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人間七七四年:
耳川のあと1年間は大友瓦解の危機的状態になるが、隠居していた宗麟の復帰で家中の動揺を抑え信長との外交チャンネルを開いた。
信長もゆくゆくは大友に毛利を突いてもらおうかと思い、義統に長門周防をあてがった。
大友に反旗を翻した国東半島の国人らへの毛利が援軍を出すが、この時期になるとかねがね育成していた大友水軍が巨大化しており
毛利水軍を大敗させ長門周防へ追撃をするなど毛利はもはや制海権すら失われた。
この時期になると大友本軍の支援も無いままに道雪による対龍造寺の筑前筑後での勢力回復戦を開始。
龍造寺と肥後で対立し始めた島津は精強な龍造寺との戦いを避け和睦し大友攻めを狙うも、
信長が乗り出し大友のために島津との和睦を斡旋し代わりに大友による長門周防攻撃を要請。
しかし毛利にとってラッキーなことに信長は本能寺に死す。
龍造寺は島原にて島津と激突するも右翼の有馬や中軍の赤星の奮戦と鍋島の裏切りで隆信が討ち死にし島津が北上を開始する。
老体にムチを打って道雪は龍造寺を筑後から追い出すべく長駆し柳川城攻めをするも
体調の悪化と水都と呼ばれる要害柳川城の力攻めによる少ない手勢の被害を鑑み撤退するが道雪を恐れて島津も龍造寺も追撃できなかった。
なおも道雪は筑後奪回しようと考えていたが陣没。