戦国ちょっといい話15

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101人間七七四年
>>91
最後だけじゃなく出だしの最初四行目から“毛屋”が“家屋”になってんだがこっちはいいのか?
どういう経緯で毛が家に成り代わったのか興味はあるが、結局のところ「主水を武蔵に改めた」話でおkなの?

改名の話なのに何がどうなってんのか一読したとき?が頭の上に浮かんだYO
102人間七七四年:2009/11/04(水) 13:04:09 ID:LWQL6RJx
>>100
三行目はTERUじゃない?
103人間七七四年:2009/11/04(水) 13:13:53 ID:zUDCP1Ql
>>100
是正

森忠政
島津(二代目)家久
毛利輝元

こうだな
104人間七七四年:2009/11/04(水) 15:10:56 ID:9UlfxnFD
>>99
恥ずかしいけど泣いた
紹運大好きだ
105人間七七四年:2009/11/04(水) 16:09:09 ID:HpuQSZmQ
「武蔵守」って幕府を憚って使わないしきたりに
なってたとか何かで見たけど、江戸初期はあったんだね
106人間七七四年:2009/11/04(水) 18:48:04 ID:sToqLK5Y
真ん中も輝元じゃないの
ああ、父親g
107人間七七四年:2009/11/04(水) 20:43:28 ID:5oe5ngXI
隆元パパのことかーーっ!
しかし、改めて思うが隆元はもっと評価されてもいいと思う
108人間七七四年:2009/11/04(水) 21:15:43 ID:kwTPzrJ7
>>89
では甲斐と改めますと言うのかと思った。
109人間七七四年:2009/11/04(水) 21:52:59 ID:MIy7yVtU
>>89


その武蔵に居る将軍も『糞』に縁がある。

110人間七七四年:2009/11/04(水) 21:58:33 ID:VIYQzcSt
>>94
又兵衛を使いこなしていたら評価は数段上だったろうな
でも長政は又兵衛がいなくなったから
家来の話を聞くようになったんじゃなかろうかと思ってみたり
111人間七七四年:2009/11/04(水) 22:03:29 ID:z3zV7Z9K
>>105
だから「武蔵守」ではなくて、ただの「武蔵」なわけで。
112人間七七四年:2009/11/04(水) 22:05:05 ID:zUOfYpFh
しかし又兵衛とかメンドクサイ通り越して嫌味だろ、もう
使いこなせねぇって
113人間七七四年:2009/11/04(水) 22:06:15 ID:V6VbNumM
というか黒田家の家臣はなんで反骨精神旺盛なんだよw
主君なんだから面子や面目潰しちゃいかんだろw
長政はそれほど無能か?
114人間七七四年:2009/11/04(水) 22:09:35 ID:VIYQzcSt
>>109
違う味噌だ!

>>112
又兵衛も三河武士に混じれば普通だったのかも
個人的には徳川に又兵衛ついたらがどうなるか気になる
115人間七七四年:2009/11/04(水) 22:16:19 ID:h5Ks2mYg
現在の企業でも、創業社長には忠誠を誓えても二代目の息子には誓えないってパターンは多いでしょ
二代目が親父の地位を相続したら、古参社員に舐められないようにハッスルするけど苦々しく見られるだけって展開
116人間七七四年:2009/11/04(水) 22:20:37 ID:V6VbNumM
現代企業の世襲は健全じゃないが中世領主は世襲が当たり前なんだから意識違うんじゃね?
117人間七七四年:2009/11/04(水) 22:23:02 ID:z3zV7Z9K
黒田家の場合は、家臣の間に、官兵衛が幽閉されている間、自分達が黒田家を守った、っていう
一種の自負心があったように思う。
家康が人質にされている間に家を守り通した、徳川家臣団と似た感覚ですな。
118人間七七四年:2009/11/04(水) 22:24:15 ID:zUOfYpFh
長政「敵が放置したお酒の中に毒が入ってるかも知れないぞ!昔そういう話もあったし」
又兵衛「死んでもかまへんから酒のむわー」

反抗期だろ、ただのw
119人間七七四年:2009/11/04(水) 22:27:04 ID:h5Ks2mYg
又兵衛と長政は現在に生きてたら漫才師として上手くやっていけたろうなw
120人間七七四年:2009/11/04(水) 22:40:16 ID:3io0nrfB
又兵衛は心服させられればまさに股肱の臣なんだろけどなー。

長政とは相性悪すぎてw
お互い有能なのにそり決定的に合わない相手っているからな
121人間七七四年:2009/11/04(水) 22:45:26 ID:YU1ihEsJ
>>113
黒田家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
福岡城の御殿に座った殿様といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
で、やっと殿さまにお目見えしたと思ったら、そいつが、
よーし殿さま謡曲披露しちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、謡曲なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、先生に褒められた、だ。
お前は本当に謡をやりたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ウンウン唸りたいだけちゃうんかと。
黒田家通の俺から言わせてもらえば今、黒田家通の間での最新流行はやっぱり、
長政叩き、これだね。
軽薄粘着イノシシ。これが通の叩き方。
粘着ってのは奉公構い多め、これ。
でそれに軽薄イノシシ(武者)。これ最強。
しかしこれをやると次から殿様にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
122人間七七四年:2009/11/05(木) 00:45:13 ID:DIeIRco3
黒田家と蜂須賀家って細川家と前田家みたいに仲が悪いの?
123人間七七四年:2009/11/05(木) 00:54:49 ID:nJtUrTfR
>>113
もともと如水の部下は部下ってより小寺家の家臣団で同輩格だったのがぞろぞろいる。
親父には仕えるけど、実績のない息子のお前になんで従順に使えなきゃいけないのって感じじゃね。
124人間七七四年:2009/11/05(木) 11:00:47 ID:4G3X0I7g
>>122
いい話スレで聞くなw
よく知らんけど数十年〜の規模で絶交してたらしいとは聞いたことある
家康の養女嫁にもらうから秀吉の養女もういらねって返されたらそりゃ怒るよね
125人間七七四年:2009/11/05(木) 17:10:11 ID:9stDo1yt
黒田絶交録

長政「家康公の養女をもらうのでオタクの娘さんはお返ししますね」
蜂須賀至鎮「なめんなボケ!」

長政、小倉から福岡へ転封の時
「今年の年貢全部持ってくから頑張ってね」
後に小倉に入った三歳様
「ふざけんなカス!半分置いてって後で分割返済が礼儀だろ」

黒田忠之「黒田騒動で助けてくれなかったオタクとはもう付き合わん」
鍋島勝茂「ポカーン」(゜д゜)
126人間七七四年:2009/11/05(木) 19:51:30 ID:g+otbKk0
>>125
なんか仙台イーグルスのまーくんと仲良くなれそうだなー…
127人間七七四年:2009/11/05(木) 20:10:03 ID:witJ6kT3
>>125
黒田家と鍋島家が不仲になった理由には諸説あるらしい。

家臣:殿、御禁制の大船の建造がバレました!
忠之:禁制じゃねーよギリギリセーフだよ
家臣:江戸じゃえらい騒ぎらしいですよ、黒田家改易もありかもとか言われてるらしいっす
忠之:大丈夫大丈夫心配しすぎだって。今江戸には勝茂ちゃんがいるだろー
家臣:はあ…
忠之:そんなやばいことになってるのに勝茂ちゃんが俺に教えてくれないとかありえないっしょ。
    実際はそんな騒ぎになってないよお前ら焦りすぎ(`ー´)

※真面目に大騒ぎで大変なことになりました
※2「実際に見に行ってみたら噂ほど大きくなかった」という拍子抜けな事態でお咎めなしでした

忠之:なんで教えてくれなかったんだよ!勝茂ちゃんなんかもう絶交だヽ(`Д´)ノ
勝茂:ポカーン(゜д゜)

あるいは

勝茂:ごめん、帰りは一緒の宿に泊まろうって言ってたけど、あれダメになった
忠之:前から約束してたじゃん!勝茂ちゃんのバカッ!絶交だヽ(`Д´)ノ
勝茂:ポカーン(゜д゜)

こんな黒田家と鍋島家ですが、関ヶ原の時は黒田家が取り成してくれたというのでもとは仲が良く、
福岡城にも佐賀城にも、お互いの家中から手伝いを出して掘ったとされる堀があるのです。
…最後はいい話でしめようという努力を汲んでイイハナシダナーと言ってほしい。
128人間七七四年:2009/11/05(木) 20:49:14 ID:0s0bYqZT
( ;∀;)イイハナシダナー
129人間七七四年:2009/11/05(木) 21:29:16 ID:Xo76TRBe
「イイ!」は無しだな〜
130人間七七四年:2009/11/05(木) 21:40:49 ID:RaikqgB7
いい話と悪い話の両方で長政ネタになってるなw
131人間七七四年:2009/11/05(木) 21:59:05 ID:0q8+vEkN
藤堂高虎が徳川家康、秀忠が話した時、
家康が天下泰平の時に考えるべき事はなにかと高虎に尋ねた。

「それは人です。つまり上と下の間に生じる疑心が大敵でしょう。
特に上が下を疑ってはいけません。疑われれば下も上を疑い、
やがて大きくなった疑いが天下を乱すことでしょう」

高虎の言葉を聞いた家康は

「うむ。秀忠殿、よく覚えておくように」

と言った。
132人間七七四年:2009/11/05(木) 22:07:10 ID:Xo76TRBe
この三人がこんな話をしてると何か裏がありそうだw
133人間七七四年:2009/11/05(木) 22:12:19 ID:RaikqgB7
>>131
それはどう読んでも悪い話だろw
134人間七七四年:2009/11/05(木) 22:15:26 ID:W0UIxQ7Y
藤堂高虎ってホントに現場たたき上げで、字の読み書きもろくに出来ないくらいの
人だったんだよね。それが、確かに才能もまわりの環境もあったんだろうけど、
本当に努力して、最後には政権中枢のど真ん中で働くようになった。

卑賤な例えだが、中卒の工場労働者が最後は大企業の取締役になったような感じ。

そういう部分を知っておくと、高虎の言葉って非常に心に入ってくるものが多い。
135人間七七四年:2009/11/06(金) 01:46:10 ID:gbsjoLpS
>>127
>福岡城にも佐賀城にも、お互いの家中から手伝いを出して掘ったとされる堀があるのです。

きっと別のものを掘ったに・・・
おや、こんな時間に宅配業者が…
136人間七七四年:2009/11/06(金) 02:22:20 ID:kaR7xMBo
高虎の逸話は叩き上げた血と汗が感じられていいぬ
137人間七七四年:2009/11/06(金) 08:49:25 ID:hczs0qiz
そういや黒田はこの藤堂さんや細川とも仲が悪かったなあ
仲がいい大名が市松くらいしか思い浮かばん
138人間七七四年:2009/11/06(金) 10:13:09 ID:kymNvLNA
黒田忠之はいかにもありがちな三代目の馬鹿殿だからなぁ。
139人間七七四年:2009/11/06(金) 13:36:07 ID:wMyCTpJr
>>134
その例で言えば、最初と二番目のバイト先は問題起こして出奔。
三番目でようやく正社員になれるも、オーナー交代。
その新オーナーと「名ばかり店長」問題で揉めてまた出奔。
(手柄を上げて母衣衆に加えられたが、加増がなかったらしい)
10代の頃は「誰も俺の事を認めねえ!」という厨二入った脳筋ファイター。
それが晩年ではこんな事を言ってる。

高虎は漢字の読み書きが苦手だったので、人を招いて話を聞く事を好んだ。
そんな高虎が最晩年、当時一級の儒学者である如竹山人を招いた。
如竹は仕えるにあたり、高虎に条件を付けた。

「身共は田舎者で遠慮する事を知らない。
 殿様とてビシビシ教えるが役目と心得ている。
 それで良いか?
 嫌なら身共の方から断る」

これに高虎、応えて曰く。

「貴殿のそのようなところを尊敬しておる。
 媚びへつらう輩はお断りじゃ」

とまあ、最早揺るぎない地位を誇る高虎が、このように謙虚に述べている。
高虎の一番面白いところは、この成長っぷりにあると思う。
140人間七七四年:2009/11/06(金) 15:12:58 ID:Dfk9PAe4
> 「身共は田舎者で遠慮する事を知らない。
>  殿様とてビシビシ教えるが役目と心得ている。
>  それで良いか?
>  嫌なら身共の方から断る」

三河武士の儒学者verか
141人間七七四年:2009/11/06(金) 15:16:35 ID:FjaBdaIi
硬骨の学者にありがちなタイプよw

阿ると思われるのを嫌う
142人間七七四年:2009/11/06(金) 16:30:33 ID:08ux/uMQ
高虎から伊達への手紙が辿々しい感じで可愛かった
元和元年のだったけど、一文字一文字がでかいとこ見ると
もう視力が大分落ちて来てたのかな

つか内容が「遊びに来い」なのが微笑ましくて和む
招いた相手がDQN眼竜なので平和に帰ったのか否か少々気がかりだが
143人間七七四年:2009/11/06(金) 16:56:30 ID:hczs0qiz
>>142
政宗と高虎仲がいいよな
大坂の陣の後で、切腹した古田織部の屋敷を拝領した高虎が政宗に
「古田殿の屋敷を頂きました。これで俺もいっぱしの数寄者になっちまったというわけですよ」
っていう手紙書いてたんだが
いい屋敷を貰ったのを自慢してるっていうよりも
なんか虚しさを感じさせる感じだったんで印象に残ってる
144人間七七四年:2009/11/06(金) 17:28:07 ID:p+/l+QYm
へぇ、へうげものの屋敷は高虎に渡ったのか
屋敷を手にして喜んでいたのか、織部の死を悼んでいたのかどっちにも取れる文面だねえ
145人間七七四年:2009/11/06(金) 17:51:12 ID:0pNNjEsD
>>137
所領が近いからもあるだろうが宗茂とも仲良いじゃないか。
その友達の酒乱と天然の諍いの間に挟まれて頑張る長政は良い長政だったぞ。
146人間七七四年:2009/11/06(金) 19:03:21 ID:rekolfVt
>>144
確か高虎から娘婿の小堀遠州に渡ってるんだよね。
元々秀長配下だし、利休門下とも親しい仲だったのかも。
147人間七七四年:2009/11/06(金) 19:29:16 ID:08ux/uMQ
>>143
元和元年のも屋敷拝領で「いよいよ数奇の上手になり」云々って書かれてた
茶の湯でおもてなしするよ的な意味らしい@ずんだ市博物館

細川忠興から伊達への保春院お悔やみ手紙も撮ってた昔のわしGJ
しかしなんという濃いメンツ
148人間七七四年:2009/11/06(金) 19:44:47 ID:BQL+dmij
萩から彦根へ、「安政の大獄」和解の市民団
http://news.biglobe.ne.jp/social/273/ym_091106_2733469158.html
いい話かな?
149人間七七四年:2009/11/06(金) 21:33:32 ID:2tvhUJxm
細川忠興の心構え

かねてより温厚で柔和な三斎公であったから、領地替え以後気まずくなった隣国筑前の黒田長政のこと、
普段気にも留めていなかった。

そんな折、長政の重臣後藤又兵衛が主人と仲違いし黒田家を辞すると忠興が聞いた。
かねがね後藤又兵衛の武勇を聞き及んでいた忠興、直ぐにも又兵衛には高録で召し抱える旨を伝えたのであった。
が、又兵衛が応えて言うには、主人であった長政、執念深い気質、追手をきっと差し向ける故
果たして国境を越せるや否や定かでない、そのように細川忠興はきかされると即座の差配であった。

後藤又兵衛、細川家の封地豊前との国境に差し掛かった折に目にしたのは、百名もの鉄砲隊を従えた甲冑姿の細川家の軍勢、
まるでこれから合戦の如き気構えでの出迎えであった。
さすがあまたの戦場を経た忠興公である、と感心しきりであった、が、又兵衛の心中、暗雲がむくむくと浮かぶのでもあった。


150人間七七四年:2009/11/06(金) 21:37:11 ID:zAM043bb
観光対策で大昔の遺恨をほじくり返すのはどうかと思うんだよなあ
なんでもかんでもねぇ
151人間七七四年:2009/11/06(金) 21:40:39 ID:CukRqtZt
>>149
いい…話?w;
152人間七七四年:2009/11/06(金) 21:46:01 ID:iTGB/2yY
>温厚で柔和な三斎公

……はい?
153人間七七四年:2009/11/06(金) 21:48:43 ID:vwtgUS8O
>>152
そこは俺も心の中でつっこんだけどwww
154人間七七四年:2009/11/06(金) 21:52:21 ID:7HBXpPdl
>>152
>>153
同じくw
155人間七七四年:2009/11/06(金) 21:56:39 ID:dnSRx7Ls
Q. 「かねてより温厚で柔和な」という形容詞に続くにふさわしい人名を選びましょう。(複数可)
1.森長可
2.伊達政宗
3.細川忠興
4.島津忠恒
156人間七七四年:2009/11/06(金) 22:01:53 ID:CukRqtZt
>>155
リアルで茶を吹いたじゃねーかコイツめw
157人間七七四年:2009/11/06(金) 22:06:26 ID:SX2Jp8fS
>>155
え?正答無しだろ?
158人間七七四年:2009/11/06(金) 22:09:24 ID:08ux/uMQ
無茶振りすぎるw
159人間七七四年:2009/11/06(金) 22:10:44 ID:Uoo8BXIY
>>155
QMAみたいな問いだすなよ
160人間七七四年:2009/11/07(土) 00:26:39 ID:xjJlQvaE
え〜と・・・1です!
161人間七七四年:2009/11/07(土) 00:39:35 ID:pGVrFeWK
>>155
答えは福島正則だろ
162人間七七四年:2009/11/07(土) 00:51:57 ID:LMzi4+aF
ト、豊臣秀吉様デアルト回答イタシマス
163人間七七四年:2009/11/07(土) 02:19:41 ID:a01eWbMV
彼方越前より富田長繁さまがお越しのようで・・・ >>155
164人間七七四年:2009/11/07(土) 06:24:09 ID:MNzN/KSN
まとめるか。

Q. 「かねてより温厚で柔和な」という形容詞に続くにふさわしい人名を選びましょう。(複数可)
1.森長可
2.伊達政宗
3.細川忠興
4.島津忠恒
5.福島正則
6.豊臣秀吉
7.富田長繁
8.三河武士一同
165人間七七四年:2009/11/07(土) 08:24:10 ID:r9gPtfmf
でも後世に伝わるのはどうしても派手な話が多いから
実際の人格はどうなのかわからんな。そのときの世相も影響あるだろうし。
>>164にあがってる人も実際につきあってみればいい人なのかもしれない。
166人間七七四年:2009/11/07(土) 08:59:07 ID:j6w7X+i+
>164
家康だろう。狸の皮から言って。
167人間七七四年:2009/11/07(土) 09:05:41 ID:3J1oaGgG
>>164
つ第六天の魔王
168人間七七四年:2009/11/07(土) 09:09:25 ID:ZcAwnvq9
信長さんは、イライラしてない時は普通にイイ人だわな
169人間七七四年:2009/11/07(土) 09:15:51 ID:83wK4IzC
勝手な印象だが忠興は逆鱗に触れなければ大丈夫そう
政宗は気まぐれ、忠恒は陰険、長可は常時臨界状態
170人間七七四年:2009/11/07(土) 09:18:20 ID:4dhpskJb
宇喜多直家「俺も俺も。数年来の友になれるって」
171人間七七四年:2009/11/07(土) 10:37:15 ID:AxoQ/H2s
その数年後にはきっと草葉の陰にいるな
172人間七七四年:2009/11/07(土) 14:04:50 ID:JaAU3qN4
大量規制に遭ってもこのスレだけはいつも通りで嬉しいな。

んでもっていつもながらまとめサイトの管理人殿の仕事ぶりには頭が下がる。
生ける司馬遷と言った所か。
173人間七七四年:2009/11/07(土) 14:44:46 ID:ZcAwnvq9
>>172
>生ける司馬遷
そんな事書くと、まじめに歴史好きな人がキレるぞ。
管理人さん頑張ってるしすごいと思うけど、さすがにその例えは古人への冒涜だ。
174人間七七四年:2009/11/07(土) 14:46:49 ID:oDR7O8KT
規制中は流石にここも投稿減ってたなあ。
それでも1日に1つ2つ逸話が投下されてたのもすごいがw
175人間七七四年:2009/11/07(土) 14:47:02 ID:4dhpskJb
歴史好きの笠に被ってるだけでキレてんのはお前だろ
何マジになってんの?
176人間七七四年:2009/11/07(土) 14:50:18 ID:4dhpskJb
規制中に代投して貰ったけど長文だと分割して投稿しなくちゃならなかったからメチャクチャ面倒だった
俺は未だに規制中だがしばらく投稿は無理だな
177人間七七四年:2009/11/07(土) 14:53:51 ID:Qw42t5F3
生ける司馬遷、死せる孔明を走らす。

あれ?
178人間七七四年:2009/11/07(土) 15:07:24 ID:oDR7O8KT
関ヶ原の敗北により、島津義弘が逃走していたときの事である。

島津主従、伊賀山中において道に迷い、ついに進退窮まった。
ところが、ここで一人の老人が現れ、義弘らに道を教えた。このおかげで彼らは無事、
伊賀を抜けることが出来た。
義弘は老人に大変に感謝をし、彼に、十文字の紋の付いた猩々緋の羽織を与え、

「我らが無事に帰国したと聞いたら、これを持って薩摩に下ると良い。きっと褒美を取らすであろう。」

と、言い含めた。

さて、このような事があって義弘は薩摩に無事帰国したが、いつまでたっても
あの老人が薩摩に現れる事はなかった。
義弘と共に逃げ帰った者たちからも、だんだんとその事が忘れられた頃、
かねてから島津家の信仰の厚い、大隈の八幡宮の祭礼があり、そのため普段厳重に閉められている
宮の扉が開けられた。その社殿の中に、

あの時義弘が老人に与えた、羽織が置かれてあった。

これを見た人々皆、奇異の思いに打たれたと、伝わる。
179人間七七四年:2009/11/07(土) 15:24:15 ID:y3lSEvBj
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2328.html

↑の別バージョンか
どっちのオチも昔話っぽいな
個人的には義弘らしいと感じるけど
180人間七七四年:2009/11/07(土) 15:28:47 ID:4dhpskJb
狐に地蔵に八幡か
やたら神様に愛される気質だな義弘w
181人間七七四年:2009/11/07(土) 21:36:10 ID:b7VJhgcZ
では義弘の話をもう一つ。

義弘が隠居後に近習と出掛けたとき、加治木の城下ではお祭りをしていた。
義弘の父、貴久に由来する鈴懸祭りという大層賑やかなお祭りである。

お殿様のお出掛けと聞いて、町の者達は一旦踊りや囃子を止めてお通ししようとしたが
義弘は「よいよい、そのまま続けよ」と町人達の踊りの中を馬で通り過ぎようとした。
だが、先導の者の馬が太鼓の音にビクついたのか前に進もうとしない。

これを見た義弘は苦笑して「先導のものは若輩ゆえ馬の扱いに馴れて居るまい。誰か手本を見せてやれ」
左右を省みて年配の者達に先導を代わるよう命じた。
ところが年配の者達も馬を思うように扱えず、どうしても踊りの中を通る事が出来ない。
誰一人として馬を満足に扱えないのを見かねた義弘、ついに「もう良い!わしがやる!」と言い出した。

これには近習たちも驚き「殿ももはや80近く。そのお年ではどんな怪我をするか分かりません。どうかお止めください。」
と懇願したが「そこで見ておれ、わしが手本を見せてやる!」と言うが早いか先導の馬に乗り、
まるで無人の野を行くが如く踊りの中を通り過ぎてしまった。

これには町人も拍手喝采、近習たちも自分の主君に対する尊敬の念を新たにした。
だが義弘はこのことを誇るでもなく
「敵味方が喚きあい、矢唸りに鉄砲が鳴り響く戦場を往来するは武士として当然のことである。
 『治において乱を忘れず』じゃ。お前達も常々馬術や武芸の稽古に励むように」
と訓戒した。

このとき以降、加治木では馬術を競い合う「馬責め祭り」なる行事が行われるようになったとか。
182人間七七四年:2009/11/07(土) 22:37:33 ID:VA4mkiHs
立花宗茂も島原の乱の時に、
今時の武士は平和ボケになってるみたいなこと言ってるから、
戦国を知る歴戦の猛者から見たら、
江戸初期の武士はたるんでるように見えたのかな
183人間七七四年:2009/11/07(土) 22:46:30 ID:y3lSEvBj
「責め祭り」だけ見てカナマラ祭みたいなのを妄想した俺を誰か責めてくれ…
184人間七七四年:2009/11/07(土) 23:36:02 ID:tcx4268f
>>183
貴殿には馬より△木馬が相応しいようじゃのう
185人間七七四年:2009/11/08(日) 00:10:22 ID:Xqt4NdKH
>>182
フィクションですが「出星前夜」読むと大変 (ノ∀`)アイター な感じ

技術の衰退がどんだけ早いのかは、今ほとんどの人が炊飯器ないと
飯を炊けないのを考えてみると近いかも?
186人間七七四年:2009/11/08(日) 03:08:40 ID:ETBkntlF
近代の軍隊でも技術をいくら発展させても実際に指示したり前線で戦う人間が
実践を積まないとどんどん弱体化していくそうだね
模擬戦や災害救助程度しかほとんどしない国の軍隊がいきなり戦争に投入されると
かなり悲惨なことになっちゃうことも少なくないそうだし
187人間七七四年:2009/11/08(日) 05:30:57 ID:ZYwxz0kw
>>186
強い軍隊の維持という目的があるためなのか、アメリカやロシアはよく戦争をする。
関ヶ原→大阪の陣の教訓は、兵士にとって15年は長すぎるってこと。
日清戦争以降の日本はだいたい10年毎に戦争していたが、これもそういう理由があったのかもしれない。
188人間七七四年:2009/11/08(日) 06:20:47 ID:bSelRiWU
でも、旧日本軍の場合槍みたいに長いライフル銃に銃剣付けて突撃が基本だからなぁ・・
189人間七七四年:2009/11/08(日) 07:32:27 ID:ORPKO9Zx
西南戦争なんてヨーロッパの軍事教典通りの戦い方だったな・・・
日露戦争も火力でロシアを圧倒する場面も多々あったが。勝ってからおかしくなった
戦術的には日中戦争のころでもロシアの浸透戦術をマスターしとてもテクニカルな戦い方はしてたけど
190人間七七四年:2009/11/08(日) 07:36:23 ID:ORPKO9Zx
っていうか戦国時代って兵科別に整然とした部隊割がされてたんだよな。
みんなごっちゃになって戦ったわけじゃない。
長槍なんて槍の上げ下げまで号令で一斉にしてた。
191人間七七四年:2009/11/08(日) 08:41:38 ID:5uuyBCO8
>兵科別に整然とした部隊割

それは戦国時代末期限定の話だろう…
基本戦国時代は、寄親寄子制で直接の主人の下知で戦ったと思われる。

というか、実際の戦場での編成の史料って、ほとんど無いんだよね。
192人間七七四年:2009/11/08(日) 10:21:24 ID:YQaOk6bN
だいたい近隣の農民が高台に登っておにぎりを食べながら戦観戦してても安全なくらいにノホホンとしていたくらい戦の流儀通りにやってたし、敵方とすでに話がついての自作自演みたいな戦もあった。
そういや葦名義広の攻撃に敗走した片倉がパニクって高台で観戦してた農民達を敵と誤解して大量掃射しちまったなw
193人間七七四年:2009/11/08(日) 10:50:02 ID:OhGEv3i0
>>192
ソースは?
194人間七七四年:2009/11/08(日) 12:23:38 ID:UPXZF7aI
ここでソースの味見しても仕方ないな。
流れ悪くなるだけ。

田舎の地頭国人レベルの抗争では、実際ガチ勝負は稀で、
そこそこできり上げる大人の合戦だった、でないと双方滅亡まっしぐらだろう。

195人間七七四年:2009/11/08(日) 12:34:47 ID:OhGEv3i0
それだと妄想でも完全創作でも何でもありになるじゃん
まぁもう半分そうなってるけど
196人間七七四年:2009/11/08(日) 12:42:32 ID:01dUalmp
>>195
キミは何か勘違いしていると思う
197人間七七四年:2009/11/08(日) 13:06:40 ID:X9h4VHbR
前に日本史版で歴史は全て嘘、捏造って内容のスレあったけどね
残っている文献も遺構も現代人の創作、捏造だそうだ
198人間七七四年:2009/11/08(日) 13:24:23 ID:YQaOk6bN
そもそもだいたいが石戦で勝敗がついたから
199人間七七四年:2009/11/08(日) 13:35:44 ID:O6n35SUP
でもレスでさらっと嘘つくヤツとか普通にいるけどな。
いいor悪い逸話じゃないからスルー率も高いし
そのまま事実かのようにまとめスレに…w

しかし、ソースの真贋じゃなく
ソースを聞かれただけでこの反応とはw
200人間七七四年:2009/11/08(日) 13:53:00 ID:UPXZF7aI
ソースから、そもそも歴史とは?

ヘーゲルからマルクス、フーコまで繰り出して
大議論になるなあ。。