織田信長は日本最高の過大評価6

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207人間七七四年
>>204
書くつもりも無かったが脳内妄想と言われた以上は出典を書いておくわ。
まず、秀吉は島津に九州国割を示したが
島津内での議論で、秀吉の背後は信用ならない大勢の大敵がいるから来れるはずがないし、
京や大坂開発没頭で権力を誇示するのに夢中だとして
秀吉の国割案を破棄しているのはフロイスの日本史が出典。
さらにくじ引きで戦略を決める話は上井覚兼日記が出典。
蛇足だが、島津の攻撃で弱体化した大友を毛利が狙ってくるのがムリってのは、
1578年末の耳川の戦いと同じ時期に第2次木津川の戦いが起きて毛利水軍が大敗している。
その影響があったのかはわからんが、
田原親宏・親貫親子の大友への謀反の際に、
1580年に毛利水軍が大挙その支援にやってきた時に国東半島沖にて捕捉され大友水軍に大敗してる。
この戦いで毛利は豊後水道や門司海峡での制海権を失ってしまった。
だから毛利が大友領を狙うことは物理的に有り得ないんだよ。