944 :
人間七七四年:2012/09/22(土) 14:45:38.42 ID:i0jPvCi2
あまり知られてないが、
7/26付けの家康→田中吉政書状において、
家康は田中による佐和山城への働きへの注意として、
地下人を呼び戻すなどと書いてる。
輝元らの挙兵を隠蔽して、
フェイクとしての嘘情報操作である三成挙兵を前田利長らが家康に出したため、
それを盲信した家康は、簡単に田中らが佐和山城を攻略して、
この乱が終結すると事実誤認しているのがわかる。
佐和山城攻撃など白昼夢。
まんまと騙されている家康
945 :
人間七七四年:2012/09/22(土) 18:12:05.22 ID:/3atuCBe
妄想は妄想板で。もしくはカウンセラーの先生へ
946 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 07:07:23.13 ID:1K/1tj8+
>>932 三成が大谷を誘うってのは講談話。
実際は、樽井で大谷が病んでいるって話と、
三成挙兵の噂を組み合わせた妄想。
忠興あたりが盛んに三成が家康を裏切ると吹聴していたのが風聞化したのだろう。
その風聞をうまく利用したのが輝元ら挙兵組。
家康側にいた三成は何時の間にか選択の余地が無くなっていた。
947 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 12:22:06.31 ID:IROJyB8P
三成挙兵の風聞って
完全に思考の指定をさせる謀略だよな。
忠興はもっと評価されていい。
でもその話が大きくなって
風聞を事実と誤解してガラシャ自刃って言う・・・
948 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 15:41:15.67 ID:LbDXkq/u
忠興ってなんでそんなに三成のこと嫌いだったの?
949 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 16:58:15.78 ID:AcMsKtZ/
950 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 19:50:36.35 ID:nHJyWx79
細川家自体が元々は、
秀吉と同格くらいな意識な上に、
武功で出世したというより優秀な吏僚として出世して、
自分に指示出すのが面白くないんだろ。
忠興はどっちかと言うと父と違ってすぐキレる脳筋タイプだからな。
こうなってしまったのも初陣で武功を立てて、
信長から自筆書状貰ったり、
武功を褒めて丹後やる時に、
信長が父ではなく、お前にやると持ち上げた結果だな。
織田は武辺者重視、
吏僚軽視だったからね。
まあ信長はDQN不良だから、統治や官僚機構について全く無知だから。
951 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 08:55:15.88 ID:WudP9/PY
実際、豊後杵築城にいた松井康之宛書状を見ると、
忠興と九州にいた如水は、大坂での変事に備えて打ち合わせしてた
っぽいし、
隣国中国の輝元の蜂起を想定して会津征伐に出現したんじゃないか。
清正にしても如水と協調してるし、
如水は毛利支援の大友軍が来ると杵築城救援に出撃してるし。
九州を奪い取って第三勢力に成り上がるために
彼らは大乱を欲していた。
しかも如水に至っては毛利領へ攻め込むなんて書状もあるし。
952 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 23:08:52.10 ID:wI0IE/K6
事前の打ち合わせっていっても、具体的な内容は
細川の飛び地には周りの西軍が攻めてくるだろうから、
築城名人の如水に城の防備の補強指南を頼んだというもので
同じ東軍で、大友が共通の敵だから派兵したんであって、
別に忠興と如水の間に、九州で共同戦線を張るような遠大な密約はない
つか、丹後の本城自体が落城してるんだから、細川が西国で
どうこうしようにも、何もできんわけで
杵築城が最後の細川領だから、ここが落ちると細川は領国をすべて失う
非常に不名誉な状態になるので、松井から援軍を依頼されて派兵しただけなのよ
953 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 21:31:49.74 ID:O/gAuJcq
杵築城は二の丸まで落ちて落城寸前だったし
あと二日、援軍が遅ければ大友にボコられてのは確実だしな
黒田の親父の方に、運よく助けてもらっただけで
忠興が九州で大乱を欲していたとか、どう考えても
細川を買いかぶりすぎ
954 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 09:56:12.94 ID:/g2KjYk+
それはそれで今度は細川過小評価ではないだろうか。
7/21書状には如水とかねて申し合わせてきたこととして、
丹後戦線では宮津集結、
豊後戦線では状況をみて如水の城へ集結と言う話が登場する。
これをかねて申し合わせてきたことなのだから、
ほとんど思惑通りではないだろうか。
そもそも父の幽斎が武士らしくなく、降伏したことに立腹して忠興からしたら、
それこそ想定外の恥晒しでしかなかったのでは?
忠興は父とは違うって感じで、父とは常に対立というか嫌いって感じが出てて、
父を軽蔑する思春期の特徴を持ったままに大人になったような男だから大人気ない気質で野心ありまくり。
まあ忠興は養父の細川輝経を慕っていたのかも知れないが、
自分は幽斎の細川とは別家でもっと名門細川だからと差別化してるし。
また、8/18の松井書状では清正が杵築城に兵糧と玉薬を入れてくれたと書いており、
如水も先書の如く、当城へ万事御心付けしてくださってるとあり、
如水と清正の後援を受けているのがわかる。
有事を願望し手立てを事前に講じていたと思われるが。
だからこそ亀山城まで到達し親子連れ再開の時に、
何事もなく帰陣は目出度いと声をかけた父に、
中興がシカトしてた。
幽斎はお前は下城したことに腹を立ててんだろ?
年寄って命惜しくなったんじゃねぇよ!
だいたい三度も勅使を受けるまで下城しなかったのは俺くらいなもんだろ!と言い返してるし。
ちなみに9/21書状では、
宮津下城がそうとう面白くなかったのか、
ヘタレなのに籠城するなんて奇特なことだな〜wって思ってたら、
籠城中の武者達が比類なかったようですねぇ?
逃げ落ちたってんだから、もう憎いどころかワロタわw
なんて書状を宮津籠城衆に出してんだから。
まあ家康が但馬やるとか書状出してたのに裏切ったためか、
大坂滅亡まで羽柴を名乗っていて、
大坂滅亡後には松平の名前を断ったし。
関ヶ原後は長政と険悪になり嫌がらせ合戦したり、
天下一気の短い人物と呼ばれていたらしく
けっこうめんどくさいわなこの人。
955 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 10:26:42.35 ID:/g2KjYk+
>>937 それどうなんだろ。
詳しいことは三成が申すと書いてるが、
あくまで書状案でしかないので、
上杉には該当書状が届いてないから、
そもそも三成は関わってない事実を義弘は知らないで書いてたので結局、三成が詳しく述べる事態が来ず出されなかったように感じるし、
義弘も三成は味方だと騙されていた可能性も排除できないね。
宛先が景勝 人々御中って書いていて、
五大老の景勝を呼び捨てとかあり得ない無礼な内容。
さらに言うと、秀頼様のための挙兵に上杉も同意の由と承った。拙者もその通りに候
などと書いていて、
これじゃ三成と上杉が事前謀議していたように見えるし、
いろいろと問題点がある内容なんだよね。
956 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 19:42:19.13 ID:B1M59ZuD
読みにくすぎて読む気が起きない改行をどうにかしたほうがいい
957 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 20:11:20.14 ID:pil7LoIm
確かに勅使3回まで耐えるのは凄いな。
志賀の陣の義景が一回、
本願寺教如が2回だもんな。
3回は神レベル
958 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 21:51:08.13 ID:e6kmqjyr
>>954 うーん、かりに細川家が事前に積極的な計画を立てていたら、
いくらなんでも、もう少し兵力を九州にあらかじめ割いとくでしょ??
そうじゃないと、かえって忠興が野望ばかり大きくて、
できもしないようなザル計画を立てた馬鹿に見えちゃうんだけど。
実際にはあまりにも寡兵で、杵築は落城寸前だったわけで
のちに東軍に参加した鍋島とも違って、石垣原の大友撃退後にも
松井は、清正や如水と合流して有意な軍事活動を展開したわけでもない。
前提として、九州で細川家が動員できる兵力は、
そもそもほとんどなかったとみる方が、まあ妥当だと思う。
石高的にも、本戦と宮津に相当数動員して手いっぱいなんだから、
九州に残せる兵力なんて、もともと非常に少ないわけだし。
清正にせよ如水にせよ、東軍として劣勢にある細川を見捨てず
協力しただけであって、基本的に九州での細川は防戦するのが
精一杯だった。これが、やはり現実なのではないかと。
959 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 23:07:05.70 ID:ELFAq/le
松井がなぜか杵築にいた時点で準備万端でしょ。
960 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 23:22:25.25 ID:e6kmqjyr
何の準備が万端なのか、よくわからないな。
討死覚悟の防戦の準備というならわかるけどね。
でも、それはあくまで拠点の防戦であって、細川が何かそれ以上の
軍事的な計画を九州でもっていた、という話とは全く別物ですね。
六万石の飛び地領があるんだから、松井クラスの城代くらいおいても
別に不思議はない。
領国がある以上、寡兵でも城を捨てて逃げるわけにも、速攻で降伏する
わけにもいかないんだから。
961 :
人間七七四年:2012/09/27(木) 20:42:58.00 ID:/ffAfVkr
まあ、忠興が大乱を待望してたっていうなら
九州で西軍の城のひとつでも落としてないと、説得力がないわな
留守城を落とすのだって、相当の兵力と技量がないと簡単ではないのよ
三成スレですれ違いなのになんだけど
962 :
人間七七四年:2012/09/28(金) 00:37:26.80 ID:BUe6Mi8d
>>959 あぁそれ前から不思議だったんだよね。
なんで杵築にたまたま来てたんだろうねあれ。
しかも西軍蜂起したら、そのまま滞在して
客将なのに細川軍九州現地司令官やり始めてるもんな。
やっぱ忠興に事前に言い含められてたのかねぇ。
963 :
人間七七四年:2012/09/28(金) 02:07:08.60 ID:xKg6kxVV
たまたまも不思議も何もなくて、家康から6万石加増される
→慶長五年の春:細川くんが新領を検分するために豊後を訪問
→その際に松井・有吉の両名を城代に任命したというだけの経緯な。
城代なんだから、そらそのまま現地に残らざるを得ないわ。
あと大前提として、杵築には、籠城時に300人しか細川兵がいないんすけど。
これで細川くんは九州で何を、一体どうするつもりだったのか・・・
本気で何か企んでいたなら、むしろとことん問い詰めたいですねw
つか、どう考えても忠興厨の誇大妄想としか思えないんだけど!
964 :
人間七七四年:2012/09/28(金) 12:41:54.44 ID:3yYNexUO
→慶長五年の春:細川くんが新領を検分するために豊後を訪問
→その際に松井・有吉の両名を城代に任命したというだけの経緯な。
上記の一次史料は?
965 :
人間七七四年:2012/09/28(金) 22:49:41.87 ID:iCUiXwCZ
あのさぁここは三成スレだし、あまりきついことは言いたくないんだけど、
どのみち自分で読めもしない一時史料を偉そうに要求する前に、
まず大分県史の中世編あたりで、杵築の大友〜細川領の初歩的な概要くらい
読んだらどうなの??
この手の制度的な話は、どの県史にしたって絶対載ってるわけですよ。
県史は、一時史料に基いて書かれた学術書なんだから
該当箇所をさがせば、出典の史料は脚注に記載されてるわけで。
文脈もわからず、自己流で書簡や一時史料を斜め読みして、
珍説を展開するより、基本的な概要を知ってから書き込んだ方が
ずっと生産的だと思うんだよね。
県史類は、日本史のある大きめの大学図書館や公立図書館に行けば
たいてい備えてあるんだから、自分で事実関係を調べる手間を惜しむなよ。
966 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 11:12:30.62 ID:78yEc26P
>>965 忠興は別にどうでもいいが、とりあえず偉そうに県史だの学術書だの能書きを垂れる前に
「一次史料」くらいまともに書けるようにならないとな
1レスに3回も「いっとき史料」なんて書いてちゃうっかりミスの領域を超えているぞ
967 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 12:08:05.65 ID:qCpn53yy
2chで五時を指摘するほど無意味なことはない
968 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 12:26:03.17 ID:78yEc26P
>>967 それが人を見下した偉そうな能書きレスじゃなかったり
態とやただのうっかり誤変換ならな
969 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 22:25:26.46 ID:DzBsKXC+
なんだよ、結局一次史料の無い真偽不明のネタ話かよ…
970 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 23:07:42.39 ID:U6Cko9Cl
まぁ一次史料は同時時代史料ってだけだからな。
内容が事実でなくても、その時代の史料なら一次史料になる。
一次史料か否かのみで、真偽判断は出来んよ。
971 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 00:41:12.47 ID:/ldgK4Z5
>>この手の制度的な話は、どの県史にしたって絶対載ってるわけですよ。
あーぁ、こんなデタラメ願望書いてる時点でもうね、こいつアホだろ…
972 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 01:49:41.90 ID:LGukS5Pl
柿って健康に悪いの?
973 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 07:04:05.41 ID:YNYTcld8
柿、特に干し柿はむしろ痰の薬だというのは有名な話。
というか干し柿の話自体後世の創作だから。
三成の最期についての記録は一切ない。
974 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 11:33:17.87 ID:8C+H+NvQ
そもそも喉が渇いて干し柿を勧めるなんて無茶苦茶な話だな。
毛利が前線で指揮をとらなかったのと、三成が軍勢を分散させて私怨であちこちの城を攻めさせて兵が決戦時にそろわなかったのが敗因だな。
975 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 13:10:23.76 ID:8Am/VBJA
私怨でとかソースは?
そもそも三成があちこちへの派兵の指揮をしてたとするソースは?
せいぜい、兵力不足で三成の手勢を美濃へ派遣せざる負えなかった大垣方面くらいしか把握してないだろ。
普通に考えて西軍総大将の輝元が総指揮をやってただろうし。
976 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:18:06.83 ID:8C+H+NvQ
加藤清正が大和一国をいただければ西軍に参加すると申し出たのに蹴ったのも痛かったな
清正が西軍につけば上杉征伐に従軍した連中もずいぶん西軍になったろうに。
増田は勝利後に加増して移封したってよかった。
977 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:20:07.85 ID:YNYTcld8
>>976 アホか。そしたら増田が即座に西軍離反して畿内大混乱するわ。
978 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:22:10.09 ID:8C+H+NvQ
輝元は大阪城に籠りっきり。
指揮をとれる状態じゃない。
携帯電話や無線、GPSがある時代ではない。
輝元はチャンスとばかり神輿に乗ったが、家康に対しても二股外交やっていた。
前線の三成は官位が低いので大名衆に上から指示を出せないという状況。
官位が低い彼は気の毒だった。
979 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:24:38.96 ID:8C+H+NvQ
私怨の田辺城なんて軍事的価値も低いのに1万5千の軍勢を割いて2か月攻め続ける等、大きなマイナス。
西軍は兵力を四方に分散したのが敗因の一つだろう。
980 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:28:05.39 ID:8C+H+NvQ
>977
口の悪い子供は相手にしたくないのだが一言
加増で移封なんてのは頻繁に為されており、喜んで加増されて移動してるだろ。
離反するわけない。
どうも短絡的だな。
981 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:29:40.96 ID:YNYTcld8
それは加増の地が確保されてから言うことだ。
982 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:31:39.64 ID:8C+H+NvQ
もちろん勝ったらの話だろう。
戦いに勝利せずにできるわけないし、望むべくもないのは加藤清正だって当然思っているだろう。
常識だな。
983 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 20:54:45.90 ID:BOs6a0/N
>>979 あれは烏合の衆だから、関ヶ原に来ても役に立たなかったよ
984 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 08:32:48.46 ID:tda9e3RX
>>980 ついでに言うと、家康の関東移動について、ひでえ扱いだなって当時の手紙が残ってる
985 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 10:41:38.41 ID:/gF0+TJJ
>>983 西軍自体が最後まで烏合の衆を脱しきれなかったのが敗因
986 :
人間七七四年:2012/10/01(月) 18:58:19.12 ID:J4sCjdbf
東軍は内府がでてきてまとめているから烏合の衆じゃなかった。
西軍は安芸中納言が大阪城に籠り、官位で数段劣る三成が指揮をとっていたから烏合の衆だった。
全ては毛利輝元が悪い。
乗り気で神輿にのっておきながら、負けた時のために家康に二股外交をしていた。
987 :
人間七七四年:2012/10/02(火) 00:31:16.51 ID:ojqaHlC5
>>973 だったらNHKとかに柿エピソードの使用をやめるように言うべきだな。
最近の三成登場大河では必ず柿のエピソードがあるじゃん。
あれのせいで柿農家は凄く迷惑してみんな三成が大嫌いなんだよ。
988 :
人間七七四年:2012/10/02(火) 08:19:48.83 ID:u3XbitRB
何言ってんだこいつ
989 :
人間七七四年:2012/10/02(火) 12:20:56.90 ID:DfED3+Dh
>984
家康は関東管領(関東総奉行)として加増のうえ関東に移った。
家康は秀吉と縁戚で、信頼すべき者として関東に移ったとみても良いんじゃない?
そのせいで関東管領で秀吉と北条征伐後も約束された上杉が会津(東北総奉行)に移され、反秀吉・反家康化した。
990 :
人間七七四年:2012/10/02(火) 12:37:59.52 ID:u3XbitRB
家康が関東管領だか総奉行だかとして入ったというのは聞いたことないが
当時の人間の認識として、ひでえ扱いだと言ってるわけ
後世の、パンピーの、ぬるま湯日本で育ったお前がどう見るか、それは知ったことじゃない
991 :
989:2012/10/02(火) 12:40:15.58 ID:DfED3+Dh
秀吉死後に関東回復を狙う上杉、佐竹と被官の真田、伊達、最上、協力者前田が関東乱入を企てるも、
直江と仲が悪かった藤田信吉が豊臣公儀に密告。
その結果、前田は恫喝に屈服し人質を差出し、最上は離反。伊達は二元外交日和見に徹する。
佐竹は人質差出しを蹴って上杉とともに立ち上がる。
真田は軍勢率いて上杉と共同戦線はろうとするも、長男の信之が裏切って家康に走り昌幸の計画を漏らす。
バレたのでそのまま上田に戻って籠城。
↓
毛利輝元を担いで西軍挙兵
↓
三成、上杉と共同歩調を取ろうと上杉被官の真田に手紙を出す(漏れるとやばいので黙ってた。こめんね)
上杉、真田、早く言えと怒るも西軍敗北。その後も10カ月戦闘継続。
↓
上杉が関東乱入したら一緒に向かおうと思ってた伊達も上杉が不利になったので反上杉色を明確化
↓
上杉降伏。佐竹降伏。
↓
上杉大減俸→景勝談(書が残ってる)「(徳川の親戚の北条を滅亡させたのは上杉の意見なのに)、減俸ですましてもらって悪いね」
992 :
989:2012/10/02(火) 12:42:47.93 ID:DfED3+Dh
>990
五大老(官位と勢力、配置を見ろ)、各地方の公儀への取り次ぎ役だった
上杉が会津に帰っている時は伊達が東北各大名の取り次ぎ、意見聞きの「代理」を任命されている。
こういうのも知らないだろ
993 :
人間七七四年:
>>992 関東管領ではないわな
そういう制度的なもの言ってるのに、”実質はそうだった”みたいなこといわれてもな?