1 :
人間七七四年:
2 :
|ω・`):2009/08/01(土) 12:57:02 ID:solvdbsd
3 :
人間七七四年:2009/08/01(土) 13:01:06 ID:rlb1vQnd
∩___∩
| ノ ヽ
/u ● ● | ___ >>1乙でござる!
| U ( _●_) ミ___l l i //
彡、 |∪| _____)⌒|
/ ヽノ / / |7
ヽ| / i! |
| / | !7
| / / l |'
| / | / ∩r−;l
| / l _/ | ,!
∪ ヽ_) ヾi!_ノ
4 :
人間七七四年:2009/08/01(土) 13:09:59 ID:4mfAg9lG
/i (~) iヽ
《 ブ~愛`くノ
. {ヽ,二,,ノ}
( ´・ω・)
>>1乙でござる
(:::::::::::::::)
しωJ
/i (~) iヽ
《 ヾ⌒ソ /
. {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ
>>1大儀である
(:::::::::::::::)
しωJ
5 :
人間七七四年:2009/08/01(土) 14:33:33 ID:5MNK7gRw
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ
∧ ∧
( ´・ω・) ○
( ∪ ∪ ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 .,.⊥、
と__)__) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■)
梅干 高菜 大腸菌 こんぶ クロロホルム 豚インフル オプーナ
,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、
(,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■)
砒素 唐辛子 ちりめんじゃこ ゆかり 柴漬 塩辛 とりかぶと
,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、
(,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■)
鮭 御玉杓子 野沢菜 サリン ツナマヨ 石見銀山 鮭マヨ 鮭ハラミ
,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、 ,.-、、
(,,■) (,,■) (,,■) (,,■) (,,■)
マムシ ウラン 河豚 毛虫 唐揚げ
6 :
人間七七四年:2009/08/01(土) 23:45:23 ID:k6U6qkBO
7 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 00:41:43 ID:KfSOWtr+
/i (~) iヽ
《 ヾ⌒ソ /
. {ヽ,二,,ノ} ウランはそれがしが頂こう。
∠(´●ω・´)ゝ ,.-、 これでアレを開発し、
(:::::::::::::::) (,,■) 幕府転ぷ(ry
しωJ
8 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 14:45:36 ID:4YtWvBXQ
戦国時代の衆道に関するチョイとイイ話を聞かせてくれないか?
9 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 16:53:38 ID:cheoHQ83
衆道って「武士のたしなみ」みたいによく言われるけど実際どうなのっていつも疑問に思う
10 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 17:22:14 ID:J4xBAOuw
戦場に女がいない代わりの性処理用の穴だよ
真面目に入れ込んでるのもいるだろうけど
11 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 18:35:07 ID:GRX6ZnCr
ある程度金の持っている兵士や下級武士なら、戦場に出張してきている春を買うわけだ。
しかし大名クラスになると、
戦場でどこの誰だかわからない女性と二人きりになるのは護衛上の観点から非常にまずい。
よって素性の明らかな小姓の穴で代用する、と。
12 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 18:39:31 ID:cheoHQ83
実際の所はトチ狂った武将が他に愉しみとかないし一時しのぎの乱心なんじゃねえの?って思ってるんだが
単に穴があるってだけで代用になんかならねえだろ
13 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 18:40:08 ID:Obor3e72
戦時の性欲処理要員兼将来の幹部候補
14 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 18:51:06 ID:/ivMkTpB
小姓の職務が、主君の身辺の世話ってことで、そういう趣味のある人は手を出したってことだろう
別に双方にとって義務でもない
ただ、当時は異質な趣味とは思われていなかったってだけで
15 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 18:54:07 ID:OqjJllgV
ビックリするほど女顔の男っているしな
16 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 18:54:26 ID:znDl3igk
てかなんでみんな前スレから湧いてるアフォに釣られてんの?
17 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 19:45:27 ID:nDS8ylaS
18 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 19:46:42 ID:surHo7XY
衆道って、別に女の代用ってわけじゃあないぞ
それじゃあ、女に不自由しない大名クラスが戦場以外で衆道を嗜む理由が説明つかない
19 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 19:54:54 ID:ICW244Mh
流れがおかしなことになってきたな
腐ホイホイのスレにだけはしないでくれたまえよ
20 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 19:55:38 ID:e+yEzL2o
元々、結婚できない寺の僧たちが始めた物だろ。
で、昔は寺こそが先進の学問や文化の場だったから、学のある武家とかも影響を受けて…
21 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 20:08:51 ID:9mNj09Fi
戦国武将は跡継ぎを誰が生むかやらなんやらで
女との行為、男女の愛は打算的なもの
男性同士の愛こそ至上のものと考えちゃってたとかなんとかどっかで読んだ
22 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 20:50:20 ID:lub0T5vz
ナッちゃんは出入り禁止な
23 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 20:51:28 ID:hOkX0D82
衆道知識の披露はスレ違いだろ。
その手の話がしたいなら余所でお願いします。
24 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 22:19:33 ID:znDl3igk
裸の男たちの戯れをお楽しみ下さい(違う)
ある日、土佐人の相撲好きを聞いた和泉の源蔵という天下一と評判の高い相撲取りが、
やって来た。この源蔵、身の丈は六尺二、三寸あって、普通の袴では足が入らないと、
二倍の幅の袴を作らせて、はいていた。
長宗我部元親は、
「評判の男が土佐まで来たのに、相手がいないと言ってこのまま返すのは当地の恥辱。
ぜひ、当家の誰かと相撲を取らせてみたい。」と、主だった家臣を集め評定を開いた。
「江村右兵衛(親家?)ならば源蔵の相手になるかも知れませぬ。他には、誰もあの男と
組み合える者はございません。」というのが、一同の結論だった。
右兵衛は体格も良く、力も土佐一番と言われていた。しかし右兵衛は、
「家老たる私が負け、天下に敗者の名が伝われば私ばかりか長宗我部家の恥になります。
ご勘弁下され。」と断った。
「ならば、私がやってみましょう。」どう見ても大男とは言えない、久武兵庫が進み出た。
「どうやってあの怪物に立ち向かう?」と元親が聞くと兵庫は、
「ああいう大男は自分の力を頼み、細かい技を使わぬものです。奴の腕さえ掴めば
負けはしませぬ。」と答えた。
数日後、岡豊城下で相撲大会が開かれた。源蔵が裸になって現れたのを見た見物人は
みな驚いた。「いや、あれは人ではあるまい、鬼ではなかろうか!」
まず久万豊後と国沢三河が相手をしたが、二人とも簡単にねじ伏せられた。
いよいよ源蔵と対した兵庫は、手足で源蔵をあしらいながら土俵をグルグル回って逃げ、
スキを見て源蔵の手首を取った。源蔵は腕を引いて振り払おうとしたが、兵庫もそれに
合わせて引かれ、手首を離さない。
何度か引き合っているうち、ついに源蔵が腕を引き過ぎ、のけぞった。まさにその瞬間を
待っていた兵庫が手首を離し、源蔵に組み付いて投げを打つと、さすがの源蔵も土俵下の
元親の目の前に、音を立てて倒れ伏した。
これには見物から大歓声が上がり元親も大いに喜悦したという、親直パパ技あり一本の巻。
25 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 22:58:56 ID:x9geCs7i
26 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 23:00:56 ID:surHo7XY
>>20 ルートとしては
寺・僧侶>貴族>武家
って感じらしい。
27 :
人間七七四年:2009/08/02(日) 23:38:50 ID:znDl3igk
>>25 うわ、チェック足りず既出で申し訳ない。
流れ変えたくて詰んでる本探して書いたんだが、通じないみたいなんで直接的に言うわ。
よそでやれ。
逸話も上がってないスレ違いの話をいつまで引っ張ってんだ?
>>19とか
>>23が出た時点で空気読めよ。
28 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 00:30:56 ID:3//ZnDId
宮城野・信夫姉妹、仇討ちの話。
伊達政宗の家臣、片倉小十郎重長の剣術の師に、志賀団七という男がいた。
この男、無道で知られた人物で、
寛永13年のある日、農民が娘二人を連れ、田で作業している所に通りかかり、
その際、娘が投げ捨てた草が袴に当たったと、
烈火のごとく怒り狂って、娘を切り捨てようとした。
父親が驚き、土下座して詫びるが聞き入れず、志賀はこの父を切った。
父は田の中を逃げたが力尽き、死んでしまった。
子供達も家に逃げ帰ったが、病気で臥せっていた母はこれを聞いて、
やがてショックもあったのか、後を追うように死んでしまう。
姉妹は親の恨みを晴らすため、かたみとなった土地を売り、江戸に出て剣術家、由井正雪を尋ねる。
最初は相手にしなかった正雪だが、姉妹の熱心さと孝心にうたれ、3年の間に仇討ちをさせることを約束。
姉に宮城野(みやぎの)、妹に信夫(しのぶ)と名をつけ、姉には鎖鎌と手裏剣、妹には長刀を指導。
また、正雪の妻が二人に女としてのたしなみを教えるなどし、
ついに三年で器量・立ち居振る舞いとも門弟一となった。
門弟三人に付き添われて白石に戻った姉妹は、片倉小十郎重長に事の次第を説明。
曰く、「父母ともになき今、生きるすべもないので、親子もろとも、団七様のお手にかかって死にたい」と。
願われた重長は、志賀の無道を知っていたので、伊達家を通して幕府に伺いを立て、
幕府から孝女であると特別に許しを貰った。
寛永17年(1640年)2月、白石川六本松河原にて、
片倉の侍150人と見物客1000人ほどに見守られ、
姉妹は正雪の妻から送られた着物と鉢巻、
一方の志賀は2尺5寸の大刀を持って、煌びやかないでたちで登場。
戦いが始まると、姉妹は奮戦し、姉が鎖鎌で志賀の腕をからめ取り、
妹が長刀で腕を切り落とし、「父母の無念を晴らしたまえ」と叫ぶや、志賀の首を切り落とした。
仇討ちが終わった後、姉妹は武士を殺した罪を償うためにとその場で自害しようとしたが、
周りにいた人々に止められて思い留まり、姉妹揃って髪を切り、
生涯仏に仕えて暮らしたという。
当時としては大ニュースだったようで、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなり、
死後は八枚田孝子堂に父とともに祀られ、
後年、姉妹を讃え、荒城の月で有名な土井晩翠の歌碑が立てられている。
郷(さと)の生める 宮城野信夫 かんばしき 孝女の誉(ほまれ) 千代に朽ちせず
29 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 05:26:53 ID:VJkH/lBh
女性は血を連想するから
戦争前に女性といたすのは縁起が悪いとされてたのもあるかもね
30 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 09:11:36 ID:OTTCwudj
家康は戦場に女性を連れてきているな
関ヶ原合戦の前日に急な出陣で、手が足りない時に鎧を付けさせたりしている
31 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 09:17:22 ID:S2LkR+G9
勝負の前に女と針を傍に近づけないってのは何時ごろに出来たんだろうな
32 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 09:42:51 ID:Dbblo1i1
>>31 生理が物忌みになったのが平安期で、じょじょに時代がくだるうちに強まったんだろうね。
古代は相撲の土俵に女もあがれたし、生理中のセックスも問題なかったし。
でも平安貴族が死骸や血を嫌がるのはわかるんだが、戦国時代でそりゃねーだろw
と思う。
33 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 10:52:22 ID:PvU49zuR
討ち死にが目に見える物として存在するから忌むんだろうが
34 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 11:09:50 ID:6d2mO6Z2
>>28仇討ちの泣ける話だな。
……由井正雪って夫婦してこんな所で名前残ってるのか!
35 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 11:37:05 ID:NPOIhdM9
死、出産や月の障りを汚れと捉えるのは神道の考え方。
36 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 11:40:53 ID:oZWX8qz7
>>28 おお、由井正雪もやはり一角の人物だったんだなぁ・・・初めて知った
まあそうじゃないと反乱の首謀者なんかに祭り上げられないか
37 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 11:42:25 ID:muxf7buT
しかし、信夫に宮城野、陸奥の歌枕の地としてまず有名な二つだな
ちょっと出来すぎな感もあるが、そこは由井の心意気か
38 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 13:27:52 ID:kbrQg3uj
明智光秀が朝倉義景の居候だった時のこと。義景が光秀に
「○○国に城を築くとすればどこがいいだろう?」
と尋ねた。しかし光秀はどこの国を聞いても
「○○寺のあるところがよいでしょう」
と言った。どこを聞いても寺のあるところと答える光秀に義景
は呆れた。
「お前は寺のあるところとしか言わないのだな」
「はい、寺のあるところはすべて要害ですので」
「お前の言うことはよくわからん」
「要は人を得ることが大事なのです。
「人は城 人は石垣 人は堀 情は味方 仇は敵なり」
ということです」
光秀は内心こう思っていた。
(人育てが重要なのに要害ばかり気にするとは、この方に天下
は望めないな)
39 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 14:12:18 ID:twIW67ks
>>38 そんな義景たんの元で富田長繁は立派なひとかどの戦国武将に育ちました
40 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 14:27:06 ID:PsNaNhGN
葉隠れには衆道のことが色々と書いてある
41 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 15:50:44 ID:aaZrpl5q
>>35 武家も合戦前には神社に参拝したりと神道を大事にしているけど、
そこらへんはあまり気にしていなかったポイな。
余談だが桜の散りぎわの潔さから、
桜と武士のイメージをリンクする表現は芸術やエンターテイメントの世界に溢れているけど、
桜が強風でも来れば一夜にして散ることから、
家督を大事に繋いでいくことを重視する武士には、
縁起が悪いとするむきがあったみたいだ。
42 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 18:35:41 ID:Mop5MjMM
しつこく衆道の話を持ち出す腐バエども
そんなにその話がしたいなら別にスレ立ててやってくんないかな
43 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 19:36:23 ID:WQGYdnrG
なら男女の恋愛話を
父への手紙
将軍 徳川秀忠は参勤交代で江戸に上ってきた前田利常より、
自身の娘 珠姫からの手紙を受け取った・・・
・・・珠姫は、秀忠の次女で
前田家が前田利家が亡き後、謀反の疑いをかけられた時、
芳春院(まつ)が江戸城に人質として来る際の交換条件として、
わずか3歳で利常に嫁入り、いわば政略結婚であった。
嫁入りの時には、江戸からの嫁入り行列で数百人のお供がつき、
狂言師が道中御輿の先に立って踊りつづけたという・・・
・・・秀忠はわずか3歳で離ればなれになった娘の事を懐かしく思いながら、手紙を開けた。
「父上へ、
もう!利常様がいないとさみしいから 早く加賀へかえしてねっ!」
○| ̄|_
この手紙のおかげか利常はわずか2〜3ヶ月ほどで加賀へ帰り
珠姫と愛し合い珠姫が24歳で亡くなるまでに3男5女を授かったそうな
めでたしめでたし
44 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 19:36:50 ID:aaZrpl5q
諸卒の中に敵方に対する悪口を言う者がいたならば深くこれを戒めるべきである。
敵方に刺激を与えることは敵の奮起を促すようなものである。という意味の言葉もある。 武田信繁
時と場合にもよるが、参考までに
45 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 19:50:06 ID:1BFmjBnH
>>43 ちょw珠姫可愛いwww
つか24歳で亡くなってしまったのか…年の差何歳だったんだろ
46 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 19:59:04 ID:WQGYdnrG
47 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 20:33:26 ID:Dbblo1i1
では夫婦愛ネタ。最上義光は妹と娘以外にも弱い。
最上義光は妹にも弱かったが、大崎出の妻にも弱かった。
小田原参陣をなかなかしようとしない政宗に、こんな手紙を送った。
「あのね、参陣するかしないか、早めにちゃっちゃと決めてくれない?
あなたの空気読めない態度には困っているんだよね…
どんだけかっていうと、ウチのとしよ(嫁)も迷惑だって言ってくるほどなんだけど。
こっちが妻に何て言えばいいかとか、ちょっと考えて欲しいよね!?」
でもこんなこと手紙で頼むなよ。
( ●Д゚)「おめーの嫁がどうこうなんてしらねーよ!」
じゃないか?
義光はこのあとも、嫁のためにお寺をこさえたり、大崎家改易後は
家臣をごっそりひきとったり、自分は肖像画が残らなかったくせに、
妻のものは県指定文化財になるような立派な肖像画をこしらえたり。
まあいろいろだったらしい。
その奥さん、駒姫の後追い自殺したぽいんだがね…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-514.html
48 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 20:46:15 ID:YF4e0ZDH
大河が女メインで進行する昨今、
こういうエピなら楽しめるのになあ…
49 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 21:46:57 ID:6d2mO6Z2
>>39敵を倒すには大将を討つべし、
まっしぐらに要害の本陣へ攻め入るべし
こうですねヒャッハー!!
50 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 21:59:19 ID:6d2mO6Z2
>>43 秀忠って平静を装いつつ本当は娘煩悩なんだけど、結局報われない“世の父親代表”みたいなポジションやなぁw
豊家への千姫輿入れだって、本人がジタバタぐずっている間に嫁(お江与さん=淀君実芋)が段取り固めて、逃げもならぬ所まで追い込んだというね。
政治的に、豊臣方を懐柔するにせよ油断させて後から滅ぼすにせよ婚姻できるなら是非やっとくべきなのは秀忠なら重々承知だったはずが……
51 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 22:08:01 ID:iH9wCiXy
さてさて、大河ではヌルっとスルーされた、上杉景勝をあわやという所まで苦しめ、上杉家が
秀吉に臣従するきっかけにもなった、新発田重家の乱。
この乱のとき、景勝の攻勢の情報を聞いた新発田は、会津葦名氏に救援を要請、
葦名氏はこれに300余騎の援軍を出した。
その援軍の中に、後に葦名四天王にも数えられる佐瀬源兵衛がいたのだが、
そのいでたちがすごかった。
鎧の上に死装束地の経帷子を羽織り、旗指物は「荼毘のときの龍の首」、兜の前立てには
金箔で輝く「七本仏のひかくし」、刀・脇差は供に朱鞘、鞘の尻は銀製で逆鰐口。
柄は頭と元を赤銅で造り、柄の中程に入れてある飾りは位牌の形で、そこには自分の戒名が
金象眼されている始末。
歩くお葬式、一人大伽藍と言った趣である。
その姿を見た人々は
「なんと仰々しい格好だ。やたらと討ち死の覚悟を強調しているが、侍という程の者ならば、
合戦に及んで、誰しも生きて帰ろうなぞとは思いもしないであろうに。」
と、呆れあざ笑った。だが、武者奉行の沢井越中守という者は
「さては源兵衛は、若いだけあって思い切った姿であった。彼の父もひとかどの武者であったが、
流石にその子だ。
侍が戦に臨んで目立った格好をするということは、手柄を立てれば大勢の目に留まり、また、
危ない時には狙われるものなのだ。世の常として臆病者はごくありふれた格好をするものなのに、
こう言う心掛けと嗜みのよい侍がもう一人程いたならどれほど心強いことだろう、しかし、
今のところあいつしかいないなあ。」
と、苦笑いをしながら言った。
やがてこの話が広まり、また佐瀬源兵衛も戦場において流石の働きを見せたため、
彼のいでたちに対する悪口はたちまち消えた、との事である。
52 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 22:11:46 ID:t17XnWDT
>>47 家族(女限定)に甘いのか
家族大事にしてるのに、それが家族の将来に反映されない義光…
53 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 22:16:22 ID:SzPeh+b1
加藤もそういった意味では、命を捨てて国を変えた人間だな。
たまには後に続く者が居ないと、風化されちゃうぞ!
54 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 22:37:29 ID:+HrKqn7X
55 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 22:48:57 ID:LUjgsr6b
>>47 数年前に資料館行って直筆の手紙みたことあるよ
手紙の紙がすっげえ長くてみっしり書いてあって
両親と「天女のふんどし」って笑ったよ
そういうぼやきみたいのが高密度で綴られてたわけねwww
56 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 22:57:40 ID:iN+wIxxF
>>44 諸卒の中に敵方に対する悪口を言う者がいたならば深くこれを奨めるべきである。
敵方に刺激を与えることは敵の奮起を促し罠に誘い込むようなものである。という意味の言葉もある。 真田信繁
57 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 23:13:43 ID:3PMwOmrp
58 :
人間七七四年:2009/08/03(月) 23:46:02 ID:GI32n0G5
女性には優しくしよう 兄妹愛の手紙
人質として関東へ行くこと、何の未練がましいことも言わずに了承してくれてありがとう。
親子ともはるばる江戸へ行くんだって?忠義や孝行も、これに勝ることは無いね。
わが家は三十世代にも及ぶ伝統があるけど、こんな惨めなことはなかったのに・・・
家のために身を捨て、不安でいっぱいだろうけど、後世までも名誉の物語になると思うので
がんばってほしい。
キミたち親子のことは行く末不安の無いよう、心に留めてるから安心して下さい。
いろいろ書いても、キミの忠節への礼なんて書き尽せないだろうけど、どうしても伝えたくて
筆を取りました。あなかしこ。
慶長十八年 六月二十三日 愛する妹へ いゑ久
59 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 00:02:36 ID:ESa+2AQ9
60 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 00:08:34 ID:kikqRvMS
59のせいで一気に悪い話に…
ま、まぁ全体的にはともかく58の時には本当にこういう心持だったんだよ!
どちらかと言うと体面を気にした文面だけど
妹への気遣いなくしてがんばってほしいとか安心してくれとか書けないだろうし
こんな手紙出さないだろう
このときは妹思いな兄ちゃんだった
そう思うことにしよう。いや、そうに違いない
61 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 00:12:05 ID:lRbpTRFL
亀寿への
あたし世の 雲かくれ行 神無月 しくるる袖の いつはりも
かな
の句みたく露骨な皮肉よか全然マシかとw
62 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 00:36:34 ID:HBD90Pll
自分の領国外に出る妹に渡す文だから
外部の者の目に触れるとも限らんからね精一杯飾り立てたんでしょ
やっぱ悪いやっちゃなw
63 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 01:09:33 ID:StkX4b0H
素直にいい話だと思ってやれよw
64 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 01:24:14 ID:ESa+2AQ9
日頃の行いがry
65 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 01:28:27 ID:urPBAsvA
豊臣秀吉は唐入りで長く名古屋に留まっている将兵に対する慰問、
かつ自分が楽しむために仮装パーティーを催しました。
(
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-849.html)
では↑で紹介されている以外の武将を中心に様子を見てみましょう。
一、徳川家康
あじか売りに扮しました。大きな声で「あじかはいらんかね〜いらんかね〜」
と物まねしました。本職の方に激似でした。
二、豊臣秀勝
漬物売りに扮しました。「瓜はいらんかー!いらんかー!」と野太い声で
言いました。なんとも不器用なので「若いからわからないんだろうなあ」
と見ていた人々は言い合いました。
三、織田信雄
遍歴僧に扮しました。書庫を持たせた従者を引き連れました。
蛇が衣を着ているかのような、尊大で横柄な態度でした。
四、津川義近
赤い帽子を被って「弦はいらんかあ。弦はいらんかあ」と言いました。
五、織田有楽斎
「瓜をご寄進下され」と請いました。瓜売りの秀吉が瓜を二つ施すと
「こっちは熟しておらぬ。熟した物を下され」と言ったのは滑稽でした。
六、有馬則頼
池坊の僧侶に扮して、有馬温泉の神仏の恵みを説きました。
これは先年、秀吉夫妻が有馬温泉を訪れたことに因んだ仮装でした。
人々はよく工夫しているなあと感心しました。
七、蒔田広定
宿屋の主人に扮しました。
見る限りほとんどの武将が楽しんでいたようですねえ。
66 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 04:30:18 ID:Bv2o1/12
>>65 一人ちゃっかり地元の観光資源を宣伝してる人がいるような…
67 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 08:12:25 ID:gRtr9K3X
へうげものでもあったなそのシーン
68 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 08:36:20 ID:8p2Wr1Tr
オリーブ色って茶色っぽいが…オリーブグリーンと混同してるのかな。
69 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 08:38:08 ID:8p2Wr1Tr
誤爆スマン(´・ω・`)
70 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 09:49:27 ID:oSfKuM1z
>>28 女で二尺五寸を使うのは凄いな。
よくぞそこまで。
71 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 10:15:21 ID:zyBpZBen
72 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 23:14:28 ID:4rAmiF0G
>>67 大金時を怒らせた松方弘樹が脳裏をよぎった
73 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 23:46:32 ID:9WC03bEb
戦国時代、契約上欠かせなかった人質制度
その注意点を塵芥集より
1.他国から人質をとる場合
しっかり地元衆と相談するのはもちろんだが、守護に事情を説明して許可をとること。
守護の許しをとった以上、当地の地頭が抵抗しても心配しなくていい。
2.国内で人質をとる場合
地頭は念を入れて、二度、三度と関係者間で協議を行うこと。
当地の地頭に届け出ず、勝手に人質をとれば違法行為。
3.他国に人質をとられてしまった場合
勝手に人質を出しやがった罪人を捜し出し、必ず成敗すること。
ただし、罪人が反省した上で、人質を奪還すれば許さないでもない。
実効性があったなら、人質にとってはいい話かな、と
74 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 00:35:38 ID:Vh+toZFD
柳生宗矩と虎の話。
三代将軍家光は動物を飼うのが好きだった。
そのため、贈り物として様々な動物が贈られていたが、
ある時、朝鮮から虎が贈られたという。
鉄格子の中の虎を見て、家光は大いに感心した。
そのうち、その獰猛さに興をそそられたからか、
家光は「虎は死して皮を残すと言うが、誰か檻に入り、
あの生きたままの虎の毛皮をなでてみぬか」と周囲に声をかけた。
だがしかし、吼え猛る虎の勢いは凄まじく、
居並ぶ側近たちの中に、進み出る者はいなかった。
業を煮やした家光は「但馬、やってみよ」と
将軍家剣術指南役・柳生但馬守宗矩に虎をなでるよう命じた。
そこで保科正之が「いかに但馬といえど、それは無理でしょう」と
仲裁を入れたが、宗矩は「上様の御命とあれば是非もなし」と
番人たちに檻の戸を開くよう命じた。
檻の中に入った宗矩は、鉄扇を前に構え、
気合を漲らせながら、じりじりと虎へにじり寄った。
この宗矩の気迫に圧倒された虎は、唸りをあげ、牙を剥きつつも、
一歩も動けなくなっていたところを鉄扇で眉間を打たれ、
遂にはくたくたとへたり込んでしまった。
それを見た宗矩は、大人しくなった虎の毛皮をしずかになでた。
そして、そのまま気合を解かず、
じりじりと下がり、無事に檻の外へ出ることに成功した。
これを見た家光や側近たちは、
「さすがは将軍家指南役。まさに天下一よ」と褒め称えたという。
75 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 00:36:41 ID:Vh+toZFD
ところで、その場には沢庵和尚もいた。
皆が口々に宗矩を褒め称える中、沢庵和尚は一人飄然としていた。
これを見た家光は、
「和尚。和尚は日ごろから仏法は人のみならず、
畜生にも通じると申しておるな。
果たして和尚ならば、この虎をどのように御されるか、
是非一度拝見したい」と言い出した。
すると沢庵は
「この老骨にどの程度のことができるかわかりませぬが、
せっかくですからやってみましょう」と答えると、
これまた門番に命じ、檻の戸を開けさせた。
戸の開いた奥では、虎は獰猛なまま吼え猛っていた。
だが沢庵はあっさりと檻に入ると、
そのまますたすたと虎に近づき、ひょいと手を差し出した。
虎が意表を突かれ、しばらくその手を見ていたところで、
今度は沢庵は手につばを吐き、虎の目前に差し出す。
すると虎はその手を舐めだし、大人しくなった。
そして沢庵はそのまま虎の頭をなで、
更に耳のあたりもさすってやると、
しまいに虎は気持ち良さそうに寝てしまった。
これを見た一堂は大いに驚き、檻から出てきた沢庵を褒め称えた。
家光も「但馬は剣法を以って虎を抑え、
和尚は仏法を以って虎を手なずけた。
まさに両人とも天下に比する者のない名人である」と賞賛した。
76 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 00:38:42 ID:Vh+toZFD
だが、この沢庵の行動を見て、一番感銘を受けたのは
実は柳生但馬守その人であった。
「心法まさにここにあり。これぞ和尚の説かれる不動智であろう。
素晴らしい心の働きを見せて頂いた。ありがたい」
こうして沢庵に更に深く帰依するようになった宗矩は、
研鑽を積み、遂には剣禅一致の極意を得たという。
…という柳生宗矩と沢庵和尚のいい話。
あるいは家光の悪い話。
この逸話自体は創作としても、
こういう話が出来るほど家光・宗矩・沢庵の仲が良く、
また宗矩と沢庵の交流から、いわゆる「剣禅一致」が生み出されたことが
世間に広く伝わっていた、というところかな。
77 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 00:48:00 ID:gem9Zhcu
78 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 01:02:35 ID:uq97ULPo
宗矩の剣は暗殺剣ではない!!
79 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 02:05:51 ID:BlJzL6H5
宗矩、沢庵に比べると家光のDQN振りがひかるな
80 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 03:08:57 ID:IvcKUAra
野暮は承知だが、沢庵や保科正之が家光の近くにいるってそれ戦国時代の話か?
81 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 05:47:45 ID:1we7wr3W
剣禅一如かと思ってたんだけど剣禅一致でも検索されるね
82 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 05:59:33 ID:KeQaO20D
>>80 /)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
83 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 07:07:24 ID:0zH4nwAo
>>80 最も広義にとる場合、
戦国時代の終わりは島原の乱だから大丈夫。
万人が納得する戦国時代の期間って無いしね。
84 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 07:34:15 ID:IvcKUAra
>>83 残念、また細かいこと言ってしまうと
品川東海寺が創建され家光と沢庵が活発に行き来するようになったと
思われるのが1639年、島原の乱は1637年だから言ったんだ
85 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 07:34:46 ID:sCAs2lIw
戦国以来の軍役体制が転換し、いわゆる「兵農分離」が成立したのも家光の時代だしね。
この他社会制度やら法律やらの大改革が行われ、日本で実際に「近世」が始まったのも、この頃。
島原の乱や、家光の死後、家綱の時代になってようやく、武断政治から文治政治への転換が
図られたことも含めて、この時代までは広義の戦国に入れてもいいと思う。
86 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 09:09:14 ID:20Zd9xy7
いや戦国時代に入れていいとは思わないけど
87 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 09:12:59 ID:UClN7jZV
88 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 10:24:55 ID:hnD/uAi1
分別も久しくすればねまる
ある時、龍造寺隆信が重臣たちを集めて言った。
「昨今の秀吉の勢いを見るに天下を治めるのはあの男
に違いない。斯くなる上は早いうちに秀吉のもとに行き、
我が領土を安堵してもらおうと思う」
しかし、この考えに老臣たちは猛反対。長い議論が始まり、
一向に結論は出ない。すると隆信が言った。
「貴様らは分別がすぎる。考えすぎは好機を逃すだけだ。
今は決断の時なのだ。わしの言う通りにしてもらう」
こうして隆信は秀吉を出迎え、満足した秀吉は領土の安堵
を約束した。隆信の迷いのない決断が功を奏したのである。
89 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 10:35:45 ID:6u6GfyZj
∩___∩
/ ノ \ ヽ
| ● ● | なにマジになってんの?
彡 (_●_) ミ
/、 |∪| ,\ この鮭の切り身やるから帰れよ
/.| ヽノ | ヽ
,,/-―ー-、, --、 .|_,|
r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
|,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
.ヽ,′ ; `"";;;;;⌒゙')
´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛ `゙´
| .‖ /
("___|_`つ
隆信が老臣へ贈る言葉と鮭であった
90 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 10:53:56 ID:sCAs2lIw
龍造寺家が秀吉と通じたのは、沖田畷の戦いでの隆信の討ち死後、鍋島直茂によってだと思うが、
「分別も久しくすればねまる」は、こんな形で伝わっているんだねえ。
91 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 11:53:41 ID:N4Bk1evu
>>80 一応宗矩の話だからギリギリというところだろ。
これが家光本人や十兵衛なんかの話になると厳しいけど。
92 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 12:48:26 ID:TeqfZGZg
>>77 真に恐るべきは加藤嘉明(地味カトー@七本槍)よ!居眠りする嘉明の前で虎すら死を覚悟した! by 朝鮮の役
って逸話がまとめサイトにあったね。大カトーこと加藤清正とセットでw
93 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 14:28:47 ID:dfRGBC1B
戦国時代の終わりはなんとなくこのくらいかなーってのはあるんだけど、
戦国時代の始まりはどのへんからOK?
94 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 14:45:25 ID:sCAs2lIw
>>93 今は史学の世界では明応の政変(明応二年・1493)から。
一般的には応仁の乱(応仁元年・1467〜)から。
関東では鎌倉公方の古河移座があった享徳の乱(享徳三年・1454〜)から。
まあ諸説あるが大体こんな感じかと。>戦国の始まり
95 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 15:00:19 ID:dfRGBC1B
>>94 どうもありがとう。
逸話を探すときの参考に致しまする。
96 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 16:28:59 ID:AUWzxGG3
もうすぐお盆ですね。
地方によっては旧暦の七夕を迎える準備をしている所もあるでしょう。
と言うわけで七夕と盆踊りにまつわる戦国時代のお話を。
島津義弘と七夕踊
泗川戦勝の報に薩摩中が沸いた。
分けても伊作家お膝元の市来郷の百姓達の喜びは凄まじかった。
かつては分家の若殿だった義弘が、今や島津家を代表して渡海し
大軍を打ち破ったのである。喜びもひとしおであったろう。
彼らは思い思いの趣向を凝らし、棒踊に太鼓踊り、その他様々な踊りを創案して
城下の祝賀会場に繰り込んだ。
凱旋した義弘はこのことを喜び、
「今後この踊りには当家の家紋を使って苦しゅうないぞ」
と、この踊りに使う旗指物から提灯に至るまで丸に十字の家紋を使うことを許した。
長い年月を経てこの踊りは『義弘公の凱旋祝い』から『豊作の願いを込めた出し物』に変わって行ったが
『琉球からの祝賀大使』『永野祐幸の虎退治』などを模した様々な踊りが加えられて今日まで伝わっている。
というわけで国の重要無形民俗文化財に指定された市来の七夕踊、
今年も間もなく開催です。
ttp://www.rurubu.com/event/detail.asp?ID=13457
97 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 16:30:57 ID:AUWzxGG3
一方、華々しい凱旋の裏には悲しい出来事もあるわけで…
島津忠恒と想夫恋
大勝を得て朝鮮から凱旋した島津勢だったが、
当然のことながら犠牲が皆無と言うわけには行かなかった。
かつて川内の久見崎からは多くの軍船が大陸目指して出港したものだった。
だが帰国の知らせを聞いて久見崎に集まってきた出征将兵の家族の中には、
夫の姿を見出せなかった妻達も大勢居た。
突如未亡人となった彼女達の悲しみは一通りではなく、岸辺に固まりあっていつまでも泣いていた。
やがて何時の頃からか、久見崎ではお盆の時期に未亡人達が集まるようになった。
彼女らは夫の形見を纏って男装し、異郷の地で果てた夫の霊を慕い、供養の舞を踊ったのである。
切って供えた みどりの髪は 今も逢瀬を 待てばこそ
御高祖頭巾に 腰巻羽織,亡夫(つま)も見てたも 眉の露
盆の十四日 踊らぬ人は 目蓮尊者の 掟にそむく
二十三夜の 月の出待つは 一つは 御船と君のため
殿のためなら 涙は出さぬ みたままつりに 盆おどり
悲しい曲調に合わせたこの踊りに心を動かされたのが島津忠恒である。
川内を訪れたときにこの踊りを目にして、未亡人達の思いに心を動かされた忠恒は
戦死した敵味方の霊を慰めるために、毎年旧の7月14日、現在の8月16日に盛大な慰霊祭を行うようにした。
この「想夫恋」も現在まで伝えられ、鹿児島県の無形民俗文化財として指定されている。
ttp://www.news24.jp/articles/2006/08/16/0764910.html …それにしても忠恒、未亡人達に見せた優しさを何で自分の奥さんにも見せてあげなかったのか…
98 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 19:13:36 ID:oEz+nhD6
>>97 考えるんだ
加賀の利常は奥さんを大事にしすぎてアレで衰弱死させたんだw
家久(悪)は、自分のナニで奥様を殺したくなかったから、突き放したんだよ
と、弁護してみないでもないw
99 :
人生七七四年:2009/08/05(水) 19:33:34 ID:DMoCqlYB
忠興「そうか、奥さんは離れた所に大事に閉じ込めとかなきゃいけないんだな」
100 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 19:35:24 ID:Ceo3JFXD
>>99 あんたは閉じ込めといてからも、しっかり通って孕ませてるじゃんw
101 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 20:40:50 ID:4/9jlmvW
102 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 21:17:51 ID:8wWa3Uwr
桶狭間の合戦のあと、混乱が程度一段落した頃、
信長の前に権阿彌という義元の刀持ちが引き出された
信長は権阿彌を清洲に召し出すと
合戦の様子や義元のことなどをしきりに聞き出し
更に討ち取った首を見せて実検させた
権阿彌はその首に名を書いた札を置きながら
それぞれの合戦前後の様子を語って聞かせた
信長はこれを大変喜んで権阿彌に脇差しを与え命を助けてやった
そしてしきりに義元のことを感心し
十人の僧を呼ぶと義元の首を持たせ、権阿彌を伴わせて駿河へ返した
更に清洲の近郊に義元塚を作らせ
弔いの法事には千部の経を読ませたそうだ
自分のアピールのためでもあるけど
信長はかなり義元評価してるよね
103 :
人間七七四年:2009/08/05(水) 23:42:13 ID:TeqfZGZg
104 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 00:19:24 ID:SL1Cq9Ji
義元は決して世にいう公家かぶれの愚将じゃないと思うんだ
メタボだったけど
105 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 00:42:57 ID:VvHk32KP
いや太ってたってのも現在は否定されているぞ
106 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 00:46:51 ID:/bwr0fSS
>102
乾坤一擲の大勝負で勝利を収めた相手を低く扱えば
自分の勝利も低く扱われちゃうからでしょうね
で、前スレで紹介されてた大名家の名刀の企画展に
義元が討たれた時に所持していた刀がある
信長はよほどうれしかったらしく
「義元討捕刻彼所持刀 永禄三年五月十九日」
「織田尾張守信長」
と金象嵌を施しちゃったのである(名物義元左文字)
107 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 01:01:34 ID:cICPIonq
たしか甲斐を追放された武田信虎が義元にあげた
モノなんだよね左文字って
108 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 11:04:54 ID:79gHJLRO
織田信長が紀伊の雑賀孫市(鈴木孫一)と協定を結ぼうと、使者を送った。
しかし、いつまで経っても使者は帰らず、信長は重ねて稲葉一鉄を雑賀へ送った。
その結果、協定が成立し、孫市は信長の下へあいさつにやって来た。
「孫市、よく来た。しかし、最初の使者とは会わなかったのか?」
信長の問いに孫市は、
「ああ、最初の使者ね。消しました。」
「!?何故、殺した?」
「あの男は多くの兵を率い、先触れも無しに来て馬に乗ったまま門を叩き、
『信長公の使者だ!』と居丈高に言うので、門を開ければ乱入されてこっちが危ない、
と思って城の本丸へ案内すると見せかけ、門を閉じて皆殺しにしました。」
「うーむ、ならば何故、一鉄は殺さなかった?」
重ねて問う信長に孫市は、
「一鉄は・・・まず『信長の使者として来ました』と丁寧に先触れを寄こしました。
これを聞いたオレが櫓に上がって一鉄を見ると、城門の外で馬から下りて、
若党二人、中間一人だけ連れて威儀を正し、静かに歩いて来たんです。
これにオレも応じて、自分で門を開いて会いましたが、口上を聞くに道義も理屈も明らかで
分かりやすい。
衣服も立派でしたが、袴の裾から見える肌着は木綿の粗末なもんでした。
身がまえは倹約して使うべき所に使う、こんな男がいるなら信用できる、そう思って
ここに来ました。」
信長は、且つは孫市の決断の早さを笑い、且つは何気ない心がけが生死をも分けることに
嘆息したという。
109 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 11:46:50 ID:iz7pWyF4
礼儀のない人間に礼儀で返すのはバカだしな
雑賀の大将さすが!!
110 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:13:13 ID:nDaKsnLw
分類としては一鉄さんのいい話になるのかな?
111 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:25:29 ID:l/lS3wby
(
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2100.html)の後日談。
ある時、徳川家康のもとに加藤清正、福島正則、細川忠興らがやって来た。
彼らは「先日のお話に私たちは感服いたしました。ところで本日は貴方の
ご軍功をお教え頂けませんか?ぜひ貴方から学びたいと思っております」
と言った。
家康は彼らの頼みを了承する。しかし自分では語らずに土岐定政を呼び出して
「お前がお話しろ」と命じた。すると定政は家康ではなく奥にいる家臣の説明
を始める。
定政は「この者はあの戦いでこんな武功がありました」という具合に数百人
の家臣一人一人について語った。ところが肝心の家康については一切
語ることはなかった。
これを見た清正たちは(なるほど、これが先日のお話の意味か)とますます
感服したという。
自分の軍功は家臣の働きのおかげ、ということだろうか。あるいは定政が
めんどくさかったのか。
112 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:31:40 ID:UvoiFuES
113 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 12:31:55 ID:biVeOBY6
>>110 主役は孫市なんだから、孫市の見識の高さを示すいい話でいいでしょ
114 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 17:39:54 ID:T3UTLeTS
>>109 ところが、政治的には無礼に対して礼節で答えると大きなポイントになったりもする
115 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 17:45:30 ID:n0eLhysS
>>110 いやぁ、最初の使者の人の主君の威勢を借りるとろくなことにならない悪い話と取れないこともない
116 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 18:24:06 ID:MKoTIXhw
蝮の人「無礼な格好で会見の場に来るはずだった婿殿相手に、
こっちもそれなりの格好で対応しようと思ったら、見事に一本取られました」
117 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 18:45:23 ID:iz7pWyF4
118 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 19:34:22 ID:E2RHD4nH
>>114 それは横から見てる第三者がいてこそだし、この場合にはあてはまらないんじゃ?
119 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 21:37:20 ID:Dgvg5aKX
転載。既出ならスマソ
837 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 21:32:48 ID:xnLDQMmr
>>805 秀吉軍と家康軍が唯一干戈を交えた 「小牧長久手の合戦」において、忠勝は
秀吉軍の猛将 加藤清正 と直接一騎打ちにて槍を交わしたとのこと。
蜻蛉切り と 方鎌の槍 が数度火花を散らせた結果、忠勝が落馬。
この機に首を獲らんと清正がトドメを射しかけた刹那、
「待て!忠勝は世にこれ無き勇将にてその首獲ることならんっ!」
という秀吉の大声にて忠勝は一命を救われた。
この対応に感激した忠勝はかぶっていた鹿角の兜を
己の首の代わりに清正に差し出したが、清正は
「俺にはその兜はあまりにももったいない」
と言って丁重に断った。
その後これをきっかけに忠勝と清正の間には他家でありながら
勇将同士の深い親交が続いた・・・・・らしい。
120 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 22:06:42 ID:5zxuCuc1
>>119 本当にそんなメジャー級の二人が激突してればもっと有名な話に
なってると思うが俺の厨二心を呼び覚ます熱い話ではある
121 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 22:27:10 ID:1ZaT+IYy
落馬していれば「生涯戦場で一度も傷を負わなかった」わけじゃないんじゃね。
122 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 22:43:05 ID:nhMYN0qV
つまり捏造だな
123 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 22:44:49 ID:NezdZhNx
生涯負わなかったのは刀傷じゃなかったっけ?
124 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 22:48:34 ID:bL5objqt
まあまず間違いなく創作だろうな
125 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 23:12:00 ID:sVJDfI0U
126 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 23:50:28 ID:GCljPX28
長久手から小牧に帰還する家康を叩こうと秀吉が軍を動かした時に、忠勝が手勢を率いて足止めした時の逸話だな。
それが変化したものだろう。
127 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:12:04 ID:2k7xgJ3G
128 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:26:49 ID:A7LF1FnH
盗作かよ
129 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:31:40 ID:lxU9lkMa
前から思ってたんだが、「手勢」ってどのくらいを言うの?
130 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:38:03 ID:FBMyj29E
7〜8人以内をイメージしてた
暗がりに紛れてちゃちゃっと襲撃して
ちゃちゃっと帰ってこれるイメージ
131 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:38:54 ID:WcdZOJIS
ようはコマンドーだな
132 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:39:47 ID:DpdCg7bs
10騎だろうが1000騎だろうが手勢は手勢
133 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:43:07 ID:vE3lJdce
て‐ぜい【手勢】
直接に引き連れている軍勢。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
てぜい0 【手勢】
直接率いている軍勢。
・ わずかの―
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
134 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:43:22 ID:MvBHjM7P
>>129 い、いや手勢ってのは「手の内の軍勢」つまり直属部隊のことを言うので
別に少数精鋭のことではない
「どのくらい」と聞かれても小大名なら当然少ないし大大名ならピンキリとしか…
135 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 00:45:40 ID:tR//QQK3
手勢というと、将直隷の軍ってイメージかな。
「寄せ手」とかと同じ「手」だと思うから、多分何万だろうと手勢だと思う。
136 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 01:13:14 ID:A7LF1FnH
しかしまあ手勢だけと言われて数万単位でこられても困る、感覚的に
将軍が旗本率いてるだけでもそれぐらいになるけどさあ
137 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 01:50:13 ID:YS0ZLeST
俺の地元に伝わる話を投下。長文スマソ
元草野家家臣野崎隠岐守、島の守り神になる
元亀4年(1573年)のこと。肥前国唐津の沖合いにある高島という小さな島は
海賊の被害に毎年悩まされていた。
その年の12月、筑前国吉井を根城とする海賊、吉井荊娯が高島を襲った。
この男は筑前近海を荒らし回る海賊の元締・火山神九郎の配下であり、
手下30人あまりを連れて高島に上陸し暴行、略奪の限りを尽くした。
一仕事終えた荊娯たちが船に乗り込もうとしたその時、一人の武士が
走り寄ってきた。
この武士、名を野崎隠岐守綱吉といい元は肥前草野家の家臣であった。
天文21年(1554年)に信濃国で生まれた彼は、文武両道に優れ幼い頃から
神童との評判が高く、人々はまさしく偉丈夫であると噂したといわれる。
成長した綱吉は初め豊後の大友義鎮、のち肥前の草野鎮永に仕えた。
綱吉が高島へ来る半年前の元亀4年3月、龍造寺隆信率いる5400の軍勢が
鎮永の居城・草野城を攻めた時、彼は同僚の原瀬久太郎久国と共に自ら
矢面に立ち奮戦。
見事龍造寺軍を撃退したが、新参者である彼の活躍ぶりが草野家の老臣
たちの不興を買ってしまう。
老臣たちの嫌がらせに遭い、家中に居場所が無くなった綱吉は草野家を出奔。
わずかな供を連れて高島に移り住んだのである。
3ヶ月前の元亀4年9月の事であった。
さて、住人から海賊襲来の話を聞いた綱吉は海賊をこらしめるため海賊船が
停泊する浜へとやって来たのである。
彼はわき目もふらず船へ乗り込むと帆柱を引き抜いてそのまま振り回し、
海賊たちを薙ぎ倒した。
それでも怯まずに襲い掛かってきた連中を相手に綱吉は手傷を負いながらの
大立ち回り。一人で海賊のほとんどを倒してしまった。
ついに海賊たちの生き残り5人は全員奪った物を綱吉に差し出して命乞いを
した。綱吉は彼らの命まで取ろうとはせず懇々と諭してそのまま帰した。
これ以来、高島に海賊が来ることは二度と無かったという。
それから10年あまりが経過した天正13年(1586年)8月、綱吉は病に冒され
帰らぬ人となる。享年32歳であった。
島を救った英雄のあまりに早すぎる死を悼んだ住人たちは綱吉の墓の上に祠を
建て、島の守り神『大権現様』と呼んで祀った。
さらに時は流れて明治時代、高島が製塩業で多大な利益を上げた際に
「この繁栄があるのも綱吉様のお陰」であるとし、『当島の宝』という
意味で『大権現様』を『宝当神社』と改称した。
今や『宝くじの神様』として日本全国各地から参拝客が訪れるようになった、
高島の宝当神社。その始まりのお話。
138 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 02:32:40 ID:SxaoaX4m
信濃生まれで豊後で職に付く…、名うての傭兵みたいな感じでw
ま、沼田祐光や河田長親みたいなもんか。
139 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 02:34:18 ID:0Y21ycWD
140 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 03:00:38 ID:bvM4LsMw
戦国の衆道に関するちょっといい話をして呉れないか?
141 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 07:52:03 ID:5mOWOEHg
142 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 08:09:20 ID:y75kSI+G
マイナーな方の武蔵か
143 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 09:16:22 ID:J7k1qX3U
>>142 一般的にはメジャーなほうの武蔵
ただしこのスレにかかると…おっと誰か来たようだ
144 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 09:27:07 ID:xoVpkpNR
鬼どころか親指以下の扱いだもんなあw
145 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 09:37:09 ID:77jaHTI8
福島正則に改易宣告が下った。幕府の使者が江戸の福島邸に訪れて改易の次第を告げると
それを穏やかに聞いていた正則「しばし待たれよ」と言い、部屋を後にした。
その後帯刀せずに現れた正則は幼い娘二人を引き連れ、座ると涙を流し
「徳川家には忠義を尽くしたつもりではあったがまさかこんなことになるとは思わなかった。
妻子全員殺め、使者のお前も刺し違えんとしたが、刀を抜いて娘を見るたび斬る事ままならなかった。
これは仕方が無い、幕府の意向に従おう。」
悪い話オーラが無いのでこっちに書いた反省は(ry
146 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 09:50:50 ID:WcdZOJIS
猛将も人の親だったんだよ…
147 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 09:53:43 ID:tR//QQK3
市松についてはもう、しょうがないんじゃないかな
148 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 10:37:14 ID:LBnYY/ht
>>137 色々とスゲエなw
由緒とか関係無しに字面だけで宝くじの神様になっちゃったのか
149 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 10:42:42 ID:WcdZOJIS
>>137 海賊が何人いたのか判らないが多対一で勝つとか並の人間じゃねぇな
その後の祠の変容がいかにも日本らしいw
150 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 11:33:34 ID:vpt1gQ0Z
>>145 そこまでの覚悟があったのなら大坂の陣の時に豊臣方につけばよかったのに。
どうせ改易だったのだし。
151 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 11:45:57 ID:ht7uDDWD
もう豊臣の目は無いから徳川についたけど
豊臣家が滅ぶのは忍びない、と言う中途半端な奴だな
152 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 11:51:34 ID:9XpgdGWU
>>150 どうせと言うか、正則の改易はいろんな要素が重なってて、必ずしも必然ってわけじゃないけどね。
それに一旦は広島城の破却で決着したのに、それを中途半端にやっちゃって幕府を怒らせた所からは、
もう正則の責任と言うべきだからなあ。
153 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 12:04:07 ID:ht7uDDWD
一番の原因は家康の養女が嫁いだ養子の正之を餓死させたことかなあ
154 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 12:04:25 ID:Y4HHa+oh
ただただ優柔不断だったんだろう
155 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 12:07:50 ID:0J6SMDKa
加藤、福島はさっさと息子に譲って隠居すればよかった。家康・秀頼の対面の時に警護して、家康を怒らせたり中途半端。
156 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 12:16:13 ID:nwnKIt2S
そんな正則さんの話。
側近が正則に
「最近は昔よりも悪い世の中になりましたね。これからどうなって
いくのか私は不安ですよ」
と言った。
これに正則は
「昔からそういうことを言う奴がいるな。よく聞くのは最近の若者は
駄目だとかいう論調だ。しかし、俺たちが若い頃だって爺どもは
俺たちを悪く言ったもんだよ。結局のところ、それが繰り返されている
だけなんだ。気にするだけ無駄さ」
と笑った。
157 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 13:05:47 ID:0MJNv4Q+
>>156 パピルスに残された古代エジプト人の愚痴にも近頃の若い奴は云々とあるらしいw
158 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 13:08:54 ID:i7tuWWvv
それたしかネタじゃなかったかな。
159 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 13:20:46 ID:WcdZOJIS
エジプトの近頃の若い者は〜って文面の初出は新聞記事らしいが
何分読める人が少ないので事実上確認を取るのは不可能
一説には昔は良かった。それに比べて今は〜という文面の意訳と言われる
それはそうとして戦国時代にもそんな話がやっぱりあったんだなぁ
160 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 13:37:32 ID:g1Gcnlkk
戦国時代的にも「源平とかすっげーよな、それに比べたら俺ら武士も
年々しょぼくなるばっかりだよ」が共通認識だった、らしい
161 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 13:54:45 ID:vuDJW3IW
戦国初期:源平すげーよなぁ
戦国中期:道三とか尼子経久とか長尾の爺様とか化け物じゃね?
戦国末期:昔はヒャハーしても文句言われなくてうらやましいよなぁ
162 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 13:59:11 ID:f+swKRDf
山本五十六にもそんな逸話があるし、そういう所は時代と人がいくら変わろうと変わらんもんなんだろうね。
163 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 14:24:01 ID:tR//QQK3
まあ、エジプトもそうだが、儒学も一歩間違うとそっちに一直線だから。
後漢の桓譚とか王充あたりが必死にその流れを断ち切ろうとしたんだが・・・
まあ、無駄骨だったよね。後の儒学の流れ考えると。
164 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 16:24:02 ID:FSuHPoUM
>>145 先に斬ろうとしたのが嫁だったらいけたんじゃないかな。
子供を先に斬ろうとするから。
165 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 16:32:38 ID:0MJNv4Q+
日本の儒学の流れは戦国末期に革新的要素もある陽明学が入ってきているから、
古いもの、上のものが絶対という害はある程度避けられているとは思う。
林羅山は朱子学をとって、陽明学はとらなかったけど。
166 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 16:36:36 ID:sxWLoxdt
167 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 17:03:20 ID:fFNkwkKF
>>157 古代エジプト人の「近頃の若いモンは〜」の元ネタは
パピルスじゃなくて近年発掘されたピラミッド建設の労働者用住居の壁に書かれた落書きじゃなかったっけ?
「近頃の〜」以外にも「ウチの上司はケチでビール(古代エジプトのビールは酒というより食事)もロクに飲ませねえ」とかのグチも書かれていたとか
168 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 17:09:56 ID:Y62nR6sv
>>163 一歩どころか最初のスタートが「聖王の昔に帰れ」じゃん
169 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 17:21:21 ID:fsdFy6Mm
>>167 悪い話スレ向きだけどとある神社を修理した時に大工が残した墨書きに
「ここの施主ケチで焼酎の一杯も振舞ってくれなかったッス」と書かれていたの思い出した
170 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 17:39:20 ID:WcdZOJIS
日本最古の焼酎に対する文章だっけ?
確か鹿児島だったような
171 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 18:03:28 ID:YS0ZLeST
>>137の話を投稿した人がちょいとレスしますよw
>>148 宝くじ云々については最近になってから。
何でも15年ほど前に島の住人がこの神社にお参りしてから宝くじを
買ったところ当たってしまったとの事らしいw
いまや島おこしのネタにもなってる。
>>149 本文にも書いてあると思うが…30人ほどだった<海賊
それでも多対一で勝つとは人間技ではないなw
172 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 20:11:25 ID:WTuhZ7Du
173 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 20:29:42 ID:DpdCg7bs
ケチな施主なら悪い話スレに投下されとるがな
174 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 21:14:39 ID:tR//QQK3
175 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 22:15:52 ID:kNrDzh9b
そういえば俺の故郷鳥取には金持神社という由緒ある神社が
176 :
人間七七四年:2009/08/07(金) 22:27:37 ID:i7tuWWvv
鳥取にあるってのがある意味・・・いえ、なんでもアリマセン。
177 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 00:29:14 ID:GzyiF44Z
>>137 ♪さあ行こう、夢に見た島へと 波をこえて、風に乗って 海へ出よう〜
178 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 08:24:44 ID:u+H7oBi0
大阪夏の陣での事
その日、青山伯耆守の陣地は、真向いから激しい敵の攻撃を受けた。
世に言う、道明寺の戦いである。
あまりの猛攻に、ひるむ体の者も現れ、それをみた青山伯耆は、部隊の者たちに向かって
こう言い放った
「これこそ願う所の幸いと言うもの!皆の者も恐れる事は無い!
それぞれ今日を討ち死にと思い定めよ!」
ところがこの時
「それはなんとも不覚でござる!」
と、野一色助重が反論した。皆が不可解な顔をする。が、助重
「他の方々は知らぬが、私は江戸を出るときから既に、討ち死にと思い定めて来た。
『今日を討ち死に』などと、いまさら覚悟するまでも無い。」
この一言に、「そうだ!助重の言うとおりだ!」と皆は威勢を取り戻し、勇んで戦に望んだ。
そしてこの言葉を放った助重は、その日、見事に討ち死にしたと言う。
戦もほぼ無くなったこの頃になると、華々しい討ち死にこそが本望、と言う考えも多かったのであろう。
そんな時代の、「覚悟」のお話。
179 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 10:33:10 ID:3XpSAeB6
>>178 平和になったってことさ
じゃあ今度はずっと昔の話
以前のレスで応仁の乱後ならまあOKということだったので、
そんな応仁の乱に巻き込まれたあの人のご先祖さまのお話
一条教房は一時は関白も勤めた公卿だったが、応仁の乱に巻き込まれ
奈良の弟の元に身を寄せるなどして漂白の身となっていた
ところが待てど暮らせど乱はひたすらに泥沼の一途をたどるばかりで
挙げ句父やその他の一族も京を捨て奈良にやってくることになり
こうなると当然だが食べるのにも困るようになってきた
当時の貴族にはよくあることだが、名目上の荘園は持っていても
実質支配はしていないから実入りが無いのである
そこで一条家領のあった土佐国幡多荘に下向することにした
これは当然周囲から猛反対された
「前関白ともあろうものが、土佐のような鬼の住む土地に下ろうなど恥ずかしくないのか」
「ああ、あさましいことだ」
などなど散々に言われたのだ
しかしどう言われても、背に腹は変えられぬと
彼はおっかなびっくりながら土佐に旅立った
土佐に彼が降り立つと意外なことに地元国人達は彼を歓迎した
これはどういうことなのかというと
当時の土佐は似たり寄ったりどんぐりの背比べな地元の国人達が
ひしめき合って領地の奪い合いをしているような状況だったため
彼等からすると前関白でもある教房の存在というのは、
周囲の国人達と自分達の間に差を付ける圧倒的な材料だったのである
それっとばかりに国人達は教房を御所様と呼び祭り上げた
教房の領地の農民達も鼻高々で自分達の領主の高貴さを自慢した
また当時の土佐人はかなり迷信深かったため
教房が「春日大社に奏じて呪い殺してやる!」と言うと
あっという間に恐ろしがって降参した
こんな感じではあるが教房も別に遊んで暮らした訳ではない
彼は土佐に京都風の街並みや文化を輸入し
港を整備し、貿易を推奨した
また農道や灌漑、用水設備の充実などにも積極的だったから
農民達からの人気も高かった
あっという間に土佐一条家は土佐随一の家となり
豊かで平穏な生活を手に入れた教房は、父や親族に手紙を書いた
「土佐はとても良いところです、ぜひいらっしゃいませんか?」
しかしやってくるものは誰もいなかった
その後教房は京に戻らず土佐で障害を終わる
その後の一条家がどうなったのかは、みなさんご存知の通りである
183 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 11:22:59 ID:V/SJBskU
>>182の最後の方
×障害、○生涯
よくやっちゃうんです
すみません……
184 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 11:54:42 ID:3XpSAeB6
自分が持ち込んだモードによって地元民の中から
上方流の知識・教養そして謀略を身につけた男が出ようとは
前関白殿も夢にも思わなかっただろうな
185 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 12:33:50 ID:uojzGxh0
つい同情して国親を庇護してあげたら、後はごらんのありさまだよ!
186 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 15:01:24 ID:LdoTzN3H
でもまぁいくら実権を失った公家とはいえ関白にまでなる人は優秀って事だな
カリスマなかったらいくら高貴でも人が付いてこないだろうし
交通網の整備や農地拡大なんてやらんだろう
187 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 15:23:08 ID:SsaRd1ck
丹羽長秀っているじゃんあいつって、みんな知ってると思うけど
織田四天王で重臣の一人じゃん
なのにさ、創作物で主人公になってねぇせいか、やたら影が薄いだろw
誰か、丹羽長秀の武勇伝知ってる人いない
いたら宜しく
188 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 15:32:08 ID:+Ipd/xt6
>187
安土城作ったり奉行仕事もソツなくこなすが
鬼五郎左衛門いわれた武将よな
189 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 15:38:26 ID:zZ574yCf
>>187 ついに任官を受けずに終わっちまったよな。
190 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 15:56:39 ID:zCUodnWk
191 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 16:18:12 ID:zZ574yCf
>>190 そうだった。でも本能寺後の丹羽長秀って言われてもなあ。終わった武将だよな
織田家臣の頃が華よやっぱ。滝川も、蒲生も。
特に蒲生なんか本能寺で死にたかったんじゃないだろうか
192 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 16:48:13 ID:IUCMLHkd
>>187 すっごくうろ覚えなんだが…
持ち主に仇をなす妖刀がらみで丹羽さんが出てたような…
うろ覚えなんですまねぇ
193 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 17:21:24 ID:MZD2tnFO
194 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 17:41:50 ID:rGoGgQCC
痣丸とか腫瘍抉り出しとか病気からみの逸話ばっかだなこの人
195 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 18:03:26 ID:ELIBPbB2
>>187 天正4年(1576年)正月の中旬、丹羽長秀は安土城の総普請奉行に任命され近江において安土城の普請が始まった。
それから一月ほど経ったある日の事。
信長「我慢できないので来ちゃった☆」
せっかちな信長は『普請が始まって』1ヶ月しか経ってないのに安土に現れた。建設が始まってから1ヶ月ではない。しかしながら・・・
長秀「そんな事もあろうかと仮の御殿だけ城より先に急いで建てておいて良かったぜ」
何となく信長がすぐ来るような気配を感じ取っていたのかどうかは定かではないが既にとりあえず信長が完成した建物が建っていたのである。
喜んだ信長は早速、岐阜城を信忠に譲り渡すと2月23日には正式に安土への移住を決定した。
長秀(寝泊りできる宿舎ぐらいの感覚だったのにそのまま住んじゃうのかよ!)
信長「よし、思ったより工事が進んでて気分がいいので五郎左にはこの茶碗あげちゃう。工事関係者にも褒美をやろう。だから早く建ててくれ。」
準備のいい男の話。
ちなみにあっさりと手に入ったこの茶碗、後に滝川一益が関東管領より欲しがった珠光ブランドの一品である。
196 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 18:09:39 ID:jAfN+Zxi
行動が読めるくらい信長を理解してたからこそ
普請奉行にも任ぜられたのかも。
197 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 18:13:03 ID:ELIBPbB2
>何となく信長がすぐ来るような気配を感じ取っていたのかどうかは定かではないが既にとりあえず信長が住めそうな完成した建物が建っていたのである。
文が抜けてた。まとめさん一行これに差し替えとして下さい。
198 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 19:36:17 ID:IUCMLHkd
長秀たんの死因ってさ…
胃潰瘍が胃癌に変質して、それが腸に転移したんじゃないかw
199 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 20:10:40 ID:q68xWAZ5
囲碁を通じた友情
家康の趣味のひとつに囲碁がある。
若いころはくだらないと思っていたが、中年になってはまってしまったとおごうの方への手紙で述べている。
そして、家康の一番の碁敵が浅野長政であった。
実力伯仲だけに双方熱くなり、長政が憎まれ口をたたいたり、
対局中、家康に助言した本因坊算砂に長政が
「今度助言したらたたっきる」と腹を立てることもあったという。
長政がなくなった後、気落ちした家康はしばらく碁を囲まなかった。
200 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 20:21:58 ID:bkpS9t4n
>>199 何故だろう。はっきり言って家康大嫌いだが、珍しく人間くさいこのエピソードを見てちょっと微笑ましく思ってしまった。
長政はトップに立った人間の数少ない友達(碁の最中限定とはいえ)だったんだね。
碁の最中は対等に接してくれることに気づき、碁にはまったのかもしれないね。
201 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 20:47:08 ID:s2UIdXjx
>>195 ヤマトの真田さんのイメージになったぞw
202 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 20:54:37 ID:+HxuMXtO
>>199 いい話だなぁ。名古屋でもやってたのかな?
203 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 21:09:22 ID:A0bSpYOQ
碁敵同士って勝ったの負けたのって機嫌悪くなったりしながらも
顔見りゃ碁を打つよね
実力が拮抗するような対局相手って得難いんだろうな
204 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 21:14:06 ID:iuNbl9Wj
今で言う格闘とかの対戦ゲーム的ノリだな。
上手いヤツには瞬殺されて腹も立たない。
弱いヤツにはワザと負けてやったりしてイライラ。
同程度のヤツと時間忘れてやりこむみたいな。
205 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 21:14:10 ID:zakUk8wP
さすがは米五郎左。
206 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 21:53:43 ID:SsaRd1ck
207 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 22:14:45 ID:oPqctsfm
>>204 いわれてみればその通りだ。
マナーのなっちゃいない奴は途中で碁盤をひっくり返すだろうし。
平成のこのご時世にもゲーセンで筐体にやつ当たりする奴がいるからな〜。
208 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 22:20:14 ID:+Ipd/xt6
>195
岐阜も家督も軽々と譲り渡すよなあ織田信長……
せっかちな信長に気配りできるところ、丹羽さんや羽柴秀吉の特技かも
209 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 22:26:15 ID:q68xWAZ5
彦左衛門の嫁取り(息子の)
ご存知大久保彦左衛門の長男忠名は彦左衛門48歳の時できた子供
この長男が年頃になったので、そろそろ嫁を迎えねばならないと思っていた彦左衛門。
あるとき、知人のうちを訪ねると、年頃の娘が大勢いる気配。
さっそく彦左衛門が切り出した。
「うちの倅も年頃になったので、お宅の娘ごの内、どなたかうちに来てくれる者はいないだろうか。」
名門大久保家であれば、知人もその妻も異存はない。
「どうぞ気に入ったのを持ってってください。」
とんとん拍子に話はまとまった。
それから4,5日後、また彦左衛門がやってきた。
「本日はお日柄もいいので、これより娘ごを貰い受けて帰ることといたす。」
あまりに急な話なので、知人もその妻も支度が整うまで待ってくれと懇願したが、彦左衛門は聞かない。
「着のみ着のままで結構、支度も無用。早く、早く。」
しょうがなく知人が出来合いの着物を娘に着せると、彦左衛門は娘を連れてさっさとうちに帰り、その日のうちに簡素な式を挙げてしまった。
翌日、彦左衛門は召使たちに新婦を披露し、
「どうじゃ、三国一の花嫁であろう。」といたってゴ満悦の様子であった。
あの彦左衛門のちょっと「かわ」いい話
210 :
人間七七四年:2009/08/08(土) 23:59:20 ID:ZcS5m+27
黒田長政は福岡城の松本坂門の櫓に毎夜側近二人を置いていた。
ある夜、城に盗賊が侵入して城内が騒然としたことがあった。
この時、櫓に人影を見つけた勤番二人が賊を押えると18歳ほどの青年だった。
これに喜んだ長政は二人を100石ずつ加増した。一人は150石、もう一人は
100石の小身なので、思った以上の加増に驚いた。
このことを聞いた家臣たちは憤った。なぜ若造一人を二人がかりで捕まえた
ぐらいのことであそこまで加増するのだ。これでは敵の首級を挙げた時は
いったいどれほどの加増をすればよいのだ、と誰もが思った。
長政はそのわけを話した。
「わしはいつも城内の警備を万全にしろと言ってきた。だが、この有様だ。
お前たちは二人がかりで若者を云々言っているが、それは捕まえてから
分かったことではないか。
常に用心されている場所に侵入する者は、いざとなると何をするか分からない。
なのに、あの二人は賊が入ったと聞いて躊躇いなく飛び出し、賊を捕らえた。
ということは相手が何十人だろうと躊躇わずに飛び出しただろうということだ。
この心がけは一番槍に匹敵する功績ではないかな」
211 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 00:38:47 ID:JApyV5bx
戦国時代ってこういう風な他人の手柄を妬むみたいな話が多いな
まあ現代もそうか・・
212 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 03:25:34 ID:lsSMDgIh
どれだけ時が経とうとも人の心は変わらないということかね
213 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 03:54:21 ID:YNrxcLKJ
>>209 せっかちで皮肉屋で頑固な彦左でもやっぱ歳食ってからの子供はかわいいんだなぁ。
214 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 10:46:18 ID:VhgsNaYm
天海僧正と長生きの秘訣
天海は108歳まで生きたといわれ、これは戦国時代でもまれな記録である。
徳川3代に仕えたが、それぞれに長寿のアドバイスをしている。
家康に対しては、江戸入りの際に他の寺社がえりすぐりの珍品、名品を献上するのを横目に、納豆を健康食品として献上した。
他の珍品、名品を受け取らなかった家康も、納豆は喜んで受け取り、その後の天海と家康との対面は納豆談義と呼ばれている。
真面目な秀忠には、
「長生きするには、粗食で、うそをつかず、毎日風呂に入り、お経も読み、時々はおならもしなさい。」
という歌を送っている。
一方、短気で好色な家光には、
「気は長く、仕事は真面目に、色事はほどほど、小食にして、寛大におなりなさい。」
という歌を送っている。
人に合わせた健康法を指導できる柔軟性が、実は長生きの秘訣かもしれない。
215 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 12:41:56 ID:X+nyH292
さすが日向守惟任様
216 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 12:43:58 ID:9PPK/36a
おならをしたら味噌が出ました
217 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 13:06:23 ID:68zxzBmM
天海が出てきたので、続いて佐渡守でも。
家康が亡くなった時のこと。
家康に仕えていた諸氏は、寵愛されていた本多佐渡守正信にこう言った。
諸氏「佐渡殿、あれほど大御所様からのご信頼があったのだ。殉死はしないのか?」
正信「殉死はしない」
諸氏「何たる臆病な。それは卑怯の振舞いぞ」
彼の答えに嘲笑う諸氏だが、正信は眉一つ動かさずこう言った。
正信「わしは既に死んでいる」
その場にいる諸氏は意味を計りかね、黙り込んだそうな。
正信は『あくまで家康の片腕』という意識だったからか、家康が亡くなったら自分は死んだも同然、という意識だったとも言われている。
奇しくも正信公は、家康公没後、3ヶ月にしてその生涯を終えた。
また、別の話でこういうバージョンも。
家康公没後、正信の息子の正純は父に向かってこう言った。
正純「父上、殉死はなされませぬのか。大御所様からの寵愛を考えればそれが筋目というもので御座いましょう」
それを聞いた正信は笑ってこう答えた。
正信「そう急かすでない。大殿が迎えに来たら逝けばいいのじゃ」
掴み所のない本多佐渡守正信でありました。
218 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 13:13:58 ID:cguR/rpJ
めんどくs・・・ゲフンゲフン
219 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 13:25:17 ID:6pT9PU3s
もう体調悪いしどうせすぐ逝くよと思ってた可能性もあるな
220 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 13:37:07 ID:W7VLZ0sR
死ぬのが3ヶ月後ならそろそろ死期が近づいてるって自覚があってもおかしくはないな
221 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 14:04:55 ID:aCF4y+mj
>>212 では、同じ黒田さん家で現代人にはまずマネできない話。
黒田長政が慶長の役で和寧関に陣を敷いた時のこと。
先鋒の後藤又兵衛と栗山備後利安の兵三千は、明軍数万の奇襲を受けた。早速本陣に
知らせを送ることになったが、利安は使者を呼び止めた。「待て、書状を見せてみよ。」
『ご注進 敵が夜中に川を越え交戦中。早々に援軍をお頼み申し上げます。』
「なんじゃこりゃ、書き直せ。良いか、文面は・・・」
『ご注進 敵が夜中に川を越えましたが、大事ないので我らのことはご心配なく。』
又兵衛と利安が必死に防戦した結果何とか敵を追い返し、やがて異変を知った長政も
やって来た。「備後!何故わしに黙って戦を始めた!」
「・・・敵の奇襲を受けたゆえ、戦を始め申した!」
「いや、怒っているのではない。何故黙ってこんな危ない戦をする?お前が死ねば、
わしも生きている甲斐がないではないか・・・」
涙ぐむ主君を見て黒田惣右衛門(図書助・如水弟)が、
「申し訳ない、『早々に救援を』という書状を書き直したので・・・」と謝るのを利安は遮り、
堂々と言った。
「書状は拙者の吟味の上、書き直しました。それは、明軍数万と対する上は救援を頼んでも
間に合うか分からぬ。もうこれは遺言になろう、と思っての事にござる。
また、『我らのことはご心配なく』との書状が秀吉公他に知られれば、「覚悟の上で働くも
力及ばず、あっぱれ黒田武士」と、評判になりましょう。
しかし『早々に援軍を』などという書状が知られ、「少数だからと後詰を待ち、臆したる卑怯者」
と言われては、御家の為に死んだ者の恥辱となりましょう。それを考えての事にござる。」
「・・・お前のその豪気あるからこそ、わしはお前が死ねば、生き甲斐がなくなるのだ・・・」
あとの長政は余計な言葉もなく、ただ感涙し続けた。
222 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 14:17:16 ID:6pT9PU3s
又兵衛:(それくらい察することも出来んのか、先代に比べて(ry)
223 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 14:35:51 ID:w4p9lGQx
224 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 15:08:55 ID:Fbo8JTWZ
この主従ときたらwwww
225 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 15:55:26 ID:Dwm0qAQf
>>222 しかもそれが無意識に表情に出るし、長政も又兵衛の表情だけは直感的に読むんだよなw
基次さんはそう思ってなかったとしても相性が最悪すぎだって
226 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 17:04:15 ID:CbwWuezW
そんな長政が好きですw
227 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 19:57:17 ID:eBAheu7b
>>214 >他の珍品、名品を受け取らなかった家康も、納豆は喜んで受け取り、その後の天海と家康との対面は納豆談義と呼ばれている。
糸を引くから納豆談義かw
>>217 >正純「父上、殉死はなされませぬのか。大御所様からの寵愛を考えればそれが筋目というもので御座いましょう」
それを聞いた面倒くさい安藤さんは笑ってこう答えた。
「正信の家も長くはあるまい、父親を以下略」
228 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 21:41:20 ID:cqMzwels
三方が原の戦いで、信玄に徹底的に叩かれた家康は、
焼味噌が尻についたりしつつ、命からがら浜松城に戻った。
が、ここでも問題が持ち上がった。浜松城には兵糧がほとんどなかったのである。
これでは信玄に一矢報うことも、逃げることもままならない。
家康は腹を決めた。
「私も武士だ。武士は武士らしく、敵中に飛び込んで華々しく散ろう」
家康の言葉に、城内の士気も上がった。
しかし、ここで本多重次が進み出た。
「殿!兵糧は重次が用意してございます!」
重次が兵糧を用意していたのだった。
驚く家康が理由を聞くと、
「殿、重次は三河三奉行の一人でございます。
いざというとき兵糧も用意できなければ、奉行の名を辱めます」
重次の兵糧のおかげで、家康は空城の計を用い、
武田軍を夜襲することに成功するのである。
面倒くさいとばかり言われている本多重次、面目躍如のお話。
229 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 22:32:44 ID:Nif8V9gv
ある時、前田光高が人事について隠居した父利常に相談した。
「この部署に空きができたのです。
それでこの名簿の誰かを後任にしようと思うので、ご推薦をお願いします」
「ふむ、見せてみなさい」
利常は名簿を見ると、光高に名簿を返したのだが…
「…父上、名簿が白紙なのですが」
「ああ」
「私はご推薦を頂きたいと申し上げたじゃありませんか!」
「光高よ、わしは隠居ぞ。今の人事に口出しはできぬ。
…じゃがよく名簿を見ろ。印がないかな?」
「え!?……あっ!」
そこには確かに利常がつけた爪の跡があったという。
隠居した者が現場に口を出してはいけない。
光高はまた一つ父から学んだ。
230 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 23:40:59 ID:LfkOl//+
みんな大好き松永久秀さんの話。
久秀さん、あるとき自分は125歳まで生きると宣言した。
まあ女好きで精力満タンなところといい、我慢や後悔とは無縁そうな性格といい、
そのくらい生きそうな気もするが、本人は大真面目だった。
それは、久秀が鈴虫を飼っていたときのこと、ふつう鈴虫の寿命は1年だが、
久秀が丹念に養ったため3年も生きた。
この研究(?)結果から、人間も養生すれば長生きができ、俺も養生して125歳まで
生きるのだ、といったという。
この話を聞かされた者がどのような感想を抱いたかは残されていない。だが、きっと
こう思っただろう。「長生きしたいなら、まず謀反すんなよ」と。
231 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 23:50:22 ID:AYmeswlE
>面倒くさいとばかり言われている本多重次
どう面倒なの?
232 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:14:08 ID:r1Gjiene
233 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:24:25 ID:Lkvv4O8d
三好家、もしくはその頃の畿内では鈴虫ブームでもあったんだろうか
234 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:26:49 ID:j0Zvvtv1
鈴虫に丹精込めてエサをやる弾正の姿が想像できない
235 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:27:17 ID:SaMCCMW1
>>231 まとめサイトを見てくれればわかるが、
このスレでは三河武士はみんな「(いろんな意味で)めんどくさい」って
言われてて、本多重次はその筆頭みたいな感じなんだ。
236 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:34:17 ID:sMEGIDgC
>>228 面目躍如…このスレの定番となってる「面倒くさい」という一面ではなく、
忠臣たる重次の面目躍如ってことか
237 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:37:29 ID:iSl9/2zy
作左さんも含めて、家康初期の岡崎三奉行は、みんなひとかどの人物だよね。
家康と言う人は本当に、人材に恵まれている。
238 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 00:40:39 ID:0AjrM+23
役に立ったから良いが、主君に知らせずに税収貯めとくってそれ横りょ
…おや、こんな時間に誰か来たようだ
239 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 01:08:34 ID:O7QODbae
鈴虫とか、虫の飼育は平安貴族でもブームがあったんだよな
三好政権でも何度目かのブームがきたのかもしれない
240 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 07:02:17 ID:FJwMe0ln
ほんと爆死してなかったら信之並に生きれたかもしれないからな
241 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 07:49:13 ID:28oKCnEq
880 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/08/10(月) 06:30:38 ID:MTlkqyvf
真田昌幸でプレイしてたら、
「昔の合戦談義の最中にトイレに行こうとした信幸をたしなめる」
っていうイベントが出たんですが、これの元ネタって誰のエピソードなのか知ってる人います?
242 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 07:55:59 ID:FWTMcr2U
243 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 11:06:23 ID:FhAYe+Aa
>231
忠義や、愛民の表現がひねくれているからw
“めんどくさい”は硬骨漢な武士の形容だと思えばいいよ。>詳しくはまとめサイト参照
244 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 11:12:19 ID:LJVL4vjk
めんどくさ四天王
・本多作左衛門重次
・大久保彦左衛門忠教
・酒井忠次
・安藤直次
245 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 11:15:32 ID:r3Y1sAP3
柴を高々と積み上げて秀吉の母を焼き殺そうとしたり、作左さんはめんどくさいというより、準備が大好きなんじゃなかろうか。
246 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 11:24:34 ID:FhAYe+Aa
>>245 命懸けの切所でも「それがどうした!」と言い返す、
喧嘩の準備に骨惜しみしない三河三奉行ですか。
247 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 11:45:49 ID:FhAYe+Aa
>>238おい、やめろ迂闊なこと言っちゃいかん。
「(負け戦と)籠城に備えて、拙者一人の存念で糧米を横領いたしたー!」て本気で言い出しかねない&その場で切腹しかねない人だから……
おや、庭に随分と薪が用意してあるな。炊き出しの用意まで万端とはさすが作左殿じゃのう
248 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 12:21:09 ID:SA6S1dE0
そして、同じ三河人とは思えない、格好いい解決屋の板倉さんと土井利勝。
249 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 13:17:38 ID:bKb6n/YD
真田昌幸プレイ…マニアックだな(;´Д`)ハァハァ
250 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 13:25:14 ID:bKb6n/YD
>>235 三河武士はみんな…というより、三河武士の武功派がめんどくさがりなんだよね
文官派はさすがに緻密な人が多い
石川伯耆守とか本多佐渡守とかね
石川はめんどくさくなったから出て行ってしまったわけでは決してない…と思う
251 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 13:29:21 ID:KWsjJdx/
考えが複雑すぎてめんどくさい正信と、
いちいち説明するのがめんどくさい正純はちょっと異端だな。
252 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 14:00:17 ID:mXmZ+HBa
253 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 15:38:17 ID:+90DodwX
又一「喩え世が変わろうと、徳川家以外に仕える気はござらぬ」
254 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 16:59:04 ID:8kzMWT5O
めんどくさいが「またか」で済ませられるのは徳川くらいのモンだし
255 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 17:49:45 ID:iSl9/2zy
これに出てくる坂川忠兵衛さんが、母衣衆になったわけ。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2376.html 加藤清正が領地に在国していたある時のこと、家臣の中から、母衣の衆二十人を選ぶ事となった。
この母衣衆を選ぶのに清正は、家臣一同に、母衣衆となるべき者の名を書かせ、
封書にし広間の真ん中に置いた箱に投票させた。
ちょっとした選挙をやらせたわけですな。
これに坂川忠兵衛、自分の名を書いて投票していた。
箱を開いて一人で投票結果を調べていた清正はこれを怪しみ(記名投票だったようだ)、
坂川を書院に招いてどうして自分に投票したのかを尋ねた。
坂川、これに答えて
「わたしは、他の人の事は良くわかりません。戦場における働きに付いては、
自分と、私の父の事に関してだけは良く知っています。
しかし父といえども身体は別なのですから、心の中まで知っているというわけではありません。
ただ、私自身においては、心の中まで明白に知っております。
その自分自身の心を鑑みてみるに、わたくしは母衣衆の人数に加えられて然るべきと、
そう考えたのです。」
清正はじっとこの言葉を聞いていたが、やがて
「お主の答えは、わしの心にかなったものである。」
と言い、即座に禄を倍の六百石とし、母衣を許した、とのことである。
256 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 17:55:28 ID:GTf7TZ0B
ホロりとするエピソードですなあ
257 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 19:21:55 ID:HiiHoRUE
自薦鮮やかに出来るってのはすごいよな
258 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 19:29:50 ID:+GNJCcXz
こりゃ、確かに資格ありだな
259 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 19:42:46 ID:bbJv5CaE
>>256 【審議チュウ】
チュウ
+ ゚ ・ +
゚∧,,∧∧ ゚
チュウ (* ゚( ) チュウ
.+ ゚ ・ + l っと ヽ .+ ゚ ・ +
゚∧_ ∧∧ ゚ と__(__(^)(^) ∧∧ _∧
(*´・( ) ( )・`*)
l っと ヽ / つと l
と__(__(^)(^) (^)(^)_)_つ
260 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 20:25:23 ID:f/vxLrbt
261 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 21:41:25 ID:VJr0OxoK
1615年5月、若江の戦いの前日、井伊直孝勢が松原に移動していた時、
木俣守安が家臣の佐又伝左衛門らにノシ昆布とカチ栗を与えた。
すると佐又が言った。
佐又「酒はないのですか?」
木俣「残念。もう酒はなくなったよ」
佐又「いや、あります!半月前に馬に積んであるのを見ました。
あるはずです、酒好きには分かるんです!」
そこまで言うなら、と調べたところ本当に酒があったので木俣は驚いた。
木俣「まさか本当に残ってるなんてなあ」
佐又「だからあるって言ったでしょう?」
そして佐又はその酒を、昆布をもらった者たちと一緒に飲んだ。
酒が苦手という事もあって皆一杯しか飲まなかったのだが、佐又だけ二杯目を
飲みだしたので一緒に飲んでいた福留半右衛門が、
福留「おいおい、もうすぐ戦なんだからそこまでにしとけって」
と言って佐又を止めた。その様子を見て皆大笑いしたそうだ。
戦の直前だってのに皆呑気ですな、という話。
262 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 23:16:16 ID:d3eRevcZ
乙。
井伊勢は結構大きな打撃を受けたそうだけど、この人たちは大丈夫だったの?
263 :
人間七七四年:2009/08/10(月) 23:48:47 ID:VJr0OxoK
>>262 悪いわからないや。無事だといいんだけどねえ
264 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 00:00:57 ID:ZGp1VCtU
一向宗の事考えると、一番めんどくさいのは正信かなぁ。
頭巾とか敗者を哀れむ気質とかも含めて考えると、
緻密でかつ硬骨漢というかタイプなので・・・。
まあ、こんなの首席官僚に置いた家康も大概な男だとか思うけど。
265 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 00:12:20 ID:ApcTGsNS
>>262 木俣守安は真田丸の攻防で負傷、庵原朝昌(木村重成討った人)が代わって指揮をとっている。
福留半右衛門は後に徳川義直に200石で仕えている。
佐又伝左衛門に関しては分かんなかった。
266 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 06:16:57 ID:Ybw74snH
ふと何かないかと思ってブログ検索してみたが、
さすがに日本だけあって地震絡みの逸話もそこそこあるんだな。
267 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 06:23:22 ID:Gk7ap0wp
まさに今回の地震の範囲に大被害をもたらした明応大地震が、伊勢宗瑞の
伊豆討ち入りを成功させたって説もあるな。
268 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 12:40:12 ID:G/jczjaP
武田信玄は伊豆に鹿島という、かつて武名が知られた人物がいる事を知ると
「ぜひとも、わしの話相手になってほしい」と慇懃にお願いした。
鹿島は「それがしのような年寄りがお話できる事など何もありません」と断ったが
信玄は「老人にはシワとシワの間に経験という至宝が隠れているのだ。ぜひ、わしら
後輩のために、その至宝を役立ててほしい」と食い下がった。
自分のためにそこまで言ってくれる信玄に鹿島は「さすが信玄殿は名将であるな」と
感動して、その願いを聞き届けた。
それ以来、鹿島は信玄の話相手になった。信玄は鹿島の話をあまさず記録して
多くを学んだという。
269 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 13:56:05 ID:DFOrF5T0
本田正信「殿ー!それがし世の中すべてを見聞し、そしてすべて忘れて帰ってきましたぞー!!」
270 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 14:17:38 ID:nGbSjY4Y
忘れたと言うのはまず間違いなく嘘ですなw
271 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 16:34:45 ID:PrbhV8RA
ときたま三国板から迷い込む者が居るようで
272 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 18:29:03 ID:j72ZuTtI
どうやら自分の名前も忘れて帰ってきたようです。
273 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:05:34 ID:lU/BkKSE
立花宗茂と弓(上)
九州の陣に参加した浅野長政は、戦の終結後に柳川で立花宗茂の歓待を受けた。
ある日二人は鷹狩りに出かけたが、その日に限ってどんなに野原を探しても、
一羽の獲物も得ることができなかった。
接待者としてはなはだ遺憾だった宗茂だが、帰路で田園のはるか向こうに鴨を見つけた。
宗茂は長政に言った。
「今日は鷹の調子が良くないようです。ここは私みずからの手で、貴殿の為にあの鴨を
獲ってみせましょう。」
鴨は十四、五間(約25〜27m)ほども向こうにいたが、宗茂はただの一矢でこれを落とした。
その妙技に長政も驚いたが、宗茂は従者を呼び、
「よーし、ノってきた!他に鳥、いない?いない?探してきてよ。」と、周囲に走らせた。
長政はこれを制止して、
「いや、宗茂殿の弓術の絶妙なること、それがし既に拝見した。
また射るのは良いが万が一外せば、せっかくの先の妙技も空しくなりますぞ?!」
と忠告したが、宗茂はニヤリと笑うだけで、答えなかった。
そのやりとりが終わったまさにその時、ススキの原からホオジロが一羽飛び出した。
次の瞬間、宗茂の眼が光ったかと思うと、その矢は弓を離れホオジロの左翼を貫き、
鳥は地に落ちた。
しばらく長政の喝采が止まなかったという。
274 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:06:38 ID:lU/BkKSE
立花宗茂と弓(二)
碧蹄館の戦いの後、主将・宇喜多秀家の主催で戦勝の宴が開かれたが、その席で
立花宗茂と黒田長政が口論になった。
宗茂いわく、
「弓と鉄砲なら、弓の方が有利だ。鉄砲は、雨天では使えまい。」
長政いわく、
「いや、鉄砲が有利だ。風に影響されやすい弓では正確な射撃は出来まい。」
「んなこたーない。」
「ほう、そう言うなら証明してもらおうか。」
「良かろう。実際に我らが的当てをして、競おうではないか。どうせなら賭けをしよう、
勝者が敗者の弓ないし鉄砲を取り上げるということでどうだ?」
「よし、勝負だ!!」
で、
>>273の腕前を持つ者が負けるはずも無く、宗茂が長政から銃を譲られた。
その後、審判もやった秀家の斡旋で二人は仲直りし、宗茂からも長政に弓が贈られた。
長政はその弓に“立左”(「立」花「左」近将監の略)、宗茂は銃に
“墨縄”(職人が墨壷で縄張りしたようにまっすぐ敵に弾が飛ぶ、くらいの意か)
と名づけ、愛蔵したそうな。
ちなみに、友情の証たるこの“墨縄”、今も立花家が所蔵されておられます。
ttp://www.muneshige.com/column/03.html
275 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:10:54 ID:Gk7ap0wp
いかにも武士の友情って感じですなー。これはいい話だ。
276 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:20:19 ID:Nc/FVkt8
ほんに爽やかな男よのう、宗茂は。
277 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:24:39 ID:a2b6hWBU
目が光るなんて宗茂かお台場ガンダムくらいしか許されないよな
278 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:26:57 ID:Nc/FVkt8
悪い話に書いた新左衛門さんの話をもう一丁。
また秀吉に「望みの褒美をやろう」と言われた新左衛門、それならばとこう言った。
「畳十枚の四隅に、1粒、2粒、4粒、8粒と、倍々で米をいただきとうございます」
それを聞いた秀吉、無欲なことよと了承した。
だが、畳十枚の四隅に1粒から倍々ということは、2^39+1。計算すると549,755,813,889粒、
米1升を64,827粒として石高に直すと84,803石になる(1石=100升)。
後でこのことを知った秀吉、新左衛門に謝って別のものに変えさせたという。
昔読んだ話なので数字は違っているかもしれない。8万石ならラスボス出せそうだし。
279 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:27:27 ID:6pekxzpN
宗茂はいい逸話多いなぁw
280 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:33:42 ID:owGjGE8N
崩れた駿府城ってのも風情があると思わないか?
281 :
人間七七四年:2009/08/11(火) 23:55:41 ID:oO3K+hqk
宗茂は本当に快男児だな
しかし鉄砲より弓に重きを置いていたとは意外だ
早合を用いて他軍に一目置かれていたのに
282 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:04:37 ID:j/muscHr
さすがは宗茂、俺的戦国三大人格者に選ばれるだけのことはある。
283 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:13:10 ID:AuCS6+w0
>>278 大航海時代WPKにもそのネタ使われてるな
そっちの場合は、"律儀"に支払い続けて"破産"するんだがw
284 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:14:21 ID:orVY1/Nt
義父は九州の軍神、実の親父は戦国男塾塾長であの死に様。
福岡の小学校は授業で取り上げるべきだよね。
285 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:26:34 ID:cut/E3vp
宗茂は本当に完璧超人だな
286 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:43:42 ID:6Fatcoyf
ァ千代が襖の影から睨んでるようです
287 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 00:54:03 ID:NUmKZI4o
288 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 01:00:42 ID:1CHpbDLI
今のところ「大根飯」の1つしかまとめに悪い逸話無いのな宗茂w
289 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 01:02:51 ID:qLQOv+MY
>>286 勇者(宗茂)は“ただつね”で対抗した。
290 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 01:12:39 ID:xpbgGGii
完璧過ぎると、俺は胡散臭いと思うんだがな、、、
291 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 01:28:57 ID:NUmKZI4o
292 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 02:38:42 ID:dLURk+tE
>>273 九州の陣直後だと柳川領主でなくない?自信ないくど。
293 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 02:40:35 ID:Y1SuuUsz
>>278 これって最後の40番目の米だけ貰うって事?
1粒目から全部の畳の隅の米が貰えるのなら
1+2+2^2+2^3+・・・・・・+2^39=1,099,511,627,775
で、1升の数字をそのまま借りると169,607石になる。
収公率35%で玄米で石高払いすると484,591石5斗の領地が必要。
精米したもので石高払いだと、搗き減りが10〜15%でるから
搗き減りが10%として、538,435石
15%とすると、570,107石7斗の領地が必要になる。
ちなみに太閤検地では越前一国が499,411石、尾張一国が571,737石。
これを丸々一年分というのは、ケチケチラスボスには痛かっただろう。
この頃の収公率は七公三民なんて話も聞くけど、それでも
河内242,105石、三河290,750石が必要になるし。
294 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 02:43:51 ID:YpupNCCK
畳の隅じゃなくて碁盤の目か将棋のマスだったような記憶が
インドでも同じ話があるとか記憶が
295 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 03:24:04 ID:Y1SuuUsz
太閤検地では全国の合計が、18,484,153石(壱岐、対馬、含まず)だから、
隅があと7つあれば収公率100%でもあぼ〜ん。
部屋が12畳だったら、それこそ本気で唐入りして領土を拡大せねば。
これが将棋板だったら・・・日本の赤字国債レベル?
296 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 03:51:48 ID:30tzHFTE
そして律儀に約束を守ろうとした秀吉は、日明戦争へ駆り立てられていくのであった。
297 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 04:43:46 ID:vNydcnFO
>295
国債残高は例が適切じゃないな。政府の残債と同程度に民草が債権持ってるんで
米食べたら終わりってわけじゃないでそ
298 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 07:40:45 ID:yimYm4CK
299 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 09:08:18 ID:BEl//Tko
>>280 あの「勝手に石垣がゴロゴロ崩れてきた」と申さんばかりの無造作趣がたまらん。
300 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 10:47:42 ID:BU6wJ/+b
>>299 数寄者自重しろw
千利休が職人に茶入の蓋を作らせたが、出来たものはヒビの入ったような疵ものに
仕上がってしまった。職人は急いで作り直そうとしたが、利休はそれを止めた。
「いや、これはこれで面白い。このままで良い。」
ある日利休は古田織部を招いて茶会を開いたが、その時に例の疵ものの蓋の茶入を
使い、疵の上に茶杓を置いて隠し、点前を進めた。
茶会が終わると織部は利休に申し出て、その茶入をもらい受けた。
何日かのち、今度は織部から利休に茶会の誘いが来た。
利休が茶室に入ると、織部は例の茶入を使い、しかも疵の部分を客である利休に向け、
茶杓で隠そうともしなかった。
つまり、利休は蓋の疵の風情を面白いと思いつつも卑下して隠したが、織部はその疵をも
客に見て楽しんでもらおうと、あえて見せるように置いたのだ。
「さても良く思いつかれた。古織様ほどの茶人は、またとおられますまい。」
と、利休は弟子の茶人としての境地を認めたという。(松風雑話より)
弟子の「作意」が、師匠を超えた話。これで調子に乗ってわざと疵を作るようになった
・・・ワケではない、と思う。
301 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 12:02:04 ID:yEyGgfZ+
へうげものって面白いよね
織部ってほんとにあんな愉快な人だったのかしら?
302 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 12:18:53 ID:wfy2LaaP
303 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 13:20:46 ID:1G+umHwJ
>>300 織部って、わざと壊し割れ目を金で継いだ茶器を楽しんだらしいね。
司馬遼の小説でそのくだりを読んだときは気分が悪くなったよ。
304 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 13:21:50 ID:/iPMQklQ
>>303 それは史実ではなく司馬のキャラクター造詣なので…。
305 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 13:24:31 ID:9a4Gjgkr
金で継ぐかはともかくわざと壊すのはやりそう
306 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 13:36:14 ID:1G+umHwJ
307 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 17:00:05 ID:Chnd6aLY
>>299>>300 あの崩れた石垣は市松が担当した場所で、高虎が担当した場所は崩れてないらしいw
って地震板で話題になってたw
308 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 17:10:04 ID:3NIG4cNv
>>306 小学校の時夏休みのドリルにその話が載ってた
将棋盤の目じゃなくて30日だったけど
というわけで毎日続けるとすごいことになるから宿題は毎日しましょうみたいな話だった
そして俺たちクラス男子有志は宿題を全くせずに新学期に登校し、
40日も継続したら大変なことになってしまうと知り、先生が採点に困らないよう自ら宿題を辞退しましたと
言い張り、新卒の女の先生を泣かせました
戦国の世も遥かに過ぎ去った時代のちょっと悪い話
309 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 17:11:28 ID:sqh8vBQW
>>308はなかなかの策士よ
しかも小学生の時から女泣かせとは
310 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 17:25:38 ID:xCDGBFOy
>>305 修復に金を使うってのは通常の技法ですよ
311 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 17:46:03 ID:8XbU+aEs
陶器や漆器なんかだとよくあるわな
312 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 19:37:14 ID:0lglvyK6
313 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 19:57:19 ID:vzevkoSO
漫画の話はスレ違いだけどいい悪いスレとへうげものは相性がいいからなあ
314 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 20:14:35 ID:5gEVTYNP
関係するかもしれない話
堺の人が、雲山という自慢の茶入れを所有していた
彼が千利休などを集めて茶会をした時のこと
当然ながら、彼は自信満々で雲山を用いた
しかし、千利休は一向にこの茶入れを気に入らぬ様子だった
茶会が終わった後、持ち主は腹を立てて
「今の世の中、利休の好かぬ道具など用はない!」
と言い、茶入れを五徳に叩きつけて割ってしまった
しかし、捨てる神あれば拾う神あり
持ち主の友人が実に惜しいと思い、かけらを拾い集め、接ぎ直して使うこととした
さて、その友人が亭主となった茶会
出席した利休は、接がれた茶入れを見、
「これこそ、この茶入れのすばらしさなのです」
と打って変わって絶賛
友人は元の持ち主にこのことを伝え、秘蔵するとよいでしょうと返した
その後、雲山は人手に渡り、やがて京極高広が金にあかせて買い取った
が、利休が称賛したという継ぎ目、ところどころきちんと接着していない
素人が接いだのが見え見えである
「きちんと修理したほうがいいのでは…?」
高広が相談したのは、小堀遠州だった
遠州は首を横に振って答えた
「いや、これは一度割れ、このように拙い補修がされたからこそ利休も褒めたものでしょう
こういうものは、そのままにしておきなされ」
315 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 20:38:32 ID:j/muscHr
つまり、完成度が低い方が萌えるということだな
316 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 20:43:03 ID:3NIG4cNv
狙って作ったものは評価が低くて
どんな名工でも意図的には作れない神仏の与えたもうた偶然の産物を愛したんだな
317 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 20:50:53 ID:sqh8vBQW
欠けたのを修繕した茶器ってのは現代でも残ってるけど木っ端みじんなのを直した名器なんて聞いた事ないな
318 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 20:57:27 ID:Y1SuuUsz
元の持ち主に返した無名の友人のいい話
319 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 21:03:01 ID:R78DdHzC
320 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 21:39:04 ID:rP6RPgnv
♪うんざん!うんざん!
321 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 21:51:27 ID:90YnQFgf
>>317 つ 「木守」
まあ木っ端みじんになったのは関東大震災の時の話ですが
322 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 21:52:18 ID:yGqRNwLB
徳川家康の人材登用 その2
ある日、家康の家臣たちの間で、どういうタイプの家来が家康の好みかについて議論があった。
ご存知のとおり、家康のブレーンにはさまざまなタイプがおり、
ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンのような外国人、
天海や金地院崇伝のような僧侶、林羅山のような学者、
茶屋四郎次郎のような商人をおくとしても、
武士についてもタイプがばらばらだったからである。
そこで、ある人は、
「やはり作佐のような朴訥のタイプが好みではないか」というが、
別の人は、
「いやいや、成瀬隼人をみると、冗談が好きなのではないか」といい、
またある人が、
「安藤正次のような無口なタイプこそお気に入りのはずだ」というと、
「酒飲みで大言を吐く中井大和のようなタイプが好みだろう」という人もいた。
実は、家康が、なにより大事に思っていたのは誠実さであり、
「誠実であれば、失敗があっても許してやれ」というのが身上だったのだが、
上の話を見る限り理解していなかった家臣も多かったようである。
323 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 21:55:51 ID:Cog8+jCO
人妻だろ
324 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 21:56:46 ID:3NIG4cNv
めんどくさいやつの相手するのが好きだったんじゃないか
325 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 22:57:12 ID:y/KyDGlX
「今日はあの男をうまいこと使ってやったぜ。満足」と
床についたときに一人ニンマリするんですね。
326 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 23:43:13 ID:j/muscHr
家康の人づかいのうまさは異常
およそ使者には向いていない(と普通は考える)本多信俊や村越茂助を使者に立てて
好結果を生むところなんて驚嘆に値する
家臣に恵まれてるところは武田信玄に似てるけど、ちょっと違うな
武田信玄は、平凡な家臣を登用して、教育していくタイプ
徳川家康は、登用した家臣の能力をそのままうまく活用するタイプ
327 :
人間七七四年:2009/08/12(水) 23:56:45 ID:D7LqBElQ
衰退した武田にとって蹂躙してくる織田は暴君さながらだったのだが、
微妙に自軍に組み込んだ上にいろいろ手厚くしたりする事によって
うまく元武田家臣を取り込んだことによることも大きい。
でなけりゃ石川数正が出奔したときに軍制を簡単に武田流に改めるなんて大変な作業だからなぁ・・。
328 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:26:38 ID:R0jRvLMe
板倉勝重は老齢になったので京都所司代を辞し、後任に息子重宗を推薦した。
幕府もそうしようと思っていたのだが、重宗は
重宗「私のような凡人には務まらないでしょう。何か失敗して幕府の御威光を
損なうような事はしたくないので辞退します」
老中「勝重のお墨付きだから大丈夫だろう」
重宗「父の推薦でも自信がない事はできません」
と固辞したのだった。そこで老中は重宗の友人の安藤直次に説得させる事にした。
直次「そこまで固辞したなら無駄だと思いますが、やるだけやりましょう」
と言って直次は引き受け、重宗を訪ねた。重宗は所司代を断ったものの、実は悩んで
いたので直次を歓迎した。
重宗「何か私に用事があるのか?」
直次「いや、近いうちに紀州に帰るから挨拶に来ただけ」
重宗「おおそうか(またまた〜本当は所司代の件だろう)」
しかし直次は世間話ばかりで京都所司代のきの字も言わない。
重宗(早く所司代の話しろよ…イライラ)
直次「じゃあもう帰るね」
重宗「(゚Д゚エッ!? ちょ、ちょっと待て!最近の私について何か聞いてるだろう!」
直次「ああ聞いてるよ。お前に所司代は無理だ」
重宗「(ホッ…)やっぱり君もそう思うか。私には才能がないからな」
直次「いや、お前は腰抜けだからだ」
重宗「うんうん私は腰抜け……って、なんでそうなるんだ!」
直次「お前のお父上たっての推薦、しかも他に適任者がいないなら引き受けるしか
ないだろ。失敗したら腹を切ればいいだけなのにいつまでもウダウダしやがって。
お前がそこまで腰抜けとは知らなかったぜ」
こう言われて省みたのかムキになったのか重宗はすぐに京都所司代を引き受けた。
この話を聞いた人々は「説かせての老中 説きての直次 説かれての重宗」と言い合った。
329 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:30:41 ID:HPE6IBwZ
毛利家の影の薄い長男もこれぐらい言われれば家督継いでくれたんだろうか・・・?
330 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:43:03 ID:aTyiT2EE
>>329 >毛利家の影の薄い長男
そんな人いたっけなぁ?(遠い眼差し)
331 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:43:48 ID:82CN1WoY
332 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:49:10 ID:VBxCKIEF
>>329 重宗は就任を迷う程度だが隆元の場合「父が隠居したら自分も隠居する」
とか訳わからんこと言ったりするくらい意志が固いので_
333 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:51:51 ID:u6S8anAK
隆元って家督継いでなかった…のか?
334 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:53:13 ID:pvvE/+wW
普通に継いでいたけど江戸時代の頃は隆元とばしてTERUが継いだと言う説が一般的だった
335 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:53:28 ID:aTyiT2EE
>>331 まあまあ、おじいちゃん落ち着いて。
隆元も明治41年4月2日に元春、隆景と共に正三位を贈られてますよ。
元就おじいちゃんも同じ日に正一位を贈られてますからね〜、いいこにしてて下さいね〜。
336 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 00:56:28 ID:oUt8vt/B
偉大な父の業績に対するプレッシャー……
というより、跡目継いだら仕事の量と重圧が殺人レベルになるのが目に見えて分かってたんだろなw
337 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 01:02:26 ID:ZvBTYLHl
天皇にも切腹して見せてよとかいわれて・・・・
338 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 04:41:44 ID:2fa98Zy5
>>314 接がれた茶入れが好評価された後、
元の持ち主がわざとキズものの茶入れを作ったけど誰も見向きもしなかった。
とでもすればいい感じの日本むかしばなしになるな
339 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 12:10:55 ID:R3rohkYN
まとめブログ書籍化
340 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 12:28:38 ID:Kr8L7z7X
このときの老中は誰だったんだろ?
土井利勝あたりになるのかな
341 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 12:35:58 ID:hYlXXrlp
>>339 確かに本にして、持ち歩きたいって気持ちはあるなw
342 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 12:39:53 ID:xpNgjHgt
武田信玄が上杉謙信と川中島で凌ぎを削っていた頃の話
負傷した信玄の数人の家来が命からがら山中に逃れた
ここまで来ればもう安全であろう
ほっとした大塩という侍が石に腰を掛ける
ふと視線を多くへやるとその目に白い煙が立ち上っているのが見えた
不思議に思った大塩は煙を指さして
「あれ何?」
と周囲の侍に尋ねた
皆がその指の差す方向を見つめた
「何だアレ?」「もしかしたら湯なんじゃねぇの?」
皆は口々に言い合い煙の方向へ歩み出しそばまで寄ると
その煙はお湯が勢いよく飛沫を上げ一面池のようになった温泉の湯気であった
「これは珍しい!」
一同はさっそく鎧兜を脱ぎ捨てると温泉へダイブ
あまりに良い湯だったのか数日間この温泉で過ごした
帰る頃には傷もすっかり癒えていたと言う
国に帰った侍達は信玄にこの温泉の事を報告
以後、信玄は周囲の村人も知らなかったこの温泉を隠し湯とし
戦で傷ついた兵達をこの温泉に連れて行って静養させたという
後にこの温泉は発見者の名前をとって大塩温泉と呼ばれ
傷や病に効く温泉として今日も存在している
大塩温泉開湯伝説
343 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 12:45:39 ID:uxMdURmI
wikipediaによるとこの時(1619年)の老中は
酒井忠利・酒井忠世・土井利勝・安藤重信・青山忠俊・井上正就。
344 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 13:55:14 ID:gdYIee0H
345 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 14:02:44 ID:Fpn2N98P
書籍化したところで単なる逸話集になると思うが
346 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 16:01:43 ID:aTyiT2EE
自分で印刷、ファイルで我慢しとくが吉。
347 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 16:07:02 ID:6uWEsi+H
348 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 16:44:53 ID:j8C6Kdvs
>>342 温泉発見するのは武田軍の得意技
山県さんなんて白湯温泉発見だ 軍事作戦で前人未到の地を開拓してった先駆者だな
349 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 16:49:14 ID:j8C6Kdvs
訂正 白湯→平湯
350 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 17:00:22 ID:E4dY60Z+
351 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 17:07:42 ID:xpNgjHgt
積極的な反対論がないなら良い気がするけどねぇ
同人の予定みたいだし引用元を書かない人が多いこのスレで
二次創作を批難出来る人間がそれほど多いとは思えない
352 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 17:53:25 ID:h4lHpV8M
積極的な理由がないのにわざわざ争いの火種を蒔く必要もないと思うけどな。
たしかにスレ住人に二次創作を非難する理由はないが、
「二次創作を非難する」のを口実にスレやまとめブログを荒らす奴が出ないとも限らない。
ちなみに数百年前の書物の著作権は切れてるが、現代の2chの書き込みには著作権が付いてくるだろう。
353 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 17:54:13 ID:0yhkhyg8
創作っていうのかそれは
354 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 18:03:37 ID:oniG0XS1
>>328 ここを見るようになって安東直次が好きになった
355 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 18:04:42 ID:xpNgjHgt
>>352 >「二次創作を非難する」のを口実にスレやまとめブログを荒らす奴が出ないとも限らない。
可能性だけならなんでもあるだろうな
俺は杞憂だとおもうぜ
>ちなみに数百年前の書物の著作権は切れてるが、現代の2chの書き込みには著作権が付いてくるだろう。
書き込む時の規約を良く読め
ってか別の所でやらないか?
356 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 18:07:52 ID:0yhkhyg8
まあこの議論はまとめサイトのコメント欄ででも
357 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 18:21:33 ID:umK0zQr8
ここまで、「戦国ちょっといい話スレのちょっと悪い話(合い)」でした。
358 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 19:06:31 ID:opUQlsoa
誰がきれいにまとめろといったw
359 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 19:40:58 ID:C17qsOCW
そのへんの戦国系書籍から内容かっぱいでる疑惑がどこまで言っても抜け落ちないのに、書籍化とかちょっとマヅいだろw
360 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 19:44:04 ID:aVCsZCZh
まとめブログの人、頑張ってくれてるなあとは思っていたが、
結局はそういうのが目的だったんすか。ちょっと失望した
ああ、こちらで議論させてしまって、本当に申し訳ありません。
今のところはまだ、あくまで提案の段階です。
こちらでスレを消費させてしまうのは申し訳ないので、ご意見がありましたらどうぞ
まとめブログのコメント欄のほうでお願いします。
362 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 19:49:30 ID:zRQ1RMiq
大義も掲げず綺麗に纏まった話題を蒸し返す癖に声だけはデカいヤボな輩の意見に価値は無いわな
ってか非難するんなら管理人の米位みろよ
現状認識位しっかりしておけ
363 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 19:49:44 ID:7LqIsRDg
今のままで十分だと思いますよ
売り物にするのはどうかと
364 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 19:59:39 ID:VBxCKIEF
>>362 勝手に話をまとめられたって納得してない人間だっておるがな
だいたい「提案」に対して言い方は強いけど否定的意見で返してるだけでしょ
というわけで提案の段階でもう荒れかけてるんだからやめといた方が吉かと
365 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 20:06:14 ID:xpNgjHgt
366 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 20:06:41 ID:sXmb/Oid
しょせんまとめサイトはまとめサイトなわけで基本的にこのスレには関係ないんだよね
そういう話題が出てるってアナウンスが済んだんだからこのスレ荒らさずに
あとはまとめサイトの方でやってよ
367 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 20:15:05 ID:opUQlsoa
んだんだ。
信幸さんとこの奥さんが鬼嫁になってるのはなんだかなぁと、志木沢郁氏の『真田信之』を読みながら思った。
有名所(小松、ぎん千代、お梶の方etc)以外の奥方・姫様の気の強いエピソードないかね。
368 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 20:25:42 ID:xpNgjHgt
姫って滅多に表に出てこないからなぁ…
基本的に女性の記述って少ないよね
名前が無いのなんてザラだし
369 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 20:39:44 ID:uYjoheHU
水軍を追い返す神主の娘とか
370 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:00:47 ID:H++NPqwo
のぼうの城の姫は気が強いみたいだが小説から持ってくるのもなあ…
371 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:00:59 ID:BWmcppGY
鍋島勝茂の臨終の床で、夫人・高源院が枕元で語りかけた。
「お前様、良きご臨終、お目出とうございます。大名としての一生に落ち度もなく、
弓矢の働き良く、お国とお家を見事に治め、子孫も増え、無事家督をお譲りになりました。
八十年近きご生涯は、比べるもの無き終わりを迎えることができまする。
この上は、少しも思い残すことなくお逝き下され。私はここでお暇乞いを致します。」
それを横で聞いていた勝茂の娘、お長が泣き出すと、高源院は般若の顔となり
睨みつけ、
「女だからとて、武士の子が道理をわきまえず、末期の親に涙を見せおって!!」
と言って荒々しくつかみ上げ、別室に引きずり出してしまったという。
372 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:04:58 ID:Ac/f9xxd
>と言って荒々しくつかみ上げ、別室に引きずり出してしまったという。
ここのくだり、この先を想像するとなんか怖い・・・
373 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:06:51 ID:8EUgV5rv
>>371 さすが、夫とともに戦国を生き抜いた、名将の正室だねえ。
374 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:07:55 ID:xpNgjHgt
>>371 正しいかもしれないが親にはしたくないかなw
375 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:09:02 ID:d2y3pJiR
>>371 乙。
あるとしたらわずかな間、西軍についたことかしら(直茂の急報ですぐに東軍に寝返ったけど)。
376 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:10:38 ID:xpNgjHgt
いや、島原の乱の抜け駆けもあるぞ
377 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:14:19 ID:2UTcKb2p
>>372 そこは母娘で抱き合って大号泣だろ
父上を悲しませてはなりませぬとか何とか言いながら
378 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:19:05 ID:x5Sb+dUj
母娘といっても婆とおばちゃんじゃないの?いまいち絵にならんな。
379 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:21:16 ID:xpNgjHgt
婆さんがおばさんを引きずり出してるんだぞ
凄い絵だ
380 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:28:31 ID:A8/YrNG8
鍋島さんとこは親子共々長生きだね
381 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 21:43:44 ID:YpOcSZkQ
382 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 22:19:17 ID:gwuIMWMP
桃栗3年柿8年
ある日、天海が家光に柿をご馳走になったとき、あまりにおいしいので、その柿の種を持って帰ろうとした。
家光が笑って、
「もう100歳になろうとするあなたが、これから柿を植えても無駄でしょうに」というと、
天海は、
「天下を治めるお方が、そんなにせっかちではいけない。」としかった。
数年後、天海は家光に柿を献上し、その柿のおいしさに、家光がこれはどこの柿かと尋ねると、
「この前いただいた種から育ちました。」と答えたという。
383 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 22:39:38 ID:5N6f4QXy
さすがは惟任日向守
384 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 23:19:48 ID:BWmcppGY
>>381 いやー、この時代↓こういう人もいるので「一人寂しく」かどうかはニンともカンとも
寛永13年(1636)5月23日、伊達政宗の正室愛姫は夫に書状を出した。
「ご病状を人づてにうかがいました。直接お目にかかれず、妻として大変哀しく、
いたたまれぬ想いです・・・」
死の床にあった政宗はわずかな近習にのみ世話を許し、たとえ家族であろうとも、
女性とは会おうともしなかった。この愛姫の手紙に対しても、返事は
「病が良くなったら、こちらから会いに行く。今は疲れていて、それも成らぬ。
こんな見苦しいところに来て、オレの顔を見ることは許さぬ。」というものだった。
見かねた家臣が政宗に理由を聞くと、
「愛深き夫婦、だからこそだ。こんな事が他人に聞こえては、人聞きも良くなかろう。
例えこのままアイツに遭えなくとも、仕方なかろう。」と答えた。
独眼竜政宗は翌日早朝に西方を向き、正座の上、合掌して世を去った。
長年連れ添った妻にこそ、病み衰えた姿を見せて愁嘆場を演じたくない、という
「伊達男」の語源と言われる男の今生最後の見栄、でしょうか・・・
385 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 23:35:53 ID:VmtYz9eR
>>384 DQN四天王でも正宗と三歳は愛妻家だな。
三歳はヤンデレだけど。悪い方はまあ、あれだし、しょうがないはひゃっほーなので、
・・・正宗のこういう面はまともなのはやっぱり、TERU(偽)の血だろうか。
386 :
人間七七四年:2009/08/13(木) 23:41:21 ID:TO/cDcv8
>>385 義光「家族愛は最上の血だ! そうに決まっている! ワシも嫁とか妹とか娘とか大好きだから!」」
387 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 00:07:51 ID:yVQKMfQn
>>385 そういえば長可の女絡みの話はあまり出ないけど夫婦仲はどうだったんだろうか
388 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 00:27:29 ID:OqrbSvH3
>>384 なんかイザナギとイザナミのヨモツヒラサカの話思い出しちゃったな
死んで腐った妻の姿を夫が覗き
醜い姿を見られた妻が怒り狂う
389 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 01:23:48 ID:GR6cSuJl
書籍化したら俺にも印税とか入るのかな?!
390 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 01:34:02 ID:HTmIV+Id
>386
最上の名に思わず笑ってしまったが、本当にそうかも。
政宗も自分の娘が大好きだった。そんなネタ。
政宗の長女の五郎八姫が、家康の六男忠輝との結婚をひかえ、
江戸から仙台に招かれたときのこと。
姫を歓待するために、七月盂蘭盆中は、城下すべての侍屋敷と町屋敷に灯篭を掛けさせたらしい。
それを城の楼上より二人で眺めたとか。
その後、忠輝の改易事件が起こったとき、
五郎八姫は、江戸の仙台藩下屋敷にいた母親のところに身をよせることになった。
不憫に思った政宗は、仙台にいそいで屋敷を新築し、五郎八姫を呼び寄せた。
そのときの奥さんへの手紙にも、夫婦ともども娘大好きな気持ちが、滲み出ている。
「おまえも姫がそばにいなくなるとさみしいと思うが、
二年や三年に一度は、江戸にも帰すから、今はなるべく早く仙台に姫をよこしてほしい」
政宗の次女、牟宇姫へあてた手紙もたくさん残っている。
たとえば、日常のやりとりが書かれている今のメール感覚みたいな手紙。
「昨日は酒宴をとりもったので、わが身を顧みず酒を飲んで、今気持ち悪いです。
でもこれから鷹狩に行くので、夜にはハッピーになってると思います」
ちなみに牟宇姫は家臣石川宗敬の嫁になった。
もしかすると、娘を政略結婚させることは、長女で反省したのかもしれない。
391 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 02:20:24 ID:5qSQ1d2j
>>361 お前の小金稼ぎにみんな利用された訳ですね。分かります。
392 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 09:28:39 ID:P8XJMyE/
姫なんぞまるっきり産む機械だからな
393 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 11:17:41 ID:3GoJSxiV
394 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 11:25:19 ID:OqrbSvH3
逸話見てる限りそうではない話もいっぱいあるじゃないか
395 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 11:26:07 ID:JmpWXLm5
ごく少数の例外だから逸話にもなるわけで
396 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 12:16:33 ID:2Jfm7gOY
>>384流れを切ってしまうが、お盆ということで他の人のご臨終も
寛永15年(1638)1月、島津家久(忠恒)は重病に陥った。
江戸にいた嫡子光久は将軍家光に暇を請い薩摩に向かったが、昼夜兼行して大井川まで
来たところで増水に会い、立ち往生した。
父親の危篤を前にあせった光久は、家臣の長倉兵右衛門に瀬踏みを行わせ、冬の大河に
入って凍死しかけた兵右衛門を、みずから投薬して蘇生させるという騒ぎを起こしている。
家久倒れるの報は京にも届き、禁裏から医官の琢庵が派遣されたが、家久は
「私の死も遠くないでしょう。死病の身に、かしこき所にも出入りするあなたが触れれば、
禁中も穢れてしまう恐れがあります。」と言って固く治療を断り、琢庵を帰らせてしまった。
2月23日、帰国した光久はじめ子弟老臣を集めて言った。
「将軍に忠義を以って仕え、家臣を恩恵を以って使え。良く祖先の制法を守り国を治めれば、
民は島津家代々の声望を伝えてくれよう。」
さらに一門代表の島津久元と筆頭家老の伊勢貞昌を特に呼び、
「よく国家を保ち、光久に仕えてくれ。」と言い終えたのち、他界した。
397 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 12:17:14 ID:2Jfm7gOY
正保2年(1645)12月、細川三斎入道忠興が重い病に倒れた。
83歳という年齢もさることながら、優秀な跡継ぎの忠利と隠居領の相続を考えていた
愛息の立孝、わが子二人に先立たれた忠興は、
思いやれ 八十のとしの 暮なれば そこはかとなく 物ぞかなしき
と詠んでおり、もはや気力も萎え果てたか日に日に衰えていくばかりだった。
『三斎様、死の床に着く』の報を聞き、隠居所・八代にはかつて忠興とともに死線を
潜り抜けた老武者たちが、続々と詰め掛けた。
虫の息で彼らを見た忠興は、
「おまえらの忠義面を見てると、戦場が懐かしくなって来るぜ・・・」
(皆共ガ忠義、戦場ガ恋シキゾ)
と言い、それを聞いた周囲の者がみな涙を流すと、
「どいつもこいつも、オレには貴重な奴らだったぜ・・・・・・」(イヅレモ稀ナ者ドモゾ)
と言って息を引き取った。
鬼武蔵は既出かつ有名なんで割愛させてくだされ。
398 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 12:41:15 ID:y0N5xX8C
399 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 13:00:24 ID:2MEciyyI
>>396 DQNでも死ぬときは真面目で安らかだな
400 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 13:09:23 ID:hMw4cF88
401 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 17:33:07 ID:o+FR4k6S
>>400 信忠「別に遺言してないけど、普通はのっとりなんてしないよね?」
402 :
1/2:2009/08/14(金) 17:42:49 ID:/Er+7Lu1
直虎と椿姫
遠江井伊家当主、井伊直盛の「娘」は、その名を次郎法師と言った。
直盛には男子が無く、彼はこの次郎法師と、従兄弟の井伊直親を許婚とした。
彼を婿養子として迎えるつもりであったのだ。
ところが、井伊家の家臣小野道高の讒言により、井伊直親の父直満は謀反の疑いをかけられ
今川義元により自害を命ぜられ、直親はこれにより信州へと逃亡した。
しかし2年後、井伊直親は小野道高の死により今川家に復帰した。
だが、ここで大変な事態が発覚する。この井伊直親、信州にいる間に、奥山親朝の娘を
正妻として迎えていたのだ。
次郎法師の身の上は、完全に宙に浮いた。
しかしこの人の身の上はさらに転変する。永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いにおいて、
父直盛が戦死した。結果、井伊直親が井伊家の家督を継いだのだが、ところが永禄5年(1562)、
今度は小野道好(道高の子)の讒言により、直親が今川氏真に殺されてしまったのだ。
これにより井伊家は、この次郎法師と、彼女の曽祖父である、井伊直平が支えることになった。
さて、もうひとつ。
同じく遠江に、「椿姫」と呼ばれる女性がいた。遠江曳馬城主、飯尾連竜の妻、田鶴の方の事である。
彼女は非常に知恵に優れた女性だったそうだ。
永禄6年(1563)、今川氏の命で犬山上攻めに向かっていた井伊直平が、この
曳馬城に立ち寄った。
椿姫は夫に示唆する。「桶狭間以来遠江では、今川の権威が崩れ始めています。
ここで直平がいなくなれば、遠江での飯尾家のライバルである井伊家に残るのは、女である
次郎法師だけ。その勢力は大きく削られ、飯尾家こそが遠江の盟主ともなるでしょう。」
彼女は直平に毒茶を出し、これを殺した。
この事件にさすがの今川氏真も怒り、飯尾連龍を和睦の名目で駿府に呼びだし、そのまま殺害した。
そして曳馬城も攻め滅ぼそうとしたが、氏真が当時寵愛していた女性が飯尾連龍の姪であり、
この取り成しにより、飯尾家自体は所領を安堵された。しかもその安堵状は、この「椿姫」宛てに
出されたのだ。彼女は正真正銘の女城主となった。
403 :
2/2:2009/08/14(金) 17:43:59 ID:/Er+7Lu1
ところで次郎法師である。彼女は曽祖父の忙殺への、徹底的な復讐を唱えたが、
氏真の処置は井伊家の側にも、飯尾家の側にも遺恨を残すものであった。
永禄8年(1565年)次郎法師は「直虎」と名を改め、井伊家の家督を継いだ。
彼女もまた、女城主となったのだ。
井伊家当主となった彼女は徳川家康と結び、家臣小野道好の専横を排除し、再び井伊家の主権を
取り戻した。その上で徳川家の力を借り、永禄11年(1568年)曽祖父の敵、椿姫のこもる曳馬城を
攻め立てた。
城を囲んだ徳川軍は、曳馬城に降伏勧告を出した。「徳川家に降伏なされ、城を引き渡せば、
飯尾家の幼子も寡婦(椿姫)も、丁重に養育いたすし、その家臣団も皆、召抱え扶持いたしましょう。」
椿姫は、これを拒否し、自ら指揮をして酒井左衛門尉、石川伯耆守と交戦、一旦は寄せ手を
敗走させるほどの武威を見せ付けた。
その時の様子はは『緋威の鎧に同じ毛の兜、同じ装いの侍女7,8人と長刀を取って
適中に切り込んだ』と有る。
しかし結局は衆寡敵せず、椿姫と曳馬城の者たちは、ことごとく討ち死にした。
さて、こうして遠江の主導権を握った井伊直虎であったが、南下してきた武田信玄の部将、山県昌景
に敗北し、本拠地である井伊谷城を放棄し、浜松城の家康の元へと逃れた。
そんな彼女は、かつての許婚、井伊直親と奥山親朝の娘の間に生まれた子、虎松を
養子として育てていた。天正3年(1575)、彼女はこの虎松を、家康の元に出仕させる。
そう、後の井伊直政である。
遠江で火花を散らした、二人の女城主の戦いの、お話。
404 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 18:04:26 ID:9gGWtajw
ドラマチックな話だ
悪い話スレでもいけそうではあるが
405 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 18:14:27 ID:CAqJlJRU
井伊直政が世に出るまでにはこんな劇的な出来事があったのか
406 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 18:32:09 ID:iIVLPUSd
すげー女の戦いだな
407 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 18:46:32 ID:boQTbHbV
ここでは永遠のDQNとして名高い伊達政宗だが
夫婦円満の秘訣として「朝晩の飯はまずくともうまいと言って食え」というのをどこかで読んだ覚えがあって
いくら探してもどの話からだったのか見つからないんだが
それの出典が分かる猛者はいますか?
408 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 18:57:18 ID:BkkMpe74
正室が台所仕事なんてするかな
409 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 19:04:36 ID:JmpWXLm5
台所の女房たちの指揮を執るんじゃなかろうか
410 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 19:10:02 ID:nc6ykena
>>407 「仁に過ぐれば弱くなる。
義に過ぐれば固くなる。
禮に過ぐれば諂となる。
智に過ぐれば嘘をつく。
信に過ぐれば損をする。
氣長く心穏かにして、萬に儉約を用て金銭を備ふべし。
儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。
此の世に客に來たと思へば何の苦もなし。
朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。
元來客の身なれば好嫌は申されまじ。
今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、しゃばの御暇申すがよし。」
伊達政宗家訓
まとめサイトにはまだなかったかな?
411 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 19:12:42 ID:T1RQY5jZ
>>407 政宗の遺訓>出典
ただ人生訓みたいなもので夫婦円満とはあまり関係なさそう。
412 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 19:21:09 ID:boQTbHbV
>>408-409 いや、「自分の夫婦円満の秘訣」じゃなくて教訓っぽい感じだったのね
>>410 それかな?
オレが読んだのは口語訳っていうか意訳みたいな文章だったのかも知れないね
サンクス
413 :
408:2009/08/14(金) 19:23:09 ID:BkkMpe74
おお、本当にあったのか
うたぐってすまなかった
414 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 19:24:28 ID:+hwaf7Oi
こういうのってどの口で言うんだろな
415 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 20:00:51 ID:2MEciyyI
>>408 長浜時代のねねならやっているかもしれないが
416 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 20:12:54 ID:HwL63eip
従一位のおかんとかも大阪城内でやってそう
417 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 20:14:31 ID:N8er++Iv
旦那達がどんなに出世しても
嫁さんたちは味噌や醤油の貸し借りをするような間柄だったら
それはそれで微笑ましいな。
418 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 20:18:05 ID:JDZn+L4g
隣りの大名家まで醤油を借りに行く大名の奥方?
419 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 20:25:28 ID:Nrfwx62l
420 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 20:31:20 ID:3MM7ch7h
三河は義に過ぎた人が多そうだな
421 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 21:57:43 ID:XvbHB3zo
次郎法師さんは、小野の専横に「Oh!No!」って怒り狂ったんだろうな。
422 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 22:15:58 ID:dvgst/dB
423 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 22:19:53 ID:AZ1kOVOm
三成「太閤様、421がこのように申しております」
424 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 22:31:10 ID:cyARl3T4
土井利勝の気配り
寛永6年5月、利勝は三歳から書院飾りの道具を贈られた。
大名からの贈り物は返品されることが多かったが、
利勝は、三歳の息子の忠利に、ありがたく頂戴いたしますと返事をし、
三歳も大喜びであった。
さて、この年の8月末日から9月にかけて、家光と秀忠が利勝邸に御成りになることになっていた。
前日、見舞いのため、忠利ら諸大名が利勝邸を訪れると、忠利一人御成りの間に招かれた。
「なんだろう?」と不審に思いながら御成りの間に入ると、そこには絵が描かれておらず、
床の上段には三歳の贈った道具がずらりと並んでいた。
息を詰める忠利に、利勝は、
「忠興様の志ですし、見事な道具でしたのでこのように飾らせていただきました。
小堀遠州は部屋の絵について色々案を出していましたが、せっかくの道具を鑑賞する邪魔になるので、
絵は描かせませんでした。ごらんください。」といい、
傍らにいた小堀遠州に、
「これで絵を描かせないことに合点が行ったか。」
といったので、忠利は感動し、三歳の喜びの手紙を出した。
三歳は、
「それほど気に入り候つるか!満足このことに候。」ともう一度大喜び。
贈り物贈った人をこれほど喜ばせる、利勝の見事な工夫のお話。
425 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 22:40:49 ID:XvbHB3zo
>>424さんの出典は「江戸城の宮廷政治」からですね。
426 :
人間七七四年:2009/08/14(金) 23:12:29 ID:dvgst/dB
427 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 06:35:33 ID:CmQx3RzT
乙。
この三歳は三斎入道(細川忠興)だよね?
428 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 08:07:22 ID:I1unJ4AV
めんどくささ極まる三河気風の中から、時々こうも手際のいい人が生まれるのが面白いな
429 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 08:49:12 ID:t24OTNLC
むしろ鍛えられたと見るべきでは
430 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 08:54:54 ID:Fy+egMgJ
めんどくささ極まる連中を相手してるからこそ(ry
431 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 10:55:16 ID:9Zy3Tq4P
432 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 13:18:41 ID:F6+qxjLf
流石はめんどくさい対策本部長w
433 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 13:25:55 ID:MoStrd+c
この気遣いに加えて、徳川家康そっくりの顔立ち。
相手はさぞ恐れ入っただろうね。
434 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 14:20:00 ID:h3FJKT5o
引き続き言葉の魔術師の妙技をお楽しみください
寛永9年(1632)、肥後加藤家の改易がほぼ決まり、諸侯の間で後釜が取り沙汰される中、
ある噂を聞いた将軍家光は激怒し、土井利勝以下の老中全員を招集した。
「余の近習が申すに、世間では『肥後国は細川が拝領』という話が主流になっておるとか。
このことは、その方ども老中と余のみで決議した機密のはず。
・・・誰じゃ!うぬらの内、誰が漏らしたのじゃ!」
「いや、これは天下泰平の兆し。重畳、重畳!」
「何と利勝、何を申すか?!」
「我らの誰が機密を漏らしましょう?それは天に誓って、決まり切ったること。
さて、良きご政道とは上下相和するものにて、これに当たらざれば下の者は必ず背き、
これに順ずる仕置であれば、ご威光が直接届かぬ者まで悦び、心が通ずるもの。
しかるに今度の件は、上様の思し召しと天下諸人の考えが一致し、もはや事の厳なること、
まさに上下相和すると言うべし。
さてこそ上様の御世も長久、天下泰平の兆しと存じ奉る。」
家光もそういうものかと納得し、無事に肥後には細川家が転封された。
435 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 14:22:26 ID:Yk3jZDMM
よくもまぁとっさにこういう事が言えるもんだなw
436 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 14:27:39 ID:CmQx3RzT
『葵・徳川三代』の林隆三演じる利勝は確かにそんな感じが。
437 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 15:11:28 ID:WwgcgjGb
こういったお方はどんなことがあれば言葉に詰まるんだろう?困らせてみたいものだ
438 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 15:12:58 ID:whbaYvUQ
めんどくさい奴にめんどくさくない事を言われた時じゃね?
439 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 15:31:05 ID:MoStrd+c
それにしても、親藩、譜代、外様問わず片っ端から改易しまくって、
政敵である本多上野介まで葬り去ってるのに、ここまで悪評の少ない人も珍しいな。
440 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 15:34:58 ID:HMHyk4oO
441 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 15:45:03 ID:hjUxRvFl
>>439 日本史上有数の、政治の天才と言われる所以だな。
土井利勝の政治は幕府が命令しなくても、気がついたら大名のほうから、幕府の意に沿うように
自主的にやっていて、まるで魔法のようだといわれたそうな。
442 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 15:59:57 ID:whbaYvUQ
幕府の意(改易してえー)に沿うように自主的にやっちゃうのか……正しく魔法だ。
443 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 17:58:54 ID:foycD49l
天下のご意見番として存分に暴言を吐いてきた彦左衛門も、ついに80歳にして死の床につくことになった。
そこに家光からの上使が訪れる。
「なんじに5000石の加増を賜い、1万石に取り立てて進ぜよう。」
彦左衛門もとは2000石じゃなかったっけと突っ込みを入れたいところではあるが、いずれにせよありがたい話である。
しかし、彦左衛門これを拝辞。
「公方様のありがたいお志ではありますが、もはや余命いくばくもなく、1万石にふさわしい働きをすることができませぬ。」
いままであれだけ主従ともどもいやみ・つっこみを受けながら、加増までしようとする家光の心が広い話。
あるいは、加増の話がありながら、自分にふさわしくないと辞退する彦左衛門の謙虚・無欲な話。
そして、「なんで親父この話受けてくれなかったんだ。」という子供たちにとって悪い話。
444 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 18:14:46 ID:Q0m0euqZ
彦左って実は単に天邪鬼な性格だったんじゃ…
445 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 18:17:58 ID:2nr+Tk5W
446 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 18:33:55 ID:Yk3jZDMM
殊勝な事言う彦左に違和感
447 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 18:36:06 ID:brZafbo2
でも一万石そこそこの小大名って実際は支出ばかり増えて一番損なんだよね
半端な加増されるより楽で実利のある旗本にとどまろうっていう計算もあったのかも
な〜んてことは彦左に限っては絶対あり得ないわな
448 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 18:46:25 ID:MoStrd+c
三河日記を見ると、彦左衛門がそんなに無欲とも思えない
実は彼は、最初の主君である徳川家康に自分の働きを褒めてもらい、
その上で加増してもらいたかっただけなんじゃないかな?
だから忠世の養子の話も断り、家光の加増の話も断った
と勝手に推論
449 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 18:51:43 ID:URo66+ua
なんだ、家康大好きっ子が意地を張っていたのか
450 :
人間七七四年:2009/08/15(土) 19:32:51 ID:/CLGGFDl
>>437 紀州家の家老が「言うこと聞いてくれないと上様の首取りに言っちゃうぞ?」みたいなことを言い出したときは
何も出来てなかったような気がする。
徹夜仕事中だった星かもしれないけど。
451 :
448:2009/08/15(土) 21:22:20 ID:MoStrd+c
三河日記ってなんだ?三河物語だろ>俺
しかも、忠世の養子じゃなくて、忠佐だった
間違いだらけですまん
452 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 00:07:17 ID:F4Ba9sfI
>>451 俺は人間的にめんどくさくないので全く気にしないぞ
453 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 00:55:11 ID:V3WT6qjn
>>447 同じ参勤交代でも交代寄合の方が実は経費かからないからね
宗全公の玄孫は数人でサクッと江戸入りしてたらしいし
手取りは小大名より少ないけど
454 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 01:08:35 ID:iBsP60eX
九州の某小大名が参勤交代の費用に耐えかねて
関係の深い鍋島家の家老になったと言う話はほんとうかなあ?
455 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 01:48:19 ID:ntUWoP5b
>宗全公の玄孫
みんなのアイドル山名豊国のこと?
456 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 02:25:47 ID:NEd67XuZ
土井さんは三河武士ではあるけれど
一説には家康の隠し子とか、あるいは水野家本家の忘れ形見とか…
どちらにしても水野家の血を引いてても、
短気じゃない、稀な人物が生まれたという事か
457 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 03:05:30 ID:9YcswEIs
小田原征伐の際、秀吉の祐筆であった和久宗是は政宗に出陣するよう促し、
政宗も応じて参陣することとなった。
惣無事令を無視したこと、一月あまりの遅参などで政宗への心証はよくなかったものの、
和久宗是の取り成しもありなんとか伊達家も政宗自身の命も助かった。
以後、宗是と政宗は親交を深め、宗是は豊臣政権下での政宗のロビィストとなっていった。
しかし、その10年後の関が原の合戦で石田三成が敗れ、宗是は浪人となってしまう。
6年間の浪人生活を経て、宗是に救いの手を差し伸べたのは政宗であった。
政宗は宗是を客将として迎え入れ、破格の2000石の禄高を与えた。
かつての恩に報いたのである。
(いまだ健在である豊臣家との大事なパイプという打算もあったのかもしれないが。)
その後、大坂冬の陣が始まると宗是は「豊臣家のために討ち死にしたい」と政宗に願い出た。
政宗は「是非もなし」と涙を流して互いの奮戦を誓い合い、宗是を見送った。
大坂城に入城した宗是は天王寺・岡山での最終決戦で、
「鎧を着ていては満足に動けず、老人だと侮られるかもしれない」
と、白い織物を被って徳川軍に突入して戦死した。
さながら斉藤実盛のようであったと称えられた死に様であった。
なお、宗是の子、和久是安は豊臣秀頼の家臣であったが、大坂城の落城後は政宗が
幕府に助命嘆願して許され、伊達家の家臣として禄高1000石で迎え入れられた。
DQNでも恩には報いるのだ。
458 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 07:28:43 ID:buvhG7gL
てかさ、真田や伊達って人気あるらしいけど
同格以上の相手に対しては、不誠実極まりないヤツじゃないか?
459 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 07:40:41 ID:F4Ba9sfI
だからこそ表裏比興とか呼ばれたんだろう
460 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 08:17:45 ID:jXSaML2T
>>458 その同格以上の相手もかなり不誠実だけどな。
2回目の寝返りの際上杉は、まあ小豪族だからしょうがないね(意訳)
といって、上田城の後詰したし。
461 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 08:24:55 ID:EehqR2Bg
>>458 真田信之は誠実だけどな
まあ、真田昌幸の場合は、武田時代は誠実だったけど、豊臣の台頭以降の徳川とのやり取りは不誠実にならざるを得ないわな。
代替地をもらえなければ路頭に迷うし、断ったら徳川は真田を根切りにするといってくるし。
462 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 09:49:54 ID:ntUWoP5b
むしろ格下相手に不誠実よりはマシじゃん
463 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 10:18:29 ID:6Wx1LUIG
>>461 沼田問題の場合もそうだけど、時々変に意固地になるんだよな家康
464 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 11:13:04 ID:mRKKWj7v
不良がたまにちょっといいことすると、とんでもなくいいことしたように見られるのと一緒かも。
465 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 12:19:06 ID:y3EU38hg
466 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 13:07:14 ID:EyTv+H6h
467 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 13:25:22 ID:vzrZHVub
>>464 こうですね?わかります
島津家久(忠恒)は大阪の陣に参加できず、兵を帰し単身京へ戦勝祝いに向かった。
雨の中、笠を被り家康の宿所・二条城の門まで来た家久の目に、一人の男が晒し者に
なっているのが止まった。捕らえられた長宗我部盛親だった。
「一国の太守だったお人が、濡れたままではないか…卑しいマネをするな!」
馬を降りた家久は自分の笠を外し、
「それ、この笠を差し上げろ。」と警護の者に渡した。
笠をもらった盛親は感謝しつつも
「わしはこんな事になった身なので、今さら濡れたところで何という事もない。
島津殿こそ登城なさるのに、濡れたままでは見苦しく、恥をかくだろう。」
と家久を気遣ったが、家久は構うことなく濡れたまま登城した。
さすがにそのままという訳にもいかず、城内で着替えを始めた家久に、城番の士が驚いて
ビショ濡れの理由を尋ねたが、何でもないかの様に経緯を語ったので、話を聞いた者は
みな感心したという。
468 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 13:31:17 ID:AjkZrGq8
>>467 なるほどなるほど物陰から見てた女の子が惚れてまうやろーというやつですね
469 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 13:44:58 ID:pxV8JtPK
これだけ聞くと非常に立派な人物だな忠恒
470 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 13:46:28 ID:5BPmuuYI
>>467 嘘だッ!!!!!
・・・と言いたい所だが島津って強い敵をリスペクトする伝統があるし
何より「真田日本一の兵」の元凶って悪久さんだしねぇ
実はけっこう大阪方に同情的だったのかも
471 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 14:54:01 ID:wDBSg8uB
関が原の前に、島津が伏見に駆けつけたのを
鳥居元忠が突っぱねたって実話なの?
>真田信之は誠実だけどな
だから東軍に付いたとか、ただの生き残り策とか。
472 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 14:56:49 ID:Gmvc1xc1
まあ島津だって西軍だった訳だし、一歩間違えたら盛親と同じ運命だったろうからな・・・
473 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:01:08 ID:/1/1IjTr
>>471 東軍に入ろうとして駆けつけたら拒否されたって話?
島津方は元から西軍。
戦になったのは、毛利輝元の命令で立ち退くように通達を受けたが鳥居元忠が拒否したため。
474 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:21:11 ID:y3EU38hg
それはどうかと思うが
「内府どのから伏見城留守役を申し付けられたよ」という義弘から義久宛の書状が残ってるし徳川も戦後それについては特に否定してない。
475 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:24:25 ID:XecVoCS6
きっと元忠的には、信用ならないから突っぱねただけで
大人しく支城にでも入ってたら良かったのにな。
そしたら薩摩藩でか過ぎちゃうかw
476 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:24:48 ID:ha06uUMj
島津義弘にとって関ケ原は鬼門だね。
薩摩内がゴタゴタしてたから兵も集まらなかったし、
鳥居元忠とのやりとりもそうだし、
西軍に勝ち目がないと見て、石田三成に夜襲を進言するも却下される。
そして伝説の東軍、西軍関係ねぇ!!
近づく奴らには発砲してやれ!!
最後は東軍本陣中央突破しての退却。
不幸な状況が続く中、名を残す島津軍の強さは本物だと驚くしかないけど、
島津義弘にしたら関ケ原は鬼門だったろう。
477 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:31:26 ID:y3EU38hg
忠恒的には「親父なにしてんの・・・」だったと思うぞ
家康には伊集院騒動で世話になってるし関ヶ原前には「国内のゴタゴタ片付いたら上洛してね」的なやり取りしてるし。
478 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:44:49 ID:pxV8JtPK
>>476 辞世も関ヶ原意識してんのかねぇ…
>>477 親父の首家康に送ればすぐ解決したようにも思えるけどなぁ
謹慎だって1年もしてなかっただろう
やっぱり義弘が当主だったのかそれとも親父の首を刎ねるのは気が引けたのか…
479 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 15:54:06 ID:69hBAtPh
伯父残ってる状況で親父切っちゃうと立場がだな
480 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 16:12:22 ID:ZIRqq6o5
>>457 真田の子供を片倉と一緒になって保護し、
毛利んとこの浪人?拾って開墾やらせ、
確か長宗我部んとこの捕まえて家臣の家つがせたり、
そしてこの逸話・・・
・・・政宗って落ちてるもの拾うの好きなんじゃなかろうか。
特に西軍関係。
481 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 16:26:31 ID:WKuo82Ti
アンチ徳川が大好物です。
482 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 16:57:32 ID:lnhojDWG
>>480 政宗「和賀忠親とかも落ちてたんで拾っただけっす^^」
483 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 17:09:13 ID:rkrd57km
三好三人衆関連でも拾ってるな
子孫が幕末に佐幕派に負けて切腹させられてた
484 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 17:36:03 ID:0YE/ZbnV
山内一豊の気遣い
羽柴秀吉が播磨三木城を攻めていたときのこと。包囲軍の将の中に山内一豊がいた。
ある時、家来が焼いた大根を持ってきて一豊に差し出した。
しかし一豊は大根を口にしようとはせず、そのまま下げさせた。
一豊は家来に「これから羽柴様のところへ行く用事がある。大根を食べて口臭を
かがせては、羽柴様に失礼であろう」と言ったという。
どことなく現代のサラリーマンを思わせる話。
485 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 17:37:48 ID:FLgyIhjN
程良い小物臭が感じられるな
486 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 17:50:53 ID:an/nW+VU
大根って臭い消しのほうだとおもってた
487 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 18:26:53 ID:OLVq46sq
山内和豊のキチガイ
に見えた俺は疲れているのかもしれない
488 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 20:44:11 ID:+ob/I6yt
当時の大根はそんなに臭かったのか
489 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 20:58:00 ID:RPaGkKpP
大根を焼くなんて発想無かったわ。
大根なんて単体で焼いてもあんまし味が無いから
味噌か何かを塗ったりしてたのかも。
490 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 20:59:37 ID:4oOkhxPK
食わないほうが胃酸で口臭がひどくなる気もするが
陣中だし保存用の発酵食品の類だったのだろうか
491 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 21:08:34 ID:yaD9eTXz
大根って消化酵素に似た成分があるはず。
492 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 21:33:56 ID:kw35TMGd
歯磨きできない状態だったから飲食を控えた、と。
493 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 22:17:40 ID:WKuo82Ti
陣中で焼き大根なんて大変なご馳走だ!!
という感覚だったらしいが。
494 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 22:44:09 ID:S+NxSQHp
ついに京都に進出した織田信長は
まだまだちょっと難しい時期だったので
それでもちょっと大人しかった
そんな信長がある日公家の皆さんが楽しそうに蹴鞠をしているのを見かけた
「ちょっと楽しそうじゃん」
信長はそう思って蹴鞠にチャレンジすることにした
皆さんご存知だろうが、蹴鞠は現在だと乗馬だとかテニスだとかに相当する
ノーブルな感じの御ハイソなおスポーツな上に
割とずっと反抗期な思春期を過ごした信長は
飛鳥井流の蹴鞠の教えを受けていた父・信秀と違って
全く蹴鞠の心得がなかった
周囲の心配をよそに信長は
「大丈夫だってこんなもん簡単簡単、あり・おり・よう!」
とノリノリで蹴鞠を始めた
ところが、やっぱり初心者がいきなりハッスルしたせいで、
「よう!っていてえええええ!」
足首を捻挫した
これに懲りた信長はすっかり蹴鞠が嫌いになり蹴鞠から手を引いた
数年後そんな彼の前で駿河のファンタジスタが
己の妙技を披露するわけだが……
信長は素直にその技を誉めたそうだ
495 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 22:50:05 ID:hCncACYh
すると、秀吉に「陣中で贅沢なもん食いよって!」などと思われないような気遣いだったと?
やはり小物臭が漂う・・・。
496 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 22:55:36 ID:lnhojDWG
497 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 23:04:03 ID:FioA7q3g
>>494 氏真は生まれる時代を間違えたな。
欧州に移籍すればバロンドール確実と言われた天才
498 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 23:24:42 ID:y3EU38hg
信長って蹴鞠習ってなかったん?
499 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 23:37:24 ID:eRWqWtY6
誰か火葬戦記で戦国時代にトヨタカップ開催!とか書いてあげればいいのに
500 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 23:48:02 ID:wZIasFXi
501 :
人間七七四年:2009/08/16(日) 23:48:02 ID:md39VCkC
そういうのは「戦国の長嶋巨人軍」だけでいい(´・ω・`)
502 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 00:21:20 ID:pjRAw/cc
上杉景勝って前田慶次が仕官してきた時に大根片手にひょっとこの面をかぶった慶次が
「拙者、ひょっとこ斎でござる」
みたいなこと言って傾いてみせたとき笑ってみせたって話を読んだんだがマジかな?
慶次が仕官してきてくれて嬉しかったのもあったらしいが。
503 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 00:29:19 ID:HX9tX0uC
慶次「俺は大根のように見た目はむさいが〜」の時の逸話か
嘘だと思うな、いやむさいのは本当だろうけどw
504 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 00:39:15 ID:eQomzeVn
競技スポーツ大会で活躍しそうな選手
・今川氏真…蹴球
・稲富祐直…射撃
・酒井忠次…競技ダンス
・榊原康政…競歩
505 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 00:57:11 ID:DqM6GIvp
・宇喜多秀家…水泳 とか連想してしまうのはこの板に毒されすぎなんだろう
とりあえず70で川で魚のように泳いだという家康なら水泳はいけそうだ。
506 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 01:02:17 ID:ndt+Y0c8
稲富さんは本番になると指がプルプルするタイプ
507 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 01:13:02 ID:QLs2n17S
>>504 稲富祐直は本番弱すぎだから無理だろ。
朝鮮在陣中の虎狩りでは素人の十時三弥に負ける(しかも十時の方が
遠くから撃っていたというオマケ付き)。
関が原の折にはガラシャの警護の任を与えられていたにも関わらず、
奉行方の兵に細川屋敷が囲まれると一人逃亡。
結果、細川家からは奉公構え、なんとか徳川家に拾ってもらったが
本番に弱い蚤の心臓というのはプロとしては致命的だ。
508 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 02:40:08 ID:Dn6ydLPd
練習じゃあ良いのに、試合になるとダメな人間っているもんな。
509 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 03:55:15 ID:rRLx7uxh
まぁ選手時代はぱっとしなかったけど
コーチに就任したら名コーチってのも
いるしな。
510 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 04:23:41 ID:RTlTUMoY
急に球が来たので
511 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 07:02:35 ID:iGteO9KK
明智秀満→乗馬・障害
512 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 07:59:26 ID:1iKTLaxN
中馬重方→トライアスロン
513 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 09:27:37 ID:jdBDz+ig
>>504 小笠原一族はアーチェリーで活躍できるかな?
それとも宗茂にかっさらわれる?
514 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 09:35:50 ID:wf9Pj3aF
清水太郎左衛門→野球
515 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 10:00:45 ID:pjRAw/cc
>>503 やっぱ創作かぁ、つか本当に笑ったのかってゆう疑問自体が結構凄いことだよなw
516 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 10:21:54 ID:QLs2n17S
織田常真→スケート
517 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 10:28:38 ID:hd7VlS60
>>507 孫には任せておけないと稲富祐秀がアップを始めたようです
とまぁ、何かの達人繋がり、というと少々苦しいが
まとめに載ってなかったようなので斎藤道三のお話でも
斎藤道三といえば戦国時代に名を馳せた下克上の梟雄、最近では
父・新左衛門尉から二代に渡った親子鷹だったとも言われているが、
何も謀略一本の人ではない。美濃でも屈指の槍名人でもあった。
若い時、各地を放浪し数多の合戦を目にしてきた斎藤道三、
阿鼻叫喚の合戦場で見出したことは、槍という武器の有能さだった。
合戦場でもっとも敵兵を殺傷したのは弓矢だと言われているが、遠巻きに
矢を射て大将を落としたとて首級が取れねば意味が無い
その点、槍は遠距離からの突き以外にも薙ぎ払い、叩き、騎馬突撃にすら
対応できる武器であった。
斎藤道三>>これからは、槍の時代だ。m9っ;・`ω・´)っ━━lコ三ヲ
それに勘付いた道三、その日から猛稽古を始める。
長さ3bはある竹竿の先に太い針を縛り付けると、家の軒先から糸で結んだ
一文銭を吊り下げ、それを催眠術よろしく左右に揺らす。一文銭の中心には
四角い穴が開いているが、この穴に先ほど造った稽古用の槍、その先端が
確実に突き刺さるように毎日数百回という気の遠くなるような稽古内容だった。
やがて、道三の槍は百発百中で一文銭の穴を突き抜くようになり
戦場に赴けば道三の往く処、胴丸の合わせ目や咽喉輪の隙間を一撃された
敵の骸が山を成すようになった。
そして、この武勲が美濃の長井家や守護職土岐家への仕官・栄達に繋がり、
はては美濃一国を掠め取る基盤となったのだった。
また、斎藤道三という人は自分の槍をとても大切に扱う人だったという。
戦国初期頃の当時、槍というものは嵩張るものなので普段は屋敷内に置かず
軒下に置いておくものだったそうだが、湿気や害獣がはびこる場所だけに
柄が腐ったり穂先が錆びることが多かったという。
道三はそうならないように、節をくり貫いた竹に槍を納め布袋に包んで
軒下に置くようにしていたといい、この心がけは主君にも多いに褒められたという。
…現代日本でも誇れる"サムライ"の一人にシアトルマリナーズのイチロー選手が
挙げられるが、彼は野球選手として栄達するのはどうしたら良いかと問われると
こんな教訓の言葉を口にするという。
イチロー>>練習をしろ、野球道具を磨け、宿題はちゃんとやれ。
達人の精神は五百年過ぎても先年経っても、変わらないもの。
そんな斎藤道三の、(成り上がるための心がけについての)良い話。
518 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 11:56:42 ID:ItKTqfJ2
それがこうじて一文銭の油売りなんて芸当が出来たのかな?
逆か?
519 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 12:49:45 ID:xRhvI38n
>>517 その槍を入れた竹に土岐頼芸の鷹がとまった事から
頼芸と道三は知り合った、って話もあったよね。
520 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 16:40:43 ID:j4+ZQyxw
小ネタですが、勾当台(コウトウダイ)という地名の由来
伊達政宗の時代、
花村勾当という盲人の狂歌師がいた。
勾当は当時の盲人の官名で、検校の下、坐頭の上に位した称号である。
慶長8年の事、政宗が城下を見回っていると、
一人の盲人が道に土下座しているのを見止めた。
この盲人に名を尋ねると、
「な(名)に一字 ちがいありとて ことごとし きみは政宗 われは政一」
と即答した。これをいたく気に入った政宗は、その頓知を褒め、
後に城中に召して頭巾を与え、更に屋敷を与えて寵愛した。
この屋敷のあった場所が少し高台にあったため、
勾当台と呼ばれそのまま地名として残った。
現在は宮城県庁のある辺りに屋敷があったようで、
その南側の公園は勾当台公園と呼ばれ、
様々なイベントが行なわれたり、
市民の憩いの場となっている。
余談だが、この花村勾当の墓は後に移転してきた藩校の玄関前にあったのだが、
墓石を削って粉にし、煎じて呑むとおこり(マラリア)に効くと言われたため、
削られまくって細長い石の塔の様になってしまったそうな。
521 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 17:04:06 ID:6K5c7JrO
>削られまくって細長い石の塔の様になってしまったそうな。
そういえば削りようの墓石が用意された人がいたな
522 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 18:25:47 ID:2TY1uw+Z
ああ、アカギの墓か
523 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 20:02:57 ID:9WqEeUDp
白石にある初代小十郎の姉や二代目の嫁(幸村の娘の方)の墓石も
削られまくっていたなあ
524 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 20:31:44 ID:k3xX449j
>>520 >>「な(名)に一字 ちがいありとて ことごとし きみは政宗 われは政一」
どの辺りが頓知なのか意味が分からんス
525 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 21:16:23 ID:K9DRN/7k
>524
まあ読んだ感じそのままだよな
それをさらりと言えたところが気に入ったのかも知れんが
526 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 21:21:21 ID:j4+ZQyxw
>>524 これは個人的解釈なので間違っているかも、だが
「なに一字 ちがいありとて ことごとし きみは政宗 われは政一」
政一=政市ってことで、市は盲目の人がよく名乗る。
つまり政宗と政一で貴方と私は名前が一(字)違いですよってのと
貴方は隻眼ですが私は盲目なのでこれも(目玉が)一(個)違いですねってことでは。
とは思ったんだがどうだろう。こういうのあんまり詳しくないんで・・・
527 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 21:28:18 ID:k3xX449j
>>525 うん
つか片目なのを気にしてた政宗によく斬られなかったどころか気にいられてしまったとは
まあ相手が盲人だからってのがあったのかも
>>526 あ、なるほど
528 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 21:29:30 ID:eFTmmqyj
徳川家康が上杉景勝を攻めるべく栃木辺りを移動していたとき
竹林のそばを通った。すると家康は「采配を忘れたから竹を取って
来い」と側近に命じた。そして竹に紙をつけて即席の采配を作り、
何度か振って「上杉ごとき、こんな物で十分だな」と言った。
その後、石田三成が立って引き返すときに、また竹林のそばを
通ったが、家康は「上方の連中ごときなら、こんな物もいらぬ」
と言ってお手製の采配を捨てた。
いずれの行動も、戦いを前にして不安に駆られる兵士たちを鼓舞
するためのパフォーマンスだった。
529 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 21:35:06 ID:3jRxEjXK
>>528 めんどくさい部下に「今のうちに焼き味噌も用意しておきましょうか」とか言われそうw
530 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 22:09:56 ID:Ac7hM0Tc
>>464 同じような書き込みを何回か見てるが、同じ人なのか?
531 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 22:16:30 ID:QQ7Sdsin
>>530 誤爆でなかったらだが
いわゆる様式美というやつで特定の人のレスではないと思う
まあ家久のいい話とか毎回毎回素直にほめてやれよとは思うけどw
532 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 22:19:59 ID:Rhd0JBdW
533 :
120:2009/08/17(月) 22:29:11 ID:3ruaSU2R
むしろなぜ本体温存した状態で、
決戦までもつれ込んだのか分からん。
534 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 03:36:20 ID:QWHleLXx
535 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 11:27:57 ID:bYFFEV3i
将棋の馬印
みなさんは「将棋駒馬印」と聞いて誰が浮かぶだろうか。
一般的には前田利家の馬印が思い出されるのではないでしょうか。
しかし将棋駒馬印は戦国時代さして珍しいものではなかった。
そのなかでも武将たちにもっとも好まれたのは「香車」の馬印である。
将棋において香車がとれる動きは直進前進進むのみ。
またその動きが一本の槍のようでもあり一番槍を象徴する馬印であった。
そして香車は武将たちに「やり」と読まれるようになる。
一番槍一番首一番乗り。
名誉や武功を重んじた武将たちの格好いい話
536 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 11:31:26 ID:DahW8KlF
俺は「酔象」の駒が好き(´・ω・`)
537 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 12:11:33 ID:rczTMb9I
草野文左衛門と言う侍がいた。
彼は京極家に仕え、大阪の陣においても相当の働きをした武勇の者であったが、
京極家の改易に伴い牢人し、やがて幕府老中、酒井忠勝に二百五十石にて
召抱えられる事となった。
草野には住居が与えられ、引き移りの日、その家には酒井家より足軽が使わされ、
色々と草野を迎える用意をした。
そうこうして夕刻になった頃、みすぼらしい粗末な綿服で、帯刀した上で槍を提げながら、
空いた片手で馬を曳いている、明らかに下人風の者がその家屋の門前に立ち、
中にいる足軽に聞いた
「草野文左衛門の住居はどこでしょうか?」
「ああ、それならここさ。あんたは文左衛門殿の荷物を持ってきた家来の方だね?
で、文左衛門殿はまだなのかい?ずっと待ってるんだけどねえ。」
「いいえ、私が文左衛門です。お待たせして申し訳ない。」
足軽、大いに驚いて彼を家の中に案内し、足を洗う湯などを渡したが、「私の足より先に」と、
自分の馬の足を洗い、夕食を進めると「いえ、結構です。それよりも、」と、自分の食事より、
馬草を求めこれを馬に与え、それが終わってから座って、腰につけた弁当を出して食べた。
そうしてしばらくしてから、今度は本当の草野の小者が一人、具足と箱とを
肩にかけてやってきた。
箱のほうには衣装を入れていたが、麻の裃だけしか入っていなかったと言う。
人々はこれを聞いて、「まことに戦国の行状である。」と、大いに感心をしたそうである。
538 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 15:03:51 ID:bxfxOmBu
>>537 単に貧乏していただけにも見えるのだが…。
ボロは着てても心は錦ってところか。
539 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 17:50:52 ID:Rlh7rTUd
>>535 同じ理由でムカデも好まれたらしいな
後退できないから
540 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 17:53:16 ID:u4MHRv5c
でも香車は歩より先に出て攻撃できないんじゃね
541 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 17:56:50 ID:F+/QyizX
>>538 何はなくとも手柄を立てる道具だけは肌身離さず持っている心
自分よりも先に馬を肥やす
しかも自分が戦で乗るのだから自分で世話をする心
常在戦場の心がけって奴なんだろうね
542 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 22:49:59 ID:W65lEvdD
その馬が主からもらったやつならもっと良い話だな
543 :
人間七七四年:2009/08/18(火) 23:23:13 ID:W8t/5irl
関ヶ原のときに細川玄蕃さん配下で活躍された井戸新右衛門さんに、その時の
武辺話を聞いてみましたよ!
『井戸さん!関ヶ原では兜首を取る大変な活躍だったそうですね!?』
井戸
「え?あー、アレね。
あの時は事前に『後方から弓を射るように!』なんてうるさく言われててさ、合戦が始まったら、
言われたようにギューンと引いてバーッっと撃ったのね。そしたらなんだか知らないけど、
馬上の敵がさ、その矢に射抜かれちゃってドーンって落ちちゃって、びっくりして近づいてみたらさ、
なんかもう死んでるのよ、その人。それでそのまま、頸とって来ちゃったわけさ。
でもこんなのを武辺なんて言ったら、ちょっと簡単すぎて申し訳ない話だよねー。」
井戸新右衛門はこのように、自分の武辺について大げさに語ることも、何か仔細をにおわせる
ようなこともなかった。
世の中では大したことの無い武功でも、面白おかしく、大げさに語るものなのに、
井戸は実に実直であると、世の人から、大いに感心されたと言うことである。
544 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 00:06:40 ID:LBDS/CEB
いわゆるひとつのメイクドラマはしない人だったんですね
545 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 01:14:16 ID:wnvFRkRd
俺がヒューンで相手がブスって
集団戦じゃないんだろうなきっとこの状況は
546 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 01:26:04 ID:CxFPk1fy
源平合戦の頃だと矢に印を入れたりしたけれど
戦国ではどうなんだろう?
547 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 01:38:17 ID:axpaDySq
入れてる
それ関連の逸話もまとめにあるから見てみると幸せになれるかも
548 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 01:46:27 ID:qR8dyQy7
>>546 既出かもしれないが
冬の陣で城方から放たれた矢に『羽柴伊賀守定次』という名前があったので
筒井定次が豊臣方への内通を疑われ、1615年3月15日に自害させられている。
1608年にキリシタンの容疑で改易になった際に矢を買い取った商人が
そのまま豊臣家に売ったためだといわれている。
549 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 02:27:03 ID:wnvFRkRd
鉄砲じゃ誰が殺したからわからんから人気ないのもわかる気はする
単記狙撃なら別だが
550 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 08:40:32 ID:IbkFphmB
成瀬正成の父、吉右衛門正一は関ヶ原の戦いの後に伏見城番となり、一線を退いた。
ある日、吉右衛門のもとに正成がやって来て、袋を父の目の前に置いた。
「親父殿も、もうご老年じゃ。これで何か美味いものでも食って、楽しんで下され!」
袋には銀子が二十枚入っていた。
しかし、吉右衛門は
「さてさて、おかげ様でせがれもこんな真似の出来る身分になりましたよ。」
と言って自室に袋を吊るし、
「美食が欲しい時に、この袋を見れば良いわ。この銀子は、また何ぞ入り用の事なども
あるだろうよ。」と、手をつけなかった。
何年か経って、大阪冬の陣が終わってすぐの事、吉右衛門は正成と秀忠の近習である
三男の豊後守正武を呼び、二人の前にそれぞれ袋を置いた。
「この分では、来年また戦があるじゃろ。お前たち二人も出陣となろう、これで良い馬でも
買って励め。」
袋には金子二十枚ずつ入っていたので、息子たちは仰天した。
尾張藩家老の息子より、大名になれなかった親父の方が、有事に備え貯めこんでいた
という古武士の心構えの話。
551 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 09:04:26 ID:0sS2EXBN
>>474 その書状を読む限りでは、
なんか島津義弘は伏見城に入るという意味をあまり理解してなかったように思えるけどね。
基本的には「西軍の大軍と絶望的な戦いをしなければならない」なんてわかってたとは思えない。
あと島津義弘はあくまで形の上では豊臣秀頼の命令である上杉征伐に参加しただけで
別に東軍派もしくは親家康だったわけではない。
上杉征伐のリーダーが家康だったから従ってただけだよ。
552 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 09:13:41 ID:0sS2EXBN
惟新公関原御合戦記では、7月2日から17日まで三成に対して数度与することを固辞し、
また伏見城留守居・鳥居元忠に再三入城することを申し入れたが、拒否された。
とあり、これが「島津義弘は最初からバキバキの東軍派」という証拠になってるが、
問題は惟新公関原御合戦記の史料性の途轍もない低さだよね。
延享元年完成では・・・
553 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 10:16:01 ID:q5uy5ZHI
>>551−552
まあその辺は、関ヶ原戦後の島津に都合のいいように作られた神話に過ぎないでしょうね。
幕府としても和睦し安定した状況で、「徳川に敵対する気はなかった」って話を、わざわざ
訂正させて、変な波風を立てる必要もないし。
しかし島津家は南北朝とかその辺から、印象操作が非常に上手い家だよね。
これはほめ言葉なんですけど。
554 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 10:32:06 ID:2VJYh/1y
>>550 俺は「心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし」
の遺訓に従い、生活費月5万くらいしか使わない生活だぞ。
と言いつつ、今から女遊びに行くんだが、これはしんどいシフト勤務の
ストレス解消だから仕方ない。
555 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 11:19:50 ID:vLbciEYC
556 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 13:27:56 ID:pGYYv50/
>>553 南北朝期に兄弟を奥州家と総州家に分けて対応させたせいで
領内で長く続く一族内訌の歴史がが始まったようなモンだから
褒められたものではないと思うがな〜
まぁ忠恒が朝鮮から帰国後に三成派の伊集院幸侃を
叩っ斬ってたのは結果的に良かったかもね
義久・義弘より年上で頭の切れる幸侃が生き残って
関ヶ原を迎えた場合どうなってたことやら
557 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 16:12:49 ID:PQK1u0Nf
お盆に松本城に行ったので、そこにあった話を・・・
熊本城主となった加藤清正が、江戸からの帰りに松本城に立ち寄った。
当時、松本城の城主であった石川玄蕃頭康長は、遠方から遥々やって来た清正にお土産として騎馬二頭を引き出した。
石川「気に入った方を一頭あげましょう」
清正「いやいや、あなたほどの目利きが選んだ馬を、私程度の目利きで選んでは申し訳ない。どちらも貰うのが礼儀ってものでしょう。」
これを聞いた人々は「流石清正公だ」と礼儀に関心したというが、ちゃっかり二頭
とも貰っていったというお話。
ちなみに、松本城には今も「清正公駒つなぎの桜」というものがあります。
558 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 16:24:06 ID:oLhkBymW
ちょちゅね 優れた虎は二兎を得ると申してね
559 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 18:12:19 ID:d2NpbQ+a
加藤清正って猛将だけど機知に富んでて頭いいよな 頓知が利いた逸話が多い
560 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 18:43:45 ID:1IcW22dd
それに引き換え、市松ときたら…。
561 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 19:03:52 ID:ZsJtPO7c
可愛いから許せる
それが市松
562 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 19:07:08 ID:LBDS/CEB
市松欠点も多いけどその場ですぐ反省するから暴君とは違うよな
家臣としてはもり立ててあげたくなるタイプだったのかもしれん
563 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 19:42:01 ID:LmLC9XuL
基本、人の意見に耳を傾けられる人だからね。
うっかりもので短気で酒乱なのが玉に瑕。
564 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 19:48:57 ID:YmzsVT30
清正と正則って2人セットで扱われがちだが好対照な存在だよな。
565 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 20:15:17 ID:jLo/FVC4
むしろ対照的だからこそセットで扱われるんだな
566 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 20:24:54 ID:0sS2EXBN
>>561-563 おいおい「憎めない」とか「反省する」とか言ってるが
福島の数数のDQNエピソードで落命した人たちはどうなるんだ?
彼らにとってはやはり「福島は最悪の奴」としか言いようがない。
もしも現代に生きてきたら、福島は極悪死刑囚になってるかもな。
567 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 20:26:09 ID:7Cb/+r9/
人を殺していない戦国武将がいると聞いて
568 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 20:40:39 ID:q94lhdFb
愛の兜を纏ってやってまいりました
569 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 20:52:20 ID:NnyNEJ9U
人を殺したくないので部下に人殺しをさせています。
570 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 21:01:43 ID:4nHbcRWq
現代のモラルを過去に当てはめる事はナンセンス
殺人より盗人のほうが不名誉だった時代だぜ?
おまけに中央政府は機能してない
仏教の影響なのか乱世の影響なのか死に対して割と淡泊な気もする
571 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 21:12:11 ID:+4igWNVO
現代じゃ極悪死刑囚っていっても、四天王の前じゃ市松なんて子供みたいなものだしなぁ。
とりあえず門松として頭から地面に突き刺して飾っておこう。
572 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 21:12:38 ID:JjwWeOtv
乱世だから仏教は末法の世を説いたわけで
仏教の影響がそういう流れを生み出したわけじゃないよ
573 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 21:27:02 ID:nmgzvBJn
現代のモラル上でもいろんな人間はいるし
道徳でいえばあんまかわらないんじゃないの
574 :
人間七七四年:2009/08/19(水) 23:55:05 ID:w/yaZmzG
>>550 >何年か経って、大阪冬の陣が終わってすぐの事、吉右衛門は正成と秀忠の近習である
三男の豊後守正武を呼び、二人の前にそれぞれ袋を置いた。
その直後…正武たんは切腹してるんだよなぁ--;
最後の親子のふれあいっぽいT_T
575 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 05:36:49 ID:pefMRL1x
福島正則が秀吉に預けられたきっかけ自体が
少年時代の殺人だからなあ、
殺人を犯してなければ猛将福島正則は一生桶屋で絵わったかもしれない。
いい話しなのか悪い話しなのかわからんが・・・
576 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 07:10:08 ID:UJVEyr8Z
有能な人材を見出した秀吉のいい話と思えば何とか…
577 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 12:14:10 ID:jKtXoPE0
>>575 それ逸話として残ってるの?
司馬遼太郎の創作だと思ってたわ
578 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 12:39:23 ID:pNxeOjUt
大抵の小説は実際に逸話が残ってる話かどうか書き方でわかるけど
司馬遼太郎はさくっと逸話風に創作混ぜたり逸話をストーリーに都合が
いいように改変してくるから油断できない…
579 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 16:02:19 ID:mJM8G2HV
そこら辺は作家の腕だよな。司馬遼太郎凄いと思うわ。
それに引き換え、昔読んだ呉三国志は酷かったな。
580 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 16:40:04 ID:7ghP4ev3
作者が自分と同名のキャラを贔屓して何が悪いって言うの!?
581 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 16:58:33 ID:9/GLUSip
何の問題もありはせぬわァ!
582 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 18:50:06 ID:3NY8YXsu
前田利家の話をひとつ
利家は夜更かしをしても早朝には必ず起きるのが習慣付いていた
起き上がるにしても廊下を歩くにしても
なるべく音を立てずにそろそろと歩き小姓を気遣っていたそうだ
ある朝、主が起きていることに気付いた茶坊主が小姓たちを叩き起こした
小姓たちは大急ぎで飛び起きたが、これに気分を害した利家は
「せっかく俺が気遣って起こさずにいたのに、いらんことをするな!」
と茶坊主を叱りつけた
昼夜別なく主に仕える小姓仕事の大変さを知っているからこそ出来る気遣いである
583 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 18:52:53 ID:XEu+Kekl
さすが茶坊主切って出奔した犬千代
584 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 19:22:37 ID:Uggc4cuM
戦国時代だからなー
戦国ってくらいだしサクッと人を殺せる人間が重用されるのは当たり前なんじゃないか
利家や池田なんかもそうだし、秀吉だって恐らく喧嘩か何かで殺ってるぞ
喧嘩で人がバンバン死ぬ時代だもん
同じ人殺しでも市松はフルボッコで他はスルーってのは何だかなあ……
まあ嫌いな人が居るのはわかるが、俺は好きだよ市松
585 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 19:33:54 ID:pNxeOjUt
空気読めよ
そんなこと皆わかってるけどさわらないようにそっとスルーしてんだよ
586 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 19:49:54 ID:h+Hr+D6C
今更蒸し返しちゃう男の人って…
587 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 19:57:57 ID:jEhfTekP
588 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 20:10:33 ID:vMzGZe0/
股の槍左「小姓たちは毎晩ワシの相手をしているので疲れておるのだ」
589 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 20:33:05 ID:Av0qjr1F
>>584 狩りが終わったら犬は御用済みって世界だけどな
590 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 22:54:30 ID:euWB68Ip
てか秀吉「自身」は、斬り合い弱いんじゃないの?
石田三成や、山本勘助、竹中反米とかは、弱いイメージがあるw
591 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 23:12:55 ID:qWuNNlg5
黒田勘米だって牢屋の中で足腰萎えて顔面崩壊してたんだろ
592 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 23:15:52 ID:zCeHATpX
半兵衛は天真正伝香取神道流門下生でしょ
593 :
人間七七四年:2009/08/20(木) 23:54:49 ID:ClDiVK2k
>>582 自分も小性だったからいかに小性が大変なのかを知ってたんだろうな
ええ話や
594 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:12:34 ID:GhUOsx35
当時は休日ってモノが無さそうだしなw
595 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:18:15 ID:ObHl9u+t
>>594 そんな事はない。非常時はともかく、そうでない場合は基本的に5日に1日が休日だった。
596 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:28:22 ID:DOJEkLr6
火浦という現象だからな。
まあ世の中には32年ぶりに完結した本もあるわけで。
597 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:49:03 ID:y99PiezV
休日って何してたんだろうな
ものに溢れた今ですらもてあます人が多いのに
家でずっと寝てたのかね
598 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:56:31 ID:XZAUPEcU
>>593 信長の小姓は特に大変そうだw
突発的に行動するから常に気が抜けなかっただろうな
599 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:57:39 ID:bXHhk/ZH
本を読むとか槍の稽古とか刀の手入れとか、茶を入れるとか。
和歌の練習その他もろもろ「趣味」にする時間があるじゃない。
もちろん真昼間から嫁とSE○とかもありだし、酒飲んで宴会もありだ。
600 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 00:58:43 ID:QN0fSph+
バカ野郎!昼間は農業にいそしむに決まってんだろ!
601 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 01:00:56 ID:ObHl9u+t
>>598 信長の小姓といえば、映画の「影武者」での森蘭丸の描写は、ちょっとしか出てこなかったけど、
主人の意を完璧に把握している優秀さが上手く表現されてて、実に良かったな。
602 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 01:04:08 ID:O+hhFCnP
なんか歴史の教科書に武士の一日とかいうの載ってたよな
何時頃に起床して屋敷を見回って武具の手入れして弓打ったり
馬の世話したり規則正しかったよw
603 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 01:26:57 ID:tdPEhDYS
>>600 嫁という畑に種を植えるんですね、分かります。
604 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 01:28:32 ID:l7SQNWq1
いや苗を挿すんだよ
605 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 05:11:11 ID:QBSYAw7g
田におたまじゃくしが泳いでるのですね、わかります
606 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 08:13:11 ID:IkYxX9Oh
いつからこんな下ネタスレになったんだw
607 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 08:40:46 ID:ObHl9u+t
福島正則の家臣、長尾勝行の家人に、勝行の父一勝の代から仕えている、
森田平右衛門と言う者がいた。
彼は数度も音に聞こえるほどの手柄を立てた、武功の者であった。
福島家が改易された後、長尾は森忠政に召抱えられる事になった
森田も当然それに付いていったが、この時森家より、森田も、森家直臣として召抱える、
との申し入れがあった。勿論これは大出世である。
が、森田はこれを断った。「勝行様を見捨てられるものか」との事であった。
忠政がどう言っても聞かないので、勝行の同僚たちが、森田を説得しにかかった。
「勝行殿も、関ヶ原でもそなたの助けなしに功を得た。もはや自分に気遣いは無用だと
申しておる。お前が直参として森家に仕えても、何も後ろめたいことはないのだ。」
が、これに森田
「勝行様がおっしゃる事も、もっともなのだと思います。
ですが、三度でも四度でも、負傷してさえも功をなすものを、武辺者と申すそうです。
勝行様などは、まだそれほどにはなっておりませぬ。それゆえ、それがしは勝行様を見捨てて
直参になる事は出来ないのです。」
『ちょっと一人で武功を上げたからって、勝行様なんてまだ半人前です!
よってまだまだ私が付いてなきゃだめなんです!』ということか。
ともかく、この子離れならぬ主君離れの出来ない平右衛門は、
終に勝行の家人のままで終わった、と言う事である。
608 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 09:35:23 ID:Wy3nhInY
>>599 そうそう、松永久秀は「セッ○スは昼間にする事。夜にすると、
そのまま眠りこけて敵の夜襲に備えられないから、必ず昼間に
行うべし。」って書いてるもんな。
子沢山な武将は案外、休日はセッ○ス三昧だったのかもな。
609 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 09:55:03 ID:BCZDZNYU
>>608 〜べしと書かれるという事は実際には行われていなかったんじゃね?
皆そうしているなら進める必要もない。
610 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 11:40:37 ID:za2ZXo2o
それは過保護じゃね?(´・ω・`)
611 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 11:44:16 ID:n6jThTM7
昼飯を食いに帰ったついでに一発キメた家臣が昼から登城してくるわけか。
612 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 11:52:17 ID:0/GzjN3v
朝に酒を飲み、
昼に子作りに励み、
夜は布団で寝るか。
字面だけ見ると生活破綻者以外の何者でもないぜw
613 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 12:19:07 ID:kvxTqApS
あと、利き腕斬られるのを防止する為に
右を下にして寝てたとか言うけど、
普通に寝返ってしまうよな?
614 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 12:24:26 ID:0/GzjN3v
慶喜みたいに、剃刀を両脇に突き立てておいて寝返りをしないように教育されたに違いない
615 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 15:32:29 ID:8LGEO7ZS
寝返りしないと、かなり体に悪いんだが、、、
616 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 15:39:12 ID:dvT6u1C0
\
 ̄ ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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617 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 15:50:37 ID:GA3ejLOs
右腕を下にして寝ていたら曲者に襲われた時手が痺れていたでござる
618 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 16:06:14 ID:sGNBOkfz
左利きだったので問題無かったでござる。
619 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 16:44:38 ID:a/AEj4wJ
利き腕の左腕を曲者に斬られてしまったでござる。
620 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 16:45:58 ID:CyWJnHO6
右腕を斬られたからアームストロング砲をつけてみたでござる
621 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 16:51:46 ID:FdRhDYmT
右腕を斬られたので肉そぎ落として骨削って武器にしてみたでござる
622 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 16:53:16 ID:ZxscMJZl
623 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 17:16:40 ID:2cHeT+LZ
両手両足を切り取られて達磨にされたでござる
624 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 17:43:41 ID:Pal/w/Sg
目を抉り取られ下を焼かれ人豚として厠に
悪い話だな…
625 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:22:40 ID:xr37yhiJ
そういや鬼武蔵の鎧は本で見たけど兜はあんの?
前にそれらしい写真は見たけど記憶があいまいだ
蘭丸と可成の所用とされてるのは完全体で残ってるけど
626 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:24:36 ID:sGNBOkfz
鬼武蔵完全体!?
627 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:27:02 ID:CyWJnHO6
鬼武蔵
「ちくしょーーーーーーーーっ!完全体になりさえすればーーーーっ!」
628 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:30:26 ID:CyWJnHO6
629 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:32:57 ID:M49Lm+rp
>>625 首は森家の家臣が持ち逃げしたが兜はその時にそこら辺に打ち捨てられて井伊家の所蔵になってる。
630 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:35:52 ID:CBnAY5jo
蘭丸の甲冑は別々の兜と鎧を
昭和になってから合わせた偽物だぞ
631 :
629:2009/08/21(金) 18:36:34 ID:M49Lm+rp
あ、違うわ。長可の兜はどこぞの個人蔵になってる。
632 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 18:49:14 ID:GE69m43G
撃たれた跡が無いね
修理したの?
633 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:04:40 ID:CyWJnHO6
634 :
625:2009/08/21(金) 19:19:08 ID:xr37yhiJ
みんなありがとう!
もう用はないから切腹していいよ!さぁ!
635 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:29:49 ID:a/AEj4wJ
では、それがしが
>>634の介錯をつかまつる。御免!
636 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:36:29 ID:ZK0Rpskb
いやいや!ここは是非某に!
637 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:40:36 ID:OO4uBa/a
>>633 ジャギ様のヘルメットぶった切ったみたいだと思うのは俺だけか
638 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:41:39 ID:Nj/k9kms
>>637 奇遇だな俺も見た瞬間名前を言わなきゃいけないあの人を思い出した
639 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:43:37 ID:qoMWhQMG
ガイシュツだったらすんまそん。
伊達政宗の朝鮮行の船に乗る老僧の話。
秀吉の朝鮮出兵に伴い、
政宗もまた兵を率いて、備前名護屋から出航した時の事。
政宗が船の中を見回していると、見知らぬ老僧が乗っていた。
誰何の問に、老僧答えて曰く。
「自分は宮城郡国分寺に住む僧で、中国に渡って法を求めたく思っている。
殿が朝鮮に渡ると聞き、お供の船に紛れ込もうと思ったのだが、
誤って御座舟に乗ってしまった」
そう説明して謝罪する老僧に、政宗は同行を快諾し、
逆に航行の安全祈祷を願った。
やがて朝鮮から帰国することになり、
政宗は釜山から再び船に乗った。
するとこの船に、またあの老僧が乗っていたので、
政宗はこれを喜び、手厚くもてなした。
さて。後日になって政宗は国分寺に使いを出し、
船に乗っていた老僧の事を尋ねたが、
国分寺からの返答は、そのような老僧の事は誰も知らないということだった。
政宗は、あの老僧は薬師如来の化身で、
自分を憐れんで擁護してくれたのだろうと、深く感激し、
薬師堂や白山神社、仁王門を建てることにしたという。
640 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 19:50:18 ID:MV8VEBD1
いやまーくん、それたぶん無銭旅行(ry
と疑わないところがまーくんらしくなくていい話だなw
641 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 20:21:07 ID:9VR58bJd
まーくんわろたw
642 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 20:22:13 ID:0/GzjN3v
仙台(の球団)といえばまーくんだけど、その発想は無かったぜw
643 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 20:24:44 ID:HRBKyNMn
まーくん、今投げてる
644 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 21:01:54 ID:aU6q+M6p
なぜ薬師如来なんだべ。
645 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 21:06:09 ID:l7SQNWq1
疱瘡のときにお母ちゃんが祈願したんでないかい
646 :
639:2009/08/21(金) 21:10:53 ID:qoMWhQMG
>>644 別ソースから探してきました。
出兵する前に、国分寺の薬師如来に無事帰国できるようにと祈願し、
成就の際は伽羅を再建し、千本槍を奉納すると誓いを立てた。
帰国後、千本槍は流石に供えることはできないので、
竹串の先端に剣先の御幣を挟んで槍に見立て、
秀吉から許された千成瓢箪を結んで奉納した。
これは「ぼんぼこ槍」という名前で開運厄除けの縁起物として
今でも薬師寺で手に入る。
こういう経緯なので、薬師如来となったと思われます。
647 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 21:26:26 ID:G9j94nqj
ぼんぼこ槍とか可愛すぎるだろ
648 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 22:23:30 ID:g/3JFsqI
石川数正は合戦になると常に、兵に先立ち前線に進み出でて、前線から
備に下知を出していた。
ある人が数正に、「司令官であるあなたが、兵士達よりも先に前線に出て合戦に望むのは、
大変危険で、良い事には思えません。」と忠告した。
これに数正は
「戦の法則を知らない人は、そのような疑問をもたれるのでしょうね。
おおよそ、軍というのは不思議なもので、足軽の競り合いの段階で、いち早く先を取らないと、
最後に勝ちを収めることが難しいのです。
一段の備が破れてから、二段、三段の備で盛り返して勝ちを収めるという事は、
実際には殆どありえません。
それゆえに、一段の備の様子、敵に対して先を取る方策を見切った上で下知しなくては、
うかつに勝敗を決することは出来ないのです。
そういう判断をし下知を下す権限のある将官は、その軍がどれほど人が多くても、大将の下に
一人か二人ほどしかいません。そして私はそういう権限を預けられています。
私が常に先立って前線に出て、状況の見切りをし備に指令を出すのは、このような理由
からなのです。」
そんな、石川数正の合戦論のお話。
649 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 22:36:56 ID:qbyvwts2
>>648 いままでそんなに数正のこと知らなかったから少し印象変わったわ
650 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 22:57:07 ID:BCZDZNYU
文禄の役の事
朝鮮の江原道金剛郡金剛山は表訓寺に惟政という僧がいた。
日本軍がこの地にまで侵攻した際、寺の僧たちは皆逃げ出したが惟政は動じなかった。
これを見た日本軍は惟政を脅すような事はせず、中には合掌して敬意を表すものもいた。
やがて宮廷は僧達にも抗日戦への参加が命じ各地に公文を発した。
これを受け取った惟政は仏卓の上に広げて仲間の僧を呼び集め、これを読み上げながら涙を流した。
やがて惟政を中心に僧軍が起こされ、勤王の為に西へと赴いた。
日本軍占領下にあった平壌に到着するころには千余人の軍勢となり、平壌回復の戦いで活躍する。
全国の「義僧兵」達の司令官に任ぜられたのは惟政の師である西山大師であった。
当時73歳であった西山大師を理由に惟政を代理に任命
正式に義僧兵の総司令官となった惟政は官軍の南進と共に南下を続け、ついに朝鮮南東部の宣寧まで進撃した。
惟政の活躍は戦場のみだけではない。
惟政は3度にわたって敵将加藤清正の陣地に乗り込んだのだ。
これによって明・朝鮮の真意が秀吉の下に届けられ、小西行長と沈惟敬間で行われていた
早期講和交渉は破綻する。
戦後朝鮮は日本との国交回復を画策した際も惟政は活躍した。
しかし朝鮮から先に講和使節を送る事を躊躇した宮廷は、民間の僧であり日本側にも名が知られていた惟政を起用する。
「探賊使」として日本入りした惟政は慶長11年に伏見城で徳川家康と会見
この会見によって日朝間は大きく進展し、数千人の朝鮮人捕虜の帰国も決定される。
日朝間で活躍した名僧惟政は慶長15年に遷化した。享年66歳
尊称は「松雲大師」である。
651 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:26:17 ID:xocVzjDx
戦国末期、キリスト教や鉄砲と供に洋馬(アラビア馬)も日本にもたらされた。
島津貴久は日本で始めて鉄砲を実戦に投入した大名として有名であるが、実は洋馬の育成にも力を入れていた。
その様は「三国景勝絵図」に「吉野唐牧は異国の種を牧畜す」と書かれるほどであり、今も鹿児島市内に牧場跡が残っている。
そんな貴久が国分の八幡宮を訪れたとき、とある夢を見た。
その夢には白髪の老人が現れ、このようなことを告げた。
『自分は馬頭観音である。長い間ここにいるが、誰も私のことを顧みてくれない。
貴久よ、もし私のために寺を建ててくれるなら、長くこの国の守護となりお前達を守って進ぜよう。』
翌日、弥勒院の日秀上人や八幡宮の桑幡神官と囲碁を打っていた貴久は昨日の夢のことを相談した。
「実は昨日、かくかくしかじかの夢を見た。これは霊夢と思われるが私には俄かに判じがたい。
お二人はどう思われるか、一つお考えを示してくれぬか」
すると上人と神主は顔を見合わせた後、異口同音に答えた。
「それは紛れも無い吉夢です。実は私達も同じ夢を見たのです。
是非お寺を建立なさいませ、さすればご当家の繁栄間違いありますまい」
そこで貴久は、今しがたまで使っていた愛用の基盤で、馬頭観音の像を刻み、八幡宮の近くの獅子尾山に観音堂を建て奉った。
そして正月18日を祭り日とし、馬に鈴を飾り付けて参詣させ、踊りを奉納させることにした。
これが今に伝わる「鈴懸馬」である。
時に天文二十一年、貴久の息子達が初陣を飾る二年前のことであった。
しかしまあ、狐に道案内してもらったり、ネコに助けられたり、馬(の観音様)に守ってもらったりと
戦国時代の薩摩は結構メルヘンチックなところだったのかもしれない。
652 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:36:45 ID:jc8auP0D
ぽこぽこ槍だもんなぁw
653 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 00:13:58 ID:FfsfmqEd
>>650 聖職者って稀に凄い人がいるよな
当時の朝鮮の仏教界はどの程度腐敗してたんだろう?
>>651 島津は動物に愛される家系だな…
ってか政宗より早いから日本初の洋馬輸入か?
654 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 00:29:30 ID:qSMumW+C
>>653 腐敗するほど栄えてもいないんじゃないか?>朝鮮の仏教界
李朝では国教の儒教が大勢力になっているから仏教は弱小勢力。
というか弾圧対象だった時期さえある。
日本のように俗界の事に介入するほどの力もない。
655 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 01:20:08 ID:0Tej9IjV
個人的には血なまぐさい坊主は悪い話だ
656 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 01:45:06 ID:p6lOLRtu
>>646 かたじけない
貴殿には、このひょうたんを進ぜよう。
657 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 02:40:32 ID:dECKZIEJ
まぁ坊さんって盲僧含めて戦国時代に限らず昔から
外交や折衝役だけじゃなく率先してスパイ活動を担ってきたからな
使い勝手と役割の幅が広過ぎw
658 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 03:08:45 ID:kAcDosWY
政宗って家族関係で苦労してるよね。
特にお母さんからは愛情を得られなくて、そのせいで捻くれたとも聞く。
でも輝宗は政宗の才能を見込んで、非常に熱心に教育に力を注いだとも聞く。
なんか政宗と輝宗の親子愛を伝えるような逸話は無いものかね?
クレクレ君ですいませんw
659 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 03:16:53 ID:B294gvbQ
どんな美談でも穿って見られるのが政宗
当時も21世紀も変わらない
世間もこのスレもそんなもん
660 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 03:53:11 ID:FJjxHN2S
成功者が穿って見られるのも必然ですし
661 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 03:56:51 ID:IFeeI3GZ
>>658 母親と仲悪かったら大量に手紙が残ってるわけないと思うのだが
662 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 04:14:23 ID:ySu19wuw
性格が歪んだ理由はむしろ教育にあるのでは?
ハジケ損なった輝宗パパの、自信作だったんじゃないかな。
663 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 04:36:33 ID:7TyQMOGR
バンチ読めよバンチ。
兼続にあやかって小十郎が主役のマンガが連載開始だぜ。
どうせno2萌えなら佐久間信盛とか吉良親貞あたりに果敢に挑戦しろってんだ
664 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 06:29:10 ID:v194oo1b
どうせフィクション漫画ならアイヌと琉球王朝が本土の覇権を争って関ヶ原で激突する一大スペクタクルが読みたい
もちろんお馴染みの武将も登場
665 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 06:53:49 ID:3ENhtGBk
666 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 10:16:44 ID:04/OL17M
>>658 子供のためにわざわざ合戦場にまで行って、敵である兄を説き伏せる母親に愛が無いと?
667 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 10:29:03 ID:7FET92qi
直江某「某なら愛はあるでござる!」
668 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 11:26:06 ID:bnCD6hEY
俺達 『愛なんて都市伝説』
669 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 12:34:59 ID:zO01wZvH
>>653 まぁ、当時の九州は地理的に西洋との窓口になりやすいからな
670 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 12:56:53 ID:M+uIqmJ3
>>666 愛があったら食事に毒を盛らんと思う……
671 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 13:02:01 ID:EpKvmxRW
毒母の典型例だな、正宗母
672 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 13:05:11 ID:qSMumW+C
>>670 それって江戸時代の資料にしかない話じゃなかったっけ?
673 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 13:21:34 ID:04/OL17M
>>670 毒をもったら三年も四年も伊達家にとどまってないと思う。
朝鮮の政宗が手紙をもらって感極まって泣かないとも思う。
674 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 13:44:37 ID:E8iRybz1
>670
それたしか最近は信憑性に乏しいといわれてなかったっけ
675 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 13:50:08 ID:xQzvkkdU
壊滅的に料理な人いるじゃんきっとあれだよ
あんこの入った味噌汁を泣きながら飲み干したら泣くほどうれしかったのかとおかわりが出てきて政宗が卒倒したとかそんなんだよきっと
676 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 14:04:38 ID:wlcY8dWC
珍しいものを食わせてやろうと
小鼠を煮たんですよきっと。
677 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 16:45:38 ID:ySIxoGc4
>>621 骨削って武器って無限の住人の尸良かw
ってかヤツは凶に左腕も斬り落とされてたな
678 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 19:50:29 ID:eYlwvhbs
679 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 19:52:27 ID:WmNc8bwZ
山名某「家内が久しぶりの餅でなかなかいい顔して旨そうに食ってるもんですからww」
680 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 20:14:06 ID:npo4kvDA
>>674 信憑性どころか研究で完全に否定されたようだぞ
681 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 22:50:26 ID:f9XSVha2
あれだ、マンガとかである鍋とか爆発させる人だな。
682 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 23:01:46 ID:aOp9QQTf
政宗「こ、これは卵焼きなのか…?(うまいよ!ありがとう母上!)」
683 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 00:08:57 ID:Xrm529ms
愛情も料理のスパイスでして。
684 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 00:38:39 ID:xxUEIw8e
義姫「たまの毒入りはスパイスかもね〜♪」
685 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 01:03:46 ID:WmUkvT0x
686 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 01:06:47 ID:WmUkvT0x
遺骨から○○歳くらいに毒を盛られた痕跡がある!
とか分かればいいのにな
無理そうだよなぁ・・・
仮にできても犯人が母親とか確証ないだろうし
687 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 01:08:56 ID:cc52Jg2/
688 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 01:27:57 ID:WmUkvT0x
おお、有り難う
でも、やっぱり推測を域を出てないんだよなぁ
科学的な確証が欲しい。科学の進歩に期待だね
個人的には毒殺未遂は無かったんじゃないか、て気はするけど
689 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 01:43:23 ID:cc52Jg2/
実はただの食いすぎとか食中りだったりしてな
690 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 03:39:53 ID:PshFsUHL
>>688 それなら弟の小次郎のほうを検死してみればいいじゃん
691 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 04:52:57 ID:IrX2NXAs
>651動物神の霊験顕か
サラ系はいねーから、アラブ馬かな。洋馬
692 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 10:06:02 ID:5pqJs2e2
このころ入ってきてるのはアラブだろ
南蛮図屏風にも描かれたりしてる
693 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 10:48:43 ID:NWLsSKa6
>>686 ナポレオンは砒素が見つかってなかったっけ?
後は同位体分析すれば。
694 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 12:10:46 ID:JD5ndDXn
まだやってたのか
逸話の真贋考察はテンプレ違反だから該当スレでやれよ
695 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 13:07:32 ID:ngWSg86R
こちら(
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1225.html)の逸話で語られている
川村重吉の北上川工事の逸話をもうひとつ。
毛利氏の減封に伴い浪人となり、
やがてその才能をみこまれて伊達政宗の家臣となった川村重吉。
荒地を美田にし、領内各地の土木事業に従事した。
そのころ、北上川は山間を通り柳生群相野谷を東に流れ、
追波湾へと流れつく川だった。
追波湾は暗礁が多く、金華山付近も航行の難所。
そこで重吉は、北上川の流れを南下させて、石巻に港を開くよう提言。
政宗は反対意見を廃し、重吉の提言どおりに工事をするよう命じ、
重吉は人夫たちと寝食を共にして工事を指揮した。
そんなある日、重吉は政宗に工事の進行状況を尋ねられた。
「この辺まで掘り下げました」
重吉は首の辺りに手を当てて深さを示した。
それから少しして、政宗は突然、工事現場まで視察にやってきた。
視察にきてみると、どう見ても掘り下げが浅く、首の辺りまではとてもない。
そこで重吉を呼んで、堀に入ってみろと政宗は命令した。
すると重吉は、堀の中へ入り、そのままそこに座り込んだ。
掘り下げは丁度、座った重吉の首の辺り。
思った以上の難工事に、作業がはかばかしく進んでいない事を
政宗はそれで理解したが、重吉を責めるようなことはなく、
笑いながらその場を立ち去ったという。
この難工事の完成に伴い開かれた石巻港。
ここから積み出された米は江戸に運ばれ、
実に江戸の人々の三分の二が口にしたと言われている。
696 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:13:37 ID:m8TGo+Yf
毛利家臣時代に何故芽が出なかったんだろうこの人
697 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:22:40 ID:Ta6IeWMe
やはり出仕だろうな・・・
698 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:26:32 ID:oclBPa+M
毛利家は君主権が弱く重臣の発言権の強いので、
当主の鶴の一言で、才能ある小身の者に、
重要な仕事を任すというような事が出来なかったからとかかね
699 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:38:48 ID:gC7rr66y
徳川家康の四男、松平忠吉は、高名な砲術家である稲富一夢理斎から鉄砲術を熱心に学び、
稲富から「すべての秘伝を伝授しつくした」との起請を譲り受けたほどであった。
ある時その忠吉が、雁撃ちの猟に出たが、その日に限ってどうしたことか、
雁が人間を警戒し、何をしてもまったく近寄ってこなかった。
ちょうどその場に、稲富からの使者が来ていたのだが、彼は「雁が警戒しているのなら、
このようにすればよいでしょう」と、火縄の付いた鉄砲を文箱にくくりつけ、それを肩にかたげ、
ただの通行人が道路を通っている、という風を装い、これに油断した雁が近づくと、
振向くことなく後ろに向かって鉄砲を撃ち、これをしとめた。
忠吉、これを見て、「おいおい!そんな技は習っていないぞ!」
城に帰ると早速稲富を呼び出し、文句を言った。
「お主はすべての秘術をわしに伝えたと言ったのに、伝え残しがあったではないか!
けしからん!」
これに稲富は
「私は伝え残したことなぞ何もありませんよ」
「しかし狩場でおぬしの使者が見せたあの技は…」
「あれは秘術ではありません。雁が寄ってこなかったことから行った、『工夫』です。
秘伝というのは、高度ではありますが基礎的な技術体系であって、実際には
状況に応じた工夫が必要なのです。
工夫とは、芸に対しての術というもので、技術体系である『芸』に対して、
『術』はその運用活用法です。そして『術』の方は、状況に応じて行われるものため、
技術として伝えることは出来ません。
工夫を思いついたたびに秘伝として伝えようとすれば、起請文が何十枚と必要となるか
わかりませんからね(笑)
どんな事であっても詳細に極めようとすれば、一通りの技術に満足するだけでは駄目で、
常に工夫を尽くさなければならないものなのです」
つまり、『いくらマニュアルの内容を覚えても、それだけでは駄目で、それぞれの状況に応じて、
臨機応変に活用出来てこそ意味があるの。』という事のようだ。
そんな、「天下一の砲術師」と呼ばれた、稲富一夢理斎の言葉。
700 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:43:50 ID:oXkJpoCQ
忠興「どの口が状況に応じてなどとのたまったか」
701 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:45:36 ID:HIzUA2Bj
状況に応じて逃げました!
702 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 16:48:12 ID:m8TGo+Yf
もう許してやれよw
703 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 17:04:00 ID:DZict3/C
黒田長政「細川殿、let's奉公構!」
704 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 17:09:46 ID:oclBPa+M
具足を2重に着れば身動きは出来ないが弾は通らん!は秘術に入るのだろうか?
705 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 17:41:51 ID:ougS+/wd
「おまえはのろまな亀だ!」
「とってもネガティブな工夫ですね、教官!」
706 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 17:45:50 ID:01hQvLGU
大久保彦左衛門が80歳まで長生きできた理由。
若い時期の過ごし方で余命がかなり違う。
同じ年齢の石田三成や直江兼続とは明らかに違っていた。
それは若い時期に故障(小姓)した事がないからである。
我ながらウマイ!
707 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 17:52:07 ID:01hQvLGU
生きている妻・主君や郷土への愛を通した直江兼続の「愛」。しかし、彼は40代後半以降に上杉家内で老害を撒き散らす。そのあげく、批判を浴びて直江家が滅んでしまう。
同じ「愛」でも、時代の運命で死んでしまった妻・ガラシャに対して操を通した。細川忠興の愛の方がいいと思うんだけど。
708 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 18:07:30 ID:i43hk8Dg
愛って…
709 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 18:13:44 ID:xxUEIw8e
>>698 この程度の人材掃いて捨てるほどいたからだろ
710 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 18:23:37 ID:SZUJ/Jf8
忠興って浮気してなかったっけ?
711 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 18:40:54 ID:FyHoPWaq
早く夏休み終わんないかなあ
天地人で上杉景勝が会津に国替えになったので、会津の話を。
【高虎と嘉明と会津】
陸奥会津を領国としていた蒲生忠郷の頃、蒲生家中では内紛が絶えなかった。
そして忠郷が後継者無きまま26歳の若さで亡くなる。蒲生氏は徳川の一族衆でもあったこともあって取り潰しは許されたものの、大減封は免れぬこととなった。
さて、時の大御所秀忠は北の要である会津に、最も信頼厚き譜代格の藤堂高虎(伊勢津32万石)を移すつもりでいた。
高虎にさっそくその内意を伝えると、
「誠に誉れ高きことなれど、高虎は年老いて眼を病み、遠国の守りは覚束なく存じます」
と意外なことに辞退されてしまった。
「しからば、他に誰ぞ適任と思う者があれば推挙せよ」
「されば、地味なれど智勇を兼ね備えた加藤左馬助嘉明(伊予松山20万石)が最適でしょう」
秀忠はまたしても意外な返答に驚く。高虎と嘉明とは、以前領国が近かったこと(宇和島と松山)や朝鮮の役の際に先功を争い、互いを討ち果たそうとしたほどの間柄だったからである。
「そなたと嘉明はとても不仲と聞いていたが、さては年老いて和解したか」
「いえ、未だに仇敵の間柄でございます。しかし会津の備えに最適任者を推挙するのは国家の大事、自分の遺恨を挟む余地はございませぬ」
秀忠、大いに感じ入ったという。
さっそく嘉明にこのことを伝えると、嘉明は感激し、すぐさま高虎のもとに赴き旧怨を解き、以後水魚の交わりを結ぶようになったという。
蒲生家は加藤家と入れ替わりに伊予松山への転封となった。
息子の加藤明成が改易の憂き目に遭うのはそれから16年後の寛永20年のことである。
713 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 20:36:26 ID:Ca9tfPO5
しまった固定で書いちゃった失礼
714 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 20:38:30 ID:oXkJpoCQ
高虎「外様でそんな大封受けちゃったら将来どういうことになるかわかんないかねえ、ざまあwwwwww」
715 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 20:41:19 ID:DZict3/C
藤堂「嫌いな奴を上手く遠くへ飛ばしたったw」
716 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 20:48:51 ID:prbRVb1n
ほう加藤と藤堂は和解してたんだね
加藤嘉明って家光の鎧付初の介添えなんだよな
717 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 20:50:05 ID:+HFqKKrh
718 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:07:22 ID:2iEDs3eu
>>704 実物の鎧みたけど、1枚でも丈夫で重い。あれを2枚重ねなんて考えられないし、実用的でない。
719 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:16:53 ID:JD5ndDXn
んなこたぁ百も承知で
「本番に弱い臆病者」稲富を揶揄するために出来た逸話だろ
だからリアルについて語るんなら別スレ行けって
720 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:19:56 ID:PKMT/gAP
色々突っ込みどころが多いけど
口の軽い上杉謙信
上杉謙信は若年のころから口が軽かった。
ある日将軍足利義輝は彼に「三好家は代々の仇だからなんとしてでも滅ぼしたい。」と言った。
すると謙信は「そんなことは朝飯前です。人数を集めて合戦するまでもありません。
加茂神社の競馬を三好が見にきたら、こちらから喧嘩をふっかけて片付けてやります。」
このとき謙信は19歳。
中々小気味良い大将だと評判になったという。
721 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:21:08 ID:8izhoWpL
>>675 義光「オレの妹の料理はうまい。鮭の黒蜜つぶあんあえとかむちゃくちゃうめーよ!
うますぎて気絶した」
722 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:23:23 ID:8Y//QpdJ
>721
なにそのデッドリー手料理
723 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:35:06 ID:UQbJUeb5
最上家は味覚障害の家系なのかw
724 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 21:41:05 ID:XMZ49K+R
>>723 たぶん、先天性ではなく後天性、つまり破壊されたものだとw
725 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 22:10:14 ID:YRiFJF+V
726 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 22:12:25 ID:9+AKrS7E
鮭+妹の料理だと思う
727 :
人間七七四年:2009/08/23(日) 22:44:31 ID:UH9sjxXc
>>714 藤堂高吉「ちっ、俺が大名になれたかもしれないのに」
728 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 01:08:14 ID:HZi8Aizg
>>715 うん、自分も、嫌いなヤツを北の東北に飛ばそうという策略だったと思う
729 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 03:25:41 ID:ZIIL4/Zr
730 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 06:24:14 ID:gqVONFA4
鳥羽伏見では、あっという間に寝返ったし(笑)
731 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 08:50:43 ID:fyAKXlvM
藤堂藩「我らは元は豊臣方である(キリッ」
732 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 08:52:31 ID:WrJb/zsV
真希波・マリ・イラストリアス>>>>>>>>アスカ>綾波
これはもうしょうがない
733 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 08:54:21 ID:WrJb/zsV
ぎゃあ
すまんマジすまん
734 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 10:30:07 ID:pRz5rRbr
さすがにその誤爆に乗じるのは無理
735 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 11:35:33 ID:+7ucnR9H
736 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 12:08:12 ID:y9dpu7wi
>>732 宇喜多殿の茶でももらってきな
内容については全面同意だが
737 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 13:19:33 ID:yOjBvDSe
738 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 13:31:10 ID:BYHP2Cy6
>>733萌えか まかせろ
三河武士・永井善左衛門は徳川家を出奔した後、上杉に雇われ、慶長出羽合戦の際は
伏兵六人に囲まれながら、たちまち四人を討ち取り、残る二人を追い散らす剛の者だった。
上杉転封の後、善左衛門は越前松平家で槍奉行として働いたのち一線を退き、同僚に
餞別としてもらった瀬戸焼の高価な茶入で、茶の湯三昧を楽しんで暮らした。
ガッシャーン!!! 「はわわわ!ご主人様のお茶入がーーー!」
ある日、なんと永井家の女中が、善左衛門自慢の茶入を落として割ってしまった。
「うわぁぁああ!て、テメェ!何してくれんだゴラァァァ!!」
「ご、ごめんなさーい!私の化粧壷譲るんで、許してくださーーい!」
高価な瀬戸茶入に、女中の使い古しの壷が代えられる筈がない。しかし、
「あ、ああ・・・許しちゃう (*´д`*) 」
時代を先取りするメイド萌えだったのか、善左衛門はこれを許した。
それからしばらくして後、将軍の茶頭である小堀遠州が、茶飲み友達である善左衛門を
訪ねて来た。遠州は、善左衛門がさすがに使う気にはなれず、床の間に置いたままに
していたあの壷を眼にして驚いた。
「な、永井殿!これは唐物の逸品じゃ!これ程の逸品は、上様に献上しなされ!」
善左衛門も大いに驚いて、言われた通り壷を将軍秀忠に献上したところ、のちに褒美として
永井家は直参旗本に返り咲くことが出来たという。
・・・で、そんな名品を何気なく使ってた女中さん、実は旧家の出と思われるが、善左衛門が
その後彼女を褒めたとか褒美をやったとかいう話は、残念ながら伝わっていない。
おそらくメイド萌えではあったが、お嬢様萌えではなかったのだろう。
ちなみに、詳細や後日談は悪い話スレで紹介されてる「武辺咄聞書」に出てるので、
ぜひご覧くだされ。
739 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 21:30:02 ID:K2TSGBez
小堀が驚愕するってどんだけ名品なんだ
740 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 22:00:13 ID:HxP4lxxX
メイド萌と女中萌は違うもんだろjk
741 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 22:45:37 ID:YLzFD1mc
>739
そして事の顛末を聞き
「彼奴の人格は気にくわねぇが、数寄の趣味は一流だから始末に悪い、やれやれだ」
などという三斎たまのおてまみが倅殿に届くのですな。
742 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 22:51:49 ID:65hJY9GH
むしろ円満な人格の数寄者っていなそう
師匠の利休からしてかなりとんがってるし
743 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 23:21:21 ID:HZi8Aizg
だって、「業に取り付かれる」ってことでしょ数寄にはまるってのは
744 :
人間七七四年:2009/08/24(月) 23:23:25 ID:tFpsV3rJ
>>738 これと似たの短編で読んだことあるな…何だっけ?
哀しい話なんだけど
松井康之が出てるやつ
745 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 00:40:18 ID:ytltqdsz
>>744 薄田泣菫の「小壷狩り」かな?
康之の中間が旅の途中見た小壷を「これは」と思い、買い取った。
小壷は中間から康之へ、康之から忠興へ献上され、忠興はこれを愛蔵する。
しかし、忠興は自分が名器と思っている小壷が、最初は中間が見出した物であることから
「中間ごときと、オレの目利きが同じはずはない。…オレは間違っているのでは?」
と、不安にかられる。
思い悩んだあげく、古田織部に鑑定を依頼して名器である、との太鼓判を押され
やっと安心する、という人間の見栄とエゴを描いた短編。
746 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 02:33:04 ID:el5Kge2e
>745
なんでよりによってそんなヤツに鑑定頼むんだろうと
一瞬思ってしまった俺はへうげものに毒されてるな
747 :
744:2009/08/25(火) 02:43:51 ID:lyYfLBv3
>>745 ありがとう
ちょっと調べてみたら、探してたのは司馬遼太郎の「豪傑と小壺」だったみたい
松井康之の家来で、豪傑ながら武運に恵まれなかった男・稲津忠兵衛と
その持ち物であった小壺の対照的な運命が描かれてる
似た話があるってことは、元ネタがあるのかな
748 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 13:19:50 ID:GIZNE6a0
>>738 この女中はお手つきだたんだろな。
俺的には間違いない。
749 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 13:26:06 ID:+2ZJ4lqF
肉壺も貰ったんですか
750 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 17:26:07 ID:Vi06uOrW
>>747 司馬遼のほかの本の中で"初花"が楊貴妃の便壷というネタもあったなw
751 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 18:04:38 ID:pXGBjAhZ
便壷って何だ(www
油壺だよ。
香油、わかりやすくいえば、今のアロマテラピーのオイル入れ、ってところか。
752 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 22:16:04 ID:uTg7Lf5B
ドンだけ小さいウンコすんだよw
753 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 22:54:13 ID:pB/B9Yew
>710
確か「2人目の正室」は取っていないはず。
754 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 00:55:32 ID:jAkoB+ZE
焼き味噌のつまった壷を想像したのは俺だけではあるまい
755 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 11:24:36 ID:OVKGfIgI
誰が呼んだか東照サマ
756 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 11:45:53 ID:uuZ/lLZm
757 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 12:36:22 ID:zPzH1uI2
ふむ。
つまり権現様はその壺を持ち合わせていなかったために、焼き味噌爆弾をふんどしの中に忍ばせておったのですな。
758 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 12:51:26 ID:QUFYOdAd
ウンコを煮え立たせ、迫り来る敵兵にぶっかけるのですな。
承知いたました、この楠木正成にお任せ下され。
759 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 14:47:51 ID:TxXmu8cN
煮る方も罰ゲームじゃんw
760 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 14:50:14 ID:/8Q5N03G
とてもいい話スレとは思えない臭い流れ・・・www
761 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 15:58:26 ID:ZvbqJd6S
>>758 戦国時代には、南北朝時代に悪党と呼ばれていた人たちは、
どんな勢力としてあったんだろう?
たしか楠木正成の子孫が戦国時代にいたと思うけど。
762 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 16:11:21 ID:Qx5stvmd
楠長諳か。
763 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 16:12:55 ID:tMf93AFD
>>760 便壷と言ったやつの家に鬼武蔵送ってやれ
764 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 16:14:55 ID:JwsH44NR
悪党と言えば赤松。
戦国期も中期くらいまで、土壇場の裏切りや謀略で赤松らしく活躍してた。
765 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 17:25:03 ID:s7DK5Phs
いや、「悪党」ってそういう意味じゃないから。
766 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 17:42:16 ID:PlR9NMNw
確か赤松氏は悪党が出自だったはず。
だから間違っていない。
767 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 17:58:55 ID:jGawqO2Y
陪臣って、本当に将軍とかに会えなかったの?
大藩の家老なら大大名がお供に連れて行きそうなものだが。
768 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 19:18:10 ID:QUFYOdAd
池田家の伊木や前田家の本多などは徳川家直臣の地位も与えられているよ。
769 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 19:27:17 ID:D6XqcmL3
>>767 公式かつ直接に会うことが出来なかっただけ。
間に主君が入ってるとか、非公式の場なら会えないことも無い。
あと、一部の大身陪臣は例外的に拝謁できる。
770 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 20:20:16 ID:3yTlobBa
伊達成実ちゃんが簾越しに昔話をしたとか、史実だか逸話だかよくわからん話があった
771 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 20:28:11 ID:JwsH44NR
家光の頃くらいまでは、陪臣でも結構気軽に会ってるね。
772 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 23:04:16 ID:c7nIuS1B
773 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 23:46:55 ID:TJUy1lK2
久世三四郎広宣は榊原康政の家臣だったが、家康に見出され、直参旗本となった。
大阪冬の陣の際、広宣は家康に、物見に出て旧主の子・榊原康勝の陣に行き、どれほど
攻め寄せたか、その先は通れるのか見て来るよう命じられた。
榊原家の侍たちは、直参となった広宣と陪臣の身に甘んじている己を引き比べて
妬ましくなり、
「この陣の先は、鉄砲の弾が飛び交い危ないぞ。見に行かず早く帰ったほうが良いわ!」
と、意地悪を言った。
これに対し広宣は、
「榊原家の城攻めは、城方と自軍の旗先が当たるほどに攻め寄せるのが、軍法よ。
弾が飛んで来るということは、敵陣はまだまだ遠いということじゃ。
わしが貴殿らと肩を並べて戦っていた時は、こんな事は無かったはずだが、貴殿ら、
いつの間に臆病神を憑けおった?
わしら旗本衆は、この程度は何程も無いわ!」
と言い返して立ち去った。
榊原家の何者も、広宣に答えられる者はいなかったという。
774 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 23:56:33 ID:jAkoB+ZE
康勝「臆病神は憑いておらぬが、尻に疫病神が取り憑いてござる」
775 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 00:14:51 ID:Rh+mWj8U
>>773 確か、この人の家臣だったよな
復興した大阪城の大砲の筒の中に入って遊んでたのw
776 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 00:18:54 ID:18y5Gpto
777 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 00:22:24 ID:lCTVkZ/p
>>773 筑後川氏の大阪の陣絵巻の逸話ほぼそのまんまだな
778 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 01:31:01 ID:18y5Gpto
小牧長久手の時のこと
織田信雄の家老、滝川雄利は、羽柴方と城から撃ち出て戦ったが、引き取る際に
敵の追撃にあった。
その時城の門役をしていた二蔵三蔵と言う者は機転が利いたので、わざと門を閉めるのを
遅らせ、追撃してきた敵を城の中に閉じ込めた。これにより敵は引き取る事もできず、
まさに袋のねずみとなったのだが、この時雄利はあえて再び門を開かせ、敵を討つことなく
引き上げさせた。
さて、その頃徳川家康より、雄利への援軍として、近藤石見守の部隊が到着した。
近藤は雄利が敵を逃がした事を聞き、なぜそんな事をしたのかと尋ねた。
雄利は答えるに
「あの敵は、閉じ込められた事により死地の兵となっていました。これを討とうとすれば、
城内にも多くの犠牲が出た事でしょう。また、彼らを討った所で、この戦の勝敗の大局には
かかわりありません。
そのように判断したため、彼らを引き上げさせたのです。」
近藤石見守はこれを聞き、大いに感じ入ったと言う事である。
と、雄利の戦術眼のいい話なのだが、この人後で、信雄の秀吉との単独講和を
家康に内緒で推し進めた中心人物なので、単純に秀吉に対しての心証を悪くしない為、
羽柴軍にあまり損害を与えたくなかっただけかもしれない、などとうがった見方も出来るお話。
779 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 01:33:54 ID:jblK9v/o
シュメとヒッタイトを間違って攻めてた
気がついたのは半分以上の都市を落としてからだった
780 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 01:34:34 ID:jblK9v/o
誤爆っす
すみません
781 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 11:48:37 ID:C7T6eowA
>>779 お前・・・さては鬼武蔵だnうぎゃあああ
782 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 13:56:15 ID:9IABb3HT
鬼武蔵の前世か?
ならスレ違いではないな
783 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 14:37:10 ID:ux70ujT5
いや、少なくともいい話ではないぞ。
784 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 14:38:26 ID:ANHZgqD3
全滅じゃなくて済んだいい話
785 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 15:28:00 ID:buhyGzis
鬼武蔵の前世はエジプトのファラオあたり?
786 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 15:51:41 ID:apmSk3Si
橋で人を斬るあたり弁慶と見た
787 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 17:05:44 ID:NZEjavgx
>>784 さすが鬼武蔵、いい話のハードルが低いwww
788 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 17:37:01 ID:XltdFEaz
薩摩領内で発生した庄内の乱は、伊集院方が12の城に立て籠もったために
島津の将兵を多数動員せねばならない事態に陥っていた。
無論、島津豊久もこれに出陣している。
戦いにあまり進展が見えぬ或る日のこと、豊久は軍議のために島津忠長の陣に
入っていた。
評定が終わり、ふと陣幕の周辺を見渡してみると、なんと高城から敵兵数十人が
妻子を携えて城から出ていくではないか。
「さては城内の兵糧が尽きて都城に退く腹積もりか」
好機である。
「誰ぞ、士卒を率いてあれを追い詰めよ!」
軍議で来ているため自前の兵のない豊久は、陣内の将兵に追撃を促した。
しかし、これに異を唱える者が一人、
「本日は凶會(くえ)日に御座いまれば、その儀はお止めになられた方が・・・」
凶會(くえ)とは何かと豊久が問えば、その者曰く「合戦に利無き日」であるという。
君主である義久が事ある毎にクジを引いたり、川田義朗らに戦の吉凶を
占わせていることもあり、島津家は何かと縁起を重んじていた。
そのため凶會(くえ)日である本日の合戦は行えないというのである。
しかし豊久これに立腹。
「”くえ”日であるならば、敵を追いかけて”食え”や! ヽ(゚皿゚#)ノ ゴルァ!!」
「Σ(;゙゚'Д゚') ハッ、ハハ━━━━ッ!!
その剣幕に将兵らは我先にと敵の跡を追いかけて行った。
これにより既に敵の先頭部は遥か先に逃げ延びてしまっていたが、後方の者らを
討ち取るにいたった。
「豊久様のお言葉は勢を進むるに計ごと、時に取り手の金言である」と世の人々は
豊久のダジャレ・・・・いや、言葉を称賛したという。
789 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 18:10:55 ID:NhGIEK05
> 二蔵三蔵
姓がふたくら、名がさんぞう か
姓が某、名がにぞうさんぞう か
紛らわしいなw
790 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 18:25:20 ID:WACb1216
>>788 で、関ヶ原の合戦は義弘おじさんの代わりに東軍に く わ れちゃったわけですね・・・
791 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 21:11:50 ID:czZKWTVW
792 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:12:36 ID:uzP+CpXV
ふむ。島津忠長の名前が見えたので忠長関連のエピソードを1つ。
元和元年、上洛の途中に清水観音に立ち寄った家久は、一晩お堂にこもり
「嫡男誕生」を祈願した。そして住職から梅干をもらったので、その梅の種を鹿児島で植えたのだった。
するとどうだろう。今まで4人連続女の子が生まれていたのに、梅が芽を出すと連続して男児が生まれたのだった。
これに気を良くした家久は、この生えてきたばかりの梅ノ木を霊験あらたかな瑞兆の木として非常に大切に扱ったのだった。
だがしかし、元和4年これらの経緯をすべてしっていた大叔父の忠長がなんと庭普請時にこの梅の木を切ってしまったのだ。
しかも家久が普請方にこの梅の木だけは切るなと命じていたのにである。
家久はさっそく「話があるから来い!」と大叔父を呼び出す。
当然不穏な空気を感じた忠長は「今ちょっと急用あるから、これ終わってからで」と呼び出しをかわそうとする。
しかし「こっちも急用だ!早く来い!」と引かない家久だが、
忠長は「こっちも急用、あっちも急用ってどうすりゃいいんだか?とりあえずこっちを片付けてからで」と呼び出しに応じない。
そして3度目の家久の呼び出しの使者に忠長は逆切れする
「うるせー!日薩隈3州の太守がたかだか梅1本でグダグダ言うな!見栄えが悪いから切っただけだろうが!!
そんなに梅の木が欲しけりゃ領内にいくらでもあるだろ。そう言うことだ!」
使者から忠長の伝言を聞いた家久は黙りこくってしまい、その後出頭した忠長には
「庭普請で疲れたでしょうから一緒に酒でもと思って声をかけたんですよ」
と叱言1つ言わず、一緒に酒を飲むのであった・・・
と家臣の暴言にも切れずに対応できた南のDQNのお話。まあこの時はまだ義弘が健在だったからかもしれませんが。
793 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:15:55 ID:rySBvAwG
見栄えが悪いからって人のモンを勝手に切るなw
794 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:27:50 ID:udAUmEsr
家久(悪)の方?
795 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:28:59 ID:9IABb3HT
豊久「これぞまさに切り捨てご梅ん!」
796 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:41:21 ID:McfvGh23
一緒に飲んだ酒って梅酒だったりしてw
797 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:52:29 ID:RyK1DP9z
梅干しから芽が出るってすごい事なのに・・・(´・ω・`)
798 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 23:55:45 ID:OoqBACQP
いい話?梅干しのいい話か!
799 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 00:32:43 ID:r7dI8gQK
>>797 そうだよね。
既に塩漬けされてるわけだから、発芽するための機能が壊死してなかったのはスゴイや
800 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 00:54:45 ID:tEvgSs9q
悪い話と良い話過去スレから全部見てきたけど
悪い話に上がってる政宗の話はいい話の方でいい気がする
801 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 01:16:41 ID:wtVC6naO
残暑がまだまだ続きそうですね。
802 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 01:25:25 ID:ovoh4FCp
いやみったらしいの
803 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 01:31:07 ID:ib6Ups4g
>>792 その後自分の子を養子に送り込んでうさをはらしていたらおもしろいな
804 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 03:40:21 ID:OvmJdWXX
これが徳川家中だったら家康が言いくるめられてめんどくさい部下の話になってるところだな
805 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 04:09:11 ID:VuCOZ/kT
森家で起こった「にらみあいの松の事件」の地元に伝わるその後のお話を一つ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html(←にらみあいの松参照)
当代無双、絶世の美少年として名を馳せ齢十五にして「名古屋山三は一の槍」と流行り謳として謳われた
名古屋山三が井戸宇右衛門と両者相討ち死にしたとの事は、瞬く間に全国に広がり
特に山三が浪人時代過ごした京の都ではその話で持ちきりであった。
京の都では名古屋山三と浮き名を馳せた出雲阿国とその一座も今では民衆から
「阿国一座はもうダメかもね・・・」 「そもそも次の公演自体があるのか・・・?」
と「やや子踊」や「念仏踊り」で一躍スターとなった阿国一座であったが名古屋山三が
惨死してから間もなく同年同月に念仏踊りの公演が行われる事が民衆の間で広まった
京の民衆たちも「演目も念仏踊りだし追悼公演だろうな」 「これが見納めになるだろうし見に行くか!」
なかば同情的な意味合いで観衆は意外にも多く 阿国一座にとっては盛り返す為の最後のチャンスでもあった…
演目が始まると念仏踊りしているのは出雲阿国本人ではなく一座の別の女性であり民衆たちも
「あぁ阿国ちゃんはやっぱり出て来れないか」 「巷の噂じゃ自害して2代目が後を継いだとか言われてるぜ」と噂とブーイングが飛び交う
が、そこに客席から突然異国風のド派手な衣装と飾り物を身にまとった男装の女が現れた
客席からは「名古屋山三だっ!」「かぶいてるねぇぇぇ!」「槍の山三が生き返った!!」と大歓声や屋号が巻き起こる
この女こそ出雲阿国で有り名古屋山三の衣装と飾りを身に纏ったこの日の公演で「阿国歌舞伎」は誕生した。
人気者ゆえに亡き恋人(もしくは夫)を舞台の上で蘇らせた芯の強い女性であったとも言われる一方で
面識もない癖のに勝手に山三の名を語り売名した悪女とも言われる彼女だが、にらみあいの松付近の言い伝えや
作楽神社の伝承では出雲阿国が郷里する為に、このにらみあいの松に訪れ山三の遺体が埋められた北側の松の木の下で
一人泣き崩れ 深夜になっても泣き崩れている女を心配して村人達が訪れると先刻とはまるで別人のように
北側の松の木の下で踊り始めそのあまりに美しい舞姿に村人たちは驚いたと言われている
松事件以降の森忠政のその後のトラぶった逸話を書こうかと思ったらいつの間にか戦国ロマンスになってしもうた・・・
806 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 08:22:38 ID:1Qt54/vz
>>803 家久には後々報復ってエピソード多いからなあ。
川上さんちとか子供の代に火あぶりの刑だし…
807 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 09:34:24 ID:toMEKD2K
808 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 09:55:14 ID:kjP5uUgs
809 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 09:57:26 ID:6cSToMEQ
>>792 「梅干しの種から木が生えたぁ? おいおい、そりゃあ『種違い』なんじゃないの?』
っていう、意味なんじゃなかろうか。
810 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 10:39:33 ID:Bhz8YfPX
>>805 阿国さんって一座で一番べっぴんな女の子に自分の名を口上させて自分は名古屋になりきって
イチャイチャ歌舞伎したり、その後も名古屋さんの霊と会話したり周りからは美談に仕立て上げられてるけど
俺は精神的に病んで別の世界に逝ってたんじゃねーかと思うんだ
811 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 11:08:47 ID:KJJl7dGV
太古の昔から舞踏ってそういうもんでない?
812 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 12:17:16 ID:o3SYp6G+
てか阿国と山三って面識もないんじゃないかっていわれてるよね
どうして結び付けられるようになったんかな
ああ、こういうこと書くと叱られるんかな
813 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 12:23:37 ID:SJ9Ia2Y3
そういう歌舞伎の出し物があったからじゃねぇの?
まぁ比較的野暮の部類の話ですな
814 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 14:03:01 ID:IK6Al3pn
>>808 忠長の死亡年には諸説あるから。
ウィキだと慶長年間に死亡したことになってるけど元和年間という説もある。
そして元和年間説をとるとこの件のあと比較的早く死んだことになるんだよね。
別に悪久が手をくだしたとは(ry
815 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 17:29:46 ID:VuCOZ/kT
>>812 逸話を楽しむスレでマジレスしても良いのか判らないが一応補足しとくと
乱世で民衆に娯楽が少ない中、当時流行り詩になる程のイケメンと
当時、都で人気街道絶頂の男装の女芸人をくっ付けたがるのは今のワイドショーと変らない
と言ってしまえばそれまでなんだが、一応そこに至るまでの関連性はちゃんとあって
京の都で”クニ”と”菊”と言う少女がややこ踊りを披露していた時期に名古屋山三も
京の都でたまたま浪人していて色恋沙汰の噂が絶えなかったこと
京の大徳寺に名古屋山三郎が出家中に逆修塔(生前に作っておくお墓)を立てて居て
偶然にも大徳寺・高桐院の中の更に奥の敷地内に山三と並ぶように出雲阿国の墓がある
(ちなみに名古屋山三郎は出家中あまりにも美し過ぎて風紀が乱れてカオスったとの逸話もある)
名古屋山三郎が亡くなった1603年に名古屋山三を思わせる出で立ちで偶然にもかぶき踊りが演じられたこと
阿国一座を真似ろ超えろと遊女達が真似た芝居で”国”と名乗る踊り子が大量に溢れて
その中の数人が名古屋山三が囲った本当の”女”だったかも知れないので色々噂が残ってる
父は名古屋因幡守(信長の従兄弟)母は養雲院(信長の姪)で山三の息子名古屋隼人(幼名:山三郎)は
森忠政の下で育てられ高山南坊の推挙で加賀前田家に仕えたと最低限の出自がはっきりしてる名古屋山三郎に対して
出自が「出雲の国の女」とも「大和の歩き巫女」とも「京出身の女芸人」とも言われている出雲阿国は
一人の人物(本物)を中心に京の都で”クニ”と名乗った複数の女性の逸話の集合体が歌舞伎・浄瑠璃の世界で
後世に伝わって二人が恋人や夫婦であったという俗説が大衆の間でとても根強く残る事になった。
一座を守る商根魂の強い人だったとも、色恋沙汰とは無縁の踊り一筋の女芸人だったとも、
春を売る仕事もしてたとも凄い曖昧な人物像に描かれてるのはその為とも言われてる。
816 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 17:42:32 ID:0F8rKzxr
戦国時代生まれの芸術家として名高い本阿弥光悦の母親、妙秀尼の話。
ある日、妙秀尼の家に石川五右衛門の一党の盗賊が押し入り、蔵から財物を盗んでいった。
近所の人たちはそれを知って、「盗まれたものは有名な品ばかりですので、すぐにあしがついて
盗賊どもは捕まるでしょう」と、妙秀尼をなぐさめた。妙秀尼は「つかまれば死刑となる。いかに
盗賊とはいえ、さすがにそれはかわいそうじゃ」と言って、運良く盗賊に盗まれずに蔵の中に残っていた
反物を寺に奉納して、盗賊のために祈った。
817 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 17:46:35 ID:1Qt54/vz
盗賊にとって(都合の)良い話?
818 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 17:48:48 ID:wBm7/MMi
戦国三大美男子の名古屋山三郎(喧嘩沙汰で死亡)、不破万作(秀次の後を追って切腹)は太平の世まで生きられなかったけど、
浅香左馬之助は生きたんだよね。石田三成の家臣だったのにどうして生き残ったんだろうか。
819 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 18:05:50 ID:RLqXQWoh
男色をめぐるチョイといい話を書く可し。
820 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 22:08:50 ID:vrbmUhZK
文禄年間に、「龍達節」という唄が流行した。その歌い回しが小唄の源流になったと
言われるもので、太閤秀吉に「異風を好む」と言われた毛利輝元もハマッていた。
「 ♪面白の春雨や 花の散らぬ程に降れー♪ 」 アーコリャコリャ
「……………」
「げっ、小早川の叔父上……」
「……殿、実は私もその「龍達節」とやら、最近習いまして、愛唱しております。
ただし私の場合、替え歌ですが…」
「へ?叔父上が今ドキの数寄風流なんて珍しいじゃないですか!聞かせて聞かせて!」
「では……ア、ソレ
♪面白の儒学や 武備の廃らぬ程に心掛け♪
♪面白の武道や 文筆を忘れぬ程に心掛け♪
♪面白の歌学や 其身を捨てぬ程に心掛け♪
♪面白の乱舞や…♪ 面白の茶湯や…♪」 「……も…モウ結構デス……」
とんちもイケてる(?)小早川のオジキでした。
821 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 22:19:25 ID:IhaY76d8
このスレにたびたび出て来る頓知とか現代の日本人には理解できんし
822 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 22:29:29 ID:P1II8HZQ
これは普通にわかるっしょ
823 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 22:39:38 ID:pKZwWFxh
これはさすがに分かる
流石隆景様
824 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 23:04:49 ID:SK+1aP1u
叔父さん死んだ時にはガッツポーズしてそうなくらいの逸話の量だな、隆景さんと輝元はww
825 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 00:57:23 ID:C34A81fO
>>806 この頃って親が優秀で貢献度高くても子が不興を買ったら
容赦なくってかアッサリ殺されたりすること多いからねえ
忠恒の家老務めた比志島国貞の息子の国隆もよくワカラン理由で殺されてるからな
川田義朗は義久の腹心だし養子取って子孫が地頭続けられたからマシな方
826 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 00:58:52 ID:C34A81fO
ああ、川上氏かw
川田氏と勘違いした
827 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 01:13:41 ID:ezHrigEM
>>820 逸話の内容とはあんま関係ないけど元の歌流行っただけあっていい歌な
828 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 05:18:36 ID:GX/7N5nH
>>821 元の隆達の唄が
雨がどんなに興趣深く降っても、花が散ってしまったら元も子もない雨よ花が散らさない程度で降れ
って意味の唄。
だから小早川おじちゃんが輝元に
『何事も程度が大事なんだよ?わかってる?わかってないよね?わかってないからそんななんだよね?』
ってことを言ってる。
829 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 08:30:49 ID:yFbPsXS6
>>805 男装の美女、今は野郎だけの歌舞伎も当時彼女から始まった頃は艶めかしいエロな寸劇らしいね
830 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 08:54:03 ID:SYSPZvd7
エロというか、そういうのは遊女歌舞伎ではないかえ
831 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 09:14:13 ID:X0FVsxlE
歌舞伎は当初、女性のみが踊るもので男装美女と遊女役のからみ等、
いまでいうところの宝塚をエロくしたようなかんじだった。
次第に猥褻化がすすんでしていったため、
おかみがけしからんから女性禁止にしたところ、今度は美少年が踊るさらに
デカダンでいやらしいものになった。
その後、若衆歌舞伎も禁止。現在の野郎歌舞伎が定着し、江戸スイーツ格好の
ストレス発散レジャーになったといういきさつがある。
832 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 10:59:59 ID:nNzLtnOc
>>820 そんなその当時では不良の歌う歌だったらしい龍達節を
超一流の文化人といわれた細川幽斎さんがたぶんこれまた堅物だったらしい島津義久さんを招いて
「義久さん、お得意の龍達節を披露して〜」
と龍達節レイブパーティーを開いたというのはここだけの内緒です
参考文献は『細川幽斎』(これの元ネタは「綿考輯録」
833 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 12:46:49 ID:yFbPsXS6
>>830 元祖の阿国も胸元や着物の裾はだけたりとか
風俗的な芝居取り入れたりとか結構際どいものだったが
後に続いた遊女がこりゃまた過激で女だけの歌舞伎禁止になった
834 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 13:14:31 ID:bGhrcSNs
芸と色は昔も今も表裏一体の様なもんだ
835 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 13:21:20 ID:c+6h6gaS
パンチラ禁止の結果、穿いていないへと悪魔進化した様に
男歌舞伎も女形が芸術の域まで達した
836 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 13:23:23 ID:gtROUOkM
出雲つながりで鹿介の話を一つ
不浄口の脱出で定評のある山中鹿介ですが
逸話によってはちょっと面白い会話をしているのは既出でしょうか?
末石城で吉川元春に降った山中鹿介
天敵・杉原の城に軟禁されていた
鹿介はある夜、不浄口より抜け出でて、高さ八尺ばかりで
二重に作られた柵を飛び越し城外へ逃れた。
しかし
警固頭・木次左衛門に追いつかれ、上に下にの取っ組み合いとなった、
そこに、木次源五郎が追いつき
「上と下のどちらが木次だ?」
と問うたところ、鹿介は
「上も下も木次だ」
と答えた。
源五郎が躊躇っていると、鹿介は足を伸ばし、源五郎を蹴り倒した
しかし、鹿介は左衛門と起き上がってきた源五郎により
再び、捕らわれてしまった。
四五日後、鹿介は白昼に高さ一丈、二重に構えられた柵を飛び越え
大山原を東へ逃げた、馬により追手もかかったが、
終に鹿介を捕えることは出来なかった。
いい話とも悪い話とも言い難いのですが、
(トンチと運動神経の)いい話ということで。
837 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 13:32:54 ID:dRqFptAZ
>>836 > 鹿介は白昼に高さ一丈、二重に構えられた柵を飛び越え
なぜか鹿介が走り高跳で柵を飛び越えるところをイメージしてしまった。
一丈 = 3.03030303 メートルだから、もし走り高跳ならぶっちぎりの世界記録だがw
838 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 14:23:53 ID:aUpsPxsd
映画の大脱走は実は鹿介がモデルらしい
839 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 15:20:57 ID:ChDyOWDQ
明日は選挙っすね〜
ある時織田家で、「家中の勇者ナンバー1は誰か」という投票が行われた。
得票数1位は林佐渡守の子の林新三郎であったが、一方で「新三郎逃走」と記載された票も7票あった。
しかし、信長はこの7票を誹謗中傷の無効票とし、林新三郎を「織田家第1位の勇者」に認定した。
新三郎は選挙結果に恥じない働きをし、「槍林」の異名をとったという。
840 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 16:59:55 ID:rvTc2wVT
841 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 17:23:16 ID:3+KI9ViF
842 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 17:26:07 ID:kJsP6Csu
本気にするなよ…
843 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 17:40:57 ID:YyAzOM6y
>>839 新三郎の票が伸びると読んでの嫌がらせかなぁ
844 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 17:53:37 ID:/q2Waxgv
お国って1559年に京で舞った記録もあり活動期間長いから母子二代説もある
845 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 17:58:44 ID:1Y+DRxE8
846 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 18:30:43 ID:eeWbkL/o
>>844 記録上の年代だともの凄いサバをよんでた説と母子二代説があるよね
名古屋山三との俗説も初代が関係があって二代目は知らなかったorその逆の説があるし
細川幽斎が剃髪して出家してきた名古屋山三郎九右衛門には宗円と称させて
「かしこくな身をかへにけるうす衣 錦にまさるすみそめのそて」と美貌を
褒め称えた詩残してるし、九右衛門は坊主頭でもそんなに美形だったのか幽斎自身が
この寺にお前が居ると(性的な意味で)危ないから武士に復帰しろと助言したり
生前の約束守って玉甫紹j和尚に九右衛門の供養塔を一番大事な場所に建たせてるし
幽斎か玉甫紹j和尚が出雲阿国の供養塔を後々九右衛門の側に置いたと大徳寺に伝わるし
天才的な文化人であったにも関わらず他人の才能に嫉妬せず、むしろ気にいった文化人を
支援していた細川幽斎自体が二人を結び付けた犯人かもってのを何かで見たなw
847 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 18:38:09 ID:YyAzOM6y
もしかして名古屋に「俺の友達の家なんてどう?」って感じで森家薦めたの忠興なんじゃ・・・
848 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 18:52:36 ID:+DFjjf37
>>846 母子説の方が有りだな、前者だと関が原頃には軽く見積もっても5、60歳はいくだろうし
849 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 18:58:40 ID:5RTyzSOy
>>847 名古屋も織田一門の出で森家に仕えた時は織田九右衛門と名乗ってたし
普通に織田と縁戚のある森家の誰かがお前の妹可愛いしウチにくれない?
嫁にくれたら結構な待遇で雇うよ!ってのはあったんじゃね
じゃないと老臣井戸を遠ざけて新人の名古屋を義兄と慕って贔屓した忠政は鬼すぎるw
まぁその後事件は起きたんだけども・・・
850 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:00:25 ID:86tP2g0u
851 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:13:15 ID:RlCahaU/
ところで、森忠政が四天王枠じゃないのはやっぱ兄貴があれだから?
852 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:19:36 ID:aUpsPxsd
853 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:34:04 ID:CMz0vpex
>>851 どっかみたいに四天王が五人いたとしてもかまわないんじゃないかな?w
854 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:50:43 ID:eeWbkL/o
ちょっと良い森忠政
「お岩(妻)の兄ちゃんだし大事に持て成したいけど重臣の井戸たちに面目がたたないな〜」
→忠政も散々悩んで二人を仲良くさせようとしたが二人の中は悪化する一方で結果回避できず悲惨な事件へ
重臣と妻の兄を二人失う事件に忠政もショックが大きく大変悲しんだという
その後妻の甥でもある名古屋の嫡子山三郎(名古屋隼人)を忠政様は大事に育てました
ちょっと悪い森忠政
「ねぇ義兄者悪いんだけど俺に小言言ってくるあの老害ども殺っちゃってくんない?^^」
→この時なぜか名古屋に自慢の愛刀「かんな切り」まで渡してる
→暗殺を恐れて警戒してた井戸は普段から弟達を傍に呼んでいて弟・井戸甚三郎も現場にいた
→井戸兄弟に切られた名古屋が死んだ直後に最初から仕込まれてたかのように
「おやおや〜家老職の立場であられる井戸様がこのような事を・・・これはいけませんねぇー」と
白々しく森家の兵がなぜか出てきて井戸兄弟はボッコボコされて埋められた
→なぜか井戸のもう一人の弟井戸惣十郎もタイミングよくぬっころされてしまった
これには忠政は「井戸ざまぁwwwこれで当分の間謀反も小言も言われないで済むぜw」としたり顔だったという
855 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:57:45 ID:YyAzOM6y
名古屋隼人は成長すると家中の空気が気まずかったのか自主的に出て行ってしまうんだけどNE☆
譜代の林親子放出のお陰で家中でゴタゴタは頻発するわでもう大変。
やり手の可政叔父さんと3人の息子が入るぐらいまでなかなか安定しなかった。
856 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 21:35:24 ID:5RTyzSOy
名古屋隼人って森家で育って前田家に仕えたくらいしか大して記述ないのに
結構時代恋愛物の小説に登場してるよなスーパーアイドルだった父ちゃんと母ちゃんのお陰だな
名古屋は蒲生さん時代は美人だからというより先駆け大将的な意味合いで男に異様に人気あったとか
857 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 21:42:01 ID:tswDGQFy
薩摩の寺には山門を構えたり壁で囲ったりする風習が無かった。
とはいえ、戦国の世ともなれば治安も悪化する。
寺院を預かる僧侶達から「盗難を避けるために山門を気づくことをお許し願いたい」
という申し出があったのも仕方の無いことであった。
この話を受けた義久は一旦許可を出したが、このように付け足した。
「山門を築くのは致し方ないが"駆け込み寺"と言う言葉があるように、寺とは領民にとって
心のよりどころでもある。
たとえば夜に助けを求めてきた者が、山門に阻まれて寺内に入れなかったとあっては
意味があるまい。山門の横には塀を乗り越すための添え木も建てておくように。」
そこで薩摩の寺院では寺の門の横には必ず添え木を立てて、登り越しのための
横木を付ける事が義務付けられた。
これは江戸時代に入っても幕末まで守られたという。
858 :
人間七七四年:2009/08/30(日) 01:01:01 ID:nS0e7net
>>836です。
間違えを訂正
木次左衛門ではなく木次左衛門尉でした。
ついでにソースは「芸侯三家誌」巻五です。
所で、山中鹿介って一般に身体の大きいイメージがあるようですが、
鹿介の見た目に関し言及している、多分一番古い資料の雲陽軍実記では
「骨柄五尺余り」となっているそうです。
ここの板では、鹿介は大きかったと見る方と小さかったと見る方
どっちが多いのでしょう?
ちなみに友人に聞いたら、誰それ?と言われてしまいましたwww
859 :
人間七七四年:2009/08/30(日) 01:50:01 ID:Lk2U2uvz
>>847 森家に推挙したかどうかまでは判らないけど細川親子が名古屋山三郎の
支援者だったのはかなり可能性高かったみたいだぞ
高桐院の境内墓地にゃ細川幽斎・細川忠興・ガラシャ婦人・細川忠隆
少し離れた場所に名古屋山三郎・出雲阿国と当時にしちゃ一族同然の各段の扱い。
細川幽斎がそれだけ芸人を尊敬できる器のでかい人物だったのかも知れぬし
忠興か叔父の玉甫紹jが特例で気を利かせたのかも知れないが。
幽斎死後のお気に入りだった人物の話を元に作られた墓じゃなくて
名古屋山三達の墓のが幽斎や忠興の墓より古い。(先に亡くなってるので当たり前だが・・・)
俺は高桐院を創立した当時はまさか細川一族の菩提寺にまでなるとは思ってなかった説を信じるが
860 :
人間七七四年:2009/08/30(日) 02:11:52 ID:UHdXMTnr
幽斎のおもちゃだったのかもしれん
861 :
人間七七四年:2009/08/30(日) 02:15:40 ID:Lk2U2uvz
>>857 すげぇな全国各地で戦国時代前後の文化や風習が明治維新までごり押しで
残ったとか色々聞くけどこう言う系の話があったら教えて欲しいでござる
>>857 それって盗賊も入ってこれるんでは……
と書こうとして思いついた。壁に忍び返しをつけて一方通行にすればいいのだ。
>>861 木崎原の戦いの前に島津義弘が三徳院の盲僧で菊市という人物を伊東領内に
遣わし合戦の情報を集めさせて、結果島津が勝ったんだが、このときの功で
菊市は盲僧の最高位と共に、小林郷の年貢米を毎年決まった量だけ貰えるという
特権を与えられた・・・というのは以前にも書いた気がするけど、
この年貢米の特権、いつの間にか慣例化して幕末どころか大正時代まで続いたらしい。
・・・てな話で良いんだよね?
盲僧の最高位って検校だよな
塙保己一とか勝海舟のじいちゃんが検校としては有名どころすね
石田検校を忘れるな
>>861 甲斐国の国中地方では本能寺の変後甲斐に入った神君によって
武田時代の制度が引き続き認められた。
この制度の中に武田家制定の升といわれる「甲州升」というものがあり
さらにその升を用いた特殊な税収法を大小切税法と呼んでいた
江戸時代に度々幕府から甲州升は田舎臭いから度量衡見直さない?
幕府の定めた税収法の方がナウい(死語)よ?と言われたが国中の人々は
その都度「この升は神君御入甲の際、制度を保障されたんですよ・・・
河尻の二の舞になりてーか、お?」と甲府城に皆でお願いに行ったり
近隣の米問屋を打ち壊したり甲府城下を歩いていただけの甲州勤番の役人を
フルボッコしたりと熱意と忍耐と誠意をもって説得した
時は下って明治五年、明治政府が大小切税法を廃止しようとしたのだが
コレに怒った(現笛吹市と旧山梨市近辺の)約6000人は一揆をおこした
明治政府は板垣退助と近藤勇が戦った甲州勝沼の戦いでも
官軍の呼びかけにも幕軍の呼びかけにも応えず
木に昇り飯を食いながら戦見物をするような大人しい甲州人が
コレほどまでに大規模な一揆を起こすとは!と驚いたと言う。
>>864 菊市は、史料では「地神座頭」と書いてある
宗派とかで違うんじゃないのかね
869 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:47:12 ID:nS0e7net
遅ればせながら甲斐姫が戦国無双に登場なさると伺ったので
秀吉の小田原城攻めに際し、武蔵・忍城で石田三成を相手に
籠城戦を繰りひろげ、
継母(成田氏長の夫人)の指揮で、水攻めを試みた三成軍を散々に
打ち負かした。
水攻めを断念した三成はとうとう力攻めに出た、
そこに現れたるは小桜縅の鎧に猩々緋の陣羽織、その姿はさながら「緋牡丹」
とも称えられる甲斐姫
名刀「波切」を手に寄手の真っ只中に飛び込み、多くの首級を上げた
そうして、忍城が奮戦している間に肝心の小田原城が開城の運びとなった。
ところが、甲斐姫や氏長夫人たちはこれを信じようとせず
なお頑強に抵抗を続けた。
そして先に秀吉に降っていた氏直が妻子を説得し、どうにか忍城を開城させた。
ついでに氏直はかわいそうな事に、この後、忍城の開城が遅れた責任を償うため
多額の黄金を秀吉に献ずる羽目になった。
既出でしたら、すみません。
甲斐姫の(格好)いい話 ということで
>>861 残った、続いた、と言うのとは少し違いますが…
島津義弘は朝鮮の役で敵味方の区別無く弔いました。
また、帰国後には高野山に『敵味方供養碑』なるものを建てています。
これは島津忠良が薩摩統一の折に加世田に六地蔵塔(日新公敵味方供養碑)を建てたことに
影響を受けたものと言われています。
時を経て昭和二十八年十二月二五日、鹿児島市中央公園に『第二次世界大戦敵味方戦亡者供養碑』が
敵味方二千数百万の戦没者を弔うために建てられました。
これは高野山の『敵味方供養碑』と全く同じ大きさ、同じ形をしており
『義弘公が高野山供養碑を建てた精神に基いて建立した』と言う由来が
当時の鹿児島市長、勝目清氏によって石碑の傍らに記されています。
>>869 のぼうの城とは全然違う形の逸話なんだな
いろんな逸話が出来るぐらい忍城の篭城戦って凄かったんだろうな
874 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 01:11:03 ID:vXc5jGBP
>>866 石田流ができただけでも江戸時代があった価値はあった
875 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 02:29:39 ID:4AYOzsaY
戦国三大美少年の一人浅香庄次郎 (水野少次郎-大塚左兵衛-松浦左兵衛-浅香庄次郎)
織田信雄の小性・水野少次郎として勤めたが後に一躍名を馳せることとなる
「武家事記」-関白秀次が招いたが織田信雄はこれを断った。
織田信雄の流罪に伴い、木村伊勢守の小性となりこの頃、天下に名高く響く
名古屋山三郎・不破万作と並び国色無双と称される程にまでなる。
木村家が葛西一揆の責任を受けた際に蒲生氏郷のもとで松浦左兵衛と名乗り
この時、名古屋山三郎と出会ったのがのちに伝説を作り上げたと言われている
九戸政実の乱で九番手左の一番の将として出陣し一番槍の名古屋山三郎と共に武功を上げ
一万石を持って須賀川城を与えられるが後に蒲生家が宇都宮に転封されると石田三成の家臣として仕えた。
「常山紀談」-慶長5年-三成の気を触れてしまったのか勘気をうけていたが威風堂々たる格好で
出陣し敵の首を持って「勘気を許され候へ」と三成へ進言すると「能こそ軍しけれ」勘気を解かれ
軍部へ復帰するが同年、石田三成が関ヶ原で敗れると庄次郎は何とか生き延び
前田利常に招かれ、この時初めて浅香庄次郎と名乗り前田利常に二千石で仕えた。
悲運な人なのか武功をたてるも主君が何らかしらの形で全て果ててしまい心身共に疲れ果てていたが
この時前田家に仕えた二代目・名古屋山三郎隼人と出会い「何と縁の深き事かな」と
死しても尚、愛されるかつての友の子を見て涙を流した。と言う美談が残る。
戦国三大美少年のうち一人生き残ったが故にかつての美貌も老いてしまい辛い余生を
すごしたと言われる浅香庄次郎の心をほんの少し温めたお話。
876 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 03:58:47 ID:4AYOzsaY
戦国三大美少年筆頭 名古屋山三郎の美勇伝 (織田九右衛門)
信包時代-女の子と間違えられ男衆の元にしばらく帰れなかったとの逸話が残る。
「氏郷記」-蒲生氏郷小姓時代に陸奥名生城攻・島津氏討伐・小田原北条攻め・九戸政実の乱で
数々の一番槍一番首を上げ15歳にて「槍師 槍師は多けれど 名古屋山三は 一の槍」
と全国に響き渡る流行り詩にまでなった。それぞれ二千石-五千石を賜った。
蒲生氏郷が没後、京の四条付近で浪人生活を送る とある。
「森家家臣各務氏覚書」-「名古屋山三郎殿、御かたち美男にて之れ有り。
御身上の妨げのも成り成り。 主もうるさく思し召し御法体になされ宗圓と申し候。」
名古屋山三郎のその容姿は美し過ぎて身の上の妨げになるから主も困ってしまい出家させて宗圓と名乗らせた。
名古屋山三郎は氏郷死後も蒲生家に仕えたかったがあまりにも美男過ぎて
それが仇となったと伝わる。(主が出家させざるを得ない何かを起こしたとも)
大阪の民衆の間で三歳違いの又従姉(はとこ)淀の方と密通したとの浮き名が流れ
淀の方の二人目の子は名古屋山三郎の子だという説が根強く残る。
一流の者には称賛するが二流者には厳しかったと言われる細川幽斎が
詠んだ詩「かしこくも 身をかへてける薄衣 にしきにまさる 墨染めのそで」
剃髪して「宗圓」と名乗る坊主になった名古屋山三郎だが
山三郎が見に付けていると地味で安っぽい薄衣も錦にすら勝る墨染め物にすら見紛うと称賛した。
細川忠興の叔父:玉甫紹j「玉甫録」-名古屋山三郎は武勇に優れた美男子なだけではなく
遊芸にも通じ、山三郎の周りでは艶事が常に絶えず-
(この頃京の四条いた出雲阿国と浮き名が流れたとされる)
877 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 04:08:44 ID:4AYOzsaY
〜 つづき 〜
出家先の大徳寺でもその美貌が妨げになって只ならぬ事が起きたらしく
実妹・於岩の方が嫁いだ森家へ還俗する事となった その際「宗圓」から「織田九右衛門」と名乗った。
主君森忠政からの扱いは新参者とは思えぬ厚遇で井戸宇右衛門との対立が絶えなかった。
当時の記録を残した資料「懐橘談」「雍州府志」「貞丈雑記」などは出雲阿国が、
かつて自分の愛人だった、山三が笛を鳴らし阿国が舞って夫婦共演した、
「名古屋山三」の霊の前で阿国が一時を楽しみ別れを悲しんだ、一座の演出者であったとあるが
阿国一座の演目中の「名古屋山三」として演じられた登場人物なのでこれは省く。
(阿国歌舞伎と同じく遊女歌舞伎・若衆歌舞伎・江戸歌舞伎・現代歌舞伎・浄瑠璃も省く)
慶長八年-没後、細川家菩提寺大徳寺・高桐院にて「梅林院殿久嶽宗遠居士」という法名で丁重に葬られた。
織田家・蒲生家・細川家・森家それぞれの主君に寵愛をうけ何より民衆から愛された人物であった。
(織田信包-蒲生氏郷-細川幽斎-森忠政) 天下一傾き者-天下一美少年-槍の山三として親しまれる。
産まれついて美貌で寵愛されるもその美しさが身の上の妨げになった事があまりにも多く
自身の容姿に異常に劣等感を抱いてたからこそ武勇や芸に身を窶したと言う説が残る。
度々、資料に出てくる只ならぬ事とは淀の方との密通とも言われているが、氏郷時代に入城する際
秀吉側室には山三郎の親族が多かった為、挨拶を交わした程度の話が噂に尾びれをつけて広まったと言われる。
信包のもとに茶々姫が預けられている時、幼少の山三も信包のもとにおり
元服を迎えてなかったので元々面識があって再会を親しんだだけの話とも
美少年の代名詞となり 歌舞伎の祖-初代「女形」として現在に至る
この人関してはこのスレの住人のが詳しいと思うので省略
878 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 06:53:03 ID:MAAkvAR+
>>875 浅香庄次郎すげぇ
ただ美形だっただけの人で特になんもしてない人だと思ってた
879 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 15:35:34 ID:nDhkCDbH
880 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 17:12:46 ID:mRGiXNVQ
最近おまいらマニアック過ぎる話でつまらんぞ。
881 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 17:20:57 ID:pTwDDP01
もうマニアック過ぎる話しか残ってなかったりw
882 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 17:23:12 ID:ilYITOFb
いやかえってメジャーどころの話が出てない気がする
883 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 17:26:46 ID:o9UrhzXv
むしろマニアックが良いのではなかろうか
ただ、マニアックはマニアックでもメジャーな人のマニアックな話が受けるとは思う
884 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 18:03:33 ID:5P/rfyYg
別の武将の似たような話があった気はするんだが。
政宗公、モッコを担ぐ
寛永四年、三代将軍家光から、伊達政宗に若林城築城の許可が下りた。
若林城は、政宗が隠居のために建てたとも、
南方からの敵を広瀬側の対岸で迎え撃つための出城として建てたとも言われている。
この城跡の土塁などを利用して、現在の宮城刑務所が作られた。
さて、この城の工事には、名取・宮城・刈田・柴田・伊具・亘理の各郡から人を集めた。
人が余ったときには遠くからきていた者から帰らせたらしい。
二重堀を広瀬川と繋ぎ、約6メートルの土手を築く工事だったが、
周囲が湿地帯だったため工事は難航し、
伊達成実などの老臣まで現場に出て石を運んだという。
しかし冬の寒い時期である。武士といえども動きは鈍る。
作業は遅々として進まない。
そこで政宗は、法螺貝を吹かせ、自ら小姓の南次郎吉とともに、
モッコと呼ばれる物に土を盛って運びながら、
「進めや者ども、進めや進め。我の土を運ぶこの様を見よ」
と声をかけ、6・7回運んで見せた。
するとこれを見た諸侍は勿論、見物していた農民や町民も進んで工事に加わった。
このおかげだろうか、工事は翌年、寛永五年に完成した。
因みにモッコとは、こんな感じの代物である。参考まで。
ttp://www.e-hayase.co.jp/sheet/moko.htm
885 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 18:33:28 ID:HK4aalzW
いい話か悪い話か迷ったが、とりあえずこっちに。
織田の甲州攻めにおいて、小山田信茂が武田家を裏切り、このため武田勝頼が敗亡したのは
有名な話であろう。
しかし織田信忠は、この小山田の行為を憎み、堀尾茂助に命じて、小山田を殺す事にした。
茂助はその討手として家来の則武三太夫を呼び、彼に
「小山田に甲冑を贈れ。これに彼が一礼した時に、刺し殺せ」
そう命じた。
三太夫は小山田が滞在していた善光寺へと行き、命じられたとおりに甲冑を贈った。
この時小山田は一礼した。
が、三太夫は動かなかった。
それから少しして、三太夫は
「小山田殿、あなたは武田家の侍大将であり、重恩を受けた身でありながら、主君に背いた
不義ゆえに、私が討手としてここに参った。
さあ、尋常に立ち向かわれよ。」
そう、静かに言った。小山田はこれに驚き、大変に腹を立て
「信長め騙したか!ええい、この上はさっさと首をはねよ!」
そう叫んだ。が、それでも三太夫は動かなかった。
そこで小山田は、「これまでに候」とつぶやくと、刀に手をかけた。
その時三太夫は立ち上がり、小山田の頸をはねた。
三太夫は小山田が最後に、騙まし討ちではなく、武士らしく「戦って死んだ」、
そう言う事にしてやったのだろう。
そんな、則武三太夫の武士の情け、のお話。
886 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 18:46:07 ID:hczdebl9
小山田も学習能力が無いよな
元朝倉家臣の処遇を見れば信長が不忠の敵将をどう裁くかわかるだろうに
最後まで武田の為に戦ってから「さあ首をはねよ」と言えば信長お気に入りの将となれたはず
887 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 19:07:05 ID:ru9OIsQw
むしろ、穴山や木曾とかの様にかなり早い内に寝返って、
武田攻めに手柄を立てるおくべき。
信長相手には、中途半端が一番イケない。
888 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 19:34:52 ID:c34OokpY
則武三太夫自身も、騙まし討ちの下手人として後世に名を残したくなかったんだろうな
こういう名誉心が武士の武士たるところか
889 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 19:35:55 ID:AQ59sVYD
かがみん「・・・」
890 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 19:44:31 ID:unwDplps
毛利勝永
891 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 19:53:36 ID:475b/AIQ
最初に寝返った者は優遇され、最後に裏切った者は見せしめにされる
古今東西どこにもある話なのにな。
892 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 19:58:32 ID:nqemPi3D
>>891 古今東西どこにでも有る話って事はつまり、それだけ学習しない人物が居た訳でして
893 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 20:17:23 ID:ifqorgiE
小山田は武田の家臣という認識がなかったっていうじゃない
北条とも独自に領土を安堵してもらっていたそうだし
894 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 20:40:25 ID:+OQlyM5L
最初に寝返った者 → 先見の明のある奴じゃのう
最後に裏切った者 → なんと汚い奴じゃ!腸が腐っとるわ!!
小山田とか穴山は武田家の家臣と言うか協力者
なので、分が悪くなると主君は代え申す。
だったんだっけ?
895 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 21:30:04 ID:qz/ptvCW
>>894 本人はそう思っても周りはそんな風には見てくれてないって話だと思われ
896 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 21:30:41 ID:D8R6fDqf
少し違う。戦いが始まる前に裏切った者、終わった後で降伏する者はそれなりに遇される。
もっとも軽蔑されるのは、戦いの途中で裏切る者。
897 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 21:52:28 ID:qz/ptvCW
>>896 信長は返り忠(内通)に関してはどうなんだろうか。
898 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 22:48:17 ID:DnBDwbwo
>>897 美濃攻めでは佐藤や三人衆など、三好義継討伐では若江三人衆を普通内通させている。
越前一向一揆討伐でも旧朝倉家臣には内通の手を伸ばしているし、伊勢攻略でも北畠他
各豪族の重臣レベルに寝返り内通を働かせている。
武田攻略だって、木曾氏や穴山氏などは領地安堵も含めて認めている。
まあ簡単に言うと、裏切り寝返りにもルール・マナーがあったということ。
ルールを守っているのなら、信長も時代の常識にそって受け入れてます。
899 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 22:49:16 ID:edVVGFvu
勝頼を受け入れて共に岩殿で散っていたらそりゃもう
忠臣とか名将なんてレベルじゃねーぞ!ってくらい称えられたのにな
罷り間違って奇跡の大逆転とかかましたら軍神・武神の類だ
900 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 22:56:16 ID:vGBp7HGL
その辺、徳川家に寝返っていたら、家は小さく温存できたのでは?
901 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 23:14:15 ID:gFCXaaY/
902 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 23:16:05 ID:RTJtVzUH
両方に味方するっていう二股の保険は俺的には一番悪くみえるんだけど
これは謀略ってことで評価されるんだよなぁ、戦国時代の価値観はわからん。
903 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 23:31:41 ID:6yW71D3s
>>891 朝倉攻めでは、一番最初に裏切った前波吉継を越前守護代に抜擢している。
一方で、土壇場で裏切った朝倉景鏡も本領安堵されている。
904 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 23:44:47 ID:DvsIH00V
二番目に裏切った人への待遇はそれなりに
↓
ヒャッハー誕生
905 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 00:07:18 ID:OU7B1EuK
苦しい時は少しでも味方が欲しいからな
選り好みできる余裕があるならまずヒャッハーなんぞ(ry
906 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 00:57:00 ID:QJTtmPhN
>>891 朝倉景鏡は所領安堵されても幽閉と言うか生涯謹慎の沙汰
合戦どころか外出さえも許されていないとか
907 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 01:25:18 ID:sFAJ5Aa9
>>906 そんな話があるの?越州軍記だと、その年十一月には降った旧朝倉一族たちが
京の信長のもとにお礼言上にでむいて供応を受けたって記録もあるが。
もちろんこの中に、景鏡の名前もある。
908 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 03:08:32 ID:QJTtmPhN
>>907 すまんソースまで覚えてないのだが
何かの用事で信長に拝謁した際「誰が外出を許した?」と
逆鱗に触れてしまい生涯の謹慎を言い渡されたって話があったと思う
909 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 13:46:40 ID:aZST99dQ
まあ、かって自分に謀反した柴田・佐久間・林の扱いを見ると・・・
やっぱ、メリット(使い道)があるかどうかで処遇を決めてるような。
人材に余裕が無い間は我慢して、人材が集まったらリストラとか。
本能寺が無ければ、リストラ続出だったと思う。
910 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 14:10:38 ID:8SD9yfuM
>>902 つまり、裏切り寝返り内通にも戦国の美学があったってことさ
911 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 14:59:33 ID:NJiNRlOg
戦国中期ごろまでは大名と言ってもそれほど強力な権力は持ってなかった
基本寄り合い所帯のまとめ役程度だからね
ゆえにその勢力圏内の豪族たちを庇護するのにも限界があった、端っこになると特に
でもそれじゃあ豪族たちの安全は確保できないから複数の勢力の庇護に入ることになる
大名もそういう事情はわかってるのであまりとやかく言わない
むしろ下手に文句付けたら家臣団離反して崩壊するかもね
912 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 16:19:52 ID:3EsbHHzX
まあ小山田の場合、領地が北条家と境を接するいわば「最前線」だったっていうのはあるんじゃない?
北条家はいちおう同盟を結んでることにはなってるけど、上杉とも誼があるわけだしさ・・・
まーやり方が汚い(と信長が思った)というのは、大きいんだろうけどね
913 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 18:19:45 ID:Rb3Rt2Kn
蓮如と、駕篭の鶯
本願寺八世、蓮如上人が八十五歳の時、大阪で病を得た上人は、その本拠地山科で、
病床に臥せっていた。
ある時上人は、病床近くにいた弟子の法敬、空善、了陳らと法話をしていたが、
その時、病室にあった籠に入った鶯を見て、このように言った
「あの鶯は空善が先日私にくれたものだが、『法聞け、法聞け』と鳴くのだよ。
宗祖親鸞聖人の御門徒でありながら法を聞かぬものは、人間でありながらこの鳥にも
劣ると言うものだな。
わたしはこの鳥の『法聞け』という声で心を慰めていたのだが、、もう籠に入れておくのは
可愛そうなので、竹林に放してやってくれないか?」
そこで空善が藪の中に放してくると、蓮如は、
「籠の中でさぞや窮屈であっただろうと思うが、『法聞け法聞け』と鳴く有難さに、心ならずも
今日まで閉じ込めてしまったよ。今、藪の中に放たれて、さぞ喜んでいるだろう。
それにつけても思うのは、人間と言うものも、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の
六種の迷界における、胎、卵、湿、化の、四種の生の現世を出て、西方浄土の
広大な竹林に放たれれば、どれほど喜ばしい事であろう。」
そのように、しみじみと語ったそうである。
浄土真宗を大教団へと育て上げた、真宗中興の祖、蓮如上人の晩年の心境である。
914 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 19:45:03 ID:i1eF7T9X
>>909 信長が嫌っているのは「怠け者」
能力が無いなりに努力をしている人間は、信長は厚遇している。
915 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 21:19:58 ID:rNlA9TYg
そういう人は使いどころあるからね
有能な奴にやらせんのはもったいないけど誰かがやらなきゃ回らないような仕事は多いもの。
916 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 21:44:58 ID:UtBXzK4t
どういう怠けをしたのだ?
917 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 22:17:40 ID:AiZQKhPp
>>914 >>916 武将じゃないけど一例。
部屋に果物の種を落としたままにしていた(掃除を怠った)侍女を、
ノブ自ら一刀両断。
918 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 22:20:16 ID:Rb3Rt2Kn
>>917 徳川家なら、殺す前に作左さんあたりが出てきて深刻な説教を始めるレベルの話だな。
919 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 22:21:13 ID:O4oXupkM
佐久間は塙の後任で本願寺攻めの指揮官になったが茶会しまくっててダラダラ10年費やしたので信長の評価がダウンした。
茶会三昧の記録とか残ってたはず。
920 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 23:16:23 ID:UtBXzK4t
>>917 さすが精神異常者だなw あんなのが人気ってどうかしてる。
>>918 深刻な説教ってどんなのだよwww
921 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 23:27:37 ID:Rb3Rt2Kn
>>920 作左さんなら、「種を落とせば命が奪われるなら、種を田畠に撒き散らす百姓は
みな死罪じゃ!」とか言い出して領内の百姓全員磔にしようとして、家康が
「わしが悪かった頼むからやめてくれ」って平謝りに反省する、って感じだろうねw
922 :
人間七七四年:2009/09/01(火) 23:48:09 ID:+Q+iAL9p
923 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 00:15:42 ID:jYNrC0Dc
フォローされない佐久間さんは尼子最高
924 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 00:27:40 ID:OPLNWZqB
えっ?
925 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 00:35:28 ID:Lud+i24J
>>923 佐久間さんに関しては、信盛の死後、息子の信栄に信長から
「ごめーん、アレこっちの誤解だったわ。」
って書状が来たそうな。
926 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 00:45:20 ID:jYNrC0Dc
>>925 あぁ、信長からフォローはされてたんだ
…その辺もっと知らしめてあげてたら、
取り合えず滅んでるから悪く書かれるという、
悪名のデフレスパイラルから抜け出れたんだろうけどなぁ
まぁこればっかりは当事者の信長や信盛じゃどうしようもないねぇ
927 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 02:13:51 ID:pk3IYv5K
佐久間信栄は復帰してるとはいえあんまり出世してないしねえ
928 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 02:27:46 ID:IosHdf3a
佐久間盛政の方を出世させちゃったからね
さらに柴田家も佐々家も盛政の兄弟が後を継ぐ可能性が強い
大国2含む3ヶ国を支配させちゃったらこれ以上はもう・・・
929 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 07:25:48 ID:c2GVMG0c
尼子経久の家臣に何でも与えて木すら引っこ抜いて与えようとした話は既出?
930 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 08:08:59 ID:Ys4e5hBp
931 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 10:43:23 ID:QHbLJZCY
>>921 信長に言ったら「畑に播くのと畳に落とすのは違うし、
侍女と農民の仕事も違うわ。へ理屈ぬかすな!」
で、罪もない領民を殺そうとした作左は所領没収、
追放で終わっただろうな。
932 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 10:49:55 ID:lTL0zB6Z
>>926 信長って悪名のデフレスパイラルってほど悪く書かれる事も少ないような
むしろ苛烈な部分も含めて人気があるのが信長じゃね
933 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 11:22:53 ID:PPRl3bns
でも鬼武蔵が同じ事をやったら、信長は喜んで許すのだよな。
934 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 11:30:54 ID:YM4iNnql
935 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 11:49:53 ID:QHbLJZCY
>>933 鬼武蔵って、軍事的にはいろいろと無茶やらかすけど、それなりに理由や名分もたてているぞ。
あと信長には、ストレートな性分があっていたのかもしれない。
その辺は君臣の相性ってのもあるからなあ。
936 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 11:52:15 ID:lTL0zB6Z
小牧長久手までは一応無敗だしなw
信長軍団がすでに止められないレベルだったためではあろうが
937 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 11:54:09 ID:qvQeO5+f
まぁ美濃豪族の制圧戦は無茶な戦ことごとく勝ったからな
力業あり策略ありので
938 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 12:38:50 ID:SgAefoUV
939 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 13:44:49 ID:r1OaMSK4
940 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 16:53:24 ID:zx3MKy+D
寛永十三年四月十八日、
伊達政宗の生母・保春院(義姫)の菩提寺が完成した。
この日落慶式に臨んだ政宗は、
午後から北山などの散策に出かける。
この時、経ヶ峰に立った政宗が、自分の死んだ後に
墓を立てる場所をここにするよう、棹を立てて指示した。
(後にその場所を掘った所、満海上人の廟所が発掘されたという。
満海上人は羽黒の修験者で、政宗はこの上人の生まれ変わりとされていた)
その日、政宗の様子はとても心細い様子だったと言われる。
ホトトギスの初音を聞きたいと思った政宗だが、
この日は聞く事が出来なかった。
五月二十日、ホトトギスの初音は聞けないままだったが、政宗は江戸に発つ。
その道中、増田という町を過ぎたころ。
一羽のホトトギスが、街道筋の柳にとまって、鳴き始めた。
政宗の乗る駕篭が進むと前になり、後になり、
一町ほどずっとついてきて、鳴き声を聞かせていたという。
このホトトギスの初音を聞いた四日後、五月二十四日。
政宗は江戸桜田上屋敷で生涯を終えた。
ホトトギスは魂迎鳥(たまむかえどり)の異名が示すように、
冥土を行き来する鳥だという言い伝えがある。
あるいは政宗の魂を迎えにきていたのかもしれない。
941 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 23:00:35 ID:Lud+i24J
>>940 > ホトトギスは魂迎鳥(たまむかえどり)の異名が示すように、
> 冥土を行き来する鳥だという言い伝えがある。
そうだったんだ。コウノトリと逆ですな。しらなかった。
942 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 00:13:54 ID:PABC0/78
そうすると三傑ホトトギスの句もなかなか、と思う。
信長なんか「なかなか死の迎えが来ないなら一生来るな」なんて言ってる気がする。
943 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 00:18:59 ID:EdBsH/06
>>942 なら秀吉には自殺願望があったってことに…
どっちかって言うと殺してばっかだが
944 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 00:19:33 ID:foZxW8Cn
そうすると秀吉の句は人の死すら操ってみせよう、みたいな感じかねえ。
945 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 01:10:50 ID:ChlcpNVj
信長「運命?そんなのは迷信だ」
秀吉「逃げる奴は敵兵だ。逃げない奴はよく訓練された敵兵だ。
戦国って本当、地獄だぜ!フゥハハハーハァー!!」
家康「とりあえず死んだら負けかなって思ってる」
こんな感じかね。
946 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 03:49:06 ID:xjb+gmBY
真田は嘘つき
伊達はマザコン
これって定説で良いんだよね?
947 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 07:06:28 ID:yZEnYepw
だがその定説には疑問が残る。
948 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 07:51:19 ID:WC27Sc87
>>946 真田にも色々居るが。
とりあえず短命を惜しまれる真田さんは嘘つきエピソードあったっけ?
949 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 08:00:32 ID:sNvK+W76
嘘つきな真田というと安房守かその弟しか思いつかんな
950 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 08:23:46 ID:sWfzBMp1
こんなレベルの低いネタに釣られんなよ…
951 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 10:45:04 ID:8I936cof
この時代の嘘っていうと、いわゆる謀略の類を覗いて
「金を貸したけどあいつ期限が来たのに返してくれない!!」とか
「あんた!!何浮気してくれてんのよ!?」→「ちがうよ、全然ちがうんry」とかか。
発想が貧困ですまん。
なんか嘘に関する面白い話ないかねぇ
952 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 12:20:21 ID:N3by/Ray
武略と方便うんたら
953 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 12:42:55 ID:4MOMpRcG
嘘と言うか何と言うか
甲州は一蓮寺において、武田信玄を饗応したことがあった。
ところがこの時、俄かに公家の菊亭晴季が一蓮寺を尋ねて来た。
その日は歌の会であった。そろそろ膳を出す時間であったが、
信玄が突然、この席にあった寺島甫菴に
「これこれの故事は、一体どの書物にあったのか、どうしても思い出せない。
どうも気になって仕方がないので、そなた、すまないがこれから遠光寺の雪山和尚の
所に行って、これを聞いて書き付けてきてくれないか?」
そう言って、その場からすぐに遠光寺に派遣させた。
実は一蓮寺はあまり裕福な寺院ではなく、その日の膳も人数分ぎりぎりしか
用意していなかった。
この事を察していた信玄は、わざと相伴の人間を一人使いに出し、一蓮寺が
菊亭公をもてなせる様にしたのだ。
実に武田信玄らしい、気の使い方のお話。
954 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 12:54:11 ID:3AQy7LkA
逸話と関係ない質問ですみませんが。この寺島甫菴ってどんな人物だったかわかりますか?
もしくは出典など手がかりになる情報を頂きたいのですが。
955 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:05:52 ID:4MOMpRcG
>>954 出展は、山鹿素行の「士談巻ノ九、全才」からです。
おそらく原典は別にあります。
寺島甫菴についてはこの逸話に書いてある以上のことはわかりません。
956 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:10:58 ID:8I936cof
>>953 素敵な嘘というか、機転かな。いい話だね。
957 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:14:50 ID:J5s6HnNU
>>953 さすが信玄さんや
公家はホント空気読めないな
958 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:15:32 ID:3AQy7LkA
>>955 ありがとうございます。
ちょっと調べていて信玄御伽衆だった事くらいしか分からなかったもので。
959 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:18:34 ID:I3r5dYC9
さすが、戦国嘘つきツートップの信玄さんだな。いい嘘もお手の物だ。
もう一方の嘘つき、信長さんはどうだろう。
960 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:26:34 ID:J5s6HnNU
信長は信濃攻略後、家康の供応を受けながら東海道を帰るときに
付いていきたいといった近衛に「お前なんか帰れ」と追い返したそうだ
961 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 13:56:00 ID:QLCAQ5qo
真田家は全く信用ならない(初代藩主除く)
政宗はマザコン
これなら定説で良いんだよね?
本能寺の時に和議守った毛利とか、塩送ったとか
「義」なんて全く無くないか?
962 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 14:03:39 ID:8I936cof
>>960 信長「ひっひ、一人で行けるもん!!お、お前なんか、か、帰っちゃえ><;」
そう言い出すには、やっぱりなんか理由あったんだろうけどなぁ。
虫の居所が悪かったんだろうか
963 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 14:15:28 ID:J5s6HnNU
>>962 家康にとって信長を供応することは経済的にも相当な負担なわけだ
その上、元関白の近衛前久を同時にもてなさないといけないとなれば大変なことになる
だから信長は家康のことを思いやって近衛を追い返したんだよ
信長なりの気遣いなんだな
964 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 14:22:26 ID:1DM/K4+C
信長と近衛前久って、結構気安い友達だった様な印象があるけど
965 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 14:23:50 ID:4MOMpRcG
つーか、追い返したって話自体後世の創作だったはず
966 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 15:53:20 ID:a/NunCbF
>家康にとって信長を供応することは経済的にも相当な負担なわけだ
なんで?
まさか千単位の兵をもてなすの?
967 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 16:28:28 ID:Axu2eZmY
追い返したって、それデマ。
実際には仲良く東海道で帰ったもよう。
「三河の寺に宿泊したときに、聖徳太子にまつわる話を聞いた。信長にその話をしたら、
こんど暇になったら一緒に聞きにいこうと約束したのに、出来なくなってしまったなあ」
なんて、本能寺の後の日記に書き付けている。
968 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 16:38:43 ID:4MOMpRcG
969 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 20:33:46 ID:mTSUvH3V
兄弟の接待じゃないの?
970 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 20:49:42 ID:4QRRU5ha
信長と家康は実はかなり前から何度も直接会って、お付き合いをしている
天正四年、五年、六年と連続して信長は吉良に鷹狩りに来ている
勿論、家康が出迎えない訳もない、例えば天正六年では家康は信長を清州まで出迎え、
一緒に鷹狩りをし、その後に岡崎によっている
つまり、ゴルフ接待でなく鷹狩り接待である
「信長様、良い鷹でございますな」
「おう、伊達からの献上品でな。こう、獲物への喰い付きが中々良い」
「いやいや、信長様と一緒にいてこそ、鷹もその力を十分に発揮しているのでしょう」
「いや〜家康殿はお世辞が上手い」
「何の何の、本当の事を申したまでです」
で、茂みの向こうで獲物をもった家康の家来が
「よし、信長様の鷹が飛び立ったぞ、獲物を話せ!」
なんか、やってたり
971 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:10:44 ID:mTSUvH3V
伊達は織田家と付き合いあったのか?
972 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:15:42 ID:4MOMpRcG
>>971 輝宗(政宗の父)が、かなり早い段階から信長に通じてる。
つーかそろそろ新スレですな
973 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:17:42 ID:4QRRU5ha
>>971 天正元年よりよしみを通じているのが確認されている
天正三年、五年には鷹が献じられている
974 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:18:58 ID:pG8DdUhf
家康自身も鷹狩り好きだし、幼なじみ?のお隣さんとレジャーって感覚もあったかもね。
975 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 21:50:24 ID:cXEOwHe9
家康はホント鷹狩り好きだなw
まあ、茶の湯よりは楽しそうだ
976 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:09:34 ID:JiSLCc8C
津山市民の祖父から聞いた話です。
出展等不明で投稿していいのか迷いましたが、まとめにも無いようなので見流す程度にご覧下さい。
その1・森長可とできもの
長可の足(脛だっけ?)にできものが出来た。
家来に「できもの出来たんだよ!ほらほらこれこれ(゚∀゚*)!」と見せると、
家来の人は見るなり塩を口に含み、直接そのできものを噛んで潰した。
しかも家来はその後「その綺麗な細い御足に家来が吸い付きましたよー(・∀・)ニヤニヤ」と発言。
これは家来の心の臓が噛み潰されるんじゃ・・・と思えば長可、
「こやつめ、ハハハ」という感じに笑い飛ばして特に怒らなかったとか。
(ちなみにできものを潰すのは一番危険です!噛み潰せば噛んだ人も危険です!気になる場合即皮膚科に行って下さい!)
その2・忠政の痛覚
ある冬の日、江戸での出来事。
忠政が大名達と火鉢でぬくぬくしていると、鉢から炭が弾け飛び、
まだメラメラと燃え上がってる炭の破片がなんとそのまま忠政の手にジャストミート!
なんか根性焼き以上な状態になった。
だけど忠政はまったく気にせず、破片を取り払おうともしない。
気付いた側の大名が「ttt手が燃えていますよ!?(゚A゚ ;)」と扇子で必死に払い落とそうとすると忠政は笑いながら
「ふふふ。すぐに消えるだろうし、そんなに気にしなくていいですよ。(´ー` )」と答えた。
すると火はゆっくりと消えてゆき、忠政は残った破片をそっと火鉢に戻した。
大名達も忠政の堂々とした態度に感動したという。
爺ちゃん曰く
「長可公は鬼武蔵のほかに鬼百合の異名もあった気がする。だからこんな話があったのかもね」
「こんな忠政公が素直に痛がる桃には気を付けるんだぞ!あいつらヤバイから!」
森兄弟の話だからてっきり血祭りな恐い話かと思えば家来達と仲良し?な長可の話に、
突然の事に「あっちゃー!」とか騒がない忠政のかっこいい話・・・?いい話・・・?
977 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:13:09 ID:NVbXzJf0
キマシタワー
978 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:14:53 ID:OMo4z92X
傷口に塩を塗りこめられて笑ってたり根性焼きされてニヤニヤしてたり・・・
979 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:16:24 ID:vhmXjRVd
慶長出羽合戦、健闘をたたえて
最上義光、直江兼続の撤退をみて
「いやー、関ヶ原での敗報を聞いているのにすごいね。
やっぱりね、少しも臆せず心静かに陣払いをするなんて、たいしたもんだ。
あわてないでこっちのほうも討ち取って、無事に帰るなんてねえ!
やっぱ謙信以来の強さが残っているんだね」
直江兼続、鮭延秀綱の奇襲に
「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えがなかろう! やるな」
伊達政宗
「ちょ、マジかよ! 最上勢が弱ェから直江取り逃しちゃったじゃん!
大事なことだからもう一度言います! 最上が弱いのが悪い! オレは悪くないぞ」
スポーツマンシップというか、相手を褒める精神がちょっと足りないまーくんであった。
オマケ
(´ー`)「まーくんへ、援軍ありがとう。お義も感謝していました。
…でも日和見してたよね?
きみの援軍がもうちょっとがんばったら、直江もちゃんと討ち取れたんじゃないかなあ?
あー、あと南部でなんかしてなかったっけ。全部家康公に報告しておくから、楽しみにしておいてね♪
伯父さんより」
980 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:23:29 ID:4MOMpRcG
>>976 > その1・森長可とできもの
> 家来の人は見るなり塩を口に含み、直接そのできものを噛んで潰した。
その家臣は「武藤五郎右衛門」ですな。
色々面白い逸話のある人で、森家の名物だったらしい。
> その2・忠政の痛覚
> 気付いた側の大名が「ttt手が燃えていますよ!?(゚A゚ ;)」と扇子で必死に払い落とそうとすると
この気づいた大名は岡山藩主の池田忠雄。
例の荒木又右衛門の「鍵屋の辻の決闘」の原因を作った人。
981 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:37:44 ID:4MOMpRcG
980踏んだので新スレ立ててみる
982 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:41:44 ID:4MOMpRcG
983 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:43:21 ID:sNvK+W76
OK、立ててみる。
984 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:43:40 ID:JiSLCc8C
>>980 武藤さんと二代目藩主様だったんですか!
森一族と岡山藩主好きな祖父に早速伝えます!本当にありがとうございます!!
985 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:44:49 ID:sNvK+W76
986 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:46:13 ID:4MOMpRcG
987 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:46:37 ID:YSAJNrn9
>>979 最上は直江は少しも臆せず撤退したと言ってるけど
上杉将士書上だと直江は撤退中追い詰められもう駄目だから切腹すると言出してそれを
前田慶次に大将がそんな事でどうするって説教されて
慶次の奮戦で危機を脱したという逸話なんかもあるんだよな
988 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 22:54:56 ID:0918+R2S
>987
一応敗残の将にも気を使ったんじゃないか?
リップサービス的なもの
989 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:08:00 ID:OYvURaBt
直江って「老中でも山城守殿と付けて呼んだ。」なんて逸話の持ち主だから
ちょっとフォローすべきかなと思わせる風格の持ち主だったんじゃなかろうか。
990 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:29:33 ID:+6pjZrcX
991 :
人間七七四年:2009/09/03(木) 23:55:04 ID:jX/0/GCR
やっぱ鬼武蔵もイケメンだったんじゃねぇの?
血しぶきを浴びるイケメンのほうが絵的にも栄える
ってか四天王はイケメン多いな
992 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:07:15 ID:RDzlwYa1
紀元前の昔から、巧言令色鮮なし仁と申しますでな。
993 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:10:36 ID:QUUPx7t8
wikiの悪い家久の画像は色白の涼しい顔立ちで吹いたw
イメージと違うだろ・・・
994 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:18:27 ID:tMsDCP2K
あっ本当だ
ちょっと前まで画像無かったのに
画像が小さいけどまぁ親父が整った顔してるからイケメンでもあり得ない話ではないな
って事は全員イケメンじゃね?
三歳→美形夫婦
鬼武蔵→鬼百合
政宗→伊達男
家久(悪)→なんかイケメンっぽい
995 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:26:01 ID:xtcMy0p6
携帯から失礼します。今更だか長可の家来と仲良し?話に便乗。
小牧の時の領地欲張り話。の、別パターン。
長可「駿河、遠江、甲府よこせよ」
↓
使者「いや、無理。二つだろ」
↓
長可「(´;ω;`)ブワッ」
なんと長可突然泣きしだした。
使者が帰った後、傍にいた小姓に長可が語る。
「ついでに貰えれば君にも城を持たせてやれたのに。運が悪かったな・・・」
確か先代実録に乗ってたような。
今携帯しか自宅ネット環境がなくまとめで既出確認がどうしてもできませんでした。
確かなかったような気がしたのですが、話被ってたら本当にすいません。
996 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:30:06 ID:0/umWpdQ
>>990 きっとそのきれいで細長い足で信長の細長いアレをしごいてやってたんだろw
おや、こんな時間に宅配業者が…ry
997 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:43:35 ID:irZ5kjES
そうか鬼武蔵が無茶苦茶やってたのは
見た目で侮られないようつっぱってたのか!
…なわけはないな
998 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:44:15 ID:D2uruAje
/i (~) iヽ
《 ヾ⌒ソ /
. {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ おじきに1000とらしてやんよ
(:::::::::::::::)
しωJ
999 :
人間七七四年:2009/09/04(金) 00:46:11 ID:NaNngXdr
>>995 鬼武蔵「フー スッとしたぜ おれはチと荒っぽい性格でな〜〜
激昂してトチ狂いそうになると 泣きわめいて 頭を冷静にすることにしているのだ」
こうですか?
/i (~) iヽ
《 ヾ⌒ソ /
. {ヽ,二,,ノ}
∠(´●ω・´)ゝ やっぱ1000はおれがとるぜい
(:::::::::::::::)
しωJ
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
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