武田信玄上洛成功

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757人間七七四年
教の差し金ということで信長が徹底調査すると
以前に鳥屋尾満栄が信玄に使いし信玄の上洛の時は岡崎まで大船団を派遣し迎えると約していたことが発覚。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1293203118/468
信長は大河内城2ヶ月大包囲において本田親康の船江城の陥落は難しいとして避けたら奇襲される始末。
さらに曽原城の天花寺氏と挟撃されるわ、氏家ト全も蜂屋般若之助ら36人討死と壊滅的打撃を受ける。
滝川軍も逆激を受けて谷底に落ちまくるなどして壊滅。
大河内城攻防は周囲の支城からの夜昼なき奇襲を受けまくり
北畠は信長から信雄を人質にとってるが北畠は信長に人質を1人も出さず。
しかも嫡男信忠と次男信雄の2人だけは母が生駒氏だとされているためその価値は非常に高い。
信忠が死ぬなどでうまくやれば織田家乗っ取りさえも可能。
すばらしいカードを手に入れたが長島一向一揆を鎮圧後に伊勢掌握のために
具教暗殺&暗愚具房のため逆に弱体化させられる。
明らかに不平等な交渉だがそのおかげで織田軍は退却の時に追撃を受けずにすんだ。
退却時にボコボコにされて織田軍の将が討死するケースはたくさんあるからね。
安全に退却させてもらうためには人質提出は止むをえない。
信雄を人質に取ったことで水谷刑部少輔が賛意を取り付け和睦に合意。
具教は具藤と一緒に三瀬谷城へ隠棲したが暗に妻の実家の六角氏の支援を受けている。
北は宮川の険路・南は吉野や紀州に連なる南朝以来の結束を持つ土豪達の住むところ
西は大樹海に覆われる要害に地で伊賀国人とも連絡が取れた。
隠棲するや家臣達が具教を慕って集住しあっという間に城下町が形成されたくらい反織田だった。
船江城の者どもは信長の帰国を狙って銃撃し激怒した信長が曽原城の天花寺に
船江城破却を命じるや拒否し破却中の織田軍を伊賀衆で襲撃し壊滅させる。
信長は曽原城を攻撃するが苦戦し付け城を築くがまったく落ちず
逆に四五百森に潮田長助らが防御施設を作り対抗。結局、信長は破却どころか一城たりとも落せず。
具教が背後で伊勢長島一向一揆を支援していたのは
紀伊の熊野新宮の豪族で熊野水軍最強と言われた堀内氏善(新宮城主)らに支援要請してたのでもわかる。
井上専正入道教順は本願寺顕如の客将になる。家城之清は槍主水と呼ばれ勇名で鳴っていた。
ちなみに志摩水軍で北畠家臣だった小浜景隆は土屋貞綱の元で武田水軍創設に尽力。