戦国ちょっといい話24

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43人間七七四年
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徳川家康の勘気は解かれ、榊原康政を始めとする上田合戦への参加者は、謹慎状態から開放された。
康政のもとには、友人の本多忠勝と井伊直政が訪れ、祝いの酒宴が開かれることになった。

「しかし、このたび康政殿が、身も省みず大殿を諌め、御父子の仲を修復したる事、徳川家のため…いや、
天下のためのお働き。いかなる勲功にも勝りますぞ!」
「ふふん、そうか?」
“幼にして沈静”と言われたさすがの康政も、年下ながら自分より所領の多い直政に持ち上げられ、気を良くした。

「だがのぅ小平太よ。直政の言う事もっともだが、わしには一つ心得ぬことがある。怒らずに聞いてくれい。」
「なんじゃ、平八?わしとお前の仲じゃ、遠慮なく言ってみろ。」

康政にうながされた忠勝は、神妙な顔をして、話を続けた。
「うむ。こう言っては何だが、われら三人、『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる身よ。」
「…まあな。」
「そのお前が、佐渡(本多正信)の後ろに控えておったのが心得ぬ。お前ほどの男が、先頭切って上田城に
バーッと乗り込み、ガーッと崩せば、関が原の陣に間に合い、大殿に怒られずに済んだのではないか?」

「……………」
「い…いや忠勝殿、それはですな……」

それ以前に、康政や正信は上田城なんぞ放っておいて、さっさと中山道を進みたかったのである。
だが、秀忠や若手が血気に逸ってそれを許さず、康政らはせいぜい真田にスキを見せないようにしたり、
深入りをしないよう戒めるしかなかったのである。そういう立場なのである。

ついでに言えば、康政・忠勝ともにこの時52歳。上野館林10万石と上総大多喜10万石の大名格であり、
そろそろ孫の一人や二人生まれている立場である。いい大人なのである。

「…でも、忠勝殿はこれでいいんですよね。あははは……」
「そうだよな、平八は変わっちゃダメだよな!ハッハッハッハッハッハッ!」
「?おう、そうだろうとも!ガハハハハハハハハ!!」

三人一同に打ち笑い、その夜は和やかに宴の時を過ごしたという。