天正10年の武田攻めを語るスレ 2

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1人間七七四年
信玄が30年かけて築いた領国が戦わずして崩壊した2ヶ月を語ろう。
2人間七七四年:2011/02/06(日) 08:56:03 ID:GYLw/rhX
>>1
3人間七七四年:2011/02/06(日) 09:58:43 ID:8D/87n7G
信玄もあの世で激怒
4人間七七四年:2011/02/06(日) 11:47:11 ID:1uxYShFZ
いやいや、こうなったのは信玄のせいだから
でも勝頼は何も言わないだろうね
5人間七七四年:2011/02/06(日) 12:51:36 ID:FEC6BEuy
>1
乙です。

>4
とあるブログで家が滅ぶ時はその前代にもその責はあるとあったがこれは同意。

6人間七七四年:2011/02/06(日) 13:05:04 ID:iry4hZcj
まあ、子が馬鹿なのは親の責任が大きいし
7人間七七四年:2011/02/06(日) 16:20:36 ID:daAnBx9n
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
8人間七七四年:2011/02/06(日) 17:17:48 ID:UifI6fpC
武田って奥州藤原氏と似てるよね
先代が中央大勢力に喧嘩売るだけ売ってポックリいっちゃうあたりが
攻められたらほぼ無抵抗で、家臣の城に逃げようとして裏切られるのも同じだし
先代が実行困難な遺言残すところも同じ
9人間七七四年:2011/02/06(日) 19:32:14 ID:daAnBx9n
さすがに手紙で命乞いする奴と一緒にされたくはないわな。
10人間七七四年:2011/02/06(日) 19:51:45 ID:K/ugLLNT
塩尻峠の戦い
上田原の戦い
川中島の戦い
・・・

信玄による信濃統一の日本史における意義って何よ?
信玄と勝頼を合わせて見ると長曾我部元親と変わらん気がする。
11人間七七四年:2011/02/06(日) 19:54:00 ID:K/ugLLNT
膨張しすぎた織田に喧嘩売った信玄が悪い・・・

という意見をよく聞くけど、織田と武田の差が決定的に開き始めたのは
勝頼が信長の謀略に釣られて鉄砲に特攻してからなわけだが。
12人間七七四年:2011/02/06(日) 20:03:53 ID:UifI6fpC
>>10
四国ほぼ統一>>>信濃ほぼ攻略でしょ、普通に考えて

>>11
信玄が西進した時点で単独ではとても勝てないくらいの差はあったよ だから包囲網敷いた
長篠の時点で、やるならラストチャンスといっても過言ではなかったのじゃないかな
13人間七七四年:2011/02/06(日) 22:12:19 ID:FEC6BEuy
高天神城を見捨てたのが急落の始まりだったな。
それ故国人衆の信頼を失った。
「裏切り」の場合裏切る側が非難されがちだけど、相次ぐ出兵にとんでも税率
の為に人民の心を離れさせてしまった勝頼も悪いからな。
14人間七七四年:2011/02/06(日) 23:16:18 ID:wdVMhEnq
所詮一定季節しか動けない田舎大名だからなあ…

決戦主義で行くしかないのが辛い
15人間七七四年:2011/02/07(月) 03:48:39 ID:Q88DSBDt
勝頼は北条夫人に関するエピソードや長篠の時に側室を見舞った手紙を読む限り
はきっと私人としては優しい人だったんだろうなあと思う。
でも公人としてはあんまり良いエピソードって聞かないな。
高遠城の領民は領主が盛信の時は慕ったけど、勝頼の時は評判良くなかったらしいし。
16人間七七四年:2011/02/07(月) 04:34:22 ID:qk//xV55
織田の物量戦に付き合って疲弊した挙げ句自壊って織田軍相手にしたどの家も一緒だよね。
17人間七七四年:2011/02/07(月) 06:50:17 ID:vYGEqAMi
そんだけ兵農分離が重要って事だろ
18人間七七四年:2011/02/07(月) 08:40:51 ID:soT7o94g
@ 御館の乱の時に景虎に味方していれば・・・
>とても冬季の越後に出陣する余裕はなし、
それと勝頼は別に景勝を支持したのではなく景勝・景虎を和睦させようとした。

A 小山田ではなく真田を頼っていれば・・・
>真田が小山田と同じことをしないとは限らない、第二に真田の元にたどり着くのが困難。
それと真田を頼った所でいずれは織田の物量にやられる。上杉に期待したとこで上杉も滅亡寸前。

B あと2ヶ月粘ってれば本能寺の変・・・
>武田が滅ばないとタイムスケジュールが大きく変わるので本能寺の変は起こらないか仮に起こっても時期はズレる。
ましてや信長・信忠が同時に討たれるようなことは考えにくい。

C 新府城に篭っていれば・・・
>勝頼の兵は四散状態で、城を守る人員が不足しすぎ。

D 鳥井峠で勝ってれば・・・
>負けたんだから仕方ない。勝頼自ら出陣してればもう少し滅亡までの時間が稼げたかもしれない。
19人間七七四年:2011/02/07(月) 10:14:52 ID:DXCDcfR6
>>15
諏訪の血を引くとはいえ信玄の子
勝頼在城時はまだ反発も多かったろう
20人間七七四年:2011/02/07(月) 10:25:53 ID:mQz/GNlN
>>18
やっぱDだけが望みあるよな
あそこで木曽を蹴散らしてれば日和見な豪族もあそこまで崩れなかっただろうに
21人間七七四年:2011/02/07(月) 10:34:48 ID:DXCDcfR6
AとCは滅亡必死の中でいかにマシに死ぬかだよね
本拠地で死にたいならC、少しでも籠城戦やりたいならA
信忠軍団は秀吉みたいに干殺し戦法はしないだろうから、生け捕りにされない限り史実よりはマシな死に方できるだろ

@もう少し外交手腕があれば、景虎を甲斐に引き取るとかやりようもあったろうに

新たな選択肢
E甲斐に引かずに諏訪で徹底抗戦
22人間七七四年:2011/02/07(月) 11:01:13 ID:X2aOtjD7
俺としては自分で語れるほど詳しくないせいもあるので、長篠での敗戦以降から
滅亡までの期間を詳しくとりあげてもらえると嬉しいというか
特に北条と断交してからの東海道筋での諸々の戦役みたいな世間ではさほど
メジャーでもない部分とか、軍政とか内政事情とか
23人間七七四年:2011/02/07(月) 18:41:28 ID:f1iP1lWI
長篠〜滅亡はあまりトピックがないね。
岩村、二俣、高天神落城と御館くらいか。
勝頼の治世は長篠、高天神、滅亡のイメージしかない人が多いのでは。
24人間七七四年:2011/02/07(月) 23:15:09 ID:Q88DSBDt
凄いつまらん話だけど勝頼の息子の信勝って凄い美少年だったんだな。
信長公記でえらい褒められていた。
25人間七七四年:2011/02/08(火) 00:49:12 ID:LW2GDFww
膳城素肌攻めは滅亡の前年だったかな。
26人間七七四年:2011/02/08(火) 01:49:46 ID:in9XOq7Q
新たな選択肢
F 織田家に降伏する。難しいようなら勝長を武田家の跡取りにするよう申し出る。
27人間七七四年:2011/02/08(火) 02:19:36 ID:NCiiT6aZ
そんなの無理。

勝頼出家、信勝監禁織田一族武田家養子入り。これくらいは当たり前に覚悟すべき。

長篠後、直ぐに和睦すれば状況違うんだろうけど本願寺降伏後じゃもうどうしようもない。
28人間七七四年:2011/02/08(火) 03:53:39 ID:gHg6CctZ
勝家切腹で何とかならないかな?
29人間七七四年:2011/02/08(火) 07:12:51 ID:7nv9AkXN
何故無関係な柴田勝家が切腹をw
30人間七七四年:2011/02/08(火) 09:18:29 ID:gfY+FBLC
木曽をとりあえず撃破→でも織田本隊が進出してきて新府に撤退→織田軍高遠城包囲
→後詰めで勝頼出陣し決戦

これで負けても勝っても勝頼も本望だったろうに
31人間七七四年:2011/02/08(火) 09:38:52 ID:KIseMcjz
長篠で勝つにはどうすれば良かったか
32人間七七四年:2011/02/08(火) 09:56:37 ID:gfY+FBLC
>>31
織田徳川連合軍の夜戦築城完了前に突撃
33人間七七四年:2011/02/08(火) 10:24:28 ID:w7g/hQcW
>>32
雨降ってて川は増水、地面はぬかるんだ状態だよ

対徳川だけ考えれば、さっさと長篠城を落として織田軍にはお帰りいただくのがベターかもね
ここで打撃を与えておかないと最終的に史実通り強大化した織田軍に潰されるかもしれんが、史実みたいに家康に圧されまくるってことにはならない
もしくは小牧の家康みたいに、別働隊の動きを察知して瞬殺する
34人間七七四年:2011/02/08(火) 10:26:24 ID:gfY+FBLC
>>33
シュンサツって・・・
5000で鉄砲隊まで居るんだぜ・・・
35人間七七四年:2011/02/08(火) 12:54:19 ID:K0DmK4Jo
だがさんが暴れてるのかと思ったら意外と良スレだった
36人間七七四年:2011/02/08(火) 18:00:13 ID:3SibmvOE
>>34
長久手の別動隊は徳川軍より多い2万だったのだが
酒井の別動隊が3000、武田の鳶ヶ巣山部隊も3000
たとえ同数でも奇襲されたら脆い
37人間七七四年:2011/02/08(火) 18:43:35 ID:TnCpUap1
>>36
信実の武田軍は確か1000程度だったはず
武田信実って親類衆にしては勝頼に忠誠心あったらしいね
だからこそ任せたんだろうけどさ
長篠で頼りに出来る臣を失いすぎ・・・
秋山と高坂、武藤に曽根は生き残ってたが・・・
秋山を召還して立て直すことは出来なかったのかなぁ
38人間七七四年:2011/02/08(火) 19:16:01 ID:JVkjPnKF
真田は体よくとんずらw
39人間七七四年:2011/02/08(火) 20:39:00 ID:Vu4iIvC7
そもそも昌幸自体が武田崩れの際に甲斐にいなかったみたいだけどなあ
40人間七七四年:2011/02/08(火) 21:09:45 ID:JIPu81qS
別スレで見たけど信之が初代藩主となった松代藩はだいだい藩をあげて武田家縁のお墓を
お世話していたみたい。
やはり真田家にとって武田家は思い入れがあるのだろう。
真田昌幸が絶対に裏切らなかったとは思わないけど(篭城してもさすがに信長の物量作戦に対抗
するのは厳しかったと思う)あの最後よりはマシだったろうなとは思う。
41人間七七四年:2011/02/08(火) 22:17:21 ID:JVkjPnKF
真田昌幸は勝頼を言いくるめて妻子を連れて逃亡
42人間七七四年:2011/02/09(水) 02:34:26 ID:h3GtsANo
実際真田の元までいけるかが問題。

信濃衆は信用出来ないし不満の高まっている民や落ち武者狩が恐ろしすぎる。
43人間七七四年:2011/02/09(水) 08:27:58 ID:hrdoWJ7j
北条夫人の夫に尽くす気持ちとか素晴しいと思うんだが
やっぱり離縁しとくべきだったな
言い方は悪いが足手まといになって逃げ切れなかった
44人間七七四年:2011/02/09(水) 10:14:32 ID:s9by5/j2
信長なら側近のみ連れて駆けただろうね
それができないなら勝頼自身が妻・女衆もろとも新府籠城で敵を引きつけてる間に信勝だけでも逃がすべきだった
信長の最期もそうだが、当主が嫡男と行動を共にするってのは危機管理的には愚策
45人間七七四年:2011/02/09(水) 12:15:05 ID:Atmlff/p
344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 04:14:49 ID:qAGFGYZQ
1582(天正10)年3月11日
天目山にて武田勝頼自刃、武田家滅亡。

そして3月12日、真田昌幸のもとに1通の書状が届いている。
差出人は武蔵国鉢形城城主北条氏邦で北条氏への帰属を勧めている。
気になるのはこの書状は「真田家からの申し出への返事」であることである。
つまりこれ以前に昌幸は北条氏への帰属を申し出ているのだ。

新府城で昌幸が勝頼に岩櫃城行きを勧めたのが3月3日
それから2週間ほどの間にこれらのやり取りは行われていたのか?
それとも昌幸は3月3日以前に武田家に見切りをつけていたのか?
だとしたら勝頼が岩櫃城行きを選んでいた場合どうなっていたのか?謎は尽きない。

なお昌幸は3月15日に織田信忠に服従を申し出ている。
他の信濃諸氏族の多くが3月20日に鷲峰山法華寺で信長へ服従を申し出ていることから考えると
素早い動きはやはり昌幸の腹は初めから織田への降伏にあった故とも考えられるが…

表裏比興の者の2週間の話。


勝頼自刃の報を受けた昌幸が
「小山田めを信じたためにあのような事になったのだ!!我が岩櫃城を頼られておれば!!」と
勝頼を救えなかったことに号泣したなんて話もあったりする。
感情と理性は別ということだろうか。



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345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:12:55 ID:9RR9luVr
まさに昌幸らしい行動。
仮に勝頼の身柄を押さえたら織田、北条、上杉の何処が高く買ってくれるか?

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:22:55 ID:9w/PQdVH
主君ともども岩櫃に数年篭城だろうな
周りの勢力がどう動くかはわからんが
46人間七七四年:2011/02/09(水) 17:50:30 ID:BhjVtOqc
逃げる話じゃなくてどうやったら決戦できたか考えないか?
とりあえず信忠軍を撃破すれば内戦作戦で各個撃破も夢ではない
47人間七七四年:2011/02/09(水) 18:41:04 ID:wz1259UR
決戦戦力はどっから持ってくるんだ
48人間七七四年:2011/02/09(水) 18:56:36 ID:tCNR4iYH
>>47
誇張かもしれんが諏訪に2万で出陣したらしいから、そいつでやるしかないだろ
たられば言えば木曽の謀反をもっと早くに掴んでいればってことになる
49人間七七四年:2011/02/09(水) 19:14:50 ID:Novh0b91
>>46
それよりも、新府城が完成していたら、を仮定した方がまだいくらかの望みは
ありそうな気もする
50人間七七四年:2011/02/09(水) 19:43:05 ID:aMOOKXq1
武田の末期では年寄りやら無理やり還俗させた坊主やらを兵士にしてたそうだし、
数だけ揃えてもとても決戦を挑めるレベルになかったのでは。
51人間七七四年:2011/02/09(水) 21:15:52 ID:BhjVtOqc
2万もかき集めるより5000位を勝頼が直卒して突っ込んだ方が面白かったかもね
高遠の信頼できる兵力3000もあわせて8000で
52人間七七四年:2011/02/09(水) 21:42:45 ID:UWthzgn8
>>43
物悲しいけどそれは一理あるわな。小山田を選んだ一つの理由に
北条夫人を出来れば逃がしたかったのもあるかも。
53人間七七四年:2011/02/09(水) 23:37:03 ID:V4kENKy0
小山田の暗愚さは氏真に匹敵するレベルだな
54人間七七四年:2011/02/10(木) 01:04:18 ID:o9TCWnWl
小山田の戦歴は半端ないからそれは言いすぎ。最期で全てを台無しにしてしまったけど。
55人間七七四年:2011/02/10(木) 01:12:09 ID:5nO5QsH2
小山田は信長を甘く見すぎた
56人間七七四年:2011/02/10(木) 03:21:18 ID:KebDXuRN
計画的に裏切るならまだしも完全に趨勢が喫して後、虫の息の主君を裏切。

攻手側もありがたくないし(裏切者分の恩賞が減るし)
完全に寝返るタイミングを間違えた。
57人間七七四年:2011/02/10(木) 03:33:18 ID:KebDXuRN
>>46
信忠の撃退なんて無意味に近い。1582年の織田家の余剰戦力は半端無い。

おまけに穴山が裏切り道案内。これじゃゲリラ戦さえも厳しい。

結局多方面から攻められて決戦どころじゃない。
58人間七七四年:2011/02/10(木) 04:03:53 ID:KebDXuRN
勝頼には酷な話しだけど信玄の死から9年、徳川領を微弱しか占拠出来ない時点で
打倒織田家を第一目的にしている以上戦略的にも戦術的にも完全に落第点。

更に本願寺勢降伏後ではもうどう頑張っても巻き返しは無理。
59人間七七四年:2011/02/10(木) 11:03:16 ID:DSLhjlQ5
>>57
最終的には信長の本隊がいるからね
でも信忠の精鋭を撃破するだけでも武田の武門の意地は見せることが出来る
項羽のように「戦に弱くて負けたわけではない!」と叫びながら自刃する勝頼・・・
60人間七七四年:2011/02/10(木) 15:00:38 ID:+rnKOcM1
>>59
大内義弘乙
61人間七七四年:2011/02/10(木) 21:16:29 ID:/IzKyH5Z
アツモリを舞って新府城を出発、風雨の中を信長本陣へ突入
62人間七七四年:2011/02/10(木) 21:58:14 ID:uVduKb9w
>>54
小山田は止むに止まれず裏切ったんじゃないかな。
家臣の反対や領民の事を考えて汚名を被る覚悟で。
63人間七七四年:2011/02/10(木) 22:44:24 ID:N4Z4pQnP
>>61
で討ち死に
まーそれはそれで画になるわな
少なくとも空腹で動けずに討ち取られるよりは余程良い
64人間七七四年:2011/02/11(金) 01:20:09 ID:xrQU0hWN
濃信国境すら超えてない信長本陣に突入するのは無理・・・・・
65人間七七四年:2011/02/11(金) 06:08:40 ID:K+5L9LHM
信玄死んでもそのまま徳川攻め落としたら良かったのにな
やっぱ兵の動揺考えると無理なんかね
66人間七七四年:2011/02/11(金) 12:07:42 ID:l0t+Q/N+
岩殿へ行くため新府を出発するとき輿をかつぐ者が逃げたため、19歳の北条夫人が馬にまたがったらしい、、、
67人間七七四年:2011/02/11(金) 20:00:45 ID:SkGiqa2j
三角木馬にか…哀れだな
68人間七七四年:2011/02/11(金) 20:22:33 ID:LHVbWMiV
武田の三角木馬隊
69人間七七四年:2011/02/11(金) 20:44:28 ID:DpuGc/i7
真田昌幸は、本当に勝頼が群馬の山奥に落ち延びてくるなんて思ってなかったはず。
上州に来いなんていうのは人質を連れ出すための口実w
70人間七七四年:2011/02/11(金) 22:09:49 ID:snQE7Ghr
>>66
哀れやね。。。。
そこまでして付き添うのは凄いわな。
71人間七七四年:2011/02/11(金) 23:57:34 ID:GBHAOF/f
楽オクに出てるこの歴史誕生の1巻の長篠の合戦は中々興味深かったよ

http://auction.item.rakuten.co.jp/11037262/a/10000489
72人間七七四年:2011/02/12(土) 02:00:45 ID:cDSImwPg
側室(美和、お福)も田野で自害。

気になるのは、逃避行中の勝頼と正室、側室はどこで夜を明かして
いたのだろうか。まさか野宿?
73人間七七四年:2011/02/13(日) 09:47:11 ID:sqzr8cVy
甲斐一国を河尻程度の武将に与えられたのは武田旧臣には屈辱的だったのか
74人間七七四年:2011/02/13(日) 12:14:43 ID:Fnbsr+Fl
勝頼の人望のなさは日本史上屈指のレベルだな
75人間七七四年:2011/02/13(日) 12:28:22 ID:2vFxlbxn
諏訪の人間には人望厚いだろw
76人間七七四年:2011/02/13(日) 12:28:29 ID:mi6EQelW
武田征伐時の新田次郎さん曰く「人間なだれ現象」(だったかな?)はある種の集団
ヒステリーのようなものだと思う。
思わぬ親族の裏切り大量の敵(もっと前の高天神の見殺しもあるかも)
予想以上の敵軍の進行の早さという要素が絡みあってそういう現象が起きたんじゃないかな。
あの史上稀に見る離反は勝頼の人望云々だけのレベルで語るには大規模過ぎる。
77人間七七四年:2011/02/13(日) 13:04:12 ID:NpciCdkl
穴山も木曾も小山田も結局はお家断絶してるな。
78人間七七四年:2011/02/13(日) 13:08:35 ID:sqzr8cVy
勝頼は長嶋一茂と同じ大変さを味わったのだろう。父親に大きく劣る実績。信忠も信長死後、反乱が続出して滅んだかもしれない。
79人間七七四年:2011/02/13(日) 13:16:39 ID:sqzr8cVy
木曽義昌と穴山梅雪は本能寺で運命が狂ったね。
義昌にいたっては今の千葉県の小領主となり、失意の最期だった。
80人間七七四年:2011/02/13(日) 13:34:34 ID:mi6EQelW
木曽だけは他の裏切りメンバーズとは違って家族を犠牲にしてんだよね。
余程の決意だったのだろう。家名を守るのもあったけどそれ以上に木曽という地を守りたかったんだろうな。
移転後は家臣団分裂、昌義は失意のあまり亡くなった位だし。
81人間七七四年:2011/02/13(日) 20:37:29 ID:4Q+/fDRq
武田滅亡の後は上杉が攻められたわけだが、武田のように醜態は晒してないな
82人間七七四年:2011/02/13(日) 21:02:27 ID:XQ3aB9Wy
>>80
上野から滝川、信濃から森が加われば崩壊してたんじゃね?
83人間七七四年:2011/02/13(日) 21:09:36 ID:3OQ7jQ+D
>>82
そうなる前に本能寺で大事件が起きたから助かったんだな。
本能寺の変が起きなければ上杉も降伏していただろうな。
ただ上杉の武将たちは武田の武将みたいに簡単に寝返ったりはしなかった。
84人間七七四年:2011/02/13(日) 21:16:32 ID:mi6EQelW
「武田家は豪族達の連合集団であって決して主従関係でないから」

過去スレにあった書き込みだけどああなるほどなと思った。
だから滅亡時はあんな風になったんだろう。
85人間七七四年:2011/02/13(日) 21:24:07 ID:sqzr8cVy
景勝は養子だから側室の子である勝頼よりさらに立場が弱かった。
そこで景勝と勝頼の人望の違いという疑問が出てくると。勝頼の人物像についての研究が少ない。
86人間七七四年:2011/02/13(日) 21:33:00 ID:pHwY5VOZ
でも家臣の結束では上杉も大したことないんじゃないの?
謙信の頃から常に内乱ばっかだったじゃん。
87人間七七四年:2011/02/13(日) 21:34:42 ID:CLervy79
人物像なんか資料からではマトモに研究できないだろうなあ。
勝頼に限らず、ほとんどすべての武将で。
88人間七七四年:2011/02/13(日) 23:45:36 ID:3KK3GhmI
まず新発田の内乱、芦名最上の関係で北越後の連中はまず援軍にこない。

っとまぁこれだけでもう相当きついわな。
主戦力は斉藤、直江、山浦、上条、甘粕か。
89人間七七四年:2011/02/13(日) 23:47:03 ID:XQ3aB9Wy
>>88
戦ベタが何人か混じってるね
90人間七七四年:2011/02/14(月) 18:40:33 ID:mRrcWg05
信玄が1582年まで生きてたとしたら、武田が滅んだとは到底思えないんだよな。
91人間七七四年:2011/02/14(月) 18:44:12 ID:Oh4mDd4y
武田が滅んでなくても本能寺が起こらなければいずれにしろやばくない?
92人間七七四年:2011/02/14(月) 22:16:18 ID:MTIaVVMk
>>88
むしろ揚北の連中は積極的に寝返って北から春日山を攻めてくるだろう
本庄あたりまで攻めてきたら悪夢以外の何ものでもない
93人間七七四年:2011/02/14(月) 22:45:19 ID:fpmY9+QK
>>92
北越後の連中は新発田を仲介として裏切ると思う。

後は春日山城内での裏切りが無ければ普通に死ねるんじゃないかな。
94人間七七四年:2011/02/15(火) 01:20:53 ID:aNG0Bx/Z
武田滅亡で四面楚歌の中、越中を死守しようとした上杉。信玄の血と汗の結晶である信濃、義信を殺してまで取った駿河を戦わずして放棄した武田。
両者の埋めがたい差はいかに。
95人間七七四年:2011/02/15(火) 01:48:58 ID:u46SlF/t
駿河の大将格と対織田最前線の要害地の武将がそろって寝返ったらなあ
この二人の重要性と比べたら小山田の裏切りなんてチンカスみたいなもんだ

上杉も本能寺が半年遅れてれば春日山を包囲されてただろうね
96人間七七四年:2011/02/15(火) 02:20:57 ID:Xsdisie4
やはり親族の裏切りはでかいだろう。
97人間七七四年:2011/02/15(火) 15:42:01 ID:ET372IJO
>>94
それはどちらも当然の行動だろう。
上杉にとって越中は織田本隊の進路なわけだから死守するのが当たり前。
武田にしてみれば劣勢な兵力差を少しでも縮めるために戦線を縮小する手段として
駿河を放棄するのは有効な手段。
98人間七七四年:2011/02/16(水) 19:04:10 ID:CIqA8atI
穴山を解任して真田あたりを駿河探題にしとけばよかったね
99人間七七四年:2011/02/16(水) 19:11:01 ID:CIqA8atI
新田「勝頼」では、穴山は長篠で突撃を主張し、真っ先に撤退したり、新府築城を進言して武田滅亡を図ったとなってるが本当なんだろうか
100人間七七四年:2011/02/16(水) 20:33:18 ID:DHqEp1KB
>>98
真田がやったとしても裏切られるかもしれないし裏切らないとしても
どっちにしろ攻めつぶされるだけだろ
一度や二度撃退出来てもだから何だってレベルだからな
あの時の織田、徳川連合と武田の実力の差は
101人間七七四年:2011/02/16(水) 21:07:35 ID:kz8QjKnh
真田を駿河に回すと上野攻略が頓挫する可能性が・・・
やっぱ秋山を織田の反攻前に召還し駿河に回すかご家来衆の束ね役として重く用いるかしておけばなぁ
102人間七七四年:2011/02/16(水) 22:31:43 ID:IXTqiOD0
>>98
そんな簡単なものじゃないぞ。
穴山は元々、駿河に地盤があったし、
真田は元々、上野に地盤があった。
そんな簡単に転換ができると思うのはゲーム脳だ。
103人間七七四年:2011/02/16(水) 23:03:01 ID:5nOXzlOz
岩村城をもっと早く捨てるべきだったな
美濃完全放棄で良かったと思う
104人間七七四年:2011/02/16(水) 23:24:25 ID:kz8QjKnh
>>103
あの時代一度手に入れた城を放棄するのは至難の業だけどね・・・
高天神の依田とかはもうちょっと使い道無かったのかな?
105人間七七四年:2011/02/16(水) 23:28:24 ID:zet10GOR
高坂だかの進言で、甲信以外からは撤退して守りを固めるってのがあったな
駿河・上野まで撤退はやりすぎかもしれんが、東濃と遠州の城に拘ったのは失策だった
特に高天神にこだわって軍費が重なり最終的に見殺しになったのが致命傷になったんだし
そもそも本来は高天神救援は駿河探題の仕事なんだが
106人間七七四年:2011/02/16(水) 23:34:39 ID:zet10GOR
>>104
依田は高天神じゃなくて二俣
彼は二俣開城・退去して田中城代になってるから、城を放棄して戦力温存するという良い例なんだがな
107人間七七四年:2011/02/16(水) 23:36:21 ID:KBEq/cbU
長篠で敗北を回避できてたとしても1570年代後半はどう足掻いても武田が織田に勝てる見込みはないだろう。
逆に織田が武田攻略に本腰を入れた時点で武田は滅亡を免れ得ないと思う。
108人間七七四年:2011/02/16(水) 23:37:07 ID:zet10GOR
高天神城で玉砕した岡部元信はかって信長と交渉して義元の首を取り戻した男であり、人材枯渇の中で惜しいことをしたのは間違いない
109人間七七四年:2011/02/16(水) 23:41:31 ID:zet10GOR
>>107
大きな決戦無しで徐々に圧されてた毛利・上杉と同じくだろうな
武田を含めた三家とも、織田の殲滅部隊10万が来たら同じ結果だろう
毛利は旧尼子・大内国人衆がいるし上杉も御館の乱以降不穏分子がいてとうてい一枚岩で抗戦できるとは思えない
110人間七七四年:2011/02/16(水) 23:45:44 ID:5nOXzlOz
穴山信君の行動って不審がられることばかりだな
仮にも一門衆の筆頭に位置する武将がこれでは・・・
家に殉じようとする姿勢がとにかく見えない
111人間七七四年:2011/02/17(木) 00:29:35 ID:pbRqE6dm
>>110
穴山は勝頼と同格かそれ以上という自負があったんだろう
民主党で首相を差し置いて小沢がやりたい放題してるような感じじゃないかな
112人間七七四年:2011/02/17(木) 04:45:08 ID:F7Sl/jCm
武田が毛利、上杉よりあっけなく滅んだのはやっぱり長篠の影響だろう。最後の兵士逃亡は長篠のトラウマだと思う。
柵を作って待ってるところに注文通り突撃してくるってどういうことよ。
113人間七七四年:2011/02/17(木) 12:41:06 ID:LCthhHOF
>>109
でも上杉がなんとかギリギリまで粘れたのって御館の乱があったからなんじゃなかろうか
114人間七七四年:2011/02/17(木) 14:13:49 ID:amTTTXBr
長篠も実際は3000くらいしか失ってないと言われてるが
まぁ当時としては大損害だし御家来衆の有力どころが軒並み討ち死にしてるのはデカイけどさ
やっぱ高天神あたりで後詰め決戦しなかったのが崩れの原因じゃないか?
なんか勝頼は長島といい高天神といい他で軍事行動を取る一方で見捨ててるってのが引っかかるな
115人間七七四年:2011/02/17(木) 21:38:42 ID:AOr6qa99
>>114
同意だな。やはり高天神を見捨てたのはデカイ。
116人間七七四年:2011/02/17(木) 22:31:05 ID:aKruPpDw
まぁあの時代の織田軍ってチート過ぎるからな
それまで一国滅ぼすのに数年かかってたのをたった1週間とかで浅井朝倉ぶっ潰したり
甲州崩れもそれに近いわな
信玄なら武田征伐の時にどう戦っただろうね
とりあえず他の戦線は持久で信忠を討つことに専念したとは思うが
117人間七七四年:2011/02/17(木) 23:08:11 ID:hZQoZvRd
>>114
本当かね?
「負傷者は死者の三倍」という軍事法則から言えば
もしも、三千も死んでたら負傷者は九千という壊滅的なことになる。

そして、現代の発達した医学水準ですら負傷者が兵員として再起できないことも多いのに、
当時の稚拙な医学水準では負傷者の多くがもう二度と戦場に立てなくなるだろう。
腱とか切断したらもう当時では処置しようがないわけだしさ。
仮に戦場に戻ってこれたとしても回復期間は現代よりはるかに正気に及ぶわけだし。
118人間七七四年:2011/02/17(木) 23:15:34 ID:hZQoZvRd
「正気」は「長期」のミスね。

もう一つ言うと当時の衛生状態や殺菌技術では
負傷部分の衛生管理が相当に難しかったと思われ。
せっかく戦場から逃げ帰れた武士も破傷風などの傷口感染で
のちに死んでいった連中の方が多かったのではないか?
実際、井伊直正など負傷の経過が思わしくなく、死んでいった人物の例も多い。
119人間七七四年:2011/02/17(木) 23:44:15 ID:dlODZRnL
>>118
昔は負傷した部分に酒をぶっ掛けて焼くなどして
感染症を防いでいたらしい。
使い物にならない場合は切り落として傷口を焼いてたらしいし、
それなりの感染症対策はあった。
120人間七七四年:2011/02/18(金) 02:52:41 ID:o4FGuh/V
高天神城は仕方ない。

っか長篠以降全く徳川領を奪えていない以上お先真っ暗なのは明確。
121人間七七四年:2011/02/18(金) 04:07:01 ID:YFZ1VFFS
奪えていないどころか二俣、諏訪原、高天神とじりじり押されてる状態だからな。
圧倒してた徳川にすら分が悪くなったのは、勝頼の手腕が問われるところだろう。
122人間七七四年:2011/02/18(金) 09:47:57 ID:XePl8G0e
でも勝頼が後詰めに動くと逃げる家康
123人間七七四年:2011/02/18(金) 13:45:48 ID:SUoHoNWl
北条相手なら余裕
124人間七七四年:2011/02/18(金) 14:26:30 ID:E52tkvba
>>121
長篠以降の織田って岩村攻め以外はほとんど西と北に集中してて武田放置状態だったじゃん?
それなのに徳川単独にジワジワ押される武田ってどういう状態だったの?
多数の兵力と幹部を一気に失って軽い麻痺状態みたいな感じだったの?
125人間七七四年:2011/02/18(金) 16:42:53 ID:RMJl9uAZ
徳川単独にも勝てないぐらいだから幹部を失ったの歴戦の兵を失ったのもあって実質的な戦闘力は失っていたんじゃなかろうか、
数はいても還俗兵や少年兵ばかりとかいう記述もあったし。
126人間七七四年:2011/02/18(金) 21:54:28 ID:PVklOCbl
>>119
現代なら負傷部分の消毒と新しい包帯への交換は1〜2日で行うが、
それだけ緻密な医療が当時にできたかが問題。
できたとしてもそんな当時としては高度な医療を受けられる武士がどれだけいたかも問題だ。
武将クラスならまだしも足軽クラスが回復に長期かかり緻密で金のかかる治療できたとも考えにくい。
やはり当時は「負傷兵」という要素は現代よりはるかに深刻な要素だろう。

実際、長篠の後の武田を見る限りでは、熟練した兵員の多くを失い
相当なダメージを負っていたとしか思えない。
戦闘で負傷した人物は死ななくても負傷で身体が弱って一線から身を引き、
弟とか子供とか替わりの戦闘に不慣れな人物で補充したのではないか。
127人間七七四年:2011/02/18(金) 22:27:13 ID:VIlLrxav
>>114
長島見捨てたのは信玄の遺言のせいもあるけどな

>>122
近所を散歩する感覚で城を攻めれる家康と、甲府から長期遠征してくる勝頼との差は大きいなw

>>124
信玄以来の威光で武田よりだった遠州国人衆が長篠を境に徳川寄りになったのが大きいかと
もともと本拠地浜松のある徳川の地元だし
128人間七七四年:2011/02/18(金) 23:14:41 ID:wQd/hjZ/
駿河を北条に割譲するという手はあっただろうか。でも北条は関東を出ると糞弱いしな。
129人間七七四年:2011/02/18(金) 23:37:25 ID:2vzHrM25
穴山梅雪って親類なのに寝返るわ、伊賀超えで土民に殺害されるわ散々だな
確か殺した輩が穴山が埋蔵した信玄の埋蔵金を示した地図を奪い、そこから
掘り当てた。話は有名だよな?場所は棒道の辻だった気がする。
130人間七七四年:2011/02/18(金) 23:41:01 ID:PVklOCbl
>>127
遠州国人衆が信玄存命中は「家康と信玄なら信玄の方が上」って思ったんだろうけど、
本当に信玄死後も「家康と勝頼なら家康の方が上」と思ったのか?
「家康と勝頼なら同じようなもんだが、家康の後ろには信長がいる」ってのが本音じゃないのか?
131人間七七四年:2011/02/19(土) 00:57:35 ID:AhMQ3R8D
>>130
現代人は後の家康を知ってるけど、当時の人間からしたら徳川なぞ弱小新興勢力にすぎんぞ
武田軍の強さは信玄抜きで恐れられてただろうし
132人間七七四年:2011/02/19(土) 01:26:16 ID:7OjKeZ3c
信玄が提案した三河共同出兵に氏真が乗っていれば日本の歴史は変わっていた。
徳川は1ヶ月で滅亡、家康は自害。
信長は三河に武田を控え美濃に進めない。
氏真がつまらんプライドを見せたために身を滅ぼしてしまった。
133人間七七四年:2011/02/19(土) 01:31:50 ID:sC3Dt8vw
>>132
その場合も武田が強大になって今度は織田に
「今川邪魔なう。やらないか?」
っと提案して今川攻めそうw
134人間七七四年:2011/02/19(土) 02:43:11 ID:xIAe8MPs
北条氏康は謙信にいじめられてる時期だし
武田の天下もあったかもね氏真さんが無能でよかった
135人間七七四年:2011/02/19(土) 12:48:52 ID:mdS1DauJ
還俗坊主や老人に槍持たせても逃亡するよな。
136人間七七四年:2011/02/20(日) 00:42:18.73 ID:w2s4gGHs
甲府の縛りから抜けられない時点で武田家の限界が露呈しとる。

そもそも長篠以降の勝頼は何がしたかったのかと。
末期になると織田と和睦まで試みようとしたり完全に戦略破綻しとる。
137人間七七四年:2011/02/20(日) 01:17:09.41 ID:ktCjRQbq
>>136
そりゃ、軍の再建や織田、徳川への反攻とかしたかったんだろうけど何もできなかったんだろう。
一応、駿河で北条と小競り合いして勝ったりしてるぜ。
138人間七七四年:2011/02/20(日) 08:32:49.17 ID:0VTGhgfk
山本五十六と一緒だね
それまでイケイケで無茶な決戦したあげく大敗
その後は消極的な作戦の連続で勝機を逃す
139人間七七四年:2011/02/20(日) 10:04:21.34 ID:Kxd458wY
領民の怒りをかって造った新府城も未完成のまま燃やすとか戦略なさすぎだな。
140人間七七四年:2011/02/20(日) 11:36:56.84 ID:ktCjRQbq
>>138
まあ五十六は勝てる見込みが無いの解ってて戦争大反対だったけど決まったことだから
仕方なく最善の策として兵力が優位な序盤に全力攻撃を続けたんだけどね。

まあ岩村攻められてる頃の勝頼としては甲斐一国を安堵と引き換えにそれ以外を全て織田に明け渡して
許してもらえたら御の字という感じじゃないかな?
かなりの屈辱感を味わうのは間違いないが。
141人間七七四年:2011/02/20(日) 13:01:54.00 ID:0VTGhgfk
>>140
あの時期にいきなりそれはないだろw
一度大敗しただけだぞ
遠州での戦闘見ても分かるけど武田の限界は本拠が甲府だったことだなぁ
まぁ高天神とか救援するのは穴山の管轄だったはずだがあいつマジで使えないな
戦で戦功立てた話もないし
142人間七七四年:2011/02/20(日) 13:04:45.41 ID:Kxd458wY
「勝頼が家督継いだ時点で滅びる運命だった。そういう状況にした信玄が悪い。」と言うけど、誰がやっても柵を作って待ってるところに突撃するとは限らないし、誰がやっても1万の兵が戦わずして40人になるとは限らないと思うんだな。
143人間七七四年:2011/02/20(日) 14:11:17.56 ID:Kxd458wY
もういっそ五郎盛信も逃亡して史上稀にみる「無血滅亡」をやってほしかった。
144人間七七四年:2011/02/20(日) 14:35:54.52 ID:w2s4gGHs
>>141
北条が扇動するから無理><
って言われるのがオチ。

徳川でさえ攻撃拠点を移してるのに甲斐にヒッキーはないわ
145人間七七四年:2011/02/20(日) 14:50:13.50 ID:ktCjRQbq
>>141
まあさすがにそんなことしたら領内で一斉に内乱が起きて勝頼殺されるかもしれないけどね。
だけど、甲府から拠点を変更するといってもどこにすればいいのかってことになるよね。
飽くまで織田、徳川と戦うというのなら駿河か信濃南西部のどこかの直轄地?
それも苦しそうだな。
146人間七七四年:2011/02/20(日) 16:25:04.67 ID:INRNwNnE
信玄が駿府城にでも拠点を移してればな
147人間七七四年:2011/02/20(日) 17:52:11.22 ID:8bq4LKvX
>>139
結果論にはなるけどまあそうだわな。
木曽の離反も新府城作るための増税が理由だと言われているし。
148人間七七四年:2011/02/20(日) 18:11:25.86 ID:FTzjbznz
しいて転回点をあげるなら、やはり御館の乱で北条を敵に回すことになったことかなあ

北条の対応の是非とかおいて、純粋に政治軍事の面で言えば、
勝頼のあの判断と選択は失敗だった
149人間七七四年:2011/02/20(日) 19:28:47.22 ID:OYmKktnC
城ひとつで織田の攻勢を凌げるとでも思ったんだろうか
ほんと新府は無駄だったな
150人間七七四年:2011/02/20(日) 19:34:08.49 ID:Kxd458wY
北条夫人が輿入れしたのが天正5年、景勝と和睦して北条と断絶したのが翌天正6年って、どういうことよwww
ゴボウ丸返還といい、勝頼は意外と優柔不断で右往左往するタイプだったのかも。
151人間七七四年:2011/02/20(日) 20:44:07.12 ID:INRNwNnE
>>149
ただでさえ本拠地が城でない不安と近所に小田原城があるからねえ

152人間七七四年:2011/02/20(日) 21:24:56.15 ID:2SN7+C5g
駿府への本拠移転は意味ないと思うなあ。
上野方面を治めることで中山道を押さえてるのは重要だし
佐竹らとの対北条軍事行動にも甲斐は便利。
駿河方面なら伊那高遠が拠点化してるし
高地から下地への移動は補給面でも負担かからないでしょ河川流通が使えるし。
今川館へ拠点移動する動機が乏しい。
長篠の敗走で放棄した物資なんかも莫大だったと思うから景勝からの和睦はどうしても必要だったと思うし。
153人間七七四年:2011/02/20(日) 21:45:20.83 ID:8bq4LKvX
織田の経済力に武田は太刀打ち出来ん。
154人間七七四年:2011/02/20(日) 21:48:35.46 ID:ktCjRQbq
>>148
でも北条も親織田派だから織田が武田を潰しにかかっても武田を助けることはないと思う。
155人間七七四年:2011/02/20(日) 21:58:15.73 ID:INRNwNnE
>>154
でも武田は上方勢力への盾だからね
後に徳川がその役目に移行するけど
景虎を本腰入れて救援しなかったのも、北陸での織田との抗争を嫌った面もあるだろうし
156人間七七四年:2011/02/20(日) 22:14:55.43 ID:ktCjRQbq
だけど北条って秀吉と違って信長にはやけに従順だったじゃん?
武田のことよりも今後織田とどう接するかということのほうに関心があったんじゃないの?
武田については半分見限ってたかもしれない。
157人間七七四年:2011/02/21(月) 00:26:05.53 ID:8o4E8fNA
>>156
御館で上杉大減退で将来織田に苦戦する未来も見え見えで対上杉で武田に頼る必要性が0に近い
そしてもはや武田の国力では北条領深く入るのは不可能
関東に積極的に兵を進めるかつてないチャンス到来

逆に武田との同盟は上方の争いに巻き込まれるだけの疫病神
だがこの疫病神は織田に近寄る為だけになら有効に使える
158人間七七四年:2011/02/21(月) 00:41:38.79 ID:8o4E8fNA
武田北条の同盟
・相互不可侵
・上杉に対する防協

まず御館で上杉の驚異は消える。
相互不可侵もかつての武田軍の姿は見る影もなく全く驚異でない。

同盟は北条側にとってメリットが余りにも薄く、リスクだけがやたら高い意味の無い物になってしまった。

それなら武田領をむしれるだけむしった方が良い。
万が一武田に局地戦で負けても織田・徳川と連絡とってれば、
武田が北条領内に深入りする事は不可能という保険つき。

おまけに上方の印象も良くできて一石三鳥。
159人間七七四年:2011/02/21(月) 01:24:30.90 ID:urQ0ObmZ
なんで北条目線の話になってんだよ
160人間七七四年:2011/02/21(月) 02:49:20.55 ID:AGaGzUmN
まあ一応、北条も武田攻めに参加してるしな。
161人間七七四年:2011/02/21(月) 14:10:39.05 ID:PxjLT39u
そもそも北条が織田徳川に接近したのは勝頼+北条包囲網の脅威の為
甲相同盟が破綻しなければどうなっていたかは分からない
162人間七七四年:2011/02/21(月) 21:21:55.14 ID:0vK4NRmP
武田にとってはなくては困るが北条にとっては無くても良い
この差はでかい
163人間七七四年:2011/02/21(月) 22:09:59.58 ID:fq5lGlCw
御館の前年に北条夫人が甲斐入りしてるんだよな。北条から進んで同盟切ったとは思えないだよな。
164人間七七四年:2011/02/21(月) 22:29:14.98 ID:0vK4NRmP
>>163
謙信が生きてる間は同盟は必要。
しかも妹が嫁ぐ翌年には上杉が関東に大軍率いてくる噂もあった。
この時期の北条家にとって武田は必要不可欠。
武田も北条も相互に対等な同盟関係を結べる立場にあった。

ただ妹が嫁いですぐに謙信が死んで上杉の脅威が無くなった。
165人間七七四年:2011/02/21(月) 23:48:32.78 ID:AGaGzUmN
謙信って死ぬ直前まで春になったら大規模な関東出兵を計画してたって言われてるよね?
晩年の時点でもやはり北条を潰そうと考えてたってことになるの?
まあそれは関東管領ということで理解できるとして、その前に能登征服や
加賀に進出して織田と衝突したのは何だったの?
誰かから西進の要請があったから? それともただの領土拡大?
166人間七七四年:2011/02/22(火) 00:57:04.91 ID:IUJiOZqT
謙信の最後の遠征も、本当に関東だったのか?という疑問はなくもないが
ただ、越中や能登遠征については、越後の青苧交易の流通路確保という目的があった
謙信ははやい時期から能登の騒乱に関与しているけど、その理由が日本海交易路の安全確保のため
七尾城攻略も、能登畠山氏が反上杉派の長氏によって抑えられたため

ただ、おかげでこのあたりの外交関係がややこしいんだよな
武田は反織田という点で上杉と友好は結んだが、同盟相手の北条とは敵対中
仮に、謙信が倒れず関東に討ち入っていたら、武田はどうなるか?
北条としては当然対上杉に参戦要請をするだろうし(そのための婚姻)
167人間七七四年:2011/02/22(火) 07:57:16.29 ID:442ah4j2
そうそう能登と越後は昔から関係が深いからね。
海を通じた事実上の隣国。
168人間七七四年:2011/02/22(火) 08:24:21.73 ID:+5hi4gV8
謙信は関東管領としての役割を全うするためと言い何度も北条やそれに組する勢力を攻めまくったくせに
武田の駿河侵攻に激怒した北条が同盟を提案してくるとそれに応じたりしてよく解らん人だな。
本来敵のはずの相手でも下手に出られたらコロッとなっちゃうタイプなんだろうか?
169人間七七四年:2011/02/22(火) 11:21:19.77 ID:lsvcNPhC
>165
能登の七尾攻めは、足利義昭からの要請で織田包囲網のいっかんだと思う。
後は、能登守護・畠山氏を保護してる近江の六角氏からの書状が頻繁に来てるので、畠山氏の為にも七尾城の奪還はしたかっただろうね。
畠山氏の子息・上条政繁は養子にしてるね。
170人間七七四年:2011/02/22(火) 11:41:16.87 ID:8+5TQdzH
>168
古河御所の問題でない?
 北条氏が推す血縁の足利義氏を追い出し、本来の摘男・藤氏を古河御所に入れる、というのが対北条との理由。
しかし、藤氏が拉致されて行方不明になり、もはや北条血縁の義氏を古河公方として認めざるを得ないとなって、北条と和睦したのだと思う。

あくまで謙信の主君は、幕府であり朝廷であるから。
171人間七七四年:2011/02/22(火) 11:44:29.33 ID:q5S763Nc
甲相同盟の原文しらないからあれだけどこの同盟は
・外敵全てに対してお互いに援助協力の義務を負う同盟
・上杉に対してののみの同盟と相互不可侵

のどっち?
172人間七七四年:2011/02/22(火) 12:28:01.01 ID:+5hi4gV8
武田、上杉、北条って氏康や信玄が生きてる頃までは敵味方関係がかなりハッキリしてるけど
それ以後は年代が下るにつれてだんだんグダグダというか良く解らなくなってくるよね。
駿河で武田と北条が戦争したり謙信は関東出兵を企図してたりするけど
長篠以降の武田と上杉ってどんな関係だったの?
なんかほとんど戦争してないような印象があるんだけど。
173人間七七四年:2011/02/22(火) 13:02:11.14 ID:ptZRuymO
>172
1575年 長篠の戦い
1576年 織田包囲網

この織田包囲網の時は、謙信も勝頼も参加してると思う。

『甲陽軍艦』の信玄の遺言や、勝頼を攻めなかったという謙信の定説を信じると、上記の間に戦はなかったとなるけど。
174人間七七四年:2011/02/22(火) 14:27:58.27 ID:K9cfbxxC
>>169
六角氏から書状きてんだ?知らなかった。
六角氏は近江国南東の甲賀を拠点に信長にゲリラやってたんだっけ?
まだ織田の伊賀攻めも開始されてないよね。
>>168
越相同盟も足利義昭からの前々からの催促だよ。
甲越和与も足利義昭がやってて、これ以来は武田とも直接戦闘は無くなる。
175人間七七四年:2011/02/22(火) 15:30:39.25 ID:IUJiOZqT
天正元年には六角氏は近江から逃亡して武田を頼っていたはずだが
176人間七七四年:2011/02/22(火) 16:46:55.01 ID:/iG/PMH4
永禄11年の信玄に邪魔されて失敗した謙信の能登出兵時の事だろ
177人間七七四年:2011/02/23(水) 16:58:17.09 ID:LAP1Pnrd
春日山占拠して金持ち出せばいいじゃん(´・ω・)
これしかないわ
178人間七七四年:2011/02/24(木) 00:20:02.21 ID:3Qs5FfKk
勝頼も謙信に習って家出してみればよかったんじゃない?
179人間七七四年:2011/02/24(木) 00:22:41.62 ID:6x2nzunV
下手なことしたら即隠居コースと思う
後継のいない謙信と違って、正統後継者の信勝がいるし
180人間七七四年:2011/02/24(木) 00:25:07.05 ID:6x2nzunV
ある意味、長篠に信君や信廉が参戦してたのは幸運だったかもしれない
彼らが参戦してなかったら、勝頼批判をしまくっただろうし
もちろん敵前逃亡した彼らがいなければ勝てたというなら、それにこしたことはないが
181人間七七四年:2011/02/24(木) 00:30:39.77 ID:KH9OHe4c
『甲陽軍鑑』では明らかに謀反フラグというか、穴山はろくに戦わなかったみたいないわれ方してるけど、
信豊や一条信龍はしっかり戦っているんだよな。(なのに高坂さんには信豊もセットで切腹しろとかいう話に
なってたりするんだけどw)
182人間七七四年:2011/02/24(木) 05:35:29.41 ID:jRXPDfJm
穴山梅雪は土民じゃなく家康が手配して殺したんじゃねーかと思ってる
183人間七七四年:2011/02/24(木) 14:49:13.68 ID:97kndm6F
俺もそー思う
184人間七七四年:2011/02/24(木) 16:21:07.58 ID:eMEUfZ6o
>>181
一条さんは馬場と一緒に殿じゃなかったか?
185人間七七四年:2011/02/24(木) 22:07:40.94 ID:KH9OHe4c
>>181
そう。一条の同心「和田」がこのときに信春に下知を仰いだという話が出てくる
186人間七七四年:2011/02/24(木) 23:57:20.12 ID:3Qs5FfKk
高天神城を落として名声をあげ高天神城を落とされ名声を失う
なんたる因果か
187人間七七四年:2011/02/25(金) 00:17:45.34 ID:TDAkbb7u
高天神城を落としたことによる効果、具体的には水軍の活動範囲拡大を
思うように活用できなかったな。
遠江への攻勢が頓挫して以降は既に重荷になっていたのであれば、
早めに放棄して戦線を整理した方がマシだったかも知れん。
188人間七七四年:2011/02/25(金) 11:25:15.70 ID:WTSdQwMw
高天神って東海道がちょっと内陸側を通ってる場所に逆に海側の少し寂れた場所にポツンとあるような感じの城だったんだな。
189人間七七四年:2011/02/25(金) 18:18:04.79 ID:gAlU2iII
>>181
それにしても高坂がそんな「親族衆に切腹させろ」というほど偉そうなのは
やはり信玄の愛人だったからか?
190人間七七四年:2011/02/25(金) 20:23:12.25 ID:uU0jy16s
勝頼が穴山信君信用できないから粛清しようとかしたら
それはそれで家中の動揺がひどそうだな
191人間七七四年:2011/02/25(金) 20:32:11.64 ID:gAlU2iII
>>190
ひどそうというか、その時点で武田は滅びると思うんだが。
192人間七七四年:2011/02/25(金) 21:08:32.40 ID:/AywbaYA
ご乱心だな
193人間七七四年:2011/02/25(金) 22:26:58.76 ID:eFN+gVaA
>>189
甲陽軍鑑を信用しすぎるのはどうかってのと、当時の高坂は対上杉担当で家中でも結構な兵を持ってたからな

>>190
騙し討ちで短期間に穴山一族を殲滅出来れば中央集権化できたやもしれん
信君を打ち漏らしたり事前に露見するのは論外だが、勝千代擁して抵抗されても駄目
194人間七七四年:2011/02/25(金) 22:43:01.37 ID:ggJQO+Xu
尼子晴久の新宮党粛清と同じで、直轄領は増えて中央集権も進むが
劣勢時にそれをやると急速に人心が離反していくんだろうな。
いや、晴久も勝頼も一個人としては優秀だったと思うけど。
195人間七七四年:2011/02/25(金) 22:49:57.74 ID:PAP7hdRy
晴久は劣勢ってより早死にしたのがまずい。
196人間七七四年:2011/02/25(金) 22:55:26.37 ID:eFN+gVaA
勝頼の長篠が晴久の吉田郡山攻めかね
月山富田城の堅さがなかったら大内の出兵で滅ぼされてたかも
197人間七七四年:2011/02/25(金) 23:58:35.40 ID:oIl8yKRC
晴久の方は別に悪くはないだろ
勢力は伸ばしている方じゃ
198人間七七四年:2011/02/26(土) 01:26:39.49 ID:rufZ0ZZg
スレ違いで申し訳ないがこの流れでちょっと聞きたい。
尼子晴久ってもし郡山攻めで大敗せずに長生きしてれば陶を倒して大内領併合した毛利と
互角に戦えてたかな?
199人間七七四年:2011/02/26(土) 01:36:19.15 ID:J9LASN6O
>>198
郡山攻めで大敗しなかったら、大内の出雲出兵は無くなる
大内義隆はやる気を失わず尼子・大内で拮抗したやもしれん
晴久がどうのっていうより毛利が史実ほど伸びないと思う
互角に戦うだけなら晴久存命時は毛利と戦えてたわけだし
200人間七七四年:2011/02/26(土) 02:25:48.02 ID:rufZ0ZZg
なるほど。
201人間七七四年:2011/02/26(土) 09:51:29.05 ID:YK+Sq/xU
実質、信濃と駿河を取っただけの信玄が何故ここまで評価されているのだろうか。
信濃と駿河と甲斐を失った勝頼の評価が低いのはわかるが。
202人間七七四年:2011/02/26(土) 18:00:19.60 ID:ZJwb7tJE
信玄の評価が高いのは甲斐に一歩たりとも外的を侵入させなかったところ。
攻められたら一たまりもない躑躅が崎でもやっていけた。
その躑躅が崎を信長の本陣にしてしまったのが勝頼。
203人間七七四年:2011/02/26(土) 20:11:50.48 ID:V4HvCNih
信玄の場合はそれだけ楽な状況だったとするべきじゃ
信濃方面は弱小勢力ばかりで
今川北条との友好中立関係も信玄のおかげとするのは難しいし
204人間七七四年:2011/02/26(土) 21:03:41.08 ID:LhvpLzzo
まず戦国史を少し勉強してから発言することをお勧めする
205人間七七四年:2011/02/27(日) 03:59:47.79 ID:d2XuLvfr
信濃の大名が弱いの一言で片付けられては
それなのに苦戦した信玄の立場がないなあ。
真田や長野のといった小粒でも精強な大名がいたように
信濃の大名たちは小粒でも侮れない。
つーか、小笠原や村上はそもそも小粒とすらいえない。

逆に甲斐は国力が弱く20万石くらいでしかも
独立性の強い諸勢力の豪族連合だしな。
206人間七七四年:2011/02/27(日) 08:16:13.11 ID:ZDEvUvXB
逆に尾張は富裕国で半分も取れば甲斐一国並みだしな
207人間七七四年:2011/02/27(日) 14:59:09.30 ID:XPNOVKwq
武田は金山があるから国力単位なら20万石以上は軽くある。
208人間七七四年:2011/02/27(日) 16:40:47.60 ID:j+1QyWiA
山国で進軍ルートが限られてくるから情報さえきちっとつかんどきゃ
ルート上で守りやすかったってのはあるんじゃないかな
209人間七七四年:2011/02/27(日) 17:47:15.23 ID:YTjmV3bA
金山あると国力があがる?
んなわけねーだろw
210人間七七四年:2011/02/27(日) 19:32:17.87 ID:XXoDl8ZC
え?
211人間七七四年:2011/02/27(日) 23:17:26.11 ID:f9fvwEBH
まあでも信濃が分裂状態だったのは凄く大きいと思うぞ。
美濃の斉藤や越前の朝倉みたいにとりあえず信濃全域がひとつの勢力にまとまってたら
信玄もやばかっただろう。
212人間七七四年:2011/02/28(月) 01:47:24.06 ID:o66bk3AW
領地が広くても斉藤家による国人支配力がザルだったのが美濃。
逆に国人が天嶮を頼って自立割拠し強勢を誇ってたのが信濃。
213人間七七四年:2011/02/28(月) 01:55:36.49 ID:L6V18igv
大抵の国は、湊があったり、主要街道が通ってたり
特産品があったり、栄えてる門前町があったりするけど
甲斐には物の見事に何も無い。現代もry
金山があるから他の国より有利とは言えず
金山を使ってやっとこさ人並みくらいに思ったほうがいい
214人間七七四年:2011/02/28(月) 02:29:58.46 ID:xy8kMkhn
しかし、勝頼の代になるとその金山すら枯渇しちゃうんだが。
215人間七七四年:2011/02/28(月) 08:46:23.33 ID:jX6gG0mC
葡萄や林檎、桃、或いは水晶の開発はまだ先ですか?
216人間七七四年:2011/02/28(月) 09:08:56.92 ID:9tTzAlJB
今で言う特産品は殆ど江戸時代に出来た物だから
217人間七七四年:2011/02/28(月) 09:22:52.73 ID:gtjeYbja
駿河の金山は江戸時代も出てなかったか?
218人間七七四年:2011/02/28(月) 18:13:27.62 ID:FNwFOi0r
>>212
でも割拠状態ではいずれ各個撃破されるからな。
219人間七七四年:2011/02/28(月) 18:41:44.66 ID:0pUpnrMk
美濃の斎藤龍興の家臣団の国人達は各個に調略されまくり
内応だらけだったけどな…
220人間七七四年:2011/02/28(月) 20:28:43.26 ID:FNwFOi0r
織田VS斉藤の時は斉藤当主の人望が無い上に国力がほぼ互角だったから切り崩しもスムーズだったけど
甲斐VS信濃になると単純計算で国力が倍だからな。
信濃側家臣の状況によっていくらでも変化はするだろうけどとりあえず信濃に統一勢力がいたら
信長ほど楽には行かないだろう。
221人間七七四年:2011/02/28(月) 20:50:27.38 ID:0pUpnrMk
現在でも長野市と松本市が主導権争いしているようにそもそも山地で隔てられた別文化圏。
その国土の長さからも信濃国は実質的には2ヶ国と言っても問題ない。
越後守護上杉氏は一時的に北信濃守護も兼ねていたし、
その山々に隔てられた山地の要害に立てこもり割拠していた国人たちは小笠原氏の入部にも頑強に抵抗している。
甲斐でも将軍が甲斐へ行けと命じられた武田が甲斐の国人豪族の圧迫を嫌って戻るの嫌だと泣きを入れてるなど
信濃や甲斐の統治の難易度は非常に高い。
222人間七七四年:2011/02/28(月) 22:23:58.74 ID:gtjeYbja
平野が多い関東が統治しやすいかといえばそうでもないし
両方メリットデメリットがある
223人間七七四年:2011/02/28(月) 23:21:45.14 ID:FNwFOi0r
山地帯だからとりわけ統治が困難ということもないだろう。
福島の芦名なんて山ばっかりでかなり広域な場所で長いこと君臨してたじゃん。
224人間七七四年:2011/02/28(月) 23:54:43.67 ID:90ZvQijn
>>220
因果が逆だよ。
龍興は、信長の侵略を阻止できなくて人望を失った。
だから織田からの調略に乗る豪族に食い止められなかった。
225人間七七四年:2011/03/01(火) 01:10:53.72 ID:P34mX2ci
>>220
それだと信濃攻めで信玄が調略出来なかったみたいに聞こえるぞ。
諏訪攻めも小笠原攻めも村上攻めも家臣団の国人達は各個に調略されまくり、
内応だらけ切り崩しもスムーズと信玄の調略が冴えわたっているのに。
226人間七七四年:2011/03/01(火) 01:50:13.03 ID:qvdN4o7e
>>222
山城から平城へ移行したのは
籠城して戦う城から地域での行政をやる為の城に移行したから。
山々の峰に連なって作った山城と砦群に潜み割拠されては支配なんてできない。
遠くまで見通しが利き交通や通信などがし易い平地の方が遥かに支配し易い。
>>223
葦名が会津を平定したのは盛氏が伊達親子が抗争している時にやっとできたが、
盛氏晩年には北会津は伊達、西南会津は上杉との両属家臣化が進んでしまった。
>>224
稲葉山城まで国人に乗っ取られたバカな未成年当主だったからだろ。
227人間七七四年:2011/03/01(火) 01:50:16.16 ID:HPGltlay
>>225
だって信玄が調略していったのは信濃に割拠する小勢力をひとつづつターゲットするやりかたでしょ。
それなら甲斐一国を納める信玄の方が優勢なわけだから調略は楽だろう。
村上みたいなのが信濃一国支配してたら逆に信玄のほうがやばいじゃん?
228人間七七四年:2011/03/01(火) 02:15:32.52 ID:qvdN4o7e
小勢力だからとか大勢力だから調略が簡単だとか難しいとかまったくバカな考え。
ならなんで真田は調略されて家康につぶされなかったの?
229人間七七四年:2011/03/01(火) 02:22:43.84 ID:HPGltlay
真田はとても強いから徳川程度には潰されないのだ。
230人間七七四年:2011/03/01(火) 04:22:27.16 ID:RzNyh9pt
小勢力だから調略簡単なら秋月とか説明不能だろ。
織田厨の恣意的解釈はいつも破綻してる。
231人間七七四年:2011/03/01(火) 07:51:13.66 ID:ceJ3l7z8
せっかく良スレだったのにまた馬鹿どもが荒してんのかよ…
ちっとは自重しろ
232人間七七四年:2011/03/01(火) 10:22:57.18 ID:h696kesk
>>228
真田は実際家臣を何人か調略されてるじゃん(´・ω・)
ただ昌幸が調略に迅速に対応してるってだけの話しで…。


>>230
言いたい事は解るが意味不明な煽りはやめろ。
233人間七七四年:2011/03/01(火) 10:35:51.97 ID:smO8fzNI
戦国末期の信濃の国情論になってるね。信濃は名将信玄公をもってしてもなかなか統治
しづらい状況だったてことか
天正10年の織田軍侵攻の時は一時的に信長傘下に下るも、本能寺後はすぐにカオス状態に
圧倒的な武力やら政治的権威やらが無いと統治しづらい国だったんだな
234人間七七四年:2011/03/01(火) 13:21:56.67 ID:DUrfdNWy
>圧倒的な武力やら政治的権威やらが無いと統治しづらい国
これって大多数の国に対して言えるんじゃないか?

ただ大名の現在の人気というか評判によって
統治しづらい国と治めている大名の能力がって評されているだけだと思う
235人間七七四年:2011/03/01(火) 13:41:54.22 ID:qvdN4o7e
織田厨が歪曲捏造しようとして
美濃は手強く、信濃はヘタレだと
誘導しようとしてデタラメ理論で
話を曲げてるからおかしなことになる。
大身だろうが小身だろうが地の利や当主の統率力や指揮力や外国勢力からの介入拒否の意志によって左右される。
236人間七七四年:2011/03/02(水) 00:48:32.00 ID:nQaUC8pA
信玄は木曽を征服した後、美濃を平定すべきだったな。その後、同盟者義元の弔いと称して尾張に南下。
237人間七七四年:2011/03/02(水) 01:00:34.15 ID:ViQknw6o
信濃勢力を舐めちゃいけないよ。
木曽義仲が上洛に成功してるだろ?
238人間七七四年:2011/03/02(水) 01:41:38.89 ID:dh+r2HnT
そんなに遡らなくても中先代の乱で鎌倉占領したり
239人間七七四年:2011/03/02(水) 01:49:57.05 ID:rIh/7EOd
でも戦国時代じゃ小笠原や木曽は斉藤に負けているな

でも小笠原も本来は信濃に侵入した口で村上に勝てなかった派か
そういや小笠原は甲斐に侵入したこともあったな
240人間七七四年:2011/03/02(水) 03:48:41.11 ID:jzypWzhC
いや、信玄、美濃遠征するにも、美濃の平野まではたどり着ける兵糧も、動員できる兵力もないでしょ、その時点じゃ

まともに動かせるのは、一門+諏訪衆くらいでいわゆる兵力で言えば5000あれば良いほうでは?
大半の部下は自領が心配で動かない
これじゃ、山中荒らしに行くだけで、何も得ず帰宅

まぁ、最終的に甲斐、信濃、駿河を得た信玄は、良い選択肢を選び抜けた結果かなと思う
逆に言えば、それだけの人物
天下には程遠い田舎の努力家
241人間七七四年:2011/03/02(水) 17:42:37.54 ID:MMud4DU9
京に近い尾張一国50万以上を穏便に引き継ぐと言う同時代において誰よりも恵まれた有利なスタートをきりながら
その国力に依存しあちこちにケンカを売って回り災いを撒き散らし怨みを買いまくり
末路は天寿を全うできず家臣に嫡子ともども暗殺されて家自体も家臣に乗っ取られる。
逆に言えばそれだけの人物。
242人間七七四年:2011/03/02(水) 17:51:35.35 ID:eP4jhuvl
父の果たせなかった上洛の夢を自分が果たすなどと思わなかったら、
織田家とモロに衝突し、北条・上杉の盾に使われることもなかったろう
信長公は武田とは平和路線で行こうと思った時期がなんどもあった
うまくやれば必ず生き残れたはず
243人間七七四年:2011/03/02(水) 17:58:12.55 ID:ViQknw6o
>>241
そんなお前は桶狭間どころか稲生ですら勝てないだろう。
244人間七七四年:2011/03/02(水) 18:08:56.51 ID:icNPVkEI
信玄って凄いとか言われるけど寿命まではコントロールできなかったか
あと1年や2年長くいきてれば滅亡は防げたでしょうに
245人間七七四年:2011/03/02(水) 18:56:41.69 ID:nQaUC8pA
信玄があのまま西上してたら、信長は清洲か岐阜のあたりに馬防柵を作ったのだろうか。
246人間七七四年:2011/03/02(水) 19:03:33.87 ID:iwbUyHuE
家康が戦闘力喪失して遠州、東三河も従ったから予定変更して信長と決戦って奴か。
朝倉が日和らなきゃ面白いかもな。

美濃での決戦ってとこだろうけどはてさて。
信玄の場合そこで織田と講話して徳川切り取り自由ゲットしそうだけどw
247人間七七四年:2011/03/02(水) 19:55:11.91 ID:G9GHIPiT
信玄が信長クラスなら、勝頼も何とかなっただろうが…
248人間七七四年:2011/03/02(水) 23:59:25.39 ID:+uiFNxKu
>>242
和平の時間的制限は二次包囲網前まで。これまでには絶対にまとめるべきだった。

あと織田家を圧迫するなら長島が全滅する前に長篠まで出るしかない。

どの道甲斐から行ったり来たりを繰り返す方法じゃジリ貧すぎるけど…('A`)

結局信玄時代にまで戻って条件良くしていかないといけないから救いようがないわ
249人間七七四年:2011/03/03(木) 00:43:26.67 ID:U1+smOSq
勝頼は一武将として終わっていれば天球信繁くらいの高評価だっただろう。
250人間七七四年:2011/03/03(木) 05:33:05.73 ID:OwTKirJr
しかし義信は反織田・親今川路線の象徴。義信が当主となると三国同盟維持、対上杉維持、駿河領有無しで中山道から美濃攻めしか選択肢無し?
義信に早く子供が生まれていれば元亀年間には十代になっていたかな?
251人間七七四年:2011/03/03(木) 07:21:39.78 ID:Gdym+D7P
信濃から美濃に出るとなると補給とか大変そうだね。
もし美濃で窮地に陥ったら退却もままならず殲滅されかねないんじゃない?
252人間七七四年:2011/03/03(木) 07:40:03.90 ID:ZWwEfryX
親今川だと援助せなかんから結局駿河方面に軍は出さなきゃいかんでしょ
しかも見返りはほとんど期待できない
253人間七七四年:2011/03/03(木) 09:35:05.63 ID:OwTKirJr
義信に子供はいなかったのかな?死んだ時30過ぎてたし一人位いてもよさそうな気がするけど。信勝の存在もあるから御家騒動避けて系譜から削除されてるとか存在そのものを消されてるとか考え過ぎかな?
254人間七七四年:2011/03/03(木) 11:57:58.89 ID:HILa2FNl
今川はほっといても松平と五分五分でしょう
織田は親武田路線だし北条と連携して対上杉に集中するだけでいい
255人間七七四年:2011/03/03(木) 12:22:55.82 ID:YC57mdEd
>>253
娘はいたような気がする。

>>254
1566年に三河統一した後は、その年のうちに引間を攻撃、1567年には見附にまで攻め込んだりしている。
今すぐ今川が滅ぶということはないにせよ、五分五分とはいかない可能性が高い。
256人間七七四年:2011/03/03(木) 12:34:09.81 ID:pKAZcEps
ほんと徳川が鬼門だよな。
義元が死んで無くて織田とにらみ合いしてもらうのがベスト。

出来れば上杉ともなんとか講話して道三消えた後の美濃をゲット出来れば面白い。
織田吸収した今川との死闘がまってる気もするが
257人間七七四年:2011/03/03(木) 12:44:15.93 ID:n7j1RRSp
美濃の斉藤と越後の上杉
どっちが攻め取れる可能性が高いんだろうな
258人間七七四年:2011/03/03(木) 13:08:53.70 ID:Gdym+D7P
じゃあよ、これは完全に結果論を承知の上だが、信濃守護の小笠原と強い村上には手を出さずに
信濃中南部だけ攻め取って美濃に行くのがベストなの?
259人間七七四年:2011/03/03(木) 13:26:21.36 ID:pKAZcEps
いっそ信濃には手を出さないで今川と北条攻めて関東進出とか?
河越前なら普通に勝てそうではあるが・・・

村上とか上杉とやりやうよりはマシかもしれん。
勝てた時の実入りは大きいし。
260人間七七四年:2011/03/03(木) 15:31:46.79 ID:YC57mdEd
>>258
伊奈木曽は小笠原との関係も深い、そこを取ることは小笠原との関係に影響する可能性が高い。
また仮に取ったとしてもそれだけの国力では斉藤に勝つのは難しい。
261人間七七四年:2011/03/03(木) 19:30:11.18 ID:Gdym+D7P
>>260
じゃあそこで上にも出てた信玄得意の調略を使えばいいんじゃね?
262人間七七四年:2011/03/03(木) 19:41:29.92 ID:U1+smOSq
三河に攻め込むのはどうよ。
三河一向衆を煽りつつ氏真が遠江から、信玄が信濃から乱入すれば徳川降伏、インテリア家康は駿府に護送され再び人質生活。
北三河を武田が、南三河を今川が分割統治。
その後、武田、今川連合軍4万が尾張侵入、生け捕った信長は桶狭間で磔に。
263人間七七四年:2011/03/03(木) 20:04:25.22 ID:tL4jFhDR
武田は北条と同盟して今川義元とガチでやりあって駿河を早いうちに領有できてれば
あとは遠江や三河を切り取るの余裕だったろうが
それは勝算のないバクチだしな・・・
264人間七七四年:2011/03/03(木) 20:07:02.64 ID:Gdym+D7P
信玄は強欲だからな。
初めは徳川と組んで今川を潰し、その後は徳川を潰す。
つまり駿河〜三河まで全部欲しかったんだ。
265人間七七四年:2011/03/03(木) 20:07:11.95 ID:ZWwEfryX
無理
266人間七七四年:2011/03/03(木) 20:25:28.36 ID:cgxJZo3c
>>263
まあ普通にやるなら自分より弱い諏訪ってのは妥当な選択だしな。

北条、今川とどっちも武田より強いもんな。北条攻めのがまだ可能性ありそうだが。

没落しつつあるとは言え嫁の実家だし上杉と共闘して今川も静観するならあるいは。
267人間七七四年:2011/03/03(木) 20:49:39.30 ID:uOCxEjuP
三国同盟は北条今川武田はお互いドツキ合って三者とも痛い目を見て
じゃあ仲良くしましょうかと締結したもんだし
268人間七七四年:2011/03/03(木) 20:50:00.26 ID:Gdym+D7P
桶狭間直前の今川、武田、北条って強さの比率ってどんなもん?
厨房臭い質問で申し訳ないけど、大まかな感じで。
3:2:2くらい?
269人間七七四年:2011/03/03(木) 20:55:09.99 ID:cgxJZo3c
武田が60万石ぐらいで今川が100万石、北条も100万石ってとこかな。

270人間七七四年:2011/03/04(金) 00:28:52.78 ID:c26jMOXu
諏訪家と武田家は同盟関係にあったのに
突然、攻め込んで義兄でもある当主を捕らえて切腹させるというやり方は卑怯すぎる。

こういうことを考えると武田が将来的に滅ぶのは必然だったのかも。
我々は武田サイドで考えてしまい、武田の滅亡を悲劇と捉えるが、
実際は信玄はそうやって中傷の豪族を卑劣なやり方で次々と屠ってきたわけだし。
無残な武田の滅亡に快哉を叫んだ連中は多かったろう。
271人間七七四年:2011/03/04(金) 00:58:27.25 ID:+cMbzjqV
運命論はオカルト板でどうぞ
272人間七七四年:2011/03/04(金) 01:34:28.93 ID:FBgXjAW8
今川氏真は武田が滅んで嬉しくて仕方なかっただろうな 武田の凋略担当してたらしいし
273人間七七四年:2011/03/04(金) 03:07:49.65 ID:aHJIlc70
>>268
国力で言えば
武田は甲斐に信濃の大半北信濃の2郡除いてほぼすべてに、
木曽や美濃恵那飛騨の一部にも影響力を行使できる。
石高では50万石、影響力を行使できる範囲も含めると60万石ほど。

今川は駿河遠江に三河の大半
更に尾張のうち北尾張や沿岸部、知多半島なども影響下に。
石高では65万石ほど、勢力圏では75〜80万石ほど。

北条は伊豆相模に武蔵の大半、上野下総上総の極一部を支配し、
武蔵に下総上総上野の大半を影響下に。
石高では75万石ほど、勢力圏では200万石近いのでは?

>>270
宇喜多さんとかと比べれば大したことないでしょ。
274人間七七四年:2011/03/04(金) 03:09:12.85 ID:aBGc7Bll
長野は、本当に山ばかり
車も高速もないから統治は大変だろうな。
少し遠くを見渡すこともできないから、
勢力が分散しやすいと思う。
甲斐は真ん中の盆地を押さえた奴が自動的に最大勢力、そう言う国とはまとめやすさや、攻め取りやすさが違うだろうな
275人間七七四年:2011/03/04(金) 03:23:14.19 ID:aHJIlc70
まあ確かに分散している分強大な勢力がいなくて各勢力が独立している分、
攻め取りやすくはあるだろうが、統治は面倒だろうな。
276人間七七四年:2011/03/04(金) 05:40:00.88 ID:8c48sjiT
>>270
信虎の決めた外交政策は
家臣団が晴信を祭り上げてのクーデターでリセット
277人間七七四年:2011/03/04(金) 08:53:08.08 ID:HqYN5hzf
信虎が築いた今川との友好関係続いてるし。
278人間七七四年:2011/03/04(金) 10:28:51.81 ID:0616pNDv
信玄と家康の器の違いは死後を見れば明らか
279人間七七四年:2011/03/04(金) 10:57:03.58 ID:IoEf6Bfx
けっきょく石高では国力は計れないんじゃねーか?
武田には金山があったし、今川には経済力とか政治的権威があったと思う
逆に北条は石高の高さばかりが目立ち、見掛け倒しだったかもしれない
家康が国替えされたとき、石高が100万石以上加増されたのに大損したと
みなされてたのも気になる
280人間七七四年:2011/03/04(金) 11:13:58.91 ID:K7EaNEwg
北条は見かけ倒しというか鎌倉時代辺りからその土地を支配しているような独立性の高い小領主が
関東管領上杉が逃亡して古河公方が北条についているから取りあえず北条家に従っているみたいな感じで
謙信が関東に侵入すると一斉に離反している
元亀の朝倉征伐前の織田は一応は畿内を支配しているし兵も動員出来るが
実質畿内は点と線と権威による支配でしかなく領土とは言い難いみたいというのと同様だろう
281人間七七四年:2011/03/04(金) 15:36:42.61 ID:uGRGPH4N
織田は津の、上杉(長尾)は直江津の海運貿易で巨万の富を得、武田は
金山開発で成り上がったのであって、江戸時代の石高なんてこの時代に
たいした意味は無い。
川中島合戦だって、善光寺の経済圏の争奪と、直悦貿易港の確保の争い。
米を取るための土地を争ってたという発想で戦国時代を見たら結論だって
狂ったものにしかならないよ。

ただし北条の誇りは石高じゃなくて社会・経済のシステム。
関東に移封された徳川(それも駿府派じゃなく江戸派)が栄えたのは、
織田型でも豊臣型でもない最先端の北条のシステムを採用できたことも
大きい。織田よりもずっと先を行っていた統治をしていたから国人の
離反やらに関係なく安定した経営ができていた。

伊勢盛時が京都で作られた最新の政治理論を関東で実験し成功した結果が
江戸幕府の長い支配に結びついてる。
282人間七七四年:2011/03/04(金) 16:12:58.37 ID:q2uw36ZN
石高関係ないとか・・・銭があってもそれを交換出来る物と物流なきゃ駄目なんだが。
畿内の人口って商業力で持ってたとかいうんかよ。

石高だけで計るのも問題だけど大事な要素だろ。

動員兵力の多さって結局石高ベースの人口に依るんだし。

大坂の陣とかは経済の中心地で全国から米が集まる蔵屋敷があればこそ。
加えて改易された浪人がゴロゴロして、
持ってた富が桁違い。

確かに領内で養いきれない数の兵士を抱えてたとおぼしき上杉は関東で越冬したりしてるけどさ。
283人間七七四年:2011/03/04(金) 16:28:01.81 ID:8c48sjiT
国高がほとんど関係ないと言うのは賛成。
豊臣時代になってから竿を入れて石高を確定する前なんてロクに国人や豪族の領地さえ治外法権で把握してないし
戦乱で火をつけて田畑を荒らし狼藉するわ、
大規模土木工事による治水さえやらずに氾濫だらけ
水争いもしょっちゅうだし
おまけに天候は寒冷期。
豊臣政権による安定と領内開発が始まるまで石高なんてほとんど関係ない。
284人間七七四年:2011/03/04(金) 16:41:09.95 ID:WlQJCCZG
一向衆や本願寺や比叡山まで敵に回して
荒れ狂ってガチで撫で斬り大会村消滅の消滅戦による
戦乱と軍事動員だらけの織田領なんて荒れ果ててたと思う。
285人間七七四年:2011/03/04(金) 17:34:18.92 ID:2CObMYeX
金の力さえあれば相手を飢えさせるのはちょろい
286人間七七四年:2011/03/04(金) 19:09:20.91 ID:jS6luIkk
江戸時代中期以降と異なりこの時期の米は最重要な商品作物であり、
それ自体が一つの価値基準でもあり、金銀と並ぶ重要な商品。
価値の安定しない銭なんかよりもよっぽど重要、だからこそ石高なんて基準が出来たわけだし。

ただ検地による石高=米の生産量ではないが。
287人間七七四年:2011/03/04(金) 21:10:46.53 ID:Gw7Z1YX3
人口の方がよほど当てになる指標だよ
石高より

残念ながらデータが少ないが
288人間七七四年:2011/03/04(金) 21:11:20.46 ID:cQCz2/8M
それにしても武田、上杉、北条ってのは偶然にも勢力の総合力が20年くらい均衡してたんだな。
289人間七七四年:2011/03/04(金) 21:31:37.78 ID:ufeXd3cx
厳しく言えば、甲斐の石高が二十四万石あったとしても、武田家が認識して役を課することができた地域がどれほどあったかは別なんだよね
これはもちろん他の大名家にもいえることで、太閤検地で隠田を徹底的に摘発して帳簿に載せたのがあの数字なんだから
290人間七七四年:2011/03/04(金) 21:34:26.51 ID:q2uw36ZN
勢力でかくても場所とか時期で動員可能な兵力も違うしね。

三方原だって織田が全力で来れたら信玄がうんこちびってるはずだし。
291人間七七四年:2011/03/04(金) 22:18:07.68 ID:L1cZSNUP
うんこ合戦かよ!
292人間七七四年:2011/03/04(金) 23:40:05.20 ID:298YFd+g
長篠は織田の全力だったの?
293人間七七四年:2011/03/04(金) 23:46:40.04 ID:6YamFvgk
全力では無いけど信長直率の主力部隊。
武田も上杉の備えつぎ込めればあそこまで惨敗はしなかったはず。
294人間七七四年:2011/03/04(金) 23:47:56.16 ID:cQCz2/8M
>>292
まあ何を持って全力と判断するかにもよるな。
織田は西部戦線に必要な兵力を残した上での残り全力で長篠に臨んだと言うべきか。
信玄も西上作戦の折は5千くらいを対上杉防衛軍として北信濃に残してるし。
295人間七七四年:2011/03/05(土) 00:25:36.69 ID:/JfN4q6l
兵力差はあまり関係ないな。
外交戦略でいかに相手兵力を分散させつつ
自軍兵力を集中させて各個撃破。
敵と長期対陣しつつ敵はるか後方に友軍による第2戦線を構築し脅かす。
敵指導者への不信を煽り調略し敵の弱体化を誘う。
出来うる限り主力決戦を避けつつ戦わずして敵地での支配を達成させること。
戦略目標を隠蔽しつつ敵領内深く襲撃し、目標とはまったく別な地点への敵軍の集結を誘導しつつ本命を襲撃する。
兵法軍略の要諦を知るものにはかなわない。
296人間七七四年:2011/03/05(土) 00:37:40.19 ID:QeVEdNw1
なるほど見事なる理論。
願わくば行動がそれに劣後せぬことを祈るばかりですな。
297人間七七四年:2011/03/05(土) 00:42:42.07 ID:Kalm266D
その意味からも勝頼の主力決戦のタイミングは悪すぎたんじゃね?
朝倉浅井は仕方ないにしても長島を殲滅されたら信長は圧倒的に戦略的に有利に立つし。

信玄の遺言がそもそも見当違いすぎるし出来るはずもない。
これで勝頼が軍事行動縛られてたなら余りにも悲運。
298人間七七四年:2011/03/05(土) 00:53:37.73 ID:pqX2xHOQ
信玄だったら浅井・朝倉が滅亡した時点で西部戦線はあきらめるかも知れないな
299人間七七四年:2011/03/05(土) 00:59:58.78 ID:MspAivBg
>>297
意図したというより他に道が無くなって強要されたってのが正しいかと。

背後に別働隊が来て退却不能に陥ってるから正面の主力叩いてから逃げるしか無くなった。

その前の高天神城攻めでは三万近い大軍で後詰めの織田軍と戦うつもりだったんだろうけど信長が来るのが遅くて(ワザと?)戦えず。

武田の支城網もあったし此処で戦ってたら兵数も含めて結果は逆だったかも分からない。
300人間七七四年:2011/03/05(土) 01:06:12.52 ID:eQlbGBlg
>>299
高天神は信長が決戦を避けたんだろうね。
長篠は一万五千と見て勝負挑んだ。

もっとも武田は一回敗戦すれば終わりに近い状態になるが、
織田は負けてもなんとかなるからね。
アメリカと日本の太平洋戦争みたいなもんだ。
301人間七七四年:2011/03/05(土) 01:12:29.37 ID:pqX2xHOQ
>>300
それはおいらも思った 物量が違う
武田は地図上の面積がやたら大きいからなんか信長軍団に対抗できそうに思われてるけど、
人口やGNPではケタが違うほどの国力の差があったような気がする
302人間七七四年:2011/03/05(土) 01:21:26.52 ID:vWdLUPRO
信長は上洛戦や刀根坂や天王寺などで速戦のイメージがあって、
他の多くの戦いでは、まさにその通りなんだが、
対武田戦においては十分な兵力を時間をかけて必ず集めた。
援軍が間に合ったのが長篠の戦いであり、
間に合わなかったのが明智城、高天神城、甲州攻め。
303人間七七四年:2011/03/05(土) 01:32:10.76 ID:MspAivBg
>>300
終わりまでは言い過ぎかと。

上杉に織田がやられたり毛利とか参加した包囲網も出来てる。

後日高天神城救援も兼ねて何度も大軍で攻め寄せたりも出来たんだし。
もっとも決戦挑んでも家康は奪ったり造営した支城群に篭って出てこないしそれを攻める兵力と時間は無くなってたが。

304人間七七四年:2011/03/05(土) 01:58:24.34 ID:QeVEdNw1
>>303
実際に武田は長篠の一戦で織田に対抗する力を喪失したじゃん。
徳川や北条とは何度も小競り合いしたけど長篠以降、織田に対しては
大規模な反抗作戦は一切行ってないことを考えると織田に勝てる見込みが立たなくなったということだろう。
305人間七七四年:2011/03/05(土) 02:35:07.74 ID:MspAivBg
>>304
元々単独で対抗してないし、
徳川、北条と戦ってるからそんな余裕が無いってだけでしょうに。

加えて和睦したかったから手を出してないのもある。

謙信が健在で近江を脅かすような状況なら北条とも戦争して無いだろうから美濃で反攻なんてのもあり得たかと。
306人間七七四年:2011/03/05(土) 02:48:57.81 ID:rHPCf4IG
信玄はなぜ美濃へ出て京への道を目指さなかったのかと思ってたんだけど、
ほんといろいろやってるんだね。謙信対策でほんとに時間を費やしてる
川中島終わったらすぐ南進すればいいのに・・とか思ってたんだけど
結局上洛の時も越中に何度も反乱起こさせて、
謙信が越中を離れられないようにしたままの上洛だったとは。蘆名とかも使ってるし
北条氏康が遺言で信玄と結べといってくれなかったらもうチャンスはなかったね
307人間七七四年:2011/03/05(土) 02:53:16.11 ID:rHPCf4IG
思えば美濃とってからの信長は明確だった。将軍から庇護をもとめられてからは
東とは一切戦わないというスタンスになったし、
信長は京に近く将軍が来たというのがやはり転換期だね
308人間七七四年:2011/03/05(土) 03:00:28.69 ID:MspAivBg
>>306
上洛はブラフで勢力拡大が目的でしょうに。

徳川攻めで織田がロクに後詰め出せないようにした上でボコボコにしたからな。

思いがけず徳川の主力叩けたし東美濃が味方したから美濃に向かおうとした?矢先に死んでしまったけど。
309人間七七四年:2011/03/05(土) 04:19:48.94 ID:hq/GZUDy
>>307
明確どころかデタラメじゃんよ。
アチコチで戦端をひらきまくって
兵力を各地に分散して
負けまくってる。
310人間七七四年:2011/03/05(土) 04:52:40.42 ID:EuEFIuTO
>>298
そこまでになったら信長が許さないだろ
311人間七七四年:2011/03/05(土) 05:04:24.45 ID:MspAivBg
しかしまあ外交と言う点で滅亡時の武田は完全に四面楚歌だもんな。

上杉の援軍とか言うけど火事場泥棒でしか無いし織田の大軍みたらさっさと逃げやがったし。

おまけに調略されまくるとか無理ゲーにも程がある。
312人間七七四年:2011/03/05(土) 06:43:54.75 ID:eQlbGBlg
>>303
いまどき、手取川の戦いを信じてるのか?
あれは上杉が七尾白を落としたから、織田が撤退しただけだが。

>>306
ゲームでもあるまいし、信玄がそんな早くから天下を目指してはいなかったろ。
信玄の目的はまず勢力拡大であり信濃の確保ね。
313人間七七四年:2011/03/05(土) 06:46:59.06 ID:/JfN4q6l
>>310
そもそも信玄が生きてたら
朝倉浅井の滅亡自体が起きない。
314人間七七四年:2011/03/05(土) 07:04:09.33 ID:2LFnB9EI
>>312
正面からぶつかって勝ったんじゃないのはそうだけど、敵情不明で退却中に襲われたのは確かだろ。

七尾救援も失敗だから戦略的にも敗北だし。

まあ謙信がすぐ死んで全部パーになったけど。
315人間七七四年:2011/03/05(土) 10:11:03.97 ID:QagMwVeg
仮に信玄が数年長生きしても、農繁期は帰国する武田軍だからな。
浅井朝倉は結局、史実と同じ時期に滅亡したと思う。
316人間七七四年:2011/03/05(土) 10:24:27.54 ID:QeVEdNw1
地獄の元亀年間を乗り切った織田に勝てる大名はもういないだろう。
一番いいのは東美濃や遠江を織田徳川にさっさと返還して従属同盟で織田に頭を下げるしかない。
信長が認めてくれればの話だが。
しかし毛利といい、上杉といい戦国大名って勝ち目の無い絶望的な戦いになっても
なぜか最後まで戦おうとするよな。
現代人とはまるで考えが違うんだな。
317人間七七四年:2011/03/05(土) 10:28:25.61 ID:QagMwVeg
仇の前で蹴鞠を披露した今川氏真とか、山名豊国みたいに生き恥を晒すのは誰だって嫌だろ
318人間七七四年:2011/03/05(土) 10:40:33.18 ID:QeVEdNw1
でも死ぬよりマシだろ?
って考えないのが戦国大名なのかな?
319人間七七四年:2011/03/05(土) 11:09:10.19 ID:QagMwVeg
他にも荒木村重とか織田有楽斎のように、いつの時代でもお前みたいなタイプはいるじゃん
良かったね(はあと
320人間七七四年:2011/03/05(土) 11:12:16.49 ID:Kalm266D
石田三成や長宗我部もそうなるな
321人間七七四年:2011/03/05(土) 11:19:05.15 ID:QagMwVeg
三成や盛親は打倒家康の為に生きようとしたんだろ。意味合い違うし。
322人間七七四年:2011/03/05(土) 11:24:49.52 ID:efUhHweV
>>313
信玄存命時すら浅井は磯野投降、目下の虎御前山城に手も足も出ない
朝倉は若狭支配後退、前波吉継ら投降、一門筆頭景鏡との確執
両家の滅亡が信玄死去により早まった要因になったとはいえ
幾ら信玄でも能登畠山家に比べ状況が悪すぎて、特に浅井存続なんて非現実じゃないか
323人間七七四年:2011/03/05(土) 11:29:31.26 ID:2LFnB9EI
大名が降伏するって言って家臣が素直に従えば良いけどな。
324人間七七四年:2011/03/05(土) 11:31:00.26 ID:mH6dlgXl
>>318
氏真レベルになるぐらいだったら、死ぬか出家・遁世の方がマシだと現代人の俺でも思うけど。
現代でいうと鳩山みたいな感じか。
325人間七七四年:2011/03/05(土) 11:40:32.88 ID:eF1ioXIc
人は一代、家は末代、という発想だからだろう。
326人間七七四年:2011/03/05(土) 11:49:55.79 ID:mH6dlgXl
>>316
信長は城主レベルの降伏は認めて、その後も統治させてるけど
大名の降伏は認めても北畠・神戸が乗っ取られたり、最悪の場合は波多野兄弟になる。

武田の場合、一武将の秋山ですら惨殺されたんだから
勝頼の方から降伏を願い出ても、それこそ小山田の最期状態になるだろ。
327人間七七四年:2011/03/05(土) 11:59:19.07 ID:2LFnB9EI
>>326
秋山はちょっと特殊でしょ。
信長の叔母かなんかと婚姻してるから。

一門の木曽とか穴山は臣従認めてるし。
328人間七七四年:2011/03/05(土) 12:06:46.52 ID:mH6dlgXl
木曽穴山から合戦以前から内応を約束してたからだろ。
勝長を返還しても征伐は開始された。
信豊その他一族は処刑されてるし、降伏しても勝頼が生かされる望みは無い
329人間七七四年:2011/03/05(土) 12:12:28.77 ID:0fry7TjM
長篠ほど重臣を一度に失った大名は他にいないし、武田崩れほど重臣から兵卒まで逃げられた大名も他にいないわけで。

勝頼擁護論は、「滅びるしかなかった。降伏するしかなかった。」という運命論に走りがちだが、もう一度、勝頼の手腕を検証すべきだろう。
330人間七七四年:2011/03/05(土) 12:17:43.16 ID:QeVEdNw1
勝頼の手腕よりもどうすれば武田が生き残れたかを考えた方がいいんじゃない?
だって勝頼が手腕を発揮するほど織田を怒らせて武田を危なくするじゃん。 
331人間七七四年:2011/03/05(土) 13:01:34.03 ID:pqX2xHOQ
そうなると首都を制圧せよという信玄の遺言が邪魔になるな・・・
332人間七七四年:2011/03/05(土) 13:07:56.24 ID:Fd0E4CwU
>>330
だったら何もしなければ・・・別意味で武田が滅びるか
333人間七七四年:2011/03/05(土) 16:29:34.99 ID:Zoa3tawA
>>329
刀根坂とその後の朝倉滅亡
334人間七七四年:2011/03/05(土) 18:28:36.67 ID:2LFnB9EI
信長が武田を許さない?というより臣従させるより滅ぼした方が実入りが大きいしその余裕が出来てしまったのがね。

上杉、毛利、長宗我部も本能寺無ければ滅ぼされたろうし、北条辺りもどうなった事やら。

長篠までの流れはそう変えられないから負けた後どう振る舞うかって考えない?
335人間七七四年:2011/03/05(土) 18:36:37.57 ID:2LFnB9EI
御館の乱がラストチャンスだろうがどう振る舞う余地が有ったんだろうか。
336人間七七四年:2011/03/05(土) 19:19:11.00 ID:cUYfPjZu
御館の乱がどう転んでも北陸方面における織田の浸食は不可避に見えるし
俺にはチャンスには思えん。

あのタイミングで不識庵さんが死んだこと自体が武田にとって投了モノかも知れん。
337人間七七四年:2011/03/05(土) 19:57:09.46 ID:2LFnB9EI
織田に従属出来ないなら北条にってのはダメかね?
御館の乱で景虎が勝った場合実質的にそれに近い状況になるけど。

対徳川に専念出来る上に織田が主力差し向けても北条の後詰めが期待できる。
338人間七七四年:2011/03/05(土) 20:27:32.39 ID:NLeEZ1RB
家臣捨てて、金だけ持って奥州逃亡で
339人間七七四年:2011/03/05(土) 20:34:23.07 ID:vWdLUPRO
従属するってのは既得権益を大幅に譲渡することを意味する。
北条との格差がそれほど無い以上配下は簡単には納得しないだろう
また武田が一元支配を放棄すれば国人達も独自にに今後の行動を考えねばならず
織田北条両者に割れと考えられる
340人間七七四年:2011/03/05(土) 21:23:08.73 ID:2LFnB9EI
実質従属状態って織田、徳川みたいな関係をイメージしてる。

ともあれ北条、上杉と同盟関係ならあんな末路にはなってないでしょ。
341人間七七四年:2011/03/05(土) 21:32:22.92 ID:o1+aMPC2
景虎を越後国主に付けて甲相越三国同盟を結んでいても武田攻めのときに
逃げ道の選択肢が増えただけじゃないか。
342人間七七四年:2011/03/05(土) 21:42:45.80 ID:cUYfPjZu
北条を贔屓目に見過ぎだと思うけどね。
343人間七七四年:2011/03/05(土) 21:52:32.14 ID:vWdLUPRO
>>340
姉川とかこき使われた代償の援軍だぞ
関東制覇手伝わされたら滅ぶのが早まるわ
344人間七七四年:2011/03/05(土) 22:14:05.51 ID:2LFnB9EI
>>343
どっちにせよ史実でもやった関東遠征で北条が太るなら織田戦の時に状況が全然違うだろ。

佐竹滅亡まではいけなくても史実の最盛期並の北条家になってれば
後詰めで5万単位の兵士が出せるから滅亡まではいかない。
345人間七七四年:2011/03/05(土) 22:38:46.98 ID:QeVEdNw1
織田と北条って信長のオヤジの代からなぜか仲良かったんだろ?
346人間七七四年:2011/03/05(土) 22:47:33.19 ID:2LFnB9EI
>>345
だから?元主君筋で親戚の今川家と抗争したり不倶戴天の敵だった里見と縁組みして従属させたりしてるんだけど。

織田との和睦で甲信割譲して勝頼は佐竹滅亡後の常陸に移動とかはありそうだけど。
347人間七七四年:2011/03/05(土) 22:50:06.61 ID:vWdLUPRO
>>344
5万の軍勢を北条が出してくれるってのが甘い、根拠が無い
甲州崩れの時は織田の属国になってもいいのでとりあえず
関東だけは制覇させてくださいおねがい神様と願書出しちゃう北条だぞ
348人間七七四年:2011/03/05(土) 22:56:08.70 ID:2LFnB9EI
>>347
それは末期の武田に包囲網作られて劣勢だったからじゃんか。
直前に武田に寝返ったKYな武将も居たし。

上杉とも同盟という前提だから必然的に北条家は織田と敵対関係になる。
349人間七七四年:2011/03/05(土) 23:10:42.38 ID:7g7YjutV
でも織田が東国を後回しにして西国をもう少し支配してから東国に攻めてきたら
徹底抗戦してもいずれはまとめて滅亡じゃないか
北条が武田上杉を見捨てて、または敵対して織田と組んで自領の安堵を狙う可能性だってあるし
350人間七七四年:2011/03/05(土) 23:41:09.10 ID:Zoa3tawA
北条が織田の敵に回ったら、東関東の北条の敵が織田に従属するだけだわな
毛利と戦うために大友が中央と結びついたように
351人間七七四年:2011/03/05(土) 23:45:30.08 ID:2LFnB9EI
>>350
豊臣でもその構図になったけど結局東関東勢負けてるじゃん。
上の方にあった朝倉浅井じゃないけど直接援軍出せない上に間に武田上杉まであったら
どうにも出来ないでしょ。

大友さんにしても同じく豊臣に臣従したけど滅亡寸前までいったし。
352人間七七四年:2011/03/05(土) 23:48:07.43 ID:QeVEdNw1
>>346
バカの勝頼の方から北条の機嫌を損ねるようなことばかりしてるんだから都合のいい時だけ
北条の支援を期待すな。
353人間七七四年:2011/03/05(土) 23:51:00.02 ID:2LFnB9EI
>>352
それをしない前提だと言うに・・・
まあ史実通りに始まった武田攻めはもうどう死ぬか逃げるかの議論にしかならないし。
354人間七七四年:2011/03/05(土) 23:59:59.00 ID:IsAWMFSz
そもそも越甲相同盟なんてできると思ってるほうが頭おかしいよ
355人間七七四年:2011/03/06(日) 00:05:28.22 ID:dVb3zjb+
>>353
まあ武田が北条に従属を申し出てきたら駿河くらいは寄こして誠意を見せろと言われてもおかしくは無いな。
それでも織田が武田攻めに本腰を入れだしたら北条はすぐに織田に協力をするだろう。
水に落ちた犬は叩けという言葉があるけど、長篠で武田は水に落ちたんだよ。
356人間七七四年:2011/03/06(日) 00:09:57.69 ID:wHsYteyK
三国同盟ですら援軍は2000がいいとこ5万の援軍などありえない
御館の乱の時も長久手の時の徳川北条同盟の時もその他ことごとく関東を優先し
終わりかけにに援軍用意する北条が武田を助けるために全力出動する根拠が無い
勝頼景虎氏政が轡を並べて織田と決戦するなど夢物語、
つかゲーム脳か
357人間七七四年:2011/03/06(日) 00:24:37.45 ID:HbJp+iAZ
つか「五万援軍送るんでよろしく^^」
とか言われても、
「じゃあ拠点必要なんでちょっと貸してね^^わざわざ送ってやったんだからそのくらい最低限だよね?^^」
とかなんとか、どんな無茶言われるか分かったもんじゃねえしな
358人間七七四年:2011/03/06(日) 00:37:52.58 ID:kdyjryW/
>>356
終わりにかけてでも構わんよ。
史実みたいな雪崩現象でも無ければ新府捨てた後でも北条軍と甲斐に篭って抵抗出来る。

そのまま北条の臣下扱いだけど家は残る。

逆に北条倒す為に信長が臣従認めるなら北条攻めの先鋒にでも成れば良い。
359人間七七四年:2011/03/06(日) 00:53:04.18 ID:j3/9Lpgg
おもしろいな 景虎を支持して上杉・北条連合国をつくり、さらにその連合国の
弟分になるっていうのは 3国まとまればかなりの戦力になるし、負けそうになれば
逆に織田家に寝返ってしまえばいい ずいぶんケチになった信長公でもこのケースなら
甲斐・信濃を安堵してくれそうだ
意地張って独立してたから滅びたのかもしれないな
360人間七七四年:2011/03/06(日) 01:57:53.05 ID:FbYDSoZw
>>359
第二次包囲網結成時以降は余程遠方(九州奥州)の地以外は、
織田家にとって臣従してもらうメリットがないから許されないだろうね。勝頼が織田につきますって言っても苦笑いされるだかと。

そして反織田連合が本願寺を救えない場合織田が動員出来る兵力は
信長軍・信忠軍・信孝軍・明智軍・徳川軍を主力にせめてくる。
信雄を畿内に(予備兵)残しても総勢は10〜13万くらいか…。

対する反織田は上杉北条武田で上杉は柴田に割かれ北条は関東に割かれ集まって4〜5万くらいか。
361人間七七四年:2011/03/06(日) 02:03:36.56 ID:j3/9Lpgg
うーーん たしかに秀吉が毛利軍団から宇喜多直家を寝返らせたときも信長公は
ずいぶんしぶってたからな〜 あのときの宇喜多は20〜30万石ってとこか
武田勝頼は少なく見積もっても100万石は超えてるからなあ〜
362人間七七四年:2011/03/06(日) 07:20:50.90 ID:kF9EPZJu
>>279
武田の金山な中山道からの収入や上杉の青芋売却益や湊の運上金に対抗して
北条は永楽銭を大量密造してたよ。
363人間七七四年:2011/03/06(日) 07:52:00.19 ID:z9KZRQUt
>>360
関東の国人衆は日和見主義者が多いから
北条と上杉が同盟したとなると北条に降るとこが多いんじゃないか?
彼らは基本的に上杉、武田、北条の軍門を転々としてたから
甲越相同盟が成立したら北条しか行き場が無くなるかと。
364人間七七四年:2011/03/06(日) 08:31:18.14 ID:p1LM5AR5
自立を強めるであろう揚北衆を纏め上げられる見通しが立たないよ。
史実における景勝も苦心していた問題を地盤が脆弱な景虎がより早いスケジュールでそれを達成する
というのは難易度が高い。
365人間七七四年:2011/03/06(日) 09:20:05.50 ID:3Q5GXCqj
>>351
それでも、北条の動きをけん制する勢力にはなる
具体的には、北条による武田援助を止めてくれれば織田にはそれで充分
366人間七七四年:2011/03/06(日) 12:59:28.60 ID:dzPp0T28
おまいら、天正10年の武田攻めを撃退する方法も考えようぜ
367人間七七四年:2011/03/06(日) 15:07:24.97 ID:z9KZRQUt
無理だろ。
如何に武田攻めをさせないかが重要。
368人間七七四年:2011/03/06(日) 16:37:06.62 ID:kdyjryW/
>>366
自衛隊でも呼んで来ないと無理。
全ての城が高遠並に戦っても時間の問題だしな・・・

前衛の信忠軍だけなら辛うじて撃退出来るかも分からんが、
信長本軍まで後に続くからな。
369人間七七四年:2011/03/06(日) 16:52:30.95 ID:j3/9Lpgg
つーか城って立てこもる兵士の根性がすさまじいとどんなにしょぼい城でも
けっこうもつよね? なんであんなにバタバタ落ちちゃったかな
ほとんどの兵士が敵前逃亡しちゃってない?
370人間七七四年:2011/03/06(日) 17:16:01.07 ID:kdyjryW/
>>369
力攻め出来る兵力差もあったし森さんとか森さんとか相手の武将が悪すぎたよな。
信忠も信長が止めるぐらい爆走するし。
慎重に攻めてくれたらまともに戦えたんだろうけど。

守ってた武田の一門の信廉とかも賢い?からこれは防げないって後退しちゃうしな。
踏みとどまったのが高遠だけでその高遠も持久する気ないってのがね。
371人間七七四年:2011/03/06(日) 18:24:58.07 ID:1XRfhqby
森みたいな害基地相手だと岩屋城ですらもたんだろう。
372人間七七四年:2011/03/06(日) 18:46:01.39 ID:dVb3zjb+
武田軍を構成する連中に全くやる気が無いからどんなにしたってそりゃ無理だ。
一旦は2万もが集まったのに甲斐と信濃を一往復しただけで数百人になったんだからな。
武田軍も最後は消え去ること霧の如しだな。
373人間七七四年:2011/03/06(日) 18:48:48.33 ID:vVNoEJsQ
諸君等は戦争経済をご存じない
374人間七七四年:2011/03/06(日) 19:05:54.72 ID:hf7BLqxj
信忠も言われてるほど暗愚じゃない出来た二代目だったみたいだからな
部下が優秀で優秀とは言え雑賀攻めやら信貴山城攻めやら総大将として綺麗に成功させてるし
甲州攻めは信長が手放しで喜んだぐらいだし、力押しとは言え相当綺麗に攻めたんじゃないのかな?
375人間七七四年:2011/03/06(日) 20:04:13.79 ID:8vRtAaNk
信忠は信雄あたりと比べるとレベルが違いすぎるからな
この人が成功させられなかったのって
上月城の後詰くらいだろうけどあれは普通に考えたら消耗を避けるための戦しかしないわな
376人間七七四年:2011/03/06(日) 22:07:44.01 ID:FbYDSoZw
>>366
運良く信忠倒して士気を高めて運良く家康穴山を倒して
運良く北条軍に大勝し撃退して迫る信長本隊を討ち取る


出来るかなo(`▽´)o?
377人間七七四年:2011/03/06(日) 22:23:03.99 ID:71Ob+Qel
景虎北条勝頼の有り得ない同盟でさえ勝てるか怪しいよなあ
ただこの同盟なら北条の後詰め次第では駿河を守りきれる可能性出てくるからかなりマシだと思う。ちゃんと岡部元信を守るように戦えば離反も出なかったろうし

金庫番かつ駿河統治の穴山とか駿河国人衆とか粗末にするからあんな悲惨な最後になるんだよ・・・
378人間七七四年:2011/03/06(日) 22:33:05.29 ID:kdyjryW/
同じ事をされたら上杉だろうが北条だろうが毛利だろうがオワタだしな。

本能寺なければ毛利、上杉は正に次の武田状態だったし。
379人間七七四年:2011/03/06(日) 22:38:59.48 ID:71Ob+Qel
毛利はまだマシとはいえ上杉は本能寺がひと月遅れるだけで滅亡してたしな

武田が崩壊した時点で侵攻ルートが増えるから無理げー、信長に対抗するには越前駿河を防波堤にしないとなあ
380人間七七四年:2011/03/06(日) 22:46:20.50 ID:dzPp0T28
越中から柴田、信濃から森、上野から滝川、北越後から新発田に攻め込まれたら、景勝は佐渡島くらいしか逃げる場所がないな。
381人間七七四年:2011/03/06(日) 22:56:37.74 ID:xpMM2xEU
運良く信忠倒して士気を高めてぐらいは出来たかもしれんな
信忠も割と自身が前に出てくる武将みたいだから偶然と奇跡が重ねれば
討ち取る機会も出てくるだろう
382人間七七四年:2011/03/06(日) 23:01:16.33 ID:j3/9Lpgg
こうしてみると家康ってすごいよな 小牧長久手で秀吉の大軍あいてになんとかしのぎ、
力攻めは無理かとあきらめさせたもんな その後は必死で抵抗の意志はないと外交交渉して、
うまいこと面目を保ったまま秀吉傘下に入った
383人間七七四年:2011/03/06(日) 23:02:38.70 ID:xJwbZE1X
確かに家康は政治力と、見極めが半端ない
並の大名なら、どこかで折れてた
384人間七七四年:2011/03/06(日) 23:03:17.56 ID:vVNoEJsQ
まぁ、万が一にもそんなことになれば根こそぎ甲斐人はぶっ殺されるな
385人間七七四年:2011/03/06(日) 23:06:25.76 ID:8vRtAaNk
>>380
北越後の揚北衆と越中からと北信濃から攻められたら基本守れないだろうな
支城を全部落とされて丸裸になった春日山城で籠城なんていう悲惨な状況が
起きたかもしれん
386人間七七四年:2011/03/06(日) 23:07:38.46 ID:fAmx9wma
梅雪って粗末にされてたか?信豊と双璧くらいの扱いに見えるが。
387人間七七四年:2011/03/06(日) 23:07:57.83 ID:xpMM2xEU
謙信の存命中に小牧の家康並に頑張って外交交渉して織田に従属するのが大名として生き残れる最後のチャンスか?
388人間七七四年:2011/03/06(日) 23:10:07.85 ID:dzPp0T28
結局、家康と勝頼には埋めがたい差があるということか。
389人間七七四年:2011/03/06(日) 23:18:59.46 ID:71Ob+Qel
>>382
あれは大将級にろくな人材いなかったし・・・
中入りの秀次の攻撃部隊とか堀以外まともな将が居ない。森や池田は攻勢には強いが猪だし

>>386
粗末っていうか勝頼が御しきれてない感丸出しだな・・・
390人間七七四年:2011/03/06(日) 23:24:05.33 ID:yTphIJTt
>>381
信長は長島一向一揆で兄弟殺された後の結果が大殲滅で、
勝長を甲斐に持っていかれたら秋山があの有様だし、
信忠を倒したらとんでもないことになりそうだ。
391人間七七四年:2011/03/06(日) 23:25:41.61 ID:K8K/fcKi
そりゃあ若い時の家康と信玄比べるようなもんで酷だよ
老練さが違う
392人間七七四年:2011/03/07(月) 00:47:44.72 ID:3VE7aCsc
>>380
残念、佐渡は反上杉状態。
後日景勝にぶっ殺されるけど。

>>382
それは買い被り過ぎでしょ。
織田家中の内紛に首突っ込んだのに肝心の信雄の所領は毟られるてあげく梯子外されてるじゃん。

重臣が出奔したり取り舵間違えたら勝頼二号だったろ。

393人間七七四年:2011/03/07(月) 04:02:41.82 ID:ERKDDGJJ
>>390
信忠殺されたら信長が大激怒なのは反論しないけど、

伊勢長島で一向一揆が皆殺しにされたのは
別に信広兄貴が殺されたからではないと思うけど・・・
394人間七七四年:2011/03/07(月) 08:12:53.03 ID:4HY6UdhZ
ライバル対決と言えば、信長VS信玄も見たかったけど、勝頼VS氏真も見たかったな。時期が違うけど。
395人間七七四年:2011/03/07(月) 08:20:00.11 ID:Az+oAhBz
>>392
嫡男は既に形だけでも織田家の家督を相続しているので、買いかぶりもへったくれもないんではないか
信忠が亡くなっているからこそ、織田家の今後を決める清洲会議があったのであって、
柴田、丹羽、滝川の重鎮や森や前田を始めとした中堅はみんな信忠につくよ
信孝も津田信澄を殺すこともしなかっただろうし
396人間七七四年:2011/03/07(月) 15:35:28.76 ID:qPa6Je0E
謙信が長生きしていたらとか、信玄が徳川を属国化していたらとか
そういう話の方がおもしろそうに思うんだが
397人間七七四年:2011/03/07(月) 15:37:06.37 ID:PswEvpXb
本願寺に織田軍が集中してヤバくなると勝頼が動き出すって言う共同戦線だったんだよね。
秋の本願寺本格攻撃に向けて周辺を攻略してた織田を牽制する必要があり長篠の戦いもその一環。
織田軍を東西に奔走させて疲弊させるのが目的のはずなのに
なぜ長期対陣して本願寺の再挙兵を待たずに暴発して決戦してんだよ勝頼…
実際、毛利が海戦で大敗し補給が難しくなってしまった本願寺の大坂退去が武田滅亡フラグそのものなんだよな。
本願寺さえ支えて、決戦回避し対陣と朝廷経由の和睦を繰り返してれば織田との抗争で敗北は無い。
398人間七七四年:2011/03/07(月) 16:59:31.09 ID:WfcloP0C
>>396
あっちは寿命、信長や信忠は不意を打たれた戦死で生き延びれる可能性が少しでもあるし、後者はまだ若いので想像の範囲が広い
俺的には信玄や謙信の長生きよりも信忠や徳川信康や武田義信の方が色々考えれて楽しいんだが
399人間七七四年:2011/03/07(月) 17:29:15.53 ID:wAsk4rDZ
>>397
信玄の頃ならまだしも長篠の頃は織田との決戦回避で出兵を繰り返して
織田軍を疲弊させるより国力的に武田などの包囲網の方が疲弊するのが先だろう
400人間七七四年:2011/03/07(月) 20:01:07.29 ID:8wXhm24i
>>399
すぐ国力を持ち出してくるが、織田はアチコチで火種を抱えてて
強行軍で軍を各地に派遣しては破綻戦線への集結で移動しまくりであり
内実では織田の方が兵が疲弊してし軍事的負担も大きい。
信玄の死と長島一向衆の壊滅で一息つく暇もなく織田は石山本願寺により危機的状態に追い込まれている。

実際に織田はかなりの苦戦続きで好転してきたきっかけは
1578年3月謙信死去・4月赤井直正死去でわずか9歳の直義が継ぐと言うラッキーパンチがあったから。
この事態の急変は非常に大きい。

謙信死去は北陸戦線において越前一向衆への上杉の後援が後継者争いのため期待できず壊滅。
(長篠の敗戦により織田が越前一揆に攻勢に出て屈服→北陸一向衆が謙信との同盟に進んでいた)
それでも教如が指令しての加賀一向一揆衆が1582年3月の吉野谷の一揆あたりまで
織田相手に暴れて柴田らを北陸に釘付けにしてる。

赤井直正死去は越前一向衆を屈服させた後に丹波へ侵攻した明智が大敗していた
丹波丹後戦線での調略が一気に進展し1579年の中ごろになってくると
丹波の波多野兄弟・赤井直義や丹後の一色義道らが破滅し
丹波丹後が一応の安定を得て宇喜多が毛利を見捨てて秀吉側に付くことを決意させる。

この事態の推移は秀吉の自由自在の活躍を約束し、
山陰方面で秀吉による山名攻略が一気に進み但馬・因幡の占領に成功する。
1580年の別所長治(波多野兄弟と婚姻関係あり)や荒木村重の破滅へ繋がり
本願寺が朝廷を介して織田と和睦し石山退去となる。

謙信が死去しなければ加賀一向宗と共に増援される越前一向衆が息を吹き返す可能性が高く
そうなると明智や細川らの丹波丹後攻略への増援が不可能になり秀吉の行動が大きく制約され
毛利も息を吹き返して播磨への再侵攻により、別所や荒木や本願寺の籠城継続が約束されてしまう。
織田は各地へ兵力の分散を強いられ謙信と北陸一向衆同盟軍に越前が破られ下記の者達も呼応するだろう。
武田元明(丹羽に実権を奪われ本能寺の変では明智と結んで丹羽を若狭から追い出す)
京極高次(妹の竜子が元明に嫁ぎ本能寺の変では明智と結んで長浜城を落す)
401人間七七四年:2011/03/07(月) 20:09:15.28 ID:byAcwyVJ
因果関係が超適当だな
402人間七七四年:2011/03/07(月) 20:12:32.61 ID:FoNFXRFY
赤井直正は光秀が戦に勝てなかった男のうちの一人だよな
光秀にとっては他には秀吉くらいだったりするんじゃないか
まさに丹波の赤鬼だな
403人間七七四年:2011/03/07(月) 20:12:49.55 ID:3VE7aCsc
まあ何にせよ長篠の敗北は致命傷では無かったけど、
御館の乱の取り扱いは致命傷だったって事になるよな。

勝頼は名将とは呼べないけど、愚将と呼ぶには優秀過ぎて
武田家も弱小勢力では無いけど強大国とも呼べないのが不幸の始まりだったよな。
404人間七七四年:2011/03/07(月) 20:16:22.61 ID:uzjENZEl
○○包囲網とか反○○同盟ってのはうまくいったためしがない
結局どこも自分の利益が優先されるから、よそに苦労させて自分は楽をしようと
思っちゃう チームスポーツじゃないけど個々が全体の利益のために戦わないと
最後の勝者にはなれない それは他人同士のあつまりじゃ絶対無理
405人間七七四年:2011/03/07(月) 20:23:13.56 ID:3VE7aCsc
>>404
確率低いのは確かだけど成功例全く無いってのは言い過ぎだろ。
何を持って成功とするかもあるけど。

ナポレオン包囲網とか。まあ時代もスケールも違うけど。
ついでに何度目の正直だってのも。
406人間七七四年:2011/03/07(月) 21:53:53.68 ID:ERKDDGJJ
>>402
別にそういうのは珍しいことではない。
偉大な武将でもあるいはスポーツ選手とか格闘家とか将棋棋士とかでも
生涯に勝てなかった奴の一人や二人はいる。
ただ、そういう人物を評価しすぎるのは買いかぶりすぎってもんだ。
武将や選手の評価は総合的な仙籍成果で決めるもんだ。

偉大な武将が一回や二回の戦であるいは状況も限定された中、
たまたまか勝てなかったからといって、そういう人物が最強とは限らない。
落合とか松井とかイチローと数回対戦して全て打ちとって引退した投手を最高の投手というようなもんだろ。
高校野球の時、松井秀喜が2試合ほどノーヒットに抑えられた試合があったが、
その試合で松井を打ち取った投手たちはプロにすらなれてない。
407人間七七四年:2011/03/07(月) 21:59:35.72 ID:ERKDDGJJ
>>395
なんだか、レスになってないぞ。
>>392は家康について言っているんだが。
ただ、家康についても過大評価は反対かな。
小牧長久手は確かに見事だけど
限定された条件の一つだしな。
あの状況では秀吉も無理できなかったし。
408人間七七四年:2011/03/07(月) 22:05:55.75 ID:PswEvpXb
地の利を得てるだけでなく、
人心を得て国人衆を結束させる核になる人物は真田氏や秋月氏などを見てもやはり手強いよ。
兵法でも天の時が熟するまでは遠交近攻策で敵を囲んで疲弊させつつ待ち、
敵の鋭鋒を避け、敵が撤退するや進出し戦わずして勝ちを得るのは常識だし。
409人間七七四年:2011/03/07(月) 22:11:34.65 ID:ERKDDGJJ
>>408
いや、勿論、真田や秋月や長野や赤井が優れてないとは言わないけどさ。
だからといって彼らを最強みたいに言うのが何だかなあと思うだけ。
そういや島津義弘も赤池長任に何度も撃退されたんだっけ。
410人間七七四年:2011/03/07(月) 22:58:39.49 ID:byAcwyVJ
赤井直正攻めたらあれだろ
信長の命令で波多野と一緒に攻城し
明智担当以外の三方を攻めてた波多野が裏切ったから退却した戦いだろ
波多野と同陣も信長の命令で、明智に別段非はなく、
赤井直正は城に篭ってただけだし、赤井が明智を破ったと誇れるような戦いでもないだろ
411人間七七四年:2011/03/08(火) 00:19:06.86 ID:nWQ7WIul
>>396
信玄が暫く生きてても、朝倉がヘタレて撤退した時点で徳川攻略すら無理ですから。

足利三好朝倉浅井本願寺が西で織田軍の大半を引き付けてくれる事、
織田の大軍が徳川の援軍に来ない事を前提にしたのが武田の徳川侵攻だから。
武田が総動員できない翌年の夏場に本願寺以外は一掃された。
412人間七七四年:2011/03/08(火) 03:22:07.68 ID:PKUwEbx6
朝倉浅井は決起3年目でもう限界だろ。
両者とも領内は不和不平が渦巻いてどうしようもない。
信玄の上洛時期が悪い。朝倉に文句言うなら冬場前までにちゃんとでるとこまででろと。
413人間七七四年:2011/03/08(火) 04:40:33.19 ID:Cr0RUdFi
>>411>>412
そんなザコ相手に野田城・福島城の戦い〜志賀の陣で信長土下座してるんだけどな。
信玄が死んで東部第二戦線が崩壊したから兵力拘置の必要も無くなった為に確かに朝倉は不利になった。
でも大嶽砦の陥落による撤退失敗である刀根坂の戦いがあったから浅井・朝倉滅亡が確定したに過ぎない。
信玄が生存してれば戦況不利を悟ってそもそも「疲労で出陣できない」と出陣拒否する朝倉家臣も出てこない。
信玄の死が発覚というのは大きな士気の喪失であったのは間違いない。
それらの事態により山陽方面でも浦上宗景が織田に臣従することになり
一見すると西部戦線も一時的な安定を見たかのように見える。
しかしそもそもこの間、丹波から但馬への赤井直正の攻勢&山陰からの吉川元春の東進もあり
因幡山名豊国と但馬山名祐豊がさかんに信長への援軍要請をしていたが
各地で戦闘を繰り返していた織田にはもはや余剰戦力がなく見事に元春に奪い取られている。
さらに浦上を攻撃していた宇喜多は毛利(大友と和睦した)の支援を受けて
浦上を圧迫していたが信長は援軍すら出せないので敗亡してしまい毛利の播磨進出への道を開いてしまった。
長島一向衆は相変わらず猛威を振るっており、越前一向衆は守護代の前波吉継を討って一揆の国となり
同時に東美濃の明知城が勝頼により落城させられ岐阜へ撤退するなどと再び武田の脅威を感じてる。

信玄が生きて三河方面への戦線へ備えなどしていたら石山本願寺を滅亡させない限り
次々と織田は侵蝕されていくだけなのは間違いない。
414人間七七四年:2011/03/08(火) 07:10:58.39 ID:vKyYqJPp
三河を攻略してる信玄が死んでなければ
春にまた朝倉もやってきて対陣開始だし、
信長は朝廷を動かして志賀の陣の時と同じように
朝倉が撤退したい降雪時期に合わせて本願寺との和睦に持ち込むしか打開策は無かっただろね。
もちろん武田相手には三河譲渡くらいはするだろう。
ちょうど河内国の三好義継も織田方の畠山や細川を破って河内支配を確定させ大和方面で暴れてたし
1573年に信玄が死んだことで山城国から義昭が追放され、
それを受け入れた義継が若江三人衆に裏切られて敗北する流れも無くなる。
大和国人の蜂起は相変わらずだだったが義継滅亡による河内平定に伴い1574年に入り信長が興福寺に入り
東大寺で蘭邪侍を切り取るデモンストレーションをやることで
大和国人達への支配を強めていく流れも無くなってしまう。
信長は信玄の死・勝頼が長篠決戦してしまった・謙信の死の3つにむちゃくちゃ助けられてる。
415人間七七四年:2011/03/08(火) 07:19:08.52 ID:/S5ndLza
>>414
しかし、武田の兵糧ってそんなに持つのか?
ましてや武田が上洛目的ではなく東海に領土を増やす目的なら、
そこまで長期の兵糧持ってるのかなあ。

あと、謙信の死はともかく、長篠はかなり計算どおりだし、
信玄の健康状態くらいは信長にも伝わってたんじゃないの?
416人間七七四年:2011/03/08(火) 07:22:36.82 ID:/S5ndLza
もしも、酒井の鳶の巣砦攻略作戦が成功した状態で
勝頼が退いたとしたら、織田・徳川軍のすざまじい追撃戦が始まるぞ。
それはそれでとてつもない損害が出そうだ。
417人間七七四年:2011/03/08(火) 07:55:55.85 ID:YVbrPjwd
長文の妄想が酷いな
謙信玄に夢見すぎ
418人間七七四年:2011/03/08(火) 09:03:35.62 ID:W1LPPFIN
あと朝廷の力を大げさに見すぎ

朝廷の和睦斡旋は、あくまで双方が望んだ場合にしか成立しない
例えば本願寺が決起したとき、朝廷は依頼されたわけでもなく
自発的に本願寺に勅使を下し
「今回の将軍と信長の戦は天下静謐のためのものなのに
その邪魔をするとは何事か、直ちに矛を収めよ」
と停戦勧告したにもかかわらず、本願寺はガン無視して戦い続けた

朝廷の和睦斡旋なんて、その程度の実効力しかないんだよ
419人間七七四年:2011/03/08(火) 09:33:13.42 ID:AJW2iVH9
>>404
ABCD包囲網なかったっけ?
420人間七七四年:2011/03/08(火) 09:44:38.03 ID:OhKTwfFS
長篠で戦わずに引いたら追撃でひどい損害が出てたって言う意見が多いようだが
史実では準備万端の相手と戦って負けた後に追撃されてるわけだから
普通に考えてそれ以上の損害が出るとも思えんがなあ
つか制御下での撤退戦なら武田の将帥には幾らでも経験があるだろうに
421人間七七四年:2011/03/08(火) 10:01:03.66 ID:SMWRkIp5
>>419
アレ事実上AB包囲網じゃねえかw
422人間七七四年:2011/03/08(火) 10:53:46.91 ID:PKUwEbx6
>>413
時系列が崩壊しとるよ
423人間七七四年:2011/03/08(火) 13:54:22.52 ID:JnaSYjFF
鳶ヶ巣砦攻撃は武田の寒狭川渡河後
武田の織田攻撃が始まるのとほぼ同時に起こっている
設楽ヶ原前哨戦の寒狭川対陣では、武田が川の向こうにいる限り手の出しようがないと織田側は言ってる
酒井の鳶ヶ巣迂回攻撃はおそらくその状況打開の一策で、武田が渡河決戦を挑んでくれたおかげで結果的に退路を塞ぐ形になった
武田が寒狭川を渡らずに備えつつ、酒井を各個撃破、長篠城攻撃を継続してたら、それまでのパターンなら織田は退いたんじゃなかろうか
424人間七七四年:2011/03/08(火) 14:03:25.18 ID:W1LPPFIN
どうだろうね、今回の信長はそれまでと違って、事前準備を念入りにした上で出陣している
わざわざ畿内の諸将から鉄砲隊をかき集めたのもその一環
信長の方も、決戦とまではいかなくてもなんらかの決着をつけるつもりでいることは伺える
「それまでのパターン」は期待できないと思うよ
425人間七七四年:2011/03/08(火) 15:36:39.88 ID:PKUwEbx6
織田としては長篠から勝頼が退けば勝ちだしね
426人間七七四年:2011/03/08(火) 16:04:59.41 ID:yQ4ylL4g
>>423
>鳶ヶ巣砦攻撃は武田の寒狭川渡河後
>武田の織田攻撃が始まるのとほぼ同時に起こっている
武田の寒狭川渡河はおそらく18日で長篠合戦の数日前、
鳶ヶ巣砦攻撃とほぼ同時なのは連子川渡河。

なので
>酒井の鳶ヶ巣迂回攻撃はおそらくその状況打開の一策
これは前提が間違っている。

>設楽ヶ原前哨戦の寒狭川対陣では、武田が川の向こうにいる限り手の出しようがないと織田側は言ってる
この部分はあっているが。
427人間七七四年:2011/03/08(火) 16:56:41.24 ID:89L9Wfcb
「それまでのパターン」で済ませるわけには行かんぞ!と意気込んだ
勝頼からすれば、山の向こうの信長本陣は見えないし、土塁や柵で
固めた狭い河原は「いつものように撤退するための殿の備え」にしか
見えなかったんだろうなあ。

何倍の相手だといっても、逃亡する相手の尻をつつくにはこっちが
一万もいれば十分という考えも「それまでのパターン」からすれば
無理はないというか。閉じこもって殿を守っている舞台をつついて
いるつもりが、何時間たっても「抵抗」がやまないんでおかしいなと
いったん兵を引いてみたらワッと三倍の大軍が出てきたと。
428人間七七四年:2011/03/08(火) 18:39:51.02 ID:kj5q71bZ
勝頼は最期まで長篠の失敗を悔いただろうな。
429人間七七四年:2011/03/08(火) 18:42:42.21 ID:W3wQN5O8
負け戦は誰でもやってるからな・・・後の天下人の家康も三方原で死にかけたし。
問題は失敗が許されない状況というか。
430人間七七四年:2011/03/08(火) 18:53:00.64 ID:kj5q71bZ
長篠は失敗しすぎでしょ。野営中に奇襲を受けたわけでもない正面きっての野戦でこれほど重臣を失った戦は他にない。
431人間七七四年:2011/03/08(火) 19:04:02.07 ID:W3wQN5O8
>>430
いやいや、劣勢で包囲されてる上に野戦陣地に攻撃とか前代未聞じゃねーの?

大敗北だと桶狭間の戦いやら沖田畷の戦いとか耳川の戦いなんかあるけど、
どれも相手が城攻めしてる隙なんかを突いて破ってる戦いだし。
432人間七七四年:2011/03/08(火) 19:18:10.96 ID:/S5ndLza
>>430
それは武田家の伝統だな。
武将が異常なまでに合戦で死傷しやすい。
上田原の板垣、甘利。
川中島の信繁、勘介。
とんでもない大物武将が死んでる。
他に原虎胤も戦で重傷になって引退してるしな。
そして長篠だ。

他の勢力は負け戦でも、ここまで武将は死なないぞ。
武田の戦のやり方ってのは武将が前に立ちすぎなのではないのか?
その方法は勝ち戦なら有効だが、負け戦だと武将がボロボロ死ぬ欠点があるんだろう。
433人間七七四年:2011/03/08(火) 19:56:34.92 ID:sZC/B0u5
たしかに鉄砲戦ならしかたないけどフツーの野戦でこれだけ死ぬのはおかしいな
鉄砲戦なら別よ 地獄の信長軍団も鉄砲兵の多い本願寺相手に
ものすごい戦死者を出してる 織田一門衆もたくさん死んだ
勝頼の家臣も信長軍団の鉄砲でいっぱい死んだ 鉄砲オソロシス
434人間七七四年:2011/03/08(火) 20:09:56.57 ID:SMWRkIp5
鉄砲っつぅか飛び道具が危険
矢や投石での死傷率も高いわ
435人間七七四年:2011/03/08(火) 20:17:47.03 ID:W3wQN5O8
戦国時代の弓とかマジキチだしな。
鉄砲の方が金さえあれば揃うから移行してくけど。
436人間七七四年:2011/03/08(火) 20:19:52.91 ID:/S5ndLza
>>433
確かにな。
近代戦では上位の指揮官は後方の都市で後方指揮と作戦立案に専念というのがセオリーだしな。
なぜなら、近代の戦争ではどんな有利な戦闘でも前線は銃撃や砲撃で死ぬ可能性があるからだ。

鉄砲以前の戦は確かに飛び道具として弓矢があったとはいえ、
武将が前線に出ても孤立したりしない限りは
足軽とかはには手の出ない高価で堅固な鎧兜と精鋭の近習たちと一緒に戦ってれば
そう簡単に死傷はしなかったのではないかな?
437人間七七四年:2011/03/08(火) 21:24:07.30 ID:zJ2rXISp
信玄時代に遡っちゃうけどさ、岩村城攻略時の処理ってあれ
もうちょっと何とかならなかったのか?

戦乱の世の習いとは言え信友がスケベ心を出した結果があれだよ!
438人間七七四年:2011/03/08(火) 21:50:29.23 ID:UlYaPVSI
ババァだぞ、秋山は戦乱の習いの犠牲者
439人間七七四年:2011/03/08(火) 22:29:27.13 ID:2t7Jpcgf
>>432
勝ち戦の三増峠でも浅利信種とかが討ち死にしているしな。
山県なんかもそうだけど、政権運営にも関与していたり、多数の軍役を負担している
クラスの有力な重臣が割合ころころ死んでいる印象を受けるんだよね
440人間七七四年:2011/03/08(火) 23:13:32.04 ID:lLz91JDy
板垣、甘利は氏でくれてラッキー
残った邪魔な譜代家老は飯富虎昌だけで、こいつも消した
この3重臣は信玄にとっては邪魔な存在
家柄も高く、経済力は武田本家にも匹敵する勢力
発言力も高く、信玄が家督と継いだ当初は操り人形だった
この3家が束になると主君の武田家も文句が言えなくなる
信虎追放も、この3人が主犯でしょ
441人間七七四年:2011/03/08(火) 23:56:05.51 ID:89L9Wfcb
要するに戦闘時になると国人領主が我先に突っ込んで行っちゃうんだろうね。

「武田甲斐軍団」じゃなく「武将の手勢の功名争い」が強さの秘密でもあり
戦闘のたびに大将格がバタバタ討ち死にする理由でもある、と。

長篠もやっぱり「おいしい戦い」だと思った連中が我先に襲いかかった側面は
あったろうね。鉄砲の一斉射撃で死んだなんてのはヨタだけど。
442人間七七四年:2011/03/09(水) 00:18:40.10 ID:WeMLHIau
長篠も小山田隊はほぼ無傷で大活躍してるんだけどな
武田本陣が後詰めをしていたら戦況は変わっていたかもね
443人間七七四年:2011/03/09(水) 00:40:56.67 ID:OzSJ28JT
投石部隊だから無傷なのは当然というか。
後詰めしても兵力差が有り過ぎていずれは崩壊でしょ。

対上杉部隊も参陣してれば川中島みたいな消耗戦で終わったかも分からんが。
444人間七七四年:2011/03/09(水) 01:33:26.95 ID:9/M1TO1q
実際の武田はそこまで言うほどには強くないってだけじゃ

それにしても家老クラスがこうもバンバン死ぬのは多すぎか
他の大名家でも武将が戦死していたりとかは結構ある話だけど
家老クラスがこうも戦死している家はそう多くはないはず
445人間七七四年:2011/03/09(水) 01:55:23.05 ID:qqddxjmT
田舎の武辺者ながら割と頭脳集団だと思ってた武田家臣団も実はかなり過激派揃いだったのか。
重臣クラスまでが功名を焦って突撃したのかそれとも部下に示しをつけるために先陣切ったのか、どっちかな?
446人間七七四年:2011/03/09(水) 02:04:43.95 ID:hM66NkNF
ガチってる家は武田以外も重臣でもそれなりに死んでるがね
武田はどうでもいいクラス武将まで有名だから多く感じるかもだが
長篠はさすがに桶狭間とかと並んで異常だが
447人間七七四年:2011/03/09(水) 02:16:51.84 ID:9/M1TO1q
織田も家老クラスといえるかはわからないが結構大物の重臣がバンバン死んでいるな
でも今川竜造寺みたいな(負の)一発屋を除いて他にとなると・・・
448人間七七四年:2011/03/09(水) 02:30:06.14 ID:IXYy5xts
勝頼は勝たなきゃとおもたんだろうなあ
信玄も村上に敗北後だけど謙信強いから決選避けて引いてたりしてるのに
長篠は全然兵力違うじゃんなあ。
でもどうせじり貧で負けるの見えてるしな
信長だって桶狭間うまくいったから良いが、一歩間違えれはあれも同じかな?、、
やぱ能力が違うか。
449人間七七四年:2011/03/09(水) 08:15:22.31 ID:ooUtB+sn
桶狭間は能力より運だろw
450人間七七四年:2011/03/09(水) 09:44:37.41 ID:2omLzecx
桶狭間は運だわな。信長自身がちょっと槍をつけて今川の
戦法部隊にダメージを与えたらさっと逃げろみたいな命令を
下してたわけだし。

一度勝ってしまえば、後世の歴史好きがやれ休憩中を裏道から奇襲したの
諜報戦の勝利だのとありもしないことを捏造して賞賛してくれるw
451人間七七四年:2011/03/09(水) 09:46:23.60 ID:2omLzecx
長篠の勝頼もある意味同じような考えだったんだろうね。
なにしろ織田軍は武田と戦うたびに敗走してる。さもなきゃ
敵前逃亡。10分の1以下の武田兵相手にさえ逃げ回ってる。

ところが武田が不敗でいるあいだに京で織田の政治的地位が
どんどん上がっちゃう。勝頼としてはなんとしてもどこかで直接
戦闘で土をつけ、「信長弱兵」と全国に宣伝したい。
とすると敵前逃亡しようとする織田軍を急追して、逃げるお尻を
突付きまわして被害を与えるしかない。

長篠でノコノコ信長が出てきたのは千載一遇のラッキーチャンスと
思ったんだろうなあ。よく言われるけど、野戦築城も「逃げるのを
追っかけて来にくくするためのしんがり軍の仕事」だと思って、
いい気になって「俺の手柄だ!」と競って攻め懸けてたんだろう。
452人間七七四年:2011/03/09(水) 11:13:42.41 ID:7KFGOoqA
しかし勝頼ってなんで無二の一戦求めるの好きなんだろ?

長篠後も相手にされなかったけど徳川に決戦挑んでる。
北条相手にも同じく回避されちゃうけど挑んでる。

まあチマチマ城落とす時間も金も無いって事情もあるんだろうけど。

親父の信玄って後年は決戦らしい決戦した覚えが無いのに。
運悪く遭遇しちゃった川中島とか帰り道待ち伏せされた三増峠、
まさかの徳川出撃の三方原みたいに戦わざるを得ない時ぐらいじゃん?
453人間七七四年:2011/03/09(水) 11:54:57.59 ID:+xgOSUF8
勝頼の場合、正統後継者義信の代わりだったし、信玄自身も勝頼の子が跡継ぎで、
勝頼は後見役だとかいうぐらいなんで家臣の支持率はすごく低かったんだろう
それをなんとかしようと外征に走った感じがする まあ、滅亡するパターンだね
454人間七七四年:2011/03/09(水) 12:10:48.57 ID:FHj8S08D
義信が今川に義理立てして謀反を起こしたことに行き着くわけですね
455人間七七四年:2011/03/09(水) 12:25:33.31 ID:Yp7t3OY9
勝頼は即決志向なんだろうね。初陣で先走りすぎて信玄に怒られたみたいだけど。
456人間七七四年:2011/03/09(水) 12:45:09.34 ID:x46oRGEm
>>450
今川本陣を「疲れている先鋒だから打ち破れ」という誤認はあったけどね
ただ、本陣を見つけたのは運でも、突撃に成功してかつ義元本陣だと気付いてからは
命令を撤回して義元を討ち取るまでそのまま戦闘続行させたのは信長の能力だろう
付け足せば、今川の別部隊が本陣襲撃に気付いて救援にくるまでのわずかな時間で
山上に陣取る自軍の数倍の敵本隊を突き崩して大将首を上げたのも、
信長軍の強さと信長の戦術能力の優秀さに他ならない

彼らにその能力と優秀さがなければ、本陣奇襲には成功しても、
本隊が立て直せば返り討ちにあうか、防がれている間に他部隊が救援に駆けつけて袋叩きだった
457人間七七四年:2011/03/09(水) 12:53:32.49 ID:7KFGOoqA
>>456
山の上で逆に逃げ場が無かったみたいだが。
見晴らしは良いけど高地はそこで戦うにはあまり向いてないんじゃなかった?
出入り口塞がれると包囲された状態になるし。

付け砦攻めした後で一休み中だったって説もある事だし。
458人間七七四年:2011/03/09(水) 17:04:44.82 ID:v5G0hY8s
伊賀を鎮圧して京の本能寺に戻って信長が信忠と共に光秀に暗殺されてたら
家康が尾張を奪い、勝頼が美濃を奪えたかな?
459人間七七四年:2011/03/09(水) 17:17:20.14 ID:ooUtB+sn
あの世で光秀に文句を言ってるかもなw もっと早くヤレって
460人間七七四年:2011/03/09(水) 17:27:37.66 ID:qqddxjmT
勝頼も家臣に自分はできる男だということを見せたくて必死で出兵を繰り返して
一応の武田家の最大版図を築いたんだろうな。
今の男は車の運転とSEXが下手だと言われるのを死ぬほど嫌がるというが
勝頼の頃は戦と子供が出来ないというのが最大のコンプレックスだったんだろうな。
461人間七七四年:2011/03/09(水) 17:35:24.36 ID:x46oRGEm
>>457
逃げ場が無いなら逆に窮鼠で奮戦することになる
数の多い山上側が、数の少ない山裾側に猛攻、うん、どうして負けたのか理解できないね
462人間七七四年:2011/03/09(水) 18:33:39.35 ID:uFOpOKmY
>>461
お前さんは妄想ばかりしてないで史料を見ることをお勧めするよ
なぜ信長の突撃が成功したか、義元の動向、状況がわかるから。
463人間七七四年:2011/03/09(水) 18:38:39.58 ID:7KFGOoqA
>>461
あくまで本陣の話。
麓の味方は混乱するか潰走かいずれにしても戦力としてはあてにならない状況。

戦場に居た絶対数では今川側が多いけど本陣周辺は拮抗してて血路開いて逃げる途中にやられたって説。
464人間七七四年:2011/03/09(水) 21:10:33.71 ID:SiwRdxz2
まあ、山中は道は細くても脇の至るところに林があるから、
少人数ならそっちの方に逃げればいい。
もっとも山で遭難しないか不安だがな。
465人間七七四年:2011/03/09(水) 21:25:32.97 ID:7KFGOoqA
>>464
鎧甲着てそんな所行くのかよ。
磁石も正確な地図も無い時代に自殺行為だろ。

長篠で撤退中の武田勢がやられたのにしても、
山に逃げ込めば助かったの?
466人間七七四年:2011/03/09(水) 22:05:10.96 ID:hM66NkNF
ご丁寧に山狩りもしたんじゃなかったっけ
467人間七七四年:2011/03/09(水) 22:20:59.67 ID:hM66NkNF
>>447
たとえば北条なんかも江戸城代遠山綱景・富永直勝とか
蒲原城では家中最大知行の幻庵の息子兄弟他
二俣城での大藤政信とか結構重臣が討ち死にしてる
ガチってる所は大変なのよ、
かわいそうなのは重臣なのに討ち死にしてもだれそれな家の人たち
468人間七七四年:2011/03/09(水) 22:41:46.79 ID:v5G0hY8s
島津『捨てがまりを教えてしんぜよう』
469人間七七四年:2011/03/09(水) 22:59:52.24 ID:donPPvb+
捨てがまりなんて非人道的な攻撃薩摩っぽしかできんだろ
470人間七七四年:2011/03/09(水) 23:15:06.29 ID:7KFGOoqA
殿ってぼぼそういう役目じゃん。
100%死亡じゃないかも分からんが。
471人間七七四年:2011/03/10(木) 04:41:58.07 ID:Z1ZCdtlU
島津の場合は撤退すら許されてないから・・・
472人間七七四年:2011/03/10(木) 07:27:59.24 ID:LZ3PQmia
>>465
いや、殺されるよりマシだろう。
たとえ自殺行為でも山の林に逃げた奴はたくさんいたと思うよ。
生還できるかどうかは別問題だが、
あと、鎧兜や武器は打ち捨てるのが普通。退却戦ではよくある事。

長篠で勝頼が数人の近習と逃亡してたときに家宝の兜が重すぎて捨てた逸話もある。
ただ、その兜はあとで逃げてきた別の武士が拾って帰ったそうだが。
473人間七七四年:2011/03/10(木) 09:08:32.69 ID:PI2zDtYs
>>472
桶狭間の場合は味方が多勢で近くに拠点もあって、ここさえ抜ければという状況でいきなり山入りは無いよ。

結果知ってる後世の人間だから山入りの選択なんてのが出てくる。一兵卒ならともかく大将なんだし。
474人間七七四年:2011/03/10(木) 12:04:55.55 ID:91mpiNti
長篠ではちりぢりに逃げた兵が山の中に入り、そこで山道から転落したり
川に流されたり、包囲されて降伏を許されず虐殺されたりが多くて、
武田軍の死者の大半はそんな落ち武者だったとよく言われていたね。
鎧を脱いでも田舎じゃあヨソモノはすぐ見つかる。

関係ないけど素人がミステリとかを書くと、山添いで育った人間は
犯人が死体を隠すときに海に投げ込み、海で育った人間は山の中に
捨てる、というシーンをよく描くそうだ。
なんでかといったら、山で育って人間にとっては都会者のはいりこめる
領域なんて自分の庭みたいなもので、そんなとこに死体が埋めてあって
気づかない人間はいないからだそうだ。海の人間にしても「なんか変な
ことがあって気づかない馬鹿はいない」という態度だからだそうで、
都会に住んでる暢気な奴らだけが
「死体は山や海に隠せば、無関心な田舎者は何年たっても気づかないだろう」
という甘い夢を見ているということらしい。
475人間七七四年:2011/03/10(木) 12:13:08.76 ID:KvOw5opa
当時の林はどんなだったんだろう
現在の林とは違って本当の原生林だから下藪とかが酷くてあまり中には入っていけないような林だったのだろうか
それだと林を突き抜けて逃げることは出来なくても隠れることは出来そうだな
476人間七七四年:2011/03/10(木) 14:45:41.45 ID:9dZNNA+V
>>475
いや、当時は整備された道やトンネルも無い時代だから山の中も
獣道みたいな林道が至る事に張り巡らされてたと考えるのが自然。
477人間七七四年:2011/03/10(木) 15:11:23.71 ID:91mpiNti
対米戦争開始後、南方戦線に行った日本軍は「信長は桶狭間で
迂回して背後から奇襲したので、少数の兵でも大軍に勝てた」という
妄想を信じ込まされていたので、すぐに裏手のジャングルから迂回
しようとしていい加減な地図で森林に入り込んでは立ち往生していた
そうで。ガダルカナルなんか突撃開始予定時間までに現地にたどりつく
ことさえできずに森林の中をうろついていたとか。

我々は「昔の人なら山野を平気で駆け巡れるんじゃないか」と甘い夢を
みちゃうものだけど、山を知っている人ほど、あらかじめ整備された
場所でないと入り込まないものらしい。

川中島の妻女山なんていうのも、当時は山城化されていなかったから
上杉謙信が登ったはずはないというのが常識化しているけど、昔は
キツツキ戦法が成立するかなんていうのでTV局が実験して、登山に
なれた人たちに裏山を登ってもらって「確実に遭難します」と言わせて
いたりしたものだったなあ。
478人間七七四年:2011/03/10(木) 15:21:02.46 ID:09KX0lgs
情報分析能力によるんでないか。
予定戦場を詳細に調査したり地元の案内人地侍や国人に嘘を教えられない限りは大丈夫だろ。
伊賀越えや佐々成政のアルプス走破とかあるんだし。
旧軍のやつらは補給無視で精神力依存の作戦を立てる机上の空論インテリ馬鹿だからね…ジンギスカン作戦とかw
479人間七七四年:2011/03/10(木) 16:15:39.91 ID:PI2zDtYs
>>478
義元さんが山越えなり道を外れて進軍する必要性があったら備えたかもな。
480人間七七四年:2011/03/10(木) 17:07:24.19 ID:Ktzf77+y
>>474
ごめん、後半が書いてる意味がちょっと分からないんだけど。
興味がある話だけに分かりやすく教えてもらえまいか。
481人間七七四年:2011/03/10(木) 17:12:36.25 ID:PI2zDtYs
>>480
男子校の男の考える女子校と、
女子校の女の考える男子校みたいな話でしょ。
482人間七七四年:2011/03/10(木) 19:05:12.53 ID:+K06OOCq
【戦国】 武田信玄って二十四将も有能なのが居たのに、甲斐/信濃ぐらいしか取れなかったの?
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1299722312/
483人間七七四年:2011/03/10(木) 22:35:16.46 ID:YjvfT3nA
>>481
うまいww
じっさい海沿いの人なんかだと「あんなとこにもの流すと、潮の加減で
半日後にはあそこの浦に流れ着いてくるよ」なんて言われるとか。

>>482
時代の差だろ。信虎も優秀だったけど甲斐一国。
トーナメントと同じで時代が下るほど領地は一気に増える。
地方予選を7連勝しても圏内だけど甲子園で4連勝すれば全国の大半を
制したみたいになるのと同じ。

だいたい日本地図で甲府盆地の狭さを見てみろ。
よくこれで濃尾平野や関東平野出身の人間と互角に戦えたものだと
心底感心してしまうよ。
まあそれを言ったら駿河国の平野部の狭さも印象的なんだが。
484人間七七四年:2011/03/10(木) 23:26:46.09 ID:hx3pHkDx
>>483
あんまり時代が下がると政宗みたいに間に合わなくなるし難しいところ
485人間七七四年:2011/03/11(金) 01:07:09.45 ID:9oPpeWs/
>>483
この頃の関東は沼とかおおくて見た目程は使えないみたいだけどね。
土質も稲作向きじゃ無いし。
今でも駅名に鷺沼やら田無みたいな名残りが有ったり。

まあ甲府にせよ駿府にせよ武田が押さえた土地は平野じゃなくて盆地ばかりなのは偶然なのか必然なのか。
486人間七七四年:2011/03/11(金) 02:17:59.18 ID:3LkQ/CPw
まあ後北条までの関東は三国志での呉の領土みたいなもんだな。
開発の余地はメチャクチャあって数百年後には日本どころか世界有数の発展地帯になれるポテンシャルがあるけど
戦国まではほとんどその力を引き出せてないという。
487人間七七四年:2011/03/11(金) 03:35:26.89 ID:3joD6m+K
二十四将って言っても同じ時期に24人がそろっていたわけじゃないのに、
祭りじゃ全員同陣するんだろうか。
488人間七七四年:2011/03/11(金) 08:53:51.20 ID:fOB+8INz
そうしないと盛り上がらないだろw
489人間七七四年:2011/03/11(金) 10:04:42.51 ID:KfTS2kEi
政宗はむしろ時代に助けられたろ
490人間七七四年:2011/03/11(金) 10:52:18.35 ID:wqFoKtif
東京が無人の草ボウボウの河原だったなんて信じられないよな
ってか家康って天下獲ろうって気はなかったかもしれない
ど田舎の江戸を本気で大開発してたもの 天下獲って都に戻るって感じじゃない
491人間七七四年:2011/03/11(金) 11:17:50.94 ID:9oPpeWs/
上方下方なんて言葉もあるし江戸と大坂はだいぶ追いついたけど経済の面では遂に立場逆転しなかったしね。

戦前も経済の中心は大坂だったし。
戦後になってようやく江戸こと東京の天下が始まったんだよな。

甲府もまあなんだかんだでギリギリ東京の圏内だから救われては居るよな。
武田がこんなに注目浴びるのも家康が居ればこそだし。
492人間七七四年:2011/03/11(金) 11:49:26.88 ID:V4ftWVvq
つか、徳川が天下取ってなけりゃ武田って佐竹や長宗我部あたりと同列の評価だったんじゃね?
493人間七七四年:2011/03/11(金) 12:42:48.77 ID:AofI0U4E
そうだろうね
家康が武田の旧臣を取り立てなければここまで評価されなかったかもしれん
494人間七七四年:2011/03/11(金) 15:10:50.10 ID:APSby5iI
信長よりも運が良かったのって信玄じゃねえのか?
後の歴史的に見ればだけど
こいつと浅井長政は得してるよなあ
495人間七七四年:2011/03/11(金) 20:49:36.30 ID:fOB+8INz
浅井は裏切らなかったら天下を取れたかもな
家康みたいに
496人間七七四年:2011/03/11(金) 23:55:24.83 ID:PEgyYOdX
ただ関東には北条が残した最先端の統治システムがあったからね。

家康を関東に封じたのが秀吉最大の失敗だったという説もあるくらいで、
うざい三河の譜代が家中でのさばっていたら、家康は天下なんか絶対に
取れなかったかもしれない。
思えば家康がくすねていく土地は、今川の駿河、武田の甲斐と、統治治世の
実に優れたところばかりで、北条の巻頭が決定打、それが徳川(特に駿府派では
なく江戸派)が力を付けた大きな要因になっていると思う。
497人間七七四年:2011/03/12(土) 00:04:07.36 ID:je30nJdt
>>496
>うざい三河の譜代が家中でのさばっていたら、家康は天下なんか絶対に
 取れなかったかもしれない。

いや、譜代が命懸けで頑張ったおかげで助かった部分の方が多いだろう。
498人間七七四年:2011/03/12(土) 00:47:37.51 ID:hVc8QcI8
>>490
いや、江戸が家康がくるまで草ぼうぼうだったという説は否定されてるぞ。
家康以前から、江戸はそれなりの経済・交通の中心地だったよ。
499人間七七四年:2011/03/12(土) 00:57:09.89 ID:hVc8QcI8
岡野友彦『家康はなぜ江戸を選んだか』
という有名な著作があるから読んでおいてね。
500人間七七四年:2011/03/12(土) 09:29:15.88 ID:je30nJdt
>>498
そりゃ街道の交差する場所はそれなりの町が形成されてたろうけど武蔵の大半は
やはり草ぼうぼうだったろう。
501人間七七四年:2011/03/12(土) 09:35:04.37 ID:M+Qj79lH
勝頼「あれっ?俺来る場所間違えた?」
502人間七七四年:2011/03/12(土) 11:27:03.74 ID:S6ksssn5
勝頼が高天神後にやるべきだったこと
御館の乱で影虎を支援、北条と引き続き結んで背後の不安を除去
駿河、遠江で攻勢に転移
織田の援軍を引っ張り出して決戦

これで負ければ仕方ない
503人間七七四年:2011/03/12(土) 11:27:42.57 ID:S6ksssn5
スマン
謙信死後の間違い
504人間七七四年:2011/03/12(土) 13:42:24.48 ID:gIzLl8bI
>>496
北条の最先端統治システムって臨時徴税を繰り返してるだけだし
金融政策は単なる鬼高利貸し。
北条自身は公共事業を一切やらずに
民間や領主が公共事業やるのも申請させての許可制だろ。
505人間七七四年:2011/03/12(土) 14:40:47.48 ID:3I5rkx6x
>>500
西武蔵は古代から開発が進められてきた土地
東は河川を通じて関東各地への水路が発達した、津の栄えた土地

北条領国の統治は確かに優れた部分もあったが、問題もまたあった
どうも過大評価が広まっているようにみえるな
506人間七七四年:2011/03/12(土) 14:51:09.85 ID:je30nJdt
>>504
北条って公共事業全然しなかったの? モンゴル帝国と同レベルじゃないか。
でも税率は低かったんだろう?
507人間七七四年:2011/03/12(土) 18:16:40.34 ID:hVc8QcI8
>>456
そうとは言い切れない。
北条の税率は「四公六民」とは言うが
それが北条領で税率が低かったという証拠にはなりきれない。

問題は税率より補足率だしな。
厳しい四公六民もあれば緩い八公二民もある。
農民が表高の数倍の隠した地はを持ってれば八公でも楽だろう。
508人間七七四年:2011/03/12(土) 18:29:58.95 ID:hMZRx5so
税率はあくまで領主側が把握している土地や生産量に対する税率であって
それが実際の土地生産量とどれだけ乖離しているかわからんからな

他にも
○○役○○銭なんかの徴収額も○○文と言っても
銭の価値やどの銭を基準にするかが国地域ごとに異なるため
これまた額が安いからと言って実際に安いとは限らない

これはあくまで一説だが
甲斐は市価が悪銭基準であるため関東と比べて、税や米の値段が数倍高いという説もある
509人間七七四年:2011/03/12(土) 19:01:38.23 ID:bMIPwb9i
北条はしつこく検地を繰り返して生産量の正確な把握に努めてたわけで
補足率は戦国最高レベル

実質的な税率も戦国最高レベルかもね
510人間七七四年:2011/03/12(土) 19:59:36.01 ID:je30nJdt
それよりも北条についての最大の謎は異常な騎兵の割合の高さ。
家中の誰かの動員兵の内訳見ると3割くらいが騎兵だったんだろ?
それだけで全軍を推し量ることは出来ないかもしれないけど、それにしても騎兵が多くない?
どうやってそれほどの馬を手に入れたのかな?
511人間七七四年:2011/03/12(土) 22:46:11.93 ID:Y1EvHATb
関東は日本最大の馬の産地
512人間七七四年:2011/03/12(土) 22:49:46.55 ID:M+Qj79lH
武田騎馬軍団改め北条騎馬軍団か・・・

まあ八王子の方だと今でも馬肉食べるしね。
513人間七七四年:2011/03/12(土) 22:54:47.80 ID:Y1EvHATb
ただ3割というのは一例の軍役状を全体に割り当てる無意味強引なもので
武田は兵科を平均的に割り当てるが北条は騎馬多目や鉄砲だけとか偏りがある
現存する軍役状を押しなべてみれば武田より若干高いくらいの十数%になる。
514人間七七四年:2011/03/12(土) 22:54:49.39 ID:hMZRx5so
本来の関東は関東ローム層のせいで台地は稲作に向かない畑作や牧畜向けの荒れ地だからな
515人間七七四年:2011/03/12(土) 23:15:35.67 ID:je30nJdt
>>513
なんか北条って兵科の分け方が進んでるみたいで近代軍的でカッコいいじゃんw
516人間七七四年:2011/03/13(日) 01:22:08.85 ID:n0QK2Qyc
北条ってやたら頻繁に臨時徴税しまくってたのに
自衛しろって言って小田原引きこもって焼き払われまくるのを傍観してただけじゃん。
おまけに永楽銭の大規模密造してた疑惑があるんだよな。
どう考えても経済893だろ…
517人間七七四年:2011/03/13(日) 01:42:33.12 ID:kJeq2jn4
日本に騎兵なんて一兵もいないってどっかで見たよ 馬に乗って戦う兵
ぜーーんぶ歩兵だって じゃあ馬はなんなのかっていうと、武士であるという身分の
証明アイテムみたいなものだったらしい 当然戦闘の際は降りて戦う
ってか、行軍中や負けて逃げるときだけつかい、陣をひいたら全員馬を降りるらしい
まあ、連絡将校とかは乗るけど きっと
武田かどっかの軍を描いた絵でそういうのがあるらしい これから戦闘開始って陣を描いた絵で、
馬はぜんぶまとめてつないでおかれてて、武将は偉い人をふくめて全員足で立ってるって
518人間七七四年:2011/03/13(日) 01:56:08.71 ID:WMDKV88H
戦国の騎兵不在説はけっこうあるけどこんだけ映画や大河で騎馬戦シーン植え付けられたら
騎兵いなかったとかもう無理。
だって騎馬武者の密集突撃はどう見てもかっこいいもんな。
519人間七七四年:2011/03/13(日) 02:09:05.49 ID:P4HOYisi
竜騎兵みたいな扱いでしょ。
騎兵が無いってのは言い過ぎかと。

状況次第では騎乗戦闘もあり得たろうし。
520人間七七四年:2011/03/13(日) 02:19:03.65 ID:ScV+hfAh
>>517
鈴木乙
521人間七七四年:2011/03/13(日) 11:34:11.54 ID:lTV6Cycd
>>501
>勝頼「あれっ?俺来る場所間違えた?」

今いいところなのでもうしばらくお待ちくださいww

522人間七七四年:2011/03/13(日) 12:34:18.50 ID:aB/GBOS5
勝弦峠の戦いは騎兵のみの編成で急行させて山上に陣取る小笠原軍を
叩いたんだっけ。
523人間七七四年:2011/03/13(日) 16:32:31.91 ID:azpg//+R
戦国期の馬がポニーだとか
大半の屏風絵をみたらサラブに近いんだけどな
524人間七七四年:2011/03/13(日) 17:50:52.58 ID:uc5899aH
戦国江戸のエロ本が全部巨根ってのと同じだな
525人間七七四年:2011/03/13(日) 18:27:27.78 ID:Fms22S0L
>>522
指揮官は典厩信繁だと聞いたけど、そうなの?
526人間七七四年:2011/03/13(日) 19:03:59.29 ID:vP95rKxY
>>517
騎馬戦闘に関する記述は一次資料でも多数ある
騎馬兵による徒歩戦闘の描写もそれなりにあるが、
騎乗戦闘に不利な場所では徒歩で戦うという、柔軟な運用をしているということ
また、軍馬、代え馬、馬鎧と一般武士の年収以上の装備を戦闘部隊の十数%揃えるという
膨大な経費を身分の証明だけのために掛けるほど武士は馬鹿じゃないしその余裕もない
527人間七七四年:2011/03/13(日) 19:07:36.78 ID:P4HOYisi
>>526
大陸の騎馬軍団みたいに決定打足りうる戦力では無いぐらいが良いとこだよね。
大陸の騎馬が花形じゃなくなるのは銃の威力が馬の足を砕くまでになってからだし。

秀吉の賤ヶ岳の馬の潰し方みるにやっぱり人を乗せて運用するには能力が不足してたみたいだし。
528人間七七四年:2011/03/13(日) 19:15:11.57 ID:vP95rKxY
騎馬だけで長距離高速移動はもともとしない
徒歩武者とともに侍部隊(精鋭攻撃部隊)を編成し突撃するのが主任務だから
長距離移動でどうのこうの言うのはお門違い
529人間七七四年:2011/03/13(日) 19:25:25.01 ID:aDDdBP5/
天正に入ってからの織田軍団の攻勢は浅井朝倉、
武田という巨大勢力をあっさり崩壊させるくらいそれまでとは戦いの様相が変わっちゃったもんなぁ
秀吉の時代になるともっと凄まじくなるけど
もう城一個落として本拠地に帰ってまた来年城一個みたいな古い戦いが通用しないというか
甲斐信濃の場合峠を上手く利用して信忠軍を撃破くらいはして欲しかった
一応2万の兵力を揃えて勝頼自ら出陣できたんだから
530人間七七四年:2011/03/13(日) 19:41:48.65 ID:kJeq2jn4
たしかに勝頼軍の攻勢が終了したと思ったら急に滅びたな
上杉家の内乱の問題で北条氏政に本気で憎まれたのが大きかったか
いや、実は武田家って当時は人気なかったのかも 武田が勝ち組だと思ってついてた雑兵たちが、
こりゃ負けるぞと思ったらみんなすぐ逃げちゃった 忠誠心なんかなかったのね
むしろえげつないことばかりする嫌な奴と思ってたのかも
現代だと三本の指に入る人気戦国大名なのにね
531人間七七四年:2011/03/13(日) 19:42:27.20 ID:ZkYLMGji
長篠の負けがないまま織田の総攻撃を迎えてたらどれくらい耐えられたものだろう?
532人間七七四年:2011/03/13(日) 19:54:48.18 ID:ELGrHUR7
少なくとも「織田軍団の攻勢は武田という巨大勢力をあっさり崩壊させるくらい」
などとは絶対言われなかったろうな。

長篠だって「逃げる織田軍の尻を追撃する」つもりだった勝頼はじめ武田勢の
カン違いが生んだラッキー勝利だし、毛利も本願寺も一向に落とせなかった。
戦いは数なんだから、もっと簡単に勝っていいのに結局は相手の内部崩壊を
待っていたわけだし。

ただ伝統的に甲斐は負けると見たらすぐ離反し逃げ出す国人の集合体。
武田だって応仁の乱の時代から勝頼まで、常に国を二分してる。
533人間七七四年:2011/03/13(日) 19:59:15.82 ID:ELGrHUR7
というか、甲斐っていう国は、国人が守護の親子を旗頭にして主導権争いするのが
デフォの国。そんなところの守護になったら誰でも振り回される。

信昌派vs跡部派
 →守護代・跡部の専横に対して非主流派が信昌を担いでクーデターに成功
      
信縄派vs信昌派
 →跡部の孫として粛清しようとした信縄の一派が窮鼠猫を噛むクーデター

信虎派vs信恵派
 →信縄の息子信虎と信昌の息子信恵を立てての争いも、旗頭の信恵が殺され決着

晴信派vs信虎派
 →反信虎派が信虎の義理の息子・今川義元の力を借りてクーデターに成功

信玄派vs義信派
 →非主流派が信玄の息子義信を立てた争いも、旗頭の義信が殺され決着
534人間七七四年:2011/03/13(日) 20:15:04.29 ID:vP95rKxY
軍隊は後方が安定してないと戦えない
穴山の離反で詰み
535人間七七四年:2011/03/13(日) 20:22:26.78 ID:JqVOX4b5
>>532
事前の信長の行動みてると、敵が決戦を選択するよう気を使っていることが判る
ただのラッキーで済ませられることではないね
536人間七七四年:2011/03/13(日) 20:51:53.29 ID:ELGrHUR7
>>535
でも「勝頼側から川を越えてくれなかったら何ら打つ手もない」状況で
あったのも事実だからね。

だいたい決戦を選択しては本願寺や雑賀党にはボコボコにされている。
うまく行った結果だけを見て法則と思い込んでるみたいな発言が多いから
信長信者は嫌われてるって言われるのも分かる気がするよ。まあ分母が
大きいからそういうのも多いんだろうけど、いまじゃあ本気で信長は
南蛮鎧にマントつけてワイン飲んで鉄砲隊を指揮していたいたとかいう
トンチキなイメージを信じている人間もいそうだからな。
537人間七七四年:2011/03/13(日) 21:11:58.78 ID:JqVOX4b5
決戦で本願寺や雑賀にボロ負けしたなんてそれこそ一回くらいしかないのだが
それ以外は基本的に小競り合いと擂り潰し合いで、大規模な野戦決戦なんてそれこそ一度二度ほど

>でも「勝頼側から川を越えてくれなかったら何ら打つ手もない」状況
その状況を覆すためにいろいろと動いた、そしたら勝頼と武田軍はそれに乗ってしまった
信長の事前準備と用意周到な作戦をほめるところだろここは

逆に言うと、勝頼はあくまでも決戦を避けるか、川を渡らず織田軍が長篠城救援をしに
攻撃してきたところを迎え撃つつまり史実と立場を交替するようにできていれば、
最終的には数の問題で負けたとしても、史実ほどの大損害は避けれたかもしれないし、
織田軍も史実よりも大損害を受けただろうとは想像できる
しかし、史実の勝頼には、自軍の有利さを認識していた形跡がなく、
有利さを活かそうと動いた形跡もない
自軍の不利を正確に認識してそれを覆そうと積極的に動いた信長と、
自軍に都合のいい情報を信じて己の有利さに気づかずに捨ててしまった勝頼
勝敗は必然だったな
538人間七七四年:2011/03/13(日) 21:28:03.34 ID:uc5899aH
>>536
お前はまずグーグルで長篠周辺みろよ。まずはそれからだ。
539人間七七四年:2011/03/13(日) 23:07:28.90 ID:azpg//+R
>>533
あれだよなw
尾張で言うところ織田家なんて守護代の家老でしかなかったんだよなw
これを甲斐でやると跡部氏の家老が織田w

初期の四天王、板垣信甘利飯富小山田は小山田以外は名門なんだよね
小山田の国力経済力は武田家と同等で、家臣の関係より武田家と同盟関係だったとみた方がいい
だから最後、小山田は裏切るが、これは同盟破棄という見方をすれば納得する
540人間七七四年:2011/03/13(日) 23:09:56.06 ID:B4cf9CJ3
信長に家臣扱いされてなかったか
541人間七七四年:2011/03/14(月) 00:10:26.78 ID:BptbqNN/
>>540
「勝頼、信勝、長坂釣閑、典厩、小山田をはじめ、家老の者どもを残らず討ち果たした」と信長が書状に書いている。
あと、武田氏は小山田氏の上位権力といっていいし、独自性は認められるものの、同盟関係とは言いがたいかと。
とはいえ、穴山氏の河内領なんかもある程度独自の支配を行っていたようだし、これらをクセのある有力国人を纏め上げることが
できなくなったとき、一気に領国が瓦解してしまったのも道理ではあると思う。
542人間七七四年:2011/03/14(月) 00:14:16.62 ID:cCCmuNVE
信玄の時代に武田は急拡大したけど国人や豪族を傘下にしたのもすごく多いじゃん?
拡大した分のどれくらいを直轄化できたんだろう。
武田最大期の役120万石のうち武田直轄領って何割くらい?
543人間七七四年:2011/03/14(月) 02:23:57.07 ID:TQbs5bo/
小山田って北条との両属家臣だろ
544人間七七四年:2011/03/14(月) 05:44:32.61 ID:xuQK3XEW

どうやったらそんな考えになるんだよ。
北条との窓口ではあっても両属では無い。
545人間七七四年:2011/03/14(月) 10:27:48.39 ID:XUI6Exze
>決戦で本願寺や雑賀にボロ負けしたなんてそれこそ一回くらいしかないのだが
>それ以外は基本的に小競り合いと擂り潰し合いで、大規模な野戦決戦なんてそれこそ一度二度ほど

織田厨の歴史認識ってホントにこま程度なんだw
そりゃ歴史板で笑いものになるわけだわ。
「小競り合い」で一体何人親族が殺されてるんだよw
546人間七七四年:2011/03/14(月) 12:31:50.13 ID:iz93lqoQ
>>545
「小競り合いしかなかった」なんてどこにも書かれていないけど、文章もまともに読めないの?
それとも、自分に都合のいい部分しか目に入らない都合のいい解釈しかできない脳しか持ち合わせていないの?
547人間七七四年:2011/03/14(月) 12:40:55.50 ID:PGED3CvP
天地人ではずいぶんごまかしてたけど武田が織田・徳川・北条に一斉攻撃受けたとき、
同盟国上杉家ってあんまり手を貸してくれなかったよね
ま、そのせいで武田滅亡後あとを追うように滅亡しかかったけど
景勝め・・ 運が良かったな・・・
548人間七七四年:2011/03/14(月) 12:51:32.18 ID:/MtGzXbh
助けられない状況だからな。
むしろ武田に援軍してもらいたいぐらい。
西に柴田東に新発田。
549人間七七四年:2011/03/14(月) 12:56:22.15 ID:vwYysATB
さあどっちが先に滅ぶのかな〜って状況だし
550人間七七四年:2011/03/14(月) 13:27:16.66 ID:cCCmuNVE
武田、上杉、北条はいずれも没落したけど上杉と北条はなんとか一族が大名として残ったよな。
武田は一族全滅したの?
551人間七七四年:2011/03/14(月) 13:35:56.74 ID:6Kme30he
してない。高家、大身旗本、上杉家臣等として数家残ってる
552人間七七四年:2011/03/14(月) 13:44:35.85 ID:PGED3CvP
上杉は一応どころか30万石あるから大大名じゃね?
553人間七七四年:2011/03/14(月) 13:57:38.89 ID:3d+NjP86
元が120万っていう大領だったから目立たないけど結構なもんだよね>30万石
その後も無碍な扱われ方はされなかったみたいだし
554人間七七四年:2011/03/14(月) 15:07:27.80 ID:d7gBE4by
そりゃあ出自が由緒正しい甲斐源氏だからねぇ
555人間七七四年:2011/03/14(月) 16:37:59.54 ID:cCCmuNVE
でも後継騒動で15万石に減らされたり吉良にATMにされたりしてかなり大変そうじゃなかった?
556人間七七四年:2011/03/14(月) 16:47:53.14 ID:MwIy0UNc
滅びるよりは遥かにマシだろ
557人間七七四年:2011/03/14(月) 18:04:30.14 ID:qfJiSJsh
まあもともとは上田長尾3万石だしな
558人間七七四年:2011/03/14(月) 18:44:36.77 ID:ViSX/DgY
上杉家や武田家の末裔の方は時々マスコミに出てこられるけど、
北条家末裔の方おられるんだよね。
スレチだけど、小田原祭りとかやっぱり子孫として参加されてんの?
559人間七七四年:2011/03/14(月) 19:23:15.66 ID:DwitpOQ8
後北条本家のことはタブーだろ
なんせアレだし
560人間七七四年:2011/03/14(月) 19:52:13.71 ID:qfJiSJsh
伊達と北条子孫については一切触れるんじゃねーよアホが。
561人間七七四年:2011/03/14(月) 22:53:54.25 ID:5ZWV7jnv
上杉の援軍申し出は、勝頼が「武田軍の備えは万全(笑)なので心配無用」と書状出して断ったんじゃなかった?
562人間七七四年:2011/03/14(月) 23:26:42.82 ID:6Kme30he
援軍の上条が川中島まで進出したとこで武田滅亡。
563人間七七四年:2011/03/14(月) 23:28:46.85 ID:zwqi7UQV
伊達の子孫はまだ笑えるが北条の子孫は笑えない。
564人間七七四年:2011/03/15(火) 00:09:16.09 ID:sgrPFsJj
>>558
北条(狭山藩主家)の子孫というと、最後の藩主に明治天皇の侍従を長く勤めた人もいたりするが
世間的にはあっちのネタが有名なんだよな・・・。
以前狭山で狭山藩北条氏の企画展がやってたけど、そのときに北条家所蔵の
史料が展示されてた。

>>561
兵力は不足してないが、といいうつつもその後二千でも三千でも出してくれるとありがたいと言っている。
565人間七七四年:2011/03/15(火) 00:10:53.51 ID:OGypgdAJ
信豊が焦らずに勝頼の着陣までじっくり構えてれば流れ変わったかな?
566人間七七四年:2011/03/15(火) 00:43:23.17 ID:vxflZ4Y1
>>563
いや北条は笑えるが伊達はまったく笑えない。
あれは正確に言えば北条子孫じゃなく伊達子孫だから。
567人間七七四年:2011/03/15(火) 00:53:30.31 ID:JReuotU6
血統じゃなくて名跡ってかんじだよな 歌舞伎とかといっしょ
568人間七七四年:2011/03/15(火) 01:54:26.03 ID:Pc0ftrNi
大名家ってほとんどそうなんじゃね
今の武田家直系の人も元柳沢(武田一族だけど)だけど、
信玄公の末裔だという矜持を持って行動されてる
北条家末裔の方だって自分が伊達だとは思っていないのでは
信仰的な理由で高野山の北条家菩提寺供養がどうなってるのかは知らないけど
569人間七七四年:2011/03/15(火) 02:22:07.97 ID:w/BPVH9+
>>565
睨み合いしてる間に駿河ライン崩壊で大差無いんじゃね?
570人間七七四年:2011/03/15(火) 02:22:59.37 ID:AcAAzmo/
もう伊達厨必死すぎワロタw
571人間七七四年:2011/03/15(火) 02:36:12.01 ID:OGypgdAJ
>>569
この時の信忠ってかなり功を焦ってから付け入る隙がありそうだけど
地の利は武田にあるんだし戦の経験では勝頼の方が上手でしょ
最終的に滅亡は避けられないとは思うけど
572人間七七四年:2011/03/15(火) 06:16:20.08 ID:4KIWeeYo
>>571
焦ってるけど如何せん武田フルボッコタイムだからな。

織田は互角以上の力持ってたから包囲網耐えたけど武田は単独で何とかなるのは徳川だけだし、それも穴山が裏切ったらもはや駿河方面では勝てない。

勝頼が助かるには信忠撃破、徳川穴山撃破、北条撃破、信長撃破と四回も短期決戦で勝たなきゃならない。

睨み合いで長期滞陣すら敗北とか無理ゲーにも程がある。

勝ったとしても北条と和平ぐらいで領土は殆ど増えないからやがては詰む
まあ豊臣、徳川みたいに織田への降伏が許されるかも知れないが。
573人間七七四年:2011/03/15(火) 07:05:06.29 ID:892aUShW
信忠撃破も難しそうな状況じゃないか…
無能ってほど酷い相手でもないみたいだし<信忠
574人間七七四年:2011/03/15(火) 07:22:44.12 ID:w/BPVH9+
信忠撃破も…岩村救援で信忠に敗退してるんだよな。穴山裏切りの一報が入った時点で戦力四散するだろうから睨み合いも不可。詰んでるな。
575人間七七四年:2011/03/15(火) 08:46:13.15 ID:4KIWeeYo
>>574
出来たとしても睨み合いは死亡フラグだろ。

駿河から穴山と徳川、多分裏切る真田他上野衆と北条。

目の前の敵を潰して他にも当たらないとならない。
576人間七七四年:2011/03/15(火) 09:14:43.75 ID:pnLLjw4e
速攻で潰さないと死ぬ
577人間七七四年:2011/03/15(火) 09:32:45.39 ID:fEBGGjdw
信忠を勝頼自ら撃破で士気うp
信忠大敗を聞いて急進してきた信長本隊を撃破

ここまで出来れば駿河、相模からの侵攻は一時的に低調になりそうだが
578人間七七四年:2011/03/15(火) 11:44:38.87 ID:dIC51zPn
武田軍が信忠軍に接する前に武田軍は自然に雲散霧消しちゃう状況だから
信忠撃破自体起こりえないんだけどな。
579人間七七四年:2011/03/15(火) 12:09:22.41 ID:fEBGGjdw
信頼できる部下が仁科だけじゃな・・・
やっぱり家族も捨てて越後に逃げるのが一番マシか
途中で狩られそうだけど
580人間七七四年:2011/03/15(火) 12:10:35.78 ID:mmzcPY+P
穴山の裏切りが発覚する前、高遠城まで攻めてくる前に行動する必要があるな
木曽攻めは諦めて木曽方面の峠を固めることで飛騨方面と信忠別働隊を足止めして
飯田城方面で戦わないとならないな2月20日辺りまでに決戦して勝たないと穴山離反が確実化する
581人間七七四年:2011/03/15(火) 13:13:35.08 ID:pnLLjw4e
太平洋戦争で日本が勝つくらいの無理ゲーだな
582人間七七四年:2011/03/15(火) 13:31:38.65 ID:892aUShW
>>581
あれ以上にムリゲーだろ
太平洋戦争は奇襲とは言え序盤は優勢だったじゃないか
武田攻めは序盤から劣勢だからもっとヒドイ
583人間七七四年:2011/03/15(火) 13:38:16.86 ID:QzV+L82J
>>579
例え越後に逃げれたとしても、勝頼が生きてれば信長が引くとも思えず
結果的に本能寺フラグへし折られて上杉諸共滅ぼされそうだ゙
584人間七七四年:2011/03/15(火) 13:53:06.61 ID:fEBGGjdw
>>583
村上みたいに一軍の将として・・・
585人間七七四年:2011/03/15(火) 15:07:01.64 ID:4PoQiH7o
>>583
確かに信長本隊出てたら本能寺フラグなさそうですな

>>584
勝頼の気位からしてそれは…
討ち死にしたほうが彼らしい
586人間七七四年:2011/03/15(火) 15:45:21.87 ID:c4pCvA91
>>579
仁科が勝頼の信頼できる部下だったとか、ウマがあったとかは怪しい。
仁科は自分の覚悟と考えで奮戦して死んだだけだし。

そもそも、仁科の役目は「少しでも多くの織田兵を道連れにすること」ではない。
兵力の差からそれはあまり意味がない。
「少しでも時間を稼ぐこと」だろう。
一説には仁科が織田相手に奇襲攻撃をかけようと攻撃したために、結果的に早期に場内に織田勢を入れる羽目になった。
とも言われてて、それなら貝のように城門を閉じて時間稼ぎすれば良かったはず。
587人間七七四年:2011/03/15(火) 17:25:39.50 ID:dIC51zPn
どうせ逃げられないんだから真田昌幸が頭脳の限りを尽くして造ったと言われる
新府城で徹底抗戦すればよかったな。
信忠だから力攻めするだろうし織田にも大きな犠牲を与えれただろう。
真田の上田城もいいけど真田裏切るかもしれないしな。
588人間七七四年:2011/03/15(火) 17:33:51.48 ID:iLg2Ji/5
勝頼の決戦構想は小山田ありきじゃないのか?
589人間七七四年:2011/03/15(火) 18:13:48.52 ID:aa5o0ccg
将兵に逃げられて一族女を連れて一乗谷を落ち延びた朝倉義景と同じ
大規模城郭たる新府城では逆に人手が足りなくて防御できない
あと新府の場合、援軍が期待できない
590人間七七四年:2011/03/15(火) 18:16:49.54 ID:g3Z4ifXC
>>587
徹底抗戦する前に人がいなくなるのがオチ
591人間七七四年:2011/03/15(火) 18:31:56.27 ID:dIC51zPn
>>589
もとより玉砕覚悟よ。
一族みんな集めれば数百にはなるだろう。
岩屋城のように全滅するのさ。
592人間七七四年:2011/03/15(火) 18:32:34.64 ID:UlOdQByF
>>587
上田城はまだない。
593人間七七四年:2011/03/15(火) 19:00:49.08 ID:E8XNNmAP
武田一族も逃げ回って捕縛斬殺されてるから篭城なんて雰囲気じゃ全くなかったんだろうな
594人間七七四年:2011/03/15(火) 19:03:19.98 ID:UOD+zCcw
>>592
勝頼が新府を苦労して建てたことを思えば、真田ってよく上田城建てる金を持ってたよな
595人間七七四年:2011/03/15(火) 19:05:36.74 ID:UOD+zCcw
>>593
新府籠城って時点で信濃や駿河が抜かれてることは決定的なわけで、最初から無理な構想なんだよな
有効性があるとしたら、北条に急襲された時くらいじゃないのか
596人間七七四年:2011/03/15(火) 19:18:29.19 ID:JReuotU6
信玄が生け捕りにした信長の四男か五男を人質返却してるけど、
さらに媚びて誰かしらと政略結婚でもしてもらえばよかったのに
597人間七七四年:2011/03/15(火) 19:23:48.94 ID:UlOdQByF
>>594
資金力もそうだけど
徳川、北条、上杉に囲まれた状態で
それだけに必要になったとはいえ
よく出来たものです。
598人間七七四年:2011/03/15(火) 19:36:07.97 ID:5+80DW5o
>>595
そうでもないよ
新府城篭城だと諏訪は当然敵方の手に落ちることは想定済みなのは間違いない
ただ北信はどうか。上野はどうか。駿河はどうか。甲斐と北信を結ぶ佐久往還はどうか。

              海津

              
       諏訪

          
              新府

攻める側からすれば諏訪を抜いても新府城篭城をされるといつ後方遮断されるかわからない
上野の兵が海津から信濃府中に押し出して中山道から木曾に向かうとこれは怖い
かと言って諏訪に来られてもやばい
または上野の兵が佐久往還を通って甲斐に出てくると横腹を突かれる危険性が高くなる
駿河の兵が新府の後詰に北上してきても危険
599人間七七四年:2011/03/15(火) 19:42:09.01 ID:50/LGUZv
高遠城以下の兵しかいない新府城など援軍が来る前に落とせばいいだけ
600人間七七四年:2011/03/15(火) 19:49:47.41 ID:n8z7XY4Y
信忠って功を焦ってたかもしれないけど
岩村城攻めも信貴山攻めも総大将としての成功を治めてるよね。
上月城の救援は後詰軍の総大将だから成功せずともそんなに貶められるようなものではない

信忠は攻めに出ると強いなあ
守りの戦はどうなのかなという気がするが
601人間七七四年:2011/03/15(火) 20:49:17.21 ID:dIC51zPn
>>600
秀吉さえもが無謀な救援に突っ走る中で信忠は冷静に上月城を見捨てて最重要目標の攻略を
最優先してるとこを見ると攻守のバランスが取れた人だったのかもしれない。
602人間七七四年:2011/03/15(火) 21:10:25.49 ID:JReuotU6
過大評価と見る だって死んだときだって信忠、24とか5とかそのへんだぜ?
ぼっちゃん育ちだし、5万の大軍の指揮なんてとれるわけがない
参謀長の滝川一益、部隊長の池田恒興、河尻秀隆、森長可あたりのいうことを
ふんふんさようか、ではそうせいとか言ってただけだろ
603人間七七四年:2011/03/15(火) 21:12:46.03 ID:DEVv0PJC
>>596
生け捕りにしたわけじゃないだろ。それに、人質同然の勝長を返却したことで
武田の弱体化を確信して武田征伐に踏み切ったという話もあるし、今さら媚びて
も無理だろう。
604人間七七四年:2011/03/15(火) 21:12:53.64 ID:g3Z4ifXC
信長が俺が行くまで待ってろって言ってるからと止めにかかる滝川や河尻を知ったこっちゃないとばかりに森らと突っ込んで行ったのが信忠だが
605人間七七四年:2011/03/15(火) 21:16:40.97 ID:YO1ydyBd
1573年
武田の馬場美濃、800余りの兵を率いて東美濃侵攻。
焼き討ちを行って織田を挑発。
信長は一万余りの兵を率いて進出するが、馬場美濃は手勢を率いて
織田勢を急襲し、織田勢敗走。信長は後ろも見ないで岐阜に逃げ込んだらしい。
606人間七七四年:2011/03/15(火) 21:22:46.12 ID:pnLLjw4e
>>605
それから10年もせずに滅びるとか変転が早すぎw
607人間七七四年:2011/03/15(火) 21:23:48.62 ID:LQohGSXc
>>602
若くても軍歴は豊富だぞ
初陣より既に10年近い経験えて、政務も普通にこなしているし
大軍指揮もこれが初めてではない
現代人の20代とは違うだろうしさ。

まあ現代人の20代でもそれまでに10年も経験積めばそれ相応な行動は出来るだろうけど。
608人間七七四年:2011/03/15(火) 21:23:50.45 ID:c4pCvA91
>>602
>だって死んだときだって信忠、24とか5とかそのへんだぜ?

本能寺の変は武田滅亡の酢か月後だ。
現代では大卒してから社会に出るのが一般的だが、
当時は14歳で元服。24、5なんて当時としてはすでにベテランだ。
その歳で「坊っちゃん」とか「若造」ということはない。
それに多くの名将と言われる人物は若いうちから目覚しい功績を挙げてる。
信忠もそうだったかもしれない。

勿論、滝川や河尻の補佐は受けたろうが、大まかなとこは自分で決めてた。
高遠城の戦いでは自ら、道具を持って城門を壊すなどして味方を鼓舞している。
609人間七七四年:2011/03/15(火) 21:45:05.84 ID:BkHcsUbi
同情するなら金送れ!!!

金がない俺は献血に行くっ!!!
610人間七七四年:2011/03/15(火) 22:31:34.31 ID:n8z7XY4Y
>>605
その2年後長篠の戦いと岩村城の戦いで重臣を根こそぎ奪われるとは
あとは逃げ弾正と一門衆くらいしか残ってないレベルだよな・・・
611人間七七四年:2011/03/16(水) 01:00:04.33 ID:UWUsKfJN
>>602
集団のトップというものは優秀な配下がいるときはそいつらに任せとけばいいんじゃない?
上が変な口を挟むと下が優秀でもグダグダになる。
612人間七七四年:2011/03/16(水) 02:39:53.43 ID:pDQPQWfj
集団のトップの信長は信忠の好きなようにやらせたし結果もついてきて万々歳だった。

気を見るに敏だった。
613人間七七四年:2011/03/16(水) 06:47:09.01 ID:77ei1Sxd
戦功に目が眩んでいた凶暴な森らが勝手に暴発して
ひたすら無謀な追撃を続けていただけに見えるが…。
614人間七七四年:2011/03/16(水) 07:31:52.80 ID:TyhN/xMF
武田攻めは信忠が「はよ攻めんかいオラァ」と滝川や河尻の尻叩いてなかったか?
615人間七七四年:2011/03/16(水) 08:02:03.97 ID:qYHnyq3k
結果オーライ
616人間七七四年:2011/03/16(水) 08:25:45.41 ID:KZKKfXxY
本隊待ちのところを優秀な参謀が居たにしろ、
先発隊だけで潰したんだから二代目としては充分優秀だろ

それよりも武田の延命策を考えるんだ
無茶な勝頼突撃で信長本隊撃破wwwとか、
上杉や北条の援軍がきっと何とかしてくれる…とか無しで
617人間七七四年:2011/03/16(水) 08:49:05.50 ID:3Ci52GRI
森の突出
信忠の暴走
この辺りはつけ込む隙有りでしょ
勝頼は戦に関しては無能じゃないし
618人間七七四年:2011/03/16(水) 08:54:21.61 ID:OQAOGw70
影武者の首差し出して本能寺待ちしか無いんじゃないの?
619人間七七四年:2011/03/16(水) 08:54:35.21 ID:TyhN/xMF
信忠は暴走じゃなくて機を見るに敏だったと判断すべきだろう
そもそも延命とか信玄の時代までさかのぼって織田の同盟国になるぐらいしか俺には思い浮かばん
更に遡って今川裏切らないという手もあるけど、そんなレベルだろ、コレ
620人間七七四年:2011/03/16(水) 08:56:45.58 ID:jsWq2gXU
普通に森らを統御できなかっただけだろ。
621人間七七四年:2011/03/16(水) 09:20:45.17 ID:77ei1Sxd
森武蔵は信長から気に入られてるから
信忠無視して暴走しても後で激怒を買うはずがないと思ってただろうし。
先陣武功争いの収拾がつかなかったのが真実だろう
622人間七七四年:2011/03/16(水) 09:52:12.41 ID:Xu2ZxZpT
勝頼は37歳
戦慣れしてるし信豊の敗北がなくて整然と合流後に野戦なら
森の突出、信忠と滝川の意見の激突による陣営の動揺
勝頼がその場にいればほくそ笑んだだろうね
623人間七七四年:2011/03/16(水) 10:06:42.72 ID:HM9MkqDG
勝頼がほくそ笑んでいても頼みの重臣、老人兵、還俗兵が逃げ腰だからな
624人間七七四年:2011/03/16(水) 10:08:51.38 ID:qYHnyq3k
その状況でほくそ笑むとか、どんだけ勝頼バカだよw
625人間七七四年:2011/03/16(水) 10:29:23.67 ID:Xu2ZxZpT
最後の2万の陣立てってどこかにいい資料ないかな?
626人間七七四年:2011/03/16(水) 11:25:44.32 ID:pDQPQWfj
信長「パパが行くまで武田に攻撃しちゃダメだよ」

信忠「親父アホかと。武田めっちゃ弱ってるじゃないかと」
河尻「御館様の命令は絶対でございますぞ」
滝川「御館様が来るまで陣を動かしてはなりませんぞ」
信忠「このオッサン共マジ指示待ち人間」

信忠「親父とかオッサンの意見なんざ知らないし。現場の意見が大事だし」
長可「ヒャッハー!流石若様だぜ!」
信忠「オラ、俺達だけで武田ヌッコロスぞ!!」
忠正「武田は消毒だー!」

信長「パパが行く前に武田滅ぼしちゃったの? 信くん凄いナー」
627人間七七四年:2011/03/16(水) 12:49:13.27 ID:KZKKfXxY
>>626
これでいつも噴く
信忠、長可が中央を担った織田政権を見てみたかったわ
628人間七七四年:2011/03/16(水) 12:52:32.85 ID:KXR1s6wE
まあ滝川川尻に関しては本当に
>このオッサン共マジ指示待ち人間
こんな感じだったと思う
629人間七七四年:2011/03/16(水) 15:13:17.60 ID:UWUsKfJN
まあ長年の信長の優秀さを知った上での指示待ちだしね。
滝川あたりにしてみれば当然の考えだろうね。
630人間七七四年:2011/03/16(水) 17:02:49.82 ID:OQAOGw70
仮に信忠撃破できたとしても次の家康は鋭鋒避けるだろうな。新府辺りで持久戦になると南に家康、北に信長の挟み撃ち。
天正10年までくると諏訪辺りの野戦で華々しく散るか本拠地の新府城で城を枕に討ち死にが一番マシな死に方に思える。
631人間七七四年:2011/03/16(水) 18:02:06.89 ID:7bzG2bbL
穴山の離反がなければ、せめて諏訪で体勢を立て直して急進してきた信忠軍と一戦、というバクチもできたんだろうけどな
地の利と疲労度は勝頼有利、数と軍の錬度は信忠有利。後は条件的に織田圧倒的有利(負けなければいい)で、見物な好勝負になったかな?

信忠が低く見られる理由の一つに、華々しい野外決戦での勝利がないってのがあるからな。
632人間七七四年:2011/03/16(水) 19:40:29.84 ID:3hcE+j1j
信玄時代に対織田戦線を開かず対北条戦に邁進るとかどうか?
ああ、でもその場合は相越同盟が破綻しないかもなのか・・・
633人間七七四年:2011/03/16(水) 19:45:41.15 ID:oI8Ex1fX
今川の意向なんか無視して三河攻めすればよかったのでは
信玄の病状考えれば、駿河で北条と争ったのが時間の無駄
それで今川から手を切ってきたらその時の話
634人間七七四年:2011/03/16(水) 20:29:59.21 ID:/GDuAds1
>>630
勝頼が勝利を手に入れるには
1 信忠を撃破(出来れば信忠を討ち取る)
2 信忠敗北を受けて急進してきた信長本隊を撃破(信長を討ち取る)

この二つが必要だからねぇ
信長本隊さえ撃破して追い返せば徳川、北条の侵攻は止まるだろうし
どっちにしろ史実通りに出陣してそのまま信忠と激突しないと話が始まらない
635人間七七四年:2011/03/16(水) 20:35:25.39 ID:UWUsKfJN
まともに戦って撃退しようとするから詰むんじゃないか?
防衛線を甲斐一国まで後退させて信濃国境の八ヶ岳山麓と相模国境の岩殿と駿河国境の万沢あたりの
険阻な山道で防げないだろうか? これなら穴山のことも考えなくて済むし戦線を維持してれば
小山田も見捨てないだろう。
でも八ヶ岳山麓の甲信ルートって意外と平地が広いんだっけ? やっぱ無理だな。
636人間七七四年:2011/03/16(水) 20:48:10.64 ID:PRriECQ4
必死こいて切り取った信濃捨てるとかないわー、とか勝頼の思惑とは関係なく、そう思われて史実通り雪崩打って崩壊しそう
637人間七七四年:2011/03/16(水) 20:58:39.29 ID:r1hk4F2q
自分の故郷諏訪を見捨てた時点でな〜。
638人間七七四年:2011/03/16(水) 21:10:07.81 ID:KfTEjwI3
生まれも育ちも甲府ですが
639人間七七四年:2011/03/16(水) 21:23:06.05 ID:/b+EVJSE
長篠に負けた時点で岩村城を放棄して美濃放棄すべきだっただろうな
岩村城の戦いで秋山まで失ったの痛すぎる
640人間七七四年:2011/03/16(水) 21:36:02.04 ID:FlyfqCvQ
戦術戦略云々より人心が離れきってて手遅れだろ
滅びゆく名家の中でも一二を争うほど酷い滅びかた

人は石垣人は城
情けは味方仇は敵なり
641人間七七四年:2011/03/16(水) 21:37:50.32 ID:r1hk4F2q
>>638
諏訪の血を引いて一度は諏訪の人間になってたじゃんか。
642人間七七四年:2011/03/16(水) 22:32:01.85 ID:dn+Jlfgp
織田に勝つとまでは言わないまでも、せめて家を保つにはどの時点でどうするべきなのかな?
643人間七七四年:2011/03/16(水) 23:00:22.98 ID:7bzG2bbL
信長が苦戦している時期に土下座する
一番なのは謙信が生きて織田と敵対したら、だな
謙信が死んで上杉が内乱になったら信長はもう東に脅威を感じなくなった
次善は、信長にとって西の脅威が残っている時期に土下座する
本願寺が降伏交渉に入るまでに先に、だな

あと織田家との交渉ルートがなくなっているのがつらいな
644人間七七四年:2011/03/16(水) 23:00:36.83 ID:qYHnyq3k
>>642
信玄の死後ジャンピング土下座
645人間七七四年:2011/03/16(水) 23:07:04.90 ID:UWUsKfJN
武田征伐に対し武田が持ち堪えられるのは武田の全勢力範囲が武田家の直轄地で領民からの支持が絶大であり
配下の部将も妻子や縁者全部人質に取ってる場合だけだな。
これで領民に対し徹底的に織田の残虐性を植え付けるプロパガンダ工作をしたなら軍役対象者以外にも
領民が兵糧持参で続々と志願兵になり4〜5万が死兵となって戦うかもしれない。
つまりこれくらい有り得ない事が積み重ならないと武田が持ち堪えるのは無理ということかな。
646人間七七四年:2011/03/17(木) 00:13:30.15 ID:0N06I3OQ
まあそして、そこまで固まってんなら織田も征伐にはこないだろうという
647人間七七四年:2011/03/17(木) 00:20:25.56 ID:sf6NkkE8
北条と再同盟出来て徳川が裏切るぐらいの事でも無いとな〜。
北条が三万の援軍だして徳川が一万五千
武田が全力動員して三万か。

これだけやっても兵力数では負ける。
まあ守備側だからなんとかなるとは思うが。
648人間七七四年:2011/03/17(木) 00:31:45.80 ID:IHuNQed4
武田の城って弱すぎるよな
まあ小田原城とは言わないけどさ、ある程度の設備がありゃどんな大軍が
相手でも半年ぐらいはもたねーか? 
649人間七七四年:2011/03/17(木) 00:53:18.81 ID:0uA2bmpd
つ新府城
650人間七七四年:2011/03/17(木) 02:03:19.35 ID:qlt/2DFi
問題は、その軍勢が篭城できるだけの物資の蓄積があったのか?
651人間七七四年:2011/03/17(木) 02:24:24.41 ID:DQg3uV+o
支城なら兎も角、本拠地(新府)で籠城するなら
『負けないかも』
って思えるものがないと一戦するのも無理…。

『援軍がくる』とか『後方攪乱がある』とか『一戦後講和の可能性がある』とか。
武田はどれも当てはまらない。
必ず死ぬ戦に一族以外付き合う奴の方が稀だろ。

っか武田家の面々も織田家に相当後ろめたさがあったんだろうなー
652人間七七四年:2011/03/17(木) 04:27:35.30 ID:+Zrm62hC
自分らも散々他の家を滅ぼしてきたんだから最後くらい討ち死に覚悟で新府城で戦いやがれって思うよな。
兵糧の心配なんかしなくても鉄砲玉の森の方から突っ込んできてくれるってもんだよな。
653人間七七四年:2011/03/17(木) 04:38:37.96 ID:wRAsIVoW
まったくおもわない
654人間七七四年:2011/03/17(木) 07:22:55.81 ID:eH3nJgEh
>>651
そういうの考えると結局、勝頼を見捨てて四散した武田の武士たちの
判断が正しかったということだな。
655人間七七四年:2011/03/17(木) 09:35:26.84 ID:ekHNvsZX
信玄が健在な時代に謙信と電撃和解して「ぼくのかんがえたさいきょうさくせん」を展開、
といった外交革命を実現させるくらいの(良い意味での)厨二脳が必要だった。

武田と上杉とでは本願寺との関係に隔たりが大きいけどな!
656人間七七四年:2011/03/17(木) 11:26:32.15 ID:eq4ftjhS
>>652
だよなとか総意みたいに言われてもなぁ…
まったくそう思わないし。
657人間七七四年:2011/03/17(木) 13:03:38.28 ID:0N06I3OQ
>>652
それ、華々しく討ち死にどころかただの虐殺劇になるぞ。
まあ史実とさして変わらん気がしないでもないが
658人間七七四年:2011/03/17(木) 13:15:48.83 ID:+Zrm62hC
>>656
じゃあ、最後の段階でキミならどうする。
天目山で死ぬ方がベターとするかい?
659人間七七四年:2011/03/17(木) 13:31:29.95 ID:qlt/2DFi
まあ、篭城して降伏交渉した方がまだしもマシな死に方は選べたかもしれないな
少なくとも、抵抗する余力もなくただ雑兵に殺されるのを待つだけなんて死に様は避けられたかも

清水宗治みたいに自身の死と引き換えに妻を実家に帰してくれとか
あるいは残された遺臣たちの処遇についてもなんらかの約束を引き出すとか
戦後の残党狩りが激しかった理由の一つが、整然と降伏する主体が消滅してしまったからというのもある
660人間七七四年:2011/03/17(木) 14:25:15.12 ID:tPIf97fR
信玄が信長の弱味につけこんで同盟破りして以来の遺恨だからなぁ。
信長以外に味方いない、とか泣きついたことさえあるのに。
信玄はいい時に死んだのかもしれん。負債が帰ってくる前にそうなったから、後世過大評価される下地になった。
661人間七七四年:2011/03/17(木) 17:26:49.53 ID:BRqulltq
簡単な話、囲まれているから織田徳川北条から攻められたら余裕で詰む
織田包囲網とかちゃちゃいなもんじゃない
その最前線の木曽穴山小山田の動きをみりゃわかる
攻められる弱さを一番理解していたのが信玄、自身も侵略し続け攻める立場を
貫いたから攻められる立場もわかっていた
また、武田独特のモロさ、武田の地盤の弱さ、これは国人勢力が根付きすぎた甲斐信濃は弱点であると
この辺を理解していた家臣は勝頼周辺にいなかっただろう
662人間七七四年:2011/03/17(木) 18:06:01.80 ID:sf6NkkE8
>>661
盆地ばっかりで独立心強い国人多かったろうしな。
北条にせよ徳川にせよ織田にせよ広い平野が根拠地だったのに対して
武田は領国が全て山地の中の盆地だけ。

今でも長野は地域別で一体感無いし。
663人間七七四年:2011/03/17(木) 18:45:28.57 ID:oEpw5lhs
たしかに信玄が不義理ばっかり繰り返した責任は大きいよな
664人間七七四年:2011/03/17(木) 18:48:01.43 ID:0uA2bmpd
日本史上で信濃の大部分を一元的に支配できたのは信玄が初めて
この意味わかるな?ってレベルだからなぁ。
665人間七七四年:2011/03/17(木) 19:23:57.73 ID:DVFm6q4R
初めてなのか?木曽義仲は?
666人間七七四年:2011/03/17(木) 19:27:55.52 ID:RE1Ww4Ua
>>660
でも信玄ってなんであのタイミングで織田を裏切ったんだ?
徳川のみならず東美濃まで軍勢進ませてるし、勝てる腹積もりにでもあったのかね
667人間七七四年:2011/03/17(木) 19:28:49.75 ID:eH3nJgEh
蓁北東空超究殺戮蒼氷雷炎深淵竜樹永久塔翼体漆黒陰邪悲呪冥凍流水滝癌暗黒波動滅亡相刺斬巨精聖霊冥月鳥帝死栽旋神剣兜鎧盾相零次元大宇宙大空大陸大海究極完全永久無限大二対角大制空戦機神として
すべての大空・すべての大陸・すべての大海・すべての帝国・すべての時・すべての宇宙を支配し
すべてを創造し・すべてを破壊し・蒼き光・蒼き氷・蒼き炎・蒼き雷を操り・すべてを越えた翼で無限を支配し・すべてをこえた数式ですべての存在を計算し・すべての形とひとつになる
すべてを存在を吸収し・すべての時をつかさどり・蒼く輝く髪をしたすべての二十代の若男の顔をもち永遠の背丈があり片腕だけですべての空間をつつむことができる
大蒼二対長角兜と大蒼完全鎧を身にまとい・究極の蒼く輝く大長剣ですべての存在を斬り裂き・すべての存在を飲み込む
すべての大空・大陸・大海を操り・すべての大外空間・大異次元・大宇宙を支配し・すべての蒼き星を身にまとい・究極の蒼大二対角鳥・蒼大二対角竜・蒼大二対角獣・蒼大二対角魚・蒼大二対角植物の大悪魔を滅ぼし
すべてを凍らせ・すべてを焼き払い・すべてを打ち砕く・北南東西をすべてつかさどり・大善悪正邪強弱すべてをこえし存在
究極の大蒼翼無限女顔巨尻天使として蒼角眼竜、蒼顔鳥、蒼千頭獣、蒼人喰蛇、蒼死魚、蒼殻蟲、蒼植花、蒼菌種と交わり肛門から無限の究極の大悪魔の卵を産卵して産む
すべての神をこえし神・無限の偽りの神・姿なき神・無限の偶像神すべてを操り宇宙を滅ぼす・究極の大霊体のみが存在しすべての世界をこえた大永久千年帝国を築く
蓁空蒼二対角二千顔刺翼帝竜・蒼異二千角食神栽鳥・蒼暗黒犠癌角殺戮山羊・蒼死凍水霊夜異呪魚を食べ続ける
大蒼空神・大北方神・大暗黒神・大蒼頭神・大蒼雷神・大蒼氷神・大蒼炎神・大戦闘機神・大戦車神・大戦艦神すべての神を支配する
すべての空を突き抜ける全宇宙無限をみおろす究極の大二対角蒼色体塔・すべての都市をこえた究極の蒼き都を支配する
蒼く逆立った輝く髪がはえ後頭部に二対の角をもつ若い男・巨大な腫瘍を後頭部にもつ若い男の顔・人間の次元には存在しない無限の若い男の顔をもつ存在

が信玄の味方になったから。
668人間七七四年:2011/03/17(木) 19:33:06.67 ID:0uA2bmpd
>>665
木曽義仲は諏訪氏らの後援で挙兵したわけで支配とは違う
669人間七七四年:2011/03/17(木) 19:36:42.17 ID:sf6NkkE8
>>666
どっかで手打ちのつもりだと思うが。
北条相手とか正にそんな感じだし。

昨日の敵は明日の友を地で行ってる人だよな。

※ただし上杉はry
670人間七七四年:2011/03/17(木) 19:44:40.14 ID:lDOWOuui
>>666
上洛する自信あったんじゃね?
671人間七七四年:2011/03/17(木) 19:59:20.45 ID:RE1Ww4Ua
なるほど、ある程度勝算はあったわけか
まあ勝算ないのに織田裏切ったら甲斐国内でリンチだよ
でも途中でおっちんだせで手打ちにしろ上洛にしろおジャンなわけだ
672人間七七四年:2011/03/17(木) 20:04:01.55 ID:akKiSgaW
信玄が長生きしてりゃ朝倉と武田の挟み撃ちで信長滅亡さ
673人間七七四年:2011/03/17(木) 20:17:07.52 ID:OzBK8RUi
格下扱いしていた信長に追い抜かれてあせってたのかなぁ。
信玄は生涯で百万石ぐらい切り取ったが、信長はそれより短い期間で数倍領土広げているもの。
嫉妬心か、将来飲み込まれるという危機感か。
674人間七七四年:2011/03/17(木) 20:27:32.81 ID:v3TXlMMU
信玄が「俺徳川とは戦うけど織田とはこれまで通り仲良くしたいから」って手紙書きまくってたら
信長はそれでも徳川に援軍出してたんだろうか
675人間七七四年:2011/03/17(木) 20:34:05.66 ID:OzBK8RUi
現実に侵食されているんだからどのみち戦わざるを得ないだろうな。
地力じゃ織田が上だが、武田も隙を狙って仕掛けた上決して小さな勢力じゃない。
持久戦になるだろうが、大勢は変わらん気もする。
最後は朝倉らのように各個撃破されて終わり。
信長包囲網というが、所詮は織田の膨張を恐れて野合した連中だから連携ばらばらだし。
676人間七七四年:2011/03/17(木) 21:20:53.38 ID:BRqulltq
>>673
尾張と美濃だけで120万ぐらいあるからスタート地点で段違い
しかも、経済都市の津島や熱田があるから織田は最初から大国なんだよね
今川が織田と対抗するために三国同盟までしたのがいい証拠でしょう
信秀が道三と今川に挟まれてながらも余裕だったのをみても
尾張の国力の凄さが分かる
677人間七七四年:2011/03/17(木) 21:28:06.87 ID:sf6NkkE8
>>676
桶狭間も上洛とか尾張制圧どころか、解包の為の後詰め出兵みたいだしね。
高天神の包囲網崩そうと勝頼も出兵してたけどあんな感じ。

少なくとも今川の方には決戦する気は無かったっけど出会い頭に本陣が戦う羽目に。

じわりじわりと尾張を浸食しようとしてたのは確かだけども。
678人間七七四年:2011/03/17(木) 21:56:09.75 ID:ESn2XlGn
突然思いついた。
信玄が病死した時に家臣らとかたらって、信長に土下座をする。その時の土産として父信玄の首。

これで親父の不義理は帳消しにならんだろうか。
679人間七七四年:2011/03/17(木) 21:59:15.54 ID:wxbV+1Dy
現在では最後の遠征が西上だったかどうかは疑われてるんだよね?
まああれが西上だったとして信玄死後もそのまま尾張に侵攻するってのが最も生き残れる可能性がありそうだが
長島一向宗と直接手を組めるし
680人間七七四年:2011/03/17(木) 21:59:49.92 ID:sf6NkkE8
むしろ親父が生きてるうちに勝頼が謀反起こす方が現実味あるかも。
勝頼攻めてるうちに信玄病死。

後は信勝が穴山辺りに担がれて内乱とかか。
681人間七七四年:2011/03/17(木) 22:00:23.97 ID:0N06I3OQ
>>678
>信玄が病死した時に家臣らとかたらって、信長に土下座をする。
これも相当無理があるが

>その時の土産として父信玄の首。
多分これ自分が首になるか、即刻寺に押し込められる
682人間七七四年:2011/03/17(木) 22:02:17.82 ID:wxbV+1Dy
>>680
信玄は氏康や信長みたいに早めに家督譲る気はなかったんだろうか
全ての元凶はそこにありそうな気がするが
683人間七七四年:2011/03/17(木) 22:08:09.58 ID:BRqulltq
信玄が生きてたら飛騨を完全制圧と同時に
美濃と徳川に圧力を掛けて織田徳川と有利な同盟を結ぶ
そして上野を制圧して越後攻略を進める
と同時に佐竹の関係を利用して北条を抑える
684人間七七四年:2011/03/17(木) 22:11:33.73 ID:0N06I3OQ
旅行に行った限りの感覚だが、あの飛騨にそんな価値があるとも思えないが…飛騨に関しちゃぷらっと氏辺りがボチボチ詳しかったっけ?
685人間七七四年:2011/03/17(木) 22:40:19.91 ID:qlt/2DFi
>>681
する意思はあったんだろうけど、勝頼に完全に家督を譲る前に出陣しちゃったからなー
時間の余裕があったら、今川義元のように家督を譲ってからにしたんだろうが
あるいは、死別したとはいえ、正妻で嫡男の母が信長の養女というのがひっかかったんだろうか?
686人間七七四年:2011/03/17(木) 23:55:32.12 ID:IHuNQed4
戦って勝てる相手じゃないから和議を結ぶしかないけど、
不戦協定から平和条約、軍事同盟、さらに信長公の家来にしてもらうには
どれほどの貢献をしなければならないか・・・ コキ使われただろうな
勝頼は家臣にたいしてずいぶん偉そうにしたがる人だったようだから、
信長公みたいな難しい人とうまくやっていけただろうか
こうして見ると家康は天才ではないにしても相当な努力家と言えるかも
687人間七七四年:2011/03/18(金) 00:57:38.48 ID:LwpQsXwF
そもそも戦争ってのは
政治の一部で駆け引き、外交の延長なのね
だから、戦争をしたところで始める前から勝敗は決している

情報戦や戦略が優れていた武将が強い
たまに桶狭間とか河越夜戦で覆ることはあるけど
信長や氏康はここが優れていた
元就信玄もね
謙信は経済力と地理的要素と名声を利用した政治活動が凄かった
戦国時代、優れ武将は、みな優れた政治家なんだな

特に情報戦を得意にした武将は強い
宣伝活動これは自国をアピールして権威を示す 
忍者を使うスパイ活動、嘘の情報を流して混乱させたり自国を強く見せる流布活動
これは今の戦争と同じで、イラク湾岸戦争も米国の情報戦略で勝利した
日本や世界に本当の情報を流さず、米国が作った情報が真実で歴史になる
これが勝てば官軍の情報戦ってやつだ
688人間七七四年:2011/03/18(金) 01:39:39.18 ID:y2B7w3Se
武田家を率いる身なのに勝頼が死ぬまで無位無官だったのも泣ける。
信玄の責任だよなこれ。
689人間七七四年:2011/03/18(金) 02:58:46.97 ID:rgxbPomN
信長は長篠以後の武田は完全に眼中に無い
武田は徳川も突破出来ないし(むしろ三河から駆逐され)
美濃まで規模ある動員も出来ない

戦略的にも戦術的にも死体同然。生きた屍。
690人間七七四年:2011/03/18(金) 03:40:47.28 ID:VvG3Ycgj
長篠で負けてなくても勢力で大きく劣る上に山奥からいちいち出て来なきゃいけない武田が
広い平地でつながってる大勢力の織田に勝つのは至難だよね。
なんとなく三国志の北伐の時の蜀と魏を連想した。
691人間七七四年:2011/03/18(金) 08:43:06.49 ID:EdhUo5kd
長篠で派手な負け方をしたのが滅亡の原因で、敗因は勝頼の采配にある以上、滅亡の原因は勝頼だろうな。
692人間七七四年:2011/03/18(金) 09:58:44.76 ID:0W7H13ji
んじゃ長篠以降から徹底的に防衛に徹した戦略を考えようか
つかそもそも周囲とまともな外交関係結べてないのが諸悪の根源のような
693人間七七四年:2011/03/18(金) 10:09:30.58 ID:DlBc5Oci
長篠以降となると第二次信長包囲網がターニングポイントかな
謙信は関東遠征準備中に死んだけどw
この時に信長に同盟持ちかけてれば可能性もあったのでは?
上杉謙信と武田勝頼の川中島決戦胸熱だな
694人間七七四年:2011/03/18(金) 12:56:53.14 ID:vRYOnrdA
信玄が無理こいたツケが息子の代で跳ね返ってきたからな。
領国疲弊、悪化しが外交戦略状況、家臣団の不和。
路線転換もできなかったし。
織田の弱味に付け込んで多少領土切り取っても、不利益のほうが大きすぎたな。
695 忍法帖【Lv=6,xxxPT】 :2011/03/18(金) 15:11:52.25 ID:G7ygw8xR
徳川のポジションを武田が奪ってたらと考えると胸熱
696人間七七四年:2011/03/18(金) 15:13:40.88 ID:/vc2O7cF
信長と同盟できれば北条との橋渡しも出来るし謙信死ねば越後切り取り放題だし
ウマウマ






なわけねーよw
697人間七七四年:2011/03/18(金) 15:22:41.69 ID:tS3n9Y3v
信長公もずいぶんケチになってたからなあ〜
秀吉みたいにぽんぽん全所領安堵なんかしてくれなかっただろうなあ〜
698人間七七四年:2011/03/18(金) 15:42:11.60 ID:LwpQsXwF
武田は滅んだから勝頼が叩かれているが本能寺で信長が死んでなけりゃ
次は上杉北条毛利の番よ
長宗我部の対応をみりゃ分かる信長の天下には外様大名は存在しない
徳川も難癖付けられて潰されるよ
だから織田と同盟して武田を攻めた北条がアホなんだと
どのみち秀吉に滅ぼされるが
699人間七七四年:2011/03/18(金) 17:11:35.54 ID:L5SJhbEh
北条氏直との婚姻って形で
わざわざ信長が人質を出すとは思えない。
上杉滅亡後までに滝川の北条侵攻準備完了ってところだろう。
まあ信長は毛利に苦戦し、信忠は北条の籠城作戦の前に大敗するだろうが。
700人間七七四年:2011/03/18(金) 17:12:24.56 ID:EhDiz7Bq
>>676
当時の尾張の国力を過大評価してないか
そんなに経済力あるなら桶狭間で1万以上の軍勢集めるわ
現実には三方ヶ原の徳川軍(約8000 当時40万石くらい?)の半分にも満たないわけで
701人間七七四年:2011/03/18(金) 17:16:04.02 ID:L5SJhbEh
対斎藤をはじめ尾張各地に兵を置いてるからだろ。
つかそもそも信秀からして1万5000とか動員してたんだから
信長の動員兵力は明らかに過小に記述してると思うがな
702人間七七四年:2011/03/18(金) 17:17:59.10 ID:tS3n9Y3v
親衛隊だけで戦ったんだろ
だからこそひたすら義元の首を狙うという戦法がとれた
703人間七七四年:2011/03/18(金) 17:18:05.43 ID:EhDiz7Bq
しかも防衛戦って攻め込むより多くの兵を狩り出せるし
甲州崩れの武田軍だって、おそらく甲斐・南信濃だけで公称2万
甲信60万石と考えると破格の数字
無理して狩り出したゆえに戦にならなかったという見方もできるけど
案外1万くらいのほうが決戦して散れたかも
704人間七七四年:2011/03/18(金) 17:21:52.40 ID:dh7fG0bT
>>700
まだ完全に統一出来てない。
信長直轄の馬周りとかだけで戦ったからあの人数なんでしょ。
当時の今川相手だし様子見する国人多いだろうし。

武田北条に兵力割かれない今川はほぼ総動員出来るのにね。
705人間七七四年:2011/03/18(金) 17:23:38.63 ID:L5SJhbEh
大軍ほど崩れ易いって言うからね。
一度混乱して撤退する軍が生じると雪崩現象になる。
兵力差は軍事決戦ではあまりアテにならない。
706人間七七四年:2011/03/18(金) 17:37:33.36 ID:LwpQsXwF
>>704
実際の桶狭間の戦いは、今川の先鋒隊駿河7000の兵が先に攻めて威圧の顔見せをした
すぐに引き返して家康を届けた感じ
なぜすぐに引き返したかは、当時の今川領は食糧難、兵糧不足で大軍を維持できる状況じゃなかった
駿河兵と入れ替わりに本体の義元が合流
だから桶狭間時の今川兵力は1万程度で、さらに兵を分割して織田の砦を攻めていたから
義元本陣は2,3千程度で信長は2千の兵で義元強襲
つーか織田も支城や砦に兵を裂いた状態の2千だから
合計する桶狭間時の織田の総動員は一万を超えていた
つまり兵力はほぼ互角だったのね
707人間七七四年:2011/03/18(金) 18:49:05.73 ID:/vc2O7cF
桶狭間も奇襲じゃなくて強襲だったってのが最近の定説でしょ
信長の軍勢も実際より少なくした方が宣伝になるわな
織田、豊臣、徳川政権にとって織田を悪く書く理由もないし
708人間七七四年:2011/03/18(金) 19:00:20.60 ID:emwri8ro
織田軍が機動によって相手の大兵力を遊兵化させたわけだから、精神的には奇襲だ罠。
あと天候も味方した。
信玄は逆に村上義清に優勢なのに伏兵食らって殺されかけているが、逃げ延びて逆襲した。
やっぱり運がいいな、名将と呼ばれる類は。
709人間七七四年:2011/03/18(金) 20:03:24.37 ID:VvG3Ycgj
桶狭間の今川義元って普通に兵力を分散し過ぎというか、周囲が人も通れないような山岳道でもないのに
軍の配置を前後に長く伸ばし過ぎだよな。
710人間七七四年:2011/03/18(金) 20:16:18.32 ID:tS3n9Y3v
いやいや、フツーに定石どおりの布陣をしてたんじゃなかったか?
ちゃんと兵力あったし、小高いところで索敵範囲も広かった
義元公が首をとられたのはまさに武運が尽きたとしかいいようがない
もちろん悪鬼のごとく、ほかには目もくれず義元公の命のみを狙って
突っ込んで行った信長親衛隊の根性もすさまじかったけど
711人間七七四年:2011/03/18(金) 20:25:53.54 ID:KCaQOclK
712人間七七四年:2011/03/18(金) 20:35:30.32 ID:VvG3Ycgj
やっぱ馬にも乗れない肥満体が総大将で戦場にきたらただの足手まといということだな。
義元は前線総司令部じゃなく大本営の駿府から指示出してたほうがよかったのかな。
713人間七七四年:2011/03/18(金) 20:47:42.00 ID:y2B7w3Se
お前ら勝頼さんdisってんじゃねーよ!
714人間七七四年:2011/03/18(金) 21:00:25.30 ID:Cb6zdFDb
>>712
大阪夏の陣の家康は馬に乗れたから久宝寺まで逃げ延びたんだしなぁ
義元さんも馬に乗れてれば・・・
715人間七七四年:2011/03/18(金) 21:28:15.16 ID:VvG3Ycgj
輿に乗って戦場に来るなんて舐め切ってると思う。
頑張っても早歩き位のスピードしか出ない上に目立ちまくるよね。
立花道雪や大谷吉継くらいの指揮能力を身に着けてから来いって思うね。
716人間七七四年:2011/03/18(金) 21:30:29.56 ID:VfuNFCAH
勝頼も信長・家康と同じくらい強運だったら・・・・・・!
717人間七七四年:2011/03/18(金) 21:41:28.71 ID:L5SJhbEh
幕府からの許可制で
輿に乗れるのは
身分を表すステータスなんだが。
言ってみれば輿は超高級車。
718人間七七四年:2011/03/18(金) 21:43:31.87 ID:dh7fG0bT
>>708
というよりも最悪のタイミングで遭遇したみたいだが。
今川出兵は高天神囲まれた武田みたいに付城の排除が目的でしょう。
飢饉に伴う乱取り目当てもあったようだけど

付城潰して帰還中義元自身は山の上で休んでたら織田の精鋭部隊が強襲してきて、
初手の対応間違えた結果義元本隊は山に取り残されて血路開いて逃げようとしたけどやられた。

織田の救援が出てくると思われた大高城とかへの進出路は押さえて万全を期してたんだけどね〜。
信長的には付城つぶして疲弊してる今川先鋒を叩いて撤退に追い込もうとしてたらラッキーパンチになったと。
719人間七七四年:2011/03/18(金) 21:48:27.94 ID:EdhUo5kd
信長も武田攻めのときは輿に乗ってたみたいだけどな。
ソースは大河「信長」。
720人間七七四年:2011/03/18(金) 22:35:04.23 ID:VfuNFCAH
>>717
超高級車に乗った富豪が事故死したようなモンか
721人間七七四年:2011/03/18(金) 22:37:04.83 ID:Cb6zdFDb
ロールスロイスに乗ってた義元は死んで隼で逃げた家康は生還
722人間七七四年:2011/03/18(金) 22:40:26.24 ID:VvG3Ycgj
>>717
戦場では超高級車より戦車に乗ってたほうが安全だと思うがな、ウワハハハハ!
723人間七七四年:2011/03/18(金) 22:50:31.75 ID:0KhN8zzn
>>717
輿は目立つからなあ
輿のあるところに義元ありなわけで
724人間七七四年:2011/03/18(金) 23:03:50.72 ID:0EliEvWo
>>693
甲相越の和与がならないにせよ、謙信が死んだというのが痛い。
景虎と景勝、どちらに与しても勝頼にとってはどの道貧乏くじな感がある。

>>706
当時の信長に一万も動員できたとは思えんけどなあ。
尾張平定したといわれるけど、「尾張国半国は御進退たるべきことに候えども」海西郡は服部左京進が
横領し、知多郡には今川が乱入し、残り2郡も掌握できていないといわれているし、尾張国内にも今川氏が
侵食してきてる

>>712-714
義元って馬に乗って逃げてなかったっけ?
725人間七七四年:2011/03/18(金) 23:30:16.65 ID:LncC91fO
動員数については断言できるような根拠はないが、桶狭間に信長が率いた兵がすべてではないのは事実だね

>724 へのそういった周辺の押さえの兵も必要だし、そもそも鳴海城を包囲している兵力もあるし、
なにより資料的に確認できる桶狭間の兵力は信長の直属兵と熱田関係の兵力で、
林氏など他の豪族の兵力が参加していない
726人間七七四年:2011/03/18(金) 23:30:28.68 ID:dh7fG0bT
>>724
馬に乗って逃げたに決まってるだろ。
もっとも山降る羽目になったから敵陣突破せにゃならなくて終わった。

平野に居たら馬で逃げれだろうな〜。
727人間七七四年:2011/03/18(金) 23:46:03.92 ID:Chfj6PY5
>>724
>「尾張国半国は御進退たるべきことに候えども」
これは岩倉が健在の頃の話でその後岩倉領手に入れて
信清と春日井郡東部除いた北尾張を手に入れている

まあそれでも今川とは動員兵力に2倍以上の差があるだろうけど
728人間七七四年:2011/03/19(土) 00:11:07.49 ID:Vo5JK+pi
桶狭間当時の信長は約20万石くらいだったらしいよ。
729人間七七四年:2011/03/19(土) 00:40:00.71 ID:BIO7lNgr
>>724>>728
とりあえずソース出せよカス
730人間七七四年:2011/03/19(土) 00:57:22.72 ID:Vo5JK+pi
>>728
小学生の頃読んだ歴史群像第一巻の織田信長編に書かれてた。
731人間七七四年:2011/03/19(土) 01:09:17.45 ID:V/H7pDaA
織田秀敏っいのが当時の織田家の長老で信長の後見人
このひとは鷲津砦にいたし
他にも佐久間一族が砦に配備されていた
丸根砦 鷲津砦 善照寺砦 丹下砦 中島砦に各千の兵を配置したとして
信長本体2〜3千で8千で、他の後方の拠点も空に出来ないから合わせて一万程度じゃね
732人間七七四年:2011/03/19(土) 01:21:20.70 ID:Rc5xWh68
>>729
「信長公記」だカス
733人間七七四年:2011/03/19(土) 02:11:48.60 ID:2BK7WyVo
なんで桶狭間やら信長初期の話になってんだ?(´・ω・)

そういや武田水軍で長島援軍って現実的に出来るの?
734人間七七四年:2011/03/19(土) 02:22:38.61 ID:BIO7lNgr
>>732
どの信長公記だよカス
735人間七七四年:2011/03/19(土) 02:33:39.12 ID:oa6Kt3TL
いや、俺には最近の「今川と織田にたいした力の差がなかった」とかいう説は疑問だな。

それこそ、当時の山ほどある「桶狭間の時の織田と今川は大きな兵力差があった」という
様々な史書を無視して、太閤検地の石高比較だけで妄想したり、
「それは信長の功績を高めるためのプロパガンダ」とか言って切り捨てるのは感心できない。
そんなに「桶狭間の今川と織田に兵力差がなかった」というんなら、
ちゃんと、そう書いてある資料を提示しろと言いたい。

思うに本当に石高と兵力ってそんなに関係あるのか?
本当はその土地をいかに把握し強い権力で治めてるかという要素がデカイんじゃないのか?
今川は駿河、遠江、三河を強大かつ安定した権力で掌握してたから大軍を派遣できて、
信長が信秀を継いだ頃は信長の尾張の支配力が弱かったから五千程度しか用意できなかったってだけじゃないのか?
736人間七七四年:2011/03/19(土) 02:54:25.93 ID:Fc79dLMV
今川は兵力を分散させすぎて織田は投入できた兵力を集中した
その結果桶狭間では兵力差が無くなったって話じゃないのか?
大名としての織田と今川に差がなかったとか無理があるだろw
737人間七七四年:2011/03/19(土) 04:26:00.31 ID:eHJhF6hY
信長公記は40種類以上存在し
しかもこれは一次史料ではありません。
738人間七七四年:2011/03/19(土) 07:00:31.98 ID:oa6Kt3TL
>>736
まあそうだな。しかし、そうとらない奴がいるんだ。

>>737
だから、それなら、
今川と織田の戦力差がなかったという史料を出してみろと。
石高からくる妄想と信長公記では比べ物にならんだろ。

あと、確か武田の史料でも
桶狭間の今川の兵力は二万余と書いてあった筈。
739人間七七四年:2011/03/19(土) 07:38:46.18 ID:xTAByDzo
>>713
誰もdisってねーよ
寧ろ将器は認めてるだろ
740人間七七四年:2011/03/19(土) 09:10:23.47 ID:/vIW+DHj
>>735
一応いっておくと、桶狭間って信長が後ついでから十年は経っていて
信秀の頃には間接や上位同盟者だった土地や豪族のほとんどを
信長が直接支配掌握するようになっていたのが現状

あと、兵数に関しては、当時は公式記録でもサバ読みまくりだし
当時の一次資料でも伝聞情報となればさらに不正確になる
だからこそ石高(国力)で兵数を推測してみよう、ということが行われて
それが一定の説得力を持たれ続けてきた
741人間七七四年:2011/03/19(土) 09:40:51.25 ID:TV00KrlN
昔言われてたような十倍の今川軍ってのはないよな。

それなら三国同盟成立時点ですぐに尾張に攻め込めば圧勝だし。
742人間七七四年:2011/03/19(土) 10:06:29.65 ID:UhekeweJ
今川や一向宗に信清といろいろあるがそれを除いて尾張の半分程度支配としても、
尾張は石高高いから、石高でいえば三十万石超えて兵力も一万ほどになる。

>>735
>いや、俺には最近の「今川と織田にたいした力の差がなかった」とかいう説は疑問だな。
それ学説じゃなくて2chのデマ。
学者が言っているのは昔ほど圧倒的なほど国力差があったわけじゃないって程度。

>>738
二万余だっけ二万五千じゃなかったか?

>>741
>三国同盟成立時点ですぐに
この時点では三河は不安定、奥三河の平定が1557年のはず。
743人間七七四年:2011/03/19(土) 10:39:58.33 ID:s8mAXfk4
もういい加減スレチはやめれ。
744人間七七四年:2011/03/19(土) 11:31:44.91 ID:gbOFlaMT
>>742
桶狭間合戦の時点でも三河の水野氏は織田方だから、今川は三河を完全に押さえてたわけじゃない
745人間七七四年:2011/03/19(土) 12:45:07.07 ID:YVWJP3b4
こうしてみると1560年の尾張への侵攻は上洛や織田家の重要拠点である港の制圧ではなく、
ただたんに最前線の今川方の拠点があやういからたすけに行っただけかもしれんなあ〜〜
三国同盟の相手、武田・北条にくらべるとずいぶん手が進んでないかんじがする
ひょっとして義元公がずっと生きててもそのうち武田に攻め滅ぼされてたんじゃねーか?
746人間七七四年:2011/03/19(土) 12:45:23.45 ID:8jXQkLDD
尾張すら統治しきれなかった桶狭間の信長に比べれば、甲信の老人、坊主を動員できた勝頼は統率力があるな。
747人間七七四年:2011/03/19(土) 13:16:56.79 ID:Vo5JK+pi
やたらとソース出せ。って言うけど、どのソースも信憑性なんて高いか低いかさえも
よく解らないのばっかりだぞ。
兵力にしたって400年以上昔の社会システムとか正確なことが不明な部分が多いのに
石高だけで算出したところでどれほど信用できるものかわからない。
俺のオヤジが大学生の頃は桶狭間の今川軍は4万5千というのが通説だったらしいし。
748人間七七四年:2011/03/19(土) 15:50:48.91 ID:8g21T6ey
当時の信長は尾張半国支配したかどうか、だからな。
信玄みたいに一国の主から始まったわけじゃなくて、親族や割拠勢力をひとつひとつ潰して傘下に入れてた時期。
敵対勢力への抑えを考えると、二千でも目いっぱい動員じゃないのかね。
たいして当時の今川は後背に不安がなく、全力を尾張に指向できたわけで。
749人間七七四年:2011/03/19(土) 15:52:01.66 ID:8jXQkLDD
親子そろって濃い戦国ヲタだなwww
750人間七七四年:2011/03/19(土) 16:11:02.03 ID:YVWJP3b4
兵力が多すぎたのかもしれないな 一カ所に集めておくには多すぎて、いくつかの部隊にわけて
あちこちの砦を一斉に攻撃させたため、本隊自体の兵力は万以下になっちゃったのかもしれない
それでも突撃してきた信長隊の10倍はあったと思うけど
751人間七七四年:2011/03/19(土) 16:35:11.79 ID:/vIW+DHj
>>748
いえいえ、信長は桶狭間の前年に、国内勢力は服属させるか滅ぼすかした
今川と比べて安定していなかったというのはその通りだが、半分しかってのはない
752人間七七四年:2011/03/19(土) 16:38:54.01 ID:Vo5JK+pi
>>749
オヤジが読んでた山岡荘八の織田信長の記述がもう無茶苦茶なんだよ。
駿河80万石、遠江60万石とか、大嘘を平気で書いてる。
山岡って本当に信用できないよな。 
徳川家康もえこひいきし過ぎな感じだし。
753人間七七四年:2011/03/19(土) 17:07:08.29 ID:V/H7pDaA
資料が胡散臭いのは当たり前
事実として砦が5つあり、今川軍は同時にその砦を攻める戦をしている
織田も砦に兵を裂かないといけない状況での2000程度
だから2千VS2万5千とかありえないのよ
後、駿河国、遠江国、三河国の3カ国でも60万石程度、これは後の計算だから
当時はもっと少ない
信秀死の直後、今川は織田に対して攻勢に出ている
1554年に3国同盟を結だわけだから、この勢いで一気に叩きに行かなかったのが疑問だ
754人間七七四年:2011/03/19(土) 18:02:29.56 ID:TV00KrlN
>>753
しかも実質戦場に居たのは多くても5千ぐらいだしね。
2千でも条件が良ければ十分戦える。
755人間七七四年:2011/03/19(土) 18:19:00.12 ID:BIO7lNgr
>>748
信秀が信長に残したのは外交では美濃の義父道三の後ろ盾と三河の家康母の水野との同盟
尾張一国と大垣城を引き継がせている。
尾張が混乱してきたのは道三が家督を息子義龍に譲ったことで後ろ盾が消え
それまでの信長の遊興放蕩の行状に憤りを感じていた柴田と林のたった2家が弟信勝を擁立し義龍の後ろ盾にクーデターを起こそうとしたから。
そして義龍の介入前に信長が柴田を破っただけ。
ちゃんと家督を相続させたのに信長は尾張一国を満足に治められず失敗しそうになって混乱したに過ぎない。
兵力に関してもこの柴田戦や義元戦の信長の兵力は明らかに過小に書かれている。
756人間七七四年:2011/03/19(土) 18:46:47.87 ID:/wmbu6DN
>>755
清洲織田氏と岩倉織田氏はどこへ行ったw
757人間七七四年:2011/03/19(土) 18:49:35.17 ID:VtsYe2L/
勝頼はもう腹括るしか無い。信忠が強かった
758人間七七四年:2011/03/19(土) 18:55:25.68 ID:Vu1A9pV8
その通りではあるが身も蓋もないなあ
759人間七七四年:2011/03/19(土) 18:57:34.86 ID:TV00KrlN
信勝が穴山と造反して甲斐一国安堵とか無理かな?
武田ではよくある事件だし。
760人間七七四年:2011/03/19(土) 19:37:55.30 ID:VtsYe2L/
信長はゆるさんだろ。早いうちに勝頼が切腹するしか無い
761人間七七四年:2011/03/19(土) 20:00:11.95 ID:BIO7lNgr
>>756
んなザコは信秀にかなわなかったやつらばっかじゃん(笑)
762人間七七四年:2011/03/19(土) 20:05:29.94 ID:TV00KrlN
>>761
守護守護の斯波さんを忘れないで><
763人間七七四年:2011/03/19(土) 20:06:04.02 ID:TV00KrlN
失礼、守護大名ね。
764人間七七四年:2011/03/19(土) 21:00:57.45 ID:V/H7pDaA
1559年の時点で斯波家の代わりに信長が上洛しているからな
この時点でどれだけ力があったから分かる
765人間七七四年:2011/03/19(土) 21:07:04.72 ID:uT/jnhTW
穴山は黄金五千枚を献上して下ったということだが、なんでこいつはこんなに持ってたの?
766人間七七四年:2011/03/19(土) 21:34:42.95 ID:StCrywVj
駒井高白斎の息子・駒井政直(昌直)、徳川家康に降伏。
767人間七七四年:2011/03/19(土) 21:50:12.79 ID:/vIW+DHj
>>765
自領に金山かかえて武田家とは無関係に独自経営していたから
768人間七七四年:2011/03/19(土) 22:04:48.22 ID:YVWJP3b4
お金払って許してもらったのか カコワルイ・・・・
でもそれで生き残ってりゃ武田の家督を継いでただろうから、
明智軍に捕まってぶっ殺されたのは勝頼の怨念だろうか
769人間七七四年:2011/03/19(土) 22:06:14.55 ID:V1fX3hyu
因果応報?
770人間七七四年:2011/03/19(土) 22:14:59.80 ID:oa6Kt3TL
>>764
それはあまりに斯波が形骸化しすぎてたからだろう。
「どれだけ力があったかわかる」なんて事にならない。
771人間七七四年:2011/03/19(土) 22:22:52.14 ID:V/H7pDaA
>>768
穴山信君
母親は武田信虎の娘で信玄の姉
嫁は信玄の娘

つまり、信君は勝頼を認めていなかった、諏訪の人間より自身の方が武田家に近いと
そして息子は勝頼の子信勝より、武田の跡目に相応しいと
勝頼と信君の間に争いがあったのは確かだろう
772人間七七四年:2011/03/19(土) 23:42:15.85 ID:uT/jnhTW
やはり身内のガンをそのままにしておくべきではなかったな。
信虎が叔父を殺し、信玄が父を追放し息子を殺したように
穴山を粛清すべきだった。
773人間七七四年:2011/03/20(日) 00:02:35.48 ID:+YBl9deW
ちょっと話戻すけど多分信長が相続できた部分って尾張半国もないでしょ。
大体20万石くらいかね?尾張全域って57万石だったっけ?とすると残り
37万石。
信玄スタート時で甲斐一国で20万石。信濃40万石だけど2万石くらいは
最後まで上杉領だったからやっぱり信玄の
信濃制圧スピードって信長と比較しても遅すぎるような気がするんだけど
774人間七七四年:2011/03/20(日) 00:16:32.73 ID:fYscj1sX
>>773
山国と平地だからな・・・
守るなら山のがいいだろうけど。
775人間七七四年:2011/03/20(日) 00:35:16.62 ID:+YBl9deW
それにしたって早いとは言えないと思うけど。それともう1つちょっと
前まで盛り上がってた桶狭間の解釈を巡る論争だけど何で誰も指摘
しないか不思議でしょうがないんだが桶狭間って1560年だよな。
信長が岩倉織田家を完全に滅ぼして尾張を大体掌握したのが1559年。
ちなみに例の三国同盟1554年。もう1つ言うと信長が本格的に尾張統一に
動き出したのは大体その前年くらいなわけで、何で義元は5年も内戦状態の
尾張を放置してわざわざ統一勢力が現れてから尾張侵略に動くんだよ。
この時点で義元に尾張侵略の意志が無い事なんて明らかだろ。
776人間七七四年:2011/03/20(日) 00:45:14.54 ID:fYscj1sX
>>775
出兵も後詰めでしょ。
付城の排除がメイン。

同盟したとは言っても武田北条ともに油断ならない相手だしね。
本拠地が近すぎるから隙あらばってのもあるだろうし。
777人間七七四年:2011/03/20(日) 00:51:47.94 ID:JbIu/tq1
実際、今川に尾張侵攻の意思はそれほどなかった、という意見もありますよ
氏親依頼、今川氏が遠江や三河に侵攻したのは、三河が足利氏にとって大きな意味を持つ土地だったことの他に
三河が東国交易の大きな拠点で、東海道を押さえれば機内−伊勢から関東への海上交易路を支配できるから
そして三河まで抑えて伊勢の勢力と結べば尾張は伊勢湾に封じ込められるからそこまで必要なかったと
しかし永禄飢饉と呼ばれる大寒波の襲来で拡大を要求されたこと、また逆に理屈になるが尾張の統一勢力が
同じく飢饉からの脱却を狙って伊勢湾交易路に手を出すようになったことなどから、今川の尾張侵攻が選択されたのだ、と
778人間七七四年:2011/03/20(日) 01:05:07.17 ID:ysHrRI2f
>>775
普通に三方ヶ原の時の徳川の兵力は8千程度
遠江を完全支配しても9千程度、駿河の最大動員は7千程度
今川の最大動員は一万六千動かせたらいい方
本国を空にすることはできないし

今川家は過大評価だと思うね、実力はたかが知れていた
義元と太原雪斎が政治家として優れていただけかなと
779人間七七四年:2011/03/20(日) 01:09:31.86 ID:Upf4IoX5
井沢元彦さんがすべての戦国大名が天下とりを目指してたと思うのは錯覚と
言ってたけど、今川義元もそうかもしれない
すごく位の高い家だから室町将軍になりたいとは思ってたかもしれないけど、
地道に領土を広げて行こうという執念がなかったのかもしれない
もしそれが正しいなら餓狼の如く領土を広げてた武田にそのうちやられるかもしれない
780人間七七四年:2011/03/20(日) 02:31:12.29 ID:FCCHlZuT
か つ よ り の は な し を し ろ !
781人間七七四年:2011/03/20(日) 02:53:59.36 ID:rrbd8840
>>773
信濃国の場合、それぞれの地域に諏訪、村上、木曾などの大小様々な有力国人がいて
しかも独立性が高い(今の長野県の気風にも通じる感がある)上に山がちで地理的にも
非常に治めづらい土地でもあるのが痛いな。上のほうでも指摘されているように初めて
信濃国を一元的にほぼ掌握できたのは信玄・勝頼が史上初めてという状況。
甲斐についても、武田氏は長らく支配してきたとはいえ、有力な庶家がいくつもあり、そいつらが
また一筋縄ではいかない連中ぞろいであり、信虎や信玄、勝頼はこいつらをなんとか纏め上げていかなきゃ
ならなかった(集権化に失敗した結果が信虎追放)わけで。
まあ、前提として土俵も状況も違う両者のスタート時点から序盤にかけての勢力拡大の差を単純には
比較はできないだろうな。
782人間七七四年:2011/03/20(日) 03:01:12.37 ID:fYscj1sX
>>780
偉大な親父とあまりにも強大な敵、ライバルですら後の天下人。
北条さんも中央除けば最大勢力。
上杉も親父ですら倒せなかった強敵。

無理ゲー過ぎてちょっと気の毒ではあるよね。
東北辺りの大名なら活躍したと思うんだよな。

逆に勝頼ポジを誰なら凌げそう?
783人間七七四年:2011/03/20(日) 03:26:28.49 ID:FDU9AvR2
>>778
そんなこと言ったって、現にあちこちの史料に
「二万五千」と書いてあるんだから仕方ないだろうが。

推定や妄想よりも史料のほうが優先されるのは言うまでもない。
784人間七七四年:2011/03/20(日) 03:31:32.96 ID:FDU9AvR2
>>778
あと、三方が原でと魔側が八千程度しか動因できなかったってのは
全ての兵力を家康の手元の浜松城におくわけにはいかない。
それこそ、桶狭間の時の織田と同じく、あちこちの城や砦に配置しなくてはいかんし。
あと、遠江の支配も完全支配に程遠かったし、なにしろ武田進軍で領内が混乱してた。

その点、今川は少なくとも駿河・遠江は磐石、三河もそれに近い、尾張も一部支配してたしな。
安定して大量に動因できたんじゃないのか。
785人間七七四年:2011/03/20(日) 03:32:14.69 ID:FDU9AvR2
「と魔側」は「徳川」ね。
786人間七七四年:2011/03/20(日) 04:14:43.64 ID:0QJ+kmhW
桶狭間の今川って同盟信じて本国空にしてたけど、万一にでも武田か北条が
駿河に攻め込んだら今川一瞬で瓦解してたんじゃない?
787人間七七四年:2011/03/20(日) 06:24:34.66 ID:FDU9AvR2
>>785
今川氏真も留守居してたし、ある程度の兵は残してた。
それと当時は三国同盟が磐石な状態だった。
背後に謙信などがいて後顧に憂いがあった信玄の西上戦とは違う。
788人間七七四年:2011/03/20(日) 08:45:35.94 ID:JbIu/tq1
>>784
尾張の一部っても実質は鳴海城とその周辺のごくわずか
逆に三河では水野氏という大豪族が織田方だったり
789人間七七四年:2011/03/20(日) 09:10:46.98 ID:0sqrgLdk
勝頼は信濃失陥した時点で切腹すべきだったな。親父に顔向けできないだろう。
790人間七七四年:2011/03/20(日) 09:25:36.72 ID:GgWWvGzj
>>787
本願寺が謙信を引き付けて、信玄の軍事行動を助けてる
あの時の謙信は越中で攻勢に出る一向衆相手に忙しくて信濃どころじゃない
791人間七七四年:2011/03/20(日) 09:51:38.81 ID:JbIu/tq1
>>790
たとえそうであっても、同盟結んでもいない敵性勢力との境界を無防備にはできない。
さらに、史実では一向一揆は謙信に大打撃を受けて、本願寺は信玄に
「越後に兵を出してくれ」
と救援要請をしている。信玄は西上戦の途上でガン無視したけどね。

ちなみに越中の一向一揆はこのときの謙信の攻撃で弱体化し、以後謙信の枷にならなくなった。
もしifで信玄が病に倒れず遠征を続けていたら、フリーになった謙信が信濃か関東に出兵もありえた。
そのときに兵がなかったらどうしようもない。兵を出されてから慌てて遠征軍から兵を割いて帰国させて
防衛にあてようとしてもとても間に合わないのだから。
792人間七七四年:2011/03/20(日) 10:11:00.16 ID:+YBl9deW
信玄対氏康では信長はほぼ一方的に北条に勝利してるけどあのまま
駿河侵略後北条領を侵略して関東を支配する気はなかったのか?
793人間七七四年:2011/03/20(日) 10:11:31.69 ID:+YBl9deW
信長→信玄ね
794人間七七四年:2011/03/20(日) 10:11:45.87 ID:0sqrgLdk
文に「勝頼」の文字を含まないレス、これを禁ず
795人間七七四年:2011/03/20(日) 10:12:37.64 ID:9dtaDXX1
勝てなかったから支配出来なかったと何故考えないのか
796人間七七四年:2011/03/20(日) 11:08:37.32 ID:Upf4IoX5
個人的には戦国板のような過疎板で自治活動というのはどうかと思われる
797人間七七四年:2011/03/20(日) 11:41:59.84 ID:fu850naL
じゃあ文末に「勝頼」と書けばいいんだな?勝頼。
798人間七七四年:2011/03/20(日) 12:07:00.39 ID:lHT5r6O2
信玄が早くに死ぬorクーデター成功で義信後継だったら違う展開だったかも…
てな話題にすると「勝頼」が使えませんw
799人間七七四年:2011/03/20(日) 12:10:51.91 ID:mHFuvK5E
義信体制下の一司令官としての人生の方が勝頼も重圧少なく持ち味を
発揮できそうだし立場的にも幸せだった、という声も昔から根強いよね。
800人間七七四年:2011/03/20(日) 12:35:28.35 ID:7khfeFf6
父親追放に失敗した時点で能力があるとは思えないな。>義信
801人間七七四年:2011/03/20(日) 12:52:21.25 ID:Xovbyn6O
>>798
そもそもそういった話なら武田の別スレじゃね
天正10年武田攻めが発生しなくなるだろうし
802人間七七四年:2011/03/20(日) 12:54:58.76 ID:9dtaDXX1
そもそも何でこの過疎板の中でこのスレはこんなに伸びてるんだろうな
803人間七七四年:2011/03/20(日) 13:04:50.36 ID:0QJ+kmhW
>>792
防衛線にはやたらと強い北条を同じくらいの大きさの武田が潰せるわけないじゃん。
804人間七七四年:2011/03/20(日) 15:05:36.67 ID:vOW18fm+
>>803 そうすると領土の急拡大も見込めないしやっぱり信玄が信長
切った時点で武田の終了は確定か?
805人間七七四年:2011/03/20(日) 16:11:34.29 ID:FCCHlZuT
信玄死亡後、織田側から交渉なかったっけ?
806人間七七四年:2011/03/20(日) 16:21:45.25 ID:pQUf5JbR
長篠で2倍以上の敵に突撃したってのはやはり引くに引けない2代目の事情があったんだろうね
あとで無謀な突撃とか言われてるけどあの時退却してればしてたでチキン扱いだろうし
807人間七七四年:2011/03/20(日) 16:35:38.51 ID:ysHrRI2f
信玄の失敗は勝頼は諏訪家でいいとして
五男の仁科盛信を武田においておくべきだった母親も油川夫人で武田の縁族
あとその下に葛山信貞いたが信玄死の時は10代、その下の武田信清は問題外

意外と信清は上杉家臣として天寿をまっとうしてるし仁科の息子も生き残っている徳川で旗本になっている

808人間七七四年:2011/03/20(日) 16:39:25.44 ID:GgWWvGzj
>>806
安易に退却するほうがよっぽど悲惨な結果になりますがな
809人間七七四年:2011/03/20(日) 16:45:33.22 ID:pQUf5JbR
>>807
その辺りは生き残りの運の良さだね
徳川が天下取ると三方原の武田軍が強すぎて負けたっていう流れになったから
武田系の家臣は優遇された感があるし
810人間七七四年:2011/03/20(日) 16:48:13.13 ID:lHL41evB
>>802
織田厨が必死に自演してるから
811人間七七四年:2011/03/20(日) 16:51:01.33 ID:vOW18fm+
信玄上洛スレってどうなったんだ?あれがなくなったせいでここに住民が
流れ込んで来てねーか?
812人間七七四年:2011/03/20(日) 19:43:10.12 ID:0sqrgLdk
信玄は信濃征服地の諸豪族(諏訪、小笠原、村上)を放逐したのになぜ木曽だけ存続を許したんだろう。
813人間七七四年:2011/03/20(日) 19:45:29.75 ID:f+XMHBzI
幸福したからと強固に抵抗してて強かったからじゃね?
814人間七七四年:2011/03/20(日) 19:59:02.66 ID:FDU9AvR2
>>813
それは違う。木曾は強固に抵抗などしてない。

>>812
それだけ「木曾義仲の子孫」というインパクトが強かったということ。
名族好みだったわけ。
もっとも木曾家が木曾義仲の子孫という可能性は極めて低いが。

あと、諏訪家は放逐なんてしてない。勝頼に家督継がせてる。
小笠原は名家だがシナの守護なので放逐はやむおえなかった。
村上は抵抗が激しすぎたのと降伏しなかったから当然。
というか、そもそも村上は信濃四郡と越後一郡を支配した大名で
信濃の領地を全て失っても越後の領地で上杉(長尾)の配下になればいいだけだったし。
815人間七七四年:2011/03/20(日) 20:00:14.59 ID:FDU9AvR2
シナの守護は信濃守護ね。
816人間七七四年:2011/03/20(日) 20:09:16.67 ID:FDU9AvR2
板垣、甘利、横田を打ち取った村上を信玄が許すわけないし、
そして、村上は長尾に泣きついて徹底抗戦。
そのため武田は上杉に10年も付き合わされたり、
川中島で弟の信繁や山本勘介を失ったのだが。

これって、全部、村上のせいだろう。
信玄は村上に恨み骨髄、即座に捕らえて八つ裂きにしたいくらいだろう。
こんな奴をどうやって配下にしろと?
817人間七七四年:2011/03/20(日) 20:17:20.69 ID:t0MvLoPM
>>811
信玄25000で上洛可能かどうかのスレだったら不可能でFA出てたからこっちで語ろうってなってるんじゃね?
武田の生き残りかけるんだったら義信クーデターぐらいまで遡らないと実質的に不可能じゃね?
818人間七七四年:2011/03/20(日) 20:47:22.43 ID:0QJ+kmhW
村上って当初は越後長尾と敵対してたんだよね?
村上より北に高梨ってのがいてそれが長尾家と親戚で村上と仲が悪かったのが原因らしいけど。
819人間七七四年:2011/03/20(日) 20:49:03.27 ID:Xovbyn6O
別にここは生き残ろうってスレじゃないだろう

木曽に勝つにはどうしたらいいかとか考えようぜ
820人間七七四年:2011/03/20(日) 21:05:49.60 ID:8hNjUGIf
>>819
信豊が焦らずに勝頼到着まで対陣
信忠軍の先鋒で平野に出てた来たところをフルボッコ
821人間七七四年:2011/03/20(日) 21:08:34.36 ID:vOW18fm+
>>819 木曽に勝つ以前に新府城立てた時点でアウトだろ。
ちょっとスレチだけど1から読み進めて思った事が1つ。
よく信玄が長生きしたら信長はヤバかったと言われるがそれは例の信玄上洛
スレで否定されたが氏康が長生きしていたらどうなったんだろう?
これ考えると面白いよね。別に氏政が無能ってわけでもないが氏康存命で
北条がもっと積極的に越後に介入して謙信の後継に景虎が就任したら
北条の国力は軽く他国を圧倒する。そうなったら北関東の大名や里見
なんかも北条に下る可能性十分あるし、武田北条の同盟は決裂しない
から関東甲信越+今の静岡と富山一帯にとんでもない大勢力ができたかもよ?
822人間七七四年:2011/03/20(日) 21:10:29.31 ID:r5/eKeNN
>>812
簡単に言えば遠いから
木曽は費用と時間を掛けて完全征服するほどの要地ではない。
おとなしく言うことを聞いているのなら半独立でもokだった
823人間七七四年:2011/03/20(日) 21:12:52.98 ID:r5/eKeNN
>>821
病気で一年弱ほど半廃人になってた氏康にアレ以上生きられても迷惑
824人間七七四年:2011/03/20(日) 21:15:43.85 ID:vOW18fm+
>>823 もちろん健康でですけど。
825人間七七四年:2011/03/20(日) 21:16:57.05 ID:JbIu/tq1
>>821
氏康が健康で長生きしたら、まず武田との和解が延長した可能性がある
そうなると、信玄最後の遠征のなかった可能性すらありうる
826人間七七四年:2011/03/20(日) 23:46:57.23 ID:ysHrRI2f
そもそも氏康も過大評価
領国拡大のスピードは遅いよね
信玄包囲網で上杉と同盟したけど、ただの不戦協定でしかなかった
この辺の戦略は信玄の方が上
827人間七七四年:2011/03/21(月) 00:01:30.80 ID:Qjcg5mp1
>>825
氏康は武田に駿河を切り取られて面子を潰された訳だから
武田が駿河を返還しない限り、まず和解しないだろうね。
もちろん武田が駿河を手放す訳もなし。
背後に敵を抱えたまま織田と戦端は開くほど信玄は馬鹿じゃないから
美濃方面の軋轢は織田に譲歩して同盟強化。
その後は織田と親密な関係を保ったまま北条と何年も争い続けることになる。

このルートだと武田は勢力を保ったまま生き残れそう。
逆に北条は武田に足を引っ張られて関東制覇が儘ならなくなるね。
828人間七七四年:2011/03/21(月) 00:03:39.63 ID:rWfDWCWS
じゃあだががいないからこういう質問し易いんだけど信長が尾張じゃなくて
東国20万石くらいの大名の生まれだったらどういう戦略で膨張してったと
思う?
829人間七七四年:2011/03/21(月) 00:06:38.66 ID:QiwQxwrY
わかるわけが無い
830人間七七四年:2011/03/21(月) 00:16:32.88 ID:cxuFmlyB
答え様がない
831人間七七四年:2011/03/21(月) 00:20:11.94 ID:b9ulwgA6
>>825
氏康が脂肪するまで数年間は
ボケてまともに喋れる状態じゃなかった
その間ボケた氏康を利用して、武田をけん制していたと見るべき
832人間七七四年:2011/03/21(月) 00:26:14.68 ID:chjnty1Y
>>827
その場合隣接国が同盟国ばかりで行き場を失う徳川はどうなったのかな?
領地を治めながら織田や武田の援軍要請に応えるだけになるのだろうか
833人間七七四年:2011/03/21(月) 00:32:04.65 ID:Qjcg5mp1
そうなるだろうね。
織田や武田の援軍として史実以上に酷使されそう。
834人間七七四年:2011/03/21(月) 00:39:30.13 ID:6tgcD9jc
今月出た平山優「天正人後の乱」に武田攻めの話詳しく出てるね。
信玄に屈した信濃諸豪が織田と結んで対武田調略に参加してたらしい。
一気に信濃前線が崩壊したのも失地回復を狙う旧勢力の動きがあったようだ。
835人間七七四年:2011/03/21(月) 00:57:51.67 ID:b9ulwgA6
>>834
真田は織田と通じていたでしょうね
小山田は敵対していたから滅んだ
836人間七七四年:2011/03/21(月) 02:26:59.65 ID:aa+YH4EW
>>821
単純な話あのまま上洛は難しいだろうけど、まあ信長も楽観できない、危うい状況は続いたと思うけどな。

>>826
ゲームとかあるまいし、領国拡大の速度云々とか過大評価とか一概には言えんだろ。
あと越相同盟については、単純な不戦同盟ではなくて謙信の越山も視野に入っている。三郎景虎が
謙信の養子として越後に送られたというのは、謙信の武田領出兵を期待してという面もあった。
(まあ実際にはうまく機能せず、互いに不信感を募らせた末に甲相同盟が復活するわけだが)

>>831
氏康は耄碌してしまったというよりは、病状が悪化してしまったという感じだろう。
しゃべることもままならなくなり、食事も粥と飯両方を出し、氏康が食べたいほうを指差していた
というのも晩年一年くらいの話で、少なくとも景虎が謙信の養子になるあたりまでは前面へ出ていた。
837人間七七四年:2011/03/21(月) 10:43:23.02 ID:CZKm3Ovz
氏康は中風 = 脳梗塞でそ。
838人間七七四年:2011/03/21(月) 19:37:47.87 ID:EUx4xgBK
>>834
信長はかなり調略してたようだ。
高天神にこもってた岡部が徳川に降伏を許されなかったのも国人の武田への不信感を増大させるため
839人間七七四年:2011/03/21(月) 20:09:00.19 ID:lpf4k8yR
岡部さんと言えば長くノブヤボでは冷遇されてきたけどセンゴクシリーズで結構株上げた気がするな
840人間七七四年:2011/03/21(月) 20:12:47.60 ID:cxuFmlyB
岡部さんというか今川家臣団全般が……
841人間七七四年:2011/03/21(月) 20:14:17.91 ID:tnKbzmb0
義元の首取り返すまでがんばった岡部元信だけど。
つくづくその後に恵まれなかったなぁ。
その元信討ち取った大久保氏もあんまり……だし。
842人間七七四年:2011/03/21(月) 21:01:00.76 ID:bUWkrP1F
>>840
普通にプレイすれば徳川家臣団使えるから問題無いだろ。
そういや信虎も居たか。

逆説的だけど、信虎が信長の配下になってたらどうだろう?
長篠前に死んでるけど側室との子供は居たみたいだしちょっと面白そうではある。
信濃の豪族みたいに返り咲いたりしないかな?
843人間七七四年:2011/03/21(月) 23:13:34.08 ID:RN3Gn2ky
1571年時点で、信玄は自分の余命に焦っていたせいもあって西進する
最大最後の好機だと見たのだろうけど、織田との外交関係を壊さないまま
対北条戦を継続する道もあったんじゃねーかな。

そりゃあ北条の地力を考えると簡単には滅ぼせないだろうが、史実より
武田に優位な関係に持ち込む講和も強要できたかも知れないぜ。
844人間七七四年:2011/03/21(月) 23:48:11.39 ID:q2s74hF/
武田がどんなに北条を攻めても上野と駿河に勢力を伸ばせるだけで相模、伊豆、武蔵には
一歩も進出できないだろう。
北条も一番領土を広げたいのは東方だから駿河や上野取られても大して痛くない。
845人間七七四年:2011/03/22(火) 00:32:34.45 ID:upxt+4Q8
どこの家もそうだけど家督相続の時が、一番危険で荒れるんだよ
スンナリいく家の方が少ない、家臣の勢力争いや一門の争いが起きたり他家からの介入もある
織田上杉伊達今川毛利元就大友、そして信玄もクーデターで担がれた主君だ

信玄は相当悩んでいたわけよ
自分が死ぬことと、諏訪勝頼に後を継がせることにね
で結果、親類衆は分からんが、家臣が団の分裂、反乱は起きなかった
それだけ家臣団が信玄を崇拝していたからだし
西上作戦は結果、大成功で武田家にとっては最高の状態だった
その最中での信玄の死、信玄は自分の死までも将棋の駒にしたと思うね
諏訪の人間が武田家を継ぐとか普通は荒れる
その荒れるのを見越して、戦のどさくさと自らの死の緊急事態でうやむやにした
846人間七七四年:2011/03/22(火) 00:37:12.27 ID:mXF0TWhC
>>844
勝頼ですら上杉の邪魔が無いとはいえ、上野国ほぼ掌握出来たしね。
まだ里見も健在だし北条包囲網しければいけそうな気がしないでも。

って謙信が邪魔だな。
847人間七七四年:2011/03/22(火) 01:12:02.30 ID:Hg9ieTVB
>>845
氏康の息子達はあれだけ数がいながら逆にキモイくらい仲がいいよな。
848人間七七四年:2011/03/22(火) 02:57:55.49 ID:JUTjZRnt
越相同盟で自分の息子を人質に出すのゴネまくって
代わりに弟を差し出す氏政を見ると兄弟仲が良いとは思えない
849人間七七四年:2011/03/22(火) 04:08:03.88 ID:aJpkUcvj
氏秀は氏政に含む所があってもおかしくないな。
氏政もその辺を自覚してるから御館じゃ消極的だったのかもしれん。
こいつが上杉を継いでも素直に従ってはくれんだろうなって感じ。
850人間七七四年:2011/03/22(火) 07:37:46.62 ID:IPV//5jQ
>>737
最新の研究では信長公記は70種類。
織田厨にはどの信長記を出典にしてレスを書いてるのか
常に表記してもらわないと落書きレベルの扱いにしか思えないな。
851人間七七四年:2011/03/22(火) 12:22:01.21 ID:GudcPIQl
>>850
最新の研究のソースだせよ。じゃないとこれも落書き同然。
852人間七七四年:2011/03/22(火) 12:32:05.78 ID:3o8QESTK
>>845
もういいや、俺死ぬし
あとは生き残ったおまいらの問題だからな、じゃあな
853人間七七四年:2011/03/22(火) 13:05:18.42 ID:g8B1dVKm
>>792
それをやろうとしたら泥沼にハマって終わってただろう
信玄は落とし所よく分かってた

よくわからずにそれをやろうとして滅亡一直線が勝頼
854人間七七四年:2011/03/22(火) 13:14:27.90 ID:jIBgJF++
ソースは出せないんだが、景虎(氏秀)は氏康の息子ではないなんて説なかった?
855人間七七四年:2011/03/22(火) 13:33:24.59 ID:9sO7eBg7
>>853 そうか?北条が防衛線に強いと言ってもあの時点じゃまだ
秀吉の時代ほど小田原城の防衛力高くないし、謙信の詰めが甘かった
だけで織田と同盟組んで背後に敵がいない状態の信玄が総力戦を
挑めば結果は変わってくるだろ?
856人間七七四年:2011/03/22(火) 13:50:04.50 ID:iLIDGtOU
背後の支城からゲリラ的に襲われたら手に負えんしな。
謙信もそれで難儀したし。
857人間七七四年:2011/03/22(火) 14:26:03.23 ID:Hg9ieTVB
>>856
そうそう。 北条の怖いところは一見守り一辺倒に見えていつの間にか
蜘蛛の巣のような支城ネットワークの網に取り込んで敵を雁字搦めにしてしまうとこなんだよ。
謙信も信玄もそのシステムの前に退けられた。
もっと後期だと秀吉みたいに圧倒的な兵力で飽和攻撃を仕掛けてようやく勝てるような感じ。
それでも秀吉側も補給線がやばかったと言う説があるくらい。
858人間七七四年:2011/03/22(火) 14:47:19.88 ID:vkfXPYxX
秀吉は先に支城を片っ端から攻め落として最後に小田原を囲んだから落とせたんじゃない?
859人間七七四年:2011/03/22(火) 16:03:56.13 ID:IcoXmZnZ
相変わらず織田厨はバカだな。
そもそも謙信は関東管領就任するために来ただけから
川越城や江戸城も落としてない。
信玄も同様に滝山城などを落とさず小田原城へ向かってる。
補給線を無視して敵中深く侵攻してるのは小田原城を本気で落とそうと考えてないから。
860人間七七四年:2011/03/22(火) 16:21:24.63 ID:vbkJYuKn
>>859
謙信は諸城を囲んで合戦に及んでいるが。大槻合戦のように、支戦で不利だったので結果として就任式がメインになっただけ。
信玄もまた滝山城等を攻撃して、落とせずに小田原いって相手を挑発して決戦を望んだが相手が長期戦の構えだったので引いた。
そもそもなんで織田厨扱いになるんだ。
史実を言う=織田厨ってことか? お前の中だけではw
861人間七七四年:2011/03/22(火) 16:28:39.50 ID:IcoXmZnZ
川越城や江戸城を謙信が囲んでるとかデタラメはくなよw
武田にしたって滝山城なんて落城寸前にして追撃能力を喪失させてから小田原へ南下したに過ぎない。
信玄の前に滝山城が使いものにならんから八王子城の築城が始まったわけだが。
862人間七七四年:2011/03/22(火) 16:34:39.73 ID:vbkJYuKn
川越とか江戸とか名前を勝手に出して、やってないといったのはお前のボケレスだけだw
実際に戦ったり攻めたりした城をあげたのに、何をボケてるんだ。
そして結局、信玄が滝山を攻めたりしたことは認めざるを得ないとwww
無知が他人を罵倒しての恥をかくだけだぞ。
863人間七七四年:2011/03/22(火) 16:36:44.24 ID:rfGAvn9D
>>858
囲みながら落としたのが正しいだろ。
それだけの兵力もあったし。

後は北条側が小田原に兵力を割きすぎて有効な防御を支城が出来なかったのもある。
864人間七七四年:2011/03/22(火) 16:39:48.27 ID:/W7rgrmZ
謙信は小田原を落とす気があっただろ
佐竹などが嫌がったから撤退に追い込まれただけで
865人間七七四年:2011/03/22(火) 16:52:49.94 ID:IcoXmZnZ
>>862
指摘されて火病発病してやんの。
江戸城や川越城を落とさずに小田原城落としたところでどうやって維持するつもりだったのか教えてくれよ。
866人間七七四年:2011/03/22(火) 17:01:13.60 ID:93EItKS2
信玄は他に鉢形城も攻撃するが防備が固く引き上げているからな。
単体ならどんな堅城も持ちこたえるのには限界がある。
最低でも封鎖を続けられるだけの支戦力がないと辛いだろうな。
867人間七七四年:2011/03/22(火) 17:07:06.71 ID:IcoXmZnZ
信玄の目的は駿河攻略のために北条の兵を関東に移動させる目的で小田原まで出張してきただけ。
本気で小田原城を攻略する気持ちなんてさらさらない。
868人間七七四年:2011/03/22(火) 17:08:21.52 ID:Hg9ieTVB
>>865
>指摘されて火病発病してやんの。

子供のケンカみたいなバカな書き方するな。 どうせいい歳だろう?
869人間七七四年:2011/03/22(火) 17:37:06.55 ID:upxt+4Q8
だれがみても本気で信玄が小田原を落としに行ったとか考えられんわw
無謀もいい所
870人間七七四年:2011/03/22(火) 17:45:31.80 ID:IUD+PBt/
滝山城から八王子城に移転したのって、滝=落ちる=縁起悪い、ってな説も
あるらしいね
871人間七七四年:2011/03/22(火) 18:04:00.31 ID:/nObPhCZ
そもそも信長公記を批判してるとか信憑性ないとか言ってる奴に限って、
それに対する反論がさらに信憑性のない史料を持ち出したり、
そらにひどくなると自分の推測とか妄想を語りだすんだよな。
872人間七七四年:2011/03/22(火) 19:22:41.02 ID:qXhmsxjc
信玄の失敗は予定されていた失敗(キリッ)なのは勝手だけどさ。
その信玄の行動にたいして最低限の基礎知識もなくほざき、指摘されると織田厨とか逆切れ。
普通に無様だし邪魔なんだが。
873人間七七四年:2011/03/22(火) 19:27:03.44 ID:xACFkYe2
駿河の北条勢を退かせる小田原攻めなら甲斐から直接攻めれば良い
小山田や内藤からの支援が得られるからな
謙信と違い信玄は佐竹、里見ら関東勢の協力が得られなかったのは誤算だろう
結局は津久井の武田勢が北条に靡いてしまった
八王子城築城、改築は時期的にも対武田防衛、津久井の支配権を高める賦役じゃないか
874人間七七四年:2011/03/22(火) 19:33:10.03 ID:/W7rgrmZ
信忠が攻めてくると今川旧臣も裏切りまくったらしい。
875人間七七四年:2011/03/22(火) 19:47:07.46 ID:JUTjZRnt
>>873
駿河攻略の牽制以外にも、武田と争うのは高く付くと言う事を北条に思い知らせる意味があったと思う。
そのために北条領を広く浅く荒らして回る必要があったのだろう。

それと落城寸前の滝山をあえて落とさなかった所を観ると、
この時点で信玄は駿河攻略後の最同盟まで視野に入れていたのかも知れない。
城を落として自領化しちゃうと和平交渉が面倒になるからね。
876人間七七四年:2011/03/22(火) 19:50:11.47 ID:xACFkYe2
武田の当主、一門、親族からも逃亡、裏切り、降伏ばっか…
軍勢を率いて抗戦できたのは玉砕した信豊ぐらい
877人間七七四年:2011/03/22(火) 19:51:02.20 ID:qXhmsxjc
陽動とか示威でやるにしては、敵陣深く入り込む危険な行動。
北条を屈服させるつもりでやったが、支城さえ思ったより手ごわかったので途中で方針転換したんじゃないかね。
何よりあの状況じゃ兵糧が続かない。
878人間七七四年:2011/03/22(火) 20:09:17.31 ID:xACFkYe2
謙信に甲越和与と越相同盟のどちらを選ぶか決断を迫るのもあったと思う
北条の援軍として信濃や関東に謙信が侵入して来ても迅速に対応出来る

示威行為なら落とせる城は落とした方が効果的
和平時に破却なり返還すれば貸しが増えるし、なにより小田原に進む危険を避けられる
879人間七七四年:2011/03/22(火) 20:25:15.69 ID:JUTjZRnt
>>877
短期間の牽制のつもりが予想以上にうまく行ったため、つい深入りしてしまったんじゃないの。
北条を屈服させるつもりなら、それこそ甲斐から直接小田原に行くでしょ。滝山から小田原は無駄の多すぎるルート。
>>878
負けたわけでもないのに落とした城を返却したら血を流した家臣は納得しないし、
北条側も借りと思うよりは武田が弱気になってると思うんじゃない?
880人間七七四年:2011/03/22(火) 20:40:14.94 ID:kyQjPiEh
>>876
玉砕したのって仁科盛信じゃない?
881人間七七四年:2011/03/22(火) 21:00:19.38 ID:jvJJ1HSw
>>876
高遠で何があったかお忘れか?
882人間七七四年:2011/03/22(火) 21:07:55.82 ID:/W7rgrmZ
仁科は停戦に出した坊主の鼻とかそいでるからマイナス
883人間七七四年:2011/03/22(火) 21:13:11.59 ID:v38HEXZt
氏邦・氏照が大軍連れて撤退する武田軍を追跡したけど。
小田原にかかずりあっている間にこれが背後からきたらかなり危険だっただろうな。
信玄の意図がどうあれ、どうにもならん。
同時に、早いうちにそれだけの兵力を集中しきれない北条方の戦術的な対処能力も微妙だな。
884人間七七四年:2011/03/22(火) 21:13:14.36 ID:sG4wo2S6
いまいち時間稼げてないけどな
ここで10日とか稼げたら勝頼もうちょい逃げれたろうに

落城はやむなしとしても伏見城の戦いみたいな抗戦や
第二次上田合戦みたいな時間稼ぎは難しいのか
885人間七七四年:2011/03/22(火) 21:20:42.06 ID:jIBgJF++
>>875
信玄の行動には全て意味があって成功してきた、
という前提で語ってないかね
886人間七七四年:2011/03/22(火) 21:30:10.78 ID:JUTjZRnt
少なくとも信玄を否定するのが当然という前提では語ってないよ
887人間七七四年:2011/03/22(火) 21:31:44.00 ID:v38HEXZt
当てが外れても狙い通り、といって家臣安心させる図太さがないと生き残れない時代じゃないかねw
888人間七七四年:2011/03/22(火) 21:37:05.62 ID:xACFkYe2
信豊じゃなく盛信でした。軍を維持できただけ盛信の方が優秀か
主追放して織田に降るのは雪崩現象にしても最後は寂しい

>>879
長尾に北信濃の城を明け渡してるんだし和睦の条件として良くある事
労せず駿河を割譲や分割を引き出せるかもしれない
下手に出て実を取れるなら信玄は何でも利用してるし
889人間七七四年:2011/03/22(火) 21:40:22.47 ID:xACFkYe2
誇張宣伝は何処でもしてけど勝ちすぎは良くないなんて信玄らしい
890人間七七四年:2011/03/22(火) 21:59:49.67 ID:JUTjZRnt
>>888
北信濃の小城と滝山と駿河じゃ価値が違いすぎない?
それと滝山を落としても維持する兵力が惜しいというのもあったと思う。
このあと駿河進攻が控えており一兵でも多くそっちに回したいからね。
891人間七七四年:2011/03/22(火) 22:11:51.96 ID:v38HEXZt
三増峠戦に対する甲陽軍鑑の「怪我の功名」というのが案外、小田原攻め全般に対する実感じゃなかったのかね。
892人間七七四年:2011/03/22(火) 22:28:39.92 ID:/nObPhCZ
仁科盛信が軍を崩壊させずに戦ったのは認めるけど、
おせじにも善戦したなんて言えないじゃん。
一方的に織田兵に攻め込まれて半日で陥落しただけ。
確かに城兵は全滅したかもしれないが、
それが戦略的に全く役に立ってないのはどういうこと?
むしろ、信忠に手柄を立てさせただけじゃん。
長篠城とか岩屋城とか伏見城とかとは全く違う。
893人間七七四年:2011/03/22(火) 22:34:19.24 ID:xACFkYe2
>>890
北信濃は無償で返還してるし滝山の対価として駿河割譲、分割できるなら悪くない
対徳川にその分早く取り掛かれる
謙信が北条の援軍を送らないのが確認できた以上そのまま北条と戦えば
徳川、佐竹、里見と連絡を取り合って利用するのは信玄ならお手の物
織田と敵対しないから勝頼の代の負担も減る

滝山より岩村の方が地理的にも維持が難しいのに落としてるし
示威行動(広く浅く荒らす)と駿河侵攻が控えてるなら
小山田や信玄の書状まで執拗に攻撃し小田原まで進軍なんて
危険を犯す必要性を感じないし矛盾すら感じる
894人間七七四年:2011/03/22(火) 22:41:11.86 ID:upxt+4Q8
>>891
普通は武田の退却戦で追い込む側の北条がボコられるとか
相当アホだけどな
895人間七七四年:2011/03/22(火) 22:57:01.32 ID:aJpkUcvj
そもそも国力で北条に大きく劣る武田が短期間で北条を屈服させられると思う方がどうかしている。
慎重な信玄がそんな事を考えるとは思えん。
辛い見方をすれば滝山の時点では駿河への再進攻すら考えて無かったかもしれん。
駿河進攻を北条に阻まれたまま諦めたのでは面目丸潰れだから手薄な武蔵で乱捕りして最低限の威信回復を狙っただけ、
当初は後詰がきたらさっさと撤退する予定だったが北条の対応がヘボ過ぎたため欲を掻いて小田原まで深入りし、
本来なら前後から挟撃されて大敗のはずの三増峠の勝利で北条のヘボさを確信して駿河への再進攻を決めたのかもしれんのだ。

ぶっちゃけ信玄がすごいのでなく北条がヘボすぎただけということだ。
896人間七七四年:2011/03/22(火) 23:00:30.92 ID:xACFkYe2
>>892
勝頼が木曽を攻撃せずに諏訪に本隊を温存してるならまだしも
盛信はあそこで玉砕しなければ信豊と同じ運命じゃないか
本隊が崩壊して勝頼は諏訪から逃亡、上杉も苦境で
南から徳川、北条にも攻められ後詰めが期待できない
個人の資質で善戦し戦況を維持、挽回するのは不可能に近くもう詰んでる
897人間七七四年:2011/03/22(火) 23:59:53.45 ID:JUTjZRnt
>>893
>北信濃は無償で返還してるし〜
北信濃の小城と滝山じゃ状況が違いすぎる。同列には語れないよ。
滝山と交換で得られる領地など高が知れてる。駿河割譲など有り得ない。
>謙信が北条の援軍を送らないのが〜
謙信の動きを警戒してというのは否定しないけど、その時点で謙信が来ないからといって
その後も来ないと思うのは能天気すぎる。っていうかなにが言いたいのかよくわからない。
信玄は失敗したけどうまくやれば北条を潰せたと言いたいのかな?
>滝山より岩村の方が〜
岩村は対織田戦では重要拠点、岩村を落として滝山を落とさなかったという事は
北条の屈服は考えてなかったということじゃないかな?
>小田原まで進軍
国力で劣る武田が本気で北条を威嚇するなら国境の乱捕りでは不十分、小田原焼き討ちも有り得ると思う。
とはいえ実際にそこまでできたのは状況に恵まれたからで
北条の抵抗が激しければ途中での撤退も有り得たんじゃないかな。
898人間七七四年:2011/03/23(水) 00:53:59.56 ID:BNr+sIwO
三増峠に関してはベテラン期の信玄でさえ一歩間違えれば大怪我で済まない事をしてしまってるし
常に城同士で緊密な連絡体制を取ってる北条も思った通りには行かなかった。
信玄も北条も思われてるほど優秀でもなく現実は結構グダグダな奴等だったんだよ、たぶん。
899人間七七四年:2011/03/23(水) 00:58:18.62 ID:PfUrvZLL
>>898
あの時代の情報伝達手段では仕方ないでしょ
900人間七七四年:2011/03/23(水) 01:48:37.03 ID:BNr+sIwO
でも山岳部の多い甲信地方ではいまだに圏外が多い携帯より狼煙の方が役に立つと言われてるからね。
901人間七七四年:2011/03/23(水) 01:51:07.16 ID:gOjabvBI
>北信濃の小城と滝山じゃ状況が違いすぎる。同列には語れないよ。
ぶっちゃけどっちが価値高いだろうな
第二次川中島で武田が引き渡した支城群と滝山じゃ
北信濃の小城なんていってるけど実際には善光寺周辺の重要拠点だろ
902人間七七四年:2011/03/23(水) 03:56:13.61 ID:7XHTswWH
>>897
滝山城を落とし返還の条件で駿河割譲、分割案の講和案
氏康が今川との講和に河東割譲、上杉には上野と武蔵一部割譲案を提案した例から
外交上優位な信玄が越相同盟が機能しない孤立状態の氏康から譲歩を引き出すのは難しくなく
氏政から駿河を奪って講和した例から滝山城攻略が障害には成り得ない

信玄は万が一滝山城を返還してまで和睦できない場合
北条より国力が上の織田をも裏切ってまで敵対しないので友好関係が勝頼に引き継がれると周辺状況が楽になる
さらに武田に織田が付いてる以上、北条が上杉を引き入れる外交窓口は制限され非常に難しくなり
能天気と言う指摘は謙信が北条に付かない外交と北方守備を同時に放棄した場合になる

武田軍は岩村城や北条領内を荒らす余力があっても滝山城を落とす国力がなかったと考えるのが妥当と思ってる
四方に敵を抱え謙信の援軍を期待できない北条との和睦を念頭に置き滝山城を包囲もせず放置したまま
状況が恵まれ抵抗が少ないからといい非常に危険な小田原城に深入りし武威を示す必要性や緊急な事態でもない
903人間七七四年:2011/03/23(水) 04:56:15.89 ID:8BamesrP
>>851
東京大学史料編纂所の金子拓の論文でも読めよ
超無知の大ウソつき織田厨くん。
904人間七七四年:2011/03/23(水) 06:39:33.59 ID:cAayVo8o
>>901
重要拠点にしては合戦後あっさり破却してるなあ

>>902
>外交上優位な信玄が越相同盟が機能しない孤立状態の氏康から譲歩を引き出すのは難しくなく
この時点で越相同盟が機能しないかどうかは信玄には知る由も無いじゃないの?
この議論は武田軍(信玄)の小田原遠征の動機に対する考察だと思ってたんだけど・・・
あなたは違うのかな?

>氏政から駿河を奪って講和した例から滝山城攻略が障害には成り得ない
これもこの時点の信玄には知る由も無いなあ。

>能天気と言う指摘は謙信が北条に付かない外交と北方守備を同時に放棄した場合になる
何が言いたいのか解からない。放棄しない(と武田が判断する)理由は何?

>〜滝山城を落とす国力がなかったと考えるのが妥当と思ってる
>滝山城を包囲もせず放置したまま〜非常に危険な小田原城に深入りし武威を示す必要性や緊急な事態でもない
滝山城を落とす国力も無いのに非常に危険な小田原城に深入りできる(と武田が判断する)のはおかしくない?

武田軍は滝山城を落城寸前にまで追い込んだ段階でまだ2万の兵と小田原まで行き三増峠で戦う余力があるのに
滝山城を落とす国力がなかったと考えるのは不可解極まると思う。
905人間七七四年:2011/03/23(水) 08:38:00.27 ID:BNr+sIwO
滝山城を奪っても維持できる見込みもメリットも少ない。
すぐに取り返されるからだろう。
906人間七七四年:2011/03/23(水) 12:45:55.08 ID:Rj2ekmET
本丸だけになっても水の手切られるまでさらに粘った野田城のケースもあるからな。
攻めきるとなると自信がなかったのかもしれん。
時間と兵糧の問題で。小田原周辺放火も、切れかけた食料集めだったのかも。
907人間七七四年:2011/03/23(水) 12:58:07.33 ID:8qcar0Zs
そりゃ後先考えず損害度外視して攻めれば滝山や他のある程度の城を落とす程度の国力はあっただろうけど
それやったらあとが無いとは言わないが長期的には不利
そういった意味じゃ滝山城を落とす国力がなかったと考えるのは自然じゃね

ただこの考え方だと信玄の関東遠征の戦略目標は城を落とすことには無かったとなるがな
908人間七七四年:2011/03/23(水) 13:13:05.79 ID:Rj2ekmET
取る気がないのに攻撃して兵を損じるって、当時の動員形態だとまずありえないような。
大名は絶対君主じゃなくて、領主らの同意を得て第一人者になっている存在。
最初からそんな捨て鉢な態度だってばれたら求心力が低下する。
その場その場の判断だろう。
909人間七七四年:2011/03/23(水) 13:22:10.71 ID:V7My29t6
まあ領土とれなきゃ恩賞もないわけで
910人間七七四年:2011/03/23(水) 14:41:39.70 ID:fCTs2zsg
つうか織田なんて別に関係ない東国戦でさえ、信玄ひいきに都合が悪い史実やら予想やら出すと織田厨扱いって。
頭悪すぎる。本当に病気か?
911人間七七四年:2011/03/23(水) 15:02:24.42 ID:BMqMUfri
病気だからだろ
スレの空気が悪くなるからいちいち関わるなよ
912人間七七四年:2011/03/23(水) 16:12:47.61 ID:NimVdwFs
武田攻めに参加した織田軍は総勢いくらだろうか。出陣した武将の顔ぶれからすると、尾張、美濃、伊勢、近江、若狭、越前(大野郡)、丹波、丹後、摂津、大和のほぼ総軍がなだれ込んだようだけど。
913人間七七四年:2011/03/23(水) 17:05:34.36 ID:BNr+sIwO
織田軍五万、徳川軍二万、北条軍一万と聞いたことがある。
914人間七七四年:2011/03/23(水) 17:47:43.30 ID:WyOT2dKA
勝頼のために最後まで戦った跡部・長坂らが軍鑑のせいで奸臣扱いされているのはかわいそうだな。
信玄時代から重用されてた武田譜代なのに。
915人間七七四年:2011/03/23(水) 20:24:14.26 ID:C8sB/wjy
集権化が絶対的に正しいってわけでもないのは信長を見てもわかる。
武田と織田なら武田のほうが優れていたが織田に滅亡させられたし集権化はどうしても
粛清とか必要になるから離反や謀反がつき物。

勝頼は国人への負担を負わせられたのは集権化のおかげだが
鉄砲や新府城等であまりにも過酷すぎた。
916人間七七四年:2011/03/23(水) 20:27:59.75 ID:C8sB/wjy
勝頼が詰んだのは御館の乱で、北条は放置しておけばいいのに攻めこんで包囲状態になったから。
それでも武田を潜在的に恐れる織田に放置されてきたが徹底して調略をされていた。

もう死は79年の時点で勝頼も予想してたんだから切腹を引き換えに武田家の存続を測ればよかった。
松がいるから邪険にはされん
917人間七七四年:2011/03/23(水) 21:23:16.09 ID:x6qiSKv5
絶対的な基準があるわけでもなし、優れていたとか断言できるのが不思議。
時代的な中世から近世へ、という流れは誰が天下取ろうと程度の差こそあれ動かなかったんだろうがさ。
918人間七七四年:2011/03/23(水) 21:56:04.49 ID:cAayVo8o
>>905
>>907
滝山城は甲府から約70km、攻略目標を駿河から武蔵に切り替えるなら維持は可能じゃないかな。
武田が武蔵を切り取るつもりなら多少の損害は無視しても欲しい前線拠点だと思う。
ただ滝山城はこのあと廃城にされている。
再建が無理なほどダメージを受たなら確かに維持できる見込みも落とすメリットもないよね。

>>906
この時点で時間と兵糧が問題になるなら小田原まで行かずに撤退すると思う。

>>908
>>909
後詰決戦を強いるのが目的なら有り得ない話じゃないし、最盛期の信玄の権威なら多少の無理は通るんじゃないかな。
恩賞は駿河を取れば問題ない。
919人間七七四年:2011/03/23(水) 22:01:52.68 ID:x6qiSKv5
ああ、謙信の関東出兵が略奪で領民食わせるためだ説あったけど。
信玄も略奪自体が目的で出て行った可能性はあるか。
920人間七七四年:2011/03/23(水) 22:05:28.20 ID:cAayVo8o
武田が略奪大好きなのは否定しないよ
921人間七七四年:2011/03/23(水) 22:11:23.70 ID:C8sB/wjy
武田信玄は今までの2ちゃんでの評価が悪かったから揺り戻しになってるけど
やっぱり結構不義理なところがあった大名だと思うんだ
922人間七七四年:2011/03/23(水) 22:15:20.54 ID:C8sB/wjy
徳川とか織田相手にやったことは長く根に待たれても仕方ないことやってた。
923人間七七四年:2011/03/23(水) 22:39:04.00 ID:iUecyEw8
>>918
まあ、普通は後詰決戦だよな。
氏照の滝山城を攻めれば氏政が後詰めを率いて出てくるはずで
それを撃破して力の差を見せつけ駿河での譲歩を引き出すプランだったのだろう。
ところが北条の動員が遅々として進まず、気がつけば滝山は落城寸前。
近くまで来ているはずだと敵をもとめて兵を進めてたら小田原に着いてしまったというのが真相ではないか?

ところで滝山を落とさなかった理由は氏照ではないか?
うっかり城を枕に討ち死にでもされたら
北条で打倒武田の機運が盛り上がって和平どころではなくなるかもしれん。
924人間七七四年:2011/03/23(水) 22:41:22.79 ID:x6qiSKv5
譲歩を引き出すという消極目的なら、戦火を広げるのはそれこそ逆効果じゃないか。
結果から逆算することは、当事者には無理。
925人間七七四年:2011/03/23(水) 22:51:21.94 ID:iUecyEw8
なにを馬鹿なことを。
実際に駿河や関東で戦火を広げた後で駿河領有と再同盟という譲歩を引き出してるではないか。
926人間七七四年:2011/03/23(水) 22:56:11.62 ID:cAayVo8o
>>923
うっかり城を枕に討ち死にでもされたら〜
これはありそうだなあ
927人間七七四年:2011/03/23(水) 22:57:29.42 ID:C8sB/wjy
北条は上杉が動かなかったせいで苦戦してたようだからね。
ただ駿東くらいは譲ったほうが早めに譲歩できたと思う。
928人間七七四年:2011/03/23(水) 23:01:55.15 ID:C8sB/wjy
滝山を信玄が落とさなかったのは駿河とか徳川攻めるとき維持が大変だからだろ?
929人間七七四年:2011/03/23(水) 23:18:45.61 ID:cAayVo8o
うんそう。
滝山云々は信玄の目的が武蔵攻略だったらという仮定のもとで話してます。
>>923がどうかは知りませんが。
930人間七七四年:2011/03/23(水) 23:20:36.10 ID:BNr+sIwO
上杉謙信と俺ら2ちゃんねらーの共通点が見付かった。
敵に回すと厄介だが味方に付けてもこれほど役立たずはいない。
ここぞと言う時にだけ正論を振りかざして相手を攻める。
戦争や書き込みという形で無闇に土地やスレを荒らす。
931人間七七四年:2011/03/24(木) 00:19:54.14 ID:on6mU9ZT
勝頼「そろそろスレチって気付かないですか?」
932人間七七四年:2011/03/24(木) 00:55:22.12 ID:XQL4M2u4
ほんと織田厨って毎回毎回無知を晒してるよな。
ツッコミどころ満載だし。
つうか将軍義昭が甲越和与を斡旋したから謙信が武田攻めをしなかっただけなのにそれすら知らんとは。
933人間七七四年:2011/03/24(木) 01:07:49.80 ID:v7uBMBfa
>>931
っていうかとっくに結論出てるようなもんじゃん。
勝頼の代では手遅れであり遅かれ早かれ大勢力の維持は不可能になるよ。
934人間七七四年:2011/03/24(木) 02:03:20.90 ID:psN3XW+h
上洛スレ建ててやるからスレ番教えろ
935人間七七四年:2011/03/24(木) 02:22:18.00 ID:MGYqpeNO
次確か66じゃね?
936人間七七四年:2011/03/24(木) 02:31:02.50 ID:BeB1zbxn
>>923
>うっかり城を枕に討ち死にでもされたら
北条で打倒武田の機運が盛り上がって和平どころではなくなるかもしれん。

史実で北条の一族や重臣殺しているのにそれはないだろ
937人間七七四年:2011/03/24(木) 02:33:21.90 ID:BeB1zbxn
65スレで終わっている
次は66スレだな
938人間七七四年:2011/03/24(木) 04:03:40.50 ID:bLN38icH
ここ織田厨がすげー自演してるから
他のスレとくらべて毎日
異常にレス数が多いなワロタw
939人間七七四年:2011/03/24(木) 05:40:26.05 ID:XQL4M2u4
信玄を叩くためだけに立てられたアンチスレだからね。
940人間七七四年:2011/03/24(木) 08:58:36.59 ID:qpil6FAf
>>934
おう早く立てろよ
941人間七七四年:2011/03/24(木) 16:21:33.79 ID:V2+LNDVN
相手が森長可だったから仕方ない。
942人間七七四年:2011/03/24(木) 17:27:39.21 ID:XQL4M2u4
それにしても滝山城を落とす落とせないとかアホな論議だな。
鉢形城も攻めたことも知らないらしい。
信玄の目的は西進であり滝山城を手に入れるつもりはない。
関東へ2ヶ月近くにわたり出陣していたのは
駿河方面を固めていた北条兵を関東の守備のために兵力移動するのを待って時を費やしていたから。
その為に信玄は御嶽や鉢形城の氏邦や滝山城の氏照を攻め荒らして威圧し、
小田原城まで南下し武田の恐ろしさを北条首脳陣に見せつけただけで
あくまで駿河攻略の意図を隠蔽した関東縦断であり武蔵国の城を奪うことが目的じゃない。
双方が大兵力を集中して全力で正面から殴り合う後詰決戦なんてのは
バカみたいに被害ばかりが増えるだけなのでそんなの北条も武田もやる気もない。
そんなことになったら川を挟んで長対陣から和睦の流れになるだけ。
そんなのやりたがるのは調略による城攻めが苦手だが野戦に異常に強い越軍だけ。
背後を見せて移動する敵軍の尻を噛みつくことが軍事的チャンスと狙う北条と
それを予見して備えている武田と言う様式美は三増峠の後に三方が原でも再現されている。
943人間七七四年:2011/03/24(木) 17:44:35.63 ID:V2+LNDVN
結果から逆算した過大評価ありきの結論どおりなら、そんな作戦で兵と戦費浪費させられた家臣団が黙ってないって当時は。
ゲームと勘違いしてないか?
944人間七七四年:2011/03/24(木) 18:31:35.16 ID:v7uBMBfa
信玄も晩年は病気のせいかちょっとバカになって来てるんだよ。
だからハイリスクノーリターンの北条攻めをやったり、最後は自分がいつ死んでもおかしくない状態なのに
暴挙としか言いようのない全力遠征やっちまったんだよ。
だいたいあの時代、50歳過ぎて体調悪いと人は普通にすぐ死んでた。
そんな時代に自分が死んだ時、その後のことを全く考えずに国家の総力を投じて
大遠征を始めるなど頭脳明晰な人間が考えることではない。
945人間七七四年:2011/03/24(木) 19:30:53.08 ID:NxFMWlYe
死にかけの人間が冷静な判断できるワケないわな
946人間七七四年:2011/03/24(木) 19:42:42.96 ID:t5KM5H5y
>>933
勝つ方法考えるスレじゃないぞ
武田攻め時の織田徳川側の話でもいいだろう
別に勝頼の話をする必要は無い
947人間七七四年:2011/03/24(木) 19:51:44.27 ID:XPgO45Og
まあ若い頃から病弱で年取ってからも何度も病臥した人間が
五重過ぎて跡継ぎの交替なんてして渦中に混乱が起こっていのに
家督継承も正式に行わずに全力出撃なんてちとフォローはできんわな
948人間七七四年:2011/03/24(木) 20:06:11.39 ID:o2zK94Zp
総大将は勝頼さんで信玄さんは療養でいいと思う。
勝頼には作戦を知らせておきゃいい。
949人間七七四年:2011/03/24(木) 21:12:16.27 ID:6A/EeChX
>>947
毛利元就はそんなもんだったんだが、
あんなに活躍したぞ。
950人間七七四年:2011/03/24(木) 21:15:22.10 ID:psN3XW+h
家督も明確に継がせてるし違うくね?
951人間七七四年:2011/03/24(木) 21:43:03.81 ID:NGJpbwca
実際、信玄は影武者を多用し
自ら出陣していない戦が多かったとか
952人間七七四年:2011/03/25(金) 01:26:54.31 ID:HjXwUhn9
>>943
戦費浪費?
そもそも信玄は里見や佐竹まで呼応させてリスクが少ない状況を対北条包囲同盟を成立させておいてから戦ってた。
のちの対織田包囲同盟といい信玄は相手を外交力で囲み兵力分散させて敵を疲れさせて背後を襲う戦略が常套手段だ。
さらにこの軍事的作戦による北条兵の関東への兵力移動を利用して駿河を電撃侵略してる戦費回収してんじゃん。
そして三増峠で敗北し九死に一生を得た氏邦や氏照は完全にビビり氏政と共に甲相同盟へ動いて信玄の背後は固まった。
北条氏直と今川氏真を養子にしてまで今川の領地継承を主張してたのも完全に断念したどころか北条軍も信玄の西上への援軍として参加させることに成功した。
こういう外交で敵を囲んで攻め込み敵が来たら引くを繰り返していつの間にか政治力で敵地を奪う芸当は信長にはできない。
953人間七七四年:2011/03/25(金) 01:33:06.90 ID:zWD+BF8g
成功したと言っても氏康が倒れたことに助けられた部分が多いからなー
それが無ければどうなっていたことか

あとスレタイ
954人間七七四年:2011/03/25(金) 01:38:21.81 ID:+s3ej5+d
くその役にも立たない相越同盟続けても北条得しないもん。
ボコられはしたが、北条にとってもいい機会ではあった。
信長は力でねじ伏せるからなぁ、信玄とはまた方向性が違う。
955人間七七四年:2011/03/25(金) 04:44:12.28 ID:Rp6ODWxr
>>953>>954
氏康は将軍義昭が甲越和与を斡旋したことも知らなかったアホ。
そもそも越相同盟自体が義昭の斡旋からスタートしたもので
別に北条を助けるためのものではなく謙信と氏康の上洛を促すためのもの。
氏康には関東に固執して上洛する意思がないと義昭に判断され甲越和与の流れになっただけ。
しかも信玄は西上を前に保険をかけて越中一向宗を蜂起させて謙信が武田領を窺わないように外交を駆使していた。
信長のようにアチコチで同時に敵を作りまくって軍を分派するような迷走した破綻戦略は取らない。
956人間七七四年:2011/03/25(金) 04:54:34.29 ID:1GkGmPTh
武田上杉北条の三氏を取り合えず勢力拡大という観点から見てみようじゃないか。

武田は前半上杉との戦いに力と時間を使い過ぎたが後半は着実に逐次領土を拡大してる。 
だが地勢的に拡大のスピードは遅くはないが次第に四方を大勢力に囲まれ拡大は行き詰りつつあった。

上杉は領土拡大には積極的ではなかったとも言われ関東出兵も結果が得られず無駄な軍事行動は多かったが
北陸方面経略に関しては後期は非常に短時間で急激に拡大していることから貪欲にいけば
200万石弱くらいまでいけたのではないかと思われる。

北条は川越夜戦以後は有数の大勢力と言える力を持ち、また甲信越に比べれば遥かに豊かな
関東平野に勢力を広げることができるため将来性はあったものの武田上杉との激闘、そしてそれらと
巧みに外交を展開する本来のターゲットである里見や佐竹を中心とする東関東中小勢力に手こずり
本能寺まではイマイチ関東無双に持っていけなかった感があるがその後は名実共に関東の覇者になった。

結論的には小勢力から大きく拡大し、最終的に一時はは中央の新興巨大勢力を脅かす存在になり
戦国大名として十分な存在感を示した武田上杉と、飽くまで花よりも実を取り
最終的に中央の統一勢力を除いては最大の戦国大名の座を得ることにより
戦国の最後を飾る役割を果たした北条というべきだろうか。
957人間七七四年:2011/03/25(金) 07:38:00.65 ID:9HDB98sO
>>955
軍を分けたからこその侵略スピードが織田家のウリでないの
武田みたく一極集中では統一までえらい時間かかるで
958人間七七四年:2011/03/25(金) 08:09:16.45 ID:HjXwUhn9
戦略と外交の基本たる遠交近攻で敵を一つに絞って戦力集中をなるべく心がけるならば
尾張、美濃、南近江、山城の圧倒的国力と収入を背景にもっと早く統一を果たしていたわな。
どう考えても織田より圧倒的に国力が無い相手達に長期に渡り苦戦し過ぎ。
959人間七七四年:2011/03/25(金) 09:00:22.90 ID:N2sr6Kyc
>>958 人には向き不向きっつうもんがある。信長は圧倒的政治力や合理性
戦略性を持っていたがそれらに比べて外交能力が拙かったというだけだろ。
960人間七七四年:2011/03/25(金) 09:15:03.65 ID:HjXwUhn9
信長が圧倒的な政治力や合理性や戦略性を持ってたとかアホすぎ(笑)
961人間七七四年:2011/03/25(金) 12:14:50.74 ID:rgCi1fnr
>>953
史料から判る氏康の不調は1570年の半ばからで、その頃は既に駿河の殆どが武田の占領下。
氏康が倒れたから武田が勝ったというより格下の武田に負けたショックで氏康が倒れたと観るべき。
>>956
信玄・謙信一代の業績と北条五代の業績を同列に語るのはおかしい。
962人間七七四年:2011/03/25(金) 12:35:59.97 ID:HjXwUhn9
つうかそもそも川越夜戦なんて存在自体が捏造だし
963人間七七四年:2011/03/25(金) 12:44:00.25 ID:yIrrFbaN
>>961
氏康は越相同盟などという非現実的な物に拘るあたり、随分前からボケてたんじゃなかろうか?
信玄が第一次駿河侵攻で北条の出方を読み違えたのも氏康のボケまでは慮外の事だったのかも

北条は五代で信玄・謙信一代並という事じゃねw
964人間七七四年:2011/03/25(金) 12:51:23.95 ID:ykndMbsu
河東を狙って介入ぐらいは読めても全面戦争は想定外だったろうな
上野でも沼田辺りまで北条の勢力圏になっていたというのに
それを捨ててまで武田と争うってのはなー
965人間七七四年:2011/03/25(金) 13:08:46.51 ID:puDT7HQ6
武士の合戦は、面子や報復も無視できない程度に大きな割合を持っていたってことだな
特に下克上をはたした新興の家は、侮辱されて放置すると威信や権威に関わる

大名だからって、政治や戦略だけで行動できるような人間はいない
というより、面子ってのも重要な政治の一要素だってことだな
966人間七七四年:2011/03/25(金) 19:00:32.75 ID:OlV2LSlL
嫁の実家で娘の嫁ぎ先だからな。
武田の嫁は突き返したし。

本気でブチ切れた漢字だよね。
967人間七七四年:2011/03/25(金) 19:05:39.10 ID:xpVXnob3
信玄は北条相手にうまく戦ったのは事実だが禍根残したのも多分事実
968人間七七四年:2011/03/25(金) 19:52:51.08 ID:EmoM5w+j
>>966
氏政氏直親子にしてみれば
理解不可能な行動だったかもしれん。
969人間七七四年:2011/03/25(金) 20:06:42.84 ID:HjXwUhn9
まあ謙信が武田と北条を同時に敵に回して暴れてたみたいな真似事して
氏康が上杉と武田を同時に敵に回して今川救援やったら確実に北条滅亡だったけどな。
970人間七七四年:2011/03/25(金) 20:12:52.70 ID:TXHLH7vv
逃げ田信玄とか寒いギャグセンスのおっさんにそんな蛮勇を奮う勇気はない。
971人間七七四年:2011/03/25(金) 20:40:16.16 ID:yIrrFbaN
>>968
氏政からすれば「嫁を奪い息子を人質とかおまえは鬼か」って感じだよな
息子の人質をゴネまくるわけだ
氏康・氏政親子の間が相当ギスギスしたものだったのは想像に難くない
対武田戦で北条の動きが異常に鈍いのはこの辺の事情も考慮する必要があるのではなかろうか?
ついでに例の二度汁のエピソードも
972人間七七四年:2011/03/25(金) 21:01:04.60 ID:HjXwUhn9
脳溢血後にボケた氏康が回復してきて
正気を取り戻してきたのを
武田と再同盟を図ろうとしてた氏政が困って暗殺したって説もあるからな…
973人間七七四年:2011/03/25(金) 21:05:45.51 ID:1GkGmPTh
>>961-963
川越夜戦が史実かどうかはどうでもいい。 
重要なのは、戦いがあったとされる時期を境に上杉憲政の勢力が急激に衰え、代わりに北条の
関東での基盤がより磐石になったということだ。

信玄、謙信一代でやったことを北条は五代かかったというのは冗談にしても下手すぎる。
北条は五代に渡って拡大を続けられたが武田上杉は自力での勢力拡大に関しては二代目で詰んでしまったというのが正確な言い方だろう。
974人間七七四年:2011/03/25(金) 21:12:21.66 ID:xpVXnob3
武田は信虎から3代、長尾は下克上だがそれでも3代。
975人間七七四年:2011/03/25(金) 21:22:25.73 ID:HjXwUhn9
そもそも関東管領上杉を弱体化させたのは長尾景春や長尾能景や長尾為景であって
北条早雲や氏綱は辺境で火事場泥棒してただけなんだが…
976人間七七四年:2011/03/25(金) 21:23:21.93 ID:xpVXnob3
氏綱は関東中を敵に回して勢力拡大してた。今川から駿東も奪ってる
977人間七七四年:2011/03/25(金) 21:27:31.54 ID:HjXwUhn9
氏綱は長尾為景や武田信虎に土下座外交してたじゃん
為景に贈った絵は気に入らねーと言われてたり
信虎にはこないだジャイアンして2匹のうち1匹没収した鷹が気にいらないから、やっぱ返してやった方と交換しろやって言われてるし
978人間七七四年:2011/03/25(金) 21:53:12.91 ID:1GkGmPTh
ま、なんと言われようが結果オーライな時代なもんでな。
979人間七七四年:2011/03/25(金) 22:25:22.70 ID:nD/1ZRwZ
プライドか地位の関係かは分からんが
すべき時に土下座外交できずに滅びたからこのスレがある
980人間七七四年:2011/03/25(金) 22:32:23.10 ID:rgCi1fnr
>>961-972まとめ

ボケた氏康は武田の駿河進攻に面子を潰されたとブチ切れ
越相同盟などという非現実的な戦略を頼り全面戦争に突入するなど
氏政氏直親子にしてみれば理解不可能な行動を取ったせいで
ギスギスする親子関係に足を引っ張られた腹いせに
息子の食事作法にケチを付け、逃げ田信玄と寒いギャグを言ってる内に
駿河上野と面子を失ってショックで倒れたと観るべきで
その後しばらくして正気を取り戻すも
武田と再同盟を図ろうとしてた氏政に暗殺されたという説もある・・・
981人間七七四年:2011/03/25(金) 23:57:03.65 ID:XsnKytZ9
>>980 まとめるなw
982人間七七四年:2011/03/26(土) 19:09:08.06 ID:Mzzq9vfv
>>980
Excellent!wwwwww
983人間七七四年:2011/03/27(日) 02:36:28.03 ID:AxLckAmd
もし信玄が天正10年まで生きてたら武田は滅亡しなかったのかな。
田野で包囲される信玄は見たくないなあ。
984人間七七四年:2011/03/27(日) 04:05:35.20 ID:rr95PNX2
実際、信玄が西上を始める辺りになると信長は岐阜から動けなくなって三河の家康への派兵がお茶を濁すレベルの小部隊が限界で、
山陰山陽の中国戦線は完全に見捨てたからね。
信長を頼った山名を見捨てたことで吉川元春に但馬まで進出されたし、
信長を頼ってた浦上も見捨てたから毛利が後援してた宇喜多の播磨侵攻を防ぐことが不可能になっていた。
信玄が生きてたら北近江浅井や南近江六角や越前朝倉や河内三好や大和松永や山城義昭の滅亡もなく摂津本願寺や北伊勢長島一向衆も落とせず、
おまけに丹波の赤鬼に光秀が大敗するなどフルボッコだろうね。
そういや朝倉軍には斎藤龍興が客将になって在陣してたから
信玄が尾張侵攻したら親武田の飛騨国人&加賀一向衆の助力を得て
美濃へ入国してゲリラ活動で武田別動隊の東美濃侵略に呼応するだろうね。
985人間七七四年:2011/03/27(日) 04:55:18.91 ID:DP+eJ+QT
信玄があのまま侵攻できていたら論争の一番の肝は、武田崩れのときのように、
織田方の勢力が雪崩を打つように離反するのか否かだからなぁ。
986人間七七四年:2011/03/27(日) 05:46:27.65 ID:rr95PNX2
今川をあっという間に崩壊させたりと信玄は調略の名手だからね。
特に謙信配下の本庄繁長に謀反を起こさせたのは神過ぎる。
987人間七七四年:2011/03/27(日) 06:30:43.42 ID:EymfGLZs
>>986
>今川をあっという間に崩壊させて

は???
なんのことだ?
一体、なにを基準にして「あっという間」とか言ってんだ?
桶狭間から9年。それからも、今川の娘を妻とする義信とのいさかい、
さらには織田・徳川との書状のやりとり。
今川家臣の長暦も「あっという間」などではなく、それなりに長期にわたるものだろうが。
信玄が突然、思いつきで今川を滅ぼしたとでも思ってるのか?
988人間七七四年:2011/03/27(日) 06:42:41.89 ID:DP+eJ+QT
2.5万の軍勢だけでは上洛は無理なのは別スレでさんざ議論されたとおり。

だけど、別に江戸幕府時代の甲州軍学の影響云々ではなく、当時でも武田は
戦に圧倒的に強いと思われており、事実三方原で佐久間信盛なんていう
当時の織田家中のNo2的の存在だった武将が出陣していたのに打ち破られた
というのはかなり大きい。東美濃からの馬場美濃守のゲリラ的攻撃も
純軍事的にはともかく精神的ゆさぶりにはなっていたし。
989人間七七四年:2011/03/27(日) 06:51:57.01 ID:rr95PNX2
義信を廃嫡し妻を今川へ返却して断交後わずか1年で…
駿河侵攻してから今川家臣21人を寝返らせて
1週間で駿府入城する芸当をやってみせたんだからあっという間だろ。
990人間七七四年:2011/03/27(日) 06:55:41.45 ID:rr95PNX2
>>988
いやいや上洛スレは自演織田厨がキチガイ過ぎて
マトモな人間はみんな引きまくって消えていっただけじゃん(笑)
あれで論破宣言とか厨房ですね。
991人間七七四年:2011/03/27(日) 06:57:05.35 ID:EymfGLZs
>>989
それ以前からも今川への調略や徳川や織田への交渉してたろう。
「水面下で動いてた」って奴ね。
992人間七七四年:2011/03/27(日) 07:03:32.23 ID:rr95PNX2
あやふやな定義の元に水面下なんて言ったらそれこそ
いくらでも遡れるし、そもそもいきなり隣人が引っ越してくるのと違って
どんな大名家だって祖父や父の代から
水面下において四方八方に唾つけまくっていろいろ謀略外交をやってるだろ…アホかよ
993人間七七四年:2011/03/27(日) 07:13:29.65 ID:rr95PNX2
信玄が生きてたら信長は中国戦線を捨てた状態が継続し
信長が浦上の下に同じ赤松被官だった別所や小寺を位置付けたから
織田に対して別所や小寺は爆発寸前だったから毛利後援の宇喜多による播磨攻略は確実視されるところだし
元春が丹波国人に呼応したらそのまま上洛可能になっちゃうんだけど
信長はどうやって毛利と本願寺を抑えこむ気だったの?
994人間七七四年:2011/03/27(日) 07:26:59.85 ID:rr95PNX2
義昭によって甲越和与が成立しており謙信は武田領には攻めこまないが
それでも用心して越中一向衆に蜂起させて謙信を釘付けにしてたし
西上する武田軍は北条からも援軍をもらってる。
対越後への備えの軍を東美濃攻撃に転用可能だし
北条からのさらなる援軍も可能。
織田とは違い信玄の背後は安定してるから気兼ねなく進軍できるからね。
三河攻略が進み春過ぎになれば朝倉軍も2万以上もまたやってくるしな
995人間七七四年:2011/03/27(日) 07:29:29.24 ID:1EKIKuSG
武田にとっては今川侵攻は衰えたとはいえ今川から離脱した遠江の小勢力が再び今川の下に結束することも有り得るし
そうなった場合、甲斐と信濃と西上野しか治めてない武田にとっては短期間の軍事行動で
今川を降すのはかなりの周到な根回しが必要だったということなんだろうな。
要するにそれだけ武田の国力、動員力はなかなか増えなかったということになるのかな。
信玄の才能と勢力拡大への努力は信長に引けを取らないと思うけど、
いかんせん信玄が攻め取った領土はことごとく信長が切り取った濃尾や近畿に比べると貧し過ぎる。
信長が万札をガンガン集めてるのに信玄は小銭集めるのに必死な状態なのが辛いよな。
996人間七七四年:2011/03/27(日) 07:37:39.10 ID:rr95PNX2
実際は大して水面下で動いていたことを証明できる史料なんて無いけどな。
ぶっちゃけ今川が謙信と結ぼうとしたのを察知したから信玄は駿河侵攻を決めただけの話だけどな。
997人間七七四年:2011/03/27(日) 07:44:45.67 ID:rr95PNX2
これでも謙信が死なずに上洛戦を開始していたとする想定に比べれば
信長を取り巻く情勢はまだまだマシだけどね。
998人間七七四年:2011/03/27(日) 09:57:29.03 ID:kEHtfynE
>>993
元亀と天正をごっちゃにしてますね
考察は正しい知識を元に行いましょう
999人間七七四年:2011/03/27(日) 10:04:24.16 ID:rr95PNX2
>>998
はっ?信玄が生きていたらと言う話なんだが。
当然、歴史の流れでいけばこうなるわけなんだがw
1000人間七七四年:2011/03/27(日) 10:05:48.58 ID:rr95PNX2
織田厨あちこちのスレで大敗しまくってすっかり元気なくなってるなワロタ
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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