戦国ちょっといい話27

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1304362000/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2011/06/09(木) 21:39:06.51 ID:vW7N0O1f
>>1
スレ立て大義である
3人間七七四年:2011/06/09(木) 22:10:47.98 ID:S1QQ+ozn
>>1

だがその左手は何をしておった
4人間七七四年:2011/06/10(金) 06:22:23.96 ID:7DcfzJTA
と息子をしごく如水であった
5人間七七四年:2011/06/10(金) 12:17:06.81 ID:nUeHQszj
もう既出の話だったらスマン

秀吉はかねてから茶の湯に入れ込んでいたが
黒田官兵衛は「狭い一室に刀を持たずに数人で入るなんて無用心すぎる」
として秀吉に不満だった。
ある日、官兵衛が秀吉から茶の湯の誘いを受けてしぶしぶ出かけると
そこに茶は出ず、次の合戦についての戦略会議だけが二人の間で行われた。
密談の後、秀吉は「これが茶の湯の一徳だ。
お前と俺が密談をしていたら他人は疑いを持つ。
茶の湯と言えばいらぬ疑いを持たせず安心させられるだろうが」と言った。
これに孝高は感服し、以後茶の湯をたしなむようになったという。
6人間七七四年:2011/06/10(金) 14:41:57.76 ID:PI6LRClA
名将言行録かな
7人間七七四年:2011/06/10(金) 18:47:43.47 ID:uPGc/BcP
古田織部が切腹させられた本当の理由は、大坂城に内通していたからではなく
大名間の裏話を知りすぎていたから消されたようだ
8 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2011/06/10(金) 20:51:53.01 ID:mOvXj+OE
官兵衛なら官兵衛で統一してくれると読み易し
9人間七七四年:2011/06/10(金) 21:33:46.18 ID:CUqHgxSu
小早川隆景の逸話で
「茶の湯は風雅な集まりだというから出かけて行ったら、茶碗がいくら、茶釜がいくらと金の話ばかりしている。
あんなくだらないものには参加しない」
と拒絶反応を示したのがあるんだが、雑学本で茶室での密談で政治的なトラブルに巻き込まれるのを
防止したかったんじゃないか、と書いてるのがあった。
隆景さんなら茶の湯に大金を投じるなんて認めないだろJK、とも思うし、うかつに豊臣内部に関わると
ろくなことがないのを隆景さんならわかってただろうな、とも思う。
10人間七七四年:2011/06/11(土) 00:33:26.60 ID:FUQoIxhh
そういや落語"竹の水仙"で左甚五郎の作品に大枚を払う毛利の殿様って誰なんだろう
11人間七七四年:2011/06/11(土) 00:40:42.76 ID:GbudO38g
>>10
竹の水仙って細川越中守だと思ってた
12人間七七四年:2011/06/11(土) 02:28:44.23 ID:FUQoIxhh
じゃあ、噺家によって違うのかな
それとも記憶違いかな
13人間七七四年:2011/06/11(土) 02:59:22.24 ID:8slzaeny
あれからずっと悔やんでいた

石川五右衛門が南禅寺山門から京都の街を見下ろし、
「絶景かな」と見得を切ったのは、歌舞伎の一幕。
その南禅寺山門(三門)の修繕について、このようなやり取りがあった。

藤堂高虎と金地院崇伝は、高虎の嫁が崇伝と同じ一門ということもあり
たいそう仲が良かった。
また二人に共通するのは、家康がらみの謀りごとにかなり関与し、
その信頼も厚かったという点であった。

彼らが話し込んでいると陰謀の香りすら漂うが、これはもはや晩年のことである。

 
「しかしなんですな、藤堂どの。
仏道を修行する身とはいえ苦しいのは、色の乱れに常に心が乱れることですな。」
ある日、崇伝が何となく言った。
「と、申されますと?」
と、藤堂。
「わが南禅寺の山門のことです。文和年間に建立し、『太平南禅寺』と天皇直筆の額を
掲げたほどのものなのに、応安2年に山法師らの悪意によって打ち壊され、
跡形もなくなってしまいました。いまもって、それは打ち捨てられたまま。
心が痛みます。」
それを聞いて、高虎が言った。
「そのご苦労はそれがしが無くしましょう。」

「や、いやいやいや、そういうつもりで申したのではございません!(なんちゃって)」
「崇伝どの。それがしはかねてから望むところがありました。
過ぎ去った昔、大阪夏の役で、それがしが計画を失敗したがために多くの従軍将士が討死しました。
あれからずっと悔やんできました。
彼らの魂の成仏を願い、その名声と業績を広め留める建物を建立したいと
平素から思っていたのです。
南禅寺の山門。彼らの名をその上に刻み、
この世で二つとない忠義を表しとうございます。いかがでありましょうか。」
「願ってもないことでございます!(よっしゃー!)」


かくして、伊勢、伊賀の領下から諸職人の役夫数千人が馳せ上がり、
寛永5年(1628年)、ついに落成となったのである。
                    (高山公言行録、宗国史祀典録)
14松下家1:2011/06/11(土) 03:42:32.31 ID:JGJ7Fe4l
いい話

やり術に優れ兵法にも通じていた松下之綱は豊臣秀吉の一番最初の主君として有名であるが、
従来の最初の秀吉の主君だけであるイメージと違いずっと秀吉とのかかわりを持ち続けた人間である。
秀吉に字や学問を教えたのは之綱だと言われる。また秀吉が仕えたのは長則とも言われる。

秀吉は彼から具足購入のために預かった5両を持ち逃げし尾張に出奔したとの逸話もあり、
このことを深く後悔していたのかはたまた最初の主君として恩義を感じていたのか
1574年に長浜城主となっていた秀吉は松下之綱を召抱え長篠の戦にも秀吉の
先陣として100騎を預けられた。

1582年、本能寺の変後も秀吉に従い続け1583年、
賤ヶ岳の戦いの後に秀吉から3000石の領地を与えられている。
その後も出世を続け、1587年、従五位下・石見守に叙位・任官し同年、
秀吉から丹波3000石を加増され6000石を与えられる
1590年、小田原合戦の後、遠江久野1万6000万石を与えられ大名となった。
秀吉はずっと松下家から受けた恩を忘れなかったのである。

1598年、秀吉に先立つこと7ヶ月前、2月16日に死去した。秀吉と同い年である62歳であった。
15人間七七四年:2011/06/11(土) 04:01:11.84 ID:Q0Epd0Ko
やり術っすか…
(´ω`)
16松下家2:2011/06/11(土) 04:05:52.11 ID:JGJ7Fe4l
いい話

松下重綱は之綱の次男として生まれ豊臣秀次に仕えた。
秀次事件で松下家が連座させられなかったのも松下家と秀吉の絆がわかるものだ。
1598年には父が死んだため重綱が松下家の家督を継いだ。

豊臣恩顧と言ってもいい彼であるが
関ヶ原の戦いでは東軍に属し岐阜城攻撃、
水野勝成属下で大垣城攻撃、石田三成隊50の首級を挙げるなど活躍。
1603年石垣の無断改築による常陸小張に移封となるが同じだけ領地は与えられているので東海道筋に
豊臣系の大名がいるのを嫌がったためであろう。

1614年からの大坂の陣で自ら槍をとり戦うなど奮戦。
毛利勝永隊に撃破されるもののその功績により2万8000石に加増された。


なお余談であるが
1627年、加藤嘉明が会津40万石に加増移封されると、娘婿だった重綱も陸奥二本松藩5万石に加増移封され、嘉明の与力大名となり
転封直後に死亡した。父と同じ出世街道を歩み続けた。
17人間七七四年:2011/06/11(土) 06:08:29.32 ID:cSCD/b6u
どこがいい話
18人間七七四年:2011/06/11(土) 08:45:45.99 ID:+6aR8bgs
読まなくていい話
19人間七七四年:2011/06/11(土) 10:03:28.40 ID:UxP52dbI
>>9
小早川隆景は、かつて茶の湯を好んでいた。
がやめてしまった。その理由を尋ねるとこう答えたそうである。

「茶の湯は俗世の煩わしさから逃れ岩栖野居の趣向、水雲鳥魚の閑さをなぞって
自然に帰って心を安らかにするものであるから何よりも嗜んできた。
ところが、よくよく世の愛好者を見ると茶器の値段が高いの安いのと言い、
千金の価値の器を百金で購入した者を目利きであると褒めて羨んだり、
または安く買って売ろうとしたりが主な目的となって茶の湯の本来の意味が消え失せてしまった。
そうでなくても人の心は物のために動かされやすいものであるというのに。」
20人間七七四年:2011/06/11(土) 10:25:50.02 ID:UxP52dbI
>>19の追記

なお、6月12日は小早川隆景の命日であり毎年この日に近い日曜日には
地元の三原で小早川隆景を偲ぶお茶会が開催されている。
21人間七七四年:2011/06/11(土) 10:38:14.80 ID:py43glzw
>>9
そんなんだから、天下をとるには勇気が足りないと言われちゃうんだな
22人間七七四年:2011/06/11(土) 13:19:16.44 ID:Ckkgu1Tq
>>9

如水軒「大気と勇気と知恵を兼ね備えておりましたが太閤殿下に睨まれて御覧の有様だよ!」

23人間七七四年:2011/06/11(土) 13:50:15.46 ID:YgYTkvc9
「大気と勇気と知恵を兼ね備えておったが、それ以上に茶目っ気が多すぎた」
24人間七七四年:2011/06/11(土) 13:51:35.41 ID:4AjsWeEZ
如水の影響で、家臣も茶目っ気たっぷりに育ちました
25人間七七四年:2011/06/11(土) 14:53:07.00 ID:JGJ7Fe4l
いい話

天下人豊臣秀吉の側室として知られている京極竜子の話である。
彼女は大変な美貌として知られ、政略結婚にて武田元明の後妻となるが
1583年、夫である武田元明が明智光秀と同心したため明智光秀が天王寺の戦いで敗れた後、
丹羽長秀に夫が殺害されてしまう。命が助かりたいがために弟である
京極高次により秀吉に側室として差し出されることとなる。
彼女は当時、20歳を超えたばかりでありこの年にして以後16年に及ぶ側室生活が決定したのである。

さて秀吉は彼女を大変気に入っていたようで彼女が体調を崩したときは奥さんに内緒で、
医者に指示を与えたり秀吉と名護屋城や小田原征伐に同行京極高次がどんどん出世していくことからも彼女がどれだけ気に入っていたかわかるのである。
彼女もまんざらではなかったらしく醍醐の花見で淀と杯の順位を争ったりの逸話は大変有名である。

1598年の秀吉死後は彼女は京極家に退去するが度々大坂に贈り物をしていたり秀頼に会いに来ていたり
豊臣家への愛着が感じられ、頻繁に手紙や往来をしていたことからも彼女が国松の養育をしていたと考えられるのである。

1615年、国松が大坂の陣の後殺害された後国松の遺体を引き取り淀の侍女菊を引き取った。
そして自らの生前墓を建てるなど最後まで豊臣家のことを想っていた一生だった。

余談
ちなみに記録上元夫武田元明の墓参りや京極家への
以前お世話になった人間もいるであろう旧武田家臣団の受け入れなどがされていないように
女は金で買えるというのを体現した女性である。
26人間七七四年:2011/06/11(土) 14:59:14.10 ID:NI8pXwbQ
もういいよ
27人間七七四年:2011/06/11(土) 15:00:27.34 ID:JGJ7Fe4l
一日一回は投稿していくのでよろしく
28人間七七四年:2011/06/11(土) 15:25:24.61 ID:l9zhlXRI
やれやれ厨房か
いい話をNGワードにした
29人間七七四年:2011/06/11(土) 15:27:42.07 ID:JGJ7Fe4l
いいはなしをつけなきゃいいだけだ
残念だったね
30人間七七四年:2011/06/11(土) 15:38:34.89 ID:fCvcMMjL
ああ、織田信孝の人っすか、馬鹿晒しお疲れ様です
31人間七七四年:2011/06/11(土) 15:40:33.10 ID:JGJ7Fe4l
と何年の前の話を粘着するのが生き甲斐の人間にむかついたからこれからも執筆活動がんばるぞ
32人間七七四年:2011/06/11(土) 15:40:49.00 ID:aQs2TSgX
まだ居たんだこいつ。
33人間七七四年:2011/06/11(土) 15:46:01.89 ID:rYNbFvYh
変なのが住み着いたのか
で、こいつの書き込みをまとめに入れちゃうの?
34人間七七四年:2011/06/11(土) 15:47:53.06 ID:JGJ7Fe4l
そもそも1個人が無考証で筆者の許可すら取らず勝手に転載してるまとめサイトを崇めたててるここの住人の気持ち悪さが
凄く気に入ったからこれからも執筆をドンドンしていこうと思います
35人間七七四年:2011/06/11(土) 15:57:27.08 ID:Ai8udemA
まとめ見てから最近スレに住み始めたんでよく知らんがこの日本語が不自由な子って
何年も前からいたんだ?いま中学生くらいだろうからそのころ小学生だったならまあ
文才ある方だと思うしがんばれよ。
36人間七七四年:2011/06/11(土) 15:59:26.96 ID:xfJf0V6o
余談
ちなみに記録上元夫武田元明の墓参りや京極家への
以前お世話になった人間もいるであろう旧武田家臣団の受け入れなどがされていないように
女は金で買えるというのを体現した女性である。


意味がわからん
37人間七七四年:2011/06/11(土) 16:00:53.74 ID:JGJ7Fe4l
まとめサイトを見てスレに住み始めた逸話でもなんでもない後世の創作を信じている頭いかれた戦国時代を何も理解してないやつが
(もしくはこの程度の日本語を不自由だと感じるくらいだから日本語も理解していない可能性がある)かわいそうなので逸話を書いて
慰めてあげようと思います
38人間七七四年:2011/06/11(土) 16:06:39.10 ID:W295usra
にちゃんやんのに肩にちからいれすぎだろ、まーいろいろいるから世の中面白いんだけどさ
39人間七七四年:2011/06/11(土) 16:11:01.63 ID:XxL4g5MV
あーあ皆にすごーいって言われたかったのにありきたりの話で馬鹿にされて
小さいプライド傷ついて嫌がらせ・・・まあ典型的なアレだな
40人間七七四年:2011/06/11(土) 16:12:25.52 ID:JGJ7Fe4l
>>36から要請が出たのでレベルの関係から文をかなりおさえ気味だったので逸話の補足を

豊臣家で秀吉に側室として寵愛され側室ナンバー3の地位を得ていた京極竜子は、
猿顔の中年秀吉に男性的な魅力を感じていたとは考えづらく
秀吉の元での贅沢な生活や物品的利益に強い感謝をいだいていたからこそ
元夫がいた武田家と違い秀吉死後も豊臣家への強い繋がりを持ち続けたのだろうと考えられる。

ちなみに元夫の旧武田家関連に竜子がした行為の史料や逸話が出てこないように
彼女自体は全く義理を大切にするタイプではなくただ「贅沢な生活させてくれた豊臣家が気に入っていた」からだと判断できるのです。

まさに女は金についてくる!ということなのです
41人間七七四年:2011/06/11(土) 16:15:32.31 ID:8AXro2Yr
ファンになるのでコテハンつけてください
42人間七七四年:2011/06/11(土) 16:16:45.05 ID:JGJ7Fe4l
なんか多重id使いがいるね。文体全部同じだしバレバレだからがんばらなくていいよ
43人間七七四年:2011/06/11(土) 16:23:57.08 ID:XxL4g5MV
あちゃー・・・こりゃ本物だ悪い事言わん手遅れになる前に病院行け
リアルの周りが迷惑する
44人間七七四年:2011/06/11(土) 16:34:07.80 ID:py43glzw
ID:JGJ7Fe4lには「恥垢臭」というコテハンを授ける。以後、これを名乗ること。
45人間七七四年:2011/06/11(土) 16:41:55.14 ID:ZbsVbo7N
いい加減これ以上触んなよ。かぶれるぞ
46人間七七四年:2011/06/11(土) 16:45:22.15 ID:JGJ7Fe4l
多重idを指摘したら短文単発罵倒レスが消えてなくなったすごく不思議
今度似たような逸話探して書いておくか
47人間七七四年:2011/06/11(土) 16:48:24.79 ID:W295usra
まー次頑張れな、読み手を逆恨みしても詮無い
48人間七七四年:2011/06/11(土) 16:49:58.96 ID:l9zhlXRI
急に勢いが増したと思ったらあぼ〜んだらけ
久しぶりに専ブラの便利さを感じたな
49人間七七四年:2011/06/11(土) 16:52:58.76 ID:aQs2TSgX
前にこのアホが出てきたの覚えてない人多いんだね
50人間七七四年:2011/06/11(土) 16:54:24.43 ID:NI8pXwbQ
単発w一人に見えるのかw
51人間七七四年:2011/06/11(土) 19:12:10.54 ID:ZdSyEAED
文禄3年(1594年)、豊臣秀吉が大々的に行なった吉野の花見でのこと。

この時秀吉は徳川家康、前田利家などの大名、公家など総勢5千名を引き連れた。
彼らは吉野山に数寄を凝らした茶屋を建て、様々な扮装をするなどしてこれに参加した。

さて、ここには伊達政宗も参加していたのだが、
政宗とその一行はそろって檜笠・鈴懸の衣・金剛杖で大峯山の山伏、という扮装。そういえば
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5342.html
この逸話でも政宗は山伏の格好をしていたし、お気に入りのコスプレだったのだろうか?

この山伏コスプレ集団が通りかかると、とある一軒の茶屋には右大臣菊亭晴季、大納言徳川家康、
中将前田利家の3人が座っている。その向かいの茶屋にもまた歴々の武家・公家の面々が腰をかけて
休んでいる。

「はてさてどこに入ろうか」

そんな風情で山伏集団、そこを通りすぎようとするとその時、あたりに轟く大声で

「お客の僧よ、立ち寄ってください!私はこの茶屋で召し使われている下人です。お茶でもその他でも、
お代次第で何でもお望みのものを出しますよ!」

そう『天下三大声』と言われた声を響かせ唐人うちわで政宗たちを招いたのは誰あろう、太閤秀吉である。

これに政宗、いかにも芝居じみた形で

「そうか!我々は大峯からここまで駆け出てきたため足も疲れ、漸く休もうというところだ。
茶などよりも良き燗で、酒をひとつ飲みたいものだ!」

そして供をしている五郎という家臣に「法螺貝を吹け!」と命ずると、この五郎も何の躊躇もなく
持っていた法螺貝を2つ3つ吹き、

「斎料を下さい」

と言い出す。

この政宗一行の山伏コントに、秀吉始め一同腹を抱えて大笑い。
しかし向かいの茶屋に座って居た前田利家、こんな雰囲気は良くないと思ったのか、あるいは
政宗の笑いを理解できなかったか、居住まいを正し

「さてさて、今日のお花見はひとしおのどかで、草木心無しと申しますが、花にも心があるように見えますな。」
と申し上げる。

この利家の空気を読まない真面目くさった発言が却って更に面白く、皆爆笑し、笑いが止まらなくなったという。
そしてしばらくしてから秀吉、政宗に

「さてさて、今日の花見で扮装が見事だったのはわしとお主だけじゃ!茶の物数寄天下一はこれで決まったな!」
と笑って言ったという。
伊達政宗、大面目である。
しかしせっかくの山伏コントは、前田利家が変なところで爆笑をかっさらって行ってしまい少々残念。
そんな伊達政宗の吉見の花見のお話
(木村宇右衛門覚書)

※原文では『醍醐の花見』の出来事となっていますが、状況などから明らかに吉野の花見のことであると考えられるので
そのように改めました。
52人間七七四年:2011/06/11(土) 19:17:40.18 ID:pQ5kLkgc
>>40
それは悪い話に類する話なので、
「数奇な運命から豊臣秀吉の側室となった竜子だが、
生涯豊臣家に対し誠意をもって接した」という話とはわけて
悪い話スレに投下すればよかったと思うよ

あと>>40みたいに、最初から説明できればよかったね、
忍法帖めんどくさいけど小分けにして頑張ってね
投下者の主観が強すぎる悪い話は叩かれたりするかもしれないけど
それは個々人の意見の違いだと思って、
すぐにキレて自演とか言い出さないように気をつけてね

前よりずっと読む人にわかりやすいように説明できるようになってると思うよ
頑張ってね
53人間七七四年:2011/06/11(土) 19:47:37.13 ID:FUQoIxhh
>>51
権力者になってからの秀吉はあまり好きじゃないが
こうした無礼講の仮装大会をしばしば催した逸話は
なりあがり者の稚気が偲ばれて好きだな
54人間七七四年:2011/06/11(土) 20:39:58.25 ID:sXeuW1Ar
>>51
片眼の修験者、満海上人の生まれ変わりと主張するために
好んで山伏の格好をしたとか、そういう意味ではないのかな
55人間七七四年:2011/06/11(土) 21:18:49.95 ID:ehRzqRKO
>>51
実は利家気付いてなかったりw
56人間七七四年:2011/06/11(土) 21:40:15.30 ID:V6uXdMlY
一番ヤバい性格な奴って誰だろう
57人間七七四年:2011/06/11(土) 22:24:51.73 ID:90YCyxt+
越前の狂犬
58人間七七四年:2011/06/11(土) 22:51:16.16 ID:ZcAGaUAm
若い頃のかっちゃん
59人間七七四年:2011/06/11(土) 22:57:18.84 ID:9EWMlgVC
常時ヒャッハーな人間より、普段はまともなのに地雷踏むと一気に火が付く人間の方がヤバい
というわけで三斎様
60人間七七四年:2011/06/11(土) 23:44:33.13 ID:ZbsVbo7N
幽斎のような穏やかでハイセンスな風流人から、
36人斬ったから銘も三十歌仙な!なんてキレた感性の人間がなぜ生まれたのか・・・
61人間七七四年:2011/06/11(土) 23:56:39.55 ID:7d3GuWWT
暗殺マニアの息子が真っ白
62人間七七四年:2011/06/12(日) 00:08:49.18 ID:+dAo55Yr
52に応援されたから本とか史料とか読みなおして
いい話スレに悪い話を
悪い話スレにいい話を

書いていこうと思います
63人間七七四年:2011/06/12(日) 00:24:04.53 ID:axYSqfbc
お前の書いたの載ったぞ
よかったな
64人間七七四年:2011/06/12(日) 00:36:15.40 ID:BJcJOHg7
>>61
しかし甥っ子はキ○ガイ
65人間七七四年:2011/06/12(日) 01:43:04.86 ID:zsqSr56n
どうせ過疎板の過疎スレだから
好きにやって少しは過疎スレを盛り上げてくれ
66人間七七四年:2011/06/12(日) 01:47:48.80 ID:VW0GIZAK
いい話、悪い話の両スレを過疎スレって言ったらこの板の大部分過疎どころじゃなくて廃墟だぞw
つーか一日にボチボチレスがあるスレを過疎ってどうよ
67人間七七四年:2011/06/12(日) 02:11:11.34 ID:+dAo55Yr
1600年にあの織田信長の嫡流である織田秀信は石田三成と
徳川家康の争いである関ヶ原の戦いにおいて家中には東軍派も多かったが
三成率いる西軍に直々に秀信が三成と面談し祖父の旧領である美濃尾張を約束され三成に同心することとした。

東軍が小牧評定の後に福島や池田を先鋒として美濃に攻めかかり
美濃は西軍派が多かったにも関わらずあっという間に防衛戦を突破されてしまう。
秀信は岐阜城に東軍の大軍が迫ってくると3500人で木曽川を用い1万7000人を迎え撃ち川の手で鉄砲を打ちかけたり
百々綱家が伏兵を用いたりで奮戦するものの大軍に勝てるわけもなく敗北、秀信軍は撤退して岐阜城に籠城した。

岐阜城はけして堅固ではない城であるが、東軍と西軍は相当な激戦となったようで秀信の家臣である飯沼長資が一騎打ちで
東軍の一柳家の勇士大塚権太夫を討ち取ったり正面から攻めてきた福島隊相手に上格子門で
またその他の東軍にも砦や施設でも奮戦を見せたようである。
しかし岐阜城は大軍相手にはとても支えきれず一日で本丸に追い詰められで38人が籠城してるだけとなった。

秀信はここにいたり家臣の軍功を褒めた感状を書き記し最期まで付き従っていた家臣全員に与えたのである。
感状は再仕官の際の証明書のようなもので、その内容により仕官の可否や禄が決まるということで禄を失った家臣への
秀信の最後まで従った家臣への優しい配慮であった。またそれを書き終えたあと自害しようと秀信はしたのであった。

東軍の池田輝政の降伏勧告もあり秀信は岐阜城を開城開城、助命されることとなった。

どうでもいい余談
せっかく感状を書いてもらったであろう秀信家臣の38人は落城時に切腹、現在でも血痕が残っている。
秀信家臣の多くは福島家に仕えるものの福島家は旗本となってしまったり元秀信家臣の中にはキリシタンで処刑されたのがいたり、
歌人になった人間がいたり秀信自身は高野山を追い出され仕官すら出来なかったようで感状はあまり役に立たなかったようである。
68人間七七四年:2011/06/12(日) 02:35:08.89 ID:DB6hDY3y
>>67
この感状の逸話のおかげで秀信の評価上がってるよね
やっぱり人間こういう時の対応が大事なんだなあ
69人間七七四年:2011/06/12(日) 03:17:56.83 ID:lv47T30d
そっせん東軍に参加」したほうが・・・・。
寝返りの機会なんざいくらでもあっとぁ訳だし・・。
70人間七七四年:2011/06/12(日) 03:54:29.58 ID:SQTIMzee
たった38人に降服勧告って、、、
71人間七七四年:2011/06/12(日) 04:12:22.67 ID:3ylVv9Q6
3500人の兵力があるなら、最初から篭城しておけば
決して堅固でない城でもそう簡単に落ちなかったと思うんだが
なんか討って出なきゃあいかんという事情でもあったのかな
72人間七七四年:2011/06/12(日) 04:15:22.27 ID:G8BFWHS/
たしか、お爺ちゃんの信長のマネをしたからだって聞いた事があるな
73人間七七四年:2011/06/12(日) 04:18:54.17 ID:+dAo55Yr
伊賀忍は戦国時代で有名ないわゆる特殊部隊である。
彼らは独立心旺盛な国人でもあり三好長慶、後に織田信長に敵対し続けた。
1568年の織田信長上洛後には甲賀と共闘し信長と戦い続けている。

伊賀は、伊勢、近江、山城等に近い要所であり特に信長の治世後半は信長の領国のど真ん中に位置する
土地であるにもかかわらず長い間、独立を保ち続けた。
反信長の朝倉、浅井、別所、一色、六角らが滅亡していく中、伊賀の国人は独立を保っていたのである。
織田信雄が大軍を持って攻めてきた時も撃退し、伊賀忍の実力を見せつけている。

しかし織田信長の宿敵であった武田信玄、上杉謙信が滅亡した後、邪魔者はいなくなったと
信長軍は4万の大軍で伊賀の里を攻撃し田畑や建物を燃やし尽くし老若男女にいたるまで殺害し尽くした。
比叡山焼き討ちや長島一揆皆殺しと同等の凄惨な殺戮と風景が展開されたのである。
所謂天正伊賀の乱である。
伊賀国人達は1万しか集められず丹羽長秀に謀略を看破されるなど数の違いもあり次々と征服されていき砦は落とされていった。

伊賀一揆が追い詰められついに最後の砦になったとき、なんと織田信長が伊賀と和議を結んだのである。
最後の砦で敵を根絶やしにせず和議を結ぶという信長の慈悲が見られる素晴らしい話である。
74人間七七四年:2011/06/12(日) 07:10:10.63 ID:axYSqfbc
>>71
山中城は4000人篭めて半日で陥落
75 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/06/12(日) 10:08:05.80 ID:kRUWN423
うむ
76人間七七四年:2011/06/12(日) 10:33:58.88 ID:8//jTcgX
>>75
そなたもしや伊賀忍か
77人間七七四年:2011/06/12(日) 11:52:11.30 ID:q5lLECum
岐阜城って堅城と言われる割には何度も落城している気がする。
戦術や兵器の発達についてこれなかったのか?
78人間七七四年:2011/06/12(日) 11:57:47.37 ID:19LERXsA
仏の茂助「弱点の裏道を案内します。ささ、こちらへどうぞ」
79人間七七四年:2011/06/12(日) 14:45:48.36 ID:Eli4ItIo
以前、1567年生まれの武将について話がありました。
伊達・真田・立花・成瀬etc...と、とても濃い面子が揃っていたので
「他にもないかなぁ、そういう年?」と思って色々と調べていたら……。


見つけた!


1558年生まれの武将
森長可 菅谷範政 蜂須賀家政 大友義統 織田信雄
織田信孝 別所長治 桂忠詮


うむ、(このスレ的に)濃い面子。
80人間七七四年:2011/06/12(日) 14:56:39.91 ID:e36bx8l+
>>77
竹中が二十人以下で制圧したくらいだしね
81人間七七四年:2011/06/12(日) 14:57:27.39 ID:8//jTcgX
>>79
オールスター世代か
82人間七七四年:2011/06/12(日) 15:19:53.59 ID:t2Qc1imh
>>80
逸話と史実は区別しようぜ
83人間七七四年:2011/06/12(日) 15:47:51.63 ID:G8BFWHS/
ある時、山本勘助の屋敷で囲炉裏に据えた五徳(鉄瓶等を乗せる金具)がひとりでに動き出すという怪現象が起きた。
その様子を熟視した勘助は、鉄製の五徳を銅製の物に取り替えて動かない事を確かめた上で、国中の山伏を招集。

「この現象を止められる者はいないか。」

と尋ね、名乗り出た山伏が祈祷を行って五徳の動きを止めると、犯人として縛り上げた。
問い詰められた山伏は

「武田信玄公に取り立ててもらうには勘助殿と知り合うのが得策と考え、料理人を抱きこんで天井に強力な磁石を仕掛けさせました。」

と白状した。その後この山伏がどうなったかは不明である。
名探偵、山本勘助怪奇現象を見事解決したお話。
84人間七七四年:2011/06/12(日) 16:04:00.15 ID:9HKX78Bg
この時代に磁石なんてあったんだな
85人間七七四年:2011/06/12(日) 16:25:38.43 ID:Zocw9gU7
古代ギリシャの頃から磁石の存在は確認されてたらしいし、
アジアでも中国は宋の時代に、沈括という学者が磁石化した針を
水に浮かべて指南針として活用する方法を記述している。
戦国時代ならもう伝わってたんじゃないかなあ。

学研の漫画で忍者が水溜りに針を浮かべて方角を確認するって
一コマがあったような。
86人間七七四年:2011/06/12(日) 16:37:10.61 ID:e36bx8l+
祈祷の力があると偽って自分を売り込もうとしたわけか
その山伏はどうなったか知らないけど間諜として採用されたのか
あるいは敵国のスパイなのか審議され加藤段蔵のように始末されたのか
87人間七七四年:2011/06/12(日) 17:00:04.47 ID:hEbo1ic+
大久保彦左衛門”誠の三河武士とは”良い話。

戦国の完璧超人”立花左近将監”こと宗茂を彦左衛門が嫌っていることは
世間周知の話であった。
酒の席でも度が過ぎると憤怒に駆られて
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4314.html
と愚痴ることがあった。
さて、豊臣と徳川が手切れして、大阪冬の陣が始まる直前、彦左衛門の元に
大久保家と同じ三河安祥以来の譜代の旗本である、某家の孫が訪ねてきた。
孫と言っても齢三十に近い青年武士である。
彦左衛門は、大いに喜び武士を書院に通すと戦死した某家の祖父や父の武功を
語りだした。武士は、終わるのを待って、おもむろに懐から一通の封書を取り
出すと彦左衛門に差し出した。
「これは?」
「連判状にござる」
彦左衛門が封書を開けてみると十数名の旗本の血判が押された連判状が出てきた。
封書の内容に目を通すと以下のことが書かれていた。
「立花左近将監は、関ヶ原の折りに徳川家に謀反したにも関わらず、言葉巧みに
大御所様、将軍様に取り入り、寵愛を欲しいままにしてきた姦人である。あまつさえ
このたびの大阪との手切れに際して、密かに豊臣と通じ大御所様、将軍様を害せんと
の噂さえある。しかるに、このたび大御所様の御差配にて、将軍様の采配を預かると
のことである。我らは左近将監の真意を糺すべく詰問する所存、ご同意願いたい」
連判状を読み終わるや彦左衛門は、武士を大喝した。
「左近将監の首は何処にあるや!」
「く、首でござるか」
「左様、首じゃ。かかる姦物、詰問など手ぬるかろう。三河武士なら既に首にして
首桶持参で当家に来るものぞ。さ、首桶を見せよ」
「ご無体な。我ら、大久保様の血判を添えて左近将監を詰問する・・・・・・」
「この痴れ者がぁぁ!左近将監に不審があれば、その場を去らずに切り捨てるのが
誠の三河武士じゃ、上方侍のように詰問などと・・・・・・恥を知れ恥を!」
彦左衛門は、連判状を武士の目の前で破り捨てると続けた。
「そもそも、大御所様、将軍様の眼鏡にかなえばこそ、敵対した左近将監が大名に
再び取り立てられたのだ。天下を差配される御両所の人を見る器量に瑕瑾があるが
ごとき物言いは無礼千万!左近将監を詰問するは、大御所様、将軍様に謀反するも
同然。連判状など言語道断!疾く疾く立ち返って左近将監の首を持参せよ」
と武士を屋敷から追い出すと家来に愚痴った。
「三河武士の弓矢も衰えたものよ。左近将監がごときものが采配を預かるのも時の流れ
というものか」
 大久保彦左衛門、情けない三河武士を説諭する良い話
88人間七七四年:2011/06/12(日) 17:04:11.20 ID:yfwXSmmG
これを見ると三河出身でも若いころ苦労しないと三河武士になれないのか
89人間七七四年:2011/06/12(日) 17:32:18.05 ID:cVBfUEk8
葉隠そのものな発想
90人間七七四年:2011/06/12(日) 17:34:02.39 ID:lGRTwqw7
>>87
のちの妖怪首持ってこいである。

つーか完璧超人の首取ろうと思ったらどっかの謀将みたいに
武器をことごとく使用不能にしてかつ数百人動員しないと無理だろ。
91人間七七四年:2011/06/12(日) 17:51:20.24 ID:zO2N7317
ホント彦左はアレだな、めんどくさいじゃなくてただのうざったい奴だな
92人間七七四年:2011/06/12(日) 18:14:46.54 ID:8parbAvw
彦左「おいテメーさっきからうるせえぞ『ブッ殺す』『ブッ殺す』ッてよォ〜〜」
「どういうつもりだてめー、そういう言葉はオレたち三河武士には無いんだぜ」
「そんな弱虫の使う言葉はよ……『ブッ殺す』…そんな言葉を使う必要がねーんだ」
「なぜなら、オレやオレたち三河武士は、その言葉を頭に思い浮かべた時に!」
「実際に相手を殺っちまって、もうすでに終わってるからだッ!」
「だから使った事がねェーッ」
「孫よ、オマエもそうなるよなァ〜〜〜、三河武士なら…」
「わかるか?オレの言ってる事…え?『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!」
93人間七七四年:2011/06/12(日) 18:33:29.90 ID:cVBfUEk8
鬼彦左に国会中継みせたら・・・恐ろしすぎる
94人間七七四年:2011/06/12(日) 18:35:02.45 ID:B4WEzNzF
あの立花左近将監の処遇は認められぬ!納得いかぬ!
だが立花を認めた大御所様を疑うような事は許さん!
しかし大御所様が認めた立花が二心があるようなら斬れ!斬っちまえ!
斬る決断力も無いなら黙ってろ!若僧情けないわ!

…って事?
もうわけわかんね。
95人間七七四年:2011/06/12(日) 18:44:17.00 ID:cVBfUEk8
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」
の大和魂が三河武士の上に発現すると彦左みたいになるんじゃね?

鈴木大拙的に言えば
96人間七七四年:2011/06/12(日) 20:55:53.03 ID:72VfEWOQ
単なる、人事に対する愚痴と、弾劾裁判では話しが違う。
ましてや離反となるなら、一刻の猶予が命取りになるかもしれない。
ことの正否、もしくは成否は関係なく、全くの私心なければ武士たるもの命をかけろ。
結局は自分は安全なところにいて、他人の足を引っ張りたいだけなんだろ?
情けない奴だ。

って逸話だろ?


教育って時代に影響を受けて、常に生き死にを意識していた人間と、
そこまで意識はしない世代だと、若干の差が生まれてくる。

ゆとり教育とかいうけど、どの時代でも世代間のギャップはあって、
上の世代は下の世代を歯がゆく感じる。

こういった逸話を読むたびに、ゆとり教育がなくても、
にたような感じに育ったんだろうなって思う。
97人間七七四年:2011/06/12(日) 21:47:11.13 ID:preDo5sm
前半はともかく、後半は偏見もいいとこだ
一介の青年武士が十数人集まった位で大名の足引っ張れるわけないだろ
つか徳川家中ですらない相手の足引っ張ったって仕方ない
98人間七七四年:2011/06/12(日) 21:53:03.48 ID:PdqTeQ/J
ひとつ言うと立花宗茂は大名復帰する前には将軍直臣、即ち徳川家の旗本になっている。
99人間七七四年:2011/06/12(日) 22:16:19.35 ID:tUAqVqB3
>87
この話、連判状を破り捨てる=証拠隠滅してあるのが彦左の心遣いに見えるお。
戦の前にこんな紙がどこかの手に渡ればメンドクサイじゃ済まないもんねぇ。
100人間七七四年:2011/06/12(日) 22:29:35.87 ID:4luwmglz
いつもであればさくざがしかるところですがこの流れならば言える!
ひこざがしかる
101人間七七四年:2011/06/12(日) 22:59:18.75 ID:deuJxTZi
木下延由伝説ないんだな
102人間七七四年:2011/06/12(日) 23:03:16.13 ID:BRULKumd
しかし今までも主観的感想な逸話はあったのに、なぜ竜子の話はあんなに叩かれたのか…
常連の癪に障るポイントだったんだな、かわいそうに…変な荒れ方すんなよ
103人間七七四年:2011/06/12(日) 23:12:28.53 ID:7sD7+wUm
>>102
このスレ>>62を読めばわかると思うが、前スレでも「いい話」といっておきながら
わざと「悪い話」を投稿。その上>>25>>34
まあ、かわいそうかどうかは自分で判断してくれ
104人間七七四年:2011/06/12(日) 23:59:43.32 ID:hge0EgEu
逸話にさえなってない
ただWikiとかの情報を羅列してるだけ

管理人さん、まとめから削除してやって
105人間七七四年:2011/06/13(月) 00:58:42.52 ID:GHNfg992
単なる未熟な人なのか。俺は嵐だと思っていた
106人間七七四年:2011/06/13(月) 01:37:33.43 ID:vXk3doXE
おまえら逸話とかどこで調べてきてるんだ?図書館いって本探したが
既出な逸話ばっかだったぞw
107人間七七四年:2011/06/13(月) 01:42:25.40 ID:PZcHnFrf
>>105
いや、嵐でしょどうみても…
不定期だが、以前にもほぼ同じ文体のバカが湧いてたんだから。
Wikipedia程度の文章羅列しただけの纏め方とか、最初から貶めるだけを目的にして、隠す気も無いようなとって付けただけの全然余談でもない「余談」とか。
108人間七七四年:2011/06/13(月) 01:46:00.96 ID:zmsWybXy
>>106
近代デジタルライブラリーで、「国史叢書」か「日本歴史文庫」で検索すると
幸せになれるかも知れない
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
109人間七七四年:2011/06/13(月) 01:51:38.27 ID:HpL5/4NZ
嵐でしょ?
自分で宣言もしてるし。
110人間七七四年:2011/06/13(月) 01:55:46.51 ID:ZCUxnsrt
未熟で嵐が正解
111人間七七四年:2011/06/13(月) 02:36:39.11 ID:U6jKcBn3
豊臣秀吉は城攻めの達人である、そんな秀吉のいぶし銀の城攻めの話。

1590年、日本の過半を苦戦しつつも支配下に収めた豊臣秀吉は、
氏政が既に上洛準備をしていたが有名な惣無事令違反である名湖桃山城事件が起きたため
邪魔だったこともあるのだろう、小田原北条家を大軍で持って攻め滅ぼし日本を統一しようとしたのである。
秀吉のもとには奥州からも日本全国の大名が馳せ参じ、20万もの大軍となった。

豊臣軍は大きな損害を出しながらも重臣などを死なせつつ秀次軍は山中城を一日で落城させ、
加賀の前田利家や越後の上杉景勝が率いる北陸軍は本多忠勝が持ち寄った
大砲を用い北条氏邦が篭る武蔵鉢金城がパニックになったところを攻め落とし北陸軍は小田原城に迫ったのである。

さて秀吉はその小田原城に迫った前田利家や上杉景勝率いる北陸軍に命じ城主である北条(大石)氏照が小田原に兵を持ち寄ってるため
ろくに兵がいない八王子城を攻めさせ女子供まで皆殺しにさせたのである。絶望した女たちは自分から崖に身を落とし自害することとなり
悲惨な断末魔が聞こえたという。その小田原城に情報を流すことで
歴戦の秀吉ならではの士気を落とし城攻めを有利にする作戦に出た。ちなみにこのせいで現在でも供養が行われている。
そして城の前で華麗な大宴会を行い続け味方軍の士気を上げ城方の士気を落とす見事な作戦を行い、
ただでさえ苦しい豊臣軍の補給が更に苦しくなりながらも一定の効果があっただろう。
何より80日間じっくり立てた城を小田原城から見えるように木を落とし一夜で秀吉軍が城を立てたと見せかけ
上方の力と関東の力の違いを見せつけようとしたのである。戦略的には全く無意味な城だったが、一定の効果はやはりあった。

そういったことをしてるうち、北条の上総や下総の城が落とされ女房衆や武将が捕らえられる事態となる。
その女房衆や武将を秀吉は船に乗せて晒し者にし、北条の士気を落とす作戦に出た。
こうやってジワジワとジャブのようにダメージを蓄積させ士気を落とすやり方や、一気に攻勢に出て城を攻め落とすやり方はやはり城攻め名人だけあって見事である。
112人間七七四年:2011/06/13(月) 02:50:11.62 ID:U6jKcBn3
そしてあの手この手の攻撃で士気が十分落ちたと判断した秀吉は小田原城への一斉攻撃に出た。
そろそろ頃合いと見てラッシュをかけたのであろう。

その頃小田原北条家は次々と城が落ち続け味方と期待していた徳川家康や伊達政宗が豊臣方に付くこととなり、
秀吉軍には余裕があり自軍は残虐な目に会い続け総攻撃もあり城の損害は馬鹿にならず
勝ち目が全くなくなってしまったと判断したのであろう。(誤りだったが)
降伏か籠城を続けるかの絶え間ない水掛け論が続けられ小田原評定の故事を残すこととなってしまったのである。

絶望的な情勢となった北条家は氏規が交渉を行い続け、上総、下総の領土安堵及び武将、城兵の安堵を交渉にして確約しそれを
信じた氏直は家康の陣に出頭し降服したため小田原城を開城することとなった。
その氏直は流石にこのままでは済まないと感じたのか「自らが自害するから城兵及び一族の命の保証」を主張するものの秀吉は聞き入れず
秀吉は氏照、氏政を切腹、主家のために交渉してた松田憲政を内通の罪にして切腹させ小田原北条家の領土を全部奪い氏直は高野山に
追放されたのである。しかも小田原攻めがうまくいかず秀吉は脅威に思ったか怒ったか知らないが
北条氏直が半年後不審死、また翌年には名護屋城で北条一族が2名死んでいることからも北条氏は粛清されたと考えられる。
豊臣軍の小田原城総攻撃は失敗しており補給難もあったためあのまま城攻めを続けていれば失敗したと思われる。
宴会も一夜城も大して役に立たず、見事な騙し討ちを決め小田原城を落としたのであった。そんな秀吉の見事な城攻めのいい話。
113人間七七四年:2011/06/13(月) 03:18:21.29 ID:XDKX34qG
×名湖桃   ○名胡桃
×鉢金城   ○鉢形城
×松田憲政 ○松田憲秀
114人間七七四年:2011/06/13(月) 03:21:30.12 ID:U6jKcBn3
まとめには秀吉ファンが多いので秀吉の人を魅了する逸話をどんどん書いてあげるか
115人間七七四年:2011/06/13(月) 05:36:28.35 ID:W8ztJXQj
まあ専ブラ導入すれば良いだけだから、みなさんスルーしましょう。
116人間七七四年:2011/06/13(月) 05:46:29.38 ID:fVxVkkug
>>106
県史とか市史はローカルな話が載ってて面白い
117人間七七四年:2011/06/13(月) 06:48:18.33 ID:NPX4vMe/
江戸時代の逸話もカウントして良いなら、いい話の幅がかなり広がる。
118人間七七四年:2011/06/13(月) 07:44:27.70 ID:VoGFiJA9
>>114
もっと文を練ったほうがええよ、あんさんプライドたかいわりに国語力がひくい
119人間七七四年:2011/06/13(月) 07:47:04.16 ID:U6jKcBn3
所々の誤字を見ればわかるとおりどう考えても適当とか口語的に書いてるのにそれしかいちゃもん付けることが出来ない秀吉厨
120人間七七四年:2011/06/13(月) 07:50:26.68 ID:U6jKcBn3
ずいぶん効いてるみたいだからどんどん史料から勉強して逸話を集めておきます
121人間七七四年:2011/06/13(月) 08:00:53.25 ID:VoGFiJA9
ああよーわからんが見えない敵とたたかってるひとなのか、それでさいきんのへんな流れがようやくつかめた
122人間七七四年:2011/06/13(月) 08:03:47.29 ID:IcctrTM2
黙って無視が一番だよ、構うとつけ上がる
123人間七七四年:2011/06/13(月) 09:00:00.76 ID:VUFOISIE
よせよ…俺はただのあまり話が上手くない人だと思ってるよ
それを特定しやすい文体だからって荒らし扱いするから相手もキレたんじゃないか
ああ気を取り直して普通に投稿することにしたんだなって思ってたのに
これでまた荒らしのふりを続けるようになるんだろうな…
124人間七七四年:2011/06/13(月) 09:32:18.79 ID:zmsWybXy
慶長16年(1611)、豊臣秀頼が上京し二条城にて徳川家康に対面した。その帰路のこと。
加藤清正は屋敷の前の川に船を浮かべて、そこで秀頼一行に食事のもてなしをした。

この時清正は屋敷の前の橋(肥後殿橋)から川下まで三町(約330メートル)ほど、
川の左右を竹にて虎落(もがり)を結び金屏風を隙間なく置いて、外から船中を見られないようにした。
その上で秀頼のお供の衆のうち下々にまで残れず馳走をした。

そのころ都に梅春という料理人があった。
清正はこの馳走のため彼を呼び寄せ料理を作らせたのだが、秀頼のお供下々までに出す
料理の献立の中に「蒲鉾」と書かれているのを人々見て、

「秀頼公のお供は大人数である。その人数に行き渡るほど魚の身をすりつぶすのも、また
板につけて炙ることも、短時間行でうのは難しいのではないか?」

と懸念した。

が、梅春は魚を取り寄せると大勢で一斉にさばき、骨を取ると大きな臼を2つ3つ並べ、
杵でこれを突けば即座にすり身となった。これを板に付け、一方庭の中を長く掘り、この中で
大量の炭火を炊いて左右に畳を並べ蒲鉾を段々に挿して炙った。
これにより蒲鉾は少しも滞り無く秀頼一行に出された

これを見た人々「扨も扨も良き才覚仕りたり」と感心し、その頃の大阪伏見での話題となったそうだ。
今ではなんてことのない話であろうが、慶長年中の頃まではこう言ったことも珍しかったのである。
(續撰清正記)
125人間七七四年:2011/06/13(月) 09:42:12.51 ID:ZDebk3jM
史料から集めるって・・wikiをアレンジしただけじゃんww
126人間七七四年:2011/06/13(月) 10:55:32.60 ID:4E3NtgM/
>>124
おお、戦国厨房事情か
忙しい時は機転を利かして切り抜けるのは昔も変わらないね
127人間七七四年:2011/06/13(月) 12:42:55.83 ID:IuE96tI7
>>126
スレの流れで厨房を別の意味で読んでしまったw
128人間七七四年:2011/06/13(月) 14:17:15.66 ID:NeD+cXI9
>>111
はやく、にほんごがうまくなればいいね!
129人間七七四年:2011/06/13(月) 14:46:38.84 ID:rOLVseu+
>>124
池波正太郎の小説にも出てたね梅春
とんでもない曲者だったが
130人間七七四年:2011/06/13(月) 17:54:05.91 ID:ykVYk7QU
>>106
武将じゃなくて僧侶とか文化人とかなら、
まだたくさんあると思う。
131人間七七四年:2011/06/13(月) 19:13:20.30 ID:d9cVlXY5
親父から聞いた話があるんだが、今生きてる子孫の方々にも関係する話だから許可とかめんどいんだよな
132人間七七四年:2011/06/13(月) 19:19:50.52 ID:X0P1icwF
>>130
戦国時代は鎌倉時代にくらべて仏家がパッとしないような・・・
オレが知らないだけで名僧いるのかもしれないが
133人間七七四年:2011/06/13(月) 19:47:12.25 ID:ZCUxnsrt
>>132
本願寺除いても
雪斎と快川とか恵瓊とか虎哉とか
武家の時代だけあってやっぱ禅宗が強いな

134人間七七四年:2011/06/13(月) 19:54:19.58 ID:qZS7vHjR
>>133
江戸時代初期までかぶると、安楽庵策伝とか鈴木正三とかもできるか。落語の祖と言う説でしかしらなかったが策伝って、金森長近の弟だったんだ。
135人間七七四年:2011/06/13(月) 19:59:41.75 ID:XoGIYf9D
>>130
では有名な文化人の話で。

応永の頃、一人の若い坊主が寺に預けられていた。
お寺での生活といえばお経を読んだり、雑用をこなしたりするものなのだろうが、彼はいつも絵ばかり描いて、勉強をしなかった。
これを見かねた和尚さん、彼を柱に縛り付け、懲らしめとした。

時間も経ってもうよかろうと思って様子を見に行くと、彼の足もとに一匹のねずみがいた。
和尚さん、これを追い払おうとするが、ねずみは動く様子を見せない。

よく見ると、ねずみは絵だったのだ。
両手を使えない少年は、涙を流し、足を使って絵をかいていたのだった。
しかも、その出来は一見生きているように見えるほど素晴らしいものであった。

これに感心した和尚さんはついに彼に絵を描くことを許す。


水墨画の泰斗、雪舟の若いころの話である。
136人間七七四年:2011/06/13(月) 20:17:17.46 ID:NeD+cXI9
>>132
一休はいちおう戦国時代にもかぶる。最晩年だけだけどさ。

>>135
雪舟も室町期のイメージが大だけど、戦国時代にかぶるんだよなぁ。
137135:2011/06/13(月) 20:22:30.77 ID:XoGIYf9D
>>136
おっしゃる通り迷ったんだけど、応仁の乱の頃くらいからはOKな流れのようだし、最晩年は1500年を過ぎてるから許容範囲かと思って書きました。
138人間七七四年:2011/06/13(月) 20:39:44.21 ID:qQDOzjsF
芝居の「金閣寺」では
将軍足利義輝を暗殺した国崩し(国を傾けるほどの大悪人)の松永大膳が
雪舟の孫娘、雪姫を口説こうと金閣寺に縛って監禁するが、
雪姫は桜の花びらでねずみを描いて、そのねずみに縄を食いちぎらせ、
小田春永の部下で、此下東吉と変名を使って松永にとりこんだ
真柴筑前守久吉と、その部下の佐藤正清に助けだされる、とかなんとか

松永大膳、小田春永、真柴久吉、佐藤正清が誰かはあえて書かない
139人間七七四年:2011/06/13(月) 20:47:04.99 ID:qZS7vHjR
>>138
おだしゅんえい・・・間違いなく、天庵様だな
140人間七七四年:2011/06/13(月) 20:50:12.17 ID:XoGIYf9D
>>138
縛って監禁とか、もはや口説く、ではなく脅迫の域だな。
141人間七七四年:2011/06/13(月) 21:03:24.62 ID:YIMK5opn
佐藤政清って虎殺しの人か
さすが芝居、年代とかガン無視やでぇ
142人間七七四年:2011/06/13(月) 21:11:57.10 ID:5Q58zHZb
最後の人がサッパリだったが言われてなるほどだわ
143人間七七四年:2011/06/14(火) 01:40:51.12 ID:GM+9QXME
ウィキひどいよな、今更だけど
大内義隆の記事とかネタ記事の笑顔動画の大百科と内容ほぼ一緒だし
両刀なのに男色オンリーになってるし、おさいの方への寵愛は無視かよとか
酷いのは隆房・隆景以外の、隆元やら冷泉やら相良まで男色対象になってるし
どうせそれもどっかからのコピペだろうけど
144143:2011/06/14(火) 01:41:51.56 ID:GM+9QXME
ごめん誤爆
145人間七七四年:2011/06/14(火) 09:51:25.43 ID:rcHi6w22
関白秀吉の家中での掟の話
1585年、豊臣秀吉が関白就任の前年に出された自筆の豊臣家掟書では
「秀吉やおねに侍女が口答えをしたり調子に乗った扱いをしたときは、
一日中縛り付けたり、鞭で叩く」と書いているのである。
つまり秀吉やおねに無礼な振る舞いしたものを厳罰に処することを示していることとなる。

元来は秀吉がおねに口答えをしたときはおねが秀吉を
一日中縛り付けると書いてあると思われていたようだが事実は違ったようだ。
女性に鞭と縄で責め苦を行うのはSMを連想させる行為であるが、秀吉はサディストだったに違いない。
146人間七七四年:2011/06/14(火) 10:00:53.75 ID:eRhlJ1XW
いい話…?
147人間七七四年:2011/06/14(火) 10:01:41.46 ID:RCPPzibu
>>146
触るな
148人間七七四年:2011/06/14(火) 10:09:44.39 ID:msAMosVA
超時空太閤だからサディストでも仕方がない
149人間七七四年:2011/06/14(火) 11:20:22.28 ID:Ec0i5/r4
>>145
大河ドラマのシエを見るとそんな感じじゃなかったぞwww
150人間七七四年:2011/06/14(火) 11:33:29.22 ID:Ota251rx
>>145
へうげもので秀吉がSMに興じる元ネタか。
151人間七七四年:2011/06/14(火) 11:34:14.26 ID:90BUd8A5
ttp://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/43/pub_shiryo-11-25.html
これか
よほど無礼な振る舞いが目に付いたか、関白就任を前にコンプレックスが爆発したか微妙なところ
152人間七七四年:2011/06/14(火) 17:20:14.01 ID:geQ44YMC
葉隠から

山本常朝
「横尾内蔵之丞は天下無双の槍の使い手で、
直茂公から大変気に入られていた。
直茂公はお孫の元茂様に、
『内蔵之丞が若い時の武勇をお前にも見せたかった。
誠に惚れ惚れとする武士であったぞ。』
と語り聞かせるくらいであったのだ。
内蔵之丞も直茂公のお心を有り難く感じ、
公が亡くなられたときは一番に腹を切りお供をしますと約束の誓紙を差し上げていた。
ところがある時、内蔵之丞が百姓と揉め事を起こし裁判沙汰になった。
この裁判によって内蔵之丞のほうに無理があることがわかり、
裁判は内蔵之丞の負けということになった。
これに内蔵之丞はひどく腹を立て、
『百姓に味方され見捨てられた拙者が、どうして殿の後を追いましょうか。
差し上げていた誓紙をお返しください。』
と申し上げたところ、直茂公は、
『一方が良ければ、一方が悪くなる。
武勇は良いが、世間知らずが良くない。惜しいことだ。』
と、つぶやき誓紙を返されたとのことである
153人間七七四年:2011/06/14(火) 22:08:17.64 ID:Css2O/Mp
毛利元就が出雲の尼子氏を攻めていたときの話である。
大軍での遠征だったため兵糧が足りなくなった。
「おおそうじゃ、あれを兵糧として取り寄せよ。」
毛利元就が兵糧として取り寄せたもの、それは干し柿であった。

広島原産の西条柿が島根や山口に広く伝播したのはこの時期であると言われている。
154人間七七四年:2011/06/15(水) 00:34:13.83 ID:X1WGFtyw
>>87
いい話なんだろうけど
結局「ごとき」と言っちゃうあんたの器量も知れたっていうかさ
155人間七七四年:2011/06/15(水) 01:08:05.59 ID:mc1NcsSh
津軽為信が大浦家の家督を相続した翌年、軍事演習を行って自分の元に集まる兵の数とその
働き振りを調べる事にした。演習に集まった約1000人の兵は演習場になった陸奥国野崎(青森県弘前市)
という小さな村になだれ込み、合図に従って民家に一斉に放火した。村人達は事前に命令を受けて避難していたが、
辺り一面焼け野原になってしまった。しかし翌日、為信は大工を派遣して以前よりも立派な家を建てさせ、さらに
家具や食料も与えたので村人はかえって為信に恩を感じるようになったという。

以上、津軽為信村を焼き払って人望を得たお話。為信19歳頃の話である。
156人間七七四年:2011/06/15(水) 01:12:24.85 ID:q7Tspmx5
おい!それぇ!! ノン!!
157人間七七四年:2011/06/15(水) 01:15:45.14 ID:oRr56f0E
>>154
さすがに誤読
158人間七七四年:2011/06/15(水) 06:53:18.89 ID:CKmxyuW+
軍事演習と村の再開発を組み合わせた
全く新しい公共事業である
159人間七七四年:2011/06/15(水) 07:33:59.12 ID:3IEcJc/Q
>>157
ん?なんで? >>154は彦左の人間の小ささを指摘してるんだろ?
そもそも彦左は戦場で大した手柄も立ててないしな。
小さな戦功をことさら大きく言ってるだけで。
160人間七七四年:2011/06/15(水) 08:19:44.86 ID:gghOnDHj
武士の心得を説いてる話しに対し、誰一人として器量が大きいだなんて思ってない彦左の
その狭量さを今更あげつらって、ナニをしたいんだって思う。
突っ込むところはソコかよ!?的な返しが欲しかったのか?
161人間七七四年:2011/06/15(水) 11:16:52.99 ID:hLFukjj8
器量の器にも色々な種類があると思う。
グッとこらえて波風立てない器もあれば、
武勇に関したこととなれば真っ先にとびこんでいく器もある。
>>152の直茂さんは両方求めてるけどなw
162人間七七四年:2011/06/15(水) 12:14:37.24 ID:lTHquxx4
彦左は大御所の決定にケチつけるな!それでも文句あんならさっさと行動しろ!
って言ってるだけで彦左の器は特に関係ないな
163人間七七四年:2011/06/15(水) 12:44:18.08 ID:cAM40i0w
まあ彦左衛門的には、徳川四天王と世評の
高い忠勝如き、兄ちゃんの忠世に比べりゃ
屁みたいなもんと思っていたからな。
忠勝に匹敵する程度の宗茂に将軍家の采配
を預けざるえない徳川の弱体化を象徴する
ような三河武士の情けない振る舞いに切れ
たって話しだろ。
164人間七七四年:2011/06/15(水) 13:23:49.10 ID:hLFukjj8
武士は、任侠でも武芸者でもないから器量や強さ弱さは関係ないらしいぞ。
無分別であればそれでいいらしい。
生きるか死ぬかは結果でしかないそうだ。

ソースは葉隠
165人間七七四年:2011/06/15(水) 14:07:24.33 ID:rztiUn68
>>163
んまぁ、その忠世は上田で真田昌幸にいいようにやられたけどな…
166人間七七四年:2011/06/15(水) 14:19:06.05 ID:hLFukjj8
その真田昌幸は処世術を表裏比興と蔑まれていたんだがな・・・


野球ファンやサッカーファン感覚で言い合ってたらキリがねぇw
167人間七七四年:2011/06/15(水) 16:58:56.89 ID:0tT2xfz6
別に蔑まされてはいないと思うがの
168人間七七四年:2011/06/15(水) 17:40:22.04 ID:wDtDmnXD
>>167
そう蔑まれてはいない。
ただの一欠片も信用されなかっただけ。
当初は秀吉から、vs家康のキーパーソンとして期待されたが、
清洲同盟、小牧長久手までの世間的信用と家康の徹底的な臣従ぶりが相まって、
秀吉の中で、宇喜多>前田=家康>毛利>>上杉>異次元の壁>昌幸となっただかのこと。


すごい名誉だと思うよ。あの太閤様に「一欠片も信用できない。えげつなくて、こす辛い野郎」って
言われたんだから。
169人間七七四年:2011/06/15(水) 17:52:49.67 ID:hKufVc6C
上杉景勝「一度裏切られたので二度目に臣従してきた時には用心のため次男を人質にとったのに、
その人質は気がついたら出奔して秀吉のところに行きやがりましたF○CK」
170人間七七四年:2011/06/15(水) 18:22:19.83 ID:SmFHjAjW
>>169
上杉家家臣一同「と・・・殿がしゃべった!おのおのがた!戦支度をしましょうぞ!」
171人間七七四年:2011/06/15(水) 21:21:53.83 ID:kmGs7sny
>>168
その後昌幸が九度山に秀吉の肖像画を持っていく位の仲になったんだからすごいよな。
172人間七七四年:2011/06/15(水) 22:22:28.43 ID:ilY6mScY
1587年、聚楽第建設での話。
関白秀吉は九州征伐の後、天下を仕置する政調として豪華絢爛な聚楽第の建設に取り掛かったのである。
聚楽第は第というが平城であり長生不老の樂(うたまい)を聚(あつ)むるものなりという秀吉の造語と考えられてるので、
それだけ秀吉の気宇壮大なが理念が篭っている建物でありまさに日本の本拠地として建てられた豪華な城だ。
各大名屋敷も当時、秀吉の片腕であったあの千利休の屋敷もこの聚楽第の中に建てられていた
白漆喰総塗籠造りの最初の天主でありこれは近世城郭の代表となる。
瓦は金箔が貼っており金殿の豪華さと利休に代表される茶屋敷の侘寂が表現されている、

典型的なコントラストで美を表現している安土桃山時代の建物である。

しかしその豪華な夢の城の建設には苦労があったのだ。

宣教師オルガンティーノの書簡(天正15年4月15日付け)
において聚楽第普請をはじめとする労役挑発の模様を記して
「それがためにすべての人々が貧乏になり、借金だらけで、
質に身を縛られております。兵士たちはすべて持物を売り
尽くし、飢餓に悩まされていますので、都やここの(大阪か)
街道では、公然とすこぶる奇怪な盗賊をはたらいています。
すべてのものが一人の例外もなくこの暴君(秀吉)はまもなく
滅びてしまうだろうと叫んでいます」とルイス・フロイス がその著書において紹介している。
(三戦板のスレより引用)

そうまでして建設された聚楽第は8年後、
秀次事件により徹底して破壊され秀吉事件の栄華と暗雲を悲劇的にコントラストのように構成することとなる。
そしてみなの叫びが叶い通りわずかあれだけ豪華な本拠を持っていた豊臣政権は13年後に、豊臣家は28年後に滅亡していくこととなった。
173人間七七四年:2011/06/15(水) 22:54:40.57 ID:oRr56f0E
へーすごいね
174人間七七四年:2011/06/15(水) 22:55:15.02 ID:gghOnDHj
>>162
> 彦左は大御所の決定にケチつけるな!それでも文句あんならさっさと行動しろ!

自分もケチつけて、自分も行動してないじゃん。
その解釈なら自分のことを棚に上げて、他人を叱る彦左の悪い話しだろ?
彦左は彼らの行動を非難してるんであって、文句をいうことじたいを重視してないと思う。
その程度のことなら他家はもちろん、三河武士でもしてる。
175人間七七四年:2011/06/15(水) 23:10:54.64 ID:C5v0tfRn
>(三戦板のスレより引用)
もうちょっと頑張れよ・・・
176人間七七四年:2011/06/15(水) 23:16:08.07 ID:oRr56f0E
すでに息切れしてきたみたいだけど
宣言どおり続けられるかな?
177人間七七四年:2011/06/15(水) 23:23:42.47 ID:bQ8NG3+Z
前も一週間も続かなかったから無理でしょ。
178人間七七四年:2011/06/15(水) 23:52:50.72 ID:lp2z3JYz
嘉永九年(1632)六月、福岡藩主黒田筑前守忠之の家老、栗山大膳が主人の不行跡を幕府へ訴えでた。
いわゆる黒田騒動に対し、幕府では黒田家の取り潰しを決行しようとした。
だが、その席で井伊直孝が反論を唱えた。

「大膳の訴状を読みましたが、特に領地を没収せねばならんような罪科はないですよ?
大船建造のことも忠之公本人でなく先代の長政公の時のことでしょう、今更咎めるのは無茶でしょう。」

更に直孝は指摘する。

「大体忠之公の謀反自体がデマでしょうこれは。
大膳がしばしば諫言したから、城中に呼び出されて毒殺されかけたと書いてますけど…
そもそも家臣に罰が与えられないからって、毒殺しようとする奴が幕府に謀反なんて無理でしょうw」

と主張した。その直孝の主張に対し、将軍・徳川家光は冷やかした。

「おい直孝、お前忠之を贔屓すんのかね?」と。直孝の返答は以下のとおりである。

「贔屓なんてしませんよ。忠之公は蜂須賀蓬庵(家政)と不和です。
私は蓬庵の娘婿ですが、辿れば私にとっても恨みはありますよ。
私は、理あるところを以て、公論を申し上げただけに過ぎません。」と。

黒田家の取り潰しは、この閣議によって沙汰止みとなったとされる。

(名将言行録巻之六十一より)
179人間七七四年:2011/06/16(木) 02:35:23.66 ID:GGJWKNrl
まとめサイトにあるように、細川忠興公は「(茶)道具がみたい」と言った大名に
武具を見せて「武士の道具はコレじゃ!」と言ったことがありましたな。
ところがこれを本当に実践していた茶道流派がありました。

茶道 上田宗箇流(の伝来道具)
http://www.ueda-soukoryu.com/index2.htm

上田宗箇が造った茶室「和風堂」の全体図もありまして、これがどうみても
「防御施設つき殺る気まんまんな茶室」なんですな。虎口も搦め手もちゃんとついている。
ここは、本当に生半可な気持ちで茶道を学んではいけないようです。
180人間七七四年:2011/06/16(木) 02:44:45.17 ID:hO131Qev
>>179
ちょっと無理があるんじゃないか?
これが「殺る気まんまんな茶室」なんて言ったら
ありとあらゆる武家屋敷は全てキリング・ハウスってことになっちゃうのでは?
181人間七七四年:2011/06/16(木) 12:29:17.98 ID:1dRCDXkH
日本家屋ってどうしてもそういうとこあるのかねー
前に畳の敷き方とか調べようとしてぐぐってたら
「天井板は、相手が刀を振りかぶって襲って来た時に
刃先がひっかかる方向にはる事」とか書いてあって
エエエってなった
普通の和室の話ですよ
182人間七七四年:2011/06/16(木) 12:42:25.13 ID:1UmKF+II
海外も似たようなもんじゃね?
西洋のドアが内開きなのは暴漢対策とか聞いた事あるぞ
183人間七七四年:2011/06/16(木) 13:12:38.54 ID:n0XnG8jU
内開きのほうが暴漢に蹴破られやすい気がするんだが
184人間七七四年:2011/06/16(木) 13:45:35.94 ID:OkZ3MenE
南部の武将北信愛(松斎)が和賀・稗貫郡を領して、城代として花巻城にあった頃のこと。
時の藩主南部利直は、信愛が老齢で目を患い、楽しみの少ないことを哀れみ、
鷹野にでも出て気を慰められるよう、一羽の鷹を与えた。信愛はこれを喜び、その鷹を鷹匠に預けた。

ある日のこと、鷹匠のひとりが山野に出て、その鷹を放っていた。
鷹は一羽の鳥を捕らえると、そのまま近くの農家のそばに降り立った。
するとそこへ、たちまち一匹の犬が駆けてきて鳥もろとも鷹をかみ殺してしまった。

驚いた鷹匠はその犬を捕らえ、辺りの者を集めて飼い主をただしてみると、門右衛門という百姓の犬であった。
鷹匠は門右衛門を捕縛すると、これを同道して花巻城に引き返し、おそるおそる事の次第を信愛に言上し、
門右衛門とともに罪に服したいと願い出た。
それを聞いた信愛はいつになく立腹の体で鷹匠を叱りつけた。

「お前はなんと無分別なことをするのか。
この門右衛門は飼い犬をそそのかして鷹を噛ませたものではない。またお前とて、
鷹を犬に噛ませようとして放ったわけではあるまい。

元来、犬はその性分として鳥獣を噛もうとするのは当たり前のことだ。鷹は他の鳥類に優れて
眼も羽も速いものであるから、滅多に犬などに噛まれたりするものではない。
それが噛まれたというのは、鷹のほうに油断があったのであって、その命運が尽きたものである。

一体、あの鷹はその門右衛門に比べて、これまでどういう働きをしたというのか。
あの鷹は拝領の鷹である故、お前が責めを重んじてそのような処置をとったことは
一応無理のないことであるにしても、わずか鷹一羽のために、大事な百姓を痛めるわけにはいかぬ。
お前は粗忽にも門右衛門を捕らえてきたが、はやくその縄を解いて、門右衛門に謝罪せねばならない」

鷹匠はこれを聞いておおいに恥じ、門右衛門に深く詫びて帰宅させた。
この話を聞いた稗貫・和賀の人々は、いずれも信愛の仁徳に感じ入り、その信望はいや増すばかりであったという。
185人間七七四年:2011/06/16(木) 15:48:55.46 ID:TrKvd8z8
>>175
せめて日本史のスレから引用するべきだなww
186人間七七四年:2011/06/16(木) 21:35:43.52 ID:m3RFcGVk
>>183
押し込まれるのは、体力に差があっても多少は耐え易いし、物を置いたりできるからじゃない?
引かれるのはなかなか耐えられないと思う
187人間七七四年:2011/06/16(木) 21:43:49.92 ID:cAB8nhct
>>184
これは当時の鷹が現代で言えば高級スポーツカーとか、そのくらいの価値観で見られていたことを
考えると一層味わい深いな
188人間七七四年:2011/06/16(木) 21:52:05.59 ID:hO131Qev
>>184
弱い鷹だな。地上で戦えばそんなものなのか。

参考動画:モンゴルの鷹を使った伝統的狼狩り
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm7233456
189人間七七四年:2011/06/16(木) 23:43:38.90 ID:PV2sbT7t
>>184
当時の犬は放し飼いだったのかな。

鷹匠も一緒に罪を償おうとした、というところもいい話かも。
190人間七七四年:2011/06/16(木) 23:52:09.11 ID:iZVa/P0K
鷹と百姓(とか子供とか)の粗相っていうと、たいてい酷い結末になるから
どきどきしたけど、あ〜よかった。いい話で。
191人間七七四年:2011/06/16(木) 23:55:05.61 ID:mnA3Jpo6
北さんは名前からして優しそうだよな
192人間七七四年:2011/06/17(金) 00:10:01.58 ID:EMCM8gZ2
日本一の不覚人「もっと信頼されたかったなあ。」
193人間七七四年:2011/06/17(金) 00:20:39.30 ID:NF/zSc6j
信愛は晴継の烏帽子親を勤めながら、晴継謀殺の黒幕だったりして
194人間七七四年:2011/06/17(金) 00:33:36.62 ID:Omjbpnkk
南部さんちの周辺はけっこうえげつないからなー
195人間七七四年:2011/06/17(金) 02:40:29.22 ID:AuINOfKA

>>183

亀だが内側扉だと家具とかでバリケード作れるからじゃない?
外開きだと空いたら終わりだし。
196人間七七四年:2011/06/17(金) 09:36:17.26 ID:GmgcOAQh
南部晴政さんが農民の娘に泥を塗られて喜んでた話が好きだ
どっちかっていうとその娘さんに胸キュンなんだけど
197人間七七四年:2011/06/17(金) 10:06:09.10 ID:NF/zSc6j
その泥娘が晴継の母ちゃんなんだよな
198人間七七四年:2011/06/17(金) 10:10:31.01 ID:9Hz2fsCK
泥を塗られて喜ぶってどんなシチュなんだ。
領民のどろんこ祭りみたいなものにおしのびで参加したってこと?
199人間七七四年:2011/06/17(金) 15:23:22.00 ID:RVbQrmXv
200人間七七四年:2011/06/17(金) 15:27:28.46 ID:T8Wp+0WD
ブスだったらその場で斬り殺されたと思う・・・
201人間七七四年:2011/06/17(金) 20:32:38.05 ID:98eS61Dy
>>195
更に亀だが
いきなり銃口向けられた時に盾になるものの有無は大きいかもなあ
202人間七七四年:2011/06/17(金) 20:33:30.20 ID:ToXtkX3b
九戸政実の乱の際、九戸党に味方した者の中に工藤業綱という者が居た。
彼は銃の名手であり、九戸没落ののちは一旦津軽へ逃亡したが、南部信直への恨みから
信直の居城となった福岡へ潜伏し、これを討たんとその機会を窺っていた。

天正20(1592)年の正月12日のこと、正月の賀儀を終えた南部信直は
その日の夜半、わずかな供を連れて窟の観音(岩屋観音堂)に詣でることとなった。
それを知った業綱は銃を持って待ち伏せる。

燈灯を持った間盗役(忍者)の唐式部を先頭として、信直が供の葛巻覚左衛門・大光寺左衛門らと下堂する時、
そばを流れる白鳥川の対岸から大声で信直を呼ばわる声がする。業綱だ。
「我は九戸左近政実を頼りし工藤右馬助業綱と言う者なり。それなるは信直公と見えたてまつる。
 ただ今九戸が仇を報ずる間、お覚悟めしませ!」

供の者達が矢先に立ちふさがり「燈灯を消せ!」と狼狽する中
唐式部は冷静に、囮となって飛び出し「大丈夫だ、君はここにおられる!」と燈灯を振り回して大声で護衛に呼びかける
業綱は銃を持ち直して放つ。弾は燈灯に当たってこれを撃ち落としたが、
信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。

その日はあいにく雪が降っていたが、捕縛の為に数百人が集まり、遂に業綱は生け捕られた。
信直の前に引き出された業綱は
「九戸の仇を討つ為に君を狙いたてまつること既に十余度、天運も既に乾いてこの次第となりました。
 早く命をお召しください」と請うた。

信直はこの優れた武士を殺すのが惜しいと思ったか、
「旧怨を捨てて我に使える意があるなら、すみやかに命を許し相伝の家人に列し、長く恩顧を与えよう」
と言い、業綱を許して二〇〇石・三十人の足軽の頭として取り立てた。
家臣達はこの厚遇に「お屋形様のご思慮とはいえ、いかなることか」と怪しんだが、
帰服した業綱はその後君臣の礼を守り、忠義を尽くしたという。
203人間七七四年:2011/06/17(金) 21:39:33.99 ID:d1NdsFiW
>>202
九戸政実の乱のエピソードを聴くたびに、余程慕われた男なんだろうなぁと思う。
その遺臣達を懐柔する南部信直の器量の広さも大したもんだな。
204人間七七四年:2011/06/17(金) 21:58:43.25 ID:d1NdsFiW
直政、往日の禮を違えず。

関ヶ原合戦の後、西軍の将だった石田三成は捕らえられ、大津城へと連行された。
東軍の将、井伊直政は命を受けて三成をもてなしたという。

直政は主君、徳川家康が仕える豊臣家の重臣であった三成に対し、往日の禮を違えず、それを人々は評したという。

(名将言行録 巻之五十六より)

先日放送してたBSTBSの番組でこのエピソードが取り上げられていたが、
石田三成は北近江の土豪の次男、井伊直政は滅亡した遠州の名家の生き残りから
それぞれ天下人の腹心まで成り上がったという似通った境遇である。
この席で二人がどのような心境だったのか、興味深い逸話。
205人間七七四年:2011/06/17(金) 23:11:43.88 ID:bEEWcw+u
>>202
信直さんはこれで殺されかけたの何度目だよ…

それにしても、九戸の乱のとき伊達政宗に「俺が仲立ちするから九戸と和睦すれば?」と言われて全力で拒否っていた信直が、
乱後津軽に逃げたり各地で潜伏したりしてた九戸の残党をまとめて再雇用してるんだよなー
けっこう治安が問題になってたらしい
206人間七七四年:2011/06/17(金) 23:14:48.77 ID:CLfHF30R
>>205
土佐入りしたカズさんだってそうしてるべ
結局そうしないと治まんないのさ
207人間七七四年:2011/06/17(金) 23:17:43.99 ID:g+sWdfZR
>>202
騙し討ちで、5000人皆殺しのはずが、生き残りがいたのか
208人間七七四年:2011/06/17(金) 23:31:13.49 ID:Q/cViTAy
『イワナガヒメとコノハナサクヤヒメ』

 吉川元春と小早川隆景が大内義隆に謁見した。
義隆「隆景ちゃんこっちおいで。でも元春くんにはお引取り願おうか。」

時は移り

 吉川経言(のちの広家)と小早川元総(のちの秀包)が羽柴秀吉へ人質に差し出された。
秀吉「小早川くんはここに残りなさい。吉川くんはもう帰っていいよ。」

さらに時は移り

 「殿〜、さっさと裏切り者の吉川を潰しちゃいましょうよ。」
輝元「絶対ダメ!吉川家の断絶は許しません!」

かくして毛利は末永く続きましたとさ
209人間七七四年:2011/06/17(金) 23:31:38.24 ID:ISRMMvsl
けっこう脱出できた人間は多かったみたいよ
津軽あたりには九戸の乱で逃れた者が家臣として雇われているし、政実の末裔を名乗るひともいるそうで
210人間七七四年:2011/06/17(金) 23:37:51.34 ID:UuaFzrRx
皆殺しといっても「沢山死者が出た」程度のニュアンスで
実際のところ一城一人残らず全滅、ってケースは日本だとなかなか無いよね
211人間七七四年:2011/06/18(土) 00:01:26.74 ID:VJodgBr/
>>208
ドラマの元春か広家役を吉川晃司がやらねえかなー
212人間七七四年:2011/06/18(土) 00:02:01.62 ID:58WiPK7p
島原の乱で原城に立てこもった奴はほぼ皆殺し
213人間七七四年:2011/06/18(土) 00:06:13.56 ID:Ag/wtQST
>>212
つーか原城にこもった連中はむしろ自分から殉死を望んでいた面が強い。
こう言っちゃ何だが、アレは一種の集団自殺だな。
214人間七七四年:2011/06/18(土) 00:21:30.96 ID:a+E9kFqc
>信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。

俺が無知だったらごめん。なんで東北なのに福岡?
215人間七七四年:2011/06/18(土) 00:24:37.97 ID:7W0dkHN1
改名した元・九戸城のことっしょ
筑前福岡じゃないよ
216人間七七四年:2011/06/18(土) 00:30:19.30 ID:ZjbzSMm6
筑前福岡も備前福岡から名前をとって命名されてるし、改名するのは珍しくはないよね
217人間七七四年:2011/06/18(土) 01:33:17.06 ID:cjmrupvN
とあるアンケートの「好きな戦国武将」の選択肢に森長可がいて吹いた
「どんなイメージですか」のチェックほとんどついちゃうんだよね・・・
「かわいい」「斬新な」「腹黒い」「騒々しい」とか
218人間七七四年:2011/06/18(土) 01:53:47.39 ID:joVhJyrg
かわいいはねーよ
219人間七七四年:2011/06/18(土) 01:59:30.95 ID:s6T6ymFS
>>218
信長「バカ、かわいーよ鬼武蔵は!」
220人間七七四年:2011/06/18(土) 03:37:10.95 ID:ZH5z0RS3
正直この手のネタ要員を毎日のように出されるの食傷気味
221人間七七四年:2011/06/18(土) 03:52:34.77 ID:e0Jidhd0
どの武将のネタが出ても、政宗や森長可やらに話振られて元の武将の事を語れないからなあ
222人間七七四年:2011/06/18(土) 05:54:32.95 ID:bCL/F9/7
鬼武蔵はバーHって言ってあげたくなる愛すべきH
223人間七七四年:2011/06/18(土) 07:38:34.32 ID:f+ir8bSL
そう言えばSKEのメンバーに
他のメンバーみたいにアレンジを加える事も無く
クソ真面目に教えられた通りに踊るから一見ドン臭く思えるが
アイドルにありえないくらい誠実で
面倒臭い三河武士みたいな小西真奈美や夏川結衣 似の
俺の結婚したい有名人3位の娘が居るよな。
224人間七七四年:2011/06/18(土) 08:32:14.34 ID:WfJwQP/4
戦国板でSKEなんて省略されても誰のことかわからん
225人間七七四年:2011/06/18(土) 09:23:12.22 ID:ZjbzSMm6
SaKaiEgoushuだな、きっと
昨日の夜中にテレビでやっとった
226人間七七四年:2011/06/18(土) 10:08:51.18 ID:iCBXOsEE
徳川家光の寵童の1人に梶左兵衛佐定良がいる。
定良は伊勢長島の菅沼氏の一族であったが
寛永3年に徳川家光が後水尾天皇の二条行幸のために上洛した際
その列の中から見出され、嗣子のなかった旗本の養子となって家光に近侍した。

家光の死後4代将軍徳川家綱は当時600石であった定良を1000石に昇進させると共に
日光にある家光の廟を守ることを命じた。
以後47年定良は一日も欠かすことなく廟に詰め、後に寛文の五賢人のひとりに数えられたという。
227人間七七四年:2011/06/18(土) 12:54:11.81 ID:joVhJyrg
>>223
どうでもいいがバー丸九って一体何?
228人間七七四年:2011/06/18(土) 16:09:20.37 ID:oYdh+7Xo
>戦国板でSKEなんて省略されても誰のことかわからん
名古屋栄版AKBだろ。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E6%B1%90%E8%8E%89


>どうでもいいがバー丸九って一体何?
何それw
229人間七七四年:2011/06/18(土) 17:50:28.57 ID:8Hkdh+cg
ある日、千利休の長男・千道安が、蒲生飛騨、細川越中、柴山監物、そして父の利休らを招き、茶会を催すことになった。
前日、必要な道具を買い求めて帰宅した道安の前に、使用人が転げ出て来た。

「だ、旦那さま大変です!大旦那さまが!」
「?父上がどうした?」
「まずは、茶室をご覧ください。」

茶室に駆け込んだ道安が眼にしたのは、炭を撒き散らされた畳に、壊され念入りに灰をかき混ぜられた囲炉裏だった。
「・・・・・・!!」
「大旦那さまが突然来られて、私どもが止める間もなく・・・」


しかし道安は少しも騒ぐこと無く、囲炉裏を取り外し畳を敷き換え、風炉(囲炉裏を用いない五徳式の炉)を
用意して、無事に翌日の茶会を成功させた。
のちに事情を知った細川忠興は感銘を覚え、『細川三斎茶書』の中で、この道安の対応を特筆している。


『花の慶次』では親の七光りを背負ったDQNのように描かれた道安だが、利休の烈しいイジm、もといシゴキにも
耐える並々ならぬ茶人だった、という話。
230人間七七四年:2011/06/18(土) 20:28:15.16 ID:W7PIT0GC
ほほー。
231人間七七四年:2011/06/18(土) 21:10:40.67 ID:FMYgWFDE
こういう陰湿な躾け方をした場合、かえって性格歪みそうな気もするが…
232人間七七四年:2011/06/18(土) 22:41:59.13 ID:fBBJxEr5
自衛隊員が新入りに課す「台風」みたいなものだね
日本の伝統的教育法、かつ、しごきw
233人間七七四年:2011/06/18(土) 22:56:10.95 ID:9zf6lfkM
利休のスパルタ教育方針マジパネェ・・・( ゚Д゚)ポカーン
234人間七七四年:2011/06/18(土) 23:02:06.63 ID:eTwlDxX4
〜夏の陣、大坂城にて〜
大野治房は後藤又兵衛・真田信繁・明石全登・毛利勝永を呼び寄せ今後の展開を相談
後藤又兵衛曰く『徳川軍は大和から河内を必ず通る、そこを崩せば7・8割方勝てる』
堀を埋められたしまった豊臣方に大坂城籠城戦という選択肢は消え、前に出て行くしかない状況
≪生駒山脈を越え河内平野に出てきた徳川軍を待ち伏せし、先方部隊を叩く≫
真田・毛利・明石・大野は又兵衛の作戦に賛同し作戦は即日、明朝に行われた。(この会議は又兵衛が他諸将との仲次第で見解が変わる)
 
先方:後藤又兵衛・薄田兼相・明石全登etc=6400 後方:真田信繁・毛利勝永etc=12000

5月5日、河内平野で野営していた豊臣軍の作戦は
道明寺村に後藤・真田・毛利隊が着陣後に大和川のすぐ東の狭地、国分村にて徳川幕府軍を攻撃する
この手筈で進む予定であった。

5月6日、後藤又兵衛が道明寺村に到着し後衛を待つが真田・毛利・明石・薄田などの諸将は一向に現れない
後衛部隊ならともかく、前衛部隊ですら道明寺村に姿を見せていない、流石に又兵衛は焦った
『このままでは不味い』と思う束の間、偵察から国分村に既に幕府軍が陣を取っているとの情報が入る。
又兵衛の取れる策は『後退』・『道明寺村にて前衛薄田・後衛真田を待つ』・『渡河し国分村の前、小松山に向かう』
考えられる限りこの3つである―
後退:仮に援軍が来ている可能性もある、論外
待つ:援軍が来ていれば、来なければ×
渡河:小松山は砦として機能する、時間を稼ぎ援軍の到着を待つ

又兵衛は勝つ為の選択を取った、通常の将ならば援軍が来るまで待つ可能性が高かったであろう。
『仕方あるまい、しかし、早く来てくれ…』又兵衛は小松山に陣を張る為に渡河を決行した、後方を見るがやはり援軍が来る様子はない…
小松山に陣取った後藤又兵衛軍に徳川軍が気づかない筈がない、直ぐに小松山包囲戦が開始された。
235人間七七四年:2011/06/18(土) 23:05:26.33 ID:eTwlDxX4
〜5月6日 河内国 道明寺国分小松山 道明寺の戦い〜
小松山後藤又兵衛2800 大和口先鋒:水野勝成3800 二番手:本多忠政5000 三番手:松平忠明3800 4番手:政宗10k

『やはり又兵衛、まんまと釣られたか!』
後藤又兵衛の小松山進入は、嘗て同じ時間を共にした水野勝成にはお見通し、勝成はすぐさま小松山に攻撃を仕掛ける
しかし又兵衛は釣られた訳ではなく端から小松山で時間を稼ぐつもり―
『やはり勝成か―皆の者!援軍が来るまでの辛抱ぞ!』
AM 4:00 〜開戦〜
一番隊先導役で大和衆の奥田忠次が小松山に突撃してくると又兵衛隊は直ぐに応戦し奥田忠次は戦死した…
松倉重政が奥田と戦う又兵衛隊の隙を突き小松山の南に入る
後藤隊は後方を断たれてしまうが又兵衛隊の猛攻は凄まじく松倉隊も壊滅的な被害を受ける。
(まだ来ぬか!薄田隊!明石隊は何をしておるのだ!)又兵衛の焦りは徐々に増すがまだ姿すら見えず―
―(少数部隊では埒が明かぬ)水野勝成は等々自ら後藤又兵衛の守る小松山に向かう
しかし又兵衛隊の奮戦・勢いは水野隊が加わっても全く怯む様子が全く無く結果的に水野は予想とは違う苦戦を強いられることとなる
そして本多・松平隊も包囲に加わり又兵衛を囲む幕府軍の軍勢が12600となり…開戦から5時間後―

政宗『待たせたな!』 10kの政宗軍が包囲に加わり
西:水野 南:松倉 北:政宗 東:本多・松平の波状攻撃に又兵衛隊は曝される事となる

又兵衛(援軍が何処まで来ているかは見当もつかぬ・・・せめて道明寺村まで来ていれば)

戦いは伊達軍が参戦したAM9:00から更に3時間が経った時
『死にたくない者は去って平野の本営に合流しろ』しかし又兵衛の言う事は誰も賛同しない。
その後又兵衛の前に現れた片倉隊により又兵衛は腰を撃たれてしまう。
大坂方唯一と言って良い歴戦武将、後藤又兵衛は小松山に散った(異説あり)
残った又兵衛隊は又兵衛の死を知ると殆ど逃亡する事無く敵陣へと散り殉死していった。

後藤又兵衛2800 幕府軍22600 と8倍の兵力に臆することなく戦った又兵衛が稼いだ時間は大凡8時間
しかし午後になっても援軍は来る事はなかった、更には幕府軍は追撃戦で石川の渡河も終えてしまう。
豊臣援軍は道明寺にすら辿り着けていなかったのだ。(薄田隊400『だけ』は河原に陣取っていた)
これ以降豊臣方では『策』を用いった戦いは無くなり将個人の力による場当たり的な戦いだけが頻発してゆく。
今福の戦いで又兵衛と共に指揮を執った木村重成も又兵衛の後を追うように散る。

余談だが、後藤又兵衛の突出と援軍の遅れは霧の原因とされているが、やはり不自然な点も否めない部分もあるが
別の話であるように又兵衛は徳川家康との『和睦』を求めていたのであれば、遅かれこうなる運命となったのかもしれない。
真田・明石・毛利隊が何故遅れたのか、その理由は謎に包まれたままである
236人間七七四年:2011/06/18(土) 23:11:40.76 ID:eTwlDxX4
カテゴライズは
後藤又兵衛〜その生き様〜
でお願いします。

237人間七七四年:2011/06/18(土) 23:12:50.58 ID:Qb9BoD0f
とりあえずどの辺がいい話なんだよ
238人間七七四年:2011/06/18(土) 23:13:51.09 ID:DJBY6jCh
日課ご苦労
239人間七七四年:2011/06/18(土) 23:21:15.29 ID:qtVGwtOC
あーいつもの残念なひとか
240人間七七四年:2011/06/19(日) 00:54:28.62 ID:LboOFVgG
圧倒的な少数にも関わらず8時間時間を稼いだ又兵衛のいい話、とは言えるけど、
逸話じゃなくて単なる歴史つーか戦記だよね、これ。
241人間七七四年:2011/06/19(日) 01:48:43.20 ID:6hwlqXyK
中学生が逸話の意味を勉強し、簡潔かつ適切にまとめられるようになるまで見守るスレはここですか?
242人間七七四年:2011/06/19(日) 02:48:45.15 ID:yRsRAmkG
通常スレに戻るまで逸話を投下するのはやめときます・・・。
文章表現に自信がなくて、残念さんと混同される恐れあり、なので。
243人間七七四年:2011/06/19(日) 04:29:32.62 ID:aKZ+KMG+
>通常スレに戻るまで

残念さん、被害妄想乙です
でも逸話の意味をよく理解してから書き込んでくれよ
ただ歴史の事象を書き連ねるだけだったのを指摘されて逆切れして叩かれて
次は事象に自分の主観と偏見を織り交ぜて叩かれて
今度は仮想戦記風で叩かれても凹まないその気概で頑張れや
244人間七七四年:2011/06/19(日) 07:39:11.96 ID:CIUHZSas
文句言うやつに限って逸話投稿しないんだよな
245人間七七四年:2011/06/19(日) 08:09:16.12 ID:9skMAiLQ
批判だけは一丁前なヤツが多いからなぁw
246人間七七四年:2011/06/19(日) 08:30:51.60 ID:2A2D/Uyw
人目にさらしている以上出来不出来に率直な感想がつくのはしかたないとおもうけど、無理にでもほめたほうがいいかなあ
247人間七七四年:2011/06/19(日) 10:32:35.94 ID:yRsRAmkG
>>243
ありがとうございます。頑張ります。
>234,235 これ、自分じゃありません。
そもそも文字と漢字が多くて途中でリタイアしました。情けない話です。
248人間七七四年:2011/06/19(日) 14:14:16.10 ID:jsPAk0aa
伊達政宗幼少の頃の話。

片倉小十郎
「若様の片目は目の玉が下がり出てとても見苦しい。
それだけなら良いですが、戦場での御働きに必ず邪魔になります。
万一、組討ちになれば下がり出た目の玉を敵に握られ必ず敗れましょう。
このように、その片目は不要どころか、却って武士として害になります。
ですから切捨ててしまってはどうでしょうか。
切捨てて、御命にもしものことがあれば、
この小十郎も切腹し冥土へお供いたしましょう。」

政宗「至極なり」

こうして政宗は目の玉を切捨てたが出血はひどく、激痛におそわれた。
さすがの政宗もまだ幼少。その苦しみにたえかね、今にも絶えてしまいそうな様子だった。
そんな政宗の耳元に小十郎は、

「若様、未練がましく弱り果てていますな。
その昔、鎌倉景政公は敵に目から頭を射ぬかれても、
その矢を抜き取らずそのまま射た敵を追いかけ遂に討ち取ったと聞きます。
片目を切捨てたくらいで、ここまで弱る大将では話にもなりませんな。」

小十郎が言い終わると同時に、政宗の残る目に生気が宿り立ち上がり、

「我おもわず不覚をとったり」

と叫んだ。
なお、この出来事は晩年まで、あの時の不覚は生涯の不覚なり、と政宗は語り続けたということである。
249人間七七四年:2011/06/19(日) 15:19:44.49 ID:KpUK6QOJ
いやいや残念なのはお前ら。
今史料とか読んで充電してるし、それ終わったらこいつらのガキっぽい本能とかにむかついたからスレ潰すレベルで書きこむからよろしく。
文章表現ってこいつらの文章の書き方とか全部同じでテンプレ化しててうまくもなんともないし
まとめのアホはこのスレを「自分のスレ」とかと勘違いしてそうだし。
こいつらの「敵対してるから何でもかんでも相手を攻撃する」って幼稚なベクトルには同じことをやり返すだけ
250人間七七四年:2011/06/19(日) 15:31:40.36 ID:hSNL/tB2
>>249
君が来てからスレが酷くつまんなくなった。
スレ住人が残念って思ってて構わないから永久に充電し続けてくれ。

あーほら多分才能あるよ。こんなスレで君みたいな逸材が才能をすり減らすのは勿体無いから溢れて零れ落ちた才能をいかし、自分のホームページでも立ち上げて思う存分書き連ねたらいいんじゃないかな。うん。
251人間七七四年:2011/06/19(日) 16:20:03.14 ID:ikNQ1K7J
コテハンつけてくれ
252人間七七四年:2011/06/19(日) 17:01:08.99 ID:aiDw2hDU
>>249
 いや面白い話を書いてくれれば良いだけなので、潰すとか厨二病的な考えは捨てていただきたい。
 京極竜子の話にしても「金で女が買える」話なんて蛇足をつける必要はないと思うよ。
 それと悪い話スレに良い話を投下とかするつもりならやめてほしいな。
 よく書かれた話でも、投下場所が違うと評価されないどころか、場違いって点だけが、叩かれて話の
内容が評価されなくなる。
 ちゃんと書いてくれるなら、真面目に評価します。そういう読み手もいるのを理解して話を投下してくれる
ことを期待しています。
253人間七七四年:2011/06/19(日) 17:35:01.28 ID:Fm+Xucay
潰すwwww
出来るもんならやってみろよwwwwwww
254人間七七四年:2011/06/19(日) 19:01:34.83 ID:KpUK6QOJ
>>252の言葉で反省しました。良い話を書いていこうと思います
255人間七七四年:2011/06/19(日) 20:12:25.00 ID:NXsH5+NQ
>>202
一時的に恭順しても恨みを忘れず、後に本望を遂げた、もしくは失敗して
処刑された奴もいるんだろうな。
256人間七七四年:2011/06/19(日) 22:30:19.84 ID:rFTtxaeG
撃たれたものの遺臣が刺客として付け狙って、狙われた側が寛大に許すが、
再び襲うも果たせず、2度は許せないとして処刑されるが、その義心と
立派な最期、一度許した狙われた側の度量を皆が褒め称える。

これって、史記の丸パクリじゃないのかね?

戦国期の武士ならともかく、江戸期の武士なら史記を読んでるのが基本だし、
戦国期の逸話を読んで「これパクリじゃん、ワロスwww」とか思わなかったのかな?
257人間七七四年:2011/06/19(日) 22:55:44.53 ID:oW/t4yK/
そんなこと言い出したら、戦国軍師のエピなんて諸葛孔明や張良のパクリばっかりになるぞw
258人間七七四年:2011/06/19(日) 22:56:40.49 ID:5xTnPYFn
時系列的に主君の敵討ち目的ではないけど、斉の桓公と管仲の話が典型例かな
259人間七七四年:2011/06/19(日) 22:57:23.76 ID:jsPAk0aa
良いと感じた行いを真似てなにが悪いのかわからない
260人間七七四年:2011/06/19(日) 22:59:19.46 ID:iPlvyo4J
少しは史記の刺客列伝とか読めよ・・・
261人間七七四年:2011/06/19(日) 23:03:10.87 ID:M3WYPi/P
智伯君の仇、趙襄子をうとうとした予譲の場合だと
付け狙っているのがバレ、仕えるように言われたまでは同じだが自決しているし

このくらいの似たような話なら実話であってもおかしくはないと思うが
262人間七七四年:2011/06/19(日) 23:16:22.79 ID:28oiz4Ey
予譲の話は予譲の忠義を称える話であって趙襄子の度量を称える話じゃないからな。
263人間七七四年:2011/06/19(日) 23:20:01.41 ID:jsPAk0aa
それぞれ読んだ人の解釈でよくないか?
この話はこういう意味のものだと決め付ける必要性はないだろ
264人間七七四年:2011/06/19(日) 23:40:27.69 ID:KpUK6QOJ
改心して良い話を書いていこうと思います!

1796年、天明の大飢饉により田沼意次が失脚し松平定信が老中となった。
それに伴う改革の失敗で起こった急激な不景気のせいで治安が悪化したため
長谷川平蔵が火付盗賊改方となったのである。
長谷川平蔵は、犯罪者を取り締まるもののいくら取り締まっても犯罪者がいなくならないことに悩んだのである。
そして悩んだ挙句に「犯罪者捕まえるだけでは駄目だ。失敗者を見捨てずに社会復帰させることが必要だ」と考え
幕府に訴え人足寄場を創り上げたのである。

人足寄場とは無宿人や犯罪者をここに送り、社会復帰させることを目標とした設備である。
無宿人は保証人がないため雇ってもらえずに治安悪化の原因となっていたため
そこで、長谷川平蔵は人足寄場に無宿人などを送りそして人足寄場で社会復帰訓練を経た人間を
幕府が身元保証することで社会で生活していけるようにしたのである。
長谷川平蔵は火付け盗賊改方の長官に就きながら、人足寄場の代表までやる「二足のわらじ」を履くこととなった。

そして平蔵が人足寄場を作って3ヶ月後、まず第一弾の3000名が
人足寄場から社会に解き放たれ社会で生活していけるようになったのである。
ただ取り締まるだけでは意味が無いという長谷川平蔵のちょっと良い話。
265人間七七四年:2011/06/19(日) 23:44:20.82 ID:xFFGWPpe
良い話だが残念ながら江戸時代だな
266人間七七四年:2011/06/19(日) 23:46:23.23 ID:KpUK6QOJ
これからもどんどん世界史とか江戸時代とかから引っ張ってきていい話を書いていきます。
これなら史料もいっぱいある
267人間七七四年:2011/06/19(日) 23:48:10.03 ID:jsPAk0aa
ムキになってんじゃねーよ
オマエはイジメられっ子のネット番町か?
268人間七七四年:2011/06/19(日) 23:49:58.84 ID:qCMXRXSg
もう戦国からネタが探せなくなるとか底の浅い奴
269人間七七四年:2011/06/19(日) 23:51:53.77 ID:Zb3PZibo
シカトし易いから別にいいけどな<世界史、江戸
270人間七七四年:2011/06/19(日) 23:55:41.44 ID:cJ3YxNDb
これって週刊江戸の文章まるパクリじゃん
271人間七七四年:2011/06/20(月) 00:05:07.36 ID:9TeMMTP0
良い話

豊臣秀次が死んだ後、豊臣秀保まで謎の死を遂げているが
死因は不明であり諸説あるのが実情である。
落馬で死んだ、小姓に抱かれて飛び込まれたなどの諸説があるが、
現在の政治事件と同じ要領での変死が実情であっただろう。いつの時代も政治はきな臭さを残す。

しかし豊臣秀保には秀次と同じよな乱行が世間への風説として流れていくこととなる。
これは恐らく自説となるが豊臣秀吉が秀頼可愛さに、邪魔となる一門の秀保を排除したものであろうと考えている。
流石に秀次と同じような乱行のパターンは考えづらいためワンパターンなそして王道の秀吉による印象操作だろうと考えられる。
そうすることによって秀吉は「大和豊臣家の取り潰し」をすることができたのであった。

後見の藤堂高虎はそれを見て、高野山に隠遁し責任をとったのである。
これは藤堂高虎は大領の連座を出した秀次事件と同じく自らも後見の責任で連座させられると感じたのか、
高野山に隠遁し処罰を受けないようにしたと考えられる。高虎の見事な処世術といえる。
秀吉は高虎を必要だと感じたのか秀頼のもとに有能な士を残しておきたかったのか
藤堂高虎を6万石の大名に取り立てたのである。藤堂高虎の見事な処世術のいい話。

余談
当然藤堂高虎は豊臣家大嫌いになったようであり豊臣家を滅亡させるのに功があった。
いや秀保も望んでなかっただろうけど。
272人間七七四年:2011/06/20(月) 00:06:56.40 ID:DAyP4FQ0
>>270
吹いたwww
273人間七七四年:2011/06/20(月) 00:07:34.64 ID:9TeMMTP0
いやNHKのパクりだ。
274人間七七四年:2011/06/20(月) 00:09:57.54 ID:FnTO0oCq
さ、用が済んだら帰った帰った
275人間七七四年:2011/06/20(月) 00:11:02.60 ID:lCkeYnJE
>>264
良い話の書き方がわかったのだから、普通に戦国時代の良い話を書けばいいのでは?
276人間七七四年:2011/06/20(月) 00:12:34.12 ID:9TeMMTP0
僕は感状の話などで最初から良い話の書き方はわかってますが、戦国時代ならネタ切れで終わってるので
世界史とか日本史の話を書こうと思います。
277人間七七四年:2011/06/20(月) 00:12:46.11 ID:s4zN9REb
ムキになっちゃってるから話通じないぞ
ほっといたらまた息切れする
278人間七七四年:2011/06/20(月) 00:19:56.41 ID:HKucmY1V
なんかどうでも説得して話を投下させようとしてる人もいるみたいだけど
こいつ忘れたころに来てはこんなこと繰り返してる確信犯の真性だから

構わずほっとけよ
279人間七七四年:2011/06/20(月) 00:26:55.49 ID:FnTO0oCq
最初にクソみたいなもの投下して叩かれたのが未だに悔しいだけの子だから。
280人間七七四年:2011/06/20(月) 00:35:11.02 ID:FlgeKXAW
>>271
高野山に入った高虎を処世術という面だけでとらえた、いい話としては
非常にドライな解釈だと思う。もっとその背後にあるものをいろいろ
収集して読み込むと、みんなをうならせるいい話が書けたのでは。
もっとも、改心後初の戦国物として高虎をチョイスしたのは良いかもね。って添削してどーすんのよ、オレ。
281人間七七四年:2011/06/20(月) 00:40:33.84 ID:9TeMMTP0
戦国時代の忍者は伊賀、甲賀の国人衆であり伊賀惣国一揆のように豪族たちが
支配者に立ち向かって事例はあれど、雑賀の傭兵集団のようなイメージで語るのは間違っていると言える。

上忍、中忍、下忍なんて山田風太郎が考えたものであり、
抜け忍が禁止だとかに至ってはどこの小説家や映画監督が考えたのかってくらいの史実とは違う設定である。

そもそも伊賀国は地質が悪く作物がとれにくいために大量に他国に抜け出るものがでて
大名に仕え他国に優れた技を残した。全く抜け忍など禁止されていないことになる。
甲賀は六角氏の家臣であり、独立した国人ですらなかったのである。

現在ではwikipediaなどで史実とは違う俗説が信じられ、アニメや映画などでもそれらが引用され世の通説となるに至っている。
しかし史実ではないと否定するのではなく世は戦国時代を素晴らしく想像し創り上げた、素晴らしい物にしていったに違いない。

実際の戦国時代は、封建制の時代であり拷問や身分があり宗教的であり
つまらないものであるから戦国板のここのスレの住人からしてみれば幻滅すること請け合いなのである。
なのでここのスレの住人のとっての戦国時代は竹中が数人で城を落とし、鉄甲船があった――
そんな時代に違いない
282人間七七四年:2011/06/20(月) 01:15:47.30 ID:3T0dgJ26
いい話とか頭につけただけのキチガイか
283人間七七四年:2011/06/20(月) 01:17:12.61 ID:K5yWJ/A7
>>282
かまうな、あおるな、だまってあぼ〜ん
284人間七七四年:2011/06/20(月) 01:28:15.30 ID:9TeMMTP0
なんでこんな短時間にレスが2つも単発レスついてんだろ。
285人間七七四年:2011/06/20(月) 01:32:20.72 ID:87ijaqPT
「戦の時は、必ず自分が一番槍をあげると考えろ。
 決して味方に先んじられまいと決意せよ。
 また、戦陣を何度重ねたとしても、初心に帰り、初陣の気持ちで掛かれ。
 戦傷を恐れてはならない。怪我をするかしないかは運次第である。
 矢や鉄砲弾が飛び交う戦場であっても、運が強ければ怪我などしないのだ」

…初陣の話はともかくとしても、
一番槍を譲るなとか、運さえあれば怪我しないよとか、
結構無茶な事を言っているように思う。
行き過ぎると勝成みたいになるけど。
が、まぁ心構え的には怖がらず戦えって事なのだろう。
そんな前スレに出てきた戦国武士である大井右近さんが、
江戸期に生きる若者に送った、戦争の時の心構えについての話。
286人間七七四年:2011/06/20(月) 03:44:49.10 ID:ROiPWiP4
松永久秀とか、森可成とかのいい話なんてないんだろうなあ
287人間七七四年:2011/06/20(月) 05:54:12.47 ID:2ePMzutb
久秀さまは、キリシタンのために初めてクリスマス休戦をした御方だぞ?
288人間七七四年:2011/06/20(月) 06:02:48.58 ID:nMvAAMxG
単発とか言っちゃう馬鹿いるんだなw
自演認定して終わらせてるから死ぬまで治らない
289人間七七四年:2011/06/20(月) 09:53:15.98 ID:HbeDwmr9
加藤清正がある時、江戸に向かって東山道を上る途中での出来事。
美濃の大井という地を行き過ぎたところ、道端で盲目の女が乞食をしていたが、
大名が通るということを聞いて、清正の行列の先で、歩行の者たちに銭を乞うていた。

清正、これを馬上から見てこの乞食に、「お前は何者か?」と尋ねる。
すると乞食、自分はこうやって乞食をして、年老いた親を一人で支えているのだと、その身の上を
語った。
清正これを聞くと

「さても可哀想なことだ。盲目の女の身として、年をとった親を養うとは立派なことである。
だがそれは金を得るための偽りかも知れぬ。お前たち、そのことを詳しく調べて参れ!」

と、家臣に命じ畑仕事をしている百姓たちに尋ねさせれば、乞食の言うことは確かにその通り、
偽りないことが解った。そこで清正は乞食に金銀の銭を少々与え、さらに供の者たちにも
「少々与えよ」と言う。
すると彼らも一人残らず、この女乞食に百文、二百文づつ与えたため、最終的におびただしい金銭が
女乞食のもとに集まった。

これを見て清正は

「これはいかん!これだけ銭をあの盲目にそのまま渡せば、不埒な者がそれを強盗して
かえって仇になるだろう。」

と、その在所の名主を召し出し、「この金を盗人に取られぬようにして、乞食を保護せよ」と
直に命じ、名主にその銭を渡したという。
これを見た人々は清正を、「まことに慈悲深き御大名である、孝行を感じられて、乞食非人にまで
お情け深いこと、古今稀なる大将だ」と、尊卑老若の区別なく感じ入ったということである。

信長にもよく似た逸話がありますが、当時の大名に求められていた「善行」の内容が
少々見えてくる、加藤清正と女乞食のお話
(續撰清正記)
290人間七七四年:2011/06/20(月) 10:06:49.90 ID:H0yZtnAV
松永ダンジョンのスレタイに噴いたけどなwww
久秀さんのいい話はコオロギだかキリギリスの話もそうだっけ?
291人間七七四年:2011/06/20(月) 10:42:26.70 ID:XpHklXdC
大名が直で会話とかwww
292人間七七四年:2011/06/20(月) 12:22:25.29 ID:HJuOqNce
まだ身分制がそんなに厳しめじゃない頃だし、
生まれながらの大名ではない成り上がりの清正ならこれぐらい普通にやるだろ
293人間七七四年:2011/06/20(月) 13:27:28.54 ID:6sK6CohI
清正公は慈悲深いだけじゃなく、ちゃんと民がたすかるようにきちんとした政策を
うちだせる名君だったんだなあ
294人間七七四年:2011/06/20(月) 17:20:05.55 ID:FlgeKXAW
与えるだけの単なる施しと、自立支援を目的とする福祉との違いにも思える。
まわりの支援を得て、この乞食女もうまくしたら自立できるかもしれん。
295人間七七四年:2011/06/20(月) 17:39:57.73 ID:KmitDpnN
さすが清正公、神となるだけのことをされているな。
296人間七七四年:2011/06/20(月) 17:57:27.04 ID:Z7DljC7K
「銭は名主がおいしくいただきました」とかじゃなくて良かったね。
297人間七七四年:2011/06/20(月) 18:11:10.65 ID:2ePMzutb
横領するものはせいしょこ様が叱るぞ
298人間七七四年:2011/06/20(月) 18:23:32.16 ID:ErNDm2BD
熊本じゃあガチだからな、せいしょこさん。
まあ、神になった武将ってんならこのスレでも過去に出てた甲斐親英とかいるけど。
取り上げ方で言うと
清正>>>細川氏>>菊池氏>>佐々成政・阿蘇氏・相良氏以下略
とりあえず少なくともこんくらい。
そして、ライバルだったせいか黙殺されてきた小西行長も、再検証の本とか出版されてきてたり。
299人間七七四年:2011/06/20(月) 19:15:42.51 ID:pSRubQBT
清正公の治水や街づくりはガチだしな、どこで身に着けたんだろこの人
300人間七七四年:2011/06/20(月) 20:30:04.53 ID:xIb9y9br
大和大納言卿もだなぁ・・。
若いときに勉強なんぞする暇なんか無かったはずだのにな。


秀吉の一族が貧乏な農民てのはほんまの話か?
中村や御器所あたりに言い伝えとか残っておらんのか?
301人間七七四年:2011/06/20(月) 21:22:45.01 ID:x+xehhJJ
ヒデさんがちょっとマシな富農の出だったら多少形のある家臣団作ったと思うよ
嫁の弟とか又従兄とか妹が嫁いだだけの百姓とか使うくらいだからホントに身一つだったんだろう
302人間七七四年:2011/06/20(月) 21:33:19.38 ID:waVj5HWB
出自も不明確な成り上がり者連中が一体どこで身につけたんだ?な優れた知識や技能を振るう一方で
幼少から教育を十分受けられたはずの大名の二代目三代目が凡庸な出来になったり

個人の才能の差と言えばそれまでなんだろうけど
303人間七七四年:2011/06/20(月) 21:42:26.46 ID:j+ourzQx
努力しなきゃどうしようもない状況にいる人間と
努力しないでも何の不便も不安もない人間の差だよ
前者が上昇志向旺盛なら猶更その差は広がる
304人間七七四年:2011/06/20(月) 21:50:31.42 ID:bYJR+S3q
慢心、環境のry

散々家臣にフルボッコされてたNGMSは、何だかんだ言って立派に務めを果たしてたと思う。
問題はその次の代だが……。
305人間七七四年:2011/06/20(月) 22:11:55.07 ID:9TeMMTP0
前漢の将軍、李広は当時漢の皇帝であった武帝に能力を重用されており、
対匈奴戦争や反乱鎮圧に功があった。

彼は戦争中に泉を見つけても部下が全員飲み終わるまで泉の水を飲まず。
食事中にも部下が全員食べ終わるまでは食事にも手を付けなかった。
また兵士がずぶ濡れになっているときは彼も一緒に兵士と共にずぶ濡れになっていた。
最後の対匈奴戦争で功をたてられずに自噴したときには大勢の人間が涙を流した、
そのような逸話がある人格に優れた将軍であった。

そんな彼がある時に公爵を授与されない事に悩み占い師の王朝に相談した。

李広「何故私は公爵になれないのだろう」
占い師「自分の中で考えてください。なにかあるはずです」
李広「わしが若い頃に隴西の太守だった頃、羌族が背いたときに、
降伏を呼びかけた。降伏した者をその日のうちに騙し討ちにした。800人余りだった。今でも心が痛む」
占い師「それです。ふったものを騙し討ちにすることが一番悪いことです。それが公爵になれない原因です。」

人格に優れた飛将軍が降服した羌族を騙し討ちにした。そんな悪い話である。
306人間七七四年:2011/06/20(月) 22:14:50.41 ID:IQtirSfx
「桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す」
それに対して、ものいいまくりで自ずから人に避けられる奴がこのスレに
307人間七七四年:2011/06/20(月) 22:32:27.74 ID:8JktMGSN
成蹊大学がお送りしました
308256:2011/06/20(月) 22:34:50.49 ID:E1IXRovu
江戸木の文書で「誰それにこういう逸話が伝わってるけど、これって中国のあれのパクリだよね」とか
書かれてないかなー、とか思ったんだけど。
下手にそういう突っ込み入れると、逸話の人の末裔に喧嘩売るようなもんだからみんな自重してたのかな?
309人間七七四年:2011/06/20(月) 22:37:18.61 ID:Bb+8MuyX
戦国の尾張みたいな所は人のやることよく見て聞き耳立ててれば
けっこう実務的な知識が得られたのかもしれない
310人間七七四年:2011/06/20(月) 22:46:02.57 ID:8VVy8ye5
清正が土木技術を本格的に身につけたのは、朝鮮役での倭城などの建設だろうね。
311人間七七四年:2011/06/20(月) 23:16:44.27 ID:E1IXRovu
せいしょこさんは、部下に土木名人がいたんじゃ無かったっけ?
312人間七七四年:2011/06/20(月) 23:20:21.14 ID:x+xehhJJ
藤堂高虎もそうだったような
313人間七七四年:2011/06/21(火) 00:35:21.50 ID:D4MH2drP
>>308
先人の例があり、それをなぞらえた逸話があるとして、
先人の例を話としてなぞった可能性もあれば、
先人の例を正しく実行でなぞらえた可能性もある。

一級史料の無さを元に否定や議論がしたいのであれば
君のいるべき場所はここでなく日本史板だ。
314人間七七四年:2011/06/21(火) 02:25:37.75 ID:MwCbMHQ2
>>312
高虎は餅ただ食いの放浪時代には、建設現場で人足とかのバイトやってそう。
で、実地で覚えた部分もあると。
いつの時代も体力自慢が手っ取り早く稼ぐ方法は同じというか・・・。想像ですが。
315人間七七四年:2011/06/21(火) 03:40:05.25 ID:F/7Hlk/K
>>310
つまるところ、うまいこと専門知識を生かす力と、
>>289みたいに物事に対する明察が鋭かったってところか
316人間七七四年:2011/06/21(火) 07:10:37.64 ID:IHHrsGjx
多数の人間動かすのは軍事と共通する部分もあるだろうしね。
317人間七七四年:2011/06/21(火) 14:33:29.02 ID:C6FMrNMQ
ただの構ってちゃんなんだから構わなければ居なくなるだろうに。
わざわざ構うのはネタが少ないからかね。
318人間七七四年:2011/06/21(火) 19:45:31.44 ID:IHHrsGjx
319人間七七四年:2011/06/22(水) 02:41:52.13 ID:yyitA/Zd
高虎の恩返し

かつて、高虎が浅井家の足軽だったころ。
高虎は山口茂左衛門という小頭の部下だった。
高虎は貧しく、朝めしも食わず出仕してくることがよくあった。
茂左衛門の妻はこれをことのはか不憫に思い、たびたび茶漬けなどを食べさせた。
「このご恩は後々まで忘れません」
高虎はそう言ったという。

時が移り、ようやく高虎も城持ち大名になった時、
浪人していた茂左衛門は高虎のもとに呼び寄せられた。
そして、三百石取りの客分として召抱えられたのである。

藤堂家中で茂左衛門は「殿」付きで名を呼ばれ、丁重に扱われたという。
                            (おきく物語)
320人間七七四年:2011/06/22(水) 20:25:32.91 ID:w0d/BnPG
蔭木城の合戦異聞

文明15年、赤松政則の領国は山名政豊の猛攻に曝されていた。

まず備前の福岡城が窮地に陥ったが、政則は宿老・浦上則宗らの意向を無視。
兵を備前ではなく、但馬との国境に向けたのだった。

そして真弓峠で雪に動きを封じられた政則は、山名の本隊に襲われ、政則も一時行方不明に
なるほどの大敗を喫することとなり、さらには福岡城も陥落。

政則は浦上則宗らによって主君の座を追われ、赤松領の大部分も山名に奪われてしまった。
(この後、政則は堺から入京し、幕府の有力者の間を回って将軍から家督を安堵され、
やがて密かに浦上則宗と和睦し、突如戦線に復帰することになる。)

だが、政則は「無双之勇者」だ。
文明17年閏3月27・28日に垣屋一族が籠もる山名勢の拠点「森岡之城」(蔭木城?)を
攻め落とし、大勝利を収めたのだ!
321人間七七四年:2011/06/22(水) 20:28:40.28 ID:w0d/BnPG
赤松政則は、この戦の前に春日大明神に加護を願っていた。
「我に力を貸してくれるのであれば、一村を寄付しよう」
それも、山名が横領した我が興福寺の旧領の返還した上にである!

そして戦いが始まった。
そこには城中へと、凄まじい勢いで突入する者の姿があった。
春日大明神の御遣いである「神鹿」が現れ、山名勢に突撃したのだ!

城内はたちまち大混乱に陥り、大打撃を受けて落城。
垣屋という名字のものはことごとく討ち取られたのである!

興福寺に備前肩背郷の一部が寄付されたのは何を隠そう、
当社の大明神の御神徳によるものなのである!!

(神鹿馳入敵之城中、其以来山名方城中無正体落畢、垣屋名字悉終了、
依之別而披寄附之条、当社大明神之御神徳也)

興福寺=春日神社の、なんとも調子のいい話。
(多聞院日記)
322人間七七四年:2011/06/22(水) 20:35:05.92 ID:FY1c3s4t
多聞院記って本当に信頼性高いのか一発で疑問に思いましたw
323人間七七四年:2011/06/22(水) 22:36:21.20 ID:yQpav8Tb
多門院日記に対する批判では、
歴史学者ではなく心理学者である
故河合隼雄による批判が面白かった。
324人間七七四年:2011/06/22(水) 23:17:16.85 ID:NYISfxRj
詳しく
325人間七七四年:2011/06/23(木) 00:26:05.07 ID:fT968J4e
虚覚えだったんで再度読み返してみたけど、
多聞院日記に対する批判というより、
多聞院英俊(多聞院日記の主な筆者)に対する批判だった…。
まぁ一応、妙恵とその夢の記録について書かれた本の、
最初の方に少し触れられてる。要約すると…

英俊は夢を多く記録したが、
夢に対して具体的な意味を持たせようとしすぎ、
自分の願望と現実の区別を冷静に判断出来ていない。
一例を挙げるなら、天正14年正月元旦の日記に
「昨夜夢ニ発句、誰トモ知レズニ、花ちりて色も香もなき梢哉、とありしニ、
愚、おとづれ帰るかりの一つら、ト付ケ了ンヌ。夢ノ如クンバ、
三月末ニハ当国衆古里へ帰ルベキカト解キ了ンヌ」
(昨夜夢で誰かは分からないが、「花ちりて色も香もなき梢哉」と発句があり、
 私はその続きに「おとづれ帰るかり(雁)の一つら」と付けた。
 この夢は三月末に筒井氏が大和の国へ戻ってくると解釈する)
とありその下に小さい字で「後日云、少シモアワズ、雑夢々々」
と書き加えている。

これは(英俊が嫌っていた)秀長が筒井の代わりに大和に入った事に関係した夢であるが
英俊は雁が帰る様をイメージした事を、
直接的に当国衆(筒井氏)が大和に戻ってくる事と結びつける。
しかしこれは間違った解釈で、筒井氏関連で解釈したとしても、
英俊自身が筒井氏に戻って来て欲しいと思っている、という事だけである。
夢は多義的である為、それを判断するなら一度現実に戻って考え、
実際に筒井氏が復帰する可能性があるかを検討すべきである。
それを雑夢と夢の方を非難して夢を見た自分の反省をしていない。
(後略)

大体こんな感じ。
他にも長年修行を積んだ僧の持つイメージとしては物足りないとか、
夢の咀嚼力が足りないとか、
臨床心理学的な立場から散々な評価をしてる。
326人間七七四年:2011/06/23(木) 00:33:03.48 ID:colwvU2r
なかなか興味深いお話だった
しかし、あの時代の人間は総じてロマンチストが多いからなぁ
これは俺の願望、これは夢、なんて野暮な分析はせんだろうに
327人間七七四年:2011/06/23(木) 05:56:31.58 ID:DZ1Yd4zz
明恵がすごすぎるという話なんだけどね。
「他にも夢を記録していた僧はいるが、みんなすごいわけではない」
という例に英俊さんが引っ張り出されてしまったw
328人間七七四年:2011/06/23(木) 07:48:34.06 ID:KZqkjcSv
中世的には神鹿が出てきて勝ちました。でOKじゃないか。
329人間七七四年:2011/06/23(木) 08:56:52.37 ID:j22Eelg/
動物奇想天外ランページは軍記必勝パターンの一つだからな
330人間七七四年:2011/06/23(木) 20:18:55.15 ID:/Kl6Gu2p
神の使いのヘビを食い殺したら鉄砲で撃たれて死んだ鬼が居たな
331人間七七四年:2011/06/23(木) 22:50:39.33 ID:70Z4hefz
>>325
夢の話ならまだあるぞ


信長と聖徳太子

三河の僧侶・可心が10年前(天正元年)に見た夢を法隆寺の学侶・栄甚経由で多聞院栄俊が聞いた話と
して紹介されている。

内容は「可心の夢の中に聖徳太子が出てきて『天下を治められそうなのは朝倉義景・武田信玄・織田信長
の3人である。しかし、義景には才能がなく、信玄には慈悲の心がないから、信長しかいない。私(聖徳太子)
が源頼朝に遣わした太刀が熱田神宮にある。それを早く信長に遣わすように。」と言ったところ、可心は聖徳太
子のお告げ通りに熱田神宮から太刀を信長のもとに持参した。太刀を見た信長は「ワシも確かにその夢を見た
とてもめでたいことである。」と大いに喜び、栄甚の寺の再興を約束したという。
(多聞院日記 天正10年3月10日条)

ちなみに以上の夢想譚は織豊時代の王権論についての学術論文で紹介されている。
332人間七七四年:2011/06/23(木) 23:23:54.23 ID:sX/1z2qL
>>329
マジック・ザ・ギャザリングか
333人間七七四年:2011/06/24(金) 02:08:06.44 ID:toclH5O3
>>331
こんな話あったんだ

近衛前久の話で、武田征伐の帰り道、三河の聖徳太子由来の寺に泊まったら
そこで太子由来の話だか物品だかを見聞きして、後日そのことを信長に話したら
「天下が落ち着いたら二人で見に行こう」と約束した。しかし本能寺の変であの
約束は二度と適えられなくなってしまった、と嘆いたという

細かいところうろ覚えなんだけど、こんな話が前久の日記だか手紙だかにあるそうだ
334人間七七四年:2011/06/24(金) 09:18:11.06 ID:mCcEOogm
近衛さんと信長の話は心暖まる話が多いね
当時、友人になり得たのは立場が違う人だけだろうからねぇ
335人間七七四年:2011/06/24(金) 09:55:00.50 ID:sEXZdTcG
近衛さんは天然っぽいからな〜
天然系には信長さんは割と甘いっていう印象www
336人間七七四年:2011/06/24(金) 10:03:58.29 ID:cpnCkQ16
甲州攻めに観光目的でついて来た近衛。
信長公が東海道を通って帰ると聞いて
同行したいと言ったところ「おめーは中山道から帰れよ」と
断られたのは仲良かったから
337人間七七四年:2011/06/24(金) 10:14:30.69 ID:RTNHZ4No
>>336
それははっきりした後世の作り話な。
信長の傍若無人さを強調するために作られたのだろう。
338人間七七四年:2011/06/24(金) 20:53:24.69 ID:IdPMOG+4
会社の社報に乗ってた話で、まとめサイトにも無かった藤堂高虎の話でこんな話があったので。彼の意外な一面が。

黒田官兵衛と仲が悪かったと言われている高虎さんですが、あるとき、その事を知っている側近と高虎さんがお話していた時のこと。

色々雑談でもしていたのだろうか、話の最中に黒田官兵衛の名前が出てくることとなった。

その時、高虎と官兵衛の仲が悪い事を知っていた側近は、色々おべっかをつかって悪口をつらつらと言ってご機嫌を取ろうとするのだが、

彼は黒田官兵衛について色々と悪口を言っておべっかを使う側近に対し、こんな事を言った。

「そんな事で俺が喜ぶと思っていたか。おべっかを使ってご機嫌を取ろうと思ったつもりだろうかそんなことで俺は喜ぶようなことはない。お前なんぞクビだ」(内容は少しうろ覚えですスマソ)
といい、側近をクビにしてしまったという。

柔軟な性格だと思われていた高虎さんですが、意外と頑固な一面があったようです。また官兵衛さんとも仲が悪かったというのも驚きです。
339人間七七四年:2011/06/24(金) 21:01:18.58 ID:RTNHZ4No
>>338
もしかしたら黒田長政のことが官兵衛さんの話になったのかも知れないな。
長政に関しては三斎様が

「黒田の奴、藤堂殿とも関係悪くしやがったwww!」

と大喜びで息子に報告してるから。
340人間七七四年:2011/06/24(金) 21:02:22.65 ID:bwWU0vBN
自分の知ってる話では長政さんの悪口だったな
如水さんバージョンもあったとは知らなかった
341人間七七四年:2011/06/24(金) 21:04:29.99 ID:7ph5dKKC
高虎さんに薄っぺらなおべんちゃらとか絶対通じるわけねぇよなあ。
342人間七七四年:2011/06/24(金) 21:19:45.30 ID:s6y0vVqT
媚びへつらう人間に信を置かないのは上に立つ者の当然の心構え
343人間七七四年:2011/06/24(金) 21:20:03.92 ID:wzTqh/Ox
>>339
忠興性格悪いなwwww
344人間七七四年:2011/06/24(金) 21:21:20.83 ID:mjL1+B0o
この側近は次の奉公先でも同じ間違いをしでかしそうだ
で、七度主人を替えることに
345人間七七四年:2011/06/24(金) 21:48:29.28 ID:lzBTSYpa
三斎は高虎と仲良いんだよな
んで長政は高虎と犬猿の仲の加藤嘉明と仲良し
領土接してるからいざこざ耐えんのだろうけど

北九州  忠興 vs 長政
       |     | 
伊 予  高虎 vs 嘉明

ちょうどこんなイメージ
346人間七七四年:2011/06/24(金) 22:43:36.23 ID:IdPMOG+4
>>345
えっ、何その四角関係www
347人間七七四年:2011/06/24(金) 23:37:09.66 ID:B0oxYrCp
>>345
ひねくれ者VS脳筋って感じだな
348人間七七四年:2011/06/25(土) 01:28:07.07 ID:j+KHzWlE
しかもこれ、後に高虎と黒田が仲直りして三斎涙目というオチまであるんだよなw
349人間七七四年:2011/06/25(土) 01:44:26.38 ID:zZqguVuk
>>345
三斎さんとジミーさんの関係は?
350人間七七四年:2011/06/25(土) 03:43:47.23 ID:rYzsurJA
>>349
一応親しかったみたい。
(参考ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2045.html
ただ地味加藤さんも地味にひねくれ者だから
賞賛の言葉も額面どおりに受け取って良いものやら…


余談だけど長政の元を飛び出した後藤又兵衛は嘉明と仲が良く、
(叔父が伊予長生寺の住職をしていた関係か?同寺には伝又兵衛の墓(首塚)がある)
大阪の陣前に家族を預けていったとか、
生き延びてその領内で農民として大往生した、などという逸話が残る。

又兵衛同様、主の嘉明と喧嘩して出奔した塙団右衛門の墓(樫井古戦場の五輪塔とは違う首塚)は
細川家菩提寺の京都大徳寺高桐院にあると伝わる。
(一般未公開。掃除夫さんに尋ねてもよく知らない様子だった)
忠興と団右衛門の関わりが全く分からないけど、親しい嘉明に仕えていたときに面識があったのかも。
351人間七七四年:2011/06/25(土) 03:53:45.49 ID:rYzsurJA
ミスった訂正
×長生寺 ○長泉寺
352人間七七四年:2011/06/25(土) 14:55:31.33 ID:QGtViKmp
天正18年(1590)10月中旬、奥州中部の旧領主が新領主・木村吉清の統治に反発し造反、名生城等を落とし、
佐沼城に木村親子を押し込めた。いわゆる葛西大崎一揆である。

直ちに近隣大名へ一揆鎮圧の命が下り、これを受けた蒲生氏郷は同年11月初旬、陣触れを家中に発した。
しかし、
「この寒さ、かなわぬのう。わしら近畿者には、たまらんわい。」
「ほんに。しかも今年は、この大雪じゃ・・・」
伊勢松坂から会津にやって来た蒲生武士たちは、奥州の冬を前に士気が下がるばかりだった。


「汝ら、何をヌルいことをぬかしおる。わしを見よ!」
「おおお、殿!そ、そのお姿は・・・!!」


“而も其日、大雪降りて寒かりしに、氏郷諸勢を見せしめとや思はれけん、直膚に鎧計りをぞ着せられける”
(氏郷記)
マッパの上に鎧着用という、武田“素肌攻め”勝頼さんもビックリの斬新なファッションである。


「や、やはり殿は違う。我らも見習わねば・・・!」
大将の雄姿に気力を取り戻した蒲生軍は寒風の中を突き進み、11月16日には早くも名生城を奪還した。
353人間七七四年:2011/06/25(土) 16:35:00.25 ID:pzR3pCxo
大雪の中で素肌に金属って皮膚に張り付きそうで怖いな
354人間七七四年:2011/06/25(土) 17:14:47.70 ID:xSBznJQA
金属?
355人間七七四年:2011/06/25(土) 17:58:47.85 ID:YEgy5ewX
マッパに鎧とか、なかなかロックだ…
356人間七七四年:2011/06/25(土) 19:28:50.52 ID:ZRqnCaRm
裸エプロン的なイメージが・・・
357人間七七四年:2011/06/25(土) 19:31:13.27 ID:+XTkAdVH
吹雪の日はピアスや指輪つけてるだけで痛いのに鎧w
あ、皮なのかなw
358人間七七四年:2011/06/25(土) 19:34:05.12 ID:R0KZGGb7
物凄い体育会系臭がするw
359人間七七四年:2011/06/25(土) 19:42:14.73 ID:tH8QJcPj
そういえば和紙で出来た鎧もあったというからそれかもしれんね
和紙は暖かいし
360人間七七四年:2011/06/25(土) 20:25:08.53 ID:qwcrzbAt
大陸には布に鉄片を打ち付けた防寒兼用の鎧があったけれど
日本にはあったのかな。
361人間七七四年:2011/06/25(土) 20:57:10.33 ID:CwXE4ukE
体を動かせば暖まるよね
冬のマラソン選手みたいな感じで
362人間七七四年:2011/06/26(日) 00:46:44.61 ID:k9duF8mx
本多忠勝が大多喜城主であった頃の話。

彼には「こまつ」という姫があり、忠勝は彼女を大変可愛がっていた。
姫は大変利発で、周りからもたいそう可愛がられすくすくと育ち、いつの頃からか剣術にも熱中し、
城の庭からは「えーい!」「やあー!」というような可愛い声が聞こえてきて、大多喜の人々は
それをとても微笑ましく思い、いつも姫のことを話題にしていたそうだ。
そんなある日のこと

姫が城下に遊びに出かけ、あぜ道を歩いていると突然、叫び声が上がった

「狂いシシだー!!」

なんと、巨大な猪が猛然と駆けてきたのだ。
人々は慌てて逃げ出す。ところが猪の走ってくる方向の畦に、赤ん坊の入った竹籠が!

「誰か、子供を!子供を!」

母親が叫ぶ。迫る猪。と、その時である!

姫はとっさに赤ん坊をだきかかえ母親に渡す。そして振り向きざま、迫ってきた猪に

『ガッ』

一閃!猪に一太刀を浴びせる!

大猪は叫び声を上げ竹やぶへと逃げた。姫、さらにこれを追いかけ竹やぶに入り猟師の仕掛けた
猪罠の方向にこれを追い込み、見事捕らえた。
そして姫は人々に

「これで大丈夫。もう心配しなくていいよ。」

と、声をかけた。
この時竹やぶ越しに陽の光が姫にそそぎ、キラキラと輝いているように見え

「なんときれいなんだ。輝くように美しいとはまさにこのことだ。」

と、城下の人々は感嘆し、彼らはこの日から、姫のことを「かがやく姫様」と呼ぶようになり、やがて言葉が縮み
「かぐや姫」となった。

このような事もあり、姫は城下の人々から大変慕われ、彼女が信州上田の真田信幸との結婚が決まり
大多喜を離れる時には、城下の人々皆が見送ったという。

そして、姫が去った大多喜では、この姫様のことを忘れないよう、筍をつかった炊き込みご飯を「かぐやご飯」と
呼ぶようになった、と云う。

大喜多に伝わる、『こまつ姫とかぐやご飯』というお話。

(浅井清恵 ふるさと民話さんぽ「広報おおたきNo.427」より)
363人間七七四年:2011/06/26(日) 00:49:41.69 ID:k9duF8mx
あ、最後の行、なんか変なことにw:

×大喜多 ◯大多喜 です。
364人間七七四年:2011/06/26(日) 01:09:16.55 ID:htS1QpnD
>この時竹やぶ越しに陽の光が姫にそそぎ、キラキラと輝いているように見え

こまつ姫についたあだ名が真田家繋がりで小松明・・・な訳ネーか
365人間七七四年:2011/06/26(日) 01:11:34.46 ID:MSxHVO8u
我が家から光が消えた、と信之が嘆いたとされる話は
小松明のような恐ろしい存在がいなくなった、という意味だったのか
366人間七七四年:2011/06/26(日) 01:47:41.54 ID:gyuGdQe1
民明ネタかと思った
367人間七七四年:2011/06/26(日) 08:08:46.59 ID:legXsIAX
ごめんなさい、「かがやく姫様」と書かれているにもかかわらず
『こまつ姫とかやくご飯』に空目してしまいました・・・
368人間七七四年:2011/06/26(日) 09:06:49.73 ID:yxoy3sXT
早く朝御飯食べちゃえよw
お腹すいてんだろ
369人間七七四年:2011/06/26(日) 09:46:29.28 ID:legXsIAX
>>368

さっき遅めの朝食を取ってきました。
お腹が満たされたところでこんな逸話を。

朝鮮の役では補給が途絶えがちであり、 兵糧不足に悩まされることも度々であった。
慶長の折、五島氏の使いが「兵糧が幾らか不足しており、分けて頂きたい」と島津義弘の陣を訪れた。

兵糧不足はどこも同じであり、五島氏の使いが方々で断られていたことを家臣達は知っていたので
「お気の毒ですが断るしかありますまい」という意見が大勢であった。これに対し義弘は
「他家へ使者を出すということは余程兵糧に困っているのであろう。その困窮は『幾らか』どころではあるまい。
 当家の兵糧も些か心もとないが、コメの一粒も余裕がないわけではなかろう」
といったが家臣たちは承服しがたい様子。
島津家が秀吉に九州制覇の野望を挫かれたに対し、
五島氏は即座に秀吉に属し本領を安堵されていたことも関連していたかもしれない。

だが義弘は続けた。
「かの家と当家はいきさつこそ違えど、今は供に太閤殿下の下で戦う間柄ではないか。
 過去の事を槍玉に挙げて、窮地にある味方を見捨てたとあらば、今後当家と友誼を結ぼうとする者はおるまいぞ。」

この言葉に承服した家臣に重ねて義弘は命じた。
「少しでもよい、分けて進ぜるように」
そこで兵一人あたりの一食の量を少しづつ削ることで兵糧を工面し、五島氏の陣へ届けさせた。

「過去に拘って今の味方に仇をなすな」と五島氏を助けた義弘が
後の関ヶ原で立花宗茂に同じような言葉で救われていることを思うと
いろいろ考えさせられる逸話です。
370人間七七四年:2011/06/26(日) 12:45:22.35 ID:V6rKFqJA
ええ話や・・・政宗は維新入道の垢を飲むべき
371人間七七四年:2011/06/26(日) 13:21:11.46 ID:c5tRMKNJ
情けは人のためならず
372人間七七四年:2011/06/26(日) 15:35:01.48 ID:0b95RVOt
>>348
高虎加藤は会津行きの件で和解した話があったけど
高虎長政も和解した話あったっけ?
藤堂黒田の縁談が破談になって3歳様が国許への手紙で笑ってる話はあったけど
373人間七七四年:2011/06/26(日) 16:37:06.31 ID:Lb+cSQ1C
>>369
島津の情けある行為は、朝鮮在陣の諸将の間で評判になったはず。
当然、完璧超人の耳にも届き、記憶に残る。
これが関ヶ原後の、親の仇は過去のこと、今は味方の島津を助けよ
につながるんだろうね。
374人間七七四年:2011/06/26(日) 17:26:41.77 ID:Af5ek8/E
>>372
黒田と藤堂が和解したというのは、長政晩年の話のようだ。
忠利の手紙の中にその話が噂として出てた。

藤堂黒田の縁組と破談の話は、忠之の代に起こった話だな。
375人間七七四年:2011/06/26(日) 23:01:03.13 ID:9WF9L7wJ
>>362
真田昌幸「本多家に謀られたかぁ!」
376人間七七四年:2011/06/27(月) 12:25:41.46 ID:5OzUQKns
黒田如水は事あるごとに馬鹿な行いを好み、無造作な生まれつきであった
(如水は事毎に、馬鹿の行を好み、無造作なる生付なり。)

如水が中津川の下屋敷に、作事を申し付けたことがあった。

ところで手塚久左衛門という者、吃りが大変ひどく、口で物を伝えることは殆ど出来なかったが、
心立てが正直であるということで如水はこれを可愛がり、徒の者(下級の侍)とも
無足(知行の無い奉公人)とも解らないような形で召し使っていた。
そんな手塚が、この下屋敷の作事の奉行を申し付けられた。

ある時、如水は工事の模様を見て回ってから帰り、広間を開け放して、上座にあって
碁を打っていた。そこに手塚が、何か用のある様子でやって来る。
その間が6〜7間(約11〜12メートル)も隔たっているときに如水声高に問うた

「何か用か!?」

これに手塚、歩きながら4,5語呟いたが、吃りで何を言ったか解らぬものであった。
ところが如水、碁を打ちながら

「材木がないのなら買え」

と、申し付けた。そう、手塚は材木が無くなったので、買うべきか役人に言って切り出させるべきか、
それを尋ねに来たのである。
これを聞いて手塚、物も言わずにまた戻って行った。

この類は如水にとっていつもの事であった。彼は戸障子を立てたり、屏風などで自分の周りを
囲むことを嫌い、部屋をいくつも開け放しにし、お目見えのものが来ればすぐに見つけ、言葉を
かけるようにしていた。
なので冬のどんなに寒い日でもだいたいは、夏の住居の方に居たそうである。

如水の無造作、というお話
(古郷物語)
377人間七七四年:2011/06/27(月) 12:46:04.77 ID:/mCieMKb
見覚えがあるな、この話
378人間七七四年:2011/06/27(月) 14:25:34.49 ID:Do/OPPY8
最後の開けっ放し好きのエピソードは初めて見た希ガス
379人間七七四年:2011/06/27(月) 17:02:16.99 ID:wAnmUXar
腹黒いから聞き耳立ててんだろ如水w
380人間七七四年:2011/06/27(月) 17:44:16.12 ID:khBq5lIB
超時空太閤H「ワシや如水くらいになるとな、
      戸障子を閉めていると何か謀って居るのではと思われてしまうのだ」


しかしこの前の基地外呼ばわりといい
黒田の大殿は家臣からどんだけ気兼ねなく思われて愛されてるんだよw
381人間七七四年:2011/06/27(月) 19:23:09.22 ID:Ehm+OxDs
このまえの悪戯らをして懲らしめられた小物のはなしもそうだったけどふつうは目端の利いたものをまわりにおくけど黒田のご隠居はそうでもないのね
382人間七七四年:2011/06/27(月) 21:39:42.99 ID:qiRBJaFl
どこででもやっていけるような家臣はちゃんとした藩の役目を与えるべきで、
隠居の世話なんぞ難点のある奴でも十分だ、それにオレなら余裕で使いこなせるし
みたいな感じだったのかも?

単に変わり者ってのももちろんあっただろうが。
383人間七七四年:2011/06/27(月) 22:13:00.03 ID:khBq5lIB
あれだけの才能があっても太閤に睨まれて隠居せざるを得なかったんだから
持て余した才気が溢れ過ぎてやり場がないから助言魔になってしまったのかも
ワザとそういう奴らばかり集めて誰かが何かやらかしたら
待ってました〜♪とばかりに飛び出してきて
いいかお前ら〜とか言いたくてウズウズしているとしか思えんw
384人間七七四年:2011/06/27(月) 23:40:44.99 ID:C5IoS2NX
一癖も二癖もある奴で溢れかえると、その手の扱いに慣れた親父はともかく、息子が苦労するわけだな。
385とんち三題 1/3:2011/06/28(火) 01:08:06.71 ID:uGaN+LFH
ある春の日、関白秀吉が大きな胡銅の鉢に水を満たして床の間に置き、傍に梅一枝を添えた。

秀吉は千利休を呼ぶと、「この鉢に、その梅を生けてみよ。」と指し示した。

見ていた秀吉の小姓たちは「これは難題じゃ。」とざわめいたが、利休は平然として梅の枝をつかむと、
鉢の水に梅を浸した。そのまま利休は枝をしごき、花の落ちた枝を鉢に静かに沈めた。

枝から離れた花とつぼみは水面に浮かび、あたかも湖面に梅花散る如き、実に趣ある風情となった。

小姓たちはうなり、秀吉も「利休め、何を申し付けても困らぬやつじゃわい。」と言って上機嫌だった。
(茶話指月集より)
386とんち三題 2/3:2011/06/28(火) 01:10:54.88 ID:uGaN+LFH
井伊直孝が家老の庵原主税助を訪問した時のこと。

直孝が主税助邸の門をくぐると、一匹の唐犬が飛び出し、猛然と吼え騒いだ。普通ならあっぱれ忠犬よ、
と褒めるところだが、直孝にはその犬に見覚えがあった。自分が主税助に下賜してやった犬だった。

「こやつ、旧主の恩も忘れおって・・・誰かある!この犬の耳を刈り取ってやれい!!」

聞いていた重臣の岡本半介が主税助邸の厩に駆け込み、大バサミを持って来ると、直孝の前に差し出した。

「なんじゃ、それは。」
「はっ、馬のたてがみを切り揃えるハサミにございます。」
「それは知っておる。わしは『誰か』に犬の耳を刈れ、と言ったのだ、わしが刈るわけではない!」

「いえ、ですから、まずは殿が範をお示し下され。それ、殿が江戸の御城に出仕されれば『犬』など
いくらでもおりましょう。あれからお刈りになられては?」
「・・・・・・っ!!半介、よくぞ申した。」

冷静になった直孝は、機嫌良く主税助邸に入って行った。(雨窓閑話より)
387とんち三題 3/3:2011/06/28(火) 01:13:21.55 ID:uGaN+LFH
ある日、真田信之が法度を出した。
「天下泰平の折、当家も他家との付き合いが増える。よって、貧乏臭く見栄え悪い紙子羽織等の
着用を禁ずる。守れぬ者は、わしへの目通りを許さぬ。」

ところが、しばらく経った冬の日のこと、近習の児玉三助が紙子の衣服を着て信之の前に参上した。

「三助、その服は紙子ではないか?」
「いかにも。」
「紙子を着る者は、目通り不要と申したではないか!」
「しかし殿、拙者のような貧乏人は一片の理あって、紙子を用いておるのです。」
「・・・ふん。では、その『理』とやらで一首詠んでみろ。確かに理あれば、金をくれよう。」

「では、一首。えー、“いにしへの 鎧にまさる 紙子には 風の射る矢は 通らざりけり”
(貧乏人には、紙子とて寒風という名の矢から身を守る、名工の品に勝る鎧です)
いわば、泰平の世の鎧にござる。武士が鎧を着たところで、見苦しくはありますまい?」

「うーむ、でかした三助!!それ、約束の金だ。」
信之は三助に小判五両を与えたが、三助は不満顔であった。

「さてさて、殿には例の如く吝きことかな。始めの約束を違えるとは。」「なんと、三助!この期に及んで何を申す!?」
「殿は最初に『金をくりょう(九両)』と申されました。これではまだ足りませぬな。」
「・・・こやつめ、ハハハ!」
「ハハハ」信之は笑って、残りの四両を払ってやった。(真田家御事蹟稿より)


以上、殿様が思わず苦笑するとんち三題でした。長々失礼。
388人間七七四年:2011/06/28(火) 01:46:25.21 ID:ydDYDTtU
最後落語みたいな話だな
389人間七七四年:2011/06/28(火) 06:07:00.61 ID:43gWEWjW
短気な武将ならさらに4両追加でくれなんて言ったとたんに首が飛んで
悪い話になったかもしれんな
390人間七七四年:2011/06/28(火) 07:12:07.15 ID:/ple+JRY
>>383
ひこにゃんの話がイマイチわからないんだが
391人間七七四年:2011/06/28(火) 07:14:22.11 ID:/ple+JRY
安価は気にしないで
392人間七七四年:2011/06/28(火) 07:15:05.37 ID:J8cId5GD
あの世に置いてあるから取って参れ!
とかな
393人間七七四年:2011/06/28(火) 07:17:21.10 ID:S0FYNHot
豊臣恩顧の大名のことじゃないかな
394人間七七四年:2011/06/28(火) 08:55:52.85 ID:thxe7RRd
>390
江戸城にいる大名を、豊臣の恩を忘れた罪で耳を切ってきたら俺もこの犬の耳を切ってやんよ。
ということではないか。
395人間七七四年:2011/06/28(火) 09:41:38.36 ID:fSm/WGTc
なるほど犬の話にそんなバイオレンスな意味が含まれていたのか
396人間七七四年:2011/06/28(火) 13:19:28.57 ID:UhAllmNE
嘘臭い説教話かとおもいきやきつい風刺だったのか
397人間七七四年:2011/06/28(火) 15:37:07.17 ID:iirCi1zh
東のミスターパーフェクトも笑うしか ないなw
398人間七七四年:2011/06/28(火) 17:43:50.65 ID:pzigmYUZ
例外は西の完璧超人だけか。
情けなや豊臣恩顧つう話だな。
399人間七七四年:2011/06/28(火) 18:53:57.11 ID:LRkFKml/
400人間七七四年:2011/06/28(火) 22:20:30.18 ID:7zbVm9lT
いい話か悪い話か覚えてないんだけど
篭城側がもはやこれまでと爆薬使ったら(爆弾正ではない)
城の天守が浮き上がった話って誰(どの城)の逸話だったっけ?
401人間七七四年:2011/06/28(火) 22:28:08.68 ID:pWVt0quE
>>400
天守、爆破で調べたら
北之庄城
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4769.html
弘前城(ただし、落雷のため)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2140.html
がでてきた、でもどっちも違うか
402人間七七四年:2011/06/29(水) 00:34:29.06 ID:uRTYjHgl
地震(帰雲城)、雷(弘前城)とくれば火事、親父だが
火事親父で酷い目にあった城ってあるの?
403402:2011/06/29(水) 00:36:17.51 ID:uRTYjHgl
冷静に考えたら火攻めがあるわけだから愚問だった
404人間七七四年:2011/06/29(水) 00:47:30.29 ID:auohSjpx
>>402
親父でひどい目に合ったのは上田城かな?
405人間七七四年:2011/06/29(水) 00:56:25.92 ID:UbOkl55Z
火事=失火だったら安土城とか臼井城とかあるな
406人間七七四年:2011/06/29(水) 01:02:24.40 ID:sBD2NjZy
親父も父と子で争った家は
戦国ではいっぱい居るしなぁ
407人間七七四年:2011/06/29(水) 01:15:18.21 ID:nR+sDuJE
じゃあ台風は?
408人間七七四年:2011/06/29(水) 07:51:55.24 ID:PFSIqWVh
伊賀上野城は台風で天守が吹っ飛んだんじゃなかったっけな。
409人間七七四年:2011/06/29(水) 09:18:13.75 ID:yk+nYHkh
加藤清正が熊本から江戸に参勤する時は、熊本より堺まで船で出て、そこから陸路を取ったそうだが、
さて清正の船が着くと知ると、五畿内中の馬喰(馬商人)たちは大阪・伏見で売る馬をすべて、
清正のもとに引き連れて行くほどであった。

清正は馬数寄であるため馬の目利きも大方上手で、集まった幾多の馬を見て、気に入った馬を
10疋も15疋も選びとり、それらをまとめて幾ら程と値段を決めて一度に買い取った。
そのため個々の馬がいくらほど、と言うことは知らず、過剰に代金を払ってしまった馬があっても
解らない、と言う事だったそうだ。

ある時伏見において、三人の馬喰が合わせて18疋の馬を清正のもとに引き連れてきた。

清正はこの内9疋を気に入り買い取ったのだが、一人の馬喰は7疋引き連れてきた内、
6疋を買い取られた。その時この馬喰申し上げるは

「今日、お買い上げいただいた馬たちの中で、私の馬は6つ、御意に入って買い取っていただきました。
そのため私のもとには1疋残ったのですが、7疋引いてきてお目に懸けた中で、1疋だけが御意に入らず
連れて帰ったとあれば、私も大変外聞が悪いのです。
商いにも忝と言うものがあります。この馬を、忝に差し上げ申します。」

そうして残った馬も清正の厩に入れて帰っていった。

この事は珍しい商いの忝の例であると、当時の京童たちの話題となったそうだ。
(續撰清正記)
410人間七七四年:2011/06/29(水) 14:25:49.91 ID:mCBrGbLd
後のジャパネットである
411人間七七四年:2011/06/29(水) 17:36:27.72 ID:ihTp9cQl
>>374
それは知らなかった、さんくす。
てか長政て高虎より早死にだったのかよ!?

>>345
友人関係で加えるなら忠興組に政宗、長政組に市松かな?
何と豪華な6人タッグマッチw
412人間七七四年:2011/06/30(木) 11:26:53.45 ID:6ccb+V0w
文禄三年、秀吉により宇治川の普請を命じられた前田利家は張り切り、自分ももっこをかついで土嚢を運んだ。
片棒をかつぐ家臣が慣れない作業で転んだり、妻のまつに
「大納言の身で、もっこをかつぐのですか?」とからかわれたりしたが、利家は笑いながら働いた。

一人、前田利長は父たちの笑い声に背を向けていた。(其時肥前殿、後むきに御座候)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5171.html
の騒ぎを起こした父が、何事もなかったかのように笑って働いているのが許せなかったのだ。

前田親子の不仲の噂は、ついに太閤秀吉の耳にも届き、秀吉は二人を呼び寄せた。
「この騒動、喧嘩両成敗とする。まず大納言、名物の雁の絵を持っておったな。没収する。」
「・・・はっ。」
利家は、しぶしぶ秘蔵の雁の絵を差し出した。

「次に肥前守。この雁の絵を授ける。以って戒めとするように。」
(はて、こんな物をもらえば、かえって褒美になるのでは?・・・・・・!!)


雁の親は芦の葉をくわえて渡り、休息の際には葉を子に口渡しする。子はその葉を水辺に浮かべて
足がかりとして休む、という伝説がある。
また、この時代広く読まれた『曽我物語』には、曽我十郎が雁の渡りを見て、
「雁さえも家族で生きているのに、我らには父がいない。」と父親無き身を嘆き、父の仇・工藤祐経への
復讐の誓いを新たにする、という下りが存在する。


「も、申し訳ございません殿下!」
「分かればよろしい。」
三年前にわが子を亡くし、二年前に孝行を尽くした母を亡くした天下人は、それ以上は前田親子を
責めようとはせず、仲直りした親子と世間話などした後、帰っていった。(利家夜話より)
413人間七七四年:2011/06/30(木) 16:58:45.51 ID:74zMf897
この頃の殿下はまだまともだった頃の話だな
414人間七七四年:2011/06/30(木) 16:59:16.98 ID:W3/dDKsa
 江戸城とか駿府城とか、江戸時代に入ると火災で焼失した天守も少なくないですが、戦国時代だと……?
415人間七七四年:2011/06/30(木) 17:08:46.14 ID:hFy0+Ryr
>>414
安土城。
416人間七七四年:2011/06/30(木) 18:56:45.67 ID:WgHKr5gA
>>414
信貴山
417人間七七四年:2011/06/30(木) 19:03:12.28 ID:4F7OT/lL
そういえば安土以前に天守があったとされる伊丹城や越水城、義昭二条城なんかも天守は
失われているなあ。
418人間七七四年:2011/06/30(木) 20:29:54.78 ID:Gi7y362l
>>416
信貴山は爆災だべ
419人間七七四年:2011/06/30(木) 22:13:48.76 ID:krS3LJVU
>>414
北ノ庄城、田丸城
420人間七七四年:2011/07/01(金) 20:16:55.58 ID:G7z4hUmy
>>386
意味が分からないな
とんちなのかこれ
421人間七七四年:2011/07/01(金) 20:40:30.77 ID:Fns/x3NW
>>420

直孝「誰か旧主の恩も忘れた唐犬を殺せ!」
家臣「まずは貴方が手本を示してくれ、
幸いお城(江戸城)に出仕すればイヌ(豊臣の旧恩を忘れて徳川に寝返った者達)などいくらでもいるでしょ?」
こんな唐犬殺す前にそいつら殺せば?」

つまり
「そんな犬殺したってどうにもならないし、
旧恩忘れたイヌだって(今は徳川に付いてるわけだから)殺せばタダでは済まない。
もうちょっと冷静になれよ」
という諫言。
422人間七七四年:2011/07/02(土) 01:18:55.30 ID:D7vAOSug
立花宗茂 よい話(前) 「敵は勇将、故に勝機あり」
慶長3年(1598年)第一次蔚山の戦いの時、日本軍諸将は救援の為釜山から出て蔚山へ進軍した。
1月2日、明将高策率いる明軍2万2千、朝鮮軍3万は日本軍本陣を急襲するために釜山へ進軍、
般丹に現れたとの報せがあった。本陣の宇喜田秀家は、固城の守備についていた立花宗茂に出動を要請した。
折からの寒気の中、「宇喜多殿は、小勢の立花なら、此度の戦で潰れてもかまわんと言われたそうな」
と噂が飛び交い、さすがの立花勢も動揺していたが、その夜、宗茂に率いられた800ほどの兵が固城を密かに出撃し、
明、朝鮮連合軍を夜襲し、首級700を挙げる大勝利を得た。
世に言う「般丹の戦い」である。
423人間七七四年:2011/07/02(土) 01:48:52.96 ID:D7vAOSug
立花宗茂 良い話(後)
時は移って三代将軍家光の御代、ある幕臣が般丹の戦いについて尋ねた
「5万もの軍勢をわずか800で破るとは、さすが左近将監殿ですな」
「5000でしたな。5万とは虚報にござる」
「しかし、明兵は算を乱して逃げ出したとのこと、しょせん日の本一と言われた立花家の強者に
比べれば、弱兵の極み」
「何を言われる。明兵は体躯強悍、馬は巨馬で我らが及ぶところではありませんぞ。ただ寝入りばなを
襲えば万夫不当の勇士とて周章狼狽して役に立たない点を突いたに過ぎません」
「しかし、兵をまとめ切れない将ですな高策は」
「心得違いされておりますな。彼地の真冬に5000もの野戦軍を動かせる将は猛将ですぞ。城攻めの
将と違って付城もない野天に軍を進めるなど、並の将にはできますまい」
「な、なるほど」
「高策が猛将故に我らは勝てたのです。夜襲をかけ、捉えた捕虜に小勢の我等を見せた後、敵に向かって
 放てば、高策は、屈辱をはらさんと反撃するはず、伏兵を設けた我らの策に、明軍が嵌ったのも、高策が
 猛将だったからです」
 とかく相手を貶めても自分の手柄を誇る時代にあって、馬鹿正直に相手を評価する立花宗茂の良い話。



424人間七七四年:2011/07/02(土) 02:08:07.44 ID:sbQ9Vile
>>423
政宗が同じこと言ったら自分を持ち上げる為としか思えないw
425人間七七四年:2011/07/02(土) 02:16:52.42 ID:jPAYzvru
ある程度は理屈に沿った動きをしてくれる相手じゃないと策の仕掛けようも無いもんな。
騙し合いにも一種の信頼関係みたいなもんはある、と。

全然畑違いになるけどF1なんかで時速300キロで走りながら超接近戦やってるのも互いの技術に
信頼があるからで、どこでブレーキ踏むか分からん素人相手じゃ絶対無理とかそんな感じ?
426人間七七四年:2011/07/02(土) 03:05:40.39 ID:HytyWQVC
そういえば、家光が宗茂に「朝鮮兵は弱いと聞くが、どうであったか?」と聞いた際には、
「朝鮮兵は何度打ち倒してもあきらめずにこちらに攻めかかってきました。弱兵といって
侮れるものではございません。」と弱兵と認めつつも、一応評価して答えてたなw
427人間七七四年:2011/07/02(土) 03:25:38.48 ID:12QBTWzY
大東亜戦争で硫黄島やペリリュー、タラワ等の実戦に参加した兵士が
日本兵の奮戦ぶりをほめるのと一緒。
勝ったから言えるということでもあり、
そんな強い敵を倒した俺たちはすごいだろと二重に自分を褒める意味も無論ある。
428人間七七四年:2011/07/02(土) 09:18:53.13 ID:+dccMeYY
何度倒されても諦めずに向かってくる兵卒は、
一般的には弱兵とは言わないけどなw
家光が軽々に弱兵と言ったのを嗜めてる所もあるんじゃないか。
429人間七七四年:2011/07/02(土) 09:21:52.04 ID:VXe1zNWM
北の国境沿い以外長く戦争が無かった国だからねー
430人間七七四年:2011/07/02(土) 10:30:57.42 ID:sCJrW8yk
国の防衛体制自体北の女真族を想定した配置になっていて
南にはろくな兵がいなかったとか。

漢城が落ちた後、北から来た朝鮮軍の精鋭が日本軍と戦うも
指揮官が直前に任命された文官だったせいで
あっさりと敗れたなんて話も。
431人間七七四年:2011/07/02(土) 10:50:19.30 ID:C4L0N+tU
>>427
ウェリントンが「古今東西で最高の名将はナポレオン」と言ったようなもんですな
432人間七七四年:2011/07/02(土) 13:12:55.46 ID:J3/Wfo6O
司馬懿が諸葛亮を「彼は天下の奇才なり」と評したようなものですな
433人間七七四年:2011/07/03(日) 00:01:30.16 ID:RqtYNknM
余程の恨みでもない限り勝った側が負けた側を褒めるのは利が多いもんな
434人間七七四年:2011/07/03(日) 00:53:54.33 ID:tRLFD0/r
つか硫黄島やら朝鮮の敵が弱いなんていったら弱い敵相手に何兵犠牲にしてんだ無能って言われて
首がとぶわ
435人間七七四年:2011/07/03(日) 01:23:21.41 ID:v1pCNFka
朝鮮出兵に参加した大半の武将や大名は朝鮮兵は弱いと言ってるけどな。
小西行長相手にソウルやピョンヤン落とされてるわけだから実際弱かったんだろうし
436人間七七四年:2011/07/03(日) 01:43:09.91 ID:worcmj55
>>434
その基本さえ守れてなかったのが、旧帝国軍。
アメリカ兵は、女といちゃついて、上手いものばかり食ってる惰弱な奴らだ。
精神力では、われわれ日本人より、遥かに劣る。故に潜水艦のような、強靭
な精神力を有する兵士しか乗員できないような軍艦をまともに動かせない。
だから対潜水艦戦など考慮する必要なしw
結果、大鵬、信濃、金剛、日本の輸送船団、ことごとく米潜水艦の餌食にされた。






437人間七七四年:2011/07/03(日) 01:57:50.17 ID:worcmj55
後、翔鶴もな。
まあ、朝鮮正規兵は弱かったの確かだが、義兵は、タリバン並みに強かったんじゃないか。
それと明国軍は、それなりに強かったのは確か。特に将軍の私兵は精強。
碧蹄館の戦いでも明軍19000vs日本軍20000で、勝利したといえ追い討ちをかける立花
軍を小早川隆景が、逆襲を食らうという理由で止めるなど、けして侮れる敵ではなかった。
438人間七七四年:2011/07/03(日) 02:18:45.52 ID:UrMNa2FD
とりあえず、日本軍の話はスレ違いも甚だしいからよそでやれと言っとく
439人間七七四年:2011/07/03(日) 02:42:14.72 ID:j4pXKFST
まあ、敵兵アゲも宗茂がさらっと言えば
「へー、そうなのかー」と普通に思えるところが
なんかすげえって話だし
440人間七七四年:2011/07/03(日) 02:57:38.04 ID:dqpz5Iml
>>432
> 司馬懿が諸葛亮を「彼は天下の奇才なり」と評したようなものですな

それは本音かもよ。
司馬懿クラスになれば、相手の力量もわかる。
その上で、力量以上の成果を出そうとする奴には、頭が下がる思いはしたと思う。
実際、司馬懿は諸葛亮に負けたことがあるようだし。
正史、三国志の記述を検証すると、陳寿が書けなかったんじゃないかと思える節はある。

軍事的才能の欠如を、努力で補えた人物を、讃えられないほど器が小さいとも思えない。
441人間七七四年:2011/07/03(日) 03:02:52.01 ID:glfxrlwZ
> 司馬懿が諸葛亮を「彼は天下の奇才なり」と評した

この「奇才」の部分を「ヘンタイ」と訳した酒見賢一は天才だと思った。
442人間七七四年:2011/07/03(日) 03:09:49.04 ID:BhdG1q59
>>440
局地戦では負けがあるが戦略面では一度も負けてねぇだろ?>司馬懿
443人間七七四年:2011/07/03(日) 03:35:56.15 ID:UrMNa2FD
それは当たり前。バックの規模が違う
444人間七七四年:2011/07/03(日) 04:14:41.69 ID:ByKWXYm8
魏と蜀では何倍も国力が違ったと聞いたことがある もちろん魏が何倍もでかい
445人間七七四年:2011/07/03(日) 04:45:04.98 ID:2J4i5cUx
そして諸葛亮の立場でいったら、局地戦の勝利で誇っていられるものでもないのよね
で、詳しくみていくと、ここぞという重要な局面での局地戦は、常に司馬懿が取っている
446人間七七四年:2011/07/03(日) 07:16:25.59 ID:HuELklh8
お前らそろそろスレチ
447人間七七四年:2011/07/03(日) 07:28:08.34 ID:dqpz5Iml
軍人としては、諸葛亮は司馬懿にかなわなかったとは思う。
ただ、諸葛亮は言われてるほど戦下手じゃなくて、司馬懿相手に領土を増やしてるよ。
対魏戦略、対蜀戦略とを比べて、明確に司馬懿が勝っているとは思えないが。

敗者を讃えるのは何も、その相手に勝った自分は凄いだなんて、必ずしも思ってないと思う。

俺、空手やってたけど、早くやってたから試合に勝てたけど、
スピードもあるし、すぐに抜かれるなって奴いたもん。
実際に俺より強くなったし。

純粋に敗者を讃えたくなることって、そんなに珍しいことじゃないと思うよ。
勝っても尊敬できない奴はいるし、ダメな奴は必ず負けるわけじゃないし。
448人間七七四年:2011/07/03(日) 07:53:58.38 ID:UjassZP5
三国志オタ、うぜえ
449人間七七四年:2011/07/03(日) 11:59:28.94 ID:E2wmUfER
スレ違いって言われてもまだ続けてるしな
日本語読めんか?
450人間七七四年:2011/07/03(日) 12:57:34.27 ID:MiyNVDE+
三国志関連の逸話とかないかなぁ

「日本の張飛」とか半兵衛の三顧の礼とか
451人間七七四年:2011/07/03(日) 13:01:42.43 ID:tyZJxXOG
スレ違いどころか板違い
452人間七七四年:2011/07/03(日) 13:06:30.54 ID:n8KgtLOX
これ中国の逸話コピペじゃね?って言われてたのはいくつかあったから、まずまとめから探してみ
それに三国志関連限定にしちゃうのは勿体無いというか趣味に過ぎるよ
453人間七七四年:2011/07/03(日) 13:45:45.54 ID:djbU8BEC
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3500.html
孫権→家康、周泰→井伊直政
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2612.html
趙雲or孔明の空城の計→家康空城の計
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4953.html
朝鮮征伐に関羽登場
三国志関連じゃなきゃいろいろあるが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4296.html#view_comment
呉起の膿吸い→三成or秀吉の大谷吉継膿入り茶
田単の火牛の計→北条早雲の小田原攻め
後、ちょっと前に話題になったのは仇討の刺客を許す話(予譲と趙襄子)とかだが
これについては似た事例がいろいろあり
454人間七七四年:2011/07/03(日) 14:42:51.81 ID:RF1SfPGD
有名どころで言えば三矢の訓とかもそうだな。
まぁ当時は四書五経とか基本だった訳で、
そりゃ逸話にも同じような話が出てくるのも当然だけど。
455人間七七四年:2011/07/03(日) 15:13:27.01 ID:UrMNa2FD
そこそこの家柄でもハイレベルな教養を身につけてるからな
守護代の家老の信秀くらいでも京から連歌師呼んだり朝廷に献金したりと見識が高い
息子はあんなんに育っちゃたけど
456人間七七四年:2011/07/03(日) 15:40:00.12 ID:MiyNVDE+
>>453
直政の話が某男色スレで改変されててワロタ
457人間七七四年:2011/07/03(日) 16:19:31.36 ID:Ce222k39
>>455
息子はあんなんって、最後は名を遺したんだからいいじゃないさ
458人間七七四年:2011/07/03(日) 16:49:35.84 ID:worcmj55
逆に考えるんだ。
中国の故事を早雲や元就や家康が再利用したと
例えば、早雲の火牛の計は、田単→木曽義仲(倶利伽羅峠)→早雲と
伝承されたも考えられる。
元就のご先祖は、朝廷の文書博士大江家出身の大江広元、当然ながら
三矢訓の話くらい、家の基礎教養で叩き込まれてるだろう。それを元就が
子供に教えるのは、ありえる。
さらに家康は、今川家の幹部候補生として英才教育を受けていたから、三国志
のエピソードは知っていた。だから一か八かで空城の計を仕掛けたと。
459人間七七四年:2011/07/03(日) 17:06:48.22 ID:LSfwDPCx
家康の空城は眉唾でしょ
敗残兵収容の為に門開けてたのと武田が最初から攻める気無かっただけで
460人間七七四年:2011/07/03(日) 17:16:44.26 ID:nc1hWOmh
そういえば背水之陣で罠にはめようとしたけど失敗して
軍神に散々に打ち破られた天庵様がいたような気がする
461人間七七四年:2011/07/03(日) 23:25:36.00 ID:8/krpIjs
>日本の張飛

市松が酒で失敗するのを踏襲してるな
462人間七七四年:2011/07/03(日) 23:33:43.44 ID:ndhRQjs7
日本の関羽はもちろん津軽さんだな、髭だけ
463人間七七四年:2011/07/03(日) 23:45:49.81 ID:obTB+Fvo
>>462
関羽を真似たらあんな事になってしまったんだよ
464人間七七四年:2011/07/04(月) 00:01:50.21 ID:KOiSTM/Y
関東の呂布「あのっ」
465人間七七四年:2011/07/04(月) 05:31:38.80 ID:VPdEQ8WQ
誰?

ちなみに『将門記』は平将門を呂布に例えている。
466人間七七四年:2011/07/04(月) 07:18:28.60 ID:3JQA4VCG
大友氏の忠臣といえば衰退する本家を筑前から支えた立花道雪・高橋紹運らが有名だが
筑後国にも大友義鑑の時代から大友家に仕えた国人領主・問註所氏があった。

筑後というところは昔からこれといって突出した大勢力がいない国で、室町時代初期から
大友氏が守護職を得て(途中、今川了俊や菊池氏に守護職が移った時期もあるが)
代々大友氏の影響が強い地域ではあったが、大友氏は守護代を置いて任せる程度の緩やかな支配で
筑後十五城主と呼ばれる小勢力が点在していた(ちなみにその中で一番の勢力だったのは蒲池家)。

そんな筑後国も戦国時代の荒波の中で小勢力たちは翻弄されていくことになる。
大内氏や毛利氏の筑前侵攻、立花鑑載・高橋鑑種の反乱、筑紫や秋月はしょっちゅう裏切る。
問註所氏は秋月領に近いこともあり、秋月の動きを大友に伝える監視役として働いた。
しかし大友氏が耳川の合戦で大敗、筑後国は竜造寺氏の台頭により風雲急を告げる。
大勢力の蒲池氏を始めとして筑後勢力のほとんどが龍造寺方につく中、当主の問註所統景は
本当によく頑張った。一族で龍造寺側についた鑑景や、龍造寺方についた星野氏、
筑前からは秋月氏などが連合して何度も領内に攻め入るも、その度に撃退。守るだけでなく
星野氏の白石城を攻め取ったりもした。そんな中「肥前のクマー」龍造寺隆信が蒲池鎮漣を誘殺、
蒲池一族を皆殺しにし、筑後勢力の多くが龍造寺に反感を持ち始める。
さらにクマーが沖田畷で戦死、そうなると今度は龍造寺を離れて島津方につく勢力が頻出。
筑後国内は龍造寺方・島津方・大友方(問註所氏と五条氏のみ)の3勢力に分かれていった。

そうする内に今度は島津軍が本格的に北進を開始。島津方についた勢力どころか、
龍造寺本家も島津に味方して大友家を攻めることになったため、筑後国内で問註所氏は孤立。
しかしそんな絶体絶命の状況でも統景は孤軍奮闘。島津本隊が筑紫広門の篭る肥前の勝尾城や
高橋紹運の筑前岩屋城を辛くも陥落させ立花山城に攻め入る。ここで豊臣本隊の九州上陸の報を受け
島津軍は本国へ退却するが、この間統景は長岩城に籠城して島津方の攻勢から居城を守りきったのだった。

大友家臣として島津の侵攻に耐えた「忠臣」として筑前の紹運・宗茂父子、豊前の志賀親次は
よく取り上げられるけど、筑後に問註所統景という武将がいたことも覚えておいてあげてください。
467人間七七四年:2011/07/04(月) 08:07:37.26 ID:E2DI015g
島津自重しろ
468人間七七四年:2011/07/04(月) 09:04:45.09 ID:3JQA4VCG
補足ですが、問註所統景は秀吉により本領安堵されますが領地は以前の1/5ほどに減らされ、
筑後入国した小早川の家臣となりますが、太閤検地の際にさらに転封を命じられ本領を明け渡すことになり、
泣く泣く居城・長岩城を明け渡します。その後朝鮮の役で戦功を挙げるも、当地で弟の正白とともに戦死。
嫡男に政連がいましたがなぜか父の領を継ぐことができず浪人します。どうやら豊臣政権下で国人領主に対する
締め付けが厳しくなり(検地で大きな不満が出て肥後国人一揆が勃発したように)筑後国でも同様だったようです。
問註所氏もあるいは計画的に潰されたのかもしれません。元々の小早川家臣への領地も必要ですからね。
しかし、立花家や筑紫家が大名に取り上げられているのにこの仕打ちはひどい・・・。

ちなみに、小早川家臣にはならずそのまま大友家臣の身で朝鮮の役に臨んだという話もあります。
この場合統景の死とともに主家・大友義統の例の敵前逃亡による改易で、政連は浪人になることに。

政連は後に筑後を治めた立花宗茂に仕官し家臣となります(統景のおばが道雪継室で、ギン千代の母。
さらに統景の正室・政連の実母が宗茂の実方従姉妹という関係)。政連は宗茂に従い関ヶ原にも参戦、
戦後宗茂は改易され、政連は他の家臣らとともに加藤家のお世話になります。
その後、宗茂が赦されて筑後に戻ってきた際に再仕官、問註所は柳川藩士として続くことになります。
469人間七七四年:2011/07/04(月) 12:09:31.11 ID:i83WCuqg
戦国時代の筑後は不思議だよねほんと
肥後も国人の力が強かったけど阿蘇とか甲斐とかいたし
他にも国人領主がめいめいに支配していた国ってあったっけ

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1190.html
蒲池さんとこは家兼じいちゃんとクマーを大友側にも関わらず助け
「義心は鉄のごとし」と言われた鑑盛さんがその名に偽らず大友氏の殉じ耳川で戦死
それを機に以前から龍造寺と手を結びたがってた鎮漣(鎮並)がすぐに動いたわけだけど
(母の姉妹が龍造寺家臣の田尻鑑種、妻が隆信の娘というのもあって)
隆信は大友の頃みたいに緩やかじゃない直接的支配を目指したもんで反発したようだ
それにしてもクマーは・・・>>467じゃなく龍造寺自重しろって話だ
470人間七七四年:2011/07/04(月) 12:51:24.84 ID:i83WCuqg
ざっと調べてみると筑後十五城のほとんどが九州征伐その他諸々で
滅亡に近いくらいまで衰退しているね
一部は子孫の代で立花、鍋島あたりの藩士になったりもしてる
高橋紹運の高橋家もこの筑後十五城なんだけど統増は立花に改姓して高橋家も消滅
まあ全国の国人領主も似たようなもんかもしれん・・・
471人間七七四年:2011/07/04(月) 14:58:50.52 ID:4v6XOxaM
もし義統改易で浪人の方が正しかったら
朝鮮で死んでも死に切れないよなあ
472人間七七四年:2011/07/04(月) 15:14:13.10 ID:4v6XOxaM
十五城主の河崎氏と黒木氏は同じ調氏出身なのに犬猿の仲だったらしい
河崎の居城が犬尾城というのに対抗して、新しく建てた黒木の居城は猫尾城と名付けたほど
犬猫の仲だな
473人間七七四年:2011/07/04(月) 20:22:43.81 ID:dVFz3ghY
武功の人、名を頂戴す。

三方ヶ原の戦いにおいてのこと。
細井勝宗は徳川家康に付き従って奮戦していたが、武運つたなく討ち取られてしまった。
しかし細井の家僕、木梨新兵衛は「主の仇!」とばかりに奮戦、身に7箇所もの傷を負いながらも主の仇を討つことに成功した上、首を取り返すという武功を上げた。
家康「お前は実に見事だ。永楽銭一貫文を褒美に与える。聞けば、黒い馬に乗って武功を立てたと聞く。向後は『黒』と姓を改めるが良いぞ」
新兵衛「ははーっ」

長久手の戦いにおいてのこと。
氏井孫之丞と渡辺忠右衛門守綱は、池田勝入の軍兵を弓で射ていたが、守綱は槍を落としてしまった。
それを見た氏井は馬で突撃して敵を突き倒し、槍を拾い、守綱に返したとのこと。
家康「この戦いぶりはかの武蔵坊弁慶にも勝る。これより武蔵と姓を改めるがよい」
孫之丞「ははーっ」

小田原の戦いの時のこと。
松平義正は家康に箱根山中を案内し、大いに手柄を挙げた。
家康「お前の目は侍の眼だ。これより後は本目と氏を改めるがよいぞ」
義正「ははーっ」

徳川家中にて武功を挙げた皆さんのお話。
別に大権現のネーミングセンスが悪い話ではない……多分。
(織田信長も似たような命名を家臣にしてるっぽいんで、当事の常識だったのかもしれないが)
474人間七七四年:2011/07/04(月) 21:29:20.14 ID:TWKerPc8
変な名前の方が由来をきかれやすいだろ。
そうやって子孫代々誇れるんだよ
475人間七七四年:2011/07/04(月) 22:02:08.76 ID:/SjCvnUH
そう言えば、秀吉に戦いぶりを賞賛されて「鬼」という苗字を授かった人がいると聞いた事があるな。
476人間七七四年:2011/07/04(月) 22:16:26.87 ID:L8jQAhO2
だいぶ前になるけど
三枝の「新婚さんいらっしゃい」で
秀吉から貰った姓と言う所縁があるという

「猿」さんが出てた。
477人間七七四年:2011/07/04(月) 22:17:10.46 ID:hWZ7+f9N
いつもはまとめを読んでるだけの者ですが
図書館で借りてきた常山紀談に、
多分まとめに載ってないいい話があったので初投稿です。
なにぶん古い本(印刷・発行:大正7年)からなので誤訳等あったらサーセン
なお、「石田」・「治部」は「三成」、「東照宮」は「家康」に統一します。

○石田が子の僧助命の事

関ヶ原の戦いの後、家康は本多正信に
「妙心寺で永壽院の弟子の僧になっている三成の子を、寺の者どもが
『重罪人の子と言えど幼い頃から出家しているのだからお許しください』
と言ってきているが、こいつをどう思う?」
と尋ねた。正信は
「すぐにもお許しになるべきだと思います。三成は徳川家に大功をなした者。彼が勝ち目のない戦を起こし、西国・中国の大名を巻き込み敗北したからこそ
日本六十余州みな徳川家に帰服致したのです。三成が思い立ってくれなければ日本全土が従うことはありませんでした。これは徳川家に大功を成したとは言えませんか?」
と答え、家康もそれに納得する。
その僧は赦されて岡部美濃守宣勝と懇ろになり
和泉の岸和田で余生を送ったという。


「ある意味三成のおかげで日本を纏められたんだから
その立役者の子は助けるべき」
そんな佐渡さんのいい話。
478人間七七四年:2011/07/04(月) 22:38:12.94 ID:b0VPnUGg
>>466さんには済まないんだが、どこら辺が逸話なんですか?
479人間七七四年:2011/07/05(火) 00:09:16.27 ID:g60gBxWE
>>469
豊後と筑後は山はさんで東西だけど、肥前と筑後は筑後川挟んで真向いだからなあ
隆信としても筑後で自由にやられるのも困ったもんだったんじゃないのかしら
480人間七七四年:2011/07/05(火) 08:05:16.57 ID:YkL4qCA4
>>475
なんかテレビでやってたなぁ
子孫の方が現代にもいるけど苗字のせいでいっつも鬼ごっこの鬼やらされてたとかw
481人間七七四年:2011/07/05(火) 08:47:31.37 ID:WOOaPz9j
>>477
三成が主に個人の才覚で出世した人物だったのが幸運だったのかな。
もとから大名の家系なら斬られてたろうに。
482人間七七四年:2011/07/05(火) 09:12:07.74 ID:ELe65oin
義経からもらった風呂さんとか、由緒正しいと変な苗字でも自慢なんだろうな。
483人間七七四年:2011/07/05(火) 10:39:17.60 ID:QS1v1eUm
いやでも家康公がどっちかってったら
上杉だけをボコボコにして、
安全に天下取るほう選ぶだろうなw

戦後に大名家に因縁つけて行けば良いんだしw
484人間七七四年:2011/07/05(火) 12:51:10.58 ID:sIf5AJj1
>>479
そうだろうね
蒲池討伐には嫡男の政家を差し向けるくらいだったし
肥前は山と海に囲まれてて身動き取りづらいから
直接筑前・肥後・豊後へ自由に動ける筑後を
どうしても手に入れたかったのは間違いない
大友は筑後への進軍が難しく影響力を出そうとしても出せなかったのかも

それにしてもだよ・・蒲池への酷い仕打ちのせいで
どんどん悪い方向に向かったしなあ
485人間七七四年:2011/07/05(火) 13:54:17.70 ID:iqB3pKqH
>>484
相良に対して援軍送らなかったのがでかいってのも聞くなあ
島津が肥後の方に勢力伸びてくれば有馬がひよるのもわかるし
486人間七七四年:2011/07/05(火) 21:33:07.72 ID:7j+HBVsd
鬼が縁起悪いって改名させられた人も居るのに、ラスボス気まぐれだなw
487人間七七四年:2011/07/05(火) 22:16:32.52 ID:DM7OvZWh
>>477
徳川実紀見たら出典は霊岩夜話って書いてあった

ついでに同じく徳川実紀より
家康が二条に居る頃、落書きをする者が多かった。所司代板倉勝重が書いた者を捜索しましょう、と言ったが、
家康は「そのまま捨て置くべし。そもそもどう言ったことが書いてあるのだ。見せてみなさい」と言うので、
御所柿の枝に短冊状のものがついたものを持ってくると、それにはこう書かれていた
御所柿は ひとり熟して落ちにけり 木の下に居て拾ふ秀頼

これを見た家康は、「それでも落書きを禁止するべきではない。ひどいことながら、心得になることもある。そのままにせよ」と何度もご覧になって言った。
(古人物語)

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5554.htmlの827にある落首の話

488人間七七四年:2011/07/05(火) 23:12:10.03 ID:IxEo2vtb
>>493
豊後から筑後は移動が難しいのに、筑後から豊後は移動が自由なの?
489人間七七四年:2011/07/05(火) 23:31:35.77 ID:O07eooBE
肥前から豊後へ直接向かうのは大変だろ
490人間七七四年:2011/07/06(水) 02:49:23.56 ID:2QDqu86+
>>487
当時としてはいつポックリ逝ってもおかしくない年齢だしな家康
耐えていれば秀頼にもチャンスが巡ってきたのかもしれないが…その前に家康に付け入る隙を与えてしまったのが致命的
491人間七七四年:2011/07/06(水) 07:40:46.93 ID:pf2X5jad
逆だ秀頼は挙兵が遅すぎたあと3年早く挙兵してれば清正幸長生きてたし
福島と違って清正は豊臣方で動いてくれる可能性もある
492人間七七四年:2011/07/06(水) 07:57:06.50 ID:NnztSRol
たらればは言っても詮無い
平和なままなら挙兵する気なんて無かったであろう豊臣家を挙兵させた家康の狡猾さが凄いんだ
493人間七七四年:2011/07/06(水) 12:04:02.29 ID:kxY6H+c3
真田信吉「いつ逝ってもおかしくない?ハハハないない…」
494人間七七四年:2011/07/06(水) 12:25:04.44 ID:6FsKodvi
>>491
> 福島と違って清正は豊臣方で動いてくれる可能性もある

タラレバを議論するのもあれだが、個人的には清正が生きていても豊臣方に付くことは
絶対になかったと思ってる。

嫡子忠広の正室は秀忠養女だし、清正の娘は徳川頼宣、榊原康勝に嫁ぐなど、
清正は正則以上に濃厚に徳川家に取り込まれている。
むしろ幕府的に清正の存在は、なにするか解らない福島正則の押さえだった空気すらある。

死んだ人間が生きていたらどうだったかなんてもちろん未知数だが、幕府軍の一員として(おそらくは
婿である徳川頼宣の補佐として)豊臣を攻める、という可能性のほうが高いだろうね。
495人間七七四年:2011/07/06(水) 12:30:44.18 ID:yUGjguV8
それに当時は家に忠誠心を持つのではなく個人に忠誠心を持つ時代だからね
496人間七七四年:2011/07/06(水) 12:54:31.20 ID:6FsKodvi
あと関ヶ原後、徳川家・幕府に対して常に挑発的、挑戦的だったのが福島正則なんだよね。
そんなだったから大阪の陣でするっと幕府に付いたことに世間の失望を買ったわけだ。
普段大きなことを言ってたくせにいざとなったらこれか、と。

一方清正は徳川家・幕府に対して終始、忠臣ポジションを崩してないな。
497人間七七四年:2011/07/06(水) 13:08:30.02 ID:L1Hz9ya6
市松は大政所の妹の子だから秀次より秀吉に血筋が近い。
いざとなれば俺が豊家嫡流という考えもあったんじゃないかな。
498人間七七四年:2011/07/06(水) 14:00:24.65 ID:Bm0wOuqR
嫡流と言うよりは後見人として豊臣政権の中心に入るつもりだったんじゃないか?

あの糞いまいましい治部さえいなけりゃ
499人間七七四年:2011/07/06(水) 15:08:16.02 ID:hWFIuQ+X
などと自分の感情を優先して肝心なところを見失うんだから、
まぁ付け込み易い人だわな。
500人間七七四年:2011/07/06(水) 15:53:11.54 ID:1grolS24
市松だから仕方ないね
501人間七七四年:2011/07/06(水) 17:32:14.36 ID:YitGtSYm
>>494
そもそも清正の嫁がどこかの日向守の妹で家康の養女
むしろ、反徳川意識があったのは嫡子の忠広(側室腹)みたいだね
こいつは徳川の嫁やその息子とも不仲だったみたいだし
清正自体はかなり親徳川だから、秀頼の味方しても徳川に刃向かうことはなかったかと
浅野池田は言うに及ばず
所謂豊臣恩顧大名で徳川に反抗的だったのは福島くらいだったかも
502人間七七四年:2011/07/06(水) 17:35:16.61 ID:NnztSRol
正則は後悔してたんじゃないかな
自分が家康に肩入れしなければここまで豊臣家は没落はしなかったと
自分の三成嫌いを上手く利用されたと後で気づいただろうし
503人間七七四年:2011/07/06(水) 17:55:03.71 ID:EU1fIGWp
>>502
後悔も何も、三成ら奉行派と正則ら武将派の対立は、既に秀吉末期から
潰すか潰されるかの構造的な対立になっているから、正則個人の好き嫌いの
問題ではなくなっている。
はっきり言えば秀吉の体制の構造問題なので、どちらかが一方を屈服させないと
どうにもならない。その意味で正則は、むしろ家康を自分たちの派閥が優勢になるため
利用したと言っていい。

まあ後悔というか誤算は、一旦は強制隠居という形で屈服させたはずの三成が
クーデターを起こして復権をはかったことだろうね。これで正則は自分たちが盟主として立てた
家康の元、自分自身のためにも戦わざるを得なくなった。
504人間七七四年:2011/07/06(水) 19:54:24.93 ID:J9yJlWdO
すごいくわしいんだねーかっこいいなー
505人間七七四年:2011/07/06(水) 20:27:13.66 ID:yUGjguV8
>>504
どうした、嫉妬か?
506人間七七四年:2011/07/06(水) 22:26:04.84 ID:icp62j3N
よく知られた話じゃんw
507人間七七四年:2011/07/06(水) 23:06:36.93 ID:B6TqPKCM
>>505
^^;
508人間七七四年:2011/07/07(木) 13:18:52.76 ID:oUGccgTe
お前らの微妙な関係性に笑った
509人間七七四年:2011/07/07(木) 18:08:17.88 ID:zQVnU6i7
慶長5年(1600)、9月15日、関ケ原の決戦である。
このとき石田三成の陣には前方に柵を作り城戸を立て守りを固めてあったが、
ここに黒田長政の部隊が攻めかかった。

すると石田陣の柵の内より、石田家の侍大将・島左近が片手に槍をかかげ、片手に采配を持ち、
かかれかかれと100名ばかりの徒武者を引き連れ出撃してくる。
この時どういうわけか左近は6・70人ほどを柵際に残し30人ばかりを二十間(約36メートル)ほど
先に進ませ、いかにも静かに攻めかかった。

黒田長政も三十騎ばかりを下馬させこれに当たらせ、槍の穂先が触れ合うほど接近し、互いに
睨み合う。しかし後ろの備えを含めれば人数は石田隊のほうが多く、黒田隊の不利は明らかであった。
と、その時である

黒田隊において鉄砲隊を預かっていたのは菅和泉(六之助)であったが、彼は部隊を
右手にあった小高い場所に駆け上がらさせ、50挺の鉄砲を隙間もなく撃ちかけた。

これにより石田隊の先に進んでいた兵たちは多くが撃ち殺され、あるいは負傷し、島左近も
生死不明ながら銃弾の餌食となった。
ここに敵のひるんだところを、黒田隊は得たりと勇み、即座に突き崩し多くの首を得た。
島左近は深手を負って下人たちが肩に担いで引き退いたため、後ろに備えてあった70名ほどの兵も
一戦もせずに引き上げた。
黒田隊はその勢いのまま石田陣の柵の中にまで乱入し、難なくその陣を突き崩した。

さて、この一戦において黒田隊に勝利を呼び込んだのは鉄砲隊の活躍だったが、
彼らが活躍したのも当然理由があった。この鉄砲隊に選ばれた足軽たちは特別に選別され、
又者(陪臣)であっても鉄砲の上手で、なおかつ心の健やかな者を選んで編成された部隊であった。
そのため、効果的な攻撃が可能だったのである。

後にこの鉄砲隊の者に「敵との距離はどれほどあったのか?」と尋ねたところ、
「あの時は一町四・五反(およそ150〜60メートル)以上ではないと判断し、そこを少し計算して
撃ちました。」と言っていた。

関ケ原において島左近を撃つ殊勲をなした、黒田軍の鉄砲隊についての話である。
(古郷物語)
510人間七七四年:2011/07/07(木) 18:42:54.67 ID:fj6QAun0
距離感のいい話だな
511人間七七四年:2011/07/07(木) 18:54:29.56 ID:P81RcVYB
射程長いなー。
ライフル以前に100m強でも効果的な射撃可能な部隊はかなり稀だと思うが。
512人間七七四年:2011/07/07(木) 19:09:13.13 ID:rXMn4VBO
ワン・オブ・サウザンドの火縄銃を集めて狙撃させるわけですね。
513人間七七四年:2011/07/07(木) 19:14:54.00 ID:GnDXGwXb
とあるアニメでは半兵衛の息子が鉄砲隊の指揮をしていたなあ
514人間七七四年:2011/07/07(木) 19:23:26.40 ID:Jq7R90zB
集団にバカスカ撃ち込めば当たるってことかな
515人間七七四年:2011/07/07(木) 19:51:56.05 ID:Q5zVrQ42
弓術では、基本的に「貫・中・久」、中ることより貫通力殺傷力重視だよね

鉄砲は最初から「貫」が高レベルで実現してるのが大きいよなぁ
516人間七七四年:2011/07/08(金) 21:38:19.97 ID:A2xBlLDI
関が原の戦いの後、佐竹家は転封を命じられ、佐竹義重も奥州路を通り一路、新天地・秋田へ向かった。
途中、白河は滑津まで来たところで武装した集団に出会った。伊達政宗が、陣を構えていた。

「さては旧怨を報いんとてか、それとも別の魂胆あっての事か?誰ぞ政宗に談判して参れ!」
義重は家臣に伊達軍との交渉を命じたが、苛烈をもって知られる政宗と、背後に控える軍容を恐れて
誰も名乗り出ようとしない。

ついに、末席に控えた小姓の和田十二郎が、しばしためらった後に使者の役を買って出た。
ただ一騎、十二郎は思い切って伊達軍の中を駆け抜け、中央に位置する陣幕の中へ乗り入れた。
「狼藉者め、何奴じゃ!?」
床机に腰掛け、眼光鋭く睨みつける政宗を前に、十二郎は馬を飛び降り、平伏した。

「突然の無礼、失礼致しました。拙者、佐竹義重配下の者。ただ今、義重が秋田へ向かうに及び、
大勢で待ち受けるは、野伏り等が追剥ぎせんとの企みなり。追い散らせとの主命により、参った次第。あに図らんや、伊達殿のかかる振舞いは、義重を妨げ、通さずとの心にございますか?」

「いや、これは義重殿が途中にて不慮の事あれば、政宗これを保護せんとの心。いざ心安く通られよ。」

「武門たる家が、他家の保護を受けて秋田へ赴いたと言われては、末世までの恥辱になり申す。
ご好意の程は主にお伝え致しますゆえ、速やかにお引き取りあるべし。もし引かずば、義重もこの道を
動くまじ。さすれば、互いに遺恨が残りまする。」

政宗は十二郎を見据えて考え込んでいたが、やがて立ち上がった。「よし、引き上げじゃ!この政宗に異心なき事、お主の口から義重殿によーく伝えよ。それにしても、
お主は年若く見えるに、大事の使者を良く成し遂げた。名を聞いておこう。年はいくつじゃ?」

「拙者は、和田昭為が孫・十二郎。生年は十八!!」
「家老の和田安房が孫か!道理で・・・よし、これをやろう。」
十二郎の態度に感心した政宗は、褒美としてみずからの替鎧を与えた。

堂々たる大将の鎧をかつぎ、意気揚々と佐竹家の一団に戻った十二郎は、事の次第を義重に報告した。
「よくやった!しかしお前確か、年は十六じゃろ?なぜ十八歳などと偽ったのだ?」

「はっ、えー、いや、そのぅ、十六歳と言って、もし政宗に小僧扱いされたらシャクだと思い・・・」
破顔一笑した義重は、厚く十二郎を賞してやった。(秋藩温故談より)
517人間七七四年:2011/07/08(金) 22:00:44.99 ID:Dh3NzgPM
結局政宗は何しにきたんだ?
佐竹との遊び収め?
518人間七七四年:2011/07/08(金) 22:05:51.67 ID:DTb+47mN
禍根ある相手が自領を通るんだから狼藉略奪を警戒しての行動なんじゃね?
519人間七七四年:2011/07/08(金) 22:07:55.34 ID:huLOkJw5
白河って伊達?
520人間七七四年:2011/07/08(金) 22:08:05.61 ID:K7A2lEAM
>>517
まあ史実かどうかはともかく、キャラクター的に言えば政宗のことだから、
半ば嫌がらせでそれに対し佐竹が怒ってなにか仕掛けてきたら、これ幸いと
自分の勢力拡大のために何らかの手をうとうとした、ってあたりかねw
521人間七七四年:2011/07/08(金) 22:16:43.84 ID:CUF0qj+e
さすがに具体的に何かしようってのはないだろう、どっちもそんな馬鹿じゃない。
地方に飛ばされていく旧敵を眺めてにやにやしたかっただけだろうな。
522人間七七四年:2011/07/08(金) 22:21:52.33 ID:QAJpI4rj
明らかに嫌がらせだな。
でも、ただの嫌がらせが、ちょっと対応間違えると血腥いことに。
523人間七七四年:2011/07/08(金) 23:29:06.70 ID:Kc80vtsS
暇だなー正宗
524人間七七四年:2011/07/08(金) 23:36:44.40 ID:05Kpxf63
政宗個人がやるのは構わんが、そんなことのために軍隊動かすのは何だかな
525人間七七四年:2011/07/09(土) 01:39:29.15 ID:AxlGhnwt
多少の流血沙汰は期待してたかもしれんね

526人間七七四年:2011/07/09(土) 01:42:21.45 ID:Jykh43aO
国分盛重を引き渡せ、と迫ったりしてw
まぁ、居なくなってもらった方が政宗には都合が良いか。
これが叔母(義重室)への敬慕故の行動だったらロマンティックなんだけど。
実際はニヤニヤするために出張って来た、ってのが妥当かな。
義宣と従兄弟なんだから仲良くしろw
527人間七七四年:2011/07/09(土) 04:18:39.45 ID:56pNIyFm
佐竹をそのまま素通りさせるのはシャクだぜ、な空気が伊達家中にもあったけど
大仰に事を構えたように見せかけて実質的には東北らしい馴れ合いで済ませたぜ
なんて所じゃないかね

政宗時代の伊達家中ってノリも主君に毒されているような気がしてならん
528人間七七四年:2011/07/09(土) 07:51:01.09 ID:Py3a/zpv
ねぇねぇ、代々の領国から北の果てに飛ばされるけど
今どんな気持ち?
        ∩___∩                     ∩___∩
    ♪   | ノ ⌒  ⌒ヽハッ    __ _,, -ー ,,    ハッ   / ⌒  ⌒ 丶|
        /  ×   (●)  ハッ   (/   "つ`..,:  ハッ  ×   (●) 丶     今、どんな気持ち?
       |     ( _●_) ミ    :/       :::::i:.   ミ (_●_ )    |        ねぇ、どんな気持ち?
 ___ 彡     |∪| ミ    :i        ─::!,,    ミ、 |∪|    、彡____
 ヽ___       ヽノ、`\     ヽ.....:::::::::  ::::ij(_::●   / ヽノ     ___/
       /       /ヽ <   r "     .r ミノ~.    〉 /\    丶
      /      /    ̄   :|::|    ::::| :::i ゚。     ̄♪   \    丶
     /     /    ♪    :|::|    ::::| :::|:            \   丶
     (_ ⌒丶...        :` |    ::::| :::|_:           /⌒_)
      | /ヽ }.          :.,'    ::(  :::}            } ヘ /
        し  )).         ::i      `.-‐"             J´((
          ソ  トントン                             ソ  トントン
529人間七七四年:2011/07/09(土) 09:26:08.40 ID:L8rv7rTO
>>528
政宗も、秀吉時代にやられてるじゃないか
530人間七七四年:2011/07/09(土) 09:48:36.34 ID:QiBUq4G7
三河牛久保の地に、牧野氏の家臣で渡辺太郎左衛門という侍がいた。
彼は毎日近所のお地蔵さまにお参りをして、とても神心深い人であった。、
村の世話を進んでしてくれるし、親切な人だったので村民からとても頼りにされていた。

ある日、太郎左衛門は殿様からの命令により、部下を連れて隣の八幡村へ出かけた。
しかし、なかなか話し合いが纏まらず、いざ帰ろうとした時には既に日が暮れかけていた。

「さて、用事も済んだ。帰ると致そう。」

馬に乗った太郎左衛門の後ろに家来が続き、急ぎ足で駆けながらついに本野が原へ差し掛かった。
そこは人の背ほどある草が生い茂り、木が疎らに生えており家は一軒も見当たらず、
牛久保へ帰るには一番寂しく気味の悪い道であった。

「もう一息じゃ。皆の者、足元に気をつけよ。」

太郎左衛門が、そう声をかけた時だった。
突然辺りの草むらから野武士が二十人ほどワラワラと現れ、道を塞いでしまった。
531人間七七四年:2011/07/09(土) 09:51:42.40 ID:QiBUq4G7
「ぐへへ。おい、てめーら。命が欲しかったら持ち物全て出せや!」

頭と思われる男が大声で言った。
しかし太郎左衛門は殿様のお使いの帰りであり、騒ぎを起こしたくなかった。

「何者だ。わしは、牛久保の太郎左衛門じゃ。名を名乗れ。」

太郎左衛門は落ち着いた様子で野武士たちに尋ねた。しかし、

「うるせえ、ずべこべ抜かすな。
貴様らの持ち物は俺様のモノなんだよ!お前らやっちまえ!」

と全く取り合う様子もなく、太郎左衛門らは取り囲まれてしまった。

「くっ、こうなっては仕方ない。南無地蔵大菩薩、私共をお守下され!
これよりは侍の意地にかけて戦うのみよ!」
太郎左衛門は馬を飛び降り松の木を背に刀を構え野武士共を相手に、
南無地蔵大菩薩を一心に唱えながら戦った。だが、相手は大勢である。

次々に攻め込まれ、もうこれまでかと思われた時である。

突然、数人の若侍が風のように現れた。
532人間七七四年:2011/07/09(土) 09:53:45.91 ID:QiBUq4G7
「どうやらお困りのようですな。助太刀いたす。」
言うが早いか、若侍はいきなり野武士どもに斬りかかって行った。

「おお、これはかたじけない。」
片手に杖を持った侍が太郎左衛門を守る。すると、一人の野武士が太郎左衛門に斬りかかって来た。

「危ない!」
野武士の剣筋は、太郎左衛門を庇った侍の肩にざっくりと入った。

「大丈夫か。」
「肩をやられたが、これしきの傷大した事無いよ。」

若侍は気にする様子も無く、次々と野武士を倒していった。

ついに野武士の頭を松の木に追い詰め、杖で足を打ち動けなくさせると
手下たちは、もうこれまでと思ったのか、頭を抱えて逃げて行った。

「貴殿らの助太刀によって命を拾った。先程の傷は…」

太郎左衛門が振り向いた時には、若侍たちの姿はなくなっていた。

次の日の朝早く、村人たちが太郎左衛門の家に駆け込んで来た。
「大変でございます。お地蔵様が切られてござる。肩から胸にかけて血がべっとりと付いています。」
話を聞いて太郎左衛門は涙を流した。

「そうか、あの侍はお地蔵様だったのか。私の身代わりになって助けて下さったようだ、
有難いことだ。南無地蔵大菩薩、南無地蔵大菩薩・・・・。」

人々はそれ以来、肩から胸にかけて傷のある
このお地蔵様を「けさがけ地蔵」(みがわり地蔵)と呼ぶようになった。 


地元の伝説・民話集を纏めたサイトにあった話。ソースのソースは「牛窪物語」です。
533人間七七四年:2011/07/09(土) 10:23:23.09 ID:VxV2s3wN
肩から胸って言うとかなり深いよね。
戦国時代の刀って、野武士レベルの持ち物でもそこまで切れるのか。
534人間七七四年:2011/07/09(土) 11:26:16.07 ID:pDQPVeAA
こういうヤツだから100万石もらえないんだろうな> 政宗w
535人間七七四年:2011/07/09(土) 12:29:42.86 ID:HVPaoWbY
かさがけ地蔵ならぬ、けさがけ地蔵すかw
536人間七七四年:2011/07/09(土) 12:38:33.28 ID:/GVclcJg
こういう昔話みたいなやついいな
537人間七七四年:2011/07/09(土) 13:49:53.69 ID:Kj8zPXyA
いや昔話そのものだろw
538人間七七四年:2011/07/09(土) 15:15:11.16 ID:Jykh43aO
いい話だね。ほのぼの。
539人間七七四年:2011/07/09(土) 15:43:07.40 ID:pbGFzFMM
恩返しといえば徒然草に
毎日大根を二本食っている男がいた。
ある時賊に襲われそうになったところ、二人の武士がやってきて
賊を追っ払ってくれた。
名を聞こうとすると
「われわれは日ごろあなたが食べてくださっている大根です」
と言って去った、という話が
食われる側の大根でさえこれなら、地蔵様が助けないわけがない
540人間七七四年:2011/07/09(土) 15:58:58.48 ID:cAGeeCAj
名もなき野武士ってだいたいこんな役回りだな
こういうのがあの時代にどれだけ跋扈していたのか知らないけど、怖いわ
541人間七七四年:2011/07/09(土) 16:11:43.20 ID:N6vUyEva
ヒャッハー
542人間七七四年:2011/07/09(土) 16:38:57.38 ID:Ia/wwm8t
この場合大根は主食なのだろうか
543人間七七四年:2011/07/09(土) 17:11:06.15 ID:/GVclcJg
こういう民話的なやつ図書館で探したけど、時代不詳かせいぜい江戸時代の話ばっかりだった
544人間七七四年:2011/07/09(土) 18:06:36.65 ID:riBeJ5m+
この時代に大根はあったんだなにんじんが確かまだ無かったと思ったけど
545人間七七四年:2011/07/09(土) 18:23:54.98 ID:oCfSSAA9
>>540
寺や神社が武装し始めたのは
野武士が山賊になって神聖な場所だろうがヒャッハーしてたのが原因の一端でもあるらしい
546人間七七四年:2011/07/09(土) 19:13:11.60 ID:nrp2sYmf
>>542
なかなか毎日2本は食えないよねw
547人間七七四年:2011/07/09(土) 19:34:02.56 ID:RKMGWFKI
>>546
二きれだったと思う
548人間七七四年:2011/07/09(土) 19:34:31.32 ID:oT76ung6
>>542
大根はカロリー低いから主食にはならないと思います
549人間七七四年:2011/07/09(土) 19:35:58.65 ID:fWaMIQ72
その話の頃の大根は今の蕪くらいの大きさだったとか。
550人間七七四年:2011/07/10(日) 09:07:09.75 ID:HkdM0/oX
その頃はいまの大根ほど大きくなかったのと
おろして米とか麦に混ぜて食うとか
練って餅みたいにして食うんだと思う
それだと、二本なんて余裕
551人間七七四年:2011/07/10(日) 09:22:31.19 ID:eHOPkbqX
大根なら漬け物にしてご飯にのせて食うだろ、桜飯とかウマー
552人間七七四年:2011/07/10(日) 10:01:13.15 ID:tbauvVkf
ハマダイコン採ってきて畑で育てたら
きっと当時のダイコンとほぼ同じものが出来るんだろうなあ
553人間七七四年:2011/07/10(日) 10:17:28.28 ID:Tu83M5wE
昔、朝のテレビ小説で、おしんはわずかな米に刻んだ大根をいっぱい混ぜて
炊いていたぞ。大根飯って。貧しそうだったぞ。
554人間七七四年:2011/07/10(日) 10:27:35.79 ID:5wpd8CeC
大根飯と味噌汁は最高に美味い
555人間七七四年:2011/07/10(日) 10:35:11.90 ID:uqLSKw+D
ほかにも麦飯は貧しさの象徴みたいに言われるが結構旨かったりするよな
556人間七七四年:2011/07/10(日) 10:38:48.09 ID:uFdFY52q
最初食べたときはすごく美味しかった。
撮影のたびに食べてたらやっぱり不味かったと、おしん役の人が言ってたな
557人間七七四年:2011/07/10(日) 11:48:32.79 ID:ppYkKHJx
 個人的な経験から言うと麦飯も雑穀飯も暖かいうちはうまいが冷めてしまうと白飯より不味くなる
558人間七七四年:2011/07/10(日) 13:04:37.23 ID:C5saOIz6
だが栄養価は高い
559人間七七四年:2011/07/10(日) 13:31:47.39 ID:XuBsUytl
昔から雑穀飯を毎日食べていますが白米より歯ごたえと言うか
食感が豊かに感じられるので一品おかずが少なくて済みます
でも麦も稗も粟もそれ単体で食べるとやはり白米には勝てませんねw
冷めたものはおにぎりにするとほんのり塩味と
この食感が絶妙に合うのでお昼のお弁当や夜食に重宝します。
560人間七七四年:2011/07/10(日) 17:54:12.69 ID:zsfInQSl
>>557
麦は同意するが雑穀米は冷えても旨いと思うんだがなぁ
561人間七七四年:2011/07/10(日) 18:42:49.83 ID:uqLSKw+D
古人の食事は飯に一汁がつけば上等なのかね
昔の小説に芋粥食えたら死んでもいい公家、ってのがあったっけな
562人間七七四年:2011/07/10(日) 22:22:08.62 ID:ktV8s8B2
中村一氏の家臣、藪内匠正照は、秀吉の中国攻めのころから武功をもって知られた歴戦の士であり、
主家が駿府14万石をつかむきっかけとなった山中城攻めにおいても、一番乗りの大功を立ててのけた。

ところが、この攻城戦に同じく一氏に仕えていた渡辺勘兵衛も参加しており、その大半月の前立が
関白秀吉の目にも止まり、勘兵衛こそ一番乗りということになってしまった。
事実を知っていた一氏は転封後、内匠に5千石、勘兵衛に3千石を給したが、勘兵衛はこれを不満とした。


そんなある日、勘兵衛から内匠に書状が届いた。

“拙者儀、貴殿存じよりの子細ありて、中村家を立退く。ついては顔を合わせたく、町外れにて待つ。”

内匠は、ただちに両刀を携えると、町外れに向かった。そこには、完全武装の勘兵衛が愛馬に乗り、
抜き身の長刀を引っさげて待ち構えていた。

「おぅ来たか。わしはこれにてご当家を立退くが、一言の挨拶も無く去るのは、わしの本意ではない。
…が、わしが足を止めてまで頭を下げようと思うのは、お主の他におらなんだわ。」
「ふん、言うてくれるわ。」
「まぁ、これまでの我らが間柄に臆せず、良くぞ来てくれた。これを置き土産にくれてやろう。」

勘兵衛は、手に持った抜き身の長刀を内匠の目前に突きつけた。
「ならば、わしも餞別せん。」
内匠は全く動じる事なく自分の脇差を抜くと、同じく勘兵衛の鼻先に突きつけた。

「かたじけなし。」「痛み入る。」
長刀と脇差を取り換えた二人は丁寧に礼を交わしつつも、互いに油断無く睨み合いながら立ち別れた。
(明良洪範より)

その後、渡辺勘兵衛は増田家・藤堂家と仕えた後、牢人となるも、天下の名士として知られた。
藪内匠正照は中村家改易後、細川忠興に仕え、その子孫は細川家・紀州徳川家で重く用いられた。
563人間七七四年:2011/07/10(日) 22:26:36.06 ID:wxEGIBHV
藪内、リーチなげえな
564人間七七四年:2011/07/10(日) 23:08:03.18 ID:q/mwT7a6
藪さんだろ
565人間七七四年:2011/07/10(日) 23:40:38.01 ID:MOeCiGZF
難しい間柄だな
今更恨みはないけど、去り際に何かやってやりたいって感じなのかな
566人間七七四年:2011/07/11(月) 00:57:04.82 ID:EqiZO4Y2
関白に認められた意地と、きちんと評価してくれる主人をもった誇りとですれちがったけど、相手を認めてるから挨拶しておきたかったんじゃないのかな

567人間七七四年:2011/07/11(月) 16:47:44.56 ID:BsXcGIzw
>>544
今更だけど、
大根ってジャパニーズラディッシュって言うぐらいだから日本原産なんじゃないの?
568人間七七四年:2011/07/11(月) 18:01:41.69 ID:X1eOcevK
>>567
大根は外来種を日本人が今のような形に品種改良したらしい
元々はもっと細くて小さかったらしく、今の大根とはだいぶ見た目が違う上
いつごろ伝わって、あのような太った形になったのかよく分かっていないので、
実質日本原産みたいな扱いを受ける場合もあるみたい
(ブランド化するほど品種改良して今の形になったのは江戸時代だけど)
569人間七七四年:2011/07/11(月) 19:30:51.45 ID:sCQBajbC
日本には米と同じ頃伝わったと聞いた。
570人間七七四年:2011/07/11(月) 21:43:04.93 ID:5GaIqG/L
奈良時代の出土した木簡に「大根」って書いてあるよね
571人間七七四年:2011/07/12(火) 02:12:40.97 ID:v3xbTjYA
昔、大河ドラマで竹中秀吉が生の大根食って走ってたの思い出す。
あと、市原悦子が「藤吉郎、ほれ、だゃ〜こん」って。
572人間七七四年:2011/07/12(火) 07:50:59.51 ID:hfheNVec
すると比較的ハイカラでみずみずしい大根はフルーティな感覚で食べられてたのかな?
だとすれば中世日本の大根人気もうなずける
573人間七七四年:2011/07/12(火) 22:58:42.09 ID:wDXLDvxV
栗山大膳利章には、同じく黒田家に仕える星野宗右衛門という友がいたが、この宗右衛門、親族の借金を
肩代わりして、博多商人・河内屋に三百両の負債を抱える身となった。
大膳は、友のために借金の弁済を試みたが、誇り高い宗右衛門は、申し出を受けようとしなかった。

ある日、大膳は宗右衛門の屋敷を訪れた。客間に通された大膳は、床の間に掛けられた軸に目を止めた。
「なかなか良い物をお持ちではないか。」
「大したものではないが、御意にかなえばお持ち帰りあれ。わしが持っていても意味は無い。」
「…では、遠慮なくいただこう。」

翌日、宗右衛門のもとに大膳から絹の包みが届いた。包みの中には陶器の花入と、書状が入っていた。

“先日の掛け軸の返礼に、この花入れを進呈いたす。もしお好みに合わねば、何人なりともお譲りあれ。
お出入りの河内屋など数寄に執心との事、しかも河内屋は貴殿ご所望の色紙も持ち合せと聞き及ぶ。
色紙と花入を交換するも良し、貴殿のご随意になされたし。”

「はて、俺は色紙など欲しくは…!色紙とは借用証文の事か。掛け軸を所望したのも、わしを救わんがため、
この花入と交換するために、わざと言った事か。大膳殿、すまぬ……」

さっそく宗右衛門は、花入を持って河内屋に駆け込んだ。「この花入、質に入れれば値はいかほどだ?」
花入を鑑定した河内屋は、仰天した。
「そ、宗右衛門様、こ、この花入をいったいどこで?!」
「ある人に譲ってもらった。良い物なら、借金の足しにしたいのだが。」

「これこそ名物花入・銘『旅枕』。かの利休居士が作らせ、太閤秀吉公みずからの命名になるとか。
太閤からご当地先代・長政公に、長政公から栗山家に下賜された、門外不出の逸品と聞きますが……」
「…仔細あって譲り受けた。して、いかほどになる?」
「これなら三百両を帳消しどころか、逆に三百両お支払い致しますぞ!」
「いや、借金を帳消しにするだけで良い。このわしに、富貴に浸る資格はない。」

花入と証文を取り替えた宗右衛門は帰り道、大膳の屋敷の前まで行くと、深々と頭を下げた。


家宝を捨てて友を救い、身を捨てて主家を救った男・栗山大膳の生きた証、『旅枕』の花入は今現在、
大阪和泉の久保惣記念美術館が所蔵している。国指定重要文化財である。
574人間七七四年:2011/07/12(火) 23:27:32.42 ID:D1SxhnqJ
>>572
たくあん和尚のお話もあるしな、ってただの保存食の話だけど
575人間七七四年:2011/07/13(水) 18:58:51.42 ID:zXZRlqOA
『東郷への報酬 @』

 東郷肥前守重位。示現流の開祖であり、薩摩では諱を「しげかた」ではなく「ちゅうい」と読む、この人物。

「温厚で沈着、目下の者に対しても慇懃で礼儀ただしく、領民に温情ある」と言う、薩摩では存在するだけで周囲の総スカンを食らった挙句に抹殺されそうな為人(ひととなり)を貫き通しただけあって、強い。

 初陣(十八)で敵の首を挙げ、十数回(一説には十九)の上意打ちは全て介添え役の手を煩わせず完遂し、天真正自顕流を善吉和尚に授けられて以降は四十数名の挑戦者を悉く撃破。

 そんな達人を、おそらく最も悩ませたであろう存在は、自身が指南役を勤めた島津忠恒かもしれない。

 なにしろ、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-611.htmlな逸話がある人物である

 現在でも東郷家には、この時の琉球扇子(黒染骨18、高さ1尺、八部折れ五つ、扇面は草花画金泥書、古詩を墨書)が保管されているぐらい。

 但し。この時の忠恒。決して仕合の勝者である重位に、首に刀の引き出物(未遂)だけで返した訳では無い。

「和上者!」

 と一括され、腰を抜かした忠恒に三間さがって平伏する重位に、その時に腰に副えていた脇差(薩摩鍛冶・藤原氏長1尺6寸2分)を手ずから授けている。

 刀身には「南無大慈悲観世音菩薩」の九字彫刻と、忠恒が首取りに際してつけた切り込む傷のついている業物だった。
576人間七七四年:2011/07/13(水) 19:21:30.01 ID:zXZRlqOA
『東郷への報酬 A』

 慶弔九年。四十四歳で忠恒の指南役となった重位。

 ……実際には↑のような逸話の後も、刀で切れる訳がない碁盤を両断しろとパワハラされ(碁盤どころか、床板まで切って見せる)、

 風呂上りに話があると呼び出され、隠していた木刀で奇襲をされ(前回と同様、扇子で迎撃。左手の腫れた忠恒、数日は薬湯で療養し寝込む)たりと、

気苦労の耐えない日々である。

 そんな、ある日。

 島津義久、義弘の両公の御前に召し出された重位は、義弘から直に労いの言葉をかけらる。

 且つ、両公自作の和歌を自筆した短冊と、来国光の短刀(9寸5分)を拝領した。

「これを以て汝の功を賞す」

 ……体育会系の教師に、父兄がうちの息子は駄目な奴ですが先生の尽力でと依頼しているような、銘刀拝領のお話。
577人間七七四年:2011/07/13(水) 19:38:22.38 ID:zXZRlqOA
『東郷への報酬 B』

 慶長十一年三月。京都で仙洞御所の普請に参加していた島津家久(忠恒)は、淀川を遡っていた。

 目的は、江戸に参覲して江戸城の普請に働く家臣と合流する為である。

 伏見を目指し、大船から小船に乗り換えた家久。お召し舟の同乗者は、侍では重臣の玉川伊予守(後の本郷伊予義則)と護衛役の重位。

 他は、船頭・船子・小者の類で、他の重臣や家臣は別々の舟に分乗している。

 淀川の流れを、時に棹を使いながらも、その殆どを岸から曳き縄に曳かれて遡上するお召し舟。

 乗船人数が少なく、曳き手の数は多いので、後続の舟を引き離して独走状態。家久は上機嫌だった。

「殿、後ろの舟が遅れております。舟の足を緩めては?」

「その必要は無か。船頭、もっと早う走らせぃ!」

 重位の提案は逆効果。

「公の舟、独り進みて従者の舟、未だ及ばす」と記録される事態に。(続く)
578人間七七四年:2011/07/13(水) 19:52:48.15 ID:zXZRlqOA
(続き)その時。前方には「加藤肥後侯の臣、某等の舟」が。

「構わん、このまま行け!」

 家久、加藤家家臣の舟を追い越す。

 ……その時、加藤家の舟と岸の間には曳き縄が存在し、それが自らの舟の上を経過しようとした時。

 家久は、船子に命じて縄を両断させた。たちまち、淀川の勢いに屈して岸に乗り上げる加藤家の舟。

「はっははははは!」

 高笑いの家久。青褪める周囲。当然、加藤家の側は激怒する。

 舟から降りた加藤家の家臣達は、家久の召し舟を曳いていた縄を奪い、陸に向かって引き寄せ始めた。

「……拙いかな、これ?」

「危難です、はい」

 薙刀の鞘を外す家久に、弓に矢を番える伊予守。島津の家臣団を乗せた船団は、遥かに後方。

 と、遂に岸に引き寄せられてしまったお召し舟から、さっと立ち上がる重位。(続く)

579人間七七四年:2011/07/13(水) 20:00:55.92 ID:zXZRlqOA
(続き)普段、温厚で沈着な人格者の容貌は、修羅のそれに一変していた。

「……あ、あの。重位、さん。ここ、伏見だから。騒動を起こすと両家とも無事じゃ済まな…」

 剣を抜き、今にも岸に降り立とうとする重位。聞いていない。

「待て。暫し、待て!」

 薙刀の石突で、必死に重位の袴の裾を押さえる家久。

 加藤家の家臣団、目の前の修羅(場)に圧倒され、棒立ち状態。

 ……結果。

 双方、睨み合いの間に島津の家臣団を乗せた船団と、加藤家の重役の乗った舟が到着。

 双方の重役同士が挨拶をすませて、事は穏便に解決した。(続き)
580人間七七四年:2011/07/13(水) 20:15:45.62 ID:zXZRlqOA
(続き)その日の夜、島津家の伏見屋敷。

「今日の事、幸いにも難に及ばず」

(一体、どなたの所為だったのでしょうか?)

「やむを得ぬ場合、衆寡敵せぬ以上、加藤の主だった者(魁の者)を視て、これを撃ち殺すつもりだったぞ」

 その時、重位は答えた。

「臣にはそのような他意は無し。手に随って悉くこれを斃さんのみ。

 いずくんぞ、敵する者を択ぶ暇あらん」

 主要人物を真っ先に片づける事で、敵の崩壊を誘おうとしていた家久に対し。
 
 重位は、刀の間合いに入っている者は全て斬り殺すつもりだった。

 ……逆に言えば、その殺気が伝わる事で、加藤家の家臣団は全員が動けなかったのかもしれない。

「……」

 圧倒された家久。副え刀(脇差)の中で、

「この副え刀、よく剛を断つに堪えん事。公、平日自愛する所」

の、関禅定兼吉が鍛えた1尺3寸(刀身に蓮花を彫刻)を賜る。
581人間七七四年:2011/07/13(水) 20:23:07.06 ID:zXZRlqOA
『東郷への報酬 C』

 元和八年、夏。

 江戸において六十二歳の東郷重位、柳生門下の高弟である福町七郎右衛門、寺田勝介と対決。

 両名は重位に敗れ、入門誓詞を差し出す。福町は三日後、打撃が元で死亡する。

 家久、大喜びして備前物の脇差を下賜する。


 こうして見ると、事ある毎に脇差を拝領しているようです。

 実際には、大刀を拝領した事もあるそうですが……そちらは、悪い話の方で。

 長々と書き込んで、失礼を致しました。
582人間七七四年:2011/07/13(水) 20:29:58.87 ID:jt+UT2zR
行間が読みづらい
583人間七七四年:2011/07/14(木) 00:32:08.29 ID:03siNorf
信長包囲網が形成されていたころ、松永久秀と明智光秀が陣を並べることがあった。戦を前にして、
陣を見回っていた光秀は、久秀の備えの一部が突出しているのを見つけ、久秀に忠告した。

「松永殿、貴殿の備え、少し出張り過ぎたところがあるようだ。今のうちに、備えを立て直されよ。」

「おお、これは面目ない!・・・しかしのぅ明智殿よ。この松永も日ごろ茶人、数寄者と呼ばれる身。
それが人前で二の湯を継ぎ足し、茶を『点て直す』などという見苦しきマネは思いもよらぬ。
あの一備え、廃るというなら捨てるまでよ。それ、かかれ―――ぃ!!」

そう言ってそのまま敵陣に突き入れ、勝利してしまった。(茶窓閑話より)
584人間七七四年:2011/07/14(木) 00:43:27.97 ID:FGiOzc4D
決断力に優れた曲者、と島左近(異説あり)に評された二人だけど
弾正のこの行動は少々無茶ではないのかと
585人間七七四年:2011/07/14(木) 00:56:23.71 ID:7hNSG0It
織田信長「見たか、他人の思惑の逆をするこの久秀の行動こそ器用というものだ
     光秀も>>584も裏を掻かれておろう」
586人間七七四年:2011/07/14(木) 08:11:55.58 ID:R+j7jN03
着眼点が違うぜ
さすが、ノブさま!そこに痺れる、憧れるぅ!
587人間七七四年:2011/07/14(木) 08:37:29.05 ID:scyIQdZT
>>584
久秀と並び称されるって光秀的にどうなんだろうな…
588人間七七四年:2011/07/14(木) 10:57:56.31 ID:TIhvGKAz
後世の俺ら的にはお似合いじゃないの?って思っちゃうトコだがなあ
589人間七七四年:2011/07/14(木) 16:10:39.52 ID:PYxpvjOh
人の一生は急用を帯びて使に行くが如し
急がざるべからず
不自由を常と思えば発達なく、
心に緩み生ぜば成功したる人を思い出すべし
負嫌いは開運立身の基、因循は敵と思え
守るばかりにて進まざれば、害、其身にいたる
己に依頼して、人に依頼するな
過ぎたるは及ばざるに勝れり


遠藤周作の『決戦の時』の解説に出典はかなり怪しいとしながらも紹介されている一説。
こういうのも面白いかなと思ったので。
もちろん織田信長を表した一説です
590人間七七四年:2011/07/14(木) 20:16:06.01 ID:aVAR+d05
>>589
これは有名な家康の「人の一生は重き荷を〜」の書き直しじゃないかw
言葉の使い方から見ても、どう見ても明治以後、多分戦後の作だろうね。
というか遠藤周作の創作だろうよw
591人間七七四年:2011/07/14(木) 21:32:46.86 ID:Y2w/EqcN
不粋な奴だ
592人間七七四年:2011/07/14(木) 21:53:24.71 ID:1zvMS8mp
無粋も何も>>590の通りだろ

いくら逸話スレだからって作者の創作だったり主観で登場人物やオチが
変わってることがある歴史小説の話なんてソースにされちゃ困るんだよ
593人間七七四年:2011/07/14(木) 22:10:22.63 ID:Mejawji4
いいんじゃないの?
ここに収録された逸話なんて99%以上、後世の作り話なんだしw
594人間七七四年:2011/07/14(木) 22:17:54.97 ID:lLEEmUm6
キミはこのスレに後世の作り話を書き込んでも良いし
それを後世の作り話だと指摘しても良い
595人間七七四年:2011/07/14(木) 22:20:12.08 ID:v/tfisY3
歴史小説が有りなら大河も有りになってしまうけど?w
596人間七七四年:2011/07/14(木) 22:25:15.40 ID:nKBiehcr
100年後にはシエは信長とか光秀とか秀吉よりも偉い10歳児として語り継がれてるよ
597人間七七四年:2011/07/14(木) 22:27:16.74 ID:KSRRuLKt
歴史小説の解説に紹介されている話、だから大河とは違うんじゃないか。
598人間七七四年:2011/07/14(木) 22:47:12.31 ID:VOqdReaE
そこまで厳密にやらなくてもいいんじゃないの?
ここ学問板じゃないんだから
599人間七七四年:2011/07/14(木) 23:15:21.76 ID:PYxpvjOh
作者出典はわからないですが、大河のように歴史的事実から出来事自体が大きくハズレたものでもないので投稿しました。
もちろん、人生は重き荷を〜、を意識して作られたものなのはわかって投稿していますw
600人間七七四年:2011/07/15(金) 00:54:33.50 ID:o0+b1hLn
あー、ちょっと足りない子がいたみたいだなー
フィクションが元だと指摘したいなら普通はソースを示すだけなのに
遠藤がーとか明治期にーとかやるからああ知識をひけらかしたいだけか、ってわかっちゃうのにね
つか逸話だって明らかに創作の奴だって紛れてるんだし、細かい考証ただ不毛なだけだ
601人間七七四年:2011/07/15(金) 01:16:27.58 ID:Bh1+m6Wn
と、だいぶ足りない子が申しております
602人間七七四年:2011/07/15(金) 03:36:44.22 ID:w4WKCjbm
母里但馬と井上周防と言えば古くからの黒田家の重臣であったが、
この両名、実に仲が悪かったという。

ある時のこと、母里但馬の屋敷にて人々集まり武辺話をしていたとき、但馬がこんな事を言い出した。

「周防は名人臭く、みたくもない分別面も甚だしい者であるが、先年豊後石垣原(関ケ原九州戦線での
大友氏との戦い)では一人狂言をしたよ」

人々、但馬と周防が仲の悪いことを知っていたので『またいつもの悪口をいうのだろう』と困っていると、
その中の但馬と心安いものが聞いた

「一人狂言とは、一体どういう事を言っているんだ?」

これに母里但馬
「それはな、あの合戦で周防は人を能く使い、自由自在に駆け引きをし、その上自身で槍を突き残るところなく働いた。
仕手(軍の運用と作戦立案)と脇(戦場での働き)を続けて一人でやったのだから、これは一人狂言ではないか。」

これに、ある人が口をだす
「あなたの甥である隼人殿も、戦場では同じ程の働きを、しかも朝鮮と石垣原で二度もされている。
脇ということならば、隼人殿は周防殿の上を行く勇者ではないだろうか?」

但馬、この指摘に
「あいつは私の甥だからなんとも言い難いが、脇という面であれば悪くいうことは出来ないな。

しかし周防は軍陣という物も見ず、軽はずみなこともせず喧嘩もしないので、終に刃を交えるような事もなく、
子供の頃から用に立つべき者であると、優れて功の入った人である宗円様に見つけられ、如水様、そして
今の殿にいたるまで3代共に、仕手として重用されていた。

しかるに豊後では、あのような実戦は初めてのはずなのに、そのたった一度、一度も一度の場であれだけの働きをした。
なるほど、いよいよあいつは殿の御重宝である。」

そういって井上周防を殊の外褒め上げた。
これを聞いた人々は

「但馬殿と周防殿はずっと不和で、今周防殿が他に居るのをいいことに、何事かを聞き出して悪口を言うのだろうと
困った思いでいたが、なんという正直な物言いだろう。」

と、皆感じ入ったそうである。


母里但馬、不仲の井上周防にツンデレる。と言うお話。
603人間七七四年:2011/07/15(金) 06:00:36.19 ID:0F+VrMKM
この逸話 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3083.html にも
「脇を合わせる」と出てくるけど、どうしてそういう言い回しになったのか謎だったんだが
能狂言の仕手・脇に例えて言ってるのか。すごい納得した。
戦用語っておもしろいな。
604人間七七四年:2011/07/15(金) 09:06:07.88 ID:dlX7iE/E
上意討ちって結構あったのかね?
というか、完全に支配体制が確立してにないと上意討ちとは言わないのかな?
605人間七七四年:2011/07/15(金) 09:54:00.13 ID:VtFOTEhj
母里太兵衛って結構ウザキャラだな
栗山は母里に長政にと面倒見なきゃいけないのが多くて大変そうだ
606人間七七四年:2011/07/15(金) 10:06:58.53 ID:oc7vWgGf
黒田二十四騎、というか黒田武士はそれぞれに面倒くさい
607人間七七四年:2011/07/15(金) 11:35:44.98 ID:bKsBipV7
>>604
支配体制確立してたら、腹を切れって言うだけで切ってくれるけど
この時代は素直に腹を切るくらいなら、
実力で抵抗するか出奔するやつがいるので上意討ちは大事。
608人間七七四年:2011/07/15(金) 12:40:15.54 ID:VtFOTEhj
そういや後藤又兵衛も栗山の寄騎からだったか
609人間七七四年:2011/07/15(金) 20:33:53.09 ID:movMjuWE
 戦国末期から江戸初期だと、「上意討ち」よりも「仕物」でしょうか?

 でも、後者の場合は密殺や毒殺も含みますし。

 伊予松山藩では、江戸期に「御意討ち」として主君が反抗的な家臣を討たせています。

 理由ですか? 

 家禄永代安堵の家柄の家臣
→財政難につき、特別扱いすると周囲が反発するからと、安堵状を反古に
→当人、仕方ないと納得
→周囲、いい子ぶりやがってとイジメ開始
→殿も、後ろ暗いのでイジメを黙認
→当人、それでも真面目に仕事する
→殿と家臣、アイツは謀反を企んでいるに違いないと決め付ける
→御意討ち。

 戦国時代だったら、悪い話スレに投稿したい位です。
610人間七七四年:2011/07/15(金) 20:54:27.39 ID:4ZQlyy59
戦国だと武功というわかりやすくて納得しやすい絶対的な評価指標がある分イジメは少ないイメージ
トラブったら出奔するという手もあるし。
611人間七七四年:2011/07/15(金) 21:05:35.87 ID:UeC+Zs0W
上がヴァカだと駄目なんだよ
612人間七七四年:2011/07/15(金) 21:36:32.86 ID:5U4/uSbd
>>609
江戸期になるとこういう話は多そうだなあ
613人間七七四年:2011/07/15(金) 21:43:32.60 ID:movMjuWE
 御意討ちの当日、下城する件の侍は懐手だったらしい。

 イジメに参加していない横目付が、武士として無用心であると注意すると「ご忠告、忝い」と慇懃に一礼したらしい。

 が、打ち手が作法を無視して物陰から無言で襲い掛かった瞬間、抜く手も見せずに抜刀。しかも、手加減して鍔で討手の額をカチ割って気絶させるに留める。

 気を取り直した添え役が、数百メートル走って追っかけて、作法どおり「御意討ちである」と口上を述べると、静かに路上に正坐して「斬れ」と告げ、堂々と刃を受けた。

 これ、戦国末期から江戸初期なら「劇場版・魔界転生」の柳生宗矩さながら暴れまわっていたかな?
614人間七七四年:2011/07/15(金) 21:53:14.29 ID:pyOYKMun
逃げて幕府に訴えても御家取り潰しの理由にされるだけだし
後世での名誉回復に身を委ねたのだろう
615人間七七四年:2011/07/15(金) 22:55:27.30 ID:iVLhlcEA
うーん。
「上意討ち」となると、逃げても末代までの浪人覚悟だし。
藩の方もただ逃がすわけには、面子とか。
なんか、逃げるのってめっちゃくっちゃ面倒臭そうだなぁ。
616人間七七四年:2011/07/15(金) 23:58:42.69 ID:f5+lp7f5
手討ちにされる人と上意討ちにされる人の違いがよくわからない
「成敗」というのは手討ちなのか上意討ちなのかどちらも入るのか
617人間七七四年:2011/07/16(土) 00:11:53.20 ID:zh1H/o0O
手討ちっていうのは、主君が自らの手で討つことじゃね?
だから、君主の勢いでバッサリとって感じで近いところにいる近習がよく手討ちにあうと・・・


上意討ちというのは、主君の命によって配下の者を討つってことで、
差し向ける人間にちゃんと命令がでてるってことなんじゃないかな〜
618人間七七四年:2011/07/16(土) 00:15:07.23 ID:FHvIk0a2
主君が腕力に自信あれば手打ち
自信なければ上意打ち
619人間七七四年:2011/07/16(土) 01:22:46.36 ID:P52k2i+f
で、あるか
620人間七七四年:2011/07/16(土) 06:26:38.76 ID:NxRUfE0U
信長乙!
621人間七七四年:2011/07/16(土) 10:06:33.14 ID:2OOwg9pO
大寧寺で主君自らを討つのが大内、なんちて☆
622人間七七四年:2011/07/16(土) 13:35:12.54 ID:q06OVCpV
立花宗茂   「狭いながらも楽しい我が家」良い話(前)

慶長8年3月24日、徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開府した年、立花左近将監宗茂が、
5000石で将軍親衛隊たる御書院番頭に任じられ、屋敷を賜った。
屋敷と言っても徳川家の旗本屋敷は、屋根は板葺き、壁は荒土塗りがデフォで狭苦しい割には、敷地が広かった。
しかし、翌年には棚倉1万石、数年後には同地で3万5千石に加増された立花家では、加藤清正に預けていた家臣
を再雇用したり、江戸や棚倉で新規雇用したりして3万5千石にふさわしい家臣団を揃えた結果、屋敷は足の踏み場
もないほどの狭さになってしまった。
どれぐらい狭くなったかというと、重臣である十時摂津が、棚倉から江戸に来た際に、寝る部屋がなく側近たちと一室
で雑魚寝したほどである。
「これではいかん。奥の侍女と若い侍連中が間違いを起こして不義を起こしかねない。よし!」
立花最強家臣団中、最も小物の十時摂津とはいえ、言う時は言う漢である。宗茂のもとに伺候すると早速切り出した。
「殿、3万5千石の大名の屋敷にしては、いささか手狭になりましたな。世上では、立花殿は、吝嗇故に屋敷を広げない、
いや関ヶ原の一件を未だに遠慮して屋敷を建て替えないなど噂になっております」
「馬鹿な事を!」
「世上とはそのようなものでござる。幸いにも当家の庭は、広うござる。庭を潰して屋敷を広げませぬか?」
「無用!」
623人間七七四年:2011/07/16(土) 13:36:15.24 ID:q06OVCpV
立花宗茂   「狭いながらも楽しい我が家」良い話(後)


「はぁ?今のままでは、当家の若侍と奥方様の侍女との間で、不義密通が起きかねませんぞ。そうなればお家の恥」
「不義密通? 国法を犯すを不義、敵に密かに通じるを密通と言うのだ。男女のことは、奥に任せている。そう言えば、
奥の差配で婚儀が数件あったな」
不惑を超えても男女のことに疎い主君の一言で、一瞬、十時摂津が脱力した瞬間を捉え、宗茂が、得意の説諭を始めた。
「そもそも、立花の軍が強い所以は、如何に?」
「言うまでもなく一和にござる。家臣を家族のごとく殿が慈しむゆえ、我らも戦場において殿のために一命を捨てて戦うのでござる」
「ふむ、さすが摂津、よくわかっておるではないか。それゆえに屋敷は広げんのだ」
「???」
「かの関ヶ原にて、わが立花家は一度潰れた。その際、浪々の身になった我を見捨てずに養ってくれ家臣は、わが家族も同然。
家族なら毎日、顔を合わせるのが当たり前ではないか。屋敷を広げれば、家臣と主君の間が隔たって、毎日顔を合わせることも
なくなる。ましてや新規に召抱えたものの性根など、顔を合せる機会が無ければ、わかるはずもなかろう。一和がならねば、立花の
武威など朝露のごとく消え去ろう」
「しかし、家臣が一室で雑魚寝とは、他家への聞こえが良いとは」
「つまらぬことを申すな。雑魚寝することで、自然に互いに他をいたわり、気を使いあうようになるのではないか。そもそも我が立花の
3千が他家の1万に勝ると言われるのは、道雪公以来の一和の精神によるものぞ」
と言って、宗茂は摂津の意見を取り上げなかった。
624人間七七四年:2011/07/16(土) 13:40:45.60 ID:f/wwxMmH
いかにも立花宗茂だなw
筋が通っているような、あさっての方向に行っているような。
625人間七七四年:2011/07/16(土) 16:23:48.01 ID:KYKKdG2d
婚儀を奥方たちが差配していたのか?
626人間七七四年:2011/07/16(土) 16:34:03.45 ID:RaQ4xt57
侍女ってのは殿様の手付きになり世継ぎを孕む可能性があるから基本独身であり
殿様以外とのセックルは禁止なわけ。
ところがこの時の立花家では侍女と侍のカップルが何組か出来てしまい、
殿様にバレて処罰せざるを得なくなる前に結婚させたということ
627人間七七四年:2011/07/16(土) 16:38:37.07 ID:q06OVCpV
>>625
5000石の旗本の奥方なら、それぐらい気がきかなきゃやっていけない。
問題は3万5千石の大名の奥方になっても、それが変わらなかったってことだ。
宗茂本人も変わってるが、ァ千代といい二度目の奥方のはちといい、嫁さんも
変わり者だよ。
628人間七七四年:2011/07/16(土) 17:01:23.84 ID:mX5mKpDA
なんかこれも世間に知られることになったら、いい話になり、
将軍家に知られて、「流石は宗茂!よーし
旧領10万石あげちゃうよ♩」ということになるという落ちなんでしょうか。
629人間七七四年:2011/07/16(土) 17:14:31.03 ID:bVMpI4H7
安定の西のミスターパーフェクト
630人間七七四年:2011/07/16(土) 17:34:36.02 ID:cAPaFwy8
>>628
断絶したとはいえ、田中さんちもいい迷惑ですな
631人間七七四年:2011/07/16(土) 17:47:37.09 ID:KxMg+Ila
宗茂以外なら間違い無く悪い話になるな
宗茂の男女間の疎さを考えるにこの人は子供の作り方すら知らなかったんでは…
父連中もパーフェクトマシーンを作りあげたはいいが重要な部分が抜けていようとは思いもしなかっただろう
632人間七七四年:2011/07/16(土) 19:06:23.01 ID:RaTcBl16
武家の子なんだからいくらなんでも子造りの作法知らないってのは無理があるだろう
633人間七七四年:2011/07/16(土) 19:18:06.02 ID:Bexc6EGY
柳川に帰ったときの話といい、宗茂はホントに家臣と一緒にいるのが好きなんだな。
634人間七七四年:2011/07/16(土) 19:20:55.25 ID:f/wwxMmH
子作りはともかく、男女間に恋愛というものが発生するという面には疎かったように思われるなw
635人間七七四年:2011/07/16(土) 19:31:31.20 ID:TzUyqRWo
よく見るとずれてるのに、すごくいい話だと感じさせるあたりさすがとしか言いようがない
636人間七七四年:2011/07/16(土) 19:56:53.38 ID:d3lt3EOM
大名は恋愛感情なんていらんけどな。惚れすぎて忠興のようになると問題だし
何人子作り出来るかだなその辺太閤殿下はへたくそだった
637人間七七四年:2011/07/16(土) 20:02:53.42 ID:cAPaFwy8
>>636
悪久と光久が・・・
638人間七七四年:2011/07/17(日) 00:05:07.07 ID:zgi9ymjg
婚儀の差配ねえ……
そんなことさせるよりガキの一人でも抱かせてばいいものを
種無し以前に唯の朴念仁なのが問題なんじゃねーのか?
639人間七七四年:2011/07/17(日) 00:54:49.95 ID:DV/FpV1w
>>583.584
そういや『無茶』とか『無茶苦茶』とかの言葉はお茶からの由来した言葉なんだよね。

頻繁に使ってる言葉だから再認識させられた。
640人間七七四年:2011/07/17(日) 01:55:28.83 ID:VQfNLz4L
>>638
元々実子が継ぐことにこだわりがないんだろうな。
当時としてもかなり独自の価値観を持ってた人っぽいし、
641人間七七四年:2011/07/17(日) 01:59:18.99 ID:dL1UR5g1
まあ家康が秀忠に「側で使うのはいいけどあんまり影響受けるなよ?」って
注意した人だしなあw>宗茂
642人間七七四年:2011/07/17(日) 04:16:45.25 ID:kAijQE80
>>626
そういえば、黒田家では奥女中に手を付けた重臣が奥方様から切腹を迫られたりしているようですね
643人間七七四年:2011/07/17(日) 07:14:59.97 ID:fihEQnos
>>640
自分含めての周囲が他所の家継ぎまくってるの見て育ったせいもあるかもな
子供がいなけりゃ養子に継がせればいいじゃない、って。
644人間七七四年:2011/07/17(日) 07:40:28.82 ID:g/0qsKr8
>>643
高橋家は、一万田→吉弘(紹運)だし、立花家も戸次(道雪)→高橋(宗茂)だから
養子を取ることに抵抗はないよな。しかも超優秀な弟の子供を生まれた日に養子
にして、乳飲み子から育ててるんだから、実質わが子と同じ。
どうも宗茂は、初婚の
645644:2011/07/17(日) 07:51:22.30 ID:g/0qsKr8
すまん、間違って途中であげちゃったよ。
どうも宗茂は、 初婚で懲りたのか、後に正室になるはちさんを側室に迎えた時
はちさん26歳。現在の感覚で言えば、アラフォー婚してるからな。端から子供を
作る気なかった節がある。
646人間七七四年:2011/07/17(日) 10:33:28.00 ID:DV/FpV1w
忠茂って四男らしいんだけど、
三人の兄貴は他家へ養子に行った訳ではないのに納得したのかな?
647人間七七四年:2011/07/17(日) 11:01:50.21 ID:kAijQE80
そもそも長男が養子に出されることは養子先がどんなにいい家でもほとんどないよ
それこそ宗茂くらいじゃないか
648人間七七四年:2011/07/17(日) 11:07:54.71 ID:CIUSuqH7
>>647
大関高増&直江兼続「・・・」
649人間七七四年:2011/07/17(日) 11:22:11.01 ID:V6Bn3W68
大関さんは長男の晴増も惜しげもなく養子に出した。出戻りしてきたけど。
650人間七七四年:2011/07/17(日) 13:15:50.93 ID:7SlTi8S1
でも立花家の家臣団は宗茂の実子に仕えたいって気持ちあったと思うんだが。

祖父道雪紹運、父宗茂、母ぎん千代なんてのが産まれたらと夢見てた時期もあったろうな家臣団。
651人間七七四年:2011/07/17(日) 13:20:37.48 ID:1qWNHHre
まさにサラブレッドだな
652人間七七四年:2011/07/17(日) 13:43:21.24 ID:Xa2h4FaI
>>650
そういうのに限ってDQNが生まれちゃうもんさ
653人間七七四年:2011/07/17(日) 14:19:16.17 ID:5+iYlTo5
>>646
長男(母は筑紫広門女)は直次のあとを継いだ種次だね。
あと次男種俊は旗本、三男政俊と五男種元は柳川藩士になっている。
654人間七七四年:2011/07/17(日) 20:38:01.80 ID:VSlZDXPi
突然だが質問
立花宗茂と伊達政宗の料理大会って実際のところあったの?
友人から聞いたんだがソースが不明なんだ
もし実在してたら内容も頼む
655人間七七四年:2011/07/17(日) 20:44:19.21 ID:tksZpkAb
質問スレで聞けば
656人間七七四年:2011/07/17(日) 21:34:20.62 ID:ld3/3H92
>>623
>つまらぬことを申すな。雑魚寝することで、自然に互いに他をいたわり、気を使いあうようになるのではないか

ものはいい様すぎるww
さすがは相伴衆をつとめただけあるわ
657人間七七四年:2011/07/17(日) 23:18:02.90 ID:VSlZDXPi
>>655
本当に申し訳ない
調べたら宗茂wikiに実際行われたって載ってたよ
さすがに内容までは無かったが
きちんと質問スレを探さなくて悪かった
次からは分別をつけるようにするよ
6581/2:2011/07/18(月) 18:36:44.23 ID:AYRFFBTe
ある年のこと。

黒田家では村田出羽と堤九郎兵衛という二人が、白切裂の指物を差していたのだが、
村田が堤のところに使いをやって申すには

「白切裂の指物は私が久しく差していたのだが、ご存じなかったのだろうか?
戦場で紛らわしいので、あなたはその指物を止めていただきたい。」

これに対し堤の返答は
「昔のことはよく知りませんが、先年の治部少輔(石田三成)の乱の時、如水公が九州に出兵された折、
私はこの白切裂の指物を差していましたが、貴殿は金の半月の指物をしておられました。
そうであった以上これは私の指物と決まったようなものです。あなたの方こそ白切裂の指物を使うのを
止めていただきたい!」

村田はこれに反論
「あの乱の折私は御使番を仰せ付けられていたため、使番の指物を差していたのだ!
ただいまは立身つかまつり足軽頭を仰せ付けられた。そのため指物も元のものに戻したのである。
この事に疑い有らば家中の古参の人々に尋ねられよ、私が昔から白切裂の指物を使っていたことを
証明してくれるだろう!貴殿は早々に別の指物に取り替えられよ!」

堤もそんな事で納得しない
「昔はそうだったかも知れないが、私にとって既に一陣を勤めた指物である!これを指すことを止めるわけには
いかない!」

以上のようなことで、村田と堤の関係は一気に悪化した。
村田は「堤のところに行って指物を踏み折ってやる!」と言ったと云い、包も同じことを言ったと云い、
双方「踏み折れるものなら折ってみろ!」と指物をわざと屋敷の軒下の方に置いている、などと云われ、
もはや二人が道で行き逢えば刺し違えることに成るだろう、とまで言われた。

さらにはこの事を聞いた双方の親しいお調子者たちがそれぞれに「何かあったらお味方いたす!」などと
言ってきたりと、非常に面倒くさい事態へと発展してしまった。

これは流石に良くないと、双方の親類縁者、友人などが間に入って和解させようとしたが聞く耳持たず。
次に黒田家の中老たちが上司の立場から意見したがそれも聞き入れない。
双方異口同音に

「人間としてもし今の指物を止めれば、大いなる恥辱となります!
そんなことをしたら相手が『踏み折るなどと言いながら未だに踏み折らない。口ほどのこともない。
大した人物ではないな。』などと世間に言い回るでしょう!

ですから、御老中の意見は申すに及ばず、例え殿の上意であっても、その意見をお受けすることは出来ません!
切腹を仰せ付けられても、あの指物を止めることはありません!」

こう言い切った。
周りの人々はさすがにあきれ果て、終に黒田家の最高幹部である年寄衆に事の解決を願い出る事にし、
丁度、栗山備後守利安の屋敷にて年寄衆の寄り合いがあったため、そこに出向いてこの件を訴えた。
6592/2:2011/07/18(月) 18:37:11.91 ID:AYRFFBTe
二人の親類衆の話を聞いた年寄衆は
「あの二人が指物について口論しているという話は聞いていたが、大したことでもないと思っていたのに、
そこまで話が大きくなっているとは」
と驚きいたが、村田、堤両名が、これ又同じように

『たとえ殿様の御意であっても指物を止めることはありません。御扶持を放たれれば上々の幸せ。
切腹を命ぜられようとも後悔しないと決心いたしました。
御老中の命令といえども、こればかりは承知することは出来ません。
私の決意はこれにて、解って頂けるでしょう。』

と言っていると聴き、「さてもさても苦々しい話だ」と言葉もなく静まり返った。

─と、この時それまで奥の間に居たこの屋敷の主人、栗山利安が戻ってきた。
栗山は話を聞くと「あっはっは」と笑い出し

「何だそんな事か。もっと早く聞かせてもらえればここまで難しい話にはならなかったのに。
まあいい。とにかく村田も堤もここに呼べ。私が両人に申し聞かそう。」

その場の人々「どういうつもりなんだろう?あの二人はもはや、どんな意見も聞くことなど無いのに。
話の内容をよく理解していないんじゃないのか?」と怪訝に思った。

呼び出された村田、堤は座敷に通された。そこで栗山は家人に「私の具足箱を持ってこい」と命じた。
その具足箱を開くと中から、なんと、その両名が命をかけて争っている当の物、白切裂の指物が出てきたではないか。
それを手に持ち、栗山は言う

「お前たち二人は指物のことで口論をしているとか。その争っているのがこれと同じものなら、それは無益の
争いだぞ。

これはな、わたしが若い頃、ずっと差して度々手柄を立てた指物なのだ。
その後成長して、小馬印には別の指物を指すようになったが、これは風に引っ張られることもなく、
まあ何より老後に、若い頃の事を思い出そうとしてな、この筑前に入国の翌年に拵え置いたものなんだ。
わが子大膳には、形見の品とも成るだろう。

お前たちは無用の議論をやめよ。もし未だやるきなら、指物に付いて俺と公事(裁判)をするかい?」

そうカラカラと笑った。

これに村田、堤両名は目が覚めた思いで
「さてさて是非に及ばぬ口論をしてしまい、面目もありません」と同じように答えたため、栗山

「元々二人に遺恨があったわけではないだろう。大急ぎで仲直りするんだな。
まったくお前たち二人は意地が強すぎて、いつも物事を難しくする。かなり宜しくない心得だぞ!」

としたたかに叱りつけると両名「仰せのごとく、我ら二人は遠い親戚でもあります。心やすく
付き合っていたはずなのですが、今回は石車に乗り(調子に乗ること)、是非なく命をかけた果し合いを
するところでした。さてさて、危ないところでした。
今や何の意趣遺恨も残ってはおりません」

と二人して大笑いし、同道して帰っていったという。

栗山利安、指物争いを和解させる、と言うお話
(古郷物語)
660人間七七四年:2011/07/18(月) 20:31:49.57 ID:+IeTplzg
さすが黒田家の良心
661人間七七四年:2011/07/18(月) 22:46:04.09 ID:GCqXaR70
水戸黄門のテーマ曲が似合う話だ
662人間七七四年:2011/07/18(月) 22:46:46.34 ID:yu/UT1Di
理想の御家老だな
663人間七七四年:2011/07/20(水) 09:32:01.09 ID:rWDgz7eb
教えて、幽斎先生

Q,敵陣と対陣したり、敵城を取り囲んでいます。でも、敵陣付近の地形がよくわかりません。
  何かいい方法はないでしょうか?

A,そういう時は鷹狩を利用するのだ。
  地形を知りたい場所の辺りに鳥がいるから鷹に獲らせたいと申し入れると、大抵の場合は許して貰える。
  もちろん、許してもらえたら鷹狩に夢中にならずにしっかりと地形の把握に努めねばならん。
  それから、鳥を獲ったなら相手方にも送るのを忘れてはならんぞ、そうすれば次に申し入れたときにもいい返事が貰えるのだ。
  古から大将というのはこういった謀のためにも鷹を準備していたというのに、最近の者と来たら(ry
664人間七七四年:2011/07/20(水) 15:01:14.18 ID:HGqzFHuL
鷹狩りする余裕があるとかなんとものんびりした戦場だな
665人間七七四年:2011/07/20(水) 15:04:50.62 ID:3nweDEJ/
戦う前だろjk
666人間七七四年:2011/07/20(水) 15:42:25.90 ID:GnGEvPJg
>>665
「敵陣と対陣したり、敵城を取り囲んでいます。」
667人間七七四年:2011/07/20(水) 20:52:44.47 ID:e065msoy
対陣してたり城囲まれてる時に、のんきに鷹狩りなんかしてる大将。

それを見てる足軽「('A`)」
668人間七七四年:2011/07/20(水) 21:14:55.35 ID:vVgqoxCo
戦闘が始まってから戦場の心配をしてるような奴は駄目ということではないの?
669人間七七四年:2011/07/20(水) 21:25:35.43 ID:EOOcmynD
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4993.html
これとか攻められてる方も人を出してるし、戦の最中の狩りは想像以上によくあることだったんじゃ……
670人間七七四年:2011/07/20(水) 21:41:25.86 ID:0MP9jKzS
現代で言う戦争というよりは紛争に近かった近畿地方ならではの話だね
戦国末期の九州とかでは通用しないだろう
671人間七七四年:2011/07/21(木) 00:45:43.94 ID:KViVScmK
山中鹿介が病弱な兄・幸高に代わって家督を相続し、三日月の前立と鹿角の脇立がついた先祖伝来の
兜を譲り受けた。この時鹿介は

「今日から30日以内に武功が立てられます様に。」

と夜空の三日月に祈った。程なく、主家の尼子家と山名家との間で行われた尾高城の戦いに出陣した
鹿介は、豪傑として名高い菊池音八を見事に討ち取った。一説には鹿介の名はこの兜に由来しているとも言われ、
これをきっかけに生涯にわたる三日月を信仰するようになったのだという。
672人間七七四年:2011/07/21(木) 00:49:59.44 ID:HfZ0zXNX
相変わらずドリーミーな奴だ
673人間七七四年:2011/07/21(木) 01:03:05.63 ID:A8XjPBnF
ドMな願い事以外も願っていたんだ
674人間七七四年:2011/07/21(木) 01:20:56.99 ID:KViVScmK
「我に七難八苦を」ってやつ?あれって一説には毛利を呪ってるんだと云う話があったな。
675人間七七四年:2011/07/21(木) 01:48:51.56 ID:hOAzNE6H
願わずにはいられなかったのさ、奴は。
676人間七七四年:2011/07/21(木) 08:00:28.16 ID:B7oixXvV
なに酔ってんだよ
市松t
677人間七七四年:2011/07/21(木) 11:35:18.51 ID:M0vyK/X8
おお>>676、お手討ちになるとは情けない
678人間七七四年:2011/07/21(木) 17:56:32.35 ID:8ZhpGiK4
山中鹿介は戦国のオーディンだと思ってる
679人間七七四年:2011/07/22(金) 00:33:02.69 ID:MyGGRZ9I
山城は何にて

大御所徳川家康のもとに諸大名が集まった時のこと。
「近ごろ、珍しい物を手に入れましてな。」伊達政宗が異国の貨幣を取り出し、家康に見せた。

「これは面白い。やはり我が国の貨幣とは違うのう。どれ、皆にも見せてやってくれ。」
政宗は家康の言葉に従い、貨幣を諸大名の回覧に付した。末席にいた直江山城守兼続にも回されたが、
兼続はこれを扇子を開いて受け、手に取ろうとはしなかった。

遠慮していると思った政宗が「山城守よ、直に手に取っても構わんぞ?」と声をかけると兼続、
政宗をジロリと見て、
「このような汚らわしき品、景勝様に代わり上杉の軍配を握る拙者の手にするべき物ではござらぬ。」
と答えた。

政宗は赤面して返す言葉もなかったが、上座から兼続に鋭い問いが飛んで来た。

「あぁそうかい。では山城よ、お前さんどうやってションベンを切ったりケツを拭いたりするんだね?
(原文:山城は何にて両便の取捌きするや。)絶対に手を汚さず生きていると言えるのかね?」

怒気すら発して問う家康を前に、兼続も言葉に詰まり顔を伏せるしかなかった。(想古録)

有名すぎる話ですが、こんなバージョンもある、という話。
680人間七七四年:2011/07/22(金) 03:02:03.82 ID:rFPoq8vv
>>679
兼次「何で徳川殿はそんなに怒ってんの?綺麗な手で軍配を握る心構えっておかしい事?何で怒ってんの?何で糞小便の話までとぶの?ねぇ何で?」
と言いたいのを我慢して顔を伏せざる得なかったという
〜民明書房より〜
681人間七七四年:2011/07/22(金) 06:59:41.91 ID:E6M3PFcZ
秀吉時代と何も成長していない独眼竜と直江兼続。君ら2度目だぞ。

そして焼味噌の話題に定評のある権現様。
682人間七七四年:2011/07/22(金) 07:03:37.48 ID:6XDo5rwE
兼続の代りに一物を持つ役の女中とか居たのかもしれん
683人間七七四年:2011/07/22(金) 07:09:47.57 ID:uB0t4Aw8
伊達だけならともかく、家康をはじめとした諸大名までバカにしてることになるからな
684人間七七四年:2011/07/22(金) 07:26:54.55 ID:Bqvk6PDJ
ま、そのままストレートに受け取ると、不浄と不潔の見分けが付かない家康って話か。
流石に伊達はその辺の見分けが付いているみたいだけど。
685人間七七四年:2011/07/22(金) 07:56:26.78 ID:GVFiWex8
どっちにしてもいい話なのだろうか?
686人間七七四年:2011/07/22(金) 09:35:59.07 ID:tQN+xXY9
家康が政宗&諸大名の面目立てたいい話だろ
687人間七七四年:2011/07/22(金) 09:43:06.32 ID:QDWUTPQT
まあこの話が実際にあったとしたら、大名一同直江に対して「何いってんだこいつ」と
思ったには違いないからなあw

>>684
> 不浄と不潔の見分けが付かない家康
この時代それは一致してるよ。不浄と不潔を分離したのは科学的衛生観念が生まれた
近代以降だね。トイレを「御不浄」と何故呼んだのか、って事。
688人間七七四年:2011/07/22(金) 10:09:34.87 ID:rFPoq8vv
家康が直に手に取って諸大名に見学を促してるから、一連の流れを否定する事は家康の面目を潰す事になるな
でも焼き味噌菌で汚染された物体を遠慮したい直江の気持ちも分かるよ
限界ギリギリの断り方で直江にしては十分配慮してるし
まあ、一番の被害者は宝物を汚染された事に気づいて俯いた政宗なんだけど
689人間七七四年:2011/07/22(金) 11:48:59.71 ID:yvPFdgCR
直江はこんな珍しいもんもってる俺かっけー、な雰囲気が不快だったんじゃね
現代でも他人の自慢話、知識のひけらかしほどうっとうしいもんはないからな
そんな汚いもん触りたくない、って言う直江の気持ちもよくわかる
690人間七七四年:2011/07/22(金) 11:49:30.72 ID:hSN2Eqok
異国の貨幣だから汚いのか?
国内の貨幣だって、敗走兵の便を通過して再利用されている可能性もあるらしいから
そうとうヤバいよ。大丈夫か、兼続。
691人間七七四年:2011/07/22(金) 12:18:12.83 ID:qFiIBI56
>>689
そういう感情を表に出してああいうこと言っちゃうんじゃ、
もっとうっとうしくて、汚らしい人間だと思うけどなあ
692人間七七四年:2011/07/22(金) 12:20:16.17 ID:QgLcg/Oy
直江は結構ウザイキャラ
近年美化されてるが
693人間七七四年:2011/07/22(金) 12:48:35.48 ID:dA8Nkcq0
つまり、
直江「くっ、静まれ、俺の愛染明王…!」
とかやるわけだな…
694人間七七四年:2011/07/22(金) 16:07:31.04 ID:KvRccKRU
くだらんことで自慢する政宗にイラッとする山城
いちいち場を荒立てる山城にイラッとする家康
どっちも解るな
695人間七七四年:2011/07/22(金) 16:26:31.55 ID:tpTUAeij
陪臣の癖に生意気
696人間七七四年:2011/07/22(金) 16:49:43.34 ID:NGQ3VZEz
神君バージョンでは結局味噌話になるのか
697人間七七四年:2011/07/22(金) 21:44:14.25 ID:yvPFdgCR
>>691
いや、潔癖だからいわでものことがついつい口に出るんだと思うよ
汚い、というか人間関係に計算が働く奴なら流した方が得だってわからないわけないからね
直江さんは洒落の通じない真面目委員長タイプと思われ
698人間七七四年:2011/07/22(金) 22:12:03.29 ID:nugZd22c
三成と気が合うはずだw
699人間七七四年:2011/07/22(金) 22:12:35.50 ID:qFiIBI56
>>697
この場でのこういう発言は損得以前の問題として人としての常識に欠ける

浪人なら好きにしてくれればいいが、
本人の発言が主君にも影響をあたえるんだからこんな発言しちゃ駄目だろ

実際こんなことを兼続がいったとも思わんが、
兼続の逸話でのキャラってこういう独善的なものが多いよね
秀吉の評のまんまのキャラといったところか
700人間七七四年:2011/07/22(金) 22:30:27.11 ID:tpTUAeij
色々と商業や産業育成をしてた人だし、本気で金が汚いと思ってたんじゃなくて政宗を侮辱したかっただけだろ。
701人間七七四年:2011/07/22(金) 22:34:48.97 ID:wwcRHk7k
何にせよ政宗が一旦は恥じ入り、家康も糞小便と並べているわけだから
武人的に見たら貨幣は汚らわしいという観念はあったのだろうが
実際的な意味ではどうだったんだろうか?
本当に絶対触らないような心構えでいたらやってけないような気がするんだが
702人間七七四年:2011/07/22(金) 22:44:05.83 ID:EhZl2g8W
そもそも状況からして兼続のポジションから
金は不浄とか言い出すとこじゃないw

海外の貨幣が珍しいという話なのに
突然見当外れなこといいだしてる。
703人間七七四年:2011/07/22(金) 22:56:58.58 ID:yvPFdgCR
>>699
そういう人間だ、って割り切って景勝も使ってるんだと思うよ
この手の欠点があってもそれを補えるだけの能力があるから重職についてるんだろう
第一、ホントに口喧しいだけの人間なら実力社会の戦国で生き残れないと思う
仮に直江がこの癖で景勝に不利益をもたらしたとしてもそういう人間を重用した景勝の自己責任
704人間七七四年:2011/07/22(金) 23:02:47.46 ID:rFPoq8vv
こういうのは場で一番偉い奴の捉え方次第だからな
采配を振るう手で不必要な振る舞いを自重する行為は間違って無いし
この場を仕切ったのが秀吉だったら兼続は知恵が足らんな〜って思いながらも
「その程度の事で武運が落ちる山城守でもあるまい、この場にいる全員がその様な者と儂は信じておるぞ、とは言え儂も伊達も考えが浅はかだったな、三成お前なんか一発芸でもやって場を盛り上げろ」
ってな具合に誰1人として面目を潰す事なく丸く収めたと思う
705人間七七四年:2011/07/22(金) 23:07:35.89 ID:Dr4/rFK+
>>713
いや、受けが得られない三成の面目が…
706人間七七四年:2011/07/22(金) 23:22:16.62 ID:ey+6MQlO
普通に考えると商業を蔑視する、江戸武士道の影響で生まれた逸話じゃないかね?
まず、有名な天正大判の方の話が生まれて、そこに権現様を参加させて…
って経緯でできた話だと思う。
707人間七七四年:2011/07/23(土) 01:06:53.58 ID:XP9Herdo
なら権現様は兼続に賛同するんじゃないか
708人間七七四年:2011/07/23(土) 01:14:30.54 ID:FQR0oXNk
まあ江戸期も長くて、社会風潮として貨幣を蔑視する時期もあればありがたがる時期もあるので、
そのへんを調べていけばこの逸話の成立時期も見えてくるかもな。
709人間七七四年:2011/07/23(土) 05:29:07.93 ID:fIpRQ7GY
伊達が嫌いで屁理屈こねただけじゃねーの?
710人間七七四年:2011/07/23(土) 09:15:57.41 ID:vZaB3BWG
政宗への嫌がらせにしては愚かなやり方だわ。
結局、権現様以下の諸大名みんなを侮辱してるし。
711人間七七四年:2011/07/23(土) 09:53:01.17 ID:5VX8CelC
いい話、時空を超える

高虎から数えて16代目の末孫である藤堂高弘氏は、
太平洋戦争末期、見習い士官として釜山の四条台という高射砲陣地に勤務していた。
敵機の襲来が激しく、戦友がバタバタと倒れていく。
しかし、高弘氏は大きな岩陰にいて襲撃を免れたり、
機銃掃射が目前1メートルをかすめたり、九死に一生を得たことが何度があった。

終戦後、この四条台はそのときから330年前慶長の役で
藤堂高虎が陣をかまえていたところだとわかった。

「先祖のおかげで命拾いしたと思っております」
高弘氏はしみじみ語っているという。



712人間七七四年:2011/07/23(土) 11:43:15.50 ID:xGREYCfR
( ;∀;) イイハナシダナー
713人間七七四年:2011/07/23(土) 11:43:56.96 ID:fpkG+G0h
>>711
藤堂家の歴史を踏まえれば、寝返ってアメリカ軍になるべき
714人間七七四年:2011/07/23(土) 11:53:22.55 ID:mNWTxXdA
歴史上藤堂家が朝敵になったことはない
715人間七七四年:2011/07/23(土) 11:56:25.58 ID:0pGC4MKj
なるほど、兵衛と改名して天挑五輪大武会を開いたりするんだな?
716人間七七四年:2011/07/23(土) 12:30:09.65 ID:gzB42OXu
伊佐さんちぃーっす
717人間七七四年:2011/07/23(土) 13:42:18.35 ID:YJfpXIHC
アメリカって朝敵だったのか
718人間七七四年:2011/07/23(土) 18:11:50.00 ID:gqqriYxW
朝廷=日本国の天皇であれば
アメリカは朝敵
719人間七七四年:2011/07/23(土) 19:17:35.65 ID:3jrkvGLP
戦争中やってた呪詛がきいてルーズベルトは死んだけど戦争の大勢にはえいきょうなかったよね
720人間七七四年:2011/07/23(土) 19:27:56.99 ID:hKpcd8bf
そういやロシアからも呪咀食らって地震起きたっけな
もしかして今年のも・・・
721人間七七四年:2011/07/23(土) 21:43:59.53 ID:xHrLkkoJ
お盆まで一ヶ月切ったし、藤堂さんの話が出たついでに、こんな話を↓


大坂の陣の夜のこと。藤堂高虎の陣に、風に乗ってキリキリと何かがきしむ音が聞こえてきた。
「面妖な。城方の伏兵あたりが弓を試す音か、それとも何かの怪異か?よし、玉置太郎助を呼べ!」

家中において、弓の名手として知られる豪の者を呼んだ高虎は、太郎助に命じた。
「あの『音』を射よ!!」

真っ暗闇の中、音だけを頼りに的を射ろ、というなかなかムチャな命であったが、ともかく太郎助は
闇に一筋の矢を放った。格別に当たった音もしなかったが、それだけで音は止んだ。

「はて。伏兵ならば、うめくなり逃げる音なりが聞こえよう。するとやはり妖しの類であったか?」
翌朝、矢の飛んだ辺りを見に行って、高虎の疑問は氷解した。
「・・・なるほど!!」

そこには一本の柳の木があり、枝が大きく裂けていた。裂け目に風が当たって、きしんでいたのだ。
今、その裂け目には、玉置太郎助の放った矢がピタリと挟まり、柳のきしみを止めていた。

音だけを頼りに、物の見事に的に当てた太郎助を、高虎はじめ皆が賞賛した。(甲子夜話より)


この玉置太郎助、矢で敵の内股を狙い撃ち、倒れたところを首を取って、弓の腕を認められた。
「まぐれ当たりじゃ。」と、太郎助をそしる者もいたが、その後も彼は弓をもって手柄を立て続け、
その愛弓には
『此弓、弱しといへども敵七人を射倒す』と、誇らしげに銘が刻んであったという。
722人間七七四年:2011/07/23(土) 22:51:10.46 ID:0DouNrPo
まぐれ当たりと謗れる奴は普段どんな手柄立ててるんだろうなw
723人間七七四年:2011/07/23(土) 22:58:53.19 ID:yXO/EUC8
わざわざ、弓に「弱し」なんて掘るところを見ると、強弓を引けなくて侮られてたとか?
なんとなく、源平合戦の頃みたいな話だなー。
724人間七七四年:2011/07/23(土) 23:04:57.32 ID:wLDQHydk
どっちかというと「弱いとか言われても俺これで七人とか射倒してますしwww」的なノリじゃね
725人間七七四年:2011/07/23(土) 23:05:29.14 ID:zpt9TYrP
>>722
みたいにすぐ言い返して喧嘩するのが市松
ぐちぐちと嫌味を返すのが直江
ムキになって勝負に持ち込むのが黒田
三本まとめて折るのは吉川
合戦で背後から射殺して誤射だと言い張るのが――おっと誰か来たようだ
726人間七七四年:2011/07/23(土) 23:41:01.64 ID:szxML2ca
榊原康政は家康の長男である松平信康に、素行の悪さを正すようにたびたび忠告していたが、
逆に信康に恨みを持たれていた。ある日、康政の諫言に激怒した信康は、近くにあった弓を手に取り
矢を放とうとした。しかし康政はこれに全く動じる事もなく、

「信康様の事を思って申し上げている者を殺すような事があれば、お父上の怒りは計り知れず、
 結果として貴方の為になりませんぞ。」

と懇々と諭し、信康に冷静さを取り戻させると共に、反省を促したのだった。
「武功夜話」より。
727人間七七四年:2011/07/24(日) 07:47:59.57 ID:IOf/xS7n
泉田重光の忠誠心

多分過去に挙がっていないと思うので一筆

大崎合戦では妻の家の家督相続を留守政宗と言い争った伊達家臣泉田重光だが、政宗に仲直りの意味も兼ねて政景と二人大崎攻めの先鋒の大将にされてしまった。
二人には兵1万が与えられたが、大崎陣でも口論が絶えることは無く、兵5000を率いて先に出た重光は、後詰めの政景と大崎の大軍に分断され、兵を撤退させる講和の条件に自らが人質になる事を呑んだ。

大崎軍中
一栗放牛「これはこれは、まぁ話を聞こう」
黒川月舟「某は黒川月舟、覚えがあろう」
延沢満延「某、最上家中延沢能登と申す」

泉田重光「!?なぜ最上の家中がここにいる?」

(´・ω・`)「だって、大崎家と最上家は親族だもん。援軍出すのは当たり前でしょ?囲まれた時に旗印でわからなかった?」

*大崎も最上の旗も丸に二引き両。丸の大きさや二の間隔で区別する

留守政景と兵は講和によって無事伊達領に戻されたが、重光の身柄は大崎家から最上義光に引き渡された。

山形城

(´・ω・`)「・・・家臣にならない」
重光「お断り申す」

(´・ω・`)「鮭食べる?」
重光「・・・それはそれで頂戴致します」

(´・ω・`)「伊達家って鮎貝君も愚痴言ってるけど、そんなに良いの?」
重光「奉公に足る御恩がござる」

伊達家に嫁いでいた義姫の助力もあり、やがて重光は政宗の許に帰された。
泉田重光は朝鮮出兵にも政宗に付き従い、家中の序列は後藤・亘理家と同格とされる。
728人間七七四年:2011/07/24(日) 10:21:03.26 ID:a8ELJTZl
顔文字なければいいのに、これだから最上厨は…
729人間七七四年:2011/07/24(日) 10:35:47.91 ID:tw3uP27z
今回はいつもに比べたらまし
730人間七七四年:2011/07/24(日) 12:15:07.67 ID:nGGM+b9G
逸話の内容結構面白かった。
東北は相変わらず縁戚で混沌としてるな。
731人間七七四年:2011/07/24(日) 12:40:50.60 ID:9vduconp
何で最上が豚顔扱いなん?
732人間七七四年:2011/07/24(日) 12:47:21.11 ID:VoXGSr6O
誤・妻の家の家督相続を留守政宗と言い争った
正・妻の家の家督相続を留守政景と言い争った
733人間七七四年:2011/07/24(日) 12:51:34.01 ID:VoXGSr6O
>>731
まとめスレのデフォルト
734人間七七四年:2011/07/24(日) 13:42:51.30 ID:th1p3b5V
作為的なキャラ付けを定着させようとする投稿者はいるな。

あと自分の願望入れての改変や
話付け足してくるのは止めて欲しい。
このネタはどうか知らんけど最上エピソードの投稿では頻発してるので。
735人間七七四年:2011/07/24(日) 13:49:08.05 ID:m/7cGdeh
最後の一行がなければ香ばしくなかったのに・・・
736人間七七四年:2011/07/24(日) 13:54:20.65 ID:mexSlrjb
いちいち神経質になりすぎ
逸話より鬱陶しいわ
737人間七七四年:2011/07/24(日) 14:02:06.22 ID:Vo539qTr
というコメントが欝陶しいです。神経質になりすぎ
738人間七七四年:2011/07/24(日) 14:09:04.41 ID:4ubjBfyl
>>737
擁護は鬱陶しいのね
739人間七七四年:2011/07/24(日) 14:10:38.16 ID:ZdTZ11Mt
>>733
いや、どういう経緯でデフォルトになったのかなって
740人間七七四年:2011/07/24(日) 14:16:19.82 ID:m/7cGdeh
>>739
逸話における顔文字などは長い間無反応だった
だがある日突然ケチを付ける読者が現れ、禁止事項にされ今はこの状態が続いている
741人間七七四年:2011/07/24(日) 14:22:18.16 ID:ZdTZ11Mt
>>740
なんだ、てっきりそういうイメージの逸話の積み重ねで定着したとか、そういうのじゃないのね…
最初「誰この顔文字」って思ったから、せめて名前併記とかすればケチも減ると思うけど
742人間七七四年:2011/07/24(日) 14:38:41.29 ID:IQIPu3sC
最上の顔文字は創作まじりで(しかもつまらない)開陳してるからな
顔文字=脳内オナニー小説 みたいな扱いされてる
743人間七七四年:2011/07/24(日) 14:54:15.52 ID:t9JlJw2F
本当に神経質なの多いな文句言うほどの事じゃないだろに
そんな嫌なら顔文字NGにしとけばよろし
744人間七七四年:2011/07/24(日) 14:55:22.31 ID:IQIPu3sC
このスレだけNG出来ればいいんだけどねー
745人間七七四年:2011/07/24(日) 15:00:04.07 ID:tXLrOXS4
板ごとまでならできるんじゃなかったっけ
746人間七七四年:2011/07/24(日) 15:00:25.05 ID:t9JlJw2F
じゃあ我慢位しなよ
そもそもここは2ちゃんだし顔文字位でうきーってのは元から向いて無い
俺としては「良い話だ!」の奴の方がウザいけど我慢してるぞ
747人間七七四年:2011/07/24(日) 15:14:53.83 ID:ZdTZ11Mt
>>746
じゃあ顔文字キャラ付けへの批判にも我慢しなよ
2ちゃんで赤の他人宛ての批判にうきーってなるのも向いて無いんじゃない?
748人間七七四年:2011/07/24(日) 15:16:52.43 ID:t9JlJw2F
小学生みたいな屁理屈だな・・・・まあ好きにしな
お前らが(´・ω・`)よりウザいと言う事だけは言いたかっただけだから
749人間七七四年:2011/07/24(日) 15:17:41.21 ID:tw3uP27z
最上の人は顔文字だけでアンチどもが付いてる訳じゃないから
顔文字2chうんぬんは筋違い。
750人間七七四年:2011/07/24(日) 15:18:31.00 ID:4ubjBfyl
>>747
顔文字と話はスレ逸話の範囲内だが批判は違うだろ
751人間七七四年:2011/07/24(日) 15:22:56.08 ID:ZdTZ11Mt
>>750
顔文字がスレ逸話の範囲内なら
それへの反応だって範囲内さ
752人間七七四年:2011/07/24(日) 15:25:33.87 ID:t9JlJw2F
じゃあ何でも範囲内で顔文字への批判自体が筋違いになるだろ・・・あっさい屁理屈だなあ
753人間七七四年:2011/07/24(日) 15:35:42.43 ID:nGGM+b9G
逸話がつまらないのに顔文字だから嫌がられるんであって、
逸話がそれなりに面白いのに突っ込む奴は正純極まりない。
三斎様に斬られるぞ。
754人間七七四年:2011/07/24(日) 15:52:59.85 ID:m/7cGdeh
面白い詰まらないも主観が入るから、余程面白い話でない限り
長く叩かれるとつまらない話扱いにされてしまうぞ
755人間七七四年:2011/07/24(日) 15:54:56.39 ID:zXP/0Y1G
政宗も顔文字使われるけど叩かれない。最上の場合、わざとキモい変な口調したり、
関係ないのに鮭ネタねじこむのがうぜーんだよ。
鮭なんて今回の逸話全然関係ないだろ。腐女子の考えたかわいい鮭様wみたいなノリがはてしなくキモイ。
テメエのブログででもやっててくれ。こいつのせいで最上本人まで嫌いになるわ。
756人間七七四年:2011/07/24(日) 15:57:42.26 ID:4ubjBfyl
政宗もヒャッハー系の口調にされていることが良くあるけど
757人間七七四年:2011/07/24(日) 15:58:14.30 ID:4ubjBfyl
>>755
勝手になればいいじゃんww
こういう奴は元からアンチだろうにwwwww
758人間七七四年:2011/07/24(日) 15:59:29.72 ID:4ubjBfyl
128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 15:57:13.81 ID:zXP/0Y1G
>>119
それ逸話じゃなくて創作だろ?
本当に最上がおにぎりみたいなこと言ったわけ?
マジで最上オタの創作うぜえわ。
759人間七七四年:2011/07/24(日) 16:20:04.23 ID:we9AcFZ5
おまえら、作佐にしかられて来い!
760人間七七四年:2011/07/24(日) 17:42:55.71 ID:d0wF/H3b
ID:ZdTZ11Mtだめだって2ちゃんでスレの流れを制御しようとしても
自分の思い通りの流れにしたければブログなりでやるしかないよ
おまえも顔文字無しでたくさん投稿すれば流れが変わるよ
761人間七七四年:2011/07/24(日) 17:54:20.71 ID:m/7cGdeh
命令(・A・)イクナイ!!
762人間七七四年:2011/07/24(日) 17:59:51.72 ID:LI5q77F0
忠恒「乱世においては論の正しさよりも、
場の空気を読んで支持を集めた者が勝つと言うことだな」
763人間七七四年:2011/07/24(日) 18:19:28.80 ID:VoXGSr6O
>>758
とりあえず貼っておきます
http://samidare.jp/yoshiaki/note?p=log&lid=38707
764人間七七四年:2011/07/24(日) 18:30:40.57 ID:UnJ9uTYx
>>734
だったらもうこのスレ来ないほうがいいよ
ここでは三河武士=面倒くさいだし、秀吉はラスボスと
明らかに作為的なキャラ付けされてんじゃん
気に入らないなら、真面目な解説だけ読んでれば?
765人間七七四年:2011/07/24(日) 18:35:56.22 ID:m/7cGdeh
まあ次からは要警戒だな
766人間七七四年:2011/07/24(日) 18:36:42.49 ID:GFM3Ad8u
>>762
それ、ローマ帝国のアウグストゥスも言っていたよ
767人間七七四年:2011/07/24(日) 20:13:16.74 ID:UQ5EHD1b
>>764
創作とキャラ付けはまた別の次元だろ
768人間七七四年:2011/07/24(日) 21:08:07.36 ID:7DkXsQkm
鮭関連だとやたら必死な擁護がよく湧くな
769人間七七四年:2011/07/24(日) 21:11:10.24 ID:Vo539qTr
俺も最上ファンや伊達ファンの装飾はあんまりいいとは思ってない
そんな大騒ぎするほど不快ではないが愉快だ、とはやはり言えない
これは真面目とか不真面目ではなく、個人の嗜好の問題だから黙ってたけどさ
悪い話スレで嫌な奴は出ていけ、というコメントがあったが
特定個人の嗜好で場を占有しようとするのは掲示板の在り方として間違ってる
今回大暴れした人以外にも、顔文字や過度なネタ化を不愉快に思ってる人間がいることは承知していてほしい
ただ少しは創作して語られないと盛り上がらないのも事実なのはわかる
だから、これを教訓として逸話を投稿する時には演出はなるべく控えめにしてくれると嬉しい
770人間七七四年:2011/07/24(日) 21:30:40.62 ID:Z8kO6cJW
2ちゃんだし、どうしようもないでしょう?
他で戦国逸話のところ探せばとしかいいようがない
自分のレベルにあった人を見つけて、戦国逸話好きのネットワーク作るしか無いと思う
771人間七七四年:2011/07/24(日) 21:33:04.74 ID:W71kSqPH
そうやって他人を排斥していった多くのコミュニティの末路を俺は知っている
772人間七七四年:2011/07/24(日) 21:34:48.03 ID:2NqElGtw
三戦板ですねわかります
773人間七七四年:2011/07/24(日) 21:54:34.11 ID:g7Qq3+5V
創作と演出の区別はきちんとつけろという話だな
774人間七七四年:2011/07/24(日) 22:02:30.02 ID:Z8kO6cJW
初代スレの初めから顔文字とAAなんだけど

1 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/02/23(金) 22:33:24 ID:OA17Uaqt
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

2 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/02/23(金) 22:39:51 ID:h1u8d7l0
お前たぶん負けるから絶対喧嘩売るなよ! 一応兵糧やらの関係で邪魔にならない程度の兵を送ってやるから
そんな忠告を無視し無謀にも3倍の兵力に喧嘩を売りボロ負けして奮戦したものの武将1人死んで壊滅状態で帰ってきた自分の軍
普通はここでブチ切れるか見捨てるかなのに何も言わず更にはそいつがピンチに陥った時に大軍を率いて駆けつける・・

信長マジいい奴じゃん

3 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/02/24(土) 02:05:11 ID:4R0Iz8uw
( ´゚ω゚` )

4 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/02/24(土) 03:13:27 ID:mG1IIf9w
母里友信は黒田家臣。
無類の大酒飲みで福島正則にすすめられた大盃の酒を見事に飲み干し名槍・日本号を賜った逸話は『黒田節』(『筑前今様』とも呼ばれる)として今も語り継がれる。
無分別で向こう見ず、わがままな性格で武辺一筋の男だったが主君の如水は必ず役に立つ漢だと信じて重用し、生涯で76の首級をあげた家中随一の猛将として黒田家の筑前入国後に18000石を得た。
死の間際に少壮の頃に如水に「兄と思い、兄弟一体となって奉公せよ」と命じられたその兄貴分の栗山利安の見舞いを受けた。
その時友信は「これまではおこがましいと思い口にはせなんだが、御身の恩により人となることができた」と言って手を取り共々に号泣したと伝えられている。
母里と栗山は、張飛と関羽みたいな間柄だったのかな?ムチャクチャな母里を栗山がいつも制して面倒を見て、みたいな…
それを考えたら母里の臨終の際の逸話は何だかホロリと来ます。

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/02/24(土) 07:03:58 ID:YLe8txzl
      ,.-‐''^^'''д
    ; '       ヽ
   .;' ヽ        ヽ
    ;   ヽ       )
    ; .,,  ノ ,.==-    =;   ☆
   ( r|  j.  'uー、  ,,.=f ∠
    ': ヽT     ̄  i  }         ___×
    ノ . i !     .r _ j /         \〜〜/
   彡 | \  'ー-=ゝ/ =ャ =ャ      ノ') |(ヽ
     人、 \   ̄ノ         / /. | |ク
-‐  ̄    ' ーイ ̄ー-- 、     ノ  入.|.|( }

 母里太兵衛(1556〜1645)
775人間七七四年:2011/07/24(日) 22:08:20.29 ID:m/7cGdeh
潔癖厨は百害あって一利なしだな
776人間七七四年:2011/07/24(日) 22:14:09.48 ID:kl7E2pyD
>>774
逸話の中にまぜているわけじゃないじゃん。

最上厨がまずいのは、あきらかに同一人物が
「殿、帰りますよ」とか同じ顔文字とか何度も使って、自分のイメージをおしつけようとしているとか、
しつこく鮭鮭くりかえすとか、押しつけがましいからなんじゃないん?
まとめサイトのコメント欄にまで出没するからホントもうね…なんでそこまで必死なんだろう。
いっそコテハンにしてくれればNG登録できるからありがたい。
777人間七七四年:2011/07/24(日) 22:18:00.73 ID:m/7cGdeh
あんたもコテハンになってくれればいいんだけどな
778人間七七四年:2011/07/24(日) 22:19:38.03 ID:kl7E2pyD
>>777
7レスもへばりついているそなたこそまず隗より始めよではないかな?
779人間七七四年:2011/07/24(日) 22:24:13.02 ID:m/7cGdeh
で?
780人間七七四年:2011/07/24(日) 22:26:16.62 ID:kl7E2pyD
>>779
二行以上しゃべる知能がないのはなんで?

まあもうやめるけどw 他にすることないのかねw 潔癖厨とかいうけどそっちのがよほど自治厨だわ
781人間七七四年:2011/07/24(日) 22:31:13.56 ID:UPDoQLvZ
ここまで大関三兄弟とか爆弾正とか宇喜多さん達の自演
782人間七七四年:2011/07/24(日) 23:28:53.46 ID:Zndz1/DF
今日の事は覚えておこう。
また気に入らない逸話にケチを付けて来ると思うし。
783人間七七四年:2011/07/25(月) 00:00:21.34 ID:tw3uP27z
覚えておこうもなにも最上が荒れるのは毎度の事
いい加減スルー覚えろよ
784人間七七四年:2011/07/25(月) 00:06:49.69 ID:V0qWwRu2
>>774
AA使ってるからとかは問題じゃないと思うよ
>逸話(いつわ、英:anecdote)とは、世間や世人にあまり知られていない興味深い話、世人の目から逸した(逃れた)話のこと。特定の人物や物事に纏わる興味深い話として逸話が語られることが多い。
>一般的には、その人物の性格をよく表している逸話として紹介されることが多いが、逆に、人物の意外な側面を示す話であることもある。また歴史上の人物の場合には、その当時の時代背景をうかがわせる話であることもある。

史実でもとんち話でもいいわけだけど、昔から広く語り継がれてる話ならともかく、
人物や事実にさっき考えたような肉付けをして見せられても、それは創作スレでやんなさいよとしか言えない
785人間七七四年:2011/07/25(月) 00:08:32.30 ID:KcqYkZ3H
最上別スレっぽいのなかったっけ?

そっちで創作でもなんでも自由にやればいいのに
786人間七七四年:2011/07/25(月) 00:10:14.03 ID:DuK0U9Qa
逸話と関係ないことで無駄なスレの消費は勘弁してくれ
787人間七七四年:2011/07/25(月) 00:15:11.07 ID:BMs+0I8N
荒れてる分かってて何故使うんだ?
788人間七七四年:2011/07/25(月) 00:20:52.42 ID:Se/peAFI
いい加減こうやって何度も荒れてるんだしわざとじゃないなら学習しようや
最上の逸話は好きだが顔文字と勝手な創作は自重してくれ
789人間七七四年:2011/07/25(月) 00:24:32.28 ID:FyOBtDJo
>>728からだな如何にもな感じのがID変えで連投してきたのは
日にちが変わった途端にいきり立っているし
とりあえず今日は>>784から注目してみるか
790人間七七四年:2011/07/25(月) 00:25:46.39 ID:PReqEq8i
逸話とか最上が気に入らないんでなくて、無理矢理な創作とキモイ顔文字が駄目なんだ
スレ荒らしたくないなら学習してくれ、頼むから
791人間七七四年:2011/07/25(月) 00:27:52.31 ID:FyOBtDJo
>>790
じゃあ独自にホームページ立ち上げて
そこであなたの望むままの逸話掲示板でも作ったら?
792人間七七四年:2011/07/25(月) 00:29:54.23 ID:3v+ROvnk
アンチもしつこいが顔文字厨もさほど好かれてはいないから自覚はしとけよ。いちいちこういう流れになって迷惑。
793人間七七四年:2011/07/25(月) 00:34:35.88 ID:Ekgi8H55
最上顔文字にイラッとくるのは
・汎用顔文字なこと
・文章中に顔文字=最上義光だとの言及がないこと
・義光の台詞だけ現代口語的すぎること
・台詞の掛け合いだけで話を進めすぎなこと
・その台詞が多分に妄想混じりなこと
ってあたりがいろいろ混ざり合った気持ち悪さのせい。
逸話というよりもVIPあたりの素人SS見てる気にさせられる。

たとえば政宗なら眼帯替わりに目に●が使われていたりするのでそれなりに納得できる。
AAみただけで「あぁ、そいつだな」って判るかどうかだけでかなりイメージは変わってくるよ。
794人間七七四年:2011/07/25(月) 00:36:04.42 ID:7jdxZ5RO
中立を装ったところで文体でバレバレだな。
795人間七七四年:2011/07/25(月) 00:42:40.63 ID:V0qWwRu2
自分に都合の悪いことは全部同一人物の仕業だと思いたいんだな
796人間七七四年:2011/07/25(月) 00:53:53.57 ID:Se/peAFI
もうやめい
797人間七七四年:2011/07/25(月) 00:54:56.56 ID:MkPYXrrH
流れを変えるために郷土資料館に行ってみたが閉館時間だった
798人間七七四年:2011/07/25(月) 00:54:57.02 ID:7Kf3aIRr
>>795
ふたりは居るようだな
799人間七七四年:2011/07/25(月) 00:56:50.99 ID:YNh1bZSs
読む(だけの)側が顔文字どうこう言ってもしょうがなくね?
それがしは顔文字とか現代口語とかあっても、逸話の内容は分かるから、どーでもいい
800人間七七四年:2011/07/25(月) 01:02:04.21 ID:zL0uktlX
別にショボンな顔の肖像画が残ってたり逸話が多かったりするわけじゃないのに
顔文字固定はやめてほしい。
八の字眉毛な肖像が残ってる金吾とかngmsの顔文字になるならまだ分かるんだ。
気弱な逸話が色々出てきてキャラ付けされていくならいいけど、そういう背景抜きで
勝手にキャラ化するのは史実の最上義光への侮辱だと思うよ。
801人間七七四年:2011/07/25(月) 01:04:13.38 ID:V0qWwRu2
なんで読むだけだと仮定されてるのか知らんがw、
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2969.html

こういう漫画話はどっかでやんなさいよってだけ
別に最上ネタでもAA使ってもいいけど
802人間七七四年:2011/07/25(月) 01:05:33.23 ID:Se/peAFI
>>799
個人的には許容範囲だが、毎度荒れるからよせと言ったのでござる
書き手側とて空気を読むことも肝要かと存ずる
803人間七七四年:2011/07/25(月) 01:06:44.55 ID:7Kf3aIRr
>>802
読む側も空気読めばいいだけの話だろ
804人間七七四年:2011/07/25(月) 01:14:10.77 ID:BMs+0I8N
数スレ毎に人の入れ替わりとかある訳で読者に求めるとそうもいかない。

テンプレにでも書くのか?「顔文字の逸話が来たら荒らしが来るのでスルー推奨」って。
805人間七七四年:2011/07/25(月) 01:22:32.87 ID:YNh1bZSs
>>801
俺はそういう感じの逸話も割と好きなんだよw
806人間七七四年:2011/07/25(月) 02:01:43.59 ID:l4wZU1Zf
顔文字もそうだが明らかに投稿の内容だろ、最上の一連の問題は
方向性は違うけど「いい話だ」で全然いい話じゃない投稿しまくるあいつと大して変わらん
807人間七七四年:2011/07/25(月) 02:09:43.91 ID:7Kf3aIRr
ということにアンチがしたいだけだろ
808人間七七四年:2011/07/25(月) 02:10:09.59 ID:FyOBtDJo
まただよ
809人間七七四年:2011/07/25(月) 02:19:03.68 ID:l4wZU1Zf
いや、そもそも「これ、同じ人が投稿してるよな」って思われる事その物がおかしいと思うのよね
目立ってる事を自覚して欲しいんだが
810人間七七四年:2011/07/25(月) 02:29:28.72 ID:7Kf3aIRr
>>809
他にも同じって判る人はいるだろ
いちいち噛み付くバカが着いていないだけで
811人間七七四年:2011/07/25(月) 02:31:10.07 ID:DuK0U9Qa
夏休みだねえ
812人間七七四年:2011/07/25(月) 03:08:34.18 ID:ivtr3vJT
逸話投稿してくれる人がいるからスレが成り立ってるのに
あからさまな改変や間違い、場違いな逸話以外は目くじらたてなくていいじゃん
間違いが無い様に原文通りに載せてもスレ的につまらんと思うし
813人間七七四年:2011/07/25(月) 03:28:48.40 ID:FyOBtDJo
逸話の情報元の開示をしつこく強要して来たのが現れた時の流れに似てる
814人間七七四年:2011/07/25(月) 03:39:29.06 ID:4VkCtzV0
一部の潔癖厨の我儘で変えるこたないだろ
好きなようにaa逸話書けばいいさ、嫌なら自分がもっといい逸話書けってだけだからなあ

そもそもこんな顔文字ごときに文句言う神経が不思議で堪らん
どれだけaa憎んでるんだよ・・・・
815人間七七四年:2011/07/25(月) 04:21:01.95 ID:ivtr3vJT
>>814
1…母親が自分を邪険にしてaaを溺愛してた
2…aaが当主証明の家宝を最期まで渡してくれなかった
3…雇ったaaが自分の妻に見とれていた
4…門にいたaaが仕事熱心だった

なら、是非もなしか…
816人間七七四年:2011/07/25(月) 05:51:02.85 ID:KcqYkZ3H
(´・ω・`)←これ使うやつって大抵メンヘラだよね
817人間七七四年:2011/07/25(月) 06:34:26.88 ID:FyOBtDJo
メンヘラ乙
818人間七七四年:2011/07/25(月) 06:42:44.00 ID:KcqYkZ3H
>>817
もしかして寝ないでずっとこのスレ見てるの?
819人間七七四年:2011/07/25(月) 06:44:19.64 ID:xtD6ELmi
>>817
おいおい、ここは「(´・ω・`)ごめん」って返すのがおやくそくだろ
820人間七七四年:2011/07/25(月) 08:00:35.42 ID:aTokk3V7
何この夏休みを実感する流れ
821人間七七四年:2011/07/25(月) 08:11:46.11 ID:QXMarHfg
仮に「もっといい逸話」を書いた所で
そのキモい顔文字逸話が消えてなくなるわけじゃないんだから
反論としては頓珍漢だと思うんだけど
それなら「うるせえ嫌なら出てけここは俺たちのもんだバーカバーカ」の方が
まだ反論としては理解できる
822人間七七四年:2011/07/25(月) 08:45:39.08 ID:7jdxZ5RO
下手な詭弁乙。
823人間七七四年:2011/07/25(月) 08:58:48.85 ID:vG/Wb+xF
いろんな逸話が書かれても、すぐに頻出の武将に台詞言わせて話題かっさらわれるのと似た感じはする
824人間七七四年:2011/07/25(月) 09:46:24.64 ID:hXCr8M6L
また強引に鮭ネタねじ込んできたのか
>>727はわざとやってるだろ
825人間七七四年:2011/07/25(月) 12:51:17.53 ID:bSPieA0N
アンチの思い通り天国なんてごめんさ
826人間七七四年:2011/07/25(月) 14:23:16.34 ID:laguWhq9
反論とか言ってる時点で精神の病だよ何がそんなに気になるんだか・・・
まあこうやって言うと
「お前も俺の発言に気にしてる」っていつもの屁理屈出るんだろうけど(´・ω・`)
827人間七七四年:2011/07/25(月) 14:33:43.93 ID:BI874/78
つまりスレの流れまとめると
兼続「お前俺の事気にしてんだろ?」
政宗「…(うぜえ!つーかそれお前だろ?)」
こういう事だな
828人間七七四年:2011/07/25(月) 14:33:46.49 ID:laguWhq9
あ、俺814ね(´・ω・`)
829人間七七四年:2011/07/25(月) 16:59:43.43 ID:mSaNDnPh
そんなに嫌なら(´・ω・`)これをNGしておけば済むことだろう
流れをコントロールしたければ自分のブログやサイト開いてやるかしかないよ
色々な人が見てるし書き込んでるんだから自分の思い通りにしようなんて無理
830人間七七四年:2011/07/25(月) 17:08:02.39 ID:bSPieA0N
だよな
あるいは感想レス全てに(´・ω・`)をつけるルールとかにすれば?
831人間七七四年:2011/07/25(月) 17:49:06.42 ID:N4Jb/Yfy
そうだよな(´・ω・`)
832人間七七四年:2011/07/25(月) 17:58:30.03 ID:Y5bty+LB
ここまでの流れで提案だが、最上厨よ。
鮭様の顔文字が豚はまずいだろーが
( ̄(エ) ̄)ノ これに変えろよ。
833人間七七四年:2011/07/25(月) 18:04:22.40 ID:Y5bty+LB
顔文字改変バージョンでやると

泉田重光「!?なぜ最上の家中がここにいる?」

\(・`(ェ)・)/「だって、大崎家と最上家は親族だもん。援軍出すのは当たり前でしょ?囲まれた時に旗印でわからなかった?」

*大崎も最上の旗も丸に二引き両。丸の大きさや二の間隔で区別する

留守政景と兵は講和によって無事伊達領に戻されたが、重光の身柄は大崎家から最上義光に引き渡された。

山形城

〔´(エ)`〕「・・・家臣にならない」
重光「お断り申す」

(* ̄(エ) ̄*)「鮭食べる?」
重光「・・・それはそれで頂戴致します」

( ̄(エ) ̄)ノ 「伊達家って鮎貝君も愚痴言ってるけど、そんなに良いの?」
重光「奉公に足る御恩がござる」

伊達家に嫁いでいた義姫の助力もあり、やがて重光は政宗の許に帰された。
泉田重光は朝鮮出兵にも政宗に付き従い、家中の序列は後藤・亘理家と同格とされる。


これぐらい使い分けろよ。
834人間七七四年:2011/07/25(月) 18:07:21.02 ID:TwdWhP72
顔文字でエピソード書いて誰のエピか当てるスレでも立てれば?
835 忍法帖【Lv=36,xxxPT】 【東電 71.2 %】 :2011/07/25(月) 18:46:14.24 ID:rdCXidj6
伸びてる時は荒れてる時かー
836人間七七四年:2011/07/25(月) 18:54:24.91 ID:tb+R7PlF
昨日と流れがほぼ同じですな
837人間七七四年:2011/07/25(月) 19:14:23.60 ID:FLRTbt9v
いい話だ
838人間七七四年:2011/07/25(月) 19:19:26.49 ID:BI874/78
感動的だな
839人間七七四年:2011/07/25(月) 19:49:03.13 ID:zd1FWOfm
だが最上だ
840人間七七四年:2011/07/25(月) 19:55:53.02 ID:LQfbwAS8
顔文字使われて困ることといえば、パッと見……誰?ってところだな
841人間七七四年:2011/07/25(月) 20:35:34.03 ID:IRLQWV7E
>>832
何でショボーンが豚なんだよ(´・ω・`)
842人間七七四年:2011/07/25(月) 20:52:06.66 ID:FLRTbt9v
ωは豚の鼻に見立てられることもある
843人間七七四年:2011/07/25(月) 20:56:49.11 ID:Aujn1RWL
あれだな、伊達のまーくんもキャラ付けが激しいから
史実に則って「まさ」と呼ぼう。

他の正や政がつく連中と区別がつかなくなるが。
844人間七七四年:2011/07/25(月) 21:18:26.15 ID:ivtr3vJT
将軍親衛隊時代の宗茂も名前が「まさ」で始まるけどいいの?(´・ω・`)
845人間七七四年:2011/07/25(月) 23:18:38.93 ID:aTokk3V7
眠れない夜は羊の代わりに「まさ」の付く人間を数えればいい
846人間七七四年:2011/07/26(火) 00:39:11.35 ID:91NENu9F
(´・ω・`)いっそこれでスレ進行しようず

(´・ω・`)m9 次の逸話いってみよー
847人間七七四年:2011/07/26(火) 02:22:51.19 ID:pbfQ7dC1
(゚(エ)゚)←これは龍造寺隆信じゃないのか?
848人間七七四年:2011/07/26(火) 02:27:53.72 ID:rtUA8Se9
そもそも逸話スレ以前の鮭様のイメージ動物って
狐もしくは虎だったからな。熊はない
849人間七七四年:2011/07/26(火) 02:44:02.42 ID:pbfQ7dC1
AAで名無しだと分かり辛いとか、台詞回しが気持ち悪いってのも立派な感想だからね。
ま、2chだしこのくらい殺伐としながら逸話を楽しむのがちょうどいいかもね。
850人間七七四年:2011/07/26(火) 05:07:30.93 ID:KHQpGhcD
これからは挿絵的な用途でAAや顔文字の利用もOKとテンプレに載せればいい
851人間七七四年:2011/07/26(火) 06:07:52.96 ID:2oTKtnMu
一部の偏屈な人間が難癖つけている、ってことにして自分たちの意見を押し通そうってんだから世話無いよね
852人間七七四年:2011/07/26(火) 06:25:53.26 ID:GTB0JmDl
AAは正直どうでもいい
でも自身の創作なら創作だと最初に書いてくれ
853人間七七四年:2011/07/26(火) 06:43:57.14 ID:RLOml3b6
>>850
デカいaa貼られまくると携帯で読みづらくなるから、今まで通りで…
>>851
aaを使った文章を肯定してんじゃ無くて、aa使ってる人が僅かしかいないのに目くじら立てるなって話
こういう掲示板なんだし、どうでもいい事じゃん
854人間七七四年:2011/07/26(火) 07:33:47.14 ID:91NENu9F
(´・ω・`)絵文字云々より、最上の創作投稿を何とかしろって話だったよな

(´・ω・`)脚色ぐらいならいいけど、原典も何もない創作書き込んでくるからなぁ
855人間七七四年:2011/07/26(火) 07:43:45.30 ID:k00nqU+B
今回の泉田重光は大崎合戦でggればネタは出てくるんだが。
856人間七七四年:2011/07/26(火) 07:45:23.08 ID:k00nqU+B
テンプレに「原典」「引用元」必須とでもすれば?
857人間七七四年:2011/07/26(火) 08:00:37.06 ID:cudQDTbM
昨日一昨日の流れといい解りやすいな。
自演連レス必死過ぎ。
858人間七七四年:2011/07/26(火) 08:02:55.40 ID:k00nqU+B
検証

>大崎合戦では妻の家の家督相続を留守政「景」と言い争った伊達家臣泉田重光だが、
家督相続の問題ではなく、ただ仲が悪かっただけかも知れない
>政宗に仲直りの意味も兼ねて政景と二人大崎攻めの先鋒の大将にされてしまった。
大将だが、仲直りの意味はあったのか?<要出典>
>二人には兵1万が与えられたが、大崎陣でも口論が絶えることは無く、
戦い方で揉めたといった記述が奥羽永慶軍記
>兵5000を率いて先に出た重光は、後詰めの政景と大崎の大軍に分断され、
伊達勢はコテンパンニやられ篭城中に和議勧告
>兵を撤退させる講和の条件に自らが人質になる事を呑んだ。

>大崎軍中
>一栗放牛「これはこれは、まぁ話を聞こう」
>黒川月舟「某は黒川月舟、覚えがあろう」
>延沢満延「某、最上家中延沢能登と申す」
こんなやりとりがあったのか?<要出典>
>泉田重光「!?なぜ最上の家中がここにいる?」
>(´・ω・`)「だって、大崎家と最上家は親族だもん。援軍出すのは当たり前でしょ?囲まれた時に旗印でわからなかった?」
援軍は出したが、親族だからが理由か?<要出典>
>*大崎も最上の旗も丸に二引き両。丸の大きさや二の間隔で区別する
成実の竹に笹と、仙台笹の様に比較画像希望<要出典>

>留守政景と兵は講和によって無事伊達領に戻されたが、
>重光の身柄は大崎家から最上義光に引き渡された。
奥羽Ak並びに伊達治家記録

>山形城
>(´・ω・`)「・・・家臣にならない」
>重光「お断り申す」
奥羽Ak?大河「独眼竜政宗」にも出てくる。ネタ元は山岡荘八?<要出典>

>(´・ω・`)「鮭食べる?」
>重光「・・・それはそれで頂戴致します」
半年も捕まってれば鮭くらい出るかもしれんが鮭うぜえ<要出典>

>(´・ω・`)「伊達家って鮎貝君も愚痴言ってるけど、そんなに良いの?」
>重光「奉公に足る御恩がござる」
<要出典>

>伊達家に嫁いでいた義姫の助力もあり、やがて重光は政宗の許に帰された。
義姫にそれだけの力があるのか?<要出典>
>泉田重光は朝鮮出兵にも政宗に付き従い、家中の序列は後藤・亘理家と同格とされる
後藤と亘理の伊達家内の序列のわかる史料を出せ<要出典>

創作うぜえ
絵文字うぜえ
脚色うぜえ
鮭うぜえ
最上厨うぜえ

こうですね、わかります。
859人間七七四年:2011/07/26(火) 08:52:27.70 ID:2oTKtnMu
少なくとも、こうやってわざわざ顔文字使って煽り続けるのを見ると、どんなふうに言おうが肯定できんね俺ゃ
860人間七七四年:2011/07/26(火) 09:00:49.56 ID:KHQpGhcD
>>859
お前が言っていい事ではないと思うがな
861人間七七四年:2011/07/26(火) 10:14:43.08 ID:9aumIy+1
原田芳雄さん亡くなったな。
彼の義光の印象が強い俺としては
やはり、→(´・ω・`)「・・・」は違和感感じるな。

まあ、政宗のお陰でちょっと知られてるけど、すぐ消滅した
地方のマイナー大名なんて勝手にイメージ付けできると考えるのも理解できるがな。
862人間七七四年:2011/07/26(火) 11:40:19.65 ID:3gIEtyc1
ある時酒井忠勝が瘧を患った。
それが癒えてから忠勝が登城すると、小姓たちが忠勝を取り囲んだ。
驚いた忠勝が何なのかと尋ねると「病みあがりゆえ冷えては体に障るとの御上意なれば」と火鉢を持って忠勝を温め始めた。
家光の御前に出ると、家光自ら自分の後ろの屏風を忠勝の後ろに引きまわし
さらに自身の頭巾を与えたうえで「わしの前で許されたのだから、今後は誰も前でも頭巾をかぶっても良い。」と言葉を添えた。

『酒井空印言行録』
863人間七七四年:2011/07/26(火) 13:24:07.98 ID:bE4QyERV
栗山備後守利安と言えば、軍陣にての高名は11度、そのうち5度は槍働き、6度は采配をとって人を使っての働き
であり、また仕物(命令で人を斬ること)も4度、このうち2人は豊臣秀吉が黒田如水に仰せ付けられた者を
利安が実際に斬った。
これほどの戦働きをしたが合戦で怪我を負ったということはなく、ただ一度、朝鮮の役で左の小脇に矢がかすり、
血が少し滲んだ事のみが例外であった。
このように大剛の栗山利安であったが、普段は自身の戦の話など、まるですることの無い人であったという。

時に彼は81歳で死ぬ。その前日のことである。

利安はすでに、呼吸をするのがやっと、という状態であり、子どもたちをはじめとした看病をしている者たちは皆、
枕元でその時を覚悟していた。と、この時

利安は不意に、カッ目を見開いた。そして

「馬だ!鉄砲だ!
あそこに敵が出たぞ、味方の人数をここに出せ!あちらに出せ!
鉄砲をあの山に上げて撃たせろ!
敵は馬で駆け寄ってくるぞ!味方は馬から降り芝生に座れ!采配次第に、いかにも静々と懸かれ!」

うわ言に、合戦での指揮を叫び始めたのだ。

看病の者たちは皆大いに驚いたが、そのうちの一人が利安の耳元で

「かしこまり候」

と答えれば、おとなしくなり再び寝入った。

栗山利安はその一晩の間に5度合戦の指揮を叫び、夜明け頃、儚くなった。


戦国の世に生まれ育ったいくさ人の、臨終の模様である。
(古郷物語)
864人間七七四年:2011/07/26(火) 17:26:42.06 ID:QPdtteeK
古郷物語出典の逸話は内容が丁寧で写実的な気がする
865人間七七四年:2011/07/26(火) 18:02:44.93 ID:DNW25RW4
866人間七七四年:2011/07/26(火) 20:20:51.03 ID:Mc/6qgJL


真田信吉の正室は夫の死後、落飾して松仙院と号し、実家の酒井家に戻っていた
彼女の目に側室の子と実家の甥が高齢の義父と争っている光景はどう写ったのであろう
松仙院は死後、彼女の母の眠る曹渓寺(麻布)に葬られた
松仙院が生前に建立した真田信之の供養塔もその姿を残している


この供養塔、松代藩歴代藩主が祀られた長国寺の信之の墓(本墓ではない)と大きさが大差ない立派なもの
信之次女見樹院の建立説もありますが
867人間七七四年:2011/07/26(火) 21:17:15.52 ID:fAdi3KO1
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3263.html

↑に関連しての話。ウチの社報にこの逸話がちゃんとソース付き(武功夜話より)と記載されていたんだが、その時の半兵衛さん紹介文の二つ名に「両兵衛」、「二兵衛」と有名なものが載ってた。ここまでは普通なのだが、面白いのはそのあと。

なんと、漢王朝開祖に使えた陳平(文書では兵)とか、南北朝時代の楠木正成にならって「今楠木」とも言われていたそうな。本当なのかな?

社報での半兵衛の会話には「焦ってのちのちに後悔するような策はたてたくない云々〜だから牛に乗ってゆっくり云々」だそうな。
868人間七七四年:2011/07/26(火) 21:31:57.98 ID:cTM1hIzO
両兵衛だと
半兵衛は張良で、陳平は官兵衛の方じゃないの?

知余りあり、されど一人任じ難しだっけ
869人間七七四年:2011/07/26(火) 21:38:20.93 ID:BFPwgWtt
>>861
独眼竜もそうだが、
史実でも180越える目つきの鋭い偉丈夫、
敵には謀略を使いこなし、
鉄棒で相手を撲殺したり、
白鳥を自ら斬り殺したりもするマッチョ野郎。

そんな戦国武将が、どうして「鮭食べる? 鮭ないの?」と
池沼みたいなばっかり台詞を吐いているうえに、あの顔文字なのか理解できない。
870人間七七四年:2011/07/26(火) 21:40:28.48 ID:0/qYNJ8B
みんな解ってると思うけど>>869は終わった話を蒸し返したいだけの馬鹿だから、
相手にしちゃいかんぞ
871人間七七四年:2011/07/26(火) 21:49:49.83 ID:f8Ab7fdS
>>863
( ;∀;) ホントウニイイハナシダナー
872人間七七四年:2011/07/26(火) 21:51:43.04 ID:3WQfONRR
>>869
逸話を捏造してまで鮭や顔文字を無理矢理毎回ぶち込む奴など理解できんよ。
最上ヲタの妄想は隔離スレでやってほしいものだよな。
873人間七七四年:2011/07/26(火) 22:00:17.51 ID:BFPwgWtt
>>870
そういうおまえが相手しているわけだが。


>>872
こういう場所を勝手に洗脳の場みたいに使われても、最上厨の印象が悪化するだけでいいことなんかないのにな。
874人間七七四年:2011/07/26(火) 22:11:24.79 ID:mGTM9vwN
理解しなくても良いからNGしておけよ
そうやって触れるから余計喜ぶんだ
875人間七七四年:2011/07/26(火) 22:28:08.70 ID:QPdtteeK
>>867
張良に楠木か。張良はいいとして楠木は策士的なイメージじゃないなぁ
韓信や白起のような不器用な軍人って方が近いと思うんだが
876人間七七四年:2011/07/26(火) 22:31:40.76 ID:QPdtteeK
おっとと、張良じゃなくて陳平か。どっちにしろ違和感がある
兄嫁と密通したり賄賂を堂々と要求したりする陳平に準えられちゃ半兵衛も立つ瀬がないだろうにw
877人間七七四年:2011/07/26(火) 22:57:34.99 ID:Z+RJyFRX
如水さんも2代将軍から張良のようだって言われたよね
なんか戦国後期の武将は古代中国の人物に例えられることが多い気がする
878人間七七四年:2011/07/27(水) 00:55:59.44 ID:Gb/IrSc2
江戸時代にできた逸話だと、漢籍の知識から古代中国の人物に例える例が増えたんじゃないの
879人間七七四年:2011/07/27(水) 07:12:04.86 ID:6FUQmGIJ
まあ、広く知られていない人物が例えであがるわけないよな
880人間七七四年:2011/07/27(水) 09:45:51.26 ID:B2x7D/KL
一種のテンプレートだから厳密に似てる似てないは気にしない方が。
881人間七七四年:2011/07/27(水) 12:54:50.45 ID:q+D12z+u
阪神の助っ人が意味もなく
バースの再来とか言われるようなものか
882人間七七四年:2011/07/27(水) 12:59:22.01 ID:aGdoqhex
家康が最も恐れた男みたいなものか
883人間七七四年:2011/07/27(水) 13:13:23.60 ID:jwTRdTbc
自分のイメージに合わないからイヤ!
つう発想はなんか腐女子臭い・・・気のせいか?
884人間七七四年:2011/07/27(水) 14:13:37.76 ID:Q9exBOQf
>>883
お前時間止まってんの?
885人間七七四年:2011/07/27(水) 14:19:16.70 ID:GvZnW9xg
しきりにむし返す奴がいるな
886人間七七四年:2011/07/27(水) 14:21:29.59 ID:aGdoqhex
おめさんら、だっちもねすけ、もうやめろて!
887人間七七四年:2011/07/27(水) 14:27:15.65 ID:6MfUjd1/
もう逸話には顔文字必須でいいんじゃね?
888人間七七四年:2011/07/27(水) 16:05:42.82 ID:0s9tss8b
(●∀゜)「次の話マダー?」チンチン
889人間七七四年:2011/07/27(水) 18:07:52.49 ID:O5JhFgs2
>>887
(⊂((・⊥・))⊃)「おみゃあさんも思い切ったこと言うぎゃ〜」
890*:2011/07/27(水) 19:56:23.96 ID:UXoEZohV
    ,x≪ミx
  ,xッ、}彡'''"´ ̄ ̄`丶、
  ゞ''゙´             \
 〃                   ヽ
/ミ{   -‐-ミ,_‐- -‐ _,彡‐  ',
ミミシ   ,..、   `ニニ´   ,.-、 i!
ミミ. =彡'゙⌒_,_,ノ ヽ,,ィシ^ヾミ |}
ミミ    , ‐… 、 、  ,. , …‐、 リ
ゞミ.   {  O } }}  {{ { O } .lヽ
′    `'ー一'゙ノ.::i i ヾ'ー一゙ .| :}       なんとふにゃんとしたAA!
:{.(           .:::j l 、      | ,′
:.じ    r  _  r:、 r:ッ _.-、 j/
>ri  ゞ=ぐ         シ_ッ/
  |ハ.    ヾー=ニニ=ァ゙  /
. r:| ヽ    、ヾミェェェァ゙   /j、
/:fj:  \   `'ー 一'゙  ,:' ハ.\_
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891人間七七四年:2011/07/27(水) 20:26:50.42 ID:YemAPnjX
やたら蒸し返す奴もうざいがこれ見よがしにAA使う奴もうざいな
892人間七七四年:2011/07/27(水) 20:32:55.73 ID:DUYdmXJp
荒らしばっかでもう末期的だな
893人間七七四年:2011/07/27(水) 20:51:14.85 ID:7RULno1i
自演ご苦労さまです
894人間七七四年:2011/07/27(水) 22:26:37.78 ID:Ky5L4Cvl
歴史秘話ヒストリア「真田幸村vs伊達政宗」★2
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1311772657/
895人間七七四年:2011/07/27(水) 23:36:03.46 ID:MJbUw/6Q
真田幸村と伊達政宗って
そもそもお互いの名前を知ってたんだろうか
896人間七七四年:2011/07/27(水) 23:43:25.40 ID:FfhXt9Xj
豊臣の旗本だったから信繁は政宗の顔は知ってるだろう
ただ政宗が信繁に対してどれほど知ってたかは不明
むしろ長男の秀宗の方が信繁を知ってたと思う
897人間七七四年:2011/07/27(水) 23:57:35.67 ID:FlIU94BJ
政宗の名前は知ってる可能性はあるけど
幸村の名前は100ぱー知らんだろう
だってそんな名前じゃ(ry
898人間七七四年:2011/07/28(木) 00:02:21.87 ID:uaak63G7
政宗は信繁の子を匿ったんじゃなかったかしら?
899人間七七四年:2011/07/28(木) 00:04:37.41 ID:smLh6ZiW
信繁の名前なら知ってるかもな
900人間七七四年:2011/07/28(木) 00:10:17.28 ID:o4fJo7Fh
政宗と言うよりは片倉重長がかな
901人間七七四年:2011/07/28(木) 00:49:44.12 ID:kDcc4XM+
逸話を一つ。

尼子家再興を図る山中鹿介は、当時畿内に勢力を拡大していた織田信長に接近し、その家臣の
明智光秀の配下に組み込まれた。この頃交友を結んだとされるのが光秀の家臣の野々口丹波である。
鹿介はある時、丹波から

「私は3回、敵の首を取った事がありますが、緊張のあまりその事を良く覚えていません。1度きりの戦功を
 つぶさに語る者もいますが、彼らは生来の勇者なのでしょうか?」

と、打ち明けられた鹿介は彼の正直さに感心し、

「私も首を4〜5回取るまでは貴殿と同じ様な心境だったが、10回を越えると平常心で
 敵の顔がはっきりと見えるようになった。大口を叩くような者は、実際にはたいした事はしてはいないものだ。」

と答え、それを聞いた丹波も安心したという。 「武将感状記」より。
902人間七七四年:2011/07/28(木) 01:04:18.65 ID:cN496b0d
903人間七七四年:2011/07/28(木) 01:21:40.01 ID:XgsXEDNd
信玄vs忍者

ある時、信玄配下の忍者数十人が離反し山小屋に立てこもった。
信玄はこれを策略をもって制圧しようと、信玄の下に残った忍者を呼んだ。

信玄「忍び込みにくい城というのはどういったものか?」
忍者「いかにも厳重に守っているようでも、夜警の者の声が頻度に聞こえるようでは
   返って相手の油断も分かり易いものです。」
信玄「ほう、では今回の場合はどうだ?」
忍者「奴らはそういったことを熟知しており、決して物音を立てないでしょう。
    これは難しうございます。」
信玄「そうか、わかった。」

すると、信玄は山小屋に向け陣を張り、いかにも厳重に守っているように夜警の者などをしきりに廻らせた。
そうして数日が経ち、ちょっと隙を見せると山小屋の忍者達が夜襲をかけて来た。
もちろん、それは信玄の罠であるわけで忍者達は伏兵によって討ち取られてしまった。
904人間七七四年:2011/07/28(木) 02:46:08.15 ID:z5+cWov3
韓国国営放送である犬hkを解約する方法
http://www.youtube.com/watch?v=YP5YoQbMx9g&feature=related
ただし一般郵便だと無視される可能性があります。
とぼけられないように一般書留+配達証明=770円で郵送したほうが確実です。。


これをすると、犬hkから電話がかかってきます、できるだけ録音しておいたほうがいいでしょう。。
丸め込まれないためにも、理論武装、犬hkの不祥事事件の知識が必要となります。
十分に準備を整えてから実行しましょう。
私の実際の経験では、1時間ほどの電話×2日ほど掛かりました。
あまり好きな手段ではないのですが、担当者の胃に穴を開けるつもりでクレーマーに徹しました。

デジタル移行の今がチャンスです。
905人間七七四年:2011/07/28(木) 03:29:41.09 ID:hdp8VyN6
(´・ω・`)
906人間七七四年:2011/07/29(金) 01:02:04.84 ID:f06NnlDt
過(´・ω・`)疎
907人間七七四年:2011/07/29(金) 13:48:21.08 ID:uTik07+G
関ヶ原についての記事

『内府様(家康)の軍勢を荒らせし者で、明石掃部(Acasicamon)と薩摩の如く甚だしい者は
無かった。

その中でも明石掃部は退却せずして敵中に突入し、自害するよりも敵の手にかかることを望み、
しだいに敵に追い詰められもはや逃れるすべのない事を知ると、甲斐守(黒田長政)の軍隊に
乱入して最後の血戦を試みんとした。

甲斐守は乱入してきたのが、その挙動、及び軍装によって掃部であることを知り、声高に下知を伝えた

「おまえたち、彼を助けよ!殺してはならない!私が彼を生け捕りにする!」

この叫びに黒田軍は皆動きを止め、甲斐守は自ら明石の方に進み近づくと、その頭に手をかけて
抱擁し、涙を流して語りかけた

「我が友よ!我ら互いに敵となってここに見参することの苦しさよ。
勝ち誇る我軍によって敗れたと言っても、あなたの名誉は隠れ無いものである。」

これに明石は
「あなたが真の友ならば、その刀で今すぐに私を斬ってくれ!」

と答えたが、甲斐守はその言葉に従わず、それどころか自分の馬を明石に与え、
それに騎らしめて戦場を脱出させ、敵の命を救った。』
(モンタヌス日本誌)

日本の記録では見たこともない、関ケ原における黒田長政と明石全登のエピソードである。
908人間七七四年:2011/07/29(金) 19:35:31.71 ID:ZzTF9sjv
明石は関ヶ原の後黒田に保護されたんだっか。
909人間七七四年:2011/07/29(金) 20:13:21.79 ID:xsW++Brm
同じキリシュタンだからな
確かに可能性はあるなw
910人間七七四年:2011/07/29(金) 20:35:16.08 ID:CRDb1V4L
いい話とちょっと違うかもしれないが、本に載ってて気になったので。
大谷吉継が石田三成に対して言った言葉

「必ず金銀にて人を使はんと思はるるは、人心の離るる本なり」
(金で人を動かすのを習慣化させると、だんだん金銀だけの繋がりになってしまい、
かえって人の心が離れていく原因になるから気をつけろよ)

関ヶ原のときも「お前は人望がないから裏方になれ」とか注意してたけど
これはいつどんな状況で言ったのか気になる。
911人間七七四年:2011/07/29(金) 23:23:11.12 ID:B0lO/CyE
>>910
どういう文脈なのかわからないけど、お金で精算しちゃうと相手ももう済んだことってなるかもね
逆に僅かな金ならおごりにしちゃって恩着せたほうがかえって得な場面は今でもあるよね
912人間七七四年:2011/07/29(金) 23:28:49.83 ID:fGBQb4vB
「人を使はん」なんだから部下の扱い方の話でしょ
913人間七七四年:2011/07/30(土) 00:18:40.86 ID:wYYxCefJ
寄せ集めの石田勢が善戦したことを考えると部下への人望はあったのかな
914人間七七四年:2011/07/30(土) 00:24:07.55 ID:a15vGj++
寄せ集めではあるが島左近に舞兵庫にと諸家が羨む超一流だから。
そういう人材を集められる三成は相当の人物だったのだろう。
915人間七七四年:2011/07/30(土) 00:29:45.47 ID:AXS+99fY
部下の扱い方の話なのはわかるんだけど、
いつ頃のやりとりなのかなあと。
左近スカウトする前にこういうやりとりしてるんだったら面白いなと思ってさ。
916人間七七四年:2011/07/30(土) 00:33:21.87 ID:xn3MJGMk
>>910
島左近を2万石で雇ったことに対する話ではなかったっけ?
高給で雇ったって、人間関係がうまくいかなかったら元も子もない、みたいな。

勘違いだったらごめん。
917人間七七四年:2011/07/30(土) 00:33:33.30 ID:TVuk6+na
秀吉批判?
918人間七七四年:2011/07/30(土) 00:34:28.41 ID:kRyBlpXj
>>908
しばらくは黒田親子の下で厚遇されてたはず
長政としては自分で優秀な人間をスカウトしたい時期だったし
血の繋がりがある明石全登はうってつけだったんだけど
領内でのクリスチャンへのあたりが強くなった時に放置してたら
出奔されて又兵衛と一緒に大阪方に付かれるハメに
919人間七七四年:2011/07/30(土) 00:43:53.59 ID:Zjf9EnAm
左近と兵庫が有能な人物なのは納得だけど、他の大名が欲しがったなんて話ある?
920人間七七四年:2011/07/30(土) 10:23:38.66 ID:SdbJLH6S
高名な士を向かえたいというのは誰でも思う事だろうし、羨む者もいたんじゃないか。
話としてはとくにないと思うけれど。
921人間七七四年:2011/07/30(土) 10:25:31.23 ID:KWackV3J
上司と部下に好かれてるのに同僚に悉く嫌われるってなかなか無いパターンだよな
922人間七七四年:2011/07/30(土) 10:48:02.85 ID:j9t9/O/A
>>921
鬼武蔵とかはどうでしょう?
923人間七七四年:2011/07/30(土) 10:53:12.80 ID:e+zN1sJw
>>922
部下は慕ってたんだろうか・・・?
924人間七七四年:2011/07/30(土) 11:32:45.89 ID:r+VBTW+J
逸話見る限りでは面倒見は意外といい
925人間七七四年:2011/07/30(土) 12:34:37.15 ID:izvS3ht+
鬼武蔵は基本自分の前に誰か(信長以外)が対面しているのが嫌なんであって後ろに付き従う人に優しい気がする
926人間七七四年:2011/07/30(土) 14:15:38.84 ID:Dly3sodQ
>>921
まさに俺
927人間七七四年:2011/07/30(土) 14:55:39.64 ID:fDjtHE7P
黒田長政の継室・栄姫は徳川家康の妹の娘、
つまり、家康のの実母伝通院は彼女にとって実の祖母にあたります。
慶長七年(1602年)、伝通院は北政所や後陽成天皇に拝謁するために上洛、
筑前で新婚生活を送っていた栄姫も祖母に会うために上洛します。
そして、上洛中に彼女の懐妊が発覚します。
この報を聞いた家康は栄姫に帯を贈り、伝通院からは
「せっかくなので京で出産してはどうか」と提案します。
これを受けて黒田如水、
「長政にとっては初子となるので、筑前で産ませたいです」
(厳密には長政には前妻との間に娘がいるのですが、筑前の太守としては、という意味かと思います)
と帰国する旨を伝えれば、家康は彼女のために養安法印を付けさせます。
更に伝通院は自分が家康を出産する時に神社を参詣したら安産だったいう話を受けて、
栄姫は舅の如水と共に安産祈願のために清水に参詣したそうです。

そんなわけで、黒田如水、息子の嫁と仲がいい話。
出典は黒田家譜ですが、家譜には秀忠とその母とあるところを
これは家譜の間違いだろうと判断して(秀忠の母は関ヶ原以前に他界)、
家康とその母伝通院、とさせていただきました。
928人間七七四年:2011/07/30(土) 15:07:52.23 ID:fDjtHE7P

ところで、伝通院はこの年の8月28日に亡くなっており、
懐妊の発覚した栄姫が帰国したのが9月になってからとあるのは、
おそらく祖母の葬儀のためであったと思われます。
しかし、彼女はその年の暮れ12月22日に福岡城にて万徳丸(後の忠之)を出産しています。
つまり、栄姫は大体妊娠7カ月の身で京都から福岡に戻ったということになるわけで……
結構な無茶ぶりですね、黒田家
929人間七七四年:2011/07/30(土) 15:12:01.53 ID:xPnWy7Re
於大さん薄幸若死にのイメージあったけど長生きしたんだなあ
930人間七七四年:2011/07/30(土) 16:39:38.66 ID:bDpcnlUl
徳川3代でも晩年に登場してたでしょ。
931人間七七四年:2011/07/30(土) 17:47:54.61 ID:QhGr4zXH
江も千姫輿入れのときに身重の身でついてきたんじゃなかったか
そして京でそのまま出産

元気ですな
932人間七七四年:2011/07/30(土) 17:58:37.77 ID:gSbsTe4q
菅直人と北朝鮮の実態 〜 テレビタックル2011.7.26
http://www.youtube.com/watch?v=EbdadY95Gkc


産経新聞以外、他のマスコミは一切報道しない菅直人と北朝鮮の関係!
まだ見てない方はぜひご覧下さい。
933人間七七四年:2011/07/30(土) 18:02:04.04 ID:xn3MJGMk
>>921
関羽とか?
934人間七七四年:2011/07/30(土) 20:45:05.20 ID:FvcDezSX
>>931

普通の下々に比べりゃ至れり尽くせりでの移動だからな
935人間七七四年:2011/07/30(土) 21:14:19.22 ID:O+9uCVxO
>>933
げぇっ
936*:2011/07/30(土) 22:21:47.50 ID:MsxqXSXH
>>933

麋芳・士仁 「正直、呉に降ってホッとしてます」

劉元徳 「見殺しにしたのは内緒だぜ」
937人間七七四年:2011/07/31(日) 00:38:30.97 ID:EPi5f3lu
>>921
戦国大名の部下なんて大部分がそんな奴ばっかだろ
織田家で見ても、羽柴秀吉・柴田勝家・明智光秀のいずれも上司部下からの信頼は厚いが同僚同士ではライバル心むき出し
三成だって孤立してたって言うけど実際は派閥を形成してたわけで珍しくもないな
938人間七七四年:2011/07/31(日) 13:16:02.34 ID:rJT2nFqY
好きでもライバル心くらい持つだろw
939人間七七四年:2011/07/31(日) 18:45:27.76 ID:u/hXnqVW
既出だったらゴメン。

日本人で初めて花火大会を見物したのは誰だかご存知だろうか?

狼煙や合図として中国で発明された花火はヨーロッパに渡り、赤、青、黄色などの色彩を持つ美しい現代の花火に改良される。
その花火を見物した人物として初めて文献に記録されたのが、大御所となった徳川家康だった。

勿論それ以前にも花火を見物した人物はいただろうけど名前が出たのは家康が初めて。
家康は花火を見て非常に気色を良くしたらしく、職人を育て大量の花火を作ったとのこと。
一説には、自分の死後は久能山から一晩中花火を打ち上げろと秀忠に遺言を遺した。

現代人が花火を楽しめるのも家康公のお陰かなと思いながら花火大会を楽しんでいる。
940人間七七四年:2011/07/31(日) 18:54:55.39 ID:u/hXnqVW
補足。

自分の死後、一晩中花火を打ち上げろと秀忠に命じた時、『自分が死んでも徳川の天下は既に揺るぎようがない事を万民に知しめよ。太平の世を喜び祝え』と遺言した。
941人間七七四年:2011/07/31(日) 18:57:33.19 ID:oalwK8VI
この花火って
鎧を二枚重ね、砲術では百発百中の腕前を誇った稲富さんの
技術の賜だっけ
942人間七七四年:2011/07/31(日) 19:21:42.34 ID:afEx/Ka8
本番に弱い稲富さんか
943人間七七四年:2011/07/31(日) 19:27:26.91 ID:osiOzeYP
家康が死んでも天下泰平は続くという意味か

国王は死んだ!新国王万歳!みたいなノリだな
944人間七七四年:2011/07/31(日) 20:20:21.44 ID:BGAOJfLl
大和田重清日記の文禄2年7月18日条に「花火数多サセラル」という記述があるので、
家康より先に唐入り中の名護屋城で秀吉が花火大会やってるんじゃないかな。
945人間七七四年:2011/07/31(日) 20:21:15.11 ID:BGAOJfLl
訂正:7月17日だった
946人間七七四年:2011/08/01(月) 01:18:49.22 ID:tEaHmx6g
>>939
三河、遠州の辺りで打ち上げられる手筒花火は
この時徳川の鉄砲隊が持ち帰って広めたのがキッカケらしいね
947人間七七四年:2011/08/01(月) 01:50:17.47 ID:FYyiVszC
 手筒花火って屈強な男がうでに抱えてボガーッて上に吹き出すやつ?
まあ鉄砲とはちがうけど火薬使ってるからだいたいいっしょか
948人間七七四年:2011/08/01(月) 12:17:36.38 ID:kVsMXcCa
大鉄砲で焙烙を打ち上げるような感じ?
949南条宗勝の左手は 1/2:2011/08/01(月) 13:47:47.31 ID:ICRj47dP
天文の頃、尼子軍と山名氏の重臣・武田山城守国信が激突した橋津川の戦いで、
尼子に羽衣石城を奪われた南条宗勝は、国信に加勢して戦った。

橋津川にかかる橋の上に立った宗勝は、尼子軍の名だたる将・吉田左京亮を撃退する等活躍を見せたが、
逃げる左京亮を追いかけようと武田軍が橋に殺到すると、橋は重さに耐え切れず、武田軍ごと崩れ落ちた。

形勢は逆転。武田軍の、ある者は溺死し、ある者は川岸からの尼子軍の攻撃により討ち取られたが、
ひとり泳ぎの得意な宗勝のみは、そのまま下流に向かって流れ、逃げ延びた。

夕暮れになり、ついに海に泳ぎ出た宗勝は、運良く漁師が何人か歩いているのを見つけた。
「おーい!南条豊後じゃ、助けてくれい!」
「なに、南条殿じゃと・・・暗くて顔がわからん、証拠はあるか!」
「あるぞ。これを見よ!」
宗勝は、自身の左腕を漁師たちの前に差し出した。
「おおおおお!!間違いない、噂に聞く南条豊後守じゃあ!!」

差し出された左腕には、二の腕から先が無かった。先の橋上での奮戦も、槍の柄を左腕に結びつけ、
右腕のみで槍先を操っての活躍だった。
950南条宗勝の左手は 2/2:2011/08/01(月) 13:49:15.14 ID:ICRj47dP
実は昔、こんな事があった。伯耆羽衣石城主・南条宗勝のもとに、対立する岩倉城主・小鴨掃部助から
和睦の申し出があり、両者は小鴨の館で酒宴を行なうことになった。しかし宗勝は油断せず、
「数年来争ってきた小鴨が、突然和睦を申し出るのはおかしい。みな用心いたせ。」と家臣に言い含めた。

和議は滞りなく進み、その後の宴もたけなわとなった頃、掃部助が杯を宗勝に差し出した。
「ささ、まずは一献。」
「これはかたじけない。では、ご返杯を・・・」
返杯を受けた掃部助は、その酒を宗勝の顔にブチまけた。宗勝が酒をぬぐった時には、
掃部助は太刀を抜き、宗勝の頭に白刃が迫っていた。

迫る白刃に対し、とっさに宗勝は左の肘で受け、右手で脇差を抜いた。宗勝の左手は斬り飛ばされたが、
その脇差は深々と掃部助の身に突き刺さり、返り討ちに成功した。

陰謀が失敗したばかりか、主君を一刀のもとに倒された小鴨勢はすっかり浮き足立ち、あっという間に
南条家臣によって制圧され、南条氏は小鴨氏を傘下に収めた。(陰徳太平記より)


居城を尼子氏に奪われ、毛利元就の庇護を受けて奪還するまで三十年の長きにわたり放浪することになる
南条一門だったが、浪々の身の彼らを『武辺の家』と称える者はいても、そしる者はいなかったという。
951人間七七四年:2011/08/01(月) 15:13:33.74 ID:poJMtQBe
これはかっこいい
一瞬の判断でこれほどの立ち回りができる人間は当時でもそう居ないんじゃないか
952人間七七四年:2011/08/01(月) 15:32:13.10 ID:u7Wx0xSf
こんな豪傑がいたとは知らなんだ。
大して人気の無い地方のマイナー武将にも、調べればたくさんすごい武将が出てくるんだろうね。
いろんな意味で感心した。
953人間七七四年:2011/08/01(月) 15:34:36.71 ID:VacFFy20
社報でこの逸話を見つけたとき、思わずあの「逆にこう考えるんだ(ry」のAAが浮かんだのと、リアクション芸人の前振りと言わんばかりの前振りを家光さんがした逸話です。

多分この逸話に関連しているのではないかと思えます↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2647.html

徳川3代に仕えてそれらを支えてきた土井利勝、あるとき徳川家光が秘密の話をするというので、親しい重臣だけ呼び集めて合議をする事になった。
(議題内容はおそらく上の↑逸話の内容ではないかと推測されます)

様々に議論を交わし、お開きになる頃に家光が「この話は秘密にし、口外しないように」という、何かリアクション芸人の「押すなよ、押すなよ」と言わんばかりの前振りを言います。

当然、秘密の会話内容は他人にダダ漏れとなってしまい、家光は激怒します。

家光「あれだけ口外すんなと言ってるのに秘密の意味が無いじゃないか、どうするんだよ!」とご立腹な家光。

そこに土井利勝がこう言いました。

利勝「秘密の話とは大概、親しいモノが寄せ集まって引き籠るような場所でヒソヒソと小声で行われるのが常。
   それこそ、あの場所で何か秘密の話等をしているに違いないという推測を起こさせるのは容易ですし、
   何かの拍子で話が漏れるのは当然の事。
   しかも薄い壁や障子を隔てて誰かが聞いているのは当然の事です。」

そこで利勝は言います。(あのAAを想像しながらお読みください)

利勝「(逆にこう考えるんだAAry)窓とか、ふすまのない開けた場所で、大声で大々的に話せば、その話をこっそり聞き耳を立てているものも、会話の内容が秘密の話とは思わず聞き流すことでしょう。
    だから変に隠さずに逆に開けた場所で行えばいいのではないですかな?」

利勝の話に、家光は納得してその後は秘密が漏れる事は無くなったそうだが、まさにあのAAが浮かぶお話というか、木を隠すなら森と言った逸話だと思いました。
954人間七七四年:2011/08/01(月) 19:35:36.36 ID:8ecITFxS
>>949
グッときた。
信長の野望で南条さん見かけたら厚遇してあげよう。
955人間七七四年:2011/08/02(火) 00:01:28.40 ID:g6nddLkA
>>954
でも天道の南条一族は得意兵科が弓だからちょっと使いにくい。
956人間七七四年:2011/08/02(火) 01:12:29.96 ID:l+2/5nWM
逸話読んだ限りじゃ水陸両用の格闘タイプなんだけどな
957人間七七四年:2011/08/02(火) 17:43:21.80 ID:ellNb42h
南条さんはズゴックだったのか
958人間七七四年:2011/08/02(火) 18:10:13.31 ID:K57faLED
あっがいたんの可能性も
959人間七七四年:2011/08/02(火) 19:47:56.52 ID:chf7pRhz
流石南条だ、腕一本斬り飛ばされてもなんとも無いぜ。

こういうことですかw
960人間七七四年:2011/08/02(火) 19:59:41.87 ID:0xbE4XrX
>>959
そう言われると
シグルイ原作者で武士道残酷小説の大家
が思い浮かぶから困る
961人間七七四年:2011/08/02(火) 21:13:10.93 ID:r6MOEwOm
南条一族はしぐるひ也
962人間七七四年:2011/08/02(火) 21:28:23.81 ID:zkUo+7WS
あーいう主君には絶対服従な武士像って昨今流行らんよね
963人間七七四年:2011/08/02(火) 22:52:24.31 ID:zq5+oLQ7
合法的な常時競争社会ですしおすし
964人間七七四年:2011/08/02(火) 23:23:42.68 ID:lI1dzL8V
>>962
その事にちょっちつまらんと思うこの頃
965人間七七四年:2011/08/03(水) 02:01:02.22 ID:mYcU0O1W
山中鹿介は一旦は尼子勝久に組しながら、反旗を翻した隠岐の豪族、隠岐為清の討伐に立原久綱だったが、
逆に散々に打ち負かされたが、松田誠保と横道正光のお陰でどうにか勝利を拾う事が出来た。
しかし勝久は鹿介と久綱に気を使い、誠保と正光に両名の戦功を認める感状を出さなかった。これを聞いた鹿介は

「賞罰を明らかにしなければ兵が力を発揮しなくなります。また、我々は敗れて逃げましたが
 全く恥にはなりません。勝つも負けるも戦の習いです。」

と勝久に説いた。そして鹿介自らの手で誠保と正光に感状を手渡した。これを聞いた者は皆、鹿介を賞賛したという。
山中鹿介、25歳頃の逸話である。
966人間七七四年:2011/08/03(水) 11:25:05.24 ID:sMv+uxZq
戦国鍋のキャバクラに来ていた人だな
967人間七七四年:2011/08/03(水) 12:27:10.76 ID:BROvF78Z
>>965
一行目は、久綱が為清討伐軍を率いて、その軍の中に鹿介が従軍したって解釈で合ってる?
968965:2011/08/03(水) 16:05:15.17 ID:KJ2DZaW1
すいません。それで合ってます。書き間違いでした。ので、まとめの方にも 「隠岐為清の討伐に立原久綱と向かったが」と修正しておいてください。大変失礼しました。
969人間七七四年:2011/08/03(水) 21:42:09.82 ID:pxGBbHvK
今日(旧暦だけど)政宗と秀頼の誕生日だったらしいね
970人間七七四年:2011/08/03(水) 21:55:22.99 ID:+mfqpw5T
さすがは、一見まともだが実はとんでもないヤツ四天王筆頭なだけのことはあるな!
971人間七七四年:2011/08/03(水) 21:56:08.62 ID:+mfqpw5T
すみません、誤爆です
972人間七七四年:2011/08/03(水) 22:11:31.56 ID:yeIV5KlX
ところで茶でも飲んでいかんかね
973人間七七四年:2011/08/03(水) 23:13:57.86 ID:an1La72l
>>966
戦国鍋ではマイナー武将にされてたけど、
戦前は教科書にも載ってたらしいな。
974人間七七四年:2011/08/04(木) 00:19:04.34 ID:86vVobln
ドラえもんにも出て来たw
975人間七七四年:2011/08/04(木) 00:31:24.53 ID:5A63yjq8
安楽の空

元和9年(1623)7月、江戸詰めだった黒田長政は、将軍秀忠親子の上洛への随行を命じられた。
「何か」を予感した長政は上洛に嫡男・忠之を伴ない、東海道ではなく中山道を行く事を願い出て許された。

美濃国合渡川で、忠之の友人の松浦隆信なども合流したところで、長政は若者たちを前に
かつて合渡川の川辺で行なわれた激戦を語った。
田中・藤堂とともに、自らも大水牛の兜まで水に漬けて戦った川辺での激闘の様を、忠之と隆信ばかりか
付き従う者たちも、耳を傾けて聞き入った。

その夜は、近隣の領主であり長政の旧友である竹中重門が迎えてくれた。
「長政殿、せっかくここまで来てくれたのじゃ。明日は関が原に行こうではないか。」
「うむ。」

===========================================

「あれじゃ。あの笹尾山から松尾山の麓に西軍はビッシリと陣を構え、上から我らを睨み付けておったわ。
この時、長政殿は合渡川の戦いの功として御先手を任され、石田治部少輔の陣と相対した。」

のちに軍記『豊鑑』を書く文筆家でもある重門は、地形方角を示しつつ、天下分け目の戦いについて
雄弁を振るった。
「石田隊の先鋒は、その名も高き島左近!その武勇と大音声は怖気をふるうほどのものであったが、
黒田隊は、この戦を天下泰平の基にせんと大いに戦い、これを良く防ぎ・・・」

文人武将の講釈に、青年達は時を忘れて耳を澄まし、長政は自身が筑前五十二万石の大封をつかんだ
昔時の戦に思いを馳せ、思わず落涙した。その姿は、見た者の涙をも誘ったという。(黒田家譜より)

元和9年8月4日。黒田筑前守長政、京にて死去。享年56。

「大軍を指揮できる身代となりながら、存分に使うことなく死ぬのは残念。」
と言い残したと伝えられる長政だが、その辞世の句は
“ 此のほどは 浮世の旅に 迷い来て 今こそかへれ あんらくの空 ”だった。
976人間七七四年:2011/08/04(木) 11:43:33.99 ID:gjgsfj31
毛利輝元のちょっといい話を。

慶長17年(1612)、幸若舞を愛好する毛利輝元は、自分の御伽衆奈良松友嘉の息子、
善吉と善三郎を越前の幸若舞小八郎家(おそらく六代桃井安信)へと派遣、
これを学ばせる。
この時小八郎家は奈良本家に幸若舞の相伝を許可し、「幸」の一字を与え幸坂家を名乗ることを
許した。

さて、その兄弟は舞の教本を長州へと持ち帰り、以来大切に受け継がれた。

これこそ、現在も山口県の毛利家博物館に保存され『毛利家本』と呼ばれ
幸若舞の祖・桃井直詮より始まる越前幸若系の純粋な文体を受け継いでいると考えられる、
現存する唯一の揃本なのである。

毛利輝元、幸若舞の貴重な史料を現代に残す、というお話。
977人間七七四年:2011/08/04(木) 12:04:43.99 ID:+1nATF/z
前回は本多正信さんのいい話だったけど
今回は中務の方の本多さんで。出典は桑名の図書館にあった資料から

一応http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2414.htmlの中で触れられてはいるけど
全体を書いたものは(少なくとも本多忠勝カテには)なかったので

本多忠勝が伊勢桑名に移封された晩年、二男の忠朝とともに城下を巡視した。芦原のほとりにさしかかると忠勝は忠朝に傍らの櫂を示し「その葭を薙いでみよ」と命じた。
忠朝が葭を横殴りにすると、三間ほどの間の葭が倒れ伏した。
忠勝はそれを見て自ら片手握りに櫂を取って葭を薙いだ。
すると葭は根元から二尺ほど上のところで、刃物で切ったように切れてしまった。
今更ながら人々は忠勝の豪力に舌を巻いたという。
978人間七七四年:2011/08/04(木) 12:13:20.10 ID:2HCX4rPF
本多忠勝に槍なんて要らなかったんや
979人間七七四年:2011/08/04(木) 13:40:35.78 ID:jN2bfeEn
当たらなければどうということはないの忠勝からすると、
櫂を通常の3倍の速度で振れば葭も斬れるのか。
980人間七七四年:2011/08/04(木) 21:19:41.05 ID:gjgsfj31
そろそろ新スレ立ててみる
981人間七七四年:2011/08/04(木) 21:21:23.76 ID:gjgsfj31
出来た。ここ埋まったら移動して下さい

戦国ちょっといい話28
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1312460445/
982人間七七四年:2011/08/04(木) 22:48:41.24 ID:X7IpSZ7+
983人間七七四年:2011/08/05(金) 00:35:04.78 ID:fHsnbfjJ
総合]毎週金曜 午前0:45〜1:28(木曜深夜)

タイムスクープハンター「髪結いちょんまげ騒動記」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1312455261/
984人間七七四年:2011/08/05(金) 06:20:10.81 ID:gDgYc2UM
>>977
小学校のマンガ(割と真面目な雰囲気の)だと
忠勝が薙ぐと異次元への扉が開いてすぐ閉じた気がする
あれなんだったんだろ
985人間七七四年:2011/08/05(金) 09:04:15.34 ID:fjDUUUDX
>>978
天下無槍って事ですね
986人間七七四年:2011/08/06(土) 00:27:53.42 ID:oaMrF1UH
関が原の戦いの後、安芸・備後四十九万八千石の大封を得た福島正則は、積極的に人材を登用した。
その日も重臣の梶田出雲が、正則の前に仕官希望者を連れて来た、が。

「お前の連れて来る奴はアクの強いのが多いが、今日はまた格別じゃな・・・」
「ははっ。」

小田孫兵衛と名乗るその男、歳は七十過ぎ、身にまとうは使い古しの紙子羽織という有様だった。

「で、ですが殿!この孫兵衛どのは、今でこそ落ちぶれ果ててはおりますが、かつては毛利家に仕えて
侍の諸芸を修め、備中にて一城さえ任されたる者。
御広間の番等、つまらぬ職でも構いませぬ。二百石、いや百五十石!なにとぞ、なにとぞ騎馬武者として
孫兵衛どのの顔が立つ程度に、知行を与えてやって下され!この通り!!」


「よし、千石出そう。」


「「!!?」」
「何を驚く。お前今、『城主を勤めた』と言うたじゃろが。そういう男はな、二百や三百石与えたところで
ものの役に立たん。ケチケチせずに千石もポンとくれてやった方が、本領を発揮するものよ。」

正則の言葉に肝を潰した孫兵衛だったが、一夜明けると使い古した紙子を脱ぎ捨て、
天晴れ一城の主の如き威風を取り戻していた。(福島太夫殿御事より)
987人間七七四年:2011/08/06(土) 02:28:09.17 ID:vAudIdkd
呑まなきゃいい人なのに・・・
988人間七七四年:2011/08/06(土) 05:25:05.34 ID:WKVEOD6c
福島の家臣結構優秀な人多いんだよね人を見る目があるんだな
やっぱり酒が唯一の欠点かw
989人間七七四年:2011/08/06(土) 07:11:03.91 ID:YYFC1Lt7
正則「俺は権力に負けた訳じゃない!酒に負けたのだ」
990人間七七四年:2011/08/06(土) 07:15:29.92 ID:OkkQe6yM
加藤清正「なあ正則、当家にもしものことがあったら家臣達の再仕官を頼まれてくれないか?」
991人間七七四年:2011/08/06(土) 08:43:11.59 ID:EruFrLdr
そう考えると酒って怖いな
酒で失敗した偉人の多い事多い事
992人間七七四年:2011/08/06(土) 09:11:35.68 ID:r8uo7g9z
最近加藤さんと福島さんの評価がかなり拮抗してるわー
福島さんと言うと、昔は随分酒絡みでマイナスイメージだったけど
本当に酒さえ無ければ別人なんだよな・・・
993人間七七四年:2011/08/06(土) 09:51:51.29 ID:ooGi7Kk2
市松気前いいな
994人間七七四年:2011/08/06(土) 10:20:11.37 ID:+TP/cajw
関が原の後の有名な逸話の大半は、酒の入った状態が多かったんじゃないでしょうか?
995人間七七四年:2011/08/06(土) 11:44:11.89 ID:vHAMXvP6
市松は秀吉とは親戚なだけに、人たらしの血が流れてるんだろうな。
996人間七七四年:2011/08/06(土) 11:52:42.46 ID:OkkQe6yM
文治派にお灸をすえようとしたら取り返しのつかないことに・・・
自責の念があるだけ清正よりましか


殿は関が原での戦以来すっかりお心を病んでしまい、
昼夜の別無く酒を召しては家臣に斬りかかる毎日でござる。
997人間七七四年:2011/08/06(土) 13:27:41.97 ID:dDm759wn
家臣も酒さえ呑まなければ良い主君だと知ってたから
むざむざ見捨てられなかったんだろうな…
998人間七七四年:2011/08/06(土) 16:42:21.74 ID:6Dgv8Jyi
市松はなんやかやで有能だし良いやつだよな、酒さえ飲まなければ
999人間七七四年:2011/08/06(土) 18:40:42.68 ID:2ekLaLW2
>1000なら正則が禁酒に成功
1000人間七七四年:2011/08/06(土) 18:50:36.14 ID:s40AzoT1
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
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.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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