇文化圏の習慣を悪用したからである。
また信長のように命乞いをいくらしても捕虜にするのを徹頭徹尾拒絶し敵対者は撫で斬り虐殺で一切生かしておかず、
時に偽り欺いて降伏を受け入れるフリまでして冷徹かつ組織的効率的大量虐殺を行い
大量虐殺の感想を書状で鬱憤が散じてスッキリした!と愉快犯のように
殺戮を楽しみ好む人格で数十万の日本人を殺し社会を荒廃させまくったような者もいる。