戦国時代のキリスト教について語る

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88人間七七四年
鉄砲伝来と言ってもてっぽうと呼ばれるモノと区別しなければならない。
元が北九州に攻め込んできた時に武士が驚いた火薬爆発物だが、
これは一説に元が攻める100年前には日本に伝わっていたとする説がある。
また天文年間に明への貢物を海賊から守るために松下五郎三郎が鉄砲で武装していたと言う。
1510年に唐から堺に鉄砲が伝わり享録年間に玉滝坊が購入して氏綱に献上。
また紀伊国根来出身の大藤信基が北条氏綱に鉄砲技術をもたした。
1524年に幼い氏康が鉄砲の音に怯えた。
ここら辺りはてっぽうであろう。
正確に鉄砲技術の伝来で言うなら
1543年明へ向かうはずの難破船が種子島に漂着し乗っていた宣教師から鉄砲伝来。
雑賀衆の鉄砲技術もてっぽうによるものが素地になっていると思われる。
続く1544年ポルトガル船で鉄砲鍛治師が種子島に到着したので早速学ばせた。
1559年に謙信が上洛した際に以前宗麟が義輝に献上していた「鉄放薬之方併調合次第」と言う秘蔵の巻物を義輝からもらっている。
これは明確に火薬技術が越後に伝わった一次史料であり現物の巻物自体が現存している。
富山県の東部は長尾為景が守護代であり父である長尾能景が一向衆に殺されて以来、謙信に至るまで戦っている地域であり鉄砲火薬技術との接点が無いわけではあるまい。
加賀藩は藩による本格的な増産をしているが、その素地がすでに越後経由で伝わってもおかしくない。