もしも小大名だったら、、、【和気藹々1】

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1人間七七四年
戦国〜江戸期の独立系小大名に関するスレです。

命をかけて籠を護る、20人ばかりの大名行列とか
数人の腰元が奥の全てを執り行うとか楽しくね?
2人間七七四年:2010/05/05(水) 23:02:08 ID:A+hwvwK8
小早川が東軍に寝返った時、同調した連中も小大名だったよな。
3人間七七四年:2010/05/06(木) 17:04:52 ID:0WaO2yqb
まずは松前藩だな。米が取れないけどアイヌとの交易や海産物で財力はあったから、
大名として扱ってもらえる最低限度の一万石格にしてもらった。
4人間七七四年:2010/05/06(木) 22:24:02 ID:FFoXI0bK
何がしたいのかも、その後のレスも会話が成り立っていない
5人間七七四年:2010/05/07(金) 00:11:43 ID:w2i0Czfx
伝説スレも初めはそんなもんさ。
6人間七七四年:2010/05/08(土) 00:06:10 ID:7wO6AKsQ
松前藩って10万石格だと記憶しているが、、、?
7人間七七四年:2010/05/09(日) 14:15:45 ID:M26z0gx4
>>6
wikipediaによれば綱吉の頃に旗本扱いの交代寄合(これは知らなかった)。その後一万石の大名。
幕末に三万石に加増(これも知らなかった)。だそうだ。
8人間七七四年:2010/05/09(日) 22:10:19 ID:T+WGSvqV
吉良上野介なんて大名ですら無かったけど
5万石くらいの赤穂浅野に偉そうに出来たらしいから。

格を決める要素は、
・役職 官位
・財力の大中小
・由緒

この辺かな。
9人間七七四年:2010/05/09(日) 23:23:02 ID:M26z0gx4
吉良は由緒ある家柄だから高家になった。高家だから官位も高い。朝廷や公家との
交際もあるから出費が多いが財力は無いので賄賂を要求したり、息子が養子に入っ
た上杉の身代を食いつぶしたりしてる。
10人間七七四年:2010/05/10(月) 01:46:08 ID:u3bgiWFm
お茶飲んでるだけで何に金使ってたんだ?
お茶会のたびに新茶器を披露しないといけなかったのかな
11人間七七四年:2010/05/11(火) 23:18:30 ID:rg4HUYz3
色んな貴人が1人で来るわけが無いから、
従者?への対応費とかも嵩んだのでは?
12人間七七四年:2010/05/12(水) 17:27:18 ID:7tssOmd7
当時の斡旋とか仲介は費用は世話人持ちだから
賄賂といっても必要経費・礼金(他の関係者への)込みらしいから
現代のイメージとはちと違うかも
13人間七七四年:2010/05/12(水) 21:25:30 ID:egNqwdtr
吉良と浅野の関係は斡旋とか仲介じゃなくて、勅使饗応役とその指導係だぞ。
必要経費は浅野が持つのが当然だろう。
14人間七七四年:2010/05/13(木) 00:16:15 ID:qo+xOnQq
一般的な茶会の事を言ってるのではないのか?
15人間七七四年:2010/05/13(木) 11:36:41 ID:gNdcSRqF
>>13
吉良に刺客送らない浅野を、バカ殿だと思ってはいたが
必要経費すら払わないとは、ひでー話になるのかな?
16人間七七四年:2010/05/13(木) 12:13:20 ID:IxBZQgNL
必要経費は浅野が支払うから指南役の吉良に渡す必要は無いということ。
刺客を送るなんて武士道に反した事を出来るくらいなら賄賂渡してる。
17人間七七四年:2010/05/13(木) 22:42:17 ID:mokP1oo/
脱藩浪士が仇を取るのだよ。
18仙台藩百姓:2010/05/14(金) 08:04:07 ID:Agb1gBMx
武士道云々なら年寄りの寝首掻くのもどうかと思うけど( ^ω^)
19人間七七四年:2010/05/14(金) 08:15:54 ID:Aq+7Iq8M
2年も何やってたんだって話
20:2010/05/14(金) 12:48:31 ID:Skq0uAmU
成功したんなら、全ては作戦だったのでしょ。



>>18
おまい、このスレでは歓迎してやるよ。
21仙台藩百姓:2010/05/14(金) 23:52:01 ID:Agb1gBMx
>>7
松前氏は関ヶ原後に賄料200人扶持もらったのが当時の公式な禄だから
大名どころか武家としても微妙なところだお( ^ω^)
豊臣時代にも所領安堵の朱印状は貰っていないお(交易に関する朱印状のみ)
秀吉も初め賄料として近江に3000石を与えようとしたが
慶広は固辞し交易の認可を求めたため結局無禄だったようだお( ^ω^)
しかし米主体の豊臣政権に於いて石高ゼロの蠣崎氏の諸役は一体どおなっていたのだおうか( ^ω^)
22人間七七四年:2010/05/15(土) 12:06:26 ID:mnYWEPQ/
ネットで必死に調べたんですね分かります。
23人間七七四年:2010/05/16(日) 12:02:07 ID:QS305Eaf
赤穂浪士って10石程度の者まで何人も居るんだよな。
年収100万のワープアなのに、忠義を貫いたとは泣ける。

これが1万石とかの小藩だったら、もっと凄い事になるんだろうな。
24人間七七四年:2010/05/16(日) 15:24:52 ID:WXbxw0C2
逆に大身はほとんど居ない。討ち入りで武名をあげる事が再就職を容易にするという考えも
あったとされている。討ち入りの頃までに活動資金が底をついて、失敗しても良いからすぐに
決行したいという声も上がっていた。それを大石がどうにかなだめて成功に導いた。
25仙台藩百姓:2010/05/16(日) 19:08:11 ID:fOUVpeTs
何だかんだ言っても大石はたいしたものだおね( ^ω^)
完膚無きにまで上杉の惨敗だお( ^ω^)
26人間七七四年:2010/05/16(日) 19:52:06 ID:WXbxw0C2
いや、上杉も吉良の浪費に困ってる立場だから死んでくれてホッとしている。泣いたのは殿様一人だけ。
27仙台藩百姓:2010/05/16(日) 21:10:57 ID:fOUVpeTs
たかが金の為に千年後まで恥を残すとは
さすが謙信公以来の御家風ですお( ^ω^)おっおっおっ
28人間七七四年:2010/05/16(日) 21:36:58 ID:9aenJGzV
幕府に超睨まれてた上杉は、下手に関われなかったのでは?
29人間七七四年:2010/05/16(日) 21:54:59 ID:FH6k8tQp
断絶させずに吉良からの養子認めたくらいだから超睨まれてたってほどのもんじゃないだろ
30人間七七四年:2010/05/17(月) 01:14:16 ID:4227J/T8
たかが金の為って言うけど、おかげで財政がどうにもならなくなって後に幕府に版籍を返上しようとしたくらい
だからなぁ。養子の綱憲も浪費家だったらしいし。
31人間七七四年:2010/05/17(月) 01:42:36 ID:nChv6sHd
1万石程度の領地の人口って何人くらいなん?
32人間七七四年:2010/05/17(月) 11:32:21 ID:XepODxgG
日本全国が幕府か大名家の支配下かなと思うから
ざっと2000万石に約1000万人だから
5千人の人口なんじゃね?

独立勢力なんて皆無で良いよね?
33人間七七四年:2010/05/18(火) 23:46:28 ID:8ZywahkD
物凄く適当に書いたのに、反応無いと不安になるじゃん(´・ω・`)
34人間七七四年:2010/05/19(水) 13:30:02 ID:ksWfyNVM
突っ込めるだけの知識が無い。
3531:2010/05/19(水) 23:30:50 ID:nIh36FNQ
>>32
普通にそんなもんなんだと納得しかけたよw
36人間七七四年:2010/05/20(木) 11:34:46 ID:MFcWBvr6
じゃ5千人って事でw


2人くらいの重臣と、1万石の狭い領内をどう運営して行くかとか
のほほん殿様楽しそうだな。
37人間七七四年:2010/05/20(木) 13:15:13 ID:6Hzk8nok
逆に一万石程度なら運営もしやすそうだけどな
総人口5000人の藩主とかもはや村長のレベルだろw
38仙台藩百姓:2010/05/20(木) 17:27:50 ID:6NjnZwl2
江戸中後期で見ると1万石でだいたい8千〜1万6千の領民(武家は除く)を抱えていたお( ^ω^)
江戸時代より人の流動が激しかったかもしれない戦国時代は
更に地域差があった可能性があるお( ^ω^)
所帯が小さければ領内統治はしやすいかもしれないが家の自立を守るのがシビアになってくるお( ^ω^)
39人間七七四年:2010/05/21(金) 12:37:46 ID:u0sJbuVX
百姓博識だなぁ。初めて感心したw
40人間七七四年:2010/05/22(土) 22:59:34 ID:qc2qitqC
譜代・外様系ですらない
完全独立系の小大名って、どんなのがあったのかな。

将軍拝謁の時、1人ぽっちで心細いだろうなぁw
41人間七七四年:2010/05/30(日) 21:30:53 ID:MZdnesqu
朝夕の時代劇番組で、小藩が出て来るとそれだけでも萌えるw
42人間七七四年:2010/05/31(月) 19:37:44 ID:GLz22H50
小藩はいいよね
萌えがある
今年の冬に信州飯山城に野沢へスノボ旅行したついでに行ってみた
まず、めちゃくちゃ小ぶり・・・城×砦○?
それでもって江戸時代になってからはめまぐるしく大名が代わりまくり
おらが城は○○家が、みたいなのが全然無い
さらに戊辰では偽官軍に大金を騙し取られそうになるし2千くらいの官軍(とは
いえ信州他藩)に負けて城放火される(説明板にそんな事が書いてあった)
現代でも一晩で50cm〜1mの積雪は驚くことでもないらしく、まさに陸の孤島
とどめは名物が蕎麦
蕎麦だよ蕎麦
痩せた地に適した作物
43人間七七四年:2010/05/31(月) 23:30:17 ID:46rRbBce
小さくてマイナーな方が、知的好奇心が沸くんだよな。
44人間七七四年:2010/06/01(火) 10:40:50 ID:01KBpccX
小藩って士農工商がそこまで徹底されてなさそう
45人間七七四年:2010/06/02(水) 02:12:06 ID:+iuhYQqq
>>44
江戸期の中期以降だと士の身分中心に殖産に積極的だった小藩が多いね。
煙草・養蚕・木材とかの換金産物で米以外の収入源を得て財政再建するとかの。

あと小藩じゃないけど郡山藩の金魚養殖とかも。
46人間七七四年:2010/06/02(水) 11:37:16 ID:YzYAwUy9
筒井氏ってたった1万石で簡単に死んでるな。

ウィキ見てると興味あるリンクでどんどん広がって行って面白い。
47人間七七四年:2010/06/04(金) 23:38:40 ID:ehx1cKIL
完全独立系の小大名の生活とか凄く興味ある!
48人間七七四年:2010/06/05(土) 11:59:44 ID:Prj5urZi
大名の仕事って判子押すだけ?
49人間七七四年:2010/06/05(土) 21:43:29 ID:cbzTYuvp
子作り
50人間七七四年:2010/06/05(土) 23:30:22 ID:V/p8hpll
嫡子が居なくて断絶とかあるけど、
種無しが多かったのかなぁ?
51人間七七四年:2010/06/06(日) 07:19:03 ID:XuM3aSDq
養子じゃダメなん?
52人間七七四年:2010/06/06(日) 12:31:41 ID:cui+Z6dm
藩の上層部がむかつくんで
80人ほどで反乱起こしてのっとりますた
53人間七七四年:2010/06/06(日) 12:57:38 ID:a0z1aFoQ
てか決死の30人でもいけるかも知れんぞw

1万石の動員兵力は、せいぜい300人だからな、、、
54人間七七四年:2010/06/06(日) 13:30:30 ID:XzWDqlJk
>>52
長州藩は国内屈指の大藩じゃねえか
55人間七七四年:2010/06/06(日) 13:55:58 ID:kQNAzzqM
このスレをいろんなスレにマルチ宣伝してるやつ
やりすぎると規制されるぞ
56人間七七四年:2010/06/06(日) 16:03:09 ID:a0z1aFoQ
反旗の人数だけで何で長州藩ってなるの?
57人間七七四年:2010/06/06(日) 16:13:37 ID:vCP5cVhs
>>56
幕末の奇兵隊が80人でクーデター起こしたからじゃない?
58人間七七四年:2010/06/06(日) 16:20:32 ID:WzIiNL2H
>>9
ふとなんで官位が高いはずなのに上野介なんだろうとおもってぐぐったら
左近衛権少将や侍従も兼任してたのね

なんで官位を兼任してるのか
低いほうの上野介のほうで有名なのかわかる人いる?
59人間七七四年:2010/06/06(日) 19:57:37 ID:dlXaGYpm
帯回しとかしてた殿様って実際にいたんだろうか・・・
60人間七七四年:2010/06/06(日) 22:35:07 ID:4OjmUKpB
>>51
幕府は始めドンドン取りつぶす方針で末期養子を認めなかった。藩主がまだ若いから実子が出来るだろうと
思ってるうちに何かの拍子に死んだらそれで無嗣改易。
時が流れて、このままでは天下に浪人があふれて世情が不安定になるという事で末期養子が認められるようになる。

>>58
良いとこに気がついたねぇ。わからんけど。
61人間七七四年:2010/06/06(日) 22:57:24 ID:4OjmUKpB
>>60
付け足し。この末期養子で助かったのが米沢藩上杉家。死んだ藩主綱勝の正室が幕府の実力者
保科正之の娘だった縁で特別に末期養子を認めてもらい、綱勝の妹と吉良上野介の間に出来た子を
養子として迎える事が出来た。ただし、改易はされなかったが石高半減。30万石から15万石になった。
この辺を契機に末期養子を認めるようになっていくと思われる。
62人間七七四年:2010/06/06(日) 23:59:43 ID:NKjFNbdr
>>59
1万石大名家の奉行(100石)とか
それなりに身分さえ高ければ出来るんだから
確実にあったと思われる。
63人間七七四年:2010/06/07(月) 00:29:34 ID:TMp9Grxl
>>58
侍従兼上野介だから親王任国の実質的な守の上野介の方が武家的には通りがいいとか?
64人間七七四年:2010/06/07(月) 00:35:16 ID:jzj9UKqo
>>63
それなら左近衛権少将でいい気がするなあ
武官だし、官位相当でも上に来るし
65人間七七四年:2010/06/07(月) 00:50:03 ID:TMp9Grxl
初任官の官職で通りがいい方とかかね? 信長も弾正忠と右大臣の間の
右近衛大将とか参議は結構スルーされてるし。
66人間七七四年:2010/06/07(月) 22:39:00 ID:Kx48n4DB
世継ぎが居なくて取り潰されるくらいなら
その辺の腰元でも側室にして子供作らなかったの?

もしくは極秘で一門から赤子をもらうとか。
67仙台藩百姓:2010/06/07(月) 23:37:39 ID:klztcYEn
いつ実子が出来るとも限らないし無闇に養子を入れてはかえって御家騒動の素になるお( ^ω^)
それに正室の実家や家中の派閥の問題もあるし婢女に子供産ませても認知できない可能性もあるお( ^ω^)
68人間七七四年:2010/06/08(火) 03:16:42 ID:sA2vNfoG
ひでよし 「実子が生まれたら、その時点で養子とその嫁、側室、こども皆殺しにすればいいだけじゃん。」
69人間七七四年:2010/06/08(火) 09:17:13 ID:OuMWd3TF
北伊勢は桑名と長嶋除いて、徳川譜代系でもなければ
外様大大名系でもないな。

独立小豪族が多かった土地だからかな
70人間七七四年:2010/06/08(火) 10:05:16 ID:Snr8/+/X
>>69
津とか名張とか合わせると藤堂もなかなか大きいと思う
71人間七七四年:2010/06/08(火) 13:25:42 ID:7PgziLOD
完全独立系の小大名って、1家でも残ったのだろうか?

西軍に寝返った朽木元綱あたりは、微妙なラインだからなぁ
72人間七七四年:2010/06/08(火) 13:29:14 ID:hmD7QREM
>>71
大関、大田原とか忘れないで・・・
73人間七七四年:2010/06/08(火) 14:54:02 ID:SGO/1UVG
那須系は関東に残った唯一の外様大名だからな
喜連川も一応大名だけど
74人間七七四年:2010/06/08(火) 18:26:35 ID:Kmq1Vvdr
大関家を調べてみた、、、陪臣っぽいからダメだな。


喜連川藩、、、大名格式か。何で1万石くらいやらなかったんだろう?
格式だけ高いと出費がかさんで大抵没落していくんだなw
75人間七七四年:2010/06/08(火) 18:56:00 ID:Snr8/+/X
喜連川が奥州街道沿いの宿場町であったことで、奥州の大名、わけても仙台藩の参勤交代時には喜連川の宿場は潤った。
仙台藩が費用節約のために喜連川を通り過ぎたくても、宿場前にはいつも喜連川藩主(御所様)が待っていたという。
一度、仙台藩が喜連川を迂回して参勤交代した時には、御所様は義務もないのに江戸城参勤に赴き、伊達侯に嫌味を言ったと伝えられる。

ワロタ
76人間七七四年:2010/06/08(火) 21:12:15 ID:wZ/ZtC42
つまり、

徳川幕府公認「ホテル喜連川グループ」
サービス満点、諸大名御用達!!(でもちょっと高い)

ですね。
77人間七七四年:2010/06/08(火) 21:34:41 ID:PGXiyjVj
会津藩あたりは会津西街道からたぶん日光街道で宇都宮に出そうだから通らなそうね。
78人間七七四年:2010/06/08(火) 21:39:49 ID:7+x/3BU1
藩主自らってのがさすが小大名
79人間七七四年:2010/06/08(火) 21:54:20 ID:3KF2YFF3
大身旗本程度で、宿場を活性化して旨味あるの?
80人間七七四年:2010/06/08(火) 21:59:07 ID:PGXiyjVj
>>79
宿場を活性化したんじゃなくて、伊達公の御一行がお金を落としてくれるんで潤ったって話。
81人間七七四年:2010/06/08(火) 22:24:28 ID:Snr8/+/X
ここまで露骨にたかられると
歴代の伊達藩主も苦労したんだなあ
82人間七七四年:2010/06/08(火) 22:54:23 ID:3KF2YFF3
吉良といいコイツといい、高家はたかる生き物なのか?
83人間七七四年:2010/06/08(火) 23:20:06 ID:SGO/1UVG
高家に限らず武士は皆たかりと借金踏み倒しで生活してたようなものだし
84人間七七四年:2010/06/09(水) 09:30:56 ID:lbt4tn+C
一万石程度の小大名からすれば貴重な収入源だろ
それに宿場町を領内に持つ藩なんてたくさんあるわけだし
それをたかるとか言うのは違うと思う
85人間七七四年:2010/06/09(水) 10:02:40 ID:oZzH/ZfQ
>>84
>>75はたかっているだろw
86人間七七四年:2010/06/09(水) 10:12:30 ID:lbt4tn+C
仙台藩ほどの大藩がこの程度のたかりを拒否るとかセコすぎ
実情が苦しくても見栄を張って目立つのが伊達者の美徳だろ?
伊達政宗が子孫のこの体たらくを見たらどんなに嘆くことだろう
87人間七七四年:2010/06/09(水) 11:22:02 ID:b9ZN86cX
「伊達じゃねーなー」とか言ってやりたいなw
88人間七七四年:2010/06/09(水) 14:03:32 ID:4xQj/Ivc
名将の子孫は愚将と言うし・・・
親や味方殺ししないしなくなっただけいいんでないの
89人間七七四年:2010/06/09(水) 20:18:27 ID:sPOu5yAH
名将だと子孫が厳しい目で見られるだけじゃね?
90仙台藩百姓:2010/06/09(水) 23:38:26 ID:qC2DXNzN
>>86
むしろ政宗公なら無視して通り過ぎて、邪魔するなら蹴散らすぐらいはするはずだお( ^ω^)
無駄金遣うのは伊達でもなんでもないしただの浪費家だお( ^ω^)
それにしても家康もケチだお
元公方様とはいえ何の権威もなくなっていたしせめて5万石ぐらいあげればいいのに┐ (´ω`) ┌
91人間七七四年:2010/06/09(水) 23:45:43 ID:4n0VcB4G
森家だったらどうなるか興味あるなw
92国士焼肉ぷらす@大五郎 ◆JUU/.JUU/. :2010/06/09(水) 23:46:55 ID:rK4j4/as
結局は徳川に乗っ取られる気の毒な名門だな。
93人間七七四年:2010/06/10(木) 04:48:34 ID:K9167Q2q
>>64
実際はその官位で呼ばれていたかもしれないけど
忠臣蔵の影響で名前のような上野介の方が通りが良いからじゃないの?
94人間七七四年:2010/06/10(木) 12:08:44 ID:8/P98FfJ
森ってどの森? 欄丸?
95人間七七四年:2010/06/10(木) 12:41:14 ID:0cKNNzXr
そりゃあ鬼のほうだろ
96人間七七四年:2010/06/10(木) 13:03:21 ID:nEYwmA/C
豊後の森かと思った
97人間七七四年:2010/06/10(木) 22:57:14 ID:Srpk7z7G
まんがの森?
98仙台藩百姓:2010/06/10(木) 23:10:09 ID:R1PGlUrp
彫刻の森( ^ω^)
99人間七七四年:2010/06/11(金) 02:45:30 ID:FciV1Cni
猫の森には(ry
100 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/06/11(金) 12:42:13 ID:CSDZDt5y
>>99
水臭いなあ、いい人見つけたんなら紹介しろよ
101人間七七四年:2010/06/11(金) 14:05:28 ID:7wy90Tv6
>>100
なくした夢はもどらないんだよ・・・
102人間七七四年:2010/06/11(金) 14:08:00 ID:CSDZDt5y
>>101
そう唄った本人が初恋の相手とお互いに初婚で結ばれたんですけどw
103人間七七四年:2010/06/11(金) 14:13:44 ID:7wy90Tv6
夢をなくしてなかったんだろ。
104人間七七四年:2010/06/11(金) 16:25:48 ID:5ZbCHzcD
おまいら言ってる事が意味不明だぞw
105人間七七四年:2010/06/11(金) 16:31:59 ID:FciV1Cni
意味不明なのに笑うんじゃねーぞw
106人間七七四年:2010/06/11(金) 22:51:44 ID:b6Z23Z8d
107人間七七四年:2010/06/13(日) 21:19:56 ID:93MeMXCK
毛利家も長らくは小大名だったが
土地勘なくてイマイチ萌えにくいんだよな。
108人間七七四年:2010/06/13(日) 22:09:32 ID:JDGTtwQ0
水戸藩の連氏枝なら1万石でもかなりいけそう
高須藩や伊予西条藩でも3万石だわな
109人間七七四年:2010/06/13(日) 23:16:31 ID:+dLgSIfy
播磨の小野藩とかはどうだろう
表高1万石で実高1万7百石
パッと見だと誤差のようにみえるが割合にすればなんと7%もUPしてる
当主は一柳家
豊臣秀吉の黄母衣衆であり各地で武功をあげ秀次の家老をもつとめた一柳直末
・・・の弟の血筋
110人間七七四年:2010/06/14(月) 21:58:13 ID:F4az+Qqi
小藩って何でわざわざ分地するんだろう。
111仙台藩百姓:2010/06/17(木) 08:47:23 ID:JrZNu2Mx
大藩でも小藩でもやる事は同じだということだお( ^ω^)
旗本や陪臣だって家名を守る為に分家を増やしていったわけだし( ^ω^)
112人間七七四年:2010/06/17(木) 11:09:53 ID:o9b50JBJ
大藩はともかく、10万石くらいまでなら
1藩のが統制とれてて良さそうなもんだけどな。
113人間七七四年:2010/06/17(木) 18:38:46 ID:Wy1/K5sN
>>112
そのかわり、世継ぎの男子がいなくなればお取り潰しだが。
114人間七七四年:2010/06/17(木) 21:37:08 ID:9eHd/U8G
皇位継承者みたいな感じで、
自家内に常時5人くらいストックしておけば
当主の2人くらい種無しでも、大丈夫なんじゃないの?
115人間七七四年:2010/06/17(木) 21:40:25 ID:BscPRyCE
>>114
将軍家ですら御三家の三人ストックしただけで陰謀の嵐なのに。
116人間七七四年:2010/06/17(木) 22:22:40 ID:SjfaDNU9
陰謀もそうだが財政破綻が目に見えてる
117人間七七四年:2010/06/18(金) 00:06:16 ID:0gmomZlD
分地の零細藩のほうが、やりくり大変じゃね?
118人間七七四年:2010/06/20(日) 07:53:25 ID:B90iCMKv
119人間七七四年:2010/06/21(月) 22:33:14 ID:DTqHZ9Tv
神保ネタを振ろうとしたら、すでにスレがあってびっくりしたw
120奇矯屋onぷらっと@アクセス規制中 ◆LV.e123456 :2010/06/21(月) 22:41:26 ID:EX+JRaF4
素晴らしい板だろ。
121人間七七四年:2010/06/22(火) 06:42:20 ID:cjw14MQ6
信長の野望武将風雲録で神保で始めて
本願寺に攻め込まれた時の音楽がいまだにトラウマだ
122人間七七四年:2010/06/22(火) 23:23:55 ID:80lelMCz
それが原因で本願寺や宗教嫌いに成ったヤツは多いと思うw
123人間七七四年:2010/06/23(水) 00:17:02 ID:BCT1VY/w
毛利で思ったんだが、吉田三千貫って、何万石くらいにあたるんだ?
124人間七七四年:2010/06/23(水) 03:55:25 ID:BCT1VY/w
123だけど、一応自己解決した。
wikiだと銭一貫文=二石、一石という説もあるみたいだが。
三千貫文なら六千石、一万石未満だった。
厳島合戦でどうやって四千人も動員したんだ元就。
125人間七七四年:2010/06/23(水) 03:57:47 ID:KSfATtQN
>>124
厳島合戦時点なら、吉川、小早川、宍戸、村上諸氏が従ってたからじゃないの?
126124:2010/06/23(水) 04:32:24 ID:BCT1VY/w
言われて計算してみた。
当時、安芸にどんぐりの背比べ状態の30人位の国人衆がいて、それの筆頭が毛利だろ。
ものすごく大雑把に皆が六千石だったとして、それ全部集めて6千×30=18万石
>>53の言うように、一万石で動員できる兵力が300人だとすると、
300人×18=5400人
後方の守りも考慮に入れると、全兵力動員したんだな…。
127人間七七四年:2010/06/23(水) 11:22:55 ID:qHelbqup
息子や娘繋がりの吉川小早川宍戸熊谷あたりはともかくとして他の国人衆がよく従ったものだ。
毛利に従うと、戦う相手は超大国大内の当主をクーデターで滅ぼした陶となる。
クーデターを成功させるくらいなので無能ではない・・・どころか陶の異名は西国無双の大将。
義隆の跡目に大友家当主の実弟を迎えいれ九州方面を安定させるなど政治力もある。

厳島合戦時だと元就60歳くらいだろ。
勝てたとしてもいつ死んでもおかしくない爺さん。
次世代の隆元元春隆景が余程期待されていたのかな。
128人間七七四年:2010/06/23(水) 11:32:07 ID:lJnCCzEE
石見の吉見氏も長門の内藤氏も毛利に協力していることから、
陶氏の周防閥vs毛利氏を筆頭とした非周防閥の決戦だったのでは?
129人間七七四年:2010/06/23(水) 12:32:41 ID:qHelbqup
>>128
なるほどそうだったのか。

それにしても還暦爺さんが旗頭でよく従う気になったものだな。
130人間七七四年:2010/06/23(水) 12:50:28 ID:NWTJx4fx
>>129
そんなに不思議か?
関ヶ原のときに家康と大体同じ年だろ。
131人間七七四年:2010/06/23(水) 13:09:37 ID:+ac/qmHm
リスクが全然違うだろうが!

臣従してない派閥に、大多数の兵力投入なんてありえなくないか?
132人間七七四年:2010/06/23(水) 15:10:09 ID:5yJaNIbR
吉見氏って確か厳島の前に陶と和睦してるよね。
陶から寝返って毛利についたのもいるから、吉見の分は相殺されてるかもだけど。

本当、よく従ったもんだ。なけなしの300人だぞ。
133人間七七四年:2010/06/23(水) 17:40:33 ID:qHelbqup
>>130
不思議だろ。
周辺の国人領主の立場を想像してみろよ。
当時の毛利家なんて関が原前の徳川関東250万石どころか安芸1国すら領有しておらず124、126にも
あるように石高としてはまさに国人領主。
大内の周防長門石見筑前筑後豊前に比べればケシツブのようなものだし、おまけに陶謀反後の
大内家新当主は大友宗麟の実弟なので長引けば大内軍のみですら圧倒的に兵力差があるのに
下手すれば大内援軍として大友軍すら安芸に来てもおかしくもない状況。
つまり毛利側に勝機があるとすれば陶本人を討ち取るだけではなく、大内軍をもほぼ壊滅させるしかない。
それも素早く。
どちらかが欠けても国力差がありすぎるのでいずれ押し負ける。
この状況で吉川小早川宍戸のようなしがらみがんじがらめの一蓮托生組ではない周辺の国人領主が
陶を選ばず還暦爺さんの毛利に従った理由が知りたいw
134人間七七四年:2010/06/23(水) 18:07:44 ID:t3fP5xJI
>>133
そんな事は百も承知だから短期決戦を狙うと思ってるし、それが出来ずに大友軍が出てくれば
済し崩しに離反していく。

それまで大内と尼子の間で顔色をうかがうしかなかった安芸の国人たちにとっては、元就はその
器量において俺たちのリーダーたる可能性を持つ唯一の存在。大内はクーデターの影響で支配
が不安定になってるし、この決戦の成り行き次第では毛利が急成長するチャンスは充分にある。
ならばその可能性に賭けるのも悪くない話。

>>131
福島は家康に臣従してないですが?
135人間七七四年:2010/06/23(水) 19:56:42 ID:zv/VXU5C
福島は兵力の大部分を関が原に突っ込んだの?


>ならばその可能性に賭けるのも悪くない話。

そしたら大阪の陣で誰も豊臣に付かなかったのはおかしいだろ。
136人間七七四年:2010/06/23(水) 20:37:15 ID:5yJaNIbR
だけど現実として元就は厳島にそんだけ動員して勝った訳だ。
133みたいな考えの領主をどう引っ張り込むかが元就の手腕なんだろうか
137人間七七四年:2010/06/23(水) 21:04:26 ID:t3fP5xJI
>>135-6
その通り。元就には人望があって秀頼には無かった。淀殿のせいでもある。それだけでなく、大坂の陣では勝ち目が
これっぽちも無いんだから話が違う。

>福島は兵力の大部分を関が原に突っ込んだの?
清洲24万石だから
300人x24=7200人
6000人動員したって話だから全部ではないかも知らんが、居城の清洲城が家康の前線基地になってるだろう。
本戦ではその6000人で宇喜田勢1万7000に押し負けて壊滅寸前になってるから1200ばかり温存したところで
何にもならん。
138仙台藩百姓:2010/06/23(水) 21:22:42 ID:YD1d4U+U
当主が臣下に攻め殺されるようなカオス状態の国など物の数ではないお( ^ω^)
義隆が殺された時、大内宗家に味方する者が殆どいなかった事を考えれば
国体が保てない程に宗家の支配力が弱体していた事は疑いようがないお( ^ω^)
そこに主殺しと傀儡大名の体制、このようなものにどれほどの求心力があるというのだお┐ (´ω`) ┌
厳島での陶勢の戦力はよくて毛利勢と五分、下手すればそれ以下という可能性は十分に有り得るお( ^ω^)
ちなみに兵の実数なんて根拠の薄いものだから突き詰めても結論など出ないお( ^ω^)
139人間七七四年:2010/06/23(水) 22:06:20 ID:NWTJx4fx
>>133
年齢のことを言ったから、家康を出しただけだよ。議論をすり替えられてもねえ・・・

ところで、元就と家康を較べれば確かに圧倒的な差があったが、付いてくる連中だってそうだろ。
別に、30万石、50万石の大名が厳島の元就に付いてきたわけじゃないんだぞ。
140人間七七四年:2010/06/23(水) 23:01:23 ID:92AR33mA
>本戦ではその6000人で宇喜田勢1万7000に押し負けて壊滅寸前になってるから
大加増されてるけど、それ定説なの?


>>138
でも数ある圧倒的劣勢の勝者で、寄せ集めって無くないか?
141人間七七四年:2010/06/23(水) 23:46:29 ID:t3fP5xJI
>>140
大加増されてるのは小山で真っ先に三成打倒を叫んだ事と先鋒を務めた事に対するモノだから
戦闘の内容とは関係ない。ちなみに山内一豊も小山での発言で土佐一国を貰った。戦闘はしてない。

定説かと言われれば数も展開も諸説あるけど、関ヶ原での福島は口ばっかりで良いトコ無いってのが
相場だな。せっかく先鋒を任してもらったのに井伊直政と松平忠吉に抜け駆けされるし。
142人間七七四年:2010/06/24(木) 00:48:59 ID:Hsh3LmOs
       、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
     /⌒`         三ミヽー-ヘ,_
   __,{ ;;,,             ミミ   i ´Z,
   ゝ   ''〃//,,,      ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
  _)        〃///, ,;彡'rffッ、ィ彡'ノ从iノ彡
  >';;,,       ノ丿川j !川|元:.`7ラ公 '>了
 _く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ 就 }.: '〈八ミ、、;.)
  ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;)
  く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ  ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
   ):.:.:.:.:|.Y }: :!    `二´/' ; |丶ニ  ノノ    >>127
    ) :.: ト、リ: :!ヾ:、   丶 ; | ゙  イ:}    逆に考えるんだ
   { .:.: l {: : }  `    ,.__(__,}   /ノ
    ヽ !  `'゙!       ,.,,.`三'゙、,_  /´   「晴賢さえ倒しちゃえば」と
    ,/´{  ミ l    /゙,:-…-〜、 ) |
  ,r{   \ ミ  \   `' '≡≡' " ノ        考えるんだ
__ノ  ヽ   \  ヽ\    彡  ,イ_
      \   \ ヽ 丶.     ノ!|ヽ`ヽ、
         \   \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
            \  `'ー-、  // /:.:.}       `'ー、_
          `、\   /⌒ヽ  /!:.:.|
          `、 \ /ヽLf___ハ/  {
              ′ / ! ヽ
143人間七七四年:2010/06/24(木) 10:47:52 ID:bNATCcNX
>>141
すげー美味しい恩賞だったのだから、
取り潰されても仕方ないね。

死守した山内は凄い!
144人間七七四年:2010/06/24(木) 10:53:04 ID:2g6B9+6o
史実だと厳島時点で毛利元就って大内家の重臣じゃん
大内義隆存命時には陶や相良らと同格
むしろ本領は大内家への臣従の経緯もあって毛利のほうが大きかった
145人間七七四年:2010/06/24(木) 11:28:06 ID:ApUysbnp
陶や相良と同格とかワロス
どこの史実だ?w
146人間七七四年:2010/06/24(木) 15:16:40 ID:skwcVe5K
>>143
でもそれだけ重要な発言だった訳よ。三成が挙兵して諸大名の妻子を人質に取っている状況で、
西軍に味方して妻子を取り戻すのか、東軍にとどまるのか、皆迷っている。こういう時は皆最初の
発言に付和雷同するものだから、誰が何を言うのかが重要。家康が「お味方くだされ。」と言ったん
では無理強いした形になって心が離れる。しかし豊臣恩顧の福島が「家康に味方する!」と言えば
これは重い。皆雪崩を打ったように賛同して衆議が決する。これが福島の功績。

山内はさらに、自分の領地である掛川が東海道筋にあるのを丸ごと家康に献上する、と発言した。
これにも諸将が付和雷同し、これに感謝した家康が後に土佐一国を与えた。
147人間七七四年:2010/06/24(木) 17:32:05 ID:d4On5HOa
賛同せず帰った小大名とか居なかったのかなw
148人間七七四年:2010/06/24(木) 18:02:12 ID:skwcVe5K
それはとっても勇気の要る事です。
149仙台藩百姓:2010/06/24(木) 21:10:14 ID:qYIWRu8D
それが事実とすると戦国大名などと言っても深慮も決断力もなく
大勢に流されるだけの愚人の集まりという事だおね( ^ω^)
もっとも実際、陪臣あがりばかりで戦国大名なんて呼べる者は殆どいなかったけど( ^ω^)
150人間七七四年:2010/06/24(木) 22:32:15 ID:skwcVe5K
>>149
発言一つで一国に値する山内の深謀遠慮が光るね。尤も堀尾の策を盗んだとも言われてる訳だけど。

っていうか、いろいろ詳しい百姓に「それが事実とすると」なんて言われると気になるんだけど?
何か含むところがあるの?
151人間七七四年:2010/06/24(木) 23:37:17 ID:kbVkBj9K
思いつきで批判しか出来ない下郎の言う事を、
一々気にしない方が良いぞ。
152人間七七四年:2010/06/25(金) 02:52:39 ID:umPF2YCx
>>147
噂によるとただ一人。美濃岩村城の田丸直昌が離脱して西軍についたそうです。
しかし真田昌幸と同様に小山評定には参加せずに離脱したとも言われてるようです。
153人間七七四年:2010/06/25(金) 12:20:37 ID:hpPmBW5w
田丸氏は結局小大名から取り潰しされるわけだが、
信長の美濃統一(名義的には秋山信友の進行)まで岩村城を領有していた
遠山氏こそ小大名中の小大名でごさるよ。
彼らの本家筋?である美濃苗木遠山氏は、斎藤と武田、織田、徳川の間を揺れながら、
明治維新までその本拠を移されることもなく、土着の小大名であり続けた。

苗木城跡は今もかなりの石垣や遺構が残っていて、
「俺達大きくなる気は全然ないよ。でも本拠は徹底して守りを固めちゃうもんね」という
不便な要塞然としたたたずまいが好きだな。。
154人間七七四年:2010/06/25(金) 14:07:59 ID:iNAWPhTA
>>144>>145
内藤から嫁をもらってるあたり同格なんじゃね。
単に譜代か外様かの違いだけだろ。
155人間七七四年:2010/06/25(金) 14:30:40 ID:fWtSJMJX
>>144
家宰の陶や内藤・・大企業の重役
毛利・・下請け中小企業の社長
くらいの差がある。
毛利隆元は大内義隆の寵愛を受けて、養女をもらって義理の息子になってその地位は飛躍的に向上したが
(今川義元が関口瀬名を養女にして家康に与えたようなもの)とはいえ
それでも毛利親子は安芸守護代の弘中隆包よりも格下だった。

毛利が勝てたのは筑前の杉興運が大内義隆に殉死し、豊前の杉重矩・重輔親子が陶と対立し
内藤が隆世・隆春で二分し、吉見正頼や水軍衆が同調したことなどもあるが、
大内義長が日明貿易の継続を申し出たところ、明が簒奪者として認めなかったことも大きい。
156人間七七四年:2010/06/25(金) 14:59:55 ID:iNAWPhTA
いやそれは完全に逆。
単に譜代か外様の違い
内藤弘矩の娘が義隆を生み、
弘矩が讒言で殺されたのを後悔して
弟の弘春が内藤家を相続。
その弘春の子である興盛の娘を義隆が養女にする
手順をわざわざ踏んでから隆元へ嫁がせて、
大内一族に招き入れて義隆の義理の息子にしてる。
大内の後ろ盾という庇護を充分に受けて
大内としてもすでに無視ができない勢力にまで成長してるのが毛利。

言ってみれば寄生虫や宿り木やコバンザメなのが毛利。
157人間七七四年:2010/06/25(金) 15:17:43 ID:lSpwEa5U
どうも見たことあると思ったらサブだったのまき
あちこちのスレで便所の落書き以下を書く殴ってる

おまえコテつけてくれないかな
あぼ〜んするからよ
158人間七七四年:2010/06/25(金) 15:33:25 ID:iNAWPhTA
つかここ毛利厨がデタラメ書きまくっててワロタw
いままでこんなスレに毛利厨が逃げてて
ひっそりと毛利サイキョーの大ウソ布教活動してるの
気がつかなかったwww
隠れキリシタンみたいでワロタ
>>三千貫文なら六千石、一万石未満だった。

だいたい当時の貫高制は地方地域ごとに度量衡が一致されておらず、
まったく比較対照できないばかりか、石高換算すら完全に不可能。

そして毛利厨ってのは、毎回できるだけ石高を過少評価したがる。
ここらへんは政宗厨と同じ心理なんだよな。
だから厨とは中立性のある議論がまったくできない。

159人間七七四年:2010/06/25(金) 15:55:25 ID:ZdadEQQk
>>153
俺もたった1万500石のほったて城持ち大名、
遠山氏の苗木城をいつかは見てみたいと思ってる。


信やぼでも序盤の内政が完成しつつある時期が一番楽しい。
160124:2010/06/25(金) 19:26:44 ID:7Ii02wGN
>>158
124だが、そりゃ気付かないだろうね。悪いが俺は毛利厨ではなく西軍厨だ。
本読んでて単に目安として何石くらいだろうと疑問に思って訊いただけなんで、
変な風に取られても困る。


浅学なんでよく分かってないんだが、貫高ってのは
土地から入る税収で換算してるものなんだろ。
だから、貫高=石高+米以外の産業の収入 かと思ったんだが
それが土地によって違うってのまではわかった。
目安もないほど違うものだとは思わんかったが。
161人間七七四年:2010/06/25(金) 19:38:57 ID:xASIvsh4
>>155
個人的で悪いがYOUの意見
すごく説得力があるな

>>大内義長が日明貿易の継続を申し出たところ、明が簒奪者として認めなかったことも大きい
特にこの部分
162人間七七四年:2010/06/25(金) 20:03:54 ID:lb5++nN+
歴史に詳しいという事は、
未来も見通しやすいって事だ。

政府もこの板住人に意見を求めたら
良い政治が出来るのになと思う。
163人間七七四年:2010/06/25(金) 20:38:32 ID:xASIvsh4
>>160
wikiだけど
貫高ってのは、畑or田んぼあたりの年貢をお金か米で納めろって方法みたいね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AB%E9%AB%98%E5%88%B6
164人間七七四年:2010/06/25(金) 21:48:33 ID:xASIvsh4
実際、自分の地方だと小勢力が常に小競り合いしてる場所だからな・・・
大大名が侵攻してきたら、近いんだか遠いんだかわかんない大大名に助けてもらったりして
カオスな状態

はっきり言って、小大名になって生き残る自信がない
165人間七七四年:2010/06/25(金) 23:25:01 ID:3HdovI4B
そんなとこ放置してる大勢力もアフォだよな。
166人間七七四年:2010/06/25(金) 23:40:13 ID:0AJIZqyG
とりあえず藩を殖産工業で富ませ、譜代格から老中入りをめざす、脇坂モデルの断行を
167人間七七四年:2010/06/26(土) 18:14:11 ID:meEYPzyd
福島の加増は徳川の親族っていうのも関係してるだろ。
168人間七七四年:2010/06/26(土) 20:18:22 ID:seQiqJJg
>>161
残念だけど、毛利が勝てた理由として下記はまったく関係ないよ。
>>大内義長が日明貿易の継続を申し出たところ、明が簒奪者として認めなかったことも大きい


そもそも陶の謀反に元就は加担してるから同じように簒奪者仲間
(陰徳記にしっかりと元就与隆房一味事と記述されてるが、
陰徳太平記でこの事実を隠蔽して話を180真逆に捏造してる)
イエズス会も元就のことを、暴力で奪ったと悪し様に記述してるほどで
到底、元就に正当性は陶よりもさらにない。
日明貿易は最後の1547年6月1日の時も(前回1540年)十年に1度しか朝貢貿易を許可しない国として
いまだ十年を経ずとして入国を拒否され1、交渉を続けやっと1548年4月18日に北京入りしてる。
大内義長らは1556年に日明貿易再開を願うが、そりゃあ最初から無理な話で、
その後、毛利も日明貿易を許可されてない。
それに大内氏による倭寇の取り締まりが明が貿易を許可した最大の理由であり
それを義長の取り巻く状況はそれを実行できる政治状況ではなかった。


義隆を討った余勢を駆って陶の部下の野上房忠によって
筑前守護代杉興運が攻め滅ぼされたのちに
陶が筑前の宗像氏の家督介入(山田事件)を引き起こし
豊前の守護代杉重矩は仲が悪かった陶に同調して義隆を討ったが、
当然にその後、関係は破綻し敗死。
陶軍内では勇将江良房栄の殺害を安芸守護代弘中隆兼に
身の潔白を示すために殺せと命じ軍のさらなる不和を演出w
恐怖政治の殺戮だけでなく無能の石見守護代の問田隆盛を信任して
石見の吉見正頼の謀反が鎮圧できず
津和野三本松城の戦いなどで陶自らが周防から遠征し大苦戦し実質敗北の失策続き。
元就の力はほとんど関係なく
陶が暴発しまくって完全に自爆して、大内の統御に完全に失敗してました。

福島は豊臣武断派らの中心人物として自領の尾張を策源地として提供し
さらに美濃攻めでも先鋒をやったりしてますからそれ相応の加増は当たり前でしょう。
169人間七七四年:2010/06/26(土) 20:24:22 ID:oaRrFGq1
西の方は興味はあるのだが、
いまいち縁遠くて話が分からんなw
170人間七七四年:2010/06/27(日) 04:08:57 ID:NLGsah/M
>>石見の吉見正頼の謀反が鎮圧できず
津和野三本松城の戦いなどで陶自らが周防から遠征し大苦戦

これは注目される点なんだよね。
もともと毛利も強力するって吉見に話をしてたくせに
いざ陶に挙兵する話を下瀬頼金を吉田へ派遣し具体的に話したら
いきなり毛利親子はいい加減な話ばかりして誤魔化すから
毛利を頼らず吉見は1000で挙兵。
前哨戦では吉見配下の勇将である下瀬頼定と波多野滋信が陶の差し向けた町野隆風などの軍勢を再三に渡り撃破。
ついに大内義長と陶の軍勢15000を相手に津和野三本松城で5カ月近くの籠城戦を敢行。

たかが国人ふぜいの吉見正頼のごときは踏み潰され瞬殺されると思いきや
陶は降せず苦戦し、これで陶の能力が完全に疑われてしまった。
171人間七七四年:2010/06/27(日) 08:29:05 ID:WvyC4e52
安芸一国を領有する大大名、毛利が厳島で動員した兵力が
なぜ近江の小大名浅井が姉川で動員した兵力より少ないのか不思議


だったが、安芸一国って近江半国の、その又半分くらいしか無いんだね
172人間七七四年:2010/06/27(日) 09:32:28 ID:6fNAY9C5
そもそも安芸一国どころか半国も領有していない
173仙台藩百姓:2010/06/27(日) 09:59:55 ID:ACe2tzPK
それいったら大内だって一国領有していたか怪しいものだお( ^ω^)
この時代、宗家の所領などは微々たるもので
国人領主達に祭り上げられているに過ぎないお( ^ω^)
174人間七七四年:2010/06/27(日) 12:21:21 ID:NLGsah/M
>>173
そうだよね。
大友だって田原宗家が叛乱したら
大友家は滅亡するとまで言われてたしな。
だから宗麟は武蔵田原氏を継がせた紹忍を重用して
牽制してたくらいだしな。
耳川の敗北のあとに宗家の田原親宏の養子の長野親貫が
毛利の軍船と共に府内を衝く戦略を、大友水軍の若林鎮興が
大破し周防沿岸まで追撃して事なきを得たが、
田原宗家の叛乱では、今までそういう噂がでたことがなかった
「大友滅亡か」と噂にまでなったほど。

大友も慢性的なまでに大友宗家の直轄地がなく
褒美を出すのに苦労してた。
175人間七七四年:2010/06/27(日) 17:22:58 ID:NhxCSUpk
北信濃の荒砥城行って来た!
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20100627171837

過疎ってる時にでも続きをうpするぞ(^o^)/
176つづき:2010/06/28(月) 23:21:06 ID:VTig/EfJ
177人間七七四年:2010/06/29(火) 11:18:11 ID:aELtbzK+
↑ どうだい、萌えるだろ?
178人間七七四年:2010/06/29(火) 11:32:33 ID:d5NgPsN2
いいね
防戦が激しくきつそうだがな
179人間七七四年:2010/06/29(火) 18:54:36 ID:nw4QXOu0
>>177
石垣がしょぼ過ぎる
穴太積みが格好良いのに
180人間七七四年:2010/06/30(水) 12:01:29 ID:z0hQOroa
誘導 陶と元就の戦いの議論については下記スレへ

毛利元就って明らかに実力未知数だよね
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226366549/501
181人間七七四年:2010/07/29(木) 22:18:46 ID:VtosHie7
書込み規制解除キター
182人間七七四年:2010/08/15(日) 22:43:34 ID:hXawAhIO
183人間七七四年:2010/08/16(月) 12:59:54 ID:gwDcOAXC
小大名の鑑、出羽本荘藩六郷家。
藩祖から明治維新まで男系で続いているのもイイ。
184三春藩主・秋田秋田城介長季:2010/08/16(月) 14:33:30 ID:z/hM9BpG
わが藩は譜代格の格式を得て、柳間席から帝鑑間席に移った。次は寺社奉行を目指します
185人間七七四年:2010/08/16(月) 21:37:09 ID:kWRXHRmm
>>183 を調べてみて、石高倍増だけど遠方へ転封って
良い事なのかな。


>>182 の感想とか欲しいよ(´・ω・`)
186人間七七四年:2010/08/18(水) 05:49:16 ID:fzD9gi+N
>>182
どっかで見たな、この写真。2chではない。どこだったか…
187人間七七四年:2010/08/18(水) 11:52:50 ID:7SosfoJj
風林火山の大河で海の口城として使われたそうだ。
188182 の続き:2010/08/22(日) 22:52:58 ID:hnEpsiRy
荒砥城 メインの城門入った道w
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20100822225102
189人間七七四年:2010/08/26(木) 10:51:27 ID:+5EnV2Bd
test
190人間七七四年:2010/08/27(金) 11:02:53 ID:yGpBOlOH
小さい城、館萌え!
191人間七七四年:2010/09/02(木) 00:42:13 ID:Zo3LA3Td
ちっさい城、バタバタの櫓で敵を迎え撃つ
こりゃ軽のマニュアルで街道をブッとばす的な快感があるとみた
192人間七七四年:2010/09/02(木) 01:05:44 ID:DOA6CWay
六郷氏はもともと出羽の仙北が本拠だったから
元の故郷に帰還出来たとも考えられる
193 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/09/02(木) 17:27:36 ID:w6K1DwW+
参考までに明治初期(府藩県三治時代)の小藩の人口

藩 総人口 華士卒族人口
田原本藩 4,521 430
櫛羅藩 5,384 518
志筑藩 5,785 694
千束藩 5,866 912
宍戸藩 6,189 104
柳生藩 6,587 324
高富藩 6,712 365
柳本藩 6,728 597
吹上藩 6,914 553
七日市藩 7,024 501
宮川藩 7,167 370
浅尾藩 7,185 508
西大平藩 7,272 285
芝村藩 7,401 623
堀江藩 7,695 299
多胡藩 7,896 484
小野藩 8,167 694
小見川藩 8,221 313
母里藩 8,225 539
湯長谷藩 8,235 444
194人間七七四年:2010/09/02(木) 18:24:12 ID:pnQem5nW
これは総人口は老若男女合わせた人口?男性労働者人口?
全部足した人口なら、1家4人で計算しても千束藩って、人口の半分以上が役人とその家族になっちまうな。
総人口が仮に戸数だとしても6〜7軒に一人は公務員っていうことになるが。
現在の過疎地の村とか、三セクの観光産業を含めば役場が最大の企業団体ってところは少なくないとは思うが、
だれか現代のデータをもっていないかい?

そして渡辺崋山はえらい小さい藩の出身なんだなと思ったら、田原藩と田原本藩は全然別物なのか。
195 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/09/02(木) 20:23:32 ID:w6K1DwW+
>>194
老若男女全部の合計。
家族も戸長と同じ身分を有するんで、
千束藩の場合は、6.4人に1人が武家ということを意味する。

士族階級では4.6人に1人が戸長(明治9年)なので、小藩は場合によっては
家臣が100人未満だったりするところもあったことになる。

明治初期の人口統計は、『藩制一覧』とか幾つか残っているけど、完璧なものはない。

各藩の総人口は、例えば「大隈重信関係文書」の『府藩県石高人口表』に載っている。
ttp://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i14/i14_a4361/i14_a4361.pdf
「明治2年1月1日調」と記載されているけど、府藩県の境は明治4年6月頃のものだし、
人口統計は明治3年6月のものがメインと見られる。
196人間七七四年:2010/09/02(木) 20:43:12 ID:K2PKW7u7
田原本藩は賤ヶ岳七本槍平野長泰の子孫。
元は5000石の交代寄合だったのが幕末のどさくさで高直しして1万石の大名になった
197人間七七四年:2010/09/02(木) 21:08:45 ID:pnQem5nW
>195 なるほど、ありがとう。
逆に宍戸藩とかは、常勤は30人いないかもしれないのか。
藩主は当然全家臣(下手したらその家族も全員)知っているわけで、
スレタイ通り、「貧しくも和気藹々な小藩」ってイメージだな。
198人間七七四年:2010/09/03(金) 00:57:14 ID:42HtHZX+
千束藩は成立経緯と小倉藩の企救郡を失陥というのを考慮しないといかんと思われ。
199人間七七四年:2010/09/03(金) 11:55:27 ID:QcH4A2XX
江戸期の武士にも非正規なんてあったの?
200人間七七四年:2010/09/04(土) 20:30:37 ID:BC24GMjE
>>193
小藩過ぎてどの国の藩かも全然分からないw
201人間七七四年:2010/09/05(日) 17:09:01 ID:SzD4X1JI
>>168
長文うぜぇ
202人間七七四年:2010/09/06(月) 12:10:53 ID:Uq0Meb+N
いまさらw
203人間七七四年:2010/09/07(火) 21:50:52 ID:0Xuzyeli
>>191
みんなでおらが村さ守るだぁ感があって良い。
204人間七七四年:2010/09/08(水) 21:03:32 ID:Wvkv0bO8
>>193
が適当な計算の>>32 で合ってた事に驚きw
205人間七七四年:2010/09/22(水) 11:27:11 ID:yWzSiuqP
小大名の位階ってどうなってるんだろうな。


最も低い少初位とか調べても出て来ないし
それより遥かに上の位階がその辺の公務員に与えられてて複雑な気分w
206人間七七四年:2010/09/23(木) 15:32:42 ID:iPU6/tC4
家督継いだけど武勇は苦手で引きこもりです(>_<)
じいちゃん家臣がうざいです^^;
207人間七七四年:2010/09/24(金) 11:01:56 ID:N1e7OiOq
>>206
ちっちゃな町工場を継いだら親父さんの若い頃からいる
ベテラン職人のおっちゃんに「先代の頃は〜だった」とか
言われてるみたいな感じだなw
208人間七七四年:2010/09/24(金) 22:36:25 ID:R4zEh/Ww
大名って戦略さえ上手けりゃ良いんじゃ無いのかなぁ?

まあ、小大名じゃあ全軍の士気に関わるか?
209人間七七四年:2010/10/15(金) 21:17:32 ID:08WVH8yS
弱っちょろい小大名の大将だったら
全員が逃げ出しそうだw
210人間七七四年:2010/11/07(日) 10:51:36 ID:Z1/BkOTy
久々にうp

荒砥城04・二の郭通路.jpg
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20100822225102
211人間七七四年:2010/11/07(日) 20:05:10 ID:IrfYQ8XK
志村けんのバカ殿は何万石くらいの藩主だろう?
212人間七七四年:2010/11/07(日) 20:32:14 ID:85pbtmPK
>>211
ウィキにあったわ、志村藩12万石の領主(初期は50万石、25万石)。三つ葵使える親藩らしい
213人間七七四年:2010/11/08(月) 00:51:24 ID:xZ8xel+W
何やかんや言っても大大名なんだな>バカ殿
214人間七七四年:2010/11/08(月) 19:14:36 ID:dWSGJLgV
暴れん坊将軍の息子 9代将軍徳川家重がモデルとはな
215人間七七四年:2010/11/08(月) 20:23:28 ID:trjjZSiP
だんだん減らされてるじゃねえかw
やっぱあのバカ殿だからか
216人間七七四年:2010/11/08(月) 20:50:41 ID:dSxxm5im
>>212
最初は尾州・紀州なみの親藩なんだな
水戸黄門より上w
217人間七七四年:2010/11/08(月) 23:53:02 ID:tWBhGOrs
超大物家老東八郎の死去で25万石に減らされ田代の乱で12万石に
ってとこなんかな
218人間七七四年:2010/11/17(水) 10:31:56 ID:52RgVcSQ
田代の乱って盗撮か?
219人間七七四年:2010/11/26(金) 21:07:27 ID:4n0GPrSL
荒砥城05・二の郭
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20101126210140

年末に三河の東条城行くのでちょっと急ぐw
220人間七七四年:2010/11/27(土) 12:09:03 ID:2wqiSW4m
>>216
越前みたいな感じ?
221人間七七四年:2010/11/28(日) 00:08:54 ID:A1eYPDlv
>>197
宍戸は水戸の分封だから(千束も同様)、
形式的に藩って言ってるけど自主的には何もやってなさそう
222人間七七四年:2010/12/09(木) 22:58:33 ID:lGQtqJTA
荒砥城07・二の郭物見櫓
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20101126210140
223間違えた:2010/12/09(木) 23:01:47 ID:lGQtqJTA
荒砥城07・二の郭物見櫓
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20101126210139
224人間七七四年:2010/12/11(土) 10:18:21 ID:pQ8dvpiu
総人口6千人とか凄いよなw
爺さん婆さんとか除いて8掛けの労働力としても4,800人.武士除いたら
4500人位?
1人死んだだけでダメージデカいw
225人間七七四年:2010/12/11(土) 11:26:55 ID:Fbumpij3
万人と間違えてないか?
226人間七七四年:2010/12/11(土) 14:04:04 ID:RED55ojT
一万石なら人口は>>224ぐらいだよ
227人間七七四年:2010/12/11(土) 14:09:44 ID:KLITU1k0
今の区分で言うと〜町レベルだな
228人間七七四年:2010/12/11(土) 15:42:23 ID:Tsew33J4
小大名で思い出したが松倉重政って自業自得とは言えものすごく悲しくはないか
改易になった大名はアホほどいるが斬首になったんは彼ぐらいだろう
229人間七七四年:2010/12/11(土) 17:57:52 ID:oPmpVy3N
>>193と少しだけデータが異なるけど
ttp://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773542/102
廃藩置県時の府藩県別人口(『明治史要』「使府県戸口概表」)
(人口下位20位まで)
4,363 田原本藩 (1万0001石)
5,140 櫛羅藩 (1万石)
5,479 志筑藩 (1万0110石)
5,804 千束藩 (1万0172石)
6,309 宍戸藩 (1万0499石)
6,479 柳本藩 (1万0066石)
6,708 高富藩 (1石0380石)
6,834 吹上藩 (1万3707石)
6,844 柳生藩 (1万石)
6,992 七日市藩 (1万1113石)
7,177 浅尾藩 (1万石)
7,192 宮川藩 (1万3198石)
7,338 芝村藩 (1万0021石)
7,358 西大平藩 (1万0416石)
7,739 堀江藩 (5484石)
8,146 小野藩 (1万1099石)
8,205 母里藩 (9560石)
8,249 多古藩 (1万4173石)
8,265 湯長谷藩 (1万5223石)
8,284 高岡藩 (1万2016石)
230人間七七四年:2010/12/11(土) 18:03:27 ID:oPmpVy3N
ついでに人口上位20位まで

1,065,910 金沢藩 (実高: 133万8083石)
917,497 名古屋藩 (87万4265石)
914,157 広島藩 (48万3580石)
896,808 鹿児島藩 (86万9593石)
813,886 静岡藩 (69万9892石)
719,990 熊本藩 (78万6015石)
714,022 徳島藩 (44万2735石)
674,269 東京府 (2万3805石)
608,475 山口藩 (71万3666石)
528,408 和歌山藩 (53万9469石)
516,867 高知県 (49万5486石)
427,395 大坂府 (11万1658石)
437,923 柏崎県 (33万6357石)
435,267 秋田藩 (33万2038石)
425,762 佐賀藩 (72万4739石)
421,690 神奈川県 (28万5180石)
388,409 福岡藩 (57万1141石)
378,734 鳥取藩 (42万8169石)
373,704 京都府 (9万1275石)
358,640 岩鼻県 (36万1082石)
231人間七七四年:2010/12/11(土) 18:06:55 ID:oPmpVy3N
>>230

失礼「高知県」は「高知藩」とするべきだった

人口がデータによって異なるのは、一部身分の集計の欠落とか不備とか色々理由がある。
オリジナルの戸籍人口の集計データは、関東大震災で燃えてしまって残っていない。
232人間七七四年:2010/12/11(土) 18:18:39 ID:N4ZRDKK3
>>228
ウィキったが松倉重政は斬首なんて書いてなかったぞw
233仙台藩百姓:2010/12/11(土) 19:17:38 ID:4nm2JGLn
子供の勝家と間違ったのでしょお( ^ω^)
234人間七七四年:2010/12/11(土) 20:43:46 ID:DFxxj+Jj
まっくらです
235人間七七四年:2010/12/13(月) 22:05:26 ID:saop1h9j
バカ殿の官位が気になる。親藩格だったらそこそこ上であの白塗りの顔もお公家さんを真似たかも知れん
236仙台藩百姓:2010/12/14(火) 12:17:06 ID:qI4o4eeZ
親藩で元々大封を得ていたから従三位ぐらいは貰っていたはずだお( ^ω^)
237人間七七四年:2010/12/14(火) 17:49:51 ID:HVS9ZQrC
藩祖はさぞや武功を挙げたに違いない。
238人間七七四年:2010/12/14(火) 19:13:47 ID:NIpRbP/E
>>230
佐賀藩金持ち過ぎだろ
秋田とほぼ同人口なのに石高が倍以上って
239人間七七四年:2010/12/14(火) 19:38:41 ID:HVS9ZQrC
>>230
大仙台の出てないからデタラメデータ決定
240人間七七四年:2010/12/14(火) 22:00:06 ID:nwdNr2Te
>>239
仙台藩は廃藩置県前に半分以下に大減封されてるね。
241人間七七四年:2010/12/15(水) 01:08:17 ID:ZWFSBYzO
>>238
でも佐賀藩は藩内に本来なら大名格の重臣が多くて藩主は貧乏だったりw
242人間七七四年:2010/12/15(水) 03:33:14 ID:GlHRMr6s
>>240
東北の諸藩は成り行き上、新政府に歯向かったせいでとんだ貧乏くじだよ
243人間七七四年:2010/12/15(水) 04:02:33 ID:2iMsczDE
>>241

藩主は竜造寺一族の扱いには神経質だったらしいね。
244人間七七四年:2010/12/15(水) 05:22:59 ID:FtIbsd7Z
それ以前に悪政の連続で恒常的に大飢饉が発生していて農民だけでなく武士身分まで大量死しまくりの相変わらずの破綻財政の仙台藩…天保7年なんてたった10万石しか収穫できなかったし
http://c.2ch.net/test/-/warhis/1224645610/-442
245仙台藩百姓:2010/12/15(水) 07:00:42 ID:K50zDglt
天保5〜7年が大凶作の年だったのを知らないのかお( ^ω^)
北東北諸藩なんて3年連続で収穫が殆どゼロだったお( ^ω^)
246人間七七四年:2010/12/15(水) 09:23:31 ID:FtIbsd7Z
いやいやもともと仙台領は米作には向いて無いのに
政宗が畑を潰して米作を強要してきたのが悪いんだわ。
武士まで餓死なんて仙台ぐらいなもんだわ。
南部藩は蝦夷警備の褒美で加増なしの名目10万石加増で20万石大名として負担が拡大したために重税になってしまったから半ば幕府のせいだから南部も仙台と同じとは言わせない。
さらに久保田藩や会津藩や米沢藩や白河藩は大した被害は起きてない。
247人間七七四年:2010/12/15(水) 10:10:08 ID:GlHRMr6s
でも稲作だと豊作のリターンも大きい。やませのリスクもあるけど
平年は稲作のほうがずっと収入が増すのだから当然の判断だろう。
石高が増えたおかげで大名としての格付けも上がったし。
仙台藩が金沢藩と共に外様最強の藩として大きな顔できていたのは政宗公の英断のおかげだよ。
248人間七七四年:2010/12/15(水) 10:22:19 ID:FtIbsd7Z
そもそも豊作だと米価が大下落するだけだアホ
唯一仙台が儲かったのは西国が飢饉になった亨保17年だけ。
249人間七七四年:2010/12/15(水) 10:28:54 ID:GlHRMr6s
>>248
穀物だと豊作時にそれ以下の惨状になるわボケ
250人間七七四年:2010/12/15(水) 11:00:33 ID:FtIbsd7Z
>>279
昔は化学肥料が無いから穀物が売れ残って棄てるほどの生産量は無いどころか常に不足気味。
むしろ他藩は米の不作に備えての代替え収入を考えて畑を広げて特産品作りをしていたから大量餓死を避けれた。
南部や津軽は津軽富士と言われた岩木山の噴火被害を受けて天明の大飢饉になると秋田佐竹が大した被害にならなかったのに仙台が大量餓死で壊滅したりとアホっぷり。
政宗やその後の仙台藩だけが次々に田んぼを拡大させていくのも
政宗が知行地方制と言う中世支配構造のまま放置したために一致した協調歩調ができず
米価が商人によって操作されて下落しまくるから収入激減に対応してさらに田んぼ面積を増やし、さらに米価が下がってた悪循環を繰り返した。
財政崩壊してる仙台は飢饉でも悪魔の賦役で作られた貞山堤から米が江戸に出荷されていくのを民衆は恨みながら眺めていた。
ついには仙台領から食べる物すら無くなり果てた時にあまりに高騰した米価格に買うことすらできず、
経済が理解できない仙台は内外で信用ゼロの破綻財政仙台独自紙幣の使用を強制するから食べ物を誰も売ってくれないアホぶりまで晒す。
251仙台藩百姓:2010/12/15(水) 12:35:16 ID:K50zDglt
>>246
だったら何作に向いていたのだお( ^ω^)
米経済社会で稲作をせずに藩の格と経済を隆盛に導ける産業とは何だお( ^ω^)
稲作が主体じゃなかった藩なんて松前や離島ぐらいしか知らないけど( ^ω^)
252人間七七四年:2010/12/15(水) 12:45:58 ID:FtIbsd7Z
わがままな政宗が自らの見栄の為に藩の格をあげようと
現実を無視した劣悪な政策を強行し家臣もその愚に気付かなかった。
また飢饉の時に備えた収入をまったく考えてない為に被害が拡大した。
茨城県東部地域なども田を減らし畑を増やして対策していたにも関わらず。
253仙台藩百姓:2010/12/15(水) 17:26:15 ID:K50zDglt
Subちゃんは脊髄反射でレスするから自爆するのだお( ^ω^)
254人間七七四年:2010/12/15(水) 18:13:14 ID:1QjDsXzs
片目じゃあ現状認識甘くても仕方あるまいw
255人間七七四年:2010/12/15(水) 18:20:24 ID:Gw3YEGI7
あれじゃない?米以外の特産品が無いと言いたいのでわ?
薩摩の煙草とか、赤穂の塩とか、美濃の紙なんかに相当するもの。
でも、仙台藩も小藩なのかw
256 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/12/15(水) 18:28:02 ID:yJZqIVYz
>>239

>>230の統計は廃藩置県時のものです。

仙台藩は戊辰戦争による処分を受けており、同じ統計では
総人口20万4964人、実高27万8017石です。

江戸時代の仙台藩の総人口(一関藩を含む)は、
1668年に60万7868人
1717年に86万9846人
1786年に59万6282人
1828年に69万9334人
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/41/Demography_of_the_Sendai_Domain.jpg

一関藩を含めた実高は
1640年に74万5293石
1718年に100万7679石
1856年に102万9486石
257 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/12/15(水) 18:48:13 ID:yJZqIVYz
ちなみに実高では仙台藩の方が鹿児島藩よりも上(琉球を含めて75万石)だが、
幕末の人口は鹿児島藩の方が多くなっている。

1670年頃:49万5915人(内琉球 14万1588人)
1706年:66万6541人(内琉球20万4580人)
1772年:88万7222人(内琉球24万9121人)
1852年:84万3168人(内琉球21万7803人)

人頭税が導入されていた琉球の実際の人口はこの倍で(明治になって判明)、
実際の人口は幕末には100万人を超えていたとみられる。

石高に関しては、稲作以外の農産物の石高換算がいい加減ということも挙げられるし、
内高の打ち直しもいい加減だったり、幕府に嘘の報告をしたというのも挙げられる。
全体として西日本ほど石高の割に人口が多いところが多い(特に広島藩)。
258人間七七四年:2010/12/16(木) 00:44:45 ID:hymCl0X/
仙台は田の質の評価でだいぶゲタを履かせてたり、
毎年豊作前提の収穫高で算定して税をかけてるから表高はいい加減だから信用性ない。
津軽並みの収穫しか無かった年があったりと明らかに統治期間を通じて平均値で60万石に達してたかかなり怪しい。
不作の原因に上野国の浅間山や津軽の岩木山の噴火や史書に一切記されてない河川氾濫をあげるなどデタラメを吐きまくってる。
259人間七七四年:2010/12/16(木) 00:48:03 ID:eSe8bEpH
藩ぐるみの悪事が水戸黄門にバレたのに
小藩すぎて立ち向かう手勢が集まらず印籠を出される前に降参する

そんな小大名があってもいいとおもうぜ
260人間七七四年:2010/12/16(木) 00:50:38 ID:eSe8bEpH
珍しく真面目なやりとりをしていたのに気づかず
空気を読まずにアホな書き込みしてすまんかった。
261人間七七四年:2010/12/16(木) 00:50:41 ID:n5NjRrB8
3人いれば羽織を変えたり眼帯つけたり工夫すればなんとかなるだろ
262人間七七四年:2010/12/16(木) 01:33:33 ID:60yqNiAM
>>260
仙台藩や薩摩藩の話はスレ違いもいいとこなんであなたのネタ振りの方が正しいかと。
263前田利政:2010/12/16(木) 05:15:22 ID:SA/hBZZf
小大名は30万石までくらい?
能登25万石の私は、仲間に入れて貰えますか?
264仙台藩百姓:2010/12/16(木) 08:16:16 ID:zpgAENfp
三百諸侯と言われる中で20万石以上なんて20藩前後しかないし25万石なんて大大名の部類だお( ^ω^)
せいぜい5万石未満でしょお( ^ω^)
265人間七七四年:2010/12/16(木) 08:52:50 ID:uq+ompMo
>>263
会津藩の表高が23万石しかないのに小大名にされてしまっては・・・。
266人間七七四年:2010/12/16(木) 12:48:32 ID:2YjG+rla
というわけで、1〜5万石=小大名
5〜30万石=中大名
30万石〜=大大名と決まりました。
267 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/12/16(木) 14:58:49 ID:cWq02mcY
明治元年旧暦2月11日の太政官布告では
封高40万石以上が大藩、40万石未満10万石以上が中藩、10万石未満1万石以上が小藩

明治3年旧暦9月10日の太政官布告では、封高による格の設定が廃止され、
現高15万石以上が大藩、現高5万石以上が中藩、現高5万石未満が小藩

封高(草高):名目上の石高、藩の格や普請を決定
内高(実高):実際の課税対象の石高
現高(収納高):実際の税収入

通常は内高>封高>>現高

ちなみに明治維新の時点で

現高/封高≒0.49
現高/内高≒0.33

なので、
現高5万石は大体封高10万石、内高15万石
現高15万石は大体封高30万石、内高40万石
に相当する。(あくまでも目安で、藩の経済状況によって異なる)
268 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/12/16(木) 15:10:18 ID:cWq02mcY
なお明治の華族令では、大藩知事は侯爵、中藩知事は伯爵、小藩知事は子爵になれた。

大藩の資格があったのは、以下の15藩だが、福岡藩は廃藩置県直前に潰された。
また島津・毛利両家は武功により公爵になれ、自動的に侯爵になれた武家は12家。

金沢藩 63万6880石、熊本藩 32万9680石、鹿児島藩 31万4002石
和歌山藩 27万4590石、名古屋藩 26万9070石、広島藩 25万8370石
福岡藩 23万4250石、山口藩 23万2760石、佐賀藩 21万3727石
静岡藩 21万0210石、徳島藩 19万3173石、高知藩 19万3010石
鳥取藩 18万6437石、岡山藩 17万9585石、秋田藩 17万9400石

仙台藩は維新後に減封(封高28万石、内高27万8017石、現高6万7740石)された結果、中藩知事→伯爵。
同じ伊達家の宇和島藩は封高10万石、内高10万0402石、現高5万2420石のぎりぎり中藩だが、
維新の功績により伯爵から侯爵に上げられ、仙台筋よりも地位が上になった。
269人間七七四年:2010/12/16(木) 17:42:05 ID:n5NjRrB8
小大名の参勤交代と大中大名の参勤とどっちが収入に対する経済負担でかかったんだろ
270人間七七四年:2010/12/16(木) 19:16:58 ID:nGtsv+9l
そらあ、勘定方の出来が同じなら
大藩のほうがスケールメリットで、割安だろう。

小藩の参勤交代絵図とか無いかな。
前田ならあるはずの道具が全然無い気がして面白そうw
271人間七七四年:2010/12/17(金) 00:42:32 ID:9W/fLbpD
聞くは一時の恥ってことで
現高と封高と内高についておしえてください

表高とか実高とはまたちがうのでしょうか?
272人間七七四年:2010/12/17(金) 01:12:28 ID:lWlmaTvr
表高=封高=草高
実高=内高
現高=収納高

ですよ。

表高=封高は、名目上の石高で、太閤検地の時の値に大体一致している。
実高=内高は、一応現実の石高で、その後の開拓分が含まれる。
     といってもあくまでも課税のための石高で、実高もある意味名目上の石高。
現高=収納高は、実際の税収入。

明治政府は、表高も実高も実際の経済状況を把握していないと考え、
     各藩の実際の税収入である現高(過去5年間の平均値)でもって、藩の格を決めることとした。

五公五民が守られているなら、実高:現高=2:1になるはず。

といってもすぐに廃藩置県だけど。

273人間七七四年:2010/12/17(金) 01:15:41 ID:9W/fLbpD
くわしくありがとうございます
地租改正の移行前にこのようなやりとりがあったんですね。
274人間七七四年:2010/12/17(金) 12:25:18 ID:cFlIF80/
大名じゃないから将軍にも仕えられない
旗本でも陪臣でもない
9千石の独立系武士とかって居たのかなぁ?
275人間七七四年:2010/12/17(金) 12:45:58 ID:KQXkA7sM
>>274
>大名じゃないから将軍にも仕えられない
何を言ってるのか意味不明。
276人間七七四年:2010/12/17(金) 17:04:12 ID:mHiR1KoB
独立系武士
277人間七七四年:2010/12/17(金) 23:24:48 ID:olgIBjvV
将軍の直下って、大名か旗本以外に居るの?

大名・旗本・陪臣 以外の武家って思い当たらない。
278人間七七四年:2010/12/18(土) 00:01:07 ID:Y694US4F
公家の家士とかいるよ
貧乏公家の用心棒のくせに従六位下兵部少丞とか名乗ってたり
279人間七七四年:2010/12/18(土) 00:02:11 ID:ybyWitpz
そういう質問なら理解出来るけど、将軍に仕えられないってのが意味不明。
280人間七七四年:2010/12/18(土) 01:57:53 ID:Cs3jK/+q
旗本を徳川譜代のみって思っているとかなんじゃね?

話変わるけど1万石の大名の家老って知行は300〜500石くらいなんかね?
281人間七七四年:2010/12/18(土) 04:23:30 ID:aYPfCuMS
300↓が多かったみたいだね
282 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2010/12/18(土) 15:00:49 ID:eqbKuHLj
柳生藩1万石の財政を立て直した小山田主鈴の場合、
200石で上席家老(家老としては藩内No.2)らしい。

藩に何千両とお金を貸しているから、元々副業の方でもそれなりに儲けていて、
知行からの上がりの方が少なかったかもしれないけど。
283人間七七四年:2010/12/18(土) 18:07:07 ID:m/7tdzrI
>>278

官位はやたら高いのな。
284人間七七四年:2010/12/18(土) 21:29:40 ID:UVADY5w5
5石以下の赤穂浪士居るよな。

子孫は出世しているだろう。
285人間七七四年:2010/12/20(月) 11:10:10 ID:FZWX9HGs
>>278
もしこれで1万石以上居たら、大名なのだろうか?
286人間七七四年:2010/12/20(月) 11:48:14 ID:QlF8u4Z2
>>285

大名は征夷大将軍の配下であるから
違うだろうな。
287人間七七四年:2010/12/20(月) 21:11:34 ID:qnzQGrAx
1万5千石の武士の事は、何て言うのだろう?
288人間七七四年:2010/12/20(月) 21:52:15 ID:mflyKWG3
立場によるだろ
大藩なら藩主家に連なる一族で万石越えいるだろうし
289人間七七四年:2010/12/21(火) 21:14:47 ID:asQKI8ux
ちょい前に出てた佐賀藩の龍造寺四家とか1万石超えてるな
290人間七七四年:2010/12/27(月) 21:01:42 ID:xKUXXZwS
そういうのも大名なの?

参勤交代とかは主君と一緒?
291人間七七四年:2010/12/27(月) 21:32:51 ID:l0tFjVao
支藩ってどうなん?小藩だけど大藩というか扱い難しな
292人間七七四年:2010/12/27(月) 23:00:01 ID:G0Y1HBFE
>>290
陪臣は大名とは呼ばない。当然参勤交代の義務も無い。
293人間七七四年:2010/12/28(火) 00:49:45 ID:4xFGMH5s
の例外が佐賀の親類三支藩である小城鍋島家(7万3千石)蓮池鍋島家(5万2千)鹿島鍋島家(2万5千)でそれぞれ参勤交代義務がある大名として扱われる
また親類同格龍造寺四家(約3万〜1万)は参勤交代の義務は無いが、佐賀藩内での扱いは大名そのもの
また家老格の所領も四つありそれぞれ1万石近い

つまり佐賀藩内では佐賀本藩+三支藩+龍造寺四家の八大名がそれぞれ君臨していた事になる
294人間七七四年:2010/12/28(火) 05:31:25 ID:UjGKb0Do
岩国の吉川家は参勤交代していたんだっけ?
295人間七七四年:2010/12/28(火) 05:32:33 ID:UjGKb0Do
>>293

>小城鍋島家(7万3千石)蓮池鍋島家(5万2千)鹿島鍋島家(2万5千)で
それぞれ参勤交代義務がある大名として扱われる


どうしてそうなったのか理由がわかる?
296人間七七四年:2010/12/28(火) 15:15:43 ID:0ppxe2NY
江戸時代の大名を見れば豊臣家がいかに大盤振る舞いだったかがわかるわ
297人間七七四年:2010/12/29(水) 00:01:05 ID:EOpHy4dI
支藩って継嗣断絶時のストックなの?
298人間七七四年:2010/12/29(水) 00:29:41 ID:c9570JGV
小倉新田藩(千束藩)の第七代藩主小笠原貞嘉(のちの忠嘉)が本藩の養子として
跡を継いでいるんで嗣子がいない場合の対策の一環なのは間違いないかと。
299人間七七四年:2010/12/29(水) 08:22:39 ID:r0yQv0r3
>>295
幕府に承認されたのが寛永17年
島原の乱での功績に報いるためとか、寛永飢饉に対応するためとかいわれてるけど仔細不明
でも普通に外様弱体化の為の政策的側面が大きい気がする
300人間七七四年:2010/12/29(水) 23:11:08 ID:bYuI6VfM
大差ない石高の支藩って弱体化としか思えないなw
301人間七七四年:2010/12/30(木) 00:43:51 ID:MkBJJxlz
>>295
小城は勝茂の庶長子が藩祖で宇和島藩みたいなもん
鹿島は秀忠の近習をやってた忠茂(勝茂の弟)が藩祖でもともと勝茂系とはちょっと違う存在(乗っとられるけど)
蓮池も家康の養女の子で、妻も家康の曾孫(松平忠明の娘)にあたる人物が藩祖なので、単なる藩内の分封というより対幕府という点でちょっと独自の存在だったんじゃないかと
302人間七七四年:2010/12/30(木) 05:58:57 ID:hHninD8v
>>301

幕府がことさらに鍋島を警戒する理由がわからん。

303人間七七四年:2010/12/30(木) 10:52:59 ID:HtTgGXAH
小城藩主は浜松への移封話もあったんだよな
綱吉時代の話だけど
304人間七七四年:2010/12/30(木) 21:53:13 ID:I14qRn6d
この板の人達って、その時代に生きてたかなくらい
やたら詳しいんだけど、何で?
305人間七七四年:2010/12/30(木) 23:35:12 ID:HNbessH3
戦国オタクだからだな
他のことについては痴呆レベルだよ
社会不適合者といってもいい
306人間七七四年:2010/12/31(金) 10:34:48 ID:ISp/Zeas
>>305
そんなに謙遜しなくてOK
307人間七七四年:2010/12/31(金) 20:07:17 ID:CaZEgg3F
過去に詳しいって事は、現代も分かるって事でしょう?
308人間七七四年:2011/01/01(土) 22:46:42 ID:3iGHXoI1
例えば五公五民だとしたら、1万石の大名と5千石の旗本って手取りは同額って事?
309人間七七四年:2011/01/01(土) 23:40:28 ID:p6nOz6Fx
普通に半分
310人間七七四年:2011/01/01(土) 23:54:22 ID:Bn/erhjq
愉快な発想だなw
311人間七七四年:2011/01/02(日) 00:09:08 ID:2jbI8O/y
五十石の武士と五十俵の武士は、格は前者の方が上だが実収は同じ
312人間七七四年:2011/01/02(日) 19:23:38 ID:GJ4vE0d+
えあ? 仮に五公五民だとして、
50石の領土の収入=50(石)×150(kg)×5/10=3750(kg)
50俵=50(俵)×60(kg)=3000(kg)
同じじゃないよ?

参考までに、
1石は約180リットルかつ約150キログラム
1俵は約72リットルかつ約60キログラム
313308:2011/01/02(日) 22:49:18 ID:jrczmarN
>>309
つまり五公五民の場合、五千石の旗本なら五千石の五割が収入になるってこと?
314人間七七四年:2011/01/02(日) 23:35:49 ID:kmU9wS1H
>>313
そういうこと。

あれ、江戸期って200石未満が御家人って言われて、土地じゃなくて扶持米支給だったんだっけ?
315人間七七四年:2011/01/02(日) 23:47:51 ID:jrczmarN
でもさ、旗本領って直接は誰が統治してるの?
旗本っていつも江戸とかの市街地にいるんでしょ?
316人間七七四年:2011/01/03(月) 02:06:23 ID:8tpYgXU9
知行在所の百姓から年始の祝いを受けて酒宴を催すみたいなことをどこかで見た記憶が。
結構記憶があやふやなんで間違ってるかもしれんが。
317人間七七四年:2011/01/03(月) 02:12:01 ID:QzF8KxBa
>>314
旗本と御家人の区別は御目見(将軍拝謁)の資格を持つかどうか。wikipediaによれば200石の御家人も居れば
50俵の旗本も居たらしい。

>>315
wikipediaによると小碌の旗本領は幕府の代官が治めたようだ。
318人間七七四年:2011/01/03(月) 19:57:28 ID:IkiXbHhD
石と俵とか単位ややこしいけど、何で?
319人間七七四年:2011/01/03(月) 23:02:54 ID:3L1Jh4no
>21


米無しだから諸役も無し、自主的にご馳走だろう。
320人間七七四年:2011/01/03(月) 23:28:58 ID:ESexl6gp
領地経営しないで済む旗本って楽そうでいいよな。
毎年禄高分のおこめ券みたいなのもらって換金するだけなんでしょ?
江戸で遊び暮らしてるイメージがあるな。
321人間七七四年:2011/01/03(月) 23:52:19 ID:8tpYgXU9
江戸時代の中期以降は米価ガタ落ちで、そのくせ身分的に
必要な出費があるから生活は苦しくなる一方なんだよね。
322人間七七四年:2011/01/04(火) 00:21:12 ID:rTaV8I8J
>>318
説明すると長くなるのでこの辺を読め。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/蔵米
323人間七七四年:2011/01/04(火) 01:20:16 ID:0L7t2MN/
>>321
そうなんだ?
俺はてっきり土佐鶴のCMみたいなバカ侍みたいな生活かと思ってた。
324人間七七四年:2011/01/04(火) 01:44:39 ID:rTaV8I8J
>>323
それがどんな物か判らんが、井伊直弼みたいにある程度大きい処の子弟でないと優雅な暮らしは出来ない。
325人間七七四年:2011/01/05(水) 11:09:06 ID:B5XiQehH
竹中半兵衛とかも小大名だったよな。
326人間七七四年:2011/01/05(水) 13:04:57 ID:70EizjKH
陣屋だったり城だったりする基準はなにかあったのかな?
327人間七七四年:2011/01/05(水) 13:12:41 ID:VuDu9B0H
1万石ちょっとの大名は籠城できるような立派な城もっていないので、
ああいうのは陣屋では?

書類上は「城」なんだろうけどね。
328人間七七四年:2011/01/05(水) 18:19:08 ID:LW2XYbT3
幕府から城主(格)の許可が出れば城持ち大名になれる。そうでなければ陣屋。
329人間七七四年:2011/01/05(水) 21:36:30 ID:lnGic5UV
砦なら守将とかか?

でも江戸期には使えない呼称だよなw
330人間七七四年:2011/01/05(水) 23:00:55 ID:i0m7Dt8A
吉良上野介なんかは地元じゃ名君って聞いたが、高家の当主って在国できたの?
331人間七七四年:2011/01/05(水) 23:35:27 ID:LW2XYbT3
一回しか行った事ないといわれている。旗本は基本的に江戸在住。
332人間七七四年:2011/01/06(木) 00:06:47 ID:9XE3cjFN
>>331
なるほど、サンクス!
333人間七七四年:2011/01/06(木) 00:12:29 ID:zppelmv4
>>330
本人は基本的に江戸在住だろう。

領地の政治は「吉良の政治」が行われている。
もちろん本人が派遣した代官だか城代だか家老だかが領内の統治をするわけだが、
それで良政がされてるならそれは「吉良の政治がいいから」となる。
334人間七七四年:2011/01/06(木) 01:28:11 ID:1n9tcA+S
でも歌に吉良の殿様 よいお方赤いお馬の 見廻(みまわ)りも〜♪
とかあるくらいなんだけど地元の伝承とかじゃないのか?
335人間七七四年:2011/01/06(木) 03:13:47 ID:igVEu1OQ
悪役にされたから名誉挽回の為に作られた伝承。
336人間七七四年:2011/01/06(木) 10:45:35 ID:9zlpeqXv
てか第三者的に考えても、
浅野は殿中で斬り掛かるとかバカ過ぎでしょ。

「キレちゃいました」じゃ済まんし、
家臣も可哀想なだけのバカ殿だと思うのだが異論ある?
337人間七七四年:2011/01/06(木) 11:12:45 ID:igVEu1OQ
だから錯乱したなら錯乱したとちゃんと取り調べて確定しなきゃいけないのに、
そうしないで即日切腹と裁定した綱吉が悪い。
338人間七七四年:2011/01/06(木) 11:22:22 ID:9XE3cjFN
>>336
そこは異論ある奴いないんじゃないか?
でも実際現代で言う「キレちゃいました」みたいな奴だったんだろうな、内匠頭は
339人間七七四年:2011/01/06(木) 14:06:56 ID:igVEu1OQ
ところで今更ながらスレタイの【和気藹々1】の1ってのは何だろな?
340人間七七四年:2011/01/06(木) 16:02:47 ID:9XE3cjFN
1があるということは……つまりそういうことだろうな
341人間七七四年:2011/01/06(木) 16:12:36 ID:xFC4yfdI
斬り付けるよりボコボコに殴った方が罪も軽いし気分もいいだろうにな。
342人間七七四年:2011/01/06(木) 17:48:29 ID:igVEu1OQ
>>340
しかしタイトル自体に付くなら判るが【和気藹々1】ってのは?

>>341
武士が遺恨を晴らすのに暴力に訴えるなら刀に掛けてやるしかない。
ボコボコに殴った所で「刀も抜けない軟弱者」と天下の笑い者になったであろう。
343:2011/01/06(木) 22:01:35 ID:PVqd6ylg
小大名家なら和気藹々と政務をしてそうだからだよ。

続けて行こうと思ってるから、1にした。
344人間七七四年:2011/01/06(木) 22:36:18 ID:igVEu1OQ
おう。1が降臨したぞ。
しかし、そうは言っても実際そんな余裕ありそうなのは1万石格で
米以外の実入りの多かった松前くらいなのだった。
その松前だってアイヌには酷い事してるし。
345人間七七四年:2011/01/06(木) 23:09:41 ID:9XE3cjFN
大名が商人に借金する時代だからなぁ
346人間七七四年:2011/01/07(金) 05:44:36 ID:ORVJCoEc
松前家は幕府に対しては「松前陣屋」
地元民に対しては「松前城」としていた。

とはいえ、松前城はそれほど防御力があるようには見えない。
347人間七七四年:2011/01/07(金) 11:23:44 ID:lvnMYonz
経済感覚まるで無い統治してたから
苦しかっただけじゃないの?



>おう。1が降臨したぞ。
毎日2回くらいはずっと巡回してるぞ?
348人間七七四年:2011/01/07(金) 11:26:50 ID:riTJGMcI
松前って函館政府に簡単に負けていたなあ
349人間七七四年:2011/01/07(金) 12:36:44 ID:Kpadn/Xf
>>348

あれは軍艦からの艦砲射撃があったから。

でも陸上から火縄銃部隊で攻められても陥落したと思うよ。
たいした城じゃないから。

350人間七七四年:2011/01/07(金) 18:43:57 ID:uTp4kCGj
ねえ20人の大名行列とか楽しくね?
351人間七七四年:2011/01/07(金) 19:51:13 ID:YWhENaib
1万石の大名の参勤交代だと総勢で何人ぐらい?


あと、石高低いのに、官位が妙に高い江戸期の大名いるよなあ。
気になる。
352人間七七四年:2011/01/08(土) 02:12:47 ID:149s8WEz
丹波柏原の織田家1万石で中納言てのがありましたな。
おかげでなかなか隠居せず80過ぎても当主やっていたとか・・。
353人間七七四年:2011/01/08(土) 11:54:01 ID:kDSh0U9q
細川家なんかも石高のわりに官位高いでしょ。
354人間七七四年:2011/01/08(土) 12:20:36 ID:fyvEvF8z
織田はやっぱり家格は高かったのかな
355人間七七四年:2011/01/08(土) 15:10:23 ID:Rt6CtHEi
>>353
上杉や宗も同じ従四位下だから石高はそこまで重要じゃないんじゃないか。
356人間七七四年:2011/01/08(土) 22:21:57 ID:WEKcnV6a
>1万石の大名の参勤交代だと総勢で何人ぐらい?
それが20人くらいじゃないだろうか?

籠の殿様に騎馬の家老
他20人が全て徒歩で、うち女中が2人くらいか?

ちょっと大人数の商人の集団にもビビらなきゃいけない大名行列www
357人間七七四年:2011/01/08(土) 22:40:11 ID:0U2bMC0s
wikipediaによると『1万石の小大名でも50人から100人を引き連れることを義務付けられ』だそうだ。
50人と100人では倍も違うけどなぁ。
358人間七七四年:2011/01/08(土) 22:48:17 ID:Rt6CtHEi
表高1万石だから実収入やら家格やらと相談して決めるんだろうね。
359人間七七四年:2011/01/08(土) 23:26:16 ID:WEKcnV6a
いやそれ以前に、
江戸周辺とかだけ日雇い供揃えじゃなかったの?
360人間七七四年:2011/01/09(日) 01:11:43 ID:Fsw2M9JL
喜連川藩の場合、そもそも参勤交代の義務はなかったけど、
池之端の江戸屋敷に詰めた藩士はたった3名だったらしい。
361人間七七四年:2011/01/09(日) 01:45:42 ID:jO0KPqh6
三名てw
金勘定やら渉外は責任者が兼ねてあとは雑務に警衛か?
三名で藩邸の運営が出来るもんなのかね
362人間七七四年:2011/01/09(日) 01:46:39 ID:UFMV9Va7
中間とかはカウントしてないんじゃね?
363人間七七四年:2011/01/09(日) 06:48:27 ID:S2w6UFcR
リヒテンシュタイン公国の大公(王様みたいなもんだな)が来日したときは
侍従と2人だけでやってきた。

それでも天皇陛下や首相と会って帰国した。
364人間七七四年:2011/01/09(日) 08:58:53 ID:QFKwNYyX
古河公方の末裔である喜連川藩は知行は5000石なのに家格は10万石なので財政が非常に厳しかった。
参勤交代の義務が無いから妻子を江戸に置く必要も無い。藩邸と言っても藩主が江戸在府の時の宿舎と
いうだけで国元に帰れば最低限の留守番が居るだけなのであろう。もちろん藩士が三名程との事だから
中間などの使用人は別に居たろう。

喜連川藩の重要な収入源は奥州街道を参勤交代で通りかかる諸大名の接待だったそうだから、ある意味
和気藹々だったかもしれない。
365人間七七四年:2011/01/09(日) 08:59:14 ID:YDUdJinc
>>360
喜連川藩の場合はよその参勤交代を捕まえて金稼がなきゃならないしな
366人間七七四年:2011/01/09(日) 09:17:30 ID:EXGG9Rxv
wikiで喜連川藩調べたけど面白いな。
幕府はこの藩を一体どうしたかったんだよみたいな。
367人間七七四年:2011/01/09(日) 11:36:33 ID:HmNewD2C
>>366

名門を部下にしておくことは、成金徳川家の箔付けになるからだと思う。
368人間七七四年:2011/01/09(日) 15:58:45 ID:0Yfu7JVB
超名門だもんな
極小大名でも喜連川家は大大名からも一目置かれていたのは間違いない
藩士も鼻高々だったろう
というか藩士もみんな徳川家なんかより遥かに名門揃いだろうけど
369人間七七四年:2011/01/09(日) 18:31:57 ID:cbJPsRPN
上でうpした荒砥城が、大河でまた使われたっぽい。
370人間七七四年:2011/01/09(日) 21:49:41 ID:38D4nAzm
>喜連川が奥州街道沿いの宿場町であったことで、奥州の大名、
>わけても仙台藩の参勤交代時には喜連川の宿場は潤った。
>仙台藩が費用節約のために喜連川を通り過ぎたくても、
>宿場前にはいつも喜連川藩主(御所様)が待っていたという。
>一度、仙台藩が喜連川を迂回して参勤交代した時には、
>御所様は義務もないのに江戸城参勤に赴き、伊達侯に嫌味を
>言ったと伝えられる。

ひでえw
371人間七七四年:2011/01/09(日) 21:52:08 ID:w9XI86aj
喜連川藩主は殿様ではなく御所様と呼ばれていたんだな。
372人間七七四年:2011/01/10(月) 01:02:17 ID:pN0QL3Gm
しかも騒動が起こると大老老中総出で審議に入るとか、
幕臣オールスターズってレベルじゃねぇぞ!って感じだしね。>喜連川
373人間七七四年:2011/01/10(月) 01:18:22 ID:YFZ/OvuD
1万石前後で秀吉に朝鮮の役に500名兵士出せ言われたら、
首釣りたくなるなと
374人間七七四年:2011/01/10(月) 12:23:48 ID:soEZb2n6
官位だけべらぼうな殿様ってのは、
大身大名よりも上座に座れたの?

「あの貧乏大名、
わしより1/5も石高無いくせに上座座りやがって!」
とか思ってたんだろうなw
375人間七七四年:2011/01/10(月) 13:43:52 ID:0WUamVBw
>>374

1万石の織田中納言  >> 薩長土肥などのメジャー大名
376人間七七四年:2011/01/10(月) 15:02:38 ID:zwDEmCMK
>>374
吉良上野介義央を連想した
377人間七七四年:2011/01/10(月) 15:27:33 ID:rBn2NReu
>>373
378人間七七四年:2011/01/10(月) 22:58:15 ID:1nJOYVJM
喜連川藩邸って現存もしくは、
広さだけでも残って無いの?

神田の辺って古地図が立ってるから、
ひょっとしたらあるかも知れない。
アレ見ると3万石大名より5千石旗本?のが広い屋敷とかザラだからなぁw
379 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2011/01/11(火) 11:40:45 ID:15rUrnH4
不忍池の北西辺に「喜連川左馬頭」
現在の上野公園池端門付近。
ttp://map.goo.ne.jp/history/map.php?st=100&kr=14
380 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2011/01/11(火) 12:33:10 ID:15rUrnH4
あ、でも妙顕寺、東淵寺、覚性寺、宗賢寺との位置関係考えると、
東京都台東区池之端2丁目3番地(両山堂印刷所工場の辺り)か
東京都台東区池之端2丁目2番地(ウェルシャン池之端〜区立池之端児童館の辺り)か

の辺りかな。

喜連川藩邸の北側を走っている道が
現在の東京都台東区池之端2丁目2番地の北側を走っている道だとすると、
ルネッサンスタワー上野池之端辺りが、喜連川の屋敷となるけど、
なんとなく東京都台東区池之端2丁目3番地の北付近の細い道か、
東京都台東区池之端2丁目2番地の北付近に埋没したであろう位置が該当する気がする。
381人間七七四年:2011/01/11(火) 20:19:01 ID:N/7ioL2D
結局間取りくらいしか分からなさそうだなw
382 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2011/01/11(火) 22:01:14 ID:15rUrnH4
万延2年(1861年)の『小石川谷中本郷絵図』(>>379)と明治の地図を比較するとこの位置。
ttp://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.14.500N35.42.40.800&ZM=11&&st=8

喜連川藩の藩邸のあった場所はルネッサンスタワー上野池之端から
ウェルシャン池之端にかけてでほぼ決定。

弱小藩とはいえ、意外と広く、2000〜3000坪ぐらい?
一応幕府の規則だと、1万〜2万石の大名で江戸屋敷2500坪だから、
身分相応の広さではある。

ちなみに近くの加賀藩本郷上屋敷(現東大本郷キャンパス+α)は10万坪。
383人間七七四年:2011/01/12(水) 17:38:30 ID:1KRjfisy
最近小大名が魅力的に思えてしょうがない。
以前は田舎の大大名になって実高上げまくりに憧れてたんだが。
江戸常在の小さい大名とかいいよな。
384人間七七四年:2011/01/13(木) 11:41:09 ID:EhFrCg60
ノブヤボでも序盤が一番楽しいからなぁ。
385人間七七四年:2011/01/13(木) 12:19:08 ID:78bDTrvW
信長の野望とパワーアップキットを買いたいのだが
種類がいくつもあるから、どれを買えばいいのかわからん。

386人間七七四年:2011/01/13(木) 13:32:23 ID:/onB5OoA
>>385
ゲームとして面白いかどうかは抜きにして
一番マニアックな大名、武将まで網羅してるのは蒼天録あたりか?
387人間七七四年:2011/01/13(木) 15:02:42 ID:wEP3PJGD
ありがとう。

388人間七七四年:2011/01/13(木) 21:38:34 ID:OhWjdYFL
何十年後かには、PCの性能が千倍以上になってて
市単位の城主でプレイ出来る様になるんだろうな。


複雑で面倒だから、大人になってからノブヤボやって無いけどw
389人間七七四年:2011/01/13(木) 23:14:30 ID:aVn8qQQU
大名プレイじゃなくてその大名のもとで村一個治めてる領主プレイは良いねえ
箱庭内政大好き
390人間七七四年:2011/01/13(木) 23:18:10 ID:cSodKRmL
子や孫に囲まれて老衰で死にたい
391人間七七四年:2011/01/14(金) 02:12:46 ID:O36K1rFT
ゲームでやるならARTDINKの天下御免のノリで譜代の小大名プレイをしてみたい。
392人間七七四年:2011/01/14(金) 05:37:35 ID:6jxBFMg6
>>389

宗氏とか隠岐氏でプレイして、最初から最後まで1度も戦闘しないゲームをつくれw
393人間七七四年:2011/01/15(土) 07:56:05 ID:6Tmrccox
たまにはヒャツハーしたいんで松前氏とかどや?
394人間七七四年:2011/01/15(土) 09:27:39 ID:We94xGPB
>>385
天下創世だと箱庭的な遊びができる。
城と城下町いじれるから
395人間七七四年:2011/01/15(土) 10:45:01 ID:105mh8i8
>>394

それはいいなあ。

ところで俺は野戦より篭城戦が好きなんだが、
篭城戦が可能なゲームあったら教えてほしいです。
396仙台藩百姓:2011/01/15(土) 12:47:32 ID:d9xHypqP
のぶやぼシリーズなら天下創世がいいのではないかお>篭城
でも戦国ゲームならのぶやぼより戦国史の方がクオリティ高いおね( ^ω^)
臣従豪族から始めると結構楽しめるお( ^ω^)
397人間七七四年:2011/01/15(土) 13:25:59 ID:105mh8i8
>>396

なるほど。ありがとうです。
398人間七七四年:2011/01/15(土) 16:47:48 ID:xzQdTSZ2
天下創世は縄張からやらせてくれたら神ゲーだったのに。
399仙台藩百姓:2011/01/15(土) 17:35:55 ID:d9xHypqP
だおね( ^ω^)
好きな地形選んで築城出来たら名作になりえたものを
あと、もう少しバリエーションが欲しかったお( ^ω^)
せめて虎口・馬出や土塁ぐらいは欲しかったお┐ (´ω`) ┌
それと中盤ぐらいになると全国総石垣水堀の姫路天守だらけになるのはどん引きだったお(;^ω^)
初期の空掘木柵に館の組み合わせは大変良かったけど( ^ω^)
あの土手を登り柵破って突入する感じが城攻めらしくて良いお( ^ω^)
400人間七七四年:2011/01/15(土) 17:40:50 ID:9wbURh1A
小さいのか大きいのかはっきりしろ
401人間七七四年:2011/01/16(日) 23:01:28 ID:hsRJz0fB
喜連川藩は明治初年の時点で田方5694.4276石、畑方4515.0919石、
計1万0209.5195石とあるから、畑を加えると一応は1万石を越えていた。

収入は、
米1788石4斗9升8合4勺、
永102貫926文8分6厘2毛3糸、銭1051貫282文、
大豆102石8斗9升6合4勺、稗82石4斗9升0合3勺5才、
荏1石2斗4升8合、胡麻1斗9升5合、小豆1斗9升2合

人口は、
士族171人とその家族433人の合計604人、社家9軒38人、修験4軒16人、寺院11軒92人、
人員17ヶ村683軒3549人、番非人25人、穢多28人、合計4352人
402人間七七四年:2011/01/17(月) 01:25:01 ID:blMAbX0e
>>401

> 人口は、
> 士族171人とその家族433人の合計604人、社家9軒38人、修験4軒16人、寺院11軒92人、


修験者が意外と多いな。
403 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年:2011/01/17(月) 16:50:30 ID:ryZv3/bN
別に喜連川藩に限らず、日本全国に山伏・修験は今では想像できないほど大量にいた。
当時はお布施よりも、薬売りという安定した収入があったので、
ちゃんと職業として成立できたんだが、明治以降薬事に関する法がどんどん成立して、
勝手に薬を売れなくなり、今では修行しているだけの山伏しか存在しない。
404人間七七四年:2011/01/17(月) 18:31:56 ID:HUy3Skhz
CWニコルとか寺門ジモンとかは当時なら修験者扱いになってただろうな
405人間七七四年:2011/01/17(月) 18:42:40 ID:RP23rVm9
どんだけ喜連川藩好きが居るんだw
406人間七七四年:2011/01/22(土) 20:38:25 ID:JWbFgMPY
たった3名の藩士で365日運営って
キツ過ぎるなw
407人間七七四年:2011/01/22(土) 22:23:12 ID:8vHZ/+sA
>>406

ヤクルトの先発投手陣みたいな感じだなw
408人間七七四年:2011/01/23(日) 07:16:40 ID:wNopT1Hd
他の藩と違って江戸に妻子を置いているわけでもないし、
幕府からもらったお役目があるわけでもないし、特にやることもないんじゃない?
しいてあげるなら屋敷の管理(早い話留守番)くらいか。
そんな広い屋敷でもないだろうし、掃除したり庭の手入れしたりしながら
のんびり生活してたんじゃないかな。
409人間七七四年:2011/01/23(日) 19:47:54 ID:qyhr38my
>>408
他家との折衝でそれなりに忙しかったんじゃないか
410仙台藩百姓:2011/01/23(日) 21:11:21 ID:3sa5dG9R
江戸時代は幕府に睨まれないよう大人しくしていればいいだけだし楽なものだお( ^ω^)
戦国時代の国人領主などは小さい所だと数百石程度だけど
それでも領主として城館を構えて領内を統治し、外交を駆使しながら外敵と戦わなくてはならなかったのだから大変だお( ^ω^)
411人間七七四年:2011/01/24(月) 01:00:18 ID:Cj4CPmZR
NHK教育で長屋門の番組やってて小大名の江戸屋敷の長屋門で
現在お寺の門になっている門が出てた。池田家の長屋門・小大名の長屋門・
幕末の豪農の長屋門などを見せてた。門の脇の番所の規定とか色々あるとか
やってたがマニアックな番組だったw
412人間七七四年:2011/01/24(月) 12:21:20 ID:URqYdf0X
復元でも何でも良いけど
天守ありの小城ってどこがある?

江の初夫、佐治一成の大野城だっけか?
413人間七七四年:2011/01/24(月) 13:19:11 ID:6VgG++sB
もしもひろしまに テレビ新広島OP
唄:ダークダックス

もしも もしも 広島に
ピーターパンがやってきたら いっしょに空を飛びたいな
瀬戸内海を ひとっとび
もしも もしも 広島に
あのガリバーがやってきたら 高い肩に乗りたいな
安芸の宮島 ひとまたぎ
もしも もしも 広島に
ピノキオがやってきたら 自慢の鼻をバットにして
広島球場で 打たせたい
もしも もしも 広島に
みつばちマーヤがやってきたら 広島じゅうの花のみつ
ゆっくり吸って もらいたい
もしも もしも 広島に
星の王子様やってきたら 広島の上のその星に
住んで欲しいと たのみたい
もしも もしも 広島で
楽しいテレビを選ぶなら フレッシュアップでますます冴える
みんなのテレビ新広島
414人間七七四年:2011/01/24(月) 13:54:18 ID:11X0LaUg
>>413

利権死守団体のカスラックに通報されるとまずい。
415人間七七四年:2011/01/25(火) 12:15:19 ID:osT5rHaV
建物のある極小城カモン!
416人間七七四年:2011/01/25(火) 15:39:27 ID:zuu2dMcs
>>415

戦後復元でよければ松前城。あとはどこがある?
417人間七七四年:2011/01/25(火) 23:41:01 ID:Du2PlOr2
・七日市の前田家。


気楽に和気藹々としてたのは、

加州前田家の上級家臣だろう。
418人間七七四年:2011/01/29(土) 21:53:58 ID:rUv0p3db
外様なんてありえんでしょ。

徳川一門の底辺大名とかのが良いな。
419人間七七四年:2011/01/29(土) 21:56:44 ID:5QIVuq7V
>>418
松平不昧のこと?
420人間七七四年:2011/01/30(日) 00:27:08 ID:dZAyUQKD
>>418
1万5千石くらいで若年寄から側用人を目指すとかして藩に苦労かけるわけだw
421人間七七四年:2011/01/31(月) 23:13:57 ID:fxCl0TqE
和気藹々したいのに、出世目指すのかよw
422人間七七四年:2011/02/01(火) 00:32:05 ID:AmvTDnoK
詰め所行って茶飲んで帰る生活を目指すんだよな
423人間七七四年:2011/02/01(火) 22:24:27 ID:xFhNN+eK
そんなスローライフなの? 裏山C
424人間七七四年:2011/02/03(木) 22:41:05 ID:YKzZ9ghx
大名級の石高をもつ陪臣がいちばん気楽でしょ。
山内家内の土佐国佐川郡1万石の深尾家なんかその典型だろう。
城とは称さないが、事実上、城である佐川城があるし、将軍に対して
参勤交代の義務があるわけでもない。
むろん、高知城に参勤する必要はあるが、はるかに楽だろうし。
425人間七七四年:2011/02/03(木) 23:45:09 ID:IB1awpL6
お城じゃご家老様だし・・。
426人間七七四年:2011/02/04(金) 00:07:33 ID:7gRiTfCq
付家老五家なんか見てると万石超える領地持ってるのに陪臣と言うのは嫌だった見たいだけど
何とかして大名になるための工作を色々やってたみたいだし
427人間七七四年:2011/02/04(金) 11:34:33 ID:7uizAcRl
陪臣大名なんて中間管理職みたいでしんどいんじゃないの?
428人間七七四年:2011/02/04(金) 11:54:38 ID:7gRiTfCq
だから陪臣の身から脱出して譜代に直りたかったってこと
成瀬やら安藤やらなんて附家老から大名に直ったら老中だって夢じゃない家なのに
御三家に附けられたおかげで陪臣だからねえ
429人間七七四年:2011/02/04(金) 14:06:43 ID:wu+Vx45c
>>428

> 成瀬やら安藤やらなんて附家老から大名に直ったら老中だって夢じゃない家なのに
御三家に附けられたおかげで陪臣だからねえ


それはあるなあ。でも成瀬や安藤は江戸城内では陪臣扱いはされていないのではなかったか?
430人間七七四年:2011/02/04(金) 18:58:05 ID:8euc/AsW
附家老は江戸場内に詰間を与えられてなかったんではないかな
そもそも参勤交代ないし
安藤は傍流でさえ老中を歴任してるだけに悔しいわな
431人間七七四年:2011/02/04(金) 21:18:53 ID:MtsWweYo
なんだ、建物無いのか >佐川城
432人間七七四年:2011/02/04(金) 21:31:22 ID:hejlMaZk
>>424
俺だったら参勤交代がない大藩のエライさんのほうが
小藩の大名よりも気楽でいいなあ
433人間七七四年:2011/02/04(金) 22:26:13 ID:ZkbXQkXi
陪臣でも前田家の家老級なら数万石の領地に従五位下の位がつくだろ
でも参勤交代はないし、独立系の大名のように出費も多くないだろうし。
裕福で気楽だったんだろうね
434人間七七四年:2011/02/05(土) 00:46:21 ID:rZFtMDgI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%99%84%E5%AE%B6%E8%80%81
本多氏(越前府中(武生)3万9千石)
一方、幕府では大名待遇を受けており、大名行列を組んでの参勤交代、
その際の長刀を掲げたままでの、または駕籠に乗ったままでの関所通過の許可、
江戸城内では柳の間詰め(四位以下の大名並)、幕府より浅草(後に本所)に
江戸屋敷を拝領している。将軍家の慶弔行事では諸大名と並んで献上を行い、
江戸在勤の折は将軍に必ず御目見え、拝領物を頂く慣例となっており、
その待遇は独立大名並であった。しか
435人間七七四年:2011/02/05(土) 00:47:18 ID:rZFtMDgI
>>433

でも巨人の控え選手より、ヤクルトのレギュラーのほうがいいという考えもあるぞ。
436人間七七四年:2011/02/05(土) 00:48:21 ID:j4rxUJQB
小禄の旗本とかに「またもの」って馬鹿にされるのは耐え難い、大身の陪臣であっても。
437人間七七四年:2011/02/05(土) 01:27:10 ID:ZjgjOKxN
>>434
直江兼続の養子になっていた本多正信の次男の政重は
幕府から優遇されてたし、
幕府による加賀藩の減封も阻止したりする力があったからお気楽な家だったと思う。
加賀に行った時もほとんど家臣がいなかったから禄をもらった時に急いで調達した直江が派遣した旧上杉の人間ばっかりだし。
438人間七七四年:2011/02/05(土) 07:57:16 ID:rDXozYwd
ちょい前に話題になった佐賀藩の龍造寺sの中には大名の地位返上したのいなかったか?
439人間七七四年:2011/02/05(土) 21:27:58 ID:Y33DfR+8
>>435
鶏口牛後だよな。
440人間七七四年:2011/02/05(土) 21:54:42 ID:5nS159/X
>>436
少なくとも官位を持ってる陪臣なら旗本程度にばかにされても平気じゃないのか?
旗本はたしかに将軍の直臣ではあるが、それは所詮は私的な主従関係である。
陪臣は直臣ではないけれど、官位をもっているので天皇直属の臣下であるとも
いえるわけだからな。
441人間七七四年:2011/02/05(土) 21:56:56 ID:N1xob4fg
>>438
返上というか大名格なのに大名じゃない村田家かな
政家の次男の家で龍造寺宗家、藩内家格は最上の親類で龍造寺四家より上
しかし政治には一切ノータッチ
捨て扶持で1万石貰ったようなとこ
442人間七七四年:2011/02/05(土) 22:33:40 ID:ZjgjOKxN
吉川広家の家系は毛利本家から嫌われ支藩できなかったけど、
支藩待遇で将軍にお目見えできたらしいから気楽だったんじゃね?
幕末維新は大変だったろうけど…
443人間七七四年:2011/02/05(土) 22:56:51 ID:A9JGn4J5
>>440
>官位をもっているので天皇直属の臣下であるともいえる
水戸学にかぶれたような連中でもなければ誰もそんな風には考えないよ
大名が官位もらうのも幕府の承認が必要だから
と言うか幕府が朝廷に言って官位を出させてるんだもの
だから公家に仕えてる木っ端侍が大名より高い官位だったりと言うことも
444人間七七四年:2011/02/05(土) 23:20:56 ID:55z+w+Rx
>>443

幕末に土佐藩の侍が
「雄藩の藩主より、貧乏暮らししている岩倉卿のほうが官位が高い」
とびっくりしたそうだ。
445人間七七四年:2011/02/05(土) 23:22:43 ID:55z+w+Rx
>>442

桂小五郎がそのへんに配慮をし、吉川家の顔をたてたり
吉川の殿様を招いて、毛利の殿様と楽しく懇談させたりしたそうだ。
446人間七七四年:2011/02/06(日) 00:48:24 ID:rmva3SQW
岩国藩の吉川経幹は長州征伐での功績により
明治政府から正式な藩扱いされているんだな
447人間七七四年:2011/02/06(日) 09:07:22 ID:StZL6u+G
長州征伐は勅命で行われたのに?
448人間七七四年:2011/02/06(日) 09:11:43 ID:lh37ccGp
岩松の150石レベルでの参勤は、やっぱ助さん格さんレベルなんだろうか
449人間七七四年:2011/02/06(日) 09:16:07 ID:StZL6u+G
150石だったら、槍持ちと草履取り(実質荷物持ち)の2名くらいだろうな
450人間七七四年:2011/02/06(日) 10:40:27 ID:Z3dOGq3H
年始の竹中半兵衛のドラマで、刺客が現れたのに
槍持ちが槍だけ渡して後ろに下がってたんだけど
主人が討たれたら一族郎党路頭に迷うから
むしろ守らなくちゃと思ったのだが
実際にはどうなんだろう?
451人間七七四年:2011/02/06(日) 11:40:27 ID:l691S4Ib
侍じやないからアレが正解。間違えて討ち取りでもしたら主に恥かかせたてんで首がとぶ。
452人間七七四年:2011/02/06(日) 12:30:57 ID:ZCv+8thz
>>447

朝廷は常に勝者の友。
453人間七七四年:2011/02/06(日) 14:22:23 ID:LDECD0zu
そうとも限らんのじゃないのか。
家康は大坂攻めの時、必死になって大坂討伐の勅命を得ようと
したが門前払いされてるし
454人間七七四年:2011/02/06(日) 14:40:37 ID:ZCv+8thz
>>453

司馬遼太郎「城塞」には、結果的には家康のほうに勅使が来たと書いてあったが。
455人間七七四年:2011/02/06(日) 21:21:34 ID:rmva3SQW
司馬遼太郎ってやけに長州側に厳しいとおもったら
会津若松市商工観光部長の宮崎十三八って人から金を貰っていたんだってな。
作家だから金をもらって作品を書くのは悪いことじゃないけど
変にバイアスかけるのはよくないよな。
456人間七七四年:2011/02/06(日) 21:22:57 ID:LDECD0zu
朝廷主導で和睦勧告が家康に出されているから大坂方が朝敵となった事実はない。
457人間七七四年:2011/02/07(月) 23:42:44 ID:Q1+kfsAX
>>451
何でクビ?
458人間七七四年:2011/02/08(火) 00:57:21 ID:91KjBrZy
いや、比喩じゃなくてそのまんまの意味だと思うぞ
459人間七七四年:2011/02/08(火) 10:34:57 ID:kOZSilbs
でも従者が守るシーンのほうが多いじゃん。

家康公の伊賀超えとか。
460人間七七四年:2011/02/08(火) 11:48:06 ID:bil5tu6Y
従者いうてもその身分や立場状況によって対応は変わるわな
461人間七七四年:2011/02/09(水) 01:54:24 ID:/NAmRu/4
卒扱いなら戦わないといかんのだろうが、中間・小物は
そもそも戦支度してるんだかわかんねぇなぁ。
462人間七七四年:2011/02/09(水) 10:39:33 ID:hdn+N07Q
じゃあ籠担いでるヤツの尻の上の刀は飾りなの?
463人間七七四年:2011/02/09(水) 13:30:11 ID:g9GrCuGQ
自衛用です、人以外にもイノシシやら犬やら危険なのは居ますから
464人間七七四年:2011/02/12(土) 10:10:47 ID:aNGxcgTC
>>455
しょせん、商売物書きでしょ。
465人間七七四年:2011/02/14(月) 22:16:34 ID:UQu9/LwR
主人を殺された中元は、逃げるの?
466人間七七四年:2011/02/16(水) 12:09:06 ID:qcLd8BVS
零細戦国大名家の謀反とかって面白いだろうな。

露見しない30人くらいの規模で小城取囲んで
20対30とかで斬り合いとかwww
467人間七七四年:2011/02/17(木) 01:43:21 ID:XF4zCo0q
陣屋の本殿と離れでやり合ってそうなイメージだわw
468人間七七四年:2011/02/19(土) 21:38:26.10 ID:ikW+KAAq
本能寺で言ったら、信長が戦ってるうちに
全員やっつけちゃう感じだなwww
469人間七七四年:2011/02/19(土) 22:03:49.83 ID:zbHulOZc
剣豪が一人いれば大勢は決してしまうんだろう。
470人間七七四年:2011/02/21(月) 23:33:52.96 ID:f0eQtoEW
使者に行って斬られて死んだりする武将も多いけど
そういう家ってどうなっちゃうの?

子供が継いでおしまい?
471人間七七四年:2011/02/22(火) 00:14:11.15 ID:Q4Jn3He/
>>470
いろいろじゃね。断られる(斬られる)のを承知であえて行ったんならそれなりに武勇を示した事になるから
それなりに恩賞が有りそう。殿が上手くいく筈と思ってた交渉に失敗したなら処罰されるかもしれない。

想像だけどね。
472人間七七四年:2011/02/23(水) 21:41:58.67 ID:LxqQAL4z
ただの交渉で斬られたんじゃあ、割に合わん人生だよな。

いきなり惨殺とか最悪じゃんw
473人間七七四年:2011/02/23(水) 21:56:11.37 ID:4dbYf+tt
だがそういう小さい事から一つ一つ実績を積んで出世して行くもんだろ。
474人間七七四年:2011/02/25(金) 07:51:43.84 ID:PBhje8bX
使者役はポイント高いでぇ
475人間七七四年:2011/02/25(金) 22:26:34.88 ID:fqGkly1o
命がけの御奉公か。
身内が簡単に死ぬ世の中って、先進国だけなんだろうな、、、
476人間七七四年:2011/02/26(土) 03:17:18.32 ID:/+XVN0db
見つけてきました
鳥羽伏見の戦い時に、大阪の高槻藩は幕府側で参戦したが、大阪京都間の要所で秀吉・光秀が戦った大山崎を『騎馬1騎・足軽4人』で守ってたらしい

高槻藩全軍で80名弱の動員だったってよ。郷土研究者が発表したわ

山を5人で守るってどんだけ弱小で貧乏よ…
鳥羽伏見時の殿様の状況を想像したらアツくなる
477人間七七四年:2011/02/26(土) 09:11:01.14 ID:jj3NOlLd
つ476
藤堂家のいつもの行動が予想される場所でしょ。
門番位しか派遣しとらんと思うけど。
478人間七七四年:2011/02/26(土) 10:41:30.32 ID:JcX0WpbB
>>476

戦闘の勝敗というより「勝者の側についておきたい」という政治的な理由だな。
479人間七七四年:2011/02/26(土) 21:13:38.82 ID:Jt9S8F5h
山を5人わろたw


高槻藩は幕末には永井氏ってなってるんだが、、、?
480人間七七四年:2011/04/02(土) 19:39:35.72 ID:SVBg0tvr
保守
481人間七七四年:2011/05/06(金) 22:31:09.05 ID:D/+s84G0
GWも終盤か。
482人間七七四年:2011/05/07(土) 11:19:45.77 ID:yn3gCKrP
>>477
いつものって何?
483人間七七四年:2011/05/08(日) 03:25:58.39 ID:5v+qLsT6
>>482
仰ぐ主君の変更w
484人間七七四年:2011/06/05(日) 21:54:59.39 ID:oZbZ0gwP
へうげ者の古田織部も最後は小大名?
485人間七七四年:2011/06/05(日) 23:03:24.34 ID:inqHpRFG
>>484
最後は切腹。
486人間七七四年:2011/06/12(日) 20:48:07.35 ID:q5lLECum
交代寄合の松平郷松平氏は毎年正月に将軍へあいさつした後は、すぐに松平郷へと帰ったらしい。
次に江戸に行くのは翌年の正月
487人間七七四年:2011/06/15(水) 01:26:56.22 ID:l1IUF/Te
将軍家からお年玉貰ってたら完璧だなw
488人間七七四年:2011/06/15(水) 10:23:18.90 ID:p5IsXvTP
なんというか、すごく微妙な一族だな松平郷松平氏
489人間七七四年:2011/06/15(水) 18:48:48.37 ID:/e00aOax
喜連川って小大名に分類できるのだろうか
490月孔雀:2011/06/15(水) 19:22:37.13 ID:BFxDfeI0
中小大名の前田利政です。
491人間七七四年:2011/06/15(水) 23:50:26.43 ID:dFd+9X72
上野国日野藩一万石松平越前守についてご存じの方いらっしゃいませんか?
492人間七七四年:2011/06/16(木) 00:32:05.85 ID:lhfQNb+k
【文学部】都内女子大で「くの一」講座開設。忍法"乳時雨"を学ぶ受講者たち(画像有)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/
493人間七七四年:2011/06/21(火) 22:12:54.65 ID:wzIPvmcr
>>488
本家だって謀反起こされたく無いんでしょう。
494人間七七四年:2011/06/23(木) 22:25:59.41 ID:HGVuJ27H
田原藩 (1万2千石)はどう?
小藩なのに城持ち大名だったが渥美半島が領地でやせ地だったため
大変財政難だった、
蛮社の獄で有名な渡辺崋山はここの家老だが
生活が苦しかったので絵を描いて売っていた。
でも天保の大飢饉は乗り切ったのだからそれはそれですごい。
495人間七七四年:2011/06/24(金) 00:34:04.52 ID:Rb0Un1bv
ご家老が絵売るなとお叱りを受けて自決と言うのも悲惨だな・・。
兄弟も普通に奉公に出されて早死にというのも悲惨だけど。
496人間七七四年:2011/06/24(金) 00:56:08.68 ID:LmWyogB2
>>494-495
大名ではないが交代寄合の岩松家(下田島領120石)では、
代々の当主が猫絵を描いて、それを地元の養蚕農家にネズミ除けのお守りとして売りつけていたという。
貧乏だった岩松家ではそれが貴重な収入源だったらしい。
497人間七七四年:2011/06/24(金) 02:15:19.31 ID:HhLfw96P
家格だけあると大変だな
498人間七七四年:2011/06/26(日) 10:18:59.82 ID:Jwu581n7
>>360-382 の喜連川藩邸跡へ行ってみようと思うのだが
古地図標識以上の遺跡は何も無いの?

跡地の石碑でもあれば、涼しくなる前に行く気になるのだが、、、
499人間七七四年:2011/06/26(日) 13:44:11.35 ID:TNV9z0oT
どうだろうねぇ。以前に長谷川平蔵が住んでて、後に遠山金四郎が住んでた跡地は看板が立ってるけど。
500人間七七四年:2011/06/26(日) 23:56:11.76 ID:eKaMFW9M
考えてみたら270諸侯の江戸屋敷看板が残ってる
と思うほうがおかしいし、最小大名なんだよな、、、

でも都心辺歩いてると、〜〜奉行配下が住んだ長屋跡地
とかワケ分からん看板も多いのも事実w
501人間七七四年:2011/06/27(月) 00:04:41.01 ID:4Cc8gAHp
奉行っつうか組頭やらの場合はその下につく与力のすむとこが組屋敷ってかたちで一箇所に集まってたからねえ
502人間七七四年:2011/07/05(火) 11:39:48.17 ID:QS1v1eUm
小藩の家老なんてプライド気にするほど
大して偉くねーだろと思うんだけどなw
503人間七七四年:2011/07/05(火) 13:42:58.04 ID:FwKziYIg
御連枝家なんかは2〜3万石でも20〜30万石ぐらいの格式があったから
下手な中大名、大大名の家老より立場は上だったかと
504人間七七四年:2011/07/06(水) 14:07:25.72 ID:WhNDXXSb
格式高いとメンツの維持に金がかかるから嫌だな
505人間七七四年:2011/07/07(木) 02:24:27.06 ID:eML9bWwW
確かになー
倹約したくてもできない
506人間七七四年:2011/07/10(日) 20:45:58.36 ID:BCjlHFjz
格式返上した家とか無いの?
507人間七七四年:2011/07/11(月) 14:19:53.92 ID:txt0Yx+1
いっぱいあるんじゃね
508人間七七四年:2011/07/14(木) 21:54:45.42 ID:/nXwVW/5
例えば?
509人間七七四年:2011/07/18(月) 22:06:06.86 ID:5r2zkoVT
さっきの歴史バラエティで気付いたけど
家光側室の町娘兄弟が西尾藩初代とか笑えるな。

完全な成上がり者やんw
こんなのの家臣ってどこから沸くんだ?
510人間七七四年:2011/07/18(月) 22:50:14.02 ID:RA+5jo4m
>>509
家臣は募集すると浪人がいくらでも湧いてくる。関ヶ原の西軍系とか、旧豊臣恩顧系とか。
秀忠や家光の時代にお取り潰しになった大名も少なくない。
浪人が多かったから由井正雪の乱(慶安の変)も起きた。その後はなるべく取り潰さない方向に
方針転換された。でなかったら上杉とかも無くなっていた。
511人間七七四年:2011/07/18(月) 23:37:01.62 ID:fQjQnCUA
西尾藩みたいなのは特殊だが
分地や新恩で支藩や別家立てたりした時は本家から選抜されたり出向したりする家臣が多いね
浪人とか雇わなくても家臣が余っていたのだろう
次男以下の部屋住みも大勢いたしね
支藩の家臣に選抜された場合は栄転なのか左遷なのか微妙なところだ
本藩(30万石)の家臣(300石)から支藩(3万石)の家臣(500石)へ抜擢とかされたら喜んでいいのか分からんだろうな
512人間七七四年:2011/07/19(火) 15:32:21.73 ID:nnLfOOT9
つか、話脱線するけど長坂血槍の本家が本多の付人で徳川から5千石とか貰ってたけど、本多が減封くらったらやっぱし減封?
513人間七七四年:2011/07/19(火) 18:07:10.30 ID:AjV3yXwo
>>509
この一族すごいな
上の弟は大名、下の弟が那須氏の養子、妹が品川氏(氏真の孫)に嫁に行き、
母親の再婚相手(古着屋)の子は平野長泰の家を継いでる
514人間七七四年:2011/07/19(火) 20:35:02.64 ID:IxQseg4q
商人の息子に勤まる大名ってwww
2時間ドラマで再現して欲しいわ。
「逆玉大名〜増山正利の生涯」とかでさ。
515人間七七四年:2011/07/20(水) 21:45:21.58 ID:1nGj6xX+
この商人大名に忠義を尽くす武士ら可哀想だけど
>>510 の言うように寄せ集めで家老とか奉行とか決めたんだろうかw
516人間七七四年:2011/07/20(水) 22:03:20.91 ID:C6JHC3TX
幕臣から無駄に血筋がいい奴が出向させられたり。
517人間七七四年:2011/07/21(木) 19:18:12.52 ID:SHlLuYzq
>>514
お前小西さんディスってんの?
518人間七七四年:2011/07/22(金) 11:42:38.38 ID:hEfdzYuv
家臣になるんだから、血筋が良くちゃダメでしょ。

増山氏家臣の情報が検索しても出て来ない(′・_・`)
519人間七七四年:2011/08/02(火) 21:38:53.21 ID:hsvGY0WG
小西さんって誰さ?
520人間七七四年:2011/08/02(火) 22:27:02.14 ID:TFl9cWLd
大名で小西って言ったら小西行長の他に居るのか?
521人間七七四年:2011/08/06(土) 09:11:43.59 ID:Pi3KlBFi
7本槍・平野長泰の田原本藩5千石から維新立藩で1万石。

幻の小大名だなw
522人間七七四年:2011/08/06(土) 16:29:30.46 ID:OmPBDeah
幻の小大名といったら大沢さん
523人間七七四年:2011/08/06(土) 23:45:17.94 ID:C/VnT/l3
堀江城主 大沢氏か。
524人間七七四年:2011/08/07(日) 11:30:08.73 ID:aPqCz0Lr
小なのに大名とはいかに
525人間七七四年:2011/08/07(日) 20:50:20.45 ID:HoSkU3/m
1万石の小大名と9500石の大身旗本って(石高以外に)何が違うの?格?
よく旗本は将軍の親衛隊だから…とかいうけど、外様の国人領主あがりみたいなのも結構いるし。。。
526人間七七四年:2011/08/07(日) 22:12:35.55 ID:YDAWqt5v
ぎりぎり参勤交代があるより
参勤交代がない旗本のほうが楽だよな
527人間七七四年:2011/08/07(日) 23:21:34.45 ID:wmwiOOeu
財政難による過疎で、
300石減ったんで9950石になりました〜
参勤交代辞めさせてくださぁい (^・ω・^)

とかある程度居たら、300諸侯じゃなくなってるはずなんだよなw
528人間七七四年:2011/08/07(日) 23:55:37.95 ID:ZVr4irn0
旗本のうち3000石以上の者は寄合(旗本寄合席)と呼ばれる。その中には参勤交代する交代寄合も居る。
寄合は若年寄の支配を受けるが交代寄合は老中の支配下で大名並みの扱いとなる。
529人間七七四年:2011/08/08(月) 20:54:36.23 ID:674y3N4d
それは大名行列、、、では無いよなw
530人間七七四年:2011/08/09(火) 17:27:09.84 ID:tiVPEtY1
 江戸定住の9000石の旗本かつ役付とかの方が遥かに贅沢な暮らしが出来そう・・・
見えで1万石でも貧乏はやだなw
531人間七七四年:2011/08/09(火) 18:45:56.78 ID:jJKEHNv+
だから江戸前期の松前藩は1万石格だけど交易でそれ以上の上がりがあったから金持ちだって。
ある時点から実権を商人に与えて貧しくなるけど。
532人間七七四年:2011/08/09(火) 20:19:17.17 ID:pE+K94vk
山名さん所はどうしてたんだろ。基本江戸住まいか?
533530:2011/08/11(木) 12:25:52.56 ID:sGtGgv/W
>>531
オレへのレス? あくまで一般論を言っただけ。週3日に一度のお勤め実質
 万石以上,後は遊郭,裏山w
534人間七七四年:2011/08/11(木) 12:55:14.48 ID:APbhCptW
もしも小大名以下だったら、、、武勲を焦って茶器持って武田の城に開城させにいく
535人間七七四年:2011/08/11(木) 17:19:10.13 ID:jcD6OKpk
室町時代の名家(三管領・四職)一番の勝ち組って細川と京極ですか?
細川は分家でしたっけ?赤松や一色の家計は小大名として残ったのでしょうか?
536人間七七四年:2011/08/11(木) 18:16:05.62 ID:A95bi5pu
>>533
明治になるまでは週という単位はない。旬(10日)単位の筈だ。
537人間七七四年:2011/08/11(木) 18:28:48.58 ID:jcD6OKpk
便乗。
ってことは日曜日が休みっていう考え方もないのでしょうか?
538人間七七四年:2011/08/11(木) 18:47:38.31 ID:5supvq6e
>>535
畠山は政長系が旗本として残ってるね
539人間七七四年:2011/08/11(木) 19:11:11.93 ID:A95bi5pu
>>537
基本的に休みという考えはない。でも仕事は半日くらいで終わらせるものらしい。
540人間七七四年:2011/08/11(木) 19:12:31.24 ID:A95bi5pu
>>539
補足。休みが無いから盆と正月が重大イベントとなる。
541人間七七四年:2011/08/11(木) 23:40:18.69 ID:XW4x6nht
そもそも日付が世界統一されてたのか不思議w

1年は365日で同じ条件だとしても
それを世界中?が30日とかで分割する根拠が分からん。
542人間七七四年:2011/08/12(金) 03:05:29.32 ID:ECCcKv2d
もちろん暦が世界で統一されたのは近代以降
というか今でもイスラム圏はイスラム暦
30日は月の満ち欠けの周期(29.5日)が元となっているので、
多くの暦で「30日単位」が使われている
543人間七七四年:2011/08/12(金) 05:40:48.28 ID:D3XekP+6
ID:jcD6OKpkです。

>>538
調べてみると久留米の有馬は赤松の一族みたいです。地味に勝ち組みたいですね。
>>539>>540
なるほど。4時間かける7日=週28時間労働ですか。うらやましい。
8時間かける5日=週40時間労働は糞だな。
544人間七七四年:2011/08/12(金) 20:31:30.56 ID:LXncL11T
>江戸前期の松前藩は1万石格だけど

苗木藩と争うほどの、有名小藩だなw
545人間七七四年:2011/08/12(金) 21:20:37.08 ID:094PsIcB
>>543
半日くらいだけど朝はもっと早いと思うし、昼前にはさすがに終わらんと思う。

>>544
噂に聞く所では貧しいのに石垣につぎ込んだらしいな。
546人間七七四年:2011/08/12(金) 23:43:39.63 ID:ubcQILQv
>>545
沼田藩は本当は小藩なのに無理矢理本家に並んだあげく
城まで作り始めて…
547人間七七四年:2011/08/13(土) 21:45:57.57 ID:XfdPa1tl
>>532
山名氏は旗本止まりじゃんw
548人間七七四年:2011/08/13(土) 23:26:22.22 ID:U9qXO2Ws
交代寄合
山名家 但馬七味郡村岡領6,700石
明治2年に高直しで村岡藩

また別の物になるが1万石大名よりは大身旗本のほうが楽だったんじゃない?
中途半端に偉いと役宅とかで大変だったみたいだけど
549人間七七四年:2011/08/14(日) 00:04:50.84 ID:gHBeTanZ
>>548
(`・ω・´)コラ、ヤメタマエ!!
550人間七七四年:2011/08/14(日) 23:13:01.45 ID:8vyiIMpN
夜明けに起き、
日の出から〜夕方まで普通に働いたのでは?

何して働くのかが全く分からんけどw
551人間七七四年:2011/08/14(日) 23:46:05.38 ID:5kGJSPEZ
>>548
だが維新後に1万石未満だとどんなに名門だろうと華族になれなかった
華族入りを果たせず涙を飲んだ旗本もたくさんいる
大沢氏(高家5500石)のように4500石も水増しして華族になろうと企み逮捕された旗本までいるし
やはり小なりとも大名になった方が結果的には得した
552人間七七四年:2011/08/15(月) 23:59:36.75 ID:NveXDfL0
>噂に聞く所では貧しいのに石垣につぎ込んだらしいな
注ぎ込んで貧乏に成ったんじゃないか?w
553人間七七四年:2011/08/16(火) 00:24:49.51 ID:aZlCHDd0
由利
554人間七七四年:2011/08/16(火) 22:45:37.73 ID:dr/eKGf2
過少申告してウハウハとかは無かったのだろうか?

松平家に多そうだけどw
555人間七七四年:2011/08/16(火) 22:49:10.21 ID:bYGufMkf
新田を開発しても隠しておくという事は有った。
556人間七七四年:2011/08/16(火) 23:43:43.12 ID:YUZMDWoI
ただ江戸時代は万事格式の時代だから
過少申告して多少財政が楽になってもウハウハと言えるかどうか…
557人間七七四年:2011/08/16(火) 23:56:58.53 ID:ErrK8cUU
見栄の方が重要な世界だもんねぇ
558人間七七四年:2011/08/17(水) 13:09:11.63 ID:8GGGNWxS
現代は見栄が無くなっちゃって
悪循環だよな、、、

何だよ1食250円ってw
559人間七七四年:2011/08/17(水) 13:47:31.78 ID:I1yJ6XjD
お上が長年湯水の如く使った→借金しまくる→増税→悪政
560人間七七四年:2011/08/18(木) 00:33:54.63 ID:u3TLTt2m
>>558
現在は見栄もそうなんだけど、恥というものを教育しないのが悪いよね。
日本人の日本人たるところは、恥入り自己反省できる点だと思う。
561人間七七四年:2011/08/18(木) 00:40:08.02 ID:f3hXaWuS
恥以前に叩く国民性なだけじゃん。


従業員は安月給でコキ使って
数千万の雇われ役員報酬とかは叩かれないのが不思議。
562人間七七四年:2011/08/18(木) 06:24:51.01 ID:9GUKPImB
それが嫌なら共産主義国にでもいけよ。
日本の役員報酬なんて欧米諸国のトップ企業に比べりゃかわいいもんだぜ?
スタッフ制のアメリカ政府関係者が政権が変わって政府から出た後、
民間企業でどんな報酬もらってるか調べてみな。
563人間七七四年:2011/08/18(木) 11:46:49.12 ID:zFaHIwBf
うちよりもっと無茶やってるところがあるから、というのは言い訳にならないぜ
よそがどうかではなく自分とこをどうするかを問うべき
564人間七七四年:2011/08/18(木) 14:17:42.67 ID:1zABU6oo
大統領や総理が急死しても、
大した影響が無かった歴史があるから
オーナー経営者以外は、
巨額報酬おかしいと思うんだよな。

スポーツ選手とかの
興行収入とか明後日のところが大儲けだから
とかならまあ妥協出来るのだが、、、
565人間七七四年:2011/08/18(木) 14:43:55.44 ID:aZkQjFn4
そりゃ仕事内容が全く違うし
役員に至るまで努力しているのだから仕方ない
文句あるなら自分も役員になればいいだけの事
566人間七七四年:2011/08/18(木) 14:44:27.58 ID:U8ysjJKW
わかったからここで語るな。
もっと相応しい場所がいくらえもあるだろ。
567人間七七四年:2011/08/18(木) 19:52:30.98 ID:OcI0nRzf
そだね。


>>565 みたいなニート丸出しのバカと話してもしゃあないw
568人間七七四年:2011/08/19(金) 12:12:13.51 ID:kptquK2h
華族だと無理してまで得るようなメリットあったの?
569人間七七四年:2011/08/19(金) 12:49:20.42 ID:30M/7mtq
四民平等で華族の下は士族も農民も一緒になったけど、家族は貴族だからね。
570人間七七四年:2011/08/19(金) 16:13:44.42 ID:oyn4b3ir
それは美味しい利権でも付いて来るのか?



3万石の大名が、長男と次男に2万石と1万石で
近所に分地する意味が分からんなw
571人間七七四年:2011/08/19(金) 16:22:58.94 ID:WeEy62cB
>>570
長男の家系が途絶えた場合に備えてスペアを作っておく為。
572人間七七四年:2011/08/19(金) 16:51:57.10 ID:j9BtyMtc
>>570
wikipediaに色々書いてある。それで無くてもいわゆる武士の商法で元士族は皆苦労している。
華族様にはそれが無い。
573人間七七四年:2011/08/19(金) 19:53:03.73 ID:pm+GE6Ce
>>555
岩手県の沢内村は村そのものが隠田だったからな。
574人間七七四年:2011/08/19(金) 21:11:51.95 ID:oyn4b3ir
>>571
大名なら例え種無しでも
兄弟姉妹の子とか
血縁なんてたくさん居るでしょう?

同じ小大名に嫁いだ姉さんの子供をもらうとかさ。
575人間七七四年:2011/08/19(金) 21:49:34.04 ID:jCqXBIUu
当時の夭折率とか考えたら子供3人が2代続くでも危ないレベルだったんじゃない?

養子問題は譜代か外様か、江戸初期か中期か末期かで判断かなり違うだろうし
576人間七七四年:2011/08/19(金) 22:30:59.36 ID:oyn4b3ir
俺が将軍だったら、
外様は15万石以下で分離。
中小大名は分地なんて絶対許さんなw

飛び地ばかりの領地をデフラグしてやりたい!
577人間七七四年:2011/08/19(金) 22:42:49.41 ID:j9BtyMtc
>>576
分地させて弱体化させるのが幕府のやり口だろう。
578人間七七四年:2011/08/20(土) 00:29:49.95 ID:FDihh/GH
同じ20万石として
1箇所に20万石の国力
連携が取れないほど離れたところで10万石ずつ
反乱された時にどっちが鎮圧しやすいか
579人間七七四年:2011/08/20(土) 01:03:43.78 ID:XQHojlZT
池田家って山陽と山陰に2つあるけど
交流は続いていたのだろうか?
580人間七七四年:2011/08/20(土) 21:57:29.78 ID:IeWNRISl
離れて連携取れなきゃ、共闘すら無理かもよw



小大名の子作りって、どんなだろうな。
多くても財政に響きそう。
5人くらいの守り役で、全部の男児を養育とかしそうw
581人間七七四年:2011/08/21(日) 17:32:30.61 ID:oKqt+bz6
>>579
むしろ仲が悪かったはず
始祖同士は生い立ちの割に仲良かったらしいけど、子孫は
その「始祖の生い立ち」がモロに影響して不仲

まあ、池田はどちらも日本屈指の大大名だけど
582人間七七四年:2011/08/21(日) 21:25:08.56 ID:tscG6SzT
姫路城の譜代っぽい池田氏しか知らん。
583人間七七四年:2011/08/21(日) 21:48:14.64 ID:oKqt+bz6
>>582
そこから分離された2家
輝政嫡男の家系(姫路→鳥取→岡山)と、弟(ただし母が家康娘)の家系(岡山→鳥取)
宗家が大大名なのは当然として、弟も血筋のため大大名に
岡山池田家は「こっちが宗家」、鳥取池田家は「池田家が準親藩でいられるのは
誰のおかげか」、って感じだったという話
ちなみに輝政の兄(恒興の嫡子)の家系(岡山藩家老。「つらつらわらじ」のモデル)
まで残ってて、池田はいろいろ面倒
584人間七七四年:2011/08/21(日) 22:31:40.28 ID:Hx4ugWOL
名君の池田光政って鳥取から岡山にチェンジしているんだなあ。
交換したの?
585人間七七四年:2011/08/21(日) 23:41:46.19 ID:yBhJ4BtY
もともと本家は姫路、忠継(鳥取池田の祖)が岡山
本家の利隆が死んだ時に光政が幼少だったんで鳥取へ転封
もともと鳥取にいた池田家(長吉系)は備中松山に転封

岡山でも2代目忠雄が死んだ時に跡継ぎ光仲が幼少だったんで、年長の光政とチェンジ
姫路には譜代の本多が入ったから、体よく分割して遠ざけられたとも言える
586人間七七四年:2011/08/22(月) 00:55:06.45 ID:cGexyJXw
サンクス。幕府の思惑が感じられますね。
587人間七七四年:2011/08/22(月) 23:25:57.62 ID:iCA3qDtQ
江戸時代って平和だったのにコツコツ頑張っても
石高増えなかったのかなぁ?

貧窮してから頑張ったのばっかりな気がするw
588人間七七四年:2011/08/22(月) 23:34:30.69 ID:9NX6xQrb
どこでも表高は増えてなくても実高は増えてる。
589人間七七四年:2011/08/23(火) 02:30:07.47 ID:HK0WhDf5
石高は増えても、全国的に増えていくものだから
米の価値が下落して、相対的に貧乏になっていったんじゃなかったっけ?
で、上杉鷹山のような換金性のある作物の奨励とかで、藩政改革って流れに。
590人間七七四年:2011/08/23(火) 08:25:10.15 ID:PYhW5TDc
なるほど。たしかに供給が増えれば価値は下がるね。
小大名なんかは専売とかやる資金力もないから、せっせと米だけ増やすくらいしかできないので
「せっかく開墾して石高増えたのになぜか貧しくなっただ」
って首をかしげていたわけですな。
591人間七七四年:2011/08/23(火) 09:19:20.46 ID:bZVgkf+F
恒常的に増えれば、現物なんだから
領民も増えて、好循環だろう?
592人間七七四年:2011/08/24(水) 16:03:36.25 ID:uh66b606
>>591
小大名って規模に関わらず石高上がって
領民数キープ(挑散の類は困る)が理想じゃないかとおもう。
593人間七七四年:2011/08/24(水) 23:16:50.73 ID:JcTox2dl
平均2倍の実収になれば、自然に領民は増えるだろう?

増えた領民が同じ様に効率的に働くんだから
限界までは石高増えるでしょ。
594人間七七四年:2011/08/24(水) 23:35:30.03 ID:spX/GecB
江戸時代の大名で同姓?苗字?の親戚関係の大名で合計石高が前田を除いて一番大きかった乗ってどの一族?
浅野とかメッチャ大きかったんでしょ?
595人間七七四年:2011/08/25(木) 00:05:53.90 ID:vYe3iLyA
>>594
徳川じゃねぇのかな。尾張藩が62万石、紀州が55万石、これだけで117万石で加賀藩の102万石を越える。
浅野は広島藩42万石の他は赤穂藩の5万石とかチョボチョボ。
596人間七七四年:2011/08/25(木) 00:20:17.31 ID:GS6dKXeF
同姓ってだけなら徳川か松平だろう、と夢のないことを書こうと思ったら>>595に先を越された

前田の次は島津(薩摩・佐土原)っぽいけど、ほとんど本家の分(77万石+3万石)
本家以外に大きめの藩があったのは伊達(仙台・宇和島)だけど、それでも宇和島10万石
池田みたいな例は島津以下にはない
597人間七七四年:2011/08/25(木) 00:45:00.83 ID:GS6dKXeF
本当に単に同姓というだけなら、1627年から1632年の間の加藤氏(熊本・会津・大洲)が52万石・40万石・6万石だった
ほんとにただ同姓ってだけだけどw
598人間七七四年:2011/08/25(木) 00:49:54.72 ID:R2iskebo
前田も伊達も島津も毛利も黒田も鍋島も蜂須賀も浅野も池田もみんな松平姓もらってるし松平が最強
御三家御三卿も当主と嫡男は徳川だけどそれ以外は松平だしね
599人間七七四年:2011/08/25(木) 00:57:56.83 ID:WsgJvqxV
数だけで言えば酒井が一番多いのかな
んで次点で大久保、本多あたりか
600人間七七四年:2011/08/25(木) 08:12:31.52 ID:PFQE4+8H
松平の子孫にも小大名というか旗本とかいたの?
601人間七七四年:2011/08/25(木) 08:59:10.38 ID:6gxvokSr
>>600
家康の代より前に別れた松平の庶家には旗本も多い。松平郷松平家とか。
あと松平というだけなら御家人にもいる。幕末の松平太郎はもとは禄150俵の御家人
602人間七七四年:2011/08/27(土) 16:08:32.92 ID:94SPb6MQ
部屋住みとかは重臣や家臣へ養子に天下りとかしてそうだよね。

松平氏なんて千単位で居ると思う。
603人間七七四年:2011/08/28(日) 02:24:48.15 ID:OpWS71i7
>>602
江戸期を通じて一度でも大名になった家、という意味なら、大名だけでも
(そして将軍家と血縁のある家だけでも)松平氏は30家以上ありそうだな
できてすぐなくなった葛野藩なんかもあるので、もちろん全部同時に
存在してたわけじゃないけど
604人間七七四年:2011/08/28(日) 02:35:27.51 ID:vnTob7HP
1万石だと当主一族の生活分にどれくらい使えるんかね? 下手な商人より窮乏してそう。
605人間七七四年:2011/08/28(日) 04:15:38.36 ID:yQDjjyp+
偉くなると維持費が跳ね上がる体制だからねえ。
下っ端だと衣食住が0だから暇なら清酒も飲めるけど、上はどぶろくを作ってちびちびやるのが精一杯になるらしい。
役得まである同心とかおいしかったのかな
606人間七七四年:2011/08/28(日) 04:45:51.71 ID:OpWS71i7
定府だと財政がマシだったりするのかな
定府で三万石で御連枝の西条藩とか
607人間七七四年:2011/08/28(日) 08:31:52.85 ID:P7jRVU3E
そういうマイナー大名って、
全部地元の歴史好きがウィキに登録するんだろうな。

俺も地元は幾つか藩が入組んでるから
ざっくり見てみたりしてたw
608人間七七四年:2011/08/28(日) 20:00:35.80 ID:dacXyYTQ
>>605
「武士の家計簿」だったと思うが、藩士より雇ってる下男下女のほうが懐は暖かかったみたいだね
お遣いに出ると相手先から小遣いもらえるし、村に帰れば実家があるし、飯は奉公先で出るし
609人間七七四年:2011/08/28(日) 21:25:50.06 ID:ysT4iZDf
やーめた!って大名居ないの?


一番やりそうな服部家は滅亡してたw
610人間七七四年:2011/08/28(日) 22:10:51.73 ID:MmBMNpAK
>>609
加藤明成。賤ヶ岳の七本槍の一人、加藤嘉明の長男。会津40万石を相続するが幕府から会津騒動を
起こした罰として所領削減を示されて、だったら全部返上しますと言って辞めた。

上杉も鷹山公の前の代あたりに借金でやってけないと言って返上する事を検討していた。このスレの前の方
にも書いてあるけど、ただでも最大時の120万石から15万石まで減って苦しい上に吉良上野介に食い物に
されたから。
611人間七七四年:2011/08/28(日) 22:25:39.58 ID:34SE0dkm
武士の家計簿ってたしか前田家中の藩士だったっけ?
612人間七七四年:2011/08/28(日) 23:53:57.80 ID:dacXyYTQ
>>611
そう

>>609
松平一門で幕府に意見書出してやめちゃった奴いなかったっけ?
613人間七七四年:2011/08/29(月) 00:33:25.86 ID:/Su0xa7q
久松松平の定勝の息子よねそれ
614人間七七四年:2011/08/29(月) 11:25:55.79 ID:9QHUGWpf
そのやーめた!じゃなくて、
見栄張るのやーめた!だよぉ(′・_・`)



零細大名の時代劇で、何十人も斬ってるけど
江戸藩邸にそんなに家臣が居るのかよと思ったw
615人間七七四年:2011/08/29(月) 14:42:52.64 ID:RpTKm/Xg
「であえーであえー」

出てきた下っ端が3人とかじゃあ
水戸黄門も懲らしめるのを省いて即印籠土下座じゃねえかw
616人間七七四年:2011/08/30(火) 00:00:44.35 ID:spC93ZRQ
それは喜連川藩だけだろw

いや、藩ですらないのかw
617人間七七四年:2011/08/30(火) 00:44:33.78 ID:9FlVnVJm
喜連川vs黄門様とか面白いなw
水戸や江戸からも近いから長い放送の中でそれに近い話とかあったり?
618人間七七四年:2011/08/30(火) 02:24:40.16 ID:kdfmAlHp
新田の末のそのまた分家ごときがなんの面目あって我が屋敷へまいりたるか!
619人間七七四年:2011/08/30(火) 03:09:16.70 ID:2KH3yXWz
>>614
島原の乱の後の島原地方が石高半減や城を陣屋にしたりしたのが近いかな。
前者は天領の代官がやったことだけど。
620人間七七四年:2011/08/30(火) 08:57:01.13 ID:U98kfRFZ
↑それ面白そうだな。暇になったら調べてみよう。



喜連川藩は臣下の礼をとって無いのか?
621人間七七四年:2011/08/30(火) 10:04:08.94 ID:hJNhKtnF
喜連川藩をモデルにしたらしい話、水戸黄門にあったよ。
黄門様みたいに、家臣2名連れて、領内を漫遊していた。
宿場に泊まった大名が、貢物を出さないので悶着していて、
黄門様が解決していた。
622人間七七四年:2011/08/30(火) 11:20:17.83 ID:40JhRlc7
>>620
臣下の礼はとってないらしい。
623人間七七四年:2011/08/30(火) 11:27:52.59 ID:U98kfRFZ
そんな大事にされてたんだな。

将軍にも頭下げない名門だから
きっと藩士2人くらいで歩いてて他藩とケンカに成っても
「喜連川藩のOO門!」って名乗った瞬間
相手の武士が知らんふりして素通りでもするんだろうかw
624人間七七四年:2011/08/30(火) 12:03:15.08 ID:40JhRlc7
大事にされてたというか扱いに困るという感じだと思う。
625人間七七四年:2011/08/30(火) 14:32:32.56 ID:zUfxCbqW
喜連川さんに一番困らされてたのは伊達さんとこ
626人間七七四年:2011/08/30(火) 15:18:54.27 ID:dplT2ivj
>>32
超亀レスだけど、江戸時代は石高と人口がほぼ同数。なので一万石の土地には大体一万人が住んでたと考えていい。
ちなみに戦国時代の人口は石高の8割くらい。
627人間七七四年:2011/08/30(火) 17:52:47.20 ID:WIbINKtQ
>>625
なにせたかりに日ごろは行かない江戸まで出てくるからな
628人間七七四年:2011/08/30(火) 19:12:33.27 ID:gmlT74c8
仙台藩が喜連川の宿場でたかられて困る。
↓偶然弥七が助ける
黒幕の喜連川藩主が登場する
↓お銀の入浴を覗いてしばかれる
水戸黄門登場
↓印籠を見せられる
喜連川藩主居直る
↓もっとエライ人が登場する
喜連川藩主情けない顔になる
629人間七七四年:2011/08/30(火) 20:53:03.94 ID:hUKiH2sX
もっと偉い人って…だれ?
洒落抜きで将軍、公家なら摂関クラスを連れてこないと。

むしろ

↓印籠を見せられる
喜連川藩主、これをやらないと一藩揃って餓死じゃあ、と逆切れする
↓黄門、処罰も出来ず困る
結局、伊達が迷惑をかけられ続けることで、一件落着

ダイオージャで惑星全部が泥棒って星の領主を退治した後に、
領主と領民総出で土下座して、この貧しい星では他に道がないのです、
と説明されたミト王子が経済支援を約束して終わる、ってエピを
思い出したり。
630人間七七四年:2011/08/30(火) 21:10:05.28 ID:2KH3yXWz
黄門様でも
悪家老と悪徳商人を懲らしめようと乗り込んだら、質素な膳が出てきて
悪家老「我が藩はこれといった産業もなく財政のためには年貢しか…」
悪徳商人「私も貸し倒れを恐れるあまり強引な手を使ったかもしれません…」
で、黄門様に口利きしてもらって幕府に援助を仰ごうという展開に。

オチはそれも悪家老の陰謀の一環で、質素な膳等は全部演技だったという。
631人間七七四年:2011/08/30(火) 21:39:44.94 ID:hUKiH2sX
幕府に金借りるってできたの?
どっかの藩が参勤交代の途中で路銀が尽きて、鉄砲で鳥を撃ったりしながら
野宿を初めて、大騒ぎになったので幕府が路銀を貸した、って聞いたことがあるが。
632人間七七四年:2011/08/30(火) 21:44:18.28 ID:2KH3yXWz
地震や噴火等の災害があった時も、幕府に復興資金を援助してもらう事があったそうだ。
633人間七七四年:2011/08/30(火) 22:58:15.56 ID:QlZbN3Cq
榊原家が越後へ転封になったときには、徒歩で野営しながら(金がないから)お国入りしたみたいだな
634人間七七四年:2011/08/30(火) 23:45:10.48 ID:gmlT74c8
>>632
なるほど。でも広域な大飢饉規模になると
幕府の援助能力にも限度はあるから餓死者がでていたわけね。
635人間七七四年:2011/08/31(水) 06:45:24.92 ID:2KkutdD7
>>312
幕府の場合五公五民じゃなくて四公六民が普通
だから50石と50俵の手取り収入は同額
636人間七七四年:2011/08/31(水) 08:50:33.50 ID:PrgoMjC9
>>631
こういう事のほうがはるかにプライド傷付きそうなもんだけど
何で見栄張ってたんだろうなw
637人間七七四年:2011/08/31(水) 10:57:06.11 ID:WZ3op6Gn
見栄って言えば薩摩藩の財政が苦しくなった頃
江戸藩邸の人員を削ったせいで庭の草むしりをする小者がいなくなり荒れ放題になったことがあったとか。
あまりにも見苦しいので最後には藩士が門の周辺だけ草むしりしたそうな。
638人間七七四年:2011/08/31(水) 22:56:17.30 ID:8OtHpnOa
>636
ただの想像だけど、見栄を張るって言うより開き直って
「じゃあ野宿でよくね?」「なら食料も現地調達っすね」って感じなのかも。
参勤交代自体が軍事訓練を兼ねるという名目があったはずだし、
そうなれば野宿や狩りやっても不思議じゃ無い。
639人間七七四年:2011/08/31(水) 23:06:07.02 ID:X+qoPoyA
いや、他所の領内でいきなり野宿を始めたら問題じゃね? 地元に大迷惑
640人間七七四年:2011/08/31(水) 23:11:46.86 ID:8OtHpnOa
>639
そういう意味でなら大迷惑だろうぬ。
一応通過する領内へは使者を出して挨拶するのが通例らしいから、
その時に断りいれておけばまだ何とかなるかも知んないけどねぇ。

でも人数的に多いところだとやっぱり無茶な話だけどね。
641人間七七四年:2011/09/01(木) 01:13:41.75 ID:hBPl2RX2
小大名(1〜2万石)同士の合戦を探してたらこんなのが。
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/1103/kiryu.html
642人間七七四年:2011/09/01(木) 01:16:20.79 ID:AU0+gNkN
表高1万石の藩の人口(廃藩置県前夜)
23,850 館山藩
21,930 清崎藩
15,932 黒石藩
15,165 小松藩
14,351 新谷藩
13,387 桜井藩
11,795 林田藩
11,062 清末藩
10,911 椎谷藩
10,756 麻田藩
10,330 生実藩
10,247 山崎藩
9,812 安志藩
9,761 小久保藩
9,757 黒川藩
9,371 三草藩
9,283 麻生藩
9,039 三池藩
8,786 下妻藩
8,746 丹南藩
8,419 三日市藩
8,289 小見川藩
8,284 高岡藩
8,205 母里藩
8,146 小野藩
7,358 西大平藩
7,338 芝村藩
7,177 浅尾藩
6,844 柳生藩
6,834 吹上藩
6,708 高富藩
6,479 柳本藩
6,309 宍戸藩
5,804 千束藩
5,140 櫛羅藩
643人間七七四年:2011/09/01(木) 01:23:15.71 ID:AU0+gNkN
ちなみに表高ではなく、内高の低い順で並べてみるとこんな感じ

7,739人 5,484石 堀江藩
8,205人 9,560石 母里藩
14,351人 9,692石 新谷藩
5,140人 10,000石 櫛羅藩
6,844人 10,000石 柳生藩
4,363人 10,001石 田原本藩
7,177人 10,005石 浅尾藩
7,338人 10,021石 芝村藩
6,479人 10,066石 柳本藩
9,812人 10,109石 安志藩
5,479人 10,110石 志筑藩
644人間七七四年:2011/09/01(木) 01:27:48.03 ID:zBLMMlRM
堀江藩がダントツか
645人間七七四年:2011/09/01(木) 01:48:28.02 ID:rJHTTpJy
>>641
桐生方が人質とって優勢だったのに妹を嫁にやるのが不思議な気がする。
646人間七七四年:2011/09/01(木) 07:10:48.20 ID:hBPl2RX2
桐生祐綱の妹は膳氏への嫁入り当時、前夫没後34年経っていて、ほとんど形だけの結婚だったらしい。
なお、嫁入りは桐生氏側からの要請による。
647人間七七四年:2011/09/01(木) 11:15:17.78 ID:llxtB2qc
>>640
零細大名の参勤交代は、次々入替る藩領のアイサツ人だけで
1割(3人)は出てそうだなw



>>641
リンク飛ばない主義だから、内容をこれへ書け!
648人間七七四年:2011/09/01(木) 13:40:29.72 ID:rJHTTpJy
>>646
なるほど厄介払いか。
649人間七七四年:2011/09/01(木) 22:53:33.09 ID:U/0cIWeM
>>639
伊達藩とかにそれやられたら、他藩は気が気じゃないよなw
650人間七七四年:2011/09/01(木) 23:35:36.24 ID:1682FKld
喜連川藩は恵まれた環境に甘えていて、たかりとしてはぬるいな。
一般庶民相手にたかる日光例幣使の公家みたいに、
駕籠から自ら転げ落ちて示談金要求したり、
担ぎ手が上手い場合は、中から自分で揺すって転げ落ちたりするぐらい体も張らないと。
651人間七七四年:2011/09/01(木) 23:52:20.38 ID:rJHTTpJy
お茶壺道中を思い浮かべたよ。
652人間七七四年:2011/09/02(金) 09:07:27.74 ID:0wGW7cAQ
>駕籠から自ら転げ落ちて示談金要求

ひぃいいい。恐ろしや
653人間七七四年:2011/09/02(金) 12:49:16.51 ID:XFzHDnjc
零細大名じゃあ籠で参勤交代なんて出来ないんじゃないか?
654人間七七四年:2011/09/02(金) 12:59:32.59 ID:EZoNJ7tn
いや、そこは格式というものがあるだろう。
行列の規模の大小はあれその辺りはなんとかしたはず。

参勤交代の時だけの臨時雇用の奴なんてのがいたくらいなんだから。
655人間七七四年:2011/09/02(金) 14:38:40.96 ID:R5kAqKzS
幕末の南上州諸藩(吉井藩1万石、小幡藩2万石、七日市藩1万石)
幕府の指令で姫街道を通過する水戸天狗党歴戦の千人を阻止しろとか、それ何て無理ゲー?
656人間七七四年:2011/09/02(金) 18:23:51.62 ID:EZoNJ7tn
その後松本藩(6万石)高遠藩(3万石)が和田峠で迎撃したけど突破されたな。
657人間七七四年:2011/09/02(金) 18:50:32.77 ID:IaNqQLCp
結局、井伊彦根藩が出るまで止まらなかったんだよな
…って京都目前じゃん。
間の小藩は金品を贈って脇道を通ってくださいとかお願いしてたんだっけ。
658人間七七四年:2011/09/02(金) 19:09:38.50 ID:R5kAqKzS
まともに戦ったのは>>656の両藩と下仁田で合戦した高崎藩(8万2千石)だけだね
後で高崎藩は幕府から戦死者遺族に10両、戦傷者に5両の慰労金を貰えたけど
659人間七七四年:2011/09/03(土) 12:41:03.88 ID:CXoYU4ak
彦根は水戸浪士に深い恨みがあるから、因縁の対決だな
660人間七七四年:2011/09/03(土) 14:46:28.38 ID:iQaaJVWc
天狗党の処刑も彦根藩が担当したんだよな
661人間七七四年:2011/09/03(土) 21:45:17.08 ID:wGoaRyOq
そうか。桜田門外の変か
662人間七七四年:2011/09/04(日) 11:50:07.40 ID:vwBCTotm
小大名の合戦もっと!!
663人間七七四年:2011/09/04(日) 15:48:06.84 ID:nHsKnpdf
百人程度の合戦だと戦場から逃げるとすぐバレそうな気がする。
664人間七七四年:2011/09/04(日) 21:13:56.93 ID:pmbpwRvm
志摩の地頭同士の合戦とかだと数十人単位だろうな
665人間七七四年:2011/09/04(日) 21:37:55.42 ID:sAje9MXZ
>>662
戊辰戦争時、薩長の横暴を看過し得ず、大名自ら脱藩してのけた上総請西藩1万石の林忠崇とかどうか。
僅か300人足らずの兵力で箱根関所を占領し、奪回に来た小田原藩11万石の軍を圧倒した戦いぶりが素敵(官軍の督戦隊が介入して結果的には負けたが)。
666人間七七四年:2011/09/04(日) 22:19:24.64 ID:CaNPDDWl
へー、そんな人も居たんだねぇ。河井継之助の長岡藩だって武装中立なのにそんな小藩で
佐幕を貫くなんて、もっと有名になっていい。
667人間七七四年:2011/09/04(日) 22:23:52.14 ID:NE01sv22
>志摩の地頭同士の合戦とかだと数十人単位だろうな

それほとんどヤクザのケンカじゃんw
668人間七七四年:2011/09/04(日) 22:45:57.03 ID:TPwCJL5+
藩としてはともかく、大名個人は有名だよ。
江戸の大名として最後まで生きてた人。
669人間七七四年:2011/09/04(日) 23:06:41.36 ID:nHsKnpdf
>>667
風雲たけし城の攻防を想像してしまったw
670人間七七四年:2011/09/05(月) 01:23:21.04 ID:67lIseDQ
>>667
子供の頃、町内の雪合戦で30人対30人くらいでやったのを思い出した
671人間七七四年:2011/09/05(月) 01:45:27.50 ID:ilA1f1QU
出羽の由利十二頭も最大で4000石行くか行かないかみたいな連中だったから
合戦はすごい小ぢんまりしてたんだろうな
672人間七七四年:2011/09/05(月) 11:20:21.14 ID:2JZmdfBV
少人数の合戦だと陣形も糞もないので
背後をとっても「回れ右」されたら優位性が消えてしまうね。

戦術よりも個人の強弱だけで勝敗が決するw
673人間七七四年:2011/09/05(月) 11:30:56.62 ID:zbWWwvlM
陣屋暮らしの大名じゃあ、
城の攻め方とか分からないんじゃないの?w

江戸城も色々入れないとこあったはずだし。
674人間七七四年:2011/09/05(月) 17:03:28.13 ID:PEtvk1d8
5〜600人動員できるのなら、少し後の軍役では双方一万石前後か…

戦国期の中小領主なら、このサイトが詳しいけど
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/buke.html

動員人数も書いてないor「○○(有力戦国大名)方として戦った」程度の
記述が多いから、数百人規模の動員力や「自前で合戦できる」だけでも
有力な方だったんじゃないかな…
675人間七七四年:2011/09/06(火) 11:20:26.91 ID:qtVH07MZ
そろそろ涼しくなるけど、
上野〜銀座で、小藩の史跡って無いの?
676人間七七四年:2011/09/06(火) 17:49:34.56 ID:BltJbfPT
>>671
気になってググったら、仁賀保氏は大名にまで上り詰めて立藩したにもかかわらず、
相続で所領が分散して旗本になってるね。
以前このスレでも話題に出てた、大名から旗本へってケース。
677人間七七四年:2011/09/07(水) 01:40:12.20 ID:zwKr/HVc
仁賀保氏は戊辰戦争にも官軍側で参戦したけど、動員した兵力のほとんどが農兵だったんじゃないかね?
案の定庄内藩にあっさり占領されたわけだが
678人間七七四年:2011/09/07(水) 18:04:06.18 ID:iNFyFYBs
糟屋武則 12千石360人で関が原に参戦わろたwww
679人間七七四年:2011/09/07(水) 19:00:29.27 ID:zwKr/HVc
ぐぐってみたら宇喜多隊に属してたっぽいけど、独立大名だよね?
680人間七七四年:2011/09/09(金) 00:21:06.88 ID:/x3P/grx
7本槍の末席だしw
681人間七七四年:2011/09/09(金) 20:02:36.27 ID:n7Z16FiT
むしろ末席は唯一大名になれなかった平野長泰ではないだろうか
682人間七七四年:2011/09/09(金) 23:25:09.08 ID:SgbYVfK8
>>681
扱いの差に涙する
683人間七七四年:2011/09/10(土) 20:05:15.60 ID:/bMQ8nXK
まあ小さいなりに田原本をしっかり治めて無事に維新まで行きついたんだから、脇坂安治以外は本人、もしくは次代で潰された他の七本槍よりもボチボチ勝ち組ではないだろうか
684人間七七四年:2011/09/12(月) 11:20:57.55 ID:zJkYCbqC
あんまりデカいと、警戒されて潰される典型だなw
685人間七七四年:2011/09/12(月) 20:46:54.81 ID:3Up7mAP+
加藤嘉明系は潰されても大名だったからなあ
片桐が潰れた理由は無嗣子だし(しかも弟の家系は存続)、福島も
大身旗本として存続したので、糟屋と清正以外の七本槍は、イメージほど
「悲惨な末路」って感じではない気がする
686人間七七四年:2011/09/13(火) 14:10:23.26 ID:g7esQKt0
最小の自称城持ち大名 遠山氏

関ヶ原のドサクサに紛れて、
旧領を回復してたらしい。
その石高1万500石。
可愛過ぎて笑えるwww

こういう兵力って、どこから沸いて来るんだろうか?
自給自足で凌ぎながら、チャンス狙ってた感じ?
687人間七七四年:2011/09/13(火) 18:35:30.55 ID:wbRXzd/R
>>686
遠山氏の場合所領を失った後徳川氏に仕えていたそうだから臣下もそれなりにいたんじゃないか?
あと「美濃を引っ掻きませ」と相応の資金を与えられて、浪人を集めたりしたかも。
688人間七七四年:2011/09/13(火) 22:27:34.81 ID:sQqERGzd
おつやの方の遠山氏は滅んだけど
別の美濃遠山氏は生き残っていたんだなあ。
689人間七七四年:2011/09/14(水) 12:04:21.43 ID:gtN+Cl/n
放送終了でほとんど見て無かった水戸黄門を
小藩目当てで最近見るようになったが、
確かにつまらなかったなw

来週は水野家っぽいから楽しみだ(^-^)
690人間七七四年:2011/09/15(木) 06:08:33.60 ID:L9HfdAhQ
遠山金さんのせんぞ?
691人間七七四年:2011/09/15(木) 11:13:46.48 ID:I1huO9dk
金さんは近所だけどどっちとも違う明知遠山氏の子孫の分家。
692人間七七四年:2011/09/15(木) 18:21:35.25 ID:fm4mmKVl
>>686 自称城持ち大名といえば

羽柴秀吉さん

最近だと夕張市長選に2回落ちてる

田舎だし遠目で見るとマジで田んぼに囲まれたお城に見える
693人間七七四年:2011/09/15(木) 21:08:12.70 ID:jZ+rOzTy
故成瀬正俊氏は昭和から平成にかけて、自称ではなく正真正銘の城持ちにして大名(の子孫)だったね
694人間七七四年:2011/09/15(木) 21:44:31.08 ID:2Z7Zdszh
今も犬山城って、財団所有にはなってるけど、実質成瀬家は城の中じゃないの?
695人間七七四年:2011/09/15(木) 23:11:31.68 ID:VlBviqdK
犬山城は子供の頃登った事あるけど、普通の城だったぞ。

大して大きくは無かったがw
696人間七七四年:2011/09/15(木) 23:49:36.93 ID:2Z7Zdszh
>>695
本丸に上がる階段の途中だったと思うけど
「成瀬」って表札がかかった住宅があるのよw
697人間七七四年:2011/09/16(金) 12:46:11.71 ID:jAeKPB+h
城に表札わろたw



でも羨ましいな (′・_・`)
698人間七七四年:2011/09/16(金) 13:41:23.61 ID:tFoJKqSy
>>686
自称城持ちというが苗木城の石垣や規模はなかなか立派だぞ。
ちなみに下っぱ含めて藩士は300人程度しかいなかったみたいだが。
699人間七七四年:2011/09/16(金) 14:45:59.47 ID:OkWM0Wjv
苗木の遠山さんといえば桶狭間の合戦にも参加してるんだよな。
信長の妹を娶って姻戚関係にあるとはいえ、距離があるし領土は接してないし負ける可能性が高いし参加するメリットがあったのかな?
世間体で家臣にちょっとだけ兵をつけて送るくらいじゃダメなん?
700人間七七四年:2011/09/16(金) 16:31:18.36 ID:DFSCORkZ
むしろそういう時に駆け付けたからこそ姻戚関係でよかったと織田も思うわけで。
勝負すべき時に勝負したから生き延びられたんだろう。
701人間七七四年:2011/09/16(金) 23:41:12.51 ID:q4oGPiGg
苗木城って、信長が妹差出すほどの
重要拠点だったのか?
702人間七七四年:2011/09/17(土) 00:16:59.58 ID:+Q9w231R
苗木城というか遠山氏と縁戚になりたかったんじゃないかな。
いちおう東美濃では中心的な豪族だった訳だし。
703人間七七四年:2011/09/17(土) 00:37:50.62 ID:bPVqIrbU
岩村遠山だよねぇ
704人間七七四年:2011/09/18(日) 23:24:32.57 ID:06vtbitt
ここのみんなは、
モナコとかリヒテンシュタインとか好きそうw
705人間七七四年:2011/09/20(火) 00:37:57.34 ID:nWRcRM7H
リヒテンシュタインって国としてはちっさいけどリヒテンシュタイン家の持ってる領地って
現在はかなり小さくなったとは言え結構でかいよ
706人間七七四年:2011/09/20(火) 00:50:27.67 ID:oXY5rVWs
オーストリアにまだ土地持ってんだっけ?
707人間七七四年:2011/09/20(火) 00:59:56.27 ID:N3nDskmK
リヒテンシュタイン家所有地の合計面積>リヒテンシュタインの面積ってんだからすごいよな。
708人間七七四年:2011/09/20(火) 03:32:50.95 ID:GaSec60u
どういうこと?
領地がそのまま国になって+他国に土地持ってるってこと?
それとも他国にある土地が自国より多いの?
709人間七七四年:2011/09/20(火) 10:31:51.77 ID:+4LR0hPC
>>708
リヒテンシュタイン家は実業家で、ヨーロッパに色々と土地をもってるのよ。
しかも税金で公家の生活が賄われてないからねぇ。
710人間七七四年:2011/09/20(火) 11:03:15.12 ID:pyemShfj
>>692
この間の開票後に見る目のない選挙民だとほざいたから、無投票にならない限りこれからも受かることはないね
711人間七七四年:2011/09/20(火) 14:14:06.14 ID:8fSLy3Y9
>>708
リヒテンシュタイン公国ってのはリヒテンシュタイン家が数多く持ってる領地の一つってこと
ハプスブルグ家と並ぶ有力家門ヴェルフ家なんてもっと奇々怪々ですよ
いくつか持ってる領地の一つがイングランド王国だったりハノーヴァー公国だったりモデナ公国だったり
712人間七七四年:2011/09/25(日) 08:23:02.45 ID:dSKZUvqT
つかリヒテンシュタイン王国の1人当たりGDPは118,000ドル!!!!

今で見積もっても800万円!
713人間七七四年:2011/09/25(日) 17:08:11.68 ID:eAV+GXnX
リヒテンシュタイン帝国侯領/公国の人口
ttp://www.geohive.com/cntry/liechtenstein.aspx
2,656 (1584年)
7,504 (1868年)
7,531 (1901年)
11,094 (1940年)
29,032 (1990年12月4日)

1870年頃の日本の藩の人口(括弧は廃藩置県前に廃藩)
(3,135) 高知分家藩
(4,352) 喜連川藩
4,363 田原本藩
5,140 櫛羅藩
5,479 志筑藩
5,804 千束藩
6,309 宍戸藩
6,479 柳本藩
6,708 高富藩
6,834 吹上藩
6,844 柳生藩
6,992 七日市藩
7,177 浅尾藩
7,192 宮川藩
(7,197) 福本藩
7,338 芝村藩
7,358 西大平藩
(7,584) 鞠山藩
7,739 堀江藩

同時代的には、ドイツ連邦から独立したばかりのリヒテンシュタインの人口規模は、堀江藩以下。
714人間七七四年:2011/09/25(日) 17:13:02.63 ID:KpYhmCMY
さすが俺たちの喜連川藩
ワースト・・・

じゃねえ!?
715人間七七四年:2011/09/25(日) 17:58:51.95 ID:eAV+GXnX
>>714
喜連川藩は実質最下位。

高知分家藩は土佐高知藩の支藩で、
広島分地藩とか、平戸新田藩(植松藩)とか
米沢新田藩とか、鳥取新田藩(若桜藩、鹿奴藩)とか、
熊本新田藩(高瀬藩、宇土藩)とか、統計の残ってないのもある。
716人間七七四年:2011/09/25(日) 18:26:29.14 ID:KpYhmCMY
>>715
よかった。貫禄の王者は死守されたぞ
717人間七七四年:2011/10/02(日) 02:47:56.97 ID:57k+SuE5
718人間七七四年:2011/10/08(土) 23:29:52.93 ID:U72uHtGO
上野〜アキバ〜銀座で良い小藩スポット無いの?
719人間七七四年:2011/10/09(日) 01:12:00.68 ID:PJ3m1OR8
喜連川藩の藩邸が不忍池の畔にあったけど?

http://map.goo.ne.jp/history/map.php?st=100&kr=14

場所的には現在の忍岡小学校〜ルネッサンスタワー上野池之端のあるあたりで、
行っても多分何もないけど。
720人間七七四年:2011/10/16(日) 08:58:56.84 ID:GGMTCWth
お前ら喜連川喜連川しつこいなぁ。

他にネタ無いのかよw
721人間七七四年:2011/10/16(日) 09:15:56.55 ID:SWSVGiCf
このスレと喜連川の関係は
斬ってもきれんがわ
722人間七七四年:2011/10/16(日) 16:50:21.73 ID:sbHHELYX
じゃあ河内狭山の北条ネタでも頼む
723人間七七四年:2011/10/22(土) 07:20:58.79 ID:ciCDBXFV
陣屋の堀が障子堀だったとか・・。
724人間七七四年:2011/10/30(日) 19:36:54.40 ID:YSp7WwVc
最近あちこちの自治体で木造天守の復元が行なわれているけど、個人的には小藩の陣屋も復元して欲しい。
725人間七七四年:2011/10/31(月) 06:20:53.16 ID:f3Kg1jZf
>>723

1万石の大名なら城=陣屋はJR阿佐ヶ谷駅程度の大きさでしょ。
726人間七七四年:2011/11/03(木) 11:43:45.19 ID:bsOSEPOY
園部藩参勤交代行列
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%9C%92%E9%83%A8%E8%97%A9+%E8%A1%8C%E5%88%97&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

3万石以下の大名行列図無いの?
727人間七七四年:2011/11/03(木) 21:53:44.31 ID:9Iri7EzQ
小大名と御家人ってどっちがえらいの?


728人間七七四年:2011/11/03(木) 22:28:55.94 ID:JOgA39t7
小大名
729人間七七四年:2011/11/03(木) 22:34:43.48 ID:5gFKh2rl
>>727
小藩でも大名なら将軍に拝謁出来るけど、御家人は御目見得(おめみえ)以下と言って拝謁出来ない身分。
730人間七七四年:2011/11/04(金) 01:54:19.49 ID:0G6XGC5k
有名な小名は誰ですか?
731人間七七四年:2011/11/04(金) 02:06:36.45 ID:Ux1+PHTH
大岡越前(1万石)とか。
732人間七七四年:2011/11/04(金) 10:54:41.32 ID:0G6XGC5k
500石の領主のことはなんと呼ぶのですか?

小名よりもっと少ない禄高の
733人間七七四年:2011/11/04(金) 12:11:32.78 ID:1jiB2TuQ
戦国なら武家。
江戸期なら旗本ってとこか。



トヨタの松平宗家って440石で参勤交代してたんだな
何人の行列やねんwww
734人間七七四年:2011/11/04(金) 17:48:27.98 ID:5rrVN9OT
>>733
15人ぐらいで
ガッツだぜ パワフル魂
ガッツだぜ すいもあまいも〜♪
って元気良く参勤交代してたんじゃないか
735人間七七四年:2011/11/04(金) 18:24:01.36 ID:CLV/MY74
伊予小松藩だと50人前後で,滞在費用圧縮のために,コメ・味噌・干し魚
を満載した荷馬帯同と言う,二本指の運送業者状態(かご付き)だったという。
736人間七七四年:2011/11/04(金) 18:51:38.54 ID:0G6XGC5k
旗本って幕臣だから領主じゃないっですよね?

一国の領主で50石だとなんて呼ぶんですか?江戸時代
737人間七七四年:2011/11/04(金) 19:00:42.99 ID:ScC9xtjc
>>736
旗本でも交代寄合の場合は与えられた領地に常住という場合があった。
参勤交代がある大名よりも領地にいる割合は多い。
738人間七七四年:2011/11/04(金) 19:16:06.26 ID:0G6XGC5k
50石の一国の領主って江戸時代います?
739人間七七四年:2011/11/04(金) 21:08:18.51 ID:mGNYLFvw
バチカンじゃあるまいしw


>伊予小松藩だと50人前後で
1万石らしいから、動員兵力の2割で江戸移住かよwww
当然江戸藩邸にも常駐員要るから、3割が江戸暮らしだな。
衣食費持つのか(′・_・`)?
740人間七七四年:2011/11/04(金) 21:43:15.78 ID:mGNYLFvw
零細大名の江戸藩邸(適当に推定)人員

先代 先代正室 兄弟 正室 嫡子 姫 江戸家老 目付け
この辺りを中心に、
近習その他武士40 腰元3で運営だろうな。

夫婦の相性良過ぎて、子だくさんだったら破産の危機www
741人間七七四年:2011/11/04(金) 21:45:51.48 ID:mGNYLFvw
厳重警戒な吉良家の死亡者100から、
50名と推定したんだが
これを在京時数と考えたら、
帰国期なら近習その他が半減出来るのだろうか?
742人間七七四年:2011/11/04(金) 22:01:47.02 ID:Ux1+PHTH
>>738
江戸時代の領主は基本的に幕府直臣の旗本か何処かの藩に所属する藩士かです。(例外は有る)
743人間七七四年:2011/11/05(土) 00:26:13.67 ID:2fyRxPnd
>>739
陣屋日記には,「塩引きのボラを送ってほしい」だの「鮎の干物を頼む」だの,様々な
現物仕送り依頼の記録が残っているそうな。小藩は大変だなあと。
744人間七七四年:2011/11/05(土) 00:27:36.64 ID:2fyRxPnd
>>738
表高50石の国なんて存在しない。あったら教えて欲しい。
745人間七七四年:2011/11/05(土) 00:29:11.43 ID:zxSw2M0a
一番石高の少ない小藩ってどこなんでしょうか??
746人間七七四年:2011/11/05(土) 10:37:51.77 ID:Wu05eVfU
>>743
「〜と〜と〜が足りないから、
買う金送って!」のほうが手っ取り早くね?

飢饉続きでも無いのに、
そこらじゅうがやりくり大変だったのか不思議w
庄屋集めて「うちの特産って、何?」って聞いて
重点的に生産するだけじゃね?
747人間七七四年:2011/11/05(土) 10:51:08.40 ID:+Tkakb4z
>>746
物価と人件費考えたら現物のほうが安かったんじゃないかな?
領地で作物を換金、この段階で商人の利益分とられ、
お金を輸送する人件費がかかり、江戸で買い物をするときにまた商人の利益になる。
物を輸送するコストは馬や牛と、管理する人。お金の輸送より人間は増えるかもしれないけど
中間や小者クラスだと安く上がりそうな気がする。

ってか大名行列で運送屋状態だったって事は安く上がったんだろうね。
江戸が消費地だったから物価が高かったって事も関係するかもしれない。
748人間七七四年:2011/11/05(土) 16:00:19.92 ID:4GknRTaU
たぶん、自分らで食うんじゃなくってお国の名産品を贈答用にするつもりじゃね?


領地に本間様みたいな豪商がいたらほとんど乗っ取られ状態、藩邸と名のみで
ほとんど江戸支店みたいになっていたとか・
749人間七七四年:2011/11/05(土) 16:39:28.57 ID:2DzgniI7
岩松家120石とか松平郷松平家440石とかの交代寄合って
何人くらい家臣がいたんだろ
750人間七七四年:2011/11/05(土) 21:11:32.50 ID:Wv86740c
俺は標準動員兵力は、250人/万石って思ってる。
郎党が抜けた家臣は7割減くらいか?



>藩邸と名のみで ほとんど江戸支店みたいになっていたとか
藩邸内に豪商の蔵とか、店舗作っちゃえばはかどるやんwww
751人間七七四年:2011/11/05(土) 22:40:34.46 ID:pZJ9sC3f
>>749
>>750の比率のままなら岩松家の動員兵力は3人くらいだが、
それでは参勤交代が水戸黄門漫遊記みたいになるなw

無高の米良家なんかもだけど、どうやって参勤交代していんだろう
752人間七七四年:2011/11/06(日) 02:29:27.65 ID:KID3vaPi
近所の藩の参勤交代にくっついていくとかすれば良いんじゃね
753人間七七四年:2011/11/06(日) 11:39:43.30 ID:qyUzTgTU
1石が今の金額で190万円くらいだとすると・・
50石で9500万くらい
へたに家臣なんか少ないほうが
楽なのかな
大名でなければ、参勤交代もないし
754人間七七四年:2011/11/06(日) 13:11:58.12 ID:eJd72ZAw
大名じゃないけど参勤交代する交代寄合というのも有るのだよ。
755人間七七四年:2011/11/06(日) 13:13:06.94 ID:ZbrVTWkk
>>752
俺は、吉良邸討入りじゃないけど
親類藩が「襲われたら恥なので護衛付けさせて下さい」
って成ると思う。

喜連川藩でも大事に思われてる藩くらいあったんじゃね?
756人間七七四年:2011/11/06(日) 13:49:00.63 ID:89DytvLs
>>754
詳しいですね
知りませんでした
もう少し石高が少ないほうがいいのか
757人間七七四年:2011/11/06(日) 14:03:18.03 ID:eJd72ZAw
>>756
交代寄合は万石に満たない旗本だけど名家が指定され大名に準じた待遇を受ける。
禄高は上は8000石から下は>>749に出てる岩松家の120石、松平郷松平家の440石まで様々。
>>751の米良家なんか0。人吉藩に養ってもらったらしい。
758人間七七四年:2011/11/06(日) 14:15:25.81 ID:89DytvLs
>>757
石高は、関係ないんですね
旗本で100石くらいでいいや


759人間七七四年:2011/11/06(日) 14:38:30.48 ID:eJd72ZAw
ちなみに鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵は400石です。
760人間七七四年:2011/11/06(日) 15:02:16.06 ID:JP6M7QLQ
長谷川平蔵は400石!
ということは、年収7600万円!
1石が190万円は、間違ってるか
へいぞうはそんないい暮らししてなさそう。
761人間七七四年:2011/11/06(日) 15:12:10.13 ID:oByUmIPK
>>760
年収がその程度で認識は間違ってないけど、
支出がだいぶあることも考えてくれ。

下男中間や嫁付きの侍女やら何やら。
んでもって部下への補償や付け届けやら上司へのモニョモニョやら。
762人間七七四年:2011/11/06(日) 16:29:28.36 ID:JP6M7QLQ
モニョモニョが大変そう
763人間七七四年:2011/11/06(日) 18:11:38.98 ID:P4JFlcKI
>年収がその程度で認識は間違ってないけど、
2人連続で掛け算間違うなよ(′・_・`)


そもそも1石190万って、どういう理論?
764人間七七四年:2011/11/06(日) 18:52:11.45 ID:JP6M7QLQ
ひとけた間違えてました 7億6000万円
ただ指摘どおり一石190万が違うようです
(だいたい1年間ひとりで食べる米の値段らしいですがまちがいです)
だいたい10万円検討だとすると400石で4000万円の年収
家臣がいていろいろ出してではやはり厳しいですか
765人間七七四年:2011/11/06(日) 20:47:26.84 ID:s9YK3PuV
役両で1000石だっけ? なら1億2千万位んちゃう?

それなら何とかなりそうだがw
766人間七七四年:2011/11/06(日) 22:29:28.03 ID:Ys8+9LXs
出石城を見てきたが、あの石高で石垣崩れたら俺が殿様なら見なかった事にするね
767人間七七四年:2011/11/07(月) 11:37:30.93 ID:MqvkBYP9
>(だいたい1年間ひとりで食べる米の値段らしいですがまちがいです)
米だけの値段で良いなら、やっぱ年10万で充分でしょ。
768人間七七四年:2011/11/07(月) 14:41:08.10 ID:ADy8nTtk
>>760
長谷川平蔵の禄高四百石というのは四百石の米をとれる土地を与えられているという建前だぞ
だから四百石の収穫にかかる3〜4割の税金が長谷川平蔵の取り分ということになる
仮に三公七民、三割を取ったとした場合長谷川平蔵の収入は百二十石ということになる
一石十万とすると千二百万円ということになる
火付盗賊改の長官というか御先手組頭をやってた時期の場合は役高が千五百石、
その三割が四百五十石、それを現代の円に直すと四千五百万円が長谷川平蔵の収入
769人間七七四年:2011/11/07(月) 14:44:44.35 ID:31p6ue/D
松前藩が○万石格とか言う話で盛り上がってたけど
とうの松前藩的には大迷惑だろうね
その格に見合った大名行列から賦役まで課されるわけでさ
770人間七七四年:2011/11/07(月) 16:35:34.79 ID:ZqTisO37
賦役って松前藩は課されたんだっけ?
771人間七七四年:2011/11/07(月) 20:47:58.10 ID:0OW/jkrW
何処の藩だって課されるのが建前でしょう。
松前の場合は南下してくるロシアに備える北方警備に当たった。
772人間七七四年:2011/11/07(月) 23:18:05.45 ID:EKoS41b6
まあ4500万が収入といっても、
こっから400石分の家臣を「揃えなきゃならない」し、
立場上の付き合いでの贈答にかかる費用もバカにならないからな

まあ旗本だと領地経営は幕府の代官がやってくれるけど、
小藩でも大名だと国許にも人がいるし、参勤交代もしなきゃならないしで大変だよな
773人間七七四年:2011/11/07(月) 23:49:03.62 ID:1I3TkOSw
やっぱりこの時代は
江戸のお気楽な町民の方が
毎日楽しくていいのかもしれない
774人間七七四年:2011/11/08(火) 00:49:32.74 ID:KWQNmkua
後は馬とかの乗り物だな。

馬ならまだしも駕籠や輿OKになると地味に厄介。
しかも武士の見栄張りっぷりを考えると塗駕篭とか、駕籠かきとかも雇いじゃ済ませられないだろうし。

江戸柳生が柳生藩を立藩した時もヤバかったらしいしな。
地味に小藩が官位持ってるとそれに見合った贈物や付け届けで資金繰りヤバくなるし、
柳生の場合はそれ以外の出費で門弟その他も食わせていかないといけない。
775人間七七四年:2011/11/08(火) 07:56:15.45 ID:Q8o1Q/A7
まあロシアが南下してたら松前藩単独では余裕で壊滅だったろうに・・・w
776人間七七四年:2011/11/08(火) 10:55:23.55 ID:05J6c0tP
ロシアと言えども
当時なら満州鉄道無いし
大規模上流はできんから
なんとか出来そうだが、
被害はすごいかもね。
777人間七七四年:2011/11/08(火) 11:35:01.91 ID:0yDySvLH
でも俺らが9千石の旗本より、
1万石の大名のが良いかなと思える様に

武家も見栄張りたかったんじゃないかな。
778人間七七四年:2011/11/08(火) 14:12:46.23 ID:MqGq1JgX
サラリーマンで満足しておけば気楽にいけたのに
勘違いして脱サラしてフランチャイズのラーメン屋やコンビニ開いて地獄ですみたいな・・・

やはり身の程を知るのが一番かと
江戸時代の場合は幕府に依る策略部分もあるだろうけど
779人間七七四年:2011/11/08(火) 15:51:17.14 ID:Xqsd3gof
>>777
明治になったら子爵になるか一般人になるかは大きな違いがあるように思うね
780人間七七四年:2011/11/08(火) 20:41:12.31 ID:it01/zX7
前も聞いたけど、恩給とか何かメリットあるの?
781人間七七四年:2011/11/09(水) 07:33:15.43 ID:8Rw2d+KV
平蔵様もすごい余裕のある
暮らしぶりということでは
ないんですね。
782人間七七四年:2011/11/09(水) 13:29:21.97 ID:tPNEl+9e
相場に金をつっこんで資金を捻出したそうで
783人間七七四年:2011/11/09(水) 13:36:57.13 ID:rbq1iF03
銭相場に投資して人足寄場設立の資金を捻出したってやつな
こういう事やってたから松平定信からは嫌われてたみたいだけど
784人間七七四年:2011/11/09(水) 21:22:06.06 ID:8DHgxc+7
でも資金を捻出できたぐらいだから
センスがあったか情報収集能力が
すごいかだろうな
大損してないということは
785人間七七四年:2011/11/09(水) 21:36:36.27 ID:+g4CjchI
気が付けば、毎日のように書込みがあるけど

北信濃の荒砥城(大河のセット)どうよ?
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/20101126210143 表門
http://f.hatena.ne.jp/miffy4312/ 気になったらw
786人間七七四年:2011/11/10(木) 12:34:19.34 ID:Hfyzixsu
そして流れが止まった(′・_・`)
787人間七七四年:2011/11/11(金) 21:42:40.53 ID:w6TeOftQ
週末上げ!
788人間七七四年:2011/11/14(月) 01:15:08.01 ID:tuL8OEo2
小大名は、何かと金策が大変そう
落ち着いて暮らせないね
質素倹約 質実剛健
789人間七七四年:2011/11/14(月) 19:46:31.73 ID:WYnINF/n
1万石でも家老とか奉行とか置かなきゃいけないだろうしねw

赤穂浪士のお陰で小藩の組織構成がある程度分かるから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A9%82%E6%B5%AA%E5%A3%AB#.E5.9B.9B.E5.8D.81.E4.B8.83.E5.A3.AB
見てると、キュンキュンしちゃう(^-^)
790人間七七四年:2011/11/14(月) 20:02:00.15 ID:WYnINF/n
年に何度かここ見返すと、
大石主税が16なのに裏門大将で身分社会の縮図を感じ、
部屋住みだらけなのに哀れみを感じ
十数石から奉行(名ばかり管理職w)が居たりで、
たった5万石でよく頑張ったよなと思う。

負傷者皆無だったから2万石(20人)までならイケるかも!
2万石のイケイケ藩ってどっか無いのか?
791人間七七四年:2011/11/14(月) 21:30:35.71 ID:fTWdcbT0
討ち入りに参加したのは軽輩が多い。こっちも合わせて見るべし。
http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%E5%85%83%E7%A6%84%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6%23.E8.B5.A4.E7.A9.82.E8.97.A9.E3.81.AE.E6.94.B9.E6.98.93
けど、部屋住みって言っても主税のような嫡男とかじゃん。
792人間七七四年:2011/11/14(月) 21:32:44.67 ID:fTWdcbT0
793人間七七四年:2011/11/15(火) 22:49:44.84 ID:C01cC9Wo
赤穂浅野家で、石高順のリストとかって無いの?

筆頭家老やナンバーいくつまでが逃げたのか知りたいわ。
794人間七七四年:2011/11/15(火) 23:37:14.73 ID:/ypy4Rzm
>>789のリンクのリストの下に主だった処は書いてあるんじゃね。
筆頭家老は内蔵助で、他に芝居で有名な大野九郎兵衛ら数人。
ググればもっと詳しいのも出てくる筈。
795人間七七四年:2011/11/19(土) 21:33:17.12 ID:000pJZKZ
小禄なのに命を賭けた浪士は素晴しいな。



俺は、キレて不意打ちしたのに、死に掛け討ち漏らしたバカ殿と
その家臣の悲惨な末路の物語ってスタンスだがw
796人間七七四年:2011/11/19(土) 22:22:36.42 ID:nW/5jVVX
「士は己を知る者の為に死す」(知己の語源)の言葉で知られる予譲は知伯の仇を討つ為に趙襄子を
襲って失敗した。知伯は韓康子と魏桓子に命令して一緒に趙襄子を攻めたが、傲慢にも趙襄子の
あとは韓氏も魏氏もみんな滅ぼしてやるという意志を隠そうともしなかった。それを知って韓康子と
魏桓子は趙襄子と結んで逆に知伯を滅ぼしてしまった。
知伯はその程度の奴だが仇を取ろうとした予譲は失敗しても歴史に名を残したから、それよりは評価しても
良いんじゃない!?
797人間七七四年:2011/11/20(日) 14:01:13.36 ID:xvPva25I
いや、そもそも赤穂の浅野家中にとって吉良は「仇」じゃない、という最大の問題がある
現代の価値観はもちろん、当時の価値観ですら(「主君の無念を晴らす」という点で
賞賛されてはいたものの)批判的な意見があったレベル
まあ、元禄期は価値観の転換期だったので、ある意味仕方がない事件だったのかもしれん
犯罪被害者なのに殺された吉良にとっては迷惑この上ないが
798人間七七四年:2011/11/20(日) 15:08:13.51 ID:4YAEjLPM
綱吉が喧嘩両成敗にしとけば死なずに済んだのにな。
799人間七七四年:2011/11/20(日) 15:23:14.19 ID:xvPva25I
>>798
喧嘩ではないので、両成敗も難しい
純粋に単なる乱心(幕府への叛意などは皆無)なので、元禄以後なら
赤穂藩を潰した上で大学を旗本として再興、くらいが相場
それなら事件は起こってないだろうな

ちなみに大学は後に旗本として取り立てられているので、吉良は本当に殺され損
800人間七七四年:2011/11/20(日) 15:38:41.11 ID:4YAEjLPM
だがwikipedia見てると人違いで藩主を殺された熊本藩(細川氏)の家臣が両成敗で改易されるって
ビビった話とか出てくるよ。
801人間七七四年:2011/11/20(日) 15:56:58.75 ID:xvPva25I
>>800
あれは喧嘩両成敗じゃなくて、嗣子がなかったのが問題だったはず
喧嘩両成敗のほうは幕府が事情を把握した段階で問題なしになってる
802人間七七四年:2011/11/20(日) 15:59:56.22 ID:4YAEjLPM
>>801
あー、そうだった。誰やら知恵者が「まだ生きてる!!」って事にして嗣子の届けを出したんだっけ。
803795:2011/11/20(日) 17:38:04.67 ID:pAM+9dwJ
意外と>>795反論少ないけど
歴史板なら常識なの?

異論無さ過ぎるのもつまらんのだが、、、
804人間七七四年:2011/11/20(日) 23:43:19.15 ID:vqkKFmLA
あらためて言うまでもなく常識だし
ちょっときもいよ
805人間七七四年:2011/11/21(月) 01:32:41.86 ID:A/GTcnmx
なら何で毎年末になると判官びいきな論調になるの?
806人間七七四年:2011/11/21(月) 01:37:26.88 ID:efTpz/B8
えっ
でも賛同もかなりあったんだろ。
儒学者や幕閣の中にも賛同者かなりいたと。
と吊られてみる。
807人間七七四年:2011/11/21(月) 01:43:31.45 ID:AyCt4ajQ
いや常識ってのは「キレて不意打ちしたのに、死に掛け討ち漏らしたバカ殿」って部分だけね
808人間七七四年:2011/11/21(月) 02:56:43.92 ID:y+hwBPeY
刃傷事件の関係者は小大名か旗本が多くて、例外は>>799
細川宗孝と堀田正俊くらいか
前田が織田を殺害、という名前だけは派手な事件もあるけど、
どっちも傍流

しかしこういう事件があったとき、本当の小藩と大藩の支藩では
やっぱり処遇に差が出たのかな
809人間七七四年:2011/11/21(月) 02:57:25.13 ID:y+hwBPeY
>>799じゃなくて>>800だ、ごめん
810人間七七四年:2011/11/21(月) 19:24:39.22 ID:iaail4rw
大聖寺藩は7〜10万石の陣屋無しだけど
陣屋無しじゃ1番なんだぜ? とか言えるなw
811人間七七四年:2011/11/21(月) 22:45:07.77 ID:sJ1QM5uA
こないだ読んだ小説では喜連川家の家来がは下野の万石以下の連中の中ではうちが一番の大身だって嬉しそうに語ってた
812人間七七四年:2011/11/23(水) 04:30:41.97 ID:hR8ZorIL
文字通り、上見て暮らすな、下見て暮らせ.
813人間七七四年:2011/11/23(水) 19:44:01.41 ID:mweOSKKG
大名格なんだから、大名未満で1番大身に決まってんだろw
814人間七七四年:2011/11/23(水) 23:46:39.13 ID:b5o+orfK
十万石格だからな
宇都宮藩が途中で十万石を切ったので、万石以下どころか大名を含めてすら
下野で最高格だった時代が長い

ただ、石高で言うと万石以下で最高(9500石)だった横田家が下野にも領地を持ってるな
815人間七七四年:2011/11/24(木) 23:05:10.90 ID:njpsc/C1
そういう情報どこで入手するの?

そういう図鑑でも持ってるの?
816人間七七四年:2011/11/25(金) 01:55:32.78 ID:aV8SXLE3
>>814
そのクラスの大身旗本の領地を新たに開発して表高が1万石になったら大名になれるんかね?
817人間七七四年:2011/11/25(金) 02:02:54.20 ID:6L4UV24m
>>816
幕府に届けて認めてもらえばなれる。
818人間七七四年:2011/11/26(土) 23:14:38.96 ID:fki4RkJb
>陣屋無しじゃ1番なんだぜ? とか言えるなw
これ城なしだったな。 お前ら突っ込めよ(′・_・`)
819人間七七四年:2011/11/26(土) 23:14:55.29 ID:fki4RkJb
>陣屋無しじゃ1番なんだぜ? とか言えるなw
これ城なしだったな。 お前ら突っ込めよ(′・_・`)
820人間七七四年:2011/11/26(土) 23:31:02.59 ID:qNkwpw6e
二度言う程大事な事なのか。
821人間七七四年:2011/11/27(日) 06:40:41.16 ID:mR7ckfS+
家康公の長女を娶った奥平信昌を調べてみた。
長篠の戦いで、家康公から重臣12人を厚く労って貰えたらしい。

重臣だけで12人って、、、どんな大大名だよっと思ったら
当時はたった3万石www
822人間七七四年:2011/11/27(日) 08:26:25.50 ID:89FB/83F
奥平は親戚がいろいろいるから、それも含めて12人なんだろう。

それから、たった3万石wって、徳川領が三河遠江合わせて約50万石しか
なかったうちの3万石だぞ。大身じゃないか。
ちなみにこのころの奥平は、井伊と同じように外様の家臣。
823人間七七四年:2011/11/27(日) 08:40:58.33 ID:PVp3Vjj6
中津藩奥平氏は後に大藩に遇されるも
幕末に速攻と徳川幕府を裏切るんだよな。
酷過ぎる。
824人間七七四年:2011/11/27(日) 09:54:29.58 ID:sNngpY6q
井伊もなー
825人間七七四年:2011/11/27(日) 17:15:57.59 ID:PUck/iP3
なんで安政の大獄の仕返しを幕府からされたのか理解できへん。

明治になって新政府からされたのならわかるんだが・・。
826人間七七四年:2011/11/27(日) 17:34:49.62 ID:oDfMWRb7
田沼意次が次の松平定信の時代になると身ぐるみ剥がされたのと同じ事だろ。
827人間七七四年:2011/11/27(日) 18:03:37.17 ID:mR7ckfS+
幕末かなり興味ない!!


>徳川領が三河遠江合わせて約50万石しか なかったうちの3万石だぞ
3万石は関東左遷の時らしいけど、
信玄死んだ長篠時代でも70万石くらいは無かったか?
828人間七七四年:2011/11/27(日) 18:21:10.92 ID:hOC6OuRB
家康傘下の武将って、知名度の割に関東移封で石高制になるとあれ?って感じがあるんだよな

しかし奥平はうまくやったよな
三方衆の中では一番松平に反抗的だったのに一転。。。
829人間七七四年:2011/11/27(日) 19:04:53.17 ID:J2KGfTc4
>>828
幕政に参画できる家って石高デカくないじゃん
逆かな、権力や権威あるところに財力まではやらない感じ
830人間七七四年:2011/11/27(日) 20:14:57.88 ID:oJUWls/y
>>829
よくよく考えると本当に上手く出来てる制度だよな。
家康自身がそうであったように幕政に参加できる家に財力まで与えると
碌なことしない輩がいずれ出てくるって分ってたんだろうな。
831人間七七四年:2011/11/28(月) 12:04:17.99 ID:J7mHv+Xi
>幕政に参画できる家って石高デカくないじゃん
むしろ国持ちは、御三家と外様だけな気が、、、

小藩になんてどうせ何も出来ないんだから
累進的なお役目を実施すれば良かったのになぁ。
832人間七七四年:2011/11/28(月) 14:06:40.67 ID:/022etSv
例外中の例外に譜代で30万石と国持ち級の石高で、しかも大老にまでなれた井伊なんていうのが
833人間七七四年:2011/11/28(月) 16:40:05.51 ID:EGft9K4u
あれが酒井や本多ならわかるけどなんで井伊なんだろうね
って言うか幕初はそこまできっちりしてなかったのだろうね
堀田家なんて外様どころか浪々の身からスタートして二代目が老中、三代目は大老にまでなってるもの
834人間七七四年:2011/11/28(月) 17:51:48.48 ID:GGUIer0l
気になったので調べてみた。
春日局の旦那は稲葉正成で
堀田正盛はその外孫だから重用されたのか。
835人間七七四年:2011/11/28(月) 18:34:05.51 ID:ybrQ7FEJ
国持ち級の譜代なんてのは、それこそ「徳川にこいつがいなくなったら徳川終了」とまで言わせるくらいには、
「徳川の近すぎる」か「徳川直系」位。

こいつらは「徳川に反抗うは家の恥=お家滅亡」と考えてるしな。

まあ、井伊はあれ1家しかないから。
本多や酒井は本家分家合わせても結構な数あるし。
836人間七七四年:2011/11/28(月) 20:20:40.12 ID:jWGv4zga
越後与板藩2万石を忘れてもらっちゃ・・。
837人間七七四年:2011/11/28(月) 20:23:58.43 ID:Y6xEEM8s
>>830
秀吉最大の失敗は家康を中途半端に追いやったこと。
やるなら島津を潰して九州丸ごと与えるまでしてでも
政権から追い出すべきだった。
838人間七七四年:2011/11/28(月) 21:08:03.14 ID:ybrQ7FEJ
>>836
支藩ででしょ?>与板藩
839人間七七四年:2011/11/28(月) 21:41:18.25 ID:XDbszfNQ
家康公がちゃんと「外様は必ず30万石ごとに分割
御三家以外は絶対20万石までで、なるべくまとめろ」
って遺言しとくべきだったな。

まあ「奥は出しゃばるな!」のほうが重要かw
840人間七七四年:2011/11/28(月) 21:49:53.77 ID:cLXUi7gV
>>831
お前ら越前松平家を忘れてるぞ。結城秀康75万石だぞ。
会津松平家も有るぞ。23万石だけど。
841人間七七四年:2011/11/29(火) 00:18:04.79 ID:dmiLxNFy
>>838

彦根井伊とは別家だお。

どちらかと言うとこちらが本家。
842人間七七四年:2011/11/29(火) 01:03:14.30 ID:04pg4R1u
>>835
大久保なんて大名だけでなく旗本御家人にも多数いて、大久保を名乗る家は九十九家あると言われていたとか。
843人間七七四年:2011/11/29(火) 03:04:55.98 ID:zWTylDBu
>>840
越前松平の系統は、越前はもちろん、津山、松江でもそれぞれ国持大名
扱いなんだよなぁ。
ただ、親藩なので幕政参加はできないけど。
844人間七七四年:2011/11/29(火) 13:24:02.70 ID:CRg3IQ8T
越前松平家は
前田の抑え?として縮小しながらも続いてたんだな
改易されたと思ってたわw
845人間七七四年:2011/11/29(火) 16:16:14.23 ID:zWTylDBu
>>844
幕末の大物中の大物、松平春嶽はどこの藩主だと思っとったんじゃい
846人間七七四年:2011/11/29(火) 19:15:35.33 ID:HChCWkVD
あくまでも「制度上は」親藩からの幕政参画は不可。
幕末の動乱期にもなりゃ、制度にとらわれてばかりもいられないよ。
847人間七七四年:2011/11/29(火) 22:41:35.07 ID:NK0VZfow
越前家はうまい具合に越前家内部で牽制しあってる感があって、
それで無事だったのかもしれない
未だにwikipediaでは福井と津山で正統争いしてるしw

いろいろ問題を起こしつつもそれでも残されたのは、出自以外にも
「一方だけを潰したらもう一方が増長するかも」という
思惑があったのかもね
848人間七七四年:2011/12/01(木) 12:53:01.43 ID:pwTqUUuh
越前家は将軍に成れなかったからって
ゴタゴタし過ぎだろこれw

ウィキが冗長過ぎてワケ分からん。
誰か5行で概要まとめてくれ!
849人間七七四年:2011/12/01(木) 20:48:24.11 ID:kLNkJfo7
越前松平は大大名なのでスレ違い
850人間七七四年:2011/12/02(金) 00:03:48.29 ID:+9WTMMGK
「長男の家」しかよりどころのない津山が難癖つけている、と感じてしまうな
秀康の家系が長幼の序を唱えるのは危険な気もするが

しかし秀康の子の五家全部が大〜中大名なのはすごいな
秀康全然冷遇されてないw
このスレの対象になりそうなのは支藩くらいか
851人間七七四年:2011/12/04(日) 20:59:37.29 ID:BNId0+Xa
峰不二子の声優が、町民から将軍生母になって
零細大名に取り立てられた増山さんだったw
852人間七七四年:2011/12/04(日) 22:24:21.00 ID:eJCEUC/3
増山正利が有名だけどその弟も大名になってるんだよな
しかも養子の先が那須家
853人間七七四年:2011/12/07(水) 18:28:40.37 ID:aermK8Zk
元町民だから、家老どころか足軽対象クラスにも
強く言えないお殿様w
854人間七七四年:2011/12/08(木) 00:33:02.84 ID:6Qj/m5Un
んなもん教育されるでしょ
将軍の叔父がヘコヘコしてたら徳川家の沽券に関わるし
855人間七七四年:2011/12/08(木) 12:26:48.22 ID:VUIZyXBC
ヘコヘコはしなくとも、
「たった1万石しか貰ってないポッと出大名なのに
窮屈過ぎるだろ!!」とかは思ってるだろう。

町民上がりで将軍の叔父とか、
大名行列も御三家あたりから護衛が付いたりで
身の危険は無いだろうけど
日本一窮屈な小大名だったろうなw
856人間七七四年:2011/12/08(木) 12:31:22.22 ID:QN9Iu8G2
だが小大名マニアにはうってつけの良いネタ大名だ
857人間七七四年:2011/12/08(木) 13:33:14.22 ID:VUIZyXBC
確かに萌えるけど、ちょっとポイントが違うんだよなぁ。
九州四国とか物凄い僻地で、大藩に隣接してる
完全独立系小大名とかのが、悲壮感があって萌える。

でも幕末だと素通りされてるとこばっかなんだよなw
858人間七七四年:2011/12/08(木) 13:37:56.64 ID:KrMJuAmS
大村藩とか人吉藩なんて長崎や鹿児島みたいなホットスポットの隣なのにマジ空気だよな
859人間七七四年:2011/12/08(木) 14:24:40.45 ID:xHikqhT0
小藩で幕末動乱期に目立つ動きは難しいが、
美濃高須藩は、動乱の主役級を次々生んだという意味では
薩長の次といっていいぐらい存在感を放っている。
まあ、藩ではなく藩主個人の功績?だけど。
860人間七七四年:2011/12/08(木) 14:42:08.14 ID:VUIZyXBC
ウィキには載ってないw

幕末だと影薄いから、関が原とか小田原攻めの時の
小大名の右往左往振りは面白そうなのに
赤座とかしか出て来ないんだよなぁ。
美濃の小領主が山ほど居たはずなのに、、、
861人間七七四年:2011/12/08(木) 21:34:08.44 ID:m562V2Sj
関ヶ原なら上杉討伐軍に加わっていた筈なのに取って返して西軍に加わった、空気読まない奴が
真田昌幸の他にも誰か居たろう?
862人間七七四年:2011/12/08(木) 21:42:13.41 ID:w3ZySQRj
>>859
美濃高須藩は御連枝の超名門なので、石高が低いとは言っても
普通の小藩とは違いすぎる
御連枝であれば、事情によっては将軍になることすらできるわけで
863人間七七四年:2011/12/08(木) 23:14:54.34 ID:P65U+TwG
>>862
越前葛野藩3万石の藩主、松平頼方の例があるしねい。
864人間七七四年:2011/12/09(金) 00:10:24.04 ID:b1cFMY4Z
>>861
田丸さんだねw
865人間七七四年:2011/12/09(金) 00:40:41.05 ID:0Red4JUz
田丸麻紀か?
866人間七七四年:2011/12/09(金) 01:13:00.38 ID:1LHi2PKQ
>>863
将軍までいかなくても、御三家はどれも途中から御連枝が継いでいるしね
まあ、将軍家嫡流(家綱まで)も館林家(綱吉の子まで)も甲府家(家継まで)も
全部断絶してるし、嫡流だけで家が存続できるわけない時代だからなあ

しかし別格の規模だった高松藩はともかく、高須藩や西条藩はどういう暮らしだったんだろう
三万石とはいってもいろいろ美味しかったのか、それとも小大名なのに
親藩なせいで重職にも就けない、そのくせスペアとして小規模なまま
存続しなければいけない、というストレスに満ちた暮らしだったのか
867人間七七四年:2011/12/09(金) 01:37:47.65 ID:ae/OIeXk
>>860
美濃と越前はそういう大名の宝庫だよな
旧丹羽系、旧秀長系とか、近江あたりの国人が織田〜豊臣政権で組み込まれたドマイナー系とか萌える
868人間七七四年:2011/12/09(金) 16:15:51.41 ID:aX2KKAGZ
105百石の苗木城・遠山家とかなw


天下泰平なんだから、あんまり向上心持たずに
まったり暮らしてたでしょ >御連枝
869人間七七四年:2011/12/11(日) 09:29:14.15 ID:BJyB1i3m
遠山の金さん
870人間七七四年:2011/12/11(日) 23:33:22.53 ID:z5Z9iR1G
スレ的には幕末の鳥羽伏見の戦いで山を6人で守ってた高槻藩がナイス貧乏藩か?
871人間七七四年:2011/12/12(月) 12:49:40.36 ID:yDd94li+
ふっ、そんなのはこの小大名スレでは、
>>476-479 で取上げられてるぜw
872人間七七四年:2011/12/13(火) 12:26:36.59 ID:mYItY/Jr
>旧丹羽系、旧秀長系とか、近江あたりの国人が
この辺詳しく!
873人間七七四年:2011/12/14(水) 00:27:11.35 ID:odVURKO0
>>872
旧丹羽系だと丹羽長正(長重弟)、上田宗箇、青山宗勝、寺西是成、戸田勝成、青木一重、太田一吉、村上義明、奥山正之、長束正家など
旧秀長系だと藤堂高虎・桑山重晴(まあこのへんは…)、岸田忠氏、横浜茂勝、杉若氏宗、寺田光吉など

佐藤方政(美濃)、池田秀氏(近江)、溝江長晴(越前・朝倉の旧臣で大名って珍しいのでは)あたりの地生え系も味があるね
874人間七七四年:2011/12/14(水) 18:47:59.88 ID:usciymW+
西軍ばっかでウンチクも無いから萌えないぞ!w
今日は殿中で御座るぞの日だな。



小藩でも必ずある役職って、
大名 家老 侍大将 足軽 ほかに無い?
875人間七七四年:2011/12/16(金) 06:54:46.71 ID:zSDJpOEt
下士官にあたる足軽組頭はあるだろうけど
部隊が少なくて侍大将が兼任してそう
876人間七七四年:2011/12/17(土) 11:46:05.49 ID:ho7pm2x9
有名な血戦の別働隊を務める、武将が千前後だから

・大名(一門が最高司令官の場合も)
・武将(侍大将? 平均1千前後で、総勢の1割超をまとめる)
・足軽組頭(200程度を束ねる)
・足軽頭(40程度を束ねる)
・足軽(個々人)

「全」兵数が500程度な零細大名は、
足軽組頭をすっ飛ばして、7掛けくらいに減ると思うw
877人間七七四年:2011/12/18(日) 23:28:44.18 ID:GHi1UU0G
そんなシステマチックなもんじゃねえよ
878人間七七四年:2011/12/19(月) 01:56:20.32 ID:Ug4Myg7P
馬廻りはあるとおもうなー・。・
879人間七七四年:2011/12/19(月) 05:27:13.66 ID:dKBhxLhK
家老兼侍大将兼足軽大将兼足軽組頭兼足軽
880人間七七四年:2011/12/19(月) 17:59:35.48 ID:auIWptl3
「功名が辻」で描かれた五藤吉兵衛はそんな感じだったな
一豊の駆け出し時代

でも主人が小身のころから仕えていたからって家老になれるもんでもないしなあ
881人間七七四年:2011/12/19(月) 18:38:05.39 ID:1MTvSDe8
でも秀吉子飼い見てみると、「ぜってー猿付きだったから
大名に成れただけだろ!」ってヤツばっかじゃね?

金正日みたいな伝説ねつ造としか思えんわ。
882人間七七四年:2011/12/19(月) 19:54:10.79 ID:kQvkkFp3
藤吉郎時代の馬の口取りをしていたという毛利勝信がやっとこ6万石だからなあ
大領もらってるのは一族とか元寄騎

883人間七七四年:2011/12/19(月) 20:15:43.16 ID:1MTvSDe8
いや、それ現代で言ったら創業期に一般事務で雇われて
普通に仕事してただけで、
プロ野球グループの子会社社長みたいなもんでしょ?
スゲーと思うんだが、、、
884人間七七四年:2011/12/19(月) 21:42:58.85 ID:bgKlZYc/
あの時代、小身の名族でも何でもない武将を見捨てずに従っていくこと
自体に価値があるからなあ
秀吉の場合は特に、「忠誠心がある」というだけで百戦錬磨の豪傑と
同じくらいの評価を受けても不思議ではない
現代だって、「創業期に普通に仕事をしていただけで大企業の取締役」
みたいな事例は結構ある
885人間七七四年:2011/12/20(火) 00:11:27.41 ID:lORYQaia
>>876
500人を動員かけられる大名だと領地は3万石弱くらいか?

1万石クラスの大名が200人率いるとしたら大名直率が100で
親族・家老クラスが50と50を率いるんかね?
886人間七七四年:2011/12/20(火) 12:25:19.71 ID:wtN0NsB/
>>「全」兵数が500程度な零細大名は、
> 500人を動員かけられる大名だと領地は3万石弱くらいか?
一応、生きるか死ぬかの「血戦」籠城として
1万石の零細大名を想定してる。 砦かも知れんけどw
887東郷A:2011/12/20(火) 23:05:50.51 ID:zvXp7iKb
最低!1万石は超えたいな
888人間七七四年:2011/12/20(火) 23:26:23.20 ID:2lhdLLq/
1万石越えないと大名じゃないからな。
889人間七七四年:2011/12/21(水) 00:05:50.64 ID:TFDSPqjA
主家の那須が旗本で臣下の大田原は大名

江戸城内で顔を合わせたらどうなったんだろ。
そんな機会はない?
890人間七七四年:2011/12/21(水) 12:52:07.98 ID:vUvlgthN
織田家とか主従すら逆転しまくりじゃんw

豊臣血族で生き残った大名居たっけ?
891人間七七四年:2011/12/21(水) 16:03:24.18 ID:4G6nGub4
氏族豊臣氏なら高台院の一族の木下が2家
892人間七七四年:2011/12/21(水) 18:27:01.25 ID:F50U/ALH
豊臣秀勝の子が九条関白家に嫁ぎ延々だ時は流れて子孫の一人が今上の帝に
893人間七七四年:2011/12/21(水) 20:10:59.49 ID:PEy1FcV6
皇后 先祖 では出て来ないぞ?


近畿かそこらの木下藩って、
豊臣一門とは思えないマイナーさだよなw
2家目ってどこ?
894人間七七四年:2011/12/21(水) 21:00:50.28 ID:gdbEaOuU
木下家定の次男利房備中足守25,000石と三男延俊豊後日出25,000石の2家
近畿に木下家ってあるのか?

豊臣完子
九条家に嫁いで長男が2条家、次男が九条家
豊臣完子─九条道房─九条待姫─九条輔実─九条幸教─二条宗基─二条治孝─九条尚忠─九条道孝─貞明皇后─昭和天皇─今上天皇
895人間七七四年:2011/12/21(水) 21:27:39.74 ID:PEy1FcV6
秀吉の血は絶えて?るのに、奥さんの血は残ってるって事かwww
それ言い出したら、あらゆる天下人の子孫じゃね? > 天皇


俺も偉人の末裔なのかなぁ(′・_・`)?
896人間七七四年:2011/12/21(水) 22:29:55.00 ID:9zd2Llur
頼朝の子孫はいないんじゃね>皇室
897人間七七四年:2011/12/22(木) 01:33:04.58 ID:hQiCgNyj
つ島津さん
898人間七七四年:2011/12/22(木) 20:29:45.90 ID:yNRYuXyq
お前ら凄まじい知識量だなw



>>876 に戻って、、、馬周り(伝令)は居ただろうなぁ。
899人間七七四年:2011/12/22(木) 23:08:29.17 ID:wkhjrUfO
お前が何も知らんだけ
900人間七七四年:2011/12/23(金) 11:01:58.13 ID:PYZDPFOv
頼朝の庶子が島津の先祖らしい。あとは宮中某重大事件でググる。
901人間七七四年:2011/12/23(金) 23:34:00.47 ID:1GnyjVmd
諸藩のウィキ見てると、大身重臣が結構多いんだけど
幕府みたいに権力は小者、財力?はその他へ
って政策はNGだったのだろうか?
902人間七七四年:2011/12/24(土) 11:00:00.77 ID:MUIe39d1
NGかもしれない
903人間七七四年:2011/12/24(土) 20:26:19.38 ID:1smnzfGt
それらしい理由あるの?
904人間七七四年:2011/12/24(土) 22:13:40.09 ID:Avl1Gdgk
小身の切れ者に藩政改革を任せたら最初はちょっと成功するけど、
藩内での対立が極端に激化してお家崩壊寸前になる、というのは
いくつか事例があるな

普通の藩では功臣が大身なので、どうしても権力と財力が同一人物に
集中してしまう
幕府の場合は最初から別だったのが功を奏したんだろうな
功臣にあまり大封を与えなかった家康を「ケチだった」と評することが
多いけど、そうは言っても家康はさすがに家康なので、統治のことも
考えた結果だろう
905人間七七四年:2011/12/25(日) 23:09:02.80 ID:GfeLBEho
幕府の御付てどうなんだろう・・・。
岡崎の長坂血槍とか長岡の中根あたりの立場は?
906人間七七四年:2011/12/26(月) 12:51:44.87 ID:hZr/fz5z
>>904
それって幕府から狙われた外様とかが
失敗続きなんじゃないの?
907人間七七四年:2011/12/26(月) 20:56:56.24 ID:2br82wSk
>>905
調べたけどどんな職務だったのかすら分からんw
908人間七七四年:2011/12/26(月) 23:50:16.64 ID:AG6pL2FY
御付け→御御付け→御御御付け(おみおつけ)

の事でないなら付け家老の事か?
909人間七七四年:2011/12/28(水) 22:46:44.44 ID:+H4WbDOM
付け家老だから、陪臣じゃあないよな?
910人間七七四年:2011/12/29(木) 00:31:23.39 ID:rUwZU0bf
いや、附家老は陪臣。だからこそ、独立大名になろうとした家も多いわけで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%99%84%E5%AE%B6%E8%80%81 参照して。
911人間七七四年:2011/12/29(木) 01:15:37.44 ID:8e7WJC6t
というかさ、武士の先祖たどっていくと清和天皇とかにいくから戻ったともいえなくもないよw
912人間七七四年:2011/12/29(木) 12:01:52.93 ID:ARqZPDfc
越前の本多の話を見ると作左って意外としたたかなんだな
913人間七七四年:2011/12/31(土) 19:38:25.24 ID:crPn243i
小大名は将軍への年賀も、最後の最後だろうなw
914人間七七四年:2012/01/03(火) 05:03:15.41 ID:4M/EMQXD
林家は一番だ
915人間七七四年:2012/01/05(木) 12:50:52.74 ID:Al8qw42U
木更津市の請西藩(じょうざいはん)林氏か。
一番長生きした大名みたいだな。

ウィキ以上の情報は知らないがw
916人間七七四年:2012/01/05(木) 13:42:01.25 ID:3Bju19xE
落語の一門かとおもった
917人間七七四年:2012/01/06(金) 12:07:08.65 ID:dMACUDAB
わろたw
918人間七七四年:2012/01/15(日) 02:02:07.89 ID:SgsI4Xxh
大名の家に生まれたからには
石高を1万未満にして旗本にならぬようにせねば
919人間七七四年:2012/01/15(日) 11:26:29.04 ID:P7u+QPDT
一人っ子の旗本同士が縁談で家禄をあわせて大名になることはできたのかなあ?
920人間七七四年:2012/01/15(日) 18:50:05.16 ID:9rtG5IJz
>919
それでは片方の家が跡継ぎなしとみなされて領地は召し上げになるだろう
頭のいい人がいろんな法令を駆使したり仕事で実績をあげて褒賞として相続できても飛び地になってかえって管理に困りそう
921人間七七四年:2012/01/15(日) 22:03:35.40 ID:Ri312yi8
旗本の家督は公的なものなので、勝手に統合するのは不可能
お上が統合するよう決めることはあったかも(大名の統合はあった)

分けるほうは結構頻繁にあって、1万石くらいの大名が分割相続で
旗本になったこともある
922人間七七四年:2012/01/15(日) 22:45:45.33 ID:jPi6jdLg
一人娘しかいない時点で断絶だよな
江戸時代はやたらと養子が多かったイメージがある
幕末の志士なんかでも兄弟全員苗字が違ったりとかいるもんな
923人間七七四年:2012/01/15(日) 23:18:53.14 ID:tIPswftl
娘しか居なくても婿を取れば良い。

兄弟でも2番目はスペアの役割があるけど、4とか5になると家督を相続する可能性はかなり低いので
養子にいくか婿にいくかしないと身の置き所が無くなる。不要になったけどもはや婿にもいけない部屋住みは
厄介叔父という大変肩身の狭い境遇になる。(部屋住みの時点でも肩身は狭いけど)
924人間七七四年:2012/01/16(月) 02:01:52.89 ID:InkY7Hcd
>>923
すぐ下の弟より結構歳の離れた弟がスペアor養子の対象になってる感じだけど。
925人間七七四年:2012/01/16(月) 12:58:39.86 ID:NMb67wvR
でも万石以下のがお気楽なんでしょ?
926人間七七四年:2012/01/16(月) 13:24:42.58 ID:lQI8D3uc
     /  ̄ ̄ ̄ \ 「さっき城の前に霊柩車数台止まってたぞ」
    /       / vv  
    |      |   |           
    |     (||   ヽ             (``7‐、 _
    ,ヽヘ /     |          __/´    ' ノ  
   /\\       /          ン-o= ─ 、/_ 
  /    \\  __ /          !O7。 /‐o‐(::::) 
 /         `\|               '、'`二'ヽO  ン
 |         ヽ              ヽi_:ノ!  /
 |  |   l    |               u∪  l
            (    /  \_
             /       /  ヽ
         ...―/  高橋      _)
        ノ:::へ_ __    /
        |/-==-      \/_
       / ヽ―ヽ  -==-_(::::::::.ヽ
      |○/ 。  /    (:::::::::::::)
      | 人__人 ○    ヽ/
      ヽ   __ \      /
       \  | .::::/.|       /
        \lヽ::::ノ丿      /
          しw/ノ___-イ
           ∪
   ┏━━┓               ┏━━┓
   ┗┓┏┛   ┏━━┓      ┗━━┛
┏━━┛┗━━┓┗━━┛      ┏━━┓
┗━━┓┏━━┛            ┗━━┛      ┏━━┓
     ┃┃             //         // ┗━┓┃ 
    //     ┏━━━━//  ┏━━━━// ┏━ ┛┗┓幺夂
  //       ┗━━━━     ┗━━━━    ┗━━━┛ 小 ミ
927人間七七四年:2012/01/16(月) 13:25:39.34 ID:lQI8D3uc
誤爆った
928人間七七四年:2012/01/16(月) 23:00:19.71 ID:vJMlLGjE
>>924
下にも居れば年の順に片付けるのも理に適ってる。
929人間七七四年:2012/01/16(月) 23:10:01.16 ID:zBp1itY9
そこそこの歳以上だと出世に影響するって面あるんじゃないか?
家督の親が長年の功労で良い役職に付いてた場合とか次が若くても目を掛けられたりするだろうし
身分が家禄よりも役職で上下し易い小領主とかは特に
930人間七七四年:2012/01/17(火) 12:04:56.95 ID:48yN/ei6
禄が高く維持されるんなら、無役の方が美味しくね?
931人間七七四年:2012/01/19(木) 09:46:07.39 ID:gqIoXwFL
不名誉っつうか二軍扱いなんじゃないか>無役
役料もないし旗本の特権である将軍への拝謁も出来ない。
932人間七七四年:2012/01/19(木) 12:54:54.36 ID:4iQjCulg
無役ってヒキってれば良いの?
933人間七七四年:2012/01/21(土) 01:05:56.11 ID:DyPQPJ6i
無役でも登城日みたいなのがあったんじゃなかったっけ?
934人間七七四年:2012/01/24(火) 12:58:47.71 ID:5odog/JN
働くと月給40万、ほぼ働かないと月給20万
みたいなもんで、働きたく無いよなw
935人間七七四年:2012/01/25(水) 20:14:52.44 ID:g5UcpFOe
大名ともなれば一応軍役はあるし・・・
仕事したけりゃご重役のところ回って就職活動。


936人間七七四年:2012/01/25(水) 23:11:36.04 ID:IvuKoYIh
治水工事とか新田つくりとか領内を整備しようとしても金がないので何も出来なさそう
937人間七七四年:2012/01/28(土) 10:06:11.08 ID:rR1juNdk
吉良上野介が堤を築いた話がなかったっけ。
938人間七七四年:2012/01/28(土) 10:20:51.78 ID:ajI8zyZg
>>937
私財を投じて作った黄金堤というやつだな
矢作川水系の河川の反乱に領民は度々悩まされていたが
吉良公のおかげで改善されたという
今はマイナーな史跡になってる
吉良は高家筆頭の名家だけあって小さな街でも古いお寺がおおいね
939人間七七四年:2012/01/28(土) 15:08:41.61 ID:sMK3K/PA
その私財も上杉等々から巻き上げた金だな。
940人間七七四年:2012/01/28(土) 20:32:20.26 ID:nKg8IXQZ
新田開発って「半分はお前のもんになんだぞ!」って
成功報酬でできんもんなの?
941人間七七四年:2012/01/28(土) 23:59:10.09 ID:NuDxf/RV
金が無い
人手が足りない
開墾する場所が無い
942人間七七四年:2012/01/29(日) 20:51:14.97 ID:RlC/Cfhd
天災でもない限りは、やればやるだけ結果が出そうな農業に
頑張る百姓集めて新田開発するだけじゃ無いのか?

家庭菜園でもかなりの収穫出来るんだけどなぁ。
943人間七七四年:2012/01/29(日) 21:23:29.60 ID:MPoajUZw
そう簡単なものじゃないと思うよ。
既存の田畑を耕すだけでも相当な労力だし。
下手したら数年は収穫が期待できない新田開発なんて余裕がなきゃできんでしょ。
中小企業が開発に資金や人材を回せないのと一緒。
944人間七七四年:2012/01/29(日) 21:39:50.72 ID:wal7MVAF
いざ新田が拓けても田んぼを耕す人やそのコミュニティーの形成は楽では無いだろうな……
945人間七七四年:2012/01/29(日) 22:58:33.38 ID:nss4vpvg
>>944
村単位で新田の土地を割り振ったりしたのはそういう意味もあるんだろうな。>コミュニティーの形成
946人間七七四年:2012/01/30(月) 00:42:27.35 ID:Og9V37ll
このころの合戦て、どんなに劣勢でも相手の総大将倒せば
そこで戦は終わって勝利ってなってたの?
947人間七七四年:2012/01/30(月) 18:52:39.86 ID:PpzRxaa6
優勢な方面軍トップすらやられたの稀じゃ無いか?
今川以外の例を思いつかない。 長宗我部あたりは無理やりだし。

関ヶ原翌週の西軍小大名の本国とか、
想像するだけでキュンキュンするよなw
948人間七七四年:2012/01/30(月) 21:06:33.14 ID:Vjthdb4V
龍造寺隆信、三好実休、武田元繁、上杉顕定、上杉朝定、足利義明とか結構いるがな
949人間七七四年:2012/01/30(月) 22:48:02.20 ID:cnRWdYNm
竜造寺ってそんな死に方してたんだ、、、
徳川・織田・武田以外は大して詳しく無いんだなぁ。
950人間七七四年:2012/01/31(火) 21:15:47.00 ID:ogGYdy/1
>>948
それでもパッする大名が戦死ってのは龍造寺と今川と関東公方ぐらいって感じだよな
951人間七七四年:2012/02/01(水) 00:13:03.48 ID:z652Dgmj
関東公方は戦死してねえよw
それに三好実休は三好家最盛期の副将だし、阿波一国の支配者だったんだからインパクト大
952人間七七四年:2012/02/01(水) 01:20:04.67 ID:dRZLOL0i
そしたら陶隆房もじゃね?
953人間七七四年:2012/02/01(水) 01:35:00.70 ID:SekTSVrH
野戦で討ち死にした大名(当主)は数少ないのに、うち二件が下野で発生した
って話がどこかにあったな
小弓公方が大名かどうか判別できないが、>>948でいえば龍造寺・武田・
上杉朝定が該当するか
954人間七七四年:2012/02/01(水) 01:50:09.96 ID:n1+0Cfa6
100年以上経ってから、秀吉が突如村人を殺したという素晴らしいラスボスエピソードの
ネタとなった今川義忠とか、一向一揆にやられた長尾能景とか、挙げていけば結構いると
思うんだけどなぁ
955人間七七四年:2012/02/01(水) 11:03:21.90 ID:HZq0MDwK
大成せずに討ち死にしたボスの事なんて、
普通は風化して行くもんだからなぁ。

お前らは詳し過ぎるから、たくさん出るわけだw
956人間七七四年:2012/02/01(水) 16:14:04.57 ID:DupEhWcQ
>>943-945
新田開発すれば腹減らずに済むけど
現状は腹減ってて新田開発どころじゃない みたいな感じか?
957人間七七四年:2012/02/01(水) 17:08:15.58 ID:SekTSVrH
>>954
能景は当主じゃないという判断かと
まあ>>952の陶もそうだし、>>951の実休みたいなパターンもあるわけで、
当主に限定すること自体そんなに深い意味はないものと思われる

そして>>946に帰って考えてみれば、小大名どころか大大名でも総大将
(あるいは実質的な権力者)が倒れたら大敗に終わってるな
958人間七七四年:2012/02/01(水) 21:36:04.65 ID:eU8QYPkV
全軍に動揺が走るかが決め手だよね。
当主や総大将にかかわらず、猛将の戦死とかでも敗走するだろうし。
959人間七七四年:2012/02/01(水) 21:42:52.44 ID:yuNYQqpT
ダメな先代が死んで良くなったりって無いのかな?w
960人間七七四年:2012/02/01(水) 21:50:30.62 ID:eU8QYPkV
敗戦で傘下の豪族の離反とかあるだろうから、
瓦解していくのが普通だよね。討死大名の子が、代替わりが原因で飛躍って思いつかない。
松平清康>松平広忠<徳川家康
これも直接は関係ないしねぇ・・・
961人間七七四年:2012/02/01(水) 22:50:02.52 ID:dRZLOL0i
幼主幸松丸をいただいていた毛利は幸松丸(9歳)が死んで元就が家督を継いで飛躍したと思う。
962人間七七四年:2012/02/01(水) 22:59:25.16 ID:SekTSVrH
>>961
毛利の場合は既に元就が実権を握ってた
というか、幸松丸の死自体が果たして自然死だったかどうか…
963人間七七四年:2012/02/02(木) 00:58:59.93 ID:IAVnIG1I
>討死大名の子が、代替わりが原因で飛躍
戦国時代以前なら大内義弘が応永の乱で戦死
→弟の盛見が降服した上で周囲をシバキ倒して追認させる荒業で復興とか
赤松満祐が嘉吉の乱で討伐→弟の孫の赤松政則が応仁の乱のどさくさで復興とか
稀に復興するケースもあるね。
964人間七七四年:2012/02/02(木) 12:45:00.48 ID:w5C+wIH0
あれを討ち死にといっていいのなら、伊達政宗さんち
965人間七七四年:2012/02/02(木) 13:47:14.44 ID:dFNkp/Os
大河の毛利の頃は、充分知識あったはずなのに
時代と場所がズレてて、登場人物がチンプンカンプンなんだよなぁ。
966人間七七四年:2012/02/02(木) 21:25:53.73 ID:Y9eK4RIN
967人間七七四年:2012/02/03(金) 02:09:21.35 ID:nalHr4kj
>>965
橋之助が元就で上川隆也が長男の隆元。陣内が陶。
968人間七七四年:2012/02/03(金) 20:43:06.34 ID:CwB+h4dC
一応小大名上がりだから
できたらダイジェストを頼むw
969人間七七四年:2012/02/04(土) 00:04:36.68 ID:HJDpVEVw
ダイジェストすると「しおしおでござる」に尽きる。
970人間七七四年:2012/02/04(土) 10:16:16.98 ID:x1xdmM+m
大名自体が戦で死んじゃってインパクト大は

信長>義元>龍造字 じゃないかな

最も戦という意味では義元最強かもしれんが

971人間七七四年:2012/02/04(土) 15:54:57.42 ID:0wovavSQ
松平清康公とか、頓死した逸材は多いはず。
972人間七七四年:2012/02/04(土) 17:28:47.91 ID:8MUmLlpw
清康の話ってどこまでが真実だったんだろうね
本人死んだらあっさり瓦解する脆弱な地盤だったし
徳川末裔による尾ひれがかなりついているんじゃねえの?
973人間七七四年:2012/02/05(日) 01:39:17.04 ID:vMBHPbhq
>>972
どうだろうな
ただ、竹千代の時代でも松平家が三河でそれなりの地位を
築いていたのは確かだし、清康一人の功績かどうかはともかく
そこそこの実績はあったんじゃないか
そもそも家康を神格化する観点から言えば、清康の功績を飾る必要はない
実際、広忠は実像以上に低く扱われているという話もあったはず
974人間七七四年:2012/02/05(日) 07:56:03.17 ID:ddHPbmnX
明治維新期の房総半島は凄まじいことになってるな。
975人間七七四年:2012/02/05(日) 18:23:43.58 ID:e1ANrGYp
そもそも しかみ像時点で脚色とか少ないんじゃないのか?
976人間七七四年:2012/02/07(火) 19:47:48.23 ID:yyBazTjg
>>974
キーワード頼む!
977人間七七四年:2012/02/08(水) 12:31:03.62 ID:nxD1bIZM
この前、鳥居勝商放送されてたけど、2〜3日に1度の
山城同士の定時連絡とかして無かったんだろうか?

俺が国持ちだったら、全ての砦や城に定時連絡便走らせるんだけどなぁ。
あと月例で侍大将以上集めて、自他国一般情勢の勉強会開いて情報共有すると思う。
978人間七七四年:2012/02/08(水) 14:26:08.66 ID:Z3y6/WWj
そろそろ次スレ?
俺は立てられんかった
誰かお願いします
979人間七七四年:2012/02/08(水) 21:29:06.85 ID:fQyb4ZDi
とっくに立ってるけど?
980人間七七四年:2012/02/08(水) 21:33:26.12 ID:5ZedoXuL
お前ら突然盛上るから、急いで建てたら
まさかの失速なんだよな( ´△`)

次スレ http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1328067099/l10
981人間七七四年:2012/02/08(水) 22:44:53.89 ID:Z3y6/WWj
スマン
スレタイ変わってたから気付かんかった
982人間七七四年:2012/02/08(水) 23:14:07.51 ID:nFNuif7W
>>977
侍大将が出かけた隙に国境の城が落ちるな。
983人間七七四年:2012/02/09(木) 00:17:43.08 ID:Ebolp0dc
そう言われれば、秀吉も侍大将程度の頃に
墨俣城将だったっけ?

城が山ほどあった頃は、侍大将でも城主に成れたんだなぁ。
984人間七七四年:2012/02/09(木) 00:23:07.08 ID:Ebolp0dc
>スレタイ変わってたから気付かんかった
ごめん、2年前の俺が思い付きで考えたスレタイだったから
全レス読み返しながら>>1 を俺の主観で充実させ、
見栄えを良くしてみた、、、つもりw
985人間七七四年:2012/02/09(木) 12:43:24.30 ID:eB3aXg/h
支城や砦の防衛態勢って、どんなん?

大ボスからの指示書に従って、
なるべく頑張る感じ?
一族とか率いて入城するのだろうか?
986人間七七四年:2012/02/09(木) 23:10:50.16 ID:LAf/QN34
小さい城主の首獲ればガタガタに出来るなら、
相打ち前提でその辺の忍びが討ち取りに来そうだけどなw

堀のない城なんて、寝所まで入るの難しく無いでしょ。
987人間七七四年:2012/02/09(木) 23:20:50.58 ID:i8kXajPQ
ここ数日、986みたいなバカが各所に湧いている模様。
988人間七七四年:2012/02/09(木) 23:29:34.37 ID:LAf/QN34
このスレ考案したの自体が俺だってのwww

早く次スレに移行したいから、
思いついた事書き込んでるだけだ。
989人間七七四年
備中の戦国大名三村家親は宇喜田を攻めている最中に宇喜多直家の刺客に狙撃されて死んだらしい。
弟の親成が機転をきかせて陣中の動揺を押さえ、兄が率いていた軍勢の指揮を代行し、余りに鮮やかな
引き際であったため、直家は暗殺成功の報告を容易に信じなかったという。