太閤・豊臣秀吉VS大納言・豊臣秀長

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1人間七七四年
朝鮮出兵で揉めた両者。ついに秀吉は秀長追討令を出す。
さて、この両者の戦いの行く末はいかに。
冷遇されていた豊臣秀次は秀長派に付くことを過程して、勝手に語り合ってくれ。

俺的には秀次派の伊達政宗が家康と組んで秀長派に加わると思うんだが。
2人間七七四年:2010/10/08(金) 13:28:19 ID:8vyKdfLz
喧嘩して分かれる→かーちゃんが一喝する→秀吉・秀長(´・ω・`)ショボーン→仲良く手を取り笑い合う
イイハナシダー
3人間七七四年:2010/10/10(日) 08:08:54 ID:3gTt/Ygr
w
4人間七七四年:2010/10/10(日) 12:15:24 ID:yHl5guJA
まあ秀長にせよ、秀次にせよ身内が少ない豊臣家が内部分裂した時点で詰みだから
5人間七七四年:2010/10/10(日) 12:42:23 ID:TTiQv/j7
家康「豊臣なんかいらないよね(ブチッ)」

−終了−
6人間七七四年:2010/10/10(日) 18:13:29 ID:wqNvUTvm
二股膏薬とか裏切りの常習犯とか、松永久秀の再来と罵られいる私ですが
秀長様のためには命を投げ出しますぞ。
                                      by藤堂高虎
7人間七七四年:2010/10/11(月) 20:06:23 ID:MTMbhsYB
小早川秀秋がキーパーソン

関ヶ原がなければガチガチの豊臣恩顧だしな
8人間七七四年:2010/10/11(月) 21:48:41 ID:tkvmCTnj
数少ない身内に秀長いたのは、奇跡だよな
9人間七七四年:2010/10/11(月) 23:23:45 ID:pZlSDBoA
だね
バカ勢ぞろいの一家だからな
10人間七七四年:2010/10/12(火) 09:10:51 ID:SH3Gwy28
バカは居ないぞ?パッとしないのが多いだけで
11人間七七四年:2010/10/12(火) 09:43:11 ID:91GT7miN
運が悪いのは結構いたよね
12人間七七四年:2010/10/12(火) 19:18:41 ID:yOiepRzh
浅野はまぁまぁよくやってたよ

うん
13人間七七四年:2010/10/13(水) 06:45:34 ID:BS7Bs7NO
ボケはじめた秀吉と、しっかり者の秀長。
うーん
14人間七七四年:2010/10/13(水) 07:48:53 ID:Do0BN64d
上にふんぞり返ってる時代の秀吉なら圧倒的に常勝無敗の実務家秀長
15人間七七四年:2010/10/13(水) 08:27:46 ID:Jo3VJW3n
同じく秀吉縁者にはろくなの居ない印象だな
秀長さんの後継いだ養子とか酷かったよね
16人間七七四年:2010/10/13(水) 22:34:58 ID:zJ6ISRfs
ただ秀長ってずっと秀吉支えてたから反旗を翻すとは思えん
翻したらそれはもう秀長やない
17人間七七四年:2010/10/15(金) 09:15:14 ID:ojoGlK2i
反旗というか、ここでは秀吉が秀長追討令を出したって話でしょ?
秀長は兄貴の暴れっぷりを阻止するために戦うみたいな?
でも誰が秀長方につくのかな。外様は秀長支持が多い気がするけど。
18人間七七四年:2010/10/15(金) 21:35:48 ID:Z2Ay56ue
暴れっぷりを阻止って結局は謀反じゃん
追討例出す前に呼び出してばっさりやるんじゃないか
わざわざ戦起こさないだろう
秀長が謀反するならともかく
19人間七七四年:2010/10/16(土) 07:32:23 ID:iGTZ+k8y
ブーブー女の腐ったように文句垂れてんなよ
20人間七七四年:2010/10/16(土) 09:07:34 ID:weVc5MeN
追悼令出したっていっても、その時点で秀長どういう立場でどこにいるんだよ。
まぁ秀長存命中は秀吉もぼけてなかったしな。血縁上秀長も、長生きしてたら
ぼけていた可能性も。
21人間七七四年:2010/10/16(土) 14:32:40 ID:cluDwr8L
秀長追悼令とか
戦国時代に逆戻り
22人間七七四年:2010/10/16(土) 19:22:48 ID:YnyGCTxm
秀長にも実子はいないし、家康よりも長生きは出来ないしどうしようもねえよ
23人間七七四年:2010/10/16(土) 20:33:18 ID:carCOYEn
追悼令って・・・すげぇ弟想いのいいおにぃちゃんじゃん
24人間七七四年:2010/10/17(日) 17:53:59 ID:TeII1lMs
スレチだが、秀長って何で実子いないの?秀吉に遠慮したの?
25人間七七四年:2010/10/17(日) 19:25:40 ID:9+vdI9jO
>>1
追討なんぞ出す必要はない、閉じ込めて切腹で終わり、
朝鮮出兵の総大将を秀長が努めて、その後謀反したという設定の方が面白い
26人間七七四年:2010/10/18(月) 06:15:16 ID:d3zaTl1H
お前ら夢がないなー
27人間七七四年:2010/10/18(月) 07:33:48 ID:wg1HdXaP
秀吉と秀長に大差がないんだもの
どっちが勝とうが幼児の後継者がいない秀吉、そもそも実子がいなかった秀長
結果的に死後味方にするためにさらに勢力増大させてもらった家康に天下奪われてオシマイ
28人間七七四年:2010/10/18(月) 08:57:05 ID:G+ZYrCGm
>>26
秀長と秀吉に裂け目がないんだから仕方ないじゃん
そういう話があればいいけど
29人間七七四年:2010/10/19(火) 01:45:03 ID:54BRn0aP
そういう話をIFとして作った場合の話じゃね?
30人間七七四年:2010/10/19(火) 08:30:03 ID:rhrqBb2H
そもそも秀長と秀吉が意見あわなくて喧嘩したとて史実の秀長見る限り謀叛する程仲悪くなるわけないし
謀叛したらもうそれは秀長じゃないだろう イメージによるが
秀吉がおかしくなったにせよ追討令なんか出さずとも呼び出して斬ればいいわけだし
まだ信虎が信繁を後継者にして信玄が離反して争うIFのが具体的ではある
31人間七七四年:2010/10/19(火) 21:12:49 ID:yWdqmRAN
>謀叛したらもうそれは秀長じゃないだろう イメージによるが

そもそも長命のIFしている時点で実在の秀長ではないんだが。
片腕として兄を支えていながら、後年敵対することになった弟ってのは日本史上
結構いる。天下人クラスでも、頼朝義経や尊氏直義あたりは有名だが、秀長も
そうならなかったとはいいきれないしな。
32人間七七四年:2010/10/19(火) 23:15:02 ID:gAHzEE14
どちらも源氏の貴種だな。
つまり血筋で入れ替わりが利くからついてくる人間がいるわけだけど、
豊臣の場合どうなんだろう?
33人間七七四年:2010/10/19(火) 23:16:27 ID:54BRn0aP
IFって言ってるだろう?もう秀長じゃないって、秀長が長生きしてる時点で俺たちが知ってる秀長では
ないんだよ。
34人間七七四年:2010/10/19(火) 23:39:42 ID:xCw/Vid5
IFなら何でもあり、じゃあこの板にいる資格はないな
35人間七七四年:2010/10/20(水) 01:34:37 ID:E1au4hzo
>>34
スレの趣旨に賛同できないなら他のスレいけば?
36人間七七四年:2010/10/20(水) 10:58:24 ID:N119GgVr
板違いが開き直りかw
37人間七七四年:2010/10/20(水) 15:56:04 ID:RqflUtRR
ifスレって板違いか?いっぱいあるんだが
38人間七七四年:2010/10/20(水) 16:35:37 ID:17PTNjV1
何でもありのIFならばここでやるなって言ってんだよ
お前馬鹿か?死んだら?
39人間七七四年:2010/10/20(水) 18:16:16 ID:RqflUtRR
秀吉対秀長の構図を作る以上、秀長の延命は必須じゃね?
つーかこの程度で何でもありなんて言ってたらどんなifも語れない
後、そんな喧嘩腰じゃ敵を作るだけだから止めた方が良い
40人間七七四年:2010/10/20(水) 18:35:46 ID:tck+ZFeO
構図も何も仮に秀長が謀叛しても一瞬で叩き潰されるんじゃ
秀長が秀吉を殺したとかならともかく関白で家康やその他の大名従えてる秀吉からわざわざ離反して秀長につく奴なんかいないだろ
41人間七七四年:2010/10/20(水) 19:03:13 ID:RqflUtRR
秀長に関白秀次がつくらしいから一瞬で叩き潰されるって展開はないんでない?
グダグダにはなりそうだ
42人間七七四年:2010/10/20(水) 21:14:51 ID:nExkqP41
つうか>>1の建てた設定がおおざっぱすぎだろ。

>朝鮮出兵で揉めた両者。ついに秀吉は秀長追討令を出す。
>冷遇されていた豊臣秀次は秀長派に付く

これだけじゃ語りようがない。スレを活性化したいなら、せめてもうちょっと方向性を示さないとな。
43人間七七四年:2010/10/21(木) 00:28:58 ID:U17Tq8hJ
この辺りの詰めがいい加減だから氏ね呼ばわりされる。
44人間七七四年:2010/10/21(木) 06:25:28 ID:DUT0k3Vi
秀吉対秀長・秀次だったら秀長派が勝つんじゃね?外様は秀長につくはず。
秀長につく大名は、伊達、大友、島津、ちょうそかべ、徳川が大手ではつくかな?
毛利は秀吉に恩があるし、秀秋もいるからなー。後は清洲、長浜系は秀吉か?
45人間七七四年:2010/10/21(木) 08:27:37 ID:/SNrppj7
なんで秀長につくんだ?
いくら恨みがあっても謀叛した奴について天下人に刃向かう奴なんかいないだろ
46人間七七四年:2010/10/21(木) 08:42:20 ID:l9M1TJef
秀長単独ではなく後継者"関白"秀次を抱えてるからさ
かつての上皇と天皇の対立みたいなものさ
47人間七七四年:2010/10/21(木) 19:40:24 ID:EhcBFk5Y
そんなに秀次が重要視されてたら史実でも秀次が秀吉倒せてたな
48人間七七四年:2010/10/21(木) 21:02:14 ID:EhcBFk5Y
つか家康はどう考えても秀吉につくだろうよ
ちょうどいい年齢の秀次が後継者になるより、後継者なし、ないしは若年の秀頼が後継者の秀吉の方が都合いいに決まってる
つか豊臣が内部分裂した場合、最大の大名である家康を両陣営共引き込もうとするだろうし、その結果家康がさらに巨大化して、結局豊臣は滅ぼされるだろ
49人間七七四年:2010/10/22(金) 08:54:04 ID:exF49W4M
ん?秀次と秀長がくっついてるなら家康は秀吉に?
石高的にはどうなのかね。
秀長の領地がには大和・紀伊・和泉で100万石
秀次が近江・伊勢・尾張で90万石

秀長派の外様は島津・大友・長宗我部
秀次派の外様は伊達・浅野・細川あたりか?

畿内は秀長と秀次が抑えてるから緒戦は秀長・秀次軍が有利かな?
50人間七七四年:2010/10/22(金) 09:17:37 ID:bgnIsnvW
実際に天下を統一したのは秀吉なんだからその秀吉にわざわざ離反する奴はいないと思うが
51人間七七四年:2010/10/22(金) 18:39:49 ID:Y2JZ//75
ボケて外征を始めようとしてる奴にわざわざ従うの?
ソイツにある程度対抗出来る実力と旗頭を持った奴が立つならそれに従おうって奴らも出てくるやろ
52人間七七四年:2010/10/22(金) 19:52:50 ID:Hh2lLGCw
外征は上手く行けば領土を貰えるんだしやってみない限りそこまで反対する理由にはなるまい
実際に割に合わない事に朝鮮にいって初めて気づいたんだろうし
53人間七七四年:2010/10/22(金) 21:39:39 ID:bgnIsnvW
>>51
外征はむしろ武働きできるんだから皆喜んで行くんじゃね?領土も増えるし
失敗した今でこそ愚策に見えるが当時はかなり魅力的な事だったはず
そんなおかしい事なら諸大名全員で止めてるだろ 秀吉が出向こうとしたのを利家家康が止めてるみたいに
54人間七七四年:2010/10/22(金) 23:24:42 ID:3yqvFaNM
海の向こうに領土もらってもねえ
55人間七七四年:2010/10/23(土) 00:56:08 ID:8Q0ChEKz
別に貰える領地が海外とは限らんだろ
56人間七七四年:2010/10/23(土) 01:10:10 ID:JRLiFWBj
いやいやあげられる領地が海外にしか無いから始めたんだし
57人間七七四年:2010/10/23(土) 03:53:32 ID:U1TMMS6j
朝鮮で失ったものは大きいから新たな主君につこうとするのは自然な流れよ
58人間七七四年:2010/10/23(土) 06:00:35 ID:yRwS/m2x
まあそれで家康の求心力が増したのは事実なんだろうがそれでも秀吉が生きている間は動かなかったものな
59人間七七四年:2010/10/23(土) 06:50:23 ID:Nz7YnSSc
当時の感覚からいって、まず大勢は勝てる方につく。
秀長がどういう状況で離反するのか一切不明だが、秀吉あっての秀長だし
秀次はなおさら。
まともな戦さにもなるまい。
60人間七七四年:2010/10/23(土) 08:21:06 ID:5y5qeWoc
太閤力士伝だっけ?あのゲームで秀長をプレーして、秀吉に謀反起こして羽柴家潰したよw
まあゲームだけど。

ボケの秀吉につくか?でも前田利家もいるんでしょ?前田家は秀吉方につくと思うから秀長派は厳しいか?
家康も動いて3強の戦い?
61人間七七四年:2010/10/23(土) 12:39:59 ID:bpxs5QfC
ボケたボケた言うけどそんなボケたか?
62人間七七四年:2010/10/26(火) 23:41:46 ID:n7pctXDY
家康に泣きつく辺りが
63人間七七四年:2010/10/27(水) 08:30:11 ID:ahC4/5gv
そら律儀な家康に頼めば大丈夫と思ったんだろ
64人間七七四年:2010/10/27(水) 14:23:25 ID:AxAqUFPu
あの時点では一番信用出来そうなのは家康だな
利家と景勝には裏切りの実績があるし、輝元はアレだし、秀家は若いし
65人間七七四年:2010/10/28(木) 07:57:50 ID:F3RQFM39
うん?家康は秀吉と戦争したけどねー。利家に裏切りの実績って…
でも秀吉の姉だっけ?が家康の側室に行ってるから家康に頼むかー。

あくまで秀頼の教育、監視だけを頼むならば中堅大名でもいいと思うんだけどね。
秀頼の代役として秀家とかが座ればよかったんじゃね?秀秋でも…無理か。
66人間七七四年:2010/10/28(木) 08:21:14 ID:0gpHurbN
>>65は現在に住んでいて、過去の事を知っているからの意見じゃね?
当時の家康は、少なくても秀吉が生きていた時までは忠臣だったと思うぞ。
67人間七七四年:2010/10/28(木) 08:37:12 ID:JOtGcZfC
力士伝w
68人間七七四年:2010/10/28(木) 12:51:44 ID:9L1nnk31
利家の裏切りの実績は静ヶ岳のこと
まあこれは秀吉に味方した訳だけど
家康は別に小牧時は秀吉の味方じゃないしむしろ信雄自身が裏切るまで秀吉の大軍相手に対決姿勢崩さなかったしな
69人間七七四年:2010/10/29(金) 07:48:56 ID:zfKZTWnL
秀長に天下の野望がなく、己の保身のための決起ならば家康と組むか?
そうなると島津、大友の九州勢力は秀長について毛利を牽制か。
四国が鍵を握るね。

関東は家康が睨みを効かせてるしね。
70人間七七四年:2010/10/29(金) 11:31:18 ID:CRovKdME
とりあえず朝廷を味方につけないと
71人間七七四年:2010/10/30(土) 00:03:07 ID:zC8OEOf/
秀長厨の妄想もここに極まれりって感じだな・・・

歴史の影に隠れて報われない地味な賢弟ポジションだからこそ
判官贔屓的な支持を得られていた・・・のも過去の話。
今じゃ普通に評価されてんだし変に目立って角を立てなくても良いのに。
72人間七七四年:2010/10/30(土) 02:54:37 ID:RC19uxfK
と最近花の慶次を読み始めた方がおっしゃられています。
73人間七七四年:2010/10/30(土) 11:39:45 ID:LtSlI4Z/
秀長に厨なんかできたのか
難儀な事よ
74人間七七四年:2010/10/30(土) 21:59:17 ID:SrXFblBO
大御所が出てきてdraw
75人間七七四年:2010/10/31(日) 09:14:24 ID:ZzEvMP1M
歴史の妄想は面白い。
それを否定したらつまらん人間よ。
76人間七七四年:2010/10/31(日) 11:51:27 ID:xXgEWru2
妄想すぎて史実の人物像と適合しなかったら楽しいのは本人だけで周りはつまらんだろ
77人間七七四年:2010/10/31(日) 12:58:36 ID:47T1dBNi
それなりの根拠のある、想像は楽しいが
思い込みだけで根拠のない、ただの妄想は楽しくないな。
78人間七七四年:2010/10/31(日) 14:21:08 ID:seYwL7O/
秀吉と秀長、争う根拠無いからな
79人間七七四年:2010/10/31(日) 19:20:48 ID:VP2ydFZ0
豊臣政権の弱点は後継者候補がいないか幼少すぎることと外様大名が強大な事な訳で
秀長が勝ったとしてもそれが何一つ解消できる訳じゃない
むしろ内乱起これば後者が酷くなるだけ
関ヶ原がいい例だろ
80人間七七四年:2010/11/01(月) 06:31:30 ID:Gjg0V8RG
秀長は天下を掌握しようというのではなく、保身のためでは?
81人間七七四年:2010/11/01(月) 07:20:15 ID:U8u2loVa
ならハンショみたくさっさと隠居すりゃいいじゃん
82人間七七四年:2010/11/02(火) 01:09:48 ID:6ny8E5vH
つまんねー奴
83人間七七四年:2010/11/02(火) 08:34:46 ID:oNGK4gfc
秀吉と秀長が戦う展開なんて歴史群像新書で読んだら萎えるしな
秀長が主君になってもヘタレてるのしかないし
やっぱり秀長は兄を支える役が適材
84人間七七四年:2011/01/21(金) 08:24:53 ID:BJcQma4f
秀長の圧勝だろ。小牧長久手だって秀長不在で負けたし(秀長は別の場所で戦ってた)
秀長は戦上手ですぞ。
85人間七七四年:2011/01/21(金) 09:02:27 ID:UMzFKEet
豊臣秀吉は、朝鮮征伐の後、関東仕置と同じ措置をとるつもりだった。
かの折、徳川家康に関東、織田信雄に東海地方への移封を命じたように、
遠方にして不毛の僻地、朝鮮半島への移封を命じるつもりだったのだ。
関東仕置の際、家康は移封に従ったが、信雄は逆らって改易されている。
家康が朝鮮転封の命に逆らえばその時点で改易または討伐の口実になる。
秀吉からすれば、自身の存命中に、禍根である徳川家を潰す好機である。
86人間七七四年:2011/04/08(金) 07:56:47.52 ID:zOqMQgrS
.
87人間七七四年:2011/04/08(金) 14:40:09.65 ID:iMYndiQK
不毛の地だとわかってたのにしっかりした補給の準備すらしなかった秀吉一味がアホだというお話ですね
わかります
88人間七七四年:2011/04/12(火) 18:29:17.69 ID:wacxSGoI
不毛の地というか、日明戦争の緩衝地帯な。
まぁ、当時の秀吉は確かにボケてた。
89人間七七四年:2011/06/13(月) 04:51:21.46 ID:FV6qCLEO
秀吉晩年の心象風景はなんだったんだろうな
90人間七七四年:2011/07/07(木) 16:29:18.92 ID:mRFQXEl3
>>24
出来ちゃった婚した尼さんとの間に娘が二人いたはず
91人間七七四年:2011/07/13(水) 00:26:36.51 ID:PBcu1U3G
小西行長ではなく秀長が交渉役だったら良かったのに。

秀長「兄じゃ、向こうは降伏しないって」
秀吉「ふむ」

で終わりそう。
92人間七七四年:2011/07/14(木) 18:06:26.67 ID:IB9vLpC9
それでスムーズにいくなら秀長も苦労せんよ
双方が納得する案を出せてこそ優れた調整役
93人間七七四年:2011/09/02(金) 03:10:36.55 ID:6ZbuuvpO
秀吉は秀長の重臣を処刑してるし
宣戦布告にも等しい行為
実は一触即発だったんじゃね?
秀次事件はその延長上にあったとか
94人間七七四年:2011/11/03(木) 21:11:42.42 ID:9Pw+CypZ
頼朝・義経とちがい、同母だからな。
頼朝の場合、義経は父義朝がどこぞの白拍子に産ませた弟に過ぎないが、
秀長は秀吉の数少ない身内で、藩塀そのものだろ。
95人間七七四年:2011/11/03(木) 21:13:17.62 ID:9Pw+CypZ
>>90
尼を孕まして責任とって結婚したようだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%BA%E9%9B%B2%E9%99%A2
96人間七七四年:2011/11/03(木) 21:20:00.83 ID:9Pw+CypZ
>>93
関係修復した模様。 ウィキの話だ癌

天正16年(1588年)、紀伊の雑賀において材木の管理をしていた代官・吉川平介が、秀長に売買を命じられた
熊野の材木2万本の代金を着服する事件が起きた。秀吉の耳に届き、吉川が処刑される。秀長自身も責任を問われ、
秀吉から翌年の年頭の挨拶を拒否された。
天正17年1月1日(1589年2月15日)、大坂城にて諸大名と共に、秀吉に新年祝賀の太刀進上を行う(『後編旧記雑録』)。
この後、秀長が大坂城を訪れたという記録はない。天正18年(1590年)1月頃から病が悪化、北条征伐(小田原の役)
には参加できなかった。10月頃に秀次が秀長の病気回復の
祈願のため談山神社に訪れており、両者の関係も良かったと思われる(談山神社文書)。
97人間七七四年:2011/11/05(土) 20:53:54.71 ID:G6iaqszA
>>96
秀次は秀長の存在価値を重要視していたが
側近が成長してきている秀吉にとっては秀長は既に無価値だったのだろう
あったとしても弟としての情けとかその程度のもの
98人間七七四年:2011/12/21(水) 07:14:04.07 ID:1OkVJq9h
無価値だったら大和なんかに居させないだろ
99人間七七四年:2011/12/24(土) 00:37:53.61 ID:TZpJra8O
つーか大和大納言って優秀なのか?
最近過大評価されてる気がする。
100人間七七四年:2012/01/01(日) 18:30:17.81 ID:jHxafPrg
優秀だったのは間違いないと思う。
しかし、この人物が長命していたら秀吉死後も豊臣家が安泰だったかとなると
そこまでの(家康と張り合えるほどの)人物とは思えない。
101人間七七四年:2012/02/27(月) 08:07:34.43 ID:uooHh4by
もし秀吉死後も秀長が生きてたら家康が秀吉死後にあそこまで好き勝手に出来てたのか?
秀頼の後見人は家康でなく秀長になってたのは間違いないだろう
そうなると、あくまで五大老の一人に過ぎず、制度を無視して他大名と勝手に婚儀結んだり改易や加増・転封なんて出来なかったんじゃない?
102人間七七四年:2012/02/29(水) 21:24:33.71 ID:D49f85Vf
関ヶ原と同じ展開だろうな

有力大名は、どっち派とかっていうより、どっちにも味方する振り
しながら、とりあえず混乱に乗じて隣の大名を攻めるなり調略するなり動く。
もう惣無事令なんて関係ない

で、戦国時代に逆戻り。

そうなるのは本人たちが一番よくわかってるから、
大事になる前に和睦。おしまい
103人間七七四年:2012/03/01(木) 06:24:46.91 ID:XRFSRHaP
やっぱり秀吉あっての秀長だろうからな。
三成が好例だが、秀吉が上にドンと構えていてくれたから目立たなかった欠点が、秀吉を失うことに
よってあらわになるってケースは考えられる。
秀長は秀頼や淀よりは北政所寄りだろうし、結局豊臣家が割れることにはなりそうだ。
104人間七七四年:2012/03/03(土) 10:58:10.78 ID:WsNdkkVm
>>103
確かに秀長あっての秀吉なのだが、秀長が更に生き続けても豊臣家は二つには割れない。
何故なら豊臣家は観応の擾乱時の足利家のように、権力が尊氏と直義で二元化していなかったからだ。
秀吉と秀長は一心同体で、秀吉の能力は秀長のそれを内包し水増しされていたと言っていい。
よって秀長に離反されて困るのは秀吉なので、秀吉は秀長の意に沿わない政策は絶対に実行できない。
秀長は文治派と武断派双方に顔が利き、内部調整は得意分野なので、両派の軋轢も巧みに回避し、豊臣家は隆盛するのみ。
105人間七七四年:2012/03/03(土) 14:51:19.01 ID:Oid7PLrG
秀長が秀頼の後見人になったとして、秀長が素直に秀頼に政権を譲っただろうか?
106人間七七四年:2012/03/05(月) 12:16:56.03 ID:iv15NjE3
>>103 そもそも北政所云々が完全な司馬史観。
彼女は淀とはともかく秀よりの事はそれなりに可愛がっており
家康に味方したことも淀と表だって対立した事もない。
>>104 信者乙。
>>105 秀長には実子がいないのでまあ譲るでしょう。
>>101 秀頼の後見人は家康では無くて利家。
家康は伏見城で政務の代行。これは秀長が生きていてもおそらく変わらない。
107人間七七四年:2012/03/07(水) 10:10:30.12 ID:qtHFwD+9
>>106
秀長長命なら、秀次抹殺も無ければ五大老制も無い筈なので、
秀吉の最晩年、史実の様に家康の存在感が増すなんて有り得ない。
豊臣家の身代は徳川を大きく上回っており、政権中枢は豊臣一門で独占可能。
108人間七七四年:2012/03/07(水) 13:20:43.00 ID:2s6E2Acv
>>1
もうちょっと設定に凝ってほしい
朝鮮出兵にしても秀長も普通に準備してるし、現実味が無い
109人間七七四年:2012/03/07(水) 16:46:08.06 ID:ANluYQws
>>107 その仮定がありえない。秀次事件はある意味必然。
秀長が生きていようが死んでいようが秀頼は誕生したはずなので
どのみち秀次があのままで済むはずがない。もちろん秀長は秀保との関係上
秀次の擁護に回るだろうが晩年の秀吉クォリティーとそれまでのあの兄弟の
関係性を考えれば秀次は命は助かっても最低でも出家は避けられないだろう。
それに五大老制はともかく秀吉の死後秀長が天下の所持万端全てを
一人で牛耳る体制を秀吉が志向したかわからんし、仮に秀吉がそれを遺言したとして
強欲な大名連中がそれに従ったかもわからんし、秀長がそれを遂行できたかもわからん。
何より秀長の大納言昇任はわざわざ家康と同日に行われている事から考えても
普通に考えれば秀長と家康の二大老制だと思うぞ。
豊臣宗家が大阪で秀長家が大和では東日本の抑えが不安だし。
110人間七七四年:2012/03/07(水) 17:29:56.21 ID:r9s52OIc
こんなIFスレで断定調にかけるやつはあほうww
111人間七七四年:2012/03/07(水) 19:50:12.31 ID:rxmz2i4U
秀長じゃ世代的に秀次の代わりにはならないよな。
どうしても鶴松死後に秀次の出番はやってくるか。
112人間七七四年:2012/03/07(水) 22:22:36.55 ID:ANluYQws
>>111 まあ2,3歳差だからね。
113人間七七四年:2012/03/08(木) 23:42:13.25 ID:UC045lkB
秀長に実男子がいれば事情はまた変わってただろうね。
秀吉はその子を迷わず養子にしてただろう。
当然秀次に出る幕は無い。その養子がちゃんと自分の立場をわきまえた賢い人間なら秀次みたいな最期になる事も無かっただろう。
114人間七七四年:2012/03/08(木) 23:56:39.16 ID:CAxByioi
利休弁護してあっさり粛清されてた気もしなくはない
115人間七七四年:2012/03/09(金) 05:02:33.41 ID:w10niBDz
>>113
二重三重のifだなそれ。
早い段階でおねに子供が出来ていたら、という仮定とたいして変わらんのじゃないの。
116人間七七四年:2012/03/09(金) 16:57:47.15 ID:ukYCPuWx
>>113 出たよ。妄想。秀次事件って秀頼がまだ1歳の頃の話だぞ。
鶴松の事もあるし秀次の能力に関係なく動くに動けなかったんだと思うけど。
117人間七七四年:2012/03/15(木) 02:26:41.42 ID:IpHr0yok
>>109
天正十九年以降も秀長健在なら、秀次が史実通り後継関白に補任している可能性事態怪しい。
何故なら秀次が秀長より上の官位に就くなんて絶対に有り得ないからだ。
それが可能なら秀吉最晩年時、豊臣一門の宇喜多秀家は徳川内府の上の官位を戴いている。
よって太閤秀吉による秀次誅殺の動機事態が無い。

仮に秀次が秀長存命中に、史実通り後継関白になったとしても、秀吉の身内誅殺を秀長が許す訳が無い。
秀長が上手く周旋するのは必定なので、秀次の失脚は100%無いし、秀吉は秀長の手前、秀次誅殺は絶対に不可能。

最晩年時の秀吉が家康を頼みとしたのは、豊臣一門が次々と消え、豊臣家事態がスカスカだったから。
五大老制を場当たり的に設けて政権の中枢に据えたのもその為。

秀長が秀吉を補佐して豊家の中枢で政務を執っていたなら、史実の様に外様が政権中枢に入り込む余地は無い。
秀長は前田利家以上に文治派も武断派も強圧的に押さえ込める権威と実力があるので、秀吉没後も秀長が長命を保てば、武断派の暴走も無い。

秀吉が家康をそんなに頼りにし信頼しているのなら、後北条滅亡後、関東に転封したりはしない。
118人間七七四年:2012/03/15(木) 05:22:53.82 ID:aFFXcnTi
秀長がいてもスカスカな気がする
119人間七七四年:2012/03/15(木) 16:47:06.10 ID:w09SGjoN
>>117 なぜ豊臣外様で250万石の家康(秀康ならともかく)と一門待遇で秀吉子飼いとは言え
養子ではなく猶子に過ぎず何の血縁関係もない60万石の秀家の官位の差がそのまま秀吉の実弟で110万石の秀長と
秀吉の実の甥で筆頭養子で100万石越えの秀次の官位の差に当て嵌まるのか小一時間問い詰めたい。

次に秀長は確かに能力ある武将だった事は認めるが秀吉の副官に徹している。
足利直義なんかは大塔宮を独断で暗殺したり後醍醐天皇と戦わせることを
尊氏に決断させたり、尊氏が認知せず寺に入れた子供をわざわざ呼び戻して
自分の嫡男にしたり観応の擾乱前からなかなか精力的だけど
秀長が秀吉に我を押し通したことなんて四国征伐の援軍問題しかない。
仮に秀吉が秀次殺害を強行しようとすればそれをどうにかできるとは思えない。
まだ若いころの秀吉ならともかくあの耄碌した秀吉だぜ。無理に止めれば自分が粛清されるだけだ。
まあ秀次の高野山追放は免れないだろ。史実通り切腹まで行ったかはわからんがな。

次に上に書いたが秀吉が秀長と家康の大納言昇任をわざわざ同日にした意味を考えろ。
豊臣政権は織田政権ほど強力な中央集権国家ではないし、秀吉が百姓だったせいで
得宗家や室町幕府のように中央も地方も分家や一門で全て押さえてしまっていたりしたわけではない。
更に国内統一後すぐに唐入りしたせいで国内統治が未完成で江戸幕府のように
外様親藩に広範囲の自治権を認める代わりに中央政界での権力を無くすなんて
体制ができていたわけでもない。しかも唐入り失敗で豊臣政権に対する諸大名の不満を
秀吉死後の秀長が全て吸収して一人で国内を統治する事が本当にできるとでも?
120人間七七四年:2012/03/15(木) 20:17:02.79 ID:ot6lycrU
関白に就いた時の秀次は、豊臣家の正式な後継者といえる存在だぞ。それは秀長がいようとまったく
変わらないのだから、壮年の後継者が秀長より上の官位に就くことのどこに不自然さが?
秀頼がいる状態での秀家が、なぜこの時の秀次に例えられるのか意味不明だが。
121人間七七四年:2012/03/15(木) 21:43:56.62 ID:2UbFyFUR
正2位内大臣の織田信雄は秀長家康よりも上位統括者となるはずだったのかww
122人間七七四年:2012/03/16(金) 11:44:12.40 ID:LuBt/ZXJ
秀吉あっての秀長なんだから
秀吉いなくなったら秀長には価値がない

秀吉と親類が争えるほど豊臣政権が磐石なら誰も苦労しないという話
有能無能はあまり関係がない
123人間七七四年:2012/03/21(水) 19:39:07.13 ID:hsjZaYmT
>>119
秀吉最晩年における家康と秀家間の官位格差は、そのまま両者のキャリアと実力の差。
この「キャリアと実力の差」は、そのまま秀長と秀次にも適用される。
豊臣政権内において「キャリアと実力の差」を無視した官位序列は有り得ない。
簡単な理屈だ。

安定政権の豊臣家と、南朝の存在と内紛とで不安定極まりなかった当時の足利家を同列に論じる愚を知れ。
そもそも秀長が天正十九年以降も健在なら、秀次の関白補任は無いので、秀頼誕生でも豊臣家の家督問題は起こりえない。

秀吉の耄碌は、秀長という適切な助言ができる豊家の柱石を失い、膨張一辺倒の突出した独裁者になった為。

秀吉が秀長と家康の大納言昇任をわざわざ同日にした意味って何?
ご教授願おうか。

豊臣政権は織田政権に匹敵する強力な中央集権国家なんだが。
異議なるなら、そうでない根拠出せ。

室町幕府が「鎌倉府」を分家で押さえてたが、その「鎌倉府」自体が内乱の要因になってた史実も知らんときたもんだ。

国内統治が成ったからこそ大陸侵攻が可能になったんだがな。
内敵を抱えたままで、外征も糞も無いのは常識。
そんな基本も知らんときたもんだ。

豊臣政権で外様の存在感が増したのは、秀長の死や秀次誅殺等、豊臣一門が希薄化し、政権の安定の為には外様を引き立てるしかなかった為。
利家の大納言昇進も家康対策。
秀長健在なら、利家を分不相応に昇進させる必要とて無い。

秀長健在なら大陸侵攻自体実現したか怪しい限りだし、
仮に実現したとしても、あそこまで無様な大失敗に終わる筈も無い。
よって諸大名の不満自体が発生しない。

124人間七七四年:2012/03/21(水) 19:57:32.70 ID:hsjZaYmT
>>120
武将として秀長に勝る素養が皆無の秀次が、秀長を飛び越して関白に補任されるのなら、
一体秀長の官職は何になるのか説明してもらおうか。

言っとくが、秀吉自身が太閤として最高権力を掌握してるのだから、弟の秀長の引退は有り得んぞ。

秀家は豊臣一門だが、宇喜多家当主という点で家康と同じ豊臣臣下の大名の一人。
独裁者の秀吉なら、一門という観点から秀家を家康以上に引き立てるのは可能。
だが秀吉はそうはしなかった。
この論理は、そのまんま秀長と秀次の上下関係にも当てはまる。
所詮小者には理解不能な人事の要諦。
125人間七七四年:2012/03/21(水) 20:08:14.07 ID:hsjZaYmT
>>122
秀吉不在下で秀長に価値が無いなら、秀長による四国・九州征伐自体が無かった事になるな。
秀吉は自ら四国・九州征伐はやっていない史実も知らんときたもんだ。
有能じゃ無かったら、海千山千の大軍を恙無く指揮できんのだが。

まさにやってもいないし出来もしない政策を、さもやってるかこれからやるかのような嘘っぱちを真顔でほざく能無し糞ゴミ汚物民主党議員と同類。
人間、ここまで堕ちたらもう終わり。
126人間七七四年:2012/03/21(水) 20:31:15.22 ID:9qHqVVBe
あげるな
127人間七七四年:2012/03/24(土) 06:01:44.86 ID:8q3E5W3n
ハズしたなw
128人間七七四年:2012/03/26(月) 05:00:59.80 ID:PXDigU9c
もし大御所・家康が江戸の将軍・秀忠を誅殺し、権力を駿府に一極集中させたまま逝去したなら、
秀吉逝去後の豊臣政権と同じ政情不安が起こる可能性は大。

が、家康の内部調整能力は秀吉より上なので、政権の禍根を残す愚は犯さない。
それどころか御三家創設により更に徳川一門の充実を図り、政権はより安定化。

秀吉(&秀長)に子種が無かったのが、豊臣家にとって致命的だった。
それを補う術が無かったとこが秀吉の限界。

家康の関東転封という焼け太りの愚は、秀長が病に倒れ、秀吉の傍に有能な助言者がいなかったから。
もし秀長が秀吉の傍らにいたなら、こんな馬鹿げた加増は無い。
ここでも秀吉の愚かさが垣間見える。

秀長が長命を保ってたなら、豊臣一門領は徳川幕領に匹敵していたので、
豊臣の天下は室町幕府のような政体として、ある程度は長続きしたであろう。
129人間七七四年:2012/03/26(月) 16:12:48.67 ID:/wq8vSXW
つられる人いないね
130人間七七四年:2012/03/26(月) 17:22:01.78 ID:fOvQxZYP
秀吉秀長、跡継ぎに難儀な者同士争ってもしょうがないよね
131人間七七四年:2012/04/30(月) 03:27:13.89 ID:oIYEYF1R
秀吉の旭日昇天の出世の教訓:成功する条件とは偽善の大悪人に徹し、松永久秀の様な単なる悪人では没落するのが必定
132人間七七四年:2012/06/24(日) 07:19:41.68 ID:pibiP6+8
ちゅうかさ、秀吉は秀吉で秀長やら竹中やら黒田の有力な駒が手元にいたから
出世でき、政権を一応束縛できていた訳じゃない。

秀長も秀長で藤堂やら関が原で東軍についた配下を見れば有能な武将がたくさん
いた。

さてさて秀次には?って事にならね?秀家もよく知らんが。

となると家康の対抗馬は秀長しかおらんって事になる。
秀次が関白になっても秀次は秀長の言うことを聞いただろうし、秀長が死にそうに
なったら必死で死なないでくれと祈祷した所からも秀次が秀長を頼ってたのは
十分分かること。

秀長、秀次、家康が手を組めば徳川政権なんかあっという間におわり。
133人間七七四年:2012/06/24(日) 08:09:37.81 ID:NLYeFQ/0
なんで家康が徳川政権を?
134人間七七四年:2012/06/25(月) 04:40:21.40 ID:eJNr7Jq1
間違えた。秀吉政権。
秀長は秀次を小牧長久手の失敗を挽回させようと花を持たせたりしてるよな
135人間七七四年:2012/06/25(月) 19:52:16.03 ID:ukcmJh1L
なんで秀長が秀吉政権を?
136人間七七四年:2012/06/25(月) 20:44:19.96 ID:So5SI7rr
>>135
>>1に書いてある通り
秀長は秀次に全てを託したようです
137人間七七四年:2012/06/26(火) 07:53:56.08 ID:fOqd/Als
伊達が秀次派についていく
138人間七七四年:2012/07/30(月) 15:54:26.26 ID:9FkMMJ9P
豊臣秀長の長編WEB小説「志」アップロード開始!
ご興味のある方は、豊臣秀長小説「志」で検索してください。
ご感想など頂戴できれば幸いです。
139人間七七四年:2012/07/31(火) 07:58:51.47 ID:ESLe8kxH
>>137
あと秀次があっー!んな事にならなければ駒姫がちゃんと側室として扱われて
最上さんも最終的には折れるだろうから秀次麾下に伊達(マブ)と最上(義父?)が
ついて東北から関東への睨みは十二分に利かせられるわな
140人間七七四年:2012/08/01(水) 18:28:44.65 ID:zETOuPuQ
>>1
母ちゃんに
「おみゃーたち、ちょとそこへ座れ。ええ年こいて兄弟喧嘩するなんて、大タワケが!」
と小一時間説教されて終戦じゃなかろうか?
141人間七七四年:2012/09/07(金) 07:23:09.59 ID:53CGEP4D
兄じゃの負けじゃ
142人間七七四年:2012/12/20(木) 01:26:55.83 ID:GRn66Pbm
誰だっけ、秀次に借金してて失脚したら家康に借り入れ頼み込んで返済したのって。
143人間七七四年:2012/12/20(木) 03:19:54.87 ID:Pi8H6JI7
ガラシャキチガイのあの男だったような
144人間七七四年:2013/03/08(金) 11:27:48.03 ID:IGuY00Bn
伊達に「秀吉倒したら奥州全部あげちゃうよ」
って言ったら秀次に付くんじゃない?
145人間七七四年:2013/05/27(月) 05:57:00.75 ID:w6CgFrwD
しかし両者が戦ったらものすごく近いな(笑)
大和郡山と大阪城でしょ?どこで戦うのかい?
146人間七七四年:2013/06/07(金) 14:35:28.31 ID:tFKmSSNu
>>132
秀次が関白になったら秀長の官職は必然的に関白より下になる。
左大臣か右大臣かは知らんが。
天皇の次に偉い関白が、格下の者からあれこれ指図されるなんて構図は、豊臣政権の序列と秩序の否定だ。
147人間七七四年:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:eXci1OKy
三大水攻めの一つ、忍城の水攻めの模型。
http://mirai660.net/castle/
148人間七七四年:2013/09/14(土) 19:26:35.13 ID:w+j4FQ1f
バカテスの木下秀吉について語りましょう。
149人間七七四年:2013/09/15(日) 23:35:29.42 ID:Hb/xvtux
>>148
キチガイヲタのマルチポスト
http://hissi.org/read.php/sengoku/20130914/dytqNEZRMWY.html
150人間七七四年:2013/09/16(月) 14:31:06.84 ID:KCy8uzes
秀吉、秀家、秀秋 VS秀長、秀次、秀勝になるのかな
151人間七七四年:2013/09/21(土) 09:31:05.78 ID:4eNJOktq
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
152人間七七四年
地方の城専門のマニアです。

全国いろいろまわったが大和郡山城が一番の名城と思った。

堀と郭が現役だった当時、地方の城のなかでは最強の部類です。

豊臣家の分家である大和豊臣家が同じ石高くらいで続いていたら

徳川の天下は無かったかも。