912 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 08:39:55.71 ID:BFOtL7lu
ポエム
913 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 09:41:13.43 ID:IMVPeLda
信長が他大名の立場に生れていたら
信玄の場合信濃侵攻に30年かかり生涯を終える
元就の場合安芸一国人のまま生涯を終える
義重の場合常陸の統一すらできず葦名や田村に敗戦して敗死
政宗の場合関柴の戦いで討ち死に
氏康の場合両上杉の大軍に囲まれて戦死
義久の場合土持や相良、伊藤などに負けて敗死
宗麟の場合毛利元就に負けて敗死
元親の場合三好に負けて討ち死に
尾張だから助かっただけ
信長なんて家康がいたから助かっただけ
今川氏真に勝てたのも武田を抑えられたのも上洛戦も畿内平定戦も家康いなけりゃ何もできなかった。
姉川でも磯野勢らにおされまくり崩壊寸前だったけど徳川の善戦で何とか引き分けに持ち込めただけ
三方が原でも最も雑魚だったのが織田の援軍
家康がいなけりゃ1ヶ月で武田に瞬殺されてたのは間違いない
家康が義理堅いから信長は助かっただけ
何回武田に攻められて援軍要請出しても援軍よこさない
徳川は織田のために援軍出しまくってるのに
こんな役に立たない同盟者普通なら見捨てるだろうに
織田が畿内平定できたのは全て家康の功績
914 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 09:44:06.82 ID:IMVPeLda
他大名が信長の立場で生れていたら
家康 史実どおり畿内美濃を瞬殺
島津 史実どおり寡兵でも大軍撃破
氏康 史実どおり寡兵で大軍撃破&政略を利用して領土拡大
信玄 史実どおり負けをほとんどせず畿内や美濃の雑魚を瞬殺
元就 史実どおり謀略を駆使して分裂状態の斉藤や畿内を併合
元親 史実どおり小勢力でも他大勢力を戦に打ち勝ち併呑
915 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 09:44:53.09 ID:IMVPeLda
信長が家康の立場で独立し、家康が信長の立場で独立したら
信長は武田どころか今川氏真に瞬殺され家康は史実どおり畿内や美濃を瞬殺していたのは間違いない
何せ史実で今川氏真クラスの龍興に大敗を繰り返し今川氏真クラスの朝倉義景にも負けまくったけど
敵がアホすぎてなんとかなっただけ
一方家康は信長や秀吉が苦戦した畿内や美濃を瞬殺したしな
信長なんて家康がいたから助かっただけ
今川氏真に勝てたのも武田を抑えられたのも上洛戦も畿内平定戦も家康いなけりゃ何もできなかった。
姉川でも磯野勢らにおされまくり崩壊寸前だったけど徳川の善戦で何とか引き分けに持ち込めただけ
三方が原でも最も雑魚だったのが織田の援軍
家康がいなけりゃ1ヶ月で武田に瞬殺されてたのは間違いない
916 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 17:43:14.29 ID:W6rt5z2T
家康なんて桶狭間が無かったなら、生涯今川の奴隷。
それは領地が尾張でも同じ。
義元西上の進軍で、あっさり降伏が関の山。
家康では桶狭間は絶対無い。
三方ヶ原で惨敗して泣きべそ脱糞遁走した家康が、信長のような寡兵電撃作戦なんぞ立案する能力も意志も無いのは当たり前。
そもそも家康は信長が戦国の世で唯一天下を狙った超大物だったから生き残れた訳で、
もし信長が信玄レベルだったなら、義元敗死後、速攻で三河に侵攻され、ジ・エンド。
信長なら家康がいなくても、人材多様な織田家中から代わりの人材を充てれば済む話。
義元敗死後、家康単独では生き残りは無理。
運良く生き残ったとしても、せいぜい真田レベルの小大名として下層で低迷が精一杯。
917 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 18:05:17.48 ID:IMVPeLda
信長なんて桶狭間のウルトララッキーパンチがなかったら今川に殺害された
それは領地が三河でも同じ
義元西上の進軍であっさり滅亡が関の山
信長の桶狭間みたいなウルトララッキーパンチはまず自力では起こせない
子供相手に惨敗して泣きべそ脱糞遁走した信長が、家康のような電撃戦術作戦なんぞ立案する能力も意思もないのは当たり前
そもそも信長は家康が戦国の世で唯一天下を取れた超大物だったから生き残れたわけで、
もし家康が信玄レベルだったら、義元が信長を殺した後、義元を裏切って殺し、天下統一
家康なら信長がいなくても人材多様な徳川家中から代わりの人材を宛てれば済む話
三河独立後、信長単独では生き残りは無理
運よく生き残ったとしてもせいぜい保科、諏訪レベルの小大名として下層で低迷が精一杯
918 :
人間七七四年:2012/04/04(水) 18:28:24.50 ID:W6rt5z2T
さすがは村越茂助レベルの小者。
史実歪曲の脳内妄想逃避だけが唯一の取り得。
定見も思考力もゼロなので、他人の変節に脳死で追従の醜態。
919 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 00:08:42.44 ID:OnlhxSB1
ちなみに、小山内圭之介(おさないけいのすけ)って知っている方いますか? 高根沢の倉から信長と仲良くしていた人物らしい書面が出たんだけど。
920 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 03:55:25.98 ID:D/ZafKKh
脚本 小山内
原作 山岡
921 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 07:59:31.07 ID:o7EAueMM
長文だるいので5行でまとめろ低脳( ´,_ゝ`)
長文だるいので5行でまとめろ低脳( ´,_ゝ`)
922 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 10:20:36.72 ID:QShWPQXZ
>>915 佐久間とか滝川とか小山田に石ころ投げられたくらいで泣きながら逃げてったしな
援軍とは名ばかりの足手まとい敵前逃亡で即効死ぬ平手
923 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 21:19:40.76 ID:QVclfvvO
>>914 それはおかしい。家康にしても元就にしても弱小勢力の出身だったからこその
頭脳派になったって可能性も高いだろう
>>917 最近では桶狭間は情報戦で信長が尾張各地の制圧に乗り出して兵力を分散させてた義元を制して義元の本陣を一気に突いたとかあるけどね
924 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 21:27:51.33 ID:j+4GliOz
経過や中身を考慮せず結果だけ桶狭間運良く手薄な今川本陣に勘違いして突っ込んだ信長強い論理でいうなら
動員力ならはるかに光秀上回るにも関わらず本能寺で手薄な陣を運悪くつかれ死んだ信長雑魚と言う事
先陣と勘違いして突っ込んだら本陣があって雨や風が吹いたから勝てただけ
三河物語によると雨が降ってる所に織田勢が切りかかってきたので壊乱したとある。
信長公記にある「天晴るる」は通り雨と風が織田側がいた山の下から
今川本陣のいる山上に流れた、って事だろうな。
つまり今川勢は猛烈な雨と風を向かい側に受けながら織田に襲撃された事になる。
気力十分て事はないな。
実際今川方にしてみれば雨と風を向かい側に受けてる所を襲撃されたから
「水をまくるが如く崩れ」たわけだし、
その混乱の最中にまともに集団行動できてたのが義元の周りにいた300ほどだった
これが実力で勝ったというなら本能寺は実力負け
圧倒的大軍持ちながら偶発的に起きた手薄な所を奇襲されて死んだんだから
925 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 22:40:57.34 ID:vyKV22WD
926 :
人間七七四年:2012/04/05(木) 22:48:56.48 ID:w8cAhphY
連呼リアンがいつ正論をはいたんだろう?
927 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 00:16:20.38 ID:GtY5Bj2f
鈴木や藤本を妄信するとこうなるんだよな。
928 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 01:02:29.12 ID:D5OiLKuZ
桶狭間みたいな奇襲戦って、
総大将逃がすくらいの時間は無いもんなの?
包囲できる兵力は無いはずだよなぁ?
929 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 01:02:44.22 ID:jvCcv5QK
信玄が美濃瞬殺とか歴史知ってんのかコイツ
930 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 07:13:39.83 ID:UxQoOrkh
>>928 本来なら余裕で防げた。迎え撃った時の地形や天候など言い訳の材料はあるけど結局油断や慢心が最悪のかたちで現れた
>>929 ぼくのかんがえた さいきょうぶしょうしんげん
の話だから武田信玄の事ではない。幼児をあやす感じで対応するといい
931 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 07:42:56.74 ID:RYbGqU2R
今時奇襲説は珍しいな。
ひとまわりして戻ってきたか。
932 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 08:29:59.73 ID:3NOR6MU/
先陣と勘違いして突っ込んだら本陣があって雨や風が吹いたから勝てただけ
三河物語によると雨が降ってる所に織田勢が切りかかってきたので壊乱したとある。
信長公記にある「天晴るる」は通り雨と風が織田側がいた山の下から
今川本陣のいる山上に流れた、って事だろうな。
つまり今川勢は猛烈な雨と風を向かい側に受けながら織田に襲撃された事になる。
気力十分て事はないな。
実際今川方にしてみれば雨と風を向かい側に受けてる所を襲撃されたから
「水をまくるが如く崩れ」たわけだし、
その混乱の最中にまともに集団行動できてたのが義元の周りにいた300ほどだった
これが実力で勝ったというなら本能寺は実力負け
圧倒的大軍持ちながら偶発的に起きた手薄な所を奇襲されて死んだんだから
933 :
人間七七四年:2012/04/06(金) 19:27:48.44 ID:NpkqLYyH
>>930 宇宙最強の天才信長厨ですね わかります
934 :
人間七七四年:2012/04/09(月) 01:22:39.19 ID:DS7bF/EL
三河はともかくいくらなんでも
こっちは晴れてて向こうは通り雨なんてことはないだろう。
それに戦争中なんだから雨が降ってたからといって
つっこんでくる敵がわからないなんてことはない。
マンガだと雨が今川陣の上だけすごくて敵がくるのもわからない
ぐらいだったかってか。
935 :
人間七七四年:2012/04/10(火) 11:35:47.50 ID:8U678kH5
武田信玄に滅ぼされかかってまで信長との同盟を維持した徳川家康に対し、やはり駿河一国15万石は安すぎる報いだと思います。
もっとも直後には甲斐、南信濃を火事場泥棒しますが。
936 :
人間七七四年:2012/04/10(火) 11:45:34.47 ID:WfwSYKRh
東海道を抑えているからその重要性はかなりのものだと思うが
後、甲斐・南信濃については許可を得ている
937 :
人間七七四年:2012/04/10(火) 14:32:42.62 ID:Aaq4unxf
んだ街道から上がる商業的利益は大したもんだぜ
当時はまだ東山道の方が発達が進んでいたらしいが、駿河から三河までを
支配したことで港湾との相乗効果も増したのではないかな
あとは金山かな
938 :
人間七七四年:2012/04/10(火) 15:05:45.95 ID:gmWNwROO
天正壬午の乱で唯一織田政権の許可を得ての行動が、家康
この件で北条は織豊系大名から不信感を買ってる
939 :
人間七七四年:2012/04/11(水) 16:10:47.18 ID:1yN2r3iN
940 :
人間七七四年:2012/04/11(水) 18:37:36.11 ID:65xS2MAf
>>939 事後っていうのはどのタイミングのことを言ってるのかね。
滝川や森の逃亡、河尻の横死により主がいなくなり、在地領主が好き放題するわ
北条や上杉が侵攻を企てるわと、滅茶苦茶になった甲斐信濃を、どうぞ取ってください
と言われて出陣したのが天正壬午の乱なんだが。
もちろん、水面下での工作は織田家への交渉と並行してやっているわけだが。
941 :
人間七七四年:2012/04/11(水) 18:58:31.54 ID:F3HxkT5q
あの承諾の書状って戦い最中の秋とかに出されてなかったっけ?
942 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 12:02:38.14 ID:RlERwpHg
秀吉に対してならちゃんとお尋ねして許可受けてるけど
それのこと?
943 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 17:51:11.47 ID:W+U3hI2u
織田信雄が認可したんじゃないの?
944 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 19:34:12.20 ID:lw/OY/Nk
もし仮に甲信返せとか言われても絶対返さないよね
俺達が血を流して得た領土を返すくらいなら刀を踏み折って武士を止めるとか
小牧長久手が起きたのも必然だったんだよね
945 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 21:00:27.72 ID:fv+Xjxdf
>>941 秀吉の承諾の書状は7月7日付
>>944 秀吉も返せとは言えないだろうな。
甲斐信濃(上野も)はお任せしますと言ってしまったわけだから。
946 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 21:52:37.07 ID:W5uIS+ke
愛知県史資料編織豊には7月七日にそんな書状のってなかったけど…
947 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 22:40:41.26 ID:fv+Xjxdf
平山優の『天正壬午の乱』(学研)のp135に、羽柴秀吉の書状が下記のように転載されてる。
「今度信長不慮のこと御座候について、信州・甲州・上州置かれ候者共罷り返り候、然らば、
両三ヶ国の儀、敵方へ御渡しなさるるべきにあらず候条、御人数を遣わされ御手に属され
候の様に仰せ付けられ尤もに存じ候、なお追々御意を得るべく候、恐々謹言」
三ヶ国の連中が寝返りまくったんだけど、三ヶ国を敵方(上杉・北条)に渡すべきではなく、
御手によって軍を派遣し、帰属させるのももっともであると書いてある。
なおこの書状のソースは、本書によれば『新修徳川家康文書の研究』第一葺P72とのこと
948 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 22:47:28.94 ID:fv+Xjxdf
本来ならソース本の『新修徳川家康文書の研究』を確認しないといけないところだろうけど、
入手困難みたいなんでそのへんは勘弁してちょ。
949 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 22:51:39.01 ID:fv+Xjxdf
何度もゴメン。
上記の書状の日付が7/7ね
950 :
人間七七四年:2012/04/12(木) 23:41:01.06 ID:FGB+CeOh
サンクス
951 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 11:28:12.10 ID:rEud/yTy
やっぱり事後承諾じゃん
家康が岡崎に帰還して真っ先に指示したのが甲斐下山(穴山氏領)の占領(6月6日)
次いで依田信蕃に命じて信濃の諸勢力の引き込みを始める、更に依田は6月20日に小諸へ入り計略を続ける
家康はその勧誘に乗った武将らに恩賞を約束(6月21日)
翌日には刈坂口、郡内で挙兵した武田旧臣らを追った有泉大学らを賞し、濃尾の兵を整えたから準備が出来次第甲信に出兵する旨を伝える(6月22日)
そして7月3日に出陣
952 :
人間七七四年:2012/04/13(金) 23:52:29.24 ID:rRNLpOX5
事後承諾っていうのは事が済んでから了解を得ること、と国語辞典に書いてある。
この場合は……事中承諾?w
あまりほめられたものじゃないのは確かだね。
この辺の推移は結構面白くて、家康が当初からあわよくば武田遺領を獲得しようと
動いていたのは事実(河尻秀隆の生存中に調略の手を伸ばしてる)。
だけど、それがいつの間にか織田陣営の徳川と、北条、上杉による
三つ巴戦の形に変わっていっている。織田信雄の兵が援軍に向かったという記録もあるし。
(対北条戦の援軍に大軍が向かう予定だったらしいが、秀吉と勝家の対立が激しくなって中止)
953 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 00:10:32.81 ID:VaLrwjAB
フライング気味に軍事行動を開始したが、並行して外交的体裁も整えて
いったと考えても良かろう
大義名分で優位に立つことは大事だ品
954 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 00:52:54.25 ID:F+qllS/2
気味じゃなくて完全にフライング
そもそも織田方から拒絶されたとしても無視して出兵しただろう
というより織田方が手一杯で勝手に軍事行動を起こしても問題ないと見込んでの行動だ
あわよくば濃尾も取ろうとしていたし
大体、相手に許可貰ってから侵略しようとする馬鹿もおるまい
まして戦国の世に、これだけのチャンスが転がり込んだのに行動起こさないなんて余程頭がどうかしているとしか思えない
955 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 09:53:39.97 ID:fvRBbQBz
家康が動き始めたのは清洲会議以降のような
956 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 14:24:54.53 ID:zTBh93wg
濃尾伊勢はさすがに反信長勢力壊滅してたのか?
957 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 14:57:38.17 ID:A11Cl47u
秀吉も柴田も家康を味方につけて
有利に戦いを進めようと思ってたから
家康の火事場泥棒を容認してただけ。
それに双方とも信濃や甲斐とは基本的に無関係だった経緯もあるからね。
あっちは信忠管轄エリアだったし、
力さえあればと忸怩たる想いは滝川一益くらいなもんだろ。
958 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 19:58:10.16 ID:b2wv5ETM
北条にボコられて廃人になってたのにワロタw by大河秀吉
959 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 02:18:14.34 ID:QE8uNCEy
もし河尻が逃げて家康の行動を報告してたら大変なことになってたな
その場合、北条側に寝返ってた可能性があるのか?
960 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 02:35:33.86 ID:hAEBi89n
無いわー
961 :
人間七七四年:
少し流れ止めるが、
過去スレで豊臣家滅亡させた時家康が「主家(織田家)を蔑ろにしたからだ」と言ったというスレ見たが
「お〜ま〜え〜が言うなよ」だよなやっぱ。
家康にとってラッキーというのか、秀吉自身が大恩ある織田家を簒奪して散々な
事をしてるから家康が豊臣家に似たような事をしても全面的に非難されにくい。
家康が豊臣家にした仕打ちは、秀吉もだいたい織田家に似たような仕打ちをやってるのに
それでも彼が猿爺とか言われないのはキャラのせいなのか?