戦国ちょっといい話18

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話17
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263277160/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話17
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1264242815/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2010/02/17(水) 21:40:16 ID:p91GzfV4
2
3人間七七四年:2010/02/17(水) 22:48:22 ID:YcWu2+6O
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>1乙でがんす
  (:::::::::::::::)
   しωJ
4人間七七四年:2010/02/18(木) 11:29:37 ID:q0c5TuRT
>>1
5人間七七四年:2010/02/18(木) 12:43:31 ID:4rBblq9m
前スレ
女房言葉は面白いなぁ
あーひだるい
6人間七七四年:2010/02/18(木) 12:51:51 ID:KDn3upnJ
ゴキブリは御器かぶり(食器をかじる虫)、というのは有名な話かな
7人間七七四年:2010/02/18(木) 12:59:26 ID:4rBblq9m
狼が大神(大いなる神)くらい有名
8人間七七四年:2010/02/18(木) 14:01:10 ID:HHMeWtEC
前スレ>>929
常陸の勢力について

守護が 佐竹(山入)、小田、宍戸(戦国期には没落)で何度か交替してる。
鎌倉時代の地頭勢力は室町期には衰退、南北朝でほとんど滅亡。
下河辺氏系の高原・小川・益戸は、大掾氏に滅ぼされた。那珂氏(のち江戸氏)もほとんど滅亡。
国衙系勢力は常陸府中の大掾氏が戦国末期まで残る。
(一時期佐竹の養子を入れて降伏状態。佐竹義昭の隠居所は大掾本拠の府中城)

鹿島氏は大掾氏の支族。鹿島神宮職には別の鹿島氏がいたけど事実上の神宮職。
行方氏も大掾氏の支族だが、玉造・麻生・島崎に別れ、同族麻生氏を滅ぼした
島崎氏は佐竹氏の軍役も勤めてたが(秋田藩家蔵文書に少なからず記載あり)
鹿島行方三十三館は最後に佐竹氏に滅ぼされている。

戦国時代に常陸で最大勢力だったのは実は江戸氏。
佐竹氏に属しているが、独自行動をとることが多かった。
水戸城を根拠にし、鹿島氏系・大掾氏系の支族を滅ぼして巴川以北を支配下においている。
今の水戸市・ひたちなか市の一部・那珂市の一部・茨城町・鉾田市北部・小美玉市北部を支配。
江戸忠通が傑物だったらしい。子の江戸重通の代に家臣の反乱で停滞。
小田原の陣に参陣せず、お墨付きをもらった佐竹義宣に水戸城を奪われ滅亡。
江戸重通は結城氏を頼って落ち延びた。

越前藩の家臣となった江戸氏は徳川の江戸城の江戸を名乗るのを慮り、
水戸姓を名乗るようになる。

江戸氏の史料がほとんどのこってないので小田氏治のようなエピソードがでないのが残念。
9人間七七四年:2010/02/18(木) 17:50:56 ID:q0c5TuRT

伊達政宗の家臣に、脇坂治兵衛という者がいた。
大阪夏の陣の際には彼も政宗に同行し上方へ上った。

その途中、彼は信州に住む老母に会いに行った。
「もしこたびの戦で討死することがあったら、今生の別れとなります。
 ですので会いに参りました」

しかし老母は治兵衛にこう言った。

「お前は伊達様に取り立てていただいて、伊達様へのご恩は本当に大きい。
 こたびの戦で、必ず伊達様のお役に立って討死しなさい。
 『もし討死することがあったら』などと
 言うような息子に、母は会いません」

老母の叱咤にはげまされた治兵衛は、見事大阪で討死を遂げた。
戦国の終わりの日、主のために死を喜ぶ戦国武士もまた逝った、というお話。
10人間七七四年:2010/02/18(木) 18:11:04 ID:08J2PReu
>>9
息子についていって仙台で暮らせばいいのに・・・と思うが、
信州に住み続けたことと併せ、頑固な老婆の姿が目に浮かぶなぁ。
11人間七七四年:2010/02/18(木) 19:17:24 ID:8m2roH63
戦死したってヴァルハラに逝くわけでもないのになんなんだろね、この「討ち死にしろ」な人たちはw
仏教の信仰でもないし、護国靖国があったわけじゃなし。
12人間七七四年:2010/02/18(木) 19:19:51 ID:BYxih2Ah
死の先を逝く者達か
13人間七七四年:2010/02/18(木) 19:23:17 ID:3M960msE
死んで名誉が得られるという点において一致している
ただ生きていても世の中には自分の証は何も残らないからな
命を引きかえにした最後の自己主張なんだろうよ

もしくは若いころに活躍しても老いれば社会の役に立たず除け者にされる
そのような晩年を過ごすぐらいなら活躍できるうちに死ぬ道をとしてるのかもしれん
美しいままで死にたいからって火口に身を投げた人も明治大正にいたし
14人間七七四年:2010/02/18(木) 19:32:24 ID:kROOS8Qz
西方浄土で会おう
15人間七七四年:2010/02/18(木) 19:36:49 ID:pCNP5yqe
討ち死にしたら、その分家族や一族がいい待遇を受けられる
16人間七七四年:2010/02/18(木) 19:43:30 ID:26Gac7g2
>>11
個人の名誉と、遺族の補償。

宣教師たちも武士はやたら死にたがるとか書いていたな、そういえば。
17人間七七四年:2010/02/18(木) 19:53:28 ID:OJjnB+kZ
その時代の人の感覚はよくわからんな。
討ち死によりも生きて手柄上げた方が良さそうだけど。
18人間七七四年:2010/02/18(木) 19:57:29 ID:VTzAUr8f
この時代は個人ではなく「家」と言う単位で考えないと。
討死を多く出した家は「名誉の家」とされ、主君からも丁重に扱われた。
個人はあくまで家に付属する存在であり、だからこそ「家の名誉」である討死を
忌避するような者は「家の構成員」として不届きであるのだ。
19人間七七四年:2010/02/18(木) 20:10:12 ID:26Gac7g2
>>17
二位じゃダメなんですか、とは昨今の言葉だけれども、
敵は命を捨てる覚悟で襲ってくる、味方も命を捨てる覚悟で敵を迎え討つ、
そんな状況で「いのちだいじに」とか腰が引けた態度で手柄を立てられる訳ないだろ。
20人間七七四年:2010/02/18(木) 20:13:23 ID:QN0ruk5L
殉死とかでも、損得勘定で殉死する家臣もいたようだね
21人間七七四年:2010/02/18(木) 20:22:28 ID:pD3ZNAsZ
死に対してある種の美学みたいなものがあるんだろうね。
「立派」に死ぬとか、「名誉」の死とか。
22人間七七四年:2010/02/18(木) 20:22:48 ID:jCaOeI47
立派な死というのは立派に生きたということと同義語だからだろう。
何より恥ずかしい死を恐れたし、そのために死にたがる。
権現様がすぐ取り乱して切腹すると喚くのもそう。
23人間七七四年:2010/02/18(木) 20:34:20 ID:93guV4su
前スレの「めご」
形容詞としてだけじゃなく名詞としても使われてた
家族の中のお気に入りの子を指して「父さんのめご」「母さんのめご」みたいな感じで
だから(●Д・)←この人の嫁さんは田村家のめごだったし伊達家でも「めご」になれるようにとの
願いがこもった名前ではないかと
24人間七七四年:2010/02/18(木) 20:59:51 ID:08J2PReu
>>18が一番大きいだろうな。
日本は少し前まで、個人なんてものが何の意味も持たない社会だった。
極端な話、誰かが死んでも、また子供作れば代わりになるし。

武勇も父から子へ遺伝するのが当然とされていた。
死んで勇気を見せなかったら、勇敢なご先祖様に申し訳が立たないもんなぁ。
先祖が祟るかもっていうのは、当時の人には非常にリアルな恐怖だった:

"武勇"という獲得形質を子孫に遺伝させようとしてたという言い方もできるかもしれん。
誰かが臆病な行為をしたら、子孫まで臆病な気質が伝わってしまい、
将来的には家が滅びてしまうと。
もちろん当時の人が理屈でこんなこと考えていたわけではないが、感覚としてはあったかと。
25人間七七四年:2010/02/18(木) 21:08:32 ID:V4L9cyhI
>>18
森さんちのことですね。
26人間七七四年:2010/02/18(木) 21:24:23 ID:4rBblq9m
武士とか人を殺すのが仕事なんだからビジネスとして割りきれたのかもね(戦以外でもコロコロひとが死んでた時代だし
27人間七七四年:2010/02/18(木) 21:32:53 ID:E6lQJRGf
鎌倉時代の話なんだけど、元の九州来襲の際には、
爺達が死兵となって元軍に突入した。元兵は自殺に等しい
老武士の行為を気味悪く思ったらしいが、
武士にしてみれば、討ち死にで恩賞が期待出来ることと
口が減るという一石二鳥だった。
28人間七七四年:2010/02/18(木) 21:41:48 ID:3M960msE
対馬の宗氏も寡兵で元軍に突撃して全滅してるな
逃げるという選択肢はなかったんだろうか?
29人間七七四年:2010/02/18(木) 21:44:32 ID:fTYe84D1
一所懸命にござれば
30人間七七四年:2010/02/18(木) 21:46:41 ID:wVPwGzPO
>>28
そんな事したら
その他鎌倉武士の皆さん「m9^Д^)m9^Д^)m9^Д^)ジェットストリームプギャー」
ってなるじゃない。
31人間七七四年:2010/02/18(木) 21:47:30 ID:gp/JfDAI
討死に定評のある少弐家は元寇でも少弐資時が貫禄の討死
32人間七七四年:2010/02/18(木) 22:06:43 ID:3M960msE
>>30
戦略的撤退位はさすがに認めるだろ
踏みとどまったところで援軍が来て防衛線にしてくれるかも微妙だし寡兵で何が出来るんだ


…とか思ったけど応永の外寇では敵を退けてるな
33人間七七四年:2010/02/18(木) 23:58:50 ID:IgrDmE8O
>>31
ぐぐったら19歳で死んでるらめええ
34人間七七四年:2010/02/19(金) 00:01:09 ID:rMaBRhVJ
>>18プライベート・ライアンのようだな
35人間七七四年:2010/02/19(金) 00:01:48 ID:GE6niW8+
「戦が終るまでこの線から後ろに行ったら死罪ね」って島津家の軍法だっけ?
36人間七七四年:2010/02/19(金) 00:27:20 ID:/4zHvNNc
謙信とかは「このような若者を討ち死にさせては
老父母に申し訳が立たない」とか言って
縛り上げてまで後ろに下げさせてるよな。
中条家を継がせる予定の景泰に越中攻めごときで
死なれたら困るという打算もあるんだろうが。
37人間七七四年:2010/02/19(金) 00:28:55 ID:VgtxnVrN
島津の軍法は厳しすぎて戦国残酷物語とかで描かれたりしてたような・・・
38人間七七四年:2010/02/19(金) 00:34:03 ID:+U3f0e7J
正直大坂の陣の頃の死生観は、戦国真っただ中とは変質してると思う
死ぬつもりで戦うのはいいけど死ぬ必要はないだろっつーか
39人間七七四年:2010/02/19(金) 00:41:29 ID:Iq8evhYR
主君的には、死ぬ気で戦って功をあげ、しぶとく生き残るような兵が一番だろう。
40月孔雀:2010/02/19(金) 00:51:05 ID:cnRvP6TV
おれおれ!
41人間七七四年:2010/02/19(金) 01:21:02 ID:ZTPkBLMo
幕末になっても火縄銃吊り下げて暴発するのを肴に酒飲む
とこだからなー>薩摩
42月孔雀:2010/02/19(金) 01:30:57 ID:cnRvP6TV
西郷さんの銅像どうする?
43人間七七四年:2010/02/19(金) 01:38:00 ID:dcaP+AHf
>>37
「滝口康彦 薩摩軍法」でググると鬱になれるかも知れない
44人間七七四年:2010/02/19(金) 01:46:25 ID:+LxDpfOx
スパルタみたいだなw
45人間七七四年:2010/02/19(金) 01:48:12 ID:caUzaLpc
>>9
この人脇坂安治の弟なんだな。
同母兄弟らしいけどどうして母親は信州にいたんだろ?
46人間七七四年:2010/02/19(金) 02:21:04 ID:5X7wQXVB
そりゃあんた、安治の次男が信州飯田藩主だからでしょうに
47人間七七四年:2010/02/19(金) 02:22:52 ID:5X7wQXVB
補足すると、どうも安治は親兄弟とは仲が悪かったらしい
48人間七七四年:2010/02/19(金) 06:32:44 ID:rUg9FKH8

水野勝成が黒駒合戦をしていた時、佐橋甚五郎という強弓の精鋭が隊にいた、この者腕は確かで敵陣に射立てれば数人の手負いや死人を出し天下無敵の働きをする者であったそうだ

しかしこの戦いの最中に甚五郎は敵の鉄砲で弓を折られてしまい思うような働きが出来なくなってしまったので

甚五郎『今まで御覧になった様に一応の働きはしたが弓を折られてはどうにもしようがござらぬ』
とぼやいた、それに対し勝成は

勝成『弓は折られても槍をとって戦えば更にそれ以上の働きが出来ますよ』
と励ました、すると

甚五郎『自分には槍がなく刀ばかりなので是非もござらぬ…』

と是非も無しって言われちゃあ是非も無し、なのでとりあえず槍を貸与えてみると甚五郎は槍でも抜群の強さで戦功を挙げたので勝成は感心し甚五郎に声を掛けてみた、
甚五郎『自分は元々は徳川信康様の所で小姓をしており不都合な事があって出奔したのだが、やはり出戻りしたいと思い家康様の従兄弟の勝成殿の所で功を挙げて更に口添えしてもらえればと思い隊に加わったのだ』
と述べた
男を気にいった勝成はすぐさまその様に手配して丁重に甚五郎を見送った。


しかし実は家康の側では話が随分違っていた
家康『あの者はこの度の戦いで少しばかり戦功があった様だが、小功を以て積悪の大罪を償う事は出来ない!』
と怒りを露にしていたのだ

勝成は知らなかったが実はこの甚五郎と言う男、出奔の折金のべ付の刀脇指を盗んでおり甲州に渡っても甘利次郎三郎という者の寝首をかいて自分の刀と差し替えて逃げ回っていたようで相当な怒りを家康から買っていた。

家康『今すぐ手討ちにしてやりたい所だが…』
そうぶっ殺してやりたいのは山々だが相手はあの水野勝成も一目置く程の豪の者、どうするかと悩んでいた家康に

正勝『私にお任せあれ』
と阿部正勝が進み出た
家康『…、大丈夫…なのか?』
家康が不安になるのも当然で正勝はどちらかと言うと文の人で武には若干の不安があった
正勝『フッフッフ…まぁ我に策ありです、お任せ下さい』
そんなこんなで家康はとりあえず正勝に任せる事にした


続く↓
49人間七七四年:2010/02/19(金) 06:50:57 ID:rUg9FKH8
↑続き


さっそく正勝は甚五郎を自宅に招きこう述べた…
正勝『あ〜実は家康様はお怒りで、拙者がそなたを成敗するようにと命ぜられた訳だか…』
それを聞いた甚五郎は素早く刀を抜いて正勝に突付けた。
正勝は落着いた様子で
正勝『早合点されては困るな、拙者は懇意なお主に知らせ逃がして進ぜようと思っているのだ』
それを聞いて安心した甚五郎は刀を収めかけた瞬間
正勝『それ今じゃ〜!』
とおどりかかった
甚五郎『何っ!ぐわぁ…』
比類無き強さを誇った甚五郎があっさりと絶命した。
正勝『筋肉馬鹿相手だと対した事無いのう』
そう正勝にとって武勇など物の数では無かった…


思わずちょっといい話に書いたけど悪い話しだったスマソ
50人間七七四年:2010/02/19(金) 06:54:09 ID:rUg9FKH8
>>48-49
ちなみにいろんな意味で刀なんて役に立たない逸話だと思ってるw
51人間七七四年:2010/02/19(金) 07:01:01 ID:IOM//vcB
勝成は怒らなかったのかな
52人間七七四年:2010/02/19(金) 07:10:51 ID:wFnhd3KJ
こんなに簡単に殺されるようじゃ、もともとたいしたことないよね・・・
53人間七七四年:2010/02/19(金) 07:19:31 ID:rUg9FKH8
>>51
水野勝成覚書は甚五郎を見送ってメデタシメデタシって終わってるから本人はその後知らないと思われです;
54人間七七四年:2010/02/19(金) 07:43:45 ID:xk188lIE
武勇がいかにあっても頭がよくないとパフォーマンスを活かせないということですね
55人間七七四年:2010/02/19(金) 08:18:11 ID:v8fmeJ6U
甚五郎はそもそも許してもらえると思ってたのだろうか。
だとしたら武勇だけで相当オツムが足りないような……。
56人間七七四年:2010/02/19(金) 08:29:52 ID:6qkxpag8
>どうするかと悩んでいた家康に

ここまで読んで、家康が
「手癖は悪いやつだけど戦場では使えるからどうしようか」と悩んでいたのかと勘違いして
阿部さんが説得しに向かったのかと思っていたが
どうやってぶち殺そうか悩んでいたなんてwww

すごく面白いけど、悪い話じゃないの、これw
57人間七七四年:2010/02/19(金) 08:34:23 ID:qdJAdXZt
阿部さんの出世のきっかけになった良い話、かも知れない
58人間七七四年:2010/02/19(金) 08:51:51 ID:dA63eJJ/
大田道灌が決死の覚悟で立てこもった手強い賊達に一人だけ助けたいからと嘘言って
気を緩めさせ一気に制圧した話思い出した
59人間七七四年:2010/02/19(金) 11:51:44 ID:x2LQJ5VF
並の勇者なら気組み外せば、ってことかな。
これが基地外だと

正勝『あ〜実は家康様はお怒りで、拙者がそなたを成敗するようにと命ぜられた訳だか…』
それを聞いた某は正勝を即座に切り捨てて家人を皆殺しにし

とかなるんだろうが
60人間七七四年:2010/02/19(金) 13:48:31 ID:OjtOrZ+A
>>59
鬼武蔵なら来るなり正勝の息子を盾にしつつにこやかに話しかけ、
酒や飯をかっくらった挙句帰り際に屋敷に火を放つ展開しか用意されてないところだな
61人間七七四年:2010/02/19(金) 14:10:06 ID:rUg9FKH8
阿部正勝の子孫は水野勝成の子孫が断絶したその後の福山藩の藩主となる
62人間七七四年:2010/02/19(金) 14:30:41 ID:vhL/Zlbw
>>48
阿部正勝、文の人と見せかけて実は暗殺者タイプだったのねw
それに甚五郎は武勲を挙げてはいても泥棒のうえ人斬り
悪い話というか黒いい話かもしれん
63人間七七四年:2010/02/19(金) 20:36:47 ID:NBq3QCgs
>>48
加藤清正が、井戸で生き埋めにしたとか、一人倒すくらい鉄砲で撃てばいいだけなのに。
64後藤又兵衛:2010/02/19(金) 22:20:10 ID:NoXCaDPY
「大将は日頃から礼儀正しく、家来には慈悲の心で接し、欲深くなく、
家来の善し悪しを日頃から見定めてそれに応じた待遇をしないといけないんだ。
戦にあたっては聖賢の教えに従ってさえいれば、なにも怖いものはないな。」
65人間七七四年:2010/02/19(金) 22:38:50 ID:/3x0gji0
>>64
小田氏治
「肯けるのう。皆も分かったか?」
66人間七七四年:2010/02/19(金) 22:40:09 ID:gG5JdssS
>>64
黒田の大殿基準に語るなw
67人間七七四年:2010/02/19(金) 23:51:26 ID:/C3Rnplg
だれか国母とか自分がサムライだとかって言ってるバカに前田慶次や織田信長教えてやってくれ
68人間七七四年:2010/02/19(金) 23:52:28 ID:hIhNDxJD
字が読めない奴にもの教えるのは骨が折れるぞ
69人間七七四年:2010/02/20(土) 00:02:59 ID:Oz/fKba6
よし、ちょっと富田長繁教えてくる
70人間七七四年:2010/02/20(土) 00:14:05 ID:uPh3l3EV
織田三介の子孫に教えてもらえばいい
71人間七七四年:2010/02/20(土) 00:31:12 ID:JgfK9EZ7
サムライを真似るなら江戸末期にしておけ。

南北朝から徳川家光までの時代のサムライは、戦闘民族の上に感情も瞬間湯沸しで、
一旦沸騰すると死ぬまで止まらないブレーキの壊れた重戦車になる。
素人にはお薦め出来ない。
72人間七七四年:2010/02/20(土) 00:32:46 ID:iJBmFhEx
現代に鬼武蔵がいたら・・

奴なら何かやってくれそうなんだよな
大物に死ぬほど可愛がられてやりたい放題の姿が目に浮かぶw
73人間七七四年:2010/02/20(土) 00:45:32 ID:gY728ZWO
>現代に鬼武蔵がいたら

普通にベンチャーのワンマン経営者として辣腕を振るってそうだ。
自衛隊は・・・ちと規制が厳しすぎて合わないだろうな。
74人間七七四年:2010/02/20(土) 00:55:38 ID:TP0o6WK1
SATの中隊長になって
凶悪犯罪者がもっと凶悪な最期を迎えてるかも
75人間七七四年:2010/02/20(土) 02:02:14 ID:1QxpF1pk
普通に暴走族上がりで時代遅れの広域指定暴力団武闘派若頭とかだと思うが
76人間七七四年:2010/02/20(土) 06:35:17 ID:YvZk2ILL
平成のサムライって言われるイチローも結構めんどくさい性格だよなあ(実績あるから美談扱いだけど

尾張武士かあ…
77人間七七四年:2010/02/20(土) 06:41:26 ID:oElQ4tp6
>>72
秋葉通り魔事件の加藤
78人間七七四年:2010/02/20(土) 07:38:42 ID:sLsSXveR
>>72ちょっと違うが戦国時代的なやり方の人ならいる
ttp://d.hatena.ne.jp/torix/20060520
79人間七七四年:2010/02/20(土) 09:05:46 ID:jERYrCo3
>>76
食い物の嫌い嫌いが激しいのもめんどくささに拍車をかけてるね。
とにかく原型のある野菜は一切食わない(調味料やスナック菓子はおk)ので、
母親が心配して野菜を完全に溶け込ませたカレーを食わせてどうにかしてる。
40歳手前の今でも朝食はカレー。
80人間七七四年:2010/02/20(土) 10:57:45 ID:C9V8SlSM
まーくんだって朝カレーしてるんだからいいじゃん
81人間七七四年:2010/02/20(土) 11:14:00 ID:3omoF6lM
>>59
かがみ兵庫じゃあるまいしw
82人間七七四年:2010/02/20(土) 11:24:16 ID:iJBmFhEx
>>79
BFNと似たようなエピソードだよな
83人間七七四年:2010/02/20(土) 12:51:21 ID:uPh3l3EV
>>80
伊達政宗も朝カレーしてたの?
まあちょっとイメージ合うかも
84人間七七四年:2010/02/20(土) 12:56:05 ID:xQq7SvH5
気持ち悪い
85人間七七四年:2010/02/20(土) 14:44:22 ID:3omoF6lM
>>83
いやそれはCMの話では。仙台楽天の...
86人間七七四年:2010/02/20(土) 15:08:10 ID:JgfK9EZ7
では政宗さん伝説

昔むかしの、伊達政宗がまだ若かった頃のこと。
相馬氏との合戦で敗北した政宗は城へと撤退したが、途中家来たちとはぐれ
政宗一人になってしまった。
しかし後ろから追っ手が迫り、角田の佐倉まで来た頃には、補足されるのはもはや時間の問題であった。

丁度その頃、森の中で一人の木こりが臼を作っていた。
政宗はその木こりを見つけると、「俺をかくまえ!」と、頼み込んだ。
木こりは作りかけの臼をひっくり返し、その中に政宗をかくまった。
そこに相馬の追っ手が現れる!

「木こり、ここを武者が通らなかったか!?」
「さ、さあ、わしはずっとこの臼を作っていたもので…」

木こりは怪しまれないよう、ゆっくりと作業を続けた。そして必要も無いのに、
臼の周りの溝を掘り込み始めた。

この様に臼を作り続けている木こりに追っ手も疑うことをせず、別の場所へと行ってしまった。
おかげで政宗は難を逃れ、城へと戻ることが出来他のだそうだ。

こんな事があったため、角田の臼には今でも、周りに溝が彫り込まれている。
87人間七七四年:2010/02/20(土) 15:18:56 ID:Xrd9B4M8
>>83
手前味噌ならぬ、手前カレーか……
88人間七七四年:2010/02/20(土) 15:30:56 ID:L1TXb+xZ
>>83
ボケてるのかマジなんだか分からんぞw
89人間七七四年:2010/02/20(土) 17:52:34 ID:gY728ZWO
>>86
いくら当時の人が小柄でも
臼が巨大すぎるだろw
90人間七七四年:2010/02/20(土) 18:56:21 ID:ctJne7RE
直江兼続「後ろ姿ならぬ、臼姿とはさすがは伊達殿ですなぁ」
91人間七七四年:2010/02/20(土) 19:02:30 ID:62e+bAki
BFN?も、もしかして・・・B(A)F(U)Nですかぁ〜!
92人間七七四年:2010/02/20(土) 19:03:51 ID:6STIp6eR
93人間七七四年:2010/02/20(土) 19:19:31 ID:YvZk2ILL
>>89
エスパー伊(ry
94人間七七四年:2010/02/20(土) 19:56:44 ID:CzyRmob7
>>93
レベル5ジャッジメントと戦国武将を比較しちゃいかん。
95人間七七四年:2010/02/20(土) 20:05:56 ID:YvZk2ILL
>>94
まーくんがカバンに隠れる様子とか想像したら愉しくね?
96人間七七四年:2010/02/20(土) 20:16:18 ID:mzsYEWZF
>>86
イソップ寓話に似たような話があったな
97人間七七四年:2010/02/20(土) 20:34:49 ID:an2aMmJN
>>83に構ってやるとかおまいら優しいな
98人間七七四年:2010/02/20(土) 20:47:47 ID:YvZk2ILL
>>97
ちょっといい話になっただろ?
99人間七七四年:2010/02/20(土) 21:35:45 ID:IfcGeX18
徳川家康は、関東に移封された際、代官に伊奈忠次を抜擢した。

この伊奈忠次というひと、徳川家の家臣だったが、三河一向一揆の際に一揆方に組して出奔。長篠の戦で功を挙げて復帰し、信康の側近となったが、信康切腹により再び出奔。
堺に蟄居していたとき本能寺の変が起こり、ちょうどそのとき堺にいた家康の伊賀越えを助けて再び帰参が許されるという出入りの激しい人だったが、なかなかに有能であり、機知に飛んだエピソードがいろいろ残っている。

その一

秀吉の小田原攻めの際、伊奈忠次は徳川家の兵站の責任者であった。
家康に命じられて大井川と富士川に舟橋を掛けることになったが、迅速というかせっかちというか、予定より早く秀吉と主力軍が着いてしまう。当然橋はまだできていない。
せっかちなラスボスは風雨の中強行渡河を決行しようとする。
ここで忠次が、強行渡河で数騎が流されて溺れれば、うわさは拡大して広がり、数十騎が溺死したということになり、敵の士気を高め、味方の士気をくじくから3日待ちなさいと諌め、
ラスボスもしぶしぶ従ったという。

その2

関東移封の際、秀吉は家康に移転経費として10万石の米を与えた。
とはいえ、ほんとに10万石あるかわからなかったので、家康が忠次に早速計量して来いと命じると、すぐ戻ってきて終わりましたと答える。
家康がびっくりして、ほんとに数えたのかと尋ねると、
忠次は、少ないからといって秀吉にもっとくれといえるわけもないし、多かったからといって返す必要もないから、とりあえず封印をしましたので、後でおいおい数えますと答えた。

その3

小田原攻めの際、忠次は兵糧を現地に送る準備を整えていたが、現地に視察に訪れると、これだけの大軍が集結しているのに米麦の価格が上がっていない。
びっくりした忠次が家康に尋ねると、家康は、秀吉の部下に補給の名人増田長盛がいるからであろうと答える。
それならばと忠次は兵糧を現地調達に切り替え、移送費を浮かしたという。

忠次は関東代官として、関東を中心に各地で検地、新田開発、利根川や荒川などの河川改修を行った。
また、武士や町民たちはもとより、農民に炭焼き、養蚕、製塩などをすすめ、桑、麻、楮などの栽培方法を伝えて広めたため、農民たちからも神仏のように敬われていたという。
100人間七七四年:2010/02/20(土) 22:21:04 ID:rtL4OBQH
本田平八郎みたいな戦功がめだつ人だけじゃなくて
こういう優秀な縁の下の力持ちがいたから徳川が天下取れたんだよね
101人間七七四年:2010/02/20(土) 22:26:59 ID:8ZsovsaP
徳川家に伊奈みたいな内政のスペシャリストは貴重だね
彼は三成みたいに武官に疎まれたりはしなかったのかな
102人間七七四年:2010/02/20(土) 22:39:26 ID:iJBmFhEx
幕府が開かれるまでこういう官僚派は徳川家ではかなり立場弱かったし知行も
少なかったからあんまり問題にはならなかったんじゃないか

本田佐渡が恨みを買ってくれてたから陰に隠れてたりw
政権運営するようになってようやく官僚連中が立場逆転してたけどそうなってから武断派の
連中が愚痴を垂れ流すようになったわけでw
103人間七七四年:2010/02/20(土) 22:54:32 ID:uPh3l3EV
関東地方には「伊奈」が付く地名が多いよね
うちの近くにも「伊奈平」があるし
104人間七七四年:2010/02/20(土) 23:04:28 ID:XQHFmvBq
それじゃ武功派のいい話をw

本多平八郎が二人の息子に残したと伝える、「鎗場高名集」という槍働きの極意を述べた書物がある。
その中の一節。

「軟弱なことやさかしいまねはするな、必ず手ぬるくなって、死地にあったら死んでしまう。侍には侍の流儀がある。
 しかるに侍らしいことをせず、武道をたしなまず、茶の湯、歌道、不義、弁舌を好むようなぬるい奴らは、折を見て
 首を刎ねてしまうべきである。」
105人間七七四年:2010/02/20(土) 23:28:20 ID:rtL4OBQH
>>104
生粋の武人だったんだろうねぇ。
しかし、こういう人は平和な時代になったら有害無益だな・・・
106人間七七四年:2010/02/20(土) 23:29:23 ID:gysVzymM
>>100
優秀な縁の下が、徳川家以外にはいなかったと思っているの?
107人間七七四年:2010/02/20(土) 23:33:15 ID:JgfK9EZ7
>>106
キミは多分文章の捉え方を間違えてる。
108人間七七四年:2010/02/20(土) 23:36:41 ID:rtL4OBQH
>>106
えーと・・・
別に思ってないよ
109人間七七四年:2010/02/20(土) 23:47:41 ID:EYGe8dzi
なんか最近、Aという人物の特定の美点を挙げて賞賛しているのを見て
「他のをディスって持ち上げてる!」と感じるというちょっと意味不明の憤りに遭遇することが多い。
110人間七七四年:2010/02/20(土) 23:56:48 ID:GaTkeukx
>>104
不義が茶の湯や歌道、弁舌と並んでる辺りが武功派らしいな
111人間七七四年:2010/02/21(日) 00:03:36 ID:aFnw/4Ot
侍大将以上なら補給とか物資輸送とか考えないといけないはずなのにどうしてたんだろ?
全部家康任せ?
112人間七七四年:2010/02/21(日) 00:06:47 ID:z2PTyCfh
つーか本田平八とか赤井伊って割と政治的な部分もやってたような?
113人間七七四年:2010/02/21(日) 00:17:26 ID:3sMz+hRb
つか、本当に槍働きしかできない奴が大名クラスに取り立てられることってありえないじゃないの?
114人間七七四年:2010/02/21(日) 00:41:41 ID:k6J/btx4
武功派は武功のために色々な手を打てたから武功派なんでそ

>>104では、どういう心得の人物がよいのか、ということを説いているわけで
115人間七七四年:2010/02/21(日) 01:20:12 ID:ApAe2ZpT
あうぅ
おらいんの 戦国キチのじっさまも 今の時代みたいにパソコンあったら ボケっこどもながったのに
116人間七七四年:2010/02/21(日) 03:18:01 ID:EzraRasX
>>89
政宗公三歳のみぎりの臼かも知れん。
117人間七七四年:2010/02/21(日) 04:59:04 ID:PuNhCCdp
>>111
兵糧を自弁するのは、ある程度以上独立性の強い領主だろ
部将おのおのが小荷駄を仕立ててたら、行軍速度が恐ろしいことになりそうだ
118人間七七四年:2010/02/21(日) 05:09:46 ID:z2PTyCfh
ん?知行貰ってて部下持ってる奴って基本部下の分の
装備は自弁だし武器弾薬食糧すら自弁の時もあったはずだが
119人間七七四年:2010/02/21(日) 05:46:49 ID:PuNhCCdp
地域とか状況によるだろうが、自弁は腰兵糧のレベルじゃないの?
小田原陣レベルではありえない
軍道具を自弁は当たり前だと思うが…(一度運べば済むし)
120人間七七四年:2010/02/21(日) 07:27:22 ID:aFnw/4Ot
>>114
だったらそういう仕事の重要性理解できるんじゃね?ってこと
なぜそこまでくさす(三成や正信に問題なしとは言わないが
121人間七七四年:2010/02/21(日) 07:30:24 ID:QW+xIW9h
>>120
キミは色々勘違いしているんだと思う。
忠勝は一言も補給や文官仕事を否定していない。
122人間七七四年:2010/02/21(日) 08:10:08 ID:aFnw/4Ot
>>121
ただ佐渡が嫌いなだけ?
123人間七七四年:2010/02/21(日) 09:00:55 ID:Hxk2nMBa
>>104の言葉は明らかな文官批判だろう
124人間七七四年:2010/02/21(日) 09:47:23 ID:LxqGXUUW
実際の書状とかが残ってないなら、後世に忠勝のイメージを仮託して作られた言葉かもしれんね
125人間七七四年:2010/02/21(日) 09:57:35 ID:ckUbeTrf
弁舌に走るな、黙々と為すべきことを為せ、とか
流行、趣味に耽溺するな、とか
別に文官非難の内容ではないと思うけど。

そう読み取れなくもないのは武道云々のくだりかな。
でも官僚でもなんでも武士だからなあ。
これも当たり前のこと言ってるだけだろ。
126人間七七四年:2010/02/21(日) 10:08:00 ID:nrU7foS+
本当に問題なのは

折を見て首を刎ねてしまうべきである

ここだと思うんだ
127人間七七四年:2010/02/21(日) 10:09:02 ID:AHN/Y1Be
とゆーか、茶の湯、歌道、弁舌って、官僚とか文官ってより外交官に必須なスキルじゃね?
128人間七七四年:2010/02/21(日) 11:31:50 ID:+/DS0r9E
>>126
そこの言い方をマイルドに変えれば武士の心得のいい話だよね
129人間七七四年:2010/02/21(日) 11:35:05 ID:pjGlAtGY
あくまでも本多の家の問題なのだからそれでいいのだよ。
130人間七七四年:2010/02/21(日) 11:41:07 ID:I/rbT9qv
『首をはねる』が、解雇するって意味の言葉なのか首チョンパなのかが分からん
さすがに頻繁に家内ヒャッハーのすすめを平八がするとは思えないんだけど…
解雇ならば分からんでもないけど、それでも家中が不安になったり暗くなったりしそうだな

江戸期だと、下手すると解雇の方が厳罰かもしれんけど
平八さんの時期は首チョンパの方が重罰っぽいな
131人間七七四年:2010/02/21(日) 11:56:40 ID:hl2XVShl
その前にこの時期、既に「クビになる」という成句があったのだろうかという疑問が。
132人間七七四年:2010/02/21(日) 11:57:00 ID:vz8iVimu
武士の本分を忘れるな
を厳しめに言っただけじゃないの?

まあ、井伊さんとこなら本当に刎ねそうな気がするが
133人間七七四年:2010/02/21(日) 12:03:37 ID:vz8iVimu
>>130
本人だけの刑に限れば、斬首刑は相当な重刑だと思うけどね

残酷な死刑(のこ引き・釜茹でとか)>斬首刑>切腹>改易して奉公構>普通の解雇

の順だと思う
134人間七七四年:2010/02/21(日) 12:42:50 ID:0S6COiOs
奉公構の有無は罪状よりも元の役職やらが大きいのでは?
家中の機密を握ってる奴を放置するわけにはいかんだろうし
135人間七七四年:2010/02/21(日) 12:48:49 ID:LxqGXUUW
高野山追放とかは解雇の部類かな
あとは閉門やら隠居やらがあるか
136人間七七四年:2010/02/21(日) 13:01:51 ID:pjGlAtGY
残酷な死刑(のこ引き・釜茹でとか)>斬首刑>改易して奉公構>普通の解雇>切腹>戦死

こっちじゃないか。
137人間七七四年:2010/02/21(日) 14:43:20 ID:q2guvBFF
討ち死にはむしろ加増対象だろうが
138人間七七四年:2010/02/21(日) 15:02:01 ID:I/rbT9qv
おい、切腹しろ、そうしたら家は取り潰さないから
こう言われちゃったら、江戸期ならみんな切腹しちゃいそうだね
戦国期ならもっといい主君に仕えるわい、で出奔だろうけど

家のことを含めて考えたら、改易追放の方がヒドいと感じるケースもあるかと
139人間七七四年:2010/02/21(日) 15:06:30 ID:L5w1HjFS
武士の打ち止めは切腹と浪人に限ると隆先生が…
140人間七七四年:2010/02/21(日) 19:56:31 ID:0FKHApfN
こんな物があった

★武運長久・学業成就 「最上義光指揮棒えんぴつ」

子供たちに大人気の「最上義光指揮棒えんぴつ」です!!
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141人間七七四年:2010/02/21(日) 20:37:01 ID:7lkb6q12
鮭ネタイラネ
142人間七七四年:2010/02/21(日) 23:12:49 ID:GsdSArBF
>>140
だがヒャッハーしすぎると氏家さんや鮭延さんの霊が枕元に立って叱られるに違いないw
143人間七七四年:2010/02/22(月) 02:44:14 ID:ohllKmN1
>>140どこがいい話?エピソードでも何でもないし。
144人間七七四年:2010/02/22(月) 07:26:16 ID:0S7L8j/F
保科正直は武田滅亡後、滝川一益の寄騎となったが、神流川の戦いで一益に従い北条軍と
戦って敗れ、家臣を抱えながら牢人となった。
「殿、ここはかつて武田家で同じく馬を並べたよしみをもって、真田昌幸どのに頼りましょう。」

正直の子・正光は昌幸の娘を娶っていたが、高遠落城の際、二の丸を守っていた保科家は、
本丸に残した人質を置いて逃げ延びた。正直は恐る恐る昌幸に頭を下げに行ったが、
謀将は保科家の面々を温かく迎えた。

「時に妻子親兄弟を捨てるなど、武士にはよくあること。恥辱と思われるな。」
「かたじけない。だが、これからどうしたものか…」
「そうですな…高遠の地、今は取るに足らぬ土豪ばかりとか。これを制し、伊那郡を切り取られよ。」
「しかし北条家臣となったわが弟・内藤昌月(昌豊養子)も、高遠を狙っているとの噂がある。」
「なぁに、かまう事はない。逆に昌月どのに頼み…」

昌幸に策を授けられた正直は、弟・内藤昌月の居城・箕輪城に向かった。
「…という訳で、兵を借りたい。」正直の頼みに、昌月は冷たく答えた。
「高遠は私が領して良いと、すでに小田原から朱印状をもらっております。あきらめて下され。
兄である貴殿を、悪いようにはしませぬ。わが家中で、重臣となるが良いでしょう。」
(実兄であるわしに、何たる言い様…!しかし昌幸どのが…)

『…と、昌月どのは言うでしょうが、グッとこらえて頭を下げ、兵を借りなされ。』
「…わかった。従うゆえ、高遠を攻める兵を貸してくれ。」
何とか五百人を借り受けた正直は、易々と高遠を手に入れた。「これでよし。昌幸どの、頼んだぞ…」

その頃、徳川家康のもとに真田昌幸からの書状が届いていた。
『上田領主・真田昌幸、高遠領主・保科正直と共に徳川にお味方いたす。ついては、領有を認める
朱印状を、それぞれに賜わりたし。』
さっそく酒井忠次を通じて朱印状が発行され、保科正直はこれをきっかけに伊那半郡を制圧した。

内藤昌月は高遠に居座った正直の非を小田原に訴え、徳川と北条の間に合戦が起こるが
北条は敗北し、そのまま高遠は保科領となった。家康は保科家の臣従を喜び、正直の後妻として
家康の義妹を与えるなど優遇したという、「弾正の子供たち」のお話。
145人間七七四年:2010/02/22(月) 09:34:06 ID:6W1dE8Cq
才にそれほど差がなければ軍師の差は歴然、か…。
146人間七七四年:2010/02/22(月) 10:11:02 ID:PYDsofOf
>>143どこがいい話?エピソードでも何でもないし。 
147人間七七四年:2010/02/22(月) 13:39:43 ID:/NgbsO+5
>>146
じゃあ最上義守の逸話で
指揮棒に書かれている通り義光の仏教信仰をちょっと関連して

 天正11年、最上義守が大病をわずらって危篤状態におちいった
そのとき彼は義光や義姫夫妻を枕元に呼び、大勢の重臣たちが居並ぶところで訓戒をあたえた
「今自分が亡くなったなら義光と輝宗が仲たがいして合戦をはじめるのではないか。
これだけが心にかかることだ。
最上と伊達がいくさをして、例え輝宗が勝ったとしても最上の主人になることはできまい。
逆に義光が戦いに勝ったところで奥州を手に入れることはできないだろう。
おまえたちのような小さな大名が、身内同士仲たがいをしたら、他の大名がとくするだけだ。
最上も伊達も関東の佐竹や越後の上杉に討たれてしまうだろう。
ただし、両家が仲良くしているならば、佐竹・上杉が一つになって攻めようとも没落することはないはずだ。
最上の氏家・志村よ、伊達の片倉・遠藤よ、おまえたちもこのことをしっかり胸におさめて、けっして背いてはならぬ」
ところが、あやうく見えた義守は、医薬のかいあってかほどなく快復する。

八日町浄光寺の伝えでは日蓮宗の旅の僧日満上人の祈祷が功を奏したとされ
これに感謝した義光が一万坪の寺地と伽藍を建立したのが同寺の始まりだとしている。
148人間七七四年:2010/02/22(月) 14:23:00 ID:EfMda3pl
>>102 らへんの方々
徳川家には個々の吏僚や奉行はいても、官僚団はいなかったですね。
これは北条家をまるごと吸収した際に手に入れたもの。
これが幕府官僚団を形成し、そしてそれはそのまま近代日本の礎となり、
更には戦後の経済成長も支えた。
でも起源を早雲公よりも古くまでさかのぼっちゃうと、
尊氏が建武の新政の混乱をブッチギリ無視して集めたイケメン集団の系譜が
後の日本を形作ったということに・・・
149人間七七四年:2010/02/22(月) 14:24:03 ID:S4vRiO7h
鮭ネタいらん
150人間七七四年:2010/02/22(月) 15:20:15 ID:A7dP0o9N
>>104

茶の湯→畿内屈指の数寄大名。大名物も多数所有

歌道→孫に有名歌人。本人も風流人

不義→裏切ってごめん

弁舌→主君に告げ口ゴニョゴニョ



味方にはしたくない・・・
151人間七七四年:2010/02/22(月) 15:30:46 ID:dQSgsanV
本多って細川に恨みがあったのか
152人間七七四年:2010/02/22(月) 17:23:11 ID:c9tTLAWg
鮭ネタいらん
153人間七七四年:2010/02/22(月) 17:58:42 ID:S/YQC9Km
>>147
ただ、義守の失敗はアレを呼ばなかった事だな。




                 って呼んでもいっしょか....。
154人間七七四年:2010/02/22(月) 19:34:26 ID:rkXe8dWj
>>153
義光伯父さんも最初は甥っ子の事を可愛がっていたみたいだし
そのまま最上領を譲れば良かったのにね
155人間七七四年:2010/02/22(月) 21:25:28 ID:AR1KfuEv
1570年4月14日の二条御所における能楽に集まったメンバーって地味に凄くない?姉小路は置いといて。
これって他に誰が参加してたんだろ
156人間七七四年:2010/02/22(月) 21:31:21 ID:bwX74uvR
置いといて、って姉小路さんなめんな、飛騨の国司だぞ。

……まあ、乗っ取ったヤツだけど。
157人間七七四年:2010/02/22(月) 21:38:21 ID:TO267KqH
自称姉小路の三木さんだなw
158人間七七四年:2010/02/22(月) 21:47:03 ID:NOmbjeDZ
乗っ取りでも従三位には叙任できてしまったからなw
それを可能にした資金力と人脈は侮れない。
159人間七七四年:2010/02/22(月) 21:53:41 ID:AR1KfuEv
だって書いてある他のメンバーが凄いのに一人浮いてるんだものw
でも何故か筆頭が姉小路なのも不思議w
160人間七七四年:2010/02/22(月) 23:10:52 ID:meYv1W0W
>>147
残念ながら既出なんだよね
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-938.html
161人間七七四年:2010/02/23(火) 08:02:27 ID:vplOK7J2
でも後日談は初めてだよな
162人間七七四年:2010/02/23(火) 17:48:50 ID:M7qRwq02
いい話でもないが

ちょっと前に出ていた通り、母里太兵衛の日本号は現存している。
(福岡市立博物館にある)

…が、文化財として何の指定も受けていない。指定してくれよ…
163人間七七四年:2010/02/23(火) 17:54:21 ID:5oDsR1mX
確か持ち主が拒否したら指定できないだろ
164人間七七四年:2010/02/23(火) 19:23:14 ID:3daMQjnz
銘といい箔といい相当な一品なのにな
165人間七七四年:2010/02/24(水) 03:39:39 ID:6Ca/hWf3
>>159
家格
166人間七七四年:2010/02/24(水) 07:27:57 ID:hvM5Xdgh
>>165
室町幕府内で言えば一色、畠山の方が格上だよね。間違ってたらゴメン。
当時でも姉小路の名前は古物だろうに、それでも家名優先とは本当にいい名前名乗ってたな、三木さんは
167人間七七四年:2010/02/24(水) 10:05:13 ID:RqQ2vfLz
文化財指定を受けると移動とかが容易に出来なくなる・・・くらいかなぁデメリットは
金銭面でのメリットしかないから金銭に困ってなければ受けなくてもいい程度
168人間七七四年:2010/02/24(水) 16:31:50 ID:vnGqCpBs
>>167
あと、担当の役人の態度が尊大でぶち切れてって可能性かな。
知り合いのお寺さんの門が歴史あるもので、補修するのに個人じゃまかなえないってんで由来とかまとめて市に申請だした時に担当者の態度に何度やめようかと思ったと語ってた。
「指定してやる」といわんばかりの横柄な態度で、自分の金で補修もまかなえないなんて落ちぶれたもんですねみたいな嫌味言われたとか。
169人間七七四年:2010/02/24(水) 16:56:50 ID:qeAjuZWX
京都?
170人間七七四年:2010/02/24(水) 19:44:42 ID:iXkJjDN3
伊勢の国司だった北畠も、室町幕府からはそれなりの好待遇?
171人間七七四年:2010/02/24(水) 19:52:36 ID:drpOKt5v
>>170
何度も南朝勢力と連動して幕府に反逆しても、何故か最終的に所領安堵される程度に。
172人間七七四年:2010/02/24(水) 20:18:24 ID:12RNF1jI
将軍から一字貰ってるしな
173人間七七四年:2010/02/25(木) 01:34:00 ID:Iuv63Z4R
酒井忠次と信長


長篠の合戦(設楽ヶ原会戦)直後のこと。
鳶ヶ巣山の奇襲を成功させ、武田軍を設楽ヶ原におびき出す大功を立てた
徳川家四天王筆頭酒井忠次に、信長がねぎらいの言葉をかけた。

「おお、酒井殿!此度の貴公の働き、見事であった!
 まるで後ろに目があるかのようであったぞ!」

忠次はニコリともせずこう答えた。

「いえ、後ろに目はありません」


( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)
あまりの空気読まない発言に居合わせた諸将、呆然。
( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)


一方、信長は空気を読んだ。

(;´ー`)
あ、うん。ごめんね。
別にそういう意味で言ったわけじゃないんだ。
えと、今日はお疲れ様。



当時、飛ぶ鳥を落とす勢いであった織田信長の面前での
この振る舞いに、世の人は忠次の豪胆を讃えたという。



三河武士、かくの如し。
174人間七七四年:2010/02/25(木) 01:41:34 ID:i4MzDWyv
>>173
そんな忠次さんも三河衆の中ではかなり社交的な方なんだよ!
得意技「海老すくい」で、何度殺伐とした場を和ませてきたことかw
175人間七七四年:2010/02/25(木) 02:15:31 ID:lLvC4f9O
どれ……戦の終りを祝ってひとつそれがしが……

おっ 出ますぞ!
酒井様の「海老すくい」が!!

はぁ〜〜〜 浜名の〜うみ〜〜〜に
そい〜そいっ

176人間七七四年:2010/02/25(木) 02:45:52 ID:1EbwdmTz
>>166
飛騨国司は公家
一条と同じだよ
三木は主家の衰えに乗じて飛騨を制圧
さらに姉小路の内紛を利用して家格も奪取する目聡い一族
なのになんで佐々に付いたのか?


伊達騒動でも姉小路の娘(宗興正室)が絡んでくるけど、これは再興されたほんものの姉小路家
177人間七七四年:2010/02/25(木) 03:26:24 ID:lZHnDqaJ
>>175
これはこれで味があるものでござるなボヒヒヒヒwwwwww
178人間七七四年:2010/02/25(木) 09:02:36 ID:XtQBLR92
>>175
さすが酒井様、俺たちに出来ない舞を平然と舞って見せるッそこにシビれる!憧れるぅ!
179人間七七四年:2010/02/25(木) 11:06:34 ID:ZMULYHUG
>>168
それは地域によって違うのでは
うちらの方じゃむしろこうやったらもっと金が出るぞってイケイケだったぞ
180人間七七四年:2010/02/25(木) 11:13:02 ID:Q5z6k+/H
>>175
殿以外の人間に褒められる訳にはいかんということか喃。
別組織の親分に褒められた挙句に身を滅ぼした義経の例なんか、
武士ならよく知ってるだろうし。
181人間七七四年:2010/02/25(木) 11:47:01 ID:eLhHNsGI
実はめちゃめちゃ緊張してたとか……ないか、三河武士だし。
182人間七七四年:2010/02/25(木) 12:12:33 ID:+rTdDHwd
>>180
義経が滅んだ理由はまた違うと思うけど・・・スレ違いなので遠慮しときます
183人間七七四年:2010/02/25(木) 12:18:37 ID:SaXVchiX
>>173
忠次が安土城を見て「大したものではありませんな。」と言った、という話を聞いた
家康だったか信長だったかが「ああ、あいつならそう言うだろう。」と答えた話がなかたっけ?
184人間七七四年:2010/02/25(木) 13:07:11 ID:jTGTU1Cq
まぁ、ドヤ顔で言ったんじゃなくて
冷や汗だらだらで言ったんだと思う
そういうやせ我慢って割と尊重されるし

じゃなかったら家康がまず許さないと思う
平然と言う様なら尊大で無礼なだけだから
185人間七七四年:2010/02/25(木) 13:23:09 ID:mKh4Dgv0
>>184
そこまでやせ我慢て印象もないなぁ
素で爆弾発言しても嫌味や尊大な態度にならないのが天然物の凄さだと思う
無骨なキャラは逆に大事にされるって愛されるっていうか
「自分、不器用ですから…」みたいな
186人間七七四年:2010/02/25(木) 13:26:44 ID:inEfsfs/
関東では超メジャー武将の太田道灌。
多数残る逸話からは才能をひけらかし、しかも結果を残してしまう有言実行のヤな奴という印象ですが……


ある時、道灌の娘が疱瘡の病にかかった。
「ね、ねぇ、大丈夫? 苦しくない? パパに何か出来る事ない?」
可愛い娘の為に、わざわざ京都から疱瘡に霊験があるという一口稲荷を勧請して江戸城内に祭った。
現在の太田姫稲荷神社である。


ある時、道灌の妻が男の子を産んだ。
「よぉし! パパ、息子の為に頑張っちゃうぞっ!」
可愛い息子の武運長久を願って八幡神社を建てた。
現在の誕生八幡神社である。


ある時、江古田原で豊島泰経と戦をした。
散々に追い散らされ、道灌は自軍とはぐれて一人、道に迷ってしまった。
と、目を巡らせたその先に……
「にゃ〜ん」
「ねこ〜〜(はぁと)」
もう回りは見えていない。既にココが戦場であるコトすら忘れてしまったようだ。
「ねこさん〜〜もふもふさせて〜〜」
猫の方は鎧武者に抱っこなんかされたくない。当然逃げる。目をハートにして追う道灌。
猫が飼われていた寺に逃げ込んだ時、ようやく道灌はココがどこだか気がついた。
自分の位置さえ判れば軍勢と合流するのも簡単だった。
「殿! ご無事でしたかっ」
「う、うむ。そこの寺の猫が道に迷った私を皆の元まで導いてくれたのじゃ。これは仏の導きに間違いない。
この戦、勝ったぞ!(もふもふしたかったのに……)」
「おぉ〜〜〜!!」
士気の上がった太田軍は見事逆転勝利を収め、豊島氏を滅ぼした後、その寺に地蔵堂を寄進した。
現在の自性院の猫地蔵である。


敵にも上司にも厳しかったが、子供と動物には弱かった太田道灌である。




187人間七七四年:2010/02/25(木) 15:41:41 ID:VOkMJT4d
ちょwww
我が子の幸福を願って神社建てまくるのはともかく
仮にも戦場でしかも敗走中なのに
もふもふを追いかけるなんて何と暢気なwww
だが、気持ちはわかる!
188人間七七四年:2010/02/25(木) 16:29:35 ID:xB0D6VMn
話ぶった切って悪いんだけど、まとめブログの
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3115.html
にある、片倉小十郎が市松に「ちんちくりんのりんりん」って言い返した話って
どの本に載ってるの?出典が気になって・・・
189人間七七四年:2010/02/25(木) 17:01:26 ID:u+QR3Z/P
竹を求める数寄者が居るのだから猫を求める好き者が居ても見事だと感心はするが少しもおかしくない。
190人間七七四年:2010/02/25(木) 17:29:01 ID:cES4Pvgc
戦場で竹を求めるのも猫を求めるのもどっちもおかしいとは思うが、だがそれがいい。
191人間七七四年:2010/02/25(木) 17:32:06 ID:rV8PAXOF
敵から逃げる中で、猫と追っかけっこをする人間がいてもいい。自由とはそういう事だ。
192人間七七四年:2010/02/25(木) 17:43:35 ID:u34tvjuY
>>188
小十郎の話は知らないが、
「むちょうとうのへんぷく(無鳥島の蝙蝠)」に
「きんぷくりんのぶくぶく」などで応酬する使者の逸話はすごく多いな。
信玄と鬼小島、信長と中島可之助などなど……講談であちこちに応用されたんではなかろうか?
193人間七七四年:2010/02/25(木) 19:15:45 ID:FCValMqL
阿部忠秋のエピソード
ある寺の僧侶が他国の寺へ転属する様命令を受けた。ところがこの僧侶、どういう訳か頑として
この命を聞き入れなかった。そこで忠秋は松平信綱と共に説得に向かった。
最初に信綱が僧侶に理路整然と僧侶に転属の理由を述べ説得したが・・・
僧侶「信綱様の申される事、一々最もだと思います。」
信綱「おお、では転属の件、受けて頂けますな?」
僧侶「だが断る!拙僧の最も好きな事の一つは理路整然と理由を話せば納得するだろうと思っている者に
  「否」と断る事です。どうしてもと申されるなら他の方を転属させればよろしいでしょう。」とかえって反発してしまった。

今度は忠秋が説得を試みた。
忠秋「「誰だ」って聞かれる前に自己紹介しますが私はおせっかい焼きの阿部忠秋!同僚の信綱殿が心配で付いて来た。
   僧侶殿、どうしても他の寺へ行きたくありませんか?」
僧侶「たとえこの事でお咎めを受ける事になろうとも、ここから離れる気はありません。」
忠秋「では咎めとして御坊には転属を申し付ける!これなら文句はありますまい。」と忠秋がいったとたん、僧侶は笑いながら
僧侶「これは一本取られましたな。知恵伊豆様(信綱)より豊後様(忠秋)の方が上手ですね(知恵がある)。私もクールに去るとしましょう。」
と話を受け入れたという。上手く相手の揚げ足をとった忠秋のいい話。
194人間七七四年:2010/02/25(木) 19:37:26 ID:wFCamCAf
俺が信綱なら、このクソ坊主を叩き斬ってやりたいw
195人間七七四年:2010/02/25(木) 20:10:46 ID:Q6NiX4Ea
昔々あるところに、おじいさんとおばぁさんがいました
おじいさんは山に首つりに、おばぁさんは川にどんぶらこどんぶらこ
196人間七七四年:2010/02/25(木) 20:55:13 ID:3lmPwJE/
>>193
文章の感じからして忠秋が僧侶に向かって「コイツはくせぇー!」とかやるのかと思ったが、
さすがにそんなことはなかった
197人間七七四年:2010/02/25(木) 21:06:46 ID:jo1znmYw
理由が分からないからどうしてもただのへそ曲がり坊主にしか読めない。
禿頭に落書きしてやりてえw
198人間七七四年:2010/02/25(木) 21:14:36 ID:jTGTU1Cq
こういうの好きそうなのってやっぱ禅僧かなぁ
199人間七七四年:2010/02/25(木) 22:08:02 ID:3+qGwjnD
>>191
ロジャー乙
200人間七七四年:2010/02/25(木) 23:48:54 ID:11u1C/Np
海老すくい踊りってどんな踊り?
大河ドラマとかで披露されたことあるかな?
201人間七七四年:2010/02/26(金) 00:07:20 ID:9rJSOCXU
漫画板へうげものスレより

651 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい 投稿日: 2010/01/23(土) 21:00:26 ID:Le1hu93a0
所用で酒井家のご当主にご挨拶に伺ったのだが、つい弾みで「えびすくい」について聞いてしまった・・

ついかっとなってやった
今は反省している

へうげものという漫画があることはご存じなかったそうです。

665 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日: 2010/01/23(土) 22:20:49 ID:Le1hu93a0
>>652
まず、この二つの話を知っているのが前提になります。

「酒井の太鼓」
徳川家康が三方原の戦いに敗れて、浜松城へ逃げ帰ってきた後、武田方は勢いよく城門の近くまで追ってきた。
このとき家康は、後から逃げ帰って来る者のために、城門を開いたままにして、城門の外へ、とてつもない大きなかがり火を焚かせた。
武田方はこの大きなかがり火を見たとたん「何か策略でもあるのではないか」と城の近くで様子を見ることにした。
すると城の中を守っていた酒井尉忠次が、突然、太鼓を高々と打ち鳴らし始めた。
驚いた武田方は「きっと何かあるにちがいない」と思い、急いで浜松城から離れていき、徳川家康は、かろうじて城を守ることができた。

「海老すくい」
三方ケ原の一戦で敗れて意気消沈している徳川軍の前に、またもや甲州武田軍が来襲してきた。
家康は、すっかり元気を失くしている所将を見渡して、酒井忠次に海老すくいの踊りをいたせと命令した。
これから出陣という間際に、家臣筆頭の酒井に海老踊りをいたせというのだから、これはなんたることかと一同驚いた。冗談にもほどが
すぎると呆れていると、よもやと思った重臣中の重臣が、やおら立ち上がると珍妙きわまりない海老すくいを踊り出したのである。
泥鰌すくいに似た滑稽な踊りに、一同思わず笑い転げてしまった。
そのためあの憂鬱顔も消し飛んで陽気な男たちの哄笑がつづいた。

で、ご当主のお話。

酒井の太鼓は歌舞伎の演目になっているくらい有名な話だが、歴史上の出来事としては「史実」と言いきることができるものではなく、
「逸話」と呼ぶべきものでしょう。忠次公も踊り自体は知っていたかもしれないが、海老すくいの話も同じように「逸話」と言うべきだと
思います。とのことでした。
あ、それから、踊れないそうです(笑
202人間七七四年:2010/02/26(金) 00:31:00 ID:KS4CzbBl
>>200
いわゆる「ドジョウすくい」の原型ですね
203人間七七四年:2010/02/26(金) 00:36:52 ID:ZtZtOKXE
オレも海老すくい踊りマスターしたい。
アンサイクロペディアに画像があるけど、あれじゃよく分からないよ。
204人間七七四年:2010/02/26(金) 01:03:21 ID:HDJ29+YD
>>173だけども

出典の記述を読む限り、忠次は本当に、
「後ろに目がある、というのはほめ言葉である」
ということが理解できなかったんだと思う

信長もそれを読み取った上でフォローを入れてる
悪意でああ返されて怒らないほど人間ができてる人でもないし
205人間七七四年:2010/02/26(金) 01:47:12 ID:jA4/AuOD
>>200見た瞬間「どじょっこほい」の悪夢がフラッシュバック… orz
どじょっこほいみたいな、困った時の万能ダンスじゃなくてよかった>海老すくいの逸話
206人間七七四年:2010/02/26(金) 02:11:52 ID:1fjA9n1J
このスレのアイドルの一人である細川忠興が手紙魔で
息子の忠利とこまめに手紙のやり取りをしてたのは有名な話ですが、
転封時の年貢問題で揉めに揉めて犬猿の仲になったお隣の黒田長政の行動を
半ばストーカーのように監視しては(こき下ろしながら)報告し合っていたのもたぶんよく知れた話だと思います

さて、その黒田家、二代藩主の時代にお家騒動を起こしたどさくさの時に都合の悪い文書を処分してしまったのか、
長政時代までの資料にやや乏しいところがあるようです(遺言状も偽書疑惑があるくらい)
黒田如水・長政が筑前に加増転封されて間もなく築城にかかったのが別名舞鶴城こと福岡城です
この福岡城、その規模も石垣も相当立派な52万石にふさわしい名城だったようなのですが、天守がありません
1646年に作成された『福博惣絵図』に天守が描かれていなかったため、最初からなかったというのが通説でした
ところが近年になって、細川親子の往復書簡の中に「ふく岡の天主、又家迄もくづし申し候。」という一文が発見されます
福岡城には天守閣があったんだけど長政が幕府に気を遣ってぶち壊した説が浮上しました。
(ちなみにこの書状の前年に福島正則が城の改修問題を理由に改易されたことも無関係ではないかもしれません)
現在、福岡城の天守閣論争はいまだ決着がついていないようですが、
細川親子が黒田家について細かく情報交換をしていたおかげで、新たな可能性が示されたわけです
さらに、毛利輝元が1611〜1612年頃、密偵を使って九州の諸藩の城郭位置を調べさせた記録が発見され、
そこにも福岡城の天守が描かれているそうです

ちなみに福岡城は1601年に築城が開始され、1607年に完成しています
1604年に亡くなった黒田如水はその完成を目にすることはなく、
1602年に誕生した黒田忠之は城が完成してないので、実は筆頭家老であるあの栗山さんちで生を受けたとか

個人的には、父と同じく吝嗇家ではありながら見栄っ張りな性分に見え隠れする長政が
あれだけ立派な天守台を作っておきながら、天守閣を立てなかったとは思えないんですけどね
207人間七七四年:2010/02/26(金) 02:51:28 ID:tWngrnu0
「長政は変わりもんだから、そういうこと(天守破壊)もやるだろう」って書かれてたってやつかな。
208人間七七四年:2010/02/26(金) 02:53:05 ID:47OcUZ6C
>>207
そうなると、長政からしちゃ、まさしくお前が言うな、な文だなあ。
209人間七七四年:2010/02/26(金) 03:24:09 ID:K8L6PN/u
大坂の陣で天守が砲撃目標になった戦訓から
実用性を考えて天守撤去とかした可能性は無いだろうか?
210人間七七四年:2010/02/26(金) 03:43:05 ID:tWngrnu0
大坂城普請の部材に転用したっていう噂話があったらしい。
211人間七七四年:2010/02/26(金) 09:57:12 ID:u8cIdJIO
伊達政宗の家臣のお話
政宗の家臣に大塚宗頼という者がいる。宗頼の父は天文の乱において中野宗時、牧野久仲、桑折景長と並ぶ最高の功労者として名をあげた。
宗頼も伊達家に仕え、政宗の信頼厚い人物であったが、岩出山移封の時、自分が老年であったので未開の地で土地を開拓していく自信がなかった。
政宗に帰農の申し出をして、自分は置賜の地に残る事にしたが、代わりに自分の息子二人をついて行かせる事にした。
政宗はこれを許し、息子二人には名家に相応しい知行を与えようとしたが、この息子二人は
「父は帰農し、大塚氏は断絶しました。私たちは新しく大塚家を建てただけですのでそのような立派な知行はいりませぬ」
と頑なに断った。政宗は納得し、この二人にはほんの少しの知行180石を与えただけにしたが、
代々伊達家に仕えてくれた大塚氏の事を思い、長男の方には「伊達一族」の格式が与えられている。
男気がある大塚氏とそれを高く評価してくれた政宗のちょっといい話?
212人間七七四年:2010/02/26(金) 13:16:01 ID:8vvH5+QA
武将兜ペーパークラフト無料ダウンロード 
ttp://www.yonezawa-naoe.com/information/080813.html

徳川四天王の二人目、榊原康政が登場。 
以後は井伊直政→本多忠勝の予定。 
213人間七七四年:2010/02/26(金) 18:08:39 ID:TM9WqURO
>>192
お礼遅れてすいません。
親切にありがとう。結構あるタイプの話なんだな〜初めて知った!
214人間七七四年:2010/02/26(金) 19:42:59 ID:ZQ0pIszw
>>212
黒田長政のなら黒い厚紙ペタッとはればできそうだな
215人間七七四年:2010/02/26(金) 20:04:02 ID:2LhlYkWX
>>214
ワロタ
216人間七七四年:2010/02/26(金) 20:24:37 ID:hlwC5mYe
天地人の企画なんだから、兼続のはベースボール前立ての兜も作るべき
217人間七七四年:2010/02/26(金) 20:44:34 ID:FnS/7hxi
>>214
大水牛のでも角が結構大変だし、兜鉢も桃形だからそこで転用できるのはないと思うけど・・・一の谷も構造が難しいんですよ?

一の谷は、歯磨きチューブの使い終わりによく似てるw
218人間七七四年:2010/02/26(金) 20:48:22 ID:ryUBB9NV
>>214
一ノ谷形兜だよね
一ノ谷形兜っていうと黒田長政のが有名でさ、なんじゃこれwって話題になるたびに
「当時の流行だよ、義経の一ノ谷での活躍をイメージ化した由緒正しい意匠だよ」みたいに
言われるけどさ
こないだ読んだ甲冑の本に「一ノ谷形」兜が複数載ってたけど
黒田以外はもっとおとなしくて、形も工夫されててなかなかスタイリッシュな兜だったんだよ
これは流行ってもおかしくないな、と思った
みんながみんなソーラーパネルみたいじゃないんだよ
なのに黒田長政の兜ばっかり有名になって、また子孫が似たような形のを愛用するもんだから…
219人間七七四年:2010/02/26(金) 21:03:19 ID:KS4CzbBl
>>218
この肖像画の力もあるよね
http://www.sengoku-expo.net/portrait/images/L/004-q02.jpg

長政の苦虫を噛み潰したような表情といい兜のインパクトといい、傑作だわw
220人間七七四年:2010/02/26(金) 21:04:50 ID:q9tjcJF6
馬のたてがみって結ぶもんなん?
221人間七七四年:2010/02/26(金) 21:11:13 ID:QnYhq1Ac
くるくる回ってレーダーになるんじゃないの?
222人間七七四年:2010/02/26(金) 21:18:33 ID:1fjA9n1J
>>219
その絵は幼少時から長政とともに育った側近中の側近で義弟の黒田美作が長政一回忌くらいに描いたものだから、
適当な絵師が伝聞とかおぼろげな記憶を頼りに描いた他の肖像画に比べるとおそらく本人の姿に忠実なんだと思う

一ノ谷の兜は、半兵衛→正則→長政と渡っているんだよね、確か
長政が交換してもらったのはレプリカらしいが
223人間七七四年:2010/02/26(金) 21:21:46 ID:FnS/7hxi
後の福岡藩主がつくらせた、長政の兜のレプリカ。
現在東博所蔵品の画像。

ttp://image.tnm.jp/film/1024/C0051145.jpg
ttp://image.tnm.jp/film/1024/C0051146.jpg

てっぺんがかなりオーバーハングしてるのがわかると思います。
224人間七七四年:2010/02/26(金) 21:23:03 ID:vZMOWD1R
>>220
競馬中継見なさい
225人間七七四年:2010/02/26(金) 21:28:49 ID:QaUb4ziH
>>162
見に行った時、三名槍の一つなのにあまりプッシュされてないな〜と思ったら、何にも指定されてなかったのか!
日本号の横に、市松の「酒飲んだらやるよ」から次の日の「え、そんな事言ったっけ!」までの話が、
小学生にも分かる位軽快に説明されているんだけれど、も少し市松に優しくしてあげて(ノ∀`)
226人間七七四年:2010/02/26(金) 21:37:18 ID:QaUb4ziH
>>222
じゃあ、あのしかめっ面が長政のデフォってことか・・
227人間七七四年:2010/02/26(金) 22:02:37 ID:lBZNSwhI
>>226
まぁ、何事につけても親父さんと比較されてダメだしされてりゃそんな顔にもなるわな。
228人間七七四年:2010/02/26(金) 22:44:33 ID:r5vH1VDH
単純に
苦み走った俺シビィイ、俺カッコええ、なのかもしれんけどなw
229人間七七四年:2010/02/26(金) 22:47:07 ID:P63uiLM5
若殿は自分に自信が持てないから自然体で居られないのだ
暴虎馮河の行いもその裏返しよ、大殿と比べるととてもとても…
230人間七七四年:2010/02/26(金) 22:56:59 ID:tzwGmNeT
又兵衛自重w
231人間七七四年:2010/02/26(金) 23:14:41 ID:eV2RmtHd
能力だけなら経歴見ても実績見ても戦国最高クラスだからなー>官兵衛
初期の寡兵での戦いでもすげぇ勝ち方してるし大軍運用させても隙がない

官兵衛が織田にいたら最低でも明智は超えてるだろ
232人間七七四年:2010/02/26(金) 23:18:30 ID:1fjA9n1J
如水さんはここ一番でポカが多いというか、いまいち出世できないタイプだからなあ
233人間七七四年:2010/02/26(金) 23:20:54 ID:f0qHaXOf
何でも切れる妖刀みたいな奴に大権持たせる奴なんてそうはおらん
234人間七七四年:2010/02/26(金) 23:23:32 ID:47OcUZ6C
妖刀如水……うん、ありそうだ。
235人間七七四年:2010/02/26(金) 23:23:37 ID:eV2RmtHd
ラスボス全盛期の如水の見極めがハンパなかっただけじゃね
236人間七七四年:2010/02/27(土) 00:16:41 ID:xkQoMqng
クロカンって三国志の賈詡とイメージが被るんだよな。
有能さといい、その能力の割に出世できない点といい、だからといってそこそこ重要ポジションで畳の上で死んでる点といい。
237人間七七四年:2010/02/27(土) 00:20:45 ID:ZaGZ/ehm
>>231
荒木村重説得失敗(織田家)

238人間七七四年:2010/02/27(土) 00:23:28 ID:S0EMmY1A
市村正親って61歳なのか?
239人間七七四年:2010/02/27(土) 00:34:58 ID:1YWh0T7N
>>237
あの頃は織田家に仕えたばっかだったしせっかく官兵衛が頑張って構築に一役たった
織田家の中国戦線が瓦解する瀬戸際だったからあそこで特攻したのはある意味しょうがない

結局一年も独房の劣悪な環境で生き残った事といい、説得の献身といい、それで信長と秀吉に認められてる
事といいある意味いい話だろ

栗山さんとの主従話も戦国屈指のいい話だしな
240人間七七四年:2010/02/27(土) 01:10:14 ID:/o0i9Q04
関ヶ原で家康に楯突いてしまった上杉や島津の
江戸でのエピソードは無いでしょうか?
いびられて針のむしろだったのか
内府と戦った男として畏敬の念をうけていたのか
241人間七七四年:2010/02/27(土) 01:19:36 ID:EXLyfxDY
特筆するような逸話は知らないなぁ

大坂の陣で官僚達が出した関所の強化案を却下すると、その理由を問う若手官僚に
今の世なら儂以外だと景勝なら解るだろう、景勝に聞けって家康が答えたって話とか
242人間七七四年:2010/02/27(土) 01:25:58 ID:1YWh0T7N
また隣の変な兜の人の通訳を聴く仕事が始まるお・・
243人間七七四年:2010/02/27(土) 01:28:08 ID:XzOVo14E
島津は例の息子が江戸でも賑やかしいことやってるじゃん
244人間七七四年:2010/02/27(土) 02:09:29 ID:748wWMX7
家康が島津義久を褒めた話って、あれ将軍就任後じゃないの?

上杉家は直江が一生懸命徳川家ヨイショしてるね
245人間七七四年:2010/02/27(土) 07:54:02 ID:4uhwwiOa
>クロカンって三国志の賈?とイメージが被るんだよな。
カクのほうがポカがない
歴史にのこった発言でも
クロカン「御運の…」
カク  「エンショウとリュウヒョウのことを…」

まあ秀次をどうしようか悩むラスボスの前で
「(一族内で殺しあって三代しか続かなかった)鎌倉将軍家のことを考えておりました」
と言うクロカンさんも見てみたいが
246人間七七四年:2010/02/27(土) 08:09:23 ID:Rbj66vnb
謙信とか信玄は死んでからも畏敬の対象でちょこちょこ名前でてくるけど信長は死んだらあんまり話題にもなってないね

247人間七七四年:2010/02/27(土) 08:35:36 ID:SyZn6CiU
信長話題にしたら、秀吉が「え、何、俺ディスってるのメーン?」状態になりそうだし。
248人間七七四年:2010/02/27(土) 08:57:34 ID:W0htTffY
秀吉は信長の死後その子供殺したり改易したりで
信長に受けた恩を仇で返したみたいに言われたし
信長の事を話題に出すのを嫌ったらしいね
249人間七七四年:2010/02/27(土) 09:04:01 ID:M3FZUhWb
家康も信玄のことは喜んで話したが信長のことはあまり話さなかった、という。
250人間七七四年:2010/02/27(土) 09:10:16 ID:W0htTffY
家康は信康の切腹関連で複雑な感情があったのかな
あれって信長が命じた説と家康が切腹命じて信長には許可求めただけ説あったけど
結局真相は不明なんだっけ
251人間七七四年:2010/02/27(土) 11:18:09 ID:MFvoXu7/
武田信玄の兜…あれでいいのか?
252人間七七四年:2010/02/27(土) 11:26:52 ID:GoNdwPo8
>>245
ちょっとスレ違い(板違い)だけどカクの場合、周辺の安寧を守ることにかけてはピカ一だけど、国家的な戦略はイマイチというか、ちょっと甘い面もある。
本人にあまり出世欲とかそういうのは無かったっぽいせいだと思うけど。
253人間七七四年:2010/02/27(土) 11:53:56 ID:NRB9O0O4
>>252
賈?は正史を読む限り、本気で漢を盛り立てようと思ってたみたいですね
メッキが剥がれてきた曹操と、晩年はウマが合わなかったようですし
254人間七七四年:2010/02/27(土) 12:24:00 ID:JFGxx/O3
小早川隆景の評通り、少し軽忽なところがあるのが惜しいな。
実際竹中半兵衛が長政匿ってくれてなければ、伊丹城の件は残念な話になっていたかも。
255人間七七四年:2010/02/27(土) 12:49:34 ID:SyZn6CiU
>>252
彼が甘いとは思わんけどなー。
事実問題として曹操らは彼の進言通りの失敗をしてるし。
むしろ曹操らの見通しの甘さだよあれは。
256人間七七四年:2010/02/27(土) 12:54:44 ID:3lznXYWk
>>252
単に賈詡の戦略を曹操や曹丕が採用しなかっただけ。
無論、賈詡の進言通りにしたからって成功した保障なんか無いが
曹操、曹丕ともに進言却下して兵を進めて敗北した以上、戦略はイマイチとは言えないんじゃないか。
257人間七七四年:2010/02/27(土) 13:00:58 ID:XY3Cjgw8
いい加減スレ違い
258人間七七四年:2010/02/27(土) 13:40:46 ID:GoNdwPo8
>>255,256
董卓死後の件や曹操の荊州討伐の件なんかは裴松之の批判は厳しすぎるとは思うがそれなりに理はあるとおもうよ。

>>257
ごめんね。
259人間七七四年:2010/02/27(土) 14:31:08 ID:1H/hPpKI
>>249
旧武田家臣への話題とか、自分に勝ってる相手だし、持ち上げなきゃならん側面もあるかね
信長の死後、織田の家臣を譜代として組み入れてたっけ?家康は
260人間七七四年:2010/02/27(土) 14:35:16 ID:7fEXyOrX
みんながいろいろ空気読んで信長の話しないのに
一人だけ「俺信長公大好き!超カッケー!」
とかまったく空気を読まない伊達のまーくん
261人間七七四年:2010/02/27(土) 14:51:57 ID:kTOQN0z9
>>260
お前面識無いだろw
父の方は文通とかプレゼントとかやってる筈だけど
262人間七七四年:2010/02/27(土) 14:56:29 ID:rBJn/SM1
実際の信長を知ってる人と知らない人の違いだろうな。その辺は
家康は信長絡みでいろいろ苦労してるだろうし。
263人間七七四年:2010/02/27(土) 14:57:40 ID:DNKSNjtn
>>259
水野ぐらいじゃないの
264人間七七四年:2010/02/27(土) 15:35:44 ID:7yvFFL7p
ありゃ親戚だしな
ただ、徳川傘下に入るときは当主処断してキッチリ影響力はそいでからだし
265人間七七四年:2010/02/27(土) 16:42:18 ID:SlIwXkrV
豊臣秀長て水野一族なんだよな
266人間七七四年:2010/02/27(土) 17:43:59 ID:MFvoXu7/
>>262
まさにそのとおりだな
すげー苦労した
267人間七七四年:2010/02/27(土) 17:45:38 ID:Lo8Ff1lr
トヨタの仕業にされる予感w
268(1/2):2010/02/27(土) 18:16:14 ID:LLCPYtkW
増田長盛の子に、兵大夫盛次という男がいた。
関が原後、処罰を受けた父とは異なり、徳川義直に召抱えられた。

さて、大坂冬の陣において、盛次は義直に従って出陣した。
しかし、旧主への想い捨てがたかったのだろうか。
大坂方が弱体だと聞けば涙を流し、寄せ手が苦戦していると聞けば大いに喜んだ。
これを聞きつけた徳川家康は、怒ることなく感心した。
「さすがは長盛の子よ。豊家の恩を忘れぬ志、見事じゃ」

こうしたことがあったからか、夏の陣ではお許しがあり、盛次は大坂方へ加勢した。
彼は豊臣秀頼から賜った赤地錦の羽織をつけ、若江の陣で味方が敗戦するなか、独り奮戦した。
そして、沢田但馬の従者と組討し、今にも止めを刺そうというところで、藤堂高虎配下の磯野平三郎に討取られた。
首を得たものの、平三郎らは盛次の顔を見知らなかった。
やがて、分捕りした刀が、秀吉から長盛への下賜品と分かり、正体も知れたということである。
269(2/2):2010/02/27(土) 18:17:16 ID:LLCPYtkW
一方の増田長盛。
彼は関ヶ原の折の責を問われ、高力清長に預け置かれていた。
大坂の陣が起こると、清長は長盛へこう告げた。
「あなたは豊家の御恩深い身の上。秀頼様の行く末、さぞ気になるところでしょう。
 大御所様は、あなたが大坂へ入ることをお許しになりました」
盛次のことがあったゆえの沙汰だろうか。
だが、長盛は答えた。
「大御所のご配慮、まことにありがたく存じます。
 しかしながら、ハハハ、今のそれがしはこの通り落ちぶれ、家臣の一人もおりませぬ。
 大坂へ参り、新参の浪人の下知をしたとて、さしたる戦ぶりはお見せできますまい。
 かえって、それがしを重用してくだすった太閤殿下の名を汚すことになりかねず、それこそ無念。
 このまま、配所で生を終える所存です」

やがて、盛次が死に、豊臣家が滅亡したことを、長盛は清長から知らされた。
「この上は命を長らえる理由もない。どうか、お暇をいただきたい」
長盛はそう清長に請い、切腹したという。
270人間七七四年:2010/02/27(土) 18:19:15 ID:SlIwXkrV
でその時、増田盛次を大坂城に入れた責任を問われて、父親の増田長盛は処刑。
271人間七七四年:2010/02/27(土) 18:34:44 ID:OR1RbpWC
>>269>>270
なんという樅の木は残った。
272人間七七四年:2010/02/27(土) 18:52:06 ID:inAtCu7F
家康が浦和周辺で鷹狩りをしたときのこと。
今泉村というところを通りかかると、小さな寺があった。
家康が住職に寺の名を聞くと、住職は片田舎なので名は特にありませんと答える。
家康がふと脇を見ると、軒下に十連なりに野菜が干してあった。
そこで、家康は、
「今日から干菜山十連寺と名乗るがよい。」と名付け、以後、寺を保護したという。

田舎の寺にも名前を考えてあげる家康のいい話・・・なのだが、
名付けのセンスについてはあまりなかったようである。

過去、まとめスレに出てきた家康の名付けの例

また、一番やり→又一と名乗れ。
七の字を書くとき最後に左に曲げた→左七と名乗れ。
本多家に山県昌景と同じ障害を持った子が生まれた。→本多山県と名乗れ。
273人間七七四年:2010/02/27(土) 18:55:17 ID:aBgqETHL
ネーミングセンス無いってちょっとかわいい(?)よね
付けられた方は堪ったもんじゃないと思うが
274人間七七四年:2010/02/27(土) 19:11:30 ID:1H/hPpKI
奇妙とか茶筅とか・・・
275人間七七四年:2010/02/27(土) 19:18:57 ID:inAtCu7F
あるとき、家康が義直(当時13歳)、頼宣(当時11歳)、頼房(当時10歳)の3人の子を伴って庭を歩いていると、蜂が襲ってきた。
義直と頼宣はあわてて逃げたが、頼房は顔に止まった蜂を片っ端から手でつかんで投げ捨て、ついに一歩も引くことがなかった。

また、あるとき、家康が焼き栗を息子たちに食わせてやろうと思って、囲炉裏の中に栗をたくさん放り込んだ後、三人を呼んだ。
火が回ると栗が勢いよくはじけ、義直と頼宣は驚いて飛び上がったが、頼房は近くに飛んできた栗を囲炉裏に投げ入れ、平然としていたという。

さらに、後年、頼房が家光や義直と狩に出かけたとき、義直が仕損じた猪を一矢でしとめ、
家光から、射撃の名人だった能登守平教経にちなんで、「今能登守」と賞賛されたという。

あのめんどくさい名君、義直公と豪胆な南海の龍、頼宣公がかませ犬にされてしまう、頼房公の肝の据わったお話。

なお、3番目の話を聞いた頼宣は、孫の新之助を、一撃で猪を殴り殺すよう鍛えたそうな。
276人間七七四年:2010/02/27(土) 19:23:03 ID:wHinKBLb
>>275
> なお、3番目の話を聞いた頼宣は、孫の新之助を、一撃で猪を殴り殺すよう鍛えたそうな。

マジで腹抱えて笑ったw
どんなだw
277人間七七四年:2010/02/27(土) 19:28:41 ID:1YWh0T7N
信長のそれはある意味センスあるだろw

家康は実用一点張りって感じ
写実派というかw
278人間七七四年:2010/02/27(土) 19:31:13 ID:Uu8ny0CJ
>>272
山県昌景と同じってことは口唇口蓋裂ってことか
なんにしても某ゲームではあんな美男子なのになあ…当時知ったときはショックだった
幸村も腰のひねくれ曲がった爺ちゃんだったらしいし
279人間七七四年:2010/02/27(土) 19:33:50 ID:drPygGCi
最近まとめサイトで、小田氏治の逸話見たんだけど、古代ローマのアウグストゥス帝思い出すな。
軍団長から「今後、世界最強の君主は何人も出るだろうが、世界最弱の君主は間違いなくこの人だ」
っていわれるくらいの戦下手。

まあ、アウグストゥスは政治力があったから良いにしても、
なんで負けっぱのこの人が領民に慕われていたのだろうか。
戦で田畑荒らされて、ろくなことないはずなのに。

・・・・・・・・・・・・・・・肉の芽?
280人間七七四年:2010/02/27(土) 19:48:10 ID:1H/hPpKI
>>275
いやいやいや、息子の晩年の末息子をどうやって・・・というか、徳田さんの生まれる20年近く前に死んでなくね?
281人間七七四年:2010/02/27(土) 20:19:44 ID:GoNdwPo8
なんだよ!暴れん坊将軍かよwwww

で、熊一撃はマジ逸話?それとも「暴れん坊将軍」?
後者……だよね?
282人間七七四年:2010/02/27(土) 20:52:17 ID:inAtCu7F
新之助が猪を鉄砲で一撃で殴り殺したのは・・・・・・・・・・実話です。
283人間七七四年:2010/02/27(土) 20:57:25 ID:Y2y/Dq14
凄いな
海外のサバイバル番組で体重20キロの野生の豚ですら危険だってやっていたのに
猪を一撃で殴り殺すって化け物だなw
284人間七七四年:2010/02/27(土) 20:58:38 ID:1YWh0T7N
あの頃の連中っていったら今の軍隊のフル装備40キロとか60キロで戦ってたような
連中だからな
285人間七七四年:2010/02/27(土) 21:03:25 ID:1H/hPpKI
吉宗も後継者選びには、苦労したろうね。イノシシ退治したとか、田安さんでも無理でしょ
286人間七七四年:2010/02/27(土) 21:04:11 ID:Azu0pyoL
その話どうしてもなんで殴るのかというあたりが引っかかるよなw
287人間七七四年:2010/02/27(土) 22:49:29 ID:XY3Cjgw8
>>286
えーと、ネタ的に解釈すると

頼宣自身が山狩りの最中に猪に襲われて鉄砲撃ったけど不発だった、
あわてて鉄砲を猪の足の間に突っ込んでスッ転ばしたら、猪が逃げてった
って逸話があるのよ

で、「やべぇ、猪やべぇ!ウチの子孫は対抗策考えとけ!!」ということで
新之助さんの選んだ方法が肉体言語だったのかとw
288人間七七四年:2010/02/27(土) 23:11:20 ID:mbAoeFNK
>>236
賈Hは、太尉になったぞ。
289人間七七四年:2010/02/27(土) 23:13:40 ID:aBgqETHL
字がでなけりゃ片仮名の「ク」でいいだろ
なんか分かりにくいよw
290人間七七四年:2010/02/27(土) 23:18:47 ID:xpGzFnng
>>269
何で増田には大坂に入れといいながら福島正則にはなぜ大坂入城を許さなかったのか。
福島の方が縁が深いのに。家康公は中途半端だな。
291人間七七四年:2010/02/27(土) 23:20:37 ID:M3FZUhWb
大名が入っちゃったら洒落にならんだろう
292人間七七四年:2010/02/27(土) 23:20:37 ID:Y/BCeDtZ
>>290
権現様「だってぶっちゃけいてもいなくても変わりないし……」
293人間七七四年:2010/02/27(土) 23:49:35 ID:xpGzFnng
そういえば福島正則は大坂の陣の逸話ここで紹介されてたな。
息子に宛てた大坂方につけともとれるしどっちかあいまいな手紙のやつ。
ああいう逸話から判断すると仮にお許しが出ても増田のように断りそうではある。
294人間七七四年:2010/02/28(日) 00:16:56 ID:Uf725zWJ
>>268
大坂の陣から2年経って盛次の乳母が磯野のところへ訪ねて来たんだよな
ここで初めて討たれたのが盛次だとわかった

ちなみに磯野平三郎は浅井の猛将磯野員昌の孫で、
関ヶ原の時には石田三成に仕えて最後の逃避行まで付き従った人物
295人間七七四年:2010/02/28(日) 00:29:40 ID:hg1y7Vf0
忠興の次男も大坂の陣で豊臣方についたんだよね
割とそういうの多かったのかな
296人間七七四年:2010/02/28(日) 00:32:45 ID:r06myp2g
>>294
その後子孫がおはぎ大食いで・・・
297人間七七四年:2010/02/28(日) 00:53:01 ID:vv4LoGax
>>296
藻屑自重
298人間七七四年:2010/02/28(日) 01:11:51 ID:YrRd+CxW
>>283
新之助はあの時代に身長180cm越えの浅黒い大男だったらしいからな
100年くらい早く生まれてても名を残したような気がする

>>295
実は大坂方をひそかに支援して足り内通してた大名は結構いたらしい
と、南條範夫先生が言ってた
299人間七七四年:2010/02/28(日) 02:49:14 ID:WtFyDSAe
>>295>>298
一番の有名どころは毛利輝元だよね。佐野道可の件とか
300人間七七四年:2010/02/28(日) 02:58:49 ID:Xw33aiqi
>>275
なんか普通に火中天津甘栗拳使えそうな若様だなwww
そして>>282でその大甥っ子は流石暴れん坊将軍というか忍者の子というか・・・( ゚д゚)ポカーン
301人間七七四年:2010/02/28(日) 03:09:15 ID:mWzRB0lL
イノシシ仕留めたのは紀州藩主時代だな。こんなのもある。

吉宗が逃げた鷹を追いかけて、
家来置き去りにして18町(2キロくらい)の道のりを猛ダッシュして
鷹は自力で捕まえたのに不満そうな顔をして、
息も絶え絶えでやっと追いついた家臣がいかがなされましたと尋ねたら
「東照大権現は25町を走って息を切らすことがなかったというではないか。
 しかるに余は18町で息が切れた。精進が足りぬ」


しかし家康が25町を走って息を切らさなかったっていつのエピソードなんだろう
302人間七七四年:2010/02/28(日) 03:26:21 ID:mWzRB0lL
>>286
ああちなみにイノシシ撲殺の状況は、狩りの途中だったんだけど
家臣が仕留めるはずだったイノシシが人ごみをすり抜けて吉宗に突撃しちゃって
すわ一大事という場面で新之助すっくと立ち、立てかけていた火縄銃をとって
眉間を狙って台尻で一閃

撃つ暇がなかったのは分かるけど達人すぎだよな
夢想権之助かと
303人間七七四年:2010/02/28(日) 03:29:04 ID:fYbKN7F1
>>301
食い逃げしてばあさんに追っかけられたときだな、間違いないだろう!それが尾ひれ付いたんだな!
304人間七七四年:2010/02/28(日) 03:39:27 ID:PKi4YTnt
家康は大坂の陣の年(72歳)で河に飛び込んで水泳したり大喜びで前線に出たり、
体力的にも化物みたいな人だからなあ。
当時22歳の豊臣秀頼より絶対元気だったと思うw
305人間七七四年:2010/02/28(日) 03:39:29 ID:mWzRB0lL
吉宗はそこまで暴れん坊じゃありませんせいぜい12歳で下女とか山伏の娘とか妊娠させるくらいです(※全部本当)

でも、「着替えてたら時間の無駄だ」と言い放って寝巻きで老中に会った吉宗も
セクロスしながら家臣の話を聞いた爆弾弾正にはさすがにかなわない
306人間七七四年:2010/02/28(日) 05:36:25 ID:NHHhVej7
松平忠吉の受領名は初め「下野守」であった。
ある日、父家康の前に来てこう言った。

忠吉「このところ体に腫れ物ができて困ります」
家康「そうか。ならばこの薬をつければ(薬箱を取り出す)」
忠吉「いえ、実は「下野守」という受領名のせいではないかと思っております。
   変えたいと思うのですが・・・」
家康「奇妙なことを言うが、本人がそう思っておるなら仕方ない。うーーーん、
   美濃か尾張でどうじゃ?」
忠吉「いけません。それじゃあ『身の終わり』じゃないですか」
家康「じゃあ薩摩にするか」

ということで「薩摩守」になった忠吉、関ヶ原では岳父井伊直政とともに
薩摩勢と一戦交える。

家臣「直政さま、忠吉さまが逸っておられます!いかがいたしましょうか!」
直政「武士の子よ。用心するにも限度というものがあるわ。
   討死したらしたでその時のことよ!」

これを聞き、馬の口を取っていた者がその手を離すと敵目掛けて一目散。
奮戦した忠吉、左手と兜の左耳上に斬り込まれ負傷したが、初陣で見事、敵の
首級をとることに成功する。忠吉をかばいながら進んだ直政も銃創を負った。

勝利の本陣にて
家康「忠吉は手に傷を負ったか」
直政「逸物の鷹の子は皆逸物でございますぞ」
家康「何の、鷹匠の腕が良いからよ」

(と、薬箱を取り出して直政の傷口に自ら薬を塗る家康であった)
307人間七七四年:2010/02/28(日) 08:13:13 ID:MqfwQHb6
>>302
まぁ、現代でも虎を一人で仕留めちゃう大統領閣下とかいるからねw
308人間七七四年:2010/02/28(日) 08:48:49 ID:ojMMl4xC
>>302
K家の場合
大将自らしかも鉄砲で撃つのではなく殴りつけるとは・・・嘆かわしい

M国武士
猪なんぞちかづいておらぬ!
309人間七七四年:2010/02/28(日) 08:55:22 ID:pRJYO9ww
>>307
現代じゃ世界に数人いればいい方のそんな人も
戦国時代は都府県知事や市町村長レベルでごろごろしてたんだな
310人間七七四年:2010/02/28(日) 10:38:42 ID:pHfGKAuB
家康「此度の傷はこの薬で癒えるであろう。おやおや?お尻の辺りに大きな刺し傷があるぞ?
直政、この傷一体なんじゃ?」
直政「あんたがあの晩に付けた傷だろうがよ。」
311人間七七四年:2010/02/28(日) 10:51:15 ID:YrRd+CxW
>>308
ところが、K家はむしろ若殿が諌める側らしい

半島で虎退治した又兵衛に「一手の大将が畜生と力比べしてどうすんの」とか叱ってみたり、
襲いかかってきた猪を一太刀にした若者に
「高名な武士相手に命を懸けて挑むならまだしも、猪相手に命懸けで挑んでも無駄」
とか諌めたりしてる
312人間七七四年:2010/02/28(日) 11:06:47 ID:EWnGS4bv
なにこの徳川家な流れ
いいぞもっとやれ
313人間七七四年:2010/02/28(日) 12:11:57 ID:05ltCA8C
>>311
あの大殿と家臣団だとなぁ。
一手どころか一軍の大将のくせに敵と力比べするお前が言うなwww
で流されるんだろうなぁ
314人間七七四年:2010/02/28(日) 13:29:07 ID:UP9NAbvj
>>310
こういうのって、主君が一方的に寵童をいぢめるものなんだろうか

徳川光圀なんかは、男女の場合は両方とも気持ちよいけど、
男男の場合は気持ちいいのは片方だけなんて言ってるよね
315人間七七四年:2010/02/28(日) 13:31:37 ID:MqoNSTqV
忍城篭城戦で大活躍したとか言われる成田氏長の娘、甲斐姫。
実の所、真田勢に破られた城門を取り戻すべく、援軍を率いて真田勢に横槍を入れ、自ら首級数個を手に入れた。
という程度(それでも十分スゴいかも知らんが)で、決して一人無双状態ではなかったようです。

この娘の本当の剛勇は忍城ではなく東北の地で発揮されていたのです。

関東仕置き後、蒲生再生工場に預けられ会津に居た成田氏長、一万石の好待遇で福井城という城を任された。
葛西一揆、九戸の乱など、落ち着かぬ情勢の中、工場長と共に転戦を重ねる毎日だった。
留守を預かるのは氏長の妻にして太田三楽斎の娘、太田氏。
前妻の娘である甲斐姫との関係も良好で、城内には何の問題もないかに思えた。

しかし、城主氏長の留守を狙って、ある時謀反が起きる。
兵を挙げたのは何と、目付けとして蒲生から福井城に出向していた浜田兄弟。
自分達が謀反を起こさないかと見張りにつけられた、その見張り番が謀反を起こしたのだ。そんなコトは想定外だ。
不意をつかれた太田氏は無残に殺されてしまう。

慌てた留守居の者達は逃げ惑い、甲斐姫を伴って城から落ち延びる。
浜田兄弟は氏長や蒲生の援軍が来るまでに十分な迎撃の用意をするつもりであったし、背後には伊達政宗の援助があったとも言う。彼等に勝算はあったのである。
……ただ一つだけ、彼等兄弟に誤算があったとすれば、甲斐姫の存在であった。
甲斐姫は父の援軍など待ってはいなかった。
福井城を脱出した兵達をまとめ上げると、自らがその小勢を率い、敵の手に落ちた福井城にUターンを仕掛けたのである。

これは完全な奇襲だった。
勝手知ったる福井城。成田勢は縦横無尽に暴れ回り、甲斐姫自らの刀で義母の仇、浜田弟を討ち取り、首謀者である兄も手傷を負って捕らえられたと言う。


浜田兄弟の謀反が成功していたら、一揆鎮圧の軍から蒲生勢が外れる事になり、更にまーくんとの挟み撃ち……なんてコトにもなったかも。
東北情勢泥沼化の危機を救った甲斐姫の武勇のお話。
316人間七七四年:2010/02/28(日) 14:03:35 ID:cjkn1Xj9
>>314
医者の書いた本で読んだことがあるが
「入り口」(by水野春郎)のすぐ先あたりにある前立腺が直接刺激されるので
ぶっちゃけ女とやるより入れられるほうが気持ちいいはずだ、という話
(それ書いた人はちゃんと妻子のいるノーマルの人なんですが)
317人間七七四年:2010/02/28(日) 14:07:21 ID:kZUiiRtS
A感覚
318人間七七四年:2010/02/28(日) 14:10:33 ID:cjkn1Xj9
>>315
成田記だけはガチ
319人間七七四年:2010/02/28(日) 14:13:08 ID:0T5uYgAL
まぁ中国とかだととても人間がやったと思えないような逸話とか結構あるが、
その類だよなw>甲斐姫

個人的には師匠への持て成しに妻だか子供を料理して食わせたってあれが一番マジキチだと思ったw
320人間七七四年:2010/02/28(日) 14:14:00 ID:SGdGwizn
ブルガール人は中央アジア発祥のトルコ系遊牧騎馬民族で、5世紀後半にビザンツ帝国に侵入する事で歴史に登場しました。
やがて7世紀にはクブラートの手によって部族連合「大ブルガリア」を結成、ブルガール人の統一に成功します。
クブラートにはバトバヤン、コトラグ、アスパルフという勇敢な三人の息子がいましたが仲が良くありませんでした。
そこでクブラートは息子達に三本の矢を渡し、一本の矢は折れても三本の矢は折れないことを示して一族の結束を説いたといわれています。
(この話は大陸の騎馬民族にはよく出てくる逸話ですが、クブラートのものが遡れる最古のようです)

実際クブラートの息子は三人ではないし、結局彼の死と共に大ブルガリアは分裂してしまいますが、
ずいぶん遠くに源流のあったオチの違う話が感慨深く書き込みました。
321人間七七四年:2010/02/28(日) 14:18:05 ID:cjkn1Xj9
>>319
すごいといえば項羽本紀の項羽、リアル戦国無双そのもの
司馬遷はっちゃけすぎ
322人間七七四年:2010/02/28(日) 14:25:03 ID:iyENjrlt
漢王朝にチンコ切られたせいなのか知らんけど司馬遷は項羽大好きだからw
323人間七七四年:2010/02/28(日) 16:19:50 ID:DRtWnIfU
ある日、島津家久(忠恒)が民情視察と称して五、六人のみ引き連れ鹿児島城下に出かけた。
日も高くなったころ一行は橋端で休息を取り、家久も立ったまま桜島などボーッと眺めていた所、
一匹の子犬がやって来た。犬は家久の足を柱か樹だとでも思ったか、後足を上げてシャーッと
気持ちよくやらかした。

みるみる顔色が変わり大声を上げる家久に合わせ、小姓たちも騒ぎ立てた。
「おのれ、畜生が!斬って捨てい!」「飼い主はどこだ?ここへ引っ立てて参れ!」
(いかん、これでは飼い主の命も危ない!)
一行に加わっていた茶のみ婆さんの話(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2155.html
でおなじみ、徳田太兵衛が突然笑い出した。
「アハハハ、神意も知らずに民情視察とは、チャンチャラおかしいわい!」
「なにぃ、わしが神意をわきまえぬと申すか!」

色めき立つ家久一行にも、徳田はひるまない。
「左様、神さまは犬をたいそう愛され、神意を下し「シャー」を許されておる。それを人間が怒るなど、
おこがましいですぞ?」
「そんな神意、聞いたこともないぞ!どんなものか聞かせてみぃ!!」
なおも言いつのる小姓に、徳田は続ける。
「ならば聞け。そもそも、犬は始めに三本足で造られた。しかし、それではあまりに不恰好で
歩行にも不便なので、神が哀れんで四本足にされたのだ。
以来、犬は神に感謝して、与えられた足を汚さぬよう片足あげてナニするのじゃ。畜生とは言え、
感心なことよのぅ。然るに、こんな礼儀正しい動物を殺すようでは、民情視察どころか…

「…徳田、もう良い!皆の者、行くぞ。」家久は小便袴のまま、スタスタと歩き出した。
324人間七七四年:2010/02/28(日) 16:28:50 ID:cjkn1Xj9
将軍綱吉がアップを始めました
325人間七七四年:2010/02/28(日) 17:31:36 ID:EWnGS4bv
鬼小島が勝負を受けてたつそうです
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-594.html
326人間七七四年:2010/02/28(日) 21:01:48 ID:b2FuxRTF
>>323
エノコロメシにされなくてよかったな
327人間七七四年:2010/02/28(日) 21:34:38 ID:ahjpanlK
>>323
こういうこと言えちゃう家臣がいるのがこの時代の面白いところだよねw


まとめ見てみたら寿桂尼の話が無い・・?
というわけで、ファンタジスタのおばーちゃん。

今日、女戦国大名と呼ばれる寿桂尼。
父は、当時歌人としても知られていた権大納言中御門宣胤である。

戦国時代、夫に代わって出陣したり、夫の留守中に城を守った女性は何人かいたが、
政務まで執った女性は、寿桂尼と播磨赤松氏の洞松院尼くらいだと言われている。
夫の今川氏親は、晩年の10年程は中風を患っていたため、その間、彼女が代わって政務を執り行っていた。
また、氏親死後、長男氏輝が後を継ぐが、氏輝は若年・病弱であったため、さらに2年程寿桂尼が補佐として政務をとった。
義元が家督を継いだ後、義元には雪斎という補佐役がついていたこともあって、
寿桂尼が表に出る必要はなくなり、ようやく彼女も穏やかな日々を送ることが出来るようになる。

この頃が今川氏の黄金時代。城中の女性達と香の遊びに興じたり、近くの湯山に湯治に行ったりして過ごしていたようである。
ちなみに、人質として駿府に来ていた実孫の北条氏規を大変可愛がっていたようで、湯治に行く際には一緒に連れて行っていたりする。

しかし、そんな穏やかな日々が、いつまでも続いたわけではなかった。
永禄3年、義元が桶狭間で織田信長に討たれるにおよび、
孫氏真と共に、今川氏の力を回復するため日夜奮闘しなくてはならなくなった。
そのまま、永禄11年3月に没したが、死に臨んで
「墓を駿府今川館の艮に建てよ」と、遺言したと言われている。
艮は古くから鬼門として知られている。死後も今川氏を守り抜こうとしたのであろう。
こうして、駿府今川館の艮の方角に竜雲寺が建てられた。

しかし寿桂尼の願いもむなしく、同年12月、武田信玄が駿府に侵攻。
今川氏真は駿府を守ることが出来ず、遠江の懸川へ落ちて行くことになったのである。
328人間七七四年:2010/02/28(日) 21:42:46 ID:Bbx0zdxm
>>323
徳田太兵衛かっけー
329人間七七四年:2010/03/01(月) 00:47:53 ID:CH2ZbeVq
>>325
鬼が島の桃太郎さん、じゃなかった鬼小島弥太郎さんは雉にまつわる逸話があれば完璧
330人間七七四年:2010/03/01(月) 00:51:54 ID:SrZXoN3S
そいつぁ記事になるな
331人間七七四年:2010/03/01(月) 00:59:25 ID:QgmybhDc
山田く〜ん座布団2枚持っていって〜
332人間七七四年:2010/03/01(月) 11:21:14 ID:5mZsE8Fl
家康の側室である阿茶局は才知溢れる女性であった

陣中では家康に供奉し、小牧・長久手の戦いではそのため流産し、奥向きの采配だけでなく、
隠密の御用にも関わっていた
家康の死後もただ一人落飾を許され、和子入内時には母代わりとして従一位を賜っている

さて、彼女の活躍でも白眉とされるのは大阪冬の陣での使者役であろう、この時に銃火激しい
大坂城へ向かう彼女の駕籠は
                          鉄張り
であったという
正しく「鉄の女」と言えよう
333人間七七四年:2010/03/01(月) 11:55:44 ID:S+mh/4vF
信長と衆道関係にあったっぽい顔ぶれを見ると、信長は受ける方を好んだような
気がしないでもない。
334人間七七四年:2010/03/01(月) 12:06:06 ID:uSiQZjPm
>>332
鉄張りの駕籠って、大事にされてたんだなとは思うが、
才知とか胆力みたいなものとは無関係な気がする。
335人間七七四年:2010/03/01(月) 12:53:12 ID:F3Lf5iDy
駕籠かき「弾雨の中を駕籠で進むなんて、無茶ですよ!」
阿茶局「こんなこともあろうかと、駕籠を鉄張りしておいた」
才知あるよ!
336人間七七四年:2010/03/01(月) 13:15:52 ID:wSAKTwBP
駕篭かきは通常装備なのかねw
337人間七七四年:2010/03/01(月) 15:17:34 ID:zLXQb8fT
>333
衆道関係にあったのって蘭丸と利家以外にいるの?
338人間七七四年:2010/03/01(月) 16:17:19 ID:SIySmtNS
でも鉄張りの駕籠って言っても気休めだよね?
そんな分厚い鉄板を使ったら、駕籠かきがとても担げないもんなぁ。
局が勇気あるのは確かだ。
339人間七七四年:2010/03/03(水) 18:42:03 ID:rSh3AHBA
駕籠かき撃たれたらどうすんのよ…
340人間七七四年:2010/03/03(水) 18:48:45 ID:0aPwZwf6
さすがに最前線まではいかないだろうから
流れ弾や流れ矢を防げれば十分なんだろうな。パフォーマンス的にも。
341人間七七四年:2010/03/03(水) 18:54:29 ID:Lo9MpOSd
何か西日本制覇した大内が
立花道雪、島津義弘、小早川隆景
とかで攻めてきてこっちは武田攻めしてたから
取り合えず室町御所に居た
加藤清正、森長可、佐久間盛政他で出陣したら
清正死んだあいつら強すぎだろ
342人間七七四年:2010/03/03(水) 18:55:27 ID:Lo9MpOSd
誤爆申し訳ない
343人間七七四年:2010/03/03(水) 19:19:34 ID:CMNQa+4r
鬼二人に虎でも勝てなかったのか
344人間七七四年:2010/03/03(水) 19:23:56 ID:gcU1exN2
徳川家康が本多忠勝等と共に二股城を攻めに行った時のこと、
徳川十六神将の一人内藤正成は、足が痛む為に留守番として浜松城を守っていた
ところが城を出た家康等は夜中に激しい風雨に見まわれ、引き返さざるを得なくなった
そのため本多忠勝が使いとして城に先に戻り
「殿が帰城するので速やかに開門するように」と言ったのたのだが
城内の正成に城門を開ける様子は全くない

忠勝が城門をドンドン叩き
「殿が帰ってきます!!早く門開けてください!」と
叫ぶものの内藤はこれを完全に黙殺
やがて内藤は櫓に登ると門前の忠勝にこう怒鳴った
「こんな夜中に殿が帰ってきたなどと嘘をついているのは誰だ、騒がしい。
そこを退かねば撃ち殺すぞ」
そう言って忠勝に銃口を向ける始末
このままじゃ殺られると慌てる忠勝
そこに家康が追いつき、「家康本人だけど、入れてくれ」と言うが
「声は似てるが本当に殿か?」と疑い、中々信じてくれない
結局家康の顔を照らしてしっかり目視で確認し、ようやく城門は開いたのだった

この正成の用心深さを、家康は
「お前のような頑固な人間が留守を守ってくれるなら、
敵がどんな策を使ってきてもやすやすと城には入れないだろうから
安心して外に出られる」
と褒め称えたという
345人間七七四年:2010/03/03(水) 19:29:20 ID:gDoCcDWF
>>344
本多忠勝から娘に引き継がれるんだな
346人間七七四年:2010/03/03(水) 21:50:39 ID:6kaXON6L
>>344
褒め讃えているような皮肉っているようなw
347人間七七四年:2010/03/03(水) 22:22:53 ID:tQ79DWDb
>>346
三河者にとって最大の皮肉は褒められることだとちょっと思った。
348人間七七四年:2010/03/03(水) 22:35:49 ID:a9xnsj/R
どっかで読んだと思ったらこれだった

内藤信成、城の留守番・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1156.html

正成と信成の違いがあるが、伝わるうちに誰かが書き間違えたのだろうか
349人間七七四年:2010/03/03(水) 22:55:59 ID:Tr740bri
行く全ての城で同じ待遇を受けたに違いない。三河的に考えて
350人間七七四年:2010/03/03(水) 23:03:35 ID:nBAQiwjI
鯖復帰記念にほんの小ネタ。

侍のヘアスタイルのイメージとして一般的となっている月代を剃った姿は、
戦国時代中期から広まった。
だが、これをカミソリで剃って形作るようにしたのは、戦国時代後期の織
田信長だと言われている。
それまでは毛抜きで抜いていたので、痛いやら頭皮に血がにじむやらで不評だったが、
カミソリで剃ることで日常的にできるようになったんだとか。
351人間七七四年:2010/03/04(木) 00:57:18 ID:aWzpZgRM
柳田國男に見る戦国時代
「加藤清正、河童王九千坊を退治するの事」

九州の古伝承に登場する、九千坊〈クセンボウ〉という大河童がいる。
遥かな昔唐土の地より渡り来たといわれ、
筑後川の流域を拠点とし、九千の同胞の頂点に君臨したとされる、
西国一の河童の王である。

ところが、数百年と続いた九千坊の栄光の日々に、
ある日唐突に終焉が訪れた。九千坊の配下である八代川の河童が、
ある日ほんの気まぐれで人間の子供を溺れされたのだが、
この子供というのが実は肥後熊本の鬼将軍、加藤清正の小姓だったのである。

果たして鬼将軍は嚇怒した。
「片鎌槍を持つね!」
「はっ!」
清正配下の勇将たちも奮い立った。
化外の民とはいえど、相手は9000もの軍勢を擁するのだ。
まさに人と河童の大戦が始まる、とみなが思った。
ところが清正の次の言葉は、兵を呼集を命じるものではなかった。

「猿を集めるね!」
「は?」

清正は領民たちに大令を発し、領内全域から 猿 を集めさせた。
あまり知られていないと思うが、このあたりの一部地方の民話の設定では、
河童というものは猿が大の苦手で、
猿を見ただけでフリーズしてしまうことになっているのである。

「出陣じゃああああああ」
「キー!キキー!キキー!」
「あ……はい……行ってらっしゃいませ……」
果たしてハイテンションの清正は猿の大群を率いて筑後川に突撃していった。

驚いたのは九千坊と九千の河童軍団である。
河童たちはもちろん迎撃の準備を整え、


ることなく、全力でびびった。
「勝ち目なくね?」
「鬼将軍怖すぎじゃね?」
「猿嫌い超嫌い」

この同胞たちのふがいなさに、河童王九千坊もまた大激怒し、
長広舌の演説をふるって同胞に発奮を


促さなかった。
九千坊もびびっていた。
兵を率いるどころか、この矮小なる河童の王は知人の僧に仲裁を頼んだ。
結局九千坊は外交僧のとりなしのよきを得て一戦も交えることなく清正に降伏、
「河童一同、二度と人間様に危害は加えません」との誓いを立て、
ようやく鬼将軍清正の許しを得たという。
352人間七七四年:2010/03/04(木) 01:05:15 ID:aWzpZgRM
ちなみになんで「西国一の河童」かというと、
実は利根川流域に東国の河童を率いる祢々子と呼ばれる最強の女河童がいて、
九千坊は彼女にぼっこんぼっこんに負かされたことがあるからです
353人間七七四年:2010/03/04(木) 01:12:32 ID:ZXhr1Tse
河童の正体はやっぱり川原に住んでる人たちなんだろうか
354人間七七四年:2010/03/04(木) 01:13:45 ID:FuLyirsS
小田氏治「不甲斐なき河童だのう、勝とうという意思さえあれば百戦百勝だというのに……」
355人間七七四年:2010/03/04(木) 01:19:18 ID:aWzpZgRM
>>353
豊臣秀吉の倭寇退治を
極限まで戯画化した結果としてこういう話になったんじゃないかという説もある
356人間七七四年:2010/03/04(木) 01:21:40 ID:ZXhr1Tse
>>355
ってことは猿=秀吉で秀吉の威光に恐れおののいたのか
357人間七七四年:2010/03/04(木) 01:23:52 ID:lqbrK2+A
悪い話スレで出てたミカジメ料払うことになったヤツと言い戦国は河童受難の時代だのうw
358人間七七四年:2010/03/04(木) 01:49:55 ID:VR16abjJ
剃刀等で剃った場合はまた生えてくるけど、
抜いた場合はそのうち生えなくなるみたいね。

抜いてるうちに月代の部分だけ髪が生えなくなるんだろうか。
359人間七七四年:2010/03/04(木) 01:50:38 ID:VR16abjJ
>>358>>350宛てです申し訳ない
360人間七七四年:2010/03/04(木) 02:09:52 ID:qdjFUejF
いにしえより大河に棲み付く人知を超えた存在であり、
人間の恐怖と崇拝の対象であったはずの河童が、
サルを連れた侍にコテンパンにされるほど落ちぶれ、戯画化されてしまった。
もう誰も本気で怖がったりしない。

神仏や妖怪のたぐいがそこらじゅうに存在して、人々の意識を支配していた南北朝・室町時代とはえらい変わりようだ。
昔から疑問だったが、室町→戦国→江戸の短い期間に、
何で人間の意識がこんなに変わったのかね?
361人間七七四年:2010/03/04(木) 02:19:55 ID:aWzpZgRM
民俗学の観点からは、下々の村々にまで治水が行き届くようになって
近在の水辺が根源的恐怖を催すほどの脅威ではなくなったことの反映でないかと言われてる。

堤防工事が完璧に行われてた地域と、それほどでもない地域で
それぞれの河童譚を収集すると、前者の地域のほうがより戯画性が高く、
後者においてはまだ自然神的性向をとどめている例が多いとの研究もある。
362人間七七四年:2010/03/04(木) 02:40:05 ID:xIWFpWTY
室町後期くらいから人間が自然を征服し始めるんだよね、日本でも。
江戸前期に至ると日本中の土地を掘り返す勢いで河川改修やら新田開発やらやってる。
その過度の開発による自然破壊が、いわゆる生類憐れみの令の原因になったと言う説もあるほど。
363人間七七四年:2010/03/04(木) 03:25:50 ID:aWzpZgRM
信濃の黒姫伝説
「高梨政盛、娘をドラゴンにもってかれるの事」

高梨氏は北信濃の古い豪族である。
政盛はその最盛期の当主で、越後の長尾家と縁戚を結んで力をつけたので、
上杉謙信の大叔父だったりもする人だがここではそれはあまり関係ない。
政盛には美しい娘がいた。信州一といわれた、それはそれは美しい娘であった。
名を、黒姫という。

美しい黒姫には当然縁談の求めが絶えなかったが、求婚者の中にちょっと風変わりなのが混じっていた。
沓野奥四十八池の総大将、志賀高原の大沼池のヌシたる大蛇、黒龍である。
黒龍は姫の噂を聞きつけ、その姿を垣間見んとて蝶に変じて姫のもとに忍び込んだのであるが、
たまたま蝶を見つけた姫に微笑みを向けられ、一発でフォーリンラヴしたものであるという。

黒龍は今度は若侍の姿をとって高梨城を訪れ、しかし堂々と大沼池の黒龍であると名乗りをあげ、
どうか黒姫を妻にいただきたいと願い出た。城主高梨政盛以下人間たちはパニックに陥った。
蛇なんぞに娘を嫁にやるなどとんでもないが、しかし神たる相手を怒らせて、
洪水でも起こされたらたまらないからである。そこで政盛は一計を案じた。

「あなた様が神なのはわかりましたが、しかし娘は人間であります。
 人間のままでも娘を守っていただけるというのなら嫁に出しましょう。
 今のその姿のまま、馬で走る私に合わせて、城を二十周走ってみせてください」

黒龍は応諾し、政盛の馬を追って走り始めた。
実はこれは罠であった。城の周りにはささらのごとく刃が仕掛けてあり、
罠のありかを知っている政盛はこれをなんなくかわしたが、黒龍は幾度となく刃に身を裂かれた。
しかし、どれほど傷ついても、黒龍は諦めない。人間の姿のまま、血にまみれながら、
とうとう二十周を走りぬいた。

「これにて、約束通りにござる。姫を頂きたく」
「なんの。畜生ごときが我が娘を嫁にするなどと、身の程を知れっ」
政盛は身勝手にも約束を反故にし、刀を抜いて黒龍に斬りつけた。
深手を負い、さしもの龍もついに切れた。
「なんと。たばかりおったか人間め、これは許せぬ」
巨大な黒い龍神の本性を現し、咆哮をあげて龍は飛び去る。

その場に飛び込んできたのは、一部始終を見ていた黒姫その人であった。
黒姫はものすごい剣幕で父親を罵倒した。
「父上、なんということをなさいます!彼は約束を守ったではありませんか!
 彼が約束を守られた以上、わたくしはあの方の妻となるのが筋目というものではありませんか。
 それをこともあろうに斬りつけるなど、それが人間のやることですか!」

黒姫は、いつしか黒龍の想いにほだされていたのである。
しかしそんなことは知らない黒龍は、怒りに我を忘れて暴走し、
人類など滅ぼしてくれんという勢いで暴風雨を巻き起こしていた。
高梨家の領地はまさに水没しようとしていた。事態を収拾すべく飛び出したのは、またしても黒姫。
黒姫は荒れ狂う竜神に向かって叫んだ。
「黒龍さま!わたくしは、あなた様の妻となります!あなた様のもとに参ります!」
嵐はピタリとやんだ。
ところが黒姫は、おずおずと自分の前にやってきた黒龍に対しても説教を始めた。

「お怒りになる気持ちはわかります!ですけど!悪いのは私の父でしょう!
 田畑を荒らされた百姓たちに何の罪がありますか!反省なさい!」

人間の娘の説教に対し、龍神は涙を流して、怒りに我を忘れた己の非を詫びた。

黒姫はそのまま黒龍の背に乗って飛び去り、二度と高梨の城へは戻らなかった。
ふたりが幸せな暮らしを送ったとされるその場所は、今も黒姫山の名で呼ばれている。
364人間七七四年:2010/03/04(木) 03:33:07 ID:aWzpZgRM
この話は信玄と争った世代である政盛の孫の政頼のものとされることもあります。

話の筋自体もドラゴンとの戦いで高梨城が焼け落ちて高梨氏がいきなり滅んだり
黒龍も黒姫も死んでしまう話だったりすることもあるんですが
このパターンが一番美しい……まあ肝心の政盛は完全にダメな悪役にされてますが。
365人間七七四年:2010/03/04(木) 04:53:08 ID:/mEk8Ill
黒龍が黒姫の尻に敷かれたのは言うまでもない
366人間七七四年:2010/03/04(木) 04:54:07 ID:hvsJ1KyB
>>361
そういや清正は治水名人だったな。
その説に妙に納得した。
367人間七七四年:2010/03/04(木) 06:52:16 ID:spqkNLyh
>>361
河童って水死体の象徴的にあらわしたものだっけ?
368人間七七四年:2010/03/04(木) 09:07:12 ID:a5gOwYkg
>>363
まんが日本昔話になってなかったっけ?
見たような記憶がある
369人間七七四年:2010/03/04(木) 09:11:58 ID:FvVmLSyM
唐土より来た河童ということは
渡来人系の人たちが大勢流入してきて河原周辺に住みついて
河原者になっていた、ということでは無いだろうか?
猿というのは猿の化身である日吉山王権現(比叡山)勢力の
力を借りた、とも考えられると思う。
加藤清正は延暦寺の石垣を築いた石工集団穴太衆を多く召し抱えているし。
370人間七七四年:2010/03/04(木) 09:49:13 ID:rFKhA8ub
加藤家改易後に肥後に入国した細川忠利が、清正の廟所がある本妙寺へ行き、
「あなたのお城を預からせていただきます」と言ったという逸話は有名だが、
これは単なるパフォーマンスでもなかったようだ。

清正は熊本城を築城した際に、同時に破損しやすい柱・梁の予備資材を作らせて
資材の一本一本に「この木材は本丸のこの部分の柱に用いるべし」と目印をつけ、
それを熊本城の堀に水中格納していたという。
371人間七七四年:2010/03/04(木) 11:58:03 ID:9kDUdjlZ
う〜む、清正って拳闘強いだけの男じゃなかったのね
372人間七七四年:2010/03/04(木) 12:07:42 ID:KqyCOCGT
水中格納ってスゲーな、木材は水に強いし、もし火事があったときに燃えてしまわないようにの対策か
373人間七七四年:2010/03/04(木) 12:15:36 ID:fS74Ha3g
熊本で土木学んでいるとどこにいっても「また清正公か」って感じだな

水道の人の話を聞いたことがあったんだが、熊本ってのは地下水が豊富でそいつを水道に使っている町なんだ。
その豊富な地下水は阿蘇から流れる白川流域にある田畑から水が地下に溜め込まれるおかげで、
その田畑を拓いたのは清正公のやったことだ、とか。
熊本には白川って川と坪井川って川が流れてるんだけど、昔は途中で合流して災害の元になってたらしいんだが、
そいつを堰で区切って交わらないようにしたのは加藤清正だとか、

佐賀にインターンシップに行ったときは似た感じで「また成冨兵庫か」って感じだった。
全国津々浦々に土木の有名な武将がいるのかねと思うと、ちょっと興味深い
374人間七七四年:2010/03/04(木) 12:20:54 ID:/mEk8Ill
土建四天王どころか土建二十四将も夢じゃないな
新ジャンルおめでとう
375人間七七四年:2010/03/04(木) 12:24:05 ID:qY/fg00J
田中角栄先生は
376人間七七四年:2010/03/04(木) 12:38:13 ID:BM6W/E63
>>351
ペルシャ軍が猫を引き連れてエジプト軍を破った話を思い出した。
377人間七七四年:2010/03/04(木) 12:49:29 ID:K6kkQt9e
前から思ってたんだが、武将が戦上手だってのはそりゃそういう職業だから解るんだが
築城名人だの土木事業の達人だののスキルはどうやって獲得したんだ?
誰か師に付いたのかそれとも完全な独学なのか
378人間七七四年:2010/03/04(木) 13:13:17 ID:vLLkdR2n
村単位で城作ってる時代だぞ
それに常に攻めたり守ったり修繕したりするんだから技能持ってる人はうようよいるでしょ
名人や達人はその中で特に優れてるだけで
379人間七七四年:2010/03/04(木) 13:44:01 ID:byStucs1
清正は関ケ原後の身の振り方考えても外交能力も高いと思う
何気に徳川家との縁談も重ねてるし
380人間七七四年:2010/03/04(木) 13:55:14 ID:QE3s5wfI

賤ヶ岳の戦いが終わった時。
柴田家家臣の佐久間安次&実政兄弟は紀州に逃れ、秀吉に抵抗した。
紀州が降伏すると、今度は小田原まで逃げた。
北条までもが滅び、秀吉によって天下が統一されると、二人は世を捨てて僧になるつもりでいたのだが、
「亡き伯父、勝家に義理立てをしてここまで秀吉に逆らったのは見事である」
として秀吉は二人を助命。蒲生氏郷に仕える事となった。

そんなワケで二人が氏郷に仕官の挨拶に行った際、畳の縁に躓き、コケてしまった。
その場にいた面々、ドッと笑ったのだが、ただ一人氏郷のみは
「この兄弟は共に畳の上で奉公する武士ではないのだ。そなたらの奉公と彼等を比べるべきではない」
と一同を叱り付けたという。

この兄弟はまとめブログにある「蒲生再生工場・練兵編」の佐久間兄弟と同一人物?
こないだ犬千世で似たような話が出てたし、テンプレになってんのかな?
381人間七七四年:2010/03/04(木) 14:45:35 ID:U4ebZsAY
>>380
二人ともこけたのか?w
382人間七七四年:2010/03/04(木) 16:59:21 ID:IGDRmuWG
妖怪譚の流れがおもしろい。民話っていいね

>>363
りゅうの目のなみだっていう絵本を思い出したんだがw
383人間七七四年:2010/03/04(木) 17:01:21 ID:M74+owsH
>>373
熊本で清正(熊本では「せいしょこさん」)って言ったらガチで神様だからね。特に熊本市内は余計にそうだろう。県の端っこの方に俺は住んでるけど、そこらへんは神様、ってまでは流石にいかないんだけどね。
暴れ川だった白川、坪井川(菊池川、緑川も同様に)の堰を造ったのも確かに清正だから、ちょっと強引に解釈すれば田畑を拓けたのも清正のおかげとも言えるし。

戦国時代以前に勢力張ってた菊池氏が衰えて以降、有力な大名が出てこなかった(城、赤星、隈部ら有力国人程度ならいたが)のもあって、荒れてた肥後を極端に言えば救った人間だからなあ。
384人間七七四年:2010/03/04(木) 17:14:55 ID:qdjFUejF
>>377−378
しかし、縄張りが優れているとか劣っているとか
昔の人はどうやって見分けたんだろうな・・・
実際に攻め込まれて、敵を撃退したら縄張り上手ってことになるのか?
385人間七七四年:2010/03/04(木) 17:44:43 ID:PDiWa44U
>>380
鬼玄蕃盛政の弟の事かね
安政・勝之の呼び方の方が有名な気もするが
386人間七七四年:2010/03/04(木) 18:15:36 ID:KGjRQfAN
空気読まずにスマン。
まとめ読んでて思い出したんだが、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%C1%FD%C5%C4%C0%B9%BC%A1
増田盛次は藤堂家臣磯野平三郎に討ち取られたわけだが、当初は誰なのか解らなかった。
そこへ増田家に仕えていた老女が噂を聞きつけて尋ねてきた。
老女の話と、その若武者が身に付けていた武具が一致した為、ようやく身元が解った。
磯野は老女に盛次の形見として短刀を与えたと言う。

で、藤堂家でこの一件についてこんな論評があった。

甲「あれほどの勇士なら最初から討死は覚悟してただろうね。
それなのに、武器や甲冑、羽織の裏に名前を書いてなかった。
若いから興奮してて、細かいところまでは気がまわらんかったのかな?」

乙「盛次の立場になってみろよ。父の長盛は幽閉されていたんだぞ。
自分が大坂方について討死したと知れたら、長盛は徳川家に死を命じられる。
だから大坂方へつきながらも名前をだせなかったんじゃね?」

甲「なるほど。親孝行者だなあ。でも、長盛は自殺させられてるし。結局、ばれたんだな」

乙「大坂の陣が起きる以前には真田父子や長宗我部さえ助命されてる。
けど、豊臣が滅亡しちゃえば、もうジャマものはない。長盛やっちゃっても誰も文句いう奴はおらんからな。
ぶっちゃけ息子が大坂へ入城しようがしまいが殺されてたと思うよ。
そのあたりは若い盛次には読めなかったんだろうね。でも父を思う心は尊敬するよ」

『元和先鋒録・附録』より。多分、記録者の論評。
387人間七七四年:2010/03/04(木) 19:48:54 ID:DiK8u/X/
>>383
今、熊本県立美術館で「日本の祈りと縁起物」って催しやってるんだが、
そこに清正公をモチーフにした神像が展示してあったよ。小さかったけど。
清正公信仰っていうのがあるんだな。知らんかったわ。
388人間七七四年:2010/03/04(木) 21:21:27 ID:Q0bIQvje
井伊直孝は他家に贈物をするとき必ず自分で確かめてから
贈るようにしていた。

他家から礼儀のなっていない贈物が届くと、直孝は自分の
贈物係りに贈られてきた物を見せて

「見ろ。このように礼儀がなっていないのは係りが勝手にやった
からだ。贈主はこんなことになっていようとは知らないのだ。
家来が主君を思っていないとこういうことになる。お前も気をつけろ」

と言って注意を促したという
389人間七七四年:2010/03/04(木) 21:30:51 ID:K863Dgry
井伊話だ
390人間七七四年:2010/03/04(木) 23:12:04 ID:V/tgllvx
一方武田信玄は信長から届いた漆器をかち割って
「うむ、心が籠もっておる」と満足した
391人間七七四年:2010/03/04(木) 23:34:20 ID:qdjFUejF
>>388
他家から無様な贈り物が届いても、
「何だ島津家の家久は。こんなもの贈ってきて全くしょーがねーやつだな」
などと短絡的に考えずに、贈り主のせいじゃないと、理性的に対応するのはさすがだ。
逆に、相手に進物を贈る時は、その内容で井伊家と直孝が判断されてしまうことも良く分かっていて注意している。
392人間七七四年:2010/03/05(金) 00:34:44 ID:iEPzBvdn
一方吉川元春は礼儀のなってない贈り物を礼節のために我慢して食し、死亡した
393人間七七四年:2010/03/05(金) 00:44:44 ID:IEYEF8EX
一方元親はクジラを贈り物にした。
394人間七七四年:2010/03/05(金) 00:59:18 ID:vZUR1baG
意外にこの話が出てないようなので投稿してみる


大阪冬の陣のこと

前田利常は丘陵地に陣を張り前田隊の指揮をしていた。が、真田丸からの激しい銃撃が有り、
家臣たちは利常に万が一があっては大変と、陣を銃弾の届かない丘の陰に移すよう進言した。

が、この頃の二十歳の利常は、初陣と言うことも有り血気盛んであり、危ないなどと言われて
引き下がるものではなかった。彼は家臣たちの進言を完全に無視し、丘の上に居座った。
そうしている間にも真田丸からは銃弾が飛んでくる。どうしたものかと家臣たちが
困り果てているところに、山崎長徳がひょっこり現れた。

「へーくしょん!」

利常の側まで来ると長徳、大きくくしゃみをした。利常怪訝に

「どうした長徳、風邪か?」

「いやいや失礼いたしました。、しかしここは風が冷たい上に強くて、こんな所にいては
拙者のみならず殿まで風邪を引いてしまうかも知れません。
しかし戦はまだ序盤でござる。こんなところで風邪を引き、いざ決戦と言うときに間に合わなくなれば
これ以上の恥はありません。どうでしょう、風の当たらぬ丘の陰へと移動いたしませんか?」

利常これを聞くと、「ふむ、確かにその通りだ。」と、長徳の言葉に素直に従い丘の陰へと
陣を変えたとのこと。

前田家中の面々、この長徳の忠告の仕方に甚だ感心したとのことである。
395人間七七四年:2010/03/05(金) 01:12:16 ID:iEPzBvdn
ボンボンの世話ってたいへん
396人間七七四年:2010/03/05(金) 01:13:27 ID:YmSzup4c
>>394
全く同じではないが似た話が徳川秀忠にあるよな
397人間七七四年:2010/03/05(金) 03:14:00 ID:NJwzNmGt
>>363
日本の神様ってギリシャの神様に比べて慎み深いなw
398人間七七四年:2010/03/05(金) 03:18:13 ID:ToaLd4fo
>>396
若殿はこういうところで意地を張って威厳を保たなければならないのね。
399人間七七四年:2010/03/05(金) 08:46:59 ID:bOi0jnyi
三斎様ですら若い頃に突進して額に大怪我負ってるからな
400人間七七四年:2010/03/05(金) 09:02:19 ID:7GnplPqB
>>390

贈り物より入れ物の漆塗りの丁寧さに目を向けると言う発想って凄いよね
401人間七七四年:2010/03/05(金) 09:05:24 ID:3taT0bTW
それを見越して器を選んだ信長が凄い
402人間七七四年:2010/03/05(金) 10:06:59 ID:NJwzNmGt
>>400
でも、この話って信長の本質を見抜いて諫言した信玄の家臣が一番えらいよねw
403人間七七四年:2010/03/05(金) 10:16:22 ID:MrN9TDNa
信は鼻紙は忘れても脇差を忘れない男だから油断できんby内藤
のことか?w
404人間七七四年:2010/03/05(金) 11:13:43 ID:fum/TA8Y
>>398
あー、その考えなかった。
若殿は無茶や意地をはらないと家臣から舐められる可能性があるのか。
唯々諾々と家臣の指示に従ってると、威厳なくなるかもしれんもんな。

若殿は意識して無茶をやっていたのか(そうでないのもあるのだろうけど)。
405人間七七四年:2010/03/05(金) 11:39:58 ID:imhHPV5e
臆病者って思われたら将としてやっていけないからな。
率先して逃げられるのは信長くらいなものじゃないか。
406人間七七四年:2010/03/05(金) 11:51:20 ID:6zU1TLJ9
仙石もやった
407人間七七四年:2010/03/05(金) 12:15:19 ID:VfsZ+5G+
仙石って周りからどう思われてたんだろうな。
特に大名復帰した時期とか。
408人間七七四年:2010/03/05(金) 12:45:16 ID:3taT0bTW
長蘇我部のバカの暴走のとばっちりを喰って
失脚した可哀想な人とか?
409人間七七四年:2010/03/05(金) 13:11:28 ID:Fp3kuqd3
目上の人には「よく頑張って復帰したね」と賞賛もされたかもしれんが、
同じくらいの立場の人には嫉妬半分で

「全身鈴だらけで戦うって、何だよ、そのあざとさは」とか
「すっかり徳川に鞍替えかよw」

とか言われてたと予想。
410人間七七四年:2010/03/05(金) 18:11:30 ID:Lhh9y6m1
「しょせん、復帰できたのは殿下のお気に入りだからだろ」ぐらいは言われてた筈
411人間七七四年:2010/03/05(金) 18:20:42 ID:1kSrD8vZ
妄想だけなら何とでも言えるわな
412人間七七四年:2010/03/05(金) 18:51:55 ID:03YvOZWd
北条早雲と6人の友の逸話を見て思い出した侍の話を投稿してみる。

明智光秀の義弟として知られている明智孫十郎
彼は旧姓を恩田といい、若かりし頃は武者修行をしながら諸国を渡り歩く浪人だったそうな。
で、同じく浪人をしていた明智光秀と意気投合。彼とある約束を交わす。
その約束とは「どちらかが立身出世したら、もう一人を取り立てる」というもの。
織田家に仕えることとなった光秀はかねての約束通り孫十郎を家臣として迎えいれ、孫十郎も
これに従い、以降は明智孫十郎と名乗って光秀に従う。

そして本能寺の変。
首尾よく信長を自害させ、続いて二条御所へと足を進める明智勢。
今こそ旧友・光秀の恩義に報いるときと思い立った孫十郎は二条御所攻めに先鋒として突入。
主君を手にかけ、その嫡男に刃を向けている後ろめたさと、知らずのうち謀叛に加担したという事実で動揺する組下を叱咤激励しながら
自ら槍を奮って奮戦する。
一方、信忠勢もここを死に場所と見定めての防戦に務め、乱戦の中でついに孫十郎は討ち取られる。

友との約束に殉じた男、明智孫十郎。二条城跡には彼が最後を迎えたという場所に石碑が残っている。
413板倉重矩:2010/03/05(金) 22:07:56 ID:QYuRd/Dj
病気の者は療養中は医者に頼り、友として過ごすものだ。
が、回復すると逆に医者を嫌って遠ざけてしまう。

戦国時代草創の君主と家臣はこれと似ている。
君主は最初、必要に迫られて親しく家臣を使う。
しかし、目的が遂げられると家臣がうるさくなり遠ざけてしまう。

一方、家臣は家臣でおのれの功を誇り、恩賞の不満を訴えるので
終わりをまっとうできないことがほとんどだ。

君主も家臣もこのことをきちんと心に留めなければいけない。
414人間七七四年:2010/03/05(金) 22:51:19 ID:ci+e//Eh
>>413
その辺りの機敏を心得て身を引いた人に張良が居るけど、
戦国日本でこういう人って誰かねえ
415人間七七四年:2010/03/05(金) 23:02:35 ID:mF42Exgl
>>412

>「どちらかが立身出世したら、もう一人を取り立てる」というもの。

早雲や堀秀政・直政の例を鑑みるに、この手の逸話はあちこちに埋もれてるのかもね。
なんか一種のテンプレと化している気がする。
416人間七七四年:2010/03/05(金) 23:10:44 ID:06h0K1pA
>>414
黒田の大殿とめんどくさい家臣団

一人若殿時代にドロップアウトしたし大殿自身は上に疎まれ気味だったけどw
417人間七七四年:2010/03/05(金) 23:18:10 ID:Qjk10Ifx
字の巧い四天王の人は関ヶ原後に身を引いた説があるね
この人は兄も信康事件に後悔して隠居したんだっけか
418人間七七四年:2010/03/05(金) 23:37:34 ID:GajkJZ2U
望めば相当な地位を得ることが出来たのに、
それを拒否して引退っていうのも簡単に出来ることではないよな。

まぁ某佐渡守が要職に就くのを妨害したって説もあるけど。
419人間七七四年:2010/03/06(土) 00:31:39 ID:NYYWfN6W
>>414
本多正信とか?息子でだいなしだけど
420人間七七四年:2010/03/06(土) 00:41:40 ID:jsh5s4xD
一族郎党を養わなきゃならんってのもあるしねえ。
張良も、孤児で一族がいなかったから、個人の思惑で好きに生きれたってのもあるし。
421人間七七四年:2010/03/06(土) 00:50:15 ID:NYYWfN6W
大久保彦佐衛門が最晩年に加増を断ったって話もどうなんだろうね
三河物語を読む限り、絶対に泣いて喜ぶ人だと思うのだけどな
422人間七七四年:2010/03/06(土) 01:06:29 ID:kmH+I2+N
>>414
敢えて言うなら柳生宗矩。
自分は政治能力あったから活躍したけど、息子はないからただの剣術指南に格下げしたあたりとか。
423人間七七四年:2010/03/06(土) 06:26:38 ID:STPEOhCn
>>415
そういう取引しないと協力が求められないからじゃないかな
一族とかいないで裸一貫からのし上がるためには
424人間七七四年:2010/03/06(土) 10:10:47 ID:xgEf1Oid
昨日カーチャンの誕生日だったので、本日は車でスパリゾートに連れて行って
帰りにちょっとゼイタクな食事をして来る予定。みんなはどうだい?


井伊直孝は日頃からhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-734.htmlといった厳しい環境に
身を置き、食事も一汁一菜で満足していた。

その日、帰宅した直孝が夕食の膳に向かうと、いつもの飯・味噌汁・香の物の他に焼き魚が乗っていた。
夜叉掃部は激怒した。
「なんだ、これは!いつもの膳はどうした!この魚は、いったい何の奢りの沙汰じゃ!!」

呼び出された台所番は、青い顔をして弁明した。
「い、いえ!それがしも殿の命に逆らう気はございませぬ!その魚は先刻、殿のご母堂様より
頂戴いたしましたので、膳に加えた物にございます!」
「なんと、母上が・・・それを早く言わぬか。」

直孝の母は、“赤鬼”井伊直政の侍女、あるいは農家の娘であったとされる貧しい出身で、
大名の母となった後も直孝以上のつつましい暮らしを送っていた。
そんな女性が、息子の栄養を心配して、たまの贅沢にとわざわざ買い求めたというのだ。

直孝は台所番を下がらせると、膳を押し頂いて頭を下げた後、ゆっくりと焼き魚を平らげた。
425人間七七四年:2010/03/06(土) 10:34:39 ID:mGK0HS2U
それって平和な時代だから質素な食事で足りるんだろうけど
戦となればエネルギー消費激しいからたっぷり食わないと体もたないと思うが
味噌汁の中には具がいっぱい入ってるちゃんこ鍋みたいのだと信じたいw
一汁一菜じゃ体もたんだろう
426人間七七四年:2010/03/06(土) 10:46:01 ID:3/dT73wN
でも幕末の下級武士の超絶質素な生活で超人的な活動してるやついるからな

江藤とか謹慎時代に収入一切なくて一時期山の木の実食って生活してたくらいだおw
他にも食うや食わずで修行して大成した学者もごろごろいる。
つくづくあの時代の日本人ってすげぇよ。
427人間七七四年:2010/03/06(土) 10:49:03 ID:t/GeMoFA
直孝の母親って、息子を認知してもらうために自害しただか、直政に殺されたって話なかったっけ?
そう言えば、井伊直政って恐妻家って言われるけど、具体的なエピソードは直孝絡みの話以外にあるのかな
428人間七七四年:2010/03/06(土) 10:54:52 ID:Zo/ZJdkY
>>424
直政は、直孝を息子として認める代わりに、母親に死ぬように条件出したような
正室に気を使っているので
429人間七七四年:2010/03/06(土) 10:58:54 ID:Y17feInD
じや、正室の話なのかな。
身分絡みの注釈に矛盾は出るけど。
430人間七七四年:2010/03/06(土) 13:24:46 ID:yJ4gHpGm
つうか母親のことは、ほとんどよく解ってないんだよな?
431人間七七四年:2010/03/06(土) 13:32:41 ID:C3pthBD+
色々な説が出ていたはず
432人間七七四年:2010/03/06(土) 13:45:42 ID:+V7Pac4Z
フランシスコ・ザビエルが来日した当初、薩摩の国にて布教を始めた。
その当時、薩摩で一番の高僧であり、島津家の菩提寺の住持を忍室と言ったのだが、この人は善良で聡明な人物であり、ザビエルと親しく友人と
して付き合いがあった。
この忍室、禅宗の僧侶であった為、彼の寺院では修行として座禅を行っていた。
ある時ザビエルは、修行僧が並んで黙想しているのを見て、
「彼等は何をしているのですか?」
と忍室に尋ねた。
忍室答えて、
「彼等の内、ある者は信者からの寄進がいくらあったのかを計算しており、ある者は自分がもっと良い待遇を得るにはどうしたらいいのかを考えて
おります。またある者は暇つぶしにどーしよーもない事などを考えており、まぁ、要するに、コイツらは皆、どーしよーもない事ばかり考えている
のですよww」

また、ザビエルが「あなたの青年時代と老人になってからと、どちらが良い時代ですか?」と尋ねた。
忍室答えて、
「青年時代ですね。青年時代は海のど真ん中に漂う船の様で、どこに行けば良いのか判りませんでした。しかし老人になって港に落ち着いてからも、
どこの港に行くのが正解だったのか、私には判らないのです」

この様に聡明な人であったが、所詮は邪教の司祭。結局は自分の利益のみを考えて改宗しなかった為に地獄に落ちたのである。
(出典:日本史/ルイス・フロイス)


えーっと、修行僧達の悪い話と、忍室&ザビエルの良い友人関係の話、尊敬するザビエルの友人であろうと異教徒は全て悪と言
い切るフロイスの悪い話、どれが正解?(^^;



433人間七七四年:2010/03/06(土) 14:15:55 ID:LkU2RgHG
フロイスにこれを聡明と認識する理性があったとは驚きだ
434人間七七四年:2010/03/06(土) 14:50:07 ID:Lra6yolj
>>425
江戸時代までは一日に玄米を4〜5合食べたというから
一汁一菜といっても栄養価はそれなりだったと思う。
435人間七七四年:2010/03/06(土) 15:14:24 ID:rUnAFpOw
ちなみに戦国時代足軽に支給されていた米は平均して一日一升。
戦場では、戦ってないときはとにかく食ってるって感じだったらしい。
436人間七七四年:2010/03/06(土) 15:27:46 ID:62kWGs1L
一度にたくさん支給すると酒を造り始める阿呆が出るので
少しずつ小出しにして配給していたという話だね
437人間七七四年:2010/03/06(土) 17:00:17 ID:2xiao9Pv
高度成長期までの日本では、おかずがなかったために
一日一升飯を食う人はそう珍しくなかった。
運動不足の現代人がやったら、デブ一直線だけどね。
438人間七七四年:2010/03/06(土) 17:22:04 ID:JKqqT3/S
一升ってご飯茶碗何杯くらいなの?
439人間七七四年:2010/03/06(土) 17:25:53 ID:rUnAFpOw
>>438
一般的なご飯一食分が1合だと言われているから、10杯。
440人間七七四年:2010/03/06(土) 17:26:04 ID:l0fn9tE0
二十杯くらい
441人間七七四年:2010/03/06(土) 17:28:47 ID:l0fn9tE0
>>439
米を炊いた事が無いだろう…

三合炊いてみな、お茶碗三杯なんて量じゃないから。
442人間七七四年:2010/03/06(土) 17:32:11 ID:T/Q180Ma
つか消耗品の調達代金としての意味もあったんじゃね>一日一升
443人間七七四年:2010/03/06(土) 17:35:30 ID:63AV562M
毎日一升=5000kcal食べてたらいくら重労働でも太るだろ
444人間七七四年:2010/03/06(土) 17:50:42 ID:JKqqT3/S
もののけ姫の冒頭でアシタカが碁石金だして米買ってジコ坊がおかゆ作って食ってるの
うまそうだったな
445人間七七四年:2010/03/06(土) 18:05:05 ID:VkYzJIV6
徳川家康みたいに、底が見えるくらい薄い味噌汁(しかも具なし)でも
栄養になるんだろうか…
446人間七七四年:2010/03/06(土) 18:05:49 ID:l0fn9tE0
家康は玄米食ってたから大丈夫じゃね?
447人間七七四年:2010/03/06(土) 18:37:35 ID:JfY5+Sjw
>>426
青春を謳歌している貧乏大学生みたいなものか。
448人間七七四年:2010/03/06(土) 18:41:21 ID:3/dT73wN
>>447
適塾なんかまさにそんな感じだね
夏の賄いはフンドシで立ってかっこむとかw
449人間七七四年:2010/03/06(土) 19:11:13 ID:4KP6eBO+
>>383
他県民にとっては熊本市内は車の運転しにくい街。
今はナビがあるからいいけど
450人間七七四年:2010/03/06(土) 19:19:41 ID:2xiao9Pv
>>443
太らんよ。
何でも人力でやる時代の農業・肉体労働の消費カロリーはすごい。
451人間七七四年:2010/03/06(土) 19:44:30 ID:3RT+OcsF
女子のマラソンランナーが1日5000kcalぐらい食わんといかんらしいな
452人間七七四年:2010/03/06(土) 19:55:44 ID:Zo/ZJdkY
>>451
毎日マラソンすれば、5000kカロリーも食べていいのか
453人間七七四年:2010/03/06(土) 20:04:27 ID:rUnAFpOw
マラソンではないが、アメリカの競泳選手、マイケル・フェルプスの1日の食事

朝食:チーズ、生野菜、炒めたオニオン、マヨネーズなどを大量を挟み込んだエッグサンドイッチ3個、
    玉子5個を使って作った玉子焼き、コーンスープ、フランス風揚げパン3個、チョコレートを載せた焼き菓子3個。

昼食:スパゲッティ500グラム、ハムとチーズを挟んだ大き目のサンドイッチ2個、1000キロカロリー分の栄養ドリンク。

夕食:スパゲッティ500グラム、ピザ1枚、栄養ドリンク。

http://www.excite.co.jp/News/china/20080815/Searchina_20080815026.html


計12000カロリーだそうな
454人間七七四年:2010/03/06(土) 20:07:49 ID:3/dT73wN
それで一日1万キロとか泳ぐんだろ・・
455人間七七四年:2010/03/06(土) 20:18:34 ID:MM//jo1B
戦国時代のどこにそれだけのカロリーがあるというのか!謎すぎる
一日中食ってないとやってらんねぇぞ! 草とか…
456人間七七四年:2010/03/06(土) 20:19:23 ID:s9wzrEXG
1万キロは言い過ぎww
4日で地球1周できるw
457人間七七四年:2010/03/06(土) 21:00:39 ID:KjsrL4T/
>>456
だがあの御方なら…ッ!
458人間七七四年:2010/03/06(土) 21:17:06 ID:l0fn9tE0
>>454
二十四時間フルで泳いだとして、時速420km弱ですw
金メダルどころか、パワーボートもぶっちぎれるぜ…
459人間七七四年:2010/03/06(土) 21:41:46 ID:YQvqUJGS
>>449
まあ、城下町だったからなあw
460人間七七四年:2010/03/06(土) 22:23:29 ID:t/GeMoFA
>>424
この話、「百傑スケッチ」によると「北の御部屋様から頂戴いたしましたので〜」となってるから、
実母じゃなくて養母(直政正室で直勝実母の唐梅院)のことなのかな
461人間七七四年:2010/03/06(土) 22:42:37 ID:qspiyGHi
武田信玄は喧嘩の始末について喧嘩両成敗を採用しようと
重臣たちと相談した。この時、猛烈に反対したのが内藤修理だった。

「両成敗との事ですが、恥をかかされて我慢するような者は役立たずで
ありましょう。そのような法があっては家中に男道をもつ侍がいなくなる。

他家では弓矢の道を推奨しているのに、武田家だけ喧嘩防止のために
男道が失われてしまいます。あなた方はどうかわからないが、
私は自分の子に男道をくじいてまで我慢しろとは言えない。

なんでもかんでも我慢となれば臆病侍が増え、口論や打擲ともなろう。
口論に負けるくらいは我慢するかもしれない。たいした害はないのだから。
しかし、殴られでもしたならば、たとえ一族を串ざしにされようとも、
所構わず、すぐさま殴った相手を殺すほかはござらぬ!

それでも両成敗となって、自分の罪なき肉親が裁かれた時、武田家に忠誠を
尽くせるだろうか。あなた方はどうお考えか知らぬが、私は尽くす事はできない。

ゆえに恐れながら申し上げますが、私は喧嘩を仕掛けた者を罰するほうが、
家中の風紀も引き締まると考えております」
462人間七七四年:2010/03/06(土) 23:24:03 ID:3/dT73wN
職場にキチガイじみた団塊おっさんがいる俺には内藤さんの言葉が身にしみる・・

反応した時点で負けなレベルだからな・・基地外相手は
463人間七七四年:2010/03/07(日) 00:00:01 ID:l3sdYKIr
悪いスレでちょっと荒れたので、ちょっと宗教に関する良い話を。


一休「世の中にはいろんな宗派があるけど、結局はみんな同じことを説いているんだ。
    ただ、人間ってみんな性格がちがうだろ?だから仏の道に入るのもそれぞれにあった方法がある。
    そのため諸宗はそれぞれに名を変え方法を変えているのだよ。
    旧仏教の言う「大日如来」、法華教で言う「妙」、禅宗で言う「本来の面目」など、
    これらは皆、ただひとつの仏を表しているに過ぎないのさ。」

小笹少将「そのようなこと、それらの宗派の祖師達はご存知なのでしょうか?
      ご存知なのなら何故他の宗派を批判し自分の宗旨を誇り、場合によっては宗論などして
      争うのでしょうか?」

一休「諸派の目的とは、先に言った同じ仏への帰依に至ることであって、それらの祖師たちは
    同一である仏の本質について争っているわけじゃない。その同一の仏に至る方法が
    様々に多いために、どの方法がより有効か、より容易かについて争っているんだ。
    歌にもあるだろ? 『分け登る 麓の道は多けれど 同じ雲居の 月を眺むる 』

    そういうことなのさ。」

そんな、「阿弥陀裸物語」より、宗教に関する一休禅師のありがたいお言葉
464人間七七四年:2010/03/07(日) 03:53:22 ID:ixBzccBN
>>449
逆に考えるんだ。
それだけ清正の縄張りが優れていたと。
465人間七七四年:2010/03/07(日) 05:01:24 ID:IfLCbvtG
荒れたつうか、思い込み激しくて一方通行な一名が独り言を大声で言ってただけじゃないの
466人間七七四年:2010/03/07(日) 05:06:42 ID:NkcpSzUk
>>453
スラムダンクの「おばちゃーんカツどん大盛りー。それがメシで、おかずはねー」
を思い出した。あれも漫画的誇張じゃあないんだな
467人間七七四年:2010/03/07(日) 08:16:25 ID:HXbZFC7x
元運動部が部活やめたらピザになるのはデフォ
468人間七七四年:2010/03/07(日) 11:06:03 ID:DdOcQJvP
イチローなんかは焼肉3人前食べるらしいね
それで体脂肪率6%

オレなんか2人前しか食べないのに、体脂肪率はイチローの5倍
なんか不公平だよな
469人間七七四年:2010/03/07(日) 11:21:56 ID:wdT3695j
まあ待て。
体動かさないのなら、2人前食うなw
470人間七七四年:2010/03/07(日) 12:55:02 ID:nL4hdY/i
清原を見ろよ、引退しても現役の頃と同じくらい食うからすっかりメタボってるじゃん
471人間七七四年:2010/03/07(日) 14:20:42 ID:HXbZFC7x
>>470
あれは筋肉が贅肉に…
472人間七七四年:2010/03/07(日) 14:53:23 ID:ixBzccBN
筋肉がしぼんで、その隙間に贅肉が付くのであって、筋肉が脂肪に変化するわけではないんだよー。
そして、「筋肉量落ちる→基礎代謝落ちる→脂肪付きやすくなる」という恐ろしいスパイラルに陥ることに・・・
473人間七七四年:2010/03/07(日) 16:07:35 ID:wWdcoM6a

北条家で代々当主に受け継がれた「祿壽應穩」の虎印判。

家督を継ぐこととなり、氏康から譲与されたこの印判を
使って氏政が最初に発給した印判状の内容は、
瑞渓院殿の台所への肴の納入を用意させるものであった。

瑞渓院殿とは氏康の正室、つまり氏政の母である。
「当主としての初仕事はオカンのために!!」
初任給で母親にご馳走を買って帰る新入社員を思わせる
氏政の気概に、氏康が「これで北条家は安泰!」と
思ったかどうかは定かでないが、北条家の家族仲の良さを
垣間見ることができるエピソードの一つである。
474人間七七四年:2010/03/07(日) 16:53:01 ID:JpNdemjC
黙れマザコン野郎 戦国にホームドラマしてんじぇねぇ
そんなんだから汁かけもまともにできねーんだよ! 


ってパパが言ってたよ
475人間七七四年:2010/03/07(日) 17:10:15 ID:9Qx9Lepe
>>463
一休さんは蓮如さんとも友達だったな
まあ友達の商売道具を枕に昼寝しちゃうような友人関係だけど・・・
476人間七七四年:2010/03/07(日) 17:22:48 ID:Vw3Q2try
>>474
子持ちの分際で親孝行も考えられない奴は正真正銘の人間の屑って伝えておいて。

ま、孝行かどうかはともかく、なんか納入させる場合は必ず印判状だす家だからなあ。
生真面目と言うか、システマチックと言うか、迂遠と言うか。
477人間七七四年:2010/03/07(日) 17:30:46 ID:aHxWa1vS
>>476
> 生真面目と言うか、システマチックと言うか、迂遠と言うか。

毛利隆元「それは同じ城の中に住んでいながらいちいち書状で会話してた僕たち親子に対する」
毛利元就「批判と受け取ってよろしいか?」
478人間七七四年:2010/03/07(日) 17:33:28 ID:gjMhGE4X
教室の隅と隅でメール送り合うカップルじゃあるまいしw
479人間七七四年:2010/03/07(日) 17:33:38 ID:+a4GTZDg
いや元就さんあんたがちょっと変人すぎるからでしょう
480人間七七四年:2010/03/07(日) 17:34:40 ID:tmkXxz2W
交換日記や連絡帳や日誌みたいなものと思えば
481人間七七四年:2010/03/07(日) 18:29:42 ID:0bXOo6OI
細川忠利「生真面目にやらないと週二でお叱りが来たり、ハンコが薄いだけで手紙が突っ返されたりします。」
482人間七七四年:2010/03/07(日) 18:49:29 ID:DdOcQJvP
>>475
友達といっても、だいぶ歳離れとるじゃげな
483人間七七四年:2010/03/07(日) 20:14:02 ID:oVA6mYum
>>475
一休禅師と蓮如上人の交友はまとめスレにいくつか載ってるな。
そして、まとめスレで蓮如および一向宗関連の記事のいくつかに例の人らしきのが噛み付いてるわw

>>482
そうじゃげな。
484人間七七四年:2010/03/07(日) 22:15:25 ID:RyHvEIb/
>そして、まとめスレで蓮如および一向宗関連の記事のいくつかに例の人らしきのが噛み付いてるわw

安土宗論で敗れた法華の人かな
485人間七七四年:2010/03/08(月) 11:11:57 ID:MqApcsTR
以下Kitty-Guyの話禁止。
486人間七七四年:2010/03/08(月) 17:01:05 ID:QTO3J2T/
>>485
三楽斎<猫ちゃん禁止なの(´・ω・`ノ)
勝茂<そうだ、そうだ猫の話題は禁止だ。
487人間七七四年:2010/03/08(月) 17:56:27 ID:+FzsHLFA
高房・氏治「ねこみみもーど!」
488人間七七四年:2010/03/08(月) 21:32:12 ID:gUhdGWxl
前田利長が本能寺の変事を知ったのは京都見物に行く道中で
今の滋賀県あたりだった。
事態に動揺した一行はとりあえず領地の越前は遠いので
利長の妻(信長の娘)の郷里である尾張に行く事にした。

ところがふと利長が輿をかつぐ者達を見ると、どうも尾張に行くのが
嫌そうな顔をしている。
「私が妻子の事を思っているように、彼らもまた郷里の妻子を
気にしている。越前に妻子を残しているのだから無理もない事か…」

利長はそう言うと、輿を棄てて妻を馬に乗せ尾張に行かせた。
そして自信は安土城に入ったという。
489人間七七四年:2010/03/08(月) 22:16:43 ID:SIitZ2rH
本拠は安土、自領は越前だったのに尾張にあてはあったんだろうか(荒子?)
織田一門も他にいるし…
単に安土や岐阜よりは京から遠いからってことなのかな
490人間七七四年:2010/03/08(月) 23:51:07 ID:/1UGV3/V
とはいえ、20前後の若侍が10も下の嫁と行動しているのが
戦国時代のすごいところ。
491人間七七四年:2010/03/09(火) 00:04:36 ID:CGOpwSwC
平塚為広の奮闘

さてさて関ヶ原、小早川秀秋の寝返りにより西軍総崩れの中、大谷吉継隊に属した
平塚因幡守為広は頑として退かず、吉継と最後の詠歌を取り交わすと、逃げる味方を尻目に
敵の大軍の中に突入した。

平塚隊は火を吹くように戦ったが郎党皆討死し、残ったのは為広一人。
が、為広、少しも恐れず退かず、高名な大薙刀を水車と振り回し薙ぎ通る。

為広、元来大力な上薙刀の達人、それが決死となって戦うのだから、彼の鉾先に回る者、
あるいは兜の真ん中、あるいは面頬篭手の端と、斬って落とされる者その数知れず。
このため件の大軍進みかね、為広の周りを開けて通る始末。
為広はなお勢いに乗って人馬ともに敵を薙ぎ払って回り、つっと敵の後ろへ駆け抜けたところで
暫く息を継ぎ薙刀を見ると、その刃は敵の槍刀を受けすぎたため、あたかも彫り込まれたように
傷だらけであった。

ここに小早川に呼応し寝返った小川祐忠家臣、樫井太兵衛現れる。
十文字の槍を高く掲げ

「天魔鬼神の平塚も、樫井が槍は受け止められぬぞ!」

と高らかに叫び突き掛る。
為景これを見てうち笑い

「優しき樫井の心底か、最後の暇を取らせてやろうぞ!」

と、件の薙刀を取り直し、樫井の槍をはじき落としてやろうと力任せに打ち込んだ。
…が、為広の運も尽きたるか。薙刀の刃、鍔元から折れたりけり。

樫井すかさず飛び入り突き倒し、終にその首を取る。

これを見ていた山内一豊は「心利きたる早業、広大の高名」と激賞し、後で徳川家康にもこれを語り、
家康もまたこれを賞した。


…さて、家康の本陣から戦勝祝の諸侯たちも皆帰陣した後の事。
家康は言う

「平塚の武勇、義心、彼の家をこのまま絶えさせてはなるまい。」

そして為広の嫡男左馬助を召し出し、徳川の家臣とした。
後にその家は頼宣に付けられ紀州へと移った、との事である。
492人間七七四年:2010/03/09(火) 00:10:54 ID:DiMtCuRb
らいてうさんの先祖か
関が原では刑部よりも奮闘したと思うんだけど、いまいち評価が上がらないんだよなあ
493人間七七四年:2010/03/09(火) 00:25:03 ID:MpLBc9LF
>>491
名調子だなw。琵琶法師に語らせたいぜ
494人間七七四年:2010/03/09(火) 00:50:50 ID:4HpWz1pX
山内一豊はどうやってそこまで移動したんだ?
495人間七七四年:2010/03/09(火) 01:00:27 ID:V6l8QR5d
一豊「ぶっちゃけやる事なかったんで……」
とまあ、それは冗談として、確かに、なんで家康どころか有馬の後方に布陣してた一豊なんだ、って感は受けない事はないけど。
496人間七七四年:2010/03/09(火) 01:02:18 ID:CGOpwSwC
それは後に樫井太兵衛が山内家に仕えるからなのです。
497人間七七四年:2010/03/09(火) 03:29:36 ID:ySZZNh4I
うん、樫井太兵衛が山内氏家臣になるのは本当の話。

12000石の平塚因幡守を討った武名で1200石の高禄なのだから樫井も頑張った
甲斐があった。
498人間七七四年:2010/03/09(火) 10:18:57 ID:Hau0spFR
悪い話だと悪意を持って書かれる事が多かったり、アンチが寄って来て
大いに盛り上がるが、良い話だとあまりレスがつかない伊達政宗の
ちょっと良い話。

ある時、近隣の小姓や若手衆に屋敷の掃除を命じたのだが、その際に
某という者に掃除の差配役を執らせた。するとその某はなぜか表立っては
見えぬ場所ばかりに掃除の指示を出していたので、他の若衆がなぜ見えぬ
場所ばかり掃除させるのだと詰め寄ってきた。
するとその某は「見える所はそれほど入念にせずともよい。
むしろ縁の下や人の目が付かぬ場所こそが、お家のためには肝心ぞ。」
と説明した。
これを聞いたあるものは「ははーん、これは奉公の心構えの事を
言ってるおるのだな」と思い、あるものは「そんなものか」と思い
それぞれ納得して指示に従った。

それをたまたま見聞きしていた政宗、掃除が終わったあとにその差配していた
某を呼びつけこう言った。
「よいか、お前は見所のある若者なので、いずれ人の上に立つ役職を
任せるつもりである。たしかに武士においては表だけでなく裏にも
気を使うのは重要であろう。だが才気ばしって裏にばかり気を使い、表を
おろそかにするものは、いたずらに足元を救われる事になる。
人の上に立つ者であれば裏だけでなく表も十分に気をつけておくのが肝要ぞ。
でないと下の者を路頭に迷わせる事になろう。ゆめゆめ忘れるでないぞ。」
と諭したので、その若者は自分の考えを恥じ、次からは表も裏も両方綺麗に
掃除するようになったそうな。

政宗の家臣への心構えを教訓した、ちょっと良い話。
499人間七七四年:2010/03/09(火) 10:32:29 ID:EziRHQmd
これが徳川や北条だったら「GJ!」だったんだろな。
500人間七七四年:2010/03/09(火) 11:29:50 ID:PD5IsPJx
まーくんは意外にいいこともいろいろ言っているよね
ただまぁ・・・普段の行動がいろいろアレだから仕方ないんじゃないかw
501人間七七四年:2010/03/09(火) 11:54:01 ID:08SWcPaB
>>495
一豊は初め、毛利の押さえとして後方にいたけど、西軍が崩れて毛利が動く気配がないから、
後半は少し前に出ているよ
502人間七七四年:2010/03/09(火) 11:56:21 ID:YYpR8QBi
まーくん言うなキモイ
503人間七七四年:2010/03/09(火) 12:13:54 ID:SmfJ7ABA
俺の友達にも「まーくん」がいるので混同・・・はしないがウザイね
504人間七七四年:2010/03/09(火) 15:39:59 ID:b2i+KLzP
定着しちゃってるからいんじゃね?
505人間七七四年:2010/03/09(火) 15:48:24 ID:RBpEHrNq
そう呼びたい奴は呼べば良い。
嫌ならスルーするなりNGワードに登録するなりすれば良い。

自分が気にくわないからと言って自分の意見を押し付けるのは大人げないよ。
506人間七七四年:2010/03/09(火) 16:13:57 ID:4nI+tBEE
あいだをとってぼんちゃんではどうだろう
507人間七七四年:2010/03/09(火) 17:07:32 ID:crCk++yG
>>498
政宗の言うことが『正しい』というわけでもなさそうだ。
彼は見えるところを非常に重視しそうなタイプだからね。
508人間七七四年:2010/03/09(火) 17:22:37 ID:nkAajDRY
>506
「まっさん」とかどうよw
509人間七七四年:2010/03/09(火) 18:12:57 ID:6E4TWjYl
分相応に表側もきちんとしとかないと、いらない誤解を招くんだよ
どんなに立派な人だって
それじゃつまんないよ?という説教だから、政宗も年の功がついてきた頃か
510人間七七四年:2010/03/09(火) 18:23:29 ID:zz0hgMtj
四天王筆頭なんだから、筆頭でいいじゃん。
511人間七七四年:2010/03/09(火) 18:38:15 ID:OxRzOlIA
筆頭とかいってるとアレが沸くから止めてくれ
512人間七七四年:2010/03/09(火) 19:12:19 ID:2FRun1PX
竜造寺五天王が湧くからな
513人間七七四年:2010/03/09(火) 19:17:24 ID:8Gj7q8mq
>>507
才気ばしった若侍を、たしなめたんだろうな。
俺はその若侍のやり方はなんかいやらしいと思った。
自分が正しいとおもってやってるというより、人の意表を
突いたり、裏をかくようなやり方。
514人間七七四年:2010/03/09(火) 20:25:51 ID:YShFZs9P
まとめにも載ってるけど、平塚為広といえば娘も怪力で、
関ヶ原の後に京で捕まった時、捕り方をぶちのめして逃亡したという逸話があるな

弟の越中守も怪力だったという
515人間七七四年:2010/03/09(火) 20:29:07 ID:/uMwPcHR
>>491
樫井が桜井に見えてしまった・・・広大・・・    すまん。
516人間七七四年:2010/03/09(火) 21:37:41 ID:EiK8r/3/
1. 武田信玄 382 (110 82 96 94)
2. 織田信長 380 (100 89 94 97)
3. 徳川家康 377 (96 87 94 100)
4. 太田道灌 376 (99 88 99 90)
5. 北条氏康 376 (96 79 94 107)
6. 北条早雲 369
7. 伊達政宗 367
8. 毛利元就 365
9. 真田昌幸 362
10. 明智光秀 361


関東半端ねえな
517人間七七四年:2010/03/09(火) 21:38:38 ID:EiK8r/3/
誤爆
518人間七七四年:2010/03/09(火) 22:18:24 ID:iblcA1nR
>>506
むかしマガジンでやってたトンデモ漫画思い出すから勘弁w
519人間七七四年:2010/03/09(火) 22:39:44 ID:ljGEONfb
一升もらった米のうち、おかずと交換したり売ったりすんだろ
みな食えるわけねえべバカ
520人間七七四年:2010/03/09(火) 23:58:33 ID:sd48GHx1
いや、基本的に食べるんだ。
そもそも戦場では出火を恐れるから炊事はまとめてやるので
末端の兵士には炊き上がったコメが回ってくる。

で、炊いてあるので麹を仕込むだけで酒が作れる。
一週間もかからずに酒らしいものができるみたい。

それに敵地で敵の領民と食べ物の交換なんて危険なことしないよ。
そもそも地元民は付近の城や山中に避難してるからしたくても無理。
521人間七七四年:2010/03/10(水) 00:30:54 ID:4rIOzYmV
戦国時代におかずって発想はねえよw
522人間七七四年:2010/03/10(水) 01:19:31 ID:CSkD1zzo
つーか、おかずは配給されないのか?
おかずを運搬する荷駄方はいないのか?
味噌だけ?

まあ桶狭間と小田原でもぜんぜん違うだろうし一概には論じられまいが
523人間七七四年:2010/03/10(水) 01:34:32 ID:4QUdxjx4
おかずっていうかなぁ
普通は米配給、後は持ち出しで味噌とか梅干しとかだろう

腐ると困るし、普通のおかずとか調理してられんしな
524人間七七四年:2010/03/10(水) 01:42:33 ID:CSkD1zzo
せめて塩くらいはほしい
525人間七七四年:2010/03/10(水) 02:23:43 ID:4QUdxjx4
まぁ、行軍時とか危険じゃ無いときは普通に汁物とか作って飯喰ってただろうけどね
獣狩ったり、戦闘中じゃなきゃ物売りとかも居ただろうし

戦国後期つうか、秀吉時代になると飯は完全配給制になるらしいけどね
526人間七七四年:2010/03/10(水) 07:54:57 ID:c+fHEDUu
忠世殿が芋汁を煮込み始めたようです
527人間七七四年:2010/03/10(水) 08:21:48 ID:+fs0BLaT
>>514
怪力一族についてkwsk
528人間七七四年:2010/03/10(水) 10:34:11 ID:Y35P95PK
>>526
直正「醤油入れて!」
529人間七七四年:2010/03/10(水) 12:40:39 ID:B45w+b/S
名将言行録と武功夜話ソースの話しは止めろ
信憑性がまったく無い
530人間七七四年:2010/03/10(水) 12:51:44 ID:/opLw7ZH
ここは信憑性を議論するようなスレじゃないんだがね
こういう逸話もあるよ、と紹介するスレなんだし
信じるも信じないもあなたの自由
531人間七七四年:2010/03/10(水) 15:03:55 ID:fX078q3W
芋づるを干し、そこに味噌汁をしみこませた物を縄になって、腰紐にして持って行ったという話は
何かの番組で見たような記憶がある
今は亡きCSベネッセチャンネルの番組だったような

芋づるとは言っても縄は縄、こんなの食えるのかよと思いながら見ていたんだが
何もおかず無いよりましだったんだろうな
532人間七七四年:2010/03/10(水) 15:15:24 ID:6UHPSk7P
心が甘う感ずるのです
533人間七七四年:2010/03/10(水) 15:19:12 ID:7k6iORGP
>>522
この時代は、基本は一汁一菜だから
534人間七七四年:2010/03/10(水) 15:27:39 ID:07vNpo+b
テンプレを読まずに書き込むのは止めろ
マナーがまったくなって無い
535人間七七四年:2010/03/10(水) 18:05:49 ID:/oZAprLP
>>533
一汁一菜は中流階層以上。
下層になると汁ものに香のもののみ。

ちなみに香の物を一品と数えるようになったのは明治以降。
西洋料理が流入した時にサラダが一品と数えられているのを真似たらしい。

江戸時代にも松江藩がおかず禁止令を出して一汁一菜を贅沢扱いしてるよ。
536人間七七四年:2010/03/10(水) 18:49:16 ID:nZNYcY5s
勉強になるなぁ
ゲームヲタばっかりのスレとちがってええなぁ
5371/2:2010/03/10(水) 19:10:24 ID:3W7heOj6
関ヶ原の決戦が終わったが、信州上田城では真田昌幸が未だ、籠城を解いてはいなかった。
このため徳川家康の命により、真田信之が降伏勧告の使者として上田に派遣された。

上田城で信之は昌幸に対し、降参するよう様々に説得したが一向に聞き入れず、かえって

「信之、お主は長く家康に仕え、さらに本多忠勝の婿でもある。であれば家康も、お主には心を許しているだろう。
ならば信之!お前が近侍した際、父の望みに従い家康を刺殺すのだ!
それは出来ないと言うのなら今ここでおまえの首を撥ねる!」

などと言い出した。しかし信之、これに少しも騒がず

「御高恩を頂いている内府公を討つと言うのなら、父ではあっても君敵であります。
その君敵とは今ここで雌雄を決するべきなのでしょうが、私は大事の使者としてここに参っており、
使者として帰り、家康公に子細を言上しない内に、わたくしに討ち果たすような真似をすれば、それも君への
不忠で有ります。

…ご報告を終えた上で、重ねて潔く勝負を決しましょう!その容易をして待たれよ!」

そう言い放って座を立った。これには昌幸も、「信之の言う事、尤もである」と言って、奥の間に引っ込んだそうだ。


さて、家康の元に戻った信之は会談の内容をありのままに家康に報告した。
家康は昌幸の武勇、信之の忠節に感じ入り

「そう言うことであればお主の手で上田を攻め、父弟の首を取ってくるが良い。
その時は信州一国を与えるであろう。」

信之は宿所に帰り、早速出陣の準備をした。

ところがそれから暫くして信之、再び家康の元に御目通りを願い出た。

「いったいどうした?出陣の引き延をしたいのか?」

「この度父への討手を仰せ付けられ、その御高情上身に余ると感じております。
…しかしながら出来れば、御恩賞の御朱印を賜った上で出陣いたしたいのです。」

「おお、その事忘れておった。」
5382/2:2010/03/10(水) 19:11:07 ID:3W7heOj6

家康はその場で御朱印を信之に渡した。信之は畏んでこれを頂き宿舎に帰ると、
何故か又すぐに家康の元に戻った

「お訴えしたき儀が有ります!」

「度々どうしたのだ?出陣にあたり加勢が欲しいのか、それとも具足兵糧が不足しておるのか?それであれば
望みどおりに…」

「いいえ、先程も言いましたが、私が父の討手を仰せつかったこと、生前の面目、これに勝ることは
ございません。」

「ならば…」

「…ですが!我が父の一命をお助けいただけるのなら、その上の厚恩でございます!
しかれば先に賜った御朱印を、返上したします!」

そう、涙を流して訴えた。御朱印を返すとは、信州一国の報奨を放棄してでも父の助命を願う、
ということである。
家康これを聞いてたちまち機嫌を悪くし、黙然と座を立って奥に入ってしまった。
信之は一人、その場に残された。

暫くして、
信之に声がかかった。「内府公が呼んでおられる。」
御前に出ると、家康が言う

「そなたの願い、尤もである。日頃の忠節に免じ父弟の命、助けてとらす。」

信之はこれに大いに喜び、すぐに上田へと馳せ行きて助命のことを報じ、これによって昌幸、信繁親子も
城を出ることに同意した、とのことである。


真田信之、父弟の助命を得る、の一席。
539人間七七四年:2010/03/10(水) 19:23:51 ID:ajLypH9w
奥では平八郎が戦の準備をしてました
540人間七七四年:2010/03/10(水) 19:31:34 ID:CRtaOmN8
褒美の約束させといて、それを元手に自分の要求通すとかw

こういうしたたかさがあったからちゃんと家を守れたんだろうな。
541人間七七四年:2010/03/10(水) 19:38:31 ID:DOIfwgLL
真田信之「やれやれ、寿命が10年縮んだわ」
542人間七七四年:2010/03/10(水) 20:00:17 ID:BvrQAUfP
信之兄ちゃんかっこいいぜ!
543人間七七四年:2010/03/10(水) 20:26:17 ID:To0lDGnM
ここでお兄ちゃんの逸話を読んでからは
「信繁の兄」じゃなくて信繁の方が「信之の弟」
の認識になったぜ。
一昔前は「乱丸の兄」と呼ばれていたあの人のように有名になって欲しいな。
544人間七七四年:2010/03/10(水) 20:31:07 ID:ihGsASaS
>>543
真田三代といえば幸隆、昌幸そして幸村
「幸村の兄」と「幸村の中の人」には不憫な話だ
545人間七七四年:2010/03/10(水) 20:46:41 ID:2bnwTzRy
昨朝御見廻申候ヘバ、早天ニ大津ヘ御越之由候間、大助ニ申置帰山申候。主水ヲモ遣シ候ヘ共、未内府ハ大軍ニ付、路つかへ、江州守山辺ニ居陣之由申、
昨日主水も従((二)中途(一)帰申候。御仕合如何候哉
一一昨夕彼陣床ヨリ拙者ヘ参候者、直ニ語候趣、為ニ御心得一申候。内府ハ当月朔日ニ国本ヲ出馬候テ、十四日ニ大ガキ表ヘ被(二)押寄(一)候ヲ、
 大ガキノ軍勢石治少・島兵入・小西ナド見候而、山ヘ取上リ候。内府ハ五万程ニテ、手人数各別ニ備ラレ居陣候
一先手之人数ハ、福島一番・長岡越中二番・金森法印三番・田中兵部其外上方之人数四万計、面々ニ備、青野カ原ニテノ合戦ニテ候。即時ニ切立得(二)大利(一)候。
 番ヒニ金吾手ヲカヘサレ候。其太刀場ニテ、大谷刑部討死候テ、其マヽキリ崩候。上方ヨリ出陣ノ人数五万計候。四五千モ討死候ト申候
一十九日ニ沢山ヘ取カケラル、則落居候テ、石治少子・杢ナド討果候由候
一石治少・島兵入ハ山ツタイニ引退候ト相見、行方不レ知候。越州ヘノキ候ハンカト申候。生捕ニ仕候トノ沙汰ハ、ウソニテ候ト申候
一キヅ川ハ輝元被レ取候。知行分悉給置候者家康ヘ味方ニ可レ参候トノ(アツカイ)ニテ候ヘドモソレハ余之□之由候テ、半分ノ契約ニテ、一味申候トノ事候。
安国寺ハ乗物ニテノキ候ヲ、キヅ川者共追懸候ヘ共、行方シラス見失候。生捕之沙汰不(レ)存候ト申候
一備前宰相ハ討死トノ事雑説候。無(ニ)異儀(一)之由申候。是以味方ニハ不(レ)成被(レ)申
一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。白石ト哉ラン申候城、景勝抱候ヲ此方ヘ被(レ)取、政宗入城之由候。
此城前々政宗城由候
一佐竹ハ景勝・石治少ナドヘ一味之由申候而隔心ト相聞候ト申候
一信州サナダハ敵ニ成候テ、中納言忠秀・榊原式部少輔ナドハ、彼国ヘサシムケラレ候ト申候。是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
一ナツカ大蔵ハ、ミナクチノ城ニ居候。ソレヘモ人数サシコサレ、可(二)討果(一)之由ト申候
 三奉行ハ可(レ)有(二)成敗(一)之由ニテ候ト申候
一昨日ヨリ風聞ハ、ナツカ大蔵ハ内府ヘカケ入候ト申候。内府被レ申候ハ、ヨクトモ悪クトモノ事候由候ト申候。此儀ハ昨日ヨリ承候、事実ハ不(レ)存候。
右之趣ハ水不(レ)入慥之事候、彼虎口ヨリ直二当所ヘ参候モノニテ候。直ニ承候間、為(二)御心得(一)ニ申候。以上
  九月廿日     東入
猶々如レ此処ニ、津小平かたより書状くれ候て、内府今日大津へ被(レ)越候由、由来候間、主水をも又さし遣し候。今日又御越候哉、定可(レ)有(二)御聞(一)候へ共、令レ申候。
書中御らんじ候ハヾ火中々々


近衛前久が子の信尹に送った手紙なのだが…何、この状況把握の正確さ
これこそが本当の情報戦というものなんだろうな
それにしても信尹、親父に読んだら燃やせと書いてあるのに何故残す。こういう所が駄目なんだろうなと思うわけで
546人間七七四年:2010/03/10(水) 20:54:05 ID:wNODDkV7
大助とか主水って誰だろ
547人間七七四年:2010/03/10(水) 21:02:57 ID:2bnwTzRy
>>546
近衛家の家臣でしょうな
548人間七七四年:2010/03/10(水) 21:15:00 ID:wNODDkV7
いやそれは解るんだがw
名も無き中間みたいなモンかな
549人間七七四年:2010/03/10(水) 21:22:43 ID:2ceSwBpA
黒田孝高はカコイイ!
550人間七七四年:2010/03/10(水) 21:33:13 ID:c0TrDTqW
>>543-544
昌幸は4兄弟、信之と信繁で二人兄弟だと思ってる人も多いんだろうな
551人間七七四年:2010/03/10(水) 22:33:46 ID:m201krkJ
>>545
佐竹、政宗なんかの言及はあるけど九州方面は記述がないんだな
しかし読みなれてないから候文は読みづらいわw
5522/2:2010/03/10(水) 22:35:08 ID:3W7heOj6
>>545
訳してみた。色々意訳したので、間違いなどあったら許して欲しい。


昨朝お訪ねしたところ、早朝に大津へ行かれたとのこと、大助に申し置いて帰ったのですが、主水も
念のため遣わしました。ですが、内府(家康)の軍は大軍であるため、道は渋滞し、近江守も山辺を動けないようです。
昨日主水も諦めて途中で帰ってきました。こんな状況です。

・一昨日の夕方、戦場より私のところに参ったものが直に語ったことです。そういう重大な情報なので良く心得て
 読んでください。
 内府は今月1日に国元を出て14日に大垣表に到着しました。大垣の石田三成、島左近、小西行長などの軍勢は
 これを見て山に上がり陣をはったとのこと。内府の軍勢は5万ほどで、手人数別に備えを敷いた布陣であったそうです。

・東軍の先手は、福島正則が1番、細川忠興が2番、金森長近が3番、そのあと田中吉政など、計4万ばかり。
 それぞれに備を作っていた。
 青野ヶ原での合戦ですぐに敵を斬りたて大いに手柄を立てたとのこと。そのうちに小早川秀秋が手を返し、
 その攻撃により大谷吉継が討死し、大谷の陣はをのまま斬り崩されたとのこと。
 上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。

・吉川広家は毛利輝元の命で家康と交渉し、領地はすべてそのままと言う条件で家康の味方になる、との
 扱いになったが、それはあくまで表向きの発表で、実際には領土半減の条件で、家康に降参したとの話である。
 安国寺は乗り物に乗って逃亡した。吉川の手の者たちが追いかけたが見失い、行方が知れない。
 捕縛されたとの情報も無い。

・宇喜多秀家は討死したとの噂です。これを否定する話も聞きません。秀家が東軍に降伏し、命乞いを
 するようなことも無いでしょう。

・上杉景勝との和睦はありえないとのこと。家康は景勝に対処するため結城秀康、伊達政宗らを残しておいたのだと
 言うことです。政宗がこの様に信頼されたのは、政宗が一途に家康に一味しているためであったからだそうです。
 白石城と言う景勝方の城を政宗が取り、ここに入城したとのこと。この城は元々政宗の城だったとのことです。

・佐竹は上杉景勝、石田三成などと一味していたので、家康との間は心隔たる関係であると聞き及んでおります。

・信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
 これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。

・長束正家は水口の城にいたようですが、そこにも東軍の軍勢が派遣され討ち果たされるだろうとのこと。
 三奉行はみな成敗されるであろうと言うことです。

・昨日聞いた噂によると、長束正家が家康の元に駆け込んできたとのこと。これに家康は
「良いことでも有り、悪いことでも有る」と言ったそうです。この事は昨日聞いたのですが、真偽は不明です。

右のことは私と親しい関係の者が、あの戦場より直に私のところに来て、それを私が直に聞いたものです。
これをよくよく心得てください。以上

九月二十日 東入

P.S. 今、津小平から書状が来て、家康は今日大津に行かれるそうです。そういう事なので主水もまた差し遣わします。
今日家康が大津に来られると言う事、ご当地にいるあなたも聞いていらっしゃるとは思いますが、一応
ここに書いて置きます。

この書状を見たら、火の中に火の中に。
553人間七七四年:2010/03/10(水) 22:40:20 ID:m201krkJ
>>552
乙、大分読みやすくなった
ってか燃やす必要あったのかなこれ?
554人間七七四年:2010/03/10(水) 22:47:45 ID:2bnwTzRy
家康の周辺にこれだけの情報を入手できる者がスパイとしている事になる
555人間七七四年:2010/03/10(水) 22:48:10 ID:3W7heOj6
>>552
ああ、入れ忘れがあった。12行目の

>上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。

の後に

・19日に佐和山城を攻撃し、落城、石田三成の子や石田正澄(木工頭)など討ち果たされたとのこと。

・石田三成、島左近は山伝いに引き退いたようで、現在行方不明です。越後へと逃亡したのではないかと言う噂です。
 生け捕りになったと言う噂もありますが、それは嘘だと言うことです。


これを入れてくださいw;
556人間七七四年:2010/03/10(水) 23:02:08 ID:zsWXBu5D
やっぱ一番情報をもっていたのは豊臣政権の中枢だったナイフなんだな
他とは力量が違いすぎる感じがする
557人間七七四年:2010/03/10(水) 23:08:06 ID:yCcBCKHJ
あれ?内府は”だいふ”って読むんじゃ…?
558人間七七四年:2010/03/10(水) 23:23:10 ID:UvpuqCrj
鳥見の新助の忠勤
関ヶ原の勝利の余韻も覚めやらぬ慶長十三年頃の話である
駿府の城下に鷹匠の下役で「お鳥見」を勤める大岩新助という五十石取りの若い小者がいた
この新助、大変な大酒飲みなのだが、酒癖が極めて悪く、いつもいつも泥酔しては
半裸で全身泥だらけになって大手門の前で大の字になっている
そんな新助を町の衆らが戸板に乗せて、ワッショイワッショイ担いで
神輿のように部屋に戻してやるのが、城下町の名物になっている有り様であった

それだけの酒癖ならかわいいものなのだが、時折新助は酒を飲むと
女の行水を覗きに行くという悪癖があり、これがどうしても直らなかった
この時代のことだから、あまり問題にはならなかったが、それでもやはり
人の屋敷をこっそり覗き込み、女のあられもない姿を見つめているのはあまり誉められる行いではない
ある日とうとう武家の屋敷を覗きこんでいる所を同心に見咎められてしまった
本来なら召し放ち、悪ければ屋敷の主人に斬られてもおかしくない所だったが
新助は、口笛一つで五十羽百羽の鳥を集められる天才的な鳥刺しだったから
家康に庇われて、街道筋から伊勢路、美濃路にかけて、
鳥見をしながら三年ほど廻ってこいと命じられた。体のいい追放だった
百姓の小倅であった自分が、二本差しの身分となり禄を得ているのも
主君である家康の寵愛があってのことであるというのに
自分はそんな家康の名前に泥を塗ってしまった
酒が入らなければ基本的に真面目で気弱な新助は恥入った
そしてどうにか汚名を挽回できぬものかと考えた
しかし元々が鳥刺しの腕一本で取り立てられ、無学文盲の新助には
ろくろくその恩に報いる手段も考えつかなかった

新助は鳥見の仕事をし、街道を行き来しながら寺に通い、読み書きを習い始めた
寺に通う間はあまり大酒も飲めなかったから、悪癖は鳴りをひそめた
数年の手習いで、あまり上手いものではないが、文の一つもしたためられるようになり
行儀などもめっきり良くなった新助は、三年の勤めを終えて駿府へ帰った
新助の成長を上司も家康も大変に喜んでくれた
読み書きを覚えた新助には仕事が増えたが、喜んでどんな仕事もしたから
ますます家康に可愛がられ、更に十石を授かった

そうして数年経った頃大坂の役が起こった
ここで働きを見せれば、大御所様の恩に報いることができる
新助も鳥刺しの道具と槍を持って出陣した
奇妙な姿であったから、皆はそれを笑ったが家康は少し笑っただけで何も言わなかった
必ず手柄をたてますると意気込む新助を、家康は笑って送り出した

意気込みは一人前だが、鳥刺しの腕は良くても新助の槍の腕はからっきし
それでも勇敢に戦って、彼は茶臼山の戦いで華々しく討ち死にした。三十四歳だった
知らせを聞いた家康は目を閉じて俯き、しばし無言であったという
新助の最期は駿府の街にも伝えられ、人々はその見事な最期を口々に言い伝えたのだった
559人間七七四年:2010/03/10(水) 23:31:31 ID:tupmrCMS
汚名はやっぱり返上しないとね^^
560人間七七四年:2010/03/10(水) 23:33:41 ID:zsWXBu5D
いやいやここは挽回すべきだろう^^;
561人間七七四年:2010/03/10(水) 23:34:40 ID:UvpuqCrj
あ、やるまいと思ってやっちまった…
恥ずかしくてしにたい…すみません…
562人間七七四年:2010/03/10(水) 23:35:00 ID:4QUdxjx4
田代癖を400年経っても忘れてもらえないのはキツイんじゃなかろうかw
563人間七七四年:2010/03/10(水) 23:36:41 ID:tupmrCMS
なんか変な揚げ足とってゴメンよ・・・
564人間七七四年:2010/03/10(水) 23:55:52 ID:5hMlbjkK
>>552
だいたいあってると思うけど気がついたところだけ


>近江守も山辺を動けないようです。
ここは
>江州(、)守山(ノ)辺ニ居陣之由 
と区切って近江国守山(現滋賀県守山市。東海道を琵琶湖東岸沿いに彦根から京都に向かう途中にある)
に陣を敷いた、という意味かと。

>手人数
は、各自の手のものの軍勢、とするとより現代語っぽいかな?

>一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。
上杉景勝との和睦はなされていません。なので警戒のため秀康、政宗などを向こうに残してこられた人のことです。
政宗はこれまで一途に家康に味方してきた、ということです。
くらいではないかと。「無之」をあり得ない、はやや言い過ぎに感じたのと「政宗が信頼された」と読める文章ではないと思うので。

>信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
 これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。

>是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
とあるので、
手間もかからないハズだろうことなので、集中して取り組むよう(家康が秀忠に)申し付けなされ、
としたほうがよいかと。

以上差し出がましいとは思いましたが私見を加えさせて頂きました。
565552 :2010/03/11(木) 00:11:04 ID:5K9XAPPc
>>564
おお、ありがとうございます。大感謝。
浅学を恥じるばかりです。
566人間七七四年:2010/03/11(木) 07:51:32 ID:RXDaSmjk
実は"汚名挽回"は日本語上何もおかしくない
"汚名を挽回"ならなおさら
567人間七七四年:2010/03/11(木) 08:06:05 ID:XR85dJq8
>>557
自分も「だいふ」だって前思ってたんだけど、「ないふ」って読むことも多いよね
どっちでしょうか…どっちもあり?
568人間七七四年:2010/03/11(木) 08:08:19 ID:6pB7TeCo
>>566
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa1052648.html
本質の意味としては間違ってないのか・・・日本語って奥深いな
569人間七七四年:2010/03/11(木) 08:13:00 ID:Z4Q+oPJY
>>567
昔はそこまで漢字や読みの正しさに厳格じゃなかったしね、どっちもありでしょう
570人間七七四年:2010/03/11(木) 08:34:03 ID:Rsdq9XLX
色々試してみたけど変換できないなうちのIMEじゃ>内府
571人間七七四年:2010/03/11(木) 08:39:35 ID:4Go6kWr8
IMEの糞っぷりは異常
572人間七七四年:2010/03/11(木) 08:43:48 ID:INUFfZ4q
>>566
なぜに?明らかにおかしいと思うんだが。
"汚名を挽回"なら、なおさらおかしいと思う。
深い理由があるなら、後学のために教えてもらいたい。
573人間七七四年:2010/03/11(木) 09:38:09 ID:IUqi3gtT
挽回って回復するとか元に戻すとかそういう意味だけど
「良い方に」って意味が強いと思う。
例えば劣勢を挽回すると言うと劣勢に戻すという意味じゃなくて
劣勢なのを良い方へって意味だから汚名を挽回も同じだな。
574人間七七四年:2010/03/11(木) 09:39:58 ID:NBu00oDq
>>572
明らかにおかしいと言いながら根拠を出さないのは単なる思い込みだと思うがw

まぁそれは置いておいて簡単に言うと挽回には「取り戻す」だけではなく
「巻き返す」、「回復する」という意味があるから問題ないんだそうだ
同じような成り立ちの四字熟語に「疲労回復」といったものもあるけどこれも疲労状態に回復するという意味ではない
”汚名を挽回”ならなお良いとしているのは”劣勢を挽回する”といった用法が存在するからでは?

まぁちょっと前に間違った日本語が云々ってのが流行ったけど実際間違ってなかったってのは結構有るみたいよ?
「全然〜ある」とか
575人間七七四年:2010/03/11(木) 09:49:52 ID:ObkkZwct
音さえ通じれば、表記に関してはかなりいい加減だったみたいね〜
宇喜多、宇喜田、浮田、どれも平気に使われてたんだっけ?
576人間七七四年:2010/03/11(木) 10:29:44 ID:/PRsasei
漢字がちょっと違ってるだけで捏造だとか騒ぐバカどもってどうにかならんの?w
577人間七七四年:2010/03/11(木) 10:30:00 ID:gjEjf7Do
宇喜多秀家はろくに漢字書けないから
578人間七七四年:2010/03/11(木) 10:31:24 ID:OYHl4/x1
大五と書けやい
579人間七七四年:2010/03/11(木) 10:51:18 ID:SvOuxvEW
なんだっけ武家と公家で官位の読み方が違ったりするんだっけ?
内府はダイフだよとか、いやナイフでもいいんだよとか特にややこしかった覚えが…。
ダイフって読んでた人もいたのは間違いないと思うけど…前読んだ昔の本で大府って書かれてたw
580人間七七四年:2010/03/11(木) 10:57:04 ID:shfHi6O1
千のナイフが胸を刺す!
581人間七七四年:2010/03/11(木) 10:58:10 ID:GNJ7x+7z
>>546
遅レスだが。
この時代の大輔や主水って、階位のことじゃないの?
「大輔」が、省庁の事務次官、つまり機関のトップ的位置。
582人間七七四年:2010/03/11(木) 11:49:21 ID:INUFfZ4q
確かに最近では一部で、汚名挽回は誤用ではないとのなどの意見は聞くが
それはまだまだ世の中の主流の意見ではなく、言葉の意味をいたずらに
曲解して、誤用を誤用でないといってる人の意見に思えるのだが。
そこを取って日本語的に間違いではない、思い込みだなどと断定するのはいかがなものか。

「挽回」という言葉には、失ったものを取り戻す、巻き返す、回復するなどの
意味があると辞書などには表記されているが、これが誤用ではないと勘違いされるやっかいな原因だと
思われる。
まず「回復」という意味で、類義語の例として出された「疲労回復」であるが、
「疲労挽回」では違和感を感じないだろうか?なぜなら回復というのは結果の事であって、下記の事も含めて考えると、
挽回とは大まかな意味は似てても少し意味が異なるからではないかと思う。
では、「劣勢を挽回する」ではなぜ正しいのかというと、劣勢とは
ある駆け引きの中で、優勢・劣勢のふり幅がある状況を指す事柄であり途中経過であり結果ではない。
疲労挽回ではなぜおかしいのか?の理由に、「挽回」とは一度不利になった状態を良い方向に
巻き返すために、何がしかの努力、争いをし優位な立場を目指そうという「過程」が窺えるからである。
で、あるから一度劣勢になった状況を優位なものに盛り返すために努力し駆け引きをすること=挽回であり、
挽回したとて優位にはならない「疲労挽回」と違い、「劣勢を挽回」はおかしくない。
また名誉挽回も元の高い位置に戻り、優位性を目指す意味では正しい用法である。
しかし「汚名」は「回復」と同じ結果であり、状況的ふり幅がある過程の話でもなく
よしんば「汚名」を回復したとて、「名誉」になる訳ではなく、さらに優位になる訳でもないので
挽回を使うには適正ではない。
「汚名」をそそぎ、良い方向に盛り返すために挽回するという意味にするなら「汚名挽回」だけでは
言葉足らずである。
なので、「名誉挽回」は正しく「汚名挽回」は誤用、やはり「汚名返上」が正しいと思われる。

スレ違いな上、長文失礼。根拠を出せと言われたので、浅学ながら自分なりの根拠を
書かせてもらいました。
583人間七七四年:2010/03/11(木) 11:53:30 ID:sy1wYVlq
なんつーか
すげえな
584人間七七四年:2010/03/11(木) 11:54:16 ID:/NlzbiAq
名誉卍解
585人間七七四年:2010/03/11(木) 11:55:06 ID:NBu00oDq
ほんとスレ違いだし俺が言った事の意味を取り違えてる時点で読む気が失せた
熟語としての成り立ちが同じとは言ったが語義が同じとは言ってないよ
違和感とか言われても知らん
該当スレでやれ
586人間七七四年:2010/03/11(木) 12:05:03 ID:7sEOG04q
次のいい話どぞ
587人間七七四年:2010/03/11(木) 14:33:03 ID:78xW7m7M
>>582
スレ違いかも試練が、興味深く読んだ。
考察の部分、例を出しての途中経過がとくに面白かった。
588人間七七四年:2010/03/11(木) 14:43:20 ID:NS5vSmkm
海野平の戦いの後、上州箕輪城の長野業政の下に身を寄せていた真田幸隆
やがて山本勘助の勧めによって武田に与する決意を固め
ひそかに箕輪城を離れる機会を窺っていた。

そのしばらく前に業政の仲介で上杉憲政に引き合わせられて以来
幸隆は健康がすぐれないと理由をつけて引きこもり、家人にも容易には顔を合わせなかった。
それを聞いた業政は幸隆のもとへ使いを出し
「今度の病気は尋常の薬では治るまい。甘楽郡の余地峠を越えて良薬を求められるよう
 今日明日中に決心されたい。」と馬を送った。
驚いた幸隆は「御志は有り難いが、病は思いのほか重く、出立できない」と返したが
「病が重いということだが、治療の為だから一日でも早い方が良い」と促されたため
幸隆も決心し、その暁に出発し、下仁田に至った。

すると後ろから荷を積んだ多くの馬がやってくる。
よくよく見るとそれを連れているのは幸隆の妻や家僕たちである。
話を聞いてみると幸隆が出立した後、業政の老臣がやってきて色々と世話をして出発させたと添え状を差し出してきた。

開いてみると
「武田信玄は年若に似合わぬ立派な武将であるが、箕輪に業政がいる限りは
 碓氷峠を越えて馬を飼おうと思ってはなるまい。
 本領に帰られたら、旧交を忘れられぬよう。」とこまごまと書いてあった。

甘楽郡の余地峠は上州と信州の国境の峠
その向こうは武田が支配する佐久郡である。

幸隆は深く恥じて、こんなことならば打ち明けねばならなかった、と
馬をとめてしばし佇んでいたという。
589人間七七四年:2010/03/11(木) 15:23:15 ID:INUFfZ4q
>>582

>>572 に自分から根拠示せと言っておいて、根拠提示したら
スレ違い、該当スレいけだの言われて、やっぱり何だかんだ揚げ足とって
叩くんだなと思いガッカリしてたが、問題の正否は別にしても
君のように興味を持って読んでくれた人がいてくれてありがたい。
590人間七七四年:2010/03/11(木) 15:28:17 ID:ObkkZwct
やっぱり業政さんは出来た人なんだなぁ〜
591人間七七四年:2010/03/11(木) 15:37:25 ID:cvE/e4bB
>>589
全然揚げ足取りじゃねーだろw
冷静になって>>574読んでみれば
>まず「回復」という意味で、類義語の例として出された「疲労回復」であるが、
ここがおかしいって気付くハズ
592人間七七四年:2010/03/11(木) 15:39:04 ID:5K9XAPPc
逸話にも戦国時代にも関係ない話はまとめてよそでやってくれ。邪魔。
593人間七七四年:2010/03/11(木) 17:11:53 ID:kcEwCgl4
>>537

NGMS「息子に家康公の命取ってこいとかいう奴にろくな奴はいないよね」
594人間七七四年:2010/03/11(木) 17:35:19 ID:nNom8eXm
家康ほど暗殺されそうにない奴はちょっといない
総て計画段階で潰されているし、仮に大坂城で十人程の刺客に襲われても
たちまち二三人を切り倒して姿をくらまし、気が付いたら伏見にいかねん
595人間七七四年:2010/03/11(木) 17:37:14 ID:RXDaSmjk
>>588
すげーぜ長野業正
知名度低いけどなんでこんな超人化してるんだろう?


ところで誰か殉死を禁止された世になっても
「約束だから」と切腹を申し入れて幕府も老齢だからと
特別に許可した話がここで出てたと思ったんだがまとめサイトにみつからないんだ
誰か知らんか?
596人間七七四年:2010/03/11(木) 17:40:41 ID:vI7jzJfW
田舎剣術ながら流派の宗家代理だったりするしな。
597人間七七四年:2010/03/11(木) 17:42:50 ID:XR85dJq8
>>595
信之家臣の鈴木さんかね?
598人間七七四年:2010/03/11(木) 17:52:08 ID:Zos5WnAu
599人間七七四年:2010/03/11(木) 17:58:36 ID:NBu00oDq
>>595
独立した逸話ではなく雑談の一部としてあるよ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-894.html

俺も即身仏に槍差して自害した足軽の話があったと思ったんだが見つからない
誰か知らんか?
600人間七七四年:2010/03/11(木) 18:18:08 ID:RXDaSmjk
>>597-599
わざわざトン
確認しました
格好良いよね鈴木さん

即身仏って酔った勢いで刺したら血が出てきてビビっちゃった奴だっけ?
記憶にあるけど即身仏で検索掛けてもヒットしないなぁ
601人間七七四年:2010/03/11(木) 18:28:00 ID:cJP5HbnX
>>599
悪い話11の776だな
602人間七七四年:2010/03/11(木) 19:30:29 ID:NBu00oDq
>>601
これこれ。ありがとう
まとめ見るとこれだけないね
何か理由があるのかな?
603まとめ”管理”人:2010/03/11(木) 20:11:27 ID:3N93qvxZ
>>601
>>602

すいません、こちらのミスでアップされていなかったようです。
今日の更新で上げて置きます。
604人間七七四年:2010/03/11(木) 20:56:15 ID:ty+fGFEj
>>594
水泳と乗馬もうまいからな
家康は戦国トライアスロン優勝できるんじゃね?
605人間七七四年:2010/03/11(木) 21:04:42 ID:OYHl4/x1
※但し、競技中の焼き味噌は御遠慮下さい。
606人間七七四年:2010/03/11(木) 21:30:49 ID:Wmo5Y20C
大イチョウは見ていた。

平成22年3月10日午前4時50分鶴岡八幡宮・・・・・
ドーーーーーン!!!!
こま犬A『ヒー何だ?何が起こったんだ?いきなり木が倒れてきたぞ!』
こま犬B『相棒大丈夫か?ん?あわわわわわ・・・・・』
こま犬A『相棒よ、ナニ口あけて固まっているんだよ。確かに俺たちこま犬だけどな。』
舞台『アンタなんかどうでもいいわよ!ご・・・ご神木が倒れているわ。』

そう、樹齢1000年、神奈川県指定天然記念物の大イチョウがついに倒壊をしてしまったのだ。

大イチョウ『皆の衆大丈夫か?騒がせてすまんのう。とうとうこの日が来るとはのう。』
舞台『ご神木様・・・大丈夫ですか?と言ってもこのお姿では・・・』
大イチョウ『舞台よ。傷はなかったかのう。綺麗なお前さんに傷を付けては参拝者に申し訳ないからのう。』
舞台『特には・・・それに傷が付いても『寄付でたて直し』と言う手段もありますわ。それよりご神木様のほうが・・』
大イチョウ『建て直しか・・・ワシの若い頃は・・・・戦国時代はここも酷いものじゃった・・・』

戦国時代:鶴岡八幡宮
宮司「頼朝公以来、武家の崇拝を受けてきた八幡様もまわりの戦乱でコレでは・・・」
禰宜「頼りもヘチマもございません。建て直しどころか、草刈りすら難しい財政です。」

そう、ご多分に漏れず『武家の守り神』鶴岡八幡宮も荒れ果てていた。
関東管領は今や鎌倉におらず。戦国の関東波及により荒れ果ててしまったのだ。
つまり、皆さん忙しかったんですな。

大イチョウ『確かにペンペン草しか生えていないほどの荒れ放題だなこりゃ。
      鎌倉に幕府があったときは、25の僧坊を持ちたくさんの武士が参拝に来たのだが、
      新田義貞がせめてきてからだんだんと衰えてきたもんなぁ。あれ?立派な武士が
      こっちへ来るぞ?衣装の紋は・・・【三つウロコ】!北条家じゃないか!高時の時に
      みんな討ち死にしたと思ったんだが?赤橋か名越の生き残りでもいたのか?帰ってきたのか?』

北条氏綱「伊勢宗瑞の子、北条氏綱である。宮司はどこか?」
宮司「はい。私にございます。」
氏綱「ずいぶん荒れておるのう。武家の守り神である八幡様を荒れ果てさせるとは嘆かわしい。
   よろしい!私が社殿を寄進し、建て直そう!ワシの代から北条を名乗ったとは言え、
   相模国を収めた我が家が直さなければ面目が立たん!」
大イチョウ『な〜んだ。北条家の名前と家紋を利用しただけか。そういえば、建て直してくれるといっていたな。』
氏綱「ちなみに当家は伊勢氏であった。平家つながりで先の北条氏とは遠縁でもある!」
大イチョウ『ス・・・スミマセン』


607人間七七四年:2010/03/11(木) 21:32:37 ID:ObkkZwct
東はr
608人間七七四年:2010/03/11(木) 21:34:50 ID:PgNoOPgW
晴れたね|東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
http://ameblo.jp/higashihara-aki/entry-10435521961.html

鎌倉の
鶴岡八幡宮に行ってきたよ〜

(´―`)
609人間七七四年:2010/03/11(木) 21:52:00 ID:5mqbIz/a
おい冗談は止せ
610人間七七四年:2010/03/11(木) 21:58:39 ID:Wmo5Y20C
こうして、氏綱の号令の下、鶴岡八幡宮再建工事が進められることになった。
もちろん、天下の北条氏である。下手なものを作れば日本全国に恥をさらすことにもなりかねない。

宮司「北条家もずいぶん材料や職人を集めたがよく金がもつなぁ。」
禰宜「たしかに、小田原は豊かなところになったと聞いてはいましたが・・・」

氏綱も時折やってきて視察をしていたようである。
氏綱「当家の面子がかかっているからな。予算が足らなくなったら小田原に報告せよ。」
担当者「はい。現状では材木の手配、職人の手配も滞ってはおりません。」
氏綱「ケチなことは考えるな。良い物を使うようにせよ。」
担当者「はい。」

大イチョウ『こんなににぎわうのは久しぶりだな。』

こうして、戦国時代の鶴岡八幡宮再建工事は天文元年(1532)より天文9年(1540)まで
8年あまりの歳月をかけて行われ、完成した。
ちなみに、秀吉がやってきたときに修理を家康に命じた時の絵図面がこれ。
http://www.hachimangu.or.jp/about/history/index.html
修理なので、そんなに違わないと思う。

こうして、再建工事は終了した。
氏綱「これで、面目も保てよう。これだけデカイものを独力で作ったのだから、
   関東の連中も我が北条家に従うだろうて。それから宮司よ。困ったことがあったら
   小田原に報告してくれ。すぐに必要なものは用立てよう。」
宮司「ありがとうございますぅぅぅぅぅ。」
氏綱「それから、この刀、奉納する。
  (http://www.hachimangu.or.jp/about/history/index.html)」
大イチョウ『あ〜、まぁ、理由なんてそんなものでしょうね。でも綺麗になった。』

平成22年鶴岡八幡宮
大イチョウ『後北条家はもういないが、あの時はうれしかったものだ。なんといっても
      全部建て替えたのだから。徳川家斉の時の建て替えよりも条件が悪かったのじゃよ。』
舞台『そんなことが・・・』
大イチョウ『ところでワシはどうなるのか?イチョウの木って何に使われるものかのう。』
舞台『まな板とかに使われると聞いたことが、でも、標本になるか裁断されてお守りに
   使われるかも知れないですわ。』
大イチョウ『まな板か、鎌倉には料理店が多いからなぁ。標本で宝物館や市役所で過ごすのも悪くはないが、
      お守りで神社の営業の足しになるのもいいじゃろう、だが、商売繁盛は無理じゃな。』
舞台『?』

大イチョウ『「倒れた」では、シャレにもならんよ。』

みなさん、大イチョウを忘れんでください。
611人間七七四年:2010/03/11(木) 22:05:03 ID:Wmo5Y20C
>>606>>610をかいたものです。
いちおう、舞台は女性としてみてください。
今までと切り口を変えてみました。
ところでどうするんでしょうね、大イチョウ。
デカイだけに・・・・・
612人間七七四年:2010/03/11(木) 22:06:33 ID:NBu00oDq
>>603
なんだただの手違いか
いや、毎日毎日お疲れ様です…

>>610
絵面はわからないけど刀のアドレスはこれかな?
http://www.hachimangu.or.jp/about/precious/c02_05.html

こういう行為って周辺大名や国人にどの程度効果があったのかなぁ?
613人間七七四年:2010/03/11(木) 22:10:34 ID:5K9XAPPc
614人間七七四年:2010/03/11(木) 22:18:52 ID:BafoJxF3
昨夏に見てきたよ大銀杏。舞台では結婚式が執り行われてたw
まあ傾斜地に立って今まで無事だったのが不思議なのかもな。
現宮司の評判が…とか、デスブログ…とか、フラグらしきものもあるけど。
615人間七七四年:2010/03/11(木) 22:28:52 ID:IcDIAOX+
>>597
その左近さんだか右近さんだかは
自分が腹を切った刀を信之の位牌に捧げようとしたら
介錯人の何某が何を勘違いしたのか介錯を強行して
抵抗する左近だか右近さんだかを
組み伏せて押し切りに首を取ったとかなんとか・・・
616人間七七四年:2010/03/11(木) 22:41:13 ID:7Ur+Ny9P
右近さんだw
しかし抵抗してんのに強引に首を取ったのかよ
結局刀は捧げられなかったのかね…
617人間七七四年:2010/03/11(木) 23:46:45 ID:pUkEAmJI
>>611
再生出来ないかと試みている。(難しいっぽい
あと、若木が出てくるのを期待して根っこを保存。
更に枝からも若木を育てるそうな。

http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201003110492.html
618人間七七四年:2010/03/12(金) 01:01:31 ID:WtHcF13t
根っこまだ残してるんだ…
樹齢何百年〜って樹は日本全国に珍しくないんだろうけど
歴史上の出来事と密接な関係のある樹はそんなに数がある訳でもないし
折れたと聞いた時はなんと勿体ないと思ったんで根っこだけでも残ってて嬉しいわ

しかしかえすがえすも惜しいなあ…
樹は自分の周囲環境の情報を完璧に保持してる、なんて話もあるから
もっと科学が進んで情報引き出せるようになったら歴史の証言者になれたかもしらんのにとか妄想してしまう
619人間七七四年:2010/03/12(金) 04:49:32 ID:KaJ7EOgh
前にテレビで太閤桜の遺伝子を元に作ったクローン太閤桜を
歳をとって枯れ出した桜の代わりに植えて後世に残すって計画がやってたけど
大銀杏もクローン大銀杏を境内のどっかに植えるとかするかもしれん
まあそれなりに様になるのに数百年もかかるだろうが
620人間七七四年:2010/03/12(金) 05:35:50 ID:I0W/0C/a
>>618
ひょっとしたら年輪の間に実朝公の血痕がついてたりせんかなー…… と妄想したことはありまふ
621人間七七四年:2010/03/12(金) 06:32:27 ID:hEWyB2pg
実朝公のクローン量産?
622人間七七四年:2010/03/12(金) 09:52:24 ID:SV4dZlrh
>>610
尼子経久なら、松明用の焚き木にして贈り物にするな。
623人間七七四年:2010/03/12(金) 10:04:01 ID:S79dd8En
この銀杏、研究すれば年輪から戦国の世の気省が解るんじゃないか?
当時は寒くて初夏に雪が降ったっていうし。
624人間七七四年:2010/03/12(金) 12:28:29 ID:nTyYy7FT
>>620
根っこの下から首が出てきたりして、なんて妄想したことはあるな

吾妻鏡には銀杏の陰に公暁が隠れてたなんて書いてなかった気がするけど
戦国時代末期にはもうこの銀杏も観光名所だったんだろうな
前田の家臣が鎌倉見物に行っちゃったなんていう話もあったし
625人間七七四年:2010/03/12(金) 17:25:07 ID:GLNx7NWK
結構知られている話かな?

石田正宗
三成の前田邸での襲撃事件後、三成は家康に保護される
そして家康の勧めにより彼の領国の佐和山に帰るのであった
その際、家康は次男の秀康を警護として同行させた
太閤の養子であり秀頼の義兄弟にもあたる秀康と三成は互いに好意を持っていたようであり、
別れの際に三成は世間の羨望である佩刀の五郎正宗を秀康に贈ったのであった

関ヶ原の合戦後、諸侯は幕府を憚り三成の名前を口にすることも恐れる風であったが、
秀康は贈られた刀を「石田正宗」と命名し生涯愛用したのであった
また、刀身に傷があるので「石田切込正宗」とも呼ばれている

因みに、この傷のせいで国宝には出来なく重要文化財止まりだとか
626人間七七四年:2010/03/12(金) 17:31:48 ID:A/8vzjn3
結城秀康は大谷吉継の敦賀正宗も所持してて羨ましい
627人間七七四年:2010/03/12(金) 18:10:44 ID:wdTkVIKp
>>625
既出じゃなかった?

傷があっても国宝にすればいいじゃない!って思っちゃうねw
勿体無い
628人間七七四年:2010/03/12(金) 21:19:54 ID:TsrSZ6ww
傷のせいで刀剣としての価値が下がっちゃったから国宝になれないのかな
629人間七七四年:2010/03/12(金) 21:44:42 ID:fYSkWgHC
国宝として生き長らえるより、実戦で使い潰される方が刀も本望だろう
630人間七七四年:2010/03/13(土) 00:12:28 ID:6gqn9/br
ttp://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1574973.article.html
名護屋陣跡 鍋島直茂の陣屋がふたつ?


このネタをうけて勝茂のいい話を書いてみよう。


『鍋島勝茂と刺客』


鍋島勝茂が白石に泊まったときのことである。

夜、みなが寝静まったころ、庭の方を観てみた。
すると、月明かりに照らされて、壁に人影が映りだしていた。

勝茂は脇差を手に取り、ひそかに起き出す。

そして、壁ぐるみで斬りつけた。


壁の向こう側にいたものは、大袈裟に肩からわき腹に掛けて両断されていた。

館に忍び込んだものの素性はわからなかった。

勝茂が手にした脇差は、加賀清光作のものである。
のちに試し切りをすると、三つ胴(死体を三つ重ねて斬り断つ)をしたという。


勝茂が刺客に襲われるとしたら、龍造寺家のものからだろうか。

631人間七七四年:2010/03/13(土) 00:13:43 ID:bk22E319
佐賀の松原川に、兵主部(ひょうすべ)という名の河童が住んでいた。
この河童は大変凶暴で、付近の子どもたちを次々と水に引きずり込み、近辺の人々は大変困っていた。

さて、その事を聞いて心を痛めたのは、佐賀藩初代、鍋島直茂である。
しかし直茂、この兵主部を捕らえるのではなく、取った方法は、呪殺。なんと仏神にこの河童を
呪い殺してくれるよう祈願した。

これに震え上がったのは兵主部である。すぐに直茂の前に現れ命乞いをし

「どうか私の彫刻を作ってください。そうすれば私は今までの罪の償いとして、この地域の子供達を水難から守ります。」

と言う。
直茂はそれを受け入れ、兵主部の像を作った。これ以後、松原川では子どもが河童に水に引き込まれることは無くなった、
とのことである。

ちなみにこの兵主部の像、今も松原神社の宝物として大切に安置されている。
そして毎年4月下旬になると、この事に由来した「ひゃあらんさん(佐賀弁で「入らない」の意)祭り」という祭礼が行われ、
水難事故の防止と稲作のための水が耐えないことを祈りつつ、松原神社の守り神「マツバライザーK」が
ヒーローショーを行うそうです。こんなの→ http://www.saga-s.co.jp/var/rev0/0082/9953/matsubaraizer090423.jpg

お近くの方はこのお祭りに出向いて歴史に思いを馳せつつ、マツバライザーKを応援してみませんか?
632人間七七四年:2010/03/13(土) 00:16:41 ID:7A7eduuR
仮面ライダーのパチもんっぽいなあw
633人間七七四年:2010/03/13(土) 00:31:55 ID:MXXCpvx6
鍋島話が一気に二つもとは
こういう化け物を伏させて災害から守る神様に、っていうのはよくある話なんかな
佐賀平野はクリークってか水路が縦横無尽だし、水難も多かっただろうからこういう話も生まれたのかね
634人間七七四年:2010/03/13(土) 00:49:09 ID:Ep9Ux48T
初代藩主は直茂、勝茂どっちなん?
635人間七七四年:2010/03/13(土) 00:56:48 ID:v3bIXaM7
佐賀藩は高房が死ぬまでは一応名目上は竜造寺家なんじゃないの?
wikiには1613年に勝茂に領地安堵の沙汰が出たと書いてあるから、どちらにしろ初代藩主は勝茂
ただし「藩祖」は鍋島直茂
徳島藩の藩祖は家政だけど、初代藩主は至鎮
みたいなもんじゃない?
636人間七七四年:2010/03/13(土) 01:14:59 ID:Ep9Ux48T
ややこしいのう・・・
つか、まとめ管理人いつの間にか小田さんになっとるしw
637人間七七四年:2010/03/13(土) 01:55:29 ID:ms21nn16
蜂須賀さんちはめんどくさくて、関ヶ原で決着つく前に出家した家政でなく、東軍に付いた至鎮が
初代藩主なんだけど、かわりに家政は「藩祖」といい、蜂須賀正勝を「家祖」というらしい
638人間七七四年:2010/03/13(土) 01:59:25 ID:wYQ/L7iM
まぁ、上杉も藩祖は謙信だったりするからなぁ
639人間七七四年:2010/03/13(土) 02:09:59 ID:zqBiJj38
そういえば佐竹氏の藩祖は新羅三郎って聞いたことがある
鬼義重ならまだ分かるんだけどな
640人間七七四年:2010/03/13(土) 02:27:10 ID:MXXCpvx6
佐賀藩は魏の曹操と曹ヒみたいな感じと思えば
641人間七七四年:2010/03/13(土) 02:34:22 ID:PVo7wvRz
実質の始祖と形式上の始祖を両方とも立てるための折衷案だったのかね
642人間七七四年:2010/03/13(土) 03:57:48 ID:e8FHkPCO
>>633
治水伝説の類型としてはよくあるパターンだね。
こないだの、黒姫の尻にしかれた黒龍もその一種にあたる。
人間がいかに神をコントロール化におくか、という。
643人間七七四年:2010/03/13(土) 04:35:44 ID:e8FHkPCO
ある民俗学者は「河童は弱い。そこらへんの農民と相撲を取って負けたりする。
たまに恩返しをするかと思えば持ってくるものが魚である。しょうもねえ。
雀の子だって大きいつづらと小さいつづらを持ってくる。どんだけ卑しい生き物だ」
なんてことを書いているのだが、中にはね、ヘタレでもヤンデレでもない河童もいる。

柳田國男に見る戦国時代
「井上元重と百人力の河童」

時は天文3(1534)年8月、梟雄毛利元就とその一党が、安芸の吉田に本拠を構えていた頃のこと。
吉田川の釜淵と呼ばれる水底に、淵猿<フチザル>と呼ばれる恐るべき大河童があり、人々に恐れられていた。
百人力の怪力をもって人馬を襲い食らう、正真正銘のモンスターであった。

これを退治してくれんと名乗りを上げたのが、毛利家の武人・井上元重、通称荒源三郎である。
源三郎は何の策略も工夫もなく、百人力の淵猿にいきなりガチンコの肉体勝負を挑んだ。
実は源三郎は源三郎で、七十人力であった。それは人類ではないと思うのだが、そういう設定なので仕方がない。
化け物同士の肉弾戦は長く長く続いた。しかし、最後に勝負を制したのは陸に住んでるほうの怪物であった。
淵猿の首を掴んで全力で振り回したところ、頭の皿に溜まっていた水が流れ落ち、淵猿は百人力を失ったのである。

こうして吉田川の淵猿は退治された。
そして、この話はここでばっさりと終わり、何の説話的オチもつかない。
百人力の淵猿は人語を解さなかった。解せるのだとしても、話さなかった。
彼は人に許しを請わず、取引を持ちかけず、起請文を書かず、手繋ぎの秘法を伝授もせず、
ただ化け物として戦い、ただ化け物として人に滅ぼされたのである。



なお、七十人力の源三郎は、天文19(1550)年の元就による井上一族粛清のとき、一族郎党といっしょくたに殺害された。
やっぱり人間が一番怖い。
644人間七七四年:2010/03/13(土) 04:54:39 ID:TlFKPjtD
なんとも救いのない話だな。。

七十人力の源三郎・・・・頭の中に山のフドウが出てきた。
645人間七七四年:2010/03/13(土) 06:44:49 ID:UNKRLSjy
この話で河童が川の象徴だとすると治水に成功した井上元重をたたえてる話ってことかな
646人間七七四年:2010/03/13(土) 08:44:55 ID:KFtrYBKR
ヤマタノオロチもそうだけど、この手の話はストレートに書けないから暗喩になるの?
普通に治水しましたではだめなのかなぁ
647人間七七四年:2010/03/13(土) 10:47:50 ID:UQFkL2cO
暴れ河の恐ろしさが伝わらないんだろうなあ。
藩の○祖については中国の王朝、元とかと同じ使い方だろうね。
648人間七七四年:2010/03/13(土) 10:56:04 ID:v3bIXaM7
如水さんとか幽斎さんとかは藩祖扱いされてるの?
649人間七七四年:2010/03/13(土) 11:14:39 ID:dKCFsgpZ
治水というよりは、治水技術系の山の民?ってつい考えてしまう

今で言う技術=超能力だった時代はわりと長いかも
ガテン技術で農業用の溜め池を作りまくったり、天文知識で暦を立てたり
するのが、普通の人からは「あいつら普通の人間じゃねー(良い意味で)」
に見えたとか

で、理屈を知って「なーんだ俺にも出来るんじゃん」が一般的になると
尊敬度が地の底まで落ちて「あいつら(略)(悪い意味で)」と・・・
650バロン曽志崎:2010/03/13(土) 11:41:45 ID:nDXLIuwe
>>552
島兵入=島津兵庫頭入道=義弘だよ。

津小平は多分、津田小平次=秀政。
651人間七七四年:2010/03/13(土) 12:07:25 ID:2jGU1g46
暦作るだけで魔法使いのような扱いを受ける陰陽師
652人間七七四年:2010/03/13(土) 12:44:58 ID:UQFkL2cO
うちの地方では、江戸時代に灌漑用水路をひいた大畑才蔵ってひとが尊敬されている。
戦国とはほとんど関係ないけど…
ttp://www.hashimoto-kanko.com/info/ijin/saizo.html

河童の説話は全くないね。人魚のミイラと言うあやしげなブツが伝わっているだけ。
653人間七七四年:2010/03/13(土) 12:56:46 ID:VZt8HzJn
麿作りたいな
654人間七七四年:2010/03/13(土) 17:48:23 ID:T+EzUc+0
暦をつくるってのは、季節や時間、農事、祭事を支配することにつながるからね
長く朝廷の特権だったのはそういうことで

>>643
これは治水とかよりも、本当に化物退治って筋だよな
655人間七七四年:2010/03/13(土) 18:35:20 ID:PVo7wvRz
スサノオとかみたいに知恵を使った描写がなく源三郎が七十人力だとか言って
真っ向勝負で勝ってるあたり治水伝説とかじゃなくて
源三郎が化け物に勝てるぐらい強いってただの逸話な気もするね
虎退治みたいなもんでしょ
656人間七七四年:2010/03/13(土) 18:51:52 ID:9ZG04fLB
岩手県の奥州市辺りは伊達家臣の切支丹技術者であった後藤寿庵が治水したはずだけど、その手の話しはあまり目立たないなあ。
遠野に全部取られたのかな?w
657人間七七四年:2010/03/13(土) 19:14:19 ID:dKCFsgpZ
>>656
「ばてれんのワザ」を迂闊に語るわけに行かなかったんじゃないかな・・

あと鉄砲みたいに、理屈は良く解んないけど何かそういう人為的な
仕組みなんだろう的な把握の仕方だったかも?
658人間七七四年:2010/03/13(土) 20:54:02 ID:FLJ/Fef4
>>643
ウォーズマン理論だな。回転力×2で七十人力が百四十人力に!
659人間七七四年:2010/03/14(日) 01:37:05 ID:H+rGrAMc
>>649
そういえば、剣術使いはかつて飯綱(妖怪)使いなんて呼ばれていたよな。
 
660人間七七四年:2010/03/14(日) 01:46:50 ID:gIaXg5e+
>>659
戦国時代でも「飯綱使い」はマジシャンや曲芸師と言った意味合いが強いと思う。
661人間七七四年:2010/03/14(日) 11:06:36 ID:n6ZIxrH6
御恩と奉公、曲げない信念

ついに武田勝頼も討たれ400年有余年の歴史を誇る武田家は滅びた。
甲斐国の国中地方では織田家による武田残党狩りが熾烈を極めるが
その渦中を堅忍不抜で生き抜いた、武田遺臣小泉某と言う者がいた
耐え難きを耐え忍び難きを忍んだ甲斐あってか
本能寺の変が起きたので甲斐国の国人一揆に参加し
河尻秀隆を逆さ埋葬にして暫しの溜飲を下げたものの
続いて徳川と北条の天正壬午の乱が起こり、と世相は目まぐるしく変化し
願う武田家の再興の時は訪れずなかった。
感状や家の由緒書きを持って嬉しそうに徳川家に駆け込む者達を尻目に
「少領ながらも武田の禄を食み短期ながらも仕えたからには二君に仕えぬ!
帰農していつか武田家が再興する時を待つのだ、いつまでも!
でも徳川に拾ってもらえなかった連中と一緒に帰農したと近隣に噂されると
恥ずかしいし…」と言って壁の槍掛けに自分の槍を掛けたのだ。
そして「子々孫々に至るまで、この槍を槍掛けから外す時は
武田家のために起つ時だけぞ!いいな、外すんじゃないぞ、絶対にだぞ!」
と言ったそうな。
子孫もこの教えを守りどうにかこうにか時は吹き過ぎて400有余年
今もこの家の壁の槍掛けには槍が掛けられている…が!
余りにも忠実に教えを守りすぎたためか
掛けられて外される事のなかった槍の柄は撓んでしまっているのだw

信念は曲がっていなかったが槍の柄は曲がってしまったと言うお話
662人間七七四年:2010/03/14(日) 11:20:07 ID:xmcBUQta
先祖も立派だが守ってきた子孫がすごいねw 
大イチョウだって年月とともに倒れるんだし仕方ない
663人間七七四年:2010/03/14(日) 11:28:35 ID:wPAa2V+/
しれっとときメモを混ぜるなw
664人間七七四年:2010/03/14(日) 13:29:52 ID:T5fWAAOp
ザビエルが洗礼を施した日本人の中に、ロレンソと呼ばれる者が居た。
彼は片目が完全に見えず、もう片方もほとんど見えなかった。
ほぼ盲目と言って良い彼は、琵琶法師として平家物語等を語り、日本の古事に通じていた。

彼は改宗後、ひたすらキリスト教を布教する事が自分に与えられた指名と考え、ポルトガル語を学び、
宣教師達の通訳として、自らも日本人への宣教師として、ザビエルの後を継いだトーレスの右腕と言う
べき存在となっていた。

イエズス会の布教記録である「日本史」を書いたフロイスはこう記述する。
「彼は大層高い学識のある僧侶と討論したが、デウスの御好意によって一度も負けたことはなかった」
「彼は自分に答えられない問いがあった場合、機転を利かせてこう言った『貴方達が尋ねられた事に私
が答えるのはたやすい事です。ですが、貴方達にそれを言って理解出来るかどうか……今日の所は私が
答えただけの知識で我慢なされよ。また後日、神の導きがあれば、その問いに答える機会もあるでしょ
う』と。そしてその夜、司祭トーレスに、『その問い』について尋ね、後日に備えたのである」
このような人であったから街に出て、彼の面相について嘲笑う人も多かったが、彼の説教を聴けば誰も
が彼の言葉に心を動かされたのである。


……いや、皆突っ込みたいところはわかる。(^^;
だが、フロイスはこれを「良い話」として記述して、ロレンソを「知識と知恵と人格とを兼ね備えた素
晴らしい人物」として記述しているんだ。

なんつーか、これを良い話としてしまう辺りがフロイスのフロイスたる所以なのかなぁ、と思う。
まぁ、明らかに悪い話なんだが、フロイスさんが「良い話じゃないかっ!!」と言い張っているので良
い話スレに。

「僧侶の嘘を方便と言う」はキリスト教でも通用するらしいロレンソさんのお話でした。
665人間七七四年:2010/03/14(日) 17:01:13 ID:Jb6WgSb+
昔、大河で稲川淳二が演じていたのを思い出す。
666人間七七四年:2010/03/14(日) 18:44:36 ID:DIlfpnym
ホジャ物語に似たような話があったな
667人間七七四年:2010/03/14(日) 20:15:56 ID:zU55HvWs
宗教を信仰してる人間にとっては価値観の根幹を成してるんだからそんなもんでそ
キリストの釘が盗まれた時あれが無くなる位ならフランスの栄えてる都市が滅んだ方がマシって言った
「敬虔で高潔なフランス国王」も居るし理屈や道理も神や仏の為のもの
668人間七七四年:2010/03/14(日) 20:37:13 ID:4rhY/BKI
ある時家康のもとに福島正則の家老たちがやってきた。
彼らが帰って行ったあと家康はその場にいた年若い小姓が笑っていることに気が付いた。
家康が何がおかしいのかと聞くと小姓は
「福島家の方々は皆片目であったり指がなかったりと
 体が欠けているのがおかしくて笑いました。」と答えた。
これを聞いた家康は「福島家の家老たちは皆歴戦の勇士だから体が欠けているのだ。
 むやみに笑うものではない。」と小姓を叱りつけた。
669人間七七四年:2010/03/14(日) 20:47:41 ID:uZ9ZbE5Q
670人間七七四年:2010/03/14(日) 20:49:47 ID:aAuUJVVA
だよね(●ω・`)
671人間七七四年:2010/03/14(日) 21:00:38 ID:QvQpE8xh
いつ見ても家老の見た目がファルコとシュウで想像される
672人間七七四年:2010/03/14(日) 21:20:02 ID:DIlfpnym
だが、それがいい
673人間七七四年:2010/03/14(日) 21:26:56 ID:OFmf2Crh
>>615
笑っちゃった…

674人間七七四年:2010/03/14(日) 21:39:15 ID:uqLx0H0A
>>664
どちりいなだったかな、こんな項目あってさ、

(・∀・)ノ 「先生ー、神が天地創造したとか、キリストが死んで復活したとか、
      見たことも無いことをどうやって信じたらいいんですかー?」
(´・ω・`) 「そりゃあね、神様が言ったことだから、見たことなくても
       信じなくていいってことじゃないんだよ。
       神様のお告げなんだから、目で見るより確かなことなんだよ」
(・∀・) ノ「じゃあ先生、その神様のお告げって誰が聞いたのー?」
(´・ω・`) 「聖なる教会がそう言ったんだよ。教会ってのは精霊が治めてる聖なる場所だから、
       それについてちょっとでも疑ったり迷ったりするのは厳禁なんだよ」

当時の宣教師のゴリ押…苦労した様子が垣間見えるよね!
675人間七七四年:2010/03/14(日) 21:49:46 ID:3LuqiqZk
宣教師はエリートだから、神学についてもエキスパートだったと思うよ
でもそれをまともに聞く民衆はいやしない
「南無阿弥陀仏で救われる」のほうが救済になる場合もあるさ
676人間七七四年:2010/03/14(日) 22:16:37 ID:gIaXg5e+
>>675
ところがどっこいフロイスの書簡によると

『当地(京)の人々は己の宗旨に甚だ詳しく、学問も深いので、田舎の人であろうとも
キリシタンになるために来たと自ら言うものは未だかつて無く、彼らが通常目的としているのは
ただひたすら聴聞することである。

彼らの宗旨(仏教諸派)の欺瞞と福音(キリスト教)の真理を説くと、彼らは疑問を呈し、
もしその疑問に対する答えが満足の行くものであれば、そこではじめて洗礼を受けるのである。』
677人間七七四年:2010/03/14(日) 22:26:34 ID:e21yuBX3
化け物と異教徒は殴って良いんだよ
678人間七七四年:2010/03/14(日) 22:42:57 ID:lRBMqJUJ
殿が馬鹿なこと言い出したぞー道雪さん呼んでこーい
679人間七七四年:2010/03/14(日) 22:52:12 ID:uqLx0H0A
右近「呼んだ?」
680人間七七四年:2010/03/14(日) 23:19:23 ID:k0wrJb3F
日本人はなにげに神学論争に理詰めで反論してくるのが好きだし上手いんで
扱いが難しいってヴァリニャーノが言ってたな
681人間七七四年:2010/03/14(日) 23:20:48 ID:k0wrJb3F
ゴアとかにも滞在してるヴァリニャーノがそう言うのだから
少なくとも16世紀当時、アジア全域の中でも、
日本人はやたら神学に食って掛かるのが好きな連中だったってことだ
682人間七七四年:2010/03/14(日) 23:25:28 ID:jxPrRoQS
日蓮宗の連中が頑張ったからかなぁ・・w
683人間七七四年:2010/03/14(日) 23:44:34 ID:b0y9jcNS
キリスト教しらないで死んだ爺さんは地獄いってるのか?って話ならここでみたな
日本人って農民レベルでも頭いいのかしら
684人間七七四年:2010/03/14(日) 23:51:34 ID:6mzsZB9K
疑り深いだけじゃね?
685人間七七四年:2010/03/14(日) 23:57:55 ID:zDqCbpdJ
仏教思想が庶民にまで広まってたってことなのかね。
686人間七七四年:2010/03/15(月) 00:01:22 ID:kyM/zk1h
キリスト教じゃないと地獄行き→じゃあキリスト教を知らずに逝ったあの人はどうなるの?
って疑問は世界中でぶつけられたと思う。
煉獄やら辺獄やらの概念があるくらいだし。
687人間七七四年:2010/03/15(月) 00:06:02 ID:YPg26G7q
そんなにすごい神様のことがなんであんた達がわざわざくるまで日本に伝わってこなかったの?
神様の力で来てればいいのにー、(・∀・)って突っ込まれて宣教師涙目てエピが「ローマ人の物語」に載ってたな。
ご先祖様たち無垢でひどいww
688人間七七四年:2010/03/15(月) 00:10:39 ID:iXO98Ftw
多分この世とあの世の狭間に何個ものゲートがあるんだよ。
で、そこで担当者が「はい、君達は何教?ああ、キリスト?じゃあこっちの門で、仏教のあんたはこっちな。
おいおい、あんたはゾロアスター教で善の側に付いてんだろ?ならこっちだ」
って感じで。
689人間七七四年:2010/03/15(月) 00:12:12 ID:nnpuJE9g
ある日、外国から変わった顔つきをした連中たちがやってきて
「実はお前らが今まで信じてた神や仏は偽物なのだ!」とか触れまわってるんだから
下手したら狂人や妖怪の類みたいに見られてたかもしれんぞ
それを乗り越えた宗教が巨大な勢力になれるんだろうけど
690人間七七四年:2010/03/15(月) 00:12:35 ID:2C8Pe3zK
>>687
あれだ
あんまり雰囲気に流されるタイプじゃなかったんだよご先祖様
デフォがリアリスト
691人間七七四年:2010/03/15(月) 00:16:12 ID:Hxge/Zau
乱世で、いつ死ぬかどうやって食って行くかで
必死だったろうし、夢見がちじゃやって行けないよな
692人間七七四年:2010/03/15(月) 00:18:16 ID:o2QoDA9Q
九州の農民って本土に比べて結構悲惨なんだっけ?
東北よりマシかな

意外と中国地方はそこそこ豊かな印象が
693人間七七四年:2010/03/15(月) 00:18:18 ID:v8suGHnw
戦国期キリスト教が広まる上で尤も有効だったのは、「十字架を付けると銃弾が当たらなくなる」
という、弾除けのご利益だったらしい。
694人間七七四年:2010/03/15(月) 00:21:12 ID:2C8Pe3zK
仏に遇うては仏を殺し、な禅宗と
神への疑いは何があっても許さん、な一神教じゃ水と油だよね
695人間七七四年:2010/03/15(月) 00:26:30 ID:o2QoDA9Q
禅宗はどっちかっつーと宗教より古代ギリシアとかの哲学だろw

知識人の嗜みって感じ
あの時代藤原惺窩みたいなまっとー?な学問が広まってなかったから
それの代わりやってた
696人間七七四年:2010/03/15(月) 00:35:01 ID:gnftt/y3
宗教と哲学を分離した西洋と違いアジアでは実践出来ない思想は価値がないとされる
おかげでどんな無茶な思想でも実践する羽目に
ジャイナ教なんて殺生を忌むあまり肉どころか野菜も取らず
乳製品が主で水も沸騰させず(水中の生物を殺さないため)に飲む
頭の中で殺意を持つのも禁止、果ては最終的に餓死する事を至上として実際実践してる
実践が求められる時点で禅も宗教
697人間七七四年:2010/03/15(月) 00:37:13 ID:5jtjXlaI
スレ違い
698人間七七四年:2010/03/15(月) 01:08:56 ID:mC5R+0cP
以前ちらっと出てた水軍の方の加藤さんとよくできた嫁さんと松山城の話

関ヶ原の功績を認められて、20万石に加増された加藤さんは勝山山頂に張り切ってお城を建てることにします
その際、その地を「松山」と改め、愛媛の城下町として発展していくことになります

この松山城、20万石の城としては立派しすぎるほどのもので完成までに25年もの歳月を要しております
そして、この城を作る時に活躍したのが「おたたさん」と呼ばれる女性の人たちです
頭の上に御用櫃(ごろびつ)と呼ばれる桶を乗せて魚を売り歩く女性たちです
この女性たちの評判を聞きつけた加藤さんは築城に用いる石礫を運ぶ仕事を頼んだのです
ここでの功績が認められ、おたたさんたちは浄化のみならず城門での商売の許可をもらえました

そんな感じで老若男女総出といった感じで行われた築城作業
藩主の奥方とて黙って完成を待っているわけにはいきません
加藤嘉明の正室は家臣の堀部市右衛門の娘でお万の方というのですが、
何でも彼女は朝から場内で炊き出しを行い、おにぎりを握っておたたさんを始めとする
現場の皆さんに笑顔で給仕をしたそうです

しかし、そんな松山城完成間近になって、加藤さんの宿敵(?)藤堂さんのお節介によって、
会津に加増転封されることになり、後年あの騒動が起きて加藤家は改易され、
近江水口藩とひっそりと続いていくことになります

それにしても、なんでこんな地味ながら堅実な父親と働き者でよくできた母親から
あんな四天王に引けを取らない大物DQNが生まれたのか不思議で仕方がありません
幼少時に父親を亡くして親族間や家臣団の争いに巻き込まれたとか、
辛辣なことに定評のある家臣団にガミガミ言われて育ったとか言うわけでもなさそうなのに
699人間七七四年:2010/03/15(月) 02:11:04 ID:OF+ssng7
>>692
豊後は宗麟の治政自体は意外と良かったらしいんだがな。
(寺社に対しては極端だがw)
700人間七七四年:2010/03/15(月) 05:04:15 ID:6CX284hz
>>698
勉強になりますなぁ
701人間七七四年:2010/03/15(月) 10:02:26 ID:2C8Pe3zK
人として至極真っ当な両親でも
親として育児をしくじるのは古今東西よくある話すぎて泣ける
お傅り役or乳母が隠れDQNだったとかかもしれんが
702人間七七四年:2010/03/15(月) 10:55:11 ID:oZuIt8Eu
そろそろ戦国お嫁さんナンバーワン決定戦が
開けるくらいお嫁さんの逸話が集まってるな。
703人間七七四年:2010/03/15(月) 13:17:14 ID:JSnSmE3i
>>702
小松殿がアップを始めました。
704人間七七四年:2010/03/15(月) 13:18:17 ID:CHR495B2
義姫だろjk
705人間七七四年:2010/03/15(月) 14:33:14 ID:KV+WWKmE
>>703-704
三斎「新しい植木屋というのはそちらか? 大儀じゃのう
    ところで刀でも見て行かぬか? 三十六歌仙と言うのだが」
706人間七七四年:2010/03/15(月) 14:41:38 ID:ix0++uNl
>>702
ワシのために各大名の嫁を集合させようとは天晴れである。
天竺入りの先鋒を命じよう
707人間七七四年:2010/03/15(月) 15:05:41 ID:nkeqbpPa
>>706
殿下、私は先鋒からお外しになるのですか……。
ところでせっかく伺候したのですし、北政所様にお会いしたいのですが。
708人間七七四年:2010/03/15(月) 15:33:33 ID:bPaO9iVd
>>698
>おたたさんたちは浄化のみならず

すまん、「リフレーッシュ!」と言って綺麗になるおたたさんを思い描いてしまった。
本当にすまん。
709人間七七四年:2010/03/15(月) 18:01:49 ID:lzSqMiVn
ちょっといい話スレなのにピリピリした空気が・・・
710人間七七四年:2010/03/15(月) 18:13:31 ID:Rf+kp5lm
植民地支配を前提にしたキリスト教なんて神を語った詐欺師です(当時)

支配からの解放のために戦った一揆百姓の方が高潔です



711人間七七四年:2010/03/15(月) 18:44:45 ID:4grddgfv
支配からの解放つったってなぁ
指導者層は国人だったりする訳で
百姓の方だって正直武装農民だから、原始的な武士集団と変わらんよ
712人間七七四年:2010/03/15(月) 19:02:20 ID:Bodh1Y6z
前田慶次と安田能元がらみの逸話

■慶次白ける
 ある日、安田の使者がやって来ることを聞いた慶次は、小姓に
「使者には菓子に焼き米を出すように」と言いつけた。
小姓は言われたとおりに焼き米を食べさせた。使者は黙々と口に
運んでいた。
慶次は障子の向こうに隠れ、突然障子を開けて「安田の使者か!」
と叫ぶ考えだった。驚いた使者がのどに詰まらせ、むせ返るのを
おもしろがろうという魂胆だった。
ガサッ
障子をあけ、「安田の使者か!!」と叫んだ慶次。
これに対して使者は全く動じず、悠然と焼き米をのみこんだ後、
顔を整え両手をついて「左様でございます」とあいさつし、主に
託された口上を述べた。
慶次はいたずらが失敗し、白けた顔で口上を聞いた。
                     『米沢地名選』
713人間七七四年:2010/03/15(月) 19:03:48 ID:+CqeFQfL
お茶目だなぁw
なんかかわいいぞ
714人間七七四年:2010/03/15(月) 19:06:56 ID:FknWJ1Js
使者(明かり障子の向こうに巨大な人影が丸見えだけど、知らんぷりしとくべきなのかな…)
715人間七七四年:2010/03/15(月) 19:13:48 ID:Bodh1Y6z
■奇矯な歓待
慶次が米沢の外れの堂森にすんだ時の話だ。
安田ら数人の友人が慶次に呼ばれて堂森へ来ると、遠くから
石つぶてが飛んできた。何事かと見ると慶次である。
「諸君をもてなそうと、鳥を捕まえようとしている。捕まえたら
戻るので、諸君は私の草庵に先にあがって休息するといい」
一同は「また慶次のいたずらか」と笑って草庵へ向かった。
ところが、草庵には全くもてなしの準備がされていない。
しばらく待っても慶次は戻らない。一同は
「また慶次にだまされた。こんなとこにいても時間の無駄だ」
と憤慨して、草庵を出た。城下へ戻る途中、慶次に出くわした。
慶次は平然として「待ちくたびれたのか。それは気の毒だ」と
へらへらしてる。「鳥も全然こないし、君たちの不興も買って
しまった。どうしようか・・とりあえず戻ろう」と、一同に草
庵へ戻るよう促した。
一同は、ここまで来て何もしないよりはましか―と慶次にした
がった。慶次は遠回りの道で草庵へ向かった。すると、行く先で
酒宴をしている輩がいる。見ると、女たちが物見遊山をしていた。
慶次はこれを怒鳴りつけた「誰の許可でここで酒宴をしてるんだ!」
その怒鳴り声に、女たちはあわてて逃げだした。
慶次はまた平然として「これは草庵で出そうと思っていたのより
上ものだ。ここで飲み食いしよう」と言い放った。
安田たちも腹をすかせていたので、すぐさま酒肴に飛びついた。
実はこれはすべて慶次の用意したもの。普通のもてなしではつまらない
からと、趣向を凝らしたのだった。      『鶴城叢談』

じらしプレイですな
716人間七七四年:2010/03/15(月) 19:39:07 ID:SUsQ+hoU
なんか慶次ってマサルさんみたいだな 戦国セクシーコマンドー部
717人間七七四年:2010/03/15(月) 19:43:51 ID:Oh8TdMn0
キレて絶交せず、ちゃんと付き合ってくれる友人たちすごい…
718人間七七四年:2010/03/15(月) 20:10:17 ID:4grddgfv
安田能元なんて、単独の逸話はいっつもキレてるのばっかりなのに
慶二が絡むと全然怒らんよなw
719人間七七四年:2010/03/15(月) 20:24:59 ID:def8ozpT
慶次の言う通りにして騙されても
「これで終わりな訳がない、今度は何をしてくるつもりやら」
ってな感じなんだろうなw
720人間七七四年:2010/03/15(月) 20:50:16 ID:jlUTefiN
三河武士とは違った面倒くささがあるな
721人間七七四年:2010/03/15(月) 20:51:42 ID:FF9cQMqm
安田は新発田攻めで足が不自由になって「びっこ能元」と呼ばれた
猛将だが、信長の野望ではなぜか戦闘より政治向き。
722人間七七四年:2010/03/15(月) 20:56:27 ID:iXO98Ftw
>>719
60とかそれくらいの爺さんがしょーもない事を喜々としてやってんだからなw
723人間七七四年:2010/03/15(月) 21:00:11 ID:4olI0wnn
だがそれがいい
724人間七七四年:2010/03/15(月) 21:03:22 ID:I3QMmmTP
戦国のガキの使いみたいだな まっちゃん慶次 浜ちゃん安田
725人間七七四年:2010/03/15(月) 21:24:01 ID:LBQi5iz9
笑ってはいけない上杉家
726人間七七四年:2010/03/15(月) 21:28:05 ID:izTzGpGw
秀吉の前ですらおちゃらけるのに
景勝の一睨みにはメチャクチャ弱い慶次
どんだけ威厳があるのかとw
727人間七七四年:2010/03/15(月) 21:57:45 ID:pssC65By
生涯通して一度しか笑わなかった男の威厳って凄まじそうだな>景勝
今の時代にそんな凄い人はいないよねえ
728人間七七四年:2010/03/15(月) 22:09:47 ID:rHTtFp6S
屁をしてはいけない大名家があったよな
たしか屁をして殺されるって奴
729人間七七四年:2010/03/15(月) 22:14:46 ID:iXO98Ftw
千葉さんの事かー!
……って、あれは屁を咎めたら殺されたんだったか。
730人間七七四年:2010/03/15(月) 22:20:29 ID:rHTtFp6S
>>729
思い出しました
逆でしたな
731人間七七四年:2010/03/15(月) 22:25:03 ID:FF9cQMqm
そんな恐い景勝の大坂の陣エピ

@合戦中、近習たちが竹束に隠れて戦闘の様子を眺めていた。
 そこに景勝がやってくると、近習たちは竹束の向こうに隠れて
 景勝から身を隠し、敵にその身をさらした。部下たちは敵の銃弾より
 景勝を恐れていた。
A鴫野の戦いは大坂冬の陣一の激戦となり、家康は陣替えのため景勝へ
 使者を送った。「負傷兵も多くでていることであろう。堀尾忠晴の軍
 と交替してはどうか」。家康の命令で、堀尾は兵を率いてかけつけた。
 ところが、景勝は持ち場を代わる様子を見せない。
 「え・・ええと・・」。先輩大名に困った堀尾の注進を受け、家康は
 再度景勝に使者を送った。これに景勝は激怒。
 「大将は戦場にあっては君命を受けないこともある。朝から激戦を繰
 り広げて取り仕切ってきた場所を、そう簡単によその者に譲って退く
 ことなどできない」と家康の命令を拒否した。
B家康と秀忠が景勝の武功を称えた。
 「鴫野の戦いではそのほうの家中に苦労をかけたな」
 これに景勝は無表情で
 「子供同士の戦いのようなもので、別段骨が折れることもありません」
732人間七七四年:2010/03/15(月) 22:53:48 ID:izTzGpGw
冬の陣では、まず豊臣方の守備兵を蹴散らして、援軍にやってきた倍の敵兵をガチンコで破った上に
崩れかかる佐竹勢を助けたりしてるからな
まさに上杉無双状態と言っても過言ではないんだが
何故かあまりクローズアップされないんだよな
733人間七七四年:2010/03/15(月) 23:07:09 ID:mC5R+0cP
だって、大坂の陣て徳川方の歴戦の猛将たちは、江戸城で昔話してたり、
秀忠の周りで「ご存じないのですか!?彼こそ毛利壱岐守が一子、勝永ちゃんです!」とかやってて、
高虎とか景勝とか政宗くらいしかまともに戦ってないんじゃないの?(政宗はまともでもない気がするが)
四天王もみんな代変わりしてるしさ
734人間七七四年:2010/03/15(月) 23:08:32 ID:489IWxo5
(神保隊を)踏み潰せッ
735人間七七四年:2010/03/15(月) 23:11:28 ID:kyM/zk1h
御館の乱で重鎮が没落→上田衆を中心に若手が台頭
主要武将の平均年齢が他家より低かったので
大阪では結果的にベテラン揃いに、だっけ?
736人間七七四年:2010/03/15(月) 23:11:29 ID:PRQg3e4J
戦国時代の武将って、今の主婦みたいだよねw
なんつーか、女々しいww
737人間七七四年:2010/03/15(月) 23:13:36 ID:bzFtr2Hn
大坂の陣時の井伊の赤備えは家康に兎や角言われているが、若江の戦いで
積極果敢な突撃をして木村重成を大破して藤堂高虎を救っている
738人間七七四年:2010/03/15(月) 23:21:43 ID:CSoXGzu/
井伊の場合は、姉川の戦いで磯野に率いられて織田の陣を突破しまくり、
関ヶ原の戦いでは石田を支えて孤軍奮闘した精鋭集団「佐和山衆」を、
彦根移封後に吸収してパワーアップしているからね。
739人間七七四年:2010/03/15(月) 23:22:55 ID:mC5R+0cP
直孝は父親の武功が半端ないから仕方ない
740人間七七四年:2010/03/15(月) 23:29:33 ID:kX3w2/ir
>>733
立花宗茂が一生懸命護衛してたじゃないですか・・・
敵勢が強いから下がりましょうって提案したり
ちょっくら交戦してきますって蹴散らしてきたり
やっとこさ秀忠も陣を下げようとしたら、
もう勢いがないから下げなくていいです。下げたら士気が下がりますんでと納得させたり
自分で家康に報告に行ったり・・・


おかげで柳川に帰れましたよ
741人間七七四年:2010/03/15(月) 23:32:57 ID:CSoXGzu/
>>740
もしかして、うるさい爺だから加増名目で九州へ追放とか
742人間七七四年:2010/03/15(月) 23:37:26 ID:sR2b56Ed
一方、真田家の信之さんは敵方で弟が大活躍して
嫁が息子達に「一人位戦って死ねば良かったのに」
と言われて胃痛で寿命が縮んでいた
743人間七七四年:2010/03/15(月) 23:39:40 ID:mC5R+0cP
義兄も死んでるからね>信之さん
744人間七七四年:2010/03/15(月) 23:42:04 ID:CSoXGzu/
>>742
あれほどの鬼嫁の存在が気にならないほど
鈍感な人なので、ストレスなど全く感じない。
745人間七七四年:2010/03/15(月) 23:42:15 ID:mC5R+0cP
義弟だったっけ
746人間七七四年:2010/03/15(月) 23:42:38 ID:kX3w2/ir
>>741
まぁ秀忠のお気に入りだからそれは無いと思うよw
書院番頭っていう親衛隊のような役につけたぐらいだし
747人間七七四年:2010/03/15(月) 23:44:59 ID:E6FUEGXm
>>742
小松にそんなこと言ったら殺されるぞ
748人間七七四年:2010/03/15(月) 23:44:59 ID:jiQoIR0p
>>744
いや、信之さんは弟や嫁がもっとおだやかな人柄だったら、もっと長生きできたと思うよ。
749人間七七四年:2010/03/16(火) 00:01:58 ID:8FNlfApR
これ以上どう長生きしろってくらい長生きしてますってつっこみはなしですかそうですか
750人間七七四年:2010/03/16(火) 00:03:38 ID:GhEB46jF
小松さんが亡くなった時すごく悲しんだって言うから、
小松さんが長生きしてたら、
喜んでもっと長生きしていた可能性もある>信之さん
751人間七七四年:2010/03/16(火) 00:09:54 ID:gYG9jn/J
      ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _|
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \   つまり信之さんにとっては、
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >   苦労こそが長寿の秘訣だったんだよ!
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__  
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /    
       l   `___,.、     u ./│    /_ 
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i   
.     |     |:.l. /';';';';';|=  ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
      l.    |:.:.l./';';';';';';'!    /:.:.| i´|.ー‐' | / |    |. !   l
.     l.   |:.:.:.!';';';';';';';'|  /:.:.:.:!.|"'|.   l'  │-==:|. ! ==l   ,. -‐;
     l   |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l   |    l. |   | /   //
       l  |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l    l、 :|    | } _|,.{::  7 ))
        l  |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ'  ::::::|;   7
.      l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ  ::::::!′ :::|   .:/
.       l |:.:.:.:.:.:.:∨:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.!   /ヽ::: `:::    ::::  ....::..../ 
752人間七七四年:2010/03/16(火) 00:13:01 ID:xDvw7A9d
何か妙に納得したぞwww
753人間七七四年:2010/03/16(火) 00:15:20 ID:rCOR6x9Z
適度なストレスが人生にとって必要なもんだという
754人間七七四年:2010/03/16(火) 00:24:33 ID:uDF4xRvB
過度なストレスと読み違えた…
間違ってないな
755人間七七四年:2010/03/16(火) 00:29:35 ID:UjXxkkiT
単純にM気質つうかMそのものだったんだろ
756人間七七四年:2010/03/16(火) 00:57:12 ID:xXr3AgjW
>>733
前田と越前も頑張ってるよ
大坂方大活躍!の当て馬みたいなポジションで
757人間七七四年:2010/03/16(火) 01:15:37 ID:G38m5F/k
実はあれでもストレスで寿命知事待ってるんじゃないか?
何もなければ天海以上に生きたりして
758人間七七四年:2010/03/16(火) 01:31:30 ID:QLnWad0T
ストレスさえなければ長野にリニア通せとごねてる知事にお説教してくれたのか・・・
現代日本にとって、多大なる損失だな・・・
759人間七七四年:2010/03/16(火) 04:27:06 ID:vctktYDb
話を面白くないほうに飛躍させんなよ
760人間七七四年:2010/03/16(火) 11:13:40 ID:zVr+S53q
>755
(´-`;).。oO(毎夜寝所で小松に言葉攻めされるお兄ちゃん...。)
761人間七七四年:2010/03/16(火) 15:31:20 ID:U3GxlX54
寝所だけでは立場が逆転するとな?
762人間七七四年:2010/03/16(火) 18:03:28 ID:X2+n7jwB
信之「小松は昼は上の髷を、夜は下の髷を握って候」・・・ナンチテ。
763人間七七四年:2010/03/16(火) 19:39:07 ID:jCGQnU8m
小松「なんなのその茶筅髷w」
764人間七七四年:2010/03/16(火) 20:00:01 ID:GunvGoRF
出羽国由利郡に羽川小太郎義稙という豪族がいた。
彼の所領は小さく、土地も貧しく、それでいて抱える郎党は多かった。
当然ながら、領民も侍も生活が苦しい。
そこで羽川一党、食い扶持に困ると小野寺領や戸沢領まで出張し、夜討ち強盗するをこととしていた。

天正13年のこと。
この羽川の海岸に船が漂着し、大勢の男女が乗り込んでいることが分かった。
浜の者がどこから来たのかを尋ねると、彼らは答えた。
「我々は加賀国から来ました。
 能登の大将・畠山義則が滅びましたので、その家中が一揆を起こしたのですが、
 前田利家に敗れ、ようやく命を永らえた者がこうして逃げてきたのです。
 もはや食糧どころか水も尽き果てています。どうか情けを」

さて、これを聞いた羽川の郎党は勇み立った。
畠山家の落人ともなれば、さぞかしよいものを携えているに違いない。
「こりゃあもっけの幸いですぜ。一人残らず引っ捕えましょうや。ゲヘヘ」
といった具合に義稙に報告した。
ところが義稙、
「相手は衰弱して当方に頼ってきているのだぞ。どうしてこれを害することができるか」
と一喝すると、漂流民に食を与えたばかりでなく、屋敷まで用意してこれを救ったという。

まあ、この後、落人達も引き連れて奇襲に出かけたりしてるんですけどね。
765人間七七四年:2010/03/16(火) 20:33:42 ID:c05ocXRF
山賊って身内には優しいよね
766人間七七四年:2010/03/16(火) 20:36:19 ID:WhDVcU3M
悪党でも身内にはやさしいからヤクザは血のつながりがなくても親分、兄貴分、弟分といった疑似家族の形態をとる
発生がまったく別のマフィアでも同様
767人間七七四年:2010/03/16(火) 21:02:54 ID:y8aDdtgd
徳川秀忠は京都二条城で、いかにして福島正則を改易するか協議していた。
この時、正則は江戸にいた。正則は大大名であるので事は慎重に運ばなければ
ならなかった。

秀忠の側近達が言うには、江戸で改易を伝えれば将軍不在の関東で騒ぎが
起こらないとも限らない。関東に使いをおくり京都に正則を呼び寄せて伝えるべき
である。そうすれば江戸や国元の正則の家臣達はおとなしくする事だろう、という。
側近達はいずれも同じ意見であった。

これに異議を唱えたのが末座にいた若年の井伊直孝である。
「それは良策とは思えませぬ。確かに将軍の命とあらば必ず正則は京都まで来るでしょう。
しかし、そのような改易の前例を作ってしまえば、大名達は緊急の呼び出しのたびに
今度は自分の番かと疑念を抱き、喜んで命に従おうとはしないでしょう。
それではまことに不都合です。ですから改易は江戸で伝えるのが良いと思われます。
私は若年ながらこのような職についておりますゆえ、私に使者をお任せ頂きたい」

直孝の発言で議論は紛糾した。
ある者は「若僧が余計な事を申すな!もはや結論は出ておる!」と直孝を叱責したが
直孝は「私の策が最良でございます」と言い張った。あまりに結論が出ないのでとうとう
秀忠は気分を害し、奥に入ってしまった。

その夜、秀忠は直孝を呼び出し、
「私はそちの意見をもっともだと思うておった。されど、重臣達が反対している手前、
強く発言できなかったのだ。しかし、そちの申すとおり改易は江戸で伝える事にいたす」
と言った。そして直孝ではない者を江戸に派遣したという。
768人間七七四年:2010/03/16(火) 21:16:49 ID:ol80zhhw
>>732
大阪の陣は豊臣方の活躍を称える内容の創作がほとんどだからね。

あと、上杉は義のために生きた一族とかなんとかいう創作が多いが
大阪の陣はどうつくろっても義のための戦いとは程遠いから
全体で整合性のある書き方ができないためにスルーされちゃうんだろうね。
769人間七七四年:2010/03/16(火) 21:23:04 ID:c05ocXRF
上杉が本当に義のために生きたんなら徳川の下でのうのうと
生きてないし大阪陣にも参戦しないわな

ただの野心としか思えんけど
仮に豊臣が勝ってたら関東はたぶん上杉がもらってただろうし
770人間七七四年:2010/03/16(火) 21:27:16 ID:WhDVcU3M
義のためとかいうなら立花宗茂のほうがもっと評価されていいけどなぁ
家潰れちゃったから取り立ててもらった恩はチャラねとか言っちゃってるけど一応筋は通ってる
771人間七七四年:2010/03/16(火) 21:30:56 ID:EhAe9dTe
また義を取り違えてるのか
関ヶ原で反徳川だったのは、同僚の家康があからさまに専横し出したからだろうに

天下が決まって徳川の世になれば義は徳川方だろうが
772人間七七四年:2010/03/16(火) 21:33:32 ID:EhAe9dTe
義を忠とか正とかと取り違えるなよいい加減
義ってのは解りやすく言うとルールって事なんだよ

上杉の義なれば…
ってのは
上杉のルールですから、って意味だ
773人間七七四年:2010/03/16(火) 21:34:14 ID:B6/kmIOv
人間の集団の行動目的が一つだけって事はないだろう
上杉家の動きは、義のためでもあり利のためでもあり、それ以外にも様々な思惑が複雑に組み合わさった筈
774人間七七四年:2010/03/16(火) 21:35:31 ID:O1oku6FB
義論争は面倒くさくなるからよそでやろうぜ。
そもそも謙信だって大切にしたのは「義利」であって「義」ではないし。
775人間七七四年:2010/03/16(火) 21:38:31 ID:EhAe9dTe
謙信の場合はどっちかっていうと義理つうより信義だな
だから信玄なんかとは反りが合わない
776人間七七四年:2010/03/16(火) 21:42:26 ID:H+IgiEK9
>>772
二出川審判の名言

「俺がルールブックだ!」
777人間七七四年:2010/03/16(火) 21:43:10 ID:b0eE1dzF
最近の義は「正義」みたいな扱いなので苦笑してしまう
778人間七七四年:2010/03/16(火) 21:50:25 ID:RGQYl48K
「(俺ルールも含めて)約束は守りましょう」ってことかね>上杉の義

氏康の遺言でも、「信玄は約束を破るけど、謙信は約束は守るから、謙信と同盟を組め」とか言ってたんだっけ?
779人間七七四年:2010/03/16(火) 21:54:47 ID:EhAe9dTe
>>778
本来はもっと観念的なもんなんだけどな
解りやすく一言でいうとルールって事だな

正義は正しい行いのこと
信義は信用を裏切らないこと
忠義は忠誠を守ること
等々ね

義侠ってのは、盗賊無頼漢の類ではなくルールの有る男の事
まぁ、これは正直義侠と名乗った男達の言い訳臭いがw
780人間七七四年:2010/03/16(火) 22:07:48 ID:dO8oDqZK
天下静謐よのぉ
781人間七七四年:2010/03/16(火) 23:11:53 ID:30zuTWsy
有名な話だが、既出ではないと思うので。

山陰の雄、尼子家が月山富田城に追い込まれた時、経久以来の臣、宇山久兼は城中を鼓舞する傍ら、私財をなげうって兵糧を購入、配給していた。
そんな彼の活躍もあって、城方も何とか持ちこたえていた。

・・・にも関わらず、最後は讒言によって主君に殺害されるという悪い結末だが、久兼の無私ないい話。


今風に言うと、散々サービス残業させられて、最後はあっさりリストラ、って感じなんですかね。
782奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/16(火) 23:47:32 ID:3R56HtM+
あっさりどころか専務の人気がありすぎて、切った瞬間から会社ごと傾いた感じ。
783人間七七四年:2010/03/17(水) 10:04:34 ID:0NBEaVlm
でもまぁ、よくある話だw
尼子って所謂、豪族衆の棟梁的な家だったよね?
そういう場合だと、家臣の名声って相当邪魔になるんだろうなぁとか思った
784人間七七四年:2010/03/17(水) 10:46:52 ID:E1DhiNKt
>>771
加熱具が、三成と組んで中央政界に関心が強かったから、蒲生を追い出して会津に移って家康を牽制したりして苦しい立場になる
785人間七七四年:2010/03/17(水) 11:14:00 ID:LmCIL69P
>>767
徳川家然り、前田家然り、上杉家然り
こういう話聞いてると二代目が初代ほど勇猛果敢でなくとも賢君だったからこそ
家は長続きしたんだってつくづく思うよ
786人間七七四年:2010/03/17(水) 11:23:30 ID:dFR9AKQC
>>785
NGMS<ホント、その通りですよね。
三歳<まったくもって、その通りだな。
787人間七七四年:2010/03/17(水) 12:10:33 ID:Sz2WDn7y
■髭殿VS天下の陪臣

天正17年の重陽の節句、聚楽第の拝賀の儀で、
上杉景勝と前田利家が挨拶の順番を巡って争いました。
上杉方の執政直江山城守は秀吉が天下を差配する3つの条件の
うち2つを備えると言われた器量の持ち主。彼が言います。
「当家は関東管領の家。当家こそ先でござろう」
これに前田側の見事な髭を称えた男が反論します。
利家が若い時からそばに仕えた重臣・村井又兵衛長頼です。
「殿下は小身から手柄を立てて天下を治めるまでに至った。
 わが主筑前守も武功を挙げて三国の太守となり、今や少将。
 それほど高い位ならば、そもそも上杉殿は本日の挨拶も無用
 であろう」
これには直江も返す言葉がなく、利家が先に挨拶することにな
りました。
利家は大変喜び、屋敷に帰ると村井に酒を三献与え、その髭を
なでて言いました。
「わしが今、筑前守と呼ばれるまでになったのは、ひとえに髭
殿のおかげである」
788人間七七四年:2010/03/17(水) 12:21:58 ID:hHIQRZDG
>>785
忠直「わかるわかる」
秀頼「分をわきまえて慎むことが大事だわな」
明成「父の業績を無に帰すとかマジあり得ねえっての」
789人間七七四年:2010/03/17(水) 12:33:08 ID:fav5YG7+
明成は掘の娘達を始末していれば
790人間七七四年:2010/03/17(水) 12:45:56 ID:SV+HBEPb
791人間七七四年:2010/03/17(水) 13:09:13 ID:Sz2WDn7y
直江の項にあったのか・・・。
直江より村井の逸話にしてあげるべきでは。
792人間七七四年:2010/03/17(水) 13:11:45 ID:yZvvPZYk
分類の仕方に文句つける前に
ちゃんと検索しろよ、検索できるようになってるんだから
793人間七七四年:2010/03/17(水) 13:13:44 ID:o0UFndLq
NGMSさんは普通に賢君にいれていいt…え、あ、はい

…あんな小心者でも家を保てるだけの遺産を築いた大殿は偉大だったわ!
794人間七七四年:2010/03/17(水) 13:36:14 ID:fOEEhB6Z
>>787
髭をなでるってどういう表現?
アラブ人が髭を触ってきたら尻の穴に気をつけろって聞いたことあるけど。

偶然かもしれないが、790の方も去年の三月に書かれているけど、
この時期になると村井さんを思い出す何かがあるのだろうか。
795人間七七四年:2010/03/17(水) 14:21:49 ID:6uYTAJY2
ヒゲが自慢だったからそのヒゲを撫でながら褒めたんでしょ
なんと言っていいか解らんが、褒めるときに犬の毛を撫でる様なモンでは?
796人間七七四年:2010/03/17(水) 17:18:31 ID:HSjE5U1o
話をぶった切ってスマンが誰か伊達成実の逸話とかって知らない?
地元で資料探したがあんまなくって…できればまとめにないもを
797人間七七四年:2010/03/17(水) 19:43:20 ID:Y/+YVTfV
右手に大火傷して一生指がくっついたままだったとか、
従妹の駒姫が処刑されてさすがの政宗もしょげている時に
「最上ざまあ(www」とpgrったとか、そういうネタ?
798人間七七四年:2010/03/17(水) 20:02:05 ID:gBOaGs0V
髭をなでるとかなんかすげーリラックスしてる主従関係だなw
日曜日で家にいるおとんみたいやん
799人間七七四年:2010/03/17(水) 21:17:40 ID:BFB22ALr
夜中に殿ん家押しかけて飲んでる家臣も居るぐらいだからな
800人間七七四年:2010/03/17(水) 21:23:10 ID:gkyF7Shr
マジで黒田さんちは家臣がよくできてるよな・・
つーか如水のオヤジがチートすぎる
801人間七七四年:2010/03/17(水) 21:30:00 ID:Yif4kBvg
上のほうで三斎様が出てきたので、その息子の話でも。
平成元年に、当時の熊本県知事夫人・細川佳代子氏が講演した内容だそうだが……。

「当時徳川幕府は、お家騒動を避けるために嫡子相続という制度をつくり、各大名もそれに倣いましたが、
細川家は一番優秀な男子が後継となることを実践しました。
しかし、廃嫡しても家を断絶させるのではなく、長男・忠隆の後は細川内膳家という分家になって今日まで続いております。(中略)

また、お家の犠牲となったとされる興秋にしても歴史の表舞台では細川家を廃された後、大坂方について最期を遂げたとなっておりますが、
本当は生きて天草に行き大庄屋になったのです。天草郡五和町御領の芳證寺に戒名が残っていまして、長岡姓で住み着き、興秋以降14代の墓が見つかっています。
これは忠興公が密かに生き残らせたためと思えるのです(後略)」


興秋といえば、大坂の陣にて豊臣方につき、戦後、忠興に切腹させられたと伝わるが、実際はどうだったのだろうか。
後世の作り物か、はたまた本当に興秋は生きていたのか。



そして三斎様はそんなに優しかったのだろうか。
802人間七七四年:2010/03/17(水) 21:34:43 ID:pANeEI2Y
実は生き延びてたんだよ説って必ず出るな。
真田も後藤も明石もあるし、秀頼もあるし。
803人間七七四年:2010/03/17(水) 21:37:13 ID:ji9e/rtg
赤マフラー願望は昔からあるんだな
804人間七七四年:2010/03/17(水) 21:40:35 ID:Yif4kBvg
逆赤マフラーな某大権現……。
805人間七七四年:2010/03/17(水) 21:41:10 ID:bmz+zGtW
石田三成も関ヶ原の乱戦の中で死んでたら生存説とか出てくるんだろうか
806奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/17(水) 21:53:25 ID:XxBg5mQZ
木下さんちのあの子は信じたい。
807人間七七四年:2010/03/17(水) 22:33:57 ID:AOEERJlx
>>800
黒田家はむしろ長政が家臣に気を遣いまくったおかげでうまくいったように思える
実際、堪え性のない孫世代で騒動起きてるし
808人間七七四年:2010/03/17(水) 22:46:10 ID:S53Emb2C
>>789
蘆名銅伯乙
809人間七七四年:2010/03/17(水) 22:56:13 ID:hrpIbkif
だが、細川興秋は生年月日を見るとガラシャ幽閉中に仕込まないと
生まれることが出来ないのではないかと思われるのだ!
それに関する三歳様のコメントはない。
810奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/17(水) 23:03:42 ID:XxBg5mQZ
ガラシャ監禁絵巻
811人間七七四年:2010/03/17(水) 23:06:03 ID:fav5YG7+
ただの質にあらず妻としての使い道もある
812人間七七四年:2010/03/17(水) 23:10:41 ID:j6L5LHlq
O友S麟「人妻の緊縛ものと聞いて」
813人間七七四年:2010/03/17(水) 23:21:53 ID:S53Emb2C
>>812
T花D雪「殿、忠臣緊縛ものならこちらに。ささどうぞ」(#^ω^)ピキピキ
814人間七七四年:2010/03/17(水) 23:29:43 ID:KELpw04I
>>805
処刑されたのが影武者で(ryっていう生存説ならある
815奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/17(水) 23:30:43 ID:XxBg5mQZ
右手首と左足首

もうね、もうね。
816人間七七四年:2010/03/17(水) 23:32:59 ID:hrpIbkif
昭和33年「徳川秀忠遺骨調査」が行われていた。
そこで判明した徳川秀忠データが判明した。
推定身長:156.7cm〜159cm
体格:筋肉質
血液型:O型
埋葬状況:座した姿勢
遺骨保存状況:かなり悪い・縦方向に丈夫の重みがかかり遺骨が潰れていた。

と言う状況だったのだ。戦が少なくなった時代とは言え戦国の武士と言うことだ。
さて、秀忠の遺骨には「戦人(いくさびと)」としての秀忠を忍ばせるものが発見されている。

「骨にまで達した複数の銃創痕」

重ね重ね言うが、秀忠が生まれてから大阪夏の陣の間は戦国時代とは言っても戦の数は減りつつある時代である。
つーか、この人、天正7年の生まれで、小田原征伐で11才である。
ましてや銃創が出来るほど戦場では敵に接近して指揮を執ることを好んでいた、
猛将タイプの大将でもあることを意味する傷でもある。
今後は秀忠の見方も変わるのではないだろうか。かっこいい方向で。

戦下手→隠れ猛将!徳川秀忠(ただし、結城秀康には負ける)

ちなみに猛将タイプは得てして敵の策略に引っかかりやすいので負けることが多い。
戦下手と言うより猛将だったところで駆け引きが苦手だったのかも知れない。
しかしそういう大将に部下はついていくもんだ。とくに三河者は!
それにしても、複数も鉄砲玉に当たっていて死なないとは・・・・・・・・不死身と言うより

周辺の三河者は何で止めなかったんだ?徳川家の立場は考えなかったのか?
まさか、三河者の価値観とは、

面倒くさい三河武士の武士の一分>(断じて越えられない壁)>徳川家の立場>(絶対越えてはならない壁)>尻吹き紙>(供でも超えることが出来ない壁)>豊臣秀吉の面目

としか思えない。
817人間七七四年:2010/03/17(水) 23:37:14 ID:hrpIbkif
>>816です。
×(供でも超えることが出来ない壁)
○(断固として越しては成らない壁)
に変更をお願いします。ブログ管理人様スミマセン。
818人間七七四年:2010/03/18(木) 00:00:28 ID:jvqyM10P
関ヶ原に遅れたのはそのせいかも?>銃創
数日間動けなかったとか…妄想が過ぎるか。
819人間七七四年:2010/03/18(木) 00:04:42 ID:F48qTaxm
秀忠のお墓はもうすぐ一般公開されますね。
820人間七七四年:2010/03/18(木) 00:33:55 ID:szcPMhGI
有名な割に出てなかったので、黒田家ネタを一つ

黒田長政が家康に接近するために15年連れ添った嫁(蜂須賀正勝の娘で秀吉の養女)と離縁して、
家康の養女と結婚したのは結構知られた話だと思います
長政の継室に当たる栄姫は保科正直の娘であり、つまり槍弾正の孫であり家康の実の姪にあたります
長政の死後は、例の鳳凰丸事件で弟の保科正貞を通じて幕府に働きかけたり、
郊外の別邸に母親ともども追いやられていた三代藩主黒田光之を将軍にお目見えさせたり、
側室であった光之の母親を正室にするように働きかけたりと
馬鹿息子のフォローに明け暮れていたあたり、長政も離縁までして徳川家から嫁貰ったのが功を奏したようです

この栄姫が常に不機嫌そうな突進系大名(33歳バツイチ子持ち)のもとに嫁いだのが数えで16歳の時、
慶長5年6月、つまり家康が上杉討伐のために大坂城を出陣した時期であり、
つまり、栄姫が嫁いで早々夫の長政は家を空けることになります
16歳の新妻は大坂天満の黒田屋敷で姑とともに夫の帰りを待つことになります
(ちなみにお舅さんは中津城で何かよからぬことを考えていたようです)

この戦がそのまま天下分け目の大戦になることを予見していた長政は大坂屋敷の留守居に
栗山利安・母里友信の黒田家最強コンビ(と宮崎助太夫)を配置しておりました
そして、同年7月ついに石田三成が挙兵、会津征伐軍の諸大名の妻子を人質に取る作戦に出ます
黒田家にも三成からの使者が訪れます
敵方に知られぬように二人の夫人を連れ出すために、栗山らがかなり大がかりな芝居を打ちます
一説には、夫人を1人ずつ俵に詰めて、商人に化けた母里がその俵を天秤棒で担いで屋敷を出たとか
また、一説には母里が病人のふりをして乗物に乗って番所で迫真の演技をしてみせる、
それを数日繰り返すうちに万人が気の毒がって乗物の中を確認しようとしない、
そうなったところで、毎晩一人ずつ夫人を外に連れ出したととか
どちらにしても、役者は母里と決まっているらしい(でも作戦を立案したのはなんとなく栗山のような気がする)
二人の奥方を連れ出した後、影武者を使って誤魔化したりするあたりかなりの手の込みようですが、
三成挙兵時の諸将の奥方大坂脱出作戦はどこも相当大がかりな方法をとっているようなので、
調べてみると面白いかもしれません

両夫人を屋敷から連れ出すまではうまくいきましたが、目指すは中津、まだまだ道のりは長いです
さしあたっての問題は木津川の舟番所をどうやってやり過ごすか
栗山らが考えあぐねているところに、玉造の方から火の手が上がります
そうです、細川越中守の愛妻・玉子夫人が自害の上、屋敷に火を放ったのです
大坂城内は大騒ぎになり、舟番たちも火の手の方に駆けつけます
舟番所の警備が手薄になった隙に、母里は奥方たちを船底に隠して川を下ります
皮肉なことに、栄姫は玉子夫人の自害によって大坂城から逃げ果せたのです

その後も、母里が顔見知りの舟番を言いくるめたりして、16歳の新妻は無事中津城に辿り着くことができました
栗山・母里の最強コンビはその後、妙にアグレッシブなご隠居に従って石垣原で大暴れするのは
皆さん御承知のことだと思います
821人間七七四年:2010/03/18(木) 00:42:06 ID:szcPMhGI
>>816
突進系で猛将タイプでも戦上手な武将はいくらでもいるような……
822人間七七四年:2010/03/18(木) 00:46:29 ID:tZNwsD9/
越後の軍神も最上の鮭も黒田の若殿も
前線で陣頭指揮を取るタイプだろ。
823人間七七四年:2010/03/18(木) 00:49:09 ID:Efn9ESs2
戦争バカの舅
突撃バカの亭主
本物のバカだった息子

栄姫はよく自殺しなかったもんだ。
824人間七七四年:2010/03/18(木) 00:49:13 ID:F48qTaxm
長政の離縁再婚って、本人の独断?
それとも如水も一枚噛んでる?
825人間七七四年:2010/03/18(木) 00:52:38 ID:Nh2xrp42
当時の長政に独断で離婚再婚を出来るほどの力はないと思う。
普通に考えて如水が推し進めたものだろうね。
826人間七七四年:2010/03/18(木) 00:53:18 ID:szcPMhGI
>>822
人斬り兵部、麒麟児、鬼島津なんかもそのタイプか
827人間七七四年:2010/03/18(木) 01:08:27 ID:FKiqhHKv
俺は真っ先に蒲生の工場長を思い出した
秀吉には馬鹿にされてたけど実際氏郷さんの統率力と個人武勇はかなりのもん
じゃないかと
鬼武蔵とタイマンしたらどっちが勝つんだろうか・・
828人間七七四年:2010/03/18(木) 01:19:36 ID:OjKM/+Nl
黒田長政の後妻(16歳)、家康の姪で、長政死後もよく家を守ったできた嫁で、
これで「超美人スタイル抜群性格もいい」が黒田家譜の粉飾じゃなかったら
喪として黒田長政をただではおけない。
829人間七七四年:2010/03/18(木) 01:30:16 ID:szcPMhGI
ちなみに栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成の嫁だったりする
加藤家改易後、保科家が入るのはその繋がりだったりするのかな?
830人間七七四年:2010/03/18(木) 01:31:07 ID:szcPMhGI
×栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成の嫁だったりする
○ちなみに栄姫の妹の旦那はあの次世代DQN筆頭の加藤明成だったりする
831人間七七四年:2010/03/18(木) 01:50:39 ID:Efn9ESs2
榊原康政が若い頃、徳川家康の直参に抜擢されたとき、
親友の神谷金七という水野信元の家臣が、餞別として
オンボロの甲冑をくれた。
詳しくは「榊原康政と破れた具足・いい話」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2227.html
を是非参照して欲しい。

当時、甲冑は大変高価な物でオンボロでも本物の甲冑は
手に入りにくい貴重品でもあった。ちなみに、神社の奉納品を借りて
合戦に参加した武士もいたほどである。

榊原康政と破れた具足にも書かれている通り、榊原康政は直しながら
一生神谷からもらった甲冑を着用し続け大名となったが、
神谷金七の方は家康の直参と成らず家康譜代の将の陪臣として勤務し続けた。
彼が自分が餞別に渡した甲冑を着て武勲を上げ、
出世した康政をどんな気持ちで見ていたかはわからない。
もしかしたら甲冑のことを肴に自慢話のネタにしたのかも知れない。
ただ、彼の消息はわかっている。

神谷金七(水野勝成家臣):1600年大垣城攻防戦にて戦死

神谷金七のあげた甲冑は榊原康政の肖像画と共に榊原家の家宝として今に伝わっている。
832人間七七四年:2010/03/18(木) 06:15:22 ID:VVtD/4Ra
( ;∀;)イイトモダチダナー
833人間七七四年:2010/03/18(木) 08:50:49 ID:krRZQRuE
>>797
そこら辺は手元の資料とまとめにも載ってるから知ってるんだが
後は家紋の話と家臣の萱場元時くらいしか知らくて、他にある
かと思いまして。
834人間七七四年:2010/03/18(木) 09:22:09 ID:NSgYHMso
仙台ハイランドキャラクター投票中♪政宗のキャラがいるよ♪
仙台には鳥系キャラは
スポーツチームマスコットとかたくさんいるので
鳥系以外のキャラに投票してくるとありがたいです。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/bike/1266676499/349
835人間七七四年:2010/03/18(木) 13:11:51 ID:Cvwk/4f+
>>手に入りにくい貴重品でもあった。ちなみに、神社の奉納品を借りて
>>合戦に参加した武士もいたほどである。

スレチだが
日中戦争の頃に近所の小学校から具足一領借り出して突撃し、城内突入一番乗りした陸軍将校を思い出した
836人間七七四年:2010/03/18(木) 15:00:52 ID:CTxxQnoi
新聞に載ったけど誰だか解らないって人だっけ
837人間七七四年:2010/03/18(木) 15:36:30 ID:uM/IXCNe
じゃあ成実のちょっといい話。


伊達家の存亡をかける戦となった、人取り橋の戦。
政宗自身も直接敵と刃を交えるほどの激戦となり、
一時は自害も決意したほどだった。

そんな戦の最中、政宗の乗っていた馬があまりに何度も駆けさせたために
息切れし、足元もよろよろしてきた。
そこで、川に乗り入れて口を洗わせ、水を飲ませようとしたときの事。
政宗は騎乗したまま馬に水を飲ませるところだったが、
それを狙って敵が銃撃を仕掛けてきた。
馬の口取りが撃たれ、髪をつかんで川から引き上げたが、死んでしまう。

そこへ来合わせたのが、成実である。
成実は二・三十人の者と共に政宗の馬の側に立ちはだかり、
「大将が馬を立てるところ、武運は尽きるか!」
と叫ぶや、政宗の馬の尻を団扇で叩いて川から追い上げ、窮地を救ったのだった。

一方を任せるには頼もしい、良い大将だ、と政宗は後に成実を評した。
(●∀`)「馬を助けるためかと思ったぞ」
(´・ω・`)「何言ってんですか。矢も鉄砲も篠を束ねて落すかって勢いなんですから、
流れ矢とかに当たんないでくださいよ?あの辺、ちょっと蹴散らしてきますから」
と、人取り橋の向こうの敵を追い散らしに向かった成実。
その日の働きに対し、政宗は感状を与えて労ったのだった。




注。会話の部分(だけで無しに)、こういう古文?あんまり読みつけないので、
解釈間違ってる可能性が莫大にあります。詳しい人フォローよろ。

原文
一方を頼むには良き大将なりと頼もしく思い、
「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。
838人間七七四年:2010/03/18(木) 16:00:14 ID:Nh2xrp42
>>837
> 「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
> 「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
> 仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
> 両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。

政宗「馬を助けようとした為にこんな失敗しちゃったよ」
成実「無茶なことを言うなあ、、こんなに大粒で隙間ない雨が降るように
    矢弾が降り注いでいる場所でそんな事をするなんて。
    流れ矢なんかに当たらないように気をつけてくださいよ、ちょっとこの辺の敵の攻勢を
    大人しくさせてきますから。」

そう言って戦場の真ん中を馬で切り分けるように突っ切って人取橋に向かい、敵を追い散らして
勝鬨を上げたとのこと。


こんな感じかな?
839人間七七四年:2010/03/18(木) 16:29:55 ID:uM/IXCNe
>>838
おお、ありがとう。
微妙に読み間違ってたw
翻訳こんにゃくが欲しいのぅ・・
840人間七七四年:2010/03/18(木) 20:03:04 ID:Cvwk/4f+
>>836
いんや、具体的に名前も所属もわかってるよ
陸士35期の金丸高秋
当時は歩兵47連隊第二大隊
841人間七七四年:2010/03/18(木) 20:17:56 ID:CTxxQnoi
金丸中尉、今検索してきた
アナクロ過ぎて黒歴史っぽくされたって感じだったのを記憶違いしたのか
842人間七七四年:2010/03/18(木) 21:26:05 ID:krRZQRuE
>>837
あーそういうのです、ありがとうございます
政宗のちょっとかっこ悪いでもありますね。
843人間七七四年:2010/03/18(木) 22:01:02 ID:H8BvX2Eb
DQN四天王になぜまともな家老クラスの老臣が
844人間七七四年:2010/03/18(木) 22:14:09 ID:YUN1OBfO
ええで!
845人間七七四年:2010/03/18(木) 22:14:49 ID:YUN1OBfO
すまん、誤爆した
846人間七七四年:2010/03/18(木) 22:16:02 ID:kX+l2qrE
>>843
あやまれ!松井佐渡と伊勢兵部と林長兵衛にあやまれ!
847人間七七四年:2010/03/18(木) 22:59:16 ID:szcPMhGI
DQNをフォローする良心がいたからこそ家が残って逸話が残るわけで
DQNしかいない家はさっさと潰れて記録にも残らんと思う
848人間七七四年:2010/03/18(木) 23:05:06 ID:NwIXMwbN
主従共に良心揃いでも潰される家は潰される戦国時代
849人間七七四年:2010/03/18(木) 23:21:06 ID:BK39uhpr
>>847
鬼武蔵をフォローする良心って誰だよw

と思ったが、信長がいたな…
良心かどうかは別として。
850人間七七四年:2010/03/18(木) 23:43:36 ID:jvqyM10P
>>849
犠牲者の遺体を片づけた人たちがいたじゃないか…
851人間七七四年:2010/03/18(木) 23:45:24 ID:YUN1OBfO
簀巻きにして橋から放り投げただけじゃないかw
852人間七七四年:2010/03/18(木) 23:50:25 ID:g9w7rbrU
通行の妨げになる関所も壊したしな!
全く森長可さんは慈愛の心に満ち溢れとるでえ!
853人間七七四年:2010/03/19(金) 00:00:47 ID:vm9eeexZ
長可さんは楽市楽座、関所の撤廃の手本を
自分で示したんだよ
854人間七七四年:2010/03/19(金) 00:17:54 ID:WTg8Mqgy
通行料取ってない関所って関所じゃないのかな
855人間七七四年:2010/03/19(金) 01:08:10 ID:u6tO+rkI
日野富子が京都の入り口に…って話のように
当時の関所は料金所みたいな徴税目的の施設だったらしい。
856人間七七四年:2010/03/19(金) 01:10:34 ID:Prhpj0nh
ちなみに信長は軍事関連の関所は廃止したけど、京の七口をはじめとした経済関係の関所は
ほぼ全部残した。
857人間七七四年:2010/03/19(金) 08:05:40 ID:jjnK7aAY
>>843
しかし伊達の三英傑は揃って一度は政宗に愛想を付かして出奔騒ぎを起こしている
858人間七七四年:2010/03/19(金) 08:50:07 ID:j4vMRSV2
真の仲間になるには一度仲たがいした後に仲直りする必要があるんですよ
少年漫画的に考えて
859人間七七四年:2010/03/19(金) 08:58:41 ID:FmFHaEcQ
べ、別にあんたのことが嫌いで出奔騒ぎを起こしたんじゃないんだからね!
860人間七七四年:2010/03/19(金) 09:37:47 ID:7hCRQj8T
仲直りというか、他家への仕官を諦めた?<伊達三傑
861人間七七四年:2010/03/19(金) 11:20:35 ID:fxt/0Adv
いくら可愛くても男だろ?こっちはホモじゃねえんだよ
まともな人間が男同士でやりたいと思うか?
わざわざ1万も出してヒロインが男手ホモって詐欺だろ
誰得だよマジで
862人間七七四年:2010/03/19(金) 11:22:09 ID:fxt/0Adv
失礼
863人間七七四年:2010/03/19(金) 11:25:21 ID:kVNrianU
>>861
Nice boat
864人間七七四年:2010/03/19(金) 11:35:05 ID:j4vMRSV2
>>861
あなたもしかして秀吉ですか?
865人間七七四年:2010/03/19(金) 11:39:27 ID:dQ/PfA66
大内義隆「わし得かな」
866人間七七四年:2010/03/19(金) 11:41:24 ID:lONT4QSh
昔の関所は徴税というよりも
現在の有料道路の料金所みたいなものだよな。
特に大きな橋が架けられた場合は、その工事費や補修費に充てられた。
867人間七七四年:2010/03/19(金) 13:01:04 ID:Otr4Ugw4
>>857
成実の出奔の原因は不明だし
綱元は政宗の怒りをかって出奔させられただけ
あと景綱の出奔って話は知らないな
868人間七七四年:2010/03/19(金) 13:03:02 ID:47tXLXCf
>>861
日本には衆道というショタホモ文化があることは知ってるよな
今でも続いてるんだぜ

転載 ホモ注意
ttp://nikushota.x0.to/1gou/data/NSIMG_000384.jpg
ttp://nikushota.x0.to/1gou/data/NSIMG_000383.jpg
ttp://nikushota.x0.to/1gou/data/NSIMG_000382.jpg
ttp://nikushota.x0.to/1gou/data/NSIMG_000381.jpg
869人間七七四年:2010/03/19(金) 13:24:05 ID:Gn9cWY9v
それを貼って何がしたいんだお前は…
TPOををわきまえられないと立場悪くするだけだぞ
870人間七七四年:2010/03/19(金) 13:26:14 ID:/xmbPTGO

>>856
> 軍事関連の関所廃止

このおかげで、光秀の謀反の成功率が上がってる
871人間七七四年:2010/03/19(金) 13:50:39 ID:XJObtGBz
>>861
すぐクロスデイズとわかった自分がなんともはや。
872人間七七四年:2010/03/19(金) 13:55:33 ID:il0PyFrw
あぁ、成程そういうことか
873人間七七四年:2010/03/19(金) 14:01:56 ID:bPwiQgG6
>>867
成実の出奔は一応家中の序列が不満で、っていうのが有力だな
「俺すごく頑張ってるのになんかがんばりに見合う評価されてない気がする」って零した話もある
綱元は・・・政宗の「怒り」っつーのが香の前が欲しかっただけっぽいし
実際綱元が帰ってきてから香の前も返してるし(孕ませた後だけど)

景綱出奔未遂って確か、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1505.html
この話に絡んでたと思う

(●∀`)<小早川んちの浦山景綱とお前トレードすることになったから
(´・ω・`)<・・・
(●∀`)<んじゃよろしく!うはwww美少年サイコーwww
(`・ω・´)<・・・

〜翌朝〜

(`・ω・´)<やってけるか!出てく!出てってやる!
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<ちょ、片倉様!お待ち下され!後生です!!
(`;ω;´)<離せー出てってやるんだー!!
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<殿!殿おおお!

(´●ω・`)<・・・ゴメン・・・ほんとゴメン・・・
(`;ω;´)<殿のばかぁぁぁぁ
(゚Д゚;)(゚Д゚;)<ホッ・・・なんとか元鞘に・・・

って話だったと思う
いい話スレでやる話ではないがw
874人間七七四年:2010/03/19(金) 14:17:58 ID:AoUSzCZk
景綱は以前(小田原参陣より前)にも出奔を企てたことがある。
もっともその時は出奔前に異父姉の喜多に見つかってしまい、
懇々と諭されて思いとどまったらしい。
875人間七七四年:2010/03/19(金) 14:23:48 ID:vm9eeexZ
大河ドラマでは「急に出世して周りに妬まれるから」って理由だったな>出奔
876人間七七四年:2010/03/19(金) 14:36:19 ID:Otr4Ugw4
>>873
すまん、「この話に絡んでた」じゃなく
出来ればそれの出典教えてくれ。調べてみる
877人間七七四年:2010/03/19(金) 14:54:27 ID:bPwiQgG6
>>876
確か石母田家文書じゃなかったかな?
「やってらんね」って書き置き残して出奔しようと思ったら見つかって連れ戻された、
みたいに書いてた・・・はず
878人間七七四年:2010/03/19(金) 14:56:38 ID:1j+5El0Q
出典どうこう言うんならテンプレの検証スレでやってくれねぇかなぁ
879人間七七四年:2010/03/19(金) 14:57:12 ID:Otr4Ugw4
>>877トン

調べられたら調べてみるわ
880人間七七四年:2010/03/19(金) 15:20:48 ID:yOY/NP4M
真偽の検証とかまで言ったら検証スレでやれって話だろうけど
逸話の出典聞くのはこのスレでいいよ
881人間七七四年:2010/03/19(金) 15:23:10 ID:vm9eeexZ
>>880
このスレで出展聞いちゃダメなのかと思って
ちょっと驚いてたわ、良かった
882人間七七四年:2010/03/19(金) 18:02:08 ID:DXlPw6VL
春日山にて
家臣:戦の前に毘沙門堂に行こうかと思います

御館:急ぎだからここでいいよ

家臣:?
御館:毘沙門天はここにいるだろが!
俺様が毘沙門天だ!
後の柴田恭兵である
883人間七七四年:2010/03/19(金) 18:09:18 ID:Prhpj0nh
有名武生前将神格化の本気度

 ←本気                                                    冗談→
上杉謙信(毘沙門天)    豊臣秀吉(新八幡神) 武田信玄(不動明王)     織田信長(第六天魔王)

飛び抜けて本気の人と飛び抜けて冗談の人が後世に残ってしまった。
884人間七七四年:2010/03/19(金) 18:13:03 ID:o5MRlCOo
梵天はいずこ?
885人間七七四年:2010/03/19(金) 18:13:25 ID:veTlqNGL
>>363の話で、>>368が言っている、まんが日本昔話見つけた
http://www.youtube.com/watch?v=Stlv_lN58Ek
話の細部はちょっと違うけど…
886人間七七四年:2010/03/19(金) 18:22:16 ID:pUZ0zVk4
>>883
織田さん半分嫌がらせで名乗ったんだっけ?
887人間七七四年:2010/03/19(金) 18:23:58 ID:9apt51Mc
成実の話か


成実が出奔した後、金須・石川・内ヶ崎・白根沢らは成実のもとを去り、伊達本家に仕えた。
一説によると、出奔後も羽田右馬助にのみたびたび書状が届き彼らにはないこと、
またそれをかさにきた羽田が専横を恣にするのに腹を立て、羽田を討つことを企てたのだという。
抵抗した羽田と羽田に同心する者30人ほどは悉く討ち取られ、角田は屋代景頼によって接収された。
この羽田討伐と角田接収に、前述の4人は積極的に関わっていたという。

さて、時は流れて伊達家は二代忠宗の世となった。
成実は隊将として白根沢を忠宗に推挙した。
忠宗は成実が昔のことにこだわりを見せないことに感じ入ったという。

その白根沢、かつて自分のしたことに恥じ入り、詫びるべく成実を訪ねた。
すると成実は薙刀を下げて出てくると、こう言ったという。
「お前を部将として殿に薦めたのは、公のことを考えてのものであって、
 私としてお前を許したわけではない。二度と来るな」
そう叱りつけ、白根沢を追い返したという。


公私の区別はきっちり付けるタイプの、伊達の従兄弟殿のお話。
888人間七七四年:2010/03/19(金) 20:18:40 ID:sET25cn4
>>882
柴田謙信は本当に清廉な武将だけど
リアル謙信は本当にあぶない暴君だから困る
889人間七七四年:2010/03/19(金) 20:40:46 ID:xooVN98w
>>886
嫌がらせと言うよりはジョークの域
「お前が天台座主ってんなら俺は魔王って名乗っちゃうもんねーw」みたいな

「信玄が遠江及び三河の国に侵入せし前面白き事起りたり。
 即ち信長に一書を贈りし時其名を揚げんとの慢心より封筒の上に次の如く認めたり。
 「天台座主 沙門 信玄」
 其意は天台宗の教の最高の家および教師信玄といふことなり。
 信長は之に対して
 「第六天魔王 信長」
 (耶蘇会士日本通信 下巻より)」

それもフロイスの書簡にあるだけで実際名乗ってる文書は出てきてないし、信長超頼りになる!というフロイスのホラ話という見方もある
こんな風に続いてるし
「其意は悪魔の王にして諸宗の敵なる信長といふことにして、堤婆が釈迦に対し其宗旨の弘布を妨げしが如く、信長は今日まで日本の諸々の 偶像の尊敬及び崇拝を妨害せるが故なり。
 是故に神の御慈悲に依り彼が従前の栄を回復し、我等の主ゼウスの正義の苔として此等宗派の呪ふべき迷信を罰せんことを信ず」
890人間七七四年:2010/03/19(金) 20:50:33 ID:kgtDH9Gf
景綱の出奔未遂は政宗幼少期のころじゃなかったかな?トレード話とは絡んでなかったような。
綱元は出奔中も伊達家と連絡取り合ってたみたいだから秀吉の手前もあったのかも、と思わないでもない。
891人間七七四年:2010/03/19(金) 20:51:07 ID:GHk7/0Bw
>>887
刀じゃなく薙刀ってあたりに本気度を感じた
892人間七七四年:2010/03/20(土) 00:28:26 ID:XpqlsgYH
>>882
俺の知ってる話では
謙信の元に敵が出兵したという話が舞い込み
急いで援軍に行かないとマズイという状況で
普段は戦の前に兵に毘沙門堂で誓いを立てさせていたのだが
この時ばかりは
「急いで出兵しないといけないから、毘沙門堂に行く時間も惜しい。
だから今この場で俺に誓え。
毘沙門天に誓いを立てに行ってる間に手遅れになったら元も子もないし
毘沙門天様も許してくださるはずだ」
という信心深い謙信といえども緊急時には合理性を優先させたという
普通に良い話だったはずだが。
893人間七七四年:2010/03/20(土) 00:39:13 ID:Po5FbhNL
894人間七七四年:2010/03/20(土) 02:15:58 ID:hVnQXLt/
> フロイスのホラ話

ただ第六天魔王って天照大神と契約してるって説話も残っているんだよな。
フロイスがそこまで知っていたのか....

第六天魔王との誓約には仏法忌避も含まれているから、
「天台座主」って名乗りへの最高のカウンターパンチともいえるし。
895人間七七四年:2010/03/20(土) 02:22:37 ID:GopwGXGs
この当時の世間的な「第六天魔王」のイメージは、能の「第六天」のものだと言い切っていいと思うが、
これに出てくる第六天魔王は、伊勢神宮で仏法修行している僧を邪魔しようとして、そこにやってきた
素戔鳴尊に、逆に眷属もろともフルボッコにやっつけられる、タイムボカンの三悪とか、あんな感じの
ヘッポコな悪党で、どう考えてもカッコ悪いキャラ。

あまり深い意味での皮肉とかがあったとか、考えない方がいいと思う。

896人間七七四年:2010/03/20(土) 06:05:46 ID:MAeLIqa1
第六天魔王自体が説話とかでいつも釈迦や善神に負けるって情けないかませキャラだしな
897人間七七四年:2010/03/20(土) 07:34:10 ID:iZ6J3+RR
ハクション大魔王だな
898人間七七四年:2010/03/20(土) 10:04:38 ID:PqrHZwTU
ジョークで噛ませキャラ名乗ったら
数百年後に恐怖の大魔王扱いされたでござる
899人間七七四年:2010/03/20(土) 11:11:51 ID:NivG+0tG
ヘタレ野郎信長
900人間七七四年:2010/03/20(土) 12:13:39 ID:qEepMkZ2
あの世で信長公はこう思ってるに違いない。
信長「ジョークにマジレスしてるやつらって何なの?馬鹿なの?死ぬの?」
901人間七七四年:2010/03/20(土) 13:18:41 ID:OxAfYk6E

小ネタ1発目を悪いスレに誤爆してしまった……orz
続いて2発目。


現在の岐阜県岐阜市。
岐阜城の東側に長森と呼ばれる地区がある。
当時はこの辺りを木曽川が流れており、渡河地点として戦略上の重要拠点であった。
南北朝時代には土岐頼遠が長森城を築城したが、古くからこの地域の一番の防衛拠点
と言えば、手力雄神社であった。

織田信長の美濃侵攻の際にも、岐阜にまで攻め込まれた事があったが、長森を最終防
御ラインとして、尾張軍を押し返した。結局、西美濃勢の裏切りがあるまで、信長が
長森を抜く事は出来なかった。

やがて信長の孫、織田秀信が岐阜城主になると、手力雄神社は勅願所として重用され
るが、関ヶ原の合戦の折、秀信が西軍に味方した為、東軍の攻撃に晒されて一帯は焼
け野原になった。
ある一人の侍が戦火の中、神社の御神体を抱えて避難した。
戦が終わって戻ってみると、手力雄神社は鳥居と扁額のみが残り、後は全て焼け落ち
ていた。
この侍によって御神体は無事だったため、後に復興する事が出来たのである。

現在、奇祭「火祭り」で有名な岐阜の手力雄神社がこれである。
……神体を抱えて逃げた人の名前も神社の由来書きの看板には載ってたんだケドね。
デジカメで撮ったらボケてて読めなかった(泣)
902人間七七四年:2010/03/20(土) 13:19:38 ID:OxAfYk6E
そして3発目。

現在の三重県四日市市富田。
JR富田駅前に庚申社と伝わる祠がある。
この庚申社、その昔、富田一本松に上陸して茂福城を攻めた末、討ち死にした織田信
長配下の将を祭って道祖神とした物だという。
武将の名は伝わっていない。しかし伊勢侵攻に討ち死にし、伊勢への道標として、そ
の道を守る役目を与えられた彼は果報者と言えるのではないだろうか。

尚、何故道祖神で庚申か、とツッこんではいけない。
っつーか、関東では庚申塔や庚申塚はあっても、社なんてあまり見かけないから、庚
申社って存在その物にちょっと驚いた。(^^;
庚申信仰と道祖神って、関係なさそうだケドなぁ……


以上、小ネタ3連発でした。
903人間七七四年:2010/03/20(土) 13:22:23 ID:OxAfYk6E

小ネタばかりでもナンなので、マトモな(?)ネタも一つ。


永禄7年の年末、大坂にて大火事が起こった。
「言継卿記」にも記されている大事件で、本願寺の本堂や寺塔が焼け落ち、大坂の町
にも多大な被害が出たという。
この火事に激怒したのは本願寺顕如。
「コレはテロや! せやろ? 自分らもそー思わん? ワイに敵対しとる連中が火ぃか
けたんや!」
未だ騒然としている町を厳重に警戒させた上、他国者を家に泊めないよう触れをだし
たり、一軒一軒宿を改めたりと大変な騒動となった。

そんな折、「たまたま」大坂に滞在していたのが我等がルイス・”坊さんなんて大っ
キライ”・フロイスくん。
堺から京に向かう途中、大坂で宿を取っており、この火事に遭遇したのだ。
コレはマズい。マズすぎる。
普段の言動が言動だ。見つかったら即、打ち首間違いない。
しかもこの時のフロイス、更に怪しすぎる行動を取っている。

つまり、当初は道中を共にしていた日本人キリシタンと別の宿を取っていたのだが、
夜半になって彼等の宿に移動。フロイスの元居た宿の付近から出火しているのである。
…あーこりゃテロだ。間違いなくフロイスのテロだ。
この怪しい行動を記述しているのがフロイス自身でなければ、後世の我々でもそう断
言したくなるシチュエーションである。

宿の主も面倒を避け、フロイス一行を宿から追い出す。
本願寺に通報しなかったのはせめてもの情けだろうが、厳戒態勢の中、町を抜け出せ
るあてもないのだから通報などしてもしなくても同じ事だろう。

が、そこで一人の男に出会う。
この男、フロイス一行が豊後から堺に向かう途中、船で一緒になった顔見知りであり、
そこで仲良くなった日本人キリシタンの仲介に寄って、彼の家に匿って貰える事にな
った。
男の妻は嫌がっていたのだが、男は「自分を頼ってきた窮鳥は見過ごせない」とフロ
イス達を匿い続けた。
本願寺の寺兵が男の家を改めに来た時には天井裏に隠れ、騒動が落ち着くまで静かに
過ごす毎日が続いた。

やがてほとぼりが冷めた頃、大商人である男は商売の荷を運ぶ振りをしてフロイス達
を大坂の外へと逃がしたのである。
男がキリシタンであったとか、後にキリシタンになったとか言う記述はない。
彼は純粋に「豊後からの船で知り合っただけの人が困っていたから自分の命をかけて
助けた」のである。

……フロイスの記録に「異教徒にも良い人がいる」という記述はない。
904人間七七四年:2010/03/20(土) 14:21:38 ID:WKVhMLME
どーせ
このような美徳を多く備えた男であったがキリストに帰依しなかったため地獄に落ちたのである
くらいしか書かんだろうしなw
905人間七七四年:2010/03/20(土) 14:41:22 ID:/UNchNLk
排他的過ぎてワロタ
906人間七七四年:2010/03/20(土) 16:25:27 ID:GjBgTr+V
バレたら本人だけでなく家族や親類まで類が及んでたってのは
フロイスにも想像ついただろうにな

神の善良な僕である自分は助けられて当然、むしろ異教徒に
善行を「させてやった」ってことなのかねえ
907人間七七四年:2010/03/20(土) 17:07:05 ID:Po5FbhNL
ただの日記じゃなくて報告書だからそういう風に書かざる負えない部分があったんじゃないかな
908人間七七四年:2010/03/20(土) 18:07:34 ID:KWz15EG4
西欧キリスト教だと「悪魔」は絶対悪だもんな。小暮閣下みたいな良い悪魔とかはそもそもありえない。
きれいなう○こときたないう○こなんてカテゴリがないのと一緒で、汚いものは汚い、悪いものは悪い。
和製RPGで「神聖魔法」なんてのがあるが、邪教の行いだから「魔」法なわけで・・
909人間七七四年:2010/03/20(土) 18:16:16 ID:3jdZs14p
一神教とか独裁者とかそんなの崇拝したくないね 気持ち悪い
910人間七七四年:2010/03/20(土) 18:26:27 ID:MAeLIqa1
まあキリスト教徒でなくても恩を感謝しないどころか仇で返す奴なんてゴロゴロいるし
フロイスがそういうタイプの人間だっただけもしれん
911人間七七四年:2010/03/20(土) 18:54:09 ID:+GqGE2Q+
風呂イスの話になると「あー宣教師ロクでもねえ」になるのは仕方ないのかな。
愛すべきDQNたちとも言えないしな……。
912人間七七四年:2010/03/20(土) 19:09:54 ID:RJcHr5Uq
>>908
そもそも現実の世界を舞台にしたゲームは滅多に無い訳で
キリスト教基準で魔法が神聖だなんておかしいなんていい様の方がおかしいと思うが
神の奇跡としての魔法なら西洋RPGでもわんさとあるし

それはさておき善悪に対するファジーさは日本人特有の観念と言う話は聞いた事あるな
913人間七七四年:2010/03/20(土) 19:28:29 ID:9sEI80Td
>>894
義教のフォロアーってのは、どこまで信憑性があるんだろ
914人間七七四年:2010/03/20(土) 19:43:19 ID:/RzbuWBy
フロイスは仕方ないよ
同じ宣教師でもインテリのヴァリニャーノからは
「お前は悪魔とか神とか言い過ぎ」とか酷評されてるし
そこが面白かったりするんだけどさ
915人間七七四年:2010/03/20(土) 19:49:26 ID:i1SGKbYS
フロイスのアレはそういうものとして解釈すれば面白いんだけど、
戦国入門書みたいな本でアレをソースに武将の性格とか逸話とか断定的に書かれるとなんだかなあと思う
916人間七七四年:2010/03/20(土) 20:49:33 ID:9sEI80Td
>>915
小和田さんとかは、「フロイスが言ってることと合致してるから、『武功夜話』にも、それなりの信憑性がある」
という傾倒ぶりですね
917人間七七四年:2010/03/20(土) 22:08:02 ID:xJ3bX4Jq
死んだプロテスタントだけがいいプロテスタント
918人間七七四年:2010/03/20(土) 22:09:57 ID:GopwGXGs
フロイスといえば「日本史」の中に当時のキリシタンの排他性や攻撃性をよく表してる話を思い出したが、
悪い話なのであっちのスレに書く。
919人間七七四年:2010/03/20(土) 22:11:15 ID:S8Jljp9k
思い出した
風呂の椅子買ってこなきゃ
920人間七七四年:2010/03/20(土) 22:32:36 ID:Li91tDWC
>>917
マクスウェル司教様乙です
921人間七七四年:2010/03/21(日) 21:55:26 ID:5RVd4+cT
徳川家康が駿府に隠居していたときのこと
駿府に挨拶に訪れた秀忠に、家康は、自ら茶でもてなし、
村田珠光がこれを見たとき感動のあまり頭巾を落としたという言い伝えのある「投頭巾の茶入」を送った。
秀忠は大喜びだった。

その後、家康は上機嫌で家臣にこう語った。
「よく隠居するときは財産も一切合財譲るのが潔いという人がいるが、何もわかっとらん。
人というものは、隠居してもいろいろ口は出したくなるものだが、子供にしてみれば全部引き継いだのだからいまさらなにをという気になる。
だから仲のよかった親子が、親の隠居後不和になることが多い。
わしのように財産を少しずつ譲っていくようにすれば、子は感謝の気持ちを持ち続け、仲のいい親子のままでいられる。」

同じ年に死んだシェークスピアの「リア王」など家康にしてみれば愚かさの当然の報いといったところか。

そういえば我が国にも息子に家督を譲ったはよいが、その息子が暴走して戦争を起こしまくり、息子に負けた敵に泣きつかれ、
渋る息子を説き伏せたものの、当の敵にさらわれ、息子に敵もろとも撃ち殺されたご隠居がいたような
922人間七七四年:2010/03/21(日) 22:00:02 ID:8q3UXV9P
>>921
いい話スレで最後の3行はいらん。気分悪いわ。
923奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/21(日) 22:09:13 ID:Iws8ZRCg
スレの使い方を教えたいならもう少し落ち着いて嗜めてやろうよ。無駄であったとしても。
924人間七七四年:2010/03/21(日) 22:14:05 ID:V1GNGC5W
求められたらなんでもやればいいって経久さんが言ってた
925人間七七四年:2010/03/22(月) 00:07:16 ID:dB+DUQm3
久野宗能の賭け


永禄十一年(1568)十二月、徳川家康は終に遠江に侵攻、今川氏真の籠る掛川城に向かった。
久野家の居城久野城は掛川城の西8キロほどの位置にあり、徳川軍の進行路にある。
今川家譜代の臣である久野家惣領、宗能は、徳川軍を迎え撃つ体制をとったが、そこに家康より
高力清長が使者として派遣された。あの「仏高力」として有名な男である。

「今川のお家はもはや長くない。我々徳川家にこそ頼られよ。」

久野宗能は大いに悩んだ。しかし、たしかに今川はもうおしまいであろう。そう思い、家中には
異論も多かったが、当時まだ25歳の、若き家康に久野家の未来を賭けた。

彼は家康に従い、遠江に侵入した武田家の武将秋山信友の部隊と戦い、その姿勢を鮮明にした。

ところがそうしたとたん、武田、今川より更なる寝返りを求める誘いが相次いだ。
今川氏真にいたっては、「家康を殺せば遠江一国を与える」とまで言ってきた。
これに久野家家中にはなびくものが現れ、一族の宗政は久野宗能に、

「掛川城の今川勢とともに、家康を挟み討ちにしましょう!」

と進言する。
久野宗能はこれを言下に却下したが、宗政は密かに仲間を集め、一族の日向守宗成、弾正忠宗らと、掛川城からの
援軍を頼んで宗能を討ち取り、その弟宗益を立てると言うクーデターの陰謀を企てた。
宗政らはこの陰謀を掛川城の側と連絡をとりながら進めたが、久野宗能はこれを察知し家康に通報した。

これを聞いた家康の行動は早かった。十二月二十一日夜、大久保忠世の部隊を久野城に派遣、宗政らクーデター一派を
成敗すると、さらに城外に大須賀康高、松平家次、家忠、水野忠重らを潜ませ、クーデター一派を援助するため
久野城に派遣された掛川城の兵を待ち伏せし、その多くを討ち取った。
久野家における宗能の反対派は、これで完全に排除された。


久野家の未来を、徳川家康という青年に賭けた久野宗能。
彼の家は家康とともに戦国を生き抜き、やがて伊勢田丸藩1万石として、明治まで続く。

今川家の衰亡と言う混乱の中での、ひとつの決断についてのお話である。

926人間七七四年:2010/03/22(月) 01:40:31 ID:Zn9VKSji
褒美は小出しにするってのは家康の論功行賞全般に言えることじゃないか
927人間七七四年:2010/03/22(月) 08:42:24 ID:V7sqgGgg
>>925
北信濃で似たような事があって、武田はこの際だから、全て殺して城を没収したことがあったような。
928人間七七四年:2010/03/22(月) 09:07:58 ID:tTYjgaQD
降誘しといて事が済んだら皆殺しとかは信玄の常套手段とも言える
ぶっちゃけた話、信州はそうやって平定した
まぁ、いい話ではないけどね
929人間七七四年:2010/03/22(月) 10:13:53 ID:RpT09CfS
戦国時代の逸話で
うどんやお茶売りやまんじゅ売りの商品買って飲み食いしたり
長陣になったからふんどし売りから新品買った、とかの話あんま見んね
室町の町民なんかはよく外食産業(というかファーストフード?)利用してたみたいだし
合戦の絵図なんかでは物売りとの売買の様子描かれてたりするし
雑兵レベルで陣中の物売りに纏わる話ぐらいあっても良さそうなんだけど…
このへんの一般庶民の生活関係って文書記録にはあんまり残ってないんかな?
(政治経済軍事関連じゃないし記録する価値ないから?)
930仙台藩百姓:2010/03/22(月) 10:38:38 ID:Ce8/ok1R
慶長十六年十月二十八日に陸奥に津波が押し寄せ家屋や人馬が流され死者を多く出した
この日、伊達政宗公は肴を求める為に侍を二人を海に遣わした
二人は漁師を集め釣り舟を出さんとしたが、漁師は
「今日は潮色が異常で天気も悪いので舟は出したくない」
と申すので一人は「尤もである」と応じて漁を中止する
しかしもう一人は
「主命を請けて行かぬは主君を侮る者だ。止める事はならぬ」
と漁師6〜7人に強いて出航させた
舟が数Km進んだ時だった、突然海面が天をつくほど盛り上がり大波が山の如く押し寄せる
侍と漁師達は肝を消失し茫然自失するところ、船は上手く波の上に乗って沈まず
しばらくすると波の平らかなるところに至る
この時心を静めて眼を開いて見ると、漁師達の漁村近くの山上にある松の傍らにいた
とりあえず舟を松に繋ぐ
そして波濤が去ると舟は松の梢に取り残されていた
その後、漁師達は山を下って麓の村に向かったが
村は何も残らず流失し、逃げ延びた者もなく全員波に沈んで死んでしまった
政宗公はこの事を聞き、生き残った者達に俸禄を与えたのであった
この話しを聞いた徳川家臣後藤庄三郎光次は家康の御前で言上し
「彼らは主命を重んじたからこそ災難を免れ福を得る事が出来た」
と語ったと言う
931人間七七四年:2010/03/22(月) 11:38:10 ID:ta7uaNX0
地球の裏側で、大きな地震でもあったのかな?
932人間七七四年:2010/03/22(月) 11:44:23 ID:235M3sgc
>>930
どちらの考えも正しかっただけに何とも言えないな・・・
海の災害で津波と時化じゃ被害も対策法も全然違う
この時は津波だったから漁に行った漁師は助かり
陸に残った人々は死んじゃったけど
もし時化だったとしたら・・・
933人間七七四年:2010/03/22(月) 12:12:18 ID:HrK+CXXz
いい話でも悪い話でもないな、悲惨な話だ
934人間七七四年:2010/03/22(月) 14:12:52 ID:b3XlViDi
徳川家康は、信長、秀吉と異なり、茶の湯に興味は示さなかったが、茶の心はよく理解していたという。

あるとき、秀吉が聚楽第からの帰り道、伏見の家康邸に寄ることとなった。どうせ秀吉は聚楽第でうまいもの食っているだろうから、
ここはあっさりと茶の湯でもてなそうと考えた家康は、前日、茶壷を自ら開け、家臣に茶をひかせていた。
ところが、翌日家康が確認すると、茶の量が減っていた。家臣に聞いたところ、小姓が間違えて飲んでしまったという。
仕方なく家康がもう一度茶をひかせようとすると、家臣の一人が
「このままでは秀吉様の到着に間に合わないですし、残っている茶の分量でも大丈夫ですからそれを使っては」とアドバイス。
これを聞いた家康はかんかんに怒り、
「自分の家臣ともあろうものが、どうしてそうも心得がないのか。たとえ遅れて、秀吉殿が機嫌を悪くしたとしても、
残り物で人をもてなすなど人の道に外れる。そんな心がけでは、お前の奉公心というものも正しくないぞ。」と戒めた。

それにしても、茶の湯に関することでも説教話になるところが家康の面目躍如といったところであろうか。
935人間七七四年:2010/03/22(月) 14:23:53 ID:y6YxjarH
残り物の茶はもったいないから持って帰るんですね。わかります。
936人間七七四年:2010/03/22(月) 14:28:47 ID:dB+DUQm3
家康は普段のケチはともかく、人のもてなしについてはハンパなかったらしいからね。
信長が冨士遊覧の時、家康の接待の豪華さに驚いたって話が残ってるし。
937人間七七四年:2010/03/22(月) 14:41:45 ID:DjxSKN+r
吝嗇なんてヤダヤダヤダ全部派手にする!と
使うべきときに備えての吝嗇さと
金使うなんてヤダヤダヤダの吝嗇さ、か…
938人間七七四年:2010/03/22(月) 14:52:01 ID:WP0Qj2FX
>>931
三陸沖地震シリーズのひとつ、慶長三陸地震だと思います
漁に出た人達も、港に帰ってきたタイミングで津波が来てたら(ry

それにしても津波の高さ38mって想像しただけで死にたくなるなあ
リアス式海岸こわすぎる
939人間七七四年:2010/03/22(月) 15:16:52 ID:K9AokoXm
もしもの時のための保険や貯蓄としてケチってる人と
ただ単に欲深なだけでケチってる人の違いだろうか
940人間七七四年:2010/03/22(月) 17:03:48 ID:Vip3C9RO
又左.....。
941人間七七四年:2010/03/22(月) 18:41:13 ID:+2AkejU7
金の話が出てきたので当時最大級の金持ち大内さん景気のいい話。
勘合貿易はものすごく儲かったらしく「臥雲日件録」(相国寺僧端渓周鳳の日記)によると
最盛期のある年の輸出総額は600万貫あったそうだ。
勘合貿易には船の決まりがあり幕府=2500石、大内=1800石、細川1200石。
それからざっと計算すると大内さんの取り分は約200万貫。一文を10円とすると200億円の輸出益。

で、得られた銭のうちどのくらい輸入に回したかは不明だがかなりボロ儲けの商売だったようだ。
幕府の貿易顧問の楠葉西忍によると
古金蘭・書画・骨董品は仕入れ値の10〜100倍で売れた。
唐糸1斤250文は5貫で売れた。
生糸2斤(10貫相当)は40〜50貫で売れた。
これだけ儲かってるから山口京都化計画もできたんだろうな
942人間七七四年:2010/03/22(月) 18:44:39 ID:+2AkejU7
因みにこれに目をつけたソーリンは弟を使って勘合貿易をやろうとしたけど

明皇帝「てめぇは大内ちゃうやろ」
とあっさりバレたそうだ。
943人間七七四年:2010/03/22(月) 19:38:58 ID:mB+2/skb
金の話といえば関ヶ原の合戦後石田三成の佐和山城は空っぽだったが
同じ五奉行の長束正家の居城には大量の金が残されていたとか。
三成はすべてを投げ打って合戦に臨んだが長束はこっそりため込み金を惜しんだ。
944人間七七四年:2010/03/22(月) 19:51:13 ID:gCMz6UWP
巻き込まれた人と首謀者いっしょにしてやんなや
945人間七七四年:2010/03/22(月) 20:02:26 ID:eA3OzKPB
三成は挙兵の中心人物なんだから
それくらい当然なんじゃないの
19万石の身分で五大老筆頭に刃を向けようとしたんだし
946人間七七四年:2010/03/22(月) 20:06:38 ID:e8mJek2u
>>942
義長は大内家の後継者として明側に認められなかったとかなんとか
947人間七七四年:2010/03/22(月) 20:16:47 ID:jskK3Xrs
まあ明って、懐良親王を日本の国王だと思ってて、室町幕府を最初は全く相手にしてなかったくらいだそうだしね
948人間七七四年:2010/03/22(月) 20:58:07 ID:+2AkejU7
200万貫あったら戦国大名として具体的にどんなことができるの?
官位をもらう、兵を雇う、武器を買う、寺を建てる、インフラ整備、美少年を集める、
他に
949人間七七四年:2010/03/22(月) 21:59:09 ID:sSlGd369
>200万貫

えーと、人間なら家康を2000人買える金額(ちなみに影武者なら40万人)。
950人間七七四年:2010/03/22(月) 22:14:16 ID:WwTfKQ/+
そう言えば、土佐一条氏も遣明貿易でかなりの財力があったみたいだね
大内家と土佐一条家は縁戚関係にあったけど、貿易つながりだったのかな

951人間七七四年:2010/03/22(月) 22:24:03 ID:dB+DUQm3
>>948
信長が堺に求めた矢銭が「2万貫」本願寺には「5千貫」。
堺も本願寺もこれに反発して戦争を覚悟した。ここから200万貫の価値は推して知るべし。
952人間七七四年:2010/03/22(月) 22:28:51 ID:v4oZgLP4
うまい棒に換算してくれ
953人間七七四年:2010/03/22(月) 22:32:23 ID:1UQbZWfN
うまい棒で一国が作れる
954人間七七四年:2010/03/22(月) 22:34:53 ID:RWN5p+US
>>948
200万貫あったら、茶壺を100箇買える金額。
955人間七七四年:2010/03/22(月) 22:36:38 ID:wj6SNvYD
今さらだけど一貫って今の価値でどんなもんだろ
956奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/22(月) 22:36:58 ID:gwmM+Y70
>>952
明の民を半分くらい寝返らせられるくらい。
957人間七七四年:2010/03/22(月) 22:50:01 ID:dB+DUQm3
>>955
信長の当時兵士一人を1年間雇うと7〜10貫かかったらしい。
ここから、仮に年収が現在の200万円相当だったとすると、1貫は20〜30万円くらいだな。
958人間七七四年:2010/03/22(月) 23:16:36 ID:oXtKNKOs
武功立てたもんにゃあ10貫文の天目くれてやらあ
959人間七七四年:2010/03/22(月) 23:28:10 ID:Y41OAUEK
たしか爆弾正は九十九茄子を1000貫文で買ったんだよね
するってぇと2〜3億円!
これは信長にアッサリ献上したけど
古天明平蜘蛛は幾らぐらいの価値だったんだろう
960奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/03/22(月) 23:34:09 ID:gwmM+Y70
2〜3億円で国が動くって逆にすごくないか。
961人間七七四年:2010/03/23(火) 06:56:03 ID:K4RWDF2J
当時の名物茶入の価格が現在価値でおよそ三千万円から六千万円くらいと言われているから
200万貫で1000億円相当というところだな。
>>960
大臣でも数千万〜数億の賄賂を貰えば動くだろう。
962人間七七四年:2010/03/23(火) 07:44:27 ID:gb3vtZ+A
>>941
義隆様は金使いが荒すぎてせっかく勘合貿易で得た利益を数年で使いつくしてしまい、
民に重税をかけたので陶隆房から換言を受けています

義隆の金使いの例として、
当時の一流学者、清原宣賢の持つ「四書五経諺解」の写し代に
銭五万匹(米換算で数十石)をあっさり支払っています
こんなのが積み重なればそりゃあなくなるわな…という悪い話
スレ違いごめん
963人間七七四年:2010/03/23(火) 07:49:06 ID:gb3vtZ+A
換言→諫言のまちがい
964人間七七四年:2010/03/23(火) 13:01:51 ID:35lM36dJ
一方、ケチなことにかけては右にも左にも出るものがいない純岡山県民の宇喜多さんは、
金が足りなくて山賊まがいのことをやっていた
965人間七七四年:2010/03/23(火) 13:07:05 ID:nDC7j7ou
山賊「まがい」じゃないよな


まぁ、正しくは夜盗とか野伏とかになるんだろうけど
966人間七七四年:2010/03/23(火) 13:10:03 ID:yvUoGU3f
その日暮らしじゃない、先を見据え武力行使も止む終えない窃盗団か
性質悪いな
967人間七七四年:2010/03/23(火) 13:11:06 ID:K4RWDF2J
食費削減のための断食を実行していただろ>宇喜多
968人間七七四年:2010/03/23(火) 14:37:00 ID:oi5gdyNo
針すら貯蓄するって言われてたのは北条早雲だっけか。
969人間七七四年:2010/03/23(火) 15:58:34 ID:61kbd/Id
>>968
いい話じゃないが、気にせず投下

善七釘

織田信長の側近の矢部善七郎家定は、将来を嘱望された男であった。
本能寺の変により幻に終わった四国征伐では、大将として淡路国衆を率いる予定だった
武将である。
そんな矢部も秀吉の下では鳴かず飛ばずで、身上は5000石前後に止まった。

さて、矢部の趣味と言えば蓄財で、暇を見つけては家来にノルマを課して竹を削らせ釘を
作り、その釘は「善七釘」と呼ばれるほど売れた。
しかし、心ある者は
「武士たるものはその本分を尽くして名を挙げるべきところ、善七はまるで職人みたく竹釘
を削って名を挙げている。ばかじゃね?」と彼を嗤い者にした。

そんな矢部は、自分の情けなさに耐えきれずとうとう自害したという。
970人間七七四年:2010/03/23(火) 17:37:42 ID:qIvtgn3o
>>968
その後に玉をも砕く大胆さと続く

金は貯めるだけでなく、遣い処も重要
971人間七七四年:2010/03/23(火) 18:20:03 ID:WkKmt7Gg
まとめ見てきたけど、小山田信有(出羽守のほう)の話が無い…
やっぱりマイナーすぎるのか?それとも息子のせいなのか?
972人間七七四年:2010/03/23(火) 18:21:10 ID:nDC7j7ou
心当たりがあるなら書いてしまえばいい
恐れることはない
973人間七七四年:2010/03/23(火) 20:43:26 ID:sUpmCRPf
天正十四年(1586)、秀吉の妹朝日姫を娶った徳川家康は、ついに秀吉への臣従のため、
上洛を決断する。しかし徳川家中の者たちには、未だ圧倒的に反対であった。

家中の者たちを集めた場で、重臣筆頭の酒井忠次は皆を代表して言う

「今上洛なさると言うのは、道理に合わないお考えであります!どうかお考え直し下さい、
秀吉と断行することになっても構わないではありませんか!」

小牧長久手での勝利のこともあり、また石川数正を引き抜くなどの、秀吉の対徳川の姿勢にも
我慢のならないものが有ったのであろう。
忠次の発言に和すように、場の者たちも口々に叫んだ

「左衛門督(忠次)殿のおっしゃるとおりです!断れば秀吉と断行になるからと言って、
上洛されると言うのは納得出来ません!どうか、上洛のことはお考え直し下さい!」

これをじっと聞いていた家康は、静かに語り始めた

「左衛門督を始め、皆はどうしてそのように言うのか。
もしわしが上洛して秀吉に腹を斬らされる事になったとしても、それはわし一人の腹を斬って
万人を助けることになるのが、わからないか?

今回、わしが上洛しなければ間違いなく戦になるであろう。
秀吉がたとえ百万の軍勢で攻め寄せてきても、一合戦でなら討ち破ってやる自信はある。
…が、戦というものはそういう物ではない事は、皆もよく知っているではないか。
わし一人の決断の間違いで、多くの民百姓、諸侍を山野に野垂れ死にさせることになれば、
そのたたりこそ恐ろしい。

今回上洛すれば、間違って腹を切る事になっても、断行して戦をするより、わし一人の命で
多くの人の命が助けられる。その事理解できぬお前達ではあるまい。
だからこれ以上なんだかんだと申さず、わしを上洛させ多くの命を助ける手助けをせよ。」

この言葉に、忠次も屈した。
「…そのようにお考えであれば、もはや何もいいません。どうか、御上洛なさって下さい!」

家康はカラリと言った
「それでこそ、重臣の返事だ。」


三河物語に見える、家康、上洛決断についてのお話である。
974人間七七四年:2010/03/23(火) 21:15:09 ID:xl2qynza
作左「さて薪の準備でもするか、重臣として」
975人間七七四年:2010/03/23(火) 22:34:32 ID:Ge+Zn+/u
なんか芝居くさいな。家康と忠次の。
976人間七七四年:2010/03/23(火) 22:44:32 ID:03zdKkJh
三河物語だから嘘くさい。
977人間七七四年:2010/03/23(火) 22:49:11 ID:g+kg2ery
家康・忠次「こうでもしねーとめんどくさいんだよ!」
978人間七七四年:2010/03/23(火) 23:04:59 ID:r72qgerg
>>970
何か金の玉を砕くのを想像しちまった
979人間七七四年:2010/03/24(水) 00:14:28 ID:sGuRgWYh
そろそろ新スレたててみる
980人間七七四年:2010/03/24(水) 10:23:38 ID:aK1ag1IH
●あるからやってみる
981人間七七四年:2010/03/24(水) 10:24:08 ID:sGuRgWYh
昨日立てようとしたら鯖落ちしたので今やっと立てた。遅くなってすまん。

戦国ちょっといい話19
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1269393777/

ここ埋まったら移って下さい。
982人間七七四年:2010/03/24(水) 10:25:16 ID:aK1ag1IH
重複で建ててしまった
スマン
983人間七七四年:2010/03/24(水) 10:27:06 ID:sGuRgWYh
>>982
いや、こちらこそなにか言ってから建てるべきだった。スマン。
後に立った方は残っていれば再利用ということでどうか…
984人間七七四年:2010/03/24(水) 11:19:57 ID:3knLEu0D
重複スレも貯蓄して、大事に使いましょう
985人間七七四年:2010/03/24(水) 11:27:09 ID:1GoD+V02
使うなどとんでもない。
溜めるだけ溜めるのじゃ
986人間七七四年:2010/03/24(水) 13:03:18 ID:YPTlBRwQ
埋めがてらにプチネタ

三河に阿部淡路という人がいた。
この人は松平譜代の阿部正勝の兄弟とも子ともいわれる人で、
ある時から武者修行の旅に出ていたという。

その阿部淡路、永禄12年ごろ、武者修行の一環で奥州は大森に赴いていた。
当時大森を治めていたのは伊達実元である。
いったいどこから聞きつけたのか、阿部淡路はその伊達実元に召し出された。

実元「そのほうが阿部淡路か。武者修行をしておるそうな、天晴れ見上げた心意気である」
阿部「は、恐れ入ります」
実元「そこでだ、その天晴れなお主を見込んで頼みがある」
阿部「は、なんなりと」
実元「実は去年、わしに子ができてな。いやーもうかわいいのなんの」
阿部「はぁ」
実元「それでね、うちの子にはちゃんとした守り役をつけてやらないといけないなーと思ってね」
阿部「はぁ・・・え?」
実元「というわけで、うちの子をよろしくお願いします」
阿部「ええええええええ」

そんなこんなで、阿部淡路は当時2歳だった成実の守り役におさまり、
なんだかんだでそのまま仕官、阿部家はその後亘理伊達家に末永く仕えることになる。
もうちょっとハートフルな話があったのかもしれないが、それは伝わっていない。
そういえば輝宗も片倉景綱を「笛が上手かったから」で拾って政宗の守り役にした説話があったり
勢いで息子の守り役を決めちゃうのは伊達家の血なのだろうか・・・?
987人間七七四年:2010/03/24(水) 13:47:39 ID:zooLblaE
>>973
団体交渉、略して断交でつね。

>974
大政所ガチ涙目だから勘弁して……
988人間七七四年:2010/03/24(水) 13:53:26 ID:WTBHJbxq
>>987
大政所様のお体を気遣っての暖房だから、気にするな。
間違って火事になった場合は大目に見てくれ。
989人間七七四年:2010/03/24(水) 14:10:02 ID:XeCGHHrn
>>986
常識的に考えると、何かのつてがあって仕官した・・のか?
990人間七七四年:2010/03/24(水) 15:02:33 ID:rJu8Eq8V
>>985
接して漏らさずですねわかります
991人間七七四年:2010/03/24(水) 15:30:53 ID:bu1hzvDQ
つうか普通に仲介者が居るんだよ
大体は僧侶の紹介
992人間七七四年:2010/03/24(水) 17:58:39 ID:UPXJBA4x
「武者修行してます^^」って言っておかないと、「死ねェ間者ァ!」とか問答無用で殺されるからな。 戦国時代はまこと仏僧な時代でござる。
993人間七七四年:2010/03/24(水) 18:00:04 ID:wMJV9ME3
武者修行中って幟を立てて歩いてたんか?
994大内義隆:2010/03/24(水) 18:25:27 ID:y0PBMvAU
「僧侶がいい男を紹介してくれるとな!?」
995人間七七四年:2010/03/24(水) 19:11:35 ID:WTBHJbxq
>>993
比武招親?
996人間七七四年:2010/03/24(水) 20:09:35 ID:08kRNJAB
>>974

超時空太閤H「せっせと薪を積み上げて
       まことに三河武士はいじらしいのう
       そんな苦労をせぬようにわしが三河を火の海にしてやろう

     ;:;:;.
     ;:;:;              ,、-ー-、              ど
     ;:;:            ,r'"´ ̄`ヾ、             明  う
     ;:;:.            リ ,,, ニ ,,,_ ヾト、            る  だ
     :;:;:;.             ,ハ ^7 ,^   !.:.\          く
     ;:;:;:           /.:.:.V,r''''''ゞyイ.:.:.:.:..ヽ       な
     ;:;:.         ノ.:!:.:.:.:`ゞ-<7.:〉.:.:.:i.:.:}   ろ  っ
     从 __  _,,,/.:.:/:.:.:.:.:.:| }-{/i.:/.:.:.:.:|.:/     う  た
      从从三河}と_」.:/!.:.:.:.:.:.:.!  ̄ リ.:.:.:.:.:り     ?
         ̄ ̄    ̄  |.:.:.:.:.:./_ :__ヽ.:.:.:.:\
                \/.:.::..:.:.:.:.:.:..:\:.::./
                /.:.:.:.:.:.:.「^Y.:.:.:.:.:.:|´
                 {.:.:.:.:.:.:.:.| ,!.:.:.:.:.:.:|
                  \.:.:.:.:.:.V.:.:.:.:.:.:.:|
                  \.:.:.::|.:.:.:.:.:.:.:!
                    > 'ゝ─‐イ、
                    `ー' ``''ー‐'
997人間七七四年:2010/03/24(水) 20:13:27 ID:5srNtm4H
三河w
998人間七七四年:2010/03/24(水) 20:36:58 ID:6hG+YHEt
>>996
追いつめられた三河武士が何をやるか、みせてやるわ
999人間七七四年:2010/03/24(水) 20:41:00 ID:3MXZgumC
追いつめられた三河武士「切腹するッ!!」
1000人間七七四年:2010/03/24(水) 20:41:38 ID:WTBHJbxq
脱糞
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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