【東アジア】李舜臣 VS 島津義弘【最強決戦】

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21人間七七四年

九州の民草達は降伏してもかつては敵だったと支城や村まで焼きまくり、逃げ出してきた九州人を人狩りし奴隷にして外国へ売却しまくり
略奪しまくり九州全土を飢餓国にしボロボロに荒廃させ
自らは安全な背後にいて九州の民草を先鋒や追撃の殿をさせて戦に狩り追い立て
城攻めでは九州同朋を人間の盾として矢弓の全面に立てて
和睦にきた者を拉致しまくり降伏を強要する下劣にして悪質な悪魔軍団異民族島津を赦さないだろうね。

島津軍の豊後での行為は凄まじかったらしい。 さらに豊後では異人島津軍とともに和人のみにかかる流行病まで流行して大量死になった。
その後の朝鮮出兵による男子減少とあいまって、「豊後後家」という言葉も生まれたそうだ。
豊後は戦国時代最も悲惨な目に遭った国かもね
島津軍の徹底的な略奪。フロイスの記述を見ると目を背けたくなるような生き地獄だったみたいだな

農耕技術が未熟なため自給自足できない薩摩人って
八幡(パハン)って職業を
大半の人々が従事してるって
宣教師の記録に書かれてるよね。
大小の船を多数用意してシナやその他いろいろな地へ行っては
略奪暴行強盗して戦利品を獲得する仕事。
ほんと化外の地だよな薩摩って。
それに薩摩の住人はここには薬すらない地だから去るなら薬を置いていってって懇願してるし
薩摩でもっとも優秀なキリシタンだった人も
薩摩に戻ってから、薩摩の貧しい土地柄ゆえかキリシタンの教えに背き
なぜか八幡になって海の向こうで戦死したって話を
宣教師が驚愕して書き残しているし。

火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、
 獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし。
火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
 肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、
 奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
 鉄の枷をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、
 もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
 ポルトガル人の協会や師父が硝石(火薬の材料)と交換し、
 インドやアフリカまで売っている。』

当時の日本に南蛮貿易での支払い対価はあまりないからねぇ。
東北の例で悪いが、伊達氏の「塵芥集」47条に逃亡した下人を捕らえた時の褒美額で女性を5貫文って書いてあるね。性欲に根ざすのか男性3貫文よりも高いね。
南蛮人は容姿や目を見た時の病気の有無などで値踏みしてたらしいから、もっと安く大量に仕入れたんじゃないかな。
欧米人よりも日本人女性は肌がきめ細かいし、体臭ないしで人気あったんだろ。
九州は人権とかもっとも薄い地方だから売れるならどんどん拉致って売るんだろうな。