弱小・北条氏康が今川・上杉・武田・里見に大敗

このエントリーをはてなブックマークに追加
367人間七七四年
>>252
連歌師谷宗牧が旅を記した東国紀行の記述では
谷宗牧が小田原を訪問した際の記述であり
1545年以前から筧が存在していたことがわかるだけですよ。
いつ作られたのか?誰が作ったのか?どの程度の規模だったのか?
などまったくわかってません。
わかるのは山上の箱根芦ノ湖から降ってくる早川の水を引いてきてるという点だけ。
1541年に氏綱が死んでるから氏康の時期には存在してたと称してるだけ。
そもそも小田原城の持ち主は扇谷上杉氏の相模守護代であった大森氏で
1501年頃までに早雲が小田原城を手に入れているわけです。
それゆえに小田原に良質な井戸がないなどの問題で
飲料水として大森氏の時代にはすでに存在していたとしても
なんら問題にないものであり、
それを北条氏が作ったなどとは到底証明できるものではありません。
新編相模国風土記はもっと後世の話であり
まったく関係ない話しかありません。