戦国時代のキリスト教について語る

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83人間七七四年
ちなみに石見銀山開発で富を得て博多の豪商に成長した神屋寿貞の曾孫の神屋宗湛や島井宗室らと博多を支配していた宗麟は親しく
一族の神屋亀菊を左衛門尉に任じているなど主従関係があったとされる。
しかし王直なんて使い走りはまったく関わってこない。
当時、大友は中国と貿易したがっていたが拒否されており
王直が許されて明に帰ると聞いて、通商のツテとして使者を帰国に同伴させたが王直は騙されただけで、大友の使者は殺されそうになり逃げたが王直はのちに死罪になっただけ。
朝鮮とは通商したいとは思ってなかったようで、大友の名義を対馬の人間が勝手に使っていたようだ。