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人間七七四年:
天正12年10/20政宗18歳が新当主として家督継承し輝宗隠居(鮎貝氏の屋敷へ移る)
天正13年6/14に義光39歳が岩城氏の三坂越前守宛てに
まだ幼い甥である政宗の会津桧原攻めを糾弾する手紙を送り、岩城と葦名の友好を要望し
義光が懇意にしてる相馬との御入魂を勧めてる。また同時期に相馬へも政宗非難の手紙を出している。
しかし、義光は裏で周辺大名に政宗を陥れるべく讒言しまくっているのを隠して
8月27日小手森城攻撃の時など、何食わぬ顔で政宗に叔父として協力して大内攻めへ援軍を出す腹黒さ。
政宗「こっちに惣無事令が伝わってきてます。東禅寺と大宝寺の和睦の件で大宝寺への影響力行使の協力お願いします」
と本庄に頭を下げて協力を求める。
本庄「わかったよ!よろしくね。」
政宗「東禅寺が大宝寺と会おうとしないので困ってます、東禅寺を後援してる義光の叔父様に頼るしかないです。なんとか頼んでください」
と最上重臣野辺沢へ頭を下げる。
東禅寺と大宝寺の和睦が成る・・・が、まもなく東禅寺が義光の後援で大宝寺を攻める。
義光「東禅寺義長に大宝寺義氏を暗殺させたが外聞悪いから以後、義氏の事を『悪屋形』って呼び、噂を広めるようにな!!!」
政宗が白石宗実へ「俺が初めて無事を扱ったが1年もたないなんて・・・クソ光め!
世の中の外聞を思うと言語に絶する恥をかいたよ。みんな俺をガキだって嘲笑ってるよきっと・・・もう誰も信じない」
本庄と最上の争いの隙をみて、「こうなったらクソ光の足を引っぱってやるわ」→政宗が大崎義隆(妹は義光正室)重臣の氏家吉継を謀反させる。
政宗が田村月斎へ「義光が本庄に攻められ義長を見捨てただけでなく、2城も落とされてパニックになってるってさザマァーウヒヒw」と手紙を出す。
政宗による庄内の和平斡旋は義光の大出兵によって、わずか2ヶ月で破綻。
この時、政宗は義光に強い怒りを覚えてる。
しかもこのドサクサ紛れの時期に鮎貝氏を最上方に謀反させて伊達を追いつめている。
義光「本庄が惣無事違反です」
東国惣無事担当の家康「あぁ、秀吉にチクっといたから最上のもんに決まったよ。ただ急ぎ上洛して秀吉にお礼言って臣下の礼をしなよ」
義光「絶対に行きます。いろいろお骨折ってくださった家康さまの顔を潰すようなことしませんから」
政宗「はぁ?バカか冗談じゃねぇ。大崎の家老氏家義隆を煽って、義光のオッサンが上洛できねーようにしてやるからw」
義光「お東!おい氏家ってバカはなんなんだよ惣無事で和睦した件は関白や家康も知ってるんだぞ!政宗にもちゃんと言えよ!」
政宗「はぁ?百姓秀吉とかwwwまた虎の威を借る狐かよw俺には北条組もいるんだよwそんな約束もう忘れたw」
大崎氏「義光のやつ庄内欲しさに良い子ちゃん演じて、惣無事令があるからもう支援を断るだと?
本家見捨てんのか?義光ふざけんな!もう伊達に降伏して臣下になるしかねぇ…」
家康「おいまだ最上来ねーぞ!義光ふざけんなよ。本庄の倅が上洛して秀吉に挨拶しに来て上機嫌になってんぞ。
もう知らないわ俺の顔に泥を塗りやがって みんな家康のコネ大したことねーとか言われるべや。
これじゃ三成や大谷どころか、前田や浅野や木村にも奥羽利権を奪われちまうわ」
義光から由利の潟保へ「惣無事伝達のために金山宗洗が先日巡回に来たわ。もちろん本庄の惣無事違反の詰問だよ。
ついでにな、俺んトコが秀吉に出羽探題に任じられてさ、出羽国中の大名や国人の下々に至るまで
俺んちの下知に従ってるか監視しに来たんだよ。この意味わかるか?
出羽国人「プッ虎の威を借る狐がさらにウソついて探題ワロスwww出羽探題さまの庄内がどうなるか楽しみだなw」
伊達治家記録
母の保春院(お東)は兄の義光の甘言に騙されて、関白お怒りなので小田原へ行く政宗公を毒殺し弟を擁立しようとした。
4/27義光→安東実季
「俺さー三成から政宗監視役を任されてるから小田原遅く行ってもいいんだぜ!
伊達が無躰人だからね。つか伊達無くなるって噂も聞こえてきてるよwww」
安東「いちいち三成とか持ち出してウゼェよ。俺ん家なんて後継者争いで惣無事違反したけど、
織田時代から秀吉と手紙交換してる仲だし、俺も監視役だから小田原行かなくて、
宇都宮で秀吉に会う予定なのに…さて俺は誰の監視役?」