伊達政宗の凄い所って何?

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646人間七七四年
8/18岩手沢城に着き家康は正宗のために岩出山城修築の任に付く。
9/20旧伊達領加増の知らせを受けた氏郷は
早速に同日付けでその知らせを書いて報せる書状内で
氏郷は政宗に「御養生ください」と書いており
ひねくれた正宗の仮病による子供じみた豊臣政権への抗議が窺える。

天正19年9月22日大谷→政宗宛
「九戸征伐軍は北上谷を帰還している途中だが
水沢城は白石氏、江刺城は当初は北目氏が受領の予定が桑折氏に変更と
政宗から通達があったにも関わらずいまだ赴任の様子が伺えない。
この急ぎの飛脚が着き次第、誰でもいいから城主として赴任させろや。
しからざれば中納言秀次様にチクって厳罰に扱うから覚悟しなさい!」

氏郷相手に仮病を使ってダラダラしていた
ふて腐れ政宗だったが超焦って9/23付けで
急ぎ長井城を引き払って出発するマヌケぶりを晒すw
相変わらずの愚主ぶりを示す政宗公であった。