801 :
人間七七四年:
上のほうで三斎様が出てきたので、その息子の話でも。
平成元年に、当時の熊本県知事夫人・細川佳代子氏が講演した内容だそうだが……。
「当時徳川幕府は、お家騒動を避けるために嫡子相続という制度をつくり、各大名もそれに倣いましたが、
細川家は一番優秀な男子が後継となることを実践しました。
しかし、廃嫡しても家を断絶させるのではなく、長男・忠隆の後は細川内膳家という分家になって今日まで続いております。(中略)
また、お家の犠牲となったとされる興秋にしても歴史の表舞台では細川家を廃された後、大坂方について最期を遂げたとなっておりますが、
本当は生きて天草に行き大庄屋になったのです。天草郡五和町御領の芳證寺に戒名が残っていまして、長岡姓で住み着き、興秋以降14代の墓が見つかっています。
これは忠興公が密かに生き残らせたためと思えるのです(後略)」
興秋といえば、大坂の陣にて豊臣方につき、戦後、忠興に切腹させられたと伝わるが、実際はどうだったのだろうか。
後世の作り物か、はたまた本当に興秋は生きていたのか。
そして三斎様はそんなに優しかったのだろうか。
802 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 21:34:43 ID:pANeEI2Y
実は生き延びてたんだよ説って必ず出るな。
真田も後藤も明石もあるし、秀頼もあるし。
803 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 21:37:13 ID:ji9e/rtg
赤マフラー願望は昔からあるんだな
804 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 21:40:35 ID:Yif4kBvg
逆赤マフラーな某大権現……。
805 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 21:41:10 ID:bmz+zGtW
石田三成も関ヶ原の乱戦の中で死んでたら生存説とか出てくるんだろうか
木下さんちのあの子は信じたい。
807 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 22:33:57 ID:AOEERJlx
>>800 黒田家はむしろ長政が家臣に気を遣いまくったおかげでうまくいったように思える
実際、堪え性のない孫世代で騒動起きてるし
808 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 22:46:10 ID:S53Emb2C
809 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 22:56:13 ID:hrpIbkif
だが、細川興秋は生年月日を見るとガラシャ幽閉中に仕込まないと
生まれることが出来ないのではないかと思われるのだ!
それに関する三歳様のコメントはない。
ガラシャ監禁絵巻
811 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:06:03 ID:fav5YG7+
ただの質にあらず妻としての使い道もある
812 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:10:41 ID:j6L5LHlq
O友S麟「人妻の緊縛ものと聞いて」
813 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:21:53 ID:S53Emb2C
>>812 T花D雪「殿、忠臣緊縛ものならこちらに。ささどうぞ」(#^ω^)ピキピキ
814 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:29:43 ID:KELpw04I
>>805 処刑されたのが影武者で(ryっていう生存説ならある
右手首と左足首
もうね、もうね。
816 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:32:59 ID:hrpIbkif
昭和33年「徳川秀忠遺骨調査」が行われていた。
そこで判明した徳川秀忠データが判明した。
推定身長:156.7cm〜159cm
体格:筋肉質
血液型:O型
埋葬状況:座した姿勢
遺骨保存状況:かなり悪い・縦方向に丈夫の重みがかかり遺骨が潰れていた。
と言う状況だったのだ。戦が少なくなった時代とは言え戦国の武士と言うことだ。
さて、秀忠の遺骨には「戦人(いくさびと)」としての秀忠を忍ばせるものが発見されている。
「骨にまで達した複数の銃創痕」
重ね重ね言うが、秀忠が生まれてから大阪夏の陣の間は戦国時代とは言っても戦の数は減りつつある時代である。
つーか、この人、天正7年の生まれで、小田原征伐で11才である。
ましてや銃創が出来るほど戦場では敵に接近して指揮を執ることを好んでいた、
猛将タイプの大将でもあることを意味する傷でもある。
今後は秀忠の見方も変わるのではないだろうか。かっこいい方向で。
戦下手→隠れ猛将!徳川秀忠(ただし、結城秀康には負ける)
ちなみに猛将タイプは得てして敵の策略に引っかかりやすいので負けることが多い。
戦下手と言うより猛将だったところで駆け引きが苦手だったのかも知れない。
しかしそういう大将に部下はついていくもんだ。とくに三河者は!
それにしても、複数も鉄砲玉に当たっていて死なないとは・・・・・・・・不死身と言うより
周辺の三河者は何で止めなかったんだ?徳川家の立場は考えなかったのか?
まさか、三河者の価値観とは、
面倒くさい三河武士の武士の一分>(断じて越えられない壁)>徳川家の立場>(絶対越えてはならない壁)>尻吹き紙>(供でも超えることが出来ない壁)>豊臣秀吉の面目
としか思えない。
817 :
人間七七四年:2010/03/17(水) 23:37:14 ID:hrpIbkif
>>816です。
×(供でも超えることが出来ない壁)
○(断固として越しては成らない壁)
に変更をお願いします。ブログ管理人様スミマセン。
818 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:00:28 ID:jvqyM10P
関ヶ原に遅れたのはそのせいかも?>銃創
数日間動けなかったとか…妄想が過ぎるか。
819 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:04:42 ID:F48qTaxm
秀忠のお墓はもうすぐ一般公開されますね。
820 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:33:55 ID:szcPMhGI
有名な割に出てなかったので、黒田家ネタを一つ
黒田長政が家康に接近するために15年連れ添った嫁(蜂須賀正勝の娘で秀吉の養女)と離縁して、
家康の養女と結婚したのは結構知られた話だと思います
長政の継室に当たる栄姫は保科正直の娘であり、つまり槍弾正の孫であり家康の実の姪にあたります
長政の死後は、例の鳳凰丸事件で弟の保科正貞を通じて幕府に働きかけたり、
郊外の別邸に母親ともども追いやられていた三代藩主黒田光之を将軍にお目見えさせたり、
側室であった光之の母親を正室にするように働きかけたりと
馬鹿息子のフォローに明け暮れていたあたり、長政も離縁までして徳川家から嫁貰ったのが功を奏したようです
この栄姫が常に不機嫌そうな突進系大名(33歳バツイチ子持ち)のもとに嫁いだのが数えで16歳の時、
慶長5年6月、つまり家康が上杉討伐のために大坂城を出陣した時期であり、
つまり、栄姫が嫁いで早々夫の長政は家を空けることになります
16歳の新妻は大坂天満の黒田屋敷で姑とともに夫の帰りを待つことになります
(ちなみにお舅さんは中津城で何かよからぬことを考えていたようです)
この戦がそのまま天下分け目の大戦になることを予見していた長政は大坂屋敷の留守居に
栗山利安・母里友信の黒田家最強コンビ(と宮崎助太夫)を配置しておりました
そして、同年7月ついに石田三成が挙兵、会津征伐軍の諸大名の妻子を人質に取る作戦に出ます
黒田家にも三成からの使者が訪れます
敵方に知られぬように二人の夫人を連れ出すために、栗山らがかなり大がかりな芝居を打ちます
一説には、夫人を1人ずつ俵に詰めて、商人に化けた母里がその俵を天秤棒で担いで屋敷を出たとか
また、一説には母里が病人のふりをして乗物に乗って番所で迫真の演技をしてみせる、
それを数日繰り返すうちに万人が気の毒がって乗物の中を確認しようとしない、
そうなったところで、毎晩一人ずつ夫人を外に連れ出したととか
どちらにしても、役者は母里と決まっているらしい(でも作戦を立案したのはなんとなく栗山のような気がする)
二人の奥方を連れ出した後、影武者を使って誤魔化したりするあたりかなりの手の込みようですが、
三成挙兵時の諸将の奥方大坂脱出作戦はどこも相当大がかりな方法をとっているようなので、
調べてみると面白いかもしれません
両夫人を屋敷から連れ出すまではうまくいきましたが、目指すは中津、まだまだ道のりは長いです
さしあたっての問題は木津川の舟番所をどうやってやり過ごすか
栗山らが考えあぐねているところに、玉造の方から火の手が上がります
そうです、細川越中守の愛妻・玉子夫人が自害の上、屋敷に火を放ったのです
大坂城内は大騒ぎになり、舟番たちも火の手の方に駆けつけます
舟番所の警備が手薄になった隙に、母里は奥方たちを船底に隠して川を下ります
皮肉なことに、栄姫は玉子夫人の自害によって大坂城から逃げ果せたのです
その後も、母里が顔見知りの舟番を言いくるめたりして、16歳の新妻は無事中津城に辿り着くことができました
栗山・母里の最強コンビはその後、妙にアグレッシブなご隠居に従って石垣原で大暴れするのは
皆さん御承知のことだと思います
821 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:42:06 ID:szcPMhGI
>>816 突進系で猛将タイプでも戦上手な武将はいくらでもいるような……
822 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:46:29 ID:tZNwsD9/
越後の軍神も最上の鮭も黒田の若殿も
前線で陣頭指揮を取るタイプだろ。
823 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:49:09 ID:Efn9ESs2
戦争バカの舅
突撃バカの亭主
本物のバカだった息子
栄姫はよく自殺しなかったもんだ。
824 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:49:13 ID:F48qTaxm
長政の離縁再婚って、本人の独断?
それとも如水も一枚噛んでる?
825 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:52:38 ID:Nh2xrp42
当時の長政に独断で離婚再婚を出来るほどの力はないと思う。
普通に考えて如水が推し進めたものだろうね。
826 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 00:53:18 ID:szcPMhGI
>>822 人斬り兵部、麒麟児、鬼島津なんかもそのタイプか
827 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 01:08:27 ID:FKiqhHKv
俺は真っ先に蒲生の工場長を思い出した
秀吉には馬鹿にされてたけど実際氏郷さんの統率力と個人武勇はかなりのもん
じゃないかと
鬼武蔵とタイマンしたらどっちが勝つんだろうか・・
828 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 01:19:36 ID:OjKM/+Nl
黒田長政の後妻(16歳)、家康の姪で、長政死後もよく家を守ったできた嫁で、
これで「超美人スタイル抜群性格もいい」が黒田家譜の粉飾じゃなかったら
喪として黒田長政をただではおけない。
829 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 01:30:16 ID:szcPMhGI
ちなみに栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成の嫁だったりする
加藤家改易後、保科家が入るのはその繋がりだったりするのかな?
830 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 01:31:07 ID:szcPMhGI
×栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成の嫁だったりする
○ちなみに栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成だったりする
831 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 01:50:39 ID:Efn9ESs2
榊原康政が若い頃、徳川家康の直参に抜擢されたとき、
親友の神谷金七という水野信元の家臣が、餞別として
オンボロの甲冑をくれた。
詳しくは「榊原康政と破れた具足・いい話」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2227.html を是非参照して欲しい。
当時、甲冑は大変高価な物でオンボロでも本物の甲冑は
手に入りにくい貴重品でもあった。ちなみに、神社の奉納品を借りて
合戦に参加した武士もいたほどである。
榊原康政と破れた具足にも書かれている通り、榊原康政は直しながら
一生神谷からもらった甲冑を着用し続け大名となったが、
神谷金七の方は家康の直参と成らず家康譜代の将の陪臣として勤務し続けた。
彼が自分が餞別に渡した甲冑を着て武勲を上げ、
出世した康政をどんな気持ちで見ていたかはわからない。
もしかしたら甲冑のことを肴に自慢話のネタにしたのかも知れない。
ただ、彼の消息はわかっている。
神谷金七(水野勝成家臣):1600年大垣城攻防戦にて戦死
神谷金七のあげた甲冑は榊原康政の肖像画と共に榊原家の家宝として今に伝わっている。
832 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 06:15:22 ID:VVtD/4Ra
( ;∀;)イイトモダチダナー
833 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 08:50:49 ID:krRZQRuE
>>797 そこら辺は手元の資料とまとめにも載ってるから知ってるんだが
後は家紋の話と家臣の萱場元時くらいしか知らくて、他にある
かと思いまして。
834 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 09:22:09 ID:NSgYHMso
835 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 13:11:51 ID:Cvwk/4f+
>>手に入りにくい貴重品でもあった。ちなみに、神社の奉納品を借りて
>>合戦に参加した武士もいたほどである。
スレチだが
日中戦争の頃に近所の小学校から具足一領借り出して突撃し、城内突入一番乗りした陸軍将校を思い出した
836 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 15:00:52 ID:CTxxQnoi
新聞に載ったけど誰だか解らないって人だっけ
837 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 15:36:30 ID:uM/IXCNe
じゃあ成実のちょっといい話。
伊達家の存亡をかける戦となった、人取り橋の戦。
政宗自身も直接敵と刃を交えるほどの激戦となり、
一時は自害も決意したほどだった。
そんな戦の最中、政宗の乗っていた馬があまりに何度も駆けさせたために
息切れし、足元もよろよろしてきた。
そこで、川に乗り入れて口を洗わせ、水を飲ませようとしたときの事。
政宗は騎乗したまま馬に水を飲ませるところだったが、
それを狙って敵が銃撃を仕掛けてきた。
馬の口取りが撃たれ、髪をつかんで川から引き上げたが、死んでしまう。
そこへ来合わせたのが、成実である。
成実は二・三十人の者と共に政宗の馬の側に立ちはだかり、
「大将が馬を立てるところ、武運は尽きるか!」
と叫ぶや、政宗の馬の尻を団扇で叩いて川から追い上げ、窮地を救ったのだった。
一方を任せるには頼もしい、良い大将だ、と政宗は後に成実を評した。
(●∀`)「馬を助けるためかと思ったぞ」
(´・ω・`)「何言ってんですか。矢も鉄砲も篠を束ねて落すかって勢いなんですから、
流れ矢とかに当たんないでくださいよ?あの辺、ちょっと蹴散らしてきますから」
と、人取り橋の向こうの敵を追い散らしに向かった成実。
その日の働きに対し、政宗は感状を与えて労ったのだった。
注。会話の部分(だけで無しに)、こういう古文?あんまり読みつけないので、
解釈間違ってる可能性が莫大にあります。詳しい人フォローよろ。
原文
一方を頼むには良き大将なりと頼もしく思い、
「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。
838 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 16:00:14 ID:Nh2xrp42
>>837 > 「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
> 「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
> 仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
> 両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。
政宗「馬を助けようとした為にこんな失敗しちゃったよ」
成実「無茶なことを言うなあ、、こんなに大粒で隙間ない雨が降るように
矢弾が降り注いでいる場所でそんな事をするなんて。
流れ矢なんかに当たらないように気をつけてくださいよ、ちょっとこの辺の敵の攻勢を
大人しくさせてきますから。」
そう言って戦場の真ん中を馬で切り分けるように突っ切って人取橋に向かい、敵を追い散らして
勝鬨を上げたとのこと。
こんな感じかな?
839 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 16:29:55 ID:uM/IXCNe
>>838 おお、ありがとう。
微妙に読み間違ってたw
翻訳こんにゃくが欲しいのぅ・・
840 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 20:03:04 ID:Cvwk/4f+
>>836 いんや、具体的に名前も所属もわかってるよ
陸士35期の金丸高秋
当時は歩兵47連隊第二大隊
841 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 20:17:56 ID:CTxxQnoi
金丸中尉、今検索してきた
アナクロ過ぎて黒歴史っぽくされたって感じだったのを記憶違いしたのか
842 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 21:26:05 ID:krRZQRuE
>>837 あーそういうのです、ありがとうございます
政宗のちょっとかっこ悪いでもありますね。
843 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 22:01:02 ID:H8BvX2Eb
DQN四天王になぜまともな家老クラスの老臣が
844 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 22:14:09 ID:YUN1OBfO
ええで!
845 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 22:14:49 ID:YUN1OBfO
すまん、誤爆した
846 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 22:16:02 ID:kX+l2qrE
>>843 あやまれ!松井佐渡と伊勢兵部と林長兵衛にあやまれ!
847 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 22:59:16 ID:szcPMhGI
DQNをフォローする良心がいたからこそ家が残って逸話が残るわけで
DQNしかいない家はさっさと潰れて記録にも残らんと思う
848 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 23:05:06 ID:NwIXMwbN
主従共に良心揃いでも潰される家は潰される戦国時代
849 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 23:21:06 ID:BK39uhpr
>>847 鬼武蔵をフォローする良心って誰だよw
と思ったが、信長がいたな…
良心かどうかは別として。
850 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 23:43:36 ID:jvqyM10P
>>849 犠牲者の遺体を片づけた人たちがいたじゃないか…
851 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 23:45:24 ID:YUN1OBfO
簀巻きにして橋から放り投げただけじゃないかw
852 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 23:50:25 ID:g9w7rbrU
通行の妨げになる関所も壊したしな!
全く森長可さんは慈愛の心に満ち溢れとるでえ!
853 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 00:00:47 ID:vm9eeexZ
長可さんは楽市楽座、関所の撤廃の手本を
自分で示したんだよ
854 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 00:17:54 ID:WTg8Mqgy
通行料取ってない関所って関所じゃないのかな
855 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 01:08:10 ID:u6tO+rkI
日野富子が京都の入り口に…って話のように
当時の関所は料金所みたいな徴税目的の施設だったらしい。
856 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 01:10:34 ID:Prhpj0nh
ちなみに信長は軍事関連の関所は廃止したけど、京の七口をはじめとした経済関係の関所は
ほぼ全部残した。
857 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 08:05:40 ID:jjnK7aAY
>>843 しかし伊達の三英傑は揃って一度は政宗に愛想を付かして出奔騒ぎを起こしている
858 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 08:50:07 ID:j4vMRSV2
真の仲間になるには一度仲たがいした後に仲直りする必要があるんですよ
少年漫画的に考えて
859 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 08:58:41 ID:FmFHaEcQ
べ、別にあんたのことが嫌いで出奔騒ぎを起こしたんじゃないんだからね!
860 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 09:37:47 ID:7hCRQj8T
仲直りというか、他家への仕官を諦めた?<伊達三傑
861 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:20:35 ID:fxt/0Adv
いくら可愛くても男だろ?こっちはホモじゃねえんだよ
まともな人間が男同士でやりたいと思うか?
わざわざ1万も出してヒロインが男手ホモって詐欺だろ
誰得だよマジで
862 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:22:09 ID:fxt/0Adv
失礼
863 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:25:21 ID:kVNrianU
864 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:35:05 ID:j4vMRSV2
865 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:39:27 ID:dQ/PfA66
大内義隆「わし得かな」
866 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:41:24 ID:lONT4QSh
昔の関所は徴税というよりも
現在の有料道路の料金所みたいなものだよな。
特に大きな橋が架けられた場合は、その工事費や補修費に充てられた。
867 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 13:01:04 ID:Otr4Ugw4
>>857 成実の出奔の原因は不明だし
綱元は政宗の怒りをかって出奔させられただけ
あと景綱の出奔って話は知らないな
868 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 13:03:02 ID:47tXLXCf
869 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 13:24:05 ID:Gn9cWY9v
それを貼って何がしたいんだお前は…
TPOををわきまえられないと立場悪くするだけだぞ
870 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 13:26:14 ID:/xmbPTGO
>>856 > 軍事関連の関所廃止
このおかげで、光秀の謀反の成功率が上がってる
871 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 13:50:39 ID:XJObtGBz
>>861 すぐクロスデイズとわかった自分がなんともはや。
872 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 13:55:33 ID:il0PyFrw
あぁ、成程そういうことか
873 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:01:56 ID:bPwiQgG6
>>867 成実の出奔は一応家中の序列が不満で、っていうのが有力だな
「俺すごく頑張ってるのになんかがんばりに見合う評価されてない気がする」って零した話もある
綱元は・・・政宗の「怒り」っつーのが香の前が欲しかっただけっぽいし
実際綱元が帰ってきてから香の前も返してるし(孕ませた後だけど)
景綱出奔未遂って確か、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1505.html この話に絡んでたと思う
(●∀`)<小早川んちの浦山景綱とお前トレードすることになったから
(´・ω・`)<・・・
(●∀`)<んじゃよろしく!うはwww美少年サイコーwww
(`・ω・´)<・・・
〜翌朝〜
(`・ω・´)<やってけるか!出てく!出てってやる!
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<ちょ、片倉様!お待ち下され!後生です!!
(`;ω;´)<離せー出てってやるんだー!!
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<殿!殿おおお!
(´●ω・`)<・・・ゴメン・・・ほんとゴメン・・・
(`;ω;´)<殿のばかぁぁぁぁ
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<ホッ・・・なんとか元鞘に・・・
って話だったと思う
いい話スレでやる話ではないがw
874 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:17:58 ID:AoUSzCZk
景綱は以前(小田原参陣より前)にも出奔を企てたことがある。
もっともその時は出奔前に異父姉の喜多に見つかってしまい、
懇々と諭されて思いとどまったらしい。
875 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:23:48 ID:vm9eeexZ
大河ドラマでは「急に出世して周りに妬まれるから」って理由だったな>出奔
876 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:36:19 ID:Otr4Ugw4
>>873 すまん、「この話に絡んでた」じゃなく
出来ればそれの出典教えてくれ。調べてみる
877 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:54:27 ID:bPwiQgG6
>>876 確か石母田家文書じゃなかったかな?
「やってらんね」って書き置き残して出奔しようと思ったら見つかって連れ戻された、
みたいに書いてた・・・はず
878 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:56:38 ID:1j+5El0Q
出典どうこう言うんならテンプレの検証スレでやってくれねぇかなぁ
879 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 14:57:12 ID:Otr4Ugw4
880 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 15:20:48 ID:yOY/NP4M
真偽の検証とかまで言ったら検証スレでやれって話だろうけど
逸話の出典聞くのはこのスレでいいよ
881 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 15:23:10 ID:vm9eeexZ
>>880 このスレで出展聞いちゃダメなのかと思って
ちょっと驚いてたわ、良かった
882 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 18:02:08 ID:DXlPw6VL
春日山にて
家臣:戦の前に毘沙門堂に行こうかと思います
御館:急ぎだからここでいいよ
家臣:?
御館:毘沙門天はここにいるだろが!
俺様が毘沙門天だ!
後の柴田恭兵である
883 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 18:09:18 ID:Prhpj0nh
有名武生前将神格化の本気度
←本気 冗談→
上杉謙信(毘沙門天) 豊臣秀吉(新八幡神) 武田信玄(不動明王) 織田信長(第六天魔王)
飛び抜けて本気の人と飛び抜けて冗談の人が後世に残ってしまった。
884 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 18:13:03 ID:o5MRlCOo
梵天はいずこ?
885 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 18:13:25 ID:veTlqNGL
886 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 18:22:16 ID:pUZ0zVk4
>>883 織田さん半分嫌がらせで名乗ったんだっけ?
887 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 18:23:58 ID:9apt51Mc
成実の話か
成実が出奔した後、金須・石川・内ヶ崎・白根沢らは成実のもとを去り、伊達本家に仕えた。
一説によると、出奔後も羽田右馬助にのみたびたび書状が届き彼らにはないこと、
またそれをかさにきた羽田が専横を恣にするのに腹を立て、羽田を討つことを企てたのだという。
抵抗した羽田と羽田に同心する者30人ほどは悉く討ち取られ、角田は屋代景頼によって接収された。
この羽田討伐と角田接収に、前述の4人は積極的に関わっていたという。
さて、時は流れて伊達家は二代忠宗の世となった。
成実は隊将として白根沢を忠宗に推挙した。
忠宗は成実が昔のことにこだわりを見せないことに感じ入ったという。
その白根沢、かつて自分のしたことに恥じ入り、詫びるべく成実を訪ねた。
すると成実は薙刀を下げて出てくると、こう言ったという。
「お前を部将として殿に薦めたのは、公のことを考えてのものであって、
私としてお前を許したわけではない。二度と来るな」
そう叱りつけ、白根沢を追い返したという。
公私の区別はきっちり付けるタイプの、伊達の従兄弟殿のお話。
888 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 20:18:40 ID:sET25cn4
>>882 柴田謙信は本当に清廉な武将だけど
リアル謙信は本当にあぶない暴君だから困る
889 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 20:40:46 ID:xooVN98w
>>886 嫌がらせと言うよりはジョークの域
「お前が天台座主ってんなら俺は魔王って名乗っちゃうもんねーw」みたいな
「信玄が遠江及び三河の国に侵入せし前面白き事起りたり。
即ち信長に一書を贈りし時其名を揚げんとの慢心より封筒の上に次の如く認めたり。
「天台座主 沙門 信玄」
其意は天台宗の教の最高の家および教師信玄といふことなり。
信長は之に対して
「第六天魔王 信長」
(耶蘇会士日本通信 下巻より)」
それもフロイスの書簡にあるだけで実際名乗ってる文書は出てきてないし、信長超頼りになる!というフロイスのホラ話という見方もある
こんな風に続いてるし
「其意は悪魔の王にして諸宗の敵なる信長といふことにして、堤婆が釈迦に対し其宗旨の弘布を妨げしが如く、信長は今日まで日本の諸々の 偶像の尊敬及び崇拝を妨害せるが故なり。
是故に神の御慈悲に依り彼が従前の栄を回復し、我等の主ゼウスの正義の苔として此等宗派の呪ふべき迷信を罰せんことを信ず」
890 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 20:50:33 ID:kgtDH9Gf
景綱の出奔未遂は政宗幼少期のころじゃなかったかな?トレード話とは絡んでなかったような。
綱元は出奔中も伊達家と連絡取り合ってたみたいだから秀吉の手前もあったのかも、と思わないでもない。
891 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 20:51:07 ID:GHk7/0Bw
>>887 刀じゃなく薙刀ってあたりに本気度を感じた
892 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 00:28:26 ID:XpqlsgYH
>>882 俺の知ってる話では
謙信の元に敵が出兵したという話が舞い込み
急いで援軍に行かないとマズイという状況で
普段は戦の前に兵に毘沙門堂で誓いを立てさせていたのだが
この時ばかりは
「急いで出兵しないといけないから、毘沙門堂に行く時間も惜しい。
だから今この場で俺に誓え。
毘沙門天に誓いを立てに行ってる間に手遅れになったら元も子もないし
毘沙門天様も許してくださるはずだ」
という信心深い謙信といえども緊急時には合理性を優先させたという
普通に良い話だったはずだが。
893 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 00:39:13 ID:Po5FbhNL
894 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 02:15:58 ID:hVnQXLt/
> フロイスのホラ話
ただ第六天魔王って天照大神と契約してるって説話も残っているんだよな。
フロイスがそこまで知っていたのか....
第六天魔王との誓約には仏法忌避も含まれているから、
「天台座主」って名乗りへの最高のカウンターパンチともいえるし。
895 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 02:22:37 ID:GopwGXGs
この当時の世間的な「第六天魔王」のイメージは、能の「第六天」のものだと言い切っていいと思うが、
これに出てくる第六天魔王は、伊勢神宮で仏法修行している僧を邪魔しようとして、そこにやってきた
素戔鳴尊に、逆に眷属もろともフルボッコにやっつけられる、タイムボカンの三悪とか、あんな感じの
ヘッポコな悪党で、どう考えてもカッコ悪いキャラ。
あまり深い意味での皮肉とかがあったとか、考えない方がいいと思う。
896 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 06:05:46 ID:MAeLIqa1
第六天魔王自体が説話とかでいつも釈迦や善神に負けるって情けないかませキャラだしな
897 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 07:34:10 ID:iZ6J3+RR
ハクション大魔王だな
898 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 10:04:38 ID:PqrHZwTU
ジョークで噛ませキャラ名乗ったら
数百年後に恐怖の大魔王扱いされたでござる
899 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 11:11:51 ID:NivG+0tG
ヘタレ野郎信長
900 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 12:13:39 ID:qEepMkZ2
あの世で信長公はこう思ってるに違いない。
信長「ジョークにマジレスしてるやつらって何なの?馬鹿なの?死ぬの?」