龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
123人間七七四年
佐賀で出版された図説本読んでたら、以下の記述があった

・後藤家信が蔚山の清正救援を主張した
・それが基で二人は親交を深め、清正は何度も武雄を訪れ家信と狩猟をしたり、
病身の家信を見舞ったりしている
・清正は隆信を尊敬していて家信に寺の建立を勧めた

これマジ?
たかが小禄の陪臣如きが軍議の場で発言権があったと思えないし、
清正が対等に付き合うとも思えないんだけど