武田信玄は過大評価されすぎ!!part2

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833人間七七四年
>>引き分けとするのはかなり苦しいだろう。
結果的には第四次川中島の戦いを信玄の勝ちとするか
引き分けとするかと上田原は同じようなものだ。
>>818>>819
>>なんで義昭は降伏する必要がある
槙島城で挙兵した義昭が毛利に兵糧の援助を要求したが
信玄死んだことで毛利も義昭から手を引き
槙島城の兵糧搬入がなされてないので
抵抗しようにも抵抗できない。
三方が原で大勝利を挙げた武田軍への威望が大きかっただけに
その死と言う事実への反動は大きく士気を低下させた。
また毛利は織田の背後を掠め取ると言う火事場泥棒的な行動原理で
織田との正面決戦するほどの覚悟は無く
また作戦計画の大前提が崩壊した場合は
だらだらと誤魔化し誤魔化し、なし崩し的、
場当たり的に戦争指導するのは愚策。
この場合の毛利は非常に英明な判断。
逆に本人達の将兵からの人望に問題があった
三好義継や朝倉義景はそう言った状況変化に即応できず
最後は織田に内通した重臣に殺されるなどバカ過ぎ。
朝倉も織田との正面決戦よりも籠城してれば負けないと言う
消極的戦術を取っていて、武威は奮わず軍功を立てる機会もなく
信玄の攻勢に頼る受動的指導体制は将兵の士気を低下させるばかりだった。
>>821
ゲームじゃないからこそ面の制圧が必要なんだろ。
旧日本軍も中国において点と点の制圧ができても面制圧ができずに苦戦してる。
ゲリラ的な補給線切断こそが長期持久の泥沼化による敵戦力の消耗疲弊を誘う一揆戦術。
近江で信長が支配していたのは主なところで
佐和山・横山・観音寺(一時奪回されたりしてるが)・大津・坂本など
琵琶湖南岸に沿った街道沿いだけであり、その南は六角支配下である。
また天野川以北は湖北十ヶ寺一揆支配圏を構成しており
姉川南部ですら、いまだに安定統治が為されていないのが織田。
>>信濃入りしていて被害があったんなら
別に信濃南部に直接被害があったとは書いてないだろ。
武田軍が後方へ撤退したり、家族が心配で士気が低下したので自落したりしたと述べてる。
>>和田が親織田としてついたのは
いやいや和田と細川は行動をほぼ同一としているし、
だかららこそまだ若い惟長の補佐を信長は細川に依頼しているし、
荒木や高山らの織田を無視した暴発行為から惟長を守る意図も信長にはあったはずだ。
高山右近について信長が認可を与えているような書状は無い。
>>2度も居城を失った荒木
一度目は京の桂川以西が三好勢力圏化したから。
二度目は荒木が本願寺の中島砦攻撃での大損害後に奪われてるだけ。
信長は無理な軍役を強要し、その隙を狙う敵対勢力が挙兵し彼らの拠点が危うくなるため
信長の軍役を無視して帰国したりすると謀反だと決めてかかるタチの悪さがある。
松永や荒木などが謀反することは度重なる拠点の危機や失陥に、
彼ら国人を支える層が信長へ反発することで謀反が具現化していると言える。
>>それだけやってるのに何か問題か?
それしかやってないの間違いだろう。
しかも丹波平定失敗するわ、播磨別所や摂津荒木が謀反するなど一時は完全に行き詰まりを見せて
信長は朝廷に泣きついて毛利と本願寺との和睦斡旋を頼む始末。
>>826
富士金山・安部金山・井川金山などが武田により本格稼動し始めてる。
といっても、武田の長畑金山を駿河側から掘ったり(井川金山)
武田の早川金山を駿河側から掘ったり(安部金山)
武田の中山金山を駿河側から掘ったり(富士金山)
要するに武田氏が従来の金脈を駿河側から掘って採掘力を2倍に強化したと言うこと。