>>676 光成氏は下記のように書いているんだが・・・お前はキチガイか。
家康と豊臣奉行衆の対立は根深く、徳川氏に比べ軍事力に劣る豊臣奉行衆にとって、
徳川氏に対抗するための軍事力の結集は不可欠であった。
そこで、輝元を味方陣営に引き留めるため、豊臣奉行衆は秀元処遇・隆景遺領問題を
輝元に有利な方向で決着すべく、秀吉裁定を見直していくのである。
家康はそのような秀元の動きを毛利氏内部の分断に利用した状況が見えてくる。
また、書状中の「彼方」は家康と考えられ毛利氏領国の給地分配の具体案にまで家康は介入したのである。
家康の介入を許したという禍根が残った。
自らを頂点とする一元的な支配体系の確立を目指してきた
輝元にとって、家中の仕置きさえも思うままにできなかったことは、屈辱だっただろう。
そして、家康の権力増大化を何とかして食い止めなければならないと
心中密かに期したのではなかろうか。