戦国ちょっといい話16

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952人間七七四年:2010/01/11(月) 15:24:22 ID:JTs2C7qC
まあまあ、文を読んでいると間違って送信しちゃったみたいだし…
このスレ以前より雰囲気悪くなった気がする、色んな人が来るようになったからかな
953人間七七四年:2010/01/11(月) 15:31:10 ID:HM3mUQvl
>>952
人が増えればバカも増える。
>>946がその典型。
954人間七七四年:2010/01/11(月) 15:37:30 ID:9iThTFQM
>>777-782
とは言え、寒冷地で稲作をやめろというのも無理な話。
東北で稲作が続けられたのは、前近代的な思想の権力者からの押し付け!なんて
主張する例もあるけど(漫画「風雲児たち」もその嫌いがあるw)、なにより米には食って
美味いという大きな意味があるよな。
それとプライドの問題。
雑穀も粒食では不味いけど粉食にすれば美味かったのにっていうのは、これは文化上の
問題だから、思想で片付けられても困るしねw

アイヌが米をシアマム(真の穀物)と言ったのも、やっぱ美味いからだよね。
955人間七七四年:2010/01/11(月) 16:06:11 ID:kjPs9m4s
あと米は最大の商品作物だった、ってのも忘れちゃいけないよね。
作れば作るほど金になった。
農民が豊かになる最も手っ取り早い方法は稲作だった。
956人間七七四年:2010/01/11(月) 16:11:37 ID:FMoCyUfp
つか下手にジャガイモなんかを主要作物にしちまうと、
いくら日本の土壌でも連作障害で耕地があぼんぬすると思うんだ
ジャガイモの特性なんか当時あまり広くは知られていないだろし
957人間七七四年:2010/01/11(月) 17:03:33 ID:IKOiV1JB
利休と長慶
地元の図書館に利休に関しての対談やら雑誌があった
三好スキーな目線からしたら かなりちょっとだけ鼻が高くなるお話w
対談の内容は大分簡略化しますよ

 利休の茶道が本格的になり始めたのは後年のお話で若き頃の利休は目利き修行に明け暮れていた。
商人として戦国大名に仕える事は、自らの商売にも繋がるし地位向上にも繋がる。
しかし時代は戦国時代、どの大名に仕えるかはしっかりと見極めないといけない時代。
利休の初めの妻は三好元長の長女と言われており、阿波の三好実休とも茶の湯で交流があった。
そして当時の天下人の三好長慶に仕えようとしたが、長慶は間もなく亡くなってしまう。
利休は商人仲間と数寄者・松永久秀の茶会に呼ばれるなどしていた、(この時代は利休にとって苦難の時代と言われる)

そして織田信長に仕えるが、信長も本能寺にて死んでしまい利休は新たなる主人を探す事になる
羽柴・柴田・明智・滝川・神戸の中から秀吉に利休は賭け、秀吉と共に出世していき
茶室や芸術の花を拓かせるが秀吉との仲が悪くなってきた時
秀吉が山上宗二を殺害し利休と秀吉の和はここで決定的に別れたと言われている
晩年、利休は自らの墓を自作するがその場所は大徳寺聚光院であった
秀吉との決別の為に自らの墓所を決めたという話もあるし、大徳寺と縁が深かったからとも言われている

織田信長・豊臣秀吉に仕え最後の茶席は徳川家康という英傑に深く関わったのは勿論だが
そんな千利休の墓の隣には一時天下(京)を握った三好長慶が眠っている
共に1522年生まれの2人の、何か不思議な想像を掻き立てられる繋がりである
958人間七七四年:2010/01/11(月) 18:55:53 ID:j76NQZqo
>>936
たしかに500レスあたりから鮭ばかりで食中り気味ではある。
鮭延もいっぱいあったがw
959人間七七四年:2010/01/11(月) 19:01:20 ID:Klu1Yg2a
>>924
どこがいい話?
960人間七七四年:2010/01/11(月) 19:22:26 ID:39FryGRf
>>939
最上に悪い話には全力で否定して、持ち上げるときは他者を否定した文面だからじゃないかな。
最近は文面変わってきたけど。自分も前の文面嫌いだったから最上ネタスルーしてたけど、
マトメスレではネタの良し悪し関係なしに、常に拍手多いし好きな人が多いんだなと思う。
961人間七七四年:2010/01/11(月) 19:28:13 ID:sc3mjhZe
>>957
寺の都合で動かしたとか、そういう記録がないなら、やっぱり三好氏との縁ゆえか、と勘ぐりたくなるね
962人間七七四年:2010/01/11(月) 19:44:00 ID:ZwabGv95
まとめスレを見ていると同じエピソードがオチ違いで
良い話にも悪い話にも載ってたりするなあと感慨深い。、
ところで越後のオカンの話なんだが詳しい話が載ってなかったっぽいので。

上杉謙信が能登の七尾城を攻め、
幼い畠山当主春王丸が籠城の中病に死に、能登畠山氏は滅亡した。
…と長家は伝えているのだが、
謙信本人が七尾城を落とした後越後に出した手紙だとこのような話である。

「北条高広さん、貴方の息子はもう30歳も過ぎてるのに
いまだ結婚もしてないので私はとても心配しています。
ところで私の元に身寄りがなくて苦労しているお嬢さんがいるんですが、
この女性と結婚してはどうでしょうか。
この女性は畠山義高の未亡人で、息子も一人いるんですが
まだまだ若い良い年頃ですし、三条家の娘さんなので家柄も良いです。
息子は私が養子にして面倒見ますから、どうですか?」
963人間七七四年:2010/01/11(月) 21:47:46 ID:oZS+3GiC
謙信、遣り手婆みたいだ…
964人間七七四年:2010/01/11(月) 22:15:36 ID:XhxUV0dl
未亡人の再婚斡旋までやるとは戦国大名も大変だなぁ
このスレで色んなエピを知るまで謙信なんて戦にしか興味のないバカだと思ってたよ
965人間七七四年:2010/01/11(月) 22:53:30 ID:stxta5Kz
畠山義高=義隆で義隆の息子=上条さんか
966人間七七四年:2010/01/11(月) 23:03:56 ID:NUee74ux
謙信はガチでオカンだよなぁ…
967人間七七四年:2010/01/11(月) 23:09:14 ID:uEK18w56
謙信はエルトンジョンみたいだな。
968人間七七四年:2010/01/11(月) 23:11:41 ID:MQQQr4Cv
けど上条ちゃん上杉家を出て行くし
969人間七七四年:2010/01/11(月) 23:24:22 ID:fK7im+bN
流れ者のジョウジョウ
970人間七七四年:2010/01/11(月) 23:30:30 ID:3REyWEUK
上条の奇妙な冒険
971人間七七四年:2010/01/11(月) 23:44:05 ID:jQTGZgvv
さすが謙信、人買いの元締めなだけはある
母親の方を押し付け恩を売り息子の方は養子で実質人質
高い身分の人は自分で直接売りさばいてたんですね、やり手すぐるw
972人間七七四年:2010/01/12(火) 00:03:09 ID:PLgoVGrF
DQNと鮭と

秀次事件で閉門蟄居を喰らった奥羽の二人。
駒姫処刑に次いで伊達領と最上領の接収が京の人々の間で噂された。

とある日、石田三成が高札を秀吉の前に持ってきた

三成「殿、こんな物が!!」

伊達政宗邸前高札「この屋敷の主、羽州最上義光と謀り天下を奪わんと画策中」
最上義光邸前高札「この屋敷の主、奥州伊達政宗と謀り天下を奪わんと画策中」

( ●Д゚)「バカめ!」
(´・ω・`)「!!!!」

秀吉の事態の収拾出来なさに、徳川家康と本多正信が仕組んだ物とも言われる高札だが
DQNと鮭が禁固から無罪放免世に放たれた良い話?
973人間七七四年:2010/01/12(火) 00:09:16 ID:D7AEblZq
>>972
いい加減死ね
974人間七七四年:2010/01/12(火) 00:34:13 ID:aCb0yYZz
>>960
>>常に拍手多いし好きな人が多いんだなと思う
バカ鮭の自演だよ。そろそろ理解しろ。

>>972
顔文字のアホまじイラネ
975人間七七四年:2010/01/12(火) 00:51:33 ID:SUpVJdeE
悪いスレのほうが和やかだな

って迂闊に言うと残念な人たちが移動しちゃうか?
976人間七七四年:2010/01/12(火) 01:20:40 ID:1LFLd8JI
まとめスレで>>945読んだんだが、
矢作橋は1601年に架けられたので、この話はフィクションとされる。

フィクションとわかった経緯(945へのレスなので、戦国時代でないのはご勘弁)
明治時代、蜂須賀茂韶侯爵(元阿波藩最後の藩主)が宮中に参内した際、こっそり
タバコを一本失敬した。だが間の悪いことに明治大帝に見られてしまった。
明治大帝「ほほー蜂須賀よ、先祖は争えないのう」
茂韶(何たる無念、この上は蜂須賀正勝が盗賊でなかったと証明せねば)
こうして茂韶は大正末、史学者の渡辺世祐に伝記「蜂須賀小六正勝」を書いてもらった。

この本には、蜂須賀家は、尾州蜂須賀村に鎌倉時代から土着している豪族であり、
正勝は、斎藤道三→岩倉織田氏→犬山織田氏→牢人→秀吉に説得され織田信長に
という経緯で仕官したので盗賊を働く暇はなかった、また当時の矢作川に橋は
架かってなかった、ことが示されているという。
これについて海音寺潮五郎は、当時の小豪族にとって盗賊を働くのは常識である。茂韶が
大金を払って渡辺氏にごまかしてもらったのだろう、と「列藩騒動録」に書いている。

※蜂須賀家は10代目(正勝から数えて)に他家から養子を貰っているため、茂韶とは
遺伝的つながりはない
977人間七七四年:2010/01/12(火) 01:43:18 ID:ZwaTS8Zy
>>976
この話は明治天皇こそ実は徳川家経由で蜂須賀正勝の子孫であり、
蜂須賀茂韶も実質徳川家嫡流であるというネジレ現象。
明治天皇は家康こそ天下を盗んだ悪党だ、とでも言いたかったのだろうか?
978人間七七四年:2010/01/12(火) 02:57:20 ID:jOazsnk8
養子とはいえ当主である以上は家名に全責任を負う立場にあるわけだし
この場合、遺伝的つながりはそれほど関係ないかと
979人間七七四年:2010/01/12(火) 06:03:40 ID:e3jCjavU
まぁ、応接室においてある煙草吸うくらいで盗賊呼ばわりは普通しないわな
明治天皇も冗談で言ったんだろうに
それとも吸わないでポケットにでも入れたのかね
980人間七七四年:2010/01/12(火) 07:22:50 ID:auPgNT/M
>>972-974
少しは空気嫁
981人間七七四年:2010/01/12(火) 10:34:53 ID:ioHp06ny
>>980
お前がな
982人間七七四年:2010/01/12(火) 12:48:59 ID:Rx6jXmuk
モガミサイコー
983人間七七四年:2010/01/12(火) 13:01:32 ID:L04w149B
>>979
なんかポッケナイナイしたような記述だよね
ちょっと行儀悪いというか
珍しい銘柄とかだったのかな
984人間七七四年:2010/01/12(火) 13:10:48 ID:U0731ofR
いや日常でもたまーに居るだろこういう人w
微笑ましい冗談にマジで顔真っ赤にした茂韶w
985人間七七四年:2010/01/12(火) 14:36:40 ID:BIR9JjT9
>>984
本当の話なら、明治天皇はトップの人間なんだからさ、注意の仕方を考えたほうがいいよ。
他人ならまだしも、天皇に言われたら傷つくぞw
まぁ、煙草くすねる茂韶が悪いっちゃ悪いんだけどw
986人間七七四年:2010/01/12(火) 14:39:45 ID:L04w149B
まぁ、明治天皇も結構陽気でざっくばらんな人だったらしいしなぁ
大正天皇ほどくだけては居なかったらしいけど
987人間七七四年:2010/01/12(火) 14:52:02 ID:jOazsnk8
明治帝は軽い諧謔のつもりだったんだろうけど、言われた蜂須賀にとっては
まさに御家の一大事だよなぁ・・・こうして後世にまで逸話が残っているわけだし。

988人間七七四年:2010/01/12(火) 15:02:46 ID:n2IpQAI7
というか次の蜂須賀侯がアレだから……
989人間七七四年:2010/01/12(火) 15:15:42 ID:jOazsnk8
迷君の誉れ高い蜂須賀重喜って秋田新田佐竹家から養子入りしてるけど、
蜂須賀と血縁とかじゃないよね?
なんで佐竹の新田藩から養子を迎えたんだろう・・・
990人間七七四年:2010/01/12(火) 15:20:49 ID:dVATOZvp
次スレにて候

戦国ちょっといい話17
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263277160/
991人間七七四年:2010/01/12(火) 15:45:42 ID:tcZElVhz
>>990
乙です。ありがとう。
992人間七七四年:2010/01/12(火) 15:50:30 ID:jOazsnk8
>>990
乙!
993人間七七四年:2010/01/12(火) 16:38:36 ID:cY+iRCGw
>>988
アレですって?息子さんの方がお孫様よりポテンシャルにおいて勝るとでも言うつもり?
994人間七七四年:2010/01/12(火) 19:25:24 ID:i3bPmePr
>>987
逸話として残ったのはどっちかというと天皇家側の狙いのが強い
当時の天皇って天子様であって、今みたいに具体的な尊敬の対象ではなく、朧気なものだった
偶像崇拝というかそんな感じではあったけれども、実際にぴょこんと目の前に出てこられてもなんだこれは天子様かありがたやーみたいな
その後天皇を神でありつつも具現化した国家元首として存在させるためにこういう逸話を生むことで国民に対しても『偉いんだぞー』というイメージを植え付けさせようとしたわけ
長々と書いたけど実は全部嘘だったりするので信用したらだめだよほんと
995人間七七四年:2010/01/12(火) 20:06:27 ID:n2IpQAI7
>>993
しまった、醜類有爵者はお孫さんだっけ
996人間七七四年:2010/01/12(火) 20:58:12 ID:U/6EcxyD
ただただスレを埋めるだけのレスをするのも無粋なので良くも悪くもなく面白くもない話を投下

去年の梅雨頃に愛知県岡崎市の隣の幸田町という小さな町の深溝という集落にある本光寺というお寺から
小判やヨーロッパ製のグラスなどが出土したという記事を覚えている方はいらっしゃるだろうか?

この本光寺、徳川家と共通の祖を持つ深溝松平家の菩提寺で深溝松平家代々の当主が埋葬されている。
出土した小判などは松平忠雄の埋葬品でこの人は島原藩の2代目藩主だった人物

この深溝松平家、地味ながらも徳川家によく尽くした家柄で

2代目好景 善明堤の戦いで敵方を深追いし伏兵に討たれ討ち死
3代目伊忠 三河一向一揆では家康に従い、掛川城攻略、姉川、三方が原両戦役で武功を立て、
        長篠の戦でも信玄の弟を討つなど活躍するも追撃戦時に小山田昌行の猛反撃を喰らい討ち死
4代目家忠 21歳という若さで家督を相続。主に城郭の普請を従事した事から土木の才能があった模様
         関が原の合戦の際には鳥居元忠の副将格として伏見城に篭り共に玉砕

といったように当主が3代続けて戦死するというなかなか苛烈な一族である。

さてその家忠の息子の5代目になる松平忠利は三河武士らしいめんどくさい一面をほんのりと発揮する。
伏見城で玉砕した父の仇を討つと駄々をこねるも家康に止められて結城秀康と共に上杉の抑えに従軍。
戦後の論功行賞では家康の関東移封された時に深溝松平家は下総の小見川に一万石を与えられていたので
家康が当地に加増を薦めるも忠利は旧領の深溝への復帰を望み、加増無しで旧領に帰り咲く。

その後、深溝松平家は三河吉田藩、三河刈谷藩、丹波福知山藩そして肥前島原藩と次々と移りつづけ明治維新を迎えることになるのである。

以上、徳川を創成期から支えた無名の三河武士の一族の駄文長文失礼致しました。
997人間七七四年:2010/01/12(火) 21:06:49 ID:cY+iRCGw
>>995
いい話スレなんだから空のモダン侯爵様と呼んであげてちょうだいよ
まあその飛行技術で「チッ、アメリカ移住を親族どもに邪魔されてるうちになんか知らんが
戦争が始まってしまった…まあいいか!レッツ自力脱出&亡命大作戦!」とかやらかして
一足先に爵位剥奪されたお方だけどさあー
998人間七七四年:2010/01/12(火) 21:09:32 ID:1LFLd8JI
>>995
そう、蜂須賀正氏は孫の方。
京極夏彦の小説「陰摩羅鬼の瑕」に鳥類学者の変人伯爵の話が出ているが、
彼のことをモデルにしたのではないかと思う。
ロスチャイルド家との親交があったらしいが、蜂須賀の卍の家紋が入った
贈り物をしていたとしても、戦後破棄されてるかもしれない。
999人間七七四年:2010/01/12(火) 21:15:11 ID:tcZElVhz
>>996
4代目家忠さんの家忠日記は面白いよねー。
アレだけでも歴史に残る仕事をした。
1000人間七七四年:2010/01/12(火) 21:50:29 ID:W4zJqHlS
1000逝ったら秀家が八丈島より泳いでまいる
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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