戦国ちょっと悪い話21

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200人間七七四年
永禄12(1569)年、北条氏康と上杉輝虎の利害一致により、越相同盟が成立する。
しかし、北条・上杉双方の利害はしばしば食い違い、関係はぎくしゃくしがちだった。
同13年のこと。
上杉家臣・大石芳綱は、小田原で北条方と交渉を行ったが、一向はかばかしくなかった。
彼は同僚への書状でこれを苛立ちまぎれに愚痴り、さらにこんな情報も書き込んだ。

「御本城(氏康)様はご病状が悪く、自分の子供すらしっかり見分けられないという話だ。
 食事にしても、(何を食べたいか口にできないから)飯と粥を両方持って行き、
 食べたいほうだけ指さしてもらうそうだよ。
 一向に舌が自由にならないので、政治ごとは何もご存じでないらしい。
 少しでも快復されれば、この一件にもきっと意見してくれるのだろうが…
 まるでその様子もないからどうしようもない、とみんな話している」
「御本城の様子はまったく、まっったくあてにならないと思っておいてほしい。
 今度、信玄が伊豆へ攻めたのも知らないだろうってことだ」

せっかくの外交革命も、主導した氏康の病で完全に麻痺していたことが伺える。
彼が波乱の生涯を閉じ、越相同盟が破綻を迎えるのは、翌年のこと。