戦国ちょっと悪い話14

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
ンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252059828/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251985444/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/10/01(木) 00:21:56 ID:eIw1txuh
乙の変
3人間七七四年:2009/10/01(木) 00:28:36 ID:siCdFNvg
スレ立て乙!
4人間七七四年:2009/10/01(木) 00:49:43 ID:MYtu0EHD
>>3なら明日就職できて三斎様の植木屋になれる
5人間七七四年:2009/10/01(木) 01:42:29 ID:mcjgm/6N
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ >>1乙でがす たれかある、腰の物をもて!
  (:::::::::::::::)
   しωJ


6人間七七四年:2009/10/01(木) 13:35:43 ID:jv1Z3pYp
        _,,,,,,,,
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r'          /=ミ
  /           彡ll',''´
. /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //  < >>1 であるか・・・
. ',. ,'           , r'
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |
.  |  |  .l i       / ./ |  |
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l
7人間七七四年:2009/10/01(木) 13:54:17 ID:fKVWg9qh
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)       >>1 大儀であった!好きな美姫を取るがよい
 ( ∪ ∪          ただし、自己責任じゃ!当方何があっても与り知らんぞ!
 と__)__)
 
             / ̄ ̄ヽ   ∞/⌒⌒丶∞   / ヾ丶     / ̄ ̄ヽ   ∞/⌒⌒丶∞
             | ノノ)ノ)))    <_Li(("))_>   |ノ从从|    ( ノノ( ノ)))    ( *((")) _)
             / │^ヮ゚ノ|     |│‘ヮ゚ノ|    ││゚σ゚ノ|   丿|│゚ヮ゚ノ|    丿|| ‘ヮ゚ノ| 
               おね      茶々       五徳       まつ      お市

             /⌒⌒丶    / ̄ ̄ヽ     /⌒⌒丶,    / ヾ丶     /⌒⌒丶
            |ノノ †)ノ)|    |ノ从从 |    | イ从|从)    |ノ从从|    ヽ从 从 _ノ
            丿ノ‘ヮ゚ノ(,    || ´ω`ノ|.   丿!#゚Д゚ノ|    ││;-;ノ|     ( ゚ヮ゚ )アーッ
             ガラシャ     新庄局      小松       亀寿       蘭丸

             /⌒⌒丶   ∞/⌒⌒丶∞   / ヾ丶     / ヾ丶オ     / ̄ ̄ヽ
             ( ノノ(-))))    <_Liミν )    |ノ从从|    ( ノノ)ノ)))タ    <_Li(("))_>
             ノ│゚Д゚ノ(    丿|│‘ヮ゚ノ|    ││ - ノ|    丿│^ヮ゚ノ|ベ   丿|│゚ヮ゚ノ|
              ァ千代      江与       瀬名       義姫       帰蝶
8人間七七四年:2009/10/01(木) 14:01:13 ID:ApmLdnnT
( ●Д゚)「おいおい、愛姫がいねーじゃねーか」
9人間七七四年:2009/10/01(木) 14:08:36 ID:r8Gm5oye
>>1
>>7 一人男が・・・w
10人間七七四年:2009/10/01(木) 14:26:20 ID:e1c+qGjG
おや、お気に召さない?
仕方ないなぁ
じゃあオプションとしてそいつの兄貴もつけますンで…
11人間七七四年:2009/10/01(木) 14:56:31 ID:i1S528yV
蘭丸はムキムキの大男だから、信長との絡みはスゲエもんだっただろう。
12人間七七四年:2009/10/02(金) 12:37:14 ID:gky2YTiz
>>7
大内義隆「誰がよいかのう・・・」
13人間七七四年:2009/10/02(金) 13:11:49 ID:FYHfX1lt
>>12 大内さんの場合は蘭丸単勝でガチと思われ
14人間七七四年:2009/10/02(金) 13:12:25 ID:9DETorlt
>>7
三斎「ほーぅ、人の嫁を取るとか取らないとか、誰に断ってそんなことを…
    三十七でなにかいいゴロはあったかねぇ…(ゆっくりと抜刀)」
15人間七七四年:2009/10/02(金) 13:15:06 ID:d+eYVH7j
>>1

    毒          旦 旦           旦
    ⊂( ´直`) ●Д゚)っ⊂( ‘ω‘`) ( ' 輝` ) っ
       ヽ ⊂) (っ /      ヽ ⊂) (っ /
 ▲     ○J  し ○       ○J  し ○ 鬼 旦
 ⊂( メ゚д゚) ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧    (`Д´)っ
   ヽ ⊂) <   お茶ドゾー!    > (っ /
    ○J     ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨    し ○
 旦        =愛=旦   旦          狂  旦
 ⊂ミ) ´∀`)彡(`・ゝ・´)っ   ⊂(三斎 )   (゚∀゚ )つ
   ヽ ⊂ ) (つ   /       ヽ ⊂ )  (つ   /
   (⌒) |  | (⌒)       (⌒) |  | (⌒)
       `J   し'                `J   し'
16人間七七四年:2009/10/02(金) 13:16:42 ID:Jfxky7tZ
あんたも男ならスデゴロじゃねーといけねーよ
17人間七七四年:2009/10/02(金) 14:33:01 ID:HTAKeLTP
>>13
ヒント:大内さんは男も好きだけど女も好き

家柄・育ちががいい子ならもっとGOOD
18人間七七四年:2009/10/02(金) 15:05:59 ID:FB3vClcl
前スレ>>997

信長は、忠義をつくし仕事に励めば相応に遇してくれる。
裏切ったり怠けたりしたら罰される。

ある意味非常に判りやすいけど?
19人間七七四年:2009/10/02(金) 15:12:05 ID:MWCiQyPp
そういや蘭丸と衆道関係だったってのも
逸話レベルの話でしっかり確認できるものじゃないらしいな
20人間七七四年:2009/10/02(金) 15:22:30 ID:MFmbiFeO
>>19
「戦国性豪伝」ってのが最近発売になった。
そこに衆道についてすごく詳しく書いてあるから読んでみるといいよ。
21人間七七四年:2009/10/02(金) 15:24:53 ID:84cguZOt
信長と蘭丸がアッー!な関係だったかはわからんが、近世の
蘭丸は美少年で線が細い(?)みたいなイメージは違うだろうなと思う。
22人間七七四年:2009/10/02(金) 15:26:48 ID:RLK9Ges9
やめろナッちゃんがくる
23人間七七四年:2009/10/02(金) 15:29:38 ID:MFmbiFeO
>>11 >>21
森家の男は親父も兄貴も弟も、織田家中では抜きん出て体格がよかったという。
蘭丸もそんな感じだったと思われる。
今で言えば、ハンマー投げの室伏タイプか?
24人間七七四年:2009/10/02(金) 15:30:19 ID:OUUSAzg1
>戦国性豪伝
表紙が政宗で吹いたw
まぁ伊達の血はすげぇけどよ
25人間七七四年:2009/10/02(金) 15:38:22 ID:OUUSAzg1
×伊達の血
○伊達の種付け
26人間七七四年:2009/10/02(金) 16:57:59 ID:JAxanAu3
北条長氏(早雲)がある時
「我が領内に盲人は無用である」
と言い出した
「これより先、我が領内の盲人は悉く捕らえて海に沈めてやる」と言うのである
驚いた北条領内の盲人達はみな我先にと四方に逃げていった

しかし早雲は捕らえてみせた数名の盲人を殺しはしなかった
早雲は彼らを再び釈放すると
「このまま北条の領内に居ては死んでしまうと言い、他国へ入れ
そしてその国のことを儂に知らせよ」
とこっそり命じた

かくして北条領内から逃げ出した盲人達は早雲の間者として働いたという
27人間七七四年:2009/10/02(金) 17:40:57 ID:hJPfuS3G
盲人を間者にかあ。考えるなあ……ってか、当時はそんなに盲人いたのかな?
28人間七七四年:2009/10/02(金) 17:43:36 ID:o7gqpU5D
昔は目医者もいなかったし、薬らしい薬がなかったので目を病む人がとても多かったんだよ
幕末の頃に蘭学のおかげでようやく進歩が見られるようになりました
29人間七七四年:2009/10/02(金) 17:48:42 ID:hJPfuS3G
>>28
なるほどなあ、d
30人間七七四年:2009/10/02(金) 17:49:16 ID:vu/RrDqQ
黒田如水がアップを始めました。
31人間七七四年:2009/10/02(金) 17:58:47 ID:eh17YhMD
>>30
松永なんか何度裏切っても問題ないし、予告なしにいきなり追放するとか
何時、何をするか解らない残り時間が記載されていない時限爆弾みたいなもの
32人間七七四年:2009/10/02(金) 17:59:54 ID:eh17YhMD
>>31

>>30
>>18
33人間七七四年:2009/10/02(金) 18:36:44 ID:QCsckZCH
無能な忠義の士より有能な裏切り者を大事にするのは面白いよな。
ゼークトさんも無能で勤勉な奴は殺しちゃえって言ってるし
34人間七七四年:2009/10/02(金) 18:39:21 ID:9MYZRHdR
ゼークトはそんなこと言わない
35人間七七四年:2009/10/02(金) 18:53:23 ID:5FPSEEoP
 花房助兵衛職之の幼名は若狭と謂い、備前由加利村の寺に行儀見習いとして預けら
れていた。
 寺では碁打ちが盛んで、小坊主や行儀見習いの間で金子や寺の仕事まで賭けて勝負
をするほどだった。
 若狭は幼いながら碁が強かったが、年上の小坊主には勝てず、いつも金子を巻き
上げら嫌な仕事をさせていた。
 ある時、寺の山門で床机を置き、くだんの小坊主と碁を打っていたが、どうしても
二目、三目の差で勝てない。
 もしやと思い小坊主の手元を見ていると地を数える際に石をごまかしている。問い
ただすも小僧も簡単には認めない。腹を立てた若狭は碁盤で小坊主を打ち殺し、
そのまま寺を出奔してしまった。
 のちに宇喜多直家に仕え、備前由加利の地も領地として賜った。助兵衛を領主として
迎えた寺の坊主らは、どう思ったのであろうか。

 これは幕府が寛政重修諸家譜を編纂する際に、大旗本となっていた花房家が家臣に
旧領を調べさせた際に出てきた話である。

36人間七七四年:2009/10/02(金) 19:11:14 ID:MWCiQyPp
碁盤で担いでぶん殴ったのか
37人間七七四年:2009/10/02(金) 19:19:24 ID:m5HlRBlK
碁盤のカドで殴れば相当な破壊力だわな
38人間七七四年:2009/10/02(金) 19:23:41 ID:bvW6cHH8
碁盤て重いよな。鈍器のようなものなもので殴った、ってやつだな。
39人間七七四年:2009/10/02(金) 19:44:11 ID:lucKDRjy
重いし硬いから首根っこ掴んで角のあたりへ叩きつければ死ぬか大怪我するわな
40人間七七四年:2009/10/02(金) 19:54:43 ID:iVAuuY3R
小坊主「私はズルなどしてません。証言は加害者の若狭殿の言葉だけじゃないですか、言いがかりをつけられたんです!」
41人間七七四年:2009/10/02(金) 20:04:02 ID:Wxp3uwQU
その可能性は多いにあるw
42人間七七四年:2009/10/02(金) 20:52:45 ID:P2bBBq9I
悪い方の家久は碁盤叩き斬れとか部下に無茶いってたな
43人間七七四年:2009/10/02(金) 20:57:29 ID:dXEyIwRu
>>42
示現流の碁盤切りか
44人間七七四年:2009/10/02(金) 21:00:34 ID:5a+WRFzQ
ふと思い出したが、昔爺さんの立派な碁盤を椅子がわりにしてたことがあった。
どっしりした安定感があってヒンヤリしてて、幼い俺のお気に入りだったんだ。
今思えば、物の価値を知らないと言うのは怖いものだな。
45人間七七四年:2009/10/02(金) 21:01:06 ID:QCsckZCH
助兵衛ってエロいな
46人間七七四年:2009/10/02(金) 21:04:03 ID:hdGIp7Y8
花房さんの助兵衛は「すけのひょうえ」と読む。

助兵衛豆知識
47人間七七四年:2009/10/02(金) 21:06:38 ID:SEK9ubrJ
私立探偵レイモンド

本名:山田助兵衛
48人間七七四年:2009/10/02(金) 21:10:45 ID:hdGIp7Y8
ちなみに「スケベ」の語源は、色事が好きな男のことを「好き兵衛」と呼んだのが、
いつの間にやら「好き兵衛」→「すき兵衛」→「すけ兵衛」→「助兵衛」→「スケベ」と
変化したことによる。

助兵衛豆知識
49人間七七四年:2009/10/02(金) 21:22:08 ID:pGHCL7x9
スレチだが、出歯亀は明治時代の覗き常習者の渾名
50人間七七四年:2009/10/02(金) 21:40:32 ID:p/bFVAWk
碁盤で殺害と言えば、前漢の時代に似たような話あったな。


あと、新スレ記念と言うことで良い話スレに蠣崎ネタを投稿したので、悪い話スレにも

蠣崎氏のアイヌ民族対処法

コシャマインの戦い以後、戦国時代に突入してからもアイヌ民族の武装蜂起は何度か起きた。
記録でわかるのは、1471(文明三)年・1512(永正九)〜1513(永正十)年・1515(永正十二)年・
1525(大永五)年・1528(享禄元)年・1529(永享二)年・1531(永享四)年・1536(天文五)年の8回である。
本当はこれより多いかもしれないし少ないかもしれないが、少なくともこれらの蜂起により、
道南の守護・領主たちは滅び、また蠣崎氏も本拠地を攻撃されたりしている。
そんな状況で蠣崎氏はなぜ生き残ってこれたのか?それは鎮圧の方法にある。
蠣崎氏は「和 睦 の 席 で 首 長 を 殺 害」する手段をとったのである。
例に挙げると、
・1515年のショヤコウジ兄弟→和睦するような儀式を行いつつ、酒に酔ったところを光広が斬殺
・1529年のタナサカシ→タナサカシが「償い物」を受け取ろうとした際に義広が射殺
・1536年のタナサカシの婿のタリコナ→酒宴の場で義広自らタリコナ夫婦を斬殺

何故、アイヌの人たちは和睦の席で暗殺されたのか?これにはアイヌの習俗が関わってくる。
アイヌでは他集団との紛争解決手段として「非があったとされる集団が相手に宝物(イコロ)を差し出す」のが常とされた。
そこで、当時まだ劣勢にあった蠣崎氏は、これを利用して難を切り抜けていったのである。
もっとも、こんな手段をとっていたのでは根本的な解決になるはずもなく、その後も対立は続いていく。

時代は下るが、1669(寛文九)年にシャクシャインの戦いが起きた。
シャクシャインは反松前の機運を利用して敵対していたアイヌをまとめ、
東はシラヌカ(現白糠町)から西はマシケ(現増毛町)に至るまでの大規模蜂起を統率したほどの男である。
だが、そんな彼も「和睦の席」で酔ったところを殺害されてしまう。
ちなみに、彼は松前藩からの「償いを出せば命は助ける」という降伏勧告を一度蹴っている。
これはもしかしたら暗殺を恐れてのことだったのかもしれないが、今となってはそれは本人たちしか分からないことである。
51人間七七四年:2009/10/02(金) 21:43:39 ID:iMVWAA8b
悪すぎる…
52人間七七四年:2009/10/02(金) 22:02:34 ID:dXEyIwRu
すごいでかい規模だなおい<シャクシャイン
白糠−増毛間って200〜300キロぐらいあるぞ
53人間七七四年:2009/10/02(金) 22:09:36 ID:JAxanAu3
ジャンジャン火の怪
天文14年、龍王山にある十市遠忠の十市城は、
まだ三好に大人しく仕えていた松永久秀の激しい攻撃を受けて炎上し落城した
この時遠忠は松永の陣を睨みながら憤死し、大勢の兵士達がそれに殉じたという

そんな龍王山の十市城には、十市遠忠の魂が火の玉になって現れるという伝説がある
この火の玉は雨の降りそうな夏の夜などにジャンジャンという音をたてて現れ、
姿を見たものを焼き殺してしまうらしい
例え逃げおせても、家に帰ってから熱が出て死んでしまうという

ある時このジャンジャン火の噂を聞いた武士が妖怪を退治してやろうと山へ行き、
飛んできた火の玉に切りつけたが、火の玉はそのまま武士の兜に食らいつき
武士は頭が火達磨になって死んでしまったという

またべつの話では相撲取りが退治をしようと龍王山に向かったが、戻ってこず
翌日村人が様子を見に行くと体を蜘蛛の糸のようなものに巻かれて死んでいたという話がある

またこの地域の近くにある田井庄町というところには
首切り地蔵という首と胴体が離れた地蔵があるが、
これはジャンジャン火に焼かれた侍が無我夢中で刀を振り回した際に
誤って地蔵の首を切り落としてしまったのだそうな

ちなみになぜこの火をジャンジャン火のジャンジャンという音なのだが
この火に近づいてよく聞いてみると大勢の人間の「残念……残念……」という呟きに聞こえるという
54人間七七四年:2009/10/02(金) 22:18:52 ID:Wxp3uwQU
おお・・ぞくっときた
55人間七七四年:2009/10/02(金) 22:20:54 ID:JAxanAu3
最後から2列目の
>ちなみになぜこの火をジャンジャン火のジャンジャンという音なのだが

編集ミスです。正しくは
ちなみにこのジャンジャン火のジャンジャンという音なのだが

すみません
56人間七七四年:2009/10/02(金) 23:37:20 ID:L0AFsPk4
>>7
なにこの首実検
57人間七七四年:2009/10/03(土) 00:17:28 ID:uVA0w5z3
>>7
わしの大事な妹を勝手にやめてくれ…
かわりに鮭で我慢しろ
58人間七七四年:2009/10/03(土) 01:07:23 ID:wQt+adtT
>57
お前は何を言っているんだ?
59人間七七四年:2009/10/03(土) 02:44:53 ID:VtmLiY0r
>>35
正式の碁盤の脚は、ゲンコツのような、クチナシの実を模した形をしている。
これは「対局中には観戦者は助言をするな(口無し)」という意味であり、
その禁を破ったものはこのクチナシの部分で殴打されても仕方がない、という意味でもある。

余談だが、脚付きの正式の碁盤のうらには窪みがある。
これは「対局中に助言をするような馬鹿者の首はさっさと刎ねて、さらし者にするときには碁盤を裏返して使おう」
という意味。窪みはそのときに流れる血が畳につかないようにするための血溜りである。
60人間七七四年:2009/10/03(土) 05:14:44 ID:AmWqBl9l
>>57
鮭ネタまじイラネ
61人間七七四年:2009/10/03(土) 05:45:24 ID:bk810ugL
>>53
熱病まで操るとは恐るべし
62人間七七四年:2009/10/03(土) 06:07:25 ID:nINy5ZmA
>59
それに関する話がこのあいだ書かれてたね
碁盤が凶器にはならなかったけど
63人間七七四年:2009/10/03(土) 07:16:45 ID:/JCnFUpd
>>59
前出の吉村宣充も首はねて碁盤の窪み(別名:血だまり)に乗せたんだろうか
64人間七七四年:2009/10/03(土) 08:13:43 ID:UF7bdwTe
>>59
碁盤将棋盤の裏の窪みは、乾燥による盤の反りや歪みを防ぐための処置らしいけどね
65人間七七四年:2009/10/03(土) 10:17:43 ID:0EN5RX4L
将棋版が2つ折りにできるようになるのは
口出ししたら真っ二つにするという意味ですね(´・ω・`)
66人間七七四年:2009/10/03(土) 10:58:15 ID:XNs+ie1c
>>57
最上厨出て行けよ。
ちゃんと専用スレあんだろが。
ルールくらい守れ!マナーもない腐れ野郎が。
67人間七七四年:2009/10/03(土) 11:23:23 ID:HZzMnawd
>>59
今年のある将棋の名人戦でサインをねだった記者を思い出した
68人間七七四年:2009/10/03(土) 11:27:32 ID:aiFeIdr5
>>57がウザイというかイラッとする気持ちは非常によくわかるが、
勝手に隔離スレ立てて向こうでやれっていう俺様ルールを掲げてもなあw
試しにまとめサイトから最上関連全部外せって交渉してみたら?w
69人間七七四年:2009/10/03(土) 11:34:53 ID:pj+tW296
碁盤を見て毛利秀元がアップを始めました
70人間七七四年:2009/10/03(土) 11:45:52 ID:+VGtiBqx
>マナーもない腐れ野郎が。

自己紹介乙。最上ネタいやならいい話・悪い話スレそのもの読まなければいいじゃんw
つか2ちゃんやるなよw 休みなんだからデートでも行けばw
71人間七七四年:2009/10/03(土) 11:51:35 ID:IfkSq7my
66は例のアレか。死ねばいいのに。
72人間七七四年:2009/10/03(土) 11:52:36 ID:TmOiL+4O
アンチ最上は、気持ちの悪いのが一人でがID代えながら粘着しているだけなんだから、
スルーしとけ。
73人間七七四年:2009/10/03(土) 12:12:34 ID:tIU/lPgD
反応する奴のほうが荒らし以上にレス数増やすくせにNGもスルーもしない
自分がレスする事でスレを正常に戻せると思ってるならただの勘違いだ
むしろ関係無い話題のレスが増える分悪化してる
74人間七七四年:2009/10/03(土) 12:42:42 ID:RKGgwspt
叩いてるヤツも反応してるヤツも単発だし
ID代えながらの自作自演じゃねーの?
75人間七七四年:2009/10/03(土) 13:12:56 ID:f9WoJERQ
>>59
・・・民明書房?
76人間七七四年:2009/10/03(土) 13:16:45 ID:6g53l4gP
すげえな
鮭ネタふるといつでもわいて来るんだな
24時間張り付いてるのか
77人間七七四年:2009/10/03(土) 13:44:05 ID:a2jYFDDf
そういや、毛利秀元って碁盤の上に子供を乗っけてそのまま持ち上げる事ができたらしいね。
しかも片腕でwwwどんだけ力持ちだったんだかwww
78人間七七四年:2009/10/03(土) 13:46:58 ID:TmOiL+4O
これは、久留米の比留島何某と言う人物が語った事だそうだ。

この比留島氏がある時、齢の程八十あまりの老僧に出会った。
かの僧の話しぶりなどから察するに、彼は元々、毛利家の歴々の一人であったらしい。

ふと、関ヶ原の話題が出たとき、僧は言った

「世の中には、石田冶部少輔が謀反を企て、それによって毛利、宇喜多などの
大名小名を大阪に上らせたかのように、まことしやかに書いてある書物が沢山ある。

しかしこれは、大いなる誤りである。

何故かと言えば、他家はともかく、官位も所領も大きく劣る石田の催促で、
輝元が出陣するなどと言うことは、全くあり得ないからだ。

あの一乱ガ始まったのは、もっと他の理由がある。

…が、今の世の中ではこんな事はもう、いまさら無用の兵論であろう…。」

それ以上は決して、語ろうとしなかった。

関ヶ原が起こるに至った真の理由とは、一体どのようなものだったのだろう?
そこまで言ったのなら最後まで話せよ!てな感じのもどかしいお話。
79人間七七四年:2009/10/03(土) 14:09:51 ID:AmWqBl9l
相変わらず鮭厨必死だなぁ俺がIDを変えてるんだw
じゃあ違うIDが表示されてるのかな?
80人間七七四年:2009/10/03(土) 14:11:59 ID:wQt+adtT
>79
てかスレ違い
アンチスレだかどっかでやってくれよ
81人間七七四年:2009/10/03(土) 14:18:24 ID:AmWqBl9l
あれID変わってないなwww
おかしいな?鮭厨の妄想だったみたいだけど、反論待ってるよw w w
82人間七七四年:2009/10/03(土) 14:30:18 ID:f9WoJERQ
>>80
こんなバカの相手はするなよ
83人間七七四年:2009/10/03(土) 14:40:05 ID:IlOIJGpJ
>>78
本当の首謀者は
・実際のところ毛利なんだけど足並み合わなかったんだよ
・宇喜多による決起がきっかけで三成は成り行き上立つことになったんだよ
・実は黒幕は当時幼児だった秀頼だよ

のどれかだったって感じかね
84人間七七四年:2009/10/03(土) 15:19:32 ID:3BTLwtJR
>>83
「実は黒幕は当時幼児の秀頼だったんだよ!!!11」に
1000旧ジンバブエドルw
85人間七七四年:2009/10/03(土) 15:53:39 ID:f53I60Yn
>>77
その逸話って、安藤重次にもなかったっけか?
誰が本当の逸話の持ち主なのかわからんw
86人間七七四年:2009/10/03(土) 16:18:38 ID:z4Nms+AZ
僧「ククク、貴様に言ったとて理解できまい・・・」
87人間七七四年:2009/10/03(土) 16:20:42 ID:qaBB+dVj
ただの厨二病だったのかよwww
88人間七七四年:2009/10/03(土) 16:31:29 ID:XNs+ie1c
あらら
自演扱いか。単発ID連投してるのは鮭の方だろ。
89人間七七四年:2009/10/03(土) 16:32:35 ID:pj+tW296
>>85
荒木村重にもあるぜw
碁盤稲葉物置は怪力っぷりを示すテンプレみたいなもんじゃね?
90人間七七四年:2009/10/03(土) 16:36:20 ID:wQt+adtT
碁盤って刀で線引くんだよな
それだけに血溜まりやらクチナシやら武士っぽいエピソードいっぱいなのかな
91人間七七四年:2009/10/03(土) 17:04:27 ID:WPCBvO19
単発とか言い出す奴が過剰反応なんだよ
特定人物の逸話だけ追い出そうなんて基地外が沸いたらその時いた奴が
たしなめるのは当たり前なのに
まあ基地外が複数人いたことが判明してしまいましたが
92人間七七四年:2009/10/03(土) 17:08:59 ID:SEGUYUCq
>>91
だから相手するなって
ほうっておいたら勝利宣言(笑)して消えるんだから
93人間七七四年:2009/10/03(土) 17:14:50 ID:wQt+adtT
PCと携帯複数で書き込みしてんのかもよ
ちなみにそういう荒らし方してると規制されたり●取り上げられたりするけどね
94人間七七四年:2009/10/03(土) 17:17:51 ID:m9n5aSbV
>>89
ちょっと違うけど示現流の碁盤切りなんてのもあるよね。
ごく身近なものだけに例として出しやすかったのだろうか。
95人間七七四年:2009/10/03(土) 17:56:17 ID:mxtq0dDQ
豊臣秀頼は、ラスボスの死後から寺社造営に力を入れ始め、大阪の陣までに85の寺社を造営した。
世間一般には、これは豊臣家の財力を恐れた家康が、金を使わせるため薦めた悪巧みであるとされているが、
実態はどうも違うようで・・・

淀殿
「太閤様の菩提を弔うため、これからもどしどし寺社を造営しますわよ。」
家康
「(神仏のほか頼るものがないのか、哀れよのう。)
結構なことです。頑張ってください。」

しばらくして、駿府城にて
家臣
「大御所さまー。以前より○○橋の普請を命じていた××家より書状が参りました。」
家康
「どうした。」
「豊臣家から○○寺の造営について寄付を求められ、断れなかったので、○○橋の普請のための金が足りなくなったので
何とかして欲しいとのことです。」
家康(ビキビキ#)
「(あのガキャー、菩提を弔うなら自腹切らんかい。)
わかった。経費は貸してやると伝えよ。」

そこからまたしばらくして、駿府城にて
家臣
「大御所さまー。前田家より書状が参りました。」
家康
「どうした。」
「豊臣家から○○寺の造営について寄付を求められた際、使者から「徳川とけんかすることになったら助けてね。」
といわれてしまい、太閤のご恩からノーとも言えず、かといってイエスともいえないため、
にっちもさっちも行かなくなった利長様が隠居をさせて欲しいとのことです。」
家康(ビキビキ##)
「(あのババー、寄付にかこつけて、何、人の家来になったモンにコナつけとんじゃ。しかも、こっちを仮想敵国にしよってからに。)
わかった。隠居料として別途20万石与えるので、安心して隠居するよう伝えよ。」

そこからさらにしばらくして、駿府城にて
秀忠
「パパー。うちのカミさんから頼まれごとがあるんだけど−。」
家康
「はっはっはっ。国松を3代将軍にということならだめだぞ。」
秀忠
「おねーサンから頼まれたみたいなんだけど、方広寺の造営について寄付してだって。」
家康(ドッカーン)
「(ふざけやがって、散々公務の妨害したり、諸大名にコナつけたりしたあげく、今度はうちに寄付よこせだと。
どうせ寺の寄進帳にはテメーの名前しか書かんくせに。)
ダメだ、ダメ。公務でもない、豊臣家の私事に公金が出せるか。」

このように、豊臣家の寺社造営を内心苦々しく思っていた家康であったが、後の世に悪巧みとして話が伝えられてしまう・・・。
そんな徳川家康にとって納得がいかない話。

実際、大阪の陣のあと、徳川家が大阪城の焼け跡からかなりの金を押収していることから、豊臣家はほとんど自腹を切っていなかっただけでなく、諸大名の寄付の一部を懐に入れていた可能性もある。
96人間七七四年:2009/10/03(土) 18:07:17 ID:/pfqqa/a
>>95
ひでえw

利家とは別の意味で吝嗇だなおい。
97人間七七四年:2009/10/03(土) 18:15:17 ID:TmOiL+4O
まあ豊臣家は秀吉の時代から「蔵入地」って言って、各大名領の中に「豊臣家の取り分」ってのを
設定して、そこから搾取することで財政の基盤にしてたからな。(それが豊臣家「220万石」の正体)

関ヶ原で蔵入地を管理していた奉行衆が解体して、蔵入地も解消したんだけど、
豊臣家としては、「豊臣家のやることに諸侯が金を出すのは当然」って意識は残ったまま
だっただろうね。
98人間七七四年:2009/10/03(土) 18:27:26 ID:QloCHIJm
( ●Д゚)「まぁ、どっかの狸ジジイの『俺っちの城工事するから金出せ』とどっこいどっこいだな」
99人間七七四年:2009/10/03(土) 18:32:51 ID:R1JKAs0m
??「なあーんで大御所の息子の城建てるのにオレらが金出してやらなきゃならんのよ」
100人間七七四年:2009/10/03(土) 18:46:12 ID:3BTLwtJR
>>99
これこれしっぽ丸見えですよ 市 松 さ ん
101人間七七四年:2009/10/03(土) 19:00:22 ID:z4Nms+AZ
>>99
相方は無双参戦決定したってのに、市松さんときたら
102人間七七四年:2009/10/03(土) 19:04:09 ID:1/HJ98tU
>>95
これはさすがにねーわww
103人間七七四年:2009/10/03(土) 19:19:13 ID:SKw/9yPs
>>97
先週の大河でもその辺一切説明無く家康が勝手に
豊臣の石高削ったような描かれ方してたなあ
104人間七七四年:2009/10/03(土) 19:26:06 ID:QloCHIJm
大河はたまにしか見ないけど
この前見たときは政宗が家康の肩揉んでた…

 ど う い う 状 況 ?
105人間七七四年:2009/10/03(土) 19:32:16 ID:KzJZx8n5
>>103
もともとそういうシステムだった所を、
ほぼ間違いなく確信犯で廃止したんだから、そりゃそう書かれても当然だろうw
神君がその辺残す気なら、当然次の人を立ててシステムを残したはずだからな
106人間七七四年:2009/10/03(土) 19:35:18 ID:hqLa50eM
>>27
島津日新斎も盲僧をスパイとして送り込んだって史料にある
107人間七七四年:2009/10/03(土) 19:42:13 ID:TmOiL+4O
>>105
まああの大河の最大の問題は、福島たちがそれを憤っていたことだ。
実際には福島加藤と言った連中を含めて、蔵入地の解消は大喜びの出来事だった。
108人間七七四年:2009/10/03(土) 19:43:23 ID:AmWqBl9l
福島領に蔵入地なんてあったか?どこ?
109人間七七四年:2009/10/03(土) 19:50:58 ID:WPCBvO19
よく知らんけど蔵入り地なんてあったら領内全部を自分とこで把握して運営できないし
監視所抱えてるようなもんだしいやだろうなー
110人間七七四年:2009/10/03(土) 19:59:42 ID:KzJZx8n5
>>107
その辺の体制作りは、
家康のようなある程度信頼できる親族が少ないという事が原因有るだろうねぇ
所謂譜代衆が多ければ、徳川政権のように難癖付けて改易という手段が取れたのだろうけど

日本史上屈指の独裁者という秀吉の一面は、
豊臣の政権は基本的に諸豪族強すぎ、権力基盤弱すぎ、
数少ない子飼いの連中の仲悪すぎの中で、
勢力を纏めるのは独裁的にならざるを得ない面が有ったのかもしれんね
111人間七七四年:2009/10/03(土) 20:03:37 ID:AmWqBl9l
秀吉政権は外征させ諸大名を統制し中央集権をはかってたのかもな。
家康は妥協して鎖国と幕藩体制。
112人間七七四年:2009/10/03(土) 20:35:51 ID:6g53l4gP
AAで有名な二階堂盛義。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-231.htmlでラッキーマンと言われた彼だが
彼の娘はラッキーどころか波乱にまみれた人生を送った。

彼女は当初、従兄弟である岩城常隆に嫁いでいた。
当時、東北はおもに一人のDQNのおかげで戦乱にあけくれていたが、
夫・常隆はどうにか荒波を乗り越えて、1590年、小田原征伐に参陣することで所領を安堵された。
彼女も常隆の第一子を妊娠し、順風満帆といったところであった。

しかし、常隆は小田原にて急死。
佐竹家の巧みな養子戦略により、岩城家は佐竹義重の三男・貞隆が継ぐことになり、
妊娠中の彼女は岩城家を追われてしまった。

当時、実家・二階堂家はすでに政宗に滅ぼされ、彼女の母親は佐竹家に保護されていたが、
岩城家を乗っ取った佐竹家を頼るわけにもいかなかった。
放浪の中、彼女が産んだ常隆の遺児は男子であった。

その17年後の1607年、彼女は幼子を立派に育てて仙台の伊達政宗を訪ね、
政宗は彼女と常隆の遺児・隆道を親戚として保護した。
さらに当時、正室を亡くしてやもめであった伊達成実に彼女を嫁がせた。
在所は亘理であったが、彼女は岩城常隆に嫁いでいたため、岩城御前と呼ばれた。

余談であるが、成実の母は伊達晴宗の娘で、岩城御前の母もまた晴宗の娘であった。
初婚に続いて、またも従兄弟同士の結婚となったのである。

有力な後ろ盾を得た隆道は一門として遇され、政宗の偏緯を賜って伊達政隆と名をあらためた。
最初は1000石、後に5000石を賜り、一家を興して岩谷堂伊達氏の祖となった。
政隆自身は岩城家を継ぐことはかなわなかったが、百数十年の後に岩城貞隆の血筋が絶え、
政隆の子孫・岩城隆恭が養子に入ることで岩城常隆の系統が150年ぶりに返り咲いた。


なお、岩城御前は成実との間に女児を授かるも、夭折。
彼女もまた1620年に亡くなった。
果たして、彼女の最期は幸せであったのであろうか。
113人間七七四年:2009/10/03(土) 21:09:39 ID:8AWUfLsS
>>112
>成実の母は伊達晴宗の娘
成実って、晴宗の弟(実元)の息子じゃなかったの?
114人間七七四年:2009/10/03(土) 21:21:24 ID:WPCBvO19
>>113
えーと、ということはつまり晴宗娘は叔父さんところに嫁いで成実を産んだ
だから成実は伊達政宗にとって叔母さんから見ると従弟
大叔父さんから見ると従兄弟叔父
複雑だなー
115人間七七四年:2009/10/04(日) 00:06:46 ID:y4YWLaRH
>>112
娘さんも「不幸中の幸い」という感じで常に活路を見いだせてるから、
そういう意味ではラッキーだったと言えるかな?
空白の17年間、立派に子供を育て上げたあたりラッキーよりも
本人が優秀だったのかもしれないが。
116人間七七四年:2009/10/04(日) 01:00:53 ID:Rl86yibg
いいかげん鮭厨はでてってください><
117人間七七四年:2009/10/04(日) 01:09:43 ID:imqx5U1E
>>116
死ね
リアルで死ね
氏ねじゃなく死ね
118人間七七四年:2009/10/04(日) 01:10:40 ID:EyOoYpMF
>>117
わざわざID晒してるんだからだまってNGIDしとけ
119人間七七四年:2009/10/04(日) 01:29:54 ID:KESzjJdo
>>116>>117は多分同一人物だと思うんだが
120人間七七四年:2009/10/04(日) 01:40:50 ID:eI0gniYD
鮭厨は他人の迷惑かえりみずに荒らし行為を繰り返す基地害
121人間七七四年:2009/10/04(日) 01:46:09 ID:pmezKbpv
>118
NGIDじゃなくてNGワードのほうが効率いいぞ
必ず書く言葉があるだろ
122人間七七四年:2009/10/04(日) 01:58:25 ID:EyOoYpMF
>>119
>>121
ですな。NGワード入れておいた。その上であえて投下


さてさて、大老徳川家康と上杉景勝との対立が深まり、「いよいよ会津征伐か」と言う頃の
事である。
山形の最上義光の下に、上杉景勝家臣、鉄又右衛門が使者として現れた。

「この度、大老奉行内談して、内府を退けるべき企て有り。
貴殿とは隣国のよしみも有り、また秀頼公の御為でもあることなので、我々に同意していただきたい。
然るにおいては、今後は他意のない関係となるでしょう。」

義光は「返答はしばし待たれよ」と、この使者を中山玄蕃の邸宅に逗留させると、
嫡子最上義康、楯岡甲斐、本庄豊前、志村伊豆、鮭延越前といった面々を呼び、
この事についての所信を述べた。曰く

「我が最上家は先祖より数代にわたって当地を領し、天子、将軍の下知を受けていた。
先年太閤の麾下に入ったが、さほどの恩を受けたわけではない。いや、むしろ
かえって数々の恨みを抱いたこと、ここにいる面々は皆、知っているだろう。

であれば、陰に陽に助けてくれた内府の恩を忘れて、これにそむく企てに同意などできようか?
ましてや景勝など、内府の権勢を妬んで、私の反乱を企てているだけだと言うではないか!

景勝らの企て、わしは承知しない。皆もそう、覚悟いたすように。」

この時、鮭延越前進み出て
「仰せの通り、景勝卿に同心する事など出来るはずもありません。
しかし、内府公がご出馬の無いうちに会津と手切れになってしまっては、上杉の圧力を
我々だけで受けねばならず、我らが領国は非常な危機に陥るでしょう。
ここは上杉の要求を受ける振りだけして、しばらく時を稼ぐべきです!」

義光は鮭延の考えを是とし、使者に、景勝に対して同意との返書を渡した。


ところがここで困ったことが起こる。上杉景勝は、義光が自分達に一味したことを喜び、
音物として黄金二万両を贈ってきたのだ。

義光は再び家老達を呼び集め、このことを話し合った
「会津からの音物などを受け取れば、内府殿に疑いをもたれるなど、後々難があるのでは
ないだろうか?」

これに本庄豊前「我々は内府公に無二の忠誠を誓い、今回のことも含め、たびたび
御注進も行っております、たとえ景勝からの音物を受け取ったとしても、
内府公が我らを疑うようなことはありますまい。

むしろ、もし今、われらが景勝からの音物の受け取りを拒否すれば、先日景勝に
同意したと言う返答は嘘であると白状したようなものであり、これは我らから、
会津に対して手切れを宣言するのと同じことです。

ここは、喜んで音物を受け取っておくべきでしょう。」

義光はこれを聞き入れ、音物を受け取ると、その金子は家中の者達に残らず分配した、
とのことである。

最上義光、結果的ながら上杉景勝の金子をくすねる、の一席。
123人間七七四年:2009/10/04(日) 02:05:14 ID:yhkmsgyw
まだ最上厨が暴れてるのか・・・
124人間七七四年:2009/10/04(日) 02:06:04 ID:HC7P4vYa
景勝、人が良すぎだろ、あっさり信じるなよ……
徳川じゃなく最上を攻めたのは、「金返せ〜!」って事だったのかw
125人間七七四年:2009/10/04(日) 02:51:33 ID:jXptnDAx
上杉に金をもらう家はのちのちアレな末路が…。

しかしこれ、上手いことだまし取ってやったぜ!っておおっぴらに
喧伝するようなことか? ことなんだろうな。不思議な感覚だ。
126人間七七四年:2009/10/04(日) 06:54:54 ID:+mbLXIRs
>>125
上杉の金は綺麗でござるよ
伊達殿の大判より、我が殿の金は綺麗でござる
なので、ささ受け取られよ
127人間七七四年:2009/10/04(日) 08:21:43 ID:NOPUXNi/
>>126
岡佐内「然り然り」
128人間七七四年:2009/10/04(日) 09:19:43 ID:HEeT3zqx
>>122
乱後に公儀に差し出すとかそういう話かと思ったら分配しちゃうんだw
129人間七七四年:2009/10/04(日) 11:16:31 ID:+YM83CkZ
 関ヶ原の戦いの功として石見津和野三万石を賜った坂崎出羽守直盛は、鉄砲の
普及で、もはや時代遅れの山城でしかなかった津和野城を大改築するため、家老の
浮田織部を奉行とした。

 しかし家中には築城に長けた者がおらず、かねてより懇意であった正楽寺の恵法に
相談した。
 恵法は若い頃は井上左近時盛という武士で、本願寺光佐に従って織田信長と戦い、
その和議がなったのち剃髪して恵法と号し諸国を遍歴し、正楽寺三世教念の弟子と
なった顔の広い人物だった。
 さっそく恵法は紀州に赴き、根来坊、阿林坊、南湖坊の三人を連れ帰り、出羽守は
住居を与えるなど篤く遇し、築城を任せた。

 彼らは出羽守の期待通りの働きをし見事に城を完成させるが、城の秘密を守るため
三人を殺し、霊魂のたたりを恐れ、城が見えない畑迫村中原に葬ったという。
 同地には今も三塔の宝筐印塔が残っている。
130人間七七四年:2009/10/04(日) 11:36:34 ID:w8z8Mbck
坂崎直盛も四天王クラスのDQNなのに、いまいちメジャーじゃないんだよなぁ。
131人間七七四年:2009/10/04(日) 11:45:47 ID:tMQKAhEE
家が滅んでいるからね。
世に喧伝してくれる子孫がいない。
132人間七七四年:2009/10/04(日) 12:20:25 ID:ftCevoSS
いい事なのか悪い事なのか・・・
133人間七七四年:2009/10/04(日) 12:31:14 ID:Q+7v3+Tt
坂崎直盛を嫌ってなかったのって小野寺義道くらいじゃねぇえの?
134人間七七四年:2009/10/04(日) 12:40:14 ID:+mbLXIRs
んじゃマイナーなDQNという事で


時は、家光の治世も末期の頃の
備後の神石郡の山奥に
「仙養坊」と言う名の山伏が住んでいた。

その者、ホラ貝を吹くのが得意で
山奥で特大の大きさのホラ貝を吹き
その音は、山全体にも響き
山の麓の者たちからも知られる者であった。

その噂を聞きつけた、神石郡も治めていた福山藩主の水野勝成は
彼を呼び寄せ、是非とも家来にと懇願したが
仙養坊曰く「このホラ貝は仏のためのものであり、戦の為に用いられる物ではない」と断ったという。
再度、勝成は願ったが、仙養坊はそれでも断った。

何度も願い断られた事で、怒った勝成は
「この者を生かしておく事は、世の政の妨げになる」と刺客を放ち

仙養坊は結果として、井戸に閉じ込められた後
上から石を詰められて、生き埋めにされて殺されてしまったそうな。

その後、山の麓の土地の人々は、この仙養坊のことを惜しみ
仙養坊が住んでいた山を仙養ヶ原と名付け、
しばらく後に、そこに墓を建て祀ったという。

また福山城には
後日、度々仙養坊の亡霊が現れ悩まされたそうで、
城内にも小さい祠を造り祀ったそうな。
135人間七七四年:2009/10/04(日) 12:46:17 ID:+YM83CkZ
>>133
柳生宗矩と親しかったみたいね。柳生家譜にも書いてあるし。
136人間七七四年:2009/10/04(日) 14:55:02 ID:FnrbS9UL
ホラ吹きだから世の為にならないってかww
137人間七七四年:2009/10/04(日) 17:37:19 ID:YRWE8lvW
>>136
だれうまwwwww
138人間七七四年:2009/10/04(日) 18:04:32 ID:9l2mDC0F
>>123
わざわざ鮭を使わず最上と書いてNGくぐり乙。
ただNGはどう考えても鮭ではなく厨の方だろwwwww
アンチ義光は頭悪すぎwwwwwwww
139人間七七四年:2009/10/04(日) 18:08:07 ID:v9lrMYkm
140人間七七四年:2009/10/04(日) 18:45:42 ID:rs++F5L+
実況にあった悪い話

> 610 名前:衛星放送名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 18:37:43.74 ID:0NRk4iPs
> 兼続書状(慶長6年7月1日)
> 「車丹波組のやつらは前線を二度も引き払い、文句ばかり言ってくる。
>  こんなやつら役に立たないのでどこへでも追放してしまえ。車組に
>  限らず扶持方の連中はみんな召し放ちなさい」
141人間七七四年:2009/10/04(日) 19:17:31 ID:pRq4O4iE
全てのレスの末尾に内容関係なく「最上」ってつけたら面白そうと思ってしまった俺ガイル
142人間七七四年:2009/10/04(日) 19:27:10 ID:uhtFwVzc
そんなに面白そうなのか最上
143人間七七四年:2009/10/04(日) 19:41:36 ID:SrED+fXk
ほろ酔い加減で最上
144人間七七四年:2009/10/04(日) 20:52:11 ID:N9IOOfbm
お前らいい加減にしとけよ最上
145人間七七四年:2009/10/04(日) 21:34:48 ID:do9bNEkq
さくざがそろそろしかるぞ最上
146人間七七四年:2009/10/04(日) 21:42:29 ID:EyOoYpMF
( ゜∀゜)<もー、ガミガミ言うなよ
147人間七七四年:2009/10/04(日) 22:03:19 ID:v9lrMYkm
>>146
【審議中】
            _,,..,,,,_        _,,..,,,,_
            / ,' 3  `ヽーっ   / ,' 3  `ヽーっ
            l   ⊃ ⌒_つ  l   ⊃ ⌒_つ
          _,,..,, `'ー---‐'''''"    `'ー---‐'''''"
         / ,' 3  `ヽーっ         / ,' 3  `ヽーっ
         l   ⊃ ⌒_つ        l   ⊃ ⌒_つ
          `'ー---‐'''''"       _,,..,,, `'ー---‐'''''"
            / ,' 3  `ヽーっ   / ,' 3  `ヽーっ
            l   ⊃ ⌒_つ  l   ⊃ ⌒_つ
             `'ー---‐'''''"    `'ー---‐'''''"
148人間七七四年:2009/10/04(日) 22:37:52 ID:+6SWMKoa
だいぶ昔、小学時代に先生が話してくれた話。まとめに無い様子だし書いてみる。
矛盾やらあるかもしれんが読み流し程度に見て下しあ


戦国時代後期?…中期?とにかく戦に欠かせない武器鉄砲。
だけどこの鉄砲を使いこなしていたのは男性ではなく女性だった。
戦国時代はどの家も人手不足だったので、女性や子供も戦いにでる事もよくあったそうな。
当然「接近戦は無理だろ…JK」ということで、鉄砲を持ち遠距離攻撃を行ってた。(引き金を引くだけでいいしね)
だから鉄砲隊の隊長を命じられる武将は「なんで俺こんな役を…」と心中複雑にもなった。
ちなみに池田恒興さんの長女、池田せんという人は200人の女鉄砲武者を率いていた。
このお方、賤ヶ岳の戦いの岐阜城包囲にも池田の先手として出場しバンバン射撃したらしく、
確か三介殿だったかが「女に撃たれるとかちょームカツク!女半端ねぇ…」的な事を言ったとかなんとか。
(ちなみにせんさんは女大名か女城主だったらしく、森長可や中村一氏の正室だった。)


池田さんや森さんの名前が出てきたせいか気付けば悪い話スレに書いてた。
記憶が微妙なので「らしい」とか曖昧表記多様でごめんな。伊達にも女鉄砲隊の話があったような

あとこの話を思い出したのは、デパートで雛人形の隣に恒興公の人形が置かれるという謎の商品配置を見たのがきっかけなんだけど、
池田さんに雛人形に関する逸話ってあるのだろうか…
149人間七七四年:2009/10/04(日) 22:44:29 ID:y6K9Nrn3
>>147

【真田風審議】
            _,,..,,,,_        _,,..,,,,_        _,,..,,,,_
            / ,' 3  `ヽーっ   / ,' 3  `ヽーっ   / ,' 3  `ヽーっ
            l   ⊃ ⌒_つ  l   ⊃ ⌒_つ  l   ⊃ ⌒_つ
             `'ー---‐'''''"    `'ー---‐'''''"    `'ー---‐'''''"
            _,,..,,,,_        _,,..,,,,_        _,,..,,,,_
            / ,' 3  `ヽーっ   / ,' 3  `ヽーっ   / ,' 3  `ヽーっ
            l   ⊃ ⌒_つ  l   ⊃ ⌒_つ  l   ⊃ ⌒_つ
             `'ー---‐'''''"    `'ー---‐'''''"    `'ー---‐'''''"
150人間七七四年:2009/10/04(日) 22:54:04 ID:59l3uAyy
いい話なのか悪い話なのか分からんが、女鉄砲武者ってなんか萌えるw

雛人形の隣に恒興公の人形があったのは、「おひな様の次はこどもの日が
来るから(2ヶ月後だが)、ご一緒にどうですか!」という感じで
ちょっとだけ五月人形が置いてあることがあるから、それじゃないかと思う。
あれって地元武将かたどった武者人形だったり兜の飾り物だったりするよね?
俺は地元宮城だが、元気でDQNな子にすくすく育って欲しいという願いを込めてか、
兜に三日月ついてるの多かった気がする。(※実際宮城はDQN率が高くて昔珍走が多かった)
151人間七七四年:2009/10/04(日) 22:54:22 ID:v9lrMYkm
>>149
一瞬考え込んだじゃねーかw
152人間七七四年:2009/10/04(日) 23:06:24 ID:ri+4UZIZ
>>150
政宗兜(三日月の前立て)は全国的に大人気のようだよ。
2009/04/16 の記事だけど


兼続が政宗に肉薄!五月人形商戦一騎打ち

日本人形の製造メーカーや販売店などでつくる社団法人日本人形協会によると、
戦国武将の兜や鎧を模した商品は伊達政宗がここ10年ほど不動の1位だった。
兜の前立(まえたて)(正面の飾り)が鋭い三日月形になっているのが特徴で、
玩具チェーンの日本トイザらスでも、「ここ数年は政宗が断トツの人気でした。
前立がナイキのマークに似ていてかっこいいというのもあるかもしれません」と証言する。

続きはWebで。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/243732/
153人間七七四年:2009/10/04(日) 23:07:39 ID:IVOru/9D
>>148
お玉「鬼の夫のためには、女房も時に鬼にならねば・・・」
お濃「ですよねー」
小松「よねー」


伊達のは三春御前だと思うよ。確か輝宗誘拐した二本松一行を一斉射撃したという話がある。てことは親父殿もうわなにをするやめろ
154人間七七四年:2009/10/04(日) 23:10:32 ID:2G4viTgl
輝宗と畠山を撃ち殺したのは愛姫の率いる鉄砲隊で政宗は現場に居なかった
というのが伊達の公式発表じゃなかったか?
ということで愛姫は舅殺しの鬼嫁。
155人間七七四年:2009/10/04(日) 23:17:50 ID:59l3uAyy
>>152
そうだったのか。地元仕様なんだと思ってた。
DQNが全国にパンデミック。
>前立がナイキのマークに似ていて
ところでこの発想はなかったわw

>>154
>伊達の公式発表
普通に政宗が指揮してたんだけど、親殺しにしたくなかったから
嫁に押しつけたとかだとこのスレにピッタリの話題になるな・・
156人間七七四年:2009/10/04(日) 23:41:11 ID:+6SWMKoa
>>150>>152
あれ五月人形の宣伝だったのか。ありがおつ!
他に五月人形とか一切飾ってないから何の宣伝かと思った…。
>元気でDQNな子にすくすく育って欲しいという願いを込めて
>前立がナイキのマークに似ていてかっこいいというのもあるかもしれません
ΩΩΩ<ナ、ナンダトッ!! その発想はなかった・・・
>>153-155
伊達ではそんな事あったのか…。勉強になります。
テレビや雑誌では普通に政宗が指揮してて政宗カワイソス話になってたけど公式では愛姫になってたのか…
なんか歴史って考察すれば考察するほど複雑で面白いな。
あと真田のお兄さんのほうはそんな鬼では

             (゚A 。)
             ^^^^^^^
157人間七七四年:2009/10/05(月) 00:13:29 ID:P1SxjYZx
>>148
まとめにあったと思うが関ヶ原の後で残党狩りにやってきた連中の頭を六尺棒でかちわって逃走した女がいたりとか本当昔はハンパねー女がいたんだな……
158人間七七四年:2009/10/05(月) 00:52:36 ID:szOovxEl
>>157
妻より強い旦那はいないと市松や自分のトーチャン見て分かってたが、女傑多すぎだろ・・・
六尺褌が180cmだから180cmの棒を女性が振り回してたのか?
結城秀康の槍の長さ(210cm?)に有り得ないと思ってたが、こんなことがあるなんて・・・女性の皆さんパネェっす。

>>148の池田せん調べてみたら当代記には花隈城主、伏見城普請割当帖には池田せん三万石と記載されてた様子。城主だし大名だな。
159人間七七四年:2009/10/05(月) 01:04:28 ID:o4un95lw
日本の民間団体だかなんだかがどっかの島に援助で建物建てに行って
自分らでヒーヒー言いながら材木運んでたら見かねた現地人が手伝ってくれたんだけど
二人がかりで一本運んでだ材木を、島の女の人や子供がひょいっと一人で両脇に二本
抱えて運んでいくんでびっくりしたって話を前になんかで見たなあ
160人間七七四年:2009/10/05(月) 01:45:33 ID:PI4AYPPm
>前立がナイキのマークに似ていてかっこいいというのもあるかもしれません

逆逆
ナイキのマークが政宗の前立に似てるんだろ
161人間七七四年:2009/10/05(月) 02:22:09 ID:vC2Sr5DO
>>122
死ねばいいのに
162人間七七四年:2009/10/05(月) 02:36:29 ID:PI4AYPPm
このアンチ厨いつもID違うから困るな
最上
163人間七七四年:2009/10/05(月) 02:38:39 ID:Y2lhprt4
アンチも基地もいらない。
164人間七七四年:2009/10/05(月) 02:39:11 ID:ASJUTvC4
165人間七七四年:2009/10/05(月) 02:53:25 ID:Rb7GEXiu
基調もアンチも1人じゃないのにな。
166人間七七四年:2009/10/05(月) 03:03:25 ID:Y2lhprt4
薩摩支配下の琉球は元々は明朝の影響が大きく、陶器に関しても明の技術を取り入れていました。
そんな中、琉球の皇族で薩摩の「国質」になっていた佐敷王子(佐敷の小領主)尚豊が、
薩摩の支持のもと琉球国摂政に就任するため帰国することになりました。彼は藩主家久と大変仲が良かったそうです。
彼は茶の湯を好み自ら茶器を焼いたりするほどの趣味人であったので、
家久(aku)に頼み、朝鮮征伐時に連れてきた陶工を3人を琉球に連れて行くことになりました。

さてこの3人のうち、2人(一官、三官)は一定の技術を伝授した後は薩摩に帰るのですが、
残りの1人(一六)は琉球に残ります。それは惚れた女性が出来たからでした。
彼女の名は真牛と言いう人妻でした。しかし一六は尚豊にねだり強引に彼女を妻にします。
そんな彼女が前夫を恋い丘の上で歌った歌が琉球民謡「瓦屋節」の由来と言われているのでした・・・

家久由来の琉球民謡のお話でした
167人間七七四年:2009/10/05(月) 08:35:15 ID:QYMtdWPB
>>148
橙武者さんもそれ(鉄砲隊指揮官任命)で不貞腐れたんでしたっけ?

>>166
家久(AQ)由来というよりは・・・・。
168人間七七四年:2009/10/05(月) 08:56:47 ID:b9dSmXBW
>>157-158
六尺褌でかちわるって、ドンだけ豪快なんだよw
169人間七七四年:2009/10/05(月) 09:15:55 ID:ec7woD+z
褌じゃないでしょ
170人間七七四年:2009/10/05(月) 09:30:18 ID:MbXPHpph
褌って布だよな…
そんなマスターアジアみたいな女がいてたまるか
171人間七七四年:2009/10/05(月) 10:30:31 ID:sJ7xFiqa
まあなんだ。キチガイが発狂して死ぬくらい
最上の話を頼むわw
172人間七七四年:2009/10/05(月) 10:38:00 ID:NYduEGeO
>>53のジャンジャンで思い出したので書き込んでみる


徳島は応神には、田畑の中に多くの土饅頭があった。
これらはすべて、戦国時代の合戦において討死した武者の墓なのだそうだ。

この地では夜になると、あちらこちらの土饅頭の下から、鎧兜に身を固めた侍が出てきて
走り回る事があった。こう言う夜は

 「ジャン、ジャン、ジャン、ジャン」

と、鎧のこすれる音が聞こえてくるので、この音が聞こえてくると村人達は家の中に逃げ込み、
恐ろしさに震えていたそうだ。

ある晩のこと、隣村に行っていた村の者が、用事が遅くなったため、すっかり日の暮れた道を
急いで戻っていた、すると

 「ジャン、ジャン、ジャン、ジャン」

向こうから火の玉が群れてやってきた。

この者、あまりの恐ろしさに、土下座して「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えていると、
足音が止まって、侍が

「何をしている?早く行け!」

と、声をかけた。
しかし村人が恐怖のあまり動けずにいるのを見ると、「御免こうむる」と言い、
村人の頭の上を、次々と火の玉が飛んでいった、と言う事である。

そんな、徳島に伝わる昔話。

173人間七七四年:2009/10/05(月) 11:19:15 ID:5XV1Cs6D
公的な資料というと、大名・公家。寺社のものが重用されて
一般庶民のものは研究者達も2次3次的にしか扱わなかったが、
近年これらの解読研究が進められるにつれて、思わぬ事実が判ってきた。

直江兼続の罪

120万石から30万石になった上杉を立て直すために、
兼続がおこなった内政の数々は功績とされているが、
これはあくまでも藩や武士にとってのもので、領民にとっては耐え難いものだった。

当時年貢は5公5民が標準で6公4民になるとかなり厳しいものだった。
兼続はなんと国内最高の比率を領民に課したのだ。
(俗説では7公3民)
<ちなみに日本最高は、水戸光圀が存命中に課した8公2民!!!>

この比率は上杉鷹山の改革でも改善されず、明治維新まで続いた。
このため、上杉藩の領民は国内で一番貧しい暮らしを強いられ、
領内を逃げ出す農民は後を絶たなかった。

兼続の「愛」」や「義」はあきまでも士族に対してのもので、
民に対してのものではなかったのだ。
174人間七七四年:2009/10/05(月) 11:58:40 ID:XiZFVgyD
>>161
廉、田中と怪しい上杉家臣も出てくるスレですから
175人間七七四年:2009/10/05(月) 11:58:50 ID:TK3j1dbp
最後の二行が的はずれでどうかと思うがw
176人間七七四年:2009/10/05(月) 12:17:48 ID:MbXPHpph
というか、愛だの義だのの概念が
そもそも戦国と今の世の中で違うからな
仕方ないと言えば仕方ない

上杉武将の人物象は美化されすぎのきらいがあるのは確かだが
177人間七七四年:2009/10/05(月) 12:31:07 ID:6xLmu4jy
一政治家としてもあまり尊敬していい男ではないな
178人間七七四年:2009/10/05(月) 12:36:26 ID:S9R3Rkwh
と米沢に嫉妬してる山形鮭厨が言ってます。
179人間七七四年:2009/10/05(月) 12:42:02 ID:cFxcSHHB
最近の流行りなのかね、鮭厨とかアンチとか。
大多数は東北の一大名にそんなに思い入れ無いから
もういい加減止めにしてくれんかね。
180人間七七四年:2009/10/05(月) 12:42:54 ID:o4un95lw
>>172
なんか親切な感じだなその霊w
181人間七七四年:2009/10/05(月) 12:57:43 ID:371efoB6
>>172
むしろいい話だ
182人間七七四年:2009/10/05(月) 13:17:05 ID:MbXPHpph
>>172
  ジ   ジ /
ジ ャ  ャ Z 幽 げ
ャ |  /  / 霊 え
| ン ン   フ  っ
ン_____  ̄ ̄)/
∠‖‖ニ‖三ヾィろ__
‖‖‖/‖二二||、三/
‖‖‡_‡__||」‖‖
‖‡iヽ (ノ⌒<|||‖‖
‡ ハo/ ヾoフ ||ハ‖‖
  iヽ  ̄ ||ノ‡‡
  ∧ハ ̄ヾ、U||ヽ
  |∧  ̄~リ/|| ∧
  ||∧川///||/ \
`/||| ツ // ||  /
/ ||| | // ||ヽ/
ヽ/||| |// /|| L/
183人間七七四年:2009/10/05(月) 14:49:14 ID:Cmn1c8GH
久秀「落ち着け。幽霊など居ない」
184人間七七四年:2009/10/05(月) 15:12:38 ID:rMr+bwtk
>>183
久秀の妻「あらあなた。お茶にします、お風呂にします、それとも…」
185人間七七四年:2009/10/05(月) 15:17:22 ID:f0wSY9t0
>>173
戦国時代ではないんだが
米沢藩は知っての通り関ヶ原後も景勝が
家臣をそのまま召し抱え続けたので
他藩に比べて武士比率が異常に多かった。
領民の半数くらい武士という有様で
当たり前だが藩から出る扶持だけで下級藩士が食えるわけがない。
というわけで下級藩士は農作業をしつつ
更にアルバイトをして生計を立てていた。
雇うのは町人・雇われるのが武士という逆転状況で、
しかしバイトで雇っているとはいっても相手は一応武士。
しかも他藩のように落ちぶれた武士が傘張り職人とか言うレベルではなく
バイト武士の数がめっちゃ多い。
よって米沢藩では大工のアルバイトを「大工様」とか
鍛冶屋のバイトを「鍛冶屋様」とかバイトに様付けで呼んでいた

という話を聞いたことがある。
186人間七七四年:2009/10/05(月) 16:16:21 ID:Ci8iwNPf
アンチ最上=小野寺義道

横手城の城主を暗殺されたって宣伝するぐらいだしな
187人間七七四年:2009/10/05(月) 16:47:36 ID:MbXPHpph
アンチ義光=くま

つまり、こういう関係(↓)だ

   好き     好き
義―――→鮭←―――く
光←―――――――→ま
     ライバル
188人間七七四年:2009/10/05(月) 17:38:01 ID:2w/7CFSa
何年か前に話題になった熊(着ぐるみ)と戦ってる海外のCM思い出した。
189人間七七四年:2009/10/05(月) 17:38:17 ID:vT9xCZsc
>>172
> 「御免こうむる」
普通に良い人じゃないかw
190人間七七四年:2009/10/05(月) 18:07:57 ID:nPpENOLa
>>187
>>188

君達のおかげで熊と戦う男が
最上に見えてきたじゃないかどーしてくれる

http://www.youtube.com/watch?v=TPoQ-29TFDs
191人間七七四年:2009/10/05(月) 19:48:46 ID:j7WIkmOH
>>148
流れにちょっと乗り遅れたが、
まとめサイトにあった池田の怪力姫はこの人の妹なんだよな?
森家が結構な戦闘一族と思ってたが池田家も同様だったのか。信長様・・・(((( ;゚Д゚)))
192人間七七四年:2009/10/05(月) 20:14:54 ID:KVnXnEkN
クマがつく名前って
大熊とか熊谷とか角隈とかかな
ま、まさか隈部さん?
193人間七七四年:2009/10/05(月) 20:24:29 ID:1sNVzyoG
クマといえばこの人だろw

         \   ∩─ー、    ====
           \/ ● 、_ `ヽ   ======
           / \( ●  ● |つ
           |   X_入__ノ   ミ   そんな釣り野伏せで俺様が釣られクマ――
            、 (_/   ノ /⌒l
            /\___ノ゙_/  /  =====
            〈         __ノ  ====
            \ \_    \
             \___)     \   ======   (´⌒
                \   ___ \__  (´⌒;;(´⌒;;
                  \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ
194人間七七四年:2009/10/05(月) 20:43:52 ID:LATUOwTJ
肥前のクマ
195人間七七四年:2009/10/05(月) 21:37:53 ID:Y2lhprt4
最上のアンチも基地も出て毛よ
196人間七七四年:2009/10/05(月) 21:57:01 ID:LATUOwTJ
家康の従兄弟水野
秀吉の従兄弟福島
197人間七七四年:2009/10/05(月) 21:57:52 ID:oaC1PygB
>>173
そういう逸話があるのではなく個人的見解から書いてると見ていうが
兼続時代は検見法が主流で毎年収穫量によって年貢の比率は変わるのが一般的なんだから
江戸時代の平均や黄門様と比較しても意味ないんじゃないか?
農民の逃散を防ぐ法律も上杉が重税だからとか関係なく
この時期にあちこちで相次いで発布されてるし。
198人間七七四年:2009/10/05(月) 22:39:50 ID:1sNVzyoG
逃げる農民、だったか本、なんかタイトル忘れたけど面白かったな
農民の逃散は酷い社会問題だったという
どこも四苦八苦してて大変そうだった
199人間七七四年:2009/10/05(月) 22:46:21 ID:2C3v7p99
徳川家康に仕えたウィリアム=アダムズは破格の待遇を受けながらも
祖国への思いを胸にしていた。妻や娘に自分が日本で生きていること
だけでも伝えたい。しかし、手紙をイギリスに送るにはオランダ人の商船
を頼らざるをえなかった。

だがオランダ商人たちはアダムズの手紙を揉み消した。イギリスに日本の
情報が渡ることを快く思わなかったのだ。しかも彼らはイギリスがジャワ島に
商館を設置したことまで隠したのである。こうしてアダムズは10年近くも
オランダ商人に騙された。のちにアダムズはオランダ商人に対する恨みを
友人に吐露している。
200人間七七四年:2009/10/06(火) 02:05:38 ID:JpVF38SF
>>198
逃げる百姓、追う大名 な

百姓逃散禁止令は秀吉も出していたはずだし、
一般に浸透している思う百姓像とは随分違うよなあ。
201人間七七四年:2009/10/06(火) 08:57:46 ID:YpTlusKl
左翼系執筆者はすぐ歪曲するが、その執筆者は大丈夫な人なのか?
202人間七七四年:2009/10/06(火) 09:08:49 ID:tp3x1Dfa
大抵の図書館に置いてる本だから一度読んでみれば?
自分は特に思想的に変更してるとは思わなかった
江戸時代初期のことがちょっと書いてるだけで、
殆ど中期以降の話だからスレ違いだけど
203人間七七四年:2009/10/06(火) 12:19:20 ID:p551WA/i
>>125
遅レスだけど
吉良も、息子が上杉に行ったおかげで
上杉からお金を援助して貰って、エンジョイしたら
あの有様だったね
204人間七七四年:2009/10/06(火) 13:25:58 ID:44PNh/LV
東軍、前田利長の軍勢が、西軍、山口宗永の籠る加賀、大聖寺城を攻めた
北陸の関ヶ原、大聖寺城の戦い。
優勢な前田軍の猛攻に、この大聖寺城ももはや落城、と言う状況になった。
その頃の事である。

山口宗永は籠城の際、人質としてであろう、多くの領民も城の中に取り込んだ。
その中に加賀山中は湯元の、年寄り衆十人の内の一人、角谷六郎右衛門と言う人がいた。
彼は自家の下人二人と共に、落城寸前の大聖寺城に有った。

この時、下人の権助と言う者が主人である六郎右衛門に問うた

「この城はもう駄目です。六郎右衛門様は討死なさる覚悟なのですか?」

「いいや、何の恩義も無いここの殿様のために、ご家中の面々と一緒に討死など、
無益この上ない事だ。

が、しかし、敵は既に城内に入り込み、ここから脱出するのはもはや無理のようだ。
この上は良き敵に出会って討死するより他は無いだろう。」

これを聞いて、権助
「あれをご覧ください、城内で首を取った前田方の兵士は、実検にかけるため次々と
城外に出ています。

…しからば、私の首を斬り落としてください!
そしてその首を持って高名を成した寄せ手の兵に紛れ、この城から脱出するのです!」

「何を言うか!どんな謀かと思えば、罪も無い下人の首を斬って討死を免れるなど、
そんな道があるものか!
くだらない事を言うより、とにかくおまえ自身が身を全うできる事を考えろ!」

「ならば!」

その瞬間、権助は小刀を抜き自分の喉を掻き切って、たちまち死んだ。
これに六郎右衛門はさすがに呆然としたが、こうなっては仕方がないと、
権助が言い残したとおりに、その首を斬り、もう一人の下人にその首を持たせ、
高名の兵の体を装って金が丸より外に出た。
この時、見咎める者は一人もいなかったそうだ。

無事、山中へと帰った六郎右衛門は、この権助の首を篤く弔った、と言う事である。

歴史の表には出てこない、とある忠烈のお話。
205人間七七四年:2009/10/06(火) 13:35:24 ID:V1cXdGM6
いい話じゃないか…なぜここに?
206人間七七四年:2009/10/06(火) 13:48:59 ID:44PNh/LV
>>205
義務でも好きで籠城した訳でもない話なので、こっちかなあとw
207人間七七四年:2009/10/06(火) 14:40:52 ID:RYL8Zq1r
読むと首持たずに出て行ってもバレなさそうな気がするが
208人間七七四年:2009/10/06(火) 15:03:12 ID:N20xoCgD
すごい話だ。
209人間七七四年:2009/10/06(火) 15:43:12 ID:19yVSF1B
庶民とかの首を取って手柄を偽装したみたいな話が有る位だし、
篭城する中に居ては人質代わりとはいえ、
命は保証されて無いようなものだろうからねぇ
210人間七七四年:2009/10/06(火) 16:34:51 ID:k8BHMK61
戦国のかなり凄い話か、極端だけど痛快だなあ
211人間七七四年:2009/10/06(火) 19:07:14 ID:X2oxNAnm
死人に口なしとか考えてしまった。
いや本当に忠烈な良い話なんだろうけど。
212人間七七四年:2009/10/06(火) 20:52:54 ID:UJLiSbD+
>>206
領民で顔役なら篭城は義務でしょ







213人間七七四年:2009/10/06(火) 21:54:38 ID:f4wnjmlk
>>199

Giles Miltonの有名な「さむらいアダムズ」を以前読んだが、今手元にない。
イギリスとオランダとは、アダムズ来航当時は良好であった。
現にアダムズは、当初、旗本であると同時に平戸オランダ商館の
エージェントとしてオランダからも報酬を得ていた。

友人のオランダ人を介して、当てずっぽうに極東での孤独な境遇を、何処かにいるはずの
イギリス人に手紙を書いて託したらその手紙が、インドネシアかどこかの
イギリス総督の手に入った。
同朋アダムズの存在に驚いたイギリスは、若い士官セーリスに率いさせ軍艦を平戸に派遣し、
イギリス商館の開設にいたった。

その後、英蘭、スパイス戦争となり、両国険悪となるも、アダムズの遺書遺産は
何とかイギリス本国に達し、未亡人と遺児の手に遺産、金銭が渡っている。
その時、強欲な東インド会社はなかなか未亡人に支払いをせず、裁判沙汰になたとか。


214人間七七四年:2009/10/06(火) 23:19:23 ID:f4wnjmlk
九鬼嘉隆の関ヶ原

九鬼嘉隆は、海賊の親玉、歴戦の水軍の司令官として有名であるが、
実際の彼は、線の細く物静かなやさおとこであったという。
関ヶ原の折は、隠居の身を押して敢えて西軍に属した。
これには諸説いろいろあるが、若年時からのライバル、遺恨のあった
小浜民部が家康の家臣となり水軍の長となったことも大きかったとか。

九鬼嘉隆起が久方ぶりに率いる数十隻の安宅船、軍船は、伊勢から遠く
尾張までの海を狼のごとく徘徊、沿岸の村々に散々に火をかけ
ゲリラ的に荒らしまわった。
関ヶ原を目指し江戸から西に戻ってきた家康には、背後から突かれる不安で
慄かせた。
この時、怒った家康、小浜民部、或いは加藤嘉明に退治するよう画したが、
とても海上ではこの老将には太刀打ちできないことを小浜民部から知らされた。

ところが九鬼嘉隆の跡継ぎの九鬼守孝は、会津征伐より家康につき従っていた。
これを僥倖とした家康は、守孝に命じ、九鬼嘉隆が奪い取った鳥羽城を
再度奪い返すことに成功した。

さすがの水軍の王、生え抜きの海賊も、本拠地を失い、船をねぐらとして
海上を当てもなく彷徨う死軍となった。
最後には、補給を失い、行き場を失った九鬼嘉隆、
息子の助命があったにもかかわらず腹を切る羽目になってしまった。
215人間七七四年:2009/10/06(火) 23:33:36 ID:Ruq+gpKQ
確かに無念だったろうが、
歴戦の水上の勇者(しかもイケメン)という人物像や
彷徨える海賊というロマンあふれるイメージで、
悪い話のはずなのに妙に格好良く感じてしまうなw
216人間七七四年:2009/10/06(火) 23:44:50 ID:YCQ7ef3c
小牧長久手のときは、徳川水軍が九鬼水軍をボコボコにしてたんだがな。
217人間七七四年:2009/10/06(火) 23:48:04 ID:adg7Fi4W
>実際の彼は、線の細く物静かなやさおとこであったという。

そのうち戦国無双キャラになりそう
218人間七七四年:2009/10/07(水) 00:00:15 ID:DC+t3fnt
>>214
確か、守隆の重臣が勝手に切腹するよう沙汰したんだよな。
で、そのことを知った守隆は激怒してその重臣を鋸引きの斬首という武士への死罪としてはかなり異例の方法をとったって話をどこかで読んだ。
219人間七七四年:2009/10/07(水) 00:30:01 ID:DouelOyp
>>216
蟹江ときは九鬼はん陸に上がって干上がってたし
220人間七七四年:2009/10/07(水) 00:43:15 ID:6y4S17wS
>>219
あれはそれ以前に、制海権を全く握れず、蟹江に上陸せざるを得なくなったって事だよ。
221人間七七四年:2009/10/07(水) 00:52:08 ID:XgC9RHgW
九鬼が強いエピソードはないの?
なんかかわいそうになってきたよ・・・
222人間七七四年:2009/10/07(水) 00:58:37 ID:6y4S17wS
強いのはいっぱいあるよ。それこそ例の鉄甲船(その存在自体は疑問符がつくが)の
木津川沖海戦とか、朝鮮での数々の海戦とか。
対長嶋一向一揆戦での大船団は有名ですな。
223人間七七四年:2009/10/07(水) 01:53:00 ID:4ZaAackO BE:3554167199-2BP(2)
大坂城築城の際、石垣に使う石を船で大坂に運ぶ役に従事してたけど
その内のいくつかをパクって鳥羽城の石垣に勝手に使っちゃったあたりはさすがは海賊って感じがする。
224人間七七四年:2009/10/07(水) 02:30:25 ID:IDcXdt1G
海賊って言うとなんかかっこいいイメージがあるのに
山賊だとダサくてむさ苦しいイメージなのはなんでだろ?
いや、別に蜂須賀小六さんが可哀想と言う訳じゃないんだが、
なんか不思議だったもんで。
225人間七七四年:2009/10/07(水) 07:32:25 ID:GANXui2n
>>213
そのアダムスだけど、ジャップ系の男系子孫はいないのかな?
日本でも子供作ったとか言う話はあったと思うのだが
226人間七七四年:2009/10/07(水) 09:43:28 ID:8Xcbk46o
>>225
男がいたはず
227人間七七四年:2009/10/07(水) 09:53:10 ID:hjC9vi2O
<<223
鳥羽城って大手門が海に面してていかにも海賊の城って感じだったそうな
今は水族館の隣に丘があるだけだそうですが。
228人間七七四年:2009/10/07(水) 12:11:03 ID:0GbSXta2
>>204
戦時に領民が近場の城に逃げ込むのは戦国の習いですよ。人質とかじゃない。
敵地での略奪品で一番確実に価値が出る(計算できる)のは人間だからね。
229人間七七四年:2009/10/07(水) 12:19:37 ID:QnCe1bRU
>>228
信玄、志賀城下で人身売買市を起業ってのがあったな...
230人間七七四年:2009/10/07(水) 12:55:07 ID:6y4S17wS
>>228
村年寄りとかの在位有力者が、しかも逃げ城ではなく主城に取り込まれるというのは、
逃げ込むと言うよりもやはり人質でしょうな。
231人間七七四年:2009/10/07(水) 14:25:24 ID:zA14zABb
>>230
何故逃げ城ではないと言えるのか?
村年寄というのなら、軍役の一環で城に入ったと考える方がよほどありうる。
山口氏は領主として城に入ったのだから、その領地の領民が軍役他さまざまな
負担を負うのは当然の話で。むりやり人質として連れてこられて城に監禁されていた
と見做すほうがよほど不自然。
232人間七七四年:2009/10/07(水) 15:39:47 ID:DouelOyp
状況によるだろ。続きは担当スレでどうぞ。
233人間七七四年:2009/10/07(水) 16:09:21 ID:uho++pXQ
海賊も大変だぞ。軍船は帆走だけでなし、むしろ櫂が推力のメインだから、かなりの水夫が乗り込んでエイホエイホと漕がなきゃ進まんもん。

>224
小六正勝さんは講談の類じゃ野伏の頭領なんていわれてるが普通の地侍、国人じゃね?ヒゲイメージは漏れにもあるけどw
…ラスボス秀吉の墨俣話で名前が出てくるということは、それ以前から木曽川の水運、渡り衆に関わってたんかなー
234人間七七四年:2009/10/07(水) 17:38:00 ID:0GbSXta2
>>233
国人と山賊・夜盗と渡り衆は全部イコールで結べるような
あとヒゲも
235人間七七四年:2009/10/07(水) 17:42:28 ID:D6UjE//s
ヨーロッパの海賊のイメージの流入があるんだろ
大体山賊は国内で完結する存在だが海賊は海外進出出来るしな
海外で活躍する奴カッケーってのがある
236人間七七四年:2009/10/07(水) 18:03:05 ID:anGYReYS
西洋の海賊のイメージだろうなぁ…
実際は山賊も海賊も見た目&中身に大した違いなんてないんだけどね
237人間七七四年:2009/10/07(水) 18:17:51 ID:0DBxWpSz
むしろ西洋の”お話の中の”海賊のイメージだろうしなあ。
下手すりゃ某漫画の可能性もあるしw
238人間七七四年:2009/10/07(水) 18:51:30 ID:a+64RplS
瀬戸内海はグランドライン
239人間七七四年:2009/10/07(水) 19:44:51 ID:Pm5cQeCF
東シナ海は新世界
240人間七七四年:2009/10/07(水) 19:51:12 ID:uEiZ6XCB
日本の山賊って、広範囲に渡って活動した例がないのが、海賊と比べてイメージが悪いのかね。
241人間七七四年:2009/10/07(水) 20:04:40 ID:Cjm6ji8P
風魔の連中はそんな感じじゃないか?
242人間七七四年:2009/10/07(水) 20:10:09 ID:6y4S17wS
風魔(風馬)は元々馬の牧場を経営する一族だったそうな。
243人間七七四年:2009/10/07(水) 20:26:25 ID:bzIM0QGD
>>235
一応、日本の海賊「倭寇」は朝鮮・中国沿岸を荒らしてたから海外進出してたと言えるんだよな。
日本人といえるかは微妙だが、海賊的な活動もしていたといわれる鄭成功なんて台湾に独立政権を作っちまったし。
244人間七七四年:2009/10/07(水) 20:29:43 ID:KHW4dGW8
もともと山賊も海賊も、日本では関を管理する連中だったという話だっけ
海外と関わったのは倭寇みたいな、国際的な密貿易集団だよな
245人間七七四年:2009/10/07(水) 20:30:16 ID:lZR/vG65
では海賊で思い出した悲恋話。



津軽為信の家臣に、海賊方(海軍)の小野茶右衛門と言う男がいた。
この茶右衛門、海賊行為を働いていたとも言われているが、
その豪腕さを買われて慶長9年ごろ、
深浦以南が津軽領となった時、秋田方面に対する押さえとして森山に配された。
森山館を居城としたが、後に茶右衛門館と呼ばれるようになる。

慶長18年、津軽藩主2代信枚の頃になって、
専横なる振る舞いがあったとされ、
大間越奉行であり「鬼勘解由」と呼ばれた笹森勘解由に攻められた。
館の防備は固かったが、笹森は持久戦に持ち込んで水の手を断ち、
そのため館は落城、茶右衛門は討たれる。
(一説には跡目争いに巻き込まれて謀殺されたとも)

さて、この茶右衛門に、千鶴姫という娘がいた。
千鶴姫は五島久三という男と恋仲だったが、
落城の際に最早これまでと、二人揃って自刃し、心中してしまった。
この二人が自刃した岩は姫岩と呼ばれ、
悲恋物語として村人によって語り伝えられることになる。
この姫岩の近くにトンネルが作られた際、
沢山のかんざしが発見されたという。
246人間七七四年:2009/10/07(水) 20:44:17 ID:MFlTlLis
>>242
甲賀五十三家の筆頭望月氏も信濃で牧場を経営していた一族から分かれたとか。

武田が歩き巫女を情報収集に使ったのは有名だけど
その育成を担ったのは甲賀望月から信濃望月に嫁いできた女性
247人間七七四年:2009/10/07(水) 21:27:55 ID:BfPDr7Ki
戦国時代って他地方との関わりって少ないって思ってたけど
以前、紹介されてた山県昌景みたいに同族どうしで繋がりがあったんだな
248人間七七四年:2009/10/07(水) 23:02:54 ID:EUmmiffP
それは豊前からはるばる下野の本家人事にまで干渉していた城井宇都宮家への挑戦かい( ・`ω・´)?
249人間七七四年:2009/10/07(水) 23:03:06 ID:8Xcbk46o
>>247
身分によって極端に違いそうだ
村から出たことない農民もいれば国際派坊主もいる
250人間七七四年:2009/10/07(水) 23:21:02 ID:KHW4dGW8
>>245
かんざしは地元の信仰で捧げられてたのかなあ
枕を預けたり、服を預けたりする神社があるよな
251人間七七四年:2009/10/08(木) 00:37:10 ID:1w7L6Pp3
「これは、おちおち死ねんわ。」

大阪夏の陣で、毛利勝永にフルボッコにされながらも生還した真田信吉・信政兄弟に
小松の母さんの言うことにゃ、「あら、どっちか片方死んでも良かったのに。」
信之父さん、大ウケ。
信吉、歯ぎしり。

(うぐぐ・・・何とか話題を変えなければ・・・あっ、)
「そ、そうだ!今度の戦では、鎌倉伊右衛門が半死半生の手負いとなり、配下の者も
三人討ち死にするほど働きました!かの者に加増してやって下さい!」

信之の笑いが、止まった。
「お前なぁ・・・そんなに目が利かんようでは『真田』の家は継げぬぞ?
伊右衛門は、それほど立派な働きの出来る男ではないわ。もし武勇を振るったとしても
今回は敵に突き崩され、自分は切り倒され、配下は死なせておる。
それのなにが立派で、どこが武功なのだ?

『負けても逃げぬ』程度は武士の習い、その程度の者に加増してやっていたら、これから
功名を挙げた者に何を褒美にやれば良い?
その都度に加増したら、上田・沼田を残らずくれてやっても足らんぞ。」
252人間七七四年:2009/10/08(木) 00:44:23 ID:j52pZbWG
>>251
こう言うの読むと、お兄ちゃんもやっぱり昌幸の息子だなと、つくづく感じちゃうなw
253人間七七四年:2009/10/08(木) 00:45:34 ID:oXrlQioI
逃げてくるのはまだ笑い飛ばせるが器量がないのは笑えんって事か
254人間七七四年:2009/10/08(木) 02:03:10 ID:lcR9hSz9
>>251
これはいい話だろ、信之の。
255人間七七四年:2009/10/08(木) 02:14:31 ID:aCbprb0v
>>247
そもそも戦国大名達のご先祖の多くからして
東国出身の源氏武者が西国に領地を貰って移動した
なんてパターンだしなあ
神奈川県に大友って地名があるが、そこが豊後大友氏の出身地だったりするし
信濃から静岡の辺りにも島津氏がいたりする
256人間七七四年:2009/10/08(木) 02:19:02 ID:j52pZbWG
そういえば元就の毛利さんも鬼武蔵の森さんも、名字の元は同じ神奈川県の毛利(森)庄からだな。
257人間七七四年:2009/10/08(木) 12:03:21 ID:tfzMqEzc
関ヶ原の決戦前、例の、後陽成天皇まで動かした古今伝授の件などで有名な、
田辺城の戦い。

さて、この田辺城は東西決戦の9日前に開城した訳だが、この報を聞いた息子細川忠興、
徳川家康の前にやってきた。すごい形相で。
彼は田辺城開城のことを語ると、

「内府公、あなたもご存知の通り、私の父幽斎と言う人は、文武の嗜みの深い人間として、
天下に高名を誇っております。

…それほどの父が、私の妻の覚悟に及ぶべくも無く、田辺の城を敵に渡し、あまつさえ
すごすごと京に上がりました。

はっきり言います、これは父が耄碌したせいです!あの親父肝心なところで
耄碌して…!」

忠興のあまりの剣幕に家康
「ま、まあまあ越中守、、お主が怒るのもしょうがないとは思うが…」
と、逆になだめたんだとか。


今でこそ評価の高い田辺城の籠城戦ですが、どうも当時は戦い抜かず開城した事で
評判が悪く、世間でも「幽斎殿は所詮歌詠み」などと言われ、低い評価が殆どだったようです。

そんな、忠興さん父上に激怒、のお話。
258人間七七四年:2009/10/08(木) 12:18:36 ID:JeZsmM86
>>242
今じゃ何の因果かマッポの手先……
259人間七七四年:2009/10/08(木) 12:22:14 ID:e3kmnNPA
>>198
農民の逃散、日本でもあったんだなぁ。
中国史も好きなんだが、中国の王朝の話ではかなりよく聞いてたけど、
日本で起こってたという印象は少なかった。
260人間七七四年:2009/10/08(木) 12:37:00 ID:Z7trcw+k
そういや将軍義輝暗殺のときも、逃げ出したって批判があったな
261人間七七四年:2009/10/08(木) 12:39:30 ID:Z7trcw+k
>>259
いくらでもある話ですよ。江戸時代後半にしばしば出た人払い令なんかは、
都市部に逃げ出してきた農民を農村に返そうってものだし。
262人間七七四年:2009/10/08(木) 13:49:27 ID:Ru0dvP/x
>>257

DQN三歳公の、DQN指数、マキシマムの頃だから、誰も話の相手するの
嫌だったろうね。
263人間七七四年:2009/10/08(木) 14:45:19 ID:As6sW2A5
親父。武士なら武士らしいく腹切れや、いつも自分で言ってるだろ!ですからねぇ
264人間七七四年:2009/10/08(木) 15:48:19 ID:lcR9hSz9
三斎さんカワイイぜw
少なくとも大の大人が取る行動じゃねぇww
265人間七七四年:2009/10/08(木) 16:46:21 ID:aCbprb0v
信之お兄ちゃんなんか三歳さん位フリーダムに言いたいこと家族に言えたら
多分もう二十年は生きたよなw
266人間七七四年:2009/10/08(木) 17:04:48 ID:VkhHUEu+
あと二十年も胃痛に悩ませると仰せか
267人間七七四年:2009/10/08(木) 17:05:43 ID:Rrs8PvY3
嫁が!嫁が死んでんねんでーーーーーーーーーっ!
268人間七七四年:2009/10/08(木) 18:10:54 ID:Ru0dvP/x
嫁を離縁しない長男勘当して、
その嫁の実家と大喧嘩して、
次男には腹切らせ、
三男は、自分やたまには似てない醜男と愚痴こぼし、
隠居したら家臣が寄り付かなくなったと嫌味を言い、
淋しくなったら隠棲している長男と和解して、
他の大名の噂話、ゴシップが死ぬほど大好きで、

茶道の道も極めた名君ですから、卑怯な父親、幽斎公をたしなめるのも当然ですね。
269人間七七四年:2009/10/08(木) 18:17:24 ID:9UQQGlNW
>>268
それ見てたら、改めて忠興の魅力発見w
話題に事欠かないのも、名君のなせるわざ…ですよね?w
270人間七七四年:2009/10/08(木) 19:47:50 ID:As6sW2A5
まぁ嫁と肉親が絡んでなければ、そこそこの常識人なんですがねぇ
271人間七七四年:2009/10/08(木) 21:47:43 ID:iZFRp7pz
>>270
数寄や政宗がからんでも変なブーストがかかります。
272人間七七四年:2009/10/08(木) 22:14:34 ID:C9lY8piw
>>256
じゃあ森氏と毛利氏は元は同じなんだ。

時々広島出身と間違われてしまう毛利勝永は、元の姓は森で、尾張出身だった。
父親の森勝信は秀吉古参の家臣だったが、豊前に入って後毛利に改姓したのだ。
北九州では毛利家の威光が強く、領民を懐けるのに便利であるため改姓したとも
言われる。
これにはきちんと毛利輝元の許可をとっており、その取り成しをしたのが吉川広家
だったらしい。
してもらうばかりでは悪いと思ったのか、勝信はお返しをしたいと言い出した。
広家の家臣に香川兵部大輔という者がいたのだが、よければこの名乗りを自分が
契約して改名しようと言うのだ。
その理由はというと、秀吉のお気に入りで非常に親しくしている細川藤孝。
彼が同じ兵部大輔なので、それをはばかった方がいいだろうとのことだった。
広家は、実は前から考えてはいたが私の家臣程度の者がはばかるというのも却って
人がましいようなのでそのままにしていました、せっかくおっしゃって下さることなので
お任せしましょうと答えた。
そこで勝信は喜んで、香川を呼び出し盃をかわして名を又左衛門と改めた。
そして祝儀として秀吉に賜った駿馬を香川に贈ったということである。

…邪推かもしれんが有難迷惑のにおいを感じたのでこっちに書いてみた。
まあ実際は秀吉周辺に詳しい人間からの忠告で素直に有り難かったかもしれんけどね。
273人間七七四年:2009/10/08(木) 22:26:16 ID:tfzMqEzc
>>272
> じゃあ森氏と毛利氏は元は同じなんだ。

いや違う。鬼武蔵の森氏は、平安時代源義家の六男陸奥六郎義隆が、相模国愛甲郡森(毛利)庄を
領して「森の冠者」と称したところから。
なので清和源氏。

んで、輝さんとかの毛利は、鎌倉幕府草創期に、頼朝の側近として活躍した、元朝廷官僚の
大江広元が、その功績からやはり相模国愛甲郡森(毛利)庄を与えられ、広元の子孫が
「毛利」を名乗った。
なので毛利さんは藤原氏。
274人間七七四年:2009/10/08(木) 22:36:38 ID:sUvfbanE
>>273
大江は藤原姓じゃないと思うが。
大江は源、平、藤、橘と同等の姓。
だから、毛利元就は、除目では、大江元就で、官位をもらってるんじゃないか。
275人間七七四年:2009/10/08(木) 22:39:53 ID:C9lY8piw
>>273-274
そうなんだThx
そういやこないだスレで森武蔵も先祖は清和源氏、清和源氏の遺伝子コエー
みたいな話したばっかだったねw
276人間七七四年:2009/10/08(木) 22:45:03 ID:Vql6hr1J
姓と氏と苗字の区別って難しいよね

徳川家康だと姓は源なのはわかるけど
松平と徳川はどうなるの?
277人間七七四年:2009/10/08(木) 22:51:55 ID:lcR9hSz9
>>276
どっちも苗字

蠣崎と松前あるいは、木下と羽柴みたいなもん
278人間七七四年:2009/10/08(木) 23:08:36 ID:Vql6hr1J
>>277
レスサンクス
279人間七七四年:2009/10/08(木) 23:50:42 ID:j52pZbWG
ついに公職選挙にもゲームキャラが登場! 宮城県知事選挙のイメージキャラクターに『戦国BASARA』の伊達政宗

カプコンは、10月25日に宮城県で行われる「宮城県知事選挙」の選挙啓発イメージキャラクターとして、
同社の人気ゲーム『戦国BASARA』に登場する「伊達政宗」が起用されたことを発表しました。

画像 http://www.inside-games.jp/imgs/zoom/111352.jpg
画像 http://www.inside-games.jp/imgs/zoom/111353.jpg
動画 http://to-hyo.com/about-cm.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091008-00000004-isd-game

いいのか悪いのかともかく、なんか爆笑してしまったw
政宗公もまさか自分がこんな風に使われるようになるとは思わなかっただろうなw
280人間七七四年:2009/10/08(木) 23:51:34 ID:j52pZbWG
ごめん誤爆orz
281人間七七四年:2009/10/08(木) 23:51:50 ID:rJjQou06
世も末だ
282人間七七四年:2009/10/08(木) 23:56:43 ID:WxcbL9XT
>>279
声も本人使ってんのなw(ゲーム、アニメの担当声優)
どうせなら、Are you ready?とかHere we go!とかまで言わせりゃいいのに。
283人間七七四年:2009/10/09(金) 00:33:51 ID:bfbzROVJ
>>272
>北九州では毛利家の威光が強く

ってことは母里友信が毛利を名乗り続けたのもそのあたりが関係してるのかな。
もともとは単なる家康の勘違いだったらしいが
284人間七七四年:2009/10/09(金) 00:50:49 ID:o+LrwyTG
>282
あれか、パーリーがどうとか言って家臣団のみなさんがyeah!って言ってるやつか
最初見たとき麦茶で鼻洗浄したwwww
285人間七七四年:2009/10/09(金) 00:57:39 ID:Z1ACPJUV
>>280
いや誤爆かどうかはすごく微妙だ。
286人間七七四年:2009/10/09(金) 01:14:41 ID:D/XGtoyp
まあ六刀流とかやってない普通のバストアップの腕組みなら伊達政宗で通るだろう
287人間七七四年:2009/10/09(金) 01:23:40 ID:Ya0ZURUO
>>279
もはやナベケンの面影を残す造形にはならないんだなw
288人間七七四年:2009/10/09(金) 01:32:51 ID:bKnVUqBv
>>279
元のゲームは知らないが、その髪の毛ただのロンゲだなw

月代を剃るスタイルは兜で蒸れるのを防ぐ目的で始まったらしいが、
果たしてそのDQNの兜の中身は

・外見はイマドキだが、実は頭頂部だけツルツルの落武者ヘアー
・髪はフサフサだがその代償として剣道着のように蒸れている

どっちだろう?
289人間七七四年:2009/10/09(金) 01:58:47 ID:Y3LspfZV
>>285
伊達政宗のちょっと?(ばつが)悪い話かなw
290人間七七四年:2009/10/09(金) 02:04:05 ID:kyMZGw91
>>288
たぶん後者だと思うw
まあ兜を被る時は髷を解くものだから
ひょっとしたら兜の脇から髪の毛が出て>>279な状態の人もいたかも。

戦国時代で月代をやっていない武士はどれくらいいたんだろう。
大鎧や腹巻が現役だったような地域では髪型も同じように古風だったんだろうか。
291人間七七四年:2009/10/09(金) 02:11:07 ID:tIhlOycZ
北条の侍だかが上方の侍に
「プッ……今時総髪とかマジ無いわー
月代剃るのが今時のお洒落な侍のトレンドやろー
これやから坂東の田舎侍は嫌になるわー」
ってバカにされたという話を聞いたことがある
292人間七七四年:2009/10/09(金) 02:20:53 ID:tIhlOycZ
一応補足すると北条含め、小田原攻め以前の関東も戦時はきちんと月代を剃っていたんだが
日常では剃らずに総髪にしている者が多かったんだそうな
293人間七七四年:2009/10/09(金) 02:36:39 ID:ycChqS8l
>288
伊達家って維新後の侍をイメージしてんじゃないのかな
ギャオで最後のほうの一話を見たけど、小十郎が髷落とした冴えない土方みたいな感じだった

あれはファンタジーとして見る作品だよねえ
見るんだったら
294人間七七四年:2009/10/09(金) 03:02:11 ID:UxOwRURv
>>279
腐女子が何しようが構わんがさすがに兜が突盃形なのは許せん
最低限、鎧には敬意を払うべき
295人間七七四年:2009/10/09(金) 05:13:54 ID:ycChqS8l
飯のタネとしてしかみてないのに敬意を払うわけがない
下手したら公にたいしてもそうかもしれん
296人間七七四年:2009/10/09(金) 05:35:57 ID:s/lb4lYV
>>292
そういう価値観の下でそらなかったのならバカにされても仕方ないって感じだね
297人間七七四年:2009/10/09(金) 05:41:39 ID:aD6JJOzq
自分の髪が生えてくんねんで?
298人間七七四年:2009/10/09(金) 07:45:00 ID:q6rJI6FU
髪の毛で悩んでた武将っていたのかなぁ?
299人間七七四年:2009/10/09(金) 08:27:34 ID:ZiFLcS/1
>>296
逆に関東侍からしたら「なんで日常でも戦時スタイルですごしてるわけ?ないわー」って感想だったりして
300人間七七四年:2009/10/09(金) 08:45:48 ID:aFEnK1l+
           / ̄\
          |     |
           \_/
            |
        / ̄  ̄  ̄\
       / ─    ─ \
     /   (●)  (●)  \   
     |      (__人__)     |
     \__ ` ⌒´ __/
     /  | |_    _| | \
     |  | |  \ /  | i |
      | ├┤ __|_/  ├┤|
      |  |   ̄ ∧ ̄ ̄  | |
      |  |.          | |
    戦 時 ス タ イ ル
301人間七七四年:2009/10/09(金) 10:11:58 ID:U2nEb05G
>>298“鬼十河”一存が額を広く剃ったり毛を抜いてたね
302人間七七四年:2009/10/09(金) 11:11:22 ID:eatqjU1f
>>275
そりゃ、○○家にはDQNの遺伝子が豊富ですから

おや、こんな時間に宅配業者が…ry
303人間七七四年:2009/10/09(金) 12:22:24 ID:v4CnALGL
>>298
ヅラ武将は結構いたんじゃなかったっけ?
304人間七七四年:2009/10/09(金) 12:59:06 ID:MSwXSGVI
>>298
明智光秀
「呼びましたか?」
305人間七七四年:2009/10/09(金) 13:14:54 ID:U2nEb05G
>>304あなたのデコを、なでなで、したい
306人間七七四年:2009/10/09(金) 13:40:35 ID:eatqjU1f
>>304
腐れ禿げ鼠「みったんは髪の毛あるだけまだいいですよ。私なんぞ、総見院さまからはハゲと…」
307人間七七四年:2009/10/09(金) 13:51:01 ID:tIhlOycZ
>>296
というかその時点で
関東における月代→戦支度の一つ、出陣前に剃るのが一つの儀式
上方における月代→カッコイイ男のアイテム、ガイヤが剃れと囁いている
という価値観の違いが生じていたんだな
江戸期には月代が単なるファッションとして庶民に根付いたきっかけかな
308人間七七四年:2009/10/09(金) 14:12:08 ID:Bl7PkPwa
>>307
ガイアが俺にもっと輝けと囁いている by毛利輝元
シーンの最前線に立ち続ける覚悟はあるか? by織田信長
知ってたか?孔雀は堕天使の象徴なんだぜ by島津家久
来いよ、何処までもクレバーに抱きしめてやる by細川 忠興
愛に生き、愛に死ぬ。それが孤高のファンタジスタ by 今川氏真
ブリリアントな罠がオマエを篭絡するぜ by宇喜多 直家
この迷彩がヤバ過ぎる牙を程よく包んでくれる by 森長可
女たちはみんな一直線に俺の虜 by 豊臣秀吉
エレガントに舞い、クレイジーに酔う by 福島正則
ここからが俺の伊達ワルレジェンドのはじまり by 伊達政宗
永遠の美学の名は I'm Black Rock! by千利休
いつだって何かに逆らい生きてきた by 安田作兵衛
漆黒に選ばれし男の体制への逆襲 by 富田長繁
人は俺を「マッド・ロックの伝道士」と呼ぶ by 古田織部
309人間七七四年:2009/10/09(金) 14:30:19 ID:4Ys+RsVO
戦の前に剃るってのはいいな。
普段は冴えない父ちゃんが戦になると輝いて見える。
嫁と子供の高感度アップ。
310人間七七四年:2009/10/09(金) 14:45:27 ID:fDKimdvu
この出陣前に剃って平時は伸ばすっていうのを聞くたびに
じゃあ途中何ヶ月かは短い毛がそよそよと風に揺れていたのかとか
戦が頻繁に起こるようだとあんまりみっともよくなかっただろうなと
思ってしまう
どうせまた剃るんだからいっそいつもツルツルにして清潔感を
出そうとか思った人がいて月代ファッションが流行ったのかな
311人間七七四年:2009/10/09(金) 15:00:06 ID:WN0eMudG
関ヶ原の頃の事。

北陸においては、金沢の前田利長と小松の丹羽長重が戦っていたが、大呂と言う地で
大規模な衝突が起こった。
これは結局引き分けとなったのだが、この時、浅井縄手と言う場所での戦闘において、
前田方の松平久兵衛の部隊の槍働きが見事だったと言う事で、久兵衛には利長から
直々に感状が与えられた。

さて、これを聞いて黙っていられないのが、この久兵衛と浅井縄手で戦った、丹羽方の将、
安孫子清右衛門と成田助九郎である

「浅井縄手では松平久兵衛の部隊と我々とは、互角に戦った。なのに向こうでは感状が与えられて
我々には感状が無いとはどういうことだ!
ここは長重様にも感状を出してもらおう!」

こんな事を言い出した。ところがこれを聞いた丹羽長重は、安孫子、成田の両名に

「浅井縄手は道も狭く非常に足場の悪い場所である。
よって、我等にとってもそうだが、当然前田方にとっても、非常に働き辛い地形であった。

確かにあそこの戦闘は、勝敗のはっきりしないまま終わった。
が、一足でも敵を追い立てるのが、槍働きの誉れというものだろう?
なのにあのときの戦闘では、橋の向こう側で先ず衝突したのに、終わったときには
橋のこちら側だったそうじゃないか。

たかが橋一つの距離だ、退いたのはほんのわずかだと言える。
が、これは果たして互角の勝負か?条件は同じだったのだぞ。

それにお前達!敵が引いていくとそれを追いかけて、勝手に持ち場を離れただろ!
その咎もあるぞ?

安孫子、成田、お前達両名の働きは確かに人を超えていた。だが、これでは
感状を出す事は出来んよ。」

これには安孫子と成田、ひとことも言い返せず、要求はどこへやらす、ごすごと引き下がったとの
事である。
他所の褒章の話を聞いてついつい欲を出し、とんだ薮蛇を出してしまった、と言うお話。


ちなみに関係ないが、この時感状を頂いた松平久兵衛さん、
現日本バレーボール協会名誉会長である、松平康隆氏のご先祖様である。
ご先祖豆知識。
312人間七七四年:2009/10/09(金) 15:25:34 ID:UxOwRURv
当時の剃刀ってどこまで綺麗に剃れるんだろうな
ハサミがあったのかは分からんが思った以上にボサボサな髪だったのかもしれん
313人間七七四年:2009/10/09(金) 15:31:47 ID:HVm1FQbf
村正の銘入り剃刀。今ならなんともう一本付いてくる。
314人間七七四年:2009/10/09(金) 15:37:30 ID:WN0eMudG
>>312

> 室町時代になって、月代(さかやき)と呼ばれる頭頂部を剃ることが武士を中心に一般的になっても、
> 頭髪を抜くのは毛抜きに頼っていたし、当然、髭も毛抜きで整えていたようだ。
ttp://www.kitanet.ne.jp/~tigercut/sub1.htm

ですって。痛そうw;
315人間七七四年:2009/10/09(金) 15:55:08 ID:kyMZGw91
武士は体に刃物を当てるのを忌避して毛抜きを使っていた。
が、信長は剃刀を使った。って話がなかったっけ?
316人間七七四年:2009/10/09(金) 16:40:14 ID:v4CnALGL
>>310
きっと、武士たる者は常に戦に向かえる心構え云々とか
言いそうな人たちが天下とったからじゃないかな
317人間七七四年:2009/10/09(金) 17:27:36 ID:SF83FgFT
>>313
なんだっけなー村雨だかなんかの名刀を包丁として研ぎなおしてくれ
と言われて鍛冶屋が泣いてごめんなさい、したという笑い話が
318人間七七四年:2009/10/09(金) 20:57:31 ID:Qd7HiXoS
>>311
各地の関ヶ原の戦いも、見てみると面白いんだね
今度調べてみよう
319人間七七四年:2009/10/09(金) 21:33:12 ID:CdZXnMna
剃ると毛が濃くなって兜の緒を締めづらくなり、
思わぬ不覚を取ることがあるから毛抜き記念日
と聞いたが。
320人間七七四年:2009/10/09(金) 21:45:14 ID:ZyHQapBI
>>318
伊予では毛利の支援を受けた河野旧臣や海賊衆が加藤喜明の松前(まさき)城を襲撃、留守居役の佃、足立両家老らの活躍で撃退された話があるね。
321人間七七四年:2009/10/09(金) 21:46:02 ID:ZyHQapBI
続き
女子供を城から退去させたいと交渉して時間を稼ぎ油断を誘い、相手の隙をみて急襲して敵将を討ったらしい、『竹原崩れ』とか呼ばれている。
うろ覚えなんで詳しい方いたら訂正やフォローよろしく。
この一件も毛利氏の徳川に対する心証を悪くして大規模減封の一因になったそうな。
322人間七七四年:2009/10/09(金) 22:34:11 ID:lRiSON07
>>319
なんだかワキゲやビキニラインの処理みたいだな
323人間七七四年:2009/10/09(金) 22:53:04 ID:CtmQTQaO
>>321
佃十成の三津浜夜襲で討たれたのは、能島村上武吉の家督を継いだ元吉だね。
「竹原崩れ」というのは、毛利氏が防長2カ国へと減封された為、本拠地の竹原を離れたことを指すみたい(3度出戻っていた)
能島村上は小早川隆景には従ったが、秀秋の代になると毛利家臣に戻ってるんだよな。
やっぱり隆景と比べるとアレだったんだろなぁ。
324人間七七四年:2009/10/09(金) 23:18:50 ID:jiJcpE+T
>>320
いくら地味だからって
名前を間違えられてそのあと訂正もなしじゃ不憫すぎる
325人間七七四年:2009/10/09(金) 23:19:42 ID:GrsxE/aD
隆景の家臣は小早川家の家臣というより毛利から出向、寄騎として
働いてた奴らが殆んどだったんじゃないかな

だから豊臣の御曹司が来ても「じゃあ本社に戻ります」的な
326人間七七四年:2009/10/09(金) 23:31:34 ID:kyMZGw91
秀秋に付いてきた家臣もいただろうしな。
327人間七七四年:2009/10/10(土) 01:30:51 ID:z/cT2e2v
>>311
百万石の前田勢と12万石の丹羽勢で戦って橋1本で済んだのに
感状もなしとはけち臭いな
328人間七七四年:2009/10/10(土) 02:22:02 ID:/5ebRG43
感状なんて元手なしに出せるんだから、そこそこ働いたならけちけちせずに出せばいいのに…
それとも1枚でもおかしな感状を発行すると即座に価値が一気に下がるような不安定な相場だったのかね。
329人間七七四年:2009/10/10(土) 02:32:53 ID:c8+AGo5S
>>328
滅多に出さないからこそ価値があるんじゃないか?
330人間七七四年:2009/10/10(土) 04:38:56 ID:78KW+JNQ
>>323
訂正ありがとうございます。
松山に竹原の地名があるからすっかりそのあたりで襲撃があったのかと思っていました。
331人間七七四年:2009/10/10(土) 09:42:39 ID:wv1vw3qt
>>327-329
鳥居さん「感状なんてものは、真の忠臣には不要」
ホモゲンさん「やつクラスの武将ならその程度は"当たり前"の武功」

と、いった解釈もあるわな
332人間七七四年:2009/10/10(土) 09:46:59 ID:+Ng/PHST
感状をくれなくて
感情ぶちきれて
これはいかんじょうという感じで
出奔するギリワン藤堂さんのような人物もいるわけで
333人間七七四年:2009/10/10(土) 10:50:43 ID:V/NIT+eI
とりあえず山田有信クン、>>332の座布団全部持ってって

あーたね、ダジャレはともかくね。ギリワンはなかろうもん
334人間七七四年:2009/10/10(土) 12:05:11 ID:tZRh7em2
どっちに投稿するか迷ったんだが

天下が統一され次は朝鮮出兵という時期に、九州でちょっとした兵乱があった。
薩摩島津家が出兵中、平戸へ向かっていた島津隊が出兵に反対して、加藤清正の領地肥後佐敷城を乗っ取ってしまったのである。
首謀者は梅北国兼。
この兵乱自体は通説では城内の女性達が酒を呑ませて油断させ、わずか二、三日で鎮圧。
ところが最近の説では十五日以上続き、別働隊まで存在したとも言われる。
他にも動機とか背後関係だとか色々謎があるのだが、それは置いとく。
秀吉は激怒し、国兼は当然さらし首。それ以外の関係者も
「梅北を操った黒幕がいるだろ?十人が二十人になろうとも首を刎ねてよこせ」
とラスボスの厳命が下り、まとめにもあった歳久の悲話となる。
ここで語りたいのは国兼の妻。彼女は名護屋へ連行され、火炙りの刑に処された。
この様子をフロイスが記録している。

「彼女は不思議なばかりの勇気をもって、当初から目を開き地面を見つめ、
身動きもせず悲鳴や嘆声をあげることもなく、そのまま焼かれ、灰と炭骨と化するまで不動の姿勢を保っていた」

異教徒のフロイスがまるで殉教者の様に記録するほど見事な死に様だったらしい。
戦国時代は女性ですらこれほどの覚悟で死を迎えたと言ういい話・・・よりはこっち向きの話だよな。
335人間七七四年:2009/10/10(土) 14:45:30 ID:7eSXqnHG
常陸の国は三谷村一念寺の住職を、頭白義宣上人といった。
生まれながらに白髪であったため、頭白上人と呼ばれていたが、
当地においては、釈尊の経典を学びつくした古今無双の名僧として
大変な尊崇を受けていた。

ある時のこと、この白頭上人が石崎と言う所で、浄土三部経妙典の説法を行った。
近郷の僧俗男女は袖を連ねてこれに詣でた。

この時ちょうど、石崎の近くで鷹狩りに出ていた当地の大名、小田氏治がこれを知り、
彼も早速に聞きに行った。
が、氏治は馬に乗ったまま、上人の高座近くまで寄ってこれを聞くという、
大変に無礼な態度をとった。

これに上人は内心、
『氏治という男は仏法にそむく愚将である!
かつて釈尊がこの経を説いた時は、八万の大衆は勿論、権化示現の羅漢ですら
頭を垂れて聴聞したと言うのに!
たとえ時の国主であっても、薄智底下の凡夫である事に変わりは無い。
なのに馬上でこれを聞くとは、猛悪不道の侍と言うべきではないか!』
と、大変憤った。

ところが、氏治のほうも怒っていた、
『なんと言う不出来な坊主だ!私はこの地の国主である。その国主が
彼の講談を聞くのだから、座から下りて、私に一礼もすべきなのに、それもしないと言うのは
奇怪と言うより他無い!』

そして家臣たちを呼んで

「参詣の奴ばら、一人残らず討ち殺せ!」

これに配下の者ども、槍刀をもって参拝者に一斉に襲い掛かり、散々に討ち散らすと
たちまち小田へと戻って行った。
これを白頭上人、あまりに無念に思い

「私は小田と敵対している佐竹の心中に入り、必ずや小田を滅ぼすであろう!」
と、その場で憤死したという。

さて、それから程なくのことである。
佐竹義重の御台所がにわかに懐妊、無事、玉のような男子を出産した。
ところがこの子、生まれながらに右の手を握り締め、決して開こうとしなかった。
そのうちに、生まれて三日目の早朝になって、ついにその手を開く、
そこには『義宣』と言う文字があった。

佐竹家中は皆、奇異の思いを成し、この若君の御名を「義宣」と名付けた。
そう、佐竹義宣である。

その後佐竹は義宣の代になってから、ついに小田を滅ぼした。
まことに不思議な事であると、人々は皆、語り合ったとのことである。
336人間七七四年:2009/10/10(土) 14:56:10 ID:wv1vw3qt
>>335
なるほど、義宣上人は事前に義重の妻に種を仕込んで…おやw
337人間七七四年:2009/10/10(土) 15:10:31 ID:UmJzAv4Y
小田氏治は掘越公方の血筋にして将軍義澄の弟の子なんだよな〜。
結城氏と一緒に越前に行って死んだみたいだが義宣の呪詛のせいだったのかスゲェ天罰w
338人間七七四年:2009/10/10(土) 18:03:56 ID:CgbrC64a
義光が最上一族皆殺しにしたから
信用できる家臣がいなかった
そのために万石家臣だらけで
最上改易になる。
また嫡男義康を暗殺した際に義光が重臣里見越後民部親子一族の殺害にこだわり
里見を保護した加賀前田や家康次男の越前結城にまで
圧力を加え、高野山をだました為に
完全に邪険視された。
さらに大坂冬夏の両陣で最上は参戦させてもらえず
江戸詰め(福島正則と同じ重い監視下)という信用ゼロの家だった。
これは義光が秀吉に人質として義親を差し出して忠誠を誓った政策の結果。
義康や義親を補佐した家臣団は当主に反対の立場となっての秀頼派であり、その万石家臣団によって改易に追い込まれた。
最上改易において弁護した大名は皆無。それどころか危うい最上との大名間では婚姻関係さえ結びたがらなかったという。

それにしても義光死去するなり兄弟の抗争が始まり、義光と没年まで一緒になった義親。
4男の山野辺光茂の当主を圧迫するような台頭ぶり。
里見越後の息子民部とともに重きを為した志村伊豆守光安も義光死去の半年後には一栗兵部の反乱で謀殺死。
さらに当主家親が江戸で謀殺されると2日後には、山形は大火に襲われ寺社の大半が焼失する。
当時の寺社は軍事的な意味合いが強く、謀殺に呼応した反乱があったのだろう。
幕府では後継の12歳の家信に早くも疑問視が浮上し不安視危惧された。
案の定、義光譲りの悪謀を得意とした山野辺光茂の専横が始まり
家臣らが徒党を組むことは厳しく禁ずる幕令の無視が始まる。
また家信は少年放逸にて、常に淫行をほしいままにし、
家臣の諫めを用いず、今日浅草川に船遊して妓女あまたのせ、
みずから艪をとりて漕ぎめぐらすとて、船手方の水主と争論し、
かろうじて逃げ帰る、水主等追いかけてその邸宅に至り、
ありしさまを告げて帰りしかば、この事都下紛々の説おだやかならず」
のバカ殿ぶりまで発揮。
元和5年に改易の福島正則の屋敷の接取を命じられた家信は3年後には改易されるのだから
皮肉という他ない。しかも元和6年東根城主薩摩守景佐は死に臨んで
「最上の御国、三年とこの分にあるまじく候」と改易を確信していた。
万石家臣の鮭延越前守と楯岡甲斐守が共謀して、山野辺義忠を当主にするという策謀とともに元和8年に最上改易。
結局、当主にはなれなかったが、父の義光の失策により、兄弟が次々謀殺されてきた事に対する敵討ちができた山野辺は
最上改易に「父の呪いからの開放」が成功したすっきりした心のうちだったが何の異議も申さなかったという。
339人間七七四年:2009/10/10(土) 18:31:38 ID:UmJzAv4Y
父の罪を孫が受けると言う因果応報の見本たる最上家の末路
340人間七七四年:2009/10/10(土) 18:44:35 ID:wYx7/Gon
おまえは因果応報って言いたかっただけだろw
341人間七七四年:2009/10/10(土) 18:55:55 ID:QkfCzqWB
>>334
梅北一揆って、九州全体の不安定化の中で発生したんだろうけど、本当に謎が多いよな
そんな中で妻のリアルな記録が残るってのも、歴史のおもしろさか
342人間七七四年:2009/10/10(土) 19:04:12 ID:nz8sDluT
>>338
もの凄く読みづらいんだが…しかもよく分からない
343人間七七四年:2009/10/10(土) 19:06:22 ID:7eSXqnHG
>>342
相手にしないほうがいい。
344人間七七四年:2009/10/10(土) 22:09:05 ID:snTx8HnP
うむむ
345人間七七四年:2009/10/10(土) 22:43:39 ID:xUMxOQWP
内藤如安の回想

大海原を漂う浮船に身を委ね、既に数日経ちました。
遠い海に乗り出すことは、これで何度目になります事やら。
これまで朝鮮への渡海は小西アウグステイヌス行長様の
家臣としてございましたし、あの折は、私の漢文の才を見込まれ、
対明講和使節として遥々北京にまで赴いたものでした。
が、平壌、漢城では何度も死ぬような目にあいました。
思い出しても身が冷え冷えいたします。

散々、戦いの日々に明け暮れた64年でした。
私は丹波の地にて、いろいろと仔細があるのですが、若年にして内藤家の長となり
足利将軍家のために奮闘いたしました。
足利義昭公、信長公と仲違いの際には、クルスの旗差物を翻す我が兵を率い、
及ばずながら信長公の大軍に一矢報いたものでした。
ちなみに時を違えて信長公に反逆した松永弾正久秀殿は、わが伯父でございます。
伯父はキリシタンをひどく嫌っておりましたが。

その後、主君を小西行長殿、前田家と変りましたが、私の魂は常に主イエス様の御側にございました。
今、高山ジュスト右近殿らと共に遠いまだ見ぬ異郷、呂宗の地に追放の旅の途中です。
南坊殿とは、同じキリシタンというだけではなく、私が茶の道に興味がございましたので、
様々なことを互いに教え合った無二の友人同士なのです。
私は能楽にも嗜みが些かございますので、琵琶湖の湖畔、長浜で長く留め置かれた不安で無聊な日々、
南坊殿が茶をたて、私が舞を舞って皆の気を引き立てたものでした。

このように寄る辺なき流人となりましたが、不思議と心静かなのです。
私は、武将として卑怯な振る舞いだけは致しませんでした。
が、その才能、運がなかったのでしょう、宇土城で加藤清正の軍を防ぎきった以外は、
これといった華々しい勝利とは無縁でした。
しかし神の御加護でしょうか、結果としてこの歳まで生き延びることになりました。
そして最後の最後まで、心の平安を求めうる地は、日本にはありませんでした。
きっと海のかなたにそれはあるのでしょう。
346人間七七四年:2009/10/10(土) 22:56:42 ID:7eSXqnHG
>>345
これは何かの書状の約?
347人間七七四年:2009/10/10(土) 22:59:49 ID:mIPiEPF+
>>338
まあ歴史の見方っついろんな切り口があるからね。
歴史は善玉悪玉無いけどそれなりの見方はあると言う事だな。
348人間七七四年:2009/10/10(土) 23:16:58 ID:xUMxOQWP
>>346

内藤如安
まとめのブログに無い人物だったので、自分が
勝手に独白しちゃいました。

書き落としましたが宇土城攻防戦で戦った清正の家臣にも、
戦後短期間だけどなったみたいです。清正、法華経徒で
うまあわなかったようですが。
349人間七七四年:2009/10/11(日) 01:15:15 ID:P/hdKCpt
>>348
文自体は悪くないけど、
うーん流石に一人称の完全創作な独白ってのはスレの趣旨とはずれるんちゃうか
350人間七七四年:2009/10/11(日) 01:31:27 ID:Tf2guOt4
うん、創作を余りいれずに時系列としてまとめたほうが良いかと。
351人間七七四年:2009/10/11(日) 01:36:53 ID:KDbpiwkV
許されるのはギャグぐらいだよな
352人間七七四年:2009/10/11(日) 01:51:04 ID:xmq35EiA
少し遊びが過ぎましたか。

御不評のようで、書きなおしてまいりましょう。
353人間七七四年:2009/10/11(日) 02:40:22 ID:YA9Goqu7
この人ってなにげに松永久秀の親族だったりするんだよね。
久秀よりさきに長頼のほうが出世してたのに逸話とか全然きかないね
354人間七七四年:2009/10/11(日) 04:09:30 ID:lErY1Y7h
どれかしらに絞って掘り下げるならともかく、わざわざ書き直す必要があるのかしらん

355人間七七四年:2009/10/11(日) 08:16:24 ID:axnuBHXn
手紙や日記で書いたのを元にしたのならともかく、完全な創作はNGでしょ。
356人間七七四年:2009/10/11(日) 08:20:44 ID:7Ouj2UbZ
完全な創作なんて今年は大河ドラマだけで充分だよ
357人間七七四年:2009/10/11(日) 08:33:56 ID:ecDnmVHG
完全妄想だけはやんめて
358人間七七四年:2009/10/11(日) 09:14:38 ID:D4qk/E8J
今年の大河はねえ…
チープ感たっぷりの演出もダメダメだけど
話としてつまらないのは脚本以上に原作の段階でダメだったんじゃないかと思ってる
いや原作読んでないし読む気にもならんから本当のところはわからんけど
359人間七七四年:2009/10/11(日) 10:09:15 ID:vKB8yCne
>>345
如安ともども、久秀公の茶でもいただいて来い
360人間七七四年:2009/10/11(日) 10:12:06 ID:Tf2guOt4
>>359
そこまで言うほどの事じゃない
361人間七七四年:2009/10/11(日) 11:29:53 ID:kF2yyHFn
>360
338の電波文に比べりゃ全然ましだよな
362人間七七四年:2009/10/11(日) 11:38:06 ID:94wrovOs
信玄の喧嘩裁き

ある日。些細なことで罵りあいになり、取っ組み合いの喧嘩になった部下の仲裁に入った。
原因を聞くとどちらかが一方を侮辱したということだった。
 
「殴り合いの喧嘩などもっての外、なぜ刀を抜いて斬りあわぬ、
 このような者共は戦でも命を懸けて戦うことはないに決まっておる」
と言って、二人の耳と鼻をそぎ落として追放したが、直ちに追ってを向かわせ、
首をはねてしまった。

武士道を説く本に載っていたことだが、
その本では信玄のやったことは武士道に沿ったこととしている。
イイ話かもしれないが、現代人からはどうもね・・・
という訳で悪い話の方へ。
363人間七七四年:2009/10/11(日) 11:41:33 ID:W1PQZ3s/
最上厨の文章も妄想垂れ流しだから禁止
364人間七七四年:2009/10/11(日) 12:06:48 ID:zgYIfmEO
信玄「『ブン殴る』…そんな言葉は使う必要がねーんだ。
   なぜなら、オレや、オレたちの仲間は、
   その言葉を頭の中に思い浮かべた時には!
   刀を抜いて相手を殺っちまって、もうすでに終わってるからだッ!
   だから使った事がねェーッ。

   オマエもそうなるよなァ〜〜〜、オレたちの仲間なら…
   わかるか?オレの言ってる事…え?

   『ブッ殺した』なら、使ってもいいッ!」
3651/2:2009/10/11(日) 12:36:12 ID:Tf2guOt4
黒田官兵衛救出作戦

荒木村重により有岡城に捕らえられた黒田官兵衛、
しかし、その荒木村重は単身有岡城より脱出。これに城内には厭戦気分が広がり、
織田方に内通するものまで現れ、その手引きにより城下の町屋にまで攻め込まれる有様となった。

このため、有岡城では多くの者が防衛に追われ、黒田官兵衛が捕らえられている牢の番人の多くも
それに使われたため、その監視は極端に薄くなった。
本来であればこの時、官兵衛はらくらくと救出されていた事だろう。

が、寄せ手のほうも、捕らえられて1年にもなる官兵衛が生きているとは思わず、
彼を探しもしなかった。
官兵衛は、誰からもその存在を放置されていた。

ここに黒田家家臣栗山備後利安がいた。
彼は官兵衛に取り立ててもらった恩を忘れず、この織田軍の攻勢の間に、混乱の中にある
有岡城に密かに忍び入った。そして官兵衛のいると思われる牢の傍まで近寄ったものの、
織田の攻勢が治まると、牢の監視は再び厳しくなり、救出するすべも無く、
栗山はここで、徒に日数を送ることになった。

この時栗山は、有岡に居た知り合いの銀屋(両替商)を頼り、昼間はその家に潜んでいた。
そして夜になるとこの銀屋と共に牢の傍まで忍ぶのだが、やはり番兵が多く、
とても近寄る事ができない。

だがこの日ふと、気がついた。
牢の裏手は溜池があり、そこは防衛上安全だという事で、番兵も置いていなかった。
栗山は夜陰に紛れ、この池を密かに泳ぎ渡り、牢の裏手までたどり着いた。
しかしそこから、進入する事はできない。
栗山は牢の中に向かって語る。

「官兵衛様…?」

「…備後か?」

「官兵衛様!」

官兵衛は、生きていた。
3662/2:2009/10/11(日) 12:37:23 ID:Tf2guOt4
それから栗山は毎晩のように池を渡り、官兵衛が捕らえられて以来の、国元の様子、
世間の動向などを語った。
官兵衛はこれを聞いた。少し、心が慰められたと言う。

やがて銀屋の才覚により、牢の番人を買収、官兵衛との通信もできるようになった。
彼らは待っていた。次の織田軍による攻勢を、である。

その日、織田軍の接近により、牢の周辺の兵は一人も居なくなっていた。
急ぎ牢の傍に走り寄り、叫んだ

「官兵衛様!」

「…ここだ」

栗山は大喜びで、番人が放置して言ったマサカリを取って、牢の入り口に巻かれた鎖を打ち壊し、
牢の中に入った。

が、官兵衛の体は幽閉により痛めつけられており、特に膝に出来た痘瘡のため立つことも
出来なかった。栗山はこれを無理に立たせ、銀屋のほうは牢の中から、捕らえられてまだ日の浅い
頑強な囚人を選び出しこれを雇い入れ官兵衛を背負わせた。
銀屋も、『これぞ我が家の曉跡なり』と力をつくしたのだ。

この三人の手により官兵衛はついに有岡城を脱出。
銀屋の知り合いの百姓の家にかくまわれると、栗山は銀屋とその百姓に官兵衛の身を堅く
頼み置き、有岡城を包囲している織田軍のうち、官兵衛とかねてから昵懇であった部隊の所に
行き、このことを知らせる。

ここから報告を受けた信長は、その忠節をことのほか喜び、食料、衣類について
丁重にするよう直々に沙汰をし、人を数多さし寄越し、播州へと送り届けた、
とのことである。

黒田官兵衛、万死に一生を免れる、の事。
367人間七七四年:2009/10/11(日) 12:41:55 ID:xmq35EiA
内藤家の裏事情

15世紀半ば、丹波においては細川家の守護職として内藤家がその任を得ていたが、戦国の世であった。
細川本家の分裂抗争と共に、この地の波多野、赤井氏らの国人、豪族らが所領をめぐって
抗争を繰り返す日々であった。様々な抗争をへたのちに内藤家の当主国貞は、
1553年波多野氏との抗争に敗れ敗死、名跡が途絶えることになってしまった。
そこで、国貞の娘婿であり丹波で三好長慶の下で勢力をのばしていた松永長頼が内藤備前守宗勝と名を改め
内藤家の名跡を継ぐ経緯となった。

この松永長頼、内藤備前守が松永弾正久秀の弟であり、内藤如安の父でもある。
弟の権謀術数よりも、武骨で有能な武将であった。

しかしこの八木城を根拠地とする新たな内藤家の当主も、1565年豪勇で知られた
赤井直正との抗争であっさりと討ち死にしてしまった。

このため内藤如安は、寝耳に水の内に16歳で慌ただしく内藤家の当主とならねばならなくなった。
しかも内藤家親族の中には、この他家からの名跡の継承を面白からずと思う人々も多数おり、
このどさくさの最中血族の手によって母を謀殺され、如安自身も危うく殺されるところであった。
如安、その仕事はじめは血族への粛清、抹殺であった。

親族の間に伝わる内藤家文書の中にこの経緯があるが、その内容の真偽については不明とされ、
秘するように命じられていた。
その中には、親族の中の松永一族に対する怨念が縷々記されている。

戦国の世ではありがちな血なまぐさいキリシタン武将のデビュー話である.
その後の如安の波乱の人生を予感させる。

が、う〜ん、あまり面白い逸話になりませぬなあ。

368人間七七四年:2009/10/11(日) 12:45:03 ID:Tf2guOt4
>>367
> その中には、親族の中の松永一族に対する怨念が縷々記されている。

ここが物凄い気になる。
369人間七七四年:2009/10/11(日) 12:53:33 ID:Ss2Kzi7U
>>364
武士道とはヒャッハー!と見付けたり


こうですか。
370人間七七四年:2009/10/11(日) 12:56:00 ID:V/gzV1AM
>>363
キチガイ乙w
371人間七七四年:2009/10/11(日) 14:35:42 ID:KqPrJMpR
>>368
爆弾正が如安を殺して自分の養子を送り込もうとしたとか
いかにもやりそうな
372人間七七四年:2009/10/11(日) 14:59:49 ID:1ss/fQzJ
>>365->>366
これっていい話のような気もするけど、放って置かれた悪い話だね
何で荒木さんは官兵衛を捕らえたのか?
殺さず置いといて、仲間にしたかった?
373人間七七四年:2009/10/11(日) 15:14:48 ID:ZzhIyK0v
>>372
そのつもりで捕まえてみたものの、
途中でめんどくさくなって忘れたんじゃないかと予想
374人間七七四年:2009/10/11(日) 16:11:26 ID:xmq35EiA
村重と官兵衛、もともと仲良かったんでしょう。
だから、村重、小寺政職の依頼通りには官兵衛を殺せなかったし。

官兵衛と、村重、後の茶人道薫はその後も親しい交流があったとか。
道薫、病気で死んだとき、官兵衛が京都の南宗寺で葬式やって
忠興とか諸侯もたくさん顔出したとか、きいた。
375人間七七四年:2009/10/11(日) 16:21:47 ID:qwmPAdhw
南北朝時代の菊池千本槍で有名な、菊池武重の肥後菊池氏は戦国期には家督争いなんかで没落し、他家からの養子を当主にさせられるくらい弱っていた。
なんせ最後の当主は大友宗隣の叔父でその前2代は阿蘇氏の人たち(全部養子)
結局大友さんによって菊池氏は滅びるんだけど、このとき離散した方々が当然いる。
しかも数代に渡って家中が揉めていたから結構いたらしい、その一部は山奥にひっこもり、水地を離れたのだからと菊池から菊地と名を変えた者もいたらしい、それが菊池と菊地の起源と熊本県民から聞いた。

ただ、普通に宇喜多と浮田とか徳川と松平みたいなかんけいじゃね?とか思いもする。
376人間七七四年:2009/10/11(日) 18:27:42 ID:IkFbZ5cs
>>365-366
まとめも見てきたけど、こんなメジャーな話がまだ出てなかったんだな。
そのとき、竹中半兵衛が織田信長から処刑命令出された息子(後の黒田長政)を匿って育ててたほうの逸話は出てたけど。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-824.html
377人間七七四年:2009/10/11(日) 18:36:23 ID:KYXeMmY3
このスレは割と有名なネタほど出てないよ
初期の方はそういうの避けるような空気あったし
378人間七七四年:2009/10/11(日) 18:47:15 ID:aLN5fNqg
書籍化する時に有名所ばかりじゃ面白くないからな
379人間七七四年:2009/10/11(日) 18:48:46 ID:AVexN3Sk
でも書籍化する時は有名武将以外は簡易化されるけどな
380人間七七四年:2009/10/11(日) 19:35:56 ID:ByAQwUqI
有名な逸話単品だけじゃなくてこのスレ住民の意見も見てみたいな
381人間七七四年:2009/10/11(日) 20:55:48 ID:KESK4QTU
閻魔状のような逸話レベルの話をスルーするのはまだ理解できるし、
上杉の敗北と言う大きな流れまでは変えていない以上、長谷堂合戦をスルーしたのも
ギリギリ許容できた。

しかし明らかな史実として、兼続の派遣した使節を伏見で惨殺して上杉を出奔した弟の
大国実頼が、普通に米沢で家族団らんしているのは、それは無いだろ、と思った。

いまさらながら天地人悪い話。
382人間七七四年:2009/10/11(日) 21:01:00 ID:Rpgq22CT
アレは登場人物名だけ戦国っぽくした創作時代劇だ
383人間七七四年:2009/10/11(日) 21:11:01 ID:7/6Mfu1n
バセドウ病
384人間七七四年:2009/10/11(日) 21:11:55 ID:2O1JL/60
どじょっこホイを踊るためだけなら、実頼出す必要もないと思う
385人間七七四年:2009/10/11(日) 21:21:43 ID:6yjw1nAS
店長「ワシはこんな形で呼び戻されとう無かった!」
386人間七七四年:2009/10/11(日) 22:06:23 ID:Bu1Rmu9a
ぎょええええ
387人間七七四年:2009/10/12(月) 00:00:05 ID:UYkYI9y9
『師の仇』

常陸国に師岡一羽常成という剣豪がいた。
彼は剣豪塚原卜伝から剣を学び、自らも一羽流を立てた。
仕えていた家が滅びたのち、一羽は江戸崎に隠棲するのだが、ライ病を患ってしまう。

さて、彼には優秀な弟子が三人いた。
根岸兎角(トカク)、岩間小熊之助、土子土呂之助である。
彼らは必死に看病をしていたのだが、ある日、根岸が逐電してしまった。
結局、残った二人が必死に看病したものの文禄二(1593)年の9月8日、一羽は亡くなってしまった。

この頃、逐電した根岸は小田原で微塵流と名付けた剣術で、自らを天下無双とふれこみ、天狗の化身であるともふれこんでいた。
そうすると、兎角に弟子入りするものが増えていき、その盛名は江戸崎にも聞こえるようになった。

岩間と土子は怒った。根岸は師を見捨てた上、流儀を独創したかのように振舞っているのである。
かくして、二人は仇討ちを決めるが、二人で一人を倒したのでは聞こえが悪い。
そこで、どちらが行くかクジで決めた結果、岩間が江戸に行くこととなった。土子は留まることになった。
土子は鹿嶋大明神に願書を捧げ大願の成就を祈る。
一方、江戸に着いた岩間は、江戸城の大手大橋に立て札を立てて「日本無双」を名乗り根岸を挑発した。
ちなみに、この立て札は9月15日に立てられており、一羽が亡くなってから、まだ一週間しか経っていない。

この挑戦を根岸は受けた。かつての自分の同門が「日本無双」を名乗っている。さらに、勝てば名声が得られる。
根岸は町奉行の板倉勝重と彦坂小刑部に試合を願い出て許された。

さて、仕合当日。奉行衆が弓・槍を持って警固につき、根岸・岩間の両名から刀・脇差を預かった。
仕合は木刀での勝負である。
この時、家康も江戸城から見ていたという。
色黒で小柄な熊之助は恰好もみすぼらしく、木刀もありきたり。
一方、大柄な根岸は恰好も派手で、木刀も鉄の筋金を通した、ところどころにイボのあるものだった。

両者は橋の上で対峙した。
先に仕掛けたのは根岸だったが、岩間はこれを受け止めた。
岩間はそのまま根岸を橋げたまで追い込むと、根岸の片足を持ち上げた。
すると、根岸はバランスを崩し、そのまま濠へと転落していった。
勝利した岩間は、短刀で欄干を斬り落とし、衆人にアピールした。
かくして、岩間は『師の仇』を討つことに成功したのである。
388人間七七四年:2009/10/12(月) 00:02:14 ID:UYkYI9y9
…と、ここまでならいい話なのだが、この話には続きがある。

岩間は確かに根岸を倒し『師の仇』をうった。
だが、これを恨む者がいた。根岸の弟子たちである。
つまり、今度は岩間が『師の仇』として狙われたのである。

復讐をするべく根岸の門人は岩間に近づき、浴室に案内した。
(剣豪の話を扱っているサイトによると、岩間は根岸の道場にそのまま居座っていたらしい)
岩間は熱湯の湯気で朦朧としているところを、根岸の門人たちに襲われ斬り殺されてしまった。
かくして、岩間も『師の仇』として討たれてしまったのであった。

ちなみに、生き延びた兎角は西国へと落ちのびて、信太信勝と改名し微塵流を伝えたが、
パッとすることもなく生を全うした。


※補足:Wikipediaの根岸兎角のページと中身がほとんど同じなのは、参考書籍が同じだからです。
389人間七七四年:2009/10/12(月) 00:21:20 ID:u8tSiAI6
なんかこの逸話、誰かの本で読んだことあるなぁ・・・
池波正太郎かなぁ
390人間七七四年:2009/10/12(月) 00:24:07 ID:VEhbUeUC
戸部新十郎のような気がする
391人間七七四年:2009/10/12(月) 00:41:00 ID:Bkg+UOA3
五味康祐あたりじゃないかな・・・?

戸部新十郎の「日本剣豪譚 戦国編」が手元にあるが、
そっちだと岩間が勝つところまでしか書いてない。
代わりに兎角が斎藤伝鬼坊に弟子入りしていた話(真偽不明)が載ってるが・・・
392人間七七四年:2009/10/12(月) 01:08:13 ID:H3LQmB42
藤沢周平も書いていた気がする。
393人間七七四年:2009/10/12(月) 01:17:49 ID:dmvYI8E2
みんな書きすぎワラタ
394人間七七四年:2009/10/12(月) 01:18:31 ID:lIvSN7yW
じゃあ俺も書かねば
395人間七七四年:2009/10/12(月) 02:41:15 ID:0BMmA3Hg
そんなことよりも木刀に細工するのはありだったのか?
黄門様に説教されるレベルだろ
396人間七七四年:2009/10/12(月) 05:28:46 ID:CA7DWllu
伊能忠敬だと測量家に振りすぎている感じがするな
松尾芭蕉とか菅江真澄みたいな紀行文や残した人(風俗学者)の方が冒険家っぽいんじゃない?
あえて地図に拘るなら最上徳内とか

っていうか伊能忠敬と最上徳内と間宮林蔵はボウケンジャーの連中がひょっこりやってるかもしれんw
397人間七七四年:2009/10/12(月) 05:29:34 ID:CA7DWllu
スマン誤爆w
398人間七七四年:2009/10/12(月) 08:45:28 ID:37VMN58+
>>395
筋金通さなくたって普通の木刀でもまともに打たれれば骨砕けるし、
見栄えだけを考えた無用な改造って気もするな
399人間七七四年:2009/10/12(月) 09:13:06 ID:AIhUrYYj
ガイシュツならスマソ
虎退治で有名な加藤清正、彼の家臣に五助というものがいた。
彼の喜悲劇は朝鮮からはじまる、朝鮮出兵の最中のある日、突然襲ってきた虎に五助はさらわれてしまうのだ、
そして、巣にお持ち帰りされた五助だが、虎が寝てしまった隙に逃げようとするが、その前に一工夫、近くにあった藤かずらを引きちぎりロープ代わりにして一方を近くの大木にもう一方をなんと虎の金○にくくりつけて逃げ出した!
気配に気がついた虎追いかけようとしてさあ大変!!
虎「!?ッアーー!!」
ナニが千切れて激痛で大悶絶!
そこに五助とって返してきてとどめを刺して、その虎を土産に無事帰還。
ことの顛末を聞いた清正は大喜びで彼を百石取りの士分に取り立てた、五助も感激し百石に因んで名を百助に改めた。


さて、清正さん五助改め百助に名字もプレゼントするんです、その名も『金玉』
この金○さんの末裔、昭和になって裁判所に改姓を申請して受理されたらしい。
これ、ちょっと悪い話でいいよね?
400人間七七四年:2009/10/12(月) 09:18:28 ID:QJaOeZYE
「金王」さんなら格好良かったのに・・・
401人間七七四年:2009/10/12(月) 09:43:22 ID:fWCY/8vy
>>387-388
小熊を殺したのは兎角の高弟で四天王と言われた、風間彦七、近藤重九郎、寺尾団六、中里半兵太の4人。
小熊は熱湯を浴びせられ全身火ぶくれになりながらも近藤を殺している。
この一月後、兎角の弟子だった水谷八弥という少年が、泥之助の下に弟子入りを願ってやってきた際に事を
しらせ、泥之助は脇坂主馬と偽名を使って微塵流道場を訪ね、稽古を申し入れた。
寺尾団六は木刀で鳩尾を一突きされ血反吐を吐いて絶命、中里半兵太は木刀を叩き落されて、頭蓋を砕かれた。
それを見た風間彦七、いきなり真剣で斬りかかったが、あっさりかわされて引き倒され、膝の下に押さえ込まれ
小熊謀殺を自白するよう詰問された。
風間が認めないので泥之助は江戸崎で留守番させていた水谷八弥と対面させようと、風間を引っ立てて
江戸崎に向かうが、その途中、利根川の取手の渡し舟上で風間は逃げようと川に飛び込もうとした所を
泥之助に斬られた。

朋友岩間小熊の仇を討った土子泥之助のいい話だな、読みにくい上にスレチですまん。
402人間七七四年:2009/10/12(月) 09:44:12 ID:GnK/gGD8
>382
ありゃあむしろたまたま登場人物名が戦国武将な
学園ドラマでも作っててくれた方がましだったんじゃないか。
403人間七七四年:2009/10/12(月) 11:41:33 ID:GVT5RuxI
>>402
台湾で三国志でやったらしいな>創作学園もの。
404人間七七四年:2009/10/12(月) 12:00:39 ID:Eso3Tdak
波多三河守親の悲劇

肥前松浦半島には、平安の昔から松浦党と呼ばれる武装集団があり、
嵯峨源氏、あるいは平氏、中には奥州の安倍氏を祖とするとされる
家々であった。

元寇の時には勇敢に戦い、大いにその名を広め、下っては倭寇の頭目、
あるいは海外との交易にも意を注いだ。

戦国時代も数十家の国人らが協力、あるいは鎬を削っていたが、
その中に今の唐津周辺を根拠地にする波多氏が有力であった。
当主、波多三河守親は、南からの龍造寺隆信の侵攻に対抗し、
ある時は降り、更に島津家に鞍替えし、難攻不落の巨大な城、
岸岳城を整備し、これを根拠地として北松浦半島を支配下にした。
彼は、早くから兵農分離をなし、また朝鮮半島、遠くは中国からも
招いた陶工らに窯を作らせ、盛んに作陶をさせ、その領地の経営、整備に
励んだのであった。

ところがそこに独裁者、秀吉がやってきた。九州征伐である。
機を見るに敏な松浦法院、有馬、大村、龍造寺、鍋島氏らはすぐに
博多に参陣、秀吉に恭順し、島津征伐に参加の旨を表するも、
波多三河守親は遅参してしまった。島津には庇護を受けた経緯があった。
今一つの機敏さ、決断力に欠ける男だったようである。

秀吉、へそを曲げ会ってくれない。
困り果てた波多三河守親、石田治部、浅野弾正にとりなしを頼みこみ、
何とか本領八万石を安堵してもらった。また、彼の所領でなした美麗な茶器を多数献上し、
秀吉のご機嫌をとることができた。当時の名品は、後に利休の銘が入り、
三斎公、鴻池家の手を経て今日に伝わっている。

ところが次にやってきたのが文禄の役である。秀吉の命の下、鍋島勢らと共に
千人の兵と共に渡海した。散々泥沼の戦ののち、1593年、波多三河守親を
待ち受けていたのは、改易であった。朝鮮での戦いぶり、卑怯、あるいは勝手な振る舞い、
まことにけしからぬ、という理由。
誰やら不明の三人の奉行の讒言があったとか。

実際の彼は、卑怯どころか、兵を三百までに減らしつつ鍋島勢と共に敵兵二万を
撃退した奮戦ぶりであったのだが。

秀吉としては、根拠地名護屋を古来領する波多氏が邪魔、目障りであった、
真の理由はそれにつきるのである。代わりにこの地を拝領したのは
秀吉お気に入りの寺沢志摩守でしたから。
兵農分離し、行き場を失った家臣百名が腹を切ったとか。

今一つ、時勢を見る目のなかった武将の悲劇。
405人間七七四年:2009/10/12(月) 12:27:42 ID:GfkRXIQM
>>404
人質に出された奥方が、秀吉の前で不注意から懐剣を取り落としてしまったのが
不興を買った原因だとか。殺す気か、というわけ。
406人間七七四年:2009/10/12(月) 12:37:14 ID:Eso3Tdak
奥方、美人だったとかの言い伝えが。
407人間七七四年:2009/10/12(月) 12:56:15 ID:/n2v2wD2
>>405
甲冑姿で秀吉に拝謁した大名夫人もいたってホント?
それって、人質である夫人たちの貞操が危なかったの?
408人間七七四年:2009/10/12(月) 13:42:48 ID:Y4JiRFqP
諸侯の奥方に手を出そうとする→失敗(´・ω・`)
はテンプレみたいなものだから
409人間七七四年:2009/10/12(月) 13:45:40 ID:5Foi65W3
立花ァ千代
甲冑姿に槍、侍女に鉄砲を持たせて拝謁。
秀吉もさすがに手を出すのをあきらめたが、宗茂は手を付けられたと信じ、
以降夫婦仲は冷えて行ったという・・・・・が
もともとァ千代が城主で、宗茂は入り婿のため、
勝気なァ千代が事々に口を出していたので、疎ましく思っていたということらしい。
410人間七七四年:2009/10/12(月) 15:39:20 ID:Eso3Tdak
闇千代の場合、日常甲冑を着用して常に臨戦態勢だったのでは?
411人間七七四年:2009/10/12(月) 17:14:03 ID:0jPEBcRo
S田N之「ウチの嫁は甲冑着ていなくても常に臨戦態勢です…」
412人間七七四年:2009/10/12(月) 18:18:05 ID:BOLcWOUB
浮気する方が悪い
413人間七七四年:2009/10/12(月) 18:51:59 ID:dNyosvY3
>ウチの嫁は〜常に臨戦態勢
常時濡れてて合体準備おkって事かと思った
414人間七七四年:2009/10/12(月) 19:00:06 ID:dmvYI8E2
そっち方向に解釈したのが俺だけじゃなくて安心した
415人間七七四年:2009/10/12(月) 19:49:41 ID:cYAKpOhS
利家殿の奥さんとか
利常殿の奥さんとか
子だくさん故に常に臨戦態勢のイメージがある
416人間七七四年:2009/10/12(月) 19:54:29 ID:1RxFSorh
佐竹義宣の正室・正洞院は、かの那須与一を輩出した下野那須氏の出である。
しかし、輿入れから5年、1590年に死去してしまった。
死因は伝わっていない。
そのため、後世に様々な憶測を呼ぶこととなった。

秋田の巷説としては、
結婚当初の義宣は文弱であり、名門武家としてのプライド高い正洞院がこれを諌めるべく自害した、
と伝わっている。

義宣はこの薄幸な夫人を弔うため、秋田の手形に正洞院を建てた。
江戸期には多くの参拝者で賑わったらしいが、
明治に廃寺となってしまい、現在は草深い境内跡が残るばかりである。
417人間七七四年:2009/10/12(月) 20:11:47 ID:+4lba+Xg
いい話スレで文句たれておいてなんだが、最上バランスのため投入。

「首なし地蔵」

出羽庄内に、ある人物を弔うために地蔵尊がおかれた。ところがある日、その首がなんと
落ちているではないか。
「こりゃまあ縁起が悪い」
見かけたものは首を元に戻した。ところが…

ゴ ト ッ 

「ヒィィィィィ!?」
戻したはずの首がまた、落ちた。
「もうやだなあ、由来が由来だけに勘弁しろって。さてこれでよし、と」
こうして戻すのだが…

   ゴ  ト  ッ 

またも首が落ちた。

「ギャアアアアアアアアーーーッ!」

何度首を戻しても、あとで見ると地蔵の首は落ちているのである。
ついに皆首をつけることをあきらめ、この地蔵尊を「首なし地蔵」と呼ぶことにした。




実はこの地蔵尊、廃嫡のうえ射殺された最上義光の長男・義康を弔うものであった。
義康の屍は、首は山形まで持ち去られたが、胴体は庄内に残された。
その胴体を埋めた場所に置かれたのが、例の地蔵尊であったのだ。
義康の暗殺は今以て謎が多く、真相はあきらかではないが、義康の魂は首なし地蔵で
何かを訴えようとしていたのだろうか?
418人間七七四年:2009/10/12(月) 20:30:00 ID:dNyosvY3
バック〜お〜らい〜♪
発射〜お〜らい〜♪
419人間七七四年:2009/10/12(月) 22:17:45 ID:GiOvYxKc
>>404
波多氏って名前が一文字だった気がするけど
波多三河守親って「はた みかわのかみ ちか?」って読むのか
「はた みかわ もりちか」って読むのかな?

波多 三河守 守親だったら語呂がいい気がする
420人間七七四年:2009/10/12(月) 22:24:19 ID:UTgLdO1o
>>419
波多 親であってる。読みは「はた ちかし」
だから波多三河守親は「はた みかわのかみ ちかし」ですな。

あの渡辺綱以来の、由緒ある一文字名前。
421人間七七四年:2009/10/12(月) 22:42:34 ID:tvP9wbyU
>>411
T川秀T「うちの嫁さんもですよ。出し抜いてよそで作ったときは殺されないかとびくびくしてました」
422人間七七四年:2009/10/12(月) 23:19:27 ID:amZ2/2Ih
>>404
まとめスレに波多三河守親の奥さんは竜造寺から後家を押し付けられたってなかったっけ?
423人間七七四年:2009/10/12(月) 23:22:46 ID:amZ2/2Ih
424人間七七四年:2009/10/12(月) 23:41:26 ID:AUpOWyN2
>409
ァ千代は領国から出たことが無く名護屋にいってないから
秀吉に会ったことがないんじゃなかったっけ。
425人間七七四年:2009/10/12(月) 23:45:02 ID:GiOvYxKc
家康が恐れた男みたいに秀吉が人妻にコナかけられたって逸話は
テンプレみたくなってる気がする
426人間七七四年:2009/10/12(月) 23:48:20 ID:GKgxj0Ws
このスレでの「この逸話に四天王がいたらどうする」ってネタに近いな
427人間七七四年:2009/10/12(月) 23:52:01 ID:ALDxE9Ft
>>416
何気にいい話の気もするけど、廃寺になっちゃったので悪い話か・・
428人間七七四年:2009/10/12(月) 23:53:29 ID:GiOvYxKc
>>420
「ちかし」って読むのか、勉強になりました
「親」って字を見るとなんか長宗我部のイメージが強い
429人間七七四年:2009/10/13(火) 01:07:17 ID:+XfJFQ8T
「長宗我部〓親」って「波多〓」2人分ぐらいの文字数使ってるのな。MOTTAINAI・・・
430人間七七四年:2009/10/13(火) 01:37:14 ID:tBiTgSek
>>429
それより文字数多い俺みたいな名前に喧嘩売ってんのかw


実際名前長いと書くの大変だし面倒だし困るよ
書道の時とか困ったなあ
戦国時代はみんな割と略してたりするよね
431人間七七四年:2009/10/13(火) 01:47:27 ID:0unHnAAY
書状とかって名前書かずに自称官位とか通称使うかんね
内向きの書類だったら官位だけとか多いし

公式な文書とか命令書は祐筆に書かせたんじゃないかな
432人間七七四年:2009/10/13(火) 06:18:30 ID:yTI83O6i
>>430の名前が気になってしょうがない
勅使河原孝太郎、とかか?
433奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/13(火) 07:02:47 ID:KxsNviKx
平敷山入端甲子太郎とか八月一日宮七五三吉とか藤本太郎喜左ェ門将時能みたいなヤツだな。
434人間七七四年:2009/10/13(火) 09:13:54 ID:8JRyVmXi
いや、当スレ的に長宗我部次郎三郎とか姉小路源太左衛門とかだろう
435人間七七四年:2009/10/13(火) 09:21:33 ID:UevTo/dZ
槍井七五三太だったり
436人間七七四年:2009/10/13(火) 09:55:28 ID:mX4+E1sd
>453
七五三という名字の人がいたな(しめ)と読む。

まったく話は変わるけど
うちの故郷の藩主様wikiで調べてたら、家久(悪)の養女が正室継室と続けて嫁入りしてた!
しかも継室は伊集院家の娘ですよ。
だから幕末にDQN…。
しかも地味に。
437人間七七四年:2009/10/13(火) 10:53:55 ID:Hg4IgVb8
という訳で>>453はエロ漫画家か南の四天王について存分に語ってくれ
あ、苦情は>>436へドゾー
438人間七七四年:2009/10/13(火) 11:05:27 ID:515nT2O7
>>436
水道の蛇口からポンジュース飲み放題の県からようこそ
439人間七七四年:2009/10/13(火) 11:15:40 ID:zje8vebS
うちは鍋島直茂の次男が知行していたらしいけど、
晩年に療養をかねて住んでいたくらいで逸話を聞いたことはないなあ
ガキの頃は墓前で遊んでたっけ
忠茂公、墓前をお騒がせして申し訳ございませんでした
440人間七七四年:2009/10/13(火) 11:19:06 ID:bEj8zF8e
>>438
どこだ、そんな異様な県はw
441人間七七四年:2009/10/13(火) 11:22:32 ID:YR4zQCpX
>>440
「ポンジュース蛇口」でググるんだ。
442人間七七四年:2009/10/13(火) 11:29:54 ID:mX4+E1sd
436です、誤爆すまん。
でも、すぐに正解当てて速やかにその話に持ってくるこのスレの住民達が大好きだ!!
443人間七七四年:2009/10/13(火) 11:46:16 ID:mX4+E1sd
あ、その話って蛇口から〜ね、昔は都市伝説だったけど今はホントにでる蛇口がある。
444人間七七四年:2009/10/13(火) 11:49:03 ID:sAE693O4
空港に設置されたのが始まりじゃなかったっけ
その後幼稚園などに常設・・・お茶の国も似たようなの無かったっけ?
445人間七七四年:2009/10/13(火) 11:52:43 ID:AnxtMFCO
静岡でも、学校の蛇口からはお茶が出てくるって聞いたことがある
446人間七七四年:2009/10/13(火) 11:53:17 ID:kOhgo6cT
お茶が出る蛇口はあった気がする。お茶が名産の県で、学校とかの蛇口から出ていたような。
わが県は女陰ジュースだかなんだかってのがあるが蛇口からは出てこんなあ
447人間七七四年:2009/10/13(火) 12:14:53 ID:mX4+E1sd
お茶の方が嬉しいなぁ、柑橘系苦手だからポンジュース飲み過ぎると胸やけする。

女陰ジュースって気になるんだが。

脱線したんで少し戻す、因みににその藩主様、松平だけど菅原姓なんだぜ、それが気になって調べていて>436の事実が。
448人間七七四年:2009/10/13(火) 12:41:38 ID:TDHrAJJw
学校でお茶というと
京都府の宇治市の学校が有名だね
ttp://www.lococom.jp/article/A26/05/00/34519/208247/L/
449人間七七四年:2009/10/13(火) 13:10:21 ID:EFSEQBdH
>>430
藤堂高虎は漢字の読み書きが苦手な上に右手の指が2本欠損していたので、
直筆の署名は「さと(佐渡守)」「いつみ(和泉守)」と平仮名で書いてたそうな。
450人間七七四年:2009/10/13(火) 13:26:53 ID:LZDlxM/4
>>449
それは当時ごく普通だったと思うよ。
秀吉は「ちくせん」信長は「のふ」と書いた直筆の手紙は多く残っている。
451人間七七四年:2009/10/13(火) 13:27:45 ID:+IlpJG1J
>>431
政宗「祐筆にばっか書かせると字を真似されて偽書とか作成されるから要注意な」
452人間七七四年:2009/10/13(火) 13:49:02 ID:6mjqWGMc
>>450
そうか、これは失礼。
453人間七七四年:2009/10/13(火) 13:58:42 ID:mX4+E1sd
槍井七五三太っと
454人間七七四年:2009/10/13(火) 14:42:49 ID:tBiTgSek
>>732
名字が四文字で名前が四文字なんだ
だから八文字

名字が四文字も名前が四文字も現代だとあまりいないよね
戦国でも諱が四文字はいないだろうなあ
一コマに一文字入れる書類とかたまに入らないことがある
455人間七七四年:2009/10/13(火) 14:57:53 ID:QmKFdQ7n
たしか文書のフォーマル度=漢字楷書>漢字草書>かな
だったと思う
456人間七七四年:2009/10/13(火) 15:07:39 ID:kOhgo6cT
>>447
誤変換失礼した、ジョインジュースです

信長の手紙の「のふ」ってなんか可愛くて好きだ
457人間七七四年:2009/10/13(火) 15:18:20 ID:mX4+E1sd
自分でやっといて何だか今日は誤誘導デーか?
458人間七七四年:2009/10/13(火) 17:09:33 ID:6S502IJB
っつーか三文字四文字のイミナって存在するんか?
459人間七七四年:2009/10/13(火) 17:38:15 ID:Ep/RptU2
能武南牙
非道与死
460人間七七四年:2009/10/13(火) 17:39:14 ID:d9awLYq9
仮名ならゴロゴロ居るんだけど、諱は思いつかん。
461人間七七四年:2009/10/13(火) 18:36:43 ID:J34pgEOg
一文字よりは三文字のほうが無難だと思うんだけどね。

波多さんとか、一字拝領するときは一体どうしてたんだろう?
462人間七七四年:2009/10/13(火) 19:40:01 ID:q8OHX8dC
北信愛とかな

一字拝領は諱からもらうパターンが殆どだから、問題ないんじゃないか?
463人間七七四年:2009/10/13(火) 19:55:20 ID:YR4zQCpX
九鬼から見た悪い話、ということで一つ。


尾張国毛呂崎(現愛知県知多郡南知多町師崎)には、こんな話がつたわっているそうだ。

関ヶ原の時のこと。尾張の沿岸地帯は、西軍、九鬼嘉隆らの水軍によって焼き討ち、略奪が
頻繁に行われた。奪った物資は大垣城に集められていたという。
まさに海賊と呼ぶにふさわしい、この九鬼の船団が、ついに毛呂崎付近にも現れた。

毛呂崎の住民達は焼き討ちだけは免れようと、九鬼の軍船に毎日酒と肴を差し出し、
これにより攻撃される事だけは免れた。

そんな時に、家康の旗本千賀孫兵衛、駿河より九鬼水軍の監視の隙を突き、
船にてこの毛呂崎まで侵入した。
住民達は大いに喜んだが、いかんせん千賀はあくまで偵察部隊であり、率いる人数も
甚だ少ない。

これに毛呂崎の者ども
「ご人数が集まらないうちは、九鬼の船がこの浦に入ってこないよう、酒肴を届ける事を
続けましょう。」
と進言する。

ところが千賀孫兵衛、
「わしが来たからには、そのような事をする必要は無い!」
と、言い切った。
そして住民に協力させ、沖の船から見える場所で突然、多数の旗や馬印を一斉に立てさせた。

九鬼嘉隆は、洋上よりこれを見て驚いた
「いつの間にあんな多数の軍勢が!?さては我等は計られたか!?」
九鬼側ではこの突然現れた軍勢の実態がつかめず、手を出しかねた。

そうしているうちに毛呂崎には、関東より進軍してきた小笠原安元、信元らが、また
大野常滑の東軍派であった戸田三郎右衛門、清水権之介らも駆けつけ、
もはや九鬼の軍勢では、完全に手を出せない状況となり、嘉隆は何の手出しも出来ないまま、
引き上げて行ったとのことである。

しかし酒と肴を貢がれ一時的におとなしくしているとは、九鬼水軍、まるで昔話の鬼のようである。
そんな、九鬼嘉隆追い返される。の一席。
464人間七七四年:2009/10/13(火) 20:29:44 ID:TeatU8dt
九鬼勢は海の上にいてこそ脅威だが、精々4,5百人だったろうから
下手をすると地上で囲まれて全滅。

長々と伸びた家康軍の戦線分断、進軍遅延には、
寡勢で十二分に目的果たせたのでは。
465人間七七四年:2009/10/13(火) 20:31:41 ID:K0I1Wn2w
おお、元駿河水軍の千賀さんか
466人間七七四年:2009/10/13(火) 20:39:42 ID:nUUxJgJB
九鬼っていっても所詮留守番兵主体だろうし。
精鋭は息子とともに東軍に従軍。夜討強盗程度の戦が関の山。
467人間七七四年:2009/10/13(火) 23:00:38 ID:L5S2/YMC
上陸て少数の留守居に負けちゃった海賊もいるしなぁ
それこそポンジュース県に
468人間七七四年:2009/10/14(水) 00:21:07 ID:S0rapeu4
ヴァイキングものの漫画「ヴィンランド・サガ」とか
船使うけど戦闘は殆んど上陸強襲ばかりで海上での戦闘ないんだよな
469人間七七四年:2009/10/14(水) 00:52:05 ID:P2Ag8ig8
ヴァイキングもの?
いえいえ、奴隷ものです。
470人間七七四年:2009/10/14(水) 06:49:45 ID:YPEplUnN
>>468
というか実際のヴァイキングも
船舶より沿岸の村々への襲撃の方がメインだったんだから
仕方ねーじゃねーか
471人間七七四年:2009/10/14(水) 07:40:25 ID:usFEsdQG
ヴァイキングが何者かすら知らないとかもうね
472人間七七四年:2009/10/14(水) 08:22:59 ID:U8SqMYVJ
>>468-471
あの、ここ一応戦国時代板ですんで
ヴァイキングの話題なら、日本の海賊にからめた話題とかでやりましょうや
473人間七七四年:2009/10/14(水) 09:20:35 ID:NV+Q7xEE
>>463
酒肴を供出する=西軍に友好的な村
なので手を出せないよね〜
474人間七七四年:2009/10/14(水) 09:26:41 ID:TToy5R0P
水軍で思い出したが、あいつらも薩摩みたいな郷中教育をやるんだよな
前に火曜サスペンスで題材になってた
475人間七七四年:2009/10/14(水) 09:27:46 ID:TefVPDc6
焼き打ちした村落は、デモ的に村民根切りの狼藉だったとか。

でも親子間の鳥羽城攻防、空鉄砲のうち合いでやる気無し。
嘉隆にとって、もう歳だし、家名は残せたし、嫌いな家康、小浜民部景隆に一矢報いて
腹切れれば戦国武将として本懐だったのでは。
476人間七七四年:2009/10/14(水) 09:45:48 ID:8XNyx+Ac
>467
ポンジュース県の海賊は安土桃山以降悲惨だぞ、朝鮮出兵では大名各で唯一の戦死者(来島通総)だったりとか、>467で言ってる一件とか、河野も村上も大名として残れなかったしね。
477人間七七四年:2009/10/14(水) 10:19:10 ID:6MCNhAyY
>>476
来島は豊後森、九鬼は摂津三田。どちらも山奥の藩だよね。船は捨てて行ったのかな。

来島の弟が福島正則の家臣になっていたのが何故なのか不思議だ。
478人間七七四年:2009/10/14(水) 10:34:14 ID:b/Wzt+/E
>>477
内陸に押し込められてからも水軍としてのアイデンティティを捨てられず、
湖に船を浮かべて海戦の真似事をしてたって話があるな
その光景を想像するになかなかもの悲しいものがある
479人間七七四年:2009/10/14(水) 10:36:31 ID:8XNyx+Ac
>>477
おそらく、来島の所属した五番隊の大将格が福島だったからそれと関係あるんだろうね、人質兼任だったのかも。
勝手な推測だが。
480人間七七四年:2009/10/14(水) 10:44:03 ID:8XNyx+Ac
も一つ補足すると、関ヶ原で西軍について改易された来島家が福岡森で大名に復帰出来たのは福島正則の口添えによるところが大きいとか、来島さん市松様に足向けて眠れないよ。
朝鮮出兵の頃から来島と福島は仲が良かったのかも。
481人間七七四年:2009/10/14(水) 11:09:56 ID:j6TRsPiW
江戸時代の久留島(来島から改姓)さんは
参勤交代の時、瀬戸内海を船で江戸に向かっていたら
暴風雨で遭難してしまったという……
482人間七七四年:2009/10/14(水) 11:35:39 ID:k2wfkvF2
いちおう、森藩は飛び地で頭成港が領土になっている。
まあ、来島からの転封時に水軍は完全解体されちゃったわけだけど。
483人間七七四年:2009/10/14(水) 11:52:02 ID:MzgGioOm
幕府は貿易独占したかっただろうから
自前で船持ってる連中は邪魔だったんだろうな
484人間七七四年:2009/10/14(水) 12:13:45 ID:ABdA3VrY
>>481

「そうなんですかー」

さてと、鬼武蔵が来る前に泳いで逃げます
485人間七七四年:2009/10/14(水) 12:25:11 ID:WCzrgrvW
来島と比べて村上は秀吉に降るのが遅かったからね
海賊禁止令もあったし、もうどうしようもなかったんじゃないかな
河野と繋がりのある来島、耕作できる土地のある因島
でも能島は通行税だけで食ってたような連中だもの
それこそ丘にあがった河童じゃない
486人間七七四年:2009/10/14(水) 12:31:59 ID:rz35G0p4
>>480
福岡・・・森?
487人間七七四年:2009/10/14(水) 12:42:58 ID:hjSz8q+I
>>478
人形遊びさんがその光景にピッタリ過ぎて涙が出てきたw
488人間七七四年:2009/10/14(水) 13:34:05 ID:8XNyx+Ac
>>486
すまん、素で間違えた、そう書くなら大分森だね、もっというなら豊後森藩、なぜか昔から豊後=福岡と間違った認識をしてしまっている。
某ゲームでこの二つひとまとめにして国名が豊後になってしまっていたのが原因かな?
九州は4カ国、四国が3カ国な某FCゲーム、あれで戦国時代に興味持った弊害かも。
489人間七七四年:2009/10/14(水) 17:00:49 ID:oALtwEhQ
むかしむかし、甲斐の武田晴信が信濃の村上義清と
壮絶な争いを繰り広げていた時のこと
信州清春あたりの土豪、大河原のお城が落城し、乳呑み児の若様とその乳母は
幾人かの家来衆に守られて落ち延びていった

国界橋を渡り、甲斐に入った乳母達は、深沢の沢の洞窟の中に隠れながら
夜になるたび農家から食料を盗んだりして暮らしていたが
そんな暮らしを落人が続けてゆくには限界がある
ある日家来達は乳母と若様を見捨てていなくなってしまったのだった

乳母は途方に暮れたが、主家の唯一の生き残りである若様を見捨てることはできない
何とか食べ物を手に入れるため、不安はあったが、若様を残して
乞食のふりをして里に降り、食べ物を恵んでもらうようになった

しかしやはり乳呑み児を一人で置いてゆくのは不安でならない
そこで乳母は、せめて若様が寂しさを覚えないように
こぶしの花の枝を若様の寝床に置いて出かけた
この花は、女房の白粉のような甘い香りのする花であったのだ

ところがこの花が仇となった
洞窟の前を通りかかった落ち武者狩りの侍が
この甘い香りを奇妙に思って洞窟の中を探りに入ってきたのだ
侍はそこでこぶしの花の隣に眠る赤ん坊を見つけた

赤ん坊の肌着を捲った侍はそこに大河原の家紋を見つけた
「なんと、大河原の倅か!」
侍はこれは大手柄であると歓喜して、若様を武田に引き渡したのだった
乳呑み児ではあるが戦国の習い
若様は殺されてしまった

洞窟の前の坂には赤ん坊の鳴き声が木霊となって残り続けた

戻ってきてことの顛末を知った乳母は己の失敗を嘆き悲しみ
そのまま沢に身を投げて死んだ

山梨県長坂に今もある赤子坂にまつわるお話

490人間七七四年:2009/10/14(水) 17:34:51 ID:GdOiooOk
>>489
これは悲しい話だなあ。この手のことは実際に、いろんな所で起こったんだろうね。
しかし大河原氏って児玉党の時代から続く古い一族らしく、全国各地いろんなところに居るな。
491人間七七四年:2009/10/14(水) 20:07:03 ID:KRCwS5Dp
今ぐぐったら、この信州大河原の豪族というのは真田家のことだと地元には伝わっているそうな。
492人間七七四年:2009/10/14(水) 20:12:59 ID:6MCNhAyY
大河原城というと香坂氏だとばかり思っていたのだが
493人間七七四年:2009/10/14(水) 21:06:35 ID:D7wQrrAq
>>489 >>490
こういう話がそんなに良くあったとは思わないけど・・・

中世は、超が付く縁故社会だから
沢山いる親戚の家・城に転がり込むのは常識だし、
乳母がそれを考えなかったとは、よほど無能だったのか・・・
血のつながりがあったら面倒見るのが義務みたいなものだった。
また、縁が無くとも、人が屋敷に逃げ込んだら
その主から保護を受けるのが、ごく一般的な慣習だったはず。

無粋なコメントで悪いね。
494人間七七四年:2009/10/14(水) 21:30:52 ID:oALtwEhQ
蛇足なんだが
この赤子坂の話は割と有名な話らしくて「まんが日本昔ばなし」でアニメ化されてるらしい
俺は見たことないんだがこんな鬱な話児童向けアニメでやるなんてすごいな
495人間七七四年:2009/10/14(水) 21:50:53 ID:UETSZwRt
>>494
日本昔ばなしはけっこう欝話放送してるぞ。
有名どころだと「赤まんま」とか。
496人間七七四年:2009/10/14(水) 21:55:50 ID:6MCNhAyY
姉川と妹川も鬱だった
497人間七七四年:2009/10/14(水) 22:12:21 ID:mBkkMzWG
近世でも親戚の家に世話になったはいいものの膳は家族とは分けられ自分らは土間で粥を食すみたいな扱いが普通だったんだし
そんな至れりつくせりな世の中じゃないんじゃない
498493:2009/10/14(水) 22:28:11 ID:D7wQrrAq
>>497
近世になるとむしろ駆け込みなどの中世的習慣は絶えたんだよ。

だから、これは江戸時代の人がつくった逸話なんじゃないかな・・・と思う。
499人間七七四年:2009/10/14(水) 23:23:03 ID:6MCNhAyY
織田信長は浅井、朝倉に味方した比叡山に激怒しました。
そして大軍を派遣して焼き討ちし、多くの人々を殺害しました。
そして多くの遺体は坂本の町を流れる川の流れに乗って琵琶湖まで流れ着きました。
その多くの遺体が流れ着いた場所は因縁の場所だったのです。

かつて浅井、朝倉連合軍は琵琶湖西岸沿いに南下していました。それを迎え撃ったのは
森可成という武将でした。勇敢に戦ったものの多勢に無勢、奮戦空しく討ち死にし、激戦の
為、本陣としていた来迎寺の目の前であったのにもかかわらず遺体の回収もままならず、
来迎寺の僧が夜間密かに回収して境内に埋葬したといわれます。
その森可成が非業の最期を遂げた場所こそ、比叡山焼き討ちの多くの犠牲者が流れ着いた
場所だったのです。
昭和時代になってその場所は埋め立てられホテルが建設されることになりました。
しかし兼摂は中断され、その後数多くの怪奇現象も見られ、幽霊ホテルと呼ばれるように
なりました。持ち主も何度も変わり再建計画も立てられたのですが実現せず、平成時代
つに土地の再利用のため解体が決まり、日本史上初の、ビルの爆破解体となりました。
駆け付けた多くの見物人とテレビ中継を見ている全国の視聴者に見守られながら、
爆破解体は見事に成功しました。しかし二十年経ても未だ空き地のまま再建計画は実現しません。
500人間七七四年:2009/10/15(木) 00:00:37 ID:hqyuj7r3
> 兼摂
この誤変換は始めて見たw
501人間七七四年:2009/10/15(木) 00:31:01 ID:7XvkQPJd
>>500
すまん。
耳直しがてらに短編を。
既出かな。


浅井、朝倉連合軍を迎撃すべく森可成は宇佐山城から坂本郊外へ出撃した。
そして非業の最期を遂げた。このとき宇佐山城の守備を命ぜられた留守居の家臣は・・・


各務兵庫。留守番になると主君を殺す悪い話。
502人間七七四年:2009/10/15(木) 00:40:03 ID:bSZg3tlU
>>489
ようつべにこのエピソードのまんが日本昔話があったw
503人間七七四年:2009/10/15(木) 05:21:28 ID:BNJvgKKL
吉作落としも酷い
504人間七七四年:2009/10/15(木) 09:11:09 ID:pap4kibd
鮭様の悪い話は削除して欲しい
505人間七七四年:2009/10/15(木) 14:59:16 ID:hqyuj7r3
まあいい話と言えばそうかも知れないけど、なんとなくこっちにw


関ヶ原において、東軍が美濃にまで進出、西軍勢力との戦端が開かれようとした頃の事である。

黒田長政の下に、父、如水の使者として、中山市内と言う者が書状を持参してきた。
その書状には『我々は軍勢を整え、石田三成に与する者達を討伐する。お前も志を堅く持って
内府殿の御下知に従うように。』と言うような事が書かれていた。

これを呼んだ長政は中山市内に

「こちらにも何度か父より書状が届いたが、これほど具体的な指示がかかれたものは初めてだ。
中山、ご苦労だがこれを持って関東まで下り、内府公のぼ披見に入れてきてくれ。」

ところが中山

「嫌です」

「は?」

「筑紫より遥々ここまでやって来たというのに、すぐ又関東に下れとは!
情けない仰せにもほどがあります!どうぞ別人に申し付けられよ!」

これには長政、怒った。こいつもか!

「言いかよく聞け!如水も私も、お前にとっては同じ主人なのだぞ!
なのに如水の言うことは聞けて、私の言うことは聞けないとはどういうことだ!?
もういい!使者の苦労がいやならもう二度とそこを動くな!!」

ところが中山も怒った
「そうじゃありません!筑紫からはるばる来たって言ったのは、さらに苦労するのを
嫌がったわけじゃないんです!
だいたいね、私がこの命を受けたとき、如水公はもう、出陣の準備を始めてたんですよ。
なのに!私はこの命令のおかげで、その合戦に参加出来なくなってしまった。

ところがこの近くまで来ると、どうやら合戦が始まる、ということになってるじゃありませんか!
それで『遠回りしたけどこれで戦働きが出来る!』って喜んでたのに、ここでまた
関東に下れって、そりゃあ情けなくて涙も出ますよ。

そりゃま、私は多少人にも名の知られた侍です。内府公にお目見えしたこともあるし、
関東への使者に、って考えられるのも、そりゃあ無理も無いと思いますよ?
だけど、筑紫での合戦の状況を見る前にこちらに来た私が関東に下ったところで、
書状に書いてある以上のことを語るのは無理ってもんです。
そういった役には立ちません。

…で、下衆の勘繰りって言われるかもしれませんが、長政様は、自分の周りの者達を贔屓して、
如水様に奉公しているそれがしなんかは大して気にも止めていないから、手柄の立てられない
そんな役目をやらせるんじゃないんですか!?」

その剣幕に、長政思わず
「…わしが悪かった。お前を関東に下すといったのは、確かにわしの過ちであった。」

と、中山を使者にすることを諦め、合戦への参加を許可した。とのことである。
506人間七七四年:2009/10/15(木) 15:00:54 ID:hqyuj7r3
で、この中山市内さん、無事合戦に参加する許可を得たのだが、一つ大きな問題があった。

「具足一式、一切持っていない。」

使者として来たのだからそりゃそうなのであるが、これで合戦に参加しようとしたのだから
全くいい根性である。

で、参陣している知り合いの黒田三左兵衛一成の所に行った
「鎧貸して!」

しかし三左兵衛
「余分の鎧なんか、ねえよ!」

「そこをなんとか」

「なんとかって言われても…、だからといってお前に、家来の鎧を着させるのも
なんだしなあ…
しょうがない、これやるからどっかで鎧一式買って来いよ。」

と、金一両を渡した。
山中はこれを大喜びでもらい、清洲の町を駆けずり回ってようやく古具足一式を手に入れ、
どうにか合渡合戦に間に合った。
そこで先手を争う活躍をしたが、石田三成の家臣、松井又右衛門の槍に突き伏せられ、
討死した。

松井がその首を取ろうとすると、笠章の緒にこんな文字が書かれていた

『今日の闘いにおいて、高名を極めよう。もしそれが出来なければ討死して、義を守ろう。

                                黒田如水内 山中市内

 うたるるも うつもよしある武士の道 よりほかにゆく方ぞなき   』


黒田長政は合渡の合戦の後、中山も討死したということを知り、「惜しきものを討たせた」と
非常に嘆いたとのことである。
507人間七七四年:2009/10/15(木) 15:31:37 ID:yvMTdn8w
>中山市内
>山中市内

っ・・・・!!
508人間七七四年:2009/10/15(木) 15:36:03 ID:hqyuj7r3
うぉぉ…

>>506の下から4行目と10行目、×山中 ○中山で…
509人間七七四年:2009/10/15(木) 15:39:03 ID:etif6bTY
どこが悪いのか。
良い話じゃあないか。
510人間七七四年:2009/10/15(木) 15:41:48 ID:n6OuCzSV
>>505うわぁ〜w
めんどくさい黒田武士だ……

>506覚悟の据わったいい話だけど、やっぱ悲しいね。
511人間七七四年:2009/10/15(木) 16:19:17 ID:hqyuj7r3
>>509
最後討死しちゃったので、こっちかなと。
512人間七七四年:2009/10/15(木) 16:48:59 ID:t3nujqDu
有名な話だと思うがまだ無いので上げてみる

織田信秀と連歌の計略
享禄5年(1532年)勝幡城の城主であった織田信秀と
那古野城の城主であった今川氏豊(義元の弟とも親戚とも)は
互いに扇子箱に付け句をつけてはやりとりする歌仲間であった
どのくらいの歌仲間かというと、那古野城の中に連歌開催中信秀が逗留する
専用の屋敷が作られているくらいの歌仲間であった

ちょっとそれフラグじゃないの?と思ったそこのあなた
その通り、フラグです

ある日連歌の最中信秀が城の本丸に窓を開けた

信秀「いやー夏の夜風っちゅうんは、ええもんで」
氏豊「そうですなー、えらいええ風や」
信秀「あっちの窓も開けますが、よろしいでっか」
氏豊「ええ、ええ。好きにすりゃあええよ、
   うちの城なんかおみゃあさんの屋敷だと思ってええから」
信秀「そりゃあ、ありがたい、では遠慮せず」ニヤリ

氏豊は夏風を楽しむ風流のためだろうと信頼しきっていた
で、城の中に屋敷があるくらいなんだから、織田のものがちょっとくらい大勢
城の中に居ても、みんな気にしたりしないのである

その夜、信秀はにわかに城に火を放ち、
城の内外から攻め寄せて城を乗っ取ってしまった
窓とか開けっ放しだからよく燃える燃える

氏豊は命乞いをして助けられ、京に逃れたらしい
その後は甥(?)を彷彿とさせる人生を送っている

以降那古野城は織田の重要な拠点の一つとなるのでした
この出来事が後の義元による尾張侵攻の大義名分となった可能性もあり
なかなか因果深いお話
そして今川には、こういう遺伝子あるのかもね
513人間七七四年:2009/10/15(木) 20:14:19 ID:U3DmX7Jb
中山市内って何てよむの?
514人間七七四年:2009/10/15(木) 20:46:35 ID:J8RQi+WB
今川宗家(駿河今川氏)の側の史料には氏豊に関する記録はないと言われてるね
彼が義元の兄弟だったとすると駿河へ帰らずに京へ逃れたのもおかしい
(家督相続など何らかの理由で義元と敵対していたため帰るに帰れなかったという可能性も無くはないけど)
氏豊は那古屋今川氏というもっと古い時代に分かれた傍流という説もある

領地を失ってみじめな亡命生活というところは氏真クンとキャラがかぶらないでもないのですけど(笑
515人間七七四年:2009/10/15(木) 22:17:37 ID:WaKAHOxP
>>506

これは、やはり悪い話でしょう。

中山は、お使いばかりでは、仲間、世間体が悪い、といって
そこまでガチで合戦に出るつもりもないから、金持ってきてない、
如水は、一生一度の大盤振る舞いした時期なのに。

長政、父に比しうる名君であるためには、
その自己愛の傷つきを察し、やんわりたしなめねばなりませぬ。

中山も、ここまで無理して合戦に参加したら生半可な功名では恥。
討ち死にでしか面目立たなかったでしょうね。

悲しきサムライ魂。

516人間七七四年:2009/10/15(木) 22:30:46 ID:hqyuj7r3
>>513
はっきりとはわかりませんが、おそらくは「いちない」かと。
517人間七七四年:2009/10/16(金) 10:45:46 ID:sex/z5wo
永禄12年(1569)7月、前年に宿敵・本山氏を滅ぼし、勢いに乗る長宗我部元親が
安芸国虎を攻めた。

これに対し国虎は一条兼定に援軍を要請、兼定は要請に応え数千の兵を用意したが、
重臣・佐竹信濃守義直らの意見により出兵を取り止め、数に劣ることになった国虎は敗北。
8月に安芸氏は滅んだ。

しばらくして後、義直の所領・久礼の城下に落首が貼り出された。

『 秋はてば 一条冬に かかるべし また来ん春を 何と信州 』

秋が過ぎ、一すじの寒気が冬の訪れを告げている。まだ来ない春は、なぜか山国の信州に
留まっているそうな。

…というヒネリのない意味なはずは無く、

安芸家が無残に果てて、一条家にも冬の時代が訪れようとしている。もう(一条家に)
春が来ないのは、信濃守のせいだ。(が、一条の御所様はご存知ないらしい。)

要するに、既に一条家にも長宗我部の調略の手が伸びており、佐竹信濃守が出兵に
反対したのはその為だったのだ。
疑心暗鬼に囚われた兼定は、諫言を重ねる家老・土居宗珊を斬り、人心はますます
一条家から離れることになる……


佐竹義直の甥・親直とその子は劇的な運命をたどることになりますが、それは別の話。
518人間七七四年:2009/10/16(金) 13:09:05 ID:KPVS2Z0r
>>513
なかやましどう じゃなかったかな
519人間七七四年:2009/10/16(金) 15:19:11 ID:6VWXYvl5
>>501
かがみんを連れて行ったら鬼武蔵は小牧長久手で死なずに済んだの?
良かったね留守番させておいて。
520人間七七四年:2009/10/16(金) 16:53:38 ID:dUGHqDJ/
>>517
佐竹義直の一族は一度城を追われたものの一条氏に保護されて城主に返り咲き、その後の戦いでは先陣として活躍したらしい
そういった経緯もあって一条家に忠実で、また一条家からもかなり信頼されてたみたいだね

でも、似たような経緯を辿った一族が一条氏の最大の敵になってしまってるんだよね・・・
521人間七七四年:2009/10/16(金) 21:52:22 ID:gpowlXFA
内藤如安の叔父。

少年時代にカトリックに入信し、若年にして内藤家の当主となった
内藤如安忠俊であったが、常日頃気に病んでいることがあった。
叔父の松永弾正久秀のことである。

多感な少年時代、彼は叔父のことを耳にし、深く心傷ついていたのであった。
叔父は、権威地に落ちたと言っても武家の棟梁である足利将軍を殺害した大悪人であると。
戦国の世ではあっても、人聞き良からざる事であった。

後年信長にとことん逆らってでも、如安は足利義昭に忠誠をつくした。
その足利家に縁の深い明智光秀に八木城に攻め寄せられ一度は撃退するも、
同じく信長に反した叔父久秀死後の翌年1576年八木城は落城、
彼は丹波の領地をすべて失ってしまった。
が、カトリックの彼はしぶとく生き残った。

武人としては無能であった足利義昭に如安があくまで付き従ったのは、
この叔父の汚名を少しでも晴らしたい気持ちが彼をがんじがらめに呪縛していたのであった。

備後鞆の小幕府と呼ばれる粗末な館まで義昭を追いかけ、大名から無録の貧乏暮らしの日々を、
秀吉に捨扶持を貰った義昭がこの地をたたんで京に戻るまで八年間、この地で送ったのであった。

ただ若い彼は、この八年間を無駄にはすごさなかった。
彼はこの地でフロイスからポルトガル語、西洋の知識を学び、
また漢籍への学識を深く極めた。
この知識が後年、北京での明との講和交渉で大いに役立ったのであった。
522人間七七四年:2009/10/17(土) 03:02:03 ID:pgxm5fPq
屁と恨み


天正十三年(1585)正月。
関東の名門千葉氏第29代当主、千葉邦胤の居城、佐倉城では、新年の祝賀が行われていた。
旗本の将士達が登城し、例年の如くの儀式、そして書院においての饗応。
この饗応の配膳を行っている者の中に、邦胤の近習で、当時18歳の鍬田万五郎と言う者が居た。

この万五郎が配膳の最中、大きな屁をした。
しかも、二発。

大切な正月の饗応の最中、なんたることか!千葉邦胤は大いに怒り、目を怒らせ口を極めて叱責した。

ところがである、これに万五郎がたてついた

「出物腫れ物所かまわずと言うではないですか!
このくらいの事、普段からありうる失敗なのに、こんな晴れの場でそんなに叱り付けなくても
いいじゃないですか!!」

この憚るところを知らぬ口答えに、邦胤は激怒した。
彼は万五郎を蹴り倒すと短刀に手をかける。そこを傍の者達が必死に止めて、
万五郎を引き下がらせた。その上で邦胤をどうにか言い宥めて、万五郎は
椎木主水正に召し預け、と言う処分となった。

そうして左右の者達は「万五郎は殿から見れば、もとより吹けば飛ぶような小物ではありませんか。
そう言うものが逆上して妙な事を言っても、そんなことは気にするほどの物では無いでしょう。
どうか寛大なお心で、あいつを許しては頂けないでしょうか?」

そう詫び言を言うので、邦胤はやがて万五郎の謹慎を免じ出勤を許した。
確かに邦胤は許した。が、問題が一つ。鍬田万五郎は、これを許していなかったと言うことである。

万五郎は最初に蹴り飛ばされた無念を忘れなかった。「必ず復讐してやる!」
四六時中、邦胤の隙をうかがっていた。
そしてその時は来た。5月1日、深夜。

万五郎は邦胤の寝所に密かに忍び込むと、ふた刺しして逃げ出した!
「憎き小倅の仕業だ!」邦胤の叫びを聞いた佐倉城の宿直の者達が寝所に走り入ると、
邦胤の体は鮮血に染まっていた。

「鍬田の奴を逃さず、討ち取れ!」

そう叫ぶと、そのまま事切れた。

鍬田の方は城の物陰に隠れ、夜が明けてから堀を乗り越えて菊の間のある台地まで逃げたが、
その先に追っ手の人数が充満していることに逃走をあきらめ、林の茂みの中に入り、
切腹して果てた、とのことである。

この事件により、千葉氏は事実上北条氏に吸収されるなど、大変なことになるのだが、
それもこれも、元はと言えば二発の屁から始まったことであった。

げに恐ろしき、屁のお話。
523人間七七四年:2009/10/17(土) 03:06:00 ID:DhaOGc6j
へー
524人間七七四年:2009/10/17(土) 03:10:57 ID:O+plwcSj
先にレスされてしまった

先陣争いに敗れた心境はこんな感じなんだろか(´・ω・`)
525人間七七四年:2009/10/17(土) 06:03:04 ID:dVP0qwdr
伝説の兄貴、良胤が実在して惣領として力を奮っていたら千葉の未来は変わっていただろうに
526人間七七四年:2009/10/17(土) 06:14:06 ID:2FfnTrOt
なんていうか坂東はフリーダムだな
527人間七七四年:2009/10/17(土) 08:18:31 ID:vLNEEX+P
       _({})      
      ノノノ小ヽ    
    川`;ω;´)  < 万五郎! 出ていらっしゃい!  
    ,ノ゙゙゙゙゙ハヽ、   
    `〜ェ-ェー'′
528人間七七四年:2009/10/17(土) 09:49:30 ID:dVP0qwdr
>526
すでに北条に隷属していて千葉介の権威は失墜
家臣たちは直接、北条に命令を受けるような状況にあった

さらには千葉の氏族で重臣筆頭である原氏の家臣高城氏などは、原氏・千葉氏・北条氏の3氏に加え一時期には古河公方の命令を受けて活動しているような始末
つまりお家の上層部は力を失っていてグダグダになっていたのだ

こんな状況を憤っていた良胤は、家督を継ぐとさっそく親北条の方針を転換して当時の畿内に力を持っていた織田信長に接近を図ることにした

ところが北条の直臣同様の家臣たちは良胤の方針に猛反発し、原胤栄を中心にしてある陰謀が企てられた
すなわち、当主良胤の幽閉である

良胤は下総公津(成田市)に幽閉されさらにのち奥州へと追放されることになる
こうして弟の時に屁こき事件が起きるのであった


あくまでそういう言い伝えがあるだけで、"この"良胤の存在は史料上確認できないけどね
529人間七七四年:2009/10/17(土) 11:44:38 ID:kMpF0qsk
万五郎の単独犯にしてるけど黒幕が居るんじゃね?>邦胤暗殺
530人間七七四年:2009/10/17(土) 12:46:12 ID:nfItTYzG
>>529
氏康「例えば?」
531人間七七四年:2009/10/17(土) 14:33:01 ID:C85c7Wb+
クワマンの黒幕か…
532人間七七四年:2009/10/17(土) 14:34:27 ID:KMjDk7hv
白塗りのアイツ?
533人間七七四年:2009/10/17(土) 15:39:08 ID:z4u6hAoJ
>>528
気仙郡のあたりに千葉氏がいたが、それと関係あるのかな?
534人間七七四年:2009/10/17(土) 18:32:49 ID:nfItTYzG
そういえば氏康も戦国大名らしくなかなか謀略や調略を多用してるんだけど
爺さんがよりはっちゃけてて、近所に同盟破りの名人いるせいか
あんまり謀将っていうイメージ無いのがズルいよなあ……
信長の野望の氏康の義理値がいつも納得いかない
535人間七七四年:2009/10/17(土) 18:58:53 ID:FxgLhkFu
学がある家臣が長宮に「岡豊という地名はもと豊岡と言ったのを誤って
伝わったものです。旧に復すべきです」と申し出た。
長宮は「先祖が伝えてきた地名を軽々しく変えてはならない」と、その
家臣を切腹させてしまった。

信念はかっこいいけど切腹させる必要は……

ちなみに岡豊城のある山は確かにもともと豊岡山で、山上に豊岡上天神
社という神社があり、城を作るときに麓に移したという。
岡豊の名をつけたのは初代能俊との説もあるが、そのころから岡豊山に
城を築いていたかは疑問。
536人間七七四年:2009/10/17(土) 19:02:57 ID:+xiYy8Tx
ノブヤボに関しては家康の義理堅さも納得いかないし、毎回そんなんだよね
537人間七七四年:2009/10/17(土) 21:13:11 ID:M5ShpqIe
>>534
 ,'"~`ヽllllllllll!'  ==、:;;;/;;;;;;;;;;;;;::.:. j     
 !.l"`,, |llllll!' :.:.:::;,,,___`ヾ、;;;;;;;;::;、rィ    
 ', ',>、|lll''   .:.::`'''゙メ`';;;:::::;;イェュ┤  いや、全くですな  
 ,゙、゙'- .!l' :..:..:.:.::;r'"´;;;:::..:.: :.l; :.:.:. |  
538人間七七四年:2009/10/17(土) 21:18:27 ID:KVryatKL
藤堂さんとか最上さんの義理値も納得イカン
539人間七七四年:2009/10/17(土) 21:26:15 ID:QPt0LQys
>>534
それを言い出したら謙信公だって・・ねェw
540人間七七四年:2009/10/17(土) 22:06:58 ID:wWzxKMYD
koei設定に文句言ったらキリがないだろ
541人間七七四年:2009/10/17(土) 22:38:57 ID:6lo7KK8E
しかしまー
542人間七七四年:2009/10/17(土) 23:58:36 ID:FaWc78Tp
そもそも義理って数値化できるんかね? 無意味な設定すぎる。
543人間七七四年:2009/10/18(日) 00:34:26 ID:qpqfu8J2
義理値で納得する人は誰なんだろう。自分は高橋紹運だなw
544人間七七四年:2009/10/18(日) 00:35:30 ID:V+J9BwMx
>>542
あくまでゲームとしてのそういうシステムが設けられているだけなんだから
そこまで目くじら立てなくてもいいでしょ
545人間七七四年:2009/10/18(日) 00:39:09 ID:/cSk+vjA
そもそも頭の良さとか政治の上手さとかも数値化できるようなもんじゃない
肥だって数値化できないことを承知の上で数値化してるわけだし、
それに文句言っても詮無きことよ
5462/1:2009/10/18(日) 02:00:04 ID:qJ8bat5+
宇喜多秀家が八丈島へと配流される時、その息子八郎も、共に島流しとなった。

この八郎には乳母がいたが、この女、八郎が幼少で自分から離れ、遥かな島まで
行ってしまうのを深く悲しみ、奉行所まで駆け走り、「自分も共に島へ送って下さい!」
そう、訴えた。

何の罪も無い人間を島に送るわけにはいかない。
奉行所ではそう言って許さなかった。乳母、それを聞くや
「この上は何のために生きろというのでしょうか!」と、自殺に及ばんとした。

官吏たちは慌ててこれを止めさせ、集まって話し合いをした。
「このまま放置すれば、あの女は結局自殺してしまうだろう。
そうなれば、それを見殺しにしたといわれ、その事が上聞に達し、『何故そのような事をした』などと
お咎めを受ける事にも…

よし!今から上の人間に聞いてこよう!上に話を上げておけば俺達の責任にはならないしねw」

まあそんなわけで上層部に話が上がり、なんのかんので「まあ婦人一人のことだし、
かまわないんじゃない?」と判断された。

許可を受けて乳母殿、大変に喜んだ。が、彼女には当時三歳の子があった。
彼女は秀家の内室である、前田利家の娘、樹正院(豪姫)の元に参り

「私は八郎様にお供して島へと参ります。この子はどうか、お側人にでも仰せ付けくださって、
人がましく育ててください。」

そう言って、その子を置いていった。
5472/2:2009/10/18(日) 02:02:50 ID:qJ8bat5+
さて、この乳母の子、樹正院が自ら膝下にて撫育し、成長してからは樹正院の実家である
前田家に仕え、名を澤橋兵太夫と名乗った。

が、この兵太夫、明けても暮れても実母のことを思い、涙を流して暮らし、
ついには世をはかなんで出家してしまった。
しかしそれでも思いは治まらず、元和のころ、将軍秀忠が上洛した際、二条城に入るとき、
その駕篭近くまでよって、訴訟状を差し出した。

当然のことながら、慌てて供奉の者たちが間に入り、この不届き者を斬って捨てんとしたが、
これを見ていた駕篭の秀忠は「沙門を斬ってはならぬ。」と、訴状を受け取り、
後より召し連れてくるように、と命じた。

その訴状には、こうあった。

『私が三歳の頃、母は主家の宇喜多氏を慕って、八丈島へと行ってしまいました。
母を島に置いたまま、子である私だけがここに残っていると言う事実が、私はこのまま生きていて
いいのかという感情に苛むのです。

どうか、ご慈悲を持って母のいる島に私を送って下さい。』

これを見た秀忠は、「思いとどまるように説得せよ」と命じた。
幕府や、彼が使えていた前田家の役人達は何度も考えを変えるようにと言い聞かせたが、
兵太夫は聞き入れようとはしなかった。余りの思いつめように、秀忠も哀れに思い

「お前を島へと送る事は、法に反することであり、聞き入れることは出来ない。
母に島から帰るよう、説得の手紙を出してはどうか?」と、提案した。
そこで兵太夫は母に手紙を出してみたが、その返事は

『お手紙受け取りました。私はお前が三歳のとき、ご主君の先途を見届けようと
お上に願い、ここへとやってきたのです。

それなのに、今更お前の姿を見るため帰るなんて、そんなことがあるものですか!
なんと言う馬鹿馬鹿しい事でしょう。このような事、返答をするにも及びません!』

これを読んで兵太夫、今にも死にそうな面持ちとなる。
幕府の官吏達もさすがに同情を禁じえなく、「こ、この件で何か他に願いあげたいことがあれば、
お許しをいただけるよう我々も努力するぞ?」と言うと、兵太夫、

「…ここまで言われたら、私の所存など、もう申し立てすることもありません。
ですが、ただ一つだけ願い奉りたいことがあります。
前田家は宇喜多家と由緒のある間柄です。どうか、あの家より八丈島の宇喜多家に、
毎年援助物資を送れるようにしていただきたいのです。
そうすれば、母もきっと喜ぶでしょう…。」

幕府はこれを聞き届け、その物資を点検した上で、毎年島に送ることを、さし許した。

この後、兵太夫は孝子であると、多くの大名家から仕官の申し出があったが、
それらはすべて断ったものの、前田家からの帰参の申し出だけは断ることが出来ず、
藩士として復帰した。しかし程なく病にかかり、子を残さぬまま死去。
彼の家は断絶となったと言う。

いい話なんだか悪い話なんだかなんともいえない、
前田家が八丈島に物資を送るようになった理由のお話。
548人間七七四年:2009/10/18(日) 02:09:37 ID:Bt/bupZu
家が断絶したのは残念だけど、母子揃って忠心と孝心にあふれるいい話じゃないか
549人間七七四年:2009/10/18(日) 02:43:16 ID:t82X8Tca
>533
鎌倉幕府によって北は東北から南は九州まで、相馬や国分など一族朗党を従えて各地を治めてきたのが千葉氏

元寇のときに惣領が太宰府に下っていったわけだけど、なんと留守番の弟が地位と下総の領地を横領
この系統が戦国期に内紛を繰り返しながら北条に吸収されていくんだけどね


ちなみに横領されたお兄ちゃんの系統も戦国期まで続いていて、鍋島直茂が家督は相続しなかったものの幼少期に養子入りしている
550人間七七四年:2009/10/18(日) 09:32:19 ID:yRSeOAJ0
ウィキペディアからの転載

晩年の政宗は、『酔余口号』という漢詩を残している。
「馬上少年過、世平白髪多、残躯天所赦、不楽是如何。」というものであり、前半の三句は「若い頃は馬に乗って戦場を駆け抜けたが、世は太平になり自分にも白髪が増えた。天に与えられた余生が残ってはいるが」と解釈できるものの、
最後の句は「楽しまずんば是いかん(これを楽しまずしてどうしようか)」あるいは「楽しまず是如何に(楽しいとは思えないのはどうしたことか)」と全く違う二通りの解釈ができてしまう。
政宗自身がどちらともとれるように作ったのか、政宗の残した大きな謎となっている。

このスレの読者や酒井忠勝、土井利勝、伊達忠宗、佐竹義宣、細川忠興その他の人々にとって、 「楽しまず是如何に(楽しいとは思えないのはどうしたことか)」という解釈は絶対許せないと思う。
551人間七七四年:2009/10/18(日) 09:50:36 ID:4RhI/AP8
>>549

伊達政宗殿

自分が邸に招いた将軍の前で酔いつぶれ、家臣からずるずると
引きずられながら退出したり、

能の一般興行を観に行って、アンコールを執拗にせがんで駄々をこね、
他の客を煽りたてたり、まことに人生をとことん楽しんでおられますなあ。

隠居して、茶をたて、3男の心配するしかやることのない辛気臭い私は、
いとうらやましき限り。

と、三歳公。
552人間七七四年:2009/10/18(日) 10:19:29 ID:bisArNOf
>>550
司馬遼太郎の短編「馬上少年過ぐ」でも扱われていたね
司馬は、後者にちかい解釈をしていたと思う

あと、最後の二行がイミフ
読者はお前だけじゃないぞw
553人間七七四年:2009/10/18(日) 10:34:05 ID:4D/r2NKy
>>550
やりたい放題やって傍目から見ると面白おかしく暮らしているはずだ。
なのにどうして楽しく心は満たされないのだろう?

という解釈だって出来ちゃうんだよな。
自分が読んだ本では、小十郎初めとした信頼した大事な家臣が
次々先に逝ってしまったので寂しくなったんだろうって解説してた。
554人間七七四年:2009/10/18(日) 12:38:40 ID:RFAtSSb6
いや、鬱の発散のため贅沢三昧しまくってるが、仙台は財政破綻や幕府の伊達討伐の噂に恐れおののき楽しめないってことを表してるんだろ
555人間七七四年:2009/10/18(日) 12:43:34 ID:4AAxy/ck
そういや仙台って地名を名づけたのも政宗なんだっけ
556人間七七四年:2009/10/18(日) 14:19:00 ID:cymzAB1J
三千の生首

天文一六年 
武田晴信は関東管領上杉憲政の支援を受けて反旗を翻した
志賀城の笠原清繁を討伐に動いた。
戦は武田優勢に進み志賀城は水の手を断たれ
上州上杉軍は典厩、甘利、真田達に敗れ敗走し上杉軍は三千人の捕虜を出した。
武田晴信はこの捕虜達を自分に逆らう者はどうなるかの見せしめとして
捕虜三千人の首を全て刎ね、その生首を志賀城の石垣に並べたのだった。

志賀城の兵士達は三千の生首に戦慄恐怖したが
この行為につまり降伏しても助かる見込みもなしと判断し
激しい怒りと報復の念を抱き水がないにもかかわらず、降伏勧告の矢文を黙殺し
落城まで最後の一兵までもが抵抗し、笠原清繁も城と運命を供にした。
城兵は悉く討死し、さらに家族は人買いの手に渡り金山の坑夫や娼婦、奴婢として売り払われ
笠原清繁の妻はニ十貫文で小山田信有に買われた。

この悪逆非道な行いに怒った村上義清は死者の着る経帷子を旗印とし、死んでも武田に降らない意志を示し
上田原の戦いでは只ひたすら晴信の首を狙ったという。
557人間七七四年:2009/10/18(日) 14:32:31 ID:4D/r2NKy
>>555
もともと青葉ヶ崎の国分氏の旧城・千代城があったんだが、
城の側に虚空蔵堂と千体の仏を収めた千体仏堂が建立されてあったので、
そのため古くから千体と呼ばれた地だったらしい。
国分氏の時に千代と字を当てた。
後に政宗が、千体=千代を仙臺と改めた。
地名縁のお堂は向山に移されて、現在の大満寺になったという。

政宗がこの字を当てたのは、
中国唐代の詩人カンコウ(カンユウ?)による
七言律詩『同題仙遊観』の冒頭句から採ったと言われている。
中国で「仙臺」は、「仙人の住む尊い場所」という意味で、
仙遊観と言うのは紀元前2世紀に前漢の文帝が建てた宮殿の事。
その壮麗さから、「仙臺」と呼ばれ、
「仙臺初見五城楼」はその宮殿の壮麗さを讃えた詩。
中国で伝説上の存在として知られる仙境崑崙山の
五城十二楼の宮殿に、仙遊観をなぞらえて詩を詠んだらしい。

仙臺は戦後、新字体の仙台に改められた。
558557:2009/10/18(日) 14:34:21 ID:4D/r2NKy
七言律詩『同題仙遊観』の冒頭句=「仙臺初見五城楼」な。
書き忘れ失礼。
559人間七七四年:2009/10/18(日) 14:39:07 ID:4AAxy/ck
おーありがとう
ここではDQNで通ってる政宗だけど
やっぱり教養あるなあ
560人間七七四年:2009/10/18(日) 15:11:15 ID:bisArNOf
教養がないDQNなら育ちのせいで仕方ない気もするが、教養があってDQNだと厄介だよなw
561人間七七四年:2009/10/18(日) 15:29:59 ID:4fsffx7v
当スレのDQN四天王のうち3人までが「教養があるのに・・・」ですから
ヒャッハー森さんは早死にしたのでよく分かりませんたぶん教養もあったんじゃないかな
562人間七七四年:2009/10/18(日) 16:11:51 ID:7NdQTrHP
城の名前を天下統一城とか子供の名前を最強丸とか名付けちゃうような
ぶっ飛んだネーミングセンスの男は一人ぐらいいなかったのだろうか
563人間七七四年:2009/10/18(日) 16:19:32 ID:zc3kHSav
おっと天才丸の悪口はそこまでだ
564人間七七四年:2009/10/18(日) 16:30:58 ID:hnxWYgpE
息子の名を「奇妙」とか「人」とか付けちゃう人もいるがなー
あと岐阜城も天下統一城も意味的に似た様なもん
565人間七七四年:2009/10/18(日) 16:38:04 ID:qJ8bat5+
>>564
「岐阜」の名前が、「周の文王の故事から信長が〜」ってのは俗説で、
実際は「長良川側の丘陵」って意味で、しかも信長以前から使われていた地名だそうな。
566人間七七四年:2009/10/18(日) 17:01:30 ID:RLL7/k+1
今川吉本は息子に龍王丸と名付けたんだぜ
他に息子がいたら戦神丸とか邪虎丸とか名付けるんじゃないかとハラハラしたぜ
567人間七七四年:2009/10/18(日) 17:10:35 ID:qJ8bat5+
>>566
「龍王丸」は、代々、今川宗家の嫡男が名乗る由緒正しい幼名でござる。
義元の父親の氏親も、兄の氏輝も「龍王丸」でした。

北条家の「新九郎」、徳川家の「竹千代」みたいなもの。
568人間七七四年:2009/10/18(日) 17:21:17 ID:7qqg6M17
「龍王丸ー!」 「おおーっっ!!」(CV:玄田哲章)

・・・ではなくて「たつおうまる」だからね、念のため。
569人間七七四年:2009/10/18(日) 17:33:51 ID:QMYbhyRD
細川政元「幼名を聡明丸と申す!」
三好之長「裏返ったんですね、わかります」

足利政知の長男「茶々と申します」
本願寺顕如さま「茶々と申します」
豊臣秀頼の母親「茶々と申します」
570人間七七四年:2009/10/18(日) 17:40:47 ID:82mUdVms
>>568
絶対そっちだと思ってたわw
571人間七七四年:2009/10/18(日) 17:57:21 ID:qJ8bat5+
関ヶ原は岐阜城攻めの時の話である。

ご存知のように戦国の軍隊において使番とは、馬術に巧みで、家中でも武勇優れたものに
命ぜられる、大変名誉ある役目であった。

さて、福島正則の部隊には、20名の使番がいた。
その中の一人、櫛田勘十郎は岐阜城攻めのさい、下人に指物を持たせていたのだが、
この下人が合戦に恐れをなし、指物を持ったまま坂の上から下まで、逃げ出してしまった。

合戦が終わると、櫛田は他の19人の使番たちを前に、こんな事を言い出した。

「本日の合戦で、わしが指物を持たせておいた下人が、坂の下まで逃げ下った事、
これは殿より預け頂いた指物の誇りに傷をつけ、また、福島家の使番として、あなたがた
19人の名誉をも傷つけた行為であった。

私は明日にも殿の元に出向き、この責任を取るため御家を退転させてもらえるよう
願い出るつもりであった。しかし後々、『あいつは岐阜城攻めで逃げた者だ』などと
言われるのも心苦しい。

そこで」

櫛田勘十郎、福島正則に、切腹を願い出た。

「何を言っているのだ!?」
流石の正則もこれには反対した。そりゃそうだ。下人が逃げたくらいの事で、何でわざわざ
家中の優秀な侍を切腹させねばならないのか。
だいたい主君の名誉を傷つけたとかつけないとか、正則が怒ってからならまだしも、
一言も言わないうちから責任を取るなどといわれては、主君のほうが困ってしまうのである。

正則は散々に改心するように説得した。しかし櫛田はあくまで考えを改めない。
しまいには「ここで切腹しなかったら自分の武士が廃る」などと言い出す始末。
ついに根負けした正則、切腹を許してしまったそうだ。

櫛田は見事に腹を掻っ切ったそうである。

一本筋が通っているような、終始ボタンを掛け違えているような、そんな、なんとも言えないお話。
572人間七七四年:2009/10/18(日) 18:04:34 ID:cymzAB1J
関ヶ原後に同じく福島家の使番佐久間切腹の話は出てたっけ
573人間七七四年:2009/10/18(日) 18:12:20 ID:RLL7/k+1
>>567-568
でも今川氏輝は龍王丸じゃなくて竜王丸なんだぜ
こっちも「たつおうまる」それとも「りゅうおうまる」
574人間七七四年:2009/10/18(日) 19:43:40 ID:wfjPGwnh
> 566
難波の演芸小屋に海道一の弓取りが!上洛の目的は麿コントを演じることか?
とか一瞬連想したが、当たり前に義元だよなスマソ
575人間七七四年:2009/10/18(日) 19:48:18 ID:wfjPGwnh
>>556
甲斐は人炒り釜(家康と本多作左の話に出てくる)の国だからなあ…
信賞必罰、一罰百戒ていうがやりすぎな観あるねそいつぁ.
576奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/18(日) 20:32:16 ID:1xpHWRsT
>>567
「龍王丸」「竹千代」「新九郎」

明らかに仲間はずれが一つ混じってないか。
577人間七七四年:2009/10/18(日) 21:13:13 ID:OnaP91F4
ネーミングセンスと言えば

水野勝成が西国鎮護に福山に封ぜられ
その拠点として福山城を築城し、そのお祝いの席でのお話

城下では、築城のお祝いと同時に、小正月の左義長のお祭りが開かれ
大いに賑わっており、

また一方、城内でも築城のお祝いの茶会が開かれ
多くの者たちが招かれていた。

そんな中、以前から水野家に商人として出入りをしており
今は、福山にて商売をしていた商人、高田屋宗樹が
その茶会に来て、勝成にお菓子を献上した。

そのお菓子は、白あんの小豆のあんこのまんじゅうで
当時にしては、変わったものであったという。

この時、勝成はいたくこの菓子を気に入ったらしく
「この菓子は、何ていう名前なのだ」と高田屋に聞き
その際、菓子にはまだ名前がないと知ると


「ならば、この菓子の名は「左義長」(とんど)とせよ」と


高田屋に言い、これからも納入するように命じたという。

その高田屋は、水野家に藩の御用のお菓子として
この「左義長」をその後も納入し続け、
水野家改易後も福山に残り菓子匠として商売を続けた。

そして、今もなお、福山では、
このとんど饅頭は売られ、福山では親しまれているという。


ある種、大らかさがあるけど
よく考えるとネーミングセンスがアレな鬼日向さんのお話
578人間七七四年:2009/10/18(日) 21:32:10 ID:eEI5T3N0
そういや新九朗は仮名だっけ
氏康は伊豆千代丸で氏政は松千代丸なんだよな
○○千代っていうのはポピュラーな幼名だったのかな
千代って付くだけでかわいい名前になるが
579人間七七四年:2009/10/18(日) 22:35:23 ID:us4IjAfp
最近この人元気ないね?
580人間七七四年:2009/10/18(日) 23:13:29 ID:2j3cWe6j
>>552
大河ドラマでもジェームス三木氏が解説してたね
581人間七七四年:2009/10/18(日) 23:17:33 ID:Uh5m3s8o
>>577
それ、○型のどら焼き生地の水分少ないみたいな奴を半分に折りたたんで
中に白っぽい餡はさんで、銀紙でがっちり包まれてる「どんど焼」という
お菓子と同じかな?
582奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/18(日) 23:23:12 ID:1xpHWRsT
どう考えても違うだろうが。
583人間七七四年:2009/10/18(日) 23:24:37 ID:OnaP91F4
>>581
ちょっと違う、こういうお菓子
ちなみに高田屋さん改め虎屋さんのページ
ttp://www.tora-ya.co.jp/10191/10197/10226/
584人間七七四年:2009/10/18(日) 23:27:47 ID:b8wwzxdI
>578千代に八千代に長生き子孫繁栄してくれたら縁起がよろしいからジャマイカ
「仙台も千代から発してる」>>555-558なんて話あるしさ。
585人間七七四年:2009/10/18(日) 23:29:59 ID:qJ8bat5+
どんど饅頭
http://www.tora-ya.co.jp/10006/index.html#s_01

どんど饅頭の歴史
http://www.tora-ya.co.jp/tondomanju.htm
福山どんど祭りの由来と歴史
http://www.tora-ya.co.jp/tondomatsuri.htm
586人間七七四年:2009/10/18(日) 23:39:33 ID:Uh5m3s8o
>>582-585
違ったかwありがd。
皮がしっかりしててうまそうだな。特に栗の奴が食べてみたい。
下の方にある萩の月っぽい福の月というのもちょっと気になるw
587人間七七四年:2009/10/19(月) 07:52:18 ID:KPt7O7YN
>>549亀だが、龍造寺四天王の円城寺信胤が千葉氏の支族、
江里口信常は鍋島さんにつけられて千葉氏から龍造寺に出向した家臣だったっけ
588人間七七四年:2009/10/19(月) 11:58:00 ID:LWYlntNk
「勝利の秘密」

柳生新陰流は、将軍家に仕えた但馬守宗矩の江戸柳生と、
尾張徳川家に仕えた兵庫助利厳の尾張柳生とに分かれていた。
実は尾張柳生の方が正統であり、実力も上だったりする。
その尾張柳生のNo2に高田三之丞為長というDQNがいた。
略歴 16歳の時、喧嘩で同僚を殺して主家を出奔。
→江戸で浪人5人と喧嘩して殺傷。
→江戸で旗本(供が16人)と喧嘩、3人斬殺。京都へ逃げる。
→京都でも浪人と喧嘩。3人斬殺。
→逃亡中、尾張の竹腰家に腕を買われて仕官。辻斬り犯を捕らえる手柄を立てた。
で、主人が「うちにはこんな強い奴がいるんだぜ?」と自慢した為、兵庫助利厳と仕合う事に・・・
さすがに格が違う。三之丞はボコボコにされ、利厳に弟子入り志願。
その後、あっという間に師範代に登りつめたのだから、やはり只者では無い。
しかし、基本的にDQNの本性は治らなかったようで、仕合いの時には必ず
「おいとわしや・・・」(気の毒にな・・・)
と相手につぶやいてから、一瞬で勝負を決めるという奇妙なクセがあった。
589人間七七四年:2009/10/19(月) 11:58:58 ID:LWYlntNk
そんな彼がある剣士をテストする事になった。
上泉権右衛門義胤(かみいずみごんえもんよしたね)である。
剣聖上泉伊勢守信綱の孫であり(父は信綱の嫡男常陸介秀胤)、無楽流の達人であった。
上泉といえば新陰流の開祖だが、この義胤は父から「新陰流を学ぶ資格無し」とされ、無楽流を学んだという。
井伊直政、池田光政に仕えた後、尾張徳川に仕官を求めた為、腕前をテストされる事になった。
かくして高田三之丞VS上泉権右衛門の仕合いが行われた。
一本目。三之丞が圧倒的に優勢だった。権右衛門は青ざめた顔で防戦一方。
ついに「おいとわしや・・・」
決め台詞を吐いた三之丞の一撃が炸裂した。
敗北後、蒼白な顔で汗をだらだら流した権右衛門が休憩を申し出た。
で、なかなか帰って来ない。「逃げたな・・・」と思われ始めた頃、
「お待たせ!じゃあ二本目いこうか!」と権右衛門が帰ってきた。明らかにさっきと雰囲気が違う。
そして二本目は権右衛門の圧勝。
続いて三本目。やはり権右衛門が強い。三之丞は得意の決め台詞を吐くどころか、一方的に負けた。

仕合い後。利厳は権右衛門に問うた。
(゚Д゚;)「一体、一本目の後にどんな秘術を使ったんだ?」
( ゚∀゚)「え?トイレに行ってただけっすよww」
ガ━━━━Σ(゚Д゚;)━━━━ン!!

尾張柳生のちょっとかっこ悪い話。
590人間七七四年:2009/10/19(月) 12:08:57 ID:Ci9eCGf5
伊達政宗に重い年貢を課せられた平民たちが食う米がないので、しょうがなく小麦粉で作った料理は「すいとん」だそうです

それをたまに食べた政宗は、こんなウマい食べ物を平民に食わせたらあかん
おもふれを出して御法度の料理で「はっとう」という料理になったとか
地方によってそう呼ばれる

政宗は伊達巻きが好物らしい
591人間七七四年:2009/10/19(月) 13:08:27 ID:HBluiBgl
綱元「豆飯、焼きイワシ、イモノコ汁はご馳走ですよね」
592人間七七四年:2009/10/19(月) 13:17:12 ID:FePhMMUs
まーくんとこの年貢ってそんなに重かったのか?
よく一般的には四公六民とか五公五民とか言われるみたいだが。
593人間七七四年:2009/10/19(月) 13:24:36 ID:scjY7RQ/
>>590
微妙に違ってるな…
別に重い年貢があった訳ではなく「買米制」で年貢を納めた後の米も藩が買い上げてたから、ってのと
御法度の理由も>>590じゃなく、小麦を作るのに精を出し米作りがおそろかになるんじゃないかと領主が心配したから、だな

あと政宗の時代じゃなく5代目の伊達吉村の時代の話だし
594人間七七四年:2009/10/19(月) 13:24:50 ID:a4JG0ZnG
まあ、この手の名物料理には、「年貢が重くて〜」とか、「不作で〜」とかの
伝承がセットになっている事が多いので、一概には言えないが、殆どは
実態云々とは関係なく

『ご先祖はこんなに苦労してこの料理を作ったんだよ』

と言う、一種のありがたみの付加のための「伝説」だと思われる。
595人間七七四年:2009/10/19(月) 14:13:45 ID:ibRS9o2r
>>589
剣聖の血筋パネェ
ってかそれだけ強いのに新陰流学ぶ資格無いとか、
新陰流正統の流れは極めるのにどれだけ才能が必要なんだろう…
596人間七七四年:2009/10/19(月) 15:10:59 ID:G744MvHU
頭の中を陰謀ばっかにしたり
隻眼になってクリーチャーと戦ったり
女性と見紛う美貌を備えて家光とアッー!したり

等が必要になります
597人間七七四年:2009/10/19(月) 16:31:54 ID:cGKTCuJW
>>595
その親父さんには
「何で1本目前にトイレに行っておかなかったんだこの未熟者めが!!」とかいわれていそうな・・・。
598人間七七四年:2009/10/19(月) 17:17:44 ID:sQRnxncE
そんなんだったから学ぶ資格はないと言われたのかもな。
トイレに行きたいから負けたとか許してくれなさそう。
その場で漏らしながらでも勝てとか言われそうだ。
599人間七七四年:2009/10/19(月) 17:23:10 ID:scjY7RQ/
>>598
その場で漏らしたら勝つるだろ、むしろ
権右衛門「ブリッ、ブリブリッ」
三之丞「(゚Д゚;)も、漏らしたよこの人」
権右衛門「隙あり!」
600人間七七四年:2009/10/19(月) 17:37:05 ID:AxC8HjsQ
半兵衛「その場で漏らせば、さすが新陰流の御曹司と」
秀胤「言いませんから」
601人間七七四年:2009/10/19(月) 17:37:08 ID:mrJ9sn03
岡山藩て表見向き税率三割七分くらいだが、実質六割以上の重税なんだよな。
もともと姫路五十二万石だったのを三十二万石に減封されたので
三十二万石の領土を五十万石あるものとみなして税をかけたから。
602人間七七四年:2009/10/19(月) 17:53:22 ID:wiR7r1Wv
>>601それでケチケチ「ご飯におかずは一品のみ!」て倹約令出して、
反抗した町人にバラ寿司を発明されぎゃふんエンドすか。
603人間七七四年:2009/10/19(月) 18:04:47 ID:tvorVE4L
その場で漏らしたらで思い出した良くも悪くもない話。
ガイシュツだったらスマソ。


政宗、息子忠宗を叱る


ある日、伊達家において曽根内匠という歴戦の兵が、
政宗の子・忠宗に武辺話を聞かせていた。
武辺話というのは老練な武将が語る合戦の体験談で、
まだ未熟な者や経験のない者に対して、
実践のノウハウをレクチャーする場でもある。
ところが忠宗、この話の途中で一旦席をはずしてしまった。
政宗は忠宗を呼び、何故中座したのかを問いただした。

「小用に行ってまいりました」

要するにトイレである。だがこれを聞いた政宗、
物凄い勢いで怒り、忠宗を叱り飛ばした。

「尿なんかたれてもよい!大事な席を立つな!」

武士が戦の話を聞くときは、小用も忘れて熱中するもの。
漏らしたっていいから話を聞いていろ、というわけである。
武辺話はそれほど大事な話だったというお話。

604人間七七四年:2009/10/19(月) 18:18:03 ID:VjpI98S8
>>599
後のセクシーコマンドーの開祖である
605人間七七四年:2009/10/19(月) 18:21:27 ID:Td4Gfk/l
>>603
既出ではないが登場人物がこれと違うだけで話は同じだな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-34.html
さて、どっちがオリジナルの逸話なのか…
606人間七七四年:2009/10/19(月) 19:05:01 ID:AtbzHw10
政宗がそんな事言うわけないというのはこのスレに毒され過ぎかな……

もっと捻った言い訳で小用に行けとかいいそう
政宗本人なら絶対我慢しないだろうし、息子にも強要はしないだろ
607人間七七四年:2009/10/19(月) 19:24:18 ID:cGKTCuJW
政宗だったら連れションついでに話するなんてのも朝飯前だとも思ってしまったり。
608人間七七四年:2009/10/19(月) 19:50:44 ID:acF4J66E
>>598-600>>604
家康「ウンコ漏らしたくらいでぎゃーぎゃー言うな」
609603:2009/10/19(月) 19:57:31 ID:tvorVE4L
>>605
ソース見てきた。
ソースに、更にソースとして明記されてたのは
政宗の話・・・・「武功雑記」
半兵衛の話・・・・「常山紀談」
だそーですw
半兵衛バージョンの話もあるってところ省いちゃったんだけど、
そっちはガイシュツだったんだな。
610人間七七四年:2009/10/19(月) 20:49:20 ID:Td4Gfk/l
ってことは少なくとも政宗の方が逸話が古いって事か
611610:2009/10/19(月) 20:52:39 ID:Td4Gfk/l
途中で送信してしまった

ってことは少なくとも政宗の方が逸話が古いって事か
いずれにしても座敷で小便漏らせとかいう発想自体は常人とは違うのは確かだな
わざわざソースを探してくれてd
612人間七七四年:2009/10/19(月) 21:03:07 ID:siZZUAG6
既出かも知れないが、みんな大好きDQN四天王五番目の男、福島正則のお話を

福島正則と言えば、太閤秀吉から賜った名槍『日本号』を
母里太兵衛に呑み取られてしまった逸話を始め竜頭蛇尾なこと三国無双な
人物で御馴染みであるが、実はその太兵衛と黒田家で双璧をなす
後藤又兵衛にもギャフンと言わされた逸話がある。

福島正則は常々、同年代にして武勇逞しい驍将である後藤又兵衛の器量を
非常に高く評価していたが、ある時その又兵衛と同席出来る機会があった。
そこで、止せばいいのに例の市松気質が発動、少し又兵衛の事をからかって
やろうと、ある妙計を考え付いた。

正則は又兵衛を茶席に招き、お互いの武勇談などを語り合い四方山話に花を咲かせて
居たのだが…その最中、何を思ったか

福島正則>>今日は寒気が強う感じられる日和だな。…頭が冷える。(://・`ω・´)

と言うやいなや、袂から頭巾を取り出し頭に被るという暴挙に出た。茶湯の席で、である。
これには又兵衛、『何たる無礼を…。』と憤りはしたが、これはなにか思慮があるなと
即座に判断し、おもむろに肩衣を脱いで腰に置いた。
裃(かみしも)と言えば武家の礼服であるが、それは肩衣と袴のことであり、
それを接見中に脱いでしまうのは礼儀を逸した行動にあたる。これには正則も不振に思い

福島正則>>それはいったい、何の真似だ!! (://・`ω・´)

と問い質したなら、又兵衛は涼しい顔で

後藤又兵衛>>…腰が冷え申した。(屮゜Д゜)

と返した。福島正則、これには顔を歪めて反論も出来ず、まず一本目を取られる。

その後、料理の膳が出て酒も酌み交わされるようになると又兵衛も気概が緩み
警戒心を解く。そこをすかさず、懲りない正則はもう一度喰って掛かった。

福島正則>>おぉ、これはな。前日に黒田長政から届いた書状なのだが…ひどい筆跡の汚さだなオイ!!
      どーも、お前のトコにはまともな右筆が居らんらしいな!!  m9っ;・`ω・´)っ國

と、止せば良いのに書状を又兵衛の顔に突きつける暴挙に出る。
だが、酒が入った程度で後藤又兵衛の土性骨が緩むはずもない。又兵衛、平然として

後藤又兵衛>>何を言われる。黒田家にも腕の良い右筆は大勢おりまする。
       ですが、良い大将には良き右筆が腕を振るって美文の書を送り、
       悪しき大将には悪筆の書を送りつけてやるのが我が家中の慣わしでござる。(屮゜Д゜)っ ビシ!!

と言ってのけた。これには正則、ぐうの音も出ず二本目を奪取され

福島正則>>…――又兵衛こそは、天晴れな器量の持ち主である。 m9っ;=`ω=´)っ 〜國゛

と褒めざるを得なかったという。

そんな福島正則の(相変わらずっていうか市松の不安がお約束に的中してしまった)悪い話。
613人間七七四年:2009/10/19(月) 21:17:59 ID:0FVCopty
>>612
なに、この安定した市松クオリティw
614人間七七四年:2009/10/19(月) 22:22:52 ID:Z/HJ/7pl
>>612
クソワロタwwやっぱりこうでなくちゃなあw
615人間七七四年:2009/10/19(月) 22:25:31 ID:z9ImYHuf
また一つ伝説が増えたか
616人間七七四年:2009/10/19(月) 22:33:40 ID:Td4Gfk/l
>>730
後半の話はあるな
ちょうど一年前だ
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-303.html
それにしても又兵衛の性格の悪さは異常w
617人間七七四年:2009/10/19(月) 22:39:58 ID:KPt7O7YN
あんしんの、市松くおりていーだよ…… >>612

酒乱気味だったり激情家なところとか、猛将らしい粗忽なエピソードもあるけど、
うっかりや小知恵を働かせようとした挙げ句のギャフンエンドが多すぎっしょやw
618人間七七四年:2009/10/20(火) 01:30:20 ID:frgTZiRv
ここから刃傷沙汰にならないのが平和だ
619人間七七四年:2009/10/20(火) 07:16:06 ID:DLiYNxGs
当時から市松の悪筆は有名だったって話だからな〜
620人間七七四年:2009/10/20(火) 08:22:10 ID:biuN2cIX
戦国の「人礫」

脳筋に定評のある坂東武者だが、彼らの手に掛かればどんな物でも兵器となってしまう。
関東でのとある戦。
戦国の合戦ではしばしば石礫の応酬が見られるが、ここでもその例に漏れず敵の気を削ごうと互いに投げ合っていた。
小曽根某という坂東武者もこの真っ直中にあって石を投げていた。
しかし所詮石合戦。端から見れば地味なものである。
坂東武者たる小曽根には耐えがたいものであったに違いない。
脳筋が疼いた。
「よっしゃ!人投げるわ。人!人!」
小曽根、近くにあった敵を引き寄せおもむろに投げた。
「おっしゃ!お前投げる!(ガシッ)おらーっしょい!!」
この人礫に当たって二人の敵が口から血を噴き出して死んだ。
鮮やかな一石二鳥に敵はドン引き、味方もさすがに苦笑い。
以上、坂東武者の一粒で二度おいしい人礫の話。(館林盛衰記)
621人間七七四年:2009/10/20(火) 08:45:40 ID:/ouTYxUM
>>611
政宗の方がパクり。
つか政宗の逸話は似た話が多い
>>605のリンク先の一番下に、書状燃やす話が似てるって言われてるが
例えば政宗が暴れ猿を折檻した話は太田道灌の逸話の丸パクりだったり。
622人間七七四年:2009/10/20(火) 09:31:35 ID:ta9HcPUG
>>620
どんだけ投げ飛ばしたのか飛距離が気になるw
623人間七七四年:2009/10/20(火) 10:00:56 ID:hSZRpE55
ボディスラム系なのかかジャイアントスイングなのかも気になる所だ。
個人的には漫画のように頭から一直線であって欲しいが。
脳内では投げられる役=二階堂で再生されたよ。
624人間七七四年:2009/10/20(火) 10:40:33 ID:R4W5Q7HA
又兵衛はこの性格が家の外に向くだけなら忠勇無双の柱石なんだが如何せん…

おー、川の中でもあの兜だと殿の居場所が分かりやすくてよいのう!だからなw
625人間七七四年:2009/10/20(火) 10:57:30 ID:Ju5OlTH6
>>620
室伏が人投げて絶叫してる姿が再生された
626人間七七四年:2009/10/20(火) 11:03:47 ID:w9N01hdj
>>624
親父のほうには忠勇無双の士だから、無問題。
たぶん、人外なみの高性能な親父見てたら、息子が物足りなくて仕方なかったんだろうな。
しかし、長政筆頭に本人それなりに有能なのに親父が優秀すぎてイマイチ評価の低い二代目でまとめられそうなのが結構いるな。
627人間七七四年:2009/10/20(火) 11:08:31 ID:B0qY4o6l
島津家久「うむ。父と伯父が武勇と政略に長けすぎていて不当に評価が低いのじゃ」
628人間七七四年:2009/10/20(火) 11:11:06 ID:p/meBLOE
>>621
なるほど。政宗が片目なのも山本勘助のパクリか
629人間七七四年:2009/10/20(火) 11:14:45 ID:MvQOQF3R
つーか座り小便は竹中も誰だかのパクリだったはず(武将名失念)
二度汁もそうだけど、一種のテンプレ話だな。
630人間七七四年:2009/10/20(火) 11:15:28 ID:zn18rzZs
>>627
貴久&忠長『てれるなあ』
631人間七七四年:2009/10/20(火) 13:02:32 ID:MvQOQF3R
松永久秀の、信長への最初の謀反の時のこと。
松永の家臣山口六郎四郎と奥田三河守は高屋城を守備していたが、信長の軍に攻められ
力尽きようとしていた。

「もはや城を捨て落ちるしかない」
「しかし周囲は織田軍に取り囲まれている。出て行けば討ち取られるだけだ。」
「一体どうすれば…」

この時山口
「私にいい考えがある」

そして風雨の夜、鉄砲隊を集結させ、東の門の寄せ手に向かって散々に討ち掛けた。
これに織田軍、「さては東の紋から討って出るな!」と、その方面に兵力を集める。
その間に城の者達、敵が手薄になった西門を開き、楽々と落ち延びたと言う事である。
632人間七七四年:2009/10/20(火) 15:41:07 ID:3MEPjaNs
>>630
>627の家久は四男の家久じゃない、と言ってみるぞ、と
633人間七七四年:2009/10/20(火) 16:57:48 ID:rqxl4SiJ
>>620
北斗の拳でモヒカン達がそんな遊びしてたっけw
634人間七七四年:2009/10/20(火) 19:40:39 ID:tUHf8Cry
635人間七七四年:2009/10/20(火) 19:53:14 ID:K4r+oNLU
>>631
「偽撃転殺」の脱出バージョンか
636人間七七四年:2009/10/20(火) 19:53:36 ID:87tp9uEV
>>632
ついでに言えば四男家久の立場だったら
叔父は忠将か尚久になるな。忠長は従兄弟だ
637人間七七四年:2009/10/20(火) 21:19:02 ID:jEGz827I
島津の名前ってどれが誰だか覚えにくい。

条件的には他の通字使ってる大名と同じはずなのに
島津だけどうしても覚えられない

主要キャラクターが多すぎるのだろうか?
他大名が1世代に1〜2人、将軍級偏諱の名優が独演してるだけなのに対して
島津は押しの強い個性派怪優が学芸会のように全員見せ場で出てくる印象
638人間七七四年:2009/10/20(火) 21:59:48 ID:B0qY4o6l
幕末に至っても傑物でてっからな
あそこの家は異常。
639人間七七四年:2009/10/20(火) 22:55:40 ID:4novJSEq
>>637
歌劇団ならぬ島津華撃団ッスね。
640人間七七四年:2009/10/20(火) 23:05:44 ID:6Eco1Cgt
薩摩、古来から地理的に海外との接触が多かったから視野が広かったのかな。

北の中世博多商人、朝鮮半島への玄関口、妖怪がうようよいたし、

西の平戸、松浦法院鎮信も、キリシタン嫌いのくせに、商館を作らせ
西欧との貿易には熱心であくの強い人だったらしい。
茶道鎮信流の創始者という面もあったし。

641人間七七四年:2009/10/20(火) 23:32:33 ID:BFpE9Ie/
妖怪w
642人間七七四年:2009/10/20(火) 23:38:16 ID:biuN2cIX
貿易は儲るから別腹別腹
643人間七七四年:2009/10/20(火) 23:53:34 ID:6Eco1Cgt
すみません、忘れてはいけない対馬の宗氏、宗義智公、
大変な災難、板挟みの中、大陸事情には通暁してたし、
博多商人島井宗室、小西行長と謀議をしまくり、
太閤殿下をたばかり通しました。でも朝鮮では死ぬような目にも。

ここで太閤殿下の大誤解を

「朝鮮と対馬は縁が実に深い。かねてより朝鮮は対馬の属国(!)ときく。
なんで唐入りするわしの言うこと、きけんのじゃ?
わしの臣下の属国の分際で無礼であろう!」


という説があるそうです。
644人間七七四年:2009/10/21(水) 00:17:50 ID:xZ4sRzhF
>>643
いい話スレに対馬の話を落としてからこっちにきたら
対馬の宗氏が話題に出てて心底驚いた俺が通りますw
645人間七七四年:2009/10/21(水) 00:21:40 ID:VR2bk68p
>>575

そう言えば石川五右衛門も本当は釜茹でじゃなくて炒り釜だったそうだね
戦国期ではその位の刑罰じゃないと人々を黙らせられないだろうから
割とポピュラー且つ残忍な刑罰だったのかも
だから家康も止めさせようとしたんだろうね
646人間七七四年:2009/10/21(水) 00:29:09 ID:aatwcnKA
>>620
西欧の方では投石機で敵陣に人の首を投げ入れてたりしてたらしいが
日本ではそういうのはなかったんかな?

>>631
信長ならその程度の陽動作戦見破れそうだが、こういう取り逃しもあったのか
647人間七七四年:2009/10/21(水) 00:51:04 ID:9KniAXJ3
武田が駿府を支配していた頃の話である
現在の静岡県葵区上落合という安倍川上流域の山奥に大石五郎右衛門という侍がいた
この五郎右衛門は文武に優れた名将で多くの人に慕われていたのだが、
上落合を支配していた駿河安倍衆朝倉在重とは仲が悪く平素から疎まれていた
ところがやがて駿河の情勢は武田に不利な展開を見せ、情勢が不安定になり始める
朝倉はこれを機に裏切りに反対する五郎右衛門を討ち徳川に帰順しようと
弓の名手であった白鳥玄角というものに命じてこれを討たせたのだった

この時白鳥は五郎右衛門に向けて三本の矢を撃ったのだが、
猛将である五郎右衛門はこの内二本までを両の手で掴み取り
残りの一本を口で取ってみせた
ところが猛将五郎右衛門を相手に、白鳥も油断なく備えていた
この三本目の矢を管矢にしていた
管矢とは中にもう一つ小さな矢が入った矢のことである
さしもの五郎右衛門もこの小さな矢の方は受けられず
獣のように吠え狂うと立ったまま死んだという

以降、朝倉氏は無事徳川に帰順し
一時は二万石を拝領するなど栄達するが
どういうわけか家人たちは42歳より長くは生きられなくなった
これは大石五郎右衛門が42歳で死んだからだと言われている
648人間七七四年:2009/10/21(水) 00:55:33 ID:2Mwgb649
信長くらいの立場の視点からしたら、城兵が逃げようが全滅しようが特に気にしないんじゃないの。
一兵残さず皆殺し、なんて命令下してない限りは、一々殺して回る方が労力の無駄だし、
城が無事に手に入る方が大事。

これが足軽とかになれば、敗残兵の追撃は首級取り手柄たての好機だから、
そうもいっていられなくなるんだろうが。
649人間七七四年:2009/10/21(水) 01:05:55 ID:hXHaWu7G
秀吉も残忍だからな
650人間七七四年:2009/10/21(水) 01:29:31 ID:4F1NDdXE
>>647
弓矢を口で止めるというのは漫画的技法かと思ってたw
651人間七七四年:2009/10/21(水) 08:33:33 ID:lLgskPPP
>>647
状況からして矢を横向きに取ったのではなく、正面から(ストローみたいに)取ったのか?
取ったほうも、「こんなこともあろうかと」準備して射たほうもすげえな。
652人間七七四年:2009/10/21(水) 10:21:48 ID:jDa6reVU
冷静に考えなくても、歯でキャッチされるなんてねーよw
なんでそれに備えてるんだww
653人間七七四年:2009/10/21(水) 13:01:01 ID:CmQmQA64
戦国に真田(not六文銭)さん降臨か
654人間七七四年:2009/10/21(水) 17:56:53 ID:16+ulZD6
小ネタ。関ヶ原、岐阜城攻防戦の時のこと。

黒田長政家臣黒田三左衛門は、敵の足軽備に馳せ掛かった。
この時敵の足軽たち、三左衛門に

「この部隊は軽卒ばかりで、討っても手柄になりませんよ!
よき敵はほら、あっち!!」

と、別の備を指差した。
これを聞いて三左衛門

「え?そうなの?じゃあここ攻撃しても無駄…

!、ははーん、さてはそう言って俺達を騙して、後ろから鉄砲を打ちかける気だな!
そうはいくか!!」

と、その足軽備に突入。さんざんに討ち払ったそうである。
655人間七七四年:2009/10/21(水) 22:06:23 ID:5bI1VdyC
鬼ごっこのようだ。
656人間七七四年:2009/10/22(木) 02:09:40 ID:GwomN1GX
>>308
当時風に言うと男之拳かw
傾奇者のマストアイテム
657人間七七四年:2009/10/22(木) 07:45:00 ID:+8QGgY5c
>>637
俺は大して苦にならないけど島津氏は通字がデフォルトで2つあるのも覚えるが大変なのかな?
島津氏初代、忠久の「忠」と「久」を取ってるのは皆さんご存知だとは思うが、もちろん命名にも規則性があって、
忠◯
◯久
久◯
この3パターン。「◯忠」って「忠」を後に付けるのはご先祖様に不敬にあたるから家中では絶対にしない。
薩摩じゃ鎌倉から幕末通して島津氏以外でも滅多にいないんじゃないかな。

忠恒が家康から偏諱を受けて「家久」に改名したのもこれに倣ってる。
「家忠」にはならない。ましては「◯家」なんてのも徳川氏に対して有り得ない訳だ。
658人間七七四年:2009/10/22(木) 09:28:27 ID:nBC8WEI+
蒲生も秀郷からとったから通字が二文字あるな。
659人間七七四年:2009/10/22(木) 09:47:09 ID:I9inV7cD
名前の前につけるのはわりと多いけど
伊達の「○宗」みたいに後につけるのがスタンダードな家ってある?
島津の「◯久」「久◯」みたいに前でも後でもどっちでもおkってのじゃなくて
660人間七七四年:2009/10/22(木) 09:51:51 ID:VlUEFap/
下野の宇都宮さんとことか大して長い期間じゃないけど宇喜多さんとことか
661人間七七四年:2009/10/22(木) 10:17:51 ID:AnczeusJ
嫡男が通字を後ろに付けるのはスタンダードもくそも
極々一般的じゃね。
伊達家だって嫡男以外なら宗を前に付けてる奴いるだろ。
662人間七七四年:2009/10/22(木) 10:56:02 ID:6H9jewl5
通字を前につけるのはその家の付属物・分家筋とみなすのに役立つ
通字を後ろにつけるのは、主筋からの一字拝領のときにそれに敬意を払うためだね

663人間七七四年:2009/10/22(木) 11:52:07 ID:ElDNcc5+
例えば、毛利だとこんな感じ
大江広元-毛利季光-経光-時親-元春(師親)-広房-光房-熈元-豊元-弘元-興元-
幸松丸-元就-隆元-輝元
ちなみに季光は四男で毛利氏祖。宝治合戦により敗死。娘は北条時頼正室だったが
合戦後に離縁された。一族ほぼ全滅の中で四男経光が後を継ぐ。
時親は六波羅評定衆に名を連ね
師親の師は高師泰から
煕元の煕は山名時煕から
豊元の豊は山名是豊から
弘元の弘は大内政弘から
興元の興は大内義興から
隆元の隆は大内義隆から
元就の元が前に付いているのは弘元の次男だったから
664人間七七四年:2009/10/22(木) 14:16:01 ID:9vP5l2Oh
毛利さんは分かりやすいよね。
665人間七七四年:2009/10/22(木) 16:44:53 ID:iMbeqKR7
ありゃ武田信虎→武田晴信/武田信繁

はどんな倒置が発生したんじゃろう
666人間七七四年:2009/10/22(木) 16:49:11 ID:XwZKTTqj
足利義晴から晴貰ったからじゃなかったかな
667人間七七四年:2009/10/22(木) 16:50:39 ID:gIOiVpPs
将軍の晴を下にはつけられん
668人間七七四年:2009/10/22(木) 16:58:54 ID:2rKq+Rnk
龍造寺四天王

龍造寺隆信-政家(鎮賢)

江里口”信”常
成松”信”勝
円城寺”信”胤
百武”賢”兼

木下昌直

どうみても仲間外れです
669人間七七四年:2009/10/22(木) 18:34:59 ID:1jCZxBsi
>>647
遅レスだけど
この朝倉在重って人、どうも越後朝倉氏の朝倉景鏡の弟らしいね
父朝倉景高が京を追放された頃に、父のように西国には逃れず
兄のように越後朝倉家にも残れずに今川家を頼ったらしい
地元には

「ずいずいずっころばしごまみそずい
 茶壺におわれて戸っぴんしゃん
 ぬけたらどんどこしょ」

っていう童歌があるんだが
この茶壺を保管してたお茶壷屋敷はこの朝倉さんちなんだよなあ
670人間七七四年:2009/10/22(木) 18:51:32 ID:1jCZxBsi
越後× 越前○
ごめんなさい
671人間七七四年:2009/10/22(木) 19:51:13 ID:rgGbY5Yd
将軍献上のお茶壺行列はかなり横暴だったらしいね
672人間七七四年:2009/10/22(木) 23:22:49 ID:vJVe2Yzv
関ヶ原
岐阜城を落とした東軍はさらににしへと押し寄せる。

藤堂高虎家臣、藤堂玄蕃の部隊は、赤坂の町を占拠せんと呂久川にそって進み、
宮田と言う村に着いた。この宮田村、竹薮の中にあり、四方に堀を構えた要害であった。
そのためか、周辺の住民の多くも、この村に非難していたそうだ。

さて、ここに藤堂玄蕃がやってきた。
軍勢は村の入り口にとどめ、武者二名を村の中に入れ、尋ねた。

「敵の落人がここに逃げ込んではいないか!?もしいるようならすぐに出すのだ!」

村の老職達は武者の前に打ち揃い、「そのような者はここには来ておりません」と
弁明をする。ところがどうした事か、この時火にくべていた竹の節が割れて、
甲高い音を立てた

「パーン」

すわ!?鉄砲!?
「さてはこの村、敵に心を寄せてわれらに鉄砲を撃ちかけるか。
そのつもりならばかまわぬ、皆の者、撫で斬りにせよ!」

藤堂玄蕃の下知と共に、配下の者達は一斉に村に乱入、たちまち数十人を切り殺した。

この事態に、村の名主の嫡男、山田五兵衛、刀を放り投げ丸腰になって玄蕃の前に
土下座した。

「我々はあなた方に敵対した事はありません!どうか村の者達の命を助けてください。
助けていただければ、相応のご奉公いたします!」

それを聞いた玄蕃

「ならば、呂久川の瀬踏みをせよ」と命じる。
彼らに、渡河地点を探させたのだ。無論、瀬踏みの最中に、水に流されたり深みに嵌ったりして
溺れれば、それまでである。

五兵衛は先に立って川に入り、無事、わたりきった。
藤堂玄蕃の部隊はその跡を渡り川を越え、赤坂の町の占拠に成功した、とのことである。

とある、戦時の村のお話。
673人間七七四年:2009/10/23(金) 02:10:12 ID:YPabc/3b
常陸の国、小田氏の居城藤沢城に、真壁、北条(きたじょう)、片野、梶原といった
豪族連合が攻め寄せ、城から出た小田勢と激突。が、決着つかず、その日は日暮れとなって
互いに陣を引いた。さて、その日のこと。

攻め寄せてきた真壁勢の中に蝦鹿島新左衛門と言う者がいた。
この新左衛門、どうしたわけか味方からはぐれ、いたしかたなく麦畑に隠れていたところを、
小田守治の家臣、稲吉與十郎に見つかった。
稲吉はこの新左衛門と渡り合い、見事にしとめ首を取った。

稲吉與十郎は首を取ったことに大喜び。血糊にぬれた刀を洗おうと
側の堀に下りた。

はてさて、ここに騎馬で通りかかったのが、同じく小田守治の家臣である長澤清兵衛。

稲吉が討ち取った敵の首を置いて刀を洗っているのを見ると、邪な考えが湧き、
その首を盗んで、後ろも振り返らず走り去った!

稲吉が、堀から上がってみれば首が無い。これは一体どういうことかと不思議に思い、
はっ、と向こうを見ると、騎馬の長澤清兵衛がすごい勢いで駆け去っていく。

「さては長澤めが盗んだか!」

慌てて追いかけたものの、そこは騎馬と徒歩、追いつくはずもなく、
ついに本陣に駆け込んだ長澤は、盗んだ首を小田守治の実検にかけ、感状を
頂いてしまった。

稲吉は当然の事、これに怒りが収まらない。何か仕返しをしてやろうと、その夜
長澤の小屋に、自分のところの中元を忍ばせ、馬を盗ませた。

夜が明けて長澤は馬が盗まれたことを知る。
一体何者の仕業かと考えているところに、知り合いの人がやってきて、

「先ほど、貴殿の馬にそっくりな奴に、稲吉のところの中元が乗っているのを見たよ。」
と言う。

長澤、これを聞いて稲吉のところに使いを出し、これこれこう言うことだから、
馬盗人を引き渡すように、と伝えた。

さて、これを聞いた稲吉、使者に向かって

「…人の高名を盗んだくせに、一体どんな根性をしていれば、そんな事を言えるのか。
いいか、長澤に伝えよ!お主のような男は死ねば地獄に落ちるであろう!
釜茹でにもされるであろうよ!さまあみろ!」

そう、散々に言って追い返した。
使いからこれを聞いた長澤は、無論反省などもせず激怒。「あんな事を言わせたまま、
安穏においてなるものか!」その足で稲吉の小屋に押し寄せた!
稲吉藻これを見て「心得たり!」と散々に切り結ぶ。

さて最初にも書いたが、この時まだ合戦は終わったわけではなく、
両軍対峙した状況である。
稲吉と長澤のこの争いに、小田の陣中は何事が起こったかと大変に動揺した。

この動揺を見て取った梶原、北条の勢が攻め寄せると、小田勢は備を立てる事もできず、
一戦に及ぶ前に、我先にと槍刀を捨て小田城に逃げ入った。
無論、その中に稲吉、長澤の姿もあった、との事。

後世、世に言う「鳥出台合戦」、稲吉、長澤同士軍、のお話。
674人間七七四年:2009/10/23(金) 02:28:28 ID:qVZZ3z+n
これはひどい
二人がどうなったかとかは記録に残ってないのかな
675人間七七四年:2009/10/23(金) 02:38:36 ID:YPabc/3b
うわ、チェックしたはずなのに間違いが…

下から8行目、×稲吉藻 ○稲吉も
下から3行目、×小田城 ○藤沢城

すいません。


>>674
何がすごいって、これだけgdgdな小田軍が、最終的にはこの敵勢を撃退しちゃう事ですなw
676奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/23(金) 03:35:54 ID:ndqqsm9a
この改行の多さに耐え切れるこの板の設定が大好きだ。
677人間七七四年:2009/10/23(金) 07:13:08 ID:8Zls6XbT
サマーみろ!
678人間七七四年:2009/10/23(金) 10:01:32 ID:NYh5CkvH
>>571の後の事同じく福島家使番の話

関ヶ原戦後京の守備を命じられた福島正則は所用で
同じく京の守備を命じられた浅野幸長に使番佐久間加右衛門を派遣した。

しかし、この時家康は福島等豊臣家譜代の者を全面的には信用しておらず、
別に徳川譜代の臣伊奈昭綱を日ノ岡に急行させ、検問するようにも命じていた。

佐久間加右衛門はこの検問にて通行証を持たぬゆえ通過を認められなかった。
しかし主命を果たそうとする加右衛門は関所の者と口論になった。
「我が主は内府様に命じられての京の守護役であり、これから使いに参る浅野殿も京の守護役である
その御用筋にて使いに参るゆえ通されよ。」と頼むが
関所の門番は「相成らんと申せば相成らん」と申すばかりで聞き入れない。
加右衛門はさらに強く頼むがついには数人に囲まれ六尺棒で打ち据えられてしまう。

※この時はこれを堪え頭を下げ主命を果たす逸話と果たせず追い返される逸話があるようです。

その後佐久間加右衛門は主君正則に経緯を話し
「あの場で刀を抜いて闘っては相手は多勢であり、手籠めにあえばますます恥をさらしてしまうと思い
刀も抜けずにおりました。なにぶんにも男の面目は立ちませぬゆえ切腹いたします。
されば今生の残る思いに、殿にお願いがござります。事の次第を殿より伊奈昭綱殿にご通知くだされ、
佐久間加右衛門は臆病者にあらず、立派に腹を切って果てたと。」

正則は加右衛門の話を聞き、加右衛門の名誉のためには立派に腹を切らせてやらねばならぬと思い
切腹を許しこの家来の不幸に泣いた。

そして福島正則は事情を書いた手紙を添え佐久間加右衛門の首を徳川家康に送り
代償として関所の責任者伊奈昭綱の首を要求した。

家康は加右衛門を追い返した門番達を切腹させ首を送り届けたが
正則はあくまで伊奈の首を要求し、正則との関係を悪くできない情勢だっただけに
家康は仕方なく伊奈昭綱を切腹させ、その首を届けることで解決をみたのだった。
この事件を幕府は強く恨み後年の福島家改易の罪状の一つになったという。
679人間七七四年:2009/10/23(金) 11:36:30 ID:/xTIcSts
鬼武蔵がおれば....
680人間七七四年:2009/10/23(金) 11:39:25 ID:u1pg+Fcg
>>678
でも一番の責任は、二重の任務を出して通達もしなかった家康だよなこれ。
681人間七七四年:2009/10/23(金) 11:56:38 ID:GJVdWPXt
これは「影武者徳川家康」で読んだエピソードだから覚えている
あれはかなり脚色してたんだなあ
682人間七七四年:2009/10/23(金) 12:06:43 ID:YPabc/3b
>>680
この時京の守護には正則の養嗣子の福島正之が既に入っている。
佐久間加右衛門は、この正之との連絡を取るための派遣で、伊奈の立場としては
通交渉を要求するのは当然でしょうね。

あと、佐久間の切腹はいわゆる「指腹」で、「復讐」を前提にした切腹ですな。
伊達の『塵芥集』にもある

「自害の事、その自害の理由を申し残して死んだ場合は、遺言の敵に対して、自害した本人に代わって
成敗を加える」

って奴。正直この件は、佐久間は正則に対しても(当時の社会通念として)その後の措置を
強制している面があるので、徳川と福島の間で云々と言うより、伊奈と佐久間の私闘のにおいが
強い気がするんだよねー。
683人間七七四年:2009/10/23(金) 12:10:10 ID:sQ3yZc5Y
>>673
上州膳城素肌攻めもそんな話だったなあ('A`;)
あっちはひと揉みに揉み潰されてしまったんですけどね。フリチン四郎ちゃん勝頼...

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-996.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1011.html
684人間七七四年:2009/10/23(金) 13:21:23 ID:kAqN8Bpm
佐久間某 通行手形がないから主命を果たせない →なあに、切腹しちまえばごまかせる

福島正則 通行手形を用意すんの忘れちゃった → なあに、佐久間の首を送って恫喝すれば格好がつく

徳川家康 うっかり関所に通達出すの忘れてた → なあに、伊奈を切腹させれば丸く収まる

伊奈昭綱 そんなこんなで切腹を命じられる → まじっすかwwww
685人間七七四年:2009/10/23(金) 17:11:59 ID:cE+/XPnk
>>678
御用筋ってどこの筋肉だよって一瞬考えた
686人間七七四年:2009/10/23(金) 17:36:36 ID:BVyihDQa
>>672
なんか、世界警察と中東の地元軍閥のやり取りを連想させるなあ
687人間七七四年:2009/10/23(金) 17:48:35 ID:vw73FtaS
>>685が脳筋だったってオチですね、わかります。
688人間七七四年:2009/10/23(金) 21:39:41 ID:k4B5rzzz
秀吉の隠居城である伏見城には天子献上の柿の木があったという
その日、幽斎はその柿の木のある所へたまたま立ち寄った
  ∧∧
  (,,゚Д゚)
 ⊂  つ
  0  |〜))
   `J
見てみるとまさに鈴生り、食べ頃であった
周囲には誰もいない
そこで幽斎、遊び半分に柿を根こそぎ全部取ってしまおうと(!)思い立った

   .∧∧∧∧   ダレモイナイ・・
   (゚Д゚≡゚д゚)     カキヲトルナラ  イマノウチ
     ./ つ つ
 ((〜(_⌒ヽ    
     )ノ `J    
スルスルと柿の木に登り始める幽斎
今まさに柿をもぎ取ろうとすると御殿の方から障子を開ける音が…

                           ./,,くノ__ノ___ノ___ノ___ノ___ノ___ノ___ノ___
 :::ゞ:;ヾ :::ゞ:;ヾ :::ソ :::ゞ:;ヾ;ヾ:;ヾソ     /,,くノ__/__/__/__/__/__/__/__/__
 ヾ;○:::ゞ:;ヾ ::: :::ゞ○:;ヾ ゞ :::ゞ:;ヾ    ヒ,イ=@==@==@==@==@==@==@==@==@
 ヾ ゞ:;:ソ :○::ゞ:;ヾ;ヾヾ ::ヾ :: :::ゞ           l」/'' l」/'' l」/'| l」/'' l」/'' l」/'' l」/'' l
 :;ヾ :::ゞ:;ヾ ○:ヾ::: ○ゞ:; :::ゞ:;ヾ'"          .|  ||       .┠─┼─╂─
 :○;ヾ :::ゞ:;ヾ ::ゞ:;ヾ::: :::ゞゞ:; '"            .|  ||       .┠─┼─╂─
 ;ゞ:;ヾ :::ゞ:;ヾ :::ゞ:ヾ○:::ゞ:;ヾ:, '"            .|  ||  ∧_∧ .┠─┼─╂─
      ∧ヾ;; i r´            ナニヤッテンノユウサイ>(・∀・;).┣━┷━╋━
 アッ…>(;゚Д゚) |                      .|  || (    )┃//////┃//
      ノつ○ ;l                   /,/,|_|l | | |┗━━━┻━
    〜(_ ,、 `^)l)               ,/ ,/,∠ 二二(__(_)二二二二二二二
       l ; l. i |               ∠二二二二二二二二二二二二二二二二二
       |l:; .l,i;l              └─────────────────
       |0l i l.|                   ...:::::::::::::,,|;;;;i|,|:フi:::::::::::::::::::::::::::::: ,,|;;;;i|,|:フi
 .,,;,.,;;,,,,; 丿;i;;'、 ;ヾ.,,;,.,;;,.,,,.,,,,..,,;,,,..,,;         ...::::::f----イ/::::::::::::::::::::::::::: f----イ/


…見つかった
秀吉は幽斎の姿を見ると

( ・∀・)<柿の木に 人丸くこそ 見へにけり ここかあかしの うらの白浪

と一首
幽斎はすかさず

(*゚Д゚)<太閤の 御前で恥を かきの本 人まるならで 顔は赤人

と返歌
秀吉は笑って幽斎を許したと言う

芸で罪を逃れた良い話、笑い話なんだろうが
俺は幽斎の手癖の悪い話だと思うw

。+  ゜。  * 
*  ゚   +
        ゚
    ∧∧○
  (^(*゚∀゚)')) 柿ウマ-
  ヽ   .〈' 
 ((〜〉   ヽ
    (_,ノ´ ゙J 
689人間七七四年:2009/10/23(金) 21:47:36 ID:UmjN1vkB
幽斎……そんな子どもみたいな

やっぱ歌うまいなw
690人間七七四年:2009/10/23(金) 21:48:17 ID:K96szutF
芸は身を・・・を体現しすぎw
691人間七七四年:2009/10/23(金) 21:48:41 ID:0K918zt4
俺の中の幽斎像が、が、が、が、が
692人間七七四年:2009/10/23(金) 21:51:15 ID:ZVLsvj1A
ガキの頃は学校の帰り道に柿の木があって勝手に取ってたなぁ
バレて怒られたけどあの柿の旨さを思い出す
ってか柿食いたくなったw
693人間七七四年:2009/10/23(金) 21:53:24 ID:XCFE/iRT
>>691
子に似合わぬ風雅な人間像を消去して
あの子の親にふさわしい人間像、に書き換えておきますね(^Д^)
694人間七七四年:2009/10/23(金) 21:58:27 ID:6iRbRybR
神社から油盗んだり、天子献上の柿をもぎ取ろうとしたり傍若無人にも程があるぞw
695人間七七四年:2009/10/23(金) 22:08:01 ID:AvEZk7sX
幽斎…こんなに面白い方だったのwwww
696人間七七四年:2009/10/23(金) 22:21:00 ID:jeVF1/cc
>>688
秀吉も鷹揚なもんだねw 徳川幕府にとっての政宗、みたいな
豊家に文化のかほりを吹き込んでくれる「愉快なおじさん」扱いだったんだろうか。


>694
包丁人幽斎どのですから……
697人間七七四年:2009/10/23(金) 22:21:36 ID:8xvPFzTc
DQN因子みたいなのが幽斎にもあったのかな。
戦国でもトップくらすの常識人氏康、幽斎にもカワイイ逸話があるもんだな。
698人間七七四年:2009/10/23(金) 22:24:19 ID:GJVdWPXt
秀吉も即座によく作ったなww
たぶん秀吉も幼少の頃はこんな事ばかりしていただろうから笑って許したんだろう
699人間七七四年:2009/10/23(金) 22:24:24 ID:NtAAvcet
俺の地元だと旧暦の月見の十五夜の時にだけ
子供に限りどこの家の庭の果物食ってもいい日があったの思い出した
その日に柿とかを盗むのは神社の神さんなんだとかなんとか
700人間七七四年:2009/10/23(金) 22:31:51 ID:ZVLsvj1A
神奈川の俺の地元でもあったなそれ
月見用に縁側にお菓子がおいてあって友達と菓子目当てに練り歩いてた
今思うと和製ハロウィンみたいなもんだなぁ
ハロウィン定着させるよりもこっちを復興させればいいのに
701人間七七四年:2009/10/23(金) 22:35:12 ID:1pzUhEuW
>>688
秀吉に即興で和歌を詠む教養があったことに、何より驚いた。
702人間七七四年:2009/10/23(金) 22:38:51 ID:+J7ieQAp
>>688
三成「なんと・・・越中殿はそんなに柿がお好きだったのか・・・φ(`д´)メモメモ...」
703人間七七四年:2009/10/23(金) 22:40:30 ID:ZVLsvj1A
この時代農民ですら歌を詠めるんだからある程度の教養があれば即興位ならできんじゃね?
上手いかどうかはまた別だし現代人には馴染みが無いからまず無理だろうが
704人間七七四年:2009/10/23(金) 22:42:05 ID:NtAAvcet
>>701
それくらいじゃないと多分あんなに出世できないぜ
芸術っていうより頭の回転の良さが求められることだし
705人間七七四年:2009/10/23(金) 22:52:40 ID:vprLtaTO
山深い里に入った時の道灌を相手に山吹の歌を詠んだ少女もいたしな。
道灌がのちに歌の意味を知って自分の無知を大いに恥じたと言う。
706人間七七四年:2009/10/23(金) 22:56:49 ID:kAqN8Bpm
秀吉の辞世の句、すげー名句だよね
707人間七七四年:2009/10/23(金) 22:59:45 ID:X30m7qkG
>>688

幽斎玄旨の返歌
とっさに柿本人麻呂の名を織り込むとは
さすが古今伝授の人ですね。
708人間七七四年:2009/10/23(金) 23:07:18 ID:8xVBvry3
Google サジェスト で「脱糞」を入力
http://www.google.co.jp/webhp?complete=1&hl=ja

      _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
    ._________________________
   │脱糞|                                          │検索オプション
   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓言語ツール
   ┃脱糞 家康                        6,290件┃
   ┃徳川家康 脱糞                .       4,150件┃
   ┃家康 脱糞                        5,830件┃
   ┃三方ヶ原 脱糞                      1,120件┃
   ┃                                 閉じる.┃
   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

              (C)2009 - プライバシー
709人間七七四年:2009/10/23(金) 23:08:33 ID:YPabc/3b
>>707
顔が赤くなったと言う事を、山部赤人の名を出して現しているところも。
710人間七七四年:2009/10/23(金) 23:21:48 ID:X30m7qkG
>>710

それに白波だけでは盗賊盗人のままであるものを
騒がしいと思って来てみれば柿泥棒が・・・
と言ったニュアンスを
源氏物語にも語られる明石の浦の名を出して泡立つ波に例えて
風情を醸し出す秀吉も然る者ですね
711人間七七四年:2009/10/23(金) 23:24:04 ID:3845d7vJ
>>702
「越中守は柿が好物だと聞いたので、持参いたした。
それがしのことは気にせず、食して頂きたい。」
712人間七七四年:2009/10/23(金) 23:37:02 ID:kAqN8Bpm
調べてみたら、白波で泥棒って意味なんだな
713人間七七四年:2009/10/24(土) 00:26:10 ID:8Ni9/ax+
三国志の白波賊からきてるって聞いたんだけどほんとかな
714人間七七四年:2009/10/24(土) 00:40:11 ID:EdTlN1W5
その話は俺も聞いたことがあるけど、真偽は知らんなあ
715人間七七四年:2009/10/24(土) 01:26:57 ID:/wdobL2F
>703
一揆の連帯感を強めるためにも連歌会はよく開かれてたしね
大名や地侍がこんな感じだと名主や百姓なんかも洒落てくるわな

あと庚申構もそんな意味合いがあったらしい
716人間七七四年:2009/10/24(土) 01:28:17 ID:SV50SHkh
>>710

木がザワザワいってるのを波の音に例えた訳か
717人間七七四年:2009/10/24(土) 04:53:57 ID:k3G7ZgT/
罪人を裁く白洲と関係あるとか?
718人間七七四年:2009/10/24(土) 06:48:22 ID:fW10FZvX
三国志のようです。ぐぐって見た。


白波(しらなみ)は、泥棒や盗賊を表す言葉。
黄巾党の残党としていち勢力を築いた白波賊が語源だと言う。
日本でも歌舞伎の演目「白波五人男」などと使われている。


後漢も末の時代、官僚の不正が横行し民百姓がすっかり疲弊する中、
太平道を掲げる張角が信望を集め数万の信徒を抱える一大教団となった。
張角が頭に巻いていた巾の黄色をシンボルカラーとし、
「蒼天已に死す、黄天當に立つべし」(漢王朝は既に死に体である、
我ら黄巾の徒が立ち上がる時が来た)と漢王朝を転覆させるべく蜂起したのが
後に言う黄巾の乱である。蜂起した彼らは黄巾軍と呼ばれた。
活動域は広く、北は幽州から南は荊州まで、
当時の中国の栄えた地のほとんどが活動地域になっている。

白波賊(はくはぞく)は、
黄巾党の残党である郭太(王允を「王佐の才」と評した郭泰という人物も
郭太と記述されることがあるが、当然別人)が西河郡の白波谷に起こした勢力であることから
こう呼ばれた。河東郡を制圧して略奪を働いた賊。


My三国志より
http://my3594.net/
719人間七七四年:2009/10/24(土) 11:02:11 ID:FHeiQVDW
>>707
柿本人麻呂だけじゃないぞ
山部赤人をも織り込んだ一句だ
720人間七七四年:2009/10/24(土) 11:09:13 ID:vXDwp5Sj
よくわからないが、 >>688 の幽斎の句は、うまい句なのか?
あたり前田のキャプチュード、みたいな感じだが
721人間七七四年:2009/10/24(土) 11:40:19 ID:h7cIQ739
とっさにひねり出したにしては異常なくらい。

まぁラs…じゃなくて秀吉の方も機転利いたいい感じだけどさ
さすがに機知の人だよな
722人間七七四年:2009/10/24(土) 12:09:38 ID:eptpwhVA
>>688
細川幽斎と前田慶次郎は連歌友達だったそうだが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1198.html

 いたずら者ぶりまで……それなんて類友(


>720-721当意即妙ってのか、うまいもんだね。画面をかんがえると間抜けなシチュだけどさw
723人間七七四年:2009/10/24(土) 12:31:05 ID:SV50SHkh
>>720

みんなのレスを見て俺も調べたんだけど
調べてみたら「和歌の道」のことを「山柿の門」とも言うらしい
秀吉の歌の頭の方で「柿の木に 人丸くこそ 見へにけり」
(なんで柿の木に人が登って、柿の実みたいにまーるくなってるんだ?)
って歌われたのに対して
幽斎の返歌「太閤の 御前で恥を かきの本 人まるならで 顔は赤人」は
普通に読んでも
「太閤の御前で恥をかきの」太閤の前でとんだ恥をかいちまったぜ
「本人まるならで」俺は丸くなって柿の真似してるだけじゃないっすよ
「顔は赤人」顔は真っ赤で色も柿そっくりでしょ?ってかオレ必死だなw
って感じだけど柿の木に登っているところを見つかっ幽斎が
秀吉にとっさに投げかけられた歌に対してこの名前を出したのは
万葉集で有名な「柿」本人麻呂と「山」部赤人の二人の
本邦を代表する歌聖の名前の頭の一文字を取ってこう呼ぶらしい
二人は中国で言う李白&杜甫レベルな人物

【山柿】
カキノキ科の落葉高木、山地に自生し葉は広楕円形で互生
6月ごろ黄緑色の花が咲き、果実は小さく渋い
カキの原種といわれ、台木として利用
老木の心材は黒く、調度品に用いる。
724人間七七四年:2009/10/24(土) 15:54:45 ID:vXDwp5Sj
>>721-723
そうなんですね
725人間七七四年:2009/10/24(土) 16:31:12 ID:3TeeWgFr
さすがに柿本人麻呂と山部赤人ぐらい常識と言うか
教養ある日本人なら知ってて当然の人物だろ
幽斎の歌でピンと来ないのならどーかと思うぞ
726人間七七四年:2009/10/24(土) 16:39:34 ID:vXDwp5Sj
>>725
さすがに教養がありそうですね
727人間七七四年:2009/10/24(土) 17:15:13 ID:LZumDZXh
>>725
今の若い子は百人一首レベルしか知識ない子が多いぞ
728人間七七四年:2009/10/24(土) 18:15:51 ID:g2PqHbIZ
武田家の猛将として知られる馬場信春が、まだ教来石景政と名乗っていた若い頃の話である。

景政は頻繁に諏訪の諏訪大社へと参拝した。余りにたびたびなので、
大社の神職の一人と親しく言葉を交わすようになった。

神職がある時
「あなたはお若いのにずいぶんと信心深いのですね。何か願い事でもあって
参拝されているのでしょうか?」
と、問うと、景政、

「実は私、甲斐の軽卒なのですが、…まことにお恥ずかしい話ですが、戦が怖くて
仕方が無いのです。

ところがわが国の武田晴信様は野心家で、毎年あちらにこちらにと出陣いたします。
その度に引っ張り出されるのがまことに辛く、何とか戦に出ないですむよう、
神頼みをしていると、そう言う次第なのです…。」

神職は大いに同情し甲州の事など聞いてみると、何の警戒もせずに、すらすらと
細かい事まで答える。

『これは良い鴨が来た。』

神職は、もっと甲斐の情報を聞き出そうと、彼を引きとめ酒を出して饗応をする。
酒の入った景政はさらに口が軽くなり、武田家の弱点などもどんどん話してしまう。
そのうちに景政、酔った挙句にひっくり返っていびきをかき始めた。

その隙に神職が、景政の刀を抜いてみると、これが一面赤錆だらけの代物。

「こいつは確かに臆病者の軽卒だ。籠絡して武田家の情報を取るのに利用しよう。」

翌朝、景政が目を覚ますと、神職は彼にこう提案した
「そんなに戦が嫌いなら、諏訪に移住して諏訪大社の氏子になってはいかがですか?
そうすれば従軍の災難から逃れられるでしょう。」

これに喜んだ景政。早速家財を甲州より運び込んで諏訪に住み着いた。
そしてまことしやかに、武田家の内部情報を土産話にする。
当然、その情報は神職から、領主諏訪頼重に元に届いた。
逆に景政は神職に諏訪の内情を尋ねたが、神職は、自分が景政を利用していると
信じているので、彼を侮って、諏訪領内の事、委細話して聞かせた。

このようにして景政は3年の間諏訪に滞在し、その内情にすっかり精通すると、やがて
甲斐へと戻っていった。

天文十一年(1542)、武田晴信は諏訪侵略を開始。その先鋒に、教来石景政の姿があったこと、
言うまでも無い。
729人間七七四年:2009/10/24(土) 18:36:33 ID:r8EpUcLd
さすが鬼美濃!
信玄の指示なら彼もさすがだね
730人間七七四年:2009/10/24(土) 19:07:58 ID:fU5DASJe
時期的に言えば、信玄でなく信虎の指示になるんじゃね?
731人間七七四年:2009/10/24(土) 19:27:21 ID:s91k213C
>そのうちに景政、酔った挙句にひっくり返っていびきをかき始めた。
>その隙に神職が、景政の刀を抜いてみると、これが一面赤錆だらけの代物。


似た話は仮名手本忠臣蔵でもあったけど
これも一種のテンプレなのかな?
732人間七七四年:2009/10/24(土) 19:45:49 ID:8ylG7iEY
「錆びた刀」だけで武事に疎いと表せるという事かな。
そっから可児才蔵の槍のような話も出てくるんだろうけど。
733人間七七四年:2009/10/24(土) 20:00:18 ID:yKJVPJ4q
>>728
これ悪い話か。戦国時代らしい格好いい話だと思った。
錆びた刀の辺りの凝り方とか。テンプレなのかもしれないけど。
諏訪側に悪い話ってことなのかな。
734人間七七四年:2009/10/24(土) 22:07:58 ID:9SA26Z5E
武士の嘘は武略、ってのの見本だね>>728
当の諏訪頼重もいろいろ悲惨な顛末だったなあ。しかも巡り巡って、
甥っ子の諏訪四郎が武田宗家を継いでとばっちりを一身一代で受けるハメに……



他だと宇喜多直家さんの仕込みも芸術的なくらいで、
逸話を読んでて、あきれる通り越して不覚にも感動してしまったw
735人間七七四年:2009/10/24(土) 22:13:22 ID:h7cIQ739
要らんとこ凝ってばれる馬鹿と仕込み凝りまくって鮮やかに成功させる人の違いってなんだろうな
736人間七七四年:2009/10/24(土) 22:23:53 ID:R3D0uwQy
>>731
テンプレというよりは単なる変装の定石なんじゃ
刀見られてめっちゃ手入れよかったらばれるなーくらいは誰でも思いつきそうだし
737人間七七四年:2009/10/24(土) 22:24:01 ID:u/9HBJon
かといって「いい話」にするのも少し違う気がw
スパイの話だからなあ、スパイはいつの時代でも低く見られてしまう
738人間七七四年:2009/10/24(土) 22:27:23 ID:0GaZZqYj
>>735
単純に物事を客観的に見る事が出来るかどうかじゃない?
仕事を休む程度の嘘でも、あれやこれや不自然なくらい細かく
説明してバレちゃう人とかも居るし。
739人間七七四年:2009/10/25(日) 00:00:50 ID:sh50cv4h
>>735
仕掛ける人間の肝が据わっているかどうかじゃないかな?
色々と仕掛けているにしても、
肝が据わっているヤツは堂々としてるから、
そういう人間のやることはつい信用してしまったり、
疑いを差し挟む余地がなかったりするっていうのはあると思う。
それこそ直家なんかはそうとう胆力があったんじゃなかろうか。

言っておくが別に俺が最近だまされたからこう言ってるわけじゃないぞw
740人間七七四年:2009/10/25(日) 00:26:07 ID:EoKHBd/x
>>739
わかるよ。
自信満々な物言いだと
「これが嘘だとなると恥ずかしい。ゆえに本当」
と思い込んでしまう。
相手がはったり野郎とわかれば騙されなくなるんだが。
741人間七七四年:2009/10/25(日) 02:02:47 ID:GRoOHpWH
嘘が上手い人はその嘘の核心をバレないようにする最低限の嘘だけしか言わないで、後は本当のことを言うとか、
全部を嘘で塗り固めた矛盾のない物語を作るのは至難の技だし、嘘が多いほどバレる可能性が増す。
742人間七七四年:2009/10/25(日) 02:11:34 ID:oLtoQtSM
ただ嘘を付くことは愚か者のすること
嘘と仄かな真実を織り交ぜれば与えられた情報のみで嘘を見抜くのは困難である
743人間七七四年:2009/10/25(日) 08:01:14 ID:xZSqKTDs
騙された奴がアホなのか、根が正直なんだろ。
根が嘘つきなヤツは、人間自分を基準にして考えるから、相手も嘘ついてんじゃないかと疑り深くなかなか信用しない。
744人間七七四年:2009/10/25(日) 11:39:06 ID:B+5yn6md
政宗「バレても堂々とごまかせばなんとかなるもんよ」
745人間七七四年:2009/10/25(日) 12:28:10 ID:xZSqKTDs
秀吉の前でまともな受け答えができない政宗の場合は、鬱の精神障害で常人じゃないから赦されただけ。
政宗が英明であれば殺されてる。
7461/2:2009/10/25(日) 15:15:03 ID:oICP9TT8
弘治三年(1557)四月の事である。

土佐の大平山城守は一条氏に属し、高岡郡高岡郷など、四千貫を領していた。
彼の居城、蓮池城は、一条氏に敵対する山本茂宗の所領、吾川郡との境にあったため、
一条氏よりの加勢も入れられていた。

大平たちとこの加勢の者達、最初の頃はよそよそしい風であったが、やがて馴れ合うようになり、
膝を交え思った事もずけずけと語り合うようになった。

そんなある時、大平がこんな事を言った

「おのおの方はどう思われる?

中村の御所の、一条教房卿、房家卿、房冬卿、房基卿は、何れも性質正直、温和にして慈悲深く、
万事倹約を守り、民の費えを嫌われていたものだが、
今の兼定殿は何事も我意に任せ、放逸無慚の御行跡であり、このままでは、行く末
おぼつかない。

どうやら一条家も末になったと思う。このままでは、やがて長宗我部か山本あたりに
その権を奪われてしまう事、疑いない。
皆もあらかじめ、覚悟をしておいたほうがいいぞ?」

これに加勢の番使たちも、「我等もそう思う」と同意した。

最後に大平は小声になって「これはあくまで、隔意の無い雑談であるから、構えて
他に漏らさないようにな。」と、囁いてこの話は終わった。

さて、内緒にするようにと言っても、そうは行かないのが世の常である。
番衆の中にいた船戸左衛門は、常に大平とはそりが合わず、何事にも対立していたのだが、
この雑談を聞いて『これこそ!』と喜んだ。

船戸はにわかに病と称して、町屋で治療をするといって城を出、中村御所へとこれを密告、
その後、さにあらぬ体で蓮池城に戻った。

さて中村御所においての評議では、蓮池の者ども逆心明らかであり、これを討伐すべきとの
声が上がった。これに土井宗三申し上げるは

「今討ち手を出せば、我らが番手に派遣している者達も、一緒に籠城してしまうでしょう。
ここは番手の交代をすると言って、城から出てきたところを皆首を刎ね、蓮池の兵を
少なくし、その上で討伐の軍を派遣すべきでしょう。」

評議の者達これに同意し、早速に偽の交代兵を派遣した。
7472/2:2009/10/25(日) 15:15:53 ID:oICP9TT8
番兵の交代の事、蓮池城にも報告されたが、とたんに、不審の念が出た
「番兵の交代は通常十月のはずなのに、今はまだ四月。何か変更がある場合は
先だって理由の説明があるはずなのにそれも無い。なにか秘密があるのではないだろうか?」

城内でこのような議論になり、密告をした船戸左衛門は、事が発覚したときの
自分の身の危険を感じたか、にわかに逐電をした。

これに蓮池城の人々は驚き、「船戸はかねてから我らと仲が悪かったが、さては先日
病と称してしばらく城を出ていた事。あれは、あの雑談を中村に密告したのだな!
それでわかった!代兵はわれらを謀り殺すための者に違いない。」

そうはいくかと、皆集まり詮議した。

さて、それから程なく代兵たちが到着。蓮池城の者達は大いに歓迎し
「遠方よりご苦労でございました、暇乞いの杯が用意してあります。どうぞこれを。」
と、珍味を並べた膳を出し、酒を勧める。

そこは土佐である。代兵たちもその使命は言い聞かされてきたものの、酒を出されて
飲まぬわけには行かない。進めるほうもたいへんな大盃で出してくる。
これに皆、前後不覚になるまで酔っぱらった。

「頃は良し」

蓮池の者達、ここでにわかに刀を抜くと、代兵たちの首を残らず打ち落とした。
さらに別室に控えさせていた代兵の下人たちをもなで斬りにすると、城の周りの堀を深くし
逆茂木を並べ、籠城の構えを作ったと言う。


この後起こる一条の討伐軍と籠城衆との戦いも、相当の紆余曲折を経る事になるのだが、
それは又別の話。
748人間七七四年:2009/10/25(日) 15:42:26 ID:ajVOKyYF
>山本茂宗
ってあるけど本山茂宗じゃない?
749人間七七四年:2009/10/25(日) 15:44:26 ID:oICP9TT8
間違えた…orz
三行目、「本山茂宗」です。
750人間七七四年:2009/10/25(日) 19:54:39 ID:6KblIV6t
家康と和歌

家康は和歌が嫌いというのが通説である。
侍医の板坂卜斎も、準備せずに詩歌の会に臨むほど教養はあったが、「根本、詩作、歌、連歌はお嫌いにて」と述べ、
もっぱら儒学や史学を好み、歴史上の人物について述べることが好きだったと述べている。
歌も数多く残しているが、形は一応整っていても、目の前の景色をなんとなく歌っている歌が多い。
例:待ちかぬる花も色香をあらわして咲くや吉野の春雨の空(1594年)
当然、司馬を始めとする歴史小説等でも、まじめな学問だけが好きで、風流を解さぬ無粋な家康像が多く描かれてきた。

だが、この通説には疑問がある。

家康は幼いころから書に親しみ、手本をもとに数多くの書を練習で書いているが、この手本が定家の遺墨や伊勢物語など
歌に関するものばかりなのである。
また、源氏物語の講義を受けたり、自ら「歌枕覚書」を書いて歌枕を覚えこんだりしているのである。
さらに、連歌についても、1604年、熱海に湯治に来た際、一人で連歌作りを楽しみ、それを宗祇の孫弟子に批評してもらっている。

以上のことから、家康は歌が嫌いだったのではなく、好きだったけれど下手だったので、周りのそうそうたる戦国武将歌人
(ラスボス、まーくん、三歳、謙信、氏真など)と比べられたくないので嫌いのふりをしたというのが、真実なのではないだろうか。

751人間七七四年:2009/10/25(日) 20:05:47 ID:ArZwABF0
何か氏真と和歌について語り合ってるエピソードが
まとめにあった気がする。
752人間七七四年:2009/10/25(日) 20:10:28 ID:x6Hhivj8
>>750
そういえば、家康の歌って有名なのが無いですよねえw
(鳴くまで待とう、は除外。)
753人間七七四年:2009/10/25(日) 20:27:40 ID:oICP9TT8
家康の辞世の句とも言われる
「先に行く 後に残るも同じこと 連れて行けぬを別れとぞ思う」
は、名句だと思う。
754人間七七四年:2009/10/25(日) 20:33:11 ID:w23Am+Y2
へー、家康の辞世の句なんて初めて知った意外
755人間七七四年:2009/10/25(日) 20:40:01 ID:MvsAn+Tx
暁の空の方はまさに勝者の句だな
756人間七七四年:2009/10/25(日) 20:57:31 ID:L5LXPTeU
鍵湯

美作国(現在の岡山県北部)にある奥津温泉。美作三湯にも数えられるこの名泉にある時、森忠政が湯治にやってきた。
やはり評判どおりの名泉で入浴した忠政もご満悦であったがあまりにもいい湯だった為に悲劇が起こる。

忠政「気に入ったのでこの温泉はこれより俺専用の湯治場となった。以後、俺以外の入浴を固く禁ずる。」

気に入られ過ぎたが為に忠政以外の入浴が一切禁止されてしまったのである。
しかもわざわざ鍵が掛けられ、森家から「温泉番」なる役人が派遣されて睨みを利かせるという念の入れようであった。

たまったものでは無いのは突然締め出しを食らった地元の領民である。
恨みを持った領民は皮肉をこめてこう呼ぶようになった・・・鍵のかかった開かずの湯、『鍵湯』と。


ちなみにこの奥津温泉、今でも沸いているが鍵は無くなり誰でも入れるようになっている。しかしながら鍵湯の呼び名は健在である。
757人間七七四年:2009/10/25(日) 21:07:09 ID:ArZwABF0
何と言うジャイアン・・・
758人間七七四年:2009/10/25(日) 21:20:24 ID:ajVOKyYF
江戸中〜後期なら一般に開放して金取った方がいい収入なると思うけどな
759人間七七四年:2009/10/25(日) 21:27:52 ID:L5LXPTeU
>>758
森家が居なくなった後は普通にそうやって儲けてたと思う。

経営者的にも涙目だからね、これ。
760人間七七四年:2009/10/25(日) 21:55:41 ID:rWYOyY/7
咲く花を散らさじと思ふ御吉野は 心あるべき春の山風
ころは秋ころは夕ぐれ身はひとつ 何に落葉のとまるべきかは
怠らず行かば千里の外も見ん 牛のあゆみのよしおそくとも

とりあえずネットをあさって出てきた家康の和歌
大日本史料の家康死去の項にもあるが字が読めん
761人間七七四年:2009/10/25(日) 22:05:50 ID:Yt2vZWpq
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
これを抜いてるのはなんでだい?
762人間七七四年:2009/10/25(日) 22:11:23 ID:8hRn/51H
>>760
一つめや二つめなんかはホントに目の前の風景を歌にしてるだけだなw

でもストレートなだけにすぐに情景が目に浮かぶし共感もしやすい。
一流の歌はいろいろと手が込んでてそれを読み解く楽しみがあるが、
こういう単純なのも味があっていいな。
763人間七七四年:2009/10/25(日) 22:12:48 ID:rWYOyY/7
>>761
既出ですんで
764人間七七四年:2009/10/25(日) 22:14:08 ID:oICP9TT8
>>760
> 怠らず行かば千里の外も見ん 牛のあゆみのよしおそくとも

やっぱり家康の句は、技巧を凝らしたものより、こう言う、人生の機微を表現したものが
ぐっと来るな。


>>761
>>755で指摘してるからかと。
765人間七七四年:2009/10/25(日) 22:14:56 ID:rWYOyY/7
個人的に家康は正岡子規の様に写実を好む性質だと思う
現実主事的な性格も反映して
766人間七七四年:2009/10/25(日) 22:15:52 ID:oICP9TT8
全く同じ事考えた。家康の句は子規好みだね。
767人間七七四年:2009/10/25(日) 22:27:18 ID:B+5yn6md
ますらおぶりとたおやめぶりって奴か
表現の方向性は違うけど下手ではないよな
768人間七七四年:2009/10/25(日) 22:52:42 ID:GRoOHpWH
もしも本当に駄目駄目で周囲から笑われるような詩が後世まで残されたら
その人が哀れでしょうがないわ
769人間七七四年:2009/10/25(日) 23:23:48 ID:Wazmcl3/
>>761
秀吉の辞世の句への返歌だからじゃね?
770人間七七四年:2009/10/25(日) 23:23:58 ID:JYWpuFcI
>>755
なんか秀吉の夢のまた夢〜の返歌っぽい


死にともな まだ死にともな 死にともな 御恩を受けし君を思えば By本多忠勝 
個人的に本多忠勝の辞世の句がへたくそだけどそこが好きw

771人間七七四年:2009/10/25(日) 23:32:14 ID:+WnJF1wu
>>768
夏山の遠き梢の涼しさを 野中の水の緑にぞ見る  武田勝頼

俺これはあまりフォローできない
772人間七七四年:2009/10/25(日) 23:44:49 ID:cCTQxg7m
>>771

叙景詩というか、素直にみたまんま。

でも心中の寂寥感をしのばせてはいるんだろう。
「涼しさを」と言ってしまわないで、何かの換喩みたいな語を当てれば、
と思う。
でも、良いと思うんでアンテナ三本!
773人間七七四年:2009/10/26(月) 00:05:11 ID:JUrPGbZg
>>771
夏山なのになんで涼しいのだろうか、と最初思ったが
つまり死を前にして、身近な風景の中に美を見出した心境の歌でしょ。
いい歌なんじゃないの?
774人間七七四年:2009/10/26(月) 00:21:57 ID:R6drDZ3I
>>773
いや別に死を前にしての歌ではないよね
信濃だから夏は涼しいとこもあったかもしれないけど
775人間七七四年:2009/10/26(月) 00:31:20 ID:mpUr/cPi
まあ勝頼は父親が「和歌!?武士は武芸を磨いとけばいいんだ!
そんなものがいくら上手くなっても武芸の役に立つものか!」
って人だからしゃーない。
776人間七七四年:2009/10/26(月) 00:32:25 ID:35fm4gD5
>>775
若いころは漢詩狂いだったからね…>父親
777人間七七四年:2009/10/26(月) 00:38:38 ID:rO/K8CIC
時世の句で言ったら織田信孝なんて完全な恨み節だぞ
778人間七七四年:2009/10/26(月) 01:31:29 ID:D3i57zE8
まぁ創作だろう
779人間七七四年:2009/10/26(月) 01:44:07 ID:BR7IvTkj
上杉謙信の辞世は珍しく漢詩だな
「四十九年 一睡夢 一期栄花 一盃酒」
これは個人的にいい句だと思う
780人間七七四年:2009/10/26(月) 01:53:26 ID:QBee9KGp
>>779
いいなぁ
謙信らしい感じがする。漢詩なところも含めて
781奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/26(月) 02:07:05 ID:OIIWWYpr
ななとせを
かさねてひとつ
ねむりとて
みはなをめでつ
ひとひらのさけ
782人間七七四年:2009/10/26(月) 02:17:24 ID:mpUr/cPi
「ななとせ」でこんな歌を思い出した

『有卦(うけ)に入る 数は七年(ななとせ)何事も 笑うて暮らせふふふふふふふ』

大田南畝の文化七年(1810)の歌。「有卦」はその人の生まれ年によって決まっている、
縁起の良い年回りに入ること。これは7年続く。
783奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/26(月) 02:22:20 ID:OIIWWYpr
1
2
4
8
16
32
64
128
256
512
1024
2048
4096
8192
784人間七七四年:2009/10/26(月) 02:27:32 ID:x6E75C+p
もうだいぶレスついてるが同じこと思ったな。>正岡子規っぽい

家康や勝頼はあれだな、和歌というより俳句の世界に近いかもしれん
……芭蕉の時代にはちょびっと早かったか。
785人間七七四年:2009/10/26(月) 03:25:29 ID:secCfFiy
>>768
技巧的に稚拙というわけじゃないけど、朝倉義景の辞世の句とか何か凄いよ
786人間七七四年:2009/10/26(月) 03:54:39 ID:yTeIqlCC
大内義隆さんの辞世の句も後半がスゴイ
787人間七七四年:2009/10/26(月) 06:59:36 ID:295Hhjx8
>>786
後半が漢字ばっかのアレな
788人間七七四年:2009/10/26(月) 08:48:22 ID:JUrPGbZg
>>774
辞世なんだから死を前にしての歌に決まってるだろ
789人間七七四年:2009/10/26(月) 10:03:33 ID:mS66P8NV
そうとも限らない
今で言う遺書みたいなものだから、
「オレ、これを自省の句にするわ」と
前もって指定することができた
790人間七七四年:2009/10/26(月) 10:05:00 ID:W381m4bS
>「討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観」 - 大内義隆

何て読むのこれ?どういう意味?
791人間七七四年:2009/10/26(月) 10:05:52 ID:R6drDZ3I
>>788
いやそれ確か連歌会だかなんかで読んだやつで別に辞世の歌じゃないぞ
結構若い頃(多分まだ武田継ぐ前)のやつだったと思うし
792人間七七四年:2009/10/26(月) 10:09:12 ID:l2jSrKBl
>>790
にょろやくにょでんおうさにょぜかん
漢文調の部分は、「金剛般若経」に由来するらしい。
793人間七七四年:2009/10/26(月) 10:48:47 ID:84Kd4IF1
>>790
俺もあいつも露や雷みたいなもんだな。それもまたいいか

こんな感じ?
794人間七七四年:2009/10/26(月) 11:12:47 ID:ITY/eH6+
>>793
>>792の通り漢詩由来だから字面で意味なんか読めない
795人間七七四年:2009/10/26(月) 12:30:31 ID:yjZsa2WL
>>779
これはいい謙信だな
さすがに敵の城門前まで行って酒盛りした伝説が残るだけのことはある

辞世の句じゃないけど、生前に腹痛、頭痛、歯痛、眼病とかを持ってた人が
死ぬ間際に 「私を神として祭れば○○に悩む人を助けてやろう」って言い残すテンプレも結構あるよね
後世の人が墓石を削るテンプレと併用される
神社や寺の宣伝文句なのかもね
796人間七七四年:2009/10/26(月) 13:14:25 ID:/W8p/Wt8
稀代の謀将と言われた毛利元就辞世の句
友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は

めっちゃ爽やかでいいとこのボンボンのような・・・
797人間七七四年:2009/10/26(月) 13:18:53 ID:HT7y/oh3
>>795
それの亜種で禁酒の神様になったり
798人間七七四年:2009/10/26(月) 13:49:17 ID:QBee9KGp
>>796
なんか、卒業式みたいw
まぁ人生の卒業だが
799人間七七四年:2009/10/26(月) 17:51:31 ID:/0jkqil3
>>790
討つ者も 討たれる者も かわらけよ 砕けてのちは もとのつちくれ

これを思い出したw
800人間七七四年:2009/10/26(月) 17:56:24 ID:yXDuRTjD
>>794
漢詩由来だったら普通に字面で読めるだろ。
読めないのは梵語の音韻を写した経文だからだろ?
あるいは白話文か。
801人間七七四年:2009/10/26(月) 18:03:29 ID:mpUr/cPi
>>790
> 如露亦如電 応作如是観
「露の如く、また雷電の如く、まさにかくのごとき観をなすべし。」

まあつまり、
『(俺を)討つ奴の人生も、討たれる俺の人生も、どっちみち(禅の言葉で言っているように、仏から
見れば)、露が落ちて蒸発する間や、雷が光る間のような、一瞬の出来事でしかないじゃないか』

って、諦観を詠んだものかと。
802人間七七四年:2009/10/26(月) 18:14:36 ID:2qefo542
大内義隆の人生の半分は諦めで出来ているからな
803人間七七四年:2009/10/26(月) 18:47:54 ID:GrGISanL
「政宗と秀康」
関ヶ原後の事。ある日、伊達政宗と結城秀康が道で出会った。両者とも騎乗している。
政宗は上杉家の岡左内と戦って軽い怪我を負っていたが、下馬しないでその傷を指さし
「いや、ひどい目にあいましたよ。ウッ、傷が・・・とても下馬できねぇ。サーセンw」
と言って馬に乗ったまますれ違った。秀康は笑いながら近臣に向かって
「政宗の奴、軽い怪我を大けがのように芝居して下馬しなかったぜ。今に始まったことじゃ無いけど、傲慢な奴だよなw」
見透かされていた政宗のちょっとカコ悪い話。
804人間七七四年:2009/10/26(月) 19:19:50 ID:Pm5dqOXI
>>803
騙すとか見透すとかいうレベルの話じゃないような…
805人間七七四年:2009/10/26(月) 19:21:48 ID:sSdMZ55h
>>801-802
実にその半生に似つかわしい・・・
つーか、嫡男が死んだ時に半分死んじゃったんだろうな、本当に
806人間七七四年:2009/10/26(月) 19:42:19 ID:pWbfyRaK
807人間七七四年:2009/10/26(月) 21:04:07 ID:i/POWpsO
>803既出のような…
808807:2009/10/26(月) 21:05:47 ID:i/POWpsO
>806すまん指摘済みだったか。

介錯たのまあ……BANZAI!!!
809人間七七四年:2009/10/26(月) 21:42:14 ID:GrGISanL
>>806-807
すまん・・・
検索したんだけど見落としてたみたいだわ
810人間七七四年:2009/10/26(月) 22:17:46 ID:bmbD8juL
辞世の句も詠まずに切腹しやがって・・・
811人間七七四年:2009/10/26(月) 22:50:45 ID:XtLSeglg
そして誰にも介錯してもらえずに床をのた打ち回る807
812人間七七四年:2009/10/26(月) 23:39:46 ID:NIW0aA1B
口は災いのもとと言うが…
この時代何が命取りになるのかわからんな
813人間七七四年:2009/10/26(月) 23:44:09 ID:NIW0aA1B
>>746へのレスだったがまぁいいやw
814人間七七四年:2009/10/27(火) 00:33:47 ID:HxVRXkv6
>>812
聚楽第にさる関白の落書きした奴って、2chに犯罪予告どころじゃない
クソ度胸の持ち主か超絶うつけ者かだな
815人間七七四年:2009/10/27(火) 02:14:22 ID:3qi6Ku7+
とばっちりを受けた小役人は最悪だな
816人間七七四年:2009/10/27(火) 07:44:36 ID:RuBOY2P5
小役人だけじゃなくてその辺の住民も巻き添えで処刑されてたでしょ
817人間七七四年:2009/10/27(火) 08:21:04 ID:DalijGZS
> その辺の住民も巻き添えで処刑
秀吉の場合コレがデフォになってるよな。
818人間七七四年:2009/10/27(火) 08:23:34 ID:QeLUWjJZ
ちょっとでも歴史がずれてたら「その辺の住民」のほうの役回りだった生い立ちの人とは思えないよな。
819人間七七四年:2009/10/27(火) 08:46:34 ID:khcWuOvo
三者三様

関ヶ原の決戦後、西軍の首魁として捕らえられた石田三成、小西行長、安国寺恵瓊。
その彼らに家康より、見苦しい格好をさせてはならぬと、新品の小袖二領づつが
下げ渡された。

先ず石田三成、
これを視て「誰が送ってきたものか?」と問う。
番使が「上様よりである」と答えれば、「上様とは、誰か?」
「家康様である」と言ったところ

「太閤殿下が薨去されてより、上様とは秀頼公の事である!
一体何者が家康を上様と名付けたのか!?」

そう高笑いし、小袖に対して礼を述べるような事もなかった。


次に小西行長、
小袖を渡され、「私は今回の乱の、徳川殿へ敵対した随一であり、
本来このような懇志に預かるような立場では無いのに、その御心底、
あつく感謝いたす。」

そう言って、涙を浮かべた。


最後に安国寺恵瓊、
彼は小袖を出されても何も言わず、ただ涙を浮かべ、俯いているだけだった。

この安国寺は捕縛されて以来、朝晩の食事の際に、逃走していたときに受けた傷に
箸を突きたてようとして、周りから止められる事たびたびであった。

『早く死にたいのであろう。』

人々は、そう語り合ったそうである。
820人間七七四年:2009/10/27(火) 08:47:51 ID:3qi6Ku7+
住民もだっけか
すっかり失念してた
821人間七七四年:2009/10/27(火) 12:02:22 ID:p64zHe+9
>>819
面白いな。

三成は自分の信じたものしか見てなくて、
行長は割りと自分とその周りのものを冷静に見ていて、
恵瓊は自分しか見てない。
822人間七七四年:2009/10/27(火) 13:20:24 ID:GSaucFZL
三成は武士として
小西はクリスチャンとして
恵瓊は普通の人として
行動したように見える
823人間七七四年:2009/10/27(火) 13:35:30 ID:aU3+C1HI
なんつーかエピソードだけ見てると、
三成って卓越した行政手腕が無かったら、
ごく普通の武人として活躍できたんじゃないかと思ってしまう。
武士としての覚悟や部下に対する度量は相当だし。
824人間七七四年:2009/10/27(火) 14:28:08 ID:/o8KLvYb
>>823
めんどくさいタイプの行政官僚だよね
生まれる場所さえ間違えなかったら徳川幕府の重鎮だったかも
825人間七七四年:2009/10/27(火) 14:43:06 ID:7K9clZ0q
あの日お茶っ葉きらしてさえいれば・・・
826人間七七四年:2009/10/27(火) 18:20:36 ID:NGJWDS2s
一家に一人ぐらいいるのかね?めんどくさい武士が
827人間七七四年:2009/10/27(火) 18:59:58 ID:CZRIeWIS
>>826
薩摩にも南部にもいるどころか
大陸見ても居たりする気がする
ただ度合いや人口密度が違うけどねw
三河なんか武士どころか農民・商人・かーちゃん・子ども
みんなめんどくさいじゃんw

ヨーロッパではこういうの見かけないと思うけど
828人間七七四年:2009/10/27(火) 19:44:24 ID:h9W5XN41
>>819の話だけからの感想だけど
三成は見事ではあるけれど、理屈が過ぎて身を滅ぼしたのがわかる
行長は情実先行で朝鮮陣での独断も理解できそうな感じ
安国寺は…ただただプライド高かったんだな
829人間七七四年:2009/10/27(火) 20:31:13 ID:87G1F8eP
三成は家康の勝者として処刑を政治的に利用するこすっからい
腹の内、偽善を見抜いていたから、嘲笑したのであろう。

行長は人の善さが露呈してしまった、唯の人。

安国寺は、武士をまねてカッコよく腹切って死にたかったのに無念。

と、書き込む自分はひれ伏し命乞いするかも・・・
830人間七七四年:2009/10/27(火) 20:43:50 ID:VoT6p/CZ
もし関ヶ原で三成が勝って、家康を捕らえたらどんな扱いをしただろうか?

少なくとも小袖を贈ったりするとは思えないな。
831人間七七四年:2009/10/27(火) 20:52:56 ID:pvDquLvD
三成ならそもそも捕らえることすらせずに即斬首じゃないかな
「家康めを捕らえる必要は無し、首だけで良し」とか
832人間七七四年:2009/10/27(火) 23:11:38 ID:9xbpYJ6H
家康なら捕まる前に腹を切りそうだ
面倒くさい三河武士が我が身を投げ打って助けてなければ
何度も腹を切る覚悟するほど窮地に陥ってるイメージがある家康って
833人間七七四年:2009/10/27(火) 23:48:48 ID:SFP9/qH/
あんがい三成も敗将には節度持ちそうな気する
834人間七七四年:2009/10/28(水) 00:24:22 ID:18HjXDKB
家康には小袖よりも替えのパンツが必要じゃないだろうか。
835人間七七四年:2009/10/28(水) 00:26:37 ID:DseTbjEr
誰も面白がらないウンコネタを書き続けるやつの気が知れない
836人間七七四年:2009/10/28(水) 00:44:22 ID:kab7UqiC
そういや、安国寺も傍流ではあるが武田の血統なんだよなw
837人間七七四年:2009/10/28(水) 01:34:18 ID:qdx6v2My
>>835
家康についてはウンコネタしか知らないんだろ
838人間七七四年:2009/10/28(水) 01:57:27 ID:mIgQwWG9
そうやって反応する人がいるから面白がるんだろうに
839人間七七四年:2009/10/28(水) 02:01:06 ID:IlX4Tek6
文禄四年(1595)の暮れのことだそうだ。

明より和睦の使い、三名来朝し、大阪へ到着した。
その中の”ゆうげき”と言う者、常に丸薬を服しており、秀吉の前でも、紙袋より
その薬を取り出し、飲み込んでいた。

これに秀吉「お前が飲んでいる丸薬は何か?」と問えば、”ゆうげき”答えるに

「私は日本と明、朝鮮の和睦の交渉のため、はるか明よりこちらに参りました。
我が帝は、この大切な交渉の最中に病死などしてはならぬと、直々にこの薬を調合し、
私に賜りました。
この薬は世の常の人が知る事のできない、秘法の大薬でございます。」

秀吉はそれに大変興味を持ち、是非自分にも分けてほしいと言う。
すると”ゆうげき”は

「これはあなた様から見れば異国の薬であり、こちらの方々に合うかどうか。
先ず、お近くにいる方に飲ませて下さい。その上で、10日ほどたっても大丈夫のようなら、
その後あなた様に進上いたしましょう。」

そこで秀吉の近臣二人が”ゆうげき”の丸薬を服したところ、気力甚だ盛んとなった。

「これはよい薬である。」

10日たつと早速、この薬を進上させた。秀吉は朝夜これを服用し、また、小早川隆景、前田利家にも
これを分け与えた。

ところが時が過ぎ、慶長二年(1597)に小早川隆景が死去、さらに慶長三年には秀吉が、
続けて慶長四年には前田利家が死んだ。
また、最初にあの丸薬を飲んだ二人の近習も、三年たってそれぞれ卒した。
それらは皆、突然の病で死した後、筋骨が砕け、五体が崩れ去るという、全く同じ症状であった。

『あの丸薬のせいであろう。異国の智謀とは、まことに恐ろしいものだ』
人々はそう驚き恐れた、とのことである。
840人間七七四年:2009/10/28(水) 02:19:13 ID:eIAbodFO
>>836マジ?始めて知った
841人間七七四年:2009/10/28(水) 02:21:58 ID:sS7azWx+
放射性物質か発癌性のめちゃくちゃ高い物質でまも含んでたのか?
842人間七七四年:2009/10/28(水) 02:22:09 ID:AzxChaWY
>>840
大内さんに滅ぼされた安芸武田氏
843人間七七四年:2009/10/28(水) 02:42:13 ID:WWTiPTf0
家康「馬鹿すぎるw 薬は自分で調合するのが一番だろ。さて、この水銀を……」
844人間七七四年:2009/10/28(水) 03:00:29 ID:QYGuzVDb
”ゆうげき”本人はどうなったんだろう。
平岩親吉の毒まんじゅうのようにその身をかけたんだろうか。
845人間七七四年:2009/10/28(水) 04:01:00 ID:mIgQwWG9
罠とかじゃなくて水銀とか使った明で当時流行ってた怪しげな漢方か何かなんじゃないかw
846人間七七四年:2009/10/28(水) 04:19:20 ID:XDefHtkf
>>839
え、秀吉ってそんな死に方したの?それは知らなんだ…

>>841
胃ガンと脚気と脳梅毒が死因として挙がってるけど、
どうなんだろうね
847人間七七四年:2009/10/28(水) 08:25:34 ID:fI+duE/t
気力が盛んになる効果があって数年後に死ぬってアレしかないだろ
おそらく麻薬か覚醒剤の一種だったんじゃないかな
あの薬はやがて全身がボロボロになり廃人にしてしまう
848人間七七四年:2009/10/28(水) 08:32:04 ID:lMSPy8AD
小田原のういろうも中国伝来の薬だっけ。
作ってた人を早雲が小田原に呼び寄せたみたいだけど。
幕府で働いてた時のコネクションなのかねえ。
849人間七七四年:2009/10/28(水) 09:29:40 ID:NrxVBPfE
沈維敬のことだろう。遊撃という官名を貰っていたが、何の軍歴もない
街の口上手な山師。伝説は多い。

何故か明の高官の目にとまって講和の責任者となったが、最後は
交渉過程での嘘がばれて斬首。
850人間七七四年:2009/10/28(水) 10:49:53 ID:2sD29ntC
>>845
そういや石綿も薬ではないけど
高貴な人達の間で貴重品として
扱われたとか何かで読んだな。
851人間七七四年:2009/10/28(水) 10:51:52 ID:uZGt3Iot
竹取物語に出てくる「火鼠の皮衣」か
852人間七七四年:2009/10/28(水) 10:57:34 ID:J9f9WZIv
マルコ・ポーロの東方見聞録にも出てきたな
853人間七七四年:2009/10/28(水) 11:16:31 ID:/XyAmSCi
>>851

安部御主人は アスベストの着物 を手に入れた!

ミも蓋もないな
854人間七七四年:2009/10/28(水) 12:52:10 ID:QMD84rjr
最近、長可兄さんの爽快なお話がなくて寂しいです。
855人間七七四年:2009/10/28(水) 15:36:52 ID:rvaCRA5t
出遅れたけど辞世の句なら。

平塚為広 名のために捨つる命は惜しからじ終にとまらぬ浮世と思へば

大谷吉継 契りあれば六つの辻にて待てしばし遅れ先立つことはあれども

どちらも原文ママじゃなくて若干現代風に読みやすくしてあるっぽい。

この二つセットになっていて、関ヶ原で大谷軍が最早これまで!
て、なったときに、平塚が主君の吉継に
「オレ、ちょっと戦死してくる!殿も潔くな!」
のメッセージと共に贈ったのが上の辞世の句、んで吉継も。
「その覚悟見事なり」
と誉めた上で平塚への返句の意味もある先ほどの歌でその覚悟に応えている。


ところで、野戦の最中に辞世の句とかどうやって書くんだろ?やっぱ敵をある程度凌いだ時に「筆を持てい!」
とか?今回のやりとりだと事前に用意していたとは思えんのだけど。
856人間七七四年:2009/10/28(水) 20:13:06 ID:16yYRDMf
セットで
前もって用意したと考えるのが一番自然なんじゃないですか?
857人間七七四年:2009/10/28(水) 20:40:02 ID:YoTzf1UK
大身の者(万石以上とか高家とか)なら平素から辞世の句の1つや2つは用意してる
死亡直前に本人から、その余裕のない場合は死亡後に祐筆などから公表されるだけだぞ
当然、死ななければ公表することもされることもない
現代で言えば自衛官が任地に向かう前などに遺書書いて艦単位や部隊単位で
保管してるのと同じ
858人間七七四年:2009/10/29(木) 01:56:53 ID:/6BC6mB2
二人の遣り取りを見聞きしていた大谷隊の者が
生き残って伝えたってことにしておこう
859人間七七四年:2009/10/29(木) 05:56:08 ID:d1P75D9M
>856-857
確かにそう考えるのが妥当なんだろうけど、この場面は、やはり吉継にその場で辞世の句を読み上げもらった方がカッコいいというか絵になるよな。
そんな暇無いだろうけど。
860人間七七四年:2009/10/29(木) 15:49:40 ID:1VeYdfkd
転載なので出典が激しく微妙だけど面白かったので
本多忠勝と家康の子供時代

117 :名無し曰く、:2009/10/13(火) 23:56:08 ID:774mk7Hq
鍋之介「うわーん転んだよー足痛いよー」
竹千代「おおよしよし、おぶってやるから泣き止みなさい」
鍋之介「うわーん痛いよー痛いよー」
鍋之介母「こらっ何をやっている!?」
鍋之介「かーちゃん!?」
竹千代「うわっ本多未亡人」
鍋之介母「鍋之介、お前は三河の子どもとあろうものが竹千代さまに背負われるとはどういうことじゃ!」
竹千代「本多未亡人、鍋之介は怪我をしたのじゃ」
鍋之介母「怪我?怪我をしたから竹千代さまに背負われたと言うか……そこになおれい!
そんな役立たずの足などこの私が切り落としてくれるわぁ!」
鍋之介「かーちゃんごめんよー!」
竹千代「本多未亡人!わし本当に気にしてないから!本多未亡人やめてー!」

っていうのが本当にあったらしいな
861人間七七四年:2009/10/29(木) 16:02:39 ID:QxbFhF5O
上杉謙信の死についての異説である。
それには、柿崎景家が係わっている。

謙信が、信長への内通を疑われた柿崎景家を誅殺した、と言う話は、
真偽はともかくとして有名であるが、この時謙信、いかにも謙信らしいというべきか、
柿崎と一対一の格闘で、これを斃したそうなのだ。

ところが斃された柿崎も、格闘の際謙信の尻の穴に指をいれ、これを引き裂いたのだという。

誅殺の後、その傷も癒えたのだが、その日便所で踏ん張っていたところ、傷が開き、
これが悪化して死去したそうだ。

本当に伝わっている、上杉謙信死の理由異聞。
862人間七七四年:2009/10/29(木) 16:22:06 ID:0Tx74bXy
>>861
これぞ、まさに3年殺し!!
実際、景家の死後3年数ヵ月後に謙信亡くなってるし。
863人間七七四年:2009/10/29(木) 16:45:18 ID:QFaI6B/S
柿崎ぃぃぃぃぃ!
864人間七七四年:2009/10/29(木) 16:49:42 ID:LR2aA54d
アッー!
865人間七七四年:2009/10/29(木) 17:13:40 ID:6/DvJ8S/
無理矢理拡張とか・・・慣らしていけよ
866人間七七四年:2009/10/29(木) 17:32:41 ID:xw1r7wpU
謙信は突っ込むの専門だったの?
867人間七七四年:2009/10/29(木) 19:25:43 ID:/wVAVuko
亀園さんは処女だと思うんだが
868人間七七四年:2009/10/29(木) 19:27:03 ID:/wVAVuko
誤爆
869人間七七四年:2009/10/30(金) 00:46:01 ID:/eEUoC72
「プロレスの神様」といわれた故カール・ゴッチがガチンコでも強かったって話しの中に「試合中、相手の肛門に指を突っ込む」という反則技(?)が上手かったってのがあったけど・・・。
これをやると仰け反ったり、動きが止まったり、バランスや姿勢崩したりで、技をかけるのが容易になるとかなんとか。

そういうことをやられてもキッチリ勝つのが謙信なんだろうかなとw
870人間七七四年:2009/10/30(金) 01:09:04 ID:PcM/kFvS
戦国の兵法を書いた『兵法雄鑑』より

Q、「籠城していますがもはや兵糧もなく、また、援軍の当てもありません。
  こんな八方塞のときは、どうすればいいでしょうか?」


A、「そう言うときは、速やかに降伏しましょう。

  で、城の受け取りに敵がのこのこ入ってきますね?
  そこがチャンスです。伏兵を置いておいて、油断して入城する敵将を討ち取り混乱させ、
  包囲を破り敵を追い払うのです。」


戦国時代は全く油断がならねえのだ。
871人間七七四年:2009/10/30(金) 01:32:01 ID:YubbTGk7
匿名希望「狸の天下狙ってますがもはや石高が60万石しかなく、また、伯父貴も当てになりません。
       こんな八方塞のときは、どうすればいいでしょうか?」
872人間七七四年:2009/10/30(金) 02:17:13 ID:CqsHbiqK
頭でも丸めてろ、このDQNが!
873人間七七四年:2009/10/30(金) 02:43:06 ID:3GtzHcNi
匿名希望『四天王が一人戦死して、枠が空いたので次は俺だろ!、って思ったのにその弟が後釜に座りました、他の奴らを殺せば入れるんですがまともにやっては返り討ちが関の山です、どうすれば四天王入りできるでしょう?』
874人間七七四年:2009/10/30(金) 03:33:21 ID:mpdAxONc
>>873
返り討ちに遭ってこその貴方です。まずは実際に倒せないか試してみては?
875人間七七四年:2009/10/30(金) 03:38:24 ID:1k0kBqja
>>840
>>842
安芸武田は若狭武田(甲斐武田の分家・蛎崎家の祖先)の分家筋で、一応は武田w

まぁ、神君にしてみれば、分家のそのまた分家なんて尊敬には値しなかったんだろうなぁ…
876人間七七四年:2009/10/30(金) 03:45:30 ID:CqsHbiqK
蛎崎の祖先といわれるとちょっとねぇ
877人間七七四年:2009/10/30(金) 08:39:33 ID:1FV4hzdu
>>873
某竜造寺四天王「四天王が5人いたっていーじゃねーか」
878人間七七四年:2009/10/30(金) 09:22:34 ID:fftfMn0m
>>875
別に武田とか源氏という血筋を尊んだというわけでなく、あくまで「信玄」が対象だったからな。
879人間七七四年:2009/10/30(金) 09:27:48 ID:eVthFKQT
>>873
『俺みたいに考える前にヒャッハーしてみようぜ』
880人間七七四年:2009/10/30(金) 10:07:24 ID:elZfJy7e
>861
柿崎アミバ守「んんー、間違えたかな〜?」
「どうやらこの秘孔ではないらしい……」

謙信「お前は断じて和泉守ではない!」アテテテ...
881人間七七四年:2009/10/30(金) 12:32:29 ID:gd2QWa0i
>>861
つ閻魔様への紹介状
882人間七七四年:2009/10/30(金) 17:58:41 ID:PcM/kFvS
加藤清正は、士卒が酒を飲む事を大変嫌ったそうだ。

そこで、家臣のうち上戸の者達はみな、それを隠していた。
例えば坂川忠兵衛は大酒飲みであったが、「それがし、一滴も飲めませぬ」と言い、
清正も坂川は下戸だと信じていた。

さて、ある時清正が、その居城熊本城において、家中一同を集め饗応したことがあった。
しかしこんな場にも、当然酒は無い。

ところが、この時坂川の隣には、医師の玉庵と言うものが座り、膳のご馳走を食べていたのだが、
この玉庵、たいへんな酒飲みとして有名で、この時も一人酒を持ち込み、大盃に並々とそそいだものを、
膳の脇においていた。

清正も、家臣ではない者の飲酒には寛容であった。彼は居並ぶ家臣達一人ひとりに声をかけて
廻っていたのだが、玉庵の前まで来ると、

「ささ、遠慮なさらずにその盃を開けられよ」

と言う。そこで玉庵、酒を飲み干すと清正、その盃に再び酒を注ぎ

「さあいま一つ」

と差し出した。ところがここで、隣に座する坂川忠兵衛、何を勘違いしたものか、これが
自分に差し出されたものだと思い込んでしまい、盃を受け取ると、見事な飲みっぷりで
一気に飲み干してしまった。

すこぶる旨い酒で「いやあ、いい味でござった」と盃から顔を上げる。
そこには、唖然とした主君の顔

「おぬし…、一滴も飲めぬ下戸ではなかったのか?」

これに坂川、初めて自分が勘違いした事に気づき、「やや!?これは玉庵殿への酒でござったか!」と、
赤面する事しきりであったとか。


坂川さん、せっかく今まで上手くごまかしていたのに、これで台無しでござる。の巻。
883人間七七四年:2009/10/30(金) 18:35:56 ID:elZfJy7e
>>882いい呑みっぷりだが既出…
884人間七七四年:2009/10/30(金) 20:26:02 ID:lU70N6Cz
やっぱ酒を飲んで酔うと隙ができるとかそんな理由で嫌いだったのだろうか?
もしかしたら若い頃に下戸で周囲に馬鹿にされた経験があったとかその程度のことなのかもしれんがw
885人間七七四年:2009/10/30(金) 20:28:10 ID:Zz4risCY
>>884
ヒント:幼なじみが市松
886人間七七四年:2009/10/30(金) 21:09:40 ID:1k0kBqja
>>884-885
そりゃぁ、数少ない大親友の一人がアレじゃ・・・なぁ

酒も飲みたくなくなるわなw
887人間七七四年:2009/10/30(金) 21:18:47 ID:ojI9MAfj
亀だが>>839

それ多分「紅鉛丸」だと思う。主材料は水銀と初潮の血で、強壮・興奮効果と共に服用後の性行為で強烈な快感と共に体温が低下するという凄まじいもの。
明の嘉靖帝・万暦帝・泰昌帝・名臣張居正等が中毒死したと伝えられ、特に嘉靖帝は宮中に少女二千人を集めて供給させ、泰昌帝は在位一ヶ月で急死した。
明末期の上流階級の退廃ぶりを見ると、日本と清に大敗して民衆反乱で自滅したのも頷けるわ。
888人間七七四年:2009/10/30(金) 21:41:34 ID:Z3s+L+TI
何だその薬w
初潮の血とかぶっ飛び過ぎだろw
889人間七七四年:2009/10/30(金) 22:05:44 ID:tzJx/Wbm
明はいかれた皇帝多いからな
890人間七七四年:2009/10/30(金) 22:53:50 ID:Bb/e3XIO
マトモな皇帝三人ぐらいしかいないもん>明
891人間七七四年:2009/10/30(金) 23:37:05 ID:fftfMn0m
>>890
個人的な記憶だと、孝宗弘治帝くらいしかいないんですけどw>まとも
892人間七七四年:2009/10/31(土) 00:44:48 ID:6M8qq6Q6
政策そのものはきわめてまともだけど、ラスボスのスケールを10倍ぐらいに
大きくした皇帝がおるからなぁ。初代に。
893人間七七四年:2009/10/31(土) 00:57:44 ID:SsZ7Y8kZ
初代から裏ボスですかwww
894人間七七四年:2009/10/31(土) 00:59:11 ID:W9wgck+x
たぶん本当に元は乞食や泥棒みたいな所から中国統一して皇帝にまでなった初代は比べものにならん
その後がアレだからあんま触れられないが創作物の格好の題材みたいな人生じゃないか
895人間七七四年:2009/10/31(土) 02:11:37 ID:pGdy197R
腐れ禿鼠って洪武帝に擬される事が多いよな…
と、いうことは豊臣の純血統が続いていたら…


おや、こんな時間に宅配業者が呼び鈴を押してる
896人間七七四年:2009/10/31(土) 02:41:42 ID:VePAiJK9
>>894-895
漢の高祖といい、洪武帝といい、低い身分から立身したやつは
その後がアレやつが多いな(若い頃からそういう残忍な片鱗は見せてたり
するけど)。こういう低い身分から立身したやつが統一しそこねて残忍な
エピソードが残ると朱全忠みたいなイメージになるのかも。
897人間七七四年:2009/10/31(土) 04:05:19 ID:Z2ZstjcK
劉邦はそんなイメージはないが。残酷物語は呂后だろ?(最終的にOKだすのは劉邦だとしても)
劉邦は皇帝になった後も精力的に将軍として戦い続けた印象(内戦&外戦)

まあ朱元璋も、粛清やってる頃は同時に農民本位の政治を行ってるし
各農村に配った訓戒は名文として知られている訳で、見方変わればって感じはするが
(そういう意味じゃ、農民に優しかった朱元璋は秀吉とは一線を画している)
898人間七七四年:2009/10/31(土) 08:34:21 ID:OPKMK+sX
「中国の大盗賊」って本は面白かったな
皇帝もしょせんは盗賊上がりって見方が素晴らしい
899人間七七四年:2009/10/31(土) 09:13:57 ID:V4tS1vD5
盗賊といっても軍閥だったりするからね
900人間七七四年:2009/10/31(土) 10:04:24 ID:AI8oV5DA
貧乏だったからお肌も荒れ気味ゆえ顔も汚い皇帝w
あれも龍顔とか呼ばれたんかな。
901人間七七四年:2009/10/31(土) 12:41:18 ID:jIPrWXU/
つーか、不作だからって政府が何かしてくれるわけでなし、
そういう時は村ぐるみで比較的ましな村を襲撃するしかない。
それをしない村は滅び上手くやった村が生き延びる。
中華泥棒共和国ってとこかねぇ。
902人間七七四年:2009/10/31(土) 14:54:59 ID:SsZ7Y8kZ
秀吉って、日本というより中国の皇帝に近い印象を感じる。
本場よりスケールは小さいけど、それでも日本人にはなかなかいないタイプ。かろうじて後醍醐くらいか。
903人間七七四年:2009/10/31(土) 15:18:01 ID:AI8oV5DA
官からして泥棒よりタチが悪いのが中華
904人間七七四年:2009/10/31(土) 17:30:56 ID:uo5PVM0X
大陸は恐ろしい
905人間七七四年:2009/10/31(土) 17:34:01 ID:yJp3CyFa
長尾景春の乱が起きると関東の国人衆も多くが味方した
その中に現在の神奈川県愛川町にあった小沢城の金子掃部助もいた
小沢城は援軍もあって太田道灌をてこずらせたが、やがてはあえなく落城する
その落城にまつわる昔話

金子には美しい姫がいて、彼女は現在の神奈川県海老名市に住まう若者と婚約していた
戦のさなかにも姫は婚約者の元を訪ねて海老名館に滞在していたが、
いよいよ小沢城が危ないとの報に急いで城へと立ち戻る
しかし時既に遅く、彼女が見たのはまさに両親もろとも焼け落ちる城の光景だった
親を亡くし家も滅びては婚儀も叶わず、絶望した姫は眼下の相模川へと身を投げ自害した
すると不思議なことに美しい姫の体は恐ろしい大蛇へと変じ、水面を裂いて泳ぎ始めた
川岸に大きな水しぶきを浴びせながら下流へ、海老名へと泳ぐ大蛇はやがてそこにたどり着き、
息絶えた姫の姿に戻って神社の裏の川岸に打ち上げられた
海老名の地に嫁ぐ日を夢見ながら散った姫を土地の者は哀れみ、
打ち上げられた社の名を取って有鹿姫と呼び、境内の隅に葬ったという
906人間七七四年:2009/10/31(土) 19:12:04 ID:CdmvK8Dm
…その姫妖怪かなんかだったんじゃねぇのw

しかしろくに歴史が無いと思っていた俺の地元にそんな話があったとはしらなんだ…
有鹿神社へさっき行ってきたものの暗くて碑は確認できなかったわ
907人間七七四年:2009/10/31(土) 19:17:24 ID:c8cLJnQv
大蛇になった勢いで復讐しようとは思わなかったのかな?
908人間七七四年:2009/10/31(土) 21:31:29 ID:k3+e1bk/
>>750
著しく亀だが家康の和歌ネタがらみで
大御所様のちょっとスペース配分が悪かった話

「待ちかぬる・・・」の歌は吉野懐紙の一首目なんだが、手元の
写真を見ると、だんだん文字が小さくなって五首目には行間も
キツキツになっている
これを書くために真面目に練習もしたそうだが、緊張したのか
ちょっぴり微笑ましい仕上がりになってしまったようだ

 はなのねかひ
まちかぬるはなもいろかをあらはしてさくや吉野の春雨のをと
 はなをちらさぬ風
さくはなをちらさしと思ふみよし野はこゝろあるへきはるのやまかせ
 たきのうへのはな
花の色は春より後もわすれめやみなかみとをきたきのしら浪
 かみのまへのはな
としゝの花のみきりの吉野山うらやましくもすめる神垣
 はなのいはひ
君が代は千年の春もよしの山花にちきりのかきりあらしな

既出の冒頭二首以外も直球というかそのまんまというか素朴で良い
ちなみに大御所様自筆の豪快な筆跡を「特異な書風」と評した
ずんだ市博物館員ヒドスw

しかし巻紙でスペース配分ミスってありえるのか・・・?
909人間七七四年:2009/10/31(土) 21:51:37 ID:CdmvK8Dm
写真うp
910人間七七四年:2009/10/31(土) 21:55:37 ID:k3+e1bk/
博物館の中の人に怒られるかと思って貼らなかったんだが
いいのかなあ?
911人間七七四年:2009/10/31(土) 21:58:40 ID:4MECqVTj
>>908
> しかし巻紙でスペース配分ミスってありえるのか・・・?
まあこの時代、巻紙でも書状でも何でも、スペースが足りなくなったら紙を張り足すのが普通なんだが、
これは家康の事だけに、「もったいない」と思ったのかもしれないですなw
912人間七七四年:2009/10/31(土) 22:06:50 ID:CdmvK8Dm
>>910
あー、うん
残念だが止めた方がいいかもしれん
次は撮る前にアウトな品か 確認しようぜ
913人間七七四年:2009/10/31(土) 22:14:00 ID:k3+e1bk/
>>911
mottainaiかw ありえるから困るw

>>912
職員さんは「フラッシュ使わないなら撮っておk」って
言ってくれたんだが、うpは流石にまずいかなと思って
914人間七七四年:2009/10/31(土) 22:42:50 ID:CdmvK8Dm
うーんどうなんだろうな
個人所有はありだけど無断配布は許可してないって事になるんだろうか?
まぁ見たかったらずんだ市博物館に行きゃいいか

しかし俺達より遥かに書き慣れてるはずなのに文が詰まるんだな
小学生の習字を思い出すわw
915人間七七四年:2009/10/31(土) 23:00:15 ID:k3+e1bk/
ずんだ市博物館は4/19まで耐震工事で休館中なのでご注意下され

そして実は横方向だけじゃなく縦位置も微妙に苦しかったりする

春 日 同 詠 五 首 和歌 |
    権 大 納 言家康 | ←紙の下端

冒頭のタイトルと名前、"五首"までで字間とりすぎて"和"と"歌"が
くっついてるし、”権大納”でまた字間とりすぎて"康"から紙の
下端まで5mmくらいしかないw

味があって面白いんでぜひ見に来てけさいw
916人間七七四年:2009/10/31(土) 23:59:12 ID:UrIFL9lT
ずんだ市ってゆーなwww
917人間七七四年:2009/11/01(日) 11:22:11 ID:+7tY8y7l
ずんだら節が語源か?
918人間七七四年:2009/11/01(日) 12:16:08 ID:Hz4qeG0X
>>916
つ [笹かま市]
>>917
つ [ずんだ餅]
919人間七七四年:2009/11/01(日) 12:24:19 ID:C6YM1Xl4
>>905
撮ってきた
今は境内じゃなくて神社の隣の小学校の敷地にひっそりとあったから探すのに手間取ったぜ
ttp://up3.viploader.net/jiko/src/vljiko004804.jpg
920人間七七四年:2009/11/01(日) 12:56:25 ID:JvRUVmCA
小沢城の落城話をぐぐってみたら
・落ち延びて沼に身を投げた
・川に身を投げたら大蛇になって消えた(後に城坂の道を花嫁が通ると、必ず不縁になる呪い付き)
・蛇になって婚約者の土地まで流れついて葬られた
とかいろんなバージョンがあるらしいな
城一つ落ちるだけでもいろんな話ができるもんだ
921人間七七四年:2009/11/01(日) 13:04:30 ID:7JEyIacZ
落城といえば関ヶ原の戦いの後の佐和山城。
城方の女性たちが谷に身を投げて皆自害した。
その後、その谷に生息する蛇は皆口紅を塗ったように
口が赤くなった、というのもある。
922人間七七四年:2009/11/01(日) 18:18:20 ID:nZIlmGxH
死して蛇に口紅とは今の女も見習うべき
今の女は死なずに口紅塗って色仕掛けだからな
一方、今の男は昔と変わらずきちんと切腹してるから偉い
某ボクシング選手の切腹は風流でもあった。
一時はビッグマウスなんて呼ばれてたが、あの切腹を見たら誰もそうは言えんだろ
923人間七七四年:2009/11/01(日) 18:57:38 ID:jYOryiYD
安珍・清姫伝説の頃からか、それよりもっと昔から日の本のをなごは大蛇に化けますなw
酒呑みのをなごはウワバミと言われますし、由来かなんかがあるんですかね?w
924人間七七四年:2009/11/01(日) 20:46:17 ID:Hz4qeG0X
そういやカエルとか亀とかに化けた女の話はあんまり聞きませんなw

神武天皇のお婆ちゃんが竜の姿に戻って出産してたら旦那に覗かれて、
ぶちキレて家出しちゃった話が一番古いのかな?
ウワバミっつとヤマタノオロチも大神神社の神様も酒大好きですよねw
925人間七七四年:2009/11/01(日) 21:00:23 ID:N4IX18pP
ウワバミは大酒のみを意味する言葉で男女の区別はねえですよ。
その意図する所は、蛇が大口開けて何でも飲み込んでしまうので
それに例えて大酒のみ=うわばみ(上食み)です。
あと正体が実は蛇、という男の神話や物語も結構あるので、
(大物主神が実は蛇だったとか)男女の別も実はないかもしれません。

蛇(=竜)は水の象徴だったり(なので化身する者は大概、水(川、沼等)に消える)、
閉じない目と鱗が光るので太陽を象徴したり、
三種の神器に数えられる鏡も蛇の事だと言われます。
大地の神々の眷属であり、山の神様です。
そして山の神様は女性とされているのです。
もともと、女性と蛇は縁が深いこと、
自然神として畏れの対象であったことが、
「人間でないものに化身する物語」に蛇を登場させるのかもしれません。
怨念をまとう蛇は荒れ狂う水(=災厄)なのかもしれませんね。

そう言えば蛇は太陽を象徴すると言いましたが、
日本神話における太陽といえば天照大神(女性神とされる)ですね。
それと、神武天皇の妻は三輪山の蛇神の娘と言われています。
この辺突き詰めていくといろいろ面白そうです。
戦国まったく関係ない気がしてきたのでここまで。
926人間七七四年:2009/11/01(日) 22:06:15 ID:j1bGmKrH
むかーしむかし、信州の山奥に芋川親正(正親)という武士が住んでいました。
不便ながら村人と幸せに暮らしていましたが、ある日魔王の手下の“鬼”がやって来て、
「越後へ龍を退治に行くから手伝え」とムチャクチャな事を言いました。

東海道から逃げて来た一向門徒をかくまっていた芋川が、伊勢長島で一番ヒャッハーしていた
“鬼”に仕えることなんか出来るはずがありません。
芋川は善光寺平の地侍と力を合わせて一揆を起こし、別の魔王の手下がいる城を攻めて
“鬼”をおびき出し、八千の兵を集めて“鬼”が率いる三千の兵と戦いました。

しかし“鬼”はたちまち千二百以上の兵を叩き殺して一揆勢を蹴散らすと、芋川の居城に
暴れこみ、留守を守っていた千人余りの女子供を殺しました。さすが鬼です。
一揆そのものも一ヶ月ほどで鎮圧され、芋川たちは人質を取られてしまいました。

それからまた一ヶ月が過ぎ、都で魔王が殺される大事件が起こり、“鬼”もねぐらの美濃へ
帰って行きました。
「そうはいかん。人質を返せ!」芋川は去って行く“鬼”に追いつき、人質を取り戻そうとしましたが、どっこい“鬼”は人質を縛り上げ盾にして道を開けさせ、善光寺平を離れる
所で人質を皆殺しにしました。

さんざんな目にあった芋川は、血が流れ荒れ果てた故郷を離れて越後の龍の養子に仕え、
彼に従って会津や米沢へ行き、二度と故郷へ帰ることはなかったとさ。


のちに芋川延親が七家騒動で上杉鷹山に逆らったのは、先祖の苦労が染み付いてて
環境の変化にアレルギーがあった…と、山形出身の長野在住者がフォローしてみる。
927人間七七四年:2009/11/01(日) 23:55:37 ID:s39h4rwa
桶狭間の戦いの直前の事。突如、今川義元の枕元に死んだはずの
玄広恵探が現れた。恵探は義元の兄で、花倉の乱で義元に殺された
人物である。

「おのれ地獄から戻ってきたな!」

義元は動揺する事なく恵探に斬り掛かったが、ひょいとかわされた。

「待て。私はこたびの出陣でお前が死ぬ事を教えに来たのだぞ」
「敵だったぬしが何故警告するのだ。予を惑わしているのであろう」
「ああ、私はお前が憎い。お前が死んでもかまわないが、
今川の命運が尽きるのを放ってはいられなかったのだ」

そう言うと恵探はフッと消えてしまった。そして恵探の言葉通り
義元は桶狭間で死んでしまった。
928人間七七四年:2009/11/02(月) 02:51:21 ID:GaD82vML
>>926
鬼がリアルに昔話の鬼(ていうかそれ以上)だから困る……qw
929人間七七四年:2009/11/02(月) 08:50:17 ID:UaqSJ1nA
>>746-747の続き

さて、蓮池城反乱の報を聞いた一条兼定、「穏便な手段をとろうとして失敗したか!」と、
弘治三年四月中ごろ、仲平兵庫、福井玄蕃を先鋒とさせ、三千余騎の討伐軍を発進させた。

これを知った蓮池城の大平山城守はその勢一千余騎を二手にわけ、鉄砲足軽二百を
ふんぎり橋へと差し向け、残りの八百は自身が率い、橋から十町ばかり離れたところに控えた。

さて、橋へとやってきた寄せ手、そこに構える蓮池勢を見て「あの城の連中なんてたかが知れている。
あそこにいるのが全軍であろう。かまわないからひと揉みに蹴散らせ!」

と、一斉に攻撃を仕掛ける。蓮池勢は少々鉄砲を撃ちかけたくらいですぐに撤退。
これに寄せ手は、追い討ちをかけようと陣形を乱して追いかける。
勿論罠である。

追撃戦で寄せ手の陣形の乱れたのを見て取った大平はそこに突入。備えの出来ていない
一条軍は散々に蹴散らされ、多くの者が討ち取られ、戸波の城へと撤退した。

一条軍はそこで四、五日人馬を休め、再度の蓮池攻めのための軍評定を行う。
仲平兵庫申すに

「古人の言葉に、大敵を欺き、小敵を侮らず、と言う言葉があります。しかし先の戦では
蓮池の大平勢を心底侮り、不覚を取りました。こんな事が世間に広まるかと考えると、
恥辱この上ありません。
再度の蓮池攻めでまた、先のように敗軍すれば、万人に嘲笑される事でしょう。
相構えて、おのおの身命を軽んじて、以前の恥をそそぐべし!」

今度は気を入れ油断なく攻め立てた一条軍、ついに蓮池城の防衛線を突破し、城下まで
攻め寄せた!攻城戦にかかる討伐軍は大勢であり、次々と新手を繰り出し、
九日の間昼夜にわたって攻め懸けた。
が、城の兵達も、小勢ながらもとより必死の者達である。攻め寄されれば追い払い、
攻め懸かられれば追い戻す。このように戦が膠着し始めた頃、空、にわかに曇り、
雷が鳴り響いたかと思えば、たちまち空の底が抜けたような大雨となった。

さて、蓮池という土地は水に弱く、東を流れる仁淀川で洪水が起これば、たちまち
水に浸かってしまうような所であった。

寄せ手の一条軍もこの事を知っており、「このままでは洪水の危険がある」と、軍を引いた。
これを見た蓮池城の者達、この上なく歓喜したわけだが、雨のほうは直一層降り続き、
案の定仁淀川は増水で決壊、蓮池を含めた一面、海のようになった。

この頃城兵たちも「元々この城は小城だし、兵糧弾薬ももう少ない。次に敵が押し寄せたときには
流石に持ちこたえられまい。今のうちに…」


さてさて、ついに雨が上がり、これを待ちかねた一条軍、鬨の声をあげ蓮池城に攻めかかる!
…が、城内からは何の反応も無い。皆不気味に思ったが、「とにかく、四方より攻め入ろう」
と、城内に突入してみると、そこには人一人として居ない。
皆、逃げ去っていたのだ。

これに一条軍の津野何某と言うものが

 『蓮池は 花はいつしか散りはてて みはとびぬけて行方知られず』

と詠むと、寄せ手の者達これが笑いのツボに入って、皆大爆笑した、とのことである。


蓮池城攻防の顛末。
930人間七七四年:2009/11/02(月) 11:04:45 ID:mz3T43MV
>>929
まあ、どちらかというと一条側がしてやられたわけで、笑ってる場合じゃないと思うし、そんなんだから… と思っちゃうよな。
931人間七七四年:2009/11/03(火) 02:28:36 ID:O3PTh7qo
>>930
本山も長宗我部も一条御所の勢威を軽く上回ってしもたしなぁ..
932人間七七四年:2009/11/03(火) 08:50:27 ID:cVZZa1Sd
>>927
元僧侶の癖に念仏で成仏させようとしなかった時点で動揺しとるw
933人間七七四年:2009/11/03(火) 09:30:07 ID:7Nt94fz0
>>932
いや、禅僧だからこれで正しいと思うぞ
934人間七七四年:2009/11/03(火) 15:17:46 ID:Txou6633
一条側にとってこれでいいのかも。

最後までの殲滅戦をやらかせば、相当な損害出てただろう。
935人間七七四年:2009/11/03(火) 17:12:20 ID:NyiFZH2K
天正十六年(1588)二月。
伊達政宗は大崎義隆を攻め滅ぼすため、遠藤出羽守の守る松山城に軍を入れた。
そして先鋒を、南條下総の立てこもる、中新田へと出向させた。
いわゆる「大崎合戦」である。
そのときの事。

この伊達軍の先鋒の中に、小山田何某と言う者がいた。
彼が松山城から出発するため馬にまたがったとき、突然、その馬がいなないた

『時の太鼓は、もはや遅いと言っておるぞ!』

周りの者たち、皆一様に驚き、これはどう言う吉凶を現しているのか、一体どういうことなのか、と
ざわついていると、小山田これはきっと目出度い前兆だ。今日の軍は充分に勝てるものだからな!」
と言って駆け出した。

果たしてその戦、中新田勢の思いのほかの堅い守りに攻めあぐね、しかたなく
松山の城へと撤退する際、小山田はその馬を深田にはめてしまい、身動きの取れないところを
伏兵にねらわれ、討死したそうである。

さて、不思議な事がもうひとつ。その小山田の乗った馬が、かつて
大崎義隆が先の天正十一年、野々嶽の観音に、祈祷のために寄進した神馬であった。
後で捕獲されたその馬を、義隆自身が見て、まさにあの馬だと驚いた、と言うのだ。
寄進した馬が、いつの間にか人手から人手に渡り、ついに小山田のものになったのであろう。

そんな馬が、何故小山田に、討死の危険を知らせたのか、それは誰にもわからないが、
上下の者達、不思議の思いにとらわれぬ者は無かった、とのことである。
936人間七七四年:2009/11/04(水) 00:04:48 ID:9DrPEnyM
馬がはまって身動きとれず、これ
討ち死にの王道では。

徒歩ですたこら逃げられなかったのかな。。
937人間七七四年:2009/11/04(水) 01:10:55 ID:gkcUMkTV
荒木道糞「それは既にわしが通った道だ」
938人間七七四年:2009/11/04(水) 01:16:52 ID:gkcUMkTV
うわっ、誤爆してしまった。
……ちょっと門番やって来ます。
939人間七七四年:2009/11/04(水) 01:59:08 ID:zUDCP1Ql
新田義貞と木曽義仲
940人間七七四年:2009/11/04(水) 08:49:25 ID:H7ygVC19
あまりの武勇ぶりについに自力で討ちとれなかった男ってのを誇張したいんでないか?
941人間七七四年:2009/11/04(水) 08:55:46 ID:zUDCP1Ql
田んぼってそこらじゅうにあるので、農繁期に戦っていたら、田んぼや肥溜めに
はまる人、いくらでも出そうだが。
942人間七七四年:2009/11/04(水) 10:20:36 ID:2f5ddgPT
小田原攻めの長陣に秀吉軍の将兵は退屈し、後期には変ったものを食べるために
略奪や狩猟を行なっていたという(兵糧不足によるという説もある)。

やっぱりヒマな大名二人、蒲生氏郷と細川忠興が高山右近の陣を訪れた時、右近は
何かの肉を焼いているところだった。

氏郷「いいニオイ……!高山どの、それ何の肉?」
右近「これですか?これは、牛の肉ですよ。」
忠興「!?けっ、獣の肉なんか食べて大丈夫なんですか…?」
右近「平気へいき!私はバテレンに知り合いが多いので聞いたのですが、南蛮人は
良く牛や豚の肉を食べるそうです。ほら、この味噌ダレをつけて食べると旨いですよ?」

右近が食べていたのは現在の焼肉か、すき焼きのようなものと言われる。
さて、恐る恐る牛肉を食べてすっかりハマッた忠興と氏郷は、ある日再び右近の陣を
訪ねた。ちょうど右近は、ひざまづき神に礼拝を捧げているところだった。

氏郷「ちょw高山どの何してんのwww」
忠興「大名が主君でもないモンに膝つくとかねーよwww」

この言葉に、日頃は温厚な右近がキレた。
右近「…大名だからと、デウスに感謝もせず威張る人間ほど下らないものはありませんね。
もう貴方がたに牛肉はご馳走できません。」

氏郷・忠興「 Σ(゜д゜|||(゜д゜lll) 」

その後一週間、口も聞いてもらえず、二人はさんざん謝ってようやく肉にありつけたという
別の意味の兵糧攻めの話。
943人間七七四年:2009/11/04(水) 10:26:23 ID:zUDCP1Ql
>>942
細川はキリシタンのこと知らないとしても

キリシタン大名である、蒲生が驚くとは。
944人間七七四年:2009/11/04(水) 10:44:41 ID:h5Ks2mYg
食い意地のはった話乙ww

>>943
まあどこまで本当の話かといえばアレだけど、
当時は「流行りだから」「儲かるから」という理由でキリシタンになってた人も多そうだ
945人間七七四年:2009/11/04(水) 10:49:17 ID:6P4sqNvO
レオンにとっては神<牛肉なんだな。
946人間七七四年:2009/11/04(水) 12:22:46 ID:xvM/MyHg
>>942
この2人の智恵と、権力があれば、牛肉の入手法や、うまい食い方ぐらいなんとかしそうなもんだけどなぁw
市松ならともかくwあ、でも市松は田舎の子だから、普通に食べてた可能性もあるのか。
947人間七七四年:2009/11/04(水) 12:35:45 ID:HpuQSZmQ
田舎の方だと牛馬は一緒に寝起きする家族だから、よっぽどの
飢饉じゃないと食べるって発想は無いかも?

狸汁がやたら昔話に出てくるとこ見ると牛馬以外は食べてたっぽいけど
948人間七七四年:2009/11/04(水) 12:42:11 ID:eKcQ8TwF
>>947
それだと日本全国「田舎」になるがな
949942:2009/11/04(水) 14:13:46 ID:2f5ddgPT
>>944
熱心なキリシタンあたりが、信仰のために大名の地位を捨てた右近に対して
のちに大大名になったその友人たちを揶揄して出来た話かなぁと。

>>947
天武天皇が牛・馬・猿・鶏・犬の食肉禁止令を出してから、ある程度以上の
階級ではこれらの肉は忌避されていたようです。

鶴・鴨・狸とかは普通に食べてたようですが
950人間七七四年:2009/11/04(水) 14:28:51 ID:z3zV7Z9K
豊臣秀吉が秀次に、関白職を譲った頃の事、
秀吉が御伽衆たちと徒然の話をしている時に、ふと、「わしが死んだ後誰が天下を取ると思うか?」
と聞いてきた。皆返答に困ったが、「かまわぬ戯言じゃ。思った事を言うがよい。」と重ねてお尋ねに
なるので、人々、前田利家か、徳川家康か、あるいは蒲生氏郷、毛利輝元、上杉景勝…と、
思い思いの名を上げていった。これに秀吉

「いずれも悪しき見立てである。その中には勿論、天下を取るだけの器量の有る者もおる。
が、それらより先に天下を取ってしまう者がいる事を知らぬのか?」

御伽衆一様に「この他に天下を取れそうな人物は思いつきませんが…。殿下御意中の方は
どなたでありましょうか?」

「あの跛(ちんば)じゃよ。」

「黒田官兵衛殿!?仰せではありますが、黒田殿はようやく十万石という身代、
長いものには巻かれ、太き物には呑まれる、と申します。とても天下を狙えるとは思えませんが?」

御伽衆の者ども、秀吉の言う事が、さも理解不能であるといった風情。
ちなみに、このようにわざと逆らって、秀吉に口を開かせ気分良く説明させるのが、御伽衆たちの
テクニックだったそうだ。

「おぬし達がそう思うのも無理はなかろう。が、わしは播磨であの男に出会って以来、
幾度も息の詰まるような判断を迫られた事があった。が、あいつはいつも、わしが散々思案して
出した結論と全く同じものを、軽々と出してくるのだ。場合によってはあいつの判断のほうが
勝っていた。その上精神も屈強で、人を動かす事も上手い。とにかく、只者ではないのだ。
それなのに一旦天下静謐となれば、武功を求めるような事をせず、分別顔で静まり返っておる。

あの者の知恵ならば、日本国など取るに足らないさ。わしが存命のうちにでも、天下を取ろうと
決心をしたなら容易くやって見せようと、今もその工夫を考えているような男だよ。

それから、小身だから天下が取れないなどとは、愚かな考えだ。
そう言う時は、大名のうちたわけたものを見立てて、それにいかにも親しく取り入り、その家を動かす
重臣たちとも親しくし、その家中にまで影響力を握ったところで手を合わせ乱を起こし、
その大名に散々骨を折らせて、さてその成果が得られると言うときに、その者には取らせず
自分が全部呑みこみ、すべての取り分を得てしまえばいいのさ。
そういう、人が取った天下を、ひっくり返して自分の物にしかねないのが、あの跛なのだよ。

だいたい小身で天下を取ったのは、いくらでも例のあることだ。
小身で天下を取れないのなら、はてさて、猿めは如何に?」

そう言って皆を笑わせた。



さて、その場にいた者のうち官兵衛と親しい男が、座を立って官兵衛の屋敷へとやってきて、
「このような事があり、太閤殿下は官兵衛殿を非常に高く評価していることがわかった。
余りに目出度いので直ぐに知らせようと思ってやってきたのです。
いやはや、殿下にあそこまで言わせるとは、貴方はなんと言う手柄者でしょうか?」と、
興奮気味に語った。

官兵衛はそれに大喜びし、なんとも嬉しそうにこの男をもてなした。
が、その内心

『…南無三!黒田の家は滅亡か!
これこそわしの頸が斬られ、獄門にかけられる前兆だ。
我が家を存続させ、子孫に伝えるためには、どうするべきか…。』


黒田官兵衛、秀吉がどれほど自分を危険視しているかを、正確に理解した。
そしてすぐさま秀吉に、自身の隠居を願い出た、とのことである。
951人間七七四年:2009/11/04(水) 15:28:31 ID:jParQ6qX
あれ、うまくいかない
952人間七七四年:2009/11/04(水) 15:32:49 ID:+jqbnGUc
ラスボスの危険性をここまで理解しているという時点で正しく只者じゃない

まーその辺気取られたのが失策ではあるんだろうけど秀吉の鋭敏さ考えるとしゃーないか。
953人間七七四年:2009/11/04(水) 16:19:20 ID:h5Ks2mYg
秀吉にここまで警戒させた如水が天下取りに失敗して、
逆に秀頼を託した家康に天下をさらわれるとは思ってなかったろう
人を見抜くことにかけては天下第一の秀吉も家康だけは見抜けなかったねぇ

如水を排斥せずに家康の対抗馬にしておけば面白かったろうなあ
954人間七七四年:2009/11/04(水) 16:40:06 ID:xlWOVoQQ
>>953
煮ても焼いても食えない狸爺二人。どっちにしても秀頼OUTだろ、その構図。
間に挟まれた利家がおろおろした挙句に胃痛で死ぬ。
955人間七七四年:2009/11/04(水) 17:35:11 ID:aJrobZ63
>ちなみに、このようにわざと逆らって、秀吉に口を開かせ気分良く説明させるのが、御伽衆たちの
>テクニックだったそうだ。

これもなんだかつらいな・・・
956人間七七四年:2009/11/04(水) 19:21:02 ID:JBsCIoeH
蜂須賀家政の嫡男、蜂須賀至鎮。
大阪冬の陣では木津川、博労淵の合戦で功績を上げ、夏の陣では長曾我部盛親を生け捕るなど、武略に長けた君主であったという。
ところがこの至鎮、三十代の半ばで急死してしまう。
若くして死んだ英主を惜しんで毒殺説が流れるのも世の常。
さて、そこまではよくある話なのだが……

俗説一。
蜂須賀至鎮はかの有名な覇王項羽と同じ、一つの目に瞳が二つある異相の持ち主であった。
項羽のごとき異相に、天下を脅かす危険性を感じた幕府が毒を盛って殺したのである……

……いや、それ異相というより怪物……

俗説二。
毒を盛られた至鎮は、それでもなんとか徳島城まで帰還した。しかし、屋敷まで後少しと言うところで、ついに力尽きてしまう。
そこは屋敷から目と鼻の先、自らが上田宗箇に作らせた名庭。
無念極まりない至鎮は、庭の石橋の上までたどり着くと、無念のあまり……
石橋を足で踏み割って、そのまま息絶えたという。

……いや、石橋を踏み割る力があれば屋敷まで帰れよ。

という、主君を思うあまり化け物にしてしまった贔屓の引き倒しの話。
957人間七七四年:2009/11/04(水) 19:42:34 ID:JBsCIoeH
ちなみに、>>956の石橋というのは、もともと長さ10メートルの一枚岩の石橋……死にかけの人間に割れるかいw
958名無しさん:2009/11/04(水) 19:54:55 ID:Tr2TMsJX
>953
家康が天下を取れたのも、
黒田長政の頑張りのおかげ
959人間七七四年:2009/11/04(水) 20:12:10 ID:ux0FKrbM
ガンバリ氏
960人間七七四年:2009/11/04(水) 20:13:48 ID:RRJPNe12
父親に「左手でナニしてたんだ」って怒られた話か
961人間七七四年:2009/11/04(水) 20:21:37 ID:z3zV7Z9K
962人間七七四年:2009/11/04(水) 22:32:34 ID:7GMPPTfP
>>950
既出だしあまりにも有名な話しでツマンネ。
消えろ、カス
963人間七七四年:2009/11/04(水) 22:43:55 ID:aNFH3ktL
>>962
何もそんなに強く言わなくても…
有名な話はこのスレでは逆に貴重だから、そういうことは言わないでほしい
有名な話だとしても知らない奴もいるだろうから
964人間七七四年:2009/11/04(水) 22:55:14 ID:JBsCIoeH
>>962は橙武者w
965人間七七四年:2009/11/04(水) 23:52:01 ID:2J911E3y
誰か>>962さんにお茶をお出ししないか
966人間七七四年:2009/11/04(水) 23:57:22 ID:dFgFTMBl
アーチェリーの矢、眉間に刺さる 東京の高校生、重体

 4日午後4時50分ごろ、東京都目黒区目黒2丁目の勤労福祉会館の洋弓場で、
都内の私立高校2年のアーチェリー部の男子生徒(16)にアーチェリーの矢が刺さった、
と119番通報があった。目黒署によると、別の2年の男子生徒(17)が放った矢が男子生徒の
眉間(みけん)に刺さったといい、生徒は意識不明の重体。同署は、過って矢が発射されたとみている。
ttp://www.asahi.com/national/update/1104/TKY200911040434.html
967人間七七四年:2009/11/05(木) 00:15:32 ID:vGdmwcXU
>956
イケメンすぎる殿と美人過ぎる家康養女(だっけ)が……って悲恋みたいな話になってたっけ。
968人間七七四年:2009/11/05(木) 00:18:57 ID:vGdmwcXU
>>950-952
しかしそこまで秀吉の祟りを恐れて豊前へ引っ込んだ如水さんが、
秀吉が死んだ途端に悪巧みをはじめ家康すら出す抜こうとするあたり、なんというかw
結局秀吉の見立てがかなりのセン正しかったんじゃないかと。

時勢時流と倅の不明?で家康に先を越されちゃったけどねえ。
969人間七七四年:2009/11/05(木) 01:03:06 ID:GzLFH/fM
如水さんも「上杉から石田&その他の征伐には数年かかるから」と考えていた1人だからねぇ。
まあ、関ヶ原が悪いといえばそれまでなんですが。
970人間七七四年:2009/11/05(木) 01:18:19 ID:9MBiZmlp
鬼武蔵の逸話読んでて思ったんだけど、あいつって結構なかぶきものなんじゃねw
原哲夫の漫画になったら関所突破とくだりで、なんとも見事なかぶきっぷりよ!っとか持て囃されてそうだw
971人間七七四年:2009/11/05(木) 01:40:20 ID:F3gzHIbi
三成は如水に比べると十分劣ってるけど
大軍にまでして戦って敗れて天下をのがしたのに
如水さんは口を滑らせて秀吉に疑われたり息子ががんばりすぎちゃったり
しょぼいミスで天下取れないとこがおもしろいw




972人間七七四年:2009/11/05(木) 08:14:29 ID:Xo76TRBe
如水の狡猾さは、「関ヶ原は西軍が負けたよ」知らせを受けた後も、
「まだまだ戦は何が起こるか分からん」とせっせと九州切り取りを続行したところだな
島津を倒せば九州征服完了って所で、家康が島津家を許したから攻め込む名目が無くなってようやく諦めた
つくづく惜しいなあ
973人間七七四年:2009/11/05(木) 08:58:27 ID:GC2jm/Qr
>>956>>961
戦国のすごい憤死ランキングつけたら、たぶん上位10人には入りそうだなw
974人間七七四年:2009/11/05(木) 10:56:32 ID:ZlB80kjY
どっかで歴史がずれてれば幕末の主役は毛利と黒田になってたかもしれんということか。
975人間七七四年:2009/11/05(木) 11:50:45 ID:iykVbJPN
土佐の山内家が、幕末主役組に成っているしな。
976人間七七四年:2009/11/05(木) 12:26:30 ID:qh9EE1L7
あれも見方を変えれば山内が郷士弾圧しなきゃ龍馬が出てこなかった可能性もあるんだよなあ。
利があると見るやころっと態度変えてちゃっかり勝ち組に紛れ込む辺りはさすがの血筋。
977人間七七四年:2009/11/05(木) 12:46:27 ID:GC2jm/Qr
そりゃ、可能性を言い出したらなんでもありだからな。
978人間七七四年:2009/11/05(木) 12:53:47 ID:iykVbJPN
山内さんは、小御所会議で徳川擁護したり、そこそこ義理堅さ見せているあたりも血筋かなぁ。

ここでは、馬買っただけとか、他人の手柄横取り乙とか言われている初代藩主。
特に目立った活躍無しで20万石って処に、逆に凄みを感じる。w
979人間七七四年:2009/11/05(木) 13:44:15 ID:g+otbKk0
ぼちぼち次スレをおながい致したく存ずる
980人間七七四年:2009/11/05(木) 13:49:24 ID:W0UIxQ7Y
次スレ立ててみる
981人間七七四年:2009/11/05(木) 13:52:02 ID:W0UIxQ7Y
出来なかったーorz どなたか頼みます

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話15


↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話14
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1254321432/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1256735299/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
982人間七七四年:2009/11/05(木) 14:20:11 ID:6chICiEE
試してくる
983和泉守:2009/11/05(木) 14:28:13 ID:6chICiEE
戦国ちょっと悪い話15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1257398741/

新しき酒席設けましたぞ、皆様方さあさあ一献
984人間七七四年:2009/11/05(木) 16:06:04 ID:W0UIxQ7Y
>>983
乙ですー

埋め代わりに又黒田話

慶長二年、再度の朝鮮出兵が行われ、九月七日、忠清道稜山において、明の派遣した
解生、楊登山、伯英らの軍と衝突。この時の事、
明軍の内より、弓馬の達者と思しき者、ただ一騎で日本軍に乗り寄せ矢を放ったものがいた。
これを見た黒田長政、家臣、菅六之助に「あの敵を討て」と命ずる。

この敵は六之助に向って矢を放ち、これが彼の口脇に当たったが、六之助これを事ともせず
馬を駆けつけすれ違い様、首の脇から乳の下まで袈裟懸けに斬り、見その首を取った。

ところが六之助、このとき受けた矢に、毒が仕込まれていた。
命に別状こそなかったものの、毒の影響で顔は赤く腫れ、傷口からは常に膿や血がにじみ出、
すさまじい形相であった。

そのためこの当時黒田の領内では、子供が泣き止まないとき、菅六之助の名前を言えば、
たちまち泣き止んだ、とのことである。


さて、六之助の口の脇から血や膿が流れる事、人々は汚らしいと思っていたが、
黒田如水、長政は全くそのように思わず、六之助が飲んだ盃や茶の後を進んで飲み、

「年若き者たちは、汚いと思おうが、彼にあやかるべきだ。」

と、言われたそうである。


…と、いい話なのですが、この手の話ももしかしてテンプレなのかな?と思ってしまったのでこっちに。
985人間七七四年:2009/11/05(木) 16:42:30 ID:2PQFruK+
人気取りまで故事の猿真似とは片腹痛い殿じゃのお!
986人間七七四年:2009/11/05(木) 19:47:18 ID:CfVZSJuK
遠きは呉子、近きは石田・大谷と。
987人間七七四年:2009/11/05(木) 19:48:19 ID:g+otbKk0
菅六之助ったら関ヶ原黒田隊の鉄砲頭だっけ。 黒田家中のええ話やね。

しかし……
>984「又羽黒話」と誤読ししてしまった漏れは、、、どどどどうすればよぃであろう??
988人間七七四年:2009/11/05(木) 20:34:16 ID:witJ6kT3
>>984
テンプレかは知らんが菅六之助は朱具足に身を固めた家中でも指折りの勇士なので
そういうことがあってもおかしいとは思わない。
今でも菅家には菅六之助が一刀のもとに切り殺したという虎の骨の一部が伝わって
いるらしい。
菅六之助は武勇だけでなく才知のある知勇兼備の人物で、黒田長政は彼を大変
頼りにして老職として家康にもお目見えさせたいと考えていたが、顔の傷が見苦しい
ということで結局実現しなかったらしい。
家康にはかたわになった福島の三家老を称賛したという逸話もあるし大丈夫だった
と思うけどね。
残念で悪い話になってしまうわけだが、長政の六之助への信頼はこれで翳るものでは
なく、彼を老職並みに遇し、家臣達への書状の宛名には歴々の年寄とともに六之助の
名前が並んでいる。
989人間七七四年:2009/11/05(木) 21:46:29 ID:witJ6kT3
ちなみにいい話スレに出た毛屋主水に名前を譲らせた家臣の息子というのが
菅六之助の息子の菅主水ですな。
あれはああいう逸話になっていますが、黒田家でそれなりの立場だった家臣は
筑前に入ってから皆名前を変えてるし、菅六之助と毛屋主水は友人関係だった
というので、単純に友達の前の名前を息子にもらったのかもしれん。

↓二人の友情を後世に伝えた悪い話

毛屋主水は渡奉公人だった。
黒田家に仕える前はあちこち主君を変えながら日本各地を転々としてきた。
よって、元々は黒田家にも終身雇用してもらう気はさらさらなかったらしい。
朝鮮出兵を控えた慌ただしい時期、毛屋主水に蒲生氏郷から使者が来た。
主水に一万石を預けて家臣にしたいという。
かつて主水が山崎賢家に仕えていた頃、播州三木城で敗走する氏郷を助けた
事があった。
「あなたとわが主君は不仲ですが、救難を見捨てがたくお救いしました」
そう言って颯爽と去った姿に氏郷の人材センサーがびびっときていたらしい。
主水はこの申し出にひかれたが、今は渡海を前にして大変な時である。
こんな時に仕え始めたばかりの雇い主を見限るのは仁義に反すると考えた。
そこで、今はお仕えできないが、無事帰国出来たら御意に従いましょうと返事
をした。

さて、文禄三年、帰国した黒田家では朝鮮で武功のあった士に恩賞があることに
なった。毛屋主水にも三百石の加禄が与えられることになったが、主水は既に
黒田家を出て蒲生家に仕えるつもりであったので、暇をもらう人間が加増を受ける
のは不義であると考え、これを辞退した。
その後暇乞いをしたのだが、長政がこれを許さない。
ついには主水の友人の菅六之助や津田長右衛門などを請人にし、主水が他国に
走った時には友人一同切腹すると誓いをたてさせたのだった。
これでは主水も他家に仕えようがなかった。こうして蒲生行きは頓挫する。

毛屋主水こそ歴戦の勇士と呼ばれるにふさわしい武者である。
彼は関ヶ原でも長政に従い数々の武功をたてた。
しかし、その後加増の沙汰はなかった。
長政の父如水が何故主水に加増しないのかと尋ねたところ、長政はこう答えた。
「だってあいつ前に加増してやった時、嫌がって受けなかったじゃないですか!
すっげー恥かいたんですから!もうあいつには加増しません!」
如水が、昔のことを心底に残すのはよくない、武功があったら加増しなければ…
と諭したため、長政は渋々四百石を加増し七百石としたということである。
990人間七七四年:2009/11/05(木) 21:54:03 ID:2PQFruK+
なんとなく家臣に軽く扱われる理由が分かる
だが>>985の又兵衛は自重しろというにw
991人間七七四年:2009/11/05(木) 22:57:30 ID:nJtUrTfR
作左がしかる
市松がどじる
吉兵衛がたしなめられる
992人間七七四年:2009/11/06(金) 02:13:03 ID:tMfKk9i2
讃岐の国には、日本武尊を祭る神社があった(おそらく白鳥神社の事であろう)。
讃岐の大内郡、寒川郡、山内郡、香河郡の四郡はこの神社の神域として、

『この地域で鶴を取るものがあれば、神の祟りあり』

そう、言い伝えられていた。そのためであろうか、この地域にはたくさんの鶴が棲む事で
有名だったそうだ。

ところで、宇喜田秀家がある時、讃岐の領主、生駒親正の屋敷に遊んだ。
この折、秀家が尋ねる

「貴殿の領内に多くの鶴が棲む所があると聞きましたが、そうなのですか?」

「ええ、仰る様に我が領内の四郡に、鶴が多く群生しておりますが、そこは守の祟りを憚って、
狩を禁止しているのです。」

これを聞いて秀家
「なるほど、確かに讃岐の中の人間なら、そう言うものに憚りがあるのでしょうが、
他国の者がにはそう言う憚りは関係ないので、鶴を取っても大丈夫でしょう。
私の鷹をそこに遣わしますから、鶴を取らせていただけませんか?」

まあ、つまり秀家は、そういう禁忌を迷信であるとして、地元の人間には、昔からの風習でもあるし、
世間体などもあって、そういった禁忌を守る必要もあるのだろうけど、他国者にはそう言う
地元の風習を守る必要は無いのだから、狩をしてもいいでしょう?と言ったいるわけですね。

豊臣家ご一家でもある秀家の頼みである。生駒親正も「どうぞお心のままに」と言うほか無い。
秀家は早速、蒼鷹三羽に鷹匠を添えて讃岐に派遣した。そうして明日の狩の準備をしていたところ、
どうしたことかその夜、三羽の鷹は皆地面に落ちて動けなくなり、鷹匠たちも怪しみ、
備前へと戻っていった。

この事があってから程なく、宇喜多家では家老達との紛争が起こり、さらに関ヶ原で敗北し、滅びた。

これに讃岐の人たちは、「神域で鶴を狩ろうとしたため、神罰を受けたのであろう。」と、言い合った
そうである。
993人間七七四年:2009/11/06(金) 02:39:30 ID:iTGB/2yY
実際に鶴を狩ったのならともかく、未遂で57万石没収&遠島か……
この神罰パネェw
994人間七七四年:2009/11/06(金) 07:29:24 ID:kKhLh3ew
>>992
地元出身だが、いまや鶴なんてまったく見かけない。
鷺なら大量にいる。
数百年前にはいたのかなぁ。
995人間七七四年:2009/11/06(金) 07:38:13 ID:HQdIirWb
鶴って今は釧路湿原にしかいない
タンチョウヅルのことでしょ。

水の少ない讃岐にも、昔は沢山いたんだなぁ。
996人間七七四年:2009/11/06(金) 07:43:36 ID:nlT20loZ
昔はそんなにうどん茹でてなかったんじゃね?
997人間七七四年:2009/11/06(金) 08:41:01 ID:XMMmeEfo
白い固まりを大量に茹でて食ってるのみて、鶴が怖くなって逃げちゅったんだなw
998人間七七四年:2009/11/06(金) 09:30:56 ID:ru2Gdiw+
カラスは黒いものを見ると仲間がやられたと思って攻撃してくるというのにツルときたら
999人間七七四年:2009/11/06(金) 10:18:28 ID:tckDaoGi
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ 埋めるぜぃ
  (:::::::::::::::)
   しωJ
1000人間七七四年:2009/11/06(金) 10:20:11 ID:tckDaoGi
       /i/i ヽ、_ '⌒ヽ _ノ,' 
     / ・,彡 `-ニ二ニ- '
    /ゝ、ノ. 彡 ハ●ω・ハ〉   さらに格好良く埋めるぜぃ
   ヽ´/| \彡Ю と {>\    
       ヽ===|`[三]_ゝヽ\  
      ,へ>(   | ⊆) |=丿))~ 
    / ヘ ヽ >ヽ__/_((    
    ヾノ  く <     / / ))
         ヾノ   〈 く
              ヾノ
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/