【治部】石田三成総合スレ 7【佐吉】

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1人間七七四年
引き続き語れ

■過去ログ
石田三成総合スレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150512127/
石田三成総合スレ2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193273145/
【治部】石田三成総合スレ 3【佐吉】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228834086/
【治部】石田三成総合スレ 4【佐吉】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243289938/
【治部】石田三成総合スレ 5【佐吉】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251481680/
【治部】石田三成総合スレ 6【佐吉】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1265876956/

■関連スレ ※直江スレは移行が早いので略
【舞兵庫】石田家臣を語る【横山喜内】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152884190/
【敦賀城主】大谷吉継 2【刑部少輔】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253161122/
海の司令官〜小西行長を語り継ぐ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194989009/
【直家】宇喜多氏を語るスレ【秀家】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153105160/
【僧で】安国寺恵瓊【大名】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152069507/
困るほどの律儀者、佐竹義宣を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204974533/
【陸奥】相馬氏を語る【下総】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211757850/
2人間七七四年:2010/09/29(水) 14:46:28 ID:Vu2KqEWT
以上。
スレ立て終わり。
3月孔雀:2010/09/29(水) 15:26:24 ID:+sNNtH83
前回は、最後、徳川家康ネタで書き込みして済みませんでした。
4人間七七四年:2010/09/29(水) 15:36:15 ID:dSp1xWwr
それにしても彦根はうざいよ。
映画「桜田門外の変」で何で三成や左近、
ましてや大谷刑部のゆるキャラ出すねん。
ざまあみろ。ならわかるけど。
5人間七七四年:2010/09/29(水) 20:40:43 ID:snMw92Ia
↑へえ、そうなんだ
最近は彦根でも三成左近大谷が注目されてるって事だね
それはいいこと
ただ幕末は関係ないけどね
ただ俺は井伊直政は嫌いじゃないが井伊直弼は大嫌いなのでざまみろという気持ちしかないけどね
なにしろこの男、自分の個人的判断だけで島流しに決まっていた吉田松陰を打ち首に変更して殺害した男
その結果、幕府を滅亡に追い込んだ小物
それはともかくある意味、石田三成に似ているな
死亡年齢も同じくらいだし
6人間七七四年:2010/09/29(水) 21:04:35 ID:240A+xbH
確かにな、
お子様ランチみたいのはやめてほしいよな。
7人間七七四年:2010/09/30(木) 01:01:05 ID:+vjYSxEI
三成と直弼の共通点
どっちも佐和山城主(彦根城は新佐和山城と呼ばれていた)
死亡時期はだいたい同じ年くらい
嫌われもの
歴史の流れに対抗するもはじきとばされる
死後、その存在そのものを批判される
大量の刑罰に関わる
8人間七七四年:2010/09/30(木) 01:39:44 ID:VbPzyQ79
石田三成サイコーじゃん
何がいかんの?ねえ?ねえ?
9人間七七四年:2010/10/01(金) 19:17:04 ID:6lCDoIFL
これはwww
「石田三成胆の毒ゼリー」ってなんだそりゃ

> 明日より笹尾山詰所において、岐阜県産富有柿を使用した石田三成柿ゼリーと
> 石田三成胆の毒ゼリーをそれぞれ350円で試験販売します。
> 今後も新商品を徐々に販売していく予定です。
>
> http://yfrog.com/nfqhktj
10人間七七四年:2010/10/03(日) 00:44:44 ID:oeMuTefe
豊臣秀次の失脚と三成って関係あんの?
11人間七七四年:2010/10/03(日) 00:54:24 ID:LD0cjT+J
>>10
あるといえばあるが基本的には三成関係なく秀吉の都合だ。
12人間七七四年:2010/10/03(日) 01:37:13 ID:ChFO86Hz
>>9
三成で柿ゼリー。なんというか、ブラックユーモアだなw
おやつの時間が複雑な気分になりそうだ
13人間七七四年:2010/10/03(日) 06:52:19 ID:Psuf9acc
>>10
よくドラマでは三成の陰謀みたいな感じで描かれてるがその当時、三成は韓国出張中、秀次を粛清しょうとする段階で呼び出されて後は事後処理
しかも三成は秀次の助命嘆願をしてたらしいし
なのに黒幕とはな
そもそも秀次を粛清して得した事はないのにな
14人間七七四年:2010/10/03(日) 09:50:40 ID:oeMuTefe
秀吉がもうすぐ死ぬと分かっていたなら兎も角
仮に後20年生きていたら、秀次の存在は邪魔でしかないぞ。
15人間七七四年:2010/10/05(火) 07:09:56 ID:jUsqvBOD
>>13
武功夜話は捏造だし全くしてない。
寧ろ排除しようとしてた。
16人間七七四年:2010/10/05(火) 08:05:44 ID:0ntzdKaJ
WIKI見ると偽書じゃないって結論に至ったようだが
17人間七七四年:2010/10/05(火) 12:24:54 ID:NYw6AFyQ
>>16
WIKIを信じる馬鹿がこの世の中にいたとは
18人間七七四年:2010/10/05(火) 16:01:26 ID:A6EMJJMr
>>17
wikipediaという時点で、自分で読んで考える事すらしない思考停止バカが何を言うか!
19人間七七四年:2010/10/05(火) 17:39:13 ID:pHdqVSNh
>>13
黒幕だったら、秀次の家臣(しかも上級家臣として)を雇用しないだろ
20人間七七四年:2010/10/05(火) 18:10:29 ID:0ntzdKaJ
秀次の家臣は秀吉を恨んでる可能性あるからと秀吉が思ってるかもしれんから
その臣をかき集めるのって普通避けるもんじゃないのかな
21人間七七四年:2010/10/05(火) 18:28:52 ID:EuF4Blbn
>>19
戦国大名が滅ぼした家の家臣を抱えるのは普通の事だが。
だいたい秀次の家は出来たばかりで家中意識なんかゼロなんだし。
22人間七七四年:2010/10/05(火) 18:31:11 ID:NYw6AFyQ
まあ三成が秀次処分の一種の責任者をやっていたから、秀次家臣団の再就職にも
責任を持たされた、と考えるべきだろうな。
人材も家中強化の重要な要素と考えれば、一種の役得と考える事も出来る。
23人間七七四年:2010/10/05(火) 19:58:34 ID:afmA/V0p
秀次にかかわった者で殺されてるのは多いからな
彼らが自分に累が及ぶのを防ぐためには黒幕である三成に仕えるしかなかったんだろう
でなければ自分も処刑されてしまうからな
24人間七七四年:2010/10/05(火) 22:51:56 ID:AmJ+y75d
黒幕とはさすがに言い過ぎ。
普通に秀吉の意思だろ?
三成は粛々と自分の職務を遂行したに過ぎん。
嫌な役目だったろうよ・・・
25人間七七四年:2010/10/05(火) 23:09:25 ID:JZ1xpjnu
秀次の処刑執行つとめた奉行は前田玄以と増田長盛もいっしょなのに
いつもやり玉にあげられるのは三成一人なのが不思議だ

特に増田はかなりの率で三成と同じ職務担当で同じ事してきてるのに特に悪く言われないよな
26人間七七四年:2010/10/05(火) 23:17:17 ID:0ntzdKaJ
てか秀次の件で三成を責めてる文言って残ってるの?
27人間七七四年:2010/10/05(火) 23:36:15 ID:JZ1xpjnu
>>26
たしか川角太閤記で、「三成が裏でそそのかしたんじゃね?って噂があるよ」的な書かれ方をされてて
まー江戸期にはそういう噂はあったっぽい
その後甫庵太閤記で三成が黒幕のごとき書かれ方をされて世に広まり奸臣イメージの出来上がり
28人間七七四年:2010/10/05(火) 23:47:46 ID:NYw6AFyQ
川角太閤記は秀次の旧臣にも取材してるから、実際に秀次処分当時にも、
そう言う噂はあったんだろう。
まあ実態はあくまで秀吉の都合だと思うけどな。
29人間七七四年:2010/10/06(水) 00:04:43 ID:Vmcqhtgz
江戸時代は淀殿が淀君にされたのと同じく、三成も不当に貶められていたからな。
鵜呑みにするのは危険だ。
30人間七七四年:2010/10/06(水) 02:08:23 ID:NJCtQKg3
>>29
淀「君」が貶めた言葉、って言うのも後世の勝手な解釈に過ぎないぞ。
31せつつ:2010/10/06(水) 05:34:24 ID:tRI1WUQW
>>25
石田が関ヶ原を起こさなければ黒幕にあげられる事はなかったはずだ
秀吉が全て悪いという事
現代社会でもそういう事だ
だから普段、社長が威張っているんだから全体の責任を全てかぶるのは社長としての義務だよ
そうならなかったのは英雄秀吉に傷つけたくなかった秀吉マニアが三成に全て罪をかぶせたのと天下様が自分を正当化したいため事実をねじ曲げたというのが真相か
そもそも石田にそれらの権限を与えられるはずはない
たかだが18万石の小大名の石田にな
秀頼の父親疑惑とか秀次粛清疑惑とかそういう時期はちょうど韓国出張中の時期にあたり陰謀などに関わっていないのは明確
蒲生の件も含めな
そもそも秀次蒲生の家来が三成の家来になったという事実を考えれば三成黒幕という話は成り立たないはずだ
32人間七七四年:2010/10/06(水) 06:52:48 ID:z05fGKaa
謀が公になるほど三成は無能じゃないかもしれんぜ
33人間七七四年:2010/10/06(水) 09:23:10 ID:SHlnPy1E
少し昔は秀吉の権力を笠に着て横暴な限りだった奸臣三成
今は豊臣家を悪漢家康から守ろうとした忠臣三成
いったいどっちやら
どっちも好きだけどさ
34人間七七四年:2010/10/06(水) 10:04:00 ID:NJCtQKg3
奸臣でも忠臣でもなく成り行きでああなった、って言うのが実態と言っていいけどな。>三成
夢はないが。
35人間七七四年:2010/10/06(水) 10:44:23 ID:aY1znB9L
有能な官僚、それ以上でも以下でもないと思う
36人間七七四年:2010/10/06(水) 12:08:52 ID:nH3asmp8
>>33
後者でしょう。
徳川家の人間である光圀が、そう認めてるんだから。
37人間七七四年:2010/10/06(水) 13:08:59 ID:hrpko9fM
三成のような家臣が欲しいとか言ってなかったっけ。
あれは家康だったか?
38人間七七四年:2010/10/06(水) 13:57:15 ID:buH1FeC/
直後が徳川の江戸時代だったからその敵にまわった三成は貶められてるはずだとしながらも
その徳川の一族である光圀(三成と面識がないどころか同時代に生きてすらいない)の評価は正しいとする
都合の良いトコだけつまみ取りのダブルスタンダード
39人間七七四年:2010/10/06(水) 16:25:38 ID:Vmcqhtgz
違うだろ。貶めてる筈の徳川家の光圀でさえも忠臣と評価してるんだから公平な立場から言えばなおさら
そうだ、という事でしょう。光圀自体は変人だけどな。

>>30
マジかよ。詳しく知ってたら教えてくれ。
40人間七七四年:2010/10/06(水) 18:18:39 ID:SHlnPy1E
>>39
変人なんだから周りと言ってる事違うんじゃないか
そもそも光圀は三成の事を聞いてでしか知らないしあんまり説得力ないんじゃ
まあそれぞれの自己イメージでいいんじゃないか
41人間七七四年:2010/10/06(水) 18:45:28 ID:3Pj+nZmx
三成は自分で忠臣と思っているだけで
当の豊臣にとっては迷惑極まりない人間だけどな
42人間七七四年:2010/10/06(水) 19:01:30 ID:z05fGKaa
でも尖閣島の領海に入って来られたり隣家が独断専横を始めたら
誰かが立たないと駄目なんじゃないか?
仙谷のような寝返り恭順派ばかりだったらまずいべ
43人間七七四年:2010/10/06(水) 19:09:30 ID:x4SEtF3l
そもそも家康は豊臣家の主権を一切犯していない。
その家康に豊臣家を凌駕する権威と権力を与えたのは三成が挙兵して
関ヶ原で壊滅したためだ。
44人間七七四年:2010/10/06(水) 20:22:53 ID:z05fGKaa
前田家が徳川家へ人質を出してしまったし徳川主導で上杉が潰されると。
豊臣は関係ありませんって静観してて大丈夫か
45人間七七四年:2010/10/06(水) 20:38:31 ID:x4SEtF3l
>>44
つーか前田利長に関しては家康どころか豊臣家にも無断で帰国してるんで自業自得。
豊臣家から見ても「すわ謀叛か」って思われて仕方のない行為。
46せつつ:2010/10/06(水) 21:37:39 ID:tRI1WUQW
↑色々な意見があるが三成が近年評価うなぎ登りであるのは明白
俺の地元長浜ではすっかり英雄という感じ
親井伊の彦根ですら近年井伊よりも人気あるという感じだし
ただ俺が子供の頃なんかはっきり言ってスルーされてた感じ
調子がよすぎるぞ長浜
47人間七七四年:2010/10/06(水) 22:05:01 ID:fxOsldRW
事実を否定して、推測や妄想だけで歴史をコリエイト
48人間七七四年:2010/10/06(水) 22:06:20 ID:HgiijVOa
>>46
 家康も三成を忠義の士とべた褒めしてたんだから英雄扱いは当然だろう。
 まあ、本多正信は、子供の正純に三成は主君にとっては忠義の士でも、
支配機構にとっては不忠の佞臣だと言ってたらしいがね。
49人間七七四年:2010/10/06(水) 22:12:14 ID:buH1FeC/
>>39
出た!ダブルスタンダード!
「徳川のことだから三成を貶めてるはずだ」という発想がもう勝手な決め付けだったという
その格好の例なんだよ徳川光圀の存在は、
現にプロパガンダ抜きに評価しようとしてるじゃないか三成のことを
こう考えるのが普通
でも良いトコ取りをしたいために、徳川家の光圀ですら〜 という言い方で三成を不自然に持ち上げるために逆に利用する、これがダブルスタンダード

逆に江戸時代の徳川家の人間で三成のことを悪し様に罵ってる奴の具体名を挙げられるか?いないだろ、わざわざとっくに消えた三成という死人に鞭を打つ必要もないんだよ
対決した当事者の家康も自分が天下を取れたのは三成のおかげと正直に言ってる
それでもなお三成の悪評が残ってるとしたらそれは徳川によって不当に貶められたものではない
三成自身が生前に招いた悪評としか言いようが無い
50人間七七四年:2010/10/06(水) 22:17:56 ID:9dyI2LeY
アホだろ。
おまえは
51人間七七四年:2010/10/06(水) 22:55:20 ID:SHlnPy1E
アホの意見が真実という場合もかなり昔にあったな・・・長篠とか

三成が清正達と仲が悪かったのってよく言われるけどさ
・三成の性格が悪かった
・清正達の性格がイカれてた
・そんな事実ありません 講談お得意の捏造です
のどれかね
52人間七七四年:2010/10/06(水) 22:59:08 ID:Vmcqhtgz
>>49
>その格好の例なんだよ徳川光圀の存在は、
しかし光圀の場合は単に本人が変人なだけだから。空気読まないで好き勝手言うタイプ。
53人間七七四年:2010/10/06(水) 22:59:56 ID:Vmcqhtgz
>>51
正則たちのひがみ根性。
54人間七七四年:2010/10/06(水) 23:32:57 ID:x4SEtF3l
三成と清正たちの関係は、性格的なものじゃなくて利害上の問題だよ。
55人間七七四年:2010/10/06(水) 23:34:22 ID:SHlnPy1E
てか仮に関ヶ原で西軍が勝っても外様の上杉毛利がデカくなりすぎて三成が抑えられるかどうか
応仁の乱がまた起こってたかもしれん
家康は豊臣家の家臣として働いたし自称忠臣三成のおかげで徳川以外のデカい勢力はなくなったし
豊臣の直轄領を諸将にあげたのも五奉行いなくなった豊臣家が管理しきれないせいだし何一つ家康は豊臣に悪い事はしてない
まあ日本に平和を齎してくれたという点で煽動した三成は評価出来る
最も実は関ヶ原は毛利が起こしたという説もあるけどね 一番奮闘したから三成が、って話になってるわけで
56人間七七四年:2010/10/06(水) 23:38:10 ID:z05fGKaa
三成の事だからちゃんと戦後のことも考えていたろ
要らぬ心配だと思うが
57人間七七四年:2010/10/07(木) 00:10:09 ID:kQ2kOHXX
>>56
> 三成の事だからちゃんと戦後のことも考えていたろ

またそう言う根拠不明のイメージで話を。
58人間七七四年:2010/10/07(木) 00:32:57 ID:PhrvvKep
>>44
別に家康は前田が豊臣に差し出した人質を強奪したわけではないし、大坂の人質には一切手を出していない
上杉にしても武器や浪人を集めていることは事実だし上杉も認めている
その上で挑発的な文書を出してくれば宣戦布告として受け取られても文句は言えない
むしろ三成の方が忠義を装って好き勝手やっているくらいだ
史実でも三成の行動に豊臣は関係ありませんって静観されたしね
59人間七七四年:2010/10/07(木) 00:45:29 ID:coWFzgxJ
アホだろオマエ
60人間七七四年:2010/10/07(木) 00:46:01 ID:+oPV7H9r
>>51
石田が単に無能だった
61人間七七四年:2010/10/07(木) 00:49:12 ID:T1MAUq5n
>>58
君の言い分だと家康は豊臣の為に正しいことをして
気付いたら天下人になっていた感じ?
新説だな
62人間七七四年:2010/10/07(木) 00:54:42 ID:coWFzgxJ
真実が書いてあるよ

【ジャイアン】家康ほど面白くない武将がいたか
1 :人間七七四年:2009/10/13(火) 17:59:43 ID:TzsdTzve
とうてい天下の器ではなかった三河の陰気で糞面白くない男は
持ち前の運の良さのみで場違いな天下人となってしまう。
人生のほとんどを媚びへつらい強い者に忍従するヘコヘコバッタの
ように生き、気が付けばこれまでの強者共は皆死んでしまった。
「オイ、正信!天下とれるんじゃねえか!!」
これまでとは態度を豹変させた家康!!いや本性を現したというのが本当のところだろう。
「おれが法律だぁ〜」「おれを暗殺しようとしたらしいな〜」
「やられたくなかったら子分になれ〜」「上洛せんかい〜」
「拒んだら謀反人にするぞ〜」「やっちゃえ〜」
「小僧〜っ!早く裏切らんか〜」「ひーっ島津こぇーっ」
「豊臣〜っ!上洛せんかい〜」「豊臣〜っ!金使わんかい」
「豊臣〜っ!わしを呪詛しやがったな〜」
「豊臣〜っ!人質出せや」「豊臣〜っ!大坂出んかい」
「拒んだら暴力が物言うぞ〜」
「やっちゃえ〜」
「ひえーっ!幸村ゆるして〜」

この小物ぶりは最低だね。
おまけにこいつの政権が地味で引き籠もりで最悪の日本の礎に
とほほほ・・・・
63人間七七四年:2010/10/07(木) 08:31:16 ID:Fn8AualW
>>61
新説も何も政治的には何一つ家康は間違った事してないよ
怪しい前田上杉に詰問したら前田は勝手に服従して上杉は喧嘩腰で帰ってきたから討伐しに行っただけ
そしたら三成達が家康は豊臣にとって危ないとかぬかし挙兵 どっちが危ないかわかりゃしない
講談が面白くしようとして豊臣を専横する家康像を作っただけ
婚姻の言いがかり以外何一つ非はないし豊臣だけじゃ武家を纏めきれないし仕方ないんだがな
64人間七七四年:2010/10/07(木) 09:18:59 ID:JN5bt3rq
>>61
お前みたいなのを『家康陰謀史観』と言う。

あの頃の複雑で時々刻々状況・情勢の変わっていった政治状況を
「家康の陰謀」という架空の仮定で馬鹿でもわかるように全部をわかりやすーく説明した
頭の弱い人向けの講談史観だ。
65人間七七四年:2010/10/07(木) 09:26:41 ID:HeTbcZq+
>>63
考え方というか、難癖付けてるとしかいえない。
こう言ってたんだろうな家康は。

>>62 のが本当のところでしょ。
66人間七七四年:2010/10/07(木) 10:15:46 ID:T1MAUq5n
>>63
では大阪の陣はどういう心境だったんだ?
67人間七七四年:2010/10/07(木) 10:32:51 ID:JN5bt3rq
>>66
大坂の陣も秀頼からの挑発だ。
鐘銘事件、無断任官事件、牢人大規模徴募、どれも豊臣家の方がノリノリで対徳川戦争を始めた証拠。
更に言えば冬の陣の講和時の、内堀までの埋め立ても正式に講和条約に入っていたことは
現在ほとんど定説になっている。
内堀埋め立ても騙し討ちでは全くなかった。

冬の陣の後家康が軍隊を解散させなかったのも、未だ豊臣家が牢人を解散させていなかった以上
当然の措置であり、それが正しかったことは牢人は暴発し堺や奈良への攻撃を仕掛けたことで
証明される。

家康は間違いなく最後まで豊臣の存続を模索しており、豊臣家、ここでは秀頼が
徳川への屈服を最後まで拒絶し勝手に滅んだと言っていい。
68人間七七四年:2010/10/07(木) 10:37:42 ID:T1MAUq5n
下らねえw 事象をなぞってるだけで何の考察も入ってねえじゃん
もうちょいヒネれよ
69人間七七四年:2010/10/07(木) 10:45:10 ID:HeTbcZq+
戦争やる気で堀埋める馬鹿がいるかよ。
70人間七七四年:2010/10/07(木) 11:02:29 ID:Fn8AualW
>>68
考察=妄想
事象になぞった方が正しいよ
>>69
豊臣が講和を結んでんだからあの時点で講和しなきゃ豊臣方が苦しかったんだろ
約束を違えたら約束守らん奴として誹りを受けるし
71人間七七四年:2010/10/07(木) 11:08:11 ID:PhrvvKep
>>42
そもそも中国(明)に対する寝返り恭順派が他ならぬ三成なわけで
散々弱腰外交を繰り返して失敗した奴が政権内部の人間に対してだけ勇ましい態度を取っても説得力がない
尖閣島に例えるなら三成は島の一つや二つ平気で中国に売り渡すよ
だけど日本国内で政治家が脱官僚的行動を取って自分達官僚の権益を侵害するのは許さないというだけだ
72人間七七四年:2010/10/07(木) 11:14:32 ID:JN5bt3rq
>>69
そもそも豊臣家内部には対徳川の和平派(淀殿周辺)と主戦派(秀吉周辺)の二つのグループがあり
対立していた。

冬の陣の講和は、主戦派が頼りにしていた豊臣恩顧大名からの援軍が全く現れないことと、
大阪城内の物資不足が深刻化したため和平派が勢力を盛り返し、豊臣家の主導権を奪い返して
講和を成立させた。

この講和が破れたのは、主戦派の大野道犬たちによる和平派の領袖、大野治長への襲撃事件。
これで治長が重症を負い和平派が機能不全に陥り、大阪城の主導権を主戦派が再び
取り戻した。
ここから戦争の再開(夏の陣)が起こるわけだ。

ちなみに牢人衆にも少数ながら和平派がいて、後藤又兵衛などは大野治長に
非常に近い立場だったようだ。
そのため道明寺の戦いでは、主戦派の真田信繁などにわざと見捨てられた、という説もある。
73人間七七四年:2010/10/07(木) 11:18:17 ID:JN5bt3rq
>>72
あ、1行目の
> 主戦派(秀吉周辺)

これは主戦派(秀頼周辺)のまちがいね
74人間七七四年:2010/10/07(木) 11:21:34 ID:HeTbcZq+
堀無しで主戦派が馬鹿で戦争を起こしたとでも言うんですか?
75人間七七四年:2010/10/07(木) 11:29:41 ID:JN5bt3rq
>>74
そうだよ。主戦派や多くの牢人はこのまま和平が定着したら自分たちの居場所は無くなるもの。
主戦派としては牢人衆が放逐されたらもはや、幕府の支持を受けている淀殿周辺に対して
何の力も行使できなくなるし、
また多くの牢人衆も大阪城を追い出されては生活の糧がない。

主戦派は一か八かで戦う意外後がないんだよ。

あと主戦派が権力握り返して早々に埋めた堀の復元はじめてるから。
76人間七七四年:2010/10/07(木) 11:33:33 ID:T1MAUq5n
君の言ってる事は誰でも全部知ってる
そういうの書かなくて良いよ
77人間七七四年:2010/10/07(木) 12:19:05 ID:HeTbcZq+
読んで損した
78人間七七四年:2010/10/07(木) 19:02:45 ID:RcJD5s3n
確かに>>75の内容は誰でも知ってるな。
知ってる上で>>74のような質問をするのは馬鹿だと思うけど。
79人間七七四年:2010/10/07(木) 19:56:44 ID:WwHYAhg/
↑大阪夏の陣の話はいい
80人間七七四年:2010/10/07(木) 23:25:52 ID:JNTR3yvu
大坂が挑発したんじゃなく、家康が仕組んだと言いたいんだろ。
馬鹿はおまえ。
81片桐且元:2010/10/07(木) 23:34:36 ID:u/9MNYOI
ソレガシの苦労は一体何だったのでござろうか・・・
82人間七七四年:2010/10/08(金) 00:46:57 ID:E3MmmVgK
>>81
片桐且元は徳川との危機を起こし、それを利用して大阪城内の主導権を握ろうとした
秀頼とその周辺の生贄にされた存在だな。

ちなみに且元と大野治長の間に対立はなく、むしろ同じ路線を模索していたと考えられる。
ただ且元の方がいわば当初和平派の最高責任者だったために、秀頼周辺にターゲットにされた。

且元を失ない主戦派に主導権を取られた後も、後戦局の不利があったとは言え、大阪城内で
粘り強く和平派勢力を盛り返した大野治長はやはり相当の傑物だと思うぞ?
83人間七七四年:2010/10/08(金) 08:13:48 ID:N0evCVrC
↑あのボンボンが俺、戦争やめますと言えば終わっていたのにな
大阪城にはいられないとしても大和郡山30万石(石高削減)くらいは残してもらえただろうに、、、、
ま浪人衆は困るだろうがな
84人間七七四年:2010/10/08(金) 12:56:24 ID:PepiQQ+Q
あのなあ、家康が秀頼を生かしとくと思ってるのか?
85人間七七四年:2010/10/08(金) 13:01:17 ID:GpZFLjJ7
家康くらい人を殺さない大将も珍しいが。
関ヶ原で敵軍の総大将であった毛利輝元すら命を許したんだぞ?
豊臣家も領地的処分はともかく、家存続に関しては大野あたりが責任とって詰め腹を切って終わるだろ。
86人間七七四年:2010/10/08(金) 13:23:23 ID:8vyKdfLz
>>84
孫やってるし一度臣下の礼を取ってる家康が殺す必要がどこにあるのか
むしろ何で秀頼を生かしちゃならんのだ?
87人間七七四年:2010/10/08(金) 13:47:42 ID:mT2PntT0
豊臣が乱を起こす可能性は150%、秀頼は確実に起し子孫が残れば
そいつらが起す確率が50%ってこと

もう根絶やしにするしかないね
88人間七七四年:2010/10/08(金) 21:04:10 ID:N0evCVrC
↑タイラー清盛が義朝の息子達を生かしたがその息子達に滅ぼされた例があるし長宗我部元親の父親が子供の時、本山氏に助命してもらったのに結局元親に滅ぼされた例があるので敵の子供は根絶やしにするのが鉄則とはいえ徳川が秀頼の子供を殺さなかっても別に安泰だろうが
かりにその子を旗本にでもしとけば反乱なんぞおこせるかいな
むしろ生かしてそれなりの身分にしとけば豊臣系の大名もさすがは徳川様
と恩に感じてますます忠誠を誓うだろうが
島津も毛利もいつかは豊臣の敵をと考えてただろうから豊臣家をたとえ長浜4万石でも残せば反乱も起こしにくかったかもしれない
また家康自身の人気も高かったとおもうしな
石田三成と淀が全て何もかも悪いという歴史を押し付けたが庶民には徳川が一番悪いという認識はあったはずだ
秀頼の子供を殺すどころか大事にしたなら徳川様はなんと素晴らしいと大名庶民全てが称えただろうに
つくづく馬鹿な男だ家康はな
所詮運だけで天下をとれた単なる小物だな
家康とほぼ同世代である俺の地元の浅井長政と比べても武将としてはるかに落ちるよな
小さいよ家康
89人間七七四年:2010/10/08(金) 21:09:36 ID:01qWxHQK
>>85
大坂城を素直に明け渡したんだし、その上さらに死罪となると
さすがにテル坊も窮鼠猫を噛むくらいの気概は見せるだろう・・
4万以上か?の軍勢もまだほとんど無傷だしな。
広家など決死の奮戦せざるをえないぞw
いや、その前に秀包か秀元あたりに広家斬殺されるかも
90人間七七四年:2010/10/08(金) 21:42:19 ID:DmI1fTEx
実際のところ徳川軍と毛利軍がガチなら兵力差を込みにしていい勝負だと思うんだよね
もちろんこのような仮定自体が無意味というのはわかってるつもりだがw

ほぼ10年実戦経験がなく本拠を遠く離れての長期遠征経験がない軍隊と
ほぼずっと戦争状態で長期遠征しまくりだった軍隊
将〜与力〜組頭〜兵卒〜輜重それぞれにおいて経験の有無の差がかなり大きい
91人間七七四年:2010/10/09(土) 02:36:27 ID:4A6yCfIe
徳川の武器は家康の存在と250万石の見せ金と豊臣領を遠慮なく恩賞としてばら撒いてくれる期待感だから
それさえ揃えば朝鮮で実戦経験と政権への不満を溜め込んだ連中が勝手に敵を倒してくれる
徳川軍の末端の実戦経験などたいした問題にはならない
トップの経験と石高の看板の方が戦において遥かに重要だよ
92人間七七四年:2010/10/09(土) 10:05:02 ID:yHgTwsrd
『もうひとつ早鐘を鳴らされた事例を紹介しよう。関ヶ原合戦に至る過程で、石田方は徳川家康の家臣
鳥居元忠や松平家忠らが守る伏見城を攻撃した。醍醐寺は伏見城から山一つ隔てた東側にあるので
伏見城を攻める鉄砲の音が間断なく聞こえてきた

(中略)

そうしているうちに、石田方の軍勢が醍醐寺に押し寄せて、「伏見城を攻める資材に必要なので
竹を切る」と言ってきた。これに対し醍醐寺側は大切な竹を切るなど以ての外であると拒否し、
寺侍が出て戦った。さらに早鐘を突くと、醍醐寺の寺領の郷民たちが武器を持って駆けつけてきて、
石田方の軍勢と一戦を交えようとして、睨み合った。これを見た石田方はその勢いに恐れをなして
退却していった。』

洋泉社歴史新書「戦国合戦の舞台裏」盛本昌広P18〜より
93人間七七四年:2010/10/09(土) 13:01:48 ID:2OD024al
>>92
伐採隊長としてはなかなか利口というか適切な判断だと思う。
94人間七七四年:2010/10/09(土) 14:34:57 ID:G4aVMnlQ
>>87>>88
そもそも幕府に従わず関白の家の癖に浪人を集めて騒ぎを起こしてる時点で豊臣が悪い
幕府に武力で刃向かうとは公家風情が愚かしいにも程がある
関白の家なら関白らしく朝廷で過ごしてりゃいいのに武家の言うことに従わないから滅ぶんだよ
幕府に逆らって滅んだ事例なんか過去にもあるのに奢った豊臣が悪い
95人間七七四年:2010/10/09(土) 14:54:20 ID:mHKzaskD
主家筋のやることに老臣が詰問することがもう異常。
96人間七七四年:2010/10/09(土) 16:53:59 ID:yHgTwsrd
>>95
いわゆる二条城会見で秀頼は家康に臣従しているんだが。
97人間七七四年:2010/10/09(土) 16:59:24 ID:5d1Zx2Y6
あれのどこが臣従してたんだ
98人間七七四年:2010/10/09(土) 17:40:41 ID:QBpIDPJK
>>97
ああいうふうに、権力者のもとに自分から出向いて挨拶することはこの当時の常識として
「臣従」と認識された。かつて丹羽長秀が秀吉の屋敷に出向いて挨拶した時
世間は明確に「丹羽長秀は秀吉に臣従した」と取った。

そもそも小牧長久手の後、家康の「上洛」が「臣従」と同義語であったのもそういうことだ。

秀頼が大阪から出て「家康の主権下にある」二条城に出向き頭を下げた以上、これは誰がどう見ても
臣従。
99人間七七四年:2010/10/09(土) 17:47:01 ID:pBonVfuj
誰がどう見てもwww
100人間七七四年:2010/10/09(土) 18:34:48 ID:2OD024al
臣従まではいかないというか、家康側の「とにかく顔くらい見せてくれ」
という懐柔的な側面も割かし感じるけどなあ。
家康の本心がどうあったであれ、豊臣家のことは最後に残った、
どうしても死ぬまでに解決しておきたい懸念材料であっただろうしな。
101人間七七四年:2010/10/09(土) 19:57:03 ID:QBpIDPJK
>>100
秀頼本人はどうか知らんが世間は臣従と受け取った。当時の常識から見てもこれは間違いない。
家康の中では豊臣家問題はあの二条城会見で解決したと考えていただろう。
102人間七七四年:2010/10/09(土) 22:05:32 ID:t/62Hsvz
なら、小心者がやるようなセコイ手使って殺すなよ。
103人間七七四年:2010/10/09(土) 22:07:53 ID:QBpIDPJK
>>102
なにをもって「セコイ手」と言っているんだ?
大坂の陣の過程で家康はせこい手など何一つ使ってないが。
104人間七七四年:2010/10/09(土) 22:33:01 ID:/K7qYq1Z
三成の話をしょうよ
105人間七七四年:2010/10/09(土) 22:36:21 ID:G4aVMnlQ
三成って大谷以外仲いい奴いたんだろうか
106人間七七四年:2010/10/09(土) 22:38:44 ID:yHgTwsrd
そもそも大谷とも仲が良かったかどうかは不明。
まあ友情関係かどうかはともかく一番深い関係だったのは長束、増田だと思うぞ。
107人間七七四年:2010/10/09(土) 23:00:47 ID:5d1Zx2Y6
むしろ三成主従の関係が気になるね
島・蒲生・舞野ら石田家の看板達は
108人間七七四年:2010/10/09(土) 23:42:16 ID:L5Jk2y7e
>>105
愛の兜の人
109人間七七四年:2010/10/09(土) 23:44:52 ID:pxSqRMzB
>>105
律儀な佐竹さん
110人間七七四年:2010/10/09(土) 23:51:17 ID:yHgTwsrd
>>107
実際のところ三成の家臣団構成もよくわかってない
111人間七七四年:2010/10/10(日) 05:08:41 ID:MeSTg40l
佐竹さんは仲がよかった
112人間七七四年:2010/10/10(日) 13:05:04 ID:kdBX+D8V
九州の陣で秀吉の勘気被って謹慎してた大谷を茶の湯だか名物鑑賞だかに行かせて
気晴らし出来るよう手配したりしてるからそれなりの仲だったのは間違いないだろう
113人間七七四年:2010/10/10(日) 19:28:25 ID:RtZpTNRQ
実は三成は自分の鼻水やかさぶたを食べてる幼児性癖があったので大谷の鼻水だかかさぶただかが落ちても茶を美味しく頂けたとか
一応そういう精神病があるらしいから三成がそれでもおかしくはないな
114人間七七四年:2010/10/10(日) 19:34:48 ID:RLOm9DLV
大谷の茶の話は元々は秀吉が飲んだ、というものだった。
それが後世になって秀吉が三成に入れ替わった。
115人間七七四年:2010/10/10(日) 19:44:54 ID:K4cG3BDj
今,石田三成を大河でやるとしたら誰が演じるのが一番会うかな?
俺的にはインテリて部分で櫻井翔が合うと思う。
少なくとも中卒小栗よりはいいだろw
116人間七七四年:2010/10/10(日) 21:07:18 ID:Z3CBjPXa
そのメンツじゃただのドラマになっちまう。本人のポテンシャルは別として。
浅野忠信とか佐藤浩市とか
117人間七七四年:2010/10/10(日) 21:09:03 ID:34fjpD9c
>>105
義兄弟の昌幸さんはどうだろうか
118人間七七四年:2010/10/10(日) 21:46:37 ID:LN4y9BwH
↑津軽為信がないぞ
津軽は南部から独立した際、本来なら南部氏ごとお家騒動の罪でおとり潰しされてもおかしくなかったが石田三成のとりなしで独立できた
また息子の烏帽子親に三成が引き受けたりとかなりの友情関係があった
関ヶ原では東西両軍に兵を送りお家安泰
しかし石田三成には多少は後ろめたい気持ちはあったので自分のところに逃げてきた三成の息子と娘をかくまったわけだ
さらにその息子を津軽家の幹部に抜擢
娘は自分の息子の嫁さんにしてその子供を跡継ぎにした
下手すればおとり潰しも考えられたが恩には恩で報いた
佐竹は佐竹で三成本人をかくまったし(影武者かも知れない)
三成好きは案外いたとおもわれる
ただこの人好き嫌いが激しかったみたいだが
119人間七七四年:2010/10/10(日) 22:21:13 ID:tLcNFJLa
大森南朋はどうだろう?
120人間七七四年:2010/10/10(日) 23:03:16 ID:2I2+KmCt
>>119
大河の配役だけは実際に演じてみないと分からんからなあ。
今年の大河でその大森武市とのからみの多かった佐藤健の岡田以蔵はかなりのハマリ役だったし、
昔『秀吉』で足利義昭を演じた玉置浩二は、いい意味で大河ファンの期待を裏切る怪演技を見せてくれた。
三成も、脚本にもよると思うが、普段無骨で豪快な役の多い俳優が演じたら、
意外に『関ヶ原』加藤剛三成を超える最高傑作の三成が出来上がるかも?
121人間七七四年:2010/10/11(月) 01:01:26 ID:7EPkGlmW
>>118
 いかにも家康が好みそうな話じゃないか!
 関ヶ原後の秩序維持に節義を提唱した家康としては、三成の子供たちに示した
津軽の行為こそ、恩を忘れぬ節義ある行為というものだ。
 二股かけた津軽が、大阪の陣後に来る、豊臣恩顧取りつぶしブームの対象から
免れたのも案外、こんな行為の政じゃないだろうかね。
122人間七七四年:2010/10/11(月) 03:32:46 ID:u9vPCLY+
大河の葵三代の三成(江森さんだよね?)もいいって聞いた
123人間七七四年:2010/10/11(月) 05:26:02 ID:f3My2hrG
>>121
津軽の方で三成研究の第一人者杉原氏はその三成の息子の子孫らしい
弘前の図書館では三成関係の書籍もかなり置いてあるそうで現地での三成人気も高いらしい
124人間七七四年:2010/10/11(月) 05:27:56 ID:f3My2hrG
>>122
江守さんもかなり良かったがいかんせん老けすぎ
三成は当時まだ40歳
どう見ても無理がある
125人間七七四年:2010/10/11(月) 10:07:43 ID:qVU9DQoi
>>124
あのときのお江さんに比べたら・・・
126人間七七四年:2010/10/11(月) 20:30:15 ID:bSNVx+/A
さらに淀君と比べたら…
127人間七七四年:2010/10/11(月) 21:03:01 ID:f3My2hrG
岩下志麻さんですね
さすがは極道の、、、、
128人間七七四年:2010/10/11(月) 21:56:54 ID:fhf6tATs
殺っちまいな!!
129人間七七四年:2010/10/11(月) 23:51:37 ID:h0kR2GVp
島左近は渡辺謙で。
130人間七七四年:2010/10/12(火) 00:04:19 ID:6DSk4FB/
wiki見たら蒲生郷舎と横山喜内って別人なのか。
知らんかった
131人間七七四年:2010/10/12(火) 15:52:33 ID:SH3Gwy28
蒲生さん家は蒲生姓もらった人いっぱいいてゴッチャになりやすいよねえ
132人間七七四年:2010/10/12(火) 16:51:13 ID:f4NXOsvN
土佐シリーズなら素人にも区別可能
加藤清正の家臣で清正嫁を関ヶ原前に大坂から脱出させたのは大木兼能こと大木土佐
石田三成の家臣で関ヶ原で奮戦したのは元豊臣秀次家臣の大場土佐

蒲生シリーズは石田家限定ですらプロレベルの鑑定眼が必要
元は横山姓で横山喜内と名乗っていた蒲生頼郷
元は坂源兵衛こと蒲生郷舎
元は赤坂隼人佐こと蒲生郷安
元は森頼元で横山喜内こと蒲生大膳の娘婿の蒲生大膳
元は美濃3人衆の1人安藤守就の弟安藤将監こと蒲生将監
元は上野田姓であった蒲生大炊介
133人間七七四年:2010/10/12(火) 17:40:00 ID:6DSk4FB/
三成に高禄で招聘されたのは誰よ
134人間七七四年:2010/10/12(火) 22:55:17 ID:80FSCFYX
三成様の大河に期待!!
135人間七七四年:2010/10/16(土) 16:14:20 ID:cnUb5lHl
BASARA人気で三成の知名度も上がったね〜
136人間七七四年:2010/10/16(土) 23:01:21 ID:jgtQ9+8x
豊臣に政治的空白を作ったのは三成
淀さんに野望かあったかどうか
137人間七七四年:2010/10/21(木) 21:14:35 ID:vedlSFzZ
今日ってさ、410年前の今日ってさ、
何で誰も書きこんでないんだろ・・・
138人間七七四年:2010/10/21(木) 22:54:16 ID:9/7kLdz2
>>137
旧暦の9月15日なら明日、だからだよ?
139人間七七四年:2010/10/26(火) 22:43:45 ID:knWcsdg2
淀君をくどいて姦通していたら勝てたのに。
140人間七七四年:2010/10/27(水) 01:41:25 ID:45CNvW4p
それを言うなら、家康暗殺してればいいのにさ。
141人間七七四年:2010/10/27(水) 22:35:29 ID:D2XWHbWS
三成が秀吉と一緒に死んでいれば恩顧が何のわだかまりもなく団結して勝てたのに
142人間七七四年:2010/10/28(木) 00:14:22 ID:jiRgxIB1
わだかまりは無いが家康に好い様にされるだけ。
143人間七七四年:2010/10/28(木) 01:41:47 ID:3yDb+l2R
つまり結局負けか…
144人間七七四年:2010/10/28(木) 06:24:05 ID:3rTGwWJ8
三成が関ヶ原以前に死ねばという意見があるが家康は何が何でも天下取りにきてるので加藤らを取り込んで結局天下纂奪してるのは間違いない
なにしろ加藤らは戦争馬鹿だから取り込むのは簡単
奴らは石田を言い訳にしてるだけ
石田三成がいなかったら今度は増田あたりを目の敵にするだろうし
145人間七七四年:2010/10/28(木) 08:47:29 ID:psjDBpk8
いや福島はともかく加藤は豊臣のために頑張ってたが 少なくとも三成よりは効率的に
朝廷が将軍にしなけりゃ家康はずっと豊臣家臣だろうし一番の原因は朝廷じゃないの
146人間七七四年:2010/10/28(木) 15:22:32 ID:oJJHr9qW
三成が上地って・・
147人間七七四年:2010/10/28(木) 16:20:57 ID:jiRgxIB1
>>145
朝廷は常に強い者の味方。そこに文句言っても始まらない。上手く利用すべき存在。
148人間七七四年:2010/10/29(金) 23:13:19 ID:20GeF82i
>>144
家康は何が何でも天下取りにきてるというより
秀吉の政が見るに耐えないほどボロボロなので勢いで天下取っちゃったという感じだな
秀吉の政が悪かったのが最大の原因だから加藤ら現場側にはどうしようもないことだ
三成の場合は側近として秀吉の政を補佐する立場だから責任重大で打ち首になっても文句は言えないだろう
149人間七七四年:2010/10/30(土) 06:33:57 ID:0V7K322W
↑大陸出兵を思い留まって徳川いじめ
(謀反をおこす計画をたててるなとでっち上げて無理やり叩きつぶす、滅亡はさせないが30万石だけ残して恩を売りつける、なお家康は切腹、かつて足利義満が大内、山名を叩きつぶしたやり方)
などをして豊臣家安泰の方向へもっていくべきだった
三成は引き留めたが秀吉が暴走したのでやむを得ず
150月孔雀:2010/10/30(土) 06:37:53 ID:JhJNPm8p
何が何でも、天下を取りに来ていたと思う。
151人間七七四年:2010/10/30(土) 14:03:24 ID:LtSlI4Z/
>>149
毛利や上杉は?
152人間七七四年:2010/10/30(土) 14:14:05 ID:dZrgSghk
秀吉生前から既に、徳川がいないと豊臣政権自体が動かないんだけどな。
仕組みがなく慣習だのみの取次ぎ制に頼り切ってるから、家康という巨大なパーツが抜けると
豊臣政権自体も一緒に崩れ落ちる。
153人間七七四年:2010/10/30(土) 15:29:48 ID:gGZ06Hno
諸大名へ示した行動規範が遺言という時点で豊臣がいかにいい加減な政権かを表しているしね
死ぬ寸前まで基礎の仕組みを整備する気がなく慌てて遺言で体裁だけ繕いましたというレベル
だから天下を狙っていようが何だろうが家康を大老筆頭にするしか政権を存続させる方法がなかった
154人間七七四年:2010/10/30(土) 16:34:34 ID:zOe3pwM6
秀吉は関白秀次によるきちんとした政権を作ってはいたよ。自分で根底から
完全にぶち壊したけど。

あと、地方大名統制は取次 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%96%E6%AC%A1_%28%E8%B1%8A%E8%87%A3%E6%94%BF%E6%A8%A9%29
で行い、それ自体は初期の大大名による取次から、奉行クラスの大名による
取次に移行していたように、秀吉の死までは体制が作れていた。
155人間七七四年:2010/10/30(土) 17:35:19 ID:61iNH82e
家康は本能寺の後からかなり露骨な動きをしてるよな。
勝手に織田家の領土である甲信地方を浸食し、後継者を擁立し。

この時にこれほど野心的に動いていた奴が一度豊臣の天下が
定まったからといって自分の天下を諦めているはずがない。
156人間七七四年:2010/10/30(土) 18:05:48 ID:dZrgSghk
>>155
本能寺の後の、家康秀吉以外の大名の動きもちゃんと見てみようね。
みんな自己利益、自己権益の拡大、回収に走りまわってるから。
その中で家康は大きな成功を収めた大名であることは間違いないが、
君の言う「露骨な行動」が家康に限ったことであるというのは、大間違いだ。


まあ君みたいなこと言う人間はたいてい、司馬遼太郎あたりに洗脳されているんだろうけどさw
157人間七七四年:2010/10/30(土) 18:21:50 ID:C4N5L6K6
誰も家康が特別だなんて言ってないのになぁ

戦国時代だから野心があって当たり前。
家康も当然野心家だった。それだけの話でしょ。
158人間七七四年:2010/10/30(土) 18:29:09 ID:8iL3h/bA
全くその通りだ。家康が野心家で何か困るのかと訊きたい所だ。
159人間七七四年:2010/10/30(土) 18:33:16 ID:tvni0t9O
だから>>155あたりは「家康は特別な野心家だった」ってことを前提とした陰謀論なんだろ?
160人間七七四年:2010/10/30(土) 19:50:13 ID:C4N5L6K6
陰謀のひとつもないような戦国乱世などありえない。
特別な野心家でなくても天下を取れそうな位置に居て何の手も打たない訳が無い。
161人間七七四年:2010/10/30(土) 20:02:47 ID:Hmf5VWpB
話をぶった切って申し訳ないが

何故加藤清正のことをまるで戦しか能の無い筋肉馬鹿みたいな評価する奴がいるんだろう?
清正って今で言えばスポーツも出来て勉強も出来、何事もそつなくこなして喧嘩も強い
それこそ京大アメフト部キャプテンを務めるような超人男だろうに
彼の出世振りと業績からはとても単なる荒大名とは違う
それはこのスレの主役三成も言える
三成の度胸も半端じゃない
レンホーに言い負かされてニヤニヤしてるような腰抜け官僚とはわけが違う
まあ戦国武将なんだから当然っちゃ当然だが
162人間七七四年:2010/10/30(土) 20:59:07 ID:8iL3h/bA
何故なら家康に良い様にされたからだな。筋肉バカとは思わないが先を読む能力が三成に及ばない。
163人間七七四年:2010/10/30(土) 22:35:12 ID:61iNH82e
加藤清正がバカじゃないなら、家康が秀頼にとって危険だと知りながら
それでも自己のために家康についたことになってしまう。

そんな打算的な人物だと思いたくないから、あえて加藤清正を
筋肉バカにしたがるファンもいるように思う。
164人間七七四年:2010/10/31(日) 00:59:24 ID:VGJLsiVI
三成スレかと思って開いたら家康清正スレだった
165人間七七四年:2010/10/31(日) 06:34:24 ID:akWlWH9p
はっきり言って加藤は単なるコネ
秀吉のはとこだから大名にまでなっただけ
そうでなければせいぜいサムライ大将どまり
ただ秀吉とは赤の他人の脇坂、加藤喜朗ら筋肉馬鹿も大名になってるから大名にはなれたか
ていうか秀吉て人材不足だよな
とりあえずその辺の奴らも大名にしとけば信用はできるって感じ
それでも側近にしてもらえなかったのはただ単に筋肉馬鹿だから中央の政治なんか仕切れるかという理由だろ
ただこれだけは言える
家康の家来だったら大名にはしてもらえなかったのは間違いない
家康系の大名で農民から大名に出世した人間ているかい
166人間七七四年:2010/10/31(日) 06:40:31 ID:akWlWH9p
もし加藤が私怨を捨てて石田と挙党一致してたら家康も何もできなかっただろうな
三成の性格なら加藤とは組みたくはないだろうが大谷に説得されてな
石橋を叩いてわたる家康なら何もせずに三成加藤に媚びをうりまくってただろうな
現代社会において三成なら使えるが加藤なんか使えへん
工事の現場監督が精一杯
ヤクザの親分としても融通がきかないのでやってけるとは思えない
167人間七七四年:2010/10/31(日) 06:48:16 ID:xCU71mdZ
>>165
コネにしても清正以上にカリスマ性があり領国経営に長け強い武将なんてそうそういないが?
まっ清正は天才、石田は凡才って言ってるのなら話は分かるよ(笑)
168人間七七四年:2010/10/31(日) 06:53:44 ID:xCU71mdZ
>>166
豊臣を弱体化する事には長けてたね。
石田は日本を弱体化させる売国奴にはなれるかもよ(笑)
169人間七七四年:2010/10/31(日) 09:26:07 ID:akWlWH9p
清正サポーターは消えてもらおうか
いくらドラマにほとんどだしてもらえないからってひがむなよ
170人間七七四年:2010/10/31(日) 10:16:49 ID:akWlWH9p
>>168
アホな主君のおかげでとんでもないとばっちりを食らっただけ
171人間七七四年:2010/10/31(日) 10:22:18 ID:O8zoWacO
>>165
本多正信は農民出だろ
172人間七七四年:2010/10/31(日) 10:33:59 ID:armrq3Hc
>>165
 三河武士のほとんどは、家康人質時代は百姓も同然ですが、っていうか
農民の定義が江戸時代目線じゃないのかい>>165
 徳川家臣団なんて、武田や上杉とほぼ同室の半農半士の集団だぞ。
173人間七七四年:2010/10/31(日) 10:54:38 ID:hS2j8A3T
加藤や福島が石田を毛嫌いしていた理由ってなんだろう?

朝鮮出兵の活躍を握りつぶされたから?
獲得した土地が無い以上、恩賞は与えられないんだから
石田三成じゃなくてもプラス評価を与えるわけには
いかないのは当然のことだ。恨むなら秀吉を恨むべき。

秀次処刑に関しては石田三成は立ち会っただけでなんの
作意があろうはずもないのでそれが恨みになるのもおかしい。

政権の中枢に加藤福島が入れなかったのは本人の適性の
問題であり秀吉の意図でもあり、これまた石田がなにか
悪いことをしたわけではない。
174人間七七四年:2010/10/31(日) 12:46:32 ID:IAvBU7dR
>獲得した土地が無い以上、恩賞は与えられないんだから

問題なのは三成自身および三成の親戚の福原・熊谷・垣見らはきちんと恩賞を貰っていること
自分達は安全な後方にいながら恩賞を独り占めして、前線にいる大名に恩賞は与えられないとなれば不満も増大する
どうせ三成と一緒に戦っても恩賞は三成とそのお仲間で独占されるとなれば危険を冒して戦う意味もないし
安全なところで日和見するか、三成を倒して家康から恩賞をせしめる方がどう考えても得策だろう
関ヶ原で起こった事態は朝鮮での論功を考えれば必然の結末と言えるかもしれない
175人間七七四年:2010/10/31(日) 13:14:10 ID:Hvsefoaz
うーん、三成が無私ではなかったことに問題があるのもその通りだが
清正や正則も結局は豊臣政権云々より目先の恩賞がすべてで、
しかも政局全般を見渡せる頭を持っていなかったことになるなぁ。

秀吉亡き後の豊臣政権には必要に応じて譜代を粛清できるような
権力者は居ないし、遅かれ早かれ崩壊していたということか。
176人間七七四年:2010/10/31(日) 13:18:43 ID:D7oXCVRT
清正も正則も個人ではなく、家中を率いている大名なんだから恩賞を求めるのは当然だっつーの。
個人の利害じゃない、組織の利害だ。
177人間七七四年:2010/10/31(日) 13:40:28 ID:hS2j8A3T
家中でも個人でも主家からすれば同じ事だろJK。
槍働きと自分の領国経営だけなんて奴は平和になれば主家にとって頭痛の種にしかならない。
178人間七七四年:2010/10/31(日) 13:46:03 ID:D7oXCVRT
>>177
お前組織ってものに所属したことないだろ。
179人間七七四年:2010/10/31(日) 17:11:30 ID:1FKGVBNx
>>166
>もし加藤が私怨を捨てて石田と挙党一致してたら家康も何もできなかっただろうな

つまり清正は単なる工事の現場監督の器ではないということになるわけだが・・・
まあ結局三成に欠けてたのは実力=石高=動員兵力ってことになるんだろうなあ。
ヤクザの世界なら神戸に喧嘩を売ったようなものだからね。
寄せ集めでは無理だ。
180人間七七四年:2010/10/31(日) 17:29:44 ID:armrq3Hc
>>173
 福島は、政権中枢への参画が許されなかったから。
 司馬のせいで酒乱の脳筋野郎設定が流布してるが、酒の入っていない福島は、
まっとうなテクノクラートかつ優秀な軍人。
 加藤は、朝鮮戦役における小西絡みのトラブルで石田と揉めたから、それまでは
石田と格別、トラぶってない。
181人間七七四年:2010/10/31(日) 17:36:06 ID:armrq3Hc
三成が無私でなかった証拠は、滅私奉公の立花に
「あんたの武功、太閤様に報告してやっから、口利き料よこさない?」
「はあ、口利き料?普段の取り次ぎじゃないぜ。ここは戦場だ!
戦奉行は、ちゃんと武功を報告するのが仕事だろう」
って言われて、立花の武功、上申しなかった件でも明らかだな。
182人間七七四年:2010/10/31(日) 17:49:17 ID:Hvsefoaz
あれって賄賂要求だったのか?
183人間七七四年:2010/10/31(日) 18:09:16 ID:VGJLsiVI
>>181
立花かわいそw
184人間七七四年:2010/10/31(日) 18:10:59 ID:armrq3Hc
>>182
 他家との所領問題、家中でのもめ事の仲裁依頼、犯罪人の引き渡しにおける他家との仲介役
軍役軽減の上申を取り次ぐ等で謝礼をもらうのは問題ない。というか当時の常識範囲
ただし軍事は別。戦奉行は、軍制業務を受け持つから、口利きや取り次ぎなどで謝礼を要求す
るのは御法度、賄賂要求と見なされてもしょうがない。
立花が怒って上訴すれば、三成の負けになるのは、理論上は明白だが、他の戦奉行を自分の
派閥で固めてるから、立花が上訴すれば負けるのは立花。
185人間七七四年:2010/10/31(日) 18:11:36 ID:6pyLFRFl
それ三成が特異なのかどうか当時の常識はどうだったんだ?
186人間七七四年:2010/10/31(日) 18:16:22 ID:/4iBQjPq
秀長の九州征伐のときの兵糧販売といい、どうもここ一番ってところで
変な恨みを買うようなまねをするヤシが秀吉の側近には多い気が。
187人間七七四年:2010/10/31(日) 19:08:30 ID:Hvsefoaz
>>184
本当に賄賂要求があったのかどうかと聞いているんだが。
秀吉への口利きを提案したことと賄賂を要求することはイコールではない。

石田三成は部下に賄賂を受け取ったりするなと誓書を出させたような
人物であり、佐和山でも質素な生活を送っていた男だ。
小遣い稼ぎのためにせこせこと賄賂を集めていたとは考えにくい。
188人間七七四年:2010/10/31(日) 19:20:02 ID:armrq3Hc
>>185
 立花の答えが、当時の常識
 戦での武功判定に金銭の授受が行われたら、家中で内戦が始まるわな。
189人間七七四年:2010/10/31(日) 19:20:21 ID:IZP6HOcf
つーかそもそも>>181の逸話自体の信憑性がだな……

あとその逸話は単に三成が賄賂要求したけど断られた話しでなく
そう言って立花宗茂を三成が試したが、宗茂はのってこず潔白な男で三成も感じ入った
みたいなニュアンスの逸話だったはず

こういう逸話ソースに語るときは、
「後にこのように語られるからには、そう思わせる性格か事実があったんでは?」という考察ならともかく
実際あった事、事実のように決めつけて語られても議論にならんよ
190人間七七四年:2010/10/31(日) 19:29:26 ID:armrq3Hc
>>187
 取り次ごうかといった時点で戦奉行としてはアウトなわけ。
 金銭授受の有無にかかわらず、やってはいけない行為。
 金銭要求と立花が取ったから逸話として残ってるんだろう。
191人間七七四年:2010/10/31(日) 21:10:32 ID:VGJLsiVI
三成を清廉な人物にしたいのはわかるけど
悪評は全部認めないのは変じゃないか
他の子飼いは馬鹿にするし
192人間七七四年:2010/10/31(日) 21:58:00 ID:1FKGVBNx
この話が事実なら、三成ちょっと分が悪いな。
そもそも宗茂を試す意図が分からん。
宗茂が「金取んのかよ!?」と立腹しつつも渋々金を出したとして、
果たして三成はどういうマイナスの評価を下したというのだろうね?
宗茂が脅しに屈する男ではないということぐらい既に知ってるだろうし。
宗茂が「こんだけ包むから太閤によしなに頼むわ」
と言って三成を試したというなら話は分かるが。
193人間七七四年:2010/10/31(日) 22:09:18 ID:9Jq+r10i
で、この逸話の出典は何なの?
なんか事実のようにレスしてる人多いけど、そんなに信憑性ある逸話なの?
194人間七七四年:2010/10/31(日) 22:23:53 ID:6pyLFRFl
今の政治家も失言や税金未納やってるからな
それがうっかりミスなのか、指摘されてしまったのがミスなのか
195人間七七四年:2010/10/31(日) 22:34:09 ID:bKhHOh/P
あまり有名でない逸話で出典も出さないのは議論の対象にすること自体問題。
196人間七七四年:2010/10/31(日) 23:14:44 ID:I6cyluFi
メジャーだとかマイナーだとか関係ないだろうと思うんだけど
197人間七七四年:2010/10/31(日) 23:39:28 ID:bKhHOh/P
とも思ったが全ての事を出典付きで話せるか?
198人間七七四年:2010/10/31(日) 23:39:29 ID:IZP6HOcf
メジャーかマイナーかは問題ではないが、議論に持ち出すなら出典を明らかにして
その史料から話の信憑性がどの程度なのかの判断が無いと意味が無いのは確か

>>192
そもそもこの逸話は、卑怯な手段に応じない清廉潔白な宗茂すごい、という
宗茂をヨイショする目的の逸話なので、ぶっちゃけ相手が豊臣奉行なら誰でも良い話
三成が持ち出されたのは、そういう事言いそう+かわす相手として三成なら箔がつきそう
くらいの理由だと思える
199人間七七四年:2010/10/31(日) 23:47:41 ID:IZP6HOcf
>>197
議論の答えのソースとして持ち出すなら、信頼性がある情報だという事を示すために
出典調べて来るくらいするのが当然なんでは?

「後世に残る逸話」として事実かどうかはおいといて、あくまで後世で語られる姿についての
逸話考察としての参考なら信頼性はとりあえず関係ないけど
200人間七七四年:2010/11/01(月) 00:11:02 ID:E8zP9LPG
>>199
そりゃ当然だけど>>181みたいのを出典無しで書かれても困るって話な訳で。ではあっても誰でも知ってる
ような有名な話を、答えとしてじゃなくて議論の対象として出すのに出典付きじゃないと話せないとなると
いちいちメンドクサイでしょ?
201人間七七四年:2010/11/01(月) 00:37:57 ID:IyPFKXxi
>>200
例えば今回>>181では宗茂との逸話を出して「三成が無私では無かった証拠」であると提示された
この場合、逸話の信憑性が無くては成立しない言い分なので「ソース出せ」となるのは自然だろ

そうではなく、この宗茂との逸話を出して
「逸話でこのような役回りとして三成が登場させられているのは何故か?」という
「後世に残る逸話からみる人物像の考察」としての議論の提示なら、
そういう逸話が実際伝わってるという事実さえ判明してれは、厳密な出典や信憑性云々は語らなくてもいいよ

ただそこからさらにつっこんで、「この逸話Aと逸話Bでは語られる人物像に差異がある、なぜか?」なんてなった場合
その逸話が語られた時代背景なども判断材料になるので、出典を探ったりも必要になるが

つまりこういう逸話の出典がいちいち必要かどうかは、ようは議論の内容と目的による
有名かマイナーかが問題なんじゃないよ
202人間七七四年:2010/11/01(月) 00:50:48 ID:E8zP9LPG
>>201
>そういう逸話が実際伝わってるという事実さえ判明してれは
だから今回のようなマイナーなものだとそれすら判らないから出典を訊いたまでの事。
203人間七七四年:2010/11/01(月) 20:00:45 ID:1xBr4LwD
豊臣も所詮は一個の私に過ぎない以上は三成が無私であるわけがないな
駄目政権は潰してさっさと政権交代した方が公共の利益になるしね
三成は無私ではなくて私と公の区別が付かないだけでしょ
204人間七七四年:2010/11/01(月) 20:32:14 ID:GWSBmuas
逸話で言う、三成が島左近などに大きな俸禄を与えて獲得したというのが多少なりとも真実を
伝えているとすれば、三成の石田家もまた、家臣に巨大な領地と権限を与えその個人的な能力で
統治を行うという、鎌倉以来の旧弊な統治体制を取っていたということに成るな。
205人間七七四年:2010/11/01(月) 22:20:40 ID:mqktzVob
>>179
筑前と筑後もらっておいたら関が原も勝てた
206人間七七四年:2010/11/02(火) 02:16:04 ID:Ki5ccacZ
>>204
ちょっと違うんじゃないかな。

石田の家臣て結局は外から石田が連れて来た人間で、そこに住まう国人じゃない。
在地領主として所領安堵されての権力を持たせてるわけでは無くて、宛行じゃないのか?

中央の人間の三成が、自身の連れて来た家臣にどれだけ権限持たせて領国経営させようとも
すでに複数の権力ある在地領主と大名、という旧来の支配形態と同じにはならないと思うが。
207人間七七四年:2010/11/02(火) 03:17:49 ID:v0KNtd6q
>>206
「在地領主と大名」というのではなく、仕組み、組織の問題ね。

織豊系、特に織田権力は如実にそうなのだけど、家臣に大きな領地と権限を与えざるを得ない
体制で、これは行政運営のための仕組み作りと組織化がされておらず、有力家臣の個人的技量に
頼った運営をしているということで、これは実は、室町の守護大名と変わらない。

三成の家中もその志向性を持っていたのだとすればそれは、数十万石クラスの大名でも、
家臣には大きくても数百石程度で事足りる組織性を確立した近世大名とは、方向性から言って
やはり異なるわけで、石田三成の石田家も旧来型の大名である、と言って良いと思うよ。
208人間七七四年:2010/11/02(火) 11:17:06 ID:TpRu0MhA
>>205
朝鮮で戦っている武将が何の恩賞ももらえない中で三成だけがそんな巨額の恩賞を貰ったら火に油を注ぐようなもの
襲撃する武将が7人どころか70人くらいに増えるなw
209人間七七四年:2010/11/02(火) 11:38:22 ID:Ki5ccacZ
>>207
そういう意味での話しか。

>家臣には大きくても数百石程度で事足りる組織性を確立した近世大名
本格的にこうなるのは江戸期に入ってからだから、それはそうだろうな。

織田政権から近世化が始まってるとはいえ、三成の頃はまだまだ中世から近世への移行期だし
豊臣自体、そういった組織化はあやふやな部分多い。
210人間七七四年:2010/11/02(火) 21:35:53 ID:4H6yQcRL
>>208
大大名が相手なら命を狙うどころかごますりにくる可能性の方が高いわ
それが世の中というもの
家康が三成と同様18万石程度の大名なら全くスルーされてるよ
211人間七七四年:2010/11/02(火) 21:39:36 ID:RY/CC7nx
>>210みたいなのが典型的な「意味の無い仮定」というものです。
「俺が総理大臣だったら〜」って言ってるのと一緒。
212人間七七四年:2010/11/03(水) 11:08:02 ID:oxAHjmSD
>>210
宇喜多や佐竹は50万石の大大名で三成が筑前・筑後を貰えばそれくらいにはなるが
この二人にごますりに来た大名は何人いた?

それと家康は地方豪族から成り上がった戦国大名だからそこから18万石にしか伸ばせない能力の人間ならスルーされて当然だろう
逆に三成が家康のような地方豪族として戦国乱世に放り込まれたら250万石に成長させるどころか滅ぼされているだろうよ
213人間七七四年:2010/11/03(水) 15:21:44 ID:sDxL7YvC
だからといって家康が有能とは思わない
2人の天才の影に隠れてどさくさ、それこそ火事場泥棒みたいな事して勢力を伸ばしただけ
今川義元、武田信玄、織田信長,豊臣秀吉、前田利家という大物がタイミングよく死んでくれただけ
多くの大名は家康を心底から尊敬してるとは思えない
214マイ・兵庫:2010/11/03(水) 15:44:54 ID:SzSntFrg
三成が筑前・筑後両ヶ国に封じられた暁には毛利、小早川など屠所に曳かれる羊の如くおとなしく従ったでありましょう
215人間七七四年:2010/11/03(水) 18:50:50 ID:Hy1rXPi0
>>213
心底から尊敬される必要ないだろw
216人間七七四年:2010/11/03(水) 19:08:34 ID:oxAHjmSD
>>213
そんなこと言ったら秀吉だって多くの大名が心底から尊敬してるわけじゃないだろw
聖人君子コンテストをやっているんじゃないんだから心底からの尊敬なんて無意味でしかない
戦国乱世なんて所詮は金と権力に群がり、なくなれば別の人間にまた群がるだけの関係にすぎん
家康はその繰り返しを嫌というほど見て理解している
逆に三成は豊臣の金と権力に群がっただけの連中に対して恩義とか間抜けな主張をしているから負けたと言える
217人間七七四年:2010/11/03(水) 19:20:20 ID:sHLnGyKf
>>213
 秀吉も信長も尊敬されてないよ。
 二人の支配の根本は、カリスマと恐怖だよ。
 カリスマ<恐怖になりすぎて破滅したのが信長
 カリスマ>恐怖で成功し、最晩年にカリスマ<恐怖に転じて破滅したのが秀吉
 カリスマも無く、恐怖も無いから家康に当時の疲れ切った大名達が従っただけ、
自らをカリスマと信じ込んだ毛利と上杉、法による恐怖政治を志向した三成たちが家康に反抗した
のはある意味必然だな。
 この馬鹿共に、巻き込まれたのが、島津、長宗我部だな。最も、立花や氏家、平塚、戸田みたいに
義理一辺倒で参戦した愚直な連中もいることにはいたわけで、三成方は一枚岩とは言えない集団だな。
218人間七七四年:2010/11/03(水) 19:27:09 ID:sHLnGyKf
付け足すと家康方は、内府に付いていけば上杉改易でウマーな汁が吸えると思った連中が
喜んで参戦してるんで、利益誘導で群がってる連中だな。朝鮮戦役で恩賞なしの不満分子
連中だし、三成が挙兵してくれたんで、三成達に勝てば、巨額の利益が見込めるんだから、
小山評定以降は、戦意は天を突くばかりだったろうな。
そう言う意味では、家康方は一枚岩だな。
219人間七七四年:2010/11/03(水) 21:01:21 ID:GupY5G9Y
会津より関東分け分けしたほうが美味しくないかい
220人間七七四年:2010/11/03(水) 22:12:44 ID:qZOWwSuC
>>216
確かに三成の豊家の御恩に報いる云々の主張は間抜けかもしれないが、
天下分け目の大戦起こすには、それ相応の大義名分も必要だからなあ・・・
あれはあれで仕方ないかと
221人間七七四年:2010/11/03(水) 23:32:51 ID:zx0rdW1B
>>216
それが三成の良いとこなのに、莫迦だなぁ。それじゃなかったら三成の何処を買うのよ。
222人間七七四年:2010/11/04(木) 00:42:32 ID:gSSX0ryX
>>221
 飽くなき中央集権化に萌える清廉潔白な、理想の官僚像に燃えてるんだが
 
223人間七七四年:2010/11/04(木) 00:45:00 ID:xt8BJeFd
>>222
三成の政策のどこに中央集権があるんだ?関ヶ原の結果西軍が勝っても秀吉の時代どころか
室町末期くらいに地方の力が強くなるだけだぞ。
224人間七七四年:2010/11/04(木) 01:05:19 ID:Wuf29nUY
世を乱しただけの輩
225人間七七四年:2010/11/04(木) 11:20:43 ID:eNVmZOyt
>>205
三成に筑前・筑後が与えられる話が出たのは三成が朝鮮で功績を挙げたからではなく
朝鮮にいる小早川を貶す報告をして秀吉を怒らせて没収に追い込んだ領地が三成に流れそうになっただけだから
現場側から見れば奸臣が讒言で私服を肥やす不正を犯している構図にしかならない
いくら空気を読まない三成もさすがにこれはヤバイと感じて断ったのも無理はないだろう
226人間七七四年:2010/11/04(木) 17:30:32 ID:h6WWN8Pm
↑小早川が石高に値しないレベルの武将だからその領地は豊臣家が直接統治した方がいいと判断して領地取り上げようとしただけ
また蒲生の息子もそれだけの石高に値するほどの武将では無く、それどころか秀吉亡き後は徳川につく可能性大だから格下げして上杉に会津をまかせた
三成の計画どおりに言ってれば豊臣の天下は安泰だったかも(小早川はすぐ秀吉が死んだことをいいことに徳川の悪知恵どおりに筑前筑後居座り
小早川のバカガキが10万程度なら裏切っても支障ないし会津を与えた上杉は思惑通りに動いてくれたしなかなか三成て策謀家だよな
もう少し己の領土欲があればな
惜しい惜しい
あと家康には秀吉に言って蝦夷500万石を与えてやれば天下安泰だったのにな
227人間七七四年:2010/11/04(木) 18:30:22 ID:5z3CMqf7
>>219
上杉より徳川のが領地でかいよな
228人間七七四年:2010/11/04(木) 23:27:19 ID:6UvAhj7w
中央権力に近い人はそれだけで多くの敵を作っちゃうんだろうね。
嫉妬やら政敵のお抱え記者やらのせいで麻生太郎が無能者の代表に扱われたように、人の評判なんてどうとでもなるわ
229人間七七四年:2010/11/06(土) 08:10:37 ID:CPNOf8DG
身内に甘い査定で清廉潔白…
230人間七七四年:2010/11/06(土) 10:27:26 ID:EO6MhQs1
三成が清廉潔白とは思いたくないな
人並み以上に薄汚い欲のある人間だったろうよ

ただ本当に理解できないのは文禄・慶長の役で讒言しまくったこと
わざわざ敵を増やすような真似をしてでも他人を蹴落とすのがそんなに大事なことだったのか?
自分の単純な脳みそじゃちょっと理解不能
231人間七七四年:2010/11/06(土) 11:41:56 ID:ckdf1j+X
>>226
>小早川が石高に値しないレベルの武将だから

石高に値しないレベルというのは三成が勝手に思い込んだだけでしょ
小早川なんて朝鮮で三成の嫌う加藤を助けに行っただけ、蒲生などレベルにはなんの根拠もない
それを三成が思い込んだだけで粛清なんてやったら豊臣が崩壊したのも当然だろう
小早川も蒲生も武断派も三成自身が家康の下に追いやったと言っても過言ではない
232人間七七四年:2010/11/06(土) 11:44:20 ID:6Dfm35oK
あと「中央集権派vs地方分権派」なんて大嘘だわな。そう言う政策基軸の対立なんぞ
豊臣政権には存在してないよ。
233人間七七四年:2010/11/06(土) 14:44:29 ID:FQ+VeRoO
>>232
一応宇喜多のお家騒動はそれが原因と言われているよ。
豊臣政権を後ろ盾に中央集権化を進める秀家に対し、在地領主的性格を残す旧臣たちが反発して起ったという説。

あと島津なんかもそういう雰囲気ある。
三成を通して豊臣政権のやり方を進めたい義弘と、そうする気の無い自国の当主義久との間でのすれ違いとか。

関ヶ原の原因を「中央集権派vs地方分権派」とは言えないだろうがね。
234人間七七四年:2010/11/06(土) 15:06:37 ID:6Dfm35oK
>>233
それは半独立の有力家臣や国人たちを家中に取り込み主家による一元支配を
志向する過程での摩擦だけど、それはあくまで大名家の枠内であって、それを
中央集権と言っていいものか。
そでに豊臣家というものにそう言う志向性があったとは思えない。

まして中央集権、地方分権で関ヶ原を見ようとするなら、西軍の方があきらかに中央からの
独立性を志向する連中が集まってる。
235人間七七四年:2010/11/06(土) 17:09:11 ID:ICVoZ3X/
戦国自衛隊の島崎?だっけ、本物を殺して三成に成った奴。
あれくらいのダーティ三成の方がいいな。
左近も殺してるしw
236人間七七四年:2010/11/06(土) 17:16:54 ID:ICVoZ3X/
>>228
俺もそう思う。
関ヶ原での奮戦を見ると性格悪い小人物の部下の働きではないし。
237人間七七四年:2010/11/06(土) 21:30:24 ID:1XDk6mf/
志那、朝鮮とグルになって日本を陥れたクズ
238人間七七四年:2010/11/06(土) 21:43:09 ID:ypqJfYnH
>>228
>>236
三成の小人物?のイメージって、彼の遺骨の発掘時の専門家のコメントの影響も少しはあると思う。
ただ単に事実を述べたまでだろうけど、才槌頭で女性と間違えてもおかしくないほどに線が細い・・・
一般の人が浮かべる戦国の武将のイメージとは程遠いよな。
才槌頭=頭でっかち、線が細い=武事に向かない、という単純なイメージと結び付いてしまった。
ま、あくまで三成にあまり興味の無い一般人が聞いたら、
講話などで聞いたことのある小人物のイメージがより固まってしまう、という意味だけどね。
239人間七七四年:2010/11/07(日) 00:21:14 ID:nFn4meb7
>>236
もっと軍事面で活躍してればイメージも
240人間七七四年:2010/11/07(日) 02:24:52 ID:oXRvMh0e
かなりの反りっ歯
ひょっとこみたいな顔だったね
241人間七七四年:2010/11/07(日) 11:47:58 ID:qvUwjqt+
まあ、恩顧の連中が、桶屋の小僧で足軽殺しとか日蓮カルト狂信者とか
博労に売り飛ばされた三河武士の餓鬼とか初任給三石の足軽ばかりだから
貧弱な体格のくせに、才気走った餓鬼ってことで若い頃から浮き上がってた
のかもな。
242人間七七四年:2010/11/07(日) 12:01:34 ID:6YyyDNVm
そういえば三成は衆道の方面がお盛んだった節があるな。
243人間七七四年:2010/11/07(日) 17:43:32 ID:1UXwqxRK
>>237
少なくとも当時はそういう認識はないだろう
とにもかくにも豊臣政権安泰を考えなくてはならないのに政権そのものをガタガタにしかねない政策をやめさせようとしただけ
当初は三成も大陸出兵には積極的だったかもしれないが戦いの経過を見て撤退的考えをもつようになったが戦好きの加藤らは何が何でも戦争継続という考え
日本を陥れようとかそんな考えが出てくるのは近代以降
そういう考えはナンセンスだよ
244人間七七四年:2010/11/07(日) 18:53:53 ID:XJZzpnBT
加藤以下武断派は戦闘好きというか、戦闘命令を全力で行なっていただけじゃないか?
蔚山城篭城戦みたいに消極的な姿をみせるとすぐに讒言される対象になってしまうし。
常に積極的な姿を見せなければいけない武断派は武断派で、必死だったんじゃないか。
245人間七七四年:2010/11/07(日) 20:09:02 ID:oXRvMh0e
>>243
荒らしに触っちゃいかん
246人間七七四年:2010/11/07(日) 21:19:29 ID:1UXwqxRK
嵐は君たちだろうが
247人間七七四年:2010/11/08(月) 06:22:01 ID:ia7ZWFkN
石田三成生誕450年祭に行ってきた
もともと石田三成一族の法要していただけだったのが近年の石田三成人気に便乗して大々的にするようになったわけだが歌謡ショーも行うなどちょっと法要祭の概念から外れてきてるようで複雑な気持ち
248人間七七四年:2010/11/08(月) 16:00:10 ID:WZiRZcik
このゴミは仙谷ソックリだな
249人間七七四年:2010/11/08(月) 20:14:36 ID:G1RMklJg
自分も450年祭に行ってきた。
法要に、自分のような一般も参加できてお焼香できたのにはびっくりした。

町のお祭りみたいで楽しかった。
だが、できればせっかくの機会だし、歴史講演会(佐和山城とその時代というのをやっていた)みたいなのをもう少し増やして欲しかった。
運営の人もどういう催しが良いのか、次回への意見が欲しいみたいだった。

あと、観音寺の三献茶。
凄く良かった。
最初に聞いた時、はあ?と思ったけど。これは至福のひと時だった…。
間違いなく今回の供養祭で一番よいイベントだったと思う。
250人間七七四年:2010/11/08(月) 21:12:38 ID:ia7ZWFkN
所用の関係で午後3時からしかいかれなかったがスケジュールを見ると通しで2日間いたかった内容
とくに三成クイズなら自信あるよ
ちなみに佐和山山麓で行われた戦国クイズでは勝ちまくり残り三人というところで惜しくも敗退
石田ではなく井伊の関係する問題で外したがとにかく自信あるよ
所用の関係でいかれないがその近くで三成検定があるのでみんなもいかれた方がいいかも
251人間七七四年:2010/11/08(月) 22:12:44 ID:ia7ZWFkN
石田町(長浜市)や関ヶ原の笹尾山や佐和山で三成に関するイベントが大々的に行われたりして近年は三成人気が上がっていると実感してます
ひと昔前の三成人気はいまいちだったのにな、、、、
彦根市では井伊の圧力で石田はスルーされていたが今では石田人気が上回ってきてる感じ
それを証拠に地元の戦国ショップでは石田グッズは結構売れてるが井伊はひこにゃんを除けば、、、、
252人間七七四年:2010/11/08(月) 23:08:28 ID:WZiRZcik
コイツは生ゴミ以下だし
仙谷の末路と同じ様に処刑だしな(笑)
253人間七七四年:2010/11/08(月) 23:28:38 ID:G1RMklJg
>>250
クイズはまずます面白かったよ。
「朝鮮出兵時、三成は博多の町割り奉行だった」(○)とか、
「吉継は挙兵を打ち明けられた後大垣の宿に帰った」(×垂井)だった。
町割奉行って不勉強でなにか知らないんだけど、博多奉行と同じと思っていいんだろうか…。

歴史講演会と同じ時間だったので、クイズをとってしまったが、講演会見たかったな。
本格的な資料付きで、面白そうだった。
254人間七七四年:2010/11/09(火) 01:11:41 ID:AEQagXIM
>>252
なんか悲しいよね
こういう輩が出没するって
仙石?誰それ
秀吉恩顧なのに関ヶ原では何気なく東軍についた無能な大名(九州征伐ではあほな作戦を立て自軍を壊滅させて一時改易される)の事?
とにかく賞賛か非難するかどっちでも構わないから真面目に三成さんを語り合おうよ
いくら最近若い女性からの人気急上昇だからってひがむなよ(昨日の三成祭りでそれを実感)
255人間七七四年:2010/11/09(火) 01:13:36 ID:HmH2MFLB
どうでもいいけどageるな
256人間七七四年:2010/11/09(火) 01:17:39 ID:AEQagXIM
↑仙石と仙谷をかけてわざと間違えたけど仙谷のような中国万歳のクズ政治家どもは選挙で政治家廃業に追い込まなきゃならないよ
とにかくエセ国民のため実は中国朝鮮万歳政党民主党政党を打倒させなければ日本は滅びるよ
真面目な話し、、、
257人間七七四年:2010/11/09(火) 01:32:09 ID:AEQagXIM
三成さんは昔から大好き
ファンというより身内みたいな感覚
それこそ三成さんの子孫みたいに思っているくらい
だから一昔前の三成さんへの不人気ぶりは悲しかった
地元の長浜市ですらほとんど評価されておらず(駅前には秀吉とのセットで銅像がたてられているが)基本的には一応三成は地元だけど、、、
地元の石田町だけ人気
それすら盛り上がりにかけてたけど近年の人気急上昇ぶりには戸惑いを感じている
自分がテレるくらい
俺はそんなに清廉潔白な善人ではないのになって感じ
いいところも悪いところも全てひっくるめて三成さんへの愛情を感じてるよ
自分はね
そういう人たちで色々語りあいたいけど変な輩も出没するしな
このスレは
そんなに屁理屈こねるなら今度の祭日に清涼寺である三成検定を受けて合格したという自慢話しをしてくださいな
俺は仕事でいかれないが(泣く)
258人間七七四年:2010/11/09(火) 03:16:23 ID:AnGSPyLM
40で日本を二分した中心人物だぜ。
そんな奴が生ごみ以下なら>>252は一体何なのか
少しは自分を客観視してみろ
259人間七七四年:2010/11/09(火) 05:59:43 ID:U7f0G0zq
>>258
日本を恐怖の渦に巻き込んだ麻原みたいな糞野郎だろ?
いや、でも同じ糞野郎でもまだ麻原死刑囚の方が統率力がある分幾らかマシか。
260人間七七四年:2010/11/09(火) 11:59:19 ID:SrFhZ7fV
261人間七七四年:2010/11/09(火) 12:46:41 ID:y0pIcphE
>>243
>当初は三成も大陸出兵には積極的だったかもしれないが戦いの経過を見て撤退的考えをもつようになったが戦好きの加藤らは何が何でも戦争継続という考え

戦好きだとかそういう次元の問題じゃないだろ
豊臣政権の最高権力者たる秀吉が何が何でも戦争継続と言っているのだから加藤らがそれに従うのは当たり前
三成ごときが撤退したいと言ったところで何の法的効力もない
撤退したかったら秀吉に「朝鮮出兵を止める」と言わせなければ加藤だって従いようがない
三成が豊臣政権安泰を考えるのは自由だけど何が豊臣政権安泰に繋がるかを決めるのは秀吉であって三成ではない
三成好きの人間は豊臣政権の政策の是非を三成を基準にして考えるから駄目なんだよ
262人間七七四年:2010/11/09(火) 19:49:42 ID:dGx5Ozjq
>>261
その>>243の人は言ってみれば特別な人なんだよ
文体に特徴のあるこのスレの有名人だが、
とにかく加藤清正や福島正則を貶すことで三成愛精神を保ってる人
まあ、読売巨人軍を叩いて憂さを晴らしている阪神ファンみたいなもんだ
それはそれで確かな愛情表現ではあると思う
263人間七七四年:2010/11/10(水) 05:01:31 ID:dAOmIor4
>>261
凄く分かりやすいです
264人間七七四年:2010/11/11(木) 21:38:03 ID:k6XrORz2
勘違いされがちだけど、武断派を含めて誰も朝鮮出兵をやったこと自体に不満を表明してはいない
あくまで三成が朝鮮でやった裏工作諸々に対して不満を抱いているに過ぎない
三成は朝鮮出兵そのものが政権を危機に晒すという妄想に駆られて勝手に戦をかき乱し
本当に豊臣政権を危機に晒しただけなんだよね
265人間七七四年:2010/11/11(木) 22:00:36 ID:Q72UE7uG
>>262
加藤、福島等の悪口除けばその人は戦国好きな良い人だと思う。

>>264
いわゆる武断派七将襲撃の七将って
加藤清正 福島正則 黒田長政 細川忠興 浅野幸長 藤堂高虎 蜂須賀家政
でOKなのかな?
加藤嘉明 池田輝政とかの説もあるようだけど・・・
266人間七七四年:2010/11/11(木) 22:07:31 ID:S4DUWm6R
朝鮮出兵に疑問を抱かない奴がいるわけねーだろカス
267人間七七四年:2010/11/11(木) 22:13:03 ID:NfIvHNgj
↑加藤らは好き好んで戦地に赴いたに過ぎないわ
それ自体に不満なんぞあるはずはないだろ
ただ三成らは少なくとも途中からは大陸征服は現実的では無いと判断して終わらせようとしただけ
愛国心とか売国などは関係無しにね

勝った戦(局地戦で)だけ主張して撤退したりした事なんぞもみ消して己の恩賞ばかりを要求する連中に嫌悪感を感じるのは三成でなくても思うわな
特に加藤ら秀吉子飼いの大名なんかほとんど負け戦など経験していないので戦をすれば必ず恩賞が貰えると錯覚している節がある
結局そういうただ勝ち馬に乗っただけの子飼いの連中が騒動を巻き起こして関ヶ原の戦いに導く
そういう連中が徳川に意図的につく

一方でたったわずかな土地のために不毛な戦を数多くこなしてきた外様大名にさほど不満が出なかった事を考えるとなるほどなと考えさせらるる
268人間七七四年:2010/11/12(金) 21:19:53 ID:cPcjoKuy
三成を義の人と持ち上げすぎるのも問題だぞ。
この人は、いわゆる
忠臣 たとえ命令に反しても、君主の利益を守る部下
諫臣 君主に諫言し、聞いてくれなければ、国を去る覚悟で進言する部下
争臣 君主に諫言し、聞いてくれなければ、命を捨てる覚悟で進言する部下
輔臣 皆の意見をまとめて君主に進言し、国の危機を救い、君主の権威を守る部下
のランクで言えば忠臣どまりだからな。
それでも、豊臣政権の中では、最高レベルの倫理観を持った人だとは思うがね。
269人間七七四年:2010/11/12(金) 23:37:45 ID:CbSWPDSv
いつの時代も勝てば官軍なのだよ
敗戦国の日本やドイツは未だに悪のレッテルを貼られてるじゃないか
270人間七七四年:2010/11/13(土) 00:20:09 ID:kwGQUMhs
>>268
>輔臣 皆の意見をまとめて君主に進言し、国の危機を救い、君主の権威を守る部下
こっちだろ。失敗したけど。
271人間七七四年:2010/11/13(土) 00:48:50 ID:aP/u4IjS
>>270
 失敗したも何も、先鋒指揮官の加藤とその仲間の意見をまとめてないでしょうが
小西と宗の意見ばかり取り入れるから、それほど仲の悪くなかった加藤との関係
があったんでしょうが
 皆の意見をまとめる気がない時点で輔臣とは言えないよ。

 ちなみに徳川だと
 忠臣はごろごろいるな。代表は声の大きさで大久保彦左衛門とでもするか
 諫臣も星の数ほど、代表は鬼作佐とでもするか
 争臣なら三方が派の夏目とか安藤直次とか、
 輔臣は悪口言われつつも仕事きっちりの本多正信
 これじゃ豊臣が詰んでるののも無理がない
 
 
272270:2010/11/13(土) 00:50:13 ID:aP/u4IjS
訂正
それほど仲の悪くなかった加藤との関係が悪化したんでしょうが
273人間七七四年:2010/11/13(土) 14:48:39 ID:sflfPDKq
274人間七七四年:2010/11/13(土) 23:29:55 ID:pSR28xWX
>>269
家康は勝者だけど悪のレッテルはられてるような気するw
275人間七七四年:2010/11/13(土) 23:38:19 ID:pSR28xWX
三成が家康に従っていたら、関が原の戦いが起こらず、家康の天下になってたんだろうか?
276人間七七四年:2010/11/14(日) 00:00:18 ID:RqOCvzYT
>>274
所詮小物が間違って天下取ってしまった(今で言えば管かセンゴク)人物だからな
自分よりも格上には常に媚びを売りまくりいざ天下を取れそうになると強引に天下を奪いそれだけにあきたらず女子供相手に強引に戦をふっかけついには滅亡させ
最悪ですな
277人間七七四年:2010/11/14(日) 00:15:22 ID:9YqMO/4V
>自分よりも格上には常に媚びを売りまくりいざ天下を取れそうになると強引に天下を奪いそれだけにあきたらず女子供相手に強引に戦をふっかけついには滅亡させ

それは秀吉も同じだけどね
信長に一生懸命媚を売ってガキが後継者になった途端に態度を翻して簒奪し
秀頼に関白を継がせたいから強引に謀反をふっかけ子供も含めて虐殺しまくったわけだから
家康からすれば秀吉と同じことしているだけなのに非難される筋合いはないという思いだろう
278人間七七四年:2010/11/14(日) 00:57:23 ID:jyB+3nh/
小物が間違ったら260年の太平の世を築き上げてくれるんだったら
おおいに間違えるべきなんじゃね…
俺この人のこういう支離滅裂すぎて却って三成をsageちゃうとこが嫌いなんだよなあ
279人間七七四年:2010/11/14(日) 08:34:39 ID:GYjLQG3V
家康が小物なら誰が大物なんだw
280人間七七四年:2010/11/14(日) 09:17:08 ID:RqOCvzYT
家康より大物だと思う人物(ごく一部)因みにだいたい同世代限定(プラマイ10年)
武田勝頼
織田信長
豊臣秀吉
浅井長政
黒田孝高
足利義昭(これより下ね)
281人間七七四年:2010/11/14(日) 09:34:41 ID:K/oVdpuh
>>280
お前の主観なんて誰も聞いとらん
282人間七七四年:2010/11/14(日) 10:58:25 ID:FoB5oewK
>>274
明治維新で徳川は敗者
283人間七七四年:2010/11/14(日) 11:38:11 ID:RqOCvzYT
歯医者なのに徳川宗家は貴族扱い
薩摩からあつ姫、天皇家から和宮を人質にとったのは正解だったな
284人間七七四年:2010/11/14(日) 12:53:17 ID:9YqMO/4V
>>282
260年も後のことを言っても家康には関係ないでしょ
その明治維新でできた明治政府とそこから発展した大日本帝国だって
70年余りで焦土になって消滅したわけだしね
ならば太平洋戦争をもって明治維新は失敗した負け犬かと言われれば違うわけで

とりあえず三成スレなんで豊臣と絡めると豊臣は引き際をわきまえなさ過ぎだな
徳川だって大日本帝国だってギリギリで本土決戦を回避して降伏するだけの空気は読んでいた
豊臣のように本土決戦で玉砕ウェルカムな奴が近代で権力を握っていたら日本が滅亡してるよ
285人間七七四年:2010/11/14(日) 15:02:32 ID:RqOCvzYT
↑少なくとも関ヶ原の段階では西が勝つ可能性は低くはなかったはずだ
むしろ石田に勝てると思って油断した感がいがめない
ただ大阪の陣の
での豊臣の玉砕は同情できない
286人間七七四年:2010/11/14(日) 15:03:30 ID:RqOCvzYT
訂正
石田に→石田が
287人間七七四年:2010/11/14(日) 22:42:44 ID:s1FuriIw
>>285
油断というか、あれこそよく言われているように
つまるところ家康との実戦経験の差なんだろうな。
全体を見渡した作戦指揮能力というか、感覚というか。
兵の分散もそうだが、とりわけ索敵の粗漏や都合の良い思い込みは、
結果を知ってる後世の人間から見て、ということを差し引いても
酷いとしか言いようがない。
天下分け目の大戦であったことは間違いないから、
三成らも精一杯頑張ったとは思うけどね。
288人間七七四年:2010/11/14(日) 23:27:41 ID:RqOCvzYT
↑三成というか豊臣自体が油断しまくり
ぶっちゃけ秀頼が成長すれば天下は戻ってくるのでどちらが勝っても関係ないという感じか
三成は精一杯やったが所詮無位無冠の隠居人の小大名
周りがうごかねば何もならない
それどころか片桐、増田、前田玄と五奉行や家老が密かに徳川についとるんではやる前から決着はついてたかも
せめて茶々の愛人大野が人質にとられなければ別の未来があったかも
289人間七七四年:2010/11/15(月) 00:59:14 ID:UFDMBeHe
ネネさんが淀嫌いが高じて
家康に付くなんていう愚女じゃなけりゃねぇ
賢女と言われているのに
290人間七七四年:2010/11/15(月) 01:24:46 ID:6ql0DmmU
で、この俗説馬鹿はいつまで小説ソースの知識を披露するんだ?
291人間七七四年:2010/11/15(月) 08:50:12 ID:a6LwApCM
愚女は淀殿だろ
292人間七七四年:2010/11/15(月) 09:34:51 ID:2Ffq9Y/0
大野・淀らは和平派
秀頼とその周辺と浪人衆の方が主戦派
293人間七七四年:2010/11/15(月) 18:36:32 ID:dRFDRgT+
こいつ考えたら年単位でこのスレ荒らしてるのに
本当にフィクションと妄想ソースから進化しねーな
わざと荒らしてるんでなかったら真面目に病院行った方がいいだろ
294人間七七四年:2010/11/15(月) 19:24:35 ID:OF3OFPKE
淀→石田
おね→加藤ら
という図式はとっくの昔に覆されてるのに今だドラマなどでは、、、、
295人間七七四年:2010/11/16(火) 04:27:26 ID:VmzfPimX
ドラマや小説は脚本書く人の時代に流行ってた説になるのはいたしかたないだろ
296人間七七四年:2010/11/17(水) 23:26:38 ID:Gk6mVJ41
まかり間違って西軍が勝っていたら石田は秀吉並みの扱いになってたんだろうな
その場合は家康は上杉憲政くらいの扱いだったかな
297人間七七四年:2010/11/17(水) 23:36:44 ID:UhoQ+cdz
>>296
はいはいそうだねそうだったらよかったでちゅねー
298人間七七四年:2010/11/18(木) 18:15:38 ID:w9OAArXL
石田三成が徳川家他を倒し、どうにかして毛利を出し抜いて天下を簒奪できたか、か?
俺は徳川家康すら関ヶ原の時点では天下を取る気はなかったと思ってるし
石田三成が関ヶ原後そうしようとしたとも思えないなあ…
299人間七七四年:2010/11/18(木) 18:20:26 ID:VPm7wILu
三成は天下を取るつもりはなかったし、
仮にあったとしても取れてないよ
300人間七七四年:2010/11/18(木) 20:22:19 ID:xZgrWCRy
豊臣政権の中心に返り咲いて、奉行中心の政治に戻しつつ、いつの間にか大大名の勢力を削減…
無理っぽいなー。
少なくとも、関ヶ原で勝った西軍関係の大名は加増せざるを得ないだろうし、政治的にもでしゃばってくるだろう。
それを抑えようとしたら、またみんなに憎まれて排斥される羽目に…
301人間七七四年:2010/11/19(金) 01:40:12 ID:QWzy1MKQ
家康が野心に満ち溢れて
関ヶ原の時点で天下取ろうとしてたのは事実だろうな
302人間七七四年:2010/11/19(金) 01:54:32 ID:ibyVPa6s
ただ、徳川が頂点となる政体をすでに考えていたのか、あくまで豊臣政権内のトップに立とうとしていたかは本人にしかわからんよね。
303人間七七四年:2010/11/19(金) 01:58:10 ID:4Vhlkpnf
そんなの関ヶ原後すぐに幕府を開いたことで明らか
304人間七七四年:2010/11/19(金) 09:11:42 ID:z3g2Bb9W
関ヶ原が1600年で将軍就任が1603年
すぐってほどでもねぇな
305人間七七四年:2010/11/19(金) 09:46:24 ID:l4Ej42hX
関ヶ原合戦の直後に九条兼孝が関白になっている時点で、
豊臣政権を否定しているかと
306人間七七四年:2010/11/19(金) 09:48:58 ID:4Vhlkpnf
当時の3年は今の3年と違うからな
すぐと言ってもいいだろう
307人間七七四年:2010/11/19(金) 09:51:30 ID:4a5suRdh
>>305
関白不在は朝廷にとって異常事態なんだけど。
秀頼が元服後関白に就任することは誰も否定しとらん。
308人間七七四年:2010/11/19(金) 10:20:14 ID:l4Ej42hX
豊臣家としては独占状態を維持するつもりだった
309人間七七四年:2010/11/19(金) 11:08:25 ID:5XOLsO1n
関ヶ原の戦い自体は1日で終わったけど戦後処理は1日で終わるわけではないからな
上杉を30万石にしたり宇喜多を島流しにしたり全て完了したのが1602年末だから
関ヶ原が完全に終わったらすぐに将軍に就任したと言っていい
310人間七七四年:2010/11/19(金) 12:44:03 ID:jKXFe2Uw
戦後処理完了までが戦争ですとか言ってたら
朝鮮出兵も幕府の開府後にならないと終わらないけどその辺はどうなん?
311人間七七四年:2010/11/19(金) 14:07:33 ID:qkz4IGYJ
関が原で西軍が勝っていたら再び戦国時代になったような気する
312人間七七四年:2010/11/20(土) 00:49:31 ID:aTHQgy63
>>310
日本側は建前上秀吉が死んだので一時的に中断して撤収したという扱いで
日本の負けで二度と朝鮮とは戦いませんと正式に認めたわけではない
江戸幕府が講和を結ぶまでは形式上は交戦状態は継続しているからその認識でも間違いではない
313人間七七四年:2010/11/20(土) 06:01:14 ID:UhnH2R9L
>>312
実は家康天下になってからも朝鮮とほ関係は悪化していた
家康は秀吉の朝鮮人征伐は俺様には関係ねーじゃん
謝る筋合いはねーよという主張
朝鮮はとにかく謝罪しろ(昔からこういう輩なんよ、日本が元に攻められた時に謝罪しろと言ってなかったよな)という主張
とにかく国と国との関係だから簡単に折れるなんか有り得ない訳だが
ただ対馬を支配していた宋氏にとっては死活問題
朝鮮人と日本人との貿易の橋渡しで辛うじて成り立っていた島だけにとても困っていた
そこで家康と朝鮮をだますために
家康は謝罪しないが貿易はしてやってもいいぞという国文書
朝鮮は損害賠償は流石にしないがとにかく謝罪しろ(朝鮮人の18番、これしか得意技は無い)という国文書
これをいざ条約締結の時に宋氏はすり替えして条約締結に踏み切る

宋氏は朝鮮と日本の橋渡しで経済的に乗り越えたがその一方で徳川の配下の大名という立場のまま同時に朝鮮の家来という立場になっていた
これが現代になって朝鮮人から対馬も朝鮮の領土とかいう主張をされてる有り様
で結局現代に至って経済的に朝鮮次第という有り様
ある意味自業自得だが流石に島民もヤバいと感じたかあからさまに朝鮮人を敵視する傾向になりつつある(あくまでも自分たちは日本人、ウルトラ格下の朝鮮人になる気なんぞこれっぽっちも無い)
国文書の件は家光の時代になってから幕府にしられるが家光は黙認したとされるがいずれにしても朝鮮人を図にのらせたのは間違いない
314人間七七四年:2010/11/20(土) 19:52:19 ID:OFtAUPND
忠興に茶席で柿を出した逸話が好き
315人間七七四年:2010/11/20(土) 22:42:39 ID:UhnH2R9L
>>311
三成ファンの俺もそう思う
勝てば徳川、前田、伊達などを改易まではできないとしても大幅石高削減したうえで
加藤や福島黒田池田などなどをことごとくおとりつぶしはできるとしても宇喜多、毛利、上杉、小早川、島津、長宗我部
などなどの外様大名の力がグーンとあがりかつての足利幕府のようになりかねん
さらに将軍は豊臣としても大老職に石田家が代々取り仕切るも常に有力大名のお伺いを立てねば政権を運営できないだろうな
いくら石田と直江が親友だとしても孫や曾孫の世代で戦になっても仕方ないし、、、
ただそんな豊臣を中心としながらも実質連立政権なら鎖国はしてないだろうし
西洋からバンバン最新の武器を輸入してそれをさらに改良して台湾、フィリピン、東南アジアあたりを征服して欧州あたりを牽制していただろうな
さらに朝鮮は完全にスルーして関係改善は全くなし国交断裂→ロシアに征服されロシア人になる
朝鮮との関わりがなくなれば日本人にとってこれほどいいことは無いわな
316人間七七四年:2010/11/21(日) 15:53:17 ID:XMxYuhYO
東南アジアまで日本領か。胸が熱くなるな。
317人間七七四年:2010/11/21(日) 21:14:56 ID:UFmgq8hf
↑他国をせめてはいけないとか
綺麗事!!!!
イギリス人みたいに外国に言っても自国の言語をしゃべれるのは嬉しいだろうが
318人間七七四年:2010/11/21(日) 21:34:30 ID:7ub+z2Yx
面倒臭いという気にしかならん
319人間七七四年:2010/11/21(日) 21:47:24 ID:XMxYuhYO
三成なら世界性服も夢じゃない
320人間七七四年:2010/11/21(日) 21:57:00 ID:q+nM7bk3
秀吉が長生きして朝鮮半島潰してたら今頃楽だったろうな
三成の罪は重い
321人間七七四年:2010/11/22(月) 01:20:56 ID:MzDCtL7E
↑何言ってんの
どうあがいても日本が朝鮮を征服するのは無理だろう
朝鮮どころか明とも戦ってるのに
ましてや民間人も全て敵に回してるのだからもはや撤退するしか道は無いの
そもそも豊臣政権自体が最初から室町幕府(初期の)並みの基盤しか無いのだから大陸出兵は間違い
そんなに外国を攻め入りたかったら台湾フィリピンなどを攻め入るべきだった
フィリピンはスペインがすでに征服してたかまだこれからなのかは知らんがスペインを追い出すなんて簡単だろう
朝鮮は大嫌いだがさすがにこの段階では攻めこむのは無理だろ
徳川並みの独裁体制なら面白いかもしれんがな(明対策に満州の女真国と同盟を組めば面白い)
322人間七七四年:2010/11/22(月) 04:53:10 ID:lJScX8IY
台湾って明治時代にも化外の地だったところを占領してどうする気だ、一体?
高砂族と闘いながら1から開拓しろと?
323人間七七四年:2010/11/22(月) 19:35:18 ID:MzDCtL7E
↑一応、沿岸部に中国からの移民が多数住んでるよ
ま、ほとんど海賊やヤクザみたいな連中だがな
日本の戦国大名ならおさえこめる連中だろ
324人間七七四年:2010/11/22(月) 20:01:40 ID:LDgAF04R
>>323
お前は成敗と支配を一緒にしている。
325人間七七四年:2010/11/23(火) 17:22:14 ID:uMpUpDra
台湾を占領してメリットあるの? 資源とか?
326人間七七四年:2010/11/23(火) 20:14:05 ID:qNbf+Q1U
↑一応、日本統治下時代に台湾は黒字経営だった
ちなみに朝鮮は真っ赤か
赤字してまで土人の国をまともにして差し上げたのに恨みつらみ言われるんだからたまらないな
327人間七七四年:2010/11/23(火) 21:26:58 ID:XsKwYLcU
>>325
大日本帝国統治時代はサトウキビ→砂糖とか。大規模農業と農作物の加工。
ただ、その開拓がやれたのは明治日本にそれなりの海運力があったからだというのが重要。

もし、織田日本が台湾を抑えるとすると、中国大陸との密貿易の支配が目的じゃないかな
>>323が言うように海賊とか密輸商人とかが住み着いてたのはその目的に便利な場所だったからなので。
328人間七七四年:2010/11/24(水) 03:06:08 ID:D+EVHmhC
大名への恩賞は土地で支払わなければならないという武士の絶対的なルールがある以上
台湾を支配するための軍役に対して台湾の石高以上の土地が必要になってしまい無理
というか武士という制度は国内戦には向いているが海外遠征にはまったく向いていない
海外遠征を成功させたければ武士制度を解体して国家軍隊制度に切り替えなければ駄目
329人間七七四年:2010/11/24(水) 03:26:25 ID:H8R0a1OF
金品や官位なんかもあるでよ
330人間七七四年:2010/11/24(水) 18:57:21 ID:mdvAg3Ev
金や官位やるから台湾に行けって言っても誰も従わないだろw
331人間七七四年:2010/11/24(水) 20:40:38 ID:Mp0kbopi
↑史実では秀吉が台湾に俺に従わねーと攻め込んじゃうよという書状を送るが誰にも渡す相手がいなかった(オランダはまだ手を出していなかったかな?)ので何もしないままで終わったな
ただ琉球台湾まとめて攻め込んだら確実に日本の領土になっていたな
徳川にプレゼント→反乱されまくり→徳川大弾圧→いたずらに人民を殺した罪で切腹を命じる→秀忠、大幅石高削減の挙げ句琉球へ
豊臣政権は安泰ですな
332人間七七四年:2010/11/24(水) 20:48:23 ID:Mp0kbopi
>>328
同感、そもそもチョン成敗ではほとんどの大名は自分の戦功ばかりを主張してそれぞれの足をひっぱる事ばかり
それが認めてもらえないと石田三成らに逆恨みする有り様
一方でチョンの方も李将軍の戦功に嫉妬して高官が足を引っ張りまくり
李将軍はスパイ罪で牢にぶちこまれて日本軍からも失笑される有り様

人間てほんまに醜い生き物ですな
333人間七七四年:2010/11/24(水) 23:08:37 ID:fAQ5IgJD
>>332
> 人間てほんまに醜い生き物ですな

お前を筆頭にな。
334人間七七四年:2010/11/24(水) 23:34:46 ID:mdvAg3Ev
晩年の秀吉が筆頭だな
335人間七七四年:2010/11/25(木) 17:24:32 ID:HNqUOMB5
信長もかなりの基地外だが。
殺戮の意味がない所で快楽殺人が多すぎる
そこへいくと三成はそういう話ってないな
336人間七七四年:2010/11/25(木) 18:19:02 ID:SHcmuxp3
ちょっと常人とズレてるくらいだな
337人間七七四年:2010/11/25(木) 18:57:07 ID:YqZTvPlO
嗜好で目立つ面といえば、衆道がお盛んだったらしいって所、くらいか。>三成
338人間七七四年:2010/11/25(木) 20:04:07 ID:jCd5b5qM
まあ戦国武将にしては、あんまし殺さなかった方だな
339人間七七四年:2010/11/25(木) 20:10:14 ID:qfNwHzX4
忍城を水攻めで干殺ししようとしたら堤防決壊で味方がいっぱい溺死したでござる
340人間七七四年:2010/11/25(木) 21:42:01 ID:AahY9FNO
↑地元住人にもお金をやって堤防工事させたらその地元住人にスパイがいてわざと手抜きして堤防を決壊させたのが真相
地元住人=北条軍兵士と認識するべきだった
341人間七七四年:2010/11/26(金) 08:34:21 ID:kPvIccu2
三成くらい賢かったら、そんなの速攻で見抜きそうだけどなー
342人間七七四年:2010/11/26(金) 10:43:01 ID:qUW4Og77
↑地元住人とその地をおさめる大名とは一枚岩ではなく憎き支配者
したがって地元住人は平気で攻め込んできた大名に味方するのも珍しくないが北条は早雲以来住人たちとフレンドな関係にもっていったので一枚岩という状態
石田ら豊臣にはそこまで情報がなかったかも知れない
ちゃんと報酬さえ支払えばきちんと仕事してくれると思うのが当然なんだから(こういうのはただ働きが普通)
今で言えば朝鮮に工場をつくるもの
343人間七七四年:2010/11/26(金) 12:56:44 ID:+556C9Ed
>>342
お前の中高生みたいな思考パターンにはつねづねウンザリだ

まあ実際に中高生なのかもしれんが。
344人間七七四年:2010/11/26(金) 22:18:27 ID:qUW4Og77
↑しったかはお互いさま
345人間七七四年:2010/11/27(土) 16:33:15 ID:HNNXCQxI
普通の戦より石田向きの闘い方だけに頑張って欲しかったな。
346人間七七四年:2010/11/27(土) 18:34:32 ID:erzTohxn
俺は水攻めなんて駄目だと思うけど秀吉に命令されたから仕方なくやるか、という態度で工事を始めたからね
指揮官からそういう態度がにじみ出ていると現場にも伝染して手抜き工事が横行するのは当然だよ
北条のスパイとかそういう以前の問題だ
水攻めを拒否して自分の考える最善策で城を落とし結果で秀吉を黙らせてやるくらいの気概で攻めるか
自分は水攻めが本気で正しいと信じている演技を完璧にこなして現場にやる気を持たせるかのどちらかを指揮官として実行しなければいけないが
どちらもできない三成は性格的に戦場指揮官としてまったく向いていない
347人間七七四年:2010/11/27(土) 19:48:32 ID:MIMzUIJb
適材適所を無視した秀吉の無茶ぶりが悪い
348人間七七四年:2010/11/27(土) 20:35:51 ID:Vt6NjajK
所詮秀吉は天下を取るべきでなかったわな
子供はいないし身内は弟のぞいてクソばっかり、諸大名や貴族からは成り上がりと内心小馬鹿にされてるし天下を早く取りたいばかりに家康や上杉毛利を滅ぼさずに味方につけるかわりに領土安堵する有り様
挙げ句、大陸出兵
本能寺さえなければ織田独裁政権で全く違った日本史になってたかも(それも怖いな)
349人間七七四年:2010/11/27(土) 22:14:07 ID:MIMzUIJb
成功していたら結構イメージ変わってただろうな
350人間七七四年:2010/11/28(日) 10:08:47 ID:HMxmlkup
結局失敗したからどうしようも無いな
351人間七七四年:2010/11/28(日) 16:44:48 ID:iZcwDaEr
>>346
忍城攻めってよく秀吉が無理を通したのが悪いって話聞くけど、それっておかしいよな。
その場所での水攻めが不可能だったら秀吉の不見識、責任でいいけど、「水攻め」そのものは成功してるわけだし。
堤が決壊しただの士気が下がるだのは全部現場の問題だし、どうも秀吉への責任転嫁な気がするんだが。
352人間七七四年:2010/11/28(日) 21:27:29 ID:2t/Q5oGh
せつ
353人間七七四年:2010/11/29(月) 20:52:52 ID:e6K6IK2Q
>>351
そうだよ責任転嫁だよ。「三成は戦下手じゃない!」って言いたい連中が
斜め上の解釈をしてるだけだよ。
354人間七七四年:2010/11/29(月) 21:32:43 ID:eaLnVBVl
司馬『関が原』の三成は魅力的
355人間七七四年:2010/11/29(月) 22:05:13 ID:+5QydMGD
↑俺も読んだ
356人間七七四年:2010/11/30(火) 23:45:28 ID:f9GLKjgV
石田三成ちゅちゅ
銀色の髪がすてきー
357人間七七四年:2010/12/05(日) 18:08:19 ID:wI9n7Cvn
358人間七七四年:2010/12/05(日) 18:13:02 ID:mXP2T+HT
イケメンなら前田利家や森蘭丸のように掘られた逸話が残ってなきゃおかしい
359人間七七四年:2010/12/05(日) 18:35:00 ID:F2QGWspN
カッコイイ!
360人間七七四年:2010/12/05(日) 20:02:14 ID:EmQStiaK
>>357
彦根市は今も井伊家の存在が大きいところなので基本的には石田は意図的にスルーしていただけに最近の石田ヨイショぶりは驚き
井伊の圧力がきかなくなってきたか
361人間七七四年:2010/12/05(日) 20:06:26 ID:fIKBb2zk
単にひこにゃん効果が頭打ちだからなだけじゃねぇの?
362人間七七四年:2010/12/05(日) 20:21:16 ID:lgw1zYCz
井伊家の当主や一族はやはり石田や秀吉嫌いなんだろうな
363人間七七四年:2010/12/05(日) 21:30:33 ID:EmQStiaK
↑近所なのに秀吉三成ゆかりの長浜市とは仲がいいとは聞いた事ないしな
石田の佐和山麓にまで井伊関係の寺社を4つも建立させているくらいだからな
嫌いというより妬み
364人間七七四年:2010/12/05(日) 21:31:38 ID:EmQStiaK
↑高知県での長宗我部人気に嫉妬する山内家みたいなものだな
365人間七七四年:2010/12/05(日) 21:52:44 ID:F2QGWspN
三成主役で大河ドラマやってほしい!
366名無しより愛をこめて:2010/12/05(日) 21:55:52 ID:96Vx5suY
>三成主役で大河ドラマやってほしい!

やっていたじゃないか。
主役の三成が途中退場して
その後はずっと三成の友達面した偽善者野郎が寝言並べていたのが。
367人間七七四年:2010/12/05(日) 22:03:43 ID:EmQStiaK
↑忘れました、
たしか直なんとか言う奴でしたっけ
368人間七七四年:2010/12/06(月) 00:05:15 ID:q3RRfTys
三成は朝鮮役に深く関わっているから無理だよ
369人間七七四年:2010/12/06(月) 05:32:31 ID:KCjduyrt
↑それを言うたら小西、加藤、宇喜多、立花、島津らもだめじゃん
現実問題、大河ドラマはその人物ゆかりの自治体から強い招致運動が無いとなりにくいよ(秀吉などの有名人ならほっておいてもなるけどな)
石田三成の大河ドラマ招致運動て今までなかったけど石田ゆかりの長浜市がお江の招致運動に成功したから今度は石田三成の招致運動を展開すると思われる
それに加え最近になって石田を押しにきた彦根市も加えてな
ただ大河ドラマになれば彦根市の石田三成に対する対応が180度変わると思うと笑える
370人間七七四年:2010/12/06(月) 08:02:55 ID:Ed6mmv/U
地元は凄く潤うらしいな
371人間七七四年:2010/12/06(月) 09:39:50 ID:CrIJLnAY
>>357
滋賀民から少し前に
小谷とか佐和山はろくに整備されてないらしいって聞いてたんだけど
どういうことだろう
372人間七七四年:2010/12/06(月) 10:12:35 ID:LR1uonyv
>>371
三成で誘っておいて彦根城におびき寄せる巧妙な作戦だ。
373人間七七四年:2010/12/06(月) 10:23:10 ID:3s2ipcdj
管理する子孫がおらんかったからじゃね
374人間七七四年:2010/12/06(月) 11:47:38 ID:mn7LPZAs
三成ってグレーゾーンの人間だと思うけど、
1590年代の秀吉に気に入られ、色々ちくってた
時点で関心しないね。三成がいいというのは
理解できない。
375人間七七四年:2010/12/06(月) 13:22:13 ID:/hvFjM7j
理解できないのはいいんじゃね?いろんな人がいるんだし

そういう役割だったことが多いし、チクられて反論できないようなことしてた奴もどうかと思うがな
376人間七七四年:2010/12/06(月) 14:13:48 ID:mn7LPZAs
好き嫌いは勝手だと思う。
ただ例えば昨今の大河とか美化し過ぎるように思う。
一体、どこにその根拠があるのか?あまり話を広げる
のは止めて欲しい。清濁あわせもつのが特にこの時代
の人間だろう。
377人間七七四年:2010/12/06(月) 14:49:04 ID:LR1uonyv
昨今の大河に期待するのはもう止めろ。
378人間七七四年:2010/12/06(月) 14:53:09 ID:6/jyBhIR
>>372
wwww
379人間七七四年:2010/12/06(月) 15:02:57 ID:/hvFjM7j
大河の展開とか設定はNHKや作家の裁量次第だろ
どんな展開にしてもどっかから不満が出る・・・がドラマなので人気が出ればそれでよしとなってくる

現代の人間の評価も人それぞれ得ている知識の内容が違うから当然バラバラ
いい話・悪い話どちらを先に知るかでも違ってくる
根拠なんてどの人間の評価にもないよ
ましてや400年以上前の人間を正確に把握するなんて不可能なんだから
380人間七七四年:2010/12/06(月) 17:33:05 ID:KCjduyrt
>>371
小谷はよく整備されてるよ
ただ佐和山はほとんど手付かず
井伊の菩提寺の清涼寺(たぶん)の土地なので寺の許可がえられるまでは何もできないらしい
井伊関係だから整備されるのを阻止してる可能性が
なにしろ井伊の石田への嫉妬は異常だから
その一方で市民の石田人気は決して低くないし(地元の戦国ショップでは井伊はひこにゃん以外はほとんど売れてないけど石田はかなり売れているよ
381人間七七四年:2010/12/06(月) 17:41:12 ID:KCjduyrt
石田が評価されると困る連中が少なくない
石田は悪者の方が自分たちに好都合だからな
例えば秀次の近江八幡
地元の展示館では秀次一派が粛清されたのは石田のせいと決めつけてるし藤堂の三重県などや前田の石川県、加藤の熊本県(宇土地区は除く)とかにとっては石田善玉では都合が悪いという事
いざ大河になればどんな素晴らしいドラマでも賞賛や批判の嵐になりそうな予感(とくに2chで)
382人間七七四年:2010/12/06(月) 17:45:05 ID:KCjduyrt
>>374
石田の関連本を読めば考えも変わるよ
383人間七七四年:2010/12/06(月) 18:34:15 ID:xS2Gb/ek
>>381
そんな理由はどうでもいい。
三成がチクり屋の小悪党だったのかどうかだ。
>>382
擁護本はあてにならん。もちろんどんな人間
か知る由もない。擁護しているサイトが
あったが、十分な客観性や説得力がなかった。
384人間七七四年:2010/12/06(月) 19:06:50 ID:KCjduyrt
本能寺の変がなければ織田が天下を取り秀吉はどこかの藩を任されて石田三成を家老にそえるだろう
後継者には秀次が就任
加藤らは単なるサムライ大将どまりか
平穏に収まっていただろうな
全ては子供はいない、身内は弟以外はクソばかり、昔からの譜代の家来なんぞいない秀吉が天下を取ってしまったのは間違い
385人間七七四年:2010/12/07(火) 08:51:58 ID:Zg3DRegs
>>384
それを言うなら光秀に隙を見せてしまった信長が悪い。
386人間七七四年:2010/12/07(火) 09:22:13 ID:JfOKBxsT
謀反した光秀が悪い
光秀に人生を狂わされた人間は無数にいるだろうな
387人間七七四年:2010/12/07(火) 13:15:01 ID:v3XH7wrw
信長に人生狂わされた人間は無数にいるだろうな
延暦寺の僧、追放された佐久間、斉藤龍興や三好党
388人間七七四年:2010/12/08(水) 18:57:48 ID:raPRwx5G
信長に平身低頭で擦り寄る選択肢もあったが
それをしなかったのは各々の選択だろw
389人間七七四年:2010/12/08(水) 19:02:56 ID:XF9tyfqX
○○に人生狂わされたシリーズは適用できる人多すぎ
390人間七七四年:2010/12/08(水) 20:28:59 ID:z2fzdfx6
三成に狂わされた人たち

長宗我部盛近→最初徳川に組みするつもりが水口で足止めされて石田に組みするも何もしないうちに敗れて改易、一般人に落ちぶれる、夏の陣では豊臣に組みするも処刑
小早川金吾→徳川に組みするつもりが石田方に組み込まれるもギリギリで裏切り、しかし裏切り者の代名詞になりみんなから見捨てられる感じで病死、小早川は改易
毛利てるりん→石田にそそのかされ総大将に祭り上げられるもチキンぶりをみせつける、徳川に騙されて中大名に格下げ 自業自得だが
織田秀信→豊臣には恨みしかないのに石田方に組みするも岐阜城を落とされ高野山行き しかしおじいちゃんに恨みがある高野山の仕打ちで無残な病死
ほか多数
391人間七七四年:2010/12/09(木) 01:00:03 ID:NyrcKFSW
豊臣家だって会津征伐自体は容認して静観する方針だったのに
三成の暴走によって秀頼の成長を待つ計画が完全に狂わされたんだよな
392人間七七四年:2010/12/09(木) 01:16:29 ID:4vrn36B5
失脚中の三成はもう待てない状況だったからな
393人間七七四年:2010/12/09(木) 13:26:01 ID:rinePr0S
三成が動かず関が原の戦いが起きなかったら、三成と豊臣家どうなってたかな?
394人間七七四年:2010/12/09(木) 18:43:55 ID:NMtzSM7W
もし三成が動かなかった場合の展開

上杉氏滅亡
どさくさに紛れて謀反を計画していたという理由をつけて伊達を成敗
石田は徳川とは多少の縁戚関係があるので手はつけず
毛利には謀反の疑いをかけて領土を大半削る
宇喜多も同様
島津は怖いので手をつけず
秀頼はまだ子供なので河内、和泉などの本領を除いて取り上げる(大きくなったら返すとかいうて召し上げる)
なお石田三成は出家して息子に後を託す
なお石田重家は徳川政権に重用される
豊臣は徳川に取り込まれ実質的政権を奪われる
大阪の陣は起きなかったが徳川豊臣連合政権として長期政権が続く
なお豊臣は続いたので朝鮮との関係は改善できず
と言っても困るのは対馬の宋氏だけ
日本にはなんのメリットもねーんだよな
そのまま鎖国も無く武器も近代化していたので欧米列強の圧力は受けずにそのまま現代に
徳川豊臣の子孫が日本の国王として君臨
今も武士が威張り散らす封建的国家になっているかも
その意味では三成の行動は良かったかも
395人間七七四年:2010/12/10(金) 03:16:25 ID:1zHb14oN
上杉浪人や伊達浪人、毛利浪人抱えて秀頼挙兵するんじゃね?
史実でだって淀君云々じゃなくて秀頼とその周辺の暴走で大坂の陣だし
396人間七七四年:2010/12/10(金) 06:35:38 ID:QbpqLNnq
もし関ヶ原の戦いで石田が勝ってたらとか言う事を聞くがそんな事になってたら日本の歴史は全く違う歴史になっていただろうな
もし西軍勝利なら豊臣独裁政治では無く豊臣毛利上杉宇喜田石田島津などによる連立政権で運営されかっての室町幕府と酷似するような政権だろうな
一方で鎖国など行われず又、いつまでも根に持つ朝鮮との関係は断裂したままでそのまま近代化を迎える
黒船以前にすでにヨーロッパから近代的兵器などを輸入しているのでアメリカの圧力には屈っせず追い返しただろうな
一方で連立政権転覆を目論む伊達あたりが外国と手を組む可能性があるが政権転覆など不可能だろ(ていうか政宗ならいざ知らずそのボンボン子孫には何もできないだろう)
明治維新は関ヶ原に納得できない薩長土(土佐は長宗我部侍)によるクーデター、関ヶ原さえ西軍が勝てばクーデターを起こす理由は無い
維新がなければいまだに武士特権が残り今で言えば中国インドのように能力も無い人間が誰だれの子供というだけで富を独占したりして不公平な世界になっていたかも
明治維新はある意味奇跡とも言える
397人間七七四年:2010/12/10(金) 23:55:46 ID:keugNAZ+
スレ違いになってしまうが、近代化というのは単に機械を取り入れることではなく
民主主義の制度を作るところまで漕ぎ着けるのが近代化だからな
黒船というショックがあったからこそ議会制度を取り入れた近代国家を目指せたのであって
普通にダラダラと西洋文明と付き合っていたら支配階級が自分の権力を手放す民主主義など目指すはずがない
日本より遥かに早く西洋文明と付き合っていた国がどこも近代化を果たせずに植民地になったのはこのせい
今の日本が北朝鮮や中国みたいにならないで済んでいるのは三成が負けて豊臣が滅んでくれたおかげかもね
398人間七七四年:2010/12/11(土) 00:01:01 ID:SPdB9dR3
三成の力で今の日本の繁栄があるってことだな! 三成バンザイ!
399人間七七四年:2010/12/11(土) 00:57:49 ID:ULt6iuLn
韓国の発展も日本様のおかげ
極悪朝鮮王朝をかんぷなきまで叩き潰した挙げ句近代化させてやったおかげ
一方で中国があんな国なのは日本様が中国が大きすぎて征服できなかったため
歴史を勉強しなさい朝鮮人
400人間七七四年:2010/12/11(土) 01:05:11 ID:ULt6iuLn
だからといって三成の行動を否定するつもりは無いよ
ただあまりにも秀吉政権が貧弱だったてこと
徳川上杉毛利を大大名のままにしておくなんて狂気の沙汰
とくに徳川に対して強気にでられないなんて秀吉て馬鹿なのか
北条滅亡後なら徳川なんぞ潰せるだろうに江を徳川の嫁さんに出すわその江の娘を息子の嫁に迎えるわ
あきれ果てるわな
401人間七七四年:2010/12/11(土) 08:10:38 ID:CfZJOOgy
正銘問題みたいに因縁つけて無理やり滅ぼせば良かったのにな
402人間七七四年:2010/12/11(土) 12:15:28 ID:r+zvlB/c
>>396
東軍系大名とか連立内の対立とかで似たような事が起こるだろ
403人間七七四年:2010/12/11(土) 12:44:12 ID:J7VjYktY
>>401
この板に来るような人間で未だに鐘銘事件が因縁だと思っている奴が居ることに驚いた
404人間七七四年:2010/12/11(土) 19:44:08 ID:CfZJOOgy
正銘は因縁だろ?
405人間七七四年:2010/12/11(土) 19:52:44 ID:J7VjYktY
>>404
どういうところが因縁だと思っているのかいってごらん?
406人間七七四年:2010/12/11(土) 20:38:20 ID:Ai0MpUfe
因縁も何も豊臣が我侭ばかりでマナーを守らないのが悪い
織田だって秀吉が関白になったら諦めたし
徳川だって秀吉から母と妹を人質に貰ったら空気を読んで上洛した
豊臣だって徳川が将軍になった時点でマナーを守って臣従するのが礼儀だろ
礼儀知らずの我侭を相手にしなければいけない徳川の方が被害者だよ
407人間七七四年:2010/12/11(土) 20:38:34 ID:FSNCYSxl
↓yahoo知恵袋でこんなベストアンサー見つけたw

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1445124319

石田三成の戦歴はかなりのものです。秀吉が織田家配下の一部将であった頃から数々の戦いに従軍し、
賤ヶ岳の戦いでは先駆衆に属して一番槍、淡路島攻めでは副将を務め、
碧蹄館の戦いでは開城の放棄および漢城近郊での迎撃戦を主張、
主戦派の諸将を抑えてこの戦略を実行し、明軍を破っています。
幸州山城の戦いでは最前線で自らが負傷するほどの激闘で勝利しています。
結局、関ヶ原以前の三成の「敗北」は「忍城水攻め」しかなく、
これも三成は反対だったのに秀吉が命じ、予想通り失敗したものです。
率直に言って、加藤清正や福島正則よりも「武功」は多いのです。
(彼らの将としての武功は朝鮮出兵までほとんどゼロ)
さらにその配下にも戦上手を揃えたバリバリの武闘派であり、
石田軍団の戦闘力は関ヶ原で実証されています。
行政官として有能だったのでそちらで重用されただけで、武官としても有能だったのです。



>>賤ヶ岳の戦いでは先駆衆に属して一番槍、淡路島攻めでは副将を務め

いや、先駆衆の中に名前があったってだけだから。あと従軍するだけじゃ武功になんねえから。
城を落としたわけでもないし、清正や正則のように高名な武者を討ち取ったわけでもない

>>碧蹄館の戦いでは開城の放棄および漢城近郊での迎撃戦を主張、
>>主戦派の諸将を抑えてこの戦略を実行し、明軍を破っています。

いや、三成は消極的な篭城論を唱えていて、郊外決戦を主張したのは小早川隆景や立花宗茂ですから
立花宗茂が敵軍先鋒を撃破、小早川隆景が地形を利用した巧みな包囲戦術を完成させ明軍を大破
三成は開戦から終戦までずっと後方の陣営にいてなーんもしてない。

>>幸州山城の戦いでは最前線で自らが負傷するほどの激闘で勝利しています。

いや、幸州山城は攻め落せず敗退してますからwww どのへんが「勝利」?www
負け戦の上に自らも負傷したのを「武功」ってwww

>>率直に言って、加藤清正や福島正則よりも「武功」は多いのです。
>>(彼らの将としての武功は朝鮮出兵までほとんどゼロ)

あのー、加藤清正は天正天草一揆で部隊を率いて一揆勢の諸城を次々と陥落させてますが
これは「将としての武功」(笑)に入らないんでしょーか。
というか、まるでない三成の「武功」と比べられてもね〜。ないものとは比較できんでしょw

まったく、こいつどうせ無双(笑)とかバサラ(笑)から入った三成厨なんだろうなあw
408人間七七四年:2010/12/11(土) 20:42:36 ID:ULt6iuLn
↑また変なのが入ってきたよな
スルーしましょう
409人間七七四年:2010/12/11(土) 21:24:30 ID:FSNCYSxl
しまった
アンチスレの方に張ればよかった
ごめんなさい
410人間七七四年:2010/12/11(土) 23:11:20 ID:oi76JLSk
三成って25歳でもう治部少輔になったんだな。
んで30歳前後の時に秀吉が日本統一して権力の中心か。
実力あったとしても若すぎるわw
411人間七七四年:2010/12/11(土) 23:20:34 ID:J7VjYktY
それだけ秀吉の手元が人材不足だったってことだわ
412人間七七四年:2010/12/12(日) 00:02:35 ID:tMZtU0Vx
↑なにしろ筋肉馬鹿の福島が清洲城をもらえるくらいだからな
413人間七七四年:2010/12/12(日) 08:28:21 ID:AqYWpKUN
他の家じゃこんなに出世できなかっただろうな
414人間七七四年:2010/12/12(日) 08:51:41 ID:MJ3PKqSn
>>412
イメージだけで語るなよ。
内政外交いずれにおいても市松が無能だったって記録はないぞ。
とりたてて優れてたって記録もないが。
415人間七七四年:2010/12/12(日) 08:57:13 ID:tMZtU0Vx
↑徳川家康に仕えていたら無理です
徳川の主な譜代大名はいずれも徳川家先祖代々から仕えてきた家臣ばかり
0からスタートして一代で大名に引き上げた例はない
ま三成の場合頭脳明晰だからそれなりに取り立てられるとおもうが大名として取り立てられる事は無いだろう
416人間七七四年:2010/12/12(日) 09:09:58 ID:FKxORDkx
>>415
お前言ってること無茶苦茶なんだが
417人間七七四年:2010/12/12(日) 10:18:00 ID:Y8WenvvJ
井伊家って今川の家臣じゃなかっけ、城も遠江にあるし
牧野氏も近隣の豪族で、松平に仕えてたわけじゃない
418人間七七四年:2010/12/12(日) 10:29:50 ID:tMZtU0Vx
↑井伊氏を除いてと書くのをわすれてた
こういう突っ込みをする者がいることはわかっていたがな
井伊直政は信長で言えば蘭丸のような存在
さんざん家康におもちゃにされた代償として大名にしてもらっただけ
419人間七七四年:2010/12/12(日) 10:33:40 ID:FKxORDkx
>>418
お前は俗説ベースで話ししてるからおかしな歴史観を持っているってことに早く気がつけ。

端的に言って勉強しろ
420人間七七四年:2010/12/12(日) 10:38:30 ID:tMZtU0Vx
>>414
彼って故郷が三河に近いところだったよな
そんでガキの分散で大人を殺害
地元にいられなかったから母親の知人の家まで逃げてきて養子になりその家がたまたま秀吉の親戚だったのでそのまま秀吉の家来になった経歴があるがもし故郷の地を治める家康に仕えていれば一生ヒラだったろうな
せいぜいサムライ大将が関の山
単なるチンピラが大名になれたのは誰のおかげかな
それを豊臣を裏切って家康にへいこらへいこら
それだけでも糞だよな
三成なんか家康を滅ぼした後でみんなで圧力をかければ追放できるだろうに
こいつの脳みそって単なるお味噌でできてるんでしょうね
421人間七七四年:2010/12/12(日) 10:55:52 ID:U5JrOwxy
お前の脳みそがただのお味噌なのは良く分かった
422人間七七四年:2010/12/12(日) 10:56:17 ID:Y8WenvvJ
>>418
水野氏だって松平の傘下にはなかったし
土屋、諏訪、保科も武田旧臣
奥平、岡部は今川に臣従していた家

お前は何の知識もない
423人間七七四年:2010/12/12(日) 12:50:38 ID:tMZtU0Vx
土屋とか言うてもね、誰やそれという感じ
うん十万クラスの大名でなければ譜代大名とは言えないよ
そもそも水野なんか徳川家康のかーちゃんの実家だから親藩同然だしな
家康は三河以来の先祖代々の家来ばかりを重用するという事実にかわりない
424人間七七四年:2010/12/12(日) 14:12:12 ID:FKxORDkx
>>423
組織の中にうん十万石なんて巨大な大名を作らざるをえないのはそれだけ織豊政権が
非効率で仕組みがなかったため。

徳川家の仕組みは家臣にそんな巨大な領地と権限を与えなくても動く仕組みになっていた。
よって巨大大名を作る必然性が存在しなかった。

近世化の先頭グループにいた徳川と、守護大名と大差ない古臭い織豊を一緒に考えるなよ。
425人間七七四年:2010/12/12(日) 15:10:53 ID:AqYWpKUN
>>420
秀吉が死んだら恩義なんて消滅するだろ
426人間七七四年:2010/12/12(日) 15:29:52 ID:UNDMnEoT
>>420
>豊臣を裏切って家康にへいこらへいこら

↓『関原記』伏見護衛時の記載内容。
「我等儀、太閤御爪ノ端ニ而候。内府公ト縁辺取組ミ、万端御意ヲ候ハヾ、
 以来秀頼公御タメニモ然ルベキ儀ト存ジ」

誰のために徳川の機嫌をとっていたのか、当時の認識がわかる。
そろそろ、三成史観小説から卒業した方がいいよ。
427人間七七四年:2010/12/12(日) 15:39:49 ID:AqYWpKUN
豊臣家が滅びたのは秀頼が馬鹿だったから
428人間七七四年:2010/12/12(日) 16:29:34 ID:MJ3PKqSn
>>424
数十万石の譜代大名なんてあったか?親藩ならともかく。

譜代は禄高を抑える代わりに政治的権限を与える、外様は石高を上げる代わりに政治に関与させない、が
徳川幕府の基本システムだぞ。
老中でも十万石行ってないこともゴロゴロある。
429人間七七四年:2010/12/12(日) 17:22:36 ID:FKxORDkx
関ヶ原で三成勢が敗走し始めたのは、開戦からわずか2時間後の正午ごろ。

正午を過ぎても東西互角だった、とか、あるいは福島隊を圧倒したとかは後世の作り話で、
小早川勢の参戦以前に既に、おおよそ形勢は決していたと考えられる。


「石田殿、一時(2時間)もこらえず候て、中書様(島津豊久)陣場へ崩れかかり候」
『大重平六覚書』

「防戦よふなく柴田(島左近か)即時に敗軍すれば、石田軍皆陣破れて敗北す、然れば午の刻(正午ごろ)の事なるか」
『帖佐彦左衛門宗辰覚書』
430人間七七四年:2010/12/12(日) 17:37:22 ID:g341xrSh
>>420
ただの味噌じゃ無い。八丁味噌だ。

>>426
秀頼の為と言う内府の嘘を見抜けなかった間抜けって事になるだけだが?
そしてそれこそが三成史観とやらではないのか?司馬遼とか。

>>429
大重平六とか帖佐彦左衛門とか、誰よ?
431426:2010/12/12(日) 17:47:11 ID:UNDMnEoT
>>430
『秀頼の為』と内府が発言したの?
どういうシチュエーションで?
432426:2010/12/12(日) 17:51:04 ID:UNDMnEoT
↑ソースもつけてくれ。
433人間七七四年:2010/12/12(日) 17:55:33 ID:g341xrSh
何だまたソース廚だったのか。
434人間七七四年:2010/12/12(日) 17:58:46 ID:UNDMnEoT
違うよ。でもこの話の肝でしょ。
発言してないなら、嘘を見抜くも間抜けも何もない。
君の妄想に過ぎない、という事だ。
435人間七七四年:2010/12/12(日) 22:36:25 ID:g341xrSh
じゃぁ仮に家康がそう言ってないとしよう。その場合、福島は勝手にそれが秀頼の為と思い込んだ
妄想野郎って事になるけど?
436人間七七四年:2010/12/13(月) 00:15:07 ID:HrsMlUww
↑そのとおり
ドラマでも毎回そういうように描かれているし
437人間七七四年:2010/12/13(月) 01:17:08 ID:utwmLJ47
奉行でもなくなった奴と筆頭大老の言い分、どっちが信じられるかつったらなあ
しかもソイツには恨みがある
438426:2010/12/13(月) 03:10:27 ID:JmTpqaR/
>>435
何の話をしてたか覚えてますか?
>豊臣を裏切って家康にへいこらへいこら (>>420

妄想野郎だろうと何だろうと、秀頼のために動いたのは事実でいいんでしょ?

まぁもっとも、家康との対決路線を選んだ三成の方が妄想野郎だと思うけどね。
家康との融和方針である福島・加藤ラインの方が現実的。秀吉と同じ方針。
439人間七七四年:2010/12/13(月) 06:14:41 ID:HrsMlUww
↑そして家康との融和路線の末に政権を乗っ取られるわけですね
老練の秀吉ならいざ知らず女子供相手ならどうでもなるしな
石田のいない豊臣政権ならたやすいはずだ
増田、名束、片桐どいつもこいつも政治はできても策謀など全く持ち合わせてないしな
策謀家の黒田如水を大名にはせず豊臣家の筆頭家老に取り込むべきだったかも
それを片桐みたいな雑魚が筆頭家老とはな
結局秀吉が全て悪い
440人間七七四年:2010/12/13(月) 07:06:59 ID:yd8aJqNh
織田長益とか信雄は老いたらマシになったようだし
もしかしたらそれを頼りにしてたのかもしれんな
441人間七七四年:2010/12/13(月) 10:05:36 ID:sU7xJ19K
政治的に考えると、豊臣家という与党で加藤や福島って発言力あったのかね。
徳川政権になって豊臣家が野党になっても立場が何も変わらないのであれば、徳川家を推しても無理ないことだ。

豊臣幹部にとっては政治家生命をかけた戦いだったろうが
442人間七七四年:2010/12/13(月) 12:15:27 ID:iwAjtTeK
豊臣家が滅びても別に福島たちは痛くない
443人間七七四年:2010/12/13(月) 17:45:56 ID:HrsMlUww
↑その結果、名古屋城や江戸城、福井城、彦根城(お気に入りの井伊の城)の天下普請にこき使われるというわけですね
福島はめちゃくちゃ怒りまくって加藤に、なら国元に帰り戦の準備でもしなと言われたエピソードもあるし
外様大名にとっては豊臣徳川どっちの天下でも構わないけど
徳川政権になれば自分らはこき使われる(挙げ句の果てにおとり潰し)という予想はできなかったのかな?
自分らは所詮豊臣の縁者だから出世できた、この事をわかっていたのかな
444人間七七四年:2010/12/13(月) 17:55:32 ID:Tmeo1fNI
まぁ豊臣でコキ使われた後だったからね
445人間七七四年:2010/12/13(月) 18:32:24 ID:UlihEsm6
マジレスすると、彦根城は親藩と譜代のみ動員されてるんだが。
井伊の城だから建ててやったっていう家康の親心も多少はあるんだろうけど、豊臣はじめ西への防衛拠点って意味での天下普請だろう。
446人間七七四年:2010/12/13(月) 19:07:54 ID:dPiFmaxc
>>443
加藤も福島も取り潰されてしょうがないだろ、あれ。
むしろあれで取り潰さなきゃ他に示しがつかん。
まさか、「豊臣系大名だから潰された」とか思ってる?
447人間七七四年:2010/12/13(月) 20:02:04 ID:iwAjtTeK
馬鹿だったから潰されただけ
448人間七七四年:2010/12/13(月) 20:15:59 ID:xLkxdhxo
>>446
福島の修理願いを無視して、しょうがないから許可無しで修理したらお取り潰し。罠以外の何物でもない。
豊臣系じゃなくてもこういう罠は用意されてたの?
449人間七七四年:2010/12/13(月) 20:31:05 ID:iwAjtTeK
それのドコが罠なんだ?w
450人間七七四年:2010/12/13(月) 21:07:33 ID:8AH5rMOv
>>448
マジレスすると、武家諸法度・元和令では、修築は報告で可。(新築は不可)
だから、福島は別に間違えた事をしていない。許認可制になったのは、寛永令から。
原文読んでみればわかるよ。

改易を回避するためには、本丸以下の修築部分を完全破却すればよかった。
それでこの場面はしのぐ事は出来た。豊臣側とか徳川側とかはこの際関係ない。
本多正純に加え、土井利勝も改易には反対している。

福島が読めてなかったとすれば、秀忠の本気度合いと、家康特別待遇の期限切れ、
提出先を土井利勝にすべきだったことだな。
451人間七七四年:2010/12/13(月) 21:22:36 ID:8AH5rMOv
>>443
>福島はめちゃくちゃ怒りまくって加藤に、なら国元に帰り戦の準備でもしなと言われたエピソード

その通りで、ただのエピソード。史実でも何でもない。
相次ぐ大規模普請に対して不平を持つ諸大名の代弁をさせただけ。
豊臣系代表の二人に掛け合いをさせる事で、
豊臣から徳川の世に移行している事を示している。
リアルっぽく、面白さが増す仕立。
452人間七七四年:2010/12/13(月) 21:55:49 ID:FST5gHDg
>>450
正則の改易については、当初から改易ありきというような性格のものじゃなくて、
赦免の条件が履行されないとういう事態に至り、幕閣はかなり慎重だったのを、幕府の
威信堅持のために秀忠が断行したものなんだよね。
加藤忠広の改易にしてもだけど、光正のやったことは冗談で済ますにはあまりにも軽率だしなあ。
453人間七七四年:2010/12/13(月) 22:33:25 ID:+/GID+f3
ついでにいうと福島正則に関しては、広島移封の後築城に関して家康から注意を受け、
その時は注意を受けた施設を完全に破却しており、秀忠としては「父の時と違って俺のことは
舐めてるのか!」という思いもあっただろう。
454人間七七四年:2010/12/13(月) 23:34:44 ID:dPiFmaxc
>>448
「修理」だけじゃなくて、強化改築しちゃってるんだよ。
しかもそれで問題になってる最中に、新しく工事初めて見たり。
455人間七七四年:2010/12/13(月) 23:57:06 ID:HrsMlUww
↑福島が改易された伏線は広島城修築だけでなく関ヶ原直後に徳川家臣伊奈氏が福島にいちゃもんつけられて切腹させられたのでそれに根をもった家康がほとぼりが冷めたところで叩こうと思っていたわけだ
福島は関ヶ原直後まではかなり傲慢だったと言えるだろう
俺のおかげで石田に勝てたという傲慢がな
その傲慢の結果があれとは
456人間七七四年:2010/12/13(月) 23:57:31 ID:8AH5rMOv
>>454
出典は『台徳院殿御実紀』だね。
「居城広島に於て、恣に城塁壁塁を増築し、天下の大禁を犯す」

『台徳院殿御実紀』は、その名の通り、徳川マンセーの江戸幕府公式記録。
台徳院=徳川秀忠だから、正則を特に悪し様に描いている。
どう判断するかは、読み手の自由だけど。

ちなみに、正則が修築した時、広島城が三の丸まで浸水するほどの水害に
見舞われている。
457人間七七四年:2010/12/14(火) 00:21:12 ID:8UdfYlVy
福島も加藤も豊臣には恨みしかなくて積極的に豊臣潰しに加担したってことか?
458人間七七四年:2010/12/14(火) 00:26:30 ID:JHZiO7xe
>>455
まず、福島改易は家康ではなく秀忠だね。

伊奈切腹については、関ヶ原勝利による家康の増長に釘を刺したものだよ。
関ヶ原MVPである福島は、家康を勝利に導いたが家康の臣下ではない。
あくまで、豊臣家のために戦った、という事。
加えて、傲慢ではなく部下思いのエピソードだね。
459人間七七四年:2010/12/14(火) 00:37:01 ID:SaU893gu
大阪城で諸大名の妻子を人質に三成一派が決起して、死人まで出して
事前に何にも聞いてない福島らが大儀は西軍にありって思う方が無理ある気も。

なに勝手なことやってんだ?って思ってもしょうがないような
460人間七七四年:2010/12/14(火) 01:10:38 ID:S1SBfOqb
三成の決起から少したった頃の島津義弘の書状に

「三成たちは自分たちが決起すれば関東に下った大名たちも徳川から離脱して
京に帰ってくるものが多く出てくると聞かされたのに、そのような大名は一人もおらず
関東の状況が全くわからない」

というのがあるな。
461人間七七四年:2010/12/14(火) 02:17:56 ID:wQfpFmr/
考えが甘すぎた
462人間七七四年:2010/12/14(火) 02:21:22 ID:3FrniHhL
>>459
ガラシャ夫人の事ですね
ガラシャが自害せずおとなしく人質にとられていたら違う展開も考えられたけどな
ただガラシャ夫人は本当に自分の意志で死んだかどうかは?という説もある
イエズス会はキリスト教に否定的な石田が勝てばやはりと感じて逆ひキリスト教に対して寛容(というか芝居)な家康が天下を取れば自分らに都合がいいので自害する意志の無いガラシャ夫人を殺した(彼女の側近の女はいずれもキリスト教徒)という説も考えられる
そもそも父が反逆者なのにおめおめ自害しなかったほど命を大切にしたガラシャ夫人がたかが細川(明智を裏切り自分を謹慎させた)のために自害するはずは無いという事
予定通り家康に天下をとらせたイエズス会は逆にその徳川に秀吉以上の大弾圧をされるとは皮肉だな
石田勝利なら少なくとも小西の肥後だけはキリスト教王国としていられたのに全くお馬鹿さんだな
偽善者団体キリスト教は
あくまでも仮説だがな
もしガラシャ夫人が死ななかったら?
そして全ての大名の妻達がおとなしく人質に取られていたら?
また豊臣家も決心して石田らに全面協力をしていたら?
全く違う展開になっていただろうな
463人間七七四年:2010/12/14(火) 02:25:05 ID:3FrniHhL
↑ちょっと文章間違えた
ごめん
入力する前にもう一度チェックしないとな
464人間七七四年:2010/12/14(火) 07:57:01 ID:wQfpFmr/
無意味な仮定だな
465人間七七四年:2010/12/14(火) 09:46:35 ID:3FrniHhL
三成の当初の構想では淀殿が全面的協力をしてくれると見ていたからだ
当然軍資金はいくらでもだしてくれるだろうし秀頼自ら大垣城もしくは清洲城まで入城(石田は福島が真っ先に西につくと構想していた節がある)して東軍の戦意をくじくつもりだったんだろうがあてが外れた感じだな
いい加減ドラマで淀殿が石田に加担してオネが石田を嫌い甥を説得して裏切らせた設定はやめて欲しいわ
演出家どもは馬鹿なのか?
466人間七七四年:2010/12/14(火) 10:18:23 ID:wQfpFmr/
馬鹿じゃなくて世間一般の「常識」に合わせてるんだろう
467人間七七四年:2010/12/14(火) 22:22:55 ID:D6HFsNs7
>>457
恨みしかないなら二条城会見なんてやらないだろう

>>465
オネが三成を支持したという根拠もないわけだけどね
468人間七七四年:2010/12/14(火) 23:26:38 ID:3FrniHhL
↑三成の娘を養女に迎えいれたのと兄木下定家(だったけ?)が石田方についた事
そもそもオネが福島らに近づいたという史実はない
小早川の件に関しては金吾の意志というより家来が暴走したのが真相かも
469人間七七四年:2010/12/15(水) 18:38:11 ID:DpYX3IWn
↑あくまでも関ヶ原前でな
関ヶ原後はオネは豊臣家のためにと福島に接触したらしいがな
とにかくドラマでいうほど淀とオネの関係は悪くない
ねつ造だろう
470人間七七四年:2010/12/15(水) 19:20:41 ID:WuXFL0Rd
史実に沿った展開を望むのは戦国オタクだけだろう
471人間七七四年:2010/12/15(水) 21:32:31 ID:ndKuALd3
そもそも1600年当時の淀にそこまで発言力あったんか?
472人間七七四年:2010/12/15(水) 22:58:59 ID:EijBCJy3
>>468
娘を養女にしたから西軍支持なんてどこが根拠なんだ?
あくまでオネと三成の関係が悪くなかった証拠でしかない
それに兄・家定は中立をしている
結局はオネが西軍を支持したとされる明確な発言や行動がないかぎり
オネは中立だったとしかいえないと思う
473人間七七四年:2010/12/15(水) 23:07:20 ID:DpYX3IWn
少なくとも東軍指示ではない
よくドラマで甥の金吾に家康につけというセリフがあるが全くの作り話
あの土壇場での裏切りは重臣の暴走
そもそもその重臣は家康に人質を出してまで主君の裏切りを確約させる有り様
19歳の知的障害者にあれだけの決断ができるはずはない
474人間七七四年:2010/12/15(水) 23:08:21 ID:DpYX3IWn
訂正
東軍指示→東軍支持
475人間七七四年:2010/12/15(水) 23:29:53 ID:WuXFL0Rd
>>473
知的障害者ってw
476人間七七四年:2010/12/16(木) 00:10:29 ID:3c9uBClS
家康にしてみりゃ中立で十分なんだよ。
豊臣家との対立構造にならなければ良い。
事実、豊臣政権内の権力闘争の構図でしかない。
関ヶ原という大仰な舞台を整えたが、実は単なるクーデター。
しかも失敗。
477人間七七四年:2010/12/16(木) 00:11:25 ID:4rExSGpb
正義バカ
478人間七七四年:2010/12/16(木) 03:47:16 ID:oZiHGFIc
>>475
秀吉はネネ経由で金吾を養子に迎えたものの大きくなるにつれて馬鹿であることに気づき遠ざける事になった
毛利グループに養子に送り込んだのはそういういきさつ
ま史実はどうかはわからないが関ヶ原前後の行動を見るにつけ生まれつきの知的障害者である事は間違いないだろうな
エリートの三成はどうもこの馬鹿をかなり前から見下してたのは間違いない
だが悲しいかな彼と比べても石高で完全に負けてるという事実が最後まで尾を引いたな
秀次といいいその弟たちといい金吾といい加藤や福島ら親戚といい秀吉の縁者は弟の秀長以外は屑ばかりだな
せめて秀吉が長浜時代に作った秀勝が関ヶ原までは生きてたらと悔やまれる
479人間七七四年:2010/12/16(木) 07:49:49 ID:dY67Uw2Z
>>478
史実かわからない、ってお前・・・
480人間七七四年:2010/12/16(木) 23:17:52 ID:5+0tt+Zq
>>478
三成に味方しなかったら知的障害者なんて
そう思ってるほうがよっぽど知的障害者じゃないか
それに何で三成基準で秀吉の縁者を屑呼ばわりしているんだよ
いつから豊臣家が三成の私物になってるんだよ
こんな人間のどこが忠臣なんだ?
481人間七七四年:2010/12/16(木) 23:56:08 ID:sax5uKiw
三成は、福島や加藤に殺されかけたんだから
味方にしようなんて思ってなかったと思うがな
482人間七七四年:2010/12/17(金) 01:30:51 ID:tBbK/1rI
>>478
君が屑扱いした加藤・福島について、ソース付きでレスしてる人がいるわけで。
それに反論もしないで、繰り返し知的障害だの屑だのとは頂けない話だ。

君は三成を褒め称えてるけど、三成の素晴らしさを語る資格なんてないんじゃない?
483人間七七四年:2010/12/17(金) 02:34:36 ID:anHU2ND9
>>481
西軍首脳部は大坂と人質をおさえれば寝返る奴は多いだろと考えてたみたいだが
484人間七七四年:2010/12/17(金) 04:11:15 ID:pq4m/SiT
>>483
一人も寝返りがなくてパニックに陥ったらしいな。
485人間七七四年:2010/12/17(金) 06:29:04 ID:xsWxdWIp
まぁ女房子供が大事だから寝返らさせていただきますじゃカッコ悪すぎるしな
486人間七七四年:2010/12/17(金) 08:43:31 ID:kjKEHh/1
細川は裏切りそうだけどなw
487人間七七四年:2010/12/17(金) 11:57:08 ID:pW/B4khG
>>480
三成は豊臣を私物化して好き勝手やっているんだけど
自分自身ではまったく自覚がなく忠臣だと思い込んでいる
ここが深刻な問題なんだよね
自覚がない分家康よりも遥かに豊臣にとってタチの悪い存在だろう
488人間七七四年:2010/12/17(金) 12:13:29 ID:anHU2ND9
関ヶ原自体、豊臣云々というより自分の復権と家康の失脚を狙った物だしな
489人間七七四年:2010/12/17(金) 17:35:36 ID:QicdLylD
小山でアホ福島が心変わりして石田方につきますって言うたら徳川方は大パニックになってただろうな
家康は石田方につきたかったら遠慮なくどうぞ、追撃はしないと言ってた手前何もできなかっただろうし
福島の清洲城だけでも厄介なのに東海道の大名がこぞって石田方についてたらすでに勝負はあったしな
小早川よりもはるかに家康の勝利に貢献したな
その結末があれとは

それにしても石田スレなのに石田批判一点ばり
そんなに最近の石田人気が気に入らないのかな
490人間七七四年:2010/12/17(金) 17:40:55 ID:xsWxdWIp
まぁ当然重要面子の動向わかった上でそー言ったんだろうなぁ
どう転ぶかわからんのに好きにしてちょ、じゃただのバカだし
491人間七七四年:2010/12/17(金) 18:13:37 ID:KQXkA7sM
黒田に調略させた上での発言です。その恩賞が安芸広島50万石です。
それに慢心した結果がアレです。

>そんなに最近の石田人気が気に入らないのかな
余程悔しいようです。
492人間七七四年:2010/12/17(金) 18:42:54 ID:kjKEHh/1
>>489
長所が多いけど、短所も同じくらい多い武将だからなあ
ツッコミどころが山盛りw
493人間七七四年:2010/12/17(金) 18:43:09 ID:zotWRBun
小説類じゃ徳川があえて中央を空にして西軍の決起を煽ったってのが通説みたいになってるけど
実際にそうなのか?
494人間七七四年:2010/12/17(金) 19:11:30 ID:pq4m/SiT
ねーよ。そんな事まで予想してたら家康は神だ。

家康は何らかの不穏な動きは感じてたみたいだが、
あそこまで大規模な反乱が起こるなんて思っていなかっただろう。
495人間七七四年:2010/12/17(金) 19:38:36 ID:zotWRBun
なら鳥居と事前に打ち合わせたのはどうだ
496人間七七四年:2010/12/17(金) 20:11:22 ID:QicdLylD
↑石田とは少なからず縁戚関係があるので石田があれだけの大乱を起こす事に関しては予測できなかっただろうな
とりあえず自分の命令で全国の大名を集めて上杉100万石を倒せるんだから損ではない
しかも表向きは豊臣のためなのでたくさんの軍資金をもらっての戦いだしな
無気味な毛利や宇喜多の動向がわかればいいと思ってたら石田が豊臣秀頼の名前を使って自分を討伐だ
しかも毛利を総大将にして西の大方の大名を取り込んでときたら
マジでやべえ
石田なめてたわ
淀殿らや朝廷を取り込んでとはいえどう転ぶかわからんし、、
だからといって今更謝っても許してもらえんし
とりあえず東北から撤退だ
あの基地外伊達もなにしでかすかわからんし
で小山では
とりあえず知恵者黒田がなんとかしてくれるみたいだ
あの馬鹿福島をそそのかしてくれるみたいだし
で江戸
福島らは豊臣系だから信頼できんわ
とりあえず岐阜城くらい落とせ
おや増田から石田方がまとまりが無いという報告が
しかも豊臣家は非協力!奴らは馬鹿ばかりだわ、わしが豊臣の天下を守るなんて気持ちなどこれっぽっちもないのにな
で大垣
馬鹿息子秀忠が間に合わないとはいえ時間を稼がせれば石田方の方が兵力が多いのでやばいわ、なんとか関ヶ原まで誘い出してやるわ
で決戦
しまった、うかつだったわ
完全にかこまれてしまった
小早川、吉川に裏切らせる約束はしてあるとはいえやばいわ
で決戦半ば
クソ!ここまで苦戦するとは不甲斐ない、吉川もいつまでも秀元を押さえられんしあの馬鹿金吾も石田方につく可能性は低くないし、、ええいやけくそだ小早川に催促の砲撃を
そして小早川の裏切り
助かったわ、みんな馬鹿ばかりで助かったわ
それにしても石田、敵ながらあっぱれだ
しかし生かしておくとまずいわ
なんとか身柄を拘束しないと
しかし阿茶の気持ちを考えるとつらいわな
という感じだろうな
全くの結果オーライだな
497人間七七四年:2010/12/17(金) 20:34:45 ID:pq4m/SiT
>>495
留守居をさせるんだから普通打ち合わせくらいするだろ。
結果的にその伏見城の襲撃から関ヶ原の戦乱が始まったので、後世課題に
意味があったかのように捉えられただけ。
498人間七七四年:2010/12/17(金) 21:00:21 ID:kjKEHh/1
行き当たりバッタリその場しのぎ
499人間七七四年:2010/12/17(金) 21:09:58 ID:SqXOK/Df
>>496
自分が小学生だった頃を思い出したよ。
読んでた小説がみんなそんな感じで書かれてたし。
500人間七七四年:2010/12/17(金) 21:13:16 ID:zotWRBun
上方を空にすれば石田一派が立つというのはそんなに予測し辛いことだったのかな
501人間七七四年:2010/12/17(金) 21:50:26 ID:kjKEHh/1
挙兵するのは想定の範囲内だったかもしれないけど、あれほど大規模になるのは想定外だったんじゃない?
502人間七七四年:2010/12/17(金) 22:35:09 ID:j6/f+Yp/
家康が甘くみてたのは石田じゃなくて毛利・宇喜多の方じゃないか
毛利は領地問題、宇喜多は家臣問題といろいろとちょっかいを掛けられている
それで抑えられたと思ったけど反感をもたれただけだったんじゃない
それとまるで石田一人が大乱を起こしたようにいう人がいるけど
実際は宇喜多・安国寺・小西・石田の共謀によるものだろう
このうち三人が打ち首にあっているところを見ればね
503人間七七四年:2010/12/17(金) 22:48:46 ID:kjKEHh/1
その中では小西だけ小物のような気する
504人間七七四年:2010/12/17(金) 23:27:17 ID:QnA95jV0
家康が甘く見た、ってのがよくわかんないんだけど?
何が根拠で甘く見た事になってんの?
505人間七七四年:2010/12/18(土) 00:00:46 ID:ybyWitpz
>>494
それにしちゃいつの間に小早川を調略したんだ?吉川は自分から尻尾振ってきた様だが。

>>503
俺もだ。何故だろう?
506人間七七四年:2010/12/18(土) 00:04:06 ID:lhMKsjYa
この事で毛利輝元が家康と兄弟の契りを交し
宇喜多は家臣たちが分断し戦力が半減している
こういった状況から兵なんて挙げないと思ったんじゃないか思う
507人間七七四年:2010/12/18(土) 00:21:54 ID:YE85PgW3
秀吉死後の徳川の動きは反徳川と親徳川をハッキリさせるって理由もあったろうね。
逆に諸将が全て上杉攻めに従っていたらそれはそれで徳川政権成立だ。
508人間七七四年:2010/12/18(土) 00:30:24 ID:t1hpkHGL
>>506
小山から江戸に戻って暫く手紙攻勢をしかけてたからな
黒田や藤堂も動いてるし
509人間七七四年:2010/12/18(土) 02:24:16 ID:ZfGUceFJ
関ヶ原に立花がいてくれたらと思う
510人間七七四年:2010/12/18(土) 04:05:03 ID:aiRuD5wP
>>502
家康としては宇喜多も絶対に打ち首にしたかったとおもうな
宇喜多の義理の弟赤松某は関ヶ原までは石田方についてたが関ヶ原後は泣く泣く家康方に付いて鳥取城を攻めたのに城下を焼き討ちしたと理由を付けて切腹させられてる
義理の兄弟ですら殺してるのに宇喜多を殺さない理由は無い
島津家にかくまわれてたが島津が家康に降伏する条件の一つとして宇喜多を差し出すかわりに彼を助命しろ
俺に逆らうと清と貿易できなくしてやるぞと脅したからに他ならない
ただそれでも宇喜多を恐れていたようで来るべき豊臣との決戦に豊臣方として参戦できないように八丈島に流したわけだがもし高野山あたりで勘弁してたら必ず豊臣方に参戦してただろうな
511人間七七四年:2010/12/18(土) 08:08:04 ID:q3aReEzX
ユキムラみたいに大活躍したかもな
512人間七七四年:2010/12/18(土) 11:47:06 ID:Bs9qcLwg
>>510
>俺に逆らうと清と貿易できなくしてやるぞと脅したからに他ならない

清の建国は1636年、中華支配となると1644年になるのですが?
知ったかぶりをするにしても最低限度の調査はしておかないと無知丸出しになるぞ
513人間七七四年:2010/12/18(土) 12:24:17 ID:TH3lZIGS
常々疑問だったんだが。
なぜこのスレでは、史実やソース論拠の三成擁護者がいないのだろうか?
逸話を歴史と信じて疑わない奴が、延々とバカげた主張を続けている。
514人間七七四年:2010/12/18(土) 16:41:01 ID:efA6axdN
史実やソースってのも知ってる知らない、信じる信じないがあるから
結局推論にしかならないし、ループしているのはどのスレも一緒
それにしても批判にしろ擁護にしろ、治部スレの食いつきの良さは異常だね
515人間七七四年:2010/12/18(土) 16:43:23 ID:VYtD85tS
むしろ三成批判だってソース準拠じゃねえだろ
516人間七七四年:2010/12/18(土) 17:00:23 ID:efA6axdN
>>515
そうそう批判も根拠なんてない

それぞれの主張を書きこむだけならいいんだが、そのうち罵倒混じりになってくるからな
517人間七七四年:2010/12/18(土) 17:25:02 ID:aiRuD5wP
>>512
仕事中に気づいて訂正しようと思ってたら案の定食いついてきたなwww
いずれにしてもあの時点で明は末期状態、清の前身の女真国?のヌルハチと手を組んでから攻めれば面白かった
518人間七七四年:2010/12/18(土) 18:02:53 ID:TH3lZIGS
>>514
>史実やソースってのも知ってる知らない、信じる信じないがあるから
>結局推論にしかならないし

意味がわからないんだが。
史実は知らなければ仕方ない、小説や講談でも信じるならばOKという事か?
どこかの半島の人達のようだな。

519人間七七四年:2010/12/18(土) 19:43:44 ID:efA6axdN
>>518
ごめん中途半端に書き込んでいたね。本当に。
君が知っている前提で話していることも相手は知らないかもしれない
君からその話を聞いても相手が信じるとは限らない
スレではそういった書き込みが多いだろ?

で、そんな状態で出るのはあくまで推測だろ?そしてスレじゃそれが限界
ソース付きスレがあるなら紹介してほしいくらい

スレチになるがどこかの半島の人たちの言う史実を改めさせるなんてまず不可能でしょ
お互いそう思ってるからね
520人間七七四年:2010/12/18(土) 19:44:10 ID:VYtD85tS
そういう事じゃなくて一次史料だろうが逸話だろうが
信者アンチ何れも自分に都合のいい話のみ信じたがったり
曲解する奴がいて、そういう奴はどの武将のスレにもいるって事だろ。
521人間七七四年:2010/12/18(土) 19:47:46 ID:ux798By3
東條英機

部下はマシだけど
522人間七七四年:2010/12/18(土) 19:48:37 ID:q3aReEzX
どの史料や逸話が正しいかなんて、タイムマシンが発明されるまで分からないからなw
523人間七七四年:2010/12/18(土) 20:09:28 ID:aiRuD5wP
石田三成に関しては敗者だから権力者に好き勝手ねつ造されてきたから真実はわからないわな
ただアンチがほざく姑息で陰険な人物なら秀吉は重用しなかったし島左近ら豪傑たちも仕えなかったはずだ
いつまで徳川がねつ造した史実を間に受けてるんかいな
524人間七七四年:2010/12/18(土) 20:11:46 ID:q3aReEzX
「徳川が捏造した史実」も主観だからなあ
真実の歴史なんて誰にも分からん
だから面白い
525人間七七四年:2010/12/18(土) 20:16:19 ID:VYtD85tS
全部徳川の捏造というのも馬鹿げた話だが
まあ、憎まれ役のポジションだったのは事実だから
ねじ曲げられて描かれる事が多いのは確かだな。

流石に忠義の臣がどうだなんて今更言うつもりは無いが
最近はいきなり出てきて第三者装って三成批判してる側のが正しい
とかいう、「お前は何を言っているんだ」的な主張してる奴がよく湧いてくる気がするな。
526人間七七四年:2010/12/18(土) 23:10:41 ID:YE85PgW3
批判してる人だけで議論したらソースもあって検証もしっかりされた
すばらしい議論になるってことか。それならそれで良いんじゃないかな。
527人間七七四年:2010/12/18(土) 23:35:55 ID:efA6axdN
そんなスレでも何故相手がそう思ったのか考えたり、自分以外の視点がわかったりすると面白い
正しいと思えるかどうかは別として

どの人物でもそうだけど
何百年経った今でも議論されていたり世間の評価が変わったりと一定ではないからね
生まれた年や死んだ年ですら正確にはわからないという現状では・・・道のりは険しい
528人間七七四年:2010/12/18(土) 23:38:40 ID:y0dj8fp5
関ヶ原での奮戦と、家臣団構成も史実じゃないとか言い出す奴が出てきそうで怖い
529人間七七四年:2010/12/18(土) 23:43:43 ID:lFJWT4Oj
>>528
奮戦否定なら、桐野作人が島津家の史料を基に唱えている
530人間七七四年:2010/12/18(土) 23:50:47 ID:ZfGUceFJ
金吾の寝返りで勝てたのが定説だが
どうなんだろ
531人間七七四年:2010/12/19(日) 00:08:11 ID:Y6cy4kzr
>>523
加藤清正に関しては敗者だから権力者に好き勝手ねつ造されてきたから真実はわからないわな
ただアンチがほざく屑で馬鹿な人物なら秀吉は重用しなかったし飯田覚兵衛ら豪傑たちも仕えなかったはずだ
いつまで徳川がねつ造した史実を間に受けてるんかいな

福島正則に関しては敗者だから権力者に好き勝手ねつ造されてきたから真実はわからないわな
ただアンチがほざく屑で馬鹿な人物なら秀吉は重用しなかったし可児才蔵ら豪傑たちも仕えなかったはずだ
いつまで徳川がねつ造した史実を間に受けてるんかいな
532人間七七四年:2010/12/19(日) 00:19:48 ID:PSpEem8s
>>528
>>429
奮戦に関しては疑問符がつく
533人間七七四年:2010/12/19(日) 00:24:08 ID:41aspXZt
>>532
そういうのもそれをポンと投げて終わりじゃなくて、書いたのは何者なのかとか
背後にどういう意図が考えられるかとか付いてないと意味が無い。
>>520の指摘する通り、信じる者は信じるし、信じない者は信じないで終わり。
534人間七七四年:2010/12/19(日) 08:01:57 ID:MgKJtDqx
>>532
石田三成を徹底的に貶めた石田軍記ですら石田隊の善戦は隠せず江戸幕府から発禁処分にされている
善戦は隠しようが無いよ
それにしてももし明治維新が徳川幕府中心の政権だったら石田は徹底的な悪として今もたたかれていただろうな
徳川家康は今も神格化されているだろうし
どっちもどっちなのに日本を徹底的に悪として教えている中国朝鮮と同じ輩だな徳川は
535人間七七四年:2010/12/19(日) 08:45:45 ID:jLpW6zWp
新政権が旧政権を悪として描くのは世界共通じゃないの?
536人間七七四年:2010/12/19(日) 09:22:03 ID:6gOw13S6
>>534
残念だけど、石田軍記は軍記物語。所詮文学であって、史書ではない。
文学である以上、敵役は相応に強い方が面白いからね。
それをもって、三成が善戦した証明にはならない。
537人間七七四年:2010/12/19(日) 09:40:51 ID:MgKJtDqx
関ヶ原合戦で圧倒的な数で東軍が攻めてるのに互角という時点で石田隊の善戦はかくしようがない
そんなに石田を否定したいのかいな加藤ファン
538人間七七四年:2010/12/19(日) 10:12:33 ID:IEY+LUwu
家康は今でも狸爺とか言われてるし、戦国の仮想戦記でも殺されるのがほとんど

ほんとに嫌われてるよな
539人間七七四年:2010/12/19(日) 10:14:33 ID:6gOw13S6
別に加藤ファンじゃないよ。石田善戦を否定する気もない。
ただ、石田隊善戦の真偽に焦点を当てた議論であれば、
石田軍記を出すのはマズイでしょ。

いくら、石田を貶めた文献とは言え、物語は物語。
540人間七七四年:2010/12/19(日) 10:42:25 ID:42HFYflo
>>537
圧倒的な数なのかは不明
第一、双方の兵数すらよく解っていないんだし
541人間七七四年:2010/12/19(日) 11:41:36 ID:jaNk5+rD
その「三成の奮戦」なるものを後ろから見ていた島津家の記録

「石田殿、一時(2時間)もこらえず候て、中書様(島津豊久)陣場へ崩れかかり候」
『大重平六覚書』

「防戦よふなく柴田(島左近か)即時に敗軍すれば、石田軍皆陣破れて敗北す、然れば午の刻(正午ごろ)の事なるか」
『帖佐彦左衛門宗辰覚書』


開戦して2時間ほどで崩れている。これを奮戦とは言いがたい。
数字通りに劣勢になって数字通りに負けたということだ。
542人間七七四年:2010/12/19(日) 11:46:40 ID:MgKJtDqx
>>538
別にとやかく言うほどの名将でもないのに間違って天下をとってしまった人物だから仕方ない
そもそもあれだけ秀吉に忠義を誓ったのに天下纂奪、挙げ句難癖つけて豊臣家を滅亡させさらに秀吉の墓まで壊して自分は神に祭らせて
最悪ですよ
正義の幸村に成敗させたくなるわな
543人間七七四年:2010/12/19(日) 12:00:54 ID:42HFYflo
>>538
単に仮想戦記の米軍ポジションだからに過ぎない
544人間七七四年:2010/12/19(日) 12:01:24 ID:6gOw13S6
>>542
で、三成善戦の話は?
一次史料とは言わないから、何か提示しようよ。

>関ヶ原合戦で圧倒的な数で東軍が攻めてるのに互角という時点で石田隊の善戦はかくしようがない

とまで断言してるんだから、論拠として引用したものがあるんでしょ?
545人間七七四年:2010/12/19(日) 14:54:54 ID:KDe9DJ4l
>>526
何でそういう方向にいくんだか
546人間七七四年:2010/12/19(日) 15:11:16 ID:jLpW6zWp
>>542
難癖じゃねえよw
547人間七七四年:2010/12/19(日) 15:20:18 ID:IcUg+wBz
>>542
アンチ家康厨乙
548人間七七四年:2010/12/19(日) 23:40:56 ID:e2pF3g4d
>>542
現実は豊臣の政が悪いため支持が離れたから家康に成敗される羽目になったのにねw
549人間七七四年:2010/12/20(月) 02:21:52 ID:4dS1GxLY
↑そんでもって268年後(関ヶ原から数えて)に毛利島津長宗我部に倒されるわけですね
550人間七七四年:2010/12/20(月) 07:46:00 ID:q22Cz1Es
260年以上も後の事に、必然性を持たせるのは余りにナンセンス。
後付けすぎるにも程がある。
551人間七七四年:2010/12/20(月) 09:50:53 ID:4dS1GxLY
↑倒幕は徳川に恨みのある毛利や島津、長宗我部(下士)による犯行
むしろ将軍を殺されなかっただけでもありがたくおもわないと(小栗、近藤処刑は将軍の身代わり)
552人間七七四年:2010/12/20(月) 10:07:41 ID:h8ZkJf7S
島津や毛利が徳川に恨みって事自体が俗論俗説
長宗我部侍にいたってはw
というか↑大好きなID:4dS1GxLYに関しては鼻で笑う以外の感想を
抱いたことがない

なんでそんなに馬鹿なの?勉強したこと無いの?
553人間七七四年:2010/12/20(月) 12:05:56 ID:szPlkxui
将軍の身代わりに近藤ってwww
554人間七七四年:2010/12/20(月) 12:47:43 ID:4dS1GxLY
なんかすごい人達が住み着いているって感じ
勉強不足ておめーらじゃん?
そもそも毛利は手を出さなければ本領安堵という条件なのに領土を三分の一までへらされた挙げ句萩みたいなウルトラ田舎にホームタウンに移されて、
それ以来正月に家臣が藩主に倒幕をしょうかしまいか質問する儀式ができたらしいし少なくとも恨みは大有りだろう
島津は本領安堵されてたからそうでもないけどただずっと幕府にいじめられ続けたから恨みが無い事はない
実際維新から数十年前、全く関係ないのに長嶋地区近くの治水工事を藩が全額負担でさせられ何十人も命を落とし責任者は切腹させられてるのに幕府からはありがとうの一言すらなかった事(地元では今も感謝して友好関係を築いているが)も一因と言われている
なお幕府は島津を警戒して何代にも渡って政略結婚させて島津家そのものを乗っ取っているらしいがいくら藩主自本人を徳川寄りにしても家臣らが反幕ではどうしょうもない(西郷大久保らの暴走)
長宗我部侍に関しては徳川の為に惨めな下士にさせられて(長宗我部時代は農民と武士をゴチャゴチャにしたような身分だってのが山内時代は正式な武士にしてもらったわけだが)山内が連れてきた上士に人間扱いされなかったのは人間としてプライドが許さなかった
そして天皇を立て本気で打倒徳川に立ち上がった
史実がどうの俗論がどうのって呆れてものが言えない
ハイスクール鬼面組の天野邪子さんですかあなたは(人と反対の事ばかりするキャラ)
555人間七七四年:2010/12/20(月) 12:55:16 ID:4dS1GxLY
>>553
本来は百姓上がりの近藤みたいな雑魚など公開処刑するほどの値打ちすらないが将軍を助命してやった怒りの矛先を向けたかった(とくに長州に)から彼を身代わりにした感じはいがめない
また小栗は徹底抗戦しょうと頑張っていた男
彼に幕府軍の全権を渡していたら幕府が勝っていたという説もある
少なくとも日本そのものが大混乱に落としいれていたのは間違いない
そんな男を野放しにはできなかったから殺した
彼も将軍の身代わりであることに変わりない
556人間七七四年:2010/12/20(月) 13:07:24 ID:h8ZkJf7S
ああわかった。ID:4dS1GxLYの知識ベースは全部司馬遼太郎だ。
司馬遼太郎のつくり話を信じ込んでいるからあんなわけのわからん歴史感に成るわけか。

小説は作話だということを先ず学ぼうな。話はそこからだ。
557人間七七四年:2010/12/20(月) 14:30:12 ID:szPlkxui
>>554
懐かしいな鬼面組。初めてのオナキャラは唯だった。
558人間七七四年:2010/12/20(月) 15:06:35 ID:kqKE/LqP
三成素人のおいらが昨日佐和山に登山。

国道8号を南下し、ときたまiPhoneをみて「そろそろかなー、標識あるかなー」と思っていた矢先に
「佐和山トンネル」に入り、あらびっくり。トンネルをでた左手に駐車するのに充分な場所を発見、
とりあえずクルマをそこに停め、道路の反対側の看板で目の前の山が佐和山であることを確認。
クルマを置いていいか尋ねようと呼び出し式の博物館のベルを鳴らしても返事なし。

仕方ないのでそのまましばらく登山、あまりにも鬱蒼とし、狭い山道にびっくり。
300mくらい進んだところで迷子になりそうなので戻ってきました。

決して観光できるような場所ではないというのは事前にウィキなどで知ってたけど、まさかあれほどとは。
その後彦根城が見事に整備され、近くの駐車場は満杯なのをみると、山城と平城の差こそあれ、
この扱いの差に「天下分け目」という言葉の大きさを実感しつつ帰路につきました。チラ裏。


そのあと安土城跡にも寄ったのですが、駅前博物館の中の人のおばちゃんに
佐和山に寄ってきたことをいうと、「私は行ったことがない」とw。まあ信長とのつながりを考えたらそんなもんかな…。
559人間七七四年:2010/12/20(月) 17:05:01 ID:4dS1GxLY
↑まあ最近こそは三成で売ろうとい感じになりつつあるけどいまだに井伊万歳の土地柄だからな彦根市は
ちなみに佐和山近くの博物館は地元の金持ちが建てた?な建物だからな
それにしても本丸跡まで行かないのはもったいない
現代の大砲なら一撃で彦根城天守閣を破壊できる展望なんだけどな
こんなにいい立地条件を無視して彦根城を建てたってよほど石田を妬んだわけですな井伊は
ほんま小さいな井伊は
560人間七七四年:2010/12/20(月) 17:07:00 ID:4dS1GxLY
>>556
作り話ってwww
だいたい倒幕なんてよほどすごいエネルギーがなければできないよ
561人間七七四年:2010/12/20(月) 17:09:51 ID:eExDVuup
山城は使い勝手が悪いだけ
562人間七七四年:2010/12/20(月) 17:57:43 ID:3sZ8Apod
結局、彦根城なんて糞の役にも立たなかった訳だが
563人間七七四年:2010/12/20(月) 18:23:19 ID:szPlkxui
>>559
平和な時代は山城より平城
564人間七七四年:2010/12/20(月) 20:49:53 ID:H1Qu3v/J
>>554
で、三成善戦の話は?
話逸らさないでさ。

>関ヶ原合戦で圧倒的な数で東軍が攻めてるのに互角という時点で石田隊の善戦はかくしようがない

論拠として引用したソースは何なのさ?
まぁ、結局ソースは小説なんだろ?
司馬遼あたりの。

君はよく半島の人を貶めてるけど、作り話根拠な当りは同じレベルだよ。
565人間七七四年:2010/12/20(月) 22:13:37 ID:eU25Lr9h
>>549 けど今でも皇室の結婚式に出席する武家代表は徳川家と前田家だから徳川家は超超勝ち組だよね
566人間七七四年:2010/12/20(月) 22:14:19 ID:4dS1GxLY
↑石田善戦の理由は
領地に国友鉄砲村を抱え膨大な銃器類を手に入れる
腕に聞こえたサムライたちを多く雇い入れた事などが上げられる
567人間七七四年:2010/12/20(月) 22:16:12 ID:h8ZkJf7S
>>566
だからそのソースを出せよ
568人間七七四年:2010/12/20(月) 22:16:13 ID:4dS1GxLY
>>565
だからあの時江戸を火の海にしておけば
徳川が豊臣に対して行った仕打ちを考えれば甘すぎる
569人間七七四年:2010/12/20(月) 22:23:06 ID:QdHMFV+j
関ヶ原合戦は最初のうちは両軍はだいだい四万ぐらいの互角の兵力で戦っていたけど
小早川が西軍を攻め始めてから家康が本隊3万を投入して圧勝した戦
最初から家康本隊も戦っていた思ってたんじゃないの554はね
570人間七七四年:2010/12/20(月) 23:24:34 ID:2DGahIeq
善戦というけど東軍側には全然死者も出ていないし、たかが数時間耐えただけでしょ
その程度でいいならどんな戦だって善戦した軍がいることになる
むしろ長篠の武田軍や山崎の明智軍よりも石田軍は善戦していないよなw
571人間七七四年:2010/12/21(火) 00:18:09 ID:tPjhOqiT
まあ、三千程度の石田勢を
1万以上あった明智や武田とごっちゃにするのはよくないな
572人間七七四年:2010/12/21(火) 00:44:00 ID:YQTn21XX
ガップリぶつかった相手も2万も3万いるわけじゃないから同じ事。
573人間七七四年:2010/12/21(火) 01:49:26 ID:tPjhOqiT
武田勝頼 1万5千 vs 織田・徳川連合軍 3万
明智光秀 1万2千 vs 羽柴秀吉軍 3万余
石田三成 6千    vs 黒田・細川・加藤ら 2万余

石田三成とぶつかったのは
黒田長政 5千
細川忠興 5千
加藤嘉明 3千
田中吉政 3千
京極高知 3千

この辺りじゃなかろうか
574人間七七四年:2010/12/21(火) 08:41:13 ID:plj1CbXT
>>568
国益を考えろw
575人間七七四年:2010/12/21(火) 10:39:46 ID:DBtPfNIY
>>568
>徳川が豊臣に対して行った仕打ち

豊臣だって落ちぶれる前は戦争だの粛清だのやりまくっていただろw
豊臣自身が散々やってきたことをやり返されただけなのだからたいしたことではない
むしろ豊臣が誕生してから行ってきた仕打ちの総量を考えたら家康は抑えてあげているくらいだ
576人間七七四年:2010/12/21(火) 13:53:56 ID:plj1CbXT
山岡宗八の描き方は酷い
577人間七七四年:2010/12/21(火) 17:41:26 ID:ojAShCxy
>>575
秀吉はお取り潰しされても仕方ない島津や長宗我部に対し本領安堵してやるという優しさを見せている
それに比べ徳川は長宗我部を容赦なくお取り潰し、本領安堵のお墨付きを与えていただけ毛利を大幅削減させるわ小大名クラスは遠慮なくお取り潰し
おっかない島津だけは怖いから現状維持しているがな
秀吉はチョン成敗と秀次一派粛正以外はとくに失政はないと思うけどな
578人間七七四年:2010/12/21(火) 17:43:20 ID:ojAShCxy
>>576
さらにそれを漫画化した横山ミッチェルには頭きた
あの作品と伊達の作品で彼が嫌いになった(ただのプチ信長を英雄だあ)
579人間七七四年:2010/12/21(火) 18:23:55 ID:plj1CbXT
山岡の史実ガン無視は相当なレベル
そういうものと割り切って読めば面白いけど
580人間七七四年:2010/12/21(火) 23:12:11 ID:WgILo1Mc
>>577
で、お前は結局ソース出さないわけか。
逃亡しないあたり、厚顔無恥そのものだな。

三成ってのはあれだな
結局、作り話じゃないとカッコがつかない武将なんだな。
581人間七七四年:2010/12/21(火) 23:33:49 ID:SU+Iyn4P
>>577
島津や長宗我部は本領安堵なんてされてないだろう
領土減らされているじゃないか

>>580
三成のやった事て他の武将との共同でやった事がほとんどだよな
太閤検地も増田と共同で任されてるし、四国・九州・小田原の兵站も長束が奉行になってるし
何か関ヶ原起こしたから(これも他の武将との共同)
すごい事単独で任されたみたいになってるけど
結局は誰かと一緒でないと事を起こせない人間だと思う
582人間七七四年:2010/12/21(火) 23:45:28 ID:ht1kh1WC
秀吉の五奉行評を見ると、三成はどっちかって言うと、
政治手腕より忠誠心を高く評価されてたみたいね。
583人間七七四年:2010/12/21(火) 23:46:48 ID:plj1CbXT
1人で事を起こせる人間なんて存在しないだろw
584人間七七四年:2010/12/22(水) 00:16:50 ID:kUox2c2t
「誰かと一緒じゃなくても事を起こせる人間」って誰?
585人間七七四年:2010/12/22(水) 00:51:20 ID:J0BHoMxo
>>583>>584
そんなもん意思解釈しとけや、くだらん。

普通、議論の本命にするなら、

>太閤検地も増田と共同で任されてるし、四国・九州・小田原の兵站も長束が奉行になってるし

こっちじゃないの?資料引っ張り出して反論すべきはさ。
子供のおままごとレベル。
586人間七七四年:2010/12/22(水) 02:05:52 ID:kUox2c2t
反論する気にならんよw 低レベルすぎて
587人間七七四年:2010/12/22(水) 02:46:21 ID:J0BHoMxo
>>586
>「誰かと一緒じゃなくても事を起こせる人間」って誰?
こんな事言ってて、低レベルとかマズいっしょw
588人間七七四年:2010/12/22(水) 02:49:57 ID:9daA81J5
第三者から見ればハナクソとミミクソどっちが汚いかって聞いてるようなもん
589人間七七四年:2010/12/22(水) 06:29:20 ID:qjbfJcla
>>581
俺が言うてるのはほんまの意味での本領て事
長宗我部はもともと土佐だけの大名だし(もっと言えば高知市内と周辺だけ支配していたに過ぎない)島津はせいぜい薩摩と大隅だけ(もっと言えば薩摩の一部だけ)
本来はあ北条のようにおとり潰しされても文句言えないのにあれだけの領土を残すなんて天下人としては甘すぎるな
俺が秀吉なら島津はせいぜい薩摩の一部10万石だけ残し長宗我部もせいぜい6万石しか残さないよ
さらに伊達に対しては容赦なく切腹させて息子には10万石だけ残してやる
さらに大国毛利徳川上杉もこのままにしておけないし(室町の義満のように)結局糞の役にも立たなかった前田も80万石はやりすぎだし
総計500万石を豊臣直轄領にして天下の安泰を計るだろうな
そもそも豊臣直轄領が当時の徳川より少ない250万石しかないって秀吉て馬鹿なの?
590558:2010/12/22(水) 07:51:54 ID:EbIpo9Q8
>>559
なるほどー。今回はお仕事の帰りで他にも寄りたいところが何箇所かあったので
時間が取れなかったのですが(実際彦根城も場内の道路を走っただけでした)、
次の機会には迷子にならないようにマッピングしながらw本丸を目指したいと思います。
591人間七七四年:2010/12/22(水) 08:51:26 ID:kUox2c2t
>>589
凄いね
592人間七七四年:2010/12/22(水) 11:27:47 ID:IMJ1JjKB
>>589
>俺が秀吉なら

君が秀吉なら死ぬまで農民のまま
なんのバックボーンも持たない秀吉には地方の大大名に大領を保証して支持を集める必要があった
総計500万石を豊臣直轄領にしようなんてしたら各大名に抵抗されて死ぬまで天下人になれないし
一人でそんなに石高を独占しようとすれば譜代の家臣がいない秀吉には人が集められない
593人間七七四年:2010/12/22(水) 12:39:56 ID:kUox2c2t
天下人になるどころか滅ぼされるかもw
594人間七七四年:2010/12/22(水) 13:35:58 ID:w0U1lxQ0
家康に配慮し過ぎた気はする
595人間七七四年:2010/12/22(水) 17:37:29 ID:qjbfJcla
↑家康くらいはつぶせるでしょう
チョン成敗はやめてな
偽北条を滅ぼせる豊臣家ならできるはず
お江を輿入れさせたのは失敗したな
そのおかげで関ヶ原で淀が本気で石田に荷担できなかったしな
596人間七七四年:2010/12/22(水) 17:39:34 ID:kUox2c2t
同意
597人間七七四年:2010/12/22(水) 18:51:25 ID:qjbfJcla
しかし淀の考えがわからないな
なぜ石田らに軍資金を出さなかったのか
そもそも徳川よりなら大阪城を明け渡す事などしないはずなのにな
大阪城を明け渡した段階ではもう石田らに全面協力しあわよくば自ら秀頼(秀頼自体は影武者でいい)を連れて大垣城まで行っていたらさすがに東軍に勝ち目は無いのになぜどちらが勝っても豊臣には関係無いて態度をとったのか理解できない
徳川ひいきとして絶対に大阪城を明け渡さない態度なら石田らは戦いをするまでも無く瓦解するのにな
片桐とか馬鹿なのか
598人間七七四年:2010/12/22(水) 19:11:44 ID:w0U1lxQ0
淀が権力を握るのは関ヶ原後
599人間七七四年:2010/12/22(水) 19:56:19 ID:kUox2c2t
>>597
どちらが勝利するか判断できない以上、どっちが勝利しても生き残れるように動くのが当然じゃね?
関が原の際の淀の行動は正解と思う
大阪の陣では間違った判断して滅びてしまったけど
600人間七七四年:2010/12/22(水) 20:30:24 ID:qjbfJcla
よくドラマで淀が石田三成をけしかけたとか描かれてるがええ加減史実を無視してほしくないな
601人間七七四年:2010/12/22(水) 20:50:38 ID:6RDj4Iis
そもそも、淀が豊臣家の最高実力者になったのって、
関ヶ原で豊臣家の実力者が軒並み死ぬか没落するか家康に屈服するかして、
淀より強い人物がいなくなったからってだけの理由なんだよね。
602人間七七四年:2010/12/22(水) 20:59:06 ID:qjbfJcla
黒田如水を大名として独立させず豊臣本家の筆頭家老に固定して政治を任せていたら豊臣は安泰だっただろう
石田も黒田にはごますって彼といいコンビを結成していたかも
家康如きでは太刀打ちできないだろうな
黒田を敵にまわしたのは秀吉の失策
603人間七七四年:2010/12/22(水) 21:09:42 ID:kUox2c2t
如水に100万石くらい与えて大老の筆頭にするのか
家康以上の危険人物になりそうだなw
604人間七七四年:2010/12/22(水) 21:28:22 ID:6RDj4Iis
野心と能力満点の官兵衛を豊臣家の筆頭家老なんかにしたら、
家康じゃなくて、官兵衛が豊臣を乗っ取ろうとしただろうな。
605人間七七四年:2010/12/22(水) 22:49:51 ID:pSzeQOfw
>>597
三成基準で考えてるからおかしいんじゃないの
そもそも三成たちの挙兵なんて何の相談もされていないのだから
軍資金を出すもなにもないだろう
それに大阪城を明け渡してなんてない
606人間七七四年:2010/12/23(木) 01:19:20 ID:paMC+4MW
じゃあなんで総大将毛利が大阪城に居座っているんだ?
607人間七七四年:2010/12/23(木) 01:29:09 ID:paMC+4MW
如水は石高は与えずあくまでも豊臣旗本筆頭という形
石高よりも権力を与えればそれで十分
そもそも豊臣旗本てまともなやついねーしな
片桐なんざただのゴミくずだし
そこに如水がいれば
さらに陰謀家の石田三成が加われば徳川は防戦一方だろ
そもそも豊臣恩顧大名にとって如水はカリスマ的存在だから石田三成の時みたいに襲撃もなかなかできないだろうし
秀吉は如水を恐れて九州の小大名に留めたがむしろ身内方につけた方が良かった
鎌倉幕府でいうところの平頼綱(ドラマではあのヤクザ俳優北村いっきが演じたやつ)的存在か
もっとも平は最後、執権定時に滅ぼされるがな
608人間七七四年:2010/12/23(木) 02:26:45 ID:7BBYLK0y
>>606
大老である毛利が大坂城に来ること自体は問題ない
きちんと人質を差し出して本丸に立ち入らないことを条件にして大坂城にいるだけだ
別に毛利が大坂城を支配したわけでもないし、大河でよくある輝元と秀頼が一緒にいるシーンは間違い
609人間七七四年:2010/12/23(木) 08:34:06 ID:oBnHkbnF
軍勢を率いて大阪城にいるって事が問題なんじゃないのか?
610人間七七四年:2010/12/23(木) 11:21:22 ID:6Rwf/p8j
三成自身が如水と仲悪かったのに、協力するとか無理だろう。
それで、パパン大好き長政にも恨まれて、長政はせっせと家康のために働くことになったわけだし。
611人間七七四年:2010/12/23(木) 15:13:37 ID:9maihntz
>>607
>そこに如水がいれば
>さらに陰謀家の石田三成が加われば徳川は防戦一方だろ

詳しく聞きたい。
612人間七七四年:2010/12/23(木) 17:02:08 ID:GTVgjhi8
如水そんなにお人よしじゃないと思うw
613人間七七四年:2010/12/23(木) 17:10:54 ID:paMC+4MW
>>611
黒田親子なら福島加藤ら単純ばかを取り込むのは簡単だろ
策謀家の三成も徳川など大大名に謀反を企んだという濡れ衣を着せる事なんか朝飯前だし
ほとぼりが冷めたところでどちらかが粛正されたりして
ちなみに黒田親子が中立なら石田方が勝利した可能性は高いとおもうよ
614人間七七四年:2010/12/23(木) 17:15:35 ID:paMC+4MW
考えてみれば徳川家康に数々の陰謀をめぐらせる事はできないだろう
黒田長政や本多(性格の悪い方の)などにそそのかされて天下をとりにいっただけ
福島加藤らが尻尾振ってすり寄らなかったら何もできなかっただろうな
(わしなんか天下とっちゃっていいのかい)ていうのが彼の心境だったかも
615人間七七四年:2010/12/23(木) 19:18:36 ID:lTfvdEya
>>613>>614
お前さ、1つだけ聞きたいんだけど。
遡れば、加藤福島が単純・馬鹿でない事を証明してるレスがあるよな。
お前に対して、ソース付きで。

それらは一切無視して、単純馬鹿を繰り返してる理由は何なの?
史実で話をしたいんじゃないのか?
616人間七七四年:2010/12/23(木) 19:34:24 ID:w4+NhJne
>>613
>>614
まず、三成と如水が組む事が有り得ないって事を理解してもらおうか。
如水は三成と犬猿の仲だし、如水が家康と対立するとしたら、
つながりのある武功派の諸将を頼りにする事になるから、彼らと対立する三成とは手切れせざるを得ない。
また、如水が三成の上に立てば、家康を破ったとしても、
次の天下人が如水になるだけで、三成とともに豊臣家を盛り立てるなんて事は無い。
それが分からない三成でも無いから、如水と三成は絶対対立する。
つまり、如水と三成の利害が一致する事は有り得ないから、この二人が手を組む事もありえない。
617人間七七四年:2010/12/23(木) 23:20:40 ID:z5SCTmsS
どうも三成(西軍)ひいきて、こういう痛い奴がチラホラいる気がするんだよな
618人間七七四年:2010/12/23(木) 23:50:25 ID:eUk5Q0GG
どっちかって言うと謀略の類では、打つ手がいつも裏目に出てる三成を、
「陰謀家」って言ってのけるところで、ID:paMC+4MWがいかに脳内イメージだけで語ってるかが良く分かる。
619人間七七四年:2010/12/24(金) 00:02:21 ID:paMC+4MW
↑ま秀吉の死以降はな
秀吉という虎の衣を借りてやりたい放題してきた(と思われてる)三成よりも秀吉の死で態度が豹変する秀吉恩顧大名の方がみっともないと言えなくもないがな
ま家康の予想を超えた勢力を作り上げた三成を陰謀家と言わずなんと言うのかな(このスレの人間は三成を過小評価して加藤を過大評価したい人が多いみたいだがな
620人間七七四年:2010/12/24(金) 00:03:27 ID:paMC+4MW
ちょっと日本語が変だけど意味はわかるよね
621人間七七四年:2010/12/24(金) 00:13:24 ID:NHz/hJSt
三成も毛利にも恩はないし
622人間七七四年:2010/12/24(金) 00:14:32 ID:xg0XjRfM
いやなんつーか、三成は陰謀家とか策略家って感じではないような
頭いいのは確かなんだろうけど
623人間七七四年:2010/12/24(金) 00:27:21 ID:ETaBAuzf
>>615
要はさ、
>>613>>614>>619あたりはさ、小説を史実と思ってる無知なわけよ。
所謂、半島系と人達と同義ね。

知識がないから議論はお手上げ。ソースは出せない、出典知らない。
で、周辺の武将(加藤・福島・金吾等)を出して、防護壁にしてるわけよ。
三成自体の議論をかわすために、加藤擁護者等を煽ってるワケね。

まぁ、エリート(と思っている三成)に憧れてる馬鹿だから許してやってよw
624人間七七四年:2010/12/24(金) 02:59:55 ID:7/w3TSqG
家康が集めた上杉討伐の後詰めを毛利という虎の威を借りた三成が西軍に仕立てただけ
家康の誤算は輝元の腰の軽さの方かもな
625人間七七四年:2010/12/24(金) 06:03:48 ID:176xo/t3
>>623
こっちの人の方が半島系に思えるんだけどな
司馬遼太郎より自分は賢いと思ってるようだし
626人間七七四年:2010/12/24(金) 08:08:57 ID:XBZhUmSW
>>619
作り上げた先から崩壊してるけどなw
627人間七七四年:2010/12/24(金) 12:31:48 ID:fWCNriOT
家康の天下取りを秀吉に例えるなら、三成に課せられた仕事は光秀や勝家になることだから
立派に務めを果たして負けてくれたでしょ
東軍にも山崎や賤ヶ岳に参加した大名は多いから
その時と同じ感覚で三成を倒したのだろう
628人間七七四年:2010/12/24(金) 19:20:11 ID:176xo/t3
そして冷遇されるという事ですね
629人間七七四年:2010/12/24(金) 19:55:21 ID:6Hk+5Cl2
>>625
司馬遼太郎の小説は読まんけど、三成と黒田親子が不仲じゃないとか、
黒田に権力やったらまずいって、同時代の人間みんなが思ってた事をスルーとか、
不器用気味な三成が策謀に長けてるとか、
黒田長政や本多正信が家康に天下取りをそそのかしたとか、
そういう内容なら、司馬遼太郎は歴史無視した創作だとしか思えんわ。
630人間七七四年:2010/12/24(金) 22:07:06 ID:AGvFVl5v
黒田が恐れられてた云々も同時代史料には出てこない後世ネタだけれども
631人間七七四年:2010/12/24(金) 22:12:41 ID:85yNNci2
如水が12万石だったのは、冷遇とか言われてるけど、
秀吉古参の中じゃ多く領地もらってる方なんだよね。
宮部ほどの功臣ですら、10万石貰ってないからな。
本当に恐れてたら、秀吉の性格なら改易するか殺してるだろ。
632人間七七四年:2010/12/24(金) 22:57:38 ID:NHz/hJSt
片手しか出さない奴はそんなもんだろ、両手出せば30万石↑行けたかも知れんが
天下取るには両手出してさらに奥の手が背中から生えるくらいのもんじゃないと無理
633人間七七四年:2010/12/24(金) 23:16:28 ID:176xo/t3
なんかやたら史実がどうのこうのって書いとるけどその史実なんて権力者の好き勝手でどうのこうのできるんだよ
現代社会だって中国や韓国アメリカと自分たちに都合のいい歴史を日本人に押し付けてるし
そんな史実なんか意味ないじゃないの?
だいたい三成は関ヶ原の時、膨大な手紙を各大名小名に送っているのに親戚の真田しか残していない(しかも真田はその手紙のために家臣らが268年間も24時間寝ずの番をしてその手紙を守っていたというくらいだからな
それなのにいちいち史実が史実がって、、
634人間七七四年:2010/12/24(金) 23:21:43 ID:MrKNnDKk
>>633
司馬の小説の歴史観で話したかったら、司馬スレで好きなだけ語ってきたら?
さすがに戦国板で司馬の小説をもとにした妄想語られても困るわ。
635人間七七四年:2010/12/24(金) 23:31:58 ID:XBZhUmSW
>>633
ここは戦国板だからな。史料基準で話すのが普通。
636人間七七四年:2010/12/24(金) 23:44:54 ID:L5bRFIX4
>>633
このスレで何の話をしたいの?
小説や講談の三成について話がしたいなら、スレ違いも甚だしい。
637人間七七四年:2010/12/25(土) 05:37:16 ID:YCcvhwah
じゃその史実の三成てどんだけわかってるのかな?
徳川が268年間つき続け
た嘘を鵜呑みにしてるだけでしょ(笑)
638吉崎俊雄 ◆FCa.QMH14U :2010/12/25(土) 05:53:38 ID:RJS8CJSL
>>633お前の言いたいことはよく分かるわ
戦国板の奴らは大河ドラマにまで史実を求めるようなアホばっかや
俺も最初は歴オタのそういう高飛車な態度が気になってたが諦めた
歴史の知識が少ない者にたいしては徹底的にコケにするよな書き込みするしな
資料と向き合うことでしか歴史にアプローチ出来ん頭の固い連中ばかりやからな
しかもそう奴らが参考にしてる資料が史実に基づいてる根拠もないからなw
639人間七七四年:2010/12/25(土) 06:17:10 ID:KS4Yjgba
嘘も真実も治部殿は凡将愚将でしょ
640人間七七四年:2010/12/25(土) 06:26:13 ID:YoALuxbH
>>637
>史実の三成てどんだけわかってるのかな?
その質問をアンチ側へするのはオカシイでしょw

>>638
自演、お疲れ様。
史実を求めないで、妄想世界のエリート三成を議論するのもアリだと思うよ。
それは別の場所でやれ、という話だよ。

>しかもそう奴らが参考にしてる資料が史実に基づいてる根拠もないからなw
一次史料かどうかは置いといて、史料を提示してるだけお前さんよりは遥かにマシ。
悔しいなら、提示された史料を否定・批判しなきゃ。的ハズレすぎるよw
641人間七七四年:2010/12/25(土) 06:46:06 ID:wuRjWii3
真田幸村が人気あるのも徳川幕府のせいですね
642人間七七四年:2010/12/25(土) 07:28:02 ID:YCcvhwah
真田は徳川時代どういうように書かれてきたのかな?
石田と違い真田は徳川時代をずっとお取り潰されずすんだけど(実は途中で将軍の息子を養子に受け入れている、つまり乗っ取りにあっていたわけだ、それでもお取り潰しよりははるかにましだけどな)
石田と違い徹底的に悪者として描かれる事はなかっただろうけど
643人間七七四年:2010/12/25(土) 08:09:04 ID:vnqqdX/h
>>638
戦国板以外に書き込めw
644人間七七四年:2010/12/25(土) 10:21:51 ID:0FktU+c+
>>638
資料に向き合わずしてどうやって歴史にアプローチするんだよ
小説か?ゲームか?漫画か?どれも資料と向き合った上での作者の妄想だぞ
645人間七七四年:2010/12/25(土) 12:44:14 ID:ERpvuv5a
戦国板というもの全体でも間々見られるが、三成に関しては特に、
不勉強な奴が思い込みを声高にまくしたてて、それを指摘されると逆ギレする、
という現象が多く見られるな。
大変興味深い。迷惑だが。
646人間七七四年:2010/12/25(土) 19:29:25 ID:gU3pnQQf
三成って、資料から見ると、いい奴で真面目で忠義者で仕事はできるけど、
融通がきかなくて空気読めない男だろ
だから、信者も多いけど敵も多い
647人間七七四年:2010/12/25(土) 19:31:34 ID:Ozn9v70I
アンチ家康多いからな
648人間七七四年:2010/12/25(土) 20:00:15 ID:h79CXKFw
アンチ家康と言うより、無双厨やBASARA厨、陰謀史観厨が、「俺の三成が、こんなちんけな武将のはずがない」という
思い込みから「俺の家康が、この程度の悪党のはずがない。もっと極悪で低劣な奴のはずだ。=史実が改ざんされた」
と叫んでるだけだな。
649人間七七四年:2010/12/25(土) 21:54:10 ID:6zKLVgoD
>>646
以前から疑問だったんだけど。

三成=忠義者って、どこから来てるんだろう?

単純に、豊臣を滅ぼした家康に対抗したから、というだけではないのか?
逸話レベルですら聞いた事ないんだが。
650人間七七四年:2010/12/25(土) 22:52:17 ID:GcKjEfes
>>649
過剰なまでに仕事熱心で忠誠心が厚いって逸話はいくらでもあるけどな。
度が過ぎてめんどくさい域に達してる。三成最大の取り柄と言っていいだろう。
秀吉も「あいつのいいところは真面目でガンガン諫言してくるところ」って言ってるし。
あと、豊臣が滅びるのは三成が死んでから、15年後な。

逸話レベルで見た事ないとか、豊臣を三成が生きてる間に家康が滅ぼしたとか、
戦国板に来るような人間が、何見て言ってんだか理解できんわ。
651人間七七四年:2010/12/25(土) 22:56:52 ID:0FktU+c+
三成が忠臣云々はともかく三成が生きてる間に豊臣云々なんて話なんて出てないんだけど・・・
652人間七七四年:2010/12/25(土) 23:48:39 ID:IY4bTvyd
>>650
「豊臣を(後に)滅ぼした家康」と(事前に)対抗したのが三成だから、結果論として三成が忠義者に見える、って話じゃね?
関ヶ原時点では家康と三成の単なる権力争いなんだけどね、客観的に。
653人間七七四年:2010/12/25(土) 23:54:04 ID:+4yk16qG
>>652
関ヶ原以前の方が忠臣エピソードは多い。
関ヶ原をピックアップして、それを根拠に忠臣イメージになるのは、何か違うと思う。
654649:2010/12/26(日) 00:12:20 ID:lXKaU7jO
>>652が正解。
では、その逸話とやらを具体的に教えてくれ。
仕事熱心=忠誠心が厚い、って事にはならんだろ。
仕事熱心な武将なら、三成でなくとも山ほどいると思うが。

>豊臣を三成が生きてる間に家康が滅ぼしたとか

この辺は返答に窮してしまう内容なんだが、>>652の方が正解。
さすがに、そんな事を知らんバカはいないと思うし、言及する方も如何なものかとw
655人間七七四年:2010/12/26(日) 02:14:05 ID:/ITHv4i+
豊臣恩顧なんて、石田も加藤・福島も結局は保身のことしか考えてなかったのに、豊臣のために〜って綺麗ごと言って言い訳してるようにしか見えない。
さっさと転身した、黒田や藤堂の方がむしろ清々しさを感じるわ。

一番の宝は家臣ですなんて主君に言わせちゃう、忠節の塊のような徳川家臣団とは質が違いすぎる。
豊臣が滅んで徳川が残ったのは当然のことだと思う。

656人間七七四年:2010/12/26(日) 03:00:57 ID:eKU1hrgQ
秀吉個人への忠誠はあつくても豊臣家へは薄いからなあ
いわゆる豊臣恩顧って
657人間七七四年:2010/12/26(日) 03:05:47 ID:XKwC+UBu
658人間七七四年:2010/12/26(日) 07:39:21 ID:lXKaU7jO
>>655
>石田も加藤・福島も結局は保身のことしか考えてなかった
どこからそう判断したんだ?

お前はとりあえずいいから、史実を学んでから出直してこい。

>>657
ゴメン、この辺の逸話は既読のものがほとんどだな。
三成スレの住人なら、皆そうじゃないかな?

で、これらは、職務や組織、法令に対して忠実であり、それを背景とした
高い職務遂行能力について秀吉の信任が厚い、というモノじゃないかな?

ここで言いたかった忠義者というのは、豊臣に対するもの。
例えば、地震加藤や、千姫腰入時の福島の行動とかね。
659人間七七四年:2010/12/26(日) 10:02:26 ID:3d3SHtvB
ラスボスと狸の違いは、家臣の忠誠心を重視するか否かの違いだろう。
ラスボスは、前非を悔いて帰参を申し出る元譜代をぬっ殺すわ、譜代でも邪魔と見れば抹殺
前者が神御田や尾藤、後者が木村や前野、譜代を根切りしていて忠誠心もなにもあるもんかね。
狸は、四天王冷遇といっても、本多は、重要拠点の桑名に十万石、大多喜に五万石と二家、
榊原は、東北の押さえ、館林に十二万石かつ老中、井伊は重要拠点彦根で十八万石だぜ。
酒井くらいだろう冷遇されてるのわ。
それにラスボス基準なら帰参即抹殺の本多正信を相談役に起用して、その息子共々、使い倒してる。
豊臣恩顧の連中が。真の忠誠心をどれだけ持ってたか、加藤、福島、石田あたりでも微妙じゃないかな。
660人間七七四年:2010/12/26(日) 18:58:48 ID:eKU1hrgQ
>>658
家康を排除するか迎合するかの違いだけで保身だろ?
三成の場合は自身の復権もあるけど

661人間七七四年:2010/12/26(日) 19:08:33 ID:0q1dUQUh
そもそも豊臣恩顧って呼び方が間違ってる
本質は秀吉恩顧なのに
662人間七七四年:2010/12/26(日) 19:34:12 ID:brxw7mhg
>>660
保身とするならば、例えば徳川政権移行後も、
・参勤交代時に、加藤が継続して大坂城に立ち寄ってる事、
・大坂の役時の福島の兵糧8万石黙認
 (そもそもこれ程の量を大坂城に置く必要もない)

などは、どう説明する?保身とは対極の行動だと思うが?
663人間七七四年:2010/12/26(日) 20:52:21 ID:VLGnIrP3
加藤や福島は現場の生の声に触れる立場だったから
豊臣の支持が離れて政権交代を消極的ながらも容認する空気が広まっていることを察知したのだろう
逆に石田はそういうものに触れる立場ではないから秀吉の恩義がいつまでも通用すると勘違いしてしまった
加藤も福島も石田も豊臣家のことは思っていたのだろうけど
口先ではない本当の政権支持率を知っているか否かという致命的な違いが対応を分けた
五大老五奉行にもう少し敏感に現場の不満を察知する人間が入っていたらと思うよ
(動機の違いはあれども)家康、利家、後は長政くらいしかいないからね
664人間七七四年:2010/12/26(日) 22:38:33 ID:eKU1hrgQ
>>662
徳川と直接ことを構える訳でも無く
どれも言い訳出来る事ばかり
保身しつつ自分の罪悪感を誤魔化す為の自己満
665人間七七四年:2010/12/26(日) 22:42:17 ID:mmaJsOWu
>>658
解釈は人それぞれだと思うけど、職務や組織や法令に忠実なだけで、
石田が秀吉に対する忠誠心が無いなら、家康に屈服しても一向に構わないんじゃね?
でも、「自分の主君は秀吉しかいない」って言ってるし、
仕事に忠実なだけなら、不興を買いかねない場面で諫言したりできないんじゃないか?
単なる仕事人間が秀次の弁護なん怖くてできんだろ?

それに仕事に忠実なのを忠義じゃないってんなら、
武士の美学を忠実に守って、散ってった奴も忠義じゃないって事になるわな。

言っちゃ悪いけど、そら詭弁だわ。その基準で言うと、
戦国の忠臣て言うのは半分もいなくなる。
666人間七七四年:2010/12/26(日) 23:04:18 ID:y9n6KGRf

秀吉もそうだろ
家康かてご主人様の今川を裏切ってるし
667人間七七四年:2010/12/27(月) 00:25:49 ID:PAS6RA0z
>>665
豊臣政権だからこそ、五奉行でいられるわけで。
徳川が権力握ったら、権力失うのは目に見えてるよね。
そりゃ、豊臣政権を維持させようと努めるんじゃない?

詭弁じゃないよ。
仕事に忠実=忠義 では絶対ない。これは現代でも当てはまる。
逆に、仕事に忠実=忠義に厚いのであれば、
多くの武将が当てはまるようにならないかい?
三成が特別に『忠臣』扱いされる理由もなくなると思うが。

良く言われる事だが。
この頃の武士と、儒学の影響を受けた江戸期の武士の道徳観念は違でしょ。

>戦国の忠臣て言うのは半分もいなくなる。
事実、六十余州の大名で、大坂城に入城したのはゼロだ。
668人間七七四年:2010/12/27(月) 01:23:51 ID:fECL7Zhs
例えば、三成が鳥居元忠のように捨て駒であることを覚悟して籠城を引き受けられるのか(伏見城のことね)?
また、大久保忠隣のように、政争に破れて理不尽な失脚をしても主家への忠誠心を持ち続けるか。
(忠隣は本多正純失脚後、秀忠に帰参を許されるが、家康の政道を否定することになるって出仕を拒否)

自分を犠牲にしても主家を守るって気概が豊臣恩顧からは感じないんだよね。
669人間七七四年:2010/12/27(月) 01:28:41 ID:GqYR+A76
秀吉が後片付けせず死んじゃったからね
670人間七七四年:2010/12/27(月) 06:36:47 ID:SdlnS4ck
>>668
徳川は三河から出てきた田舎大名
田舎ほど忠誠心が高いと聞いている(と言いながらお父さんもおじいちゃんも家来に暗殺されてるけどね)
それに比べ秀吉はそこらへんからの寄せ集め
かつての敵の家来から雇ってきた連中だから忠誠心は知れているしな
それにしても親戚の加藤や福島の徳川すり寄りには参ったよね
671人間七七四年:2010/12/27(月) 07:48:31 ID:I5l04QJk
別に参らない
672人間七七四年:2010/12/27(月) 11:40:27 ID:3ZavpfyG
>>670
大名として当然の判断だろ
673人間七七四年:2010/12/27(月) 12:22:53 ID:fECL7Zhs
熊本で加藤>>>>>細川の扱いと比べると、彦根では石田より井伊が断トツで支持されてるね。
石田は善政を敷いて領民に慕われていたというものをよく見るけど。
直政も政治手腕に優れていたようだし、後から来た井伊の統治がよっぽど良かったのかな?
当主が現在も彦根在住だし、先々代が市長やってたせいで親近感もあるんだろうか。
674人間七七四年:2010/12/27(月) 16:09:41 ID:GldPyzk0
井伊なんか支持されてるか、ボケ
675人間七七四年:2010/12/27(月) 16:30:42 ID:oftnqCIL
井伊って一族ならともかく直政はないだろ
それに早くに死んだし
676人間七七四年:2010/12/27(月) 17:24:36 ID:SdlnS4ck
↑地元の戦国ショップでは井伊(ひこにゃんを除く)より石田の方がかなり売れてるよ
彦根城のおかげで井伊はそれなりに支持されてるとはいえ、、、
677人間七七四年:2010/12/27(月) 17:30:12 ID:3ZavpfyG
石田三成が主人公で大河やってほしい!
678人間七七四年:2010/12/27(月) 21:47:11 ID:SdlnS4ck
同感
ただ加藤の熊本県(宇土地区は除く)や秀次の近江八幡からクレームが来そう
679人間七七四年:2010/12/27(月) 21:47:56 ID:Db3yDpuc
自演乙
ID:fECL7Zhs(>>668)⇒ ID:SdlnS4ck(>>670)⇒ ID:3ZavpfyG(>>672)⇒
ID:fECL7Zhs(>>673)⇒ ID:SdlnS4ck(>>676)⇒ ID:3ZavpfyG(>>677

書き込みサイクルがこの通りだし、読点の使い方が同じなんだもの・・・。
彦根ネタ、大河ネタもよくループさせるし。
こんなトコに労力使わないで、三成の一次史料読み漁った方がいいんじゃない?





680人間七七四年:2010/12/27(月) 21:51:02 ID:SdlnS4ck
現実問題としては可能性は十分にある
大河ドラマ自体がネタが尽きたし今まで浅井三姉妹の大河ドラマ誘致に動いていた長浜市が今度は石田三成大河ドラマ誘致に動くはず
近年石田三成の供養祭が大々的に行われてる事を考えれば十分にあるだろう
681人間七七四年:2010/12/27(月) 21:53:31 ID:SdlnS4ck
>>679
違います
別の人です
682人間七七四年:2010/12/27(月) 22:05:29 ID:42Nk/JO7
まぁ、読み手に任せるよw
ネタの底流が同じだから分かり易い。
683人間七七四年:2010/12/27(月) 22:24:58 ID:gOqwsPA0
直江よりはるかに一般的知名度あるから余裕で作れる。
腐女子人気高いし、実際美形だったみたいだな。
684人間七七四年:2010/12/27(月) 22:26:06 ID:+NErX5mp
>>680
三成は歴女に人気あるし、その上歴女人気受けがいい武将との絡みが多いから、
視聴率取りたかったらうって付けの素材だわな。
685人間七七四年:2010/12/27(月) 23:30:07 ID:dDNyQEou
しかし石田厨は、あの天地人の直江のような扱いを受ける三成を本当に見たいのか?
愛と正義を貫いたイケメンスーパーエリート官僚三成の無双で超肥満の悪の巨魁(西田家康)を
関ヶ原脱糞死寸前まで追いつめるも性格異常者の池沼”小早川秀秋”の裏切りで悲劇的敗北の
果てに斬首、歴女が紅涙を絞るような正義漢が死んで、悪の豚家康の天下が始まったとかいうのを
686人間七七四年:2010/12/27(月) 23:36:52 ID:W1E+sYjz
それで人気が出るならかまわないけど。
直江のような扱い受けるなら途中で見るの辞めると思うけど、
知名度が上がるならありがたいこと。
687人間七七四年:2010/12/27(月) 23:41:08 ID:lnwn7WZK
視聴率取りたいのなら全員美形にして都合のよい捏造した話を
作ればいいだけの話じゃない
実際に天地人で美形を揃えたり
千姫を兼続が救出したといった捏造した話を多く作り
その結果高い視聴率を取ったけど
こんなの大河ドラマじゃなくてもいいじゃん
大河ドラマは史実を踏まえながら作るべきなのに
そうでないなら作るべきじゃない
そもそも歴女が好きな三成は無双やBASARAとか捏造された三成だろ
史実の三成が好きってわけじゃない
688人間七七四年:2010/12/27(月) 23:43:46 ID:SdlnS4ck
チョン成敗をどう扱うかが問題だな
加藤は嫌いだが在日NHKが日本人叩きのため加藤を徹底的に貶めてチョンと和平を考えてた石田小西を徹底的に持ち上げるという事も考えられる
そういうなのも嫌だな
689人間七七四年:2010/12/27(月) 23:45:39 ID:SdlnS4ck
バサラなんて筋金入りの戦国ファンからは全く相手にされてないよな
690人間七七四年:2010/12/27(月) 23:56:52 ID:W1E+sYjz
大河に史実に忠実かどうかなんて求める方が間違ってる
ずっと昔から小説や脚本家の妄想ソースに書かれるに決まってんだから、
ドラマの内容はどうでもいい
関心持ってもらえるならかまわん
三成本が山のように出るだろうし、メディアがこぞって持ち上げるから、
それをとっかかりに人気が出れば十分
691人間七七四年:2010/12/28(火) 00:28:36 ID:kLO7R69X
>>690
史実に忠実に・・・とのたまう人が結構多いんだけど、大河「ドラマ」である以上、史実そのままか否かよりも、
「(史実を生かして創作した)ドラマとして面白いかどうか」なんだよね。
で、面白いドラマの条件としては、脚本の出来や役者、演出が重要なわけだけど、それに加えて歴史ものだと
ベースとなった史実をどうやって咀嚼して、ストーリー中に反映させているかなんだと思うけどね。
天地人とかの場合、史実に忠実云々以前に、ドラマとしての態をなしていなかった。その上、ベースとなるべき
史実の咀嚼、解釈というのも殆どなくて、はっきり言って致命的に話のできが稚拙だったのが痛い。
692人間七七四年:2010/12/28(火) 00:58:06 ID:19992dBh
>>691
>>690の言わんとしていることは、史実はどうでもいい。面白ければ史実無視でも良し(たとえば関ヶ原で三成が家康の首をあげても良し。
後は影武者徳川家康が引き継ぐとか、斬首された三成は影武者で、本人は大阪の陣で毛利勝永と名乗って云々等)
視聴率が取れて、トンデモ本を含めて三成関係の書籍が売れて、それをきっかけに三成の人気(個人的には、それで本当に良いのかと「思うが)
がでれば良いということ。
693人間七七四年:2010/12/28(火) 01:07:32 ID:ilEcFaY2
原作は巨いなる企てがいいな、
694人間七七四年:2010/12/28(火) 01:55:52 ID:a+bJttsn
自演がバレた後の単発ID大量投下とか。典型的だね。
恥ずかしいのはわかったから、もうやめればいいのに。
695人間七七四年:2010/12/28(火) 05:28:40 ID:3/Nu6h/X

なんか勝手に同一人物が書いたとか言うてオナニーしてる人がいるけど人違いです
白けるからやめてください
696人間七七四年:2010/12/28(火) 07:41:34 ID:um68l4KK
>>695
オナニー終わった?
697人間七七四年:2010/12/30(木) 01:44:45 ID:+ZqgYWeE
来年の大河のノベライズをさらっと立ち読みしたけど、
三成の描き方は思ったほど悪くないな
698人間七七四年:2010/12/30(木) 06:14:13 ID:sxhI+eA7
原作の江をちょっと読んだが江は処刑された三成を哀れんだし
三成が勝てば自分の立場が悪くなるのに(茶々の妹だからどう転んでも殺される事は無いが)
699人間七七四年:2010/12/30(木) 09:31:58 ID:+ZqgYWeE
悪人ではないが、
人望が無くて時流が読めない人物として描かれているのは残念ではある
700人間七七四年:2010/12/30(木) 09:53:06 ID:sxhI+eA7
なにしろ家康役が北大路だからな
701人間七七四年:2010/12/30(木) 11:18:50 ID:sXYftRVg
残念も何もそれが一般的な三成に対する評価でしょ
それを良く解釈するか悪く解釈するかはその人次第だが
702人間七七四年:2010/12/30(木) 14:54:57 ID:oSdiQofu
三成は失敗を押し付けられただけだよな。
西軍の総大将は誰だよって話
703人間七七四年:2010/12/30(木) 17:36:56 ID:MsnOomIi
乗り気じゃない総大将を無視して突っ走ったのは誰だという話でもある。
704人間七七四年:2010/12/30(木) 17:47:23 ID:xveUOaEt
「乗り気じゃない」にしては、書状とかガンガン出してるし、本国でも色々動いてるけどな、TERU
705人間七七四年:2010/12/30(木) 19:01:49 ID:935vSFnX
TERUは行動力あるけど判断力ない
706人間七七四年:2010/12/30(木) 19:32:22 ID:ZBXRljwa
乗り気じゃないなら、わざわざ海越えて伊予に攻め込むなって話だよな
707人間七七四年:2010/12/30(木) 19:42:09 ID:NlwO81jY
三成は良くも悪くも優秀な官僚や参謀といったタイプ。
図上演習には滅法強いが実戦ではからっきしな、
第二次大戦時の陸軍参謀とかぶる部分がある。
708人間七七四年:2010/12/30(木) 20:28:18 ID:ZBXRljwa
参謀としてもあまり優秀じゃねえだろ
709人間七七四年:2010/12/30(木) 20:35:25 ID:935vSFnX
後方支援の鬼
710人間七七四年:2010/12/30(木) 20:50:17 ID:sxhI+eA7
もし関ヶ原で勝っていたら毛利と石田は対立必至だな
711人間七七四年:2010/12/30(木) 20:58:08 ID:Diek0liL
石田じゃ対抗出来ないだろう
712人間七七四年:2010/12/30(木) 21:00:27 ID:jqCx0QgM
このスレに加藤清正多すぎだろ
713人間七七四年:2010/12/30(木) 21:10:52 ID:ZBXRljwa
三成は奉行や領主としてはこの上なく優れた人物なんだろうけど、
軍の指揮とか、軍監とかやると、イマイチな感じなんだよな。
714人間七七四年:2010/12/30(木) 22:20:04 ID:IxOqtsIe
>>712
だって清正の方が万能で使えるし
715人間七七四年:2010/12/30(木) 22:24:25 ID:sXYftRVg
奉行と軍監はまったく別種の仕事だからね
財務省の事務次官が自衛隊を指揮してもイマイチになるに決まっているわな
秀吉自身が例外的に何でもできるマルチな才能を持っていた弊害で
三成も同じ様にできると過大評価して不適格な職を割り振ってしまった
716人間七七四年:2010/12/30(木) 22:49:06 ID:waFL5/8r
朝鮮の役の軍監は、三成だけに留まらず戦に疎い奉行衆を使ったから面倒な事になったな。
まあ、仙石や尾藤のような武辺一本槍の人間を軍監にして失敗した反省かもしれないけど。
奉行衆で軍監の仕事をうまくこなしたのは浅野長政だけだった。
717人間七七四年:2010/12/30(木) 23:09:35 ID:sxhI+eA7
>>714
あんな戦争馬鹿がwww
だいたい城作りの達人とか言うてもその筋のスペシャルリストを引き抜いただけだしな
親戚だから力を与えた秀吉も秀吉だがな
718人間七七四年:2010/12/30(木) 23:33:58 ID:Pzjp43mT
たとえ関ヶ原に勝っても三成は殺されてたかもな。
719人間七七四年:2010/12/30(木) 23:46:12 ID:jSqplaXp
>>717
謀略や判断力は大したことないけど、肥後の領主としての手腕はなかなか大したものだと思う。
720人間七七四年:2010/12/31(金) 01:59:29 ID:fw2iCsMl
>>702
少なくても関ヶ原での敗戦は三成たち大垣城の連中にあるだろう
9月15日に関ヶ原で戦う事を独断で決めたのはこいつらだしね
721人間七七四年:2010/12/31(金) 07:38:35 ID:zghyYx+J
↑総大将の癖に大阪城居座りしてたテルリンが悪い
あれだけ美濃まで出撃するように催促してたのに
一方で家康は岐阜城を落としたら速攻で進撃
まっいろいろな事情があるにせよテルリンは言い訳できないでしょう
ただもしテルリンが大阪城から進撃してたら片桐とか増田とかが豊臣は徳川支持ですよってポーズとりかねん
彼らは自分たちの保身しか考えてないからな
それにしても片桐のような雑魚を豊臣の家老にした秀吉の見る眼の無さときたら
722人間七七四年:2010/12/31(金) 08:30:10 ID:skdbaA+B
総大将の輝元に責任があるのは当然だが
田辺組や大津組すら待たずに関ヶ原で決戦を選んだのは結局三成ら大垣組じゃん
723人間七七四年:2010/12/31(金) 10:04:58 ID:O9v/FhYP
やっぱ京極に兵を割きすぎたと思うの
724人間七七四年:2010/12/31(金) 17:16:38 ID:fw2iCsMl
>>721
片桐のことを雑魚とか書いてる時点で
自分の方が見る眼が無いと言ってるようなもん
あれだけボロクソに言われながらも豊臣家を何とか存続させるために
奔走し、その結果命を狙われて去るしかなかった且元の無念を思うと
三成なんかよりよっぽど忠義の臣だと思う
725人間七七四年:2010/12/31(金) 17:31:09 ID:/kAHCP57
赤坂に家康が来るまで、その動向を全然掴めなかったのは
武将としても官僚としてもダメダメとしか
726人間七七四年:2010/12/31(金) 17:33:17 ID:5oIccmAp
つーか、一体何時秀吉が片桐を豊臣家の家老に据えたんだよw
片桐が豊臣家の家老的ポジションに着いたのは関ヶ原以降、家康の言いなりになってから。
727人間七七四年:2010/12/31(金) 18:34:59 ID:vt8bAp+1
そうか、ドラマでは片桐が石田と三奉行に「お断りする」と。
728人間七七四年:2010/12/31(金) 19:03:22 ID:VOH5a3T8
仮に西軍全員が大坂城にたて籠もったら?
729人間七七四年:2010/12/31(金) 19:29:13 ID:Ap2cz19G
>>728
大阪城を囲まれてるうちに西軍所領が制圧されて城内の兵士は餓死
730人間七七四年:2010/12/31(金) 19:41:57 ID:SLGSWcGG
家康が秀頼のいる大坂城を攻めたら、
さすがに豊臣恩顧の奴らがやる気無くすだろ
731人間七七四年:2010/12/31(金) 19:48:54 ID:6GyCOzQS
秀頼解放して退去するように天皇さんにお手紙書いてもらえば良い
732人間七七四年:2010/12/31(金) 19:55:02 ID:l+++JOHr
>>730
現代ではそう誤解する人も多いけど
東軍の大義名分は秀頼を賊から救出することだから西軍がどうしても退去しないなら
強行突入することは豊臣恩顧としては問題ない
秀頼を人質として盾に使う人間に忠義がないことは論理上明らかなわけだから
今後秀頼が盾にされないように盾にしても無駄だよという強い態度を示すことは
忠義の上でも何も問題ないからね
733人間七七四年:2010/12/31(金) 20:03:58 ID:skdbaA+B
関ヶ原の時は家康より福島達の方が乗り気だったらしいな大坂攻め
輝元が退去したから何も起こらなかったけど
734人間七七四年:2010/12/31(金) 20:49:53 ID:uquR+SDN
>>728
三成にも自分の領地を守る義務があるから最低でも佐和山まで軍を進めなければならない
だけど大多数の大名には三成の領地を守る義理などないから軍を進めることでやる気をなくしてしまう
三成はジレンマに陥ってしまいどうすることもできなかった
735人間七七四年:2010/12/31(金) 20:51:44 ID:p9+QNoeX
>>721
>豊臣は徳川支持ですよってポーズとりかねん
そんなポーズとったら戦後処理で改易すれば良かった。

>>724
関ヶ原の時点で何とかしないと手の打ちようが無くなるという判断が出来なかった片桐が悪い。

>>727
どのドラマだよ。『関ヶ原』では片桐は全然出て来なかったぞ。
736人間七七四年:2010/12/31(金) 20:52:02 ID:5oIccmAp
関ヶ原で負けてからなら兎も角、負けても無いのに大坂まで引いて城に篭るなんていう前提が有り得ないな。
737人間七七四年:2010/12/31(金) 23:00:56 ID:BU0cc65T
>>735
そんな判断できるのは予知能力者くらいだw
738人間七七四年:2011/01/01(土) 00:41:18 ID:arRpHRk6
>>735
徳川葵三代
739人間七七四年:2011/01/01(土) 06:52:11 ID:TY2KNgv2
葵では片桐が石田らに対して軍資金を出せないというシーンがあった
史実はどうか知らないけど家康支持なら何故大阪城を明け渡したんだ
その時点で莫大な軍資金を出せばいいだろう
どちらが勝っても豊臣の天下は続くという浅はかな考えがあったとしか思えない
いずれにしても片桐らは評価できないよな
ただこれだけは言える
100%豊臣が石田方に肩入れしてたら結果は全く違っていただろう
大垣城に秀頼(影武者)が入っていたらさすがに福島あたりは攻められるのか?
また朝廷工作も思いのまま
徳川は逆賊に貶められ内部崩壊しかねなかった
ましてや馬鹿息子は遅れてきたので徳川本体は多くなかったし
関ヶ原の大勝利は所詮秀吉恩顧大名の働きで勝った
その豊臣恩顧大名が一丸になれなければ徳川の大勝利などあり得なかったという事
まず徳川勝利という結果から見て関ヶ原を分析してる人がたくさんいるけどむしろ徳川が勝利する可能性は高くなかった
石田らが挙兵した時点でね
家康が福島らが岐阜城を落とすまで江戸城から出られなかった事を考えれば相当肝を冷やしていただろう
(ヤバい、わしヤバいんじゃ無い?
あの三成を甘く見てたわ、石田だけならともかくまさか大谷がつくとは、、、
毛利にはだいぶ工作しといたとはいえまさか石田につくとはあの阿呆め
どうしょうホンダ、なんかいい知恵貸してくれ(その時あまりの恐怖でお漏らしする家康であった)
そこへ黒田が現れて、、、、
740人間七七四年:2011/01/01(土) 07:04:21 ID:UcdkvR94
オワットル豊臣が矢面に立たされないことが重要だったから
741人間七七四年:2011/01/01(土) 07:30:09 ID:LElZayVh
>>739
「豊臣の天下」ではなく「豊臣家の安泰」を考えた上の判断じゃないの?
742人間七七四年:2011/01/01(土) 07:40:57 ID:pTFLLObJ
金の多寡でどうにかなったのか?
743人間七七四年:2011/01/01(土) 10:24:32 ID:wOBJikUz
>>739
 石田厨を装ったアンチ家康厨と見せかけた幸村厨の策謀など、伊達厨を装い上杉厨を煽る
武田厨に化けた北条厨の俺様から見れば、まだまだ青いな。
 イケメンエリート官僚にして義人の名将、石田三成歴女ヴァージョンが関ヶ原で下痢ピーする
リアルの前には、貴殿の妄想など焼き味噌同然と心得られよ。
744人間七七四年:2011/01/01(土) 10:24:53 ID:zfgBwg2M
>>739
>史実はどうか知らないけど家康支持なら何故大阪城を明け渡したんだ
あからさまに反対すれば三成に殺される可能性も無きにしも非ずでは仕方がない
でも人質を預けろ、秀頼のいる本丸には立ち入り禁止にするなど秀頼が西軍の傀儡にならないように努力している

>大垣城に秀頼(影武者)が入っていたらさすがに福島あたりは攻められるのか?
影武者なんてセコイ真似をすればすぐにばれて西軍が内部崩壊を起こす
それに秀頼がいるなら逆に救出するチャンスなわけだから福島なんて真っ先に攻めてくるよ

>その豊臣恩顧大名が一丸になれなければ徳川の大勝利などあり得なかったという事
豊臣恩顧大名が一丸になれるほど三成は嫌われていたということ
三成の名誉のために敢えて言えば、それは三成個人の性格というより豊臣の政の不満が三成に集約した結果と言える

>まず徳川勝利という結果から見て関ヶ原を分析してる人がたくさんいるけどむしろ徳川が勝利する可能性は高くなかった
戦術・戦略で言えばどうとでも主張できるが
この10年の豊臣の政の集大成としてみれば歴史の流れ的には徳川が勝って政権交代を実現するべき戦だよ
ここまで悪政を繰り広げて三成に勝たせたらむしろ狂ったマゾヒストとしか言いようがない
今から解散総選挙やって民主党が勝つくらい流れとしておかしな事象だから
745人間七七四年:2011/01/01(土) 10:56:37 ID:TY2KNgv2
その民死党が間違って天下を取ってしまったので日本はめちゃくちゃにされようとしている
まず石田がどうのこうのよりも民死党を壊滅させる事が先決だ
746人間七七四年:2011/01/01(土) 15:46:55 ID:A8UoE2nU
日本がが滅茶苦茶な奴同士のレスってすげーな。
747人間七七四年:2011/01/01(土) 23:22:02 ID:wWx9OfGE
擁護しきれないことやる処が三成の魅力だと思うが
野心の男三成!
秀吉のつけを背負って戦起こす三成!
加藤福島辺りと妥協しない処もとってもいいよ
748人間七七四年:2011/01/01(土) 23:52:12 ID:OczWmloV
まあ、みんなに好かれる奴ってうさんくさくて面白くないからな。
クセが強くて、敵も信者も多いぐらいの方が面白い。
749人間七七四年:2011/01/02(日) 08:49:39 ID:oerQ5nb5
三成は癖が強すぎるけどなw
750人間七七四年:2011/01/02(日) 09:34:08 ID:iE/h1bNw
ていうか三成を言い訳に豊臣を裏切れる恩顧大名てすごいよな
加藤らがホイホイ徳川にすりよらなかったら家康は何もできなかったのにな
751人間七七四年:2011/01/02(日) 10:06:06 ID:QjAh2MG2
だから裏切ってないと何度言えば
三成が本当に豊臣守る気があったかはわからんが関ヶ原は豊臣の内輪揉めだって
天下分け目(笑)
752人間七七四年:2011/01/02(日) 10:07:18 ID:3c+m0KrM
関ヶ原前後じゃ豊臣を裏切ったつもりなんか無いべ
家康と三成なら三成の方が逆臣に見えたってだけ
753人間七七四年:2011/01/02(日) 10:38:32 ID:ZdQ+N5xE
>>751
徳川家の人間である光圀も三成を認めてるんだから
内輪もめじゃないよ
家康が豊臣にとって逆臣なのは明らか
754人間七七四年:2011/01/02(日) 10:57:28 ID:VpsocrAl
>>753
光圀は儒教中毒だから
家康みたいにあくまで道具と割り切れば良いのに
755人間七七四年:2011/01/02(日) 11:39:59 ID:ZY/YcqwY
>>739
>100%豊臣が石田方に肩入れしてたら結果は全く違っていただろう

秀頼側に事前報告もなく軍事蜂起して、金よこせ・米よこせ・大坂の人質を俺のものにさせろ
挙句は秀頼を出陣させて俺の盾にさせろだからな
こんな無茶苦茶な要求など豊臣でなくとも呑めるわけがない
家康だってこの時点ではこんな厚かましい要求などしていないのに
たかが元小姓に言われて仰せのままになどと受け入れるわけがないだろ
三成がどこまで自覚してやっているかは知らんが、こんな要求は家康をダシにした乗っ取り行為でしかない
100%豊臣が石田方に肩入れするということは豊臣家が三成に臣従することを意味するわけで
そんなこと死んだって断るに決まっているだろ
756人間七七四年:2011/01/02(日) 13:21:45 ID:iE/h1bNw
↑元小姓
こういう表現をする時点でアンチなんだな この人
家康も一目置くほど辣腕を振るった男に小姓とはな
信長における森兄弟とかそういうレベルの存在じゃねえのにな
757人間七七四年:2011/01/02(日) 13:36:19 ID:QjAh2MG2
でも間違ってはいないよね
豊臣に本当に利益のある事かは当事者はわからんし俺らもわからん
三成が悪人という像にあこがれてもいいじゃないか
758人間七七四年:2011/01/02(日) 15:19:18 ID:wi9rmSW4
まあ、元小姓ではあるが、アンチ認定されかねない言い方ではある。
関ヶ原時点で言えば、三成の蜂起は、政権返り咲きを狙ったクーデターと見られてもしょうがない面はある。
三成に同調した二大老は、謀略と他家乗っ取りの二枚看板で中国の覇者となった毛利家と暗殺上等でのし上がった宇喜多家だ。
三成、毛利、宇喜多による豊臣家乗っ取りと思う豊臣恩顧がいてもおかしくない情勢だな。
関ヶ原時点での、徳川の売り看板は、信長が死ぬまでは同盟を守り抜いた誠実さと唯々諾々と関東に国替えした豊臣政権への
従順さだ。歴史を後付で見れば、家康は腹黒いとなるが、あの時点で豊臣首脳部から見れば、徳川の方が、三成方よりいかがわ
しく見えないだろう。

それと西軍側についた連中でも、以下の連中は、成り行き上、西軍についた訳で、三成の夢想した豊臣の恩義に答えるなんて
気持ちがあったか疑わしいぞ。
島津、長曽我部、九鬼、脇坂、小早川、鍋島、脇坂
759人間七七四年:2011/01/02(日) 17:48:54 ID:+yLx6D+I
秀長の後がまとしても政策的にも違いすぎたんじゃないかな
’豊臣’だからこそ通用したものも多いんだろうけど
戦国大名徳川家康と治部殿じゃね
760人間七七四年:2011/01/02(日) 18:07:11 ID:wa61F0cz
豊臣首脳って誰だよw
761人間七七四年:2011/01/02(日) 18:10:34 ID:DKPKehyA
徳川家康だろ
762人間七七四年:2011/01/02(日) 18:16:12 ID:g7ihiRYk
片桐さん
763人間七七四年:2011/01/02(日) 18:25:54 ID:iE/h1bNw
上杉も考えてみれば乗っ取りだからな
考えてみれば
影虎が後継者に決まっていたのにカネツグが無理やりクーデターを起こして実権に握り消極的な影勝を強引に動かして打倒徳川の旗をあげてるし
結局石田にしても毛利にしてもウキタにしても上杉にしても結構ダーティーな事してきたから関ヶ原でツケが回ってきたのかいな
因果応報ともいえるが徳川も豊臣も似たようなものだしな
醜いよ戦国時代は
764人間七七四年:2011/01/02(日) 18:30:53 ID:wa61F0cz
>>762
だから片桐が豊臣家の家老的ポジションに就いたのは関ヶ原以降だっての。
765人間七七四年:2011/01/02(日) 19:30:16 ID:GJ4vE0d+
ほんとによくわからないのが、関ヶ原当時の「豊家首脳」が誰を指すのかということ。
石田三成の資金提供要請に対して豊家がそれを断ったのは明らかなわけで、
その判断を下せる誰かがいたのは間違いないわけだ。
また、関ヶ原には豊臣家の旗本が参陣していて、その決定を下した
誰かもいるはず(自然発生の義勇軍的なものだとは考えにくい)。
候補に挙げられるのは、片桐且元、増田長盛、淀殿、北政所。
このあたりだと思うんだけど。
766人間七七四年:2011/01/02(日) 20:03:10 ID:ZY/YcqwY
>>756
>家康も一目置くほど辣腕を振るった男に小姓とはな

別に悪口で言ったわけではないよ
辣腕を振るおうが単なる子飼い家臣に過ぎない三成に金も人質も秀頼の身柄も豊臣の財産の何もかもが渡されるなんて
家康に渡されるよりもありえないことだよ
関ヶ原に勝った家康だって領地はともかく豊臣の金や人質をそのまま自分のものにしたわけではない
三成の要求が家臣としてあまりにも度がすぎていることは紛れもない事実だしね
それを要求が呑まれて当然でなぜ三成に全面的に肩入れしないんだ、と考えることの方がおかしいと言いたいわけ
767人間七七四年:2011/01/02(日) 20:05:13 ID:g7ihiRYk
片桐さんは傅役やら奥の庶務やってんだし豊臣家の首脳といえるんじゃないか
768人間七七四年:2011/01/02(日) 20:10:04 ID:iE/h1bNw
>>766
そういうところまで豊臣は追い込まれていたという事
それにしてもあの時点で豊臣本家でリーダーシップとれる人材がいないなんて有り得ないわな
秀吉て馬鹿なのか
せめて秀次が生きていたらまだ、、、
769人間七七四年:2011/01/02(日) 20:27:31 ID:ND1N6VLX
つか石田らが資金要求をおこなったのが記されてる史料は何。

770人間七七四年:2011/01/02(日) 21:53:56 ID:5YO1oLlz
関が原で、松尾山に小早川秀秋、南宮山に毛利秀元、南宮山周辺の
低地に、長束正家、安国寺恵けい、宗我部盛ちか、がすでに
布陣していて、そのあとに、石田ら、大垣にいた諸隊が家康の
「大阪をつく」の謀略に乗せられて、関が原の笹御山付近から
東軍を封鎖する構えをみせたんだが、ようはあの時、
あの鶴翼の陣形になったのだが、はじめから、石田が
子早川、毛利らを山に上がらせる指示をしていたのか、
それとも、高見の見物を決め込んで東軍に内通して
いた毛利、子早川が勝手に山に登って見物の構えを
見せていて、たまたま、そこに大垣の石田ら諸隊が
合流して、鶴翼の陣形になっただけなのか、
いったい史実は同なのか。おおいに違ってくる。
石田が、最初から、山に小早川、毛利を上げて
いたのならこれはもう、買ってたらハンニバル
だよ。事実はどうなのか、たまたま、形が
鶴の陣形になったのなら負けても仕方ないと
考える。まあ、余裕のあるほうと余裕のない
者との精神的差は当時、大きかったと思う。
771人間七七四年:2011/01/02(日) 22:42:13 ID:3c+m0KrM
南宮山の毛利は石田らが大垣から出る前から居たし、松尾山の小早川に至っては関ヶ原の前日に西軍の伊藤を叩き出して布陣した東軍

石田達が関ヶ原に出たのは小早川に退路を絶たれる事を嫌ったからとも言われてる

つまりあの鶴翼の陣は偶然の代物
772人間七七四年:2011/01/02(日) 23:49:03 ID:5YO1oLlz
771どの、しかし、石田゛が山に登らせたとの
話もあるのだが、いったいどれがほんとうなのか。
僕は、どうも、石田は自分の隊のことばかり
考えていて、笹尾山なら南宮さんの毛利、
又、松男山の子早川からも遠いし、攻撃、
される恐れはないし、ひょっとして、
山を降りてくれたら勝てるかもしれない。
という単純な考えで関が原に回ったと思うよ。

岡山に夜襲をかけて、びっくりさせた上で
関が原に回りこめば、きっと子早川、毛利は
山を降りて、家康に攻めかかったのではないだろうか。
つまり、石田では到底、家康に勝てない。
と思ってたから高見の見物をしてたと思うんだ。
あれ、関が原の家康の戦い、三方が原の戦い、
また、上杉攻めは、明智討伐のときの秀吉、
これらを見本にして、教訓にしていたと思うよ。
石田が本当にかしこかったら、もっと勘を

磨き、勝機をさぐるにあたって、いいかっこう
をせず、ひたすら家康の首を取るために
謀略をすればよかつた。
あのときでも秀頼が出馬の偽情報ぐらい
東軍に流す器量がなかつたものか。
石田はまじめすぎた。また、
小西、浮田、島ズらの意見を積極的に
採用して、豊臣のため,自゛分の我を
すてるべきだった。
結局、徳川が勝った為、鎖国を250年して
閉まって、その間、列国は世界を侵略して
自らの土地を拡大,完成してしまった。
日本が海外に乗り出したときは、すでに
民族自決主義の時代でその時点゛で
無理があり、いずれ、敗北が予感された。
徳川家康が唯一、罪があるとすれば
鎖国を長くしすぎたことだ。
これは豊臣を根絶やしにしてしまった
せいだ。日本はもう二度と景気はよきならない。
今、本当の意味で、戦後65年たつて
敗北したことが゜よくわかる。
要するに米国は、 日本人が敗北の恐ろしさで
米国に仕返しをすることを恐れた。
そのため、日本の脆弱な経済を米国が
一ドル、360円に固定して、支え、
日本人に敗北感を悟られまい。とした>
今、ようやく、「戦争を負けた国が
どうなるか」を思い知っているのである。
若い人たちがかわいそうだ。
政治もすべてがだめだ。
ぬくとい湯をかぶっている人が
残酷な目にあっている人を避けて
これから日本は進んでいく。
日本南無阿見だ物。
773人間七七四年:2011/01/02(日) 23:57:15 ID:3c+m0KrM
せめて日本語で頼む
774人間七七四年:2011/01/02(日) 23:58:25 ID:5YO1oLlz
しかし石田三成は正義の人だ。家康が天下を取れば、
もう、わが身は要なし。秀吉さまだからこそ、
農民が、薬屋が。桶屋が。僧侶が。みな
出世して大名になれた。
家康なら、縁故だけを頼りに世襲するにきまってる
今、しか、家康を打倒するときはない。と思いつめていた。
しかし、子早川は馬鹿だった。と思うよ。
要するに秀吉の側近は馬鹿が多かった。ということだ。
775人間七七四年:2011/01/03(月) 00:10:13 ID:60GIzS09
↑三成が自分の領地で善政してたとかいう記録はない 部下には太っ腹なだけ
仮に西軍が勝ったとしてデカくなった毛利宇喜多上杉を三成一人で抑えきれるわけない
日本語をまず学んでこい
776人間七七四年:2011/01/03(月) 00:25:23 ID:TN0FsKYW
井伊軍紀では「まこと、天晴れな武将」と石田をほめてますし、
石田三成の郷土では、「農民に、何かあれば石田に直訴してもよい」
という善政をしており、地元民が冷害に逢ったときは米を援助
しております。これらは記録にあります。
また、石田三成は、関が原で勝ったら「古橋村から安土まで
石畳にする。と約束シテマス。又、石田三成が生きてたら
近江の公害はなかった。と地元民はいいました。
777人間七七四年:2011/01/03(月) 01:44:17 ID:QzF8KxBa
>>766
何で何もかも三成の物になる事になるのか意味不明だし、仮にそうでも外様の家康に渡す方がもっとあり得ない。

>家康だって領地はともかく豊臣の金や人質をそのまま自分のものにしたわけではない
領地を恩賞としてバラまいて自分の恩としてるだろ。

>>769
それは俺も疑問に思ってた。
778人間七七四年:2011/01/03(月) 01:57:17 ID:E9tmvyCf
>>774
実際、縁故を重視したのは秀吉の方という罠
福島にしろ秀秋にしろ秀次にしろ親類の子供だし
779人間七七四年:2011/01/03(月) 05:52:12 ID:3UZpDibA
身分階級を決めて出世の道を閉ざしたのも秀吉
自分と同じ人間が出てこないようにしたんだろうw
780人間七七四年:2011/01/03(月) 06:07:51 ID:udsw/UK+
だねぇ。秀吉の農民階級の反乱への憎悪は異常なレベル。
足軽頭の家の出身なのに、百姓になにか恨みでもあるんだろうか。
781人間七七四年:2011/01/03(月) 08:22:58 ID:1p40lhES
刀狩とか身分制度を決めて農民が武士になれないようにしたりな
なんかあったのかね
782人間七七四年:2011/01/03(月) 09:19:02 ID:e3OfJ706
兵員確保に決まってんじゃねーか。アホか。
783人間七七四年:2011/01/03(月) 09:46:58 ID:tlq/XSJF
>>778
いずれにしても精神障害者ばかり、、、、
秀次の弟2人もそうだし、、、
784人間七七四年:2011/01/03(月) 19:31:38 ID:dCriwz+P
>>780
自分が百姓階層の怖さを良く知ってるから反乱起こされて、
天下を引っくり返される事が怖かったんだろう。
785人間七七四年:2011/01/04(火) 00:03:06 ID:OS2PTt8z
>>780
> 秀吉の農民階級の反乱への憎悪は異常なレベル。
一体何を根拠にこんな事言ってんの?
> 足軽頭の家の出身
新説ですか?
786人間七七四年:2011/01/04(火) 00:04:47 ID:/TqPCnFG
また精神障害者とか書いてるバカいるよな
彼らがそうだったという記録でもあるのか?
三成に賛同しなかったから精神障害者とか
そう書いてる方がよっぽど精神障害者じゃねえか
787人間七七四年:2011/01/04(火) 08:37:17 ID:o42PiMZB
三成信者には馬鹿が多いな
788人間七七四年:2011/01/04(火) 08:54:01 ID:4iU7YVDM
>>785
秀吉の家がそれなりの地位にあったことは最近の研究でほぼ確定ですよ。
水呑百姓だったなんてもう誰も主張してません。
789人間七七四年:2011/01/04(火) 09:21:13 ID:vdamZ+3D
>>786
精神障害者はどうかはともかく今で言えば三流大学卒の馬鹿ばかり
そのくせプライドばかりが高い穀潰し連中
それが金吾、秀次三兄弟、福島
まともなのは秀長のみ
短期政権で終わるのは当然か
こんな連中を相手にインテリの三成さんもさんざん気苦労したろうな(三成さんの能力がどうのこうのとか言うてる人間が多数いるが自分たちは三成さんよりも能力があると言うのですかいな、)
790人間七七四年:2011/01/04(火) 09:41:42 ID:2qScFQlT
織田一族も豊臣から無能のレッテルを貼られた。
豊臣一族も徳川から同じ扱いを受けた。

前政権は徹底的に否定する。簡単な話。
20前後の若者が老練な大人と対等に渡り合うのは難しい。
791人間七七四年:2011/01/04(火) 10:28:58 ID:L3akbqrn
豊臣は織田を滅ぼしてないけど
徳川は豊臣を滅ぼした極悪
792人間七七四年:2011/01/04(火) 10:30:47 ID:MgOqmPcN
>>789
>そのくせプライドばかりが高い穀潰し連中
>それが金吾、秀次三兄弟、福島

文献は何から引用したの?
キミは一流大卒でインテリを目指してるようだから、
キチンと回答できるよね?

というか、キミは真面目に日本人じゃないだろ?
793人間七七四年:2011/01/04(火) 11:38:00 ID:vdamZ+3D
↑あなたがな
794人間七七四年:2011/01/04(火) 14:07:18 ID:0RD+wCLN
>>791
それは織田と違って豊臣が最後まで空気を読めず我侭を振りまいて臣従しないから
豊臣自身の責任であって徳川の責任ではない
795人間七七四年:2011/01/04(火) 15:20:14 ID:o42PiMZB
>>789
三成以下の能力だと三成を批判できないのか?w
796人間七七四年:2011/01/04(火) 15:28:22 ID:vdamZ+3D

関ヶ原の時はあれだけ石田三成らに非協力だったのにいざ天下を取られると徳川に反抗しまくり
石田三成が死ぬ時、豊臣には全く関係ない、全ては私の責任にあると言い切り家康を納得させたがさすがに関ヶ原以降の豊臣家の対応には納得しかねるものがある
関ヶ原の大敗には豊臣家そのものが支持を失った事を証明しているのにね
ちなみに淀殿が石田に協力しなかった一因に愛人の大野が家康暗殺の疑いで人質にとられた事が原因だがその大野にそそのかされて戦争へと引きずりこまれるというのは皮肉だな
797人間七七四年:2011/01/04(火) 15:38:16 ID:vdamZ+3D
>>795
現代で言えばプロ野球選手を2chで叩くようなもの
徳川時代じゃあるまいし石田三成叩きは時代錯誤
徳川時代にお帰りなさい
798人間七七四年:2011/01/04(火) 15:45:01 ID:vdamZ+3D
>>715
秀吉は決してマルチな男ではないよ
竹中や如水がいなければどうなっていたかわからないしな
人たらしは最高値だけど指揮能力とかどうなのか?
そもそも信長の家来でなければ知れてるし
仮に今川の家臣松下の家来のままだったらどうなっていたか

偶然が偶然を生んだ奇跡の天下取りだったな
799人間七七四年:2011/01/04(火) 16:16:55 ID:SH88CG1c
>>798
秀吉は信長家臣としての活動が確認できるのが美濃時代からで、
軍事活動や政治活動の記録が分かるのは上洛戦から。武功も多いし、行政でも精力的に動いてる。
人たらしってよりは、文武に優秀な切れ者って感じ。
竹中は調略の交渉人で、如水は侍大将兼交渉人。
二人とも優秀で功績も多いけど、いなかったら秀吉の天下取りはなかったってほどの人間でもない。
800人間七七四年:2011/01/04(火) 16:53:05 ID:vdamZ+3D
秀吉も家康も間違って天下取ってしまった感じはいがめないな
信長は違うけど
その信長は最後ああなった
出る杭は打たれるとは言え、、、
801人間七七四年:2011/01/04(火) 17:05:39 ID:SH88CG1c
>>800
確かに純粋に能力だけで比較すれば、光秀や勝家が天下取ってもおかしくなかった。
秀吉が天下取れたのは能力に加えて、ポジションと運も大きかったかな。
秀吉と同じポジションと運があれば、光秀や勝家だって天下取れたかもしれないし、
逆にポジションと運があっても、天下取るなら秀吉や光秀や勝家ぐらいの能力無いと無理。
802人間七七四年:2011/01/04(火) 17:34:18 ID:ikxiIQzi
荒しスルーしようよ。
他人を卑下してまで三成を持ち上げる論法は辛いね
障害者とか書き込みしてる人は哀れだな...
803人間七七四年:2011/01/04(火) 18:24:10 ID:o42PiMZB
>>797
>プロ野球選手を2chでたたくようなもの

だったら全く問題ないだろw

下2行わけ分からん
804人間七七四年:2011/01/04(火) 23:05:53 ID:/TqPCnFG
>>789
自分で精神障害者とか書いておきながら
それはどうかはともかくとか確証もなくて書くなんて
ホントに精神障害者なんじゃないか?
そもそも秀吉の一族が秀吉の金で遊び呆けてたなんて記録でもあるの?
それにさんざん気苦労したの筆頭奉行の浅野さんの方だろう
805人間七七四年:2011/01/04(火) 23:19:31 ID:vdamZ+3D
でも浅野はさして能力はないだろ
単なるコネ男
まっ能力はあるけど嫌われ者の三成よりは受けはいいと思うけど
806人間七七四年:2011/01/04(火) 23:31:27 ID:Fn6MhMGn
>>805
浅野って三成には及ばないけど、めちゃくちゃ優秀だぞ?
奉行も所司代も取次も軍監も水準以上にできる腕利き。
秀吉の親戚ってことでコネ出世扱いだけど、不当な気がする。
807人間七七四年:2011/01/05(水) 01:24:42 ID:vU+vr74M
ここは小説・妄想スレと化してるから、別スレを立てた方がいいかもね。
良くも悪くも、三成に係るマトモなスレが無いのも寂しい話。
808人間七七四年:2011/01/05(水) 20:52:36 ID:X5H2gLR6
>805>806
浅野さんの方が軍事も政治もできるから優秀でしょ
三成の行跡なんて他人との共同での作業がほとんどで
単独でまかされた重要な事なんてほとんどないじゃない
だいだい親戚でも使えない人間なら出世なんてさせないだろ秀吉なら
そんな秀吉だから身分が低くても三成などの才能のある人間を引き立てたりしたんだろ
コネで出世なんて言葉は秀吉に見出されて出世した
石田三成という人間を否定した言葉なんじゃない
809人間七七四年:2011/01/05(水) 21:07:54 ID:+pMKnenQ
虎の威を借る狐
810人間七七四年:2011/01/05(水) 21:10:26 ID:CPvtlcgL
>>808
浅野はゼネラリストで、三成はスペシャリストじゃね?
奉行も所司代も取次も軍監も一流なのが浅野で、三成は奉行と取次限定で超一流。
どっちが上でも下でも無くて、どっちもかけがえのない人間。
あと、三成の主な仕事である奉行と取次は、豊臣政権下では複数でやる仕事だから、
それを理由に共同作業だからたいしたことないとか言うのは間違ってる。

そもそも、複数人でやるのがルールな仕事の専門家だから、
単独でやってないことをあげつらうのはどうかしてます。
811人間七七四年:2011/01/05(水) 21:22:54 ID:W7bMEOap
>>788
太閤素生記に父木下弥右衛門が信秀の鉄砲足軽だったとあるが、
「足軽頭の家」の出だなんて記録は無いよ。
まぁこの時代に鉄砲足軽は考え難いが。
名乗った姓も妻方の「木下」であり、所謂「名字の百姓」では無かった可能性が高い。
少なくとも史料からは「日本史」にあるような貧困層出身である事しか伺えない。
蜂須賀との関係や早い出世から有力国人層出身だと主張する者もいるが、
裏付けが全く取れないのでとてもではないが主流な説とは言えない。
812人間七七四年:2011/01/05(水) 23:25:11 ID:HzjR5/UG
>>810
もし浅野長政が徳川に人質に取られず大阪城にいていたら歴史は変わっていたかもしれない
石田と長政がタッグを組む事が家康の最も恐れていた事
あえて暗殺をでっち上げて長政を人質に取ったのは家康の作戦だったな
石田の智
浅野の徳
この2つが結集した時こそ西軍が最も威力を発揮できたのにな
その浅野は関ヶ原では勝ち組
やるせないな
813人間七七四年:2011/01/05(水) 23:33:17 ID:lmrCdOVY
浅野長政と三成ってすげー仲悪いんだけど。
息子も三成大嫌いだし。
814人間七七四年:2011/01/05(水) 23:58:59 ID:+pMKnenQ
浅野と石田のタッグとか無理すぎw
815人間七七四年:2011/01/05(水) 23:59:39 ID:udeoMC5a
>>813
そういう説もあるけど、浅野幸長と三成とは仲が悪いけど、親父の長政とは
別に悪くないという説のほうが有力になりつつある。
816人間七七四年:2011/01/06(木) 00:00:55 ID:BfVf+yia
伊達から絶縁状叩き付けられて取次を外されるという前代未聞の失脚劇を演じた
浅野が何でこんなに持ち上げられてんだよwしかも徳ってw
817人間七七四年:2011/01/06(木) 01:20:48 ID:0Bw3MUPm
失脚劇に関しては三成もそうとうなもんですけどね
818人間七七四年:2011/01/06(木) 01:36:13 ID:BfVf+yia
ひょっとして七将襲撃事件の事を言っちゃってるの?
819人間七七四年:2011/01/06(木) 02:11:22 ID:l+opFb2z
浅野は秀吉が死ぬ前から政権内の権力闘争に負けていたからな
このまま豊臣政権が存続しても自分に旨味はないから徳川に流れるのは当然の決断だろう
820人間七七四年:2011/01/06(木) 06:01:39 ID:EIRM/tGF
>>813
息子の幸長も言うほど三成嫌いでは無い
父親を人質に取られ成り行きで東軍についただけ
関ヶ原後、すっかり規律が乱れた大阪城下の大名たちに嘆き治部殿がいればこんな事にならなかったのにと言ったらしい
三成は生徒会長でもあるわけだ
三成が嫌われた一因でもあるがな
821人間七七四年:2011/01/06(木) 06:53:06 ID:SCuQKY9A
いやいや、だったら七将襲撃事件に幸長は参加してない。
それに、長政が徳川の人質になったのは家康と合意を形成してたと考えるのが自然。
822人間七七四年:2011/01/06(木) 10:44:07 ID:igVEu1OQ
>>821
『その直後、三成と対立関係にあった武断派の加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、
池田輝政、加藤嘉明の7将が、三成の大坂屋敷を襲撃した。』
幸長じゃ無いんなら誰よ?
823人間七七四年:2011/01/06(木) 11:15:40 ID:rR/9HU4x
つっこむのはどうかと思うが821は襲撃への参加を否定しているわけではないわな
レスはよく読んでしないと恥かくだけだわ

824人間七七四年:2011/01/06(木) 14:12:17 ID:igVEu1OQ
>>823
『七将襲撃事件に幸長は参加してない。』
これをどう読んだら『821は襲撃への参加を否定しているわけではないわな』という事になるの?
825人間七七四年:2011/01/06(木) 14:31:45 ID:0Bw3MUPm
820の>息子の幸長も言うほど三成嫌いでは無い父親を人質に取られ成り行きで東軍についただけ

を受けて
821の>いやいや、だったら七将襲撃事件に幸長は参加してない。

が、あるんだな
826人間七七四年:2011/01/06(木) 14:35:07 ID:Pzmdyk/E
ID:igVEu1OQの日本語力の無さはものすごい。ここまでバカだと釣りですらなさそう。
827人間七七四年:2011/01/06(木) 14:56:40 ID:igVEu1OQ
>>825
あれ?これは失礼した。

>>826
チャチャ入れるしか能の無い外野は黙っとけ。
そうでないと言うなら>>825より前に突っ込んどけ!
828人間七七四年:2011/01/06(木) 20:22:23 ID:OrU9SaZj
東軍アンチと西軍アンチが入れ替わり立ち替わりで珍解釈と珍説を披露してくださるものだから、とても退屈です。
829人間七七四年:2011/01/06(木) 20:32:16 ID:0Bw3MUPm
珍説の披露と掛けまして、運動音痴なりに頑張った子と解きます

その心はどちらも退屈(体育2)でしょう
830人間七七四年:2011/01/06(木) 22:02:08 ID:XeYxqE0J
>>810
三成がまるで全てやっていたようにされているから
他の人間と共同でやってるじゃないかと文句を言ってるだけで
別に三成がたいしたことないなんて書いてないぞ
だいだい三成を評価している人間は太閤検地や朝鮮戦争の軍監とか
一人で全部やってたと思ってるじゃん
831人間七七四年:2011/01/06(木) 22:25:22 ID:mhjUKF3w
>>830
妄想の中の三成厨と戦わなくていいから。
832人間七七四年:2011/01/06(木) 22:43:32 ID:pOWyxC3+
>>831
普通に加藤清正以下だからその心配は無用だよ
833人間七七四年:2011/01/06(木) 22:59:59 ID:mhjUKF3w
何をもって得意分野が違う石田と加藤の優劣がつくのか意味不明
腕ききの営業マンと、腕ききの経理マンの優劣を付けるようなもの
834人間七七四年:2011/01/06(木) 23:00:35 ID:rXKA4azB
>>830
狂信者なんてスルーすれば? どうせ聞く耳ないんだから言っても時間の無駄
835人間七七四年:2011/01/07(金) 08:27:02 ID:bs1SW8nY
>>833
優劣を決めること自体が無意味だよな
836人間七七四年:2011/01/07(金) 09:16:24 ID:R3XjFiYk
清正ってどうして会津に行かなかったの?
837人間七七四年:2011/01/07(金) 09:23:05 ID:BuMWER7M
838人間七七四年:2011/01/07(金) 14:58:16 ID:mCgypxix
流れ切って悪いんだけど、三成が狐って言われるようになったのは
何が最初か分かる人います?

江戸前期の俳諧に三成と狐の結びつきが既に見られたんで、
そういやそもそものネタ元って何なんだろうと気になったもんで。
839人間七七四年:2011/01/07(金) 15:09:57 ID:XhClgYQP
家康が狸だから
その対比でそうなったとか
840人間七七四年:2011/01/07(金) 15:55:20 ID:tU3zFc55
三成は線が細いというからそこからの連想かも
841人間七七四年:2011/01/07(金) 17:21:18 ID:mCgypxix
いや、聞き方が悪かったと思うけど、そういう「何故という推論」
ではなく史料が何かあるかと思って。
三成の個人的イメージの話をしたいわけではないので。
842人間七七四年:2011/01/07(金) 17:46:58 ID:cndh7EHC
>>838
その徘徊がネタ元じゃないの?

>>836
加藤は加藤でも会津に行ったのは加藤嘉明、と思ったらそういう質問じゃないのね。
朝鮮から戻って、国元の政治をアレコレする為に熊本に帰っていたから。「九州から
会津は遠いので出兵しなくて良い」と家康が言った。
843人間七七四年:2011/01/07(金) 18:20:10 ID:huYyekfD
慶長4年9月頃に家康から上洛禁止が申し渡されており、それ以降国元にいた
844人間七七四年:2011/01/07(金) 21:25:10 ID:o1pSaoBZ
家康としてはもし加藤が上杉征伐に加わったとして石田三成らがもし豊臣を奉じて打倒家康で挙兵すれば加藤が石田三成ら西軍に加わる可能性がなきにしもあらずと見ていた節がある
加藤を来させるにはリスクが大きい
さらに加藤が熊本に留まれば島津らがうかつに動けない
したがって加藤が熊本にとどまってくれたほうがいいと判断したという事
現に加藤は石田挙兵後、西軍勝利の暁には上方の大名にしてくれれば西軍についてもいいと言ったとか言わないとか
加藤にとって決して豊臣の将来を考えていないという訳では無いだろう
記録には残っていないが石田処刑の報告を聞いて加藤が大喜びしたとは思えない
東軍の諸将にしても誰ひとり、石田処刑に手放しで喜んでいないはずだ
石田の動機はともかくその戦いぶりに誰もが感銘したと思っている
ただ単に石田のあら探しに躍起になってるこのスレの一部の住人には理解できないだろうけどな
845人間七七四年:2011/01/08(土) 02:38:14 ID:bjKdSI4K
>東軍の諸将にしても誰ひとり、石田処刑に手放しで喜んでいないはずだ

少なくとも襲撃した七将は石田の死を望んでおり家康が下した解任&蟄居でさえ不満があったくらいだから
奸臣として処刑することに何の未練もなかろう
その他の大名だって石田の豊臣の威を借りた態度に辟易している人間も多いから
石田を処刑して石高倍増だったら手放しで喜ぶよ
というか東軍の諸将で石田処刑に喜んでいない人間を探す方が難しいな
846人間七七四年:2011/01/08(土) 02:44:10 ID:tyTX5SxM
石田=忠臣、徳川につくのは後ろめたい、とか変なバイアスかけて考えてるから頓珍漢な発想に行き着いてるんじゃないか?
7卿らにとっては 石田=君側の奸 で、豊臣家のために取り除かなければいけない奴だろ。
847人間七七四年:2011/01/08(土) 06:33:26 ID:cTClPmuo
>>845
予想通りの書き込みだな
石田三成をけなす事が目的だから仕方ないけどね
例えば関ヶ原後、福島はともかく藤堂は三成の戦いぶりに感銘しつアドバイスを聞きに来たしあんだけ憎んだ三成に対し勝つか負けるかは時の運とか言うて三成に対し羽織をプレゼントしたしな
まっスポーツをした事ない連中にはとても理解できないだろうがな
それにしてもアホ福島の関ヶ原後の三成への対応で男を下げたのは期待通りだな
秀吉もいくら親戚だからってとんでもないゴミを大名にしてやったな
ああいう輩は権力を与えるとロクな事しないからな
848人間七七四年:2011/01/08(土) 07:21:14 ID:NNQVLyet
>>847
その話は史実ですか?単なる逸話ですか?
で、福島が男を下げたという出典・記述を教えてください。

出ないのわかってるけどねw
849人間七七四年:2011/01/08(土) 08:01:17 ID:6DiKuP5K
>>847
スポーツと戦争は異次元と思うけどw
850人間七七四年:2011/01/08(土) 08:01:23 ID:w6T+Tcaf
もう教えて君がずっと出典込みで書き込んでれば良いじゃん
851人間七七四年:2011/01/08(土) 08:04:36 ID:R5BdcK12
宝塚で石田三成だってよ
ttp://kageki.hankyu.co.jp/news/detail/038078f832be136c1545a9c4c09eb807.html

しかし大石静か・・・
852人間七七四年:2011/01/08(土) 08:34:50 ID:QXu4vCw6
大石静は三成ファンかな
三成大河が実現したら大石静脚本かな?
853人間七七四年:2011/01/08(土) 08:42:41 ID:tz3GLk36
そもそも七将襲撃事件が私怨で起こったと考えてる時点で馬鹿過ぎる。
854人間七七四年:2011/01/08(土) 11:49:39 ID:rM4wMimy
>>847
 そこら辺の逸話は、いろいろ創作されているからな。
 黒田の話では細川が、「無道の戦を起こして無辜の婦女子を死に追いやりやがって、なんか言えやゴラ!」
って罵ったのに対して三成が俯いて答えられなかった。
 それを見た黒田が、細川が去った後、見るに見かねて
「勝敗は特の運、それにしても五奉行筆頭たる貴殿が、羽織りもなしで晒し者とは」
と言いながら羽織りを贈ったという細川外道、黒田漢だねという逸話じゃないかw
 細川に言わせると、愛妻ガラシャの仇ではあるが、三成ごとき地侍上がりの謀反人に対して細川京兆家の
当主たる自分が罵声を浴びせるなど恥であると我慢なされたという、さすが名門の細川という逸話になってる。
 司馬は、後者の黙って去るという逸話を関ヶ原では採用しているがな。
 福島の件にしても「幼い秀頼公をお家乗っ取りの常習犯毛利と暗殺大名宇喜多直家の息子で秀吉の猶子
だった秀家に引き渡して、豊臣家乗っ取りを画策した奸臣三成死ねや!」
っていうしごく当たり前な話じゃないかw
三成絶対正義なんてバイアスがかかりまくるから、おかしな解釈になるんだよ。
855人間七七四年:2011/01/08(土) 12:22:44 ID:bjKdSI4K
三成の羽織りの話は有名な割りにキャストがコロコロと変わるよな
さすがに昔の大河にあった一豊はありえないだろうが
856人間七七四年:2011/01/08(土) 18:09:33 ID:cTClPmuo
>>851
宝塚は興味無いけど見たいな
いくらアンチが石田三成を批判しても婦女子人気は変わらないわなwwww
857人間七七四年:2011/01/08(土) 18:12:30 ID:cTClPmuo
>>854
君には残念だけど徳川悪、石田正義というのは一般的な見方
家康の子孫のNHKキャスター松平定信ですら石田を賞賛してるのに無駄な事はやめとけや
858人間七七四年:2011/01/08(土) 18:16:49 ID:QXu4vCw6
>>857
?家康の子孫のNHKキャスター松平定信ですら石田を賞賛してるのに無駄な事はやめとけや
初めて聞いた
ソースはあるの?
859人間七七四年:2011/01/08(土) 18:21:55 ID:QXu4vCw6
松平定知ですね
ググったら色々ヒットした
860人間七七四年:2011/01/08(土) 18:55:21 ID:cTClPmuo
訂正
定信=定知
松平定信はなんとかの改革をした人物だったな(江戸中期は疎い俺)
861人間七七四年:2011/01/08(土) 18:58:30 ID:cTClPmuo
>>658
歴史は動いたの番組(だと思う)で石田三成をやってた時、賞賛してたよ
れっきとした親藩大名の当主(時代が時代なら)なのに
家康の子孫ですら三成を認めてるのにあなた達ときたら
862人間七七四年:2011/01/08(土) 19:00:16 ID:LViEXosp
中学校の歴史の教科書に太字で載ってるぞ。
疎いとかそういうレベルじゃないw
863人間七七四年:2011/01/08(土) 19:03:34 ID:QXu4vCw6
松平定知と徳川光圀
徳川の人間でも三成を評価してるんだね
864人間七七四年:2011/01/08(土) 19:08:05 ID:rM4wMimy
 三成の問題は、秀吉死後を見越して、対立派閥の加藤、福島らと和解して
豊臣子飼いの結束を図らなかった点につきる。
 そして本来外様の毛利や宇喜多と組んで徳川排除を行とうとした。
 徳川を排除した後、宇喜多と毛利の上に自分が建てる血でも思っていたのかね?
 無双じゃあるまいし、義ぃぃぃで政治が取れるわけないしな。
 徳川を倒しても、毛利輝元が天下取るだけだろうに、まあ宇喜多を炊きつけて、
毛利と宇喜多を争わせて、自分が石田執権体制でも作るつもりだったんだろな、
865人間七七四年:2011/01/08(土) 19:13:25 ID:cTClPmuo
↑テルリンでは天下は取れまい
だからこそいとこのキッカーが余計な事したんだろうし
三成挙兵の時点では三成もそんな先は想定していないよ
それと三成が加藤らを説得すべきだったとあるがあのDQNに聞く耳なんぞあるかい
866人間七七四年:2011/01/08(土) 19:25:11 ID:rM4wMimy
>>865
 
 加藤は本来、石田と対立関係にないというか友好関係にあったんだよ。
 そして福島ら武闘派と石田の間の緩衝材を努めていたんだ。
 転機が訪れたのは、朝鮮における、偽装和平をすすめる小西をめぐる問題で
石田に告発されて、秀吉から蟄居をくらったのが原因だ。
 加藤にしてみれば、子飼いで友人のはずの三成が、子飼いでもない魚屋の
肩を持って自分を告発したんだぜ。
 怒り狂うのも無理ないわな。
867人間七七四年:2011/01/08(土) 19:38:49 ID:dUAC45Dt
>>861
石田を賞賛したら徳川悪、石田正義なのか?
実際に徳川悪、石田正義と松平定知が発言でもしたのか
物事を自分の都合のいいように解釈しすぎなんじゃない
正義なんて人それぞれだろうしね

>>865
あいかわらず他人を貶すことしか三成を評価できないのか
そもそも挙兵の時点で先の事を想定していないとか
自分で三成のことをその場の思いつきで行動する馬鹿と認めてるよな
868人間七七四年:2011/01/08(土) 19:44:15 ID:rM4wMimy
付け加えると、福島は、一人じゃ何も出来ないヘタレ。
加藤を敵に回さなきゃ、細川、黒田、加藤嘉明なども反石田で
まとまらなかったろう。
869人間七七四年:2011/01/08(土) 19:51:05 ID:6DiKuP5K
>>857
家康の子孫のコメント=一般的な見方?
870人間七七四年:2011/01/08(土) 19:58:05 ID:tz3GLk36
だから七将襲撃は反石田じゃなくって親徳川派の反徳川派に対する攻撃だっつーの。
狙われたのは石田だけじゃないし。
清正・幸長・忠興も当初は利家派で家康に鞍替えしたのは利家死後。
強い者に擦り寄ったってだけの話で好き嫌いだけでお家の命運を決める行動なんてするわけねーだろ。
871人間七七四年:2011/01/08(土) 20:28:31 ID:cTClPmuo
>>866
三成ほどの人物ならこのままチョン征伐が長期化すれば豊臣政権はいずれ崩壊すると睨んで和平に動いただけ
秀吉がじきに死ぬ事も想定してな
いずれにしても秀吉の尻拭いをさせられた感じはいがめないな三成は
もし大河ドラマ三成の脚本をまかされたら加藤とのある程度の友情を描いていきたいな
872人間七七四年:2011/01/08(土) 20:46:20 ID:cTClPmuo
それにしても宝塚で石田三成て
アンチが発狂しそう
873人間七七四年:2011/01/08(土) 21:06:09 ID:LViEXosp
>>870
1行目と4行目には同意するが、だからなんなの?
三成は嫌われ者じゃないって言いたいの?
874人間七七四年:2011/01/08(土) 21:22:50 ID:tz3GLk36
馬鹿げた内容で延々スレが続いてんだから突っ込んだだけだ。
石田スレ見てるからって全員信者かアンチってわけじゃねーんだよ。
嫌われてるとか嫌われてないとかどうでも良いっつーのw小学生か。
875人間七七四年:2011/01/08(土) 21:36:15 ID:FLhFBqZm
知識武装した石田信者っていないの?
妄想垂れ流しはもういいから、議論を見てみたい。

876人間七七四年:2011/01/08(土) 21:38:25 ID:6r9I99nx
武装できるぐらい隙のない知識があったら、
歴史上の人物評価に好き嫌いを持ちこむ信者やアンチにはなれない。
877人間七七四年:2011/01/08(土) 22:31:01 ID:rM4wMimy
たぶん理論武装したら、なんも書き込めないぞ。
あの武功夜話が、理恵武装のバイブルだった時代もあるんだからな。
現在分かってることを覆す記録が発見されれば、それまでの理論武装
なんて一気に陳腐化する。
それに、ここは2ちゃんだぜ。
なおかつ戦国板は趣味の板に置かれてる。
学問板じゃないんだが
878人間七七四年:2011/01/08(土) 22:36:12 ID:tz3GLk36
戦国板は趣味カテだが日本史板から分かれたんだよ。三戦とは別。
879人間七七四年:2011/01/08(土) 23:21:01 ID:rM4wMimy
>>878
 俺の聞いた話では、三戦版のコテが最初のカキコを始めたと聞いたぞ。
 それに日本史板の戦国厨がなだれこんできたと
 間違ってたらすまん。
880人間七七四年:2011/01/08(土) 23:57:19 ID:bjKdSI4K
>>871
朝鮮出兵が長期化すれば豊臣政権はいずれ崩壊すると睨むことはできるが
朝鮮出兵を終わらせるための和平を実現する手腕がない
だから結局は現場をゴチャゴチャと掻き乱しただけ
三成のこういう中途半端なところが怒りを買ったのだろう
和平を秀吉に飲ませられるほど有能か、朝鮮出兵を何も気にかけない無能だったら
加藤らの怒りを買わず豊臣政権の結果も変わったかもしれない
881人間七七四年:2011/01/09(日) 00:08:38 ID:JoUNNkmE
>>879
世界史板から三国志が切り離された時に一緒に戦国もくっついて来たが本来は別物なので再度分割した。
882人間七七四年:2011/01/09(日) 00:25:14 ID:FdRznCgA
>>881
天下取って以来、人の言うことを聞かなくなった成り上がりの秀吉には何を言うてもダメ
ましてや息子ほど年がはなれた三成の言うことを聞くような男では無いよ
せめて秀長か竹中が生きてれば、、、
883人間七七四年:2011/01/09(日) 00:46:03 ID:TKR+At7Q
>>882
成り上がり者故の悲しみだな。
死を恐れぬ、譜代の家来がいた家康との差だよな。
徳川頼宣の付け家老だった安藤直次なんて、大御所になった家康から
「万が一頼宣が秀忠に謀反を起こした時は、頼宣を刺せ」って命じられたのに
「馬鹿じゃね。あんたが俺を頼宣様の教育係にしたんだろうが、頼宣様が将軍家を
討つって言うことは、将軍家が非道の政治をしてることじゃねーか!俺は頼宣様の
先手になって将軍家の首打つに決まってるだろーが」
って言い返して、家康が苦笑するって話が残ってるのとは大違いだわ。
884人間七七四年:2011/01/09(日) 00:56:39 ID:9hQAkNWc
三成関連の一次資料が読みたいんですがここの住人は何を読まれていますか?
二次資料だと筆者の主観やらいろいろ入るから一から自分で考えてみたい
できれば市販している書物でお教えして頂けますと幸いです
885人間七七四年:2011/01/09(日) 01:03:23 ID:QFKwNYyX
>>883
徳川頼宣が慶安の変に加担した嫌疑をかけられた時はどうしたんだ?
886人間七七四年:2011/01/09(日) 08:29:31 ID:TKR+At7Q
>>885
 その頃は、死んでますがw
 安藤直次でググレや滓とでも言われたいのかな?
 そもそも家光末期の治世については、あの智慧伊豆が
「上様の寿命が2,3年延びていたら、天下大乱になったやも」
と述懐してるくらいひどかった(浪人対策未整備、ルソン遠征論再浮上など)
尾張大納言など家光死後、軍勢率いて江戸に向かってるくらいだし、
慶安事件の容疑をかけられるくらい、安藤の逸話が有名だったって話ね。


まあ、三成に安藤のような言動を求めるのは酷だと思う。
秀吉末期は、被害妄想と嗜虐趣味と秀頼への偏愛がないまぜになった状態だし
三成が諫言しても、一族族滅と三成自身にはなぶり殺しの報いがあるだけだろう。
887人間七七四年:2011/01/09(日) 20:01:54 ID:aCs3t2B9
>>886
三成はよく諫言してて、秀吉も「俺の顔色を気にしないで諫言できるのは三成だけだ」って言ってたんだけど、
諫言する気持ちだけ評価して、まったく言うとおりにしなかった。
三成が強硬に反対した事はだいたいやってる。一番有名なのが秀次事件。
888人間七七四年:2011/01/09(日) 21:25:32 ID:FdRznCgA

秀次抹殺事件はよく黒幕が三成という説が信じられてきたが事件当時、ほとんど名護屋城にいており粛清の時だけ京に呼ばれた感じなんだよね
挙げ句諸大名に逆恨みされてるしな

しかし考えてみれば三成は秀吉にふりまわされてるて感じなんだよね
今で言えば中卒の成り上がりワンマン社長と若き東大卒のエリート専務の関係
ワンマン社長の死ぬ間際のめちゃくちゃ経営をまかされちゃったていう感じ
せめて黒田を大名として独立させず豊臣の筆頭家老に留めてたらな(加藤ら若造では黒田には逆らえない)
889人間七七四年:2011/01/09(日) 21:29:58 ID:aCs3t2B9
>>888
おまえ、前もそれ言ってたろ?
豊臣だって徳川だって、政治を仕切ってたのは大名なんだが。
五奉行や老中は大名じゃないの?
890人間七七四年:2011/01/09(日) 23:34:49 ID:TKR+At7Q
>>888
 筆頭家老?なんじゃそりゃw
 黒田は、れっきとした織田系の大名で秀吉の寄騎だぜ。
 片桐や石田、七本槍と違って子飼いでも譜代でもないやつをどうやって
豊臣家の旗本にするのかね?
 陪臣になるのを黒田に呑ませるのは無理だと思うね。
891人間七七四年:2011/01/09(日) 23:41:10 ID:FdRznCgA

例えば鎌倉幕府における身内人みたいな感じ
大河ドラマ時宗にでてきた平頼綱
大名として独立せずに執権のお側にいて執権が幼ない場合は政治を取り仕切る感じ
頼綱の場合調子にのりすぎて執権定時の母の実家安達を討ち滅ぼした挙げ句やりたい放題した挙げ句執権定時に討ち滅ぼされるというオチだがな
将軍(及びそれに変わる天下人の役職)が幼い場合、独立した大名ではなくそれを直接守る役職は必要不可欠だと思う
いずれにしても秀吉死亡時に豊臣家の筆頭家老が誰かうかんでこない時点で豊臣政権は終了してるわな
892人間七七四年:2011/01/09(日) 23:52:32 ID:aCs3t2B9
>>891
家令程度の人間が権力振るうのは異常事態なわけで、
普通はあの地位なら政治に口挟めねえよ。

黒田ほどの実力者に領地やらないで、
豊臣家の家政仕切る職やるなんて侮辱もいいとこだわな。
俺がそんな沙汰受けたら、真剣に謀反考えるわ。
893人間七七四年:2011/01/09(日) 23:58:22 ID:1f6bqPAW
>>891
前田と徳川だろ<筆頭
奥の側仕えって意味では大野兄弟

「大名」であるのと「家の取りまとめ」は別に矛盾しないだろ。
北条の御内人だって自分の領地とか兵とか握ってる。

大体、黒田に距離おいたのって秀吉自身だしなー。
朝鮮で石田も黒田と衝突していらんところで恨み買ってるし。
894人間七七四年:2011/01/10(月) 00:08:47 ID:kRoT1Zls
>>891
 頭、沸いてるんじゃないか?
 鎌倉幕府が滅んだ原因の一つが、長崎円喜に代表される身内人による幕府運営だぞ。
 れっきとした現時の名門、足利や新田、佐々木たちからすれば北条に支配されるのさえ
耐え難いのに、その家来筋にあごでこき使われたんだ。反乱起こすのも無理ない罠。
 それと同じで、だれが陪臣に身を落とした黒田風情の命令に唯々諾々と従うかね?
 黒田だって、陪臣にされるのは全力で断るだろうよ。
 最も息子の長政に播磨、因幡、伯耆、但馬あたりで100万石でもやって、大老にでも任命
してやれば話は別だろうがね。
 
895人間七七四年:2011/01/10(月) 00:56:15 ID:CZVFWcne

もしそうしたら黒田は平気で天下をとりにいきかねない
家康が譜代大名に大国を任せなかったのはそういう理由
896人間七七四年:2011/01/10(月) 01:11:23 ID:kRoT1Zls
>>895
 良いこと言うね。
 だから>>888 >>891みたいな妄想は成立しないよ。
 あの黒田が、1,2万石の小禄で陪臣になるとでもおもってるようだからなw
 息子をたかだか12万石程度にしか待遇しない豊臣に陪臣待遇で使えるもんか、あの如水が
897人間七七四年:2011/01/10(月) 19:48:55 ID:7NqInj4N
>>896
12万石は播磨から与力として加入した外様であることを考えれば、十分なぐらいもらってると思うけどな。
中国地方に行ってから降伏した小領主で多大な貢献してても、5万石ももらってない人がほとんどだから、
黒田は豊臣譜代の宿将と同じぐらいもらってて、かなり破格の待遇だよ。

だからと言って、外様なのに10万石もらえるクラスの人が、
1万石か2万石で身内人なれって言われたらキレると思うけど。
898人間七七四年:2011/01/10(月) 20:15:30 ID:CZVFWcne
>>897
前田なんか秀吉の親友というだけで80うん万石もらってるのに自分はこれっぽっちかという思いがあるだろうな
しかも前田は一度敵に回っているのにもかからわず、、、、

そういえば黒田の主君、小寺はどうなったの?
滅ぼされたの?
899人間七七四年:2011/01/10(月) 20:35:24 ID:9AVgDsAY
石高の多寡を絶対的基準でみるのってゲームの影響なんだろうな
900人間七七四年:2011/01/10(月) 21:04:30 ID:7NqInj4N
>>898
前田はもともと能登一国の国主で、秀吉が天下を争った一戦で勝敗を分ける裏切りしてくれたし、
厚遇しないわけにはいかんだろ?その上、能力はそれなりにあって、何やらせても間違いないから、
政治的な宣伝上でも、実務的な面でも取り立てなきゃいかん人間。

つか、小寺政職がどうなったかすら知らんで、嬉々として黒田語るなよ。
黒田の基本知識無い奴が、「黒田を豊臣の筆頭家老に!」って言っても説得力ねえよ。

小寺は荒木に呼応して信長に背いて信忠に滅ぼされた。
そういうわけで、今後黒田の名前出すなや。
901人間七七四年:2011/01/10(月) 21:31:18 ID:CZVFWcne
小寺が滅ぼされたのはだいたい見当ついてたわい
先のドラマでも織田には否定的だったしな
黒田としては主君を裏切るつもりはなかった
主君の小寺も織田の家臣にして自らは天下を補佐できる立場にいたかったふしがある
自分が牢獄にとらえられてる間に小寺は滅ぼされ自分は晴れて秀吉の家臣、
多少は後ろめたかっただろうな
彼としては三成のように京の近くの領地をもらい奉行として政治を切り盛りしたかっただけなのに九州の外れの領地をもらったものの中央政治から完全に切り離され豊臣に対して心が離れた感じだろうな
秀吉もせめて本多正信のような立場に置くべきだったかも
あきらかに敵に回すような事して何考えてんだか
902人間七七四年:2011/01/10(月) 21:46:00 ID:7NqInj4N
>>901
ドラマがソース。わらかすな。
903人間七七四年:2011/01/11(火) 00:17:53 ID:C5y8Af7p
>>901
蜂須賀は秀吉の側に居たいと言って領地経営は息子にやらせてたぞ。
904人間七七四年:2011/01/11(火) 19:45:43 ID:9wuNyi0a
別のスレで知った事なんだが尾張藩主徳川宗春、三成の子孫なんだってな
家康の側室の甥が三成の娘と結婚して、その子孫が尾張藩に雇われて


三成の娘が家康の甥と結婚してたのは知っていたが宗春が三成の血筋とはなんたる因縁か
905人間七七四年:2011/01/11(火) 20:35:14 ID:6M8FA/ZM
徳川綱誠の十九男

すごいなw
906人間七七四年:2011/01/11(火) 20:48:36 ID:XxvZJ7Aa
>>901
九州には黒田の他に秀吉腹心の毛利勝信や、
外様ながら信任厚い小早川隆景と秀包が封じられてるんだよ。
要は九州の目付け役に信頼できる人物を重点的に置いたの。
まあ、小早川は九州に領地あっても、五大老として天下の政治を執ったけどな。
907人間七七四年:2011/01/11(火) 21:17:06 ID:9wuNyi0a
↑九州はいつの時代も中央政権には脅威だな
鎌倉幕府の九州探題も滅ぼされてるし
室町幕府も九州には振り回されてたし
おそろしや九州
908人間七七四年:2011/01/11(火) 21:37:37 ID:KDbLl/W2
>>904
それって忠輝の方じゃないか
あと家康とは血縁関係ないんだから家康の甥とか書くべきじゃない
それに実際のところ千代姫を生んだのが岡重政かその息子の娘とされてるが
息子が重政と三成の娘と間の子供じゃないかもしれないし
娘が重政の娘なら年齢からして母親は側室かもしれないし
結構不明な点が多いから子孫じゃないかもしれない 
909人間七七四年:2011/01/11(火) 22:02:49 ID:lNhcwr5J
>>906
黒田は座敷牢に入れられた訳だ。
海を挟んで四国には藤堂と地味な加藤
中国は毛利、そして博多に小早川、その寄騎に毛利勝信
その後ろ巻きには立花、鍋島、小西、清正と官兵衛が謀反しようもないな。

910人間七七四年:2011/01/11(火) 22:28:22 ID:vvZAa/xd
>>909
え?毛利勝信は九州探題って言われてて、文禄の役では南九州の諸大名を指揮して戦ってるんだけど。
与力なんかじゃないよ。あと、黒田如水も九州監視役の一人な。
911人間七七四年:2011/01/12(水) 00:27:46 ID:pdIpW0pK
そもそも秀吉が家康に関八州与えた時点で終ってただろ
912人間七七四年:2011/01/12(水) 00:56:04 ID:cdoXHkCW
関4州ぐらいにしとけば良かったか?
913人間七七四年:2011/01/12(水) 02:20:12 ID:CEDfp0dv
911様。

秀吉とすれば、佐々成政のように
いったん、大領を与え,失政が
あれば、削減、もしくは、切腹を
申し付けるぐらいの腹でおったのかも
しれないし、原っぱだらけの全く開拓されて
ない関東が、あのように家康の手で
開拓されるとはよもや、思わなかったに
違いない。まあ、秀吉とすれば当時、

家康を遠方に遠ざけて少しでも
豊臣を政権の座の存続にかけたのだろうが。
北條を滅ぼし、家康の力を削減しようとして
逆手に取られたというところだね。
家康は本当に慎重な用心深い男だった。
914人間七七四年:2011/01/12(水) 05:35:25 ID:cFPGdtIO
小田原じゃなくて江戸というのがな
家康が関東治めて小田原城に籠もられたら難攻不落どころじゃない
秀吉からしたら伊達とかと揉めるなら勝手にやってくれって感じだろうし
915人間七七四年:2011/01/12(水) 18:09:44 ID:NGHYuckI
>>912
将門様のおかげです
彼の呪いで家康に天下を呼び寄せたわけです

今も将門様に支配されてるな江戸は
916人間七七四年:2011/01/12(水) 19:37:39 ID:bdLcavpE
権現神話を鵜呑みにし過ぎ。もともと江戸は水運都市だぞ?
北条が三家老の一人の遠山と、それに次ぐ宿老の富永の二人を城代に入れてて、
北条家中最大の軍事力を持つ江戸衆に守らせてたほど重視されてた。
それに小田原本拠地にしたら、駿河から大軍に侵攻されたら、
あっさり包囲されて手も足も出なくなるのは小田原の役で実証済み。
917人間七七四年:2011/01/12(水) 20:26:55 ID:NGHYuckI
江戸城を作った太田道灌をスルーしないでください
文武両道を兼ね揃えた名将
家康よりも三成よりも加藤よりも秀吉よりも明らかに上
仕える主君が糞すぎた(北条早雲が心底恐れたほどの男)
918人間七七四年:2011/01/12(水) 20:45:57 ID:tEe7YeJB
いくら何でも過大評価だろw
919人間七七四年:2011/01/12(水) 20:52:45 ID:NGHYuckI

でも太田道灌より優れた武将て織田信長くらいしか思いつかない
ただ彼は自分の才能をひけらかすところがあったようで主君の扇谷上杉氏に暗殺されてしまった
お風呂に入ってる時に襲撃するなんて扇谷は腐ってるな
早雲は複雑な心境だったかも
920人間七七四年:2011/01/12(水) 20:56:18 ID:NGHYuckI
>>916
鎌倉も一見完璧な要塞都市だが情報が入りにくい閉塞感漂うのでホームタウンには向かないな
鎌倉幕府滅亡で証明ずみ
小田原もダメ
やはり江戸が最強か
921人間七七四年:2011/01/12(水) 20:58:06 ID:hPGDT99J
>>919
周りが全部馬鹿に見え、それを隠さないというのは大欠点
922人間七七四年:2011/01/12(水) 21:02:05 ID:NGHYuckI
太田道灌も三成もそうだけどあまり才気ある人間は妬まれるな
前田利家の孫利常みたくバカ殿様を演じてた方が賢かったな
太田道灌と三成の共通点は才能をひけらかすところかな
もう少し控えめにするべきだったかも
923人間七七四年:2011/01/12(水) 21:06:00 ID:NGHYuckI
さらに太田道灌と三成の共通点
両者とも幼い頃から読書にあけくれてた事
勉強熱心で真面目な子供だった
大人になったら嫌われるタイプ
悪童だった加藤や福島からきらわれたのは必然的か
それにしても太田道灌は惜しい人物だな
924人間七七四年:2011/01/12(水) 21:10:18 ID:bdLcavpE
道灌を三成を持ちあげる材料に使うなカス。
黒田筆頭家老論の次は、道灌賛美に切り替えたか?
925人間七七四年:2011/01/12(水) 22:01:30 ID:NGHYuckI
少なくとも家康は賛美するに値しない
ま優れた部下に恵まれたのは認めるがそれらを見抜いて引き上げたわけでも無いし
三成が自分と同じ石高を持ってたら惨敗してさらし首だよ
926人間七七四年:2011/01/12(水) 22:47:25 ID:B3FvIyNS
>>925
榊原康政…家老の家来をを直属の侍大将に取り立て
井伊直政…没落した遠江国人の子供を側近に取り立て
本多正信…離反して浪人した下級家臣を奉行に取り立て
板倉勝重…坊主を奉行に取り立て
伊奈忠次…二回自分の元を離れて浪人した下級家臣を奉行に取り立て
927人間七七四年:2011/01/12(水) 22:50:24 ID:Br+ZIWzf
同じ石高も何も三成が家康と同じ境遇だったら250万石になる前に惨敗してさらし首だよ
そんな比較に意味はない
928人間七七四年:2011/01/12(水) 23:04:13 ID:dgimuoaU
>>925
こいつ、真田厨だろw
三成にことよせて家康を貶めることしか考えてねー
さすが表裏卑怯と「秀吉に言われた昌幸やそのバカ息子信繁
こと幸村を崇拝する真田厨らしい卑怯さだな。

こんなy津に利用されるとは、三成も気の毒だ。
929人間七七四年:2011/01/13(木) 00:03:04 ID:UaCCmZrT
250万石も何も家康なんてほとんど火事場泥棒しかしてねーだろw
930人間七七四年:2011/01/13(木) 00:17:46 ID:hxV7b1VH
火事場泥棒だけで250万石になれるならそれ以下の石高でしかない連中はどれだけの無能だよw
931人間七七四年:2011/01/13(木) 01:08:40 ID:mLBxgTvu
たまに三成が家康と同じ石高を持ってたらとか書く人いるけど
三成が250万石を持てるだけの実力があると思って書いてるのかね
932人間七七四年:2011/01/13(木) 01:16:51 ID:C5KvOi1O
家康よりも武将として、また人間として優れた武将はいくらでもあげられるわな
933人間七七四年:2011/01/13(木) 02:05:47 ID:nTZrqjrd
>>932
うんうん、で、その人たちは将軍になれたの?
934人間七七四年:2011/01/13(木) 07:14:08 ID:7Ts8cZVS
その人物の能力と石高が比例するとか思ってる馬鹿がいるのかw
935人間七七四年:2011/01/13(木) 07:17:52 ID:68so/uRG
ワンマン大名じゃない限り比例してもおかしくない
936人間七七四年:2011/01/13(木) 07:17:58 ID:3dpXPVWo
俺も本気出せば家康より上にいけるし
みたいなとこかね
937人間七七四年:2011/01/13(木) 14:20:33 ID:OYoeY/4q
多分三成は性格は悪くない
頑固で他人にも自分にも信念にも妥協出来ないタイプなだけで
938人間七七四年:2011/01/13(木) 15:36:14 ID:B50SG6FM
>>932
たとえば誰? 「いくらでも」ってことは100人くらいいるんだろ?
939人間七七四年:2011/01/13(木) 15:55:38 ID:B50SG6FM
100人は多いからパッと思いつくやつ20人
940人間七七四年:2011/01/13(木) 17:00:05 ID:C5KvOi1O
総合的に考えれば石田三成(人望がかなりマイナス)は家康には及ばないにしても
武田信玄のように一世代上などは除く
浅井長政
武田勝頼
蒲生氏郷
加藤清正
織田信長
豊臣秀吉
小早川隆かげ
島津兄弟
立花
真田親子
黒田親子
藤堂高虎
大谷吉継
長宗我部元親
直江兼つぐ
とりあえずこれだけはあげられる
最上や利家あたりは微妙

もし家康が浅井長政や武田勝頼の立場で生まれてきたら同じ運命をたどるだろうな
全くの成り行き任せの人生で気がつけば天下を狙える立場だったので天下を動いたまで
もし天下を奪いにいかなければ石田三成らが言いがかりをつけて徳川解体に動いただろうからやむを得ず天下をとりにいった
彼と同じ立場だったら大半の大名なら天下を取れるよ
941人間七七四年:2011/01/13(木) 18:06:16 ID:C5KvOi1O
徳川単独でどんだけの大名を滅ぼしたのか
答えは皆無
今川は義元がすでに死んでくれてたので武田と協力して滅ぼせただけ
斎藤は織田単独だが浅井朝倉は徳川の協力でうちほろぼしたが徳川単独では無いし武田にしろな
もし信長がいなければうだつの上がらない雑魚大名(ていうか今川の家臣同然だから大名ですら無いか)
ま家康のおかげで今日の日本があるので感謝はしているけどね
もしいなかったら今でも日本は武士階級が政治を握っているかもしれないしな(外国では軍事政権は少なくない、中国もはっきりいって軍事政権)
942人間七七四年:2011/01/13(木) 18:24:29 ID:B50SG6FM
>>940
加藤・蒲生・直江・大谷は家康より下だろw
真田・黒田も親父はともかく息子は下じゃないか?
943人間七七四年:2011/01/13(木) 19:12:12 ID:/KfIK99G
いや、最初の浅井長政の時点でネタ以下だろ。
浅井長政がいったい何を残したというのか。浅井三姉妹かw
あと、>>940に挙げられた武将達よりも家康が圧倒的に優れていた
点がひとつ。それは「人を使役する能力」。
家康は信長や秀吉のように天才型の人間ではないので、
能力ある人材を使わなければならなかった。
蒲生氏郷や加藤清正、真田親子なんかは兵の将だけど、家康は将の将だね。
944人間七七四年:2011/01/13(木) 20:03:10 ID:C5KvOi1O
>>942
そのいずれも元々家臣か浪人からのスタート
家康みたいに大名の嫡男からスタートという恵まれた環境ではない
やはり下克上とはいえ大名からスタートした者が圧倒的優位だろ
先祖代々の家臣もいるし
そもそも大谷が最初から大名だったらと想像してごらん
また家康が農民からあるいは下っ端の武士からスタートしたと考えてみよう
大谷はともかく家康は一生うだつの上がらん農民のままで終わっていたわい
945人間七七四年:2011/01/13(木) 20:06:20 ID:B50SG6FM
>>944
下っ端の武士からスタートでも、けっこう出世したと思うけどな家康
さすがに秀吉みたいに天下人は無理だろうけどw
946人間七七四年:2011/01/13(木) 20:12:43 ID:C5KvOi1O
浅井は立場上、信長を敵にまわさなければならなかった状況
親父や家臣ほとんどが朝倉につくという状況なんだからな
家康が浅井長政だったら同じ運命をたどっていたな
とにかく浅井長政は善政をしき戦上手、地元の小学校では歌まで作られるほど賞賛された人物
家康より明らかに格上だろう
大天才信長の影に隠れただひたすらハイエナのごとく死肉を食いあさって勢力を拡大しただけの男だろ家康は
それどころか勝頼にすら及ばないと思う
客観的に見てな
ま身体障害者(及び精神障害者)伊達政宗よりは上だという事は認めてあげるよ
947人間七七四年:2011/01/13(木) 20:15:19 ID:B50SG6FM
>>946
1行目と2行目が理解不能なんだが
悪いけど説明してくれるか?
948人間七七四年:2011/01/13(木) 20:36:40 ID:C5KvOi1O

浅井長政は家臣達の強い押しで家督を継いだとはいえ信長みたく独裁者的立場ではない
親父も健在だしな
本心は織田につきたかったのが本心だと思うが親父はもちろん家臣達のほとんども朝倉支持
織田を裏切るしか道は残されていなかったといったところか
もっとも織田に従っていたら一生うだつが上がらんので己のプライドも考えて裏切つた可能性も考えられるがな
いずれにしても家康よりは明らかに格上だよ
関ヶ原まで見たかったな長政(ていうか長政健在なら秀吉が天下とれたか疑わしい)
949人間七七四年:2011/01/13(木) 20:43:23 ID:nTZrqjrd
ふーん、ぬるい六角としか戦ってないのに、
江北三郡からまったく領土広げられなかった浅井長政が、
三河一郡から六年で三河統一した家康より上ねえ。
950人間七七四年:2011/01/13(木) 21:09:05 ID:B50SG6FM
>>948
親父が健在と言っても現当主は長政なんだから、織田につく道もあったんじゃないの?
もしプライドが原因で裏切ったのなら、ちょっと大名として失格だと思う
951人間七七四年:2011/01/13(木) 21:34:01 ID:mLBxgTvu
そもそも誰かが何々だったらとか想像すること事態無意味だと思う
家康が長政と同じ立場だとしても
その家康は史実とは違う教育や環境を受けた家康だから
もう我々の知ってる家康とは違う人物なわけじゃない
それで比べても意味がない
だいたい家康が家康の能力を持ってるまま長政と立場が変わるなんて
ゲームじゃあるまいし
長政と同じ環境や教育を受けたら史実の長政と同じ行動をとるんじゃない
952人間七七四年:2011/01/13(木) 21:48:54 ID:B50SG6FM
どんな教育を受けても行動が変わらないのは信長くらい?
953人間七七四年:2011/01/13(木) 22:16:18 ID:G2cM8bHU
三成だって家康みたいに幼少時に孤児になって、今川義元のもとで幹部候補生として
教育を受けていれば、あんなエリート臭紛々たる鼻持ちならない秀才君にならなかった
とも言えるし、立花宗茂だって、二人のオヤジに鍛え上がられないで、近江の寺で小姓
をやってたら三成タイプの秀才くんいなってたかもしれない。
ID:C5KvOi1Oは典型的なゲーム脳だな。
954人間七七四年:2011/01/13(木) 22:19:49 ID:cxwZzLAM
ID:C5KvOi1Oは西軍持ちあげたいけど、知識が足らなくて仮定の話しかできない人だからしょうがない
955人間七七四年:2011/01/14(金) 00:00:55 ID:AXxeIo4c
三成は秀吉の子飼い奉行ということで石高の代わりに豊臣の威光を使える立場だった
もしも三成が豊臣の名前をまったく使わなかったら代わりにどれだけの石高があろうとも戦いにさえならない
石高なんて関ヶ原の遥か以前から分かりきっていることなど言い訳にもならない
956人間七七四年:2011/01/14(金) 00:34:20 ID:D6AGYg1m
>>949
親父の代で六角の属国的立場に成り下がっていたところで家督を継いで六角に戦を仕掛けて撃ち破り対等な立場になった(その時ブスの六角娘をつっかえして)だけでも評価できる
更に姉川でも織田の大軍相手に善戦
ただ悲しいかな相棒の朝倉が糞弱かったので惨敗したがな
一方家康は今川が義元の死でガタガタになってるところへ強豪武田と組んでどさくさに紛れて領土を拡大
家康ごときでも勢力を拡大できるわい
家康単独ではとても今川を攻略なんてできなかっただろう
結局奴は信長武田信玄という二人の番長の影に隠れていばりちらしただけの小物
武将としては明らかに浅井長政はもちろん武田勝頼にも及ばないわ
こんな雑魚が天下人とは神様の気まぐれだな
957人間七七四年:2011/01/14(金) 00:42:10 ID:AXxeIo4c
>ただ悲しいかな相棒の朝倉が糞弱かったので惨敗したがな

糞弱い朝倉についた浅井が間抜けなだけだろw
958人間七七四年:2011/01/14(金) 00:57:08 ID:wf7bGQjU
スレ違いすんません。
>>956
>ブスの六角娘
 平井氏娘のことかと思いますが,「ブス」というのは何に出てるんですか。
959人間七七四年:2011/01/14(金) 01:01:40 ID:psPwUgDI
>>956
とりあえずブスとか分かってないところで貶すのはやめた方が良いよ(史書に
容姿の記載があるのならすまん)。
んで長政をそういったことで評価するのなら桶狭間後のごたごたを付いたとは
いえ独立を勝ち取った家康も評価するべきだと思うよ。独立後も自分の力で三河
を切り取ってるわけだし。あとどさくさに紛れて領土を拡大と言ってるけど信玄
と協定を結んでの侵攻なわけだしどさくさではないのでは?もしどさくさという
レベルだったとしたら何故駿河を取った足で信玄は遠江を取らなかったのかと
言う疑問が。

・・・・・・まあ、一番の疑問は三成スレなのに家康の話になってるのは何故だと言う
ことなんだが。三成って家康の関ヶ原の相手ということでしか語ることがない
のかねえ。もしそうだとしたら家康を貶めても、それに負けた三成はもっと
へぼいってことにしかならないよねえ・・・・・・。
960人間七七四年:2011/01/14(金) 07:15:58 ID:ypRakgm+
>>959
三成スレでわざわざとんちんかんな理屈で家康を持ち上げるお前がキチガイなのは良く理解したよ。
961人間七七四年:2011/01/14(金) 08:30:32 ID:psPwUgDI
>>960
長政を持ち上げてる理由見てあれ?それなら家康もそんなに貶める必要なくね?
と思って書いたんだけど、とんちんかんだったかすまんかった。

でもここんところのレス見てて清正とか家康とか三成にとって負けた相手を
貶めても負け惜しみにしかならないんじゃないのかなあと思ったけどそうでも
ないのかね?東西両軍の良かったところを褒めるか、そうじゃなかったのなら
関ヶ原以外の業績で三成褒めた方が良くないかね?
962人間七七四年:2011/01/14(金) 09:37:57 ID:U1j28mW5
>>940
蒲生や大谷って家康より上と判断できる実績あったっけ?
963人間七七四年:2011/01/14(金) 10:33:31 ID:PyAMpp8k
>>961
大体、誰かを持ちあげるために他者を貶す行為自体がお門違いじゃないか?
964人間七七四年:2011/01/14(金) 11:42:56 ID:qa3k80KQ
比較ネタは荒れるだけ、無意味だ
大体、浅井長政と比較するなら家康30代位の時との比較しなきゃ
朝倉を選んだ浅井と、今川じゃなく織田を選んだ家康、それだけで結論出てるだろ!
965人間七七四年:2011/01/14(金) 14:28:02 ID:owns6J1I
>>964
それ,「比較ネタ」でネーノ?
966人間七七四年:2011/01/14(金) 19:07:29 ID:D6AGYg1m
>>964
織田の人質時代、信長の恐ろしさをまざまざと見せつけられた上、あの義元様を討ち取ったのを見て織田につかないアホはいない
ましてや今川の跡継ぎがあの氏真だから悩むまでもない
とはいえ多くの人質を見殺しにしたのは戦国の習いとは言え、、、、
967人間七七四年:2011/01/14(金) 19:52:57 ID:U1j28mW5
見殺しにしないともっと死者が出るから仕方ない
968人間七七四年:2011/01/14(金) 21:39:33 ID:D6AGYg1m
もし家康がいなかったらどうなっていたか考えた
さすがの信長も家康がいなければ(というか松平そのものがなければ)今川は武田と連携して滅ぼすとして強豪武田がお隣なら好き勝手に上洛もしにくいのでなかなか勢力を拡大しにくかったな
また浅井朝倉を滅ぼすきっかけの姉川の戦いの圧勝も徳川の加勢なくして有り得ないし、、、
その後の秀吉の天下も難しいだろうな
だからといって家康が単独で天下なんか天地がひっくり返っても有り得ないがな
かつての平家も鎌倉北条氏も足利も一人の力で天下を取ったわけでない
みんなの力で天下を取れたわけだが徳川にはそういう感謝な気持ちが感じられない
それが一番嫌い
969人間七七四年:2011/01/14(金) 22:16:57 ID:U1j28mW5
「感謝な気持ち」感じられる天下人って誰? 1人も思いつかないんだけどw
970人間七七四年:2011/01/14(金) 22:39:05 ID:kbqkIIrn
>>968
平家が誰に感謝したのかね?平安貴族から総すかん食った官位独占と驕慢さが有名だよな。
鎌倉北条が誰に感謝したの?主家の源氏を暗殺しまくって滅ぼし、天皇陛下を流罪に処し、仲間の有力御家人を
滅ぼしまくったあげく内ゲバで殺しあった連中ですが?
感謝の気持ちが足りないねw
徳川は、阿呆の豊臣を除けば、織田も木下も浅野も、いずれも大名として存続させてますがw
特に浅野は広島の大大名ですぜ、知ってました?
その上、三成の息子は津軽家で子孫を残してますぜ。
どこが感謝がたりないのかな、かな
971人間七七四年:2011/01/14(金) 22:43:27 ID:Y1JM06Wh
>>968一言で言うと三成に勝った天下人家康がきにくわねぇ!!ってことだろ
972人間七七四年:2011/01/14(金) 23:05:28 ID:kbqkIIrn
>>971
 騙されてますぜ旦那。
 >>968は単なるアンチ家康、断じて三成厨ではない!
 そもそも三成厨なら関が原以前の業績についても書くことで、関が原で
あれだけの大軍を召集できたことを説明できるのにな。
 アンチの俺ですら、未島津の領国での見地と財政再建、津軽家の後援
領国での善政(石田地蔵な。ここんとこ重要だよ>>968
 秀次事件での最上の姫の助命嘆願(まにあわなかったが)
 小早川や秀次家をリストラされた浪人の再就職を支援(まあ、自分で引き取った
わけだがw
 これぐらい知ってるよな>>688
973人間七七四年:2011/01/15(土) 00:12:20 ID:WxcTZXQP
>>972
>>968を否定する為にまるで家康が感謝の気持ちで豊臣旧臣や織田旧臣を残したかのような発言だなw
主君殺しといて感謝も糞もねーだろ。お前は>>968と全く同レベルだって事に気付けw
974人間七七四年:2011/01/15(土) 00:15:39 ID:DtaecWwA

当然、今あげた全ては知ってるよ
ただこのスレで石田を賞賛すれば叩かれるからな
975人間七七四年:2011/01/15(土) 00:23:27 ID:DtaecWwA
>>970
石田の息子をかくまったのは石田に恩を感じてる津軽の功績
徳川は関係ないだろ
それと豊臣秀吉の墓を壊し荒れるがままにしたのは天下人としては糞恥ずかしい
あの中国の清ですら明朝歴代の墓を大切に保管してるのに恥ずかしくないのか(中国凶惨党はともかく)

ちなみに足利は北条の墓を破壊したとは聞いてないしな
976人間七七四年:2011/01/15(土) 00:28:23 ID:kK6hd5p0
>>973
皮肉もわからないのかな、かな?

浅野や木下の存続は、実際のところ、後世へのアリバイ作りだよ。
浅野と木下は、高台院の系統だが、秀吉が史実に出てきた最初の名乗りは
木下藤吉郎、高台院の実家の姓を名乗ってるからな、豊臣本家が潰れても
秀吉の最初の名乗りだった木下家が残ってれば、世間的には言い訳が立つ。
浅野は高台院の妹の家だし、元々、家康党だから優遇するのが当たり前。
977人間七七四年:2011/01/15(土) 00:36:15 ID:kK6hd5p0
>>975
それは乳母が春日局だった家光の罪だな。
少なくとも家康の罪ではない。
清は女真族だから、前代王朝の明の皇帝陵、破壊したら反乱続出でアウトだわな。
足利は、内部の権力闘争や南朝問題で手一杯で滅んじまった北条なんぞ眼中に無いだろう。


978人間七七四年:2011/01/15(土) 00:55:14 ID:a57G1WB9
>>975
>石田の息子をかくまったのは石田に恩を感じてる津軽の功績
家康がその気になれば津軽に石田の息子の切腹を要求できるし従わなければ津軽を潰すこともできる
石田の場合は石田家自体に権威や力があるわけではないから情けをかけて放置してやったんだろ

>ちなみに足利は北条の墓を破壊したとは聞いてないしな
足利は北条からではなく南朝から権力を奪ったのだから関係ない
徳川でいうなら信長の墓には何もしていないのと同じこと
お前は基本的な日本史を理解していないな
979人間七七四年:2011/01/15(土) 01:24:44 ID:WxcTZXQP
>>976
お前さぁ、「家康は感謝の気持ちが無い」って言ってる人間に
「家康は感謝の気持ちで織田旧臣や豊臣旧臣を残したわけじゃない」
って言ってんなら日本語のやり取りとして成立しねーだろw皮肉にも何にもなってねーよ。
結局その後、家康の情けで〜とか言っちゃってるし。
兎に角相手の言っている事を全部否定したいってだけだからそんな風になるんだよ。
980人間七七四年:2011/01/15(土) 08:37:45 ID:+Hw5Ulej
徳川家はひとつの企業みたいなもんだから家康が云々語るのは無駄
981人間七七四年:2011/01/15(土) 09:03:16 ID:kK6hd5p0
>>979
 
 >>976の俺と>>978が同一人物と読み取ったのかw
 お前こそ、人の区別も付けられない読解力のない奴だな。
 誰と戦ってるんだ?

>>974
 良いこと言った。真の石田好きは、事の是々非々を弁えてるな。
 アンチ石田の俺としては、大谷の「家康と寿命勝負せいや」って
アドバイスを蹴って挙兵したのは浅慮だったと思うね。
 いくら家康が専横したって、信長、信忠が死んで信雄VS信孝に
なった織田家と違って統一政権の豊臣から政権を奪取して徳川
幕府みたいな政権を作るのは無理だろう。
 宇喜多みたいな完全な親豊臣派や石田の挙兵がなきゃ親豊臣
でいるのが当たり前の小早川、豊臣政権No3の毛利、領国指向が
強く内向きの島津などが健在な状況で、家康が出来ることは、せいぜい
徳川関東府を作ることぐらいだろう。
982人間七七四年:2011/01/15(土) 09:15:55 ID:WxcTZXQP
>>981
じゃあお前は自分と関係ないレスにとんちんかんなレスをしたただのキチガイって事?
983人間七七四年:2011/01/15(土) 09:24:20 ID:kK6hd5p0
>>982
 ええ、木印で結構ですよ。
 そんなとこ突っ込んでる暇があったら、俺が後半に書いた点について
反駁なり、論難していただけないでしょうか?
 まあ、趣旨としては三成の真意は政権返り咲きであって、豊臣家への
忠誠という旗印を利用した困ったちゃんというのがアンチ石田の俺のスタンス。
984人間七七四年:2011/01/15(土) 09:48:58 ID:WxcTZXQP
>>983
ID:kbqkIIrnの矛盾に対して突っ込んでんのに「皮肉が〜」とかとんちんかんなレスをして
それを指摘されると同一人物じゃないから関係無いと言う。
更にそこと全く関係ない浅野や木下を残したのはアリバイの為であるって事に反論しろ?
お前リアルでキチガイだろw
何か議論したいのならもうちょっとまともにやれよ。
まぁいいや。関ヶ原は家康派と反家康派の対立が上杉征伐というチャンスによって引き起こされただけ。
それぞれの利害が一致したから二大老三奉行による決起になったわけで
石田個人の思惑だけで出来るようなもんじゃない。
985人間七七四年:2011/01/15(土) 10:33:51 ID:kK6hd5p0
>>984
 二大老三奉行の反徳川派による決起について質問しますが、よろしいでしょうか?
 石田  政権返り咲きを狙った行動、かつ家康政権下では自家の存続さえ危ういという危機感
 長束  豊臣政権の財政基盤を崩すような家康への反発(自己の職掌への侵犯への怒り)
 宇喜多 宇喜多騒動での最低への不満、家康による調停という内政干渉を受け入れた屈辱
 ここまでは、とんちんかんかもしれませんが理由づけできるのですが・・・・・
 毛利と増田が理由不明なのですが、この二人は、あなたの見解では、どのような理由から決起
したと思われますか?
 自分としては、毛利は前田、上杉と大老排除の動きを見せる家康を見て、次は自分だと感じたこと
と家康さえ排除すれば、豊臣を傀儡化して実質毛利政権が誕生すると考えて決起したと見ています。
 しかし増田については、どういう理由で反家康(後に家康に寝返りますが)になったのかわかりません。
 巻き込まれたにしては、戦後処置が厳しすぎる(実質囚人状態で大阪の役まで過ごす)
 二大老三奉行の反家康行動の動機について、どうお考えなのでしょうか?
 
 
986人間七七四年:2011/01/15(土) 11:58:54 ID:WxcTZXQP
>>985
元々家康と強い繋がりのある家以外は反家康派の体を取っており、
利家の死によって本来の反家康派・親家康派が明確になった。
この時の七将襲撃事件では増田も襲撃を受けており、
毛利も家康派に対して攻撃を仕掛けようとしている為、
この時点では既に反家康派の中核として位置付けられる。
政権の中で特定の人物が極端に力を増す事は、その人物に近い
者以外にとってはデメリット以外の何物でもない。
また西国の統治者として位置付けられていた毛利にとって
徳川単独で権力を増大させる事は許容し難い事であっただろうと思われる。
ただ、関ヶ原では四国・九州に対する攻勢は積極的であったものの
中央に対してはあまり積極的ではなく、自らが政権を奪取したいとまで考えていたとは思えない。
増田の密告の真意は不明だが、七将襲撃事件での敗北以降は弱腰であり、
西軍の挙兵がどの程度の規模になるかによって態度を変えられるようにしていたのかも知れない。
987人間七七四年:2011/01/15(土) 12:21:16 ID:kK6hd5p0
>>986 
ありがとうございます。
こういう建設的な、お話をしていただくと心が落ち着きます。
毛利は四国、九州における勢力拡大がメインで、西国探題みたいな
ポジションを秀頼政権下で取りたかったというお考えで宜しいですよね。
増田は襲撃後、弱腰になっており、どっちつかずのポジションに置かれ
てしまった為、右往左往したというわけですね。
そうすると三成は反家康の狼煙をあげたスポークスマンみたいな役どころ
で、実質は毛利、宇喜多らによる反家康クーデターと考えておられる訳ですね。
988人間七七四年:2011/01/15(土) 12:38:27 ID:WxcTZXQP
>>987
西国探題のようなポジションを取りたかった?
毛利が元々置かれていたポジションくらい知ってるよな?
増田は基本的には西軍だが、一旦敗北しているので保険として家康への
内通という手段を取った可能性はあるが、定かじゃあない。
政権全体の決定として政権担当者の一人を排除しようとした事をクーデターだとは言わない。
989人間七七四年:2011/01/15(土) 13:44:24 ID:WMHwIpgK
>>988
実際のトップを排斥しようとしたからクーデターです
990人間七七四年:2011/01/15(土) 13:58:13 ID:WxcTZXQP
この時点では対立派閥の長という状況であり、実質的な政権の運営者であるとはとても言えない。
991人間七七四年:2011/01/15(土) 14:17:22 ID:WMHwIpgK
大坂城に入城して以降は彼が公儀を取り仕切っている
992人間七七四年:2011/01/15(土) 14:19:52 ID:bsMGsGze
>>988
秀吉の遺言を受けて伏見で政務を取っており、
名実ともに筆頭大老である事は疑いようのない事実。
家康は、間違いなく政権の運営者で、秀吉死後最も権力を持った立場。
それを軍事力で排斥する行為はクーデターだね。
993人間七七四年:2011/01/15(土) 15:10:59 ID:a57G1WB9
>>988
三成たちが家康の留守をついて勝手に主張しているだけで政権全体の決定にはならない
それに会津征伐は(たとえ形式的であろうと)秀頼の正式な認可を受けた事業
それを自分達が気にくわないからと武装蜂起して決定を取り消そうとする行為は豊臣への挑戦でもある
994人間七七四年:2011/01/15(土) 17:59:27 ID:kK6hd5p0
>>988
 言葉足りずで申し訳ない。
 私の西国探題というのは、毛利領に加え、日本海側は伯耆+長宗我部を覗く四国、
島津領を除く九州全域に対する支配権を握った西日本の支配者(中国でいう周代の伯)
を意味してると思ってください。
 簡単に言うと豊臣政権から西日本の支配権をほぼ移譲され、裁判権、軍事権、課税権
などの包括的な「統治権を完全委任された状態です。
 毛利としては家康排除に成功した場合、この程度の利益享受を望んでいたと思われますか?
995人間七七四年:2011/01/15(土) 18:09:59 ID:YE8OmAJD
【治部】石田三成総合スレ 8【佐吉】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1295082581/

次スレ
996人間七七四年:2011/01/15(土) 19:01:37 ID:WxcTZXQP
>>992
家康が命じられたのは伏見での「諸職御肝煎」であり、庶務の統括。
政権運営を任されたという訳じゃない。
重要な決定事項は利家や奉行等の承認を得なければならず、
決して家康をトップとする政治構造になった訳じゃない。
>>993
当時の政権担当者である五奉行・五大老の内、利長・長政・三成の
三人は失脚しており、政治決定権は無い。
彼らと当事者である家康・景勝を除く全員が檄文を発しているのに
これを「勝手な主張」だというのは滅茶苦茶な話。
会津征伐を取り消そうとして弾劾状出した訳じゃないしな。
>>994
だからさぁ、知っててそんな事言ってるのか、知らないから
的外れな事言ってるのかどっちだよ?
997人間七七四年:2011/01/15(土) 19:18:48 ID:jxOkGj10
景勝が職務放棄して出仕しないし
輝元も帰国して居ないし
宇喜多は騒動だし

家康以外真面目に働いてないがな
998人間七七四年:2011/01/15(土) 19:38:19 ID:kK6hd5p0
>>996
取次は分かってます。
コピペすると下のような役割ですよね。
>>取次は諸大名への命令伝達、統一過程での服属促進、豊臣政権下での政策指導、
>>軍勢や普請の動員や指揮といった働きを果たし、政権からその役割を公的に認められ
>>期待された最高級のメンバーである。
私が言いたいのは、取次ではなく、周における伯のごとく、豊臣政権からほぼ独立した形で
毛利が諸侯の盟主としての独裁権を握ることを目論んでいたかです。
999人間七七四年:2011/01/15(土) 19:57:17 ID:sYIA0yjO
妄想乙

1000人間七七四年:2011/01/15(土) 21:01:47 ID:WxcTZXQP
>>997
景勝の帰国は家康の勧めによる可能性が高く、七将襲撃事件に関する処置だと思われる。
輝元の帰国も家康出発の直前であり、これも家康の意向である可能性が高い。
>>998
は?独裁権?一体何を根拠に言ってんだ?
つーか、毛利が取次だったなんて記録はねーよw
10011001
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