もし武田信玄が死なずに西上を続けていたら・・・

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615人間七七四年
>>591
この京での乱暴狼藉と放火恐喝と大量溺死の愚挙によって
洛外での信長はかなり評価が落ちたよな。
僧の安国寺もこれらの事件のあとに
信長について「しばらくは大丈夫だがいずれ高転びに転落する。しかしながら秀吉は大した男だ」と予見してる程だからな。
浅井と対陣してた秀吉は上京焼き討ちに参加してないなど相変わらずの運の良さ。
>>612
よくわからんいちゃもんつけて粘着?
どちらにしろ北条領内まで謙信は侵入することはない。
結城との義理を立てるため越山したとしても反上杉の北関東の由良足利あたりにチョロって出撃して焼き討ちして引き上げる。
もはや北条との全面対決による長期対陣は無い。
なんせ天正4年の8月前後に義昭によって北条・武田・上杉の同盟の形ができてきてた。
天正5年4月には義昭が島津にも北条・武田・上杉が同盟したので上洛戦やるから協力せよと言ってる。
義昭が上洛戦として本願寺に呼応しての先鋒を六角義堯の阿波淡路軍の堺上陸と宇喜多先鋒の毛利軍を考えていた。
この大規模作戦発動が近いために信長の紀州攻めは途中切り上げの中途半端な講和で引き上げており
(固執してると退路がふさがれる)
義昭は謙信に信長の紀州攻めは失敗したから、このチャンスに北陸出兵せよと言ってる。