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人間七七四年:
尾張の上四郡岩倉織田氏(伊勢守家)
尾張の下四郡清洲織田氏(大和守家)の清洲三奉行家の1人が信秀(商業都市津島や熱田を支配)
1535年 松平清康が森山崩れで死。朝倉・六角の後援を受けた土岐頼純を道三父が土岐頼芸とともに大破し美濃での優位性確立。
1536年 花倉の乱により義元が家督を継ぐ。
1537年 2月甲駿同盟成立に反発した氏綱により河東の乱が発生し北条に河東地域を奪われる。
信秀は弟の信康を対美濃最前線の尾張北方犬山城へ入れ織田伊勢守家の織田信安の後見監視役とする。
1538年 第1次国府台の戦いで氏綱が勝利。
1539年 信秀が三河東部に侵攻し安祥城攻防戦開始。
1540年 信秀が安祥城を攻略。信秀が安祥畷で今川軍を撃退。
1541年 伊勢神宮遷宮で信秀が材木や銭七百貫文を献上 信虎追放と北条氏綱の死去で背後が安定し今川の西進が可能になる。
1542年 第1次小豆坂の戦いで信秀が今川に苦戦するも勝利。
道三が事実上美濃国主となり土岐頼芸を後援して信秀が朝倉と美濃へ侵攻し大垣城奪取。
1543年 信秀が朝廷に内裏修理料として4000貫文を献上。
1544年 道三の援軍として越前から来た朝倉宗滴に信秀敗退。
1545年 今川が河東地域奪回のため上杉・武田と北条を挟撃し第2次河東の乱が発生。
1546年 河越野戦で上杉に北条勝利。
1547年 信秀が道三の本拠地稲葉山城を1万とも言われる大兵で包囲したが籠城戦で撃退される。信秀が竹千代の身柄を得る。
1548年 信秀が信長と斎藤道三の娘・濃姫を政略結婚し背後を固める。
犬山城主織田信清と楽田城主織田寛貞の謀反。主家の尾張下四郡守護代織田大和守家を継いだ織田信友に古渡城を攻められる。
信秀が岡崎城攻略に出陣し第2次小豆坂の戦い発生。当初は優勢だった織田軍だったが今川軍に横槍を入れられ崩れる。
1549年 松平広忠が殺されたので信秀長子信広を捕虜にすべく安祥城を攻略し竹千代と交換。信秀が織田信友と和睦。
1550年 武田が村上義清に敗退。
1551年 3月信秀急死。村上義清越後に亡命。
1552年 上杉憲政、越後に亡命。甲相駿三国同盟
基本的に信秀は優勢で常に外地へ攻め込んでの攻撃姿勢のまま。
今川 駿河15万石 遠江25万石
織田 尾張57万石