豊臣秀頼を生かしてやって欲しかった人の数

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
夏の陣ですっかり弱っている豊臣方に
さらに追い打ちをかけるように銃撃した徳川方はマジありえん

もし過去が変えられるなら、
あのあとの秀頼の運命をどう設定しますか?
2:2011/11/07(月) 02:09:08.33 ID:UMSTyjYP
秀頼を残しておくと担ぐやつが現れるから潰しちゃったんだろ
でも古今東西色んな政権が存在したけど
滅びないで終わった政権はないんだぞ
どんな強大な政権や王朝でも最後は必ず滅亡する運命にある
秀頼を潰しても結局徳川幕府は滅亡したしな
だったら秀頼残しても良かったかも知れないな
3人間七七四年:2011/11/07(月) 21:02:04.03 ID:vmsiz5+R
小牧長久手で徳川倒せていれば…
まぁ、あの時点で家康が死んだとして、その後の豊臣政権が間違いなく絶対安泰ってわけではないんだろうけど
もし関ヶ原で西軍が勝っていたら、当面は平和でもその内三成が専横始めたりってのもありえるだろうし
4人間七七四年:2011/11/08(火) 00:37:10.31 ID:kid6KDIo
大坂冬の陣が起きる前だったら生きる道もあったんだがな。
素直に大坂城出てれば…。
5人間七七四年:2011/11/08(火) 10:23:26.25 ID:MKcIcfDY
>>3
逆だろ
小牧長久手は内容的には徳川型の圧勝
6人間七七四年:2011/11/08(火) 21:59:47.10 ID:VpnSpubE
片桐且元「今の豊臣に力がないことを誰もわかってない‥」
7人間七七四年:2011/11/08(火) 22:13:05.99 ID:+NXgi6BF
宇喜多秀家同様に八丈島に国松と共に島流し、
八丈島で宇喜多秀家達とホモってろ!
これでよいだろ。
8人間七七四年:2011/11/08(火) 22:18:03.75 ID:yXsBBe/T
>>1
糞ドラマを鵜呑みにするアホ
9人間七七四年:2011/11/09(水) 05:11:10.18 ID:XfUYoDoX
自ら出陣しない臆病者を生かしつも仕方ないだろ
10人間七七四年:2011/11/09(水) 08:17:05.72 ID:W+8iRerx
あっそれは淀が秀頼にすがり付いてまで、出陣するなと止めたから
親孝行の秀頼はそれには逆らえなかった
泣かせる話ではないか
11人間七七四年:2011/11/09(水) 12:21:20.94 ID:C6GWuFjw
ここはドラマを語るスレか? あ?
12人間七七四年:2011/11/12(土) 05:50:36.81 ID:fXX6lNT4
よく考えれば大坂城はもちろん、すべての所領を失ってただの出家坊主か
公家、おじゃる丸になるのだから、生かしておいてもそれほどの脅威だったかどうか・・・
13人間七七四年:2011/11/12(土) 06:43:37.71 ID:4UCCFTWl
>>12
平治の乱後の頼朝と同じよ。
本人に何の財産も無くても政権転覆を謀る連中が担ぎ上げるために周りに集まってくる。
14人間七七四年:2011/11/12(土) 09:00:26.93 ID:lrs1VJdR
木下姓に戻り今川氏真と並び文化人として生きられれば…。
15人間七七四年:2011/11/12(土) 09:41:06.02 ID:ePMJ9l1t
>>13
同じじゃない。
当時の頼朝はまだ子供。
まして、源氏対平氏の総力戦でも無いから、当時の武家源氏の正統を根絶やしなんか出来ない。

対して秀頼は大阪方の大将。
挙げ句、頼りになるはずの母方には実家が無いし、
次に頼る嫁の実家があれだし。
親戚なんて、ましていないも同然。


まあ、秀頼の子供くらいは公家として生かしてもバチは当たらんだろうと思うがな。
結局、そうしなかったから家康は当たって死んだんだろうこど
16人間七七四年:2011/11/12(土) 10:41:39.03 ID:aEsPnV/z
自分が切腹して、城兵の命は助ける様に求めたら評価は変わっていただろうけど
自分から始めた戦で、城兵は皆死に、城も落ち、その上で、なお生き延びて助命を求められたら
何を虫の良いことをとは思う
17人間七七四年:2011/11/12(土) 10:52:58.74 ID:GLvPyu+/
>>16
秀頼と淀には武家の心得がないからなぁ
18人間七七四年:2011/11/12(土) 11:00:20.32 ID:ePMJ9l1t
>>16
生き延びて次の戦いの準備をするのが武門の慣いじゃね?
そして命乞いする人間を何とかして殺すのも武門の道だろ。

秀頼の助命を望む人間がいないから殺せた。
19人間七七四年:2011/11/12(土) 11:40:03.55 ID:aEsPnV/z
>>18
その割には冬の陣・夏の陣とも衝動的な開戦なんだが
20人間七七四年:2011/11/12(土) 12:29:28.67 ID:YrrIgcmv
>>15
なにか勘違いしてるな。
「源氏を根絶やし」じゃなくて、「左馬頭義朝の子を根絶やし」にしなかった
っていうことだよ。
21人間七七四年:2011/11/12(土) 12:59:36.90 ID:ePMJ9l1t
>>20
武家源氏の正統の嫡男を殺すってことは相当でかい。
戦国時代のなんちゃって源氏(武田、京極(自称佐々木)、朽木(自称佐々木)、森、明智、佐竹)とは桁違いの存在なんだから
22人間七七四年:2011/11/12(土) 16:13:57.13 ID:wb9E2qix
命だけは助けると言って土地数反と農具だけ与えて庶人に落としてほしかった
淀と秀頼が野良仕事で生きていけるか見たい
23人間七七四年:2011/11/12(土) 16:50:44.76 ID:YrrIgcmv
>>15
>秀頼の子供くらいは公家として生かしてもバチは当たらんだろうと思うがな。
>>21
>武家源氏の正統の嫡男を殺すってことは相当でかい。

???
秀頼や国松は殺すべきだったの? 生かすべきだったの?
24人間七七四年:2011/11/12(土) 16:53:25.75 ID:GLvPyu+/
それまで助命のチャンスは何回も何回もあったんだからそれ蹴った時点で死しか着地点はない
25人間七七四年:2011/11/12(土) 19:10:22.72 ID:uCwqes/p
まあそうやって後からはどうにでも言える罠、の典型的なご意見↑
26人間七七四年:2011/11/12(土) 19:19:25.38 ID:wb9E2qix
秀頼がカリスマ性とポテンシャルを発揮できてれば分からなかった
徳川に恩がある者なんて限られてる
お袋様が許さないって?
だったら徳川にひたすら恭順を誓う以外に道はなかったんだよ
土地と農具与えてもお淀さんは何もしないで餓死か自害するだろう
秀頼道連れに滅亡乙!
27人間七七四年:2011/11/12(土) 19:24:08.26 ID:wb9E2qix
秀頼だけなら農民に落としても最低限命脈を保とうとしただろう
親父殿は農民から天下人まで成り上がったのに死んでられるかってな
自分が無理なら子孫がやってくれってな
お姫様の淀殿じゃ駄目だったんだよ
そんなの耐えられんし実際そうだった
28人間七七四年:2011/11/12(土) 19:24:14.76 ID:TQVd6Mmm
>>22
尾張藩完全監視のもとで中村に所領をやればよかったと思うw
29人間七七四年:2011/11/12(土) 19:31:21.81 ID:GLvPyu+/
>>25
後ならそう言えるじゃなくてその当時でもそうだろうよ
あの時点で命だけはお助けをはないわ
30人間七七四年:2011/11/12(土) 19:41:36.40 ID:uCwqes/p
>それまで助命のチャンスは何回も何回もあったんだから

の部分について言ってるんだよアホ
31人間七七四年:2011/11/12(土) 20:06:57.46 ID:GLvPyu+/
>>30
実際そうだろボケ
32人間七七四年:2011/11/12(土) 21:54:52.26 ID:3Oe2Soye
薩摩で生きてんだよ
33人間七七四年:2011/11/12(土) 22:06:11.98 ID:4UCCFTWl
秀頼が江戸まで行って臣従誓ってれば済んだ話
34:2011/11/12(土) 23:47:48.62 ID:YLDaZjx7
助命のチャンス??
難癖付けて結局取り潰しに持っていくだけだと思うけど
福島も潰されたし、信用出来ないね
35人間七七四年:2011/11/13(日) 06:01:40.07 ID:ZhPmfznW
信用できないねって言って生き延びることを放棄したんだから救いようがない。
臥薪嘗胆よりも玉砕を美化するこの日本人の風潮もどうかと思うわ。
300年後に何万もの人が同じように玉砕するわけだからな。
36人間七七四年:2011/11/13(日) 10:23:44.51 ID:PDcj3Kvo
豊臣の場合は玉砕とはまた違う。
家康に辱しめを受けるくらいなら死んだ方がマシだというプライド。
37人間七七四年:2011/11/13(日) 11:07:25.29 ID:Plue63e4
ってかよー ほんとは最後の最後まで死にたくないよう〜って言ってたんじゃね?
徳川の鉄砲の一斉射撃って、ちょっとした威嚇どころか小屋の中の人間を
全員射殺するぐらいの勢いで長時間やったらしいよ・・・ かわいそう
千姫だって命乞いのために出したのに・・・
前田利長が生きてれば加賀藩を賭けて家康に助命嘆願してただろうか・・・
38人間七七四年:2011/11/13(日) 11:28:07.85 ID:7dputvh6
まあ徳川厨的には生き残るチャンスはいくらでもあったんだ
みたいな方向に無理矢理持って行きたい気持ちはよくわかるw
39人間七七四年:2011/11/13(日) 15:24:58.77 ID:ZhPmfznW
>>36
それを玉砕っていうんだろ。
米兵に辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシっていうのと何が違うんだよw
40人間七七四年:2011/11/13(日) 17:05:09.51 ID:xydbkZHt
>>37
かわいそうってなにがかわいそうなんだよ!
41人間七七四年:2011/11/14(月) 22:46:38.72 ID:ojf79Oml
東鏡愛読の家康が生かすとは思えん
42人間七七四年:2011/11/14(月) 22:47:59.50 ID:ojf79Oml
吾妻鏡か
43人間七七四年:2011/11/14(月) 22:57:16.39 ID:sGbqqdR/
大阪冬の陣で講和せず、徹底抗戦してたらどうなるかな
じり貧なんだろうが、家康の死期も近づいてただろうし
44人間七七四年:2011/11/14(月) 23:18:18.62 ID:DX5zMw7U
>>43
年内に総構は落ちる
45人間七七四年:2011/11/15(火) 13:32:32.91 ID:w6pqtdj+
家康のことだから戦で張り切って後5年は寿命延びただろ。
46人間七七四年:2011/11/15(火) 13:37:03.67 ID:Y3DtkCEV
あれは秀忠が豊臣滅亡の責任を親父に押し付けて暗殺したんだ
というのがスイーツ姉の意見
47:2011/12/06(火) 17:24:04.44 ID:a5qPaerl
淀&秀頼は転封とか生きながらえる事は拒否しながら
戦になった時は全然前線に出て来ない臆病者だからな、
生きながらえる事を拒否するなら総大将出陣でちゃんと戦えよと
48人間七七四年:2011/12/06(火) 18:37:07.69 ID:ntHVU10C
最後は倉にこもって命乞いだから死ぬ覚悟もなかったと思われる
49人間七七四年:2011/12/06(火) 22:30:54.04 ID:k/+Nzusr
大坂で死んだから「悲劇のプリンス」として今も語られるわけで
下手に生き残っちゃったら今頃は喜連川とか後北条ていどの扱いだろうな
50人間七七四年:2012/01/07(土) 15:57:37.80 ID:ummXfLAv
でもさ
足利義昭は殺されなかったよね?
やっぱり家康は器が狭いよ。
51人間七七四年:2012/01/07(土) 17:59:20.78 ID:xecvp0Py
義昭が追放後に何をしたかを考えれば殺して正解
というより信長は人物の処分についてムラがありすぎる
52人間七七四年:2012/01/07(土) 18:41:23.26 ID:vrW8Pt6I
いや松永久秀に面と向かって将軍殺しを罵倒したからな
流石に将軍殺しを罵倒した自分が出来んのよ
53人間七七四年:2012/01/08(日) 00:04:02.30 ID:bAu2Sjfa
そもそも信長自身が義昭を将軍に祭り上げたのだから追放はともかく殺すのはためらったのだろう
秀頼の場合は別に家康が祭り上げたわけでもなく関白にしたわけでもないから殺しても問題ではない
54人間七七四年:2012/01/08(日) 11:23:59.30 ID:Hu6GjudG
大坂冬の陣で徳川方が真田丸を攻撃した時に南方の3つの門から全軍出馬して
総攻撃すれば良かったと思う。

北と東と西は守備兵だけ3000で十分、残りの兵を南側から徳川家康、秀忠の本陣に向けて
一直線に攻撃すれば華やかな戦いになったであろう。
決戦は兵の数ではなく、実戦経験豊富だが明日の無い浪人衆と満ち足りた生活をしてる
徳川方の兵とでは一発勝負にかける心構えが違う。
一方は手柄を立てなければ再び乞食同然の野垂れ死にの生活が、一方は逃げても命があれば
領土もあり生活の保障のある高級武家衆。
 南方の伊達、藤堂、前田は旧主である秀頼の本陣には弓矢を引き抜き難く
元気なのは松平と徳川一門だけ、しかも、世代交代した実戦経験の無い2世ぞろい。
局地戦で付け入る隙は十分ある。
55人間七七四年:2012/01/08(日) 12:33:05.99 ID:W/13sAdu
>>54
幕府軍はヤル気満々で無茶な突撃連中ばかりなのだが
56人間七七四年:2012/01/08(日) 16:09:57.77 ID:nBKGKs1X
浪人衆が一番悪くね? あいつらの死に場所つくるために豊家は滅びたようなもんだわ
57人間七七四年:2012/01/08(日) 20:13:45.18 ID:3sW9HeRg
そうだ!「豊臣家は、浪人衆の為に戦をしているのではない」って戸浦六宏も怒っていた
58人間七七四年:2012/01/08(日) 22:49:06.69 ID:fI/L30im
>>54
秀忠のすぐ側には立花宗茂が陣取っていたわけだが
牢人衆がいくら来ようとけちらされて終り
59人間七七四年:2012/01/09(月) 01:56:05.24 ID:4Q32t/3c
>南方の伊達、藤堂、前田は旧主である秀頼の本陣には弓矢を引き抜き難く

いや平気で矢を打ち込めるよ
秀吉の子じゃないとみんな分かっているんだからw
60人間七七四年:2012/01/09(月) 09:42:02.60 ID:3J6ym+X+
当時の豊臣家は、わずか60万石。徳川方が勝ったところで報償は無しに等しい。
(事実、戦後の報償が茶碗一つなのを不満に思い、自棄になり乱行した徳川家大名もいる)

外様大名が命がけで攻めて兵を減らし家臣団が死んでも莫大な遠征費や戦費は自己負担。
本気で戦うのは一部の徳川家臣だけで後は名目上の参加に等しいのが現実。
伊達政宗は家康のご機嫌取りのため後継ぎを連れて来ていたが、大事な後継者に
万が一の事が有っては大変と遥か後方に着陣させた。

豊臣の3倍以上の兵力を持ちながら、家康、秀忠の本陣を極僅かな兵で掻き回された夏の陣。
大坂冬の陣の時であれば、時期を見払って総攻撃すれば大坂方に勝機は有ったが
総大将が城から一歩も出なかったのが敗因。これが歴史。

61人間七七四年:2012/01/11(水) 00:30:25.07 ID:2bXpO+Gj
大坂の役ののち加増を受けたのは藤堂高虎、松平忠明、有馬豊氏、立花宗茂。本多、小笠原
62人間七七四年:2012/01/11(水) 12:10:35.14 ID:guF5Rw+N
>>60
自宅警備員しているニートがアフガニスタンに行って戦えるか?
総大将が城から一歩も出なかったのが敗因とか馬鹿馬鹿しいんだよ
秀頼が戦場に行かないのは当たり前だろ
命をやり取りする戦場を舐めるのもいい加減にしろよ
63人間七七四年:2012/01/11(水) 14:10:08.64 ID:vwpPogzd
>>62
お主は、バカじゃの〜www
では、なぜ、大御所家康や将軍秀忠が兵を率いて
わざわざ命をやり取りする戦場である大坂の地に来ているのじゃ???
彼らは徳川家のナンバー1とナンバー2ではないかwww
お主の説では、総大将は駿府や江戸城に引き籠っているのかwwww

秀頼の父、秀吉も総大将として日本各地の戦場を駆け回っただろ。たわけー!
64人間七七四年:2012/01/11(水) 19:19:22.26 ID:2bXpO+Gj
士気の問題とかが全くわかっていないんだね
65人間七七四年:2012/01/11(水) 19:41:29.06 ID:6UQQ7RYJ
秀頼が前線に出れば、自然と大野治長や七手組も前に出るな
66人間七七四年:2012/01/11(水) 22:19:32.57 ID:FDGWLHqD
七手組が小身過ぎて役に立たない。
親衛隊なら秀吉時代にもう少し強化・厚遇しとくべきだった。
67人間七七四年:2012/01/12(木) 11:56:19.84 ID:qat4PUHt
>>63
秀頼は実戦経験どころか武芸の訓練もしていない素人だから
前線に出れないのは仕方がない
数々の修羅場を潜り抜けて日常的に武芸を磨いている家康や秀吉とは比較にならない
68人間七七四年:2012/01/13(金) 16:13:53.00 ID:L9ArD8Uk
神輿は飾りで良いじゃない。
みんなで担ぎ上げないと祭りも盛り上がらないよ。
69人間七七四年:2012/03/25(日) 12:53:51.17 ID:kXUMDqry
>>62
自宅のPCからUAVを操作すれば引きこもったまま戦えるよ!

戦えるよ!
70人間七七四年:2012/06/11(月) 11:49:46.64 ID:fvxs281x
>>68
その神輿が将来名目上の総大将として担ぎあげられえたら天下の一大事だから
家康は秀頼を助命しなかったんだろうなぁ
71人間七七四年:2012/06/11(月) 12:44:53.48 ID:1rZa/7/P
>>68
その御輿が出てこなかったから、祭りが盛り上がらなかったわけだろ。
つか、総大将なんだから死ぬ気でいかないとね。
72人間七七四年:2012/06/13(水) 16:11:46.91 ID:vQpNanRp
生涯江戸城に軟禁でも良かったのにな
73人間七七四年:2012/06/15(金) 14:05:17.16 ID:na0SlmmJ
徳川に臣従したとしても生かしておくとは思えないんだろ

最後まで抵抗し続けたんだから生かしておくわけなかろう
74人間七七四年:2012/07/04(水) 11:36:58.76 ID:FZjflDH3
薩摩に落ち延びなら害もあるまい
75人間七七四年:2012/07/11(水) 22:31:07.31 ID:Yhgw52qU
太閤は手加減してくれたけど
老い先短くて必死状態の家康が手加減してくれるわけもなし島津ごと滅ぼされるべ
76人間七七四年:2012/08/05(日) 21:02:39.21 ID:dLGcyI01
薩摩まで逃げ延びると追撃中に家康の寿命が尽きそうだな
77人間七七四年:2013/03/05(火) 13:17:31.69 ID:ltkdByxr
家康が死んでも秀忠が攻めるんじゃね?
秀忠は関ヶ原や大坂の役は失敗続きだけど一地方大名の島津相手なら何とかなるかも
というか秀忠が死んでも島原の乱鎮圧に成功した家光がなんとかしそう
78人間七七四年:2013/03/05(火) 17:33:34.18 ID:wVn6pzUT
秀頼を担いだ島津と島原の連中を同列視してもな
79人間七七四年:2013/03/10(日) 10:05:49.79 ID:SO852kuM
           /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ 
          /;;;;;;;;;::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;'i,   
          /;;;;;;;::::::::::/:::/:::/:::/ ̄^ミ'i,;;;;'i,
         |;;;;;/::::::#//:::/:::/:::/ 淀 ミi::::|;| 
   / ̄\ |;;;;|::::::/ノ::ノ::ノ::ノ     |::::|;| 
  ,┤    ト|;;;;|:::::::| (●)   (●) /:::/;;|
 |  \_/ ヽ;|:::::::| *\___/*ノ:ノ;;;;;| 
 |   __( ̄ |:::::::| __ \/ _ ノ;;;;;;;;;;;|
 ヽ___) ノ;;;'i,::::::'i,;;;;;;;;;;; ̄  ̄ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|

1の母でございます。
このたびは、息子がこのような素晴らしいスレッドを立てるに
至ったことに、人として、また、1の母親として感動に打ち震えている
次第でございます。私は今、とても誇らしい気分でございます。
息子は幼い頃に父親を亡くしましたが、そのせいもあってか自立心のあふれる
当主に育ちました。徳川政権下でも諸大名の人気者で家康公より上の右大臣もつとめて
おりました。この年になるまで、私どもには何の心配事や迷惑をかけたことが
ございません。この2ちゃんねるというサイトを知って以来、息子の生活は
ますます充実しているようでございます。「今日も2ちゃんでね、愚臣がさあ…」
と、とても楽しそうに夕食の時に話してくれるのです。
どうぞ皆様、息子をよろしくお願い申し上げます。   
                              1の母より
80人間七七四年:2013/03/14(木) 13:25:06.60 ID:6nMqQIza
>>78
島津が秀頼かついで戦っても徳川家光に勝てんだろw
81人間七七四年:2013/06/17(月) 20:53:17.98 ID:d64DkuBB
蜀の劉禅や陳の陳叔宝は暗君と言われているけど、
乱世において無事に天寿を全うしたという意味では勝ち組なのかもな。
つか劉禅は敢えて司馬昭の前で暗愚の振りをしているように思える。
逆に二条城で家康に会った秀頼は「こいつは優秀だ」と思われてしまったがゆえに・・・
82人間七七四年:2013/06/17(月) 23:13:41.07 ID:aRsGITlp
家康から妥協案提示してたじゃん。
大阪城から出て和泉か河内に移る。
大阪城にいる浪人を解放する。
そしたら大名として残してやるって温情示してるのに拒否。秀頼が拒否したか重臣が拒否したかわからないが大阪城の主は秀頼。
よって殺されて当然
83人間七七四年:2013/06/17(月) 23:26:10.83 ID:J5CAQ4d0
自決ではなく、因果応報で秀信に討たれるような最後が良かった。
84人間七七四年:2013/06/22(土) 10:20:49.53 ID:YdPSq6QS
堀うめたり・鐘で難癖つけたりしてるやつが約束なんか守るわけねえし
転封したってどうせ後々難癖つけてつぶされるだけ
どうせ後世、大坂で篭城しとけば恩顧が寝返って勝てたのに・・・
っていわれるのがオチ
85人間七七四年:2013/06/23(日) 10:57:27.66 ID:KiePS7hn
だな
86人間七七四年:2013/06/24(月) 03:08:19.29 ID:h1ENDoNs
豊臣宗家を仮に生かすとした場合

1〜2万石程度まで減封
知行地の運営は幕府派遣の代官が執る
蓄財した金銀や名物などの没収
定府
婚姻は徳川家の縁の者限定
官位官職の制限

とか以外に何がプラスされるかなぁ
87人間七七四年:2013/06/29(土) 18:53:35.06 ID:MItRZm2R
よ。
88人間七七四年:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:jVB6wVGO
>>84
淀の方だって秀次に殺生関白とか謀反を企てているとか難癖をつけて家族ごと命を奪ったわけだし
家康を非難できる立場ではなかったのがまずかった
89人間七七四年:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:Xcpwllfj
大和へ移るべきだった
90人間七七四年:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:6+xgCbKV
それでもまた言いがかりをつけてきて
滅ぼされるだけ
そんな事すら分からんのか?
91人間七七四年:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:2GdH9KPg
親父は関白。
さっさと公家になっておけば、良かったのでは
義経みたいなKYでも無い限り、関白を輩出する家(公卿?)を攻め滅ぼしたり出来ない。
92人間七七四年:2013/09/14(土) 23:22:39.60 ID:w+j4FQ1f
バカテスの木下秀吉について語りましょう。
93人間七七四年:2013/09/16(月) 17:17:36.63 ID:jw/vBNbJ
家康は秀頼は生かしとかったのよ。それをみんなわからず残念。
94人間七七四年:2013/09/16(月) 19:04:16.75 ID:IpHpltt1
まあそうだな、家康の立場に信長、秀吉、元就、信玄などが立っていたら14年間も
平穏無事に済まなかったろうな。
95人間七七四年:2013/09/19(木) 17:35:22.32 ID:aqOHt+Ds
関ヶ原当時まだ幼児だっただけに、勝手に死ぬってのも期待してたのじゃないか
事実兄は夭逝してるし秀頼自身も疱瘡になってるし
96人間七七四年:2013/09/22(日) 17:31:49.33 ID:GBUh2edH
家康は自分も老いて寿命が短い…
秀頼親子に淀殿の妹の常高院と祖父の織田有楽斉に
コ川家に家臣として仕えるよう説得させても
駄目だったので豊臣家を攻め滅ぼすしかなかった

大坂の夏の陣の時常高院がなかなか京極陣営に帰ってこないから
京極家の家臣が常高院を説得して大坂城から出させたのが真相
常高院は関ヶ原の時も合わせると4度の落城を経験している…
波乱の人生だわ
97人間七七四年:2013/09/23(月) 06:58:09.15 ID:boh32KSo
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
98人間七七四年:2013/09/24(火) 11:27:09.51 ID:bLsugsLw
99人間七七四年:2013/10/02(水) 10:56:15.22 ID:qGlPZWCw
>>88
それは創作物語

>>96
さっさと降伏したら命が助かったとでも?
将来の遺恨になるからやっぱり秀頼を殺したんじゃない?
加藤清正や福島正則など関ヶ原で家康に臣従し味方した豊臣恩顧の大名に
家康がした仕打ちをみれば分かると思うけど?
100人間七七四年:2013/10/03(木) 23:24:47.47 ID:I9460L+7
それにしても、幕府を開いてから冬の陣開戦まで、
良く10年も待てたよな、家康は。

よっぽど自分の健康に自信があったのかね。