上杉謙信が戦国最強に決定(武田・北条・織田を圧倒)

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273人間七七四年
謙信の目的は沼田・厩橋と佐竹との連絡線の佐野の保持して越後国の後背を安定させつつ
将軍を助けるために上洛する目的であって別に打倒北条なんて掲げてない。
あとは北関東諸将からの要請で関東管領として手伝い仕事をしてたに過ぎない。
信濃侵攻が少ないのはそもそも信玄が常に攻勢側だったからで、
謙信が越後国の安定の為に脅威に感じてたのは信玄だけ。
武田の外交政策に北条は常に翻弄されて駿河まで奪われメンツ丸つぶれになりながら結局は土下座して再同盟を結んでもらった。
あくまでも外交の主導権は武田側であり、越相同盟中に甲越和与まで結ばれて小田原を蹂躙されてる。
信玄は中央権力である将軍や一向衆まで動かして操作していた。