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人間七七四年:
あのね、お前なんか勘違いしてるようだが
俺は日本海側に宣教師が来てないから
良質な硝石が手に入らず
南蛮火薬技術を越後に導入した経緯を書いたんであって
雑賀衆の鉄砲生産技術能力の話はしてないし、
雑賀が鉄砲の組織的運用ができるだけの火薬精製技術が越後の南蛮火薬技術なのではないかということ。
越後から西への徐々の伝播があって富山県内でいきなり栃南市エリアから火薬精製技術が生まれたとは言ってない。
あくまで栃南市の土壌が最も精製に適していたので最終的にその地に落ち着いたと言っている。
それに雑賀と根来と大坂本願寺の地域密着度から堺からの技術流出も否定してない。
南蛮の火薬精製技術が越後へ伝わったが
その生産技術が伝わらないと鉄砲隊組織的運用が可能にならないのではと言っている。
品質の低い火薬なら中国商人から手に入るがそれはてっぽう技術発展系統のレベルであろうし紀伊から伝わったとする氏綱にまつわる話がそれであると言っている。
そして謙信の南蛮火薬精製技術流失と明国からのてっぽう技術が合わさって昇華されたのが戦国末期の大鉄砲隊の組織的運用につながったのではないかと位置づけただけ。