463 :
人間七七四年:
攻め込んでる方がボロボロなわけねーだろw
純粋に信秀の戦術的失敗で尾張に撤退しただけ。
そもそも信秀には財政的余裕があるから外征してるわけだし、
斎藤との婚姻同盟で多方面作戦も止めてるし施策としては特筆される。
実際、岩倉織田を継いだ幼君の織田信安は清洲織田から入った人物で
それを犬山城で後見してたのが清洲織田配下の三奉行の1人である信秀の弟の信康なわけで、
ぶっちゃけ尾張は信秀がほぼ制していたと言っていい。
その状態に反旗をあげた信康の子の信清や清洲織田信友との戦いがあったから1548年に今川軍に苦戦しただけの話で
その後に彼らは力でネジ伏せて尾張の実権を完全に信秀は握っているし
今川とも竹千代交換して和議が成り
信秀の晩年は内外ともに安定してる。