島津家久公之スレ

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117人間七七四年
イエズス会によると
「前線にあった島津軍は膨大で、
しかも優れた装備の隆信軍を見て色を失い、
互いに顔を見合わせ死の汗を流した」と島津が完全に怯えていたと記す。
そして後方へ逃げた島津3000。
一方の有馬5000や赤星や相良らが島津に代わり、
前線で竜造寺と果敢に激突し、
大村純忠が戦うフリをして空砲をはなって有馬に内通を開始。

陸海からの大砲の集中攻撃で竜造寺が敗走した時に
島津の川上が竜造寺兵の如く変装して
独断行動で隆信に近づき暗殺しただけ。
隆信は川上を味方の兵だと誤解していた。