【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ15【東軍】

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1人間七七四年
130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十五弾です。

過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176221394/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 ※12
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ14【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253350983/
2人間七七四年:2010/01/30(土) 09:14:19 ID:UIoYOc1y
松尾山の>>1へ乙鉄砲を放てえ!
3人間七七四年:2010/01/30(土) 09:32:01 ID:1XAVbgCz
藤井治左衛門『関ケ原合戦史料集』(新人物往来社、1979年9月20日発行)

池田公一「相良頼房と関ケ原合戦」(『戦国史研究』19号、1990年2月28日発行)

會田康範「石田・上杉共謀説について」(『戦国史研究』23号、1992年2月29日発行)

笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館、1993年2月25日発行)

笠谷和比古『関ケ原合戦―家康の戦略と幕藩体制』(講談社、1994年2月1日発行)

四本健光「島津氏と関ヶ原合戦 −島津義弘の参戦事情と徳川の島津処分」(『鹿児島大学教育学部研究紀要』18巻<人文社会科学編>、1996年)

西本誠司「関ケ原合戦前の島津氏と家康」(『戦国史研究』34号、1997年8月25日発行)

宮本義己「徳川家康の人情と決断−三成゛隠匿″の顚末とその意義」(『大日光』70号、2000年3月26日発行)

笠谷和比古『関ケ原合戦四百年の謎』(新人物往来社、2000年6月10日発行)

4人間七七四年:2010/01/30(土) 09:32:41 ID:1XAVbgCz
桐野作人『真説 関ヶ原合戦』(学習研究社、2000年9月13日発行)

藤井尚夫『フィールドワーク関ケ原合戦』(朝日新聞社、2000年9月15日発行)

笠谷和比古『関ケ原合戦と近世の国制』(思文閣出版社、2000年12月20日発行)

林千寿「関ケ原合戦における細川家−その動向と動機」(『熊本史学』76・77合併号、2000年12月20日発行)

宮本義己「徳川家康の豊臣政権運営−「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して」(『大日光』74号、2004年3月26日発行)

布谷陽子「関ケ原合戦の再検討―慶長五年七月十七日前後」(『史叢』73号、2005年)
5人間七七四年:2010/01/30(土) 09:33:27 ID:1XAVbgCz

宮本義己「内府(家康)の公儀掌握と関ケ原合戦」(『大日光』76号、2006年3月17日発行)

白峰旬「関ケ原の戦いに関する時系列データベース―城郭関係史料を中心として」(『愛城研報告』10号、2006年8月発行)

福田千鶴『淀殿』(ミネルヴァ書房、2007年1月10日号発行)

光成準治「関ケ原前夜における権力闘争−毛利輝元の行動と思惑」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)

三池純正『敗者から見た関ケ原合戦』(洋泉社、2007年5月22日発行)
6人間七七四年:2010/01/30(土) 09:35:02 ID:1XAVbgCz

土居聡朋「関ケ原合戦における四国侵攻と武井宗意」(『地方史研究』57巻4号、2007年8月1日発行)

田端泰子『北政所おね』(ミネルヴァ書房、2007年8月10日発行)

布谷陽子「関ケ原合戦と二大老・四奉行」(『史叢』77号、2007年9月30日発行)

笠谷和比古『戦争の日本史17 関ケ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年11月1日発行)

笠谷和比古『関ヶ原合戦』(講談社学術文庫、2008年1月10日発行)

笠谷和比古「関ケ原合戦余聞−「三成、家康屋敷に逃げ込む」の嘘」(『本』33巻2号、2008年2月1日発行)

平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)
7人間七七四年:2010/01/30(土) 09:37:33 ID:1XAVbgCz

宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年3月31日発行)

白峰旬「関ケ原の戦いに関する再検討」(『別府大学大学院紀要』10号、2008年3月発行)

三宅正浩「「秋長」書状の年代比定をめぐって―関ケ原合戦と蜂須賀家政」(『ヒストリア』210号、2008年6月10日発行)

太田浩司『近江が生んだ知将 石田三成』(サンライズ出版、2009年3月1日発行)

水野伍貴「近世初期における豊臣氏と「大坂」」(『日本地域政策研究』7号、2009年3月31日発行)

光成準治『関ケ原前夜―西軍大名たちの戦い』(日本放送出版協会、2009年7月30日発行)

高橋明「会津若松城主上杉景勝の戦い・乾―奥羽越における関ケ原支線の顛末」(『福大史学』80号、2009年10月30日発行)
8人間七七四年:2010/02/01(月) 04:11:50 ID:IZSlgu+o
関山合戦について聞きたい
上杉軍が伊王野口に進軍してきて東軍と合戦になったということは
上杉の関東侵攻とみていいのか?
9人間七七四年:2010/02/05(金) 23:17:14 ID:nu3tEFiT
>>8
明確に侵攻の意図があったかかはどうかなぁ

伊王野資信の方がむしろ先にしかけてるし
10人間七七四年:2010/02/10(水) 17:39:46 ID:D7lE1EMi
11人間七七四年:2010/02/11(木) 19:41:22 ID:Gn+LmMvk
>>8
あれは威力偵察だろ
12人間七七四年:2010/02/22(月) 07:45:50 ID:PKSdegtU
保守 age
13人間七七四年:2010/02/22(月) 09:52:42 ID:P+nn29yK
 
関ヶ原の戦いの目的は薩摩を滅ぼすこと

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

石田三成は当初から徳川家康と共謀していた。

ここでも家康はしくじった・・・・・・。
14人間七七四年:2010/02/22(月) 23:02:20 ID:EPtQg8x1
関ヶ原の真実か・・
シーマンズの秘宝を狙った家康が。。
http://www10.plala.or.jp/the-vsop1985/
15人間七七四年:2010/02/24(水) 08:35:21 ID:bmNSd4YA
その時歴史が動いた 海の関ヶ原 〜村上武吉〜
http://www.youtube.com/watch?v=qpKpTF4ZKOE

関ヶ原の裏で、そんな大海戦があったっけ? と思ったら、なんじゃそれは・・・
しかも、番組的には散々持ち上げた村上水軍を翻弄した、凄い策略家のはずの相手方の名前は何故か出さない。

まぁ、加藤忠明とか佃十成なんて挙げても、誰も分からんだろうしな。
主君の嘉明も七本槍の1人ってだけで、一般的にはマイナーに属すだろうし、
村上武吉ですら「それは誰ですか?」という視聴者向けの番組だし・・・。
16人間七七四年:2010/02/24(水) 09:12:22 ID:lhGxfqNR
親子に別れて闘った九鬼水軍の方がドラマになってるな
17人間七七四年:2010/02/24(水) 22:05:19 ID:drpOKt5v
調べれば調べるほど西軍は負けるべくして負けた、という感想しか出てこないな。
その範囲内で三成達は頑張ったとも思うが。
18人間七七四年:2010/02/26(金) 23:56:03 ID:gT3ahcms
伊勢湾の制海権に興味がある
長島城が落ちなかったのは
制海権の問題のような気がする
どこかに詳しい資料ないかい 
19人間七七四年:2010/03/04(木) 19:22:15 ID:6z83B5Eg
関ヶ原ので水軍て、小説でも九鬼水軍くらいしか出てこないけど、
毛利水軍が四国に出てて、徳川水軍は遅刻だっけ。
長宗我部とか他の水軍は、どうしてたのかな。
20人間七七四年:2010/03/04(木) 19:55:17 ID:3YnrmnA4

常日頃から2ちゃん工作していた朝鮮人がキムヨナの審判買収工作をバラされた
腹いせに2ちゃんを一斉に奇襲しサーバーダウン!
 ↓
実は2ちゃんサーバーはアメリカにあった!
 ↓
しかも米軍や米政府機関も利用するデータセンターだった!
 ↓
アメリカも甚大な被害を受けついにFBI出動で朝鮮人ガクブル!
 ↓
なぜか毎日新聞が「2ちゃんサーバーがアメリカにあったなんてズルいニダ!日本に移すニダ!」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267690503/
 ↓
常日頃から2ちゃん工作していたのは朝鮮人だけでなく反日の毎日新聞もという証拠か!
今回の2ちゃん攻撃に毎日新聞も参加していた!?

>竹島(韓国名・独島)の領有権を主張する韓国の
>サイトが日本から攻撃を受け、接続障害が起こったという。

こんな話聴いたことも無いw朝鮮人の自作自演の揉み消し工作に加担するクソ新聞は
過去にこんな騒動も起こしていた!w

毎日新聞の在日記者「朴鐘珠」が天皇皇后を佐賀に呼ぶなと知事に要求 【動画有】
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1162128537/
21人間七七四年:2010/03/05(金) 21:11:16 ID:4KsUi6sQ
>>18
安濃津に西軍が集中したからじゃないの
隣の氏家だけじゃ攻めきれないでしょ
22人間七七四年:2010/03/05(金) 23:39:47 ID:Dp6LjTPl
>>19
毛利系の水軍は尾張、伊勢あたりでも動いてますよ。
その時の首注文が残ってる。

あと、逸話の類では村上彦右衛門も伊勢方面に水軍で進出していたと出てきますね。
23人間七七四年:2010/03/10(水) 20:44:44 ID:IvX8EYhG
「海の関ヶ原」でゲスト出演していた笠谷先生の講演がある。

3月20日(土)午後2時〜3時30分
関ヶ原町ふれあいセンター

講演:笠谷和比古「関ヶ原合戦の真相」

主催:関ヶ原町教育委員会
24人間七七四年:2010/03/10(水) 21:13:16 ID:JB1q3X7P
暇人は聞きに逝ってくらさい。
25人間七七四年:2010/03/11(木) 00:36:45 ID:MGYgTuUn
>>23
> 「海の関ヶ原」でゲスト出演していた
笠谷氏の枕詞としてはなかなか斬新ですなww
26人間七七四年:2010/03/11(木) 11:17:14 ID:OjjSf30R
ちぇすと逝け、関ヶ原!
27人間七七四年:2010/03/12(金) 20:51:54 ID:vT0sdzgU
今度の出題は関ヶ原!

http://www.sengoku-kentei.jp/
28人間七七四年:2010/03/13(土) 19:51:56 ID:dADa6sEi
TV見てたら
速玉大社の宮司さんが九鬼さんだった
29人間七七四年:2010/03/20(土) 21:56:20 ID:sM17qOQF
保守 age
30月孔雀:2010/03/20(土) 22:23:41 ID:L5sp2GTD
革新あげ
31人間七七四年:2010/03/20(土) 22:35:21 ID:hZg7QQfm
あの時代、皆、何を食べてたのだろう。
戦場では米と塩ぐらいか?
32人間七七四年:2010/03/21(日) 00:25:21 ID:BI837eX/
>>31
戦場では米、塩、味噌。
33人間七七四年:2010/03/21(日) 00:26:17 ID:fPMwC2i5
焼きおにぎりとインスタント味噌汁
34人間七七四年:2010/03/22(月) 23:24:41 ID:40hYBTGy
EAのロードオブシリーズにちょうどいい大軍対大軍の戦略ゲーがあるからやってみ
興味深いのは、一見面白いように人がバタバタと死んでいくんだけど
2時間ぶっ続けでやってたくさん殺したなぁと思って結果見たら殺害数1000人程しかないという・・・
35人間七七四年:2010/03/23(火) 11:29:15 ID:yJmuY1OX
>>16
父親はなんで腹切ったの?
息子が助命嘆願して家康はOKだしたって話らしいけど
いまさら情けなど要らん!って感じだったんだろか
36人間七七四年:2010/03/23(火) 11:33:46 ID:qIvtgn3o
知らせが届く前に切腹
37人間七七四年:2010/03/23(火) 15:13:02 ID:sUpmCRPf
>>35
息子の守隆から「助命のOKもらったよ!」って知らせが届く前に、
家臣の豊田五郎右衛門が嘉隆に

「ねえ西軍負けたよ、わかってるでしょあんた生きてると九鬼家の迷惑になるんだから
自分の始末くらい自分でつけなよ」

って言われて、嘉隆も「OK了解」って言って切腹。
んで、自分の助命嘆願が無駄になったことを知った守隆はあとで
豊田五郎右衛門を鋸挽きという命をはったズッコケコント。
38人間七七四年:2010/03/23(火) 16:51:25 ID:yJmuY1OX
なるほど オヤジさんが先走ったのか
家臣が進言したと言っても覚悟の上だったんだろうけど
それにしても流石は戦国の海賊、親父も息子もなんか壮絶ねw
お家の為に良かれと思った?(実は保身第一?)家臣は(´・ω・)カワイソス
39人間七七四年:2010/03/30(火) 07:01:10 ID:KhyaCa/X
 
40人間七七四年:2010/04/09(金) 08:48:08 ID:6RWpyU1A
保守
41人間七七四年:2010/04/10(土) 00:04:05 ID:HHKHzQ/q
板全体の異常な過疎っぷりは規制の所為?
42人間七七四年:2010/04/10(土) 06:10:35 ID:ukYBwUkA
2ちゃんねらーに人気がないだけでは?
43人間七七四年:2010/04/10(土) 10:48:48 ID:M/sxzY41
ネタの出尽くし、議論のやり尽くし
香ばしい新人が出てくれば一斉に叩きが始まると思うが・・・
44人間七七四年:2010/04/20(火) 20:20:27 ID:9d/CY3HX

林千寿「慶長五年の戦争と戦後領国体制の創出―九州地域を素材として―」(『日本歴史』742号、2010年3月1日発行)
45人間七七四年:2010/04/20(火) 21:36:15 ID:c9qJy1zO
小説によると
徳川家康は藤堂高虎の強い斡旋により
長宗我部の名跡と土佐を津野親忠(長宗我部盛親の実兄)に
譲り渡そうかと思ってたところ盛親の家老が津野親忠を関が原後に殺害してしまい
家康は激怒→長宗我部家アボーンとなってたけど、これって史実?
46人間七七四年:2010/04/20(火) 21:38:29 ID:26dkPRRV
>>45
> 徳川家康は藤堂高虎の強い斡旋により
> 長宗我部の名跡と土佐を津野親忠(長宗我部盛親の実兄)に
> 譲り渡そうかと思ってたところ

この部分は空想


> 盛親の家老が津野親忠を関が原後に殺害してしまい
> 家康は激怒→長宗我部家アボーンとなってたけど

この部分は史実
47人間七七四年:2010/04/20(火) 21:45:05 ID:c9qJy1zO
>>46
解説サンクス
48人間七七四年:2010/04/21(水) 01:21:22 ID:ZIivvyJn
書店で日本史の歴史年表・地図を買ってきたんだけど、関ヶ原直前の各大名の領地図見てみると、
信濃飯山4万石の領主が「皆川重村」って書いてあるんだけど、これ誰?
歴史群像シリーズの関ヶ原の見ても同じこと書いてたけど、多分誤植だと思うが…。
関一政はちゃんと美濃に移ってるし、皆川広照が飯山に移封されるのは関ヶ原後だし。
時期的には1598〜1603年なんだけど、この辺のこと詳しく知ってる人居ます?
49人間七七四年:2010/04/21(水) 08:09:59 ID:aTD7f+JM
平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)
50人間七七四年:2010/04/21(水) 12:47:52 ID:GiT5zLFc
>>48
関ヶ原当時の飯山は森忠政の領地
そもそも皆川重村って誰だ?そんな大名は西軍にも東軍にも存在しない  
51人間七七四年:2010/04/21(水) 16:44:10 ID:M13u/y+m
>>50
うちにある日本史年表・地図(吉川弘文館・第16版)見ると確かに書いてあるな。
歴史群像シリーズの「関ヶ原の戦い」にも同じ内容だった。

↓参考資料
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0110934420
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0106258065

誤植にしても変だな。いったい何と間違ってたんだ?
52人間七七四年:2010/04/22(木) 23:56:19 ID:SEwGVcFx
皆川重村は皆川広照との勘違いでしょう
さらに信濃飯山4万石の大名になるのは関ヶ原後の話しだから
二重のミスですね
53人間七七四年:2010/04/23(金) 01:28:27 ID:JpFASJ9g
専門書なのに16版も出しといてどんなミスだ出版社w
しかもそれを引用してる歴史群像もw

でも日本史辞典とか他の資料見ると確かに空白期間あるんだよね。
関一政が美濃に移封してから関ヶ原後に森忠政が入るまで1,2年ほど。
54人間七七四年:2010/04/23(金) 01:57:31 ID:XlU2lhuD
関ヶ原時は森忠政が暫定的に入ってたんじゃないか
55人間七七四年:2010/04/23(金) 02:23:22 ID:uH0pJvmI
そう、関一政と森忠政は関ヶ原前に入れ替わり
西軍につくと思っていた森忠政が東軍について三成が悔しがったのは有名な話し

これ面白いな

http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/tadamasasyojo.htm
56人間七七四年:2010/04/24(土) 00:56:35 ID:wXnvNZ7j
昔から持ってたけど全然気づかなかった>吉川弘文館
よく見ると面白いな。飯山4万石が皆川重村、森忠政が川中島13万石、関一政が美濃・多良3万石となっとる。
57人間七七四年:2010/04/24(土) 07:23:39 ID:7c9e4I9/
海津城主の田丸直昌も美濃に送り込まれてるな、やはり美濃を押さえたかったんだろう。

森忠政に引き継いだせいで信濃で真田が孤立してしまったのは誤算だったはず。
田丸文書ではしっかりと長束や増田が信濃入りして蔵入地の蔵米を森家に引き渡す処置が取られてるので森忠政の転封は豊臣家公認。
58人間七七四年:2010/04/24(土) 23:56:18 ID:gyGATp5C
田丸もわからんなあ、真田同様岩村城に全軍で篭ればよいのに
本隊はなぜか大坂城までいって終戦だろ
岩村城も東軍に攻められ本城だけ残す状態だったし
大坂までいかなければ中仙道を遮断できたろ
さらにいえば犬山城の開城も防げたはず   
59人間七七四年:2010/04/25(日) 09:07:16 ID:VrXOH4V9
相手が万単位でも岩村ならそうそう陥落しないはずだから抑止力として充分だわな。

ただでさえ堅城だが信忠と秋山が争ってた頃より更に18年かけて改修、増築されてるし。
60人間七七四年:2010/04/25(日) 12:02:36 ID:a4w3S3Xb
うちの嫁さん
伊勢の田丸家の末裔らしい
61人間七七四年:2010/04/25(日) 19:51:44 ID:9oA+a1wy
河尻秀長も本隊率いて三成の元に馳せ参じてる間に居城の苗木城を東軍に落とされてる
まぬけすぎだろ
中山道の東から敵がくるとは思わなかったのかな?
62人間七七四年:2010/04/25(日) 20:01:30 ID:yhY4dG6F
結局西軍が家康の動向を全く把握出来ず、家康がこない以上決戦はまだ先、と考えたことが
そう言った散漫な作戦の原因だろ。
63人間七七四年:2010/04/25(日) 22:43:56 ID:68CPIfFp
関東で家康をフルボッコするか
家康涙目の土下座謝罪してくるとでも思ってたのかな
64人間七七四年:2010/04/25(日) 23:12:46 ID:yhY4dG6F
つーか西軍首脳部は、家康は上杉に牽制されて西上出来ない、って本気で考えてたっぽいけどな。

そういう意味で、上杉の過大評価と家康の過小評価が作戦の根本にあった。
希望的観測を作戦に組み込むと言う、軍事的に最もやってはいけないコトを
西軍はやっていた。
65人間七七四年:2010/04/25(日) 23:19:13 ID:BhtP3fnN
まあ来るにしても、事前に情報が来るはずと思っていた
実際は、え、もう来た!
66人間七七四年:2010/04/26(月) 06:47:13 ID:9EZv7lI8
そもそも中仙道部隊は最初っから関ヶ原に行く予定だったのかな?
東海道は諸将が家康に居城ごと差し出しているのに中山道はそれがないもんな
真田がメインの信州平定くらいが目的だったんじゃないの
67人間七七四年:2010/04/26(月) 13:59:09 ID:S1+Q9N5Q
関ヶ原というより美濃に行くのは規定路線
中仙道沿いには城がないんだよ、本当に山道だけ、それでも仙石秀久は小諸城を差し出してる
秀忠の先駆けとして木曽路の確保を命じられた千村良重と山村良勝が実際先行して贄川の関所でも合戦を行なって突破し
江戸から犬山城近くまでの中仙道は東軍が確保している  
68人間七七四年:2010/04/26(月) 14:34:44 ID:gL0uhRzx
中山道の徳川本体は元々真田討伐が主目的だけど
すぐに家康から命令変更が出されてるし、状況次第で色々動かすつもりだったんじゃないの?
北陸で上杉無双始まったらそっちへみたいに
69人間七七四年:2010/04/26(月) 21:32:01 ID:owL1i1VK
森忠政が東濃に土産に置いてった河尻秀長と妻木頼忠

妻木は河尻の監視役か?
70人間七七四年:2010/04/27(火) 00:28:22 ID:CdTix2QZ
妻木頼忠は忠政の家臣じゃないよ
れっきとした独立小大名
71人間七七四年:2010/04/27(火) 01:00:59 ID:WSEoeoqY
そりゃ美濃を去った後は家臣じゃないけども・・・

後々徳川に付くことを示し合わせた上で袂を分かったんじゃないかと思うんだ、森と妻木。
で、動きの読めない河尻やほぼ確実に西軍に付きそうな田丸の連携妨害の役目もあったんじゃないかと。
72人間七七四年:2010/04/27(火) 03:22:22 ID:VNjzZgSF
妻木が西軍だったら遠山や小里が復領するのは不可能だったかな
73人間七七四年:2010/04/28(水) 00:14:19 ID:ELpAF1lL
妻木が東軍につく意思を鮮明にしたのって何月何日だ?
美濃の大名がほとんど西軍につく中、勝算はあったのかね?  
74人間七七四年:2010/04/28(水) 01:07:36 ID:Vk+MJDx7
いつかは分からんが田丸と河尻が出発したあとじゃないと流石に東軍参戦の意向を出せない。

目と鼻の先に敵がいるのにむざむざ城を家臣任せにして出発する間抜けも居ないはず。
75人間七七四年:2010/04/28(水) 06:25:15 ID:Ty653CJr
話ぶった切って悪いけどさ、なんで新庄直頼って西軍についたのにあんな優遇されたの?
秀吉時代に摂津で3万石でお伽衆、なんて地味に優遇されてたのはまあいいとしてもさ、
戦後改易されたはずなのに、幕府開いた翌年には関東で3万石もらって家康のお伽衆なんて、実質的には改易どころか栄転だろ。
本来目立った功績がないどころか、東軍の筒井の居城を陥としてるからマイナス査定の筈だろ。
あの立花宗茂や丹羽長重ですらここまで順調な復活は遂げてないでしょ。
何なのこのジイさま。
76人間七七四年:2010/04/28(水) 08:44:05 ID:3dP6ZpSk
かなり以前(それこそ秀吉が死ぬ前)から家康と誼を結んでおり
西軍参加も周りに東軍がいなかったので仕方なくという形
77人間七七四年:2010/04/28(水) 16:44:33 ID:ELpAF1lL
>>75
家康の囲碁仲間だから
この二人凄く仲がいい
家康の書状にもよく出て来る
上野城は無血開城で名目上の攻め手の大将は長束
その後上野城の守備を任され安濃津城攻城戦には参加してない
大津城開城の時も使者に立ってて中立的な位置にいる
誰も殺傷してないわけでマイナス査定にはならないわけです、はい。
78人間七七四年:2010/04/29(木) 05:14:50 ID:RhMGSBWU
>>73
八月十二日に多治見境で合戦を行なってる。東軍の主力が清洲城に到達する前から仕掛けてることから
こいつはバカだったんじゃないかなと思う
79人間七七四年:2010/04/29(木) 11:10:02 ID:cD3qrxjv
【関ヶ原前哨戦】土岐口の戦い
http://papa7159.blog71.fc2.com/category3-1.html

これだな?先に動いたのは田丸だがもうこの時点で対立は明確。
80人間七七四年:2010/04/29(木) 18:36:52 ID:kblEJWFL
それなりに前から戦ってるのに大名になれないとは不憫なヤツだ
81人間七七四年:2010/04/30(金) 10:09:18 ID:gnPFSUpF
82人間七七四年:2010/04/30(金) 11:25:33 ID:CIeeUejO
福束城の丸毛兼利を攻めた徳永寿昌、市橋長勝の戦いはもっと賞賛されてもいいと思う
福島勢の先手と言っても良いようだけど
事実上、美濃での戦闘の始まりだからね
 
83人間七七四年:2010/04/30(金) 21:17:15 ID:44/h7EMc
>>81
家康すげえ
こんな1万石以下の小大名にも書状を送るなんて
普通無視だろ     
84人間七七四年:2010/05/01(土) 14:21:36 ID:5dYen+72
東美濃の貴重な東軍のスパイか
85人間七七四年:2010/05/01(土) 16:33:13 ID:pbjibyg2
>>83
それを無視しなかったから家康が勝ったんじゃない?
86人間七七四年:2010/05/02(日) 01:47:34 ID:5+Lxi1JS
妻木の件もそうだが、最前線の苗木城を東軍に奪われたのに西軍を派遣しない三成は愚かすぎだろ
87人間七七四年:2010/05/02(日) 10:58:40 ID:TawUlt2U
>>86
岐阜城、犬山城、竹鼻城など重要な城の後詰は
ことごとく中途半端な事しかしてないな
88人間七七四年:2010/05/02(日) 12:18:31 ID:CRgJAFZY
美濃は全体で見ても西軍優勢の地盤だったはずなんだがきっちりひっくり返したな。
89人間七七四年:2010/05/02(日) 15:40:44 ID:vVsQUn5Y
西軍はとりあえず畿内を平定するのが最優先だったっぽい
90人間七七四年:2010/05/02(日) 15:57:56 ID:TawUlt2U
その割りによく織田秀信を西軍に引き込んだね
あれが西軍についたから美濃はほとんど西軍に染まったようなものだし
91人間七七四年:2010/05/02(日) 16:12:23 ID:x90iQle5
時系列を考えろよ
92人間七七四年:2010/05/04(火) 22:15:23 ID:+1fVSyr9
苗木城て無血開城なんだな?
なぜ抵抗しない
川尻直次は守備兵を置いていったはずだろ
遠山友政も浪人中で軍勢と呼べる兵力ではなかったはず
ここらへんが謎だわ  
93人間七七四年:2010/05/05(水) 00:31:00 ID:0Oun9P+g
>>92
その前に城主の河尻秀長が戦死したから。
94人間七七四年:2010/05/05(水) 00:33:46 ID:0Oun9P+g
あと遠山友政は榊原康政の組下で牢人ではないし、出陣前に家康は
友政に200名の鉄砲足軽つけてる。これで遠山隊だけでもそれなりに大きな戦力な上
後ろに秀忠本体が控えているわけで。
95人間七七四年:2010/05/05(水) 02:03:07 ID:uQXTXO7n
>>93
その前とは?遠山友政による苗木城攻めは8月16日ですが
河尻秀長はどこで戦死したのですか?
96人間七七四年:2010/05/07(金) 01:27:17 ID:qGQX1MpX BE:903875235-2BP(0)
 
関ヶ原の戦いは、日本の現代史の手本

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

今日の日本の社会・政治の裏表を知る上で、関ヶ原の戦いは、

絶対に必要な歴史的知識だ。

きれいごとでは済まされない日本社会の真実がすでに始まっていた。
97人間七七四年:2010/05/07(金) 11:10:44 ID:AjZ+Fqkf
歴史群像
関ヶ原島津退き口の記事があるね
内容は大坂から薩摩までの行程がメイン
大坂から妻女の脱出、如水隊との海戦、佐土原の伊東隊とのことなど
なかなか面白かった

ところで最初にかかれてあったんだが
島津隊は左翼の予備兵力と認識されているよう
ここでもよく島津は最前線で戦い
その後中央突破したとか言っているやつがいたが
どう考えても後ろの方で戦力を温存していたと考えるのが自然
98人間七七四年:2010/05/07(金) 11:13:42 ID:wGctwaPD
島津が最前線で戦ったなんて考えてるのは一部の島津信者と島津のプロパガンダに引っかかった
バカだけだろ。
「中央突破」にいたってはもうw あれは「敗走壊滅」っていうんだ。
99人間七七四年:2010/05/07(金) 22:39:51 ID:H4qpy9po
3000の兵が撤退開始時には300になってたってことは、前線いたってことじゃないか?
前線いてぼろカスにやられて、逃げ時まで失って、しょうがないから前方の隙間に逃げこんで
重臣を次々に生贄に奉げてたら、80人だけは助かったでござるってとこだろ
100人間七七四年:2010/05/07(金) 23:15:27 ID:wGctwaPD
>>99
3000の兵の殆どは他から島津隊に付けられた兵で、西軍の敗退と同時に島津隊から逃げ出して、
残った300だけが本来の島津軍、だと解釈しているが。
101人間七七四年:2010/05/08(土) 03:54:56 ID:htW+Q75N
島津は1500だろ、国元から義弘のために順番に駆けつけてきたんだよ、そんな奴らが誰も逃げ出すわけないよ
300とか何言ってちゃってんの?  
102人間七七四年:2010/05/08(土) 12:02:32 ID:OmHIRbdi
>>101
駆けつけたのがたった300じゃ記録するのが恥ずかしかったんだろ。
103人間七七四年:2010/05/08(土) 14:21:00 ID:827MfNK7
age
104人間七七四年:2010/05/08(土) 17:36:10 ID:fBbwTYIB
他から島津隊に付けられた兵←ソースはあるの?

義弘だったら「邪魔だから要らない」とキッパリ断りそうだが。
機密が漏れたり機動性が落ちたりデメリットの方が大きい。
105人間七七四年:2010/05/08(土) 22:37:04 ID:zMti7hOc
1500でも恥ずかしかった
106人間七七四年:2010/05/09(日) 08:31:43 ID:WwBLC52T
ttp://papageno.de-blog.jp/rekishi/2010/02/post_997f.html

なんとも言えない感じがする・・・・・
107人間七七四年:2010/05/10(月) 01:25:11 ID:5lzPyXO5
>>99
3000の兵を温存しておいたけど
逃げるときに散々やられて300になったと考えるのが普通
前線で戦っていたらとうにやられてしまっているだろ
それにに三成が督戦の使いとかよこすかよ

中央突破は事実らしいので賞賛できるが
まだ島津が前線で果敢に戦っていたとか言い張る奴が居るのに驚く
108人間七七四年:2010/05/10(月) 17:41:00 ID:6LwMUtd7
大日本軍の史料によると、大谷隊も島隊も1000ちょっとしか軍勢がいない。
それでもかなり善戦しているのに島津ときたら……
109人間七七四年:2010/05/10(月) 22:24:50 ID:+oO0Pk+E
島津は兵力3000で、その上に井伊や松平忠吉と緒戦からガチで戦っている
110人間七七四年:2010/05/11(火) 00:38:26 ID:BqS3sb2D
んで、ボコられて逃げたと
111人間七七四年:2010/05/11(火) 05:07:32 ID:ebZIcpS2
>>109
緒戦から戦闘に参加しているわけ無いだろ
ほんとに島津厨はキモい
112人間七七四年:2010/05/11(火) 09:38:51 ID:CfVXVryX
>>111
当初三千、撤退時は千
松平忠吉が負傷したり、本多忠勝が馬を撃たれたのも島津が撤退する前の話
井伊の負傷は撤退時の話だけど
113人間七七四年:2010/05/11(火) 19:24:36 ID:T7wSLA7s
3000のソースは?1500だろ?
114人間七七四年:2010/05/11(火) 19:31:05 ID:y6Xh3eHR
普通負け戦になったら足軽とかすぐ逃げ出す。島津だって同じだ。
単純に周りがどんどん敗走してるのに島津はぐずぐずしてたので
島津軍の中からも逃げ出す人間が一杯いたってことなんだろ。
115人間七七四年:2010/05/11(火) 20:10:44 ID:CfVXVryX
>>113
慶長5年9月17日吉川広家書状
「嶋津(義弘)なとえり勢三千にて」

他に「東西記」「別本関原軍記」「五本関原日記」「竹中本関原御合戦記」
「美濃古跡考」「慶長記略抄」「島津家譜」が三千としている

千五百というのは「日本戦史」内の「関原御合戦進退秘訣」というしかないが、
これによると千五百の大半が戦死、残り千で突破したとある
どういう計算方法?それに明らかに島津の資料なのに家康の言葉が載っているし
どう見ても講談の類
116人間七七四年:2010/05/11(火) 20:24:05 ID:rm4B+Z+r
3000人で布陣して1500人で戦って300人で撤退した

このあたりで手を打たんかね
117人間七七四年:2010/05/11(火) 20:41:29 ID:CfVXVryX
>>116
1500という典拠が講談レベルなのだよ
撤退開始時に1000という話はあるけど

後、300というのは味方(西軍)が敗北した時に旗本は
200〜300騎しかいなかったという話で
これが騎乗数だけかもしれないし、前線に他にいたのかもしれない
118人間七七四年:2010/05/11(火) 22:21:17 ID:CbreAOfe
ルチ将軍は1300だけどな
119人間七七四年:2010/05/11(火) 23:35:21 ID:II/KxWNk
関ヶ原の戦いは、完全に八百長だった。

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/C/10/21.html

日本政府の日付の語呂合わせは、無限に広がる。
関ヶ原の戦いは、富士川の戦いで、源頼朝と源義経の兄弟が
駿河国の黄瀬川で初めての対面を果たした治承4年10月21日を記念して、
1600年10月21日に行われた。

その後も、トラファルガーの海戦、アメリカ総領事ハリスが江戸城に登城し徳川家定と会見、
日露戦争のドッガーバンク事件、真珠湾攻撃、神風特別攻撃隊の初出撃、
俳優渡辺謙の誕生日などなど、多くの日付の語呂合わせが行われた。

日本の歴史は、ほとんどが八百長だった。今なお変わらない。
120人間七七四年:2010/05/12(水) 00:17:33 ID:KzcJ0yCt
>>118
おいおい、おっさんw
121人間七七四年:2010/05/12(水) 12:19:50 ID:iYwR1jsm
>>115
じゃあほぼ3000人が上京したのか?
122人間七七四年:2010/05/12(水) 12:38:08 ID:iYwR1jsm
もうひとつ。
義弘が6000いれば戦局を変えれた(意訳)というのもガセなのか?
3000いても大して変わらなかったのだから倍いても難しいではないか
123人間七七四年:2010/05/12(水) 12:43:32 ID:DIlH6kba
>>121
伏見にいた時は200余、大垣城入城時は800とあるからそれ以降、段階的に増派されたと思われる
8月19日に義久は忠恒に7000人の兵を送るように要請し、半分の3500人を至急送るように求めている
これを実行したかは不明だが、恐らくこの3500人を送ったのであろう
島津の史料に少数単位で義久の元に向かった話があるが、これは島津の輸送力が乏しいので、
個々で行かざるえない実情を反映しているのであろう(島津は大坂の両陣にも準備が手間取り遅参している)
124人間七七四年:2010/05/12(水) 12:50:16 ID:DIlH6kba
>>122
まぁ、負け惜しみの類と言え無くも無い
結局、西軍は東軍の第一線を抜けなかったのだから、
抜ければ勝てる→倍の兵力があれば抜ける
となったんでしょう

もしくは後詰役だったけど戦力投入のタイミングを誤り、
遊兵化してしまった小西行長(5000)を皮肉ったのかもしれない
義久は行長に後詰を要請したが、行長は秀秋の旗色が定まらない
事を理由に断っている
125人間七七四年:2010/05/12(水) 13:02:10 ID:iYwR1jsm
>>123
「通説」では、義久は増援要求を却下して、
窮状を知った一部の者が自発的に上京してそのため兵数が少なかったとあるが
それはガセということか?

大垣入城時に800で追加が3500ならば、合計4300となり、3000ではなくなるが
どっちがガセなのか?
今までの流れだと3500がセになるが?

島津の動員の悪さは朝鮮の陣でも有名だよね
126人間七七四年:2010/05/12(水) 13:04:30 ID:iYwR1jsm
>>124
西軍と東軍が逆だな?

それはともかく、負け惜しみかどうかを聞いているのではなく
実際にそのような旨を行ったかどうか?
実際に言ったと言うことであれば、負け惜しみで
大した武将ではない
1500と6000ならば4倍も差があるので、負け惜しみとも言いにくい
127人間七七四年:2010/05/12(水) 13:17:23 ID:DIlH6kba
>>125
ガセじゃないかなぁと思う
島津としては公式に増援を出したというのは、東軍勝利後
では問題の残る行為だろうし

3500人全員は関ヶ原まで届かなかったということなんでしょう

>>126
言ったとはされている
128人間七七四年:2010/05/12(水) 13:30:46 ID:iYwR1jsm
>>127
問題がある行為でも、証拠が残ってしまえばやむをえない

島津は東軍と戦闘したという事実があるので(しかも3000ならばなおさら)
公式に支援していないと言っても大勢に影響はない

ということは義久は西軍派で増援に積極的だったということか?
129人間七七四年:2010/05/12(水) 14:09:48 ID:DIlH6kba
慶長五年八月十五日の島津義弘書状にはいの一番に伊集院忠真の母と弟を下国させる事に
義弘は反対していたが、家康がそれを認めた経緯を書いた後に、佐和山から垂井にでると書いている

これから庄内の乱で家康が伊集院忠真が島津家家臣で無いように取り計らった事に強い不満を
義弘が持っていたことが伺える
この辺りが遠因かと
130人間七七四年:2010/05/12(水) 21:49:17 ID:iYwR1jsm
その前にもう家康には拒絶されていたものと思われる
理由は兵が少なすぎた
それにその程度の不満で家康憎しとなって、家の存亡を賭けるほど、やわでないだろう
それともそれがそんなに重大事なのか?

秀吉が家臣を直家臣にしようとしたからと言ってそのことだけで直ちに
反秀吉になって、前後の事情を考えずに敵対行動を決断することはないのと同じだ
反感を持つだろうけど

反感と言えば、家康の専横に反感を抱いていた者は豊臣恩顧の東軍大名に
多かったと思われる
しかしだからと言ってそれだけで、家康と戦おうとはしない
中には実力より道理が大事だと考えて西軍になったものがいるかもしれないが
131人間七七四年:2010/05/12(水) 22:07:34 ID:V/FfBUGp
西軍に道理があるとかおかしな話だろ。外様をコアに据えたクーデター政権なのに。
132人間七七四年:2010/05/12(水) 22:39:31 ID:DIlH6kba
>>130
家にとって家臣が離脱するというのは死線に関わる
しかも伊集院は反乱起こして、鎮圧できずに独立を勝ち取った事になる
元々、国人層の力が根強く残る島津家にとって、これに続く家臣が現れたら
これはもうお家の存亡の危機
133人間七七四年:2010/05/13(木) 18:21:45 ID:sb37+5Yo
>>131
豊臣政権にはっきりと譜代・外様なんて区別は無かったと思う
ほとんど外様か同僚なんだから
134人間七七四年:2010/05/14(金) 19:59:34 ID:kxEv8i4Z
>>133
子飼いとその他の差はあっただろう
135人間七七四年:2010/05/14(金) 21:16:17 ID:tMAhKhXy
子飼>外様>旧織田家臣>譜代

ぐらいの扱いだよな、豊臣政権w
譜代の粛清されっぷりは日本史上屈指だし。
136:2010/05/14(金) 21:53:49 ID:C1FGigAW
難航不落の大阪城に篭城してる間に
西軍派の大名の勢力拡大を待つのも一手だった

足元が揃わないまま短期決戦に及び、ボロボロに負けた西軍
137人間七七四年:2010/05/14(金) 22:17:39 ID:R0HY4Xn9
>>136
違うよ、家康に短期決戦をせざるえないよう仕向けられたんだよ西軍は
138人間七七四年:2010/05/15(土) 00:18:29 ID:whIG7df1
大阪城に篭城せざるを得ない奴に味方してどうするよ
139人間七七四年:2010/05/15(土) 00:28:49 ID:inRQngnf
小早川の戦線離脱に京極の離反、岐阜落城、家康西上。
情勢が悪化していく中、撤退して更に西軍参加大名を不安にさせるような事はできんわな。
140人間七七四年:2010/05/15(土) 00:44:40 ID:WQrrrjwg
三成信者は認めないが西軍は弱かった。戦闘力的にも組織としても。
141人間七七四年:2010/05/15(土) 01:30:58 ID:inRQngnf
〜信者だの〜は強いだとか弱いだとか言ってる時点でゲーム脳。
142人間七七四年:2010/05/15(土) 23:02:05 ID:828Es06y
21世紀になったいまでもゲーム脳なんて信じてる情弱がいるとは思わなかったw
143人間七七四年:2010/05/15(土) 23:09:19 ID:inRQngnf
2chでゲーム脳って言われて本当のゲーム脳の事だと思っちゃうところが凄いなw
144人間七七四年:2010/05/17(月) 04:01:43 ID:Yd/ciEBm
それで島津は3000で援軍と合流していれば6500になっていたわけで
三成から真田への書状に書かれていた島津6000人はオーバーな数字じゃなかったという結論でいいのか?
145人間七七四年:2010/05/17(月) 09:22:38 ID:jSkZGOxB
>>144
いや、求めた7000人の内、急ぎで送られた3500人の一部が元々畿内にいた島津義弘と合流して、3000人となったという話
後、書状にあった数は5000人
146人間七七四年:2010/05/17(月) 11:14:23 ID:audqh4y4
近世以前の戦国武将の自称する数字は先ず信用出来ない。3〜5割くらい水増ししてるもんだよな普通。
147人間七七四年:2010/05/17(月) 19:00:24 ID:4inWUg2e
>>144
やはりオーバーだと思う
3000以下じゃないのかな
5000以上あれば予備に回されることも無いし
軍議でもっと発言も採用されそう
ましてや6000なんてまずありえないと思う
148人間七七四年:2010/05/18(火) 21:57:41 ID:E+f5+BTG
あと3000もいれば東軍だって放っておかないでしょ。
2000いるかいないかの大谷にだって激戦しかけてるのに
3000−6000もいる軍勢に井伊その他がちょっかい出しただけとは考えにくい。
149人間七七四年:2010/05/18(火) 22:38:15 ID:MdjwzSe1
>>148
島津とは当初から井伊本隊(先手は宇喜多へ)と松平忠吉が戦っています
忠吉が負傷したのは島津撤退時でなく、緒戦においてです
150人間七七四年:2010/05/19(水) 05:21:58 ID:7wWe2uPp
>>149
妄想乙
151人間七七四年:2010/05/19(水) 09:01:33 ID:mP1lokQv
>>150
出典:朝野旧聞ほう藁
152人間七七四年:2010/05/19(水) 17:26:30 ID:7wWe2uPp
島津が6000もいたなんて笑える
定説どうり非戦闘員の小者も含めて1500だろ
153人間七七四年:2010/05/19(水) 17:54:15 ID:mP1lokQv
>>152
3000が関ヶ原の戦場にいた数
6000というのはどこから出たんだろう
1500は講談が出典
154人間七七四年:2010/05/19(水) 18:31:35 ID:c+kfAEYE
能力が通常の3倍とか倍とかから来たりするんだな
155人間七七四年:2010/05/20(木) 00:35:24 ID:VR0pLs7k
3000も関ヶ原にいたのは怪しい
遠国でバラバラに関ヶ原目指していたから
戦闘に参加せず引き返したのもいるだろうし
それも含めても2000を少し上回るくらいで
戦場には2000未満だろう
156人間七七四年:2010/05/20(木) 01:12:00 ID:dhnBrzlA
関ヶ原の戦いに徳川家康の生きざまが見える

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

関ヶ原の戦いは、最初から陰謀でインチキだった。
目的は、最後まで服従しない島津義弘の謀殺だった。
自殺的に徳川軍に攻撃してくる島津軍を返り討ちに合わせ、
皆殺しにする計画だった。
ところが、島津義弘は現場で自害するか、最後の突撃を敢行するかを考えた。
だが、部下たちは、戦場から逃走することを提言、義弘はその意見を聞いた。
ところが、これに対する家康の対応は、予想を超えていた。
1000人程度の手勢の軍に、数万の軍で襲いかかるのは容易なことだった。
しかし、家康は、追撃を中止させ、しかも、道案内役まで指示して、
島津軍の逃走に手を貸した。
これは、「関ヶ原の戦い」が陰謀であることが後日発覚することを恐れた、
家康の深謀遠慮だった・・・・・・・。
157人間七七四年:2010/05/20(木) 01:44:15 ID:vdE4bNC4
>>156
病院行った方がいいなこのサイト作った奴
158人間七七四年:2010/05/20(木) 06:38:26 ID:VR0pLs7k
家康と三成が共謀して関ヶ原合戦を演出して島津謀殺を謀っただと?
それって三成の立場は・・・笑える新説ですなあ
159人間七七四年:2010/05/20(木) 08:06:17 ID:VARh9tzg
2ちゃんには陰謀説好きな奴多いがここまで香ばしいくって更にサイトまで作り上げてるってのは凄いな。
こういう奴の思考基準ってなんなんだろうな。
160人間七七四年:2010/05/20(木) 08:57:22 ID:QfBTkeqn
>>155
当日、南宮山いた吉川広家の報告に3000とありますので
161人間七七四年:2010/05/20(木) 12:18:09 ID:VR0pLs7k
>>160
それは知っているが確かな証拠としては認知されていない
毛利など自分の家中の数字ならば確かだろうが他家のこと
島津ならそれくらいと判断したのかもしれない
島津家自体の資料で判断しても3000は多すぎ
162人間七七四年:2010/05/20(木) 12:39:15 ID:QfBTkeqn
>>161
島津家譜でも3000とあります
他の合戦記、東西記、別本慶長軍記、五本関原日記、竹中本関原御合戦記、美濃古跡考、慶長記畧抄も3000
大三河志は4000、石卵餘史には撤退時に1000とあります
163人間七七四年:2010/05/20(木) 20:59:46 ID:ETiXBTDX

桐野作人『関ヶ原島津退き口―敵中突破三〇〇里―』(学研新書、2010年発行)
164人間七七四年:2010/05/20(木) 21:35:55 ID:QfBTkeqn
>>163
桐野氏は基本的に島津側の資料のみを用いてその本を書いている
そういう意味で多方向からの視線という意味で問題がある
165人間七七四年:2010/05/20(木) 21:43:53 ID:YZOa2B95
退き口って負けたらから逃走しただけだろ
166人間七七四年:2010/05/20(木) 21:52:59 ID:d+QTEgR9
>164
そりゃあ島津の退き口がテーマの本だしなぁ…。
167人間七七四年:2010/05/21(金) 05:00:04 ID:2TGnrB/E
3000もいたってんなら、大谷直属の兵力の2倍いたわけだ。
その割には全くたいした働きできなかったんだな。
煽りでもなんでもなくて、島津は強いイメージがあったからちょっと失望。
寡兵での用兵がうまい家久が生きてればちょっとは違ったのかな。
168人間七七四年:2010/05/21(金) 08:49:07 ID:2ePvJdSH
島津は石田三成と喧嘩をしたわけではなく、二番手として控えていたんですか?
169人間七七四年:2010/05/21(金) 11:53:52 ID:wRceMvjU
>>167
井伊直政とその娘婿にして家康の息子でもある松平忠吉が相手ですし
>>168
朝野だと井伊と松平忠吉の間で緒戦より戦っている
後詰とされているのは小西行長
170人間七七四年:2010/05/21(金) 15:47:13 ID:YHoMcxHE
>>169
島津が前衛で終始戦って
後詰が小西とか考えられない
島津が豊臣直属兵とともに後衛にいたと考えるのが無理が無い
171人間七七四年:2010/05/21(金) 15:53:40 ID:qDXHiSXO
じゃあソースをだしてね
172人間七七四年:2010/05/21(金) 17:08:08 ID:2ePvJdSH
島津もしくは小西が二番手(後詰)って、誰が言いだした説なんですか?
173人間七七四年:2010/05/22(土) 18:50:01 ID:dMjKH13W
黒木左近兵衛申分「此方御備二備に御坐候」
義弘公御譜「後陣の軍衆速やかに待ち前進して合戦を致さん」
関原始末記「島津兵庫頭・同又八郎は石田が後ろに陣を取る」
長政記「左近を先手とし嶋津をその横撃に頼みしとかや」
174人間七七四年:2010/05/24(月) 02:44:00 ID:RzS9SkyN
小西は早々と崩壊したんじゃなかったっけ?
175人間七七四年:2010/05/24(月) 08:28:49 ID:uisir/S4
>>173
つまり島津が二番手?
島津だけが二番手なんて有り得るのだろうか?
176人間七七四年:2010/05/24(月) 12:19:22 ID:ZDpzIYK2
死マズは当初家康側からの依頼で伏見を守備しようとしたらしいな。
というわけで兵も少なく初めからやる気ナシ・・・・・
177人間七七四年:2010/05/24(月) 12:20:04 ID:T+bm6eFO
>>176
それ島津の記録にあるだけじゃん。全く信用出来ない。
178人間七七四年:2010/05/24(月) 22:37:55 ID:rIZbl1D4
>>176
徳川の覚えもめでたくなるように記述したのかもね
179人間七七四年:2010/05/24(月) 23:07:33 ID:ZDpzIYK2
だれか福嶋正則の武功話あったら書いてくれ、関ヶ原本戦や、岐阜城の戦い、他尾張地方
美濃方面での小規模な城攻めなど分かるくわしい方いるだろうからお願い。
あと福嶋家の家臣、武将も教えてぐぐってもなかなか出てこないよ。
180人間七七四年:2010/05/24(月) 23:10:34 ID:+EZ4HjV8
福島正則でぐぐってみてはどうだろう
181人間七七四年:2010/05/24(月) 23:55:11 ID:RzS9SkyN
正則の武功は前スレで詳しく箇条書きでまとめてたやつあったよ。
どっちかつうと殆どが一軍の将というよりは槍働きがほとんどだったけど。
まあ実際は最前線で戦う役は清正で、正則は後方支援役だからね。

ちなみに正則の逸話は良い話悪い話スレのまとめサイトにいっぱいあるよ。
ほとんどが悪い話扱いだけどw

ところでさ、福島一族が大坂城に籠もって戦ってるんだよね。
経緯とか正則との関係がイマイチ不明なんだけど。
182人間七七四年:2010/05/25(火) 13:50:52 ID:mRJSwkJ1
>>175
小西も二番備だった可能性はあるが史料的裏付けが取れない。
183人間七七四年:2010/05/25(火) 21:53:08 ID:J2KpmKSy
改易前の福嶋家の一族何某かよく知らんが、冬の陣で大坂に向かう途中で東軍に捕らわれて
即刻首を刎ねられたらしい。城中に入っていたのかは疑問。
184人間七七四年:2010/05/26(水) 04:26:52 ID:LYpYIyoy
正則の息子だか弟だか甥だか従兄弟だかはっきりしていないのだが
城にこもって戦ってた人物はいたみたいよ。一軍を率いてた記録はあるようだ。
ただ首があがってなくって落城後も行方不明。
どういう経緯で福島家を出て大坂に着く事になったかの経緯が調べても良くわからんかった。
185人間七七四年:2010/05/28(金) 08:46:11 ID:iiaFswUn
んで小早川が西軍として参戦してたら勝てたの?
186人間七七四年:2010/05/28(金) 11:00:24 ID:pYJxqHyF
>>185
秀秋が西軍に参戦なら
家康が撤退するとか言ってる人もいるが
関が原の戦い自体は西軍勝利で間違い無い
187人間七七四年:2010/05/28(金) 11:04:25 ID:iiaFswUn
その場合吉川はどう動くんだ?
188人間七七四年:2010/05/28(金) 12:46:14 ID:L0kff/r7
ifスレでやれ
189人間七七四年:2010/05/29(土) 02:08:02 ID:z6H33yaf
影武者風情の采配で西軍は負けた。
しかも山頂にこもる山賊らめに、鉄砲撃ちこみ大慌ての山賊、野盗どもらが味方の
西軍最前線に突入したからたまらない・・・・そりゃあ慌てるわ。武器を捨てて逃げるね
190人間七七四年:2010/05/29(土) 02:37:02 ID:75LdoUDP
>>189
六郎が悪いんだよな
家康なら影武者くらい用意してるだろうってことくらいわかるだろうに
一緒にやっちまえばよかったんだ
いや、その前に島左近がちゃんと指示しなかったのが駄目か
191人間七七四年:2010/05/29(土) 06:48:19 ID:XoO5AeZ1
影武者が本物なみに采配を振るえるとは思わないだろjk
192人間七七四年:2010/05/29(土) 12:48:51 ID:djwaJuT9
創作と歴史の区別くらいつけろ
193人間七七四年:2010/06/07(月) 07:55:51 ID:UBfhpXcb
194人間七七四年:2010/06/07(月) 12:10:04 ID:x8SP2hOO
漫画信じるとかおめでたい頭だな
195人間七七四年:2010/06/08(火) 04:36:45 ID:wVvRZfbi
隆慶一郎の小説といえば戦国板の一級史料だろ
196人間七七四年:2010/06/11(金) 07:49:04 ID:Ppp7vKKu
隆慶スレでやれ
197人間七七四年:2010/06/13(日) 23:19:46 ID:myhTEtk7
配置はアートディンクの関ヶ原の通りだろ。

ちなみに、井伊直政が松平連れて数百の兵で抜け駆けしようとしたが途中で本多と福島の家来に見つかり咎められ
兵の大半をその場に残し、数十人の鉄砲足軽だけ連れて最前線まで出て
島津の陣に鉄砲撃ち掛けて関ヶ原の戦いが始まった事くらい知ってるよな?
鉄砲撃っただけで逃げたんだけどなw
そしてその後、先鋒を命じられていた福島が憤慨して宇喜多に突っ込んだ。
198人間七七四年:2010/06/13(日) 23:22:29 ID:DB6KDsWx
>>197
それも後世作られた話なんだけどな。自信満々の書き込みに悪いんだけどさ。
199人間七七四年:2010/06/13(日) 23:24:58 ID:P0XKMcXZ
>>197
撃ったのは宇喜多へだよ
島津では福島の位置から離れすぎ
200人間七七四年:2010/06/13(日) 23:35:49 ID:aXgNccPT
島津が撃たれたら
それを理由に逃げ出すだけ
201人間七七四年:2010/06/16(水) 03:17:07 ID:y8bFcJax
久々にアートディンクの関ヶ原で遊んだ
202人間七七四年:2010/06/19(土) 03:53:17 ID:HTdfY5Hf
         ____   
       / \輝/\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\      
    /   ⌒(__人__)⌒ \    <三成の野郎に人望ないから仕方ないから
    |      |r┬-|    |      漏れがやってやるお
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ              
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"〜〜``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

          ____
        /_ノ輝ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ    <天下が向こうからやってきたおwww
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /      |r┬-|    | (⌒)/ / / //  
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
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ヽ    /      `ー'´      ヽ /    /     
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 ヽ    -一''''''"〜〜``'ー--、   -一'''''''ー-、 ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒)) バ
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       /:::::::::: 輝u\
      /:::::::::⌒ 三. ⌒\     
    /:::::::::: ( ○)三(○)\  
    |::::::::::::::::⌒(__人__)⌒  | ________
     \::::::::::   ` ⌒´   ,/ .| |          ...|
    ノ::::::::::u         \ | |  西軍壊滅   .|
  /:::::::::::::::::      u     | |            |
 |::::::::::::: l  u             | |石田三成成敗  |
 ヽ:::::::::::: -一ー_~、⌒)^),-、   | |_________.|
  ヽ::::::::___,ノγ⌒ヽ)ニニ- ̄   | |  |
203人間七七四年:2010/06/19(土) 07:38:44 ID:+65fBxPS
それがTERUクォリティ
204人間七七四年:2010/06/20(日) 00:19:07 ID:kBTiOtqa
         ____
       /   u \
      /  \    /\    徳川とて毛利と構える余裕はない…
    /  し (>)  (<) \  そろそろ和睦を申し込んでくるはず・・・
    | ∪    (__人__)  J |  ________
     \  u   `⌒´   / | |          |
    ノ           \ | |          | 
  /´                | |          |
 |    l             | |          |

         ____
       /   u \
      /  \    ─\    チラッ
    /  し (>)  (●) \
    | ∪    (__人__)  J |  ________
     \  u   `⌒´   / | |          |
    ノ           \ | |          | 
  /´                | |          | 
 |    l             | |          |

           ____
       /:::::::::::::::: \
      /::::::─三三─\
    /:::::::: ( ○)三(○)\   か、改易!!
    |::::::::::::::::::::(__人__)::::  |  ________
     \:::::::::   |r┬-|   ,/ .| |          |
    ノ::::::::::::  `ー'´   \ | |          |  
  /:::::::::::::::::::::             | |          |  
 |::::::::::::::::: l               | |          |
205人間七七四年:2010/06/20(日) 10:14:37 ID:Kmj+bQsm

日本政府と薩摩藩の大きな特徴

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/38/264.html

「関ヶ原の戦い」をよく検証するとその特徴が露見された。
206人間七七四年:2010/06/20(日) 10:34:02 ID:gXBxoiNw
>>205
キチガイのブログを宣伝するな脳なし
207だぅ:2010/06/20(日) 18:33:11 ID:5i0Rq/hY
黙って減封受け入れたTERUのヘタレっぷりwww
208人間七七四年:2010/06/20(日) 23:31:12 ID:kBTiOtqa
テルテル坊主と馬鹿にしちゃいかん
その後の内政は順当だったんだからな!

東軍でも最終的には減封くらったろう事を考えると、西軍で参加しておけばよくね?とかつい思っちゃったんだよ!
209人間七七四年:2010/06/20(日) 23:55:22 ID:S+KRy/i6
輝元は四国だの九州だのにあれだけ一生懸命になっておいて
前線への派兵には消極的ってのがどうもなぁ。
本格的な決戦はせずにそのまま和睦→
切り取った分はそのまま自領って考えてたんだとしたらあまりにも目算が甘すぎる。
210人間七七四年:2010/06/21(月) 01:11:01 ID:s76c9VdC
黒田如水だって「どうせ畿内の合戦は長引く」→「その間に勢力拡大を」だったし、
上杉もその目論見だっただろう。輝元の判断は甘いと言うよりむしろ常識的な目算。
211人間七七四年:2010/06/21(月) 01:23:55 ID:PF4RsFk9
西軍の総大将という立場で、自らの行動・判断が前線の勝敗に大きく影響する
状況にありながら、自身の出陣はおろか援軍も送らないだなんてのが常識的とかw
212人間七七四年:2010/06/21(月) 01:37:04 ID:s76c9VdC
だって関ヶ原の前日には領地削減での講和を飲んでた節があるもの>毛利
はっきりいえば赤坂に家康の旗印が立った瞬間、西軍は敗北していた。
213人間七七四年:2010/06/21(月) 01:56:39 ID:hkfy7Ahz
>>212
へ?領地削減での講和?本多・井伊の起請文なら領国安堵なんだけど。
ちなみにそれは吉川の判断であって輝元がどの程度把握していたかは不明。
その吉川も直前まで逡巡していたし。
仮に輝元が早い段階で講和を見込んでいたのなら四国・九州への積極的介入は避けるべきだし、
そうでないのなら前線への援軍は当然行うべき。
つーか、援軍要請なんて1ヶ月以上前の事なのに赤坂着陣がどうとか意味が分からん。
214人間七七四年:2010/06/21(月) 09:24:31 ID:DVwVKva2
テルが本気になったら応仁の乱の二の舞だったろ!
じぶんから身を引いた奥ゆかしい人なんだよてるは
215人間七七四年:2010/06/21(月) 10:21:38 ID:WBG469fW
>>207
上杉も喧嘩ふっかけてジャンピング土下座のヘタレっぷりなの知ってる?無知君
216人間七七四年:2010/06/21(月) 12:14:16 ID:s76c9VdC
>>213
近衛前久の関ヶ原直後の書状で「領地安堵というのは表向きで、実際には領地削減ということになったらしい」って
って書かれてる。
217人間七七四年:2010/06/21(月) 18:28:28 ID:aQFr2NW8
>>215
いつも同じことしか言わないな
218人間七七四年:2010/06/21(月) 20:13:45 ID:3zeY3EML
>>216
近衛がどういう情報で実際には領地を半分の契約と言っていたかは不明だが、
十九日付輝元書状には「御誓帋預かり安堵この事候」と言っており、
また井伊・本多の領国安堵の起請文に対し、福島・黒田もその内容を保障する起請文を出している。
これらの事から少なくとも輝元が領地削減を承諾した上で講和したとは到底考えられない。

で、援軍要請は1ヶ月以上前なのに関ヶ原直前の事を挙げる事が無意味って
言ってるのは理解出来ないの?
219人間七七四年:2010/06/21(月) 20:21:03 ID:OLqZXtqD
>>217
謙信死後の上杉バカにしても意味ないよな
220人間七七四年:2010/06/21(月) 23:51:59 ID:WBG469fW
>>217
事実だろw
まさか負けてないとでもお思いか
流石上杉厨は捏造マンセー大好きでいらっしゃるw
221人間七七四年:2010/06/22(火) 12:08:00 ID:eKrt3Q4v
神指城は完成まで数年を要する巨大な城であり、いわゆる直江状
のあとも会津征伐が正式決定するまで建設が続けられている。
直江状は喧嘩を状は家康を皮肉る形でも内容自体は詰問に対する
弁明であり、上杉方はその後も一度は上洛を決意している。
ただ讒人の糾明が受け入れられずに決裂した。

喧嘩を売ったというのは捏造。
222人間七七四年:2010/06/22(火) 21:47:57 ID:MRZl5Um+
でも、TERUに東軍わたりつけたよって吉川が連絡したのって、
伊勢で吉川が大損害だして、東軍の密使が戦死した直後だよね。

TERUも反応困ったんじゃないの?
223人間七七四年:2010/06/23(水) 09:24:46 ID:sDisMV+e
>>222
輝元と広家のやりとりについてご存じなら詳しくお願いします、
どこまで輝元が関与・指示していたかが解らないので
224人間七七四年:2010/06/29(火) 14:56:55 ID:CHMHGf3/
テルは広家から報告は受けてた節がある
225人間七七四年:2010/06/30(水) 09:18:19 ID:oL8beVSk
報告は受けてた節>具体的な手紙とかソース希望
226人間七七四年:2010/06/30(水) 22:27:29 ID:rAFDO8VE
過去にその手の話題あったので、過去ログ見ればその辺のソースはあるはずだよ。
連絡はあったとか、交渉の内容を報告とかそんなレベルだったけど。
227人間七七四年:2010/07/01(木) 09:23:16 ID:k/h098Mw
いや、具体的な輝元と広家のやりとりになると案外不明瞭だよ
過去に輝元指示の証拠があると言ってた人も、結局ソースを示さず
まあ折れが知らんだけかもしれないけど。
228人間七七四年:2010/07/03(土) 00:29:49 ID:UGvUhtBz
輝元→益田元祥(8月1日)
「内府よりの書状案文、秀元・広家へ遣わし候条、披見あるべく候」
229人間七七四年:2010/07/03(土) 02:10:42 ID:ACYLLjEY
>>228
これは益田家文書から持ってきたやつ?前後の文脈も合わせて見たい
「内府よりの書状」ってのは具体的に何をさしてるの?
230人間七七四年:2010/07/03(土) 03:04:07 ID:dscfqD3G
>>229
>>228じゃないが、それより前は瀬田の普請の事、
後ろは宇都宮・真田・日光山一揆の動向を注視しろって内容。
案文の内容については不明。
輝元が関ヶ原の首謀者である事を知る前なのか知った後なのかが分からない。
前者なら自陣営に引き入れようとしただろうし、後者なら講和しようとしたんじゃないかな。
231人間七七四年:2010/07/04(日) 10:59:00 ID:/+KCwdap
日付と書状案文をどう解釈するかだな。
8月1日ということは家康が書状を発した時点で、西軍の蜂起
をどの程度把握していたのか微妙なところ。輝元が加担してい
ることを知っているのか、三成と大谷の謀議の情報を得て、対
応を輝元に相談したものなのか。
けど、書状の案文を送ってきているのは、輝元に相談の上で正
式な書状を発しようという意図があるので、相当重要な内容を
持つものだったと思う。
輝元にとっては西軍が一番優位に展開していた時期なので、戦
うにしても大坂と京を盾に戦えるし、和睦にしても有利な条件
で和睦できる。
232人間七七四年:2010/07/05(月) 09:33:05 ID:YKZlTmOo
家康にしても相当苦しい時期だけに
輝元にかなりの好条件を提示したと思われるが
逆に言えば家康めが相当苦しんでるなという位の意味で
伊勢路?にいる吉川を鼓舞する意味で送ったようにも思われる。
何れにしろ戦の後ろで落としどころを模索するのはあたりまえなので
これだけで関ヶ原での吉川の和睦が輝元の指示とするには弱い気がするが、


233人間七七四年:2010/07/08(木) 20:17:56 ID:YQyf3l33
輝元がそこまで考えられる様にはとても思えないw
234人間七七四年:2010/07/08(木) 23:17:56 ID:RTmRRkE2
輝元は個々の小事はともかく、大局に関しては補佐役次第といった面が強い君主だと思う。
235人間七七四年:2010/07/09(金) 23:48:19 ID:HODlG0IK
輝元は秀吉が死ぬと早速五奉行と同盟して「奉行に逆らうやつ(お前だよ、家康。)
は許さん」ってやったり、家康がいなくなると中国大返し的な速度で大坂城を占拠し
たり、たまに光る。
236名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 21:46:01 ID:Wh4mKgw5
ますますやる夫にしか見えんw
237名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 22:44:32 ID:pabr7rp2
ちょっと疑問に思ったけど
関ヶ原の時って肥前名護屋城ってまだ存在してたんだよね
当時どういう状況だったのかな
この巨城を敵が利用したらやっかいだったんじゃない?
238名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 22:59:34 ID:BAN3iI6/
>>237
あれは国内の敵を想定したものじゃなくて、純粋に対外戦の基地なので
関ヶ原のような国内戦に影響のある城じゃない。
239人間七七四年:2010/07/12(月) 13:13:21 ID:JGMacBcJ
>>237
唐津は確かに東軍の寺沢広高だが、いったい誰が、どんな状況で使うってんだい。
本人は関ヶ原本戦に出てるし、周辺の大名だって出払ってる。
240人間七七四年:2010/07/12(月) 15:29:32 ID:/DaOE9pX
流れぶった切るけど
みんな関ヶ原って行った事ある?
241人間七七四年:2010/07/13(火) 13:44:59 ID:ZVYBzDdK
>>235
輝元は秀吉が死ぬと早速家康と義兄弟の契りを交わしていますが?
242人間七七四年:2010/07/13(火) 19:05:45 ID:1qk3cc3x
は?何それ?
243人間七七四年:2010/07/14(水) 00:24:57 ID:w/he/tQn
>>241
八月十八日秀吉死去
八月二十三日
「五人の奉行(いわゆる五大老)のうち、秀頼さまの謀反
 ではなくても、増田、石田、前田、長束の意見に同意し
 ない者があれば、私は長盛、三成、玄以、正家に同意し
 て、秀頼さまに奉公します。秀吉様の遺言も今後忘れる
 ことはありません」
輝元が家康と父兄の誓いをしたのは翌年の三成引退後。
輝元は多数派工作に動いて、奉行衆と結んで家康に対抗しよ
うとしたけど、三成が引退して家康に恭順した形を取り、や
がてその父兄の誓いは大坂城占拠によって破る格好になった。
244人間七七四年:2010/07/15(木) 09:26:30 ID:M4+9jSwd
七将事件は単なる三成襲撃事件ではなく、毛利・奉行連合VS徳川の権力闘争
敗北した輝元が表面上家康に恭順を示して義兄弟
捲土重来の機会を狙って関ヶ原という流れ
245人間七七四年:2010/07/15(木) 11:18:47 ID:ZcDtTMh9
>>244
そんな単純な話じゃないし
246人間七七四年:2010/07/15(木) 22:42:54 ID:rugPy2ca
輝元がそこまで出来る能力があれば西軍に参加してないと思う
247人間七七四年:2010/07/16(金) 00:05:45 ID:eQNARFTi
>>243
それは後日大老奉行間で交わされる起請文の前書案であり、
石田が加筆訂正した部分なので、それを以って同盟だとは言えない。
>>245
七将襲撃事件の際に襲われたのは石田と増田。
その際、毛利は石田大谷等の指示で家康と構えている。
七将は飽く迄「内府かた」であり、個人的な恨みだけでクーデターにも成りかねない
軍事行動を起こすほど馬鹿じゃない。
248人間七七四年:2010/07/16(金) 00:06:23 ID:Gx/9XZvj
結局反家康派の「利家の代わり探し」で目をつけられただけの存在だしなあ>輝元
249人間七七四年:2010/07/16(金) 11:47:31 ID:3tbU31hu
輝元は能力はともかく野心家なんじゃないの
確か秀吉没後に豊臣へ銀の上納金を大幅に増やしてる
豊臣政権内の発言力を狙ってのことでしょ。
利家の代わりにというより自分からなろうとしてたんじゃないかな
失脚後の三成にもアポをとるよう指示してるし。
250人間七七四年:2010/07/16(金) 14:19:45 ID:ElHCC/rY
まあ加藤嘉明のとこ攻めてみたり、大友義統煽ってみたりしてるしねえ。
悉く失敗してるのがなんとも輝元らしいっちゃあらしいけど。
251人間七七四年:2010/07/17(土) 00:03:28 ID:+LnwgVIt
七将事件の時は三成に援軍が来るからガンバレ見たいな書状も出してたし
実際に伏見に軍勢が急行してたハズ
252人間七七四年:2010/07/17(土) 01:39:35 ID:DkU9vkrG
>>251
しかし結局家康の扱いになっちゃってるしねえ。どれだけ影響があったのやら。
253人間七七四年:2010/07/17(土) 01:43:23 ID:/i3KSkhq
家康の扱い?何の事?
254人間七七四年:2010/07/17(土) 12:30:42 ID:DkU9vkrG
>>253
三成の処置。
255人間七七四年:2010/07/17(土) 19:21:09 ID:7xd7wV7g
輝元は三成と共闘してた。しかし、結果的に三成の処置は家康が行う事になった。って言いたいの?
で、その三成の処置ってのは奉行解任って事?
256人間七七四年:2010/07/21(水) 08:36:40 ID:J+ZH0EX3
>>247
奉行が書状などに加筆・修正を加えるのはよくあること。
輝元の起請文の意図を明確にしただけで、輝元と奉行衆の
連携を表明するためのものであったとみていいでしょう。

>>254
でも上杉と毛利の連携で問題を解決したと書状にあるから、
2人の大老も積極的に介入したんでしょう。
輝元も「三成が隠居。三成一人処分ということだけど増田も
このままじゃ済まないでしょう。この程度の処分で済めばい
いでしょう」といってるから、三成襲撃事件自体が単なる三
成や増田と彼らを嫌いな武将の喧嘩なんかじゃなく、もっと
根の深い政治闘争なんだろう。
257人間七七四年:2010/07/21(水) 09:29:32 ID:EweA9a98
秀吉後の権力闘争は一般的に思われてるよりかなり熾烈
輝元は安国寺に担がれただけのお坊ちゃまって考えは捨てるべきだな

258人間七七四年:2010/07/22(木) 06:14:39 ID:gRvlV7Wy
女の戦いが天下分け目の合戦にっていう単純な構図のほうがウケるのさ
259人間七七四年:2010/07/22(木) 19:49:21 ID:1/l9Fcf/
>>256
その起請文が石田と毛利の間で交わされた物なら同盟と言えるだろうが、
起請文の前書案の内容を加筆訂正しただけで「同盟」と呼ぶのはあまりに乱暴。
基本的には中央政権に対して叛意が無い事の証明であり、
精々石田と毛利の良好な関係が窺い知れるといった程度のもの。
そもそも利家も家康も健在で、両者の争いが顕在化していないのに、
それと関係の無い所で同盟組んでも意味が無い。

光成氏の著書は良著だが、詳しく検証されていない部分に関しては乱暴な解釈もある。
あまり鵜呑みにするのもどうかと思うよ。
260人間七七四年:2010/07/22(木) 22:40:19 ID:TzgIhimg
>>257
輝は別にいうほどお坊ちゃま育ちじゃないよな
輝が生まれた時の毛利家はまだいち地方の豪族でしかなかったわけだし
毛利家が大きくなる頃には父が死んだため家督を相続
以後祖父や叔父たちによる厳しい教育を受けさせられている
むしろ苦労人だったんじゃないかと思う
261人間七七四年:2010/07/22(木) 23:25:38 ID:liXG69OE
>>260
毛利輝元上洛日記を読むと、悲しいほどお坊ちゃんなんだが>輝元
262人間七七四年:2010/07/23(金) 00:13:19 ID:uZ5KQL9R
お坊ちゃま育ちなのではなく、純粋に生まれ持った才能がなかっただけのことだろ
263人間七七四年:2010/07/24(土) 04:19:06 ID:s1QNSOA9
昨日、w杯の再放送がなかったのでNHKで関ヶ原のバラエティ番組みたいのやってた。
宰相殿の空弁当は毛利の空弁当に変わったらしい
大谷の抵抗は言及されても
島津の撤退戦はスルーされて西軍フルボッコで壊走した事になってる
264人間七七四年:2010/07/24(土) 11:12:39 ID:+W64+YnF
>>263
島津は常識的な評価だと潰走どころか「壊滅」なんだが。
265人間七七四年:2010/07/25(日) 01:40:07 ID:hBZULqhW
東軍に淀殿の愛人がいたことを忘れちゃいけませんよ
266人間七七四年:2010/07/27(火) 22:13:35 ID:VXDcI/aK
西軍も田辺城組、大津城組、鍋島勢らが本戦に行けなくて
東軍は秀忠遅参だからおあいこくらいか
鍋島は親父に東軍に味方しろって言われたんだっけ?
267人間七七四年:2010/07/27(火) 23:23:56 ID:k2yq5SnQ
>>266
鍋島に限らず岐阜城陥落の時期くらいからかなりの西軍諸将が、
西軍一本で行くことの危険性を深刻に感じたのは間違いない。
268人間七七四年:2010/07/28(水) 13:08:22 ID:D8Wr1Zrz
 
徳川家康の戦術と損益分岐点の計算

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

徳川家康は、これを、「風が吹けば桶屋が儲かる」と言い換えた。
269人間七七四年:2010/07/28(水) 15:17:24 ID:nApKwByj
>>268
よくこんな精神が病んだとしか言い用のないサイト見てるな、お前。
270人間七七四年:2010/07/31(土) 19:08:45 ID:oHlfv5ov
この戦いによって、前田利家は119万石の領地を得た!!!!!!!

豊臣政権の五大老
徳川家康(関東に256万石)
前田利家(北陸地方・加賀など83万石)
毛利輝元(中国地方に120万石)
宇喜多秀家(中国地方・備前57万石)
小早川隆景(北九州・筑前33万石)
上杉景勝(東北地方・会津120万石)

豊臣秀吉 222万石(蔵入地)+全国主要金山銀山を独占
徳川家康 256万石(直臣に分け与えた所領も合せての数字。家康自身の蔵入地は100万石)
271人間七七四年:2010/07/31(土) 21:10:06 ID:jSVxTllQ
>>270
> 豊臣秀吉 222万石(蔵入地)+全国主要金山銀山を独占

お前は蔵入地というのを勘違いしている。蔵入地というのは直轄領というだけでなく
その数字は純粋に蔵に入る数字。

豊臣家は7公3民が普通だったから、そこから計算すると領地としては320万石相当。
272人間七七四年:2010/07/31(土) 22:36:46 ID:ZLY/Gff/
豊臣家が本当に直轄しているのは65万石しかないけどな
だから家康は豊臣家をまったく減封することなく委託先を変えるだけで150万石を自分のものにできた
273人間七七四年:2010/08/01(日) 23:44:34 ID:i5ORTMcC
前田利長って本当に家康を暗殺しようとしたの?
274人間七七四年:2010/08/02(月) 00:51:59 ID:ba7KRD68
真相はわからんが当時の人はそういう事があってもおかしくない、と考えたのは間違いない。
275人間七七四年:2010/08/02(月) 22:13:27 ID:p2rhni02
加賀に引っ込んだ瞬間に暗殺しようとしたわけで、
怪しいと見るやつは領国で兵挙げようとしたと思われるだろし、
そもそも、家康に帰国の許可もらった直後なので嵌められたとも思われる。

家康は真相わからんうちに討伐しようとしたのも確かなので後者っぽい部分もあるが、
利長のジャンピング土下座が見事すぎて、どうでもよくなった。
276人間七七四年:2010/08/03(火) 08:36:58 ID:Pmt3cXl+

水野伍貴「秀吉死後の権力闘争と会津征伐」(和泉清司編『近世・近代における地域社会の展開』岩田書院、2010年3月31日発行)
277人間七七四年:2010/08/03(火) 13:57:38 ID:3RKl4lYt
ジャンピング土下座ってなんだ?
アホの使う言葉はよくわからん
278人間七七四年:2010/08/03(火) 16:26:01 ID:XkGeYJjD
徳川の戦争は、最初から現代まで八百長
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0204/43/288.html
徳川の戦争は、必ず敵に「スパイ」を送り込み、
年月をかけて全軍の大将に仕立てる。
そして、八百長の大戦争をする。
勝ち負けなどどうでもいいのだ。
今日、敵の一翼、国連は、日本人であふれている。
279名無し募集中。。。:2010/08/03(火) 18:27:22 ID:W3GHejby
加賀征伐も謎だらけだな、前田は豊臣に助けを求めたのに無視されたらしい
280仙台藩百姓:2010/08/03(火) 19:41:35 ID:VgkLSfF/
前田親子は大坂にあって秀頼の傅役を務める事を約束しておきながら
その職務を早々に放棄して国元に引き篭ってしまったのだから疑われるのは当たり前過ぎるお( ^ω^)
そして家康は職務を忠実に秀頼の名代として前田に申し開きを迫ったわけだお( ^ω^)
助けるもなにも前田が一体どういうつもりなのか知りたいのは豊臣家の方だお┐ (´ω`) ┌
281人間七七四年:2010/08/03(火) 20:04:36 ID:wp/FFOXq
「敵前逃亡」と「面倒なことにはかかわらない」が前田の家風だからな。
282人間七七四年:2010/08/03(火) 20:37:30 ID:pZCByWrC
「利家は家康の抑止力足り得る」論調って時々見かけるけど、
本気で言ってるとしたらアホだな。
283人間七七四年:2010/08/03(火) 21:14:25 ID:ZperJpYw
1599年の利家と家康の政治対立ってマイナーよね、凄い大事件だと思うんだけど。
284人間七七四年:2010/08/03(火) 23:16:03 ID:2f6ZXGbl
前田利家が健在だったら第2の家康になるだけだろ
豊家のために動くお人よしがいると思うな馬鹿者
285名無し募集中。。。:2010/08/03(火) 23:16:41 ID:W3GHejby
浅野、大野、土方が連座したが
この3人家康とグルなのか?
286人間七七四年:2010/08/04(水) 04:08:11 ID:yUkqAMkw
淀殿に恋慕した家康が邪魔な大野を追放した
287人間七七四年:2010/08/07(土) 22:14:24 ID:sL2pSCeh
>>272
それに大幅に領地が増えたのは、加藤や福島といった豊臣家臣だったからな
豊臣家としてみれば自分たちの意のままに動く連中の領地=自分のものって感覚だろうから文句もでなかったと思う
288人間七七四年:2010/08/07(土) 22:52:32 ID:vglXdCsi
と言うか蔵入地は奉行衆によって管理されていたわけで、関ヶ原の結果五奉行が崩壊すると
豊臣家にはもう、全国に散らばる蔵入地を管理する能力を持たなかった。

まあ秀吉の作った大阪への米の集積というシステム自体は壊れなかったので、
豊臣家から見たら名目的に蔵入地が消滅しても、大阪に全国の米が集中する以上
実質的には変化は無い、と感じていただろう。
289:2010/08/07(土) 23:41:17 ID:Edpu0foI
豊臣は自分の所に戦ができる将軍がいないのが痛かったな
大阪城に大野治長ではなく、真田雪村が存在してたら歴史は変わったよ
加賀征伐企んだ時にあっさり無視するようじゃ、天下は家康に渡っちゃうわな
290:2010/08/07(土) 23:43:40 ID:Edpu0foI
関ヶ原の前に豊臣の石高250万石あったんだろぉ?
毛利、上杉も味方だし十分勝負出来るわ、

戦を統括出来る将軍がいなかった、これが敗因かもね
291:2010/08/07(土) 23:46:08 ID:Edpu0foI
マジで、大阪城に真田雪村が存在してて全軍指揮出来るポジションにいたら
家康の天下は無かったろ、
真田が10万の大軍指揮したら無敵
292:2010/08/07(土) 23:51:43 ID:Edpu0foI
福島・加藤はただの役立たずだしな
どうして内部に戦の出来る将軍おいとかなかったんだろう秀吉は
293:2010/08/08(日) 00:15:52 ID:loid35Lx
250万石がガラクタじゃねぇかよ将軍いなかったらさ
戦出来る奴を誰か一人大阪城に据え置いて育てるべきだったな
294人間七七四年:2010/08/08(日) 06:49:01 ID:4rwsT43h
突っ込む気にもなれん
295:2010/08/08(日) 13:34:13 ID:kZuUjpQH
淀君ってほんと空気読めないヘタレだよね
傍観決め込んで
関ヶ原で250万石無駄にして65万石に減封あぼーん
大阪の陣でも秀頼出陣させずに中途半端な戦いであぼーん

こいつの糞采配で負けたと言ってもいい
296人間七七四年:2010/08/08(日) 13:36:54 ID:P1fCQXhV
皆さんこれがニワカの癖に知ったかをした者の醜態です
こうならないようにしっかり勉強して書き込みましょう!
297:2010/08/08(日) 13:48:31 ID:ShL1l1zq
大阪の陣みたいにな
豊臣の蔵開いて金ばらまいて
浪人10万人くらい集めて東軍と戦えばよかったんだよ
298:2010/08/08(日) 13:50:13 ID:ShL1l1zq
小早川よりよっぽど当てになるだろ
指揮は大谷行部に任せる

確実は確実、確実過ぎてつまらないけどな
299:2010/08/08(日) 13:55:45 ID:ShL1l1zq
大阪の蔵開けば小早川の1万5千人くらいの兵は集められるだろ
指揮は大谷刑部が取る
こっちの部隊のが全然つおいわ

淀はアホの中のアホ、
300:2010/08/08(日) 14:07:40 ID:ShL1l1zq
大谷刑部にたった500人の兵しか持たせなかった三成がヴァカ
金ばら撒いて浪人を集めろよ
近畿周辺はみんな豊臣の味方だろうが
使えない毛利一族充てにしちゃってさ
金ばら撒けば最低5万人の浪人は集められる
2万、2万、1万の3部隊が編成可能だわ
301:2010/08/08(日) 14:09:18 ID:ShL1l1zq
ヒント・大阪の金
302人間七七四年:2010/08/08(日) 14:12:20 ID:C8qf5jv/
なにこいつ
303:2010/08/08(日) 14:13:22 ID:ShL1l1zq
戦いは数だよ兄貴、ふんぞり返る前に勝つ手立てを
304:2010/08/08(日) 14:15:32 ID:ShL1l1zq
大阪浪人部隊

2万 大谷刑部
2万 ?
1万 ?

残りの2部隊の指揮は誰に取らせよう?
305:2010/08/08(日) 14:16:53 ID:ShL1l1zq
毛利は弁当でも食ってろw
浪人部隊ヒャッハー
306:2010/08/08(日) 14:28:46 ID:ShL1l1zq
2万 毛利勝永
1万 ?

やっぱ将軍が足りねー、コマ不足だな、雪村とか木村重成はこの頃まだはえーしなー

残りの1万は島津に預けるか?毛利勝永もこの頃は微妙
307人間七七四年:2010/08/08(日) 14:29:46 ID:P1fCQXhV
ブログにでもかいてろよアホ
そもそも
・どこにそんなに浪人がいるのか
・そもそも大義名分はいちゃもんだったとはいえ宣戦布告したのは上杉
・その上杉と示し合わせた石田に豊臣が金を出す必要などない
・家康は何一つ豊臣にマイナスな事などしていない
・関ヶ原後のは五奉行がいないから豊臣じゃ管理しきれない為直轄領を諸将に回すしかない
・大谷がそんな大部隊を任せられる程の実績は?名声は?
ゲームで学んだ知識を披露するのもいいがそういうのはゲーム板でやれ
308人間七七四年:2010/08/08(日) 14:30:22 ID:B3bveHPj
大谷には平塚とか与力を与えてたから指揮兵数は多いよ
309:2010/08/08(日) 14:32:01 ID:ShL1l1zq
黒田如水だって関ヶ原の時金ばら撒いて急増浪人部隊作ったんだよ
5万まで増えた同じ戦法
310:2010/08/08(日) 14:33:39 ID:ShL1l1zq
戦わなきゃいけない時に戦わなかった淀君がアホ
こいつの頭はどうかしている
戦わずに主家でいられる訳ねーだろって
311人間七七四年:2010/08/08(日) 14:35:43 ID:P1fCQXhV
>>309>>310
だからどこにそんなに浪人がいるんだよ?
ソース出せよ
部下の謀反を討ちに行った部下を何で討つんだ?言って見ろよ
312:2010/08/08(日) 14:35:50 ID:ShL1l1zq
面倒くせぇ
5万全部大谷に預けるべw

2万 本陣
2万
1万の3段構えの陣をしくぜw
大谷が暴れまくる関ヶ原最高www
313人間七七四年:2010/08/08(日) 14:38:21 ID:P1fCQXhV
>>312
ゲーム脳消えろ
314:2010/08/08(日) 14:40:42 ID:ShL1l1zq
事実、輝元は大阪城に入場してる訳だし
蔵開いて、金で浪人集めてる何の問題は無い
315人間七七四年:2010/08/08(日) 14:47:27 ID:P1fCQXhV
大いにある
勝手に主家の財産を使ったりしたらそれこそ家臣の度が過ぎるし本当の謀反
仮に豊臣が蔵開いて協力しても万が一負けたら東軍になんて言い訳するんだ?
その時は淀も血祭りにあげられるのがオチ
主家が日本を二分する家臣の争いに自分の身を削り肩入れするのがおかしい
どっちが勝っても言い訳できるようにしとくのがベスト
それにどこにそんな数の浪人がいるんだよ?ソースあげてみろや
316人間七七四年:2010/08/08(日) 14:50:08 ID:4rwsT43h
>>315
いちいち相手にするな
時間の無駄だ
317人間七七四年:2010/08/08(日) 14:51:42 ID:P1fCQXhV
>>316
そうするわ・・・
これがゆとりか・・・
318:2010/08/08(日) 15:34:38 ID:WCis/BB7
輝元が大阪に入城してるのに蔵開いたって何の文句もねぇだろw

輝元入城がそもそも言い訳たたんだろw
319:2010/08/08(日) 15:36:23 ID:WCis/BB7
P1fCQXhV「今日はこの辺にしといてやるか パンパン(手を叩く音)」

あっはっはwww
320:2010/08/08(日) 15:41:36 ID:WCis/BB7
こいつどーせ長宗我部オタだろ
四国も統一出来なかったヘタレ応援してんじゃねぇw

雑魚大名がよ
321人間七七四年:2010/08/08(日) 19:42:35 ID:P1fCQXhV
>>318
占拠だけなら毛利が武力をかざしてきたと言い訳出来るが
財政支援はもう言い訳出来ない んな事もわからない程頭悪いんだなぁ・・・
仮に毛利が蔵までこじあけたって言うなら毛利を完全に潰さなきゃいかなくなるし非常に面倒
俺は優しいからあえて言ってやるけどお前の言ってる事には何一つ政治的なものがない
数値化されてるゲームを参考に兵を配るのはさぞや爽快だろうが現実には不可能な事ばかり
ソースもあげられない上に当時の背景すら理解出来てないのにここで語るのは
大学で得意げに算数を解いて喜んでるのと同じ 見ている側は恥ずかしくて仕方ない
アンチ長宗我部もいいけどそんな奴殆どいないから可哀想な頭で一人でどこまで頑張れるか見物だな
ま、いずれ自分に賛同してくれるレスが全く無い事にいずれ気づくだろうがそれまで道化ぶりを晒すんだなw
関係ない方にはスレ違い失礼した
322:2010/08/08(日) 21:01:23 ID:t9xD9pxI
一言お前に言ってやるよ
俺に粘着してスレを荒らすなw

四国の田舎者がっ!w
323人間七七四年:2010/08/08(日) 21:07:47 ID:GfFMQ+QG
だぅは何で毎回IDを変えてレスを入れているんだ?
324人間七七四年:2010/08/08(日) 23:10:13 ID:InRHEvV2
真田幸村ではなく、
上杉謙信が大阪城で全軍の指揮を執ってたら、家康は1回の戦争で死んでたw

上杉謙信が関ヶ原で西軍大将だったら、東軍は一刻持たずに崩壊してたw
325名無し募集中。。。:2010/08/09(月) 15:07:35 ID:9+5gykA9
毛利勝永のwiki見たが
関ヶ原本戦時に勝永は輝元家臣と共に安国寺恵瓊の指揮下に編成されるなど単独の軍事編成が失われてたとある
毛利勝永は中国の毛利氏とは別族で
独立大名だろ
慶長の役でも独立した軍を形成して行動してるのに
なぜ安国寺軍に組みこまれたんだ
誰か説明してくれ
326人間七七四年:2010/08/09(月) 18:18:27 ID:kL6H4uB8
>>324
北条氏康も成敗できないやつが天下の王家康に勝てるわけがない
327人間七七四年:2010/08/10(火) 18:59:01 ID:AywcI89M
さすがに家康もちあげすぎ
328人間七七四年:2010/08/10(火) 23:14:15 ID:NP5EFFp+
>>325
元々は森姓だったらしいな=勝永
329人間七七四年:2010/08/10(火) 23:31:08 ID:FYJufnDg
>>324
1615年=謙信85歳

ご存命でもヨボヨボで指揮なんかとても取れないと思いますが?
あと夏の陣全体の指揮を撮っていたわけじゃないし>幸村

あと何が悲しゅうて謙信が羽柴の臣下にならなきゃいけないんだよ・・・
330:2010/08/12(木) 02:03:59 ID:ggXcd64j
長生きはするべきだな85歳なんて現代ならふつーに生きてる年齢だもんね
生きてれば少なからず歴史は変わったよ
331人間七七四年:2010/08/12(木) 06:35:25 ID:I4xyTyCt
家康率いる上杉討伐軍相手じゃ、いくら謙信でも勝つのは無理だろうな
332人間七七四年:2010/08/12(木) 09:43:26 ID:sfFKBrj8
IFにIFを重ねてそれぞれの信者に喧嘩させようという意図が見え見えすぎ
333人間七七四年:2010/08/12(木) 10:21:56 ID:gkSqSkwC
>>330
謙信存命なら豊臣の世もなかっただろうから関ヶ原も大坂の陣も
なかっただろうな。だから関ヶ原の結果が云々なんて意味なさ過ぎ。
334人間七七四年:2010/08/12(木) 12:24:39 ID:VfkcQmO8
>>330
そこら辺の仮定は御館か上杉スレでな
関ヶ原でのIFが許されるのは利家が長生きしてたらぐらいだ
氏郷が長生きしてたら領土関係がおかしいからIF出来ないんだよなぁ
335人間七七四年:2010/08/12(木) 13:02:52 ID:JD/QurMX
足利義昭、小早川隆景、長曾我部元親、北条氏規の長生きも許してやれよ♪(σ´ω`)σw
336人間七七四年:2010/08/12(木) 13:28:00 ID:VKYyBD3S
ついでに信長の長生きも許してやれよ
337人間七七四年:2010/08/12(木) 13:36:57 ID:3N14ihU+
家康が早死にしてたらよかったんだ。
338人間七七四年:2010/08/12(木) 13:42:17 ID:JD/QurMX
世の中は「憎まれっ子、世に憚る」だから家康の早死になどありえないよ!(σ`・д・)σ
339:2010/08/12(木) 14:43:26 ID:f5WUZAZP
家康が関ヶ原の前に死んでたらどーなったんだろ
三成憎しは変わらんだろうし
武断派VS奉行派の権力闘争は起きた筈
340人間七七四年:2010/08/12(木) 15:06:11 ID:Uyys2K50
どの時期かで微妙に流れは変わるが

次期大老の秀忠を擁する徳川家頭脳集団としても、
天下を塗り替え得るだけの国力と好期が厳然としてある以上、やはり史実と同じく
黒田親子以下武断派と共に策動するだろうな

341人間七七四年:2010/08/12(木) 16:33:27 ID:VfkcQmO8
その場合は正則辺りが三成ばっさり、清正が行長をばっさりで丸くおさまるかもわからんね
家康いなきゃ謀叛のこじつけはないわけだし
342人間七七四年:2010/08/12(木) 17:40:34 ID:gkSqSkwC
>>339
武断派と三成の抗争は起きて、戦国時代に逆戻り。
17世紀中にケリが付かないとたぶん英蘭西葡にあっちこっち五月雨的に
植民地化されておわり。

黒田如水とか伊達政宗が天下をとるとかいうシナリオは・・・それぞれの
ファンが書いてくださいw
343人間七七四年:2010/08/12(木) 18:23:51 ID:JD/QurMX
慶長四年閏三月四日
石田三成は福島正則・加藤清正・蜂須賀家政・黒田長政・浅野幸長・細川忠興・藤堂高虎ら武断派七将の襲撃を受ける!
徳川家康が存在しないならこの時点で石田三成は切腹だなw
344人間七七四年:2010/08/12(木) 18:29:13 ID:gkSqSkwC
>>343
その連中を煽る狸ジジィがいないとしたら・・・
何も起きないんじゃない?
345人間七七四年:2010/08/12(木) 18:30:18 ID:CnKMLFiF
>>344
煽っていないし、煽らなくても襲撃する
346人間七七四年:2010/08/12(木) 18:33:56 ID:JD/QurMX
>>344
豊臣政権の内情を知らない人なのか?
347人間七七四年:2010/08/12(木) 18:36:44 ID:gkSqSkwC
>>345
そうだっけ?

あれって家康が裏で糸を引いていたと思っていたけど・・・
348人間七七四年:2010/08/12(木) 19:12:08 ID:gDKy+79f
>>342
中国の北宋時代と同じく、
江戸時代は文治化の弊害で日本が軍事的に退化した時代だから

各地の軍拡・緊張が続けば
逆に火力・海軍力が発展して英蘭西葡と外国港湾で張り合ってる
349人間七七四年:2010/08/12(木) 19:45:35 ID:VNZxedpk
内乱が続いてるときに、どうして外国の港湾で西洋諸国と張り合う余裕があるの?
350人間七七四年:2010/08/12(木) 20:20:30 ID:CnKMLFiF
>>347
基本的に武功派と吏僚派の対立は家康とは別個の問題
吏僚派筆頭の三成と家康が対立したので、敵の敵は味方という論理で
武功派と家康が接近したという話
351人間七七四年:2010/08/12(木) 20:42:12 ID:8VKiAl7b
前から思ってるんだが、三成の首上げるのに軍勢で追い掛け回して
無事でいられるのが当たり前という感覚が分からない。

武士って、そういう事、散々昔からやらかしたので喧嘩両成敗があるわけなんだが。
352人間七七四年:2010/08/12(木) 22:20:20 ID:CnKMLFiF
無視しても構わないと思われるほど豊臣政権が機能不全だったということでしょう
353人間七七四年:2010/08/12(木) 22:28:36 ID:gkSqSkwC
>>350
いやいや、対立するのといきなり法秩序を無視して襲撃=私戦をすると
いうのはものすごく違いがあると思うよ。

襲撃しても無問題、と実力者=家康がなんらかの示唆を与えない限り
そんなことおっぱじめないでしょ。
354人間七七四年:2010/08/12(木) 22:47:12 ID:VfkcQmO8
まあ婚姻破ってるしあり得なくもないが証拠もないしその根拠も乏しい
マジで歳で忘れてたのかもしれないし家康=反豊臣みたいな考えが固定されすぎじゃないか
355人間七七四年:2010/08/13(金) 07:10:22 ID:LeZj0oy9

関ヶ原の戦いにおける徳川流戦術

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html

普通の武将とは、全く異なった戦術を操っていた。
356人間七七四年:2010/08/13(金) 08:33:56 ID:hBxRWiH5
>>351 >>353
喧嘩両成敗って武士にとっての慣習法なわけだけど、
法って権力がなければ執行できないんだよ。
ソマリアや地震後のハイチみたいに、無政府状態もしくは司法組織が
機能していない国の荒れっぷりがいい例。

ただ、七将が、家康は自分たちに肩入れしてくれると判断して
行動したのは確かだと思う。そこに家康の示唆なり許可があったかは、
証拠がない以上はないとしかいえない。
357:2010/08/13(金) 18:07:20 ID:WyBGajlP
>>340
秀忠のようなアフォについて行く奴いるかね?
福島も秀忠馬鹿にしてなかった?

関ヶ原で遅参、大阪の陣では行軍急ぎ過ぎて自分だけ到着、
こんなヘボイ采配振るう奴戦では絶対勝てんわ、毛利勝永に首取られるんじゃないのかw
358:2010/08/13(金) 18:11:06 ID:WyBGajlP
秀忠トップの徳川じゃ、輝元トップの毛利と同じ気がする

アホ過ぎて石高あっても機能しない
359人間七七四年:2010/08/14(土) 00:09:40 ID:Y8FOHJbC
結城秀康はじめ、蒲生やら里見やら那須やらの宇都宮待機組についてなにかない?
360人間七七四年:2010/08/14(土) 03:05:51 ID:mGAsnbmh
>>358
徳川秀忠率いる東軍
毛利輝元率いる西軍

が関ヶ原で激突!
どんな戦況になるかは違う意味でワクワクするif展開じゃないか
そもそも両者ともにそこにたどり着けるのかとかさ
361:2010/08/15(日) 02:45:27 ID:LWs6RmRw
家臣の質では秀忠の方が上だけどな
徳川四天王&土井利勝

毛利はなーw
362人間七七四年:2010/08/15(日) 20:15:21 ID:KO+ruH6q
またゲーム脳か
機能しないって何だよ
363人間七七四年:2010/09/06(月) 20:10:08 ID:J9oq7koz
保守
364人間七七四年:2010/09/14(火) 08:07:15 ID:2BExGZOF
関ヶ原合戦や関ヶ原の戦いが一般的だよね?
関ヶ原の役だと違和感を感じる・・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
365人間七七四年:2010/09/15(水) 23:37:48 ID:xNsdsmXd
ちょうど410周年か
366人間七七四年:2010/09/18(土) 18:42:13 ID:AMPb+zAT
関ヶ原の時点で主な武将の官位知りたいんだけど
どっかリストみたいなのない?
367人間七七四年:2010/09/18(土) 22:34:31 ID:Gq9Nuai+
基本的なことだけど、上杉討伐で上杉が冬まで粘るのは不可能だったのか?
冬になれば東北全体が大雪で行軍できなく成る訳だし。
越中ー東北の大名はもう身動きとれんでしょ?
そうなると西国に大名が多い、西軍のが動きやすいのでは?と思うんだけど
368人間七七四年:2010/09/18(土) 22:45:07 ID:L+tEVQpK
何をどう粘れと
369人間七七四年:2010/09/18(土) 23:05:13 ID:tZXt1lx3
まだ準備出来てないのに粘るも何もないわな
370人間七七四年:2010/09/19(日) 14:57:18 ID:r+DathDl
>>364
関ケ原の役を知らないってどんだけ素人だよ?
そんな呼び名もあるってこと。
371人間七七四年:2010/09/19(日) 15:07:27 ID:CKYtd8bD
>>367
それは「西軍東軍」という名称にとらわれ過ぎでしょw
東北方面の大名って殆ど在国だから・・・

372人間七七四年:2010/09/19(日) 16:15:50 ID:fk9i14N0
あそこらへんは小野寺が最上嫌いの一念で西側だったくらいだからなあ
373人間七七四年:2010/09/19(日) 19:36:01 ID:YouiYO1b
日本全国おおむねお隣さんが東軍付いたから西軍だという理由で付いてる連中ばっかだぞ。
確か家康が江戸戻る時スルーしたんで嫌われているんだという理由で西軍付いたのいるし。

で、家康も悪いと思ったのか、大阪の陣で大名戻してやるとか言ってけど何故か大阪方に付いた人もいるし。

関が原の人間模様は複雑怪奇。
374人間七七四年:2010/09/20(月) 22:18:41 ID:0fn8YXnz
>確か家康が江戸戻る時スルーしたんで嫌われているんだという理由で西軍付いたのいるし。
いったい誰のことを言っているんだ?
家康が畿内から江戸に戻ったルート上の大名で西軍は織田秀信くらいだろ
東海道は全員東軍だし該当者が見当たらん

>で、家康も悪いと思ったのか、大阪の陣で大名戻してやるとか言ってけど何故か大阪方に付いた人もいるし。
大坂の浪人で元大名は長宗我部盛近と毛利勝永くらいしかいないが、別に家康から大名に戻す旨の話はない

何も知らずに適当に書いていることがバレバレだな
375人間七七四年:2010/09/20(月) 23:22:52 ID:7UIusIU/
>>374
えーと、家康伊勢経由のルートで帰ったんだけど・・・。
スルーしたのは、長束正家と氏家行広です。
前者はともかく後者は・・・という事。

聞きかじり乙です。
376人間七七四年:2010/09/21(火) 01:10:57 ID:GmAzeYaw
元々は中立じゃねえのか氏家
377人間七七四年:2010/09/21(火) 06:59:19 ID:tm+blIAb
>>374
しかし岐阜城の織田秀信は何の義理があって西軍についたんだろう
あれくらいの勢力があれば自由に所属を選べる立場にあったのに
周りが西軍だらけというのは順序が逆で
秀信が旗色を鮮明にした後雪崩を打って西軍加担を決めたんだしね
378人間七七四年:2010/09/21(火) 08:10:48 ID:JRyv7cdK
尾張くれるって言われたからじゃね?
379人間七七四年:2010/09/21(火) 11:58:22 ID:T1DX1bgL
秀信は西軍の中では数少ない積極派だな。
どちらに加担するか選べる立場なんだから、それぞれの利害で行動したまでだろ。
東軍が勝ったら家康の天下だけど、西軍が勝てば自分がトップに躍り出る目も出てくる。
380人間七七四年:2010/09/23(木) 12:29:47 ID:8GCxOuOh
>>376
大垣献上した伊藤さんも中立だよ。
この時期の対応としては普通。東軍も断っているが。
とはいえ、京極の説得とか比較的西軍として活動しているし。
381人間七七四年:2010/09/25(土) 03:22:55 ID:2Hl8C8Ml
戦線はもっと東になるとの目算もあったんではないだろうか>秀信
382人間七七四年:2010/09/25(土) 10:39:41 ID:05jzfCI8
秀信ね
はっきり言って自分の政権を奪ったのが豊臣家だからね
東軍についていれば間違いなく美濃周辺もちろん大垣城も元から東軍だろうから
合戦は大垣城後詰で始まるのかな
関ヶ原本戦では先鋒くらいの位置にいるかもしれん
383人間七七四年:2010/09/25(土) 11:52:34 ID:Hgks0v99
秀信が健在で何で関ヶ原が戦場になるんだよw
384人間七七四年:2010/09/25(土) 19:13:28 ID:tf9gUlxv
>>383
どこになっていたんですか?小豆坂ですか?
詳しく教えてください。
385人間七七四年:2010/09/25(土) 21:59:59 ID:/ZuRYWid
後詰に行ってあっさりボコられて涙目で岐阜城に退却する秀信しか思い浮かばん
386人間七七四年:2010/09/27(月) 11:03:51 ID:uYi4mxg9
秀信って関ヶ原で助命されて高野山に送られたんだけど
入山を断られたり、やっと入山したら祖父の行いからいじめにあったりしてたんだな
最後は高野山を追放されているし
387人間七七四年:2010/09/29(水) 10:45:20 ID:OanWyAzX
関ヶ原の戦いは八百長戦争だった。
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/39/266.html
今日、政治家を見る時、自民党も、民主党も、みんなの党も、
敵味方入り乱れ、誰と誰が仲間で、誰と誰が敵かわからない。
誰も政治家の言動を、「冗談」以上に捉えない。
当時の武将たちも、戦国時代の戦いの連続と、
人質結婚の連続による複雑な家系図の出来上がりで、
ひとたび戦争が起こっても、誰が敵で誰が味方か、わからない状況だった。
こういった状況で、「天下分け目」の戦いは起こり得ない。
今日、「二大政党制」を多くの国民が「インチキ」と見るように、
「天下分け目の戦い」も、当時多くの人々は「インチキ」と見ていた。
だが、徳川幕府、明治政府以来の長い洗脳と教育で、
国民は、すっかり、重大な「歴史的事件」と思うようになった。
388人間七七四年:2010/09/29(水) 19:22:18 ID:aTqaSCjN
ぶっちゃけ関ヶ原の時点で豊臣皆殺しにできるよな
基本豊臣に恨み持ってる大名ばかりなんだし
特に東軍は
389人間七七四年:2010/09/30(木) 09:49:24 ID:KW0wPUzM
>>388
え?
東軍は豊臣家に忠誠心の篤い武将たちの連合体ですが?
律義者の家康、子飼いの福島、黒田、加藤・・・
それに比べて謀反軍(西軍)は、
二枚舌の毛利、貪欲な上杉、不忠者の宇喜多、野心家の石田・・・
ろくなもんじゃないよね。
大体家康率いる豊臣正規軍が、謀反人討伐のために出陣した隙を突いて
クーデター起こすなんて・・・
まともな神経のやつには到底できない芸当だわ。
390人間七七四年:2010/09/30(木) 20:20:13 ID:tY75+Rzg
神戸肉をよろしく。
肉丼、豚まん、関東煮、かしわ飯、ミンチカツもよろしく。
391人間七七四年:2010/09/30(木) 22:41:16 ID:mhFRw6a4
関ヶ原合戦の西軍後詰は小西行長
392人間七七四年:2010/10/01(金) 15:12:47 ID:ovuprTiu
東軍(親信長、尾張系)対 西軍(豊臣、近江系)の戦、東軍が勝つのが必然
その後、織田家を乗っ取った豊臣は徳川に滅ばされるのは当然。
393人間七七四年:2010/10/01(金) 16:48:19 ID:3sJ+oTxY
織田宗家の息の根を止めたのは徳川なんだけどな。
394人間七七四年:2010/10/01(金) 19:07:15 ID:vxLvKcV2
むしろ東軍は親豊臣・織田派、西軍は反豊臣・織田派だね。
西軍は豊臣織田にボコられ征服された毛利宇喜多近江の地侍らの連合体だ。
395人間七七四年:2010/10/08(金) 02:22:22 ID:Iz3Mr+tq
清州城
396人間七七四年:2010/10/08(金) 12:13:16 ID:t4nLHZrE
>>394
東軍は反秀吉派で西軍は親秀吉派と言って良いね。
東軍の陣営みると奉行というよりも秀吉に含むところある連中ばかりだから(w。

実のところ豊臣家じゃなくて政権からでもなくて秀吉個人から
すれば、東軍・・・というよりも浅野長政が邪魔でしょうがなかった。

浅野・木下一族は、総計で100万石近いし。前田にも徳川にも近いし、
尾張閥の盟主でねねがいる。で、奉行筆頭

豊臣政権という枠組みではとうに天下とったようなもの。

秀次がいるときは尾張閥は一体だったけど、秀頼が生まれてからの秀吉の必死さは笑える。
笑えるのは浅野はそんな気は秀吉死後からみるとそんな気は全くない事(ww。
397人間七七四年:2010/10/08(金) 17:29:29 ID:GpZFLjJ7
尾張閥なんて妄想未だ信じてるやつがいたのか。
398人間七七四年:2010/10/09(土) 18:31:53 ID:cnQfCFmE
西にとっては美濃がガダルカナルみたいなもんだったね。
近江あたりで決戦できれば…。
399人間七七四年:2010/10/09(土) 19:10:47 ID:JsO+5q6r
近江のどこで決戦するんだ、する場所なんて関ヶ原ぐらいしかねーぞ。
400人間七七四年:2010/10/09(土) 19:33:17 ID:QBpIDPJK
東軍が近江まで入ったらもう戦うまでもなく西軍崩壊だよ。
401人間七七四年:2010/10/09(土) 19:37:39 ID:3FG6rIHQ
西軍とすれば濃尾の川を挟んで対峙あたりを想定していたんじゃないのかな
伊勢近江を固めた状況で美濃の大垣岐阜を押さえておけば実質的に尾張から先には西進出来ない
402人間七七四年:2010/10/09(土) 19:46:37 ID:QBpIDPJK
>>401
それにしちゃ伊勢も近江も平定戦略は緩慢。
西軍に君の言うような統一した戦略意志があったようには到底思えない。
403人間七七四年:2010/10/09(土) 19:51:11 ID:6u5lZGT1
>>402
一応、三成が書状に示した方針はそんなもん
ただ、彼としての誤算は会津征伐軍の殆どが家康の指揮下に入り
その上に先鋒が直ぐに西上してきたこと
404人間七七四年:2010/10/09(土) 21:55:40 ID:YMv6qBqg
岐阜城陥落時には美濃に兵力流し込んでいるわけだから、
杓子定規ではないけどな(宇喜田ほめるべきかもしれんが)。

まあ、なんだ、家康凄い。長束拙い。秀信死ねというお話。
405人間七七四年:2010/10/09(土) 23:24:27 ID:b6eFDopa
信雄勢が下手に討って出たからな
関ヶ原で合戦する予定なんて無かったんだよ

大和伊勢の東軍を討ってから尾張を北と西から攻めて江戸まで行く予定だったんだろ
406人間七七四年:2010/10/09(土) 23:31:50 ID:QBpIDPJK
西軍からは畿内を保持できればいいや、程度の気概しか感じられん。
407人間七七四年:2010/10/09(土) 23:34:13 ID:JsO+5q6r
それにしちゃあずいぶんと大和と伊勢を悠長に平定してたなあ。
つーか、関ヶ原の陣地は結構しっかりしたの残ってるはずだし、選択肢の中には入ってるだろ。
後、秀信だろう。
408人間七七四年:2010/10/10(日) 00:12:44 ID:THWkEz4N
東海道の連中が一丸となって家康支持に回るとは思ってなかったんだろうな
409人間七七四年:2010/10/10(日) 11:47:47 ID:Icf4tO83
東海道の連中がまとめて東征に出ているわけで
一城でも西軍回ったら十分時間稼ぎできるけど、

三河は完全に徳川閥なわけで、遠江や駿河の大名の気持ちからすれば
早々に支持に回ると予測しなくちゃいけないけどね。

それを計算に入れても伊勢や岐阜城失陥は間抜けすぎる。
410人間七七四年:2010/10/10(日) 11:59:13 ID:9nlEilb+
>>409
伊勢に関しては長束と安国寺を先手している段階でもう
信頼できる奴を前面に出したんだろうが、戦術的には下策も良いところ
411人間七七四年:2010/10/10(日) 13:32:56 ID:RLOm9DLV
西軍には終始「誰が主体として作戦を立てているのかわからない」という不安定さが否めないな。
岐阜も伊勢も近江も北陸も、漠然とした共通認識は感じるものの、統一した戦略意図からの行動には
見えない。
412人間七七四年:2010/10/10(日) 17:05:05 ID:7KkOWcgS
>>399
東海道新幹線の米原と京都の間とか結構広いぢゃん。
あのあたりはどお?
413人間七七四年:2010/10/10(日) 17:28:35 ID:OuFsHC8D
岐阜はおろか、西軍の中心人物の一人である石田の佐和山、同じく長束の水口まで落とされてもおかしくないレベルまで退いて瓦解しねーとでも
414人間七七四年:2010/10/10(日) 17:39:40 ID:THWkEz4N
心配するな関ヶ原以降の仮想家康AIは細かいことは無視して大坂目指すことになってるから
415人間七七四年:2010/10/10(日) 17:50:57 ID:7KkOWcgS
>>413
いや、みんなで囲んじゃえばさあ。
立花もいるし、縫いどの透けやらも間に合うんじゃないかな
416人間七七四年:2010/10/10(日) 18:19:01 ID:OuFsHC8D
だったら関ヶ原で(ry
417人間七七四年:2010/10/10(日) 18:46:05 ID:gtNJXEhe
直江と前田慶次郎が山形城を落城させればこの戦は勝てた
418人間七七四年:2010/10/10(日) 19:39:56 ID:THWkEz4N
無理を言ってはいけない
419人間七七四年:2010/10/11(月) 00:26:27 ID:lVp0bd64
山形城落としたって意味ないぞ
それを言うなら北の抑えを残し、堀と一緒に関東を攻めるべきだった
上手くいけば佐竹も加わる

後ろを突かれ美濃攻略が手間取り、そこに西軍主力が来れば西と東からの挟み打ちだ
420人間七七四年:2010/10/11(月) 00:58:01 ID:sfJhWlTF
上杉領に食い込んでる最上領どうにかしないと動けないでしょ
まさが奥州軍が戦力外になってるとは思わんし
堀とて旗幟を鮮明にするかわからんし
421人間七七四年:2010/10/11(月) 15:02:13 ID:/+1LUDfI
>>419
景勝は対外戦で勝ったことあるのか。
直江=三成の上杉バージョンで戦は普通とかありえるんじゃね。
オタテの乱で剛の者が粛清されてるし、浮田並みに弱体化してた可能性もある。
422人間七七四年:2010/10/11(月) 23:35:35 ID:TQR0kUcn
家康が反転すると伊達や最上、越後の大名たち、南部なんかも
上杉に通じてるけど、みんな三成のいきなりの挙兵で訳が分か
らなくなってるだけでどっちについていいのか混乱してるだけ
だからな。そう簡単に会津を動くことはできないでしょう。
御館の乱はむしろ上杉家を強化したと思うけどね。
423人間七七四年:2010/10/12(火) 11:41:13 ID:mOIGHxIw
伊達は基本上杉領狙いだから
積極的に上杉に加担する訳はないし
堀も上杉と共闘するとは到底思えない
424人間七七四年:2010/10/12(火) 16:14:47 ID:f4NXOsvN
上杉から見た場合

堀は動けない
 越後で一揆という名の元上杉家臣団の実質組織的反乱が起きる
伊達は上杉領に向かうが全力は無理
 南部の動向次第な面もあるが史実でも和賀一揆で南部の動きを拘束している
南部は南下するくらいなら旧領津軽に向かう
 伊達の動向次第な面もある・南部利直が継承して1年もたっていないので領内不穏
津軽は南下するくらいなら南部に向かう
 南部利直が継承して1年もたっていない
↑この四家はどうにもならないと思う

小野寺・戸沢・秋田はそれぞれが気になり動けない
↑この三家は単独で遠征など無理だしいわゆる三すくみ

キーは最上家・佐竹家+結城秀康ではないかと思う
地理的に見ても歴史的に見ても上杉領会津よりも上杉領庄内を欲している親徳川というよりも反豊臣な最上家
常陸という関東平野東に位置するある意味でフリーハンドな佐竹家
守るには充分だが侵攻するには厳しすぎる兵しか与えれていない結城秀康
425人間七七四年:2010/10/12(火) 20:56:58 ID:dOncQ8T2
>>422
御館の乱・新発田の乱を経て豊臣政権に従属したことはむしろ上杉家の権力基盤を強化しているよ。
基本的に、謙信政権の中枢にあった連中は大半が景勝に組しているし、直江兼続が
台頭したのも、景勝の権力基盤の強化という意味合いが強い。
浮田氏の場合は、秀家は集権化に失敗してしまった結果。

>>424
しかも下野の国境付近もかなり不穏だったみたいだしね。
そっちの方面でも結城朝勝を利用して一揆を誘発しようとしていたようだし、那須党の伊王野氏が交戦したらしい
記録もあるとのこと。
426人間七七四年:2010/10/13(水) 19:50:14 ID:pgHaIbSG
>>425
戦が強くなるのと権力基盤の強化は別だろう
427人間七七四年:2010/10/13(水) 19:51:57 ID:02fx74We
>>426
一緒だよ。権力基盤が弱ければ戦でいくら勝利してもその戦果を保持できない。
428人間七七四年:2010/10/13(水) 22:41:40 ID:ee6SkWio
対北条戦で恩賞を得なかったのは上杉にとっては不満だったろうね
上野加増かうまくいきゃ関東八州への国替えもあると期待してただろう
それがよりによって“ライバル”の家康にかっさらわれた。
豊臣政権への不満も少なからずあったと思うよ。
まあ秀吉存命中は表に出すことはできなかったから
死後「豊臣政権の代理人」である家康に歯向かったんだろうね。
豊臣をないがしろにし暴走する家康を、三成と手を携えて
押さえ込もうとした、という美談は後世の作り話でしょう
429人間七七四年:2010/10/13(水) 23:19:38 ID:aREZ1Tk1
>>428
庄内占領とか、この時期の上杉意外にいう事聞いていないからね。
逆にラスボス処罰が全くないのも恐ろしいところ。その点考慮したんじゃね?
430人間七七四年:2010/10/13(水) 23:47:08 ID:PEu0CSa6
関八州は半ば約束されていた物だから横から掻っ攫われて不満はあったろうが、
それが政権への不満になっていたような様子は無いな。
三成や中央政権を利用して集権化を図った家の一つなわけだし。
431人間七七四年:2010/10/21(木) 21:16:35 ID:vedlSFzZ
せ、せめて410年前の今日を懐かしもうよ今日くらい
432人間七七四年:2010/10/21(木) 22:49:16 ID:fmG5AzbJ
>>431
旧暦の9月15日なら明日だぞ?
433月孔雀:2010/10/25(月) 17:26:30 ID:Nb72bcB/
前田家は関ヶ原でうまく立ち回ったといえるでしょうか?
西軍が勝っても、利政が西軍寄りで生き残れたとかどうとか・・・

結果的には、一族で、約100万石から120万石になり、
明治まで、前田家は最大の藩として残った。
434人間七七四年:2010/10/25(月) 18:30:17 ID:5Bq3a+1j
前田は関ヶ原時の都合の悪い行動は全部丹羽長重に押し付けた観がある
435人間七七四年:2010/10/25(月) 18:52:31 ID:oTt09fS0
今年は、先週10/22金曜日が陰暦の9月15日だったのだ。
こんな時期、稲の取り入れが終わってからの戦、
9/15と憶えてたら、季節を誤る。
436人間七七四年:2010/10/25(月) 18:55:05 ID:oTt09fS0
訂正
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)
だから、10/21か。
437人間七七四年:2010/10/25(月) 20:04:46 ID:5Bq3a+1j
>>436
今年の旧暦9月15日は10月22日。閏年と閏月の関係で、年によって1〜2日前後する。
438人間七七四年:2010/10/25(月) 23:20:00 ID:WSbg7nsN
>>433
所領は守ったけど、加賀藩の史料でも「薬を飲まなかった」「毒を飲んで死んだ」
とか利長自殺説があるくらいだから後悔するような結果だったんじゃないかな。

利長が江戸に上った時に、秀忠からずっと下座に座らされて悔しい思いをしたとか
慶長7年には母を返せと要求したり、家康と対面して「ともに諸大名を統率しよう」
と時代錯誤なことを言ってみたりしている。いつまでも秀吉死後の二頭体制が維持
されていると夢想を抱けばそうなるんだろうけど。

芳春院も駿河城の普請をさせられることを「さてさてにがにがしさ〜」と憤ってる。
439人間七七四年:2010/10/26(火) 13:05:48 ID:ayc32Wnh


林千寿「慶長五年の戦争と戦後領国体制の創出―九州地域を素材として」(『日本歴史』742号、2010年3月1日発行)
440人間七七四年:2010/10/26(火) 15:40:36 ID:invwERRn
>483 金沢に尾山神社というのがあって、利家と松を祀っているのだが、
その中のよく分からない所に松平の字を削ってある碑みたいのがあった。
加賀藩としては、徳川に天下を盗まれたという思いがあったのだろうか?
441人間七七四年:2010/10/26(火) 17:42:20 ID:Jn003Myo
Q1.石田隊の中に秀頼直属の
黄ボマ衆という軍勢が加入
しているらしいが秀頼は
中立では?

442人間七七四年:2010/10/26(火) 18:01:11 ID:tz8mxPF6
中立も何も三成が西から来た軍勢全部引き込もうとしたし大阪から連れて来たんだろ
まだ秀頼に裁可はないだろうし
443人間七七四年:2010/10/26(火) 18:42:01 ID:6M03p8a9
オッス!オラ黄ボマ
444人間七七四年:2010/10/26(火) 21:13:30 ID:WzG4KXVG
>>441
個々の武士が三成に同心したということ
445人間七七四年:2010/10/26(火) 21:16:27 ID:eHehx285
>>441
別に秀頼の命令でのみ動く部隊というわけでもない
奴らがどんな行動を取ろうが豊臣の意思を表すという程の存在ではないよ
446人間七七四年:2010/10/26(火) 21:32:46 ID:/3VxH0mF
447人間七七四年:2010/10/26(火) 22:01:32 ID:kXt8VCeb
つーか黄母衣衆なw「きほろしゅう」。

いわゆる旗本のなかの君主直属の親衛軍。徳川幕府で言うところの大番、番衆ってやつだ。
448人間七七四年:2010/10/27(水) 13:44:29 ID:yFBNiS1C
>>433
万一西軍が勝ったらすぐ西軍側として行動するだろうし
現状維持か多少減らされる程度じゃないかな
ただ家康が関ヶ原で負けても大した被害が無ければ家康の勢力は盛り返すだろうから
一気に傾くことはないかもしれん
449人間七七四年:2010/11/01(月) 22:37:47 ID:mqktzVob
毛利がgdgdだったのが家康の最大の幸運
450人間七七四年:2010/11/02(火) 01:43:45 ID:v0KNtd6q
グダグダも何も。そもそも西軍に参加した事自体がでグダグダの最たるものなわけで。
451太郎:2010/11/04(木) 20:06:58 ID:UoiMV5/q
水野伍貴氏「秀吉死後の権力闘争と会津征討」(和泉清司氏編『近世・近代における地域社会の展開』、岩田書院、2010年3月)では、会津征討に関する家康の意図として関ヶ原の戦いを誘発させる意図はなく、秀吉死後における権力闘争の一端であった、と位置づけている。
452人間七七四年:2010/11/07(日) 00:32:33 ID:mRMdgmmv
秀頼が出てこないっていっても、替え玉使ってでも
秀頼公出馬を演出すべきだったと思うよ。
さすれば東軍諸将もひれ伏しただろうに
治部はその辺の融通がきかないな。
秀吉は山崎の合戦で毛利の旗印まで捏造したというのに
そういうしたたかさは学ばなかったようだ
453人間七七四年:2010/11/07(日) 00:45:49 ID:3cpIfkOm
毛利の旗印?何の話?
454人間七七四年:2010/11/07(日) 01:17:54 ID:85pbtmPK
敵の地方大名の旗印捏造すんのと主家で摂関家の旗印捏造すんのでは
わけが違うぞ
455人間七七四年:2010/11/07(日) 08:53:57 ID:fIBKoMcV
秀忠軍の旗を掲げたらビックリするだろうね
456仙台藩百姓:2010/11/07(日) 15:09:10 ID:KLJ1SaXb
他家の旗印捏造する方がヤバイと思うけど( ^ω^)
山崎の時点で羽柴と毛利は単に停戦中の関係だし
それを明智に宣戦布告したかのように捏造するわけだからバレたらとんでもない国際問題になるお( ^ω^)
457人間七七四年:2010/11/07(日) 15:32:26 ID:CssM3E7j
羽柴軍が毛利軍の旗を掲げたって何がソースなんだ?
458人間七七四年:2010/11/07(日) 17:45:16 ID:JGWF9HLK
旗印捏造とか政宗じゃあるまいに
459人間七七四年:2010/11/07(日) 18:31:34 ID:cq17YSeT
いずれにせよ秀頼が関ヶ原にこなかったせいで、西方は、石治少、大刑少、小攝、備前中納言のみで戦うしかなくなった
460人間七七四年:2010/11/07(日) 18:40:00 ID:85pbtmPK
ちんちんに毛が生える気配もない子供に戦場に来いとは無体な
461人間七七四年:2010/11/07(日) 18:40:37 ID:qvUwjqt+
7歳の餓鬼を関ヶ原に担ぎ出した時点で、西軍に離反者が出るわ。
明らかに傀儡ですよと宣伝してるようなものだ。
あの秀吉でさえ、三法師を小牧、長久手に担ぎ出してないのに、
毛利がそんなことしたら、鍋島や島津、立花でさえも東軍に走るぞ。
462人間七七四年:2010/11/07(日) 18:41:52 ID:P8yL43WG
五大老の毛利輝元も上杉景勝も関ヶ原にはいなかったのも痛い
宇喜多秀家は関ヶ原にいたが宇喜多騒動の直後だからこれも痛い
463人間七七四年:2010/11/08(月) 12:44:36 ID:ftcjGzpi
上杉がいたらそもそも関ヶ原の戦いは起こっとらんわ。
464人間七七四年:2010/11/11(木) 07:35:56 ID:mPXpt1nT
だわな
465人間七七四年:2010/11/11(木) 21:49:36 ID:YAzwFFCO
>>455
君面白い(*^^)v
466人間七七四年:2010/11/12(金) 15:00:29 ID:QuTTDfzJ
>>388 そもそも武断派の連中が徳川方についたのは豊臣を滅亡させるためじゃないぞ、
あくまで豊臣政権下で内部対立してた官僚派の光成を殺すためだし、それを家康がうまく利用しただけ

実際のところ武断派の連中も関ヶ原後に徳川がまさか豊臣を滅亡させるとは思ってなかったんじゃね?
467人間七七四年:2010/11/12(金) 17:07:32 ID:qf189/JT
というより豊臣家があそこまでKYだとは思わなかったでは
468人間七七四年:2010/11/12(金) 23:02:10 ID:Fuxl8txS
>>389
黒田と藤堂は家康に天下を奪わせる気満々の忘恩武将。

469人間七七四年:2010/11/12(金) 23:07:16 ID:Pcp9T+QH
>>468
忘恩も何も、秀吉自身が死ぬとき、家康に独裁権を与えることを許可しているんだが。
秀吉後の体制が五大老五奉行の「合議」となったのは秀吉死後に奉行衆が巻き返して
秀吉の遺言を書き換えさせたもの。
470人間七七四年:2010/11/12(金) 23:27:45 ID:DvAdpioK
あちこちで論破されてもこりずに
471人間七七四年:2010/11/12(金) 23:27:48 ID:0v7TqdJz
独裁権なんて与えてないんだけどw
472人間七七四年:2010/11/13(土) 04:21:06 ID:2yg5gzUo
黒田と藤堂も豊臣以前のから鞍替え組だから豊臣がうんこ化すれば
当然乗り換えるわな
473人間七七四年:2010/11/13(土) 04:34:05 ID:LDrcrmOu
>>466
亀レスにも程がある
474人間七七四年:2010/11/13(土) 09:53:02 ID:47G9s6Q9
細川も消極的に反豊臣。関が原前まで信長に貰った丹後11万石だからな。
両加藤も朝鮮の役で三成に恨みあるだろうし(黒田と違ってとばっちりだが)、
池田は家康の婿(それもかなり気に入った)

正則さんを除いて。最近家康よりも正則さんの方がうさんくさくみえてしょうがない。

そういった意味合いでは、当時おとなしかった三成さん(秀吉死後特に何もしていないのだが・・・)
をスケープゴートにしたガス抜きとも取れる。
ちなみに、三成さんは奉行職で第4位で必ずしも必要な人材じゃないだよね。
死後やたら喧伝されているが、純粋に褒め称えているというよりも、武功派の煙幕代わりという気がしないでもない。

475人間七七四年:2010/11/13(土) 12:30:28 ID:sflfPDKq
武功派w 今時そんな分け方をwww
476人間七七四年:2010/11/13(土) 16:24:25 ID:jBuJd/lS
上杉のときより前田のときに動くべきだった三成は
前田に家康を引きつけてくれと言ってその間に西から来る軍勢を取りこんで
直江とも組んで家康討伐やれば勝てたはず
前田35000(関ヶ原のときは25000だが一揆の多い国なので相当数を守備兵に割いた)と
北陸の親豊臣勢(青木とか)を合わせれば軽く50000は行くだろう


477人間七七四年:2010/11/13(土) 17:25:01 ID:2yg5gzUo
近場に居るのにのこのこ軍勢集めさせてもらえると思う?
478人間七七四年:2010/11/13(土) 23:27:50 ID:pSR28xWX
前田がそんなバクチに乗るわけがない
479人間七七四年:2010/11/14(日) 09:39:24 ID:K/oVdpuh
>>476
典型的な数字と自分い都合のいいことしか見えていないゲーム脳
480人間七七四年:2010/11/14(日) 21:03:18 ID:mdf5ADgL
前田なら反徳川勢が集結したところで降伏、先鋒となって攻めてきてくれるよ
481人間七七四年:2010/11/14(日) 22:20:04 ID:bTrPnTQZ
東軍、小早川軍、前田軍の三方から総攻撃受けて西軍フルボッコ。
482人間七七四年:2010/11/14(日) 22:38:28 ID:gYBZrHt6
丹羽さんと有馬さんの関が原後が面白いな。
483人間七七四年:2010/11/15(月) 01:27:15 ID:6ql0DmmU
>>480
前田家は正しくそう言う家だしな。
484人間七七四年:2010/11/18(木) 18:29:48 ID:c1sRqwvR
前田家最大の活躍は賤ヶ岳の時だな
485人間七七四年:2010/11/18(木) 21:51:57 ID:O7TNdovB
利長さんが家康に土下座した所でしょ(JK。
486人間七七四年:2010/11/19(金) 14:09:13 ID:qkz4IGYJ
前田家が西軍につけば面白かったのに
487人間七七四年:2010/11/19(金) 20:02:51 ID:4a5suRdh
関ヶ原の前田家は政宗とかと同じように、火事場泥棒に徹していたという見方もある。
488人間七七四年:2010/11/19(金) 20:43:14 ID:nzWA4Ggh
>>485
いや、勝手に裏崩れしたこと
489人間七七四年:2010/11/20(土) 19:54:10 ID:OFtAUPND
関が原での前田家の活動って全く知らん。参加してたの? ってくらい影が薄い。
490人間七七四年:2010/11/20(土) 20:02:55 ID:Su8fwZWP
小早川吉川といるから前田が居ても出番ないよ
491人間七七四年:2010/11/20(土) 21:10:47 ID:YBVclhek
>>489
えーじゃん毛利とか上杉とかと違って100万石維持できたんだから。
492人間七七四年:2010/11/22(月) 01:29:26 ID:UfHn4PrV
>>489
北陸で右往左往してたな
493人間七七四年:2010/11/23(火) 00:45:52 ID:eHpHqfNz
丹羽さんにいい感じにボコボコにされていたな。

太平洋戦争当時の前田家の人も飛行機事故で死んでるんだよね。
なんちゅーか、前田家は武家としての締りがないと思うの気のせいだろうか?
494人間七七四年:2010/11/23(火) 10:29:15 ID:uMpUpDra
それで何で百万石?
495人間七七四年:2010/11/23(火) 12:03:08 ID:rUgR+zZH
中山秀征や恵がなんで芸能界でのうのうと生き残れて、しかも帯番組持ってんの?
ってきくのと同じだよ
496人間七七四年:2010/11/23(火) 14:09:29 ID:qD89PCXQ
勝ち組:前田、山内
負け組:毛利、上杉

山内は267年後に上手に徳川を裏切って上手いこと振舞うけど
上杉はトコトンバカだった。
497人間七七四年:2010/11/23(火) 18:23:51 ID:uMpUpDra
山内、最悪だよな。司馬『功名が辻』読んで大嫌いになった。
498人間七七四年:2010/11/24(水) 08:57:39 ID:IUFuMvgZ
前田の関ヶ原は北陸で領地を広げてたら、なぜか後方の丹羽が攻撃してきてやり返す
関ヶ原に向かうため丹羽と和睦する
北陸は軒並み西軍で連携しており特に青木を警戒してた
戦後、北陸の大名たちと一緒に徳川に会いに行く
499人間七七四年:2010/11/24(水) 09:08:31 ID:/cy240n/
>>496
とことん馬鹿やってもなんか生き残るよね>上杉
500人間七七四年:2010/11/24(水) 12:41:14 ID:oPG10wuW
愚直のところが好感度アップ、とかか?
501人間七七四年:2010/11/24(水) 19:00:14 ID:mdvAg3Ev
景勝と直江を斬首すれば良かったのに
502人間七七四年:2010/11/25(木) 10:14:19 ID:SHcmuxp3
東軍が負けていたら誰が処刑されたんだろう。家康と秀忠?
503人間七七四年:2010/11/25(木) 18:25:58 ID:ycsu5StC
徳川親子は負けても関東に戻るだけじゃん
領地も最前線にある福島さんがヤバイ
504人間七七四年:2010/11/25(木) 19:38:47 ID:SHcmuxp3
戻った後で惨敗して生け捕られたら? 三成みたいに河原で斬首?
505人間七七四年:2010/11/26(金) 11:36:26 ID:+556C9Ed
>>504
過程の過程の過程の過程くらいの質問されても困る
506人間七七四年:2010/11/26(金) 17:37:30 ID:WZ07xw/U
どっちが勝っても三成が処刑される
507人間七七四年:2010/11/26(金) 20:03:09 ID:kPvIccu2
もっと長引いたら面白かったのに
508人間七七四年:2010/11/26(金) 21:46:29 ID:kPvIccu2
島津が1万くらい率いていたら西軍が勝ったのに!
509人間七七四年:2010/11/29(月) 01:30:57 ID:dFKMrQke
福島らが清洲城に入った後家康がなかなか来なかったのは何故?
西軍への裏切りを警戒してたのならむしろ現場に赴いた方がよくない?
もし裏切り者がでて江戸に上って来られる方が厄介でしょ 
佐竹対策だってぼやぼやしてるより家康が早く三成を倒した方が二方面作戦にならなくて済む
510人間七七四年:2010/11/29(月) 01:43:45 ID:k8+augcJ
帰趨がはっきりせんのに現場乗り込んだら裏切り者への備えと西軍への備え両方せにゃならんじゃん
511人間七七四年:2010/11/29(月) 08:13:02 ID:eaLnVBVl
内部分裂してるときに攻撃されたら死ぬ
512人間七七四年:2010/11/29(月) 10:45:06 ID:Ee+F81TZ
>>508
島津は国元gdgdでそんな余裕無いし、薩摩の人間以外を付けた所で言葉が通じないだろ!
513人間七七四年:2010/11/30(火) 20:54:17 ID:jNQQmfVs
>>510
それは分るけど、家康が来ないことで東軍先遣隊が負けたり、西軍に与したりした方がやばくないか?
俺だったらリスク承知で清洲に行き、先遣隊+家康本軍で三成つぶすけど
514人間七七四年:2010/11/30(火) 20:55:26 ID:X99GUtrF
>>513
お前の浅知恵より家康のほうが正しかったから勝ったんだろ
515人間七七四年:2010/11/30(火) 21:01:28 ID:mrYlKDGF
>>509
>西軍への裏切りを警戒してたのならむしろ現場に赴いた方がよくない?
東軍への裏切りを警戒して現場に赴いて失敗したのが石田三成なわけで・・・
516人間七七四年:2010/11/30(火) 21:13:00 ID:a+FKvS2a
まぁ真面目にやる気があるのか確かめないとあかんし
福島らもド素人じゃないから負けるとしてもうんこ負けにはならんだろう
という考えはあるだろ
517人間七七四年:2010/11/30(火) 22:10:06 ID:2etWP2RF
久々にゲーム脳が湧いたな。
518人間七七四年:2010/11/30(火) 23:20:30 ID:cvcUq/cp
TBS「噂の!東京マガジン」小田原市の抗議に反論
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1291096820/

小田原城伐採問題
519人間七七四年:2010/12/08(水) 10:44:09 ID:Ie0tmqNZ
毛利元康・立花宗茂率いる数万が関ヶ原本戦に間に合ったら西軍が勝っていた?
520人間七七四年:2010/12/08(水) 11:57:28 ID:jqDc8db/
立花が参戦できなかったの痛いなあ
521人間七七四年:2010/12/08(水) 12:44:28 ID:Ie0tmqNZ
京極なんてヘタレは放っといたらいいんだ。どうせたいしたことは出来ない
522人間七七四年:2010/12/08(水) 14:22:26 ID:ZGbcimWD
島津は関ヶ原の後でもなんで減封されなかったん?
523人間七七四年:2010/12/08(水) 14:23:58 ID:jqDc8db/
遠かったから
524人間七七四年:2010/12/08(水) 22:21:01 ID:N2/R+e9f
関ヶ原は義久と義弘の権力闘争も絡んでいて、それが原因で義弘は国許から
援軍を得られなかった。義弘が「私心はない」と書き送ってるように、義弘
自身は国許から援軍が来ないのは自分が疑われているからだという認識。
家中の不協和音が原因でも、結果的には西軍加担は義弘の独断というプラス
のほうに働いた。

ずっと上洛しなかったのは、よく言われるような減封なら決戦も辞さず
という態度で臨んだから―ではなかった。まだ国人重臣の発言力が強い
中世的な性格が残っていた島津家では毎回上洛を重臣に諮っても同意を
得られなかっただけだった。誰を派遣するかと後継者問題が絡んだのも
一因。家康にしても島津と交渉開始したころは上杉との対立が続いてお
り、大戦後で「島津征伐するにしても遠いなあ」という感覚だったんだ
ろうけど、それがどういう訳か武威を示して現状維持を勝ち取ったとい
う話になった。
525人間七七四年:2010/12/08(水) 22:49:11 ID:N5WJwgII
>>524
伊集院幸侃が誅殺と、それに続く庄内の乱もあったからな
中央に接近していた義弘や幸侃に対し、忠恒や義久には集権化を快く思わない国人層が集まっていたみたいだし。
526人間七七四年:2010/12/09(木) 19:55:01 ID:1BuGb0JD
兵が少なくて面目失ってるから兵隊もっと兵送れつったり
伏見攻城では全力投球だったり、もっと兵があったら勝ってたと負け惜しみ言ったり
イヤイヤながらにはどうやっても見えんなw
関ヶ原本戦で消極的だったことくらいか

厳封免れたのは、万事準備が整って将軍就任式やるだけなのに
許してろうと思うという誓詞だしてるのに、島津が来ないから出来ない
討伐して時間かけるのもいやだし、もういいよと勝手に家康が折れた形
ぐだぐだ内紛の勝利
527人間七七四年:2010/12/09(木) 23:39:45 ID:72XD1K8d
島津は関ヶ原本戦でも別に消極的じゃないぞ。
上洛して早々に主要メンバーに挙げられてるし。
元々の派閥もあるけど、義弘・輝元・直江は三成が失脚したままだと困るしね。
528月孔雀:2010/12/11(土) 12:34:14 ID:QW9NUrPb
朝鮮人は、関が原をどう思うのだろうか?
529人間七七四年:2010/12/11(土) 13:14:54 ID:HL9G6XJI
関ヶ原の起源は韓国
530人間七七四年:2010/12/11(土) 13:19:50 ID:J7VjYktY
まあ秀吉の朝鮮出兵の歪みが生んだ総決算だから間違いではない
531人間七七四年:2010/12/11(土) 13:22:42 ID:Rui4tnr0
朝鮮出兵の起源は韓国
532人間七七四年:2010/12/11(土) 15:37:02 ID:Fbumpij3
朝鮮出兵や関ヶ原に佐々成政がいたら圧勝だった。
533人間七七四年:2010/12/11(土) 16:03:10 ID:CfHDLOkq
22:人間七七四年 11/22(月) 17:22 hdMwdnf1
以前、戦国武将のイラスト展に行った時、
俺の近くにいた一団のじいさんが秀家のイラストを指差して
「こいつが裏切ったんだよなぁ〜」と得意気に言っていた。
すると隣のおばさんが「ああ、TVでやってたわねえ〜」と相槌を打ち、
他のおばさんも「後々まで言われちゃうわね(笑)」と応じていた。

談笑しつつ遠ざかっていく一団を生暖かい目で見送りながら俺は、
きっと泉下の秀家公も、このじいさんに恥を掻かせるには忍びない、言わせておけ
と苦笑しておられるに違いないと思ったのだった
534人間七七四年:2010/12/11(土) 16:16:33 ID:UpH9QbLK
関ヶ原に出向いた西軍がせめて、この面子だったら

石田、大谷、小西、平塚、宇喜多、立花、秀包、秀元、安国寺、島津

まず間違いなく1日で勝敗がつくことなんてなかっただろうし
逆に西軍有利のまま、東北は上杉が最上を支配し、前田、堀軍と激突
佐竹と伊達は動かず日和見がちに事態を傍観

九州は黒田、加藤が島津本国を攻撃

こんな感じになってたのにな

ただ遅れたきた秀忠軍3万5千が到着したら、西軍はまた形成が不利になるかな?
535人間七七四年:2010/12/11(土) 16:40:44 ID:J7VjYktY
こっちでやれ

関ヶ原、西軍勝利
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150726266/
536人間七七四年:2010/12/11(土) 16:43:04 ID:0XfLccl1
>>534
>石田、大谷、小西、平塚、宇喜多、立花、秀包、秀元、安国寺、島津
戸田勝成や毛利勝信は駄目なのか・・・無念だなぁ

>九州は黒田、加藤が島津本国を攻撃
小西領は駄目なのか・・・無念だなぁ

>ただ遅れたきた秀忠軍3万5千が到着したら、西軍はまた形成が不利になるかな?
毛利輝元公は駄目なのか・・・確かに駄目かもしれない・・・無念だ!


537人間七七四年:2010/12/11(土) 22:24:13 ID:kuHLJr/H
>>524
>それがどういう訳か武威を示して現状維持を勝ち取ったとい
う話になった。

明治維新で、島津が勝ち組になったからだろ。
538人間七七四年:2010/12/13(月) 18:47:51 ID:+KOuVbHZ

島津氏を滅亡させるための戦があった

http://s1.shard.jp/rabbit1/0203/39/266.html

その戦とは、天下分け目の戦だった。
539人間七七四年:2010/12/13(月) 19:38:08 ID:Ty0sW66Q
>>538
きちがい。
540人間七七四年:2010/12/19(日) 04:12:14 ID:6vy3PNUB
豊臣政権転覆を狙う家康と、政権を護ろうとする三成との戦いだと聞いたんだけど。
それにしては西軍は毛利、宇喜多、長曽我部と、秀吉に怨みを持っていそうな奴ばかり。逆に反豊臣の筈の東軍には何故か黒田がいるし。
どうなってんの?
541月孔雀:2010/12/19(日) 04:51:50 ID:WsS39nC3
ほとんどが、私利私欲で、動いてるだけ
542人間七七四年:2010/12/19(日) 08:47:57 ID:jLpW6zWp
それ誤解
543月孔雀:2010/12/19(日) 09:44:04 ID:WsS39nC3
大義を掲げたのは、三成と上杉くらいでは?
544人間七七四年:2010/12/19(日) 10:13:48 ID:OTXv/XH3
上杉だって私利私欲だろう
ただ、東軍西軍という枠に入れるべきではないような気もする
545人間七七四年:2010/12/19(日) 10:17:53 ID:jaNk5+rD
そもそも三成が大儀とか言ってる時点でもう。
そんなものは江戸期の軍記で成立した妄想だ
546人間七七四年:2010/12/19(日) 11:01:40 ID:56FeI58b
>544
「討伐するなら来いよカモン」でそ
547人間七七四年:2010/12/19(日) 11:15:35 ID:xXsjQHtG
政権の代表者の一人である家康を討伐するって言うんだから大儀を掲げるのは当然だろw
じゃなきゃ誰も従わない。
> 豊臣政権転覆を狙う家康と、政権を護ろうとする三成との戦い
これは基本的に間違いじゃないけど三成じゃなくて二大老・三奉行を代表とする反家康グループだな。
ただ、もちろんこれは反家康サイドの主張であって家康サイドにしてみれば
「豊臣政権転覆を狙う石田・大谷とその一味と政権を護ろうとする家康との戦い」になるわけで。
で、飽く迄それぞれが掲げる大義名分と本来の思惑とはまた別の問題。
利家と家康の抗争からの流れでそれぞれに付いた者もいれば個人的な利害関係で付いた者もいただろう。
地理的要因などから仕方なくどちらかに味方した者もいただろうし、単純に勝ち馬に乗ろうとしただけの者もいただろう。
派閥抗争で敵味方に分かれる理由なんて人それぞれに決まってる。
548人間七七四年:2010/12/19(日) 11:59:39 ID:PFbf9Bvw
まぁ豊臣政権自体が政権といえるほどのシステム持ってなかったってのが原因だわな
549月孔雀:2010/12/19(日) 12:01:52 ID:WsS39nC3
家康が、天下を狙わなければ、政権は維持できた。
550人間七七四年:2010/12/19(日) 12:25:24 ID:xXsjQHtG
個別の統一法令に加え、御掟・御掟追加といった基本法の制定、
加地子得分権の撤廃や身分法令による権力構造の一元化、
年寄衆・奉行衆や十人衆といった中央政権の運営者の設置などなど
政権じゃなきゃ一体何なんだって話だな。
551人間七七四年:2010/12/19(日) 12:37:19 ID:jaNk5+rD
>>550
> 個別の統一法令に加え、御掟・御掟追加といった基本法の制定、
御掟・御掟追加は基本法とは言いがたい。まさに個別の対処法でしか無く
法体系にしようとする意思も模索もない

> 加地子得分権の撤廃や身分法令による権力構造の一元化、
身分法令は既に社会に存在した身分による分化の追認と見たほうが自然だと思う。

> 年寄衆・奉行衆や十人衆といった中央政権の運営者の設置などなど
彼らは中央集権ではなく「秀吉独裁」のサポートスタッフでしか無い。
なぜなら中央集権の必要条件である法体系、組織、官僚機構が存在しないからだ

> 政権じゃなきゃ一体何なんだって話だな。
軍閥だな。それも肥大化した軍閥。慣習と残った室町システムに寄生した存在。
552人間七七四年:2010/12/19(日) 12:54:05 ID:xXsjQHtG
>>551
御掟・御掟追加は後に武家諸法度等に大幅に取り入れられている事からも分かるとおり、
個別の法令のベースとなり、公家・寺社・武家など全支配階級に対する基本法。
これを個別の対処法だとか言ってるなんて、法令の内容を知らないとしか思えない。
身分法令に関しても、それまで曖昧だった武家と庶民との区別を明確にしたものであって
既存の身分構造の追認だなんて滅茶苦茶。
奉行や十人衆が秀吉独裁のサポートなんてのも話しにならない。
何故奉行や大老、十人衆といった物がどういった経緯から出来た物なのかが分かれば
こんな間抜けな話にはならないな。
553人間七七四年:2010/12/19(日) 12:55:14 ID:xXsjQHtG
「何故」は不要だな。失礼。
554人間七七四年:2010/12/19(日) 13:47:19 ID:6vy3PNUB
>>547
家康に豊臣擁護する気があるなら大阪の陣など無かった筈。
鐘に刻まれたポエムに難癖つけて一族郎党皆殺しなんて有り得ないだろ。
555人間七七四年:2010/12/19(日) 13:50:42 ID:42HFYflo
この家業、舐められたら御仕舞
556人間七七四年:2010/12/19(日) 13:55:49 ID:xXsjQHtG
>>554
文意を良く理解していないのかな?
大義名分は「秀頼公御為に逆賊石田・大谷を討つ」って事。
本当に豊臣家の為を思ってしたのか、豊臣政権の中で権力の拡大を図ったのか、
自分が豊臣家に取って代わるつもりでいたのかっていう議論はまた別の話。
557人間七七四年:2010/12/19(日) 15:09:55 ID:jLpW6zWp
>>554
アレは豊臣家が悪い
558人間七七四年:2010/12/19(日) 23:35:52 ID:6vy3PNUB
>>557
「国家安康」がそんなに悪い言葉なのか?
559人間七七四年:2010/12/19(日) 23:39:15 ID:PFbf9Bvw
うん
560人間七七四年:2010/12/19(日) 23:49:32 ID:e2pF3g4d
現代だってたとえ冗談でも掲示板に殺人予告をしたら容赦なく逮捕されるからな
ましてこの時代に権力者の名前を使ってやったら死刑になっても文句は言えないだろう
561人間七七四年:2010/12/20(月) 00:07:58 ID:h8ZkJf7S
権力者の諱を変に扱っただけで処罰の対象だからな。
たとえば秀吉の弟の秀長が、織田信長在世時は”長秀”だったのは、そういうことだ。
562人間七七四年:2010/12/20(月) 14:24:24 ID:Evxf/iTB
>>560
横書きの日本文に「,.」を用いるのは朝鮮人だよ。日本語は横書きでも「、。」が正しい。
韓国語では、縦書き文書では「、」が用いられ、横書き文書では「,」が用いられる。
この用い方は統一されているため、縦書き文書に「,」を、横書き文書に「、」を用いるのは誤り。
だから日本語で書くときもカンマピリオドの癖が出るんだろうね。
563人間七七四年:2010/12/20(月) 14:32:28 ID:szPlkxui
>>562
いきなり何の話?
564人間七七四年:2010/12/20(月) 17:15:55 ID:h8ZkJf7S
>>563
キチガイに触るな
565人間七七四年:2010/12/20(月) 18:24:07 ID:szPlkxui
ごめん
566人間七七四年:2010/12/21(火) 09:48:36 ID:fHLm4nWN
吉川広家も吉川家広にでも改名させられたん?
不敬で攻め滅ぼされたん?
567人間七七四年:2010/12/21(火) 10:35:19 ID:DBtPfNIY
名前が吉川家広康だったら改名か死のどちらかだったんじゃね?
568人間七七四年:2010/12/22(水) 21:53:37 ID:wQ7OxIja
というかより、国家安康ネタ飽きたつーか、家康は呪詛の類を死ぬまで信じるとは思えない。
無論、それと対応は別だが。
569人間七七四年:2010/12/23(木) 16:33:32 ID:V8Vd3fbZ
何で左近って軍師としてあんなに持ち上げられてるんだろう。
前線指揮官としてならともかく、参謀としては、たいして役に立って
ないように、思うが。
例えば政略や築城とか、何か目立った実績もなさそうだし。
判官贔屓が、すぎるんじゃないか。
570人間七七四年:2010/12/23(木) 16:43:54 ID:6TpBuHhG
戦音痴の三成が関ヶ原で善戦できたのはおかしい!
たぶんきっと参謀が優秀だったんだよ!ってな事なんだろう。
物語にも整合性を求める日本人気質なんかな
571人間七七四年:2010/12/23(木) 17:03:09 ID:GTVgjhi8
漫画の主人公になってたな
572人間七七四年:2010/12/23(木) 17:22:49 ID:O4SN9llz
三成は癖があるけど根はいい奴だから名軍師を付けて
真田幸村は自身が完璧超人だから個性派の十勇士
家康陣営はチーム戦で努力・友情・勝利
573人間七七四年:2010/12/24(金) 15:03:07 ID:woGgL36N
架空戦記でも読んでろよ
574人間七七四年:2010/12/25(土) 10:16:23 ID:9F8lX4Vh
三成の経歴で戦下手って汚点って忍城位だが、
囲ったメンバみると戦下手って評価が沸いて出た理由はイメージが強いんだなぁと思う。
575人間七七四年:2010/12/25(土) 13:40:54 ID:Ozn9v70I
えー人のせいにすんのぉ
576人間七七四年:2010/12/26(日) 20:38:23 ID:VLGnIrP3
ただでさえ人材不足の豊臣なんだから秀吉が三成に戦の才能があると思ったら指揮官として試す機会も多く与えられているよ
秀吉が三成には才能がないと評価したから忍城くらいしか機会を与えなかっただけ
戦下手って評価が沸いて出た理由は秀吉がそう判断したから
577人間七七四年:2010/12/29(水) 10:09:18 ID:HMN08aXC

578人間七七四年:2010/12/29(水) 21:56:46 ID:hFZe8u6j
城攻め一番槍とか
名のある物頭クラス以上討ち取ったとかないとな
一門以外の大抵の将は抜きん出た武功あげてる
579人間七七四年:2010/12/29(水) 22:20:55 ID:9L/ATqz0
>>548>>550>>551
豊臣政権は慣習と残った室町システムに寄生した擬似政権的存在
という話を聞いて思ったのだが・・
 西軍が完全勝利したとして
豊臣恩顧勢力は減退すると思われるのに戦後どうするつもりだったのかと考えれば
やはり
政権モデルは室町型秩序の再来に行き着くしかなかったんだろうなと思う。

おそらく西軍は
戦争目的は「徳川殲滅」ではなく、「豊家の政権より暴戻なる内府を除く」ことに
あり、大きくは「豊家百年の為に大領を食む徳川家を除く」ことだから
関東征伐で徳川征伐を完遂するともできるとも思えない。
西軍による東軍の解体と徳川の武威の削減ができれば終わるものだと思う。

そして五大老がそれぞれ室町期大諸侯の復活にちかくなり
前田=山名
上杉=管領家上杉
宇喜田=細川
毛利=大内

徳川=鎌倉公方の再来
秀康系と秀忠系を
古河公方、堀越公方の再来
会津上杉家を関東管領の再来と見て関東の分断化で終わらすと
まあ室町システムの再生になるわけで

統一というと徳川のような集権的なのをイメージするが
室町期的秩序が、知られていた一番身近な秩序なのだから
似たような構図にイメージされても不思議はないよな・・
580人間七七四年:2010/12/29(水) 23:26:05 ID:j515HmPJ
徳川幕府がどうして集権的といえるのか
581人間七七四年:2010/12/30(木) 07:35:16 ID:VZ9rgNY6
秀吉が生きてる時代に秀康あたりを徳川の分家として立ててやればよかったんじゃない
徳川宗家が丸々250万石も大領抱え込んでるから扱いが大変なんだろう
582人間七七四年:2010/12/30(木) 10:54:48 ID:BQRTYqve
>>551みたいな出鱈目を前提に語られてもな。
583人間七七四年:2011/01/06(木) 19:19:52 ID:j1b/4Bqk
歴史群像は
松尾山城+南宮山陣城
本文は関ヶ原合戦
付録で参謀本部関ヶ原布陣図
584人間七七四年:2011/01/06(木) 19:48:21 ID:/GJZIhoj
いい加減、参謀本部が作成した「日本戦史」から脱却しろ
何時まで引きずってんねん
585人間七七四年:2011/01/06(木) 21:38:50 ID:6ntxXPL3
日本では本格的な戦史研究が日本戦史で止まってる件
586人間七七四年:2011/01/07(金) 00:17:12 ID:wT2Zek01
今回の歴史群像では参謀本部の数字には疑問を呈しているようだ
587人間七七四年:2011/01/07(金) 02:30:39 ID:tU3zFc55
出典なしで書かれてもねぇ
588人間七七四年:2011/01/07(金) 21:48:05 ID:cHUluRzl
この前、関ヶ原行ったけど松尾山って高い山なんだな。三成の陣跡から見たけど
あんな山から、小早川の旗指物が降りてくるの見るのは恐怖だったろうに。
後、絶対家康の銃声が聞こえたってのは嘘だってわかるわ。遠いもの
589人間七七四年:2011/01/07(金) 21:49:52 ID:c4ClPPV6
>>588
ちなみに小早川陣に鉄砲撃ちかけたのは藤堂隊と家康の命を受けた福島隊な
590人間七七四年:2011/01/07(金) 22:41:47 ID:ND0YTlap
藤堂隊だかに参加してた徳川旗本と推測じゃなかったっけ
591人間七七四年:2011/01/07(金) 22:56:10 ID:tU3zFc55
再録

「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」

「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」

「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」

他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より

以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
592人間七七四年:2011/01/08(土) 07:52:57 ID:BP1K3ttK
>>589
今までも言われていたけど
どっちにしても届かないし合戦中の喧騒でとても聞き取れるとは思えない
秀秋本陣まで登って近づいてでないと無理だな
593人間七七四年:2011/01/08(土) 10:21:42 ID:jTxhxv1B
>>592
その「喧騒」というのがどのレベルかという考察はされたことがない

午前7時の開戦から問鉄砲が撃たれたとする12時まで、切れ間なく全て鉄砲は撃たれ続け
将兵は皆、蛮声をあげ続け、突撃し戦い合っていたというのなら話は別だが、実際は不可能
594人間七七四年:2011/01/08(土) 10:31:20 ID:AufVE40L
戦闘は部分が続いたから切れ間はあまりなかったろうけど、
それでも遠かったり静かになったりもしただろう。
だから間近でぶっ放されて、近くの木とかにワサワサ当たったらさすがにわかるんじゃないか。
少なくとも斥候、見張りみたいなのが「わ、こっちに討ってきた」みたいに
伝えたりとか。
595人間七七四年:2011/01/08(土) 11:33:53 ID:50AfToIE
裏切るべきかどうかギリギリのところで躊躇して
見晴らしの良い高台から眼を皿にして戦況を注視してりゃ1km以上離れてても気付くだろ
全軍で昼寝でもしてたというのか
596人間七七四年:2011/01/08(土) 16:09:53 ID:ToPlwLO2
つーか小早川は前日の松尾山占拠の時点から明確に東軍だけどな。
参戦が遅れたのは霧の晴れるのを待っていただけ
597人間七七四年:2011/01/08(土) 16:41:00 ID:jVwH1Uza
つくづく後世の評価がひどすぎるよね、秀秋
598人間七七四年:2011/01/08(土) 17:15:10 ID:jTxhxv1B
1.福島正則の鉄砲を合図にして、西軍を攻撃
2.しかし霧の為に福島が撃ったのか解らずに、秀秋動かず
3.秀秋が動かなかったので、正則も動かずに小競り合いで終わる
4.これは不味いと直政・忠吉が宇喜多秀家を銃撃
5.本格的に開戦

という流れ、どうも秀秋は最初の取り決めを外した時点で
良くて霧が張れるまで待つ、悪ければ思考停止状態という
後ろ向きの思考に陥った模様
599人間七七四年:2011/01/08(土) 17:49:46 ID:NyqEnkzT
あと島津家にある記録だと小早川軍の下山前の正午には既に、石田軍を始めとした西軍は
崩れていたようなので、東軍の側からも「勝ち馬に乗りやがった」って印象は持たれただろうな。>秀秋
600人間七七四年:2011/01/08(土) 23:00:47 ID:I1h4YFfd
>>594
関ヶ原は盆地だから、銃声はとどいたかもしれないが小早川軍からすれば「またどっかの隊がやってら」ぐらいにしか思わないだろうし
当時の射程距離では小早川軍まで射程距離届かないだろ。万一、届いたとしても流れ弾くらいにしか思わないだろ。
「裏切って味方してやる」くらいの気持ちでいるのに、なんで家康から打ちこまれたなんて想像できるよ
601人間七七四年:2011/01/08(土) 23:22:45 ID:qw/yP7ND
>>600
だもんで、結構近くまで行ったんじゃないか、そりゃ。
遠くのほうで音がした、のならわからないだろうけど、戦場とそうじゃないとこの
区別ぐらいはつくでしょう。
595さんも言うように命がけで注視してるのだから遠くの戦場の
音と違うぐらいはわかるとは思うよ。
それと、流れ弾と間違う、なんてこともありえないでしょう。
普通はそんな流れ弾のこないとこに陣をはるし張ってたんでしょう。

あと、音がした方を見たら、家康の旗がたってたのかもしれない。
これで流れ弾とかじゃなくて、意味のあるものかどうかぐらいは考える。

ちなみに、問鉄砲があった、と言ってるわけじゃないからね。
やってたら十分に意味のあるものではあったろう、ということで。
602人間七七四年:2011/01/09(日) 10:50:43 ID:vnGLpEHj
家康は興奮しやすいからヤケクソ説も捨てきれないよ
603人間七七四年:2011/01/11(火) 10:16:28 ID:OjnsGeMw
興奮することとヤケクソがどうつながるのか理解出来ない
604人間七七四年:2011/01/12(水) 20:26:18 ID:Bu8+KAjM
>>601
霧で状況がつかめなかっただろ、家康の旗は見えないよ。
そもそも、西軍がいるのに近くによるなんてできるの?
605人間七七四年:2011/01/12(水) 21:01:21 ID:hPGDT99J
>>604
12時まで霧がかかっていたとも思えない
それに西軍は松尾山山麓の全てに展開していたわけではない
606人間七七四年:2011/01/12(水) 21:44:07 ID:fF/vSbLm
>>605
だから正午はもう移動行動に入ってるよ
607人間七七四年:2011/01/12(水) 22:00:51 ID:xwxGbmJR
霧とか鉄砲の煙で見えないとかよく聞くけど、それはなにか根拠が
あるのかな。
あのあたりの霧はそんな濃霧にはなかなかならないしね。

それにそれまで戦場でないところでいきなりぶっ放されたら
さすがにチェックはすると思うけどな。
608人間七七四年:2011/01/12(水) 22:07:50 ID:2tQ0tElS
戦闘開始の8時には霧が晴れた。「関ヶ原軍記大成」他
つかまじめに戦場見てたら視認できるレベルだろ。
609人間七七四年:2011/01/13(木) 13:59:19 ID:UOT8CqnB
大将秀秋はともかくとして(とは言え、若い割には朝鮮で合戦経験はあった)、その下の部将や
兵卒(筑前兵)にしても戦慣れしてるからなー
霧がどうこうは無かったと思う
たとえば1600年当時の筑前兵の履歴(15〜35歳)
父世代は毛利大友戦で従軍
現役年長世代は大友島津戦に従軍、若い者でも多くは小早川隆景配下として朝鮮に従軍
610人間七七四年:2011/01/13(木) 19:16:33 ID:/KfIK99G
山の上からでも、「あれ、こっちにむかって撃ってきてるな」
くらいはわかるんじゃない?
611人間七七四年:2011/01/13(木) 21:14:13 ID:mLBxgTvu
>>609
隆景配下の多くは秀秋から去っている
それに霧が濃ければ視界が悪いからさすがにどうこう有るだろう
612人間七七四年:2011/01/14(金) 00:36:38 ID:mPPchSJ6
小早川全軍が山の上にいたわけじゃないみたいだしな。
松尾山麓には関ヶ原方面にむけてつくられた郭の遺構が残っているというし、山麓にも
相当数の兵がいたはず。
613人間七七四年:2011/01/14(金) 22:12:43 ID:L69C3QKo
山口宗永だな
関係ないけど
あれは秀秋を見限って去って豊臣直参になったとかいわれているけど
三成の諫言で所領が半分になった秀秋が北ノ庄に行くことが決まっていたから
旧臣ということで近くを任されたんだろうな
614人間七七四年:2011/01/15(土) 18:10:48 ID:YE8OmAJD
【治部】石田三成総合スレ 8【佐吉】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1295082581/

石田スレ移行
615人間七七四年:2011/01/15(土) 22:55:23 ID:Kj1Koz3q
>>614
なんで誘導するんだ?
関ヶ原の登場人物を語るのなら別に構わんだろ
616人間七七四年:2011/01/16(日) 00:46:13 ID:jWG5cjOn
告知・宣伝したら絡まれるとは恐ろしいw
617人間七七四年:2011/01/16(日) 01:41:49 ID:3/eQwVDK
新スレ移行の告知だろw
618人間七七四年:2011/01/16(日) 20:07:16 ID:1e9zquuj
小早川や毛利は最初から動かぬ駒。

山の上に勝手に上って高見の見物、をしてた。
それを動かそうとするには、秀吉が生きてないかぎり、
無理。
619人間七七四年:2011/01/16(日) 20:10:35 ID:1e9zquuj
家康は、石田を甘く見すぎており、
石田には誰も見方するものはいないだろう。
と軽く考えていた。
そして、関が原に到着したとき、
囲まれていることが分かり、わが身の
間違いを悟った。しかし、天が家康に味方した。
620人間七七四年:2011/01/16(日) 20:22:56 ID:w99rixxm
キチガイが創作小説始めやがったよ
621人間七七四年:2011/01/16(日) 20:25:51 ID:0ZAhHT2W
天が味方したのは西軍なんだがなぁ
利根川が増水して、秀忠隊への伝令が遅れた
622人間七七四年:2011/01/17(月) 08:18:34 ID:+qFwy8wt
木曽川が突然増水して東軍が皆、流されてしまえば、西軍の勝利確実だったのに。
623人間七七四年:2011/01/17(月) 09:35:12 ID:AUNc9XBy
それやるとバタフライ効果で日本が無くなりそう
624人間七七四年:2011/01/17(月) 17:00:52 ID:HUy3Skhz
 ,.、,、,..,、、.,、,、、..,_,,_  /i
;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゛:.::'':,'.´ -‐i
'、;: ...: ,:. :.、... :.、.:: _;... .;;.‐'゛ ̄  ̄
   ヽ(´・ω・)ノ
     |  /
     UU
625人間七七四年:2011/01/18(火) 00:14:33 ID:/Rm8cMKp
それはえびフライ。
626人間七七四年:2011/01/18(火) 10:18:40 ID:mips8lQF
>>622
木曽川が氾濫したせいで尾張生まれになれなかった俺に喧嘩売ってんの?
627人間七七四年:2011/01/18(火) 14:40:12 ID:ef2e2Tg5
おかげで味噌呼ばわりされなくて良かったじゃないか
628人間七七四年:2011/01/20(木) 05:11:41 ID:kNB3KCPF
その代り田舎者扱いされる
629人間七七四年:2011/01/20(木) 11:15:07 ID:qh75xn1t
尾張も美濃もどっこいどっこいの田舎じゃないかw
しかも木曽川の氾濫云々で国境変わったあたりはどっちに転んでも田舎ですよ
国後とかがロシアが支配しても日本に返還されても辺境に変わりないのと同じです
630人間七七四年:2011/01/25(火) 23:27:16 ID:aRL0ecAl
家康は小山会議の前には三成、大谷だけでなく、三奉行や輝元も
蜂起していた事を知っていた
631人間七七四年:2011/01/25(火) 23:33:10 ID:PWJt0Fje
流れにワロタ
尾張や美濃生まれは都会に近くても何の戦国時代の関連のないこっちとしては羨ましいんだぜ
632人間七七四年:2011/01/26(水) 15:41:17 ID:8NYGrkkU
戦国時代に関係が無い土地ってあるんかいな?
633人間七七四年:2011/01/26(水) 15:53:22 ID:7UrYXUCq
北海道北部と沖縄
634人間七七四年:2011/01/26(水) 17:48:09 ID:W/eY3OeA
>>631
なんだけど案外小中学ではそういうこと教えないのだよね。
岡崎だったら、家康の日、ぐらい作ってもいいと思うのだが。
ガキの頃にそういうことちゃんと教えておけばいいんだろが
もったいない小中学時代をすごしたもんだ。
635人間七七四年:2011/01/26(水) 22:19:55 ID:ydbJ0Uiq
小学生の教師がデ・レーケ持ち上げすぎ薩摩藩士コケ下ろしすぎで嫌だったなぁ
とりあえず近所の城の殿様的に考えても俺は西軍派
636人間七七四年:2011/01/27(木) 11:53:13 ID:g7fjEQP8
岡崎って小学校の運動会で家康に関連したような競技があるとか…
637人間七七四年:2011/01/27(木) 11:57:37 ID:rR5HepnD
unkomorasi?
638人間七七四年:2011/01/28(金) 14:53:13 ID:L0qlrjT2
これはしたり
639人間七七四年:2011/01/29(土) 20:09:27 ID:cVM+9P8j
小学校の担任は九州の人間だけは信用してはいけないと言って居た
担任の先祖は西軍の生き残りだそうだ。
640人間七七四年:2011/01/29(土) 20:42:04 ID:vgPujNu7
>>639
大垣城に篭っていた連中かね?
641人間七七四年:2011/01/29(土) 20:43:29 ID:u6x8PnLI
そういうのに限ってなんちゃってご先祖様だったりするんだよな。
642人間七七四年:2011/01/31(月) 01:48:13 ID:4EY5zYVN
>>639
それ、九州の人間は信用できないと
元阪神・南海の江本も言ってたな
643人間七七四年:2011/01/31(月) 02:17:47 ID:8F8PDzUQ
まぁ、一番信用できないのは土地柄で信用できないとか色眼鏡かけちゃう人だと思う
644人間七七四年:2011/01/31(月) 19:31:47 ID:ePLJ6e9E
イヤ、社員研修で九州の奴と同部屋だったけど
寝ながら凄いイビキで体をボリボリ掻いてたよ。
大阪や四国の奴らは大人しかった。
九州の人は別物なんだなと思ったよ。
645人間七七四年:2011/01/31(月) 20:14:25 ID:tSauz29/
一部の人間だけで決めつけるのは良くないぞ
646人間七七四年:2011/02/01(火) 00:42:10 ID:IrbtSIcB
九州の人間は「俺が俺が」という意識が非常に強い人が多いと思う
それがほかの地方の人にとっては馴染めないんじゃないかな
ちなみに俺筑豊の生まれ
647人間七七四年:2011/02/01(火) 10:55:08 ID:W2amA0hM
九州つっても北と南じゃ人種が違うつーくらいに違うがな
648人間七七四年:2011/02/01(火) 14:12:18 ID:LCPSf+yu
昔、付き合ってた薩摩娘は目のくりくりした大人しい我慢強い娘だった
649人間七七四年:2011/02/01(火) 14:35:21 ID:vY1yje+L
長崎人・人の悪口が多く知ったかぶりをする
福岡人・几帳面で内弁慶、知り合いに必ずソウカか在日がいる
大分人・福岡人の劣化版、地元外だとエンカウント率が異常に低い
佐賀人・まとも、何故か佐賀県民である事を隠そうとする
熊本人・社交的だが好き嫌いが激しい、清正の話題は地雷
宮崎人・無駄に活動的で脳天気、環境適応能力は高い
鹿児島人・マイペースでムッツリ、薩摩式標準語を喋る
友人にした時のリスクの低さは
宮崎>佐賀>鹿児島>熊本>大分>福岡>長崎
650人間七七四年:2011/02/01(火) 15:29:29 ID:W2amA0hM
鹿児島宮崎人は陽気で豪快で人付き合いもいいが
金や女や酒にルーズなうえに見栄っ張り
付き合ってるうちはいいが結婚してから苦労するタイプ
女性は逆で恋人としては物足りない所もあるが妻母としては非常にしっかりしてる
>>648嫁にもらっとけばよかったのに
651人間七七四年:2011/02/04(金) 22:46:14 ID:jt6nyCy9
伊藤長実は西軍って事でいいんだよな?

大坂から家康に真っ先に密告したけど。
652人間七七四年:2011/02/05(土) 00:11:07 ID:L98GI3bi
とりあえず九州の人はスレタイも読めず自己主張が強い事だけよくわかった
653人間七七四年:2011/02/05(土) 10:52:32 ID:UbqTgjme
家康って永遠に石田三成含む西軍の人気には勝てないんだろうなあ
江戸時代があって今の世の中があるのに現代人には嫌われまくってるし
654人間七七四年:2011/02/05(土) 11:16:59 ID:Ko+qPj0I
日本人の思想が変化しない限り無理でしょうな
655人間七七四年:2011/02/05(土) 11:47:00 ID:Z2eYV/i6
現代人が嫌ってる?現代人ってのがこの板の住民ってのなら可能性はあるけど
一般的にって話だったら嫌われてないだろ。そもそも嫌うほど詳しくない。
歴史をちょっと齧った程度の半官贔屓の人とかは嫌うだろうけど、でもそれって
三国志で曹操を嫌うみたいなもの。講談的な理解によるもので実際とは関係ない。

そして石田三成の一般的な理解は関ヶ原で家康に負けて殺された人。
これ以上でもこれ以下でもない。そのくらいどーでもいい。地元の町おこし的な
人気は出るのかもしれないけど飽きられたらすぐに廃れる。それに最大瞬間風速でも
おそらく東照宮の来客数に勝てない。その程度の人気。

というか歴史上の人物を本当に嫌う人ってのは現実でその人のせいで何かしらの
不便、被害を被ってる人だろ。そうじゃなければ日々の不満をその人のせいに
したいだけの責任転嫁だ。もしくは討論してる相手が憎いからその会話の母体に
なってる人物まで嫌おうとしてるだけ。後は反体制派がかっこいいと思ってる人。
656人間七七四年:2011/02/05(土) 12:18:50 ID:Ko+qPj0I
一般的な日本人は判官贔屓史観で歴史を見てますよ
浪花節にお涙頂戴、勧善懲悪、少数精鋭が大敵を倒すが正義の民族です
657人間七七四年:2011/02/05(土) 12:23:13 ID:9O5rb1TO
大坂の陣なら分かるが関ヶ原には当てはまらんだろ
658人間七七四年:2011/02/05(土) 12:40:39 ID:Ko+qPj0I
島津を過剰に持ち上げたり、実際関ヶ原の前線で戦っている将兵はほぼ同数なのに
数に劣る西軍が東軍を一時押し戻す位に奮戦、ああ裏切りや傍観がなければ西軍は勝っていた
とか
659人間七七四年:2011/02/05(土) 13:23:34 ID:Z2eYV/i6
そりゃあその方がお話として盛り上がるからねえ。関ヶ原で島津や長宗我部までも
裏切って西軍がボコボコにされました、なんて話作ったとして面白いかってこと。
豊臣家が西軍に徹底抗戦!毛利の軍勢の目をかいくぐって各大名に密書を!!
石田を逆賊認定!西軍総離反でフルボッコ!!
・・・・・・こんなん書いても誰も読まないでしょ。ちっともカタルシスがない。

講談の類は面白くなるように書くわけでそれならifの話の方が想像の余地があって
色々と膨らませられる。勝った側でそれをしても事実の羅列にしかならないもん。

あと勧善懲悪うんぬんってのは結構世界中にありますよ。半官贔屓はあまりない
みたいですけど。
660人間七七四年:2011/02/05(土) 22:05:42 ID:fwMVsl9e
絶対にしてはダメな事は長屋暮らしの九州人には金を貸してはダメ
帰ってこないよ。
661人間七七四年:2011/02/05(土) 23:26:55 ID:n6s1cYPE
>>660
やかましわ!
662人間七七四年:2011/02/06(日) 08:58:28 ID:hfBrUZit
関ヶ原でも嶋津は見てるだけで小西はいち早く逃げ
金吾は裏切り、ろくな奴は居らん。
663人間七七四年:2011/02/06(日) 09:26:34 ID:m6e2aTrm
島津は井伊本隊と松平忠吉がガチで戦っている
664人間七七四年:2011/02/06(日) 10:27:54 ID:8nqxUH1C
島津は逃げ遅れて奮闘しないと全滅する恐れあったからだろw
えらい犠牲を出してなかったっけ?
665人間七七四年:2011/02/06(日) 11:10:26 ID:m6e2aTrm
>>664
いや、開戦当初から
忠吉の怪我は開戦当初の組打ちでだよ
直政の負傷は撤退時の追撃だけど
666人間七七四年:2011/02/14(月) 01:20:22 ID:t8pHaKN5
やっぱ輝元さんに出張ってもらって、家康の背後突いてもらいたかったな
667人間七七四年:2011/02/14(月) 13:57:03 ID:TlCWxoFM
背…後…だと…
668人間七七四年:2011/02/14(月) 18:35:00 ID:he1c1jTj
制海権持ってるんだからできるはず
669人間七七四年:2011/02/14(月) 19:45:23 ID:nyeM28P7
>>668
制海権の意味をもう少し勉強しようなゲーム脳
670人間七七四年:2011/02/15(火) 00:48:45 ID:MMMet+KY
輝元って制空権も持ってたはず
671人間七七四年:2011/02/15(火) 03:40:37 ID:yaZnRavT
空挺師団でも持ってないと背後はつけないだろう
672人間七七四年:2011/02/15(火) 03:51:31 ID:STc4wb/o
大凧に縛り付けて飛ばせば輝元一人くらい送り込めるだろ
673人間七七四年:2011/02/15(火) 16:01:29 ID:0HFYxNVf
www
674人間七七四年:2011/02/15(火) 18:36:52 ID:pwTS8vrG
米陸軍人が関ヶ原の戦の現地研修
http://www.nicovideo.jp/watch/1297755352
675人間七七四年:2011/02/17(木) 09:28:03 ID:bhr20901
宇喜多中納言がいるんだから制海権は持ってるも同然
676人間七七四年:2011/02/25(金) 10:02:20.46 ID:2TzDEGME
a
677人間七七四年:2011/02/25(金) 10:26:08.59 ID:35hMLWh3
もし大谷吉継が自害しないで生き残ってたら、石田・小西・安国寺同様に処刑されたんですかね
家康は個人的には大谷と親しかったという記録もあるみたいだから、命だけは助けられた
可能性もありますかね

678人間七七四年:2011/02/25(金) 14:10:39.59 ID:r6LhnPij
ほとんどなにもしなかったから大幅加増された前田利長w
679人間七七四年:2011/02/25(金) 15:23:43.64 ID:0s2+d8I0
>>678
ほとんど何もしなかったって事は無いだろ
北陸や越前の連中まとめて畿内に向かおうとしたよ!吉継に翻弄されたり丹羽に逆襲されたりして逃げ帰ってたけど・・・
680人間七七四年:2011/02/25(金) 17:14:39.27 ID:XNk4G/C9
>>678-679
無理矢理ケンカを売りつけられた丹羽殿カワイソス(´;ω;`)
681人間七七四年:2011/02/25(金) 21:08:12.92 ID:zy5hZ7PM
>>678
結城秀康もそんなところだろw
682人間七七四年:2011/02/25(金) 23:28:55.46 ID:NKpSwTmS
>>680
大聖寺城の山口宗永よかマシだろ
683人間七七四年:2011/02/26(土) 22:44:24.28 ID:HM+h/INA
関ヶ原の戦いはどう考えても家康の勝利に終わっていたでしょう
万が一、小早川が西軍側として参戦したとして戦線は長期化したかもしれないが
西軍の勝利につながることは有り得なかったように思います
家康は前田利長や毛利家中の吉川広家まで味方にしてたわけで、西軍圧倒的不利すぎ
秀忠部隊もやがては関ヶ原へ到着するだろうし、到底「東西拮抗」の状況とはほど遠い
684人間七七四年:2011/02/26(土) 23:08:33.14 ID:g66bG73E
前田は家康の味方とは言い切れないだろ
685人間七七四年:2011/02/27(日) 03:27:17.80 ID:uQ6QJqBY
長期化する事で日和見スタンスな連中がどう動くか分からんしな
686人間七七四年:2011/02/27(日) 10:21:32.91 ID:zJVJoscH
負けて減封ならまだわかるけど
勝って加増されなかった伊達直人はそれ以上に不満たらたらだったろうね
豊臣系の雑魚武将とほとんど同格になっちゃったし
687人間七七四年:2011/02/27(日) 11:40:23.71 ID:HybcqfvM
「ザコ武将」と同レベルだから仕方ない
688人間七七四年:2011/02/27(日) 22:31:11.23 ID:dKLXAyDZ
そもそも伊達は戦で勝っていないから
689人間七七四年:2011/02/28(月) 00:01:41.18 ID:0YZ21wcC
石田の初期の思惑通り、戦いがもちっと長期化してれば伊達も政治力を見せられる
場面があったかもしれない
家康の狙い通り短期決戦で戦いが終結してしまったから、想定していたと思われる
見せ場を作れなかった
690人間七七四年:2011/02/28(月) 09:38:30.00 ID:B8msHl1l
>>681
結城秀康は佐竹や上杉の抑えと言う重要な仕事があった
こちらの方面で何事も無かった事が最大に評価されたと思うのだが
691人間七七四年:2011/02/28(月) 12:17:20.71 ID:SZ8565Oc
結城秀康に大幅加増があったのは彼の死因と何らかの関係がありそうな
気がしなくも無い
692人間七七四年:2011/02/28(月) 18:48:52.92 ID:KH9KG0TB
まあ上杉景勝は伊達に怯えて南下できなかったわけだが。
反転して攻めたものの最上にも大敗してるし。
693人間七七四年:2011/02/28(月) 19:01:22.93 ID:0YZ21wcC
何度も言われてることだが上杉と石田の直接的な連絡てのは無かったと思う
それだけ練りこんでいた計画が事前にあれば、短期決戦に持ち込まれて一日で
壊滅とかありえないだろう
仮に上杉―石田の完璧連携があったとしても家康打倒は当時の状況下では
なかなか難しかったとは思うが
694人間七七四年:2011/02/28(月) 19:02:59.37 ID:9tTzAlJB
大将が直江じゃなきゃ、関ヶ原が終わる前には山形城は落ちてた
勝ってたのに追撃で勝ちを領土を持って行かれて負けるとか、上杉の質も落ちたもんだ
695人間七七四年:2011/02/28(月) 19:15:49.52 ID:0YZ21wcC
>>694
謙信公の在世時のようにはいかないでしょ
景勝が謙信の資質を受け継いでいれば、上杉家の対徳川戦略も異なったものとなり
関ヶ原前後の展開もだいぶ違ったものになっていたかも
696人間七七四年:2011/02/28(月) 21:13:28.72 ID:c9OhqmTp
謙信なら秀康なんて一蹴できた
697人間七七四年:2011/03/01(火) 04:40:50.91 ID:8virTHl1
周りが囲まれている以上、いくら謙信でもそれは無理だろ
佐竹と強い連携が取れば多少話は変わるが…
698人間七七四年:2011/03/01(火) 09:10:51.08 ID:Ui1La8SD
それでも不識庵様なら…不識庵様なら何とかしてくださる…

          i  \__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
         l   ヽ/        !
          l   /  .r―――┐l
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          ,ゝ、',,,,,,,,_/       | |
        , '     / ゙゙゙゙̄'''''''''''''''''ヽ
       , '     / zェ:、、,_   _,,、」,
      /      /.          |
.    / ./    /  ヾニo=  .i =e/
   /  /     /         l   |
  /  ./     ./      ィ   ,l  .!
/   /     /,..     r'`ニニヽ,  .l'、
.   , '      / l;;;ヽ  ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
.  ,.'      /. ヾ;;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/  l ヽ、_
、. f.-、     /ヽ  `':、;;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;ン  |  | ト、
. ヽ,i'" `'i:、  .∧ ヽ    `''''ーァ'7"   l   l |  \
     | ` '  ヽ ヽ     , ' ,:'    /   | |
699人間七七四年:2011/03/01(火) 20:09:02.59 ID:WoQ1e++F
問題は無双タイマー切れると越後に帰っちゃうってとこだな
700人間七七四年:2011/03/02(水) 13:35:03.37 ID:e9vqwdKc
上杉家は伝統的に城攻め苦手な気がする
701人間七七四年:2011/03/02(水) 20:30:08.30 ID:TvVQrZa+
>>700
河越、小田原、長谷堂、3代に渡ってポカしているなwww
702人間七七四年:2011/03/02(水) 20:37:54.16 ID:2adm7nMu
小田原は仕方ないだろw 落とした秀吉が化け物
703人間七七四年:2011/03/02(水) 20:54:07.93 ID:TvVQrZa+
>>702
攻めようという発想が間違いでしょ?>小田原

秀吉みたいな無限の物量があって初めて攻めれるわけだし。
704人間七七四年:2011/03/03(木) 07:27:19.00 ID:z7myDWoJ
小田原はともかく河越と長谷堂は滅亡一歩手前の敗戦だからなw
長谷堂に関しては関ヶ原の趨勢とは言えあの兵力差で攻めずに一方的だったのが痛い
705人間七七四年:2011/03/03(木) 09:55:09.19 ID:H8H0bZXq
元々、直江や島は過大評価されてただけだろ。
706人間七七四年:2011/03/03(木) 10:58:28.56 ID:mFJU2zN5
島耕作は有能だぞ
707人間七七四年:2011/03/03(木) 23:55:16.92 ID:JVQ7TS7D
吉継「よう金吾、朝鮮じゃずいぶん痛めつけられたらしいな。天下無敵のはずの小早川軍を苦しめたのはどちらさんで?」
秀秋「その汚い顔をどけろ」
吉継「太閤殿下はお怒りだぜ。おまえのとった勝手な行動にな」
秀秋「あの世に逝ったんじゃ文句も言えまい」
吉継「殿下は成人後の秀頼様に関白職を譲られるらしいぜ」
秀秋「なんだと!?」
吉継「おまえも関白職を欲しがってたらしいが、あきらめるんだな」
秀秋「関白職は渡さん!あれは俺のモンだ!」

左近「三成様、たった今、金吾中納言に向かって大谷刑部殿が迎撃態勢を備えました。
それから、先ほどから毛利勢は沈黙したままです。使者を向かわせましたのでまもなく様子がつかめるでしょう」
三成「まあ、問題は私に逆らった金吾の始末ですけどね」
左近「刑部殿は太閤殿下から百万の軍勢を指揮できる実力と評された武将ですから、金吾もただでは済まないでしょう」

吉継「へっへっへ、金吾・・・やっとライバル同士決着をつけるときがやってきたようだな」
秀秋「ライバル同士だと?くっくっく、じゃあいいものを見せてやろう」
吉継「けっ逃げ足の速さをか?」
秀秋「寄騎の寝返りをだ!!」
吉継「ね、寝返りだと?!」
秀秋「脇坂・朽木・小川・赤座の動きをよーくみてみやがれ!!!」
吉継「ば・・・ばかな!!もともと俺とおまえは互角の兵力のはず」
秀秋「まぬけめ!!小早川軍は絶えず実戦で戦っていたんだ!朝鮮じゃ死にかけたほどの戦いだった!!
    太閤殿下の元でぬくぬくとしていた貴様とといつまでも互角だとおもうか!」

郷舎「どうした左近?」
左近「いや、遠眼鏡の故障だと思うが、小早川軍の兵力が2万を超えた辺りで・・・」
郷舎「そりゃ故障だぜ。おまえの遠眼鏡は堺製だからな。・・・そんな馬鹿な。俺の南蛮製でも2万4千に見えやがる」
三成「たかが2万4千です。毛利・長宗我部勢に迎え撃たせれば十分に勝てる兵力じゃありませんか」

吉継「ま、待て! 俺と手を組めば天下を取れるぜ。…あ、治部少輔!」
秀秋「なにぃ!?」
吉継「はーっはははっ、さすがのお前もこれだけの銃撃を食らえばただでは済むまい」
秀秋「そんな銃撃で我が軍勢を倒せると思ったか。つまりおまえはこの俺を完全に怒らせたという事だ」
吉継「ぎゃー」
秀秋「けっ、汚ねぇ花火だ」

708人間七七四年:2011/03/03(木) 23:58:12.63 ID:khKTGn7I
>>706
ピンチになるとネーちゃん(しょっちゅうオバサンもw)が助けてくれるから>島耕作
いつぞやは中国公安のネーちゃんにピンチを救ってもらったりしてたなw

その辺も含めて有能というのなら仰るとおりだなw
709人間七七四年:2011/03/04(金) 09:08:20.19 ID:4ZWqzVIq
戦国時代に放りこまれても生き延びそうだな>島耕作
710人間七七四年:2011/03/05(土) 00:43:05.31 ID:QxfBT1A/
如水や伊達の他にこんな短期間で戦が終わってしまったせいで思惑が外れた武将は全国に何人いたんだろうな
711人間七七四年:2011/03/05(土) 03:52:50.30 ID:wZjnMMQz
島は京極並のホタル
712人間七七四年:2011/03/07(月) 23:57:04.46 ID:vLbmYm+Y
秀忠率いてた徳川本隊と宗茂率いる立花軍が同時に戦場にたどり着いたとしたら、戦況はどうなるのっと…
713人間七七四年:2011/03/07(月) 23:59:44.21 ID:NCNGXSLm
タイミングによる
714人間七七四年:2011/03/08(火) 01:33:00.89 ID:mEpM6y6T
じゃあ戦況が一番五分五分なタイミングで

小早川と吉川はさらに悩むだろうな
715人間七七四年:2011/03/08(火) 06:34:22.96 ID:AJW2iVH9
東軍が有利になるんじゃね? 秀忠軍のが多いだろ?
716人間七七四年:2011/03/08(火) 06:44:43.35 ID:yT26CVFQ
大津伊勢方面で西軍がもたついてる
寝返り組が良い位置に居る

ってのがあっての関ヶ原決戦策だからなぁ
前提が変わるとどうなるかわからん
717人間七七四年:2011/03/08(火) 11:31:06.31 ID:BlN3R7ym
伊勢方面が長宗我部鍋島勢って足止め食らってやむなく西軍入った勢力だから
基本的に信用できないとやられたメンツなのかね
718人間七七四年:2011/03/08(火) 18:40:28.30 ID:XbaEDi/D
田辺城を攻めていた西軍も反転して駆けつければ。
719人間七七四年:2011/03/08(火) 19:54:45.69 ID:AJW2iVH9
西も東も集合して正面衝突してほしかった
どっちも分散しすぎ
720人間七七四年:2011/03/08(火) 20:03:02.67 ID:yT26CVFQ
周りの地ならしせんと集合すると後が大変だからね
721人間七七四年:2011/03/08(火) 23:48:53.75 ID:urVoOLZv
よく家康が焦りを感じて小早川に威嚇射撃したってあるけど、
実際の所家康は余り焦りを感じてなかったんじゃないの?
乱戦と言ったって結局の所局地戦ばかりだし
発砲も威嚇射撃ではなく当初の打ち合わせ通りの合図の役割だったとかで
有効射程距離考えたらとても威嚇には成り得ないしな

結局朽木や赤座とかも寝返ったのが予想外の出来事と考えるね
三成は勿論家康ですら全くの想定外だったとか
722人間七七四年:2011/03/09(水) 00:01:20.47 ID:pbVSKbIe
朽木、赤座、小川は家康と全くコンタクトとってないよな。
723人間七七四年:2011/03/09(水) 04:29:13.17 ID:S0Y4rXOp
>>719
飛行機や新幹線の無い時代だからねぇ
724人間七七四年:2011/03/09(水) 15:50:33.47 ID:TL3w5V07
>>721
591 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/07(金) 22:56:10 ID:tU3zFc55
再録

「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」

「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」

「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」

他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」

「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」

「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」

「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの

以上「朝野旧聞褒藁」より

以上より

小早川陣への銃撃は二度あったと推定される

一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃

二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃

家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
725人間七七四年:2011/03/10(木) 17:09:32.62 ID:AL2RTGKv
家康としたら本戦以前から小早川が予定どうりの行動をしているから不満は無かったろう
少なくとも動かなければそれでいいと思っていたはず
南宮山は西軍にとってほぼ戦力にならないのだから
圧倒的と言うまで行かなくとも関ヶ原の戦闘では負けることはない戦力差
しかも野戦が得意の自体の投入はまだ
焦りは全く無かったろう
726人間七七四年:2011/03/11(金) 03:04:29.38 ID:F+fv4rdu
じっさい小早川参戦前の正午にはもう西軍は崩れてたらしいからな。
727人間七七四年:2011/03/11(金) 03:08:37.75 ID:sRbrh075
ちなみに家康が野戦が得意で城攻めは苦手、っていうのは司馬遼太郎の創作、
というかキャラ作りな。

戦国時代の合戦は9割城の攻防戦なので、それが苦手だと生き残れないから。
728人間七七四年:2011/03/12(土) 17:58:10.14 ID:m3adNo5b
それは総てあなたの思い込みです。
729人間七七四年:2011/03/13(日) 04:02:59.98 ID:hkugqXKN
重いコンダラ
730人間七七四年:2011/03/13(日) 07:51:28.00 ID:6wziWS3T
>>727
別に城攻めが苦手なわけではないだろ
それ以上に野戦が得意なだけ
731人間七七四年:2011/03/13(日) 11:08:02.27 ID:YYwOEL30
>>727
長尾景虎「城攻めとかめんどくさい」
732人間七七四年:2011/03/13(日) 12:04:58.41 ID:LkPmAajl
>>726
藤堂隊も崩れる寸前だった。
733人間七七四年:2011/03/13(日) 12:06:26.10 ID:hu3zsE6d
>>730
にゃなくてそう言う評価自体、「城攻めが得意」という秀吉と対比させるために司馬遼太郎がやった
キャラ作り。
734人間七七四年:2011/03/13(日) 18:51:27.57 ID:Zi7H9MDp
ところで、陣場野って石田本陣の500m位の場所にあるわけだが・・・。
735人間七七四年:2011/03/13(日) 19:54:33.91 ID:XtiILAe2
山に山、寨に寨
736人間七七四年:2011/03/13(日) 22:18:39.60 ID:6wziWS3T
>>733
司馬遼太郎がどう書こうが関係なく
家康が野戦を不得手とは到底言えないぢゃん
737人間七七四年:2011/03/13(日) 23:36:35.36 ID:a/hvyA9X
そりゃ海道一の弓取りだから戦は上手だろうが、
あえてした「野戦が得意」という表現は、司馬遼太郎の影響は否定できない。

それを指摘されても、詭弁以外の言い逃れしか
出来ないんなら、無理して反論しなきゃいいのに。
738人間七七四年:2011/03/14(月) 12:03:17.25 ID:PnhXTUei
俺は736ではないが
家康本人がどう思っていたかは永遠の謎だけど
戦績を見れば野戦が必要な時はためらわず選択していたようだから得意じゃないのかな
数的に不利な三方ヶ原の時まで打ち出ているくらいだし
739人間七七四年:2011/03/14(月) 16:18:16.01 ID:+S2bf4lO
血の気の多そうな三河者大勢抱えて籠城なんて許されない雰囲気だっただけとか
740人間七七四年:2011/03/14(月) 16:51:38.68 ID:MwIy0UNc
家康が発狂しただけ
741人間七七四年:2011/03/14(月) 17:01:27.20 ID:JbhsHawv
鞍替えするにも世間体が気になり大きな理由が必要だったので
やってみた、
742人間七七四年:2011/03/15(火) 09:37:58.08 ID:2JrdrBVB
家康の曾曾祖父の長親が早雲率いる今川の大軍に攻められたときも、
父親の広忠が森山崩れの時、織田の大軍に攻められたときも、
籠城じゃなくて野戦して、しかも勝ってるな。
743人間七七四年:2011/03/15(火) 12:03:50.50 ID:oe4f5eDL
>>742
そのへんは後ろ巻きの来る可能性が少ないんだから、討って出る以外の
選択肢がない。

だいたい早雲軍の時は籠城した当時の松平惣領家である岩津松平が早雲に速攻で攻め滅ぼされ、
本来ならその後ろ巻き(援軍)であった安城松平の長忠の軍勢と結果的に野戦になった形だな。
744人間七七四年:2011/03/17(木) 08:14:36.97 ID:Wjwy8BM6
脇坂や赤座って元々小早川が裏切った時の備えとして置いといたんだよね?
大谷さんもこいつらの裏切りは予測してなかったみたいだし

こいつらが裏切らないで小早川に立ち向かっていったら負けなかったのかな
745人間七七四年:2011/03/17(木) 11:12:26.40 ID:ssXHTjZy
ぶっちゃけた話すると小早川の裏切り前に西軍はすでに敗勢にあった
746人間七七四年:2011/03/17(木) 11:49:59.03 ID:Wjwy8BM6
>>745
じゃあもし小早川が裏切らず突っ込んでこなくて、毛利軍みたいに日和見続けたとしても西軍は負けてたの?
747人間七七四年:2011/03/17(木) 13:07:58.29 ID:0N06I3OQ
そりゃあ、せいぜいが地形活かした大谷がなんとか持ちこたえてたくらいだし。
748人間七七四年:2011/03/17(木) 20:26:19.30 ID:TWieAQmR
小早川が裏切らなくても時間がたてば結局西軍は総崩れになったってわけか
まあ家康軍本隊を最前線に回せばあっさりとかたがついてそうだがww
749人間七七四年:2011/03/17(木) 23:35:12.21 ID:UuKfT+Tc
>>745
膠着じゃなくてか。出展が気になる。
750人間七七四年:2011/03/18(金) 03:17:16.18 ID:P6I8LV3P
>>745
逆!
西軍有利に傾いたからこそ、家康は小早川へ鉄砲を撃ちかけた。
751人間七七四年:2011/03/18(金) 10:54:22.53 ID:5jBcrXg5
いまだに鉄砲を撃ちかけたって言う人いるけどさあ、家康の桃配山のところから
秀秋の松尾山って2から3kmあるんだけど。当時の火縄銃でどーやって届かせるんだ?
今と違って狙撃用ライフルなんてないぞ。物理的に無理だろ。
752人間七七四年:2011/03/18(金) 11:00:17.59 ID:5ybM/m6D
>>751
合図や狼煙の様なものなので、音や煙で十分
753人間七七四年:2011/03/18(金) 12:08:20.16 ID:4VG09byo
>>750
開戦して、小早川が裏切る前頃にはもう、西軍が有利に戦える状況なんか無かったと思うが
754人間七七四年:2011/03/18(金) 12:32:56.98 ID:XtvJAUmr
>>749
島津家の関ヶ原参戦者の文書に、小早川帰り前の正午にはすでに三成の軍が裏崩れして
逃げ出し、後方の島津軍が逃げてきた三成軍の一部を追い返したという記録がある。

ちなみに島津家の記録をたどると、時系列的に三成が島津陣ヘ行き義弘の参戦を促したのは
小早川軍が東軍として参戦し西軍の崩壊が始まってから。当然義弘はそんな三成たちを逃がすための
捨て駒みたいな役割は拒否。

ともかく、全体としては小早川参戦前の正午頃にはすでに、東軍優位が固まっていた模様。
755人間七七四年:2011/03/18(金) 12:51:37.86 ID:Hh32T/zy
これだな

「石田殿、一時(2時間)もこらえず候て、中書様(島津豊久)陣場へ崩れかかり候」
『大重平六覚書』

「防戦よふなく柴田(島左近か)即時に敗軍すれば、石田軍皆陣破れて敗北す、然れば午の刻(正午ごろ)の事なるか」
『帖佐彦左衛門宗辰覚書』
756人間七七四年:2011/03/18(金) 13:06:59.60 ID:5ybM/m6D
太田和泉守記だとこう
「金森法印、子息出雲守、田中兵部少輔、此等の衆、北の山手を石田治部少輔、島津兵庫頭に向て掛られたり。
是又押ッ押れつ戦て、御敵もかヽり合掛れハ退のけハ引付、火花を発し鍔を割、相戦ふ事夥敷様躰なり。」
757人間七七四年:2011/03/18(金) 13:11:07.32 ID:0W7H13ji
逆にいえば、戦の流れが西軍優位で続いていれば裏切りが起こらなかったかもしれない?
758人間七七四年:2011/03/18(金) 13:38:54.61 ID:4VG09byo
優位ってもなあ、内情はともかく、数の上では戦っていた中では最大戦力の宇喜多が福島を後退させるので精一杯だし。
混戦になって、正面に対しての予備戦力の少ない(大津城攻めの部隊はいたが)西軍の抵抗が続くもんだろうか
759人間七七四年:2011/03/18(金) 13:50:49.24 ID:EXWhpv0J
内ヶ島一族
760人間七七四年:2011/03/18(金) 16:06:25.72 ID:8AFm7yD2
>>758
福島と井伊が崩壊して宇喜多と家康が直接対決になって混戦になれば
西軍についても美味しい展開になるんじゃないかな?
戦後状況まで考えれば東軍でもさらに美味しくなるから気持ちの問題だけど
761人間七七四年:2011/03/18(金) 17:01:01.76 ID:issqBktU
朝から戦い続けの宇喜多にそこまで余力あるもんかね?ついでに西軍にも
762人間七七四年:2011/03/18(金) 20:21:02.15 ID:0EliEvWo
宇喜多の場合、そもそもの前提として「家来区区」つまり家臣団がまとまっていない状態なのが
痛いな。戸川・岡・花房といった連中が家中騒動で軒並みいなくなってしまったわけで、弱体化してしまっている。
明石掃部が「上方の牢人衆を新規採用したから戦力には不足は無い」と戸川の調略を突っぱねた際に
述べているけど、つまるところ寄せ集めってことなんだよな。で、結果は最大兵力ながら福島とようやくいい勝負が
できている程度という結果。
763人間七七四年:2011/03/18(金) 20:58:32.36 ID:LJEu5b8q
上杉征伐に名代で宇喜多詮家にうろ覚えだが二千?だかの兵付けてだしてて
それも東軍につかれちゃってるし
宇喜多はグダグダが半端ない
764人間七七四年:2011/03/18(金) 21:45:41.24 ID:4VG09byo
あれ確か秀家が詮家に知らせずに西軍蜂起だからなあ、従兄とは言え、普段から仲悪かったらしく、騒動で戸川匿った詮家が余程憎かったんだろうな。
別に見せしめに殺されてもいい、むしろその方が目障りな人間を排除できて好都合、とまで思ったのかは知らんけど。
765人間七七四年:2011/03/19(土) 03:31:16.03 ID:PlMVR0wt
>>752
>>751
> 合図や狼煙の様なものなので、音や煙で十分


確かこれを検証したTV番組やってたけど、あっちこっちで歓声やら鎧の擦れる音やらで殆ど聞こえなかったみたいよ。
766人間七七四年:2011/03/19(土) 09:28:54.87 ID:NOjxUR19
>>765
詳しい条件設定がなければ、検証に値しない
後、煙
767人間七七四年:2011/03/19(土) 10:11:48.98 ID:oVKJ1mYE
地形有利だけだしな
数がない西軍は長期戦になりゃ崩れるだろうて

裏切りは敗勢に追い打ち掛けただけ
768人間七七四年:2011/03/19(土) 10:33:47.13 ID:GeLuq0tY
>>750
ドラマや小説の知識だな
769人間七七四年:2011/03/19(土) 10:36:24.54 ID:GeLuq0tY
>>757
関ヶ原本戦で西軍が有利になった局面は一度もなかった
770人間七七四年:2011/03/19(土) 15:12:21.28 ID:oVKJ1mYE
宇喜多の攻めで福島隊が崩れかけたとかいろいろあったが西軍全体で見たら
たいして有利でもないしね
島津動かず、小西速効敗退、石田と大谷もただ耐えてただけだし

別に小早川と脇坂ら4将なんかはじめからいなくても東軍は勝ってたよ
771人間七七四年:2011/03/19(土) 16:45:11.37 ID:CcHIcAy5
居なかったら石田大谷らの撤退が楽になったかもしれんから
後々めんどくせぇ事態になったかも
772人間七七四年:2011/03/19(土) 19:13:29.07 ID:Ym12+llV
西軍が大垣城を出なかったら西軍の勝機はあった?
大津や田辺の西軍も駆けつけるし。
773人間七七四年:2011/03/19(土) 19:28:11.28 ID:IVblgCDc
>>772
大垣から動かないのならそれを利用して政治工作で、大阪城も含めて西軍の切り崩しを
するだけだろ。
大垣城にこもるってことは傍目から見りゃどうしたって東軍を恐れて引きこもってるって
事だから。
774人間七七四年:2011/03/19(土) 19:53:11.12 ID:CcHIcAy5
大垣城に入れる軍勢はたかが知れてるし周辺は平地で防衛には向かない
775人間七七四年:2011/03/19(土) 20:08:21.17 ID:Vtt8EJZx
福島隊にしても、前衛が元の位置に押し戻されただけ。
良く言われる『壊滅寸前』の事実はない。
関原軍記大成の脚色に、尾ひれがついていっただけ。
776人間七七四年:2011/03/19(土) 20:09:36.85 ID:NOjxUR19
直ぐに井伊隊の先手が増援に出ているしね
777人間七七四年:2011/03/19(土) 20:10:30.28 ID:wjbmcTuA
大津組が戻るまでは大垣から出ない方が良かったかなあ
778人間七七四年:2011/03/19(土) 20:29:15.50 ID:NOjxUR19
その前に関ヶ原を打通されて、佐和山城陥落
779人間七七四年:2011/03/19(土) 21:28:45.16 ID:wjbmcTuA
そんな無茶したら追撃に出た大垣の軍と南宮山の毛利軍に挟撃されるかもねえ
南宮山は動かない可能性が高いけど
780人間七七四年:2011/03/19(土) 21:29:08.22 ID:U7vKqApg
>>777
家康も大垣城に籠もられて時間稼がれると、大津組来るし、ないとは思うが秀頼が万が一出陣してきたら豊臣武将が動揺する。

何とか外におびき出したいからスルーして佐和山城攻めるよーって噂流して西軍を野外に誘い出したんじゃなかったけ?
781人間七七四年:2011/03/19(土) 21:34:02.73 ID:NOjxUR19
>>779
大垣と南宮山はそれまでの先手勢がいれば十分
そして関ヶ原の大谷は小早川と家康本隊で挟み撃ちすれば瞬殺
782人間七七四年:2011/03/19(土) 23:08:41.22 ID:2ea7/ZAe
>>780
そうなると東軍も秀忠の軍勢も来るしなあ
783人間七七四年:2011/03/19(土) 23:22:21.76 ID:V1fX3hyu
そうなった方が面白かった
784人間七七四年:2011/03/19(土) 23:30:34.35 ID:NOjxUR19
如何につまらなく終わらせるかが、総大将の才能ですから
785人間七七四年:2011/03/19(土) 23:41:56.02 ID:IVblgCDc
大坂夏の陣なんて大軍が寡兵をすりつぶしていくだけの恐ろしくつまらない戦争なのに、
あれを劇的に見せる講談ってすごいわ。
786人間七七四年:2011/03/19(土) 23:49:04.30 ID:4qauLHqM
>>785
講談では追い込まれてた事になってた家康軍と秀忠軍も
実際には交戦しただけだったしな。
787人間七七四年:2011/03/20(日) 22:08:03.39 ID:s4RQq7pg
輝元が三成敗退後大阪城に籠城したらどうなったのっと・・・・

息子や宗茂は徹底抗戦しようとしてたんだろ?
788人間七七四年:2011/03/20(日) 22:28:12.15 ID:FiDCeB1I
>>787
そんなん豊臣家のほうが協力しないわな。
いくら大阪城でも一枚岩でない城なんて持つわけがない。
それが解っているから輝元も退去したわけだ。
789人間七七四年:2011/03/21(月) 00:39:50.08 ID:mDG57uJI
>>788
淀を抹殺して、秀頼を手に入れさえすればOK。
790人間七七四年:2011/03/21(月) 00:49:12.74 ID:1Ly9naeR
アホかwそれこそ毛利消滅するわw

だいたい毛利家は只でさえ一枚岩じゃない上に、本拠地広島は留守の守備兵も少なく
東西から挟撃の構えをされていて、大阪にいる間に根のほうが掘り返されるような事態に
なってたわけだしw
とにかく毛利家は、自家保存のためには何があっても早く兵を率いて本国に帰る必要があった。
791人間七七四年:2011/03/21(月) 08:22:18.07 ID:Vz/TIQPN
>>789
つーかそんな状態になったら秀頼に何の価値もないわな。気にせず攻めてもしも
殺されたら他の豊臣親族を代わりに立ててお終いだろ。秀吉以外の人にとっちゃ
豊臣家の当主なんぞ秀吉の親族だったら誰でも良いだろうし。
ついでに言うとその当時だと淀に影響力ほとんどないぞ。殺す必要がさっぱりわからん。
792人間七七四年:2011/03/21(月) 20:05:54.97 ID:lpf4k8yR
そう考えると毛利って結構総動員体制敷いて本気だったように見えるんだがなあ
輝にもっと決断力があればどうなってたのか
793人間七七四年:2011/03/21(月) 20:52:59.82 ID:i9bwrfsY
豊臣家が協力するってどういう事?
当時、豊臣家にとっての家老ってのはお互いに「年寄り」と言っていた
五奉行や五大老であって、片桐らは大坂城留守居でしかない。
彼ら秀頼側近と対立する可能性はあるけど、それは豊臣家と対立するって事じゃない。
内部に爆弾を抱える事になるが、大坂城に籠城するのは必ずしも無理な話じゃないな。
794人間七七四年:2011/03/21(月) 21:04:03.19 ID:5h856jcV
>>792
やるなら完全に毛利輝元の指揮で統一する必要があった
三成にのせられてでなく、確固たる意志を持って主導すれば
吉川も同心したであろう
795人間七七四年:2011/03/21(月) 21:08:27.36 ID:ckO62/5v
>>793
爆弾を抱えたまま家康と戦うのは無謀だろw
796人間七七四年:2011/03/21(月) 22:08:56.26 ID:1Ly9naeR
>>793
内部に爆弾を抱えた時点で籠城は成立しないっつーのw
少しは想像力を働かせろ。
797人間七七四年:2011/03/21(月) 23:00:22.63 ID:i9bwrfsY
片桐等は決して豊臣家を代表する立場にあった訳じゃない。
未だ豊臣家は奉行・大老によって運営されていた。
宇喜多・長束等が大坂城に戻る事が出来れば、
大老・奉行の決定として戦争の継続は可能だし、片桐等もそれに従うしかない。
どの戦いにも内通者はつきものなわけで、それをどう処理するかは
トップの判断にかかっているけどね。
「豊臣家」として反対されたのであればどうしようもないけど、
そうではないのだから後はやりよう。
798人間七七四年:2011/03/21(月) 23:27:20.16 ID:ueYG6A1J
>>795
当時は家康自体が豊臣家なんだけど
関ヶ原の勝利を秀頼に報告して讃えられているし
799人間七七四年:2011/03/22(火) 14:17:30.69 ID:s9+eUJ8X
秀頼という切り札がいれば何とかなりそうなもんだがそんなうまく事は運ばないか
800人間七七四年:2011/03/22(火) 15:03:57.71 ID:FVw2YyFe
秀頼人質にすればそれこそ天下の大逆賊として殺戮大会だ。
それまで毛利に付いてた連中もみんな離脱するわ。
801人間七七四年:2011/03/22(火) 15:23:44.96 ID:Wz1tJsol
秀頼を切り札として使用できるのなら、毛利の前に三成が使ってるだろw
802人間七七四年:2011/03/22(火) 15:44:18.84 ID:NULuS1fS
当時としても秀頼は黄門様のご印籠程の価値があるのかとは思う
803人間七七四年:2011/03/22(火) 20:02:44.58 ID:GHi/HJQv
三成は、きまじめすぎて秀頼を使えなかった。
輝元が秀吉並の男なら、秀頼を持ち駒にして豊臣家を乗っ取って号令できた。
804人間七七四年:2011/03/22(火) 22:04:53.19 ID:kWDIQl0G
つまり輝元じゃ無理だったってことか
805人間七七四年:2011/03/22(火) 22:07:08.17 ID:NULuS1fS
他人の褌で相撲をとる様な事をしているようでは天下は取れないね
806人間七七四年:2011/03/23(水) 03:23:37.09 ID:D6xcziVb
石田は大阪城に秀頼出陣要請したんじゃなかったけ


総大将も前線指揮官も無能じゃ勝てる戦も勝てんわなwww
807人間七七四年:2011/03/23(水) 04:05:17.67 ID:spaIK8VO
関ヶ原でつかった戦力も、戦後分け与えた恩賞ももろ他人の褌フル活用だったわけだが
808人間七七四年:2011/03/23(水) 07:33:24.74 ID:TbT2moTc
西軍が秀頼を使ってってのは他人の褌というより虎の威を借る狐じゃね?
自分の名前じゃ従ってくれないからえらい人連れてきて自分は横で
えらそうにしてるってことでしょ?秀頼に威があったかどうかは知らんけど。
809人間七七四年:2011/03/23(水) 07:45:22.44 ID:de4LahQB
豊臣が自分で褌締められないから身の丈に合わせた褌を〆てあげた
810人間七七四年:2011/03/23(水) 08:55:45.11 ID:HeTAKKpL
>>807
少なくとも家康は自分で考え、自分も動いた
811人間七七四年:2011/03/23(水) 10:33:53.00 ID:jRtC6JAw
つーか家康は自分で状況を作り自分を中心とした流れを作りきった。
三成は自分で状況をつくろうとしたが結局家康の作った流れに引きずられて
最後はその流れの中で対処するしかなかった。

三成の挙兵直後すでに、関東下向の諸侯から離脱してきたのがほぼゼロなことに
衝撃を受け、その為東軍の動静が解らないことに西軍中枢部は大きく動揺している。
しかもその後も西軍は、東軍の動静をほとんど把握できずに関ヶ原を迎える。

これじゃ負けるわな。
812人間七七四年:2011/03/23(水) 14:46:15.49 ID:ico87ovm
>>807
家康自身の戦力と言う基本的なものがあるから
先鋒の豊臣恩顧大名も繋ぎ止められるのであって
それがまったくない三成は毛利の戦力をあてにしなければいけない時点で
最初から他人の褌やん
813人間七七四年:2011/03/23(水) 16:06:13.51 ID:D6xcziVb
情報戦から負けてたな西軍は
814人間七七四年:2011/03/24(木) 06:31:00.51 ID:vDkHLbWP
どんなにカッコ良く脚色しても、
西軍は所詮クーデターだから。
815人間七七四年:2011/03/24(木) 10:41:06.18 ID:aMggZXRZ
やはり輝が中心になってやらなければダメだと言うことだな
816人間七七四年:2011/03/24(木) 10:41:38.29 ID:lDxWq+qW
漫画もゲームも西軍美化ばっかだよな

敗者の美学(笑)とかいうやつかね
817人間七七四年:2011/03/24(木) 11:00:20.64 ID:6TYiiZv5
勝った方美化したらただの虐めになっちゃうしなあw
負けた方美化して勝ち組に一泡吹かせるってので溜飲が下がる人が多いんだべ。
所詮娯楽物だしね、漫画とかゲームとか小説は。
818人間七七四年:2011/03/24(木) 15:57:01.29 ID:mCwTGXL1
美化運動も輝までなかなかこないねぇ
819人間七七四年:2011/03/24(木) 16:08:00.04 ID:FhOVaESs
三成を嫌な性格として描いたドラマはまったくない
これはこれで困ったもんだ
820人間七七四年:2011/03/24(木) 16:49:33.48 ID:mCwTGXL1
大谷さんをやな奴扱いしてる作品ってあるんかな
821人間七七四年:2011/03/24(木) 18:50:54.43 ID:twwW0ftt
大谷さんは徳川とも仲良かったしな
上杉征伐の時もなんとか石田と徳川を仲直りさせようと三成の嫡男の重家を従軍させようとしてたんだよね?

そしたらいきなり「三成が家康ぶっ飛ばすwww」とか急に言われたらびっくりするわw
822人間七七四年:2011/03/24(木) 19:29:33.38 ID:NxFMWlYe
大谷を悪者扱いするのは難しいだろw
823人間七七四年:2011/03/25(金) 02:05:58.29 ID:sSz1H7FQ
歴史も勝者の歴史で美化されてしまってるのが普通だから
ようやくバランスがとられてきているのだよ
824人間七七四年:2011/03/25(金) 02:42:01.09 ID:Y6p9h9N/
家康に豊臣系大名が従ったのは「秀頼公御為」という金看板と
二頭体制の一頭という立場(しかももう一方はもういない)豊臣家中での強い権力に依る物。
西軍決起後、福島達からの必死の催促があったにも関わらず、
仮病を使ってまで江戸に引き篭もって手紙攻勢かけて自勢力への取り込みを計ってる。
今置かれている状況を目一杯利用して戦争に勝とうとするのは当然で、
それを他人の褌で相撲取るだとか頭が悪いにも程がある。
825人間七七四年:2011/03/25(金) 02:42:36.65 ID:i+P+LUsA
大きく取り上げられるきっかけ
加藤清正・福島正則=賤ヶ岳の活躍(創作も含む)
石田三成=3杯のお茶(ほぼ創作)

なんかちっせぇ
826人間七七四年:2011/03/25(金) 07:13:18.20 ID:UNfb70ME
>>824
情報収集する場合、本陣が動かない事は鉄則だけどね。
本陣が動くと、情報の到着が遅れる、もしくは未着となる可能性がある。

あと、手紙の細かい通数忘れたけど、家康の返信の方が多いはずだよ。
諸大名から積極的な情報発信が多かったということ。
827人間七七四年:2011/03/25(金) 07:34:04.62 ID:Y6p9h9N/
>>826
家康が江戸に滞在したのはどれくらいか知ってる?
手紙の主な内容は知ってる?
知ってたらそんなアホな事言えないと思うんだけど。
828人間七七四年:2011/03/25(金) 07:46:48.51 ID:UNfb70ME
>>827
少なくとも、間違えたことは言ってないよ(笑)
829人間七七四年:2011/03/25(金) 07:57:16.12 ID:Y6p9h9N/
>>828
いや、だから知ってるのか?
830人間七七四年:2011/03/25(金) 10:33:14.59 ID:D3qnQPAP
ものすごい勢いで議論が噛み合ってない
831人間七七四年:2011/03/25(金) 11:22:03.32 ID:OLAhU8ho
知ってると答えたら、どう切り返すんだろう?
832人間七七四年:2011/03/25(金) 21:26:37.96 ID:yZGrfSar
>>830
結論としてはどうみても同じなのに、一方が勝手に突っかかってるだけというね
833人間七七四年:2011/03/25(金) 21:51:32.13 ID:7SJSFhTA
>>816
西軍美化というより三成・吉継・兼続だけを美化している
そもそもこいつら悲劇的みたいになってるけど
豊臣恩顧の大名に相談せず勝手に挙兵して
関ヶ原で戦う事を毛利一族やその他の大名に相談せず勝手に決めたり
好き勝手なことばかりしてまったく悲劇性を感じない
834人間七七四年:2011/03/25(金) 22:00:00.23 ID:D3qnQPAP
関ヶ原があれだけ大きな規模の戦役になったのは毛利の西軍参戦のせいだが、
最後に西軍全体が腰砕けになったのも毛利の急速な戦闘意欲の減退のせい。

しかし毛利は関ヶ原戦役の最中、かつて秀吉に奪われた東瀬戸内の勢力回復くらいしか
自己の立場を利用した軍事行動を見いだせない。
そんなものは西軍総大将なんかにならなくても、ぶっちゃけ家康に付いてても
可能なこと。

いったい毛利は何がしたくて西軍総大将に就任し、そしてどうして途中から
総大将としての意欲を失ったのか。そのへんの研究って進んでいるのかな?
835人間七七四年:2011/03/25(金) 22:58:21.21 ID:+s3ej5+d
大抵は安国寺に上手い事いわれて唆されたで片付けられてんな
836人間七七四年:2011/03/25(金) 23:45:18.72 ID:9sZ6SmWi
小早川も可哀想だな
裏切りは戦国時代じゃ常だったが戦の規模がでかすぎて、しかも合戦中にやったもんだから永遠に叩かれる
837人間七七四年:2011/03/26(土) 04:42:24.96 ID:S25CS1E1
早死にしたせいで双方からボロクソ言われる羽目に
838人間七七四年:2011/03/26(土) 08:07:44.30 ID:JXr+i+2V
小早川家が続いていたら
839人間七七四年:2011/03/26(土) 08:37:50.46 ID:kDp37CvD
なんか少し前には野球やってたらしいじゃん
840人間七七四年:2011/03/26(土) 19:19:02.74 ID:7XGvlkQB
あれ毛利の小早川でしょ
隆景なんかも知将扱いの正義武将だし
宇喜多も家が残ったから秀家も
豊臣系で唯一ブロッケンjrみたいなポジションだけど正義武将だし
841徳川家康:2011/03/26(土) 20:06:37.95 ID:p31EVjB8
寺沢廣高を藤川へ!大谷吉繼にぶつけよ!
842人間七七四年:2011/03/27(日) 12:42:38.88 ID:/rSN+1/f
結局家康の鉄砲は威嚇だったの?合図だったの?
843人間七七四年:2011/03/27(日) 13:53:20.81 ID:0bV6eagL
フィクション。
844人間七七四年:2011/03/27(日) 17:59:26.51 ID:1tga8hPE
>>836
ちゃんと、戦後に大領貰ってるんだから特に同情するにはあたらないと思うけど
長生きもイメージ戦略も自己責任でしょ
845人間七七四年:2011/03/27(日) 20:58:42.05 ID:Yl7IxgcH
秀吉も家康も大領を得、さらに天下も取った。
猿のイメージも狸爺のイメージも自己責任。
846人間七七四年:2011/03/28(月) 20:07:16.27 ID:eo0FPzgB
信長様が非道とか人でなしとかいうのが世間一般のイメージだけど、俺から言わせりゃ猿と狸の方がブラックだと思うんだが
847人間七七四年:2011/03/28(月) 20:18:08.48 ID:aG2MSbAv
オレは、福島が空気読まずにオレもオレもってしたせいで関ヶ原が発生したと思ってる。
848人間七七四年:2011/03/28(月) 20:30:09.54 ID:2RByNqI5
>>845
敗者に自己責任があるのは当然だが勝者に自己責任を言うのはおかしい
イメージ戦略というが勝者はどうしても負け犬どもの僻みを受けるのだから仕方がない
負け犬の遠吠えにまで責任は持てないよ
849人間七七四年:2011/03/29(火) 00:09:25.88 ID:jSB7FGvc
>>847
東軍視点では、空気を読んだMVPなんだが。
850人間七七四年:2011/03/29(火) 16:12:38.66 ID:MFM1fBoX
>>847
関ヶ原自体は石田三成が毛利を巻き込んで蜂起したことが成因だろ
福島の行動が上杉討伐隊がそのまま東軍となったのに有効に働いたことは事実だが
それだけに充分慎重に家康と事前の根回しをしていたはず
851人間七七四年:2011/03/29(火) 17:08:46.64 ID:iRFt1PZf
江戸からみれば福島なんて
対豊臣でも
明治維新でも
いまでも
使えるだけ使って、後は体よく使い捨て
852人間七七四年:2011/03/29(火) 18:39:17.00 ID:l9mRmYY1
今は使い捨てどころじゃないだろw
自分もヤバイ
853人間七七四年:2011/03/29(火) 19:49:28.85 ID:Ng6+vEbB
だれうま
854人間七七四年:2011/03/29(火) 23:40:10.04 ID:NXf9BzdX
正則もみじめというかかわいそうだな
清正ら戦友は次々と早死にし、大坂の陣ではただ留守番させられ、家康死んだら改易って・・・
晩年は廃人当然だったみたいね・・・・
脳筋のなれの果てか・・
855人間七七四年:2011/03/30(水) 06:41:24.84 ID:tT0g2/9I
旧美和町在住の俺にとって福島正則公は郷土の英雄
悪く言わないでくれ
856人間七七四年:2011/03/30(水) 07:46:52.41 ID:mpleJkBX
悪くは言わない
857人間七七四年:2011/03/30(水) 08:33:57.77 ID:6LkPvxax
新人物往来社から関ヶ原本が出ましたね。
858人間七七四年:2011/03/30(水) 09:06:30.57 ID:Lt1PkM9W
その関ヶ原本は未だ読んでないけど、新人物往来社の本は、ここ数年内容が薄い印象があるな。
859人間七七四年:2011/03/31(木) 04:09:44.11 ID:8wrGB10K
>>854
戦と行政の手腕はかなりのもんだけど世の中の動きを見極めてそれに合わせる柔軟性に欠けていたみたいだな。

関ヶ原で東軍についた時点で細川、藤堂らが完全に徳川ヨイショに回ったのと対象的。

それぞれの思いと事情はあったんだろうがあまりにも手のひらをあっさり返した人が多い中、最後まで豊臣家存続に拘ったのは人として凄い事だと思う。
860人間七七四年:2011/03/31(木) 07:08:04.23 ID:L7qcW5bT
細川、藤堂等とは立場が違うからねぇ。
柔軟に動いてしまったら、それこそ恩知らずの裏切り者だ。
861人間七七四年:2011/03/31(木) 10:10:20.27 ID:H0bBddfV
加藤や浅野も二条城会見させたり豊臣家存続に必死だったんだろうなあ

徳川への恩と豊臣への恩の板挟みカワイソス
862人間七七四年:2011/03/31(木) 11:44:14.08 ID:/eKuRBOX
一部将の立場ならともかく、
大名格になってしまうとそう簡単には動けないよなあ
863人間七七四年:2011/03/31(木) 22:21:23.28 ID:bT+9oLVR
家臣たちの生活もあるわけで大変だな
864人間七七四年:2011/03/31(木) 22:53:56.37 ID:r/aTeIcH
真田が羨ましかったろうな
865人間七七四年:2011/04/01(金) 00:23:24.91 ID:9pE1qv5S
TVで名字の奴やっていたけど結構面白かった
866人間七七四年:2011/04/01(金) 17:03:39.30 ID:j9bN6pfI
>>862
でも徳川の家臣に切腹を要求したりしてなかったっけ?
867人間七七四年:2011/04/01(金) 17:09:51.42 ID:j9bN6pfI
>>864
恩仇で徳川におもいっきり喧嘩を売りつつも家は譜代大名扱いで残り
江戸時代には既に英雄として語り継がれてるという、アクロバティックな処世術をやり遂げたからなぁ
868人間七七四年:2011/04/01(金) 17:48:32.57 ID:9J7xtKkx
なんだかんだで福島も旗本として存続している
869人間七七四年:2011/04/02(土) 09:32:27.38 ID:+2i7dkUB
存続も何も廃炉だってさ。
これまでも200万人割れにむかってまっしぐらに過疎進んでたけど
今回ので一気に逝ったな。
870人間七七四年:2011/04/02(土) 11:35:52.07 ID:ZcG8zz5e
>>869
スレタイも読めない気の毒な人間なんだな
871人間七七四年:2011/04/03(日) 01:45:50.14 ID:lpiAd4fK
>>868
旗本クラスの所領で満足するなら政争に関わらない方が良かったかもね
872人間七七四年:2011/04/03(日) 11:43:26.85 ID:JE/8rt2b
>>871
案外旗本のほうが気が楽だったりする。毛利輝元なんて「所領返上するから旗本にしてくれ!」なんて言い出してるし。
873人間七七四年:2011/04/04(月) 01:50:08.92 ID:en3h+Wq8
旗本は退屈ですよ
874人間七七四年:2011/04/04(月) 02:41:44.47 ID:Uqjim3Fv
出世争いで忙しいですよ。・・・一部は。
875人間七七四年:2011/04/04(月) 03:36:43.27 ID:mVEd/RjJ
出世争いに悪党退治とけっこう忙しいな
876人間七七四年:2011/04/04(月) 12:32:27.34 ID:izKU12NN
>>867
真田は老中だか若年寄も輩出したんだっけ?
そう言えば片桐もか
877人間七七四年:2011/04/04(月) 13:32:44.49 ID:hsk7QUhK
片桐とかいたなww

あいつが関ヶ原後の大阪陣前では一番かわいそうだった

確か豊臣滅亡後にすぐ死んだんだっけ
878人間七七四年:2011/04/04(月) 18:33:56.60 ID:EkFzgE/A
自殺だっけ?
879人間七七四年:2011/04/04(月) 18:56:21.75 ID:B+xgelcl
病死だったはず

胃に穴でも空いたんじゃないの
880人間七七四年:2011/04/04(月) 23:01:00.48 ID:EkFzgE/A
気の毒な人だな
881人間七七四年:2011/04/05(火) 03:15:27.21 ID:q/XsxHjJ
交渉任されて両方の板挟み
可哀そうだね
882人間七七四年:2011/04/05(火) 13:17:31.01 ID:TAp+bRVB
絶対なりたくないな
883人間七七四年:2011/04/07(木) 20:36:46.79 ID:F82ozRm8
家の先祖は当時岐阜羽島の庄屋(室町中期に別の場所から一族を率いて開拓)をしていて、
関ヶ原にも参戦したとの事が家譜に書いてあるそうですが
西東軍どちらで、どのような立場で参戦したかわかりますでしょうか?
ちなみに関ヶ原以降もそのまま庄屋をしています。
よろしくお願いします。
884人間七七四年:2011/04/07(木) 21:57:44.71 ID:iuaCTRJF
終わった後東軍に竹槍立場で落ち武者狩りに参戦
885人間七七四年:2011/04/07(木) 23:01:44.75 ID:VGGo+OwH
「庄屋」って農民の大きなやつだっけ? 商人だっけ? 
886人間七七四年:2011/04/07(木) 23:21:29.84 ID:pFGhmd3y
>>883
場所は加賀井城なので西軍
887人間七七四年:2011/04/08(金) 00:00:27.50 ID:3ZY7egRC
室町中期に庄屋なんてないよ
888人間七七四年:2011/04/08(金) 01:35:04.72 ID:Xx816MZE
>>886
資料によりますと
加賀井城は関ヶ原の前哨戦で滅ぼされたとありました。
にも関わらず兵農非分離の地付きの先祖が、
一統を引き連れて関ヶ原にまでいった動機などわかりますでしょうか?

もし加賀井城が滅び支配を脱したのなら
そのまま帰農すれば…とも思うのですが
そのような事例は戦国期によくあることなのでしょうか
889人間七七四年:2011/04/08(金) 01:38:32.23 ID:Nvd91EvH
>>884
家系図にどの大名の指揮下で働いたかすら明記されてないのなら誰かの指示で動いた訳ではないだろうな。
それから推測を進めると落武者狩りもしくは兵糧やら武器のカッパライみたいな事をしてたんだろう。

大阪の陣でも畿内の農民が武装して兵糧泥棒したり、戦後に差し物拾って盗品市やったりした記録が残っている。

>>884は泥棒の子孫ということでw
890人間七七四年:2011/04/08(金) 01:51:18.25 ID:Xx816MZE
元本(寺にあり?)を直接見たこともなく、一族に歴史に興味がある人物もいないため
具体的に誰の支配下で何をしたか等はわかりません。
ただ倉には刀武具類があったり、家族より一統を重視すべし
みたいな前時代的な家訓に違和感を覚えた記憶はあります。
891人間七七四年:2011/04/08(金) 02:53:26.02 ID:Nvd91EvH
>>890
刀剣の類いは江戸中期以降経済的に困窮した武士が農家に持ち込んで米や野菜と交換した例が山ほどある。
家訓の類いも商家や農家でも多数作成され、野放図に分家を立てるのを禁じたり数寄に大金を投じるのを禁じたりと武家と内容的に変わらないものがほとんど。

もう一度言うと誰の指揮下だったのか分からない時点で戦闘や後方支援に参加した可能性はほぼゼロ。
なぜなら手柄を立てても報奨をねだる相手がハッキリしないから主従関係(封建の根幹)がない。
主従関係がハッキリしている場合は家長本人と従者1人という少数でも必ずその上位者がいるので家系図にはその人の氏名や官名が明記されている。
892人間七七四年:2011/04/08(金) 08:05:29.32 ID:+Ad8uNzC
>>883
姓くらい書かないとさっぱりわからん
893人間七七四年:2011/04/08(金) 08:43:22.85 ID:OPzn2oek
>>888
水野忠重を殺した重望の息子が大垣城に篭ったという話がある
それにしたがっていた可能性あり
894人間七七四年:2011/04/08(金) 11:00:04.37 ID:+Ad8uNzC
美濃ならほとんど西軍だったけど戦況が進んで東軍側になった領主が多いな
もちろん当初からの東軍領主もいるから
とにかく最低でも姓が判らなければ何とも言えない
895人間七七四年:2011/04/08(金) 17:41:57.71 ID:Xx816MZE
>>891-894
現在30戸程度の純農集落で
人口の自然増等も考慮にいれた場合
当時の先祖の動員能力は10人前後だと思われ、資料にでるよう人物ではなかったかと。

当時の先祖等の農村の兵農一致の農民たちが
領主とどのような関係をもち、どう動いていたのかが気になってました。
領主の兵として自動的に組み込まれるのか(自立的な動きはどれだけできたのか)や
彼らは何をインセンティブに働いたのか(土地所有権?課税徴収権?現物の何か?)等。

農兵からみた関ヶ原を知りたいと思いました。
896人間七七四年:2011/04/08(金) 17:53:03.98 ID:WTLYu8Ac
この当時の惣村であれば、基本的には石高を元にシステム的に領主への軍役提供が決まっており、
領主側からの動員命令に義務として粛々と従ったものと思われる。

ただ想像するとすれば、美濃も秀吉の朝鮮出兵のための過酷な収奪で、大規模な逃散などが
起こっており、それを(少なくとも世間的には)主導したとされる三成など奉行方に、
良い感情は持っていなかったと考えられる。
897人間七七四年:2011/04/08(金) 19:38:49.47 ID:Nvd91EvH
>>895
30戸で10人は無理だと思うぞ。
俺がこれまで見た資料では5戸につき1人出していたのが最高。
無論、10日前後の短期動員なら10人を出す可能性はあるがよほど急を要する普請や追い剥ぎ盗賊的な事をする場合に限られる。


大領主の動員による場合でも何人出すかという賦役は予め決められている。
逆に言えば動員する時には必ず誰からの動員が掛かっているかがハッキリしている。
それが明記されていない時点で合戦参加はなかったと見て間違いない。


落武者が逃げる際に自分達の村を荒らさないように自警団的に防衛する人を集める事は多かったが。
刀狩りで農村から完全に武器がなくなっていない事、庄屋クラスの屋敷が堀で囲われた陣屋に早変わりするのはその後の惣村同士の水場争いからも明らかになっている。
898人間七七四年:2011/04/09(土) 22:19:41.55 ID:Xw4VGY+v
色々考えるとお市共々三姉妹が死んでいれば歴史は激変してたんだろうな
899人間七七四年:2011/04/09(土) 22:42:01.09 ID:u+buDNSt
>>898
 何も変わらないよ。
900人間七七四年:2011/04/10(日) 00:12:37.49 ID:HpXUV2lv
秀頼が生まれず秀次が後継者のままかもしれないし、家光・忠長間での後継争いも無くなるかもしれない京極の運命も変わるかもしれない
何も変わらないなんて事はあり得ない
901人間七七四年:2011/04/10(日) 11:15:27.94 ID:ojRjDgHV
>>900
秀次が後継者になったのは鶴松が死んだあとだから
鶴松が生まれなければ秀次以外の他の養子の誰かが
後継者になった可能性も無きにしもあらず

江いなかったら秀忠の嫁は誰になったのかは気になる
902人間七七四年:2011/04/10(日) 16:53:58.63 ID:G2HCXAaf
>>901
秀吉の縁者でしょうね。誰かまでは分らんけど。
そう言えば昔、西軍が勝ってたら日本も
イギリスやドイツのような連邦制の国になってた
って妄想丸出しの記事読んだことあるな。
903人間七七四年:2011/04/10(日) 17:22:51.69 ID:++4SnGYT
光成や秀頼に家康の真似ができるわけないしあながち妄想とは言えないかと。
もう一度戦国時代がやってきるのは想像に難くないけど
一国一城になってるしあっという間に各地方で
大勢力が次々と誕生する予感
904人間七七四年:2011/04/10(日) 18:23:22.47 ID:Phyjno14
大河ドラマを見たら三姉妹には早く死んでくれという感想しか抱かないな
905人間七七四年:2011/04/10(日) 20:26:30.04 ID:ojRjDgHV
>>903
東軍は徳川以外に大大名が前田伊達ぐらいしかいなくて
前田伊達両方とも貢献度が低くて大して加増されなかったけど
西軍は毛利上杉宇喜多佐竹島津と大大名が居並ぶ上に
佐竹と島津以外は相当な加増を受けそうだからねえ
それに徳川も完全に潰せないかもしれないし
906人間七七四年:2011/04/10(日) 23:47:16.32 ID:++4SnGYT
>>904
色々と酷すぎてもう見てないwww
民放の時代劇の方がましに思える。
907人間七七四年:2011/04/11(月) 01:34:54.08 ID:MIrybUBD
>>903
それで戦国時代に逆戻りして・・・17世紀中にケリがつかなかったら
ヨーロッパの植民地に出来たかもね。
908人間七七四年:2011/04/11(月) 01:40:23.41 ID:wQUuNJp2
>>907
それはないね。
港周辺と一部海域の封鎖はできても上陸して本格的に陸戦するだけの人員と装備はないもの。
そのコストを計算したからポルトガルもスペインもオランダも貿易に絞って日本にやってきてた。

可能性としては独立した大名に武器や食糧を大量販売して大儲けかな。
909人間七七四年:2011/04/11(月) 02:25:03.06 ID:ipRC2aUC
まあ九州はどっかヨーロッパ勢力に取られていただろう。
910人間七七四年:2011/04/11(月) 04:16:14.25 ID:0GPbXWi3
>>908
当時の日本で使っていた武器は時代の先端だったんじゃないかな
南米を制圧したポルトガルの場合
インディオには大した武器は無いし変な予言で無抵抗だったけど
こちらの状況は違うしね
まあおいそれと上陸は出来ないわな
911人間七七四年:2011/04/11(月) 09:29:29.77 ID:esmnychR
>>908
日本の植民地化なんて無理、
当時の日本は先進国の明帝国と互角に戦える戦力だし、戦力になる人口も多い
スペインの無敵艦隊なんて誇大広告だし、第一母国を長く離れてる余裕もないよ、
地中海の派遣争いや英国との関係を見ればあきらか。
912人間七七四年:2011/04/11(月) 17:02:35.09 ID:KMbtDBfN
>>820
葵で金吾呪い殺す怨霊扱いされたのが
数少ないネガティブ描写かしら?
913人間七七四年:2011/04/11(月) 19:37:06.75 ID:PmbDyk/v
>>911
日本人が全員抵抗するとは限らんでしょ
国内のキリスト教徒が史実より10倍くらいに膨れ上がって内応すれば可能かも
914人間七七四年:2011/04/11(月) 21:09:05.14 ID:0GPbXWi3
>>913
それはありえんと思う
第一キリスト教徒が10倍になるという設定が無理がある
それにキリスト教徒(耶蘇)といえど外国人など見たこともない人間ばかり
赤鬼のような異人が攻めてくれば怖がるかこれと戦うかするんじゃないかな
915人間七七四年:2011/04/11(月) 22:41:57.06 ID:MIrybUBD
>>908
ポルトガルやスペインの植民地のうち旧大陸のものは、沿岸に商館をおいて
交易を支配するものなんだけどね。少なくとも18世紀までは。

伊達政宗とかがやろうとしたように、自分の勢力拡大のために外国勢力を
利用しようとする大名も出るだろうし、その外国のハンドリングに失敗したら
支配権を握られちゃう所も出るだろ。

>>910
ヨーロッパで産業革命とかあるとアウトでしょ。
916人間七七四年:2011/04/11(月) 22:44:44.22 ID:R6Vt6yIA
>>905
九州は島津。中国四国地方は毛利。畿内・西中部地方は豊臣。
東中部・南関東は徳川。北関東・北陸は上杉。東北は伊達。
といったいい感じに集約されていきそう。
西軍が勝っていたら今の様な中央集権的な都道府県制でなく
地方の自治権が強い道州制の国になってそうだな。
917人間七七四年:2011/04/12(火) 01:46:51.35 ID:p2IKpZHs
>>915
おいおい
産業革命なんて全然時代が違うやん
918人間七七四年:2011/04/12(火) 04:30:39.11 ID:uIMHJKnm
150年ぐらい後だからなw
しかも最初の産業革命は紡績向けのイノベーションばっかりで軍事的な技術に直接転用できるものは限られてる
919人間七七四年:2011/04/12(火) 11:02:04.01 ID:PwfwaRNN
産業革命以前の欧州は大したこと無いのは常識、
喜望峰経由での貿易すら命がけ、大軍なんて途中で消滅
16世紀のインドはムガール帝国の最盛期で東インド会社なんて単なる貿易会社
オスマントルコに東欧を浸食されている上にキリスト教国どうしの争い
宣教師のプロパガンダをまともに信じて反乱起こしたら馬鹿みるだけ。
920人間七七四年:2011/04/12(火) 13:22:31.60 ID:rwPiHwhD
仮に西軍勝っても家康は本隊と合流して江戸へ逃げるし、また全国戦国時代に逆戻りするだけだな
あの時代に家康に匹敵する力持ってるやついないだろ

上杉(笑) 毛利(笑)
921人間七七四年:2011/04/12(火) 13:42:38.69 ID:uIMHJKnm
>>920
合従連衡
922人間七七四年:2011/04/12(火) 14:04:37.01 ID:sDxIXdnN
主導権争いで絶対モメる
923人間七七四年:2011/04/12(火) 18:26:04.06 ID:sD8G39HW
豊臣政権の仕組みなんて室町幕府以下だからな。連合政体になっても10年ももたんよ。
924人間七七四年:2011/04/12(火) 19:37:41.87 ID:p4o9QD8W
>>916
伊達が東北に残るなら前田が北陸を取るだろうし
上杉がいるのに伊達が東北独占はそもそも不可能だし
九州は小早川秀秋秀包合わせれば島津とタメ張れる上に
竜造寺鍋島も大大名だから島津が九州独占は無理だし
宇喜多もどこかで大封得るから強力な地方勢力になるだろうし
北関東を上杉が取られるほどの状況で徳川が東中部を取るのは不可能
925人間七七四年:2011/04/12(火) 19:40:42.53 ID:p4o9QD8W
少し訂正
一行目:伊達が東北に残れるなら前田も北陸に残れるだろうし
五行目:北関東を上杉に取られる程の状況で徳川が東中部を取るのは不可能
926人間七七四年:2011/04/13(水) 08:57:09.17 ID:l77nWoBf
前田がヒザを屈さずにいればどうなっていたかな
927人間七七四年:2011/04/13(水) 09:48:45.32 ID:e7o7s/2l
IFにIFを重ねれば何だって可能だわな
928人間七七四年:2011/04/13(水) 23:36:52.57 ID:z1OHBLWi
関ヶ原は信長の死以上に国の行き先を変えたからな。
江戸に幕府が立てられなきゃ東京という
言葉すら誕生してない。
929人間七七四年:2011/04/14(木) 07:57:18.13 ID:pp6XSocL
所詮俺らは後の歴史を知ってるかあーだこーだ言えるわけで

よく俺が三成の立場だったら勝てたわww
とか歴オタいるけど未来分からない状況ならきっとたいしたことできないだろうなww
930人間七七四年:2011/04/14(木) 10:45:11.13 ID:VAU6qRPd
もし自分なら右往左往してるうちに終わるw
931人間七七四年:2011/04/14(木) 14:27:44.65 ID:IBC0OLpg
ぐだぐだと論ずる必要なんてないね
魅力皆無な梅干しケツ出っ歯チビ猿男に
白むちぽよぽよヒップ家康たんが圧勝するのは当たり前だろ
932人間七七四年:2011/04/14(木) 15:02:06.37 ID:Op+vuLAK
そういうのは男色大名信玄スレでどうぞ
933人間七七四年:2011/04/14(木) 15:24:53.13 ID:IBC0OLpg
信玄は関ヶ原にいないだろうが
それにタチは進言じゃなくて俺だもん
934人間七七四年:2011/04/14(木) 15:26:03.49 ID:yEyey1wz
実際のところで言うと石田三成の衆道好みは有名だったらしい。
935人間七七四年:2011/04/14(木) 15:48:38.11 ID:IBC0OLpg
出っ歯梅干しケツ男も俺の家康たんのむちぽよヒップを狙っていたというのか!!
家康たんはつくづく罪な男だね…
でも悪いけど家康たんのむちぽよ山陵に息づく激エロ菊穴をガン掘りしていいのは俺だけだから
梅干しケツ男とその他大勢は俺と家康たんの交わりをタシロしながらのセンズリで我慢しとけ
936人間七七四年:2011/04/15(金) 15:40:18.59 ID:13ouUlJV
白峰旬『新「関ヶ原合戦」論―定説を覆す史上最大の戦いの真実―』(新人物往来社、2011年3月22日発行)
937人間七七四年:2011/04/15(金) 15:50:39.10 ID:SGA9LXth
副題から読む価値なさそうな匂いがぷんぷん
938人間七七四年:2011/04/15(金) 16:32:41.50 ID:xXC5rNBf
つうかこの手の本を書くなら「朝野旧聞褒藁」の該当部分全部読んでから書け
939人間七七四年:2011/04/16(土) 02:24:00.58 ID:8PvcUtGW
940人間七七四年:2011/04/16(土) 02:47:48.75 ID:gRSvc0CS
>>937
読む前からやたら食って掛かるのもどうかと思うぞw
・・とはいえ、歴史系の本で、副題で損している本は多い課も試練ね
941人間七七四年:2011/04/16(土) 03:09:54.83 ID:6c3Moy3o
豊臣秀吉
〜草履を懐で暖めて天下人になる13のテクニック〜

「まさか、こんな当たり前の事をするだけで仕事がスムーズに進むとは信じがたい。でもやってみたら周囲の目が変わった。これから更に実践を深めていきたい」(34歳男性、サラリーマン)

「拍子抜けするほど当たり前の事ばかり書いてあったのですが、読み進めるとウンウン頷いてしまった!一見つまらないことをここまで拘れば評価は変わるんだと気付かされました。秀吉さんに感謝!!」(28歳男性、新聞配達員)

「ちょっとした気遣いがこんなに大事だなんて…。これまでそれなりにやっていた事を全力でやろうと前向きな気持ちになりました」(39歳女性、専業主婦)


自己啓発っぽくしたら評伝とか結構売れそうじゃね?
942人間七七四年:2011/04/16(土) 09:10:45.37 ID:rSpLV97u
>>939
かなり今更感のある「家康の思い通りの勝利ではない」ネタ
後、参謀本部を否定しながらも配陣図は参謀本部のまま
943人間七七四年:2011/04/16(土) 10:00:34.86 ID:W2diQyFL
>>940
『信長革命 「安土幕府」の衝撃』なんてもう、タイトルだけで読む気100%失せたしなw
944人間七七四年:2011/04/16(土) 11:15:05.66 ID:kZUW2qcu
>>939
石田・毛利連合軍が内府ちかひの条々によって家康に代わって公儀になった・小山評定は意味のないセレモニーと書いてあるが
ならばどうして東下した豊臣恩顧の99%が家康に付いたのか?内府ちかひの条々をばら撒いても東軍から内通者が出ず西軍にばかり続出したのか?
ここらへんの説明がまったくないのが気になったな
「家康の思い通りの勝利ではない」と主張するのはいいけど「ではなぜ家康は大勝利を収めたのか」の説明が逆に説得力を欠いている
ただし三成は忠義の臣ですといったありがちな方向に行かず、あくまでも純粋な権力闘争として書こうとしているところは評価できるかな
945人間七七四年:2011/04/16(土) 11:54:14.40 ID:8PvcUtGW
>>942
>>944
お詳しくありがとうございます。
余力出来たら読んでみます。
946人間七七四年:2011/04/16(土) 14:21:13.67 ID:tvxgnOB+
>>939
直江状についても詳しいですね。
947人間七七四年:2011/04/16(土) 14:37:53.81 ID:8PvcUtGW
>>946
m(__)m
948人間七七四年:2011/04/16(土) 21:51:20.38 ID:kLkz2G3d
>>944
石田・毛利連合軍じゃなくて毛利・宇喜多連合軍と表記されるべきじゃね
少なくとも毛利・石田と目上の方を先に書くべきだと思う
何か石田を持ち上げる人たちは石田の方を先に書くけど
これっていいのかね?
949人間七七四年:2011/04/17(日) 01:28:09.94 ID:xsh008eV
家康たんが可愛ければ買う
950人間七七四年:2011/04/17(日) 16:48:39.51 ID:/I5zTXA8
>946
直江状についての分類や、直江状を家康への挑戦状ではないと結論付けている点は視点として新しい。
951人間七七四年:2011/04/18(月) 10:44:22.59 ID:LE1git9j
ttp://www.tbs.co.jp/tv/daily/?20110418
>世紀のワイドショーザ・今夜はヒストリー
>関ヶ原の戦い生中継!?家康と三成が緊急会見戦いの裏に女の愛憎!!三角関係のもつれが…

なんか期待できないタイトルだな
どうせ使い古された淀と北政所の対立とか淀と三成がイチャイチャくらいしかなさそう
952人間七七四年:2011/04/18(月) 10:57:58.75 ID:vtw19t/B
天下分け目の合戦を昼メロにするなと言いたい
953人間七七四年:2011/04/18(月) 16:20:38.95 ID:QOcUKVCP
天下われめの・・・いや、なんでもない。
954人間七七四年:2011/04/18(月) 19:31:13.82 ID:xhx+bA3H
淀北政所の対立というのは笠谷さんなど学者先生でも採用してる人いるからどう判断したらいいのか
自分みたいな半端もんは悩ましいところ
955人間七七四年:2011/04/18(月) 20:21:15.22 ID:yYmw73l0
今夜はヒストリー
内容
茶々:乳母に預けた最初の子死亡
    2度目の子を自分で育て権力増大→ねね出て行く

淀VSねね
ねねと家康が深い仲

秀頼のせいで
ねねの甥秀秋が秀吉の養子から小早川の養子へ

不満の秀秋が裏切り


感想
あまりにも中身が薄かった
956人間七七四年:2011/04/18(月) 20:26:38.31 ID:4N3o/IRr
ちっとも萌えなかったな
957人間七七四年:2011/04/18(月) 21:45:38.33 ID:0htN761j
>>955
そりゃ薄くて当たり前。一般人に見せる番組やでw
濃くしたら難しすぎて世間の人達は訳分からんよ。
958人間七七四年:2011/04/19(火) 01:27:54.75 ID:dV/5NQlX
なんかくだらなかった。ていうか秀吉が後継者にしようとしたのは秀次なんだけどね。
だのに小早川秀秋だったてことにして、後継者になれなかったから裏切ったみたいなことも言ってたけど違いますよ全然。
959人間七七四年:2011/04/19(火) 01:51:29.98 ID:fv3+iIfH
秀吉の養子と言えば結城秀康もいるしな
秀次はテロップで省略しますと出てたが
秀頼がいなければ小早川秀秋が後継者てw
もう少しまともな検証番組やってくれんかな
960人間七七四年:2011/04/19(火) 01:52:10.07 ID:KHTU0a4a
>>958
小早川秀秋には宇喜多秀家みたいな働きを期待して単だろうな。

大封やるしいずれ五大老入りさせるから豊臣一門の重鎮として外様大老を牽制しろやと。

でも小早川に養子に出されたり、叱られたりが続いて立場なくした上に石田三成とは上手くいかず居心地悪いしどうすっぺかなぁみたいな
961人間七七四年:2011/04/19(火) 02:39:40.41 ID:WKoP5d9s
>>951の考証をやったのは誰だ? 作家か?
962人間七七四年:2011/04/19(火) 05:46:52.21 ID:/5pDr31R
テレビ番組に熱くなるなよおまえら・・・
日曜にやってたアタック25で、「毛利元就が三本の矢の話をした息子は隆元、元春と誰?」で答えが「毛利隆景」だったぞ
963人間七七四年:2011/04/19(火) 23:41:20.07 ID:n4VHjVbC
>>962
まあ歴史的人物の名前に突っ込み始めたらキリが無い

現代一般によくつかわれる苗字+諱の組み合わせは当時じゃ普通使わないし
964人間七七四年:2011/04/20(水) 17:59:19.58 ID:O6kByWY8
ソ連極東軍を釘付けにできれば、欧州ではドイツが有利にならないか?
勿論、満州を除く支那大陸からは一方的に撤兵するが。
965人間七七四年:2011/04/20(水) 19:30:12.09 ID:kLproNCw
>>964
ソ連は終わってただろうね。
そうなると次はイギリスが孤立するから、結局アメリカと戦争するはめになるから結果は同じだったろう。
966人間七七四年:2011/04/21(木) 00:32:04.87 ID:x2gHniFJ
>>962
酷過ぎるwwwww
967人間七七四年:2011/04/24(日) 09:24:26.82 ID:SKst6EY6
のぼうの城が水攻めなんで被災地に考慮して公開延期って
なんじゃそら?
968人間七七四年:2011/04/24(日) 18:19:30.59 ID:HbN/Apr/
969人間七七四年:2011/05/06(金) 23:19:24.24 ID:UB9ul2XP
三好房一なんで東軍なのに所領がさっくりと4分の1以下にされちゃってるんだ・・・
970人間七七四年:2011/05/06(金) 23:39:36.49 ID:BaRZQwtd
>>969
関ヶ原前に万石の大名だったってのが誤伝では?
971人間七七四年:2011/05/07(土) 01:04:41.75 ID:TKVBR2+K
一応、廃絶録に書いてある事みたいだけどどうかな。

行動に落ち度は見当たらないけど。
972人間七七四年:2011/05/07(土) 15:51:27.20 ID:2deliy/D
関ヶ原本戦よりも同じ時期に各地で行われた戦の方が面白い
973人間七七四年:2011/05/07(土) 23:34:32.96 ID:6/AHNCg2
奥羽や九州とか。ドサクサまぎれに領土拡張を目論んだ武将もいた。
974人間七七四年:2011/05/08(日) 00:03:46.81 ID:+BPu9Vma
>>969
嫡子がいない、三好氏で政勝以外に生き残っていたのが房一だけだった
まあきりが良いから所領減らされたんだろう
975人間七七四年:2011/05/08(日) 01:20:13.04 ID:tiIMi6Ku
>>955
茶々は武断派も文治派も胡散臭がってたっぽい。
北政をないがしろにするということで。
それに秀頼が本当に秀吉の子かどうか疑念もあるし。
少なくとも積極的に支持する勢力はなかっただろう。
そこに家康が目をつけ、淀に接近、彼女の後ろ盾になった。
関が原当時は家康--淀枢軸が出来上がってた。
淀が毛利輝元を足止めしたのも家康の要請によるものだろう
976人間七七四年:2011/05/08(日) 01:36:26.98 ID:USm05fdw
>>971
「廃絶録」の成立時期はいつだろ? 時間経ってると間違いも増えるけど。
977人間七七四年:2011/05/08(日) 19:13:53.08 ID:Ta0pUjOl
>975
輝元は人質を淀に差し出して何とか
城中に入ったんじゃないのか?
978人間七七四年:2011/05/09(月) 19:38:59.75 ID:KolTQEiZ
>>975
淀の方の本命って信雄とか有楽斎でしょ
三成、正則とかなんて奉公人上がりくらいにしか思ってないと思う
当時は
979人間七七四年:2011/05/10(火) 21:20:51.53 ID:KyRRdPdu
>>978
有楽なんて爺だろ?
大野兄だろ。
980人間七七四年:2011/05/10(火) 22:05:55.18 ID:uL0K8hxl
そろそろ次スレかなと思ったが、
無理だった。

【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ16【東軍】

130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十六弾です。
次スレは>>980>>990あたりで

過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176221394/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 ※12
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ14【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253350983/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ15【東軍】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1264805400/
981人間七七四年:2011/05/11(水) 23:28:28.28 ID:69tmvV5W
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ16【東軍】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1305124084/

次スレ、立てたよ
982人間七七四年:2011/05/11(水) 23:36:48.81 ID:7hwKqbr2
おつかれ
983人間七七四年:2011/05/12(木) 07:17:31.84 ID:ZC+6OJIN
関ヶ原を初めて見に行った。

狭いな…しかし高い建物がないから空が広い。
こんなところに本当に二十万もの兵がひしめき合ってたとはちょっと信じがたいな。
そして松尾山から西軍東軍の陣跡も見られて満足。


しかし行政が異なるからって南宮山のハブられっぷりは異常。
984人間七七四年
南宮山は戦場ではなかったから仕方がないかも