島津家久公之スレ

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136人間七七四年
>>135
鍋島は山手(右翼)から数人の部下を連れ勝手に離れるや高見の見物。
その鍋島のもとへ龍造寺勢に扮装した薩摩の川上左京ほか300騎が来て隆信の居場所を尋ねると
鍋島は隆信本陣を指差しながら、母衣かけ武者が隆信で護衛の数は36騎とまで丁寧に教えてやった。

さらに隆信が首を取られると見るや真っ先に逃亡したが島津家久の嫡子島津又七郎(豊久)に
追いつかれると土下座して許しを乞うたので島津又七郎は降参したる者の首は取らぬと逃がしている。

山手(右翼)は神代衆を主力として薩摩猿渡越中守の息孫二郎を討取るなど互角に戦ってたが
御大将(隆信)討死と聞くや総崩れとなり神代弾正忠長良(勝利の息)始め神代衆の将は悉く討ち死した。

鍋島は川上左京を御味方と勘違いしたと云っているがさてさて。