織田信勝(信行/勘十郎)と津田信澄

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
破天荒な兄・信長とは対照的な人柄で、二度の謀反の末に謀殺されたと言われる「織田信勝(信行)」。
その遺児で明智光秀の娘婿だった為に、本能寺の変直後に信孝と丹羽に謀殺された「津田信澄」。
活躍することもなく、若くして殺された悲劇の親子やその子孫について語れ。

織田信行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E8%A1%8C
津田信澄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%BE%84

■関連スレ
織田家のマイナーな武将を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193212492/
*  織田信忠 その2 *
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251717575/
織田信雄を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149993954/
【報いを待てや】織田信孝【羽柴筑前】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180257020/
織田勝長総合スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151724055/
2人間七七四年:2011/03/22(火) 00:32:30.51 ID:B92HFMen
林や柴田が信長に代わる当主に推そうと思った理由が分からん。
単に常識的な人物だっただけか?
3人間七七四年:2011/03/22(火) 00:37:12.89 ID:0g0DkCVQ
二人の母親が同じ、信長の兄二人は違う
信長が嫌なら誰かを担がなければならない
単純な消去方だと思う
4人間七七四年:2011/03/22(火) 00:46:01.20 ID:CuGzhn9N
親子とも悲劇的な最期遂げたけど、津田信澄の子昌澄は最終的には徳川秀忠に仕えて旗本として家名存続できたからよかったね。
藤堂高虎の口添えのお陰だけど。
5人間七七四年:2011/03/22(火) 00:50:26.81 ID:0g0DkCVQ
確か馬揃えの序列も4〜5番目くらいだったし信長もかなり期待してたんじゃないかな?
6人間七七四年:2011/03/23(水) 01:27:17.91 ID:TOM6K8MQ
>>4
藤堂は信澄の家来だったことがあるんだよね。
7人間七七四年:2011/03/23(水) 02:46:38.42 ID:Mj88+Uxa
なかなか義理堅い所あるじゃん藤堂
8人間七七四年:2011/03/23(水) 06:47:20.65 ID:FHrUSD8R
>>2
それはいわゆる「俗説」どおりだと思うよ。
つまり、信長が「尾張の大うつけ者」と言われる
ただの酷いタワケに見えたからだろ。
9人間七七四年:2011/03/23(水) 06:48:38.63 ID:FHrUSD8R
俗説=間違いってのは短絡的すぎるよ。
10人間七七四年:2011/03/23(水) 07:28:41.27 ID:PXT4NrKw
操るなら変人よりは優等生と
11人間七七四年:2011/03/23(水) 19:37:48.20 ID:YeMBVaYk
織田信勝ってホントに優等生タイプだったの?
信長に二度も反抗してるくらいだから結構気性激しかったんじゃないかと思った。
12人間七七四年:2011/03/24(木) 00:29:12.34 ID:Bqgcbcr/
訛伝である信行って名はどこが由来?
13人間七七四年:2011/03/24(木) 01:18:43.90 ID:6A/EeChX
>>11
優等生でも気性が荒いんだろ。
14人間七七四年:2011/03/25(金) 01:16:51.42 ID:ZsakRfBg
優等生でもあるが乗せやすいタイプ
悪く言うと単純、こんなイメージがある
15人間七七四年:2011/03/25(金) 01:21:46.64 ID:WsETP2gf
まぁ家臣にとっては担ぎやすい人間だったんだなw
よくいえば素直なんだろうけど。
16人間七七四年:2011/03/25(金) 01:26:18.68 ID:6nc4W73P
ハンカチ王子みたいな感じじゃね
一見爽やかそうで実はすげー我が強いの
17人間七七四年:2011/03/25(金) 02:08:10.55 ID:FtHrYjiK
信澄を重用?したのは、身内に甘い信長というか、
亡き弟へ思う所があったのかな?
18人間七七四年:2011/03/25(金) 02:45:37.18 ID:i+P+LUsA
信澄は平均以上の武将だったと思うが
これからと言うときだったのに惜しい
19人間七七四年:2011/03/25(金) 22:59:15.01 ID:gIISAq5I
一部信澄が勇敢だった説があるが
信澄の戦での功績が全く見えてこない
一級史料で信澄が合戦場に出陣したと記してるものあるのか
せいぜい相撲の奉行やったぐらいじゃないの

そもそも大溝城主になったのも信澄の養父であった磯野員昌が出奔したからというが
ほんとは信澄が信長に頼んで員昌を追放したのではないのか
20人間七七四年:2011/03/26(土) 12:30:17.66 ID:s0sJrcTF
>>19
三重県上野のホテルで見た天正伊賀の乱の布陣図で信澄の名がある。
ただ信雄が神戸、信澄が織田と記されてるからいつの時代だ?
21人間七七四年:2011/03/26(土) 13:01:46.63 ID:iozshMO8
信澄を本能寺のどさくさに紛れて殺した信孝の側近が信澄の弟である信兼
22人間七七四年:2011/03/26(土) 13:16:46.47 ID:dNhp/i5J
信行×で信勝○だったとすると、信長の実子、信雄と読みで被るのが不思議。
信雄の元服は信勝死後ずいぶん経ってからだから、時期的に重なってはいないし、日常的に使うわけではないから問題ないといえばそのとおりなんだが。
どんな名前でもつけられたのに、なぜわざわざ同じ読みで名付けたか。
信雄が「のぶお」だったんだろうか。
23人間七七四年:2011/03/26(土) 13:17:18.69 ID:Fdf67IhV
その辺の人間関係は複雑だな

結局、光秀を討った後
信澄の子息は連座されずに生き延びたし
24人間七七四年:2011/03/26(土) 13:22:58.83 ID:iozshMO8
>>22
息子に親父と同じ名前つける人だからあんま気にしてないんじゃね
奇妙丸とか茶筅とか犬とか適当だし
25人間七七四年:2011/03/26(土) 13:36:42.65 ID:36c6609K
>>21
やはり兄弟不仲だったのかも?

>>24
信秀の諱は本能寺後に付いたと思う。
26人間七七四年:2011/03/26(土) 15:56:37.52 ID:3U6WQMGg
>>23 信勝の未亡人が池田恒興に嫁いだ、という情報あり(未確認)。そのとおりだとすれば、恒興夫人の孫であったことになり、信澄の遺児が池田家の保護を受けたとしても不思議ではない。
信澄の家系は江戸時代、旗本になって続いているはず。
27人間七七四年:2011/03/27(日) 13:30:39.68 ID:kT2IXi1+
荒尾家の娘は信勝じゃなくてもう一人の弟信時の未亡人じゃなかったっけ?
28人間七七四年:2011/03/27(日) 18:31:14.36 ID:ebx11gaY
>>21
信兼って最期まで信孝に殉じてるんだよね。
信孝への忠誠心が高過ぎたせいで実兄殺害へ至ったのかね?
29人間七七四年:2011/03/27(日) 19:02:08.51 ID:4Z/NBlCE
信兼にすれば信澄への嫉妬もあったんじゃないのかね
自分は子守り役、兄貴は伯父に認められて一軍を率いている
30人間七七四年:2011/03/28(月) 06:13:26.67 ID:7DSUCtCR
子守役ってほど信孝と年離れてないでしょ
多分知らない間に事が起こってただけでは
31人間七七四年:2011/03/28(月) 07:25:02.46 ID:MaE0fokH
知らないってこたぁないでしょ
信孝からどうする?って言われてるだろ
味方につけられるならこしたことないし
32人間七七四年:2011/03/28(月) 08:11:07.95 ID:vLNXXQTC
計画もれて返り討ちの可能性があるのにか?
信孝の器がでかいか、周りも含めてバカばっかりだったのか。
どちらにせよ凄いな。
33人間七七四年:2011/03/28(月) 12:35:28.09 ID:7bcJC7ti
信勝流の嫡流争いじゃね
34人間七七四年:2011/03/30(水) 23:44:42.32 ID:w25Vb8Sw
>>30
そうだとしても、信澄が殺された後も信孝についていってるから、
兄弟仲は良くなかったんだろうな。
もし仲良かったら兄殺された時点で秀吉の下に走るだろう。
35人間七七四年:2011/03/31(木) 07:19:37.05 ID:nSnnTG1w
>>20
時代ではなく織田と津田を使い分けていたんじゃないの?
36人間七七四年:2011/03/31(木) 14:49:25.13 ID:hyc5WH8c
>>26
信澄の遺児を匿ったのは池田じゃなくて信澄の家臣だった事もある高虎だよ
信澄が大阪で殺された後に二歳の息子を連れて奥方が高虎を頼った
光秀の娘だったからホント藁にもすがるような心細い思いだったと思う
高虎は二人を労わり息子が成人した後に芦尾庄九郎と名乗らせ家臣とした
関が原合戦の折、高虎不在の伊予で一揆が起きたが
その一揆の大将である三瀬六兵衛を討ち取ったのが芦尾庄九郎だ
後に千姫が秀頼に嫁ぐと庄九郎の母は上臈として千姫につき従った
その縁故により秀頼は庄九郎を呼び寄せ百人扶持を与え
織田主水正と改名して秀頼のお側に仕えさせた
で、大阪の陣の後に高虎の取り成しで旗本に取り立てられた、と
37人間七七四年:2011/03/31(木) 16:41:06.71 ID:8kGqREVx
>>22
そもそも諱で呼ばれることがほとんどないし、信勝も「達成」「信成」など
別名もある。
信雄が元服したころには信勝はもう死んでるんだし、同じ読みでも問題はなかろう。
38人間七七四年:2011/04/02(土) 17:45:57.72 ID:NjaGxowY
>>36
藤堂高虎はほんと義理堅いよなぁ。
信澄の遺児の面倒も後々まで見てるのもそうだけど、豊臣秀長の菩提寺の保護も徳川政権成立以降もしてるし。
司馬の小説とかで不当に貶められてるのが不憫というか腹立つなぁ。
39人間七七四年:2011/04/06(水) 00:23:15.75 ID:TD5RMyAa
信澄は磯野員昌の養子になってたんでしょうか?
40人間七七四年:2011/04/09(土) 04:43:42.37 ID:bZa0qSFJ
>>38高虎の不運は仕えた主家が多いと認識されてる事だからなぁ
41人間七七四年:2011/04/12(火) 13:17:03.64 ID:qYhSdLZ0
>>39
伊勢の神戸・長野・北畠を見ると磯野も同じ方策を採ったと考えていいと思う
42人間七七四年:2011/04/15(金) 12:18:23.02 ID:cheFDZ1M
磯野はあとを継がせてもハクが付くような名門じゃないし、
家代々の広大な所領が付いてくるわけでもないし、
員昌は器量人なんだから、神戸や長野や北畠のような乗っ取りかけないで、
荒木のように普通に取り立てたら良かったんじゃね?
43人間七七四年:2011/04/26(火) 00:52:07.19 ID:KHfNMOXL
信澄の武功って具体的にどんなもんがあるんだ?
44人間七七四年:2011/04/26(火) 19:58:23.22 ID:sonKM6wa
>>42
>員昌は器量人
それを決めるのは信長であって他人がいくらそう思っても関係ないかと
45人間七七四年:2011/05/08(日) 21:26:11.21 ID:KEjnqAk3
>>42
別にハク付ける為に養子につけたわけじゃないよ
現に神戸長野北畠を継いだ誰もが織田姓に戻ってる
46人間七七四年:2011/05/10(火) 11:34:28.02 ID:IL6BQcgs
>>12
系図。
「信長公記」などでは一部を除いて通称を用いている。
信勝も「勘十郎」としか書かれていない。
系図があてにならないことは林秀貞とかを見ればわかる。
47人間七七四年:2011/07/09(土) 21:59:20.23 ID:7IBP2Z9/
信澄って大した武功は無いけど、信長が未完の大器として期待してた人物って事なのか?


48人間七七四年:2011/07/17(日) 08:57:36.78 ID:Ysnp8VjQ
こんな時代に生まれてなくてよかった
49人間七七四年:2011/07/17(日) 11:10:39.08 ID:X6bG8+vK
>>47
そこそこの武功はあったみたいだけど、奉行仕事のほうが多かったみたいね
50人間七七四年:2011/07/21(木) 20:57:47.99 ID:VfB7HXsu
信長が清原で、信勝は桑田
51人間七七四年:2011/07/22(金) 16:40:23.45 ID:z1vWeVpf
>>47
信長は結構身内には甘いからな。
52人間七七四年:2011/10/08(土) 09:01:11.84 ID:RtzQ27mU
信澄も本能寺の変の時に大坂に従軍中だったのが不幸だったね。
もし領国にいれば細川家みたいにどっちにつくか考える余裕あったのに。
変が起きて何がなんだかわからんうちに疑われて殺されたからな。

まぁ領国にいて上手いこと秀吉に付いて本能寺の変の混乱を乗り越えたとしても、
その後の織田家中の主導権争いに巻き込まれて信孝みたいに死に追いやられたかもしれんが。
53人間七七四年:2011/12/31(土) 14:23:18.31 ID:qREREFQC
何をきっかけに「一段の逸物」と評されたのか気になる。
54人間七七四年:2012/05/05(土) 10:42:39.74 ID:pNUB9kGM
琵琶湖畔の安土城を中心に、東に長浜城の秀吉、西に坂本城の光秀、
北に大溝城の信澄が配置されているのを見るだけで信長の信頼が相当厚かった気がするが。

55人間七七四年:2012/06/11(月) 07:16:01.59 ID:fvxs281x
信行はドラマではいつも損な役割にされてるなw
56人間七七四年:2012/06/13(水) 21:07:09.75 ID:vQpNanRp
>>52
領国にいたら静観と予想
57人間七七四年:2012/11/10(土) 15:07:59.78 ID:KZszfPV3
実際信勝の謀反が成功して信長殺して尾張国主になったらどうなんたんだろうな。
今川義元か斎藤義龍に降参して家臣になったのかなぁ。
58人間七七四年:2013/05/24(金) 23:07:52.69 ID:7OB/O96o
>>56
信澄が本能寺の変時点に領国にいたら絶対光秀の誘い受けてただろう。
でも信長の信頼厚かったから誘い断って妻を離縁して、対光秀戦に備えるだろう。
そうなると光秀は秀吉が畿内に戻ってきても近江に一定の兵を張り付けないといけないし、
山崎では光秀が史実以上の大敗喫しそう。
59人間七七四年:2013/09/30(月) 20:23:27.11 ID:FK+AtRgd
>>54
信長は身内には優しいからな。
弟の遺児って補正もあるし。
60人間七七四年:2013/10/05(土) 05:35:34.90 ID:pYOv+Dvt
しかし、明智光秀の婿で伯父に父を殺されていたとは言え
織田一族なのに疑われて殺されるとは。

同じ明智光秀の婿で父の細川幽斎は明智光秀と昔からの付き合いで
愛妻家の忠興は助かった訳だから。
幽斎の剃髪、ガラシャの幽閉等疑われない様に手を打ったからなんだけどね。
61人間七七四年:2013/10/05(土) 10:40:52.22 ID:4BQaJR0y
家忠日記「信澄謀反は誤報」
フロイス「信雄が馬鹿だから信澄を殺した。皆が滅べといっている」等々
明智が信澄と釣るんで謀反を起こしたと三河衆上杉毛利そろって
初期に報告受けてるくらいだから
混乱中の現地では事実として扱われてたんだろう。
運が無かったなぁ。
62人間七七四年:2013/10/05(土) 10:42:14.71 ID:4BQaJR0y
おっと誤記。フロイスの所は信雄じゃなくって信孝
63人間七七四年:2013/10/13(日) 19:05:02.38 ID:K3FJarO7
信忠にも副将の地位で川尻森滝川が付けられ、一次資料見る限り総責任者は川尻だから信忠はよっぽど無能なんだろって話だな
現に森や滝川や梶原は信忠を無視してどんどん進んでたのがわかるしいかに部下からも軽んじられてるかがわかる
おまけに信忠領地の日比谷氏の違乱問題も信長が裁決している有様で、信忠は家督ついでも信長に何もかも助けられまくってるアホ
ノブタダは超無能で欲深い変態だったからなぁ。
宣教師相手に六戒の「汝、淫姦するなかれ」ってのさ、あれ絶対無理だからw
肉欲には勝てないから、とりあえずそれ削除でよろしく!
宣教師「無理です!」
ノブタダ「えっ?それデウスが考えたことじゃなくて、人間が考えたことだから利便性重視で変更してもよくね?」
宣教師「ルールを変えると私達の信用が失われます!人間の淫蕩的欲望でそれを変えたら神の教えじゃなくなります!」

宣教師の方々は変態SEX狂信者のノブタダにキレていいと思う・・・・
64人間七七四年:2013/10/14(月) 00:46:31.99 ID:4sDzg63u
菅沼遼太は過疎スレでしかぶつくさ言えんのか。ダサすぎ
65人間七七四年:2014/01/15(水) 11:45:09.29 ID:ziDh33Pa
明石散人が、信勝嫡流・信長庶流説を主張していたが結構説得力あると思った

信勝の官名が織田家代々の弾正忠で、逆に信長はその後も名乗ってないし
一番家老の林が信長をさしおいて堂々と信勝側についているし
戦後の仕置きが当主に対する謀叛者に対するものとして弱いし
その他の親族の動向も信長が嫡流とすると中途半端だし
日本外史の庶長子信広、其次を信長となす、という書き方も信長=庶子とも読めるし

まあ、織田氏自体が守護代家の家老に過ぎなかったから
嫡流相続はあまり強く思われなかったのかもしれんが
66人間七七四年:2014/01/15(水) 18:14:04.10 ID:fCpEAea3
>>65
バカなの?
67人間七七四年:2014/01/15(水) 18:53:13.13 ID:TPombuGQ
信長は父の三郎を継承してるから
生まれた時から信秀の後継者として育てられている。
そもそも信長は変わり者で、
いきなり上総守を名乗り始めて、
存在しない官職名を自称してる。
68人間七七四年:2014/01/15(水) 22:51:39.16 ID:lVrP7xNG
65には結構同意だな。
信長に家督を譲った、とよく言われるが
直接的な証拠はない。城の話ぐらいだし。
信長と信行が同腹というのも直接の記録は
公記にはないし、土田御前と信長の関係もそんなに
確実な史料はないだろう。

明石自身は踏み込んでないが、首巻自体がかなり創作部分が
多いだろうし、信長はすごいんだぞ、というのをビミョウな表現で
後からまとめた、というのがしっくりくる。

信長一覧なんかには、道三対面とか濃姫婚礼とか
年月が書いてあるが、これも公記からは確定はできないし
定説というのも案外いいかげんな部分はあるんだよね。
69人間七七四年:2014/01/16(木) 09:57:39.40 ID:ot7UNKv6
明石散人なんて史学者じゃなくてミステリー作家じゃんwww
大衆向けにトンデモ異説本を出しただけじゃんよwww
70人間七七四年:2014/01/16(木) 13:17:09.66 ID:5aj3FbUA
ミステリー作家ってことはないけどね。
歴史本はたくさん出してるけど
狭い範囲しか知らない専門家よりは
よほど幅広く知識があって面白いけど。
71人間七七四年:2014/01/17(金) 11:35:25.48 ID:aIUxrf9g
あれでミステリー作家じゃなかったら、
なんなんだよw
72人間七七四年:2014/04/30(水) 21:46:05.94 ID:ffPkl4oQ
>>65
一番の家老って佐久間信盛じゃないの?
73人間七七四年:2014/04/30(水) 22:34:49.01 ID:6a/DAlV8
明石散人は信長公記の中でも特に、
首記はいい加減だと指摘してたな。

それまで雑誌等で公記の信頼性は高いとか読んだことあって、マジかよっておもったが、
最近2ちゃんのスレでも公記の信憑性を疑うやつとか見かけて、今じゃちょっと鵜呑みに出来ないかもって感じてる。

明石散人はミステリー作家でいいと思うが、独自に史料を発見して
写楽の正体を突き止めてるんで、アカデミズムにも貢献してる。
歩く故事類苑の異名は伊達じゃない!
74人間七七四年:2014/05/01(木) 08:54:23.10 ID:Zl1j6G0Q
明石は論文すら書いた事がない歴史学素人作家じゃん。
75人間七七四年:2014/09/22(月) 08:01:08.68 ID:YVRr2ASe
弟秀孝を間違って殺した叔父信次の居城守山城下を焼き払ったり
信長以上に気性が荒かったんじゃないか?
76人間七七四年:2014/09/24(水) 20:30:17.02 ID:BAnClos+
柴田勝家に養育された信澄、後に柴田に推される信孝。
この2人の仲はいかに...。
77人間七七四年:2015/01/28(水) 16:38:00.37 ID:8JY/cp8Z
ウィキに津田信澄の妻で息子昌澄の母は、
明智光秀の娘と明記されてて少しビビッたw
昌澄って大坂の陣では豊臣方について戦ったのに、徳川に助命されて旗本になってて驚いた
78人間七七四年:2015/01/30(金) 02:31:38.01 ID:2XNxKKl3
大坂の陣では豊臣家臣は主に従っただけだからって結構助命されたり再就職できた。
浪人組は弾圧されたけどまぁしょうがない。
79人間七七四年:2015/01/31(土) 06:14:53.61 ID:UNbLwaGZ
80人間七七四年
>>77
ふつう明智の子孫だなんて明記しねーもんな