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人間七七四年:
支配構造にも変化ってのはやはり
畿内における惣村一揆や一向一揆のように
民間レベルで力を蓄えて、守護層の命令に対して
抵抗するようになったことが挙げられる。
これは農業技術の向上により
石高の飛躍的向上があったと考えられる。
それと共に渇水時の河川の水止め争いが近江などで頻発し、
その解決策を幕府が出すが、現状を把握してるわけでなく現地では無視される。
それを話し合いにより、円満解決した浅井などが
六角や京極ら守護権力に抵抗する惣村コミュニティーを形成する。
これは一向宗も同じで守護に対抗するために組織されたもの。
村単位での自主独立に近い感じ。
摂津や和泉などは逆に商業都市による自治に進化。
その一方で西国は将軍や大内へ意見・抵抗するための
国人一揆という古い体質が毛利手動で生きながらえているのは
大内氏などが彼らに弱腰で帰属してもらいたい側ゆえ
緩やかで、温暖な気候ゆえにぬるかったのだろう。
この大国に対抗するべく組織された国人一揆は南関東でも存在していたが、
いち早く戦国に突入していた関東ではさっさと解体されている。