1 :
人間七七四年:
何で中尾彬なの?
2 :
人間七七四年:2009/10/16(金) 23:18:16 ID:fBb7r5re
UNKO
3 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 00:52:22 ID:pJFFX4mF
4 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 00:57:25 ID:AMiHmEt6
宝くじを買うみたいに、損を覚悟で夢を買ってみただけじゃね
5 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 02:02:46 ID:xOgVVqGD
秀吉みたいに他大名の美人奥方を抱きたかったんだよ。
6 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 04:25:01 ID:wsjYTZd4
家康に天下を取ってもらいたかった。
そして毛利を苛めて虐めて貰いたかったスーパーハードM元
7 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 07:42:17 ID:vpF8M1dk
肖像画だけは猛将みたいで凛々しいんだよな。
ほんとは小早川秀秋の肖像画が輝元じゃないの?
8 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 14:43:36 ID:g+g1oLuo
>>7 吹いたわw
確かにあの顔なら家康も、
「このオサーンに喧嘩仕掛けちゃ超やばい」思うだろう
9 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 15:14:01 ID:WzRZ/As9
姜は、『看羊録』の中で輝元について
「つつしみ深く、ゆったりと大らかで、わが国(朝鮮)人の性質によく似ている」と記している
凡庸なイメージとはかけ離れているが、輝元が粛清・暗殺した人間は非常に多い。
熊谷元直 - キリスト教信仰を理由に殺害。
天野元信 - キリスト教信仰を理由に殺害。
杉元宣 - 妻を奪うために殺害された。
吉見広長 - 謀反の企てがあるとして追討させられた。
内藤元珍 - 佐野道可事件に連座して、自害させられた。
粟屋元豊 - 佐野道可事件に連座して、自害させられた。
鵜飼元辰 - 元猿楽師で小早川隆景の家臣だが、その死後に殺害された。
10 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 21:02:48 ID:6ePfAfv8
毛利輝元は実は優秀。
11 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 15:32:27 ID:sAyWDacv
どの辺りが優秀なんだ??
輝元の真意がマジわからんよ・・
徳川と示し合わせてたとかいう話もあるけど、
それにしては厳罰過ぎるし。
日和見なんてあの時代では、最低の価値なのはわかってただろうし。
12 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 16:51:05 ID:1CDTY9bj
対大友戦や対織田戦で疲弊した国力をきっちり回復させてるし、
島津や上杉に比べてそつなく検地進めてるし、
家臣の粛清も鮮やか。
関が原後の大幅減封も恨みパワーで乗り切っている。
関が原で勝っていれば鎌倉幕府の執権の位置も夢では無かった。
大志も十分にある。
そして毛利最強の毛利秀元を代理として朝鮮出兵や関が原に送り込みつつ、
自己保身の口実にもなっているところも見事。 こpスマソ
13 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 17:07:06 ID:yED/MZ3T
毛利秀元が当主なら家康を屠れたかもな
14 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 17:40:34 ID:oB3Zt5D2
輝元が優秀かどうか聞かれたら優秀だと答えるが、それは飽く迄も一般的な
基準で考えればの話であって、徳川家康と比べればなんてのは無理だろ?
ぶっちゃけ徳川家康なんてのは空手形から神に成った日本史上を代表する偉
人だぜ?東大生が年間何人でていようが全く歯が立たない、もはや日本史で
比べる者があるとしたら神武天皇や聖徳太子、藤原道真くらいか?
15 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 18:41:19 ID:6QuUwgTK
まぁ、ここ500年の間では家康と肩を並べられる名君は勝海舟、島津なりあきら、吉田しげるくらいだろ。
16 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 20:21:00 ID:oB3Zt5D2
>>15 並べてない並べてない。
例えば1000年先、2000年先でものを考えれば、神武天皇・聖徳太子はもはや
史料的信憑性の無さから削除されてる。
藤原道真は日本の歴史を創った人物であるが、政権的、史料的意味合いで言
えば家康には到底敵わない。
学校の日本史の授業では長々と江戸時代以前の歴史を勉強するが、ぶっちゃ
け日本の歴史なんてのは江戸時代以降で十分それ以下になると実は確固たる
史料が殆ど無いファンタジーの世界。
17 :
人間七七四年:2009/10/18(日) 20:40:50 ID:n2xNDue/
>>14 > 藤原道真
どっちだ?藤原道長のつもりか、菅原道真のつもりか?
18 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 06:50:26 ID:m0Oefgue
大河ドラマ毛利輝元
輝元→V6森田
19 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 21:47:47 ID:13VB6Pov
元就が築いた毛利家の威信を一気に崩して、さらに領土も12カ国から2カ国へ減少。
へタレ大名の象徴や。
20 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 21:52:53 ID:js44pIUu
案外なにもしたくなかったんじゃないの?
21 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 21:54:47 ID:js44pIUu
>>17 鼻水飛んじまったじゃねぇかバカやろうww
22 :
人間七七四年:2009/10/19(月) 22:21:37 ID:otQSDe+1
23 :
人間七七四年:2009/10/20(火) 20:42:10 ID:wuo0VfOk
24 :
人間七七四年:2009/10/20(火) 21:54:02 ID:CvEYrYDP
あれが本当に博打だと言うのなら、
早々に山下って家康と戦ってたと思うのよ。
負けるとわかってて、西軍につくおバカもいないだろう。
25 :
人間七七四年:2009/10/21(水) 18:36:19 ID:W5wcTQKy
輝元は大阪城で関ヶ原に参戦してなかったんでね−の。
26 :
人間七七四年:2009/10/21(水) 23:13:07 ID:MsV4DlOM
勝てば自分が豊臣家の大老筆頭
負けても自分は戦ってないので適当に言い訳して御家存続
って魂胆だったのでは
27 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 00:06:15 ID:asa8b8aJ
>>26 それは多くの大名と同じく後付け設定で、
関が原に送り込んだ陣容見ても輝元自身は勝つ気満々だったと思うよ。
28 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 00:24:55 ID:DvPqMfT1
どんどん謎に包まれる輝元w
本能寺の変よりも不可解な事件だなんてw
29 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 00:33:23 ID:RWAOph9W
ぶっちゃけ家康に2ヵ国なおまえらー言われたときの
評定とかどんなんだったんだろうね
広家はやっぱり針のむしろ状態?
30 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 01:48:58 ID:6NrAddW3
>>29 今でも岩国(吉川家の城下)の人たちと他の山口県の地域の人は仲が
よくない、と聞いたことがある。
岩国は文化的にもどっちかというと広島に近かったりするし。
別の藩になったのも、毛利本家がそれを望んだから、と聞いたことがある。
31 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 09:14:50 ID:/2EjebT0
岩国には針のムシロ状態の広家が
必死に泣きの自己正当化しようとした言い訳の書かれた超長い書状が展示してあるから笑えるよ。
自分を小早川隆景に重ねるバカぶりは呆れ果てて失笑もんだけどねw
だいたい大坂城を明け渡した瞬間に豹変した家康から毛利改易するよ、さらに輝元の罪を問うからwwwって言われて、たばかられたと知ったら毛利の武門としての面子が丸つぶれじゃん。
まだ上杉も健在だし、毛利軍は無傷。
関ヶ原勝報が入る前の黒田如水は国東地方フラフラしてただけで、勝報を聞いてから、小早川領を中心に戦わずして柳川まで次々と楽に開城させていったに過ぎないんだし
毛利さえ、強気に出れば家康とて大減封にできなかったよな。
ヘタレ当主とヘタレ家臣団って肝心な時に弱気過ぎて混乱迷走するだけで最も役に立たない典型だよな。
32 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 10:22:06 ID:/Sz2K3MN
輝元は信雄みたいなもんだろ
空気が全く読めないっつーか読む気すらない無能
33 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 20:21:37 ID:asa8b8aJ
34 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 21:16:40 ID:WKc+dOs1
仮にも一国の城主が、そこまで浅慮だとは思えないよ。
単純に家康に騙されたんだろうか・・
35 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 21:22:16 ID:nBC8WEI+
36 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 22:37:40 ID:OUPtcAKW
>>31 あの関ヶ原の戦いの後に強気の外交なんてできないと思うぞ
味方が半数近くなくなり東軍の部隊はそんなに損害をだしてはおらず
豊臣家は協力的でなく領内は九州をほぼ制圧した如水が狙ってくるかもしれないから
ああいった外交しかできなかったと思うぞ
37 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 23:26:21 ID:NAWN83pn
どいつもこいつも戦いもせず、しかも毛利上杉に至ってはほぼ無傷なのに素直に改易に応じるww
あの場合、玉砕覚悟で領内を死守するのが戦国大名の有るべき姿 120万石が死守ともなれば総動員で5、6万は動員できる
38 :
人間七七四年:2009/10/22(木) 23:48:07 ID:XrvbcNUU
動員力でしかものを考えられないのな
全方位から仕掛けてくる敵に対応できるかってーの
39 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 00:05:24 ID:c9XHZUGR
関ヶ原の時点で毛利はどれくらい動員してたの?
40 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 00:18:24 ID:ru+kVIvS
上杉と毛利は謙信時代の第二次信長包囲網の時みたいに連絡を密に取り合えたら良かったんだろうけど
謙信×隆景、謙信×元長、謙信×輝元のように景勝(兼続)×輝元が出来れば・・・
しかし便利な越後から会津へと移された上杉はすぐ使える良港を失ってたからなぁ
41 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:19:49 ID:LVBCVqrp
一番理解できないのが毛利一族の行動。小早川秀秋のほうがまだ理解可能。
毛利の行動は支離滅裂ではありませんか?
42 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:30:12 ID:1p8PjjoW
>>41 こんなくだらない疑問を投げかけるおまえの行動のほうが理解できんわ
136 人間七七四年 2009/10/23(金) 01:24:20 ID:LVBCVqrp
北条一族が関東に生き残って豊臣政権の有力大老だったら・・・・北条幕府もあったか?
43 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:31:41 ID:wJhe+2oY
輝元が1万でいいから関ヶ原に布陣して総大将として出陣しとけば不戦だった連中も戦って
広家の妨害工作も通用しなく圧倒的有利で勝ってたのにこいつは例の如く後方待機なんだよな。
輝元はほんと機を見る目が無い。
朝倉義景より馬鹿。
44 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:45:28 ID:LVBCVqrp
>>42 くだらない疑問かどうかはくだらないお前に聞いておりません。
45 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:52:07 ID:LVBCVqrp
>>43 輝元は優柔不断で判断力の乏しい人間だったのか?安国寺や吉川の諫言の
たびに考えがを変えたことが毛利の不可解な行動の原因なのかな?
三成は毛利の行動にもう少し気を配るべきだったようだね。
46 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 01:58:31 ID:LVBCVqrp
>>43 最初から本国より動かないほうが絶対に有利だったはず・・・最初から毛利
には戦う力がなかったのかも知れません。それにしても行動が散漫で不可解
ですよね。家康に嵌められただけですね。
47 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 10:26:28 ID:G3/Iq0iB
>>36 >>九州をほぼ制圧した如水が狙ってくるかもしれないから
もうね、ここらあたりが無知でバカな証拠ですね。
如水は関が原の勝報が九州に伝わるまで、国東半島を放浪してたようなもんで
大したことしてねーわけ。
鍋島だって毛利が西軍総大将として一時の負けでさっさと臆してポチにならなければ裏切る真似はしない。
小倉の毛利勝信や長宗我部とか後がないから今回はもう必死に働くよ。
九州には戦力を温存している島津がいるし、無事に帰還した立花や小早川秀包の朝鮮組もいる。
毛利だって無傷で、家康に謀られて陥れられた事に激怒して、あくまで争う姿勢を示して
無傷の毛利軍で行方不明中の秀家の宇喜多領を死守して、
いまだ戦い続けながら上方の情勢を睨んでいる上杉と合同すれば、
いくらでも講和条件で譲歩を引き出せる。
はっきりいって、毛利次第で家康がいくら勝者とは言え、
南北朝や応仁大乱のような長期抗争にもっていき、戦国逆戻りもありえた。
そもそも三成が戦死した以上は豊臣武断派は家康に組する理由すら無くなったし
加藤清正や黒田如水にしても、家康のこれ以上の勢力拡大自体は望んでいないだろう。
48 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 14:56:49 ID:vprLtaTO
如水とか隆景を過大評価してるヤツって
どうしようもない無知のコーエー厨。
49 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 15:09:25 ID:QSy9VRIl
50 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 15:28:13 ID:wJhe+2oY
如水は好きだけどさすがに九州平定するとか言う奴は仮想小説読みすぎだと思う。
大友との戦いも一方的な勝ちでなく苦戦したし小西行長の居城だって行長が死んだと城兵に伝わってやっと落ちたのに主力のいない黒田軍がどーやって九州平定するの。
島津だって1万は動員できたし防衛戦になりゃそれよりもっと動因できただろうに考えが浅はかすぎ。
だいたい官兵衛にそんな意思あったのか疑問。
立花宗茂の居城襲うことなく親身になってかばってるし。
51 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 16:51:49 ID:QsZF3S8R
>>43 秀頼が出陣しないのだから、誰かその近くに居ないと危険でしょ。
前田玄以とか危ないし、大津もまだ制圧してなかった。
あと毛利秀元の方が実績豊富で戦も上手い。
朝鮮出兵でも毛利秀元が代理で総大将やってる。
52 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 17:00:10 ID:QsZF3S8R
>>50 でも黒田軍は兵力ほぼ0の状態から、
浪人や小大名を取り込んで兵力9000人まで膨らんでいるわけだから、
大友義統の黒幕である毛利輝元としては無視できない存在では?
53 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 17:12:32 ID:QsZF3S8R
>>47 吉川広家の行動で、諸大名の信用を失っているのが痛い。
島津も長宗我部も鍋島も、家康の譲歩しだいで敵になるわけだし。
不可能では無い気もするけど、勝算は微妙では?
54 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 17:49:32 ID:G3/Iq0iB
>>53 そういう弱気で消極的のヘタレは下克上の戦国の世は乗り切れんね。
所詮は孫の代でぶち壊しのお坊ちゃま主従だよ。
すべてを失うか、すべてを手に入れるかで、家康はリスクを、綱渡りして天下を取った。
と思っていたらヘタレで無能を越えてもはや害悪な毛利が勝手に崩壊www
55 :
人間七七四年:2009/10/23(金) 18:08:28 ID:jHc7eBIj
>>52 兵力ほぼゼロというのは怪しい。
黒田の家老のうち関ヶ原にいたのは後藤ただ一人で、残り全員は九州にいた。
家老の手勢だけでもそれなりの数になる。
56 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 22:23:34 ID:iLt2OcBj
こんなにレスがのびてるとは・・感激じゃ。
やっぱり皆気になっていたんだね。
57 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 22:50:30 ID:gBFo2OWH
この辺の事情は三戦板の関が原スレにある
最もあそこの議論はここより先に行っているが
要するに毛利は最初から東軍にも加担していたということ
総大将がそうしておかないと戦争の収集がつかなくなる
58 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 23:04:12 ID:k3G7ZgT/
東軍に荷担して大減封ってw
輝元超絶バカ
59 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 23:31:00 ID:m8fJ/+x6
三成が清州城を手に入れとけばなあ。そうすれば輝元も
出陣してたでしょう。逆に岐阜城落とされて家康3万
秀忠3万8千が出陣したと知ったら怖くて大阪出れなか
ったんだろう。実際は秀忠遅参で家康の首を取る大
チャンスだったんだけどね。まあ現場の人間は誰でも
判断に迷うと思うよ。
60 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 23:47:55 ID:gBFo2OWH
毛利輝元は明らかに東軍に加担している
石田三成もそれほど純粋な西軍だったわけではない
純粋に西軍といえるのは宇喜多秀家
家康もずっと毛利と交渉し続けていたはず。ある意味家康も西軍に加担している
東軍では伊達や加藤が西軍と内通
61 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 23:59:32 ID:EbSfuaTL
は?ww意味不明すぎるwww
62 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 00:03:22 ID:AYWPia/d
輝元は大阪城で肉欲に溺れていたらしいじゃん
63 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 00:24:33 ID:4fv3e7XS
吉川と小早川は元々毛利に乗っ取られた家だからね。
乗っ取られる以前からの吉川小早川家臣とかは毛利に対して蓄積した思いもあるだろうから
いつかは毛利に一泡ふかせて毛利の呪縛から解き放たれようという気持ちもあったと思う。
そこで家康の誘いが来ると広家秀秋が応じるように積極的に動いた可能性もある。
64 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 01:16:39 ID:Z8O+U9jR
>>63 家臣は変わらないからね。凄く面白い考えですね。まったく違う見方もあることに
感心しました。
65 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 01:47:20 ID:+ZMTjzhz
最初から輝元の承知の上で広家は徳川と交渉していたのだが
つまり両軍の総大将同士が戦況次第でどこで手を打つかという
話し合いをずっと非公式に行っていた。
三成も徳川滅亡まで考えていたかどうかだと疑問。宇喜多の勝手に
乗らざるをえなかっただけ。
66 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 22:28:16 ID:if+VS9S3
67 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 22:46:13 ID:WxaOmclV
関ヶ原って宇喜多の暴走で起きちゃったの?
68 :
人間七七四年:2009/10/25(日) 23:07:22 ID:iMYKyHl/
内紛で軍が半壊して1年しかたってない宇喜多が自分から仕掛けるかよ
17000で6000と互角ってwしかも地の利まであったのに
69 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 04:53:36 ID:c+0qgbHF
元々西軍結成の経緯をたどっていけば宇喜多が事実上の西軍の大将
関が原当日はあくまでオマケ。いろいろな戦術上の齟齬が互いにあって
ああいう形に
70 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 08:28:07 ID:JG55OZsU
西軍総大将は毛利で、しかも大坂城に入城し秀頼を人質にする。
さらに関ヶ原では望んでもなかなか得られない程の絶好の布陣場所をゲット。
明らかに西軍勝利で毛利大幅加増確定状況から指導力欠如が原因で大敗北原因を作り上げ大減封って古今東西こんなバカ殿いないわw
71 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 09:53:34 ID:tXkH9NDd
>>70 むしろ息子の秀就を人質に取られてるんだけど
それに明らかに西軍勝利とか言ってるけど戦に明らかな勝利なんてないだろう
メッケルとかいう人が陣形を見て西軍勝利とか言ってるだけで他の人がそう言ってるのをあまり聞いたことがないし
西軍の数も明らかにおかしな数で表示されてるところもあるわけで
あと大敗北原因を作り上げのはこの作戦を作った三成にあると思うけどね
72 :
仙台藩百姓:2009/10/26(月) 12:35:21 ID:WoPdxCUH
どこかの代議士じゃあるまいし、総大将に責任がなくて何処に責任があるというのだお( ^ω^)
下に責任押し付けるのは典型的な駄目人間の言い訳だお( ^ω^)プ
73 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 12:46:03 ID:5O8pSlgs
たしかに政治家にも責任はある
しかし諸悪の根源は官僚
って感じか?
74 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 14:50:20 ID:wtoZ/Dt8
>>71 > 他の人がそう言ってるのをあまり聞いたことがないし
布陣だけ見れば圧倒的に西軍有利なのは、あえて言うまでもないよ。
メッケルの話が伝わってるのは、「戦略レベルの問題(裏切り、内応など)の
予備知識のない人が見たら、やっぱり戦術レベルでは有利」ということを
強調する意味がある。
日本人はたいてい裏切りのことは知ってるし、実際の結果も知ってるから、
その先入観をもって見てしまうでしょ。
外国人ならそういう先入観がない。しかもメッケルは戦術の専門家、という
ことで逸話になってるわけ。
戦術論の基礎でいえば、布陣は間違いなく西軍勝利の形。もちろん、
実際の勝負の行方は戦略面の影響のほうがはるかに大きいことは
言うまでもない。
75 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 15:02:08 ID:tXkH9NDd
>>72 別に総大将に責任がないと思わないが
関ヶ原の敗因は間違いなく作戦を作った三成にあると思うぞ
関ヶ原で戦うことを毛利一族に相談せずに宇喜多たちと勝手に決めておいて
下に責任押し付けるのは典型的な駄目人間といわれてもね
都合がいい時は総大将と持ち上げておいて肝心の時は蚊帳の外
兵だけ出させてあとは俺の言うこと聞けみたいな対応をされれば誰でも戦いたくはないんじゃないか
それに上に相談せず決めてるのに下に責任押し付けるとかおかしくはないか
76 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 16:00:47 ID:JG55OZsU
なに言ってんだ。西軍総大将にって言われて
ロクに部下に相談もせずに、喜んでやる気満々で急いで大坂城へ行った池沼輝元くんw
失敗したら他人のせいかね?指導力も統率力も欠如していた総大将を持つと大変だ。
しかも毛利家内の小早川と吉川が敗退原因だもんなw
宇喜多や石田は互角以上によく戦ったよ。
しかも家康に騙され大坂城まで喜んで明け渡すマヌケぶり。
家康の天下は毛利のおかげw
77 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 22:26:55 ID:tXkH9NDd
>>76 >失敗したら他人のせいかね?
他人のせいもなにも関ヶ原で戦うことを決めたのは三成たちが勝手に決めたことだろう
自分たちが独断で決めたことなのに誰々がしてくれなかったから負けたとか
そっちの方が失敗を他人のせいしていると思うが
>しかも毛利家内の小早川と吉川が敗退原因だもんなw
小早川はもう毛利家中の者じゃなくなってるし
それに小早川と吉川は三成と領地問題でいざこざを起こしているわけで
この二人は三成に対して嫌悪感を抱いているのに戦ってくれると思ってる三成が馬鹿なんじゃないか
>宇喜多や石田は互角以上によく戦ったよ。
自分たちで決めたことなんだからよく戦うのは当たり前
むしろよく戦わなかったら最低じゃないか
>家康の天下は毛利のおかげw
三成や宇喜多のおかげでもあるわな
78 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 22:59:53 ID:JG55OZsU
三国一の卑怯者毛利
79 :
人間七七四年:2009/10/26(月) 23:09:59 ID:zfbewRD0
なんとここでも毛利厨は輝元を名君扱いとな。
キメーんだよ毛利厨。
どこの勢力のファンでもどっかしらここはまずかった。こいつは無能だっての絶対1つ1人以上いるのに
全部勝ち戦にして全員名将にするからよ。
まるでチョン鮮人。
大内といいチョンが多そう中国地方。
80 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 00:48:33 ID:zLLrud4W
小早川と吉川は三成と領地問題でいざこざを起こしているわけで
この部分をちゃんと説明してみろよ。
81 :
人間七七四年:2009/10/28(水) 00:22:11 ID:7Y6WsWBR
説明義務があるのは79なのかな?
82 :
人間七七四年:2009/10/31(土) 22:09:44 ID:AI8oV5DA
83 :
仙台藩百姓:2009/11/01(日) 08:07:44 ID:bvpqFiLF
総大将なのに三成に独断専攻されてる時点で決定的に無能だお( ^ω^)
国力、家格共に圧倒的に毛利の方が上なのに、誰一人三成に抗しえる人間がいないなんて
輝元も無能なら家臣も無能揃いだお┐ (´ω`) ┌
84 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 09:09:46 ID:7JEyIacZ
仇敵の宇喜多がやる気満々なので、しらけたのではないだろうか。
85 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 12:22:47 ID:sUGu9OFa
そもそも家康にムカついてたから西軍総大将引き受けたんだろうし、ハナから講和とかは考えてなかっただろう
かといって三成の力が強くなりすぎても困る
よって、基本的には他の大名と同じように日和見
家康と三成を戦わせ、両者が消耗し膠着状態になったところで参戦し
家康三成ともどもせん滅する作戦だったのでは?
それが吉川や小早川らのせいでタイミングを逸してしまったことが敗因
まあ一族をまとめきれてないことがそもそもの敗因だけどねw
86 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 13:10:41 ID:FF+s9z9j
>>85 ともどもせん滅まではいなかいでしょ。
軍を二つに分け(大津城攻めを考えると三つ?)、自身は大阪城に居たのは、
長期戦の場合に備えて戦力を温存していたと考えるべきかと思う。
87 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 13:34:18 ID:QgEbsZFv
何やかんやで西軍が勝利していれば、毛利はかなりの権力者になれたはず。
三成だって毛利を総大将に自分で推挙したんだから、
合戦後の権力が覆えるとは思えない。
よって日和見なんてする必要は一切無い。
吉川・小早川が独断専行したんじゃね?・・と思う。
88 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 15:38:42 ID:SnX0Ne69
輝元の大坂守備隊出すだけで楽勝だったんだがこのボンクラは引き篭もってたからどうしょうもない。
劉禅に匹敵する無能。
輝元出陣で関ヶ原大勝すれば秀吉が織田乗っ取ったのと同じことできたのにこの馬鹿は引き篭もったんだよ?
こんな奴どこ評価しろっての。
89 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 16:03:15 ID:dNHd3GAQ
評価されてるのは関ヶ原前後の駆け引きじゃなくて,
大減封を食らってもどうにか毛利家が幕末まで
存続する基礎を築いた領国経営の手腕だから。
上田城を落とせなかった徳川秀忠は劉禅に匹敵する無能という主張に違和感があるのと同じだ。
90 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 18:12:16 ID:FF+s9z9j
大坂守備隊
?
関ヶ原決戦軍
毛利秀元 15,000
吉川広家 3,000
安国寺恵瓊 1,800
大津討伐軍
毛利元康15,000(立花宗茂,小早川秀包,筑紫広門等の兵含む)
豊後上陸軍
大友義統3,000
91 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 18:58:54 ID:FF+s9z9j
>>88 西軍は内応者や日和見主義者が居て、大阪城内もまとまりに欠けていたから、
秀頼を残しての輝元の出陣なんてたぶん無理では?
92 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 19:02:49 ID:7JEyIacZ
輝元が出てしまうと、待ってましたとばかりに片桐、増田が挙兵して
東軍に大坂を乗っ取られてしまう。
93 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 19:57:10 ID:SnX0Ne69
>>90 立ち読みモードだが真田に出した手紙で4万大坂にいるって書いてる。
ってか俺が言いたいのは4万もいらん。
5千でも3千でもいいから出陣して総大将やっときゃ広家の妨害工作も効果なく毛利軍が東軍背後襲って簡単に勝てるって言ってるの。
流れ優勢なら日和見の連中も手柄立てようと攻勢に移るよ。
ふぅ。
最近の2ちゃんってすんごい細かいことまで書かないと理解してくれないから疲れる。
94 :
人間七七四年:2009/11/01(日) 20:17:59 ID:FF+s9z9j
>>93 関ヶ原が短期決戦となるなんて、西軍、東軍多くの武将にとって予想外の事態なわけなんだけど。
長期戦になった場合、大阪が東軍に乗っ取られたら終りでしょ。
未来読みすぎでは?
95 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 00:53:44 ID:5NmA4Pwz
大阪城に輝元が残ってるのは強ち間違いじゃない。
西軍の力を豊臣首脳陣に見せるためにも、畿内が乱れた際の対応にも(脅し的にも)
総大将である輝元が大阪城にて指揮をとるのに何が問題あろうか?
逆に輝元意外に大阪城に据える人物が誰かいるのかと。
机の上の作戦上は問題なかったと思うんだけど。
結局秀吉の政策の内部勢力を煽って分裂させる
って政策の結果がこれだから秀吉が一番悪いだろ。
秀吉の思った通りの策がこれ幸いと発動したわけよ。
96 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 02:48:23 ID:wuGakYOJ
秀吉は関係ない
西軍が勝てる戦いだったが
毛利のヘタレのせいで負けた
すべて輝元が悪い。
しかも淀は西軍を離反して大津城に籠城した京極に妹経由で開城交渉までしてるのに
輝元が大坂城にいないと大坂城が東軍に奪われるとかアホなことを主張してまで毛利は悪くないと必死で歪曲。
97 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 03:11:03 ID:3hpmyOtm
糞だな、毛利は
98 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 03:24:28 ID:GXo+hb1N
あんたも似たようなもんだろ
逆の人間からしたら輝元が悪いと必死に歪曲してる。ともとれる
考え方の違いだけで他人に歪曲は言い過ぎだろ
99 :
家康:2009/11/02(月) 03:39:16 ID:5LU5LkCg
輝元が智将でなく池沼で助かった
100 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 08:40:58 ID:wuGakYOJ
だいたい北政所ねねからして
豊国神社での宇喜多秀家の戦勝祈願に
ねねの側近中の側近たる大谷吉継の母を派遣して祈願させてる。
しかもこの宇喜多の暴発的な戦勝祈願が、三成の早い挙兵を促すハメになり
家康が上杉と交戦する寸前でのUターンになっちまう。
さらに北政所だって淀の大津城開城交渉を手伝ってる。
大坂城が東軍に奪われる可能性なんてほぼない。
101 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 08:59:10 ID:wuGakYOJ
宇喜多の暴発的挙兵は
結果的に島津や長宗我部らの東軍化を阻止した意味で判断がわかれる。
ただ関ヶ原後に本当は東軍に付くはずだったみたいな大名が多すぎなんで単なる言い訳をしてる可能性がかなりある。
実際、去就に迷ってた大名がいたのは東軍だってかなりいたはずだしな。
関ヶ原決戦から外すために大津城攻めに交戦派の毛利元康や立花宗茂や小早川秀包や筑紫広門
(島津が高橋紹雲の岩屋城を攻める前に、こいつを攻めて島津に味方した国人達が大被害を受けた為に岩屋攻めをみんな拒否る。
そのため岩屋城は島津単独攻城になり大苦戦。そのため立花城を力攻めできないまで島津戦力大幅ダウン)を左遷したのも吉川だって言うしな。
もう毛利はクソすぎ。
102 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 22:23:14 ID:9HSkYB2O
最近、毛利輝元と北条氏政名将にするの流行ってるの?
地元民がヨイショしてんのか誰かの本の影響受けたのか知らんが両方とも無能だから。
103 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 22:36:56 ID:22tt7ys9
>>96 そこまでまずい戦略かな。
輝元の大坂守備は、当然、石田、宇喜多、輝元、秀元の合意の上でしょ。
なら西軍全員へたれかと。
あと毛利元康や立花宗茂や小早川秀包や筑紫広門は遅れて西軍に合流したから
逢坂の関に居て大津城の近くに居ただけでは?
104 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 22:47:46 ID:xWaP4PxI
>>103 大津攻撃部隊は元々瀬田橋守備担当。
京極の裏切りで急遽毛利元康が派遣され、到着後大津城を攻撃開始。
105 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 22:49:56 ID:xWaP4PxI
>>104 追加
だから西軍としては伊勢、美濃方面で後退しなければならなくなった場合、
瀬田で防御線を再構築する予定だったと思われる。
106 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 22:59:21 ID:5NmA4Pwz
っか輝元意外で大阪城に入って鎮座出来る人物が
宇喜多(主力隊だけに無理)
小早川(結構有り。だが結果論的に無理。)
石田(有りだが輝元に戦線の維持が出来るのか?)
くらいしかおらん。
だったら飾りの輝元が大阪城に座らせるのが一番まし。
しかも大軍という名の武器があるし
107 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 23:06:37 ID:xWaP4PxI
輝元が敗戦を受け入れたのは、関ヶ原戦の結果というよりも、
立花たちが瀬田を失って敗退してきたのが決定打になったのではないだろうか。
108 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 23:32:11 ID:22tt7ys9
109 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 23:35:04 ID:22tt7ys9
続き
二人とも秀吉や家康に遅れをとった敗者だけど、無能ではないよね。
110 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 23:49:34 ID:22tt7ys9
>>104 >大津攻撃部隊は元々瀬田橋守備担当。
初めて聞きました。この辺の事情って真相がわかりづらいよね。
ソースあれば教えて欲しいなぁ。
111 :
人間七七四年:2009/11/02(月) 23:49:59 ID:larad+6E
毛利輝元
戦国一かっこいい名前である
112 :
人間七七四年:2009/11/03(火) 01:03:32 ID:K17aul1b
今だから言えるけど関ヶ原が重要な戦って認識が無かった凡人だったと思う
113 :
人間七七四年:2009/11/03(火) 03:02:21 ID:c02klTH1
確かに輝元はまごうことなき凡将だが、あれでケリが付くとは普通思わんだろ。
114 :
人間七七四年:2009/11/03(火) 06:29:17 ID:UOlCbspN
>>102 どうだろう。
きみが戦国時代に行って何ができるか、に比べたら、まあそれよりは
いくらかましじゃないかとは思うけどw
115 :
人間七七四年:2009/11/03(火) 09:11:09 ID:P4CRvnD+
>>113 あれでケリがつくとは、立花も上杉も思わなかったが、家康に赤子の手を捻るより簡単に騙された輝元が、毛利軍完全無傷なのに大坂城を明け渡して、軽くケリがついたw
116 :
人間七七四年:2009/11/03(火) 23:23:38 ID:dTp0QeeK
つーか広家のせいで毛利なんかに信望あつまらんだろ。
大坂城篭城とか自殺行為。
117 :
人間七七四年:2009/11/03(火) 23:26:20 ID:dTp0QeeK
>>112 秀元は慶長の役の頃から輝元の代理務めてる勇将。
118 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 16:48:14 ID:/0DR2ctx
輝元様は総大将なのに国持ち大名として存続させた天才だよ!
119 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 22:37:58 ID:gzJtBXbZ
そら参加してなかったら、お咎めも減るわな。
120 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 23:11:47 ID:+rUu6BJe
広島人らしく、戦いもせず降伏した輝元様は中国者の誇りである。
この時の輝元のヘタレな行動は後の広島県民に強く受け継がれたという…
毛利が山口に遷った後も…
家康と紙一重だったんじゃないの。いろんな意味で。
122 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 09:02:13 ID:5JnQ4S7D
なんで〜?
123 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 09:30:29 ID:ucRm6jPp
いや吉川が自分が与えられるはずの恩賞の領地を輝元に譲らせてくださいって
家康や井伊や本多を前に地に頭を打ちつけて泣いて土下座を9回繰り返したため
輝元の罪が一等減ったから国持大名として首の皮一枚つながっただけ。
124 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 13:37:53 ID:Dx4KNSP7
125 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 13:43:10 ID:Dx4KNSP7
家康は水野や石川、酒井など外戚・重臣叩きまくって、決して伸張させてないのが凄い。
126 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 20:00:13 ID:I8F0oID5
>>112 その重要な戦に負けたからあっさり降伏に応じたんじゃないか
それに認識してなかったら大坂城に篭城してたと思う
そして内通者をたくさん出して毛利家は滅ぼされたと思うけどね
>>115 東軍も圧勝してほぼ無傷の状態で、こちらの兵は4万近く減り、秀忠の部隊もそのうちやって来るし
豊臣家も協力的ではない状態で、毛利軍完全無傷だとしても勝てるとでも思ってるのかね
なんか西軍の状態とか気にしているわりに、東軍の状態をまったく理解してないのがだめなんじゃないか
127 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 20:22:43 ID:pHI5IkG1
広家が悪い
土下座するくらいなら西軍勝たせて毛利の天下実現しろ
池沼秀秋
阿呆広家
無能輝元
薄徳三成
暴発秀家
独尊義弘
これじゃ勝てない
128 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 21:00:07 ID:ucRm6jPp
>>126 足利尊氏なんて負けて九州逃亡してから復活したし
頼朝だって挙兵するやいきなり大敗スタートだし
大坂城に籠城すればまだまだわからなかったな。
一時的に敗北しても、そっから形勢逆転させたなんて古今東西たくさんいるわけだが。
逆に圧倒的な立場から高転びに転げ落ちて滅亡なんて信長や項羽みたいな例だってあるしな。
129 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 21:12:30 ID:zV/ENbSZ
毛利厨ってなんで↑こういう馬鹿しかいないの?気持ち悪い。
毛利は全て勝ち戦、全員有能。
馬鹿じゃないの。
>大坂城に籠城すればまだまだわからなかったな。
もうこれなんてほんと頭がお花畑。
話が通じるわけ無いよ。
130 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 21:18:21 ID:l4mm3+ez
頼朝や尊氏の場合は現政権に対する不満が蓄積した状態だから負けても支援する勢力もあった
ところが関ヶ原の場合は不満の蓄積した現政権が豊臣家なわけで
世の中を変えてくれる希望を託せない西軍に頼朝や尊氏のような再起は難しい
だいたい関ヶ原は一時的な敗北どころか首謀者一味が壊滅・身内に裏切り者が多数・豊臣家もやる気なしだ
形勢逆転なんて都合のいい妄想でしかないんだよ
131 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 22:19:45 ID:Dx4KNSP7
>>127 池沼秀秋
・情勢を的確に読んだ戦略家。
阿呆広家
・毛利の恥部
無能輝元
・現スレで有能だったと検証済み
薄徳三成
・徳はあったが人望が無かった
暴発秀家
・戦場で大活躍
独尊義弘
・兄弟不和で期待外れ
132 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 00:15:09 ID:11hibjHz
133 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 06:29:52 ID:0vpgIfhU
>>126 認識してないから関ヶ原に出てこなかったんだよ
家康はどーか知らんがあの時点で他の諸大名が豊臣に弓引いて大阪城を攻める事はまず無い
あくまで豊臣の家臣同士の戦いだったからな
のほほんと大阪城にいて結局何もせずにあっさり降伏するあたりボンクラ大将としか言いようがない
重要な戦って認識があったなら大将が出ていかないでどーするよ
134 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 09:56:47 ID:YQaOk6bN
いや、北政所の側近の大谷の母が宇喜多秀家が豊国神社での勝利祈願とか
淀が大津城を開城させようとしたのは北政所も協力したりしてるわけだ。
明らかに大坂城に入城した輝元が隔世遺伝のヘタレで、「三成につくべきかのぅ、いや家康公に謝った方がいいかのぅ、迷うのぅ」なんて言うからガッカリして、大坂城の皆さんが、だんだん輝元を見限り見捨てたってのが真相じゃないかな?
135 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 10:19:08 ID:wBCJU5yH
>>133 そもそも三成たちは輝元が来てくれなくても仕方がないと言ってなかったけ
それほど畿内の状況が危なかったんじゃないか
他の諸大名が大阪城を攻める事は無いかもしれないが毛利が強情に篭城するとなればわからん
家康なら強引にそれを口実に攻めるかもしれないし、そんな毛利を他の大名が擁護してくれるとも思えん
あと輝元は四国や九州にも兵を派遣しているし書状にも自分の名前を書いたりと積極的に西軍に協力している
だからこそ広家の言い訳が通じず改易をくらってるんだけどね
それに関ヶ原で戦う事は9/14に三成たちが独断で決めているんだよな
わずか一日で大坂城から関ヶ原に4万近い兵が来れるもんなのかね
136 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 10:33:17 ID:YQaOk6bN
>>130 それは家康が勝って、さらに長生きして幕府を開き、しかも秀忠に将軍職を譲って、秀忠が改易しまくり安定化したのを知ってるがゆえの結果論。
家康が輝元の立場にいたとしても、家康は西軍を率いつつ、輝元の東軍をお手紙攻撃で調略しまくりひっくり返したと思うぜ。
137 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 15:18:49 ID:g7uaErkG
いや大坂城に入った頃はやる気満々だったのよ
本国で水軍動員して阿波とか伊予とか攻めさせてるし
138 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 15:45:18 ID:ilgohR4A
大坂城なんか1万もいりゃ十分でしょ。
何3万も遊ばせてんのこのボンクラ。
139 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 15:33:58 ID:vkHEiz+S
>>135 9/14に三成たちが独断で決めた?
それにしてはわずか1日で東軍、西軍合わせてあれだけの数を関ヶ原によく集められたなw
つーか東軍、西軍の動きも把握出来てない時点でやっぱりボンクラ大将。
140 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 18:40:42 ID:l3HuMPRv
こりゃあもうあの世の三成殿に「何でそうしたの?」と聞くしかあるまいよ
宇喜多中納言は最前線の総司令官格として期待。
大津城攻撃組は運がなかった。
三成はいったいどういう戦略図を描いていたのか。
輝元膝下に優秀な謀将を派遣しておかなかったのが致命的だったのか・・・
141 :
仙台藩百姓:2009/11/09(月) 21:03:17 ID:4FXSEfVw
むしろ輝元が何考えていたのかを聞きたいお( ^ω^)
三成が独断専攻していたとは俄かに信じ難いけど、仮にそうだったとして
名実共に石田など遥かに凌駕する毛利がなぜ三成の言うがままに指くわえて見ていたのか不可解だお( ^ω^)
142 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 21:22:02 ID:pczyLkq6
素朴な疑問。
三成が大坂城留守番して輝元が関ヶ原に出陣するわけにはいかなかったの?
まぁ毛利には有能な武将がいないからボンクラ輝元に有効な進言もできず結局負けてはいたとは思うけど
南宮山部隊が山下りて東軍背後襲ってたら一発で勝負決まる。んだろうけど
あの布陣は三成のアイデアでボンクラ輝元じゃどういう布陣敷いたかも未知数だからやっぱボロ負けか。
家督ついで全然前線に出ないしそんなボンクラが若い頃から今川武田秀吉と戦い続けた家康に勝てるわけないか。
143 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 23:45:05 ID:zXZC89ZZ
素朴な疑問、て。
東西に分かれてからの各地での合戦も書状やら何やらでの工作も
全てが最初から9月吉日に関ヶ原で戦う約束を仲良く準備して回ってた、
ってことならそれでもいいんじゃない?
144 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 00:42:22 ID:IoG+2yI8
輝元意外に大阪城に鎮座できる地位と兵力をもった奴を考えて意見しろよ。
前田 宇喜多 小早川 徳川 毛利 上杉 結城 加藤 木下 福島 信雄 有楽斉
前田は安定策して出てこない。
宇喜多は主戦力っで置けない。
小早川は裏切。
徳川は論外。
輝元はボンクラ。
上杉は来れない。
結城も来れない。
加藤も来れない。
木下は無力。
福島は脳筋。
信雄はボンクラ。
有楽斉は東軍。
145 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 01:15:19 ID:00eoguM6
最初から大阪城に鎮座する必要無いじゃん
家康はどうか知らないがあの時点で東軍、西軍どっちも一応は豊臣政権の為って名目で戦ってんだし
秀頼を守る為の戦いでも無いんだしさ
どーしてもってんなら秀頼の代理って事で豊臣の旗や馬印だけ借りてくりゃ良かったんだよ
する必要も無い事をしてノホホ〜ンとしてたボンクラ大将
146 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 01:44:39 ID:ych6J3+w
>>141 三成が自分主導でやるために情報を与えてなかったからじゃない
>>142 >まぁ毛利には有能な武将がいないから
秀元・広家・秀包とそれなりに優秀な武将はいるわけなんだが
つーか有能な武将がいなかったら毛利はあんなに大きくなれたはずがない
>南宮山部隊が山下りて東軍背後襲ってたら一発で勝負決まる。んだろうけど
南宮山部隊には押さえの兵がいるんだけど、それに家康本隊は小早川が西軍と戦う前は戦いに加わっていない
どこをどうみたら一発で勝負決まるんだ
>>家督ついで全然前線に出ないしそんなボンクラが若い頃から今川武田秀吉と戦い続けた家康に勝てるわけないか。
13歳で初陣して以来ずっと戦い続けているんだけど
尼子攻めや大友攻めも自ら行っているし何でそんな事をいっているのか理解に苦しむ
147 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 04:18:37 ID:Wk2Rf5Zq
>秀元・広家・秀包とそれなりに優秀な武将はいるわけなんだが
>つーか有能な武将がいなかったら毛利はあんなに大きくなれたはずがない
のぶやぼでみんあ能力値60台以下の武将ばっかじゃねーかw
というボケはともかく,この人達って毛利を大国に押し上げた世代の2代目3代目じゃないか?
148 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 04:37:40 ID:husqC0Sk
大友攻めって言ったって輝元は元就と一緒にいて、九州に渡ってないじゃん。
そもそも家康の背後の山上にいる時点で、望んでも大金を払ってもなかなか得られない必勝王手の位置だ。
あの絶好の挟撃ポイントからさえも、一撃勝利にもっていけないほど弱兵なのか毛利ってw
だいたい毛利が家康に襲いかかったのを見たら、間違いなく様子見してた小早川隊も決断し西軍として攻撃かけてるわ。
西軍総大将の毛利輝元の威光は天下に響き渡り、輝元は名将として歴史に名を残してたのに、
煮え切らないバカな行為のおかげで、池沼ヘタレ大名認定w
149 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 06:17:43 ID:HNQg6nWo
頼むからケチつける前に基本的な知識くらい身につけてくれw
150 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 18:54:00 ID:DgcVnbpV
>南宮山部隊には押さえの兵がいるんだけど
数で圧倒的に劣ってるから意味無いよ。
毛利軍が山降りてきても耐えられるなんてまず無い。
>秀元・広家・秀包とそれなりに優秀な武将はいるわけなんだが
ごめん。そいつら凄い武将だと思わない。
毛利ファン以外の人もおそらくそう。
せめて井伊直政クラスの人出してもらわないと。
戦だけでなく外交までこなせた人皆無じゃん。
広家なんて家康にまんまと手玉に取られただけ。
ってか何で山下りるだけで簡単に勝てた状態にありながらも家康に味方したの?
あの状況にたてば家康軍に襲い掛かる方に行くっしょ。
秀元も有能ならなんで絶好のポジションにいながら攻めかからなかったの?
井伊直政や本多忠勝だったら問答無用で攻めてたよ。
ってか毛利の武将は自分の判断で動けないからだめ。
井伊直政や本多忠勝みたいに独自の判断で動いて武功あげるタイプがいない。
ゲームの話なんてしたくないけど
>>147の言うとおりだと思う。
>>148 >だいたい毛利が家康に襲いかかったのを見たら、間違いなく様子見してた小早川隊も決断し西軍として攻撃かけてるわ。
だよね。
普通はそう思うのに毛利厨って痛い奴しかいないんだよね。
「南宮山部隊には押さえの兵がいるんだけど」だってw
挟撃されるだけでも戦は不利なのにその上兵数でも負けてるのに毛利厨って馬鹿すぎ。
151 :
人間七七四年:2009/11/11(水) 15:11:01 ID:Z3ihxgd2
152 :
人間七七四年:2009/11/11(水) 21:18:02 ID:KErJegpv
仮に雨が降ってたとしても似たような言い訳したんだろな
毛利以外は雨天決行
毛利だけ雨天順延でノホホンとお弁当タイム
153 :
人間七七四年:2009/11/11(水) 23:17:35 ID:pa8Kt3XX
>>148 >だいたい毛利が家康に襲いかかったのを見たら、間違いなく様子見してた小早川隊も決断し西軍として攻撃かけてるわ。
囚人のジレンマみたいなものかな?
自分が南宮山を降りようと思った時に小早川が西軍を攻撃するかもしれない
小早川が確実に東軍を攻撃することを確認してから降りても遅くはない
逆に小早川も毛利の南宮山の部隊が本当に東軍を攻撃しないことを確認してから西軍を攻撃した方が無難だ
互いの行動を確かめたい心理が働いて双方が待ち状態に陥ったのかも
154 :
人間七七四年:2009/11/12(木) 05:47:40 ID:w2zv1pM+
>囚人のジレンマ
自分が積極的に動いて勝機をつかもうという意識がないのも凡将たる証
内通うんぬんは置いといて積極的に戦わなかった西軍の部隊全てに言える
まぁ半分は統率力のない三成のせいだが
155 :
人間七七四年:2009/11/12(木) 08:22:32 ID:O+3dj5nH
いくら言い訳屁理屈を言っても西軍総大将の無能輝元が最大の戦犯であり、主筋として家臣筋の吉川小早川すら統率できずに崩壊した責任は逃れ難い。
家康が輝元の立場だったら余裕で勝っていただろう。
156 :
人間七七四年:2009/11/12(木) 15:51:42 ID:phaF6GRk
>>154 それを言うなら関ヶ原にすら出て来なかった輝元がキングオブ凡将
157 :
人間七七四年:2009/11/12(木) 22:17:07 ID:2fSjSSHp
三成は凄いだろ・・。
158 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 01:49:01 ID:cpufS/tW
>>136 でも実際豊臣政権は朝鮮出兵や城を立て続けに立てて、経済的に無理したから
求心力は無かったんじゃないのか?
大名達の不満も朝鮮出兵が原因の部分もあるし
159 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 02:15:48 ID:ok6k1C+r
輝元は凡将だよ
内政手腕とかはまた別の話
三成は統率力低いよ
内政手腕とかはまた別の話
二人とも治政の能臣、乱世の凡人
160 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 08:31:49 ID:22ET4w6D
>>158 朝鮮出兵で不満と言うのはどうだろう。
戦後になってから流布したネタじゃないのかねぇ。
論功行賞で三成らと武断派が対立した話を左翼反戦団体系作家が拡大解釈してるのでは?
そもそも江戸幕府も対外戦争の検討はしてるわけだし。
当時は日本人の東南アジアまでの進出と奴隷売買までやってた南蛮の動きや明清の興亡など日本も激動の東アジア情勢に関わってたわけだし、
秀吉の行動にも当時の西日本大名を中心な支持があったのでは?
161 :
仙台藩百姓:2009/11/13(金) 09:25:09 ID:bqVL82vM
徳川幕府だって豊臣以上に天下普請で城たてまくったし他藩からすれば無益な大坂出兵もしたお( ^ω^)
162 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 11:06:53 ID:hPwMz4UY
>>160 勝っていれば不満もなかったかもしれないが、全軍撤収という惨敗に終わったからな
当然現地で戦っていた武将の中に不満が出てきてもおかしくないでしょ
三成が七将により襲われたのは事実だし、政権内部はガタガタで求心力、統治能力ともに
低下していたのは否定できない
163 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 11:24:58 ID:22ET4w6D
そもそも戦争拡大反対は宗や小西らで
清正らは戦争拡大させる気まんまんだったから、まるっきり逆なんじゃないだろうか。
戦前の朝鮮出兵肯定の反動で、左翼と在日が結託して秀吉の無謀だと広めてるだけでしょ。
164 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 11:32:24 ID:hPwMz4UY
惨敗なのは事実だから、その結果政権内部に不満が燻った
朝鮮の地が領土として組み込まれていたらまた違う結果になったかもしれんが
あとそこで左翼、在日とかはちがうと思うぞ
165 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 11:40:27 ID:22ET4w6D
別に惨敗ではないわ。明軍を撃破してるし。
そもそも失敗失敗と必死に喚き散らしてるが、秀吉が死去しなければ南朝鮮だけは版図に組み入れられた可能性はある。
166 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 11:50:57 ID:hPwMz4UY
いや、当初の目的である明征服どころか、朝鮮の地も一片たりともとれないから失敗と評価するしかないだろ
167 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 12:09:40 ID:22ET4w6D
秀吉が死去して当初計画の白紙撤回になったんだから計画変更であって別に失敗ではない。
東南アジアでは日本人町が多くあり、家康の政策がなければ、今の華僑みたいな日本人商人が現地経済支配をしていた可能性すらある。
だいたい朝鮮出兵などの武威行為は日本人奴隷売買してた南蛮人どもが本国への報告で日本は強いから征服とかムリすぎ。
とかになってるわけだから、東アジアを震撼させてるわけだ。
だからこそ日本の武威を頼って明の遺臣が頼ってきたし、
その実績が徳川泰平250年の間に侵略に合わない抑止力になってたろうね。
168 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 12:15:48 ID:MyjGK5He
で?
輝元は何やってたの?
169 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 12:42:14 ID:hPwMz4UY
>>167 副次的な要素を強調しても失敗じゃなかったとすることはできないよ
目的を果たせず、兵役で西国大名が疲弊し、豊臣政権内の分裂を招いて
関が原に繋がっていったことは明白な事実だ
170 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 12:51:02 ID:PKYSBKd7
171 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 14:07:38 ID:MyjGK5He
やっぱりボンクラじゃんw
172 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 17:31:31 ID:ok6k1C+r
朝鮮出兵が失敗か否かはスレチだな
173 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 10:00:05 ID:ZeiC3iCO
>>167 白紙撤回とか計画変更なんて単なる言い訳だろ
秀頼が成人したら新たな計画を立てて朝鮮出兵を再開するなんてことはありえない
名護屋城も現地の倭城も捨て去っていることから朝鮮出兵を完全に諦めているのは隠しようがない
それから家康の政策って何?家康は日本人の東南アジア進出についてはむしろ奨励している方だが?
スレタイに戻ると、輝元は文禄の役で渡海していて渡海大名の中では最高石高の大名であるわけだが
にもかかわらず輝元は完全に空気と化して何の活躍もしていない
そう考えると輝元がボンクラで関ヶ原の失敗はミスではなく能力の限界と考える方が正しいだろうね
174 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 11:21:47 ID:hbB5EWS8
秀吉アンチの基地害チョン毛利厨が必死に屁理屈をタレるスレ
そうか秀吉を貶して朝鮮出兵を謝罪するニダ主張してるのは、
致命的無能輝元の関ヶ原超敗北の責任を、
秀吉に押し付ける工作をしてきた毛利厨の工作だったのか。
西軍総大将輝元はなんら落ち度はないよ〜ぜんぶ秀吉が悪い三成が悪い淀が悪いんだよ(笑)
だから吉川小早川の両川も裏切ったし大坂城も明け渡したんだよ(笑)
そんで家康から「輝おまえの責任は明らかだから責任とらせて改易だから覚悟しとけよw」とたばかられて大パニックになるわけだ。
175 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 11:27:31 ID:hbB5EWS8
戦略戦術の軍事的見地でみて
明らかに毛利や小早川の布陣位置は家康を制する位置にあったし、三成が狼煙をあげた段階で家康に攻めるべく下山突撃してれば西軍が勝っていたのは明白なのに
朝鮮出兵まで引き合いに出してバカだろ?次は秀次事件や小早川養子受け入れや九州征伐や中国おお返しを持ち出して話の主筋をうやむやにする気か?
176 :
仙台藩百姓:2009/11/14(土) 12:45:19 ID:mnWmFXXS
配下が主家を売り買いしてるのを知らずにいたのなら暗愚だし
知ってて放置していたのならもっとアホだお( ^ω^)
いずれにせよ輝元が無能なのは疑いようがないお( ^ω^)
177 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 14:51:08 ID:7slCeF69
>>配下が主家を売り買いして
多分吉川にはそんなつもりだけはなかったと思うぞ
というか関ヶ原で闘おうとしなかったのは吉川の判断で輝元は関係ない
(だから駄目という話もでてきそうだが)
せめて
>>133 あたりぐらいまでの輝元の大阪にとりあえず籠るという判断と
関ヶ原の後大阪城をあっさり引き上げた判断の是非について語ろうぜ
ところで石田三成だけど,単に輝元の身代わりになった(させられた)だけなんじゃ
ないかという気がしないでもない。根拠ないけど。
178 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 16:36:33 ID:MvGKzgBi
西軍に組する決意も、東軍に組する決意も無かったと思う
どっちつかずでいて、敗軍派を差し出して保身を図るつもりだったろう
179 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 16:48:00 ID:31uJyPpM
それなのに総大将引き受けちゃったの?
関ヶ原に軍を送っちゃったの?
まさに総大将の意味も理解出来なかったバカ殿様
180 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 17:00:56 ID:hbB5EWS8
>>177 たしか家康も三成を捕らえた時に首謀者は他にいるとか言ってたような。
三成を身代わりにして、とりあえず治めたに過ぎないのは事実。
まあ首謀者は明らかに輝元を指してると思うけどね。家康が責任とらせて改易しようとしたし。
そもそも西軍総大将に喜んで吉川らに相談せず急いで大坂城に入城したりと家中合意をしない暴走ぶりのバカだしな。
181 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 19:00:36 ID:QGRbUtEy
三成が糞すぎてなんも言えねー
182 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 21:08:27 ID:Z4skuHyD
三成の布陣はたいしたものだよ。
ボンクラ輝元にはとてもできない布陣。
ただ人望が無かったのと家康にいいようにたぶらかされた広家がいたのが駄目だっただけで。
すべては足引っ張った毛利がいけない。大活躍は求めてないからせめて普通に東軍に向けて戦ってくれ。
183 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 21:27:56 ID:K3Qr3Cfa
>>50 あれは海音寺・司馬の師弟コンビが悪いw>如水九州平定の妄想
184 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 21:51:46 ID:58kgpTY2
>>182 四国、伊予松前に領土を持つ東軍に属する加藤嘉明の居城、松前城を攻めさせたり、かつて豊後を治めた大友義統に御家再興を条件に豊後に上陸させ、同じく東軍に属する細川忠興の飛び地である杵築城を包囲させたりしたじゃないか。
負けたがな。
185 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 22:04:07 ID:JJXTuW/8
関が原の戦いって日本全国を巻き込んだけど、蓋を開けてみると実にあっさりとした決着がついたな
186 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 05:03:42 ID:MZc+U3gv
時のまにまに 毛利輝元
http://www005.upp.so-net.ne.jp/micin/history/history1.htm >輝元は、一度も自らの采配で戦ったことがない。飾り物としての総大将になったことは何度もあるが、
>実際の戦闘指揮は元春や隆景がとっていた。隆景の死後、五大老に加えられた上杉景勝は輝元とほぼ同世代だが、
>軍神・上杉謙信の後継をめぐって、御館の乱という熾烈な同族争いを戦い抜いた「いくさ人」である。
>そういう男と席を並べながら、輝元は忸怩たるものがあったのではないかと思う。戦闘指揮では、とても叔父たちにかなわないとは思っていただろう。
>だが、叔父たちが世を去った今、自分の将器がどれほどのものなのか、試してみたいという想いが、彼の胸に沸々とたぎっていたに違いない。いや、
>そうでなければ戦国武将とは言えないはずである。
187 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 07:58:34 ID:9+aPAjLI
188 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 10:19:48 ID:JEcyz6bV
佐和山ごとき小身でありながら大大名家康を相手に三成はよくやった。
関東が実質的に首都になるキッカケ。東照大権現様のおかげで東日本の繁栄がある。
もし輝元が勇武ある男なら広島が首都になっていたかも知れない。西照大権現輝元様になって神号貰ってたかも知れないのにアホだな。
瀬戸内海を中心に西日本が海外貿易で栄えてたかもしれんかったのに。
189 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 16:52:19 ID:D749d38C
三成の人望うんぬん言う以前に総大将なのに輝元に人望&統率力が無さ過ぎだろ
仮に輝元が三成と同じ立場だったとしたなら関ヶ原に三成と同じくらい兵を集められたかどうかも怪しい
関ヶ原の戦いすら無かった可能性もある
輝元は三成以下
190 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 17:55:56 ID:9Wh8XdKw
191 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 20:13:19 ID:DOPne34N
前田利家さえ生きてれば輝元なんか担がなくてもよかったのにね。
利家ももうちょっと長生きして家康と渡り合っておけば、後世の2chで「武功って何かある?」とか
「賤ヶ岳じゃ小早川秀秋よりヒデェ寝返りだよなw」とか言われずに済んだかも知れんのにな・・・
192 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 20:36:17 ID:pBvsBzaN
前田利家は恩のある柴田勝家を見捨てて日和ったような男じゃん
193 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 21:31:17 ID:sQge5aFp
三成は大した物。
結果的に2、3万石の小大名が、あれだけの大群動かしたんだからな。
上杉だって石田がやらなければ日和見して終わってたし。
利家は佐久間が意味不明の突進してなければ、帰宅しなかった気がする。
あれで勝てないと直感したんでしょ。
佐久間を甘やかした、柴田の責任。
ところで、皆は同じAV間違って借りて、店員さんに確認された事ある??
194 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 21:57:01 ID:pBvsBzaN
> 利家は佐久間が意味不明の突進してなければ、帰宅しなかった気がする。
> あれで勝てないと直感したんでしょ。
> 佐久間を甘やかした、柴田の責任。
これは結果的に江戸諸侯として残った前田が、残れなかった佐久間がいない
のをいいことに自分に都合のいい解釈を流布した結果でしょ。
実際、佐久間の奇襲以外に柴田の勝利はあり得ない状況だった。あの奇襲の
判断は間違っていないどころか唯一の正解。あれを「意味不明」とかいうほうがおかしい。
秀吉が戻ってきた後も、ちゃんと戦って優勢を保っている。
柴田側が劣勢に転じたのは前田の撤退によって佐久間ほかが敵中に孤立したから。
195 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 22:23:42 ID:DOPne34N
>>193 >ところで、皆は同じAV間違って借りて、店員さんに確認された事ある??
普通無いだろw
ビデオ屋じゃないが客商売のバイトしてた経験から、キミは店員の間で有名人なのかもな。
いつもスカトロ物を借りるから「スカトロ君」とか、そういうあだ名で呼ばれてる可能性がある。
196 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 23:34:01 ID:Zm/XZ5pw
>>195 そうか・・
まぁ俺もバイトの経験あるから、定期的に来るお客は勝手に覚えるよね。
今回は奥様シリーズだったよ。
だが天地神明に誓って、適当に借りただけなんだ・・
スカトロとかレイプとか、レベルの高い物は全く興味が無い。。
197 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 01:31:10 ID:/0SKQdSi
>スカトロ君
レンタル屋経験者として言うなら借りたことある商品を客が借りようとしたら以前レンタルされてます!みたいな表示がレジ画面ででるよ
前田利家は本当に家康とやりあう気だったのかな?
存命だったら西軍につくのか?
198 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 08:43:45 ID:P+kJT9Wy
>>196 SM物と普通の洋画を嫁に借りさせたら、店員に「これもですか?」って言われてた。
帰りの車の中で本気で怒ってた。
199 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 15:36:19 ID:Yr2SYmrS
なんだかなぁ〜
200 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 22:07:00 ID:NLcwXEK+
>>184 ろくに毛利輝元の行動調べないで語るAV馬鹿共に、
知識を分け与える必要無いよ。
というかこの板、会話能力が異様に低い気がする。
メジャーな武将のスレはほんと全滅。
201 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 23:35:32 ID:1EY8uKfz
>四国、伊予松前に領土を持つ東軍に属する加藤嘉明の居城、松前城を攻めさせたり、かつて豊後を治めた大友義統に御家再興を条件に豊後に上陸させ
こんなもん誰だって知ってるだろwww
その時でもやってたし歴史群像にも載ってるわ。
こんぐらいで何勝ち誇ってんの?
202 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 23:45:43 ID:HrsRoRr/
>>189 輝元に人望や統率力が無いなら大谷が推挙するか
輝元が総大将になったからあれだけの兵力が集まったんだろう
つーか西軍の半分近い兵力は毛利軍じゃないか
三成と同じくらい兵を集められたかどうかも怪しいとか馬鹿かと
それに関ヶ原の敗因は関ヶ原に至るまでの三成たちの行動が一番の原因じゃないか
人の意見は聞かない、作戦は自分らで勝手に決めるとかしておいてね
そんな事をされればだれでもこいつのために行動しようとは思わないんじゃないか
203 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:19:21 ID:72a5oz3w
>>201 しかも両方失敗してるのにな。
主力軍が関ヶ原に行ってるのに撃退される雑魚毛利^^
やっぱショボい武将しかいないんだよな。
5000もいながら500の黒田に負けたりショボすぎる。
小手先の策はいいからお前が動け。
お前が3万率いて出陣してリャ楽勝だったんだよボンクラ。
204 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:40:46 ID:72a5oz3w
関ヶ原のどさくさにまぎれて伊予分捕ろうとした毛利。
三津刈屋口の戦いって知ってるかい?
恐らく日本人の95%が知らないと思うけど
毛利軍&河野残党軍 VS 主力いない加藤軍
結果は村上元吉、曽根高房が戦死するなど毛利のボロ負けw
弱すぎる^^
205 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:48:03 ID:72a5oz3w
広家の約束が反故にされたのって実は輝元の小手先の策のせいだったっぽくね?
伊達政宗の和賀蜂起みたいにさ。
あれよりもまったく弁解の余地無いよな。
東軍の黒田加藤領、扇動したり攻めてんだから。
206 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 01:17:35 ID:SbDwXwDa
>>201 だから負けたがな、と書いてるだろ、まともに文も読めんのか。
207 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 08:44:26 ID:C7oliXZF
>>202 三成が人の意見を聞かない
作戦を勝手に決める
以前も上記のことを書きながら逃走したアホだな。
ここらへんソース付きで早く説明しろよ。
208 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 10:03:20 ID:nLAH7zyU
>>202 西軍の半分近い兵力が毛利軍だったから勝てなかったんだろ?
209 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 14:19:34 ID:1Cl9Ou20
大谷も輝元&毛利軍があそこまで使えないボンクラとは思ってもいなかったんだろな
210 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 20:03:02 ID:KDQF17HX
やっぱ関ヶ原は長期戦になると判断
どっちが勝つか分からない状況もしくは西軍やや劣勢の段階で出兵し
西軍を勝利に導く→戦功一番を狙ったんじゃなかろうか
吉川や小早川はちゃんと空気読んでそういう状況を作ってくれるものと送り出した
そしたら西軍優勢の状況に危機を感じた小早川が東軍に加勢
それで勝負が決まってしまったというオチ
211 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 22:10:29 ID:EnCnuJbH
212 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 23:20:21 ID:6prrcUzj
>>193 三成は十九万石だろ
兄や父の所領や代官してた土地もあわせると、二十五万石程度はあるだろう。
213 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 23:48:59 ID:DQ/t/vI9
父や兄弟って19万石とは別に貰ってたの?
214 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 23:53:17 ID:89LJgQ93
雀の涙
215 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 03:49:46 ID:jh+5hFrr
関ヶ原になぜ参陣しなかったって?
だって西軍負け輝元
216 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 05:23:33 ID:fqM7nN/4
>>210 >吉川や小早川はちゃんと空気読んでそういう状況を作ってくれるものと送り出した
>そしたら西軍優勢の状況に危機を感じた小早川が東軍に加勢
前々から気になってたんだが、関ヶ原当時の小早川って両川の一角として機能してたのか?
実質的にはもう毛利の「分家」とはみなされてなかったんじゃないの?
豊臣の縁戚で毛利や小早川とは何の縁もない秀秋が当主になり、その後隆景が死んだ時点で
毛利とは事実上縁が切れてるモンだと思ってたんだが。秀秋が養子になった際に
小早川の重臣にも、秀秋の付き人として平岡頼勝や稲葉正成といった小早川・毛利と関係ない連中が
それなりに送り込まれてたみたいだし。その時点で豊臣に乗っ取られたも同然な気がするが…
もしそうだとすれば、関ヶ原での小早川の行動は毛利とは何の関係も無いんじゃない?
217 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 07:05:30 ID:WFZIbXxN
218 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:50:31 ID:a+9B+5Cm
小早川は毛利一門衆
219 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 11:09:01 ID:XSMqJuKp
そもそも輝元は自分で戦場に行って指揮・統率をするタイプではなく
本拠地に留まったまま政治工作をして、現場の対応は現場担当の幹部に丸投げするタイプだから
なぜ関ヶ原に出陣しないかと言われれば、それが輝元のスタイルだからとしか言いようがない
信長・秀吉・家康の戦い方と混同している連中が多いのが勘違いの原因だろう
出陣する能力も経験もない人間がこれほどの大戦に出陣して当然と考える方がおかしい
220 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 11:54:19 ID:VAgiOdpb
誰も輝元個人の器量には期待してないけど
輝元の手勢数万には期待してんだよ
221 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 12:07:23 ID:PwgQPLOc
せめて 秀元と吉川合わせて三万くらいにしておけば
222 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 13:05:57 ID:Ztei9Bmx
雄交尾
223 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 14:38:29 ID:0ssQ2F31
何でこのスレが平和かって?
それはね…あのバカがいないからだよ(´ψψ`)
224 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 18:26:51 ID:0h/Ytt0J
輝元のヘタレぷりは万死に値する。
225 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 20:07:14 ID:gTL1CiXW
226 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 20:26:33 ID:OQ787IBY
大軍を率いているボンボン輝元=総理大臣にまでなったボンボン鳩山
実行力を期待しても無駄です
227 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 21:22:29 ID:3p3GjU8i
>>216 常識だね。
なんかこのスレ、最初の頃から比べてどんどんレベルが下がってる。
222-226あたり、意味無いし。
228 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 07:16:34 ID:axutHp6a
確かに
>>216で指摘される前から、関ヶ原時の小早川が未だ毛利の一門だと
思い込んでる書き込みが多少あるな。
>>63とか
>>76とか
>>87とか。
輝元が無能だったか否かはともかく、関係ない小早川の動きまであげられて
「もっと身内の統制取れよw」「これだから毛利一門は…」とか非難されたら、
輝元もたまったモンじゃあるまいよww
229 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 07:32:15 ID:XAqIHGMa
毛利家ってのは養子のコントロールも出来ないヘボだったのかw
230 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 08:18:50 ID:iXD0001X
別に小早川家は明確に毛利からサヨナラなんてしてないだろ。
明確に別れたのは別家の小早川秀包が一門代表の秀秋の裏切り者との謗りを嫌がって小早川を棄て毛利に復した時に
小早川秀包側から小早川家へ離脱宣言しただけに過ぎない。
毛利が小早川家の統制に失敗したからって責任逃れの歪曲すんなよ。
231 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 16:26:35 ID:7/BPwZLQ
輝元が大坂城退去したから西軍負けが決定したみたいなもんだろ。
総大将輝元が大坂城に健在で関ヶ原の敗軍の収容に動き出したら、
まだまだ東軍も簡単に西進できないし、関ヶ原も一地方戦の敗戦に留まる。
そうすれば全国に及ぶ戦線は終息せずに続いただろうし。東の情勢に変化が出れば
東軍も停滞しかねない。
結局、中途半端に担がれて腰あげた輝元が敗因。
232 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 17:44:14 ID:xsjiHn1b
輝元を説得して大坂城を明け渡させ、その手柄で広島城主になった福島正則は勝ち組
233 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 17:50:23 ID:iXD0001X
正則>>>越えられない壁>>>ヘタレ隔世遺伝の輝元
234 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:39:24 ID:wVOqBovK
>>230 だいたい秀吉の毛利、小早川を切り離す一環ですでに小早川は独立大名
そこで毛利との関係が希薄になるのを恐れた隆景が秀秋に小早川領をゆずり三原に戻った時点で小早川と毛利は別家
隆景家臣団も三原へ
秀秋の家臣団も秀秋元々の家臣と秀吉からつけられた家臣
家老も引き継ぎして毛利とは関係ない別物
秀包は秀秋を小早川に迎える時点で別家を立てて秀秋とは関係ねえよ
秀秋は小早川と名乗っているが実質別家の独立大名なのは常識
毛利一族、なんて言ってんのはお前ぐらいww
友好的だったかも知れんが直接関係ある隆景は死んでるし秀包は関係ないし、毛利が統制とか馬鹿じゃねえの?
秀秋も毛利一族としての自覚があるはずもない
235 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:54:10 ID:9oc15eE/
妄想
微妙な言い回しになるけど、確かに秀秋は小早川氏であっても毛利一門ではないだろうし、
毛利一門・小早川隆景の後継といえば毛利家中の認識は秀包だったろうな。
姻戚に頼りまくった秀吉の木下・毛利擬似一門関係が綺麗に破綻した象徴なのかも知れんけど。
237 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 02:42:39 ID:B3QAcWyn
西軍勝利の場合、秀秋を関白にと言っていたほどだから、毛利一門というより
豊臣一門扱いなのだろうな。秀秋は。
しかし小早川という家も不運だな。
隆景を送り込まれて毛利に乗っ取られ、秀秋を送りこまれて豊臣に乗っ取られる。
元からの一族家臣たちはどのように感じていたのだろう。
238 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 03:48:14 ID:63BSyV0/
小早川は関係無いを強調したい人がいるようだけど…
小早川が毛利家と無関係だとしても輝元がヘタレのボンクラで家臣を統率出来なかった事には変わりないし関ヶ原で毛利軍が何もしなかったのは事実。
239 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 04:57:45 ID:ZS1mcD1Q
いや、輝元が無能云々以前に関ヶ原時の小早川が毛利一門だなどと
思ってる無知はそもそも議論相手にならない…、っうか議論する資格も無いって話し。
そういう奴はもう一度歴史を勉強し直してからここへ戻って来てくれ。
240 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 07:29:01 ID:HMX+2DTa
アホか。必死に隆景家臣団はみんな三原に行ったとか歪曲してるが、みんな帰ったわけじゃなく、一部だけだ。
ちゃんと影響力残してるわ。
もう毛利厨必死な全力自演ワロタw
小早川家は朝鮮役でも毛利と轡を並べて一緒に行動してるし、隆景死んだらすぐ関係ねーよとかありえねぇよ。
関ヶ原の責任逃れしてんじゃねーよ。
関ヶ原の時以降は小早川は毛利とまったく関係ありませんって後世の毛利の捏造の最たるものだな。
朝鮮役では宇喜多を当家の家臣筋だから負けるわけにはいかないから先陣譲ってと宗茂に言ったとも言われてるから
宇喜多に反発して非協力的な態度を毛利と小早川は関ヶ原でやってたんだろうが。
241 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 11:35:33 ID:83QhuWL3
>>小早川家は朝鮮役でも毛利と轡を並べて一緒に行動
一緒に行動してたってだけじゃ関ヶ原当時に小早川が毛利の家臣状態だったという根拠にはならんぞ
そんでも友好関係にある勢力をまともに懐柔できなかったのは輝元の落ち度ってのには同意だが。
242 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 12:25:14 ID:HMX+2DTa
小早川は毛利の陪臣であって独立なんてしてねーし
小早川は独立したから毛利なんて一切シラネw宣言したソースは?
243 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 12:27:19 ID:B3QAcWyn
朝鮮征伐の時、明らかに豊臣の直臣として出兵したのだが。
小早川と立花は。
244 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 13:40:10 ID:Rkr5EBx4
関白確約が大嘘でも
小早川や毛利に頼って関が原勝って
その両家が同属扱いなら
戦前の徳川より、発言権が増すのは必至だな
秀吉ですら家康一強にカウンターバランス作るのに必死だったのに
245 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 13:53:20 ID:81HpWPpf
>>242 公然と一切シラネw宣言なんてできるわけないだろw
だいたい小早川は毛利の陪臣と言っても元就の代までは同じ国人領主だったわけで,
そこまでして小早川家が毛利家に義理を尽くす理由も無いだろ
むしろ
>>63が指摘する様に古くからの家臣団はアンチ毛利だった可能性すらあるわけで。
246 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 01:11:23 ID:pMTGZrVa
戦後の扱いから考えて明らかに独立してる
小早川が一門扱いなら、吉川だけでなく小早川の功績も加味される
しかし毛利、吉川は36万 それて完全に別に小早川50万 一門なら断絶後本家が吸収もありえるだろ
247 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 02:30:47 ID:HFoXKB91
明治になって、毛利本家から養子だして小早川を再興させてるね
サブローな。
公爵家におさまったからできた無茶だとも言える。
249 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 06:43:55 ID:qJuZX0XW
秀秋が関ヶ原後、少しは毛利に対して徳川に嘆願や働き掛けはしたの?
一門なら少しはそういう動きはあると思うんだけど?
一門や陪臣とか言ってる奴に聞きたいんだけどさ
なんか交流エピソードや書状なんかないの?
だいたい輝元と秀秋てさ、お互いシラネーのに「お前小早川だから毛利に従え」秀秋は「わかりました」て簡単になるか?
隆景の言う事なら養父だから秀秋も素直に聞くかも知れんが
250 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 09:13:24 ID:1duGWES/
251 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 09:22:30 ID:kgiw7Isc
毛利という家自体も、元就のころは安芸の山間部の小さな土豪にすぎず、
ほとんど家臣も居なかった。むしろ吸収した小早川氏の方が多くの家臣を
抱えているほどだった。だからこそ、毛利の中で小早川は重んじられていた。
その小早川にしても伊予や筑前の領有によって急激に巨大化しているのだから、
大方の家臣は新参者ばかりだろう。ほとんど毛利とは縁がないといえる。
252 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 11:25:46 ID:/eZCR66M
なんだソースがまったくないから
妄想を書きまくり
小早川は毛利とは関係ないって必死になってキモい自演やってんのか。
笑っちゃうくらいトンデモな小早川は毛利に乗っ取られたから、むしろ毛利を潰したがってたとかソースあるの?
そろそろ脳内毛利厨フィルター偏向妄想発言を繰り返してないでソース出してね。
253 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 12:29:35 ID:qJuZX0XW
>>252 お前みたいな奴に聞いてんだよ
そういう戯れ事はいいから内容のある文を書いてくれよ
254 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 13:27:25 ID:/eZCR66M
255 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 16:55:47 ID:SnspxJXg
>>254 悪魔の証明ってしってるか?
小早川が毛利の陪臣状態から脱していたとしたら,毛利家との書状のやり取りは減ってるはずし,
お前はその書状=つながりが無かった証拠をだせとわめいている事に気がつかんのか。
逆に小早川が毛利の陪臣状態だったのなら,感状なりそれなりの書状が残ってるだろうからそれを出せと言ってるんだ
256 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 17:23:29 ID:t0jb3M7h
じゃあ毛利と小早川は同盟結んでたの?
257 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 17:54:45 ID:/eZCR66M
258 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 19:02:00 ID:SnspxJXg
259 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 22:23:55 ID:bpVwa482
>>/eZCR66M
小早川と毛利が関係希薄になってた証拠(ソース)を出せ、って言うけど
そんなん出せるやついないだろ?研究者なら別だが
それよりも、当時の小早川が毛利の一族だったという確たる証拠をそちらが
見せつけてやるほうが早いんじゃないの?
と言うことで、「毛利と小早川は無関係説」を覆すソースよろしく
260 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 22:38:02 ID:qXpCa40q
eZCR66M は葛西氏スレでも暴れてるキチガイ
261 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 23:40:16 ID:II6h72xJ
逆に関ヶ原以後の小早川が、毛利家の実質的家臣だったソースくれ。
262 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 00:06:19 ID:KiWdiRzF
考えてみればだいたい小早川が毛利一族扱いなら吉川、小早川と東軍に功績大だろ
普通、毛利取り潰しまで騒動になるかな?
実際、吉川の懇願で毛利が存続できたのであって小早川は何の関係も役にもたってない
263 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 02:38:53 ID:6mDjsv5i
当時の小早川が毛利とまったく関係を切って関わりがなかったなんてどこのバカ研究者が指摘してんのか教えてくれ。
264 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 06:48:32 ID:r5gQ55iP
265 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:06:00 ID:HI5SoZ4G
小早川秀秋が、朝鮮征伐で減封処分になったときに結果がでているだろう。
毛利一族扱いだったら、当然収公した領土は毛利に吸収されるはずだが、
そうはならなかった。小早川の復帰に口添えしたのも毛利ではなく徳川。
266 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:41:36 ID:6mDjsv5i
もし小早川が自立したと主張するなら
隆景は秀秋を毛利養子路線から奪うことで、
自立を狙い主家を蔑ろにした最悪の賊と言うことか。
そして宿願を前に死去した隆景の期待に応えた秀秋によって毛利改易に陥れたが吉川が土下座して毛利本家へ自領を差し出したために隆景以来二代に渡る野望を阻止したと。
それまで美談に仕立て上げるなら毛利は最悪な捏造王ぶりだな!
267 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:49:27 ID:6mDjsv5i
常に兄元春と対立した意見を言うひねくれ者で、輝元を舐めまくり教育の名の元に輝元を殴りまくりフルボッコした隆景はよっぽど輝元が嫌いだったんだろう。
元就が諭そうとしたほどに険悪な間柄だった元春の足を引っ張り続け、毛利の天下への道を再三に渡り潰してきた隆景らしいな。
268 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:54:15 ID:HI5SoZ4G
>>266 知らないで書いているのか、それとも知っていてとぼけているのか?
秀秋養子の件は子供のいない輝元へ、ということで黒田官兵衛から打診があっただろ。
毛利が乗っ取られると思った隆景は秀吉に探りを入れてみると、まだ黒田から話が行って
いなかったので、先に秀元を輝元の養子にしておいて、それから秀吉に秀秋を小早川へ
養子に欲しいと申し入れたのだが。
隆景は小早川の家を犠牲にして毛利を守った。有名な話だが。
269 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 09:19:07 ID:6mDjsv5i
>>268 ああ美談ですね(笑)
捏造王って何でも美談に仕立て上げるね
270 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 09:21:32 ID:6mDjsv5i
結局、関ヶ原の動きは
毛利三兄弟の険悪なまでの仲の悪さが次代になって抜き差しならないものに発展し火を吹いたのが原因だな。
毛利の痴話ゲンカのせいで宇喜多や三成も可哀想に。
271 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 10:22:26 ID:r5gQ55iP
そろそろ基地外は無視して当時すでに小早川は毛利の一門ではなかったということで話を進めてくれないか
272 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 11:10:03 ID:TTAXj3lD
輝元がヘボいから結果的にそうなっただけの事だろ
元就が当主なら、絶対に押さえつけていたよ
273 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 16:44:08 ID:+s75ATts
元就に何歳まで生きろって言うんだよ…
274 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 16:44:32 ID:Blce87zh
確かに元成以降の毛利家の武将は、ヘタレ揃いだな
吉川は寝返るし、輝元は気が弱く話しにならない
毛利家が一致団結していれば、関ヶ原で勝利していただろう
輝元も吉川も話しにならないな
275 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 19:01:40 ID:r5gQ55iP
吉川広家に落ち度はあるのかな?
もはや身内ではないとはいえ関係の深かった小早川を
しっかり味方に付けられていない時点で輝元に家康を倒す素質は無いのは明らか
関ヶ原で一時的に勝ったとしてもその後が続くかどうか怪しい。
徳川の主力はしっかり温存されてるわけだし。
彼の判断は間違っていなかったのではないか。
関ヶ原後の大厳封にしたって,家康本人から確約を取り付けていたとしても,
あの狸親父ならなんだかんだいちゃもんをつけて結局防長30万石に落としてたんじゃないかな?
なんせ国家安康君臣豊楽の人だしw
276 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 19:06:25 ID:KiWdiRzF
結局さ
関ヶ原は良くも悪くも毛利しだい、て事だろ?
結論でたな
277 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 20:52:05 ID:babo1K/n
>>275 上にもあるけど黒田領に大友残党軍蜂起させたり伊予加藤領攻め込んでる輝元がいけないんじゃない?
黒田、加藤も当然訴えただろうし輝元になんの罰も与えなかったら納得すまい。
伊達の2倍酷いことやってるし伊達はまだ上杉を釘づけにした功績がある。
278 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 20:54:43 ID:babo1K/n
追加。
宇喜多、小西が領土全部没収されたのに対し30万石もゆるされたんだから広家様々だよ。
ほんとなら領土全部没収されてもおかしくなかった。
279 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 22:00:00 ID:SMv8eVeH
>>277 黒田じゃなくて細川の飛び地じゃなかったかいな。
280 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 00:41:51 ID:+DDb3rb9
秀秋が毛利本家へ入ってたら南宮山に布陣した15000の司令官が毛利秀秋になってたな
281 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 12:26:52 ID:Iyfj3jTN
>>277 広家はさすがにぼっちゃんがそんなことしてるなんて知りもしなかったんだろうね。
完全に逆恨みだね。
むしろ末代まで感謝しろ。
282 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 07:20:29 ID:gVxzY/AI
>>278 >宇喜多、小西が領土全部没収されたのに対し30万石もゆるされたんだから広家様々だよ。
>ほんとなら領土全部没収されてもおかしくなかった。
別に広家一人のお陰とは限らないんじゃね?
上杉だって、事の発端であり且つ主戦派で広家のような内通者もおらず、
その上伊達や最上と戦ってるが毛利同様30万石も許されてる。
そりゃ毛利は関ヶ原で動かなかったってのも、改易を免れた理由の一つではあろうが、
全てでは無いだろう。それに加えて一応は家康と同格の大老であった事、
領土が広すぎて勢力が大きかった事もあって完全に取り潰しにくかったから、大幅減封で済んだんだろう。
それだけにもしかすると、上杉同様内通者がいなくても戦後の交渉次第では何とかなってた可能性もある。
だから、単純に一門の中に内通者がいたから取り潰されずに済んだってのは間違いだと思う。
上記の諸要因があったから、何とか生き残れたんだ。
実際関ヶ原で動かなかった長宗我部や長束、内通してた増田は取り潰されてる。
283 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 15:17:27 ID:rsmr/aBt
上杉・島津と長宗我部や長束、増田のことを考えればやるだけやってみてもよかったと思う
常識的に考えたら広家の打算は無難だったとも思うけど、やっぱり三流だね
常識を超える発想や読みの深さがない
輝元・広家ともに三流以下の凡将
284 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 17:59:12 ID:noLGiUYX
どっちにしろどうせ負けたら30万石に減封されるだけなんだから、
天下をかけて戦えば良かったのに戦わずして惨敗とか無能すぎ。
家康は戦わずして毛利に楽勝だったな。
285 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 18:54:29 ID:pR9YDZzq
関ヶ原後も輝元と広家実は仲がいい。
輝元の娘が広家の息子広正に嫁いで子供5人生んでる。
286 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 20:16:11 ID:noLGiUYX
ぜんぜん仲がよくないわけだが…
287 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 20:39:17 ID:0HNTLJz6
余りに大石の大名だと取り潰しにしちゃうと
そこで雇われてた侍が一斉に無職になり
それが社会の危険分子になり行く行くは反乱でことに繋がるから
30万石くらいで存続させておいた方が善いと判断されたんだろうね
実際、大坂の陣で集まった浪人たちは
関ヶ原で潰された大名家の出身者がほとんどだったわけで
毛利、上杉、島津クラスともなると少しくらい大目に扱った方が徳といえる。
288 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 20:56:15 ID:nUAJafFP
>>283 確かにその面子なら勝てたかも知れない。
だが、総大将の輝元が腑抜けで、吉川は家康と内通する卑怯者。
始めから腑抜けの毛利を廃除し、宇喜田や長曽我部・島津や上杉を
総大将にし徳川と対峙していれば、今頃勝てていたかも知れない。
全部毛利一門の卑怯な振る舞いや腑抜けのせいで、関ヶ原は敗北したと言えよう。
289 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 21:11:39 ID:noLGiUYX
主家が勝つことを目標にして動かない時点でかなり終わってる
290 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 22:08:48 ID:qOl/3I74
家康「輝元と兄弟のように思う」
輝元「家康を父とも兄とも思う」
この関係で家康をぶっちぎるとは勿体無い
前田上杉の次だと思ったんだろうが
利長のように擦り寄るべきだった
三成を初めから無視
それでも兵を上げたら
輝元が三成をボコって
家康は上杉をボコるのに専念
これなら加賀100万石どころじゃなかったな
291 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 22:33:38 ID:V40R3TOo
>>290 どさくさにまぎれて、宇喜多をフルボッコにして、中国統一を実現するべきだった。
292 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 01:23:30 ID:EAddAhVM
明石に踏みにじられて戦死します。
本当に有り難う
293 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 04:59:40 ID:HkgBaoL+
>>288 その面子ってのは勝ち負けの話じゃなくて末路の話
ガチンコでやっても厳封か本領安堵ならガチンコでやればよかったのにってことでしょ
毛利家の意見がまとまらないのが最悪だが宇喜田なんかお家騒動でガタガタなのに大奮闘
やっぱり当主の器量が問われたってことか
主が主なら部下も部下だが
輝元・広家ばかり話題になってるが安国寺はどうだろう?
彼の判断や行動について考えてみてもいいかと思う
294 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 06:38:17 ID:lG5zPf8M
輝元・広家が非難されるなら、安国寺も非難されても良いかも。
宇喜多が騒動でボコボコになり、更に家康は前田・上杉を屈服させようと
武力介入しようとする、この状況を見れば次は毛利か、ならばやられる前に…
と思うのは当然だろうし、総大将ともなれば戦後の影響力増大は間違いなく、
うまく行けば毛利の天下掌握も見えてくる。そんな計算があったんだろうが、
結果的に輝元や重臣連に事後承認を取る形になったのは頂けないだろう。
広家同様スタンドプレーに走り過ぎだ。
勝った時のメリットはデカいが、負けた時のデメリットも劣らずデカいんだし。
事実、結局負けて自身は斬首・毛利は大減封となった。
295 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 07:16:23 ID:hvjn8d5T
両川体制の両輪のひとつにして家臣筋の小早川さえ統御できない無能が輝元。
毛利からの出向社員比率が高く、朝鮮出兵でも協調してたのに毛利本家は輝元の無能ぶりで関ヶ原で小早川に見捨てられた。
アホな毛利厨は別家として独立した小早川秀包は家臣と一方ではいいながら、
小早川秀秋は毛利とは関係ないと矛盾した主張をする基地外。
明確に両家の関係が冷えたものになったのは関ヶ原後に小早川秀包が小早川の名を捨てたのと、同じく関ヶ原後に秀秋が死去したため希薄になったに過ぎない。
毛利は小早川が越前転封されそうになった時に家康と一緒に中止活動して、毛利は中国、小早川が北九州を分掌支配する体制を守ろうとしてるし。
関ヶ原での小早川の様子見も、毛利本軍の動きが冴えないために過ぎない。
だいたい関ヶ原当日までの吉川と小早川の両川は安国寺に反発し行動指針で完璧に意志疎通をしていた疑いも濃厚。
296 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 09:26:56 ID:hvjn8d5T
室町〜戦国〜江戸を通じて養子もらうと本家からまったくが関係なくなりますと言う珍説を唱える毛利厨www
297 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 09:40:54 ID:hvjn8d5T
秀秋「毛利とか関係ないから隆景の位牌とか棄てちゃったwww」
298 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 09:50:05 ID:gl83jMHb
輝元が越前転封処分を覆すために動いたという話のソースは何?
299 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 10:17:25 ID:BhYbyc8S
>>296 毛利は本家では無いだろ。
隆景も養子だぞ。
300 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 14:30:04 ID:qOT4f29+
>アホな毛利厨は別家として独立した小早川秀包は家臣と一方ではいいながら、
>小早川秀秋は毛利とは関係ないと矛盾した主張をする基地外。
小早川秀包: 元就の九男
小早川秀秋: 秀吉の甥
この差は毛利家にとって相当でかいだろ…
301 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 14:40:45 ID:Mt7EK0nd
冗談抜きで輝元が大阪から打って出て一門全員西軍につけば家康アウトだっただろ
そうすりゃ実質の天下は輝元のものだった
天下を取れる大一番でやってもうた
302 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 17:59:07 ID:OQGaFe8I
大坂城には4万5千いたからな。
1万残しときゃ十分で3万5千が遊んでて敗北したんだから輝元は無能すぎる。
3万5千も必要ないが輝元が出陣して南宮山部隊に山下りて東軍背後襲わせればあっけなく勝てたんだがぼっちゃんは大坂城で遊んでましたと。
303 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 18:46:29 ID:zYoZRBpO
豊臣からのバックアップを受けてる正規軍の東軍と違い
ほとんど協力を得られず、武力で不法占拠してる西軍だからな
豊臣旗本の七手組とか黄ぼろ衆が今一どうなってるか分からんから
1万で充分か、4万じゃ多いとかは分からん
伏見だってそら篭城するような城でないとはいえ
わずかな内応で速攻落ちたし
毎回徳川の重要な戦に総大将として参陣する家康と違って
誰もが必ずしもそういうタイプじゃ無いってのもある
普段来ない奴が来ても困惑混乱するだけだし
輝元はその後者のタイプ
なんだこの流れ。
305 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 19:45:02 ID:CX179H70
輝元に東軍に心中するつもりも西軍に心中するつもりもなかったからこうなった
306 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 20:49:38 ID:OPhrZlK3
>>295 お前はあれだけ皆から説明されても理解できないアホらしいな
両川体制は吉川元春、小早川隆景がいない時点で終わってる
しいて上げるなら後継は吉川広家、毛利秀元が両川の役割。どの本や歴史家も
小早川秀秋を両川体制なんてほざいてる奴は初めてみたぜww
朝鮮の時は養父隆景がいる事を忘れてんじゃねえのか?
家臣も秀秋と秀吉がつけた家臣がほとんどで嘘ついてんじゃねえよ
ホント基地外だな
307 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 21:24:07 ID:OQGaFe8I
秀秋が毛利と関係ないとかいい加減止めてくんないかな。
ここは輝元の無能っぷりを語るスレだ。
308 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 21:55:15 ID:UnKFzCdR
309 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 22:23:20 ID:UHvuYCDs
>>302 輝元が出られなかったのは増田が裏切るかもしれないからじゃないか
それに仮に輝元が来たのなら家康は秀忠の部隊を待つだけだと思う
そもそも実際の東軍と西軍の数は東軍の方が多かったとされているし
背後を突けば簡単に勝てるとかいってるけど南宮山には押さえの兵がいるわけで
その兵力に無傷の徳川部隊を足せば南宮山の部隊よりも多くなるから簡単には勝てない
むしろ負けるかもしれないぞ
310 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:03:54 ID:8JBrNJOr
小早川秀秋は羽柴系大名
小早川秀包は毛利系大名
311 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:25:55 ID:SSiAl3xi
で、結局毛利輝元って何がしたかったの?
312 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:30:10 ID:hLro0G+D
石見銀山なんて共同管理でなく秀吉にくれてやればよかったんだよ。
換わりに近江辺りで5万石もらってさ。
結局、家康も欲しくてたまらなかったのだから。
313 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:33:50 ID:m4nDQRJn
毛利輝元って銀河英雄伝説のアンドリュー・フォーク准将みたい。
何で僕の思い通りにならない!何で僕の足を引っ張るんだよぉぉぉ!
そんな人.
314 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 02:28:41 ID:Soy4BCjC
銀えいでんは読んだこと無いがそれだけ見ると
デフォルメした三成だな
なんで自分の味方が少ないか分かってない
315 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 02:43:51 ID:SSiAl3xi
自分で自分がどうしたいかわかんない・流れに乗せられやすい→輝元
316 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 06:28:10 ID:6ul0WW4T
>それに仮に輝元が来たのなら家康は秀忠の部隊を待つだけだと思う
>その兵力に無傷の徳川部隊を足せば南宮山の部隊よりも多くなるから簡単には勝てない
>むしろ負けるかもしれないぞ
そうとは限らないんじゃないか?
秀忠隊が合流する頃には、西軍も大津や田辺に回してた諸隊(合わせて三万)が
合流してたろうし、そうなれば互角だろ。
そこに輝元の毛利本軍が合わされば数の上では西軍が勝るんじゃね?
317 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 07:07:46 ID:IJXvMOjq
むしろ戦力を輝元が温存しておいたからこそお取りつぶしを避けることができた
という見方はできないか
318 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 07:56:21 ID:bBvGnIKE
東軍は南宮山に程近い赤坂にも堀尾、中村など合計一万三千を残している。
対する西軍の大垣城兵は七千五百。
これらを考えれば南宮山方面は兵力的に以外と拮抗している。
西軍が不戦だった代わりに、同じように東軍にも不戦部隊が出来たので、
無駄だったともいえない。
319 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 10:38:16 ID:6xDQyVQp
>>306 すごいウソばかり連発して楽しいの?
毛利厨が必死になって歪曲してるだけで、
残念ながら今までの毛利厨はどのスレでも一切、ソースを出したことないよね。
320 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 11:19:14 ID:8JBrNJOr
毛利厨じゃなくても小早川秀秋を毛利が統率できないってのは普通理解出来るでしょ。
例えば毛利秀元が小早川家を継いでいて動かない、寝返りなら話も理解出来るが。
毛利憎しで全く周りが見えてないよ(・ω・
321 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 11:47:12 ID:6xDQyVQp
はぁ毛利と小早川がまったく冷えた関係で小早川は毛利から独立してたソース出せよ。
関ヶ原でも小早川は主筋の毛利の動きをみて、歩調を合わせて小早川も動かなかったんだろ。
そもそもあれは両川の吉川と小早川が話を打ち合わせて動かず、毛利本隊を止めてたとしか思えねぇだろが。
322 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 12:34:59 ID:SSiAl3xi
>小早川秀秋
隆景亡き後は全くの無関係というわけではないがあまり関係ない、一個の独立した大名になってるのはスレの流れを見ての通り
隆景存命時も秀吉は小早川を独立した大名として扱おうとしてる(五大老など)が隆景自身は毛利家から離れる気持ちはなかったので関係は崩れなかった
輝元は凡将愚将だけど事実は受け入れなきゃ駄目だよ
323 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 13:42:03 ID:6xDQyVQp
えっ?五人御奉行になると独立大名なんですか?そんなトンデモ説は聞いたことないし、そもそも奉行の意味を知らないでしょ?五大老なんて時代認識がおかしな言葉までつかってw
だいたいその論法なら隆景が死んだ後は五人奉行から外れたんだから、また主筋毛利への回帰のはずだが。
それに隆景生前から秀秋と共にやってきた家臣は隆景に仕えてるのに、
まるで隆景死後に秀秋が相続したので、豊臣家臣団が付けられたみたいに歪曲するのは如何なものかねぇ。
あと、むちゃくちゃな事を言ってるけど、隆景家臣が秀秋の相続と共に大半が小早川から去ったなんてトンデモ話のソースを求めるよ。
最低でも5人以上の家老級の名前を挙げてね。
324 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 13:59:15 ID:6xDQyVQp
それにもし小早川が大老になったから自立とか言うなら秀吉に取り入り主家を欺き独立した逆臣になるじゃないか。
隆景に気に入られ養嗣子になってくれとまで言われたのに拒否したが、隆景存命なのに豊臣姓を与えられた堅田元慶のようなヤツは隆景から自立した謀反人扱いでいいんですかね?
325 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 20:50:05 ID:7pVi+7v5
>>321 なあ小早川が毛利に服従していたソースをいい加減に出せよ
妄想はもういいよww
>323
九州国替えの時に家老も引き継ぎしたしガラっと変わったのをしらねえアホが
それに秀秋自身が養子で赴く時、元の領地に比べて実質加増だから秀吉が家臣付けるのは当たり前
関ヶ原の時、秀秋の元に毛利系の家臣いたか?
家老とか豊系だろがボケ
>>324 輝元から知行もらってる時点で家臣だよバーカ
隆景が伊予を貰った時は一旦、輝元に秀吉が与えられた上で、輝元から隆景に与えられている
九州は秀吉直々から貰ったのであって輝元は関係ないつまり小早川は立派な独立大名だ
この違いがわかるか?
しかし隆景は毛利領にも三原に六万石の知行がある
秀秋は毛利の領地もなければ血の繋がりもない
秀包は元就の子
この違いわかるかアホども
326 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 20:56:58 ID:SSiAl3xi
ID:6xDQyVQpは歴史の基本的なお勉強をした方がいいかな
毛利家と小早川家の関係を勉強するには五年くらい早かったみたいだね
馬鹿+間違った知識でお話にならない
まあややこしい家督の問題ではあるけどね。
秀秋や秀包を語る前に隆景の立場を考えたほうが結論が早く示せると思うんだよな。
328 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 21:18:13 ID:N/WbrDpd
指揮官が無能なんだよな
毛利の動員力を持ってすれば
互角に家康と戦えたわ
指揮官がアフォだから家康に負けた
329 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 21:25:34 ID:N/WbrDpd
毛利側から見ても関ヶ原の時点は
毛利の天下取りの絶好のチャンスだったのにな
天下は取らなくても発言力UP
領国加増の絶好のチャンスだわ
有能な指揮官、リーダーがいれば
一方的に負けることはなかった
330 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 21:30:25 ID:m4nDQRJn
毛利と言えば織田の属国扱いの徳川なんかより格上で織田の強敵だったのにそれがボンクラ大将のせいで1戦もせず土下座降伏。
30万石なんていう屈辱受けるぐらいなら関ヶ原で自分から積極的に動けばよかったのに。
結局毛利って元春、隆景がいないと機能しないんだよ。
三成が負けたらどうなるかぐらい想像しなかったんだろうか?
331 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 22:41:00 ID:H8HEBmxj
>>330 >結局毛利って元春、隆景がいないと機能しないんだよ。
朝鮮出兵の時に隆景いなくても普通に機能しているけど
また関ヶ原の本戦が始まるまでの城攻めでは西軍として城を落としているぞ
>三成が負けたらどうなるかぐらい想像しなかったんだろうか?
だから広家は内通したんじゃないか
またこの関ヶ原の戦いに関しては毛利家は相談を受けていない
このまま仮に三成が勝てばこの作戦を立てた三成の株が上がり
毛利が三成の命令に従ったといういやな前例ができてしまう
広家からすればこのままいけば毛利家は三成にとって都合のいい兵隊でしかならないと思ったんじゃない
三成の性格からしても勝てば俺のおかげみたいな態度をとるだろう
332 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 22:55:23 ID:hdsu0xy5
>>329 そのとおりだな。
輝元がしっかりしてれば今頃大大名だったのに。
いや天下だって夢じゃなかった。
それがへたれ過ぎてあのざまだから。
情けないの一言に尽きる。
毛利で関ヶ原は敗北、自分も弱小大名に成り下がる情けなさ
どうせなら目障りだし徳川も毛利を取り潰すせばよかったのにな。
333 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 01:50:43 ID:U1HToVdn
しっかしこうしてみると、三成はどんだけアホなんだw
専横批判で立ち上がったのに
負けたら徳川が天下人に
勝つには毛利の活躍が必要で、戦後毛利の専横状態にw
まあ三成は謹慎から政権への復帰という
野望のためだけにやったんだろうから
毛利の発言力が増しても勝てるなら問題無いんだろうが
334 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 02:11:45 ID:+oEf/hhy
輝元なら操縦できると思ったんだろ
335 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 02:27:48 ID:uFbqChna
三成は勝っても発言力は持てない様になってたと思うぞ。
最終的にあんだけ色々頭下げてたからな・・
それも覚悟しながら、徳川に意地でも対抗したかったんだろう。
豊臣政権<三成の意地
336 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 02:49:13 ID:U1HToVdn
>毛利の発言力が増しても勝てるなら問題無いんだろうが
これは
毛利の発言力が増しても自分の権威が勝るなら問題無い
って意味じゃなくて
毛利の発言力が増しても、西軍が勝って自分が復権できるなら
他がどうなろうが自分の目的達成自体に問題は無い
ってこと
337 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 05:51:59 ID:uAXx4jyU
>>335 >最終的にあんだけ色々頭下げてたからな・・
そういった事をしておきながら結局は前と同じ態度で行動しているのが問題なんだよな
関ヶ原の本戦は三成が自分で思いどうりの戦いができる唯一の戦いだったんだと思う
このまま待てば大津組がくるだろうし、輝元も増田の問題が形がつけば来てくれるだろうし
そうなれば仮に勝ったとしても毛利の発言権が増すだろうだからその前にけりをつけたかったんじゃないか
338 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 11:51:38 ID:0QLqEHU0
>>324 そう隆景は常に元春に対抗して反対意見をいい
毛利の利を敵に売り渡してきた。
その結果、隆景が自立し主家を捨てることに成功し
堅田元慶はそれを隆景から学び、隆景を捨てて太閤に仕えた。
これは満州事変の石原莞爾のような悪しき前例を作り
関が原において、輝元に従わない毛利家中の空気を隆景は作り
吉川に対抗して小早川は毛利本家を潰す動きをしていた。
隆景の遺志を秀秋は継いでいるのです。
339 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 17:27:19 ID:p5yDS2ve
>>331 >>333 この2つの書き込みを見ると西軍勝利後に毛利の発言力が上がりすぎない様に
三成が独断専行したとみることも出来そうだけど,それは三成を贔屓すぎか
>>332 >>今頃大大名だったのに。
お前の時計2-300年遅れてないか
…諸行無常か
340 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 17:50:41 ID:mJgqSaDQ
>>339 豊臣が大政奉還なんてせずに列強の植民地でもいいからと権力にしがみついたと仮定すれば
今頃は北朝鮮かミャンマーみたいな体制のまま毛利が権力を握っているかもしれない
341 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 20:29:21 ID:w+fxNl+a
で、結局ソースも家老名もまったく出さずに逃走かw
さっきWikipedia見てみたら隆景家臣団の大半が秀秋から去ったって丸パクリな文章が書かれてたw
ソース出せない人名出てこないのがなぜかと思ってたが、なんだよ出典はWikipediaだったのかよwww
342 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 20:45:52 ID:rgWMM1YI
>>ID:w+fxNl+a
みんなから笑われてますよ
343 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 22:21:36 ID:+oEf/hhy
>毛利の利を敵に売り渡してきた。
毛しか残らんではないか
344 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 22:26:47 ID:ZR1V6Wey
大阪城に残ってる毛利本体合わせて5万人の動員力はあったよな?
一致団結して戦えば家康には勝てたわい
輝元はアフォ
元就なら喜んで決戦に応じたべ
345 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 22:35:43 ID:ZR1V6Wey
総大将が城にこもってるんじゃダメだよな
家康は関ヶ原にいたしね
これが3代目のボンボンと一代でのし上った家康との違いかな
346 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 22:45:06 ID:uAXx4jyU
>>341 関ヶ原の戦いで秀秋の家臣として名前が挙がる稲葉・平岡・松野なんかは元は秀吉の部下じゃないか
隆景家臣団の名前なんて出てきてないじゃん
そもそも隆景家臣団の中には隆景が養子に入る際に毛利家から付けられた家臣たちもいるわけで
その家臣たちは隆景の死後親兄弟のいる本家の毛利家に戻っているぞ
なんか名前の挙がる堅田元慶も隆景の死後毛利家に戻り関ヶ原の戦いでは輝元の名代として出陣している
あと文句の言い方も例えば関ヶ原の戦いで秀秋の部下で隆景家臣団の誰々が活躍あるいは名前が出てくるのに
家臣団の大半が秀秋から去ったなんて言うなよなみたいな文句ならわかるが
ただソースを出せといわれても自分からそうじゃないという根拠を示すべきじゃないか
347 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 22:52:19 ID:w+fxNl+a
最低でも家老級5名以上あげろと言うのに
>>346はヤッパリ何だかんだ屁理屈つけて逃げるのであった。
348 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 23:08:30 ID:rgWMM1YI
>>ID:w+fxNl+a
逃げてるのはどう見てもお前だろww
ただ非難するだけ(内容もおかしいが)だろ
理解してほしいなら否定するだけのもう少し説得力を持つ説明をしろよ
理解して欲しいと思わないただの自慰行為なら他人の言にイチャモンつけてんじゃねえよ
Wikipediaがどうとか言ってる時点で結局何も知らないのに小早川秀秋が毛利の両川、臣下、協調している、と言ってるんだろ?
俺にはそうとしか見えないね
それは違う、ココはこうだ!ってぐらいに反論してみろよ
秀秋と輝元のつながりや主従関係をしめしてみろよ
349 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 23:26:07 ID:OZywBlaB
>>345 総大将の輝元は、関ヶ原に出陣せず大阪城に篭る
その後、大阪城を家康に明け渡すなど、失態だらけ
一門も纏めあげれないばかりか、まるで根性無し
>>354の申す通り、戦場は関ヶ原だったのにな…
輝元みたいな役立つを総大将にしたのが、そもそもの間違いだった
毛利一門は、後世に語り継がれるヘタレ集団である事は間違い無い
350 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 23:45:24 ID:w+fxNl+a
>>348 Wikipediaの知識しかないのが図星だったから必死になってやがんの超ワロタwww
351 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 23:51:55 ID:ZR1V6Wey
おまけに一門が裏切りだもんなw
毛利アフォ過ぎw
動員力だけは神なのに
352 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 00:04:39 ID:AUb7S4Cj
毛利死ね!
情けないよ!
353 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 00:07:32 ID:UByzbwKE
関ヶ原の戦いが凄まじい惨敗になったのが不味い。
無論これは毛利家の統率力の無さや、輝元の暗愚っぷりが際立つが。
惜敗や長期戦になればまた違うんだろうが
354 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 00:57:02 ID:YHS7Z5ss
まぁ、隆景が三原5万石に隠居した際に
毛利本家でも多少の面倒をみてやったにしても
元は小早川40万石の大所帯なんだから
ほとんどの家臣を連れて出たなんて
非現実的なトンデモ話だよなあ。
355 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 01:51:16 ID:z8Z6VXzP
誰が連れて帰ったって言ってるんだ?
連れて帰った、とか歪曲しすぎだろがボケ
年数考えろよ古参の小早川家臣なんて世代交代でほとんどいない
それに秀秋の越前転封の話が持ち上がった時(実質減封)だから秀秋の元を去って毛利に戻ったりしてんだよ
秀秋が小早川ついでハイすぐ家臣が毛利に帰りました、家臣団交代しました、てなるか
まさに単細胞、ガキの思考能力だなww
隆景についていった奴もいれば秀秋の元が嫌で野に下った者、引き継ぎなど手順を踏んで戻った者など様々
そうやって年数踏んで秀秋の元から去っていってるのに本当ワロタww
Wikipedia見て喜んでる野郎は相変わらず煽るだけでなんにも言えねえカスでこれまたワロタww
356 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 02:04:38 ID:4J0xbV0p
実質減封も何も越前行きは実行されることなく、中止になった事も知らんのか…
世代交代したら家臣の石高が大幅に減るなんて便利なシステムが小早川にはあるんだな。
357 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 03:24:59 ID:AqT/Fgzc
>>349 >輝元みたいな役立つを総大将にしたのが、そもそもの間違いだった
そもそも輝元が総大将でなかったらあんだけの兵も集まらんだろうし簡単に鎮圧されるだろう
>>353 毛利家の統率も何も関ヶ原本戦での指揮者は三成や宇喜多だろう
こちらの都合も考えず突然勝手な行動されたら誰でも怒るだろうし不信におもうんじゃないか
それに輝元が統率できていないなら元康や秀包は大津城を攻めたりしないだろ
内通した広家も安濃津城攻略戦では主力として奮戦している
広家が内通したのは東軍が美濃と近くまで攻め込んだ来たからだろう
このままいけば勝てるかどうかわからないから保険をかけただけだと思う
358 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 06:17:15 ID:PtjmjDXA
毛利と書いてチンカスと読みます
359 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 06:49:41 ID:PtjmjDXA
絶好の天下取りのチャンス逃した毛利はアフォw
しかも戦わないでw
一門が裏切りってw
空弁当ってなんですか?w
はぁ?
戦の最中なのに今弁当食ってるから動けないって?w
死ねバカw
糞毛利w
360 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 06:52:21 ID:PtjmjDXA
今弁当食ってるんだってよwwww
これ以上の無様な逸話はねーなwwww
糞毛利のヘタレっぷりに万歳!!!!www
361 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:09:44 ID:PtjmjDXA
弁当食ってる吉川の連中目掛けて鉄砲連射してーわw
殺していいだろこういう奴w
362 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:13:08 ID:PtjmjDXA
吉川?
殺していーよ
ダダダダダーーーーーーン(←鉄砲の音)
363 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:21:40 ID:RQTq1UEj
結局この馬鹿はなんなんだ?
尼子の子孫とかか?
364 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:22:12 ID:z8Z6VXzP
>>356 話が持ち上がった時、とわざわざ書いてあるのにww
さすが小学生並の思考
家臣も小早川の時と同じ録なわけないだろww
365 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:23:48 ID:PtjmjDXA
吉川が関ヶ原で弁当食ってるAA作って〜〜ww
この恥は末代までも語りついていこうw
366 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:35:36 ID:5sxIjvJl
>>357 都合って何の都合?
突然勝手な行動っていうのも何のこと?
陣地構築したところに勝手に東軍が責めかかってきたこと?
367 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 07:58:14 ID:Q0VxNUkx
単に無能石田の口車に乗せられただけの馬鹿でしょ
結果的に石田を潰したからいい意味でw
368 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 09:16:35 ID:JL1MT+n1
>>333-337 関ヶ原で勝っても、毛利に専横状態にはなるかな?
いくら総大将とは言え、「同格」である筈の大老の上杉や宇喜多がいる。
戦勝後はあいつらの領土や発言力も増しただろうし。増田・長束ら奉行もいる。
結構拮抗するんじゃないの?
そもそも、本当に西軍の発起人・首謀者は三成だったのか?
秀家の挙兵に乗っただけで、三成が挙兵を計画したんじゃないんじゃないだろうか。
369 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 10:47:32 ID:rrFDLdAp
370 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 10:56:00 ID:VdLDW+75
輝元にはあんまり野心ないだろうしな
関ヶ原後に助けを求めてきた小西の息子を殺したってことからも
小心者ぶりが見て取れる
371 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 12:46:39 ID:Rr8I+PIH
光成準治「関ケ原前夜における権力闘争−毛利輝元の行動と思惑」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)
372 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 13:07:25 ID:eiv57fpN
それより本能寺で動かなかったのがもったいなかった。
あそこで追撃かけてりゃ播磨まで制圧できたのにお人よし過ぎる。
秀吉の中国地方領併合すればどのくらい石高いっただろう。
100万石は+されてたはずでそうすりゃ250万石。
勢いに乗れば織田についていた豪族連中も毛利に味方して畿内もとんとん拍子で併合できただろうにアホすぎる。
元春の方がよっぽど先が見えてた。
隆景は無能。戦略眼ないよ。
373 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 13:45:16 ID:4J0xbV0p
隆景は小早川の人間だから毛利本家を潰して自立したがってた賊臣だからね。
隆元を暗殺したり秀吉に内通して毛利を売り渡したり、元春を九州で毒殺したり
輝元を教育の名のもとにフルボッコしたりした。
374 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 19:39:50 ID:yOONbDoq
375 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 11:20:04 ID:I0iZF+dC
元就もヘタレでダメダメだけどな。
厳島だって村上水軍への過度な依存によって勝ったくせに
自分たちが勝ったと捏造してるし。
376 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 14:06:45 ID:7qEZPPKm
>>ID:I0iZF+dC
基地外のお前ほどヘタレで捏造はしとらんだろw
377 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 15:21:16 ID:7UMKzJTk
>>372 >隆景は無能。戦略眼ないよ。
秀吉に協力した結果が朝鮮でこき使われ御家乗っ取りだよ。
便利な駒だよな隆景w
秀吉も笑いが止まらなかっただろう。
元春も悔しくてしょうがなかっただろうね。
長生きしてたらほら見たことかって絶対言ってたよ。
ついさっきまで戦ってて清水宗治殺されたのに何で見逃すんだろねアホの隆景。
俺がコーエーの人間なら
小早川隆景 統率82 政治45 智謀30
にするね。
378 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 15:28:31 ID:I0iZF+dC
元春は立花道雪の鬼追撃でズタボロになり、
子が親を捨てて逃げたと言われるほどに悲惨過ぎる、
大雪の深夜敗走で中国へ泣きながら逃走したヘタレ武将。
379 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 22:16:41 ID:b7MFhCHu
戦国大名のヘタレ裏切りランキング一位は、輝元で決まりだろう。
後は小早川、吉川辺りが上位を占めるだろうな。
情けない大名だ。
380 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 22:31:50 ID:4eo3ETys
>元春は立花道雪の鬼追撃でズタボロになり
これって史実ですか?それともアンチ毛利の架空戦記?
381 :
仙台藩百姓:2009/11/29(日) 23:14:17 ID:S6e19Pnm
>>372 一体どうやって追撃すると言うのだお( ^ω^)
高松城を救援に行くのすら躊躇って愚図愚図していたのに
宇喜多や秀吉の諸城を踏み潰しつつ、異常な速さで進む秀吉勢に追い縋るなんて
輝元がニュータイプでガンダムでも乗らなきゃ無理だお( ^ω^)
せいぜい城の一つか二つ落としたぐらいで秀吉が戻って来て返り討ちにされるのがオチだお( ^ω^)
382 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 23:18:56 ID:ED1iOR/V
>>381 追いかける方法はある。
船。
しかし勝算のない危険な特攻作戦になるが。
383 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 01:00:49 ID:xY9YTduJ
勝算がないわけないだろ 毛利3万と光秀2万を相手に秀吉3万がどうやって圧勝するんだよ
384 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 01:07:50 ID:BF/+AQZS
385 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 01:08:29 ID:HC265olr
猿知恵で
386 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 01:08:52 ID:956Z4RQI
ゲームじゃないんだから2正面作戦の秀吉軍なんてすぐに崩壊するだろ。
仙台ってこんなレベルだったの?
387 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 02:03:41 ID:eFDpWeRM
ゲームじゃないんだからってんならどうやって兵を輸送するか考(ry
388 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 06:11:44 ID:jO8x9CDy
>>375>>377-378 つまり、輝元やら広家以前の問題として、結局毛利家は元就に至るまで
駄目な奴ばっかで、大内や陶や尼子を降せたのも、中国の覇者になれたのも、
一時的とはいえ織田とそれなりに戦えたのも、全て運が良かっただけ、
もしくは好条件が重なっただけのまぐれって事でOK?
389 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 07:30:54 ID:xY9YTduJ
追撃できない根拠はなんだよ 船じゃなくて普通に陸から攻めりゃいいだろ どあほが
390 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 09:29:52 ID:aASfe2Ef
他力本願かつ漁夫の利を見て裏切りまくりの卑怯下劣な人生が元就公。
50歳まで安芸でネズミのように震えながら、子作りのみに熱意を傾けていたら、周囲のリーダーがみんな死んでしまい、
いつの間にか地域の長老になっており、毛利家自体が代々の一揆の盟主だったこともありとりあえず年長者として推戴され、
利害対立から適当な後継者のいない家から養子が欲しいんだけどと言われてあげただけ。
このストーリーを壮大に妄想歪曲脚色したのが百戦無敗の元就朝臣マンセー毛利資料。
391 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 16:00:04 ID:hwtbPnxm
関ヶ原での毛利家の動員力は何万人だったの?
正確な数字を頼む
392 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 16:39:55 ID:NVsQFZzE
アンチさんよ、いっそ その内容で論文書けば?
そのほうが、2chで吠えまくるよりよっぽど効果的だし・・・
393 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 17:06:30 ID:T7Vyoutd
宇喜多が秀吉から離叛する前提なら追撃はできるかもしれないね。
光秀に味方が集まらなかった事自体、隆景が妥当な判断をしたと
言う方が正しいんじゃないの?
394 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 17:29:50 ID:eC/0dgWD
まあ予め安国寺とか抱き込んでた猿には勝てんわ
395 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 18:07:33 ID:956Z4RQI
2正面作戦なんて下策の下。
ゲームだったら金ヶ崎でも浅井が裏切ろうが勝てちゃうけど実際はそんなうまくいかない。
毛利が追撃してこなかったから全力で明智に当たれたんだよ。
宇喜多だってこんなもん守りに5千も置いといて宇喜多領の北から侵攻すればいいだけの話。
その宇喜多だってのぶながが死んで毛利が大軍で攻め寄せてきても秀吉に尽くすとも思えんけど。
宇喜多なんて節操ないし簡単にまた裏切るかもよ。
もしくはすぐに追撃しないで秀吉軍が播磨から大坂入った頃に空き巣同然の秀吉領に攻め寄せるかだね。
反転もできず援軍送ったら明智軍に勝てるかどうかもわからずパニクってたんじゃね。
396 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 18:36:49 ID:xY9YTduJ
吉川、秀元含む毛利の動員力って3万6千だろ?
関ヶ原に1万8000送り込んで、半分の1万8000を輝元自身が大坂で保持してるかんじだろ
397 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 19:10:20 ID:xY9YTduJ
398 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 19:55:03 ID:G9bGm9iG
一家老に過ぎない吉川に振り回され、統率力も無く
肝の座っていない根性無しの輝元。
吉川は本家を売り、輝元は総大将にもかかわらず節操が無くヘタれなやつ。
戦国武将の中でも一、二位を争う最低ランクの武将だろう。
そうか。最高なんだな。
400 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 20:28:21 ID:9tyNQfSj
元就も輝元の無能を見抜いてた。
家のバランス上担がれてるだけの飾りに過ぎない輝元が天下を狙ったのが運の尽き
そこまで担がれっぱなしの神輿なら、関ヶ原んときの担ぎ手が悪かったんじゃないのか。
402 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 20:58:22 ID:9tyNQfSj
↓弱いものには強い
凡庸なイメージとはかけ離れているが、輝元が粛清・暗殺した人間は非常に多い。
熊谷元直 - キリスト教信仰を理由に殺害。
天野元信 - キリスト教信仰を理由に殺害。
杉元宣 - 妻を奪うために殺害された。
吉見広長 - 謀反の企てがあるとして追討させられた。
内藤元珍 - 佐野道可事件に連座して、自害させられた。
粟屋元豊 - 佐野道可事件に連座して、自害させられた。
鵜飼元辰 - 元猿楽師で小早川隆景の家臣だが、その死後に殺害された。
弱いものには滅法強く、相手が強いと手も足も出ない
あっちへふらふら、こっちへふらふら
そりゃ担ぎ手も投げ出すよ
無能と評されつつも、家中での権力は保ち得たわけだ。
404 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 21:05:44 ID:9tyNQfSj
爺の七光りですね。わかります
実力の世にあって亡爺の威光があったのなら、それが叔父のおかげであったとしても
体制の上で泳ぐ器量はあったということだ。
406 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 21:35:11 ID:9tyNQfSj
ずる賢さと逃げ足だけは一流の器量w
佐野道可事件
大阪の陣で万が一に豊臣が勝利した時の保険として佐野道可こと重臣内藤元盛を入城させる
その際、下記の誓詞を与えた
※大阪入城の件を引き受けてくれた恩は生々世々忘れない。約束した事は必ず守る
※嫡子の本家は勿論、その兄弟の分家まで将来とも見捨てず取り立てるから安心してほしい
※この件は極秘裏に進め、現場の一切は元盛に任せる
落城後、元盛は個人的な豊臣の恩義により入城したとして自刃
また事情を知る息子二人も父親の独断と主張し輝元を庇ったため輝元は事なきを得る
↓
取調べが決着したにも関わらずうろたえた輝元は口封じのため息子二人を粛清
↓
非道を訴えでた元盛の妻に逆切れし内藤氏は取り潰し
元盛の2人の息子も自刃したことを知った取調官柳生宗矩は
嘆き、切腹を悼む旨の書状を宍戸元続・都野惣右衛門の両名に送ったといわれている。
乗り切ってんやん。
あと狡賢さとかに対して器量という語句を使うのはヘン。
408 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 22:37:25 ID:aASfe2Ef
隆景にフルボッコされて池沼になってしまったんだよ。
天然池沼政宗公に比べたら後天的な輝元は小者だよね。
409 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 23:24:32 ID:ejua7et6
>>398 統率力が無いのなら西軍はまったく機能しないのでは?
普通に西軍は城攻めなんかしているのに統率力が無いとはね
そもそも輝元は西軍に積極的に参加しているぞ
そのために広家のいいわけが聞かず改易をくらっている
節操が無いといわれる意味がわからん
輝元が東軍に内通したという証拠でもあるのか
410 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 23:43:10 ID:+yDhpIZ2
晩年の輝元は一国を保つ力量を持った人間にまで成長した
411 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 01:14:35 ID:K/KDFdgO
関ヶ原後の処世術ったってあれ家老がやっただけだろ上杉みたいに。
上杉と違って毛利はリストラしてるし褒めすぎ。
減法喰らったんだからそりゃ生き残るためなら誰だって必死になる。
無駄使い止めよう。特産品作ろう。
こんなもん誰だって思いつくわ。
412 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 07:07:05 ID:iDUQaLRw
そりゃ西軍だってそこまで統率取れてなかったろうさ。
総大将の輝元も、副将格の秀家もそんなリーダシップ発揮したとは言い難いしな。
でも東軍だって似たようなモンだろ。家康は西軍の指導者達よりは、
多少リーダーシップがあったかも知れないが、完全では無かった筈だ。
実際小山の段階では皆去就を迷ってたみたいだし、その後も迷ってた連中は多かったろう。
大して西軍と状況は変わるまい。
そもそも西軍には「東軍に付く気だったがやむを得ず西軍に付いた」とか、
「密かに東軍に内通していた」とかいう武将がかなりいたようだが、
実の所東軍にも「西軍に付く気だったがやむを得ず東軍に付いた」とか、
「密かに西軍に内通していた」とかいう武将は結構いたと思う。
東軍が僅か一日で勝ったから、内応するタイミングが見出せなかったり、
「元々東軍に付く気だった」と後から主張したりしただけだろう。
413 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 10:44:09 ID:7Eb34OzP
統率ってのはカリスマ性とかじゃなくて
知行宛行権があるかいなか 戦後にちゃんと恩賞を保障してくれるひとにしか付かんよ 戦国の基本は土地を保障してくれるかいなか
414 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 12:06:27 ID:eKBiL9hb
祖父からの隔世遺伝の力…恐ろしく無能だぜ。
415 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 19:30:07 ID:mIwvwwl+
萩城も微妙だよな
へんな場所に天守建ててさ
416 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 20:13:14 ID:RKn96/T2
輝元には、統率力も行動力も無し
国力はあったが、無能だった為に家老は家康に寝返り
戦に馳せ参じるべき総大将の輝元は大阪城でのんびり構える無能
揚げ句の果ては、関ヶ原の後大阪城を家康にすんなりと
明け渡す戦国武将にあるまじき貧相な考えしかできない毛利輝元
逃げるは、弁当食べる云々の言い訳するは、根性無しだは
揚句の果ては厳封されるは、毛利一門はなんなんだろうな
戦国大名きっての情けない一門だよな
417 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 22:47:12 ID:i6hBd5vE
>>416 >国力はあったが、無能だった為に家老は家康に寝返り
誰が寝返ったんだ?
広家は内通しただけであり寝返ったわけじゃない
寝返ったのなら助命活動なんてしないだろう
>戦に馳せ参じるべき総大将の輝元は大阪城でのんびり構える無能
家康も江戸に2ヶ月近く引きこもってるのを知らないのか
まさか西軍が蜂起してすぐ関ヶ原に来てると思ってる?
家康や輝元も情勢を見極めてたり謀略に急がしかったんだろ
その結果家康が有利になったから家康は出て来ただけ
もし不利なら江戸に引きこもってんじゃない
>揚げ句の果ては、関ヶ原の後大阪城を家康にすんなりと
明け渡す戦国武将にあるまじき貧相な考えしかできない毛利輝元
城を明け渡すなんてことは結構普通に行われていることじゃないか
それにあのまま篭城しても豊臣家が協力的でない以上瓦解すると思う
418 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 01:31:53 ID:PXWSw0TH
無双の元就 以外にかっこいい・・・
419 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 03:19:55 ID:x88/79Yp
広家はどういう青写真を思い描いてたんだろうな?
単に東軍の方が勝ちそうだから、とかその程度なんだろうか・・・・
420 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 14:47:10 ID:MpFgorQW
輝元も広家も結果論から言うならすごく馬鹿な選択だったと言われるが
実際違う選択肢を選んでいたらどうなったかな?
421 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 14:55:37 ID:OxzRiD5U
広家はそんな間違ってないと思うけどね。
どっちみち家康に大幅削減か、下手すりゃとり潰しだと思うよ。
反抗しようとしても、もう家康に敵対する奴居ないから単独になるだろうし。
422 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 16:32:52 ID:c2/4691w
>>415 輝元も本当は山口か防府あたりに築城したかったけど
嫌がらせに近い幕府の命令で仕方なく萩にしたらしい。
423 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 18:02:41 ID:WDsZcBny
>>419 お前そんなん知らんの?
安国寺が大っ嫌いで奴とも仲のいい三成なんかに味方する気サラサラ無かったからに決まってんだろ。
こんなん誰でも知ってるだろ。
424 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 18:20:07 ID:GLWgvLZj
恵瓊「西軍の総大将ゲットだぜ、これで毛利の天下」
TERU「じっちゃん、おれ天下とったよ。じゃ、あとよろしく」
広家「チッ、内応しといたから大丈夫だ、感謝しろよ」
秀元「戦いはじまったよ、攻撃しようぜ」
首脳がばらばらじゃ勝てないわな
425 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 18:44:49 ID:x88/79Yp
>>423 もちろん知ってるが、それが事実だったとして問題はその後。
東軍勝利後の天下がどうなって、毛利はどういう立場で生きていこうとか、そういう青写真は
どう考えてたのかな・・・と。
426 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 19:02:50 ID:S+VKAYmA
>>422 それは有名な話だからね〜
場所じゃなくて城そのもの
山城なのか?平城なのか?
あと思うんだけど天守が三角州の奥の隅っこの平たい場所にあるから
ぜんぜん目立たないよね
大金使って目立たない天守なんてどうなの?
427 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 20:29:17 ID:PXWSw0TH
でも毛利家でいちばん魅力的な時期は 関ヶ原の頃
個人の魅力では元就
428 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 21:06:02 ID:c2/4691w
>>426 麓や中腹に御殿造って山頂に本丸や詰丸置くのは割とよくあるパターンでないの?
鳥取城とか出石城とか伊予松山城とか。
天守が変わった位置にあるってのは同意っす。
429 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 22:00:45 ID:Vq5wZ1+Y
鳥取や出石を例に挙げるなら伊予松山は違う。どちらかと言うと古処山の秋月城の方が適当だろう。
430 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 23:10:55 ID:c2/4691w
>>429 伊予松山城も規模は大きいけど山頂部は萩や鳥取と同じく戦闘に特化した場所で
御殿や重臣屋敷は麓に置いていたよ。
でも考えてみたら大幅減封後に新規築城するのもよく分からんなぁ。
財政は苦しかったはずなのに。
上杉みたいに領内の既存の城を改修すればよかったのに。
431 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 03:56:02 ID:k93haBvD
武田勝頼が輝元の立場におったらもっと活躍したと思う
432 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 04:47:59 ID:snSq995L
>>430 仮に徳川が攻めてきたら強固な城が必要だから作ったんじゃない
433 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 06:58:59 ID:BaPGI8QC
>それにあのまま篭城しても豊臣家が協力的でない以上瓦解すると思う
だよな。そもそも豊臣家はよく西軍側に近かったなどと言われてるけど、
実際の所、秀頼周辺は東軍への好意的な中立だよな。
挙句家康は会津攻めのに莫大な軍資金を秀頼からせしめてるが、
対して西軍は軍資金をもらってないし。
ま、武力で大阪城を占拠したような西軍の連中に好意を抱けと言うほうが無理な話だが。
豊臣が非協力的な時点で、大坂城に篭城など絵空事、不可能な話しだ。
434 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 08:53:05 ID:7dGLnaUc
>>421 どっちみち大幅削減なら戦えばよかったのにって意味で広家も間違いなんでしょ
上でも言われてるけど関ヶ原後の諸大名(上杉島津増田など)への家康の処置を見ればやるだけやってもよかったと思う
しかも広家は安国寺との政争という私的な部分もあるし少なくとも完全に褒められる選択ではないはず
435 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 18:03:10 ID:P9IzBGNc
総大将になっちゃった輝元がいけない。
家康が密約を反故にしてのもそこをつつかれてる。
あと伊予に攻め込んでるし黒田領でも大友残党扇動してる。
ここまでやってしまったため毛利は取り潰しになるはずだった。
周防長門は本来広家に与えられるはずだった。
ところが忠義者の広家は土下座して家康に自分は周防長門いらないから輝元に与えてやってくれと辞退した。
輝元がアホすぎただけ。
こいつは劉禅に匹敵する無能。
しかもこいつ馬鹿だから関ヶ原には東軍に武将派遣しなかったのに大坂の陣の時は保険でいれてやがんの。
436 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 20:38:28 ID:snSq995L
>>434 戦えば普通に滅ぼされるんじゃないか
そもそも戦っても大幅削減されるだけで済むなんてことなんてありえるのか
それに上杉は徳川本隊とは戦ってないし、三成と共謀したという証拠もないからあれだけで何とか済んでる
島津はもともと東軍に付こうとしていたし、当主は忠恒、領地は九州と攻めようとすればいろいろと面倒だからと思う
増田は命だけ助かって改易されている
>>435 書いてあるとおり西軍として積極的に行動しているのに担がれただけとして
交渉している広家が悪いんじゃないか
あと広家は自分の交渉の失敗の責任を取っただけだろ
>しかもこいつ馬鹿だから関ヶ原には東軍に武将派遣しなかったのに大坂の陣の時は保険でいれてやがんの。
関ヶ原の時は総大将だから東軍に武将派遣なんてしないだろ
大坂の陣の時は徳川傘下の一大名、武将派遣したのは家康高齢で死ぬかもしれないからその保険
時代によって立場が違うんだからそれを理解するべきなんじゃない
437 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 21:59:57 ID:NwexR/Hu
>>430 元々防長に改修して使えるような近世城郭がないんじゃないの。
三田尻(防府)が認められていても新規築城だろうし、山口も高嶺を改修すればなんとかなるとかいう話ではなさそう。
ま、そもそも徳川からしたら辺鄙な所に大金を投じてもらうことに意味があるわけで、
その辺は暗黙の了解と言えばそうなるのでは。
438 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 22:07:51 ID:P9IzBGNc
>>436 >大坂の陣の時は徳川傘下の一大名、武将派遣したのは家康高齢で死ぬかもしれないからその保険
えーーーーーーー?
輝元って大坂の陣の時点でも家康が死ねば豊臣の時代が来るとおもってたんですか?www
こりゃ駄目だw
こんな馬鹿が当主やってんじゃ家臣がいくら頑張っても全てを台無しにするw
439 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 22:28:17 ID:CtkEILzZ
>>437 三田尻は新規築城だろうけど高嶺なら既に近世化されてたみたいだし無理すりゃいけるんじゃないの?
鳥取城みたいな感じの城になってしまうだろうけど。
そもそも「新しく城造りたいけど何処が良いでしょうか」なんて聞かずに
「金ないんで今ある城を改修します」って言っとけば萩なんかに押し込められなかった気もするね。
あなたが言ってるように幕府にいいようにあやつられてたのかなぁ。
440 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 22:43:03 ID:kT/Abg+m
輝元は山城好きなんだろうし、どうせ辺鄙な場所に建てるなら
青海島にでもすりゃ良かったのにねぇ
仙崎を城下町として利用すりゃ新たに町人連れてこなくてもいいしさ
441 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 21:25:21 ID:9iHxkQgd
442 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 05:34:40 ID:/OFJnqpR
関ヶ原時の輝元と言えば、「毛利は残った」とかいう小説が面白かったなw
輝元が優柔不断過ぎるww
443 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 16:38:53 ID:LQWs1m6c
444 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 21:09:28 ID:KPuNyXXX
>>441 ずいぶん時間かけてそんな煽りレスしかできないの?w
とっくに世襲制に移行してるのに家康死ねば徳川の時代は終わるなんてお前と輝元のアホぐらいしか思ってねーよw
445 :
人間七七四年:2009/12/12(土) 02:08:38 ID:L8AUYFuZ
>>444 輝元が送ったのは大阪冬の陣の時
その頃はまだ大阪城の堀も健在で豊臣家が浪人衆の話を聞いて討って出てればわからん状況
これが堀が埋まった状況で送ったのなら馬鹿だが
もっともこの佐野事件は本人が勝手にやったとも言われていて真相はわからん
446 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 08:13:15 ID:fuh3aq3+
関ヶ原は予想つかないだろうけど、
冬の陣でさえ大名レベルはみんな徳川方なんだから…
その言い訳は苦しいと思いますが。
447 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 14:08:45 ID:pd40k8Z0
裏切りまくりの藤堂高虎でさえ豊臣なんかに見向きもしないで重臣2人死ぬほど死に物狂いに徳川のために戦ったのに
何の恩も無い秀頼なんかのために戦う馬鹿は福島と毛利ぐらいしかいない。
豊臣恩顧ったって自分の働きで知行与えられたのに永遠に恩着せられるなんてうざいことこの上ない。
しかも残ってる豊臣恩顧の大部分が関ヶ原で東軍について加増してもらって家康ありがとうな状態。
秀頼になーんの恩も無いのに豊臣の時代がくることはまず無いでしょう。
448 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 21:58:27 ID:LmSIrWbu
家康を失った秀忠についても同じだな。
449 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 22:49:34 ID:pd40k8Z0
>>448 馬鹿?w
もう毛利厨相手にするのも疲れてきた。
どんだけおめでたい頭してるんだ毛利厨の頭は。
国力比どんだけあると思ってるんだよ。
まさか豊臣200万石、徳川250万石とか思ってるの?w
毛利は全て勝ち戦。全員名将。気持ち悪いんだよ毛利厨。
450 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 01:22:23 ID:g1mfCF/l
毛利厨の基地害さは有名だからね。
やつらは北条を誉めて、上杉武田の悪口を言う手口も使う。
また織田相手に連勝したとほざくなど頭が池沼。
451 :
人間七七四年:2009/12/15(火) 07:48:28 ID:vzi1cwen
輝「自分のオモチャを使ってみたかったんだ」
家「画伯w」
452 :
人間七七四年:2009/12/15(火) 23:14:51 ID:tI63YWPN
関ヶ原の戦いは毛利VS徳川の天下取り合戦にも出来た筈だ
主と家臣が著しく間抜けだったから醜態さらしただけ
そうだな武田勝頼が毛利の総大将ならばもっと面白くなってたかもな
信長クラスでなくても勝頼クラスでも歴史は変わってたと思うぞ
453 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 21:02:30 ID:cPZw/86J
勝頼、勝頼…もううんざりw
454 :
仙台藩百姓:2009/12/17(木) 12:09:57 ID:CYbBMUsn
>>452 それは無理だお( ^ω^)
家康の場合は自分で状況を造り、また周囲もそれに賛同した者が集まっているけど
輝元はお飾りに持ち上げられただけで
本人にも何の信念も感じられず、周囲も毛利の為に集まったわけではないお( ^ω^)
担がれた時点で毛利は終っているのだお( ^ω^)
455 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 12:59:32 ID:nOvx/nTm
じゃあ広島城に篭って中立保てば良かったのかと言うとそれも難しいよね
456 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 18:57:57 ID:btpPaP6k
味方するって騙して三成が蜂起したら討ち取って秀頼保護の名目京阪押さえる
457 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 22:45:31 ID:j4d3zGmT
まさかの第三勢力として参戦。
458 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 10:05:41 ID:RHUGwz2Y
それはまた大迷惑な参戦ですね
459 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 10:47:24 ID:hlfskuPG
担がれるだけの名声があるわけだからやりようによってはなんとかならんでも・・・
とはいうものの
おそらく豊臣政権(五大老合議制)が持続可能であるという読み違いから来ているであろう
家康を仮想的とした明確な戦略を持っていない様、石田に行動力・政治力で大きく水を
あけられ利用される様などをみるとやはりムリポか
元就であればむしろ自分から五大老制を骨抜きにしたりいろいろえげつない事出来そうですが。
460 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 13:40:00 ID:ykQjdu7t
>>459 >おそらく豊臣政権(五大老合議制)が持続可能であるという読み違いから来ているであろう
読み違えたのは豊臣家が家康を敵と思ってなかったことじゃないか
結果的に秀頼が出陣させることができなくて負けたわけだし
>家康を仮想的とした明確な戦略を持っていない様、石田に行動力・政治力で大きく水を
あけられ利用される様などをみるとやはりムリポか
輝元は長期的な考えをもってたと思うぞ
家康と戦うなら西日本をまとめてから戦おうと思ってたふしがある
だから四国や九州にも兵を出している
461 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 16:19:11 ID:9JtkcxqI
あんなボンクラにまとめられる訳がないし長期的な考えなんかある訳が無い。
あったとしたらニヤニヤバカ面さらして妄想してたくらいだろ
462 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 17:16:20 ID:N9JSWa7J
豊臣は家康を敵だとはおもってたが
万が一、石田を支援して負けた時のリスクを考えて、家臣同士の争いと位置付けて逃げ腰になっただけ。
その最大の理由は大坂に入った輝元があまりに無計画で頼りないアホで、総大将になった喜びで急いでやってきて家臣団がみんな違う話をしまくってバラバラだったから
463 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 21:34:30 ID:ykQjdu7t
>>461 >あんなボンクラにまとめられる訳がないし長期的な考えなんかある訳が無い。
ボンクラも何も総大将になった事により西軍はまとまっているけど
それに長期的な考えがないなら何で四国や九州に兵を出しているんだ?
>>462 総大将になったのは大阪に来てからなんだけど
むしろ無計画なのは急に呼びつけた三成たちのほうじゃないか
それにいつ豊臣家が家康を敵だと思ってたんだ
敵だと思っていたのなら秀頼を出陣させるなりすれば勝てるのに
そうしなかったのは家康を敵だと思ってなかったんだろ
464 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 01:05:44 ID:y7yl3fmh
秀頼を出陣させるなりすれば勝てるのに←はっ?勝てるわけねーだろ。
家康に秀頼が大敗して滅亡リスクの方が高いわ。
465 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 03:00:10 ID:CKOfINIY
>>464 状況を大阪の陣と一緒だと思ってるのか?
関ヶ原の時はまだ豊臣家には力があり、影響力も大きい
それに豊臣恩顧の大名も秀頼に弓を引こうとはしないだろ
むしろ豊臣恩顧の大名が秀頼に弓を引こうとする根拠を教えてもらおうか
466 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 03:07:04 ID:wa0OXkQ6
そもそも大坂の陣の時でさえ出陣しなかった秀頼が何で関ヶ原で出陣する妄想ができるのか
467 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 07:44:43 ID:eJeIdvj5
秀頼が出陣しても三成憎しの豊臣恩顧大名が三成や輝元に秀頼様が利用されてるとか言い出して余計に怒りだして
火に油を注ぎ逆効果になるだけ。
468 :
仙台藩百姓:2009/12/19(土) 09:16:03 ID:i9jkInIn
家康は豊臣正規軍の陣代なのだから秀頼が敵対する意味も理由もないお( ^ω^)
状況的に見れば賊軍は輝元の方だし( ^ω^)
469 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 10:24:52 ID:eJeIdvj5
遺令を違えて専横して豊臣大名たちに因縁つけまくって恫喝したり、詰問にもふざけた返答してたけどな
470 :
仙台藩百姓:2009/12/19(土) 10:39:33 ID:i9jkInIn
とは言っても天皇と秀頼の公認を得ているのだから公的に見て大義があるお( ^ω^)
471 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 12:38:26 ID:eJeIdvj5
纂奪者らしい屁理屈だな!
しかも自らの野心のために悪戯に戦乱を引き起こすは、
家康は生前に奪い取る愚挙までやってる鉄面皮恥知らず極悪人
472 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 13:08:51 ID:wdUtTnpg
勝てば官軍
473 :
人間七七四年:2009/12/19(土) 13:17:17 ID:CKOfINIY
>>466 論点がずれている
豊臣家が家康を敵だと思っているかどうかの話なのに
秀頼が出陣できるかどうかの話になっている
ようは敵だと思っているのなら一番有効な手段である秀頼出陣を
何で豊臣家がしなかったのか説いているわけなんだけどね
474 :
人間七七四年:2009/12/20(日) 22:36:45 ID:TSIMumEf
>>473 >豊臣家が家康を敵だと思っているかどうかの話なのに
三成たちは家康を豊臣家の敵だと思っていた
だけど豊臣家の主は三成でも輝元でもない
関ヶ原の時点では幼児の秀頼に家康を敵と思う意思はないし
そもそも婚姻関係となる徳川と比べれば三成や輝元の方が秀頼との関係でいえばむしろ赤の他人である
豊臣家として秀頼を赤の他人に過ぎない連中の道具にできるわけがない
だから秀頼が出陣しないのは当たり前
475 :
人間七七四年:2009/12/21(月) 13:26:44 ID:svRk5An8
>>436 裏切り続出なのにどこがまとまってるんだ?
476 :
人間七七四年:2009/12/22(火) 12:14:23 ID:sdk4wg66
戦いもせず畿内の一大名に減封の豊臣が1番ヘタレ
477 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 06:00:19 ID:Wtmah4JA
凡庸ではあるが無能ではないな
自らが率先するのではなく己の力量を見極め
叔父や合議制を中心に領国経営していたわけだからな
関が原は吝嗇で保守的な家康が天下を取れば
大毛利家が無事で済むはずがない理論で立ったようなものだしな
478 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 10:38:26 ID:rrMFfEOI
幕末の毛利藩主なみにおかざり。
みんな家臣にやらしてた超無能大名。
山内ようどう、島津久光、斉彬なんか知ってる人いっぱいいるけど幕末の毛利藩主の名前知ってる奴なんか日本にほとんどいない。
479 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 12:22:13 ID:MWvN3/iI
>>477 自らが率先する力がないのに天下分け目の大戦の総大将を引き受けたのが無能なんだろ
480 :
人間七七四年:2010/01/22(金) 14:42:42 ID:2U773FH2
どうしようもない無能なら旗頭にすらならない
481 :
人間七七四年:2010/01/26(火) 00:48:36 ID:7wr3FR1C
お神輿に最適です
482 :
人間七七四年:2010/01/26(火) 23:20:58 ID:BikkuVDg
眠れる獅子=輝元
483 :
人間七七四年:2010/01/31(日) 13:12:58 ID:GKRZ+cHp
眠れる獅子って起きた例がないよね
484 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 12:44:01 ID:7bFCP234
輝元は大坂城で淀殿とセクースしてました
485 :
人間七七四年:2010/02/01(月) 14:44:22 ID:JuK9RD7U
輝元=お前ら
486 :
人間七七四年:2010/02/03(水) 00:19:23 ID:052419i2
487 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 06:07:10 ID:Nj0d0le8
>>479 輝元より広家の暴走の方が影響大きいだろ
488 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 23:45:27 ID:+J3tYxST
輝元が一族を統率できないから広家を独走させてしまったわけで
だから総大将の器じゃないって言われてるんだよ
489 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 21:29:20 ID:8sEaRjzk
プレイヤーにとってはこいつが最大の邪魔
490 :
す@死:2010/03/05(金) 22:05:19 ID:PLctBMGY
担がれたんなら本気で戦えばよかったのに
戦が起きてものらりくらりのアンポンタン
それが輝元さ
491 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 23:20:55 ID:VuB9S0I8
信長に対しても秀吉に対しても輝元自身は何も戦っていないからな
そんな人間が家康に対してだけ本気で戦うなんてありえないでしょ
492 :
人間七七四年:2010/03/05(金) 23:53:26 ID:tApAc9my
輝ちゃん
493 :
す@死:2010/03/06(土) 00:48:37 ID:tVld6AwS
秀忠とどっちが優秀かな?
秀忠も家康存命してなかったら危ういぞ
関ヶ原遅参、大阪の陣は急ぎすぎで兵がバテる
典型的な空気読めない奴
494 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 11:36:03 ID:uJl9ki7G
尼子義久以下
495 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 12:20:51 ID:yPipITQT
>>493 家康が死んでたら、関ヶ原は遅参にはならないし
大坂で急ぐ必要も無くなる
496 :
人間七七四年:2010/03/06(土) 12:34:11 ID:jUAfXZWJ
>>493 秀忠も家康の顔色ばかり伺って、どんくさい事ばかりしてたけど
家康死後は、伸び伸びと僕は強いんだじょ!って感じで
「おい福島!もうお前は死んでいる」
「本田正純よ、俺を釣ってどうすんのよ?お前こそ釣ってやるわ」
「おい痘痕顔のアホ息子よ、お前はバカだ、お前はバカだ、お前はバカだ」
「嫁が怖い?何言ってるのよ、俺は将軍だぞ!とっても偉いんだぞ。よしお前を犯してやる!」
「何?子供ができた???どうしよう、おごうが怖いよ〜〜」
497 :
人間七七四年:2010/03/08(月) 17:44:12 ID:5eiot89t
輝元と淀殿って一回はHしてると思うんだよな〜
498 :
す@死:2010/03/09(火) 04:38:58 ID:+8HWK8sl
秀忠のやった事はあれだろ
土井利勝の入れ知恵と家康が抵抗勢力殆ど潰したからやれた事だろ?
やっぱり輝元とどっこいだと思う
499 :
人間七七四年:2010/03/09(火) 10:19:35 ID:d9fLGgu+
西軍総大将なのに関ヶ原で裏切り、
自分の本領は安堵してくれ、
そういう一族のトップ。
500 :
人間七七四年:2010/03/16(火) 21:35:27 ID:9Sovuew8
小西兵庫頭 -
行長の嫡男。関ヶ原の戦いの頃12才であった。
当初は大坂で毛利輝元に預けられ、戦後輝元の独断で「大坂より安全な場所に移す」と偽って処刑されている。
首は徳川家康のもとに送られたが、家康は輝元の卑劣な行為を嫌って首との対面を拒否した。
501 :
人間七七四年:2010/03/18(木) 20:35:36 ID:uFUhDBTj
長生きしたかったんだろ
信念もなにもない凡将
502 :
最中:2010/03/18(木) 22:17:27 ID:+xoqlTKJ
みんな結局は長生きしたい奴が多かったんだろ
戦国の世なんざそんなもんさ
こんなこといっときながら歴史オタクな俺
503 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 00:34:53 ID:ZlXdtRcY
504 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 20:10:05 ID:FIC1yuaQ
>>502 そういるルールだからです。
「ぬーやる」バーガーはしってますか?
505 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 17:13:44 ID:YMdPxeJh
506 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 22:39:00 ID:G0tjfjyw
輝元は楽がしたかったんだろうな。
元就・三本の矢部隊・元綱・井上元兼らは草葉の陰で泣いていたんだろうな
507 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 22:49:55 ID:G0tjfjyw
そういえば輝元の子孫はそうせい侯
508 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 23:33:22 ID:l16qzWvq
そうせいは弁当の子孫
まあ輝の血も入ってるけどね(何代か前の正室が輝の孫)
509 :
仙台藩百姓:2010/03/24(水) 10:11:38 ID:IK8NtXh1
なんとも悲惨な血だお( ーωー)チーン
510 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 10:21:07 ID:6G7q85gN
戦場で弁当食ってる時にどのおかずから食べようか優柔不断で
とても時間がかかるわけですねwww
511 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 13:41:42 ID:kisxOSbt
戦場に出たことがあるのか?
512 :
人間七七四年:2010/03/24(水) 20:11:16 ID:PzGT9XdQ
>>508 そうせいに輝の血は入ってないぞ
輝の血を引いていたのはそうせいの養子となった元徳の方
正室との間には娘しか生まれず側室の子が継いでいる
ただ家臣たちがその娘が生んだ男児を跡継ぎにしようとして騒動になっている
それに正室だったのは輝の曾孫
513 :
す@死:2010/03/26(金) 04:22:18 ID:84v7zpxu
器が小さ過ぎる
織田信忠の方が全然上だな
514 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 09:11:17 ID:Cy+2VGTt
元就の遺伝子は一切添加されていなかったんだろう。
515 :
仙台藩百姓:2010/03/26(金) 10:45:15 ID:mkP9Is0N
それじゃ正室が丸っきり馬鹿だったみたいじゃんお( ^ω^)
516 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 13:43:43 ID:00Ouv33T
輝元は他人の不幸を見たかったんだよ
517 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 20:41:41 ID:HzxFDUIq
>>515 尾崎局が馬鹿だったんだよ
要は内藤の血が悪い
518 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 21:40:18 ID:rosKHfvH
俺が輝元だったら本能寺おきたら秀吉軍後ろから襲って姫路まで一気に手に入れたのに馬鹿だよな輝元。
その時点で8万近くまで膨れ上がって毛利になびく勢力出てきて吸収、13万ぐらいまで更に膨らんで一気に京まで雪崩れ込んで織田系勢力殲滅。
なぜこんな簡単なことしなかったんだあのボンクラは。
519 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 00:25:14 ID:S+VKxGZQ
吉川コウジってそうせい候と血縁関係者だよね。
520 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 02:51:38 ID:+4BJ/NNK
>>518 こういった事言ってるほうがボンクラじゃないか?
毛利家にそんな攻撃する余裕なんてねーよ
521 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 08:27:26 ID:jnpJYalx
輝元は秀よりを拉致して関ヶ原まで連れて行けばいいいのに。
片桐は成敗。
522 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 09:12:22 ID:S+VKxGZQ
>>517 秀頼を人質にして双方の縁者である小早川と宇喜田を寝返らせる。
徳川対毛利・三成連合軍で徳川を壊滅ししかる後に三成軍を打ち破れば
天下人への第一歩になったんだ。
このことから考えると輝元は天下が欲しくなかった。
523 :
人間七七四年:2010/03/28(日) 08:12:17 ID:JK18SHJz
それはアふぉのすることですね
524 :
す@死:2010/03/28(日) 12:24:56 ID:lNexqEgM
関ヶ原では
石田隊と宇喜多隊しか戦ってねーんだよw
島津も知らん顔だし
陣形図見たらビックリするわ
負けてとーぜん
525 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 11:23:30 ID:+PaCevdY
島津は実際はガチでやり合っているし、大谷隊とかも戦っているよ
526 :
人間七七四年:2010/03/29(月) 12:55:20 ID:2R6rtSC6
毛利一門は寝返って東軍と戦うか、終始傍観
一門のトップが輝元@大坂城に引きこもり
527 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 01:48:44 ID:zk4gvJDN
>>525 島津がガチでやったのは逃げる時だけだから意味ない
528 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 11:20:41 ID:k1z2obvE
529 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 18:16:58 ID:NPfiR+mN
俺の知り合いのベテランが言うには島津の陣にも当然東軍が攻めてきて防戦してたって言ってたぞ。
言われて見ればそりゃそうだと思った。
陣形みたらバリバリの前線。
東軍からしてみたら兵力少ないところを攻めるのは当然。
自分から出ようとしなかったんじゃなくて寄せてくる敵を撃退するので精一杯なだけだったんちゃうんかと。
530 :
人間七七四年:2010/04/01(木) 22:10:00 ID:tL1aQCyN
>島津の陣にも当然東軍が攻めてきて防戦してたって言ってたぞ。
関ヶ原合戦図屏風でも中央最北最前線で馬に乗ってる義弘が攻撃されててやや下に島津鉄砲隊が射撃してるね。
531 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 00:31:43 ID:nJWhvHlp
島津の引き口やるとき既に300まで減ってたと国宝一次資料島津家文書に書いてあるってその時で紹介されてたな。
一般人じゃ見れない代物だけどどっかにさわりでもいいから売ってないもんかな。
532 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 12:21:01 ID:X5C8CSGF
島津は最前列ではなかったろうな
最前列ならば戦いの進行により消滅しているだろうから、人数から言っても後衛
傍観と言うよりは予備兵力に近かったのでは?
533 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 14:31:58 ID:nJWhvHlp
534 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 14:37:13 ID:nJWhvHlp
>>532の言う島津がどっかの部隊の後ろで傍観してる布陣図是非教えてくださいお願いします。
535 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 14:41:33 ID:nJWhvHlp
>>532の自信っぷりから言うと東軍徳川本隊みたいにどっかの部隊の真後ろに布陣してるのあるんだよね。
V字陣形でこんな1陣の後ろに2陣3陣とるとも思えないけどどんな布陣図か楽しみだ。
536 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 14:42:19 ID:yppuJsNP
そうだな、的にされないのを良いことに動かなかっただけだな
537 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 14:46:08 ID:nJWhvHlp
なんだ期待してたのに幼稚な捨てゼリフで逃げられちゃったよ。
どんな布陣図かも知らないでしったかレスすんなよ糞ガキ。
538 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 18:20:07 ID:X5C8CSGF
高々1500そこそこの勢力で一番前にいて戦わなかったと言う方がはるかに不自然だろ
戦っていれば当然磨り減っているし
三成からの督戦も無いだろ
秀頼付きの小部隊も一緒にいたから後方であまり働かなかったというか
動けなかったと考えるのが普通
539 :
人間七七四年:2010/04/03(土) 18:26:33 ID:X5C8CSGF
>>533 そんなCG画像に何の説得力があるの?
小西の大軍勢と同じ大きさで書かれてはいるが
実際の島津は小部隊
大部隊の石田と小西が前面に出てしまえば嫌でも後方になるだろう
小勢で一番前に出てしまうなどありえないだろ
540 :
人間七七四年:2010/04/09(金) 11:33:43 ID:iI2sK1nr
つまり島津は敵軍になんらダメージを与えられずに
ただただ一方的にフルボッコされて西軍の布陣に穴をあけてしまったわけですね。
わずか生き残り300まで減らされ
しかも島津により被害を受けたりした東軍は皆無。
そして島津軍はパニックし統帥不能になりあらぬ方向へ逃げ出したために
さらに被害を拡大し壊滅。
かつて家久暗殺した義弘はどさくさ紛れに家久の息子に「俺は命欲しいから、お前らここから動かずに死んで犠牲になれや」と旧家久家臣団に死ね命令を出す。
そして親の敵と息巻く宗茂家臣団に憐れみを乞い身辺警護をしてもらいながら
自分の身が安全な場所まで来るや態度豹変して宗茂と大坂城へ行くのを拒否って自分だけ薩摩まで逃げ帰る三国一の卑怯者。
541 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 08:59:32 ID:iDOHC/bn
弱島津をフルボッコしたって武功にならないから関ヶ原で石田や宇喜多や小西と槍合わせの先陣したのは我が家です!って主張しても
島津と槍合わせして討ったなんてドコの大名も報告しなかったんだよ。
追撃だって石田とかを優先した方がいいに決まってるじゃん。
西軍を追撃してたら、島津が背後に取り残されたなんて状況は明らかにザコ島津は放置プレイw
撤退したら東軍主力を追撃する形になっちゃうから怖くて退けねーよとか戦国最大のお笑い大名島津w
542 :
人間七七四年:2010/04/11(日) 02:15:19 ID:NcJEp3qD
>>540 実際後世に脚色されているだろうから
案外それが正しいかもしれん
一連の話、俺は関ヶ原演義だと思っている
543 :
人間七七四年:2010/04/17(土) 12:41:35 ID:kUyQn0DP
まあそんなもんだろ
544 :
人間七七四年:2010/04/17(土) 14:30:00 ID:1eyw4ZWa
>>539 CGも何も石田と小西の間に島津が展開してたのなんて子供でも知ってることだぞw
545 :
人間七七四年:2010/04/17(土) 19:07:02 ID:ht4jU6gq
>>544 自分は539ではないが、CGは開戦前の配置だろ
戦闘が始まれば大きな部隊に挟まれた小部隊など弾き飛ばされるだけ
それに言っている様に大きな部隊と小さな部隊が同じ大きさの凸で書かれているから
有力な戦力のように感じる落とし穴がある
関ヶ原の島津に関してははっきり言ってどうでもいい存在
家康も徳川家臣も特に根回しした記録も無い
546 :
仙台藩百姓:2010/04/18(日) 07:11:10 ID:+rN30vFS
なんか歴史ネタでCGって単語が飛び交うのは笑えるお( ^ω^)
547 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 15:40:24 ID:qoJ83V01
>>72 上も下もそれぞれ責任があるな。
上の責任にばかりするとそれはそれで問題が出てくる。
548 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 18:51:09 ID:NN+rSItT
島津は兄貴も出てないし成り行きって感じだし、宇喜多も毛利裏切った経緯があるから輝元的にどうでもよっかたんだろうな。
共倒れなんねーかな位にしか思ってなかったんだろう。
549 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 19:18:37 ID:EvMdvu/n
宇喜多が毛利を裏切った?冗談でしょ。
裏切ったのは毛利の方。
そもそも毛利は播磨の諸将を見捨て裏切ったくせに。
織田軍がきてるのにロクな支援もしてくれないどころか
毛利は「宇喜多に弱気なところ見せないのが肝心」と完全に隆景以下は織田にビヒって秀吉と和睦しようとしてたのに何言ってんだ。
そんな状態で宇喜多が毛利のために織田と戦って滅亡しろと?
じゃあ聞くが毛利のために忠節を尽くした三村はどうなった?隆景が三村を切り捨てただろ。
今度は宇喜多を切り捨てて秀吉と和睦しようとしてたんだろが。
毛利厨の基地害脳ではバカみたいな論理が出来上がってるようだな
550 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 21:03:07 ID:pkv76gz4
関ヶ原島津軍って佐竹が東軍に派遣した様な形式だけの軍でしょ
551 :
人間七七四年:2010/04/18(日) 21:55:12 ID:P21Mki+b
>>549 まぁどっちもどっちってことなんだけど直家は明らかに毛利に見限ってんだから毛利から見たら完璧な裏切りだろ
播磨のことなら織田も尼子助けてから言えよ。
552 :
仙台藩百姓:2010/04/18(日) 23:05:55 ID:+rN30vFS
見限りと裏切りとでは大分違うお( ^ω^)
553 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 01:23:28 ID:dq+IBW/m
>>549 お前必死すぎだし言ってる事がめちゃくちゃ
宇喜多は傘下なんだから毛利からすりゃ裏切りだろ
「宇喜多に弱気なところ見せないのが肝心」なんか別に政策、外交としては当たりまえの事、なぜビビりとしか捉えられないのかねwカス
三村も傘下なんだから原因関係なく毛利からすりゃ反逆だろ
三村も宇喜多打倒の為にさんざん毛利の力を頼みにしておいて一方的に毛利だけ悪者?
お互い様な所はある
まぁ三村が怒る気持ちもわかるが傘下に入ったからには我慢しなきゃ、もう対等な立場じゃないんだから
それが嫌なら傘下になるな!三村はその通りにしてアポーンしただけ
単純な話
「宇喜多を切り捨てて秀吉と和睦しようとしてたんだろが」はワロタww
554 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 01:36:59 ID:jmNPt5/I
輝元の認識(各書状)では宇喜多勢さえいれば織田軍の侵攻はある程度防げるという
認識だったから宇喜多勢の寝返りは相当痛かっただろうね。
555 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 08:47:49 ID:3tbVDOvM
出た〜さすが毛利大中華思想w
毛利は百戦百勝無敗
毛利はボランティアの善人
とさんざん主張してきた毛利厨房www
宇喜多は別に傘下ってわけじゃねーし
三村が従うのが当たり前ならなんで元春は忠義を尽くしてきた三村を捨てるのに大反対してんだよ。
織田はさんざん援助してきた尼子残党に、
撤退指令出したのに撤退せずに籠城を続けた鹿が自滅しちゃっただけだし。
556 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 23:51:31 ID:xH2za4pL
お前は本当に馬鹿だな宇喜多は毛利に人質送ってるれっきとした傘下だよ
いつ毛利が三村との戦を望んだんだよw
宇喜多と手を結ぶと打倒宇喜多を掲げる三村の立場を考えての事だドアホ
557 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 23:58:36 ID:xH2za4pL
ついでに言うとな謀反を止められなかった責を叔父におわしてるのに
三村を切り捨てて宇喜多と手を結ぶ?
笑わせるなw
558 :
人間七七四年:2010/04/22(木) 02:45:29 ID:J+E7AFfV
えっじゃあ元就は吉川や小早川へ土下座して人質を出したんだね!
う〜ん宇喜多は外交権を取り上げられたわけでもないし傘下に入ってないね。
つうか北九州で大友と和議した元就は北九州の諸城を大友へ譲渡する代わりに
宗麟の娘を輝元の嫁にする話をつけたが、これを大友が毛利の傘下に入ったとは言わないのによね何言ってんだw
しかも宗麟は元就が尼子に追い詰められて早く和議したいの知ってて先延ばしの嫌がらせをしまくった挙句に
北九州の諸城を受け取った後も娘を送らず、うやむやにしちゃうしwww
元就はただ単に遊ばれただけwww
559 :
人間七七四年:2010/04/22(木) 23:39:56 ID:K/JBUvNo
宇喜多は自立してたよ
毛利に宇喜多軍の指揮権なんてねーし
三村は毛利傘下だったけど毛利に滅亡させられたけど。
560 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 13:06:54 ID:eopVOO4/
そもそも三村氏が絶対に不倶戴天の仇の宇喜多との同盟を絶対に飲めないと
わかったうえでの同盟で
最初から三村領地を毛利は奪い取るための姦計を
隆景はやっていたわけだし
宇喜多と毛利は対等同盟。
宇喜多は浦上から独立した頃で、
外部勢力から宇喜多を独立勢力として
初めて認めたのが毛利なだけ。
織田の支援を受けていた浦上を潰すために
宇喜多を自立させるのを後援してたし
561 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 10:50:13 ID:HzIVuTcp
毛利への忠義を尽くした三村のように毛利に料理される前に織田方に寝返った宇喜多は賢い。
毛利は同盟をしておいて充分に安心させておいてから、
いきなり裏切りしまくり奇襲の狼少年大名だから信用する方がバカ。
毛利のために長年にわたり忠義を尽くしてた身内の井上一族さえ、その流通支配からあがる利益欲しさに目が眩みいきなり奇襲して虐殺しまくったキチガイ毛利。
562 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 13:16:33 ID:8GSPfc79
元就や輝元などやってることがデタラメで
平気で敵と裏で結んで味方を奇襲して滅亡させたりあくどい手口ばっか。
陶や大友などもガチでなんで元就が裏切って奇襲してきたのか理解できなかったから
激怒してそうとう口汚くあのジジイめ!って罵ったって言うしな。
毛利ほど信用ゼロの大名家は珍しい。
それを信用して西軍総大将にした大谷と三成はアホ
宇喜多秀家はよくがんばったよな。
563 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 09:33:20 ID:a4w3S3Xb
輝元は輝元なりに自分で手を汚さず領地拡大できるかな
なんて甘い考えも多少あったはず
大友残党に武器や黄金を与えて黒田に対抗させているから
関が原後に野望はありませんなんて言ってたけどウソだわな
まあ暗愚な大将だったのが毛利にとって悲劇だと思う
564 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 10:55:12 ID:50sPPaAt
大友はもともと東軍に付く予定だったのに
輝元の熱意に負けて信用しちゃったんだよな…
565 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 11:43:53 ID:J+Q5DZ3K
九州勢は小早川、立花、鍋島、島津、毛利など西軍が圧倒的。
局地的に見れば西軍参加でなんら不都合無い。
ただ相手と時勢が悪すぎた。
566 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 12:13:13 ID:a4w3S3Xb
大友義統の家臣は東軍につくことを薦めたし
自身も家康に恩義がある
その上、黒田如水から自陣営に与するよう話があった
ほとんどの九州西軍諸勢力が上方に行って留守なのは判っていたはずで
ちょっと分析すれば東軍として行動してもあながち不利はない
つくづくお馬鹿ではあるな
567 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 12:36:38 ID:50sPPaAt
そんな中で伊東さんは東軍として行動し秋月攻め〜さすが神対応w
568 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 12:50:56 ID:mciZcarB
そうなのか
569 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 14:08:35 ID:1E7YE0fA
徳川家康・・・津川雅彦
毛利輝元・・・岩城滉一
570 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 05:37:18 ID:V3vrqLrY
>>562 大谷はアホではないだろ。大谷が進言しなければ三成は輝元を担ぐこともせず
一人で無謀な戦おっぱじめて、関ヶ原の戦いじゃなく、石田三成の乱とか
石田三成の変で片付けられてたんじゃないか??
その時世で、徳川とはれるのは、毛利か宇喜多(これは石高及び年齢的にも
若いから難しい??)しかないからという判断は正しいと思う
571 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 02:50:26 ID:S+WXPwNg
弱ヘタレ毛利を総大将に担ぎあげなければ敗北することはなかったな。
毛利勢がいなければ野戦決戦は兵力差から行われなかっただろうし
大坂城での決戦というより現実的な選択をしていたろう。
そうすれば秀頼が中立的立場に逃げることはできなくなるし
大坂篭城中に上杉が奥羽で優位な戦を展開できるわけだ。
さらにその秀頼のいる大坂城を攻めることに福島らはかなり動揺し
家康が不利になる和睦調停の斡旋に持ち込むことも可能。
572 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 08:55:15 ID:KBEha9CN
でも、コノ時点で総大将を任せられるクラスの大名が
毛利しかいなかった時点で西軍は詰み
573 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 11:04:55 ID:TawUlt2U
>>571 家康の上杉討伐軍はもちろん豊臣公儀の軍勢だが
これまた豊臣公儀の軍勢になる家康討伐軍が
大阪篭城していては意味が無い訳だが
各大名を戦力にしたのなら出陣するしかないと思う
574 :
人間七七四年:2010/05/03(月) 13:43:36 ID:VdqdRrA4
そもそも家康以外の大老や奉行が弾劾状を出した時点で
家康の上杉討伐軍は豊臣公儀の軍勢ではなくなったはずだが?
それに動揺した下野にいた家康に協力したのが黒田だろ
575 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 14:38:25 ID:PtIFBgFV
関ヶ原で醜態さらすぐらいなら
秀吉に滅ぼされたほうが良かったのにね毛利
576 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 15:26:03 ID:aHcSutA7
>>575 東軍につくつもりがなんとなく西軍について関ヶ原で布陣するも
一戦も交えず撤退、戦後外交に失敗して領地没収になった
長曽我部盛親よりはマシな気がする
577 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 00:19:34 ID:kbi00Jxj
長曽我部さんに外交とか難しいことやらせんなよ
578 :
毛利輝元:2010/05/05(水) 21:26:15 ID:zXXh7mA6
淀殿の○○○臭かった
579 :
す:2010/05/05(水) 21:48:15 ID:XtRKlB78
しかし毛利は間抜けだなぁ
上杉は本気で戦ったのにな
やはりトップがバカだからこうなったのかな
580 :
人間七七四年:2010/05/06(木) 08:58:40 ID:S0dbTv8L
部下も馬鹿だよ
輝元、秀元、広家で三馬鹿トリオ
581 :
人間七七四年:2010/05/06(木) 21:03:19 ID:DOXH7TzW
毛利輝元が小西行長の嫡男を処刑したと聞いて大嫌いになった。
小西が信頼して可愛いわが子を預けたのに騙して殺すとはなにごとだろう。
家康の歓心を買うために処刑したらしいが、家康もあまりの卑劣さに対面を拒否したそうだしな。
家康は実際に石田、宇喜多、小西、大谷といった西軍諸将の家族をほとんど殺してない。
三成の息子ですら生存を黙認してるから、
小西の息子を殺したのは全くの勇み足だったとしか思えん。
582 :
人間七七四年:2010/05/06(木) 22:15:12 ID:QZXZSubs
輝元は割と簡単に殺すよね
ぼんぼんだからかな?
583 :
人間七七四年:2010/05/06(木) 23:31:40 ID:PmUuFQtK
輝元は、朝倉義景より遥かに無能。
584 :
人間七七四年:2010/05/07(金) 00:04:59 ID:RJxS3iHz
585 :
人間七七四年:2010/05/07(金) 11:10:32 ID:JNVkztpJ
>>574 家康は大老筆頭なのだから他の格下の大老や奉行が弾劾状を出したくらいでは
豊臣公儀の軍勢ではなくなったとは断定できない
断定できるとしたら秀頼自身が戦場に出てまで家康を倒すという明確な行動を見せた場合のみ
それができずに口先で秀頼の名前を騙っているだけではむしろ西軍の方が豊臣公儀の軍勢とはみなせなくなる
586 :
人間七七四年:2010/05/07(金) 15:14:10 ID:AjZ+Fqkf
>>585 まったくそのとおり
家康は豊臣公儀として出陣しているのにそれが途中で覆るはずも無い
西軍の諸大名も予定どうり家康軍の後詰として上方まで来ていたのを
無理やり止められただけ
587 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 02:41:45 ID:QnioclcQ
>>571 その弱ヘタレ毛利がいなかったら精々4,5万ぐらいしか兵力ないわけだが
それで勝てると思っているのならよっぽどのバカだと思う
>>572 三成が自軍にいる方が詰みじゃないか
>>579 上杉も間抜けじゃね
追撃しなかったわけだし
景勝て関ヶ原の時なにやってたんだ?
会津に引きこもっていたのなら輝元と同じじゃないか
>>581 人質が殺されるのは別に珍しい事じゃないだろ
それに文句があるというのなら
信頼関係もないのに他人の妻を人質にとろうとして死なせるという失態を犯した
バカ武将はどうなるというのだ?
幼い子を殺したと言うのであれば家康も大阪の陣の時に秀頼の子を殺しているわけだからね
それに石田の家族は父・兄・兄の子・妻の父・妻の兄弟が死んでいるのだが
これのどこがをほとんど殺してないと言えるのか
他は長束は兄弟とも死んでいるし、小西も弟は死んでいる
宇喜多の場合は、妻が前田家の人間だから助かった
それに三成の息子は家臣が寺に預けていたから助かっただけで
もしそうでなかったら首切られたかもしれない
どっちにしろ小西の息子は周りに機転の利く家臣がいなかったのが最大の不幸だと思う
588 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 09:07:03 ID:uXQO5IdO
毛利厨ってガチでキモいな。。
大津の開城交渉にしたって淀の名代でのことだし
明らかに西軍側として大坂は行動してるし
家康側が公儀の軍である権威は失墜してる。
秀頼が出陣しないのも最悪の場合を考えて保身しただけだし
家康が勝ったために家康を公儀の軍と歪曲してるに過ぎん。
輝元が大坂城で篭城しようと思えば可能だったのは
立花らの進言でもわかるし
輝がビビって土下座したのが最大のクソ。
佐野道可事件をみても輝のバカぶりは神
589 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 17:30:24 ID:fBbwTYIB
輝元の中身は志村けんだったのかもな。
590 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 19:28:04 ID:7n3ShvT0
>>587 >人質が殺されるのは別に珍しい事じゃないだろ
おいおい・・・・
それは意味が違うだろうが。
小西の息子が仮に小西が裏切ったから殺されるのなら仕方ないが、
単に毛利輝元が家康の歓心を買い、自分の保身を図るために殺したというのは卑劣すぎる。
591 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 20:57:50 ID:fBbwTYIB
謀殺とか裏切りとか見殺しって元就公の頃から伝わる毛利家の得意技だものな。
592 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 21:17:00 ID:X4brBYQp
輝元の場合は必要性がなくても殺しまくるってことが元就公よりも進化してるかな
593 :
人間七七四年:2010/05/08(土) 22:14:26 ID:wdGqLGsf
西軍総大将のくせに能のうと生き残ってしまうプライドの無さ
594 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 13:24:11 ID:59JvwwQi
しかもその後、黒田に辛いんで大名やめたいとか泣きついてるしな。
595 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 00:03:20 ID:OF+Th6Il
596 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 00:23:50 ID:AEiy0VNq
>>588 大津の開城交渉は拒否られてるじゃないか
これは淀の単独行動であって大阪の総意じゃないだろ
それに秀頼が出陣しないことのほうが最悪の状態だろう
やはり出陣をしなかったのは大阪が西軍にたいして協力的じゃなかった証拠じゃないか
あと篭城するにしても援軍がどこから来てくれるんだ
大阪の陣を見ればわかることだろう
結局篭城なんて絵空事にすぎない
佐野道可事件は見方を変えれば
危険がありながらかつての主君に援助をしたといういい話ともいえる
>>593 副総大将の秀家さんも生き残ってるがな
597 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 02:30:12 ID:CMNdonRZ
>>596 淀の単独行動だから大坂の総意じゃないとか
お前は歪曲しすぎ。淀は立派に大坂の実質的意思決定者だ。
せめて大阪じゃなくて大坂ってことから勉強しなおせ。
篭城してれば上杉が奥羽で最上を滅亡させて
南部にボロ負け中の伊達が上杉や小野寺に後方を襲われるのを恐れて軍門に降るよ。
そしたら佐竹も旗幟を鮮明にするだろうね。
宇喜多も建て直しの時間が稼げるし、大坂城は不落だし
家康も講和するしかないね。
598 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 02:59:31 ID:qXAeoxV5
最上は自領で上杉を迎え撃つ作戦だったんだから、それまでのように上杉が快勝できるとは思えないけどな
小野寺には遠征するような体力がない上
そんなことしたら後ろから秋田や由利、戸沢らが食いにかかると思う
小野寺は周りに敵をつくりまくってるから
宇喜多はもう立て直し効かないだろ
関ヶ原前の時点で朝鮮と長船の騒動でガタがきている
立て直しには数年かかるよ
599 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 12:57:17 ID:PXtRFFZc
家康が怖くて逃げ出した輝元
戦国時代唯一のヘタレ武将だよな
こいつのせいで西軍は大敗した
600 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 13:08:07 ID:OF+Th6Il
>>596 宇喜多は立派に戦って負けた
のうのうとは生きてない
601 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 13:17:12 ID:OF+Th6Il
毛利信者は
>>587みたいに他の大名貶さなきゃ輝元援護できないの?
602 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 14:16:12 ID:EeoLIzNM
>>600 だよなあ。
宇喜多関ヶ原で西軍の主力として戦って負けて薩摩まで逃げて、やるだけやってる。
総大将の輝元は大坂城でなにもせず、吉川は消極的裏切り、小早川は積極的裏切り。
603 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 15:12:29 ID:+8Q9b4sx
毛利は弁当食って後世に名を残した
宇喜多なんか誰も知らない
604 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 15:35:01 ID:zb93hgpQ
>>597 上杉を過大評価しすぎ
最上と戦闘意欲の乏しい伊達を相手にして
史実ではほぼ主力を引き連れて最上に攻め込んだが
攻めあぐねている
決して有利ではない
605 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 23:07:45 ID:OF+Th6Il
>>603 弁当なんかで名残してうれしいのか?
しかも空弁当なんて笑い者の代名詞なのに
明石の勇戦もしらない馬鹿?
606 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 23:33:49 ID:R+mta7ZY
まあでも、輝元の徳川に対する逆恨みが、のちの明治維新の原動力にもなったんだから、その点だけは評価出来るかな?
607 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 00:22:07 ID:Is80ousl
関が原の件を逆恨みしたり、萩城の件をネチネチ恨んだり、御所の前で戦をしたりと
毛利の精神は260年狂いっぱなし
608 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 04:34:10 ID:O3kdbBzy
淀が西軍にとって邪魔な位置にあった東軍大津城の開城説得に派遣したのも太谷の母だし
明らかに大坂は西軍だったわけだ。
アホ輝を弁護しようとして必死すぎて醜いぞ。
相変わらず毛利厨って気持ち悪い
>>598 お前はまったく勉強不足。
>>小野寺には遠征するような体力がない上
そんなことしたら後ろから秋田や由利、戸沢らが食いにかかると思う
お前それらが関が原後に上杉との内通を疑われてるんだがw
>>604 攻めあげねているなんて、史料のどこにも証拠だてるものはない。
そもそも長谷堂は毛利のアホのせいでたった2週間の戦だったし、その期間に3回しか上杉は攻撃してない。
着陣そうそうに攻撃
2度目は長谷堂の水源を破壊
3度目は撤退前日の牽制攻撃
その間に庄内軍は急激な南下を見せている。
庄内軍が山形城攻めをするのも時間の問題だった。
直江はそれまで制圧地区の行政やったり、白河方面の戦況への即応体制をとるために
自分のいる場所から米沢までの軍道整備をしていた。
さらに伊達成実「最上はもう終わりw」
安東→家康「最上はもうだめだな」
上杉撤退後の最上義光「なんで勝てたのかわからない」
など最上滅亡が時間も問題だったのは明らかだし。
609 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 09:53:37 ID:Nwm1IxJv
吉川の内通は輝元の指示なの?
610 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 15:59:34 ID:tGFGk61/
それならそれで祖父譲りの生き残り策なんだが・・・
これは完全に吉川の独断のはず
でもなぜか大阪の陣では輝元独断で内藤を派遣してる
しかも、失敗するとばれるの恐れて内藤の子供処刑しちゃうし・・
611 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 16:33:41 ID:6KIPz3fg
612 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 18:27:35 ID:sb37+5Yo
>>608 上杉家の庄内勢は長期対陣が可能なほど糧秣を持って出陣しておらず
兵站もまったく用意されて無かった
山形城を攻めるなど夢のまた夢
613 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 21:27:34 ID:W1s5dcGI
>>608 由利、戸沢は疑われてないし
秋田も表高と同じ額の転封しかうけてない
そもそも秋田の言い分にまったく隙がないので、家康と最上がグルになって訴訟すっぽかした
酷い人事じゃん、アレw
614 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:04:59 ID:91JfhDP/
>>612 長期対陣が可能なほど糧秣を持って出陣しておらず←ソースだしてね。
>>613 ほんとお前の無知さ加減にあきれるおw
たとえば戸沢が疑われたのに助かった理由は、家康公気相の人なり(当代記)と言われた
金森長近が戸沢を弁護したから助かったに過ぎないんだよバーカw
615 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:17:03 ID:BFMdDi6l
戸沢氏が助かったのは正妻が徳川譜代の鳥居氏であることの方が大きいだろ
最上氏改易以降の布陣で譜代並の扱いを受けてるのもこれが縁だし
616 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:23:19 ID:BFMdDi6l
まあ助かったってのも変だけどな
戸沢氏は上杉の行動を家康に送ってるし
そもそも上杉征伐で最上領に集結させた出羽勢を
榊原に命じて解散させたのは家康だし
617 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:49:29 ID:91JfhDP/
家康の囲碁や蹴鞠友達だった長近が
政盛が謀反人だとしても、
以前、自分の子に政盛が仕えていたことに
免じて許して欲しいと訴えたから助かった。
618 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:51:54 ID:91JfhDP/
>>615 政盛15歳前後ですでに鳥居から娘をもらってたのか?
619 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 03:31:46 ID:BFMdDi6l
金森長近のその逸話は秋田実季の回想に出てくる話じゃなかったか?
同じ覚書の中で
「六郷から小野寺を攻撃するよう督促されたが、小野寺(てき)、六郷(みかた)、戸沢(てき)、秋田という順番にて」
と、この老人・実季の回想(当然Not一次資料)に従うと
羽後最大勢力の秋田実季が明確に東軍になってしまって
小野寺と戸沢が力会わせたぐらいでは動けないんだがw
(実際、唐松野合戦、湊合戦と小野寺・戸沢では連合しても敗れている)
ちなみに関ヶ原の羽後の流れは
戸沢氏が慶長四年に上杉が軍備をしているという話を小山八蔵を使者に注進し、家康が田中清六を送り返しているし
上杉征伐が決まった際に慶長五年七月に家康より最上氏と同心して会津に出陣命令が出ている
八月二十日付けで最上義光と戸沢政盛は誓紙を取り交わしている
同時期、秋田実季は小野寺とともに戸沢も上杉の一味であると榊原康政に注進し、同時に帰国の許可を貰っている
位置関係を見るとわかると思うが、秋田からしてみれば小野寺の仙北を押さえることで戸沢を六郷と一緒に包囲することが可能になる
秋田実季は上杉勢のいる庄内を攻略する拠点として戸沢領との境界である淀川に陣取る動きを見せていたりするので
小野寺→戸沢の順番で併合することが目的なのは明白であり、戸沢が小野寺と同心してないと困るという訳
完全に貧乏籤を引いてるのが小野寺氏で、周りは一部の由利衆を除いて敵だらけ
そもそも秀吉の天下になる前の時点から最上に上浦地方を削られ続け(秋田氏はこの時期、鹿内方面に動いている)
最上牽制に出陣したら後ろから戸沢氏に攻撃を仕掛けられ(阿気野合戦)北浦地方の支持を失っている状況
その上、強圧外交による失敗で由利衆は殆どがもれなく最上or秋田氏寄りになり
他が秋田氏を攻めればチャンスとばかりに連合に加わって失敗し……
最上、秋田、戸沢の三氏が小野寺の領土を狙っている+因縁込みなんだから
小野寺が上杉についたら誰も上杉にはつかないのは分かるだろう
620 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 09:49:01 ID:5etwOaDG
東北の田舎大名の話にスレを乗っ取られた輝元さん
ダメすぎちゃって存在感ないのかw
621 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 11:15:24 ID:MOiulWh8
鳩山首相は輝元の生まれ変わり
これは間違いないと思う
622 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 11:26:21 ID:eevOI5r9
>>621 戦争や政略はともかく、関が原後の
毛利家の財政建て直しには確かに貢献した
輝さんに謝れ
623 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 11:51:35 ID:mgy1IYoM
その代わり領民は地獄見たけどな
624 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 15:48:09 ID:29aqRgBx
それでも鳩山とかマシだと日本国民誰しも思うだろうよ。
625 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 16:12:27 ID:VhEyo1K0
>>614 庄内勢が糧秣の現地調達に頼ろうとしていたのは
周知の事実でいまさらソースがどうのこうの言われても困るがな
最上が前線の守備兵力を弱めて後方に終結していたのと
庄内勢が小荷駄を省いてスピードを重視していたのが当初の活躍
反対に万全に食料を用意されていたという証拠でもあるんかいな
626 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 18:49:33 ID:/VrYXGhd
>>625 >周知の事実でいまさらソースがどうのこうの言われても困るがな
はあ? そういうのが一番おかしな言い草なんだが。
要するにソースも証拠もないってことね。
627 :
す:2010/05/14(金) 21:32:26 ID:C1FGigAW
>>597 大阪城に篭城って悪くない作戦だよな
関ヶ原当時の情勢ならば城に篭ってる間に西軍派が勢力を広げる可能性もあるしな
バラバラのまま短期決戦挑んだ三成は失敗
大阪に篭城するべきだった
628 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 23:27:50 ID:MOiulWh8
宗茂も篭城して態勢立て直そうと言ってるな
629 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 03:02:17 ID:SlT7BVkT
>>626 625ではないが普通に考えて山形城を庄内だけの軍勢で落とせるわけもないし
囲むのでさえ無理があるだろう
手薄となった最上領北方に入って牽制するくらいが目的だわな
630 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 09:48:08 ID:AbVXSjMc
>>627 でも兵糧足りるのか?
大阪の陣の時は事前に準備してたけど関が原の時は時間が足りない。
確実に味方」になってくれる大名ってどのくらいいるんだろうな?
631 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 10:31:41 ID:whIG7df1
大阪で篭城しようものなら豊臣自体が逃げ出しかねんよw
632 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 13:07:09 ID:BR3yxi51
輝元もアレだが豊臣家もちょっとなぁ・・・・
どういう展望を持ってたのか聞いてみたい。
豊臣は特別な存在なので大丈夫、とかそんな雰囲気なのかね?
633 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 13:52:54 ID:lyN2FmLE
>>630 福島正則をはじめ、関ヶ原の東軍主力とて、秀頼に向かっては攻撃できないだろう。
家康ですら関ヶ原の時点では豊臣政権の大老なのだから、謀反みたいなもんだ。
輝元はおのれの保身しか考えてないからさっさと城から出た。
634 :
仙台藩百姓:2010/05/15(土) 13:56:12 ID:8OjIo+d8
というか天皇や秀頼を自陣に引き込めてない時点で初めから勝機に薄いわけだけど( ^ω^)
何の為に家康の不在に上方で挙兵したのか分からんお┐ (´ω`) ┌
635 :
す:2010/05/15(土) 23:55:29 ID:qeAl8Vfl
>>632 豊臣が一番汚いんだよ
自分の手を汚さずに汚い仕事人に任せてさぁ
それで豊臣の政権守ろうっていうんだから
淀が一番駄目だね、偉そうにしてるだけで戦術眼が全くない
女でも北条政子のように政治家的な能力持った人いるのになぁ
淀には才能が無かった
636 :
す:2010/05/16(日) 00:09:20 ID:yX+OiCZ1
>>630 兵糧は問題ないでしょう
大阪近辺は豊臣の味方だべ
本願寺が居城おいてた頃も海から毛利が兵糧こっそり運んでたんでしょ?
毛利も豊臣の味方だし
戦わなかったけど兵糧くらいは運んでくれるだろう
大阪の陣でも難航不落だった
ただ、城に立て篭もっても、攻めての背後ついてくれるの
やっぱり上杉しかいないんだよなぁ
積極的に戦ってくれるのはやはり上杉しかいないのが難点かも
637 :
す:2010/05/16(日) 00:12:14 ID:yX+OiCZ1
大阪城 ← 東軍攻め手 ← 背後つくのは上杉だけ
城攻め諦めて。東軍が上杉先に攻めるようだと後詰失ってピンチかな
638 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 01:44:52 ID:FH6k8tQp
難攻不落の大阪城に篭ってる連中はいいけどその他周辺のお城連中は
各個撃破されちゃうよ
城と兵糧家康に進呈して生き残りはかったほうがええ状況でんがな
639 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 09:21:45 ID:5RU0/Zs7
>>636 それが村上水軍が海上輸送路の確保に失敗しちゃってるから無理なんだよ
640 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 12:16:14 ID:mObO0q1+
>>638 大阪城だけは守らんとどうしようもないからな
淀を人質に出すのが良いのかね?
輝元じゃ仲介できないかもしれないけど
641 :
人間七七四年:2010/05/16(日) 15:52:43 ID:AYnYXOtM
>>640 この時分は淀は家康と戦おうなど思ってもいないだろうから
篭城なんて出来るかな
てか篭城するような連中に味方をする諸侯はおらんだろ
642 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 01:15:40 ID:Tl7RaHli
>>641 石山本願寺(篭城するような奴等に味方する諸侯居まくり&信長から10年城を守り停戦)
643 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 01:27:03 ID:4inWUg2e
>>642 信徒がらみだし
信長には敵が多すぎたと言う事だろ
関ヶ原のときは西軍内に潜在的な家康派が多かったから
石山本願寺の時とは状況がぜんぜん違うから比較にもならない
644 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 01:36:41 ID:Tl7RaHli
>関ヶ原のときは西軍内に潜在的な家康派が多かったから
それを言うなら関ヶ原のときは東軍内に潜在的な秀頼派が多かった。
つーか、大阪城攻撃で千成瓢箪を掲げる七手組みなどが出てきたら東軍の諸将は
まともに戦えるの?
645 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 02:04:29 ID:LAvtZyHw
秀頼出陣となれば危険な大阪城から逃げられるからラッキー
毛利に肩入れする義理も必要もないだろ
646 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 02:07:56 ID:CJjRo+5q
つうか秀頼ごと大坂城を押さえているという最も有利な状況から
負ける輝元がアホじゃなきゃなんなんだw
秀頼を擁して大義名分をもって家康を潰すなんて簡単だろ。
要は輝元に状況を有利にする政治力も力量もなかった。
そして輝元のバカで優柔不断な態度が淀や秀頼が西軍加担を途中からやめて距離をあけたということ。
647 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 02:25:12 ID:LAvtZyHw
ウンコタレの政治力の前では輝元ごときじゃ豊臣vs徳川の図式にすり返れんわな
648 :
す:2010/05/17(月) 03:04:15 ID:poH5YZ9P
武田勝頼クラスの武将としての才覚が輝元にあればな、、、
信忠でもよいや
輝元はお話にならないレヴェル
649 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 03:06:39 ID:5l4V1jLy
京都押さえなきゃ秀頼の官位も全部奪われてお終いだし、大坂だけ守ればってのはナンセンスだな
豊臣氏が神格化されているわけじゃないし
所領安堵を行える実力と正当性を持ち合わせてない豊臣氏なんて無価値だ
そうなると大垣のラインで止めなきゃ無意味よ
京都周辺じゃ守るの適さないし
650 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 10:25:55 ID:L3a0D3CR
>>649 無駄に金はあるから京の公家連中は釣れるんじゃない?
651 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 11:27:26 ID:Tl7RaHli
>>649 小田原城攻めてた秀吉と大阪城を攻めてた家康の違いは
秀吉は実質、自分の傘下に納めた軍勢を引き連れてたのに対して
家康は豊臣家傘下の軍勢を多数引き連れてたことだ。
ここで家康が朝廷工作をして秀頼を朝的にしたところで豊臣家恩顧の大名が
秀頼を攻めるとは考えがたい。
652 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 11:36:57 ID:LAvtZyHw
朝敵にするなら秀頼人質に大阪に立て篭もる輝元だよねぇ
653 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 11:48:55 ID:Tl7RaHli
輝元の中の人が半兵衛や勘兵衛や昌幸だったら
間違いなく天下獲りのチャンスと見て全政治力を結集し
大阪城、秀頼を盾に徹底抗戦をしただろうに。
久秀や光秀程度でも確実にそうした。
654 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 13:49:10 ID:L3a0D3CR
大阪城って南側なんでわざわざ空けてたんだろ?
心理的に敵を一箇所に集めたっかたからか?
655 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 18:55:07 ID:4inWUg2e
北側は自然の地勢上守りが堅く水堀を巡らしておけばよく
南側は全体になだらかな坂になっているのもあるけど
防御をこちらに集中して
城内に閉じこもっているだけでなく、打って出るための造りじゃないの?
656 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 00:01:27 ID:Tl7RaHli
657 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 00:08:28 ID:zDcoy6Jn
大坂の陣の時でさえ秀頼はちゃんと官位持ってたはずだが?
658 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 01:34:44 ID:rCPxre5z
あの時点で徳川が朝廷に借り作る必要もなかろう
659 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 21:16:21 ID:Ingjiv0g
九州の役
向表陣立((天正15年)三月二十一日付け秀吉朱印状より)
一番隊 黒田孝高、蜂須賀家政
二番隊 小早川隆景、吉川元長
三番隊 毛利輝元
四番隊 宇喜多秀家、因幡衆(宮部継潤、亀井茲矩、木下重堅、垣屋光成、南条元続)
五番隊 小早川秀秋
(番外 筒井定次、溝口秀勝、森忠政、大友義統、脇坂安治、加藤嘉明、九鬼嘉隆、長宗我部元親)
(総大将 豊臣秀長)
660 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 21:18:51 ID:Ingjiv0g
剣道の団体戦だったら中堅
経験者なら分るが一番強いヤツを大体中堅か最後
案外強かったのかも
まさか秀秋が本当の大将かw
661 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 21:21:42 ID:Cu66abw7
一番強いヤツを大将にして
二番目は中堅じゃなくて先鋒って事はよくあるが?
662 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 21:28:51 ID:E+f5+BTG
個人競技じゃないから。
つーかこの頃はまだ小早川を継承してないし。碌な実勢経験も自前の兵もないし。
もう一方の肥後方面の本隊で最後尾をやってるのも同じく
養子の秀勝だったっていう事実からもわかるだろ、どういう意味か?
663 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 22:06:58 ID:Ingjiv0g
誰も個人競技って言ってねえだろw
新撰組とごっちゃになってねーか?w
新撰組は単純に一番強いやつが1番だし
664 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 22:09:23 ID:Ingjiv0g
ミスった
一番強いのは局長の近藤だw
上記に置き換えるなら秀長か
665 :
人間七七四年:2010/05/18(火) 22:28:09 ID:Cu66abw7
回顧録に出てくる新撰組一番は永倉か斉藤ってお話だが……
近藤が一番強かったという話も無いし(むしろ沖田は近藤より強かったとは言われていた)
ついでに洛中一と言われたのは京都見廻組の佐々木だし
なんか喋るたびにボロが出てるな
666 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 02:51:31 ID:ZBtCOznf
だいたいなんで新撰組の話が出てきてんのよ。
剣道の部活はじめたばっかの餓鬼みたいな話の仕方だな。まだ夏休みには早すぎるはずだが。
普通に考えれば本隊の秀長を除いて一番戦闘力高いのは二番隊の両川か四番隊の宮部さんだな。
667 :
人間七七四年:2010/05/19(水) 13:50:58 ID:TxJYTm83
>>658 それ逆。
あの時点だからこそ、諸大名の目から主を滅ぼす賊による下克上にうつらないように
朝廷に気をつかってるんだよ家康は。
幕府の正当性すら怪しくなるし、家康の死後に真似する輩が、家康を先例に正当化しかねない行動してるわけだし。
668 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 01:32:45 ID:j/UyBxXB
>>646 >>653 ここらへんが真実だよな。
輝元の政治力が劣等すぎた。
だいたい朝廷自らが下賜した豊臣姓だし
それを朝敵にしたり官位を奪ったりはしないだろ。
669 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 11:53:00 ID:8eTw7K0a
輝元の大阪無血開城が無能なら勝海舟の江戸無血開城も無能
670 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 21:41:12 ID:AzmtViYv
>>660しったか乙
>>661の言うように大将、先鋒に一番強いのもってくるのが定石。
中学、高校と剣道部だった奴なんて世の中ゴロゴロいるんだから
サラッといい加減なこと書くなボケ
671 :
人間七七四年:2010/05/20(木) 22:38:25 ID:FlF422M2
>>669 勝海舟は明らかに無能だよ。
彼は政治家でも軍人でもなく評論家。
榎本が軍人としても政治家としても両政府で重用されたのとは大違い。
672 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 06:37:40 ID:FF5j+uCq
>>646 豊臣家が中立だったからだろ
大津城の件で西軍だったしている人がいるけど
大津城以外で開城要求をしていたのか?
その開城要求も拒否されていて、これが豊臣家の要求なら普通に応じているだろ
豊臣家の要求じゃないから拒否をしているとしか思えない
もともと豊臣家が起こした戦ではないわけだし
そんな戦に秀頼が出陣しなければならない理由がないわけだからな
豊臣家の自発的な行動でないかぎり秀頼の出陣は無理
あと輝元の優柔不断な態度てなんだ?
出陣の延期は増田に備えてだし、四国・九州に兵を送ったりと
寧ろ積極的に西軍に加担しているわけなんだけど
そんな状況で淀や秀頼がもし西軍なら距離をあける理由もない
それに大津城の開城要求は九月にやっているわけだから
淀や秀頼を西軍とするなら九月まで加担していたことになるから
途中からやめて距離をあけたというのはおかしいことじゃないか
673 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 11:54:12 ID:ZcHQO5mU
>>670 たま〜に中堅が一番強いチームもあるよ
先鋒、じほうが負けたら後が無いからね
柔道部物語の浦安はじほうに西野だったしw
帯ギュの大仏は副将
まぁ、どうでもいいよw
高校まで香川で剣道やってたけど、実力云々より
先鋒は小さい奴、大将は背のでかい奴ってイメージが
674 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 11:55:27 ID:ZcHQO5mU
ああ、俺
>>660じゃないし、中堅最強説者じゃないからねw
675 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 14:31:00 ID:ia3bysP3
>>671 勝海舟は名君中の名君だろww
名君は馬鹿には理解されないからなぁー
676 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 14:40:37 ID:oj0HILov
普通高校まで剣道やってりゃ大将→先鋒→中堅がセオリーだって分かるだろ
九州の強豪高なんて大体そうじゃん。中堅は三番手か二番手が主で一番手なんて極稀だろ。
677 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 14:44:27 ID:UxDSFcG5
先鋒、次鋒が負けたら後が無いのは「総当たり戦」の場合だろ?
その例であげている柔道の金鷲旗や選手権は「勝ち抜き戦」だぞ?
剣道も玉竜旗や魁星旗は勝ち抜き戦だけど
678 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 15:36:04 ID:YHoMcxHE
679 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 17:11:22 ID:2ePvJdSH
光成準治「関ケ原前夜における権力闘争−毛利輝元の行動と思惑」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)
680 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 00:53:35 ID:5dNaeWTP
>>672 淀が大津に派遣してんだから豊臣からの命令だろ。
しかもその使者は西軍の大谷吉継の母
大津は近江の戦略的要衝にして三成の居城と大坂城を遮断する位置にある。
これだけで充分だろバカ毛利厨くん。
681 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 01:08:03 ID:5dNaeWTP
そんでな増田長盛は輝元と同じヘタレなだけ。
それでも大坂夏の陣で豊臣に組して自害してるだけマシ。
んでさ、輝元が増田に備えて延期したってソースを早くだしてね。
そもそも増田が大坂城で東軍として挙兵する可能性なんてまったくないわけだがw
伏見城・大津城攻撃にも兵を送ったり
増田軍は寧ろ積極的に西軍に加担しているわけなんだけどw
682 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 13:00:35 ID:73hNoy/l
輝元ぼっちゃん大坂兵せめて2万だけでも率いて参加してたら天下取れたのに。
三成なんて戦後暗殺しちゃえばいいんだよ。
諸侯は毛利にこぞって恭順。
元就が生きてたらこんなおいしいチャンスみすみす逃さなかっただろうに
1代目が築きあげたもんを2代目がぶち壊すいい例だよな。
元就VS家康
見てみたかったなぁ。
683 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 22:25:31 ID:l6xgBfDO
>1代目が築きあげたもんを2代目がぶち壊すいい例だよな。
・・・・隆元、いやなんでもない
684 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 02:22:31 ID:OgWARxFE
お互い寝返り工作に優れてるが元就にはかなわないだろうな家康じゃ。
地位と飛びぬけた石高のおかげで勝てたもんだし野戦の天才といいつつ三方が原でボロ負け
ながしのも織田のおかげで勝てただけで関ヶ原、大坂の陣もこれといった活躍してない。
寡兵で大軍なんども破ってる元就には戦も謀略戦も遠く及ばないだろうな。
685 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 02:33:08 ID:9q5Ogyu5
石見や九州で大軍でボロ負けしまくった元就が戦略に優れてるだと?
686 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 02:50:57 ID:OgWARxFE
武田にボロ負けして織田に泣きつくだけのスネオが戦略に優れてると?
関ヶ原の時徳川の石高が120万石だったらまず勝てなかっただろうな。
こいつは相手より圧倒的国力をもってやっと勝てるヘタレ。
外様の力が無ければ大坂の陣も勝てなかったヘタレ。
徳川対武田信玄どころじゃない国力差を渡り歩いた元就と同等に扱っちゃ元就に失礼だ。
687 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 08:01:09 ID:RtYI7Dnp
敵のおおよそ半分の兵力で勝てってか
ゲームのやりすぎだろ
688 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 09:03:06 ID:YjHHcetR
島左近が大勢いるな。
家康が進歩して無いって考えが蔓延しすぎ。
689 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 09:10:14 ID:9q5Ogyu5
>>686 尼子に泣き付いたり
大内に泣きついてたヘタレ元就信者に言われても
690 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 10:52:04 ID:HZMLNMxN
>>686 一代で三河半国から関ヶ原時には圧倒的国力にまで上げたのは
本人の才覚そのものだろ
ヘタレには到底出来ない
691 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 11:06:04 ID:VRUhXDRv
一度も信玄に勝ったこと無い脱糞が元就より上?
織田がいなけりゃ今川の一部将で終わってたヘタレが元就より上?
織田に泣きつくだけのヘタレが元就より上とか頭おかしいんちゃうコイツw
織田の制止も聞かず倍以上の大軍に野戦自分からしかけて(俺も桶狭間、厳島できるって勘違いしちゃったんだろうなw)
大敗して糞もらした男が元就より上だとw
野戦下手糞の家康が元就の立場だったら武田元繁に負けてジ・エンドだったのは間違いない。
それか尼子の大軍が郡山城にせめた時馬鹿だから打って出て死んだねw
692 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 06:01:16 ID:rIZbl1D4
大友と尼子に挟まれて
あっちに付いたりこっちに付いたり
世渡りして隙を見計らって独立したんだから似たような物
どんなに圧力を受けようが強大な武田に屈服しなかった家康の方が上だろうな
いや権謀策術は元就の方が上かもしれん
693 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 07:41:12 ID:uNZXMAGK
信長>元就>金吾さま>ビッチ輝元くらいの能力だったろうね。
694 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 15:18:41 ID:/3f6wuqf
西軍に勝てる要素がなかっただけ
輝元を戦犯にしたてあげなきゃ納得しない老害は駄目ですね
695 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 15:54:11 ID:gT46owcy
謙信や信玄や信長が死ぬ50歳前後の時点の元就はいまだに
大内や尼子に土下座外交してたし、元春が成人になってから
拡大が開始されているので
元春が有能だったが、元就はただのヘタレ。
一方の家康の50歳時は甲三河・遠江・駿河・甲斐・信濃と交換して関東を支配していた。
元就の寿命は天下をつかんだ家康とほとんど変わらない。
寿命が長いと継承時の混乱などでの領国瓦解の危険リスクが無くなり有利にも関わらず
元就の体たらくぶりはすさまじい。
696 :
人間七七四年:2010/05/24(月) 17:41:01 ID:uNZXMAGK
>>694 西軍総大将が利家程度でも普通に勝てた。
697 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 01:08:23 ID:c+na8LCS
過大評価って戦国大名にはつきものなのか、とも思うね。
「来島扶持を以て隆元、我ら頸をつぎたる事に候」(永禄十一年 元就書状)
厳島の戦い後、十三年経っても、あの戦いは来島水軍の助力がなければ、毛利家滅亡の危機
であったことを元就自身が白状している。現に合戦当時、厳島の宮の城から隆景に「来島が
来てくれなければ万事休す、何としても助力が得られるよう交渉しろ」と、哀れなほど追い
詰められた書状も出している。これらは、毛利家文書、小早川家文書に現存しているよ。
何が起こるか予想のつかない現実の戦場で、講談のごとく、何から何まで計算通りにいく、
なんてあるわけ無いでしょ。
折敷畑合戦はなかった
tp://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-thebattleofoshikibata.htm
1554年9月15日とされている折敷畑合戦を証拠立てる文書とは、
この合戦に関して発給されてたとされている感状である。全部で五通あるが、
そのすべてが偽造、もしくは限りなく黒に近い偽造文書であると結論
43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 17:42:45
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。
698 :
人間七七四年:2010/05/25(火) 01:12:03 ID:c+na8LCS
699 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 02:18:30 ID:Y67NaPK4
毛利の史料にはたくさんの戦勝を裏付ける偽感状が存在します。
これら一次史料の偽文書があるから
毛利百戦百勝無敗の軍なのは間違いない。
700 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 13:18:59 ID:Ci+5U1mX
家康が負けてたら、輝元が筆頭大老か。
豊臣政権はどっちにしてもダメじゃん。
701 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 15:13:57 ID:n2xjktlg
>>695 元就が家康に勝る実績なんて何一つもないからね
702 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 11:18:34 ID:u4mBaivI
戦に負けてもウンコはちびらなかったがな
703 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 18:00:31 ID:Qq4tJ7UI
若いうちにウンコちびるくらいの経験しとけば
704 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 03:41:31 ID:nxThDAdr
歴史秘話ヒストリアで
毛利の3兄弟やってたな
孫の輝元は叔父の教えで立派な武将に成長したと言ってた
705 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 12:21:16 ID:wHaTZjp+
>>704 そのアホDQN叔父の暴力で立派な池沼に成長した輝元は関ヶ原では配下をまったく統御できず
さらに騙されて大坂城をまんまと明け渡すなどアホっぷりを晒す。
大坂陣でも大坂方へ部下を送るも家康にびびって、部下を自刃に追い込み、さらに約定を破りその子も殺す立派な愚者になりました。
706 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 18:30:56 ID:X0lWf3BO
アフォっぷりを晒す事によって取り潰されるところを30万石で残してもらった
と超好意的に解釈してみる
707 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 23:20:53 ID:e8cuSEVF
劣化前田利常か
利常は輝元みたいに馬鹿じゃないけどね。
708 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 00:11:51 ID:bIWoGbL4
>>704 立派に成長してないじゃん
また犬HKの捏造か
709 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 09:55:49 ID:BPYnw633
>>706 吉川のおじさんがやってくれただけで、
輝元はなにもしておらん
710 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 14:34:18 ID:LCuWUrP8
関が原の後、宇喜多や小西や立花は
こやつをどう評価したのだろ?
711 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 13:21:57 ID:dMxegKFP
宇喜多や立花は文書が残っていても良さそうだけどね
712 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 06:14:17 ID:hbHrExnK
輝元って記録にもあるけど朝鮮人気質な人物だと思う。
713 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 09:54:21 ID:QqcRK30d
元春が有能とか思ってる辺りおめでたい頭してるやつがいるな
小大名にさえ撃退されるヘタレっぷりを見せてるのにな
714 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 10:01:47 ID:8BDiD2tl
元春の勝率は高いんだけど・・・
715 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 18:52:36 ID:oWB/s03u
6万(毛利に味方してる勢力含む)もいながら最初5000しかいなかった秀吉に5年後には滅亡寸前まで追い込まれてる男が
勝率は高いだってw
雑魚ばかりの戦いならそらぁ勝率も高くなるわな。
716 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 22:40:25 ID:sLZDbtSv
吉川一族
吉川経家は飢える為と切腹する為にわざわざ鳥取城に行ったようなもんだな
717 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 01:31:15 ID:N5Yg8yvn
>>716 秀吉が米を買い占めたって話だけど
売ってる米を買ったりしないと足りなくなる物なの?
718 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 08:17:52 ID:A0yVju3t
あれって秀吉が高く買うもんだから
城兵が篭城用の兵糧まで売ったんじゃなかったっけ?
それで一気に食糧難になったとか
719 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 10:30:40 ID:zRTQcYQf
鳥取人はバカなんだな
720 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 11:28:22 ID:H+CAAXJN
>>714 安西軍策や陰徳太平記のデタラメ内容で元春が
「あれ追い払え」
「比類ない働きだ」
「忠孝抜きん出る」
「心得た」
「逃がすまい」
「すぐ斬りかかれ」
「早くかかれ」
「承知した」
とか言って勝った話がけっこうでてくるw
こんなのばっか勝利認定するから元春百戦無敗になってるだけ。
だから
>>714が元春戦歴一覧表なんて作れるわけがない完全デタラメwww
なんせ大友に負けたなんてこれっぽっちも書かれてないしwww
安西軍策で尼子義久の降伏和睦を認めるシーンなんて
隆景「父の病気が治るためには尼子の一命を助けろって
富田の八幡の夢のお告げがあったんだよ」
元春「おお!それ俺が見た夢とそっくりだお!
一緒に父に報告しに行こうぜ!!!」
こんなデタラメばかりのソースゼロが毛利公式史になってんだからよwww
そりゃあ元春最強伝説になるよなwww
721 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 12:54:10 ID:cd8RclvK
安西軍策が毛利公式史だなんて初めて聞いたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
江戸初期遅くとも1660年以前に書かれた可能性の高い作者不明の軍記物なんだけどwww
722 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:56:16 ID:H+CAAXJN
>>721 長州藩史編修を主宰した村田峰次郎なんて
大正10年維新史料編纂会常任委員となって
「大日本維新史料」稿本約四千冊を編纂し
毛利マンセー史を作ったり凄いよな。
723 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:59:44 ID:H+CAAXJN
陰徳記では元就が当初、陶晴賢に同調しながら、
ある日突然、裏切りの兵を挙げた事を、史実の通りに描いているのに対して、
陰徳太平記では元就がひたすら陶晴賢の謀反に反対して怒ってるんだよね。
こういう捏造の数々が毛利史。
大友や尼子や大内が滅亡して反論できない状況で
しかも明治維新でまたマンセー
好き放題恣意的コリエイトした毛利の史料なんてウンコ以下だお。
724 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:41:03 ID:cd8RclvK
なにか勘違いしているようだが俺は安西軍策を毛利公式史と言うおまえをバカにしただけだぞ
同類にして欲しくはないね
それと陰徳記にしろ陰徳太平記にしろ毛利氏は編纂にたずさわっていないぞ
725 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 20:22:58 ID:JS3DELMP
またもスレを乗っ取られた輝元w
726 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 23:12:36 ID:EUU+TDxn
>>715 備中高松城の戦いでは秀吉より大軍もちながら
手も足も出せず五カ国割譲寸前
駄目駄目すぎるぞ元春&隆景
727 :
人間七七四年:2010/06/15(火) 15:07:00 ID:Pnq86rKo
当時の毛利家から見たら
織田軍の戦いの規模は想像以上のものだったんだろうな
728 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 19:15:19 ID:VWsieBrQ
でも元就は家康よりは凄いと思う。
なんというか権謀術数のキレのレベルが違うと思う。
元春は陶晴賢と同タイプの人間で、元就の子でなければ
尼子晴久の勝てた道理はない。隆景は、尼子の支配下に入っていただろう。
元就だけは、油断も隙もないとんでもないやつ。
家康とは、人間の質が違う。隣国であれば敵ではない
729 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 19:27:57 ID:Am6kEjB7
晴久が急死しなければ毛利は飲まれていたと思うよ。
730 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 19:58:01 ID:VIpVJpjR
軍記物の元就なら現実の家康に勝てるかもな。
731 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 23:01:04 ID:4IDWI6Xq
軍記中の元就。、現実の家康で互角くらい
現実の元就はもと下がるけど
732 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 01:03:58 ID:ypeQt2lR
腹黒さならどちらが上でしょう
733 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 05:22:15 ID:ZWVneZlT
軍記物の元就の謀略や戦闘の数々にはまったくソースも根拠もない。
WIKIの元就とその戦いの記述はほとんど
毛利マンセー安西軍策のデタラメがソース。
しかも毛利側に都合が良いように
編集者がさらに話を改造して記述してる最悪編集。
一例
有田中井手の戦い
毛利氏は前年に毛利興元が死去したため、わずか2歳の幸松丸が当主となっていた・・・家中の動揺は明らかであった
→兄の興元が京都におられる時期を利用して・・・安芸の探題を討ったのを兄に知らせ
それを吉川経基に相談したので、経基が足利義種に報告してくれ「武田が国の安定を図らず戦乱を企てたのを討ったのはすばらしい忠義」
と元就を賞賛。
旧守護の武田氏の権威と、「項羽」とも謳われた勇将の元繁
→まったくソース不明。
元就はすぐさま150騎を繰り出し、武田軍を撃退した。戦機は熟したと見た元就は、吉田郡山城への救援を要請し
→元就の軍は今朝からの戦いで疲労しもはや耐え難く居城へ引き退いた。
このことを聞きつけて吉田から加勢が弟相合&吉川の200とその他を合わせて1000
連合軍は矢による遠距離攻撃で武田軍に対抗していたが、挟撃を恐れ、
一気に熊谷勢に肉弾攻撃を開始した。元直は連合軍を少勢と侮り、
→午前4時からの戦いであり、この時点で連合軍1000と熊谷500の戦いである。
挟撃を恐れなんて描写はまったくないどころか戦力優位の元就から攻めてる。
元就は志道が止めても言うことを聞かない猪突猛進のバカ武者の困ったちゃん。
どんどん突っ込むので周囲は必死に元就を守らないといけない状況だった。
吉川国経に加勢してた宮庄や下野らが意味不明にもいきなり唐突に、すでに猪武者熊谷を討ち取ったことになってるw
そこに元就がなんかしたとかはなく完全に偶然。
小田信忠の有田城攻めをしてる武田信繁の元に熊谷破れるの報告。
734 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 05:24:05 ID:ZWVneZlT
渡河する武田軍に向けて毛利軍が弓の一斉射撃
→熊谷が猪突した挙句に討ち死にしたのを目の前で見ながら、懲りないアホ元就はまた突っ走る。
毛利軍が撤退するのを武田が追い詰めて討とうと、
これまた懲りない猪武者武田元繁が川を越えるところを馬の上から射落とす。
これまた組織的な弓の一斉射撃なんて記述はまったくないただの偶然。
単に猪武者同士が暴れてただけで戦略も戦術もない。討ち死にも混戦の中で猪武者が勝手に自爆しただけ。
「西国の桶狭間」
→まったくソース不明。
武田元繁や熊谷元直、香川行景らを失って大きく戦力を削がれた安芸武田氏は、勢力が急速に減退
→そもそも有田中井手の戦い自体がウソ臭い。討ち死に話も偶然が重なりまくりとって付けたような内容だしな。
従来よく言われるこの戦役で元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したというストーリーからして矛盾してる。
だが実際の史実においては跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
(尼子は安芸支配を固めるために毛利を降伏服属させようとしてただけで滅ぼそうとしていない。)
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。
735 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 10:58:00 ID:t4Ex3JUm
またこいつの捏造か
自分で自分の主張の矛盾に気がつかないものかねw
こいつの主張に沿うと
当主を筆頭に家臣が討ち死にしまくってもなお衰亡しなかったのが武田だということになるので
討ち死に多発していない有田中井手の戦い以前ならさらに盛況ということ
その盛況であったはずの安芸守護代武田がいくら連合とはいえ安芸北部の国人領主に動員
兵力面ですら劣っていたらしいんだけど、もはや意味不明
盛況の武田は当主を筆頭に自爆しまくる猪武者家臣団だったらしいが、よくもまあそんな家がその
合戦以前に生き残ってきたものですねw
大内の佐東銀山城攻めは武田を滅ぼそうとする動きだったが、尼子による吉田郡山攻めは
わざわざ大軍を長期に渡って用いておきながら毛利を滅ぼす為ではないとか
これまた意味不明w
736 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 11:04:56 ID:ZWVneZlT
>>735 と自分の毛利マンセーイメージが壊れるのを
感情的に拒絶するバカ厨がソースも根拠も出さずに
またまた必死に捏造呼ばわりしました。
たまには反論の論拠を出してもらいたいもんですねぇ。
737 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 12:45:35 ID:ZWVneZlT
>>728 >>権謀術数のキレのレベルが違う
ソースください。
738 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 13:06:42 ID:t4Ex3JUm
>>736 根拠もなにもおまえの文章の矛盾を言ってるだけなんだけどw
たとえば
>猪武者熊谷
>猪武者武田元繁
>跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない
>尼子は安芸支配を固めるために毛利を降伏服属させようとしてただけで滅ぼそうとしていない
一つでもいいからソース出してw
739 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 15:12:51 ID:mfocO/hV
>>734 > 「西国の桶狭間」
> →まったくソース不明。
ここに糞ワロタ
740 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 17:56:01 ID:+3ysBRk+
2ch見て笑うとか不審者みたいなやつ
741 :
人間七七四年:2010/06/18(金) 21:55:51 ID:kYrbY/CA
尼子の吉田遠征は、毛利を滅ぼすも何も
大内との戦いの序章でしょ。
でなきゃ、たかだか毛利を討つのに、石見や備前、播磨、因幡、伯耆の
軍勢を結集したりなんかしない。
尼子久幸が無謀だと詮久を止めたなんてこともありえない。
後世の結果を知っている人間の創作。
この時点で状況は、対毛利に対しては圧倒的に尼子有利。
742 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 10:10:39 ID:EPfPLpeF
基本的に尼子って
周辺の国人との一揆連盟の指導者だった
毛利を服属させて
安芸の支配を
確定させたいだけだからなあ。
大内も尼子も毛利を服属させるために土地やったりと
毛利の立場はおいしい。
尼子なんて支配地の完全支配なんて
そもそも目指してないからな。
大内領と隣接してる武田とはわけが違う。
743 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 17:58:18 ID:UT5SPzq5
>>738 君が基礎知識が欠如した無知なのがよく理解できた。
なぜ有田中井手の戦いの戦いが怪しいのか教えてやろう。
そもそも下記の2点からしてまったく180度前提が変化している。
>>毛利興元が死去したため、わずか2歳の幸松丸が当主となっていた
>>兄の興元が京都におられる時期を利用して
これは有田中井手の戦いが2回以上の戦役をごちゃ混ぜにしてる可能性が高いからだ。
つまり北条の河越野戦の信憑性が非常に怪しいのと同じ。
考えられるのは、兄が大内の命で武田信繁を一度、大敗させており
その後、懲りない武田が兄の死をチャンスと感じて再度侵攻したと言う可能性がある。
だが、もっと根源的な問題は、
秋山伸隆氏が研究過程で毛利は偽造文書のチェックもせずに
安西軍策などの軍記内容を踏襲して歴史編纂した毛利マンセー記録という事実だ。
744 :
人間七七四年:2010/06/19(土) 18:45:06 ID:uqa5ynJa
745 :
人間七七四年:2010/06/21(月) 01:38:48 ID:FNPKRmxc
>>744 >>都合の良い推測
推測ってw
新裁軍記すら読んだことないのか・・・毛利厨ってド素人過ぎるだろ。
基礎知識すらなく、しかも知識がありそうな文面すら一切書けないクズだし
対等に議論する価値すらないゴミだな。
どうせ知識欠如してるから何を意図して書いてるかすら理解できないんだろうけどな。
今のお前はそうとうに恥をかいてるんだぜw無知って自覚ないからうらやましいなwww
746 :
人間七七四年:2010/06/22(火) 07:51:22 ID:dn8EBXrS
このスレの住民には反論されるだろうけど、
俺は「毛利輝元が本当はそこそこ有能だった」という説には賛成できんね。
「非常に難しい時期に家督を継承し長州藩の礎を築いた」とは言うが
別に照元だからこそ乗り越えられたとはとても思えない。
基本的には彼の功績のほとんどが周りの補佐と毛利家の地力によるもの。
その蔵、彼が自らの意思でやったと感じられるものはロクでもないことばかり。
「輝元が本当は有能だった」とかいう輩は
「反説さえ唱えれば自分は賢い」とか思ってる連中ばかりじゃないだろうか?
747 :
人間七七四年:2010/06/22(火) 09:16:42 ID:WeGJv+gj
そして分析出来てる俺カッコイイと思ってるんですね
有能と無能の境界ってどこですかい
748 :
人間七七四年:2010/06/22(火) 10:59:40 ID:1Tj9bvlZ
毛利親子は揃いも揃ってみんな無能。
まわりが勝手に自爆してくれてた時は
たまたま時流にのって拡大できたが
自爆しない手堅い家康の前に
指先ひとつで両川体制内部崩壊させられ
ヘタレ当主の戦意喪失で瞬殺ダウンさせられた。
749 :
人間七七四年:2010/06/25(金) 15:12:51 ID:iNAWPhTA
幼女を獣の目で狙い続け、自宅訪問を繰り返すが
あまりにギンギンの目とビンビンなアソコを露骨に表現していたので
モロバレしており家臣から強力なガードをされていたロリコンマイスター輝元。
幼少の頃に自宅門前で遊んでいたところ、
美少女故に通りがかった輝元の目に留まり、
その後、輝元はしばしば元良の広島時代の自宅を訪問するようになる。
輝元のそうした行動を快く思わない元良は
後の二の丸殿が12歳の時に杉元宣に嫁がせた。
しかし、輝元は諦めることなく佐世元嘉らに命令し、
強奪して側室とした。
杉元宣は隆景によって密かに野上庄沖にある大島の船隠で惨殺し
隆相系杉氏を断絶の刑罰に処した。
750 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 13:34:46 ID:IlNyAp89
器のない輝元が変にやる気を出したら日本は戦国時代に逆戻りだった。
日本にとっては最小限の犠牲で政権交代できて本当に良かった。
751 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 23:44:49 ID:mZfTUY8T
だな。
悪いけど輝元や毛利家に安定した政権作れるとは到底思えん
そう言う意味では徳川で平和な世の中が出来て良かった。
752 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 12:40:01 ID:NLGsah/M
>>749 DQNの甥のケツをふくために
DQN叔父がやった「相手の親を達磨にして石を結びつけてドザエモン」
これで口封じOKwすげー悪逆行為によるオトシマエ怖っw
753 :
人間七七四年:2010/07/15(木) 17:51:34 ID:AWjDpPj6
輝元よりあなたの方が百倍優れてると断言できよう。
754 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 04:38:25 ID:h51Qh+AC
毛利とはなんだったのか
755 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 10:04:20 ID:VgBSOSyG
なんだかんだで36万石の2カ国の大藩である。
福島や加藤と違って生き残ったんだから不思議だ。
756 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 15:31:41 ID:gMt2VAG+
>>755 いえ、輝元は毛利改易で滅亡させた愚主ですよ。
家康は周防・長門2カ国を秀就を宛名として
領地を与えて改めて主従関係を結んでいるんだよ。
757 :
人間七七四年:2010/08/19(木) 05:55:00 ID:kZO5v3XV
TBSの関ヶ原に出ていた金田龍之助 さんが肖像画に一番似てる
758 :
人間七七四年:2010/08/19(木) 15:53:01 ID:OuEIVJAn
家康は池沼暗君輝元を排除し謀反人毛利を滅亡させ、
のち後毛利として毛利家を再興させてくれた恩人。
長州人はクズ
759 :
敗因はこいつ:2010/08/23(月) 10:13:47 ID:jZ1eE5L1
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ 三 法 師 \
/ ヽ
l::::::::: |
|:::::::::: (●) (●) | 祖父見習って城外決戦したら
|::::::::::::::::: \___/ | 二日で落城したでござる、の巻
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
木 瓜 \\ /|\ ///
木 瓜 \\ //瓜 ///
瓜 木 瓜 \ //木 ノつ\
瓜 木 瓜 //瓜 / く瓜
760 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 14:20:20 ID:vCPeH+NR
裏切り者とののしられて早死にした金吾よりもクズだよな
761 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 12:28:31 ID:oTtAugve
まあ売り時逃したのは
762 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 12:29:32 ID:oTtAugve
すまん間違いだ
763 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 13:39:40 ID:VAePkQH2
いくら望んでも有り得ないほど
毛利にとって都合がよい棚からぼた餅な絶好の機会で優柔不断をさらけ出して
奈落に転落したバカ当主。
孫は祖父に似ると言うが
悪運だけは神レベルだった祖父と違い
こいつは運は転がってきたが
まったく生かせない空気の読めなさぶりだった。
764 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 15:03:35 ID:5B249BMW
>毛利にとって都合がよい棚からぼた餅な絶好の機会
あの状況をそんな風に思ってるほうが馬鹿じゃないか
豊臣家は協力的ではなく、三成たちは勝手行動するは
どこが毛利にとって都合のよい状況なんだ?
765 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 15:06:47 ID:VAePkQH2
それは輝元が頼りがないし指導力も無かったのが露呈したからだ。
失敗を他人のせいにすんな。
天下への野心と実力がある人間なら
こういう美味しい状況をチャンスと捉えるわ
766 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 15:21:00 ID:bbpMOsy5
関が原で西軍が負けたらさっさと大坂城を明け渡したんだからセンスなし
15年後でも家康が落とすのに苦労した大坂城
毛利軍は無傷、しかも豊臣系大名が大坂城を攻めるとは考えにくい
全くセンスなし
767 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 19:47:38 ID:exIFNToC
毛利にとっては毛利の御家大事なわけで大坂にこもってるうちに
毛利領が侵食されたら元も子もないってことじゃないの?
768 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 20:31:40 ID:VAePkQH2
浸食される心配はまずないし
関ヶ原で敗れたとしても
大坂城で粘れば宇喜多領の勢力回復する時間も稼げるし、
上杉の勢力拡大も図れる。
うまくやれば応仁の乱の再現も可能。
769 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 22:29:40 ID:exIFNToC
宇喜多なんか折からの宇喜多騒動と関が原のダブルパンチ瀕死だろ
上杉にしろ最上や伊達に挟まれ勢力拡大も難しいだろ
関が原敗戦の報で消極的で中途半端な姿勢のところも家康側につくことが予想されるだろうし
八方塞の中で大坂を守る気にはなれんだろう
家康としても大坂に輝元がたてこもり大坂が堅いとなれば広島を攻撃すればいいだけなんでは?
770 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:53:37 ID:MlakG6MX
大坂の陣の時の浪人軍団と違い西軍は帰る場所がある連中だから大坂城で篭城をするのは難しい
自分の領地が攻撃されたら大坂を放棄して帰還せざるを得ないんだよ
771 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 00:26:14 ID:3An7GSdZ
むしろ大坂を抜かずに宇喜多領へ向けて西進したら岡山に引き付けておいて
挟撃のチャンス過ぎて笑いが止まらん。
大坂で時間稼ぎしとけば
宇喜多の関ヶ原敗兵も集結してくるだろうし。
瀬戸内海は毛利水軍優勢だしよ。
さらに上杉の自力排除が不可能な最上も死んで小野寺と連携できるし
安東の息子達は秀の字をもらってるやつらばかりだし
津軽も大坂に息子を置いてるほど三成派だったからな。
772 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 08:56:07 ID:hTKp2GPj
家康が大坂城に長期にわたり張り付けば、上杉や佐竹が江戸に攻め込むだろ。
自分の領地が攻撃されたら大坂を放棄して帰還せざるを得ないのは家康も同じ。
773 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 09:17:24 ID:+2SfvIoD
ここまで福原広俊の名前なし
家康に内通したのは分家の吉川だけじゃない
毛利家の重臣も内通している
774 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 09:21:29 ID:D9FuRj66
>>750 維新もやる気出すのやめて家臣に任せたし。毛利家当主、隠れた功労者じゃんw
775 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 11:24:03 ID:Ie8VsJ4f
>>771>>772 つーか関が原の結果で状況は家康有利に傾いてるはず
そういう推測は戦前なみのパワーバランスが維持されてないかぎり不可能では?
宇喜多は御家騒動でもともと弱ってた上に主力が関が原で壊滅したんだから
もはや岡山を維持できる力なんかないだろ
上杉や佐竹も伊達や最上が背後にいるのに関東進出なんて無謀なことができるとはおもえん
そうじゃなくても関が原で無傷で勝った徳川家へ侵食なんかほぼ不可能じゃないか?
776 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 13:11:18 ID:3An7GSdZ
世界史の戦史を見ればわかるが
楽に天下を握ったりした人物はいない。
大概が一度は、大敗して危機的状況から逆転してるケースが多い。
名将の登場も滅亡の危機の中から現れてる。
そもそも大坂城が戦わず降伏せず落ちなければ負けない戦いが可能で、
各地の西軍が踏ん張ってれば、
細川や山名がやった応仁の乱の泥沼化戦術が可能。
最上は上杉を自力排除できる力はないから滅亡は近く、バカな伊達は背後の南部と戦端を開いて最上を下した上杉との挟撃に降伏し
佐竹と合同して南下。
毛利も四国の支配が視野に入ってきてた。
九州は関ヶ原の敗報が届いてから当主生死不明もあり如水に降伏しただけだから
大坂が踏ん張り敗兵の収容をしてる報が届き
北九州の立花や小早川らが無傷と知れば話が違うし、島津らもいる。
777 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 13:29:21 ID:k4CxUOLl
>>771 >宇喜多の関ヶ原敗兵も集結してくるだろうし。
もはや宇喜多にそんな兵力は残っていません
>さらに上杉の自力排除が不可能な最上も死んで小野寺と連携できるし
関ヶ原の結果を聞いた上杉が最上の自力排除を諦めて逃げ帰ったんだよ
関ヶ原後のパワーバランスを戦前と混同しているから話が噛み合わない
三成ら首謀者連中が全滅した時点で西軍は頭を失った首無し死体でしかない
毛利や立花の兵力が名目上残っていたところで無意味なんだよ
778 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 13:47:05 ID:3An7GSdZ
宇喜多兵死亡率100%なわけないだろう。
しかも上杉はほとんど兵力を温存してるんだから
大坂で粘ってると知れば最上に再侵攻するに決まってるだろ。
しかも今度の最上戦は長期包囲ではなく
兵力を背景に力攻めに転じるわけだ。
小西が死んだとしても島津が北上して小西領へ侵攻し立花領や小早川領に加藤が北上したとしても阻止される。
島津が兵力温存してたのは加藤が兵力温存してたからだしな。
そもそも三成を殺して大坂城まで徳川が攻撃した時点で加藤が東軍にいるとは思えないわけで
他の家康指揮下の豊臣恩顧大名もどうなるのか不安なのは率いている家康本人の方なわけだ。
779 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 14:13:43 ID:9w9n3f7n
まぁ、死傷者率なんて10%行けば多い方だしな……
ぼろ負けしたって、補給さえどうにかなるならいくらでも再起できるよ
780 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 14:52:46 ID:Ie8VsJ4f
なんか大坂城篭城論をとなえるひとは合戦後の戦力バランスの変化を無視してるようにしかおもえないな
>>778 関ヶ原という大きな戦いで西軍がやぶれた後でそんなに上杉が元気よく活動できないだろ
徳川は無傷、いままで旗幟を明かさなかったり西軍だったところが次々に寝返る可能性が高い状況でね
加藤も福島もその後の史実からでもわかるように豊家より自家のほうが大事なんだろうし
勝ちムードの徳川に楯突くとは思えない
>>779 補給も何も宇喜多家臣団にそこまでのモチベーションをもちえないだろうし
当主すらどこにいったかわからない宇喜多家にそこまでの指導力もないだろ
781 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 15:30:10 ID:3An7GSdZ
家康が権力をある程度得られたのは
論功行賞を主導できたからで
それでも論功行賞は秀頼の名を使うなど豊臣家を立てざるおえなかったからだ。
しかも豊臣恩顧大名が活躍してしまった為に西国は恩顧大名ばかりになり
家康にとっては関ヶ原は失敗と言われてるくらいだ。
豊臣恩顧に与える領地は毛利が大坂籠城してれば得られないし
大坂落としてからだと満足な論功行賞もできない。
三成が死んだあとの豊臣恩顧大名は下手すれば毛利と上杉と徳川の講和斡旋して主導権を握ってくる最悪なケースも現れてくるわけだ。
さらに武断派の清正らが死ぬまで手を出せなかったのも
豊臣恩顧大名への影響力が家康より大きいからだ。
宇喜多にしたって再編したら雪辱を果たそうとむしろ志気があがってるはずだ。
そもそも関ヶ原での宇喜多はかなり志気が高かったほどだしな。
782 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 15:44:58 ID:+Gte/hK/
はなから籠城するんじゃなく野戦も十分出来ただろ
秀頼麾下+輝元麾下4万+大津城包囲軍1万5千+田辺城包囲軍1万5千+関ヶ原敗残軍
783 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:02:12 ID:/arYdW5y
>>780 関が原の東軍は井伊隊以外は豊臣系。
福島正則他豊臣系の武将が秀頼を攻撃すると思うかい?
>加藤も福島もその後の史実からでもわかるように豊家より自家のほうが大事なんだろうし
どんな史実?
煽りじゃなくてマジ質問
784 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:09:48 ID:Ie8VsJ4f
違うだろ
合戦の勝利で強大な影響力を得ることができたから論功行賞を主導できた
合戦の勝利で世の流れを掴んだのが最大のキーだよ
論功行賞できる下地をつくってるだけで家康にとってはもう勝ちだろうよ
清正は死んでいたが正則は大坂の陣の時なにもできなかった
時代を読み正則に徳川への忠勤すべしと警告したのは清正だし
蜂須賀も黒田も浅野も豊臣恩顧大名で豊臣に殉じるなんて考えてる人間なんかいなかった
大合戦での敗北という大きな流れにいかに豊臣恩顧であれ逆流できるような芽はなかっただろうし
その気になればやればできるなんてのは机上の空論
785 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:15:05 ID:Ie8VsJ4f
>>783 徳川本隊は無傷だろう
関ヶ原は秀忠が遅延したからああいうことになったわけで
大坂を攻撃しなくても広島を攻撃するだけで大坂の毛利はもたないだろ
んだから大坂篭城自体が机上の空論かと
>どんな史実?
加藤も福島も江戸時代生き残りに汲々としていただろ
豊臣のために一矢報いるなんて大それたことはしてないだろ
いかに恩顧といえども大きな流れにはさからえないともいえるが
786 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:16:28 ID:/arYdW5y
それは15年後の話。
関が原ではあくまでも石田三成の成敗だけ。
豊臣政権の大老である輝元が号令かけてそのまま大坂城に籠城したら、
同じく大老でしかない家康は論功行賞なんかやってる余裕はないよ。
787 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:21:54 ID:Ie8VsJ4f
敗者の号令などだれもついてこねーだろ
戦での勝ち負けってのはそれだけ勢力バランスや権力、発言力を左右する
広島を襲われたら終わりの毛利にとってそこまで突っ張りとおす理由もないんじゃね?
788 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:27:51 ID:Ie8VsJ4f
あああと豊臣恩顧であろうがなかろうが権力者(家康)に靡きまくってたのは
15年先といわず関ヶ原直後から
どこも犬のように従ってた
豊臣を滅ぼすとき反旗を翻すところもなかった
789 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:56:10 ID:3An7GSdZ
バカだな。
家康は上杉征伐を口実に
各大名の子弟を御陣を習わせてやると称して
相手の有無も確認せずに
半ば強引に引き連れてきた大名がほとんど。
だから小山で黒田長政を利用して福島を騙したわけだ。
そもそも玉たる秀頼の名を使って論功行賞ができない以上、
家康は論功行賞の斡旋による便宜で恩を売れず
やれると言えば、家康の自領を割いて
一時的に不十分な恩賞を保証するしかない。
上杉や佐竹が南下するのも時間の問題で
かなりを江戸へ派遣する必要がある。
三成死んでる以上、豊臣恩顧は大坂を攻める理由がない。
各地に派遣してた西軍も集結してくる。
関ヶ原で勝った原動力は豊臣恩顧大名。
逆に大坂を攻める家康をなじるわな。
そもそも清正らは高齢者の家康がもうすぐ寿命で死ぬと思って三成排除を優先してたからな。
790 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 17:17:58 ID:Ie8VsJ4f
時代のキーとなる大合戦での決着はほぼ最重要事項といってもいいことだぞ
権力を握ったら大義名分など君側の奸を打つとでもなんとでもいえるだろ
毛利にとっては広島がやられたら終わりでそうかんがえたら
大坂の毛利軍をどかせるには大坂を攻撃する必要すらないし
御家大事、所領第一である大名領国制の時代一番大事な本領を危険にさらすだろうか?
当時の情勢を考慮すれば上杉や佐竹なんか最上や伊達とけん制しあうのが精一杯じゃね?
だいたい豊臣恩顧ですら犬のように権力になついてるのに
毛利だの上杉だのその辺の外様が豊臣家のためにそこまで張り切る理由もない
791 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 17:23:04 ID:3An7GSdZ
家康は応仁大乱のような乱れを呼ばず迅速に処理できた以下の事例…
大坂を明け渡して家康に私が悪うございましたと毛利が土下座して、
いまも戦ってる西軍を見捨てた挙げ句に
家康が毛利を改易するからw
そして秀頼の名で論功行賞したことで勝利を確定させたから
発言力が増したのであって
それより前の段階では、関ヶ原で実際に最も活躍した秀頼を守るスローガンを掲げた豊臣恩顧大名の方が発言力が上。
家康は内心では彼らに大領を与えるのが嫌だったが、
活躍ぶりから与えざる負えなかったから西国に偏重させて
彼らへの恐れから姫路城や伊賀上野や篠山などの要塞化をして彼らから大坂城を孤立させようと図ったわけだ。
792 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 17:37:14 ID:3An7GSdZ
江戸が心配な家康が広島まで出向く可能性は低いし
もしやるなら
>>771のような話だ。
しかも途中で播磨、備前、備中、備後、安芸、さらに周防、長門と籠城と国人ゲリラ戦消耗戦になるわけだ。
しかもそれをやってるそばから毛利水軍の奇襲。
毛利本領喪失したら、大坂籠城してる毛利はそれこそ後がないから必死になるだけだし
金や米がたんまりあるから孤立も大坂城にとって痛くもかゆくもない。
最上はどっちみち上杉との戦力差が隔絶してるんだから常識的に早晩降伏。
南部の北信愛に敗れた伊達はそもそも蝙蝠大名だから上杉に付く。
如水から手紙をもらった長政もどう動くかわからなくなる。
清正ら豊臣恩顧大名にとって豊臣家を守る目的はあっても家康がこれ以上巨大化することは不都合で、
怪しげな発言や行動を家康がすれば、危険視対象になるだけだから、毛利を除いてない段階では
家康も下手な真似はできない。
793 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 17:50:10 ID:Ie8VsJ4f
>>791>>792 >それより前の段階では、関ヶ原で実際に最も活躍した秀頼を守るスローガンを掲げた豊臣恩顧大名の方が発言力が上。
キーポイントは論功行賞じゃなくて関ヶ原だよ
だいたい論功行賞なんて権力を握ってはじめてできうること
権力を握るために必要な支配者であることを無理なく納得させることができる
一番の手段が合戦の勝利
>毛利本領喪失したら、大坂籠城してる毛利はそれこそ後がないから必死になるだけだし
だからそこまでして毛利が戦うってことがありえないだろ
本領が脅かされてまで戦う意義が輝元にも家臣団にもない
>最上はどっちみち上杉との戦力差が隔絶してるんだから常識的に早晩降伏。
>南部の北信愛に敗れた伊達はそもそも蝙蝠大名だから上杉に付く。
関ヶ原での家康戦勝の報を聞いた上杉が大暴れするデメリットを考慮すれば
さらに深く戦線を拡大させることは考えにくいんだが
蝙蝠大名の伊達だからこそ関ヶ原のような重大な合戦で勝利した家康に反旗を翻すことはありえないだろ
794 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 17:54:45 ID:Ie8VsJ4f
>>792 >しかも途中で播磨、備前、備中、備後、安芸、さらに周防、長門と籠城と国人ゲリラ戦消耗戦になるわけだ。
>しかもそれをやってるそばから毛利水軍の奇襲。
合戦で疲弊した地域ばっかだな
何万人も出兵して大名や主力武将不在の烏合の衆がそれほど強いとはおもえん
>清正ら豊臣恩顧大名にとって豊臣家を守る目的はあっても
豊臣恩顧でも加藤上杉の外様大名でも自家が第一で豊臣は二の次だろ
そちらの推測は「すべての大名が豊臣のために家康を倒すべく戦う」という
ありえないことを前提としてるから
まず最初の前提が間違ってんだろ
795 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 18:02:16 ID:+fA4wS5R
国人連中は家康相手にゲリラ戦やるより家康に付いてゲリラ狩りやる方がお得じゃね?
796 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 18:54:20 ID:WkemEzHg
最上相手に大敗した上杉が南下できるわけもない。
797 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 21:44:02 ID:+2SfvIoD
家康は関ヶ原の時からの7万5千 秀忠3万5千 前田2万 小早川ら2万
15万の大軍になるんだが
上杉は最上に大敗して庄内を奪取され
越後で起こした郷士一揆は鎮圧され
伊達とはいい戦いだったようだが白石は獲られたまま
佐竹が降伏した以上は上杉に余裕はない
798 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 09:55:05 ID:zKuHjwiG
Ie8VsJ4f
こいつは史実を盾に取って結果論でごねてるだけだな
799 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 10:12:14 ID:I5E2BRfy
輝元が大津組、関ヶ原退転組と共に大坂城に篭ったら東軍は兵站がもたないだろう
800 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 12:26:13 ID:euJUib4A
>>798 史実を盾??
大名領国制においての大名の行動パターンと戦国期の大合戦の結果による情勢の変化をみると
おのずとでる答え
だいたい上杉や毛利が豊臣のためにガンバルなんて100に1つもありえないことだしそれを前提にして
大坂篭城だの関東進軍だのと想像するほうがありえんこと
801 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 13:16:26 ID:X8dTZMBE
吉川らが話しはついてますから早々に安芸にお戻りアレとか言われて
あっそう、じゃあ後よろしくって感じでしょ。
元々天下獲りの家風じゃないし。
まんまと三成と安国寺に担がれ
家康に騙されただけ。
よってお飾りの無能と認定する。
802 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 14:26:46 ID:zKuHjwiG
euJUib4A=Ie8VsJ4f
やっぱり結果論でごねてるw
自分の言葉じゃないから曖昧な表現を繰り返して誤魔化してるし
場違いだから帰った方が良いよ
尻尾巻いて
803 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 14:47:06 ID:T87A5DCV
関が原で家康が秀忠隊を待てなかった理由のひとつは、輝元が秀頼と
とももに進軍してきたらヤバいと感じたこと。
大坂籠城ではまさにその状況になる。
関が原から数十日で秀頼に弓を引く豊臣恩顧の大名はいないだろう。
804 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 14:52:15 ID:euJUib4A
>>802 どうでもいいがどこが結果論なんだ?
合戦の大勝利、大敗北はいの一番に配慮されるべき最重要事項だぞ
戦国時代の情勢を読み解く際
・大名領国制においては大名も家臣も自分の所領が第一
・大きな合戦の勝敗で権力構造やパワーバランスは一気に傾く
という二つの原理はほぼ間違いないだろうし
そういったバランス感覚を排除してまるで戦前のパワーバランスのまま
皆が豊臣勢のために奮闘する大坂篭城や関東進軍なんてのはありえない想定だとは
いえる
805 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 15:09:36 ID:T87A5DCV
家康に大敗北したのは石田三成とその仲間たちであって、
豊臣でも毛利でもない。戦闘行為すらない。
家康は関が原勝利後も豊臣政権の大老以上の地位にはない。
806 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 15:21:30 ID:euJUib4A
>>803 仮に大坂を攻撃したとしても家康にさからえる豊臣恩顧の大名もおそらくいないだろ
>>805 三成は事実上の首謀者だろう
それがボロクソに負けて打ち首になった以上情勢の変化は避けようがない
上杉も毛利も黒田も合戦後はトーンダウンしてるしこういうのは
関ヶ原合戦の固有現象ではなくつい最近まであった戦争の効用だろう
807 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 15:52:10 ID:6cd+Zqmp
合戦の敗北ごときで大変化起きるなら信長は何回も滅亡してることになるな。
そもそも西軍総大将の毛利はまったく無傷で負けてすらいない。
さらに国人を煽って旧支配者や庶流などを挙兵させる応仁の乱での戦略で泥縄化させることも可能で関東から離れている家康は兵糧も含めて不利になっていく。
西軍総大将の毛利が家康に土下座したから勝敗が明確についたに過ぎず
毛利が大坂で戦うならまだまだ戦いは充分可能だし
当時、吉川が騙されて輝元の罪を問わない、毛利本領安堵があったから必死で戦ってないだけ
戦力差が隔絶してる上杉にどっちにしろ最上が滅亡するのは当たり前な結果だし
豊臣恩顧大名が大坂城の秀頼を攻めて拘束したら、そのまま家康が秀頼を殺す可能性すらあるのだから
抜群の戦果を上げた恩顧大名が三成排除が成就したら家康牽制にまわるだけ。
尾張が福島だし、岐阜を落としたのも彼ら。
家康は尾張美濃の背後の心配をしなければならない。東海だって恩顧大名ばかりで清正らに指示されたらわからん
808 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 16:18:42 ID:euJUib4A
強力な統率者のもとトップダウン式の体制を築いてた信長と
それぞれが半ば独立し多くは日和見している諸侯いかに見方に引き入れるかが
勝敗の分かれ目だった家康とは状況が違う
信長とて桶狭間の合戦や信玄や謙信の病死など要所要所で時代の契機になれるキーをつかんできた
からなんとかライバルを出し抜くことができたんだろう
第一関ヶ原のような騒乱になったのもキーは秀吉の死
それでパワーバランスが変わった
パワーバランスってのは合戦の結果や要人の生死など人々が
心変わりし得る契機によって変わりうる
君のいうことは毛利は騙されたからというらしいが、そもそもそうじゃなくても毛利に戦う意思があったかどうか
きわめて疑わしい
他の大名の動向もあわせみても関ヶ原後毛利だけが表立って楯突くということだろうか
上杉も関ヶ原の報を聞いて逃げ去ったがこれが関ヶ原の持つ意味だということだろう
さらに国人を煽って旧支配者や庶流などを挙兵?
関ヶ原で西軍は負けたけど挙兵してくれと西軍総大将が工作するのか?
そんなのだれがついて挙兵するんだ?
恩顧大名といえども御家が一番大事の大名領国制の元では時の権力者に逆らうことは
考えにくいこと
809 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 16:46:04 ID:zKuHjwiG
結果論馬鹿を晒しage
関ヶ原の敗北で何もかも決したと意地でも思いたいらしい
強力なリーダーの下でなくとも敗北後再戦して巻き返した例はあるのに
自分に都合の悪い事例は見えないんだろうな
810 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 17:09:14 ID:6cd+Zqmp
>>808 抽象的過ぎて実際になにを言いたいのかわからない。
君の脳内設定をまず的確に文章にしてくれ。
ただ西軍総大将の輝元が死んだら状況は大きく変わるのは理解できるよ。
三成が死んだから武断派が家康に味方する理由がないのもわかるよ。
811 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:07:54 ID:euJUib4A
>>809 例があるってんなら具体例をあげてくれ
このケースはどこの家も自家が大事で必死になるほど豊臣を守り立てるつもりはない
諸大名にとっては巻き返しをする必要がないのが前提にあるんだがその辺も考慮に入れ例をあげてくれよ
毛利が大坂に篭城したり上杉が関東に進軍したりする想定は
「戦う理由がない両家がそんなことをするのか?」という根本的な疑問を無視したまま進められてるから
説得力がないんだよ
領国に攻め入られた自衛戦とは違うわけだ
>>810 そりゃ演繹的に権力構造の理屈から述べてるんだから抽象的なのは仕方ないだろ
否定するにしろ肯定するにしろ抽象性の高い理屈をわかってくれない限り話が進まないんだが
具体的なところに話を戻せば総大将なんか名目にすぎないのは周知の事実だっただろう
家康と三成の毛利争奪工作をみれば明らかに西軍を主導してるのは三成だとわかる話
812 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:15:56 ID:euJUib4A
>>811が中途半端だったから補足
>>810 三成が事実上西軍を主導していたのは周知の事実であり、
名目上総大将ではないとはいえそのことで西軍自体が結束力を失い散り散りになることは
容易に想像がつくこと
よくでてくる上杉も関ヶ原の結果で戦意を喪失してるし大きな流れは家康の圧倒有利の中
武断派としても家康に逆らうことは考えにくい上、家康としても武断派に頼る理由もない
家康自身膨大な兵力を抱えてるし家康に味方する勢力なんか腐るほどいるだろうて
813 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:27:39 ID:zKuHjwiG
>仮に大坂を攻撃したとしても家康にさからえる豊臣恩顧の大名もおそらくいないだろ
と言いながら
>それぞれが半ば独立し多くは日和見している諸侯いかに見方に引き入れるかが
勝敗の分かれ目だった家康とは状況が違う
一事が万事この調子
自分の言葉で語ってないから矛盾が生じるしそれを認めまいとして更に歪んでいく
自分は曖昧なことしか言えない癖に相手に具体例求めるのも同じ
814 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:31:13 ID:euJUib4A
脳内設定だの結果論だのいうが
関ヶ原での敗北の報を聞いて速攻逃げ帰った上杉が関東進出したり
すぐに大坂から退去した毛利が領国をほったらかして大坂籠城したり
敗北方の将の号令に従って各国の在地勢力が家康勢に対して蜂起したり
大名領国制下の御家大事の行動パターンの元で
とてもありえそうにない空想にしかみえないんだけど
本気で考えてるなら妄想っていっていいレベル
>>813 >仮に大坂を攻撃したとしても家康にさからえる豊臣恩顧の大名もおそらくいないだろ
これは戦後
>それぞれが半ば独立し多くは日和見している諸侯いかに見方に引き入れるかが
勝敗の分かれ目だった家康とは状況が違う
これは戦前
戦後の家康が誰も逆らえないような権力を掴むキーを握ってるってことは
その状況のキーになったのは他でもない関ヶ原
これは終始一貫いいつづけてること
ちょっとまともによめばわかるはずなんだが
815 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:33:02 ID:euJUib4A
>>814訂正
戦後の家康は誰も逆らえないような権力を掴んでいる
その状況のキーになったのは他でもない関ヶ原
これは終始一貫いいつづけてること
ちょっとまともによめばわかるはずなんだが
816 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:35:43 ID:zKuHjwiG
ほらまた史実を盾にしてるw
817 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:56:25 ID:euJUib4A
818 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 18:58:40 ID:6cd+Zqmp
だいたい家康と主従関係が成立するのは
家康が征夷大将軍になり武家を統制する公権力を得てから。
上杉が撤退したのは出先にいた直江が正確な中央情勢を探り政策を確定させるため。
毛利が大坂を明け渡したからも上杉は臨戦体制で自領防衛しつつ
家康と戦う決意を維持して伊達を撃退している。
そもそも大坂城明け渡せば、輝元の罪を問わない、本領安堵と言われて毛利は土下座したんであって
それをウソと見抜いていたなら毛利も徹底抗戦しつつ外交戦略で事態打開しようとするはずだし
上杉との連携や三成嫌いの武断派だって別に毛利や上杉を嫌ってたわけじゃない。
もしその意志がないなら最初から大阪城に入城しないし、西軍総大将にも就任するバカな行為をしないだろ。
三成が死ぬことが武断派の目的であって
三成が死んだら東軍こそ瓦解し武断派が味方に転じる可能性もあり、
総大将の毛利は無傷なんだから
西軍本隊は負けてすらいないのに瓦解するわけがない。
特に玉の秀頼を手にしており、
太閤が絶対に落とせないように工夫した大坂城も最大の武器でこれを家康は攻略不可能。
819 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:06:04 ID:euJUib4A
820 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:18:47 ID:euJUib4A
>>818 もし実際に毛利が抗戦の構えを見せるとしてもそれは大坂じゃなくて本領ではないか?
領土がやられたら抗戦も糞もないじゃないか
上杉も速攻で拡大戦略を放棄し領国に逃げ帰っている
島津も同様に構えこそしめすも外交で折衝先をみつけてそこで落ち着いた
毛利が形式的には総大将にあたるが、関ヶ原の原因の張本人である上杉も
やはりそこそこのところで妥協し折衝してる
総大将就任が大それた事なら関ヶ原の原因となった上杉の
家康に対する敵対行動も十分大それたことだろう
西軍はもはや大合戦やらかして周知の頭を失ってる
そのまま持つとは考えがたい
821 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:19:25 ID:zKuHjwiG
それは前提ではなくシミュレーションに踏み出しているだろ
そのくらい解れよ
822 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:25:37 ID:euJUib4A
>>821 ・当時の大名は御家第一で特に毛利・上杉のような外様は豊臣のために奮闘する理由がない
ってのは前提だろ
823 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:31:29 ID:zKuHjwiG
それはただの推測・憶測
揺るぎようのない事実とは違う
そんな推測・憶測まで前提扱いしていたら歴史シミュレーションなんて成立しない
自分が結果論馬鹿だということをわざわざ補強してくれてどうも
824 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:38:43 ID:euJUib4A
>>823 つ大名領国制下における大名の行動パターンは御家大事 領国第一
つ上杉も毛利も外様、豊臣に恩はない
つ関ヶ原の戦勝で家康権力を確立、毛利、上杉勢力低下
つ制度上は現代日本で共産党が政権をとって共産国になる可能性もある
共産党が政権をとれないというのは揺るぎようもない事実とは違う
825 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 19:51:50 ID:wGOGM/Ce
>>818 >毛利が大坂を明け渡したからも上杉は臨戦体制で自領防衛しつつ
家康と戦う決意を維持して伊達を撃退している。
「撃退」した事実はない。軍記じゃないんだし。むしろ戦術的には上杉は伊達に痛めつけらて大敗している。
慶長5年10月の時点で明らかに徳川との講和へ舵を切っている。12月には既に白旗状況。
伊達と徳川との連携と包囲に危機を感じて、降伏を自ら選択している。それ以外は滅亡のみだったのだから。
826 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 20:07:42 ID:zKuHjwiG
>>824 上3つは推測・憶測に過ぎないし、最後のは前提からどう展開するかによるな
いきなり共産国家になりましたじゃダメなのは言うまでもないこと
やはり結果論馬鹿であることは確からしい
827 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 20:23:07 ID:euJUib4A
>>826 ほう、あの時代武士がなにより所領を大切にしたのは憶測にすぎないと?
自力で大大名に成長した上杉や毛利に豊臣への忠義のために危険な賭けに出る義理がない
というのも憶測にすぎないと?
常識的な状況設定を無視してすべて推測・憶測に過ぎないといいはるようでは
そのシミュレーションに現実性はないな
共産党が政権をとれないのは制度上の揺るがない事実ではないが
通常は取ることを前提にシミュレーションしたりしないよな?
あんたのいってることは「揺るがない事実」ではないんだから
取れないことを前提にいれるなとゴネてるようなもん
828 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 20:32:13 ID:euJUib4A
>>826 んでおれがいつ「結果論馬鹿」「いきなり共産国家になりました」的な結果によるゴリ押しだけの
答えをした?
合戦による権力構造の変移や領土との密着な関係を意味する当時の大名の支配システムなどにより
豊臣家のために大坂に篭もったり関東にうってでたりはありえないだろうときちんと理由をつけて
説明しつづけてるんだが
829 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 20:52:04 ID:zKuHjwiG
シミュレーションに対する理解(
>>810の言葉を借りれば脳内設定)がまずおかしいな
人が常に慣習的・論理的に動くと信じ込んでいるのは大きな間違い
歴史上というか戦国時代に絞っても、非慣習的・非論理的な行動を取った例はいくらもある
だからこそシミュレーションにも一定の価値が生まれるわけなのに
それが解っていない
お前はシミュレーションどころか史実ともかけ離れたことをシミュレーションの要件に
してしまっている
本末転倒
「共産党が政権を取ること」は前提ではなくてシミュレーションの内容
というかそもそも「毛利が大坂を拠点に徳川に対抗する」というシミュレーションとは
そこに至るまでのプロセスに差が有りすぎて比較的にならない
830 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 21:06:45 ID:6cd+Zqmp
>>825 伊達の侵略を撃退した戦果を元に
撃退した本庄張本人が家康との交渉をした。
戦果のおかげで交渉を有利に働き、和睦したに過ぎない。
伊達はもはや自力で上杉に勝てず
おまけに南部にもボロクソにされ
挟撃の恐怖に
早く家康様出馬してくださいと哀願したがお前は蝙蝠大名であって東軍じゃないだろwと拒絶された。
そして家康に和賀を連行して出頭しろと言われてさらに追いつめられ、
和賀の首を斬って南部に送り、
水に流して欲しいと信直の土下座し
家康にも和賀は勝手に自害してしまいましたと土下座し
百万石の約束も破棄させられた。
831 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 21:17:43 ID:6cd+Zqmp
お家が大事だから徹底抗戦する力を持ってる限りは徹底抗戦するんだろうが。
毛利はお家の領地安堵と輝元の罪は問わないと言う都合が良すぎる大ウソを盲信したからお家大事で家康に土下座した。
そしたら毛利改易と言われ真っ青になった。
土下座したらお家断絶宣言されて後悔した。
だから吉川家は常に弾劾され冷遇も受けた。
しかしそんなあからさまな大ウソを信じなければ徹底抗戦してお家を守ろうとするだろう。
上杉が伊達を撃退したように一度は勝ってみせてその戦果を持って有利な交渉をするのが外交の基本。
武断派大名も和睦斡旋に動き西軍秀頼派の力を温存しようと図る。
毛利本領で守ってるうちに秀頼を懐柔されてしまうバカな真似はしない。
まるでそれは小牧長久手の戦いでの家康みたいじゃないかね。
玉を握る方に大義名分があるのは昔から当たり前のこと
そもそも瀬戸内海の制海権も維持してる毛利本領はかなり安全圏。
832 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 21:26:15 ID:euJUib4A
>>829 例がある例があるっておまえ例をださないだろ
あるんならだせよ
さっきも例をだせっていったら揚げ足取りをしてきたし
例があるとか偉そうなこといってるんならその非理論的行動例の
詳細を分析つきであげろよな
あとどこが史実とかけ離れてんだ?
毛利や上杉が豊臣のために身を粉にして働く線が薄いことか?
大名領国制で大名は領国に縛られ続けるからそこから離れて
領国が侵食されても戦い続けるということは考えにくいということか?
あんたが妄想してるようななんの根拠もない妄想なんてシミュレーションじゃねぇよ
その稚拙な考えではどんなDQN珍説ですら「非理論的なことが起こりうる」で正当化できるわ
833 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 21:51:59 ID:euJUib4A
>>831 徹底抗戦なんかしてる大名ないだろ
一番近いところで島津が気迫をみせたくらいか?
それも干戈を交える前に降伏しただけだが
そもそも上杉にしろ白石を伊達にとられっぱなしだし最上には負けて帰ってきたりしてるし
それほど強気に出れるほどの好条件が揃っていたとは思えない
講和の結果も毛利と似たようなものだし上杉の武勇伝を誇張しすぎなような
伊達を卑下してるようだが伊達も上杉なんかよりははるかに状況も有利なんだが・・・
大坂を守ってるうちに本領がやられたら本末転倒もいいところ
本領がやられたら終わりなのに
小牧長久手当時の家康と秀吉のパワーバランスでは家康に
秀吉の本領まで攻め込める力などなかった
秀吉のほうには工作をし囲い込む余力もあった
そのへんもまったく違う
毛利などそこまでして大坂の玉にこだわりつづける必要もない
制海権など陸がやられたらもとないもの
834 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:02:00 ID:zKuHjwiG
>>832 え、冗談でしょ?
そんなもん山ほどあるじゃん
浅井長政の謀叛、松永久秀の謀叛、明智光秀の謀叛、岩屋城兵の玉砕、肥後国人一揆、
九戸政実の謀叛、大谷吉継の西軍参戦、大坂両陣、天草・島原の乱etc.
それから史実とかけ離れているのは「常識的な状況設定」以外を認めようとしないお前の態度
あと逆に訊くが、お前が納得するシミュレーションて何?
835 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:10:29 ID:6cd+Zqmp
毛利と上杉の講和が似たようなもの?
違うよ。毛利領没収改易で輝元無理やり引退の計だから。
毛利は輝元の息子が改めて領地を頂いてるわけだ。
上杉120万石で白石の実高はたかが1万6000石。
こんなの奪回する必要性があるとは思えないから放置されてただけ。
伊達を卑下してるんじゃなくて事実だろうが。
伊達軍は東軍の南部にまったく歯が立たなかった。
最上に負けたから帰ってきたんじゃねーよ
お前マジ何も知らないで
書いてるのバレバレだから。
大坂の玉にこだわる必要性がないとかアホすぎる。
家康に懐柔された玉が、毛利に騙されたから毛利滅ぼせって話しになったら終了じゃねーか。
瀬戸内海の制海権があるから兵糧などの安全補給が可能になるのに戦略の基本がわかってないよお前。
大坂放置&瀬戸内海制海権まで握られて
平気な顔して山陽道を進んで岡山城でも攻めるの?まじでそんなバカは負けるよ。
西軍総大将を引き受けたから責任取らされ改易されるからこそお家大事で抗戦するんだろ。
お家大事だからヘタレ輝元は安堵の大ウソを信じて土下座したんだろ。
お家大事って言葉が君は理解できないの?
836 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:26:55 ID:6cd+Zqmp
あと
>>810でも言ったが
なにを言いたいのか明確じゃないから
脳内設定からくる抽象的なよくわからん話を書くんじゃなくて
具体的に書け。
そもそも大名領国制とか本当はわかってないだろ?
お前の脳内設定らしい大名の支配システムって言うのも具体的に書けよ。
837 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:29:25 ID:zKuHjwiG
もうやめて! 結果論馬鹿のライフラインはもうゼロよ!!
838 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:30:38 ID:4n36cQ1P
元々毛利なんてたかが有力国人にすぎない家が運良く拡大し
潰れただけだろうそれでも30万石も貰ってるからじゅうぶん勝ち組だな
幕末では幕府を倒す原動力にもなったし。
毛利は元就や隆景が異常なだけであとは全員無能
輝元は頑張った方だろ毛利家の中では
839 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:40:28 ID:3gj+FKHC
三成の打ち首と輝元の大坂城退散、どっちが先でしょう。
大坂城で秀頼を抱えて輝元が籠城していれば、
家康はどれほどのことができただろうね。
征夷大将軍になるまで3年もかかっているのが現実。
840 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:40:49 ID:6slhqpxJ
てる元が3人居れば勝ててた
841 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:50:27 ID:6cd+Zqmp
毛利家中で
吉川の岩国が後年まで糾弾されたのも
吉川の言うことを聞かなければ
毛利がこんなことにはならなかったから
つまり吉川の意見を聞かずに大坂で抵抗すれば
いまのようなブザマな状態にならなかったと当時の毛利家中の人々の憤りがあったわけだ。
そして吉川はカッコ悪いことに自己弁護のために
自分の行為を正当化した書状まで書いて言い訳してる。
842 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:04:55 ID:euJUib4A
>>834 状況の解説をしろって書いてるだろ?
「例だけ」なんかそれこそ結果論馬鹿だぞ
話は逸れるがそりゃ江戸時代でも由井正雪や生田万や大塩平八郎なんてのはいるな
こーゆー偶発的できごとで幕府が動揺したりもしなかったし
大藩がそれに加担する可能性があったかといえばなきに等しい話
もうひとつ戦国時代の概要をいうが戦況不利にも関わらず
信長、秀吉といった大大名と無謀にも戦う事例の多く
は負けると分かっていながらもおずおずと引き下がるのは
家臣への示しがつかないというのがある
毛利も徳川もちょうそかべも島津も上杉も大名として意地をみせて戦った
それにしろ本領への敵の侵略からはじまるものであり
もう一度言うぞ、外様の身で本領の危機をさらしてまで主君を守ろうとする奴がいるか??
「大坂籠城」だの「関東進撃」だのいうのは御家大事所領第一である大名、武士の根本的行動
パターンを外してるといってるんだが
本領を危機にさらしてまで外様の身分で主君のために奮闘するやつが
いったいどれほどいるんだ?
843 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:14:32 ID:v9VhTaW0
>>840 3人寄れば文殊の知恵って言うけどなあ、
寄る奴が馬鹿だと寄れば寄るほどより馬鹿になるんだよ。
これほんとの話。
844 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:23:40 ID:3gj+FKHC
ではどんな気概を持って西軍総大将を引き受けたのかね?
関が原で西軍が勝てば地位も上がり、加増されたりしただろうが、
肝心の毛利隊は全く戦っていない。
毛利家家督として、へたれ呼ばわりされても仕方あるまい。
845 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:24:32 ID:6cd+Zqmp
君の理論で言えば
お家大事だからすぐ降伏すれば良かったんじゃないかね?
部下の手前、意地で戦ってみせるもなにも
なんで戦うにあたり絶対にお家が改易にならない確信が彼らにはあったんだ?その説明が無ければ君の意見は矛盾する。
その理由を説明してくれ。
現に北条は滅亡してるし
秋月は秀吉が喉から手が出るほど欲しがってた
天下に名だたる名物を秀吉に献上したから許されただけだぞ。
それとこちらがいろいろと書いたことにほとんど反論せずに黙殺し
ひたすら自分の脳内設定を前提に抽象的な意見を繰り返し続けてるだけだから
議論する価値がないタイプと見た。
まずは意味不明な大名の支配システムとか
君の脳内設定の大名領国制の説明などしてくれ。
846 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:26:59 ID:zKuHjwiG
おや、涙は拭き終えたのかい?
>状況の解説
例示した中にお前が知らないものがあるならそれ挙げてみ
馬鹿にも多分解るようにやさーしく教えてやるから
>こーゆー偶発的できごとで幕府が動揺したりもしなかったし
大藩がそれに加担する可能性があったかといえばなきに等しい話
そんなこと例示すべき内容に含まれていなかったし、毛利云々とも関係ない
>それにしろ本領への敵の侵略からはじまるものであり
本領安堵されている状態から起きたことも先に挙げた例に含めているだろが
>外様の身で本領の危機をさらしてまで主君を守ろうとする奴がいるか??
大内義興
浦上村宗
立花宗茂
>「大坂籠城」だの「関東進撃」だのいうのは御家大事所領第一である大名、武士の根本的行動
パターンを外してるといってるんだが
どちらも直近の選択肢ではないと思うが、延長線上には有り得る話だな
847 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:29:19 ID:euJUib4A
>>835 毛利と上杉は似たような処分だろ
家督を譲ったり出家したのは責任を取るというポーズとして想像できることだし
ちゃんと嫡子に家督相続でき権力はにぎりつづけてるんだから輝元としても
問題はない
上杉は子供がいないから家督移譲だのなんだのは困難
白石を奪われた以上それをとりもどさないと武威の衰えをしめすものと
認識されうるからこういうのは実益だけじゃなくプライドにかけて
取り戻す判断をするケースが大半だしそんなこといったら伊達から守りきった
所領は白石の半分
そんなのを守ったくらいで「伊達を撃退」とするのに白石をとられたときは
「取り返す必要がなかった」とはどういうことだ?
最上領から引いたのも普通それは敗北という
実際無傷どころかそれなりに損害もあるようだし
岡山なんかなにがのこってんだよw
殿すら行方不明だぞあそこはww
制海権なんてのは陸上権力あっての水軍
制海権がなくて当初は苦労するとはいえ陸上から侵食できないわけでもないし
そうされたら一撃でアウトなのは毛利
848 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:32:07 ID:euJUib4A
>>836 だからおまえらとは考えてる方向性が違うから抽象的な説明を多くせざるをえないわけ
大名領国制ってのは多元的、独立制を強く持った国人衆など国内の諸勢力を大名が一元的に
のべるようになった状態
中央集権的構造が強いとはいえ大名の家臣はそれぞれの所領から軍役を果たすなど以前の
独立性の高さを名残をのこしていた
毛利家などは大名が自力で得た所領であり
その土地支配と非常につよい繋がりを残していたので本領の土地がやられるとアウト
849 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:34:50 ID:6slhqpxJ
>>843 関ヶ原大阪本国に一人づつ配置すれば勝てた
3人寄せようとするから馬鹿爆発の恐れがあるだけで
適所に配置すれば馬鹿なりに役に立つはず
850 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:39:57 ID:3gj+FKHC
家康側が大坂城を包囲しながら同時に広島近郊へ攻め入るって、どんな妄想なんだよ?
だれが味方するんだ?
851 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:44:11 ID:euJUib4A
>>845 組織なんだから当主一人の決断だけですべてがきまるわけでもないからだろ
部下をまとめきれないことなんか往々にあるだろう
現に北条だって織田家と好をつうじるなど実力を早くから認めていたが
結局あのザマだ
>それとこちらがいろいろと書いたことにほとんど反論せずに黙殺し
重要性を感じるところは全て答えてるつもりだが
具体的にもう一度あげてくれたらこたえる
こちらも関ヶ原後の権力構造の変化についてとその中で外様の毛利や上杉が
家康にはむかう理由ということで納得できる回答を得ていない
根も葉もない架空戦記ばかりきかされている
852 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:45:48 ID:zKuHjwiG
>>850 彼の中じゃ蓋然性のあるシミュレーションなんだよw
853 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:54:53 ID:euJUib4A
>>846 >例示した中にお前が知らないものがあるならそれ挙げてみ
>馬鹿にも多分解るようにやさーしく教えてやるから
なんでもいいがこの事例に近いものをえらんでくれ
>そんなこと例示すべき内容に含まれていなかったし、毛利云々とも関係ない
当時の大藩と組織の大きさという意味で類似点がある
組織が大きければ大きいほど変わった個人の意思など偶発的事項は減る
>大内義興
>浦上村宗
大内家は大大名で相当の余力がある状態
しかも尼子が増大するとすぐ領国に戻った
浦上も関ヶ原後の西軍のような悲惨な状況の中
あえて戦ったわけじゃないだろ
>立花宗茂
石高も小さすぎる
こういうところだと家臣の圧力も違うだろ
秀吉に多大な恩がある大友系、しかもその中で一番恩恵を被ってる
立花だからな
逆に言えば、福島、加藤などもあからさまに危険な家康に近づいたあげく
戦後も順々と従ったようなのが大半なのは紛れもない事実だろう
854 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:55:54 ID:6cd+Zqmp
お前の理解力のなさはヤバいな。
お前が大名領国制があるからお家大事と言う論理で使ってたから
こちらはその独自理論が意味不明だから
その脳内設定を説明しろって言ってるんだぜ?
ちゃんと日本語勉強しような。
855 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 23:58:56 ID:euJUib4A
>>850 関ヶ原ほどの大戦で勝ってんだぞ?
従う人間などゴマンといるだろ
むしろ敗者である西軍側にそれほど多くの勢力が従うとは思えないんだがな
なぜかここの人たちは敗者である西軍にしたがい毛利が籠城したり上杉や佐竹が
関東に進出したりすることは現実的だとおもってるみたいだけど
そんなリスキーなことするやつどんだけいるのかね
856 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:10:14 ID:VsWxkZRh
>>854 別にそういうわけではないが
大名領国制であり守護領国制であり鎌倉の一所懸命であれ
武士が土地と密着していて軍役からなにから自腹で捻出するようなシステム
だから所領からはなれるところを守る、
しかもそれが本人たちの元々主でもない主君を守るために大それた事を
起こそうとするだろうかね
守護領国制であれ御恩と奉公であれ変わらんけど
当時は大名権力が強い大名領国制の時代だったからそういってるだけ
そもそも領国制って時点で強い土地とのかかわりがあるから一緒だろ
857 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:11:00 ID:8ltKpCBh
上杉と毛利が似たような処分?
その論理なら上杉改易で上杉は子もいない以上は
嗣子無くお家断絶ってことになるはずだが。
そもそも家康を挑発しての上杉征伐が発端である以上は最も重い処罰になるはずなんだぜ。そこからしてわかってないだろ。
秀康の北上を警戒してる上杉にとって
どうでもいい白石なんてたかが上杉領1/120程度の地を取り戻す必要性なんてないだろ。
それのどこが武威の衰えなの?そんなに武威が衰えてるなら上杉家中は家康と戦わずに瓦解だよな。
伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。
お前は最上に負けたから上杉が撤退したと言っていたじゃねーかw
そうじゃなくて関ヶ原の情報が届いたから
混乱する状況を把握するため宰相たる直江が上杉の政治外交やるために帰ったに過ぎない。
まったく認識が間違ってる。
大坂城を放置して山陽道を進むバカぶりも素晴らしいが
さて制海権がある毛利側は自由に敵の背後にゲリラ上陸して補給をズタズタに分断できるし
トラックのない時代に大量輸送できる船舶を使わずに
大坂の横を通過して補給するなんてバカなやつがいたもんだね。
858 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:22:43 ID:eR84JMqo
>>853 >なんでもいいがこの事例に近いものをえらんでくれ
それは例示した内容に含まれてないし、もう既に3名挙げている
>当時の大藩と組織の大きさという意味で類似点がある
江戸幕府における由井や大塩の位置付けと豊臣政権における毛利のそれとに
類似点なんかねえよ、馬鹿
>組織が大きければ大きいほど変わった個人の意思など偶発的事項は減る
西軍総帥で政権ナンバー2とも言える大身の奉行は「変わった個人」ではない
>大内家は大大名で相当の余力がある状態
しかも尼子が増大するとすぐ領国に戻った
毛利も大大名で相当な余力がありますが?
それに脅威は尼子だけではなく九州方面にも敵はいたし、
上洛中にも傘下の豪族たちが無断で帰国していた
それでも船岡山の戦いに勝ち主君を復権させるまで堪えている
危機を感じて即逃げた訳ではない
>浦上も関ヶ原後の西軍のような悲惨な状況の中
あえて戦ったわけじゃないだろ
秀頼という玉も大坂城という鉄壁も豊臣政権の奉行という地位も持たない
浦上の方が比較すれば悲惨だったかと
>石高も小さすぎる
こういうところだと家臣の圧力も違うだろ
秀吉に多大な恩がある大友系、しかもその中で一番恩恵を被ってる
立花だからな
石高が小さいからこそ家臣の意思を無視できないとも考えられる訳で
それだけじゃ否定する根拠にならない
恩恵を被っている宗茂だから?
おやおや、立花以上に豊臣に恩恵がある加藤や福島でさえ家康に絶対服従する
と断言なさっていた貴方が恩恵を理由になさるんですか?
本当にどうしようもないなこの馬鹿は
859 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:27:33 ID:8ltKpCBh
征夷大将軍となって武家を統制する権利を得たわけでもない家康に
三成征伐後も豊臣の主家を無視して武断派が家康に従うと決めつけたり
大坂を無視して補給も無視して山陽道を播磨備前備中備後安芸と突き進むビックリ妄想戦記が理解し難い。
いまだ一度も負けてない毛利軍を持つ西軍総大将として責任を取らされる毛利が必死に抵抗すると考えるのは当たり前だし
(戦後に毛利家中が岩国の吉川を非難したことからもわかる)
毛利が改易したら、配下の国人達もどうなるかわからない不安感しかない。
山内一豊の下での旧長宗我部家臣だった一領具足の人たちの例を出すまでもない。
長宗我部や島津も以前に増して一生懸命戦うだろう。
長宗我部や立花なんて毛利が大坂を明け渡したせいで改易しちまうんだし抗戦したかったはずだ。
美濃攻略を主導した福島は尾張にいるんだし
東海道も豊臣系ばかりであり清正らと協力して家康に圧力かけたら江戸と大坂の遮断で家康を孤立させることができるほど
武断派は政治軍事的に家康より有利な立場にいるんだぜ?
860 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:29:51 ID:eR84JMqo
つか侵略戦争の際制海権を握るのが重要なのは日本だけじゃなく世界の常識だろ
無知って怖いね
861 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:30:27 ID:VsWxkZRh
>>857 >上杉と毛利が似たような処分?
>その論理なら上杉改易で上杉は子もいない以上は
>嗣子無くお家断絶ってことになるはずだが。
それは形式上のことだろ
毛利は輝元が隠居しても文句なしに相続できる後継者がいただけ
石高の減らされ具合をかんがみたら同一とおもえる
江戸期での官位でも詰め間でもほぼ同格扱い
>そもそも家康を挑発しての上杉征伐が発端である以上は最も重い処罰になるはずなんだぜ。そこからしてわかってないだろ。
形式上とはいえ西軍総大将だった毛利はどうなるんだ?
>どうでもいい白石なんてたかが上杉領1/120程度の地を取り戻す必要性なんてないだろ。
そんだったらもっと小さい福島を守ったことがなんでそんなに武勇伝になるんだろ
>伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。
この合戦は相当なデマがながれてるらしいんだが、ソースは何だ?
それの信憑性は??
>お前は最上に負けたから上杉が撤退したと言っていたじゃねーかw
>そうじゃなくて関ヶ原の情報が届いたから
関ヶ原の勝利で勢いづく最上軍に猛追されてただろう
>まったく認識が間違ってる。
上杉側の認識はどうあれ敵に背を向け逃げる、しかも猛追されるなんてどうかんがえても
客観的に見れば敗北なの
しかも原因が関ヶ原の敗戦という政治上の敗戦であればそれは尚更だよ
>さて制海権がある毛利側は自由に敵の背後にゲリラ上陸して補給をズタズタに分断できるし
東軍にとっては進軍の途での多大な苦労になるが毛利にとってあてにならない主君をかついで
所領がかられまくるのは苦労どころではないだろう
それこそ士気が崩壊しかねん
第一毛利水軍とて磐石なのか?
主とはいえ負けそうなほうに組する場合消極的な行動に徹する可能性が高いだろ
よくわからん理由で自殺行為をしてる主君に対しついていくほど狂信的なのか?
862 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:33:20 ID:eR84JMqo
>>859 江戸幕府がいつ開かれたか知らないんだよ
863 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:35:40 ID:8ltKpCBh
そもそもそんなに武断派が家康に従うと主張するなら
彼らは率先して上杉再征伐に志願するはずだし
清正や正則らは豊臣滅亡の策を家康にアドバイスするんじゃねーの?
なんで高齢でいつ死ぬかわからん家康が
加藤や浅野らが死ぬまでアクション起こせなかったのか説明できないじゃないか。
逆に加藤らは家康が死ぬのを待ってたのは家康だって薄々わかってたんだし。
864 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:43:45 ID:VsWxkZRh
>>858 例の三人についてはそれはこたえてるんだが
大大名の身でありあまり忠義の感じる必要もない立場
他国に籠もっていたら領国の危機の可能性も
>江戸幕府における由井や大塩の位置付けと豊臣政権における毛利のそれとに
>類似点なんかねえよ、馬鹿
大大名であれば大大名であるほど統治機関も複雑で家臣も多く結局セオリーどおりの
行動を取りがちになる
大藩、大国で義にかられて謀反を起こしたところはあるのか?
>毛利も大大名で相当な余力がありますが?
情勢を考えろ
毛利を担ぎ上げてた勢力が大量に散ってる情勢を
>それに脅威は尼子だけではなく九州方面にも敵はいたし、
>上洛中にも傘下の豪族たちが無断で帰国していた
>それでも船岡山の戦いに勝ち主君を復権させるまで堪えている
>危機を感じて即逃げた訳ではない
戦いに負けてはいなかったから持ちこたえられたんだろう
意味が分からんが西軍方は大敗してんだぞ
その時点で世の中の動向は一気に傾くことは明白
>あえて戦ったわけじゃないだろ
>秀頼という玉も大坂城という鉄壁も豊臣政権の奉行という地位も持たない
輝元を担ぎ上げてた勢力が瓦解してんだから裸の王様だろう
ポツンと大坂に盤踞していたところで所領という最大の弱点をにぎられてる
以上もっと広い戦略をとられたら終わり
>石高が小さいからこそ家臣の意思を無視できないとも考えられる訳で
>それだけじゃ否定する根拠にならない
組織が大きくなれば大きくなるほど機構の複雑になり家臣も多くなるから
大名の意思決定機関も複雑な経緯をたどる
もちろん強力な独裁者とかがいれば別だがもちろん輝元なんかは別だ
小大名で大名自身がカリスマの場合独裁も容易だろ
>おやおや、立花以上に豊臣に恩恵がある加藤や福島でさえ家康に絶対服従する
>と断言なさっていた貴方が恩恵を理由になさるんですか?
加藤福島の態度は史実から推測できると何度言ったら
865 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:56:12 ID:VsWxkZRh
>>859 >征夷大将軍となって武家を統制する権利を得たわけでもない家康に
征夷大将軍になれるまで権力を増大させたのはあの合戦だろ
本当に忠義だけで100%いきてるなら福島は大坂に参じてたはずだ
後年大坂で籠城したのは帰るところのない改易大名ばかり
征夷大将軍というブランドが朝廷のように絶対であるはずもないことは
室町幕府でもわかることだろうて
>大坂を無視して補給も無視して山陽道を播磨備前備中備後安芸と突き進むビックリ妄想戦記が理解し難い。
補給も無視してとはなんだ?
その気にさえなれば海から離れた陸路でも補給は可能だろ
制海権がないというのは不利ではあるが絶望的とは思えないし
そもそも毛利水軍を懐柔するなど手段がある可能性は捨てれない
>いまだ一度も負けてない毛利軍を持つ西軍総大将として責任を取らされる毛利が必死に抵抗すると考えるのは当たり前だし
抵抗するにしろ大坂に陣取るという極めてリスキーかつ無益なことをするかね?
そもそも毛利家なんか安国寺派が失脚し家康派の吉川が主導するようになったから
この点からみても大坂籠城なんてのはありえないだろうしな
>武断派は政治軍事的に家康より有利な立場にいるんだぜ?
ありえないだろ
家康は現地の総司令官としての役割をはたしていたから名声上の問題は
問題ないだろうし兵力的にも無傷なままどの大名より優位な状況を維持している
866 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 01:05:42 ID:eR84JMqo
>>864 >大大名の身でありあまり忠義の感じる必要もない立場
他国に籠もっていたら領国の危機の可能性も
意味不明
主語を明確にせよ
>大大名であれば大大名であるほど統治機関も複雑で家臣も多く結局セオリーどおりの
行動を取りがちになる
大藩、大国で義にかられて謀反を起こしたところはあるのか?
お前のこれは答えになってないけど、俺は答えてあげるよ
上杉景勝
>情勢を考えろ
毛利を担ぎ上げてた勢力が大量に散ってる情勢を
船岡山の戦い前の大内の情勢も結構悪かったけどね
>戦いに負けてはいなかったから持ちこたえられたんだろう
意味が分からんが西軍方は大敗してんだぞ
その時点で世の中の動向は一気に傾くことは明白
負けたから一時退却したんじゃんか
知らないならいい加減なこと言うな
意味が解らんのはお前だこの知ったかぶり馬鹿
大坂城に毛利本隊が手付かずで大津・田辺両城の包囲軍もいるから
西軍が大敗したとは言えない
>輝元を担ぎ上げてた勢力が瓦解してんだから裸の王様だろう
ポツンと大坂に盤踞していたところで所領という最大の弱点をにぎられてる
以上もっと広い戦略をとられたら終わり
10万近い軍勢を動かせる輝元が裸の王様?w
所領を握られている?
毛利っていつ東国に移封されたっけ?ww
>組織が大きくなれば大きくなるほど機構の複雑になり家臣も多くなるから
大名の意思決定機関も複雑な経緯をたどる
それは毛利に限った話じゃないしそもそもどの決断が良いかという前提が揃ってないから無意味
>加藤福島の態度は史実から推測できると何度言ったら
宗茂の行動原理には恩恵を持ち出す一方で、
それとは矛盾する加藤福島の行動原理には「史実だから!」で押し切る
結果論馬鹿の面目躍如
867 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 01:10:04 ID:VsWxkZRh
>>863 >彼らは率先して上杉再征伐に志願するはずだし
従うといっても積極的に従うことと消極的に従うことはだいぶ違うわけで
福島の大坂の陣のおりの態度は消極的であれ従ってたといえる
>加藤や浅野らが死ぬまでアクション起こせなかったのか説明できないじゃないか。
かりに加藤、浅野らが生きてたとしても食い止められたのかといえば不可能だろ
豊臣が屈服の条件を飲めば生かそうともしていたという説もあるし
島津征伐を取りやめたのと同じく極力世の中の安定を維持したかったともいえんじゃないのか
つか武断派というのがそこまでの影響力あるとはおもえないな
しかも細川も黒田も蜂須賀も藤堂も豊臣に対しては消極的だし
868 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 01:27:38 ID:VsWxkZRh
>>866 >意味不明
>主語を明確にせよ
毛利だよ
毛利に大坂に引きこもる義理も道理も動機もない
上杉??
関ヶ原の報をきいてそっこー最上領から逃亡したあげく
領土を5分の1にも減らされた屈辱を受けてまで生き延びたあそこか
>船岡山の戦い前の大内の情勢も結構悪かったけどね
状況も事情も段違いだろ
レベルが違うものを同一情状であるかのごとく扱うなよ
>大坂城に毛利本隊が手付かずで大津・田辺両城の包囲軍もいるから
>西軍が大敗したとは言えない
事実上の首謀者は戦死壊滅
西軍10万の軍勢が散り散りになった状態を大敗とはいえない???
>10万近い軍勢を動かせる輝元が裸の王様?w
>所領を握られている?
動かせねぇよ
誰が動くんだよ
所領が侵略されたら大名は家臣団の士気を維持できません
>それは毛利に限った話じゃないしそもそもどの決断が良いかという前提が揃ってないから無意味
だから小さい大名であればすごい影響力がある特定の人物により左右されやすくなる傾向にある
その人物の思想で動くことも時にはあるだろう
家臣団も小さいから独裁しやすいってことはそういうことだろ
主君が理想論者であっても大きければ大きいほど足を引っ張られる可能性が高いから
現実論へ引きずられる可能性も高い
毛利みたいな大大名と立花や大谷ではやっぱ少し事情が違う
良いとか悪いとか前提とかそんな話ではない
>宗茂の行動原理には恩恵を持ち出す一方で、
>それとは矛盾する加藤福島の行動原理には「史実だから!」で押し切る
>結果論馬鹿の面目躍如
仮に宗茂みたいな理想論者が極少数いるとしてもそれは世の常として必ず少数派だ
大名となった豊臣恩顧の将は豊臣家への恩と同時に家臣を養わなければならない
自然大きくなれば大きくなるほど冒険主義の入り込む余地は少なくなる
だからこそ現実論はたいがいにおいて成立するし毛利みたいな大大名ともなると
おのずと官僚的にもなる
官僚制には官僚制の別の暴発の素因もあるがそれは又別
869 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 01:34:18 ID:12Tbxf3f
関が原の戦いは豊臣政権「内部」の権力闘争。
家康はこの時点ではあくまで豊臣家家老として権力拡大を目論んでるだけで
豊臣に牙を剥いているわけではない。
三成も奉行としての権力保持に動いただけ。
豊臣に対する忠誠云々はどちらにつこうが関係ない。
だからこそ毛利は状況を見ながら有利な陣営につき、
保身と、あわよくば権力拡大を目論んだのだろうが、
いかんせん決断が遅く、対応が中途半端すぎた。
これは輝元個人の決断力の問題もあるが、
最も大きな要因は、毛利・吉川・小早川の三家体制による
権力分散・意思決定の遅さが災いしたと見るべき。
両川体制で中央集権化を遅らせた毛利元就、
小早川優遇で毛利家の微妙なバランスを破壊した豊臣秀吉、
秀秋を養子に迎えた小早川隆景らにも遠因がある。
870 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 01:57:56 ID:wlMMMIMs
VsWxkZRhってすげえキチガイだなw
>>上杉と毛利が似たような処分
と自分で言っておきながら、形式上のこととか平気で言い出したり
>>最上に負けて上杉が撤退した
とか言って間違いを指摘される関が原の結果最上に猛追されてただろとか意味わかんねぇしwwww
つか義光は自分の兜に銃弾を受けて下手したら死んでたかもしれんくらいの反撃受けてるし
義光自身も直江の撤退を褒めてるし、家康も直江をベタ褒めしてるじゃんwww
自分の都合で前提や原則をしょっちゅう変更して駄々こねてるだけだなこのアホたれw
具体的な事例を引き合いに出してる者たちに対してロクな根拠を提示せず
おれはこう思う的な発言をひたすら繰り返してる超馬鹿w
こういうヤツが戦で仲間にいたらイヤだよな。
劣勢になったら平気で裏切るタイプだからとっくに殺されてるだろうがw
まぁ、こいつは志賀の陣で劣勢になった信長が朝廷経由で朝倉に土下座した時に
こりゃあ負け組の織田にいられねぇよ・・・手土産持って朝倉殿に寝返ろうwwwとか思っちゃうんだろうなw
キャンペーンという一連の戦いの中の一戦で負けたら、
いきなり全てが小学生でもわかり易いくらいにその時点の勝者に付いちゃうとかwww
でさ、毛利征伐に誰が行くわけ?
まぁ100%武断派が家康に従ってるとして
家康の手勢は巨大な惣構えの大坂包囲に投入するわけ?
武断派がいくら志願したって使えないよね。
ただでさえ、関が原での武功がほとんど武断派によるもので
戦功を上げた彼らの発言力は高く、恩賞もやらなければならない。
でも関が原の恩賞の結果、武断派の大加増をせざるおえなかったのは
家康の失策であり、そのために彼らが肥大化し
西国への恐怖から城郭を作り大坂城との分断を図ってるわけ。
さらに毛利領征伐に彼らを派遣して武功をあげたら
彼らの加増はとんでもなく大きくなる。
だから使えない。
じゃあ、家康の手勢を2つに分けるわけ?大坂の惣構えの包囲に
どんだけの兵力と金や米と時間が必要なのかねぇ。
さらにこの基地害は数カ国の平定が補給も気にしなくてよいほど楽勝なんだとw
大坂包囲しながら、中国地方全域の平定の兵站まで維持するとか神だね。
さらに北九州の小早川秀包や立花宗茂領まで平定しないとだね。
もちろん毛利が降伏しない前提な以上は鍋島も西軍のままだしね。
加藤は島津が牽制してるし。如水は関が原の時点では
まだ豊後の大友再興軍にやっと勝ったくらいでしかないし。
これじゃ平定まで何年かかることやら。家康は毛利領の大半を剥奪しないと恩賞も与えられないのに
どこまでみんなは従ってくれるのかな?
まっその前に武断派が秀頼様を蔑ろにして
家康に従うこと自体がえっ?なわけなのだけれどね。
871 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 02:08:32 ID:wlMMMIMs
>>869 その馬鹿な小早川隆景の真似をしたのが
吉川広家なんだよ。
広家は自分のやった行為は隆景のような行為だと釈明してんのよ。
肝心な時に戦わず土下座するのが隆景の教えだから
仕方が無いけどねwww
もっとも元就の欲をかくなって教えを隆景が実践してたんだから
馬鹿当主の輝元も含めて
毛利祖父・子・孫のすべてが同じ体質のヘタレ馬鹿一家なんだけどねw
872 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 02:21:06 ID:12Tbxf3f
ヘタレ馬鹿は言いすぎだろ。
キミがどんなに凄い人物なのか知らないけど。
873 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 02:28:18 ID:VsWxkZRh
>>870 >形式上のこととか平気で言い出したり
形式上輝元が隠居したとはいえてる元は実権を握り続けてるし
詰め間であらわされる幕府の格式でも官位でも毛利と上杉は同じ格だったが?
>とか言って間違いを指摘される関が原の結果最上に猛追されてただろとか意味わかんねぇしwwww
上杉が敗走後最上に追撃され領内から追い出されたのは事実だし
戦略目標を達成できない上に所領まで奪還されたのは間違いないこと
直江の撤退は局地的なことで上杉方でも敵方に降伏するものまでいたし
義光のかぶとに鉄砲玉があたったのも偶発的なことだろ
戦争の目的は大将がうまく撤退して敵将の兜を撃って所領を失うことだったら
上杉大勝利だけど
>自分の都合で前提や原則をしょっちゅう変更して駄々こねてるだけだなこのアホたれw
は??そんなことは一度もしてないんだが
さっき黙殺してるといわれたからいってくれたら回答するからどこを黙殺してるのかと問いただしても
無視されたねぇ
>毛利征伐に誰が行くわけ?
武断派が活躍したのは家康の直臣がおくれたからだろ
徳川直臣は健在だし戦の慣例からしたら
関ヶ原で西軍に組したにもかかわらず速攻詫びを入れてきた大名が先方役を務める
どれほどの大名が下ってきたか分かるだろう
家康ほどの勢力が10万もの敵を撃破し影響力を高めた
その影響力は計り知れない
>じゃあ、家康の手勢を2つに分けるわけ?大坂の惣構えの包囲に
>どんだけの兵力と金や米と時間が必要なのかねぇ。
全国政治を把握できる権力があるとならば
所領とかけはなれた孤軍なんか怖いわけないだろう
幕末の榎本艦隊みたいなもんだよ
>もちろん毛利が降伏しない前提な以上は鍋島も西軍のままだしね。
は?直茂は東軍に通じていて関ヶ原での大敗など聞いた時点で
東軍派に回るだろう
全国にそういう大名は多くいる
武断派武断派と大名がそれしかいないように連呼してる人はなにがしたいのか
>加藤は島津が牽制してるし。如水は関が原の時点では
>まだ豊後の大友再興軍にやっと勝ったくらいでしかないし。
島津とて守勢に回ってる
鍋島のような中途半端な立場にいた大名は合戦の結果でコロッと動くだろう
>家康は毛利領の大半を剥奪しないと恩賞も与えられないのに
>どこまでみんなは従ってくれるのかな?
広島を荒らされると当の毛利がもたない
そもそもこういう事態になりうるから毛利が大坂にこもることは考えにくいこと
874 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 02:44:29 ID:VsWxkZRh
>>870 >補給も気にしなくてよいほど楽勝なんだとw
あのさ過去ログ読んだ??
「キチガイ」とか「劣勢になったら平気で裏切るタイプ」とか一生懸命煽ってるみたいだけど
何度もした応答をくりかえさないでほしいんだが
>>861や
>>865でもかいたこと
だいた平定ってなんだ?
全ての権力の基盤になってる地元を侵食されるだけで毛利はもたないだろうし
毛利としてもそんなことを招くようなことはしないだろ
>武断派が秀頼様を蔑ろにして家康に従うこと自体がえっ?
これも過去ログ読めばわかることだろうが
>>863がいってるように従うことは率先して弓を引くことだと書いてあるが
それは
>>867で大坂の陣の福島のように消極的に従うこともありうるとかいている
大大名になれば冒険主義に出れない可能性が高くなる組織的な理由も
>>864>>868でかいた
例に出た鍋島のように中途半端な姿勢をとっていたところはまず関ヶ原後家康になびいたし
世の中の均衡を大きく揺り動かしたのは事実
やけに武断派だのにこだわってるがそんな必要はない
関ヶ原で武断派のたてた手柄をもとに武断派の影響力をとんでもなく
大きなものとみている人もいるがそれは
>>865で否定しておいた
875 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 03:01:54 ID:QjF5RLKT
>>857 >伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。
大方ネタは上杉軍記の誇大記事だろ。実態は伊達に野戦で敗退し、福島城下まで攻め込まれて
籠城していだけのこと。伊達が「撤退」したから救われただけのこと。お世辞にも「撃退」とは
いえるわけもない。上杉の「武威」もあったものではない。お寒い限りで。
>>861氏同様に、
>>857は「この合戦は相当なデマがながれてるらしいんだが、ソースは何だ? 」
に答える義務があるだろう。
で、このソースはなんだ?
876 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 03:46:25 ID:wlMMMIMs
>>873 頭が悪いようで
誰かと俺を間違えてるみたいだな。
笑えるのは
根拠も実例も一切挙げず
「俺はこうなると思う」
って言う馬鹿馬鹿しい解答しかしてこない点。
兵站の基本も理解できず数カ国規模の国を楽勝で平定なんて言ってるし。
対上杉の江戸・大坂大包囲・京や伏見駐屯に中国地方全域に兵力展開とかアホを通り越してるわ。
しかも俺の問いにもともに答えず前提自体まで恣意的に変更してくる始末。
いるんだよな〜使えない新人とかさ、
質問すると最初に言い訳したり
条件や前置きを変えて違う解答してくるやつとか。
>>875 なんだクソ伊達厨房かw
スレ違いな話で話題膨らませても意味ないだろwww
俺は捏造大好き伊達厨が大嫌いだから伊達スレ来たら相手してやんよ。
神保味方撃ちの薩摩側史料も
月夜畑の戦いの相馬側史料も
最上も上杉も結城の史料も全部否定して歩くアホ伊達厨。
伊達に都合が悪い史料はぜんぶ怪しいと却下しまくる基地害脳伊達厨w
蘆名に勝ってた(失笑)
佐竹に勝ってた(失笑)
最上に勝ってた(失笑)
蒲生に勝ってた(失笑)
上杉に勝ってた(失笑)
南部に勝ってた(失笑)
真田に勝ってた(失笑)
神保に勝った(事実www)
ギャハハハハwww
877 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 08:53:26 ID:VsWxkZRh
>>876 >誰かと俺を間違えてるみたいだな。
>根拠も実例も一切挙げず
>しかも俺の問いにもともに答えず前提自体まで恣意的に変更してくる始末。
ええと、どこをみてそうおもってるの?
レッテル貼りや勝手な他人認定、問いに答えず論理をはぐらかすなどのことは
さけようとおもってるんだが
そういうふうないい方をしてもただの罵声にしかきこえないから
どこで論点をずらしているのか、どこで故意に無視しているのかを具体的に回答してもらわないと困る
ただ本題に一つも関係ない煽りを必死にかいてるわりにはこちらが
一度も二度も回答したことをぶりかえすしロクに読みもしてないとしかおもえないんだが
>兵站の基本も理解できず数カ国規模の国を楽勝で平定なんて言ってるし。
兵站の基本ってなんだ?海がない山国だってあるんだし海沿い避けても可能だろう
侵食とはいってるがおれは平定なんて言葉一度もつかったことないぞ?
大名領国制(文句あるなら封建制)下において領国がカラ、侵食が非常に容易
徳川にとって中国を荒らしまわることが事実上の勝利条件だろう
関ヶ原で多勢は決しているからそう困難な条件ではない
毛利水軍とやらももともとは赤の他人にすぎないのが毛利膨張とともに組み込まれただけだ
馬鹿なことをしている主家に犬のように従い続けるとは限らん
支配体制を構築するまでなんて必要はない
領国を侵食すれば毛利はやっていけなくなるだろ
大名、主要家臣がいない領国などもぬけの殻だから
>>870みたいに何年もかかったりしないだろうし
それ以前に耐えられなくなってでてくるか降伏かだよ
>対上杉の江戸・大坂大包囲・京や伏見駐屯に中国地方全域に兵力展開とかアホを通り越してるわ。
上杉なんか関ヶ原で戦意萎縮しまくってるだろ
鍋島にしろ佐竹にしろ中途半端な姿勢を示していたところは
東軍に直ぐ寝返るかそうじゃないとしてもずいぶん消極的な行動をとっていた
最上領内から逃げ帰った上杉もそう
関ヶ原以降は各地で東軍が勝ちまくってるし10月の論功行賞を待たずに情勢は東軍寄りに傾いてた
論功行賞以前は影響力の増大はなかったというのは大嘘
首謀者が殺され10万もの兵を擁しつつボロボロに負けた西軍を見限るのは時間の問題だとおもわれる
878 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 11:36:11 ID:oyxgL1RL
あくまでも関ヶ原直後の話なら家康としては攻勢限界点に達していたんじゃないかな
福島を筆頭とする小山組の兵站は清洲城に蓄えられていた豊臣濃尾防衛網の兵站をいわば無断使用して
いたわけでしょ
石田という君側の奸臣を討つ為ならともかく主君の城である大坂城攻めに転用なんてあの時期の福島が
許すはずもない
関東の兵糧は対上杉などを考えると動かしがたい
もしその脅威が皆無だとしても関東から徳川家の兵糧を運ぶには中山道は打通出来ていない・そもそも
大量輸送に不適
東海道は九鬼父+毛利水軍に補給線を侵食されていた(徳川には伊勢湾において対抗手段が九鬼息子
水軍しかない)
他家から借用して例えば北陸の物資を近江経由で運ぶとすればそれは加賀前田家の発言力増大を
許すことになるので、これは家康が前田の復活に繋がる働きを認めるわけもない
仮に関東からの兵站が大坂表まで届いたとしても大阪城にはどう少なく見積もっても5万は下らない人数
(豊臣直参+毛利本隊+大津組+関ヶ原敗残or退転組)が篭る
摂津大坂城-備前岡山城-備後三原城-安芸広島城の瀬戸内補給ラインは崩しようがないので
包囲なんて実質不可能(海側が皆無に近い)
毛利水軍の返り忠については以下を見て期待出来ると思うほうがどうかしてる
もともと故小早川隆景配下の水軍は秀秋ではなくほぼ全員毛利本家か小早川別家(秀包)に帰参しており、
毛利元就の息子で小早川隆景の養子で母が乃美氏(小早川水軍の中核)の小早川秀包は健在
村上3水軍にしても因島村上は能島村上の配下のようなもので当主元吉は関ヶ原前後の伊予攻めで戦死
した状況で安芸竹原に所領を持つ隠居武吉と次男が健在、来島村上はもともと村上3派中で親豊臣(朝鮮
で水軍ごとほぼ壊滅しているので影響力は極小)
つーかそもそも誰の軍勢が大坂城に攻め込むんだ?
あの時期の豊臣系東軍諸大名でそこまでの覚悟決めていそうなのって藤堂とせいぜい池田くらいしか
想像できないんだけど
879 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 11:55:30 ID:pMUucUck
わざわざ武力で大阪城攻めんでも輝元が秀頼を人質に立てこもってることにすれば
朝廷動かして秀頼の開放と退去命令出してもらって終了
880 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 13:33:03 ID:8ltKpCBh
関ヶ原ですべてが決まるわけがない。
毛利家中での岩国の吉川への批判と冷遇と後悔の例を出したよな?
関ヶ原後に宗茂や秀包など大坂で再編して抗戦を主張してたんだから
それが武威をもって鳴る者にとっては勝算がある方策なのは明らか。
西軍総大将の毛利の無条件降伏があったから積極攻勢に出ずに各地の西軍が降伏しただけ
なんせ家康の上杉征伐も豊臣家からの軍事費や米糧の軍事的予算を貰っての戦いだったし
家康には長期戦をする大予算はない。
さらに応仁大乱では各地の有力大名が手兵を率いて上洛して京で戦闘を続けておりながら
残された守護代が兵をかき集めて、敵陣営に唆された庶流や旧支配者や寺社や宗教関係のやつなどによる奪い合いをして
泥沼化してた。
明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた関東の旧支配者の方が都合がよいわけだ。
しかも三成征伐後の家康は豊臣恩顧の東海道筋も警戒対象だし
中山道でも豊臣恩顧の仙石どころか最大の敵たる真田籠城組までいるんだから補給は寸断される。
881 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 13:44:29 ID:8ltKpCBh
訂正
三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで
家康長期出兵中で留守どころか戦争継続の長い補給を強いる暴政は
関東旧支配で没落した数々の国人達の方が都合がよいわけだ。
一方で大坂城はいくらでも資金援助が可能。
なんせ関ヶ原後に各地の寺社の復興や祈願で大量の資金を援助してもぜんぜん平気だったからな。
長期戦になれば若い輝元や秀頼より老人家康の方が健康に不安あるしな。
882 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 13:55:27 ID:myeF7QVS
>>868 >毛利に大坂に引きこもる義理も道理も動機もない
義理も道理も動機もすべてある。西軍総大将なんだよ。下知する立場。
輝元は飾りなのか? 手柄横取り狙いのハゲタカなのか?
前線部隊が負けたからさっさと退却したへたれ
883 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 14:23:09 ID:VsWxkZRh
>>878 >福島が許すはずもない
>関東の兵糧は対上杉などを考えると動かしがたい
福島や上杉の力をどんだけ過大評価してんだ?
福島の権力なんかは戦後にせいぜい広島50万石相応与えられたくらい
いくら活躍したとはいえ家康に堂々と刃向かえるほどのもんとは思えんな
上杉にしても関ヶ原後速攻逃げ帰ってずっと領国に縮こまっていた
というかどこでも西軍派の勢いは弱くなり東軍に寝返ったりトーンダウンしていた
そりゃそうだよな陣営の首謀者が討ち取られたんだから
前のほうで家康の権力、影響力がかたまったのは「将軍宣下」や「論功行賞」だといわれてるが
関ヶ原合戦後情勢が激変してるのは間違いがない事実
勝者には媚びる人間が大勢ついてくるのが鉄則だし鍋島のように米を提供する大名もでてくるだろう
東軍優勢の状況で戦前より関東におく軍備ははるかに軽くて済むだろうからそれを流用することも
できるだろう
>東海道は九鬼父+毛利水軍に補給線を侵食されていた(徳川には伊勢湾において対抗手段が九鬼息子
>水軍しかない)
九鬼が親子で東西にわかれてたのは多くの家がそうであるように東西どちらが勝っても家を存続させるため
九鬼嘉隆は西軍敗北の報を聞いた時点で拠点を放棄、勢いづいた東軍の前に守勢になり自害
「将軍宣下」や「論功行賞」も行われないうちに片がついてる
上杉が最上領から逃走したのを含めそういうケースは実に多い
毛利水軍も全国情勢、伊勢湾情勢両方において西軍圧倒不利の中再び侵食なんかできるとはおもえんがね
こういう状況であるのに「西軍は負けてない」「毛利が号令すれば10万の兵を動かせる」なんて
いってる人までいて驚きだよ
>仮に関東からの兵站が大坂表まで届いたとしても大阪城にはどう少なく見積もっても5万は下らない人数
>(豊臣直参+毛利本隊+大津組+関ヶ原敗残or退転組)が篭る
>摂津大坂城-備前岡山城-備後三原城-安芸広島城の瀬戸内補給ラインは崩しようがないので
>包囲なんて実質不可能(海側が皆無に近い)
はい、当時の大名領国制のなかで毛利が他家のためにそこまで徹底して戦う理由がない
岡山城三原城広島城を落とせなくても毛利領深くに侵食し荒らしまわれば毛利の戦意なんかもたないだろうて
そこまでする覚悟がある何か(強大な統率者や強い豊臣への報恩など)があれば別なんだろうが
それもないのにガンバリまくる設定が不可解
>毛利水軍の返り忠については以下を見て期待出来ると思うほうがどうかしてる
家系だけをあげつらねても・・・
当時は親兄弟で相対することだってあったわけで
毛利水軍にしろなんにしろ大切なのは本領の維持
事実戦後毛利水軍は分割されてるわけで
884 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 14:44:44 ID:VsWxkZRh
>>880 >関ヶ原後に宗茂や秀包など大坂で再編して抗戦を主張してたんだから
>それが武威をもって鳴る者にとっては勝算がある方策なのは明らか。
>西軍総大将の毛利の無条件降伏があったから積極攻勢に出ずに各地の西軍が降伏しただけ
抗戦とはどのような形態の?
てか宗茂なんか勝敗を度外視して西軍についたようなやつだろ・・・
勝算がある方策であるというが西軍で積極策にでた大名などいない
宗茂ですら停滞を余儀なくされている
例に出した伊勢でも出羽でもそうだが各地で関ヶ原の報の直後に戦況が変わってる
>なんせ家康の上杉征伐も豊臣家からの軍事費や米糧の軍事的予算を貰っての戦いだったし
>家康には長期戦をする大予算はない。
250万石の大大名なんだが
戦勝ムードにのってるから諸大名、諸勢力からの後援も期待できる
>さらに応仁大乱では各地の有力大名が手兵を率いて上洛して京で戦闘を続けておりながら
>残された守護代が兵をかき集めて、敵陣営に唆された庶流や旧支配者や寺社や宗教関係のやつなどによる奪い合いをして
>泥沼化してた。
応仁の乱はこれといった勝敗がついてない
当時は戦国期より国人の自立もつよくより乱れやすかったといえる
首謀者が討ち取られるなんてとんでもないケースと一緒にすべきではない
>明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
>三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで
>家康長期出兵中で留守どころか戦争継続の長い補給を強いる暴政は
>関東旧支配で没落した数々の国人達の方が都合がよいわけだ。
関ヶ原の敗戦後毛利が長期大坂に籠もれば毛利のほうが有利ということか?
これはありえなさすぎる
合戦によって動いた世の流れを無視しきった暴論
>一方で大坂城はいくらでも資金援助が可能。
まあその前に肝心の豊臣方も嫌がるんだろうけどな
豊臣家はどちらの見方もせず当たり障りのないような対応に終始してる
>中山道でも豊臣恩顧の仙石どころか最大の敵たる真田籠城組までいるんだから補給は寸断される。
仙石は徳川によくしたがってるし真田とて例の九鬼と同じく家中で東西わかれてるありさま
最大の敵からして関ヶ原の戦後まで士気を保ち続けるか怪しいわけで
885 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 14:47:35 ID:myeF7QVS
ID:VsWxkZRh
かなり痛い
886 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 14:48:44 ID:VsWxkZRh
>>879 広島を攻められたら毛利がもたずに終了
西軍は大坂はともかく京都までは維持できるはずがないから調停工作もできずに終了
>>882 飾りだったことは周知の事実
乱のなりたちやながれをみればわかる問題
887 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 14:49:08 ID:8ltKpCBh
>>883 そう思う根拠や実例を出して欲しいんだが。
三成は前線指揮官であって前線派兵部隊が敗れたに過ぎない
西軍総大将は毛利で捲土重来が可能なのは岩国の吉川や立花の意見でもわかる。
さらに背後には難攻不落の大坂城と盤石。
これは大坂城落城までどんだけ苦労したかで証明されるね。
当時、関ヶ原の論功行賞で40〜50万石になった大名は朝鮮出兵の実績もあり、かなりの実力者だらけだ。
文治側にいた三成よりも手強いわな。
そもそも家康はどこから膨大な物資食料を調達して江戸を守りつつ大坂城包囲と広島攻めを同時に行うの?
しかも中山道は真田がいるから東海道筋しかないし
瀬戸内海あるから山陽道から進むと
大坂城から船を出していくらでも背後の補給線襲えるよ。
阿波は大坂方が蜂須賀至鎮から阿波兵を自由に使ってよいと許可を受けて接収してるから阿波水軍まで使えるわけだが。
888 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:01:07 ID:oyxgL1RL
>>883 福島の力を評価してるんじゃない
清洲城の位置を評価してるんだ
摂津付近に徳川軍が展開するとしたら問題になるのは兵糧だろ
当座はともかく、中長期的には関東から運ぶしかないわけで、(福島にとっての敵であった)石田は
もういない状況下で東海道尾張清洲城に親豊臣の福島勢がいることになる
家康からすれば、この状況下で福島の意向を無視した戦略は立てられない
逆に聞きたいんだが、いわゆる東軍の中でいったいどの大名家が摂津大坂城と大坂湾と瀬戸内が敵側にあり
兵站がまともに機能しようもない状況下で備前備中備後安芸と主街道と各城が海に近く連なってる敵国に
攻め込めるんだ?
毛利領深くに侵食し荒らしまわればなんて簡単に言ってるけど、兵站保障なしで侵攻なんて死ねと言われてる
ようなものだぞ
大坂湾と瀬戸内の制海権が敵側にあることがどれほど脅威になるのかは石山本願寺vs織田を見ても明らか
この明らかな状況下で毛利配下の水軍衆がわざわざ相対する理由がない
889 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:07:58 ID:8ltKpCBh
大坂以西の西国は圧倒的な西軍勢力圏で総大将の毛利が大坂城籠城してれば
そう簡単に崩せないと見た方がいいのに
簡単に広島が落とせる理由が毛利への裏切り期待を前提にする時点でいい加減過ぎる。
ちょっとした裏切りが出ても毛利領各地からのフルボッコで終わるわけだ。
しかも濃尾東海道筋は豊臣恩顧武将で固められ、
三成排除後の彼らは家康に協力する理由がない
しかも西軍戦勝祈願で淀の側近を派遣したが、これは大谷の実母。
阿波接収でも大坂方が説得したから蜂須賀は阿波を明け渡した。
大坂方は明らかに西軍寄り。
上杉120万石は奥羽で圧倒的なパワーバランスを握る存在。
おまけに小野寺も味方。
安東は息子3人の名前に三成から三を貰ってるし
安東は関ヶ原後に罪を問われて転封になったあとも不服な態度をしてきたから強制隠居させられ伊勢の寺社で永久監視を受けたほど。
津軽も大坂に子供をおいており、
戦後は三成の娘などを保護してる。
890 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:23:47 ID:VsWxkZRh
>>887 秀吉死後家康が諸大名と無断で婚姻を結ぶなど不穏な動きをみせたのを
先頭に立って糾弾していたのは三成
その後の関ヶ原につづく一連のプロセスも三成主導
大大名でいえば当初の前田や上杉が家康を強く警戒していた
輝元は家康に対して敵意をしめすこともなかった
輝元を飾りとして総大将にすえることを発案したのも三成
これだって家康側ではありえないことだろ
輝元は安国寺の説得で総大将をつとめることになったが
家康派であった広家のような立場も毛利で一定の勢力はあった
傍証として本当に総大将として大乱を画策したなら易々と許されるはずない
乱のコアであると世間でもみなされてるならばそれを討たなければ動乱も収まらないだろう
>西軍総大将は毛利で捲土重来が可能なのは岩国の吉川や立花の意見でもわかる。
どんな意見だ?吉川が捲土重来なんていうわけないだろうし
報恩という稀な動機で突き動かされていた立花が勝ち目をみていたとも思えない
>さらに背後には難攻不落の大坂城と盤石。
>これは大坂城落城までどんだけ苦労したかで証明されるね。
徳川は大坂を包囲だけして放置すればいい
毛利にとっては広島やられたら終わりなんだから
いくら籠もっても勝ち目はない
勝利条件からして違いすぎる
援軍がない籠城は無益というが援軍がないどころか他国での籠城などで
士気がもつのだろうか
>しかも中山道は真田がいるから東海道筋しかないし
>阿波は大坂方が蜂須賀至鎮から阿波兵を自由に使ってよいと許可を受けて
東軍と西軍に両方味方して保険かけてる真田や蜂須賀がなぜ大乱の結果がでたあとでも
献身的に西軍に味方する設定なんだ?
>瀬戸内海あるから山陽道から進むと
>大坂城から船を出していくらでも背後の補給線襲えるよ。
秀吉の中国侵攻時もまだ瀬戸内海の毛利水軍が制海権をにぎってたわけだし
苦労はすれど陸はカラである以上水軍だけで食い止めることは難しいんじゃないか?
補給線の防衛のコストがあがるくらいだろ
891 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:30:56 ID:8ltKpCBh
清正や如水が決死の柳川籠城中の宗茂を助命したのも
戦後の対家康戦略を考えていたからで
清正らが島津攻めをやって九州統一完成させるのに焦った家康が止めたほどだ。
明らかに武断派が家康の味方をするつもりはない。
やらなかったのは老人の家康より清正が先に死ぬと想定してなかったから。
さらに浅野長政も死んじまったしな。
もともと蝙蝠の政宗も天下は有力者の持ち回りくらいに考えていて家康死後にまだチャンスあると考えていたふしがある。
そうそう讃岐の生駒も蜂須賀同様の経緯で大坂方に詰問され、
同じように高野山に入ったことから、阿波と同じようになったと言われてる。
蜂須賀も生駒もガキは
家康から上杉征伐の時に「御陣の手習い」と称して拉致られ強制的に連れていかれただけで
上杉に恨みはないし、さらに上杉どころか三成攻めにまで使われ、完全に騙された形。
その証拠に生駒は西軍の田辺城攻めに派兵してる。
こんな無理やり騙されて上杉征伐に連れていかれた大坂方に恨みがない彼らが
補給線が確立してない広島攻めやら
秀頼様の大坂攻めのために
一致協力して長期戦を諍いや方針を巡って争わずに協力できるのかね?
892 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:34:09 ID:8ltKpCBh
いやはや上杉と家康も婚姻する予定だったのも知らんとは…
上杉は謀反の嫌疑かけられびっくりした方だぞ。
893 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:37:42 ID:VsWxkZRh
>>888 >福島の力を評価してるんじゃない
>清洲城の位置を評価してるんだ
>当座はともかく、中長期的には関東から運ぶしかないわけで
>この状況下で福島の意向を無視した戦略は立てられない
可能ではないか?
清洲は要地といえでも24万石にすぎない
関ヶ原の結果はどうなった?
日本各地で東軍の圧倒的優勢になった
福島ほどの中くらいの大名の意向がもはや天下人間近の家康に
どれほど通じるのか
>逆に聞きたいんだが、いわゆる東軍の中でいったいどの大名家が摂津大坂城と大坂湾と瀬戸内が敵側にあり
>兵站がまともに機能しようもない状況下で備前備中備後安芸と主街道と各城が海に近く連なってる敵国に
>攻め込めるんだ?
例に出た蜂須賀も真田も鍋島も西軍に見方しつつ東軍にも味方してたり中立だったりで
どっちつかずだった大名で戦後直ぐ東軍に寝返った大名は数多くいる
西軍のままでもトーンダウンしてひきこもった大名もいる
逆に西軍のまま勢いよく打って出てるところはない
憶測や抽象論でしかないといわれれば申し訳ないが、こういう状況で
味方する大名に困ると考えるほうがおかしいのでは?
補給云々は
>>890でこたえた
なんどもいってんだだしそろそろちゃんと答えてほしいんだが
逆に毛利のような外様の大名が危険な賭けにでて大坂に立て篭もるなんて
本当にするとおもうのか?
>この明らかな状況下で毛利配下の水軍衆がわざわざ相対する理由がない
理由はあるだろ
中央政権の動向次第で自分たちがどうなるかわかったもんじゃないのは
秀吉の頃からわかってるはずだ
相反とまではいかなくても次の天下人候補に楯突くメリットデメリットを考慮すれば自然対応も
中途半端なものになりかねない
894 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:54:39 ID:8ltKpCBh
秀吉の中国征伐がどんだけ時間を喰ったのかわかってる?
包囲だけで大土木事業やってるんだぜ。
そもそも三成が毛利を総大将にしたんじゃない。
総大将だったからタダで済まんかったじゃないか。
毛利本領+小早川秀包領+安国寺伊予領までの大領土を奪われて輝元死刑だ。
驚いた吉川が家康に泣いて土下座して
吉川が受ける30万石安堵の権利を譲渡する約束を取り付けたから
一命を救い輝元出家を条件に
嫡子への新たな加増による家康と新体制毛利の主従関係の成立となったわけだ。
輝元が家康に敵意を持ってたのは大坂陣などで密かに大坂援助を繰り返し
吉川にキレられたりしてる行いから明らか。
大坂籠城が孤立で援軍がない?瀬戸内海制海権がある大坂城はいくらでも食料や疲労兵と新規兵の入れ替えも自由にできるわけだが。
895 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:59:45 ID:VsWxkZRh
>>891 >明らかに武断派が家康の味方をするつもりはない。
武断派が家康に味方するつもりはなくても情勢上そうせざるをえなかっただろう
戦後の武断派の行動を見ればわかる
忠義第一で滅亡覚悟なら福島だって大坂の陣にはいってたはずだ
>蜂須賀も生駒もガキは
>家康から上杉征伐の時に「御陣の手習い」と称して拉致られ強制的に連れていかれただけで
>上杉に恨みはないし、さらに上杉どころか三成攻めにまで使われ、完全に騙された形。
調べてみたら義務はなく自発的とかいう情報もあるんだが
強制されていたというならソースをおしえてくれ
蜂須賀は国を返上して中立を守るという体裁をとったってことで
積極的に西軍に関わるつもりがなかったことも事実だろう
むしろどっちにもいい顔をせず権力者に迎合する姿勢だったから
騙されたも糞もない
>こんな無理やり騙されて上杉征伐に連れていかれた大坂方に恨みがない彼らが
>補給線が確立してない広島攻めやら
>秀頼様の大坂攻めのために
>一致協力して長期戦を諍いや方針を巡って争わずに協力できるのかね?
家康が権力者だからに決まってんだろ
合戦に大勝利し権力の源泉をつかんだ家康に対し敗北した側の士気がもつとかんがえてるほうが
おかしい
なにゆえに毛利家中が一致団結して籠城できるんだ?
>>892 前田がわびたから前田はことなきをえたが
上杉は謀反の嫌疑をわびもしてなかったどころか軍備の拡張を着々とすすめていただろうが
896 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:05:54 ID:8ltKpCBh
毛利が危険な賭をしないはずだって?
本来なら、大坂を明け渡して土下座したとしても
毛利改易輝元死刑が絶対に阻止できる保証がなかったわけだが。
吉川が毛利領安堵と輝元の罪を問わないと言う井伊らの約束を盲信して騙されたから降伏したわけだ。
戦国の口約定なんてなんの信用もないのに
家康からの約定の文書すら貰わずに盲信する輝元の惚けヘタレぶりもすごいが。
的確な参謀や謀臣がいたら最悪、輝元死刑や毛利改易が想定され、
最悪を免れても大減封になり、その急激な縮小で毛利財政も崩壊すると予見でき
毛利本隊が無傷なのに一戦もせず降伏するより
瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策するのを推奨するに決まってるだろ。
897 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:06:37 ID:oyxgL1RL
>>890>>893 >秀吉の中国侵攻時もまだ瀬戸内海の毛利水軍が制海権をにぎってたわけだし
何か勘違いしてるようなw
秀吉の中国侵攻が進み始めたのは以下の条件が全て整ってからだ
それまでは播磨姫路に橋頭堡を築けたものの上月尼子は捨て殺し、別所裏切り、荒木謀反とほぼ侵攻
できていない
まず、第2次木津川で大阪湾の制海権を織田が握りその後石山本願寺降伏
次に、備前宇喜多が毛利から返り忠をして備前美作備中は混乱(ほんの数年前に美作三村と備前
宇喜多のどちらかを今後も援けていくかで毛利家中は揉めに揉めて結局宇喜多を選んだ。その余燼が
収まらないうちに当時の毛利家からすれば宇喜多の返り忠が起きた)
更に、村上3水軍の中で来島村上が羽柴についた(能島、因島に本拠地攻められて来島水軍は織田水軍
の下に移動)
この後でようやく、だ
>補給線の防衛のコストがあがるくらいだろ
おいおい、くらいとか簡単に言うなよ
海沿いの侵攻においては補給線の維持が最重要事項だ
どうもあなたは(大げさに言えば)米や物資が天から降ってくるとでも思ってないか?
陸路は東海道の一部などを除いて整備されているとは言いがたく更に東海道の結節点に福島がいて(福島の
意向を無視する=武断派の支持を失うに等しい)、海路に関しても大阪湾以西は完全に敵側に握られている
石山本願寺vs織田と比べてもいかに厳しいかがわかる
石山本願寺は一勢力(というのは多少弊害あるけど)に過ぎなかったが当時の豊臣氏は天下様
織田は畿内が本拠であったが徳川は関東
豊臣から見ても毛利からみても備前宇喜多の裏切りだけは無い
徳川に大阪湾と瀬戸内制海権をどうこうできる水軍など存在していない
こんな状況下で大軍を維持しうるどころか進軍すら可能と考えるならどうかしてるよ
898 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:13:28 ID:VsWxkZRh
>>894 中国征伐では毛利は在国だっただろうが
カラの今回と一緒にするなよ
>そもそも三成が毛利を総大将にしたんじゃない。
誰が総大将にしたんだ?
中心的なプロセスにずーっとからみつづけたのは三成
三成では身上が小さすぎるから形式上あげただけ
家康の場合は文字通り自分が主催主導してる
>総大将だったからタダで済まんかったじゃないか。
出展はどこ?
現実の処分内容とかけ離れたことを家康が本気でしようとしていたかも疑問がある
ブラフかなんかじゃなくて?
そのへんの見解は?
>輝元が家康に敵意を持ってたのは大坂陣などで密かに大坂援助を繰り返し
>吉川にキレられたりしてる行いから明らか。
敵意かどうか
万が一大坂の目がでたときのための保険程度とは考えられないのか
この時期にこんなことをするのは戦略眼がないとはおもうが
>大坂籠城が孤立で援軍がない?瀬戸内海制海権がある大坂城はいくらでも食料や疲労兵と新規兵の入れ替えも自由にできるわけだが。
どっからもってくるんだよその兵力はw
あんたが大好きな上杉も縮こまってるように全国レベルでみて西軍に部がわるいことは明らか
899 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:14:20 ID:8ltKpCBh
蜂須賀が自発的なわけないだろ。
どうせWiKiとか見ただけだろ。
文句あるなら徳島県に行って調べてこいよ。
蜂須賀は秀吉への恩があるから東軍に協力したくなかった。
だが嫡子を家康に連行されて人質にされた。
だから大坂方に詰問されて、
阿波の兵は大坂方で自由に使って欲しいと言った。
だから大坂方と毛利で阿波に乗り込んで兵を動員した。
困った蜂須賀は高野山へ出家することで中立宣言し嫡子を救う策としたに過ぎない。
900 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:21:11 ID:VsWxkZRh
>>896 >毛利が危険な賭をしないはずだって?
>本来なら、大坂を明け渡して土下座したとしても
>毛利改易輝元死刑が絶対に阻止できる保証がなかったわけだが。
大坂でたてこもるのと直ぐ退去して土下座するのどっちが安全かもわからんのか?
大坂で立て篭もると保証がないどころかよくてドロ沼普通で滅亡が関の山
その以前に大名領国制下の性質で毛利が自家のためにならない戦をすることなど
できまい
>吉川が毛利領安堵と輝元の罪を問わないと言う井伊らの約束を盲信して騙されたから降伏したわけだ。
主戦派の安国寺の戦死や関ヶ原での情勢の変化は無視か?
それだけ毛利にとって圧倒的不利だった状況は無視か?
>瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策するのを推奨するに決まってるだろ。
そのような見込みがない冒険主義にでた家があるだろうか
有能な参謀がいる上杉は速攻逃げ帰ってひきこもってたよな
武断派とやらもあてにはできないだろうて
武断派がどうこう以上に合戦での状況の変化で敵方や中立勢力の寝返りを
考えると追いつかないだろうね
901 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:25:02 ID:VsWxkZRh
>>899 自発的なわけない?なぜそこまで言い切れる?
蜂須賀は最後の最後まで消極的な態度だったが
状況がにつまってきて断れなくなって仕方なく放棄したんだろ
そこまで秀吉への忠義とやらにあふれてるなら
蜂須賀の立場ならもっとはやくから主導に近い立場にはいれたはずだし
関ヶ原にもいけたはずだが
あの半端な立場はあきらかに戦後のエクスキューズのためだろ
902 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:33:30 ID:8ltKpCBh
こいつ自分に都合がいい脳内設定で
具体例もなく実例も出さず
「俺はこう思う」を繰り返してるだけだな。
しかも無知だから次々に新しい具体例を出してくるとわからないもんだから
さらに根拠のない「俺はこう思う」を泥縄的に繰り返してる。
そんで困ると毎回
関ヶ原で勝った家康に武断派は従順&大名領国制があるから毛利領国は戦わず崩壊するからリスクを取らずさっさと降伏するに違いない
という論拠ゼロの自分の都合がいい脳内設定を執拗に持ち出してくる繰り返しループ
まず、君の脳内ですら論拠の肉付けがされてないと思われる妄想を
キチンと箇条書きし論理武装して、
抽象的な夢みたいな恣意的な前提を持ち出す設定話をせずに具体例を書けと昨夜から言ってるだろ。
お前の補給発言もすでに破綻して論破されてると気づけよ。
903 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:38:05 ID:8ltKpCBh
>>901 お前知らないで書いてるだろ。
また根拠ないけど「俺はこう思う」ですか?
いい加減、時間の無駄だから
そういう頭の悪い論理展開しないでくれる?
何度言ったらわかるの?バカなの?
否定するなら論拠を出してネ。
904 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:42:46 ID:VsWxkZRh
>>897 秀吉は備中まで攻めてたがそのあたりで完全に制海権をにぎってたというのはまだないだろ
>おいおい、くらいとか簡単に言うなよ
>海沿いの侵攻においては補給線の維持が最重要事項だ
相手の国がカラである以上容易であることも想定されるなどの前提条件付でなんだが
>陸路は東海道の一部などを除いて整備されているとは言いがたく更に東海道の結節点に福島がいて(福島の
>意向を無視する=武断派の支持を失うに等しい)
武断派の支持を失おうが天下の流れの前では瑣末なこと
武断派の何倍もの勢力が一気に東側に傾いてるんだぞ
武断派でも福島、加藤など一部とその他では忠誠の温度も違うし
>海路に関しても大阪湾以西は完全に敵側に握られている
趨勢は半ば決してるのにこれがいつまでもつことやら
戦前のパワーバランスを前提としたまま戦後を想定しても無意味
中央政権の動向次第で自分たちがどうなるかわかったもんじゃないのは
秀吉の頃からわかってるはずだ
相反とまではいかなくても次の天下人候補に楯突くメリットデメリットを考慮すれば自然対応も
中途半端なものになりかねない
>石山本願寺vs織田と比べてもいかに厳しいかがわかる
>石山本願寺は一勢力(というのは多少弊害あるけど)に過ぎなかったが当時の豊臣氏は天下様
だいたいさ天下様の権威がボロボロになってる証左だろ
しかもそういう内乱が発生しるう状態でその内乱に大勝したほうが
どれだけの影響力を持つかは容易にわかるはず
>織田は畿内が本拠であったが徳川は関東
>豊臣から見ても毛利からみても備前宇喜多の裏切りだけは無い
関東が本拠とはいえその影響力は全国に轟いてるわけだし
宇喜多なんかボロ負けしたあげく殿すらどこにいったからわからない状態
まともに戦えるとは思えんな
>こんな状況下で大軍を維持しうるどころか進軍すら可能と考えるならどうかしてるよ
たしかに戦前のパワーバランスでは不可能なことだが戦後になりそれも一変する
こういう大変化を無視して戦前の状態がさも続くような想定のほうがおかしいとおもうよ
905 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:46:24 ID:8ltKpCBh
>>904 だからさ
「俺はこう思う」
じゃなくてさ
論拠を出せよ。
お前の言ってることは
無理やりで尚且つ
乱暴すぎる設定なんだよ。
906 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:47:42 ID:VsWxkZRh
>>903 じゃあなんで蜂須賀が兵をだして関ヶ原に参陣しなかったの???
君は蜂須賀が家康側に当主を派遣したのは拉致されたからだっていってたソースを答えてないよね?
>>899なんかソースも何もなく「わけない」だのおれ様の常識でゴリ押してるだけ
907 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:55:54 ID:VsWxkZRh
>>905 関ヶ原の情勢で世の中が変わったのは事実ですしあれほどの大合戦の帰趨で世の中が
変わらないほうがむしろ例外的
これは無視して「毛利は籠城できる」論をゴリ押してるのはあんたでは?
いかなる勢力でも権力の前には屈服してたのに、なぜ当時の毛利や上杉など
西軍や東軍の武断派だけが家康の勢力に一向に屈しない気迫をもてるのか
例の九鬼は関ヶ原の報をきいたとたん占拠した拠点放棄
東軍が攻め立て降伏
上杉も最上領から遁走
戦争が生んだ権力は論功行賞や開幕を待たずに多大な戦況の変化をもたらしている
毛利家だの毛利水軍だけがこの流れの外にあり、何より大事な自領をほっぽり出して
東軍と抗戦できんだろうね
908 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:57:30 ID:NEuoADzs
なんだまだキチガイ VsWxkZRh が暴れてたのかwww
誰彼関係なく同一視して噛み付いてくるキチガイwww
戦国BASARAでも見ようと思ってたがよく24時間レベルで常駐できるなw
こいつの頭の中には別なワールドがあるから救いようがないよ。
とにかくみんなが疲れてレスするのをやめるまで
粘ることが勝利だと思ってるのは昨晩でもはっきりしてんじゃんw
だいたい毛利領がカラって言う設定とか
さらに動員するって言う選択肢が抹消されてるあたり
笑えるというより失笑レベル。
909 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 16:59:41 ID:8ltKpCBh
>>906 だから書いてるだろ。
ソースなら確か徳島市史に書いてあったはずだから
見て確認してこいよアホが。
910 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:03:04 ID:VsWxkZRh
>>903>>906 そろそろ君らも
「毛利やら上杉やらが領国からはなれてまでガンバリきる動機」に対しても説明してないし
「毛利やら上杉やらが戦前と同じパワーバランスのもと自在に戦争を行える」という仮定にたいする
疑問に対して説明もなにもない
それに疑問を加え続けたら「脳内設定」だとか「結果論馬鹿」だとか「キチガイ」だとか罵声をくわえるだけ
おれのほうも罵倒された記憶はあるが疑問に対するきちんとした説明をあたえてもらった記憶がない
911 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:04:57 ID:dK/0DMNp
当時の大坂城内もこんな感じで大騒ぎだったんだろうな。
912 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:07:16 ID:VsWxkZRh
>>908 >だいたい毛利領がカラって言う設定とか
>さらに動員するって言う選択肢が抹消されてるあたり
>笑えるというより失笑レベル。
動員にも限界があるのはご存知?
大名ははじめ主要家臣も軒並み出兵してるし
大坂、大津、関ヶ原、ほぼ最大動員に近いことは想像できるんだが
913 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:13:37 ID:8ltKpCBh
今度はさんざんこちらが書いてきたことを無視してちゃぶ台ひっくり返しか…
914 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:17:08 ID:VsWxkZRh
>>908 >なんだまだキチガイ VsWxkZRh が暴れてたのかwww
>誰彼関係なく同一視して噛み付いてくるキチガイwww
そんなこと一度たりともしたことはない
>>845で「こちらが書いたことに反論せず黙殺する」ってていわれたから
>>851で「具体的にあげてくれたら答える」と回答したし
具体的にもう一度あげてくれたらこたえる
>>870で「自分の都合で前提や原則をしょっちゅう変更して駄々こねてるだけだなこのアホたれw」
>>873で「は??そんなことは一度もしてないんだが」と回答したり
>>876で
「誰かと俺を間違えてるみたいだな。
根拠も実例も一切挙げず
しかも俺の問いにもともに答えず前提自体まで恣意的に変更してくる始末。」
といわれても
>>877で
「レッテル貼りや勝手な他人認定、問いに答えず論理をはぐらかすなどのことは
さけようとおもってるんだが
そういうふうないい方をしてもただの罵声にしかきこえないから
どこで論点をずらしているのか、どこで故意に無視しているのかを具体的に回答してもらわないと困る」
とできるだけ丁寧に答えてもその辺の回答もらえないんだよねぇ
>>913 どこがちゃぶ台返し???
ごく初期から終始一貫していってることなんだが
当時の大名が所領を離れてまで危険を冒すリスクと関ヶ原後の権力構造については
915 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:18:24 ID:oyxgL1RL
>>904 いやだからね、さっきから東軍諸将でも徳川本隊でもかまわないんだけどどうやって侵攻部隊は
備前備中備後安芸に進むのか?どうやって兵站維持するのかを聞いてるわけよ
領国がカラ?意味わかんねー
留守部隊0で出兵してるわけでもないし、豊臣毛利側に制海権がある限り、瀬戸内沿いに関しては
望む時望む場所に兵の展開が可能なんだよ
あと大名領国制を絡めたのは面白いんだけど、残念ながら毛利や宇喜多は鉢植え大名ではなくて
土着大名なんだよね
>武断派の支持を失おうが天
あくまでも関ヶ原直後の時点で、摂津大坂城に毛利が立て篭もったら という仮定なわけでしょ
立て篭もれるってことは毛利輝元を始めとしたいわゆる西軍派が関ヶ原の結果を踏まえてもなお
大坂城本丸の豊臣氏を説得しえたってことで、つまり豊臣と残った西軍は一蓮托生を選んということだよね
こうなってしまえば、いくら関ヶ原で勝とうが豊臣の家老格として謀反人である石田一派を討ったに過ぎない
徳川氏に豊臣系諸大名が主筋に背いてまでこれ以降も何故に従う理由があるの?
大坂城攻め=豊臣氏と明確に袂をわかって徳川氏に従うってことだよ
おまけに朝鮮出兵時のあれやこれやから武断派よりの豊臣系諸大名の反感を集めていた石田小西は
大坂城の戻る前に捕縛されているわけで
>秀吉の頃からわかってるはずだ
村上水軍が草に靡くのならそれこそ天下人目前に近かった織田家絶頂期にとっくに靡いていたでしょ
わかっていてなお当時の毛利側に留まっていた村上武吉が能島因島村上水軍筆頭格で健在なんだよね
で、当時織田側に靡いた唯一の存在来島村上は朝鮮出兵で壊滅的に存在感を(瀬戸内制海権を確保
する上での水軍としてみた場合)失くしている
916 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:26:13 ID:NEuoADzs
ほう。
小田原征伐の時の北条みたいな亡国の存亡だと称しての年齢まで書いての総動員のような
書状でも見つかったんかね?
しかも戦国期と比べても明らかに率いる兵数が少ない。
中央式の完全装備の朝鮮出兵仕様の兵のみを手勢として上洛してきているから数百や数千の動員だろう。
逆に伊達は自領から離れていないから
上杉戦で1万を越える動員を軽くやってるわけだ。
そのくらいのこともわからんのかね。。
こりゃあ何を言ってもダメだ罠。
917 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:41:32 ID:dK/0DMNp
領国は保証されてるのに(反故にされるけどw)そこまでして輝元が闘わなきゃいけいない理由って何さ?
918 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:44:50 ID:NEuoADzs
人の質問には答えず
オウム返しして逆質問するやつは
決まって論破された方なんだよな。
こういうのを誠意がないって言うんだよ。
そんで指摘されてるのもいっこうに是正するつもりもない。
あぁそうだったね。根拠なくても毛利領はすでに16歳カラ65歳の男性はいないんだったね。
むしろ自領での戦いの方が地の利があって有利なはずなのに
すぐ毛利領は降伏するとかwww
輝元は大坂籠城しないと家康に殺されて、毛利改易になるんだぜ。
そして毛利領国人は誰ともわからん支配者がやってきて、長宗我部の一両具足のような悲惨な目に合うかもしれない不安しかない。
隆景や元春らの部下だった頃からの信頼関係がある毛利領の旧型主従関係の方が裏切らないわ。
関東は小田原落城とともに、どんだけの者が改易されたと思ってんの?
北条の治世がよかったから、家康は関東の統治に苦労してるんだぜ。
そもそも豊臣政権内の争いと既定してるから家康は互角の戦いをして
豊臣政権の上司として論功行賞をしてる。
豊臣政権の権威を借りないと何もできないのが家康だ。
もしそれを気にする必要が無ければ秀頼を即時死刑にして
徳川新政権を作ればいいし、
豊臣の公家への影響力も無視すればいいし
将軍の地位なんてのもいらないだろ。
なんで豊臣を滅ぼすのに段階を少しづつ踏んでいると思う?
それは公家勢力や武断派への警戒からだ。
豊臣の上司の家康と、失脚した三成と言う構図なだけだ。
そして武断派は豊臣への忠誠を持っているからこそ
憎んでいた三成のクーデターに怒った上司の家康に従っていただけ。
武断派の関が原の功績に報いるには毛利領を奪う必要があるのは
毛利家中でもとうぜんわかっているはずなのに、
毛利はリスクがないから家康に降伏?ありえない。
毛利は負けてすらいない。毛利は騙されえたからさっさと戦意が消えただけ。
919 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:47:09 ID:NEuoADzs
まぁこの基地害は毛利水軍の兵もみんな船を棄て
大坂の毛利軍に参加したから
毛利領国はカラなんだろw
面白い脳内設定だねw
920 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 17:55:12 ID:VsWxkZRh
>>915 >東軍諸将でも徳川本隊でもかまわないんだけどどうやって侵攻部隊は
>備前備中備後安芸に進むのか?どうやって兵站維持するのかを聞いてるわけよ
制海権で苦労しても必ずしも不可能を意味するものじゃないだろ
朝鮮出兵でも制海権では相当苦労したようだし
関ヶ原後の状況を鑑みれば東軍に阿る大名なんかもいくらでもいる
状況の圧倒的有利さを考慮すればわかるはずだが
>領国がカラ?意味わかんねー
>留守部隊0で出兵してるわけでもないし、
>豊臣毛利側に制海権がある限り、瀬戸内沿いに関しては
>望む時望む場所に兵の展開が可能なんだよ
4、5万も出兵ししてるんだからそこまでの余力はのこってないだろう
元々は他人であった水軍衆も不利な状況で戦うより消極的な行動に終始することもありうる
多くの西軍大名がそんな中途半端な行動を取ったように
>あくまでも関ヶ原直後の時点で、摂津大坂城に毛利が立て篭もったら という仮定なわけでしょ
>立て篭もれるってことは毛利輝元を始めとしたいわゆる西軍派が関ヶ原の結果を踏まえてもなお
>大坂城本丸の豊臣氏を説得しえたってことで、つまり豊臣と残った西軍は一蓮托生を選んということだよね
豊臣方が火の粉をかぶるようなことをするなら関ヶ原前後のあの態度はありえないことになるし
そういうあえていえば宗茂や毛利にいるらしい主戦派が暴走して無理矢理籠城したとのほうが説得力がある・・・
幕末の朝廷に関する政変を鑑みると玉を力で無理矢理押し込めるってこともなきにしもあらずだろう
>徳川氏に豊臣系諸大名が主筋に背いてまでこれ以降も何故に従う理由があるの?
権力だよ権力
非豊臣大名の毛利が本来の主筋じゃない豊臣に不利益になる忠誠をしめすってことが
よほど理解不能
>村上水軍が草に靡くのならそれこそ天下人目前に近かった織田家絶頂期にとっくに靡いていたでしょ
そんなわけない
織田はたしかに天下に近づいていたが関ヶ原後の徳川と違い
全国に号令するほどの権力もなかったし全国に直接的な
影響力をもっていたというわけではない
>わかっていてなお当時の毛利側に留まっていた
毛利は早々に秀吉と手を打っただろう
毛利自体も武田みたいに裏切り者が続出して御家が崩壊したような
悲惨な末路である段階じゃなかったってだけのこと
921 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 18:08:22 ID:VsWxkZRh
>>916 >中央式の完全装備の朝鮮出兵仕様の兵のみを手勢として上洛してきているから数百や数千の動員だろう。
なんだこれ??毛利のことか?毛利は4、5万単位の大軍を動員してるんだが
>>918 >根拠なくても毛利領はすでに16歳カラ65歳の男性はいないんだったね。
関ヶ原、大坂、大津などに大軍を投じている
>むしろ自領での戦いの方が地の利があって有利なはずなのに
>すぐ毛利領は降伏するとかwww
大名も有力武将もいないし上方に大軍を送ってる以上動員できる兵に限界がある
>輝元は大坂籠城しないと家康に殺されて、毛利改易になるんだぜ。
は?むしろ他の大名はみな家康についてたり刺激しないようおとなしくしてる中
毛利だけが大坂で暴れることのほうがはるかに危険だが
>豊臣政権の権威を借りないと何もできないのが家康だ。
さんざん例をあげたが関ヶ原後各地で一気に東軍優勢になってる
権力をつかんだといえる状況
>もしそれを気にする必要が無ければ秀頼を即時死刑にして
>徳川新政権を作ればいいし、
ソフトランディングを選んだんだろう
豊臣は頑として受け付けなかったが完全な
徳川家臣になる条件をのめば生き残れてたかもしれないし
豊臣家が織田家を残したように
922 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 18:17:39 ID:NEuoADzs
>>920 >>朝鮮出兵でも制海権では相当苦労したようだし
そうだよ。朝鮮という海の向こうの長い距離の兵站に苦労したんだ。
江戸からの長い距離で制海権もない瀬戸内海では無理なわけ。
必ずしも不可能じゃないなら、その証拠を出してくれ。
そういう具体例が無ければ、現地派兵司令官も納得して出立しないぞ。
それとも美作経由で補給するとして徳川には舗装された道路とトラックでもあるのか?
とくにあの辺りは戦国期に泥沼の騒乱だった地域だ。消耗戦を強いられるし
点と線の戦略確保も難しいだろうな。
>>水軍衆も不利な状況で戦うより消極的な行動に終始することもありうる
だからね、水軍衆が裏切るに至るほど、瀬戸内海や毛利領のどこにそんな不利が存在してるわけ?
>>豊臣方が火の粉をかぶるようなことをするなら関ヶ原前後のあの態度
そりゃあ毛利が土下座して大坂を明け渡した以上は、そうするより他はないだろ。
戦前は、誰かも書いてたが、宇喜多秀家の戦勝祈願にも使者を出したりしてるし
そもそも三成は総大将の器がないから、総大将になれず、人望がある毛利にしたわけだ。
そして輝元もやる気満々で、大坂城内の政情が変化する前に速攻で大坂入城してるわけ。
三成が主導権を握ってたかは不明であり、そもそも開戦からして三成の指示でなく秀家の挙兵と言われてるほど。
その宇喜多秀家は敗戦後に伊吹山へ逃げて、生存してるわけだ。その後は島津家が隠してくれたし
流された後も豪姫つながりで前田が援助してくれた。
前田だってやむなく人質を家康に出したが、豊臣との関係の深さから豊臣と武断派の権利を擁護する。
>>権力だよ権力
権力を持って毛利改易と総大将の輝元を殺し、毛利領を武断派に分け与えようとしてるのが家康。
輝元が何も知らされず、騙されて総大将をしたと言う大ウソ言い訳も、
家康が大坂城で発見した書状を以って否定され窮地に堕ちたし。
>>全国に号令するほどの権力もなかったし
すでに武田を滅ぼした織田の上杉攻めへの協力を申し出てきており
北条も葦名も伊達も安東も好みを通じてきてた。
毛利攻めに協力するために大友も動員開始してたわけだが。
923 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 18:38:52 ID:VsWxkZRh
>>922 >必ずしも不可能じゃないなら、その証拠を出してくれ。
朝鮮出兵など補給にくるしみながらもなんとか進軍できた例をあげたわけだが
では関ヶ原後どこも萎縮してる状況で毛利だけがあばれまわることが可能かどうか
家臣の統制が取り続けれるかどうかの証拠をだしてくれ
「証拠がない」「根拠がない」といいまくってるがあんたらも一つの証拠も根拠も
示していない
>瀬戸内海や毛利領のどこにそんな不利が存在してるわけ?
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している
他にも全国各地で「関ヶ原の敗報」を聞くやいなや逃亡しトーンダウンする西軍陣営の
動きを見れば全国規模で西軍に対して逆風が吹いてることは容易に想像がつくはず
しかも毛利は外様
その外様が豊臣のためなんかになによりも大切な知行地をないがしろにするはずがない
これをあえてする証拠や根拠を見せてくれ
>すでに武田を滅ぼした織田の上杉攻めへの協力を申し出てきており
>北条も葦名も伊達も安東も好みを通じてきてた。
>毛利攻めに協力するために大友も動員開始してたわけだが。
家康はすぐ事実上の全国政権を発足できたし関ヶ原での結果の
影響がすぐに全国隅々まで広くいきわたってる
信長の頃は矢面にたたされた大大名は刃向かってきている段階
>権力を持って毛利改易と総大将の輝元を殺し、毛利領を武断派に分け与えようとしてるのが家康。
あの当時の西軍であばれまわった大名が関ヶ原の直後須らく大人しくなってるのは
それが一番安全であるから
騙されたというわけかどうかはともかく三成に担ぎ上げられたにすぎないのは当時でも周知のこと
毛利が主導しているという書状とやらは家康が毛利を減封するための口実につかわれたもの
924 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 18:44:42 ID:NEuoADzs
数百や数千の動員と言ったのは毛利のことを指したわけじゃねぇよ。
一般的に手勢を率いて上洛してきた大多数の大小大名のことだ。
そもそも毛利は家臣団も含めると北九州や四国の一部にまたがる大領土を持ってるんだぞ。
もっと動員できるわ。日本戦史によれば
宇喜多秀家17000も動員してるのに
別家の小早川秀秋15000と同じ毛利秀元15000しか動員してねーし。
ちなみに吉川広家3000 安国寺恵慶1800
石田三成 6000
この兵力差でどうして三成が指揮を独裁できると主張するのかわからん。
925 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 18:57:24 ID:VsWxkZRh
>>924 >日本戦史によれば
>宇喜多秀家17000も動員してるのに
>別家の小早川秀秋15000と同じ毛利秀元15000しか動員してねーし。
>ちなみに吉川広家3000 安国寺恵慶1800
大坂の輝元軍や大津勢など全部含むと上方に4、5万
>この兵力差でどうして三成が指揮を独裁できると主張するのかわからん。
毛利は図体はでかいが吉川を代表にする東軍派と安国寺をはじめとする西軍派に内部で
分裂していた
指揮だの実権だのは兵力差だけで決まるもんじゃないし
秀吉のお抱えである吏僚派筆頭かつ家康の不穏な動きを警戒し
家康や武断派と騒動を起こすプロセスの中心にいたんだから指揮を握れたんだろう
名目上の総大将が毛利ってのも三成が決めたことだしな
926 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 19:16:07 ID:NEuoADzs
>>923 >>朝鮮出兵など補給にくるしみながらもなんとか進軍
いや海上輸送はちゃんとできていたから釜山周辺域から離れない限りは
なんとか補給が可能だったから2回目の出兵では南部地域の占領が目標とされた。
問題なのはソウル周辺。第一期の出兵で特に冬季の寒さと補給の不十分さから
結局、前線は撤退させざるおえなかった。
まぁ一戦して明軍に勝利した日本軍は、その戦果を背景に
明将との交渉チャンネルも開いたな。
>>「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄
詳細情報がまったくわからず混乱し錯綜としてたから、西軍の主要な指導者の生存不明。
毛利は何やってんだ?ってことで全力で中央情報を確実に手に入れるべく
それぞれが情報が集まる政庁や拠点に向かったりしてるだけ。
西軍総大将の毛利輝元が手勢を持って大坂から出兵し、立花や島津や長宗我部らの
敗残兵の収容をして宇喜多秀家の生存も判明し、大坂籠城を開始したと聞いたら話は変わる。
三成排除した武断派からして秀頼公からお褒めの言葉をいただこうと思ってるんだから。
宇喜多も朝鮮出兵組だから武断派から嫌われる理由もない。
>>しかも毛利は外様
しかし、豊臣政権の最古参重鎮の1人だ。
上杉よりも古い。しかも輝元だけでなく小早川隆景まで五大老になって
秀吉の四国や九州遠征や関東攻めに協力して豊臣政権の当事者と言っていい。
豊臣政権の西国責任者が隆景と輝元だったんだ。
>>家康はすぐ事実上の全国政権を発足
だからそれは慶長8年将軍宣下で武家の統御の権利を得たおかげだと何度言えば・・・ほんとに頭の悪いヤツだな。
それまでは豊臣政権下の一番の上司でしかない。しかも慶長10年家康が将軍職を秀忠に譲渡するまでタイミングを見計らっていた。
しかし秀忠と対面するよう要請したが、淀殿がこれを拒絶した時に家康はどうすることもできなかった。
慶長16年の時の会談要請でも清正らは老人家康が死ぬのを待って我慢してただけだし。
まぁ清正も信頼していた浅野長政の死は大きかったね。
>>あの当時の西軍であばれまわった大名が関ヶ原の直後須らく大人しくなってるのはそれが一番安全であるから
「権力を持って毛利改易と総大将の輝元を殺し、毛利領を武断派に分け与えようとしてるのが家康」
に対する回答がまったく関係ない理由になっててワロタw
つうか文面から考えるに、毛利改易&輝元が家康に殺されるのが一番安全だと言ってるようだがw
そもそも三成が主導してるなんて証明されてないのに首謀者首謀者と連呼するのはなぜだw
三成が連れてきた兵力程度で、どうやって発言権を維持するつもり?輝元と秀家の発言力の方が高いはずだが。
首謀者は輝元の信頼できる臣下の安国寺も含まれると思うがな。
そしてその臣下の意見を受けて大坂入城したんじゃねーの?
927 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 19:54:32 ID:8ltKpCBh
輝元が5万動員の根拠は?
首謀者の三成が指揮の権利すらなかったのは
小早川秀秋隊が先に布陣してた軍を登って排除して布陣したり
毛利全軍の指揮も島津への指揮もできないからはっきりしてるじゃん。
淀の側近の大谷母が秀家の出陣祈願にやってきたりしてて
三成が総大将と言うのを大谷が拒否して輝元にしたんだから
失脚してた三成は兵力も少なく
秀家、大谷、安国寺、輝元の方が背後でいろいろやってたと思う方が自然。
そもそもこちらが書いたことを対して
批評家気取りで「俺はこう思う」の繰り返し屁理屈をしてるだけで
君は今まで何ら知識がありそうなレスを一度もしたことがない。
毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても
簡単に同じ結果になると想定するのが理解し難い。
さらに都合がよいことに補給の心配なく江戸も大坂も広島も攻めれるし
その理由はそもそも武断派も西国もみんなすぐに家康に降伏するから大丈夫って言う子供並みの説明。
928 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 19:56:07 ID:VsWxkZRh
>>926 >だからそれは慶長8年将軍宣下で武家の統御の権利を得たおかげだと何度言えば・・・ほんとに頭の悪いヤツだな。
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが 、
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡している。
ただでさえ両軍に援軍を派遣するなど中途半端な対応をしていた大名は、
合戦の影響で東軍になびくのも必定。
こういう情勢の変化は無視?
>詳細情報がまったくわからず混乱し錯綜としてたから、西軍の主要な指導者の生存不明。
>毛利は何やってんだ?ってことで全力で中央情報を確実に手に入れるべく
なにいってんだ?
毛利挙兵前から家康といさかい起こし続けてたのは三成。
三成には太閤の子飼い衆という大義名分もあれば、家康の不穏な行動に釘を打つ先導者でありつづけてた。
その毛利を担ぎ上げたのは三成。
家康陣営ではそういう役割を果たした人間はおらず、家康自身が主導していた。
上杉であれ毛利であれあれほどの大大名でも大人しくせざるをえなかったほどの情勢の変化があった。
>しかし、豊臣政権の最古参重鎮の1人だ。
>豊臣政権の西国責任者が隆景と輝元だったんだ。
まったく論外。
豊臣の子飼いでもなければ、所領問題などで恩を受ける立場にもない。
そんなこというならば、むしろ家康のほうが豊臣政権で重責を占めていたくらいだ。
>まぁ清正も信頼していた浅野長政の死は大きかったね。
長政が生きていようが死のうがあまりかわらないだろう。
福島がもう一人増えるくらいだ。
清正でも同じことだろう。
>「権力を持って毛利改易と総大将の輝元を殺し、毛利領を武断派に分け与えようとしてるのが家康」
>に対する回答がまったく関係ない理由になっててワロタw
当時の大名はどこも降伏し謝罪している。
その時点の毛利家で毛利改易と総大将輝元を殺すってのは想定できなかった事態だ。
そんなこといったら多くの大名で「殺される可能性がある」のにそれでも戦わず謝罪した。
それが一番安全だと考えられていた方法だからだ。
>三成が連れてきた兵力程度で、どうやって発言権を維持するつもり?輝元と秀家の発言力の方が高いはずだが。
>首謀者は輝元の信頼できる臣下の安国寺も含まれると思うがな。
>そしてその臣下の意見を受けて大坂入城したんじゃねーの?
毛利挙兵前から家康といさかい起こし続けてたのは三成。
三成には太閤の子飼い衆という大義名分もあれば、家康の不穏な行動に釘を打つ先導者でありつづけてた。
その毛利を担ぎ上げたのは三成。
前にも、
毛利は図体はでかいが吉川を代表にする東軍派と安国寺をはじめとする西軍派に内部で
分裂していた
指揮だの実権だのは兵力差だけで決まるもんじゃないし
秀吉のお抱えである吏僚派筆頭かつ家康の不穏な動きを警戒し
家康や武断派と騒動を起こすプロセスの中心にいたんだから指揮を握れたんだろう
名目上の総大将が毛利ってのも三成が決めたことだしな
と主張したはずだ。本当に読んでるのか?
929 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 19:59:06 ID:VsWxkZRh
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが 、
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡している。
ただでさえ両軍に援軍を派遣するなど中途半端な対応をしていた大名は、
合戦の影響で東軍になびくのも必定。
他にも全国各地で「関ヶ原の敗報」を聞くやいなや逃亡しトーンダウンする西軍陣営の
動きを見れば全国規模で西軍に対して逆風が吹いてることは容易に想像がつくはず 。
また、大名は領国保持を第一の行動パターンにしており、特に毛利や上杉といった
豊臣恩顧に属さない大名が西軍不利の情勢上危険をおかしてまで
「大坂城に籠城」したり「関東に進出」することは考えにくいことも想像ができるはず。
関ヶ原戦後の情勢変化と大名の行動パターンにはさんざん具体例をあげて解説してきた。
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」に類する妄論ぶちあげて、
その認識の下に、
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
なんてなにを根拠にしてないものを具体例と称し、その妄想集に対して、
・なぜ外様の毛利が領国の危険をおかしてまで大坂に籠もろうとするのか。
・なぜ東軍優勢という圧倒的世情を無視し大坂に籠城すれば旧西軍、武断派などの支援を受け入れることが前提なのか、
また、他家のために危険な賭けをすることへの毛利家臣団の不満や動揺がなく一致団結できるということになってるのか。
という問いをだしつづけるがそれに対する抜本的回答はなく、
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
的なただの妄想を具体例と言い続け、それが受け入れられないと
「次々に新しい具体例を出してくるとわからないもんだから」などと逆ギレする。
あげくのはてには「脳内設定」「根拠がない」などさんざん罵倒するが、自らが根拠、情報ソースを公表することも
説明することも一切ない。
930 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 20:07:12 ID:8ltKpCBh
>>928 お前まじで無知だろ?
明らかに無い知識に「俺はこう思う」と言う屁理屈で話を膨らませてるだけ。
プロセスとか分けわからんことを書いてたり抽象的で意味がわからない発言を繰り返すし
言ってることに根拠が無さ過ぎる。
数々の揺るがない決まり事があるらしい自分の脳内設定上から
発言してるから意味が通らない&根拠が希薄だと気づけよ。
931 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 20:50:41 ID:u/W/3BOv
昼夜張り付き連投君は、結果を見てから妄想するタイプみたいだね。
関が原直後に家康が広島まで攻め込むんだってさ。
もう好きにさせてあげたらどうだ?
932 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 20:53:10 ID:oyxgL1RL
>・なぜ外様の毛利が領国の危険をおかしてまで大坂に籠もろうとするのか。
外様だ譜代だなんてことはまったくもって関係ないだろ
停戦受諾して大坂城を明け渡して安芸に帰還するリスクと大坂城に豊臣もろとも立て篭もって情勢変化を
期待する この大きく分けて2つの案のうちどちらのリスクが高いのかって話だろ
さっきから俺含めて何人かが東軍兵糧問題と大坂城と瀬戸内の地の利などから後者の方がよりリスクが
低いとさんざんっぱら言ってる、理由も挙げてる
大坂城に立て篭もれた時点で事は豊臣家中の内乱であるという徳川家康の政治的名分は消し飛ばざるを
得ない、そんな状況下だ
ぶっちゃけるとそんな政治的策を打てる輝元なら関ヶ原以前に大垣表まで秀頼の旗印と共に出陣してると
思うんだけど、話してるのはあくまでも大坂城に立て篭もれたら な話
関ヶ原における論功仕置きを仕切って征夷大将軍宣下を受けた徳川家康ではないんだよ
豊臣家中の奸臣(上杉や石田)を討つと称して5大老の資格においてまた秀吉公認の東国仕置きの家である
徳川家当主として豊臣系諸大名に号令しただけの立場に過ぎないんだよ
そしてこの資格でいえば毛利輝元・宇喜多秀家はともに徳川家康と同列の5大老であり、特に輝元は秀吉公
認の西国仕置の家の当主でもあるので家康と同列なんだよ
領国の危機って言うけどな、さっきから聞いてるんだけどどこの大名家がまともな兵站線も維持しえないのが
明確な備前備中備後安芸に出征するんだ?
大坂城は明確に敵側で瀬戸内に至ってはこの海域において多少でも対抗できる水軍を持つ家なんて東軍には
皆無だろ
出征先で立ち枯れろ、おまえの家は滅びろと言ってるようなものだぞ
>・なぜ東軍優勢という圧倒的世情を無視し大坂に籠城すれば旧西軍、武断派などの支援を受け入れることが前提なのか、
東軍じゃないんだよ
重複するけど、豊臣家中の奸臣(上杉や石田)を討つと称して5大老の資格においてまた秀吉公認の東国
仕置きの家である徳川家当主として豊臣系諸大名に号令しただけの立場に過ぎないんだよ
小山軍議以降ひたすら君側の奸石田を討つと称して、豊臣系諸大名をまとめあげていたにすぎないんだよ
石田一派を捕縛した時点で最早この術策は使えない
>また、他家のために危険な賭けをすることへの毛利家臣団の不満や動揺がなく一致団結できるということになってるのか。
輝元が大坂城に立て篭もった時点で他家の為じゃなくて毛利家そのものが豊臣家を巻き込んで矢面に立つんだよ
そして家臣団の不満や動揺ってのは負けそうな目が出ると起きるものだろ
大阪城に数万規模で立て篭もり、大阪湾と瀬戸内の制海権を握る毛利家からすれば補給面の心配は無いに
等しく、軍そのものもほぼ諸事情wにより無傷なんだよ
どうやれば負けるんだ?
更に何度も聞くが大坂城攻め限定の話にしても徳川家康はどこからどうやって長期戦に耐えうる兵糧持って
来るんだ?
豊臣氏と共に毛利が立て篭もる大坂城を攻める時点で豊臣家のお蔵米は使えないんだぞ
また率いる東軍諸大名はいったいどれくらいがあの時点で豊臣家に弓を引くところまで覚悟を決めていたんだ?
933 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 22:50:20 ID:VsWxkZRh
>>927 >輝元が5万動員の根拠は?
どこの出展でも全部の数字をあわせたら4、5万になる
>首謀者の三成が指揮の権利すらなかったのは
>小早川秀秋隊が先に布陣してた軍を登って排除して布陣したり
>毛利全軍の指揮も島津への指揮もできないからはっきりしてるじゃん。
作戦を計画、立案していたのは三成。
家康が婚姻政策など推し進め諸大名を取り込みだしたときから、
秀吉子飼いの五奉行という吏僚派であり、家康を糾弾していたグループの中心人物だった。
慶長5年3月以降上杉が家康と対立することが表面化するが、そのときでも反家康派として
上杉と連絡をとりあったいた。
上杉征伐と西軍挙兵のタイミングも示し合わせていた。
一方毛利が西軍につくことを受諾するのは挙兵の月である7月。
佐和山で三成が安国寺に要請し決まった。
>三成が総大将と言うのを大谷が拒否して輝元にしたんだから
>失脚してた三成は兵力も少なく
>秀家、大谷、安国寺、輝元の方が背後でいろいろやってたと思う方が自然。
ソースは?
大谷が三成に毛利を総大将にすえることを提言したことまでは定説だが、
それによって失脚など初めて聞いたし、失脚する原因もなければ、大谷に三成を失脚させる動機も
あろうはずがない。
>毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
>そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても
>簡単に同じ結果になると想定するのが理解し難い。
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが 、
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡している。
ただでさえ両軍に援軍を派遣するなど中途半端な対応をしていた大名は、
合戦の影響で東軍になびくのも必定。
「毛利の降伏」や「論功行賞」や「将軍宣下」で家康は権力を確立したのであって
「関ヶ原の合戦の結果」だけでは影響力はない、
ということをさんざんいってるが、現実にこれだけの影響力がある。
「毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても」
なんていうことを何度も連呼するだけで根拠は一切いわない。
>また根拠ないけど「俺はこう思う」ですか?
>いい加減、時間の無駄だから
>そういう頭の悪い論理展開しないでくれる?
と言い返したいところだ。
934 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 23:06:19 ID:8vuSx/vP
大坂城に立て篭もるには豊臣家の協力が必要だろう
豊臣家が反対なのに毛利家が篭城を主張しても賛同を得られるのか
そもそも篭城を一緒にするのなら普通に秀頼が出陣するくらいしているだろう
935 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 23:07:03 ID:VsWxkZRh
>>932 >停戦受諾して大坂城を明け渡して安芸に帰還するリスクと大坂城に豊臣もろとも立て篭もって情勢変化を
>期待する この大きく分けて2つの案のうちどちらのリスクが高いのかって話だろ
>さっきから俺含めて何人かが東軍兵糧問題と大坂城と瀬戸内の地の利などから後者の方がよりリスクが
>低いとさんざんっぱら言ってる、理由も挙げてる
「毛利の籠城」だの「毛利水軍の制海権」だの「上杉の関東進出」だのは
関ヶ原の戦勝では影響力を持てず、毛利処分や論功行賞や将軍宣下を経てやっと
全国的な影響力をもつという前提だよな?
その大切な前提が、
根拠ないけど「俺はこう思う」といった「脳内設定」に依拠してる以上、
それを前提に繰り返される説明には同意できない。
いままで一度でもその抜本的な根拠を説明したことあるか?
具体例とやらで「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
など電波妄想をまくしたててる人はいたんだけど
どこの大名もしているように勝敗が決したからには戦わず土下座というのが
一番の安全策であることと考えるのが自然だろう。
合戦の趨勢が決まったあと西軍側で暴れることで活路を開こうと
大それた行動にでた大名はいるだろうか?
>外様だ譜代だなんてことはまったくもって関係ないだろ
譜代だと豊臣に殉じる動機も潜在的にはあるだろう。
恩も受けてるわけではない外様だとそれすらあやしいということ。
デメリットが途方もなく大きな「大坂城籠城」などという大それた行動が
「安全」だなんて思えないし、そういう行動を取る理由がイマイチないから
動機はないと判断させてもらってる。
>大坂城に立て篭もれた時点で事は豊臣家中の内乱であるという徳川家康の政治的名分は消し飛ばざるを
>得ない、そんな状況下だ
>ぶっちゃけるとそんな政治的策を打てる輝元なら関ヶ原以前に大垣表まで秀頼の旗印と共に出陣してると
>思うんだけど、話してるのはあくまでも大坂城に立て篭もれたらな話
それは前も同じことをいったが、
考えられるのが、保守的な毛利家という大大名が正常な意思決定機関をもちえない状況になった場合。
宗茂たち主戦派が暴走し、玉を強引に手に入れる手段に走る可能性。
敗報で怯えてる毛利家でそんなの起こりえないだろうが、幕末の調停工作を考えると、
玉を力で押さえ込むケースもなきにしもあらずかなと感じる
936 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 23:08:49 ID:VsWxkZRh
>>932 >関ヶ原における論功仕置きを仕切って征夷大将軍宣下を受けた徳川家康ではないんだよ
>徳川家当主として豊臣系諸大名に号令しただけの立場に過ぎないんだよ
>そしてこの資格でいえば毛利輝元・宇喜多秀家はともに徳川家康と同列の5大老であり、特に輝元は秀吉公
>認の西国仕置の家の当主でもあるので家康と同列なんだよ
戦後の情勢をみて同列なのは形式上にすぎないことくらいわかるはずだが
そんな形式論はなんの意味も持たない
>領国の危機って言うけどな、さっきから聞いてるんだけどどこの大名家がまともな兵站線も維持しえないのが
>明確な備前備中備後安芸に出征するんだ?
・なぜ東軍優勢という圧倒的世情を無視し大坂に籠城すれば旧西軍、武断派などの支援を受け入れることが前提なのか、
また、他家のために危険な賭けをすることへの毛利家臣団の不満や動揺がなく一致団結できるということになってるのか。
についてはどうなんだ
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが 、
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡している。
ただでさえ両軍に援軍を派遣するなど中途半端な対応をしていた大名は、
合戦の影響で東軍になびくのも必定。
このような西軍にきわめて不利な情勢、さらには毛利にとってなにより大事な領国が侵食される可能性。
日本中に見方があらわれる見込みは薄い状況であるならば、水軍であろうがなんであろうが
なんらかの方法でその威力が個別で取り除かれるのも時間の問題。
いかに強力な武器をもっていても孤立してはいずれは行き詰るのは幕末の榎本艦隊でもわかること。
制海権は陸上権力で孤立した勢力の切り札にはなりがたいよ。
だいたい水軍が無敵でいかなる陸上勢力も手の施しようがないなら、
毛利みたいな陸上勢力になびくわけがない。
>重複するけど、豊臣家中の奸臣(上杉や石田)を討つと称して5大老の資格においてまた秀吉公認の東国
>仕置きの家である徳川家当主として豊臣系諸大名に号令しただけの立場に過ぎないんだよ
そんな名目君側の奸討つとでもいくらでもいいかえれる。
だいたい本当の意味で豊臣への忠義のため身を粉にする大名は少数派だ。
特に豊臣に関係がないところだと、
ほとんどはどっちつかずで一番強いものについてあわよくば勢力を拡大しよう
くらいにしか考えてないと考えるのが普通。
豊臣の旗印云々の問題より領国へ侵食されるというのが大名の本当に嫌がるところで
それをされる可能性がでてくる毛利にとって
そういう事態はまず第一に避けるべきことだと大名が考えることは容易に推測できること
937 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 02:03:09 ID:JZH0UBcg
なんかこの変態は突っ込みどころ満載なのなw
しかも常駐張り付き警備員特有のみんなが飽きたり、時間の都合でレスするのを止めるまで
とりとめのない虚文駄文を繰り返した方が勝ちルールの人w
長いから最初しかちゃんと読まなかったがちょっと笑えたトコをば。
>>921 >>もしそれを気にする必要が無ければ秀頼を即時死刑にして徳川新政権を作ればいいし
の回答に対して
>>ソフトランディングを選んだんだろう
説明を省いていきなりこの言葉wなんぞこれw
>>930の言うこと理解した。
これが所謂、脳内設定言語ってヤツか?本日一番の笑いごっちゃんです。
翻訳すると家康の思惑が豊臣政権の劇的崩壊を沈静化させて、豊臣政権の安泰を図るって意味になるんだがw
>>933 >>どこの出展でも全部の数字をあわせたら4、5万
おいおい4万と5万の落差が激しいぞwしかも出典って漢字も間違いてるが頭は大丈夫か?
つかこのテキトーな数字・・・数々の出典の一つも調べてないだろw
>>上杉征伐と西軍挙兵のタイミングも示し合わせていた
もうね。唖然とするよ。兼続と三成の謀略ってNHK大河の知識だろwww
>>大谷に三成を失脚させる動機
日本語能力マジでないね。。ちゃんと読めば、政権から失脚して佐和山城に隠棲してた三成という意味だろ。
つか、まさかとは思うけど佐和山城に隠棲してた事すら知らないの?
>>上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡
逃亡ではなく撤退。なにか変な本を読んでるみたいねw
そもそも逃亡だったら上杉軍は崩壊してて知名度高い武将が死んでるはずだよねw
情報収集して次の手を打つべき上杉の宰相たる立場で前線にいるわけにいかないでしょ。
撤退戦の指揮の手腕に兼続は敵である義光や家康にも激賞され
旧日本陸軍参謀本部の『日本戦史』でも撤退戦の見本とされてる。
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
ほとんど何も知らんアホが唯一、根拠として挙げて得意がって何度も書きこみ連呼してるのがこれだけだね。
じゃあ書いてみようか。まず関が原開戦が9/15
家康の目付け石丸雲哲がいた九鬼守隆は9/7に桑名の氏家軍を襲撃し感状をもらってる。
そして九鬼嘉隆は鳥羽城を堀内氏善に任せての岩出山攻めへ
事態は推移してついに守隆と嘉隆の鳥羽城下市街戦が開始される。
堀内氏善も守隆に破れ五ヶ所方面へ落ちていくなど嘉隆側が敗走することになる。
嘉隆側の考えでは新宮城で善後策を練るつもりだったが落城しており
堀内氏善も捕虜となっていた。嘉隆は已む無く答志島の潮音寺に撤退。
その後、娘の婿の青山豊前守の家がある紀州熊野へ逃げた。
家康は嘉隆死刑宣告していたので父の助命を武断派の福島や池田に働きかけて家康の了承を取り
守隆は死なぬように使者を飛ばしたが機先を制して豊田五郎右衛門の独断で青山豊前守を使いにやり
大ウソの「助命されることはないから子のために自刃しろ」と勧め
10/12嘉隆は自刃を了承して移動の準備をして答志島潮音寺に戻り死んだ。
一日の差で自刃してしまったことを聞いて激怒した守隆は
残虐刑の鋸引きで首を斬り奸臣豊田五郎右衛門を殺した。
これくらいしか俺は知らんが
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
お前の言う上記の内容が成立するように、日付や状況を史実に照らして付け加えてもらえないだろうか?
特に日付は重要なポイントだ。
まぁ最初の方だけでこんなに突っ込みどころ満載すぎてこの後にたんまり書かれてる内容までは面倒だから触れないわ。
ただお前がまったく史実を知らないで書き込んでいるのは間違いないねぇ。
めずらしく唯一挙げた根拠の実例の九鬼についてさえこれじゃ、
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。
938 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 06:16:50 ID:tpnYb+u3
>>857 >伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。
で、憶測はいいいから、このソースはまだか?
939 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 06:32:35 ID:svZupRAl
>>938 >>876でも指摘されてるが
明らかにスレ違いだし
それを議論する該当専用スレもちゃんと用意されてある。
何より現在、謙信スレを荒らしてる伊達厨が現在進行形で荒らしてる。
ほんと伊達が絡むと毎回スレが荒れるから困る。
お前もちゃんと該当スレに移動してくれ。
まじでスレ違いの話題を膨らませて脱線させんな。
940 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 08:06:47 ID:cE95xMsl
関が原で豊臣子飼いの武将中心で三成を討ったくらいで、
だれもかれもが家康になびくかってーの。
もし多くの大名が家康に臣従してたなら、将軍になるまで3年、孫娘を嫁に出し、
豊臣を滅ぼすまで15年、家康はどんだけのろまなんだてーの。
豊臣家には厳然たる権威があり、輝元がその気なら大坂籠城は効果的。
輝元の地元まで家康軍が遠征する余裕なんてないってーの。
夏厨かw
941 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 12:31:16 ID:svZupRAl
そもそも大坂城内の金銀財宝や米などが腐るほどあってビックリした家康は
必死に浪費させようと全国の神社仏閣の修理費負担させまくって財力を消耗させようとしたくらいの資金力があったからね。
特に論功行賞で豊臣直轄領70万石程度になってたのに15年経ても牢人衆を大量雇用しまくる財力と
明らかに負け組なのにあんだけの抵抗力を保持していたからね。
そもそも15年以上経とうが大坂城の堀を埋める謀略に成功してなかったら落ちなかったかも知れんわけだし。
絶対的防御力を持つ大坂城籠城をする限り毛利が負ける要因は全くないし、
それはこの時代の誰もが知っている厳然たる事実。
力攻めしたら一方的に大損害を蒙るだけなのに、
いまだ自立できず豊臣を守ると言う大義を掲げて
権威を利用しなきゃ諸大名に正当性を保持できない家康に
三成憎しで関ヶ原勝利の功績を挙げた武断派豊臣恩顧大名が従って大坂城を攻める納得できる理由がまったく出てきてない。
関ヶ原で勝った家康に絶対に従うと言う理由しかないのでは説得力はまったくない。
関ヶ原での他力本願の家康の勝利でみんなが従うなら
その後のすべて…15年をかけての家康の公家対策や豊臣潰しの政治外交努力がまったく意味のないものになる。
942 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 16:27:10 ID:6qYZh1v6
>>937 >しかも常駐張り付き警備員特有のみんなが飽きたり、時間の都合でレスするのを止めるまで
>とりとめのない虚文駄文を繰り返した方が勝ちルールの人w
なんだこのレッテル貼りは?
みんな自分の手が空いてる時間に書き込むだけだろ。
このレッテル自体不当だが、あえてこのレッテルを応用すれば
みんなが寝静まっている午前2時に長文を垂れ流してるあんたのほうが
そのレッテルに当てはまるとおもうよ。
>翻訳すると家康の思惑が豊臣政権の劇的崩壊を沈静化させて、豊臣政権の安泰を図るって意味になるんだがw
ソフトランディングがなぜそうなるんだ?
「ソフト・ランディング - 一般に、望ましい状態への穏やかな移行過程を、飛行機の着陸にたとえていう。」
ということだが徳川にとってソフトランディングとはより政権を安定させるために穏和な政策をとったといえるってことなんだが。
>日本語能力マジでないね。。ちゃんと読めば、政権から失脚して佐和山城に隠棲してた三成という意味だろ。
ならなおさら不可解だ。
佐和山で安国寺と会談し輝元に総大将就任を依頼したように三成のいる佐和山は
謀事の中心であったことも明らかだし、三成が中心人物であることは明白。
失脚してるはずなのにこれだけの動きをみせているのは何故だ?
元の文を読むと、
>三成が総大将と言うのを大谷が拒否して輝元にしたんだから
>失脚してた三成は兵力も少なく
というから、この文をかいた人間がいいたいことは、
「大谷が拒否して輝元を総大将にしたから三成の権威が衰える」
ということになるが、大谷が三成の権威を落とすようなことをするのかも不可解。
>逃亡ではなく撤退。なにか変な本を読んでるみたいねw
>そもそも逃亡だったら上杉軍は崩壊してて知名度高い武将が死んでるはずだよねw
戦略目標をなにも達成できず所領を一方的に失いその後領内に縮こまっていた。
これが敗北ではなくてなにが敗北になるんだ?
あんたがあげている例は事後処理がうまくいったことで合戦自体が成功したことではない。
>情報収集して次の手を打つべき上杉の宰相たる立場で前線にいるわけにいかないでしょ。
戦場でも情報収集もできるし次の手を考えることもできる。
情勢の一転悪化が想定できるほどやばい報告だったから逃げ帰っただけ。
その後二度と領内から出れなかったということは、
それだけ情勢の悪さを理解していたということ。
943 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 16:27:55 ID:6qYZh1v6
>>937 >ほとんど何も知らんアホが唯一、根拠として挙げて得意がって何度も書きこみ連呼してるのがこれだけだね。
>じゃあ書いてみようか。
以下ウダウダ書いてるが何の答えにもなってないどころか悪質な情報操作が見て取れる。
おれが言いたい九鬼の例は
・関ヶ原の敗報だけで拠点をすて逃走した、論功行賞もままならないうちに切腹した。
という「関ヶ原の結果」の影響力をしめしていたんだがそれに反駁する内容はなく、
どうでもいい情報をたらたら書いて罵詈雑言あげてるだけ。
>ついに守隆と嘉隆の鳥羽城下市街戦が開始される。
>堀内氏善も守隆に破れ五ヶ所方面へ落ちていくなど嘉隆側が敗走することになる。
嘉隆側全体が敗走したということはない。
「嘉隆側が鳥羽を失ったのは「関ヶ原の敗報」ではなく守隆にまけたからだ」という
ミスリードを招こうとする書き方に見える。
元々城に攻撃されたわけでもない段階にすぎなかった。
嘉隆や氏善が城をすて放逐したのは関ヶ原の影響。
関ヶ原で鳥羽城合戦の片がついたという都合が悪く重大なところをわざと書かず、
周辺のことをダラダラかき、
「関ヶ原の敗報により戦局が激変したという」という事実をはぐらかそうという
意図がみえみえなんだけど
>お前の言う上記の内容が成立するように、日付や状況を史実に照らして付け加えてもらえないだろうか?
「論功行賞」も「毛利の処分」もままならないうちに各地で西軍が押しとどめられ
敗走したり自領に逃げ帰ったのは疑いようもない事実なんだが。
九鬼の例のように一生懸命長文で例をかくのはいいが、
「書かなければならない事実」をあえて省くことで自分の主張に都合が悪い事実を
なかったかのように扱ったり、どさくさにまぎれて事実じゃない情報、
あるいはミスリードを招こうとするような恣意的な書き方で(守隆にやぶれて嘉隆側が敗走することになるなど。)
情報操作する人に言われたくないわ。
944 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 16:37:23 ID:6qYZh1v6
「大坂城に籠城できた」と主張する人は大名の一番の行動目的が本領の護持であることを理解できないのか?
それをふまえてまで大坂にとどまることを可能と見る向きが理解し難い。
例の九鬼、上杉に関わらず西軍の動きは関ヶ原後萎縮しきって大敗ムードであるにも関わらず
「(関ヶ原後においても)10万近い軍勢を動かせる輝元」
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
「西軍本隊は負けてすらいないのに」
に類する毛利家が徳川家に対して劣勢にたっていたわけではないという誤った前提で語られてるようにしか思えない。
・なぜ外様の毛利が領国の危険をおかしてまで大坂に籠もろうとするのか。
・なぜ東軍優勢という圧倒的世情を無視し大坂に籠城すれば旧西軍、武断派などの支援を受け入れることが前提なのか、
また、他家のために危険な賭けをすることへの毛利家臣団の不満や動揺がなく一致団結できるということになってるのか。
関ヶ原後の戦況の変化は西軍の萎縮、大名の相次ぐ土下座の事項から容易に読み解けるはずなんだが・・・
勝者になびく風潮の中なら従う大名も数多くいるだろうに、やたら武断派やら恩顧にこだわり続ける
理由もわからない。冷静に情勢を判断したら歴史の流れに抗えるほど武断派に力はないし、
武断派にも豊臣氏を保護するためなら死も辞さないほどの覚悟もなかった。
中国攻めは無理だともいうが、そもそも本領を侵食されたらそれで大名として成り立っていけない毛利にとっては
徳川にとっての兵站維持以上に重大な問題。
いかに強力な武器をもっていても孤立してはいずれは行き詰るのは幕末の榎本艦隊でもわかること。
制海権は陸上権力で孤立した勢力の切り札にはなりがたいよ。
945 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 16:53:53 ID:svZupRAl
>>943 九鬼の件、情報操作だと主張するならちゃんと日付を含めソース出せ。
そのお前の発言…妄想垂れ流しは逃げ発言でしかない。
あと何か(俺はこう思う)と書くなら、
(実例)だから〜になる
とちゃんと具体的に書けって何度も指摘を受けてるだろう。
抽象的な発言を繰り返し論拠を挙げないから説得力がまったくないと言われてるだろう?
日本語理解できないのは日本人じゃないからなのか?
946 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:11:00 ID:6qYZh1v6
>>945 情報操作と判断した部分と日付を含めソースを出せというのは関係がない部分だが
詭弁のガイドライン 6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める
に該当する
調べてみても日付は見当たらんけど、各地で西軍のトーンダウンしたことについてはこれは否定できないはずだが
些細な欠点ばかりついて大局論で議論できないんだね
具体的にかけってなに?
「(関ヶ原後においても)10万近い軍勢を動かせる輝元」
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
なんてのは妄想なんだがこういうのを具体例とかいってる馬鹿はいたなww
947 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:21:22 ID:6qYZh1v6
そもそも
>あと何か(俺はこう思う)と書くなら、
>(実例)だから〜になる
>とちゃんと具体的に書けって何度も指摘を受けてるだろう。
とえらそーに指摘してた当人が
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
だもんなー
ブーメランの極みだよ
「歴史を知らない馬鹿」と罵詈雑言まじえてグダグダいってた人は
こっちのいってる「大切なキー」をわざと踏み外してあまり関係がない周辺事情
をグダグダと書いて、おまけにありえない事実に誘導しようとするような
紛らわしい書き方をする印象操作(嘉隆側が敗走したのは守隆に負けたから)をするような人
歴史を知ってる人の長文はその長文に何の内容もないどころか
事実をつみかさねて嘘をつく的な長文ですらあった
948 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:27:32 ID:6qYZh1v6
詭弁をつかい話をはぐらかすID:svZupRAlがやってることw
鳥羽はスレ違いじゃなくて上杉はスレ違いなのか?
むしろ全国への影響力は上杉のほうが上だろうw
こういうのダブルスタンダードっていうんだよな??
938 :人間七七四年:2010/09/20(月) 06:16:50 ID:tpnYb+u3
>>857 >伊達と本庄の兵力差1/10近くである上での撃退は充分な武威だよな。
で、憶測はいいいから、このソースはまだか?
939 :人間七七四年:2010/09/20(月) 06:32:35 ID:svZupRAl
>>938 >>876でも指摘されてるが
明らかにスレ違いだし
949 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:31:52 ID:6qYZh1v6
上杉がどういう態度をとったかなど毛利がどういう態度をとりえるかに対しての
参考資料として有益だろう。
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
なんて妄想してる人たちにとっては西軍のもう一つの雄が
実際にはブルって逃げて引きこもってるという実態が厳しく糾弾されると困るのかな?
だからこそ「スレ違い」「伊達厨」など誤魔化して打ち消そうとする
一方気に入らない理屈は徹底して腐して細部での揚げ足を取りに徹する
こういうわけか
950 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:40:25 ID:JB4kIMk8
>勝者になびく風潮の中なら従う大名も数多くいるだろうに、やたら武断派やら恩顧にこだわり続ける
>理由もわからない。冷静に情勢を判断したら歴史の流れに抗えるほど武断派に力はないし、
>武断派にも豊臣氏を保護するためなら死も辞さないほどの覚悟もなかった。
ありていに言うと結果論ありきなんだよ
関ヶ原後に大阪城に乗り込んで論功行賞を取り仕切り、征夷大将軍宣下、秀忠に2代目将軍職譲渡、
秀頼の関白就任を阻止し、大坂冬夏の陣によって豊臣家を滅ぼした徳川家康像を元に語ってる
関ヶ原直後の徳川家康ではないんだよね。
それになんだよ、歴史の流れってw
大坂城西ノ丸に詰めていた毛利軍が素直に撤退したからこそ君の言う歴史の流れになったんでしょうに
毛利をはじめとする西軍諸隊が関ヶ原の敗戦を知ってもなお大阪城本丸を説得しえて篭城していたのなら
どうなっていたのか、というのがスレの流れでしょ
>中国攻めは無理だともいうが、そもそも本領を侵食されたらそれで大名として成り立っていけない毛利にとっては
>徳川にとっての兵站維持以上に重大な問題。
まともな補給線無しで海沿いに主街道と城がある敵地にどうやって進軍可能なのかぜひとも教えてくれ
>いかに強力な武器をもっていても孤立してはいずれは行き詰るのは幕末の榎本艦隊でもわかること。
>制海権は陸上権力で孤立した勢力の切り札にはなりがたいよ。
頼むから地図を見てくれ。大阪城が敵地のままでおまけに制海権もないままに山陽道を西に進むと
孤立するのは君が言う東軍の方なんだよ
951 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 17:49:29 ID:6qYZh1v6
>>950 >関ヶ原直後の徳川家康ではないんだよね。
関ヶ原直後であれほどの激変を全国各地におこした
パワーバランスはがらりとかわってたといっていい
さらには当時の毛利をはじめとする諸大名の最大の関心事は本領の維持
それすらの危機を起こす可能性がある大それた行動を起こす可能性があるかどうか
>頼むから地図を見てくれ。大阪城が敵地のままでおまけに制海権もないままに山陽道を西に進むと
>孤立するのは君が言う東軍の方なんだよ
毛利からするとカラの本国を侵食されたらもたない
東軍にとっては完全制圧をするまでもない状況で
勝利条件に容易く到達できうるのはどちらか考えたら
一番大事な本領がすぐ危機にあるほうが状況として持ち得ないのはわかるはず
東軍のほうが孤立しているというのは関ヶ原後の後各地で萎縮したり
寝返ったりしてる中立派や西軍の状況をみていってるの?
952 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:00:35 ID:svZupRAl
それにWiKiの知識だけしかないみたいだから言うけど
6/15に秀頼から金2万両と兵糧2万石を上杉征伐資金として下賜されてから出陣
6/20には三成→直江宛
輝元・秀家其外無二之味方に候と言っていて
7/1に秀家が豊国社で出陣式する際に東殿局(吉継の母で高台院側近)が来ている。
7/12に佐和山で三成・大谷・安国寺・増田が会談
このように6/15にはすでに輝元がやる気満々なのがわかっており
7/1には秀家と大谷の間ですでに出陣式までやらかしてる
秀家と安国寺と大谷に三成は引きずられている格好になっているのがわかる。
そして5大老No.2の毛利がいないと家康と勝負にならないのは明らかで
最初から輝元が総大将と決まって秘密裏に準備していたからこそ、
7/17にはすでに大坂城西の丸で総大将就任をして諸大名の妻子を人質に取ってる。
それと武断派七将のうち
伏見の家康と大坂の前田が武力衝突寸前になった時
前田邸
加藤清正・加藤嘉明・細川親子・浅野親子
徳川邸
福島正則・黒田親子・池田輝政
が集まっている。
関ヶ原後に三成を除いた場合は家康に確実に従いそうなのは池田くらいなもん。
黒田如水は長期戦になると予想して動いてる喰わせモノだし、福島・加藤・池田はかなり仲がいいから
池田も中立的になりかねない。
他にも蜂須賀や生駒や東海道豊臣恩顧なんかも中立化や人望があった加藤に付く可能がある
953 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:03:32 ID:svZupRAl
>>948 三戦板と戦国板に該当松川スレが存在している。
これ2ちゃんの基本中の基本だが?
もしかしてガイドラインも理解できん荒らしだったのか…
あと毎回似たような実例を挙げない「俺はこう思う」内容の駄文レスを執拗に繰り返さなくていいから。
パワーバランスとか大名領国制を連呼するの飽きたから。
そんな脳内設定で論破した気持ちになってるだけでなく
まともにちゃんとこちらの数々の質問に答えて欲しい。
954 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:11:57 ID:E5vEdfVv
パワーバランスで考えて武断派は家康の奴隷
大名領国制だから毛利領内は兵力ゼロでカラっぽ
多くの「出展」を調査した結果、毛利は4万?5万?は動員
ガイドラインなんてシラネましてや松川スレなんて俺シラネ
はい俺スゲェー論破w
さすが夏だねぇ〜w
955 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:19:35 ID:svZupRAl
訂正
>>952 ×このように6/15にはすでに輝元がやる気満々
○このように6/20にはすでに輝元がやる気満々
君は三成→直江宛書状を明らかに知らないで書いてたから変なレスをすることになる。
これはWiKiには書いてないからわからないよね。
当然、九鬼の件もWiKiに書いてないからわからないで書いたから詳細を求めると逃げはじめてるんだよね?
956 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:21:20 ID:E5vEdfVv
パワーバランスで考えて武断派は家康の奴隷
大名領国制だから毛利領内は兵力ゼロでカラっぽ
多くの「出展」を調査した結果、毛利は4万?5万?は動員
ガイドラインなんてシラネましてや松川スレなんて俺シラネ
はい俺スゲェー論破w
さすが夏だねぇ〜w
957 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:46:01 ID:E5vEdfVv
パワーバランスで考えて武断派は家康の奴隷
大名領国制だから毛利領内は兵力ゼロでカラっぽ
多くの「出展」を調査した結果、毛利は4万?5万?は動員
ガイドラインなんてシラネましてや松川スレなんて俺シラネ
はい俺スゲェー論破w
さすが夏だねぇ〜w
958 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 18:52:42 ID:1/d90aZ9
毛利家が一丸になってれば互角の勝負は出来たんだ。
つまり隆景&元春が生まれてなければ良かった。
959 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 19:55:29 ID:JB4kIMk8
>>951 パワーバランスって・・・はぁ〜
あの時点では人のふんどしで相撲を取って勝ったに過ぎないんだよ
豊臣家大老の資格でもって豊臣系諸大名の中で反石田に組する諸大名をまとめあげ、関ヶ原に
おいて豊臣系諸大名同士の戦闘に追い込んで一方の旗頭だっただけなんだよ
これ自体が凄い事だという点はわかっているつもりだ
ただ史実で見ても関ヶ原の勝利を豊臣家の大老としてでの勝利ではなく徳川家の勝利へと摩り替え
ることに成功したのは大阪城西ノ丸に居座る毛利輝元と西軍諸大名をどうにかしてからなんだよ
関ヶ原に勝っただけでは全然不足なんだ
ここまでは理解できるかな?
で、一連の流れで大阪城に毛利輝元が立て篭もったらという仮定話をしているわけだよね
大阪城に毛利輝元が立て篭もれた時点で大阪城本丸の豊臣氏は明確に西軍支持ということになる
こうなってしまうと徳川家康の根拠って何になるの?
そこは不問にしてあなたの言う歴史の流れだwパワーバランスだwとかで東軍諸大名があの時点で
全員徳川家に乗り換えたとするでもいいよ
で、以下の話になる
>毛利からするとカラの本国を侵食されたらもたない
だーーーーーーーーーーかーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーー
どうやって(あなたの認識ではなぜかいうカラになってる)本国に侵食するのかを聞いてるんだよ
山陽道においては兵も馬も空気でも吸っていれば元気はつらつになって鉄砲の弾も矢もそこらへんの山に
でも生えているのか?
仮に東軍が備前岡山城付近まで進軍しえたとするよ
児島湾に毛利水軍が来て旭川と吉井川のラインで補給線を絶ったらどうなるの?
水軍皆無な東軍軍勢は早々に立ち往生することくらい子供にでもわかるでしょう
寸断するのは播磨姫路付近の市川や夢前川でもいいし立野あたりの揖保川でもいいし赤穂の千種川でもいい
山陽道ってのは海路から主街道をどこでも寸断可能なんだよ
歴史を見ても、制海権がなかったから羽柴秀吉も来島水軍を味方にするまで播磨から西進不可能だった
平家は一度九州に落ちたのに制海権があったので播磨まで再度盛り返せた
足利尊氏も九州に落ちた後に安芸・伊予水軍を味方にして播磨に逆上陸できた
迎え撃った新田楠木軍はどの地点に足利軍が上陸するのかを把握し損ねて敗れた
960 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 20:36:56 ID:mJr72ymO
>・なぜ外様の毛利が領国の危険をおかしてまで大坂に籠もろうとするのか。
毛利の領国に危険はなく、かなりの加増なり官位の昇進が望めるから
>・なぜ東軍優勢という圧倒的世情を無視し大坂に籠城すれば旧西軍、武断派などの支援を受け入れることが前提なのか、
また、他家のために危険な賭けをすることへの毛利家臣団の不満や動揺がなく一致団結できるということになってるのか。
豊臣政権の内紛にすぎない関が原では東軍も西軍も、家康以外は豊臣系。
親三成か反三成かの違いにすぎず、秀頼への叛意はない。
他家のために危険な賭けは関が原で経験済み。
で、質問なんだけど、
どうして豊臣家滅亡まで関が原から15年もかかったのか説明してくれ
961 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 21:59:01 ID:6qYZh1v6
>>953 >三戦板と戦国板に該当松川スレが存在している。
>これ2ちゃんの基本中の基本だが?
は?輝元籠城に関してなどそのものずばりのスレが存在してるだろう。
そのものずばり同じことを目的としたスレが二ついらないというならわかるが、
同じ板で限定されたことを話してる中、どうしても話題がかぶることがでてくるのは
当然のことでスレ違いでもなんでもない
>伊達厨が現在進行形で荒らしてる。
ことを表向きの理由にしてるが、
品がないあおりを繰り返してるID:wlMMMIMsに一つの注意もしないことや
自身の言動が煽りや罵声にみちてるものを考えたら、
その理由に説得力を感じない
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
なんて妄想してる人たちにとっては西軍のもう一つの雄が
実際にはブルって逃げて引きこもってるという実態が厳しく糾弾されると困るんだろうなw
962 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 22:25:44 ID:6qYZh1v6
>>952 >6/15に秀頼から金2万両と兵糧2万石を上杉征伐資金として下賜されてから出陣
>6/20には三成→直江宛
>このように6/15にはすでに輝元がやる気満々なのがわかっており
毛利は元々意思統合がうまくいっていない
輝元の側近の福原広俊は家康に通じる
これは輝元自らが能動的に二股をかけてる可能性も指摘されてる
三成→直江宛の書状の出典は武辺咄集で信憑性も低く偽者である可能性も極めて高い
旧参謀本部編纂の関ヶ原の役ではその逸話をとりあげながらも用いらず
六月二十日から七月二日の間で三成主導のもと謀議が企てられたと結んでる
>それと武断派七将のうち
なぜ毎度のごとく武断七将を引き合いに出し続けるのか
豊臣に恩も感じず所領拡大と安堵のためだけに行動してる
そのほかの有力大名のことは考えてないのか?
しかも武断派っていっても本当の子飼いは福島、加藤清正、
それと小身の加藤嘉明くらい
縁戚でいえば浅野くらい
仲がよかったり人望があるから、圧倒的に不利なことをする側につくとか中立につく可能性とか
おまえ馬鹿だろ
99%の人間はそんな曖昧な理由で向かい風に立ち向かうことはありえない
963 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 22:46:58 ID:6qYZh1v6
>>959 >あの時点では人のふんどしで相撲を取って勝ったに過ぎないんだよ
家康が主導し名目ともに総指揮官であったから史実でも天下人へのきっかけをつかんだ
といえるんじゃないか
東軍勝利で西軍はドバーッと東軍に寝返るか萎縮する
そこまでの影響力があったことは歴史的に見てもたしかだし
その流れの中で武断派やらなんやらが表立って逆らう行動にでるとは思えない
>徳川家の勝利へと摩り替え
>ることに成功したのは大阪城西ノ丸に居座る毛利輝元と西軍諸大名をどうにかしてからなんだよ
毛利の処分が重要事項だったことに異をとなえるつもりはないが、
毛利だって西軍勝利や安国寺敗死によって吉川や福島など徳川派の勢いがますことになるだろうし、
領国第一の毛利に危険を冒して大坂に立てこもる必然性もない
あえて毛利だけは大坂に立てこもることができるという仮定にもとづいても
萎縮したり寝返ったりしてる西軍や中立派において他の大名で毛利の支援をするようなところは
ないだろうからおそらくは孤立あるのみ
短期的なにらみ合いでしばらく粘り有利な講和条件を探るというならまだ現実的かもしれないが
徹底抗戦とか本気でおもってるなら、領国に根付いてないともたない大名の性質上無理で
下から瓦解する可能性も高いだろう。
>だーーーーーーーーーーかーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーー
>どうやって(あなたの認識ではなぜかいうカラになってる)本国に侵食するのかを聞いてるんだよ
4万も5万も出兵し大名や主要家臣がいずれも出払ってるところにどれほどの余力が残ってるんだと
想像してるのか?
>山陽道ってのは海路から主街道をどこでも寸断可能なんだよ
>歴史を見ても
なんか水軍を万能で無敵な存在だとおもってるようだが
海上では優位を確立してた榎本艦隊は陸上権力を圧倒的に抑えられた状況で
最後は孤立していきずまったよな?
制海権は陸上権力で孤立した勢力の切り札にはなりがたい。
だいたい水軍が無敵でいかなる陸上勢力も手の施しようがないなら、
毛利だの豊臣だのみたいな陸上勢力になびくわけがない。
元々は外様である毛利水軍がわけがわからん行為をし続ける主家に
いつまでも従順なままであるという前提も疑わしいし
そもそも水軍にしろ直参の徳川水軍をはじめ九鬼などほかの水軍衆も控えており
他の水軍を動員することも可能な上、山際を行軍する手もある
侵食されたら即刻終わりと停滞の可能性があるではどちらが有利かはっきりしてるだろ
964 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 23:08:06 ID:6qYZh1v6
>>960 >毛利の領国に危険はなく、
関ヶ原後の状況は反徳川にとって敵だらけ
西軍はどこも意気消沈したり寝返ってる中積極的な見方もえれない
「かなりの加増なり官位の昇進が望めるから」なんてノー天気なこといってられる場合か?
これで危険がないと考えることは理解しがたい
>豊臣政権の内紛にすぎない関が原では東軍も西軍も、家康以外は豊臣系。
は???
>親三成か反三成かの違いにすぎず、秀頼への叛意はない。
大名は常に秀頼への叛意より自家の生存を最優先する
>他家のために危険な賭けは関が原で経験済み。
多くの家では東西両方に味方して保険をかけたりそれなりに強かにやってるんだが
張本人である上杉や毛利ですら決着がついた戦後はぐうの音もでない有様
多勢きまってなお危険な賭けにでる馬鹿はいない。
>どうして豊臣家滅亡まで関が原から15年もかかったのか説明してくれ
豊臣家滅亡は臣下の礼を取らなかった豊臣家にも原因がある
家康自身が最初から豊臣を滅ぼす前提だったかどうかも分からない
そうじゃなくても将軍の世襲による幕府の恒常性については早い段階から決めている
きちんと権力の継承を示している
965 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 23:38:10 ID:JB4kIMk8
>>963 あのさー、人の話を聞かないにも程があるだろ
いい加減にしてくれよ
元々は、大坂城に毛利輝元が立て篭もったら が前提の話だろ
関ヶ原の結果を知ってもなお大坂城滞在組&大津組&関ヶ原敗退組&日和見組のいくらかを
少なくとも大坂城に篭城できる兵規模はまとめあげて大坂城に立て篭もることができたわけだ
そして立て篭もるには本丸である豊臣氏の許可も当然必要となる
つまりこの時点で豊臣家は徳川家と敵対宣言したに等しく、徳川家康が東軍諸大名を率いてきた
名目は完全に消えるんだよ
この点をいい加減理解してくれよ
あとね、いい加減にどうやって侵食するのか少しは具体的に書いてくれよ!!
旧国名の日本地図わかんない><っていうのなら現在の○○県の○○市から展開とかでもいいからさ
信長の野望じゃないんだから隣国にクリック1回で進めるわけじゃないんだよ
>海上では優位を確立してた榎本艦隊は陸上権力を圧倒的に抑えられた状況で
>最後は孤立していきずまったよな?
榎本艦隊に例えるなら江戸城と江戸湾〜函館にいたる海域全てを保持してる状態ってことなんだけど^^;
それと、どこで知った歴史なのか知りたくもないけど、榎本艦隊は船を事故で失ってから孤立していったんだよ
それに、榎本艦隊に多少でも対抗可能な艦隊は薩長側にあったよな
当時の瀬戸内においてどの水軍が多少なりとも対抗できるんだ?
>そもそも水軍にしろ直参の徳川水軍をはじめ九鬼などほかの水軍衆も控えており
徳川水軍ってw
おいおい遠州灘すらろくに越えられず伊勢湾から九鬼による東海道補給線寸断にすらろくすっぽ対処
できなかったあの徳川水軍がなんと遠州灘を越えて伊勢湾も越えて紀伊半島沖も越えて回航してくるの?
しかも根拠地もないのに????????????????
笑いすぎて腹いたくなった
九鬼ってw
親子で潰しあった直後の水軍がねー。さぞや船・人ともに充実してるんでしょうね^^
で、根拠地はどこにあるの?
まさか根拠地すらもたない海域でずっと浮きっぱなしなの?
へーへーすごいねwwwwwwwwwwww
>元々は外様である毛利水軍が
基幹になってるの児玉や粟屋などはおもいっきり譜代なんですけどね
>侵食されたら即刻終わりと停滞の可能性があるではどちらが有利かはっきりしてるだろ
ごたくはもう見飽きたらから大坂城と大阪湾、瀬戸内が敵側の状況下において、海に沿ってる山陽道の
各城に対して具体的にどれだけの規模でどう展開しえたのか書いてくれよ
966 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 23:45:03 ID:0fn8YXnz
>大阪城に毛利輝元が立て篭もれた時点で大阪城本丸の豊臣氏は明確に西軍支持ということになる
ということは、大阪城本丸の豊臣氏は明確に西軍支持をしていないから大阪城に毛利輝元が立て篭もることはできないな
史実どおり毛利輝元が退去してお終い
原因と結果を無理矢理逆転させてまでIFを妄想しても意味がない
967 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 00:19:49 ID:bGIIYjaY
>>965 >元々は、大坂城に毛利輝元が立て篭もったら が前提の話だろ
>少なくとも大坂城に篭城できる兵規模はまとめあげて大坂城に立て篭もることができたわけだ
>そして立て篭もるには本丸である豊臣氏の許可も当然必要となる
は?人の話きいてないのはおまえだろ?
何度も幕末の朝廷のように無理矢理押さえ込まれる可能性もあるってかいてんだが?
そんな非合理な行動にでるのに一番高い可能性は暴走くらいだと
>>966もいうように豊臣家をふくめそんな危ない賭けにでそうな大名が
皆無の事実をまず認識しような
>いい加減にどうやって侵食するのか少しは具体的に書いてくれよ!!
そちらの前提になってる
「(関ヶ原後においても)10万近い軍勢を動かせる輝元」
「明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで」
「瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策する」
らの非現実的で超楽観的な妄言に具体性があるとでも思ってんの?
唯一言えることは毛利家自体が全国情勢から孤立しかねないような情勢であり、
毛利水軍とだけでこれを食い止めることはもちろん不可能
全国から孤立した極めて脆弱な地盤の状態で「水軍がある」だけでもつと考えるほうが不可解
この場合東軍にとっては毛利領を荒らしまわりさえすれば領国にしがみつかなければいけない
大名としてもつわけない
こんな滅茶苦茶な状況いくら主家でも水軍衆だって見限る可能性もあるだろう
義理も薄い村上系は特にそう
関ヶ原後に籠城して徹底抗戦なんてそんだけありえない方策だろうってことだ
>榎本艦隊は船を事故で失ってから孤立していったんだよ
事故がおきたら一巻の終わりであったていどの脆弱な地盤しかもてなかったから
破綻したんだよ
全国から孤立するってこういうことだ
>徳川水軍ってw
>九鬼ってw
水軍が遠くに遠征することもままあること
第一当時水軍を統括していた各大名が次々と降伏してるような情勢の流れを無視してもらってもこまる
時代の流れを無視して戦前ありのままの情勢が続くと思ってるオメデタイ妄想
毛利が第一目標にする領国の維持に一番ほどとおいとおもわれる逆風のなかを
あえて進むとことをありとする妄想力
かなり重症だな
968 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 00:26:08 ID:bGIIYjaY
>>965 >ごたくはもう見飽きたらから大坂城と大阪湾、瀬戸内が敵側の状況下において、海に沿ってる山陽道の
>各城に対して具体的にどれだけの規模でどう展開しえたのか書いてくれよ
こういうふうな意味で具体的をもとめる発想は戦前の西軍の勢いがあったころの情勢がそのまま続くことが具体的
な状況設定だとおもってんだろうな
地殻変動おきてんのにそれを考慮できない馬鹿
969 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 00:41:22 ID:bGIIYjaY
伊勢湾では西軍についた九鬼嘉隆が序盤戦で鳥羽城を奪ったが 、
「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡している。
ただでさえ両軍に援軍を派遣するなど中途半端な対応をしていた大名は、
合戦の影響で東軍になびくのも必定。
関ヶ原の戦勝で明らかな地殻変動がおきてるのは明白な事実であり具体例
んで、論功行賞だの毛利の退去によってはじめて東軍の影響力が増大したとか
いってる人たちはなにか具体例あげたのかな???
なんの具体例があってそんなこといってんの?
970 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 02:42:46 ID:HuzloqMY
>>上杉征伐と西軍挙兵のタイミングも示し合わせていた
もうね。唖然とするよ。兼続と三成の謀略ってNHK大河の知識だろwww
>>上杉にしろ最上領から「関ヶ原の敗報」をきくと即時逃亡
そもそも逃亡だったら上杉軍は崩壊してて知名度高い武将が死んでるはずだよねw
情報収集して次の手を打つべき上杉の宰相たる立場で前線にいるわけにいかないでしょ。
撤退戦の指揮の手腕に兼続は敵である義光や家康にも激賞され
旧日本陸軍参謀本部の『日本戦史』でも撤退戦の見本とされてる。
>>962 >>武辺咄集で信憑性も低く偽者である可能性も極めて高
28時間半もかけてやっと返答か。いろいろと必死にネット検索してたんだろなw
あのな、偽書と言われてたのは戦前まで。それは上杉家の史官を勤めていた伊諫早謙が
同じ出所の6/20・7/14の2通を偽作だと断定したので引きずられたに過ぎない。
輝元・・秀家などと名で呼ぶとか秀頼公御内意候と言った文面が当時の常識で使われるはずがないということ。
しかし真田昌幸宛ての長束・玄以の書状に「西の丸へ輝元被移云々」
増田が直江に宛てた「景勝様御内意」点了斎宛ての政宗書状「大坂へ内府公御入城」
など使用されてるのがわかっており、他の部分も偽作とされた根拠に
完全に否定された論拠が会津陣物語出典の「三成と兼続の共謀」と解釈されうる場所があったからで、
これも解釈次第で共謀と取られない解釈が可能だから偽作と断定されなくなった。
>>ミスリードを招こうとする書き方
勘違いするな。九鬼の件、情報操作だミスリードだと主張してるんだからちゃんと日付を含めソース出せと言っている。
そのお前の発言…妄想垂れ流しは逃げ発言でしかない。
>>969 証明もせずに九鬼の件を再び持ち出すんだからなおのことタイムスケジュール明示義務が生ずる。
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
ほとんど何も知らんアホが唯一、根拠として挙げて得意がって何度も書きこみ連呼してるのがこれだけだね。
じゃあ書いてみようか。まず関が原開戦が9/15
家康の目付け石丸雲哲がいた九鬼守隆は9/7に桑名の氏家軍を襲撃し感状をもらってる。
そして九鬼嘉隆は鳥羽城を堀内氏善に任せての岩出山攻めへ
事態は推移してついに守隆と嘉隆の鳥羽城下市街戦が開始される。
堀内氏善も守隆に破れ五ヶ所方面へ落ちていくなど嘉隆側が敗走することになる。
嘉隆側の考えでは新宮城で善後策を練るつもりだったが落城しており
堀内氏善も捕虜となっていた。嘉隆は已む無く答志島の潮音寺に撤退。
その後、娘の婿の青山豊前守の家がある紀州熊野へ逃げた。
家康は嘉隆死刑宣告していたので父の助命を武断派の福島や池田に働きかけて家康の了承を取り
守隆は死なぬように使者を飛ばしたが機先を制して豊田五郎右衛門の独断で青山豊前守を使いにやり
大ウソの「助命されることはないから子のために自刃しろ」と勧め
10/12嘉隆は自刃を了承して移動の準備をして答志島潮音寺に戻り死んだ。
一日の差で自刃してしまったことを聞いて激怒した守隆は
残虐刑の鋸引きで首を斬り奸臣豊田五郎右衛門を殺した。
これくらいしか俺は知らんが
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
お前の言う上記の内容が成立するように、日付や状況を史実に照らして付け加えてもらえないだろうか?
特に日付は重要なポイントだ。
めずらしく唯一挙げた根拠の実例の九鬼についてさえこれじゃ、
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。
971 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 02:47:34 ID:HuzloqMY
関ヶ原後に大阪城に乗り込んで論功行賞を取り仕切り、征夷大将軍宣下、秀忠に2代目将軍職譲渡、
秀頼の関白就任を阻止し、大坂冬夏の陣によって豊臣家を滅ぼした徳川家康像を元に語ってる
関ヶ原直後の徳川家康ではないんだよね。
征夷大将軍となって武家を統制する権利を得たわけでもない家康に
三成征伐後も豊臣の主家を無視して武断派が家康に従うと決めつけたり
大坂を無視して補給も無視して山陽道を播磨備前備中備後安芸と突き進むビックリ妄想戦記が理解し難い。
いまだ一度も負けてない毛利軍を持つ西軍総大将として責任を取らされる毛利が必死に抵抗すると考えるのは当たり前だし
(戦後に毛利家中が岩国の吉川を非難したことからもわかる)
宗茂や秀包など大坂で再編して抗戦を主張してたんだから
それが武威をもって鳴る者にとっては勝算がある方策なのは明らか。
毛利が改易したら、配下の国人達もどうなるかわからない不安感しかない。
山内一豊の下での旧長宗我部家臣だった一領具足の人たちの例を出すまでもない。
長宗我部や島津も以前に増して一生懸命戦うだろう。
長宗我部や立花なんて毛利が大坂を明け渡したせいで改易しちまうんだし抗戦したかったはずだ。
美濃攻略を主導した福島は尾張にいるんだし
東海道も豊臣系ばかりであり清正らと協力して家康に圧力かけたら江戸と大坂の遮断で家康を孤立させることができるほど
武断派は政治軍事的に家康より有利な立場にいるんだぜ?
そもそもそんなに武断派が家康に従うと主張するなら
彼らは率先して上杉再征伐に志願するはずだし
清正や正則らは豊臣滅亡の策を家康にアドバイスするんじゃねーの?
なんで高齢でいつ死ぬかわからん家康が
加藤や浅野らが死ぬまでアクション起こせなかったのか説明できないじゃないか。
逆に加藤らは家康が死ぬのを待ってたのは家康だって薄々わかってたんだし。
清正や如水が決死の柳川籠城中の宗茂を助命したのも
戦後の対家康戦略を考えていたからで
清正らが島津攻めをやって九州統一完成させるのに焦った家康が止めたほどだ。
関が原どころか大坂城明け渡し後ですらこんな調子だ。
明らかに武断派が家康の味方をするつもりはない。
やらなかったのは老人の家康より清正が先に死ぬと想定してなかったから。
関が原で豊臣子飼いの武将中心で三成を討ったくらいで、
だれもかれもが家康になびくかってーの。
もし多くの大名が家康に臣従してたなら、将軍になるまで3年、孫娘を嫁に出し、
豊臣を滅ぼすまで15年、家康はどんだけのろまなんだてーの。
豊臣家には厳然たる権威があり、輝元がその気なら大坂籠城は効果的。
輝元の地元まで家康軍が遠征する余裕なんてないって
972 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 02:52:57 ID:HuzloqMY
蜂須賀も生駒もガキは家康から上杉征伐の時に「御陣の手習い」と称して拉致られ強制的に連れていかれただけで
上杉に恨みはないし、さらに上杉どころか三成攻めにまで使われ、完全に騙された形。
その証拠に生駒は西軍の田辺城攻めに派兵してる。
蜂須賀は秀吉への恩があるから東軍に協力したくなかった。だが嫡子を家康に連行されて人質にされた。
だから大坂方に詰問されて、阿波の兵は大坂方で自由に使って欲しいと言った。
だから大坂方と毛利で阿波に乗り込んで兵を動員した。
困った蜂須賀は高野山へ出家することで中立宣言し嫡子を救う策としたに過ぎない。
こんな無理やり騙されて上杉征伐に連れていかれた大坂方に恨みがない彼らが
補給線がまったく確立してない無謀な広島攻めやら秀頼様の大坂攻めのために
一致協力して長期戦を諍いや方針を巡って争わずに協力できるのかね?
そもそも毛利領がカラと断言するのは小田原征伐の時の北条みたいな亡国の存亡だと称しての
対象年齢まで書いての総動員のような書状でも見つかったんかね?
水軍衆が裏切るに至るほど、瀬戸内海や毛利領のどこにそんな不利が存在してるわけ?
毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても簡単に同じ結果になると想定するのが理解し難い。
さらに都合がよいことに補給の心配なく江戸も大坂も広島も攻めれるし
その理由はそもそも武断派も西国もみんなすぐに家康に降伏するから大丈夫って言う子供並みの説明。
総大将は無傷で大坂でがっちり安定。しょせん三成は前線指揮官であって前線派兵部隊が敗れたに過ぎない
宇喜多秀家17000も動員してるのに
別家の小早川秀秋15000と同じ毛利秀元15000しか動員してねーし。
ちなみに吉川広家3000 安国寺恵慶1800 石田三成 6000
この兵力差でどうして三成が指揮を独裁できると主張するのかわからん。
首謀者の三成が指揮の権利すらなかったのは、小早川秀秋隊が先に布陣してた軍を登って排除して布陣したり
毛利全軍の指揮も島津への指揮もできないからはっきりしてるじゃん。
西軍総大将は毛利。でさ、毛利征伐に誰が行くわけ?
まぁ100%武断派が家康に従ってるとして家康の手勢は巨大な惣構えの大坂包囲に投入するわけ?
武断派がいくら志願したって使えないよね。
ただでさえ、関が原での武功がほとんど武断派によるもので
戦功を上げた彼らの発言力は高く、恩賞もやらなければならない。
でも関が原の恩賞の結果、武断派の大加増をせざるおえなかったのは
家康の失策であり、そのために彼らが肥大化し西国への恐怖から城郭を作り大坂城との分断を図ってるわけ。
さらに毛利領征伐に彼らを派遣して武功をあげたら彼らの加増はとんでもなく大きくなる。
だから使えない。
じゃあ、家康の手勢を2つに分けるわけ?大坂の惣構えの包囲に
どんだけの兵力と金や米と時間が必要なのかねぇ。
さらにこの基地害は数カ国の平定が補給も気にしなくてよいほど楽勝なんだとw
大坂包囲しながら、中国地方全域の平定の兵站まで維持するとか神だね。
さらに北九州の小早川秀包や立花宗茂領まで平定しないとだね。
加藤は島津が牽制してるし。如水は関が原の時点では
まだ豊後の大友再興軍にやっと勝ったくらいでしかないし。
これじゃ平定まで何年かかることやら。家康は毛利領の大半を剥奪しないと恩賞も与えられないのに
どこまでみんなは従ってくれるのかな?
まっその前に武断派が秀頼様を蔑ろにして
家康に従うこと自体がえっ?なわけなのだけれどね。
973 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 02:58:08 ID:HuzloqMY
秀吉の中国征伐がどんだけ時間を喰ったのかわかってる?
包囲だけで大土木事業やってるんだぜ。秀吉の中国侵攻が進み始めたのは以下の条件が全て整ってからだ
それまでは播磨姫路に橋頭堡を築けたものの上月尼子は捨て殺し別所裏切り荒木謀反とほぼ侵攻できていない
まず、第2次木津川で大阪湾の制海権を織田が握りその後石山本願寺降伏
次に、備前宇喜多が毛利から返り忠をして備前美作備中は混乱(ほんの数年前に美作三村と備前
宇喜多のどちらかを今後も援けていくかで毛利家中は揉めに揉めて結局宇喜多を選んだ。その余燼が
収まらないうちに当時の毛利家からすれば宇喜多の返り忠が起きた)
更に、村上3水軍の中で来島村上が羽柴についた(能島、因島に本拠地攻められて来島水軍は織田水軍の下に移動)
この後でようやく、だ 。山陽道ってのは海路から主街道をどこでも寸断可能なんだよ
歴史を見ても、制海権がなかったから羽柴秀吉も来島水軍を味方にするまで播磨から西進不可能だった
平家は一度九州に落ちたのに制海権があったので播磨まで再度盛り返せた
足利尊氏も九州に落ちた後に安芸・伊予水軍を味方にして播磨に逆上陸できた
迎え撃った新田楠木軍はどの地点に足利軍が上陸するのかを把握し損ねて敗れた
>>「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄
詳細情報がまったくわからず混乱し錯綜としてたから、西軍の主要な指導者の生存不明。
毛利は何やってんだ?ってことで全力で中央情報を確実に手に入れるべく
それぞれが情報が集まる政庁や拠点に向かったりしてるだけ。会津どころか米沢よりさらに北方にいて
時は金なりという急ぎ情報を手に入れたい・・・逐次やってくる報告を辺境で待ってる馬鹿宰相はいない。
西軍総大将の毛利輝元が手勢を持って大坂から出兵し、立花や島津や長宗我部らの
敗残兵の収容をして宇喜多秀家の生存も判明し、大坂籠城を開始したと聞いたら話は変わる。
三成排除した武断派からして秀頼公からお褒めの言葉をいただこうと思ってるんだから。
宇喜多も朝鮮出兵組だから武断派から嫌われる理由もない。
そもそも総大将毛利の土下座の影響ははかり知れない。
なにせ豊臣政権の最古参重鎮の1人だ。というよりも一緒に政権を樹立したと言っていいほどで
大坂城に次ぐ規模の広島城の築城を許され西国警備を任されている
豊臣政権内での地位の保証が毛利の隆盛の保障である以上は死守する方向になる。
そして上杉よりも古い。しかも家康1人が大老と違い
輝元だけでなく小早川隆景まで五大老になって政治を主導してた。
秀吉の四国や九州遠征や関東攻めに協力して豊臣政権の当事者と言っていい。
豊臣政権の西国責任者が隆景と輝元だったんだ。
総大将だったからタダで済まんかったじゃないか。
そもそも関が原の恩賞に毛利領剥奪は必須なのは毛利側も理解してるはず。
毛利本領+小早川秀包領+安国寺伊予領までの大領土を奪われて輝元死刑だ。
驚いた吉川が家康に泣いて土下座して
吉川が受ける30万石安堵の権利を譲渡する約束を取り付けたから
一命を救い輝元出家を条件に
嫡子への新たな加増による家康と新体制毛利の主従関係の成立となったわけだ。
輝元が家康に敵意を持ってたのは大坂陣などで密かに大坂援助を繰り返し
吉川にキレられたりしてる行いから明らか。
大坂籠城が孤立で援軍がない?瀬戸内海制海権がある大坂城はいくらでも食料や疲労兵と新規兵の入れ替えも自由にできるわけだが。
本来なら、大坂を明け渡して土下座したとしても
毛利改易輝元死刑が絶対に阻止できる保証がなかったわけだが。
吉川が毛利領安堵と輝元の罪を問わないと言う井伊らの約束を盲信して騙されたから降伏したわけだ。
戦国の口約定なんてなんの信用もないのに
家康からの約定の文書すら貰わずに盲信する輝元の惚けヘタレぶりもすごいが。
的確な参謀や謀臣がいたら最悪、輝元死刑や毛利改易が想定され、
最悪を免れても大減封になり、その急激な縮小で毛利財政も崩壊すると予見でき
毛利本隊が無傷なのに一戦もせず降伏するより
瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策するのを推奨するに決まってるだろ。
974 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 03:03:03 ID:HuzloqMY
応仁大乱では各地の有力大名が手兵を率いて上洛して京で戦闘を続けておりながら
残された守護代が兵をかき集めて、敵陣営に唆された庶流や旧支配者や寺社や宗教関係のやつなどによる
奪い合いをして泥沼化してた。 まぁゲリラ消耗戦は南北朝の騒乱でもそうだが古今搭載戦争での常套手段だわな。
上杉にしても如水にしても大坂城が落ちるわけないと思っているから長期戦を考慮にいれた戦略を取っている。
常識的に明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで
家康長期出兵中で留守どころか戦争継続の長い補給を強いる暴政は
関東旧支配で没落した数々の国人達の方が都合がよいわけだ。
一方で大坂城はいくらでも資金援助が可能。
なんせ関ヶ原後に家康が必死の大坂方の金を浪費させようとして
各地の寺社の復興や祈願で大量の資金を援助させたがぜんぜん平気だったどころか
大坂夏の陣でさえあんだけの抵抗力を発揮。
長期戦になれば若い輝元や秀頼より老人家康の方が健康に不安あるしな。
しかも三成征伐後の家康は豊臣恩顧の東海道筋も警戒対象だし
中山道でも豊臣恩顧の仙石どころか最大の敵たる真田籠城組までいるんだから補給は寸断される。
阿波は大坂方が蜂須賀至鎮から阿波兵を自由に使ってよいと許可を受けて接収してるから阿波水軍まで使えるわけだが
大坂湾と瀬戸内の制海権が敵側にあることがどれほど脅威になるのかは石山本願寺vs織田を見ても明らか
そもそも大坂城内の金銀財宝や米などが腐るほどあってビックリした家康は
必死に浪費させようと全国の神社仏閣の修理費負担させまくって財力を消耗させようとしたくらいの資金力があったからね。
特に論功行賞で豊臣直轄領70万石程度になってたのに15年経ても牢人衆を大量雇用しまくる財力と
明らかに負け組なのにあんだけの抵抗力を保持していたからね。
そもそも15年以上経とうが大坂城の堀を埋める謀略に成功してなかったら落ちなかったかも知れんわけだし。
絶対的防御力を持つ大坂城籠城をする限り毛利が負ける要因は全くないし、
それはこの時代の誰もが知っている厳然たる事実。
力攻めしたら一方的に大損害を蒙るだけなのに、
いまだ自立できず豊臣を守ると言う大義を掲げて
権威を利用しなきゃ諸大名に正当性を保持できない家康に
三成憎しで関ヶ原勝利の功績を挙げた武断派豊臣恩顧大名が従って大坂城を攻める納得できる理由がまったく出てきてない。
関ヶ原で勝った家康に絶対に従うと言う理由しかないのでは説得力はまったくない。
関ヶ原での他力本願の家康の勝利でみんなが従うなら
その後のすべて…15年をかけての家康の公家対策や豊臣潰しの政治外交努力がまったく意味のないものになる。
975 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 03:11:02 ID:JRyv7cdK
毛利が篭る大阪城なんぞ攻めんでも落ちるわ
976 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 04:17:45 ID:JRyv7cdK
子供である秀頼の意思が通用しないから大老奉行の乱になっとるわけで
大阪城と秀頼キープすれば豊臣の威光使い放題というわけにはいかんでしょ
へたすりゃ秀頼人質に天下の専横をねらう大悪党にされちゃいますよ
977 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 06:46:50 ID:uNj6QNAJ
そんな論理は通用しない。
そもそもこの戦乱の原因が太閤の遺命を
次々に破った家康が糾弾されて
利家の激怒からスタートした話。
三成への個人的恨みから武断派が三成を除く目的で家康に協力したに過ぎない。
また大坂城を明け渡されて正当化できる駒たる秀頼を握った家康は
さっそく豊臣家臣同士の範疇で逆臣三成を討ってやったことにして、
秀頼のために働いたと言う武断派を納得させた。
そして秀頼の権威を背景に家康は論功行賞をはじめ
毛利領をごっそり大減封させてみせて
本能寺後の織田家に対する三成=明智光秀討伐の功績を背景に清洲会議を主導したようにやってみせた。
その後の大坂両陣が秀吉が柴田勝家と徳川家康を滅亡させて天下を平定したことに比肩されうる。
輝元に1500年代に活躍した戦国第一世代(祖父)や第二世代大名(父)の気質があれば
大坂に籠城して柴田勝家や家康の如く激しく争っただろう。
小牧長久手の織田こそが秀頼の立場とも言える。
家康は織田を主家と利用して秀吉とあくまで対抗しようとしたが秀吉の調略で織田という大義名分を失い
ヘタレ輝元は秀頼を主家と利用して家康とあくまで対抗しようとせずに秀頼を家康に自ら譲渡したから天下の趨勢が決した。
978 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 07:14:55 ID:uNj6QNAJ
つまり信長仇討ちを標榜して織田家臣の協力を得て山崎に光秀を討った秀吉は
織田家中の実力者勝家と対立しつつ
論功行賞を信長の孫を助けるとして丹羽などの他の有力織田家臣の協力を得て主導した。
これがまさに山崎合戦=関ヶ原であり
それに協力した織田家臣が武断派である。
信長後継者と領地分配において織田纂奪をする力のない秀吉は、あくまで信長の孫を利用して有力家臣の協力を得た。
これが関ヶ原論功行賞と同じである。
その後、すみやかに柴田勝家を滅亡においやったことで、
もはや織田家臣の顔色を窺い協力してもらう状況の終了であり織田の乗っ取り成就なのである。
そして家康は織田信雄を持ち出して秀吉の纂奪を非難した。
この状況は信雄調略で家康を押さえこんだ。
一方、家康における柴田攻めの結果とは
豊臣家臣の協力を得る必要がなくなることであり、
それは大坂冬の陣への過程そのものである。
そして信雄を調略し家康を屈させたのは大坂夏陣であり、もはや織田纂奪に関して文句を言う勢力の消滅なのである。
武家にとって当時の秀頼とは幕末の天皇にも近い存在であり
その玉を擁している方に正当性が存在する。
979 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 08:48:05 ID:uVpSwFzv
>唯一言えることは毛利家自体が全国情勢から孤立しかねないような情勢であり、
この現状認識はなんでしょうか。
こやつは結果を知ってるから書けることばっかりでうんざりする。
孤立して、孤立したまま乗りきった島津って知ってる?
980 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 11:57:51 ID:oMQvKobY
>三成への個人的恨みから武断派が三成を除く目的で家康に協力したに過ぎない。
それなら武断派は三成を関ヶ原で倒した後にさっさと東軍から離脱し大阪城に入って家康と戦えばいいじゃん
太閤の遺命を次々に破った家康が糾弾されていることは当然知っているんだから
だいたい家康の遺命破りよりも三成への個人的恨みを重視した人間がどうして豊臣家への忠誠心があると言える?
君の書き込みだとまるで三成がいなければ武断派が全員西軍に組するように思えるのだが?
秀頼という玉を擁しても大勢の人間を家康の下に走らせ勝利させた三成って考えれば考えるほど凄い人間だな
三成>幕末の天皇にも近い存在である秀頼、となるわけだから
981 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 13:29:01 ID:uNj6QNAJ
大坂籠城が成立した時点で玉を擁したことになるのであって関ヶ原時点では玉を擁したことにならない。
関ヶ原で玉を擁するなら秀頼出陣がないと成立しないし、
混乱する最前線と言うそんな死ぬ危険性がある選択肢は秀頼を溺愛する淀が納得しない。
三成が武断派から骨の髄まで嫌われているのは知ってるはずだが?
朝鮮で武断派が苦労してるのに秀吉に悪く報告していると認識していたし
三成が失脚し左和山に謹慎した原因自体が
公然と武断派が襲撃したことだ。
そもそも三成は忍城攻めなどから
世間的には戦が下手とイメージされていた。
人望がなく戦も下手と世間的イメージがある者が関ヶ原で敗北して捕縛されたとしても
豊臣政権内で西国を統括してきた毛利が健在で大坂籠城したのなら不安要素がない。
一方で家康は小山会議前日夜に、大坂挙兵による武断派の去就に不安要素を感じて
三成を討つスローガンで福島正則を騙して豊臣恩顧武将の去就を制した。
そして三成が討たれ武断派の個人的恨みも解消しスローガンの大義も消えた。
家康が武門としてあるまじき詐術で
・大老として謀反者三成を討つことが目的だった
・大坂を明け渡せば輝元の罪を問わないし、毛利領も安堵する
と騙して大坂と秀頼を一刻も早く手にいれたがっていたのは
家康の焦りであり泣きどころがそこに存在していたからだ。
982 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 14:19:14 ID:0VKspC9h
このスレでは、主体は家康ではなく輝元ね。
西軍総大将が罪を問われなかったら、関が原で負けて自刃した大谷、
処刑された三成、八丈島に流された秀家らに対して、どう申し開き
をするのか。
自分だけ本領安堵で安心安心では、ひととして問題がありすぎやしないか。
983 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 15:44:53 ID:YpElsoAf
>>982 大坂城にいた西軍(毛利輝元)は城と秀頼を東軍(徳川家康)の手にゆだねた。
これは史実においてはまったくもってその通り。
しかし、そんな「未来におこった」出来事についてはスレの流れとしてはまるで関係ない。
豊臣家大老として関ヶ原の軍事的勝利を差配した徳川家康が、その軍事的勝利を「徳川家康としての
政治的勝利」に差し替ええたのはいつか、という話。
そのキモが西軍の盟主であった毛利輝元の大坂城撤退とその後の論功行章ではないか、という事。
ゆえに毛利輝元(に象徴される西軍残存兵力)が関ヶ原合戦後も大坂城篭城していたらどうなっていたのか
という「徳川家康としての政治的勝利」が完成しなかった仮定で政治的軍事的影響や可能性をあれやこれやと
話題にしているだけだ。
週末あたりからどうしても神の視点で論じたい輩が1人いるようだが、時は関ヶ原合戦直後で止まっている。
984 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 16:06:35 ID:pms0s+2a
輝元におじいちゃんの1/10でも才能があればね。
家康なんぞ物の数ではなかったろうに。
985 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 16:50:26 ID:uNj6QNAJ
俺の元文を読んだら重大なミスを発見したw
家康の人質になった嫡子を心配して高野山に出家し中立宣言した蜂須賀家政と
家康に拉致られ上杉征伐に同伴させられた蜂須賀至鎮14歳を逆に書いてたわ。
記憶違いで親の名を至鎮と記していたが家政ね。
986 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 16:53:47 ID:oMQvKobY
>>981 >大坂籠城が成立した時点で玉を擁したことになるのであって関ヶ原時点では玉を擁したことにならない。
秀頼を擁した西軍が家康を倒すために差し向けた遠征軍が関ヶ原の軍隊だろが
秀頼さえその場にいなければ個人的な恨みを優先させて遠征軍を倒していいなら玉を擁したも何もない
>三成が武断派から骨の髄まで嫌われているのは知ってるはずだが?
武断派だって家康が遺命を破っているのは知っているだろ
家康の遺命破りよりも三成への個人的恨みを優先させるならそんな人間は豊臣への忠誠心がないことになる
>そして三成が討たれ武断派の個人的恨みも解消しスローガンの大義も消えた。
それなら個人的恨みが解消した時点で東軍を離脱し家康と戦えばいいだろが
繰り返すが家康が遺命違反を犯していることは武断派も知っているんだ
本来なら個人的恨みよりも遺命違反を優先させなければいけないのに
個人的恨みを優先させて秀頼を擁した西軍の遠征部隊を攻撃し
個人的恨みが解消してもなお遺命違反を犯した家康と一緒にいて
秀頼を擁している毛利に退去して家康に秀頼を引き渡せと要求したのが武断派なんだ
そんな連中にいったい何を期待しているわけ?君の理論だと武断派の行動原理が支離滅裂になる
987 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 17:10:00 ID:HuzloqMY
>>986 >>秀頼を擁した西軍が家康を倒すために差し向けた遠征軍が関ヶ原の軍隊
まずお前は日本語が理解できてないのか
理解するとお前の説が瓦解するから歪曲して解釈してるかのどちらか。
>>本来なら個人的恨みよりも遺命違反を優先
まずお前が人間として欠けている部分が存在してる。
頭でわかっても感情が納得しないのが人間だ。
>>行動原理が支離滅裂なのは人間だからだ。
そしてお前は人間として欠陥があるから人情の機微が理解しえない。
988 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 17:13:26 ID:HuzloqMY
後半がおかしくなってたので修正
>>行動原理が支離滅裂
日本から離れた朝鮮で怨み続けた武断派の行動原理が支離滅裂のは人間だからだ。
そしてお前は人間として欠陥があるから人情の機微が理解しえない。
989 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 18:01:22 ID:bGIIYjaY
>>880 >応仁大乱では各地の有力大名が手兵を率いて上洛して京で戦闘を続けておりながら
>残された守護代が兵をかき集めて、敵陣営に唆された庶流や旧支配者や寺社や宗教関係のやつなどによる
>奪い合いをして泥沼化してた。 まぁゲリラ消耗戦は南北朝の騒乱でもそうだが古今搭載戦争での常套手段だわな。
あのぉ大名領国制と守護領国制の違いわかるか?
無知だのなんだの散々人をコケにしておいてなんなんだよこれ・・・・
そもそも応仁の乱以前の守護領国制下では大名は在京
当時の守護の権力は幕府による任命が支えてたから都とのパイプが重要だったのに対して
地元との結びつきは弱かった
だから幕府権力が衰えた後は地元に根差さない守護大名は次々に没落していったわけ
守護領国制においては国人の被官化の過程の中で戦国大名ほど領内を一元的に統制できていたわけでもない
戦国大名はこれとちがって幕府など他の権力に依存せずとも独自、自力で一元的な支配体制に
近付いてる
地方に根差して自力で所領を得た毛利家のような家にとっては、
足利時代の守護大名のように公儀の権力を借りる理由もなく乱に参加する理由もない
逆に地元を蔑ろにすることが一番のデメリットであった
わかるか?この理屈?
戦前に保険をうってあえて中途半端な態度をとり安国寺を尻尾きりすればいいからと判断してたから
重鎮の吉川や側近の福原が家康に通じてたことも含めそういう保身ありきの行動しか取らなかった
ことをかんがえれば
>的確な参謀や謀臣がいたら最悪、輝元死刑や毛利改易が想定され、
>最悪を免れても大減封になり、その急激な縮小で毛利財政も崩壊すると予見でき
>毛利本隊が無傷なのに一戦もせず降伏するより
>瀬戸内海制海権を根拠に難攻不落大坂籠城で家康を撃退し、武断派と連携しての外交戦略で事態好転を策するのを推奨するに決まってるだろ。」
なんて当時の大名の行動パターンからしたらありえない飛躍であり妄想だから
わかったか??
990 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 18:19:17 ID:bGIIYjaY
>>989のは
>>974あてだ
>>970 >常識的に明らかに毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
>三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで
上記の理由により直ぐに領国をつかれかねない毛利の圧倒不利
鳥羽や出羽の戦いの趨勢を含め日本各地で西軍が萎縮し隷属化している状況の中
関東にしろ上杉は庄内、白石をとられ萎縮しきり、佐竹は義重らが東軍派である
>いまだ自立できず豊臣を守ると言う大義を掲げて
>権威を利用しなきゃ諸大名に正当性を保持できない家康
そうであるという証拠や具体例はあるのか?
関ヶ原の結果で家康の権力が拡大した証拠として
西軍が一斉におとなしくなり次々と寝返ったり遁走したという具体例ならあるんだが
>関ヶ原で勝った家康に絶対に従うと言う理由しかないのでは説得力はまったくない。
納得できないを連呼してるが具体例、実例はあるの?
ただ盲目的に恩顧や武断派を連呼してるだけ
だいたい豊臣恩顧の大名など全国の大名の数から見れば少数派に属す
コイツらが常に火の粉を被らなければならないなんて理論は通用しない
>その後のすべて…15年をかけての家康の公家対策や豊臣潰しの政治外交努力がまったく意味のないものになる。
それはおまえの妄想
豊臣を最初からつぶそうとしていた証拠なんかない
むしろ厚遇してるともいえる
>そもそも逃亡だったら上杉軍は崩壊してて知名度高い武将が死んでるはずだよねw
庄内に置き去りにされた上杉軍は降伏してたね
最上の資料はもちろん上杉の資料ですらそれなりの損害を受けてるし
実態はかなりの損害を受けていることは確実
だいたい戦略目標を達成できないどころか庄内を奪われてるんだぞ
敗北といって間違いない
どうかんがえても所領奪って追撃してる最上が勝ちで敵に背中見せて敗走した上杉が負けだろ
「政治的情勢変化」のためなんか理由にならんよ
戦争は「政治的敗北」も含めるんだから
991 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 18:28:58 ID:tC1odrPz
武断派が三成憎しだけを盲目的に考えていたとして何故三成を倒した後も家康に味方し続けたかを答えろよ
勘違いしている奴も多いが毛利に退去するように交渉していたのは家康ではなく福島と黒田だぞ
恨みも解消し大義名分もなくなったならわざわざ家康に秀頼をプレゼントするため積極的に行動する意味はない
お前のくだらない妄想だと西軍は最初から三成を排除し秀頼を人質にして大阪に引き篭もっていればいいことになる
わざわざ三成を組み入れて関ヶ原まで軍を動かす西軍はとんでもない馬鹿の集まりだなw
992 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 18:43:02 ID:bGIIYjaY
>>970 >あのな、偽書と言われてたのは戦前まで。あのな、偽書と言われてたのは戦前まで。それは上杉家の史官を勤めていた伊諫早謙
その説の出典は?
戦後刊行のはずの吉川弘文館の人物叢書石田三成では偽者として扱われてるが
>証明もせずに九鬼の件を再び持ち出すんだからなおのことタイムスケジュール明示義務が生ずる。
関ヶ原関係の書籍、九鬼関係の書籍やネット情報をいくらかあったったが「敗報を聞いた日」「鳥羽城を捨てた日」
の明細はなかったが、どの書籍もネット情報も「関ヶ原での敗報を聞いて鳥羽を放棄」とでている
新人物往来社の戦国の戦国人名事典では「石田三成の敗北を知り鳥羽城を放棄、答志島へ寓居した」
吉川弘文館の戦国武将合戦事典では「西軍の敗北が確定的になると鳥羽城を放棄、答志島へ寓居した」
と書かれていた
三成=西軍と解釈すれば両方とも同じとなる
こんなに広く普及してるんだし定説といっていいだろう
定説的意見を否定するときは否定するほうに否定の義務が発生する
いまどき地動説は常識だが、それに反する天動説を唱える
人間が天動説を正しいと主張したければ、天動説を唱える人間に証明義務があるのと同じ
質問だが「九鬼嘉隆が鳥羽を放棄した」理由についてはどう思ってるんだ?
おまえの長文には不自然にもそのことが一つもかかれていない
作為的な印象操作を感じざるを得ない
九鬼の例など「関ヶ原の結果」で世の中に地殻変動がおきた一例としてあげてるだけだし
それに対してなんの意見もせず日付だのソースだのグダグダいってケチをつけようとしてる
としか思えない
>蜂須賀も生駒もガキは家康から上杉征伐の時に「御陣の手習い」と称して拉致られ強制的に連れていかれただけで
>蜂須賀は秀吉への恩があるから東軍に協力したくなかった。だが嫡子を家康に連行されて人質にされた。
>だから大坂方に詰問されて、阿波の兵は大坂方で自由に使って欲しいと言った。
>だから大坂方と毛利で阿波に乗り込んで兵を動員した。
>困った蜂須賀は高野山へ出家することで中立宣言し嫡子を救う策としたに過ぎない。
蜂須賀のことを突然いいだすし、しかも同じ事を書いてたりするからID:8ltKpCBhと同一人物と目さしてもらう
山川出版社の徳島県の歴史の関ヶ原の項には、
「家康から「御陣の手習い」という名目で出陣を要請され受諾した」
また、
「西軍の要請に応じず土壇場になり秀頼名義で命令がきたため仕方なく明け渡した」
とあり、バランスをとりつつも徳川寄りであったという風にかかれてるんだが
実際西軍から城も攻撃されてるし、西軍の出陣命令もかたくなに無視してたのはなぜなんだ?
まったく説明がつかない
993 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 18:53:25 ID:HuzloqMY
>>989 それは違うな。
応仁の乱の時は、政策担当者の資格を有する管領家などの権威が
自らが正義と為して争いを開始しており
将軍家臣同士の争いであって、将軍が関与しないことで
将軍権力が凋落しなかったため、細川政元のクーデターまでは将軍機構が維持できた。
管領家への取り次ぎができる在京守護は領国の守護代に大乱に際して国兵を率いて上洛してこいと命令
守護代は守護権力を背景にして国人への支配を深化させつつ
守護の命令に答えていくことで、同時に守護との交渉を通じて国人の権利擁護で権力増大を図った。
応仁の長い戦乱において国人を統御してきた守護代の存在は、
守護にとっても都での戦力維持に協力が不可欠であった。
騒乱が地方に波及すると兵力が上京している国々での守護や守護代対抗勢力に対して
敵陣営が懐柔をはかり、庶子や国人などの有力者を
独自に守護や守護代に任じてゲリラ的に対抗させる戦術を取るようになった。
するとどちらが得か?で取引が生じるようになる。
こうして朝倉氏のような存在が顕れてくる。
なぜなら守護代は守護の命令を執行するために
同時に国人の権利を守り、納税などでお手盛りをして支持をうけていたから。
こうなると守護も在国して検地をして現地状況を把握しようとしてきた。
だからいままで国人間をなんとか調停させてきたルールを
現地の事情を知らない守護が破壊するので
守護と守護代の利害が対立することになった。
その結果、長尾為景のように守護権力に挑戦する者が現れるが、
まぁ為景は最後には守護権力に敗れるわけだが。
そしてこれらの現象は惣村一揆など地方地域間の慣習や事情で
まったく別な発展・深化がなされていくために
その組織・形態は一元的にこうだ!と断言できるような単純なものではなかった。
ましてや、この時期から大名領国制だなどと断定すら不可能なものだ。
994 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:00:32 ID:bGIIYjaY
>>971 >関ヶ原後に大阪城に乗り込んで論功行賞を取り仕切り、征夷大将軍宣下、秀忠に2代目将軍職譲渡、
>秀頼の関白就任を阻止し、大坂冬夏の陣によって豊臣家を滅ぼした徳川家康像を元に語ってる
>関ヶ原直後の徳川家康ではないんだよね。
はいソースは?
九鬼の例でもわかるとおり日本中で地殻変動がおきたことはまちがいがなくただでさえ毛利絶対不利なはず
もちろん家康としても毛利に万が一でも籠もられたら困ったことになることは間違いないのだが
「毛利籠城なら応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた関東の旧支配者の方が都合がよいわけだ。」の類は妄想だろう
>いまだ一度も負けてない毛利軍を持つ西軍総大将として責任を取らされる毛利が必死に抵抗すると考えるのは当たり前だし
は?どこも頑強に抵抗などしてないんだが
一番気迫をみせた島津にしても折り合いをつけて妥協して土下座してる
>宗茂や秀包など大坂で再編して抗戦を主張してたんだから
>それが武威をもって鳴る者にとっては勝算がある方策なのは明らか。
なんの根拠もなし
宗茂は勝算がないと承知で戦ったんだろ?
そんな人が主張したからって勝算があるとは言い切れないのは明らか
>毛利が改易したら、配下の国人達もどうなるかわからない不安感しかない。
改易しないために保険うって中途半端な行動を取ったんだろ
おまえが好きなワクワク架空戦記じゃないんだからそりゃ慎重になるわ
>東海道も豊臣系ばかりであり清正らと協力して家康に圧力かけたら江戸と大坂の遮断で家康を孤立させることができるほど
>武断派は政治軍事的に家康より有利な立場にいるんだぜ?
もはやキチガイの妄想
どこの大名もそれほど大きくないし大局的な流れをみれば家康に傾いてることが明白なんだから
家康に挑戦するような馬鹿な大名がザクザクでてくるわけがない
政治軍事的にってなにを根拠にしてんだよ???
995 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:20:25 ID:HuzloqMY
>>こんなに広く普及してるんだし定説といっていいだろう
再度、説明もせずに持ち出したな!?しかもまったく根拠なく、
しかもそこらで販売されてるような浅い書籍しか見てないだと?馬鹿か。お前に戦国史を語る資格ねーよ。
>>ミスリードを招こうとする書き方
勘違いするな。九鬼の件、情報操作だミスリードだと主張してるんだからちゃんと日付を含めソース出せと言っている。
そのお前の発言…妄想垂れ流しは逃げ発言でしかない。
>>969 証明もせずに九鬼の件を再び持ち出すんだからなおのことタイムスケジュール明示義務が生ずる。
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
ほとんど何も知らんアホが唯一、根拠として挙げて得意がって何度も書きこみ連呼してるのがこれだけだね。
じゃあ書いてみようか。まず関が原開戦が9/15
家康の目付け石丸雲哲がいた九鬼守隆は9/7に桑名の氏家軍を襲撃し感状をもらってる。
そして九鬼嘉隆は鳥羽城を堀内氏善に任せての岩出山攻めへ
事態は推移してついに守隆と嘉隆の鳥羽城下市街戦が開始される。
堀内氏善も守隆に破れ五ヶ所方面へ落ちていくなど嘉隆側が敗走することになる。
嘉隆側の考えでは新宮城で善後策を練るつもりだったが落城しており
堀内氏善も捕虜となっていた。嘉隆は已む無く答志島の潮音寺に撤退。
その後、娘の婿の青山豊前守の家がある紀州熊野へ逃げた。
家康は嘉隆死刑宣告していたので父の助命を武断派の福島や池田に働きかけて家康の了承を取り
守隆は死なぬように使者を飛ばしたが機先を制して豊田五郎右衛門の独断で青山豊前守を使いにやり
大ウソの「助命されることはないから子のために自刃しろ」と勧め
10/12嘉隆は自刃を了承して移動の準備をして答志島潮音寺に戻り死んだ。
一日の差で自刃してしまったことを聞いて激怒した守隆は
残虐刑の鋸引きで首を斬り奸臣豊田五郎右衛門を殺した。
これくらいしか俺は知らんが
>>鳥羽城を奪ったが「関ヶ原の敗報」を聞くと即刻放棄、答志島に逃亡自害している 。
お前の言う上記の内容が成立するように、日付や状況を史実に照らして付け加えてもらえないだろうか?
特に日付は重要なポイントだ。
めずらしく唯一挙げた根拠の実例の九鬼についてさえこれじゃ、
実例や具体的な発言はできないよねぇ・・・wikiレベルだな。
まぁ蜂須賀の阿波の話とかぜんぜん知らない時点でwikiの知識しかないのが皆にバレてると思うよ。
>>関東にしろ上杉は庄内、白石をとられ萎縮しきり、佐竹は義重らが東軍派である
上杉120万石のうち白石の実高はたかが16000石。これでなんで萎縮すんの?
しかも伊達は上杉と南部の挟撃の危機に瀕してるんだよ?
しかも関が原の影響で庄内置き去りで陥落?置き去りの志駄義秀の庄内陥落は関が原の翌年なわけだが馬鹿なの?
佐竹は義宣が西軍であり、白河城にいた結城朝勝(母が義重の姉妹で兄が宇都宮国綱)
が上杉と佐竹間の連絡係をしており、結城秀康の動きを牽制していた形になっていたために
家康も江戸をなかなか離れられなかったのが事実。このために佐竹は出羽転封の刑になる。
>>吉川弘文館の人物叢書石田三成では偽者
それならその本ではどういう理由で偽作だと決め付けているんだよ。まさか伊諫早謙の意見の踏襲じゃねーだろうな?
>>山川出版社って冗談でしょ?そんな歴史研究の専門書でもなんでもないだろ。
本屋さんで読書してきたんかwそんなの論文での出典名の一つにすらならん。
996 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:32:19 ID:bGIIYjaY
>>993 どこがちがうんだ?
そもそも将軍機構が維持もなにも関ヶ原であれ応仁の乱であれ
天下人の目の前で家臣同士が大戦争をしてる時点で
権威に相当のひびが入ってることも間違いないだろう
明応の政変は15世紀の最後の最後だが守護大名が領国に帰り領国経営
に力を入れだしたのは応仁の乱以後から
守護大名はそもそも在京で土地の支配者というより幕府の家臣である傾向がつよかったから
土地の事情に通暁してないゆえ支配に目が届かず
例えば地元の商人と座がモメたときも常に幕府の顔色を伺いながら京都寄りの裁定しかできなかった
戦国大名は幕府などの中央政権の権威ではなく自力で支配権を獲得し
地元を保護した
「豊臣の権威あってこその毛利」などでは断じてない
ゆえに大名領国制下で領国という一番の大切な基盤を危機にさらすようなことは
絶対しないだろうということ
997 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:45:11 ID:YpElsoAf
熱くなるのは構わないのだがifの話をしているのになぜいつまでたっても神の視点に執着する?
徳川家康とは何者か?毛利輝元とは何者か?
秀吉存命時にこう定められていた
羽柴武蔵大納言家康・羽柴安芸中納言輝元・羽柴筑前宰相、御ひろい様への忠誠および太閤様御法度・
御置目を遵守し坂東法度置目公事篇順路憲法之上をもつて家康が担当し、坂西之儀は輝元・隆景が支配
すること、不断在京の上での御ひろい様への御奉公すること、および家康・輝元が交替で暇乞をして下国
することを霊社上巻之起請文を以て誓約
現代語にすればこうなる。
太閤秀吉の定めた法度を遵守して東国については家康の差配、西国については輝元・隆景が差配。
なお家康か輝元のどちらかは必ず在京の上で秀頼の近くで仕えること。
史実を踏まえた神の視点でみれば当然ながら徳川家康>>>>>>>>>>>毛利輝元になる。
それこそ君の言う通り、家康に挑戦するような馬鹿な大名なんてwwwとなる。
だが当時においては圧倒的な差など無い。
だからこそ石田三成は旗頭として毛利輝元を担いだわけだし、黒田如水は東西膠着するとみて九州で
蠢動をした。前田は北陸で、伊達は東北で、佐竹も常陸で遅滞している。西軍諸将にしても毛利が起つのなら
五分と五分と踏んでいたので参戦した。
もちろん関ヶ原において石田が負けたことによりその勢力バランスは五分五分ではなくなったであろうことは
否定しない。しかしながら毛利輝元が敗れたわけではないし、西軍が壊滅したわけでもない。
上で他の人も書いているように、関ヶ原で勝利した家康は山崎合戦で勝った秀吉と等価であって、清洲会議
後の秀吉ではない。
大坂城には秀頼を擁した形で無傷の毛利本隊がおり、大津別働隊、田辺別働隊、関ヶ原日和見勢などもいる。
秀頼という大義名分を握り、大坂城という鉄壁の城があり、兵糧軍資金ともに潤沢で、完全包囲される可能性は
0%(海側が常に開けている)、関ヶ原の敗戦とは無縁の兵もいる。
結局、毛利輝元って何がしたかったの?このスレタイは秀逸だ。
この時代の歴史に興味のある人間なら誰しもがそう思ったことだろう。
ではなぜそう思ったのか。
上記の状況下において本領安堵の偽書状でとっとと引き上げたから。
では大坂城に篭城していたらどうなったであろうか。
神の視点に固執してそこから離れられない君を除いて、その点について政治的軍事的考察をしているという
ことをいい加減理解して欲しい。
998 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:50:15 ID:bGIIYjaY
>>972 >補給線がまったく確立してない無謀な広島攻めやら秀頼様の大坂攻めのために
>一致協力して長期戦を諍いや方針を巡って争わずに協力できるのかね?
九鬼水軍は天正年間に播磨まで制海権を獲得
また村上水軍はもともと他人の上、それぞれの足並みもそろわず
大友についたり織田についたり
戦争で負けて徳川に圧倒的な追い風が吹いてる中戦前のパワーバランス前提に
ものを語るから「応仁大乱戦略を取るわけで長期泥沼化戦略は長期支配してる毛利領より
三河から移転してきた家康が不利なのは明らかで」なんて戯言がいえるだか
>そもそも毛利領がカラと断言するのは小田原征伐の時の北条みたいな亡国の存亡だと称しての
>対象年齢まで書いての総動員のような書状でも見つかったんかね?
大名も有力武将おらず4万も5万も動員されてる状況でカラじゃなかったらなんなの?
>水軍衆が裏切るに至るほど、瀬戸内海や毛利領のどこにそんな不利が存在してるわけ?
全国政治で孤立する以上の不利ってあったの?
>総大将は無傷で大坂でがっちり安定。しょせん三成は前線指揮官であって前線派兵部隊が敗れたに過ぎない
おまえがいう六月十五日には既に毛利がヤル気マンマンで主導していたというのは
この時代の100年も先の軍記物語にある与太話にあることにすぎない
輝元自体が挙兵の月になって初めて謀事を知ったような状態だし
実際やってることも家康以外の東軍には積極的な姿勢を見せつつも家康に対してはヘタレそのもの
一門衆や側近も家康と通じてる状態
こういうヘタレともいえる保守的な姿勢が当時の大名の一般的な態度ともいえる
だからこそ逆風が吹く中領国をカラにして大坂にたてこもるなんてありえないし
有能な参謀がいたらそうするというのもただの妄想
>毛利が戦わず降伏して大坂城を苦もなく手に入れた家康と言う事実から起きた変化を
>そのまま無傷の毛利が大坂城で籠城しても簡単に同じ結果になると想定するのが理解し難い。
そう思うなら具体例や実例をだしてほしいんだが
こいつ自分に都合がいい脳内設定で
具体例もなく実例も出さず
「俺はこう思う」を繰り返してるだけだな。
家康が圧倒的な権力を得たのは関ヶ原後の各地の西軍情勢の悪化
多くの西軍諸将が遁走や寝返りをおこなっている
そういう状況で毛利だけが毅然としてはむかうなんてのも妄想的だとしか
>じゃあ、家康の手勢を2つに分けるわけ?大坂の惣構えの包囲に
>どんだけの兵力と金や米と時間が必要なのかねぇ。
なぜ全面戦争という極論ばかりを想定するんだ?
君側の奸、毛利を討てとなるのが普通だろう
そもそも毛利としても全面的に戦うモチベーションがあるわけないのは
>>989でいった当時の大名の特質や関ヶ原後状況が圧倒不利な中戦う理由が
立たないことなどでもわかるだろうに
有能な参謀ならありえないなんてのは妄想にすぎんよ
999 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:55:29 ID:bGIIYjaY
>>997 >結局、毛利輝元って何がしたかったの?このスレタイは秀逸だ。
>この時代の歴史に興味のある人間なら誰しもがそう思ったことだろう。
>ではなぜそう思ったのか。
>上記の状況下において本領安堵の偽書状でとっとと引き上げたから。
>では大坂城に篭城していたらどうなったであろうか。
>神の視点に固執してそこから離れられない君を除いて、その点について政治的軍事的考察をしているという
>ことをいい加減理解して欲しい。
そんなIFの設定は一部の過激主戦派の暴走くらいしかかんがえられないんだが
豊臣の態度からも毛利の態度からも根本的な大名の行動指針が所領安堵であることからも
大坂籠城が「一番安全」だとか「有能な参謀がいたらそうする」とか考えてる人たちがいるみたいだし
自分たちで神の視点にたって妄想してるだけなんじゃないの?
1000 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 19:56:13 ID:bGIIYjaY
>>995 >再度、説明もせずに持ち出したな!?しかもまったく根拠なく、
>しかもそこらで販売されてるような浅い書籍しか見てないだと?馬鹿か。お前に戦国史を語る資格ねーよ。
ソースを追求されたらスレ違いだといって逃げたり、
徳島市史を探せとかいって逃げ続けてるのはどこのだれだ?
徳島市史とかどうせ確認不可能な資料をあげて逃げてるだけだろ
そんなに歴史に詳しいなら続武者物語でしかでてないような眉唾情報を
盲目的にしんようし
「続武者物語にでてくる記述で三成が輝元は味方といってるんだから
輝元がやる気マンマンだったのは事実だ!!!」なんていいきれるわけ?
>勘違いするな。九鬼の件、情報操作だミスリードだと主張してるんだからちゃんと日付を含めソース出せと言っている。
だから探れませんでした。でもどの本でも「九鬼は関ヶ原の報を聞き敗走」と書かれているし
大学教授が編纂してる歴史事典でもそうかかれてました
ということは通説、定説なわけでそれに反することを言いたいならちゃんとソースを提示して
説明すべきなのはあんたじゃないの?
論点ずらしや誤魔化し、ミスリードなのはバレバレなんだけどw
ところで日付だのソースだの偉そうにしてるけど
自分が言ってる日付や情報が正しいかどうかのソースもないの?
勘違いじゃないってならなんのためにこんなことをグダグダ書いたのかとても知りたいな
>それならその本ではどういう理由で偽作だと決め付けているんだよ。まさか伊諫早謙の意見の踏襲じゃねーだろうな?
偽物であるという理由にまでは踏み込んでなかったが著者は戦後のきちんとした歴史学者の方でしたよ
>山川出版社って冗談でしょ?そんな歴史研究の専門書でもなんでもないだろ。
>本屋さんで読書してきたんかwそんなの論文での出典名の一つにすらならん。
歴史研究?蜂須賀の態度が「こうであるに違いない!」といってる根拠が徳島市史のアンタが?w
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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