当主死去と政権弱体化

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44人間七七四年
傘下の国人一揆連合による上位統治権力への抵抗が基本にある寄親寄子制は
トップダウン方式による命令と迅速な執行を妨げ、
不利とみるや大量の造反国人が敵に寝返るために強い統治支配が出来ず
国人達の顔色を伺いながら、意見調整をせねばならない。
そこから脱却し守護や旗頭から戦国大名へと脱皮するためには傘下の国人達の権力を剥奪し
併合し官僚化し統治の深化を進めなければこれ以上の遠隔地拡大が出来ない脆弱な統治機構のままになる。
そこで宗家の権力確立を目指し国人を圧迫していたのが、
戦に強い陶晴賢や大友宗麟や尼子晴久が代表だろう。
逆にこういう中央集権への国人達の反発から
口うるさくない傘下に入れば、領内に介入しない、国人一揆連合の盟主くらいな軽いユルユルで
国人として独立性を保てる我が儘が利く関係で支配がより後退した関係で媚びて実力に伴わない単に肥大化しただけなのが
戦に弱く下手に出て支持を受けた島津義久や毛利元就や北条氏康や伊達政宗でより上位権力がやってくるや傘下国人の瓦解や国人間分裂対立も早かった。