【臼井城の戦い】上杉謙信が北条に戦略的勝利

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85人間七七四年
里見は安房一国まで追いつめられて謙信に越山要請してたし
佐竹は義昭が死去したのを幸いに小田が佐竹を攻撃してきたりしてたから謙信が出ばってきたんだろうね。
北関東諸将が謙信から離脱するのは厩橋北条高広が原因なのは確実で佐竹相手に謙信自身がそう述べている。
彼は永禄2年に謙信が相判衆に就任したことを契機として府内長尾政権に参加し、
長尾家奉書署判者として長尾藤景、柿崎景家、斎藤朝信と共に謙信権力中枢を支えた4人の領主であり
小田原侵攻が開始されると柿崎が府内で留守を守り、
長尾藤景と北条高広が最前線で指揮していた。
彼が永禄9年2月に謙信から離反すること自体が権力構造根幹に関わるとんでもない話である。
まさに天魔の所業と謙信が怒ったのも無理はない。
しかも謀反とともに高広は信玄から他にない昵懇の関係を作っていくように言われていて、
まもなく武田騎下の真田により白井城が落ちて沼田城が危機的状態になる。
ここでも永禄11年3月の本庄謀反同様に信玄の謀略がかいま見れる。