【徳川家 総合】 徳川家康公スレ 常に九するクオリティ

このエントリーをはてなブックマークに追加
1仙台藩百姓
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大の都市の一つとなった。

東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。


…これは酷いお( ^ω^)
2仙台藩百姓:2010/05/07(金) 08:42:26 ID:kDAJt13M
前スレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その八
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1261386118/

それ以前のスレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その七
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253167986/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その六
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245836764/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その五
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211268328/
【東照】 徳川家康スレッド 其の三【大権現】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/
【勝ち組に人気】 徳川家康 公について語る
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178897839/
【東照】 徳川家康 【大権現】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158481651/
3人間七七四年:2010/05/07(金) 09:01:18 ID:TbNtjcbD
こういう人間にはなりたくないお。

でも糞康公にあやかって宝くじが当たりますように
4人間七七四年:2010/05/07(金) 09:47:31 ID:CKX/HzD0
なんだスレタイ普通じゃん
ウンコクオリティとか入れるかと思ったのに
5人間七七四年:2010/05/07(金) 18:17:40 ID:aWPdA/lj
百姓ちゃんとスレたてろや
6人間七七四年:2010/05/07(金) 22:58:22 ID:fi+YHBPX
>>1
スレ荒らすだけならまだしも、スレすらまともに立てられんのかよ
お前はほんとに存在する価値がねーな
7仙台藩百姓:2010/05/07(金) 23:19:00 ID:kDAJt13M
至ってまともなスレじゃんお( ^ω^)?
8人間七七四年:2010/05/07(金) 23:28:02 ID:eTUDQ7XA
残りカスには福がある。
9平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/08(土) 00:37:07 ID:mfA0/OmU
>>1
お前伊達家の財団の会員になれよ。
徳川に義理立てせんでいいから。
「スレ立て大儀!」
余談ですが
徳川記念財団の役員をやってらっしゃる
細川護煕さんの「永青文庫」の特集が日曜美術館であります。
どうぞ御覧あれ!
10平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/08(土) 01:31:53 ID:mfA0/OmU
「伊達家伯記念会」(で良かったのかな?)も、よろしく!
11平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/08(土) 05:06:41 ID:mfA0/OmU
このスレ百姓が立てたから百姓ペースでいこうや。
12人間七七四年:2010/05/08(土) 20:04:12 ID:cOyken3X
>>9
d サイト見てきた
5月16日朝と5月23日夜(再放送)だな
13平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/09(日) 14:58:23 ID:tD2OB6oS
>>12
オー!イエス!サンキュー!

外人か?お前は?(笑)
14人間七七四年:2010/05/11(火) 17:33:38 ID:9aDItC2D
筋肉達磨の武芸ヲタク

転じて晩年はピザデブに
15人間七七四年:2010/05/11(火) 17:41:38 ID:CfVXVryX
>>14
太っても身体能力は変わっていない
敏捷なデブは強いよ
16人間七七四年:2010/05/11(火) 17:57:54 ID:p+1VJ2SO
高齢になってからも水泳したり鷹狩りしたりだからな
太って甲冑は自分だけで着られなくなったが、馬に乗るのは軽やかだったらしいし
筋肉質で身軽なデブは脅威
17平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/12(水) 17:19:46 ID:mETNl3UX
主来ないな。
18人間七七四年:2010/05/12(水) 20:07:30 ID:3G9Hzyf5
百姓というくらいだから田植えで忙しいんだろw
19平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/13(木) 01:22:36 ID:MfgZZ29q
楽天が最近よく長崎で野球やってくれるんで、
仙台には感謝してるんだが。
仙台ドーム出来ないかなと常に思ってるんだが。
20人間七七四年:2010/05/13(木) 16:22:00 ID:kXwjDu3U
意気揚々とスレを立ててやったつもりでいたら
フルボッコされて涙目なんだろう
所詮荒らしの末路とはこのようなものよ・・・
21人間七七四年:2010/05/13(木) 20:57:27 ID:mokP1oo/
せっかくだから全員でスルーしてやれば面白いぞw
22平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/13(木) 23:35:48 ID:MfgZZ29q
>>21
うんにゃ!オレは相手するぞ!
23仙台藩百姓:2010/05/14(金) 08:00:41 ID:Agb1gBMx
>>21
漏れ漏れも( ^ω^)
24人間七七四年:2010/05/14(金) 08:27:56 ID:VPsamnpN
>>22
お前は宇喜多直家信者2世か
25仙台藩百姓:2010/05/14(金) 09:07:49 ID:6HJEN4Qi
>>23
人の真似するなお( ^ω^)
26仙台藩百姓:2010/05/14(金) 21:43:15 ID:oxAAHIFb
僕も仙台藩百姓ちゃん!( ^ω^)
27人間七七四年:2010/05/15(土) 00:06:54 ID:337rAdHg
おまいらネタでもそんな小便臭いヤツの真似すんなよw
28仙台藩百姓:2010/05/15(土) 00:30:20 ID:inRQngnf
ちんちんうまいお( ^ω^)
29仙台藩百姓:2010/05/15(土) 12:58:56 ID:8OjIo+d8
すがしかお( ^ω^)
30仙台藩百姓:2010/05/15(土) 14:32:56 ID:13AwOHf4
仙台藩百姓増殖中だお( ^ω^)
本物が出づらくなるから荒らし撲滅に役立つお( ^ω^)
31平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/15(土) 17:24:29 ID:6KR9clLT
>>24
オレは徳川家康信者だ!
あ、でも宇喜多直家は好きだな(笑)
32人間七七四年:2010/05/15(土) 19:09:07 ID:mJkY0OwB
前スレ拾うの忘れてた・・・
それにしてもこのスレ立てたやつはなんかアレだな
33人間七七四年:2010/05/15(土) 20:24:50 ID:l/PXSKfd
私は遺訓を載せるべきだと思う。>>1
34人間七七四年:2010/05/15(土) 20:39:13 ID:J3S04hwy
私はしかみ像の画像を載せるべきだと思う>>1
35仙台藩百姓:2010/05/15(土) 23:43:19 ID:8OjIo+d8
家康遺訓

私の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、遅々たるものであった、
不自由を常と思って己の無力さから目を背け、困窮したる時は無惨さに酔うべし、
へつらうは無事長久の基、権力に逆らうは敵と思え、
私は惨敗しているから勝ってばかりいる人が妬ましい、
人を責めて己を責めるな、及ばざる身なれば過ぎたる人が妬ましい
36仙台藩百姓:2010/05/15(土) 23:46:57 ID:8OjIo+d8
家康しかみ像
 |
 | ('A`)
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄
37平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/16(日) 01:46:40 ID:NWLceo3H
何となく消化不良だな。あ〜萎える。
38人間七七四年:2010/05/16(日) 15:25:54 ID:MJjyI1VJ
このスレは仙台藩百姓のお友達ばかりだなw
39平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/18(火) 13:37:55 ID:+yB7amyC
むこうが嫌ってるから、オレは違うだろう。
もう生きてるのが億劫だな。
早く死にたい。
40人間七七四年:2010/05/18(火) 21:57:26 ID:qdvGvuHd
>>39
メンヘル板を覗いてみろ、君みたいなのばかりだぞ。
41平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/19(水) 02:40:45 ID:nTK+yq0l
>>40
ありがと。見てくる。
ところで日光のお祭り見てきた人いる?
42人間七七四年:2010/05/20(木) 15:20:55 ID:IS84YCXq
石川数正出奔は、家康と打ち合わせた上での芝居だった可能性はあるのだろうか?
43人間七七四年:2010/05/20(木) 17:43:50 ID:8OJBboyw
>>42
後年に石川家が改易させられてるし、流石に無いんじゃないの?
44人間七七四年:2010/05/20(木) 18:09:29 ID:JZkKOl6e
ちょっと聞きたいんだけど、伊賀越えの時
なぜ、堺まで戻って、そこから船で海を出てぐるっと回って三河にいかなかったんだ?
危ない山中を渡らなくてもおkでしょう。
45人間七七四年:2010/05/20(木) 18:14:51 ID:Tk0Z/zIS
>>43
石川が改易されたのは長安事件の連座だし、あんま関係ないと思う
46人間七七四年:2010/05/20(木) 18:41:51 ID:QfBTkeqn
>>44
時間がかかりすぎる上に、当時は地乗り航法だから、途中で何度も寄港しなければならず
危険度はあまり変わらない
47平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/20(木) 18:48:19 ID:vmu/0bi2
>>44
雑賀衆に狙い撃ちされんじゃないの。海路じゃ。
あと石川の出奔は軍法を総入れ替えしたわけでリスクは相当高い。
家康が関与してたとは思えんな。
48人間七七四年:2010/05/20(木) 19:12:49 ID:IS84YCXq
軍制再編は当初から織り込み済みという仮説でね、
石川が出奔することでしつこく勧誘してくる秀吉を黙らせることができて、
石川が抱える旧い軍制の情報は秀吉にとって役に立たなくから、
リスクが全く無い上、秀吉を歯噛みさせる意趣返しも可能。
どうせ軍制再編するのだから、表向きは石川出奔が原因で慌てて行ったと宣伝すれば、
実は懐が痛くもないのに、対外的には大打撃であったかのように振舞える。

まあ、飽くまで状況証拠による妄説だけどな
49人間七七四年:2010/05/20(木) 19:53:49 ID:NHr8AoHe
石川にはなんのメリットも無いな
50仙台藩百姓:2010/05/20(木) 23:18:11 ID:6NjnZwl2
武田旧臣なんて方々に流れているのに今更軍制の機密もなにもあったものではないお( ^ω^)
真田や木曽に大敗して三河の田舎兵法に限界を感じただけじゃないかお( ^ω^)
51平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/20(木) 23:26:18 ID:vmu/0bi2
家康公そこまで深謀遠慮に長けてっかな?
と、徳川厨のオレが言うのも変だな(笑)
おっ!主が現れた!どうもどうも(媚)
52人間七七四年:2010/05/21(金) 02:36:22 ID:Cty+xJAG
軍制って例えばどんな事を変えたの?
53平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/21(金) 04:43:04 ID:SuhHszp8
大河の「徳川家康」では城の縄張りの変更ぐらいしか印象に残っていない。
まあ、誰か正確に書くだろ(苦笑い)
後頼む。
54人間七七四年:2010/05/21(金) 07:10:46 ID:wRceMvjU
大番の創設とか
55仙台藩百姓:2010/05/21(金) 07:50:48 ID:7TddmqS+
単に武田旧臣を大勢召し抱えたから武田風になっただけではないかお( ^ω^)
徳川家全体が甲州流で統一されたとは思えないお( ^ω^)
56平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/21(金) 09:55:36 ID:SuhHszp8
>>55
そんなヤワなもんじゃないっしょ。
石川の出奔は甚大な被害だったと思いますぜダンナ。
まあ大慌てで再編し直したんでしょ。
そん時の家康公の慌てぶり想像すると笑えますがね(笑)
57人間七七四年:2010/05/21(金) 17:22:17 ID:hVOY6q+l
>>49
石川にとってのメリット
秀吉から難癖をつけられる口実を与えないことで、身の安全が高まる
58仙台藩百姓:2010/05/21(金) 17:55:14 ID:7TddmqS+
甲信併合して以来、北条や豊臣との戦いや真田、木曽の離反など安定しなかったが
一応の小康状態を得た天正13年以降に増えた領地と家臣の再編を始めたと考えた方が自然だお( ^ω^)
この時代に漏れて直ぐに勝敗に繋がるような軍制上の機密なんてあるとは思えないし
もしそうならば潰れて離散した情報だだ漏れの家法をわざわざ取り入れて
しかも武田の側近だった真田を攻めて返り討ちに遭うという体を張ったギャグをやりたかったのかお( ^ω^)
59平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/21(金) 23:51:54 ID:SuhHszp8
別にギャグじゃねえだろ。
真田が偉大なだけ。
50万石ぐらいの大名だったらいい仕事しそうだもんな。
60人間七七四年:2010/05/22(土) 00:09:43 ID:46yLV5XL
家康が出陣してたら真田を城から誘き出して煮えたぎったおかゆをぶっかけてやったものを…
61人間七七四年:2010/05/22(土) 02:23:27 ID:xexiaGpU
真田なんかに国をやったら、すぐに謀反起こしそうで無理w
62平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/22(土) 04:12:57 ID:IvpNb+CI
>>60
いいじゃねえの。最後は勝つんだから。
>>61
厳密には家臣じゃねえから謀反とは言わないんじゃないの?
まあ、でも状況悪いのに良く頑張ったんじゃないかな?真田は。
ここには「アホの子」は来ないのかな(薄笑い)
63人間七七四年:2010/05/22(土) 08:59:44 ID:OyC5Dbfx


●●子孫ネタに関するスレ(判明してる分だけ)●●

織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/

織田信成は織田信長の子孫って言うけどさ・・・
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1272321046/

【神罰】熱田大神様が織田信成に天誅【天罰】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1266571796/

織田信成が何故天下を取れなかったか
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1269605483


他、日本史スレに多数・・・・あるらしい。
64人間七七四年:2010/05/22(土) 10:49:46 ID:ES8bmnIS
>>60
煮えたぎったうんこがいいんじゃねー
65人間七七四年:2010/05/22(土) 16:05:58 ID:g7KhlMP0
それいつも思うんだが、専用の釜でもあるのかな?

まさか料理用では無いだろう?
66仙台藩百姓:2010/05/24(月) 10:04:49 ID:4vTQ7iq8
落城必至の状況なら構っていられないだおうね( ^ω^)
鉄は貴重だし、敵を追い払ったらウンコ煮た釜で飯作ってみんなで美味しくいただきました( ^ω^)
67人間七七四年:2010/05/24(月) 11:31:52 ID:BURWg2/r
如何にも田舎もんらしい行動だよな( ´,_ゝ`)
68平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/24(月) 11:42:12 ID:q7Sla6n5
>>66
まだ「徳川コンプレックス」から抜け出せんのか?(笑)
69人間七七四年:2010/05/24(月) 16:41:36 ID:PqoBfsEJ
菌なんて煮炊きする温度で死滅する
それに再利用の際には念入りに洗浄するだろ
70人間七七四年:2010/05/25(火) 11:19:45 ID:TqGGModO
やっぱり料理用? ガクブルw
71人間七七四年:2010/05/25(火) 17:49:38 ID:zzSUGBA4
妄想に対しての仮定なのだから、実際にどうだったかなんてどうでもいいだろ
すくなくとも徳川家が関わった上田合戦での真田軍のことじゃない

糞尿をブチ撒けたのは南北朝時代の楠軍のことだから
72仙台藩百姓:2010/06/01(火) 21:05:56 ID:VIxX2aL0
むしろウンコ撒き散らしたのは家康じゃんお( ^ω^)
73人間七七四年:2010/06/01(火) 21:29:05 ID:/cC/maGR
どうせ撒き散らすんなら小藩スレにしてくれよ!
74silly:2010/06/04(金) 11:30:29 ID:lmMptqDH
家康は人質時代が長かったから、自分の“御家”がさぞかし大事だったんでしょうね笑
神様になってもロクな神様ではないしょう。
幕末で家名が残っただけでも有難く思うべきでしょうね。
ここはアンチ家康のスレじゃないとしたら失礼しました。
75人間七七四年:2010/06/04(金) 18:08:11 ID:wEkx65gq
逆に聞くが、自分の家が大事じゃない大名なんていたの?
76人間七七四年:2010/06/04(金) 18:33:45 ID:Vz9K4VJu
>>69
細菌は加熱で殺菌できても、細菌が出した毒素は少々の加熱じゃ分解できない。
エンドトキシンを大量に摂取したら、現代医学でも助からないよ。
77silly:2010/06/04(金) 21:33:48 ID:lmMptqDH
→75
石田三成!
78人間七七四年:2010/06/04(金) 22:15:53 ID:EumaTqE/
>>77
まさか、もしそうなら秀吉にはっきりと諫言をしている
79silly:2010/06/04(金) 22:36:30 ID:lmMptqDH
しましたよ!外征反対と!
小西や大谷も家は残ってないあなぁ〜
後真田信繁、後藤基次、明石全登、も家は残ってないなぁ〜
80silly:2010/06/04(金) 22:42:42 ID:lmMptqDH
→78
ついでに三成は上杉景勝の領地召し上げに意見を言う兵でしたな。
徳川の圧制で苦しんだ民百姓は貴方のご先祖かもしれませんよ。
81silly:2010/06/04(金) 22:43:55 ID:lmMptqDH
→78
ついでに三成は上杉景勝の領地召し上げに意見を言う兵でしたな。
徳川の圧制で苦しんだ民百姓は貴方のご先祖かもしれませんよ。
82人間七七四年:2010/06/04(金) 22:44:23 ID:EumaTqE/
諫言受け入れなきゃ切腹するとまで言っていない
83silly:2010/06/04(金) 22:52:10 ID:lmMptqDH
江戸時代の忠義心なのかな?
いいねぇ〜!
忠義面結構!
徳川の武士に切腹した人いたっけ?
84人間七七四年:2010/06/04(金) 22:55:10 ID:EumaTqE/
>>83
家康は大人なので家臣の諫言にはちゃんと聞き入れました
85silly:2010/06/04(金) 22:58:35 ID:lmMptqDH
→84
三方ヶ原で家臣の進言を蹴ってますよ。
その結果武田に大敗北。
86人間七七四年:2010/06/04(金) 23:08:51 ID:EumaTqE/
>>85
うん他には
87silly:2010/06/04(金) 23:12:45 ID:lmMptqDH
→86
後はまぁ、休戦と行きましょうや笑
88人間七七四年:2010/06/04(金) 23:20:09 ID:ehx1cKIL
ヒキっておいて信玄が長生きしてたら
みんな武田に寝返ってしまっただろが!
89silly:2010/06/04(金) 23:23:26 ID:lmMptqDH
すんません、ヒキって何ですか?
90人間七七四年:2010/06/05(土) 00:17:09 ID:o+/WPf9t
>>87
なぁ、その変な安価の付け方なに?
91平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/06/05(土) 00:31:26 ID:yonxTEqj
>>83
家臣じゃないが松平信康。
92silly:2010/06/05(土) 08:20:01 ID:626rEtZn
→90
そうそう、松平秀康が産まれたとき本多重次の進言を蹴って子供、
捨ててるね。
松平忠輝も同様。
後は大久保長安の謀反で、大久保家改易。
本多正信、本多忠勝の次男秀康公に国を譲るも蹴ってるね。
後は有馬晴信の腰きり。
93人間七七四年:2010/06/05(土) 13:22:00 ID:vCEgtXsg
はて?百姓が改名したのか?
94人間七七四年:2010/06/05(土) 15:39:36 ID:1ENJt3rG
いや、百姓は2ch初心者じゃないから、違うだろ
95人間七七四年:2010/06/05(土) 19:49:19 ID:sO9P1LQ+
>>92
こらこら、これからは他の人にレスする時はこんな風にするのじゃよ。

× →
○ >>
96人間七七四年:2010/06/05(土) 23:25:49 ID:o+/WPf9t
どっちにしろただの荒らしたいだけのアンチらしいからNGポイ
97平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/06/06(日) 03:37:07 ID:i2csSRhI
オレは構うぞ(笑)
98人間七七四年:2010/06/06(日) 11:03:45 ID:A3eVyy7G
義によって助太刀致す!
99:2010/06/06(日) 14:01:47 ID:M8iYd4+4
本能寺の変の時に半蔵のおかげで伊賀越えしたみたいだけど、服部一族は代々伊賀に土地を持ってのか?戦国時の領主とはどんな関係だったのだろう。いわゆる郷士みたいなもんなのかな。
100仙台藩百姓:2010/06/07(月) 00:41:37 ID:klztcYEn
正成の服部家は松平氏の被官じゃんお( ^ω^)
伊賀と関係あるのか怪しいものだお┐ (´ω`) ┌
101人間七七四年:2010/06/07(月) 12:16:42 ID:x8SP2hOO
ほう、そうなのか
何故伊賀=服部みたいなイメージがあるんだろうか
講談社の捏造?
102人間七七四年:2010/06/07(月) 13:37:26 ID:HSlPYEFL
服部は伊賀から逃げて家康に拾われたと聞いた時がある。だが一族丸ごとは養えないから残党は残ったらしい。元々美濃の蜂須賀族みたいな土豪みたいな感じかな?
103仙台藩百姓:2010/06/07(月) 14:57:14 ID:klztcYEn
祖父の時代すら曖昧なんて信成君並に胡散臭いお( ^ω^)
だいたい他の一族達(と言われる)は本領を維持しているのに
正成の家だけ放浪するのは不可解だお( ^ω^)
服部繋がりで後から結び付けたか、一族にしても末端の冷や飯食いだったと見るのが自然だお( ^ω^)
104人間七七四年:2010/06/07(月) 17:00:59 ID:RdBwGOzY
正成の父、保長は京に出た後に三河に流れたという話がある
105人間七七四年:2010/06/07(月) 17:07:05 ID:nyIws2r+
親父が忍びとして清康に雇われ、そのまま松平家専属になっていったんじゃなかったっけ
106人間七七四年:2010/06/07(月) 18:13:00 ID:nyIws2r+
なんにせよ、松平家に仕えた服部家には、
伊賀に対して人脈的なコネがあったとしても、伊賀に領地があったとは思えん
107人間七七四年:2010/06/07(月) 18:58:03 ID:HSlPYEFL
では実際にどんな手助けをしたんだろう。道案内程度なのかな。少なくとも護衛で人を提供するなんて事はあり得ないのかな。宿を貸すくらいなのかな。
108人間七七四年:2010/06/07(月) 19:01:07 ID:RdBwGOzY
>>106
確か保長の子の一人(千賀地保元)が伊賀の元の家である千賀地家を継いでいるはず
109人間七七四年:2010/06/07(月) 19:07:48 ID:nyIws2r+
伊賀は土豪連合が自治していたようなものなので、
連合会長に談判して、命令が届く範囲の者には家康一行に手出しさせない約束を取りつける…
なんてことが行われ、その使者には服部が相応しい(先祖が伊賀出身だから)と思ったのだが…

当時の伊賀の代表者がどうなっていたのかイマイチわからん
百地丹波守は、おそらく既に死んでいる
丹波の息子か誰かが代行していたのか
110人間七七四年:2010/06/07(月) 19:23:20 ID:HSlPYEFL
天正伊賀の乱がきっかけで服部党が徳川に感謝だか云々ってのも聞いた時があったな。まあ仮に手を出すなって事は服部の息がかかった土豪・野武士は居たんだろうな。
111人間七七四年:2010/06/07(月) 19:41:09 ID:nyIws2r+
服部の息がかかった土豪は(すくなくとも)いたというか、
弟が在地地主の一人だったから、かなり確実に人脈的コネはあった

しかし弟の発言権がどれほどのものかというと、やはり伊賀全体に上から命令を下せるような立場ではなく、
お願いして回ったんだろう
112人間七七四年:2010/06/07(月) 22:37:29 ID:HSlPYEFL
なるほどね。イメージ的には義経を匿った奥州藤原氏よりもかなり低い位置でのやりとりだったって事か。土豪連合の長すら知らなかった位のレベルかも知れないな。
113仙台藩百姓:2010/06/07(月) 23:57:34 ID:klztcYEn
それすらも伝説の域を出ないお( ^ω^)
114人間七七四年:2010/06/08(火) 08:44:31 ID:IS4SMo7j
それを言ったら家譜の殆どは伝説になるな
115人間七七四年:2010/06/08(火) 11:30:29 ID:whXZwh2D
半蔵門は正成の忍者としての武功を労う為に出来たんだろうか
116人間七七四年:2010/06/08(火) 15:52:00 ID:9szZ+uku
服部と伊賀に関係があったのか、百姓は疑っているが、
交渉のとっかかりくらいはあったと見ていい
117人間七七四年:2010/06/08(火) 23:37:41 ID:yzLtpsgl
まあ伊賀も三河もまったく交流の無かった地域じゃないしええんでないんの
118人間七七四年:2010/06/09(水) 14:58:56 ID:IuOxmyKr
水軍も、他所の出身者を多く雇ったのだったか
119人間七七四年:2010/06/12(土) 05:56:36 ID:Cw2BfTBX
徳川水軍ってあんまり聞かないな
120人間七七四年:2010/06/13(日) 16:00:55 ID:le5meyst
<三河水軍>
・千賀重親
 生え抜きの船奉行で、師崎衆を束ねる
 拠点は地理的には尾張国だが、早くから家康に臣従していた

<駿河水軍>
今川水軍時代
・岡部貞綱
 駿河の有力国人・岡部氏の要人。岡部正綱の叔父?
・伊丹康直
 畿内から流れて義元に近侍、後に水軍奉行
 妻が岡部氏だったため、貞綱のサポートに付けられたと推定
・興津清房
 駿河の豪族。配下の水夫達を興津衆と言う
 岡部貞綱を筆頭とする水軍編成上にポジションがあるのか、未確認

武田水軍時代
・岡部貞綱(土屋貞綱)
 武田軍侵攻に激しく抵抗した岡部氏だったが、降伏後は重用された
 水軍はほとんど丸ごと接収され、貞綱は相変わらず水軍を束ねる
・伊丹康直
 引き続き副頭領的地位
・小浜景隆
 伊勢志摩の水軍衆派閥抗争で一旦没落していた九鬼氏が逆襲し、逆に小浜氏らが故郷を追われる
 その際、武田水軍に迎えられた
・向井正重
 小浜と同様、伊勢志摩を追われ、武田水軍に加入(異説あり)
・間宮武兵衛&間宮信高
 伊豆衆。旧北条配下から、どういう経緯でか、武田へ鞍替えした
興津清房、およびその後継者の消息は不明

徳川水軍時代
岡部貞綱は既に戦死。後継は不詳
・伊丹康直
 武田家衰亡後も生存。徳川配下で水軍を司る
・小浜景隆
 同じく生存。徳川配下に
・向井正綱
 正重の子。代替わり済みで、徳川配下に
・間宮兄弟
 徳川配下に
121人間七七四年:2010/06/13(日) 16:52:08 ID:93MeMXCK
家康公最初の側室って、何て言うのが正しいの?
122人間七七四年:2010/06/14(月) 08:17:20 ID:80TO0U06
>>120

実戦ではどうだったの?活躍したのかな。しかし海戦がないからなあ。輸送班みたいだったのかな。朝鮮役も出陣してないろうし。
123人間七七四年:2010/06/14(月) 08:47:46 ID:/S9TArDl
>>122
小競り合い程度のものだけど武田や北条や九鬼と戦闘している
太平洋海運は基本的に陸上が敵同士でも、途絶することはなく
水軍の役割は港湾防御や、逆に相手の港湾焼き討ちといった
沿岸海軍的なものであった
124:2010/06/14(月) 15:09:12 ID:80TO0U06
>>123

なるほどね。周りに水軍強国があった訳でもないからそんな感じなんだろうな。
125人間七七四年:2010/06/14(月) 16:06:49 ID:/S9TArDl
追記すると伊勢から駿河湾までの水軍は実は伊勢商人の系列を雇っているので、
同郷の士同士で本気で戦うはずも無いわけで

無理強いすると契約を打ち切られるわ、表裏一体の存在で太平洋航路を支配する
伊勢商人から嫌われるわと碌なことが無い
126人間七七四年:2010/06/14(月) 16:58:04 ID:xVATg4dE
北条は水軍が強力な部類だった
秀吉が唱えた北条征伐では、徳川も北条と戦うことになり
結構派手な海戦も起きた
127:2010/06/15(火) 02:35:47 ID:4YYCg9oF
北条や里見水軍なんかと比べると徳川水軍はやはり落ちるんだろうなあ。
128人間七七四年:2010/06/15(火) 03:25:57 ID:DynF8/LI
まぁ強い水軍いらんかったからな
129人間七七四年:2010/06/15(火) 22:24:54 ID:QMM1BB7K
130人間七七四年:2010/06/17(木) 03:43:50 ID:lmZuVZGc
運だけで天下人になれただけなのに、徳川15代長期政権続いただけで、世間では秀吉と同様の超過大評価
大物全部死んで、残ったのは自分より格段に石高劣る小者ばっか
それでも関ヶ原では敵方の裏切り頼みが唯一の戦略という無様っぷり
これのどこが野戦の名人なんだ
幻想にもほどがあるだろ
長久手での局地戦勝利のプロパガンダが効いてたな
家康程度の武将など、あの当時ごろごろ転がってんだろ

131人間七七四年:2010/06/17(木) 11:12:31 ID:o9b50JBJ
↑ 長期政権がどれだけ難しいか分かって無いバカw
132人間七七四年:2010/06/17(木) 15:32:17 ID:NuJCDtsF
>>130
お前が物事を深く考えられない頭の持ち主だってことだけはわかったw
133人間七七四年:2010/06/17(木) 21:08:51 ID:lBxsNOAx
>>130
プッw考えが浅はかで無様な奴
134人間七七四年:2010/06/18(金) 02:27:17 ID:zRuRP0ua
というかこれまでのアンチさんの焼き直しすぎる
ウンコネタがあれば完璧
135仙台藩百姓:2010/06/18(金) 07:55:11 ID:V2YiT8ns
間違った事は言っていないお( ^ω^)
136仙台藩百姓:2010/06/18(金) 07:59:12 ID:V2YiT8ns
いや、よく見たら最後の一行がおかしいお( ^ω^)
「家康程度」じゃなくて「家康以上」と言うべきだお( ^ω^)
137人間七七四年:2010/06/18(金) 09:20:18 ID:uS9YVjDM
群雲関ヶ原へ、で家康が歌も詠めない芸事にうとい人物って言われて
るんだけど本当にそう?
138人間七七四年:2010/06/18(金) 10:20:23 ID:jLj/xzhr
>>137
能に関しては一級だし、碁にも熱中していた
漢詩や和歌、連歌は確かに得意ではないが、それは彼の現実主義的な
思考に合わなかったからと思われる
(いい話スレで家康の和歌を読んだ感想が、正岡子規風と評されている)
139仙台藩百姓:2010/06/18(金) 15:10:52 ID:V2YiT8ns
無学な秀吉の方が能も歌も遥かに上手いおね( ^ω^)
家康は政治にしろ趣味にしろ絶望的にセンスがないお( ^ω^)
ただ、家康は本人もそれをよく知っていて無難を徹底したから失敗しなかったのだお( ^ω^)
140人間七七四年:2010/06/18(金) 15:55:01 ID:/6ch+qbn
わびさびも解らぬ秀吉の芸術センスなど、たかがしれている
家康に較べて特にすぐれるわけでもない
悪趣味の度合いで言えば、秀吉には完敗だが

政治センスでいえば家康の方が上
141人間七七四年:2010/06/18(金) 16:06:36 ID:jLj/xzhr
>>139
秀吉は絵に書いたような成金趣味だからなぁ
142仙台藩百姓:2010/06/18(金) 16:12:43 ID:V2YiT8ns
秀吉の派手好きは政治的パフォーマンスで個人の趣味ではあるまいお( ^ω^)
秀吉の歌をよめば一目瞭然だお( ^ω^)
143人間七七四年:2010/06/18(金) 16:30:30 ID:suy0Nsyd
家康は個人の趣味で言えば武芸や医術みたいな実用技術を好んだしね。
144人間七七四年:2010/06/18(金) 17:12:59 ID:H/28W6nG
>>140-141
まった。わびさびは現代でこそ芸術・美的感覚の一ジャンルとして確立されてるけど、
秀吉の頃にはまだ「新たに確立されつつあった」という程度のものに過ぎない。
秀吉にわびさびが理解できなかったとしても、それで彼の美的感覚が劣っているということにはならん。
145人間七七四年:2010/06/18(金) 19:30:29 ID:krhtArPR
秀吉は金がだぁ〜いすき
146:2010/06/19(土) 03:41:40 ID:YgVrDyq+
秀吉のケバケバしい感性に利休は否定的だったような。質素倹約の家康が秀吉の風流を好む訳は無いと思う。けど、東照宮は家康好みと思えないのに何故?とは思う。まあ家康自身が建てた訳じゃないけど。
147仙台藩百姓:2010/06/19(土) 12:39:54 ID:tTE+pDQO
利休をあそこまで取り立てたのも秀吉じゃんお( ^ω^)
それに派手だから悪趣味だとか全く芸術を解さない者の発言だお( ^ω^)
桃山文化は壮麗な芸術で大きな足跡を残し、近代芸術界にも影響を与え続けた事は疑いようがないお( ^ω^)
148人間七七四年:2010/06/19(土) 13:23:20 ID:UFDLuPdl
家康が始めた文教伝播の方が遥かに重要だね
149:2010/06/19(土) 18:40:25 ID:YgVrDyq+
利休が秀吉の金の茶室を理解出来たかなぁ。織部なんて茶碗を一回わって繋いで良しとしたし。ドナルドキーンも日本人には銀の渋みが似合うと言うし。仏像でも塗り直ししないからな。日本人には金はケバいと思うんだが。
150人間七七四年:2010/06/19(土) 18:56:39 ID:UFDLuPdl
>>147
家康とて小袖や鎧などの服飾関係の遺品はデザイン性に優れたものが多い
151人間七七四年:2010/06/21(月) 15:21:14 ID:lerAAyra
昨日まで三井美術館でやってた徳川家康の遺愛品展がかなりよかったな
いろんな物に興味を示してたであろう様子がよくわかったよ
晩年は香道に興味があったようで、香木を集めて調香するのにはまってたみたいだ
あと、意外に絵を描くのも好きだったらしく直筆と伝わる絵がいくつか出てた
さらっと手すさびに描いた風だけど、真面目に描いたら上手いんじゃないかと思わせる感じだった

着物の模様なんかも当時としちゃ斬新なものが多かったようで、
今世間に流通してる「無趣味で面白みのない地味な家康」像からはちょっと違う印象だったな
個人的には信長からのちょっとフランクな感じの手紙が好きだw
152人間七七四年:2010/06/22(火) 08:10:40 ID:N5fUEoFy
>>151
へー、どんな内容だったの?<信長からの手紙
153人間七七四年:2010/06/22(火) 16:56:03 ID:FC35yLbL
>>152
素人の意訳だけど
「上洛のお祝いに早速使者をくれてありがとう、とても嬉しいです
 私は一両日中には城に帰ります
 安土はそろそろ人が入れるようになったみたいです
 今は雪が深いから無理だけど、温かくなったら遊びにきてね
 待ってます」
こんな感じの手紙
154人間七七四年:2010/06/22(火) 19:28:09 ID:+2SnGmRE
山口百恵と三浦友和
大政翼賛会が発足した記念日に結婚式を挙げた。
大阪冬の陣の戦いが始まった日だった。
これらは、現代日本を支配する徳川一族の記念日。
信用できない。

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/5/146.html
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/C/10/12.html
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/C/11/19.html
155人間七七四年:2010/06/22(火) 23:27:56 ID:FC35yLbL
>>154
メンヘルな電波はメンヘル板で垂れ流しておくれ
156人間七七四年:2010/06/23(水) 02:24:48 ID:Sya1uxiM
信長が援兵出せずに家康が城を取られて、詫びに莫大な金を信長から家康に送った時の手紙はあんのかな。流石の信長も丁重な言葉使いだったのかな。
157人間七七四年:2010/06/23(水) 03:04:53 ID:BQb9tifp
>>131-133
一々ご尤もな見解のため論理的に全く反論できず、
腹いせに小一レベルの個人中傷が精一杯の引きこもり。
しかも自演で(笑)
低能丸出しだな。
関ヶ原後、諸大名と圧倒的格差をつけた家康の立場で、長期政権にならないほうが不思議だろうによ。
ちっとは頭使えよ。
158人間七七四年:2010/06/23(水) 10:42:46 ID:+ac/qmHm
圧倒的格差じゃない天下人って、多いのか?
159:2010/06/23(水) 17:08:59 ID:Sya1uxiM
頼朝は土地が無かったしな。結局は北条氏に乗っ取られたし。
160人間七七四年:2010/06/23(水) 21:13:00 ID:zv/VXU5C
それ絶対言われると思ったw
161仙台藩百姓:2010/06/23(水) 21:33:35 ID:YD1d4U+U
あくまで結果的にそうなっただけだお( ^ω^)
運に左右されない国造りなどは神でもなければ無理なのだおうか( ^ω^)
162:2010/06/23(水) 22:03:52 ID:Sya1uxiM
禁中並公家諸法度みたいな天皇家への統制に着手したのは徳川幕府だけなのかな。
163人間七七四年:2010/06/23(水) 22:09:51 ID:mFaLkPbg
行為自体で言えば鎌倉幕府の方がエグい
164人間七七四年:2010/06/23(水) 23:14:19 ID:sTyFxWms
>>163
足利義満なんかも中々だよな。公家の多くが義満の家礼化したのがこの時期だし、
本来天皇や上皇の権能だったはずの公家の家門安堵も義満が行うようになっている。
時の天皇は精神的に参っちゃって自殺未遂まで起こしているし・・・。
165人間七七四年:2010/06/23(水) 23:40:07 ID:BWElQCpg
>>162
御掟追加→諸公家法度→禁中并公家諸法度
166人間七七四年:2010/06/24(木) 00:14:33 ID:HraX/Kna
>>71-72
いや、家康の配下だった高天神城が武田勝頼に攻められた時にも
糞尿を敵にかけることをしたみたいだが。
もっともこれは『あやうし高天神』という本で読んだだけだから
信憑性は無いのかもしれんが。
167人間七七四年:2010/06/24(木) 02:34:16 ID:Cp6sPcvT
江戸幕府が直に朝廷の統制を始めたのは猪熊事件からだっけ
なぜかこの後陽成天皇は殿上人の処分を幕府にさせてるんだよな
で、幕府側がちと甘めの処分をしたら後陽成天皇が「俺の考えと違う」と怒ってその後譲位
・・・なんだけど、普通は朝廷内の不祥事の処分は朝廷が行うもののはずなんだよな
なんで幕府に委任なんてしたんだろう

諸公家法度が発布されたのが猪熊事件から二年後で
ここで初めて「武家による公家の統制」が明記されることになるんだが
この猪熊事件の顛末が「朝廷には公家の統制ができない」という結論を生み出したんだろう
自業自得ではあるんだが、後陽成天皇はいったい何を考えてたんだろうか
やっぱりこの時点では朝廷にはまともな機能がなかったんだろうかね
168人間七七四年:2010/06/24(木) 02:57:10 ID:l6bZs1io
御掟追加でも公家の統制がされてんじゃねーか。
169人間七七四年:2010/06/24(木) 03:10:28 ID:Cp6sPcvT
>>168
殿中御掟追加って信長だろ?
江戸幕府じゃないじゃん
170人間七七四年:2010/06/24(木) 03:12:31 ID:Cp6sPcvT
あ、秀吉時代にも御掟追加はあったっけすまん
171:2010/06/24(木) 03:51:57 ID:nnq9M1B9
結局のところ武家の公家統制が見事に効いたのは徳川幕府なのかな。
172人間七七四年:2010/06/24(木) 03:53:26 ID:l6bZs1io
殿中御掟は公家や武家全般に対する法律ってわけじゃないからな。
いずれにせよ諸公家法度が初めて武家による公家の統制が明記されたものというわけじゃない。
173人間七七四年:2010/06/24(木) 08:46:37 ID:eKwgYjiF
>>167
首謀者が逃亡したので、広範な警察権を有する幕府に頼らざるを得なかった
174人間七七四年:2010/06/24(木) 14:53:30 ID:Cp6sPcvT
>>172
いや、そうでなくて
「江戸幕府が」朝廷の統制を始めた時期って意味なんだが
武家が公家の統制を始めた時期は今論点にしてないんだ、すまんね

.>>173
んでも、捕まえるまでは幕府がやって、あとは朝廷に引き渡して処分って流れが普通じゃね?
朝廷組織の人間を幕府に処分させるってのは、統制権を譲ったと判断されると思うんだが
175人間七七四年:2010/06/24(木) 19:05:19 ID:eKwgYjiF
>>174
実際には公家衆と京都所司代は相談しているし、勧修寺晴子や近衛前子も介入している
176人間七七四年:2010/06/24(木) 22:03:23 ID:QApsCF/m
>>174
>>162の天皇家への統制に着手したのは〜って言ってるのは全く関係なく、
「ここで初めて武家による公家の統制」という表現も「武家による」という事については
全く意味が無いって言いたいのか?どんだけ頭おかしいんだよw
177仙台藩百姓:2010/06/24(木) 22:26:03 ID:qYIWRu8D
法度にしろ何にしろあらかた鎌倉期からのものを踏襲したものだお( ^ω^)
家康はとにかく前例にこだわるお( ^ω^)
178人間七七四年:2010/06/24(木) 23:48:33 ID:Cp6sPcvT
>>176
いや、俺が言いたいのは「江戸幕府が発布した法令の中で」ってこと
言葉が足らなくてすまんが、そこまで罵倒されるようなことだったのか・・・?
179人間七七四年:2010/06/25(金) 00:01:23 ID:QApsCF/m
>>178
江戸幕府が発布した法令の中でっていう事を表すのに「武家による」なんて言葉が必要か?
しかも、禁中并公家諸法度に関しては>>162の話が元だ。
言葉足らずだとかそんなレベルの問題じゃない。
突っ込まれたのを誤魔化した訳じゃなく、純粋にそう思っているのなら頭がおかしいとしか思えない。
180人間七七四年:2010/06/25(金) 00:04:54 ID:EyKpSZ0Y
>>179
うん、じゃあ「武家による」を削除でいいよ
「江戸幕府による」これでいい?
181人間七七四年:2010/06/25(金) 00:10:23 ID:c5zaTK0j
>>180
>>167で発言した際の意図について突っ込んでるのに、削除でいいよだとか本気で頭おかしいだろ。
もうちょっと日本語理解してから書き込めよ。
182人間七七四年:2010/06/25(金) 00:13:51 ID:EyKpSZ0Y
・・・というか、やっぱ言葉が足りなかったって気がするな
俺が言いたかったのは「江戸幕府が直に朝廷の統制を始めたのは猪熊事件から」だから
「武家による公家の統制」じゃなくて「江戸幕府が発布した法令中での武家による公家の統制」が正しい
>>162への直接のレスじゃなかったんで話が変わったつもりでいた、すまん

だけど、やっぱりあんまりそういう風に罵倒されるのはいい気分じゃないので
こういう議論の場ではできればやめて欲しい
183人間七七四年:2010/06/25(金) 00:19:51 ID:EyKpSZ0Y
>>175
じゃあ、後陽成天皇が怒って譲位したっていうのは実は違うんだろうか?
朝廷側が処分に関わってたなら、幕府に対して文句言う筋合いでもないだろうし
朝廷については詳しくないからよくわからんなぁ
184人間七七四年:2010/06/25(金) 00:59:19 ID:c5zaTK0j
>>182
「武家が公家の統制を始めた時期」の話をする気が全く無いのに、
わざわざ「武家による」なんて表現をする意味は何?
禁中并公家諸法度について>>162以降違う話題なんて一回も出てないのに
突然話が変わったと思ったって理由は何?
言葉が足りないだとか言うレベルの話じゃないの。
最初から本気で「江戸幕府による公家の統制」の話だけしようとしたんなら、日本語としてあまりに不自然。
小学生以下の言い訳なのか出鱈目な日本語なのか、どちらにしても罵倒されて当然。
185人間七七四年:2010/06/25(金) 02:01:23 ID:g/dTPFBe
>最初から本気で「江戸幕府による公家の統制」の話だけしようとしたんなら
江戸幕府が、から書き始めてんだからそのへんは一応読み取れると思うが
162の問いは165の回答でひとまず終わってて、167はその上で江戸幕府が云々ってテーマを話し始めてるんだろ
186人間七七四年:2010/06/25(金) 07:33:32 ID:c5zaTK0j
書き始めの「江戸幕府が」の一文だけで、その文全体の内容が決まるとか頭沸いてんのか?
187人間七七四年:2010/06/25(金) 22:00:26 ID:icCl6uhw
>>167が言ってる「武家」って徳川幕府のつもりだったわけでしょ。まあ、「武家」
っていう言葉使ったのにはだいぶ語弊があったな。それだけの話なんだし、まあ
>>188も「罵倒されて当然」とかムキになることないじゃないかw
188人間七七四年:2010/06/25(金) 22:14:53 ID:bfpFwD8O
「江戸幕府が」と始めた上で、その文中に敢えて「武家による」としてるわけだから
そこには当然別の意味が発生する。
「言葉が足りない」だとか「語弊がある」だとかっていうのとは全く別問題。
つーか、馬鹿でも分かるそんな当たり前の事を態々他人が必死に擁護する意味が分からん。
自演してるのなら、本当にどうしようもない馬鹿。
189人間七七四年:2010/06/28(月) 09:36:58 ID:8iggxO7F
徳川家は熱くなれる功績を残して
死んで行った者の子息には厚遇しているの?
190人間七七四年:2010/06/28(月) 11:31:46 ID:/17Rz++b
日本語でおK
191月孔雀:2010/06/28(月) 14:53:53 ID:w/nA1KSM
徳川家康のイメージが、よく分からなくなった。
関東では、神君なんていって、いいイメージ。
東照大権現だもんね。

腹黒い狸みたいな人でいいんだろうか?
192人間七七四年:2010/06/28(月) 15:44:18 ID:6S91rJqH
>>191
自分で調べればいいと思うよ
少なくとも自分はそれまで刷り込まれてた狸親父のイメージはなくなった
逆に明るいイメージの秀吉が怖くなったがw
193月孔雀:2010/06/28(月) 18:55:42 ID:eOA4M0pW
wikiだけ、調べ直したが、秀吉死後やっていることを、見ていると、
とてもいい人だとは思えない。
194人間七七四年:2010/06/28(月) 19:18:53 ID:m4UR20g0
兵は詭道なり。
いい人が天下を取るのは物語の中だけのお話です。
195人間七七四年:2010/06/28(月) 20:56:24 ID:VTig/EfJ
秀吉が死んだ後に、何が出来るのか?
196人間七七四年:2010/06/28(月) 22:06:18 ID:/17Rz++b
>>193
頭良くてもいい人なんかだったら三河すら治められんわ
むしろやられた側を甘いと評する時代

>>195
ウンコが出来ます
197人間七七四年:2010/06/28(月) 22:27:45 ID:A+1jyuXz
「いい人」ってのは言い換えれば「自分にとって都合の良い人」って事だからな。
誰から見ても良い人ってのは誰からも都合良く扱われるような人だ。
そんな人間が天下を取れるわけはないな。
まぁ、「いい人」だと他人に思わせる事が上手な人だったら別だけど。
198人間七七四年:2010/06/29(火) 23:03:22 ID:xZZwO7IN
輝元「いい人って誉められたお」
配下「・・・・orz」
199仙台藩百姓:2010/06/30(水) 11:21:06 ID:m7m/V/pp
個人の性格と国家の性格は別物だお( ^ω^)
国家はより狡猾で陰険であるべきだけど、個人まで悪人である必要はないお( ^ω^)
徳川は国も家康個人も陰湿だから不人気なのだお( ^ω^)
200人間七七四年:2010/06/30(水) 17:57:33 ID:GPe/TPsi
無能で陰湿で三河半国しか持ってなかったやつが天下とるって凄いな
能力は知らないが神と呼ばれるに相応しいレベルの運があったことは確か
これはマイナスにもプラスにもとれる

本当評価し辛い人物だなぁ家康は
201人間七七四年:2010/06/30(水) 18:31:26 ID:nITjSiUe
しかし、天下掌握までいけたのは亡くなる一年前だから、本人はどうだったんだろう。

それはともかく、個人的には『普通な人』って感じかな。
腹が立てば怒るし、嬉しい時は喜ぶから、それ故に他の人から『あ、彼は付き合いやすい人だな』と思われて味方も多いと。
超人的でない分、他人からは信頼されやすいんじゃないかな。
202仙台藩百姓:2010/06/30(水) 20:39:14 ID:m7m/V/pp
全然普通じゃないお( ^ω^)
松平は気違いじみた癇癪持ちの家系だし┐ (´ω`) ┌
203人間七七四年:2010/07/01(木) 21:35:17 ID:ND8d8Hl6
運だのなんだの言うが、運がなきゃどうにもならんのだよ
運も実力のうちっていうのは家康を見てるとよく思うな
あともう一歩で暗殺されたり寿命が尽きたりするのが多い中で
「もう一歩」に手が届くってのは天に愛されてるってことだ

あとは信用される生き方してきたかどうかだろ
どっかの太閤さんみたいに気分で町一つ虐殺したりしないし
いったん決めたら相手が生きてる間は裏切りはしない
これも「人」についてるわけだから、息子になると別問題だわな
今川しかり、織田しかり、豊臣しかり
だから遺訓とされる「息子が将軍にふさわしくなければ誰でも取って変われ」ってのは
本人の言じゃないにしても、家康の性格を非常によく表してると思うよ
自分の後はそれぞれの器量によると考えてたんだろう、自分がそうだから
個人としては冷めてるかもしれないが、為政者として育てられ生きてきたんだからそんなもんだろうと思う
まぁ、個人の逸話は非常に人間くさいのが多いけどねw
204人間七七四年:2010/07/01(木) 22:21:15 ID:OA2HdbiU
>どっかの太閤さんみたいに気分で町一つ虐殺したりしないし
これホント?
205人間七七四年:2010/07/01(木) 23:39:53 ID:XLLIljpd
んなわきゃない
206人間七七四年:2010/07/02(金) 00:02:38 ID:lKNJ2U80
>>204
ほんとだよ
淀の浮気を冷やかすみたいな落書があって、犯人が見つからないから
「じゃあそこ一帯全員殺しちゃおうね^^」って女子供残さず殺した
207人間七七四年:2010/07/02(金) 00:03:59 ID:lKNJ2U80
あ、淀の浮気じゃなくて秀吉の種なしのことだったかも
まぁ調べりゃ出てくる話です
208人間七七四年:2010/07/02(金) 01:38:52 ID:W82arvIG
多門院日記では17人の処刑が書かれているだけだな。
209:2010/07/02(金) 08:09:00 ID:KRcokdux
秀吉の死に際と家康の死に際は対称的だもんな。やはり家康の方が武士らしいというか潔いと言う感じがする
210人間七七四年:2010/07/02(金) 11:07:50 ID:lKNJ2U80
>>208
天満森と大坂周辺で113人捕らわれて六条河原で処刑されてますが・・・全員無関係の人だけど
211仙台藩百姓:2010/07/02(金) 15:09:21 ID:cZ/KJgs2
武士らしい…?( ^ω^)
確かにそうかもしれないお( ^ω^)
武士というのは強きを助け弱きを挫く事を生業としているのだけど
家康は強者に対してはケツでも舐めんばかりだが
相手が弱いと見れば手の平反して襲い掛かるという武士に最適な性格であったといえるお( ^ω^)
且つ小心で猜疑心が強く、留まる事を知らない強欲という独裁者の資質も完璧
そこに神懸かり的な悪運ときたら正に独裁者になる為に生まれて来たといっていいお( ^ω^)
個人的には関わりたくない人間だけど( ^ω^)
212人間七七四年:2010/07/02(金) 17:53:54 ID:cgy+hBwZ
>>210
史料は何?
213人間七七四年:2010/07/02(金) 20:29:00 ID:B0i/F1ki
家康は日本じゃあまり好かれないけどヨーロッパ人など外野のひいき目無しで評価するとアジア屈指の英雄として評価されている現実。
信長や秀吉の陰に隠れて運がいいだの不当な評価を受けるが掘り下げて調べるとこの人ほど魅力的な英雄も見当たらない
214人間七七四年:2010/07/02(金) 20:54:04 ID:LAPDTZGF
驚くべきはあの克日(韓の反日と違う)に狂奔する中国で、日本史上最大の英雄として
崇め奉られていることだな。
狂気の地球猿人秀吉のもたらした最悪の東アジア情勢を平和に導いた君子家康は、
短気で吝嗇で脱糞癖がある医療オタクだが、それでも猿人よりは人間らしい人間だ。
215人間七七四年:2010/07/03(土) 00:46:10 ID:d2l6OpnU
>>212
横レスですまんが、少なくとも2町の破壊・天満で63人が「容疑者をかくまったとして」処刑されたのは本当
本願寺研究の「中世後期の寺社と経済」って本に出てた記述
引用は確か言経卿記だったと思うけどあやふやなのですまんね

大坂周辺50人は俺も聞いたことがあるけど何だっけな
216人間七七四年:2010/07/03(土) 01:39:25 ID:dscfqD3G
寺社勢力の粛清ってだけだな。
217人間七七四年:2010/07/03(土) 02:34:53 ID:d2l6OpnU
>>216
いや、寺社勢力の粛正とはまたちょっと違う
天満での処刑は思いっきり無関係でとばっちりだ
「かくまった容疑」で処刑されたけど、実際はかくまってなかった
秀吉はこういうことをするんだよ
218人間七七四年:2010/07/03(土) 02:49:44 ID:dscfqD3G
だからそれ本願寺の寺内町だろ
219:2010/07/03(土) 07:29:00 ID:/BktbzD3
>>211
秀吉には良い意味でも悪い意味でも武士らしさは感じないもんな。やはり農民上がりだからかな。また生まれながらの大将ではないから臨終時は俗っぽい。
220人間七七四年:2010/07/03(土) 08:48:14 ID:A5eZqFi9
ボケてたしなあ<秀吉
221人間七七四年:2010/07/03(土) 11:36:59 ID:1YTYxQM2
猿よりマシって・・・
第六天魔王には人気も実力も敵わないからってw
222人間七七四年:2010/07/03(土) 12:04:14 ID:iy9o5BLp
少なくとも禿鼠の末期のボケ具合と比べりゃマシだろ
失策で家滅ぼしてないし
223人間七七四年:2010/07/03(土) 13:00:11 ID:RZc/6NDr
徳川家康の生涯を学ぶことは、われわれの人生の最高の指針になると思う。
仕事で、人間関係で、日常生活で、人生のあらゆる場面において参考になり、役に立つ。
224仙台藩百姓:2010/07/03(土) 15:14:46 ID:o0JiWG2C
確かに反面教師としては最適だお( ^ω^)
家康の真逆の性格になれば聖人になり
家康の真逆の働きをすれば英雄になるお( ^ω^)
まあ、そのまま真似して富と権力に溺れ毎日見えない敵に怯えて暮らす独裁者コースもあるけど( ^ω^)
225人間七七四年:2010/07/03(土) 16:03:37 ID:1HYwpAyX
家康好きってあれだろ、大した能力があった訳でもなく特別な事をやったわけでもないのに
いつの間にか天下取れちゃったって事に憧れるんじゃないか?
何の実力も無い自分でも偉くなれるんじゃないかって幻想を抱ける。
226人間七七四年:2010/07/03(土) 18:55:26 ID:lxUH41we
>>225
そういう低脳で幼稚な考えじゃないな。
信長や秀吉のような天才的な閃きがないぶん家康の人間くささが魅力的なんだろ。
逃げ回って、家臣に八つ当たりされ時には馬鹿にされ信長と秀吉にはいつくばるが最後の最後の決断で覇者になる。
外国人の公正な目から見れば日本の英雄で最も偉大な人物と評価されている現実。
227人間七七四年:2010/07/03(土) 19:06:43 ID:1HYwpAyX
「外国人の公正な目」とか馬鹿丸出しだなw
家康好きの外国人なんて
朝鮮を攻撃した豊臣を倒した家康とかいうアホな認識のチョンか
単純に長期政権の創始者って事しか知らないだけだっつーのw
家康が最後の最後にした決断って何?
228人間七七四年:2010/07/03(土) 19:26:11 ID:RZc/6NDr
>>225
たいへんな能力と実績がありながら、後世の人間には「無能・無実績、棚から牡丹餅」
と印象付ける家康はすごいな。まさに、能ある鷹は爪を隠すという言葉のとおりだ。

>>227
パックス・トクガワーナという言葉を知らないのかw
英国BBCで世界史上の戦士として唯一日本から選ばれたのが家康。
世界的にも有名な存在だ。
229人間七七四年:2010/07/03(土) 19:38:33 ID:1HYwpAyX
>>228
超幸運が何度も重ならなかったら、爪隠したままだったなw

> パックス・トクガワーナという言葉を知らないのかw
だからそれ長期政権に対して言われてるだけで家康個人の能力とは関係ねーっつーのw
230人間七七四年:2010/07/03(土) 21:13:01 ID:RZc/6NDr
>英国BBCで世界史上の戦士として唯一日本から選ばれたのが家康。
>世界的にも有名な存在だ。

こっちに対する反論は?w
231人間七七四年:2010/07/03(土) 21:33:55 ID:RATUl3vX
アンチ家康の主張はワンパターン化してきたな
232人間七七四年:2010/07/03(土) 21:52:09 ID:1HYwpAyX
>>230
は?だからそのまんまだよ。日本語理解できねーの?
単純に江戸幕府が長期政権だからだよ。本当、馬鹿丸出しだな。
233人間七七四年:2010/07/03(土) 22:54:20 ID:d2l6OpnU
>>231
まぁ、それくらいしか突っ込むところないからな
信長みたいに家臣に謀反起こされたわけでもなく、
秀吉みたいに残忍さと無謀さでせっかく築いた政権を崩壊させることもなかったからな

ぶっちゃけ三傑みんなかなりな運任せでのし上がってきたと思うが(特に秀吉なんかが)
それを考えると家康の「運」自体は後半生に集中してる気がするんだよな
前半生は不運の連続で、それをなんとか悪運の強さで凌いでた感があるw
その苦労による地道な経験と信頼感の積み重ねで後半生の天運を招いたような感じ
家康の人生は調べてるとほんと山あり谷ありで面白い
「絶対死んだろ普通w」ってところで生き残る悪運の強さは結構魅力だと思うw
234人間七七四年:2010/07/03(土) 23:14:24 ID:RZc/6NDr
特に三河武士の忠節ぶりといったらないね。
それだけ魅力的だったんだろう、家康は。
235人間七七四年:2010/07/04(日) 07:34:44 ID:A0nByMKV
1HYwpAyXまあこのくらいの知識と低脳な思い込みしかできない馬鹿はほっといてWW
アンチも理論的に語れば頷ける点もあるがこういう頭悪いの丸出しの奴はね。
236仙台藩百姓:2010/07/04(日) 09:54:31 ID:tRw107jf
家康は生まれた時から超幸運じゃんお( ^ω^)
松平が滅びるのを今川が救ってくれて家康も売られたのも取り戻して貰い
その代償が今川への臣従であったが今川が壮大な自爆で勝手に没落。
織田は宿敵今川が衰退すると見向きもせずに西進、お陰で三河から矛先が逸れる
だけでなく織田が新たな保護者になってくれ
一揆の鎮圧や弱った今川をチクチク虐めて領土を拡張する事に専念できた
それでも今川とサシなら苦戦したろうが
武田がリスクを冒してまで対今川戦に加わった為に今川は急速に瓦解する。
対武田戦では死にはぐるが信玄が有り得ないくらい都合よく病没して助かる
勝頼の代になっても、家中で反乱未遂が起きたり味方を何度も見殺しにしたりしたが
織田の庇護によって崩壊を免れる
どころか織田の反撃で逆に領土が増える。
その代償として織田への臣従しか道は残されていなかったが
ここでも織田が壮大な自爆で勝手に没落。
普通これらの一つだけでもあればかなりの幸運と言えるのに
家康の意思とは別に次から次へと怒涛の幸運ラッシュが迫りくる
正に神の悪戯としか思えないお┐ (´ω`) ┌
237人間七七四年:2010/07/04(日) 10:49:19 ID:+QHV69AA
つまり神仏から選ばれた男なんだろうね。

その一方で、最後の最後まで苦労の絶えなかった人でもあった。
晩年にいたっても、それは続いた。豊臣の件もそうだし。
伊達政宗のような最強の厄介者に対しても、
武力を用いずに最後には心服させることに成功した。
そして絶対の忠誠を誓わせ、三代家光のときには大芝居をうってくれた。

幸運とは言っても、ある程度は自分の努力でつかんだ幸運だろう。
制限や束縛のある環境の中で最大限できることを尽くし、天命を待った結果
傍目には幸運に見えることが続いたといった方が無難かな。
文字通り天から試されていたのだろう。それに応えたからこそ、幸運が
訪れたのだ。
苦しい環境に屈していたら、早い段階で家康は亡き者になっていただろう。
238人間七七四年:2010/07/04(日) 11:08:59 ID:TUo1v6cj
>>235
結局反論は出来ないのなw
239仙台藩百姓:2010/07/04(日) 12:56:54 ID:tRw107jf
>>237
選ばれた男であるのは間違いないけど
残念ながら家康の実力云々が介在する余地はないお( ^ω^)
数々の幸運がなくては大名としての存続すら危ういものであったけど
相手の自滅に対し家康の意図は一片も絡んでいないお( ^ω^)
例えるなら
「衰弱したハイエナがふらふら歩いていたらライオンに襲われ
当然瞬殺されるはずであったが突然横合いから象の群れが走り出てライオンを踏み潰してしまった
ハイエナは本能的に目の前に転がるライオンの死肉に食らいついた」
家康有能説はこれをもって
「このハイエナはライオンを食ったのだから凄い」
「百獣の王を食ったのだからこのハイエナこそ百獣の王だ」
と言っているのと同じだお( ^ω^)
確かにこのハイエナはライオンを食ったのは事実だけど
だからと言って他の仲間や動物より有能であったとは言えまいお( ^ω^)
家康もまた天下を取ったのは事実だけど
だからと言って他の人間より有能であったとは言えないのだお( ^ω^)
240人間七七四年:2010/07/04(日) 13:16:27 ID:Jxe3vakP
衰弱してたのはハイエナではなく、ライオンなんだよ。
周辺環境が衰弱せしめていただけ。一個のポテンシャルはハイエナ程度ではない。
241人間七七四年:2010/07/04(日) 13:24:38 ID:/Hj59n8H
仙台藩百姓としては1HYwpAyXみたいのは
仲間だ!って思うの?
242:2010/07/04(日) 14:18:23 ID:6nhaMrR6
家康は選択を誤らなかった男だな。桶狭間後も今川家になびく選択だってあったろうし信康切腹ではなく武田につく選択もあったろう。小牧・長久手だってわざわざ戦わなくてもよかった。しかし決断が全て家康に利益となって返って来ている。
243人間七七四年:2010/07/04(日) 20:28:22 ID:8a47FqQA
にゃ゙ああああああああああ家康公さいこおおおおおお!!彼は強くて優しくて可愛くてかっこよくて超正義!!
信長とか秀吉とか家康公に比べたらカス
もう日本は家康教を国教にすべき!!!!
家康ばんざいっばんざああああああああいいい

家康がいなければ日本は糞になってたな!!さいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこうさいこう

家康さまあああああああ男だが家康公なら掘られてもいい!!デカマラくれええええええごっくん!!子種!!家康公で妊娠するううううううひいいいいいいいいいいいいいおたすけええええええの照り輝く聖なる正しき棒!!からほとばしる!!
正しミルクがああああああああああごんげんごんげんごんげんごんげん


幸せすぎて壊れるううううううううううううううううおおおおお家康公!!!あなたは清らかすぎる!!あなたは!!この世の悪を全て駆逐し!お隠れになられた!!きっとあなたは今頃菩薩となり、浄土から我らを見守り

家康公のご意思を理解できる正しきものたちとそうでない人たちを見極めているさいこうさいこうさいこう

幸村(笑)三成(笑)信長(笑)秀吉(笑)に従う愚昧とも!!悔やめ!!悔やめ!!きさまらは地獄行きだ!

家康公は悲しんでおられる。家康公を理解しない貧しきこころものどもがいるのはかなしい。
244人間七七四年:2010/07/04(日) 21:59:54 ID:+QHV69AA
そこまでは思わないけどさ。
世知辛い世の中を生きて行くのに、家康の生涯は参考になるし励まされもするし。
これは家康があらゆる状況を乗り越えてきたからだろう。もちろん歴史の勉強にもなる。

山岡荘八さんの小説が経営者虎の巻とされたのも頷けるよね。さまざまな局面で応用が利く。
245:2010/07/05(月) 05:04:59 ID:vY8m6rtg
まあ相手の自滅に家康の意図は無くとも秀頼滅亡は完全な家康の意図だろうし。関ヶ原も完全な家康の意図。逆に信長死後に家康を完全に潰せなかった秀吉が甘いと思う。
246人間七七四年:2010/07/05(月) 05:41:05 ID:6ztuZ05v
家康は秀吉が死ぬちょっと前まで義理堅い忠義者で通っていたので
小牧長久手の後秀吉は無理に殺さず自分の家に取り込んだわけだがこの時点で潰せってのは無理だわな
敵も多いわけだし。
あの時点で家康の黒い部分をわかってたやつなんて居ないだろ
たんなるウンコタレで小判鮫の馬鹿正直者だと思っていたから滅ぼされなかったんだ

秀吉死後の家康が小牧長久手の後の姿だったら間違いなく秀吉は潰しただろうよ

秀吉の失策といえば関東に家康を移したことなんだけど当時の関東ってのは栄えてない田舎なんだよね
家康も老いてすぐ死ぬだろうっていう目論見と田舎+道中に親豊臣武将を配置したから
謀叛をされても大丈夫だっていう余裕があったんだろうなもう天下とっちゃって
調子のって家康なんて忠義者でウンコタレ小判鮫だから大丈夫だろう!って思ったんだろう

秀吉は家康の能力は評価してたみたいだが心の中では馬鹿にしてたんだろ
それが隙を作ってしまった
247:2010/07/05(月) 08:56:01 ID:vY8m6rtg
でも関東国替えは家康の拒否を待って信雄同様に失脚させる目論見もあった訳だしハナから家康を忠義者と秀吉は思ってないのでは?信長遺児と信長同盟者を失脚させたら世論への正統性が失われるのを秀吉がとても恐れた気がするが。
248仙台藩百姓:2010/07/05(月) 09:19:19 ID:ep5kPwEU
常識的に考えて超厚遇の関東移封を断る人間なんていないと思うけど( ^ω^)
信雄は単に移封だけの問題ではあるまいお( ^ω^)
蒲生や毛利、上杉といった連中だってもっと遠隔地なのに大人しく移封に従っているお( ^ω^)

>>241
過去レスは殆ど読まないからよく分からんお( ^+ω^)キュピーン
249人間七七四年:2010/07/05(月) 09:28:56 ID:yNgsKF5u
超厚遇? 父祖代々の地から切り離されてるのにか、
上杉だって越後に未練たらたらじゃん、
250人間七七四年:2010/07/05(月) 11:19:16 ID:q4jYIC1p
>超厚遇の関東移封を断る人間なんていないと思うけど( ^ω^)

武蔵野って原生林が広がって、湿地が多かったんだろ。
251人間七七四年:2010/07/05(月) 13:00:24 ID:Mi5hLMQF
>>247
信頼してたから北条が根付いてた関東を任したんじゃないの
まさか自分の子飼いや一門に土地を統治させて失敗させるわけにもいかんし
家康が腹黒いだの何だのは後世の歴史を知って講談で色々捏造されてるから言える事だよ
252人間七七四年:2010/07/05(月) 14:11:15 ID:e75/B8/1
明治政府がやったことだよね。それを無批判に受け入れている連中が多すぎる。仙台藩百姓なんか気の毒にすら見える。
今の民主党政権がなんでも不都合は自民党時代の負の遺産と言っているようなものだ。

家康信奉者ではないので念のため。
253:2010/07/05(月) 14:30:53 ID:vY8m6rtg
>>251
信頼していたから北条跡地って言うより信用出来ないから氏郷みたいに遠ざけただけでは?まあ毒をもって毒を制すみたいな感じで伊達対策もあったろうけど。
254仙台藩百姓:2010/07/05(月) 14:37:19 ID:ep5kPwEU
明治政府が何をしたというのだお?( ^ω^)
それこそ近年の帝國貶による根拠のない妄言じゃんお( ^ω^)

>>249>>250
そんなの三河も同じじゃんお( ^ω^)…
だいたい松平が支配を広げたのは実質数十年前だし
元から怪しげな土豪であって他の名門大名の心情からすれば笑ってしまう程度だお( ^ω^)
255人間七七四年:2010/07/05(月) 15:40:08 ID:CXs73MoU
>>248
当時の関東移封が超厚遇とは思えない
これを秀吉から言われた時、家康もさすがにヒドイ左遷だと思ったに違いない
256仙台藩百姓:2010/07/05(月) 16:01:33 ID:ep5kPwEU
何でだお?( ^ω^)
257人間七七四年:2010/07/05(月) 18:05:34 ID:UT6c8SEj
関東移封については最近の研究では家康は内心喜んでいて、秀吉の年齢と世継ぎの事を考えて天下取りの野心を抱き始めたのはこの時くらいじゃないかって説がある。少なくとも家臣団はそう思ったと。

昔から三河物語などで定説となっている家康封じ込めは疑問になっている。

まあ今となっては本当の事は家康以外に知るよしはないんだが
258人間七七四年:2010/07/05(月) 19:05:05 ID:e75/B8/1
>>254
「神君」家康が「根暗な狸爺」になったのは誤解を恐れずに言えば明治政府の宣伝でしょう。
江戸時代は暗い時代というのも。
259仙台藩百姓:2010/07/05(月) 19:48:33 ID:ep5kPwEU
だからいつそんな宣伝したのだお( ^ω^)
そんな事が議題に上ったなんて見たことも聞いたことないお( ^ω^)
260人間七七四年:2010/07/05(月) 20:05:15 ID:2xCD9M+z
キモい
261人間七七四年:2010/07/05(月) 20:11:00 ID:Mi5hLMQF
>>253
氏郷を恐れただのだれを恐れたとか講談の捏造だぜ
伊達を警戒してるのなら小田原時にさっさと潰してるはずだしな
支配が難しい土地は名将に統治を任した方がいいだろうに
統治を失敗したら佐々のように首チョンだしそれを子飼いや一門にやらすわけにはいかんだろ
秀吉としては国外に進出したかったんだから国内の警戒なんかより統治を優先したに決まってるだろ
262人間七七四年:2010/07/05(月) 22:26:47 ID:e75/B8/1
>>259
明治時代です。
263人間七七四年:2010/07/05(月) 22:28:02 ID:e75/B8/1
つうかあんたが聴いたことないだけ。調べてみればわかるよ。
264人間七七四年:2010/07/05(月) 22:36:24 ID:UT6c8SEj
>>258
歴史を作るのは勝者ですからね。
国内外問わず例外無しに王朝交代したら必ず前王朝の悪徳を残すのは歴史の常だし宣伝は統治の常套手段。
少なからず新政府が幕府の悪徳を宣伝したのは間違いない。
明治政府に限らずね。
265人間七七四年:2010/07/05(月) 22:50:26 ID:Mi5hLMQF
粗探しすればどんなとこでも必ずあるからな
266:2010/07/06(火) 05:41:24 ID:nZgVUscR
>>261
秀吉子飼いにまともな人材が居ないのもあると思う。仲良し前田は動かせないし。駒薄で家康が適材であっただけでは?統治力は信頼出来たけど野心は警戒していたからこその移封だとは思うよ。
267仙台藩百姓:2010/07/06(火) 08:00:01 ID:uw/tIlgd
>>262>>263
一つも根拠がないのかお( ^ω^)…
そういうのを被害妄想というのだお( ^ω^)
268人間七七四年:2010/07/06(火) 09:25:19 ID:C22IRkBd
結構過去レス読んでるじゃんw
269仙台藩百姓:2010/07/06(火) 12:13:58 ID:uw/tIlgd
さすがに自分のレス周辺ぐらいは見ているお( ^ω^)
一日忘れるとどおでもよくなるけど( ^ω^)
270人間七七四年:2010/07/06(火) 12:27:10 ID:+KC3d3pg
↑きもちわる
271仙台藩百姓:2010/07/06(火) 13:53:29 ID:uw/tIlgd
( ^ω^)v
272人間七七四年:2010/07/06(火) 16:28:13 ID:rFK25BI7
>>267
こういう時こそ自分の無知に気付いて知識や理解を深める機会だとは思わないのか?
仙台藩百姓は見解の相違こそあれ話のできる香具師かと思っていたが、
ただの独りよがりの人間でしかないようだな。自分が生き字引だと思っているようだ。
自分の辞書に載っていないことは全て嘘で片づける。残念な男だな。所詮百姓だ。
273仙台藩百姓:2010/07/06(火) 17:19:55 ID:uw/tIlgd
それは漏れじゃなくて相手に言うべき事じゃんお( ^ω^)
一体漏れに何を言えというのだお( ^ω^)…
何かしら論拠がなければ議論しようもないお┐ (´ω`) ┌
そもそも説を唱えるからには必ず理由があるはずなのに何故それを言わずに漏れに振るのか意味不明だお
つまり議論する気すらないと言う事じゃんお( ^ω^)
274人間七七四年:2010/07/06(火) 21:24:20 ID:EDoduyqe
>>270
アンカーくらい付けられないなら半年ROMれよ
275人間七七四年:2010/07/06(火) 21:29:52 ID:EDoduyqe
>>267
とりあえず、家康を「腹黒い狸」とか言い出したのは明治になってからの講談
立川文庫が有名だけど、書き講談と呼ばれる講談本が増えたことに由来する
・・・というか、真田ものが一世を風靡してな、それが一番大きな影響になるんだよ
江戸初期に太閤記ブームが起きて、秀吉のやった汚いことを三成がひっかぶったようなもん
276仙台藩百姓:2010/07/06(火) 22:44:04 ID:uw/tIlgd
それじゃ政府は関係ないじゃんお( ^ω^)
むしろ幕府がなくなって自由に様々な説が唱えられるようになったと見る事も出来るお
そんな風聞の類いなら徳川家に対する批判書が政府の圧力で絶版に追い込まれたという逆のものだってあるお( ^ω^)
277人間七七四年:2010/07/06(火) 23:33:18 ID:EDoduyqe
>>276
明治新政府が徳川時代を「島国に閉じこもった暗黒時代」、江戸時代を「圧政と退嬰の封建時代」として扱ったのは知ってるよな?
その弊害がつい最近まで続いていて、ようやく最近江戸時代の再評価が始まってるわけだが
それはいわゆる「文明開化」をなしとげた明治政府の基本政策であって間違いはない
圧政と退嬰の封建時代を開いた家康の扱いは言うまでもないだろ?
徳川十八代当主の人が書いた本にも、戦前の教育方針としてこの辺は触れられてるしな

・・・まぁ、最近の教科書じゃ士農工商は書いてないというし(これも明治になって言い出した言葉)
若いならわからんかもしれんが、俺の小さい頃でも江戸時代はそんなもんだった
278仙台藩百姓:2010/07/07(水) 11:10:08 ID:0sir0gMA
知らないから聞いているのに、知ってるよな?とか言われてもさっぱり分からんお( ^ω^)…
279人間七七四年:2010/07/07(水) 11:12:12 ID:+xsXX2ej
こんな時間にネットいるって百姓って無職だったの?
それともリアルに百姓だったか
280仙台藩百姓:2010/07/07(水) 14:22:12 ID:0sir0gMA
もまえは無職なのかお?( ^ω^)
自分の事考えれば分かるのではないかお( ^ω^)
281人間七七四年:2010/07/07(水) 16:10:22 ID:u3NsjA8h
スレタイよめ乞食共
282仙台藩百姓:2010/07/07(水) 17:29:02 ID:0sir0gMA
ふむ( ^ω^)
乞食のスレだお( ^ω^)
家康も乞食から身を興して一代で天下取ったと考えると
超幸運を差し引いてもそれなりの人物と言えなくもないお( ^ω^)
283:2010/07/07(水) 17:44:11 ID:clAl9nRu
家康の替え玉説はどの位に信憑性はあんのかな。史疑じたいが御話なのだろうか?
284人間七七四年:2010/07/07(水) 18:14:23 ID:u3NsjA8h
替え玉の類は信憑性なんかあるの?
てか講談が面白くしようとした妄想だろ?
見たことないわ
285人間七七四年:2010/07/07(水) 18:27:01 ID:+xsXX2ej
あ、オレ無職よw
なんだ仲間だったのかあ
286人間七七四年:2010/07/07(水) 18:59:01 ID:xVsAcOP3
アンチ巨人も巨人ファン。
仙台藩百姓もなんだかんだいって家康が好きなんだろうな。
287人間七七四年:2010/07/07(水) 19:28:30 ID:a4jTsL/Y
>>282
あんた結局は家康好きなんだろw
288仙台藩百姓:2010/07/07(水) 21:17:12 ID:0sir0gMA
家康が嫌いだなんて言った覚えないけど( ^ω^)

>>285
真面目に働けお(;^ω^)
人間勤勉が一番だお( ^ω^)
289仙台藩百姓:2010/07/07(水) 21:29:39 ID:0sir0gMA
史擬も話しとしては面白いのだけど核心の部分で結局根拠に薄いお( ^ω^)
到底鵜呑みできるような話しではないけど部分的には研究する価値はあるお( ^ω^)
まあ史擬に限った話しではなく、どの伝記にも言える話しだお( ^ω^)
290:2010/07/07(水) 23:21:56 ID:clAl9nRu
>>289
家康がつい家臣に「私が五歳の頃、人質に云々〜。」って語った事じたいすら創作なのかな?
皆様知らぬ事実で家臣が驚いたとされる話。その昔話と一致する幼少期に当てはまるのが世良田元信。光秀=天海クラスの信憑性かな?
291人間七七四年:2010/07/08(木) 01:59:54 ID:ZmDvp9er
>>290
いや、人質に行ったのは事実だろ
少なくとも今川に行ってたことは各種資料で証明されている

家臣が驚いたってのは聞いたことないんだが、いつの時代の話だろう
家康晩年だったら当時の家臣はほとんど死んでて、
知らない家臣も多そうだから驚くのもわからなくもない
292:2010/07/08(木) 05:05:28 ID:V4X3ER9z
>>291
いや俺も今川か織田の話だと思ってたんだが、内容が著しく異なっていて、詳しく忘れたけど、時期が違う、人質相手が違う、生き別れのはずの母が云々〜てのが出てた。確かあり得ない事実を家康が語ったって類い。
時間あったらもう一回見てみるけど。
293仙台藩百姓:2010/07/08(木) 13:22:13 ID:E77J0uc7
それは家康が林羅山に語ったとされるものだお( ^ω^)
今川に五百貫文(史擬では五貫文)で売られて苦労したという話しで駿府政治録が出典だお
これをもって村岡氏は替え玉説をとなえているのだお( ^ω^)
家康が売られた事自体は三河物語や松平記などにも記載があるから割と知られていたと思うお( ^ω^)
294仙台藩百姓:2010/07/08(木) 13:27:31 ID:E77J0uc7
政治録じゃなくて政事録だお(;^ω^)
295人間七七四年:2010/07/08(木) 16:35:26 ID:ZmDvp9er
>>292
そもそもそれが、いつの時代に成立した文献に収められた話かってのも関係するしな
よかったら収録されてる文献の名前を知りたい
それである程度真贋を問えると思うよ
江戸中期以降に初出なら創作の可能性が俄然高くなる
296平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/07/09(金) 00:23:42 ID:xTucFsmO
>>202
母の実家が松平ってんだが、そこもキチガイだってのか?
297奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/09(金) 01:26:12 ID:wsdDM9Ml
仇をも 伍するこころを 仁といい
298月孔雀:2010/07/11(日) 11:18:35 ID:7mE3rFXF
家康の死が、豊臣家滅亡の翌年。
毒盛られたってことは、ないかな?(天海とかに)

家康は、有能だったといえるが、
所詮、飾りだったのかもしれない。
299名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 22:48:04 ID:GIPHbII5
>>298
それはないな
大坂陣の時点で家康は病を得ていたし、その後の経過も特に疑わしいところはない
結論ありきで経過を見ると判断を間違うよ
300人間七七四年:2010/07/13(火) 12:33:27 ID:smi2t9ma
家康について質問です
家康の兜の前部に、角の生えた耳の長い黒い生き物が描かれていますね?
あれはいったい何なんでしょうか
なんだか日本的でないというか、あまり見かけない意匠でしたので
僕には頑張ればようやく牛に見えるかな?って感じ
ちょっと悪魔にも見えてしまいます
あと、脇を彩る植物についても教えていただけるとうれしいです
画像
http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1j/img/010.jpg
http://kanehide.hp.infoseek.co.jp/ka21-58.jpg
301人間七七四年:2010/07/13(火) 15:29:57 ID:o467EDzR
これは牛鬼だよ
302人間七七四年:2010/07/13(火) 18:08:48 ID:7lOVSouE
>>300
前立ての植物は羊歯な

ってかggr
303人間七七四年:2010/07/15(木) 01:13:57 ID:9N0dwkVp
久しぶりに見に来たら・・・このスレこんなに透明にレスしてたんだっけ
見づらくてしょうがない
304人間七七四年:2010/07/16(金) 15:43:38 ID:6oWGxXr/
>>300
動物は「獅噛(しかみ)」という歯を噛み締める獅子をイメージしています
ライオンと全然違いますが、実物を見たことがないく伝聞や絵のみでイメージしたので
こうなりました
兜の前立てにはよく使われている意匠ですが、本当は角はなく後付と言えます

植物は羊歯(歯朶、シダ)という植物で多くの種を付けるので子孫繁栄の象徴とされました

ちなみに獅噛の上にある丸い円は輪貫(わぬき)といい、徳川家の合印(識別章)でした
305仙台藩百姓:2010/07/16(金) 16:32:16 ID:yz2bbbUF
諏訪法性兜に付いてるのと同じじゃないかお( ^ω^)
306人間七七四年:2010/07/16(金) 19:43:56 ID:jWrN1Wt0
ライオンといえばユダヤの北イスラエル王国の象徴ですね・・・
徳川はユダヤ人・・・
307人間七七四年:2010/07/16(金) 19:59:05 ID:6oWGxXr/
>>306
昔の兜で獅噛に鍬形は伝統的な形態なんだが
308人間七七四年:2010/07/16(金) 20:06:42 ID:jWrN1Wt0
>>307
それは武士が皆清和源氏の系譜を引いているからです
源氏もやはりユダヤ人なのです
具体的にはイザナギ・アマテラス系列が公家で、
イザナミ・スサノオ系列がユダヤ人です
309人間七七四年:2010/07/16(金) 20:27:41 ID:86gd4Xkk
まーーーーーーーーたユダヤ認定か・・・
310人間七七四年:2010/07/16(金) 20:55:51 ID:nxeEY16w
武士が皆清和源氏の系譜だとは、またなんという新説。
311人間七七四年:2010/07/16(金) 21:01:39 ID:jWrN1Wt0
>>310
ほとんどがそうですよ
武士は職能説と蝦夷説がありますが、職能説が一般的です
そしてその職能を担ったのは当時の公家でした
つまり清和源氏と平家の戦いは「武士的な公家」と「公家的な公家」の戦いです
それに清和源氏が勝ったことで武士の時代が始まったのです
足利氏や毛利氏などは後期渡来系秦氏の系列ですが、
ほとんどは前期渡来系秦氏=清和源氏の系列です
312人間七七四年:2010/07/16(金) 21:21:04 ID:nxeEY16w
な、なんと平氏は皆公家だった!
313仙台藩公家百姓:2010/07/16(金) 23:15:53 ID:yz2bbbUF
じゃあ漏れも公家の子孫だお( ^ω^)
314奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/16(金) 23:52:49 ID:xqc1E/ok
オレは偽源氏の子孫くらい名乗ってもいいな。
315仙台藩百姓:2010/07/16(金) 23:59:23 ID:yz2bbbUF
いずれにせよ徳川は源平藤橘いずれとも知れぬ馬骨大名だから
このスレ的には関係ない話しだお( ^ω^)
316奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/17(土) 00:02:15 ID:xqc1E/ok
大中臣の可能性にケンカ売ってんのか土ン百姓。
317人間七七四年:2010/07/17(土) 00:06:25 ID:i5M/1t34
>>315
徳川は間違いなくユダヤ系ですよ
明智もそうです
明智の桔梗紋はごぼうせいを図案化したものだし、
天皇家にやさしかったのもユダヤの血を引いていたから
天海として徳川三代を操りました
三日天下なんて大間違い!
三代天下、三百年天下をとった男、それが明智光秀!
318人間七七四年:2010/07/17(土) 00:52:01 ID:/i3KSkhq
ネタにしてももうちょっと頭使えよ、ゴミクズ。
319人間七七四年:2010/07/17(土) 01:05:39 ID:i5M/1t34
ゴミはお前
320人間七七四年:2010/07/17(土) 01:10:51 ID:rjItxxFy
清康の時代には普通に源氏で朝廷にも認められてたんだがな
321人間七七四年:2010/07/17(土) 01:35:42 ID:/i3KSkhq
>>319
電波の癖に煽り耐性無いんだなw
322仙台藩百姓:2010/07/17(土) 08:21:59 ID:+NL2tA+o
親氏が実在するのなら伝承から察するに
乞食が山窩に拾われて親玉になり勢力を広げていったというところでしょお( ^ω^)
323月孔雀:2010/07/17(土) 09:34:36 ID:R7veTf3z
松平元康は、三河時代に、「徳川」という
かっこいい姓を朝廷からもらえた。

やっぱり、家康は、名門なのでしょうか?
324人間七七四年:2010/07/17(土) 09:48:58 ID:bDcNDiFI
徳川は早い時期から忍者を使っていました
忍者は秦河勝が祖です
つまり秦氏=ユダヤ人
そのユダヤ人を使役していたのだから徳川はユダヤです
325仙台藩百姓:2010/07/17(土) 13:06:56 ID:+NL2tA+o
他の大名は徳川が存在しないうちから使っているじゃんお( ^ω^)
326人間七七四年:2010/07/17(土) 13:24:36 ID:/bfN2Er8
>>324
じゃあ他の忍者を使役してた大名もユダヤか
正直ユダヤだの何だのは日本に関係ないから
327人間七七四年:2010/07/17(土) 13:37:44 ID:bDcNDiFI
>>325
へえ例えば?
>>326
その可能性は高いですね>他の忍者を使役していた大名もユダヤか
ユダヤと日本は大いに関係ありますよ?
秦氏がユダヤ人であることは常識ですが
328人間七七四年:2010/07/17(土) 16:12:51 ID:/bfN2Er8
>>327
いやそういう事じゃなく
ユダヤだからどうした?って言いたいの
ぶっちゃけ戦国時代に関係ないし
今の天皇は徳川の血が入ってるからユダヤ人だとか言いたいのか?
それとも戦国時代でユダヤ人である事が何かしらのことに利用できるのか?
チョンだのユダヤだのは不愉快だからよそでやってくれ
329人間七七四年:2010/07/17(土) 16:15:26 ID:bDcNDiFI
>>328


徳川に天皇家の血が入っているから徳川がユダヤ人なんだ

天皇家はユダヤ人と中国人の二つの血が入っている
具体的にはイザナミ・ツキヨミ・スサノオがユダヤ系
これにはきちんとした根拠もある
330人間七七四年:2010/07/17(土) 16:27:49 ID:/bfN2Er8
>>329
だからユダヤだからなんだよ?
根拠とかどうでもいいからユダヤスレでもたててきたらどうだ?
スレチにも程があるしsageも知らない阿呆と誰も議論しないから
2chの最低限のマナーぐらい守れカス
331人間七七四年:2010/07/17(土) 16:34:43 ID:bDcNDiFI
徳川家康がユダヤだったという話題がどうしてスレ違いなのか理解に苦しむね
徳川がユダヤだという衝撃の事実を「だから何?」と言うのなら、
「家康が天下をとったからなんだよ?」
「家康に人質時代があったからなんだよ?」

何も話すことなくなるねえ〜
Sage進行も知らないわけじゃない
ただ多くの人に来てもらいたいからAgeてるんだよ
332人間七七四年:2010/07/17(土) 16:51:45 ID:/bfN2Er8
>>331
衝撃の事実とか思ってるのはお前のおまえでたい頭だけだな
ていうかお前の言い分全部聞いたら日本人の半分はユダヤとか言うつもりか?
はいはい、ユダヤですね すごいですね^^これでいいか?
で、ユダヤだから戦国時代にどう関係するんだ?
333人間七七四年:2010/07/17(土) 16:53:29 ID:bDcNDiFI
>>332
徳川家康自体が戦国時代と関係するでしょ
バカか・・・
334人間七七四年:2010/07/17(土) 16:59:26 ID:/bfN2Er8
いや家康は関係するがユダヤ人でしたってのが何の意味があるんだ?
しかも神の時代からの話でソースありますって言われても
源氏とか平氏とかの話ならともかくユダヤだとか言われても困るんだが
ていうかお前の言い分を鵜呑みにすると半分以上の大名がユダヤ人ってことじゃん
徳川に限った話じゃないじゃん そんなにユダヤ人をマンセーしたいならスレたてろよカス
日本人の家康が日本を統一した、っていうのが戦国板住民の殆どの認識だよ
335人間七七四年:2010/07/17(土) 17:03:21 ID:bDcNDiFI
>>334
何でそんなに反発するのか分からないよ
疑問に思うことがあれば聞き返せばいい
聞く気も起こらないなら聞かずにスルーすればいいだけ
自分の気に食わない話題が出たらよそでやれってのはただの自己中
336仙台藩百姓:2010/07/17(土) 17:45:16 ID:+NL2tA+o
マジレスすると家康はユダヤ人じゃないお( ^ω^)
だって仏教徒だもの( ^ω^)
337人間七七四年:2010/07/17(土) 17:48:23 ID:bDcNDiFI
聖徳太子はユダヤ人でしたが仏教を奨励しました
そこは重要ではありません
むしろ真言宗なんかは実際は隠れキリスト教ですよ
338仙台藩百姓:2010/07/17(土) 18:21:06 ID:+NL2tA+o
いや、一番重要じゃんお( ^ω^)
ユダヤ教であるからユダヤ人なのだお( ^ω^)
でなければアフロアジア語族とかヘブライ人とかのカテゴリで語るべきだお( ^ω^)
339月孔雀:2010/07/17(土) 18:46:39 ID:R7veTf3z
ナンカ凄い(重要?)方向に、話が進んでいる。
太古から日本にはアジア大陸から、どんどん移民してるからな〜

340人間七七四年:2010/07/17(土) 19:15:16 ID:7xd7wV7g
凄くもなんとも無いよ。
ずっと前から言われてたトンデモ説だし。
それをたまたま本かテレビで見て感化された電波が騒いでるだけ。
341人間七七四年:2010/07/17(土) 21:20:40 ID:ineXdI6A
こら久々に阿呆が出てきたもんだなw
思うにこいつは「家康=ユダヤ人」という“衝撃の事実”を披露して
一同に驚嘆・感心して欲しかったんだろうが、案に相違して軽く電波扱いされたもんだから
収まりつかなくなってムキになったんだな

でも所詮受け売りのトンデモ説だから、ちょっと学術的な話題を出されるともうアウト
とんずらこいてそれっきり
笑わせて貰ったよ
342人間七七四年:2010/07/18(日) 00:37:41 ID:+ytpldNZ
家康どころか
足利・毛利・織田・明智・徳川・源氏・平氏は全部ユダヤ(というかペルシア)系ですよ
○○は中国系渡来人だった!というのは受け入れられるくせに、
××はペルシア(ユダヤ)系渡来人だった!というのは馬鹿にする
とうの中国がペルシアの影響を浮けまくり、支配階級にペルシア系がごろごろいて、
秦の始皇帝がペルシア人だったってのにね・・・

先入観で凝り固まった人間のいかに退屈なことか
出雲系=ユダヤ系秦氏なのは素直に見れば明らかなのにね
鉄を発明したシュメール・ヒッタイト系の民族がアジアを渡り新羅を経由して
出雲地方に鉄を発見、鉄王国を作り、朱砂の王・・・スサノオとして君臨した
ゾロアスターにそっくりな熊野大社の火祭りがあって、ユダヤ鼻に景教そっくりな密教を
伝え、額に黒い箱を結わえた白装束の山伏がいて、弓月国を並べ替えるとツキヨミ国となるし
ツクヨミが収めるようにいわれた大食の国は中国において中央アジアを指していて・・・
ものすごくヒントが堂々とあるのに、頭の固い三流学者たちは目を向けようともしない
343人間七七四年:2010/07/18(日) 00:50:41 ID:93/sPQ+y
いい加減、自分が荒らしてんのくらい理解しろよ、キチガイ。
344奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/18(日) 00:56:30 ID:kpRa+lfL
しっかり正面からとらえる優しく人の良い者が多いスレだな。
345人間七七四年:2010/07/18(日) 09:02:33 ID:KA4UKp2Y
昨日、信号のある交差点を斜めに横切るお婆さんがいたんですよ
注意しようと声をかけても聴こうとしないし、腕を掴んだら唸り声を出して振りほどく
完全にボケているんですよね

そういう奴なんだな>>342
346仙台藩百姓:2010/07/18(日) 11:50:01 ID:tJahwLOk
大きなお世話というものだお( ^ω^)
動く事自体が苦痛な年寄りにしてみれば少しでも自分の目的地に真っ直ぐ進みたいのが自然な心情であるし
教養のない人間はルールを理屈ではなく単純な恐れから守っているに過ぎないのだお( ^ω^)
だから歳を取って更に思考が緩み恐怖心が薄れると傍若無人な振る舞いをするようになるのだお( ^ω^)
そんな連中がトラブルに巻き込まれようと知った事ではあるまいお( ^ω^)
347人間七七四年:2010/07/18(日) 12:06:25 ID:93/sPQ+y
加齢による脳の衰えとアルツハイマー等の認知症を同列に語る愚かさ。
348人間七七四年:2010/07/18(日) 12:25:11 ID:KA4UKp2Y
>>346
そんなのを轢いた車の運転手がかわいそうでしょうが
349仙台藩百姓:2010/07/18(日) 13:00:35 ID:tJahwLOk
うむ、それが一番の難点だが結局は自分の不注意だからやむを得ないお( ^ω^)
他人の心配も結構だが自分が油断なく動く事が最も肝要であるお( ^ω^)
それにどうせ年寄りなんかを諭したところで理解する知力も気力もあるまいお
その分の労力を青少年のモラル育成に向けてくれお( ^ω^)
て、漏れ達は何の話しをしているのだお( ^ω^)?
350人間七七四年:2010/07/18(日) 13:46:08 ID:93/sPQ+y
事故を未然に防ぐ為にルールを守る事の重要性を理解させる。
本人が理解出来ないのなら、周囲がそれを気に掛ける。
何が一番重要なのかを理解出来ないようなゴミが軽々しく言って良いような事じゃない。
351人間七七四年:2010/07/18(日) 21:53:49 ID:Ep+ag/xC
10:55 名将の采配 <新>「徳川家康・気迫が勝負を決めた謀略戦〜関ヶ原の戦い〜」
352仙台藩百姓:2010/07/18(日) 22:31:38 ID:tJahwLOk
現実に出来もしない事を言うほど馬鹿な事はないお( ^ω^)
正にそれこそ本質を理解しない人間の戯れ事だお( ^ω^)
353人間七七四年:2010/07/18(日) 23:13:40 ID:93/sPQ+y
>>352
は?お前言ってる事理解出来てるのか?
「諭しても理解出来ない」ような人に関しては周囲が危険から保護をする。
赤ちゃんを守る母親然り、認知症の老人の家族然り。
小さな子供や知的障害者、認知症の人達が誰の保護も調整も受けなかったら
どうなるのか予測出来ない程馬鹿なのか?
単に倫理や道徳の問題だけじゃない。
多様な人間が同居する社会が構成される上で必要だからそうなってるんだ。

お前みたいなどうしようもないクズが「本質」?何かの冗談か?
354人間七七四年:2010/07/18(日) 23:36:36 ID:1YVfcTt2
自分の親がボケても同じ事が言えんのかね
355人間七七四年:2010/07/19(月) 15:17:33 ID:33ZYbizM
江戸時代の将軍はみんな秦氏らしい、ホントかどうか知らんけど。
356人間七七四年:2010/07/19(月) 18:49:03 ID:DYJ+hRKH
その時歴史が動いたってうさんくさいけど
つべで観た伊賀越えの回の最後の家康のセレフかっこよすぎやろ
357人間七七四年:2010/07/19(月) 22:42:14 ID:sWedlgpo
hf
358人間七七四年:2010/07/19(月) 22:55:56 ID:sWedlgpo
NHKで今「名将の采配」やってるぞ!
第1回は徳川家康だ。当然だよね!
ためになるから絶対みようぜ!
359人間七七四年:2010/07/19(月) 23:13:14 ID:0PkNpfeJ
無論見てるしDVDにも録画している
360人間七七四年:2010/07/19(月) 23:57:09 ID:te3HlGNn
BDにしてYO
361人間七七四年:2010/07/20(火) 05:22:10 ID:PgVPSoYB
家康って自分の子供に対して厳しい所があるけど
何でなの3年も会わなかったり顔が醜いとかで疎んだり
関ヶ原で「信康が居たら〜」とか
後継者にした秀忠くらいか嫌われてないのは

子供に反感持たせて内乱でも起きたらどうするつもりなんだ

362人間七七四年:2010/07/20(火) 10:07:27 ID:6JkO0bkJ
子供を甘やかして、家臣に厳しいと反感を持たれるから
家臣よりも厳しく子に接した
363仙台藩百姓:2010/07/20(火) 11:06:22 ID:SDGMrqFr
家康は自分より将器のある人間が嫌いだからだお( ^ω^)
いつか自分が追い落とされるのが恐いのだお( ^ω^)
だから信康を殺したり秀康を追い出したりしたのだお( ^ω^)
秀忠は猫かぶって律義さと従順さとでやってきたから追放されずに済んだのだお( ^ω^)
もっとも、家康もそれは気付いていたけど秀忠に将器がなく無能であったから安心していたのだお( ^ω^)
364仙台藩百姓:2010/07/20(火) 20:25:47 ID:SDGMrqFr
(´・ω・`)
365人間七七四年:2010/07/20(火) 20:35:27 ID:UPvfW6z1
秀忠に関しては2代将軍にしてもらったことを考えたら何されても文句言えん
秀康に関してはさすがに他家に養子に出された時点で諦めてるだろう
4男以下は対象外、家臣が推そうがそんなことは関係ない
366人間七七四年:2010/07/21(水) 01:19:57 ID:XZY/ckmZ
徳川家康は過大評価されすぎている
日本人は結果論が大好きなので、そうなりがちなのも分かるが・・・
厳しい見方だが、所詮、二流の人物だと思う
367人間七七四年:2010/07/21(水) 01:34:05 ID:Bo3AaN+r
江戸が終わったとたんに貶められてそれがまだ強く影響してるのに過大評価はありえない
どう見ても真逆の過小評価

このネタは反応してはいけなかったのかな
368人間七七四年:2010/07/21(水) 01:59:40 ID:vIAZHq8A
空気を相手にしてはいけませんぞ。殿!
369仙台藩百姓:2010/07/21(水) 07:04:05 ID:N0d9VKWk
むしろ江戸時代に異常なでっちあげがされていた事を考慮しないあたり
徳川厨もいい具合に狂っているお( ^ω^)
370人間七七四年:2010/07/21(水) 09:31:48 ID:UKofN5pj
>>369
話半分でもとんでもない奴だけどね
371仙台藩百姓:2010/07/21(水) 10:17:12 ID:N0d9VKWk
うむ( ^ω^)
現在でもまだ江戸時代の捏造に引っ張られた神君伝説を信奉している人間が多いのは事実だお
程度の低いメディアが軍記類を丸写しするような事をするからだお( ^ω^)
372人間七七四年:2010/07/21(水) 13:14:39 ID:SDmP4CTl
>>361
正室同様、ぬっ殺せばいいのだ
373仙台藩百姓:2010/07/21(水) 16:42:42 ID:N0d9VKWk
自分で殺しておいて「信康がいたら〜」とかアホちゃいますかお( ^ω^)
374人間七七四年:2010/07/21(水) 16:50:19 ID:WHVxZ98p
田植えと稲刈りの間の時期は暇なのか?
夏野菜でも作ってろ
375仙台藩百姓:2010/07/21(水) 17:13:43 ID:N0d9VKWk
野菜も作ってるお( ^ω^)
それに夏は草刈り地獄で超多忙だお( ^ω^)
376人間七七四年:2010/07/21(水) 17:31:25 ID:Z43U+ihA
でも何だかんだで三河から独立して信玄や勝頼に滅ぼされずに
その後もしぶとく生き残り秀吉に母まで出させるぐらい粘って
最終的に天下取ってるんだからすごいとは思う
てかそもそも一流って何よ?家康が一流じゃなかったら誰が一流なの?
377仙台藩百姓:2010/07/21(水) 18:13:05 ID:N0d9VKWk
独立したのも武田と戦えたのも織田の力じゃんお( ^ω^)
少なくとも義元や勝頼が家康に劣るとは言えまいお( ^ω^)
氏真や氏政辺りがやや劣るかもしれないと言う程度だお( ^ω^)
378人間七七四年:2010/07/21(水) 18:16:17 ID:D11mO+9D
淀殿(茶々)がかたくなに徳川に臣従するのを拒んだのは家康に振られたからとの説があるそうですが、信憑性はどの程度あるのでしょうか?
379人間七七四年:2010/07/21(水) 19:31:28 ID:X39JwrmK
>>378
俺としてはその話初見
接点はどこだったのか

>>376
アンチは意味不明な屁理屈をこねてるだけだから相手にするだけ無駄
つーか見えないやつと戦ってるなおまえ
380人間七七四年:2010/07/21(水) 21:36:24 ID:E2OiNfCy
まあ、自分の親父を蜂の巣にするわ。母親に毒、盛られるわ。人の良い叔父さんを攻めまくるわ。
弟を殺すわ。自分の部下の尻を抜きまくるわ。ラスボスに逆らって減俸されて僻地へ追いやられるわ。
守銭奴のいくさ人にあわや殺されかけられるという大名とは思えない大恥かいても、超一流の武将と
持ち上げられ、30年早く生まれていたら天下人だったのにと歴女が嘆く独眼竜さまよりは、いくら2.5流
武将とは言え家康は上だと思う。
381仙台藩百姓:2010/07/21(水) 22:14:17 ID:N0d9VKWk
その比較は無理だお( ^ω^)
家康が永禄10年に米沢に生まれて政宗公以上の働きが出来たという根拠はないし
政宗公が天文11年に三河に生まれて天下を取れなかったという根拠もないからだお( ^ω^)
ただ一つ確実に言える事は家康の方が圧倒的に運がいいという事だけだお( ^ω^)
382人間七七四年:2010/07/21(水) 22:36:33 ID:E2OiNfCy
>>381
 いやいや独眼竜様のほうがなんぼか幸せか
 美人ばかり周りにはべらせ、果ては外人の側室もちの独眼流>トラウマからデブスかブスしか愛せない家康
 戦国の海原雄山もかくやのグルマン独眼流>麦飯最高ヒャッハー!の縄文人の味覚レベルの家康
 美景家臣‘s相手に衆道三昧の独眼竜>>>>>井伊くらいしか相手がいなかった家康 
383奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/21(水) 22:38:05 ID:e4f57ue2
衆道基準はイヤだなおい。
384月孔雀:2010/07/22(木) 18:04:47 ID:0h+Lknq1
戦国大名の能力値(参考になるかな・・・)
  
     武力 政治力 カリスマ
織田信長  3  4   5
武田信玄  4  5   5
上杉謙信  5  0   5
北条氏康  4  4   4

明智光秀  5  4   3(武力は確か)
羽柴秀吉  3  5   3
徳川家康  4  3   4

家康の能力高目だが、物凄く高い訳でもない。
能力値以外の要素(地の利や運、長生き)も大きいと思う。
385人間七七四年:2010/07/22(木) 19:13:00 ID:0xTGjstb
先日やったNHKの関が原ネタ
いったいどういう構成で番組を作るのかと思ったら
驚いた
386人間七七四年:2010/07/22(木) 19:29:32 ID:1/l9Fcf/
能力数字にしたかったらノブヤボスレでも行ってやれよ。
387人間七七四年:2010/07/22(木) 21:28:58 ID:WRJ9ZQuV
人の一生は重き荷物を負うて遠き道をゆくがごとし

この言葉は本当に家康公が言った言葉だろうか?
適当に家臣が作ったのをパクって、何かにのせた、、、とかあるのかな?
まあ、誰が作ったにしろ良い言葉だけどさ。
388人間七七四年:2010/07/22(木) 21:50:26 ID:Mv5UZy3g
>>381
派手好きで財政破綻引き起こすような政宗が家康と同じ立場になったら
織田か今川に吸収されておしまいだわなw
運が巡ってきたのは本能寺後、伊賀を越えた後辺りだろ
それまでは辛酸の連続だったろうに
389人間七七四年:2010/07/22(木) 22:10:02 ID:3ZbA54Zc
>>387
本当は水戸黄門が言ったとか言わなかったとか
390奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/22(木) 22:46:42 ID:X4IIBMBO
代紋take2を読んでいて、常に舎弟頭を目指していたら若頭がおらず組を継ぐことになったという印象なのが家康。
391人間七七四年:2010/07/22(木) 23:02:37 ID:1/l9Fcf/
エンブレムってヤクザの世界をすごくよく勉強できるんだよな。
392奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/22(木) 23:28:48 ID:X4IIBMBO
代紋TAKE2検定で満点だった。

10問正解 / 問題数 : 10問 全国1位 / 全受験者数 : 5777人中

あなたは『組長』です。

だとさ。
393仙台藩百姓:2010/07/23(金) 07:38:14 ID:ZK3YhMTj
>>388
運がよかったから本能寺の変まで生き残れたわけだが( ^ω^)
義元が死ななければ今川の臣下のままだったわけだし
信玄が死ななければ徳川など消し飛んでいたお( ^ω^)
そしていずれの死にも家康の意図は全く絡んでいない
まさに天から降って来た幸運だお( ^ω^)

>>389
光圀とか凄く似合わないお( ^ω^)
というか人の一生とか何勝手な事言ってるんだって話しだおね( ^ω^)
自分が無能だから他人より余分に重荷背負っただけじゃんお┐ (´ω`) ┌
「人の一生は」→「我が一生は」に訂正すべきだお( ^ω^)
394人間七七四年:2010/07/23(金) 09:40:24 ID:vr454jMm
>>393
名将というのは多寡は兎も角、基本的に運がよいものでしょうよ
395人間七七四年:2010/07/23(金) 10:00:50 ID:b1P5BH6v
なんで水戸黄門と暴れん坊将軍とかってパチが使っているの?
396仙台藩百姓:2010/07/23(金) 15:08:11 ID:ZK3YhMTj
>>394
それは間違いないお( ^ω^)
運が悪ければどんなに天才でも世に出られないし
逆に凡庸でも運が良ければ立身できるお( ^ω^)
家康は後者でも極端な例といえるお( ^ω^)

>>395
そりゃ時代劇で有名だからじゃんお( ^ω^)
397人間七七四年:2010/07/23(金) 15:10:00 ID:vr454jMm
>>396
凡庸と万能の凡人は似て非なるものだよ
398仙台藩百姓:2010/07/23(金) 15:52:11 ID:ZK3YhMTj
>>397
万能という時点で凡人ではないお( ^ω^)
一つでも優れた能力を有していればすなわち有能
まして万の能力を有していれば尚の事だお( ^ω^)
でもよく考えると家康が凡庸というのは間違いだったお┐ (´ω`) ┌
運も才能と見れば家康は間違いなく有能であるお
むしろ世界的に見ても異常な幸運の持ち主であるし
むしろ運の大天才と呼ぶべきであると漏れは提唱するお( ^ω^)
399人間七七四年:2010/07/23(金) 16:10:20 ID:TW6m29xK
そもそも凡人だったら天下取れなかった奴らも皆凡人だわな
スタートは三河一国で紆余曲折あれど天下を取っている
織田の腰巾着となり何とか甘い汁をすすり信長いなくなった後はうまいこと甲斐信濃をとる
そしてその後秀吉に臣従し関東250万石を貰い秀吉死後は危なくも関ヶ原で勝つ
これだけの事は凡人じゃできないわな
400人間七七四年:2010/07/23(金) 16:28:47 ID:vr454jMm
>>398
一つの才にも多寡があるのだが
401仙台藩百姓:2010/07/23(金) 17:20:24 ID:ZK3YhMTj
>>399
それは違うお( ^ω^)
例えば小笠原諸島の漁師に天才がいたとする
しかしこの時代は教育も情報もなく、何事もなく生活をしていれば天下を狙う発想すらでないお
下手すれば天下の意味すら知らずに生涯を終える事になるお( ^ω^)
また、元和6年に家康と同程度の能力を持った非人がいたとしても
天下を取るなど絶対に不可能だお( ^ω^)
また、奇跡の大天才として生まれても病弱で夭折したら天下は取れないし
天災で死ぬ場合だってあるお( ^ω^)
つまりは天下取れなかったから劣るという論法は成り立たないお( ^ω^)
402人間七七四年:2010/07/23(金) 17:26:02 ID:gulnaMOL
>>384
家康の政治力は4〜5だろ。
3のわけないw

>>398
運というのは何もしないで得られるものではないからね。
家康は運をつかんだんだよ。人事を尽くして天命を待ったんだ。
403仙台藩百姓:2010/07/23(金) 17:38:10 ID:ZK3YhMTj
>>402
では、義元討死の為に家康が何をしたのだお?( ^ω^)
信玄病死の為に家康が何をしたのだお?( ^ω^)
信長横死の為に家康が何をしたのだお?( ^ω^)
秀吉が晩年まで実子を得られない為に家康は何をしたのだお?( ^ω^)
404人間七七四年:2010/07/23(金) 17:42:55 ID:vr454jMm
>>403
兄二人が死ぬために義元は何をした?
信玄病死の為に信長が何をした?
信長横死の為に秀吉が何をした?
405人間七七四年:2010/07/23(金) 18:21:48 ID:hwhlZj4I
信長適正値 統率89武勇62知略78政治77運115

秀吉適正値 統率80武勇13知略69政治82運118

家康適正値 統率76武勇70知略79政治85運120

信玄適正値 統率90武勇58知略85政治62運85

謙信適正値 統率92武勇75知略48政治32運75

政宗適正値 統率38武勇28知略45政治75運95
406人間七七四年:2010/07/23(金) 18:24:48 ID:gulnaMOL
>>404に答えられない仙台藩百姓w
407人間七七四年:2010/07/23(金) 19:28:59 ID:+irEQPqI
>>389
かもなあ
408人間七七四年:2010/07/23(金) 21:24:26 ID:x16qqId4
なんだここ・・・荒らし固定と馴れ合いたかったら他に叩きスレ立ててそっちでやってくれよ
バカに無駄レスしてる自分をかっこいいとでも思ってるのか
409仙台藩百姓:2010/07/23(金) 22:04:26 ID:ZK3YhMTj
>>406
その前にもまえが答えるべき事だお( ^ω^)
今ここでは義元や信長が無能だろうが天才だろうが知った事ではないお( ^ω^)
家康が何をしたのか答えるべきところだお( ^ω^)
それとも漏れの説を肯定すると言う事かお( ^ω^)
410人間七七四年:2010/07/23(金) 22:07:42 ID:gulnaMOL
答えられないとそうやって逃げるのね。
411人間七七四年:2010/07/23(金) 22:08:17 ID:FcTO6HIZ
キチガイ固定のレスを御丁寧に読んでること自体が驚きだけどな
いちいちマジにレスしてるってのを見ると
荒らしにまんまと釣られて自分もスレ汚しの片棒担いでるのが理解できてないようだ
412人間七七四年:2010/07/23(金) 22:12:29 ID:vr454jMm
>>409
信長の最古の同盟関係を維持し続けた
秀吉の最大の外様大名の座を維持し続けた
413仙台藩百姓:2010/07/23(金) 22:31:00 ID:ZK3YhMTj
>>410
兄二人が死ぬために義元は何をした?
→何もしていない
信玄病死の為に信長が何をした?
→何もしていない
信長横死の為に秀吉が何をした?
→何もしていない

以上だお( ^ω^)
こんな話題逸らしのネタに答えるなんて何て優しい漏れ(*^ω^)
さあ、もまえも漏れの善意に応えるのだお( ^ω^)

>>412
それ死因に全く関係ないじゃんお( ^ω^)…

ていうか何でvr454jMmが漏れへした質問の解答をgulnaMOLが迫り
gulnaMOLへの質問をvr454jMmが答えているのだお( ^ω^)ジエン?
414人間七七四年:2010/07/23(金) 22:41:50 ID:vr454jMm
>>413
つまり彼らも運がよいだけ

家康が何をしたかに答えたんだが…

別人だよ
ただ貴方がウザイと感じる人が複数いるのでしょう
415人間七七四年:2010/07/23(金) 22:49:32 ID:Ct6pGIa4
ID:vr454jMm
416人間七七四年:2010/07/23(金) 22:56:44 ID:ybOQPPtT
殆ど全ての勢力伸張が棚ボタによって得られたってーのと
今川・織田・羽柴のそれとを本気で一緒だと考えてるんだとしたら大したもんだ。
417人間七七四年:2010/07/23(金) 23:09:26 ID:vr454jMm
>>416
家康の勢力伸長が全て棚ぼたという考えの方が大したもんだよ
418仙台藩百姓:2010/07/23(金) 23:11:55 ID:ZK3YhMTj
>>414
一事だけで「運が良いだけ」と結論付けるのは早計だお( ^ω^)
その辺りは各大名スレで議論するといいお( ^ω^)
家康についても幸運の発端になった事象に家康の意図は全く絡んでいない
つまり降って湧いた幸運というわけだおね( ^ω^)
しかも何度も何度も┐ (´ω`) ┌

まあ、アンチ漏れが大勢いるのは当たり前だおね(*^ω^)
つまりgulnaMOLが答えられないねを見兼ねてもまえが助け舟を出したということかお( ^ω^)おっおっ
419奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/07/23(金) 23:15:31 ID:c9iJh2LI
今川組内松平組(副幹事)
織田組舎弟
豊臣組舎弟頭

クドいようながらエンブレム風に。関ヶ原は若頭不在で舎弟連と幹部が複雑に絡んで争ったとする。
420仙台藩百姓:2010/07/23(金) 23:20:39 ID:ZK3YhMTj
もまえはヤクザらしく借金の取り立てにいってくるといいお( ^ω^)
421人間七七四年:2010/07/23(金) 23:24:23 ID:ybOQPPtT
>>417
実際棚ボタだからなw
422人間七七四年:2010/07/23(金) 23:45:49 ID:LAGOims7
>>421
 棚ぼたというより、コバンザメだろう。
 コバンザメは宿主が死ねば、離れるし、場合によっては宿主の屍を食らう。
 織田の屍から甲斐と信濃をいただき、北条の屍をまるっと食べて250万石の大大名に
 猿人の背中に引っ付いて粛清を間にがれ、その屍をいただいて天下「様へ

 運がいいとか棚ぼたとか言うのは月並みだよ。

 コバンザメと家康のことを呼ぶのが旬だよ。
423人間七七四年:2010/07/24(土) 01:19:11 ID:4wKL95rN
コテなんか普通にNG入れればいいのに
424人間七七四年:2010/07/24(土) 09:10:02 ID:4THR/NJ+
425人間七七四年:2010/07/24(土) 16:33:24 ID:Hiw19eHk
家康が何をしたか?

華美にふるまわず、尊大にふるまわず。それによって、
広大な領地を持ちながらも信長や秀吉に潰されずに済んだ。

棚ボタかもしれないが、その果実を失わないための手はしっかりと打ってあったのではないかな。
それが他の大名との違いではないだろうか。
家康と全く同じ状況になった別の大名がいたとして、果たして家康と同等の足跡を残せただろうか。
もっというと、信長も秀吉も、天下人となってからの振る舞いが、自らの首を絞めることとなってしまった。


さすがに江戸時代の間は神君として祭り上げられてはいたが、
おそらく、家康は仙台藩百姓のようなエタからあれやこれやと貶められることすら計算のうちだったのかもしれない。
「それでよいのだ。そう思わせておけばよいのだ」と、呟いているのかもしれない。
426人間七七四年:2010/07/24(土) 16:41:49 ID:WPjT1hAj
何の心構えも準備もない人間が、
棚から落ちてくる牡丹餅を掴む事は出来ない。

普通の人は、そのまま地に落としてしまうものだよ。
427人間七七四年:2010/07/24(土) 16:45:19 ID:Hiw19eHk
                                 ,.へ
  ___                             ム  i
 「 ヒ_i〉                            ゝ 〈
 ト ノ                           iニ(()
 i  {              ____           |  ヽ
 i  i           /__,  , ‐-\           i   }
 |   i         /(●)   ( ● )\       {、  λ
 ト−┤.      /    (__人__)    \    ,ノ  ̄ ,!
 i   ゝ、_     |     ´ ̄`       | ,. '´ハ   ,!
. ヽ、    `` 、,__\              /" \  ヽ/
   \ノ ノ   ハ ̄r/:::r―--―/::7   ノ    /
       ヽ.      ヽ::〈; . '::. :' |::/   /   ,. "
        `ー 、    \ヽ::. ;:::|/     r'"
     / ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ
     | 答 |   負けるが勝ち       │|
     \_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ
428人間七七四年:2010/07/24(土) 16:46:06 ID:jSYwHsEr
床に落ちても食べられるから棚ボタなんだけどな。
429人間七七四年:2010/07/24(土) 18:09:12 ID:KouXXfcA
>>423
名無しと違ってNGできるのにしないってことは
まあその、あれだな
430人間七七四年:2010/07/24(土) 18:20:54 ID:WPjT1hAj
>>428
スマン、教えてくれ。どういう事?
431人間七七四年:2010/07/24(土) 21:23:17 ID:k5iejuq3
棚からぼた餅が床に落ちても(自分の家では3秒ルールがあるので3秒以内に食べるから)
食べられるってことやで
432人間七七四年:2010/07/24(土) 22:04:08 ID:7/Sh2+3/
3秒ルールは間違い
明らかに汚い場所に落ちたものはすべて食べてはならない
目がテンでの科学的検証から

で、家康は新鮮な物を食ってたから寿命を全うして幕府を開いたと
433人間七七四年:2010/07/24(土) 22:06:22 ID:CAw27Vmn
>>432
信長が送ってきた果物を食べなかったんだっけ?
それで信玄が「あの若造は天下を狙っておる」っていった話?
434人間七七四年:2010/07/24(土) 22:49:54 ID:LmkfxKne
NHKの名将の采配見た?関ヶ原の家康も結構、気性が激しかったんだね。
435人間七七四年:2010/07/24(土) 23:00:34 ID:Hiw19eHk
そうそう。あれ見ても家康は何もしてないと言う奴がいるのが不思議。
436仙台藩百姓:2010/07/26(月) 17:52:32 ID:UGg+TLtZ
小牧長久手の敗戦後は家康もようやく政治力が芽生えて来て
関ヶ原と大坂の陣はまずまずの出来といえるお( ^ω^)
豊臣政権下で上方の洗練された政略を学んだのだおうね( ^ω^)
437人間七七四年:2010/07/26(月) 18:58:40 ID:IjOvKjp3
信長と付き合い続けたという点で既に並の政治力ではない
438人間七七四年:2010/07/26(月) 20:34:54 ID:NBPaDWLF
>>436
おお、百姓殿も少しずつスタンスが変わってきとる・・・。
勉強してるんだな。
439人間七七四年:2010/07/26(月) 21:28:10 ID:yXIa+uZt
>>438
おまえはいつまでたっても変わらんな
いつまでもスレ汚し
440人間七七四年:2010/07/29(木) 17:32:38 ID:6w61uVIP
ヒストリア見てなんでも家康を悪役に据えりゃいいと思ってんなよNHK
…と思った
負けた奴には負けるだけに理由があったんだろうが。

そしてふと関ヶ原合戦時裏切られまくった西軍だったが
逆に東軍からあの瞬間に裏切った部隊ってのもいたのだろうかと
疑問を持った、いたのかな?
441人間七七四年:2010/07/29(木) 17:44:50 ID:NA9kcgz0
石川貞清が怪しい
442人間七七四年:2010/07/29(木) 19:22:04 ID:9dvjo8DI
図書館・書店で歴史本見てるが
見れば見るほど家康が好きになってくよwww
もちろん悪いなあと思う点も含めて

>>440
だから俺はそういうのを見ても悔しく感じる部分は有るけど
歴史は変えられない、家康は勝者として間違いないから
結局弱者の遠吠えを見るのも楽しいという結論で満足する
443人間七七四年:2010/07/29(木) 19:27:21 ID:VYZqXVaJ
天地人の松方家康はひどかったな。コブもそうだが、
話し方からして頭おかしそうな感じだったしw
あの大河で滝田家康で登場していたらどうなったんだろうw
444人間七七四年:2010/07/30(金) 00:21:56 ID:fKHhqEAh
利家に脅された場面とか
千姫救出場面とかは
あれあれあれ?って思ったけどね
445人間七七四年:2010/07/30(金) 00:35:02 ID:1v3uh/MO
家康=小物陰湿タヌキ親父でイメージ固まっちゃってるからね信長や秀吉も

信長=残虐 キチガイ

秀吉=女好き 陽気 馬鹿

っていうのが一般人が思う三英傑の印象だからしょうがない。
不如帰でも餅の話でも何もせず勝者になったと強調されてるし
誰か綺麗な家康のイメージを世に作ってくれないかな漫画とかゲームとかで
446人間七七四年:2010/07/30(金) 00:41:00 ID:XOGH3sOm
>>445
江戸時代の史書と山岡荘八でこれでもかってくらい美化されてると思うが。
447人間七七四年:2010/07/30(金) 01:19:46 ID:UYhFTgyd
世間一般のイメージの事でしょ。
448人間七七四年:2010/07/30(金) 08:54:44 ID:9I6MJBPn
家康は最後の勝利者だから無理
庶民は自分と比較できるような最後は失敗した者に感情移入する
449人間七七四年:2010/07/30(金) 11:09:28 ID:TeOBWfpP
なんでかね。
スラムダンクの作者の井上は「弱い者が努力して強い者に勝つことに一般の人々は共感する」
と言って物語を展開してきて大ヒットした。
家康なんかまさにその典型だと思うのだが。勝ち過ぎたのかな…。
450人間七七四年:2010/07/30(金) 12:02:13 ID:9I6MJBPn
>>449
あの話は強い者に勝って、直ぐ終わったから
家康は勝った後に自分より弱い者と戦っていることが、庶民には弱い者いじめに見える

現実には最大の敵と戦って勝利した後は、世の中は平和になりましたという展開は先ずない
むしろイラクやアフガニスタンの様に、その後の弱い者いじめにみえる掃討戦をいかに
効率よく行うかが重要ということを理解していないし、しようともしない
だって御伽話としては全然、つまらないですから
451人間七七四年:2010/07/30(金) 15:50:47 ID:W3reI29u
劉邦のことですね、わかります
452人間七七四年:2010/07/30(金) 17:58:27 ID:J+96JrHh
弱い者いじめってw
それやりながら秀吉も天下統一したのにな
453人間七七四年:2010/07/30(金) 18:03:16 ID:aloA30x7
結局関ヶ原で明確に家康裏切った行動とった武将は
目立つ奴の中にはいなかったって感じでいいんだろうか?
454人間七七四年:2010/07/30(金) 19:39:47 ID:9I6MJBPn
>>452
秀吉はむしろ統一した後がダメダメなのを庶民は表面上はスルーしつつも、
彼が完全でないことに暗い喜びを得ている
455人間七七四年:2010/07/30(金) 22:08:25 ID:TeOBWfpP
>>453
島津くらいかな? 正確には関ヶ原の直前になるけど。
456人間七七四年:2010/07/30(金) 22:54:56 ID:wQxJO3Xb
元忠はなぜ伏見城に入れなかったんだろう(′・_・`)?

最悪支城にでも入れてやるとかダメだったの?
457人間七七四年:2010/07/31(土) 00:12:25 ID:Zjf4ynuu
>>456
元忠は必要最低限だけで守ることを考えていたようで、事前に守兵を結構城から出してる
おそらくは、実際そうだったように寝返りが出るのを怖れてたんだと思う
458人間七七四年:2010/07/31(土) 00:35:35 ID:+5LWvGhl
あー、よく考えたら厳戒態勢の城に入れなかっただけで
西軍に付いちゃう程度だったって事か?
459平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/07/31(土) 03:12:15 ID:TErUr1y1
>>453
黒田孝高は怪しい。
460人間七七四年:2010/07/31(土) 06:11:01 ID:Ra84RuGA
島津レベルで裏切りになるんなら真田、長宗我部も裏切りになるんじゃない?
461仙台藩百姓:2010/07/31(土) 08:00:10 ID:Y2SoGSyF
島津が本当に家康から指示されていたのなら裏切り者は鳥居元忠だお( ^ω^)
462人間七七四年:2010/07/31(土) 11:18:59 ID:NH1QGxKW
>>455
それはそれで正確には位置的に止むを得ずということで
あんな西軍の真っ只中にたった1500人程度じゃ無駄死にしちゃう
鳥居がもう少し柔軟に、そして島津を信じてれば、
義弘は伏見で鳥居共々玉砕をして別の英雄譚ができたはず
更にそれを家康が評価して島津家加増もあったんだろうと思う

>>457
家康の指示にさすがに突発的な加勢のことまで含まれてなかっただろうから
律儀に頑固に自分が守るというのを通したんだろうなあ

>>458
そのうえ、自分の戦術提案をことごとく三成に却下されたことで
戦場で義弘はちんぷりかえって実質戦闘に参加せず
463仙台藩百姓:2010/07/31(土) 12:48:18 ID:Y2SoGSyF
この期に及んで味方疑うようなチキンは一人で便所にでも篭っていればよかったのだお( ^ω^)
464人間七七四年:2010/07/31(土) 14:14:43 ID:p8BupHE5
>>453
東軍からは裏切りが出ないようにしたんだろ、家康が。
東軍の陣形はいわゆる「死地に入る」形で、戦力的には不利だが、
一致結束して戦わないと戦況が開けないから裏切りが出にくい。
戦力的な不利を補って余りあるというわけ。
465人間七七四年:2010/07/31(土) 14:40:49 ID:JOGD4KBH
でもこの陣形は裏切り者が出ない確証がないとだめだな
内で裏切り者が出たらそこに戦力を裂かなきゃいけないから余計不利になるし
敵に接してる部分で裏切り者が出たらそれこそ数的な問題で潰走するし
そもそも一致結束が必要なのは東軍として戦うなら、だからね
裏切って史実の小早川みたいに(あれは結果論で、だが)加増を狙うのもいるんじゃないか
466人間七七四年:2010/07/31(土) 14:52:10 ID:TyI6wsjR
当日の家康の格好は常装の小袖に具足は胴のみを着用して、後は笠と羽織というスタイルだから
イザという場合は、直ぐに逃げれる格好だな
467仙台藩百姓:2010/07/31(土) 14:58:37 ID:Y2SoGSyF
そもそも裏切るとか言うのはおかしいお( ^ω^)
豊臣家を裏切る者が裏切り者なのだから
毛利と徳川の間で行き来するのは裏切りとは言い難いお( ^ω^)
どっちにつこうが本人の勝手だし┐ (´ω`) ┌
468人間七七四年:2010/07/31(土) 15:08:23 ID:eBhgTcRm
鳥居元忠は忠義を尽くしただけだ。不世出の忠臣だね。

まあ女のことで少しあったけど、こまけえこたあいいんだよ。
469仙台藩百姓:2010/07/31(土) 16:32:30 ID:Y2SoGSyF
忠臣だからといって名臣であるとは限らないけどね( ^ω^)
470人間七七四年:2010/07/31(土) 16:42:19 ID:kuqlhWUN
>更にそれを家康が評価して島津家加増もあったんだろうと思う
これが嫌だったから、わざわざ玉砕城に入れなかったんだな。

だいたい城に入らなきゃいけない時点で怪しい。
471人間七七四年:2010/07/31(土) 21:21:57 ID:gHW+Sop2
>>468
女問題は家康もニガワラして不問に付したからもう許してあげてwww
472人間七七四年:2010/07/31(土) 21:25:50 ID:gHW+Sop2
東軍は美濃に終結した辺りで腹をくくったんだろう
家康はそこを見切ったわけで
473人間七七四年:2010/07/31(土) 22:40:47 ID:eBhgTcRm
>>471
まああれも忠義の一形態だと小説では評価されていたからな。
474人間七七四年:2010/08/01(日) 15:04:53 ID:LxFbyfRy
鳥居元忠は有名なのに夏目吉信やスネエモンは地味だな
475人間七七四年:2010/08/01(日) 22:16:41 ID:3X8unCIY
個人的には同じレベルだな
むしろ鳥居のエピソードを最後に知ったぐらいだし
476人間七七四年:2010/08/02(月) 14:41:17 ID:+0Dns61W
信長も秀吉も、天下人になってから、あるいは、天下人の意識を持つようになってからおかしくなった。
数々の愚を犯し、そして自滅していった。
家康はその失敗を見て同じ轍を踏まなかった。
だからこそ、260余年の太平の世を築くことができた。
477人間七七四年:2010/08/02(月) 21:00:03 ID:CX/TYNQc
>>476
それは確実にあると思う
関ヶ原後の家康を見ると、公私ともに自律を徹底しているよな
生活だって派手にできたのに、すり切れるまで道具を使い続けたり
毎日写経を欠かさなかったり、自ら鍛錬に励んだり
趣味と実益を兼ねて勉強しまくったり、一番金のかかる趣味の香道ですら勉強の一環だったり
家康が率先してそういう生活をしてたもんだから、下の者も従わざるを得ない
(だからこそ大久保長安の過度な蓄財が問題視されたようにも思う)
少なくとも、江戸期の武家の規範になったのはこのときの家康の態度だと思うわ
478人間七七四年:2010/08/03(火) 17:48:07 ID:kkdTAFJ1
豊臣家が存続しているかぎり、徳川の天下ではなかったわけで、
家康は、豊臣つぶして、自他ともに認める天下人となったが、
あっさり、翌年に死亡。
もう少し長生きしていたら、悪い評判もあったことでしょう。
479人間七七四年:2010/08/03(火) 18:21:56 ID:BwsgdECu
>>478
徳川の天下だったよ
そうじゃないと思ってたのは、ぶっちゃけ豊臣だけ
大坂の陣で大坂方に味方する大名家が居なかったのが証拠
豊臣はすでに実質1大名家に落ちていた
それなのに、家康が甘い対応してるのを勘違いして従わず
牢人衆招き入れまでしてやる気満々だった
梵鐘事件も同様で、大御所に対して諱を避けなければどうなるか
わかってなかったのは豊臣だけ

秀吉に対して同じ事をやればどうなるか、を考えればわかる
家康は甘い
480人間七七四年:2010/08/03(火) 18:57:10 ID:WyhqpbrY
>>477
家康は元から質素な食事を心がけていたのがすごいよな。
粗衣粗食、実はこれが健康にも良かったわけだが。
後世の我々にしてみれば、質素倹約は正しいことと素直に認められるが、
当時そういう常識が確立されていない頃にそれを徹底できた家康は流石だ。

>>478>>479
家康が豊臣をつぶしたというより、豊臣が自滅したって感じだね。
存続する道はいくらでもあったはずなのに。
織田家は時流をしっかりと読んでそれを受け入れたから、しっかりと存続できている。
481人間七七四年:2010/08/03(火) 18:58:17 ID:kkdTAFJ1
何が何でも、大阪豊臣を滅ぼした家康が、甘いといわれても・・・

家康が死んだ時に、豊臣家が存続していれば、天下がどうなったか?
まだ、徳川の天下に決まっていないのでは?
482仙台藩百姓:2010/08/03(火) 19:19:40 ID:VgkLSfF/
いまだに家康の質素倹約なんてギャグ信じてる人がいるおかお( ^ω^)
粗食で運動してた人間が何で超絶デブなんだお┐ (´ω`) ┌
揚げ句、いい歳して油ぎった物を食い過ぎて寝込むとかどんな笑い話しだお┐ (´ω`) ┌
だいたい家康は普段から頻繁に宴会してるし、食い物がマズイとかブチ切れたりもしてるお( ^ω^)
家康の質素倹約伝説は幕臣が薄給の当て付けに皮肉った話しに違いないお( ^ω^)
483人間七七四年:2010/08/03(火) 19:23:59 ID:WyhqpbrY
豊臣が存続していても、徳川の天下だろう。
既に豊臣が一大名にすぎなくなっていたのは明らか。

それ以前でも織田家が存続していても豊臣の天下になったわけで。
484人間七七四年:2010/08/03(火) 19:30:20 ID:OMt3pJrA
豊臣が1大名として残っていたら反乱はあっただろう
豊臣恩顧+野心家達がが恩賞目当てに秀頼担いで徳川と戦う筈だ

秀吉の時代だって織田+徳川の小牧長久手の戦いがあったじゃないか
豊臣は潰しておいて正解
485人間七七四年:2010/08/03(火) 19:42:44 ID:WyhqpbrY
>>484
反乱があっても、徳川の天下に変わりはない。
そもそも「反乱」という時点で徳川の天下というのが前提になっている。

小牧長久手の戦いはまだ秀吉が天下人になる前の話。
486仙台藩百姓:2010/08/03(火) 20:35:20 ID:VgkLSfF/
小牧長久手って畿内すら制圧しきれてない頃じゃんお( ^ω^)…
487人間七七四年:2010/08/03(火) 21:17:01 ID:BwsgdECu
>>481
豊臣が生き残るチャンスは何度もあった
何度も移封の打診をされて、何度もはねつけてる
秀吉時代には考えられなかったことで、これだけ見ても対応は甘い
その上冬の陣では家康が京を立つまで武装を解いて開城するようにと打診を入れている
秀吉だったら最初の移封拒否で即取りつぶされてる
逆に言えば、この家康の甘い対応による豊臣の増長を見ていたために
秀忠は減封や取りつぶしに厳しくなったようにも思う
甘い顔を見せればつけ上がるという感じで

>>484
だから、その野心家達が恩賞目当てに秀頼担いだ「反乱」が大坂の陣だろ
豊臣恩顧は秀頼担いで徳川と戦ったか?戦ってないだろ?
そういうことだよ
488人間七七四年:2010/08/03(火) 21:47:33 ID:nCRxbeJ/
秀吉が家臣に対して行った事と同列に語るとか頭が悪いにもほどがある。
489人間七七四年:2010/08/03(火) 22:25:54 ID:BwsgdECu
>>488
信雄は家臣ですか、そうですか・・・
490人間七七四年:2010/08/04(水) 00:05:34 ID:TfmUreCS
移封命令を受け入れるという事は主従の関係を受け入れるという事。
厳密に言えばそれまで従属的同盟だった信雄が移封命令を受け入れなかったのは、
完全に秀吉の家臣になるという事を拒否したとも言える。
まして秀頼の場合、立場上家康の主君であり、その家康の移封命令を受け入れる
というのは主従の立場を完全に逆転させるという離れ業。
そうそう簡単に受け入れられるような物じゃない。
幾らなんでもその他の例と一緒くたにするだなんて馬鹿げてる。
491人間七七四年:2010/08/04(水) 00:13:45 ID:Hy7I8cJq
>>490
二条城会見が整った時点で、事実上豊臣は徳川に屈してるんですが
小牧長久手後の家康上洛と同じで
二条城会見が臣従でないなら、家康上洛も臣従ではなくなるわけで
形式的にはもう豊臣家は徳川家の家臣筋に落ちてた
492人間七七四年:2010/08/04(水) 00:24:57 ID:SkCiIS7n
>>490
受入れなければ滅ぼされるとわかっていれば、受け入れるわな。
滅ぼされない、と思ったから受け入れなかったんだろ。
要は、過信で空気の読めない甘チャンだった、て事だ。
493人間七七四年:2010/08/04(水) 01:08:25 ID:TfmUreCS
>>491
二条城会見が事実上の臣従だったという見方は笠谷氏なんかによって現在は否定的な見方が多い。
秀頼が江戸に出向いて家康に拝謁したというのなら臣従だが、そうじゃない。
会見を行った二条城で家康は秀頼に対して最大の礼を尽くして迎えており、
微妙だった徳川−豊臣関係の融和が目的だったと思われる。
その後の三ヶ条誓詞の提出も豊臣家には求められていない。
家康の場合は、大坂城という秀吉の居城で拝謁したのであり、その性質は全く異なる。
もちろん、その後の行動も豊臣家家臣としての行動であり、この場合は完全な臣従。
494奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/04(水) 01:16:57 ID:TZrdkFhl
理屈の後付は参考までに。
495人間七七四年:2010/08/04(水) 01:48:06 ID:Hy7I8cJq
>>493
否定的な見方が多い、ってことはまだ主流になるほどじゃないってことだろ
最大限の礼を尽くしたというが、家康が上座譲ったか?そうじゃないだろ
二条城会見の時点でまだ豊臣家が徳川家の主家であるなら
例え義祖父であっても家康は秀頼に上座を譲らなければならない
通説通り、少なくとも豊臣−徳川間の主従関係はすでに解消されていたと見るべき

そしてこの時代は、呼び出されて出向いた方が臣従したとみなされていたのも事実
利家が死の直前家康を訪ね、家康自身が訪ね返したように
二条城会見後に家康自身が大坂を訪ね返したなら話は別だが、
このときは返礼の使者に出したのは息子
少なくとも周囲は「豊臣が徳川に屈服した」と見なしていただろう
現に梵鐘事件の時、徳川家が豊臣家に避諱しなかったことを詰問しても
どこからも徳川批判も調停役も出なかった
この問題を取り上げても、豊臣家は家康の諱を軽々しく扱えるような「主君」ではなかったということがわかる
496人間七七四年:2010/08/04(水) 01:57:41 ID:Rzg4oXRl
正直なところ
豊臣⇔徳川間だけでなく、世間的には完全に徳川の天下で
豊臣はそれに必死に抵抗してるだけにしか見えてなかったでしょう
それを「いつ戦がまた起きるのか」とドキドキ見守ってたと
戦があれば迷惑をこうむる人もいるけど特需が起きることもあるし
大名家でもあれだけ豊臣が拒否してたら
いずれ最後の戦いが起きることは容易に予想してただろうし
そして結局大名たちは徳川についたと
497人間七七四年:2010/08/04(水) 02:34:42 ID:LBfIdiHV
三河者の面倒話たくさん聞きたいな。
498人間七七四年:2010/08/04(水) 02:40:36 ID:CquHP8Rw
>>497そういうのは良い話悪い話スレのまとめサイト見た方がいい
499人間七七四年:2010/08/04(水) 02:48:16 ID:v0xLC4Z9
>>495
当代記に「まづ秀頼公を御成の間へ入れ申し」とあり、家康は秀頼に上座を譲っている。
その後、「互の御礼」を申し出たが秀頼が固辞し、上座を譲ったとなっている。
秀頼が臣従したとするならこのようなやり取りはあまりに不自然。
その後の徳川家の豊臣家への対応にしても家臣に対する物ではなく、微妙な関係が続く事になる。

豊臣家が徳川の主家であるという状況が破綻している事は当然認識していただろう。
ただ、だからといって徳川の家臣になった訳でも無い。
そういった微妙な状況での出来事と主君が家臣に対する移封命令とを一緒くたに
考えるなどというのはあまりに乱暴で浅慮だという事だよ。
500人間七七四年:2010/08/04(水) 08:06:37 ID:X/uii0eJ
豊臣が空気読んで自ら徳川の下に付くべきだったんだよな。
徳川の方も無理に豊臣を下につけさせることは避けたかった。
501人間七七四年:2010/08/04(水) 09:26:43 ID:m8bWCNP/
結局のところ外交戦に失敗して従わせる事が出来なかったと言う事だよ
豊臣氏は朝廷とも密接だったから朝敵にするのも叶わず
莫大な保有資産を完全に削り取る事も出来なかった
そして秀頼は圧倒的に若い、家康は今までのように時間をかけて機会を伺う余裕もなくなってきており
だから無理してでも武力征圧に出るしかなかった
秀吉の遺したものがそれだけ強大だったということだよ
502人間七七四年:2010/08/04(水) 12:50:51 ID:Hy7I8cJq
>>499
「まづ秀頼公を御成の間へ入れ申し」は上座を譲ったことではないんだが

>その後、「互の御礼」を申し出たが秀頼が固辞し、上座を譲ったとなっている。

デジライで当代記が見つからんのでそこ引用してくれないか
503人間七七四年:2010/08/04(水) 13:14:54 ID:vAyyZP8a
東京大学史料編纂所で『大日本史料』が読めるよ
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
504人間七七四年:2010/08/04(水) 15:13:21 ID:Hy7I8cJq
>>503
ありがとう
でも天正年間以降は原稿の形でしか載ってないみたいで画像が荒くて
いまいち判別つかなかった、申し訳ない
505人間七七四年:2010/08/04(水) 15:21:17 ID:X/uii0eJ
>>501
失敗したのは豊臣方だけどな。
506人間七七四年:2010/08/04(水) 15:40:18 ID:vAyyZP8a
>>504
秀頼と家康の二条城での会談は刊本のはずですが
507人間七七四年:2010/08/04(水) 18:27:23 ID:Hy7I8cJq
>>506
mjd?
もうちょっと探してみる、ありがとう
508人間七七四年:2010/08/04(水) 20:36:42 ID:Rzg4oXRl
つーかさ資料云々は読んで無いから知らないけど、
対秀頼としては実際はある程度成功してたんでない?
だがしかし豊臣には淀殿がいた・・・と
509人間七七四年:2010/08/05(木) 01:15:25 ID:cvogkIak
秀頼は太閤の子じゃ無かったから仕方ないw
510人間七七四年:2010/08/05(木) 05:25:28 ID:f4+gU72p
家康は運があったのではなく、
運をコントロールする能力が長けていたんだね。
家康が人気がないのは、天下人になった明確な理由が見いだせないからだろう。
敗因はわかりやすく絶対評価になりやすい。
しかし、勝因はわかりづらい。
勝因は評価が不安定であり相対評価になりがちで、必ず運や相手の不手際の極論がでてくる。
家康の評価が分かれたり、さえなかったりするのは真の勝利者の証なんだね。
家康こそ日本のカリスマなんだね。
カリスマとは戦政争や統治能力が高い人物をさすのではない。
運を味方にできる、或いは周りにそのように想わせる行動能力をさすんだね。


511人間七七四年:2010/08/05(木) 05:43:57 ID:f4+gU72p
僕は499に賛成だね。
微妙な関係だったし、
豊臣挽回の可能性も潜在していたからこそ、
インパクトのある戦争という手段で決着つけようとしたと思うね。
512人間七七四年:2010/08/05(木) 05:46:56 ID:ookxnvk+
家康の影武者説の信憑性はどれくらいなのでしょうか
もし影武者説が本当なら相当優秀な影武者ですね。
513人間七七四年:2010/08/05(木) 06:19:47 ID:f4+gU72p
>>501
一番墓穴掘ったのは秀吉でしょ。
五大老なんか指名しなきゃよかったのに。
おかげで家康は豊臣の内情を知ったり介入する権利を得たし、
豊臣家臣との接近も容易になったし。
514人間七七四年:2010/08/05(木) 13:09:26 ID:1Vrs4xnA
>>510
家康は英国そして中国というかつての二大世界覇権国にも認められているただ1人の日本人だからな。
515人間七七四年:2010/08/05(木) 20:06:37 ID:JCF8cDJc
>>512
家康が影武者だったら
というのを前提にこじつけてる話なんじゃないの
だから一見ものすごく理論的だけど土台からして、
そしてその土台を元にしての解釈からしておかしいと
516人間七七四年:2010/08/05(木) 23:55:21 ID:UgSF5Chd
「にも認められている」って植民地思想丸出しだな
普通に家康は日本史の偉人で問題有るのか
517仙台藩百姓:2010/08/06(金) 00:16:55 ID:HeXy7S84
今時外国の批評有り難がるなんて三河の田舎者は半世紀は遅れているお( ^ω^)プッ
518人間七七四年:2010/08/06(金) 07:42:46 ID:bi5sL2oe
外人からみれば異質で魅力あるリーダー像なんだね。
耐え忍ぶリーダーなんて古今東西探しても見つからないんだね。

519人間七七四年:2010/08/06(金) 08:07:10 ID:bi5sL2oe
家康の内政は立派だね。
特に江戸開拓は凄まじいよ。
途方もない作業をよく指揮したよね。
江戸を本拠地として着眼することなんて、
この男以外に一体誰がいるだろうか?
俺だったら貧乏くさい江戸なんて、
交通の要所ぐらいに留めといて駿河幕府を開いているよ。
520仙台藩百姓:2010/08/06(金) 09:17:55 ID:HeXy7S84
小田原を本拠地にしようとしてたけど秀吉に言われて渋々江戸に移ったのではなかったかお( ^ω^)
家臣も不満たらたらだったし
秀吉の先見性に三河の田舎者は誰も理解が追い付かなかったのだお( ^ω^)
521人間七七四年:2010/08/06(金) 09:35:19 ID:HQwAZIXL
家康が自分の意思が決めたという話もある
両方共バカではないので、双方合意の上であろう
522仙台藩百姓:2010/08/06(金) 09:35:26 ID:HeXy7S84
>>518
逆だお( ^ω^)
家康は大陸によくいるタイプの支配者
欧州や中国では日本的英雄は理解できず、又日本人は自分達より劣ると思っているから
自分達に割と近い家康を見て「ジャップにも多少自分達に近い奴がいるんだな」と思ってるだけだお( ^ω^)
あくまで「自分達に近い=有能」という偏った価値観による評価でしかないお( ^ω^)
だから日本文化に理解が深まると家康を高評価する人はいないお( ^ω^)
そりゃ「劣化版大陸人」と「極東の神秘的英雄」じゃ比較するのも無理だものね( ^ω^)
523人間七七四年:2010/08/06(金) 10:39:39 ID:HQwAZIXL
>>522
具体的に言ってもらわんと分からん
何が「大陸的」で何が「日本的」なのか
524仙台藩百姓:2010/08/06(金) 10:58:20 ID:HeXy7S84
簡単に言えば「裏切り」「利欲」「逃げ」だお( ^ω^)
日本ではこれらを犯すと英雄とは見られない傾向にあるけど
大陸では手法が巧妙であれば英雄視されるお( ^ω^)
そして過程より結果が重要視されるから成功者であれば高評価されるお( ^ω^)
525人間七七四年:2010/08/06(金) 11:09:38 ID:HQwAZIXL
日本が「戦闘」には強くても「戦争」には弱い理由だね
526仙台藩百姓:2010/08/06(金) 14:32:23 ID:HeXy7S84
うぃ( ^ω^)
全くもってその通りだお┐ (´ω`) ┌
どうにも日本国民は戦略政略的白痴と言っていいほどこの点は民族的欠陥になっているお( ^ω^)
上は政治家から下は一般市民まで政治的思考というものが皆無に等しく困ったものだお┐ (´ω`) ┌
いや、「政治家」は存在した事がないといっても過言ではないお( ^ω^)
527人間七七四年:2010/08/06(金) 15:18:28 ID:kVJxzLQA
>>523
いい加減荒らしコテ構うのやめなよ
相手にするから居着くんだよ
528人間七七四年:2010/08/06(金) 15:37:33 ID:bi5sL2oe
百姓君、君はまだまだケツが青いようだねwww。
大陸が好むのは成りあがって豪遊した秀吉なんだよね。
家康は頂点にいながら私欲のために権力をふるうことはあまりなかった。
大陸は立憲君主制に憧れているんだよ。
家康は決定権はあったが独断する事はなかった。
優秀なブレーン。つまり官僚をうまく調整した政治家だった
欧米や大陸は国王や皇帝のように絶対君主制が下敷きだよ。
家康は日本の立憲君主制を形成させたよ。
「裏切り」「利欲」「逃げ」は日本の実力者なら自然に行なっている。
ただ立憲君主制の性格のため君主を美化して合議制をおこるであろう混乱を防いだんだよ。
大陸人に天皇と将軍の関係を説明してもなかなか理解してもらえないよ。

529仙台藩百姓:2010/08/06(金) 16:56:08 ID:HeXy7S84
決定権が家康にしかないのだから結局は独断と変わらんお( ^ω^)
それに徳川幕府が立憲君主制とかどんなギャグだお( ^ω^)…
将軍を抑制するような憲法が幕府のどこに存在したのかと┐ (´ω`) ┌
本来家康が造った幕府は絶対君主制のはずだったのだけれども
三代目以降は将軍権力が衰えて次第に門閥による専制政体みたいになってしまったというだけの話しだお( ^ω^)
だから幕閣も揃いも揃って無能揃いになってしまったわけだけれども( ^ω^)
でも豊臣みたいに外からも安易に組み込んでしまうのも統制力に欠くし
要するに日本の政体はまだまだ稚拙なものでしかなかったのだお( ^ω^)
国内統治に関しては朝廷から幕府政治へ移行する変革をもたらした頼朝が最も評価に値するお
後は似たり寄ったりだお( ^ω^)
530人間七七四年:2010/08/06(金) 20:12:29 ID:bcFwZMfq
家康が日本の立憲君主制を形成させた、って
立憲君主制の意味わかって言ってるのかね
まあ中国や欧州では秀吉の方が分かりやすい、ってのは同意する
531人間七七四年:2010/08/06(金) 20:29:38 ID:C0b3l8XC
このスレ
見えない敵と戦ってるやつが邪魔で困る・・・
独り言になってる
532仙台藩百姓:2010/08/06(金) 21:42:11 ID:HeXy7S84
見えない自由が欲しくて( ^ω^)アァ-
533人間七七四年:2010/08/06(金) 23:29:42 ID:rPUPJraz
信長も秀吉も、結局一代限りで終わってしまった。
それは信長、秀吉、個人に依存するだけの政権だったから。
もちろん、それだけ傑出した人物であったということだが。
家康は、支配体制を個人ではなく組織としてがっちりしたものに仕立て上げた。
さらに、主従関係を個人ではなく家と家にして下剋上が起こらない仕組みも作った。
そのおかげで、幼少の将軍であっても幕府は存続することができたし、
「左様せい」だけしか言わない将軍でも問題なかった。

>>529で指摘されているが、確かに将軍権力は衰えていった。しかし、それでも支配体制が続くんだよ。
それまでの武家政権の歴史ではありえなかったことだ。その基盤を作ったのは紛れもなく家康。

これはものすごいことだ。守成は創業より難しというが、その難きを成し遂げるだけの
基盤を構築した家康こそ本物の政治家であり指導者であり不世出の英傑ではないだろうか。
534人間七七四年:2010/08/06(金) 23:32:30 ID:rPUPJraz
>>529
そうそう、頼朝もたいへん評価されてしかるべき存在だね。
ただ、やっぱりこれも頼朝個人の力量によるものだったから、
創業はできても守成がうまくいかなかった。
535仙台藩百姓:2010/08/07(土) 01:22:44 ID:irDlZ/2Q
江戸幕府(家康時代)に特別変わった支配体制なんてないじゃんお( ^ω^)
鎌倉幕府や室町幕府、そして織豊政権の体制を踏襲したに過ぎないお( ^ω^)
日本に於いて大きな変革が起きたのは鎌倉幕府の成立と明治維新の二点のみだお( ^ω^)
初代の構想のみで体制が維持される事など現実に有り得るわけもなく
その時代ごとの人間によって維持されるのが当たり前
当然江戸幕府も家康以降次々に新構造を打ち立て改革を繰り返し維持されていたお( ^ω^)
国でも企業でも経営は2代目、3代目が最も難しいものだお
江戸幕府も家康なんかより秀忠以降の安定した経営こそ最大の評価点なのだお( ^ω^)
536人間七七四年:2010/08/07(土) 01:33:27 ID:NR7gSj7T
特別変わった事をしたら評価が高くなるわけでもあるまい。
家康の評価は変革を起こした事にあるわけでもない。
良くも悪くも、260年という長寿政権の開祖である点。
組織において、2代目、3代目の運営が困難を伴うのは事実だが、
一律普遍的な話にするのは強引過ぎ。初代の方が困難な場合も当然ある。
徳川幕府はどうか?私見だが、家康は秀忠足り得るが、逆は無理だと思うね。
家康あらざれば、徳川幕府は存在し得ないだろう。
537人間七七四年:2010/08/07(土) 01:40:48 ID:6tRPApgD
まだやってる・・・
538人間七七四年:2010/08/07(土) 01:57:00 ID:afPURE3R
はっは、秀忠な、彼はよくぞ守り通したと思うよ。
あの時点で維持して各所でバランスと保つというのはたいしたものだ。
もちろん秀忠に創業は無理というのは同意です。ある意味適材適所。
539人間七七四年:2010/08/07(土) 08:30:40 ID:P8fsmENU
>>535
仙台藩百姓は個人の好みで物事を論じてるから偏屈になるんだよなあ…。
良い物持ってるのに、もったいないというか・・・。

>>535
家康のときにはなかったけど、家康は三家を創設したり、
強固な支配体制の種をしっかり残してるんだよ。
540人間七七四年:2010/08/07(土) 08:31:47 ID:P8fsmENU
なかったというのはいいすぎだね。まだ整備しきれてなかったってことだ。
541仙台藩百姓:2010/08/08(日) 00:00:47 ID:Dwnb4wo5
一代で急成長した勢力は数知れずあるけど長期間それを保持し続けた勢力が極めて少数な事を考えれば
二代目以降の難しさと重要性がよく分かるはずだお( ^ω^)
先代が苦心して築いた体制を腐らせる事は誰でも簡単に出来るのだお
むしろ無能な程容易に破壊できるのは知っての通りだお( ^ω^)
だから維持、向上となると前例が極めて少ないように創始者以上の能力を必要とされるのだお( ^ω^)
その端的な例が徳川氏と言えるお( ^ω^)

>>539
むしろ歴史に好き嫌いを持ち込む意味が理解できないお( ^ω^)
結局歴史だって統計的な情報でしかないじゃんお
漏れにとっては
「鉄の欠点批判は許さない!銅の特性を誉める奴は馬鹿」
とか言われてるようなもので全く意味がわからんお┐ (´ω`) ┌
542人間七七四年:2010/08/08(日) 00:53:42 ID:ESegtAYG
百姓君、君は失笑ものだね。
家康は三代先まで考えてちゃんと手をうっているよ。
それは家康は頼朝の失敗を教訓にして、封建制度を徹底させたことだよ。
制度の進化としては時代の逆行のようにみえるが、徳川政権安泰につながったよ。
543人間七七四年:2010/08/08(日) 00:58:03 ID:hq8qPcq4
そもそも家康自身日本近世史においては二代目的存在では
初期の江戸幕府はその政策の大部分を豊臣政権から継承してるわけで
544人間七七四年:2010/08/08(日) 01:15:21 ID:ESegtAYG
>>543
武家諸法度も豊臣政権の継承なのかい?
違うよね
質素で力強い武家法度は秀吉では制定できないよね。
豊臣政権は農民には厳しく諸大名には甘かった。
徳川幕府は諸大名を厳しく統制し、
北条による鎌倉幕府乗っ取りのような事態を防いでいるんだよ。

>二代目的存在
徳川幕府は織豊政権とは別物だよ。
545人間七七四年:2010/08/08(日) 01:20:51 ID:hq8qPcq4
武家諸法度の法令は豊臣政権からの慣習法を明文化しただけに過ぎない
君が思ってるほど独創的なものじゃない
つうか江戸幕府が豊臣政権との連続性の上に成り立ってる、
という脇田修氏を中心とする見解はもう学会の定説だし
そんな教科書レベルのことに異論を述べられてもこっちが戸惑う
546人間七七四年:2010/08/08(日) 01:35:55 ID:ESegtAYG
>>545
連続性を否定しているわけじゃない。
そもそもあらゆる政権は過去の政権に連続している。
君が歴史において連続という概念を使用するならば、
近世という区分も邪道ではないだろうか?
慣習だって織豊政権から始まっているわけではないよ。
2代目とい表現はおかしい。
その慣習だった明文化したこと十分立派な偉業だよ。
武家諸法度は封建制度の要で主従関係の絆を強くしているよ。
それが慣習のままでは封建制度にならないよ。
547536:2010/08/08(日) 01:43:52 ID:ZjszEPoY
>>541
>二代目以降の難しさと重要性
表現は拙いが、2代目以降は生まれた時からボンボンであり、
もう(苦労を重ねた)創業者とは決定的に感覚・価値観が違う。
そこに属人的な落とし穴がある場合が多い。
『創始者以上の能力を必要とされる』のではなく、創業者より能力がない場合が多いんだよ。
単純に立場環境のみをもって、守成は難しという話ではない。
例えば、家康と全く同じ資質を持った2代目であるならば、何も難しい事はない。
家康の前半生の方がよっぽど困難な環境だったのは周知だろう。

>先代が苦心して築いた体制を腐らせる事は誰でも簡単に出来るのだお
そのとおりで、初代と2代目・3代目だけの話ではなく、どこの代でも成立する話。
ことさら、家康をsageる話でもない。
548人間七七四年:2010/08/08(日) 10:18:17 ID:JNrWJpBM
このスレは一匹の荒らしの屁理屈を大勢の馬鹿が賢明にフォローして
そして無駄になってるスレだ
2ちゃんねるのスレとしても最低ランク
549人間七七四年:2010/08/08(日) 13:08:07 ID:qt9DPTUu
百姓は司馬史観に洗脳されているようだな。
司馬のは史観というよりただの家康嫌いなんだけどw
550仙台藩百姓:2010/08/08(日) 17:33:24 ID:Dwnb4wo5
例え千年先まで手を打とうが実際に統治するのは生きている人間のみであるお( ^ω^)
どんな巧緻な体制を築こうがそれをどう扱うかは生きている人間次第なのだから当然だお
政治学の根本は数千年前に完成されているのに
今だ多数の国家が乱立し興亡を繰り返す事を考えればよく分かるはずだお( ^ω^)
それを家康の力で長期政権が出来たなどというのは妄言もいいところであるお( ^ω^)
所謂国家は生き物という事であり1秒だって同じ状態では有り得ないのだお( ^ω^)
551仙台藩百姓:2010/08/08(日) 17:39:21 ID:Dwnb4wo5
>>549
それは漏れじゃなくてもまえだお( ^ω^)
司馬氏が「家康嫌い」でもまえは「家康好き」
好悪が逆転してるだけで性質は全く同じだお( ^ω^)
552人間七七四年:2010/08/08(日) 17:52:59 ID:qt9DPTUu
私は家康が好きなわけじゃないよ。なんでもかんでもマンセーしてるわけじゃないからな。
事実として評価できるところは評価しているだけだ。
だけど百姓は家康が嫌いなのが文面からよくわかるってことをかいたんだ。
553人間七七四年:2010/08/08(日) 18:00:28 ID:ljR5cX4X
現代政治学の根本がいつ数千年前に完成したんだろう。
人権とか社会契約説とかは数百年前なんだけど
現代の政治体制はそれらを元にしているわけで、数千年前というのは間違いだね
554人間七七四年:2010/08/08(日) 18:02:27 ID:ljR5cX4X
家康の力で長期政権が出来たんじゃないが、
短期政権で終わらせなかったこととか
長期政権に繋がりやすくしたというのは体制システムを
構築した家康の行動にはなるよ。
ただ極端な保守的な長期政権ゆえの問題があるから功績にはなるかどうかは怪しいが
555人間七七四年:2010/08/08(日) 18:07:46 ID:ljR5cX4X
国体有機説って古くなかったっけ課
556536:2010/08/08(日) 19:50:16 ID:xDSYWvw1
>>550
これは、>>547に対する返答なのかな?
とすれば随分話がズレてしまったような気がするね。

>家康の力で長期政権が出来た
なんて誰も言ってないよね。ちなみに私が言ったのは、
>良くも悪くも、260年という長寿政権の開祖(>>536

まぁいいですけどね。
557人間七七四年:2010/08/08(日) 21:05:20 ID:aZq0Wabv
みんないい加減荒らしコテなんてNG入れればいいのにー

話変わるけど兼見卿記読んでたら文禄三年五月頃に
家康と幽斎が連れだって碁を打ちに来たって記述がやたらあったんだが
この時期(か、これ以前)に家康が幽斎と誼を通じた事件ってあったっけ?
558人間七七四年:2010/08/08(日) 21:31:07 ID:qt9DPTUu
荒らしコテがスレ主というのもおもしろいなw
559仙台藩百姓:2010/08/08(日) 22:04:52 ID:Dwnb4wo5
なんだお( ^ω^)
結局家康の政治力が微弱である事はもまえらみんな理解しているじゃんお( ^ω^)
560仙台藩百姓:2010/08/08(日) 22:36:22 ID:Dwnb4wo5
まあ家康時代は旧習でもって間に合わせていたに過ぎず
徳川政権の骨子を成す諸制度が確立したのは家康没後半世紀以上後の事であるものね( ^ω^)
家康はあくまで戦国大名という旧時代の人間であるのだお( ^ω^)
本来は秀忠か家光の辺りで線引きをするべきなのだお( ^ω^)
561人間七七四年:2010/08/08(日) 23:17:15 ID:InRHEvV2
織田豊臣徳川・・・・・・すなわち名古屋政権
562人間七七四年:2010/08/08(日) 23:33:21 ID:GfFMQ+QG
>>561
徳川は三河岡崎の出身
徳川の政権は幕府を置いた江戸か家康の隠居地である駿府が妥当じゃないか?
563人間七七四年:2010/08/09(月) 00:15:29 ID:duRVPYTw
実際、家康のイメージって東京と静岡と愛知のどれ?
とりあえず銅像は静岡にかなりあったと思うんだが
564人間七七四年:2010/08/09(月) 01:03:39 ID:L92XPQzW
ダントツで三河(愛知)のイメージ
565人間七七四年:2010/08/09(月) 01:35:52 ID:SjklR/7A
家康は隠居地に駿府を選んだんだけど他に検討されなかったんだろうか
何か思い入れがあって駿府にしたのかそれとも政治的色合いが濃いのか教えて
566人間七七四年:2010/08/09(月) 07:56:30 ID:+9yK0bE3
小さい頃人質として住んでた時の思い入れじゃね?
イメージは三河のが圧倒的に多いと思う
567仙台藩百姓:2010/08/09(月) 09:52:54 ID:bAfl/fNd
さすがに家康も思い入れで居城を築くほど無計画ではあるまいお( ^ω^)
568人間七七四年:2010/08/09(月) 11:19:15 ID:+9yK0bE3
ほう
何かの計画と申すか
構わん述べてみてくれ
569人間七七四年:2010/08/09(月) 16:08:36 ID:wZfSOthT
>>565

同郷(愛知県岡崎市)の尊敬する源頼朝をトレースしたのでは?
源頼朝は静岡の丸子に両親追悼の寺(誓願寺)を建てている、安らぎの地に感じたのではないでしょうか



藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別称:額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→由良御前(源義朝の正室)→源頼朝(初代鎌倉将軍)
・額田冠者とは三河国額田郡(愛知県岡崎市北部)に生まれ育った若者の意味
・熱田大宮司になる20歳過ぎまで三河国額田郡(愛知県岡崎市北部)に父親と居住、その後京都の熱田社領に転居



その誓願寺は源頼朝と三河にゆかりがあって、つながりを調べる必要がありますね

誓願寺(静岡県丸子)
・源頼朝が両親(源義朝、由良御前)追悼の為に創建した寺院

三河十二本寺
・浄土宗西山深草派の寺院で、総本山誓願寺に次ぐ壇林寺格の寺として崇めている、愛知県の三河地方にある12の寺の総称。
・歴代の管長は三河地方から多く出ている

570人間七七四年:2010/08/09(月) 18:23:04 ID:RVG8KQ2B
>>563
浜松城にも普通にある
遠江は元々裕福な今川領だったところに
家康が来てあっちこっち兵として駆り出されて
そのうえ発展途上だったから安心してもいられず
徳川には意外といい印象を持ってない領地だったかもしれん
三河(岡崎)はそれこそ松平の土地、駿河(駿府)は大御所のおかげで繁栄
江戸も駿府に近い感じで、それぞれ家康にはいい印象を持ってるかもしれんけど
571人間七七四年:2010/08/09(月) 18:27:12 ID:RVG8KQ2B
>>565
・元々駿府は栄えてたからそこを選ぶのは妥当
・西方からの、江戸に対しての前線基地、防波堤の役割
・言われてるほど悪くなかった人質時代の馴染み
という複合理由ではないかと
城下町として似たような小田原もあったけど、近すぎるのでは、という推測もある

ちょっとだけ関連スレ
【史実】徳川家康の人質時代を語るスレ【推測】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1254761474/
572人間七七四年:2010/08/09(月) 18:40:03 ID:4jnHbQZp
史書によると

@幼少期をすごした思い出の地である
A温暖な気候
B米がうまい
C地形的に川と海に囲まれ、天然の要害である
D客人が訪れるのに、交通の便がよい
573人間七七四年:2010/08/09(月) 18:57:43 ID:wZfSOthT
違う、頼朝絡みに間違いない

源頼朝が最初になった国主は三河国、武蔵国、駿河国


三河国:岡崎城
武蔵国:江戸城
駿河国:駿府城

574仙台藩百姓:2010/08/09(月) 23:13:17 ID:bAfl/fNd
岡崎や駿府より長くいた浜松(遠江)はどうなのだお?( ^ω^)
575奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/09(月) 23:30:07 ID:NJ2IIMHm
前座扱いだろ。
576人間七七四年:2010/08/09(月) 23:39:21 ID:tMAiSRVN
浜松城の位置付けは豊臣秀吉における長浜城や姫路城と同じ様な気がする
577人間七七四年:2010/08/09(月) 23:45:44 ID:tMAiSRVN
大雑把に対比してみた
 豊臣秀吉・・・長浜城 姫路城 大坂城 聚楽第 伏見城 近江八幡城
 徳川家康・・・岡崎城 浜松城 江戸城 二条城 駿府城 名古屋城
578仙台藩百姓:2010/08/10(火) 00:13:24 ID:1/ZpFNBx
まあ状況的に見れば駿府に落ち着くのは自然だおね( ^ω^)
大坂に敵が残っている事や江戸が京の東に位置している以上は
江戸の西であるべき事が必須であるお( ^ω^)
そして江戸から離れすぎていると二元化が顕著になりすぎて対立を生む
逆に近すぎても影響力が強すぎて将軍の権威を傷付ける事になるから
幕府の膝元である関東の内は避けるのが懸命だお( ^ω^)
それらを踏まえ、西側に隣接する位置となると甲府か駿府だお
より重要性を見極めるなら東海道沿いの駿府という事になるお( ^ω^)
おまけに温暖で景観もよいとなれば隠居所として最良だお( ^ω^)
579仙台藩百姓:2010/08/10(火) 00:26:08 ID:1/ZpFNBx
進取の道をとるならば戦略に合わせて本拠も進めて行くのが理想的と言えるお( ^ω^)
この点家康は好例の部類として評価できるお( ^ω^)
逆に長尾や小田原北条などは悪例だお( ^ω^)
580人間七七四年:2010/08/10(火) 00:59:21 ID:qFXwWYPe
大御所家康から見たら浜松城はすでにそんなに重要な城ではなかったんじゃない?
後の出世城エピソード以外は何にもないから
581人間七七四年:2010/08/10(火) 10:22:15 ID:jVJ/sUww
三河は頼朝だらけでんがな

滝山寺(岡崎市)藤姓熱田大宮司家菩提寺
・伽藍造営、寺領寄進
・歯とあごひげが埋め込まれた頼朝等身大の聖観音像

普賢院(豊田市)
・寺領寄進

財賀寺(豊川市)
・本堂造営、社領寄進 、三河七御堂

鳳来寺(新城市)
・三重塔、伽藍、三河七御堂

金蓮寺
・三河七御堂

全福寺(蒲郡市)
・三河七御堂

普門寺(豊橋市)
・三河七御堂

赤岩寺(豊橋市)
・三河七御堂

長泉寺(蒲郡市)
・三河七御堂

吉田神社(豊橋市)
・天王社造営

荏柄天神社(新城市)
・鎌倉より勧請


582人間七七四年:2010/08/10(火) 10:24:18 ID:jVJ/sUww
香積寺(豊田市)も入れておこうか


開基は足助重範の娘他
三河源氏(源満政流)である足助氏ゆかりの寺


足助氏と熱田大宮司一族・源頼朝の関係
・八条院領(皇室領荘園)高橋荘(豊田スタジアム近辺)の荘官、皇室に寄進したのは勿論熱田大宮司一族
・足助氏は源頼家に室を出し、生まれた子供が有名な公暁
・公暁は熱田大宮司一族と縁の深い園城寺(近江)で僧侶になる



ちなみに二条良基と足助氏の娘と生まれた子供が初代成瀬氏(子孫が尾張藩附家老、犬山藩主)
583人間七七四年:2010/08/10(火) 10:54:53 ID:BdS7UReV
>>574
ウンコ漏らした城だから・・・ふれないでやれよ
584人間七七四年:2010/08/10(火) 11:19:51 ID:jVJ/sUww
室町幕府 三河国の奉公衆
・奉公衆の人数は250〜300人
・三河国は全国で最大人数



【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)土岐、長山(土岐氏流)仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、大草、久下、高、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、富永、黒瀬

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
岩堀、宇津野、大内、小嶋、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和


585人間七七四年:2010/08/10(火) 12:22:10 ID:iGTGT6GT
頼朝は三河になんて住んだ事無くない?
586人間七七四年:2010/08/10(火) 12:29:34 ID:jVJ/sUww
名古屋人が主張する「源頼朝は名古屋で生まれた」

本当にそうだろうか?
熱田大宮司と聞かされると、尾張に住んでいた尾張人だと思うよね

実は平安末期、代々大宮司であった尾張氏から藤姓熱田大宮司一族(本貫地は三河額田郡)に大宮司職が切り替わっている
はっきり言えば乗っ取られたわけだ
源頼朝がゆかりを感じていたのは藤姓熱田大宮司一族(本貫地は三河国額田郡)であり、これは源頼朝由来の史跡が殆ど三河にしかない事でも分かる
藤姓熱田大宮司一族は神官、武士、僧侶、学者として京都に暮らし、武士、僧侶として三河に暮らし又お互いに行き来した
尾張の熱田誰が住んでいたか?
熱田には引き続き尾張氏(田島氏、馬場氏)が住んで、権宮司(副大宮司)として神事を行っていた

由良御前が源頼朝を生んだ地は京都か三河という結論になる
587人間七七四年:2010/08/10(火) 12:32:14 ID:jVJ/sUww
源頼朝と藤姓熱田大宮司との関係

藤原李兼(別称:三河四郎大夫、額田郡に居住)→藤原李範(別称:額田冠者、初代藤姓大宮司)→由良御前(源義朝の正室)→源頼朝(初代鎌倉将軍)


源頼朝の髪と歯が納められた運慶作の聖観音
http://mikawabushi.at.webry.info/200909/article_1.html


この寺には源実朝と北条政子の骨も納められている、要するに幕府、御家人筋から頼朝の菩提寺とみなされていたわけだ
骨を納めたのは足利義氏(三河守護、頼朝と5等親(血統的には6等親))、ちなみにこの寺は義氏自身の菩提寺でもある

足利義氏と藤姓熱田大宮司との関係

藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼(二代目当主、頼朝姻族、御門葉筆頭)→足利義氏(三代目当主、頼朝姻族、三河守護)

588人間七七四年:2010/08/10(火) 12:33:48 ID:jVJ/sUww
源実朝と北条政子の骨が滝山寺(愛知県岡崎市)に納められた経緯


当時鎌倉御家人の大長老になっていた足利義氏が北条政子の13回忌を取り仕切り、源実朝と北条政子の遺骨を埋め込んだ大日如来像を制作した事に端を発する
この大日如来像は北条政子が源頼朝の追悼の為建て、後に実朝の遺骨も納められた高野山金剛三味院に安置された
つまりこの時に足利義氏は実朝と北条政子の遺骨を手に入れる機会があって、幕府承認のもと滝山寺にも分骨されたというわけだ
滝山寺が鎌倉幕府及び御家人衆に鎌倉将軍家の菩提寺と自然に認知されていた事を意味する


高野山金剛三味院
・源頼朝の墓
・源実朝と北条政子の骨が埋め込まれた大日如来像

滝山寺
・源頼朝の歯とあごひげが埋め込まれた等身大の聖観音像
・源実朝と北条政子の墓


589人間七七四年:2010/08/10(火) 16:54:18 ID:jVXgQyi7
>>587
新参乙です(悪いとは言ってない)
さんざんガイシュツ。
ま、ここの人は優しいから俺以外のシッタカが教えてくれます。
590人間七七四年:2010/08/10(火) 16:59:35 ID:4XzPJV/y
伊達政宗(本姓は藤原氏)
従三位、陸奥守・権中納言・参議、副将軍。
贈従二位
仙台藩
 石高:表高62万石(江戸時代には実高250万石で全国1位だった)→明治時代に反政府の罪で28万石に減封

伊達家は藤原鎌足から続く超名門の家柄
後水尾天皇の二条城への行幸の折、将軍家光は政宗を含む諸大名を伴ない二条城へ参内した
行進するときに馬に付ける総(ふさ)の色には慣例があって、
大臣と征夷大将軍は紫色で、大納言および中納言は赤色
(駿河、尾張、紀伊の御三家は大納言、水戸、前田、島津、伊達が中納言)
駿河、尾張、紀伊、水戸は徳川一門であることを理由に、家光に紫の総を願い出たが認められなかった
ところが、、、、、外様大名である伊達政宗には紫の総の使用を認めたのだ!!!!
これは父親代わりであった伊達政宗へ、将軍家と同一色の総を付けさせることにより、
将軍家には伊達政宗のような立派な武将がいるので盤石ですと、朝廷にアピールしたのだ
紫の総を唯一認められた従三位中納言伊達政宗は天下の副将軍として遇され、
秀忠家光と二代に渡って徳川幕府の副将軍と呼ばれた

伊達黄門(権中納言は唐名:黄門)・・・・美味しんぼの海原雄山やミスター味っ子の味皇のモデルとなった人
591人間七七四年:2010/08/10(火) 17:26:45 ID:jVJ/sUww
足利一族は藤姓熱田大宮司の血縁者として三河に移り住んできた
承久の変でミスを犯した藤姓熱田大宮司一族は所領を没収されたわけだが(没収されても同族に返されるのが慣例)
足利一族が同族として地頭職について、所領を継承した、その後一族が移住してきたのも同じ意味合い

この事から分かること
・鎌倉幕府は藤姓熱田大宮司一族と足利一族は血縁と認識しており、同族に返した(慣例は破っていない)
・全国の守護職地頭職も同族に返されたと理解した
・その後の藤姓熱田大宮司一族と足利一門との関係は良好であり、血縁者の所領継承を歓迎した。また緊密な関係の例として足利義兼の娘(足利義氏の姉もしくは妹)が熱田大宮司家に嫁いでいる


野田朝氏(藤姓熱田大宮司一族)と足利宗家との関係

・藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼(二代目当主、頼朝姻族、御門葉筆頭)→その娘(野田朝氏室)
・藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→野田清李→野田朝李→野田朝氏


藤姓熱田大宮司家と足利義氏との関係

・藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼(二代目当主、頼朝姻族、御門葉)→足利義氏(三代目当主、三河守護、御門葉筆頭)


藤姓熱田大宮司一族と細川氏との関係

・藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義清→足利義実→細川義李(初代細川氏)
592人間七七四年:2010/08/10(火) 17:29:56 ID:jVJ/sUww
訂正

室町幕府 三河国の奉公衆
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国は国別で最大人数



【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、土岐、長山(土岐氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、大草、小嶋、久下、高、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、富永、黒瀬

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
岩堀、宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和
593人間七七四年:2010/08/10(火) 17:44:54 ID:Z0rCRL5A
ID:jVJ/sUwwはなんなの?なにがしたいの?
とりあえずNG入れたけど
594人間七七四年:2010/08/10(火) 17:56:13 ID:jVJ/sUww
訂正


三河は頼朝だらけでんがな

滝山寺(岡崎市):藤姓熱田大宮司家菩提寺
・伽藍造営、寺領寄進
・歯とあごひげが埋め込まれた頼朝等身大の聖観音像

普賢院(豊田市)
・寺領寄進

財賀寺(豊川市)
・本堂造営、社領寄進 、三河七御堂造営

鳳来寺(新城市)
・三重塔造営、伽藍造営、三河七御堂造営

金蓮寺(吉良町)
・三河七御堂造営

全福寺(蒲郡市)
・三河七御堂造営

普門寺(豊橋市)
・三河七御堂造営

赤岩寺(豊橋市)
・三河七御堂造営

長泉寺(蒲郡市)
・三河七御堂造営

吉田神社(豊橋市)
・天王社造営

荏柄天神社(新城市)
・鎌倉より勧請



595仙台藩百姓:2010/08/10(火) 22:59:13 ID:1/ZpFNBx
Subっちの親戚みたいなものかお( ^ω^)
596奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/11(水) 01:07:45 ID:EmaEK5rR
ご本人かもしれぬ。
597人間七七四年:2010/08/11(水) 13:16:46 ID:2KGdHNA1
>jVJ/sUww
これはかなり勉強になる。
早速コピペしてメモ帳に保存しました。
今後ともよろしくお願いします。
598人間七七四年:2010/08/11(水) 13:17:07 ID:MADqTIHw
俺もNGにしたよ
ただの無意味コピペだから
599:2010/08/11(水) 14:08:47 ID:wmGJZXHR
家康氏ね
600人間七七四年:2010/08/11(水) 16:11:43 ID:FuUd0AKx
もう亡くなられて祀られてるので御安心くださいませ
601:2010/08/11(水) 20:38:20 ID:A+RYHmUN
家康と織田家の諸将との関係だけど、明智なんかは家康をどう見てたんだろう。また特に仲が良かった織田家臣なんているのかな?
602人間七七四年:2010/08/11(水) 21:23:29 ID:MADqTIHw
そういえばあんまり聞かんな
603人間七七四年:2010/08/11(水) 21:50:57 ID:2KGdHNA1
天海僧正
604人間七七四年:2010/08/11(水) 22:28:04 ID:eDwF1STD
信長自身とはそれなりに付き合いがあったようだけど
605人間七七四年:2010/08/11(水) 22:46:06 ID:FuUd0AKx
そもそも家康自身が三河より西に行った事が信長健在時にあんま無かったんじゃ
606人間七七四年:2010/08/11(水) 22:57:02 ID:TZFmJMJW
訂正

室町幕府 三河国の奉公衆
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国は国別で最大人数



【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、土岐、長山(土岐氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、大草、小嶋、久下、高、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、富永、黒瀬

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
岩堀、宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、長山、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和



長山は保留、熱田大宮司一族の長山氏(本貫地:宝飯郡長山)か土岐氏流長山氏(本貫地:可児市長山)か判断不能
607人間七七四年:2010/08/11(水) 22:59:06 ID:eDwF1STD
>>605
逆に信長が正月に吉良まで出向いて、家康と一緒に鷹狩したりすることを何回かしている
608人間七七四年:2010/08/11(水) 23:16:13 ID:TZFmJMJW
再訂正

室町幕府 三河国の奉公衆
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国は国別で最大人数



【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、土岐、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、大草、小嶋、久下、高、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、富永、黒瀬

【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下

【その他】
岩堀、宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、長山、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和



土岐氏流長山氏(本貫地:可児市長山)は明智氏の先祖らしいね

609人間七七四年:2010/08/11(水) 23:18:32 ID:MADqTIHw
>>605
戦いに引っ張り出されるとき以外は自分の領土の経営に必死だからね
特に信玄健在のときなんて余裕こいて名古屋だ岐阜だに行ってられんと思う
信玄が死んでも勝頼がそれ以上にしつこかったし
610人間七七四年:2010/08/11(水) 23:36:52 ID:A+RYHmUN
実際に本能寺以前に面識があったのは明智、松永位なのかな。主だった将の中では。 佐々なんて家康に好印象を持ってそうだけど。
611人間七七四年:2010/08/11(水) 23:47:31 ID:te3mSXRK
面識があるかないかで言えば明智、松永だけではあるまい。
姉川合戦や長篠合戦、それに武田征伐で多くの武将と出会っているはず。
それに竹千代人質時代でも信長の取巻きに会ってるはずだな。
612人間七七四年:2010/08/12(木) 03:53:21 ID:CPdfDYCQ
吉川の謙信観みたいに織田諸将から家康はどの様な印象だったか興味深いんだけどな。利家はやはり家康に対しては終始上座で接したのかな。氏郷あたりはどうだったのかも興味深い。
613人間七七四年:2010/08/12(木) 11:38:10 ID:nT7/u0/d
信長存命中なら当然兄弟分が普通に上だろう?
614人間七七四年:2010/08/12(木) 13:34:07 ID:3N14ihU+
家康なんてヘコヘコバッタ織田の軍団長よりも格下扱いだろ。属国扱いだし。
615人間七七四年:2010/08/12(木) 14:23:06 ID:2NrUz3s0
その家康が最終的な勝者になるからおもしろいんだよな!
616人間七七四年:2010/08/12(木) 15:25:16 ID:goG7IuPR
>>593
某スレで源氏じゃないなどと指摘されて頭沸いてるのでは?
松平なんてただの土豪なのに
617人間七七四年:2010/08/12(木) 15:45:18 ID:sYIzZz/k
>>611
ただその織田人質時代の資料が全くといっていいほど無いよなあ
すげー興味あるんだが
今川時代だと期間の長さもあって北条氏規と親交ができたんだから
織田時代にもなにか多少はなかったのかなと

面識、という話にしても単に戦場で顔合わせしただけではあれなんで
それ以上になんらかの付き合いが有るっていう武将を知りたいよ
そうなるといないなあ、っていう話なんだと思う
逆に信長としては徳川武将に対しては確か折衝担当の酒井忠次と
ある程度いろんな話はしたんじゃないかなと思う
618人間七七四年:2010/08/12(木) 15:48:25 ID:sYIzZz/k
>>614
浅井のように突如反旗を翻す可能性は家臣以上にあってそれも考えてたはず
家臣ではないが従属国とまでも行かない微妙な使い分けで対していたと思うが、どうか
離反したところで非難される筋合いがない、そんな時代だったし
619人間七七四年:2010/08/12(木) 16:26:04 ID:CnKMLFiF
家康は何だかんだと言っても信長の最古の同盟相手で、
一度も裏切らず一番役に立っているから、そう無下は扱わないでしょ
620人間七七四年:2010/08/12(木) 17:19:20 ID:sYIzZz/k
ただ本能寺の頃はなんだか立場も家臣ぽくなりつつあったよね
あの頃の勢力図を見るとものすごい差が有る
家康も駿河を「貰った」時点でもうどこにも領土を広げられない手詰まりになったし
なんせ北条ももう織田と手を組んでたわけだから
621人間七七四年:2010/08/12(木) 17:28:55 ID:CnKMLFiF
>>620
その時点では家康も「まぁ、これでいいか」位に考えていたかと
元亀・天正という地獄を生き抜いただけで満足していたと思う
622人間七七四年:2010/08/12(木) 19:37:16 ID:VNZxedpk
>>612
駿河拝領のお礼言上で上洛した際の饗応役を明智光秀に任せてるあたり、
立場的に家康が光秀より下ってことはないな。
立場は上だけど力は光秀の方がある、みたいな感じでは。
623:2010/08/12(木) 19:57:12 ID:cQweHAqI
接待した時光秀は丹波1国の領主だろ
家康は3カ国の領主
家康のが上だよ
624人間七七四年:2010/08/12(木) 21:31:40 ID:sYIzZz/k
>>621
そうそう
時代を読めるからこそ信長が生きてたときはそこまで我慢してたし
逆に豊臣が危うくなったところで自分が行けると思ったからこそ狙いに行った
むしろ武田壊滅のときはほっとしたんじゃないかね
残る大きな敵対勢力は毛利・上杉ぐらい?
でもすでに織田の敵じゃないと思う
そうなった場合の、徳川勢力の立ち位置もどうなってたか興味深い
625人間七七四年:2010/08/12(木) 22:30:21 ID:RQ5613Ez
tes
626人間七七四年:2010/08/12(木) 23:25:59 ID:CnKMLFiF
>>624
信長か信忠が三職に就いたときに合わせて臣従の意を示すことで
他の地方大名に同様の行為を行わせるように示し合わせていたかもしれない
627人間七七四年:2010/08/13(金) 07:13:32 ID:K1SeOYiR
>>622 >>623

その接待時の明智の家康評とかは明智家に残ってないのかな。小説では明智が家康と接して、この家康殿の優しさを信長公も幾らか持っていてくれたら良かったのに、なんてのはあるけど。
628仙台藩百姓:2010/08/13(金) 09:29:27 ID:Cva3JoV7
家康も存在価値なくなったしそろそろ終わりだな
ぐらいの認識だったみたいだお世間では( ^ω^)
629人間七七四年:2010/08/13(金) 10:10:50 ID:AUuKdv8o
>>623
家康は従属化しつつあったとはいえ、織田家とは別の3ヶ国の
大名。
明智は織田軍団の軍団長の1人で、丹波も領有してるわけでは
なく、預けられているだけ(柴田に越前を預けたときの命令を
見ればわかる)。
立場はどう見ても家康のほうが上だよな。
630人間七七四年:2010/08/13(金) 11:26:55 ID:nXPNIngg
官位でも家康の方が上だしね
631人間七七四年:2010/08/13(金) 11:31:14 ID:tqc15AXS
民衆の心をつかんでいたのも家康だしね。
632人間七七四年:2010/08/13(金) 13:47:35 ID:YQlE9nwa
仙台藩百姓さんの話によれば、家康は本能寺の変が起こって助かったことになりますね。

633人間七七四年:2010/08/13(金) 14:49:52 ID:ecN97rOI
信長は無能に対する扱いはキツイが、有能な者は厚遇するので
家康は以後も十分に厚遇されたと思う
634人間七七四年:2010/08/13(金) 16:38:15 ID:ePYGgWDm
>>627
このスレで見たと思ったが、もしくは他のスレで・・・いや立ち読みだったかな
家康は家臣に対しても呼び捨てでなく殿で呼称してたって話もあったから
真偽は置いといて無茶な指示はそんなに出してないと思う
まだ三河時代の一揆との戦いで家内が分裂したことも多少は影響してたかと
最大の無茶な命令は長男に対するものだったし
あとは関が原前の伏見城籠城玉砕命令も
鳥居と酒を酌み交わして云々という話も伝わってるぐらい
635人間七七四年:2010/08/13(金) 16:52:44 ID:1zY/IoJP
>最大の無茶な命令は長男に対するものだったし
何かあったか?


鳥居家はあんまり大事にされて無いみたいで泣ける。
636人間七七四年:2010/08/13(金) 16:57:59 ID:ePYGgWDm
死ね!

家康が家臣に対しての切腹命令って誰かに出したっけ
たぶん言われれば思い出す
あまり知られてないだけで命令はちょいちょいしてたのかな

今川人質時代に従ってた有名どころって
酒井・石川・本多・鳥居・平岩この辺り?
637人間七七四年:2010/08/13(金) 17:19:15 ID:ecN97rOI
高天神城攻めで、小姓の一人が抜け駆けを行ったので家康が切腹を命じたという話はある
638人間七七四年:2010/08/13(金) 18:43:10 ID:ePYGgWDm
地味だな・・・
639:2010/08/13(金) 18:49:22 ID:WyBGajlP
そう言えば家康は無闇に人を殺したりはしないな
ネチネチと絞り上げて大名改易したり
働いてくれる家臣に知行は与えないけど

殺生した、という話は聞かないよね
640人間七七四年:2010/08/13(金) 19:55:43 ID:ePYGgWDm
家臣に対する切腹命令はほとんど思い出せないが
家康生涯唯一といえる殺戮が細江の堀川城であったのを思い出した
詳しくはぐぐって最初に出たここで銅像
http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/totoumi/shiseki/seien/horikawa.j/horikawa.j.html
いったい何があってここまでやっちゃったのかね
舘山寺の堀江城じゃないよ
641:2010/08/13(金) 20:01:53 ID:WyBGajlP
家康がやった非道って大阪の豊臣滅ぼしたくらいか?

あれは主家殺しだからな、秀吉もやらなかった蛮行だよ
642人間七七四年:2010/08/13(金) 20:18:45 ID:A3UHL61K
戦国時代なんだから惨殺だの裏切りだのは当然。
律儀だの人を殺さないだの馬鹿馬鹿しいにも程がある。
643人間七七四年:2010/08/13(金) 20:21:15 ID:ecN97rOI
>>640
遠江全体に対する見せしめかと
こう一発ガツンとやって後は善政を行えば、民は従うもの
644仙台藩百姓:2010/08/13(金) 21:19:56 ID:Cva3JoV7
敵を大勢殺したからといって非道というわけではあるまいお( ^ω^)
家康の場合、高天神城や長篠城を見殺しにした事の方が汚点であるお( ^ω^)
これは将にとって倫理上でも政略上でも一番やってはいけない事だお( ^ω^)
>>639
関ヶ原で誤って家康の近くに馬を寄せて来た家臣を斬り殺そうとしたり
家康の鷹に誤ってぶつかった家臣にブチ切れて斬り殺したりしてるじゃんお( ^ω^)
645人間七七四年:2010/08/13(金) 21:19:57 ID:UJucvXzZ
大賀弥四郎は?
646:2010/08/13(金) 21:54:00 ID:WyBGajlP
それでも信長、秀吉よりは可愛いもんだわ
家臣と喧嘩しても怒った時は殴り合いで済んで、殺したりはしなかったみたいだしな
647人間七七四年:2010/08/13(金) 22:04:01 ID:ecN97rOI
>>645
あれは殺すのが普通
648人間七七四年:2010/08/13(金) 22:14:00 ID:K1SeOYiR
秀次を悪意で切腹させた秀吉よりは、信康を泣く泣く切腹させた家康に同情の余地があるし秀吉は醜く映るんだけどなあ。
649人間七七四年:2010/08/13(金) 22:23:49 ID:A3UHL61K
今時まだ泣く泣く切腹させたとか言ってる奴がいるのか。
650仙台藩百姓:2010/08/13(金) 22:26:41 ID:Cva3JoV7
家康は我が身可愛さの為に容赦なく妻子を殺したのじゃんお( ^ω^)
秀吉は我が子可愛さの為に秀次一党を殺したわけだし、まだ人情味を感じるお( ^ω^)
651人間七七四年:2010/08/13(金) 22:30:21 ID:nXPNIngg
>家康は我が身可愛さの為
>秀吉は我が子可愛さの為
百姓は時々面白いこと言うから好きだわw
信長&秀吉と比べて肉親に対する家康の情の薄さは異常
手紙すらあんまり残ってない
652人間七七四年:2010/08/13(金) 22:53:48 ID:ecN97rOI
両者とも肉親には甘く、家臣には厳しくして滅んだ
家康はその逆をして栄えた
653人間七七四年:2010/08/13(金) 23:04:12 ID:K1SeOYiR
信康切腹もわざと逃げられるように家康が時間をかけさせたって言うし、信長の詰問に信康を擁護しなかった酒井だかを生涯恨んだってあるし。喜んで秀次を消した秀吉よりは良いよ。
654仙台藩百姓:2010/08/13(金) 23:26:24 ID:Cva3JoV7
信長命令説とか何の根拠もないし状況的にも矛盾だらけだお( ^ω^)
それに秀吉が喜んで秀次消したとか意味不明だお
全部妄想じゃんお( ^ω^)
655人間七七四年:2010/08/13(金) 23:34:52 ID:nXPNIngg
家康が家臣に甘かったとは思わないけどね
井伊はともかく、酒井本多榊原は倍の封土を貰って良い功績を挙げてる
反面肉親は領土的には優遇したが、
息子の秀康や忠輝に対する冷淡さは人の親のモノとは思えない
656人間七七四年:2010/08/13(金) 23:43:32 ID:ecN97rOI
>>655
子に比べれば十分に甘い
信長・秀吉の様に特に理由もなく追放とかはしないし

後、人の上に立つものは親であってはないらないもの
それができないなら子を完全に権力と切り離すしかない
657:2010/08/13(金) 23:46:46 ID:JkpsoWp5
秀次なんて切腹だぞw
しかも妻と子供と侍女50人と一緒に
全員処分した秀吉に比べたら家康のどこが冷淡かと
658:2010/08/13(金) 23:49:09 ID:JkpsoWp5
関ヶ原に遅参した秀忠もふつーなら切腹だろう
ただの醜態ではない
家康のいいとこ発見した
人の命については尊重するとこ
659人間七七四年:2010/08/13(金) 23:50:41 ID:ecN97rOI
>>658
秀忠の遅参は利根川の洪水で使者が遅れたため
彼の責任ではない
660人間七七四年:2010/08/13(金) 23:53:44 ID:K1SeOYiR
家康の信康殺しは家臣の離心を産まなかったけど秀吉の秀次殺しは確実に家臣の離心を招いたと思うんだけどな。
661仙台藩百姓:2010/08/13(金) 23:56:13 ID:Cva3JoV7
我が子を脅かす者には容赦しない、つまりそれだけ愛情が深いと言う事じゃんお( ^ω^)
犬猫や虫でさえ我が子が危険になれば牙を剥くのに
自ら進んで妻子を殺す家康は虫以下の愛情しか持たないという事だお( ^ω^)
これを冷淡と言わず何と言うのだお( ^ω^)
662人間七七四年:2010/08/14(土) 00:02:14 ID:sGjIUzc/
家康は家臣とは仲良い方だろうね
本多正信を友人扱いしてたのは徳川実紀にも書かれてるくらいだし
給料が吝い分、雰囲気は良かったらしいな>徳川家臣団

>>660
信康に付いて行った家臣が大量出奔してる
平岩や榊原兄貴のように蟄居した人も多い
663仙台藩百姓:2010/08/14(土) 00:03:38 ID:8stPw9jm
>>660
それは間違いだお( ^ω^)
秀次一党を生かしておけば間違いなく秀吉死後に秀次派と秀頼派で戦になったお
そうなれば被害も動揺も桁違いに跳ね上がったのは言うまでもない
そして潰すと決めた以上は徹底的に刈り取って禍根を断つ
秀吉の政治的判断は誤りだったとは言えないお( ^ω^)
664人間七七四年:2010/08/14(土) 00:05:24 ID:ndGHQTXB
>>661
肉親「だけ」の愛というのは亡国の第一歩
665人間七七四年:2010/08/14(土) 00:06:24 ID:ndGHQTXB
>>663
族滅はやりすぎ
666:2010/08/14(土) 00:07:00 ID:Ny4fmuu4
>>663
秀次VS秀頼になっても結局どっちが勝っても豊臣が残るからよくね?
史実の滅亡よりは全然いいんだがな
667人間七七四年:2010/08/14(土) 00:09:23 ID:UYIr3KsT
答: 同属経営で上手く行ってる会社なんて「稀」


モチベを下げない為には、身内に厳しいのが当然。
668人間七七四年:2010/08/14(土) 00:13:19 ID:YujrmfQX
家康も十分身内に甘いだろ。
つーか、年老いてから漸く恵まれた一人子への対応と
沢山いる子供への対応を同列に語るとか頭悪すぎ。
何でもかんでも秀吉や信長と比べたがるってどんだけコンプレックスあんだよ。
669:2010/08/14(土) 00:17:32 ID:wE+C5EEr
秀吉の殺戮
帰参申し入れた元部下を悉く切腹
千利休も切腹
秀次を女子供と一緒に切腹
キリスト教の宣教師を磔
唐入りで朝鮮人を殺戮
670仙台藩百姓:2010/08/14(土) 00:18:44 ID:8stPw9jm
>>664>>665
あくまで愛情の話しだお( ^ω^)
でも政治的に見ても他にたいして良策があったとは思えないお
事の発端からして人知から離れていて言わば天災のようなものだし( ^ω^)

>>666
逆だお( ^ω^)
どっちが勝っても権威は失墜し豊臣政権は史実より早く霧散する他ないお
古来より政権がそういった内訌により破滅した事実が証明しているお( ^ω^)
671:2010/08/14(土) 00:19:32 ID:wE+C5EEr
家康の殺戮
信康と自分の嫁を信長の脅迫によって処断

他は無し、家臣、子息を冷遇するけど処断まではしない
家康の温厚な人柄が見て取れる
672人間七七四年:2010/08/14(土) 00:22:06 ID:vkN942Gt
>>671
大久保長安一族の霊が何か言いたそうにしています
673人間七七四年:2010/08/14(土) 00:24:59 ID:ndGHQTXB
>>670
秀頼を殺せば良い
674人間七七四年:2010/08/14(土) 00:27:47 ID:tfkdBThb
権力持ちすぎちゃったのか?
675仙台藩百姓:2010/08/14(土) 00:29:03 ID:8stPw9jm
>>671
だから信長の脅迫なんて事実無根じゃんお( ^ω^)
それに感情的になって家臣や敵を殺したり当たり散らす事も多々あった
逆に上の秀吉の例は政略から出ているものだお
どちらが性格的に難があるかなんて一目瞭然じゃんお( ^ω^)
そもそも松平一族は気違いじみた逸話が極めて多いし┐ (´ω`) ┌
676人間七七四年:2010/08/14(土) 00:30:50 ID:sGjIUzc/
秀吉と同じ立場に家康が置かれたら秀頼殺してるかもね
史実でもお家のために嫡男と正室を殺してるからな
677:2010/08/14(土) 00:31:57 ID:wE+C5EEr
んじゃ家康の極悪非道っぷりを語って見てくれよ
俺も知らんこと多いからさ
678仙台藩百姓:2010/08/14(土) 00:33:53 ID:8stPw9jm
>>673
そう( ^ω^)
政治的視点からあの時点を見ると確実な方法は「秀次を殺す」か「秀頼を殺す」かだお( ^ω^)
そして秀吉は「秀次を殺す」方を決断した
それだけの話しだお( ^ω^)
679仙台藩百姓:2010/08/14(土) 00:38:00 ID:8stPw9jm
>>677
誰の視点、誰の思想から見て極悪非道なのかが問題なのだお( ^ω^)
結局感情論は水掛け論にしかならないのだお( ^ω^)
680:2010/08/14(土) 00:38:26 ID:wE+C5EEr
2人息子いてどうしてどっちか殺さなきゃいけないんだよw
家康も沢山息子いたけど殺してねーだろw

秀忠に後継がせたいからって他の息子は殺してねぇ
681人間七七四年:2010/08/14(土) 00:38:45 ID:tfkdBThb
>>676
そのもしもはなかなか想像しにくい
根本的なところからスタートするから
682:2010/08/14(土) 00:42:07 ID:wE+C5EEr
利休もよく分からん理由で切腹させたし
帰参申し入れただけで切腹とか
秀次も殺した秀吉はやっぱりアホ
683人間七七四年:2010/08/14(土) 00:49:15 ID:tfkdBThb
つーかなんで秀吉と比較してんの
流れとは関係なかったはず
684仙台藩百姓:2010/08/14(土) 00:50:48 ID:8stPw9jm
秀次は息子じゃないお( ^ω^)
秀吉にしてみれば実子が生まれたのだから養子は身を引くのが道義だと思うのは当然の感情だお
秀次にしてみれば今更権力を手放せとは理不尽だと思うのは当然の感情だお
どっちも譲れないなら実力勝負しかない
そして秀次は敗北した
それだけの話しであって善悪を絡める必要も意味もないお( ^ω^)
685人間七七四年:2010/08/14(土) 01:06:26 ID:k9GB0Hh9
秀次のままだったら豊臣家臣も離心しなかったと思うけどな。まちがいなく秀次切腹は諸将の秀吉評を下げたのは事実だと思うんだけど。
686人間七七四年:2010/08/14(土) 01:13:42 ID:lItU6PwC
おかげで大坂の陣後に秀頼の幼い子供が殺されたのも正当化されたな。
687人間七七四年:2010/08/14(土) 01:17:53 ID:k9GB0Hh9
利休切腹も利休と親しかった諸将には評判悪かったと思うな。秀次・利休事件は自然と秀吉株を下げた。まあ朝鮮出兵もだけど。この政治的ミスは家康待望論を生み出すと予測すら出来なかったのかな秀吉は?もうボケが来てたのだろうか?
688:2010/08/14(土) 01:36:07 ID:wE+C5EEr
天下取ってからの秀吉って醜態ばかりだよね
1590年までは良かった
それ以降の秀吉は醜態晒しただけ
689仙台藩百姓:2010/08/14(土) 01:39:20 ID:8stPw9jm
秀次なら上手くいったとか何の根拠もないじゃんお( ^ω^)

>>686
それはないお( ^ω^)
目下の秀次を粛清した秀吉と主君の秀頼を殺した家康では全く状況が違うお( ^ω^)
690人間七七四年:2010/08/14(土) 01:39:42 ID:YujrmfQX
家康が秀吉にとって代わったかのような言い方だな。妄想もそこまでいけば立派。
691人間七七四年:2010/08/14(土) 01:43:38 ID:9drkQbgO
仙台藩百姓氏は一度作左衛門氏と討論してみればいいのに
692仙台藩百姓:2010/08/14(土) 01:51:02 ID:8stPw9jm
本多作左衛門?( ^ω^)
693人間七七四年:2010/08/14(土) 01:51:41 ID:UYIr3KsT
信長が冷酷なのは一般的だから、秀吉と比較するのは当然だろうがq
694仙台藩百姓:2010/08/14(土) 01:53:24 ID:8stPw9jm
>>690
いや、秀吉じゃなくて秀頼に取って代わったのだお( ^ω^)
695人間七七四年:2010/08/14(土) 01:54:40 ID:9drkQbgO
>>692
違います。裏/辺/研究所の歴史掲示板や家/康/公の時代の御用部屋などで活躍しているコテハンさんです。
696人間七七四年:2010/08/14(土) 02:01:58 ID:YujrmfQX
>>694
>>690はお前じゃなく秀次事件や利休切腹がどうとか言ってる奴に対しての発言な。
697人間七七四年:2010/08/14(土) 02:04:43 ID:k9GB0Hh9
秀吉の晩年のミスはとても重要だと思うよ。信長に可愛がられる逸材である筈なのに愚行が理解出来ない。正当な判断の秀次・利休・朝鮮の件なら所詮は長の器は無いと思うな。家康に替わられて当然だと思う。
698人間七七四年:2010/08/14(土) 02:11:04 ID:sGjIUzc/
秀吉生存時の家康は完全に秀吉のイエスマンだし
秀次粛清も唐入りも賛成してたくらいだから、
取って代わるなんて恐れ多いこと到底無理だね
死んだ後に秀頼虐めるのが関の山
699人間七七四年:2010/08/14(土) 02:14:02 ID:YujrmfQX
>>697
先ずは日本語と改行を覚えてから書き込もうな。
700仙台藩百姓:2010/08/14(土) 02:18:09 ID:8stPw9jm
秀次や利休の件はミスとは言い難いお( ^ω^)
批判しているものの大半が感情論で非常にくだらないし┐ (´ω`) ┌
朝鮮の件は100%失策といえるお( ^ω^)
というか秀吉の全成果を差し引いても余りあるぐらいの失策だお( ^ω^)

>>695
ほお( ^ω^)
しかし漏れは一部の人物に視点を置いている人間とは相成れない性質だから相性悪そうだお( ^ω^)
701人間七七四年:2010/08/14(土) 02:25:30 ID:k9GB0Hh9
>>700
ここも重要なんだけど、何で秀吉は家康を朝鮮上陸させなかったのかな?本来なら家康の兵を削るチャンスだったと思えるんだよ。
702人間七七四年:2010/08/14(土) 05:16:17 ID:ZZpxskrI
家康を増長させるだけじゃない?朝鮮出兵組の西軍武将も取り込みやすくなるしね

703人間七七四年:2010/08/14(土) 05:50:56 ID:EJQxj7nV
失策って言っても仮に成功してたらそれは偉業として褒め称えられてたんだろうが
>>701
秀吉は失敗するなんて思っちゃいないし家康は関東仕置きで忙しいと思うのは当たり前だと思う
仮に行ったとして手柄たてたらさらにデカい領土与えなきゃいかんし困るでしょ
704人間七七四年:2010/08/14(土) 14:04:33 ID:lItU6PwC
>>689
確かに冷静に考えれば全く状況は違うのだが、
世の人はそうは捉えなかったんだよな。
豊臣の自業自得だと考えた。
705人間七七四年:2010/08/14(土) 14:05:37 ID:lItU6PwC
>>698
それも家康の作戦だよ。
706人間七七四年:2010/08/14(土) 14:44:01 ID:tfkdBThb
クソ固定とそれへのレスが鬱陶しい('A`)
707仙台藩百姓:2010/08/14(土) 15:34:27 ID:8stPw9jm
>>701
そもそも徳川や蒲生やらを警戒していたというのは後付けの噂話しに過ぎないから
そういう思考を秀吉に求めるのは無理があるお( ^ω^)
例えるなら「家康は三方ヶ原で石川数正を討ち死にさせていれば豊臣家への寝返りを防げたのに」
というのと同じようなものだお( ^ω^)
708仙台藩百姓:2010/08/14(土) 15:54:02 ID:8stPw9jm
それと出兵は半島に近い西日本の大名から先発しただけで
徳川に限らず東日本の殆ど全ての大名は後発組だお( ^ω^)
文禄二年三月の時点では徳川、前田、蒲生を初め東国全ての大名の渡海が計画されていたけれど
諸問題が発生して延期や中止が相次ぎ結局渡海した東国の有力大名は
伊達政宗公と上杉景勝の二人だけになってしまったわけで
家康だけが優遇されたわけではないお( ^ω^)
709人間七七四年:2010/08/14(土) 16:11:44 ID:9q6C8TUz
兵を失うって言うけど、奉行クラスでもなければ
それなりな加増で充分賄えるもんなんじゃないの?
710人間七七四年:2010/08/14(土) 21:34:53 ID:EJQxj7nV
何を加増するんだ?
711人間七七四年:2010/08/14(土) 22:42:56 ID:wPutkg+B
褒美で兵を集めるんだ。
712人間七七四年:2010/08/14(土) 23:29:24 ID:k9GB0Hh9
結局は自分の土地の健康な農民を戦に使うから
713人間七七四年:2010/08/16(月) 19:58:17 ID:H6foRoXu
兵の自転車操業は無理って事か。
714:2010/08/17(火) 09:30:17 ID:J7cBytaD
一万円札…織田信長
五千円札…豊臣秀吉
千円札…武田信玄
715月孔雀:2010/08/17(火) 12:36:04 ID:Q1V5tGiM
5円玉・・・上杉謙信
716人間七七四年:2010/08/17(火) 16:06:21 ID:3lbrsTia
二千円札:姉小路頼綱
717人間七七四年:2010/08/17(火) 19:51:21 ID:wnm84yCZ
ニセ1万円札=平将門
ニセ5千円札=木曾義仲
718人間七七四年:2010/08/17(火) 19:52:33 ID:Rd1rpCAF
将門は親徳川家ではないの?
719月孔雀:2010/08/18(水) 11:54:05 ID:A/CIq2ts
将門は、平氏だしなー。徳川は、藤原→源氏。
720奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/18(水) 22:54:39 ID:QQv7ibNc
相馬。
721人間七七四年:2010/08/18(水) 23:03:56 ID:oHbhsYT7
将門はなんであたりかまわず祟るんだ?

ちょっとは大目に見てくれる部分とかあってもいいのにさ。
お岩さまみたいに
722人間七七四年:2010/08/18(水) 23:25:44 ID:oHbhsYT7
ちがった。
723人間七七四年:2010/08/19(木) 04:40:02 ID:PkSHKH9f
徳川一族の陰謀は、徳川家康の幼少体験に
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/37/251.html
徳川家康は、松平家の嫡男だったが、その人質としての人生は、
「赤穂浪士」そのもの。
今日、「日米同盟」「日中同盟」と叫びながら、その裏で、
腹黒い陰謀をしかけて隙をうかがう日本の姿は、
徳川家康そのものだ。
724月孔雀:2010/08/19(木) 05:44:09 ID:hA96xqE5
それが、日本の生き残る道なんです。
725人間七七四年:2010/08/19(木) 12:13:53 ID:dbM0/Xhq
弱腰外交じゃないの?
726月孔雀:2010/08/19(木) 14:31:04 ID:hA96xqE5
ないらしい・・・
727人間七七四年:2010/08/20(金) 22:15:16 ID:Ji2jOooq
立ち読みして愕然としたが
間違ってる通説を今でも普通に本にしちゃってて
困ったなあと
徳川ネタは忘れちゃったけど・・・
例えば長篠の鉄砲とかね
728人間七七四年:2010/08/20(金) 23:33:21 ID:tt8xAuYV
信康事件は信長命令説とか?
729奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/20(金) 23:37:01 ID:tydvliwt
釣りかね?
730人間七七四年:2010/08/20(金) 23:57:43 ID:ZzoEmKYX
>>727
家康の通説って
・今川から取り返した三河、武士すら畑を耕さねばならない程貧困していた状態から今川領を切り取る
・武田の騙し討ちにあい同盟を破棄、三方ヶ原で武田に散々に追い散らされウンコ漏らし空城の計で武田を足止めさせる
・織田は徳川を馬の如くこき使い三方ヶ原でも大して援兵を寄越さず信康を切腹させるような命令を出した
・信玄が死んだので武田の危険が無くなった
・長篠で突撃馬鹿な勝頼を三段撃ちで壊滅させた
・酷い命令とか出されてたはずなのにやたら信長と家康は仲が良い
・本能寺後は甲斐信濃を領有し海道一の弓取りの称号を得る
・小牧長久手で数倍の羽柴軍を打ち破り秀吉に妹、母まで出させた
・秀吉に調略され石川数正が出奔
・豊臣政権では豊臣の力を削ぐ為に汚い手を使いまくる
・鯛の天ぷら食って死亡
だよね 伝記をそのまま参照すると
今見ると凄いツッコミ所多いな 書いた奴にソース求めて殴りたい
731人間七七四年:2010/08/21(土) 00:19:56 ID:A27Rewjx
>>730
思い出した
ありがちな信康切腹が信長原因とか鯛のてんぷらのところとかだ
それ以外のところは結構なるほどと思わせることを書いてる人でも
通説も書かれてるとその都度信頼性が落ちてく
732人間七七四年:2010/08/21(土) 13:05:32 ID:5tORuDL8

徳川家康と英国の事件

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/37/252.html

徳川家康の死亡日の旧暦に謎が隠されていた。
733人間七七四年:2010/08/21(土) 17:13:05 ID:Oa6Dq04q
一般的な認識と、学術的な通説ってけっこう食い違いが多いんじゃないのか?
734人間七七四年:2010/08/21(土) 18:10:34 ID:wGtW7kiq
街道1って、そもそも江戸が出来る前には、街道なんてあったのか?
735人間七七四年:2010/08/22(日) 23:17:38 ID:aU5cqwgT
>>734
街道じゃなくて海道
東海道のこと
736人間七七四年:2010/08/24(火) 10:54:14 ID:JwdwslEN
鳥居強右衛門の美挙は本当に感動もの(´;ω;`)
737人間七七四年:2010/08/24(火) 16:31:42 ID:sYLm/zUF
鳥居勝商の墓行った事あるぞ。
738人間七七四年:2010/08/24(火) 22:43:49 ID:CpfFNTJw
>>736
でもあの一連の話の中には残酷物語が・・・
739仙台藩百姓:2010/08/25(水) 18:42:50 ID:N4K+F56o
強右衛門は運が良かったお( ^ω^)
「織田家が」助けに来てくれたから無駄死にしなくて済んだし
高天神城の時みたいだったら強右衛門も匂坂みたいに敵じゃなく家康に殺されて闇に葬られるところだったお( ^ω^)
740人間七七四年:2010/08/26(木) 09:27:58 ID:5ZhHTCsc
強右衛門の執念が運を引き寄せたんだろうな。
741人間七七四年:2010/08/26(木) 09:46:02 ID:5ZhHTCsc
>>723-726
明智光秀役はどこなんだろうな。
742人間七七四年:2010/08/27(金) 13:17:39 ID:gloQ7+CN
>>660>>663
秀頼が生まれなければよかったんだろうねえ。
秀頼が生まれた時点で秀吉の命運尽きた。
743人間七七四年:2010/08/27(金) 13:18:23 ID:gloQ7+CN
>>689
そのときは家康の主君は秀頼ではもうないだろ。
744人間七七四年:2010/08/28(土) 19:39:07 ID:DEcwvCMy
秀頼が生まれなかったら秀次が二代目豊臣か?
どっちにしろ武断派と文治派の分裂で上手くいかないと思う。
745人間七七四年:2010/08/28(土) 21:39:29 ID:82pteiIW
秀吉がもう少し長生きして大御所としてうまくやれば・・・
746人間七七四年:2010/08/28(土) 22:13:18 ID:aeTSZqFw
秀吉はそういう組織づくりがうまい男ではないから、多少長生きして無意味かと
747人間七七四年:2010/08/28(土) 22:37:04 ID:7k+MK69A
種なしに天下人は無理ってことですね
748人間七七四年:2010/08/29(日) 18:13:13 ID:ejKBAaxy
結局、歴史では家康へのつなぎとしての役割を担うだけの存在だったんだな。
朝鮮侵略で自滅とかマジ基地。

2chに朝鮮征伐って真面目に書いてる奴いるけど、そいつらもアホだろ。
749人間七七四年:2010/08/29(日) 18:32:26 ID:SChJ0Ilh
秀吉は晩年で評判落としてるね。家康は晩年までフルスペックだったけど。
750人間七七四年:2010/08/29(日) 18:50:40 ID:zPpEnWic
なんでチョンが書き込んでるの?
751人間七七四年:2010/08/29(日) 20:59:59 ID:ejKBAaxy
秀吉に批判的なレスを見るとチョソ認定するなよwみっともない。
安心しろ。おれは韓国併合のおかげで韓国は発展したと思ってるから。
752人間七七四年:2010/08/29(日) 21:08:29 ID:zPpEnWic
朝鮮征伐の意味くらい理解してから書き込もうな。
753人間七七四年:2010/08/29(日) 21:36:56 ID:ejKBAaxy
秀吉が無謀な朝鮮侵略で自滅したおかげで、コツコツと努力と忍耐を
重ねてきた家康にチャンスが回ってきた。
これは今に生きる我々にも大きな教訓を残してくれていると思う。
754人間七七四年:2010/08/29(日) 21:46:39 ID:Vp3vQDn5
韓国併合のおかげで、韓国が発展したとおもってる朝鮮人にしか見えない。
755奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/29(日) 21:53:01 ID:nz1k/v0P
違うのか。
756人間七七四年:2010/08/29(日) 23:01:27 ID:ejKBAaxy
>>754
貴方はたいへんなコンプレックスを抱えてる人のようですね。
757人間七七四年:2010/08/29(日) 23:32:04 ID:PUcoSYTN
>>749
家康の晩年も酷いもんだが
孫みたいな年齢の少女を抱いたり、
天ぷら食い過ぎて腹痛起こしたり、
趣味のお香のために天竺まで朱印船派遣したり
あまりの人の変わりっぷりに、
影武者説の根拠の一つにまでなってるくらいだ
758人間七七四年:2010/08/29(日) 23:59:11 ID:Vp3vQDn5
コンプレックスw
759人間七七四年:2010/08/30(月) 00:10:29 ID:bji8juKq
>>757
基本的に変わってねーよ、跡継ぎ問題は解決した以上女は若い方がいいのは当然だしな
天下取った後でたまにうまいもん食って咎められる筋合いはないし
普段の衣食住は変わらず質素だったのは遺愛品の質素さと使い込まれ具合を見ればわかる

で、もしかして朱印船がお香だけ持って帰ったとか思ってるのか・・・?
760人間七七四年:2010/08/30(月) 00:31:06 ID:AuiUSKEM
お香以外に何を持って帰ったんだ?
761人間七七四年:2010/08/30(月) 00:40:25 ID:bji8juKq
>>760
朱印船の主な交易品目は東南アジア経由の中国産生糸とか絹
あとは砂糖などの調味料や鮫皮・鹿皮など武具等に使用する素材
江戸初期の朱印船貿易なんて中学の歴史で習う範囲だろ・・・
762人間七七四年:2010/08/30(月) 00:45:06 ID:AuiUSKEM
天竺から持って帰ったものについて聞いたんだよ
君から中学生レベルの講義を受ける気はない
それら全部南海(東南アジア)で手に入るものでしょ
わざわざインドまで行く必要がない
自分の趣味のために航海費と危険を犯してインドまで船やってる時点で馬鹿殿だろう
763人間七七四年:2010/08/30(月) 01:54:32 ID:bji8juKq
>>762
というか、そもそもインドに行って香木だけ持って帰ってきたってソースは何なん?
ベトナムに行く船に「お香送ってね」って手紙出したのは知ってるし
そもそも東南アジアが香木の産地で、朱印船貿易の品目に香木も結構入ってはいるよ
全部家康が独占したわけじゃ当然なく、ほとんどは流通されたけどね

というか、当時はカンボジアあたりを南天竺と呼んでたわけなんだが
それとごっちゃにしてるわけじゃないよな?
764人間七七四年:2010/08/30(月) 06:05:04 ID:11KQEDMU
>>763
コイツ、所謂「馬鹿」だから相手にしない方がいいよ。
物事の本質が判ってない。
コレに言葉を費やすのは無駄。


765人間七七四年:2010/08/30(月) 14:59:34 ID:LsgBdGqc
>>757
そんなんで本当に影武者説の根拠になっているのか!?w
何の説得力もないな。
766人間七七四年:2010/08/30(月) 18:36:26 ID:QwNE8USQ
大河内政局の石牢の話ってほんと?
767人間七七四年:2010/08/30(月) 19:17:34 ID:UAl+nWW+
少女って言っても、当時は15歳くらいで結婚するのは全然普通だからな。
今で言えば20歳くらいの女を妾にしてる、くらいのもんじゃないか。
768人間七七四年:2010/08/30(月) 20:37:16 ID:/XRfZuVs
合法ロリ羨ましいのお
769人間七七四年:2010/08/30(月) 21:06:30 ID:QwNE8USQ
しかしある意味、人気の種牡馬みたいな生活だろ
それは大変だろうな
770人間七七四年:2010/08/30(月) 21:42:20 ID:LsgBdGqc
晩年になって御三家の祖となる三人の男子が生まれたのは、
天が徳川の天下を認めたからなんだろうね。
しかもその三人は無事に成長してしっかりと子を残している。
771人間七七四年:2010/08/30(月) 21:59:13 ID:bji8juKq
>>770
家康は子供も多いけど、早世した子も結構いるんだよな
天運みたいなのも感じるけど、もっと単純に世情が落ち着いて比較的育ちやすい環境になったのも影響するんだろう
他の家でも、家康時代になって落ち着いたら子供が増えたりしてるところが多い
772人間七七四年:2010/08/30(月) 22:07:48 ID:QwNE8USQ
性行為にかける時間を増やせたのかもしれんね
若い時はそれこそ多忙極まってたろうから
773人間七七四年:2010/08/30(月) 22:10:58 ID:LsgBdGqc
そういや秀吉はヤリ過ぎで却って子どもができず、死んだ時は干乾びたネズミみたいだったとある講師が言ってた。
その出典を探しているが見付からない。
774人間七七四年:2010/08/30(月) 22:13:19 ID:QwNE8USQ
秀吉の場合、女好きってのはもちろんあるだろうけど
それこそ子供欲しさで手当たり次第にやりまくってたんだろうなと思う。
鶴松のことがあっただけに、秀頼だっていつ死ぬかわからんかったからね。
775人間七七四年:2010/08/30(月) 22:25:31 ID:bji8juKq
そのうえ秀吉は貴種好みだったらしいしなぁ・・・
家康みたいに一人産んでるなら少なくとも石女ではないだろう、的な発想で
後家中心に集めれば早いうちに何人かは出来てたと思った頃もあったが
(早世したけど一人か二人は子供がいたと聞いた)
よく考えると秀吉死後に嫁いだ先で子供産んでる側室が何人もいるんだよな
やっぱり種が薄かったんだろうか
776奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/30(月) 22:39:29 ID:QNd4YLs9
指一本多い遺伝子異常一族だったので、男児に恵まれなかった説。
777人間七七四年:2010/08/30(月) 22:40:54 ID:FD13aoRx
6本指の秀吉は先天異常があったんだろう?



武家と側室らは、
栄養状態が悪かったとかは無かったのだろうか?
778仙台藩百姓:2010/08/30(月) 22:55:35 ID:86QR+PBP
秀吉は実子の世継ぎを得るのに必死だったけど
家康は実子が山ほどいて家督も既に譲っているのに、それでも側室を集めているお( ^ω^)
無類の女好きは秀吉ではなく家康の方だおね( ^ω^)

>>767
よくそんな事言っている人いるけど何が根拠なんだお?( ^ω^)
戦国武将の系図を見る限り若年の輿入れはむしろ特異な例に見えるけど( ^ω^)
まして子供を産んだ例でいくと殆ど見た事ないお( ^ω^)
779人間七七四年:2010/08/30(月) 23:03:15 ID:LsgBdGqc
>>778
家康の場合は女好きというより子は多ければ多いほどいいと考えていたからな。
どちらにせよ、家康は成功した。シャレじゃないよ。
780奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/08/30(月) 23:19:44 ID:QNd4YLs9
子供を儲ける手順は確かに計算高いな。
781仙台藩百姓:2010/08/30(月) 23:28:02 ID:86QR+PBP
>>779
子供が目的なら側室をあんなに大勢置く必要はないお( ^ω^)
それに晩年はペド化しているし単に異常性欲者でしょお( ^ω^)
782人間七七四年:2010/08/30(月) 23:54:29 ID:9Fk4/3dc
戦国時代のロリ婚でよく挙げられるのは
利家とまつ
秀吉とねねくらいじゃないか

豊臣政権の3トップは全員ロリコン
783人間七七四年:2010/08/30(月) 23:57:09 ID:LsgBdGqc
>>781
少数の特定の女だけだといろいろ問題がおきるから多くの側室を置いた。
784月孔雀:2010/08/31(火) 07:13:39 ID:gnorFjIg
>>782
15歳で女性が結婚するのは、当時として普通。

「天下に権力を持つ男は、すごく女にもてるんだな
 私も、天下を目指せばよかった。。。」上杉謙信

785仙台藩百姓:2010/08/31(火) 10:33:12 ID:OwSh8cdW
>>782
あとは武田信玄かお( ^ω^)
前田ペド家は当時でもガチの変質者だおね( ^ω^)

>>783
側室の少ない大名でも別に問題は起きていないお( ^ω^)
むしろ正室だけで子沢山が一番問題(閨閥)が起きずに理想的なのだお( ^ω^)

>>784
だから何が普通なんだお( ^ω^)
事例が殆どないのに普通とか不可解だお( ^ω^)
それに年少の婚姻は双方年少な場合が多いお( ^ω^)
786人間七七四年:2010/08/31(火) 12:31:15 ID:kcDRjaWS
>側室の少ない大名でも別に問題は起きていないお( ^ω^)
家康はそう判断しなかっただけでしょ。枝葉の議論は不毛だからこの辺で。
787人間七七四年:2010/08/31(火) 13:11:12 ID:gnorFjIg
農民さんの嫌いな大名
1家康、2信長、3利家、4、・・・・・

1,2は分かるが、3を嫌いになった訳をしりたい。
788人間七七四年:2010/08/31(火) 17:04:17 ID:kcDRjaWS
農民は好き嫌いで論じてるから駄目なんだよね。
789人間七七四年:2010/08/31(火) 18:13:29 ID:H9g3bb3F
存在自体が駄目だろw
790人間七七四年:2010/08/31(火) 18:26:23 ID:ugEstMFb
百姓死ね
791人間七七四年:2010/08/31(火) 23:26:08 ID:kcDRjaWS
山岡荘八の小説では北条氏は愚鈍な集団という設定のようだが、
実際にそうだったのかな。

もちろん早雲はそんなことないと思うけど。
小田原評定のころの北条氏ね。
792人間七七四年:2010/08/31(火) 23:35:57 ID:hoq2MuCZ
小田原評定は残念な結果だったが、領土拡大したし、
領地を良く治めていたから愚鈍ではないと思うよ。秀吉がチートなだけ。
793人間七七四年:2010/08/31(火) 23:51:15 ID:XTPSmgBj
※秀吉失態集※

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2〜3万で攻めて散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取る
・わずか300程度の伊豆山中城攻防戦で重臣始め大多数の被害を出し大苦戦する
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる

794人間七七四年:2010/08/31(火) 23:52:39 ID:ixTPNgj8
チートクラスによぇぇな。
795人間七七四年:2010/08/31(火) 23:55:31 ID:r/j1ML1M
家康始め諸大名。あんなもん形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じ。
信濃では小笠原、木曽、真田が秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる

圧倒的兵力差があった上に秀吉の敵対勢力の敵を利用してん寝返らせたから屈服できただけ。
上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争いその後も川中島〜安曇・筑摩・小県方面に積極的に出陣し
徳川方勢力と交戦。85年の上田城攻めにも援軍を派遣した。毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。
宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河、三好や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った
木曽、小笠原、真田等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用したから勝てただけ。

柴田に勝てたのも、信雄が秀吉方であり、佐々が越中に釘付けにされ、
勝豊と利家や金森が裏切り雪で動けない時期が長かったからというだけ

自力じゃなんもできん雑魚

九州征伐では仙石や信親は秀吉の糞作戦のせいで戦死w

秀吉は単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚

796人間七七四年:2010/08/31(火) 23:56:11 ID:sMEpI67G
このキチガイコピペの内容も結局ほとんどは秀吉の勝ちという所が凄い所。
797人間七七四年:2010/08/31(火) 23:59:02 ID:4o9O8ymc
小田原合戦は34000に全国から240000もかき集めてしかも敵将松田等を篭絡し
北条方は氏規や氏直、大道寺の動向からも戦意が乏しかった。それなのに豊臣軍は一柳直末始め
多くの戦死者を出し、まともな戦闘じゃかすり傷程度しか与えられず物量作戦に依存して
降伏に助けられただけ。戦うたびに醜態さらす豊臣軍w
798人間七七四年:2010/08/31(火) 23:59:44 ID:kcDRjaWS
負けるが勝ちを地で行ったのが秀吉ということかな。
家康もそうだね。
799人間七七四年:2010/09/01(水) 00:01:06 ID:6AYAEuI/
あんだけ圧倒的兵力差がありゃ毛利輝元クラスの糞武将が指揮とっても勝てるだろw

秀吉が指揮取るより機械に任せてた方が圧倒的に強そう
800人間七七四年:2010/09/01(水) 00:04:45 ID:juSb7eQB
バカ秀吉の指示で三木城攻略は大苦戦を極め、毛利が出張ってくると案の定大敗w

その後も物量作戦で時間をかけて諸城を攻め落とすのが精一杯w

毛利が南条や宇喜多に足を取られてなかったら秀吉は戦死してただろうな
801人間七七四年:2010/09/01(水) 00:06:04 ID:pkDD/Z67
秀吉は、織田信雄以下。
802人間七七四年:2010/09/01(水) 00:06:50 ID:LD86VWBp
夏休みが終わりなんで気でも狂れたかな。
803人間七七四年:2010/09/01(水) 00:09:37 ID:tvFT9/3g
伊達政宗はチート武将。佐竹も相馬も上杉も最上も惣無事令で助かっただけ。

皆圧倒的政宗の快進撃に滅亡寸前だった。あと2年もあれば東国は政宗の物になっていただろう。
804人間七七四年:2010/09/01(水) 00:12:42 ID:UNmBmmQh
政宗はガチで戦上手だからな。

北 大崎 葛西 最上 
東 相馬 
南・西 葦名 大内 畠山 佐竹 二階堂 白河結城 石川 猪苗代
 
これだけガチで敵対して拡張した。
自国の国力と拡張度やそのスピードから考えれば明らかに政宗>>>>信長
805人間七七四年:2010/09/01(水) 00:25:01 ID:IxEpOq20
スレの伸びがすごい・・・。
806人間七七四年:2010/09/01(水) 00:25:53 ID:IxEpOq20
そんな政宗を心服せしめた家康はすごい。
807奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/01(水) 00:41:05 ID:OInwP/09
心服というより晒し上げに近いんじゃないか。
808人間七七四年:2010/09/01(水) 00:57:12 ID:uITLqiY3
政宗の凄いところは戦上手というより権力者に対する媚び売りだろ
秀忠には通用しなかったが家光に媚を売りまくって従三位の官位を貰ってる

家康も媚び売り上手だから似たもの同士だな
809仙台藩百姓:2010/09/01(水) 07:15:50 ID:Y7canE3u
媚び売るよりおちょくってるようにしか見えないお( ^ω^)
810奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/01(水) 07:32:55 ID:RMhHjFjJ
おちょくって位打ちの貧乏暮らしという針の筵か。
811人間七七四年:2010/09/01(水) 11:36:44 ID:IxEpOq20
家康の媚び売りは周到に計算されたち密な作戦だからうまく行った。
はたから見ると媚び売りとかおちょくりに見えるかもしれないが、
家康はそう見せかけていただけなんだよな。そこが家康のすごいところ。
812仙台藩百姓:2010/09/01(水) 12:27:08 ID:Y7canE3u
いや、家康は本物だお( ^ω^)
強い者には絶対逆らわないお
だから義元、信長、秀吉も無警戒だったのだお( ^ω^)
欲深い人間は信用できるという典型だお( ^ω^)
813人間七七四年:2010/09/01(水) 12:28:38 ID:TDxs0VVX
>>812
単純に無理はしないと何故言えない
814人間七七四年:2010/09/01(水) 13:52:31 ID:IxEpOq20
>>812
>強い者には絶対逆らわないお
実際に強い秀吉と戦ってるじゃんかw
強い者に逆らわないのではなくて、家康が相手を認めてるか認めてないかだろうね。
家康は秀吉のことをとりあえず認めたから臣従したわけだ。
強い弱いはそいつを認めるかどうかの判断基準の一要素に過ぎない。
815人間七七四年:2010/09/01(水) 15:33:05 ID:al6RRWUe
奥平なんて弱小なのに長女やってるしな。
816仙台藩百姓:2010/09/01(水) 19:55:52 ID:Y7canE3u
>>814
家康は秀吉の実力を見誤って「勝てる相手」と見て喧嘩売ったけど返り討ちに遭い
秀吉が「強者」と分かってからは誠心誠意媚びを売ったと言う事だお( ^ω^)
817人間七七四年:2010/09/01(水) 20:25:31 ID:IxEpOq20
>>816
え? 返り討ちにあったのは秀吉だろw
818仙台藩百姓:2010/09/01(水) 20:51:47 ID:Y7canE3u
>>817
三河じゃ降伏した方が勝ちなのかもしれないけど他の場所では降伏した方を負けと言うお( ^ω^)
そもそも家康の方から仕掛けているのに返り討ちは日本語おかしいお( ^ω^)
819人間七七四年:2010/09/01(水) 21:16:00 ID:4D2rkzRo
家康始め諸大名。あんなもん形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じ。
信濃では小笠原、木曽、真田が秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる
820人間七七四年:2010/09/01(水) 22:10:18 ID:5FvuFZgq
小牧長久手の勝敗はいつもループだなw
821人間七七四年:2010/09/01(水) 22:15:26 ID:VSNChV0j
小牧長久手の戦いって、秀吉家康ともに良い時に戦ったなあとは思う
明智光秀、柴田勝家を滅ぼし勢いづく秀吉、海道一の弓取りとなった家康
822人間七七四年:2010/09/01(水) 22:28:12 ID:tzEx2UT5
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
823人間七七四年:2010/09/01(水) 22:53:25 ID:TDxs0VVX
秀吉・家康共に必要最低条件を得ることに成功している
824奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/01(水) 23:02:40 ID:VesAcWFI
ともに王号を与えてもいいんじゃないか。
825人間七七四年:2010/09/01(水) 23:13:53 ID:0wYYtpM2
秀吉は明から日本国王に封じられてるよね
直後に激怒して冊封拒否してるけど
家康なら源義満の先例があるから喜んで受封されそう
826人間七七四年:2010/09/02(木) 02:15:08 ID:3zpAI5vm
>>814
それはあるな
義元が死んだ後今川から離れたのは氏真のことを認めなかったからだろうし
信長が死んだ後秀吉に抵抗したのは秀吉の実力を(その時点では)認めなかったからだろうし
秀吉が死んだ後豊臣を潰したのは秀頼を認めなかったからだろう

よく家康は二条城会見で秀頼の器量に怖れたと言われてるが、
あれはそのまま「秀頼は人の言うこと(人の話)をきちんと聞きそうにない」人物と評したんでないかね
人の話は聞かないで自分のやりたいようにしかやらない人物、というような
実際大坂の陣では主戦派筆頭は秀頼だったしな
827人間七七四年:2010/09/02(木) 17:22:42 ID:VX5iY8R7
朝日を離婚させてまで家康に嫁がせ、大政所を人質に差し出しておいて、
しかも家康上洛の際には前日にお忍びでやってきて頭を下げて
「明日はわしに頭を下げてくれ」って懇願していたわけで。
秀吉がそこまでするのは明らかに家康を恐れていたか、
家康が臣従してくれないと困るからだろ。

それを「家康は強い者には絶対逆らわない」というのはおかしいな。
828人間七七四年:2010/09/02(木) 17:48:23 ID:WHxDEUG+
負けない自信があったから、
小牧長久手で一発噛ましてやろうと思っただけだろう?
829仙台藩百姓:2010/09/02(木) 20:46:14 ID:Z7Lx5CZq
>>827
それはトンデモ徳川史観じゃんお( ^ω^)
普通に見れば秀吉がそこまで気を遣わなきゃならない程家康は秀吉にビビりまくって出て来なかったと言う事だお( ^ω^)
秀吉が僅かな供廻りで敵地に入るのは常套手段だお( ^ω^)
830仙台藩百姓:2010/09/02(木) 20:52:34 ID:Z7Lx5CZq
>>828
本能寺〜長久手までは家康もかなり色気出して失敗しているおね( ^ω^)
でもこの失態が家康の成長を促したと言えるお( ^ω^)
長久手までは常に戦略がお粗末で完全な三流武将だったが
長久手以降は明らかに戦略性が飛躍しているお( ^ω^)
831人間七七四年:2010/09/02(木) 20:59:12 ID:F+q3Ok/c
家康上洛までの政治戦は綱渡りだな。
簡単に臣従すると勢力を弱められるし、逆らったら物量に負ける。
832人間七七四年:2010/09/02(木) 21:36:44 ID:eZmDYHrg
その微妙な駆け引きを巧く利用できたおかげで、諸大名からも畏怖される大大名になれた感じだな
833人間七七四年:2010/09/02(木) 21:39:41 ID:6Fu5q0W6
家康は上洛する際の身の危険を危惧していた訳で、そこがクリア出来たから
大きな危険を冒して北条・伊達との同盟で秀吉に対抗するよりも、
大人しく従った方が良いと判断しただけ。
臣従した後は、敵対していたという状況を挽回する為に
交渉役から合戦まで対北条に於いて粉骨砕身した。
その甲斐あって上杉に与えられる予定だった東国の取次を任せられる事になった。
無理をせず、自分の置かれた状況を良く判断して行動し、結果が生まれたと言う事。
強いだの弱いだの〜を恐れてだの下らないゲームや漫画の話じゃない。
834人間七七四年:2010/09/02(木) 21:57:53 ID:VX5iY8R7
そうなんだよね。百姓はそのへんがわかってない。
835人間七七四年:2010/09/02(木) 23:29:31 ID:sMyYw7+4
正直、石川が出奔した時点で詰み それなのに妹や母親を人質に出さなきゃならない秀吉
家康公もあきれとったわ
836人間七七四年:2010/09/03(金) 00:02:13 ID:OK0XLBYD
http://www.t-apricot.jp/products/ouka/index.html
このゲームに信長、藤吉郎と一緒のクラスで家康公が出演なさってますよ
837人間七七四年:2010/09/03(金) 02:20:18 ID:VyEeZu+f
>>836
また女体化エロゲか
柳の下のドジョウは取り尽くしたと思うんだがなぁ
838人間七七四年:2010/09/03(金) 19:20:37 ID:1nOlUXhq
ジャンルとして定着してしまったと考えるべきだろう
839人間七七四年:2010/09/03(金) 19:26:13 ID:qEj6m2xX
家康味噌を販売すれば一部で大人気だろうな
岡崎市や浜松市なんかこぞって買い求めるだろう
840人間七七四年:2010/09/03(金) 22:19:51 ID:uv0T/jWT
ごめん家康の味噌と聞くと脳裏に三方が原が浮かぶから食欲が失せる。
841人間七七四年:2010/09/03(金) 23:15:23 ID:OK0XLBYD
>>840
焼き味噌じゃ!
842奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/03(金) 23:16:34 ID:F5VPl35J
八丁味噌ハジくなよ。

オレはパスするけど。
843人間七七四年:2010/09/03(金) 23:45:44 ID:OK0XLBYD
家康はよく味噌おにぎりを食していたようだから
おにぎりに八丁味噌混ぜて焼いて家康焼き味噌おにぎり完成

表紙は家康からふきだしで
「焼き味噌じゃ!」
844人間七七四年:2010/09/03(金) 23:49:11 ID:u6syq1Nc
パッケージの家康イラストはしかみ像で決定だね
845人間七七四年:2010/09/04(土) 00:09:59 ID:w7hVr3f/
家康の偉いところは、こういうのを抹殺せず歴史に残したところだろうな。
権力者というのは自分の恥ずかしい過去を消したがるものだが。
846人間七七四年:2010/09/04(土) 00:18:16 ID:SeC5p077
脱糞事故なら家康死後に大久保彦左衛門が勝手に残しただけだったりする
847人間七七四年:2010/09/04(土) 01:48:59 ID:/jzKTx4E
>>836
秀吉がヒロインで
家康サブかよ
848人間七七四年:2010/09/04(土) 17:50:57 ID:w7hVr3f/
>>836
こんなの見て誰が喜ぶの? 誰が見るの?
849人間七七四年:2010/09/04(土) 21:35:36 ID:j/jIQjrt
浜松には意外なほど家康信者はいないぞ
あえてひねって浜松生まれの秀忠ブームを起こすのも面白いかもしれん
ついでだが秀吉が仕えた松下家は浜松
850人間七七四年:2010/09/04(土) 22:23:56 ID:w7hVr3f/
>>829
>それはトンデモ徳川史観じゃんお( ^ω^)
意味のない反論だな。それを言ったら百姓のはトンデモ反徳川史観ということで片づけることができてしまう。
851人間七七四年:2010/09/05(日) 10:14:52 ID:SIHW+011
百姓は捏造大好きだからな
852:2010/09/05(日) 10:56:12 ID:7I34Pw9c
なんだかんだ言ったところで結局は家康に秀吉は負けたんだよな。
853人間七七四年:2010/09/05(日) 11:04:11 ID:L6bF3QSm
秀吉にとっては不本意な勝利
家康にとっては許容できる範囲の敗北

世の中、単純に白黒で判断できるものではない
854人間七七四年:2010/09/05(日) 11:18:00 ID:GO2WDkYW
何としても家康を勝った事にしないと気が済まないって意味が分からない。
普通に家康が好きな人間が重きを置くのはそういう所じゃないと思うんだけど。
855人間七七四年:2010/09/05(日) 11:22:37 ID:Lky/1Fdj
長生きした所かなあ
856人間七七四年:2010/09/05(日) 12:02:39 ID:L6bF3QSm
>>854
物事は全て相対的だと思うんだが
857人間七七四年:2010/09/05(日) 12:16:01 ID:SIHW+011
>>854
人それぞれだろ
逆もまた然りだしどっちが勝ったとかどうでもいい人も多いし
858人間七七四年:2010/09/05(日) 13:59:51 ID:BViXLmSb
>>852
圧倒的兵力差があった上に秀吉が敵対勢力の敵を利用してん寝返らせたから屈服できただけ。
上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争いその後も川中島〜安曇・筑摩・小県方面に積極的に出陣し
徳川方勢力と交戦。85年の上田城攻めにも援軍を派遣した。毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。
宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河、三好や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った
木曽、小笠原、真田等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用したから勝てただけ
家康始め諸大名。あんなもん形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じ。
信濃では小笠原、木曽、真田が秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる

859人間七七四年:2010/09/05(日) 14:02:17 ID:BViXLmSb
別に有利な状況も秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ。
860人間七七四年:2010/09/05(日) 14:02:44 ID:BViXLmSb
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
861人間七七四年:2010/09/05(日) 15:52:26 ID:0joyFOOs
このキチガイコピペを張り続けてる人は同一人物?
862人間七七四年:2010/09/05(日) 17:49:02 ID:g0+7pteD
まずは5行でまとめてもらわないと読めない。
863人間七七四年:2010/09/05(日) 18:01:34 ID:4+aVj9+q
だな
864人間七七四年:2010/09/05(日) 18:22:03 ID:SIHW+011
戦国武将
すげえ

二行で纏まったな
865人間七七四年:2010/09/05(日) 19:29:31 ID:T2fDCDjs
>>852
まぁ、最後に勝ったからな。
最初は戦闘で勝ち、政略で中くらい負けたが、その後盛り返して豊臣を滅亡させた。
結果から見れば、家康の圧勝だな。
866人間七七四年:2010/09/05(日) 20:41:20 ID:5up0F7T/
家康の墓である日光東照宮は世間一般にも有名だけど、
秀吉の墓である豊国神社は「なにそれ?」だからね
867人間七七四年:2010/09/05(日) 20:42:59 ID:+685o5ht
結果から見れば、幕末で勝った毛利がry)

武家諸法度と禁中並公家諸法度のが家康関連で重要なことなのかな。
中学の教科書で太字になってたし。
天皇陛下の有り方まで法制化できるとか、当時の徳川の権勢すげえなw
868人間七七四年:2010/09/05(日) 21:25:02 ID:LCUHbUkm
秀吉の朝鮮出兵は愚行ではないね
869人間七七四年:2010/09/05(日) 21:27:25 ID:LCUHbUkm
朝鮮出兵がある程度成功したら秀吉の求心力は絶頂になる。
そしたら家康をたやすく討てただろうね。
870人間七七四年:2010/09/05(日) 22:00:46 ID:Mgp/u87g
>>866
そうそう、このスレ見て地元じゃない方の東照宮にいってきた。
凄いな、流石世界遺産、流石徳川、流石家康。
世間どころか、世界的にメジャーだもんな。

今秋は銀山行ってみる。
871人間七七四年:2010/09/05(日) 22:07:15 ID:SIHW+011
しかし天地人の家康は酷かった
あんな怪しい爺が天下取れたら嫌だろ
872人間七七四年:2010/09/05(日) 22:47:24 ID:Br6xa7Mi
本多正信の顔芸は面白かったけどね…
873人間七七四年:2010/09/06(月) 00:34:02 ID:zHbqRE7H
家康が出した法令で一番すごいのは一番最初に出した郷村法令だと思うんだよ
百姓町民に至るまで法治徹底・裁判の権利を与えたことで、
「時代が変わる」意識を広く植え付けただろうな
874人間七七四年:2010/09/06(月) 09:46:33 ID:4tgoFplz
秀吉が母と妹を、って言う人は、そのまえに家康から秀吉に息子を表向きも実質も人質に出していることを無視するんだよな
この点に触れると、家康の方が先に屈服していることがバレるから。
875人間七七四年:2010/09/06(月) 10:57:33 ID:RoaFYAWz
んなもんあんだけ国力差あるんだから家康は毛利輝元クラスのゴミ武将相手でも屈服するだろw
>>858-860を読め
屈服した側が人質差し出すとか別に普通の事だけど屈服させた側が親族、しかも本人の母妹出すって
もうね、どんだけイカれた主従関係なんだよと。

876人間七七四年:2010/09/06(月) 11:09:05 ID:RoaFYAWz
つーか、家康は人質というか秀康を養子として差し出したのはあくまで講和条件だから
別にこれで屈服したわけじゃないぞ。
信雄が領内の田畑荒らされてびびって和議を受け入れたから大儀名分がなくなったというだけ。
その後85年の真田攻め、小笠原・水野・石川の離反と水面下での戦いは続いていたため
家康は秀吉に対抗するため北条氏直との同盟強化のため娘を嫁がせている
877人間七七四年:2010/09/06(月) 13:08:54 ID:MgXZCIGY
大概の小説読むと家康が秀康を捨てたように言ってるけどどうなんだろ
秀吉は丁寧に扱ってたみたいだけどあれは家康の子だからじゃないの
878人間七七四年:2010/09/06(月) 19:29:35 ID:jwhvX8Un
関ヶ原を控えた時期に、上杉征伐を任せてるから完全に捨てたというわけでもない気がする。
879人間七七四年:2010/09/06(月) 20:43:49 ID:DT6wpE5e
容貌が気に食わなかっただけでしょ。
880人間七七四年:2010/09/06(月) 21:42:42 ID:E/qkWe33
>>877
それは当然
家康も将軍職は譲らなかったけど息子として認知してた、秀吉もその価値・意味は分かってた
関が原で関東の押さえとして秀康を置いたのもちゃんと力を認めてたことによる
信頼もしてたから親子関係は悪くなかったはず
そうでなければ下手すると親豊臣の気もある秀康をあんなところに配置しない

>>879
それより母親が・・・という方が大きいと思う
881人間七七四年:2010/09/07(火) 00:07:22 ID:qnWQJCLt
親族と縁が薄い人だったようだ
幼い頃に人質に出されたのが影響してるんだろう
882:2010/09/07(火) 01:59:01 ID:+xJANCNQ
誰かの手記で、人質でも日頃から誼を交わしていない子供を使うと情が薄れて効果的では無くなる、
ってみたいな事を書いてたけど確か家康だったような?

秀康を意識してんのかな
883人間七七四年:2010/09/07(火) 02:19:18 ID:mchAYCzD
>>881
13松平だっけ
それほどの一族と宗教を力でねじ伏せた経歴もあるしな
884人間七七四年:2010/09/07(火) 03:08:06 ID:c6GNLZYx
>>882
平時から人質を取って離れ離れに暮らさせていると、親族間でも情が薄くなって
いざという時に人質をを見捨てて寝返るとも限らないから、戦時の直前に人質を取ればいい
と言っていたらしいね

それが秀康の事を念頭において言っていたのか、自分の子供時代のことを想って
いっていたのかはわからないけど合理的な考え方だと思うよ

案外、家康さんのことだから人質に掛かる諸経費が気になってただけかもね
人質を取った側が出すものかどうか知らんけど
885人間七七四年:2010/09/07(火) 10:26:30 ID:l+ElpHae
>>879 それより母親が・・・という方が大きいと思う

万の方がどうかしたの? うちの地元なのだが、、、
886人間七七四年:2010/09/07(火) 19:08:50 ID:wFQsWgzy
一例
結城秀康 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%9F%8E%E7%A7%80%E5%BA%B7#.E5.87.BA.E7.94.9F
不幸な少年期
幼名を於義伊(於義丸/義伊丸)と名づけられた秀康は、父家康に嫌われ、満3歳になるまで対面を果たせなかった。
その対面も、あまりの冷遇に異母弟を不憫に思った松平信康による取り成しで実現したものであったという。
冷遇の理由は双子で生まれてきたことにあるともされる。当時双子での出生は「畜生腹」と言われ、忌み嫌われていた。
887人間七七四年:2010/09/07(火) 21:25:55 ID:N8JCO3eu
>>883
親族よりも四天王とか有能な家臣を頼りにしてた感じだよね
888人間七七四年:2010/09/07(火) 21:51:42 ID:0Xuzyeli
母子ともに虐げられたしまったのか(´・ω・`)
889人間七七四年:2010/09/07(火) 22:01:00 ID:3wnYsSdh
家康も双子だよ
いや影武者というべきか
890人間七七四年:2010/09/07(火) 22:05:16 ID:VtiUJo4B
秀康は経歴が汚れきってる。正当な二代目にするにしては様々な家を経すぎた。
徳川純血嗣子にはふさわしくない
891奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/07(火) 22:12:36 ID:ODaLzkp8
秀忠や頼宣頼房が純血な嗣子だという感覚は理解しがたい。
892人間七七四年:2010/09/07(火) 22:51:48 ID:mI5IkHBV
>>890
むしろ父親の家康に似てるから穢れてるとは言い難いんじゃ
人質とか人質先の主君から名前貰うとか
893人間七七四年:2010/09/07(火) 23:59:42 ID:qQ2UyhVN
>>886
それ、裏取れないんだよな
普通に考えて、築山殿に遠慮して遠ざけているんだろ
その手前、信康の手引きくらいのイレギュラーじゃないと会えなかった

成長してから(というより、築山殿が死んでから)は特に冷遇してる様子もない
年長なのに世継ぎになれなかったのは母親の出自が秀忠の方が高く、
かつ秀忠は家康の正室となった朝日姫の養子にもなっていたし、
また秀康は結城家に養子に出ていたので、嫡子は秀忠の方が相応しかったってだけ

秀吉時代も家康が上方にいる時はほとんど家康の近くにいたようだし、
越前松平なんて別格扱いになってる分、かなり優遇されてたとみて間違いないと思うがな
894人間七七四年:2010/09/08(水) 01:21:08 ID:hCEABuzc
案外本当に嫌われていたかもよ
裏が取れない話をなんでも俗説と切り捨てるのを俺は嫌いで
そういう話の中に意外と真実が隠されていると思うんだよね
秀吉に養子に出したのが秀忠や忠吉じゃなくて、その時点での長男である
秀康であったのもそういう感情があったんだと思うんだ
895人間七七四年:2010/09/08(水) 10:14:23 ID:UDBcZJVd
>>867
地味に家康の出版関係の業績も忘れたくないなあ。
この人学者のパトロンとしても、学問の推進者としても一流だよ。
896人間七七四年:2010/09/08(水) 10:49:40 ID:ctyoL25s
秀吉が「於義丸くれ」っていったんじゃなかったか
897人間七七四年:2010/09/08(水) 18:20:03 ID:j2AZSHAK
いつまでも若い女を側室にもてたのがうらやましいです。
898人間七七四年:2010/09/08(水) 20:22:07 ID:IKp+fRv/
>>886という話もあるし
>>893という話もあるし
お万がやりまんで本当の子供かどうか信用してなかったという話も有るし
もう誰も生きていない過去の話だから事実は分からなくても不思議ではない
そんな疑問を現代の人間があれこれ言い合うのが面白い

>>897
晩年の側室の中には手は付けずにただそばに置いといたのもいるようだが
側室はあんまり興味無いんで詳しいところは知らない
899人間七七四年:2010/09/08(水) 21:02:13 ID:Wvkv0bO8
万の方はわしの地元の神主様の娘じゃぞ!!
900人間七七四年:2010/09/08(水) 22:48:50 ID:ylxhWO5K
万の方って女性器の別名でもあるお○んこの名前の由来にされてたな
901奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/08(水) 23:03:55 ID:ir57kiuV
80万石も貰えれば愛情だの何だのどうでもええわな。
902人間七七四年:2010/09/08(水) 23:24:27 ID:Spmdd8Vs
民主党の小沢一郎幹事長は12日、ソウルの国民大学で講演後、約250人の学生と日本人について語り合った。
学生から、多くの日本人が学校にも通わず、仕事にも就かないニートについて聞かれ小沢氏は
「日本のニートの現状はみんな親が悪い。日本人の親は学校にも行かなで、仕事もしないぶらぶら遊んでいる子供を食べさせている」と持論を披露した。
「学校にも行かない無職の子どもを責める前に、日本人の親達は子供を甘やかしている。親に民族教育を確りしないといけない」
「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」
「日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない>」
「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」と主張した。
日本の古代歴史についても「韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立したもの」と述べた。(ソウル発外電2009/12/13)
【わが祖国】小沢民主席、韓国で売国講演PART1/5【済州島】
http://www.youtube.com/watch?v=xI9Dv8XFqto
【わが祖国】小沢民主席、韓国で売国講演PART2/5【済州島】
http://www.youtube.com/watch?v=MmG_O3QSWic&feature=related
日本人の基礎は朝鮮人だと言っている
【わが祖国】小沢民主席、韓国で売国講演PART3/5【済州島】
http://www.youtube.com/watch?v=DW476hwzoDo&feature=related
【わが祖国】小沢民主席、韓国で売国講演PART4/5【済州島】
http://www.youtube.com/watch?v=IE60ix-LMcU&feature=related
【わが祖国】小沢民主席、韓国で売国講演PART5/5【済州島】
http://www.youtube.com/watch?v=TM1aknZwpWs&feature=related
903人間七七四年:2010/09/08(水) 23:44:31 ID:2uM6CZ6F
幕末、家臣である井伊家が秀康を家祖とする松平春嶽を処罰できるのはそれだけ大老に権限があったということ?
904奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/08(水) 23:47:21 ID:ir57kiuV
家宰が庶家を取り締まるのはとくに問題ないでしょ。
905人間七七四年:2010/09/09(木) 00:02:03 ID:YLxzBpQt
>>896
うん
「誰か息子くれ」じゃなく、「於義丸くれ」だった
906人間七七四年:2010/09/09(木) 00:45:43 ID:w7al0o3o
家康が僅か十年で関八州を掌握した上に、8万の軍事力を
養成したというのは、秀吉にとっては二重の驚きだったろうね。
つか想定外というか。
小牧長久手当時は150万石で1万ちょっとの兵しか繰り出せなかったのに
比べたら隔世の感というか
関八州うまく治めても家康はケチだから3万程度しか軍隊を持たないって
高をくくっていたかもしれない
907人間七七四年:2010/09/09(木) 00:52:04 ID:iTv79V2I
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
908人間七七四年:2010/09/09(木) 01:46:02 ID:L0ZqSsDg
>>906
関東に行くことにOKしたのは後々開拓で石高を増やせるっていう
下調べをしたって話があったような
これは単なる後世の人間の推測だったのかな
実際それまで持ってた5ヶ国は南アルプスはじめ山ばっかりだから
909人間七七四年:2010/09/09(木) 01:56:23 ID:uINw8Vz9
対北条で一番活躍した徳川が論功行賞で旧北条領を拝領しただけの話。
910人間七七四年:2010/09/09(木) 10:47:15 ID:hzbRKfV9
つーか統治出来そうなのが家康ぐらいだっただけじゃ
下手に子飼いに与えて統治失敗したら痛いし
911人間七七四年:2010/09/09(木) 12:42:36 ID:Kh5huJTl
>>907
小牧長久手の頃の家康も大変だったんだな
912人間七七四年:2010/09/09(木) 12:54:01 ID:zfOx9Bm5
秀長、蒲生氏郷は遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)

松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる

伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)

3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、

長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる

84年一杯を対信雄&家康に使って伊勢口や美濃の押さえ合わせて計135000ほどの圧倒的大軍引き連れて
砦間の戦闘や城の取り合いや信濃の木曽、上杉ら周辺大名への働きかけもガチガチにあった
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している
913人間七七四年:2010/09/09(木) 18:02:16 ID:ikW+JZCS
読むのがメンドクサイ
914人間七七四年:2010/09/09(木) 21:17:50 ID:TiEdw1XK
むしろ秀吉は政情不安定な関東を家康に当たらせることで消耗させようとしたかもな
915人間七七四年:2010/09/09(木) 23:42:04 ID:KbZSVdpr
たしか元々関東は堀秀政に与えられる予定だったんじゃなかったっけ?
916人間七七四年:2010/09/10(金) 03:53:33 ID:WHJVPYHR
>>915
いや、軍記物で関東の押さえは蒲生か堀みたいな話が出ただけ。
まあ、生きてれば蒲生の代わりに会津に入ってたかも知れないが。

東海の要地五ヶ国を地生えの家康に任せてはおかんでしょ。
917人間七七四年:2010/09/10(金) 17:48:21 ID:WZvdgYuq
安土桃山期に官位を貰えた家来
石川数正→伯耆守
酒井忠次→左衛門大尉
本多忠勝→中務大輔
井伊直政→兵部大輔
榊原康政→式部大輔
平岩親吉→主計頭
板倉勝重→伊賀守
成瀬正孝→隼人正
菅沼正みつ→織部正
奥平信昌→美作守
大久保忠隣→治部大輔
大久保長安→石見守
918人間七七四年:2010/09/10(金) 18:01:44 ID:WHJVPYHR
>>917
腸腐れの本多さんは天正14年に佐渡守じゃなかった?
919人間七七四年:2010/09/10(金) 18:06:18 ID:9kvq7yni
腸腐れって榊原康政じゃなかったっけ?
それにしても大久保長安はすげー出世だな
920人間七七四年:2010/09/10(金) 18:07:10 ID:WHJVPYHR
>>919
榊原さんが本多さんへの嫌みで言ったとか。
921人間七七四年:2010/09/10(金) 18:46:19 ID:g7BBMQcm
>>917
酒井忠次の左衛門尉は自称だったはず石川氏の伯耆守も
922人間七七四年:2010/09/10(金) 21:40:28 ID:37rZDiJn
>仙台藩百姓
スレタイの常に九するクオリティってどういう意味?
923奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/10(金) 22:38:27 ID:iZ/a82kR
>本多忠勝→中務大輔
>井伊直政→兵部大輔
>榊原康政→式部大輔

この辺が石田大谷あたりと対応させてあるのだろうか。
924人間七七四年:2010/09/10(金) 22:45:02 ID:Re6OEfn+
>>920
榊原さんも家康に対するあてつけで、腸が腐って死ぬからあんたの使者には会えないよっていったらしい
秀忠の使者には喜んで会ったらしいけど
925人間七七四年:2010/09/10(金) 23:33:20 ID:WZvdgYuq
え!
酒井忠次(左衛門尉)と石川数正(伯耆守)は自称だったんですか。不勉強ですいませんでした。
てことは、石川は出奔後に任官された出雲守が正式の官位ってことで宜しいのでしょうか?
忠次は正式な任官は受けてないんですか?

★追加★
本多正信→佐渡守
本多正純→上野介
926人間七七四年:2010/09/11(土) 00:02:51 ID:g7BBMQcm
>>925
石川は不明、酒井は子の家次が家督を継ぎ宮内大輔になっている
927人間七七四年:2010/09/11(土) 00:08:57 ID:rSLS6RMa
Wikiには酒井忠次が従五位下左衛門尉とか左衛門督とか書いてあるがとんでもないことだな
928人間七七四年:2010/09/11(土) 12:29:37 ID:tdfBaBTL
考えてみると将軍の正一位ってすごいよな。今じゃどうやってももらえない。
総理大臣経験者で正二位だし。
929人間七七四年:2010/09/11(土) 12:48:11 ID:ElUpEAuE
>>928
吉田茂と佐藤栄作は従一位。
まあ、今と昔じゃ位階の重みは大分違うが。
930人間七七四年:2010/09/11(土) 13:11:40 ID:tdfBaBTL
従一位はどうやってももう出ないだろうね。
931人間七七四年:2010/09/11(土) 21:29:54 ID:r/lTB8Ke
中曽根は死後菊花章頸飾と従一位を贈られる可能性が高い。
932奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/11(土) 23:17:18 ID:C7MjZicv
小和田家よりも皇室に近い大勲位。
933人間七七四年:2010/09/12(日) 00:16:48 ID:xw4oO9xk
まだ生きてたんか
934奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/09/12(日) 00:22:57 ID:+/OiOP6X
赤い正一位かもよ。
935人間七七四年:2010/09/12(日) 00:53:19 ID:EPLvAvaq
信長秀吉家康級の英雄が並ぶ反面、
痴愚の徳川将軍も惰性で貰ってたりと
同じ正一位でも随分差があるね
936人間七七四年:2010/09/12(日) 01:35:57 ID:+X1aoMU2
私の知人が存命中に、勲一等もらってたけど
相当凄い事なの?
937人間七七四年:2010/09/12(日) 02:28:43 ID:RE+GxjXD
>>633
信長は家康のことは人質時代から弟のように可愛がっていた今川から解放されて
織田、徳川の同盟のときも尾張より西は信長治め東は家康にが治めろとその当時は
外交辞令言っていた。本当は浅井長政と家康の両義理の弟を片腕として天下統一の
グランドデザインしていたが、姉ヶ崎の戦いであのような結果になる。その後も
家康は信長のことを兄上様と従っていたので最終的には家康が天下人となり戦国時代
を終わらせたのは必然かもしれない。
938人間七七四年:2010/09/12(日) 04:22:28 ID:1V6jaMoD
つか、家康は戦国大名の集大成みたいな経歴だよ。

今川で教育受けて、
織田と同盟して野戦築城と鉄砲の運用学んで、
武田と戦ってその戦術や軍制取り込んで、
北条と同盟した後その領国に移って行政制度取り入れて、
豊臣と戦ってその政治手法を学んだ。
939人間七七四年:2010/09/12(日) 10:17:01 ID:i4ORg5Pp
室町時代は将軍兼大納言
江戸時代は将軍兼右大臣
940人間七七四年:2010/09/12(日) 11:45:33 ID:E85zogIZ
>>937
>姉ヶ崎の戦い
金ヶ崎の退口と姉川の戦いがごっちゃか?
正確に書いてくれ。
941人間七七四年:2010/09/12(日) 17:09:43 ID:1zsBlaRV
家康がその気になれば、
征夷大将軍宣下と同時に、太政大臣任官ぐらい出来たのでは?

…流石に、生前での正一位昇叙は疑問符が付くが…。
942人間七七四年:2010/09/12(日) 18:54:32 ID:EPLvAvaq
豊臣家が健在なときにあからさまに喧嘩売るメリットってなくね?
そもそも征夷大将軍宣下だけでも大変だったのに
943人間七七四年:2010/09/12(日) 22:31:24 ID:i4ORg5Pp
豊臣に存続されると徳川の将来に禍根を残す以上、メリットもクソもないんだよ。
944人間七七四年:2010/09/12(日) 22:33:48 ID:1V6jaMoD
というか、最低でも豊臣が徳川の政権認めて、
少し官位が高い大名として軍役その他の主従関係結ばないと
滅ぼさざるを得ないというのはある。
945人間七七四年:2010/09/12(日) 22:59:46 ID:57InBLZB
豊臣家存続の機会はあったのにな。
946人間七七四年:2010/09/12(日) 23:21:53 ID:TGoPAXaV
今まで家臣だった奴に家臣になれって言われて、はいそうですかって言うわけにはいかんわな。
947人間七七四年:2010/09/12(日) 23:24:38 ID:1V6jaMoD
>>946
とはいえ、自分の父親はそれを逆の立場でやったわけで。
948人間七七四年:2010/09/12(日) 23:27:12 ID:57InBLZB
そういう意味で豊臣は自滅したな。トップが愚鈍だとこういうことになる。
949人間七七四年:2010/09/12(日) 23:39:31 ID:TGoPAXaV
>>947
秀信は織田家の家督は継いだが、正式に秀吉の主君になったわけじゃない。
その後の覇業も秀吉が行ったもの。
家康は秀頼に対し誓詞血判の上、忠誠を誓った正式な家臣。
状況が全然違う。
950人間七七四年:2010/09/13(月) 02:45:31 ID:PH8voM5T
>>943
禍根を残す、っていうのがそもそもほんとかなぁと思うんだが
大坂陣の時点で秀忠はすでに将軍として問題なく政務を執り行っていた
一方、秀頼が檄を飛ばしたところで応じるような諸侯は何一つなかった
当然だよな、幕府が開かれてもう10年以上経ってるし、大抵の諸侯は領地に入府してから15年近く経ってる
その間戦乱もなかったから、真面目にやってれば領地経営は軌道に乗り始めた頃だ
しかもそういった諸侯の権威は幕府によって保証されたもの
いまさらそれをほっぽり出して博打を打とうと思う奴らは結局いなかった

むしろ家康が生きてるうちに幕府をひっくり返す必要があったのは豊臣の方
あのまま家康が寿命を迎えていれば、将軍世襲を既に規定路線としてしまった幕府は
将軍秀忠嫡子家光のラインでがっちり固まり、豊臣家は手が出せなくなる
一大名家として生きることを拒否し、公家として生きることも拒否して
あくまでも天下人という座に固執するなら、秀頼にとってはあの時期がギリギリだった

>>949
その理屈でいくと大抵の大名家の家臣は「正式な家臣」じゃないことになるぞ
代替わりするたびに誓紙血判の上忠誠を誓うとか普通やらん、めんどくさいし
それでも普通は代替わりしても家臣は家臣と認められる
だから秀吉は三法師を「織田の跡取り」として担いだ時点で三法師の家臣になったことになる
そうじゃないと織田に属してる軍勢を動かすことはできないからな
まさか山崎で光秀に勝ったから織田の軍勢は全部秀吉のものになったとか思ってないよな?
951人間七七四年:2010/09/13(月) 05:44:45 ID:kWNHI+30
徳川幕府にとって見ると豊臣家が座る大坂城は、下剋上、あるいは泰平の世を好まない出頭人・野心家たちを集める象徴に見えたんでしょうな
金もふんだんにあったし。
夭折したが親族にも結城宰相みたいに豊臣家を擁護する者もいたし
952人間七七四年:2010/09/13(月) 06:23:33 ID:1mk+0DEM
>>949
清洲会議で秀信を主君として立てることを主張して、
秀信の名前で信孝、信雄を討伐したのは他ならぬ秀吉なんだが。
953人間七七四年:2010/09/13(月) 07:58:25 ID:18nuxxXI
東照宮行ってきた、かき氷と泣き龍はみたけど家康の廟は見なかった
だって料金とるんだもん
954人間七七四年:2010/09/13(月) 08:44:10 ID:V625qmNC
>>953
せっかく行ったなら払っとけ
955人間七七四年:2010/09/13(月) 08:54:54 ID:59iYpacx
信孝・信雄討伐が秀信名義?何それ?
956人間七七四年:2010/09/13(月) 09:00:43 ID:1mk+0DEM
>>955
何それって事実。
他に秀吉側に大義名分はない。
957人間七七四年:2010/09/13(月) 09:01:26 ID:1mk+0DEM
つか、清洲会議で三法師をもり立てる誓詞書いてるのも>>949は無視してるし、
無茶苦茶だよ。
958人間七七四年:2010/09/13(月) 09:21:44 ID:Ipvh7imF
でも確かに入場料取る神社仏閣なんて、かなり稀だよな。

世界遺産にしてもちょっと高かった気がする。
「心に望み興らば、困窮したる時を思い出すべし」
959人間七七四年:2010/09/13(月) 11:14:28 ID:hAdSoIRX
>>958
拝観料という形なら腐るほどあるけど
960人間七七四年:2010/09/13(月) 12:01:33 ID:T17b3EiS
じゃあ試しに拝観料のかかる東照宮を5つ挙げてみてくれ。
961人間七七四年:2010/09/13(月) 12:18:17 ID:hAdSoIRX
日光、上野、久能山、滝山、日吉
962人間七七四年:2010/09/13(月) 13:25:50 ID:kWNHI+30
甘いな。大徳寺なんか建物ごとに金をとるぞ。
963人間七七四年:2010/09/13(月) 13:58:12 ID:KZ3VE62H
上野の東照宮って拝観料とるの? 前に行ったけど何もなかったが。
964人間七七四年:2010/09/13(月) 14:10:09 ID:hAdSoIRX
>>963
本殿に入るときに拝観料がある
http://www.tokyoguide.net/spot/37/
965人間七七四年:2010/09/13(月) 15:48:37 ID:KZ3VE62H
なるほど…期間が違っただけなのか。
966人間七七四年:2010/09/13(月) 19:40:41 ID:wCTFQS4g
ちょっと待った!
金出さずにお参りできるかで考えてよ。
967人間七七四年:2010/09/13(月) 19:47:29 ID:hAdSoIRX
>>966
それがある方向に柏手叩いて、お辞儀をすればそれでお参りにはなるけど
968人間七七四年:2010/09/13(月) 20:35:52 ID:xUgt9Qck
今日久能に行こうかと思ったけど時間がなくて行けなかった……

ところで次スレ立てるのって>>980
969:2010/09/15(水) 03:46:27 ID:t7El2SMW
東照宮で働く住職は仏教系大学出なのかな?
970人間七七四年:2010/09/15(水) 20:20:21 ID:+GZiMzAE
>>968
そもそもこのスレは百姓が立てたものなので(ry
971人間七七四年:2010/09/16(木) 20:56:00 ID:O80PvUx3
山岡荘八によると、朝日姫は秀忠を可愛がっていたようですが、
実際にそうなのでしょうか? そういう記録にようなものがあるのですか?
972人間七七四年:2010/09/16(木) 21:29:01 ID:jOw+q/KD
>>937
人質時代のエピソードが1つも無いようだから
信長と家康は居場所が全く違ったんじゃない?
信長の行動力からすれば行き来は出来ないことではないと思うが
それでも書物に残ってないのはやはり何も無かったんではないかと
973人間七七四年:2010/09/16(木) 21:33:17 ID:jOw+q/KD
>>968
ぜひとも行くときが来たら下から1159段を上ってくれ
日本平からロープウェイではなく、ロープウェイで日本平へ行って帰ってきて
また歩いて下るというパターンで
974人間七七四年:2010/09/16(木) 22:58:00 ID:/kWkG5su
>>973
三度1159段上ったから今度はロープウェイで行きたいです勘弁して下さい
975人間七七四年:2010/09/16(木) 23:30:56 ID:sMjyhV7K
ワタミの渡辺みき社長の愛読書は山岡家康だそうだね
976人間七七四年:2010/09/16(木) 23:35:58 ID:/92+2+qZ
>>974
三度もしたのか
がんばったな
977人間七七四年:2010/09/17(金) 01:43:39 ID:7EbDCETv
日光は知らんけど久能は景色いいよなあ
時期が時期なら紫陽花がたくさん咲いてたり麓の温室でイチゴ狩りができる
上の日本平だけじゃなく近くの三保も景勝地だし
家康がわざわざ移り住んだ理由の1つに風光明媚な点も間違いなくあるよな
もちろんその時代はイチゴ狩りは無いけどwww
978人間七七四年:2010/09/17(金) 02:19:07 ID:kZdJo0H+
三方原の戦いの後で浜松城に籠城した時の空城の計は家康の策なのかな?
979人間七七四年:2010/09/17(金) 03:42:11 ID:2aZfopYe
雑魚相手に天下人になって日本一の過大評価
980人間七七四年:2010/09/17(金) 07:22:38 ID:2qiVuKdY
>>975
読破したって言ってただけじゃん。

でもイメージは良くなったw
981人間七七四年:2010/09/17(金) 17:42:33 ID:e76pT1iz
どこで言ってたの? 確かに本でも書いていたが。
982人間七七四年:2010/09/17(金) 19:36:36 ID:6TPkbFp1
名将の采配 大阪の陣の巻 で。
983人間七七四年:2010/09/17(金) 20:12:12 ID:e76pT1iz
なるほど。ゲスト出演か。
でも1回しか読んでないのによく覚えているな。
984人間七七四年:2010/09/17(金) 21:29:37 ID:9nyYaVLi
早く次スレを立てないと仙台藩百姓さまが立てちゃうぞ。
985人間七七四年:2010/09/17(金) 21:37:26 ID:k7n1OCP4
小さな嫌がらせが面白い奴にはいつまでもやらせてあげればいいよ
986人間七七四年:2010/09/17(金) 21:53:15 ID:e76pT1iz
常に九するクオリティってどういう意味だよ
987人間七七四年:2010/09/17(金) 22:00:27 ID:rv7Petxe
仙台藩百姓が作った、このコテハンスレを乗っ取るのが楽しみなんだから立てないでください。


988人間七七四年:2010/09/17(金) 22:22:10 ID:1hHxd3uM
>>978
とも言われてるし、酒井の考えとも言われてるし、そんな戦術やってないとも言われてるし
門を開けていたことについても、計略と見せかけてたとも言われてるし、
単に敗走してくる味方を入れるだけのものとも言われてるし
989人間七七四年:2010/09/17(金) 22:30:38 ID:e76pT1iz
989
990人間七七四年:2010/09/17(金) 22:45:36 ID:e76pT1iz
990
991人間七七四年:2010/09/17(金) 22:46:47 ID:e76pT1iz
991
992人間七七四年:2010/09/17(金) 22:47:35 ID:e76pT1iz
992
993人間七七四年:2010/09/17(金) 22:48:21 ID:e76pT1iz
993
994人間七七四年:2010/09/17(金) 22:49:06 ID:e76pT1iz
994
995人間七七四年:2010/09/17(金) 22:49:51 ID:e76pT1iz
995
996人間七七四年:2010/09/17(金) 22:50:33 ID:e76pT1iz
996
997人間七七四年:2010/09/17(金) 22:51:23 ID:e76pT1iz
997
998人間七七四年:2010/09/17(金) 22:52:13 ID:e76pT1iz
998
999人間七七四年:2010/09/17(金) 22:53:24 ID:y61Hkq9j
日光猿軍団
1000人間七七四年:2010/09/17(金) 22:55:26 ID:mj8Y2LBv
1000GET♪
徳川家康、最強!
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/