天正10年の武田攻めを語るスレ 3

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1人間七七四年
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
2人間七七四年:2011/03/29(火) 22:22:40.44 ID:P3ML0tNu
3人間七七四年:2011/03/29(火) 23:57:46.43 ID:pEFaANH7
まだやるの?
4人間七七四年:2011/03/30(水) 01:23:54.92 ID:B0nHoH7N
天正10年にはもう無理だろう。
5人間七七四年:2011/03/30(水) 08:16:17.16 ID:AGjKsruB
荒らされて終わりだったからもうちょっと見てみたいな
情勢無視で織田勢フルボッコ厨とか萎えるもんばっかだったし
初期の人たち帰ってこないべか
6人間七七四年:2011/03/30(水) 08:54:30.03 ID:KvRyi3EV
勝頼本陣での軍議は区々として纏まらなかった。

足軽大将の城織部正が進言した。
「まず二万人のうち5千人をそれがしと横田甚五郎にお預け下されなば、一番合戦を
つかまつってごいす。また五千人を小山田八左衛門と初鹿野伝右衛門にお預け下され、
二番合戦をやらせ給うべし。
残る一万余人は小山田部衛尉、真田安房守、小幡上総介に指図させ、御旗本集とひとつに
なり九死一生の戦をなされませ。平場の合戦なれば、味方一人にて上方勢十人をあしらい
申しますれば、一応は切り崩しまする。御最期の合戦をば見事になされてのち、すみやかに
御生害あって然るべしと存じてごいす」
7人間七七四年:2011/03/30(水) 08:57:21.44 ID:KvRyi3EV
誤:小山田部衛尉
正:小山田兵衛尉
8人間七七四年:2011/03/31(木) 10:39:28.15 ID:Sbw9jA04
隔てなき法をぞ頼む身は田野の
あしたの露と消え果つるとも


「湖衣姫・北条夫人」募集 武田勝頼公まつり 山梨
2011.2.26 02:11
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110226/ymn11022602110002-n1.htm

戦国武将、武田勝頼が自刃した武田家終焉(しゅうえん)の地の甲州市(旧大和村)で4月24日に開かれる「第46回甲州市ふるさと武田勝頼公まつり」
の実行委員会が、「勝頼公軍団」として武者や女武者に扮(ふん)する出演者を募集している。
甲冑(かっちゅう)姿の武者、着物に身を包んだ姫らの姿が戦国ロマンを彷彿(ほうふつ)とさせるまつりで勝頼一族の霊を慰め、遺徳をしのぶ。
9人間七七四年:2011/04/05(火) 19:00:52.52 ID:pbors8F6
滅亡の原因は長篠だろうな。長篠の総大将が滅亡に導いたな。
10人間七七四年:2011/04/05(火) 19:19:46.57 ID:NyVLDIfe
最後の決戦をIF小説化する作家はいないものか
11人間七七四年:2011/04/05(火) 20:22:00.33 ID:0KPzNlLb
いるよ
12人間七七四年:2011/04/05(火) 21:03:21.50 ID:394tFq57
>>10
「戦国武陣侠」とかいろいろ。
13人間七七四年:2011/04/05(火) 22:40:58.36 ID:NbWSP5vi
>>5
デタラメばっかり書いてきて
ことごとく論破されて涙目の織田厨哀れだったよなw
14人間七七四年:2011/04/06(水) 07:36:57.84 ID:GblM5TRo
タイトル忘れたが勝頼がちょっとだけ早死にして信勝が土壇場で武田を継ぐって小説が最近あったな
15人間七七四年:2011/04/06(水) 08:04:10.30 ID:A3MyHMRM
「大逆転!信勝が征く」じゃなかった?
16人間七七四年:2011/04/06(水) 16:35:38.45 ID:GblM5TRo
少し以前に信繁が実は生きていた!ってな話もあった気がする
17人間七七四年:2011/04/07(木) 07:21:24.98 ID:hdmkpGKg
「士は子孫のために死す」と申す。

勝頼に殉じた土屋昌恒の嫡男は家康によって取り立てられ、二万石の大名にまで出世した。

土屋昌恒の死は無駄死にではなかった。後に、土屋家は老中を輩出するなど栄えた。

天目山での土屋昌恒の最期には諸説あるが、「士は子孫のために死す」とは、まさに土屋昌恒の為にあるような言葉だ。

なお、ドラマに何十回も描かれた赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際の土屋家の判断は、どのドラマを見てもお見事としか言いようがない。

私は子供のころ、ドラマで赤穂浪士を見るたびに、てっきり土屋家は三河譜代の徳川の家臣だろうと勝手に思い込んでいた。
土屋惣蔵昌恒の子孫と知ったのは昭和末期だった(恥)
18人間七七四年:2011/04/07(木) 08:02:40.11 ID:9pliNDpM
やっぱ家風ってのはあるんだろね
19人間七七四年:2011/04/08(金) 09:56:13.28 ID:3gxvaJ3I
組織としてまとまってると2万でも織田の大群を相手に地の利を生かして戦える
戦う前に組織自体が崩壊してたように感じるね
20人間七七四年:2011/04/08(金) 14:49:39.47 ID:bGDO/RIh
調略は武田のお家芸だったのに織田にやられっぱなし
真田幸隆が死んだのが痛かったな
21人間七七四年:2011/04/08(金) 18:39:58.86 ID:fTkIVdTS
元は猪突猛進って感じじゃなかったっけ?
真田が配下になるまではそんな感じだったような
22人間七七四年:2011/04/08(金) 19:12:00.49 ID:VvgPg4X9
諏訪・高遠はうまいこと調略利用して攻略したやん。あれはまだ真田が配下になる前
23人間七七四年:2011/04/09(土) 01:11:38.85 ID:bbXGsoRm
そもそも調略は有利な勢力が行うパターンが多いから
武田が織田をやるのは無理だろうね
24人間七七四年:2011/04/09(土) 01:15:30.08 ID:5aFIU0KU
勝頼初期の明智城とかは?
25人間七七四年:2011/04/09(土) 01:23:18.43 ID:bbXGsoRm
>>24
明智城は勝頼が囲んで織田の救援が遅かったから降伏したんじゃね?
26人間七七四年:2011/04/09(土) 01:37:42.81 ID:sAHyZ3dB
信長が家康に高遠城の対応に関しての手紙を読んだ事あるけど
降伏を受け入れない提案をしてその場合武田家がどうなるかという
内容を記していたがこれが先を完全に読み切っているのに驚いた。
史実はその通りになってる。こういう相手と戦わなければならなかった
勝頼は気の毒だ。
27人間七七四年:2011/04/10(日) 17:22:48.87 ID:I0E4rtlB
一生懸命、信濃と駿河取ったのに、戦わずに失うなんて信玄カワイソス。
28人間七七四年:2011/04/11(月) 13:53:43.82 ID:sBw2f6wb
飯羽間右衛門が勝頼に内応して城内で謀反を起こしたため、明智城は勝頼の手中に落ちた。
29人間七七四年:2011/04/11(月) 14:34:11.28 ID:HS/aAeH+
調略は有利な勢力が行う例と、一地域・城を追い詰めて内部崩壊したとこを調略する例、
調略される側が、宗家争い家督争いとか内部に問題が生じてる時に行う例が多いな。
30人間七七四年:2011/04/13(水) 14:01:52.84 ID:myu05vCG
武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像 (岩波新書) [新書]
鴨川 達夫 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4004310652

この本を読めば、現存する史料 (戦国大名が発給した文書はその最たるもの) で判
断する限り、武田家も、他の大名家も、武田家の家督は信玄から勝頼に継承され
た、という以外の認識はしていない、という「当たり前のこと」が分かります。

ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1459809284
31人間七七四年:2011/04/14(木) 09:55:58.92 ID:bLIbSto9
人間崩れが起きたのは朝倉と勝頼ぐらいかな
朝倉も信長にやられてるw
朝倉の裏切りは毎年の戦で疲弊して不満が高まって内部崩壊
勝頼と似てる
32人間七七四年:2011/04/14(木) 15:04:07.93 ID:gs43Ulx0
裏崩れ
33人間七七四年:2011/04/14(木) 17:15:06.97 ID:cxEPepBj
織田家も信長と信忠死んだら部下がやりたい放題だしなぁ
武士=忠義みたいなイメージを持ちすぎじゃね?
まだ戦国時代なんだから
34人間七七四年:2011/04/14(木) 17:49:02.43 ID:INOULJNg
合戦負けてからも徹底抗戦だと離反が相次いじゃうよね
大友とかもそんな感じだが秀吉間に合っちゃった

信長は降伏できない感たっぷりだから起きやすいんだろう
35人間七七四年:2011/04/15(金) 00:16:19.70 ID:snCw11Ya
>>31
柴田勝家
蘆名義広
36人間七七四年:2011/04/15(金) 20:53:44.40 ID:uidLIzIQ
朝倉は一国の大名だが、武田は四ヶ国。
義景は寺で切腹できたが、勝頼は山中で飢えと疲労で討ち死に。
武田滅亡の方が派手だな。
37人間七七四年:2011/04/15(金) 21:12:35.25 ID:ogAOrEZS
>>30
勝頼は確かに陣代じゃない。

しかし、『甲陽軍鑑』をもとにした多くの小説、ドラマ、映画の影響により、「勝頼は陣代だった」ということを信じ切っている人たちが今でも大半だと思う。

極めつけは映画『影武者』。勝頼が陣代だったという設定により、面白い映画となった。

ちなみに映画『影武者』で信玄の影武者が「動くな!」というシーンが名場面となり、年末の民放各局の番組で何度も流されていた(懐かしいなぁ・・・)。
38人間七七四年:2011/04/16(土) 19:12:32.48 ID:0gg8VM0r
>「勝頼は嫡男信勝が当主なるまでの代理」というのは、
>甲陽軍艦にそのように記載されていること「のみ」を根拠にしています。
>甲陽軍艦は、歴史家が信頼できる史料と認めるものではないので、
>歴史家の立場からは「勝頼は信勝の陣代説」なるものは『存在しない』ことになります。

ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1459809284
39人間七七四年:2011/04/17(日) 01:53:09.22 ID:2dn054k+
強すぎる大将

「例式四郎、左馬助信豊聊爾故、無紋に城へ責め登り候、まことに恐怖候の処、不思議に乗り崩し候」

〜〜〜四郎勝頼は左馬介信豊と先頭に立って城へ攻めかけ、北条新三郎、清水、笠原、
狩野介などを悉く討ち取ったが、味方には一人の死傷者もなかった。
四郎勝頼は、攻撃の総大将であるにも拘らず、軍勢の先頭に立って攻め込んだのは、
無謀であり思慮なき行動である。恐れを知らぬということは幸いなものだ、
思いがけなく勝利を得ているのだから〜〜〜信玄
40人間七七四年:2011/04/19(火) 20:56:40.41 ID:ydFNuNmR
41人間七七四年:2011/04/23(土) 01:16:18.77 ID:ryPSoubk
保科正之を養育した穴山信君の正室が大河ドラマ江に出るかも?
42人間七七四年:2011/04/30(土) 03:22:13.58 ID:pTzxUrzJ
国力

駿河>信濃>甲斐

甲斐にこだわったのが失敗
43人間七七四年:2011/04/30(土) 05:24:48.12 ID:dUs0NIor
こだわったというか武田家は甲斐守護だし
44人間七七四年:2011/04/30(土) 06:22:22.32 ID:l+9f9hVG
>>42
石高で言えば、信濃40万石・甲斐25万石・駿河15万石(・上野50万石)だけどな
金山や海運があるから一律には比べられんけど
45人間七七四年:2011/04/30(土) 12:20:51.34 ID:c7YiqVTm
何気に勝頼時代が最大版図なんだよな
勝頼は必要以上に貶められすぎ
まぁ長篠以降の精細の無さは異常だけど
46人間七七四年:2011/04/30(土) 13:19:40.21 ID:fLq5qIEA
>>45
でもそれが維持出来ないとあんまり意味ないような気も。。。。
武将としては一流だったのだからお兄ちゃんが生きてれば自分の器内で
さぞかし活躍が出来たろうに。
勝頼は外交センスの無さと戦略の拙さが大名としては致命的欠陥。
47人間七七四年:2011/04/30(土) 14:33:43.63 ID:c7YiqVTm
>>46
信繁のように称えられたかもね
勝頼本人は義信と対立してたわけでも無さそうだし
48人間七七四年:2011/04/30(土) 22:22:03.33 ID:pTzxUrzJ
2011年04月25日(月)
献花や舞奉納し武田勝頼を供養
甲州・景徳院で「慰霊法要」
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2011/04/25/10.html

 武田勝頼の菩提(ぼだい)寺「景徳院」(甲州市大和町田野)で24日、
勝頼と武田家臣を供養する「慰霊法要」が行われた。

 同寺には勝頼と家臣の墓があり、法要は例年、大和地区の一大イベント「武田勝頼公まつり」に合わせて実施してきた。
今年は東日本大震災を受けて祭りは中止して、法要だけとした。

 檀家だんからが参加して勝頼の墓に献花。この後、地元・大和中の女子生徒ら10人が「巫女の舞」を奉納した。
同寺の平山金吾総代長は「祭りは中止になったが、法要は例年通り実施できて良かった。地域の伝統は絶やさないようにしたい」と話していた。
49人間七七四年:2011/04/30(土) 23:57:02.79 ID:ZuEZKD5m
地元民は勝頼公裏切っておきながらw
50人間七七四年:2011/05/04(水) 06:19:48.83 ID:BcY4FB00
新府城の留守を預かる北条夫人が、韮崎の武田八幡に詣で、必死の祈りを込めて、
願文を納めたのは二月十九日のことである。

うやまって申し。
祈願のこと。
南無帰命頂礼八幡大菩薩、
この国の本主として武田の太郎と号せしより此かた、代々護り給ふ、
ここに不慮の逆臣出きたって国家を悩ます。
よって、勝頼運を天道にまかせ、命を軽んして敵陣にむかう。
しかりといへども、士卒利を得ざる間、その心まちまちたり。
なんぞ木曽義昌若干の神慮をむなしくし、
身の父母を捨てて、奇兵を起こす。これ自らの母を害するなり。
なかんずく勝頼累代重恩の輩、逆臣と心を一つにしてまちまちに覆さんとする。
万民の悩乱、仏法の妨げならずや。
そもそも、勝頼いかでか悪心ならんや。
思いの焔天にあがり、瞋恚なお深からん。
われもここにして相共に悲しむ。
涙らんかんたり。
神慮天命まことあらば、五逆十逆たるたぐい、諸天かりそめにも加護あらじ。
この時に至って神心。私なく渇仰胆に銘ず。かなしきかな。
神慮まことあらば、運命この時にいたるとも、
願わくば霊神力をあわせて、
勝つ事を勝頼一しに告げしめたまい、
仇を四方に退けん。
兵乱却って命を開き、寿命重遠子孫繁昌の事。
右の大願成就ならば、勝頼、われと共に社檀みがきたて回廊建立の事。
敬って申し。

天正十年二月十九日
みなもと勝頼うち
51人間七七四年:2011/05/04(水) 07:06:33.71 ID:KNqdciPk
北条夫人だけでも離縁して逃がしてやるべきだったな
そうすれば勝頼も上杉領まで逃げ切れたかも知れないのに
52人間七七四年:2011/05/04(水) 10:58:25.30 ID:6Dqo6EP4
滅亡は長篠での敗戦より家臣の寝返りが直接の原因か
53人間七七四年:2011/05/07(土) 21:22:18.27 ID:ZVBQpBqx
武田勝頼-貞姫-宮原晴克-宮原義辰-宮原義真
54人間七七四年:2011/05/09(月) 12:49:30.40 ID:26Q+5Rs2
謙信が生きている内に同盟して徳川だけでも叩いておくべきだったな
55人間七七四年:2011/05/10(火) 23:25:12.79 ID:ATQMmuLL
>>54
それは無理、家康は謙信と同盟済み。信長のように国境を接していないので極めて良好な間柄
勝頼がつけ込む隙がない。
56人間七七四年:2011/05/11(水) 22:12:35.33 ID:LZINwqWT
>>55
甲越相三国で和睦が出来れば多少は違った展開になるかもなんだがなあ。
天正四年に足利義昭が例によって勝頼・氏政・謙信の三者の和睦を画策しているんだけど、
(このころすでに謙信は本願寺と和睦し、信長と手切れしている)
「勝頼との和睦は上意に応じる用意があるが、氏政をそれに加えるのはたとえ自分が滅亡しようが
将軍家から勘当されようが断固拒否」というのが謙信側のスタンスで、結局実現しなかった。
ただ、少なくとも勝頼とは和睦の余地があると謙信は考えていたみたい。
57人間七七四年:2011/05/11(水) 23:18:22.49 ID:ebx+qIWQ
そりゃあ対織田という利害は一致してるからな。
ただ甲越同盟が果たされかどうかはまた別の話し。
58人間七七四年:2011/05/12(木) 00:17:09.28 ID:LLvga0on
後出しで考えれば対織田自体貧乏くじな分けで
上杉からみれば織田と組んだまま武田本願寺攻めるほうが良かったわけだよな
59人間七七四年:2011/05/12(木) 00:49:48.02 ID:kfR5vJD0
>>58
北陸で所領接してきてるから無理じゃねえの?
南進がちっとも成果上がらない状況では、織田と先端を開くのは大義名分的にも実利的にも良かったかと
60ninja:2011/05/12(木) 07:30:57.98 ID:Rzq8R1ni
あれま、実は武田義信は生きていた。

武田信玄はこうなることを予期して義信を死んだことにしておいた。
正統な武田の棟梁。武田家は見事にまとまりました。
61人間七七四年:2011/05/12(木) 08:05:01.17 ID:vVWwW0Eh
それじゃあ家臣に示しがつかないでしょ…
IFとしては面白いかもしれんけどありえないわ
62人間七七四年:2011/05/12(木) 15:08:25.82 ID:BODvsuKv
勝頼期を描いた映画

「影武者」説明不要に近い名作
ただし、勝頼陣代説。


勝頼期も描いたドラマ

「おんな風林火山」 http://www.youtube.com/watch?v=_gr2U6s8Vdo

ただし、ドラマの基本コンセプトは恋愛&低視聴率

☆長篠の戦いや高遠城攻防戦や天目山あり(確か)

☆武田家滅亡後の本能寺の変あり(松姫と織田信忠絡みで)

☆武田の人質となる織田勝長(織田信房)が登場する珍しいドラマ

☆長篠の戦い直後に躑躅ヶ崎館で武田家の女性たちが「織田は卑怯にも鉄砲を使い」とか言っていたのが妙に面白かった
63人間七七四年:2011/05/12(木) 18:49:23.96 ID:vBlE5v7O
武田頼政が救うお
64人間七七四年:2011/05/13(金) 12:02:56.86 ID:xsLwwzt1
【鈴木保奈美】おんな風林火山【石立鉄男】
http://logsoku.com/thread/namidame.2ch.net/nhkdrama/1170333860/

21 : 日曜8時の名無しさん : 2007/02/04(日) 17:33:15.47 ID:chexJ/te [1回発言]
岡田が穴山夫人で比企理恵が木曾夫人だろ
穴山が武田を裏切った時の岡田の演技は神だと思った

26 : 日曜8時の名無しさん : 2007/02/05(月) 11:51:20.05 ID:vv1tpMob [1回発言]
歴史好きの友人が凄い凄いと見ることを勧めていたがなかなか機会がなかった。
見られるものなら見たいな。

長篠設楽原の戦で、鉄砲構えてる織田の竹矢来をよじ登って腹に銃口当てられて
撃ちまくられてるだ武田軍とか、よれよれになって裏の土間から帰ってくる
美木良介の勝頼とか、会いたいといって女の足で出かけていって「あそこが
信忠様の本陣でございます」とあっさり副将の本陣の裏を突いてしまう豪脚の
ヒロインとか、たしかに想像を超える場面の連続でのけぞった覚えが。

40 : 日曜8時の名無しさん : : 2007/02/10(土) 00:15:33.47 ID:VEvTrteX [1回発言]
本能寺の変で信忠が死ぬシーンが描かれてるのってこれぐらいじゃないの。
たいていの作品では信忠はスルーされてるし。

115 : 日曜8時の名無しさん : : 2007/04/13(金) 23:11:43.44 ID:a2sqTeas [1回発言]
そうそう穴山信君の裏切りのシーンもちゃんと出ていた。

116 : 日曜8時の名無しさん : : 2007/04/13(金) 23:46:23.81 ID:ckuj6ULk [1回発言]
本能寺後、穴山信君が土民に襲われて殺されるシーンもあったよね。
65人間七七四年:2011/05/14(土) 15:39:08.23 ID:S+f0WJsb
信長は二月末から三月初旬にかけ、信忠と連名の書状を武田の重臣たちに送り、
内応すれば過大な恩賞を与えると調略を行っていた。

武田の諸将は信長の甘言を信じ込み、勝頼に背いて滅亡させたが、
自らも後を追うこととなった。
66人間七七四年:2011/05/14(土) 18:38:36.79 ID:S+f0WJsb
67人間七七四年:2011/05/14(土) 19:48:36.00 ID:DLwR+NQn
仁科盛信が信忠からの使いの僧を惨殺したってマジか?
へうげでやってたけど
68人間七七四年:2011/05/14(土) 19:50:42.48 ID:S+f0WJsb
惨殺じゃなくて鼻を削いで信忠の陣に帰した
69人間七七四年:2011/05/14(土) 22:10:06.82 ID:iTM8cqwR
鼻無し坊主はいつまで生きたの?
70人間七七四年:2011/05/14(土) 22:18:58.30 ID:S+f0WJsb
私が「おんな風林火山」を見たのは平成3年(1991年)頃の夕方の再放送(生放送のときは見ていない)、当時はビデオデッキの時代。
「武田家滅亡を描く『貴重なドラマ』」になるとは予想だにせず録画しなかった。。。
もうCSでしか見れないそうなので、是非ともリメイクして欲しい。

「歴女(笑)」が好む武将に武田勝頼が含まれているので、それなりの視聴率は取れると思うのだが。
71人間七七四年:2011/05/14(土) 22:53:59.50 ID:S+f0WJsb
ごめん、鼻じゃなくて耳だった。
新田次郎さんの小説「武田勝頼」でも耳だった記憶あり。

「信忠は盛信に降伏を勧告したが、盛信は勧告を拒否。降伏の使いに来た僧侶の耳をそぎ落として追い払ったとされる。」


これが史料に残っているのか?逸話なのか?は知らんけど。
72人間七七四年:2011/05/15(日) 01:03:28.07 ID:t8GtgxYC
>65
実際真っ先に裏切った輩は最低限の厚遇は受けてると思うけど…
73人間七七四年:2011/05/15(日) 08:32:49.84 ID:PmYw21Gd
木曽とか穴山とかはね。

日和見して動かなかった連中は、動かなくていいと言われてたのに滅ぼされてるよね
74人間七七四年:2011/05/15(日) 11:38:04.88 ID:1SAnCPwN
そりゃどっち付かずよりはっきりと裏切りの意思を示す方が信長の心象は良いに決まってる
75人間七七四年:2011/05/15(日) 16:14:30.92 ID:Pkm/6P3A
穴山の死は因果応報としか言いようがないな
76人間七七四年:2011/05/15(日) 17:33:03.21 ID:AMF7cqA6
穴山氏は嫡男早逝でお家断絶
木曾は1600年に改易
77人間七七四年:2011/05/16(月) 00:22:03.85 ID:xgEIW5de
>>76
ただ、それは徳川の陰謀とか見方とは関係ないような・・・
わずかに梅雪には謀殺説もあるが。
78人間七七四年:2011/05/16(月) 09:58:25.75 ID:ZDej0qyn
>>76
木曾も断絶だと武田って真田ぐらいしかいないの?
79人間七七四年:2011/05/16(月) 10:32:18.72 ID:uWDJzLGE
>>78
武田旧臣って意味なら、土屋・向井・依田らがいる
旗本でいいなら信玄血筋で竜芳系や盛信系、上杉の信清系とか
80人間七七四年:2011/05/16(月) 15:04:45.20 ID:zEpqxiYX
>>76
穴山も木曽もざまあだなw


天目山で勝頼に殉じた土屋昌恒の嫡男は大名に出世

高遠城で散った仁科盛信の嫡男は徳川の旗本となる
81人間七七四年:2011/05/16(月) 17:10:44.87 ID:958HJvEv
>>76
木曽は信長に降ってその後豊臣期に転封だっけ?
木曽を離れるとか悲惨すぎるな
82人間七七四年:2011/05/16(月) 17:37:09.92 ID:i+856xkw
>>79
まあ、依田もとっとと改易されているけどね。改易された時期は木曾と
同じぐらいだし。

>>81
木曾は与力大名ですらなく家康の臣下で、家康の転封に伴う転封だからねい。
まあ、しょうがない。
83人間七七四年:2011/05/16(月) 18:27:11.38 ID:1/Il1nU/
>>74
小山田は判断遅らせたせいで信長の心証を悪くしたよね
84人間七七四年:2011/05/16(月) 19:00:31.46 ID:958HJvEv
武田の旧臣で武田滅亡後に処刑された奴は
「こんなことなら新府城で戦えば良かった」って思っただろうね
85人間七七四年:2011/05/16(月) 19:43:25.53 ID:dB9EFBT2
355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 22:36:17.70 ID:6ng6Ybi2
天正十年
織田の甲州征伐によって武田家は滅亡寸前に追い込まれていた。
窮地に陥った武田勝頼に真田昌幸が申して曰く
「私の所持している上州我妻の岩櫃城へ一旦お移りください。まず安心でありましょう。
 そのわけは内藤修理亮は同国箕輪に居住し、武田左馬之介信豊は信州小諸に在城しています。 
 それ故是より路次の便りよく、我妻の城地は要害が勝れてよく、軍兵三千は籠ることができます。
 弾丸硝石をしっかりと用意し、兵糧を多く蓄えたなば、どれほどの大軍が攻めようとも
 昌幸が沼田に在城し、信州戸石には両人の小倅を以て守らせ、私の謀によって御籠城されれば、
中々落ちる城ではございません。
 二三年のうちに敵方の変化を見計らった上で交付に御旗を入れられるのがよろしいでしょう。
 まず一度御城を明け渡し、私の謀に従って岩櫃に御籠城なされるように。」

この意見に修理と左馬之介も同意したため勝頼は岩櫃入りを決断し
昌幸と修理に各々の城へと戻って籠城の準備を始めるよう命じた。
すでに各地でる落人狩りが始まり、道中の糧秣の確保にも苦労する有様であったが
昌幸は妻や一族を引き連れて岩櫃を目指した。
途中信州小諸で昌幸を迎えるべく甲州を目指していた湯本・鎌原・横谷・西久保・和田・恩田・金子といった
沼田の侍たち出会うことができ
昌幸は岩櫃城へと入って籠城の手配を始めた。

が、そこに勝頼父子が岩櫃ではなく岩殿城へと向かった末に裏切られ
天目山で死したという知らせが入り、昌幸は歯噛みして残念がった。


86人間七七四年:2011/05/16(月) 22:25:06.05 ID:FATqdjp9
木曽は信長に下らなきゃそもそも勝頼より早く滅んだだろうから
裏切りが間違っていたわけじゃないだろう

まあ裏切るならもっと早くして秋山を挟撃とかしたら
もっと待遇良かっただろうけど
87人間七七四年:2011/05/16(月) 23:03:37.77 ID:i+856xkw
>>86
木曾はどんなに多く見積もってもせいぜい1万石以下の所領の安堵に
過ぎないからなぁ。もし武田が続くのなら、同じ所領でも親族衆
扱いされるのでずっとマシということも言えただろうに…
88人間七七四年:2011/05/17(火) 01:34:19.49 ID:ebo/aZ4N
表裏比興の真田を頼るとかないわ。
89人間七七四年:2011/05/17(火) 01:40:54.06 ID:HJYKvvCw
武田が滅亡したからああなったんだよ
90人間七七四年:2011/05/17(火) 02:59:24.83 ID:ljKTZZWF
木曽は千葉県旭市に飛ばされたから馬鹿
91人間七七四年:2011/05/17(火) 07:06:40.74 ID:+hWLmQCu
木曽や穴山の末路は哀れだが、本能寺で信長が死ぬのは予想不能だろ
92人間七七四年:2011/05/17(火) 09:50:10.89 ID:b7kIdgvP
木曾はそもそも外様みたいなもんだし
93人間七七四年:2011/05/17(火) 12:33:41.49 ID:p1KLLLtr
>>80
高遠で散った方の小山田系も、真田の家老だしな。
94人間七七四年:2011/05/17(火) 13:42:13.68 ID:LCSIbL6s
>>92
木曾も真田もド付きの外様だけど、木曾は親族衆でもある。
真田より格上。ただ、幸隆、昌幸が上野攻略で勢力伸ばしていた
真田と違って、織田と直接やりあうハメになる木曾谷じゃ
勢力伸ばしようがなかったから、所領は真田より狭いけどね。
95人間七七四年:2011/05/17(火) 21:13:05.98 ID:VXBoFM4q
>>87
穴山はわからんが、木曽は武田に味方した状態では生き残れないから
真っ先に潰されるよりはいい選択をしたはず
96人間七七四年:2011/05/18(水) 01:55:00.36 ID:yarQ6VkX
木曽義昌は本能寺のドサクサで信濃を統一しようとしてたらしいからな。
97人間七七四年:2011/05/18(水) 08:16:29.20 ID:ILq45rNo
身の程知らずだなw
98人間七七四年:2011/05/18(水) 09:23:42.06 ID:69cZ8Ift
小笠原「木曽が松本平で大きな顔するとか許されざるよ」

まあ武田攻めにおける木曽の功績が大きかったのはわかるが流石に
過分だったし本能寺後にこうなるのは止む無し
99人間七七四年:2011/05/18(水) 20:43:39.51 ID:nfybr3gA
>>96
滝川一益と森長可から手に入れた信州の豪族の人質を利用しようとしていたんだよな。
なんかせこいなあ
100人間七七四年:2011/05/18(水) 22:15:19.07 ID:mpfO5pxZ
木曾義仲でも夢見てたのかねw
身の程知らずもいいところだが。
101人間七七四年:2011/05/18(水) 23:02:35.44 ID:0nrtdVPb
木曽氏の没落

 天正十八年(1590)の小田原の陣後、家康は関八州に所替えとなったが、この折、家康傘下の義昌は家康の命のもとに、
豊かな山林資源を抱える父祖以来の木曽谷から下総国海上郡阿知戸一万石に移封をみた。
この転封によって、多くの譜代の家臣を流浪させるほどに経済的にも逼迫した義昌は、文禄四年(1595)阿知戸城で不遇な晩年を終えたと伝えられる。

 父義昌とともに阿知戸に移住した長子の義利は、叔父の上松義豊との間に不和を生じて、これを殺害するなど粗暴な振る舞いが多く、
ために義昌死没後まもなくの慶長五年(1600)頃に、家康は義利を追放して阿知戸を直轄地にした。
木曽氏の改易は義利の暴虐もあっただろうが、江戸に近い下総に外様大名が存在することを嫌った徳川氏の政策の結果とも考えられる。

 義利の改易後、義利の母真竜院(信玄の娘)は末子の義通を伴って木曽に帰り黒沢に陰棲した。以後、木曽氏の消息を史料上から知ることはできない。
ここに至って、木曽谷を根拠地に戦国大名として覇を唱えた木曽氏は歴史の表舞台から脱落し、歴史の陰に埋没してしまったのである。

ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kiso_k.html
102人間七七四年:2011/05/18(水) 23:32:26.98 ID:/Gy7S62n
>>99
で、結果は森長可に城に乱入されて嫡男を人質に取られてしまっただけという。
103人間七七四年:2011/05/19(木) 00:48:51.48 ID:i3vVW4Dg
>>102
ただ、このときには長可も信州の豪族の人質を木曾義昌に引き渡しているので(一益も
同様に木曾領を通過している)、義昌が実際に長可暗殺を謀ったかどうかは別としても、
そう悪い取引でもないんだよな。
実際義昌はこの人質を手札にして勢力拡大を目論むわけだし・・・・。
104人間七七四年:2011/05/19(木) 02:11:23.84 ID:QEA6f2kl
>>80

仁科家は江戸時代を平穏に過ごし、大正4年(1915年)に正四位を贈られた。
105人間七七四年:2011/05/19(木) 11:09:25.94 ID:5cSYEmx4
人質抱えながら松本(あ、当時は深志か) からあっさり逃げ出した木曾は
あららなのは確かだけど、あの状況で松本に返り咲いた小笠原の威光が
すごかったというべきかもしれない。

しっかし、wikipediaに長野では名君とされているとあるけど、どこを
どう評価すれば名君になるんだか…
106人間七七四年:2011/05/20(金) 18:29:33.60 ID:XmqJ8s7c
人質の意味のなさなんて、自分の行いでよくわかってるからだろ
107人間七七四年:2011/05/20(金) 22:52:34.59 ID:MIBMcwGD
武田を裏切った奴輩の末路などこんなもん。
108人間七七四年:2011/05/21(土) 00:08:19.50 ID:wE0IITz3
安芸武田を裏切った熊谷もわやになった
>>107の言う通りなのかもしれないな
109人間七七四年:2011/05/21(土) 01:15:39.48 ID:nJKmem2P
とりあえず武田滅亡まで離反しなかった諏訪や真田は明治まで大名として残ったわな
110人間七七四年:2011/05/21(土) 04:18:27.58 ID:/XPGlbDh
>>109
でも、正直、偶然だと思うが?
穴山の横死や断絶も木曽のお家騒動も裏切りとはなんの関係もない。
因果応報ということにしたい気持ちはわかるけど。
あと真田はともかく諏訪はちょっと違うぞ。
そもそも諏訪は完全に武田の統制化なので裏切りようがないし、
最初は武田が諏訪頼重を騙まし討ちにして甲斐で腹を切らせたのに武田への忠誠もクソもない。
111人間七七四年:2011/05/21(土) 04:20:59.67 ID:/XPGlbDh
ていうか、諏訪家は神様の血を引く武田家以上の名門だし、
>>107式の理屈が正当なら
武田信玄が諏訪家を裏切ったから武田家が滅んだんだろう。
112人間七七四年:2011/05/21(土) 05:05:24.93 ID:SKxNGkwG
元の繋がりもあるにしろ最初に裏切った奥平は厚遇だし
やっぱり裏切りはタイミングだな
113人間七七四年:2011/05/21(土) 05:18:17.10 ID:/AvFpYFb
奥平は家康娘を貰うのが裏切りの条件だったし、長篠城籠城の戦功もあるしな
114人間七七四年:2011/05/21(土) 09:10:11.35 ID:p4Ul7yek
武田滅亡時の色々な話を読むと案外数十年前の恨みを持ち続けてるのな
諏訪も重臣が旧領回復を進言してたし
115人間七七四年:2011/05/21(土) 18:08:01.21 ID:YlTDRMTW
だって会津とか南部とか未だに恨み言言ってるぞ
116人間七七四年:2011/05/21(土) 19:09:28.28 ID:A/yrtgCE
それって大阪VS東京みたいなネタ話じゃないの?
本当に会津と長州って未だに争ってるんだろうか
117人間七七四年:2011/05/22(日) 03:22:13.58 ID:NHiSulvM
御親類衆や武田の旧臣で、勝頼に協力せず家に引き込んでいた者の多くは、出てくれば恩賞を
与えるという織田信忠の廻状を信じて姿を現わし、首を刎ねられた。
記録に残っている大物だけで四十名ほどである。実際はその十倍か二十倍はあったであろう。
118人間七七四年:2011/05/22(日) 05:53:41.44 ID:NHiSulvM
某金権政治家(故人)の先祖

金丸昌義 (?〜1582) 武田家準一門。金丸家嫡流。勝頼に従い天目山に討死
119人間七七四年:2011/05/22(日) 16:45:17.04 ID:TCLaOD2v
>>118
先祖も草葉の陰で泣いてるだろうな
120人間七七四年:2011/05/22(日) 18:00:38.07 ID:hOVXxkNC
それはどうかな?
一時期天下を牛耳ったんだよ
121人間七七四年:2011/05/22(日) 23:54:40.43 ID:NHiSulvM
確かに金丸政局とまで言われた時代がありました
122人間七七四年:2011/05/23(月) 12:15:07.77 ID:MSXJkJlR
ところで、真田はどうして生き残れたの?
裏で信長と通じていたという話を聞いたこともあるけど
123人間七七四年:2011/05/23(月) 12:18:07.11 ID:pFScrH/I
勝頼が小山田に裏切られて死んでるから分からないけど
もし岩殿で徹底抗戦してたら真田はあっさり織田に降伏して岩殿に兵出してただろうね
124人間七七四年:2011/05/23(月) 19:53:36.67 ID:BE1EEnT7
岩殿城って大月辺りの山城だよね
たしか見た感じ前面に一枚岩が聳え立ち、あんがい難攻不落っぽいが…
織田軍を撃退するのは無理だよな
125人間七七四年:2011/05/23(月) 20:14:09.97 ID:OaLuvzG9
>>124
まぁその内裏切り者が出て落城するだろうけどね
126人間七七四年:2011/05/24(火) 00:02:43.68 ID:D30Ff+9D
小宮山友晴は勝頼より日付的に前に戦死してるようなんですが、なぜなんですか?
天目山の戦いってのは3月11日だけではないのかな
127人間七七四年:2011/05/24(火) 23:08:28.08 ID:3fwUNM9f
>>124
真田が迎え入れを考えていた岩櫃城も、さらに半端ない。
どうやっても大軍を送り込めない地形だし、岩殿城よりやっかいかと思った。

>>126
1日だけかと。wiki編集者の間違いでは。2日前は小山田の裏切りに遭った日のはず。
128人間七七四年:2011/05/24(火) 23:16:57.09 ID:3fwUNM9f
勘違い、もしくは天正と西暦がごっちゃになって、月と日が混ざって書いたのかも。
129人間七七四年:2011/05/25(水) 02:07:31.59 ID:h2f5vQyY
981 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/11(木) 07:32:54 ID:QFTCJ2hK
天正10年甲州崩れの際、次々と離反する武田家臣達
武田家墳墓の地、天目山へと落ち延びる勝頼一向。
そこに一騎の武者が追いかける。
名は小宮山友晴 かって勝頼の近習や一門を非難した事によって
謹慎処分を受けていたものである。
しかし武田家滅亡を聞き、最期のご奉公と勝頼一行に駆けつける。
友晴着到を受けた勝頼は涙を浮かべ、労を労ったという。
人間の興亡には、勇もあり、怯もあり、美もあり、醜もある。
130人間七七四年:2011/05/25(水) 02:26:52.69 ID:h2f5vQyY
3月9日は小山田信茂が人質を奪った日。

Wikipediaの記載ミスでは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E7%94%B0%E4%BF%A1%E8%8C%82
小宮山 友晴(こみやま ともはる、生年不詳 - 天正10年3月9日(1582年4月11日))
131人間七七四年:2011/05/25(水) 02:40:10.84 ID:ZJ1xku1n
小宮山氏は埼玉の行田に逃れて小宮氏を名乗ったとのことだけど、
これまた武田遺臣が大量にいる八王子にも小宮なんて地名があるし
小宮神社なんてものすらあるので、八王子にも来ているのかなぁと
思ったんだけど、八王子の小宮ってもっと由緒古くて、平安時代まで
遡れるんだな。
ttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/suza43/rekishi.htm
132人間七七四年:2011/05/25(水) 19:26:16.63 ID:kaeQwQGo
>>127・128・130
ありがとうございました
そうですかやはり誤記ですよね

生年不詳だけど小宮山友晴の年齢は50歳位なのかな

ところで、勝頼一行滅亡の顛末(従者の人数や討死した武者の名前、勝頼自身が自決あるいは乱戦中に斬殺されたとか説が色々)を記した文献ってのは
●武田三代軍記
●甲陽軍鑑
●理慶尼記
●甲乱記
●惣見記
●信長公記
●勝沼古事記
など様々あるようなんですが、どれが一番信頼性は高いと言えるのでしょうか?
133人間七七四年:2011/05/25(水) 22:50:39.24 ID:SCBm9VBA
単に史料としての価値だけで判断したら、信長公記が一般的には該当かと。
最期については、勇戦したは美化含みにしろ、勝頼が具足櫃に座って動けなかったは無いと思う。
大善寺と駒飼、田野の距離、勝頼の年齢やらを考えて。
小山田寝返りは僅か1日ほど前で、最低その時点までは勝頼自身の食料まで滞ったとは考えづらいし。
数日前まで滞在した大善寺を、手ぶらで送り出されたとも思えないのもある。
その時点で困窮していたら、女人を何人も連れて行かないだろう。
侍女ですら田野まで着いて行ってる以上、食料が優先され、30代の勝頼が「動けなかった」は……
134人間七七四年:2011/05/25(水) 23:56:34.53 ID:U2AYH1b3
>>133
飢えじゃなくて、絶望で憔悴して動けなかった(動かなかった)ってのはあるかもよ
家臣らはまだ忠義心という心の支えがあるが、勝頼に何が残っているのか
135人間七七四年:2011/05/26(木) 00:17:24.95 ID:NI0/J0Pd
>>133
丁寧でわかりやすい長文ありがとうございます

飢えと疲れで動けず…云々は「三河後風土記」が元らしいですね
確かに、遡って1週間ずっと山中を彷徨してた訳ではなく、大善寺やら駒飼らで逡巡してたのですからそこまで疲労困憊してるとは考えづらいですね
あるとしたら家臣の離反や人心崩壊を目の当たりにみて諸行無常の諦念を抱き茫然自失となっていたとかかな

あと、武田家重宝の御旗楯無は塩山市の雲峰寺と菅田天神にあるということなんですが、天目山の戦い直前に信勝が元服の儀を御旗楯無の前で挙げたとする伝承が本当ならば、どうやってその四面楚歌の状況から略奪されずに済んだのでしょうか?

くだらん質問ばかりですみませぬ
136人間七七四年:2011/05/26(木) 00:35:30.59 ID:+vnePTF+
>>135
楯無については、wikiに結構、詳しく書いてあるから、参考にして良いと思う。
正直言って、はっきりしないというのが結論かと。
「小桜韋威鎧」は、1つではないのもあり……
137人間七七四年:2011/05/26(木) 00:46:23.33 ID:NI0/J0Pd
>>136
いま確認しました
ありがとうございます
138人間七七四年:2011/05/26(木) 01:12:43.43 ID:+vnePTF+
一般的に言われてる話だと、楯無は、田野で儀式→その後、家臣が向岳寺に運び埋める→掘り出されて菅田天神に……かなぁ。
儀礼用があって、儀式にはそちらを使ったとも考えられるけど……聞いたことはないね。
139人間七七四年:2011/05/27(金) 06:41:44.96 ID:UEGH3XVI
>>133-135
小山田に追い返されたときにドサクサに紛れて逃げた奴が
食料をくくりつけた馬を使って逃げたらしいよ。

まあ、滞在した寺で少しは飯は食わせてはもらっただろうけど、
あんまり満足できるものでもないと思うよ。
あと、あんまり季節も天候も良くない中、山の中、歩いてれば
疲労して当然だと思うが。精神的なものもあったろうけど。
前スレにもあったが、山梨の山中で遭難した人物が五月にもかかわらず凍死した零もあるそうだし。
140人間七七四年:2011/05/27(金) 09:18:38.31 ID:nWPbs7lN
今、長野の山奥にいるが5月でも冷えるよ
GWに来たときは雪積もってたし
141人間七七四年:2011/05/27(金) 12:04:15.29 ID:njkDggR7
十代の箱入り姫が同行できてるんだから、そういう面だけで勝頼が疲労困憊は無理あるって。
大善寺、駒飼は屋内滞在だし、山中にいたのなんて最期のわずかな時間に過ぎない。
142人間七七四年:2011/05/27(金) 12:14:24.10 ID:njkDggR7
あと、長野と比べても仕方ないでしょ。
イメージ的には甲信で同じだけど、むしろ西東京に近いもの。
143人間七七四年:2011/05/27(金) 13:06:18.64 ID:njkDggR7
勝頼が最期の前、屋外にいたのは、丸一日にも満たない。
駒飼に数日滞在、小山田裏切り発覚の翌日に出発、その翌日朝には田野で滅亡なので。
駒飼から3km程度なうえ、田野は山中というよりまだ山麓という地で、道もあったのだから行程としては緩い。
食料にしろ前記の通り、裏切りから丸1日程度の余命。発覚後に馬で大半の食料を持ち去られたとして、飢えるほどの時間はない。

ところで、天候が良くない中…って、最期に行軍した3月10日は雨だったの?
季節にしろ、現代ながら山梨のその辺では、もう桜が散ろうかって時期な気がするけど。
144人間七七四年:2011/05/27(金) 16:16:05.18 ID:iW5cRXo5
上州岩櫃城って遠いな。
高遠城陥落したあとに行けるのか?
真田昌幸はどの道で帰ったのか?
でも、岩櫃方面に逃げれば最悪恥も外聞もかなぐり捨てれば上杉景勝が庇護してくれる可能性ってのはないもんか。北条よりは可能性高いと思うんだが。
145人間七七四年:2011/05/27(金) 18:27:43.56 ID:m4w06jRT
武田領をほぼ制した織田が岩櫃城に手を焼いて放置プレイしてくれる可能性はあるだろうか?
勝頼が生きてるから無理?
一番良いのは勝頼は小山田を頼って信勝に上州に逃げさせるのがよかったかな
146人間七七四年:2011/05/27(金) 21:24:16.98 ID:bhVIrDde
若いのに信勝がすげー潔いから落武者モードで諸国流離は同意しなさそう
147人間七七四年:2011/05/27(金) 21:40:50.54 ID:3pHmsXoi
武田滅亡後の甲州で織田はかなり厳しい統治してたから
本能寺みたいなのが起きれば甲州の回復くらい出来るかも
148人間七七四年:2011/05/28(土) 00:54:01.12 ID:2i+BE5TF
本能寺起きただけで、何で甲斐・信濃から織田家の支配が一掃されたの?
149人間七七四年:2011/05/28(土) 01:00:58.61 ID:Il5vztBm
滝川が北条に粉砕されたのと、川尻ら新領主が支配を固める前に情勢不安になっちゃったこと
森みたいに本領(厳密には弟の領地だが)が不安で帰った場合もある
特に甲信は信忠配下が多く、彼らにとっては主君を二重に失ったようなもの
150人間七七四年:2011/05/28(土) 04:40:58.28 ID:kkpxcvl3
>>146
計算だけ言えば、一方は真田、一方は小山田で再起を期すのが、確率高いからねぇ。

>>148
優先度が低かった、っていうのが現実かも。
織田の連中にとって、武田は邪魔であっても、甲信の領土自体はさほど旨味がある土地とも感じてなかっただろうし。
取って僅かな時間のよく知らない土地、知らない連中がいる土地。一旦、撤退するのが賢いとも思える。
151人間七七四年:2011/05/28(土) 06:13:29.37 ID:ift2QfaT
残った河尻秀隆は一揆勢に殺されているしね
152人間七七四年:2011/05/28(土) 13:44:05.25 ID:iummxbJf
さっさと逃げた森や毛利秀頼はまだ若手なので次があるが河尻は歳なのでちょっと固執したところがあったかもしれない。
153人間七七四年:2011/05/28(土) 14:23:53.70 ID:JW+4YFyR
ちょっと納得がいった。無論それだけではないだろうが。
154人間七七四年:2011/05/28(土) 18:29:19.92 ID:h+y/kuQj
甲斐の一揆は家康が糸を引いていたって説があるけど、どこまで信憑性がありますか?
155人間七七四年:2011/05/28(土) 18:35:11.09 ID:2lxcSVmo
勝頼近習の逃避行を映像化した作品ってありましたっけ?
156人間七七四年:2011/05/28(土) 22:36:25.05 ID:Z+u7RFfG
>>155
>勝頼近習の逃避行を映像化した作品ってありましたっけ?

無い

ただし、もしかしたら「おんな風林火山」( >>62 >>64 >>70)にあるかも?????
157人間七七四年:2011/05/28(土) 23:39:19.53 ID:Il5vztBm
>>152-153
森や毛利は一城主だが、川尻は甲斐一国任されてたのもあるだろう
158人間七七四年:2011/05/29(日) 00:46:37.36 ID:H5savFZy
おそらく四十近いであろう毛利秀頼を若手と呼ぶのはどうだろうか
159人間七七四年:2011/05/29(日) 09:31:28.24 ID:bVRiF51C
30代ならまだまだ若手!
160人間七七四年:2011/05/29(日) 12:14:10.25 ID:X3T22Y2v
統治がまだ固まっていなかったというのもあるだろうしねえ
川尻の政策みてると、むしろまだ戦後処理中と言えるし
仮定の話で、本能寺のような事件が起きるのが武田滅亡後から
2〜3年後のことだったら、また変わったと思う
161人間七七四年:2011/05/29(日) 12:52:41.42 ID:mn/PoU7b
迷っていたところに、徳川から露骨な使者が来て、
キレたか、面子的に帰るに帰れなかったのかもw
162人間七七四年:2011/05/29(日) 16:16:51.95 ID:NCm6mcLI
>>156
過去レス見てなかったスマン
やっぱそうなんだ、本能寺は腐るほどあるのによ。
ま、三文役者に演じてもらうのもどーかと思うし、それぞれのイメージを育んでたほうがいいか
163人間七七四年:2011/05/29(日) 18:40:22.87 ID:sgU+w6th
河尻秀隆は決して無能な男ではなかったと言われてるな。
しかし、あの混乱までは制御できなかった。
結果的にはさっさと逃げ出すのがベストだったろうな。
164人間七七四年:2011/05/29(日) 20:42:09.19 ID:2wS2FzZE
だいたい、無能に甲斐任せるとも思えんしな
165人間七七四年:2011/05/29(日) 21:32:33.73 ID:mn/PoU7b
いくら優秀でも、あの時点の甲斐の制御は無理でしょ。
織田の支配強めるために散々やった直後で、
あげく武田旧臣を囲っている徳川が、狙いを定めて突っついてる状況じゃ……
166人間七七四年:2011/05/29(日) 22:51:17.75 ID:L8j6zTYU
朝倉旧臣は懐柔してそのまま統治させた場合が多かったのに。
167人間七七四年:2011/05/30(月) 04:18:25.03 ID:SCNjUsWG
越前と甲斐とでは全然状況違うだろw

旧朝倉家臣なんて一揆の餌にされちまったぞw
168人間七七四年:2011/05/30(月) 07:52:02.61 ID:QzEyXAXJ
しかしそもそも真田はなぜそこまで武田に忠を尽くしたのかが疑問。昌幸のその後の変わり身をみれば、織田に寝返る良いタイミングもわかってたとおもうんだが、そうすれば旧武田領の恩恵にもあずかれただろうに
169人間七七四年:2011/05/30(月) 08:07:02.99 ID:rUjajMEv
真田というか、昌幸は信玄子飼いの武将で、元々真田を継ぐわけではなく、名家
である「武藤家」を名乗るのを許されている。
当時はかなりの忠義心があったんじゃないかな。
確か信玄子飼いの同僚は5人程度いて、生き残っていた最期の1人が昌幸だった
はず。
変わり身がどうのは、武田が滅んでしまったかだと思う。
170人間七七四年:2011/05/30(月) 10:18:34.64 ID:vyl82gLn
曽根昌世は義信事件の恨みであっさり徳川に降ったのかな?
171人間七七四年:2011/05/30(月) 16:22:29.23 ID:Dmxtvh4o
そこまでするなら武田に殉じれば良かったのに
172人間七七四年:2011/05/31(火) 00:16:30.78 ID:e4bOSvXA
高天神城の生き残り横田甚五郎は結構長生きしたんだな。
173人間七七四年:2011/05/31(火) 00:54:44.75 ID:qCUsu6vy
>>168
逆に時勢を読めるがゆえに
ちょうどいいタイミング自体ないと判断したのかも
終盤に裏切っても恩恵ないし
長篠前じゃ織田徳川に組するには位置が悪い
174人間七七四年:2011/05/31(火) 01:43:27.70 ID:Pw/uXlX5
>>173
勝頼と昌幸って結構歳も近いしウマがあったんじゃないかな
175人間七七四年:2011/05/31(火) 01:55:54.97 ID:UQ9ogEKr
昌幸が嫡男の息子を差し置いて武藤家から出戻りして真田家の家督を
継いだことも、勝頼の影響があったろうし。
176人間七七四年:2011/05/31(火) 07:08:44.96 ID:+mNb03ck
>>174
ウマがあったとも思えないが。
177人間七七四年:2011/05/31(火) 07:12:46.27 ID:Nw8xLJ2Y
出戻りで家督をついだのは長篠合戦後で信綱昌輝が死んだから三男の昌幸にまわってきたんじゃないの?
178人間七七四年:2011/05/31(火) 10:29:35.22 ID:YAycwTAH
>>177
本来なら長兄信綱嫡男、つまり幸隆嫡孫に家督が回るべきでしょ
ちなみに次兄昌輝にも男子はいます

勝頼と昌幸のウマがあったかはわからんが、武田・真田家中が昌幸家督を許す環境だったのは確か
179人間七七四年:2011/05/31(火) 11:44:05.39 ID:ugjK/MLH
昌幸の四男(天正十年以降生まれ)が信勝って名前なのは偶然か
180人間七七四年:2011/05/31(火) 12:07:01.08 ID:IfweBuDb
>>179
信勝伝説始まったな
181人間七七四年:2011/05/31(火) 12:17:31.36 ID:Nw8xLJ2Y
>>178
あっそっか。完全に忘れてた。確かに家督優先順位は低いな…
182人間七七四年:2011/05/31(火) 12:37:02.21 ID:7p2Ytw77
武田は若年の者には城代任せないから
岩櫃城代を真田にそのまま任せようとすれば昌幸が継ぐしかない
183人間七七四年:2011/05/31(火) 12:57:58.40 ID:CLfiSSDM
>>180
そうなんですよ
嫌っていたら滅んだ主君の若君様の名前をわざわざ息子に付けるかとは思いますね
184人間七七四年:2011/05/31(火) 12:59:28.72 ID:5icipPxB
>>183
180が言いたいのは武田信勝生きていた!伝説と言いたかったのだと思われ
185人間七七四年:2011/05/31(火) 13:10:44.54 ID:CLfiSSDM
>>184
そっか
ま、真田信勝も逐電したとか斬殺されたとかで、はかばかしい活躍もなかったのではありまするが
186人間七七四年:2011/05/31(火) 13:52:53.36 ID:7p2Ytw77
信繁と似たような感じで信勝ってつけたんじゃね
武田に義理立てというかどうか
187人間七七四年:2011/05/31(火) 20:15:50.16 ID:boRkwwnl
土屋あたりの家といい、やっぱり長篠は想像以上に混乱をもたらしてるよな。
一発逆転狙うなら、あの直接対決しかなかったとはいえ。
188人間七七四年:2011/05/31(火) 21:31:38.54 ID:YAycwTAH
>>182
陣代って方法もあるからなあ
たしか山県昌景の子は年少で当初は家老が陣代だったような
189人間七七四年:2011/05/31(火) 21:36:05.66 ID:boRkwwnl
年齢が適当な後継者がいなきゃ、そうなるでしょ。
次ぐにふさわしい年齢の弟やらがいたという話は知らないが。
190人間七七四年:2011/05/31(火) 21:46:14.89 ID:YAycwTAH
>>189
年齢だけなら継いでもおかしくない弟が二人いたが、そいつらも養子に出されてるから昌幸には勝てんな
191人間七七四年:2011/06/01(水) 01:12:26.22 ID:oz/p/Zyz
>>188
だから山縣家は江尻城代降ろされた。
192人間七七四年:2011/06/01(水) 04:50:12.60 ID:WlKNlNAQ
既出かもしれんが…
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/
武田勝頼土佐の会
こんなのあるんだ
193人間七七四年:2011/06/01(水) 19:59:12.93 ID:ZZMtl5FY
武田も真田も自称末裔っているけどさ
恥ずかしくないのかね?
194人間七七四年:2011/06/01(水) 21:11:47.38 ID:gd6fLZag
自称末裔なんてそれこそ戦国以前からあったことだしなあ…
195人間七七四年:2011/06/01(水) 22:42:20.97 ID:aGb+A7cm
血統的には武田本家が柳沢、真田本家は吉宗〜松平定信の流れか
本家ですら信玄や昌幸の血は引いてないからなあ
196人間七七四年:2011/06/01(水) 23:04:15.35 ID:87nnkfyf
血統でも、女系も含めていいなら、結構残ってそうだけどねぇ。
197人間七七四年:2011/06/01(水) 23:42:22.18 ID:je6rhpet
>>175−176
昌幸の場合、竜朱印状の奏者をつとめたこともあるなど、若いころから武田氏のそば近くにあったわけだし、
彼が真田氏を継ぐほうが勝頼にとってもプラスとなる面は多いだろう。
馬があったかどうかは別としても勝頼は真田昌幸を重用しているな。

>>195
国持クラスの大名ですら藩祖の血を引いていないケースもあるくらいだしな。
198人間七七四年:2011/06/01(水) 23:46:01.91 ID:U7OGyTGE
>>192
Yahoo知恵袋に自分は土佐出身で勝頼の末裔だって暴れてるバカがいたな。
最近見ないけど。
199人間七七四年:2011/06/02(木) 10:52:49.58 ID:+Fqp9x9W
>>197
実際勝頼期後半の領土拡張は殆ど昌幸正面じゃね?
200人間七七四年:2011/06/03(金) 20:36:00.74 ID:KoLFIYsE
小山田が 悪いのかい?
201人間七七四年:2011/06/03(金) 20:40:27.19 ID:BSV5TAKD
まぁあの期に及んで裏切りはねーだろ
やるなら穴山とつるんどけよと
202人間七七四年:2011/06/03(金) 22:05:54.23 ID:oalE/xZZ
小山田は部下に迫られて無理やり裏切らされたと推測。
203人間七七四年:2011/06/03(金) 22:08:23.86 ID:7RZn+vP6
武田勝頼一行が新府を落ち東に向かった事を聞き、これに合しようと笹子峠に向かった。
しかし、小山田信茂の家臣に阻まれ、やむなく今度は田野へ抜ける大菩薩峠を目指し武州の北嶺を越えようとした。
が、ここも北条軍らに遮られ追撃を受けてしまう。
詮なく、武州の箱根ヶ崎に撤退し様子を見ようとしたところ、今度は別の北条軍に攻められ、ついに一族は勝頼の安否不明のまま滅んでしまったといわれている。




武州上野原の豪族加藤丹後守信景一族
204人間七七四年:2011/06/03(金) 23:08:42.15 ID:DoKn+9f0
俺達もさぁ頑張ったんだけどさぁ、しょうがなく降伏したんだよ的な
言い訳家譜じゃなくて滅んでるのか、せつないな
205人間七七四年:2011/06/04(土) 03:26:47.12 ID:woohBj7h
せめて信忠軍と一戦交えて欲しかったな
負けるにしろ
206人間七七四年:2011/06/04(土) 03:58:29.29 ID:kwlR9GBJ
信豊が木曽で惨敗してなきゃ、そうなってたろうな。
207人間七七四年:2011/06/07(火) 13:17:27.99 ID:/8LKQLBW
信豊って御親類衆じゃなかったら日の目を見ることなく終わってたレベルだな
208人間七七四年:2011/06/07(火) 20:28:07.21 ID:JCkLDcfv
そうでもない。
209人間七七四年:2011/06/08(水) 00:07:43.72 ID:l6yMEdlo
>>207
パッとしない逸話もあるけど、親父よりも史料に出てくるのは信豊のほうが
多いんじゃないか?勝頼期にはかなり重要な地位を占めてたようだし。
210人間七七四年:2011/06/08(水) 14:38:37.48 ID:mNyIJwYt
前線指揮官より内政向き?
上杉との同盟とかで取り次ぎ役してますね
211人間七七四年:2011/06/08(水) 18:49:07.48 ID:wRZw0qac
北条夫人の祈願文は後世の作り物だと確定したんでしたっけ?
212人間七七四年:2011/06/08(水) 20:45:52.02 ID:l6yMEdlo
>>211
柴辻俊六氏は「なお議論の余地はあるが」後世のものだろうとし、最近ミネルヴァから
出た『武田勝頼』(笹本正治氏)でも特に考察はないけど、柴辻説を引用している。
213人間七七四年:2011/06/13(月) 16:26:56.52 ID:UyXCU9I3
鴨川達夫「武田信玄と勝頼」(岩波新書)のP197に「また、これも重臣の小山田信茂は、勝頼を討ち取ることを信忠に申し出たという」と書いてありますが、根拠となる文献あるいは書状などはあるのでしょうか?
214人間七七四年:2011/06/13(月) 22:56:21.46 ID:1/4phLNM
諏訪神軍はまだか?
215人間七七四年:2011/06/14(火) 16:38:04.22 ID:ojKfBNuM
御館の乱で景虎見捨てたわけだけどさ
その後北条と手切れした理由は何?
甲相越で不戦条約的な事出来なかったんだろうか
216人間七七四年:2011/06/14(火) 17:54:00.76 ID:s2n0TdzE
北条の動きが悪すぎたからじゃね?
217人間七七四年:2011/06/14(火) 19:21:20.31 ID:Hj7H5zc9
>>215
上野半国から上野一国を支配した勝頼は関東制覇を目指す北条と対立してしまったのだよ。
218人間七七四年:2011/06/14(火) 21:55:20.54 ID:iGYMMkt5
>>215
敵の味方は敵ってことじゃねえの?
北条自身が落ち目の武田より織田と通じたいってのもあっただろうが(景虎支援に消極的だった一因でもあるかと)
219人間七七四年:2011/06/14(火) 23:02:36.04 ID:bk6x0T1g
勝頼の時代に小田原城包囲するくらいの北条との激突すべきだったな
中途半端に侵略するより
佐竹で牽制も出来るし上杉も援軍少しは出すでしょ
220人間七七四年:2011/06/14(火) 23:24:00.60 ID:oYQXZpre
>>215
もう徳川通して、織田との話も着いてたんでしょ、北条は。
221人間七七四年:2011/06/15(水) 08:04:15.54 ID:rztiUn68
>>220
北条は織田にかなりの土下座外交してた。でも、織田にとっては
まともな同盟国としてみられていなかったようで、武田攻め後の仕置きでは
北条が攻め込んだ駿東 -> 徳川へ
北条が厩橋城などに圧力をかけた上野 -> 滝川一益
北武蔵、下総の国人衆 -> 滝川一益参りをしている
と言った具合で、恩賞がないどころか、傘下の国人衆を切り崩されている始末。

本能寺の変がなかったら、北条は伊豆・相模ぐらいまでしか
安堵されなかったんじゃないかという説もあるぐらい。
222人間七七四年:2011/06/15(水) 20:37:23.97 ID:CotAlGlJ
そのくせ信長以上に巨大な勢力となった秀吉に歯向かって潰されるとかどうしようもないな。
223人間七七四年:2011/06/15(水) 21:18:01.20 ID:rztiUn68
>>222
織田相手に土下座外交をしたのにも関わらずああだったのと、
秀吉が一貫して北条に敵対的だったのと、武田攻め前後に比べれば
北条もひょっとすると倍近くになるぐらいに巨大化したのと。

上野のごく一部と下野の一部と常陸以外の関東全域が勢力圏だし、
徳川・伊達とは同盟関係にあったし。
224人間七七四年:2011/06/15(水) 22:01:32.33 ID:ppDOYyp3
>>221
あれだけ下手に出る外交政策が、短期でまとまったとは思えないよね。
交渉以前に、国内の意見を一致させるまでに、相当な時間がかかるはず。小田原評定の家だしw
武田と手切り後のあっという間の徳川・織田との提携を見るに、事前交渉が十分にあったとしか思えないわ。
225人間七七四年:2011/06/15(水) 22:47:46.49 ID:rztiUn68
>>224
本能寺の変後の北条の動きもとんでもなく速い。

6月2日に本能寺の変だったけど、神流川の戦いはそのちょうど2週間後の
6月16日。しかも、そのたったの2週間で5万人以上動員。
226人間七七四年:2011/06/16(木) 01:13:35.36 ID:hYWOySOK
神流川の戦いは遠征じゃなく、所領奪還戦みたいなものだから、領地から近く迅速に行える範疇に思う。
武蔵付近なんて、関東制圧が悲願の北条にとって、いつかは必ず奪還すべく考えていた地だろうし、
元々地の利もあり、何か機会があれば、いつでも攻撃できるような計画くらいは事前にあったと思われる。
あと、5万はないよね、実際。
227人間七七四年:2011/06/19(日) 19:38:04.51 ID:U+dimFEq
すこしは 小山田氏を 社会に だしてね。
228人間七七四年:2011/06/21(火) 15:44:50.92 ID:iJT59+dx
やっぱさ、織田が武田進攻なんて聞いても、北条はまた付き合い程度に兵を出しとくか〜くらいな軽い気持ちで
武田滅亡なんて夢にも思ってないから
事態の急展開に付いていけず
心構えなんて北条には無かったから織田の力が図れず動揺したんだと思う。
しかし秀吉の時は充分な時間が与えられていたからね。
しかも真田にちょっかい出したらあんなに秀吉がキレるとも思ってないから既成事実を作っちゃえとか条件闘争の交渉材料を作ろうとしただけでしょ。
それに長宗我部や島津は本領安堵されてるから反抗しても伊豆と相模くらいは安堵されんだろみたいな甘さもあったかも。
229人間七七四年:2011/06/22(水) 08:29:46.80 ID:N55rH6pS
北条が秀吉に抵抗したのは家康との同盟と伊達の後詰め期待してでしょ
北条だけで籠城じゃ結局負けるのは当然というか
ただ信長の浅井・朝倉征伐以降それまでの常識を越えた侵攻スピードの戦いが起きてる事実を
北条が見誤ってたのは確かだろうね
230人間七七四年:2011/06/22(水) 08:47:07.48 ID:MzkmZ4/D
確かに迅速だよね
尾張兵は弱兵だったっていう話だけど実際はよく訓練されてた気がする
やっぱ徳川史観で神君の活躍なくして、信長公の立身はなかった!っていうアレかね
231人間七七四年:2011/06/22(水) 16:07:38.10 ID:tCp2+ZIq
長宗我部や島津でも本拠地には攻め込ませてないのにいきなり本城囲まれてる時点で終わり
232人間七七四年:2011/06/22(水) 19:51:08.33 ID:Lkfi/X4N
元々野戦する気が全くないからなぁ
小田原城は強襲で落城したことはないわけで
233人間七七四年:2011/06/23(木) 03:28:57.55 ID:I+ypMESY
小田原城は東側からの侵攻に対してほぼ最前線になるからな。領土と本城の位置が良く無かったよ
島津なら薩摩だし長宗我部なら土佐なわけだし一応
234人間七七四年:2011/06/25(土) 18:19:26.14 ID:YhxIh+Ck
西側からの侵攻じゃなくて?
235人間七七四年:2011/06/26(日) 00:35:08.54 ID:0Y4sqilP
とは言っても西側も箱根があるわけで
236人間七七四年:2011/06/26(日) 02:46:19.45 ID:0Y4sqilP
信玄は村上に惨敗した後に塩尻峠で劣勢にもかかわらず大勝して形勢を戻したんだよなぁ
岩村城の救援に勝頼直卒3000くらいの兵で後詰めとかできなかったものか
信忠は若いから付け入る隙もありそうだが
ここで秋山だけでも救出していれば山県、馬場等を失った勝頼にとってだいぶ違ったと思うんだが
237人間七七四年:2011/06/26(日) 08:05:10.36 ID:BohoYIwT
後詰ができないから、外地駐屯部隊は敵の包囲を受けそうになったら逃げてこい、
と言っておくだけで良かったと思うんだよね。
美濃・駿河を放棄して、北条に集中しても。
238人間七七四年:2011/06/26(日) 10:35:05.46 ID:B/UNEGWl
東美濃はさっさと放棄して木曽で阻止すればよかったのにね
この時代占領地を放棄するのはかなり難しいんだろうけど
秋山って元々高遠城の城代だし勝頼とは何かと接点あるんだよな
239人間七七四年:2011/06/26(日) 17:26:53.26 ID:4thw/0eq
高遠落城の夜に信忠は高遠城に泊まったらしいが、何百人が斬り合いした建物にその日のうちに寝泊まりするって昔の人はどういう神経なんだ。。。布団は仁科が使ってたやつかな
240人間七七四年:2011/06/26(日) 18:17:37.50 ID:gaC6JBbb
どちらにしても武田は詰みだな

・北条との手切れ
・北条への対応で高天神への後詰もできず
・朝敵指定
・浅間山の大爆発
すべてがからんで滅ぶべくして滅んだ
241人間七七四年:2011/06/26(日) 18:59:14.55 ID:4thw/0eq
浅間山の灰を夫人に浴びせてはならぬと勝頼は岩ひつ行きを避けたのか
242人間七七四年:2011/06/26(日) 19:00:52.66 ID:ga/FF0a0
>>239
そうなんだ、そういうディテールって考え出すとちょっと面白いな
天井裏とかチェックする係いたんだろうなw
243人間七七四年:2011/06/26(日) 19:09:08.11 ID:gaC6JBbb
浅間山の噴火と凶事を結びつけ、武田家の命運もこれまで
と誰もが思っていたみたいな状況だったとのこと
244人間七七四年:2011/06/26(日) 19:35:43.00 ID:s7m1tUw+
泣きっ面に蜂というか気持ちは分からんでもない
245人間七七四年:2011/06/26(日) 20:59:30.98 ID:We4wsB32
1944年に東海地震で三菱の飛行機工場潰れた日本みたいなもんだな
246人間七七四年:2011/06/27(月) 01:59:37.74 ID:wFFlaEZe
>>236
むしろ信忠を若僧と思って舐めていたんじゃね?
勝頼はもちろん秋山も
長篠の余勢を駆って織田軍が岩村城に押し寄せてくるのは十分予想出来たのに何の手も打ってなかったし
247人間七七四年:2011/06/27(月) 02:24:28.73 ID:9zkiSGoG
長篠の損害が大きすぎて兵がいなかっただけ
248人間七七四年:2011/06/27(月) 02:30:19.45 ID:G+JO8D9R
信長の従属勧告におとなしく従ってれば本能寺後に再起の可能性もあったのに…。
249人間七七四年:2011/06/27(月) 02:54:16.94 ID:LhJR2B/B
>>247
後詰めが出来ないのなら織田の軍勢が来ると知ったときにさっさと撤退させればよかったのにねえ
秋山が逆さ磔という惨めな最期になったのは完全に勝頼のせいだと思う
250人間七七四年:2011/06/27(月) 08:57:47.56 ID:ZLtJ7DmA
下った遠山氏を見捨てるようなマネしたら、さらに離反が加速するだろう。
木曽への牽制の意味でも、岩村は簡単には抜かせられない地だ。
いくら秋山が貴重でも、あそこで戦わずに撤退させることはできない。
251人間七七四年:2011/06/27(月) 10:03:00.71 ID:v4RAZJ0M
>>250
そこだよな
でもそうなら意地でも後詰めしなきゃいけないわけで
勝頼も御親類衆があてにならないことは長篠で嫌というほど思い知らされたんだから
直卒で救出に向かうべきだったと思う。
信忠の性格を考えると包囲を解いて撤退は考え辛いし
城には歴戦の秋山もいるわけで結構面白いことになりそう
ただ信忠を敗走させても信長が出てくるだろうし甲府〜岩村の距離考えると東美濃の維持は困難だわな
252人間七七四年:2011/06/27(月) 10:19:00.72 ID:TbppxpAX
信長が長篠に出張った時に秋山を岐阜に進攻させて牽制したら長篠の戦況はどうなったかな?
253人間七七四年:2011/06/27(月) 10:43:13.01 ID:v4RAZJ0M
長篠で撤退してた場合どうなったんだろう
信長は当然勝利だと宣伝するだろうし武田の威信は失墜したかな
織田徳川が追撃した場合三増峠や三方原のように返り討ちにあってたかも知れないけど
254人間七七四年:2011/06/27(月) 12:03:21.91 ID:20Yt/Aev
ただでさえ他家と比べて大きい家臣団の発言力がさらに増大して
統制が効かない状態になったんじゃないかとも思える
信玄以来甲斐国内に多大な負担強いて他国に出兵して
ただでさえ不満がくすぶってたし
255人間七七四年:2011/06/27(月) 20:54:53.70 ID:B2qB3jt/
なんか浅井朝倉征伐以降の織田軍団ってノブヤボ並に戦国大名滅亡させてるんだよな
恐ろしい軍事力だな
256人間七七四年:2011/06/28(火) 08:23:22.31 ID:jw1mxZER
迅速さも伊達じゃないしね
257人間七七四年:2011/06/28(火) 18:31:35.25 ID:nyHGQ9My
滅亡する一、二年の武田勢力内における勝頼の評価ってどうだったのかな

長篠の被害そのものよりも、その後の政策による不信任のストレスが相次ぐ離反につながった気がする

逆に家臣団の寝返りがなければ、あの時点では、まだ滅びるところまではいかなかったかも
258人間七七四年:2011/06/28(火) 20:07:36.33 ID:Eulbf6GY
>>257
そうは言ってもあの侵攻を内戦作戦で各個撃破するのはほぼ無理だろ信忠撃破しても信長が出張ってきてるし
259人間七七四年:2011/06/28(火) 20:31:33.72 ID:9LZ9ZN1B
木曽と穴山の裏切りが無ければ、織田+徳川連合の大規模侵攻自体が無かったんじゃね?
東は徳川に任せて放置が美濃を完全に確保して以降の基本方針だったんだし。
寝返りを前提に徳川が大規模侵攻を打診してきたので、乗っかったんだと思う。
260人間七七四年:2011/06/28(火) 22:04:14.42 ID:RbzJsQSg
毛利とどっちを先にするか、天秤にかけてた説が本当なら、
後回しにされていれば、本能寺みたいに何か激変して、生き延びられた可能性は高まるかねぇ。
261人間七七四年:2011/06/28(火) 23:06:36.22 ID:Hit98A2i
>>257>>259
しかし、木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で
かといって長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし
なんか、長篠で、ってか鳶ノ巣砦落とされた時点で、すでに詰んでたのかも
262人間七七四年:2011/06/28(火) 23:44:26.31 ID:7zjPHd4h
>>261
>長篠で戦を避けて撤退しても、それはそれで家臣団の不満は高まっただろうし

通説のように家臣団が開戦に反対してたなら、不満が高まるってことは無いのじゃないの?
出陣組、特に山県や馬場が反対組なら、まさか高坂ら居残り組が不満を言うわけないし

>木曽の寝返りを防ぐだけの力が、すでに勝頼にはなかったのも事実で

木曽の寝返りの一因は新府築城だから、しなければ歴史は変わったかも
問題は穴山のほうで、あいつが裏切らなければ信濃で決戦くらいはできたやも
263人間七七四年:2011/06/28(火) 23:52:52.35 ID:Eulbf6GY
もし木曽、穴山の裏切りがない場合先に上杉が滅亡して川中島から織田軍団が流れ込んでくる可能性も
織田、徳川、北条に完全に包囲されて後詰めも期待できないとなると・・・
どっちにしろ信長が死んでくれないことにはその内詰みそうだね
264人間七七四年:2011/06/29(水) 06:51:54.35 ID:dwjSUaGI
信濃口から森軍団が攻めこんでこなければ、越中に集中できたわけで、
上杉もそう簡単には墜ちないんじゃないかね。
後方で反乱起こしてる人はとりあえず押さえの軍を置いてりゃなんとかなるレベルだし。

武田が徳川に削りきられる前にどれだけ北条領を切り取って勢力確保できるか、
というチキンレースになりそうだな。
265人間七七四年:2011/06/29(水) 07:50:29.21 ID:tyJ5eHlK
駿河の防衛は穴山に任せるしかないよね
徳川が攻め寄せる度に甲信から軍勢出してたらキリがない
家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
ただどこかで徳川は叩いておかないといけないね
266人間七七四年:2011/06/29(水) 09:28:31.08 ID:QLnxVo05
>家康は勝頼が出てくれば逃げるんだし
これちょっと意味分かんないですね
267人間七七四年:2011/06/29(水) 09:56:35.33 ID:hAYpXuqX
>>266
勝頼としては決戦で家康を討ち取って状況打開するしかないのだけど、それがわかってる家康は避けた
長篠後でも徳川単独相手なら武田有利だったろうからね
遠征して救援に来る武田に対して、近所に出かける気分の徳川は一時的に引いても潜在的に相手城を囲み続けてるようなもの
268人間七七四年:2011/06/29(水) 18:49:52.86 ID:F48mnKPC
よく言われている新府城築城や中央集権化みたいな政策が、寄り合い色の強い武田家臣団と勝頼の間に溝を作ったのかな?
そういった勝頼中心の政策をしないで、うまく家臣達の利権を守りつつ、領内を統治できていれば。
前スレの方がいうように織田徳川の大規模攻撃そのものが、あの時点では起きずに、歴史も変わっていた可能性はあるよね
269人間七七四年:2011/06/29(水) 19:57:09.16 ID:/rtb3IVu
勝頼の政策ってのは押しなべて言えば強制軍事力増強政策な訳で
それを行わないのなら、軍備再建できずに領地を削られ
最後にやはり大離脱と大侵攻くらって史実より早く滅亡することに
270人間七七四年:2011/06/29(水) 20:13:46.92 ID:ecxCEE4I
>>268
好き勝手動かれたら史実より早くに潰れそうだ
というかそういうのは本来親父の信玄がやるべきだったんだろうけどな<中央集権化

271人間七七四年:2011/06/29(水) 20:39:43.03 ID:tfPyRMdg
>>265
長篠で仮に見事撤退ができていればの仮定が成立するなら、
駿河は穴山でなく、山県の統率下にあったはずだから、寝返りの可能性は限りなく低くなる気がする。
272人間七七四年:2011/06/29(水) 21:04:28.10 ID:JpCFcYUx
「木曽の裏切り」とか言ってるが
そもそも木曽がそこまで武田に義理立てなくてはいけない理由がわからない。
273人間七七四年:2011/06/29(水) 21:23:34.66 ID:tfPyRMdg
ま、一応、武田の姫を嫁にもらってるしな。母親とか預けていて、裏切りの犠牲にしてるし。
武田への義理立てというより、木曽の家名や名誉的な意味で、最低な行いって方がウエイト大きいかと。
結果的に家を潰してしまっているのも、裏切った意味がなかったとなるし。
274人間七七四年:2011/06/29(水) 23:28:54.28 ID:5naOXnB0
>>271
山県なら駿府の目の前まで徳川に削られることはなかっただろうね

>>272
一応一門扱いじゃなかったっけ?
275人間七七四年:2011/06/29(水) 23:30:18.34 ID:5naOXnB0
勝頼を裏切った大物が軒並み悲惨な末路なのが
因果応報と言うべきか
276人間七七四年:2011/06/30(木) 07:01:16.08 ID:T5oKB+8r
山県、原、馬場は長篠で死んどいてよかったかもよ。安土城で接待される山県や深志城を捨てる馬場だったら、ノブヤボの数値は半分くらいだったよ。
277人間七七四年:2011/06/30(木) 21:42:01.81 ID:/RWhFZtj
信玄の西上も今じゃ否定されてるけどさ
足利義昭が追放されて浅井、朝倉、長島一向宗が壊滅した以上あえて信長と対決する意味あったのかね?
信長と和睦したら勢力伸ばすには上杉正面しかないけどさ
信勝は織田と繋がりあるし上手く立ち回れば浅井亡き後美味しいポジション占められたような気もするんだが
278人間七七四年:2011/06/30(木) 22:56:25.43 ID:D6ild+6f
気まぐれな信長に限ってそれはない
279人間七七四年:2011/06/30(木) 23:12:45.94 ID:/RWhFZtj
本能寺の頃に家康が消されると皆思ってたとかいう話があるけどさ
あのまま信長が死んでなかったら家康どうなったんだろ
280人間七七四年:2011/07/01(金) 04:02:23.61 ID:i/PR74kK
>>277
畿内の勢力が概ね叩かれたからとりあえず本願寺勢力としては

畿内にいる織田主力を畿内の外へ誘き出す

その間に畿内で反抗を試みる+各地の戦力の整理

武田軍が織田軍に多少なり出血させれればラッキー
だった。
結果は主力が畿内から出でも余剰戦力のある織田軍になすすべ無し
武田軍、織田軍に出血もさせれず惨敗と悲惨な結果だけが残った。
281人間七七四年:2011/07/01(金) 04:14:43.07 ID:i/PR74kK
>>279
流石に徳川に養子送り込んだりはしないと思うけど国替えくらいはあるかも?

っとは言っても移動する土地も1582年時じゃ限界あるからなぁ
九州は島津大友は恭順しめしてるし
北条は不信抱きつつも土下座外交してるし
伊達は奥州勢引き連れて揃って恭順だろうし

移動出来そうなのは
毛利領
上杉領
長宗我部領
肥後肥前等の空白地
くらいしか残ってない
282人間七七四年:2011/07/01(金) 14:21:31.86 ID:iuiBJB0G
三河、遠江、駿河の3国領有なんて許さないだろうな。
中国→九州に飛ばされるくらいは、余裕でありそうだ。
283人間七七四年:2011/07/01(金) 18:41:47.38 ID:F6qwAJKm
甲斐は 守るには 難しいところ。
284人間七七四年:2011/07/01(金) 18:56:09.62 ID:zD9MDftj
そーかい
285人間七七四年:2011/07/01(金) 19:16:03.60 ID:tLGv5XSs
>>283
逆だろ。
山がちで盆地だから、国自体が一つの城みたいなもんだ。
実際、天正10年の武田攻め意外は全て攻め込んだ連中をさんざんに破ってる。
286人間七七四年:2011/07/01(金) 19:36:43.04 ID:T7ygIssd
山国が守りやすいは同意だが流石に言いすぎだな。
諏訪と北条には大敗している。
287人間七七四年:2011/07/01(金) 22:23:56.73 ID:i1lu/zPG
韮崎に本拠を移したのも結果的には裏目に出たよな
武田は信玄以降籠城戦の経験は殆どないのに
288人間七七四年:2011/07/02(土) 01:11:56.73 ID:vNB6i56P
新府城移転で人心離反しただけでなく木材調達役の木曽の離反も招いたしね
新府城建設は穴山の進言で云々ってのがあるけど本当かいな、彼奴はいつから謀反の思惑があったのか、マッチポンプじゃないか
289人間七七四年:2011/07/02(土) 06:28:00.04 ID:z4i7F7E1
高遠落城は新府城を動転させたらしいね。
武田の信濃支配の象徴で、遠江、三河への進出拠点である高遠城が敵の攻撃を受けて、あっさり落ちたんだから。信玄公が苦労して獲った信濃を放棄し、信玄公が何度も進撃していった棒道を逆に甲斐に向かって大軍が侵攻してくるという衝撃。
290人間七七四年:2011/07/02(土) 09:22:41.41 ID:/5mSY0/f
新府城の防御構想が歴史群像に載ってたことあったけどさ
あれあくまで甲州街道沿いに諏訪方面から攻め込んでくる前提なんだよな
穴山の裏切りで甲斐方面が動揺した時点で新府城の士気が崩壊したのも当然というか
勝頼的には元諏訪四郎だったことに何か期待でもしてたのかな?
291人間七七四年:2011/07/03(日) 12:28:08.49 ID:OA8BGNus
御館の乱で北条と手切れするも積極的には攻めない
防衛線を整理する
徳川方面に打って出る
浜松と岡崎城下を焼き払い青田刈り
家康が単独で決戦を挑むor信長に泣きついて織田徳川連合軍と決戦
勝頼も長篠とは違って慎重だから野戦陣地に突っ込むようなことはあり得ない

織田徳川連合軍4万vs武田軍2万
292人間七七四年:2011/07/03(日) 14:20:50.24 ID:CxTQ4FR3
数を揃えても木曽に大敗する程度の戦力では徳川単独相手でも勝てんだろう。
293人間七七四年:2011/07/03(日) 14:24:32.32 ID:8glUSEBY
天正10年の徳川が青田刈りと出来ると思ってんの?
294人間七七四年:2011/07/03(日) 16:27:26.86 ID:xA4wAry3
この時期まともに兵力預けて前線指揮官として戦える武将って何人いるのかな
真田昌幸
武田信豊
土屋昌恒?
もう勝頼が直接7000位率いてヒットエンドランやって徳川に嫌がらせするくらいしか
295人間七七四年:2011/07/03(日) 16:59:18.92 ID:yWTnQB3Z
>>294
長篠で生き残った親族衆の面々
296人間七七四年:2011/07/03(日) 17:23:17.20 ID:gRKRuAs2
>>295
信豊以外まともに使えなくね?
297人間七七四年:2011/07/03(日) 23:38:18.61 ID:QsRTvU1a
本隊と信豊隊だけでかつかつなのに将ばか居てもな
298人間七七四年:2011/07/04(月) 11:29:31.49 ID:DZeAXI0X
武将がいないと作戦なんて成立たんよ
特に野戦なんて命令に手足の如く動き臨機応変に状況の変化に対応できる武将がいてこそでしょ

前備 武田信豊
本隊 武田勝頼 参謀 真田昌幸
右備え 武田信廉
左備え 武田信勝 土屋昌恒
予備  穴山信君

みたいなことになるよ
もちろん陣形はもっと複雑だけど
もう木曽とか御坂峠とか峠防御専門にしか使えなさそう
299人間七七四年:2011/07/04(月) 15:58:37.33 ID:+dY1td9G
そりゃ先手とかは数が必要だわな。まともな兵力って方面軍規模をさしてると思うけど
300人間七七四年:2011/07/04(月) 19:56:56.00 ID:Giue8ddF
高遠城がたったの半日で落ちたというのが信じられん。
高橋招運の岩屋城はたった763人の兵で島津三万に対して半月粘り、島津の兵を数千道連れにした。
長篠の奥平は兵500で勝頼一万五千に対して一ヶ月も粘ってついに落ちなかった。
長谷堂城の志村は兵1000で二万の上杉を退けた。

それに比べると仁科はあまりに情けなさすぎる。
どこが奮戦なのかさっぱりわからない。

301人間七七四年:2011/07/04(月) 21:24:25.66 ID:fg4r0nSx
昌幸ってあの時期にそんな大軍率いてたの?
302人間七七四年:2011/07/04(月) 21:45:17.49 ID:7XeAmro4
>>300
確かに…時間的には田野の戦とあんま変わらんな
高遠城は籠城戦には向いてないのか
バンザイ突撃したのか
仁科は嫌いじゃないからあんま悪口は言いたくないけど、半日で落城はちょっとな
シンデレラ城でも落城しなさそう
303人間七七四年:2011/07/04(月) 22:01:30.19 ID:QDsFM5vH
>>301
上野方面担当は真田でしょ
昌幸って戦術的には神懸かり的だけど調略部分ではどうだったんだろうか
親父は調略のプロだったけど
304人間七七四年:2011/07/04(月) 22:04:59.69 ID:+dY1td9G
織田は損害無視の強攻して前線の城を1日で落として見せしめにするから
兵力差からしてどうせ一日で落ちるなら信忠の首とってやんよって事。
突撃して織田の一族の首とったりもしたけど、力及ばず。
しかも信忠は本陣に居なくて総大将なのに絡めてで前線指揮とってたという。
305人間七七四年:2011/07/04(月) 22:09:55.23 ID:+dY1td9G
>>303
調略も上手いよ。
つか親父同様に信濃上野にまたがっていた、
海野氏ネットワークを活用するのが上手かった感じ。
戦術的には小国人にも負けることもあって神懸かり的てのは講談の中の話だな。
306人間七七四年:2011/07/04(月) 22:29:41.27 ID:yqbWL3hA
>>300
織田軍の侵入にともない、武田領の伊奈、飯田方面は総崩れおこしているぞ。
続々と寝返って、高遠城も内部からの寝返りで開城…のはずだったが、不発。
強襲となった。
307人間七七四年:2011/07/05(火) 03:56:00.99 ID:vFKc0TDW
>>304
なんかもう勝手気ままに武士の本懐遂げたって感じだな
信玄の息子として
確かに信盛の戦いぶりはあの甲州崩れの中では輝いてるけど
高遠城には勝頼が岩殿に落ち延びるって話は届いてたんだろうか?
もし知ってたなら信盛の役目はやはり持久戦だったと思うのだが
308人間七七四年:2011/07/05(火) 12:03:24.84 ID:O34glHQZ
もとより持久戦が不可能だから信忠の首獲って一発逆転に賭けたのが高藤の戦い。
309人間七七四年:2011/07/05(火) 12:20:29.09 ID:3Ut9WDmx
形式上当主ではあったけど、実権はいまだ信長が握ってるのに
信忠の首とるのって嫌がらせくらいにしかならんと思うんだけど
310人間七七四年:2011/07/05(火) 12:24:18.09 ID:O34glHQZ
侵攻軍の総大将討ち取って嫌がらせは無いだろう。
311人間七七四年:2011/07/05(火) 12:45:07.62 ID:wjZaXmUO
信忠の首取ってれば高遠住民は皆殺しだったろうね
312人間七七四年:2011/07/05(火) 12:47:15.79 ID:3Ut9WDmx
いや、総大将は信長でしょう
実際は信忠以下甲斐征伐軍が勝手に侵攻しただけで、信長は本隊が合流するまで待てよと命令してる筈だけど
それに信忠討って、それで終わりじゃないでしょう
信長が後ろに控えてるんだもん

過去ログからさんざん言われてるけど、もう詰んでるのよ
313人間七七四年:2011/07/05(火) 12:53:21.45 ID:O34glHQZ
大局的な話なら詰んでる。今は時間稼ぎの話だろ。
314人間七七四年:2011/07/05(火) 13:04:50.23 ID:wjZaXmUO
信忠討ち取ってれば武田も本望だろ
その場合織田の後継者は信雄なんだろうけど
信長は自分の死んだ後を考えて凄い粛正しそうだな
柴田なんかは昔の謀反の罪問われて切腹とかありそうだ
315人間七七四年:2011/07/05(火) 16:19:32.20 ID:r5UDFhkf
高遠城も、持久戦に持ち込んでいたら、内部から裏切りが出かねないからなぁ。
1日で落ちてしまったのは、結果的に勝頼の万事休すに繋がったけど、
裏切りなく、城として徹底抗戦して、武田の誇りを最期に守った的な意味合いは大きいと思う。
316人間七七四年:2011/07/05(火) 17:04:26.82 ID:N++Y9NHI
やはり後詰めが100%ないって分かってる籠城戦は裏切り出るよね
317人間七七四年:2011/07/05(火) 17:07:31.95 ID:INU28oEs
後詰が無い事より敵が帰ってくれない方が怖い
318人間七七四年:2011/07/05(火) 22:19:57.35 ID:7SesJfDg
やっぱり鳥居峠で信豊が木曽に負けたのが終わりの始まりだったよね
あそこで木曽を叩いていれば内戦作戦で各個撃破の可能性もあったけど
319人間七七四年:2011/07/05(火) 22:20:33.48 ID:j+Sbsfri
自軍には後詰はない
敵には後詰がある
こんな状況だったら最後のお願い以外に打つ手ないよな
320人間七七四年:2011/07/05(火) 22:34:31.57 ID:7SesJfDg
勝頼が岩櫃に行って昌幸が裏切らなかったとしたら本能寺の変が起きないわけで
結局織田の天下統一になったんだろうね
信長も甲江和与を勝頼が求めた時に受け入れておけば良かったのに
321人間七七四年:2011/07/06(水) 11:15:59.03 ID:266r1iqH
信玄が西上作戦始めるにあたって
信長・家康にいわゆる宣戦布告をしなかったようで
それでいて甲江和与結んでくれってのは、ちと虫が良すぎるような
いかに乱世といえど、最低限のルールはあるわけだし
その点では、これもまた信玄の負の遺産か
322人間七七四年:2011/07/06(水) 12:40:58.32 ID:M7oyFPK1
信長って末期のチョウソカベみたいな例外はあるけど基本的に同盟先に裏切らないよね?
本能寺無かったら家康がどういう末路をたどったか興味あるけど
甲江和与が成立していた場合
○ 対上杉に武田を使える
○ 北条も織田と同盟
○ 葦名、佐竹辺りも接触してくる可能性が高い→戦わずして東北諸大名を影響下に
もし伊達辺りが反抗すれば北条、徳川、武田による奥州侵攻

とかありそう
東はほぼ平定したような物じゃね?
323人間七七四年:2011/07/06(水) 21:47:47.61 ID:C2d5tV13
>>322
朝倉を攻めたのは裏切りじゃないのかとか、その辺の判断が難しくね?
324人間七七四年:2011/07/06(水) 22:14:52.49 ID:j8CuuGbK
無理難題を押しつけられて、最低でも転封
325人間七七四年:2011/07/06(水) 22:19:19.51 ID:ByjjE3I6
関東に近すぎるんだよな
326人間七七四年:2011/07/06(水) 22:48:34.90 ID:guSsasxx
さっさと信勝に家督譲って生き延びるしかないな
良くて甲斐信濃二国安堵だろうけど
327人間七七四年:2011/07/06(水) 23:36:42.71 ID:7T6fr+c9
>>326
それで生き残ったとしても信濃は取り上げられんじゃね?
いいとこ甲斐のみ安堵だろ。
んで後で難癖付けられて転封。
328人間七七四年:2011/07/06(水) 23:45:06.21 ID:guSsasxx
甲斐だけまで追い込んで転封する意味あるのかな
329人間七七四年:2011/07/06(水) 23:46:40.93 ID:gz5cCrQF
降伏すれば織田に恭順を誓った国人は織田の直臣として切り離されるから
よくて甲斐と諏訪郡のみ安堵かな、その後養子を入れられて乗っ取り。
悪くすれは府中を取り上げられて郡内と河内の二郡のみとか
330人間七七四年:2011/07/06(水) 23:47:40.27 ID:sjewjsIZ
同石高なら甲斐は貧しい部類に入るだろうからな
331人間七七四年:2011/07/07(木) 02:54:18.78 ID:HbhTcdbz
勝頼が引退して信勝に家督を譲るのとあとは松姫を差し出せばそう扱いは悪くないだろうと思うが
332人間七七四年:2011/07/07(木) 03:06:21.45 ID:ccq64NgV
そう言えば松姫いたな
信忠は松姫のために正室開けてたとかいう話は本当だろうか?
信長は形だけでも家督を譲ってるし信忠と上手く付き合えば悪くは無さそうだね
上杉とガチで戦うハメになりそうだけど
333人間七七四年:2011/07/07(木) 07:03:49.52 ID:Q8M611Ej
天正10年の上杉とか織田に潰される寸前だったしなんとかなるさ。
334人間七七四年:2011/07/07(木) 09:34:53.11 ID:fHyowlnv
本能寺なければ上杉も滅亡の可能性高かったんだっけ?
御館の乱直後だったはずだしボロボロだろ
335人間七七四年:2011/07/07(木) 10:51:41.88 ID:nY4jMHhl
>>332
皇族だか公家だかが正室として内定していて
甲州崩れ後も松姫に関しては何も動かなかったから
ただのこじつけロマンスだな。
336人間七七四年:2011/07/07(木) 10:59:09.95 ID:zRRqEfZm
女風林火山の見過ぎ
337人間七七四年:2011/07/07(木) 13:47:37.64 ID:mRFQXEl3
でもあの歳まで正室を置かなかったってことはやっぱ未練があったんじゃないかねえ
信忠が武田攻めでやる気全開だったのも松姫を手に入れるためと考えれば納得がいく
338人間七七四年:2011/07/07(木) 15:06:52.43 ID:qigZtlSh
その方がドラマティックだけど、あんまり期待できないな
甲斐源氏という家柄もありーの、文通でやりとりはあったけど
戦国時代はもっとドライだと思うんだよね
秀吉が主家を乗っ取ったり、鬼武蔵が信雄のバカ殿など主君ではござらん!と言ったり
豊家恩顧の大名が旧主家の為に働かなかったりとかね
339人間七七四年:2011/07/07(木) 15:32:41.43 ID:9fElA8xx
>>334
西は柴田ら、南は森ら、東は新発田
340人間七七四年:2011/07/07(木) 15:55:56.47 ID:0FNgZP5v
>339
蘆名、最上「俺たちを忘れてもらっては困るぜ!」
341人間七七四年:2011/07/07(木) 15:56:46.94 ID:rcdhDGO2
可能性が高かったというか、もう詰んでたよな。
>>339を仮に何とかしても、さらに沼田方面から滝川も加勢できるし。
342人間七七四年:2011/07/07(木) 16:29:25.23 ID:JByxMEA1
>>341
信長もそうだがこの時代運も重要だわな
景勝について言えば新発田の乱抑えるために数年かかってるわけで大したレベルじゃないと思う
義理の兄が信長にあっさり滅亡させられたおかげで本能寺に繋がったわけで
343人間七七四年:2011/07/07(木) 20:29:21.65 ID:pipYADUs
確か信忠の正室を武田から迎えるなんてことは断じて有り得ないって書いた信長書状があったな。
丸山氏によれば、史実でも勝頼は佐竹を通じて織田との和解に努めたみたいなんだけど、
信長はてんで相手にしてなかったみたいだからなあ。
344人間七七四年:2011/07/07(木) 20:34:13.52 ID:pipYADUs
あ、丸山じゃなく丸島氏ね
345人間七七四年:2011/07/07(木) 21:22:44.82 ID:4X//xxJd
何となく信玄の娘ってブスなイメージあるんだけど、貰った側は嬉しかったのかな
346人間七七四年:2011/07/07(木) 22:28:02.96 ID:ITo/sPtZ
源氏系だからすっきりした美形じゃないの?

畠山さんの肖像画のイメージで考えてないよな?
347人間七七四年:2011/07/07(木) 22:43:54.54 ID:YwJlsQXp
正室三条の子はともかく、側室は美人のねえちゃん揃えてるだろ
母親似なら美人の確率は高い
348人間七七四年:2011/07/08(金) 17:06:23.38 ID:kyyg0TSf
武田で「御寮人」呼称は、器量よしを指すのではなかったかな。
349人間七七四年:2011/07/08(金) 17:43:18.22 ID:Tq9rMFy1
諏訪御寮人・・・
350人間七七四年:2011/07/10(日) 12:53:04.75 ID:T3jYIY2Y
真田って何で赦してもらえたんだ?
351人間七七四年:2011/07/10(日) 18:05:23.26 ID:GnUPYE/m
情報
352人間七七四年:2011/07/10(日) 18:16:12.07 ID:hMusKoRP
>>350
密約ね。
おそらくは勝頼一行がきたら引き渡す約束でもしてたんだろ。
353人間七七四年:2011/07/10(日) 18:29:42.02 ID:fXnGlQs/
その辺りはもう闇の中だな
勝頼は小山田の元に向かったわけだし
小山田が勝頼裏切って斬首されてるのを考えると真田が同じ事して許されるとも思えないが
余程前から通じてたという事になれば話は別だが
354人間七七四年:2011/07/10(日) 18:39:42.83 ID:hMusKoRP
関が原で小早川と脇坂は事前に通じてたので加増されたが、
赤座や朽木や小川は全没収された。
真田がある程度前から連絡してれば問題ない。
小山田は土壇場すぎた。
355人間七七四年:2011/07/10(日) 21:28:06.53 ID:lg33Q8um
真田は甲斐への侵攻路から外れてたから助かっただけでしょ
信玄時代の重臣の子でも、山県・馬場は殺されてるけど、内藤・高坂・真田は許されてるし
いくら信長だって家臣まで皆殺しにしてきたわけじゃないしね
356人間七七四年:2011/07/10(日) 22:33:51.75 ID:uFdFY52q
許されたと言うより重要視されてなかっただけだよな。
357人間七七四年:2011/07/10(日) 22:38:50.10 ID:L4P0ccYw
武将=殺す
国人=活かす
358人間七七四年:2011/07/11(月) 11:31:57.80 ID:r4oEO9vu
よくわからん
国人はほぼ地頭上がりで地域の名士なんだから
靡かない国人は排除しないとどうしようもない

郷士レベルの武将ならさしたる影響力もないからどうとでもなるが
359人間七七四年:2011/07/11(月) 20:10:59.72 ID:SsJqgj55
信長ほど 殺生を した武将は いないだろな。
360人間七七四年:2011/07/11(月) 20:18:21.28 ID:lN1Bu7Y5
戦争とは 大なり小なり人が死ぬこと
殺した数の大小で価値を決める人間は偽善者です
361人間七七四年:2011/07/11(月) 20:23:59.94 ID:C2YKcP0C
>>359
まぁ信玄も佐久でやらかしてるけど
年齢とともに丸くなっていくのが常識だろうね
戦国武将といえども
信長の場合は残虐性をアピールしてひれ伏させる道を選んだみたいだけど
でも信長の言うように比叡山とか石山本願寺とかもう宗教施設じゃなくて軍事施設だしねー
酒を飲み妾を蓄え何が神に仕えてるのか?という信長の主張もあながち
362人間七七四年:2011/07/13(水) 01:39:23.34 ID:LVe6Z5Rt
北条の支城群が秀吉の軍に対して一応は抵抗したのを考えると甲州崩れは異常だな
飯田城とか支城群がまともに機能してれば各個撃破の可能性もあり得たのに
363人間七七四年:2011/07/13(水) 02:10:47.01 ID:o/Ky8ufY
北条には長篠の戦も高天神城の撫で斬りも無かったからな。
さらに不落の小田原城もある。
364人間七七四年:2011/07/13(水) 05:54:29.40 ID:a5bAqSek
勝頼個人の人望も原因だな。
365人間七七四年:2011/07/13(水) 08:08:08.07 ID:IG1UyMBo
税制の差と高天神見殺しを演出した信長の戦略勝ちが結果に現れた。
366人間七七四年:2011/07/13(水) 10:20:43.27 ID:0O0poNdy
高天神は後詰めしても家康が逃げるしな
何が問題って駿河任せてる穴山が対応できてないのが問題
まぁこの頃には内通してたんだろうけど
367人間七七四年:2011/07/13(水) 14:41:00.80 ID:j9dFBeQT
少なくとも長篠のあとの高坂の過激な粛清策はありえない。
この時点で穴山や信廉、信豊を粛清しようとしたら、武田はその時点で滅ぶ。
368人間七七四年:2011/07/13(水) 22:21:11.35 ID:9v16sCz7
斬った所で長篠で失った人材は戻って来ないしな
369人間七七四年:2011/07/13(水) 23:47:59.13 ID:fbH1JwhE
勝頼は人望無かったのか
義信付きの老将飯富兵部みたいなのはいなかったっけ
370人間七七四年:2011/07/14(木) 00:42:29.33 ID:jUvRTa46
>>369
勝頼には高遠時代に付属された家臣(安部勝宝、小原兄弟、秋山紀伊守など)がおり、彼らは
やはり勝頼との結びつきも堅固だったようで、最期まで行動を共にしているな。有力な家臣で
勝頼期というと、竜朱印の奏者を多く務める跡部勝資あたりが目立つかな。
その勝資にしても、動向をみると信玄子飼いという感が強いが。
371人間七七四年:2011/07/14(木) 02:34:06.37 ID:xCHdUFfu
>>370
甲陽軍艦でディスられてるけど跡部は諏訪で戦死してるんだから
勝頼に殉じた数少ない武将の一人だろうね
372人間七七四年:2011/07/14(木) 07:16:00.79 ID:R+j7jN03
なんで軍艦でdisられてんの?
高坂家と仲良くなかったとか?
373人間七七四年:2011/07/14(木) 07:18:34.02 ID:q+3tGkXG
勝頼派の人を貶めるか、無視するかしてるからね、そもそも。
信玄と重臣を持ち上げて、勝頼とその取り巻きが駄目だったから武田が滅んだ、
ってことにしたかったんじゃね?
徳川家内旧武田家臣団としては。
374人間七七四年:2011/07/14(木) 08:19:19.46 ID:AY04tHcg
十分ありえそうだね。
375人間七七四年:2011/07/14(木) 09:05:15.91 ID:JAXQcT3h
最大版図は勝頼期なのにね
北条氏政もそうだがこの世代はディスられ過ぎだな
376人間七七四年:2011/07/14(木) 10:13:58.45 ID:OElQQwxw
勝頼に一定の人望が無いなら長篠の戦の後に強制隠居か追放されてるだろ。
武田家の歴史は内訌とクーデターの歴史であり、そんな甘くは無い。
377人間七七四年:2011/07/14(木) 11:12:54.28 ID:2bPsv1fS
>>362
崩れる場合と崩れない場合の条件があるはず。
先祖伝来の地とか重臣とか戦況とか再就職先とか。
378人間七七四年:2011/07/14(木) 14:28:55.79 ID:tgfd7aQ7
武田滅亡のおもしろいところは、多くがそういう利害を踏まえて立場を決めたはずなのに、
土屋や真田、石田小山田、仁科の家は、あり得ないレベルの出世をしたり、それなりの地位を得て、
穴山、郡内小山田、木曽の家は、揃って散ってるあたりだと思う。
379人間七七四年:2011/07/14(木) 14:52:16.37 ID:JAXQcT3h
その辺りが面白さだよな
穴山に至っては死んで誰も惜しんでないというのがw
穴山に期待されたポジションは依田さんがこなしてくれたし
380人間七七四年:2011/07/14(木) 18:52:26.15 ID:Iq8dKrLL
木曾は後継者の頭がパーだったのが運の尽きだな。

森長可に連れ去られたまま戻って来なかったら良かったのに
381人間七七四年:2011/07/14(木) 18:54:34.50 ID:R+j7jN03
逆に考えるんだ
あの鬼武蔵が生かしておいてもいいかwと思った程度の器量だったと考えるんだ
382人間七七四年:2011/07/14(木) 22:09:44.01 ID:qp5V+sAU
無用の首とか侮辱ってレベルではない。
383人間七七四年:2011/07/14(木) 22:19:07.61 ID:mk2Cs48A
実は馬鹿のふりをして危機を乗り切った稀代の謀略家なのであった・・・
384人間七七四年:2011/07/15(金) 18:51:07.56 ID:LPjdVdsu
誘拐されたショックで精神に傷を負っておかしくなった説
385人間七七四年:2011/07/15(金) 19:08:13.65 ID:1bj43Qxe
鬼武蔵の気に当てられておかしくなったんじゃ
386人間七七四年:2011/07/15(金) 20:03:14.22 ID:hsy2b/if
幼少の時に見た鬼武蔵に憧れて、凡人なのに真似した悲劇かも
387人間七七四年:2011/07/17(日) 09:38:02.79 ID:HGpbVFa1
ルーツを 探しに 大月市に 行った。もう 地元には 名乗る人は いなかったようだ。この 戦以降 鳥居氏に 拾われて 関東に きたと 思われる。
388人間七七四年:2011/07/18(月) 16:31:21.52 ID:fY4EupWa
第二次信長包囲網の時信長から和睦の申し入れがあった時に乗ってればな。
謙信死後に信長の甥にあたる武田信勝に家督譲ったり人質の勝長を返還したりしたけどもう相手にされなかったんだよね。
389人間七七四年:2011/07/19(火) 00:35:21.61 ID:+/jnzoKt
というか勝頼って空気を読むのがもの凄く下手なんじゃないの?
390人間七七四年:2011/07/19(火) 00:41:03.03 ID:Jor12QjH
地盤の弱さに最後まで振り回された感じだな
信玄は群雄割拠の時代で砥石崩れとか上田原の敗戦後でもまだ建直しの余裕があったけどさ
勝頼はなんかいかにもジリ貧って感じだったもんな
信玄でも苦戦した謙信相手に戦っても勝ち目はないと思ったのかな
391人間七七四年:2011/07/19(火) 06:22:11.43 ID:Kitl4s6w
敵は上杉だけじゃないからなぁ。

392人間七七四年:2011/07/19(火) 10:10:03.70 ID:BDkj7K/N
二正面作戦の 失敗例。しかし 信長包囲網下の信長軍は すごいと思う。
393人間七七四年:2011/07/19(火) 11:14:20.97 ID:Y5fGett0
信玄の駿河侵攻も三面作戦やね
その頃が戦歴の始まりの勝頼もどうにかなると思ったんだろう。
逆に言えばぐるりと強国に囲まれた武田家は信玄も同様に
危ない橋をわたらなければ勢力拡大できない地勢だったと言えると。
394人間七七四年:2011/07/19(火) 11:26:39.75 ID:uu/yVUgu
>>391
あの時点で織田と組んだ場合北条も織田に接近すると思うけど
奥信濃と西上野で上杉と激突するだけじゃね?
395人間七七四年:2011/07/19(火) 12:31:36.64 ID:BDkj7K/N
>>392 信玄公は 戦国大名として 海を 絶対必要条件と 考えていたのでは ないのでしょう?
396人間七七四年:2011/07/19(火) 20:12:33.53 ID:+F9FfPXf
確かに長篠、新府は勝頼のKYぶりが際立つな
397人間七七四年:2011/07/19(火) 20:18:08.35 ID:lpy7PH5t
やっぱり勝頼は義信の下で信繁ポジションが良かったのかもね
398人間七七四年:2011/07/19(火) 20:38:06.64 ID:UJtCa8UI
勝頼は確かにそちらの立場が向いていそうだけど、義信に信玄ほどの器量があればって感じだな。
義信の場合、粛正に走りかねない。
399人間七七四年:2011/07/19(火) 22:38:35.32 ID:+mc55GvE
義信は堤真一のイメージが強すぎて厨二病っぽいだよね。「そなたのような狭量、国主には向かん!」みたいな
実際はどうだかよくわからんみたいだけど
400人間七七四年:2011/07/20(水) 00:55:32.37 ID:YKsGnYOe
あの時点で駿河攻めをやめるとなると、義信武田はどこに向かう?
あくまでも北進して上杉と戦うか、斉藤氏末期の美濃へ向かうか
まあ信濃や信玄恩顧の武将の反乱とかでそれどころじゃなくなる可能性大だが
あの時点は信玄をして危険をはらんだ南進をするしかないくらい手詰まりだったのでは
401人間七七四年:2011/07/20(水) 01:01:05.27 ID:j4BmgzJW
義信はどうも飛騨攻めを主張していたようだが
飛騨を攻略したあと美濃に攻め入るかもしくは越中に進出して一向宗を傘下に収め上杉を挟撃するか
402人間七七四年:2011/07/20(水) 02:45:14.18 ID:FqLWYjly
まぁ三国同盟を考えれば駿河侵攻は諸刃の剣だわな
実際駿河を得たけど貴重な時間を失ったわけだし
ただ美濃に直接攻め入るのは兵站面で無理がありそうだが
403人間七七四年:2011/07/20(水) 03:01:45.96 ID:YKsGnYOe
美濃で無理なら飛騨・越中なんて無理がありすぎなような
飛騨なんて獲っても得られる物が少ないだろうし
今川の機嫌損ねるのを覚悟で三河攻めとか駄目だったのかな
駿河侵攻で今川・北条とガチバトルよりはマシな気がするが
404人間七七四年:2011/07/20(水) 03:09:24.85 ID:FqLWYjly
三河せめても同盟が残ってるなら今川に返還するハメになるんじゃね?
なんか今川攻めて北条とも戦って上野にも手を出した頃って西進する気配なかったのにさ
なんで包囲網に参加したんだろうね
405人間七七四年:2011/07/20(水) 18:47:58.18 ID:51t/AYPn
信虎が長生きして長篠に軍師として参加していればよかった。
406人間七七四年:2011/07/22(金) 21:02:44.33 ID:FvudLsGd
義信を殺してまで得た駿河を戦わずして失った勝頼。信玄も馬鹿息子達に悩まされたな。
407人間七七四年:2011/07/22(金) 21:44:06.08 ID:dA8Nkcq0
そして当事者の穴山信君は義理の息子と
408人間七七四年:2011/07/22(金) 22:06:20.35 ID:AzZEOSld
勝頼時代に勝頼が育てた武将ってのがいないもんなぁ
信玄時代のワンセットで最後まで戦った感じだし
409人間七七四年:2011/07/22(金) 22:11:23.01 ID:1ww5tTzH
勝頼は信玄に忠実すぎた。
信玄政策の踏襲などせずに織田徳川と戦わなければよかった。
410人間七七四年:2011/07/23(土) 00:52:56.98 ID:ESYL9fsW
そんな好き放題出来るほど権力ないだろ
411人間七七四年:2011/07/23(土) 07:08:44.45 ID:KYY8iHIG
一戦も交えずに降伏とかあり得ないし、そうでもないと信長は甲斐源氏を
残さなかっただろうから、んなこたぁ無理ですな
ムリムリカタツムリですな
412人間七七四年:2011/07/23(土) 07:41:24.55 ID:tGAp+9Lq
>>411
いや、穴山とかの分家筋はみんな甲斐源氏だろ。
江戸時代まで穴山が残ったら、武田に改姓してたんじゃないかね。
413人間七七四年:2011/07/23(土) 08:23:43.08 ID:xNzwgoHW
穴山って場合によっては武田姓使ってなかったっけ?アイツは武田宗家名乗る気満々だろ。
414人間七七四年:2011/07/23(土) 11:15:52.58 ID:s4WCNXzv
結局甲斐って信玄時代から豪族の力は削がれてなかったんだよね
上田原で板垣、甘利がラッキーにも戦死してくれて後は婚姻で懐柔していっただけの話で
勝頼時代になってその矛盾が噴出しただけとも言える
勝ってる内はなり潜めてたみたいだけどさ
415人間七七四年:2011/07/23(土) 14:20:47.73 ID:POIsctBM
勝頼は陣中から側室へ送った手紙とか北条夫人が殉死したのを鑑みると
個人としては優しい人だったんだろうなあとは思う。
戦も父親の信玄や信長よりも上手かったとは思うけど、いかせん戦略面
というか外交面がダメダメだからなあ。
信長は戦上手ではないが戦略面でそれをカバーしてあそこまで行った。
よく言われる戦術<<戦略を見事に体現した2人だよね。
416人間七七四年:2011/07/23(土) 14:32:46.88 ID:g/6JwDvJ
>>413
武田が滅んだ後、穴山の嫡男が武田の名跡ついでなかったっけ?
417人間七七四年:2011/07/24(日) 00:12:42.47 ID:tH1uHJPJ
家康の子供も穴山の娘を娶って武田家継いでいたはず
418人間七七四年:2011/07/24(日) 00:33:18.86 ID:tw3uP27z
もともと信玄時代から武田姓だし
419人間七七四年:2011/07/26(火) 01:24:35.45 ID:FJDJ9e7z
御坊丸を返さず、信濃国境に御坊丸を槍と鉄砲を向けた状態で立たせておけば織田軍は信濃に一歩も入れなかったはず。

それでも織田軍が侵攻してきたら、甲斐、信濃の守護は武田であり、侵略の不当性を信長に訴えるべき。
420人間七七四年:2011/07/26(火) 03:20:41.08 ID:XcldNZOU
なんというかダメなときは何やってもダメみたいな・・・
421人間七七四年:2011/07/26(火) 05:30:12.10 ID:OKLGF3ej
>>419
攫ってった幼児を人質にしてる奴が大義名分とか、テラワロス

あと、勝頼の代でも守護職貰えてるの?
朝廷優先の信長論理だと、国司の方が守護より優先な気もするな。
422人間七七四年:2011/07/26(火) 21:14:29.14 ID:WJM5bmgn
勝頼は守護職(まあ室町幕府が滅亡しちゃうが)どころか
官位すら大膳大夫を自称したもものの正式な官途を得られず
死ぬまで無位無冠の悲哀を味わった

ぶっちゃけそうなったの信玄のせいだけだけどね
423人間七七四年:2011/07/28(木) 14:25:54.62 ID:gwA7MSHd
最盛期はあれだけの領土を持ちながら百数十万石なんだよな
424人間七七四年:2011/07/28(木) 16:48:03.49 ID:82JMGhTC
平野部があんまり獲得できてないからなぁ。
尾張と美濃の平野を抱えた織田とは、最初から質が違いすぎる。
425人間七七四年:2011/07/28(木) 18:35:07.89 ID:dDVDtQon
また濃尾平野で織田有利説かよ
飽きた
426人間七七四年:2011/07/28(木) 18:40:05.43 ID:Vu8k2daG
最後は、尾張、美濃、伊勢、近江の大兵力が丸ごと信濃になだれこんできたからな。
427人間七七四年:2011/07/28(木) 19:17:02.58 ID:f0PIPDu+
関東平野で騎馬隊を多く抱えていた北条は弱かったじゃないですかー。
428人間七七四年:2011/07/28(木) 19:51:11.03 ID:B+HN1HcX
当時の関東は未開の原野。開発の進んだ中京地域と一緒にしちゃいかんよ。

しかし、徳川があっという間に整備したものがなんで北条にはできなかったのかね?
戦闘で手一杯だったから?
429人間七七四年:2011/07/30(土) 07:36:30.99 ID:yPcMWF9s
>>428
そんな事はあるまい。
幕末近くにすら「池袋村の女」という怪異話しがある。
近代以前の東京なんて池袋すらポツンとした村であるほどで、
関東はそこまで発展してない。
430人間七七四年:2011/07/30(土) 17:54:33.21 ID:URfXFBFu
信玄が上洛してたら、甲府に国会議事堂や大企業の本社や山手線があって八ヶ岳の麓に都心へのベッドタウンがあったのかと思うと感慨深いね。
431人間七七四年:2011/07/30(土) 23:02:46.23 ID:uG9ey947
その場合駿河じゃね?
432人間七七四年:2011/07/30(土) 23:33:11.61 ID:xtXmFaCF
下野が地盤の足利だって京・鎌倉を拠点にしたのだし、武田幕府(笑)なるものが開かれても甲斐とは限らん
433人間七七四年:2011/07/30(土) 23:49:32.94 ID:Qpow4bVy
甲斐だと国人がやっかいだから、京を拠点にする気がするね。
434人間七七四年:2011/07/31(日) 19:12:06.55 ID:C4NxGSKw
謙信みたいに「ちょっと行ってくら」的な上洛しかできんかったんでねえの?
435人間七七四年:2011/08/01(月) 02:46:45.74 ID:Zo29XAU4
>>428
坂東武者は昔から強いじゃないか。
源氏も北条も足利もみんなそうだ。
436人間七七四年:2011/08/01(月) 06:03:22.56 ID:5qnrkJRK
信玄存命なら
京都で
武田幕府ひらく
気がする

関東は、北条と同盟を結び直しそうだな
437人間七七四年:2011/08/01(月) 09:37:12.09 ID:C9ZEo/Fr
足利将軍の上洛要請で京に上った武田が幕府潰したらマズイだろw
大義名分が無くなって織田が武田に変るだけ
438人間七七四年:2011/08/03(水) 23:04:47.09 ID:glUvX7Ix
甲斐の山猿が 京に上るなど 笑止千万。
439人間七七四年:2011/08/05(金) 03:37:14.06 ID:mhKdRfLi
信濃から美濃へ大軍での進攻は不可と言われてるけど本当?天正10年には美濃から信濃に5万の信忠軍が進攻してた訳だけど。
440人間七七四年:2011/08/05(金) 04:25:11.28 ID:GeF+SGuj
木曽の手引きがあったからこそ出来たんでないの
441人間七七四年:2011/08/05(金) 10:31:54.86 ID:qg7LE4j+
出口入り口が味方なら十分可能
ただし大部隊を率いるのには不向きなのは事実で
関ヶ原の秀忠隊も難儀している。
442人間七七四年:2011/08/05(金) 12:21:00.46 ID:ilF6b1IS
関ヶ原時には既に徳川に武田の旧臣が組み込まれてなかったっけ?
443人間七七四年:2011/08/05(金) 14:35:54.26 ID:3MrNJjtZ
そもそも信忠軍が攻め入る前に、武田信豊が進軍して敗走しているからな。
大軍での侵攻に失敗、カウンターが正しい。
444人間七七四年:2011/08/05(金) 19:47:33.05 ID:hEoylKUp
>>400から>>404
なんかいまだに駿河攻めが武田主導で始まったと思っているようだが
実際は今川が上杉と組んで武田を包囲する戦略を進めていたのであって、
最後通牒ともいうべき三河共同出兵(家康倒すの協力するから、三河半分を武田に、という話)
も拒否されて塩止めも起こり、今川上杉の同盟と武田包囲戦略が固まってきた1568年末の段階では
もう武田には先制攻撃で今川を撃たなければ、逆に武田が撃たれる状況でしかなかった

それから北条は当時上杉と関東諸侯連合相手の戦いを有利に進めており、
関東方面では詰めの段階にまで入っていたから
武田としても北条が介入してこれない、もしくは事情を話せばわかってくれるかもしれない、という
観測があったようだ
ここら辺の事情は北条側でも「氏真が武田に攻められたのは上杉に通じたせいかも。仕方ない事だね。」と言ってる書状がある事や
武田が深沢書状で「そもそもなんで俺らが戦ってるわけ?これまで武田と北条は上杉相手に各地で一緒に戦ってきたでしょ?
もともと今回の戦いは氏真が上杉に通じて武田を撃とうとしたのが原因でしょ?こっちは随分と今川に兵を出すのを我慢してたんだよ!」
って述べている事から裏付けられる

んで結局北条氏康が有利に進めていた関東戦線の権益を上杉に丸ごと渡して
対武田戦争に入った事はかなり意外な事だったはず
445人間七七四年:2011/08/05(金) 19:50:27.29 ID:hEoylKUp
>>443
そりゃ入り口の木曽が敵になってたからだろ
出口入り口が味方になってれば十分可能
現に織田勢は木曽を手引きとしてそこから入ってきてる
武田も信玄死後の東美濃攻防では
信玄時代に美濃方面の入り口である岩村を押さえてあったから
特に難儀しないで東美濃まで入っている
446人間七七四年:2011/08/05(金) 19:52:22.10 ID:hEoylKUp
>>422
父親の信玄が甲斐信濃守護だから
勝頼もそれ継承してると思うが
447人間七七四年:2011/08/05(金) 20:24:36.02 ID:jRf8QDY9
>>446
守護は家じゃなくてあくまで個人に与えられるものだから、自動的には継承されないよ。
義昭に連絡が付けば継承させてもらえただろうけど、なんせはるか広島の鞆にいるからなー。
448人間七七四年:2011/08/05(金) 20:45:17.94 ID:hEoylKUp
>>447
いや、継承されてんじゃないの
それいったら歴代守護がおかしくなるし
449人間七七四年:2011/08/05(金) 21:00:15.17 ID:qg7LE4j+
歴代守護だって初期はころころ交代させられてる。世襲じゃないからね。

>>442
だから進路に選んだんでしょ。
当初の作戦では美濃を制した井伊が合流する手はずになっていて
出口の安全も確保出来てる予定だった。
難儀したって言うのは遅参で秀忠は強行軍したけど、増水で軍が動かなくなって
結局わずかな供回りだけで家康の元に出向いたってこと。
450人間七七四年:2011/08/05(金) 21:17:20.64 ID:qg7LE4j+
上で信豊が敗走したと言ってる人が居るけど、実は信豊は戦ってない。
先鋒の今福が木曽で破れてその報告で、
すでに織田の先鋒が木曽に入って固めてることを知ってあきらめただけ。
信玄時代にも一度は運よく侵攻を防いでるし、
長久手のときは上田以上の戦力差で徳川の別働隊を破ってたりと
木曽は要害であり大軍にとっては難地。
451人間七七四年:2011/08/05(金) 22:45:28.08 ID:3MrNJjtZ
信豊指揮の軍の先鋒が負けて撤退したら、それは信豊の敗走だろ・・・・
452人間七七四年:2011/08/05(金) 23:48:51.69 ID:qg7LE4j+
撤退であって敗走というニュアンスは違いますね軍を保っていて後退ですから。
そこから交戦不可になる理由である穴山の寝返りがいかに重大事だったかと言うことです。
453人間七七四年:2011/08/06(土) 02:53:19.87 ID:OwBkbJ7Y
御親類衆の木曽が裏切った時点で穴山が裏切ってもおかしくないんだよな
信豊や信廉は裏切ったとまでは言えないけど城捨てて逃げてるからなぁ
454人間七七四年:2011/08/06(土) 06:05:00.64 ID:JvHlL1n2
>>452
そのあと、軍そのものが瓦解しているんだから、敗走状態だったと思うぞ。
455人間七七四年:2011/08/07(日) 14:26:49.60 ID:CYkcva1j
木曽公の末路。哀れや。
456人間七七四年:2011/08/07(日) 14:27:14.06 ID:TIQkhTmT
因果応報
457人間七七四年:2011/08/08(月) 21:18:32.63 ID:2eDloEAU
武田滅亡の立役者となった三者(木曽、穴山、信長父子)がその後、悲惨な末路を辿ったことが武田厨の溜飲を下げてるわけですね。

458人間七七四年:2011/08/09(火) 09:55:01.31 ID:vOkJkxTe
木曽、穴山はざまぁだけど嫁いだ信玄の娘は不憫だね。っていうか名の知れた娘は全員か。
459人間七七四年:2011/08/09(火) 10:19:01.57 ID:kHjxqCQx
菊姫は良い方では?
上杉滅亡しなくて良かったね
460人間七七四年:2011/08/09(火) 14:49:37.89 ID:9J6a9PpZ
息子達も悲惨。
ほとんどが自害してる。なかには空腹で動けないところを討ち死にした人まで。
461人間七七四年:2011/08/09(火) 16:36:03.87 ID:jVmKAWxF
真理姫はすげー長寿だったような気が…
462人間七七四年:2011/08/09(火) 19:21:17.71 ID:HqPsJ+PW
でも殺された娘はいないでしょ。滅亡した家の中には娘まで殺されたところもあるし。
463人間七七四年:2011/08/09(火) 21:36:03.12 ID:q8dhk13t
源氏は 呪われてんのよ。
464人間七七四年:2011/08/09(火) 21:39:33.90 ID:LoZknrRp
滅亡時に生きてた娘4人は、置かれた状況の割には、真っ当な暮らし送れたと思うけどなぁ。
穴山室は、夫に先立たれたとはいえ、将軍の子を養育する立場になった。
木曽室は、隠遁とはいえ子と静かに生活。
松姫は、無理に結婚もさせられず、預かった子を立派に送り出し、武田の菩提を弔えた。
菊姫は、五大老の妻で実子なしながら敬愛された。
465人間七七四年:2011/08/10(水) 21:37:01.23 ID:05kXjoEP
シンゲンが存命して強盛誇ってた時から9年で武田滅亡だからな。
恐ろしいスピードだよ
466人間七七四年:2011/08/10(水) 22:09:50.97 ID:f20hmkpO
逆に良く持ったなって感じだけど
浅井朝倉の滅亡スピードに比べると
467人間七七四年:2011/08/11(木) 05:54:37.27 ID:EZnAGNVj
四ヶ国を2ヶ月で失ったのもスピード早すぎだけどな。浅井、朝倉は一国ないし半国でしかなかったが。
468人間七七四年:2011/08/11(木) 06:39:46.70 ID:07B2Ec9o
大国同士がぶつかって、一度でも一方に傾いたら、後は大抵一気でしょ。
469人間七七四年:2011/08/11(木) 06:59:39.37 ID:8Kh6a797
長篠に関しては武田が15000だったことを考えたら明らかに対徳川しか考えてなかっただろうね
最初の前提条件が変った以上一度撤退が正解だったんだろうけど
470人間七七四年:2011/08/11(木) 07:23:41.09 ID:YnKHGlTb
織田の勢力拡大に対して、対抗できるギリギリだったので決戦を望んだ、って説があるけど(センゴクとか)
長篠時点ではまだそこまで切羽詰まってないよな。
北条との同盟も堅固で、上杉方面も落ち着いてるし。
最初から織田との決戦を指向していた場合、北条から援軍もらって上杉を抑えた上で、
全力投入するべきだっただろうね。
471人間七七四年:2011/08/11(木) 07:29:42.34 ID:07B2Ec9o
浅井、朝倉、三好、松永、足利、伊勢志摩……
次々と滅ぼされていくのを目の当たりにしていたら、プレッシャー半端ないだろ。
472人間七七四年:2011/08/11(木) 09:44:46.79 ID:BusOVV5Y
信玄の無理な征西からして織田にワンパン食らわすために見えるし
他の政策も長篠までは信玄の政策を忠実に継続してる
長篠も信玄以来の基本路線の内と見るのが妥当と思う
473人間七七四年:2011/08/11(木) 13:44:44.83 ID:2xxUfw14
>>470
長篠ですら戦力差3倍
織田が他所でコケない限り戦力差は開くいっぽうだろ
信玄が俗にいう西上作戦で無理して集めたのが25000 15000だって余裕残しての数字ってわけじゃない
もっとも設楽原の地形から、両軍の兵力は実際は巷説の半分ぐらいではないかという説もあるけど
474人間七七四年:2011/08/11(木) 18:52:26.17 ID:nKdDnJoY
>>472
西上が無理って何の話だ?
普通に信長大ピンチで方々手ふさがりになってピーピーいってるし
信玄死亡がなければ信長終了でおしまい
長篠までの活動は基本的に信玄西上の時の包囲網戦略による
美濃決戦が信玄死亡で出来なくなったので
徳川相手の地道な削減に切り替えられただけ
戦略としては信玄西上の戦略とはまるで別物だな
>>473
無理してって何の話だ?
長篠での1万5千は1575年には上杉が関宿攻防や北陸戦線がひと段落したから
対策として本国に1万以上残しての数字だってわかってんのか?
十分に余裕残しての数字だわ
武田は西上の時の半分の石高でしかない第四次川中島でも2万の兵出してるし、その後の西上野戦、今川戦、北条戦と
2万以上の兵力を普通にだしてるわ
どこが無理して集めた兵力なんだか説明してほしいもんだな
475人間七七四年:2011/08/11(木) 19:23:43.19 ID:S/tUVo3M
>>474
半分の石高のときに2万だせるなら
長篠に素直に4万出して勝てば良いのに
476人間七七四年:2011/08/11(木) 21:10:48.92 ID:2xxUfw14
今川戦(薩埵峠の戦い)は12000で今川軍より少ないくらいだっただろ
防衛兵力残さなければならない状況を余裕とは言わないし
477人間七七四年:2011/08/11(木) 21:54:37.15 ID:BusOVV5Y
だがさんちーす
478人間七七四年:2011/08/11(木) 21:59:06.19 ID:ODSMdkwb
>>474
信玄死亡が無ければの時点で無理な征西だなw
479人間七七四年:2011/08/11(木) 22:02:28.38 ID:6vuU9++r
>>475
長篠が起こった1575年では丁度上杉が手空きになったからな
どこに動くか不明だったため、警戒のために守備兵力が必要になった
>>476
北条相手の第二次薩睡峠では対峙兵力が1万8千になってる
しかも後方に守備兵もいたから駿河に展開した武田の総兵力は2万近い

その後の北条相手の戦いでも小田原遠征・三増峠と2万の兵力で進軍してる

さらにそれ以前の1566年の箕輪攻めでも2万の兵を動員してる

いずれにせよ、信玄西上で2万5千の兵力を無理して集めただの、
武田は1万5千で余裕が無いなんて無理もいいところ
480人間七七四年:2011/08/11(木) 22:08:00.13 ID:6vuU9++r
てか西上では徳川領土方面に展開した武田の軍勢が2万5千から3万
東美濃方面で展開した兵力が5千だから
合計兵力は3万5千ほどになるな
なんだ、十分4万近くだせるな
>>478
寿命なんてものは不確定要素だから無理でもなんでもないな
481人間七七四年:2011/08/12(金) 04:49:40.23 ID:qaWN10Fm
無粋な突っ込みだが
川中島で2万というのがそもそも眉唾な可能性がw
本来はもっと少なかった可能性がある

つか物によれば諏訪攻めの段階で万を超える兵だったりするし
482人間七七四年:2011/08/12(金) 07:37:38.14 ID:TjCEWYs8
長篠に4万突っ込んでれば勝てたかな?
483人間七七四年:2011/08/12(金) 08:20:21.50 ID:pHh27wAK
長篠城攻防戦って意味では勝てた
対織田は信長が開戦回避して終わり
長篠の戦力差は信長を決戦に引き釣り出せるものだったけど、できれば過半は欲しかったな 3倍は荷が重かった
484人間七七四年:2011/08/12(金) 08:34:32.02 ID:GT0GfH5c
実際問題として奇襲も無しで3倍の野戦築城してる敵に突撃とか無謀すぎるわな
どこに勝ち目見出してたのかは知らんが
陣前出撃されて総崩れになったのも当たり前
485人間七七四年:2011/08/12(金) 10:59:07.88 ID:PUKoUxKH
まぁ、わかっていてもやらねばならん時はある
わからないのは信玄厨のだがさんくらいだ
486人間七七四年:2011/08/12(金) 16:10:27.12 ID:e+NNyljY
信玄は病死だから死期は大体わかるだろう。
それを推しての征西が無理じゃなくてなんなんだ?
487人間七七四年:2011/08/12(金) 20:52:22.73 ID:/64y1/8w
甲府を出る時点で体調が悪ければ、野田城でのんびりしてないだろうし。
突然発病した、もしくは病状が急変した、んじゃね?
488人間七七四年:2011/08/12(金) 20:55:02.53 ID:/64y1/8w
>>483
ほぼ同数でも、野戦築城してる相手に正面から仕掛けたら駄目じゃね?
って、長篠城落とすのが目的なら、信長+家康の正面に3万おいて、残り1万で長篠落とせばいいのか。
489人間七七四年:2011/08/12(金) 21:15:16.25 ID:pHh27wAK
>>488
軍勢4万って前提ならほぼ間違いなく史実より早く長篠城は落とせる それこそ織田軍が来る前に
史実通り対陣したとしても鳶ノ巣山に兵も避けただろうから酒井の奇襲失敗、あるいは奇襲策自体が無くなる
でも信玄時代にすら動員したこと無い4万を勝頼に求めるのは酷では
490人間七七四年:2011/08/12(金) 21:50:33.38 ID:7c620Hou
>489
4万いても一度に攻め込める人数は限られているぞ
491人間七七四年:2011/08/12(金) 23:51:11.12 ID:Lxt5japH
>>481
当時の武田は上杉との決戦の為に、今川・北条国境の兵すら動員して
領国総動員したから2万を集められた、って感じだったかな
>>485
そんな無謀な突撃で
現に壊滅しておいて、それでやらねばならないとか思ってるのは織田厨の廃人ニートさんくらいだ
>>486
進歩しまくった現在の医学でさえ死ぬ時期なんて正確にわからんぞ
まして戦国時代に何を期待してるんだ?
>>489
信玄時代の最高動員なら3万5千か。
しかし、勝頼も高天神で2万5千は動員してるから
史実とはまた違った展開になりそう
てか、史実でさえも「勝頼がそのまま川を前にして、鳶の巣山に陣をしいていれば織田勢はどうしようも無かった」
と信長公記でいわれてるから
やりようはあったみたいだけどな
492人間七七四年:2011/08/13(土) 10:11:45.39 ID:S/7LI1qK
>>490
収穫逓減の法則とかあったな
たとえ一対一の状況になるとはいえ、後ろに十人挑戦者が控えるのと、廿人控えるのじゃ戦意の面で圧迫できるんじゃないか
493人間七七四年:2011/08/13(土) 10:24:12.24 ID:nyL8SBWF
>しかし、勝頼も高天神で2万5千は動員してるから
これも史実かどうか分からないぞ
実際にはその半数ぐらいであったかもよ

川中島の2万は領国総動員に加え一応自分の領土内での防衛戦
また後の遠征時と比べると兵の策源地からの距離も比較的近いからだな

一応石高基準で1万石につき450とか500もあるから
動員するだけなら信玄でも5万とか動員出来たのか?

しかし領内の男子総動員したという北条でさえ200万石越えで防衛戦なのに
10万人はいっていなかったらしいから
1万石につき450とか500というのは基準となる石高が緩い検地で行われただけか
宗氏みたいに借金含めて石高以外の収入が大量にあったからか
関ヶ原の黒田大坂の陣の豊臣みたいに貯蓄を切り崩したか
494人間七七四年:2011/08/13(土) 11:45:10.24 ID:UR6x+Kpy
>492
長篠城に限っていえば鳥居さん次第w
4万の兵に見つかる前に後詰の来援を知ることが出来るかどうか
495人間七七四年:2011/08/14(日) 03:54:39.86 ID:++QqF2d2
>>493
根拠不明
根拠も無いのに半数だとかいわれてもわけわかめとしか

甲陽軍鑑によると、武田領国最盛期の軍団は最低で3万3千、限界動員して5万2千だそうだな

北条の防衛戦はあちこちに分散して兵力を配備したからな気がするが
本城小田原に5万6千がいて籠城し、後は関東の広い領域の城に分散して配備してたから
合計すれば10万近くいくんじゃないか
伊豆韮山城とか戦後まで持ちこたえてるしな
496人間七七四年:2011/08/14(日) 10:27:07.47 ID:UrZhh/Nw
上洛スレの昔を思い出すような話の展開だな
そういった軍記等による兵力のいい加減さをどうにかするために
某上洛スレは一定の基準として石高を用いるようになったんだったな
石高基準も問題はあれどそれでも軍記の数字をそのまま使うよりはまだマシだってことで
497人間七七四年:2011/08/14(日) 10:41:33.81 ID:dZ5bc5Pt
しかし、長篠の話も西上戦の話もスレ違いだね。

本筋に戻しつつ関連話で。

木曽の反乱から武田滅亡までの一般に知られてる兵力は両軍とも信用していいの?
498人間七七四年:2011/08/14(日) 11:00:49.19 ID:JsVzeP31
まともに研究してる学者が居ないから
通説の兵力数は軍記の中からありえそうな数字を抽出してるだけ
信用できるものではない
499人間七七四年:2011/08/14(日) 14:08:02.43 ID:K1AWgD6E
武田攻め自体が穴山や木曽の裏切り前提だから武田がこの危機を切り抜ける方法はないだろうね
500人間七七四年:2011/08/14(日) 14:17:44.88 ID:a56fPd9z
穴山や木曽が裏切らなければ、織田の矛先は西に向いただろうにな
織田は基本的に西進方針で、北陸以外は濃尾ラインを維持してたから
信忠軍団がすっぽりと甲信上に配置されて中央が手薄になったのが本能寺の遠因でもあるし
501人間七七四年:2011/08/17(水) 22:10:02.12 ID:04ti4s/G
穴山の寝返りがひどすぎたよなあ
一門筆頭が寝返る軍に味方したい奴いないだろうし
502人間七七四年:2011/08/18(木) 21:33:20.94 ID:R2KfBT95
切腹させようなんて言う重臣がいるところに残り続けるのもどうかね
503人間七七四年:2011/08/22(月) 08:58:00.92 ID:vEqf5GtU
結局武田家の求心力がおちてたのが問題だな。
504人間七七四年:2011/08/22(月) 09:12:22.27 ID:KC2MkZ86
中小企業の社長と一緒だな
儲かってる(勝ってる)・・・わらわらと人が集ってくる
儲からなくなる(負けてる)・・・蜘蛛の子散らすように・・
505人間七七四年:2011/08/22(月) 18:41:09.53 ID:Wa2yYil1
本当に武田の裏切り者は木曽、穴山、小山田の三人だけですか?

武田滅亡時に
勝頼と共に天目山で果てた100人(とそこへ行くまでに倒れて果てた人物)と
高遠城の戦いで散った仁科盛信と1500人の兵以外は
ある意味、全て武田の裏切り者だと思いますが?

武田勝頼の召集に応じなかったり、
「自分の所領や城を守るため」とかいう連中は
所詮は口実で勝頼を見捨てて、自分のために行動したと言えます。
武田信豊や信廉、そのほか大勢の武田の将兵も全て裏切り者なのではないですか?

506人間七七四年:2011/08/22(月) 18:41:35.62 ID:Wa2yYil1
あげておく
507人間七七四年:2011/08/22(月) 19:49:36.24 ID:oS5qasUB
>>505
それは違うな。
裏切ったと言えばまるで武田を見限った人々が悪いような言い方だが、
実際は武田に付いたほうが得策と思える状況を武田が作り出せなかったのが悪いんだ。

つまりお客さんが武田から織田に乗り換えたという感覚に近い。
508人間七七四年:2011/08/22(月) 21:18:11.90 ID:wiFbTRNP
武田は国人衆の集まりだものね
あんたのいう通りかもね
509人間七七四年:2011/08/23(火) 00:12:46.36 ID:53/QAc3v
みんな家名を残したいもの。
負けるとわかってて仕える価値もないようなやつに
ついていくなんて馬鹿のすること。
510人間七七四年:2011/08/23(火) 01:08:38.98 ID:gmOGNu9c
でも信長って勢力が圧倒的になってきた後でも
離反反乱続出なんだよね
凄いよ
511人間七七四年:2011/08/23(火) 01:27:56.80 ID:fRASuO6j
逆に一番しんどかった1570〜1572年時には離反無いんだよね
512人間七七四年:2011/08/23(火) 04:00:25.55 ID:xROOq5Di
っていうか長篠以降全く状況改善出来なかった勝頼に問題あるんじゃないの?
余力あるうちは新しい包囲網模索したりする割にちょっと苦しくなると土下座外交するし
(当然無視されたけど)

末期の豊臣政権並に場当たり的で頼り無さ過ぎ。
513人間七七四年:2011/08/23(火) 11:11:56.15 ID:L0u2azw/
勝頼も信玄レベルの外交感覚は持ってたけど織田みたいな
超巨大勢力とやり合うにはちょっと足らなかったというか
謙信があの期に及んで関東出兵しようとしてたとか空気読めてなかったのも痛いね
514人間七七四年:2011/08/23(火) 12:38:56.41 ID:zL4plCFC
空気読める不識庵様なんて…
515人間七七四年:2011/08/23(火) 14:50:58.10 ID:xROOq5Di
もし謙信が関東に向かえば結局武田は北条側に立つから戦略的な位置は結局あまり良くないんだよな
日和見したり謙信についたりしたら面白いんだけど…
516人間七七四年:2011/08/23(火) 14:52:42.36 ID:C6Emm4r0
謙信があの時点で関東問題を一時棚上げして西に向かってればよかったんだけどな
一向宗とも和睦していながら今さら関東管領の責務とか言われても家臣も困惑しただろうね
517人間七七四年:2011/08/23(火) 15:48:27.02 ID:fgIW33XU
謙信最大の敵は酒と塩気
518人間七七四年:2011/08/25(木) 02:44:16.24 ID:DfyfT4ZV
そもそも足利を立てながら覇者になるって設定に無理がある
519人間七七四年:2011/08/27(土) 03:26:51.84 ID:DskXgzwE
戦の強さというか戦術家としてならオヤジより信長よりも上だとは個人的に思う。
ただ戦略家としてダメだったのが戦国大名として痛かった。
信長は戦術家としてなら中の上だったと思うが戦略家としてはピカイチだった。
よく言われる戦略>戦術を体現している2人だと思う。

520人間七七四年:2011/08/27(土) 06:16:48.64 ID:QmH0cwKe
俺も同意だ
521人間七七四年:2011/08/27(土) 06:44:48.84 ID:+A3ELHjC
信長は3000以下の少数は絶対的な強さがあって
大兵力だとそこそこってかんじ。
指揮官として優秀、戦術家として中の上、戦略家として優秀ってかんじかな。
勝頼は大きい兵力でもうまく動かせるよね。
522人間七七四年:2011/08/29(月) 23:38:42.21 ID:quE1vq2B
確かに。
桶狭間以外でも稲生とか斎藤義龍戦とか光秀救出戦では見事な軍事的成功を収めてる。
手傷を負いながらも怯まないあたり、そういう場面では猛将的な部分があったのかもしれない。
523人間七七四年:2011/08/30(火) 00:12:53.62 ID:r9BdcTTM
猛将+戦略面 信長
猛将だけ    信忠
524人間七七四年:2011/08/30(火) 02:13:43.00 ID:QiNXSVWo
信忠は戦略の手腕見せる前に死んだから未知としかいいようないだろw

っか武田宗家の直々所領って実際どれくらいなん?

小山田、穴山やら有力な国人の所領を除いた武田家の力ってかなり低いんじゃね?
525人間七七四年:2011/08/30(火) 03:16:13.11 ID:r3XJFEvG
信長は家督継いだ二十歳前から、
すごい重圧や逆境のなかで織田家を運営してきた事で、
決断力や実行力、想像力も研?%
526人間七七四年:2011/08/30(火) 03:16:29.18 ID:r3XJFEvG
信長は家督継いだ二十歳前から、
すごい重圧や逆境のなかで織田家を運営してきた事で、
決断力や実行力、想像力も研かれたでしょう。

信忠は大成功したワンマン親父の指導下で、
プレッシャーもなく、常に相手より大軍での行動。
生まれつき能力があるかどうかは知らんが、
研かれてきたとは思えない。
信雄よりは、上手くやっていたとはおもうけど、
1つ1つの戦の目的や意味が理解できていないから、
本能寺の時に1番大切な「生き残る」を選択出来ていない。
527人間七七四年:2011/08/30(火) 10:17:28.89 ID:wSvPUa3s
大軍を動かせるなら、大軍を動かす力量を磨いた方が良いのでは
わざわざ少数の指揮を磨く必要もないと思うけど
求められる物がそもそも違うのだから

只、本能寺は武田を滅ぼした時がイメージとして鮮烈だったのかもな
死ねる時に死ねないとみたいな
IFとして10回全部同じ行動はとらないかも?
528人間七七四年:2011/08/30(火) 11:50:33.55 ID:wBkzPKA8
本能寺で信忠が生き残っていた場合安土に入って美濃方面から増援もかき集めて明智とやりあうだろうね
秀吉も当然呼応するわけで明智の劣勢は明らか
明智滅亡後に秀吉の扱いが焦点になりそう
いきなり信忠側近に権力が集中すれば当時方面軍司令だった柴田あたりも気分のいいものではないだろうし
529人間七七四年:2011/08/30(火) 18:59:24.34 ID:B0aXyRhy
光秀って本能寺襲うときに同時に信忠のいた妙覚寺も包囲してたわけじゃないんでしょ?
二千人くらい護衛がいたというから逃げるだけならできてたよね?
530人間七七四年:2011/08/30(火) 19:49:28.73 ID:kw2jKzF4
逃げるべきという者もいたが、信忠は村井貞勝のの唱えた二条籠城を選んだ
敗北の経験がなかったとは言え、この辺はマイナスポイント
531人間七七四年:2011/08/30(火) 19:50:23.41 ID:qc7JdwSS
信忠スレよりちゃんとしてるなwここは
532人間七七四年:2011/08/30(火) 20:40:01.35 ID:iuJOLGwU
どーせなら本能寺に手勢で突っ込んで信長救出でもすれば神だったのにな
533人間七七四年:2011/08/31(水) 01:49:10.22 ID:PWckZYK4
>>530
超優秀な部下が反乱起こしたら普通に退路封鎖されてるかも!?
ってなるし、それよりも信長が脱出する可能性にかけたのかもしれん

あるいは丹羽軍の救援待ちとか
534人間七七四年:2011/08/31(水) 02:07:38.45 ID:SG6fRSa2
織田家は信忠が形式上継いでたわけでそれを考えれば自分がどうすべきかなんてすぐに分かりそうなものだが
武田攻めでの高遠城の件といい本能寺の変の件といい信忠は近視眼的だわな
本能寺も逃げなかった理由は信長見捨てて自分だけ逃げたら恥ずかしいとかそんなレベルでしょどーせ
535人間七七四年:2011/08/31(水) 02:33:07.50 ID:PWckZYK4
信忠スレ池

>>524
確かに、武田宋家の直接的な支配地域ってどれくらいなんだろな…
それ考えると織田家の直領尾張岐阜100万石以上って半端ない
536人間七七四年:2011/08/31(水) 08:53:14.61 ID:Pj9BksCH
>>535
別にあれ全部が蔵入地という訳ではない
537人間七七四年:2011/08/31(水) 10:09:00.73 ID:7IRhdVT+
>>534
秀忠も結構似たような逸話もあるし、偉大な父を持つ優秀な二代目ってのはそんなものかも知れない
後は何だかんだで子供に甘い信長と厳しい家康の教育の差かと
538人間七七四年:2011/08/31(水) 10:16:25.69 ID:NWNINpSN
秀康以降は家康も厳しいが、信康の時はそうでもないでしょ
実際に親父に腹切らされた訳だし
信忠だけ色眼鏡で見すぎだよ
539人間七七四年:2011/08/31(水) 11:03:58.37 ID:ifeQ3Kat
>>537
秀忠が生き残って信忠が死んだのはお付きの家臣の差だろうね
秀忠とかもし生き残った勝頼が信濃で秀忠の進軍邪魔したら戦死レベルだろうな
戦ではゴミ過ぎる
540人間七七四年:2011/08/31(水) 20:29:46.79 ID:X+qoPoyA
秀忠の遺骨を調査したら、鉄砲傷が骨に複数残ってたらしいけど、
どこでそんな最前線まで出たんだろうなー。
どう考えても出なくて良い状況で前線に出て怪我してるね。
541人間七七四年:2011/08/31(水) 20:50:50.35 ID:LE7hJ10d
>>539
まあもし生き残ってても間違いなく甲信地方にはおらんかったろうけどなー
542人間七七四年:2011/08/31(水) 21:12:45.03 ID:V13mMENX
鷹狩の流れ弾だったりしてw
543人間七七四年:2011/08/31(水) 21:22:28.04 ID:rNdBryT0
>>540
上田攻めや大阪夏の陣では本陣まで襲われたって話もあるから、その時くらいか
あるいは太閤死後直後の江戸行き前後に記録に残ってない何かがあったか
544人間七七四年:2011/08/31(水) 22:30:14.09 ID:Pj9BksCH
冬の陣の前線視察で、被弾したけど撃たれなかったとしたとか
545人間七七四年:2011/08/31(水) 23:09:43.71 ID:X+qoPoyA
いや、骨まで削れてる大怪我だから最低でも数日は寝込んでるはずなのに、
そんな記録がないのが謎。
546人間七七四年:2011/09/01(木) 00:35:14.82 ID:ohkkBL72
>>522

天下取った後の秀吉は信長評は点が辛いけど信長の勇猛さは認めているからな。
まあ彼の勇猛さは天下統一の地ならしに必要不可欠だったと思う。

信忠が逃げなかったのは仕方ないかなとは思う。
明智光秀は彼が謀反を起すなら事前準備は完璧だと思われる位に優秀で
まさか暴発のような謀反とは予測出来なかっただろうし。
逃げる事に関しては神レベルのオヤジがやられたんなら直一層無理だと感じるだろうし。

547人間七七四年:2011/09/01(木) 00:36:18.66 ID:4xp8mB1D
これは焼き味噌が当たったでござると痩せ我慢してたとか
548人間七七四年:2011/09/01(木) 08:43:58.13 ID:KhgBAM7M
秀忠は家康の功績を必要以上に大きく見せるために貶められていた!
異説!徳川秀忠関ヶ原突撃編
549人間七七四年:2011/09/01(木) 10:28:23.68 ID:5w/Aux26
信長や家康なら鉄砲傷は名誉になるかも知れんが、信忠や秀忠の環境で鉄砲傷作るのはむしろ間抜け扱いだよなあ
二代目の辛い所ではある
550人間七七四年:2011/09/01(木) 16:01:10.08 ID:eRFv14yk
馬引けっ!
槍持てっ!

お付き「まーた始まった」
551人間七七四年:2011/09/02(金) 02:59:40.77 ID:yLPFUHkr
>>546
でも有楽はにげてるよ!
552人間七七四年:2011/09/02(金) 13:36:29.13 ID:tubqlpGJ
>>551
有楽は信忠を囮にして逃げたんだよw
553人間七七四年:2011/09/02(金) 13:45:10.66 ID:DL9eKdu4
特に準備も無い突発謀反で重要目標以外が逃げれたから何だと言うのか
554人間七七四年:2011/09/02(金) 17:39:23.97 ID:tKOIjS72
武田信勝>越えられない壁>織田の豚だ
555人間七七四年:2011/09/02(金) 17:45:06.33 ID:VWxk4swi
まーた始まった
556人間七七四年:2011/09/02(金) 19:26:54.39 ID:BFXAwPMo
>>551
でも有楽ははげてるよ!

って見えた俺はもうだめかもわからん…
557人間七七四年:2011/09/02(金) 19:56:21.16 ID:HK5hZHU2
入道してて禿げてないやつとかなんなの?生臭なの?
558人間七七四年:2011/09/02(金) 21:44:31.56 ID:W0xQW3YX
六角義冶の逃げ足の速さは異常w
559人間七七四年:2011/09/03(土) 00:10:34.64 ID:/w6rMELW
六角って疫病神だな
560人間七七四年:2011/09/03(土) 13:02:51.44 ID:Re8/r44l
>>540
影武者徳川秀忠
561人間七七四年:2011/09/03(土) 15:52:54.31 ID:bUnYvlli
>>557
甲斐には昔から毛坊主と呼ばれる剃髪していない僧侶がいたらしいが
562人間七七四年:2011/09/03(土) 17:10:21.93 ID:xpfeygFR
毛を剃ることすら出来ぬほど貧しい国だったんかな?
563人間七七四年:2011/09/03(土) 17:44:02.58 ID:43VZMkpJ
生臭は多めに税金取られる国だぜ
564人間七七四年:2011/09/03(土) 17:54:17.77 ID:dlcPI9oL
坊主はチン毛も剃れよ
565人間七七四年:2011/09/03(土) 22:43:08.21 ID:vVWPp0Mg
>>557>>561
大河の信玄も最後まで剃らなかったな
566人間七七四年:2011/09/04(日) 03:57:08.36 ID:+XEG1AuX
勝頼時代は駿河の金山はまだ金とれてたんですか?
567人間七七四年:2011/09/04(日) 14:17:36.32 ID:RMFx7KwC
>>563
カルト似非宗教法人は税金払ってないよ
568人間七七四年:2011/09/26(月) 13:01:29.30 ID:us2BFddN
「これより新府城へ撤退いたす!」

上原城の大広間に信玄の金切り声がとどろいた。
駿河探題穴山梅雪が徳川へ寝返ったという報が入ったのだ。
木曽義昌に続き、親族衆筆頭の穴山までが裏切り、大広間の武田家臣は
武田の終わりが近いことを感じ、誰もが放心状態で下を向いていた。
信玄がよろめきながら立ち上がり、城外に向かおうとしたときだった。

さらにもう一人、憔悴しきった顔の伝令が姿を見せた。
「申し上げます!」
「何じゃ!」。信玄は次の凶報が何か想像もつかないようだった。

「高遠城、織田信忠の軍勢に攻撃され、落ちました!。
城主、武田勝頼様、討死!」

次の瞬間、大広間中に響く大きな音がしたかと思うと、信玄が仰向けに
倒れていた。

「御館様!」
武田の重臣達は、信玄の周りへ輪になって駆け寄った。

「高遠まで落され、わしの生涯は一体何だったのじゃ!」
信玄は起き上がろうとしながら叫んだ。

信玄は再び立ち上がり、城外へ駆け出すと、ただちに馬を走らせた。
杖突峠を駆け下りてくる織田軍に怯えながらの撤退であった。

「設楽ヶ原さえなければ・・・」
馬上の信玄は悔いた。

天正元年(1573年)、西上途中に病に倒れた信玄は、信濃を経由し、
何とか躑躅ヶ崎館に帰陣した。信玄は3ヶ月ほど生死の境を彷徨ったが、
奇跡的に病状が回復。翌天正2年には、馬上にまたがって出陣できるほどの
健常体にまで回復した。

しかし、信玄の健康が回復したとき、既に浅井・朝倉は滅亡し、足利義昭は
京を追われ、信長包囲網は瓦解していた。信玄は天正3年、徳川方に奪われた
長篠城奪回のため三河に出陣、後詰にやってきた織田・徳川連合軍と
設楽ヶ原で対陣した。
結果、織田・徳川連合軍の馬防柵に阻まれ、馬場、山県、内藤、原など
歴戦の重臣を一気に失ってしまったのだった。

未完成の新府城へ到着したとき、1万いた武田軍は1千にまで減っていた。

「どうするのじゃ!」信玄が叫んだとき、小山田信茂が進言した。
「我が岩殿城にお越しくださいませ。」
そのとき真田昌幸が横から「我が岩櫃城で上杉殿と再起を図るのが
上策」と申し出た。

信玄は「小笠原・村上のように越後へ落ち延びるのだけは嫌じゃ!。
甲斐を棄てるわけにはいかん!」と岩殿行きを決断したのだった。

569人間七七四年:2011/09/26(月) 13:50:08.34 ID:uYnGXH4b
>信玄は天正3年、徳川方に奪われた長篠城奪回のため三河に出陣、
震源が生きてれば寝返りはないよw
570人間七七四年:2011/09/26(月) 21:37:01.52 ID:Vr5PBi1V
勝頼が高遠城主って武田世継ぎは信勝か?
571人間七七四年:2011/09/26(月) 22:06:11.90 ID:BwsujCSG
くだらねぇ
572人間七七四年:2011/10/05(水) 18:25:19.60 ID:0lWyOWhY
>>533
>超優秀な部下が反乱起こしたら普通に退路封鎖されてるかも!?
私は光秀という人が好きですが、「超優秀」は過褒でしょう。
「秀」くらいだと思います。
573人間七七四年:2011/10/16(日) 22:31:26.29 ID:1D3Byzoh
信長が勝頼の首実検のときに首を罵って飛び蹴りを喰らわせたってホントかな
574人間七七四年:2011/10/16(日) 23:02:02.02 ID:3hxy3koX
蹴ったことの審議はともかく何故飛ぶ必要があるw
575人間七七四年:2011/10/17(月) 00:15:07.76 ID:6/NtTHgh
はっちゃけてんなーその説の信長w
576人間七七四年:2011/10/17(月) 02:20:37.34 ID:iUyQ7Eot
京都が見たかったんだろ?だったら京都を見せてやんよ
って言って棒で首を突っついた。

ってのをなんかの本で見た
577人間七七四年:2011/10/17(月) 13:20:44.50 ID:0R7WympH
>>573
細川家記「綿考輯録」に載ってるらしいね。
578人間七七四年:2011/10/19(水) 12:25:08.86 ID:SjMmFZqk
>>577

ノブは飛んだのか?
579人間七七四年:2011/10/19(水) 16:01:21.82 ID:r1u990e+
信玄じゃあるまいし、いい年した武将がそんな無作法はしないだろ
580人間七七四年:2011/10/19(水) 22:22:16.22 ID:h9MjoO+N
飛び蹴りって首をなにかに吊るしてあったのかw
581人間七七四年:2011/10/19(水) 22:57:04.64 ID:P4a3WS2y
よくある感じの晒し台じゃね
それより飛び方が問題だと思うんだ
ドロップキックかライダーキックか真空飛び膝蹴りか・・・
582人間七七四年:2011/10/20(木) 01:17:36.52 ID:vdRjMXcl
駆け上がってのシャイニング
583人間七七四年:2011/10/21(金) 18:40:20.32 ID:pJ42G054
そら光秀もぶち切れるわ。
584人間七七四年:2011/10/24(月) 16:52:42.79 ID:sjdoSwuo
首実験をする際に、亡者への畏敬や祟り等を恐れて丁重に扱う場合と、

亡者や首をわざと邪険に扱い「お前は弱かったから負けたのだ。
 死してなお我らに報復をしようなどどいう気を起こすなよ」
・・・という意味あいから、ソザツに扱いかつ呪詛的なキツイ言葉でいましめ
死後の報復を逃れる、というような首実検の儀礼もある。

信長が勝頼の首を邪険に扱ったのは後者の例だと解説する資料本もあるが、
真実は不明かと。
585人間七七四年:2011/10/24(月) 21:06:18.95 ID:WsedGCxk
毛利元就が陶晴賢の首実検の際に「主君を撃つなどという悪行をするからこうなるのだ」
と首を鞭で打った、って逸話があるな。

お前は陶の反乱の時に完全な共謀者だろう!と突っ込んでやりたいが。
586まる:2011/10/25(火) 10:12:45.87 ID:kvXnXkC7
毛利は なぁー。いろんなのやったからな
587人間七七四年:2011/10/28(金) 15:33:44.83 ID:+cJeP4tQ
信長のタイガーショット

588人間七七四年:2011/10/28(金) 18:40:12.91 ID:nzwpzAW+
>>585
秀吉と光秀で同じような話を聞いたことがあるな

・・・ということは、本能寺の変の黒幕は・・・
589人間七七四年:2011/10/28(金) 23:37:07.28 ID:Abh5vgF1
まあ逸話ってのはそれ以前の歴史上人物の逸話からパクった
なーんてのも多いからな
590人間七七四年:2011/10/29(土) 15:39:03.63 ID:dyeKmwdM
大岡政談は板倉政要のパクリだしなあ
591人間七七四年:2011/10/29(土) 17:34:09.91 ID:Sb0RcwVk
信長が勝頼の首や武田残党に何かしたという逸話は大体その後にそれに引き換え家康公は云々という話がつくからな
まあ本能寺後にあっさりと甲斐を帰服させてるから家康が武田残党への懐柔策をしっかりやったのは間違いないだろうけどそれに比べて織田が格別酷いことをしたというのは眉唾物だね
592なろう:2011/11/11(金) 10:14:09.88 ID:3HDum29O
依田だけど 質問ある?
593人間七七四年:2011/11/11(金) 22:01:08.05 ID:9Gr1ArWk
なんでアンパンマンなの?
594人間七七四年:2011/11/14(月) 18:40:28.69 ID:+8A7c4Bw
けど徳川が必至こいて懐柔する程優秀な武田家臣いたっけ?
595人間七七四年:2011/11/18(金) 22:14:15.07 ID:c6xaAUQX
信玄の眼と言われた曽根昌世が勝頼後期には織田に内通してたのはショックだな。
596人間七七四年:2011/11/19(土) 18:56:16.41 ID:N0tpxUYS
勝頼って重臣には裏切られ、領民には恨まれ、信長には蹴られて可哀想。
田野で野糞する勝頼を想像すると涙が出る。。。
597人間七七四年:2011/11/19(土) 19:09:53.33 ID:dqDr1JPZ
親の因果が子に報う
信玄なんかの息子として生まれてきたのがいけなかった…
598人間七七四年:2011/11/20(日) 13:21:48.34 ID:HM0XAixz
種貴ければ禍多しといいますからねえ
599人間七七四年:2011/11/23(水) 22:41:41.32 ID:+IibB7CU
源氏の宿命ですかね。
600人間七七四年:2011/11/24(木) 09:16:05.07 ID:DecQ8Zs6
どう考えても勝頼が嫌われてこうなっただけだがな
アンチ信玄は醜いのう
601人間七七四年:2011/11/24(木) 09:40:58.90 ID:ab67qHo7
何も知らないのは幸せだな
602人間七七四年:2011/11/24(木) 19:11:38.15 ID:Abk5xlxA
長篠の戦いで敗北
岩村城を見捨てる
上杉後継争いで北条との同盟を切る
高天神城への援軍を送らず見捨てた
など勝頼の失敗が完全に原因でしょ。
603人間七七四年:2011/11/25(金) 02:29:07.26 ID:PmwlmwGs
age
604人間七七四年:2011/11/25(金) 03:47:51.53 ID:QKNknrV8
武田信勝って1582の時点では15歳のはずなんだがノブヤボでは最近完全に無視されてるんだよな
昔のやつには居た気がするんだが
605人間七七四年:2011/11/25(金) 17:46:11.40 ID:bdrsNdvs
>>604
史実では何もしてないし、いても空気だろうよ
でもいないと武田プレイで世継ぎがいない・・・・
606人間七七四年:2011/11/25(金) 19:20:47.81 ID:+JkgSWyZ
3月11日 武田滅亡
3月11日はなんかある
607人間七七四年:2011/11/25(金) 20:36:44.63 ID:prJJytdj
江尻領主穴山陸奥入道、上田領主真田信濃守昌幸、蘆田以外は滅亡
608人間七七四年:2011/11/26(土) 13:53:48.16 ID:Iq7QwTBI
>>607
春日、内藤、和田、倉賀野、小幡、安中、保科、高山、木部、白倉、依田、、
609人間七七四年:2011/11/26(土) 18:43:36.36 ID:jHgjSM8R
>>602
>長篠の戦いで敗北
>岩村城を見捨てる
>高天神城への援軍を送らず見捨てた
以上は織田と戦うから起こったことで原因は開戦した信玄じゃないかね
国力が織田>>武田の状態で開戦しその差を誤差程度しか埋めれずに死去とか見通し甘すぎ
610人間七七四年:2011/11/26(土) 19:00:13.35 ID:tw2UYmVi
信玄政策を忠実に継続した責任は免れない、代替わりは政策変更の絶好の機会
信玄が隠せと遺言したのももちろん悪かったが
611人間七七四年:2011/11/26(土) 21:14:35.03 ID:BSb1f2WA
本願寺が天皇の和睦を受け容れたのが大誤算。
612人間七七四年:2011/11/27(日) 02:28:06.83 ID:7Ej+Dobz
>>611
信長の政治力って抜けてるんだよな
やばくなると天皇でも何でも使って停戦する
やばくなるとリセットボタン並にチート
613人間七七四年:2011/11/27(日) 12:54:35.50 ID:2tx+n3+P
信長は北畠に負けて、追撃が怖くて撤退できなくなった時や
志賀の陣で朝倉に土下座した時に
将軍チートに頼って和議してもらい難を逃れている。
614人間七七四年:2011/11/27(日) 13:18:09.58 ID:NeGCLAhZ
頭良いな信長
615人間七七四年:2011/11/27(日) 13:43:47.40 ID:BNpgbaTf
朝廷や幕府と言う保護者に依存しきって他力本願で独立できない信長
ついには幼君大樹様義尋に頼り幕府継続に必死ワロタ
616人間七七四年:2011/11/27(日) 16:25:26.22 ID:hakxTxcr
>>585
いや元就は大凶日は戦をしてはならないと言う決りを守らず
軍を解いていた陶を卑怯な襲い方をしたから
タタリが恐ろしくて首を奉っただけだよ。
他にも尼子と呪術合戦したときに
尼子怨敵屈服の僧達の大合唱を眺めて
元就は「あれマジ怖ぇ・・・ありゃあ効き目抜群だわ」とか言ってる。
そもそも元就は太陽教みたいな太陽崇拝者で息子達にも
朝起きたら絶対に朝日に向かって拝めと命じてるくらいだし。
617人間七七四年:2011/11/27(日) 23:03:11.98 ID:ZUW4XA54
>>615
それでも最終的にはあの時代の最大勢力になったんだから大したもの。
信長の揚げ足取りばっかやっててよく飽きないな?虚しくないかw?
618人間七七四年:2011/11/27(日) 23:22:44.84 ID:NFFOVRtp
政治力を無視して話をするのはどうかな
軍事力も劣る対抗勢力が政治力もなく包囲網瓦解したりしてるのをどう見るか
619人間七七四年:2011/11/28(月) 05:12:47.50 ID:KLXEMuBZ
>>618
信長包囲網の事だったら
信長が「方々手ふさがり」とピーピーいってるのが実情だよ
620人間七七四年:2011/11/28(月) 05:14:31.43 ID:KLXEMuBZ
>>617
最終的には信長は見事に崩壊してゼロだけどね
621人間七七四年:2011/11/28(月) 06:34:18.29 ID:mwDfaBL1
>>620 ハイハイ
622人間七七四年:2011/11/28(月) 09:04:07.93 ID:d0YaTCfy
有効な戦略上のカード使ったら朝廷がー将軍がーって負け犬大名の遠吠えすぎんだろ

悔しかったらお前も朝廷や将軍使えよ
623人間七七四年:2011/11/28(月) 11:32:45.57 ID:debTWBHq
信長自体はただのアスペルガー
将軍家や朝廷に頼ら無いと連戦連敗。
安国寺からもあいつ長くねーなと予言されてるほど増長。
そんなダメ長は己を神だと勘違い始めて
最後は家臣に殺され
別の家臣に家を乗っ取られるバカ死に。
624人間七七四年:2011/11/28(月) 11:52:39.19 ID:DMrKJuqa
バカに滅ぼされた大名が居ると聞いて笑いに来ますた
625人間七七四年:2011/11/28(月) 12:11:37.58 ID:xL/Q/+tb
謀反で殺されたバカ大名
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1322329580/
626人間七七四年:2011/11/28(月) 12:18:25.17 ID:xL/Q/+tb

家族や家臣にまで太陽教を創始して信心を強要する
教祖元就>>616重度に気持ち悪いどころか迷惑すぎだが
信長もハ見寺を作って自分を神と思って
拝観料まで家臣から取って礼拝させたからな。
カルト教祖化する大名って最悪だわ。

627人間七七四年:2011/11/28(月) 15:04:22.99 ID:debTWBHq
信長は朝廷や幕府の
寄生虫、宿り木、小判鮫でしかない。
628人間七七四年:2011/11/28(月) 15:06:03.57 ID:27Bx0YYM
ハイハイ
629人間七七四年:2011/11/28(月) 15:15:47.42 ID:l10fdn+z
信玄も自分を神とか言ってるけどな
古今そうだろ、自分を貴人貴種にして正当性を訴える
630人間七七四年:2011/11/28(月) 16:59:40.10 ID:xL/Q/+tb
信玄はカルトみたいなキチガイ信長とは違うけどな。
信長なんて公記にも3回も御狂いなされたとか書かれてるしw
631人間七七四年:2011/11/28(月) 18:14:03.94 ID:l10fdn+z
そんなことかかれてないから捏造武田厨乙w
って言っとけばいいのか?

「カルト」と「教祖」(としておこう、信長の事)は同じ意味じゃないぞ
それに将軍への弾劾状読んだ信玄が舌を巻いたとか(記憶あやふや)、その狂った人間に侍としての筋が無いといわれた信玄公はどうなる?
632人間七七四年:2011/11/28(月) 18:49:11.79 ID:xL/Q/+tb
>>631
バーカ書いてあるからwww
織田厨が信長公記をまったく読まずに書いてる無知ぶりがまた露呈w
>>信玄が舌を巻
バッカだな、それ二次史料の当代記(松平忠明著1624年以降成立)
に出てくる逸話であって史実じゃないからwww

織田厨のくせに
いい加減な書きこみばかりすんなやwww
633人間七七四年:2011/11/28(月) 18:54:52.19 ID:l10fdn+z
通じないか、そりゃそうだよな真正だもんな

織田厨の癖にいい加減な書き込みするなってのはおかしいんじゃないか?
織田厨だからこそじゃなくて?
634人間七七四年:2011/11/28(月) 19:47:49.71 ID:ojIlhRS3
>>633
何が通じてないのか疑問ではあるが、
もともと信長は浅井のときといい、自分で火をつけて離反されたら逆切れ、というパターンが多いので
勝頼への官位叙任・将軍一字拝領をつぶし、両属だった美濃岩村をいきなり取り込んできた信長の所業からすれば
侍の筋云々など信長に言われたところで信玄にしてみたら痛くもかゆくもないだろう
侍としての筋を踏み外した男、とは信玄のほうでも信長の事を評しているしな
635人間七七四年:2011/11/28(月) 20:21:08.88 ID:i+gkmcKk
>>633
日本語通じんアホに何言っても始まらんから放置した方がいいよ
単に日頃のうだつの上がらない状況に対するストレスを信長叩くことで解消してるだけの奴なんだから
636人間七七四年:2011/11/28(月) 20:34:56.96 ID:l10fdn+z
>>634
文章推敲した方がいいと思うぞ?

全部武田の思い込みだろそれ
明確に信長が主導で関与したなんて史料あるんかいね

>>635
ころころIDも変わるしな
637人間七七四年:2011/11/28(月) 22:39:42.79 ID:yx0za9oC
>>636
信長の悪事は綺麗な悪事ですね。
さすが先天的池沼織田厨w
638人間七七四年:2011/11/28(月) 23:23:22.70 ID:l10fdn+z
そりゃ信長主導って史料だせないもん、煽るしかないよな
639人間七七四年:2011/11/29(火) 00:10:17.13 ID:14cV4inG
自分に従わない 
気に喰わない
これで虐殺して回るんだから
信長なんて武士の道を踏み外しまくりだろ。
おまけに僧まで殺戮し神仏を穢す悪行。
信長は叡山の僧が堕落とかもっともらしいこと言ってるが
元を糾せば信長が比叡山の領地を横領しまくってたのが原因だし
信長の上洛依頼を本願寺や比叡山は出して支援して協力してたのに
信長に利用されて騙されたのが僧侶側だし。
おまけに上京まで燃やして恫喝略奪大会やって
桂川は逃げ遅れた民衆の死体でいっぱい。
こんなクズ長を怒るのは信玄でなくても
普通の人間なら当たり前だわな。
640人間七七四年:2011/11/29(火) 00:10:54.01 ID:D1ZK1C3s
がんばるなw
641人間七七四年:2011/11/29(火) 01:19:40.76 ID:aPqkpHz8
ワロタwwww
642人間七七四年:2011/11/29(火) 02:54:16.13 ID:sOBHeRT3
信長 橋下
織田包囲網 平松

時代の変化に対応できない奴らが死ぬだけの話
643人間七七四年:2011/11/29(火) 03:25:11.14 ID:Q+Q6HmSa
>>636
文盲さんには読めなかった?
思い込みじゃないだろ
将軍の任命権剥奪や岩村乗っ取りにおける動きとか
信長の命令ででてるんだから

自演乙
いっとくけど俺は>>632とは別人だから
そうやって自分に都合の悪いことを書く人間を一人認定して
信長に都合悪い事から目を背けて曲解し続けてるだけの織田厨ニートが
何いってんだか、って感じだな
644人間七七四年:2011/11/29(火) 03:28:04.56 ID:Q+Q6HmSa
>>638
へー、河尻とか織田信広の岩村派遣とか書状にあるし、
将軍の任命権剥奪が信長の命令ででてる事も公記にあるが
いい加減思い込みで書くのやめろ
>>642
信長が時代の変化の何に対応したのやら
てか、信長なんて政策は丸投げ放任ばっかりの癖に
そうやって都合のいいときだけ、そのときそのときで
優勢な政治家の権威に寄生しようとする信長厨はさもしい限り
645人間七七四年:2011/11/29(火) 11:25:03.87 ID:r8fI43cw
簡単に反論できると雨後のたけのこのごとく湧いて出るな

>>643
ないないw
あるっていうなら史料名だせってのw

>>644
公記アテにならんっていったの武田厨だろw
646人間七七四年:2011/11/29(火) 12:05:20.66 ID:BypaRwfc
また織田厨がデタラメ書いてるな
647人間七七四年:2011/11/29(火) 17:58:10.59 ID:14cV4inG
ウソを堂々と断言口調で書くキチガイ織田厨の戦国板の恥部
648人間七七四年:2011/11/29(火) 18:35:44.57 ID:a5SK2a+Z
>>645
公記をさんざんひけらかしながら
公記に都合悪いこと書いてあるとなると
記述否定とか阿呆ですか?所詮織田厨なのかもしれないが

単純に考えても将軍の任命権剥奪したり両属の城に軍隊派遣して接収するとか、
そういうレベルの事が織田家中で大名である信長以外にできるの?
もしかして、信長はそういったことまで家臣が独断で行えるほど君主権力弱かったといいたいの?
649人間七七四年:2011/11/29(火) 22:01:42.12 ID:r8fI43cw
>>648
公記がアテにならないなら一切採用するなよw
都合のいいところつまみ食いしてるの自白しちゃったよこのひとw

屁理屈言ってないで織田信長が主導したって根拠だせっての
ちなみに公記がアテにならないのは以下のことから明らか

一次史料以外は
読むとミスジャッジへ誘われて
無意識に誤判断を常識として
刷り込まれるから読まない方が中立性が保たれる。
信長公記を含め軍記なんて悪影響しかない。
公記なんて太田が信長厨なのを
隠しもせずにマンセーしまくり褒め称え
負けを勝ちに歪曲してるデタラメ本
650人間七七四年:2011/11/29(火) 22:10:30.69 ID:D1ZK1C3s
今日も乙、がんばってなw
651人間七七四年:2011/11/29(火) 23:09:17.95 ID:5TocpKCB
まあ信長は勝つため、負けない為には恥も外見もかなぐり捨てるけど
それは美質だと思うけどね。
勝頼もそれが出来れば滅亡は避けられたんじゃないかな。
652人間七七四年:2011/11/29(火) 23:32:37.04 ID:Mx77Ja/g
>>651
ある意味劉邦のような奴だな
653人間七七四年:2011/11/30(水) 05:04:17.03 ID:ZOmJtjMb
>>649
俺は別に公記が「一切あてにならない」とはいってないけど?
何他人と同一認定してんのww
本当に自分の敵が一人だとおもいたがってるんだなww馬鹿すぎww
普通に公記でも信長に都合の悪いところ書いてあったり
整合性が取れるところは使っていいんじゃないの
でないと信長政権とか存在自体が謎だらけ、資料少なすぎてww

だから公記w
あ、信長ってこういった重要事項まで家臣が独断で行えるくらいに君主権力ガタガタだったんですねw
さすがは適当放任体制でワロスw
本能寺一発で崩壊して誰も織田家を守ろうとしなかったのも納得だわww
654人間七七四年:2011/11/30(水) 19:38:51.18 ID:d6WWGRD/
武田家は戦じゃなくて調略で崩されたよね。
655人間七七四年:2011/11/30(水) 20:57:44.35 ID:6XeVpN/+
決戦でフルボッコにされてるんだから
656人間七七四年:2011/12/01(木) 02:42:50.53 ID:+ovC4ROW
織田信長本軍はおろか織田信忠・・・の援軍を得た木曽義昌すら倒せなかった弱小武田軍団だから
657人間七七四年:2011/12/01(木) 04:05:52.14 ID:geMZdhtj
>>656
浅間山噴火で甲斐や北信濃が混乱し
それどころじゃなくなって退却したんだよ。
658人間七七四年:2011/12/01(木) 08:50:22.90 ID:4e5XxG/w
>>656
勝頼を積極的裏切った穴山、木曽、小山田がそのご悲惨な末路をたどってるのは因果応報だなぁ
あの甲州攻めで内戦作戦で次々に織田、徳川、北条を撃破とか信玄でも無理だろうね
木曽の離反とその後の信豊の敗北ですでに終わってた感じ
若いころの勝頼なら3000位直卒で木曽討伐してただろうけど信豊に任せたのが運の尽き
最後にまともに戦えずに滅亡するとか・・・
659人間七七四年:2011/12/01(木) 15:38:30.11 ID:dLMGx9f+
>>657
浅間山なんか噴火してないだろ
660人間七七四年:2011/12/01(木) 16:36:48.67 ID:geMZdhtj
浅間山噴火
1582年2月 武田征伐
1590年 小田原征伐
1591年 大崎葛西の乱〜九戸政実 
661人間七七四年:2011/12/02(金) 19:02:16.30 ID:TeCvsSZH
義信を東光寺にゆーへーするのじゃーーっ
662人間七七四年:2011/12/03(土) 00:20:02.81 ID:zkX0WBc2
>>658
圧倒的劣勢の最前線なので木曽義昌だけはどう考えても裏切ったほうが良いだろう
その後だって所領もあるし、ちゃんと畳の上で死ね訳だしね
663人間七七四年:2011/12/03(土) 09:00:48.47 ID:5vWJYztq
本人は良くても人質だった家族が可哀想。
664人間七七四年:2011/12/03(土) 15:23:50.62 ID:bWOOvJAN
>>662
その後に木曽は森長可に脅迫され
上杉の後援でやってきた小笠原貞種に
信長や家康から安堵された安曇郡と筑摩郡をごっそり奪われ
しかもそいつと対立した小笠原貞慶が
家康から安曇郡と筑摩郡を安堵されて完全に涙目の木曽・・・
最後は街道収入や木材収入も無い
現在の千葉県旭市(下総国海上郡阿知戸)1万石に飛ばされる木曽・・・
まぁ穴山や小山田みたいに殺されないだけマシだったけどな。
665人間七七四年:2011/12/03(土) 15:26:06.76 ID:ACWoEw6B
そして息子が馬鹿すぎて改易
666人間七七四年:2011/12/04(日) 09:05:16.06 ID:/y3/hvsm
その息子が頼った先が母親……信玄の娘だからな
667人間七七四年:2011/12/11(日) 16:18:42.93 ID:iWwfIr4k
新府城の木曽ファミリー打ち首って斬られる方も斬る武田も涙目だよな。

668人間七七四年:2011/12/11(日) 21:23:05.49 ID:jDhv03MI
結果論だけど、俺たちなんの為に人質とったんだろうって話になる
なんだかやるせないよね
669人間七七四年:2011/12/11(日) 22:46:14.91 ID:ppd9UiGR
しかも人質って勝頼の甥もいたわけだしな
670人間七七四年:2011/12/12(月) 23:49:36.33 ID:XLNc+V27
武田元明は年の割には頑張ったと思う。
671人間七七四年:2011/12/24(土) 00:09:27.70 ID:ejr6RWP3
徳川、北条相手にジリジリ侵食されながらも持ち堪えていた武田が、織田が攻め込んできたら戦わずに逃げ出したのは何故なんだろうね。


長篠のトラウマかな。
672人間七七四年:2011/12/24(土) 00:40:22.64 ID:0D/fMFg6
>>671
木曽と穴山が裏切ったからだろうな
673人間七七四年:2011/12/24(土) 00:56:04.68 ID:J5wJSPTy
>>671
徳川北条とは確かに戦っていたが織田軍主力とは長篠以降は本格的に事を構えていない。
だから織田相手という言い方は若干おかしいな。まぁ徳川に大量の援助はしていたがな。

武田の最期は経済的に行き詰まったのと敵を増やしすぎて内部の動揺が拡大し
とどめが織田の大軍の心理的圧迫だろうね
674人間七七四年:2011/12/24(土) 01:35:06.99 ID:k0y26PSF
浅間山噴火で戦争どころじゃなかっただけの話
675人間七七四年:2011/12/24(土) 05:26:44.25 ID:AKsY8ZD+
>>674
また浅間山ネタですか?
京で浅間山噴火が武田滅亡の凶兆されたのは解るが、甲斐信濃が動揺したというソースは無いの?
676人間七七四年:2011/12/24(土) 15:27:58.01 ID:ejr6RWP3
武田軍は長篠後すっかり自信を無くしてしまったように見える。


甲斐信濃に織田軍が攻めてきたときは、ほうとう食い逃げの逃亡兵ばかりだし。
677人間七七四年:2011/12/24(土) 16:03:58.82 ID:3zoaF2rJ
浅間山噴火の影響は過小評価できないと思うが
織田厨さんはぜったいに認めようとはしないだろう。
京からでも群馬県の噴火が観測されてるほどの規模は洒落にならないと思う。
678人間七七四年:2011/12/24(土) 17:20:01.71 ID:15qTPH4K
400キロ離れた噴火を視認して日記書いてるのが凄いな。
京都から広島に落ちた原爆を視認した並みの距離だからな…
そりゃあ武田将兵にとっちゃ戦してる場合じゃないわ。
679人間七七四年:2011/12/24(土) 17:22:51.61 ID:FEKCn8tW
武田軍の上げたのろしまで見えてたんだろうな
680人間七七四年:2011/12/24(土) 20:59:31.25 ID:8hEL1+eP
675=679=いつものキチガイ
681人間七七四年:2011/12/24(土) 22:00:10.70 ID:FEKCn8tW
自分がID変えて自演してるからって、他人もそうだと信じないようにね
682人間七七四年:2011/12/24(土) 22:15:44.58 ID:6kjZtd6i
えーと、噴火で甲信以上に大変なはずの関東の北条さんが織田に同調して攻め込んでる件は?
そんなに大変なら北条は戦争どころじゃないでしょ?
683人間七七四年:2011/12/24(土) 22:24:37.96 ID:FEKCn8tW
上杉も元気に活動してるな
まとめると、武田だけが軍事行動起こせないほどの被害を受けて、周囲の越後上杉相模北条遠江徳川近江織田は被害受けずに軍事行動起こせたと
具体的にどんな被害があったのよ?
聞いてあげるから史料明示して説明してごらん?
684人間七七四年:2011/12/24(土) 22:33:50.56 ID:nXXZNSuU
そもそも現在進行形で壊滅してる土地に攻めこむか?
本当なら逆に武田の寿命が伸びたと思うわ
685人間七七四年:2011/12/25(日) 03:01:11.69 ID:31g+7DCE
あの世の信玄が、


・長篠の戦い
・新府築城
・信濃喪失


を見たらどう思っただろうか。
686人間七七四年:2011/12/25(日) 03:11:01.92 ID:Djc1QHc3
自分がやってたことの間違いに気づく
687人間七七四年:2011/12/25(日) 08:17:18.92 ID:JQWAzn0e
浅間山は武田領だし、
甲府のほぼ真北に位置してる。
被害の中心は武田領国。
北条は出陣見合わせで、
実際に出陣したのは20日。
しかも織田の猛進を聞いて、やべぇと焦っての出陣に過ぎない。
富士山と勘違いしてるバカみたいだが、
浅間山に近いのは由良氏であり北条じゃない。
上杉は景勝の16日越中出馬予定が延期。
織田厨はなにも知らないくせに
言い加減な書き込みを断言口調で書くからクソなんだよな。
688人間七七四年:2011/12/25(日) 08:43:25.34 ID:kGwlV7ym
ほー、京都から見えるような大噴火が甲斐にしか影響ないのか―
甲斐って広いんだねー
689人間七七四年:2011/12/25(日) 09:38:43.47 ID:JvSmC59u
そもそも末期は織田に土下座外交してるし火山も糞もなく普通に武田家は限界きてる。
690人間七七四年:2011/12/25(日) 10:10:57.04 ID:f6sIb6wP
>>687
>>688の言うような大規模なのに、同心円を描くとほぼ越後全土含むのに、上杉は元気に走り回ってるから
北条領なんか上野のごく一部と武蔵にちょろっとかかるぐらい
で、具体的にどんな影響が出たのかも未だに出てこない
普通噴火の影響って数日そこらで変わるもんじゃないよw
いい加減こじつけでしたって認めなよw
ついでに言うと武田は何度も何度も出陣延期とかしてるから
そのたびに浅間山噴火してたんか?w
そういう日常的に延期してたんだから、たまたま延期が重なっただけだよw
君は占いとか信じちゃうタイプかな?w
691人間七七四年:2011/12/25(日) 10:53:55.45 ID:31g+7DCE
本願寺和睦、退去後の勝頼の危機感は半端なかっただろうな。
692人間七七四年:2011/12/25(日) 11:09:06.76 ID:31g+7DCE
特に、笹子峠で小山田に阻まれてからの勝頼の危機感はかなりのものだったはず。何とか武田軍を立て直して、長篠、岩村を奪回しなければと思ってたんだろうな。


693人間七七四年:2011/12/25(日) 11:13:19.73 ID:7RsSUaX8
なんにしても土屋がたった千人しか倒せなかったのは
勝頼にとって最大の誤算だろう
694人間七七四年:2011/12/25(日) 11:20:03.65 ID:WDMx9wmW
>>687
人をクソ扱いするなら甲斐、信濃大混乱のソースをだそうなw
695人間七七四年:2011/12/25(日) 12:04:26.41 ID:RgzgQfMc
>>694>>683
お前ホントに屑織田厨ぶりを晒してるなw
いい加減に恥を知れよ。
696人間七七四年:2011/12/25(日) 12:18:16.96 ID:LWomy4Hm
>>693
土屋とか言う人に赤兎か、それが無理でも百段でも与えてやれればな
そうじゃないんだから千でも伝説もんだろ?
697人間七七四年:2011/12/25(日) 13:34:55.86 ID:tQaNr+OI
>>695
ソースが出せないなら、妄想である事を認めたら?
みっともないよ。
698人間七七四年:2011/12/25(日) 14:03:21.58 ID:qHCZ9zbM
>>687
なるほど。確かに噴火のせいで、
上杉と北条は出陣延期してんだな。
木曾の謀反に噴火が重なり、
武田領国は混乱してしまったんだろうな。
699人間七七四年:2011/12/25(日) 17:19:06.24 ID:4TQq5wrA
ついてない人間ってそんなもんだよな
WW2末期の東海地震とか菅政権の大震災とか
的確にとどめ刺しに来るな
700人間七七四年:2011/12/25(日) 18:19:36.14 ID:RgzgQfMc
>>699
昔の人は天災を神の啓示と思って
自らの政と不徳を恥じて心を改める感受性があったが
いまの政治家や支配階級は想定外wとか言ってクソすぎだよね。
701人間七七四年:2011/12/25(日) 18:25:15.94 ID:4TQq5wrA
>>700
ポンペイとか繁栄中に天変地異で壊滅した例もあるけど
やはり悪政+天災のコンボは人々の記憶に残りやすいんだろうな
飢饉とかも悪政とリンクしやすいし
702人間七七四年:2011/12/25(日) 23:02:32.36 ID:JvSmC59u
はっきりいって噴火なんかより木曾と穴山の裏切りが一番やばいでしょ

準一門だし影響のでかさは凄まじい。
更に重要な防御拠点が根刮ぎ無くなるんだからどうしようもない。

木曾はまだ遠いとして駿河素通りされたらもう甲斐は守りきれない。
703人間七七四年:2011/12/26(月) 00:02:50.08 ID:ZRtbMSFC
穴山って噴火後に裏切り決意したでしょ?
704人間七七四年:2011/12/26(月) 00:29:23.91 ID:mZYj+Jfu
>>700
おまいが政治家だったとしても
想定外と言ってただろうよ
705人間七七四年:2011/12/26(月) 00:35:08.79 ID:yLQWjEa9
想定外と言えば許される現代と言い訳しても自分の首で責任取るしかない戦国時代との違いだわな
勝頼もここまで裏切り起きるとは想定外だったろうし
706人間七七四年:2011/12/26(月) 00:38:14.40 ID:UCIwX9bK
穴山が寝返って助かったのは駿河に兵を進めてた徳川くらいだろ。

信濃の玄関口に陣取る木曽義昌が寝返って、
その木曽義昌に軍を派遣して討伐できなかった時点で
武田家の命運なんて尽きたも同然

謀叛者に負けた武田というのが武田家内外に伝わった
707人間七七四年:2011/12/26(月) 00:42:16.84 ID:yLQWjEa9
信豊が戦犯ということだな
708人間七七四年:2011/12/26(月) 06:16:15.96 ID:N9bm0S35
武田も長篠後は負け戦ばかりだからなあ。


勝頼が鉄砲に突撃した代償は重かった。
709人間七七四年:2011/12/26(月) 08:56:04.85 ID:njgtpd+z
>>706
そりゃあ噴火で後背地たる本国甲斐を含めた北信濃と西上野が混乱したら
木曾討伐どころじゃないだろ。
率いてきた兵力の大半は地元が気にかかり
おちつかせようとするべく帰ろうとするだろ。
地元に守りを押し付けて帰られたら
次々と自落するわな。
諏訪湖近辺から進軍出来ずに、
しかも高遠城を見捨てて勝頼が本国へ帰るなんてのは
まさに噴火で混乱し治安悪化した甲斐の姿が垣間見えるだろ。
710人間七七四年:2011/12/26(月) 11:47:04.88 ID:CWhgPhmA
武田が悪政と書いてるのは
武田征伐を開始した時の信長公記だけだけどな。
火山噴火の事実を覆い隠して、悪政悪政ってやたら強調してて
明らかに作意が見え透いてる。
むしろ織田の方が数万以上の大虐殺を越前でやったり
上京を燃やして略奪恐喝したりと大逆悪政をしてるけどな。
711人間七七四年:2011/12/26(月) 11:47:53.59 ID:e1NCVvzb
>>709
噴火といっても小さな噴火で火山灰降る範囲も限定的だったでしょう。
武田好きで何でも噴火の仕業にしたいんだろうけど見苦しいよ。
712人間七七四年:2011/12/26(月) 11:48:36.77 ID:CWhgPhmA
>>708
北条相手の関東では連戦連勝だよ。
713人間七七四年:2011/12/26(月) 11:53:00.63 ID:WX1pliAb
>>709
幾らはっきりしたソースが無いからって、『だろ』ばっか使ってると妄想丸出しだな

因みに1582年の噴火は大噴火ではない
714人間七七四年:2011/12/26(月) 11:53:52.00 ID:/5Ln4VyZ
>>712
東海でもだろ、これだから織田厨は馬鹿だ
715人間七七四年:2011/12/26(月) 12:33:19.77 ID:/4Slks2H
>>710
越前で数万以上の大虐殺、上京を燃やして略奪恐喝…w
これこそまさに作意が見え見えだなwww
716人間七七四年:2011/12/26(月) 12:55:06.05 ID:CWhgPhmA

>>711
京からの観測で天あかくと書かれ
浅間山までの距離は約400キロであり
西国なら広島の原爆の爆発を京から視認できたのに相当する。
さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
京に噴火の粉塵が降ってきたということ。
和仁親王が体調を崩されて天に祈祷をしているなど
浅間山噴火は京でも只事でない状況になってる。
>>713
被害記録がちゃんと残ってるか、残ってないかで
大噴火か噴火かを気象庁が判断してるだけで、
寺社を通して庶民の戸籍登録が為されている
江戸時代の天明3年大噴火は
川越松平藩と幕府勘定奉行所の記録も去ることながら
かなり詳しい絵図付きの記録が残っているから大噴火認定をされており、
浅間山噴火での詳細記録と言うのは残念ながら非常に珍しい。
武田滅亡の混乱から噴火の状況記録は京での視認記録しかないのが現状であり
武田滅亡という大事件を誘発した以上は大噴火の可能性は大いにありうる。
>>715
事実の羅列に過ぎないが。
717人間七七四年:2011/12/26(月) 13:14:29.45 ID:CWhgPhmA
1108年(天仁元)の浅間山噴火が大噴火認定されているかについて
藤原宗忠の日記で天仁元年8月25日に京から東方天色甚赤と視認される。
9/5に上野国の国司から朝廷に浅間山噴火とその被害詳細について報告を受けている。
この朝廷への報告詳細により大噴火認定を受けている。
京で浅間山噴火が視認されている共通点が見出せる。
718人間七七四年:2011/12/26(月) 21:21:17.77 ID:5DztXtfK
それだけの大噴火が起きれば武田だけじゃなく徳川、織田も相当やばい。

風向き次第では関東全部やばい。
なのにどうして他の国が全く被害を受けていないのか?
719人間七七四年:2011/12/26(月) 21:26:59.76 ID:+MazXnCo
京から視認できるほどの大噴火なら織田も攻めこまないだろ
当時の武田に、わざわざリスクを犯してまで即攻めしなければならな脅威はないし
噴火で大混乱してるのに岩櫃行きを薦める馬鹿もいない
720人間七七四年:2011/12/26(月) 21:37:35.09 ID:ZMSD+msX
>>716
「可能性がある」
針小棒大とはまさにお前のためにあるような言葉だなw
京都から観察できるほどの大規模な噴火なのに、武田領土に集中して被害が出ている
そして影響があるといいつつ、軍事行動のオクレをあげているが、それ以外の被害記録はその他の国どころか武田家にも残されていないと

ちょっと考えてみなよ?
君の家が大爆発しました
神奈川県だから名古屋あたりからもその模様が観察できました
でも他に記録はありません
あったのは電車が遅れたということだけ
これでさあ・・・大噴火?可能性?w
面白い思考だよなw
721人間七七四年:2011/12/27(火) 03:10:26.32 ID:WBi5iNQu
>>709
何を勘違いしているのかは知らんが、木曽討伐に派遣されたのは武田信豊、今福筑前といった信濃衆だぞ。
積雪で思うように進軍できないうちに織田の援軍を得た木曽義昌と鳥居峠で接触して敗北。
だから甲斐本国の連中と比べて信濃国の連中の寝返りが多いんだよ。実際戦って負けてるから。
722人間七七四年:2011/12/27(火) 03:30:23.06 ID:KWWVj+b/
駿河もかなり侵食されてるとは言え武田攻め始まるまでは甲斐信濃上野駿河半国持ってたんだからなぁ
こんな大勢力があんなに簡単に崩れるとは信長自身思ってなかっただろうな
723人間七七四年:2011/12/27(火) 07:21:34.06 ID:cNhEIrvT
>>721
ソースは?
724人間七七四年:2011/12/27(火) 17:04:21.15 ID:mhunsbe2
>>721
武田信豊は父の信繁を継いでるから信濃に領地なんて無いだろ。
兄弟は信濃国佐久郡の望月氏を継いでるが、
そこは浅間山に激近いし上野国に隣接してる。
それと今福筑前守は駿河国久能城主だし。
信濃衆とする根拠はなんだ?
だいたい武田信豊が木曽討伐に向かったのと
今福筑前守が織田を迎撃した話は完全に別物なのに見事に混同してるし。
まず信豊が鳥居峠で木曽に敗北って甲陽軍鑑の話だろ・・・
しかもその時はまだ織田軍は来てないし
後詰の勝頼2万は諏訪で軍議をするが
信廉は派遣先の伊那から無断で甲府に帰るし
諏訪に帰ってきた信豊も病気と言って軍議欠席がちで勝頼は諏訪で立ち往生。
そのうち織田軍がやってきたが、やはり諏訪で動けずにいたら
穴山が謀反した報が入り、勝頼を見捨てる者続出し軍は崩壊。
この武田軍の混乱ぶりは、すでに余震や小規模噴火が多発していたので
諏訪から動けない状況になっていたのではなかろうか。

公記の記事に従うと2/2に木曽討伐に15000で勝頼が出陣したとされる。
2/6に木曽が信長に援軍を求めてるのが史料でわかる。
それを受けて信忠が2/11に岐阜を出陣してるのも史料でわかる。
2/14火山噴火
公記に従うと14日に信忠は岩村に到着して滝川や川尻を差し遣わせる。
公記によれば14日に松尾城の小笠原が織田に味方すると言うので
団や森らが先陣として木曽峠を越えて松尾城落城させ(飯田地域平定)
さらに進んで2/16に今福筑前守が織田と交戦して鳥居峠で敗北とされる。

公記によれば伊奈口節所に滝が沢要害を構えて下条伊豆守が守備してたが
2/6に下条伊豆を裏切り家老の下条九兵衛が逆心
し川尻与兵衛を岩村口に引き入れたとする。
2/7に高倉永相が村井貞勝から信濃半分をすでに制圧したと聞いている。

これについては2/6に武田軍が木曽氏討伐に出撃を受けて
木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。
事実としても岩村口に位置してると思われるので最前線の一砦が
侵攻前の調略段階ですでに内通してたのだろうし
こんなところが落ちたレベルは大した問題じゃないのはわかる。
信濃半国制圧は2/14の松尾城を落としてもまだまだ達成できない話で
2/7現在でそれはありえないし、それに付随したウソが滝が沢要害話ではなかろうか。
やはり14日がターニングポイントになってるのは認めざるを得ない。
725人間七七四年:2011/12/27(火) 17:41:45.61 ID:M+4jMW0p
>>724
疑問なんだけど、
「噴火の粉塵とか火砕流とかそう言う影響は微細
一番影響を与えたのは噴火が起きたという事そのものが与えた精神的ショックで、武田軍は崩壊した
決して織田軍の影響ではない」
っていう理解でいいのかな?
726人間七七四年:2011/12/27(火) 20:31:27.20 ID:Cpzxl3ac
迷信が幅利かしてた時代だし「あー武田ももう終りだわ」って思わせる効果はあっただろうね
727人間七七四年:2011/12/27(火) 20:40:40.40 ID:u3X5xFRp
信長は黄金の安土城を築いたのに平気でいられて、勝頼はボロ新府城を築いただけで領民から総スカンを食らったのは何故?
728人間七七四年:2011/12/27(火) 20:47:19.43 ID:LC2t5mFs
>>727
新府城を築いただけで総スカンのソースは?
729人間七七四年:2011/12/27(火) 22:17:20.45 ID:WjnkoY7a
武田は貧乏だからなあ。
730人間七七四年:2011/12/27(火) 22:25:00.44 ID:x/mD7Nwj
新府城ってより戦線拡大で経済的に行き詰まったんだろ。

織田側は強大な経済力を背景に年中軍隊を無理なく動員出来るのに対し、
甲信駿上程度の経済力で年中軍を動かすには限界がある。

織田徳川に対抗すればする程、武田はやせ細っていき最後は折れる。
そういう運命。

731人間七七四年:2011/12/27(火) 23:42:17.40 ID:u3X5xFRp
武田の滅亡が運命だったような論調もあるが、長篠での勝頼の采配ミスが最大の要因。
732人間七七四年:2011/12/27(火) 23:51:31.74 ID:cPBpyvHL
>731
ミッドウエーで大敗しなくても結局はというのと同じじゃ?
733人間七七四年:2011/12/28(水) 00:03:07.99 ID:RT6PT3X/
>>723
信長公記や甲陽軍鑑
つか、この時の大筋の流れしってりゃわかる話なんだけども

>>724

>>それと今福筑前守は駿河国久能城主だし

それ親父の方じゃなかったか?親父も筑前守とかで混同したとかならすまんが。

>>木曽氏が織田に援軍要請している段階なので非常に怪しい記述。

別に怪しくもなんともない。
そもそも織田にとっては木曽救援は甲斐征伐の一環で、武田征伐と木曽救援が同時に行われている。

それが証拠に信長公記で木曽御加勢の人間は織田源五、織田、織田孫十郎、稲葉彦六、梶原平次郎、塚本小大膳、水野藤次郎、簗田彦四郎、丹羽勘助で
既に信濃方面の各所で展開していた森勝蔵、団平八、河尻与兵衛の名前はなく、もちろん主力たる織田信忠、滝川一益の名もなし。
村井が色をつけて「しなの半分」と言ったのも、既に武田征伐そのものが行われると決まっていたからこそだろ。
734人間七七四年:2011/12/28(水) 01:27:51.57 ID:0bm8mf67
>>725
京都まで見えるような噴煙が上る噴火でも、火砕流や火山灰は大した事ない
可能性はあるものなぁ。特に浅間山の場合はしょっちゅうそういう噴火を起こしているし。

たとえば、1947年の噴火は噴煙の高さ12kmもある噴火だったけど、死者はあまり
多くなく11人、農作物への被害もそれほど大きくはなかった模様。
1958年の噴火は噴煙の高さが7〜8kmだったけど、死者はなし。ってな具合。
735人間七七四年:2011/12/28(水) 08:15:35.97 ID:ax4lKcLn
信長公記や甲陽なんて軍記なんだから
信用性ゼロだろ。
公記は攻め滅ぼした側の正当化だし、
甲陽は何から何まで勝頼が悪いと無理くり理由を考えてる。
そんなのが悪政なんて書いてたとかでソースになるかよ。
一次史料だせよ。
軍記ものは滅びた原因に悪政と書くのは常套句だし。
金がないってのも、本を読むと御館の乱で景勝側に買収された勝頼を根拠にしてるくらい。
しかし政治外交で利害が絡むのは当たり前。
そんなのは根拠にならない。
美濃の臨済宗の大動員かけて斉藤義龍と対抗したほどの人望ある快川紹喜が、
甲斐を離れなかったのは
勝頼が取り立てて悪政をしてたと言い切れない証拠だと思うが。
736人間七七四年:2011/12/28(水) 10:01:50.76 ID:FAY9EEYr
>>734
しょっちゅう被害の少ない噴火を起こしてて武田征伐の時もそうだったなら、噴火と滅亡の関連性は薄いってことだな
737人間七七四年:2011/12/28(水) 10:11:56.74 ID:ax4lKcLn
>>734
京都から赤い空と噴煙が観測されたが、
大したこたとなかったとする実例ソースは?
そもそも京で観測された浅間山噴火は天仁元年(1108年)と天正10
年の噴火だけだろが。
738人間七七四年:2011/12/28(水) 11:16:01.19 ID:qh1/uV/f
何で大災害だ!って言ってる人は>>725に応えられなかったの?
739人間七七四年:2011/12/28(水) 11:37:32.51 ID:Mmf0ptPy
>>737
前から聞いてるんだが、それなら信濃甲斐大混乱の実例ソースを早く出せよ
噴火が武田滅亡に関わる大事件なら、史料が残ってない事自体がおかしい



740人間七七四年:2011/12/28(水) 12:06:57.95 ID:1fgJPa7O
武田が滅んで資料が無くなったので無理です(キリッ
741人間七七四年:2011/12/28(水) 13:16:39.93 ID:DOu4gWGF
信長って武田が持ってた伊勢物語の原本を「武田の住居と一緒に燃やすのは惜しい。」とか言って武田攻めの前に穴山を通じて掠め取ったのに、結局、安土城と一緒に灰になったらしいね。
742人間七七四年:2011/12/28(水) 13:39:56.38 ID:2yoCETeW
>>737
また織田厨のウソだったのか。
デタラメばっかり吐いて、
ほんとタチ悪いよな。
743人間七七四年:2011/12/28(水) 19:18:25.90 ID:N3LLRzwl
これまでだがさんが武田攻めの時の噴火の被害について具体的に提示できたものは
>>716

>さらに雪ことことしきなどと書かれているのは
>京に噴火の粉塵が降ってきたということ。

と、「雪=火山灰だ!」という強引な話しか無いんですが。
744人間七七四年:2011/12/28(水) 19:24:33.18 ID:bVu0rL0b
天気つき日記じゃないから
特別な大雪とかで無い限り
天候の話は書かれてないよ。
745人間七七四年:2011/12/28(水) 20:48:14.31 ID:qh1/uV/f
なら京都で大雪だったんじゃね
746人間七七四年:2011/12/28(水) 22:56:09.48 ID:RT6PT3X/
大体織田軍が攻めなきゃ武田が滅びることなんてなかった
噴火厨はいい加減に武田は織田に滅ぼされたことを強く認識するべき
747人間七七四年:2011/12/29(木) 00:27:59.32 ID:rUwZU0bf
>>746
>>725
748人間七七四年:2011/12/29(木) 00:34:09.43 ID:XhpKf5gx
勝頼が謀反や一揆で殺されたとかならともかくwwww
749人間七七四年:2011/12/29(木) 00:45:40.72 ID:F+5iQ+oE
勝頼に火山弾でも当たったかのような言い方だなw
750人間七七四年:2011/12/29(木) 01:31:26.62 ID:c9cIjoTd
その後の展開を知ってるだけに上杉領に逃げ込んで信長の自滅を待って欲しかったね
もし本能寺が起こると仮定するならば上杉から3000くらい兵借りて川中島経由で信濃に乱入
真田昌幸が呼応して甲斐信濃切り取ってた可能性も
751人間七七四年:2011/12/29(木) 01:54:24.64 ID:51ZYrfic
勝頼が死ななきゃ本能寺も起きん
752人間七七四年:2011/12/29(木) 01:54:40.48 ID:WJdcp+jP
信長に討たれるより猿の家臣となる事を望むなら、それもいいだろうな。
真田に裏切られて上杉・北条・徳川いずれかへの手土産にされる可能性もあるが…
753人間七七四年:2011/12/29(木) 02:06:48.76 ID:c9cIjoTd
>>752
甲信抑えてればどうなるか分からんよ
実際には甲信も抑えた徳川が北条との同盟のお陰で背後の憂いなく西に集中できたけど
武田・上杉が堅固に同盟維持してるわけで柴田、徳川、織田、羽柴の力関係にかなり影響出るでしょ
754人間七七四年:2011/12/29(木) 03:39:30.96 ID:F+5iQ+oE
朝倉に与した斎藤龍興のごとく
上杉家臣として甲信で勢力伸ばす勝頼の姿がありそうだ
755人間七七四年:2011/12/29(木) 06:06:07.56 ID:c9cIjoTd
その場合もまぁ嫁の兄貴だし景勝も勝頼の再興独立認めるしか無いのでは?
756人間七七四年:2011/12/29(木) 08:12:13.70 ID:3fMHFhTa
>>735
まあ法度の条文見る限り農民には容赦ないとは思えるが
例えば逃散した農民の分は村で補ってはらえとか
農民との話し合いには応じない村が崩壊するようだったら一応応じるとか
棟別銭が異常に高いとか
勝山記の民の嘆きとか
一次史料にもある農民の逃散とか身売りとか

ただそれじゃあ他の大名はどうなのってなると逃散身売りなんて探せば見つかるし
話し合いには応じないと規定しながら訴訟があったり訴訟じゃ埒があかないと勝頼に直訴したり
棟別銭が高いのも甲斐は貨幣の価値が低い可能性もあるしなんともいえん
757人間七七四年:2011/12/29(木) 08:18:41.44 ID:3fMHFhTa
歴史上浅間山は噴火しても
基本火山灰は上野などに向かって
甲斐方面に向かったことなんてなかったと思うが

それに1582年は大噴火じゃないだろ
死者を出した噴火の時のような噴火堆積物は見つかっていないんじゃ
758人間七七四年:2011/12/29(木) 09:17:33.73 ID:BWlJMdgZ
>>757
天正後半の武田家は上野が主戦場だから、
主力が動けないのは致命傷だろう。
759人間七七四年:2011/12/29(木) 09:50:32.55 ID:F+5iQ+oE
上野に向かった武田軍って真田昌幸とか矢沢薩摩くらいじゃないの?
むしろ駿河方面の方が戦闘多かった気もするけどな
760人間七七四年:2011/12/29(木) 10:03:02.85 ID:X6VUrkW4
駿河方面は信長と講話をするために積極的な行動は控えたとあるが、
実際は劣勢になったので慌てて講話しようとしたとしか思えん
761人間七七四年:2011/12/29(木) 11:10:41.98 ID:3fMHFhTa
>>758
1582年に噴火した時は主力は既に信濃に移動していたんじゃ
更に言うなら火山灰で動きが封じられるような噴火でもないんだから
動けないってことはないだろ
もし交通が阻害されるようなら真田なんか実際には領国に戻れないわけだし
それほどの噴火だったなら夏になっても移動不可で北条が信濃に侵入すること出来なかったはずだし

まあ仮にそうだったなら最後に勝頼が真田じゃなく小山田選んだのは必然とも言えるか
762人間七七四年:2011/12/29(木) 12:11:03.55 ID:CGmv5az3
>>753
勝頼が生きているだけでなぜ甲信を抑えられるのか
そんな事ができるんだったらそもそも武田攻めの時ああいう事になっていない
武田と上杉が同盟結んでいようが、秀吉が織田家を乗っ取るのを阻止しない限り、国力からして史実通りの展開しかありえない
763人間七七四年:2011/12/29(木) 14:43:13.09 ID:BWlJMdgZ
>>761
領地で災害起きたのに帰らないで戦争し続ける領主なんて、
現在でも失脚だろ。
信豊、真田、内藤、小幡、木部、和田、安中、依田、
みんな上野衆
764人間七七四年:2011/12/29(木) 14:47:09.76 ID:CgBe+nwQ
>>762
武田が再興されると仮定するなら秀吉にとってはプラスだろうね
武田的には秀吉と同盟して徳川を挟撃できる絶好のチャンスだし
765人間七七四年:2011/12/29(木) 15:30:03.26 ID:HQbIH/8b
高天神城って、もう少しはやく破棄できなかったんだろうか
要害だといっても、戦略的な価値がそこまで高いとは思えんのだけど
766人間七七四年:2011/12/29(木) 15:44:06.73 ID:51ZYrfic
維持にも多大な労力がかかるわ、街道を厄してるわけでも無いわ
諏訪原城を取られてるから防衛線としては機能して無いわで
純軍事的には無益なところではあるが
対織田徳川戦の唯一残った成果であり、徳川にとっては精神的楔だから
破棄するにはおしいわな
767人間七七四年:2011/12/29(木) 16:09:09.65 ID:CGmv5az3
>>763
いいや。
主家が大規模な攻撃を受けてるってのに、それを見捨てて、実害もない災害のために領地に帰る方がおかしいw
768人間七七四年:2011/12/29(木) 17:10:40.27 ID:exayN7x4
そもそも噴火したってだけだから実質的な被害はないだろ。
火山灰が降り積もるぐらいなら少しぐらいはその痕跡が残っているはず。
769人間七七四年:2011/12/29(木) 20:19:32.95 ID:5uIi7c4O
実際に京から観測されたほどの規模の浅間山噴火は、
1108年の大噴火と武田征伐の時だけ。
1108年の時は上野国司が大被害をのちに朝廷に報告。
これは動かない事実。
770人間七七四年:2011/12/29(木) 23:19:13.04 ID:xV461J94
>>767
噴火が始まるのと被害が出るのとで時差があることすら知らないような無知っぷりを
晒すのが大好きな変態なのか、お前は。
771人間七七四年:2011/12/29(木) 23:36:03.49 ID:rpCWBdHW
噴火の直接的被害よりも精神的打撃のほうがデカそうだけどなぁ
ただでさえ落ちぶれ出してた武田が攻撃受けてる時に何キロにも昇る噴煙眺めてたら
「もう勝頼終わりじゃね?」って気分になるでしょ
現代でも大津波見て「菅直人はやっぱり疫病神」って思うんだし
772人間七七四年:2011/12/29(木) 23:45:16.99 ID:XhpKf5gx
噴火がそんなに大きな要因なら様々な書物で取り上げられてそうなのに、声を大にしてるのは噴火厨ばかり
773人間七七四年:2011/12/30(金) 00:00:00.76 ID:sf2KmjOu
そもそも浅間山噴火記録自体がごく少ない。
774人間七七四年:2011/12/30(金) 00:51:47.91 ID:3zWax0Gt
>>771
そんなもんはあくまでメンタル面の後付設定だよ
噴火がなければ元気100倍で織田軍を撃退できたと言えるのか?
775人間七七四年:2011/12/30(金) 01:00:50.95 ID:QF4gIMwe
>>774
噴火は滅亡の要因の一つでいいんじゃねーの?
噴火で滅亡ってのも噴火は何の影響もないってのも極端な結論だろ
776人間七七四年:2011/12/30(金) 02:06:51.76 ID:uTCVrNwi
>>774
いいえ事実です。
噴火が無かった場合は、史実よりもマシな戦いになり、やはり織田に敗れるでしょう。
777人間七七四年:2011/12/30(金) 07:02:50.54 ID:qcC5OVcb
まああの状況じゃ噴火があろうとなかろうとさほど変わらないだろな
778人間七七四年:2011/12/30(金) 08:16:11.55 ID:TE0PdU2F
士気に関わると言うのは致命的でしょ。
浅間山噴火で東空が赤いことに、
京では武田滅亡の予兆だと考えられていたし、
平山優氏の同時代史料からみた武田勝頼の評価の中でも、
浅間山噴火は東国異変の象徴と考えられていて、
武田の家臣達は天に見放された勝頼を
支えようとはしなかったと書いているし。
779人間七七四年:2011/12/30(金) 08:28:04.78 ID:aVG3Fwed
まぁそういう凶兆を吉兆に変えるような機転が利く部下を持ってなかったのがな
こんなの解釈の仕方で何んとでもなる話
780人間七七四年:2011/12/30(金) 11:46:52.48 ID:ke+CWghb
武田の崩れ方は信長でさえ驚いてる。
噴火が無ければもう少し違ってたろうな。
781人間七七四年:2011/12/30(金) 11:57:59.17 ID:fCuid9Ez
>780
京でも観測できるような噴火が理由なら何で信長は驚いたんだ?w
崩れて当然と思うのが普通だろww
782人間七七四年:2011/12/30(金) 12:57:18.01 ID:E33jn4C3
当時は吉凶を占う軍配者が
城から立ち上る気や天候・天文が地上に与える影響
悪日や大凶日や易や暦
呪術やクジ引きおみくじの神託とか
人為を越える自然界の意思を恐れ祈祷してた時代だからね。
そりゃあ火山なんて噴火した日にゃあ
武田滅亡の天意だって驚いただろうね。
もう勝頼なんてどうでもいいやって離散するのもわかる。
783人間七七四年:2011/12/30(金) 13:14:08.08 ID:KGfcy9/u
軍艦の記者も書いて無いのに?
絶好じゃね?
噴火するほど勝頼は天命にも見放された
なんでかかなかったの?
まさか知らなかったわけでもなかろうに
上杉も記していない、徳川も記していない、織田もしかり
敵の凶事は味方の吉事
宣伝しないわけが無い
784人間七七四年:2011/12/30(金) 13:25:56.84 ID:8QASyYQU
もし噴火がそんなすごくて民心への影響もでかかったなら
攻めいる方も攻めいる方で不安に駆られると思うが
785人間七七四年:2011/12/30(金) 13:28:15.95 ID:E33jn4C3
>>783
だから噴火という天意=武田の悪政が原因で天が怒ったに違いない
こういう図式でロクに根拠も述べられず
ただ悪政だ悪政だと記される羽目になってるじゃん。
786人間七七四年:2011/12/30(金) 14:18:57.70 ID:8QASyYQU
だったら噴火という天意が示されたって書くんじゃね?
いやでも信虎追放の時も妙法寺記によるなら100年に一度の天災なのに
軍鑑には書いていないから、勝頼の時も書いていなくてもおかしくないのか?

考えてみれば、
他にも軍鑑は50年代後半の飢饉や60年代後半の飢饉のこともないし、
洪水のこともない。
それらに対する武田家の行動も書いていないし。

とはいえ軍鑑以外の織田徳川北条系にも書いていないがな。
家忠日記とか地震とかの災害事項もいろいろ記録しているのに、
この噴火のことは書いていない。
787人間七七四年:2011/12/30(金) 14:41:11.28 ID:KGfcy9/u
>>785
意味が分からない、主に等号の前後の関係が
もう一回書き直してくれ
噴火という天意=武田の悪政?
噴火という天意=武田の悪性が原因で天が怒ったに違いない?

>>786
信玄上げが目的だからじゃね
788人間七七四年:2011/12/30(金) 14:41:58.93 ID:KGfcy9/u
ってID:E33jn4C3はだがかよ
悪い>>787はもういいや、忘れてくれ
789人間七七四年:2011/12/30(金) 14:58:46.14 ID:gbgD4A4F
書いてない書いてないと
いくら喚いても、
公家の日記から噴火の記述が消えるわけではありませんけど…
790人間七七四年:2011/12/30(金) 15:13:22.72 ID:8QASyYQU
まあ噴火そのものはあったかもしれないけど、
それの物理的な影響となるとほとんどゼロに近いかと。

人間への精神的な影響にしても良く分からない程度。
仮に武田家の人間にのみ影響があったとして、もし噴火が無ければと考えても、
戦略的にはほぼ詰み状態でどうにもならない、武田の滅亡は確定的、
織田の本隊が来るまで持ちこたえられればいい程度じゃないか?
木曽穴山の寝返りが無ければの方が影響は大きいと思う。
791人間七七四年:2011/12/30(金) 17:43:10.83 ID:E33jn4C3
穴山の謀反は決心は噴火の後じゃねぇか。
しかも諏訪まで出陣した勝頼は謎の軍隊崩壊を起こして
木曽討伐どころじゃなくなってしまった。
その謎が火山噴火しか考えられないじゃん。
792人間七七四年:2011/12/30(金) 18:00:21.19 ID:KGfcy9/u
それしか考えられない小さな脳みそしかもって無いって自慢げに語らなくてもいいよ、だがさんw
793人間七七四年:2011/12/30(金) 19:59:26.57 ID:8CAXp5v3
>>791
穴山の謀反なんて前年あたりから用意周到に調略されて交渉もしてるだろw
794人間七七四年:2011/12/30(金) 20:21:29.87 ID:3zWax0Gt
穴山の謀叛なんて直接的には関係ない
強いて言うなら徳川家の駿河侵攻が捗ったくらいか

木曽に謀叛を起こされ、討伐しようとしたら既に織田軍が侵入
勝頼が諏訪に立ち往生している間にポンポン信濃衆が寝返り武田家終了
795人間七七四年:2011/12/30(金) 20:56:26.18 ID:ke+CWghb
過去の火山でコレだけ盛り上がるとは。
お前ら時代を先取りしてておいらは安心だ。


大噴火対策を本格検討
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111230ddm001040056000c.html
「平和な時代が続きすぎた。日本の火山は今後活発化する」。多くの火山学者の
共通した見方だ。小山氏は言う。「『3・11』で災害に想定外があることを
大きな犠牲を払って皆が理解した。確率が低くても規模や被害が非常に大きい
現象には備えが必要だ」
796人間七七四年:2011/12/31(土) 09:01:53.91 ID:WGenGiM4
>>793
駿河方面の外交もやっていた穴山が織田と接触したのと、
実際に謀反を決意するのは、
全く違う。
797人間七七四年:2011/12/31(土) 15:33:04.17 ID:y6Pp+Eo0
まあ山梨の坊主猿が病気にも係わらず遠征しちまったのが間違いじゃねえのw
簡単に息子殺すしw
まあ山梨を高速から見りゃこりゃダメだわとか解るけどな。
まあ精々信濃の佐久辺りで我慢して信長に臣従してれば保身が出来たはずなのにw
オヤジ追い出す→息子殺す→無駄な戦を何度も長野で→病気なのに無理に遠征
珍玄の実情は余りそう能力無いだろうさ 
798人間七七四年:2011/12/31(土) 16:04:42.79 ID:gloeHvY/
富士山の噴火と天正の武田攻めが関係あるかはおいておいて、
2012年2月号の日経サイエンスの地震の特集記事に富士山の活動の年表が出てるぞ(P42)参考にしてみてくれ。

これだと16世紀の初期に噴火してて、次の大噴火まで200年のスパンがあるな。
富士山の噴火と南海トラフや相模トラフの関連性が見られるから、天正期に巨大地震若しくは大地震の記録が出てくれば、武田攻めの時の武田の脆さの理由が見えてくるのかも。災害が滅亡の原因とするならばだけど。

ライトな歴史好きだが、自分の専攻分野(防災・地震)絡むと楽しいな。
799人間七七四年:2011/12/31(土) 16:49:21.73 ID:aEVH4OsC
>>797
遠征前からすでに病の体だとするのは甲陽軍鑑のネタ。
実際には突然の容態変更による
急死に近かったのではないかと思われる。
800人間七七四年:2011/12/31(土) 17:03:51.00 ID:DN56EAjp
天運にも見放されてたんだな
801人間七七四年:2011/12/31(土) 17:44:03.41 ID:aMm5tRDY
>>798
小牧長久手前後で大地震はあったらしいが、天正期とすると幅が広すぎやしないか
802人間七七四年:2011/12/31(土) 18:07:39.73 ID:UYdQL6DB
>>801
地震と噴火が同時に起こるとも限らんし、だいたいプレートの歪みによるエネルギーの蓄積が放出されまで時間差もあるから、

むしろ天正期だと狭すぎて俺のできる計算じゃあ、16世紀に噴火を引き起こす地震があったんじゃないかと言えるレベルで・・・

ごめん、引っ込みます。
803:2011/12/31(土) 18:20:49.09 ID:PFSwDUDG
>>797
下から山梨まで走ってもダメだこりゃって思うわw
あの地形じゃな
近畿地方も走ったけど美濃〜近江までは障害無かったぞ
804人間七七四年:2011/12/31(土) 22:58:43.60 ID:VckicZIK
>>794
勝頼の防御構想は、北条や毛利と比べると酷すぎた。
織田の進入経路は、木曽谷、伊那、駿河方面と3つあるのに、
伊那方面と駿河方面しか固めず手落ちもいいところ。
挙げ句に新府城とか意味不明な立地。
どうせなら諏訪湖畔に巨大陣地でも造れば組織的な防衛ができた。

結局木曽谷抜かれて、伊那谷に集めた信濃衆は降伏、上野衆は天災か何かで逃亡。
勝頼とその側近たちには根本的に防衛の軍事センスが欠落していたと思う。
805人間七七四年:2011/12/31(土) 23:38:39.83 ID:VKaltv/F
>>799
でも最後の遠征、最初は夏には出兵するはずだったのが、
最終的に10月になってしまったから、何らかの体の不調でもあったんじゃないか?
806人間七七四年:2012/01/01(日) 02:12:09.89 ID:oflSjFEv
1575年(長篠)〜1582年の7年間は状況に振り回されて悲惨だったな
807人間七七四年:2012/01/01(日) 04:37:15.81 ID:Z4VP74Yo
>>804
駿河は一国がほぼ健在だったし、木曽路はかって織田軍を撃退したこともある要害
しかもどちらも主将は一門
新府築城以前の防御構想に手抜かりはない
どんな堅城も門番が裏切ったら無力
808人間七七四年:2012/01/01(日) 07:49:56.71 ID:RemgNBFE
人望無かったんだな…
809人間七七四年:2012/01/01(日) 08:00:55.35 ID:86IZD0bX
>>805
夏とは明言してなくね?
飛騨攻略と美濃調略、越中の武田派支援と
信玄が上洛戦前の準備に念を入れてたからね。
>>806
謙信が生きていた時は、
まだ余裕あった。
ホントにヤバくなったのは北条との同盟崩壊と石山本願寺が信長と和睦してから。
810人間七七四年:2012/01/01(日) 08:08:46.32 ID:86IZD0bX
新府城は武田領国の中心地に位置しており、
街道が駿河や諏訪や上野、北信濃に行くのに都合がよい場所と研究家には評価が高いわけだが。
諏訪では上野戦線や北信濃戦線を放棄すると
誤ったシグナルを該当国人に与えてしまうだけだろ。
木曽谷は親類の木曽氏に任せてたんだから、
勝頼が固めないといけない理由は無い。
811人間七七四年:2012/01/01(日) 09:56:37.31 ID:6PKC9PJd
信長も武田攻め前は、まさかここまで勝頼の人望がないとは思わなかったんだろうな。
812人間七七四年:2012/01/01(日) 10:40:06.25 ID:QQNN8t36
>>805
>>809
武田が夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側だな
事前での調整ではそうなっていたのが遅れたのか
ただの宣伝文書か

あと武田自身出兵が遅れたがとか書状で言っているので
最初の計画ではもっと早めの時期だった可能性は高い
813人間七七四年:2012/01/01(日) 11:51:43.29 ID:pdHilBYi
>>811
勝長の返還をてこにした和睦を申し込んだ時点で信長に「武田弱し」と
見切られてはいたんだろうな。
814人間七七四年:2012/01/01(日) 12:12:24.34 ID:6mHv87zS
>>813
勝頼も和睦を申し込むくらいなら信長に臣従誓うくらいの覚悟がないとな。
当時の織田と武田の力関係で対等の和睦なんて無理だろ。
まぁそんなことしたら臣従する前に武田があっという間に空中分解してしまうだろうけど。
815人間七七四年:2012/01/01(日) 12:23:37.81 ID:jNeW+xps
>>801
内ヶ島氏が滅亡したという天正地震だっけ?

>>811
信長は勝頼が最後の決戦を挑んでくるとみていたようだけど、
実際はそれすらできなかったからなあ
816人間七七四年:2012/01/01(日) 12:28:36.86 ID:a95gEW7U
>>812
7月末に三河の奥平定能を味方にしてるし
三河侵攻が円滑に進むように地ならしをしてた。
8/11に関東攻めの口実で信濃衆に軍事動員をかけてるし
ただ9/10に本願寺が織田と本願寺の和睦交渉の話を報告してんのよ。
それで一時的に軍事行動の発動を止めたのかもね。
9/26には山県昌景が先陣として甲府を出発してるし
晩秋出陣って感じだから遅れはしたかもしれないが
夏出陣の約束は守ったと言ってもよいと思うが。
ちなみにこの時期に信長が甲越和与を斡旋してきていたとする
年代規定は
柴辻氏が辻褄が合わないとして2008年の講演と2009年の論文で
元亀元年から元亀2年に関する書状だと主張し、
それに反論した者は今のところいないので除外。
817人間七七四年:2012/01/01(日) 12:30:58.97 ID:a95gEW7U
訂正
×晩秋出陣って感じだから
○晩夏出陣って感じだから
818人間七七四年:2012/01/01(日) 12:46:07.07 ID:QQNN8t36
>>816
>9/10に本願寺が織田と本願寺の和睦交渉の話を報告してんのよ
これは年代規定に疑問が出されている。

1572年9月26日は現在の暦に直すと
11月半ばでとても夏とは言えない。
819人間七七四年:2012/01/01(日) 15:20:02.08 ID:HZwH4rUm
実態と日付のズレを農作業の利便目的に、
閏1月を追加してわざわざ調整したんだから、
11月のわけねーだろ。
調整する意味が全くなくなるとかわからないの?
根本が理解出来てない。
頭悪過ぎ。
820人間七七四年:2012/01/01(日) 16:52:46.31 ID:QQNN8t36
>>819
その言葉そっくりそのまま返します。
何のために閏月があると思っているのか?
あまり適当なこと書かないで少しは調べてから書いて欲しい。
821人間七七四年:2012/01/01(日) 17:00:40.16 ID:h0a426fv
>>819
元亀3年9月26日はグレゴリオ暦が1572年11月11日
        ユリウス暦が 1572年11月1日
西暦ではどう見ても11月です。
というわけで818の方が正しい、気候的にはすでに秋。
822人間七七四年:2012/01/01(日) 19:05:33.23 ID:6PKC9PJd
田野の戦いって実際は5分くらいで終わったんじゃないの?
5千人と40人じゃ本能寺みたいじゃん。
823人間七七四年:2012/01/01(日) 19:53:26.31 ID:a95gEW7U
>>812
>>夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側
残念ながら私、その該当書状を知らないので、
良かったらどんな内容で、いつ誰が誰に出したものなのか
おしえてください。



824人間七七四年:2012/01/01(日) 21:26:55.94 ID:7FYmnVH/
>>812
越中の寺社宛の書状と混ざっていないか?

>>823
>>夏に出兵すると明言しているのは浅井朝倉側
浅井は違うと思う。
浅井の方は20日以内に信玄は出馬するという
1572年9月5日の島宛の長政書状のならあるが。
信玄の出馬は10月入っているけど山県は一日間に合わなかったぐらいだから遅れたと言うほどでもないとおもうし、
どっちにしても既に秋だ。

病気で遅れたは、信玄の越中の寺社宛の書状で
越中救援のため越後へ攻めこもうとしたが病気で延期していたところ
謙信が(越中から?)去ったので引き上げた、一旦徳川を攻めて抑えこんだら、
そちらに出兵する
っていうのならあるな。

朝倉側はちょっとわからない。
825人間七七四年:2012/01/01(日) 23:01:40.88 ID:Iy7WIunN
>>816
2009年5.31記念講演:柴辻俊六
武田信玄の上洛戦略と織田信長
「通説では四月二十一日に本隊が長篠城下に着陣したとされており(5)、...」
(5)芝辻「武田勝頼」(新人物往来者、二〇〇三年)。
自分の本を通説なんて言っちゃうあたり、誰からも相手されてないだけじゃねw
お前が自分のレスを根拠としてもって来ても誰も相手してくれなかっただろ?w
826人間七七四年:2012/01/02(月) 09:00:43.24 ID:Jl9Zl+li
>>825
論文読んだ
経験無いのか?
拙本として自分の過去の論文に言及するのは当たり前だぞ。
827人間七七四年:2012/01/02(月) 10:21:03.63 ID:QtK2+xjT
>>826
話すりかえてんなよ、ボケw
どうも武田厨は自分に都合よく改竄する癖があるな
こりゃ今まで引用してきたのも怪しいわw
828人間七七四年:2012/01/02(月) 10:26:38.97 ID:t9BFid8a
1571年に武田が三河攻めをしたは一応通説だったと思うんだが

>「通説では四月二十一日に本隊が長篠城下に着陣したとされており(5)、...」
あとこれは上の文章の詳細は
>(5)芝辻「武田勝頼」(新人物往来者、二〇〇三年)。
に書いてありますって意味だから、そんな突っ込むようなところか?
829人間七七四年:2012/01/02(月) 10:50:23.31 ID:o6aVKUlR
長篠城が徳川家に奪回された時に武田の援軍が徳川に敗北しているのを見ると
長篠城は武田家の鬼門といしか言いようがないな
830人間七七四年:2012/01/02(月) 11:03:58.33 ID:Jl9Zl+li
徳川にとっての上田城みたいなもんか。
831人間七七四年:2012/01/02(月) 11:22:59.81 ID:o6aVKUlR
後はあれだ高天神城を攻めるなら、掛川城を攻めるべきだったとか
徳川は高天神城をほっといて諏訪原城を攻めたし
832人間七七四年:2012/01/02(月) 11:46:01.83 ID:t9BFid8a
ホント何で東海道を抑えようとせず高天神なんて外れた地域の城に固執したんだか
833人間七七四年:2012/01/02(月) 12:00:14.88 ID:QtK2+xjT
>>828
違和感感じないならそれでいいよw
「報道によれば」と質問して、谷垣の「どこの報道?」に対して「朝日系列の...」という答えで失笑買った朝日の記者と同じレベルの論理ってだけだから
834人間七七四年:2012/01/02(月) 12:14:07.44 ID:o6aVKUlR
武田家は決戦を行おうという考えが希薄だったのかもしれない
835人間七七四年:2012/01/02(月) 12:52:26.80 ID:w+V24P0r
長篠後のある程度の時期までは武田のほうこそ決戦を欲してたと思うが
高天神救援も徳川単独とならって思惑もあろう
836人間七七四年:2012/01/02(月) 13:05:02.62 ID:o6aVKUlR
徳川単独という前提が既に自身に都合の良い設定だと思う
想定戦場も織田・徳川にとって高天神は遠く、逆に長篠は近すぎる
837人間七七四年:2012/01/02(月) 13:09:57.07 ID:7VhLsaRP
長篠後は徳川にすら劣勢になった。
馬防柵に特攻させた勝頼の責任はあまりにも重い。
838人間七七四年:2012/01/02(月) 13:14:09.06 ID:7VhLsaRP
氏真が下らないプライド見せて、信玄からの三河共同出兵申し入れを蹴ったのがなあ。


これやってれば、徳川は1ヶ月で滅亡したのに。
839人間七七四年:2012/01/02(月) 13:29:43.55 ID:w+V24P0r
>>836
天正2年に織田軍を釣り出せてたらどうなってたかなあ
いくら信長にやる気がなくても武田が城を落とさない限りは進軍するしか無かっただろうし
840人間七七四年:2012/01/02(月) 14:47:48.79 ID:90CoNdWp
普通に高天神城を取り返されておしまい
841人間七七四年:2012/01/02(月) 15:31:41.82 ID:78FsLkHH
>>812
結局、この該当書状は存在しないってことでOK?
842人間七七四年:2012/01/02(月) 17:28:22.23 ID:90CoNdWp
突然なに言ってるんだ
843人間七七四年:2012/01/02(月) 21:54:44.92 ID:wijLU9kf
>>841
なんも反応ないってことは、
ガセ書状っぽいな。
844824:2012/01/02(月) 23:07:38.74 ID:Jjg8IjMv
>>841
>>843
>>812はいくつかの書状が混じっているんじゃないかって気はするが、
自分のレスだけで判断はしないで欲しいと思う。
朝倉側の書状までは記憶していないのでそっちにあるのかもしれないし、
自分だって浅井の書状をすべて確認したわけじゃないので。

ただ何かで8月に今月中に武田が出陣してくるって言っていたのがあったような気はする。
845824:2012/01/02(月) 23:12:19.16 ID:Jjg8IjMv
加賀勢が出陣してくるっていう長政の書状は8月25日だったが、それにかいてあったかなぁ?
でも8月中に出陣は義景のことだった気がするし。
ないほうを証明するのは難しいな。

でもまあ病気で延期したって越中宛に書いているから、それが言い訳じゃないんなら、
>遠征前からすでに病の体だとするのは甲陽軍鑑のネタ。
これはネタじゃなく事実ということだろう。
846人間七七四年:2012/01/02(月) 23:20:09.19 ID:wijLU9kf
>>845
信玄は花押を書くのがめんどくさい時は、
眼病になったとか、
病になったとか
いい加減な理由つけてサボるからなあ。
その書状に花押が書いてあれば、
ホントに病だったかも知れ無いが。
847人間七七四年:2012/01/02(月) 23:34:17.85 ID:QtK2+xjT
面倒なんて理由で判にするかよw
宅急便にチョチョイとサインで済ませるのとわけが違うぞ?
当時は書札礼が大事にされてたのに
848人間七七四年:2012/01/03(火) 00:01:31.77 ID:oAHe9oBQ
面倒くさいという理由で花押を書くのをサボり、信頼を失う武田信玄であった
849人間七七四年:2012/01/03(火) 01:26:54.89 ID:hMGQNeQN
清正でさえあほみたいにめんどくさい花押を書いていたというのに信玄はそんな事もできんのか

ぷげらやが
850人間七七四年:2012/01/03(火) 12:07:17.53 ID:2A+2oEWw
信玄の花押はちゃんと下書きした後に、細い筆で丁寧に
何度もなぞったりしてメンドクサイもんだったから
手に腫れ物ができたからとか言って朱印で済ますケースはけっこうあったが、
2/16の本願寺宛て書状(野田城落城し翌日信濃へ北上)
ではちゃんと花押を書いてるから、すくなくとも体調が悪いってことはなく
健康だったんじゃないかな。
>>841
うーんわからん。そんな書状ほんとにあったのかな。
851人間七七四年:2012/01/03(火) 12:29:24.96 ID:oAHe9oBQ
メンドクサイから信用される。
それをウソでごまかせばどうなるか、誰でもわかること。
852人間七七四年:2012/01/03(火) 13:24:10.85 ID:2A+2oEWw
信長なんてほとんど黒印だけで済ましてるけどな。
花押の価値を高めるのが信玄の狙いだったと言うのが真相だろうし。
そもそもそんなに数も多くない。
眼病→蒲原宮内 あて先不明の2通 
手に傷→浦野三河 浦野宮内 大井弾正の3通
取り乱し→大井左馬の1通
853人間七七四年:2012/01/03(火) 21:29:15.61 ID:OOzrjULl
名もなき女達は何で田野までついてきたんだろうな。どういう仕事をしてた女達なんだろう。
854人間七七四年:2012/01/03(火) 23:49:50.18 ID:SjND5o9n
北条の姫の付き人とか、付き従った武士の縁者とかでは。
855人間七七四年:2012/01/04(水) 01:35:42.23 ID:6E33q3CV
>>852
余程織田信長にコンプレックス持ってるんだな
織田信長が関係あるのか?

真相だろうというお前の妄想だな、正確に物事はいうように
花押を押した書状はむしろ年代が降るにつれ多くなるから価値を高めるとかはお前の妄想w
いや、願望か?w
花押は約500、晴信朱印はその十分の一
これで価値を高める?w
面白いなw
是非根拠を聞かせてもらおうかw
そして自筆文書は元亀三年四月までのものしか確認されていない
この頃から体調悪いんだろw
しかも現存する朱印書状は祐筆の筆跡と同じで、あえて「自ら筆をとった」なんていってブラフかますあたり、相当体調悪かったんじゃね?w
まあこれも根拠ないけど、少なくとも書状から「信玄は二月十六日まで健康だった!」というのは無理やりすぎるって覚えとけw
856人間七七四年:2012/01/04(水) 10:10:57.48 ID:nc197XvE
二月十六日まで健康だったとすると、俗説扱いの狙撃伝説がいよいよ信憑性が増してくるね
ま、ないと思うけど
857人間七七四年:2012/01/04(水) 12:31:46.79 ID:ZuP2iPx4
大して重要と言うか地位が高くない相手にしか、
病だからとか理由つけて朱印にしてたり、
諏訪大社への年賀みたいな習慣みたいなもんも朱印で済ますから、
花押をもらうと有難い感を出してたのは確かなんじゃない。
しかも完全に信玄手書き書状は、
祐筆が留守以外だと、
神に約束してたのに、
聞いたところ関で税をまだ取ってると聞いて驚いた。
いますぐやめさせろとか
結構に緊急性あったり
軍事機密だから祐筆を通さない書状だったり重要な時だし。
自筆文書を基本的に信玄は書かない人。
ちなみに信長の自筆文書は超激レアで数点しか現存してないから、
ほとんど書いてないんだろ。
15歳の細川忠興宛の初陣で武功を挙げたのを褒める信長自筆文書は重要文化財指定されてるほど。
858人間七七四年:2012/01/04(水) 13:47:43.97 ID:2NWlXkV9
信玄「病気だから花押かけないんで朱印にするね」

信玄「今回は健康だから花押書くね」



さて質問です。
花押をもらった方は、これによって「花押だ、ありがたい」と感じるでしょうか?
859人間七七四年:2012/01/04(水) 14:06:02.84 ID:M+joJc4O
自筆も何も年代鑑定からして大議論ものなのに・・・
860人間七七四年:2012/01/04(水) 15:19:14.22 ID:2NWlXkV9
などと言いつつ、別スレではこんな事を言ってしまう>>859であった


924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 14:31:03.52 ID:M+joJc4O
>>891
>>いやそう書いてあるじゃん
はぁ?>>>>現存する今福昌和の起請文は、永禄九年、あるいは永禄十年に出されたもので
これのドコがそう書いてんだwお前は年代を確定できてなかった。
またネットから拾ってきたから、そこに年が書いてないからわからなかったんだろうが。
861人間七七四年:2012/01/04(水) 17:26:13.31 ID:6E33q3CV
>>857
まず「面倒だから」とかいうくだらない理由で朱印用いたって事を証明するのが先だろw
武田厨の愛する信玄公は「体調わるいんでかけないんっすわwサーセンw」言ってるのになんでお前らがそれを信じてあげないんだw
外交文書の宣伝は文面どおり取るのに、なんで朱印は文面どおり受け取らないんだか武田厨はw
ここからお前ら自身に都合よく恣意的な解釈してるのがみえみえww
花押押されてる書状は1300点中500点で四割近い
これで花押が貴重?wありがたい?w笑わせんなよw
あと、自筆云々に逃げんなよ?w
>>852
>花押の価値を高めるのが信玄の狙いだったと言うのが真相だろうし。
>花押の価値を高めるのが信玄の狙い
>花押の価値
花押だからなw
862人間七七四年:2012/01/04(水) 17:28:06.19 ID:nc197XvE
>>860
恐らくだが氏は歴史的事実や史料の方から永禄十年だと考えているのだろう。

今福昌和起請文に関しては、実物の彼の起請文内には年号は確認できない。
同じような起請文を書いてる別の武田家臣が永禄十年八月七日とあって、
史料にもそうあるからこいつも多分そうだろうと考えられてるだけで。
863人間七七四年:2012/01/04(水) 18:15:42.75 ID:364qaM1a
>>861
鴨川氏が仮病を使ったりしてると書いてるから。
>>862
永禄九年の起承文は戦国遺文武田の1007から1010の連番収録されてるから
お前の屁理屈を通した今福のは絶対に九年じゃない。
ここで屁理屈言わずに、
遺文編集してる学者に文句言ってくれ。
いまのところ、
それへの反論論文は読んだことがない。
864人間七七四年:2012/01/04(水) 18:42:45.39 ID:nc197XvE
>>863
屁理屈も何も最初から永禄十年は書いてある。
永禄十年なんてのは他の武田家家臣の起請文の日付でわかること。

ただ起請文の実物は見たことあるか?
今福昌和のそれからは年号を本来確認することはできないんだよ。
つまりこの起請文だけでは年号を判断することはできない。

恐らくその学者も永禄十年八月七日に武田家家臣が起請文を奉納したという史料の記述と、
他の武田家家臣の起請文が永禄十年八月七日だから、今福のもそれであろうと判断してそこにいれたのだろう。
865人間七七四年:2012/01/04(水) 19:20:46.77 ID:6E33q3CV
>>863
具体的に?
どの論文でどういう論拠に基づいてどういう論理でそういってるのか明らかにしろよ、できるもんならなw
こう聞くと「相手にする価値無い」とか言って逃げるんだろw

まあ下みたいな人格攻撃しか出来ないやつに聞いたところで無駄だろうがなwwww
535 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 16:24:38.42 ID:364qaM1a
やっぱり織田厨って真性キチガイだな

関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか?
545 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:03:53.34 ID:364qaM1a
>>514
分封問題をタネに家康に、
毛利領に介入されまくって輝元が
屈伏した挙句に
父兄の契りだからな。
どんだけ輝元が悔しかったかわかるな。

【反逆者】 荒木村重 【薄情者】
101 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:35:56.93 ID:364qaM1a
>>100
信長は裁判などやってないから、
罪をはかることなど出来ない。
信長領国には最後まで分国法が存在してない。

武田信玄は過大評価されすぎ!!part2
929 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 17:40:52.48 ID:364qaM1a
こりゃ完全に織田厨は
頭がおかしいわ。
曲解と屁理屈とケチをつけてるだけ。
完全に話にならんわ…

上杉景勝VS伊達政宗
906 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:01:02.12 ID:364qaM1a
>>904
デタラメ書くなよ。
そんな妄想はお前の頭の中でやれ。

天正10年の武田攻めを語るスレ 3
863 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:15:42.75 ID:364qaM1a
>>861
鴨川氏が仮病を使ったりしてると書いてるから。
>>862
永禄九年の起承文は戦国遺文武田の1007から1010の連番収録されてるから
お前の屁理屈を通した今福のは絶対に九年じゃない。
ここで屁理屈言わずに、
遺文編集してる学者に文句言ってくれ。
いまのところ、
それへの反論論文は読んだことがない。

信玄は上洛できるのか?
130 :人間七七四年[sage]:2012/01/04(水) 18:19:04.32 ID:364qaM1a
織田厨が誤魔化し始めたワロタ

866人間七七四年:2012/01/04(水) 22:49:46.13 ID:6E33q3CV
541 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/01/04(水) 12:11:56.81 ID:ZuP2iPx4
>>539
しかし、
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
一方の三成にはなんら首謀者としての傍証すらなし。
(三成→直江書状を偽書状とした場合に限り)

546 名前: 539 投稿日: 2012/01/04(水) 22:18:51.61 ID:G2UmPFBW
>>541
何度も言ってるけど、文章改竄するのはやめれば?みっともないよ。

× 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
○ 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高いのではなかろうか。」

文意が変わらないなら原文に正確に転載すればいい。
867人間七七四年:2012/01/05(木) 10:32:17.46 ID:ywpcixfX
コピペ鬱陶しいんだけど。
868人間七七四年:2012/01/05(木) 10:49:15.39 ID:GmUui5sy
信濃を取った後の武田は基本的に雪隠詰めだったんだよなぁ
869人間七七四年:2012/01/05(木) 12:02:53.59 ID:Coj05OML
信玄の早すぎる全盛期だった
今川攻めも所詮はたなぼた
870人間七七四年:2012/01/05(木) 18:15:35.09 ID:b6UB/6A5
不思議だな
だがさんのコピペはうっとうしいだの言われないのにw
871人間七七四年:2012/01/06(金) 02:34:35.34 ID:nd7J59bT
天目山より本能寺が先だったら武田は生き残ってたんだろうか
872:2012/01/06(金) 02:40:38.54 ID:+/k95//+
生き残ったべ
家康は武田を高く評価していた
秀吉は勝頼を生かして関東の先鋒に使う考え持ってたようだし
873人間七七四年:2012/01/06(金) 06:39:07.66 ID:/KkYhMzy
糞コテの糞妄想乙
874人間七七四年:2012/01/06(金) 09:27:31.20 ID:Z19tA+/w
>>872
ソース
875人間七七四年:2012/01/06(金) 09:31:48.79 ID:J20Aw3Je
武田というか勝頼が独立独歩を諦められるかどうかじゃないか 北条と同じ末路を迎えそう
史実より徳川が弱体化するのは間違いないが
876人間七七四年:2012/01/06(金) 13:50:41.04 ID:oJHd8nRr
家康は武田を高く評価していた → たぶん徳川実紀
秀吉は勝頼を生かして関東の先鋒に使う考え持ってたようだ → ???

877人間七七四年:2012/01/06(金) 19:03:27.33 ID:zyAJYRCe
秀吉は長篠に従軍したから、勝頼のあまりに無謀な突撃を見て恐れを抱いたんだろうな。
878:2012/01/06(金) 19:22:48.78 ID:5EQTqTyB
http://takeshi.boy.jp/takeshi/jyozan/jyozan115.html
秀吉が武田勝頼の滅亡を惜しんだこと

ほれ
家康は武田をお気に入りだったでしょ旧武田の家臣信長に殺されるの
防いでかくまったり
879人間七七四年:2012/01/06(金) 21:08:22.31 ID:V5JcAWQr
常山紀談は江戸時代中期の作

著者が儒学者

さすがにこれは完全にお察しの信憑性だろ。
880人間七七四年:2012/01/06(金) 21:19:01.60 ID:zyAJYRCe
小田原攻めの先兵にするとか、いかにも秀吉が天下握って小田原攻めた史実を知ってる人の後づけぽいな。

しかし、今に続く勝頼擁護厨の先駆けだな。
881人間七七四年:2012/01/07(土) 01:59:11.51 ID:zIZPJZYe
死より痴に改名した方がいいくらいの頭の悪さ

だが並みに気持ちが悪いなお前は
882人間七七四年:2012/01/07(土) 14:48:47.96 ID:E8OcvRu7
「われらも多年、骨を折った甲斐があったものよ」
「光秀!」
甲州軍は、既に二流の軍団に過ぎなかったから、手放しで信忠の働きを誉めるのをためらわれたのも確かだった。
「いつ働いた己れが。失せろ!てろ頭め」
883人間七七四年:2012/01/08(日) 17:36:19.70 ID:9tN4nQ6w
たとえ事実だったとしても、先陣に使った後に改易だろうな。家康のように。
884人間七七四年:2012/01/08(日) 23:15:36.19 ID:0eA+PPRW
というか氏素性のわからないたかが織田家の一武将にそんな評価をされてもね。

小田原攻めの先兵とか完全になめられているし、落ちるとこまで落ちたとしか見えんな。
885人間七七四年:2012/01/10(火) 00:51:19.60 ID:yK9porRs
織田家家臣の時代に言ったわけじゃないだろ。
天下統一後に秀吉が回顧して語ってただけじゃねえの?
886人間七七四年:2012/01/10(火) 01:07:52.82 ID:jdRvNwUr
結果論だが信忠軍団が旧武田領に配置されたことで中央が手薄になったわけで
887人間七七四年:2012/01/10(火) 18:00:03.40 ID:esgHaS8q
むしろ中央に光秀の勢力圏を持たせすぎてることが仇。
京から北にいけば光秀の領国丹波
京から東にいけば光秀の領国近江坂本

明智謀叛を聞いて信長が是非に及ばずと言った気持ちもわかる。
家康で言うなら本多忠勝や榊原康政が家康に反逆するようなもの。
888人間七七四年:2012/01/10(火) 20:35:49.62 ID:jdRvNwUr
忠勝や康政なんて幕府時代でも10万石で個々の謀反なら無問題
武田滅亡前なら東西三河の重鎮である忠次や数正なら光秀並
889人間七七四年:2012/01/11(水) 00:39:08.17 ID:2bXpO+Gj
信長の軍団は、信忠の軍にひと月遅れて、後詰めの形で出発したが、戦らしいこともなく、ゆるゆると動いて上諏訪まで来たのである。
その夜、宿泊した法華寺で酒宴があった。
不意に甲走った信長の怒号が上がったのは、酒宴の半ばである。それが自分にむけられたものだと解ったとき、光秀は一瞬蒼ざめた。
信長は敷皮の上に突っ立ち、日向、ここへ来い、と叫んでいた。
「なにごとか、お気にさわりましたか」
「白々しいことをぬかす」
「われらとは貴様がことか。吐かせ、今度の戦で貴様がどう働いた?」
890人間七七四年:2012/01/28(土) 17:28:28.16 ID:ULroEyD1
高遠で籠城した武将に、三月五日討ち死にとあるのだが
高遠が落ちたのは三月二日だよな

一度書き直しがされている文書らしいのだが、
書き直しで間違えたか、三月五日まで何かあったのか
どっちなんだろう
891人間七七四年:2012/01/28(土) 18:24:11.79 ID:6RNaz/r1
単純な写し間違えとか良くある事だからなんとも言えん
892人間七七四年:2012/01/28(土) 18:45:00.29 ID:K4rkc6Xw
>>871
信忠は確実に領国の美濃に引き返すだろうしね
でも小山田の裏切り後なら結局落ち武者狩りされてそう
小山田の裏切り前なら岩殿城に入城→北条、徳川の動きを見つつ甲斐の再統一かな
ただ信忠が生きてる以上織田家が即崩壊するわけでもなさそうだから信濃はどうだろうね
上杉、上州に居る真田と連携しながら押さえる感じなのかな
光秀と結ぶか信忠に松姫送って恭順するか
893人間七七四年:2012/01/29(日) 12:42:25.81 ID:bfQRfyy/
甲斐を再統一しようにも手勢が40人しかいない勝頼じゃどうしようもないだろう。


「武田軍」は上原城から新府城への道中で霧散し、新府出発以降は「勝頼一行」でしかない。
894人間七七四年:2012/01/29(日) 13:08:35.26 ID:D3g33PqJ
>>888
本能寺の教訓から本多や榊原には大領を持たせなかったとも考えられるんだよな
895人間七七四年:2012/01/29(日) 13:25:27.01 ID:0NCgkQVE
勝頼のベストな逃げ先は、真田が裏切らなかったと仮定して、真田の庄経由で上杉まで行くのがいいかな?
どうせ上杉も織田との決戦を避けらない状況だから突き出されりゃしないだろうし。
村上と肩を並べて上杉の客将になるのも没落大名らしくていいよね。
上杉落とすまで東国に常駐するわけにいかない信長が京に帰れば本能寺が起きるかもしれないし。
うまくすれば、川尻への一揆の頭目として返り咲けるかもしれない。
徳川の干渉さえ退けられれば、あるいは。
896人間七七四年:2012/01/29(日) 13:42:13.84 ID:zB0rRwcG
死にたくないだけなら真田経由上杉が一番だろうな
景勝は武田滅亡の報に接して勝頼保護の指令出してるし
昌幸は以外に義理堅いから、一益を逃がした時のように勝頼逃がしてから
何食わぬ顔してしれっと北条に降伏するだろうし
ただし勝頼生存なら本能寺は起きないか、少なくとも違う形にはなるので
勝頼復権まで予想するのは難しい
897人間七七四年:2012/01/29(日) 13:46:51.37 ID:jIK1uVci
仮に上杉に逃げ込んだら織田軍は追ってきそうだけどな
甲斐進軍を後回しにして北上すればいいだけだし
898人間七七四年:2012/01/29(日) 15:05:14.94 ID:mNneeRuM
勝頼が上杉領に逃げる前提の時は一応本能寺が史実通り起きる仮定にしないと話が続かない
上杉も本能寺がなければ確実に滅亡してるし
899人間七七四年:2012/01/29(日) 17:42:36.14 ID:jIK1uVci
>一応本能寺が史実通り起きる仮定にしないと話が続かない

なら無理ってことだな
900人間七七四年:2012/01/29(日) 17:48:44.94 ID:5rpYCe4f
よっぽどの奇跡が起きないとな
地震とか台風とか
901人間七七四年:2012/01/29(日) 18:16:04.87 ID:8pxjTtEj
甲州征伐からそのまま一気に上杉攻めは無理じゃね?
いくら織田でも補給が続かねえだろ。
902人間七七四年:2012/01/29(日) 20:19:43.40 ID:mVkYCXwk
真田経由の最大の問題は勝頼はともかく奥方などの女子がそこまでいけるか
てとこだよな、見捨てればいけるだろうけど。
903人間七七四年:2012/01/29(日) 20:23:55.24 ID:3tK6WBRz
予定通り甲州征伐して信長・信忠は引き上げ、越後に逃げた勝頼は北陸軍と関東軍に任せたってとこじゃないのかね
勝頼個人が生きてても武田家っていう勢力は滅亡して領土も得たわけだから目的はほぼ達成してるし
904人間七七四年:2012/01/29(日) 20:35:38.40 ID:bfQRfyy/
山賊に囲まれて「北条夫人を差し出したら、通してやる」と言われかねないほどの少人数だからな。
905人間七七四年:2012/01/29(日) 20:46:20.28 ID:jIK1uVci
>>902
そこが信長との違いだな
北条夫人だけ小山田に預けて(北条に引き渡すの前提)、父子・近臣で駆ければ一応領内だしどうとでもなる
906人間七七四年:2012/01/29(日) 23:20:59.44 ID:YVt3w3qR
最初から小山田じゃなくて真田頼ってればね
笹子峠で小山田が裏切ったの知ったんでしょ?
後ろからは織田軍が迫ってるわけであそこから北上しようとしたら今の時代でもかなりきついでしょ
907人間七七四年:2012/01/29(日) 23:26:50.69 ID:4yN9Ir1V
ぶっちゃけ真田も内通してただろ。
武田家臣で地方領主とはいえ滝川の下にすんなり収まりすぎ
908人間七七四年:2012/01/29(日) 23:39:16.28 ID:jIK1uVci
真田に限らず内藤・高坂ら信玄重臣の子らも許されてるから、単に甲斐進行ルートから外れてて戦わずに降れたから
ちなみに南信の山県・馬場の子らは討ち死にしたとも殺されたとも
909人間七七四年:2012/01/29(日) 23:40:03.84 ID:/OdxjD1L
>>907
真田は位置的に、上杉に着かれる可能性もあるから、
そうなると、多少とはいえ、面倒になる。
910人間七七四年:2012/01/30(月) 00:11:56.10 ID:+7JM3pFV
真田は裏切ってない、って前提がないとどっちにしても積みだよね。
北条家のへの書状はあるけど、なにせ昌幸さんが北条相手に出した書類だから、全然信用出来ないw
911人間七七四年:2012/01/30(月) 00:24:09.73 ID:WHu97vLW
捕まえろ、いやです。と馬鹿正直に言う奴は居ないわな
まして昌幸さんとなれば妄想の種が尽きない
912人間七七四年:2012/01/30(月) 00:28:10.23 ID:CqN8D11G
最初から真田経由で上杉に落ち延びて本能寺があればどうかな?
どさくさ紛れに上杉の兵借りて海津城あたりまで掠めとって、その後は上杉と共に秀吉と同盟
徳川と対立した秀吉のお陰で最終的には甲信の大名に返り咲き、関東に押し込められた徳川ににらみを利かせる
元々徳川家康と武田勝頼は犬猿の仲だし秀吉にとってはかなり心強そう
913人間七七四年:2012/01/30(月) 00:45:31.69 ID:F8UIGOse
北陸軍・信忠軍・北条軍・徳川軍・新発田軍らの集中攻撃で上杉がボコられるだけでは
織田と誼を通じたい東北諸将も参戦するかも
914895:2012/01/30(月) 06:40:55.89 ID:+7JM3pFV
>>913
だから、史実通りでも上杉はボコられてるわけで、その間に本能寺が起これば?って話でしょ?
予定外の上杉を壊滅するまで甲州だか信濃だかに信長がずっと張り付いてるわけにもいかないだろうし。
んなことしてたら、毛利方面とかどうなるかわからん。
915人間七七四年:2012/01/30(月) 08:58:09.42 ID:4wOhfVl2
信長「甲斐から帰ったら中国行くからお前丹波に帰って先に行ってろw」
光秀「えっ」

どっちにしろ信忠まで帰るとは思えんけどな
916人間七七四年:2012/01/31(火) 06:38:53.28 ID:1VY4W2YP
ほとんど活躍らしい活躍もない真田なんて
浅間山噴火直撃地が原因だろうから
戦えるような状況じゃなかったんだろ。
917人間七七四年:2012/01/31(火) 08:15:39.82 ID:dxOSYKWI
そのまま越後に逃げてしまえば信忠も相手してる場合じゃなさそうだけど
勝頼の首を取るのが目的じゃなくて甲信の支配が目的なんでしょ?
918人間七七四年:2012/01/31(火) 09:18:12.02 ID:hcEq1dYh
武田の滅亡が目的だろ
武田が滅亡さえすれば勝頼なんざどうでもいいって気もするが…
919人間七七四年:2012/01/31(火) 09:39:42.73 ID:pyn6FspO
滅亡とはどういう状態の事を指すのか
920人間七七四年:2012/01/31(火) 11:38:04.47 ID:b5Z+9c35
>919
土地を失うってことじゃね?

921人間七七四年:2012/01/31(火) 15:14:04.27 ID:LZJfaO5L
この時代はいったん逃れてから後援を受けて失地回復した例も多いからなんとも
922人間七七四年:2012/01/31(火) 15:24:03.18 ID:CZuQbG72
>>919
土砂崩れで城ごと埋もれちゃう
923人間七七四年:2012/01/31(火) 18:22:06.04 ID:ojCAJ8tH
村上に続いて武田まで上杉を頼るって流れはなかなか歴史の皮肉を感じるね
924人間七七四年:2012/01/31(火) 19:35:43.82 ID:OGx897a5
信長はあまり、相手の首領のクビに固執しないような。
勝頼が甲信の外に逃げれば完了とみなして、自らは京に戻り本能寺の展開もあり得ると思う。
925人間七七四年:2012/01/31(火) 20:26:29.01 ID:A8EGnByo
リスク考えたら大将首は必要だと思うがね
それまでの大名と比べたら武田は巨大組織なんだし
926人間七七四年:2012/01/31(火) 20:47:20.77 ID:pOgZGRIS
少なくとものんびり富士山を見たり、家康の接待を受けたりはしないだろうな。
家康が堺見物に行くこともなさそうだ。
927人間七七四年:2012/01/31(火) 21:17:14.64 ID:bGmXD7v1
>>925
武田の場合、苛性で人心が離れてたからなあ。
信長は合理主義者だから失地回復の危険性が無い以上放置プレイじゃないかな。
928人間七七四年:2012/01/31(火) 23:15:36.62 ID:58S7+mwV
>>924
逃したのって斎藤龍興や六角くらい?
松永みたいに降るならまだしも(降っても波多野処刑の例もあるし宇喜多の時も文句言ったらしいが)、攻め潰したからには朝倉のように大将首獲るまで追撃しそうだが
勝頼が死ななければ信忠は岐阜なり信濃なりで督戦するだろうから、本能寺のような父子同時襲撃可能な状況になるだろうか
929人間七七四年:2012/02/01(水) 03:26:22.48 ID:m6GpDDi3
越後に勝頼が逃げたと仮定するとそれは柴田勝家の北陸方面軍の担当なんじゃないの?
史実でも森長可が北信濃から春日山に向けて進撃してるけど信忠は京に居たし
930人間七七四年:2012/02/01(水) 08:30:34.72 ID:3aj3MPCb
信長は毛利方面でやることがあるし、
名目上とはいえ、当主として各方面を仕切るためにも、信忠は京に戻ったろう。
2人揃って、長期に必要以上に京を空けると思えない。
まだ不安定な信濃に信忠置き去りにするとも思えないし、岐阜まで戻るなら京に行く。
931人間七七四年:2012/02/01(水) 10:37:27.15 ID:olv4p+VA
信忠は実質的に濃尾織田家当主であり京に常駐してたわけではないでしょ
932人間七七四年:2012/02/01(水) 12:13:28.74 ID:PfRtPQXR
信長も安土だな。
933人間七七四年:2012/02/01(水) 12:17:04.92 ID:iqGVvFQG
>930
平時は信忠は岐阜、信長は安土に常駐して京には村井が所司代としていたけど
934人間七七四年:2012/02/01(水) 15:43:06.61 ID:jXvFBxfV
ifなんて絶対結論出ないのにまだやってるのか
935人間七七四年:2012/02/04(土) 22:47:50.30 ID:tMG1n7bD
この板に有りがちなくだらないレッテルの貼りあいなしに議論してるんだから、良いんじゃね?
936人間七七四年:2012/02/05(日) 02:36:25.03 ID:OdEjU2aj
ケース1 新府城放棄→上州経由で上杉領に逃亡→ケース1−1 本能寺が起きず上杉滅亡
                                 ケース1−2 本能寺が起きるも信忠存命
                                 ケース1−3 史実通りに本能寺で信長・信忠死亡
ケース2 新府城放棄→岩殿へ移動中に討ち死に



ケース1−2と1−3はやり方次第でちょっと面白いかもね
937人間七七四年:2012/02/05(日) 04:26:00.59 ID:1bl8ypjh
何故上杉領逃亡が終着点なんだ?
岩櫃籠城で上杉の援軍待ちって手もあるだろ
938人間七七四年:2012/02/05(日) 04:49:08.28 ID:OdEjU2aj
元々武田ゆかりの土地でもない岩櫃に居るよりは越後に逃げたほうがいいだろw
939人間七七四年:2012/02/05(日) 14:03:57.52 ID:llHpBnAl
どうせ当時の上杉じゃ岩櫃籠城しても救援なんか無理だし
940人間七七四年:2012/02/05(日) 14:28:30.89 ID:LRdcPE/f
本能寺後に北信に雪崩込む武田勝頼に胸熱
941人間七七四年:2012/02/07(火) 03:24:32.02 ID:KcbumZDw
本能寺後に上杉を通じて秀吉と同盟すれば徳川への押さえとして甲斐は与えてもらえそうだな
元々100万石以上の領国経営してたんだし使い勝手はよさそう
942人間七七四年:2012/02/07(火) 03:27:53.93 ID:vdBr4p69
秀吉はそこまで名家好きじゃないだろ
宇都宮や大友はあっさり潰してるし
943人間七七四年:2012/02/13(月) 22:30:46.72 ID:xdV0LtSw
姫を一人二人差し出せばなんとかなりそうな気もする
944人間七七四年:2012/02/14(火) 00:46:29.24 ID:FYKiEUD5
秀吉に勝頼の娘を送る→その娘が男子を産む→勝頼は甲斐、信濃、駿河を与えられウマー
945人間七七四年:2012/02/15(水) 21:59:55.92 ID:uWaUvNKl
勝頼と北条夫人の間の男の赤ん坊が武田滅亡後一年くらい農家に匿われてたらしいね。
946人間七七四年:2012/02/17(金) 17:23:43.43 ID:TAKahgdf
松姫に託していれば、生き残れたかもなぁ。
947人間七七四年:2012/02/17(金) 18:37:09.01 ID:Qobg8iTn
赤ん坊の遺骨をDNA鑑定したところ、父親は信勝らしい。
948人間七七四年:2012/02/18(土) 21:16:41.79 ID:145ivdSi
JALが戦後最大の倒産なら、武田は戦国最大の滅亡だな。
949人間七七四年:2012/02/19(日) 00:40:20.20 ID:ylv1C0Lp
武田なんかじゃなく大内だと思うが?
950人間七七四年:2012/02/19(日) 01:15:57.56 ID:ek/EaL0+
足利だろ
951人間七七四年:2012/02/19(日) 06:43:03.55 ID:Mj0ks20W
武田の滅亡は長銀の倒産っぽい
旧態依然の経営で時代の流れに対応できずにアボン
952人間七七四年:2012/02/19(日) 12:03:00.96 ID:725bXHVo
親の遺産である3万の従業員に退社され、40人の零細企業になって倒産させた三代目経営者というところか。
953人間七七四年:2012/02/19(日) 15:52:13.86 ID:mBrWBBmO
例えがリアルすぎてワロえない
954人間七七四年:2012/02/19(日) 18:30:11.54 ID:FXeEj4q7
ライバルが急拡大してるのに有効な手を打てなかった親の責任の方が大きいと思う。
955人間七七四年:2012/02/19(日) 18:50:36.00 ID:MOHEK543
親の代で凋落がほぼ確定しちゃったからな。
で子供が大ばくちかけてライバル企業蹴落とそうとしたけど失敗してそのままズルズル・・・
956人間七七四年:2012/02/19(日) 19:36:24.95 ID:NaVswHLf
ば勝頼が信玄が作った圧倒的に優位な状況を失敗の連続で台無しにしたから滅んだだけ
957人間七七四年:2012/02/19(日) 19:39:07.91 ID:725bXHVo
三代目が強行した新製品「長篠」が大失敗に終わって専務、常務がほとんどいなくなったのが痛いな。
958人間七七四年:2012/02/19(日) 19:44:17.11 ID:P+sErgHu
残念だけど信玄死後も長篠の敗戦までは
武田優位は揺るいでないから
信長は結局、
信玄に屈辱を味わったまま死んだ事実か変わらないんだ。

遠江国高天神城を勝頼に奪われた際の
天正2年6/29の書状で信長は勝頼は若輩だが
信玄の掟を遵守しており表裏も心得ているので油断ならないと
恐れていることからも信玄の武遺は充分すぎるくらいに
信長を警戒させている。元亀4年の信玄西上のトラウマを
信長は引きずっているのがわかる。

元亀4年の信玄西上の時の織田は金も火薬も兵糧も無いので幽斎に調達するように命じたが
無理だったから、信長自らが指揮して京で恐喝略奪して凌いだ。
同じように幽斎には長篠の戦い寸前の時期にも信長が今回は鉄砲の玉薬だけだが
調達を要求していて、この時は調達できるようになっていたのが
5/12の幽斎書状への5/15信長返書書状でわかる。
5/20には玉薬が到着したようで信長はそれに関して「祝着だ」と大喜びし
家康はいよいよ陣城に籠城して討ってでない体制を構築している信長のヘタレぶりにより
長篠城落城の危機に焦り5/20夜に酒井忠次らによる鳶ヶ巣山砦襲撃計画を発動したために
勝頼の攻勢を生み出し、さっそく5/21に長篠の合戦で織田徳川3万との戦が起こってる。
そして5/26岐阜に戻るやさっそく幽斎に詳報して感謝してる。
つまり信長は火薬到着待ちをしていたので
勝頼は19日までに信長を攻撃してれば勝てた。
13日に出馬し、14日に岡崎に信長は到着してた。

連戦連勝の圧倒ぶりを誇る武田軍は足助城・浅賀井・八桑・大沼・田代の諸城を攻略した先遣隊に
作手(新城市)で勝頼が合流し、山縣隊が野田城・ニ連木城を落城させ
吉田城で家康の救援軍を撃退し吉田城へ敗走させ、勝頼隊と合流して長篠城攻め開始。
公記によるとたった15000で出陣して(実数は六千から一万と言われている)
本願寺への義理も充分に果たしたし
ここまでの破竹の勢いでの戦果で満足して帰国すべきだった。
そもそも岡崎城主信康家臣で岡崎町奉行を務めていた大岡弥四郎が
勝頼に通謀し足助城から岡崎に武田軍を招きいれようとしたので奥三河へ勝頼が出てきてる。
しかし発覚してしまい岡崎突入を断念し、ニ連木城・長篠城方面に転進したとされる。
武田の軍事計画が狂ってしまった以上は長居は無用だった。
長篠城攻撃はとりあえず予定を変えたレベルの思いつき。
勝頼は戦略的な方針計画が大きく変更になっているのに
撤退せずに泥縄的に軍事行動を続ける過信による誤判断が大敗につながった。
959人間七七四年:2012/02/19(日) 20:01:54.63 ID:ek/EaL0+
だがー
960人間七七四年:2012/02/19(日) 20:13:41.53 ID:fAkwWZHc
遺言守ってしばらく静観してたら、長島・浅井朝倉らが滅んじゃったのが致命的
961人間七七四年:2012/02/19(日) 20:50:51.73 ID:jXjzNsMC
遺言なんて甲陽軍鑑ネタだろ。
962人間七七四年:2012/02/19(日) 21:19:04.49 ID:fAkwWZHc
遺言がネタとしても、信玄の死と最後の出征の出費で動けなかったのは確か
963人間七七四年:2012/02/19(日) 21:54:59.83 ID:725bXHVo
結果論だが、三年間外征しなければ長篠はなかったな。
964人間七七四年:2012/02/19(日) 22:25:41.24 ID:jXjzNsMC
最後の出征の出費w
なんだそれw
普通に勝頼の体制固めで安堵状出したりと内治に集中してただけだろが。
そういや斎藤義龍が死んだのを知り即日攻め込んでガキに大敗した信長みたいな悪党がいたな。
内政に集中して領内を掌握し、
敵への内通者や謀反を事前に防がないとな。
965人間七七四年:2012/02/19(日) 23:33:49.91 ID:fAkwWZHc
>>964
信玄が俗にいう上洛戦(笑)に無理して資金調達したの知らないの?
武田の財政難は何も勝頼期に突如始まったわけではない
966人間七七四年:2012/02/19(日) 23:50:32.58 ID:TXveJRJQ
なに?
まただが敗北フラグっぽいんだけど
967人間七七四年:2012/02/20(月) 08:33:10.62 ID:DiRFT6kh
>>965
で、ソースは?
信長みたいに
金も兵糧も火薬も無いから京で焼き討ち略奪でもしたのかね?
968人間七七四年:2012/02/20(月) 17:57:11.72 ID:M74H6Oxu
41 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/14(火) 20:13:18.49 ID:P1rzIUbc
>>29
あの場合信玄がさっさと家督を相続させて、
信濃経略にでも専念すればよかった。
まああそこの場合信玄も国人に担ぎ上げられて
跡を継いだ関係上隠居=即引退を国人に迫れる
可能性があったからな。

>>32
無論手当として1万ぐらいは残してると思う。
あの2万5千とかいうのは北条の援軍も入れての
数で北条にも加勢を依頼しないといけないくらい
財政がすでに火の車だったんでないか?
越後と違い海運とか商売っ気がない鉱山と
農業だけの地域だから逆にあの遠征は
一種の経済政策なのかもな。

どこぞの研究者が武田氏の出兵は凶作とか
領内の収穫が悪い時期ほど多発するなんていう
傾向を示してた。

42 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/14(火) 20:56:39.25 ID:unUmC4Bz
黒田じゃなかったか、内政が行き詰ると武田の出兵頻度は上がるって

44 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/14(火) 21:21:01.81 ID:unUmC4Bz
これだけじゃだがさんがキャンキャン喚くので参考に

年々三分?(二)相納申候、其残者致未進候、...
百性等...人馬借申候得共、致難渋候条、...
...彼屋敷御棟別ニ到退屈、逐電申候、同者棟別銭半分も御赦免候ハヽ、家をも造申、所も可到繁盛候、...

なんて文書が元亀三年とされる文書に八月付けで存在する
と、まあ>>41の推測を裏付ける史料も存在する


ついでに金貨の品質を落としてインフレ、銭を鋳潰して弾丸への鋳造、空手形、不統一でかっこ悪いと禁止したのに貧困によるであろう軍装の不統一、
これだけあれば十分だろw
969人間七七四年:2012/02/22(水) 20:47:42.65 ID:A89HLZbl
織田チョンにソースなんてあるわけもない。
970人間七七四年:2012/02/22(水) 21:29:23.19 ID:bUPYj0u2
558 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 01:32:51.96 ID:pBmvJOGp
遠山さんも上杉派の三木に武田の情報をリークしてた
このとき遠山は武田と織田双方に属していた時期
つまり、手紙の仲介だけでどちらに属しているかというのは明確に出来ない

残念だなだがwwww
564 名前: 人間七七四年 投稿日: 2012/02/12(日) 16:52:31.08 ID:MbLadVKE
>>558
誰から誰宛てで日付は?
566 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 17:31:36.29 ID:pBmvJOGp
>>564
上越別一、666、668
568 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 18:08:05.92 ID:Rwc1jGiw
>>566
素人にはわからない。
内容を描いてくれ。
569 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/12(日) 22:03:27.01 ID:pBmvJOGp
>>568
素人の君に何が分からないの?
意味?
どこの部分が分からないのか書き抜けば、分かる範囲で教えて挙げられるよ
570 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/13(月) 06:33:34.88 ID:nZ9GUH/v
>>564
織田厨は、君の質問には全く返答出来ずに逃げているようだ。

こんな程度の武田厨ですから、お察ししますw
971人間七七四年:2012/02/22(水) 23:14:54.28 ID:PUPSZzad
捏造歪曲を繰り返す織田厨くんは
早く全文の転記しろよ!
972人間七七四年:2012/02/23(木) 03:56:51.64 ID:iEALJTpw
全文出せよ!

日付と宛名も出せよ!

その史料は捏造だよ!
or
そんな史料は存在しないよ!
973人間七七四年:2012/02/23(木) 21:40:13.46 ID:xN1q663m
織田軍が田野の山道で勝頼一行の行き先に先回りして馬防柵つくって鉄砲隊が待ち構えてたら嫌みだよな。
974人間七七四年:2012/02/25(土) 06:53:06.65 ID:RASj+pS/
笹子峠で小山田がやってた様な
975人間七七四年:2012/02/25(土) 07:57:24.76 ID:h4P75uyQ
小山田もさすがに勝頼討ち取るのは躊躇したみたいね
976人間七七四年:2012/02/25(土) 09:46:17.78 ID:QI+xDyUW
単に自分らが大手柄上げるのは不味いと思ったんじゃね。
977人間七七四年:2012/02/25(土) 10:11:38.95 ID:gYrHTqVS
朝倉景鏡の例もあるし、もし討ち取ってたら小山田の末路も変わってたやも
978人間七七四年:2012/02/25(土) 23:12:55.14 ID:QI+xDyUW
朝倉景鏡は、出兵拒否の時点で既に何かしら……って気がする。
979人間七七四年:2012/02/25(土) 23:50:23.25 ID:AUm7LWfq
景鏡の例ってか越前一揆で在地大勢力を残すのを懲りたって感じじゃね
980人間七七四年:2012/02/26(日) 07:40:20.75 ID:7XYDR53p
義景と景鏡
勝頼と梅雪

同じような構造があるね
981人間七七四年:2012/02/26(日) 22:07:53.42 ID:ohK68+dS
退路を間違えたな。少なくても 海津城に いくべきだった。
982人間七七四年:2012/02/26(日) 23:49:57.65 ID:p81gpRER
国を失った居候を何人も抱えていた立場だからな。
その人らの現状を目の当たりにしていて、同じ道は選べなかったんだろう。
983人間七七四年:2012/02/26(日) 23:56:38.89 ID:bfW4a1Zx
次スレはいりませんから。
今のうちに言っときますが。
984人間七七四年
誰だよw