賤ヶ岳の七本槍について語るスレ

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70人間七七四年:2009/09/25(金) 03:34:58 ID:+9i/h83E
朝鮮出兵の際、七本槍の内以下の六人は
清正…先鋒で二番隊に属す
正則…五番隊に属す
嘉明…船手衆
安治…船手衆
且元…奉行
武則…奉行
として全員朝鮮に渡海してるようだが、平野長泰は朝鮮に渡ってたの?
71人間七七四年:2009/09/25(金) 04:45:05 ID:vFA7GlrH
勘違いしている人間が多いが、徳川の450万石は純粋な租税額。
もし領地からの上がりと考えると、年貢高が5割と考えても900万石。
しかも天領の維持管理は隣接する大名が丸抱え。
72人間七七四年:2009/09/26(土) 07:30:41 ID:wBKCdFfU
最終的に50万石規模になった者から、死ぬまで5千石の者まで差が大きい。
存命中に改易・減封されちゃったのもいるし。
73人間七七四年:2009/09/26(土) 07:56:13 ID:gKTVgodM
>>71
何が悔しかったのか知らんが
慶長の惣検地で全国総石高は1851万石だから、日本の半分が幕府直領かよw
おめでたいにもほどがあるなw
74奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/26(土) 09:03:03 ID:nGE4g4Mu
なんとなく計算が間違っていないか。
75人間七七四年:2009/10/04(日) 18:45:14 ID:l9GkvaNb
福島と片桐は公式には病死とされてるが、自殺説も根強いよな。
まあ豊臣の為を思って必死に頑張ったのに、結果的には家康に
散々利用される形になり、世間や後世から見たら主家を裏切った
ように言われる形になったわけだし(福島は加えて改易だし)、
自殺したくもなるわなあ…
そういう意味では、豊臣の滅亡を見ずに没した清正は幸福だったかも知れん…
76人間七七四年:2009/10/08(木) 14:34:49 ID:tfzMqEzc
片桐は開戦までの豊臣家主戦派の暴走を全く抑えられなかったからな。
責任を感じても仕方がない。

ただ、福島の改易は豊臣家全く関係ない。つーか1度は許されてるのにその後の対応が酷くて
改易って体たらく。自業自得だな。
77人間七七四年:2009/10/20(火) 05:55:09 ID:JVaG0JnX
一番悲惨だったのは、改易された福島でも、秀頼を守れなかった片桐でも、
結局大名になれなかった平野でも、唯一西軍についたのに報われなかった糟屋でもないと思う。
真に悲惨なのは、やはり七本槍とされている面子と同等の活躍したにも関わらず、
そこから省かれてしまった桜井と石川だろう。

現に一応>>1には名前を書かれているが、このスレでも誰も語ってない。
78人間七七四年:2009/10/20(火) 06:44:33 ID:Z/zhh/2w
>>16
こいつらは西園八校尉相当
79人間七七四年:2009/10/21(水) 14:52:13 ID:k6FHlNtf
>>77
う〜ん早死には損という典型だな。

桜井家は1596年に断絶。戦死した石川家は弟が継いだが関が原で改易。
七本槍で桜井・石川を省いたのは「太閤記」だけで、
「川角太閤記」「新撰豊臣実録」村井重頼覚書」「長家聞書」では
福島を別格で筆頭として、その下に7人を並べている。
石井は省かれたが・・・
「太閤記」が特別なベストセラーとなってしまったため7人が固定してしまったんだろう。

秀吉が全国の大名に自慢たらたらの手紙を出した時や、
感状の写しを大量に作ってばら撒いた時は9人だった。
80人間七七四年:2009/10/22(木) 07:22:12 ID:HpHYK/xB
そもそも「七本槍」という名称や区別は当時からあったのか否か?
81人間七七四年:2009/10/22(木) 10:57:08 ID:EzSCeeQX
>>80
当時はない。賤ヶ岳
当時の最新の書、「天正記」(賤ヶ岳の同年1583年)の中の「柴田戦記」には9人の名前がある。
江戸時代になって出版された太閤記から7本槍と言われた。
82人間七七四年:2009/10/23(金) 04:03:25 ID:OVS3BuJY
七本槍ってのは小豆坂七本槍になぞらえたと聞いたが…
83人間七七四年:2009/10/23(金) 11:32:09 ID:Pc2Aab9B
確か宇喜多の家臣にも七本槍っていなかったっけ?
84人間七七四年:2009/10/23(金) 12:18:47 ID:RFXzpSHK
名数って語呂のいい数字にすることが多いよね。
あと、奇数のほうが吉数として好まれるね。
85人間七七四年:2009/10/24(土) 14:30:42 ID:uu3VkzIx
>>83
八浜七本槍
86人間七七四年:2009/10/26(月) 05:58:52 ID:Qe6FUmV8
主計頭、左衛門大夫、左馬助、中務少輔、東市正、内膳正、遠江守
87人間七七四年:2009/10/26(月) 13:30:25 ID:l+EgZ1Jp
柴田戦記によると石川一光は大変な短気だったらしいね。
福島正則や加藤嘉明と喧嘩して、くそ〜って甲冑も付けずに拝郷家嘉に突っ込んで行ったが
頭を槍で一刺しにされ討ち死に。
哀れに思った秀吉が弟に1000石を与えたが、戦功という点では無しに等しい。
後に七本槍から外されたのも仕方ないのかな。
88人間七七四年:2009/10/26(月) 14:53:28 ID:wtoZ/Dt8
いや、そりゃ死んでしまったら七本槍もくそもありまへんがな
89人間七七四年:2009/11/13(金) 05:08:48 ID:0a6Ub405
片桐、糟屋、平野の三人って1595年8月に揃って加増されてるよな?
これで片桐・糟屋は一万石程度の大名になり、平野はようやく五千石。
確か加増の理由が「賤ヶ岳での戦功を思い出したので」とかだったと記憶してるんだが。
何でこんな中途な時期に加増があったんだ?
90人間七七四年:2009/11/13(金) 13:15:26 ID:c28F/JwV
何か祝い事があったついででは
91人間七七四年:2009/11/17(火) 07:03:25 ID:D3aEjgng
豊臣政権化でも、両加藤と福島は出世してるが、
脇坂・片桐・糟屋は小大名どまりだな。平野に至っては…
92人間七七四年:2009/11/17(火) 12:05:35 ID:RF11abid
中途採用の小西も出世頭の一人。
要は本人の人事考課。
秀吉は信長の下でそのところを具に見てきたから、かなり能力主義を採用している。
大軍を率いる能力や内政力で出世具合が違ってきて、何年も経つと大きな差になる。
身内に対してもそこのところはシビアだ。
93人間七七四年:2009/11/19(木) 07:09:27 ID:axutHp6a
>>92
清正・正則の出世はやはり秀吉の身内だというのもあると思うが。
清正なんか一気に20万石以上の大身になってるし。
94人間七七四年:2009/11/19(木) 11:29:12 ID:LPqupQ3v
>>92 >>93
清正は相当にできた人物だったんだろう。正則も酒を飲まない時はね。
他の5本槍は歴史上もなんかを左右するような事はしていないし、
身内を特に優遇していないのは木下家の扱いがショボ過ぎるからか
95人間七七四年:2009/11/20(金) 04:59:53 ID:ZS1mcD1Q
清正・正則は有能で且つ身内だったから20万石以上になれたんだろう。
多分、身内じゃなかったら嘉明のように10万石規模だったのでは?
96人間七七四年:2009/11/24(火) 10:08:49 ID:U/BRIMls
縁故もあったけど能力もあったってことか
清正の熊本城とか後の時代まで評価されているもんなー
97人間七七四年:2009/11/26(木) 06:22:38 ID:6ul0WW4T
実際に清正(と行長)の出世ぶりはヤバいものがある。
それまで数千石程度だったのが、先んじて大名になってた三成とかも追い越して
いきなり肥後半国20万石近くになったわけだろ。
相当光るものがあったんだろうな。
98人間七七四年:2009/11/26(木) 09:50:12 ID:cA7z6Uvt
佐々さんが頑張ってくれていれば、そのまま唐入りに使うつもりだったんだろうけど
どっちにしろ高齢だし

秀吉と佐々さんはそれほど仲が悪かった訳じゃないと思う
小身から信長の天下まで苦楽を共にしたのは一緒だし
99人間七七四年:2009/11/26(木) 12:53:01 ID:9i06meXg
唐入りの大将が佐々だったなら今頃って・・・のは秀吉の言葉ですから
佐々に対する評価の高さがわかりますよね。
100人間七七四年:2010/02/15(月) 03:23:08 ID:DosVBX9y
糟屋と平野が無名すぎ
101奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/17(水) 23:50:52 ID:ELOKZ9d5
秀吉の意中を察するなら、遠国の加藤小西福島木村に大封を与えてあったり
中くらいの遠さの東海山陽山陰北陸四国に前田蜂須賀生駒中村堀尾生駒が配してあって
周囲を側近で固めておくというスタイルとバランスを上手く作り上げていたつもりだったと感じる。

結果はともかく。
102人間七七四年:2010/05/23(日) 10:38:20 ID:LZh8NFET
シズガタケの七本槍
http://www.youtube.com/watch?v=It_r7YqLYz0
103人間七七四年:2010/05/24(月) 04:10:02 ID:RzS9SkyN
>>99
そりゃ佐々さんはひとりで上杉とやり合える位の実力者ですから。
更に金箔髑髏の件で信長に古典を引用して諌言した位(真偽はともかくそんな逸話が出来る位)
のインテリでもあるし、実は。

>>101
前田は違うだろ。信頼はしてたけどあくまで外様。
豊臣政権で30万石以上の大封を得てたのは外様と秀次・秀長・秀家・秀秋の一族だけでは。
前田にだって大谷、七手組の青木、秀秋の教育係だった山口など牽制・監視役の側近を置いてる。
さらに南下すれば近江は側近だらけ。越後にだって秀吉の盟友だった堀家もいるし。
104人間七七四年:2010/05/26(水) 02:52:22 ID:TjWh2r0x
     
105人間七七四年:2010/06/29(火) 15:24:36 ID:ea+IWAHt
【画像あり】槍を持った不審な男
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1277792153/l50
106奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/06/29(火) 22:47:04 ID:MKPPUqTW
>>103
江戸期を見てしまうと親藩譜代外様の三様に分けたくなるのはわかるけど、
秀吉には「旧同僚」を冷淡に外様扱いできるほどの厳しさがない。
(この裏返しで丹羽の代替り大減封とかね)
そのせいか晩年にはボケたか緊張の糸が切れたかで特に甘さが目立ってしまうという。
107人間七七四年:2010/08/03(火) 20:26:38 ID:wp/FFOXq
吉川弘文館の「史跡で読む日本史7 戦国の時代」に収録されてる
千田嘉博氏の「古戦場-賤ヶ岳の戦いと小牧長久手の戦い-」が非常に面白かった。
秀吉や勝家の築いた城砦跡から賤ヶ岳を分析しているのはかなり興味深い。
108人間七七四年:2011/03/06(日) 19:53:13.81 ID:GH6yQCgc
保守
109人間七七四年:2011/04/01(金) 05:18:56.91 ID:vvx+dmui
清正と正則が飛びぬけて出世し過ぎ
でも嘉明もそこそこいったか
110人間七七四年:2011/05/02(月) 04:12:40.02 ID:PPoZrcU0
●賤出名将事件(チョンチュルミョンシャンじけん)
2004年4月1日から北朝鮮にある金剛山で行われていた第9回南北離散家族再会事業の失言事件。
韓国側の関係者による同音異義語を基にした冗談が発端となり事業が一時中止された。

韓国統一部の関係者が、金正日を賞賛する(チョンチュルミョンジャン)という犯狂(ハングル)文字が、金剛山のチマ岩に彫られている事に対し、「天出名将」でなく「賤出名将」とも読めると私的に発言した。
この発言に対し北朝鮮関係者が反発、4月2日の行事を一方的にキャンセルした。
111人間七七四年:2011/10/18(火) 23:57:13.14 ID:zBTD4I2W
>>102
あと糟谷〜と片桐〜♪
うぃーあーSHICHIHON槍〜♪
戦国鍋のあの歌で全員の名前覚えたw

山岡荘八の小説だと片桐ってちょっと知恵の足りない苦労人的なキャラだよね
112人間七七四年:2012/05/28(月) 14:40:15.21 ID:LfleDivx
保守
113人間七七四年:2012/05/29(火) 00:50:02.58 ID:53kTtalo
賤ヶ岳合戦、戦功の中心が七本槍とはどうしても思えない。
なにより、勝家本体を撃退した堀秀政隊だろう。
各々の槍働きとは少し違うかもしれないが。
114人間七七四年:2012/05/29(火) 01:10:23.30 ID:bYJBMVeL
つうか佐久間や柴田勝政の奮戦で膠着してた所で前田に続き不破や金森が退却したから戦線崩壊しただけだろ
戦功も糞もない
115人間七七四年:2012/05/29(火) 01:48:04.41 ID:+646NSqs
寺社奉行
脇坂中務大輔安董
116人間七七四年:2012/07/01(日) 07:59:57.60 ID:SVlSyARz
ドラマに滅多に出ないのが糟屋
117人間七七四年:2014/06/04(水) 22:17:57.61 ID:/qkf0WIp
糟屋平野は数合わせ
118人間七七四年:2014/06/05(木) 07:41:33.30 ID:dNZpABMy
秀吉の譜代大名達が関ヶ原、大阪の陣で家康側についたのって
関ヶ原は三成との確執だろうけど大阪の陣は秀頼が秀吉の実子じゃない
からだろうな

豊臣家を乗っ取った淀と秀頼と大野に対しての戦い 逆に加藤や福島は
母代わりのねねに付いて家康側についたと 決して豊臣を裏切ったわけ
じゃない
119人間七七四年
加古川市民なので糟屋さんにはもっと有名になってもらいたいのだが
今年の大河には絶対出ると思ってたのにまさかの完全スルーとは…
居城の加古川城は出たのに